AWC ●短編



#485/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/11/20  20:26  (279)
零になるレイナ   永山
★内容                                         20/11/21 20:49 修正 第4版
 今日のイースターで春休みも終わりだと、少し沈みがちだったところへ、いいことが
あった。
 うちの正面の大きな空き家に、母娘二人が引っ越してきた。娘の方は僕と同じぐらい
の歳で、同じ小学校に通うのかも。引っ越しの挨拶に来たときに、思い切って聞いてみ
た。すると予想通りで、しかも同じ学年だと分かった。
 何がいいことかって、その女の子、レイナ・ソントンはとてもかわいい子だったん
だ。赤縁の眼鏡とちょっと変わった色艶の栗毛のせいで損をしてるが、美人なのは間違
いない。
 週明けの月曜、学校に行ってみると、一時間目の前に転校生の紹介があって、レイナ
が入って来た。七クラスあるのに一緒になるなんて、ラッキーだ。エイプリルフールな
のに、これは嘘じゃなかったよ。
 さすがに席は離れたが、僕はご近所さんの強みを活かして、男子の中では一番積極的
にレイナに話し掛けた。
「てことは、ジョエル・ホプキンスの向かいに越してきたのか」
 話を聞いていたホス・ハワードが言った。
「あの家結構でかかったけど、二人で暮らすには広すぎないか?」
 ハワードは言動が直感的で、人の気持ちをあまり考えない。今の発言にしてもレイナ
が母子家庭になった事情なんて、全然頭になかったろう。
「ばか。ちょっとは気を遣いなさいな」
 女子の一人、ケイト・モルスが肘鉄で注意を促すと、遅ればせながらハワードも己の
無遠慮さに思い当たり、「あ、ごめん」と口走った。
「ううんいいよ。それに私、寝相が悪いからあれくらい広くないと」
 レイナの返事がジョークだと分かるのにゆうに一秒は掛かったけれども、その後笑い
に包まれて空気は和んだ。

 少し経って、一部の女子が、レイナのことをよく思っていないとの噂を聞いた。放っ
ておけず、レイナのいないところで女子の一人、イーデン・バーグにわけを尋ねた。
「感じ悪いんだもん、あの子」
「そうか? どういう風に」
「声を掛けてもすぐには返事しなかったり、振り向かなかったり」
 それなら僕にも経験があるにはあった。学校ではなく、家の近所でのことだ。遊んで
来た帰りに後ろ姿のレイナを見掛けたから名前を呼んだのに、すぐには振り向いてくれ
なかった。そのとき僕は自転車だったから急いで前に回り込み、やっと気付いてもらえ
た。何かあったのか尋ねると、「ぼーっとしてただけ」という答。
「多分だけど、ソントンさん家は耳が悪い家系なのかも」
 そのときの体験も含めて、僕はイーデンに言った。
「耳が悪いとしたら呼んでも振り向かなかったのは分かるけれど、家系って?」
 イーデンは戸惑ったような反応を見せていた。
「内緒の話だぞ。同じく近所でのことなんだけど、レイナの家に宅配屋が来て、庭にい
たレイナのお母さんを配達員が見掛けた。それで塀越しに『ソントンさん、お荷物で
す』と控え目に呼び掛けるも、全然気付いていない様子だった。そのときやっぱり、後
ろ向きで」
「母娘揃って反応が遅いのなら、家系ってことなのかしら」
 イーデンは一応、納得したようにうなずいた。
「そんな訳だと思うから、女子のみんなにもそれとなく言っといて」
「分かったわ」
「あと、できれば耳のことは、レイナ本人には伝わらないように」
「それくらい言われなくても」
 僕はレイナの悪い噂を拭い去る手伝いができたと思うと、嬉しかった。ただ、その一
方で、イーデンには言わなかったこともある。話がややこしくなるかもと判断したか
ら。
 これまた近所での目撃談になるんだけれども、セールスマンか何かがやって来て、庭
にいるレイナのお母さんに「奥さん、ちょっとお時間よろしいでしょうか」なんて声を
掛けたことがあった。それとなく見ていた僕は、前のことがあるから、その程度の声で
は聞こえてないよおじさん、なんて思っていた。ところが、レイナのお母さんは即座に
振り向いて、応対を始めたのだ。たまたま耳の調子がよくて聞こえたのかなと思った。

 またしばらくすると、レイナの悪い噂は消えた。イーデンの協力が効果を発揮したの
もあろうが、それ以上にレイナにも変化があった。
 背後からでも名前を呼べば振り返るようになったし、ちゃんと返事をするようにもな
った。耳が悪かったんだとすれば、手術をして完治したんだろうなって思えるくらい
に、普通の人と変わりなくなっていた。
 そうして彼女が転校してきてから一年近くが経った頃。日曜日の昼下がりだった。
 僕の一家は前日の土曜の朝から旅行に出掛ける計画を立てていたのだけれども、僕は
その数日前より風邪でも引いてしまったらしく、体調がすぐれない。いつもなら中止す
るところだが、今回は特別で、両親の結婚記念日だった。僕は別に行けなくてもかまわ
ないから、お父さんお母さんには楽しんできて欲しい。
 そんな思いを伝えたけど、うちの両親は「それじゃ行ってくる」と受け入れるタイプ
では全然なかった。体調不良の一人息子を置いて行けますかってことらしい。
 ならばと僕は友達の家に厄介になれないか、男友達に電話を掛けまくった(学校は休
んでいたので、電話かメールしかない。即座の返事が欲しかったから電話にした)。で
もただでさえ難しいお願いである上に、数日後の週末からっていうのはかなり急な頼み
だ。どこからもOKはもらえなかった。
 するとその翌日、レイナがそのお母さんと一緒に訪ねてきた。よろしかったら旅行の
間、お子さん(僕のことだ)の面倒をみますよ。使っていない部屋がたくさんあります
からって。それまでにもうちとソントンさんとはご近所付き合いが結構あって、物の貸
し借りは無論のこと、夏から秋にかけてはバーベキューパーティを開いて、行き来し
た。そのよしみで、申し出てくれたみたい。ちなみに、僕のせいで旅行が中止になりそ
うだって話は、レイナが学校で耳にしたとのこと。
 僕の両親は頭が割と固い方なのか、それとも礼儀なのだろうか、「とんでもない、よ
そ様にそんな迷惑を掛けてまで」と断ろうとした。しかし最終的には折れてくれて、僕
は土日をレイナの家のお世話になることに決まった。正直、嬉しい。
 と、こういう訳で、日曜日の昼間、僕はレイナの家にいた。
 レイナのお母さんは図書館司書で、日曜も近くの公立図書館に勤務しに行くことが多
いそうなんだけど、この日は休みだった。
 昼ご飯のあと、夕食の材料などを買いに行く必要があるからと、ソントンさんは車で
出掛けた。四十分ぐらいで戻るから、その間はレイナと僕とで留守番だ。
「口に合った?」
「うまかった。タコがあんなにうまいなんて、知らなかったな」
「本当はタコ、嫌いなんでしょ」
「うまければ食べる」
「ふふふ。好物をママに伝えておいたから、夜は期待して。お父さんとお母さんが帰っ
てくるのって、九時の予定だよね?」
「うん」
 そう答えたときだった。玄関の呼び鈴が鳴ったのは。
「誰か来た」
 レイナが立ち上がって、部屋のドアを開けた。
「お客さん? 一応、気を付けて」
 僕が体調万全なら一緒に出向くんだけどな。
「分かってるわ。カメラ付きのインターフォンがあるし。待っててね」
 レイナが言って、部屋を出て行った。玄関まではちょっと離れており、しかも廊下を
二度か三度、曲がらねばならない。故に僕のいる部屋からは、仮にドアを開けて頭を出
しても玄関は見えない。もちろん声だって聞こえない。
 代わりに僕は窓際へ寄ってみた。ガラスに顔を押し付けるようにして左を向くと、ぎ
りぎり見えるのが門から玄関へと続く小径の様子。草花のせいで一部遮られてしまう
が、玄関を出入りする人物を目撃できると思った。
 その玄関先の道路には、車が停めてある。青みがかったグレーのステーションワゴン
だ。訪問者は、あれに乗って来たのは間違いない。
 息を飲んで見ていると、三分ぐらい経ったろうか、ソフト帽を被った中年男性が、キ
ャスター付きの大きな鞄を大事そうに押して現れ、玄関から道路へと出て行った。どこ
かで見たことのある顔だと思ったら、だいぶ前に目撃していた。レイナのお母さんに声
を掛けていたセールスマンだ。そのまま車のそばまで来ると、バックドアを開け、旅行
ケース並に大きな鞄を載せた。バックドアを閉めるとしっかりロックして運転席に向か
う。横顔がちらと見えたが、やけに緊張している風だった。
 改めて物を売りにやってきたが肝心の奥さんが留守で、仕方なく引き返した……とい
う情景に感じられた。車は静かに発進し、遠ざかっていった。
 それから二分近くが経過しても、レイナが戻って来ない。
 おかしいな?
 僕は微熱の残る額に手をやってから、頭を振ると、意を決して部屋を出た。
「レイナ?」
 滅多に呼び捨てにはしないのだが、このときはすぐにそう呼んだ。だが、それでもレ
イナは姿を現さない。いやそれどころか、声や物音一つ聞こえやしない。
「レイナ! どこだ!」
 玄関口まで来た。誰もいなかった。玄関ドアはぴたっと閉じてある。念のため、手で
ノブをがたがた言わせると、鍵が掛かっているとしれた。靴だってきちんと揃えてそこ
にある。
「レイナ! レイナ・ソントン! どこにいる? 隠れてるのか?」
 一瞬、あのセールスマン風の男の他にもう一人いて、そいつが強盗として入り込んだ
可能性が思い浮かんだ。そいつから逃げるために、レイナは家の中のどこかに身を隠し
た? だけどそれも変だ。人に押し入られたら、レイナの靴が乱れていると思う。加え
て、その強盗の気配を全く感じないのもおかしな話だ。
 インターフォンの使い方が分かれば、ひょっとしたら訪問者の映像が録画されてい
て、再生できるのかもしれない。だが、残念ながら僕には操作方法が分からなかった。
 これは異常かつ緊急事態ではないか。警察への通報が頭をよぎるが、まだソフト帽の
男が去ってから五分も経っていない。通報はいくら何でも早すぎるか? だけどその一
方で、男が押していた大型鞄がまぶたの裏に焼き付いてる感じで、嫌な想像をしてしま
う。
 そうだ。レイナのお母さんに連絡を取れないだろうか? 僕はレイナのお母さんの携
帯端末番号を知らないし、レイナの携帯端末は見当たらない。だが、この家には固定電
話があったはず。そこの短縮ボタンにレイナのお母さんの番号が登録されていないだろ
うか。
 そんな風に考え、固定電話を探していると、急に呼び鈴が聞こえてドキッとした。
 鼓動の高鳴りがある程度落ち着くのを待ってから、玄関に行く。何故だか、忍び足を
心掛けた。
 さっきのセールスマン風の男が戻ってきた、なんてことはあり得ないと思いつつ、僕
はインターフォンの画像を見た。
「……あれ?」
 副担任のリチャード先生が映っていた。
 この先生はレイナが転校してきた二週間後ぐらいにやって来た人で、そもそも僕らの
小学校には副担任なんていないのが普通だったから、何事だろうとちょっぴり話題にな
った。ふたを開けてみれば答は単純。校長先生の遠い親戚で、仕事にあぶれたため、臨
時教員としての採用とのことだった。教え方は喋りが固いけど、親切丁寧で分かり易
い。
「リチャード先生がどうして」
 ドアを開けると、先生は機敏な動作ですっと近寄ってきて「事情は聞いている。ま
ず、君の体調だが、大丈夫かい?」と尋ねてきた。
「僕のことは大丈夫だから、レイナを。レイナ・ソントンがいなくなっちゃった! 探
して見付けて!」
「分かっているよ」
 そのあとのことは、正直、あんまりよく覚えていない。
 僕は「レイナを、レイナが」と連呼して、叫び疲れて眠ってしまったのだ。風邪がぶ
り返したのもあると思う。
 目覚めて回復した僕に、先生と警察の人がざっと説明してくれた。
 レイナ・ソントンとその母親は、どうしても避けられない急な用事ができたため、こ
の町を離れなければならなくなった。それは真に急なことで、誰にも挨拶する余裕がな
く、また可能な限り人目に付かないようにしなければならなかったという。学校で先生
がみんなの前で改めてした説明でも、都合で急に引っ越さなければならなくなったと言
っていた。
 僕は彼女がいなくなる現場に居合わせたせいか、より詳しい事情は僕が大人になった
ら話そうと、約束してもらった。それまでは詮索するなとも言われた。でも、どうして
も考えてしまう。
 いくら無事だと言われても、あのあと彼女の姿を見ていないのだから、気になって当
然だと思う。しばらくは、テレビのニュース番組やネットのニュースサイトに、“鞄詰
めの子供の遺体発見さる”なんて見出しが躍らないか、注意深く探していたくらいだ。
 旅行から戻った僕の父と母は、警察から説明を受け、ソントンさんを全く悪く言わな
かった。普通に考えたら、病気の子供を預かっておいて勝手な理由で姿をくらますなん
て無責任に過ぎる!くらいは言いそうなものなのに。ということは、僕の両親は、母娘
が姿を消した背景に納得しているに違いない。
 それから何年か経って、僕は、一定レベル以上の暴力的なシーンのある映像作品を観
てもよい年齢に達した。つまり、人殺しや死体なんかの出てくる作品を観られるように
なった僕は、割とはまった捜査物のシリーズがあって、その中のエピソードである制度
のことを初めて知った。
 あ、レイナが消えたのは、こういうことなのかと思った。

 某政府機関の地下にある、完全な個室に通された。
 今日が、かつて僕とレイナが学校で初めて顔合わせした日と同じになったのは、偶然
だろう。
 彼女が消えた詳しい事情を教えてもらえるのは、成人したらすぐだと思っていたが、
実際にはもっと後になった。関係する裁判の判決確定を待たねばならないとか、犯罪者
の仲間を完全に一掃する必要があるとか、色々と難しいらしい。
「先生、お久しぶりです」
 僕は、かつて副担任だった男性に手を差し出し、握手をした。小振りな四角いテーブ
ルを間にして、お互い着席する。
「先生の本名も、きっとリチャードではないんでしょうね?」
「そんなことを言い出すからには、もう察しは付いているという訳か。だが、あくまで
他言無用に願う。君の行状を徹底的に調査した上で、こうして打ち明けることに最終的
なゴーサインが出たのだから。裏切らないでもらいたい」
「分かっていますよ。ただ、一度でいいから、レイナ・ソントンと会いたいな」
「まあ、そう先走ることもなかろう。それよりも君がいつ気付いたのかが気になる。今
後の参考のためにも、聞かせてもらえないか」
 ジャケットのポケットに手を入れ、何やら操作する様子を見せた元リチャード先生。
大方、録音かメモを取るつもりだろう。
「本当の意味で気付いたというか、そうじゃないかなと思ったのは、証人保護プログラ
ムという制度があると知ったときだから、だいぶあとになってからですよ。ただ、思い
返してみれば、それ以前、レイナと話をしているときに違和感あったなって」
「続けて」
「名前を呼んだとき、振り向かなかったり反応が遅かったり。あれ、本名とは違う名前
をもらって暮らしていたからですよね、きっと。慣れない内は、どうしてもタイムラグ
が生じる」
「そうだな。ファーストネームをそのまま使ったり、響きの似た名にしたりと工夫を施
すんだが、限界はある」
「あのソフト帽のセールスマン風の男性は、連絡係か巡回警備係といったところです
か? 彼はレイナのお母さんを名前で呼ばずに、奥さんと呼んだ。慣れない偽名と違
い、『奥さん』なら、結婚経験のある人は大抵は振り返る」
「そのつもりがあったかどうかは、本人に聞かねば分からない。残念ながら彼はもう亡
くなっていてね」
「そうでしたか……。僕が気付いたこと、思い当たったことなんて、この程度のもので
す。要する、全てが終わったあとでないと気付けなかった」
「なるほど。よく分かった。我々のやり方で、基本的には間違いないと思える」
「それで……他に教えてもらえる事柄ってあります? レイナの本名や、どんな事件の
証人になったのか、なんてのは無理なんでしょうね」
「分かっていてくれてありがたい。その辺の情報は明かせない」
「今、レイナやそのお母さんが何と名乗って、どこに暮らしているかもですか」
「……手続き上は全て終了している。偶然再会した折に思い出話に花を咲かせるくらい
なら関与しない。ただ、こちらが手引きして会わせるということはできない」
「制約が多いんですね。予想はしていたけれども」
「前もって断っておくと、レイナ・ソントンなる女性を探して欲しいと探偵に調査依頼
を出しても無駄だ。書類上、死亡扱いになっているのだから」
「それじゃあせめて、彼女を連れ出したときの状況を。セールスマンは当日、レイナの
家に僕がいたことを知らなかったんですか」
「その点は、記録がないな」
「実は、おかしいと思った点がもう一つあるんです。あのセールスマン風の男が、レイ
ナの家を担当する連絡係や監視役だとしたら、僕があの日の前日から来ていることくら
い、掴んでいるはず。なのに、レイナを連れ出すのに随分とせっかちな方法を用いてい
る。何て言うでしたっけ……神隠し? 一歩間違えれば神隠し騒ぎになっていました
よ、あれ」
「そうか。そこまで気が付いていたのかい」
 リチャードの喋りは一段低い音量、しかもかすれた声になった。咳払いを挟んで、喉
の調子を整えると、続けて言った。
「ならば、やはり真実を伝えるべきだな」
 真実? そんな台詞を吐くってことは、今までの話は嘘が混じっているのだろうか?
「セールスマン風の男は、確かに君の見込んだ通り、我々の側の連絡役だった。しか
し、あの問題の日の昼間、ソントン家の玄関前に現れた男は違う。別人だったのだ」
「え? で、でも、顔は同じでした」
「整形だ。元々、ベースの似ていた男にさらに整形手術を施して、そっくりにしたん
だ。それくらい、ウォーラン・シンジケートにとって容易いことだったらしい」
「シンジケートって、あのとき姿を見せたセールスマン風の男は、犯罪組織の人間だっ
たの?」
「そうなのだ。我々は奴らから母娘の存在を完全に隠したつもりでいたが、組織の人数
を甘く見積もってしまっていた。そして、組織とつながりのある者が母娘を目撃すると
いう不幸な偶然が起きた。連中はそれ以降、時間を掛けて連絡係の偽者を仕立て上げ、
決行日に供えた。真向かいの家、つまり君の一家が旅行に出掛けるのを絶好のチャンス
と捉えていたんだ」
「何てこと……」
 うちの両親が旅行を計画したせいで、いや、僕が病気になりながら、二人を行かせよ
うとしたせいで、犯罪組織が行動を起こした? そんな。
「奴らの計画は、娘が一人になるのを待って偽の連絡係が訪問、『君のお母さんが襲わ
れた。ここも危ない、一刻も早い退去の指令が出た』とレイナに伝え、大きな鞄の中に
隠して連れ出すというもの。レイナは連中の嘘に気付かず、大人しく従っただろう。
我々は感知したが一歩遅かった」
「じゃあ、レイナはどうなった?」
「電話があった。母親に裁判で証言させないなら解放すると。だが、その判断を下す前
に、事件は動いた、不慣れな土地に出張ってきた連中は、地元の小悪党と諍いを起こ
し、アジトに放火された。拘束されていたレイナは放置され、そのまま……」
 ――僕は意味不明な叫び声を発して、喚いていた。


 どのくらい喚いて泣き叫んだか分からない。三十分程度?
 ふと気付くと、僕の肩にリチャード先生が手を置いていた。
「ジョエル・ホプキンス。そんなにも彼女のことを思っていたとは知らなかった。もっ
とオブラートに包んで話すか、いっそ話すべきでなかったかもしれない」
「いえ、いいんです。真実を知らないと意味がない」
「そうか。真実は大事だな。――ところでジョエル。今日は何月何日だ?」
「……四月一日……」
 日付の意味することを理解し、僕がリチャード先生の顔を見上げた。
 そのとき、背中を向けた方角にある部屋のドアが、かちゃっと音を立てて開く気配が
した。

 終




#486/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/24  22:58  ( 61)
へんなつくりばなし   永山
★内容
(小説投稿サイト三つに挙げてみるも特に反応が悪い作品です。^^;)


 嫌う理由を教えてくれ、ですって?
 私は好きだよ。
 嘘つけ? そんな、嘘なんかじゃないわ。私は好き。
 え? あなたのことが好きなのかって? 違うわ。何を聞いてたのよ。
 私は好きとしか言ってないでしょ。
 そう、あなたは好きじゃないもの。男のあなたは好きとは違うわ。

 昔は好きだったんじゃないかって? 私は昔から好きだったけど、あなたは昔から好
きじゃなかったわ。
 ええ、そうね。五年前、あなたはお立ち台の横にいる私に声を掛けてくれた。あのと
きから始まったわね。でも私が好きで、あなたは好きではないのは昔から変わらない。
 妙なことを言うな、か……。そうね、この辺りは他に女の人がいないし、妙なことに
なってもちっとも不思議じゃないわ。冬の海なんてそんなものよ。
 ――ちょっと! 波を掛けないでよ! 私がお婆さんみたいになったらどうしてくれ
るの?
 何よ。おまえは婆なんかじゃない、昔は小娘だったのが良い女になった? ああそう
ですか、なぐさめてくれてありがと。でも分かってないわね。娘だったときから私は良
い女だったわ。

 ……また話が戻った。嫌いな理由は、言ってしまえば、あなたが何でもできるから
よ。掃除洗濯料理お裁縫まで。一般的に女の仕事だとされていること、何でもこなせ
る。あなたは男のくせに女を兼ねてる。だから嫌いなの。

 何? 分かってきた気がする、ですって? どうだか。何かやってみせなさいよ。
 ――な、何よ。いきなりプロポーズなんて。私、結婚するのは何だかよく分からない
からかまわないけど、お嫁さんになるのはだめだからね。まだまだ家の外で働きたいん
だから。
 そう言うと思ってた? ふうん。どうやら本当に分かったのかしら。
 テストしてあげる。
 私は今凄く喜んでいるんだけれど、これってどういう状態?
 ――そう、嬉しい。

『“女”を偏にする旁の話』終わり

  タイトルから“の”が脱字していたことをお詫びします。



※※蛇足※※
 女子である“私”は昔から常に「女子」であり「好」きである

 男性である“あなた”は今も昔も「女子」ではないから「好」きじゃない

 お立ち台の横に女の“私”が立つと「始」まる

 女が少ないと「妙」になります

 女である“私”の頭から波を掛けると、「婆」になるかもしれません

 良い女はいつだって「娘」である

 男である“あなた”は一般的に女がやるべきとされてきた仕事を何でもこなし、女を
兼ねるから「嫌」われる

 結婚の「婚」の旁は何だか表現しがたい物なのでよく分からないけれど、「嫁」は家
に女が縛られているみたいで、お断り

 女である“私”が喜ぶと、「嬉」しいのは当然である




#487/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/27  21:07  (110)
ファー!   永山
★内容
 こいつに俺が負けるはずがない。そんな自信ががらがらと音を立てて崩れ去った。
 小学生の頃から見下していた同級生の小城《おぎ》が、業界大手の企業に俺の同期と
して入っていただけでも驚いたが、社長の娘と付き合い始め、社長からの覚えもめでた
いと来ては、開いた口が塞がらなかった。
 最初は平静を装っていたが、小城が同じ部署に転属になり、出世コースに乗っている
のを毎日目の当たりにするようになると、どうにも我慢できなくなった。
 精神衛生上よくないし、我が社のトップにいずれ小城が立つ可能性が高いなんて、不
安でならない。だから、排除することに決めた。
 チャンスは意外に早く巡ってきた。
 社長の信条の一つに、商売にはゴルフの腕もある程度必要だというのがある。小城も
初めてラウンドに連れて行かれ、回った後にだめ出しを食らった。だろうなと内心大い
に頷けた。小城の運動音痴ぶりと来たら男子の中で最下位だった。いや、女子にもほと
んど負けるだろう。五十メートル走は全力だと途中で止まるからと全くスピードが乗ら
ない、遠投はいわゆる女の子投げで、上向きに浮くばかり。反復横跳びはリズムが狂っ
て足がもつれ、跳び箱に激突すること数知れず、もちろん泳げない。ドッジボールだけ
は逃げ回ってよく生き残っていたっけ。
 一方、俺は勉強だけじゃなく、運動もできた。現在も定期的なトレーニングは欠かし
ておらず、飲み食いも摂生に努めている。ゴルフも仲間内では一番うまいと評判を取っ
ている。それが社長の耳に入ったのか、小城を鍛えてゴルフを上達させてやってくれと
の話が回ってきた。無論、喜んで引き受けた。
 と言うのもうちの社は保養施設としてゴルフ場も所有しており、小城を指導するなら
二人で貸し切り状態にできるとのことだった。これは、事故に見せ掛けて小城を始末す
る絶好の機会だ。
 落雷直撃や熊に襲われるといった事故死に見せ掛けることを考えたが、もしも殺人事
件として捜査されれば終わりだろう。雷を食らった人体がどんな変化をすなるのか知ら
ないし、保養地のゴルフ場付近に実際に雷が落ちてくれないことには始まらない。熊に
しても同様で、大掛かりな山狩りを行って、熊の姿はおろか熊が出たという積極的な証
拠すら見付からなければ、熊の出没自体を怪しむであろう。
 他にもあれこれ想定してみたが、カート事故で死んだことにするのがよいと結論づけ
た。ゴルフ場の移動は歩きかカートだが、社長は小城にカートの操縦もうまくなってく
れんとな、なんて言っていた。練習がてら、一人でカートの運転をして事故って命を落
とした、という形にすれば、俺の責任はかなり薄まるだろう。社長の指示なのだから、
誰も悪く言えまい。

 という流れで、ある日曜日の午後に決行したのだが。
 施設の中では最も急な下り坂の手前で、小城の乗ったカートが乗り上げるよう、タイ
ヤの下に両手のひらに収まる程度の丸っこい石を放った。狙い通り、カートはバランス
を大きく崩し、前転に近い横転を起こす。そのまま坂の終わりまで転がり、止まる寸前
ぐらいに小城は放り出された。彼の上にカートが乗っかったように見えたとき、俺はよ
しっとガッツポーズをしていた。
 ところがだ。ぎりぎりで小城はカートの下敷きにはならず、隙間から這い出してき
た。瀕死ではないが、負傷している。こめかみの辺りから赤い筋が垂れているのが見え
たし、転がるゴルフボールの間を腕だけで這うのは足を傷めたからに違いない。
 始めたからには、生き残られては困る。小城はまだ俺の犯行ではなく、単なる不幸な
事故だと思っているかもしれないが、小城の口から状況が語られれば怪我を負わせた責
任がこっちに来るのはほぼ確実。やり直しは利かない。
 俺は焦りを覚えつつ、とどめを刺そうと、坂を滑るように降りて小城に近寄った。
 気付いた相手は、「助けを呼んでくれ。救急車」というような意味のことを口走った
が、かまわずにゴルフクラブのアイアンを振り上げた。頭か腹、どちらかに当たればい
いといういい加減な気持ちだったからか、振り下ろしたクラブの先は小城の肩口をかす
めた程度で、地面を叩いた。
 すると小城はどこにこんな余力が残っていたのかと思えるほど機敏に転がり、足を引
きずりながらも逃げ出した。「ひええ」とか声を上げているが、震えて小さな音量だ。
尤も、この広大なゴルフ場にいるのは今、二人だけなので、どんなに大声で叫んでも助
けが来ることはないだろう。
 いくらか余裕の出て来た私は早歩き程度のスピードで追った。見失いさえしなけれ
ば、確実に追い付けると踏んだ。
 後ろ姿の小城はバンカーや池の間をふらふらと進んでいる。胸を圧迫でもされたか、
両腕を身体の前に持って行って背を丸めがちにする様は、寒くて震えている風にも見え
た。俺は楽に距離を縮め、あと十メートルもなくなったところで、「小城、観念しろ
っ」と恫喝気味に声を掛けた。
 振り返った小城は何かにかかとが引っ掛かって転倒、尻餅をつく。思わず舌なめずり
をしたくなる展開だ。
「あんまり離れられると、事故死に偽装するのが面倒になるだろうが」
 今度は外すまいと、クラブを構える。
 小城はゴルフボールを投げてきた。余裕でかわした。
「何のつもりだよ」
 聞いたが小城は答えない。こっちだって答を期待してはいないが。
 と、また投げてきた。いつの間に拾い集めたのか、カート横転の際にたまたまあちこ
ちのポケットに入り込んだのか、いくつも持っている。
「この、遠くへ行け!」
 へたり込んだままの姿勢で、精一杯投げる。小学生のときに比べたら随分ましで飛距
離もそれなりに出ているようだが、如何せんコントロールがでたらめだ。これだけ近い
のに全く当たらない。避ける必要すらない。だいたい、「遠くへ行け」じゃなくて「あ
っちへ行け」だろう。
 ボールを投げ尽くすのを待って、俺は改めて狙いを定めた。不自然な傷はなるべく付
けたくない。カート事故の弾みでクラブの先端が頭を強打する可能性がどれほどあるか
知らないが、絶対にないことじゃあるまい。でも、殴るのは一度きりに収めねば。
 追い詰められたと覚悟できたのか、小城は後ずさりをやめた。
「二階堂《にかいどう》、おまえ。捕まるぞ」
 負け惜しみにしか聞こえない台詞を吐いた。俺はゴルフクラブを振り下ろした。確実
に。

 小城の死は俺の主張が受け入れられ、思惑通り、事故によるものとして処理される気
配だった。
 だが、三日後に一変する。
 小城はダイイングメッセージを残していた。もちろん俺は遺体を戻して事故に偽装す
る前に、奴が余計なことを書き残して身に着けていないか、念入りにチェックした。結
果、何も出て来なかったから、安心して偽装工作を完成させたのだ。
「例のゴルフ場、水曜日は休みで整備に充てられているとか」
 刑事は俺の目の前で始めた。抑えてはいるが、ニヤニヤが止まらないって感じの表情
をしている。
「ええ。知ってますよ」
「その整備の一環で、池を総ざらいする。池ポチャしたまんまのボールを回収するため
ですな」
 池ポチャ。
 悪い予感が走った。いや、もう分かったと言うべきだったかも。
「で、集めたボールの中にいくつかあったんですよ。『ニカイドウニヤラレタ』と書か
れたり刻まれたりしたボールが」
 俺は小城がゴルフボールを投げてきた情景を思い起こした。あいつは俺に当てて抵抗
するために投げてたんじゃない。
 告発を記したボールをできる限り遠くに放りたかったんだ!
 俺に当てたらかえって気付かれる。「遠くへ行け」で合っていた訳だ。池ポチャこそ
が、小城にとって一番いい結果だった。実際、あいつの投げたゴルフボールは全て、俺
の背後の池に落ちたんじゃないか。
「水に浸かっていたとは言え、いくらか部分指紋が出たので、小城さんの物と照合中で
す。二階堂さん、何か言いたいことは?」
 遅まきながら認めざるを得ない。小城は成長していた。

 終




#488/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/06  20:08  ( 73)
かんせんぼうし   永山
★内容
 FS大学のサークルの一つ、万武闘鑑賞《よろずぶとうかんしょう》研究会――通称
ヨブカン――はクラブへの昇格申請を伺うところまで来ていた。会員が七名以上になれ
ば予算のもらえる部活動として認めてくれるよう、申請する条件を満たす。現在の会員
数は総勢五名。この春の新入生勧誘で二人増員を目指す所存であり、本日の活動は、確
実に新入生を入れるにはどう据えればよいかを考える作戦会議の位置づけであった。
 もちろん、申請したからと言って認可されるとは限らない。有象無象の怪しげなグ
ループが増えてきて、各クラブに割り当てる部室の確保もままならない状況下、審査を
厳しくしようとする動きがある。
 万武闘鑑賞研究会は、どちらかと言えばその怪しげな方に分類されてしまうだろう。
活動コンセプトは“リングなどで行われる、基本的に一対一の、肉体を駆使した武闘
(舞踏を含む)を鑑賞することで満喫し、議論する”というもの。要するに格闘技や武
道の試合を見て楽しもうってだけなのだから、世間一般にはなかなか届きそうにない。
 なので、せめて大学側や学生会によい印象を持たれるよう、色々とルールを定めてき
た。講義中は勉学に集中し成績も少なくとも赤点だけは取らないレベルを維持する。年
に四度はサークルの会報として季刊紙・誌を出す。学生会を通じての活動には積極的に
参加。特にボランティア活動には進んで手を挙げる。政治的な活動とはもちろん無縁
で、サークル室内では政治の話をしないことまで決めてあった。

「まったく、大言壮語しておいてこれはないよな」
「そうそう。何でマスク二枚になるんだよ」
「色々と言い訳してたけれども、要するに、元々金がなかっただけなんじゃね?」
「じゃあ、あの説明は嘘だと?」
 大部屋をパーティションで分けただけの狭いサークル室、そのドア越しに漏れ聞こえ
て来た雑談に、会長の竹内《たけうち》はしかめ面になった。軽く息を吸い込んでか
ら、ドアを開ける。
「おぃーす」
「あ、竹内さん。お疲れです」
「お疲れ。おまえらそういう話は感心しないな」
「そういう話って?」
「今までしてただろ。マスク二枚云々て」
「はあ、していましたけど」
 何がいけないんだと言わんばかりの顔つきになり、互いを見合わせる会員達。
 竹内は空いていたスペースにパイプ椅子を持って行き、開いてどっかと腰掛ける。腕
組みをしてから続けた。
「まさかおまえ達、知らないのか? いや、新二年生はともかく、清水《しみず》は知
っているはずだよな」
「ああ。うちの大学の大先輩だ」
 清水は申し訳なさげに片手を後頭部にやった。
「だったら言うなよ。そしてみんなにも分かるように説明しなきゃ」
「そうだな。ただ、今度の仕打ちがあまりにもしょぼかったからつい」
「どういうことですか、大先輩って?」
 後輩達の声に、竹内は清水にさせるつもりだった説明を、自らがやると決めた。
「プロレス雑誌『Rの闘魂』の名物編集長である本山武尊《もとやまたける》は、FS
大学OBなんだよ」
「へー! 知りませんでした」
 竹内や清水の世代からすれば考えられない反応である。一年違うだけでどうしてこん
なギャップが生まれるのやら。
「それはちょっと申し訳ないことをしたかも」
「うちら総合格闘技の方から入ったので、プロレス関連はあんまり詳しくなくって」
「我がサークルに入っておいてその言い分はないぞ」
 後輩をたしなめると、竹内は本棚の一角に目をやった。『Rの闘魂』最新号が置いて
ある。その中程のページに、本山編集長のお詫びがでかでかと載っていた。

 ふた月ほど前、プロレスの取材でメキシコへと発つことになった本山は、誌面にて
大々的な予告をしていた。現地でプロレス関連グッズを大量に購入してきて、読者に
どーんとプレゼントするというものだ。現地でしか流通していない裏ビデオ的プロレス
映像も入手する算段があると豪語していたため、読者からの期待は高まった。
 ところが取材を終えて帰国した本山は、読者プレゼント用の品々を持ち帰ってはいな
かった。現地のホテルで盗難に遭い、取り戻すために色々手を打っていたが、仕事の都
合でタイムアップ。日本に戻らざるを得なくなったという。
 そんな本山がどうにか持ち帰れたプロレスグッズが、覆面レスラーの試合用マスク二
枚のみだった。とりあえず愛読者プレゼントの第一弾に充てるというが、当初の発表か
ら随分とスケールダウンした企画に不満の声が上がっていた。

(大先輩を敬えないようなメンバーがいると知られたら、心証を悪くする。審査で不利
だ)
 竹内は狭いサークル室を見渡しながら思った。
(肩を寄せ合うような距離で座るのがやっとだ。クラブになれた暁には、格闘技の技を
掛けられる程度のスペースはほしいな)
 そのとき、竹内はくしゃみが出そうな感覚を覚えた。むずむずする鼻を指でつまむ。
しばらくすると、くしゃみは消えていった。

 終




#489/489 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/07  20:07  (153)
取り合い 〜 建築王死して揉め事残す   永山
★内容
 建築王と呼ばれた男・梶原三太《かじわらさんた》が齢八十を迎え、病にむしばまれ
た。
 三男坊とあって若くして家を出た梶原は、大工の見習いからそのキャリアをスタート
させ、途中何度かの幸運に巡り会い、それより若干少ない不運に見舞われながらも財を
築いていった。
 そうして蓄えた資産により、現在考え得る最高の医療を受けるも最早、彼の命は持っ
てあと半年という段階まで来てしまった。
 日に日に衰え、ついには記憶や頭の血の巡りまで悪くなってきた節が見受けられた。
 問題は――残される家族にとっての問題は、梶原三太が遺言を書いていないことであ
った。
 梶原には妻がいたがすでに先立たれており、彼女との間にもうけた三人の子供が、遺
産分与の対象となる。
 長男の宜也《たかや》、次男の宜和《のりかず》、長女の美宜《みのり》は特別に不
仲という訳ではなく、さりとてベタベタとした仲良し関係でもなかった。
「私が一番多くもらう権利があると思うんだけど」
 三人だけで屋敷の一室に集まり、話し合いがもたれた。資産の取り合いになって、醜
く争うことは誰もが避けたかった。口火を切ったのは美宜だった。
「どういう理屈だ、それは」
 長男の宜也が顔をやや紅潮させて聞き返した。
「兄さん達は二人とも、父さんのあとを継ぐ道を蹴って、幾ばくかのお金を出してもら
ってそれぞれ好きなことを始めたでしょ。その点、私は家に残ったわ。家を継いだこと
プラス兄さん達には生前分与が行ってると見なして、ここは私が多めにもらって当然
よ」
「何を言ってる。ようく考えるんだぞ」
 宜和が諭すような調子で言った。
「継いだと言ってもおまえじゃない。おまえの旦那が継いだんだ。それも若死にしてこ
こ十年ほどは、親父がフル稼働してた。あれが身体によくなかったんじゃないか」
「何よ。父さんの病気は私のせいだって言うの?」
「ああ。世界的な不景気という不運があったことは認めるが、一時、会社の業績が滅茶
苦茶落ち込んだのも、おまえの旦那の力不足が原因の一端だろう。その頃から心労が蓄
積していたんじゃないか、親父は」
「馬鹿なこと言わないで。あれはどうしようもなかったと、父さんも理解してくれてい
たわ。揚げ足取りをするのなら、宜和兄さんの芸術活動とやらも浮き沈みが激しくて、
まるで壊れかけのジェットコースターじゃないの。最近また資金繰りが苦しいから、お
父さんの面倒を看て取り入ろうとしていたんでしょ」
「面倒を看てきたことを評価しろよ」
「二人ともやめないか」
 宜也が取りなす。顔が紅潮したまんまなので、宜也もまた興奮しているよう見え、あ
まり説得力がない。
「親父が亡くなったあとのことを冷静に考えてみろ。会社をまとめるのは誰がやる? 
梶原家の誰かが社長の座に就くべきだとは思わないか」
「そんなこと言っても、私も兄さん達も建築のことなんて全然分からないでしょ。血筋
優先で継がせるのなら、由貴《よしき》の成長を待ってちょうだい」
 自分の子供の名前を挙げた美宜。すぐさま兄二人は苦笑した。
「まだ中学何年生かだろ? 待てんよ。というか会社の連中も黙って見ちゃいないぞ」
「建築に興味はあるようだが、今の時点なら私の方がはるかに上だ」
 宜也が言い切ったのには、一応理由がある。大学卒業後にしばらく父の会社に勤めた
実績があるのだ。だが食に携わる仕事に就きたい気持ちが強く、二年で退社していた。
「今の私なら、食と建築を融合させた空間を生み出せる。会社に新風を吹き込む自信が
ある」
「二年かじった程度で偉そうに」
「それこそ会社の重役連中に鼻で笑われるぜ、兄さん」
 かような具合に、意見をまとめるつもりの話し合いがこじれ、状況は逆にひどくなっ
た感があった。
「このままじゃあ、らちがあかない。こういうのはどうだろう」
 長男が赤い顔を若干、肌色に戻して提案を始めた。
「親父の体調がいいときに、親父の意見を聞くんだ」
「うーん、確かに調子がいいときがあるにはあるんだよな」
「あら。乗り気ってことは、父さんが意識しっかりいしているタイミングなら、自分の
味方をしてくれるという自信があるのかしら?」
「混ぜっ返すなよ。おまえだってあとを継いだことを強みだと思ってるんなら、親父に
アピールすればいいじゃないか」
「……それもそうね。受け継いだ当初、業績をぐっと伸ばしたのは紛れもない事実なん
だから」
 意外とあっさり、提案は通った。

 だが、実行に移されるにはしばらく掛かった。
 梶原三太の調子がよいと医師が認めた日で、かつ三人の子供達及び証人としての顧問
弁護士が時間を取れる日時となると、なかなか揃わなかったためだ。
 結局、子供らと弁護士が集まれる日を何日か候補として先に決め、その前日の梶原三
太の体調を医師が判断してゴーサインを出すか否かという段取りが取られた。
 こうしてようやく始められた梶原三太からの意見拝聴であるが。
 宜也、宜和、美宜の順番にそれぞれの主張を述べ終え、梶原の意見をいよいよ聞こう
という段になって、若干の変調を来したのだ。
 つい先ほどまでぴんしゃんしており、子供達の話にもしっかりうなずき返し、ときに
思い出話にふけるほど目に光を宿していた。なのに、一転して険しい目つきになって理
由も分からず怒りっぽくなったり、聞いたばかりの話を忘れてしまったりと、雲行きが
極めて怪しくなったのだ。
「これは……どうします?」
 弁護士がへし口を作って、三人に問う。
「個人的には、金城《きんじょう》先生を呼んで診断してもらうのが先決じゃないかと
思いますが」
 あいにくとかかりつけの医師は、都合がよくないため、この場に同席していない。呼
ぶにしても相当時間を要すると考えられた。
「まだ完全におかしくなった訳じゃないんだ」
 宜也が言った。
「一応、聞くだけ聞いてもいいんじゃないか」
「そうだな。こうしてまた集まれるのがいつになるか、それまで親父が保ってくれるか
どうか見通しが立たないんだし」
「あくまで参考程度にとどめるのであれば、私も異存はないわ」
 これまた簡単に意見の一致を見た。とにかくどんな形であれ、父親の考えを一度は聞
いておきたいという三人の気持ちの表れと言えるかもしれない。
「お父さん。あとのことは僕らに任せてくれ。ただ、僕らが勝手に決められないことも
いっぱいある。梶原家の財産をどうするかとか、会社は誰に舵取りさせるかとか」
 代表する格好で宜也が聞いた。言葉遣いは穏やかだが、気が急いているのか早口にな
っていた。
「んあ」
 口を開けた拍子に勝手に出たような音だか声だかで、梶原はまず反応した。
「ま〜いいんじゃないの」
「いいってどういう意味ですか。何がいいのかはっきり仰ってください」
 子供らが台詞が重なるのもかまわずに言い募り、父の病床に詰め寄る。梶原はにかっ
と笑った。
「いい、いい」
「ですから! 誰の話が一番よかったんですか?」
「いや、つまらん」
 ころっと態度が変わる。いや、態度は相変わらずにこにこしているのだが、話す内容
が変わったようだ。
「どいつもこいつも聞くに堪えん、退屈な話を聞かせよってからに」
「く〜っ、だめだこりゃ」
 宜也がさじを投げるようなことを言ったが、宜和はまだ粘った。
「理解しているときもあるみたいだ。――なあ、父さん。資産は僕ら子供達で三等分に
すべきか、それとも差を付けるべきかどっち?」
「そうさな。最終的には平等なのがよかろ」
「最終的にっていうのは、生前分与をきちんと計算に入れろということですね、お父さ
ん?」
 イエスの返答を強要する勢いで、美宜が声を張る。
 しかし梶原は首を横に振った。
「いやー、どうかな。貨幣価値っちゅうもんを考えに入れると難しいのう。時代によっ
て変わってくる」
「そんなことを言っていたらいつまで経ってもまとまらないのよ」
「まとまる?」
 また別の変調を来したか、きょとんとする梶原。黙って見ていられなくなった弁護士
が口を挟んだ。
「そうですよ、梶原三太さん。あなたのお子さん達が争わずに済むよう、資産の分配を
きれいにとりまとめたいのです。ご意見があれば仰ってください」
「必要あるか?」
 ぞくりとする低い声に、子供らは一瞬、気圧された。弁護士が続けて応対する。
「必要ありますよ。このままだと、お子さん達は財産の取り合いを演じることになりそ
うです。取り合いをしていいとお思いですか? 思ってませんよね、梶原さん」
「取り合い……ああ、取り合いね。大いに結構。取り合いしろ」
「ええ?」
 思いも寄らぬ言葉に弁護士を含めた四名は声を上げた。彼らの驚く表情がおかしかっ
たのか、梶原は手を叩くようなそぶりをし、声を立てて笑った。その笑いがぴたっと止
むと、真顔になり、元気な頃の声で言い切った。
「取り合いはしろ。これで決まりじゃ」
 まったく予想外の意見を出され、子供達三人も弁護士も顔を見合わせてしばらく無言
だった。

             *           *

 病床の梶原は、初めて自分の家を建てたときのことを思い出していた。当然、自らが
設計したのだが、妻の意見もなるべく入れようとした。揉めた一つが、ベランダから庭
に出るスロープのデザインだった。ベランダとスロープとを継ぐ“取り合い”の部分
を、妻はグラデーションを利かせて徐々に色が変化するようにと主張したのに対し、梶
原は白一色でメリハリを付けることにこだわった。結局、梶原が折れたのだが、心の奥
底で引っ掛かるものがあったのだろう。
 死を逃れられない病床にあっても、「取り合いは白。これで決まりだ」と声に出した
のはそのせいに違いない。

 三人の子供達は建築用語としての“取り合い”を知らなかったがために、このあと骨
肉の争いに突入する……かもしれない。

 終




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