AWC ●短編



#487/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/27  21:07  (  1)
ファー!   永山
★内容                                         21/03/17 00:55 修正 第2版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#488/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/06  20:08  ( 73)
かんせんぼうし   永山
★内容
 FS大学のサークルの一つ、万武闘鑑賞《よろずぶとうかんしょう》研究会――通称
ヨブカン――はクラブへの昇格申請を伺うところまで来ていた。会員が七名以上になれ
ば予算のもらえる部活動として認めてくれるよう、申請する条件を満たす。現在の会員
数は総勢五名。この春の新入生勧誘で二人増員を目指す所存であり、本日の活動は、確
実に新入生を入れるにはどう据えればよいかを考える作戦会議の位置づけであった。
 もちろん、申請したからと言って認可されるとは限らない。有象無象の怪しげなグ
ループが増えてきて、各クラブに割り当てる部室の確保もままならない状況下、審査を
厳しくしようとする動きがある。
 万武闘鑑賞研究会は、どちらかと言えばその怪しげな方に分類されてしまうだろう。
活動コンセプトは“リングなどで行われる、基本的に一対一の、肉体を駆使した武闘
(舞踏を含む)を鑑賞することで満喫し、議論する”というもの。要するに格闘技や武
道の試合を見て楽しもうってだけなのだから、世間一般にはなかなか届きそうにない。
 なので、せめて大学側や学生会によい印象を持たれるよう、色々とルールを定めてき
た。講義中は勉学に集中し成績も少なくとも赤点だけは取らないレベルを維持する。年
に四度はサークルの会報として季刊紙・誌を出す。学生会を通じての活動には積極的に
参加。特にボランティア活動には進んで手を挙げる。政治的な活動とはもちろん無縁
で、サークル室内では政治の話をしないことまで決めてあった。

「まったく、大言壮語しておいてこれはないよな」
「そうそう。何でマスク二枚になるんだよ」
「色々と言い訳してたけれども、要するに、元々金がなかっただけなんじゃね?」
「じゃあ、あの説明は嘘だと?」
 大部屋をパーティションで分けただけの狭いサークル室、そのドア越しに漏れ聞こえ
て来た雑談に、会長の竹内《たけうち》はしかめ面になった。軽く息を吸い込んでか
ら、ドアを開ける。
「おぃーす」
「あ、竹内さん。お疲れです」
「お疲れ。おまえらそういう話は感心しないな」
「そういう話って?」
「今までしてただろ。マスク二枚云々て」
「はあ、していましたけど」
 何がいけないんだと言わんばかりの顔つきになり、互いを見合わせる会員達。
 竹内は空いていたスペースにパイプ椅子を持って行き、開いてどっかと腰掛ける。腕
組みをしてから続けた。
「まさかおまえ達、知らないのか? いや、新二年生はともかく、清水《しみず》は知
っているはずだよな」
「ああ。うちの大学の大先輩だ」
 清水は申し訳なさげに片手を後頭部にやった。
「だったら言うなよ。そしてみんなにも分かるように説明しなきゃ」
「そうだな。ただ、今度の仕打ちがあまりにもしょぼかったからつい」
「どういうことですか、大先輩って?」
 後輩達の声に、竹内は清水にさせるつもりだった説明を、自らがやると決めた。
「プロレス雑誌『Rの闘魂』の名物編集長である本山武尊《もとやまたける》は、FS
大学OBなんだよ」
「へー! 知りませんでした」
 竹内や清水の世代からすれば考えられない反応である。一年違うだけでどうしてこん
なギャップが生まれるのやら。
「それはちょっと申し訳ないことをしたかも」
「うちら総合格闘技の方から入ったので、プロレス関連はあんまり詳しくなくって」
「我がサークルに入っておいてその言い分はないぞ」
 後輩をたしなめると、竹内は本棚の一角に目をやった。『Rの闘魂』最新号が置いて
ある。その中程のページに、本山編集長のお詫びがでかでかと載っていた。

 ふた月ほど前、プロレスの取材でメキシコへと発つことになった本山は、誌面にて
大々的な予告をしていた。現地でプロレス関連グッズを大量に購入してきて、読者に
どーんとプレゼントするというものだ。現地でしか流通していない裏ビデオ的プロレス
映像も入手する算段があると豪語していたため、読者からの期待は高まった。
 ところが取材を終えて帰国した本山は、読者プレゼント用の品々を持ち帰ってはいな
かった。現地のホテルで盗難に遭い、取り戻すために色々手を打っていたが、仕事の都
合でタイムアップ。日本に戻らざるを得なくなったという。
 そんな本山がどうにか持ち帰れたプロレスグッズが、覆面レスラーの試合用マスク二
枚のみだった。とりあえず愛読者プレゼントの第一弾に充てるというが、当初の発表か
ら随分とスケールダウンした企画に不満の声が上がっていた。

(大先輩を敬えないようなメンバーがいると知られたら、心証を悪くする。審査で不利
だ)
 竹内は狭いサークル室を見渡しながら思った。
(肩を寄せ合うような距離で座るのがやっとだ。クラブになれた暁には、格闘技の技を
掛けられる程度のスペースはほしいな)
 そのとき、竹内はくしゃみが出そうな感覚を覚えた。むずむずする鼻を指でつまむ。
しばらくすると、くしゃみは消えていった。

 終




#489/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/07  20:07  (153)
取り合い 〜 建築王死して揉め事残す   永山
★内容
 建築王と呼ばれた男・梶原三太《かじわらさんた》が齢八十を迎え、病にむしばまれ
た。
 三男坊とあって若くして家を出た梶原は、大工の見習いからそのキャリアをスタート
させ、途中何度かの幸運に巡り会い、それより若干少ない不運に見舞われながらも財を
築いていった。
 そうして蓄えた資産により、現在考え得る最高の医療を受けるも最早、彼の命は持っ
てあと半年という段階まで来てしまった。
 日に日に衰え、ついには記憶や頭の血の巡りまで悪くなってきた節が見受けられた。
 問題は――残される家族にとっての問題は、梶原三太が遺言を書いていないことであ
った。
 梶原には妻がいたがすでに先立たれており、彼女との間にもうけた三人の子供が、遺
産分与の対象となる。
 長男の宜也《たかや》、次男の宜和《のりかず》、長女の美宜《みのり》は特別に不
仲という訳ではなく、さりとてベタベタとした仲良し関係でもなかった。
「私が一番多くもらう権利があると思うんだけど」
 三人だけで屋敷の一室に集まり、話し合いがもたれた。資産の取り合いになって、醜
く争うことは誰もが避けたかった。口火を切ったのは美宜だった。
「どういう理屈だ、それは」
 長男の宜也が顔をやや紅潮させて聞き返した。
「兄さん達は二人とも、父さんのあとを継ぐ道を蹴って、幾ばくかのお金を出してもら
ってそれぞれ好きなことを始めたでしょ。その点、私は家に残ったわ。家を継いだこと
プラス兄さん達には生前分与が行ってると見なして、ここは私が多めにもらって当然
よ」
「何を言ってる。ようく考えるんだぞ」
 宜和が諭すような調子で言った。
「継いだと言ってもおまえじゃない。おまえの旦那が継いだんだ。それも若死にしてこ
こ十年ほどは、親父がフル稼働してた。あれが身体によくなかったんじゃないか」
「何よ。父さんの病気は私のせいだって言うの?」
「ああ。世界的な不景気という不運があったことは認めるが、一時、会社の業績が滅茶
苦茶落ち込んだのも、おまえの旦那の力不足が原因の一端だろう。その頃から心労が蓄
積していたんじゃないか、親父は」
「馬鹿なこと言わないで。あれはどうしようもなかったと、父さんも理解してくれてい
たわ。揚げ足取りをするのなら、宜和兄さんの芸術活動とやらも浮き沈みが激しくて、
まるで壊れかけのジェットコースターじゃないの。最近また資金繰りが苦しいから、お
父さんの面倒を看て取り入ろうとしていたんでしょ」
「面倒を看てきたことを評価しろよ」
「二人ともやめないか」
 宜也が取りなす。顔が紅潮したまんまなので、宜也もまた興奮しているよう見え、あ
まり説得力がない。
「親父が亡くなったあとのことを冷静に考えてみろ。会社をまとめるのは誰がやる? 
梶原家の誰かが社長の座に就くべきだとは思わないか」
「そんなこと言っても、私も兄さん達も建築のことなんて全然分からないでしょ。血筋
優先で継がせるのなら、由貴《よしき》の成長を待ってちょうだい」
 自分の子供の名前を挙げた美宜。すぐさま兄二人は苦笑した。
「まだ中学何年生かだろ? 待てんよ。というか会社の連中も黙って見ちゃいないぞ」
「建築に興味はあるようだが、今の時点なら私の方がはるかに上だ」
 宜也が言い切ったのには、一応理由がある。大学卒業後にしばらく父の会社に勤めた
実績があるのだ。だが食に携わる仕事に就きたい気持ちが強く、二年で退社していた。
「今の私なら、食と建築を融合させた空間を生み出せる。会社に新風を吹き込む自信が
ある」
「二年かじった程度で偉そうに」
「それこそ会社の重役連中に鼻で笑われるぜ、兄さん」
 かような具合に、意見をまとめるつもりの話し合いがこじれ、状況は逆にひどくなっ
た感があった。
「このままじゃあ、らちがあかない。こういうのはどうだろう」
 長男が赤い顔を若干、肌色に戻して提案を始めた。
「親父の体調がいいときに、親父の意見を聞くんだ」
「うーん、確かに調子がいいときがあるにはあるんだよな」
「あら。乗り気ってことは、父さんが意識しっかりいしているタイミングなら、自分の
味方をしてくれるという自信があるのかしら?」
「混ぜっ返すなよ。おまえだってあとを継いだことを強みだと思ってるんなら、親父に
アピールすればいいじゃないか」
「……それもそうね。受け継いだ当初、業績をぐっと伸ばしたのは紛れもない事実なん
だから」
 意外とあっさり、提案は通った。

 だが、実行に移されるにはしばらく掛かった。
 梶原三太の調子がよいと医師が認めた日で、かつ三人の子供達及び証人としての顧問
弁護士が時間を取れる日時となると、なかなか揃わなかったためだ。
 結局、子供らと弁護士が集まれる日を何日か候補として先に決め、その前日の梶原三
太の体調を医師が判断してゴーサインを出すか否かという段取りが取られた。
 こうしてようやく始められた梶原三太からの意見拝聴であるが。
 宜也、宜和、美宜の順番にそれぞれの主張を述べ終え、梶原の意見をいよいよ聞こう
という段になって、若干の変調を来したのだ。
 つい先ほどまでぴんしゃんしており、子供達の話にもしっかりうなずき返し、ときに
思い出話にふけるほど目に光を宿していた。なのに、一転して険しい目つきになって理
由も分からず怒りっぽくなったり、聞いたばかりの話を忘れてしまったりと、雲行きが
極めて怪しくなったのだ。
「これは……どうします?」
 弁護士がへし口を作って、三人に問う。
「個人的には、金城《きんじょう》先生を呼んで診断してもらうのが先決じゃないかと
思いますが」
 あいにくとかかりつけの医師は、都合がよくないため、この場に同席していない。呼
ぶにしても相当時間を要すると考えられた。
「まだ完全におかしくなった訳じゃないんだ」
 宜也が言った。
「一応、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか」
「そうだな。こうしてまた集まれるのがいつになるか、それまで親父が保ってくれるか
どうか見通しが立たないんだし」
「あくまで参考程度にとどめるのであれば、私も異存はないわ」
 これまた簡単に意見の一致を見た。とにかくどんな形であれ、父親の考えを一度は聞
いておきたいという三人の気持ちの表れと言えるかもしれない。
「お父さん。あとのことは僕らに任せてくれ。ただ、僕らが勝手に決められないことも
いっぱいある。梶原家の財産をどうするかとか、会社は誰に舵取りさせるかとか」
 代表する格好で宜也が聞いた。言葉遣いは穏やかだが、気が急いているのか早口にな
っていた。
「んあ」
 口を開けた拍子に勝手に出たような音だか声だかで、梶原はまず反応した。
「ま〜いいんじゃないの」
「いいってどういう意味ですか。何がいいのかはっきり仰ってください」
 子供らが台詞が重なるのもかまわずに言い募り、父の病床に詰め寄る。梶原はにかっ
と笑った。
「いい、いい」
「ですから! 誰の話が一番よかったんですか?」
「いや、つまらん」
 ころっと態度が変わる。いや、態度は相変わらずにこにこしているのだが、話す内容
が変わったようだ。
「どいつもこいつも聞くに堪えん、退屈な話を聞かせよってからに」
「く〜っ、だめだこりゃ」
 宜也がさじを投げるようなことを言ったが、宜和はまだ粘った。
「理解しているときもあるみたいだ。――なあ、父さん。資産は僕ら子供達で三等分に
すべきか、それとも差を付けるべきかどっち?」
「そうさな。最終的には平等なのがよかろ」
「最終的にっていうのは、生前分与をきちんと計算に入れろということですね、お父さ
ん?」
 イエスの返答を強要する勢いで、美宜が声を張る。
 しかし梶原は首を横に振った。
「いやー、どうかな。貨幣価値っちゅうもんを考えに入れると難しいのう。時代によっ
て変わってくる」
「そんなことを言っていたらいつまで経ってもまとまらないのよ」
「まとまる?」
 また別の変調を来したか、きょとんとする梶原。黙って見ていられなくなった弁護士
が口を挟んだ。
「そうですよ、梶原三太さん。あなたのお子さん達が争わずに済むよう、資産の分配を
きれいにとりまとめたいのです。ご意見があれば仰ってください」
「必要あるか?」
 ぞくりとする低い声に、子供らは一瞬、気圧された。弁護士が続けて応対する。
「必要ありますよ。このままだと、お子さん達は財産の取り合いを演じることになりそ
うです。取り合いをしていいとお思いですか? 思ってませんよね、梶原さん」
「取り合い……ああ、取り合いね。大いに結構。取り合いしろ」
「ええ?」
 思いも寄らぬ言葉に弁護士を含めた四名は声を上げた。彼らの驚く表情がおかしかっ
たのか、梶原は手を叩くようなそぶりをし、声を立てて笑った。その笑いがぴたっと止
むと、真顔になり、元気な頃の声で言い切った。
「取り合いはしろ。これで決まりじゃ」
 まったく予想外の意見を出され、子供達三人も弁護士も顔を見合わせてしばらく無言
だった。

             *           *

 病床の梶原は、初めて自分の家を建てたときのことを思い出していた。当然、自らが
設計したのだが、妻の意見もなるべく入れようとした。揉めた一つが、ベランダから庭
に出るスロープのデザインだった。ベランダとスロープとを継ぐ“取り合い”の部分
を、妻はグラデーションを利かせて徐々に色が変化するようにと主張したのに対し、梶
原は白一色でメリハリを付けることにこだわった。結局、梶原が折れたのだが、心の奥
底で引っ掛かるものがあったのだろう。
 死を逃れられない病床にあっても、「取り合いは白。これで決まりだ」と声に出した
のはそのせいに違いない。

 三人の子供達は建築用語としての“取り合い”を知らなかったがために、このあと骨
肉の争いに突入する……かもしれない。

 終




#490/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/02/16  20:01  (134)
襟巻蜥蜴:マフラー&シャドウ   永山
★内容
 いわゆる暴走族のOBからなる「羽志狼矢《はしろうや》」は、なるべく健全に爆走
することを目指す会として知られる。気だけは若くて身体がついてこない年齢に達した
男ばかりで構成され、速度超過や信号無視などを全くしないとまでは言わないが、一般
市民がついやってしまうのと同程度には押さえ込んでいる。なので、風当たりは他の暴
走族に比べればずっと柔らかいのだが、昨今の高齢者ドライバーによる事故がクロース
アップされる流れにより、交通違反以上に年齢の面で問題視されることも増えてきてい
た。
 そのため、かつては硬派を気取っていた一部メンバーも、徐々にではあるが柔らかく
ならざるを得ないご時世のようで。
 しょうがないので野外活動の回数を減らし、代わりに通常時の連絡を密に取り合おう
ということになり、会にLINEのグループのシステムを導入した。が、間もなくし
て、会では最年少になる四十九の奴が、バイクに乗りながらスマホを操作するという馬
鹿をやって、自損事故を起こした。
 世間の声を気にして、そしてそれ以上に仲間の事故や怪我を防ぐという名目で、LI
NEの使用はお預けにし、時代に逆行するがパソコンでしかつながらない新たな場――
レンタルのチャットルームと掲示板――を使用し始める。
 次の会合の日にちの決定・連絡や、他愛ないおしゃべり、あるいは熱い議論もたまに
交わしつつ、順調に活動を続けていたのだが。

>情けねえ。マフラー盗まれちまった。何の因果かマフラーだけ。
>羽志狼矢会長ともあろうこの自分がよ。

 ある日の昼前、会長の藤武洋正《ふじたけひろまさ》がこんな書き込みをした。
 齢六十を越え、妻には病で先立たれてやもめ暮らしが長かった彼だが、会の野外活動
を控えめにし始めた頃に知り合った女性、江畑《えばた》るみ子《こ》と付き合うよう
になった。タイミングが、いかにも女と付き合うために活動を縮小したのではと言われ
そうで、メンバーには一切打ち明けずに同棲を始めていた。尤も、同じ市内に住むメン
バー、野原快彦《のはらよしひこ》にはじきにばれて、口止めしてある。
 それはさておき、泥棒となるとちょっとした事件だ。素早く――と言っても一時間以
内という意味だが――反応したのは四人だった。掲示板に書き込んだのが三名、メール
をくれたのが一名だ。


木林宜也《きばやしたかや》
>そりゃご愁傷様としか言い様がない
>大昔、経験があるがマフラーぐらいじゃ警察は動かんからなあ

若島《わかじま》みつる
>今頃、中古屋に売り飛ばされてんじゃないの?

高田一伸《たかたかずのぶ》
>鍵壊されるか、ガラス割られるかしたんですか?


 ここまでが掲示板で、それらを読むと、ついつい苦笑がこぼれた。自分で書き込んだ
直後に気付いたのだ、簡潔すぎて誤解されやすい文になったんじゃないかと。そして実
際、勘違いされるのを見て、補足の書き込みをすべきか迷う。このままもうしばらく見
ていたい気もした。
 次いで、メールの方に目を通す。
 メールで反応したのは野原で、「どっちを盗まれたんでしょうか」という意味の質問
が書いてあった。
「どっちがって。そうか、野原なら俺に彼女がいると知っているから、当然か。バース
デープレゼントにもらった話もさせられたことだし」
 思わず独り言が出た藤武はすぐさま返信の文章を作ろうとしたが、はたと引っかかり
を覚え、手が止まる。
 おかしい……掲示板の方を読み直し、不自然さが気になり始めた。
 掲示板の書き込みはその後も増え続け、「修理代にいくら掛かりそうですか」「今度
のツーリングに間に合う?」「ガレージに防犯カメラ設置したと言ってたような」「他
の部分を盗られなかったのは不可解」といった内容ばかりだ。
 やはり、一人だけ不自然さが際立つ。
 藤武はしばし考え、高田一伸に連絡を取った。一時間後、駅前の古びた喫茶店で落ち
合うことに決まった。

「どうしたんです、急に」
 現れた高田は風の冷たい季節なのに、ライダースーツ姿ではなかった。聞けば、バイ
クではなく電車に乗って最寄り駅に着き、店までは歩きで来たという。
「ん。ちと尋ねたいことができたんでな」
「メールでいいのに」
「そうも行かん。結構、重要な話だと思うからこそ、来てもらったんだ」
 高田の注文したコーヒーが届く。藤武は本題に入った。
「そういや、心配してくれる言葉がなかったが」
「あ? ああ、そうでしたね。びっくりしましたよ、あの書き込み。盗難だなんて、警
察はやはり動いてくれそうにないですか」
「型通りというか、最低限の書類を作るだけで、あとは適当だったな。それよりも高田
さん。あんたはあの書き込みのあと、掲示板は見てないのかな」
「うん? そういえば見てないな。何かありましたか」
「ああ。新たに何人かが、俺のこと心配してくれる内容だった」
「でしょうねえ。それで、聞きたいことっていうのは何なんです?」
「そうだな。まず、高田さんは江畑さんとは元から知り合いだったかな?」
「え、江畑さんて、江畑るみ子さん? そうでしたね。何年か前に、会合のときに連れ
てきた、まあ古くからの知り合いですな」
「付き合ってるんじゃないよな。あんたには奥さんもいることだし」
「もちろん。何を言い出すかと思ったら」
「俺は今、江畑さんと同棲してる」
「――へ〜? それはそれは、おめでとうございますと言っていいのかな」
 高田は拍手の格好だけした。
「で、聞きたいのは、何で高田さんは、ガラスを割られたんですかというようなことを
書いたのかってことだよ」
「話のつながりが見えませんが、泥棒に遭ったと聞いてガラスを割られたんじゃないか
と心配するのは当然ではないですか」
「どうして」
「どうしてって、マフラーを盗られたってことは衣装ダンスか何かを荒らされた、つま
りは家の中に上がり込まれたことになるじゃあないですか」
「ふむ。では何故、あんたは俺が襟巻きを盗られたと思った?」
「はい?」
「バイク乗りの性《さが》なのか、あんた以外のみんなは俺が盗られたのは、バイクの
マフラーだと思い込んでいるんだよ。そりゃそうだ。バイク乗りじゃなくったって、変
に思うはずさ。布のマフラーだけを盗んだって、いくらの金にもなりゃしない。そう考
えるのが大人の道理ってもんだ。なのに一人だけ、あんただけは襟巻きの方のマフラー
だという想定で書き込みをしている」
「そ、それは……」
 急に落ち着きがなくなった高田。視線をさまよわせ、やがて答を見付けたのか、明る
い調子で言った。
「以前、あなたが身につけてきたのを見たからですよ、武藤さん」
「いいや。俺は襟巻きをして会合に出たことは一度もない。断言できる」
「何で言い切れるんですか。マフラーの一つや二つ、いくら硬派なあなたでもお持ちで
しょうが」
「ああ、ある。一本だけだがな。だからこそ身に付けて会合に出たことはないと言える
んだ。何故ならその襟巻きをくれたのは江畑さんだからだ。彼女の手編みなんだよ。俺
は彼女と付き合い始めたことをひた隠しにしてきた。だから当然、会合にも手編みの襟
巻きを持って行きやしない」
「……これは詰みということですかね」
「こっちが聞きたい。襟巻きを盗んだのはあんたなのか?」
 高田は黙したまま、頭を垂れた。その反応に舌打ちした藤武は周囲を気にしつつ、重
ねて聞いた。
「ったく。たいだい想像は付くが、何で襟巻きだけを持って行ったんだ?」
「……藤武さん、あんたが江畑さんと付き合うようになっていたのは、家内から聞いて
とうに知っていた。彼女は家内と仲がよくてさ、時折おしゃべりでお互いのことを伝え
合っていたようなんだ。そのときから嫉妬が芽生えてたんだが、手編みのマフラーを贈
ったという話を耳にしてから、もうどこかたがが外れたみたいに、嫉妬が際限なく膨ら
んでしまったんだ。彼女の手編みのマフラーが会長のところにあるなんて許せん!とな
って、それで昨晩、ほとんど衝動的に……」
「しょうがねえなあ」
 冷めたコーヒーを呷った藤武を、高田が喧嘩に負けた犬のような目で見上げてきた。
「あの、藤武さん。自分はどうしたら」
 涙声になっている相手に、藤武は嘆息混じりに吐き捨てた。
「ふん。俺は|二人乗り《にけつ》はしねえ主義だ。けつは持ってやれん。てめえで考
えろ」
 そんなに好いていたなら何で江畑さんを会合に連れて行こうなんて考えたんだよ、と
まで口から出掛けたが、思いとどまった。
(連れて来る気になってなかったら俺は彼女と巡り合わなかったろう。だから、その点
だけはこいつに感謝だな)

 終




#491/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/02/23  21:14  (107)
最後は星か金星か   永山
★内容
 どの程度当てになるのか知らないが、世の中には性格テストと称するものが山とあ
る。数週間前、給食の時間に「好きな物をいつ食べるか」という話題になったけれど
も、あれも性格テストの一種と言えるかもしれない。
 好きな物を真っ先に食べる人は、今さえよければあとは気にしないタイプ。あるいは
常に危険な状態に陥ることを想定し、その時々で得られる最大の利益を逃すまいとす
る。
 好きな物を最後に食べる人は、ご褒美が最後にあることで目的とし、それ以外の苦し
みを乗り越える。もしくは、平和な日常がずっと続くと疑わず、危機管理意識の薄い
人。
 僕はどちらかと言えば、好きなおかずは取っておく。だからといって、危機管理意識
が薄いとは思っていない。高いところはあまり得意じゃないし、交通量の多い道路は、
遠回りになっても信号のある横断歩道で渡りたい。警戒しすぎて、臆病なくらいだ。当
然、この性格テストには反発を覚えてもいいんだけれども、それは場合によりけり。
 給食のとき、この話を持ち出したのは同じ班の鈴木《すずき》芽生奈《めいな》さん
だったから、僕はすんなり受け入れた。
 中学一年生になって、僕は初めて人を好きになった。具体的にどこがどう好きなのか
って聞かれても困る。外見が琴線に触れたのはもちろんだけども、男子相手でも話題が
なかなか途切れないし、不公平なところはないし。
 本格的に意識するようになったのは、バレンタインデーのときだ。学校のミニイベン
トとして、男女二人ずつの班の中で、チョコレートの交換会を行うことになった。男子
二人は女子二人に、女子二人は男子二人にチョコを買って贈る。バレンタインに男が贈
る側にまで立つなんておかしい気もするけど、まあイベントなんだから気にしない。こ
れをきっかけに付き合いの始まった先輩がいると噂も聞く。
 と言っても、イベント前から僕は鈴木さんを意識していたのではない。イベント後、
つまりチョコを贈り合ったあと、鈴木さんからの小箱を開けてみると、どう見ても手作
りだった。
 次に学校のある日、僕は同じ班の男子、佐藤啓作《さとうけいさく》に探りを入れて
みた。佐藤は僕の意図に気付かなかっただろうけど、鈴木さんからのチョコは、佐藤に
も手作りが贈られたのか否かを確かめたいと思った。
 その結果、佐藤がもらった鈴木さんのチョコは、ちょっぴり高めだが市販品だと分か
った。僕は羨ましがるふりをしつつ、自分がもらったチョコについては適当に嘘をつい
てごまかした。
 それからはずっと、彼女を意識し続けている。班単位の活動でたまにミスをしでかし
てしまうほどだ。ミスをした僕を見て、鈴木さんがくすっと笑う。その様子だけでも、
何となく嬉しく、幸せに感じる。
 僕に対する鈴木さんの反応はいい感じで、これなら告白しても大丈夫だろうという確
信を持つのに時間はそう要さなかった。
 こんな具合にして、僕はホワイトデーに、彼女へ告白すると決めた。普通、僕はそん
な勇気は持てない人間なんだけど、バレンタインデーの返事という体裁でやれば、もし
断られたって、イベントの一環だと自分自身に言い聞かせて処理できる。そんな考え方
をすることで、勇気を出せたのかもしれない。

 ホワイトデーの前日、僕は日番に当たっていた。放課後、みんなより遅めに学校を出
ると、家路を急ぐ。明日はいよいよ告白をすると定めた日。簡単でいいからプレゼント
を用意しようと思っていた。すでにアイディアはある。ちょっと買い物をしなきゃなら
ない。自然と歩みが早まった。
 商店街への道は、昼間でもちょっと不気味な林を抜けねばならない。僕の足は、ます
ます早く動いて、駆け足に近くなりつつあった。
 もうすぐ林を抜けるというそのとき、右側から何かがぶつかってきた。ほぼ同時に、
脇腹に急激な痛みを感じた。刺すような痛み……と思ったら、本当に刺されていた。右
脇腹を見ると、黄色く細長い物が突き立っている。僕はいつの間にか倒れていた。
 腕が伸びてきて、脇腹に刺さった異物を握り、引っこ抜いてくれた。
 いや、それは善意から出た行為じゃなかった。腕の持ち主は引き抜いた物体を振りか
ざす。僕は相手が握るのはカッターナイフだと分かった。
 そして、相手の顔にも見覚えが。
「お、おまえ」
 皆まで言えない内に、カッターナイフが僕の喉を裂いた。血が出て行く。脇腹の傷よ
りさらに激しいみたい。僕は両手で喉を押さえた。声を出そうとしたが、出なかった。
 僕を襲った奴――佐藤は、こっちに背中を向けて走り出している。喉からの出血に驚
いたのだろうか。それとも、とどめを刺すまでもないと考えた?
 僕は早くも意識朦朧となるのを感じながら、助けを呼ぶ方法を考えた。だが、名案は
浮かばない。せいぜい、人が通り掛かったらありったけの力で助けを求める、ぐらい
か。
 これは本当にだめかもしれない……明日、好きな女の子に告白するのに、何というこ
と。諦めたくないが、意識が着実に遠くなっている。死ぬのは怖い。嫌だ……。
 ――このまま、鈴木さんに何も伝えずにいるのはもっと嫌だ!
 不幸中の幸いと言ったらバカみたいだけど、書くためのインクはたっぷりある。どこ
まで僕の気持ちが途切れずに持つかの問題だ。
 僕は力を込め、右手の人差し指を伸ばすと、自分から出た血だまりに付けた。
 ……でも、もし万が一、書いている途中で死んでしまったらどうなるんだろう? 
「鈴木芽生奈」と書いたところで僕が死んだら、僕を殺したのは鈴木さんのように見え
るんじゃないだろうか。
 鈴木さんには、明日のホワイトデー、放課後にちょっと時間をちょうだいと伝えてい
る。それに手作りのチョコをくれるくらいだ。僕が改めて書き残さなくたって、分かっ
てくれるんじゃないか。
 だったら、僕が最後に書くべきは、犯人の名前じゃないのか。「佐藤啓作」って書け
ば、とりあえず警察は調べてくれるに違いない。動機は僕自身分からないけれども、警
察ならなんとかしてくれるはず。
 僕は指先に血を付け直し、震えをこらえながら「佐藤啓作」と書き始めようとした。
 ……だが、待て。人生最後に書く言葉が、僕を殺した奴の名前だなんて虚しいじゃな
いか。最後はきれいな言葉で締めくくりたい。
 きれいな言葉。それならやはり、鈴木さんの名を書きたい。「鈴木芽生奈」、今の僕
にとって世界一のきれいな言葉だ。
 ……いや、でも。警察は佐藤を逮捕できるんだろうか? この林の中や前後に、防犯
カメラは一切設置されていないはず。佐藤の服に返り血が付いたかどうかも分からな
い。何かの偶然が働いて、佐藤が逃げ果せるなんてことになったら、死んでも死にきれ
ない。
 いっそ、両方書けばいいのでは? 先に、「犯人は佐藤啓作」と書き、続いて行を改
めてから、「鈴木芽生奈さん、大好きだ」と書き残す。これなら僕の望みを満たす。
 そろそろ気力も体力もやばい。もう決断せねば。僕は書き始めた。……それにして
も、何で鈴木に佐藤なんだ。同姓の人が多いから名字だけで済ませられず、下の名前も
含めて漢字で書かなきゃ、確実に伝わるかどうか不安になる。

             *           *

「どうしましょう、血文字の扱い」
 部下からの問いかけに、武藤《むとう》刑事はカッパ頭をひと撫でした。遺体そばに
あった血で書かれた文字を、改めて見直す。
「見たまんま、二人が犯人なんでしょうか」
 血文字は「犯人は佐藤啓作/鈴木芽」となっていた。
「被害者と同じクラス・同じ班に、佐藤啓作並びに鈴木芽生奈という名前の生徒がいる
という事実が判明しています。“生奈”を書く前に事切れたのでは」
「難しいな。額面通りに受け取っていいものやら。中学一年生が、いや、死にそうな人
間がダイイングメッセージを残すに際して、ここまで漢字を使うものかねえ。真犯人に
よる偽装工作の線が濃厚だと思うな」

 終わり




#492/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/04  20:03  (185)
遅延 〜 早く故郷に帰りたい   永山
★内容
 二〇〇九年四月。日本時間で言えば二十五日になっている。
「運がよかったですね。空調の整備で出発が遅れていまして、まだ大丈夫です。でもあ
と五分もすれば、ゲートを閉めるところでしたよ」
 係の者はにっこり笑って、通してくれた。私は幸運と言われたことに思わずサンキ
ューと返した。
 もう間に合うと分かっているのに、走ってしまう。それもほぼ全速力で。
 理由を知れば、誰もが理解してくれるだろう。私はこの飛行機――999X便に乗ら
ないと、残りの人生を安らかに送れなくなるのだ。

 大卒後、電子部品メーカーに勤めるようになった私はキャリアを積み重ねる内に、語
学力を認められたのか、それとも性格が外国向きと判断されたのか、色々な国の支店を
任されるようになった。自社内では異例の若さでの出世とあって、鼻高々であったのだ
が、一方で色々と不満もあった。日本の世事流行に疎くなったし、海外勤務が決まる都
度、付き合っていた恋人と別れることを繰り返し、結婚できないまま中年になった。よ
うやくずっと待ってくれるという女性を見付け、将来の結婚を約束してからF国に出た
のが約二年前。
 二月半ば、私は初めて本社に要望を出した。そろそろ日本に戻りたいのですが、と。
 するとありがたいことに、本社の方もその方向で考えていたとの回答が来た。四月頭
に戻れるよう調整を図っていたのだが、少しずれ込む見通しになったので、知らせるの
も後回しになっていたのだという。
 私はできれば大型連休前に戻って、身の回りのことを万全にしてからまた会社に尽く
したいとの希望を伝えた。会社は多分、できる限りのことをしてくれたのだと思う。そ
れでも到着は四月二十五日、土曜日の夜遅くになってしまった。まあ、ぎりぎり大型連
休開始前と言えなくはないが。できれば、もっと余裕を持って日本の土を踏みしめたか
った。彼女とも早めに会って、じっくり話をしたいと思っていたのだが。

 機内に入り、席にも無事に着けた。空席がそれなりにある。自分の両隣も空いてい
て、通路を挟んだ向こう側の窓辺に若い女性が一人、本を読んでいる。反対側には日に
焼けた黒サングラスの男が強面にさらにしわを寄せて、雑誌のクロスワードに取り組ん
でいた。世界的に見れば日本の大型連休なんて関係ないことがよく分かる。
 私は座席に収まり落ち着くと、腕時計の時刻を日本のそれに合わせた。
 十分ばかりが経過し、そろそろ出発だろうという頃合いになって機内アナウンスがあ
った。
<ご搭乗の皆様にお知らせいたします。本機第四エンジンに軽微なトラブルが見付かり
ました。出発まで今しばらくお待ちください>
 思わず、肘掛けを握る手に力がこもった。
 遅れが出るのか。それは何分、何時間だ?
「またか。参ったな」
 一つ空けて隣に座る男性が日本語で言った。そのナチュラルな発音から、日本人なん
だと今さらながら気付く。

 一時間強待たされた後、飛行機は(私にとって)微妙なタイミングで飛び立った。
 頼む。これ以上の遅延は勘弁してくれ。
 贅沢は言わない。今日中に、四月二十五日中に日本に着きさえすればあとはどうなっ
てもかまわない。いや、入国しなければならないから、その分の余裕は絶対に必要だ。
ともかく、二十五日中に日本に入りたいんだ。入らなければならない。
「すみません。失礼ですが、日本の方ですか?」
 左手から声がした。例のサングラスの日焼け男だ。見た目から想像したのと違って線
の細い声だった。意外感に囚われ、まじまじと見返してしまう。
「え、ええ。日本人です」
「そう。よかった。いえね、先ほどからちらちら目に入っていたのですが、ほら、今
も」
 サングラスを外した彼が私の方を指差してくる。何かと自分自身を見下ろした。と、
両手を組んでお祈りのポーズをしていた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。飛行機は時間当たりの移動距離と一度に運
べる人数を元に計算すれば、世界一安全な乗り物と言われていますから」
「あ、そうですね。それは分かってるんですが、遅れるのがちょっと」
「そうでしたか。旅慣れているようにお見受けするのに、何でこんなに怖がっておられ
るんだろうと不思議に感じましてね。いやあ、失礼をしました。お許しください」
「かまいません」
 私は手をほどき、肘掛けに乗せた。ゆったりとした態度を取る。
 少し考え、予防線を張っておこうかと思った。このあともしもまだ遅れるような要素
が生じたら、私はますますいらつき、天に祈りたくなるだろう。その行為を変に思われ
ないための予防線だ。
「話し掛けてもらって、ちょっと落ち着きました。こちらこそありがとうございます」
「ほう。それはよかった」
「実は、お恥ずかしい話なんですが、女房に浮気を疑われまして」
「ほうほう」
「海外勤務が長いとどうしても疑いの眼で見られるもので、慣れてしまっていた。いつ
ものことだと軽くあしらっていたら、何を思い違いしたのか、別れると言い出しまし
て」
「何と」
「どうやら送られてきた会社のパーティの写真を見て、私にニューハーフの人がふざけ
て抱きついてきたのを誤解したらしく……。今日中に帰り着いて弁明しないと、危ない
んですよ。土日だから帰ってこられるだろうって、えらい剣幕でした」
「それは災難ですねえ」
 日焼け男は見た目と違ってと言っていいのか、聞き上手なタイプのようだ。私はその
あとも彼と時折おしゃべりをした。フライト中の焦燥や退屈さを紛れさせるにはちょう
どよかった。

 日本の上空に不安定な大気の塊があるとかで、若干迂回ルートを取るとの旨がアナウ
ンスされた。
 今日中に日本に入国できるかどうか、いよいよ微妙になったようだ。まさか前を行く
人を突き飛ばして我先にと出る訳にも行くまい。現時点ではどうしようもないが、なる
べく速やかに降りるための行動を起こすべく、心の準備だけはしておく。
「また何か緊張なさっているようだ」
 日焼け男が言った。私は自嘲気味の笑みを表情に乗せ、彼の方を振り向いた。
「かもしれません。近付いてくるとぶり返してくる。――気を紛らわせるために、さっ
き思い付いたことがあるのだが、聞いてくれます?」
「私でよければ喜んで拝聴しましょう」
「そうですね……これは推理小説のネタになるんじゃないかと考え付いたものです」
「お、ミステリですか。私、大好きなんですよ」
 日焼け男はクロスワードパズルが載っている雑誌をかざした。
「原語で小説を読めるほどではないので、海外での旅のお供は、行きは日本から持って
来たミステリなんだが、帰るまでに読み尽くしてしまう。なので帰路はこの手のクロス
ワードを愛用しています」
「はっは。そういう人になら、興味を持って聞いてもらえるかもしれない。でも、オー
ソドックスなスタイルじゃなくて、犯人が端から分かっているというか、奇妙な味の変
格推理になるのかな」
 私は飲み物を含み、口の中を潤わせた。長くなるかもしれない。
「主人公の男はかつて殺人を犯した」
「ほう。変格の中のオーソドックスという感じですな」
「そうなりますかね。えっと、動機やら背景やらは同情できるものにした方が読者の共
感を得られると思いますが、今は省くとします。ああ、年代だけはある程度決めとかな
いと。そうだなあ、一九九〇年、男が二十歳のときの犯行とします。男は一度は疑われ
るも、幸運なことに逮捕されるまでには至らず、事件は迷宮入りの様相を呈してきた。
男はこのまま大人しく過ごして、十五年が経つのを待とうと決めた」
「そうか、その頃は殺人の公訴時効は十五年でしたっけ。十五年逃げ切れば、罪に問わ
れることはなくなる」
「はい。男は指折り数えて待った。ところが二〇〇三年、時効成立まであと二年ほどと
いう頃に、公訴時効を延長しようという気運が高まり、翌年の一月一日から公訴時効は
二十五年になった。男は落胆し、歯ぎしりし、不満を高めたでしょう。だがその不満を
世間に訴えたり、誰かに愚痴をこぼしたりはできない。怪しまれる恐れがありますか
ら。男は慎重にも慎重を期して、ネットでも検索しないように心掛けた」
「……検索履歴に“公訴時効”“延長”“法的根拠”なんて残っているのを見られた
ら、折角迷宮入りした殺人の件で、いらぬ疑いを呼び覚ましかねないという訳ですね」
 日焼け男の察しのよさに感心しつつ、私はうなずいた。相手はまだ何か言いたそうだ
ったが迷っている風でもあったので、こちらの話を続けることにした。
「決まったことはどうしようもない。男は覚悟を決めた。二〇一五年まで慎ましく生き
ようと心に誓ったんです。しかしその誓いとは裏腹に、男は二〇〇四年の三月辺りから
海外勤務になった。会社員としてそれなりに期待を掛けられ、出世していたので」
「あー、そうきましたか。日本国外にいる間は、時効の進行が停止するというあれだ」
「それです。男がいくら日々を過ごそうが、時効は止まったまま。まるで、針が全く動
かない時計だ。たまに日本に帰っても休みはすぐに終わる。やっと海外勤務が終わって
日本に定着できると思ったら、半年と経たずに別の国へ行ってくれと辞令が下る。時効
の完了する日も何だかんだと先延ばしになり、結局、二〇一九年頃になりそうだった。
それでも男は我慢するつもりでいた。
 だが、今年二〇〇九年、またもや時効に関する法律を変えようという流れが大きくな
った。ご存知でしょう、時効の完全な廃止です」
「もちろん。あ、言われて思い出した。確か明後日にも法案が可決されて、即日施行さ
れる流れだとか。よほどのことがない限り、既定路線だと言っていましたね」
「はは。それですよ。それを聞いて私はこの筋書きを思い付いたんです。時効廃止にな
ったら、男はもう永遠に罪から逃れられなくなる。たとえ警察に捕まらなくても、残り
の人生をずっと怯えて、びくびくしながら生きていかなきゃならなくなる。どうしてこ
んな目に……と恨みがましく思った男は、残り何年何ヶ月何日で時効だったかを正確に
出そうと計算し直した。そのときになって、気が付いたんです。二〇〇四年の法改正で
は、過去に遡っての適用はないということに」
「ああ、やはり承知の上だったんですね。いや〜、先ほど、法律が変わったから男の時
効も十五年から二十五年になったという風な口ぶりでしたから、思い違いをされている
のかと」
「いやいや、さすがに知っています」
 私は最前、日焼け男が物言いたげだったのはこのことだったんだなと理解した。
「お節介をして言うところでしたよ。話の腰を折ってすみません、続けてください」
「――男は今頃になって気が付いた自分を腹立たしく思うやら呆れるやら。とにもかく
にも計算をやり直した結果、とんでもないことが明らかになる。男の殺人に対する公訴
時効が成立するまであと二日となっていた。地獄の淵で踏みとどまった心境の男は、会
社に強く申し入れてどうにか帰国できることになった。それが法施行の二日前、つまり
今日、四月二十五日だ。今日中に帰り着き、入国できれば今日、明日と二日間を過ごす
ことで時効成立までの二日間を消化できる」
「ちょっと待ってください。確認なんですが、海外から戻ったのが何時であろうと、そ
の日は一日経過したものとしてカウントされる?」
「恐らく。時効の進行が始まる最初の日は、何時だろうとそのまま一日と数えるはずで
すから、時効の進行が再開する場合も同じでしょう」
「ははあ、そういうものですか」
「男は飛行機に乗り遅れそうになるが、どうにか間に合った。けれどもちょこちょこと
トラブルが発生して、なかなか飛び立てない。焦りを胸の内で膨張させながらも、表面
上は平静を装う男。やっと離陸し、このまま順調に飛んでくれれば間に合いそうだ。し
かし日本が近付くと、悪天候のニュースが。これ以上遅れると厳しくなってくる。さ
あ、男は果たして間に合うのか否か?」
「最後はサスペンス調で終わりましたな。あるいは、『女か虎か』のようなリドルス
トーリーにもなりそうだ」
 『女か虎か』とか“リドルストーリー”とは何のことだか私は知らなかった。なの
で、曖昧にうなずくだけにとどめておいた。
<皆様にお伝えします。日本上空の雲は飛行によくない影響を及ぼすものではないとの
判断が下りましたので、迂回はせず、当初の予定通りにフライトを続けます。成田着は
定刻より九十分前後の遅れになると見込まれます。詳しい到着時刻は、また後ほどお伝
え申し上げます>
 新たなアナウンスに耳を傾け、聞き終わったときにはほっと安堵していた。九十分程
度の遅れで収まるのであれば、私の目的は達成される。内心、ガッツポーズを決めてい
た。
「よかったですな」
 サングラスをかけ直した日焼け男は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「我々も、お話に出て来た男もどうやら間に合いそうで何よりだ」
 サングラスの奥で、目が鋭く光ったように見えた。
「え、ええ」
 私がそう応じた次の瞬間――飛行機ががくんと傾いた。

             *           *

 日本時間の午後十時過ぎ、F国国際空港発成田行きの大型旅客機999X便が日本海
に墜落。生存者はゼロの模様。
 原因はまだ不明なるも、同機体はエンジン並びに空調設備の不調を訴えていたとのこ
とで、事故との関連を調べている。

 終わり




#493/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/14  22:21  (151)
百回目のダイイングメッセージ   永山
★内容
「今日はどんな事件ですか、警部?」
 いわゆる名探偵の|流山《ながれやま》探偵事務所を訪ねた|長野《ながの》警部
は、にこにこ顔で歓迎された。難事件に困って相談に来たのだと決め付けられている。
そう思うと、しゃくではあるが事実なのだから仕方がない。
「流山さんが好きそうなタイプですよ。ダイイングメッセージってやつ」
「ダイイングメッセージはあんまり好きじゃないなあ」
 揉み手をやめ、椅子の背もたれに身を預ける流山探偵。六畳ほどの応接スペースに、
軋む音が短く響く。
「そうでしたか。いかにもミステリっぽくて、小説や映像作品でもよく見掛けるなと思
ってましたよ」
「作り物の世界ではね。ダイイングメッセージのネタは、比較的簡単に作れるから。出
来不出来は別にして、それを使った作品が多くなるのは必然。襲われた被害者が助けを
求めず、死を早々と覚悟して、捻ったメッセージを薄れ行く意識の中ひねり出すなんて
現実味がないけど、完全否定もできない。さらに――」
 ひとくさりけなして終わりかと思いきや、まだ続きがあるようだ。長引くと察した警
部は、話を元に戻しにかかる。
「申し訳ないが流山さん。無駄に時間を過ごしたくない。依頼を受けられないのであれ
ば、私ゃさっさと退散するとしましょう」
「いやいや、事件の概要すら聞かない内に断れませんよ」
 再び揉み手をすると、流山探偵はデスクを離れ、長野のいるローテーブルの方にやっ
て来た。互いに向き合う形でソファに収まったところで、ようやく本題に入る。
「被害者は|浜谷勇《はまやいさむ》、六十六歳男性。遊具メーカーを定年退職後、熟
年離婚で独り身になるも特に不自由せずに暮らしていたようです。というのも蓄えがか
なりあり、個人的に金貸しをやっていたと。まあ、それが殺された動機につながるかも
しれんのですが。先月の七日、町内会の旅行に参加して、ちょうど十名で温泉宿に一泊
した。一晩明けてみると、宛がわれた部屋で、浜谷が死んでいた。備品の重たい灰皿
で、後頭部を殴られておりました。大量出血による失血死。で、被害者は自らの血を使
って、床というか畳の上に『百』と書き残していたんです。しっかりと、こう――」
「それはアラビア数字なのか漢字なのか。あるいはまさかの仮名文字で『ひゃく』?」
「あ、ええっと、漢数字ですな。で、面倒なことに、旅行に参加した残りの九人の内、
六人までもが浜谷から金を借りていた。額は上は百万単位で、下は十万前後。返済期限
が迫っていた、もしくは過ぎてしまっていたのが四人」
「旅行に参加する金があるなら、早く返してくれよとなってもおかしくない」
「私らもそう睨んでいます。ところが、ダイイングメッセージのおかげで、ちょいとお
かしなことになってきた。実は、参加者――容疑者の中に、|百田達吉《ももたたつき
ち》という男がおり、こいつで決まり!的な空気でしたが、アリバイが確認された。こ
の百田、夕食後に悪酔いしたとか言って早々に部屋に籠もったように装い、実際には宿
を抜け出て、近くに住む愛人のところへ行っていた。それだけなら信憑性に疑問が持た
れるが、いくつかの防犯カメラにも、いそいそと夜道を歩く百田の姿が捉えられてお
り、これは認めざるを得ないなと」
「状況は分かりました。他の容疑者の名前を教えてもらえますか」
 探偵の求めに応じ、長野警部は手書きのメモを渡した。予め、用意しておいたもので
言及済みの百田も含まれている。

・|百田達吉《ももたたつきち》

・|手塚朱美《てづかあけみ》

・|小村桃子《こむらももこ》

・|万代史郎《ばんだいしろう》

・|白戸一《しらとはじめ》

・|木田沼栄樹《きだぬまえいき》

「被害者に借金をしていた六人です。百田以外で、百を当てはめられる人物はいますか
ね」
「その前に確認だけど、百田達吉以外のアリバイは不成立?」
「そうなってます。一晩中アリバイを確保できてる人間なんて、普通はいません」
「確かに。さて、百に当てはまりそうな人物となると、まずは小村桃子かな。桃と百を
勘違いした」
「いやいや、いくら何でもそれは」
「冗談です。だが、こうして見渡しても、冗談めいたものしか浮かばないな。白戸一は
白と一、白の上に一を乗せれば百になる」
「……まあ、捜査会議でも、ダイイングメッセージの百は元々は白で、それに気付いた
白戸が一を書き足したのではないかという意見は出ましたが」
「うん、そうなんだ。ダイイングメッセージってのは、犯人や第三者による付け足しか
消去、あるいは全面的な破壊、全面的な偽装というのがあり得るからねえ。可能性が広
がりすぎて、かえって面白味に欠けるきらいがある」
「面白味云々は知りませんが、物証として認められるか否か、ボーダーライン上である
のは確かです」
「もう少しこねくり回してみましょうか。英語で百を?」
「え、ワンハンドレッド?」
「そう、ハンドレッド。これをハンドとレッドに分解する。綴りは異なるんだが、ハン
ドとレッドを日本語にすると?」
「手と赤、ですか」
「赤を朱色だと解釈すれば、手塚朱美が怪しいとなる」
「はあ」
 こじつけの度が過ぎていて、何と反応していいのか困る。
「まだある。百の上の部分をクロースアップすれば、片仮名のエに見えなくもない。こ
れはエイキと書こうとして、途中で力尽きたのかもしれない。その血文字に気付いた木
田沼栄樹は、とっさの機転でエに書き足して百にした。この手法は、万代にも当てはめ
られそうだね。ああ、一万は百かける百だ。現場に百という血文字は二つなかったか
い?」
 流山探偵は大いに笑った。冗談のつもりで言ったらしいが、長野警部は首を縦に振っ
た。
「実は……流山さんが前のめりに推理を始めたので、言いそびれていましたが、百の血
文字は複数個見付かっています」
「ええ? 早く言って欲しかった」
 目を丸くして驚き、次に口を尖らせる探偵。
「で、いくつあったの? やっぱり二つかな。だからといって、万代を犯人とするのも
躊躇われるけれども」
「それが、数え切れないくらい多かったんです」
「ほう?」
「もちろん、実際には数えましたよ。捜査員二人がそれぞれ数えてみました。重なり合
った箇所もあって、正確なところは判断が難しいのですが、百文字というか百個はあっ
た」
「な、何ですそりゃあ。殺害現場に百という血文字が百個!」
 この件で初めて流山探偵が、本気で興味を持った瞬間だった。
「そんなにたくさんの字を、瀕死の被害者が書けるはずがない。これはもう犯人の仕業
でしょう」
「警察も概ね同意見ですが、その先がさっぱり進まない。理解できない行動としか」
「うーん、攪乱するにしても百回はやりすぎ。そんなことをしている暇があれば、現場
から一刻も早く立ち去るのが当たり前……。念のために伺いますが、犯行現場の畳は赤
系統の色をしており、血で描いた文字が読みづらいなんてことはありませんよね?」
「無論です。そんな特殊な事情があれば、会議で上がってきます」
「ということは、部屋の電球が赤く塗られていて、灯すと赤系統の光が放たれるなんて
こともないと」
「ええ、請け負いますよ。血文字を書いたが赤が読みにくかった、という状況ではなか
った。そもそも、そんな理由だったら、犯人も程なくして気付くんじゃないですか。灯
りのせいで見えにくかっただけだって。百回も書き続けるとはちょっと信じられんで
す」
「警部の仰る通りだ。では、他に考えられるのは……犯人は恐慌を来していた。パニッ
クに陥っていたとしたら……」
 手のひらを擦り合わせ、沈思黙考に入った流山探偵。目を閉じて集中し、次々と可能
性を検討しているときのポーズだ。それを承知している長野は邪魔せぬように静かに見
守る。
 五分強が経過したところで、流山が目をしっかり見開いた。
「もう一点だけ、馬鹿げた可能性を潰すための確認。赤系統のサングラスを持って来て
いた者はいませんでしたね?」
「いなかったはずです。町内会の温泉旅行でそんな変わった物を持ってきたら、目立っ
て仕方がないでしょうし、犯行時に装着する意味も不明だ」
「結構。ではこれでしょう。事件後、字をまともに読めなくなった人物がいると思う。
恐らく隠しようがないから、検査すればすぐに明らかになるはず」
「字を読めなくなった? そいつが犯人だと言うんですか」
「十中八九ね」
 言葉とは違い、百パーセントの自信がありそうな流山探偵。
「恐らく犯人は犯行時、被害者と揉み合いになり、頭を打つか何かして、失読症になっ
たんじゃないかな」
「失読症、ですか」
 おうむ返ししてみたものの、ぴんと来ていない長野警部。
「大雑把に説明すると、脳へのダメージ等の後天的理由により文字を読めなくなる症状
と言えばいいかな。文字が歪んだりぼやけたり、あるいは逆さ文字になったり、点描画
のように見えたりするそうでしてね。想像するに、犯人は自らの小細工した血文字が、
点描のように見えたんじゃないだろうか。ほら、畳は表面が細かい升目になっていると
も言えるでしょうが。あそこに文字をドットで点々と描いたとしたら、凄く読みづらく
なるに違いない」
「はあ、まあ、何となく想像はできます。で、どう百個の百につながるんで?」
「突然、失読症になった犯人は大いに慌てたろうね。自分の書いた文字が自分で理解で
きないのだから、慌てるどころじゃ済まず、パニックになった。百田に罪を擦り付ける
べく、必死になって何度も百と書いたが、どうやっても百と読めない。数が百を超える
くらい繰り返した時点で、ようやく諦めが付いたか被害者の血が乾いてしまったか、書
くのをやめて現場から逃げた」
「……何とか飲み込めました。早速調べるとしましょう」
 立ち上がった警部は、ドアを開けて出て行く前に、しっかり立ち止まった。振り返っ
て、探偵に話し掛ける。
「謝礼は答がはっきりしてからでかまいませんかね」
「待ちましょう。調べればすぐに分かることだから。百聞は一見にしかずと言うしね」

――終




#494/495 ●短編    *** コメント #303 ***
★タイトル (AZA     )  21/03/21  20:21  (161)
赤洗面器男の冒険   永山
★内容
※本作のオチの部分は、UP済みの拙作(コメント先の親文書にある短編)と同じで
す。あしからず、ご了承ください。


             *           *

A「今日のお題は『赤い洗面器の男』です」
B「『赤い洗面器の男』ってあの?」
A「はい。倒叙ミステリのドラマとしては『刑事コロンボ』シリーズと並ぶ超有名作品
――ただし日本国内に限るかもしれませんが――で度々、出て来たリドルストーリーで
す。皆さん、ご存知ですよね?」
B「ああ、もちろん」
C「この謎求会《めいきゅうかい》のメンバーで、あれを知らないなんて人はいません
わ」
D「先程のAさんの説明に敢えて付け足すなら、その倒叙ミステリドラマ以外の映像作
品いくつかにも登場したことがある、ぐらいだな」
A「はいはい、分かりました。では本題に移るとしましょう。皆さんで、『赤い洗面器
の男』のオチを考えて、発表する。制限時間は、あまりだらだらとやっても被りが出る
だけでしょうから、ひとまず十五分としておきましょう」
D「いっそ、早い者勝ちでいいんでないかい? 早押しクイズみたいにさ」
E「いや、それだと一人がぽんぽん答えてしまうかもしれないよ。できる限り多くの人
の答を聞きたいな」
A「それじゃあ、早押しクイズ形式だが、答える権利は一回きりとしましょうか。で、
三分間誰からも答えが出なかったら、全員に解答権が復活すると」
全員「賛成」
A「よかった。あとは……賞品はとりあえず、青い洗面器を用意しておきました」
B「いらねー」
C「水が入っているのかしら」
F「何で青やねん!」
A「ははは。副賞としていつもの賞金もありますので、脳細胞をフル回転させて、答を
捻り出してください。こんなことを言っている間にも、皆さん考えているんでしょうけ
ど。他、何か質問のある方はいますか? はい、Eさんどうぞ」
E「今回は正解というものがない訳だけど、優勝者はいかにして決めるんです?」
A「おお、そうでしたそうでした。タイムアップ後に記名投票で決を採ることにしまし
ょう。自分自身の説に票を投じるのは、なしで。同数獲得の説が出た場合は決選投票で
もしますか」
E「分かりました」
A「他に質問のある方は? いませんね。それでは……壁時計の秒針が、次に12を差
したときから解答を受け付けます。私が指名してから答えてください。Zオーナー、い
つものことですまないけど、ホワイトボードに板書頼むね」
Z「お任せあれ」
A「どうも。――さあ、スタートだ」
ほぼ全員「はい!はい!はいはい!」
A「こりゃ凄いな。えっと、私から見て一番早かったGさん、どうぞ」
G「先手必勝とはならんだろうが、とりあえず。『男は問われて答えました。“この水
が何時間で蒸発するかの実験をしているんだ”』」
A「なるほど。晴れた日の午後というのを活かした訳ですね。はい、次。――Bさん」
B「答える前に提案。時間節約で、みんな答だけ言うことにしよう。『男は答えた。“
青い洗面器だと、青信号と間違えて車が突っ込んでくるからに決まってるだろ!”』」
A「色に着目と。次、Cさんどうぞ」
C「『男は答えました。“こいつを頭に乗せてる理由? 足に履けないからだよ”』」
A「いわば帽子であり、足に履くものではないと。次、Fさん」
F「『男はとぼけた顔して答えた。“えっ、これ? いやあ、実はにわか雨にふらちま
いやしてね。そのとき雨避けになる物が、この洗面器一つしかなかったの。それを頭上
にかざしたはいいが、だいぶ歩いてからミスに気が付いた。何で雨を受け止める向きに
しちまったんだろうって。その頃にはもう雨も止み始めて、すぐに水を捨てりゃよかっ
たんだが、腕がなまっちまって動かないと来た。そんでしょうがねえからそのままの格
好で、えっちらおっちら歩いてるって訳”』」
A「長いです。でも落語の世界にはありそうな風景ですな。次はDさん」
D「すまんけど前置きをちょっと。男の答が『それは君の……』で始まるバージョンが
示唆されていたと思うんで、そこに拘った説。『男は答えた。“それは君の答を聞いて
からだ。君は何故、ピンクのブラジャーを頭に巻いているんだい?”』」
A「質問返しパターンですか。『それは君の……』バージョンを言ったのは、確か山城
新伍が演じていたマジシャンだったから、ピンクのブラジャーはイメージが合っている
と言えなくもなし。さて次はHさん」
H「『男は問われて答えました。“私今子供を誘拐されて、犯人の要求に従ってるとこ
ろなんです”』」
A「……何とも、笑えない答ですなあ。えーっと次はIさん、できれば明るいのをお願
いします」
I「えっ、どうなのかな? 『男は答えました。“こうすると髪の毛が生えてくると聞
いたものですから……はい”』」
A「うん、明るい。ちなみに最新の研究では、赤色LEDの光を当て続けると、細胞が
刺激されて毛が生えてくるというデータがあるそうですよ。赤い洗面器を通して日光を
浴びればあるいは」
I「知りませんでした。怪我の功名ならぬ毛の功名?」
A「あはは。充分に温まったところで、次、Jさん」
J「『問われた男は近付いてきて、にやりと笑って答えた。“何故かって? それは
な、あんたにこの水をぶっかけるためさ!”』」
A「うーん、怪談ぽい。それでは次は……お、ちょっと勢いがなくなりましたね。えっ
と、ではKさん」
K「今のを聞いて思い付いたんですが……。『私の問い掛けに対し、男は何故かほっと
した表情を浮かべ、答えました。“ああ、よかった。はい、これ”。男から赤い洗面器
をそのまま渡された私は困惑しました。“あの、これはどういう……”。“こういう
ルールなんです。訳を聞いてきた人に洗面器を渡すリレーで、拒否できないんですよ。
がんばってくださいね”』」
A「シュールな絵が浮かびました。逃げたらどうなるんだろ。さて次は誰かいません
か。おっと、Lさん」
L「埋め草レベルですが。『男はため息交じりに答えた。“あ、やっぱり。気になりま
す? うん、頭に赤い洗面器はおかしいでしょ。私もほんとはね、青いバケツにしたか
ったんですが、家になくって。すみませんねえ、青いバケツだったら、あなたにお手数
を掛けることもなかったのに”』」
A「気になるのはそこじゃない!ってやつですね。長めの解答が増えて、皆さんも考え
る時間が稼げたでしょう……はい、M君」
M「『男は答えて言いました。“僕、廊下に立たされていたの。先生、僕のこと忘れち
ゃったみたいで、仕方がないからそのまま下校してるところなの”』」
A「芝居っ気たっぷりでいいね。――おや、いつの間にやら残り三分を切りました。こ
れで今までに一度答えた方は、もう解答権を得ることはなくなりました、申し訳ありま
せん。さあ、まだ発表していない人、来いっ。――ほい来た、Nさん」
N「『男は答えた。“え? 洗面器の中身、本当に水ですか? 硫酸だって言われたん
で、こうして慎重に運んでたんすけど”』」
A「言われてみれば、ぱっと見ただけで、中身が水であると断定できたのは不思議です
ねえ。話し手である“私”は超能力者か。さあ、次は? 時間がありませんよ。お、O
君」
O「何も言わないよりましだってことで。『男は答えた。“あなたが<女か虎か>の真
相を教えてくれたら、私も話します”』」
A「リドルストーリーにはリドルストーリーと来たか。悪くない。おっと駆け込みで増
えてきたか、どうぞPさん」
P「『男は答えて言った。“何を仰ってるんですか。この辺りではこれが当たり前です
よ。でも赤い洗面器はおかしいですね。私が頭に乗せているのは、極当たり前のプラス
ティック製のバケツ……なーんだ、あなた赤いサングラスを掛けてるのをお忘れでしょ
う”』」
A「運搬手段として、頭に物を載せること自体はさほど珍奇ではありませんよね。主に
女性がやりますが、日本にもあるし。さあ、タイムアップが近い。他にありませんか。
いつもは解答の早いEさん、どうですか?」
E「うう、まとまってないんですが、もう頃合いでしょうかね」
A「そうですよほら。あと一分ちょっとだ。とりをお願いします」
E「分かりました。『男はためらったあと、やっと語り出しました。“話せば長くなる
のですが、それでも聞きたいですか。そうですか、ならば、とりあえずあそこのカフェ
に場所を移しましょう。暑くてたまらない”。カフェに入ってからも、男は赤い洗面器
を頭に乗せたままです。何を注文するのかも気になりました。彼はやって来た店員さん
に“トマトジュースを一つ”と言いました。赤が好きなのか。半分方納得しかけた私
に、男は話の続きを始めました。“私は赤い洗面器を」

   ガッシャーン! ガラガラガラッ、ぱたん。

 背後から轟いた大きな音に、Aは思わず肩をすくめ、振り返った。そこではこの喫茶
店のオーナーZが、調理器具のボウルを拾い上げ、水を拭こうとしていた。
「な、何してるんですか、オーナー」
「いや、皆さんの話を聞く内に、私も考えてみたくなりまして。まずは当事者の気持ち
になって観ようと、洗面器の代わりにボウルを使い、試そうとしたらたちまちこの有
様」
「やれやれ。驚かさないでくださいよ」
 苦笑交じりに嘆息したAの背後で、どっと歓声が起きた。
 メンバーが口々に、「凄い」「これはいいね」「決定版だ」「恐らくこれ以上の答は
望めません」などと称賛の言葉を並べている。

A「え? Eさんの答、終わりましたか」
みんな「はい。おや。Aさんはまさか、聞いていなかったとか」
A「は、はあ。恥ずかしながら、オーナーがボウルを落とした音にびっくりしてしま
い。で、どんな解答だったんですか」
B「それはもうワンダフルでしたよ」
C「ねえ、もう集計しなくていいと思うんですけど」
D「そうだな。必要ない。Eさんの答が最優秀だ」
E「いや〜、最後に美味しいところを持って行ったみたいで気が引けます」
F「そないな遠慮は無用。胸を張って、賞品を受け取ればええねん」
A「あの〜、そのワンダフルな解答、私は聞けてないのですが……」

 Aは物欲しげな顔付きを隠さず、皆を見やった。だが、A以外のメンバー全員は、E
の発表した答について意見を述べ合うことに夢中。Aの言葉を聞く耳は持っていなかっ
た。

A(ちくしょう。何で私だけが……。こうなったら、もっと大きな“爆弾”をちらつか
せて、皆の注目を呼び戻さねば)

 Aは少し考え、言うべき台詞を決めた。

A「あ! 忘れていたが、私この前、たまたま電車の中で耳にしたんだった。三億円事
件の真相を」


 おしまい




#495/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/04/10  19:49  (167)
未読に戻しますか?   永山
★内容
 三十五年間生きてきて、ご近所トラブルとは無縁だった。小さな子供だった頃も、一
人暮らしをした学生時代も、結婚して子をもうけてからも一切なかった。多少のストレ
スを感じることもあるにはあったけれども、今にして思えば恵まれていたんだと分か
る。
 それだけ現在の隣人とは反りが合わない。きっかけはゴミの分別だった。
 個包装になったキャンディの包みで、一見、銀紙のような物があるけれども、あれは
燃えるゴミに入れていい。自治体によって違うかもしれないが、少なくとも私達の暮ら
す区域では燃えるゴミになる。
 そのことを隣の齋藤百子《さいとうももこ》は知らなかった。なのに、私の家から出
たゴミ袋に、キャンディの包みをめざとく見つけて、燃えないゴミを燃えるゴミに入れ
ているのではないかとクレームを付けてきたのだ。もちろん、これが最初だったから、
私の方も穏やかに応じたつもりだ。「いえこれは燃えるゴミでいいんですよ。見た目は
アルミホイルみたいですけどね」と。
 相手はそのときは大人しく引き下がったけれども、どこかで恥をかかされたという感
情を抱いたに違いない。しばらく経って、資源ゴミなどを出す日を迎えたときだ。当番
は四人、うち二人が私と齋藤百子だった。
 私はその日、持ち込まれたスプレー缶をチェックし、穴を開けていない物には道具を
使って開ける役を担っていた。ほとんどは穴開けの処置が施されているけれども、希に
開けてない物がある。私はそういったスプレー缶を手に取っては、先がL字型になった
道具を振るい、軽快に穴を開けていった。
 十五分ほどして、齋藤百子が「これも開いてないわ」と渡してきたのは、塗料のスプ
レー缶。私は受け取ってすぐに道具の切っ先を振り下ろした。
 穴が開いた途端に、ぷしゅっという小さな破裂音がした。同時に、中から赤の塗料が
勢いよく吹き出し、私の上半身を染めた。
 年甲斐もなく悲鳴を上げていた。まさか、中身がこんなに残っているなんて。顔や腕
といった肌の露出した箇所にはほぼ飛ばなかったけど、服にたっぷりと浴びてしまっ
た。
「あら〜、ごめんなさい。そんなに残っているとは気付かなくって」
 齋藤百子は眉を八の字に寄せて、いかにも申し訳なさげに手を拝み合わせてきた。声
のトーンが高くて、イラッとしないでもなかったが、わざとこんなことをやるはずな
い。「いいのいいの」と応じた。班長を務める年長の鈴木《すずき》さんに「帰って着
替えてきても」と、みなまで言う前に「ええ、早く行きなさい。服の汚れ、取れないか
も」と答えてくれた。
 こういう作業をするのだから、ジャージ姿だった。まあだめになるだろうけれど、服
のことはそう心配するほどではない。ただ、齋藤百子がクリーニング代を出しましょう
かとか、代わりのジャージをとか言い出さないのは、何となく腑に落ちなかった。
 それからまただいぶあとになって、特に親しい田中《たなか》さんからこんな話を打
ち明けられた。
「あなたが着替えてくる間に、誰がこんなに残してゴミに出したのかしらねって話にな
ったんだけど、その場では分からなかったのよ」
「ええ、それは聞いた」
「でも、本当は齋藤さん家が出したゴミみたいなのよ」
「えっ? まさか……」
「見たのよ私、あそこのご主人と子供が、空き地でラジコンを走らせているのを。前に
見たときは白かったラジコンカーが、いつの間にか赤をメインにして違うデザインにな
っていたわ」
「新しいのを買ったんじゃないの」
「ううん、そんなことない。というのも、私、話し掛けたから。『新しいのを買っても
らって、いいわねえ』って。そうしたら、子供は首を横に振るし、ご主人は頭をかきな
がら『前のを塗り替えただけなんですよ』って』
「……偶然じゃないの」
 口ではそう言ったものの、疑念が生じたのはこのときだ。
 以来、私は隣をそういう目で見るようになった。すると、今まで気にならなかったこ
とが目に付くようになったのだ。最初は門扉の開け閉めで、そこの一人息子・友照《と
もてる》は通る度に派手に音を立てる。そのガチャン!に、扉が戻るときのきぃいーと
いう軋みも相まって、非常に耳障り。小学校低学年とは言え、ちゃんとしつけてほし
い。
 次に気になったのは、我が家との境界間際に植えてあるキンモクセイの木だ。甘い匂
いがきついのは我慢するとして、五月から六月にかけて毛虫が大量発生する。今のとこ
ろうちの草花に被害はないようだけど、隣はキンモクセイに何の手入れもしてないし、
虫退治もしない。どういう神経でいるのだろう。
 それから、同じく境目、我が家側に煙草の吸い殻が落ちていることがたまにあった。
当初は、生活道路に近い側だったので、心ない歩行者が歩き煙草をしてポイ捨てしてい
くのかと思っていた。だが、常に同じ銘柄で、長さも同程度。これは一人の喫煙者によ
る仕業だ。しかも、齋藤家の旦那の吸っている銘柄と一致する。ただし、隣の旦那・義
貴よしきは昔風に言えばホタル族で、家の中では吸うなと言われているらしく、二階の
ベランダで吸っているところを二度ほど目撃したことがある。ベランダは私の家の方に
向いていないし、境界線からは一番離れている。わざわざ投げたとしても、毎回うまく
境界線のこちら側に落とせるとは考えにくい。
 そこでうちの主人が子供と出かけた日、お隣を一日中見張ってやるつもりで、境界線
をどうにか見通せる勝手口近くの窓にへばりついてみた。そうしたら昼前に齋藤百子が
出てきて、ビニール袋を片手に庭など家回りのゴミを拾い集めたかと思うと、最後に袋
から吸い殻を一本だけ取り出した。何をするのかと息を詰めて見続けると、素知らぬふ
りをした齋藤百子は、吸い殻を私の家の玄関先に、ポトッと落とした。
 私は頭に血が上った状態で、勝手口を飛び出し、家に戻ろうとする齋藤百子に食って
かかった。
 最初、相手は驚き狼狽していたみたいだった。しかしじきに体勢を立て直すと、落ち
ていた、否、落としていった吸い殻を拾い上げ、「どうもすみません。落ちたのに気が
付きませんでしたわ。次からは充分に注意するので、今日のところはご勘弁ください」
と来た。たまたま落ちたのだという主張を突き崩すだけの物証はこちらになく、動画で
も撮っていればよかったと後悔した。だが、この日以降、煙草のポイ捨ては一切なくな
った。
 その後、目に見える形での嫌がらせはなくなったが、精神的な張り合いはエスカレー
トしていった。自分自身と夫と子供に関して、自慢し合う。ただそれだけなのだが、非
常にくたびれるやり取りが続いた。認めるのは悔しいが、稼ぎは齋藤家の方が上だ。そ
れも三段階か四段階ぐらいのレベル差だろう。お金があるのなら、もっといいところへ
引っ越しなさいよと思うのだが、そんなつもりは毛頭ないみたい。家にお金を掛けるの
は馬鹿らしい、夏涼しくて冬暖かく過ごせれば充分という主義のようだ。そういうお金
を掛けていない家が、私達にとって精一杯のマイホームなのかと思うと、また腹立たし
くなった。
 そんな静かな戦争状態がくすぶり続ける日々を重ねて、八月を迎えた。
 子供が夏休みに入り、主人も休みが取れたため、家族で十日間、私の実家に帰省する
ことにした。齋藤家はもっと豪勢に海外で過ごすという計画を吹聴していた。なので、
隣には何も伝えず、黙って出発した。
 東北の山に囲まれた片田舎で過ごしていると、齋藤百子のことを頭の中からすっかり
追い払えた。父母だけでなく祖父母も健在でよくしてくれるし、自然に恵まれて心地が
よい。思っていたほど涼しくはなかったが、それくらいは我慢できる。
 そんなある日。多分、帰省して四日目か五日目だったと思う。昼過ぎに実家の郵便受
けを覗くと、結構たくさん郵便物が入っていて、取り出した。十日留守にするのだか
ら、郵便局に転送届け(正式には転居届けだそうだが)を出しておいたので、自分たち
帰省組宛の郵便物もある。
 宛名を見て手の内で分けながら、母屋に戻る。その途中で、レモンイエローの封筒に
目がとまった。
 私宛で、ナップ・キッズ社という会社から来た物らしい。その企業専用とおぼしきち
ゃんとした封筒で、宛名書きは印刷したシールを貼ってある。
 でも、私は急速に興味を失った。というのも、子供が大きくなるにつれて、節目節目
でこの手のダイレクトメールが大量に送りつけられることを知っていた。事実、ナッ
プ・キッズ社なんて全く知らないし、資料請求をした覚えもない。どうせどこかから手
に入れた名簿を元に、手当たり次第に送りつけているんだろう。そう理解した私は、母
屋に上がるや、ゴミ箱にその黄色い封筒を投げ入れた。

 快適な日々はあっという間に過ぎる。長くいれば実家の父母らも多少は疎ましく感じ
て、まだ帰らないの的な空気を醸し出すものだが、今回は全く感じなかった。それだ
け、私が齋藤家との“暗闘”に疲れていたのかもしれない。
 予定していた十日が経ち、引き留めてくれる両親らの言葉をありがたく感じながら、
都会へ、自宅への帰途についた。その道中、新幹線内で、電光掲示のニュースを何の気
なしに眺めていると。

<都内で誘拐事件発生。齋藤友照君(七才)が遺体で発見。犯人からの要求確認でき
ず、行き違いか>

「……ねえ、あなた」
 私は主人を揺り起こした。主人も子供も眠りこけていたのだ。
「何だ。もう着くのか」
 目をこする主人を、電光掲示の方に注目させようとしたが間に合わず、次に表示され
るまでしばらく待たなくてはいけなかった。
「……どう思う?」
「確かに、お隣の子供と同姓同名だな。でもまさかな。一応、確認してみよう」
 主人は携帯端末を取り出した。が、それは検索するまでもなく、トップニュース扱い
だった。
「途中までしか住所は出てないけど、一致する」
「……」
 私は何とも言えない気分に味わっていた。
 無論、ざまーみろだなんてみじんも感じない。たとえ母親がどんなに性悪でも、子供
に罪はない。いや、齋藤百子にだって同情する。子供が誘拐され、殺されるなんて、き
つすぎる。もし仮に神様みたいなのがいて、齋藤百子が私に対してした嫌がらせの代償
として、子供を奪ったのだとしたら、やり過ぎ、ひどすぎると言うほかない。
 どんな顔をして帰宅すればいいんだろう。暗澹たる気持ちになった。
 それからはほとんどしゃべることもなく、車内の時間を過ごした。そして終点の一つ
前の駅を出発した段階で、私は荷物の整理を始めた。飲んだり食べたりした跡や、読み
かけの雑誌、タオルなどを片付ける。
 その最中、バッグの外ポケットに黄色い物が見えた。引っ張り出してみると、あのナ
ップ・キッズ社からの郵便だった。捨てたはずなのに……と不審に思いつつ、裏返す。
そこには母の字で手書きしてあった。
『間違って捨てていたようなので、入れておきます』
 私はちょっとだけ苦笑した。とても笑う気分ではないけれども、それでもこの些細
な、どうでもいい出来事、母のお節介が笑いを誘った。
 くしゃくしゃに丸めて、新幹線内のゴミ箱に入れようかと思ったのだが、何かの縁か
もしれないと考え直し、開封した。
 中身は便せんが一枚と、さらに小さな封筒が一通。そして金券が五万円分。
 便せんには印刷した字で、「申し訳ありませんが、同封の小さな封筒を、お隣の齋藤
家に届けてください。お礼として、同封した五万円分の金券は進呈します」とだけ記し
てあった。
「――あわわわ」
 歯の根が合わなくて、口がふにゃふにゃとしか動かせず、全身に震えが来た。こんな
とき、人間は本当に「あわわわ」と言うんだなと、別の自分が感心していたかもしれな
い。
「どうした?」
 隣で目をつむっていた主人が聞いてきた。
 私はこの小さい方の封筒を開けて、中身を確かめるべきなのかを迷っていた。
 私が想像した通りの代物だとしても、私に責任はない。私は悪くない。でも、こんな
ことが明るみに出たら……だめだ。
 秘密を抱えて、嘘をつき通す覚悟はあるかを自問自答する。答は意外に早く出た。
「おい、どうしたんだよ。変だぞ」
 主人の声には反応せずに、私は席を立った。手には小さな封筒を握りしめて。

 終わり




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