AWC ●短編



#487/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/27  21:07  (110)
ファー!   永山
★内容
 こいつに俺が負けるはずがない。そんな自信ががらがらと音を立てて崩れ去った。
 小学生の頃から見下していた同級生の小城《おぎ》が、業界大手の企業に俺の同期と
して入っていただけでも驚いたが、社長の娘と付き合い始め、社長からの覚えもめでた
いと来ては、開いた口が塞がらなかった。
 最初は平静を装っていたが、小城が同じ部署に転属になり、出世コースに乗っている
のを毎日目の当たりにするようになると、どうにも我慢できなくなった。
 精神衛生上よくないし、我が社のトップにいずれ小城が立つ可能性が高いなんて、不
安でならない。だから、排除することに決めた。
 チャンスは意外に早く巡ってきた。
 社長の信条の一つに、商売にはゴルフの腕もある程度必要だというのがある。小城も
初めてラウンドに連れて行かれ、回った後にだめ出しを食らった。だろうなと内心大い
に頷けた。小城の運動音痴ぶりと来たら男子の中で最下位だった。いや、女子にもほと
んど負けるだろう。五十メートル走は全力だと途中で止まるからと全くスピードが乗ら
ない、遠投はいわゆる女の子投げで、上向きに浮くばかり。反復横跳びはリズムが狂っ
て足がもつれ、跳び箱に激突すること数知れず、もちろん泳げない。ドッジボールだけ
は逃げ回ってよく生き残っていたっけ。
 一方、俺は勉強だけじゃなく、運動もできた。現在も定期的なトレーニングは欠かし
ておらず、飲み食いも摂生に努めている。ゴルフも仲間内では一番うまいと評判を取っ
ている。それが社長の耳に入ったのか、小城を鍛えてゴルフを上達させてやってくれと
の話が回ってきた。無論、喜んで引き受けた。
 と言うのもうちの社は保養施設としてゴルフ場も所有しており、小城を指導するなら
二人で貸し切り状態にできるとのことだった。これは、事故に見せ掛けて小城を始末す
る絶好の機会だ。
 落雷直撃や熊に襲われるといった事故死に見せ掛けることを考えたが、もしも殺人事
件として捜査されれば終わりだろう。雷を食らった人体がどんな変化をすなるのか知ら
ないし、保養地のゴルフ場付近に実際に雷が落ちてくれないことには始まらない。熊に
しても同様で、大掛かりな山狩りを行って、熊の姿はおろか熊が出たという積極的な証
拠すら見付からなければ、熊の出没自体を怪しむであろう。
 他にもあれこれ想定してみたが、カート事故で死んだことにするのがよいと結論づけ
た。ゴルフ場の移動は歩きかカートだが、社長は小城にカートの操縦もうまくなってく
れんとな、なんて言っていた。練習がてら、一人でカートの運転をして事故って命を落
とした、という形にすれば、俺の責任はかなり薄まるだろう。社長の指示なのだから、
誰も悪く言えまい。

 という流れで、ある日曜日の午後に決行したのだが。
 施設の中では最も急な下り坂の手前で、小城の乗ったカートが乗り上げるよう、タイ
ヤの下に両手のひらに収まる程度の丸っこい石を放った。狙い通り、カートはバランス
を大きく崩し、前転に近い横転を起こす。そのまま坂の終わりまで転がり、止まる寸前
ぐらいに小城は放り出された。彼の上にカートが乗っかったように見えたとき、俺はよ
しっとガッツポーズをしていた。
 ところがだ。ぎりぎりで小城はカートの下敷きにはならず、隙間から這い出してき
た。瀕死ではないが、負傷している。こめかみの辺りから赤い筋が垂れているのが見え
たし、転がるゴルフボールの間を腕だけで這うのは足を傷めたからに違いない。
 始めたからには、生き残られては困る。小城はまだ俺の犯行ではなく、単なる不幸な
事故だと思っているかもしれないが、小城の口から状況が語られれば怪我を負わせた責
任がこっちに来るのはほぼ確実。やり直しは利かない。
 俺は焦りを覚えつつ、とどめを刺そうと、坂を滑るように降りて小城に近寄った。
 気付いた相手は、「助けを呼んでくれ。救急車」というような意味のことを口走った
が、かまわずにゴルフクラブのアイアンを振り上げた。頭か腹、どちらかに当たればい
いといういい加減な気持ちだったからか、振り下ろしたクラブの先は小城の肩口をかす
めた程度で、地面を叩いた。
 すると小城はどこにこんな余力が残っていたのかと思えるほど機敏に転がり、足を引
きずりながらも逃げ出した。「ひええ」とか声を上げているが、震えて小さな音量だ。
尤も、この広大なゴルフ場にいるのは今、二人だけなので、どんなに大声で叫んでも助
けが来ることはないだろう。
 いくらか余裕の出て来た私は早歩き程度のスピードで追った。見失いさえしなけれ
ば、確実に追い付けると踏んだ。
 後ろ姿の小城はバンカーや池の間をふらふらと進んでいる。胸を圧迫でもされたか、
両腕を身体の前に持って行って背を丸めがちにする様は、寒くて震えている風にも見え
た。俺は楽に距離を縮め、あと十メートルもなくなったところで、「小城、観念しろ
っ」と恫喝気味に声を掛けた。
 振り返った小城は何かにかかとが引っ掛かって転倒、尻餅をつく。思わず舌なめずり
をしたくなる展開だ。
「あんまり離れられると、事故死に偽装するのが面倒になるだろうが」
 今度は外すまいと、クラブを構える。
 小城はゴルフボールを投げてきた。余裕でかわした。
「何のつもりだよ」
 聞いたが小城は答えない。こっちだって答を期待してはいないが。
 と、また投げてきた。いつの間に拾い集めたのか、カート横転の際にたまたまあちこ
ちのポケットに入り込んだのか、いくつも持っている。
「この、遠くへ行け!」
 へたり込んだままの姿勢で、精一杯投げる。小学生のときに比べたら随分ましで飛距
離もそれなりに出ているようだが、如何せんコントロールがでたらめだ。これだけ近い
のに全く当たらない。避ける必要すらない。だいたい、「遠くへ行け」じゃなくて「あ
っちへ行け」だろう。
 ボールを投げ尽くすのを待って、俺は改めて狙いを定めた。不自然な傷はなるべく付
けたくない。カート事故の弾みでクラブの先端が頭を強打する可能性がどれほどあるか
知らないが、絶対にないことじゃあるまい。でも、殴るのは一度きりに収めねば。
 追い詰められたと覚悟できたのか、小城は後ずさりをやめた。
「二階堂《にかいどう》、おまえ。捕まるぞ」
 負け惜しみにしか聞こえない台詞を吐いた。俺はゴルフクラブを振り下ろした。確実
に。

 小城の死は俺の主張が受け入れられ、思惑通り、事故によるものとして処理される気
配だった。
 だが、三日後に一変する。
 小城はダイイングメッセージを残していた。もちろん俺は遺体を戻して事故に偽装す
る前に、奴が余計なことを書き残して身に着けていないか、念入りにチェックした。結
果、何も出て来なかったから、安心して偽装工作を完成させたのだ。
「例のゴルフ場、水曜日は休みで整備に充てられているとか」
 刑事は俺の目の前で始めた。抑えてはいるが、ニヤニヤが止まらないって感じの表情
をしている。
「ええ。知ってますよ」
「その整備の一環で、池を総ざらいする。池ポチャしたまんまのボールを回収するため
ですな」
 池ポチャ。
 悪い予感が走った。いや、もう分かったと言うべきだったかも。
「で、集めたボールの中にいくつかあったんですよ。『ニカイドウニヤラレタ』と書か
れたり刻まれたりしたボールが」
 俺は小城がゴルフボールを投げてきた情景を思い起こした。あいつは俺に当てて抵抗
するために投げてたんじゃない。
 告発を記したボールをできる限り遠くに放りたかったんだ!
 俺に当てたらかえって気付かれる。「遠くへ行け」で合っていた訳だ。池ポチャこそ
が、小城にとって一番いい結果だった。実際、あいつの投げたゴルフボールは全て、俺
の背後の池に落ちたんじゃないか。
「水に浸かっていたとは言え、いくらか部分指紋が出たので、小城さんの物と照合中で
す。二階堂さん、何か言いたいことは?」
 遅まきながら認めざるを得ない。小城は成長していた。

 終




#488/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/06  20:08  ( 73)
かんせんぼうし   永山
★内容
 FS大学のサークルの一つ、万武闘鑑賞《よろずぶとうかんしょう》研究会――通称
ヨブカン――はクラブへの昇格申請を伺うところまで来ていた。会員が七名以上になれ
ば予算のもらえる部活動として認めてくれるよう、申請する条件を満たす。現在の会員
数は総勢五名。この春の新入生勧誘で二人増員を目指す所存であり、本日の活動は、確
実に新入生を入れるにはどう据えればよいかを考える作戦会議の位置づけであった。
 もちろん、申請したからと言って認可されるとは限らない。有象無象の怪しげなグ
ループが増えてきて、各クラブに割り当てる部室の確保もままならない状況下、審査を
厳しくしようとする動きがある。
 万武闘鑑賞研究会は、どちらかと言えばその怪しげな方に分類されてしまうだろう。
活動コンセプトは“リングなどで行われる、基本的に一対一の、肉体を駆使した武闘
(舞踏を含む)を鑑賞することで満喫し、議論する”というもの。要するに格闘技や武
道の試合を見て楽しもうってだけなのだから、世間一般にはなかなか届きそうにない。
 なので、せめて大学側や学生会によい印象を持たれるよう、色々とルールを定めてき
た。講義中は勉学に集中し成績も少なくとも赤点だけは取らないレベルを維持する。年
に四度はサークルの会報として季刊紙・誌を出す。学生会を通じての活動には積極的に
参加。特にボランティア活動には進んで手を挙げる。政治的な活動とはもちろん無縁
で、サークル室内では政治の話をしないことまで決めてあった。

「まったく、大言壮語しておいてこれはないよな」
「そうそう。何でマスク二枚になるんだよ」
「色々と言い訳してたけれども、要するに、元々金がなかっただけなんじゃね?」
「じゃあ、あの説明は嘘だと?」
 大部屋をパーティションで分けただけの狭いサークル室、そのドア越しに漏れ聞こえ
て来た雑談に、会長の竹内《たけうち》はしかめ面になった。軽く息を吸い込んでか
ら、ドアを開ける。
「おぃーす」
「あ、竹内さん。お疲れです」
「お疲れ。おまえらそういう話は感心しないな」
「そういう話って?」
「今までしてただろ。マスク二枚云々て」
「はあ、していましたけど」
 何がいけないんだと言わんばかりの顔つきになり、互いを見合わせる会員達。
 竹内は空いていたスペースにパイプ椅子を持って行き、開いてどっかと腰掛ける。腕
組みをしてから続けた。
「まさかおまえ達、知らないのか? いや、新二年生はともかく、清水《しみず》は知
っているはずだよな」
「ああ。うちの大学の大先輩だ」
 清水は申し訳なさげに片手を後頭部にやった。
「だったら言うなよ。そしてみんなにも分かるように説明しなきゃ」
「そうだな。ただ、今度の仕打ちがあまりにもしょぼかったからつい」
「どういうことですか、大先輩って?」
 後輩達の声に、竹内は清水にさせるつもりだった説明を、自らがやると決めた。
「プロレス雑誌『Rの闘魂』の名物編集長である本山武尊《もとやまたける》は、FS
大学OBなんだよ」
「へー! 知りませんでした」
 竹内や清水の世代からすれば考えられない反応である。一年違うだけでどうしてこん
なギャップが生まれるのやら。
「それはちょっと申し訳ないことをしたかも」
「うちら総合格闘技の方から入ったので、プロレス関連はあんまり詳しくなくって」
「我がサークルに入っておいてその言い分はないぞ」
 後輩をたしなめると、竹内は本棚の一角に目をやった。『Rの闘魂』最新号が置いて
ある。その中程のページに、本山編集長のお詫びがでかでかと載っていた。

 ふた月ほど前、プロレスの取材でメキシコへと発つことになった本山は、誌面にて
大々的な予告をしていた。現地でプロレス関連グッズを大量に購入してきて、読者に
どーんとプレゼントするというものだ。現地でしか流通していない裏ビデオ的プロレス
映像も入手する算段があると豪語していたため、読者からの期待は高まった。
 ところが取材を終えて帰国した本山は、読者プレゼント用の品々を持ち帰ってはいな
かった。現地のホテルで盗難に遭い、取り戻すために色々手を打っていたが、仕事の都
合でタイムアップ。日本に戻らざるを得なくなったという。
 そんな本山がどうにか持ち帰れたプロレスグッズが、覆面レスラーの試合用マスク二
枚のみだった。とりあえず愛読者プレゼントの第一弾に充てるというが、当初の発表か
ら随分とスケールダウンした企画に不満の声が上がっていた。

(大先輩を敬えないようなメンバーがいると知られたら、心証を悪くする。審査で不利
だ)
 竹内は狭いサークル室を見渡しながら思った。
(肩を寄せ合うような距離で座るのがやっとだ。クラブになれた暁には、格闘技の技を
掛けられる程度のスペースはほしいな)
 そのとき、竹内はくしゃみが出そうな感覚を覚えた。むずむずする鼻を指でつまむ。
しばらくすると、くしゃみは消えていった。

 終




#489/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/07  20:07  (153)
取り合い 〜 建築王死して揉め事残す   永山
★内容
 建築王と呼ばれた男・梶原三太《かじわらさんた》が齢八十を迎え、病にむしばまれ
た。
 三男坊とあって若くして家を出た梶原は、大工の見習いからそのキャリアをスタート
させ、途中何度かの幸運に巡り会い、それより若干少ない不運に見舞われながらも財を
築いていった。
 そうして蓄えた資産により、現在考え得る最高の医療を受けるも最早、彼の命は持っ
てあと半年という段階まで来てしまった。
 日に日に衰え、ついには記憶や頭の血の巡りまで悪くなってきた節が見受けられた。
 問題は――残される家族にとっての問題は、梶原三太が遺言を書いていないことであ
った。
 梶原には妻がいたがすでに先立たれており、彼女との間にもうけた三人の子供が、遺
産分与の対象となる。
 長男の宜也《たかや》、次男の宜和《のりかず》、長女の美宜《みのり》は特別に不
仲という訳ではなく、さりとてベタベタとした仲良し関係でもなかった。
「私が一番多くもらう権利があると思うんだけど」
 三人だけで屋敷の一室に集まり、話し合いがもたれた。資産の取り合いになって、醜
く争うことは誰もが避けたかった。口火を切ったのは美宜だった。
「どういう理屈だ、それは」
 長男の宜也が顔をやや紅潮させて聞き返した。
「兄さん達は二人とも、父さんのあとを継ぐ道を蹴って、幾ばくかのお金を出してもら
ってそれぞれ好きなことを始めたでしょ。その点、私は家に残ったわ。家を継いだこと
プラス兄さん達には生前分与が行ってると見なして、ここは私が多めにもらって当然
よ」
「何を言ってる。ようく考えるんだぞ」
 宜和が諭すような調子で言った。
「継いだと言ってもおまえじゃない。おまえの旦那が継いだんだ。それも若死にしてこ
こ十年ほどは、親父がフル稼働してた。あれが身体によくなかったんじゃないか」
「何よ。父さんの病気は私のせいだって言うの?」
「ああ。世界的な不景気という不運があったことは認めるが、一時、会社の業績が滅茶
苦茶落ち込んだのも、おまえの旦那の力不足が原因の一端だろう。その頃から心労が蓄
積していたんじゃないか、親父は」
「馬鹿なこと言わないで。あれはどうしようもなかったと、父さんも理解してくれてい
たわ。揚げ足取りをするのなら、宜和兄さんの芸術活動とやらも浮き沈みが激しくて、
まるで壊れかけのジェットコースターじゃないの。最近また資金繰りが苦しいから、お
父さんの面倒を看て取り入ろうとしていたんでしょ」
「面倒を看てきたことを評価しろよ」
「二人ともやめないか」
 宜也が取りなす。顔が紅潮したまんまなので、宜也もまた興奮しているよう見え、あ
まり説得力がない。
「親父が亡くなったあとのことを冷静に考えてみろ。会社をまとめるのは誰がやる? 
梶原家の誰かが社長の座に就くべきだとは思わないか」
「そんなこと言っても、私も兄さん達も建築のことなんて全然分からないでしょ。血筋
優先で継がせるのなら、由貴《よしき》の成長を待ってちょうだい」
 自分の子供の名前を挙げた美宜。すぐさま兄二人は苦笑した。
「まだ中学何年生かだろ? 待てんよ。というか会社の連中も黙って見ちゃいないぞ」
「建築に興味はあるようだが、今の時点なら私の方がはるかに上だ」
 宜也が言い切ったのには、一応理由がある。大学卒業後にしばらく父の会社に勤めた
実績があるのだ。だが食に携わる仕事に就きたい気持ちが強く、二年で退社していた。
「今の私なら、食と建築を融合させた空間を生み出せる。会社に新風を吹き込む自信が
ある」
「二年かじった程度で偉そうに」
「それこそ会社の重役連中に鼻で笑われるぜ、兄さん」
 かような具合に、意見をまとめるつもりの話し合いがこじれ、状況は逆にひどくなっ
た感があった。
「このままじゃあ、らちがあかない。こういうのはどうだろう」
 長男が赤い顔を若干、肌色に戻して提案を始めた。
「親父の体調がいいときに、親父の意見を聞くんだ」
「うーん、確かに調子がいいときがあるにはあるんだよな」
「あら。乗り気ってことは、父さんが意識しっかりいしているタイミングなら、自分の
味方をしてくれるという自信があるのかしら?」
「混ぜっ返すなよ。おまえだってあとを継いだことを強みだと思ってるんなら、親父に
アピールすればいいじゃないか」
「……それもそうね。受け継いだ当初、業績をぐっと伸ばしたのは紛れもない事実なん
だから」
 意外とあっさり、提案は通った。

 だが、実行に移されるにはしばらく掛かった。
 梶原三太の調子がよいと医師が認めた日で、かつ三人の子供達及び証人としての顧問
弁護士が時間を取れる日時となると、なかなか揃わなかったためだ。
 結局、子供らと弁護士が集まれる日を何日か候補として先に決め、その前日の梶原三
太の体調を医師が判断してゴーサインを出すか否かという段取りが取られた。
 こうしてようやく始められた梶原三太からの意見拝聴であるが。
 宜也、宜和、美宜の順番にそれぞれの主張を述べ終え、梶原の意見をいよいよ聞こう
という段になって、若干の変調を来したのだ。
 つい先ほどまでぴんしゃんしており、子供達の話にもしっかりうなずき返し、ときに
思い出話にふけるほど目に光を宿していた。なのに、一転して険しい目つきになって理
由も分からず怒りっぽくなったり、聞いたばかりの話を忘れてしまったりと、雲行きが
極めて怪しくなったのだ。
「これは……どうします?」
 弁護士がへし口を作って、三人に問う。
「個人的には、金城《きんじょう》先生を呼んで診断してもらうのが先決じゃないかと
思いますが」
 あいにくとかかりつけの医師は、都合がよくないため、この場に同席していない。呼
ぶにしても相当時間を要すると考えられた。
「まだ完全におかしくなった訳じゃないんだ」
 宜也が言った。
「一応、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか」
「そうだな。こうしてまた集まれるのがいつになるか、それまで親父が保ってくれるか
どうか見通しが立たないんだし」
「あくまで参考程度にとどめるのであれば、私も異存はないわ」
 これまた簡単に意見の一致を見た。とにかくどんな形であれ、父親の考えを一度は聞
いておきたいという三人の気持ちの表れと言えるかもしれない。
「お父さん。あとのことは僕らに任せてくれ。ただ、僕らが勝手に決められないことも
いっぱいある。梶原家の財産をどうするかとか、会社は誰に舵取りさせるかとか」
 代表する格好で宜也が聞いた。言葉遣いは穏やかだが、気が急いているのか早口にな
っていた。
「んあ」
 口を開けた拍子に勝手に出たような音だか声だかで、梶原はまず反応した。
「ま〜いいんじゃないの」
「いいってどういう意味ですか。何がいいのかはっきり仰ってください」
 子供らが台詞が重なるのもかまわずに言い募り、父の病床に詰め寄る。梶原はにかっ
と笑った。
「いい、いい」
「ですから! 誰の話が一番よかったんですか?」
「いや、つまらん」
 ころっと態度が変わる。いや、態度は相変わらずにこにこしているのだが、話す内容
が変わったようだ。
「どいつもこいつも聞くに堪えん、退屈な話を聞かせよってからに」
「く〜っ、だめだこりゃ」
 宜也がさじを投げるようなことを言ったが、宜和はまだ粘った。
「理解しているときもあるみたいだ。――なあ、父さん。資産は僕ら子供達で三等分に
すべきか、それとも差を付けるべきかどっち?」
「そうさな。最終的には平等なのがよかろ」
「最終的にっていうのは、生前分与をきちんと計算に入れろということですね、お父さ
ん?」
 イエスの返答を強要する勢いで、美宜が声を張る。
 しかし梶原は首を横に振った。
「いやー、どうかな。貨幣価値っちゅうもんを考えに入れると難しいのう。時代によっ
て変わってくる」
「そんなことを言っていたらいつまで経ってもまとまらないのよ」
「まとまる?」
 また別の変調を来したか、きょとんとする梶原。黙って見ていられなくなった弁護士
が口を挟んだ。
「そうですよ、梶原三太さん。あなたのお子さん達が争わずに済むよう、資産の分配を
きれいにとりまとめたいのです。ご意見があれば仰ってください」
「必要あるか?」
 ぞくりとする低い声に、子供らは一瞬、気圧された。弁護士が続けて応対する。
「必要ありますよ。このままだと、お子さん達は財産の取り合いを演じることになりそ
うです。取り合いをしていいとお思いですか? 思ってませんよね、梶原さん」
「取り合い……ああ、取り合いね。大いに結構。取り合いしろ」
「ええ?」
 思いも寄らぬ言葉に弁護士を含めた四名は声を上げた。彼らの驚く表情がおかしかっ
たのか、梶原は手を叩くようなそぶりをし、声を立てて笑った。その笑いがぴたっと止
むと、真顔になり、元気な頃の声で言い切った。
「取り合いはしろ。これで決まりじゃ」
 まったく予想外の意見を出され、子供達三人も弁護士も顔を見合わせてしばらく無言
だった。

             *           *

 病床の梶原は、初めて自分の家を建てたときのことを思い出していた。当然、自らが
設計したのだが、妻の意見もなるべく入れようとした。揉めた一つが、ベランダから庭
に出るスロープのデザインだった。ベランダとスロープとを継ぐ“取り合い”の部分
を、妻はグラデーションを利かせて徐々に色が変化するようにと主張したのに対し、梶
原は白一色でメリハリを付けることにこだわった。結局、梶原が折れたのだが、心の奥
底で引っ掛かるものがあったのだろう。
 死を逃れられない病床にあっても、「取り合いは白。これで決まりだ」と声に出した
のはそのせいに違いない。

 三人の子供達は建築用語としての“取り合い”を知らなかったがために、このあと骨
肉の争いに突入する……かもしれない。

 終




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