AWC ●短編



#459/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/20  02:11  (138)
SS>ダイイングメッセージ   永山
★内容
 まさかこんな奴がいるとは思わなかった。
 いや、厳密に言うと“こんな奴”はもういない。片桐佐太郎は僕が殺したから。

 日曜日の夜十時。学園祭を乗り切った大学構内は静けさが行き渡っていた。雨のせい
もあるのか、少なくとも各部の部室があるクラブ棟に人の気配は感じられない。僕だけ
が生きて、活動している。
 片桐は死に際に、自身の血で文字を書いた。ダイイングメッセージというあれだ。 
正確を期すと、片桐が書くところを見てはいない。僕が部室内に残しておいてはまずい
痕跡(凶器とか不自然な指紋とか)のチェックを済ませ、ふと見るといつの間にか書い
てあったのだ。もっと前に死んだと思っていたから、片桐がまだ動けたことにもびっく
りしたが、それと同じくらい、ダイイングメッセージにも驚いた。瀕死の状態なのに助
けを求めることなく、犯人の手掛かりを残そうとする人間が、推理小説の中だけでなく
実世界にもいるとは、本当に意外だ。おかげでしばらくの間、呆然としてしまった。
 思い返してみると、片桐佐太郎は変わったところのある奴だった。頭はいいのだが、
意味のない悪戯をよく仕掛ける。悪戯好きの人間ならどこにでもいるだろう、でも片桐
のそれは、多少危険なのだ。持ち主に知られない内にライターの火を目一杯大きくした
り、ブーブークッションと画鋲を併用したり、試験のとき友達の筆記用具を電気の流れ
るペンにすり替えたり、走ってる自転車のタイヤ目掛けてスケートボードを滑らせた
り、自動車通学している友達に、アルコールをちょっぴり混ぜたジュースを渡したりと
枚挙にいとまがない。今日も、カッターナイフの刃を細かく割り折って、何やら嬉々と
して準備をしていた。
 それでもこいつに友人・知り合いが大勢いるのは、普段は愛想がよく、どことなく憎
めないキャラだし、金離れがいいこともあるし、勉強の面では頼りになるというのもあ
った。
 が、そういう友人をこの度殺したのは、度の過ぎた悪戯が理由だった。振り返るのも
嫌な気分になるので詳細は省くが、要するにコンドームに穴を開けておくという、昔か
らある下品な悪戯だった。
 おかげで僕は将来設計の変更を余儀なくされそうになったが、何とか踏みとどまれ
た。だが、もうこのままにしてはおけない。片桐がそばにいれば、いずれ僕に災いをも
たらすに違いない。もっと酷い形で。片桐を僕から遠ざけるだけでよしとしなかったの
は、今までの小さな怒りや恨みの積み重ね故かもしれないし、思い知らせなければ気が
済まないと感じたせいかもしれない。
 話を戻す。
 ダイイングメッセージを残すその行為に驚かされたが、それ以上に僕を混乱させたの
は、ダイイングメッセージの内容である。「あおきたくや」と読めたのだ。
 僕の名前は古尾翔と書いて、「ふるおしょう」と読む。あおきたくやでは断じてな
い。
 無論、ダイイングメッセージの理屈は知っている。被害者が犯人の名前をそのまん
ま、ストレートに書いても、まだ現場にいる犯人によって消される恐れがあるから、死
にかけの脳みそをフル活用して、変わったメッセージを捻り出す。犯人にはそれが犯人
を指し示すとは分からないが、見る者が見れば分かるというやつ。
 まあこれは推理小説でのお約束で、リアルに考えるならば、ダイイングメッセージの
意味が分からない・自分(犯人)を指し示しているようには見えないからと言って、そ
のままにして現場を立ち去る犯人はいまい。メッセージを読めなくなるよう、破壊する
のが取るべき道だ。
 だが、現在僕に示されたダイイングメッセージ、あおきたくやは、壊すのにはためら
いを覚える。何故なら、僕と片桐共通の知り合いに、青木拓也という男がいるからだ。
同じ高校から進学した三人組の一人で、現在、部活は違うが、学部学科は同じであり、
当然、選択している授業もよく被っている。
 理由は不明だが片桐が青木を犯人だと思って死んだのなら、これを利用した方がいい
のでは? そんな誘惑に駆られる。血文字の“筆跡”で個人識別が定可能とは考えにく
いが、少なくとも偽装工作ではなく、正真正銘、本人が書いた字なのだから、警察もダ
イイングメッセージを書いたのは被害者に間違いないと考えるのではないか。
 だが……殺人犯が、名前を書かれるという明々白々なダイイングメッセージを見逃す
とは、まずあり得ない。そんなあり得ない状況を不自然に思い、警察はやはりこの血文
字は怪しいと判断するのが当然ではなかろうか。
 それならば、真犯人である僕がこのダイイングメッセージを活かすには、消そうとし
た痕跡を残すのが一番か。しかし、全部消してしまっては元も子もない。床に絨毯でも
敷いてあれば話は別だが、部室はセメント剥き出しの床である。何と書いてあったか、
ぼんやりとでも想像できる程度に、雑に掠れさせるのがいい。
 そこまで考えを進めると、実行した方がいいと思うようになっていた。短いとは言え
思考に時間を掛けたのだから、実行しなくては勿体ないという気分か。僕は死体の観察
をやめて腰を上げると、室内をざっと見た。テーブルなどを拭くための乾いた布が目に
とまる。これを使って、血文字を掠れさせよう。
 布を手に取り、再び死体に近付いてしゃがんだところで、妙な物があるのに気が付い
た。長さ五センチ足らずの鉛筆が、片桐の右手の先にあった。さっきまでは手のひらに
隠れていたのだろうか。握りしめていた鉛筆が、絶命により手の力が抜け、転がり出た
――ありそうなことだ。
 僕は気にせずにダイイングメッセージの細工を始めようとした。しかし、寸前で手が
止まる。最大の疑問が浮かんだ。
 片桐の奴、鉛筆を手にしていながら、ダイイングメッセージを血文字で書いたのは何
故だ?
 ダイイングメッセージは血文字が定番であるという思い込みか? だが、赤い血で書
いたら目立って、犯人に気付かれやすいことぐらい、すぐに分かるだろう。ここの床な
らば、鉛筆で書いた方が気付かれにくい。圧倒的な差がある。
 考える内に、もしかしてと閃いた。片桐の右手の近くにあるダイイングメッセージに
顔を近付け、目を凝らす。程なくして、そいつを見付けた。
 血文字の中に溶け込むように、鉛筆による文字が確認できたのだ。つたない平仮名
で、「ふるおしょう」と記してあった。
 こいつ……。本来のメッセージを気付かれにくくするために、わざと血文字で上書き
をしたのか! 思わず、死体の後頭部をはたきたくなった。もちろん自重したが、心理
的なむかつきから色々と毒づいてしまった。
 およそ三十秒後、口をつぐんだ僕は、自分の名前を消すことに取り掛かった。さっき
手にした布で、まず血を拭う。意外にも血の部分は結構きれいに取れた。固まり始めて
いたおかげかもしれない。だが、染みは残っている。さらに鉛筆文字は消えていない。
全く薄くなってもいない。
 唾でも付けて擦れば落ちるかもしれないが、殺人現場にDNAを残してどうする。そ
もそも、死体の血で汚れた箇所を、何度か唾を付けて擦るなんて気持ちが悪い。
 僕はまた立ち上がると、テーブルの上に視線を走らせた。目的は筆入れ。片桐が出し
っぱなしにしていた物。その中を探ると、消しゴムが出て来た。だいぶ使っており、丸
くて飴玉サイズになっていたが、鉛筆の字を消す役には立つ。とは言え、部室にはこれ
以外に消しゴムはない可能性が高く、無駄にできない。自ずと慎重になった。
 僕は消しゴムを親指と人差し指とでしっかりと捉え、構えた。そして片桐の残した本
当のダイイングメッセージを消そうと、力を込めた。
「!」
 次の瞬間、指先に違和感が走り、続いて痛みを感じた。無意識に消しゴムを放り出
し、親指と人差し指の指紋側を見る。
 すっぱりと切れ、赤い血がじわじわ出始めていた。
 床に落とした消しゴムを見付けるまで、片桐の悪戯だとは分からなかった。あいつは
消しゴムの中に、折ったカッターナイフの刃を仕込んでいた。
 殺人現場の床に、新鮮な僕の血が数滴したたり落ちていた。これを完全に消し去るの
は難しい、いや、不可能か? しかも、片桐の血と混じった分もあるだろう。警察の捜
査で検出されたら、言い逃れがきかない。複数の人の血が混じった場合、識別できるの
か否か知らないが、できるとみておかねばなるまい。
「くそっ」
 思わず、叫んだ。片桐の策略にはめられた気がして、怒りとそれ以上の焦りが生じて
いる。叫んだことで、多少はガス抜きの効果があった。
 計画は大幅に狂ったが、まだ諦めるには早い。充分にリカバリー可能。時間が乏しい
中、ぱっと思い浮かんだ策は二つ。一つ目は、片桐の死体を運び出し、別の場所を殺人
現場のように見せ掛ける。二つ目は、この現場そのものの証拠を消し去る、換言すれば
火を放つ。準備なしにすぐ実行できる意味で、現実的なのは後者だ。最低限、床が燃え
てくれればいい。それには燃焼剤の類が欲しい。部室にはファンヒータータイプの石油
ストーブがある。今年はまだ使っていないが、そのタンクには灯油が残っている。灯油
を床一面に流した上で、燃えやすい紙や乾いた木、プラスチック類なんかをうまく配置
すれば、床の字は読めなくなるのではないか。焼け跡から検出するのも困難になるに違
いない。
 いやいや、確か灯油に直に火を着けても燃え上がりはしないんだっけ。だから、先に
紙などに染み込ませて、それから着火する必要がある。少し手間が掛かるが、面倒臭が
ってなんていられない。
 僕は部室にある古新聞やちり紙をかき集め、準備を急いだ。

             *           *

 ボヤと呼ぶにはよく燃えたクラブ棟の一室で、見付かった遺体が殺されたものである
ことはすぐに明らかになった。
 それから程なくして、最有力容疑者――恐らく犯人――の名前も浮かび上がった。
「何が見付かったって?」
「あ、こっちこっち。これです」
「被害者の手を示して、どうした? 何か書き残してくれてたってか」
「いやいや、周辺はご覧の通り、すすだらけでよく見えないし、かなりの部分が焦げち
まってる。期待できないな。だが、ここをこうすると」
 鑑識課員は、片桐佐太郎の固く握りしめられていた拳を開き、刑事に見せた。
「……『ふるおしょう』と書いてあるみたいだな。これ、何かの刃物で傷つけたのか
?」
「今の時点では何も言えないが、必死に彫ったのは確かだろうよ」
 片桐の左手のひらは古尾翔の名前をしっかと守っていた。

――終わり




#460/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/24  21:26  (158)
SS>アリバイ   永山
★内容                                         18/11/27 02:18 修正 第3版
 くそ、困ったわ。
 誰にも疑われないなんて、まさかの想像の埒外。私の立場で刑事が聞き込みに来ない
って、あり得なくない?
 このままじゃ、折角のアリバイ作りが無駄になる。あー勿体なかったで済めばいいん
だけど、何かのきっかけでアリバイ工作をしたとばれたら、一気に怪しまれるじゃない
の。自然な流れで疑われた上で、アリバイを言ってやってこそ、効果があるっていうの
に。
 尤も、そう簡単にばれやしないとは思うけれど。不安があるとしたら、証人の記憶が
薄れることぐらいかな。でも、心配していない。あいつらの記憶力は異常。特に、矢代
実和の記憶力と記録魔ぶりは。私に関することなら事細かに記憶し、記録を付けてい
る。イベントで、嬉々としてメモ帳を見せられたときは正直、引いたけど、お金がない
分をカバーするための涙ぐましい努力と受け止めておいた。矢代はまだ未成年の学生ら
しく、時間だけはあるのか、イベントがいくつも重なったある日の私の居場所をまるで
GPSみたいに記録していた。あの追跡能力は利用できると思った。だから、次に来た
ときはいつもよりほんの少し長く握手してやった。
 たったそれだけのことで、親しくなれたと思って、こちらのイリーガルなお願い(命
令)に従ってくれるおバカなファンなら、そのままそいつに殺させるところだけど、さ
すがにそこまで盲目な奴はいまい。おバカだと口を割る恐れがあるし、そもそも矢代は
見た目も言動も賢そうだし。
 だから私は他の共犯を選んだ。美梅おねえちゃんだ。本当に血のつがった姉妹ではな
く、親戚関係だけど、姿形は周りの誰もが驚くほどそっくりで、年齢も半年違いの同学
年。私にとって美梅おねえちゃんは姉も同然、美梅おねえちゃんにとって私は妹同然。
そして美梅おねえちゃんは、私に夢を託している。おねえちゃんが諦めさせられた、ア
イドルになるという夢を。
 私が今やっているのは、一時期、雨後の筍よりもにょきにょきとあちこちで芽吹いた
地下アイドル、ローカルアイドルの類だけれども、ここからのステップアップを目指し
ているのは断るまでもない。三人組のグループでやっていて、“実は三人の仲が悪い”
設定が意外と受けているみたい。大物漫才コンビとかによくある不仲を真似ただけなん
だけど。実際問題、三人とも単独で売れることを目標にしており、メンバーの誰かが単
独で大手から声が掛かったとしても、三人一緒にという殊勝な態度は取らないというの
が約束としてできあがっている。もしも大手から三人まとめてと言われたら、そのとき
考えるってことになってたけれど、実は今、私は打診を受けている。唾を付けておこう
レベルだけど。五本の指に入る大手ってではないにしても、メジャーなのは間違いない
とこ。
 そんな大事なときに、過去の亡霊が現れた。まだアイドルを目指すと決めていなかっ
た小学生の頃、クラスで一番格好よく見えた男子、姉崎統一と半分お遊びでキスを何度
かした。何回目のときか知らないけれど、姉崎はキスしているところを私に黙って撮影
していた。以来、写真をどう使ってきたかは知らないけれども、大事に保管していたの
は確実。今になって、私を脅す材料にしてきたのだから。
 姉崎が格好良かったのは小学校までで、中学に入ってからは文字通り、伸び悩んだ。
小学校ではずっと高身長のポジションだったのが、十三歳を境に背が一向に伸びなくっ
て、周りの男子に追い抜かれた。それで萎縮したのかしら、性格が卑屈になって、子分
体質が染みついた。男子は高校以降でも背が伸びるのが普通だろうから、そんな気にす
る必要なかったのに。
 姉崎に優しい言葉をかけていたら、今こんなことで悩まされなくて済んだかもね。け
れども中学生の私は気が回らない上に、アイドルを目指すのに夢中になってた。結果論
だけど、手を差し伸べなくて正解だったと思う。現在の姉崎は頭の方もちょっと足りな
い単細胞になったみたいで、私が下手に出たら、大事な写真を簡単に手渡してくれた。
他にコピーを作ってもいない。
 その後、私が連れなくしたせいで姉崎は怒りを募らせ、証拠がなくても子供の頃のこ
とをぶちまけるとか、イベントに乱入して邪魔してやるとか言い出した。そんな真似さ
れたら、たとえ私に非がなく、身体的にも無傷で終わったとしても、受けるダメージは
大きい。メジャーデビューの道が閉ざされる恐れもある。お金なんかで大人しく口をつ
ぐんでくれそうにもないので、始末するしかないと決めた訳。
 計画は至ってシンプルに。なるべくしっかりしたアリバイを作る、これだけ。具体的
には、決行当日、矢代に私を尾行させる。先立つこと十日ほど前に、矢代の前でメモ書
きをわざと落とす。そこには、決行当日の私のスケジュールが記してある。スケジュー
ルと言ってもオフ日で、要するに一人で遊びに行く予定みたいなもの。矢代からすれ
ば、憧れのアイドルのプライベートを覗けるのだから、ついてこないはずがない。
 当日、私は軽い変装をして遊びに出掛ける。矢代が尾行してくれないことに話になら
ないので、確認するためになるべくゆっくり行動した。さらに、矢代には私が間違いな
く私であることを一度は見せておく必要があると思ったので、電車の中ではすぐ隣に立
てるように誘導した。興奮して痴漢行為でもされては面倒だったけれども、さすがにそ
れはなかったわ。
 とにかく思い描いていて順通りに下準備を重ねた上で、予め決めておいたデパートの
トイレに向かう。そこで待機していた美梅おねえちゃんと入れ替わるのだ。私とおねえ
ちゃんは容姿や背格好はそっくりなので、ファッションを同じにすれば判別不可能。女
性用トイレのスペースに矢代は入れないから、入れ替わりは楽勝でできる。
 矢代が美梅おねえちゃんを尾行し始めたら、もうこっちのもの。自由時間を確保した
私は、姉崎を始末しに行く。首尾よく、目的を達成し、再び女子トイレ――今度はアミ
ューズメント施設の――で、おねえちゃんと入れ替わる。
 実際にやってみたら、時間のタイミングが意外と合わせにくかった。入れ替わるまで
手間取って、姉崎との待ち合わせ時間に遅れそうになったり、逆に二度目の入れ替わり
にはトイレに早く来すぎてしまったりしたけれども、何とか乗り切れた。
 最も困難だと思っていた姉崎を殺す方は、あまりにうまく行って、拍子抜けしたほど
だったわ。おかげで、トイレ到着が早すぎた訳だけど。
 美梅おねえちゃんには、殺人のことは全く話していない。入れ替わりをする理由とし
て、「私の行動を全て把握したつもりでいい気になってるファンがいるから、ちょっと
鼻を明かしてやりたいの。私とおねえちゃんが途中で入れ替わって、気付かなかった
ら、あとで入れ替わりの証拠を突きつけて、おあいにく様でしたって。ある意味、ファ
ン冥利に尽きるでしょうし、悪いことじゃないと思うんだ」ってな具合に持ち掛ける
と、承知してくれたの。
 ――こんな風にして、うまくやり遂げたつもりでいた。いや、実際にうまく行ってい
る。誰も私を疑っていない。事件が発覚し、被害者と私とのつながりが明らかになった
時点で、美梅おねえちゃんは私を疑いの目で見ると覚悟していたので、そのためのいい
訳に頭を悩ませていたのだけれども、説明する必要に迫られていないのは助かる。た
だ、こうまで何の音沙汰もないのは、かえって不気味。
 だって、警察が姉崎と私とのつながりを見逃すはずがない。この目で見た訳じゃない
けど、姉崎は私の電話番号を知っているのは間違いないし、録音している可能性もあっ
たから会話には凄く気を遣った。写真だって、小学生時代の分はうまく取り上げたけれ
ども、こうして今また会ったときにこっそり撮られていたかもしれない。もっと言え
ば、日記のような形で、あいつが私について何か書いていれば、警察が私に注意を向け
るのは絶対確実だと思える。なのに、何もなし。
 姉崎は、私に関する記録を一切残していなかったのか? だったらラッキーなんだけ
ど、そう思い込むほど私は子供じゃあない。
 きっと、ちゃんとしたわけがあって、調べに来ないんだ。それがいいことなのか悪い
ことなのか、判断はつかない。とにかく、審判の下る期日を決められないまま待たされ
ている感じが、途轍もなく嫌な心地。
 こんな心理状態だと、大手の事務所の偉いさんが見に来る日も集中できなくて、つま
らないミスをしてしまうかも……。

             *           *

「僕がやりました」
 矢代実和は同じ主張を繰り返した。
 やってもいない殺人の罪を被ることが、今後の人生にどんな悪影響を及ぼすか、想像
できない彼ではなかったが、そのマイナスを補ってあまりある、大いなる喜びに満たさ
れることを彼は選んだのだ。後戻りはもうできない。
 あの日――矢代が追っかけをしているアイドル・竹地小百合のプライベートを知るべ
く、尾行をした日を思い起こす。矢代は途中で異変に気付いた。
 発信器の信号と、目の前を行く竹地小百合との動きがずれてきた。
 あの日は千載一遇の好機だった。だから、奮発して高性能の小型発信器を電気街で前
もって購入しておいた。ただ、最初から彼女に発信器を取り付けられるなんて、気安く
見通していた訳ではない。チャンスがあったらぐらいの気持ちだった。なので、ほんと
にチャンスが訪れたときは、少々焦って興奮してしまった。電車の中で竹地小百合と異
常なほど近距離まで接近できたからだ。荒くなった鼻息で気付かれるのではないか、周
囲から痴漢に見られるのではないかと心配になったが、杞憂に終わり、発信器を無事に
彼女の服の背中に取り付けることに成功した。
 それ以降の追跡は、発信器の所在を示すモバイルの画面を時折チェックしつつ、竹地
小百合の後ろ姿を見失わぬよう、付かず離れず動いていたのだが。
 着替えてもいないのに、発信器の動きがずれを生じたのは何が原因か? トイレで発
信器に気付いた彼女が取り外し、水で流してしまったか、他人にこっそり付けたかと思
った。しかし、眼前の少し先を行く竹地小百合を見つめる内に、はっとなった。
 あの女、竹地小百合じゃない。
 理論立てての説明は無理だが、矢代には分かった。竹地小百合に似せた女だと。この
現実を前にして、下した結論は一つ。トイレで入れ替わったのだ。発信器が竹地小百合
に付いたままなのだから、偶然同じ服を着ていたのではなく、計画的に準備して同じ服
にしていたことになる。そんなことをする理由も気になったが、それよりも何よりも、
自分は竹地小百合を尾行せねばならない。他の女を追い掛けても何の意味もなく、人生
の無駄である。
 矢代は発信器の信号を頼りに、本物の竹地小百合を捜し求め、見付けた。息も切れ切
れになっていたが、努力して平静を装い、彼女の尾行を続けられたのは我ながら誇らし
い。だが、彼のそうした幸福感は、約一時間後にひびを入れられる。
 崇拝の対象とも言うべき竹地小百合が、男を殺した。
 矢代はショックを受けた。アイドルの殺人行為そのものも多少はショックだった、そ
れ以上に彼女が、誰も関心すら示さないであろう寂れた公園で若い男と二人きりで会
い、しかも殺し殺されるというような関係にあったことの方が、より大きかった。
 そして矢代は初めの衝撃から脱すると、今さらながら竹地小百合の狙いに思いが至っ
た。僕はアリバイトリックに利用されたのだ――ああ、なんて僥倖だろう。光栄の極
み、これを甘んじて受けなくて、何がファンだろうか。
 しかし、矢代はそれだけでは飽き足りなかった。もっともっと、彼女のためになりた
い、身を投げ出してでも犠牲になってでも、竹地小百合を守ろうと強く思った。
 だから矢代はまず、竹地小百合が去ったあとの殺人現場に止まり、植え込みの一部を
なす大きめの石を持ち上げると、横たわる男の頭に打ち付けた。男がその時点で死んで
いたのか、まだ息があったのかは知らない。とどめを刺すというよりは、竹地小百合が
残した刺し傷とは全く異なる損傷を男の身体に付けるためだった。こうしておけば、万
が一にも彼女が警察に捕まり、厳しい尋問に耐えかねて自白したとしても、現場と状況
が違うのだから、捜査員達も犯人だと断定するのを躊躇うに違いない。
 その上で、矢代は決意をしたのだった。男を殺した犯人として名乗り出ることを。動
機は、僕の好きなアイドルの悪口を男が言うのを耳にしたから、とでもしておけばい
い。今時の若者の無茶苦茶な犯行動機と捉えてくれるんじゃないか。
 未成年だから、自分の情報が簡単に公になることもなかろう。その点、気が楽だが、
少し残念でもあった。顔写真も名前も表に出ないのなら、竹地小百合に自分の英雄的行
いを知ってもらえないではないか。
 まあいい。彼女のために自首すると決意した瞬間は、人生の中で最大級に至福の時だ
った。それを思い出に、生きていける。

――終




#461/474 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/02/18  22:07  ( 37)
日常SS・SF>隣の芝は青い $フィン
★内容
「隣の芝は青い」

 若い男の人と恋に落ち、結婚して、男の赤ちゃんが生まれました。

 手狭になったアパートから引っ越して、一家三人が住める犬が飼えるだけの小さな庭
に青い芝生が敷きつめる程度の一軒家を買いました。当然年相当の係長の夫の給料で一
気に返済するのは無理でした。夫と話し合い30年ローンの手続きをして少しずつ返済す
る方法を取りました。
夫の収入はそこそこあったものの毎月住宅ローンの返済で家計は苦しく、新聞のスー
パーの広告を見ながら特売品に赤いマジックで丸く印をつけ、玉子1パック98円の日は
必ず行って長い行列の中の一人となり、苦しいながらも家計をやりくりしていました。

夫の間に生まれた男の子は少しやんちゃだけど聞き分けの良い子供に育ちました。平凡
だけど夫と男の子の三人の暮らしぶりは幸せそのもので、もし幸せのパンフレットがあ
れば一番最初に載ってもおかしくないものでした。

 ある朝のことです。どこにでもある市販の食パンをトースターで焼き、インスタント
コーヒーを作り、夫はそれらを食べ終わった後、新聞を読みながらたばこに火をつけま
した。家の中でもしないでと言ってきつく夫を睨みつけました。すると新聞はめらめら
と燃え上がりました。夫は燃え上がる新聞から手を放し、誰も見ていないからそれぐら
いいいじゃないかと謝りました。

 手に少しやけどをして夫が逃げるようにあたふたと会社に出かけました。

しばらくして男の子が目を覚まし、目やにを手でこすりながら夫婦喧嘩またやったのと
聞きました。

 ううんちょっとねと言って食器を洗いながら軽く笑いました。

 男の子が小学校に出かける前に誰かと喧嘩しても燃やしたら駄目よと少し注意しまし
た。

 うんわかっていると男の子はうなづいて黒いランドセルを背負っていつものように小
学校に行きました。

 男の子を小学校に送りだした後、青い空の下白い洗濯物を干しながら今日も平凡でい
い日になりそうだと思いました。




#462/474 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/24  21:17  (160)
SF>二つの世界
★内容
 ここはこの世の楽園の世界、暖かい太陽の日差し、緑は繁り、小鳥は歌い、人々は笑
顔を浮かべて暮らしている。
 突然、ある物体が何もない場所に出現した。中からは頭全体をおおったマスク、全身
にも防護服をまとった奇妙な二つの人型のものがある物体から出てきた。
「ここが、私たちを救う世界なのか」頭全体におおったマスクに内蔵された通信機から
男の声で相手に声をかけた。
「本当よ。私の計算は完璧にあっているはずよ。そのために私たちは選ばれて生まれた
ときから特殊教育を受けて、この機械に乗り込めるように訓練されたのだから。それに
しても放射能で汚染された私たちの世界とはえらい違いだわ。それにここでは汚染値の
数値が0になっているの。見てあの緑を、博物館で永遠に冷凍保管されて、よほどの許可
申請をしないと見れないはずの植物が本来の姿を取り戻しているわ。ところで息はでき
るのかしら」男の声に反応して、頭全体におおったマスクに内臓された通信機から女の
声で答えが返ってきた。
「おまえたちが来るのを長い間わしは待っていた」二つの人型の前に一人の老人が、こ
こにある物体が現れるのを知っていたかのように立っていた。
 二つの人型のものは突然現れた老人に狼狽したような様子を見せた。
 「怖がらなくてよい。おまえたちがここに来るのは以前から予言されておった。そん
な邪魔なものは取り去ったほうがいいぞ。ここは健康にはまったく害のない安全な世界
だ」
 二つの人型のものはお互い内臓された通信機で盛んに話しあい、やがて恐る恐る頭全
体をおおったマスクと、全身に防護服をまとったものを脱ぎ捨てた。
 中からはあらゆる装飾品を排除されて非常にシンプルな人工的なものを着た二人の男
女が現れた。
 身体を守るすべてのものを取り去った二人は生まれて始めて自然の息吹に感動した。
日頃している性行為など問題にならないものだった。今まで感じたことのない充実感を
得た。はじめて嗅いだ自然本来の甘い空気に酔いしれた。激しい快感に酔いしれ、心は
激しく乱れたままこのままじゃ狂うのじゃないかと思いにとらわれた。しかし表面上は
二人は長い間立ったままだった。長い間老人は文句を言わず待っていた。
 だけど二人は特殊教育を受けた効果の一つ感情の乱れも落ち着かす方法も学んでい
た。その能力を使ってなんとか感情の乱れも治まった。二人は落ち着いて改めて老人を
見た。老人は威厳を持って立っていた。だけども老人は二人の様子を見て、微笑みを浮
かべていた。
「あなたは誰ですか」男は目の前の老人に不安そうに聞いた。
「わしはこの世界の代理人じゃ。ここの世界は始めてだろう。案内人がいなければおま
えたち二人が困るだろう。私が案内人になってやろう」代理人の老人は威厳を持たせつ
つ二人に不安を持たせないように優しく笑って答えていた。
 その後二人はそこで働いている人々に出会った。人々は汗を流し、汗は太陽の光を浴
びてきらきら光っていた。人々は代理人の老人とこの世界の人とはまったく違う衣装を
まとった二人の姿に関係なく、みんな同じような反応をした。人々は忙しそうに枯れた
茶色の植物らしい何かを刃物らしいもので根元から切っていた手を休め、かがめていた
姿勢から立ち上がった。そして以前から決められていたようにみんな笑顔で出迎えた。
 人々はみんな競いあうように自分たちの家に招き入れようとした。老人は一組の夫婦
を指差した。一組の夫婦は神から選ばれた者のようにあふれんばかりの笑顔を作った。
夫婦は、自分たちの家に丁重に二人をもてなした。
 代理人の老人と夫婦が家屋の奥に引っ込んでから二人はお互いにこの世界の感想を言
い合った。
 「ここはいいところだわ。放射能に包まれた地獄のような世界とは大違いだし、それ
に人々の態度も素朴で優しそうだわ。ここにずっと住みたい気持ちになってきたわ」
 「おいおい忘れてもらっては困る。私たちがここに来た本来の目的は死にかけている
地球のために、この世界をたずね、地球を救う方法を教わるためにきたのだぞ」
「しかしこの世界があってよかったわ。私たちの世界がこのまま続くと草木も生えない
放射能で汚染された地獄のような死んだ星になっているかと思ったの」
「この世界があるということは私たちの世界も助かるということだな」
 奥から代理人の老人と夫婦が出てきた。二人は会話をやめた。
 夫婦はなにやら得体の知れないものを二人の前にいくつか運び込んで出してきた。
 最初に何かを加工されたらしい白い無数の汚らしいつぶつぶが白い容器に入って出て
きた。それには熱でも加えられたのか少しそれから白い煙が出ていた。それが何かわか
らなかった。次に加工された薄茶色のどろどろになった汚らしい液体が茶色い容器に入
って出てきた。それにも熱が加えられたのか少し煙が出ていた。それも何かわからなか
った。最後になんとか植物とわかるが、深い緑色の汚らしいものが白い容器に入って出
てきた。それには熱が加えられていないらしく白い煙はまったく出ていなかった。それ
が何もわからなかった。黒い液体に透明の容器に入った汚らしいものが出てきた。その
液体の出入り口は非常に小さいもので白い煙がでいているのかさえわからなかった。そ
れも何かわからなかった。そして最後に更にわからないものが出てきた。なんと小さな
白い容器に何も入っていないものまで出てきた。二人の世界では何かを入れるのに容器
は必要だから、何も入れていない容器を出すには無駄としか思えない非常識そのものだ
った。出てきたものすべてが二人にはそれがなにかまったくわからなった。
 しばらくの間二人はそれらを前にして黙って眺めていた。
 「大丈夫だ。そのまま食べても何も起こらん」二人の様子を見ていた代理人の老人は
笑顔で戸惑う二人に保障した。
 「これは食べられるものなのですか」二人はびっくりし、汚物を見るようにそれらを
見た。
 二人は今まで人工的に作られたタブレットしか栄養を取ったことがなかったので、こ
の世界でこれが食べ物とは思いもつかなかった。それにこれらをどんな食べ方をしたら
いいのかすらわからなかった。
 二人は目の前に博物館でしか見たことのない貴重品の木材らしいものを見た。それも
細くて長い二本の木材が置かれていた。どうやらこれを使って食べるのだろうと二人は
思った。
 だが二人は二本の木材を見たものの手にとったもののどう扱えばいいかまったくわか
らなかった。
 それを見た代理人の老人は夫婦に二人に食べる方法を教えろと威厳を持って命令し
た。
 夫婦は労を惜しまず一生懸命二人に二本の木材で食物を食べる方法を教えた。
 二人は夫婦に教えられたとおりに貴重品を壊さないように注意深く手に握った。二人
はぎこちない持ち方で二本の木材を手で目の前の食べ物を長い間掴もうと苦労したあげ
く、ようやく白いつぶつぶの一つ取り出すことに成功した。
 男は二つの木材を使って取り出すことに成功した食べ物と言われる物を、目的の物を
受け取るとるために糞便を食べるつもりで我慢して精一杯の勇気をふりしぼって口に入
れた。
 そのとたん、今まで食べたことのない自然のありのままの食べ物の味に全身が金縛り
になるほど驚いた。
 その後二人は二本の木材を使い苦労しながらも自然のありのままの食物を長い時間を
かけて全身が幸福に酔いしれ感動して食べ続けた。最後には二人は何も入っていない小
さな白い容器のわけを理解した。なんと黒い液体が入った透明の容器から白い容器に注
ぎ込み、それを深い緑色の植物らしいものにつけるのだ。何も入っていない小さな容器
も非常識だったが、その容器から食べる深い緑色の植物の食べ方も、二つの食べ物を組
み合わせるなど贅沢極まりない。二人の世界には非常識そのものだった。
 夫婦は神託を待つ信者のように長い時間何もせず二人を見つ続けた。
 「どれもこれも私の世界では非常識な食べ物ばかりだ。こんな食べ物は今まで食べた
経験がない。それこそ神しか食べられないほど素晴らしいものばかりだった」この世界
でいう食べ物を食べ終えた男は感情を抑えきれず大きな声で叫んだ。
 夫婦はその言葉を聞いて栄光に包まれたかのように笑みを浮かべて喜んだ。
 二人は代理人の老人に連れられて夫婦の家を後にした。二人は立ち去る前に今まで食
べたことのない素晴らしい食べ物を与えてくれた夫婦に非常に丁寧にお礼を言った。夫
婦は戸惑ったような笑顔で二人の言葉を受け入れた。代理人の老人と二人の姿が見えな
くなるまで夫婦は玄関の前で動くこともせず立ちすんで見ていた。
 代理人と二人は長い道を歩き始めた。代理人の老人と二人の姿を見ると人々は枯れた
ような茶色い植物の刃物らしいもので根元を切る作業をやめて、かがみ込んだ体勢から
立ち上がり、人々は笑顔を向けた。そして代理人の老人と二人の姿が見えなくまで人々
は動くこともせず立ちすんで見ていた。
 やがて、灰色の四角い巨大な建物が二人の前に見えてきた。
 二人は代理人の老人の後について歩いてきていた。それは長い回廊で奇妙に入り乱
れ、さながら永遠に続く迷宮のように二人は思えた。この目の前の代理人の老人が案内
がなければ死ぬまでこの迷宮から出られないような気がした。だけど、代理人の老人は
生まれたときなら訓練されたかのように迷うことなく迷宮の道を抜けていく。
 やがて、一つの部屋に代理人の老人と二人は辿りついた。
 そこの部屋の中央に黄金に輝く巨大なコンピューターが置かれていた。
 「これは、おまえたちにもわかるだろう。コンピューターというものじゃ。おまえた
ちをここに呼び寄せたのもコンピュータの力だ」代理人の老人は言った。
 「わしらの今はおまえたち二人にかかっておる。この設計図通りに作れば、放射能の
除去方法や、滅びかけている植物や動物の再生の仕方も、おまえたちの世界で作られた
このコンピュータがすべて教えてくれるじゃろう」代理人の老人は言った。
 そして帰りも代理人の老人の案内でこの灰色の四角い巨大な建物から出た。そしてま
た代理人の老人の案内で二人は元の道を同じ経路で帰って行った。男はある物質に乗り
込む直前、老人から一本の容器を渡された。二人はそれより遙か昔のことは知らなかっ
たが、21世紀の人がもしいれば蚊取りスプレーと間違えたに違いない。 
 二人は設計図と動植物の種や細胞を持って、自分たちが乗ってきたある物体の中に入
っていった。男は老人から渡された容器から上のぼたんを押すと一斉に空気が圧縮され
て、容器の成分がすべて出た。その後女は計器を見て、放射能の汚染値の数値が0と言っ
た。そうして二人は自分たちの住む世界に帰って行った。
 ある物体がこの世界から消えたのを見届けた後、代理人の老人はすべての役目が終わ
ったように長いため息をついた。
 
 「どうしてあの世界では代理人をのぞいて子供と老人の姿を見かねなかったのでしょ
う?」時間旅行中、ある物体の中で行きかけと違って帰りは身軽になった女が、手を盛
んに動かして機械を操作中に、不思議そうに聞いた。
 「なあにそりゃあれだけ、幸せな世界だ。きっと子供や老人は更に快適な場所で暮ら
しているのだろう」男も女と同じように手を盛んに機械を操作しながら答えた。
 その後二人は互い無邪気に笑いあった。
 
 しばらくして老人は黄金に輝く巨大なコンピュータの前に立っていた。二人の男女に
みせた威厳の仮面をはぎとり、無力そのものの老人の姿になっていた。そしてうやうや
しく足を折り敬虔な信者のように祈るようにひざまついた。
「先ほどは貴方様のことをコンピュータと蔑んだ言葉を使い、私は永遠の罪人になる覚
悟はできております」老人はすべての罪を償う罪人のようにコンピューターの前で謝罪
した。
「気にすることはない。私のしもべよ。あれは一種の俗語にすぎん……それより過去の
世界では老人が尊敬されていたらしい。そこでそなたの存在が必要だった。あの二人が
帰った後はそなたの務めはもはやすんだ。これからそなたは安らかな長い眠りに落ち、
また私のしもべとなり復活の時を待て」
 「ああ、偉大なる神よ。罪深い私のすべてを許してくれるのですね」老人は大粒の涙
を大量に流して、神からすべての罪が許されたことを知った。
 老人はこの世界の決まりどおり、迷宮の回廊を抜けて、ある部屋に入り自ら進んでガ
ラスの容器に入っていった。
「ああ、ようやくわたしも・・・」老人は恍惚におびた表情でそうつぶやくと全身にま
ぶしい光におおわれ身体中の細胞が分解されていった。かつて老人だったものはすべて
あるチューブの中に流れ込まれていった。そのチューブの先には巨大な培養液があり、
培養液の中から無数のチューブがはりめぐされて、その先には無数のガラスの容器があ
り、その中で羊水に似た液体の中で無数の子供たちが神に包まれたような安らかで幸福
に満ちた顔で大人になって目覚めるまで眠り続けていた。




#463/474 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/27  14:28  (232)
仮面をかぶった少年 $フィン
★内容
 色の白い端整な顔だちの少年と大振りの少しにきびのできた少年がふざけあって部屋
の中で遊んでいた。部屋の中に置かれていたクローゼットの隙間から新しい学生服が見
える。どうやら二人の少年の身体たちと新しい学生服から高校に入ったばかりのよう
だ。二人とも長い間部屋の中で笑い、馬鹿話をしてはしゃぎまわる。ためぐちを叩きあ
い、仲のいいところを見ると二人の少年たちは親友らしい。大振りの少年はベットの下
に隠していた裸体の女の写真集をもう一人の少年にどうだ凄いだろといって自慢げに見
せる。二人の少年はそれをじっと見ていいなと言って笑う。


 時間が過ぎてすぎ、色の白い少年は部屋に置かれていた目覚まし時計を見て家に帰ら
なきゃと言う。おい待てよと大振りの少年は言う。大降りの少年は、あそこじゃ美味し
い飯を食えなかっただろと言う。自分の母親が少年たち二人のために腕によりをかけて
美味しいものを作ったのだ。食べていけよと言う。色の白い寂しい顔をして首を振って
少年は断り、大振りの少年は勧める。なんどか同じやりとりが続き、やがて色の白い少
年が部屋を出るためにドアのノブに手をかける。


 そのとき、大振りの少年が怒ったようにある一つ単語を言った。ある単語を聞いて、
色の白い少年は能面のように凍りついた。そして色の白い少年は振り向き、大振りの少
年の方に顔を向ける。大振りの少年は、色の白い少年の顔を見た。色の白い少年はさっ
きまであった笑顔や寂しい仮面のような顔はすべて消え去り、なんとも言えないような
悲痛に満ちた仮面のような顔になっていた。君は酷いこというね。ぼくはこの言葉が一
番傷つくよと言った。確かに君の言うとおりなのかもしれないね。でも、心はまだ人間
なのだよ。


 君の知っているとおりぼくは事故にあった。学校の部活で帰るのが遅くなり辺りは暗
くなっていた。帰るのが遅くなってかあさんが心配しているからと思って急いで横断歩
道のない道を通ったよ。あれがぼくの最大の過ちだったと思っている。悔やんでも悔や
みきれない。あれさえなければこんなことにはならなかったはずだからね。ぼくはそれ
からの記憶はまったくなくなっている。


 どうやらぼくは車に轢かれたらしい。ぼくを轢いた車の持ち主は急いで救急車を呼ん
だのだけど、しばらくして救急車が到着したらしい。ぼくは全身血まみれでずたずただ
ったらしい。救急隊員はぼくを担架で運びながら可哀そうにもうこの少年はもう助から
ないなと思ったらしい。ぼくはその時本当にに死にかけていた。それでも少しの望みが
あればぼくを生き返らそうと、ぼくの心臓に何度も電気ショックを与えた結果、なんと
か心臓は動きだした。一緒にかすかだけど息もしたらしい。だけども油断はならない出
血はまずまず激しくなる。ぼくは救急車の中でいつ心臓がとまっても同じくない状態だ
った。緊急隊員は善意のある人で慌てた。まだ若い将来性のある少年を助けようと思っ
たのだろうね。いろんな病院に掛けても次から次に病院に断られた。最後の病院である
特殊な施設に行けば、もしかしたら助かるかも知れないと言われたらしい。そこで緊急
隊員は指定された場所に行き、ぼくは救急車から降ろされた。ぼくはヘリコプターの中
に入れられて、息もたえだえのぼくをなんとか死なさないために一気に冷却保存され
て、運ばれた上にぼくは特殊な施設に入れられたらしい。


 特殊な施設の研究員がぼくの家に来て、家族にぼくが助けられるすべが見つかるかも
しれないといろいろ説明されて、いきなり何枚かの用紙が渡させたらしい。ぼくの家族
は内容もほとんど確認せず、ぼくを助けたい一心ですべてのものにレを入れ、印鑑を押
して、用紙を研究員に渡したらしい。

 家族は小さな字で書かれた条件までもよく見ておくべきだった。ぼくが自ら死を選ん
だら、ぼくを助けた費用が全額家族に払わせる仕組みになっていた。研究員は悪魔同様
の巧妙な手口で家族を騙し、ぼくが死なせないように追い込んだ。これでとりあえず悪
魔のような研究員とぼくの家族との間は契約成立した。


 その後、特殊な施設の中で冷却保存されて死体同然になったぼくを、悪魔が喜ぶよう
な人体実験は始められた。ぼくは研究員があらゆる装置を使ってくまなく冷淡に判断し
て条件にあうものか徹底的に調べ上げたらしい。

 ぼくは、最初にある中に入れる条件にあうか身長や体重や体型を調査させられた。そ
れはすぐ適応することができた。その後も徐々に深く調査させられた。身体の表面から
見える身体の損傷具合など調査させられた。それに髪の色とか太さまでも調査させられ
た。目の網膜の色や大きさなども調査させられた。

 

 それらの条件に完全にあったぼくなのさ。条件にあわなかったぼくの他のたくさんの
見殺しにされた少年たちの遺族は可哀想だな。自分たちの息子の顔に白い布をかぶせら
れて見せられた後、研究員から最善の対策をうちましたが、駄目でしたまことにすみま
せんでしたと言われたら悲しみの涙を大量に流すだろうね。それでもぼくにはちょっと
うらやましいかな。ぼくは変に悩まず死んだほうがましだったし、少年たちの遺族には
ぼくには持っていないものがあるからね。

 

 すべての条件にあったぼくは研究員から特殊な処置をさせられた。ぼくの身体から脳
だけが取り出され、ある中に入れられた。

 その後ぼくは起きたとき覚えているのは灰色の部屋にぽつんとともった蛍光灯だけだ
った。鏡も洗面台もなかったね。その時にはぼくには必要のないものだったのだろう
ね。ぼくは鉄のベットに布団も何もかけてられていない状態だった。そしてなにげなく
自分の手を見たよ。ぼくの手は信じられないような異様なものに変貌していた。ぼくは
おののき狼狽したよ。しばらくして身体中を観察したよ。手だけではなく全身が異様な
ものに変貌していたのだよ。そのときのぼくの恐怖が君にはわかるのかな?おそらくわ
からないだろうね。

 しばらくして、研究員は入ってきて、恐怖で戸惑うぼくに笑顔で実験は成功としたよ
と神の祝福のような言葉を投げかけてくれた。


 その後ぼくは生かされるために研究員の指導の元毎日規則正しい栄養を摂取させられ
た。その後ぼくは、研究員はぼくの恐怖に満ちた心の状態を知らないまま、冷静にぼく
の脳の状態と身体が不適合を起こさないかをいろいろ調査して、今後の参考のために念
入りにデーター入力をして、その後の経過を観察され続けた。

 幾日がたちぼくは表面だけは人間らしい姿になった。何せ脳は計画的にできてすぐに
取り出せたもの、脳がなくなりぼくの死んだ身体から表面の皮を剥ぎとり、有機物の人
間の皮と無機物のものと接続可能なのかいろいろな特殊加工をするのにも時間がかかる
からね。

 その後、ぼくはみんなの前に晒されて、人類の希望とたたえられ発表された。世界中
の人は感動してぼくを見てくれた。ぼくは研究員から指示されたように最大の笑顔の仮
面をかぶり、手を盛んに振ったよ。でもぼくは笑顔とは反対にいつも心は泣いていた。

 そして君の知っている結果がこれなのさ。

 

 でもね。世間では公にされていないことがあるのだよ。

 ぼくの身体にはいろいろな秘密がある。それからぼくの顔すべすべして綺麗だろう。
それにうぶ毛もちゃんとついている。これも偶然に顔に一つも損傷部分がなかったから
なんだよ。もし一番目立つ顔に損傷部分があれば、ぼくの身体から取った細胞の培養に
時間がかかりすぎるし、同じ条件下で同じ皮膚の状態が作れることは滅多にないからな
んだよ。もし君が望むのなら服を脱いで裸になってあげようか。そしたら身体についた
損傷箇所が色や感触が微妙に違っているはずだからわかると思うよ。


 基本的には脳は人間のものだし、人間だった頃の皮は一応特殊加工されたもののまだ
人間らしいものを残している。それ以外はすべて人工のものなんだ。髪や眼球や歯や爪
の先まですべて完璧に人間に似せた人工の物なんだよ。

 ぼくは視覚、聴覚はかなり感度が高い。視覚は昼も夜も見えることはできるし、細胞
の一つ一つのものまで見えることもできるし、遠くは人間では見えない月のクレータま
で見分けることができる。研究者たち最高の傑作品を作るために全人類の技術を使いす
ぎて、やりすぎたのだろうね。でもぼくは人間の脳だから休めなきゃならないし、夜は
見えるが眠ることがなんどか努力してできるよ。

 それも聴覚も異常だな。ぼくのこの話を聞いている研究員関係の人は今のところ10k
m市内いないから大丈夫だ。

 だけど反対に嗅覚や味覚や触覚はまったく消去されている。そういうものは必要ない
と判断したらしい。

 脳だけは人間だから栄養を摂取しなければいけないから、人とは違って特殊な流動食
とペースト状の間の状態のものを食べないといけないし、まったく味を感じないし、食
べている気がまったく起こらないし、生きるために仕方がないから食べている。契約書
にしばられたぼくは家族のために死ねないから生き続けないといけない。 それにどこ
からでも栄養を摂取できるはずだけど脳に一番近い開閉口がたまたま口だからそこから
脳に与える栄養を効率よく短いチューブを通して送り込めるように設計したらしい。ぼ
くは人間が食べるようなものができないから、ぼくが食事を断ったわけがわかっただろ
う。

 ぼくが家で女の裸の写真を見て脳が興奮して、ある部分をこすっても何も感じない
し、ただ物理的に伸びるだけさ。微妙な人間らしい膨張などもいっさいないし、それに
胸や腹とかも同じことを規則的に膨らんだり凹んだりしているだけなのさ。でも外見は
普通の少年の日常の一定の生活のものだからさほど異常な事をしない限り、わからない
と思うよ。


 だけど表面から見える部分はすべて人間らしいものになっている。顔の表情も旨くで
きているだろう。頭の神経組織とある物と連動されて特殊加工された皮膚が微妙な表情
を作らせることができるらしい。ぼくは喜怒哀楽すべてが人間らしい表情ができる。だ
けど一点だけ欠点がある。一番人間らしい感情ができないのさ。こんな顔をしているの
に疑問に思ったことがあるだろう。

 ぼくが身体から脳が取り出されるときに一緒に脳の内部もほんの少しだけ変貌させら
れた。いや感情とかはごく普通のものだよ。

 その結果をぼくは試された。知能をあげる箇所を研究されて変貌させられたらしい。
知能テストでぼくの年代の少年の平均よりも化け物じみた高い数値を出したらしい。予
想以上の結果に研究員は満足したらしいな。今のぼくの頭の中は超天才だよ。 だから
いろいろなことが読めるのだよ。ぼくが事故を起こしてから目覚めるまで一切の記憶も
ないのに、論理的に分析にして今までのことを言ったのだよ。

 大丈夫、ぼくはこの後も普通の少年の仮面をかぶる。一応学校に復学したら一生懸命
勉強しているふりをする。そしてテストも最初はまごついて少しは高い数値を出すかも
しれないが、そのうち慣れてテスト配分の点数を読んで試行錯誤で何枚も仮面を剥ぎ変
えて最後は普通の少年の仮面をかぶれるようになれると思う。


 それからぼくは少しの先の未来が読める。ぼくはそのうち人類の種が衰えて、やがて
培養液のタンクから配給されて、ガラスの容器の中で羊水みたいな液体に包まれた胎児
がやがて大きくなり人間の赤ん坊の姿となったときガラスの容器から自動的に排出され
てくる日もあるだろう。物心がついた子供たちは自分が人間の腹の中で育てられた子か
ガラスの容器の中で人工的に作られた子か悩むだろう。

 さらにぼくみたいに事故にあったものは脳を取りだされて移植されるのは日常的にな
ってくるだろう。いや、自分からこの機能的な身体を望んで自らなろうとするものも現
れるだろう。やがて脳もすべて人工のものになる日もくるだろう。すべてのものは改良
に改良を加えて、視覚、聴覚、臭覚、味覚はもちろん触覚までも人間になる。例えば手
を切れば血が出て、普通に痛みを感じるようになる。


 子供の頃から自分が誰かと疑って大人になっても自分が誰かと疑って、疑い続ける存
在になる。やがてすべてのものが自分を何者かと疑問に思う日常に苦しみ続ける日も遠
からずくるだろう。

 最終的には一つのことに問題を集約させることになる。すべての意識を持ったものは
たった一つのことに悩みこむことになる。それは自分が何であるか。どういう道に進め
ばいいか。つまり、アイデンティティの問題さ。そしてぼくはその解決法も知ってい
る。現在自分は考えている。つまり意識を持っている存在であると開き直ればすむこと
さ。

 

 ぼくは以前は小さな存在だった。だけど今はあらゆる技術を応用してぼくの身体は複
雑なものに作りかえられた。君が言うようにぼくは人類の最新の技術で作られた最高傑
作品のロボットの最上部に脳だけを組み込まれて大きすぎる存在に成り果てた。 こん
なぼくを怖いと思うかい? いいよそう思われてもぼくにはまだ理解することができ
る。少し変貌させられたけど基本的には脳は人間のもの、皮は特殊加工させられた元は
ぼくの物だった。それ以外の身体は全部異様なものに変貌されている。どれもこれも中
途半端な能力があるけど、基本的には人間の脳だけは持ってから人間らしい感情はまだ
残っている。

 だけどぼくは中途半端な存在であるが故に、自分の眠り続けていた過去のことだけじ
ゃなく、遠い昔の人間の過去の深刻な悩みもわかるし、遠い未来の人間の深刻な悩み
も、その解決法もごくに簡単にわかってしまう。君から見れば人間の理解を超えた神か
悪魔のような両面をそなえた仮面を持っているわけのわからない存在になってしまった
からね。


 ぼくを恐れて君が離れていっても決して文句は言わない。でもね。ぼくは君と親友で
あり続けたいのだよ。ぼくはすべての仮面を剥ぎ取って君だけに心の叫びを言ったつも
りなのだけどね。とにかく君がどう答えるかぼくは返事を待ち続けることにするよ。


 じゃあね。ぼくは帰るよ。

 色の白い端整な顔たちをした少年はそう言うと帰って行った。少年は泣き出しそうな
表情を話し続けていても、人工の眼球からは一滴の涙を流せなかった。

 

 しかし人間の理解を存在になっても少年は知らないことが一つだけ残されていた。そ
れは少年はまだ仮面をかぶったままだったのだ。

 仮面をかぶっているものは決して涙を流すことができない。




#464/474 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/30  21:53  (149)
チート転生>1000年同じ姿でいる黒髪と黒瞳の美青年の話
★内容                                         19/04/02 12:30 修正 第3版
俺は新幹線のトイレから出て手を洗っていると、今の俺の顔に似た黒髪、黒瞳の美しい
顔の少年が見つめていた。
 「おとうさん」少年は俺に向けて言った。こいつは俺の息子だ。こんな風にさせて可
哀想なことしたなと俺は思った。
 
 俺は本当は別次元の頭脳明晰、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に更にオプ
ションがついてエルフ族最大呪術力まで持っているいわゆるなんでもできる万能のエリ
フ族、最大の王族の王子様だったんだ。
 
 俺は20歳になったばかりの年に、無邪気に遊びに行きたくて、呪術をつかって、別の
次元に行ってしまった。
 そこについたら、俺は驚いたよ。俺のまわりには汚らしいものがいっぱいあったのだ
な。見るものすべてが汚らしい。それに汚らしいものたちは俺を化け物を見るような目
で見やがる。俺は顔面蒼白、パニック状態だぜ。頭の中真っ白でいろんなところを逃げ
回ったよ。すべてが汚らしい。汚らしい。汚らしい。どこ行っても汚らしいものばかり
なのだな。それでなんとか考えて呪法を使って元の次元に戻ろうとしたらできない。何
度やってもできない。どうも俺の持っている呪力のほとんどを使って、ここに来てしま
ったらしい。
 それで俺はなんとか妥協策を考えた。少しの間だけこいつらの中に溶け込もうって、
それで少しでもましな奴を探そうとした。この次元では、箱の中で写真が動いていた。
後できくとテレビというものらしい。その中では黒髪、黒瞳の20歳前後の汚らしい男が
写っていた。あんまり趣味じゃないが、なんとか我慢して、俺自身をそいつとうり二つ
の顔に変貌させようとした。それぐらいの呪力は残っていたらしい。一発で変貌でき
た。それが今の俺の顔だ。今で言うと俺は美青年と言うものらしい。
 
 その後、腹が減ったので、汚らしいものの中に入った。後で教えてもらったが屋台と
いうものだったのだな。宝石とか金目のものは一切持っていなかったが、なんとか持っ
ている紙幣を数枚見せて、そいつらの餌を買おうとした。ところが、屋台の爺ぃは俺の
持っているものを見ながら馬鹿にした顔でおにいちゃん玩具のお札を出したら駄目だよ
ってにっと笑いやがる。そうだ俺の元の次元とここの次元は紙幣がまったく違ってやが
ったんだ。俺はエルフ族、最大の王族の王子様から一文無しのおにいちゃんに超格下げ
になっちまったのだよ。
 
 呪力を使って、何かそいつらの餌を出そうとしても出てこない。どうやら別次元の移
動と顔の変貌ですべての呪力を使い切ってしまったらしい。それから丸一週間、そこら
の水だけ飲んで、何も食べるものがなかった。俺はふらふらでどこをどう歩いたかまっ
たく覚えていない。さ迷える生きたゾンビ状態だった。倒れてのたれ死んでもおかしく
なかった。俺は気が遠くなり眠りについた。
 
 俺は次に気がつくと汚らしい布の中で寝ていた。汚らしい若い女が俺の顔をじっと見
ていた。あ、俺を見て、気がついたのねと笑いやがった。それで俺は起き上がって女が
得体の知れない汚らしいものが2種類出してきたので、こいつらの餌だと思って、味もわ
からずがつがつ夢中になって食った。それでも腹はすいている。女はそれを見てもう一
杯出した。それもがつがつ夢中で食った。何度も食った。後で女が言うところによれ
ば、俺は白ご飯を五杯、味噌汁を五杯食っては飲んでまた寝たらしい。その後、一週間
同じような状態が続いたらしい。俺はそこまで体力&呪力が落ちてのだろうね。
 
 その後、なんとか体力は復活したが、まだ呪力は復活できてなかった。それで俺は頼
るところがないと言うと、汚らしい女は考えた風に少し首をかしげて、私のところにし
ばらく泊まりなさいと言いやがった。他に考えがなかったので、妥協することにした。
そのうち、汚らしい女は女のもっとも汚らしいものの中に俺のもっとも大事なものをは
めやがったのだよ。俺は聖なる液体を女の汚らしい場所に放出するしかなかった。つま
り女は俺の童貞を奪ったということだ。その女が後で言うには俺のことを童貞とは思わ
なかったらしい。俺は物凄いテクニックの持ち主で翻弄されて狂いかかったと笑ってい
たよ。その時俺は女の奴隷となって飼われることがきまった。つまり俺は女のヒモにな
ってしまったということだ。毎夜女の求めに応じて、俺は聖なる液体を女の中に放出す
るしかなかった。
 
 後で女が言うところによれば、俺が生き倒れているのを見たとき、神様が赤い糸で結
んでいるような運命的な出会いを感じたらしい。それでほっとけなくて俺を自分の家に
連れて行ったらしい。女は可哀想に両親ともなくして一人暮らしだったから、誰か話し
相手が欲しかったのもあったらしい。やがて女は俺の妻になった。
 
 その後女は腹が少しふくらみをおびてきた。つまり俺の聖なる液と女の中のものとが
あわさって、胎児ができたらしい。人間の女ってそんなに子供ができやすい身体になっ
ているのか。エルフ族の俺には理解できないことだし、それを聞いて慌てた。女の腹か
らどんな赤子が出てくるかわからない。俺は医者に無理言って妻の出産に立ち合わせて
もらうことにした。俺の読みは当たっていた。そこで女から出たものはエルフ族の特徴
をほとんどそなえていた。俺は誰にもばれないよう急いで変貌の呪力をかけた。その頃
はなんとか変貌の呪力ぐらいは使えるようになっていたからな。それでなんとか人間の
赤子に見えるようになった。
 
 その赤子は生まれてまもなく俺と妻が育てることになった。俺は最初何をやったらい
いのか戸惑っていたら、なんとかできるようになった。それがなんと楽しくなってきた
のだな。赤子が大きくなると楽しくて楽しくてたまらなくなってきたのだな。後でそれ
が子育てというものだとわかった。
 
 それと同時にこの次元を見る目が変わっていった。俺は変わったのじゃない。赤子を
愛することで、赤子自身が呪力を使わずに俺の次元を見る目を汚らしいものから素晴ら
しいものに変えていったのだった。
 
 赤子はすくすくと大きくなり、今は10歳の黒髪、黒目の美しい少年になった。変貌の
呪いを使わなかったら銀髪、凄まじいまでの美貌を持っているエルフ族の俺に似ている
と思う。事実こいつはすべての全教科最高の評価を受けている。頭は俺に似たのだろう
と思った。

 「おとうさん、ネズミ王国楽しみだね」と息子は言った。俺は寂しく「ああ、そうだ
ね」と笑いかけた。
 
 実はな、これ最後の家族サービスで俺が計画したんだ。俺エルフ族だろ。エルフ族は2
0歳から普通に成長して、そのままほとんど成長が止まって後1000年ぐらい「しか」生き
られないのだ。俺の姿は20歳から変わっていない。妻は何かおかしいと思っているらし
い。俺はここから去らないといけないのだ。
 
 そして俺は最大の王族の王子様だろ。王位を継がないといけない使命まで持ってい
る。もう次元への移動もできるだけの呪力も数年前に戻っている。
 
 でも、戻らなかった。こいつが10歳まで俺の言うことがわかる年まで待っていたん
だ。それにこいつ、呪法が使える年齢になっている。ねずみ王国に帰ってから、俺のこ
とや呪法の使い方、特にこの次元の人間に悟られないように注意することを一番先に言
うことを決めている。ただ呪法はただ一つを除いて徹底的に教え込むつもりだ。俺がこ
いつに考えている未来の計画まで打ちあけるつもりなんだ。こいつはその話を聞いてか
なり動揺するだろうが、俺もそろそろ限界だし、こいつも理解できる年齢になっている
し頭もいいからたぶん大丈夫と踏んだんだ。
 
 未来の計画はできるかわからないが、やってみようと思っている。こいつもエルフ族
の血を引いているだろ。たぶん20歳ぐらいで成長がとまるははずだ。この次元でいい女
捕まえて、夫婦にさせて、子供は一人限定で子育ての楽しさを教えさせてやりたいと思
っている。一人以上増えたら俺の計画が頓挫してしまう。それでこいつの子が生まれた
ら俺がやってきて、またこいつの子に変貌の呪いを変える。こいつにも変貌の呪いぐら
いの呪力を持てると思うがわざと教えない。実のところ、こいつにも会いたいし、孫に
も会いたいのさ。俺の妻にはあえないのは少し残念だな。それに妻やこいつに俺がいな
くなる償いをしようかと思っている。俺は王族の王子様だよ。妻と息子が一生働かなく
ても遊べるだけの貴重なものをこの次元で選んで持ってこれるし、こいつが30歳になっ
たら俺みたいに家族サービスさせて、出ていかないといけないことを教える。それに呪
力も寿命も俺の半分しかないから、次元を移動する呪法も使えない。だからこの次元限
定で放浪の旅をしないといけない。そのためには一生遊べるだけのものも持ってこない
といけない。
 
 それに孫が成長して子供を産んだら俺がまたやってきて、変貌の呪いをかける。そし
て俺はしばらく次元を超える呪力はなくなるから復活できるまで目の前の息子と一緒に
この次元で放浪の旅にでる。そして永遠に、子孫たちには同じことをさせる。次第に俺
の血は薄くなり、おそらく五代目以降は、この次元の普通の子供と同じ姿で生まれてく
ると思う。そうしたら、俺の役目は終りを迎える。 
 それと俺もう一つ悪いことをしている。俺実は妻に内緒で浮気をしているのだ。転生
の女神と夢の中であれをやったことがあるんだ。そのときは俺は精神的なものになって
姿形はエルフ族のままなんだ。つまり、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に、
あっちも俺は物凄いテクニックの持ち主だとわかったから、その力を全力で使って、転
生の女神も翻弄されたあげく狂わす寸前まで追いつめた。転生の女神に命じて、強制的
にこの次元の俺の直系の子孫をみな男にさせた。彼らが死を迎えたら、転生の女神が一
時的に魂を保存させて、俺の子孫の男たちをランダムにエルフ族の王族の俺の息子や娘
にさせてチート転生させることになった。ただその度に転生の女神はあれをやらないと
駄目だからとごねたのだから仕方がないやるよ。
 
 チート転生の一つで妻の美しい魂をもち美貌のエルフ族の別の王族になった娘を俺の
后に選ぼうと思っている。長寿のエルフ族同士だからなかなか子供はできないけど、俺
の聖なる液体を后の一番美しい場所に毎夜送りこむよ。そしたら50年か100年に一度ぐら
いまぐれで体内で受胎する。そのとき転生の女神が俺の子孫の一時的に保存しておいた
魂をすかさず、胎児の形になる前に放り込む。今の俺の妻は理解できないだろうからこ
の計画は内緒にしておくよ。
 
 まあ、これは俺が生きている限り今考えたことを続けるつもりなんだけどね。
 
 「あ、おとうさん、次の駅で降りることになるよ」エルフ族の最大の王族の王子の壮
大な1000年計画を知らないまま、黒髪、黒瞳の10歳の美少年は、黒髪、黒瞳の20歳から
同じ姿のままでいる美青年に無邪気に笑いながら声をかけた。
 
 美青年と美青年の妻は美少年の声を聞いて旅行かばんを手に持って、座席から席を立
ち、新幹線に出入り口に向かっていった。




#465/474 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/31  09:02  (157)
ディック世界>ゼンマイ仕掛け $フィン
★内容
その一

 少女は中学校に行くために家から扉を開けるとちょうど隣人が何かを持って捨てに行
くところに出くわした。
「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
隣人はゼンマイ仕掛けだった。ただ個性があるらしく全身黄色い色をしていた。
少女は気にすることもなく制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触って
普通に学校に出かけて行った。
中学校に行く途中でいろいろな人にあった。全身ピンク色のゼンマイ仕掛けは白いエプ
ロンをしていた。全身緑色のゼンマイ仕掛けはスーツケースを持って忙しそうに歩いて
いた。全身茶色のゼンマイ仕掛けのよたよたと歩いていた。
それぞれ多種のゼンマイ仕掛けたちは、少女にはみんな知り合いでごく普通に笑顔で挨
拶していた。
中学校の生徒でも同じようにいろいろなものがいた。彼らはみんな同級生であり、授業
中に騒ぎ少し先生を困らすために全身若緑色のゼンマイ仕掛けはどこからか水を持って
きて先生にかけたりしていた。全身真っ赤のゼンマイ仕掛けは口から赤い燃えるような
言葉をはいて、気に入らない子を苛め抜くものもいたが、少女は気にすることもなく、
授業を受け、全身真っ赤なゼンマイ仕掛けから燃えるような言葉を聞くのが嫌いだった
のであえて避けていた。
 少女はどんな姿であるにもかかわらず比較的大人しい優しいゼンマイ仕掛けの女の子
たちの仲間に入り、一緒におしゃべりをし、机を並べては楽しんでいた。
 そして午後の授業がはじまり、授業を受け、授業が終わり、学生かばんを持って家に
帰るのが少女にとってごく平凡な日常を送ってごく普通の幸せを毎日感じていた。
 そんなある日、少女のごく普通の日常が一変した。きっかけは差出人不明の家のポス
トに入っていたものだった。ポストから出して、中身を開けると記録媒体がが入ってい
た。少女は好奇心でその記録媒体を見た。それは白黒に写り、かなり古いもののよう
で、画像も荒く、非常に見にくいものだったが、男の人が扉を開けるのがなんとなくわ
かる映像だった。
 その後すぐ少女の住む家の玄関の扉に大きな音でどんどんと叩く音が聞こえ、少女は
父親は会社に行って、母親も買い物に出かけていて、少女一人しかいなかった。少女は
誰も頼るものもなく恐怖で震えた。少女は玄関の扉を開けることがないようにすべての
あるだけの鍵をかけたが、外には大勢の人がいたようで扉はあっけなく破壊された。
 そこで少女が見たものは二、三人の男たちと一人の女の人だけだった。
 少女を怖がらせないために女の人は「あなたにして欲しいことがあるの」と優しく言
った。
 ところがその言葉を聞いたとたん少女は今までにない恐怖を感じた。
 恐怖に震えながらも、少女は「どんなことをしたらいいの」とそれだけ聞くのが精一
杯だった。
「それは今はまだ教えられない」更に優しい声で女の人は言った。
「それをしてくれたら、私が一番大切にしていたものをあげる」女の人は豪華な金や銀
で飾られた紫色のランプを少女に見せた。
 少女はそれを見ても欲しがろうとせず、三人の男と特に中心にいる女の人から遠ざか
ろうとして、逃げようとした。
 逃げようとした少女に三人の男がいっせいに掴みかかる。少女は必死で抵抗して、男
たちの手や足を?み、彼らの一瞬の隙をついて逃げ出した。
 その後少女は彼らに捕まらないためにいろいろなところに逃げた。近所から離れて今
まで行ったことのない酒場や教会、浜辺や小高い丘や氷河か残っている山脈まで逃げ
た。
 少女は思いつく限りの至るところに逃げ、逃げて、逃げて必死だった。それでも彼ら
は執拗にやってきて、少女の近くにやってくるような気がした。もう少女は頭をかきむ
しりパニック状態になりながらも逃げた。
 そして最後に少女が到着したところはいたって平凡な短い草しか生えていない空き地
だった。そこに一枚の鉄の頑丈そうな白い扉がぽっかり宙に浮かんでいた。
 そして少女はこの扉を開ければ彼らから完全に逃げられる唯一の方法だと知った。
 少女は扉ののぶに手をかけた。鉄の頑丈そうな扉は見掛けとは違って簡単に力を入れ
るとあっさりと扉が開いた。
 そのとたん、世界は急に姿を変えた。彼女は強烈な何か見えないものの力で押された
ように、少女は押し戻された。
 今まで行ったところすべてが目に見えないぐらいの速さでひきもどされ同時に少女の
時間も逆流された。少女はその間恐怖で声に出すことすらできずにいた。
 少女の時間がとまり、気がつくと少女は家の玄関の前に立っていた。少女は玄関の扉
を開けた。
 そこにはちょうど隣人が生ごみを持って捨てに行くところだった。
 「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
 隣人は少し頭の剥げたごく平凡な中年男だった。
 少女は制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触りながら、少女の部屋
にある豪華な金や銀で飾られた紫色のランプがあるのを不思議に思った。昨日までなか
ったはずなのに、家族の誰かが少女を驚かそうとちゃっめけを起こして置いたものだろ
うと思うとくすりと笑った。
 少女はリボンをなおし終わるといつものように普通に学校に出かけて行った。

その二

ぼくは黄昏島にある全寮制の私立黄昏中学の2年生。
 それは最初はどこでもある昼下がり給食後の女子トイレの中で起こったらしい。ぼく
は男子だから入れないが、その場所がすべての始りであったという噂だ。
「きゃあ」ポニーテールが似合う今日子ちゃんが濡れたハンカチを握りしめながらトイ
レの洗面台の中を呆然と見つめている。
「今日子どうしたの?」近くにいた女の子たちが悲鳴を聞いて近づいてきた。
「ううん、なんでもないの」今日子ちゃんは蒼白の顔をして、洗面台に落ちていたもの
をみんなから隠すようにしながら拾った。だけどもそれは運悪く女の子たちに目撃され
てしまった。それは血が一滴も出ていない小指だったのだ。
 噂はぱっと広がり今日子ちゃんはまわりのものから気味悪がられ、仲のよかった友人
たちまで遠巻きに見るようになった。それから後も今日子ちゃんの異変は続き、不意に
指をぽろりと床に落としたり、さらには席を立った後机の上に腕がまるごと残っていた
りした。けれどその学期が終わる頃には今日子ちゃんはもうクラスメートたちから仲間
外れにされることはなかった。なぜなら今日子ちゃん以外にも、ちょっとした拍子に手
足などの身体の一部分を落としてしまう女の子たちがではじめたのだった。そしてそれ
はやがて男の子、教師……それからこの島の人間すべてに伝染していった。
 最初はこの無気味で奇怪な伝染病の発生に学校関係者や島民たちはほとんどパニック
を起こしそうになった。しかし日毎に感染者が増え、ほとんどの者がその異変を体験し
てしまうと恐慌は不思議なことに急速におさまっていった。人々は身体の一部が離れて
しまうことに無頓着になり、しまいには乳児の歯が抜けおちるぐらいの日常茶飯事とな
った。そしてむしろその異変を便利に思うようにさえなっていった。例えば身体の悪い
部分だけを病院にあずけて残りは普通の暮らしすることができたりするのだから。
 しかしそんな奇妙で平穏な島の日常も、他ならぬこのぼくが図工の授業中ふとしたは
ずみで自分の手を切ったことから破られた。ぼくの指からぽたぽたと赤い血が工作キッ
トの上に落ちたのだった。
「きゃ! 血よ。気持ち悪……」「汚ねえ!」「なんだこいつ?」
 たちまち教室中が騒然となり、ぼくはその場から走って逃げ自分の部屋にかけこんで
隠れた。そう、いつの間にか人間たちは内面まですっかりゼンマイ仕掛けの人形のよう
な存在に変わっていたのだった。身体がすべて秩序正しく区分された部品から成りたっ
ている彼らから見ればぼくは薄気味の悪い血肉を詰め込んだ得体の知れない皮袋のよう
に見えたに違いない。そして、そんな気持ちはぼくにもとてもよくわかる。だからこ
そ、ぼくもみんなと同じように早く自分の指が落ちないかと願っていたのだ。でも残念
ながらぼくは今だに血肉の溜まった皮袋のままだ。
 ああ、清潔な白い洗面台の中に転がっている今日子ちゃんのピンクががった可愛いら
しい小指! ……それにひきかえぼくの指はごりごりとした骨と血肉を包み込んだうぶ
毛の生えた腸詰めじゃないか!
 ドンドンドンバリバリバリ、ゼンマイ人間たちが部屋の扉を蹴破って汚物処理をはじ
めようとしている。耐え切れない不潔さは憎悪の対象になるようだ。
 ぼくは窓から海にこの手紙が入ったボトルを投げるつもりだ。拾ったあなたのまわり
の人間が指を落しはじめたらゼンマイ仕掛けの世界が近づいている証拠だから気をつけ
なさい。さっさと逃げるか、それともひたすら自分もゼンマイ人形になることを願うか
…いずれにしても早めに決めたほうがいい。
 部屋の扉が壊されていく。もう最後だ。たぶんぼくは糞便が入っている汚物タンクに
沈められてしまうだろう。さようなら…

その三

男は変な思いにとりつかれていた。
 世の中すべてがゼンマイ仕掛けで動いているように思えて仕方がないのである。男自
身でさえも、ゼンマイ仕掛けでできているのではないかと毎日思い悩んでいた。
 男の住んでいる所は白い建物の中、何人かの人間と一緒に仕事をしている。まわりの
者に不安な心の内を話をしていても、気のせいだと言って、適当に相槌を打つだけで相
手にしてくれない。仕方がないので、毎日医者から薬を貰っている。人の話を聞いた
り、薬を飲んでも、男は体がゼンマイでできているという思いは深まっていくばかりだ
った。
 一年、二年と白い建物の中での平穏な生活は続いていく。そして血色のよい皮膚の下
には血液を流すプラスチックの管が縦横に通っている。有機質の代わりに無機質のゼン
マイが大量に積め込まれているとまわりの人間に話すのである。まわりの人間は話しを
聞くことを嫌がった。男は1度話しだすと、相手が何を言おうと疲れて寝てしまうま
で、延々と何時間でも続けるのである。そのため男は白い建物の中では浮いた存在にな
ってしまっていた。
 あるとき、男は人を殺すことを決心した。殺すことで、男の体はゼンマイ仕掛けでで
きているのか、血のかよった人間かの問いに何らかの答えが出ると思ったのだ。それに
今のままでは男は狂いそうだったのである。
 まず、男は作業所においてあるナイフを手に入れた。それを大事に自室に隠した。
 男は若い人間はまだ将来があるから止めにした。それから同年輩の人間も力で負ける
かもしれないから止めにした。そして男は昔からいる老人を標的に決めた。老人はいつ
も古めかしい本を小わきに抱えている。中には何が書かれているのかわからない。若く
ても同年輩の人間でもよかったのだ。老人が白い建物にいたからこそ人間を殺す計画を
立てたのである。男女の間柄に恋わずらいという言葉があるが、男は老人に殺人わずら
いしていたのだった。
 老人は人間の代表であると男は感じていた。こいつを殺してしまえば今人間の格好を
している者すべてはゼンマイ仕掛けか本当の人間か知ることができると夢想するように
なっていた。
 こうして、男は手に入れたナイフで老人を殺し、老人は動かなくなった。老人は最後
に安堵の笑みを浮べたように男には見えた。それも確認する暇はなく、ピーピーとカン
高い笛の音で男はまわりの人に取り押さえられて独房に入れられてしまった。
 男は満ち足りた気分だった。老人は人間だった。つまり男もゼンマイ仕掛けではない
とわかったのである。老人を殺してようやく安堵の微笑みを浮べることができた。
 しかし、その微笑みも長くは続かなかった。男は独房の中で、老人が持っていた古ぼ
けた本を見たのである。それは老人の日記だった。それには「私は最後の人間である。
どうしても寂しくて仕方がないので、ゼンマイ仕掛けの人間を作り、感情を持たせ、白
い建物の中で一緒に働いている」と書かれていた。





#466/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/04/11  19:59  (197)
お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香
★内容
 地天馬鋭は額に片手を宛がい、ため息を一つついた。
「相羽君が困って持ち込むほどだから、一体どんな難事件の依頼かと思いきや」
 机越しに向けた視線の先、少し離れた位置で相羽信一が応接用のソファにちょんと引
っ掛かるように浅く腰掛け、背を丸め気味にしている。
 ここは地天馬の探偵事務所。あいにくと“私”が留守の時ときの出来事なので、又聞
きになるが、土曜の午後に知り合いで学生の相羽君がやって来た。
「僕はあるときから事件の選り好みをしないように心掛けているが、この件は受けられ
ないな」
「でも」
 相羽が背筋を伸ばし、手に握りしめた携帯端末を指先で軽く叩く。
「これを読んだ僕が、動揺するのは道理だと思いませんか」
 相羽宛てに届いた電子メールのことだ。ほんの三分ほど前に地天馬も見た。
 そこにはこうあった。

<“ぼくはきみだけはゆるせない”

  時は濁りを取り、三毛は分を弁えて小さくなる

35 10 26 41 3 59 0 42 34 45 2 27 22>

 これだけなら絶縁宣言か脅迫かいたずらかと、あれこれ選択肢が考えられそうだが、
そういう想定は必要ないと地天馬は判断を下していた。
 決め手となるポイントは差出人である。
「分かるよ。恋人からそんな文面を送り付けられたのなら、動揺してもおかしくない」
 相羽にこのメールを送ってきたのは恋人で、同じく学生の涼原純子。
「でしたら――」
 気持ちが分かるのであれば依頼を引き受けてください、と言わんばかりに勢いよく腰
を上げた相羽。その動作を手で制する地天馬。
「いや、だからこそ、だよ。僕は会った回数こそ多くはないが、君と涼原さんがどれほ
ど信頼し合っているかを充分に把握している。そこから導き出される結論は単純明快
だ。つまり――ありえない」
 地天馬はスケジュール帳を確認した。他に依頼の予約はなかったかと念のために見て
みたのだが、記憶していた通り、何もなかった。話を続ける。
「あの涼原さんは、相羽君にこんなメールを送らない。いたずら・ジョークめかしたク
イズの類か、そうでないなら間違いだよ。それでおしまい」
「も、もちろん、僕もそう考えました。いかにもな注釈と数字が続いて書いてあります
から。でも、まず、間違いとは考えにくいんです。今のじゅ、涼原さんは名簿にほとん
どデータを入れていない。落としたりなくしたりして、拾った誰かに悪用されたときに
迷惑が掛かるのを最小限にするためだって。家族と極々近しい人物しか登録していな
い。だから、間違えたという可能性は除外」
 それだけの根拠で間違いの可能性を除外というのは些か乱暴だと思った地天馬だが、
敢えてスルーした。
「ジョークならそれと分かるように送るものでしょう? 注釈と数字があるとは言え、
これじゃあセンスの悪い単なる嘘ですよ」
「いやいや、少なくとも本気でないのは明白じゃないかな。『ぼく』と使っている」
 地天馬の指摘に相羽は曖昧に頷いた。
「それはそうなんですが……涼原さんは男役もやるので、その癖が出たのかも」
「は! そんな低い、それこそ絶対になさそうなわずかな可能性を心配しているのか
い。恋は盲目とはよく言ったものだね。ああ、このケースは逆になるのかな。色々と見
えすぎて、余計な幻まで生み出してしまっている」
「真剣に悩んでいます」
 故意にテンションを上げた喋りをしてみせた地天馬に対し、相羽は静かに反応した。
「言い方を変えます。改めて断るまでもなく、僕は涼原さんを信じています。それ故
に、こんなメールが送られてきたことは、不可解でなりません。別の言い方をするな
ら、途轍もなく強力な謎です。この謎を解き明かしてもらえませんか?」
「――分かった。相羽君にとっては大きな謎なのだ。うん、理解した。引き受けるとし
よう」
 地天馬が請け負うと、相羽の表情は見る間に落ち着き、明るくなった。
「ありがとうございます」
 頭を下げる相羽の前まで出て行くと、地天馬は質問した。
「取り掛かる前に疑問がある。彼女に直接聞くというのではだめなのかい?」
「それが昨日の夕方から涼原さん、撮影とレポートの仕事で船の上の人なんです。大型
クルーズ客船の」
 涼原純子はモデルなど芸能関係の仕事をこなす、れっきとしたプロでもある。
「もしかすると、ネット環境にないのか」
「はい。正確には、船側からなら、別料金を払って船の設備を使うことで、ネットにア
クセスできるようです。こちらからはどうしようもありません」
「問題のメールが送られてきたのはいつになってる?」
「午後五時二十九分。船の出港予定時刻の三十分後ぐらいです。岸を離れてしばらくす
ると、つながらなくなるみたいなんですよね。だから、このメール変だぞと思って聞き
返そうとしたときには、もう遅かったという」
「なるほど。次にネットがつながりそうな時刻は分かっているのかな」
「明日の朝九時に着岸予定ですから、その前後になると思います。二泊三日の無寄港ク
ルーズで、今日は丸一日つながらない」
「……五時二十九分何秒に着信したか、秒単位まで分かるかい?」
「ええ。五十五秒になっていますが」
「なるほど。涼原さんは焦っていたのかもしれない。五時半までに、いや、五時二十九
分台に送る必要があったが、ウェルカムパーティやら出港イベントやらで、思わぬ時間
を取った。それでぎりぎりになってしまい、もしかするとこのメール、最後の一文が抜
けた可能性がある」
「え? どんな一文なんでしょう?」
「正確な文言は分からないが、意味は一択だ。この暗号を解いて、だろうね」
「暗号なのは大体想像が付きますよ。最初に言いましたように、ジョークの一種みたい
なもので」
 不満げに唇を尖らせる相羽。地天馬はたしなめた。
「着目するポイントはそこじゃない。さっき言った二十九分に送る必要があったという
推測だ。言い換えるなら、メールの着信時刻こそ、暗号解読の鍵となる」
「……あ。僕も分かった来たかもしれません」
「そりゃいい。ぜひとも、解いてみてくれるかな」
「はい……濁りは濁音、三毛は『み』と『け』の文字をそれぞれ指し示していると仮定
します」
 相羽の手が物を書くときの仕種をしたので、地天馬は紙とペンを用意して渡した。渡
した方、受け取った方、ともにローテーブルを挟んでソファに座る。
「すみません。――“ぼくはきみだけはゆるせない”は十三文字。羅列された数も十三
個書いてあるので、文字に数を前から順番に対応させる。
 濁音は『ぼ』と『だ』。時は……メールの着信時刻の時間の方だろうから5。いや、
違うな。多分、二十四時間表記だ。つまり17。この値を『ぼ』と『だ』に対応する
数、35と59に……『取り』という言葉を使っているくらいだから、マイナスするで
しょうか。そう仮定するなら、『ぼ』18、『だ』42。
 もう一方のグループである『み』と『け』に対応するのは、当然、メール着信時刻の
分、29になる。『分を弁え』とあるのは、29を弁える……弁えるの意味は、区別す
ることと解釈すれば、マイナスか」
「分けることは必ずしもマイナスではないんじゃないかな。強いて加減乗除で言うな
ら、除算、割る行為だと思うね」
 地天馬の意見を入れて、相羽はさらに推測を重ねる。
「だったら他の意味……数に絡めて解釈できそうなのは、つぐなう、調達する、辺りで
しょうか。これなら29を加えることに通じる。よって『み』の3は32になり、『
け』の0は29に。――あ。純子ちゃんが二十九分に送信したかったのは、それを過ぎ
ると『け』に最初対応させる数が0ではなく、マイナスになってしまうから?」
「同感だ。僕はそこから逆に考えて、弁えるは加算だと推定した」
 地天馬が喋る間に相羽はペンを走らせ、濁点を取った十三の文字と、新たに浮かび上
がった値に直した数字の列を書いた。

 ほ  く  は  き  み  た  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  1 27 22

「素直にシンプルに想像すると、対応する数の分だけ、文字をずらすんだと思います。
濁音のある字をなくしたことから、五十音表を用いるのかな。実際は『ん』を含めた四
十六文字の」
「いろはにほへとではだめかい」
 少々意地悪げな笑みを作った地天馬。相羽は小さく肩をすくめた。
「分かりません。ここまで来たら、試行錯誤あるのみですよ。とりあえず、数の分だ
け、前方向にずらしてみます。18だったら18文字先の文字にスライドさせる。『
ほ』を起点に18文字先は……最後まで来たら、頭に戻って『い』だ」
 同じ要領で、順次、文字を置き換えていく。そうして最後までやり通したとき、相羽
は微かに頬を赤くした。
「おや、これはこれは。いたずらどころか、ラブレターだったとはね」
 わざとらしく驚いてみせた地天馬。最初から分かっていた答を前に、芝居がかるのは
仕方がない。

 ぼ  く  は  き  み  だ  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  2 27 22
 い  つ  か  い  つ  し  よ  に  の  り  た  い  ね

「えーっと! 『み』『け』それぞれに対応する『つ』と『よ』は『分を弁えて小さく
なる』のだから、促音、拗音に変換しなくちゃいけませんね。よし、これで完成。『い
つか一緒に乗りたいね』だったんだ」
 大人からの冷やかしをシャットアウトしたいのか、相羽は声を大きくし、手も大げさ
に叩く。しかし地天馬は、違うところから一つの指摘をした。
「解けてすっきりしたのは結構なことだが、まだ残っているだろう、謎は」
「え?」
「この方式の暗号なら、数さえ変えれば、元の言葉は何にでもできる」
「確かにそうですね。あ、そうか。だったらどうして純子ちゃんは元の文章を、“ぼく
はきみだけはゆるせない”にしたんだろう……」

             *           *

 これといった解答を決められなかったため、相羽は本人に直接聞くことにした。
 日曜の朝、Y港に戻って来るのを迎えに行ってもよかったのだけれども、純子の方が
下船後も仕事の関係で多少時間を取られるであろうことは、最初から分かっていた。そ
れなら自宅にいて(いなくても大丈夫だけど)電話を待つ方が多分確実。
 いよいよとなったら、時間を見計らってこちらから掛けてみればいいんだし……と思
った矢先、お目当ての電話が掛かってきた。八時半、入港予定の三十分ほど前だ。
「――おはよう。無事に到着と思っていいのかな」
 自分達の推理が当たっているとしたら、向こうはきっと大慌ての焦った調子で第一声
を上げるはず。そんな考えから機先を制し、落ち着いてもらおうとした。
「あ、おはようっ。相羽君ごめんなさい!」
 たいして効果があったとは言えないようだ。
「何、いきなり謝るなんて」
「メールよ、メール。二日前、おかしなのが行ってるでしょ?」
「うん、来た来た。びっくりした」
「ほんとにごめん! あれは最後にこの文章を解読してねっていう言葉を付けるつもり
が、忘れてしまって。乗ってすぐに、予想以上に楽しかったものだから、ついぎりぎり
になって」
「楽しんで仕事ができたのなら、何よりです」
「うう、怒ってない?」
「全然。ただただ驚いたけど、ある人のところに相談に行って、解決してたから。安心
していいよ」
「ある人? 解決って、もう解いてるのね?」
「うん。いつか一緒に行こう」
「――よかった」
 安堵感が電話越しでもようく伝わってきた。相羽は笑いをこらえつつ、自分にとって
の本題に入ることにした。
「でも、一つだけ、分からないことがあるんだ」
「ええ? 何?」
 純子の声が再び不安を帯びる。相羽は急いで続けた。
「その、元の文が、どうしてあんなどっきりさせるようなものなのかなって。『ぼくは
きみだけはゆるせない』にしなくても、穏便に『おみやげたのしみにまってて』とか、
びっくりさせたいなら『ながすくじらとぶつかったわ』とか、十三文字なら何でもいい
でしょ」
「あ、そこ? 相羽君の気持ちを想像して、あれこれ考えていたら、あんな言葉になっ
ちゃった」
 純子の口調から緊張が緩み、代わりにいたずらげな響きが滲む。
「僕の気持ちって……分かんないな。君だけは許せないだなんて、全く思ってない」
「だいぶ省略してるから」
「うーん……」
「この仕事の話が来たって相羽君に言ったとき、『僕も行ってみたいな』って呟いてた
じゃない?」
「それは覚えてる」
 覚えているが、何の関係があるのやら。
「だからね、『相羽君は私一人だけがクルーズ船に乗るのを許したくない』んじゃない
かしらと思って。そこから十三文字にするために色々削って、置き換えて、『ぼくはき
みだけはゆるせない』になったの」
「……」
 省略しすぎだ。

――『そばいる番外編 僕は君だけは許せない』おわり




#467/474 ●短編
★タイトル (sab     )  19/04/19  20:26  (190)
お題>僕は君だけは許せない     HBJ
★内容
荻野「お前、理香子だけは許せないんだろう?」
小林「許せないというか、どうしてあんな間違いを犯したかって感じなんだけど」
荻野「一体誰と浮気したんだ?」
小林「そんなの分かってりゃあ、自分で相手の男に文句を言いに行くよ」
荻野「じゃあなんで浮気したって分かった?」
小林「クラスの女子が話しているのを聞いちゃったんだよ。ラブホから出てくるのを
見た、って」
荻野「ふーん。で、どうしたいわけ?」
小林「つーか、お前、いやに心配してくれるんだな。何でだ?」
荻野「そりゃあ、君も理香子も俺んちの産婦人科で産まれたからな」
小林「ああ、そっかー。そういえば、お前、教壇に立って「このクラスの女子の半分は
俺んちで生まれた」とかとんでもないセクハラをやってのけたよな」
荻野「特に君と理香子は産まれる時おんなじ病室だったしなぁ。俺も誕生日が
近かったんだけれども。とにかくそんな感じで、産婦人科医といえば親も同然だから
親身になる訳だよ。で、理香子をどうしたいんだ?」
小林「まぁ俺は、分かってもらいたい、っていうか、反省してもらいたい、っていう
か、
自分から気が付いてもらいたいって感じなんだが」
荻野「って事は理香子が自分から恥じ入る様になればいいってこと?」
小林「まあ、そうだな」
荻野「だったら、理香子がお前に誓った愛の言葉をsnsに晒しちゃうとか。
そうすりゃあ恥ずかしくなって自殺するんじゃないの?」
小林「そんなのリベンジポルノじゃないか。そういうミステリーがあった気もするけ
ど、
そんな卑劣な真似はしたくないよ。っていうか、向こうから気が付いてくれれば
いいんだけど」
荻野「自分の手は汚したくない、って感じか」
小林「そういう訳じゃあないけど」
荻野「でもそういう方法もあるんだぜ。自分は全く手を汚さないで相手を始末する方法
が」
小林「そんなの望んでいないけれど…、参考までに聞いてみたい」
荻野「誰かが見た瞬間に死ぬ、っていうのがあるんだよ。
お前、シュレディンガーって知っている?」
小林「シュレディンガー?」
荻野「ああ。有名な量子力学の物理学者なんだが。「シュレディンガーの猫」
という実験があって、箱の中に猫がいて誰かが見た瞬間に50%の確率で死ぬ
というのがあるんだよ。つまり理香子が誰かに見られた瞬間に50%の確率で死ぬ」
小林「死なんて望んでいないけれども、そんな事がどうして可能なんだ?」
荻野「それはなあ…。その前に、お前はどういう感じで憎んでいるの? 
愛や憎しみにも色々あるあろう。直接相手と向き合っていて相手が気に入らない、
というのもあれば、天の摂理を実現しようとしているのに相手がそれに背いているから
気に入らないというのもあるし」
小林「まさにそうなんだよ。理香子が浮気したのが俺への裏切りだから気に入らない
っていうんじゃないんだよ。仏教的に言えばそんなのは”なまぐさ”同士が
向き合っていての愛憎であって…。
俺はこう思う。宇宙には原理があってこれを梵という。
そして私の中にも原理があってこれを我=仏性という。
これらは同一で、これを梵我一如という。
で、身体なんていうのは、仏性の先っぽにぶら下がっている腐った”なまぐさ”
みたいなものだろう。
だから、そんな”なまぐさ”同士の愛憎なんてどうでもいいんだよ。
俺はあくまでも梵我一如的な仏性同士の愛を裏切った、という事で怒っているんだよ
ね」
荻野「それだったら、まさに、シュレディンガー的だよ。「シュレディンガーの猫」の
量子力学的解釈は割愛するけれども、シュレディンガーも梵我一如とかの仏教思想に
影響を受けていて、
見た瞬間に死ぬっていうのは、梵我一如的に猫の仏性と観察者の仏性が天の摂理を介し
て
つながっているから可能なんだよね。
まあ実際に死ぬのは仏性じゃなくて身体の方なんだけれども、
仏教的に言えば、身体なんて仏性の先っぽにくっついている”なまぐさ”
みたいなものなんだろ? 
物理学的にもE=MC2乗、つまりエネルギー=マティリアル×光の2乗だから、
原子爆弾一発分のエネルギーをぎゅーっと圧縮すると1円玉ぐらいになる感じだから、
仏性をぎゅーっと圧縮したものが身体なんだろう? 
だから、仏性が通じ合っていれば、そこから身体に作用する事は可能だから、
見た瞬間に死ぬ、という事が可能なんだよね」
小林「死ぬって事にはならないんじゃないの? 理香子の仏性にアクセス出来たとし
て、
それで彼女が死ぬってことにはならないんじゃないの?」
荻野「いや、仏性同士が合一である事を彼女が認識すれば、
”なまぐさ”を捨てるだろう。つまり身体を捨てる、つまり死ぬだろう」
小林「そうかなあ」
荻野「死なないまでも、”なまぐさ”的な浮気よりかは、君というソウルメイト
との仏性的な愛を大切に思うだろう?」
小林「そっかー。だったら彼女の仏性と合一したいなぁ」
荻野「そうだろうそうだろう」
小林「じゃあ、どうすればいいの?」
荻野「それにはまずお前の”なまぐさ”を無くして仏性を活性化させないと。
つまり心頭滅却」
小林「具体的には?」
荻野「なんでもいいから荒行、苦行の類で身体をいじめれば仏性が活性化するよ」
小林「そっかー」

 そして彼はありとあらゆる苦行を行った。
まず断食と写経。そして冷水シャワーで滝行、バスタブで水中クンバカ。
それ以外の時間は全て座禅。
そして彼はやせ細り、即身仏寸前になり、倒れてしまった。

 さて、小林は梵我一如の理屈を信じて苦行に邁進していったのだけれども、
そんな事をしたって理香子と再会出来るとは限らない。
だって、梵我一如の理屈で言えば、理香子とは、
理香子の”なまぐさ”+理香子の仏性からなるんだろうが、
理香子を目指して自分の”なまぐさ”を殺したところで、
その場合残るのは小林の仏性なのだろうが、
それが理香子の仏性と巡り会える訳ではなく、
どこか北海道から沖縄のどこかに漂っているソウルメイトと巡り会えるだけだろう。
だいたい理香子と巡り合うとは、理香子の”なまぐさ”と小林の”なまぐさ”が
この娑婆で直に触れ合う事なんだから。

ところで、ここまで俺は梵我一如が真理であるかの様に語ってきたが、
俺は梵我一如とか仏性とか全く信じていない。
俺は”なまぐさ”しか信じていない。
人間が関わるとは、娑婆で”なまぐさ”同士が知り合うことでしかない。
産婦人科医の息子である俺に言わせれば、人間同士のまぐわいなんて
”なまぐさ”的なものでしかなく、それは犬畜生の交尾にも似ている。
 小林によれば、”なまぐさ”同士のいちゃつきなんて下劣なものであって、
人間の愛が素晴らしいのは天の梵を共有するからだ、
梵我一如があるから人間の愛は高級なのだ、との事だったが。
しかし、俺に言わせりゃ、人間のまぐわいを犬の交尾よりかちっとは
高級にしているものがあるとすれば、
それはあの理香子の姿形が…ここで初めて告白するが、
理香子の”なまぐさ”的浮気相手というのは勿論この俺なんだが
…あの理香子の姿形は丸で如来の様で、あれに精液をぶっかけるというのは
何気タブーがあるのだが、そういう後ろめたさがあるからこそ萌えるのだ。
あと、理香子は小林のソウルメイトなのにやっちゃう、
というやましさがあるから萌えるのだ。
つまりは射精したらプロラクチンが出て賢者モードになる、という事を知っているか
ら、
射精する事にわくわくする訳だな。
そうすると、小林と俺の世界観は全く逆だな。
小林は宇宙に梵という原理があるとか言っているが、
俺は全くそんな事は思わず、
宇宙の梵も理香子の如来的美しさもプロラクチンの化身、
人間のプロラクチン的不安が投影されたものに過ぎないって感じだな。
つまり、人間の不安が神を作ったって訳だ。

さあ、小林が正しいか俺が正しいか、
じっくりと理香子ちゃんとまぐわって検証してみよう。
今や小林の”なまぐさ”は風前の灯火なので、俺は自由にいくらでも楽しめるって訳
だ。
俺は青磁でできた如来像のような理香子ちゃんを近くに抱き寄せた。
荻野「さあ、理香子ちゃん、もう邪魔者はいない。たっぷりといちゃつきましょう」
理香子「止めて。もうそういう気持ちじゃないの」
荻野「何で? もしかして不貞という禁止がなくなったから
萌えなくなっちゃったのかな?」
元々色白だったけれども、文字通り透き通るような理香子を見詰めて俺は言った。
しかし理香子は宙を見上げているのみ。
荻野「ねえどうしたの? どうしてそんなに淡白なの?」
理香子「今や、私の”なまぐさ”は全部消えて、
全く仏性的な存在になってしまったのよ」
荻野「そんな馬鹿な。俺は元々”なまぐさ”しか存在しないという立場だが、
しかし仮に小林が言うみたいに”なまぐさ”と仏性があるとしたって、
小林が滅私して君の仏性にたどり着くことなんて出来ないだろう? 
君という人間にたどり着くには娑婆で”なまぐさ”同士を
こすり合わせるしかないんだから」
理香子「ところが、小林君の仏性が私の仏性に巡り会えたのよ。
何でだかわかる? あなたは忘れているの? 私と小林君は、あの日あの時、
同じ荻野産婦人科のあの分娩室で生まれたのよ。
私と小林君は生まれた時に同じ仏性が宿ったの。つまり私達はソウルメイトだったの
よ」
荻野「ええ、まさか」
俺は顔色が変わるのが分かった。青ざめていく。
理香子「あなた顔色が悪いわ。ていうか顔の肉が透き通っていって丸で
陶器で出来た像の様になっていく。
もしかしたら、これはきっとあなたの”なまぐさ”が
蒸発していっているんじゃないかしら」
俺は両手を見た。丸でガラスの様に透き通っている。
荻野「なんで俺の”なまぐさ”が蒸発しないとならないんだ。
仮に梵我一如が真理だとしても俺が蒸発するにはソウルメイトの仏性に
出会わないとならないだろう。俺はまだどの仏性とも会っていないぞ」
理香子「私がその仏性です」
荻野「どういう事だ」
理香子「あなたも私と小林君のソウルメイトなのよ。知らなかったの? 
あなたが生まれた日も私達が産まれた日と同じ日だって事」
荻野「まさか」
理香子「あなたも”なまぐさ”を失って娑婆とお別れするのよ」
俺の”なまぐさ”はどんどんと気化していった。
ドライアイスが二酸化炭素になる様に。
荻野「死にたくない」
理香子「死ぬんじゃないのよ。”なまぐさ”を捨てるだけ。
さあ、涅槃で小林君も待っているわ」

俺は更に気化していった。
意識も、ぼーっとしてきた。
如来に射精してタブーを破る様な、そういう”なまぐさ”的欲望が
消えていくのが分かる。
しかし気持ちよくもあった。
射精が溜まりに溜まった水が滝の様に噴射する快楽なら、
もっと下流のなだらかな流れが海に広がっていく様な、ゆったりとした快楽を感じる。
宇宙の周期と自分が合一する感覚だ。
そもそも宇宙と個体は一緒だった。
呼吸は打ち寄せる波の数と同じだし、
産婦人科の病室は満月の晩には満杯になるではないか…最後に俺の意識は
そんな事を思い出していた。
そして個体としての感覚は薄れていき、全体に溶け出していくのだった。
やがて俺は宇宙の一部となるのだった。

【了】





#468/474 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/05  20:10  (233)
オートマチック        HBJ
★内容

 ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

 チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
 二人は結婚したばかり。
 奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、
元夫との間に6ケ月の子供が居るのだった。
 案内されてリビング・ダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドに
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
 私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
 それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
 あたりを見回す。
 50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
 本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
 FAXの複合機が床に直置きされている。その周りにはダンボール箱が。
まだ引っ越してきたばかりなのか。
 キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。つーか通信テストシートを
送ったんだけれども返送されてこないなあ」

 佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。窓際に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
 ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」
言うと壁際に設置されているロボット掃除機を指した。
「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
 テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、汚れた服で保育園にきては異常な食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
 鬼塚は立ち上がると本棚のところに行った。
 そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて出掛けて」
 そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」



 マンション近くの喫茶店で私達は時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
 それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
 スマホが鳴った。
 噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
 ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何か事件があったみたい。
それで赤ちゃんに何か起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
 言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
 会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとかで、かなり時間を食った。



 マンションに着いた時には15分が経過していた。
 部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
 すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
 ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、その前にココの経緯を説明するのが筋でし
ょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
 全員で犬の様に鼻をくんくんと鳴らした。
「煙のニオイなんてしませんね。どこにも焦げた跡とかないし」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あそこの換気扇から排出されちゃうかな」
と動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていっちゃったんじゃ
なかろうか」
 今や、泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」いきなり
小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、みんなが居ない間にナルソックが来るか
ら、
先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。「君は今、炭酸ガスは重いから
警報機に触れないと言ったじゃないか」
「ああ、まぶしい」突然小林君は手の平で目を覆うと窓方向を見た。「なんだって
あんなにペットボトルを並べたんだろう。これじゃあ目が焼けてしまう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAX横の床を指差した。
 そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
 小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは、20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何もんかが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりが、
ちょうど虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。黒いFAX用紙が燃えきって
適当に冷めた頃、そこにあるルンバが作動して、綺麗に掃除してくれたんですよ。
そして赤ちゃんが息を引き取ってガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃に
ナルソックの隊員が駆けつけて第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が
叫んだ。「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。
どういうタイミングでFAXするのよ」
「それは、見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「なーにを言っているのかしら、このクソガキは。だいたいペットの
日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても、煙ぐらいは出しても
完全に灰にするのは難しいと思われます。だから犯人はFAX用紙に何か引火性のある
液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
 小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも、流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
 小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生が夕べメーカーに送信したものが今日になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。
…何が起こったか分かりますか? 
メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災を起こす。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。ナルソック隊員は窓を開けて換気をする。
そしてその後で佐倉先生の送信した真っ黒い紙が間抜けに排出されてきた
という訳です。それが…」
 言うと小林君は刑事にに合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXを誰がどこから送ってきたのか分かるのは時間の問題です
よ。
たとえsnsで知り合ったどこか遠くの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、先生、
情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、親が教育委員会のお偉いさんだから
じゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。
…赤ちゃんは、私の赤ちゃんはどうなったの?」
突然、子殺しをした雌ライオンが雄ライオンにふられて母性を回復した様な
展開になった。「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
 そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

 私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」
 部屋を見渡すと、太陽は更に移動して空のベビーベッドに
日だまりを作っているのであった。












#469/474 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/07  09:28  (213)
オートマチック【改】
★内容                                         19/05/07 09:48 修正 第2版
ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
二人は結婚したばかり。
奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、元夫との間に
6ケ月の子供が居るのだった。
案内されてリビングダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドの脇に
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
あたりを見回す。
50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
FAXの複合機が床に直置きされている。
キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。
つーか通信テストシートを送ったんだけれども返送されてこないなあ」

佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。出窓に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」言うと壁際に設置されている
ロボット掃除機を指した。「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、保育園では通常の数倍の食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
鬼塚先生は立ち上がると本棚のところに行った。
そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて」
そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」
※
マンション近くの喫茶店で時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」と私。
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
スマホが鳴った。
噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何かあったみたい。それで赤ちゃんに何か
起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとか言われて、かなり時間を食った。
※
小林君に15分遅れてマンションに着いた。
部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、
その前にココの経緯を説明するのが筋でしょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あのキッチンの換気扇から排出されちゃうかな」と
動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていったのかも」
今や泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」
いきなり小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、
みんなが居ない間にナルソックが来るから、先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。
「君は今、炭酸ガスは重いから警報機に触れないと言ったじゃないか」
突然小林君はしゃがみ込むと出窓に並んでいるペットボトルを睨んだ。
「まぶしい。なんだってあんなにペットボトルを並べたんだろう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAXの排出口の横を指差した。
そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何者かが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりがちょうど
虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。
黒いFAX用紙が燃えきって冷めた頃、そこにあるルンバが作動して
綺麗に掃除してくれたんですよ。そして赤ちゃんが息を引き取って
ガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃にナルソックの隊員が駆けつけて
第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が叫んだ。
「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。どういうタイミングで
FAXするのよ」
「それは見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「カメラは突然故障して見られなくなったわよ。それに紙だって
ペットの日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても煙ぐらいは出ても
完全に灰にするのは難しいかも知れませんね。だから犯人はFAX用紙に何か
引火性のある液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生がメーカーに送信したものが今朝になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。…何が起こったか分かりますか?
 メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災が起きる。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。その時ナルソックは何かの拍子でカメラを
転倒させたんですよ。にも関わらず先生は一か八か黒いFAXを送ってきた。
それが…」
言うと小林君は刑事に合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXをどこから誰が送ってきたのかを特定するのは
時間の問題ですよ。たとえsnsで知り合ったどこかの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、
先生、情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、
親が教育委員会のお偉いさんだからじゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。…赤ちゃんは、
私の赤ちゃんはどうなったの?」突然、子殺しをした雌ライオンが
雄ライオンにふられて母性を回復した様な展開になった。
「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」

部屋を見渡すと、太陽が更に移動し日だまりは空のベビーベッドに向かっていた。




#470/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/05/30  21:27  (197)
その光は残像かもしれない   永山
★内容                                         19/06/02 23:58 修正 第4版
 地方の澄んだ空気の中、満天の星空を観てみたい。プラネタリウムイベントに参加し
てみたい。
 という友達の川田次美に付き合わされて、イベント込みのバス旅行に参加した。星に
ほとんど興味がない私にとって、気乗りしないツアーだったけれども、ここにきて変わ
ったわ。
 たまたま暇潰しに覗いてみた古本屋で、前々から探し求めていた“お宝グッズ”を発
見するなんて。
 最初は、ゴミに出す物をまとめて段ボールに放り込んであるのかと思った。でも、ち
らっと覗いていた紙の端っこにある文字に気付いた。あれは漫画雑誌の付録。しかも、
かなり古い。
 私は店のおじさんに聞いた。
「表にある段ボール箱の中身って、売り物ですか?」
「ああん? 売り物なんかじゃないよ」
 その答を聞いたとき、物凄くがっかりした。けどおじさんの次の言葉で逆転。
「もう捨てようかと思って。いるのがあるのなら、持って行っていいよ」
「え? あの、値段は……」
「ただだよ、ただ。そりゃ払ってくれるんならもらうけどさ」
 そう言って、かかと笑いながら店の奥に戻ったおじさん。その背中が神様に見えた
わ。
 段ボール箱の中身を漁ると、欲しかったシールのセットが見付かった。手付かずのき
れいな状態で。
 売る気はないけど、ネットオークションに出せば、いい値段が付くはず。さすがにこ
れを無料でいただいて、はいさようならでは気が引けちゃう。私は本棚も見て回り、懐
かしい漫画と小説を一冊ずつ選び、レジに持って行った。

 移動するバスの中で、次美が「何だか凄く嬉しそう。いいことあったの?」と聞いて
きた。上機嫌だった私は、古本屋での事の次第を話して聞かせ、彼女にも礼を言った。
「誘ってくれてありがと。ラッキーだったわ」
「どういたしまして。そんな偶然で喜んでくれるのなら、私も嬉しいよ」
 思えば、このときに声高に説明したのがまずかった。
 最初におかしいなと感じたのは、道の駅での休憩中。ハンカチを忘れたと気付いてバ
スに戻ってみると、同じツアーの女性が、私達のいたシートに座っている。
 私が近付いていくと、気が付いた気配はあったんだけど、そのまま動かない。横まで
来て、「すみません、そこ、私の席なんですけど」と注意を喚起して、やっと「ああ、
こちらこそすみません。間違えました」と言い、席を立って、二つ後ろに移動した。
 このときはまだ、ちょっと変だなと感じた程度だった。
 次に、うん?と異常を感じたのが、宿泊先となるペンションに着いたあと。みんなで
バスを降り、荷物を持って歩き出した。その矢先、例の女が近寄ってきて言った。
「先程は大変失礼をしました。お詫びに荷物を運びます」
「いえ、結構です。大した距離じゃなさそうだし、重くないし。気にしてませんから」
 持ち手に指先が触れたけれども、さっと引き離した。そのときの相手の目は、私の荷
物をしっかり記憶しようとするかのように、手元をじっと見つめてきていた。
 私は女の左胸にあるネームプレートで、名前が上島だと知った。実は最初に参加者全
員の簡単な自己紹介があったんだけど、よく覚えていなかった。ただ、この上島は職業
が確か鍵屋といっていたような。花火職人ではなく、キーの方の。
 ぱっと見、若くて細面で、静かにしていれば美人で通りそうだが、二度の少々おかし
な動きのせいで、薄気味悪く映る。鍵の専門家だと思うと、なおさらだ。
 そのことを、次美の部屋に行ってちょっと話したら、「やだ気持ち悪い」と「でも積
極的なアプローチなのかも」という、両極端な反応をしてくれた。
「私にレズの気はない。それに、あれはアプローチじゃないわ。興味があるのは私じゃ
なくって、荷物の方みたいなんだけど」
「じゃ、こそ泥かなあ?」
「まさか。お金目当てなら、もっと持ってそうな人のを狙うでしょ」
 ツアー参加者の中には、いかにも裕福そうな老夫婦がいたし、アクセサリーをたくさ
ん身に着けた中年女性三人組もいた。狙うんだったら、私じゃないだろう。
「ということは、あれかも」
 次美が手を一つ叩いた。そのまま、右手の人差し指で私を指差してくる。
「買ったじゃないの、お宝のシール」
「いや、買ってはいないけど。でもそうか」
 友達の言いたいことはすぐに飲み込めた。上島は二つ後ろの座席で、私と次美の会話
を聞いていたのだ。そして値打ち物のシールの存在を知り、あわよくばそれを手に入れ
ようと……ちょっと変だ。
「あのシール、いくらお宝と言ったって、せいぜい数万円だよ。マニアが競り合って、
それくらい」
「そうなんだ? じゃ、あれだよ」
 また、「あれ」だ。
「上島って人も、シールコレクターなんじゃない? それか、そのシールの漫画のマニ
アとか」
 なるほどね。そちらの方がありそうだわ。
 お金を出しても簡単には入手できない代物が、ひょんなことから目の前の、すぐにで
も手が届きそうなところに現れた。しかも持ち主の女は、古本屋でただでもらったと言
っている。そんな不公平があるか。隙を見て、私がもらっても罰は当たるまい。どうせ
ただだったんだから……と、そんなところかしら。
「どうしよう。これからお風呂よね」
「そうだけど。あっ、入っている間にシールが心配ってこと?」
「うん。ペンションの鍵なんて単純そうだし、貴重品入れはないみたいだし」
 このあとお風呂場の脱衣所を見てみて、そこにも貴重品入れがないことを確かめた。
同性だから、女湯の方に入ってくるのには何の問題もない。
「私が見張っておこうか」
 次美が言ってくれた。
「代わり番こに入ればいいじゃない。お風呂の中でトークできないのは、ちょっぴり残
念だけどさ」
「ありがと。お願いするわ」

 風呂から上がり、部屋に戻って次美と入れ替わり。
 独りになって、扇風機の風を浴びながら考えた。シールをどこかいい場所に隠せない
かと。お宝シールは五センチ四方ぐらいのサイズで、台紙を含めても厚さはミリ単位。
どこへでも隠せそうだけど、万が一ってことがあるし、変に凝って、あとで私自身が取
り出せなくなっちゃった、では目も当てられない。
 ここが普通の宿泊施設なら、フロントで預かってもらうという手があるんだろうけ
ど、生憎と違うのだ。星空観察&プラネタリウムイベントのために開放された、少年自
然の家的な施設だから、宿泊専門の業者ではなく、イベント主宰者や地元の人達が世話
を焼いてくれている。貴重品はご自身でしっかり管理してくださいというスタンスなの
は、やむを得ないんだろうと思う。
 次美に持ってもらう、次美の部屋に置いておくという手もあるけど、万が一を考える
とね。友達に危害が及ぶのは絶対に避けたい。
「あ〜あ。どうしたらいいんだろ」
 扇風機の近くで風を浴びつつ独り言を喋ったら、声がぶわわって感じで震えた。近付
きすぎて、折角まとめた髪の毛もぶわわっと広がる。
「――そうだわ」
 閃きが突然、舞い降りた。

             *           *

「被害者の名前は生谷加代、学生、二十歳。友人で同じ学生の川田次美に誘われ、とも
にツアーに参加していたとのことです」
「ツアーの中に、他に知り合いは? 客でも添乗員でもバス運転手でもいい」
「えっと、見当たりませんけど」
「だったら、その友人が怪しいのか? 普通、見ず知らずの相手を殺して、こんな風に
はしないだろう」
 生谷加代の死因は絞殺だと推測されているが、それ以外にも大きな“傷”を彼女の遺
体は負っていた。
 長い髪の毛をバッサリ切られていたのである。乱雑で、長さは不揃い。切り落とした
髪が、現場である被害者の部屋にたくさん落ちていた。
「いえ、川田次美は風呂に入っていたというアリバイがあります。それに、仲はよく
て、二人はツアー中も楽しげに喋っていたとの証言を参加者達から得ています」
「じゃあ何か。この地元にロングヘアフェチの奴でもいて、そいつがたまたまここに侵
入して、被害者を手に掛けて毛を持って行ったってか? ありそうにないな」
「はい。数は少ないながらも、防犯カメラの映像も、外部の者が侵入したような場面は見
当たらないみたいです。まだ全部は見切っていないようですけど、多分、外部犯ではな
いでしょう」
「内部に怪しい奴はいるのか」
「はい、川田の証言ですが、バス移動の途中で立ち寄った城下町の古本屋で、被害者は
珍しいシールを見付けて入手したそうです」
「シール? そういうもんを集めてる風には見えなかったが。まあいい、それから?」
「ツアー客の一人、上島竜子がそのことを知って、盗もうとしていたんじゃないかと川
田は言っています。そして問題のシールもなくなっているとのことでした」
「だったらそいつの身体検査をすればいい。シールが動機なら、どこか身近にあるに決
まってる」
「言われる前に実行しました。すると、身体検査を受けるまでもなく、自ら提出してき
たんです」
「何だ、解決しとるんじゃあ?」
「いえ、観念したという態度ではなく、『話題にされたシールなら私も持っています。
同じ古本屋で見付けましたから』って」
「物真似はしなくていい、気持ち悪いから。指紋は? シールから被害者の指紋は出て
ないのか」
「きれいに拭き取ってあり、上島の指紋だけが残っていました。拭き取ったんじゃない
かと問い質すと、これまた当たり前のように認めて。手に入れたときに、少しくすんだ
ような汚れ感があったから、丁寧に拭いたということでした。今はDNA鑑定に掛ける
かどうか、判断待ちです」
「したたかな女のようだな。DNA鑑定で被害者の物が出たとしても、『彼女が見せて
と頼んできたので、渡しただけです』とでも言われて、かわされるのが関の山だろう
な。次々とこちらの疑問点を認めた上で、別の答を用意している。神経が図太いに違い
ない」
「そうかもしれませんが、我々が踏み込んだときに、上島は部屋でだらだら汗をかいて
ましてね。最初はびびっているのかと思ったら、単に風呂上がりで暑がっていただけみ
たいです。その割には、扇風機を仕舞い込んでいて、変な感じでしたが」
「女が風呂から上がって、冷房のない部屋で、扇風機を出さずに、汗だく……考えられ
ん。おい、上島の部屋は調べたのか」
「いえ、調べたのはシールですが、あれもすぐに提出されましたので。部屋は実質、手
付かずと言えます」
「それじゃあ、すぐにでも調べた方がよさそうだ。

 警察の鑑識課が入った結果、上島竜子の泊まる部屋からは、生谷の物と思われる短い
毛髪が見付かった。さらに、羽の部分に大量の毛髪が巻き付いた扇風機が、部屋の押し
入れの奥、布団に覆い隠された形で見付かった。
 動かぬ証拠を突きつけられた上島は、取り調べに対して、概ね素直に犯行を認めてい
るという。
 供述によると――上島は生谷がいそいそと部屋に戻る姿を目撃し、あとをつけた。そ
の顔つきを見て、「うまい隠し場所を思い付いたんだわ」とぴんと来たという。そのま
ま生谷の部屋の前で迷っていたが、もうすぐしたら連れ(川田次美)が戻って来るだろ
う、そうしたらチャンスは失われる。そう思い詰めて、ドアのロックをピッキングの技
で解除、これにはものの十数秒で成功したという。ドアの開く音や中に入ったときの気
配は、生谷が作動させた扇風機の近くにいたおかげで、聞かれなかった。
 戸口の陰から窺っていると、生谷は回し扇風機を停めて、外していたカバーを戻すと
ころだった。扇風機の風の音が消えたら気付かれると考え、上島は生谷に突進。振り向
きざまに突き飛ばされた生谷は転倒。持っていた扇風機の羽に髪の毛がしっかり絡まっ
た。一方、顔を見られた上島は最早引き返せないと考え、生谷に馬乗りになると両手で
首を絞めて殺害。それから“護身用”に所持していたカッターナイフを使って、生谷の
髪をざくざく切り落とした。
 この行為は、生谷がお宝シールを扇風機の羽に貼り付け、常に扇風機を使用すること
で容易には見付からぬようにしていためである。上島は部屋に忍び込んで、扇風機のカ
バーが外されているのを見た瞬間に察知したという。なお、シールは羽に直接貼られて
いた訳ではなく、安全ゴム糊を使って接着されていた。
 生谷の髪と扇風機とを切り離した上島は、廊下に人のいないタイミングを見計らっ
て、その扇風機を抱えたまま、自分の部屋にダッシュ。返す刀で、元々自分の部屋にあ
った扇風機を持ち出し、生谷の部屋に運び込んだ。そして自室に戻ると、羽に絡まる髪
の毛をじっくりとかき分け、シールを見付けた。
 これが事の次第の全てである。
 一見、猟奇的な殺人事件に思えたが、解決してみると非常に即物的かつ衝動的な犯行
が、多少奇妙な像を現実に投影しただけのことだった。

             *           *

 グッドアイディアが浮かんでよかったわ。
 扇風機の羽に安全ゴム糊で一時的に貼り付けて、部屋を留守にするときも扇風機を回
しっ放しにしておけば、見付かりっこない。あとで剥がすときも、安全ゴム糊なら問題
なし。
 あとはこの近所に安全ゴム糊が売ってあるかどうかだったけど、さすが地方の町とい
たら失礼かしら。文房具屋で見付けたときは感動したわよ。
 さあ、これでいちいち持ち歩かなくても大丈夫ね。

 生谷は左胸のボタン付きポケットに入れたシールのかすかな感触を、布越しに確かめ
た。
 夜空には数え切れないくらい多くの星々が、きら、きら、きら。

 終わり




#471/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/06/28  22:55  (255)
音無荘の殺人   寺嶋公香
★内容                                         19/06/30 14:27 修正 第3版
「なあ、頼むよ」
 細川夏也(ほそかわなつや)は、廊下を行く相手の前に回り込んで手を拝み合わせ
た。
 頼まれた袴田冬樹(はかまだとうじゅ)は立ち止まると、腕組みをして嘆息した。
「とりあえず、部屋に入らせてくれませんか。よその部屋の音が漏れ聞こえないことを
売りにしたアパートなのに、廊下で騒いでちゃ申し訳が立たない」
「ああ、そうだな。分かった」
 袴田の部屋、二〇一号室に入り、ドアをしっかり閉めてから話の続きとなる。
「これは大きなチャンスなんだ。七人衆に採用されれば、自分にも道が開ける」
 推理小説専門誌の最新号を取り出し、絨毯敷きの床に置いた。袴田は今話題にしてい
る七人衆――現代の密室ミステリ短編新作七傑を取り揃える、人気企画のページを押し
開いて、改めて目を通した。六人までは有名作家、人気作家の名がずらりと並び、残る
一枠を広く募るという。
「公募を謳っているが、実際にはあんたに内定しているって?」
「ああ。信じられないか?」
「いや。信じるよ。細川さんは昔、一度は長編デビューしてるんだもんな」
 袴田はセミプロの推理作家として、やや羨む目を細川に向けた。
 デビューした細川自身はそのまま専業作家になる気でいたが、当時はいまいち人気が
出なかったのと、家庭の事情のおかげで、断念せざるを得なかった。十年近く経って幻
の推理作家としてスマッシュヒット的に注目され、短編を二つほど書いたが、爆発的人
気にはつながらず、それっきりになっていた。
「でも、チャンスを活かすには実力で勝負しなきゃ」
「それがだめなんだよ。自信のある密室トリックは先月頭締切の、プレミアムミステリ
大賞に送った作品で使ってしまった。まさか再利用する訳にも行くまい」
「細川さんほどなら、ストックがあるでしょ。密室トリックの一つや二つ」
「そりゃ、あるけどさ。密室テーマの短編にメインで使うには、しょぼくて使い物にな
らない」
「だからって、俺を頼られても。他の二人には聞いてみたんですか?」
 他の二人とは、同じこのアパート――音無荘の住人でやはりセミプロ級の推理作家、
磯部秋人(いそべあきひと)および草津春彦(くさつはるひこ)を指し示す。四人はと
あるミステリ創作教室を通じての昔からの知り合いで、音無荘に揃って入ったのも、お
互いの存在を近くに感じることがよい刺激になると考えたのが大きかった。
「彼らとは、最近あんまり反りが合ってないというか。見ていて分かるだろ? トリッ
クを提供してくれるような関係ではないことくらい」
「ええ。創作姿勢についての意見の相違、ですか」
「袴田君は四人の仲をうまく取り持ってくれるから、感謝しているし、ある意味尊敬し
ている。磯部や草津とは、トリックの話もオープンにやってるんだよね?」
「まるっきりのオープンてことはありませんが。まあ、お蔵入りさせていたサブトリッ
クを三人で交換して、それぞれ習作を書いてみたことはありますよ」
「だよね。そのときの広い気持ちで、僕にも一つ、密室トリックのいいやつをくれない
だろうか。もちろん、借りは将来返す。今言っても絵に描いた餅だが、僕が一本立ちし
た暁には、君を有望なミステリ作家だとして編集者に推薦しまくるつもりだ」
「うーん、でもね。真にオリジナリティのある、優れた密室トリックなんて簡単には浮
かびません。浮かんだとして、それを他人にはいどうぞと渡すはずがないでしょう」
「そこを何とか。この通りだ」
 細川は土下座までした。だが、その態度は、袴田の目には行き過ぎと映ったようだ。
「……細川さん。そんなことして、俺がしょぼい密室トリックを提示したら、どうする
んです?」
「それはないだろ。実は知ってるんだよ。あの根っこの密室トリック」
「は!?」
 顔色が変わる袴田。
「あんた、まさか、俺のノートを覗き見したのか?」
「あ、ああ。だいぶ前、この部屋で飲み会をしただろ。あのとき、最終的に僕と君の二
人だけになってから、君がトイレに席を外した、その隙にちょっとね。あ、いや、誤解
しないでくれ。見ただけで、使ってはいない。いいトリックがたくさんあって、才能あ
るなあって感心しただけだよ。そんな中でも、あの根っこの密室トリックは奇想天外で
ユニークだった」
「……信用できない」
「え?」
「もう話は終わり。あんたには絶対に提供しない。たとえ俺自身が字を書けなくなった
としたって、絶対にだ」
「いやいや、悪かったよ。謝るからさ。なあ、僕は僕なりの誠意を示したつもりだ。黙
って使うことだってできたのに、そうせずに、許可を得ようとしてるんだから」
「黙れ。もう出て行ってください。しばらくは顔を見たくない」
 袴田は床にあった雑誌を押し返すと、座った姿勢のまま、くるりと向きを換えた。
 背中を向けられた細川は、ふう、と大きな息を吐いた。
「そうか。分かったよ。すまないね」
 この「すまないね」に、もしかすると袴田は引っ掛かりを覚えたかもしれない。どう
して現在形なんだ? ここは普通、「すまなかったね」じゃないのか?
 そしてその疑問が彼の脳裏に浮かんでいたとして、答は直後に示された。
(ほんと、すまないね、袴田君)
 細川は隠し持っていた金属製の文鎮を取り出し、袴田の脳天めがけて振り下ろした。
 その後、袴田の絶命を確かめると、細川は冷静に返り血の有無を調べた。
「うまくいったようだ。さて」
 このアパートなら、独り言をいくら言っても大丈夫。聞かれる恐れはない。
 だけど細川は、続きは心の中の言葉にした。
(手に入った密室トリックには、このアパートでも使えるのがあったな。あれで部屋を
密室にしよう。そうすれば僕も安全圏に逃れられる)
 細川はそのための下準備として、まずは袴田のトリックノートを持ち去ることにし
た。

             *           *

 純子が砧緑河(きぬたりょくか)と親しくなったきっかけは、同じ番組に出演したこ
とだった。
 現役大学生にしてロックバンド『伝説未満』のドラマー。
 誰が見ても華奢な身体付きだなあって印象を与えるであろう砧だが、いざドラムを叩
き始めるとパワフルで。夏に薄着してるときなんか、服がまくれ上がっちゃうんじゃな
いかと気が気でないファンも多いと聞く。
 そんな砧緑河が住んでいるのが、音無荘。防音に特化したアパートで、かつて通称が
音無荘だったのに、今では正式名称になってしまった。各部屋でどんなに音を立てよう
と、外に漏れはしないっていうのが謳い文句。
「もちろん、窓を開け放してはだめだけどさ」
 砧は笑いながら純子に説明した。
 風呂もトイレも炊事場も共同で、洗濯は近くのコインランドリーまで出向く必要があ
る。それでも完全防音に惹かれて、空室なしの状態が続いているという。
 居室は一階に三部屋、二階に五部屋あって、今の入居者は一階は三人全員が砧自身を
含めて音楽関係の人。二階の方は、四部屋はセミプロクラスの作家さん、それも推理作
家ばかりが揃っている。残る一部屋は、若手の噺家が入っているとのことだった。
「なかなか楽しそうな顔ぶれというか……」
「実際、楽しいんだから。美羽ちんも暇ができたら、遊びにおいで。生演奏付きで落語
を聴けるかもしれないよ」
 砧は純子のことを“美羽ちん”と呼ぶ。純子が風谷美羽として芸能活動をしているか
らに他ならないのだが、最初は「ちゃん」付けだったのが、じきに変化したのは妹扱い
されているためらしい。

 砧の誘いに対し、行く気満々だった純子だけれども、双方の都合がなかなか付かなく
て行けないまま、半年ほどが過ぎた。砧は新しい曲のレコーディングの目処が立ち、純
子の方は密室殺人を扱ったドラマの収録が終わったことで、ようやく休みがうまく重な
った。
「外で待ち合わせしてから、ご招待でもいいんだけど、古風亭安多(こふうていあん
た)さんが午前中なら、稽古がてらに一席演じられるけどって格好付けて言ってる」
「格好付けて?」
「本心では安多さん、美羽ちんを一目見ておきたいんだよ。面食いな人だからね」
「あはは、まさか。私のことなんか知らないでしょ」
「いやいや、その無自覚が怖いよ。それともまさか、若手噺家は皆ストイックな修行の
身にあるとでも思ってる?」
「それはないけど……。とりあえず、直接そちらに窺ったらいいんだよね? 何時にす
る?」
「朝の十時とか、大丈夫?」
「何とかなる」
 そんな風にして約束の詳細を詰めたけれども。
 当日の朝になって、大変なことが音無荘で起きたと純子はニュースで知る。
 二階に入居する推理作家四人の内、三人が死亡するという大事件だった。
 すぐさま電話を掛けてみた純子だったけれども、いっこうにつながらない。他の知り
合いからも着信が殺到しているに違いないから、無理もない。
 結局連絡が付かないまま、当初の予定通り、十時十分前に着くように自宅を出発し
た。

「美羽ちんてさあ、案外、ばかなところあるんだね」
 マドラーでアイスコーヒーの氷をつつきながら、砧が笑った。
「ばかはないと思う……」
 ミルクセーキのグラスを両手で包み、軽く頬を膨らませたのは純子。
 二人はアパートから百メートルほど離れたところにある、半地下型の喫茶店にいた。
「ごめんごめん。まあ、ばかは言いすぎだけど、考える前に動くっていうか。普通に想
像したら分かるっしょ。事件が起きてマスコミが集まることくらい」
「うん。確かに」
「そんな場所にのこのこやって来たら、事件と関係あるんじゃないかって疑いの眼で見
られるかもしれないんだよ」
「そこまでは考えなかったわ」
「ほら、だから考えなしに行動してるじゃん」
「でも、砧さんが心配で」
「そ、そこはいい子だねって評価してる」
 何故か照れと戸惑いを露わにした砧は、アイスコーヒーにミルクフレッシュを全部入
れて派手にかきまぜた。
「そういえば、古風亭安多さんはどうされたの?」
「あー、あの人は現場と同じ二階の住人てことで、事情聴取が長引いているみたいね。
疑われてるんじゃないといいんだけど」
 亡くなった三人の推理作家は袴田冬樹、磯部秋人、草津春彦と言い、残る一人の細川
夏也も怪我を負っていた。
「四人は元々知り合いで、それぞれ何らかの形で商業デビューしてるの。ペンネームに
春夏秋冬を一文字ずつ入れようって実行するくらい、親しかったみたいだね。ただ、ラ
イバル意識も凄く強くて、時折、派手な口論をしてた……らしいんだけど、アパートで
は防音設備が整っているから、そういう場面にはほとんどお目に掛からなかったな。せ
いぜい、共用スペースのキッチンでぐらいかな」
「創作論を闘わせるという意味でしょう? そんなことで殺意が生まれるの?」
「表面上は論戦でも、裏に回ればどうだったのかな。みんな本格的なプロを目指して、
よく言えば切磋琢磨、悪く言えば足の引っ張り合いをしていたように見えた。たとえ
ば、出版社からの封筒を隠して、見るのを遅らせたりね。ある人の作品の酷評が載った
雑誌を、これ見よがしにテーブルに置いたり。誰がやったか分からないようにする辺
り、陰険よ。それでも表向きは親しく付き合っているんだから、みんな犯人の素質があ
ると思った。っと、これは不謹慎だったね、殺人が起きているのに」
「……知り合いに探偵さんがいるんだけれど、その人に意見を聞いてみようかな。砧さ
んも早く解決した方が、落ち着いてあのアパートで暮らせるでしょ?」
「それはそうだけど。へえ? 探偵って、興信所なんかの調査員じゃなくて、映画やド
ラマで見るような?」
「そう。一部の警察の人にも顔が利くみたい」
「おお、いかにも名探偵って感じ。そういう美羽ちんも、顔が広いんだねえ」
「知り合うきっかけは、ずっと小さな頃の出来事だったんだけどね」
 純子は当時を思い出して回想にふけりそうになったが、かぶりを振った。今は、砧か
ら知っている限りの情報を聞き出すのが最優先だ。

「涼原さん、これは正直言って、難題かもしれない」
 純子がその日の内に知り合いの探偵・地天馬鋭に依頼を出したところ、自宅に帰り着
く頃には返答が電話であった。
「地天馬さんにとって難題なんですか?」
「ああ。警察よりも早く犯人逮捕するのはまず無理だろうね」
「え?」
 事件が難しいというのではないらしい。むしろ簡単すぎるってこと?
「思い込みはよくないと分かっているが、この事件はほぼ決まりだろうね。推理作家で
生き残った細川を犯人だと睨んで、警察は動く。僕も手を着けるのなら、そこからにす
る」
「……どういう理由でそうなるんでしょう? 動機なら、一階の音楽関係者の人にもあ
ったはずですが」
 電話口で首を傾げる純子。砧は別にして、他の二人の音楽関係者――ともにミュージ
シャン――は、入居の際に推理作家の袴田&磯部と部屋を入れ替わってもらっている。
楽器や関連機器の搬入に、一階の方が便利だというのが理由で、最初は一悶着あったと
聞いた。多少の金銭で解決したが、しこりは残ったという。
「関係ないと思うね。音楽関係者と推理作家の間にわだかまりが残っていたって、決着
したことを蒸し返す理由がどちらにもない。推理作家の皆さんが元の一階の部屋に執着
する理由があったとしても、それなら彼らは被害者ではなく加害者になるはずだ」
「そこは分かりましたけど、細川という人を犯人扱いする理由は」
「他の三人が、密室状態の部屋で殺されているからさ。一般の人間はこんなことはしな
い」
「あ、そっか。そうですね」
 ここしばらく、密室殺人を扱うミステリドラマに出演していたせいか、感覚が麻痺し
ていたようだ。
 地天馬に言われるまでもなく、三人の被害者が密室状態の自室内でそれぞれ亡くなっ
たことは、砧から聞いていた。
「部屋の間取りや鍵の構造、窓の有無など詳しくはまだ聞いていないが、防音に優れた
部屋なら、ドアや窓に隙間はなく、鍵も特殊な物である可能性が高い。恐らく、複製も
難しいはず。そういう条件下だとしたら、まず考えるべきは犯人が第一発見者を装って
鍵を室内に持ち込むパターンだ」
「そうですね」
 素直に相槌を打つ純子。ちょうどドラマでも同じようなやり取りがあったから、よく
分かる。
「そして人の動きをチェックすると、袴田、磯部、草津の各部屋に真っ先に出入りした
のは細川氏ただ一人。腕と頭を負傷しているにも関わらず、病院への搬送どころか応急
措置すらも拒んで、他のみんなが危ないかもしれないと管理人を呼ばせた上、一緒に入
っていく。不自然さがあふれ出ているよ」
「言われてみると、仰る通りでした」
「まあ、鍵を部屋に置く方法は工夫したみたいだね。たとえば草津の部屋では絨毯がふ
かふかなのと、一緒に入った管理人が低身長であることを利して、管理人の頭越しに鍵
を放ったんだと思う」
「それって……ステージ上のマジックで、似たような演目を見た覚えがあります」
「そこからの発想かもしれない。袴田の部屋では、被害者のサンダルをさりげなく履い
ていた可能性が高い。細川氏は自室を素足で飛び出しているのに、管理人とともに廊下
を急ぐ姿を他の住民に見られた際は、複数の足音が聞こえたとある。袴田のサンダルに
二〇一号室の鍵を入れた上で、自らが履いたんだろう。現場で脱げば、鍵はサンダルに
最初から入っていたように見えるっていう寸法さ。どさくさ紛れで綱渡りの方法だが、
運がよかったとしか言えない」
「細川という人が怪しいというのは分かりましたが、動機は何なんでしょう? 互いを
ライバルとして高め合っていた、言ってみれば戦友なのに、いきなり殺すなんて」
「そこまでは分からない。想像ならいくらでもできるが、三人をまとめて殺害するとな
ると、何らかの切羽詰まった事情があったんじゃないかな。とまあ、今の僕が言えるの
は、この程度のことだよ。探偵が動かなくても、早晩、警察が犯人を逮捕するに違いな
い。だから涼原さん、君の友人にも近い内に平穏が戻って来るさ。全くの元通りにはな
らないだろうけどね」
「あ、はい。殺人現場になったアパートだなんて、ちょっと怖いですけど、ようやく遊
びに行けます。ありが――」
 純子が礼を言おうとしたときには、相手は多忙を理由にさっさと電話を終えてしまっ
ていた。

             *           *

『念には念を入れないとな』
 胸の内だけの呟きにとどめるつもりが、いつの間にかまた声に出していた。初めての
殺人で、気が多少動転している。それを落ち着けよう、励まそうと、自らの声で試みて
いるのかもしれない。
『袴田と草津、磯部は三人でトリックの交換をしていた。ということは、僕のお目当て
である木の根っこを利した密室トリックについて、袴田が二人に話している可能性があ
る。話していない可能性の方が大きいだろうけれども、万が一に備えなきゃ。口封じの
ために、磯部と草津も始末しよう。それこそが完全犯罪への道だ。幸い、鍵を室内に戻
すタイプの密室トリックなら、袴田のノートに山ほどある。この中から、推理小説とし
ては使いづらい、つまらない物をピックアップして、現実の事件に用いればいい。無駄
遣いはよくないからな』
 ICレコーダーに手が伸びてきて、停止ボタンを押した。
 その手の主である花畑刑事は、容疑者の細川をにらみつけた。
「亡くなった袴田さん、こんな物で録音してたんだな。机の脚の影に貼り付けてあった
よ。あんたのこと、前々から信用していなかったんじゃないか?」
 デスクを挟んで向こう側に座る細川は、ただただ口をあんぐりとさせていた。
 いや、ようやく一言だけ言った。
「音が、あった」

――おわり




#472/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/08/31  22:12  (338)
飛鳥部響子の探偵しない事件簿   寺嶋公香
★内容                                         19/09/11 21:10 修正 第2版
 最初にその悲鳴を聞いた瞬間、飛鳥部響子(あすかべきょうこ)は「またやってる」
と思っただけだった。
 悲鳴を上げたのは、瀬野礼音(せのらいね)。劇団の中では年長者の方で、それなり
に演技は達者だけれども、時々、意図の分からないアドリブを放り込んでくる。ついで
に言えば若作りも周りの評判は芳しくないようだ。が、本人は気付いていないのか気付
いていないふりをしているのか、いっこうに改まらない。
 現在、演劇の通し稽古中で、皆で乾杯するシーンに差し掛かったところだった。元々
の台本では、飛鳥部の目の前で、郡戸規人(こおずのりひと)が毒を盛られて倒れ、や
がて絶命する演技に移るはずだった。ところが彼に先んじて、舞台の端にいた乳川阿久
太(ちがわあくた)が仰向けに派手にぶっ倒れ、そばにいた瀬野が駆け寄り、悲鳴を上
げたのだ。
(大方、いたずら好きな乳川さんと組んで、他の皆を驚かせようとして、一芝居打った
んだわ。芝居中に一芝居だなんて、ややこしい)
 飛鳥部はしかし、積極的には事態に対処せず、状況を見守った。セミプロの飛鳥部は
今回、アマチュア劇団「歓呼鳥」に助っ人女優として参加している立場だ。師と仰ぐ桂
川(かつらがわ)に頼まれては断れず、心理ミステリと銘打った台本はシンプルだが結
構見せ所があったので、まあまあ悪くない仕事だと感じていた。だが、稽古二日目から
瀬野の自由な振る舞いが鼻につき始め、幾度もいらいらさせられていた。それでも立場
上、揉め事を起こしたくないと我慢するように心掛けていたので、この場で動かないの
は当然の選択だった。
 今回役のない裏方の二人が、倒れた乳川の上半身右側にしゃがむ瀬野に背後から近寄
り、「大丈夫ですか」と、一応心配するような声を掛ける。「歓呼鳥」では監督や演出
といった制作陣と、俳優陣とのはっきりした区分はなく、本劇では監督と演出と被害者
役を郡戸が務めている。彼が舌打ちをしたことからも、このアドリブが進行を妨げる夾
雑物であるのは明らかだった。即座に注意叱責が行われないのは、劇団内部の格付けが
影響しているらしいのだが、外部の人間である飛鳥部には推測に留まるしかない。
 ところが、稽古の中断によりともすれば弛緩しがちな空気が、瞬く間に一変する。
「郡戸監督! 本当にやばい感じっす!」
 様子を見に行った二人の内の若い方が振り返った勢いのまま、郡戸や飛鳥部のいる方
に駆けてきた。
「おいおい、おまえまで片棒を担ぐってか。勘弁してくれ」
 のろのろとした足取りで、乳川の倒れているところへ向かう郡戸。瀬野はとうに立ち
上がり、距離を取っていた。彼女の足元――というにはやや遠いが――では、乳川が
「はぁ〜、はぁ〜」と苦しげな呼吸を繰り返している。
 演技にしてはどこか変だ。飛鳥部は直感し、郡戸を追い抜いて乳川に駆け寄った。
 最初に駆け付けた裏方二人の内の、年配の方が「これ、本当に刺さってるよ……」
と、どことなく芝居がかった口調で言った。
 桂川が用意してくれたという稽古場は広く、飛鳥部の立っていた位置からは乳川の様
子がよく見えなかったのだが、近付いてみると彼の左胸、鎖骨と心臓の間ぐらいに、小
型の矢が突き立っていた。襟首の大きく開いた衣装を身に着けているため、乳川の肌が
露わになっていて、傷口から血が滲んでいるのが分かる。
「郡戸監督」
 飛鳥部が振り返ると、さすがに郡戸も事態の異常さを察知していた。若干青ざめた顔
を近付け、傷を覗き込んだ。
「何でこんなことに。おい、乳川さん! 大丈夫か?」
「暑い……ライト……気分わりぃ……」
 稽古とは言え、本番になるべく近い状態でやるために、照明をふんだんに使ってい
た。その眩しさと熱が、乳川にとって気分の悪さを増幅させているようだ。
「袖に運んであげて!」
 悲鳴のあとは息を飲んだように黙りこくっていた瀬野が、我に返ったみたいに指示を
出した。舞台袖に控えていたスタッフ四名がやって来て、おろおろしつつも乳川を持ち
上げる。
「そっとよ!」
 郡戸や沼木銀子(ぬまきぎんこ)が手伝おうとすると、「衣装着ている人は、下手に
近付かない方がいいわ。汚れたら落とすのが手間よ!」と瀬野がストップを掛ける。乳
川を心配する反面、劇のことも心配するという、ある意味二重人格めいたところを垣間
見せた。二重人格なんて、役者としてはそれくらいで当たり前なのかもしれない。
「間宮(まみや)さんは、今日は来てたわよね?」
 相変わらず仕切る瀬野は、劇団員の名前を挙げた。飛鳥部は記憶を辿り、間宮久世
(ひさよ)の普段の仕事は看護師だということを思い出した。
「はい、来てます。衣装係で」
「応急手当は彼女に任せましょう。そう伝えておいて!」
 瀬野は指示を終えると、今度は郡戸に向き直った。
「監督。どうするか判断して。救急車を呼ぶのは当然だろうけど、警察を呼ぶのかどう
か」
「け、警察?」
 気圧されたように上体を反らし、どもって答える郡戸。
「事件なんじゃないの? 誰かがどこかから弓矢で乳川さんを狙ったんだから」
「そんなことって……信じられん。この稽古場のどこから狙えば、人に見られずに撃て
るってんだ?」
「そんなのは知らないわよ。現に矢で撃たれてたんだから」
 言い争いが続きそうな気配に、飛鳥部は近くにいた裏方の一人を掴まえて、パイプ椅
子の上にある携帯端末を持って来るように囁いた。そして郡戸と瀬野の些か喧嘩腰の会
話に割って入る。
「ちょっといいですか。二人とも、救急車を呼ぶことでは一致してるんですから、早く
そうしないと。ほら、監督さん」
 さっきの裏方が郡戸の携帯端末を持って、ちょうど戻って来た。

 結局、警察が呼ばれた。
 相談してそう決めたのではなく、否応なしにである。何故ならあのあと、乳川は亡く
なったのだ。
 間宮が施したであろう応急手当も虚しく、救急隊員が到着したときには青息吐息であ
った乳川は、救急車に乗せられた時点でもう息をしなくなっていたという。死亡確認は
病院でなされたが、実際には稽古場で死んだと言えよう。
「さて皆さん」
 稽古場に劇団関係者を集めたところで、初芝(はつしば)と名乗った刑事がそう切り
出すと、不謹慎にも小さく吹き出す者が数名いた。
「やれやれ。前にもありましたよ、こういうことが。さて皆さんと言うのがそんなにお
かしいですか。定番の台詞も困ったものだ。まあ、私はまだ捜査に着手したばかりで、
事件を解いたって訳ではありませんがね」
 初芝は腰の後ろで手を組み、短い距離を左右に行ったり来たりしながら一くさりぶっ
た。警部という身分にしては見た目の若い長髪で、なかなか癖のありそうな男である。
「状況については、先に個別に行われた聴取でだいたい掴んでいます。それらをひとま
とめにして、何らかの矛盾でも浮かび上がれば取っ掛かりになって、私どもとしても助
かったのですが……今のところ特にこれといったものは発見できていない。仕方ないの
で、こうして皆さんにお集まりいただき、再検討を試みようという寸法です。どーかよ
ろしく」
 初芝警部は右手で前髪をかき上げると、「この奥の方をステージに見立てていたんで
したね」と、壁を指差した。
「事件発生時、このステージのスペースに立っていた人達は、前に出て来て、それぞれ
の位置についてください」
 案外柔らかな物腰だが、有無を言わさぬ響きを含んでいる。無論、この状況で反駁の
声を上げてわざわざ警察に睨まれる真似なんて、誰もするはずがない。
 ステージに“上がった”のは、お嬢様役で誕生日パーティの主役という立場の瀬野、
その婚約者役の郡戸、瀬野の友人役の飛鳥部、瀬野の義母役の沼木、さらには沼木の連
れ子役が渡部広司(わたべこうじ)、屋敷に住み込みのメイド役が横山幸穂(よこやま
さちほ)という顔ぶれで、これに沼木の弟役で遊び人設定の乳川を加えると七人にな
る。
 初芝警部は乳川のいた位置を聞いて、そこに立った。代わりを務めるということだ。
「聞いたところでは、本来の筋では、メイドの横山さんがトレイに乗せて飲み物を運
ぶ。各自がグラスを取って、横山さんは下がる。他の六人で乾杯し、その直後、郡戸さ
んが悶え苦しみながら倒れるという流れだったとか」
「はい、間違いありません」
 返事する郡戸と瀬野の声がほとんど被った。
「現実に起こったのは、横山さんが引っ込んで、残る六人が中央付近に集まろうとした
矢先、私というか乳川さんが胸元を押さえて倒れた。そして――瀬野さん、その様が正
面に見えたので、駆け寄ってみたところ、矢が刺さっていた」
「ええ」
 自身を抱えるような格好をし、身震いする瀬野。
「矢が飛んでくるのも目撃していればよかったんですけれど……」
「いや、そいつは無理です」
 簡単に言い切った警部。
「調べたところ、あれはダーツに手を加えた、おもちゃみたいな物でした。長さこそ十
センチほどあったが、重さのバランスに問題があって、常識レベルの弓ではまともに飛
びそうにない。ま、裏を返せば非常識なほど強力なゴムや、空気砲みたいなので飛ばせ
ば、狙い通りに飛んで行くかもしれないが、この稽古場にそんな道具はなかった。凶器
に限らず、犯行後に何かを建物の外に持ち出すチャンスもなかったとの証言を得ていま
す」
 この稽古場はビルの二階にあり、外部とのルートは一階を通るしかない。そして一階
には施設使用の受付などを担当する管理人が常駐している。
「そういう訳で、瀬野さん、とりあえずはあなたを疑うことから始めたいんですが」
「ま。どうして私が」
 驚きの声を上げ、口元を手で隠す瀬野。堂に入っているけれども、この場面でこの型
にはまった反応は、安っぽく見えてしまう。いや、それ以上に疑いを深めることにつな
がるやもしれぬ。
「賢明なあなたならお分かりだと思うのですが、ご説明しましょうか。可能性の問題で
して」
「……そうね。つまり、あの矢が飛んできたのではないとしたら、直に刺したものだ。
乳川さんに真っ先に近付いた私が怪しいという理屈かしら」
「そうです。あ、ついでに付け加えると、あなたと乳川さんは劇団内で1、2を争うア
ドリブ王だとか。あなたは他人の力を試すかのようなアドリブが多いのに対し、乳川さ
んは人を驚かせるいたずらが多かったと聞きました。そこで私は思った。あなたと乳川
さんが予め示し合わせて、芝居を打つ約束をしたのではないいか。そしてさらに、あな
たはその約束を途中で裏切り、演技で倒れた乳川さんに近付くや、隠し持っていた凶器
で刺した」
「そんな恐ろしいこと」
 私はしませんと言ったみたいだが、よく聞き取れなかった。
「刑事さん、本気でそうお考えなのですか」
 郡戸が尋ねた。律儀にも、最初にスタンバイするように言われた位置から、一歩も動
いていない。
「いや、最初に浮かんだ仮説がこれだというだけで、後に出て来た物証を見ると、ちょ
っと否定したくなってきたところです」
 初芝警部は身体の向きを換え、手帳を取り出す。ページをぱらぱらっとやって、一度
行きすぎてから目的の箇所を見付けたようだ。
「多分、皆さんには伝わっていなかったと思います。死因は毒物でした。詳しくは申せ
ませんが、ニコチン系としておきましょう」
 警部の話す途中からざわめきが広がった。
「お静かに。あまり勝手な発言を方々でされては困ります。こういうときこそさて皆さ
んと言うべきでしょうかね」
 警部の人を喰った物言いに、場のざわつきはたちまち収まった。
「無論、凶器の矢にも毒が塗布された痕跡がありましたよ。たっぷりとね。翻ってみる
に、瀬野さん。稽古時の衣装はドレスだったと窺いました。写真でも拝見したのです
が、チャイナドレスをちょっと洋風にした感じでしたね」
「え、ええ。自前ですの」
「なるほど。肌の露出度が意外に高く、矢を隠すスペースは限られそうです。それでも
元はダーツの矢なのだから、テープで貼り付けるなり何なりすれば、隠せないことはな
い。ですが、毒が塗られていたのでは無理だ。下手すると自分に刺さって、命が危な
い。先端部を他の物で覆うとか、身体から外したあとに毒を塗るといった方法も、この
早業殺人には該当しない」
 警部の推理に、瀬野はあからさまにほっとした。それは飛鳥部が目の当たりにした瀬
野の言動の中で、最も自然な動作だった。
 ただ、警部はまだ瀬野を解放した訳じゃなかったようだ。
「唯一、考えられるのは、髪飾りに模して凶器を髪に挿しておく方法ぐらいかな。だけ
どまあ、これもありませんでした。リハーサルの最初に記念の集合写真を撮られていま
したね。あれを見ると、あなたの頭にそんな変な物はなかった」
「……お人が悪い」
 ぶつぶつ言いながらも、瀬野は再びの安堵をした。
 初芝警部は二度ほど首肯し、全員をぐるりと見渡した。
「瀬野さんでなければ誰か。瀬野さんの次に乳川さんに近付いたお二方ではもう遅い。
通常の舞台の上だったなら、こんな壁がなく――」
 稽古場奥の壁をコンコンと叩く警部。
「布で仕切る場合もあるようだから、そこに潜んでいた犯人が、乳川さんの隙を突い
て、凶器を直接振るったという線も考えられるんですがね。この稽古場では、それも無
理。お手上げ状態で、困っているんですよ。こうして発生時の状況を再現すれば、何か
思い出されるのではないかと期待しているのですが、何もありませんか。変な物を見掛
けたとか、普段はこうなのに事件当日は違っていた、みたいなわずかな違いでもいい」
 警部はまたも皆を見渡した。舞台上だけじゃなく、出番じゃなかった役者や裏方にも
等分に視線を配る。
「あの、そういう何かに気付いたとかじゃないですけど」
 声のした方を向くと、横山が小さく右手を挙手していた。高校を卒業したばかりで、
まだまだおぼこいってやつだけど、華はある。本当の端役としてのメイドを演じられる
のは今の内かもしれない。
「何でもかまいません。拝聴します」
「乳川さんは自殺……ってことはないでしょうか」
「ん? どうしてまたそんな意見を持つに至ったのでしょうか。思い悩むタイプじゃな
かったという証言を、複数の関係者から得ていますが」
「私もそう思います。だけど、誰も乳川さん凶器を刺せない、撃てないのなら、あとは
本人しか残らないのではないかなと思って」
「なるほど。理屈ではそうなる。じゃ、折角だから皆さんに問いましょう。乳川さんが
自殺するようなことに心当たりのある方はいらっしゃいませんか」
 警部が見渡す前に、「あの」と声を上げた男性がいた。監督の郡戸だった。
「何でしょう」
「彼は実生活でも今度の役柄に近い、遊び人の面があって、金遣いが荒かったんです。
暇と小金があれば、競馬だのパチンコだのにつぎ込んでいました。そして儲かっても、
すぐに使ってしまう。それでうまく回ってる内はいいが、負けが込むとどうなるやら。
あのときの金を残していたらと悔やんで、急に虚しくなって死を選ぶとか、考えられな
いでしょうか」
「私はあなた方よりも乳川さんを知らないので、分かりません。それよりも郡戸さん。
具体的に乳川さんがギャンブルで大負けした事実があるんですか」
「ちょっと前の話になりますけど、麻雀で負けが込んで、手持ちの現金以上にマイナス
になって、支払いを先延ばしにしてもらおうとしたら、怖い人が出て来たことがあった
とか言ってました。やくざとか暴力団とか、そういった連中だと思います。そのときは
身に着けていた時計やらベルトやら上着やらで、どうにか勘弁してもらったとか言って
笑っていましたけど、また同じことを繰り返して、今度こそだめだってなったら死を選
ぶかも……」
「うーん」
 初芝警部は大げさに首を傾げた。
「どうも分からんのですが、自殺するなら誰も見ていないところで一人ですればいいの
では。何でわざわざ皆さんの前で、しかも他殺っぽく偽装して死ぬ必要があるのでしょ
うかね」
「……生命保険金とか」
「ああ、乳川さんは保険に金を使う人ではなかったようでして。奥さんとお子さんがい
るにもかかわらず、保険には入っていなかったみたいです。尤も、ご遺族の元に借金取
りが押し掛けているというようなことにも、今のところなってませんが」
「そうですか。やっぱり、違うのかなあ」
 宙で片肘を突き、右手に作った拳を口元に宛がう郡戸。黙っていれば名監督という風
情、なきにしもあらずだ。
 と、そんなことを考えるともなしに思っていた飛鳥部だったが、不意に初芝から名を
呼ばれた。
「飛鳥部さん」
「はい、何でしょう?」
「あなたは部外者というか、ゲスト参加の方ですよね」
「そうなります。劇団員同士では動機が見付からないから、外部の者が怪しいと?」
「いえ、とんでもない」
 笑いながら両手を振る警部。その姿を見て飛鳥部は、ここにいる全員の中で二番目に
演技が上手いのはこの刑事さんかもと思った。一番? もちろん飛鳥部自身である。
「部外者だからこそ気付く視点というのを持ち得るのではないか思いまして」
「それは警察の方々も同じです」
「ところが現場に居合わせたのはあなただけですよ。現場に居合わせ、しかも部外者の
視点を持てるのは、飛鳥部さんお一人」
「……そう言われましても……あ、でもひとつだけ」
「何です」
「皆さん周知の事実だろうなと思い、刑事さんの事情聴取でも話さなかったのですが…
…今まで全然話に出て来ないので、言ってみますね」
 飛鳥部はステージのスペースから、スタッフ達の顔を見ていった。目的の人物を見付
けて、失礼にならない程度に腕で示す。
「乳川さんと間宮さんはお付き合いしていたと思います。違っていたらごめんなさい。
裁判は勘弁してくださいね」
 飛鳥部は両手を合わせながら、チャーミングさを匂わせて言った。実際には、腕で示
した瞬間の間宮の表情の変化をしっかり見届けており、確信を得ての発言だったのだ
が。
 しかし劇団のメンバー間では、誰も思っていなかったようで。
「間宮さんと乳川さんが?」
「何の根拠があって」
「タイプが違う気がするけど」
 なんて声が重なるようにして次々上がる。それらに後押しされた訳でもないだろう
が、間宮は飛鳥部に向かって、「私が乳川さんと? あり得ないわ」と断言した。三十
前後の肌の白い、大人しそうな見た目だが、演じるときは様々に変化する。特にあばず
れタイプが得意のようだが、ひょっとすると地?
「ですが、最初の台詞合わせのとき、隣同士に座られて」
「そんなことが理由? それで付き合ってたって疑われるんだったら、手をつなげば妊
娠ね」
「まだ途中です。座られるときに、一度右側に腰を下ろし掛けて、思い出したみたいに
左に移られました。あれは利き手が左と右とで邪魔になることを気にしたのではありま
せんか」
「……そうよ。けど、利き手ぐらいのことで」
「まだありました。これまでの何回かの稽古の休憩時に、コーヒーや紅茶を飲むことが
ありました。その際、角砂糖を入れない人、一つ入れる人、二つ入れる人、色々いまし
たが、皆さん毎回同じでした。入れない人は入れない。一個入れる人は常に一個、二個
なら二個と。でもただ一人、乳川さんだけが毎回異なっているようでした。コーヒーと
紅茶で区別してるのでもなし、お茶請けによって変えているのでもない。何だろうと思
ってふと気が付いたんです。曜日だって。何らかの健康のためなんでしょう、乳川さん
は水曜と土曜は角砂糖を一個だけ入れて、あとは無糖でした。そしてこのことを正確に
把握しているのは、劇団の中では間宮さんお一人だったようにお見受けしました」
「それは……私が看護師だから、アドバイスしたのよ。彼の身体を気遣って」
「なるほど。そう来ましたか。でも、彼なんて言うと怪しまれますよ。――ねえ、初芝
警部。どう思われます?」
 最前とは逆に、警部の名を不意に呼んでやった飛鳥部。
 初芝はさすがに慌て得る気配は微塵もなく、「調べる値打ちはありますねえ」と答え
た。そして部下に目配せし、間宮の回りを囲ませてから、話を続ける。
「ただ、間宮さんと被害者が密かに付き合っていて殺害動機があったとしても、彼女が
乳川さんを殺せるのかどうか。方法が分からない」
「それは刑事さん達が今、可能性を検討し始めたばかりだからだと思います。じっくり
考えれば、少なくとも一つ、方法があると分かるはず」
「悪いんですが、それを教えてくれますか。事件解決が早ければ早いほど、我々もあな
た方も助かるでしょう。つまり、今度の劇を中止にせずに済ませられますよ」
「それはよいお話です。不幸中の幸いと述べるのはあれですが、間宮さんには今回、何
の役も割り振られていませんし。――監督、かまいませんよね?」
「あ、ああ。警察に協力して……ください」
 郡戸は外見とは正反対の落ち着きのなさで、了解した。
 飛鳥部は軽く咳払いをして、間宮の方をちらと見てから、警部に対して説明を始め
た。
「私が想像したのは、乳川さんのいたずらは、頻繁にありすぎて、ちょっとやそっとの
ことでは最早誰も引っ掛からなくなっていたんじゃないかという状況です。知恵を絞っ
て作ったどっきりをああまたかで済ませられては、乳川さんも面白くない。そこで一段
階エスカレートしたいたずらを考えた。それが、凶器を使って本当に自らの身体を傷付
けるという荒技です」
「え?」
 何人かが、やや間の抜けた反応を漏らした。「それって自殺説に近いような」という
声も聞こえた。
「無論、凶器に毒は塗りません。ダーツに手を加えて弓矢の矢のようにしたのにも理由
があったんでしょう。あまりに鋭い凶器だと、深く突き刺さって危ないので、市販の
ダーツを軽く尖らせて使った。矢にしたのは、どこかから飛んできたように思わせる余
地を残すため。いきなり自作自演だと見破られては、元も子もないですから」
「なるほど。筋道は通っているようだ。では毒は?」
「警部さんならもうお分かりだと思います。お譲りしますわ」
「そ、そうですか。では……」
 警部もまた咳払いをした。さすがにここでは「さて皆さん」とは言わない。
「いたずらとしてのアドリブで、ダーツの矢を胸に自ら刺すという計画を、間宮さんは
事前に聞かされていた。乳川さんにしてみれば、すぐにでも的確な治療をしてもらっ
て、救急や警察を呼ばれない内に『はいこの通り元気ですよ。みんな騙されてくれてど
うも〜』ってな具合に姿を現すつもりだったに違いない。
 だが、計画を聞かされた間宮さんは、かねてから抱いていた殺意を実行に移すチャン
スだと捉えた。治療のために運ばれてきた乳川さんと二人きりになるタイミングは絶対
にあったと思う。なければ看護師の専門職ぶりをかさに着て、人払いすることも可能で
しょうな。そして二人だけになったとき、凶器のダーツを抜き取り、毒を塗布してから
改めて同じ傷口に押し込んだ。あとは毒が回って、被害者の死を待つのみ――こんな感
じですか」
 喋り終えた初芝は、どことなく気分よさげだった。髪をかき上げ、間宮の反応を窺う
素振りを見せる。
「……そんな朗々と演説しなくても、調べられたらまずい物がたくさん見付かったの
に」
 悔しさを紛らわせる風に、間宮久世は言い捨てた。

 ちなみに。
 劇の方は結局中止になった。飛鳥部はやる気満々だったけれども、劇団員の内、出演
の決まっていた数名が降りてしまい、代役も揃わなかったためだ。一応、無期限延期と
発表されたが、恐らく中止だろう。
 事態がこんな顛末を迎えたせいで、飛鳥部は桂川からちくりと嫌味を言われた。
「プロの集まりじゃない、アマチュア劇団なんだから、彼らの心情を慮って、公演が終
わるまで解決を先延ばしにはできなかったのかい?」
 当然、冗談だったのだが、師匠のこの言葉は飛鳥部に心のライバルの存在を改めて意
識させた。
(一緒の舞台を踏んだとき、私がアマチュアで、彼女がセミプロ、プロだった。少しで
も早く彼女とまた共演したい。ううん、しなくては)
 飛鳥部響子はそうして、涼原純子の顔を思い浮かべた。

 おわり




#473/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/09/27  21:14  (104)
誤配が運んでくれたもの   永山
★内容                                         19/10/10 19:50 修正 第3版
 今日も郵便受けを覗く。何通か入っている。単なる投げ込みチラシも一枚あった。
 私は一通の茶封筒に目を留めた。宛名書きがないことから封筒に入ったチラシの類だ
と思ったが、それにしては封がしっかりされているし、茶封筒とは味も素っ気もない。
 玄関から家に戻って、リビングに向かいながら封を切る。中からは白地の紙が出て来
た。A4のプリント用紙のようだ。六つ折りぐらいに畳まれて、入っていた。
 プリント用意だけど、ここもやはり手書きだった。定規を当てて鉛筆で書いたと思し
き、かくかくした大きめの文字が並ぶ。全て片仮名のようだ。
<サトウカツヒトサン、サトウマナミサンヘ。オフタリノダイジナヒトリムスコ、タツ
ヒコクンヲユウカイシタノハ、ワタシデス>
 読み始めてすぐに、え?っとなった。
 まず、私はサトウではなく鈴木だ。隣の家が佐藤だから、誤配に違いない。いや、そ
もそもこれには宛名がないのだから、郵便局や宅配業者の手を経た配達物ではない。何
者かが直接、郵便受けに入れたのだ。隣と間違えるという大ぽかをやらかして。
 そしてこの文面によると、お隣では子供がさらわれ、誘拐事件が起きているらしい。
 知らなかった。それもそうか。誘拐事件は人質の命を最優先とすることから、報道管
制が敷かれて、原則、事件が決着するか、犯人側からのコンタクトが長期に渡って途絶
えるかすれば、公になる。
 隣の佐藤タツヒコ――竜彦――誘拐事件は、まだその段階には至ってないということ
になる。
 そういう意識を持って、昨日今日の隣家の様子を思い浮かべてみると、確かにそれら
しき動きがあった気がしてきた。真っ当なサラリーマンである旦那の佐藤勝人が今日は
出社していない。今日はゴミの収集日で、いつもなら、他人のゴミ袋のチェックに余念
のない佐藤愛美は、今朝に限って姿を見なかった。そしてシロアリの駆除業者らしきミ
ニトラックが佐藤家の玄関前に横付けされ、大荷物を持ち込んで何かごとごとやったあ
と、二時間ほどで出ていった。あの荷物の中に捜査員が隠れていたのかもしれない。佐
藤家は大きな家で、覗こうとしても簡単には見えないからさっぱり分からなかった。
 手紙の続きに目を通すと、営利目的の誘拐犯の決まり文句が並ぶ。警察など外部に連
絡しないこと、すれば人質の身の安全を保障できないこと、身代金として五千万円を使
用済みかつバラの一万円札で用意しておくこと、次の指示は二日後になることが記して
あった。全文ほぼ片仮名でとにかく読みづらく、“バラノ一マンエンサツ”なんて、薔
薇・ノーマンと読めてしまって、文意を汲み取るのに多少の時間を要したほど。

 さて。
 こんな恐ろしくて禍々しい手紙を受け取ってしまった私は、どうすればいいのだろ
う。
 誤配がありましたよって隣に持って行く? それとも警察に届ける?
 なるほど、そういった常識的な判断はもちろんありだろう。
 だけど私は別の選択肢を思い浮かべている。
 先程、ちらと触れたように、お隣は家が広く、金持ちだ。多分、五千万円なら払える
額に違いない。佐藤愛美は、そうした裕福な家の妻にしては、ちょっと変なところがあ
る。これも先述した通り、近隣の家のゴミを覗く癖があるようなのだ。裕福なのに、他
人の生活水準が気になるのか、あるいは嘘や秘密を暴こうという魂胆なのか、はたまた
ゴミの分別にうるさいだけなのか。
 どうもそれら三つが絡み合っているようだ。要するに、この一帯のママ友でのマウン
トを完全に取りたいのかもしれない。その証拠と言えるかどうか分からないが、一度、
人のゴミ袋の覗かないでとやんわりと抗議したことがあるのだが、分別間違いがあるよ
うに見えたのでチェックしてあげていただけ、と全然改める気配がない。それ以降、我
が家に対して小さな嫌がらせをするようになったようだ。
 抗議の翌日の晩から無言電話が夜中に掛かるようになったし、隣との境目、私の家の
側にやたらと落ち葉が溜まるようになった。町内会の回覧板を、留守だったという理由
で二度ほどとばされたこともある。
 旦那の勝人は一流企業勤めとあってまあまあ常識人のようだが、妻に甘く何にも注意
しない。一度、妻の口車に乗せられたか、テレビの音量を下げてもらえないかと、夜言
いに来たことがあった。こっちは長いことボリュームなんていじってないのに。
 一人息子の竜彦が問題児だ。母親の性格を受け継ぎ、育てられ方もよくなかったと見
え、学校の行き帰りで、近所の人とぶつかりそうになってもそのまま行ってしまうし、
注意しても聞かない、謝らない。もれなく母親からの抗議が返ってくるおまけ付きだ。
ほとんどは家の中でゲームをしているくせに、あるとき突然、往来で泥団子の投げ合い
を悪ガキ仲間と共に始めて、うちの塀にいくつも痕跡を残してくれた。また、カエルの
死骸や犬の糞が家の前にあることがたまにあるが、どうも佐藤竜彦の仕業のようなの
だ。
 こういったいたずらの一部は、我が家が防犯カメラを設置すると、ぴたっと止まっ
た。見た目だけの“なんちゃってカメラ”なのだが効果はあった。
 このように、佐藤家と我が家と軽い戦闘状態にあると言える。ご近所トラブルなんて
これが初めてだけど、実に嫌なものだ。同じ区画の隣同士、完全に無視する訳にもいか
ず、嫌でも視界に入る。おいそれと引っ越しできるもんでもない(佐藤家は引っ越しす
るだけの金銭的余裕はあるはずだが、する気はさらさらないようだ)。終わりが見えな
いのが、特に苛立たしかった。
 ここまで書けばお分かりだろう。私の言う別の選択肢が何かって。
 言ってみれば、生殺与奪の権利を与えられたようなもの。誘拐された竜彦だけでな
く、佐藤家全体の命運を握っているのだ。
 常識ある人間を自負するのなら、警察か隣家に届けるのが人として当然の行動だ。そ
れは重々承知している。
 だけど、そんなことを帳消しにするほど、隣の佐藤愛美や竜彦らのやってきたことに
は迷惑をしている。もしこの脅迫文を渡して、結果、子供が無事に帰ってきたらどうな
る? あのケチな性格から言って、引き続きここに住み続ける可能性が高い、一方、子
供が無事に帰らなければ、事件が解決しようが未解決のままだろうが、佐藤家は居づら
くなるのではないか。好奇の目に耐えられず、引っ越す可能性がぐんと上がる。たとえ
そうならなくとも、あの性根の曲がった子供を屠り、さらには佐藤愛美を絶望にたたき
込めるのなら、充分だ。
 私は封筒とプリント用紙を持ったまま、席を離れて台所に立った。流しに、鍋焼きう
どん用の簡易鍋を置き、中に封筒と脅迫文を入れる。着火道具がないことに気付き、少
し考え、茶封筒を固く捻った。このあとコンロに火を着け、その炎をたいまつみたいに
なった茶封筒に移し、さらに脅迫文の書かれた用紙へと燃え移らせる、ただそれだけで
いい。
 私は何度も何度も茶封筒を捻り、固くした。そしてコンロのスイッチに手を掛ける。
ボッ、という音に続いて青い炎が円を描く。
 さあ、着けようかしら。













                                  なんてね。

 おしまい




#474/474 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/10/04  22:30  (479)
驚きのバースデー   寺嶋公香
★内容                                         19/10/10 19:54 修正 第5版
 純子は映画の撮影スタジオから引き上げる間際になって、鷲宇憲親から声を掛けられ
た。
「今度の誕生日、サプライズパーティをしてあげるから楽しみにしといて」
 それだけ言い置いて、すたすたと立ち去る鷲宇の背中を、純子はしばらくぼうっと見
送る。
 この直前まで、純子は控室にいて、帰り支度に務めていた。その途中、鏡をしばらく
見つめてしまい、ふっとため息が。やおら立ち上がり、帰り支度最後のアイテムである
小さなバッグを持つと、部屋を出た。
 廊下を行こうとしたところで、「あっと、ちょうどよかった」と声を掛けられたので
ある。
「あの。サプライズになってないと思うんですけど」
 一見、いや、一聞しただけではスルーしてしまいそうな、でもちょっと考えたら矛盾
しているとすぐに分かる。声を張ってそのことを告げると、鷲宇は立ち止まって振り返
り、
「いいからいいから。追って連絡するから、少なくとも当日は空けておいて欲しいん
だ。
天候もあるから、できたら一週間ぐらい余裕を見ておいてもらいたいぐらいなんだけ
ど。OK?」
 と、大きな身振りをまじえて確認を求めててきた。
「しようがないですね。ええ、かまいません、一週間でも十日でも」
 鷲宇との付き合いも結構長い。だから、この手の無茶振りに近い誘いを断っても、別
のアプローチをしてくるのは分かり切っていた。承知するまで離さない、そんな強引さ
を鷲宇はときに発揮する。
(誘い文句の矛盾に気付いていながら、結局乗ってしまう私も私だけれどもね)
 このところまた忙しくなって、疲れる暇さえなかったから、気晴らしをしたかったと
いうのはある。そして何より大きいのは、相羽信一の長期の不在である。
(船の上で一年間のお仕事だなんて)
 約十ヶ月経った今でも、まだちょっぴり恨めしい。元々この仕事を引き受けるはずだ
ったピアニストがダウンしてしまい、そのピアニスト自身の推薦で知り合いあり友人で
もある相羽に打診が来た。このシチュエーションで断れるはずがない。
(きっと、断れないと分かっていて、頼んできたんだわ)
 あきらめにも似た気分で彼を送り出してから、今日これまでのおよそ十ヶ月。会えた
のはただの一回きりだ。相羽の乗る豪華客船が日本の港に立ち寄るのと、純子の休みの
取れる日とがたまたま重なった。
(そういえばあのときも名目上は、誕生祝いだったわ。一ヶ月ぐらい前倒しで、彼の節
目の誕生日をお祝いした。乗ったことのない船だったし、どんな仕事場なのか見てみた
かったんだけど、急なことで見学予約を入れられなかったっけ。――いくら鷲宇さんで
も、船まで飛んで連れてってくれるはずはないわよね)
 サプライズの中身を早くも過大に期待する自分に、純子は自嘲の笑みをこぼした。最
前、鷲宇が天気について心配する台詞を口にしたいせいかもしれない。
 かぶりを振って、それからスケジュール帳を開く。忙しい身と言っても、現在の純子
は自分の意見で仕事を選べるくらいにはなっていた。誕生日以降のスケジュールは空っ
ぽにしておこう。

 誕生日の前々日、予報では好天に恵まれそうだから当初の予定通りに、という主旨の
連絡が鷲宇から入った。ちょうど冬物の撮影に立ち会っていたため、メッセージが届い
たことに気付くのが少し遅れた。
 今日中なら電話してくれても大丈夫とあったので、詳しいことを聞こうと携帯端末を
耳に当てる。三回ほどコールしてつながった。
「読んだ?」
 いきなり聞かれた上に、その声がいつもの鷲宇に比べて若干嗄れていたので、少しび
っくりした。
「だ、大丈夫ですか」
「これくらい何でもないさ。それよりも読んだから電話くれたんでしょう? 何かご質
問でも?」
「とりあえず、時刻が。何時にどうすればいいのか、おおよその目安でもいいので、知
っておきたいなと」
「あれ。送り忘れたか。しょうがねえなー。当日の午後二時に迎えに行かせるので、待
機しといてもらえる?」
 承服しかけたが、ちょっと前にもらった友達からの電話を思い出した。
「待機ですか。お昼からになるんでしたら、午前中に友達に会いたいんですが」
「友達って、誰。仕事仲間なら呼んじゃうってのも手だ」
「元クラスメートです。鷲宇さん、覚えていないかもしれませんが、唐沢さんご夫婦」
 二人の顔を思い浮かべつつ、名前を出してみた純子。鷲宇はいかにも心外そうな口調
で答える。
「年寄り扱いしなさんな。覚えてるよ。あの二人とどこで何するつもり?」
「連絡はこれからですけど、会って話をして、ランチと買い物ぐらいかしら」
「具体的に店の名前が分かるんなら、そっちに迎えに行かせよう」
「そんな、いいですよ。何から何までしてもらわなくたって。さっき年寄り扱いしなさ
んなって言われましたけれど、逆に私をいつまでも子供扱いしてません?」
「うーん、ずっと一人前に扱ってきたつもりだけどな。それに前にも言ったサプライズ
のためには、君に直接会場に来させるのは避けたいんだ」
「あの、ますますサプライズ感が失われていませんか」
「気にしない気にしない。それじゃあ三時だ。昼の三時で友達との用事は切り上げて、
連絡を寄越してくれないか。指定した場所に行くよ。東京のどこかなんだろ」
「……だったら、唐沢君達を送ってあげて欲しいな」
「無茶を言いなさんな」
 呆れ混じりの笑い声を立てる鷲宇。
「昔からの友達が大切なのは理解できる。でも、僕らも友達だろ? 元クラスメートの
子達に比べたら、キャリアの長さでは負けるだろうけどさ」
「分かりました。ちょっと意地悪を言ってみたくなっただけです。鷲宇さん、相変わら
ず強引だから」
「ほんと、言うようになったねえ」
「それより、当日はどんな恰好をしていけば……」
 まさかとは思うが、フォーマルな衣装を求められるとなると、唐沢達と会ったあと、
また着替えなければならないだろう。
「えーと、考えてなかった。けど、気持ちお洒落するぐらいでいいんじゃないか。一応
言っておくと、和服は避けた方が無難」
「はい」
「あと、足元だけは言っておかなくちゃな。なるべく安定して動ける靴にしておいで。
ヒールの高いのや厚底は以ての外」
「大丈夫です。撮影でも滅多に履きませんよ」
「よし。こっちからはこれくらいだけど、まだ他に何かある?」
「当日のことはともかくとして、私の方から鷲宇さんに誕生日のお祝いをしたことがな
いのが、とても気になってるんですが」
「プレゼントならくれたことあるじゃないか。あれで充分です」
「鷲宇さんのしてくださるお祝いが、豪勢すぎるんですよっ」
 おかげでこちらは見劣りすると表現するのすら恥ずかしいぐらいです云々かんぬんと
言い立てたけれども、鷲宇にはのれんに腕押しだった。
「ま、いいじゃない。それだけ僕は君のことを今でも応援してるし、感謝もしてる」
「大げさですってば〜」
「前にも言ったかもしれないけれども、僕は生き甲斐、と言ったらさすがに大げさだ
な、やり甲斐を失っていた時期があって、明らかに停滞していた。仕事も趣味も惰性で
やっていて、それでも何か知らないけど周りが評価してくれる。そんな状況に飽いてい
たときに、涼原純子という少女が現れた。本心を言えば、才能は認めつつも最初は興味
半分でサポートしたんだ。が、打てば響く、磨けば輝く君がすっかり気に入ってしまっ
た。これは僕も負けていられないぞと思えたのは、君のおかげ」
 純子は苦笑いを浮かべていた。もう耳にたこができるんじゃないかってほど、何度も
聞いた話だ。くすぐったいこの感触は、何年経っても変わりがない。
「あー、もう分かりましたから。喉の方、お大事にしてくださいね」

 十月三日になった。
 予定していた通り、そして希望していた通り、午前中は九時半頃から唐沢夫婦と会っ
て、旧交を温めるのに時間を費やした。
「相も変わらず、魔女ですなあ」
 唐沢の挨拶は、ここ数年、ずっとこれである。そして続けて愛妻との比較を始めて、
当人から肘鉄を食らわされるのがひとつながりになっていた。
「まったく、いくつになっても、変わらないんだから」
「ふふふ、大変そうだね」
 服をメインに、ファッション関係のショップを見て回りつつ、お喋りに花を咲かせ
る。
「大変そうなのは、純、そっちじゃないの。旦那ってば、まだ船の上のピアニストなん
でしょ?」
「うん」
「会えてるの?」
「だめだめ。それなりの頻度で日本に帰っては来てるんだけど、タイミングが合わなく
て。私が見境なしにドラマの仕事を入れてしまったから」
「寂しさを紛らわせるために、でしょ」
「そ、そうでもないのよ」
「そういや、お子さん達は? 今日の誕生日――」
「おーい。いい加減にしてくれ」
 唐沢の声が話を中断させる。振り向くと、荷物を両手に提げた彼が、ややわざとらし
く肩で息をしていた。
「よくそんだけ喋りながら、買い物ができるもんだ」
「男性は二つ以上のことを同時にするのが苦手っていう説があるからねえ」
 お昼になって、百貨店最上階の展望レストランというベタなシチュエーションで、食
事を摂る。三時のお茶を飲む時間が取れるかどうか怪しいため、デザートもここで。
「ということで、誕生日おめでとう」
 デザートが運ばれてきたあと、唐沢夫婦からプレゼントをもらった。ルービックキ
ューブ大の箱で、持った感じは重くもなく軽くもない。
「開けていいよ」
「それじゃあ」
 爪を使ってきれいに包装紙を取り、順次開けていくと、現れたのはオルゴールだっ
た。それもからくり人形付き。音を鳴らす間、ピアノの上で人形が踊る。
「うわぁ。ありがとう。『トロイメライ』ね」
「曲目は純子が好きな曲と知っていたからよかったんだけど、ピアノの蓋が閉じたまま
というデザインが、中途半端だと思ったのよね。でも喜んでくれてよかった」
「ううん、そこまでこだわらないわよ。あ、でも、ピアノを見ていると、彼を思い出し
て涙に暮れるかも」
「あ、ごめん。思い至らなかったわ」
「冗談だってば」
 他の友達や家族の近況などを話していると、時間はあっという間に過ぎて、三時を迎
えた。きりのいいところまで話すと、多少オーバーした。
「また何か出るんだったら、教えて。ずっと応援してるから」
「ありがと。次は私の方から誘うね」
「無理しなくていいよ。暇で暇で退屈に飲み込まれそうなときに誘ってちょうだい。相
手をしてあげよー」
 名残惜しかったが唐沢達と笑顔で別れると、純子は一呼吸を入れてから鷲宇に連絡を
取った。

 二十分足らず後に、長い長いリムジンが現れたので何事かと思った。次に嫌な予感が
して、素知らぬふりをしていたが、案の定、純子の目の前でその車は止まった。
「待たせてすまない。ちょっと混み始めてた」
「何ですかこれは」
 リアウィンドウを下げて声を掛けてきた鷲宇。純子は被せ気味に聞いた。
「何って。この方がゆったりのんびり行けるから、いいだろうと思って」
「っ〜」
 唖然としたが、何とも言えず、ここは冷静さを保とうと努力した。結果、どうせ状況
は変わりないのだから、さっさと乗り込んで出発してもらった方がいいと判断。
「早く出ましょう。注目され続けると、鷲宇憲親が来てるとばれるかもしれませんよ」
「それもそうだ」
 後部座席は窓に濃い色のフィルムが貼られたり、カーテンが引かれたりで、外を見ら
れないようになっていた。天井はスクリーンのようになっていて、プロジェクター装置
で星空を投影できるという。試しにやってもらったところ、実際の星空を映すのとプラ
ネタリウムの二種類があって、プラネタリウムの方は省略がなされており、若干物足り
なかった。
「見ただけで分かるとは、凄いな」
「逆です。見たから分かる、見なければ分からない。こう見えても眼はいいんですよ」
「……なるほど。真理だ」
 やがて車は何かの区画に入ったのか、段差を乗り越える感覚があった。
「鷲宇さん、今さらですが、外を見てはだめなんでしょうね?」
「ええ。行き先が分かったらつまらない。でももうすぐ到着だ」
 鷲宇は時計を見て言った。同時に、ゴム製のクリップみたいな物を取り出す。
「悪いんだけど、少しの間だけ、これを着けてもらいますよ」
「これって何ですか」
「シンクロナイズドスイミングで使う物」
「ああ、鼻栓……じゃなくって、あれって何て言うんですか?」
「僕も今回初めて知った。ノーズクリップ。まあ、日本語では鼻栓でいいみたいだけ
ど、鼻栓と言われると、鼻の穴に直接詰めるみたいなイメージがあるなあ」
「それで何のために装着? まさか、世界一臭いのきつい缶詰を食べるのがサプライズ
とか……」
 不安になってきた。鷲宇の顔をじっと見ると、相手は笑い出した。
「はは、そういう想像するか。誕生日のパーティにそれじゃ、まるで罰ゲームになって
しまうよ。シュールストレミングではないことだけは請け負うから安心して」
「安心できませんよ。世界で二番目に臭う食べ物かも」
「はいはい。これに目隠しもしてもらうと言ったら、どんな想像をする?」
「目隠し? あの、目隠しをするんだったら、お願いがあるんですが」
「何でしょう」
「よくバラエティ番組で見掛けた、眼や眉が面白おかしく描かれたアイマスク、あれは
勘弁してください」
 真顔で訴えた純子に対し、鷲宇は本日二度目の笑い声。
「あははは。何の心配をしてるの」
「自分では見えないだけに、とても恥ずかしい気がします、多分」
「厚手の手ぬぐいでぎゅっとやるから、その心配も無用だ」
「……もしかして、強盗か誘拐犯に襲われた設定ですか?」
「うーん、教えてあげてもいいんだけど、イエスとノーどちらの答でも、この先がつま
んなくなるだろうから教えない」
「じゃ、違うんだ。鼻栓の説明も付かないし」
「どうかな。さあて、そろそろ装着してもらいましょうか。もう一つ、ヘッドホンを耳
に当ててもらうよ」
「えー! やっぱり、どっきり番組の空気が」
 話している途中で鼻をつままれた。

 長いスロープを何度か折れ、階段を慎重に歩かされ、建物の中に入った感じがしたと
思ったら、今度はエレベーターに乗った。
 と、ノーズクリップが外された。
「鼻に跡が残ってないですか」
 続けてヘッドホンと目隠しも取ってもらえると思って、そう質問した純子だったが、
予想は外れた。目と耳はもうしばらく不自由な状態に置かれるらしい。
 程なくしてエレベーターが止まり、何階だか分からないがそのフロアで降りた。そこ
から少し歩いて、どこかの部屋に入ったようだ。閉まる扉の起こした風を、背中に感じ
る。ここで、ずっと付き添っていた鷲宇――のはずだ――が離れる気配があった。
「鷲宇さん? ――ひゃっ」
 気配の遠ざかる方向へ声を掛けた途端に、反対側から肩を触られ、びくっとなった。
直後、ヘッドホンと目隠しが外される。
「失礼をしました。驚かせて申し訳ありません」
 若い女性が一人、正面に立っていた。
「あなたは」
 目をしばたたかせ、鼻を触りつつ、純子は聞いた。
「お席まで案内します。多少暗くなっておりますので、足元をどうぞお気をつけくださ
い」
 彼女が手をかざした方を見やると、座席がずらっと半円を描く形に備え付けられてい
る。プラネタリウムの観覧席を連想したが、その半円の中心に実際にあるのは、ステー
ジだ。各座席には開閉可能なミニテーブルが備わっている。
 純子が中央の特等席と言える椅子に着くと、案内の女性が何か言った。さっきまでし
ていたヘッドホンからは大音量の音楽が流れていた。そのため、今は少し聞こえづら
い。
「え? もう一度お願いします」
「そちらにあるメニューから、お好きなドリンクを」
 にっこりとした表情で言われ、純子は急いでそのメニューとやらを探す。立てたミニ
テーブルの隙間に挟んであった。
「それでは……レモンスカッシュをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 お辞儀をして去って行く女性。そちらの方向をしばらく見ていたら、じきに引き返し
て来たので、慌てて前を向いた。
「どうぞ」
 ミニテーブルを開き、そこにコースター、ドリンクのグラスと置く。
「ありがとう。あの、このままにしていればいいんですよね」
「はい。どうぞごゆっくり」
 案内の女性が再び立ち去ると、室内――ホール内をかすかに照らしていた光も徐々に
絞られ、暗くなった。足元と非常口だけは灯りがあるが、他は輪郭がぼんやりと分かる
程度だ。
「今回も贅沢なことをされていそう……」
 思わず呟いたのを待っていたみたいに、突然、大音量が鳴り響いた。
 ステージに照明が向き、そこに立つ細身の人物がギターをかき鳴らしている。その背
後にはいつの間にスタンバイしたのか、ドラムセットがあり、別の人が警戒に叩き始め
る。
 手前のステージはもう一人、ギターの人よりはがっちりした体格の人が、マイクスタ
ンドに片手を掛けて立っていた。片方の爪先でリズムを取っていたかと思うと、歌い出
した。
(これって)
 聞き覚えのある歌と声。それにビジュアル。
(この三人組のバンドって、“ショートリリーフ”?)
 一時期、所属事務所の異なる男性ミュージシャン三名が組んで結成されたユニット
だ。元はチャリティ目的だったので、当初から期間限定のバンドだった。ショートリ
リーフの名にふさわしいかどうか分からないが、三年間の活動期間を終えて解散。でも
再結成を望む声は多かった。
 ドラムが鹿野沢怜治(かのさわれいじ)、今ギターを持っているのが飯前薫(いいさ
きかおる)、そしてボーカルが鷲宇憲親だ。
「す、ごい」
 勝手に感嘆の言葉が出た。
 何が凄いかって、まず最早見られないと思われていた三人組の復活が凄いし、当時と
ほとんど変わらぬであろうキレや力強さを有していることも驚異。特に、ボーカルを務
めている鷲宇は、最盛期を取り戻したかのような声の張りを見せていた。
(鷲宇さんて、私のいくつ上よ? 信じられない。二日前に電話したとき、声の調子が
ちょっぴりおかしかったのは、このためだったのかなぁ……)
 申し訳なさで、身が縮む思いだ。
 ボーカルとギターが交代して、二曲目を演奏。どちらも激しいロック調だった。三曲
目はまた鷲宇がボーカルに戻って、バラードを披露。どうやら代わり番こで唄うらし
い。
 立て続けに三曲、いずれもバンドのオリジナル曲を披露したところで、コメント休憩
に入る。
「えー、どちらで呼ぼうかな。とりあえずいるのは芸能人ばかりってことから、芸名
で。風谷美羽さん、誕生日おめでとうございます」
 純子は立ち上がって拍手しつつ、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「二人とは面識は?」
 鷲宇がギターとドラムを指し示しながら、誰ともなしに聞いた。
「あるにはあるけど、挨拶を交わした程度だったんじゃないかな」
 鹿野沢が短く剃った顎髭に手をやり、記憶を確認したかのようにうなずく。
「僕も同じだな。それじゃ改めて挨拶しますか。飯前です、よろしく」
 飯前がギターを持ったまま、細い身体を折り曲げる風にしてお辞儀した。続いて鹿野
沢も、腰を上げて一礼する。
「風谷美羽です。十年ぶりぐらいいなります?」
 純子は前に行った方がいいのかなと、席の通路を横に移動し掛けた。が、鷲宇からス
トップが掛かる。
「まあまあ、今日の主役は動かずに、どんと構えていればいい。話す時間はあとで取れ
ると思うしね。さて、喋る内に回復してきたので、また始めようかな。今日、十月三日
は君の誕生日ということで、とりあえずこれを贈らなければいけないな」
 鷲宇が目で二人に合図し、四曲目は静かにスタート。話の流れでもう明らかだった
が、曲は『ハッピーバースデートゥユー』。必要以上に情感を込めるでなく、楽しく弾
むように歌い上げ、最後のくりかえしのときだけちょっとアレンジしていた。なお、歌
詞で名前に置き換えるところは、“純子”になっていた。風谷美羽は芸名だから、芸能
人としてデビューした日こそが誕生日になる、と鷲宇達が考えていたかどうかは分から
ない。
「ケーキは用意してあるから、あとのお楽しみで」
 こう付け足されて、純子はホールケーキのキャンドルを消す仕種をして見せた。
 これ以降、和洋のロックやバラードの古典的名曲を中心に、何度か休憩を挟みながら
も二時間たっぷり、歌と演奏で楽しませてもらった。
 ラストの曲が終わるや、辛抱溜まらず、純子は席を離れてステージそばへ走った。
「おっと、危ないですよ。急がなくても逃げやしないから」
 そう言われたからというわけではないが、確かに足元がふらついた。いきなり立ち上
がったせいかもしれないと、そろりそろりとした歩みになる。
「鷲宇さん、鹿野沢さん、飯前さん、どうもありがとうごっざいました。ほんっとうに
感激です」
「んな、大げさな」
「いえ。こんな素敵な時間を独り占めだめなんて、ファンの方に申し訳ないです。鷲宇
さんもまだまだできるんだと分かって、安心しましたよー」
「そんなに衰えたと思われてたわけ?」
「だってこの間の電話、声が」
「あれはちょっと張り切りすぎただけ。無茶な練習したって意味なら、こいつら二人の
方がよっぽど」
 鹿野沢と飯前に顎を振る鷲宇。そんなことはないぞとすぐさま反論が返っていた。ま
ったくもって、いつまでも若い人達だ。

 シークレットかつパーソナルなライブが終わると、夜八時近くになっていた。
 食事はこちらでと、最初の女性の案内で通されたのは、ホールのすぐ向かいのレスト
ラン。お客は一人もおらず、貸し切り状態のようだ。
(変わった構造の建物……。シネマコンプレックスを映画以外で色んなお店を集めたみ
たいになってる?)
 天井が何となく低い。さっきまでいたホールと、これから行くレストランだけでな
く、他のお店にもお客は皆無。それどころか、通路を歩く人さえいない。各店舗に店員
さんの姿が見えるだけだ。
(まさか鷲宇さん、施設全体を貸し切りに)
 くらくらしてきた。歩くのに支障が出そうなほどだ。
(お祝いしてもらっている間は考えないようにしよう。精神衛生上、それが一番ましだ
わ、きっと)
 レストランでは店用のピアノの前を通って、窓際の席に案内された。出入り口を背に
した向きに座る。外はとっぷりと暮れて、ほぼ暗闇。
(……暗すぎない? 灯りはぽつんぽつんとあるけれども、動いているから車か飛行機
か)
 窓ガラスに顔を近付け、よく覗こうとした矢先、鷲宇の声がした。
「やあ、お待たせ。飲み物は頼みました?」
 シャワーを浴びでもしてきたか、さっぱりした様子の鷲宇。
 純子は前に向き直って、いえまだですと答えた。
「そうか、じゃ」
 と鷲宇が片手を挙げるまでもなく、制服姿のスタッフがすっと駆け付けた。
「お酒は?」
「相変わらずです。とても弱くって。もちろん最初の乾杯には付き合います」
「いや、いいよ。無駄なことだ。そっちはソフトドリンクからどうぞ」
「じゃあ……リンゴジュースを」
 鷲宇はビールを頼んだ。
 オーダーからほとんど待たされることなく、飲み物が届き、続いてコースメニューの
内メインディッシュとデザートがそれぞれセレクトできるからと、希望の品を聞かれ
た。
 メインディッシュは牛、鶏、魚の中から二人とも牛を選び、デザートは鷲宇がアイス
クリームを、純子は和菓子をチョイスした。
 スタッフが去り、乾杯すると、すぐに純子はお礼を言った。
「今回もよくしてもらって、ありがとうございます。飯前さんと鹿野沢さんは?」
「彼らは別のところで飲み食いを始めてる。久々の三人組んでの演奏で、疲れ切ったか
らリラックスしてのんびりしたいようだ」
「だったら鷲宇さんも」
「僕は君をもてなす役目がある。もうちょっとがんばりますよ」
「無理しないでくださいよー。何かあったら、本当にファンの方達にも鷲宇さんご自身
にも申し訳が立ちません」
「今は厚意を素直に受け取って。その方がよほど僕の心身は回復するよ」
「そ、そうですか」
 そうこうする内に前菜と食前酒が運ばれてきた。いただきますと手を合わせたが、す
ぐには手を伸ばさない。
「やっと意味が分かりました」
「ん? 何が」
「誘ってくださった時点で、いきなりサプライズパーティをするからって言うから、お
かしなことをと思ってたんです。サプライズを予告しておいてなおかつ驚かす自信があ
るなんて、一体何だろうって不思議でした。ショートリリーフの再結成だったんです
ね。そりゃあびっくりしますって」
「そうか。あれで充分驚いてくれたか」
「ええ。芸能界的にはビッグニュースだから、場所を突き止められないようにって、私
に目隠しなんかをした。言ってくれていたら、私、口外無用は守るのに」
「そうだと信じてるよ。だから、君に目隠しやヘッドホン、鼻栓までしたのは別の理由
があるんだ」
「あれ? そうなんですか」
 見破られて悔しいからごまかそうとしている……わけではないようだ。
「場所を秘密にするのに、鼻栓はさすがに意味がないだろう?」
「それはまあ確かにそうなんですけど、私を混乱させるために、嘘の手掛かりを入れた
とかでは」
「違います」
 楽しげに微笑んで、鷲はおちょこサイズの食前酒を一気に開けると、時計を見た。そ
れからおもむろに手を合わせた。
「よし、じゃあ、タイミングもちょうどいい頃だから、プレゼントを取りに行ってく
る」
「今ですか?」
「ああ。戻って来たら、種明かしをしてあげましょう。お楽しみに」
 席を立つと、鷲宇は店のスタッフの誰に断るでもなく、外に出て行った。どうやらス
タッフ達とも話が付いているようだ。
(何だろう、とっても違和感があるのは確かなのよね。鼻栓だけじゃなくって、さっき
お店に入る前に、壁の一部に無駄にスペースが開いてるなって思った。あれって、ポ
スターか何か張ってあったものを、剥がしたばかりといった様子だった。他にも、お酒
を飲んでいないのに最初っから足元が不安な感じがするし、それに今この窓の外の景色
だって、よく見えないけれども――)
 再度、暗闇に目を凝らそうとしたときだった。
 音楽が流れてきた。店のほぼ中央に置いてあるピアノからだ。いつの間に人が座った
んだろうと純子が振り向くよりも早く、その曲に気付いて、どぎまぎする
「『そして星に舞い降りる』だわ」
 純子が歌手デビューした際の曲。芸名はまた別だったけど。
 懐かしくはあるが、元は鷲宇憲親が作ってくれた物だから、この場にいてこのタイミ
ングで弾いてもらうというのは、特段不思議ではない。鷲宇らしいとも言える。
 だから、純子をどぎまぎさせたのには別の理由があった。
(弾いているの、信一さんだわ!)
 音しか聞かなくても絶対の自信があった。それは作り物の星空と本物の星空を見さえ
すれば一瞬で見分けられるのと同じ。聞けば分かる。
 状況はわけが分からないが、相羽信一がここのピアノの前に座って、今弾いているの
は間違いない。演奏を邪魔しないように、そっと席を立った。
 その刹那、床が多少傾いて――。
「え?」
 テーブルに手を突いて、どうにか倒れずにすんだ。スタッフが二人駆け寄ってきて、
大丈夫でしたかと心配してくれた。
「え、ええ」
 元の椅子に座り直し、首を傾げた純子。
(今のは立ちくらみとか、酔いとかじゃなく、ましてや不注意で転びそうになったんで
もなく……そっか)
 純子は鼻をひと撫でし、今一度窓の外の景色に意識を集中してみた。
(やっと理解できた。私ったら気付くの遅すぎだわ)
 苦笑いを抑えながら、改めてピアノの方を注視した。
 もうじき曲が終わる。

 一曲弾き終えると、相羽は当たり前のような顔で純子のいるテーブルへと来た。
「純子、久しぶり。それから誕生日――」
「待って。これはあなたの発案?」
 テーブルの上にあった皿を脇にのけて、にじり寄るように純子は問い掛けた。
「違う。鷲宇さんだよ。ただ、君に会えないことを愚痴ったら、自業自得だねと言われ
つつ、いい方法があるというものだから、つい乗ってしまったのは認める」
「こんな面倒でややこしいことしなくても、普通に会わせてくれたら充分なのに」
「ということは本当に実行したんだ? 船を船と思わせずに、君を乗船させる作戦」
 思い返してみれば納得が行く。車の外を見せないようにしたのは、港に向かっている
ことを悟られないようにするため。車から降りたあと、目と耳だけでなく、鼻まで覆っ
たのは、海特有の匂いを嗅がれたくなかったから。
 事前に鷲宇が履き物に関して注意を促してきたことや、歩く度にふわふわふらふらす
る感覚が時折あったことは、船が港を出てたあと多少波の影響が出ると分かっていた
し、事実揺れたってことに他ならない。ショートリリーフの三人が年齢以上にがんばっ
て(失礼!)、激しいロックを多めに演奏したのは、船のエンジンなどの駆動音をごま
かすためだろう。
「あと、壁の所々に不自然な空白みたいなのがあったけれども、あれってもしかする
と、船の案内図があったのを外したんじゃない?」
「多分、当たってる。僕もこの店に来るときに見掛けて、えっ?て思ったもの」
 相羽が苦笑いした。そんな会話の切れ目を待っていたみたいに、スタッフが来て、
「お取り替えいたします」と言い、前菜と食前酒を新たな物に交換した。
「このまま一緒に食事できるのね?」
 弾んだ声になった純子に、相羽は「当然」とうなずいた。

「それにつけても、鷲宇さんたらやることのスケールが無茶苦茶よ」
 感謝はしてるけれどもと前置きして、純子は言った。
「施設の貸し切りまでは考えたわ。でもまさか、豪華客船を丸々借りるだなんて……ど
うあっても気にしてしまうじゃないの!」
「あー、あんまり費用の話はするなと言われてるだけどね。現在のこの船の移動自体
は、元々の予定通りなんだ」
「え? 回送ってこと? そもそも、どこに向かっているの」
「横浜を発って、名古屋に向かっている。次のクルーズが名古屋発なんだ。こういうと
き、横浜から名古屋行きのワンナイトクルーズを組み込むこともあれば、スケジュール
の都合などで、お客を乗せずに移動するケースもあるんだって。僕もこの船で仕事をさ
せてもらうようになって、初めて知った」
「ふうん。で、でも、イレギュラーなことしてるのには変わりないんでしょ?」
「イレギュラーには違いないが、制度としてあるにはあるんだって。たとえばだけど、
北海道から横浜までのクルーズを楽しんだお客さんが、直後に予定されている名古屋か
ら高知を巡って神戸に向かうクルーズにも続けて乗る場合、横浜から名古屋までをその
船に乗って行けるというね。全部が全部にある制度じゃないから特例には違いないけ
ど」
「へー、知らなかったわ。勉強になる」
 それでも乗員の手間賃を考えたら……とまで考えるのはやめた純子。およそ五ヶ月ぶ
りの相羽との再会なのだ。無粋はやめて、目一杯楽しもう。話を聞く限り、明日もまた
仕事があるのは間違いないんだし。
「メインディッシュが終わったことだし、ぼちぼちもう一曲、プレゼントしよう」
 背もたれに手をついて、慎重に腰を上げる相羽。船上生活で培われたようだ。
「何かリクエストはある? あんまり年齢は言いたくないけど、お互い、五十になった
記念に」
「そうねぇ。あなたの今の気持ちを表すような曲なら何でも」
 純子はとびきりの微笑みで彼を見送った。

 やがて流れ聞こえて来たのは――サティの『きみがほしい』。

――『そばにいるだけで番外編 驚きのバースデー』おわり




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