AWC ●短編



#493/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/14  22:21  (151)
百回目のダイイングメッセージ   永山
★内容
「今日はどんな事件ですか、警部?」
 いわゆる名探偵の|流山《ながれやま》探偵事務所を訪ねた|長野《ながの》警部
は、にこにこ顔で歓迎された。難事件に困って相談に来たのだと決め付けられている。
そう思うと、しゃくではあるが事実なのだから仕方がない。
「流山さんが好きそうなタイプですよ。ダイイングメッセージってやつ」
「ダイイングメッセージはあんまり好きじゃないなあ」
 揉み手をやめ、椅子の背もたれに身を預ける流山探偵。六畳ほどの応接スペースに、
軋む音が短く響く。
「そうでしたか。いかにもミステリっぽくて、小説や映像作品でもよく見掛けるなと思
ってましたよ」
「作り物の世界ではね。ダイイングメッセージのネタは、比較的簡単に作れるから。出
来不出来は別にして、それを使った作品が多くなるのは必然。襲われた被害者が助けを
求めず、死を早々と覚悟して、捻ったメッセージを薄れ行く意識の中ひねり出すなんて
現実味がないけど、完全否定もできない。さらに――」
 ひとくさりけなして終わりかと思いきや、まだ続きがあるようだ。長引くと察した警
部は、話を元に戻しにかかる。
「申し訳ないが流山さん。無駄に時間を過ごしたくない。依頼を受けられないのであれ
ば、私ゃさっさと退散するとしましょう」
「いやいや、事件の概要すら聞かない内に断れませんよ」
 再び揉み手をすると、流山探偵はデスクを離れ、長野のいるローテーブルの方にやっ
て来た。互いに向き合う形でソファに収まったところで、ようやく本題に入る。
「被害者は|浜谷勇《はまやいさむ》、六十六歳男性。遊具メーカーを定年退職後、熟
年離婚で独り身になるも特に不自由せずに暮らしていたようです。というのも蓄えがか
なりあり、個人的に金貸しをやっていたと。まあ、それが殺された動機につながるかも
しれんのですが。先月の七日、町内会の旅行に参加して、ちょうど十名で温泉宿に一泊
した。一晩明けてみると、宛がわれた部屋で、浜谷が死んでいた。備品の重たい灰皿
で、後頭部を殴られておりました。大量出血による失血死。で、被害者は自らの血を使
って、床というか畳の上に『百』と書き残していたんです。しっかりと、こう――」
「それはアラビア数字なのか漢字なのか。あるいはまさかの仮名文字で『ひゃく』?」
「あ、ええっと、漢数字ですな。で、面倒なことに、旅行に参加した残りの九人の内、
六人までもが浜谷から金を借りていた。額は上は百万単位で、下は十万前後。返済期限
が迫っていた、もしくは過ぎてしまっていたのが四人」
「旅行に参加する金があるなら、早く返してくれよとなってもおかしくない」
「私らもそう睨んでいます。ところが、ダイイングメッセージのおかげで、ちょいとお
かしなことになってきた。実は、参加者――容疑者の中に、|百田達吉《ももたたつき
ち》という男がおり、こいつで決まり!的な空気でしたが、アリバイが確認された。こ
の百田、夕食後に悪酔いしたとか言って早々に部屋に籠もったように装い、実際には宿
を抜け出て、近くに住む愛人のところへ行っていた。それだけなら信憑性に疑問が持た
れるが、いくつかの防犯カメラにも、いそいそと夜道を歩く百田の姿が捉えられてお
り、これは認めざるを得ないなと」
「状況は分かりました。他の容疑者の名前を教えてもらえますか」
 探偵の求めに応じ、長野警部は手書きのメモを渡した。予め、用意しておいたもので
言及済みの百田も含まれている。

・|百田達吉《ももたたつきち》

・|手塚朱美《てづかあけみ》

・|小村桃子《こむらももこ》

・|万代史郎《ばんだいしろう》

・|白戸一《しらとはじめ》

・|木田沼栄樹《きだぬまえいき》

「被害者に借金をしていた六人です。百田以外で、百を当てはめられる人物はいますか
ね」
「その前に確認だけど、百田達吉以外のアリバイは不成立?」
「そうなってます。一晩中アリバイを確保できてる人間なんて、普通はいません」
「確かに。さて、百に当てはまりそうな人物となると、まずは小村桃子かな。桃と百を
勘違いした」
「いやいや、いくら何でもそれは」
「冗談です。だが、こうして見渡しても、冗談めいたものしか浮かばないな。白戸一は
白と一、白の上に一を乗せれば百になる」
「……まあ、捜査会議でも、ダイイングメッセージの百は元々は白で、それに気付いた
白戸が一を書き足したのではないかという意見は出ましたが」
「うん、そうなんだ。ダイイングメッセージってのは、犯人や第三者による付け足しか
消去、あるいは全面的な破壊、全面的な偽装というのがあり得るからねえ。可能性が広
がりすぎて、かえって面白味に欠けるきらいがある」
「面白味云々は知りませんが、物証として認められるか否か、ボーダーライン上である
のは確かです」
「もう少しこねくり回してみましょうか。英語で百を?」
「え、ワンハンドレッド?」
「そう、ハンドレッド。これをハンドとレッドに分解する。綴りは異なるんだが、ハン
ドとレッドを日本語にすると?」
「手と赤、ですか」
「赤を朱色だと解釈すれば、手塚朱美が怪しいとなる」
「はあ」
 こじつけの度が過ぎていて、何と反応していいのか困る。
「まだある。百の上の部分をクロースアップすれば、片仮名のエに見えなくもない。こ
れはエイキと書こうとして、途中で力尽きたのかもしれない。その血文字に気付いた木
田沼栄樹は、とっさの機転でエに書き足して百にした。この手法は、万代にも当てはめ
られそうだね。ああ、一万は百かける百だ。現場に百という血文字は二つなかったか
い?」
 流山探偵は大いに笑った。冗談のつもりで言ったらしいが、長野警部は首を縦に振っ
た。
「実は……流山さんが前のめりに推理を始めたので、言いそびれていましたが、百の血
文字は複数個見付かっています」
「ええ? 早く言って欲しかった」
 目を丸くして驚き、次に口を尖らせる探偵。
「で、いくつあったの? やっぱり二つかな。だからといって、万代を犯人とするのも
躊躇われるけれども」
「それが、数え切れないくらい多かったんです」
「ほう?」
「もちろん、実際には数えましたよ。捜査員二人がそれぞれ数えてみました。重なり合
った箇所もあって、正確なところは判断が難しいのですが、百文字というか百個はあっ
た」
「な、何ですそりゃあ。殺害現場に百という血文字が百個!」
 この件で初めて流山探偵が、本気で興味を持った瞬間だった。
「そんなにたくさんの字を、瀕死の被害者が書けるはずがない。これはもう犯人の仕業
でしょう」
「警察も概ね同意見ですが、その先がさっぱり進まない。理解できない行動としか」
「うーん、攪乱するにしても百回はやりすぎ。そんなことをしている暇があれば、現場
から一刻も早く立ち去るのが当たり前……。念のために伺いますが、犯行現場の畳は赤
系統の色をしており、血で描いた文字が読みづらいなんてことはありませんよね?」
「無論です。そんな特殊な事情があれば、会議で上がってきます」
「ということは、部屋の電球が赤く塗られていて、灯すと赤系統の光が放たれるなんて
こともないと」
「ええ、請け負いますよ。血文字を書いたが赤が読みにくかった、という状況ではなか
った。そもそも、そんな理由だったら、犯人も程なくして気付くんじゃないですか。灯
りのせいで見えにくかっただけだって。百回も書き続けるとはちょっと信じられんで
す」
「警部の仰る通りだ。では、他に考えられるのは……犯人は恐慌を来していた。パニッ
クに陥っていたとしたら……」
 手のひらを擦り合わせ、沈思黙考に入った流山探偵。目を閉じて集中し、次々と可能
性を検討しているときのポーズだ。それを承知している長野は邪魔せぬように静かに見
守る。
 五分強が経過したところで、流山が目をしっかり見開いた。
「もう一点だけ、馬鹿げた可能性を潰すための確認。赤系統のサングラスを持って来て
いた者はいませんでしたね?」
「いなかったはずです。町内会の温泉旅行でそんな変わった物を持ってきたら、目立っ
て仕方がないでしょうし、犯行時に装着する意味も不明だ」
「結構。ではこれでしょう。事件後、字をまともに読めなくなった人物がいると思う。
恐らく隠しようがないから、検査すればすぐに明らかになるはず」
「字を読めなくなった? そいつが犯人だと言うんですか」
「十中八九ね」
 言葉とは違い、百パーセントの自信がありそうな流山探偵。
「恐らく犯人は犯行時、被害者と揉み合いになり、頭を打つか何かして、失読症になっ
たんじゃないかな」
「失読症、ですか」
 おうむ返ししてみたものの、ぴんと来ていない長野警部。
「大雑把に説明すると、脳へのダメージ等の後天的理由により文字を読めなくなる症状
と言えばいいかな。文字が歪んだりぼやけたり、あるいは逆さ文字になったり、点描画
のように見えたりするそうでしてね。想像するに、犯人は自らの小細工した血文字が、
点描のように見えたんじゃないだろうか。ほら、畳は表面が細かい升目になっていると
も言えるでしょうが。あそこに文字をドットで点々と描いたとしたら、凄く読みづらく
なるに違いない」
「はあ、まあ、何となく想像はできます。で、どう百個の百につながるんで?」
「突然、失読症になった犯人は大いに慌てたろうね。自分の書いた文字が自分で理解で
きないのだから、慌てるどころじゃ済まず、パニックになった。百田に罪を擦り付ける
べく、必死になって何度も百と書いたが、どうやっても百と読めない。数が百を超える
くらい繰り返した時点で、ようやく諦めが付いたか被害者の血が乾いてしまったか、書
くのをやめて現場から逃げた」
「……何とか飲み込めました。早速調べるとしましょう」
 立ち上がった警部は、ドアを開けて出て行く前に、しっかり立ち止まった。振り返っ
て、探偵に話し掛ける。
「謝礼は答がはっきりしてからでかまいませんかね」
「待ちましょう。調べればすぐに分かることだから。百聞は一見にしかずと言うしね」

――終




#494/495 ●短編    *** コメント #303 ***
★タイトル (AZA     )  21/03/21  20:21  (161)
赤洗面器男の冒険   永山
★内容
※本作のオチの部分は、UP済みの拙作(コメント先の親文書にある短編)と同じで
す。あしからず、ご了承ください。


             *           *

A「今日のお題は『赤い洗面器の男』です」
B「『赤い洗面器の男』ってあの?」
A「はい。倒叙ミステリのドラマとしては『刑事コロンボ』シリーズと並ぶ超有名作品
――ただし日本国内に限るかもしれませんが――で度々、出て来たリドルストーリーで
す。皆さん、ご存知ですよね?」
B「ああ、もちろん」
C「この謎求会《めいきゅうかい》のメンバーで、あれを知らないなんて人はいません
わ」
D「先程のAさんの説明に敢えて付け足すなら、その倒叙ミステリドラマ以外の映像作
品いくつかにも登場したことがある、ぐらいだな」
A「はいはい、分かりました。では本題に移るとしましょう。皆さんで、『赤い洗面器
の男』のオチを考えて、発表する。制限時間は、あまりだらだらとやっても被りが出る
だけでしょうから、ひとまず十五分としておきましょう」
D「いっそ、早い者勝ちでいいんでないかい? 早押しクイズみたいにさ」
E「いや、それだと一人がぽんぽん答えてしまうかもしれないよ。できる限り多くの人
の答を聞きたいな」
A「それじゃあ、早押しクイズ形式だが、答える権利は一回きりとしましょうか。で、
三分間誰からも答えが出なかったら、全員に解答権が復活すると」
全員「賛成」
A「よかった。あとは……賞品はとりあえず、青い洗面器を用意しておきました」
B「いらねー」
C「水が入っているのかしら」
F「何で青やねん!」
A「ははは。副賞としていつもの賞金もありますので、脳細胞をフル回転させて、答を
捻り出してください。こんなことを言っている間にも、皆さん考えているんでしょうけ
ど。他、何か質問のある方はいますか? はい、Eさんどうぞ」
E「今回は正解というものがない訳だけど、優勝者はいかにして決めるんです?」
A「おお、そうでしたそうでした。タイムアップ後に記名投票で決を採ることにしまし
ょう。自分自身の説に票を投じるのは、なしで。同数獲得の説が出た場合は決選投票で
もしますか」
E「分かりました」
A「他に質問のある方は? いませんね。それでは……壁時計の秒針が、次に12を差
したときから解答を受け付けます。私が指名してから答えてください。Zオーナー、い
つものことですまないけど、ホワイトボードに板書頼むね」
Z「お任せあれ」
A「どうも。――さあ、スタートだ」
ほぼ全員「はい!はい!はいはい!」
A「こりゃ凄いな。えっと、私から見て一番早かったGさん、どうぞ」
G「先手必勝とはならんだろうが、とりあえず。『男は問われて答えました。“この水
が何時間で蒸発するかの実験をしているんだ”』」
A「なるほど。晴れた日の午後というのを活かした訳ですね。はい、次。――Bさん」
B「答える前に提案。時間節約で、みんな答だけ言うことにしよう。『男は答えた。“
青い洗面器だと、青信号と間違えて車が突っ込んでくるからに決まってるだろ!”』」
A「色に着目と。次、Cさんどうぞ」
C「『男は答えました。“こいつを頭に乗せてる理由? 足に履けないからだよ”』」
A「いわば帽子であり、足に履くものではないと。次、Fさん」
F「『男はとぼけた顔して答えた。“えっ、これ? いやあ、実はにわか雨にふらちま
いやしてね。そのとき雨避けになる物が、この洗面器一つしかなかったの。それを頭上
にかざしたはいいが、だいぶ歩いてからミスに気が付いた。何で雨を受け止める向きに
しちまったんだろうって。その頃にはもう雨も止み始めて、すぐに水を捨てりゃよかっ
たんだが、腕がなまっちまって動かないと来た。そんでしょうがねえからそのままの格
好で、えっちらおっちら歩いてるって訳”』」
A「長いです。でも落語の世界にはありそうな風景ですな。次はDさん」
D「すまんけど前置きをちょっと。男の答が『それは君の……』で始まるバージョンが
示唆されていたと思うんで、そこに拘った説。『男は答えた。“それは君の答を聞いて
からだ。君は何故、ピンクのブラジャーを頭に巻いているんだい?”』」
A「質問返しパターンですか。『それは君の……』バージョンを言ったのは、確か山城
新伍が演じていたマジシャンだったから、ピンクのブラジャーはイメージが合っている
と言えなくもなし。さて次はHさん」
H「『男は問われて答えました。“私今子供を誘拐されて、犯人の要求に従ってるとこ
ろなんです”』」
A「……何とも、笑えない答ですなあ。えーっと次はIさん、できれば明るいのをお願
いします」
I「えっ、どうなのかな? 『男は答えました。“こうすると髪の毛が生えてくると聞
いたものですから……はい”』」
A「うん、明るい。ちなみに最新の研究では、赤色LEDの光を当て続けると、細胞が
刺激されて毛が生えてくるというデータがあるそうですよ。赤い洗面器を通して日光を
浴びればあるいは」
I「知りませんでした。怪我の功名ならぬ毛の功名?」
A「あはは。充分に温まったところで、次、Jさん」
J「『問われた男は近付いてきて、にやりと笑って答えた。“何故かって? それは
な、あんたにこの水をぶっかけるためさ!”』」
A「うーん、怪談ぽい。それでは次は……お、ちょっと勢いがなくなりましたね。えっ
と、ではKさん」
K「今のを聞いて思い付いたんですが……。『私の問い掛けに対し、男は何故かほっと
した表情を浮かべ、答えました。“ああ、よかった。はい、これ”。男から赤い洗面器
をそのまま渡された私は困惑しました。“あの、これはどういう……”。“こういう
ルールなんです。訳を聞いてきた人に洗面器を渡すリレーで、拒否できないんですよ。
がんばってくださいね”』」
A「シュールな絵が浮かびました。逃げたらどうなるんだろ。さて次は誰かいません
か。おっと、Lさん」
L「埋め草レベルですが。『男はため息交じりに答えた。“あ、やっぱり。気になりま
す? うん、頭に赤い洗面器はおかしいでしょ。私もほんとはね、青いバケツにしたか
ったんですが、家になくって。すみませんねえ、青いバケツだったら、あなたにお手数
を掛けることもなかったのに”』」
A「気になるのはそこじゃない!ってやつですね。長めの解答が増えて、皆さんも考え
る時間が稼げたでしょう……はい、M君」
M「『男は答えて言いました。“僕、廊下に立たされていたの。先生、僕のこと忘れち
ゃったみたいで、仕方がないからそのまま下校してるところなの”』」
A「芝居っ気たっぷりでいいね。――おや、いつの間にやら残り三分を切りました。こ
れで今までに一度答えた方は、もう解答権を得ることはなくなりました、申し訳ありま
せん。さあ、まだ発表していない人、来いっ。――ほい来た、Nさん」
N「『男は答えた。“え? 洗面器の中身、本当に水ですか? 硫酸だって言われたん
で、こうして慎重に運んでたんすけど”』」
A「言われてみれば、ぱっと見ただけで、中身が水であると断定できたのは不思議です
ねえ。話し手である“私”は超能力者か。さあ、次は? 時間がありませんよ。お、O
君」
O「何も言わないよりましだってことで。『男は答えた。“あなたが<女か虎か>の真
相を教えてくれたら、私も話します”』」
A「リドルストーリーにはリドルストーリーと来たか。悪くない。おっと駆け込みで増
えてきたか、どうぞPさん」
P「『男は答えて言った。“何を仰ってるんですか。この辺りではこれが当たり前です
よ。でも赤い洗面器はおかしいですね。私が頭に乗せているのは、極当たり前のプラス
ティック製のバケツ……なーんだ、あなた赤いサングラスを掛けてるのをお忘れでしょ
う”』」
A「運搬手段として、頭に物を載せること自体はさほど珍奇ではありませんよね。主に
女性がやりますが、日本にもあるし。さあ、タイムアップが近い。他にありませんか。
いつもは解答の早いEさん、どうですか?」
E「うう、まとまってないんですが、もう頃合いでしょうかね」
A「そうですよほら。あと一分ちょっとだ。とりをお願いします」
E「分かりました。『男はためらったあと、やっと語り出しました。“話せば長くなる
のですが、それでも聞きたいですか。そうですか、ならば、とりあえずあそこのカフェ
に場所を移しましょう。暑くてたまらない”。カフェに入ってからも、男は赤い洗面器
を頭に乗せたままです。何を注文するのかも気になりました。彼はやって来た店員さん
に“トマトジュースを一つ”と言いました。赤が好きなのか。半分方納得しかけた私
に、男は話の続きを始めました。“私は赤い洗面器を」

   ガッシャーン! ガラガラガラッ、ぱたん。

 背後から轟いた大きな音に、Aは思わず肩をすくめ、振り返った。そこではこの喫茶
店のオーナーZが、調理器具のボウルを拾い上げ、水を拭こうとしていた。
「な、何してるんですか、オーナー」
「いや、皆さんの話を聞く内に、私も考えてみたくなりまして。まずは当事者の気持ち
になって観ようと、洗面器の代わりにボウルを使い、試そうとしたらたちまちこの有
様」
「やれやれ。驚かさないでくださいよ」
 苦笑交じりに嘆息したAの背後で、どっと歓声が起きた。
 メンバーが口々に、「凄い」「これはいいね」「決定版だ」「恐らくこれ以上の答は
望めません」などと称賛の言葉を並べている。

A「え? Eさんの答、終わりましたか」
みんな「はい。おや。Aさんはまさか、聞いていなかったとか」
A「は、はあ。恥ずかしながら、オーナーがボウルを落とした音にびっくりしてしま
い。で、どんな解答だったんですか」
B「それはもうワンダフルでしたよ」
C「ねえ、もう集計しなくていいと思うんですけど」
D「そうだな。必要ない。Eさんの答が最優秀だ」
E「いや〜、最後に美味しいところを持って行ったみたいで気が引けます」
F「そないな遠慮は無用。胸を張って、賞品を受け取ればええねん」
A「あの〜、そのワンダフルな解答、私は聞けてないのですが……」

 Aは物欲しげな顔付きを隠さず、皆を見やった。だが、A以外のメンバー全員は、E
の発表した答について意見を述べ合うことに夢中。Aの言葉を聞く耳は持っていなかっ
た。

A(ちくしょう。何で私だけが……。こうなったら、もっと大きな“爆弾”をちらつか
せて、皆の注目を呼び戻さねば)

 Aは少し考え、言うべき台詞を決めた。

A「あ! 忘れていたが、私この前、たまたま電車の中で耳にしたんだった。三億円事
件の真相を」


 おしまい




#495/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/04/10  19:49  (167)
未読に戻しますか?   永山
★内容
 三十五年間生きてきて、ご近所トラブルとは無縁だった。小さな子供だった頃も、一
人暮らしをした学生時代も、結婚して子をもうけてからも一切なかった。多少のストレ
スを感じることもあるにはあったけれども、今にして思えば恵まれていたんだと分か
る。
 それだけ現在の隣人とは反りが合わない。きっかけはゴミの分別だった。
 個包装になったキャンディの包みで、一見、銀紙のような物があるけれども、あれは
燃えるゴミに入れていい。自治体によって違うかもしれないが、少なくとも私達の暮ら
す区域では燃えるゴミになる。
 そのことを隣の齋藤百子《さいとうももこ》は知らなかった。なのに、私の家から出
たゴミ袋に、キャンディの包みをめざとく見つけて、燃えないゴミを燃えるゴミに入れ
ているのではないかとクレームを付けてきたのだ。もちろん、これが最初だったから、
私の方も穏やかに応じたつもりだ。「いえこれは燃えるゴミでいいんですよ。見た目は
アルミホイルみたいですけどね」と。
 相手はそのときは大人しく引き下がったけれども、どこかで恥をかかされたという感
情を抱いたに違いない。しばらく経って、資源ゴミなどを出す日を迎えたときだ。当番
は四人、うち二人が私と齋藤百子だった。
 私はその日、持ち込まれたスプレー缶をチェックし、穴を開けていない物には道具を
使って開ける役を担っていた。ほとんどは穴開けの処置が施されているけれども、希に
開けてない物がある。私はそういったスプレー缶を手に取っては、先がL字型になった
道具を振るい、軽快に穴を開けていった。
 十五分ほどして、齋藤百子が「これも開いてないわ」と渡してきたのは、塗料のスプ
レー缶。私は受け取ってすぐに道具の切っ先を振り下ろした。
 穴が開いた途端に、ぷしゅっという小さな破裂音がした。同時に、中から赤の塗料が
勢いよく吹き出し、私の上半身を染めた。
 年甲斐もなく悲鳴を上げていた。まさか、中身がこんなに残っているなんて。顔や腕
といった肌の露出した箇所にはほぼ飛ばなかったけど、服にたっぷりと浴びてしまっ
た。
「あら〜、ごめんなさい。そんなに残っているとは気付かなくって」
 齋藤百子は眉を八の字に寄せて、いかにも申し訳なさげに手を拝み合わせてきた。声
のトーンが高くて、イラッとしないでもなかったが、わざとこんなことをやるはずな
い。「いいのいいの」と応じた。班長を務める年長の鈴木《すずき》さんに「帰って着
替えてきても」と、みなまで言う前に「ええ、早く行きなさい。服の汚れ、取れないか
も」と答えてくれた。
 こういう作業をするのだから、ジャージ姿だった。まあだめになるだろうけれど、服
のことはそう心配するほどではない。ただ、齋藤百子がクリーニング代を出しましょう
かとか、代わりのジャージをとか言い出さないのは、何となく腑に落ちなかった。
 それからまただいぶあとになって、特に親しい田中《たなか》さんからこんな話を打
ち明けられた。
「あなたが着替えてくる間に、誰がこんなに残してゴミに出したのかしらねって話にな
ったんだけど、その場では分からなかったのよ」
「ええ、それは聞いた」
「でも、本当は齋藤さん家が出したゴミみたいなのよ」
「えっ? まさか……」
「見たのよ私、あそこのご主人と子供が、空き地でラジコンを走らせているのを。前に
見たときは白かったラジコンカーが、いつの間にか赤をメインにして違うデザインにな
っていたわ」
「新しいのを買ったんじゃないの」
「ううん、そんなことない。というのも、私、話し掛けたから。『新しいのを買っても
らって、いいわねえ』って。そうしたら、子供は首を横に振るし、ご主人は頭をかきな
がら『前のを塗り替えただけなんですよ』って』
「……偶然じゃないの」
 口ではそう言ったものの、疑念が生じたのはこのときだ。
 以来、私は隣をそういう目で見るようになった。すると、今まで気にならなかったこ
とが目に付くようになったのだ。最初は門扉の開け閉めで、そこの一人息子・友照《と
もてる》は通る度に派手に音を立てる。そのガチャン!に、扉が戻るときのきぃいーと
いう軋みも相まって、非常に耳障り。小学校低学年とは言え、ちゃんとしつけてほし
い。
 次に気になったのは、我が家との境界間際に植えてあるキンモクセイの木だ。甘い匂
いがきついのは我慢するとして、五月から六月にかけて毛虫が大量発生する。今のとこ
ろうちの草花に被害はないようだけど、隣はキンモクセイに何の手入れもしてないし、
虫退治もしない。どういう神経でいるのだろう。
 それから、同じく境目、我が家側に煙草の吸い殻が落ちていることがたまにあった。
当初は、生活道路に近い側だったので、心ない歩行者が歩き煙草をしてポイ捨てしてい
くのかと思っていた。だが、常に同じ銘柄で、長さも同程度。これは一人の喫煙者によ
る仕業だ。しかも、齋藤家の旦那の吸っている銘柄と一致する。ただし、隣の旦那・義
貴よしきは昔風に言えばホタル族で、家の中では吸うなと言われているらしく、二階の
ベランダで吸っているところを二度ほど目撃したことがある。ベランダは私の家の方に
向いていないし、境界線からは一番離れている。わざわざ投げたとしても、毎回うまく
境界線のこちら側に落とせるとは考えにくい。
 そこでうちの主人が子供と出かけた日、お隣を一日中見張ってやるつもりで、境界線
をどうにか見通せる勝手口近くの窓にへばりついてみた。そうしたら昼前に齋藤百子が
出てきて、ビニール袋を片手に庭など家回りのゴミを拾い集めたかと思うと、最後に袋
から吸い殻を一本だけ取り出した。何をするのかと息を詰めて見続けると、素知らぬふ
りをした齋藤百子は、吸い殻を私の家の玄関先に、ポトッと落とした。
 私は頭に血が上った状態で、勝手口を飛び出し、家に戻ろうとする齋藤百子に食って
かかった。
 最初、相手は驚き狼狽していたみたいだった。しかしじきに体勢を立て直すと、落ち
ていた、否、落としていった吸い殻を拾い上げ、「どうもすみません。落ちたのに気が
付きませんでしたわ。次からは充分に注意するので、今日のところはご勘弁ください」
と来た。たまたま落ちたのだという主張を突き崩すだけの物証はこちらになく、動画で
も撮っていればよかったと後悔した。だが、この日以降、煙草のポイ捨ては一切なくな
った。
 その後、目に見える形での嫌がらせはなくなったが、精神的な張り合いはエスカレー
トしていった。自分自身と夫と子供に関して、自慢し合う。ただそれだけなのだが、非
常にくたびれるやり取りが続いた。認めるのは悔しいが、稼ぎは齋藤家の方が上だ。そ
れも三段階か四段階ぐらいのレベル差だろう。お金があるのなら、もっといいところへ
引っ越しなさいよと思うのだが、そんなつもりは毛頭ないみたい。家にお金を掛けるの
は馬鹿らしい、夏涼しくて冬暖かく過ごせれば充分という主義のようだ。そういうお金
を掛けていない家が、私達にとって精一杯のマイホームなのかと思うと、また腹立たし
くなった。
 そんな静かな戦争状態がくすぶり続ける日々を重ねて、八月を迎えた。
 子供が夏休みに入り、主人も休みが取れたため、家族で十日間、私の実家に帰省する
ことにした。齋藤家はもっと豪勢に海外で過ごすという計画を吹聴していた。なので、
隣には何も伝えず、黙って出発した。
 東北の山に囲まれた片田舎で過ごしていると、齋藤百子のことを頭の中からすっかり
追い払えた。父母だけでなく祖父母も健在でよくしてくれるし、自然に恵まれて心地が
よい。思っていたほど涼しくはなかったが、それくらいは我慢できる。
 そんなある日。多分、帰省して四日目か五日目だったと思う。昼過ぎに実家の郵便受
けを覗くと、結構たくさん郵便物が入っていて、取り出した。十日留守にするのだか
ら、郵便局に転送届け(正式には転居届けだそうだが)を出しておいたので、自分たち
帰省組宛の郵便物もある。
 宛名を見て手の内で分けながら、母屋に戻る。その途中で、レモンイエローの封筒に
目がとまった。
 私宛で、ナップ・キッズ社という会社から来た物らしい。その企業専用とおぼしきち
ゃんとした封筒で、宛名書きは印刷したシールを貼ってある。
 でも、私は急速に興味を失った。というのも、子供が大きくなるにつれて、節目節目
でこの手のダイレクトメールが大量に送りつけられることを知っていた。事実、ナッ
プ・キッズ社なんて全く知らないし、資料請求をした覚えもない。どうせどこかから手
に入れた名簿を元に、手当たり次第に送りつけているんだろう。そう理解した私は、母
屋に上がるや、ゴミ箱にその黄色い封筒を投げ入れた。

 快適な日々はあっという間に過ぎる。長くいれば実家の父母らも多少は疎ましく感じ
て、まだ帰らないの的な空気を醸し出すものだが、今回は全く感じなかった。それだ
け、私が齋藤家との“暗闘”に疲れていたのかもしれない。
 予定していた十日が経ち、引き留めてくれる両親らの言葉をありがたく感じながら、
都会へ、自宅への帰途についた。その道中、新幹線内で、電光掲示のニュースを何の気
なしに眺めていると。

<都内で誘拐事件発生。齋藤友照君(七才)が遺体で発見。犯人からの要求確認でき
ず、行き違いか>

「……ねえ、あなた」
 私は主人を揺り起こした。主人も子供も眠りこけていたのだ。
「何だ。もう着くのか」
 目をこする主人を、電光掲示の方に注目させようとしたが間に合わず、次に表示され
るまでしばらく待たなくてはいけなかった。
「……どう思う?」
「確かに、お隣の子供と同姓同名だな。でもまさかな。一応、確認してみよう」
 主人は携帯端末を取り出した。が、それは検索するまでもなく、トップニュース扱い
だった。
「途中までしか住所は出てないけど、一致する」
「……」
 私は何とも言えない気分に味わっていた。
 無論、ざまーみろだなんてみじんも感じない。たとえ母親がどんなに性悪でも、子供
に罪はない。いや、齋藤百子にだって同情する。子供が誘拐され、殺されるなんて、き
つすぎる。もし仮に神様みたいなのがいて、齋藤百子が私に対してした嫌がらせの代償
として、子供を奪ったのだとしたら、やり過ぎ、ひどすぎると言うほかない。
 どんな顔をして帰宅すればいいんだろう。暗澹たる気持ちになった。
 それからはほとんどしゃべることもなく、車内の時間を過ごした。そして終点の一つ
前の駅を出発した段階で、私は荷物の整理を始めた。飲んだり食べたりした跡や、読み
かけの雑誌、タオルなどを片付ける。
 その最中、バッグの外ポケットに黄色い物が見えた。引っ張り出してみると、あのナ
ップ・キッズ社からの郵便だった。捨てたはずなのに……と不審に思いつつ、裏返す。
そこには母の字で手書きしてあった。
『間違って捨てていたようなので、入れておきます』
 私はちょっとだけ苦笑した。とても笑う気分ではないけれども、それでもこの些細
な、どうでもいい出来事、母のお節介が笑いを誘った。
 くしゃくしゃに丸めて、新幹線内のゴミ箱に入れようかと思ったのだが、何かの縁か
もしれないと考え直し、開封した。
 中身は便せんが一枚と、さらに小さな封筒が一通。そして金券が五万円分。
 便せんには印刷した字で、「申し訳ありませんが、同封の小さな封筒を、お隣の齋藤
家に届けてください。お礼として、同封した五万円分の金券は進呈します」とだけ記し
てあった。
「――あわわわ」
 歯の根が合わなくて、口がふにゃふにゃとしか動かせず、全身に震えが来た。こんな
とき、人間は本当に「あわわわ」と言うんだなと、別の自分が感心していたかもしれな
い。
「どうした?」
 隣で目をつむっていた主人が聞いてきた。
 私はこの小さい方の封筒を開けて、中身を確かめるべきなのかを迷っていた。
 私が想像した通りの代物だとしても、私に責任はない。私は悪くない。でも、こんな
ことが明るみに出たら……だめだ。
 秘密を抱えて、嘘をつき通す覚悟はあるかを自問自答する。答は意外に早く出た。
「おい、どうしたんだよ。変だぞ」
 主人の声には反応せずに、私は席を立った。手には小さな封筒を握りしめて。

 終わり




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