AWC ●短編



#456/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/14  22:22  (201)
SS>密室   永山
★内容                                         19/01/02 16:22 修正 第3版
 自分に超能力があったらと夢想したことのある人は、それなりにいると思う。特に小
さな子供だった頃は。
 自分もその口なのだけれども、いざ、何らかの超能力を会得したらどうだろうか。欣
喜雀躍して、使いまくるだろうか。皆に注目してもらいたくて大々的に公開するだろう
か。
 実際に体験してみて分かったことが一つある。能力が期待していたのとは違う、ある
いはあまり役立ちそうにないものだった場合、困惑が先に立つ。
 自分が身に付けた特殊な力は、いわゆるサイコキネシス、念動力に分類されると思
う。ただ、かなり限定されたものだった。遠隔操作できるのは、肉眼で直に捉えた物の
み。しかも、自分の右手の薬指と小指とで挟んで動かせる物に限られる。
 何で右手なんだ、と思った。利き手は左なのに。せめて親指と人差し指だったらそれ
なりの物を動かせそうだけど、薬指と小指ではペン一本、紙切れ一枚を挟むのがやっ
と。持ってもコントロールできない。実際の指の動きが反映されるから。これはまあ訓
練すれば、少しはコントロールできるようになるかもしれないが、それでも遠方の物を
手元に一気に持って来ることは不可能のようだ。自分の腕が実際に届く範囲を超えた距
離だと、物を動かすだけで精一杯という体たらく。
 かような制限付き超能力、どうしたものかと有効活用を探る内に、ぱっと思い浮かん
だのが暗殺、殺し屋稼業。殺しの仕事を請け負うルートがないという問題点は棚上げす
るとして、殺したいほど憎んでいる奴が一人いるというのもある。遠隔操作の力でうま
くやれるのではないか。たとえば剃刀の刃でも持って、遠方にいるターゲットの喉笛を
掻き切る――。ターゲットの喉にある急所を自分の肉眼で生で捉えられる距離となる
と、結構近くまで行く必要がある。遠隔操作の念動力を使うメリットが乏しく、せいぜ
い返り血を浴びない程度だ。
 ならばと、コップに毒を投じるとか、車を運転中の相手をミスらせるなんて方法も考
えたが、前者は毒の入手経路に心当たりがないし、後者は確実性を欠く上に、オープン
カーか運転席側の窓を下げてくれていないと力を使えない。
 殺し屋がだめなら、真っ当な金儲けに使えまいか。たとえば、ジャンボ宝くじの抽選
会場に行って、客席から矢の刺さる数字を自分の手元にあるくじ番号になるように……
無理だろうな。一度刺さったのを抜き、また刺し直すならまだしも、飛んで行く矢を掴
んで、さらに回転中の的から狙った数字に刺すなんて、超人技だ。当選くじを持つ人か
らくじをかすめ取る方がまだ現実味がある。それとて困難極まりなく、そもそも高額当
選者をいかにして見付けるというのだ。
 競馬ならどうにかなるか? ゴール手前を見通せる観客席に陣取り、自分の買った馬
券にそぐわない馬の目をつついてやれば、その馬は後れを取るか、進路妨害で失格にな
るんじゃないか。馬に恨みはないのであんまりやりたくないけど。それ以前の問題とし
て、まだ学生の自分は、競馬場に入って馬券を購入するのがやや難しい。ギャンブルに
超能力を使うだけでもやましい気分なのに、違法行為を上乗せするのは気が咎める。
 金儲けも難しいとなると、男が次に考えるは色の方だろうけど……これまた使いよう
がない。下着泥棒やスカートめくりをしたって、何の意味もない。
 結局、日常の小さな親切かいたずらレベルのことにしか使えないのだ。今日は学校か
らの帰り道、風船を手放して木の枝に絡ませてしまった小さな子供がいたので、風船を
取ってあげた。昨日は、自動販売機の前でお釣りの十円硬貨を溝に落としてしまった老
人がいて、硬貨を拾ってあげた。学校では休み時間に、お札を宙に浮かせてみせたが、
同じことがマジックでもできるので早くも飽きられつつある。
 こりゃもう、サイコロの出目を自然な形で自由に操る練習でもして、サイコロ博打で
小銭を稼ぐぐらいしかないかなと思い始めた。が、数日後にまた別の案が下りてきた。
日曜日、テレビの二時間ドラマの再放送をぼんやり見ていると、密室殺人の種明かしの
場面に差し掛かった。
 ドラマで使われていたのは古典中の古典、使い古されて誰も先使用権を主張しないで
あろうと思えるトリック、すなわち室内側の錠のつまみに輪にした糸を引っ掛けた後、
ドアとドア枠との隙間を通して室外に糸を出し、ドアを閉めてから廊下側より糸を引っ
張ることでつまみを回して施錠、糸はさらに引っ張ることでするりと抜け、回収できる
という代物。何ともばかばかしい絵面だったが、頭の中では別のことが閃いた。
 もしも自分の超能力を使って、室内側から施錠できたら、完全な密室殺人の完成では
ないか。アンフェアだのインチキだの言われようが、しょうがないじゃないか。だっ
て、使えるんだもの。
 もちろん、小説や漫画のネタとして書く訳ではない。現実に使ってみたいのだ。
 こう見えても――どう見えているか分からないが――、先程も記した通り、自分にだ
って心底憎んでいる人間はいる。死んでくれと思うこともしばしばだ。密室が簡単に作
れるのであれば、自殺に見せ掛けて始末するのが現実味を帯びてくる?
 そいつは神田和人と言って、同じクラスの男子なんだが、学園長の息子という立場を
利して、手前勝手な希望をあれやこれやと通している。入学と同時にドローン研究会な
る部を起ち上げ、予算を多くふんだくれたのは、学園長の息子故だろう。頭はまあ悪く
はないようだが、テストの成績に関しては先生達がいくらか甘く採点しているとの噂
も。優男で腕っ節は強くないが、体育や格技の成績も優秀と呼べる点数に操作されてい
る。芸術関連の科目も同様。一年の文化祭のときなぞ、にわか結成のバンドでボーカル
を務めたばかりか、それなりに伝統・実績のある合唱部や軽音部等を押しのけて、ス
テージのとりを奪ってしまった。
 ここまでなら、まだ殺意を抱く程ではないか、抱いたとしても空想の世界に押し込め
ておけるだろう。しかし、自分にとって神田和人は一線を越えた。最初の接点は、一年
生最初の定期考査にて、ある科目の答案返却後に神田から言ってきたのだ。「どうして
も分からない一問があって、時間ぎりぎりになって君の答を覗いたんだ。そうしたら間
違っていて、がっかりだよ」と。その悪びれた様子のないふざけた言い種に、こっちは
呆れつつも受け流した。次に覚えているのは、教室の掃除中のこと。クラスメートとふ
ざけていた神田は、モップの柄で窓ガラスを割ってしまった。故意ではないが不可抗力
と呼ぶには苦しい状況だったが、神田はこれくらい大した問題じゃないとそのふざけて
いた相手に罪を被せた。他にも色々あったが、決定打になったのは、自分の幼馴染みに
関係することだった。
 彼女の名前は糸井瑠音。小学生のときからの幼馴染み、と言っても特に親しい訳では
なく家が近所というだけ。それでも、同じ学校に通う女子の中では、一番よく話す相手
になる。そんな自分から見て、彼女は大人しめで、目立たないが、一度気になったら長
く気になる。凄い美人とは言えないけれども、凄く可愛いと断言できる存在。
 神田の眼鏡にも適ったらしく、あいつはどこで聞きつけたか、糸井と幼馴染みだと見
込んで彼女を呼び出す手紙を書いてくれと言ってきた。さすがに書くのは断ったが、言
づては引き受けてやった。待ち合わせ場所は屋上で、通常は入れないはずだが、学園長
の息子だからうまいことやるのだろうとそのときは軽く考えた。
 神田と糸井が会ったであろう日の夜になって、ある報せが自宅の方に届き、震えた。
 糸井瑠音が校舎から転落し、重傷。意識不明に陥っているという。
 自分は短い茫然自失を挟んで、神田に連絡を入れた。いきなり詰問調で攻めたのだ
が、相手は何も知らないと言った。糸井の転落事故のことさえ今聞いたという。神田が
言うには、急用ができて待ち合わせの時間には行けなかった。親戚にずっと付き合わさ
れており、アリバイもある――。
 一端引き下がったが、神田自身がアリバイという言葉を持ち出したことに違和感を覚
えた。少し考え、想像が付いた。
 神田はドローンを使って、糸井を転落させたのではないか?
 証拠はない。夕暮れ時、校舎の屋上すれすれを、小型のドローンらしき物が飛んでい
るのを見たという証言はいくつかあった。ただ、学校の建つ一帯にはカラスやコウモリ
も多く棲息しており、見間違いではないと言い切れるだけのものはなかった。
 他にも疑う理由はあった。神田は言づてを頼んできたとき、いかにも今度初めて糸井
瑠音に告白しますという態度だったが、本当は夏休み前に一度、告白していた。そして
断られていたのだ。気位の高い神田は袖にした糸井を許せず、再アタックのふりをして
ドローンによる転落事故を仕組んだ……。
 不幸中の幸いで、糸井はその後意識を取り戻し、普段の生活に戻れたのだけれども、
転落前後の記憶をなくしていた。神田は一度だけ見舞いに行ったらしいが、もしかする
と糸井の記憶が戻る兆候の有無を探る目的を秘めていたのかもしれない。
 本心を明かすと、自分がこの中途半端な超能力を手にしたと分かったとき、真っ先に
思ったのは、力を使って神田に真実を白状させることだった。具体的には、あいつの睾
丸を念動力でしっかり挟み込み、真相を語らないなら潰してやると脅すという一種の拷
問である。
 このやり方だと自分はあいつの前に姿を現す必要があるだろうし、そこまでしても白
状するかどうか分からない。白状しても物証は恐らくすでに処分され、残っていまい。
第一、念動力越しとはいえ、あいつの睾丸に触るなんて御免蒙りたい。
 自分の内では、判決は下っている。状況は神田和人をクロだと示している。あとは刑
を実行するのみ。単なるご近所さんで長馴染みの女子のためにここまでやるのは、神田
の奴に利用された、甘く見られた怒りもあるが……やっぱり自分は糸井のこと、好きな
んだろう。

 簡単に密室殺人ができると言ったが、細かい点を考えると、そう簡単でもない。
 場所は学校の三つある理科室のどれかかドローン部の部室にするつもりだが、それに
は理由があって、ドアの鍵がつまみを捻るタイプだからだ。あれならさほど練習しなく
ても、小指と薬指とで開け閉めできる。
 関門は別にある。超能力を使える条件である“肉眼で対象物を直接見る”とは、間に
透明なガラス一枚あってはならないということだ(空気や埃なんかが考慮されないの
は、多分、能力を使う当人が認識できないからだろう)。言い換えると、神田を自殺に
見せ掛けて殺害後、部屋を出て窓の外から鍵を掛けるという芸当ができない。
 理科室にはどれも換気扇が備わっており、踏み台があれば中を覗ける可能性がある。
ただし、ドアのつまみの部分を野僕には、角度が悪いようだ。実験はしていないが、多
分、換気扇の羽の一部を壊さねばなるまい。そこまでしてしまうと、密室が密室でなく
なる気がする。壊れた換気扇から糸を通してロックできる可能性も生じるため、本末転
倒だ。
 一方、ドローン部の部室は一点を除いて、他の部室と変わらない。中庭に面した窓ガ
ラスの一枚に、極小さな穴が開いているのだ。直径一ミリくらいか? あまりに小さ
く、窓の格子の隅に位置しているため、ドローン部の部員もしばらく気付かず、誰がど
のようにして開けたのかは分かっていない。極小の金属球をパチンコで打ち込んだか、
錐を使ったか……それはどうでもいい。肝心なのは、その穴から中を覗くと、ドアのつ
まみをどうにか捉えられるという事実だ。角度的に絶妙で、仮にこの穴から糸を通して
つまみを操作しようとしても、まともに動かせない。試せるものではないから絶対確実
との断言は無理だが、まず大丈夫。
 唯一の問題は、ドローン部部室は二階にあるため、隣室のどちらかを通るか、あるい
は窓側を真上の三階から下りてくるか、真下の一階から昇って来ねばならない点であ
る。これは、人目に付かなければ、やりおおせる自信はある。特に三階から下りるルー
トは、当該の部屋が今物置状態で、ドアの鍵がかかっておらず、窓も開いていても別に
珍しくない状況にあった。
 あとは決行の日までに一度、穴から覗いて試すとしよう。それが成功すれば、決まり
だ。

 十二月のある日、神田にこっそり話し掛けた。糸井からの伝言を預かってきたから、
ドローン部部室で話そう、と。
 話の内容に察しが付いたのか、こちらから持ち掛けるまでもなく、神田の方から二人
きりでだな、絶対にだぞと念押ししてきたのはありがたい。そして太陽が地平線の彼方
に隠れ始めるタイミングで、神田と二人きりで会い、太陽が完全に沈んでしまおうかと
いうタイミングに、相手を絶命させた。校内にそこそこ用意されている虎ロープを使
い、地蔵背追いの形で背負ったのは、首吊り自殺に見せ掛けるため。
 首吊り自殺と言っても、天井から吊すのは必須条件ではない。床に足を投げ出したへ
たり込んだ姿勢で、首を吊ることは可能だし、珍しくもないようだ。神田の首に巻き付
けたロープは、壁の胸の高さぐらいの位置にある金属製フックに掛けた。カーテンを巻
いて留めるあれだ。
 次に、室内にある数台のドローンが動かないよう、バッテリーを外しておく。万が一
にも警察が、ドローンを使ってドアのつまみを回したのではないかと推理したら、自殺
に偽装する意味がなくなるからだ。言うまでもないが、手には手袋を填めている。今の
寒さなら、校舎内で手袋をしていてもおかしくない。神田からも不審がられることはな
かった。
 準備を済ませると、廊下に人の気配がないことを確かめてから素早く外に出る。続い
て、三階へと急ぐ。太陽が沈み、屋外は暗くなっていたが、心配ない。むしろ、この暗
さが自分の姿を人目から隠してくれよう。
 思惑通り、三階の教室から真下のドローン部部室の窓側へ降り立つ。ペン型ライトで
中を照らし、ドアのつまみがはっきり見えるようにする。例の穴から覗き、しばし方向
を定め、焦点を調節すると、肉眼で捉えることができた。
 超能力、発動。失敗のないよう、慎重に行う。それこそ手探りでつまみをペタペタと
なで回し、確実に捉える。
 そして――乾いた微小な音を立てて、ドアはロックされた。

           *           *

「尾野君」
 刑事は気軽な調子で言った。が、目は笑っていないようだった。
「未成年で学生の君らをおいそれと疑うのはよくない。それは承知してるんだが、曲が
りなりにもそれなりの根拠が出て来たからには、一応、話を聞かんといかん。分かって
くれるね」
 黙って頷く。どんな根拠が出て来たのか、気になって声を出せない。動機か? 動機
だけならいくらでも言い逃れができる。
「神田和人君が死んでいた部屋、ドローン部の部室なんだがね」
「聞いています」
「その部室に、君は入ったことないんだったね?」
「ええ……部員じゃないし、親しい友達が所属してる訳でもないし」
「ということであるなら、これはどういうことか説明して欲しいんだ」
 刑事は鑑定書らしき書類と写真を示した。
「これが何か」
「指紋が出た」
「――」
 ばかなと言おうとして声を飲み込む。
「ドアのつまみとその周辺から、君の指紋がたっぷり検出された。それも不思議なこと
に、右手の薬指と小指ばかり。日常生活で付きそうにない角度で付いた物もある。どう
やったかは分からないが、こんな変な具合に、執拗につまみを触っている事実から、何
らかの細工を弄して、部屋の鍵を外から掛けたんじゃないのかなー?と思ってね」
 このときになって初めて正確に理解した。
 自分の得た超能力は、単なる限定的な念動力なんかではない。
 右手の薬指及び小指の指紋を、自分の肉眼で捉えた対象物に残し得る能力だったの
だ。

――終わり




#457/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/15  21:28  (162)
SS>倒叙   永山
★内容                                         19/01/02 16:27 修正 第2版
 これから綴られるのは、倒叙ミステリである。
 倒叙ミステリとは何かをくだくだと説明するのは面倒なので、簡単に言ってしまう
と、主に殺人のような犯罪について、犯人側から描いた物語だ。徹頭徹尾、犯人側の視
点を採る訳でもないのだが……著名映像作品の例を挙げるのが分かり易いだろう。「刑
事コロンボ」シリーズや「古畑任三郎」シリーズにて描かれたようなスタイルの推理物
だと思っておけば、ほぼ間違いない。
 なお、ビギナー向けに念のため断っておくと、叙述ミステリや叙述トリックといった
用語もあるが、倒叙ミステリとはまた別物であり、くれぐれも混同しないように。

             *           *

 厄介なことになったものだ。
 殺してしまったものは仕方がない。今さら取り返しようがないのだから、取り乱して
動揺する暇があるのなら、善後策を講じることに力を注ぐべき。
 今、私の目の前には死体がある。人間の死体が一人分。この“犯罪の主体”さえ消し
去れば、完全犯罪がなる。死体が見付からないことには、殺人の立件はできない。
 犯行現場となったこの家は、そこで死んでいる男――鬼頭平六の住処である。好都合
にも、人里離れた一軒家。秘書名目の若い女性、田ノ上アキラと二人暮らしだが、今
日、明日、明後日……と田ノ上が戻ってくる恐れはない。大きな音を立てようが、気に
する者は周辺にいない。殺しを行うとしたら、誰もがこういう場所を一つの理想とする
かもしれない。
 現在午後四時で明るい。もう少し待って暗くなれば、死体を容易に運び出せるだろ
う。が、それでいいのか? 死体がこの場からなくなるだけで、世の中から消えてくれ
る訳ではない。どこかへ捨てねばならなくなるが、ではどこへ? そもそも、折角人目
のない場所にいるのに、わざわざ搬出して、車で運ぶなんてのは愚かな行為ではない
か。見付かる危険を高めるだけだ。
 かといって、この家の近くに穴を掘って埋めるというのも、飛び付きかねる案だ。こ
こが都会から離れた一軒家であっても、死んだ鬼頭は世捨て人ではない。超が付くほど
のベテラン作家で、時代小説や歴史小説を大量に世に送り出し、人気を得た。今でもほ
どほどに名を知られているだろう。ここ数年はネタが尽きたのか時代物や歴史物を離
れ、箸にも棒にも掛からない商業小説を数作書いたあと沈黙を続けてきていたが、それ
でもたまに編集者が足を運んで姿を見せると聞く。そうしてベテラン作家の行方不明が
公になると、すぐさま捜索が始まり、埋めた遺体は見つかるであろう。
 運び出すのも埋めるのもだめなら、焼却か。しかし、家の中ではできないし、外でや
るのはさすがにまずい。人が少ないとは言え、目撃されたら言い逃れのしようがない。
煙や臭いが出るのも気になる。焼却案は却下だ。
 他に考えられるのは、解体か。死体をばらばらにして小さくすれば、いくらか扱いや
すくなる。労力、手間を想像するとやりたくないし、何よりも精神的にきつそうだ。そ
ういえば。死体を食べて消すという処分方法を描いたミステリがあったが、そんな真似
は到底無理。薬品で溶かすとか、肥料にしてしまうとかも無理。せいぜい、動物に食わ
せるぐらいが私にできる限界だろう。
 動物……と呟いてみて、閃いた。辺り一帯には獣が出没すると聞いた。クマはいない
が、イノシシやタヌキ、アナグマ等がたまに出るらしい。
 作家先生の死因は、後頭部を強打したことによるもの。イノシシのタックルを食らっ
て、ばたんと倒れたことによる事故死に見せ掛けられるのではないか。解剖した訳じゃ
ないから、年齢を考えると後頭部云々ではなく他の急病を発症した可能性だってないと
は言えないが、頭の傷が致命傷なのはほぼ間違いあるまい。それに、心臓発作のような
病死だったとしても、イノシシに突き飛ばされたショックで、という推定診断はきっと
通る。
 死体をこの世から消し去ることに拘って、もっと簡単で現実的な案を見落としてしま
っていたようだ。事故死に偽装なら、夜になるのを待って、外へ運び出し、そこいらの
空き地に大の字に横たえておけば済む。できれば胸か腹の辺りに打撲痕を付け、周辺に
イノシシの足跡を付けたいところだが、高望みはすまい。打撲痕の方はやろうと思え
ば、車をぶつけることで可能かもしれないが、下手を打って車の塗料が死体のどこかに
転移したり、逆に鬼頭の衣服の切れ端が車に挟まったり、車体に傷を付けたりしては元
も子もない。足跡にしても、ぼやっとした、獣の足跡らしきへこみを地面にいくつか付
ける程度でいいだろう……。
 そこまで考え、室内を見回すと、トロフィーや表彰盾、酒瓶なんかを飾っている棚の
一角で目がとまった。
 重々しい黒の平皿に、焦げ茶色の毛で覆われた棒状の物体が二本、載せてある。ご丁
寧にタグが針金で付けられ、説明書きがあった。そこには年月日と、「記念イノシシ罠
に掛かる」と細い字で記されていた。
 つまり、この棒状の物体は、イノシシの脚なのか。一年以上前の日付だから、防腐処
理をしてあるのだろう。鬼頭自身が罠を仕掛けたのか、近場に住む農家か猟師が仕留め
た物を、興味本位で分けてもらったのか。前者だとすると法に触れていそうな気もする
が、私にとってはどうでもよい。この脚をうまく活用すれば、地面に本物そっくりのイ
ノシシの足跡を残せそうだ。
 私と鬼頭は釣りを共通の趣味としていた。鬼頭愛用の釣り竿が、この家のどこかに仕
舞ってあるはず。それを探し出して、使うとしよう。

             *           *

「木本さんは田ノ上さんと、いつ頃までお付き合いをしていたんで?」
 とうに把握済みであろうに、刑事はしれっとした態度で聞いてきた。その証拠に、別
れてから一年足らずと答えると、「正確には十ヶ月と十日ですな」と応じてきた。
「色恋の縁は切れても、仕事上のつながりは残っていたみたいですが」
「どうしてそれを?」
 愚問であると分かっているが、敢えて尋ねた。
「あなたは評論家として、鬼頭平六氏の作品を批評されているし、解説の文章を引き受
けられたことや対談をされたこともある。当然、鬼頭氏の秘書とも多少のやり取りはあ
ったと見なせますな」
「確かに。そういう意味では、つながりはありましたよ。だけど、彼女の逃走を手助け
するなんて、あり得ません」
 ニュースや週刊誌などで見聞きしたところによると、田ノ上アキラは現在、警察に行
方を追われている。そう、鬼頭平六殺害の容疑で。
 実際、鬼頭を死なせたのは、この私ではなく、田ノ上アキラで間違いない。
 私は床に倒れている鬼頭の死体を見て、彼が田ノ上に突き飛ばされ、後頭部を強打し
た結果、亡くなったと早合点した。しかし、本当の死因は意外にも溺死だったのだ。こ
の報道を知ったときの私の驚きようときたらは――ああ、思い出すだけでも震えが来
る。周りに知人がいたため、ショックを隠すのに非常な努力を要した。
 警察の捜査で、鬼頭は自宅の浴槽に張った水に、顔を押し付けられて死亡したものと
判明。そんな溺死体が、野っ原で大の字になって見付かったのだから、無茶苦茶であ
る。私の偽装工作は、何ら意味がなかった。それどころか、溺死ならまだ事故死の余地
を残せたものを、小細工のせいで他殺の疑いを濃くしてしまった。解剖の結果、死因が
溺死と特定できた上に、鬼頭の肺や胃、喉からは田ノ上の毛髪が何本も見付かってい
た。
「彼女の居場所に心当たり、ないですか」
「ありませんよ」
 私は嘘をついていた。
 まあ、想像するに、田ノ上は鬼頭を溺死させたあと、死体に関して丁寧に水を拭き、
髪の毛を乾かし、服を着替えさせたのだ。恐らく、年齢のいった鬼頭が普段の何気ない
動作で足を滑らせて転倒、後頭部をしこたま打ったがために死に至ったというシナリオ
を思い描いていたに違いない。その程度の偽装で解剖が行われないと踏んでいたのだと
したら、とんだ無知だ。鬼頭平六がもし仮に推理小説をも書いていたら、秘書がこんな
思い込みをすることもなかったろうに。
 あの日、そういった犯行をやってのけた彼女が、よりを戻すことを口実に、前もって
私と会う約束を取り付けていたのは、アリバイめいたものをこしらえる意図があったん
だろう。正確な死亡推定時刻なんて、一般人に予測できるものではなく、苦心のアリバ
イトリックを弄して、予測と大きなずれがあったなんてことになれば、目も当てられな
い。それならいっそ、曖昧模糊とした、ふわっとしたアリバイを用意して、運がよけれ
ば成立するだろうくらいの考えを抱いたたとしても、不思議じゃない。
 一方、田ノ上のそのような思惑なんて全く知らなかった私は、会う約束に応じたとき
から、ある計画を立てていた。私のプライドを傷付けてくれた田ノ上アキラを殺害する
計画を。
 とうに瓦解した計画であるので、今さら事細かに記す気力を持たないのだが、ざっと
触れておくと、私は田ノ上を彼女の車の中で殺害し、そのまま人里離れた鬼頭宅へ直
行。そこで鬼頭を自殺に見えるようなやり方で殺し、田ノ上殺しの罪を被せるつもりで
いた。
 だから、鬼頭の家に上がり込んで、彼の死体を見付けた瞬間、私は驚きの叫びを上げ
るのもそこそこに、「ちぇ、これなら田ノ上の方を自殺に見せ掛けられる殺し方にして
おけばよかった」と嘆いたものだ。まずいことに、私は彼女の腹を包丁で刺してしまっ
ていた。
「本当に知りません?」
 刑事は食い下がってきた。何故食い下がれるのか。理由でもあるのか。
「刑事さん達もそれがお仕事だとは言え、あんまりしつこいと協力したくなくなるじゃ
ありませんか」
「そう言われましてもねえ。一応、木本さんに話を伺う根拠はあるんですよ」
 ほら、やっぱり。隠していた。
「差し支えがなければ、その根拠を聞かせてもらいたいな。聞いた結果、場合によって
は、積極的に協力する気になるかもしれない」
「そうですか。じゃあお話ししましょうかね」
 刑事は懐から紙片を取り出し、広げた。A4サイズと分かる。
「これはコピーなんですけど、鬼頭さんのパソコンにあった物です。執筆に使っていた
パソコンに保存されていた、テキストファイルですな。私ら素人が見ても分かる、創作
メモのようなもの」
 刑事は、ちらっとだけ表を見せてくれた。内容は全然読み取れなかったが、創作メモ
らしい箇条書きがどうにか視認できた。
「これ、最後に名前がわざわざ打ってありまして、鬼頭平六だけでなく、田ノ上アキラ
の名前も併記してある。多分、二人で考えていたんでしょう」
「ありそうな話です。鬼頭さん、アイディアの創出に苦しんでおられたようだから」
「興味深いのは、内容でしてね。ジャンルはどうやら推理小説みたいなんです」
「ええ?」
 鬼頭平六が推理物を? 似合わない。だが、時代物や歴史物の才能が枯渇し、商業小
説で失敗した彼にとって、推理物に賭けようという狙いは分からなくはない。
「鬼頭さんの推理小説なら、私も読んでみたかった」
「メモだけでも読ませて差し上げたいところだが、捜査が優先なんで。まあ、さわりだ
けは今から話しますよ。女の犯人が、夫を殺し、そのアリバイ証明を愛人にさせるとい
う筋書きで、印象からして、田ノ上さんが犯人役、鬼頭氏が夫役、そしてアリバイ証人
が木本さんみたいなんですがね。人物属性や造形の設定が、それぞれそっくりでして」
「……」
「肝心なのは殺害方法だ。これがドンピシャリ。風呂場で溺れさせた夫を、転倒で頭を
打って死んだように見せ掛けるというものなんですな」
「……」
 何て物を書き残してくれていたんだ。
「正直な感想を述べると、わざわざ溺死させた男を、転倒死に偽装するメリットが分か
らんのですよ。そのまま風呂場で溺れたことにすりゃいいのに。評論家先生なら、この
粗筋の狙い、分かるんでしょうか?」
「生憎、推理小説は専門外でして……」
 前言撤回。
 鬼頭は推理物を書くべきではない。書こうとすら思ってはいけなかった。

――終わり




#458/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/19  22:26  (200)
カグライダンス・ミニ   寺嶋公香
★内容                                         19/01/02 16:34 修正 第2版
 芸能週刊誌をぱらぱらと読んでいた加倉井舞美が、ふっと顔を起こして唐突に言っ
た。
「『好感度がいい』って、変じゃない?」
「え?」
 純子は加倉井のいる方を振り返り、目で問い返した。唐突だったから聞き漏らしたの
だ。
 ちなみに、純子の今の格好は銀色を多用した衣服に、表が黒、裏が橙地の短めのマン
トを羽織っている。横のテーブルには、鍔広の黒い三角帽が置いてあった。要するに魔
女のなりだ。加倉井の方も同じ格好だが、彼女はマントも外している。
「『好感度がいい』という表現が、ここに使われているのよ。何だがむずむずする」
 加倉井はパイプ椅子から腰を上げると、日よけの天幕の下、慎重な足取りで近付いて
きた。靴の爪先がタンポポの綿帽子みたいなデザインで上向きに伸びているため、気に
なるのだ。
 彼女が両手で開いてみせたページには、タレントの好感度ランキングが載っていた。
「ほら、ここ」
 指差す先には、言った通りの『好感度のいい』という文字が躍る。あるお笑い芸人に
ついての記述のようだ。
「好感度の好って、良いという意味でしょ。好感度が悪いなんて言わないし。『好感度
のいい』には二重表現という以上に、据わりの悪いものを感じるわ。あなた、どう思
う?」
 問われた純子はつい思い出し笑いをしてしまった。加倉井の垣間見せた理屈っぽさ
が、相羽を思い起こさせたせい。
「何かおかしいこと言ったかしら」
 密かに笑ったつもりだったが、加倉井は目聡かった。純子は急いで首を横に振る。
「ううん。友達の理屈っぽさを思い出しちゃったから。理屈っぽいは、悪い意味じゃな
くて、私も影響を受ける場合が結構あって」
「分かった分かった。別に怒ってるんじゃないわよ。それで、感想は?」
「えっと、確かにおかしいと思うけれど、じゃあ好感度の尺度を表すのって、どうすれ
ばいいのかなって……」
 小首を傾げる純子。対する加倉井は、当たり前のように即答した。
「好感度が高い、じゃないの」
「私も最初に思い浮かんだ。でも逆の、好感度が低いという言い回しには、凄く違和感
を覚えるような。だから高い低いでいいのか自信が持てない」
「……なるほどね」
 納得したようにうなずいた加倉井。
「好感度の低いという言い方はよく見掛けるから、何となく受け入れていた。よくよく
考えてみれば、これもむずむずする表現だわ」
「意味は伝わるから間違いじゃないのかもしれないけれど、何となく変。あ、でも、好
感度アップとか好感度が下がったとかには、違和感ない」
「ほんと。上がり下がりはするのに、低いだと何故か据わりが悪い……」
 加倉井は週刊誌を持ったまま、腕組みをした。考え込む様子で眉間に皺を作ったが、
はたと我に返ったのか、表情を和らげる。
「ちょっと、あんまり考え込ませるようなことを言わないで。皺ができちゃうじゃない
の」「そ、そう言われても」
 話題を持ち出したのは加倉井さんの方……とは言い返せない純子である。代わりに、
疑問解消の解決策を絞り出してみた。
「好感度って言うからおかしいのかな。好の字の印象が強くて、いいことにしか使えな
い雰囲気がある。だから、好を外して感度にすれば……」
「……やめて。とても卑猥に聞こえる」
 ぴしゃりと言われてしまった。だがすぐには理解できなかったため、さっきとは反対
側へ首を傾げる純子。
「感度がいいって、受信状況なんかに使うのならいいのよ。人に対して使うと、途端に
おかしくなるでしょうが」
「……あぁ」
 遅ればせながら、加倉井の想像していることが飲み込めた。ちょっと顔が赤くなるの
を意識し、心持ち俯く。加倉井さんてそんなこと考えるんだ、とも思った。
 元いた椅子に座り直した加倉井は、週刊誌を閉じた状態で手放さず、団扇のように
二、三度扇いだがすぐにやめた。
「おっそい。もう充分に晴れているように見えるのに」
「あ、休憩に入る前に、飛行機の通過時刻と被りそうだとか何とか言ってました」
「じゃあ今は飛行機待ちってわけね。五分か十分といったところかしら。――以前、イ
ンタビュー記事で、くすぐったがりだと言っていたみたいだけど、あれ本当? 記者の
創作?」
「どの記事か分かりませんが、くすぐったがりなのは本当です」
 再びの唐突な切り出し方だが、純子は慣れもあって平静に答えた。
「ふうん。ということは、感度も高いのかな」
「――」
 飲み物を口に含んでいたら噴き出しそうなことを、加倉井はさらっと言ってくれた。
ついさっき、感度の使い方にだめ出しをしてきたのに、それに反することを自らやるな
んて。まじまじと見つめる純子に対し、加倉井は笑みを返す。
「カメラの回っているところで言わないよう、おまじないを掛けてあげたのよ。当分、
意識して『感度』を使う気になれないはず」
「うーん、他の人が言ったら変な反応をしてしまいそう」
「それは自分で何とかして」
 頭上高く、飛行機が飛んでいく。
 コマーシャルの撮影再開までもう間もなく。

 撮影が完了したあと、様子見に来ていたクライアントの人と言葉を交わした。第一弾
コマーシャルのときとは別の女性で、まだ不慣れなのか言動がどことなくたどたどし
い。初対面の挨拶時には名前すら早口で聞き取れなかったほどだが、大手おもちゃメー
カー・ハルミのれっきとした社員だ。
 宣伝する商品は、『ウィウィルウィッチ』という人気の魔女アニメ(魔女っ子も登場
するが魔女っ子アニメではない)とコラボレートした玩具。第一弾、第二弾と何種類か
撮影したのだが、さっきまで青空待ちをしたのは、大雨を魔法で抜けるような青空に変
える、というシーンを実写で撮りたいという監督の謎の拘りのせい。
 撮影が終わったと言ってもコマーシャルの完成はまだ先になる。純子も加倉井もあと
のスケジュールは空いているとは言え、普通は長々と話す場面でもない。だが、そのお
もちゃメーカーから来た女性がお話がありますというので、ロケバスの中をしばし三人
で占める。
「以前にも数字で示したと思いますが、お二人のおかげで売り上げは好調です。特に社
長が大変気に入ったご様子で、これからもよいつながりを持ちたいと。端的に言います
と、他のお仕事もお願いしたいと申しておりました。つきましては先程、撮影の最中に
事務所の方にはすでに打診したのですが」
 持ち掛けられた新たな仕事とは、二人で――純子と加倉井――海外の名所を紹介する
テレビ特番の話だった。何でも、ハルミ一社提供の二時間枠で、マジックをキーワード
に二つの面から、つまり魔女や呪術といった神秘的な事柄と、奇術・手品の範疇にある
事柄にスポットを当てる云々かんぬん。
「言うまでもありませんが、アニメ『ウィウィルウィッチ』とも関連しています」
「面白そう。マジック――奇術、好きなんです」
 第一印象を素直に口にした純子。一方、加倉井は特に何も言わない。慎重な姿勢を
キープしている。
「とても光栄です。が、『ウィウィルウィッチ』と関係するのなら、私達よりもふさわ
しい方がいる。違います?」
 遠慮のない調子で質問する加倉井。相手の女性はほんの一瞬、目を見張った。すぐに
平静に戻る。申し訳なげに眉を下げ、笑みを絶やさずに答えた。
「その、いずれ耳に入ることかもしれませんので、先に打ち明けておきますと、アニメ
製作側の周辺からは、主要キャラクターを演じる声優の皆さんを採用するよう、推薦し
てきました。これに社長が難色を示しまして、スポンサー特権でお二人を推すと」
「……」
 加倉井と純子は目を見合わせた。そして加倉井が答える。
「後押ししてくださるのは大変感謝します。ただ、失礼な物言いをお許しください。他
にも候補者がいる中、力で押し切るのは本意ではありません」
「それは……オーディションか何かを催して、競った結果、選ばれるのであればよいと
解釈してかまわないのでしょうか」
 事務所を通さず、マネージャー不在の場で、タレント相手に直接的な提案をするのは
珍しい。正面に立つ女性は若くて頼りなげな外見と違い、意外とそこそこの決定権を与
えられている人物のようだ。
 しかし、加倉井は首を左右に振ってみせた。
「私達も人気商売、好感度が大事ですから。アニメ制作側や作品のファンと揉めそうな
種を蒔くのは避けたい、それだけです。御社も本音では同じじゃありません?」
 ビジネスっ気をちらと見せてから、相手に同意を求める。加倉井なりの交渉術かもし
れない。
「確かに。アニメの人気があってこそ、弊社の関連商品が売れた面は否定できません」
「でしょう? だったら、無碍にシャットアウトするのではなく、受け入れた方が絶対
にプラスになると思いますよ。ね?」
 加倉井はいきなり純子に振り向いて、相槌を求めてきた。調子を合わせるわけではな
いけれども、即座に首肯した純子。
 加倉井は軽く頷き返すと、クライアントの女性に向き直る。
「出してもらう立場で厚かましいんですけど、どうせなら四人にできません?」
「四人というと……あっ、加倉井さんと風谷さんに加えて、声優の方もお二人と」
「そう、さすが、飲み込みが早くて嬉しい。元々、マジックを二つの面から捉えるのだ
から、レポートも二組に分かれてやることはむしろ自然」
「え、二組に分かれるのなら、私、奇術の方がいいです」
 場の空気がよくなったのを感じ取って、純子はすかさず言った。
 二人の“連携プレー”に、相手の女性は口をかすかに開けたままにして、唖然とした
風だったが、そこからのリカバリーは早かった。
「分かりました。こちらから声優の皆さんへ打診してみます。加倉井さんと風谷さん
は、原則、了承してくださったと解釈してよろしいですね。細かい条件面はまた別とし
て」
「もちろん。この子がこんなにやる気になっていますし」
 純子を指差す加倉井。慌てて両手を振り、異を唱える。
「そんな、私のわがままみたいに。加倉井さんがやりたくないのなら、私もやめておく
から」
「それは困ります」
 相手女性の被せ気味の反応に、加倉井は苦笑をかみ殺しつつ、純子に対し返答する。
「大丈夫、私もやってみたいと感じてるんだから。オファーの条件が余程悪くない限
り、承ることになるんじゃない?」
 強気のなせるフレーズを含んでいて、聞いている方はハラハラする。同世代の中では
加倉井はトップクラスに位置しているから、多少の希望(要求、我が儘)は言えるみた
いだけれども。
 純子のそんな内心の動きを知ってか知らずか、相手女性は間髪入れずに言葉をねじ込
んだ。翻意されてはたまらないとばかりに。
「声優さん達へのオファーも含めて、持ち帰って、検討させてもらいます。なるべくよ
い方向に持っていきますので、よろしくお願いしますね」
 頭を深々と下げると、引き留めて長話になったことを詫び、彼女は辞去していった。
「――ちょっと汗かいた」
 その後ろ姿が遠くに見えなくなってから、純子はため息とともに言った。
「あ、好感度って言葉を使ったの、やはりまずかったのね」
「違います。使ったのには気付きましたけど」
 否定してから、加倉井の強気な物言いが原因だとはっきり言った。当人は、まるで気
にしていない。
「いいじゃないの。望んでいた形になったでしょう? あの人、なんて名前だったかし
ら。最初は慣れていない感じが丸出しで不安だったけれども、案外、話の分かる人みた
いで嫌いじゃないわ」
 撮影前に名刺を受け取っていたが、マネージャーにも渡っているということだった
し、しかと見ていなかった。純子は名刺を改めて見直す。
「ましこはるみさん、と読むのかな」
 益子春見と縦に書いてあった。なかなか意匠を凝らしたデザインになっている。透か
し彫り風の字体で、各文字が左右対称になるよう、手を加えてあった。益・春・見は左
右対称にし易いからいいとして、子は若干だが無理をした感があった。
「――おかしい」
 純子は名刺を見つめる内に、何となく違和感を覚えた。名前にかなもしくはローマ字
が振られているのが普通だと思うのだが、これにはない。肩書きも、会社名と部署だけ
が印刷されている。
「もしかして」
 裏返す。裏側からも益子春見の文字が確認できた。ただし、その脇に矢印があった。
姓と名を入れ替えてくださいというサインのように。
(益子春見を入れ替えると、春見益子。益子はますこやみつことも読めるんだっけ。う
ん? 春見?)
 メーカー名に思い当たる。ハルミ。
「か、加倉井さん!」
「な、何、大声出して。落ち着きなさいよ」
 純子が大きな声を出すのが珍しければ、加倉井が明らかに驚いた顔をするのも珍し
い。そのためか、純子と加倉井はしばらく黙ってお見合い状態になった。
「――名刺の裏、見て」
 先に口を開いたのは純子。加倉井は「今、持っていない」と言い、純子の手元を覗き
込む。隣同士で額を寄せ合う格好になった。
「完全に想像に過ぎないんですけど、さっきの人、社長さんの血縁なのかも」
 続く純子の説明を聞き、加倉井はふんふんと軽く頷いた。
「もしそれが当たっているとしたら、ますます面白い人だわ。身分を隠して現れるなん
て。ひょっとしたら、社長の命を受けて私やあなたを直接品定めすることが、真の目的
だったのかもね」
「うわ〜」
 自らの二の腕をさする純子。加倉井は呆れ気味に言った。
「自分で気付いておいて、今さら緊張しないでよ」
「はい……次の機会があれば、意識しちゃうだろうなあ」
「まるで気付かない方がよかったみたいね。まったく、感度がいいのも考え物だわ」
「か、感度じゃなくて! せめて勘と言ってください!」

――『カグライダンス・ミニ』おわり




#459/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/20  02:11  (138)
SS>ダイイングメッセージ   永山
★内容
 まさかこんな奴がいるとは思わなかった。
 いや、厳密に言うと“こんな奴”はもういない。片桐佐太郎は僕が殺したから。

 日曜日の夜十時。学園祭を乗り切った大学構内は静けさが行き渡っていた。雨のせい
もあるのか、少なくとも各部の部室があるクラブ棟に人の気配は感じられない。僕だけ
が生きて、活動している。
 片桐は死に際に、自身の血で文字を書いた。ダイイングメッセージというあれだ。 
正確を期すと、片桐が書くところを見てはいない。僕が部室内に残しておいてはまずい
痕跡(凶器とか不自然な指紋とか)のチェックを済ませ、ふと見るといつの間にか書い
てあったのだ。もっと前に死んだと思っていたから、片桐がまだ動けたことにもびっく
りしたが、それと同じくらい、ダイイングメッセージにも驚いた。瀕死の状態なのに助
けを求めることなく、犯人の手掛かりを残そうとする人間が、推理小説の中だけでなく
実世界にもいるとは、本当に意外だ。おかげでしばらくの間、呆然としてしまった。
 思い返してみると、片桐佐太郎は変わったところのある奴だった。頭はいいのだが、
意味のない悪戯をよく仕掛ける。悪戯好きの人間ならどこにでもいるだろう、でも片桐
のそれは、多少危険なのだ。持ち主に知られない内にライターの火を目一杯大きくした
り、ブーブークッションと画鋲を併用したり、試験のとき友達の筆記用具を電気の流れ
るペンにすり替えたり、走ってる自転車のタイヤ目掛けてスケートボードを滑らせた
り、自動車通学している友達に、アルコールをちょっぴり混ぜたジュースを渡したりと
枚挙にいとまがない。今日も、カッターナイフの刃を細かく割り折って、何やら嬉々と
して準備をしていた。
 それでもこいつに友人・知り合いが大勢いるのは、普段は愛想がよく、どことなく憎
めないキャラだし、金離れがいいこともあるし、勉強の面では頼りになるというのもあ
った。
 が、そういう友人をこの度殺したのは、度の過ぎた悪戯が理由だった。振り返るのも
嫌な気分になるので詳細は省くが、要するにコンドームに穴を開けておくという、昔か
らある下品な悪戯だった。
 おかげで僕は将来設計の変更を余儀なくされそうになったが、何とか踏みとどまれ
た。だが、もうこのままにしてはおけない。片桐がそばにいれば、いずれ僕に災いをも
たらすに違いない。もっと酷い形で。片桐を僕から遠ざけるだけでよしとしなかったの
は、今までの小さな怒りや恨みの積み重ね故かもしれないし、思い知らせなければ気が
済まないと感じたせいかもしれない。
 話を戻す。
 ダイイングメッセージを残すその行為に驚かされたが、それ以上に僕を混乱させたの
は、ダイイングメッセージの内容である。「あおきたくや」と読めたのだ。
 僕の名前は古尾翔と書いて、「ふるおしょう」と読む。あおきたくやでは断じてな
い。
 無論、ダイイングメッセージの理屈は知っている。被害者が犯人の名前をそのまん
ま、ストレートに書いても、まだ現場にいる犯人によって消される恐れがあるから、死
にかけの脳みそをフル活用して、変わったメッセージを捻り出す。犯人にはそれが犯人
を指し示すとは分からないが、見る者が見れば分かるというやつ。
 まあこれは推理小説でのお約束で、リアルに考えるならば、ダイイングメッセージの
意味が分からない・自分(犯人)を指し示しているようには見えないからと言って、そ
のままにして現場を立ち去る犯人はいまい。メッセージを読めなくなるよう、破壊する
のが取るべき道だ。
 だが、現在僕に示されたダイイングメッセージ、あおきたくやは、壊すのにはためら
いを覚える。何故なら、僕と片桐共通の知り合いに、青木拓也という男がいるからだ。
同じ高校から進学した三人組の一人で、現在、部活は違うが、学部学科は同じであり、
当然、選択している授業もよく被っている。
 理由は不明だが片桐が青木を犯人だと思って死んだのなら、これを利用した方がいい
のでは? そんな誘惑に駆られる。血文字の“筆跡”で個人識別が定可能とは考えにく
いが、少なくとも偽装工作ではなく、正真正銘、本人が書いた字なのだから、警察もダ
イイングメッセージを書いたのは被害者に間違いないと考えるのではないか。
 だが……殺人犯が、名前を書かれるという明々白々なダイイングメッセージを見逃す
とは、まずあり得ない。そんなあり得ない状況を不自然に思い、警察はやはりこの血文
字は怪しいと判断するのが当然ではなかろうか。
 それならば、真犯人である僕がこのダイイングメッセージを活かすには、消そうとし
た痕跡を残すのが一番か。しかし、全部消してしまっては元も子もない。床に絨毯でも
敷いてあれば話は別だが、部室はセメント剥き出しの床である。何と書いてあったか、
ぼんやりとでも想像できる程度に、雑に掠れさせるのがいい。
 そこまで考えを進めると、実行した方がいいと思うようになっていた。短いとは言え
思考に時間を掛けたのだから、実行しなくては勿体ないという気分か。僕は死体の観察
をやめて腰を上げると、室内をざっと見た。テーブルなどを拭くための乾いた布が目に
とまる。これを使って、血文字を掠れさせよう。
 布を手に取り、再び死体に近付いてしゃがんだところで、妙な物があるのに気が付い
た。長さ五センチ足らずの鉛筆が、片桐の右手の先にあった。さっきまでは手のひらに
隠れていたのだろうか。握りしめていた鉛筆が、絶命により手の力が抜け、転がり出た
――ありそうなことだ。
 僕は気にせずにダイイングメッセージの細工を始めようとした。しかし、寸前で手が
止まる。最大の疑問が浮かんだ。
 片桐の奴、鉛筆を手にしていながら、ダイイングメッセージを血文字で書いたのは何
故だ?
 ダイイングメッセージは血文字が定番であるという思い込みか? だが、赤い血で書
いたら目立って、犯人に気付かれやすいことぐらい、すぐに分かるだろう。ここの床な
らば、鉛筆で書いた方が気付かれにくい。圧倒的な差がある。
 考える内に、もしかしてと閃いた。片桐の右手の近くにあるダイイングメッセージに
顔を近付け、目を凝らす。程なくして、そいつを見付けた。
 血文字の中に溶け込むように、鉛筆による文字が確認できたのだ。つたない平仮名
で、「ふるおしょう」と記してあった。
 こいつ……。本来のメッセージを気付かれにくくするために、わざと血文字で上書き
をしたのか! 思わず、死体の後頭部をはたきたくなった。もちろん自重したが、心理
的なむかつきから色々と毒づいてしまった。
 およそ三十秒後、口をつぐんだ僕は、自分の名前を消すことに取り掛かった。さっき
手にした布で、まず血を拭う。意外にも血の部分は結構きれいに取れた。固まり始めて
いたおかげかもしれない。だが、染みは残っている。さらに鉛筆文字は消えていない。
全く薄くなってもいない。
 唾でも付けて擦れば落ちるかもしれないが、殺人現場にDNAを残してどうする。そ
もそも、死体の血で汚れた箇所を、何度か唾を付けて擦るなんて気持ちが悪い。
 僕はまた立ち上がると、テーブルの上に視線を走らせた。目的は筆入れ。片桐が出し
っぱなしにしていた物。その中を探ると、消しゴムが出て来た。だいぶ使っており、丸
くて飴玉サイズになっていたが、鉛筆の字を消す役には立つ。とは言え、部室にはこれ
以外に消しゴムはない可能性が高く、無駄にできない。自ずと慎重になった。
 僕は消しゴムを親指と人差し指とでしっかりと捉え、構えた。そして片桐の残した本
当のダイイングメッセージを消そうと、力を込めた。
「!」
 次の瞬間、指先に違和感が走り、続いて痛みを感じた。無意識に消しゴムを放り出
し、親指と人差し指の指紋側を見る。
 すっぱりと切れ、赤い血がじわじわ出始めていた。
 床に落とした消しゴムを見付けるまで、片桐の悪戯だとは分からなかった。あいつは
消しゴムの中に、折ったカッターナイフの刃を仕込んでいた。
 殺人現場の床に、新鮮な僕の血が数滴したたり落ちていた。これを完全に消し去るの
は難しい、いや、不可能か? しかも、片桐の血と混じった分もあるだろう。警察の捜
査で検出されたら、言い逃れがきかない。複数の人の血が混じった場合、識別できるの
か否か知らないが、できるとみておかねばなるまい。
「くそっ」
 思わず、叫んだ。片桐の策略にはめられた気がして、怒りとそれ以上の焦りが生じて
いる。叫んだことで、多少はガス抜きの効果があった。
 計画は大幅に狂ったが、まだ諦めるには早い。充分にリカバリー可能。時間が乏しい
中、ぱっと思い浮かんだ策は二つ。一つ目は、片桐の死体を運び出し、別の場所を殺人
現場のように見せ掛ける。二つ目は、この現場そのものの証拠を消し去る、換言すれば
火を放つ。準備なしにすぐ実行できる意味で、現実的なのは後者だ。最低限、床が燃え
てくれればいい。それには燃焼剤の類が欲しい。部室にはファンヒータータイプの石油
ストーブがある。今年はまだ使っていないが、そのタンクには灯油が残っている。灯油
を床一面に流した上で、燃えやすい紙や乾いた木、プラスチック類なんかをうまく配置
すれば、床の字は読めなくなるのではないか。焼け跡から検出するのも困難になるに違
いない。
 いやいや、確か灯油に直に火を着けても燃え上がりはしないんだっけ。だから、先に
紙などに染み込ませて、それから着火する必要がある。少し手間が掛かるが、面倒臭が
ってなんていられない。
 僕は部室にある古新聞やちり紙をかき集め、準備を急いだ。

             *           *

 ボヤと呼ぶにはよく燃えたクラブ棟の一室で、見付かった遺体が殺されたものである
ことはすぐに明らかになった。
 それから程なくして、最有力容疑者――恐らく犯人――の名前も浮かび上がった。
「何が見付かったって?」
「あ、こっちこっち。これです」
「被害者の手を示して、どうした? 何か書き残してくれてたってか」
「いやいや、周辺はご覧の通り、すすだらけでよく見えないし、かなりの部分が焦げち
まってる。期待できないな。だが、ここをこうすると」
 鑑識課員は、片桐佐太郎の固く握りしめられていた拳を開き、刑事に見せた。
「……『ふるおしょう』と書いてあるみたいだな。これ、何かの刃物で傷つけたのか
?」
「今の時点では何も言えないが、必死に彫ったのは確かだろうよ」
 片桐の左手のひらは古尾翔の名前をしっかと守っていた。

――終わり




#460/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/24  21:26  (158)
SS>アリバイ   永山
★内容                                         18/11/27 02:18 修正 第3版
 くそ、困ったわ。
 誰にも疑われないなんて、まさかの想像の埒外。私の立場で刑事が聞き込みに来ない
って、あり得なくない?
 このままじゃ、折角のアリバイ作りが無駄になる。あー勿体なかったで済めばいいん
だけど、何かのきっかけでアリバイ工作をしたとばれたら、一気に怪しまれるじゃない
の。自然な流れで疑われた上で、アリバイを言ってやってこそ、効果があるっていうの
に。
 尤も、そう簡単にばれやしないとは思うけれど。不安があるとしたら、証人の記憶が
薄れることぐらいかな。でも、心配していない。あいつらの記憶力は異常。特に、矢代
実和の記憶力と記録魔ぶりは。私に関することなら事細かに記憶し、記録を付けてい
る。イベントで、嬉々としてメモ帳を見せられたときは正直、引いたけど、お金がない
分をカバーするための涙ぐましい努力と受け止めておいた。矢代はまだ未成年の学生ら
しく、時間だけはあるのか、イベントがいくつも重なったある日の私の居場所をまるで
GPSみたいに記録していた。あの追跡能力は利用できると思った。だから、次に来た
ときはいつもよりほんの少し長く握手してやった。
 たったそれだけのことで、親しくなれたと思って、こちらのイリーガルなお願い(命
令)に従ってくれるおバカなファンなら、そのままそいつに殺させるところだけど、さ
すがにそこまで盲目な奴はいまい。おバカだと口を割る恐れがあるし、そもそも矢代は
見た目も言動も賢そうだし。
 だから私は他の共犯を選んだ。美梅おねえちゃんだ。本当に血のつがった姉妹ではな
く、親戚関係だけど、姿形は周りの誰もが驚くほどそっくりで、年齢も半年違いの同学
年。私にとって美梅おねえちゃんは姉も同然、美梅おねえちゃんにとって私は妹同然。
そして美梅おねえちゃんは、私に夢を託している。おねえちゃんが諦めさせられた、ア
イドルになるという夢を。
 私が今やっているのは、一時期、雨後の筍よりもにょきにょきとあちこちで芽吹いた
地下アイドル、ローカルアイドルの類だけれども、ここからのステップアップを目指し
ているのは断るまでもない。三人組のグループでやっていて、“実は三人の仲が悪い”
設定が意外と受けているみたい。大物漫才コンビとかによくある不仲を真似ただけなん
だけど。実際問題、三人とも単独で売れることを目標にしており、メンバーの誰かが単
独で大手から声が掛かったとしても、三人一緒にという殊勝な態度は取らないというの
が約束としてできあがっている。もしも大手から三人まとめてと言われたら、そのとき
考えるってことになってたけれど、実は今、私は打診を受けている。唾を付けておこう
レベルだけど。五本の指に入る大手ってではないにしても、メジャーなのは間違いない
とこ。
 そんな大事なときに、過去の亡霊が現れた。まだアイドルを目指すと決めていなかっ
た小学生の頃、クラスで一番格好よく見えた男子、姉崎統一と半分お遊びでキスを何度
かした。何回目のときか知らないけれど、姉崎はキスしているところを私に黙って撮影
していた。以来、写真をどう使ってきたかは知らないけれども、大事に保管していたの
は確実。今になって、私を脅す材料にしてきたのだから。
 姉崎が格好良かったのは小学校までで、中学に入ってからは文字通り、伸び悩んだ。
小学校ではずっと高身長のポジションだったのが、十三歳を境に背が一向に伸びなくっ
て、周りの男子に追い抜かれた。それで萎縮したのかしら、性格が卑屈になって、子分
体質が染みついた。男子は高校以降でも背が伸びるのが普通だろうから、そんな気にす
る必要なかったのに。
 姉崎に優しい言葉をかけていたら、今こんなことで悩まされなくて済んだかもね。け
れども中学生の私は気が回らない上に、アイドルを目指すのに夢中になってた。結果論
だけど、手を差し伸べなくて正解だったと思う。現在の姉崎は頭の方もちょっと足りな
い単細胞になったみたいで、私が下手に出たら、大事な写真を簡単に手渡してくれた。
他にコピーを作ってもいない。
 その後、私が連れなくしたせいで姉崎は怒りを募らせ、証拠がなくても子供の頃のこ
とをぶちまけるとか、イベントに乱入して邪魔してやるとか言い出した。そんな真似さ
れたら、たとえ私に非がなく、身体的にも無傷で終わったとしても、受けるダメージは
大きい。メジャーデビューの道が閉ざされる恐れもある。お金なんかで大人しく口をつ
ぐんでくれそうにもないので、始末するしかないと決めた訳。
 計画は至ってシンプルに。なるべくしっかりしたアリバイを作る、これだけ。具体的
には、決行当日、矢代に私を尾行させる。先立つこと十日ほど前に、矢代の前でメモ書
きをわざと落とす。そこには、決行当日の私のスケジュールが記してある。スケジュー
ルと言ってもオフ日で、要するに一人で遊びに行く予定みたいなもの。矢代からすれ
ば、憧れのアイドルのプライベートを覗けるのだから、ついてこないはずがない。
 当日、私は軽い変装をして遊びに出掛ける。矢代が尾行してくれないことに話になら
ないので、確認するためになるべくゆっくり行動した。さらに、矢代には私が間違いな
く私であることを一度は見せておく必要があると思ったので、電車の中ではすぐ隣に立
てるように誘導した。興奮して痴漢行為でもされては面倒だったけれども、さすがにそ
れはなかったわ。
 とにかく思い描いていて順通りに下準備を重ねた上で、予め決めておいたデパートの
トイレに向かう。そこで待機していた美梅おねえちゃんと入れ替わるのだ。私とおねえ
ちゃんは容姿や背格好はそっくりなので、ファッションを同じにすれば判別不可能。女
性用トイレのスペースに矢代は入れないから、入れ替わりは楽勝でできる。
 矢代が美梅おねえちゃんを尾行し始めたら、もうこっちのもの。自由時間を確保した
私は、姉崎を始末しに行く。首尾よく、目的を達成し、再び女子トイレ――今度はアミ
ューズメント施設の――で、おねえちゃんと入れ替わる。
 実際にやってみたら、時間のタイミングが意外と合わせにくかった。入れ替わるまで
手間取って、姉崎との待ち合わせ時間に遅れそうになったり、逆に二度目の入れ替わり
にはトイレに早く来すぎてしまったりしたけれども、何とか乗り切れた。
 最も困難だと思っていた姉崎を殺す方は、あまりにうまく行って、拍子抜けしたほど
だったわ。おかげで、トイレ到着が早すぎた訳だけど。
 美梅おねえちゃんには、殺人のことは全く話していない。入れ替わりをする理由とし
て、「私の行動を全て把握したつもりでいい気になってるファンがいるから、ちょっと
鼻を明かしてやりたいの。私とおねえちゃんが途中で入れ替わって、気付かなかった
ら、あとで入れ替わりの証拠を突きつけて、おあいにく様でしたって。ある意味、ファ
ン冥利に尽きるでしょうし、悪いことじゃないと思うんだ」ってな具合に持ち掛ける
と、承知してくれたの。
 ――こんな風にして、うまくやり遂げたつもりでいた。いや、実際にうまく行ってい
る。誰も私を疑っていない。事件が発覚し、被害者と私とのつながりが明らかになった
時点で、美梅おねえちゃんは私を疑いの目で見ると覚悟していたので、そのためのいい
訳に頭を悩ませていたのだけれども、説明する必要に迫られていないのは助かる。た
だ、こうまで何の音沙汰もないのは、かえって不気味。
 だって、警察が姉崎と私とのつながりを見逃すはずがない。この目で見た訳じゃない
けど、姉崎は私の電話番号を知っているのは間違いないし、録音している可能性もあっ
たから会話には凄く気を遣った。写真だって、小学生時代の分はうまく取り上げたけれ
ども、こうして今また会ったときにこっそり撮られていたかもしれない。もっと言え
ば、日記のような形で、あいつが私について何か書いていれば、警察が私に注意を向け
るのは絶対確実だと思える。なのに、何もなし。
 姉崎は、私に関する記録を一切残していなかったのか? だったらラッキーなんだけ
ど、そう思い込むほど私は子供じゃあない。
 きっと、ちゃんとしたわけがあって、調べに来ないんだ。それがいいことなのか悪い
ことなのか、判断はつかない。とにかく、審判の下る期日を決められないまま待たされ
ている感じが、途轍もなく嫌な心地。
 こんな心理状態だと、大手の事務所の偉いさんが見に来る日も集中できなくて、つま
らないミスをしてしまうかも……。

             *           *

「僕がやりました」
 矢代実和は同じ主張を繰り返した。
 やってもいない殺人の罪を被ることが、今後の人生にどんな悪影響を及ぼすか、想像
できない彼ではなかったが、そのマイナスを補ってあまりある、大いなる喜びに満たさ
れることを彼は選んだのだ。後戻りはもうできない。
 あの日――矢代が追っかけをしているアイドル・竹地小百合のプライベートを知るべ
く、尾行をした日を思い起こす。矢代は途中で異変に気付いた。
 発信器の信号と、目の前を行く竹地小百合との動きがずれてきた。
 あの日は千載一遇の好機だった。だから、奮発して高性能の小型発信器を電気街で前
もって購入しておいた。ただ、最初から彼女に発信器を取り付けられるなんて、気安く
見通していた訳ではない。チャンスがあったらぐらいの気持ちだった。なので、ほんと
にチャンスが訪れたときは、少々焦って興奮してしまった。電車の中で竹地小百合と異
常なほど近距離まで接近できたからだ。荒くなった鼻息で気付かれるのではないか、周
囲から痴漢に見られるのではないかと心配になったが、杞憂に終わり、発信器を無事に
彼女の服の背中に取り付けることに成功した。
 それ以降の追跡は、発信器の所在を示すモバイルの画面を時折チェックしつつ、竹地
小百合の後ろ姿を見失わぬよう、付かず離れず動いていたのだが。
 着替えてもいないのに、発信器の動きがずれを生じたのは何が原因か? トイレで発
信器に気付いた彼女が取り外し、水で流してしまったか、他人にこっそり付けたかと思
った。しかし、眼前の少し先を行く竹地小百合を見つめる内に、はっとなった。
 あの女、竹地小百合じゃない。
 理論立てての説明は無理だが、矢代には分かった。竹地小百合に似せた女だと。この
現実を前にして、下した結論は一つ。トイレで入れ替わったのだ。発信器が竹地小百合
に付いたままなのだから、偶然同じ服を着ていたのではなく、計画的に準備して同じ服
にしていたことになる。そんなことをする理由も気になったが、それよりも何よりも、
自分は竹地小百合を尾行せねばならない。他の女を追い掛けても何の意味もなく、人生
の無駄である。
 矢代は発信器の信号を頼りに、本物の竹地小百合を捜し求め、見付けた。息も切れ切
れになっていたが、努力して平静を装い、彼女の尾行を続けられたのは我ながら誇らし
い。だが、彼のそうした幸福感は、約一時間後にひびを入れられる。
 崇拝の対象とも言うべき竹地小百合が、男を殺した。
 矢代はショックを受けた。アイドルの殺人行為そのものも多少はショックだった、そ
れ以上に彼女が、誰も関心すら示さないであろう寂れた公園で若い男と二人きりで会
い、しかも殺し殺されるというような関係にあったことの方が、より大きかった。
 そして矢代は初めの衝撃から脱すると、今さらながら竹地小百合の狙いに思いが至っ
た。僕はアリバイトリックに利用されたのだ――ああ、なんて僥倖だろう。光栄の極
み、これを甘んじて受けなくて、何がファンだろうか。
 しかし、矢代はそれだけでは飽き足りなかった。もっともっと、彼女のためになりた
い、身を投げ出してでも犠牲になってでも、竹地小百合を守ろうと強く思った。
 だから矢代はまず、竹地小百合が去ったあとの殺人現場に止まり、植え込みの一部を
なす大きめの石を持ち上げると、横たわる男の頭に打ち付けた。男がその時点で死んで
いたのか、まだ息があったのかは知らない。とどめを刺すというよりは、竹地小百合が
残した刺し傷とは全く異なる損傷を男の身体に付けるためだった。こうしておけば、万
が一にも彼女が警察に捕まり、厳しい尋問に耐えかねて自白したとしても、現場と状況
が違うのだから、捜査員達も犯人だと断定するのを躊躇うに違いない。
 その上で、矢代は決意をしたのだった。男を殺した犯人として名乗り出ることを。動
機は、僕の好きなアイドルの悪口を男が言うのを耳にしたから、とでもしておけばい
い。今時の若者の無茶苦茶な犯行動機と捉えてくれるんじゃないか。
 未成年だから、自分の情報が簡単に公になることもなかろう。その点、気が楽だが、
少し残念でもあった。顔写真も名前も表に出ないのなら、竹地小百合に自分の英雄的行
いを知ってもらえないではないか。
 まあいい。彼女のために自首すると決意した瞬間は、人生の中で最大級に至福の時だ
った。それを思い出に、生きていける。

――終




#461/469 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/02/18  22:07  ( 37)
日常SS・SF>隣の芝は青い $フィン
★内容
「隣の芝は青い」

 若い男の人と恋に落ち、結婚して、男の赤ちゃんが生まれました。

 手狭になったアパートから引っ越して、一家三人が住める犬が飼えるだけの小さな庭
に青い芝生が敷きつめる程度の一軒家を買いました。当然年相当の係長の夫の給料で一
気に返済するのは無理でした。夫と話し合い30年ローンの手続きをして少しずつ返済す
る方法を取りました。
夫の収入はそこそこあったものの毎月住宅ローンの返済で家計は苦しく、新聞のスー
パーの広告を見ながら特売品に赤いマジックで丸く印をつけ、玉子1パック98円の日は
必ず行って長い行列の中の一人となり、苦しいながらも家計をやりくりしていました。

夫の間に生まれた男の子は少しやんちゃだけど聞き分けの良い子供に育ちました。平凡
だけど夫と男の子の三人の暮らしぶりは幸せそのもので、もし幸せのパンフレットがあ
れば一番最初に載ってもおかしくないものでした。

 ある朝のことです。どこにでもある市販の食パンをトースターで焼き、インスタント
コーヒーを作り、夫はそれらを食べ終わった後、新聞を読みながらたばこに火をつけま
した。家の中でもしないでと言ってきつく夫を睨みつけました。すると新聞はめらめら
と燃え上がりました。夫は燃え上がる新聞から手を放し、誰も見ていないからそれぐら
いいいじゃないかと謝りました。

 手に少しやけどをして夫が逃げるようにあたふたと会社に出かけました。

しばらくして男の子が目を覚まし、目やにを手でこすりながら夫婦喧嘩またやったのと
聞きました。

 ううんちょっとねと言って食器を洗いながら軽く笑いました。

 男の子が小学校に出かける前に誰かと喧嘩しても燃やしたら駄目よと少し注意しまし
た。

 うんわかっていると男の子はうなづいて黒いランドセルを背負っていつものように小
学校に行きました。

 男の子を小学校に送りだした後、青い空の下白い洗濯物を干しながら今日も平凡でい
い日になりそうだと思いました。




#462/469 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/24  21:17  (160)
SF>二つの世界
★内容
 ここはこの世の楽園の世界、暖かい太陽の日差し、緑は繁り、小鳥は歌い、人々は笑
顔を浮かべて暮らしている。
 突然、ある物体が何もない場所に出現した。中からは頭全体をおおったマスク、全身
にも防護服をまとった奇妙な二つの人型のものがある物体から出てきた。
「ここが、私たちを救う世界なのか」頭全体におおったマスクに内蔵された通信機から
男の声で相手に声をかけた。
「本当よ。私の計算は完璧にあっているはずよ。そのために私たちは選ばれて生まれた
ときから特殊教育を受けて、この機械に乗り込めるように訓練されたのだから。それに
しても放射能で汚染された私たちの世界とはえらい違いだわ。それにここでは汚染値の
数値が0になっているの。見てあの緑を、博物館で永遠に冷凍保管されて、よほどの許可
申請をしないと見れないはずの植物が本来の姿を取り戻しているわ。ところで息はでき
るのかしら」男の声に反応して、頭全体におおったマスクに内臓された通信機から女の
声で答えが返ってきた。
「おまえたちが来るのを長い間わしは待っていた」二つの人型の前に一人の老人が、こ
こにある物体が現れるのを知っていたかのように立っていた。
 二つの人型のものは突然現れた老人に狼狽したような様子を見せた。
 「怖がらなくてよい。おまえたちがここに来るのは以前から予言されておった。そん
な邪魔なものは取り去ったほうがいいぞ。ここは健康にはまったく害のない安全な世界
だ」
 二つの人型のものはお互い内臓された通信機で盛んに話しあい、やがて恐る恐る頭全
体をおおったマスクと、全身に防護服をまとったものを脱ぎ捨てた。
 中からはあらゆる装飾品を排除されて非常にシンプルな人工的なものを着た二人の男
女が現れた。
 身体を守るすべてのものを取り去った二人は生まれて始めて自然の息吹に感動した。
日頃している性行為など問題にならないものだった。今まで感じたことのない充実感を
得た。はじめて嗅いだ自然本来の甘い空気に酔いしれた。激しい快感に酔いしれ、心は
激しく乱れたままこのままじゃ狂うのじゃないかと思いにとらわれた。しかし表面上は
二人は長い間立ったままだった。長い間老人は文句を言わず待っていた。
 だけど二人は特殊教育を受けた効果の一つ感情の乱れも落ち着かす方法も学んでい
た。その能力を使ってなんとか感情の乱れも治まった。二人は落ち着いて改めて老人を
見た。老人は威厳を持って立っていた。だけども老人は二人の様子を見て、微笑みを浮
かべていた。
「あなたは誰ですか」男は目の前の老人に不安そうに聞いた。
「わしはこの世界の代理人じゃ。ここの世界は始めてだろう。案内人がいなければおま
えたち二人が困るだろう。私が案内人になってやろう」代理人の老人は威厳を持たせつ
つ二人に不安を持たせないように優しく笑って答えていた。
 その後二人はそこで働いている人々に出会った。人々は汗を流し、汗は太陽の光を浴
びてきらきら光っていた。人々は代理人の老人とこの世界の人とはまったく違う衣装を
まとった二人の姿に関係なく、みんな同じような反応をした。人々は忙しそうに枯れた
茶色の植物らしい何かを刃物らしいもので根元から切っていた手を休め、かがめていた
姿勢から立ち上がった。そして以前から決められていたようにみんな笑顔で出迎えた。
 人々はみんな競いあうように自分たちの家に招き入れようとした。老人は一組の夫婦
を指差した。一組の夫婦は神から選ばれた者のようにあふれんばかりの笑顔を作った。
夫婦は、自分たちの家に丁重に二人をもてなした。
 代理人の老人と夫婦が家屋の奥に引っ込んでから二人はお互いにこの世界の感想を言
い合った。
 「ここはいいところだわ。放射能に包まれた地獄のような世界とは大違いだし、それ
に人々の態度も素朴で優しそうだわ。ここにずっと住みたい気持ちになってきたわ」
 「おいおい忘れてもらっては困る。私たちがここに来た本来の目的は死にかけている
地球のために、この世界をたずね、地球を救う方法を教わるためにきたのだぞ」
「しかしこの世界があってよかったわ。私たちの世界がこのまま続くと草木も生えない
放射能で汚染された地獄のような死んだ星になっているかと思ったの」
「この世界があるということは私たちの世界も助かるということだな」
 奥から代理人の老人と夫婦が出てきた。二人は会話をやめた。
 夫婦はなにやら得体の知れないものを二人の前にいくつか運び込んで出してきた。
 最初に何かを加工されたらしい白い無数の汚らしいつぶつぶが白い容器に入って出て
きた。それには熱でも加えられたのか少しそれから白い煙が出ていた。それが何かわか
らなかった。次に加工された薄茶色のどろどろになった汚らしい液体が茶色い容器に入
って出てきた。それにも熱が加えられたのか少し煙が出ていた。それも何かわからなか
った。最後になんとか植物とわかるが、深い緑色の汚らしいものが白い容器に入って出
てきた。それには熱が加えられていないらしく白い煙はまったく出ていなかった。それ
が何もわからなかった。黒い液体に透明の容器に入った汚らしいものが出てきた。その
液体の出入り口は非常に小さいもので白い煙がでいているのかさえわからなかった。そ
れも何かわからなかった。そして最後に更にわからないものが出てきた。なんと小さな
白い容器に何も入っていないものまで出てきた。二人の世界では何かを入れるのに容器
は必要だから、何も入れていない容器を出すには無駄としか思えない非常識そのものだ
った。出てきたものすべてが二人にはそれがなにかまったくわからなった。
 しばらくの間二人はそれらを前にして黙って眺めていた。
 「大丈夫だ。そのまま食べても何も起こらん」二人の様子を見ていた代理人の老人は
笑顔で戸惑う二人に保障した。
 「これは食べられるものなのですか」二人はびっくりし、汚物を見るようにそれらを
見た。
 二人は今まで人工的に作られたタブレットしか栄養を取ったことがなかったので、こ
の世界でこれが食べ物とは思いもつかなかった。それにこれらをどんな食べ方をしたら
いいのかすらわからなかった。
 二人は目の前に博物館でしか見たことのない貴重品の木材らしいものを見た。それも
細くて長い二本の木材が置かれていた。どうやらこれを使って食べるのだろうと二人は
思った。
 だが二人は二本の木材を見たものの手にとったもののどう扱えばいいかまったくわか
らなかった。
 それを見た代理人の老人は夫婦に二人に食べる方法を教えろと威厳を持って命令し
た。
 夫婦は労を惜しまず一生懸命二人に二本の木材で食物を食べる方法を教えた。
 二人は夫婦に教えられたとおりに貴重品を壊さないように注意深く手に握った。二人
はぎこちない持ち方で二本の木材を手で目の前の食べ物を長い間掴もうと苦労したあげ
く、ようやく白いつぶつぶの一つ取り出すことに成功した。
 男は二つの木材を使って取り出すことに成功した食べ物と言われる物を、目的の物を
受け取るとるために糞便を食べるつもりで我慢して精一杯の勇気をふりしぼって口に入
れた。
 そのとたん、今まで食べたことのない自然のありのままの食べ物の味に全身が金縛り
になるほど驚いた。
 その後二人は二本の木材を使い苦労しながらも自然のありのままの食物を長い時間を
かけて全身が幸福に酔いしれ感動して食べ続けた。最後には二人は何も入っていない小
さな白い容器のわけを理解した。なんと黒い液体が入った透明の容器から白い容器に注
ぎ込み、それを深い緑色の植物らしいものにつけるのだ。何も入っていない小さな容器
も非常識だったが、その容器から食べる深い緑色の植物の食べ方も、二つの食べ物を組
み合わせるなど贅沢極まりない。二人の世界には非常識そのものだった。
 夫婦は神託を待つ信者のように長い時間何もせず二人を見つ続けた。
 「どれもこれも私の世界では非常識な食べ物ばかりだ。こんな食べ物は今まで食べた
経験がない。それこそ神しか食べられないほど素晴らしいものばかりだった」この世界
でいう食べ物を食べ終えた男は感情を抑えきれず大きな声で叫んだ。
 夫婦はその言葉を聞いて栄光に包まれたかのように笑みを浮かべて喜んだ。
 二人は代理人の老人に連れられて夫婦の家を後にした。二人は立ち去る前に今まで食
べたことのない素晴らしい食べ物を与えてくれた夫婦に非常に丁寧にお礼を言った。夫
婦は戸惑ったような笑顔で二人の言葉を受け入れた。代理人の老人と二人の姿が見えな
くなるまで夫婦は玄関の前で動くこともせず立ちすんで見ていた。
 代理人と二人は長い道を歩き始めた。代理人の老人と二人の姿を見ると人々は枯れた
ような茶色い植物の刃物らしいもので根元を切る作業をやめて、かがみ込んだ体勢から
立ち上がり、人々は笑顔を向けた。そして代理人の老人と二人の姿が見えなくまで人々
は動くこともせず立ちすんで見ていた。
 やがて、灰色の四角い巨大な建物が二人の前に見えてきた。
 二人は代理人の老人の後について歩いてきていた。それは長い回廊で奇妙に入り乱
れ、さながら永遠に続く迷宮のように二人は思えた。この目の前の代理人の老人が案内
がなければ死ぬまでこの迷宮から出られないような気がした。だけど、代理人の老人は
生まれたときなら訓練されたかのように迷うことなく迷宮の道を抜けていく。
 やがて、一つの部屋に代理人の老人と二人は辿りついた。
 そこの部屋の中央に黄金に輝く巨大なコンピューターが置かれていた。
 「これは、おまえたちにもわかるだろう。コンピューターというものじゃ。おまえた
ちをここに呼び寄せたのもコンピュータの力だ」代理人の老人は言った。
 「わしらの今はおまえたち二人にかかっておる。この設計図通りに作れば、放射能の
除去方法や、滅びかけている植物や動物の再生の仕方も、おまえたちの世界で作られた
このコンピュータがすべて教えてくれるじゃろう」代理人の老人は言った。
 そして帰りも代理人の老人の案内でこの灰色の四角い巨大な建物から出た。そしてま
た代理人の老人の案内で二人は元の道を同じ経路で帰って行った。男はある物質に乗り
込む直前、老人から一本の容器を渡された。二人はそれより遙か昔のことは知らなかっ
たが、21世紀の人がもしいれば蚊取りスプレーと間違えたに違いない。 
 二人は設計図と動植物の種や細胞を持って、自分たちが乗ってきたある物体の中に入
っていった。男は老人から渡された容器から上のぼたんを押すと一斉に空気が圧縮され
て、容器の成分がすべて出た。その後女は計器を見て、放射能の汚染値の数値が0と言っ
た。そうして二人は自分たちの住む世界に帰って行った。
 ある物体がこの世界から消えたのを見届けた後、代理人の老人はすべての役目が終わ
ったように長いため息をついた。
 
 「どうしてあの世界では代理人をのぞいて子供と老人の姿を見かねなかったのでしょ
う?」時間旅行中、ある物体の中で行きかけと違って帰りは身軽になった女が、手を盛
んに動かして機械を操作中に、不思議そうに聞いた。
 「なあにそりゃあれだけ、幸せな世界だ。きっと子供や老人は更に快適な場所で暮ら
しているのだろう」男も女と同じように手を盛んに機械を操作しながら答えた。
 その後二人は互い無邪気に笑いあった。
 
 しばらくして老人は黄金に輝く巨大なコンピュータの前に立っていた。二人の男女に
みせた威厳の仮面をはぎとり、無力そのものの老人の姿になっていた。そしてうやうや
しく足を折り敬虔な信者のように祈るようにひざまついた。
「先ほどは貴方様のことをコンピュータと蔑んだ言葉を使い、私は永遠の罪人になる覚
悟はできております」老人はすべての罪を償う罪人のようにコンピューターの前で謝罪
した。
「気にすることはない。私のしもべよ。あれは一種の俗語にすぎん……それより過去の
世界では老人が尊敬されていたらしい。そこでそなたの存在が必要だった。あの二人が
帰った後はそなたの務めはもはやすんだ。これからそなたは安らかな長い眠りに落ち、
また私のしもべとなり復活の時を待て」
 「ああ、偉大なる神よ。罪深い私のすべてを許してくれるのですね」老人は大粒の涙
を大量に流して、神からすべての罪が許されたことを知った。
 老人はこの世界の決まりどおり、迷宮の回廊を抜けて、ある部屋に入り自ら進んでガ
ラスの容器に入っていった。
「ああ、ようやくわたしも・・・」老人は恍惚におびた表情でそうつぶやくと全身にま
ぶしい光におおわれ身体中の細胞が分解されていった。かつて老人だったものはすべて
あるチューブの中に流れ込まれていった。そのチューブの先には巨大な培養液があり、
培養液の中から無数のチューブがはりめぐされて、その先には無数のガラスの容器があ
り、その中で羊水に似た液体の中で無数の子供たちが神に包まれたような安らかで幸福
に満ちた顔で大人になって目覚めるまで眠り続けていた。




#463/469 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/27  14:28  (232)
仮面をかぶった少年 $フィン
★内容
 色の白い端整な顔だちの少年と大振りの少しにきびのできた少年がふざけあって部屋
の中で遊んでいた。部屋の中に置かれていたクローゼットの隙間から新しい学生服が見
える。どうやら二人の少年の身体たちと新しい学生服から高校に入ったばかりのよう
だ。二人とも長い間部屋の中で笑い、馬鹿話をしてはしゃぎまわる。ためぐちを叩きあ
い、仲のいいところを見ると二人の少年たちは親友らしい。大振りの少年はベットの下
に隠していた裸体の女の写真集をもう一人の少年にどうだ凄いだろといって自慢げに見
せる。二人の少年はそれをじっと見ていいなと言って笑う。


 時間が過ぎてすぎ、色の白い少年は部屋に置かれていた目覚まし時計を見て家に帰ら
なきゃと言う。おい待てよと大振りの少年は言う。大降りの少年は、あそこじゃ美味し
い飯を食えなかっただろと言う。自分の母親が少年たち二人のために腕によりをかけて
美味しいものを作ったのだ。食べていけよと言う。色の白い寂しい顔をして首を振って
少年は断り、大振りの少年は勧める。なんどか同じやりとりが続き、やがて色の白い少
年が部屋を出るためにドアのノブに手をかける。


 そのとき、大振りの少年が怒ったようにある一つ単語を言った。ある単語を聞いて、
色の白い少年は能面のように凍りついた。そして色の白い少年は振り向き、大振りの少
年の方に顔を向ける。大振りの少年は、色の白い少年の顔を見た。色の白い少年はさっ
きまであった笑顔や寂しい仮面のような顔はすべて消え去り、なんとも言えないような
悲痛に満ちた仮面のような顔になっていた。君は酷いこというね。ぼくはこの言葉が一
番傷つくよと言った。確かに君の言うとおりなのかもしれないね。でも、心はまだ人間
なのだよ。


 君の知っているとおりぼくは事故にあった。学校の部活で帰るのが遅くなり辺りは暗
くなっていた。帰るのが遅くなってかあさんが心配しているからと思って急いで横断歩
道のない道を通ったよ。あれがぼくの最大の過ちだったと思っている。悔やんでも悔や
みきれない。あれさえなければこんなことにはならなかったはずだからね。ぼくはそれ
からの記憶はまったくなくなっている。


 どうやらぼくは車に轢かれたらしい。ぼくを轢いた車の持ち主は急いで救急車を呼ん
だのだけど、しばらくして救急車が到着したらしい。ぼくは全身血まみれでずたずただ
ったらしい。救急隊員はぼくを担架で運びながら可哀そうにもうこの少年はもう助から
ないなと思ったらしい。ぼくはその時本当にに死にかけていた。それでも少しの望みが
あればぼくを生き返らそうと、ぼくの心臓に何度も電気ショックを与えた結果、なんと
か心臓は動きだした。一緒にかすかだけど息もしたらしい。だけども油断はならない出
血はまずまず激しくなる。ぼくは救急車の中でいつ心臓がとまっても同じくない状態だ
った。緊急隊員は善意のある人で慌てた。まだ若い将来性のある少年を助けようと思っ
たのだろうね。いろんな病院に掛けても次から次に病院に断られた。最後の病院である
特殊な施設に行けば、もしかしたら助かるかも知れないと言われたらしい。そこで緊急
隊員は指定された場所に行き、ぼくは救急車から降ろされた。ぼくはヘリコプターの中
に入れられて、息もたえだえのぼくをなんとか死なさないために一気に冷却保存され
て、運ばれた上にぼくは特殊な施設に入れられたらしい。


 特殊な施設の研究員がぼくの家に来て、家族にぼくが助けられるすべが見つかるかも
しれないといろいろ説明されて、いきなり何枚かの用紙が渡させたらしい。ぼくの家族
は内容もほとんど確認せず、ぼくを助けたい一心ですべてのものにレを入れ、印鑑を押
して、用紙を研究員に渡したらしい。

 家族は小さな字で書かれた条件までもよく見ておくべきだった。ぼくが自ら死を選ん
だら、ぼくを助けた費用が全額家族に払わせる仕組みになっていた。研究員は悪魔同様
の巧妙な手口で家族を騙し、ぼくが死なせないように追い込んだ。これでとりあえず悪
魔のような研究員とぼくの家族との間は契約成立した。


 その後、特殊な施設の中で冷却保存されて死体同然になったぼくを、悪魔が喜ぶよう
な人体実験は始められた。ぼくは研究員があらゆる装置を使ってくまなく冷淡に判断し
て条件にあうものか徹底的に調べ上げたらしい。

 ぼくは、最初にある中に入れる条件にあうか身長や体重や体型を調査させられた。そ
れはすぐ適応することができた。その後も徐々に深く調査させられた。身体の表面から
見える身体の損傷具合など調査させられた。それに髪の色とか太さまでも調査させられ
た。目の網膜の色や大きさなども調査させられた。

 

 それらの条件に完全にあったぼくなのさ。条件にあわなかったぼくの他のたくさんの
見殺しにされた少年たちの遺族は可哀想だな。自分たちの息子の顔に白い布をかぶせら
れて見せられた後、研究員から最善の対策をうちましたが、駄目でしたまことにすみま
せんでしたと言われたら悲しみの涙を大量に流すだろうね。それでもぼくにはちょっと
うらやましいかな。ぼくは変に悩まず死んだほうがましだったし、少年たちの遺族には
ぼくには持っていないものがあるからね。

 

 すべての条件にあったぼくは研究員から特殊な処置をさせられた。ぼくの身体から脳
だけが取り出され、ある中に入れられた。

 その後ぼくは起きたとき覚えているのは灰色の部屋にぽつんとともった蛍光灯だけだ
った。鏡も洗面台もなかったね。その時にはぼくには必要のないものだったのだろう
ね。ぼくは鉄のベットに布団も何もかけてられていない状態だった。そしてなにげなく
自分の手を見たよ。ぼくの手は信じられないような異様なものに変貌していた。ぼくは
おののき狼狽したよ。しばらくして身体中を観察したよ。手だけではなく全身が異様な
ものに変貌していたのだよ。そのときのぼくの恐怖が君にはわかるのかな?おそらくわ
からないだろうね。

 しばらくして、研究員は入ってきて、恐怖で戸惑うぼくに笑顔で実験は成功としたよ
と神の祝福のような言葉を投げかけてくれた。


 その後ぼくは生かされるために研究員の指導の元毎日規則正しい栄養を摂取させられ
た。その後ぼくは、研究員はぼくの恐怖に満ちた心の状態を知らないまま、冷静にぼく
の脳の状態と身体が不適合を起こさないかをいろいろ調査して、今後の参考のために念
入りにデーター入力をして、その後の経過を観察され続けた。

 幾日がたちぼくは表面だけは人間らしい姿になった。何せ脳は計画的にできてすぐに
取り出せたもの、脳がなくなりぼくの死んだ身体から表面の皮を剥ぎとり、有機物の人
間の皮と無機物のものと接続可能なのかいろいろな特殊加工をするのにも時間がかかる
からね。

 その後、ぼくはみんなの前に晒されて、人類の希望とたたえられ発表された。世界中
の人は感動してぼくを見てくれた。ぼくは研究員から指示されたように最大の笑顔の仮
面をかぶり、手を盛んに振ったよ。でもぼくは笑顔とは反対にいつも心は泣いていた。

 そして君の知っている結果がこれなのさ。

 

 でもね。世間では公にされていないことがあるのだよ。

 ぼくの身体にはいろいろな秘密がある。それからぼくの顔すべすべして綺麗だろう。
それにうぶ毛もちゃんとついている。これも偶然に顔に一つも損傷部分がなかったから
なんだよ。もし一番目立つ顔に損傷部分があれば、ぼくの身体から取った細胞の培養に
時間がかかりすぎるし、同じ条件下で同じ皮膚の状態が作れることは滅多にないからな
んだよ。もし君が望むのなら服を脱いで裸になってあげようか。そしたら身体についた
損傷箇所が色や感触が微妙に違っているはずだからわかると思うよ。


 基本的には脳は人間のものだし、人間だった頃の皮は一応特殊加工されたもののまだ
人間らしいものを残している。それ以外はすべて人工のものなんだ。髪や眼球や歯や爪
の先まですべて完璧に人間に似せた人工の物なんだよ。

 ぼくは視覚、聴覚はかなり感度が高い。視覚は昼も夜も見えることはできるし、細胞
の一つ一つのものまで見えることもできるし、遠くは人間では見えない月のクレータま
で見分けることができる。研究者たち最高の傑作品を作るために全人類の技術を使いす
ぎて、やりすぎたのだろうね。でもぼくは人間の脳だから休めなきゃならないし、夜は
見えるが眠ることがなんどか努力してできるよ。

 それも聴覚も異常だな。ぼくのこの話を聞いている研究員関係の人は今のところ10k
m市内いないから大丈夫だ。

 だけど反対に嗅覚や味覚や触覚はまったく消去されている。そういうものは必要ない
と判断したらしい。

 脳だけは人間だから栄養を摂取しなければいけないから、人とは違って特殊な流動食
とペースト状の間の状態のものを食べないといけないし、まったく味を感じないし、食
べている気がまったく起こらないし、生きるために仕方がないから食べている。契約書
にしばられたぼくは家族のために死ねないから生き続けないといけない。 それにどこ
からでも栄養を摂取できるはずだけど脳に一番近い開閉口がたまたま口だからそこから
脳に与える栄養を効率よく短いチューブを通して送り込めるように設計したらしい。ぼ
くは人間が食べるようなものができないから、ぼくが食事を断ったわけがわかっただろ
う。

 ぼくが家で女の裸の写真を見て脳が興奮して、ある部分をこすっても何も感じない
し、ただ物理的に伸びるだけさ。微妙な人間らしい膨張などもいっさいないし、それに
胸や腹とかも同じことを規則的に膨らんだり凹んだりしているだけなのさ。でも外見は
普通の少年の日常の一定の生活のものだからさほど異常な事をしない限り、わからない
と思うよ。


 だけど表面から見える部分はすべて人間らしいものになっている。顔の表情も旨くで
きているだろう。頭の神経組織とある物と連動されて特殊加工された皮膚が微妙な表情
を作らせることができるらしい。ぼくは喜怒哀楽すべてが人間らしい表情ができる。だ
けど一点だけ欠点がある。一番人間らしい感情ができないのさ。こんな顔をしているの
に疑問に思ったことがあるだろう。

 ぼくが身体から脳が取り出されるときに一緒に脳の内部もほんの少しだけ変貌させら
れた。いや感情とかはごく普通のものだよ。

 その結果をぼくは試された。知能をあげる箇所を研究されて変貌させられたらしい。
知能テストでぼくの年代の少年の平均よりも化け物じみた高い数値を出したらしい。予
想以上の結果に研究員は満足したらしいな。今のぼくの頭の中は超天才だよ。 だから
いろいろなことが読めるのだよ。ぼくが事故を起こしてから目覚めるまで一切の記憶も
ないのに、論理的に分析にして今までのことを言ったのだよ。

 大丈夫、ぼくはこの後も普通の少年の仮面をかぶる。一応学校に復学したら一生懸命
勉強しているふりをする。そしてテストも最初はまごついて少しは高い数値を出すかも
しれないが、そのうち慣れてテスト配分の点数を読んで試行錯誤で何枚も仮面を剥ぎ変
えて最後は普通の少年の仮面をかぶれるようになれると思う。


 それからぼくは少しの先の未来が読める。ぼくはそのうち人類の種が衰えて、やがて
培養液のタンクから配給されて、ガラスの容器の中で羊水みたいな液体に包まれた胎児
がやがて大きくなり人間の赤ん坊の姿となったときガラスの容器から自動的に排出され
てくる日もあるだろう。物心がついた子供たちは自分が人間の腹の中で育てられた子か
ガラスの容器の中で人工的に作られた子か悩むだろう。

 さらにぼくみたいに事故にあったものは脳を取りだされて移植されるのは日常的にな
ってくるだろう。いや、自分からこの機能的な身体を望んで自らなろうとするものも現
れるだろう。やがて脳もすべて人工のものになる日もくるだろう。すべてのものは改良
に改良を加えて、視覚、聴覚、臭覚、味覚はもちろん触覚までも人間になる。例えば手
を切れば血が出て、普通に痛みを感じるようになる。


 子供の頃から自分が誰かと疑って大人になっても自分が誰かと疑って、疑い続ける存
在になる。やがてすべてのものが自分を何者かと疑問に思う日常に苦しみ続ける日も遠
からずくるだろう。

 最終的には一つのことに問題を集約させることになる。すべての意識を持ったものは
たった一つのことに悩みこむことになる。それは自分が何であるか。どういう道に進め
ばいいか。つまり、アイデンティティの問題さ。そしてぼくはその解決法も知ってい
る。現在自分は考えている。つまり意識を持っている存在であると開き直ればすむこと
さ。

 

 ぼくは以前は小さな存在だった。だけど今はあらゆる技術を応用してぼくの身体は複
雑なものに作りかえられた。君が言うようにぼくは人類の最新の技術で作られた最高傑
作品のロボットの最上部に脳だけを組み込まれて大きすぎる存在に成り果てた。 こん
なぼくを怖いと思うかい? いいよそう思われてもぼくにはまだ理解することができ
る。少し変貌させられたけど基本的には脳は人間のもの、皮は特殊加工させられた元は
ぼくの物だった。それ以外の身体は全部異様なものに変貌されている。どれもこれも中
途半端な能力があるけど、基本的には人間の脳だけは持ってから人間らしい感情はまだ
残っている。

 だけどぼくは中途半端な存在であるが故に、自分の眠り続けていた過去のことだけじ
ゃなく、遠い昔の人間の過去の深刻な悩みもわかるし、遠い未来の人間の深刻な悩み
も、その解決法もごくに簡単にわかってしまう。君から見れば人間の理解を超えた神か
悪魔のような両面をそなえた仮面を持っているわけのわからない存在になってしまった
からね。


 ぼくを恐れて君が離れていっても決して文句は言わない。でもね。ぼくは君と親友で
あり続けたいのだよ。ぼくはすべての仮面を剥ぎ取って君だけに心の叫びを言ったつも
りなのだけどね。とにかく君がどう答えるかぼくは返事を待ち続けることにするよ。


 じゃあね。ぼくは帰るよ。

 色の白い端整な顔たちをした少年はそう言うと帰って行った。少年は泣き出しそうな
表情を話し続けていても、人工の眼球からは一滴の涙を流せなかった。

 

 しかし人間の理解を存在になっても少年は知らないことが一つだけ残されていた。そ
れは少年はまだ仮面をかぶったままだったのだ。

 仮面をかぶっているものは決して涙を流すことができない。




#464/469 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/30  21:53  (149)
チート転生>1000年同じ姿でいる黒髪と黒瞳の美青年の話
★内容                                         19/04/02 12:30 修正 第3版
俺は新幹線のトイレから出て手を洗っていると、今の俺の顔に似た黒髪、黒瞳の美しい
顔の少年が見つめていた。
 「おとうさん」少年は俺に向けて言った。こいつは俺の息子だ。こんな風にさせて可
哀想なことしたなと俺は思った。
 
 俺は本当は別次元の頭脳明晰、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に更にオプ
ションがついてエルフ族最大呪術力まで持っているいわゆるなんでもできる万能のエリ
フ族、最大の王族の王子様だったんだ。
 
 俺は20歳になったばかりの年に、無邪気に遊びに行きたくて、呪術をつかって、別の
次元に行ってしまった。
 そこについたら、俺は驚いたよ。俺のまわりには汚らしいものがいっぱいあったのだ
な。見るものすべてが汚らしい。それに汚らしいものたちは俺を化け物を見るような目
で見やがる。俺は顔面蒼白、パニック状態だぜ。頭の中真っ白でいろんなところを逃げ
回ったよ。すべてが汚らしい。汚らしい。汚らしい。どこ行っても汚らしいものばかり
なのだな。それでなんとか考えて呪法を使って元の次元に戻ろうとしたらできない。何
度やってもできない。どうも俺の持っている呪力のほとんどを使って、ここに来てしま
ったらしい。
 それで俺はなんとか妥協策を考えた。少しの間だけこいつらの中に溶け込もうって、
それで少しでもましな奴を探そうとした。この次元では、箱の中で写真が動いていた。
後できくとテレビというものらしい。その中では黒髪、黒瞳の20歳前後の汚らしい男が
写っていた。あんまり趣味じゃないが、なんとか我慢して、俺自身をそいつとうり二つ
の顔に変貌させようとした。それぐらいの呪力は残っていたらしい。一発で変貌でき
た。それが今の俺の顔だ。今で言うと俺は美青年と言うものらしい。
 
 その後、腹が減ったので、汚らしいものの中に入った。後で教えてもらったが屋台と
いうものだったのだな。宝石とか金目のものは一切持っていなかったが、なんとか持っ
ている紙幣を数枚見せて、そいつらの餌を買おうとした。ところが、屋台の爺ぃは俺の
持っているものを見ながら馬鹿にした顔でおにいちゃん玩具のお札を出したら駄目だよ
ってにっと笑いやがる。そうだ俺の元の次元とここの次元は紙幣がまったく違ってやが
ったんだ。俺はエルフ族、最大の王族の王子様から一文無しのおにいちゃんに超格下げ
になっちまったのだよ。
 
 呪力を使って、何かそいつらの餌を出そうとしても出てこない。どうやら別次元の移
動と顔の変貌ですべての呪力を使い切ってしまったらしい。それから丸一週間、そこら
の水だけ飲んで、何も食べるものがなかった。俺はふらふらでどこをどう歩いたかまっ
たく覚えていない。さ迷える生きたゾンビ状態だった。倒れてのたれ死んでもおかしく
なかった。俺は気が遠くなり眠りについた。
 
 俺は次に気がつくと汚らしい布の中で寝ていた。汚らしい若い女が俺の顔をじっと見
ていた。あ、俺を見て、気がついたのねと笑いやがった。それで俺は起き上がって女が
得体の知れない汚らしいものが2種類出してきたので、こいつらの餌だと思って、味もわ
からずがつがつ夢中になって食った。それでも腹はすいている。女はそれを見てもう一
杯出した。それもがつがつ夢中で食った。何度も食った。後で女が言うところによれ
ば、俺は白ご飯を五杯、味噌汁を五杯食っては飲んでまた寝たらしい。その後、一週間
同じような状態が続いたらしい。俺はそこまで体力&呪力が落ちてのだろうね。
 
 その後、なんとか体力は復活したが、まだ呪力は復活できてなかった。それで俺は頼
るところがないと言うと、汚らしい女は考えた風に少し首をかしげて、私のところにし
ばらく泊まりなさいと言いやがった。他に考えがなかったので、妥協することにした。
そのうち、汚らしい女は女のもっとも汚らしいものの中に俺のもっとも大事なものをは
めやがったのだよ。俺は聖なる液体を女の汚らしい場所に放出するしかなかった。つま
り女は俺の童貞を奪ったということだ。その女が後で言うには俺のことを童貞とは思わ
なかったらしい。俺は物凄いテクニックの持ち主で翻弄されて狂いかかったと笑ってい
たよ。その時俺は女の奴隷となって飼われることがきまった。つまり俺は女のヒモにな
ってしまったということだ。毎夜女の求めに応じて、俺は聖なる液体を女の中に放出す
るしかなかった。
 
 後で女が言うところによれば、俺が生き倒れているのを見たとき、神様が赤い糸で結
んでいるような運命的な出会いを感じたらしい。それでほっとけなくて俺を自分の家に
連れて行ったらしい。女は可哀想に両親ともなくして一人暮らしだったから、誰か話し
相手が欲しかったのもあったらしい。やがて女は俺の妻になった。
 
 その後女は腹が少しふくらみをおびてきた。つまり俺の聖なる液と女の中のものとが
あわさって、胎児ができたらしい。人間の女ってそんなに子供ができやすい身体になっ
ているのか。エルフ族の俺には理解できないことだし、それを聞いて慌てた。女の腹か
らどんな赤子が出てくるかわからない。俺は医者に無理言って妻の出産に立ち合わせて
もらうことにした。俺の読みは当たっていた。そこで女から出たものはエルフ族の特徴
をほとんどそなえていた。俺は誰にもばれないよう急いで変貌の呪力をかけた。その頃
はなんとか変貌の呪力ぐらいは使えるようになっていたからな。それでなんとか人間の
赤子に見えるようになった。
 
 その赤子は生まれてまもなく俺と妻が育てることになった。俺は最初何をやったらい
いのか戸惑っていたら、なんとかできるようになった。それがなんと楽しくなってきた
のだな。赤子が大きくなると楽しくて楽しくてたまらなくなってきたのだな。後でそれ
が子育てというものだとわかった。
 
 それと同時にこの次元を見る目が変わっていった。俺は変わったのじゃない。赤子を
愛することで、赤子自身が呪力を使わずに俺の次元を見る目を汚らしいものから素晴ら
しいものに変えていったのだった。
 
 赤子はすくすくと大きくなり、今は10歳の黒髪、黒目の美しい少年になった。変貌の
呪いを使わなかったら銀髪、凄まじいまでの美貌を持っているエルフ族の俺に似ている
と思う。事実こいつはすべての全教科最高の評価を受けている。頭は俺に似たのだろう
と思った。

 「おとうさん、ネズミ王国楽しみだね」と息子は言った。俺は寂しく「ああ、そうだ
ね」と笑いかけた。
 
 実はな、これ最後の家族サービスで俺が計画したんだ。俺エルフ族だろ。エルフ族は2
0歳から普通に成長して、そのままほとんど成長が止まって後1000年ぐらい「しか」生き
られないのだ。俺の姿は20歳から変わっていない。妻は何かおかしいと思っているらし
い。俺はここから去らないといけないのだ。
 
 そして俺は最大の王族の王子様だろ。王位を継がないといけない使命まで持ってい
る。もう次元への移動もできるだけの呪力も数年前に戻っている。
 
 でも、戻らなかった。こいつが10歳まで俺の言うことがわかる年まで待っていたん
だ。それにこいつ、呪法が使える年齢になっている。ねずみ王国に帰ってから、俺のこ
とや呪法の使い方、特にこの次元の人間に悟られないように注意することを一番先に言
うことを決めている。ただ呪法はただ一つを除いて徹底的に教え込むつもりだ。俺がこ
いつに考えている未来の計画まで打ちあけるつもりなんだ。こいつはその話を聞いてか
なり動揺するだろうが、俺もそろそろ限界だし、こいつも理解できる年齢になっている
し頭もいいからたぶん大丈夫と踏んだんだ。
 
 未来の計画はできるかわからないが、やってみようと思っている。こいつもエルフ族
の血を引いているだろ。たぶん20歳ぐらいで成長がとまるははずだ。この次元でいい女
捕まえて、夫婦にさせて、子供は一人限定で子育ての楽しさを教えさせてやりたいと思
っている。一人以上増えたら俺の計画が頓挫してしまう。それでこいつの子が生まれた
ら俺がやってきて、またこいつの子に変貌の呪いを変える。こいつにも変貌の呪いぐら
いの呪力を持てると思うがわざと教えない。実のところ、こいつにも会いたいし、孫に
も会いたいのさ。俺の妻にはあえないのは少し残念だな。それに妻やこいつに俺がいな
くなる償いをしようかと思っている。俺は王族の王子様だよ。妻と息子が一生働かなく
ても遊べるだけの貴重なものをこの次元で選んで持ってこれるし、こいつが30歳になっ
たら俺みたいに家族サービスさせて、出ていかないといけないことを教える。それに呪
力も寿命も俺の半分しかないから、次元を移動する呪法も使えない。だからこの次元限
定で放浪の旅をしないといけない。そのためには一生遊べるだけのものも持ってこない
といけない。
 
 それに孫が成長して子供を産んだら俺がまたやってきて、変貌の呪いをかける。そし
て俺はしばらく次元を超える呪力はなくなるから復活できるまで目の前の息子と一緒に
この次元で放浪の旅にでる。そして永遠に、子孫たちには同じことをさせる。次第に俺
の血は薄くなり、おそらく五代目以降は、この次元の普通の子供と同じ姿で生まれてく
ると思う。そうしたら、俺の役目は終りを迎える。 
 それと俺もう一つ悪いことをしている。俺実は妻に内緒で浮気をしているのだ。転生
の女神と夢の中であれをやったことがあるんだ。そのときは俺は精神的なものになって
姿形はエルフ族のままなんだ。つまり、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に、
あっちも俺は物凄いテクニックの持ち主だとわかったから、その力を全力で使って、転
生の女神も翻弄されたあげく狂わす寸前まで追いつめた。転生の女神に命じて、強制的
にこの次元の俺の直系の子孫をみな男にさせた。彼らが死を迎えたら、転生の女神が一
時的に魂を保存させて、俺の子孫の男たちをランダムにエルフ族の王族の俺の息子や娘
にさせてチート転生させることになった。ただその度に転生の女神はあれをやらないと
駄目だからとごねたのだから仕方がないやるよ。
 
 チート転生の一つで妻の美しい魂をもち美貌のエルフ族の別の王族になった娘を俺の
后に選ぼうと思っている。長寿のエルフ族同士だからなかなか子供はできないけど、俺
の聖なる液体を后の一番美しい場所に毎夜送りこむよ。そしたら50年か100年に一度ぐら
いまぐれで体内で受胎する。そのとき転生の女神が俺の子孫の一時的に保存しておいた
魂をすかさず、胎児の形になる前に放り込む。今の俺の妻は理解できないだろうからこ
の計画は内緒にしておくよ。
 
 まあ、これは俺が生きている限り今考えたことを続けるつもりなんだけどね。
 
 「あ、おとうさん、次の駅で降りることになるよ」エルフ族の最大の王族の王子の壮
大な1000年計画を知らないまま、黒髪、黒瞳の10歳の美少年は、黒髪、黒瞳の20歳から
同じ姿のままでいる美青年に無邪気に笑いながら声をかけた。
 
 美青年と美青年の妻は美少年の声を聞いて旅行かばんを手に持って、座席から席を立
ち、新幹線に出入り口に向かっていった。




#465/469 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/31  09:02  (157)
ディック世界>ゼンマイ仕掛け $フィン
★内容
その一

 少女は中学校に行くために家から扉を開けるとちょうど隣人が何かを持って捨てに行
くところに出くわした。
「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
隣人はゼンマイ仕掛けだった。ただ個性があるらしく全身黄色い色をしていた。
少女は気にすることもなく制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触って
普通に学校に出かけて行った。
中学校に行く途中でいろいろな人にあった。全身ピンク色のゼンマイ仕掛けは白いエプ
ロンをしていた。全身緑色のゼンマイ仕掛けはスーツケースを持って忙しそうに歩いて
いた。全身茶色のゼンマイ仕掛けのよたよたと歩いていた。
それぞれ多種のゼンマイ仕掛けたちは、少女にはみんな知り合いでごく普通に笑顔で挨
拶していた。
中学校の生徒でも同じようにいろいろなものがいた。彼らはみんな同級生であり、授業
中に騒ぎ少し先生を困らすために全身若緑色のゼンマイ仕掛けはどこからか水を持って
きて先生にかけたりしていた。全身真っ赤のゼンマイ仕掛けは口から赤い燃えるような
言葉をはいて、気に入らない子を苛め抜くものもいたが、少女は気にすることもなく、
授業を受け、全身真っ赤なゼンマイ仕掛けから燃えるような言葉を聞くのが嫌いだった
のであえて避けていた。
 少女はどんな姿であるにもかかわらず比較的大人しい優しいゼンマイ仕掛けの女の子
たちの仲間に入り、一緒におしゃべりをし、机を並べては楽しんでいた。
 そして午後の授業がはじまり、授業を受け、授業が終わり、学生かばんを持って家に
帰るのが少女にとってごく平凡な日常を送ってごく普通の幸せを毎日感じていた。
 そんなある日、少女のごく普通の日常が一変した。きっかけは差出人不明の家のポス
トに入っていたものだった。ポストから出して、中身を開けると記録媒体がが入ってい
た。少女は好奇心でその記録媒体を見た。それは白黒に写り、かなり古いもののよう
で、画像も荒く、非常に見にくいものだったが、男の人が扉を開けるのがなんとなくわ
かる映像だった。
 その後すぐ少女の住む家の玄関の扉に大きな音でどんどんと叩く音が聞こえ、少女は
父親は会社に行って、母親も買い物に出かけていて、少女一人しかいなかった。少女は
誰も頼るものもなく恐怖で震えた。少女は玄関の扉を開けることがないようにすべての
あるだけの鍵をかけたが、外には大勢の人がいたようで扉はあっけなく破壊された。
 そこで少女が見たものは二、三人の男たちと一人の女の人だけだった。
 少女を怖がらせないために女の人は「あなたにして欲しいことがあるの」と優しく言
った。
 ところがその言葉を聞いたとたん少女は今までにない恐怖を感じた。
 恐怖に震えながらも、少女は「どんなことをしたらいいの」とそれだけ聞くのが精一
杯だった。
「それは今はまだ教えられない」更に優しい声で女の人は言った。
「それをしてくれたら、私が一番大切にしていたものをあげる」女の人は豪華な金や銀
で飾られた紫色のランプを少女に見せた。
 少女はそれを見ても欲しがろうとせず、三人の男と特に中心にいる女の人から遠ざか
ろうとして、逃げようとした。
 逃げようとした少女に三人の男がいっせいに掴みかかる。少女は必死で抵抗して、男
たちの手や足を?み、彼らの一瞬の隙をついて逃げ出した。
 その後少女は彼らに捕まらないためにいろいろなところに逃げた。近所から離れて今
まで行ったことのない酒場や教会、浜辺や小高い丘や氷河か残っている山脈まで逃げ
た。
 少女は思いつく限りの至るところに逃げ、逃げて、逃げて必死だった。それでも彼ら
は執拗にやってきて、少女の近くにやってくるような気がした。もう少女は頭をかきむ
しりパニック状態になりながらも逃げた。
 そして最後に少女が到着したところはいたって平凡な短い草しか生えていない空き地
だった。そこに一枚の鉄の頑丈そうな白い扉がぽっかり宙に浮かんでいた。
 そして少女はこの扉を開ければ彼らから完全に逃げられる唯一の方法だと知った。
 少女は扉ののぶに手をかけた。鉄の頑丈そうな扉は見掛けとは違って簡単に力を入れ
るとあっさりと扉が開いた。
 そのとたん、世界は急に姿を変えた。彼女は強烈な何か見えないものの力で押された
ように、少女は押し戻された。
 今まで行ったところすべてが目に見えないぐらいの速さでひきもどされ同時に少女の
時間も逆流された。少女はその間恐怖で声に出すことすらできずにいた。
 少女の時間がとまり、気がつくと少女は家の玄関の前に立っていた。少女は玄関の扉
を開けた。
 そこにはちょうど隣人が生ごみを持って捨てに行くところだった。
 「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
 隣人は少し頭の剥げたごく平凡な中年男だった。
 少女は制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触りながら、少女の部屋
にある豪華な金や銀で飾られた紫色のランプがあるのを不思議に思った。昨日までなか
ったはずなのに、家族の誰かが少女を驚かそうとちゃっめけを起こして置いたものだろ
うと思うとくすりと笑った。
 少女はリボンをなおし終わるといつものように普通に学校に出かけて行った。

その二

ぼくは黄昏島にある全寮制の私立黄昏中学の2年生。
 それは最初はどこでもある昼下がり給食後の女子トイレの中で起こったらしい。ぼく
は男子だから入れないが、その場所がすべての始りであったという噂だ。
「きゃあ」ポニーテールが似合う今日子ちゃんが濡れたハンカチを握りしめながらトイ
レの洗面台の中を呆然と見つめている。
「今日子どうしたの?」近くにいた女の子たちが悲鳴を聞いて近づいてきた。
「ううん、なんでもないの」今日子ちゃんは蒼白の顔をして、洗面台に落ちていたもの
をみんなから隠すようにしながら拾った。だけどもそれは運悪く女の子たちに目撃され
てしまった。それは血が一滴も出ていない小指だったのだ。
 噂はぱっと広がり今日子ちゃんはまわりのものから気味悪がられ、仲のよかった友人
たちまで遠巻きに見るようになった。それから後も今日子ちゃんの異変は続き、不意に
指をぽろりと床に落としたり、さらには席を立った後机の上に腕がまるごと残っていた
りした。けれどその学期が終わる頃には今日子ちゃんはもうクラスメートたちから仲間
外れにされることはなかった。なぜなら今日子ちゃん以外にも、ちょっとした拍子に手
足などの身体の一部分を落としてしまう女の子たちがではじめたのだった。そしてそれ
はやがて男の子、教師……それからこの島の人間すべてに伝染していった。
 最初はこの無気味で奇怪な伝染病の発生に学校関係者や島民たちはほとんどパニック
を起こしそうになった。しかし日毎に感染者が増え、ほとんどの者がその異変を体験し
てしまうと恐慌は不思議なことに急速におさまっていった。人々は身体の一部が離れて
しまうことに無頓着になり、しまいには乳児の歯が抜けおちるぐらいの日常茶飯事とな
った。そしてむしろその異変を便利に思うようにさえなっていった。例えば身体の悪い
部分だけを病院にあずけて残りは普通の暮らしすることができたりするのだから。
 しかしそんな奇妙で平穏な島の日常も、他ならぬこのぼくが図工の授業中ふとしたは
ずみで自分の手を切ったことから破られた。ぼくの指からぽたぽたと赤い血が工作キッ
トの上に落ちたのだった。
「きゃ! 血よ。気持ち悪……」「汚ねえ!」「なんだこいつ?」
 たちまち教室中が騒然となり、ぼくはその場から走って逃げ自分の部屋にかけこんで
隠れた。そう、いつの間にか人間たちは内面まですっかりゼンマイ仕掛けの人形のよう
な存在に変わっていたのだった。身体がすべて秩序正しく区分された部品から成りたっ
ている彼らから見ればぼくは薄気味の悪い血肉を詰め込んだ得体の知れない皮袋のよう
に見えたに違いない。そして、そんな気持ちはぼくにもとてもよくわかる。だからこ
そ、ぼくもみんなと同じように早く自分の指が落ちないかと願っていたのだ。でも残念
ながらぼくは今だに血肉の溜まった皮袋のままだ。
 ああ、清潔な白い洗面台の中に転がっている今日子ちゃんのピンクががった可愛いら
しい小指! ……それにひきかえぼくの指はごりごりとした骨と血肉を包み込んだうぶ
毛の生えた腸詰めじゃないか!
 ドンドンドンバリバリバリ、ゼンマイ人間たちが部屋の扉を蹴破って汚物処理をはじ
めようとしている。耐え切れない不潔さは憎悪の対象になるようだ。
 ぼくは窓から海にこの手紙が入ったボトルを投げるつもりだ。拾ったあなたのまわり
の人間が指を落しはじめたらゼンマイ仕掛けの世界が近づいている証拠だから気をつけ
なさい。さっさと逃げるか、それともひたすら自分もゼンマイ人形になることを願うか
…いずれにしても早めに決めたほうがいい。
 部屋の扉が壊されていく。もう最後だ。たぶんぼくは糞便が入っている汚物タンクに
沈められてしまうだろう。さようなら…

その三

男は変な思いにとりつかれていた。
 世の中すべてがゼンマイ仕掛けで動いているように思えて仕方がないのである。男自
身でさえも、ゼンマイ仕掛けでできているのではないかと毎日思い悩んでいた。
 男の住んでいる所は白い建物の中、何人かの人間と一緒に仕事をしている。まわりの
者に不安な心の内を話をしていても、気のせいだと言って、適当に相槌を打つだけで相
手にしてくれない。仕方がないので、毎日医者から薬を貰っている。人の話を聞いた
り、薬を飲んでも、男は体がゼンマイでできているという思いは深まっていくばかりだ
った。
 一年、二年と白い建物の中での平穏な生活は続いていく。そして血色のよい皮膚の下
には血液を流すプラスチックの管が縦横に通っている。有機質の代わりに無機質のゼン
マイが大量に積め込まれているとまわりの人間に話すのである。まわりの人間は話しを
聞くことを嫌がった。男は1度話しだすと、相手が何を言おうと疲れて寝てしまうま
で、延々と何時間でも続けるのである。そのため男は白い建物の中では浮いた存在にな
ってしまっていた。
 あるとき、男は人を殺すことを決心した。殺すことで、男の体はゼンマイ仕掛けでで
きているのか、血のかよった人間かの問いに何らかの答えが出ると思ったのだ。それに
今のままでは男は狂いそうだったのである。
 まず、男は作業所においてあるナイフを手に入れた。それを大事に自室に隠した。
 男は若い人間はまだ将来があるから止めにした。それから同年輩の人間も力で負ける
かもしれないから止めにした。そして男は昔からいる老人を標的に決めた。老人はいつ
も古めかしい本を小わきに抱えている。中には何が書かれているのかわからない。若く
ても同年輩の人間でもよかったのだ。老人が白い建物にいたからこそ人間を殺す計画を
立てたのである。男女の間柄に恋わずらいという言葉があるが、男は老人に殺人わずら
いしていたのだった。
 老人は人間の代表であると男は感じていた。こいつを殺してしまえば今人間の格好を
している者すべてはゼンマイ仕掛けか本当の人間か知ることができると夢想するように
なっていた。
 こうして、男は手に入れたナイフで老人を殺し、老人は動かなくなった。老人は最後
に安堵の笑みを浮べたように男には見えた。それも確認する暇はなく、ピーピーとカン
高い笛の音で男はまわりの人に取り押さえられて独房に入れられてしまった。
 男は満ち足りた気分だった。老人は人間だった。つまり男もゼンマイ仕掛けではない
とわかったのである。老人を殺してようやく安堵の微笑みを浮べることができた。
 しかし、その微笑みも長くは続かなかった。男は独房の中で、老人が持っていた古ぼ
けた本を見たのである。それは老人の日記だった。それには「私は最後の人間である。
どうしても寂しくて仕方がないので、ゼンマイ仕掛けの人間を作り、感情を持たせ、白
い建物の中で一緒に働いている」と書かれていた。





#466/469 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/04/11  19:59  (197)
お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香
★内容
 地天馬鋭は額に片手を宛がい、ため息を一つついた。
「相羽君が困って持ち込むほどだから、一体どんな難事件の依頼かと思いきや」
 机越しに向けた視線の先、少し離れた位置で相羽信一が応接用のソファにちょんと引
っ掛かるように浅く腰掛け、背を丸め気味にしている。
 ここは地天馬の探偵事務所。あいにくと“私”が留守の時ときの出来事なので、又聞
きになるが、土曜の午後に知り合いで学生の相羽君がやって来た。
「僕はあるときから事件の選り好みをしないように心掛けているが、この件は受けられ
ないな」
「でも」
 相羽が背筋を伸ばし、手に握りしめた携帯端末を指先で軽く叩く。
「これを読んだ僕が、動揺するのは道理だと思いませんか」
 相羽宛てに届いた電子メールのことだ。ほんの三分ほど前に地天馬も見た。
 そこにはこうあった。

<“ぼくはきみだけはゆるせない”

  時は濁りを取り、三毛は分を弁えて小さくなる

35 10 26 41 3 59 0 42 34 45 2 27 22>

 これだけなら絶縁宣言か脅迫かいたずらかと、あれこれ選択肢が考えられそうだが、
そういう想定は必要ないと地天馬は判断を下していた。
 決め手となるポイントは差出人である。
「分かるよ。恋人からそんな文面を送り付けられたのなら、動揺してもおかしくない」
 相羽にこのメールを送ってきたのは恋人で、同じく学生の涼原純子。
「でしたら――」
 気持ちが分かるのであれば依頼を引き受けてください、と言わんばかりに勢いよく腰
を上げた相羽。その動作を手で制する地天馬。
「いや、だからこそ、だよ。僕は会った回数こそ多くはないが、君と涼原さんがどれほ
ど信頼し合っているかを充分に把握している。そこから導き出される結論は単純明快
だ。つまり――ありえない」
 地天馬はスケジュール帳を確認した。他に依頼の予約はなかったかと念のために見て
みたのだが、記憶していた通り、何もなかった。話を続ける。
「あの涼原さんは、相羽君にこんなメールを送らない。いたずら・ジョークめかしたク
イズの類か、そうでないなら間違いだよ。それでおしまい」
「も、もちろん、僕もそう考えました。いかにもな注釈と数字が続いて書いてあります
から。でも、まず、間違いとは考えにくいんです。今のじゅ、涼原さんは名簿にほとん
どデータを入れていない。落としたりなくしたりして、拾った誰かに悪用されたときに
迷惑が掛かるのを最小限にするためだって。家族と極々近しい人物しか登録していな
い。だから、間違えたという可能性は除外」
 それだけの根拠で間違いの可能性を除外というのは些か乱暴だと思った地天馬だが、
敢えてスルーした。
「ジョークならそれと分かるように送るものでしょう? 注釈と数字があるとは言え、
これじゃあセンスの悪い単なる嘘ですよ」
「いやいや、少なくとも本気でないのは明白じゃないかな。『ぼく』と使っている」
 地天馬の指摘に相羽は曖昧に頷いた。
「それはそうなんですが……涼原さんは男役もやるので、その癖が出たのかも」
「は! そんな低い、それこそ絶対になさそうなわずかな可能性を心配しているのか
い。恋は盲目とはよく言ったものだね。ああ、このケースは逆になるのかな。色々と見
えすぎて、余計な幻まで生み出してしまっている」
「真剣に悩んでいます」
 故意にテンションを上げた喋りをしてみせた地天馬に対し、相羽は静かに反応した。
「言い方を変えます。改めて断るまでもなく、僕は涼原さんを信じています。それ故
に、こんなメールが送られてきたことは、不可解でなりません。別の言い方をするな
ら、途轍もなく強力な謎です。この謎を解き明かしてもらえませんか?」
「――分かった。相羽君にとっては大きな謎なのだ。うん、理解した。引き受けるとし
よう」
 地天馬が請け負うと、相羽の表情は見る間に落ち着き、明るくなった。
「ありがとうございます」
 頭を下げる相羽の前まで出て行くと、地天馬は質問した。
「取り掛かる前に疑問がある。彼女に直接聞くというのではだめなのかい?」
「それが昨日の夕方から涼原さん、撮影とレポートの仕事で船の上の人なんです。大型
クルーズ客船の」
 涼原純子はモデルなど芸能関係の仕事をこなす、れっきとしたプロでもある。
「もしかすると、ネット環境にないのか」
「はい。正確には、船側からなら、別料金を払って船の設備を使うことで、ネットにア
クセスできるようです。こちらからはどうしようもありません」
「問題のメールが送られてきたのはいつになってる?」
「午後五時二十九分。船の出港予定時刻の三十分後ぐらいです。岸を離れてしばらくす
ると、つながらなくなるみたいなんですよね。だから、このメール変だぞと思って聞き
返そうとしたときには、もう遅かったという」
「なるほど。次にネットがつながりそうな時刻は分かっているのかな」
「明日の朝九時に着岸予定ですから、その前後になると思います。二泊三日の無寄港ク
ルーズで、今日は丸一日つながらない」
「……五時二十九分何秒に着信したか、秒単位まで分かるかい?」
「ええ。五十五秒になっていますが」
「なるほど。涼原さんは焦っていたのかもしれない。五時半までに、いや、五時二十九
分台に送る必要があったが、ウェルカムパーティやら出港イベントやらで、思わぬ時間
を取った。それでぎりぎりになってしまい、もしかするとこのメール、最後の一文が抜
けた可能性がある」
「え? どんな一文なんでしょう?」
「正確な文言は分からないが、意味は一択だ。この暗号を解いて、だろうね」
「暗号なのは大体想像が付きますよ。最初に言いましたように、ジョークの一種みたい
なもので」
 不満げに唇を尖らせる相羽。地天馬はたしなめた。
「着目するポイントはそこじゃない。さっき言った二十九分に送る必要があったという
推測だ。言い換えるなら、メールの着信時刻こそ、暗号解読の鍵となる」
「……あ。僕も分かった来たかもしれません」
「そりゃいい。ぜひとも、解いてみてくれるかな」
「はい……濁りは濁音、三毛は『み』と『け』の文字をそれぞれ指し示していると仮定
します」
 相羽の手が物を書くときの仕種をしたので、地天馬は紙とペンを用意して渡した。渡
した方、受け取った方、ともにローテーブルを挟んでソファに座る。
「すみません。――“ぼくはきみだけはゆるせない”は十三文字。羅列された数も十三
個書いてあるので、文字に数を前から順番に対応させる。
 濁音は『ぼ』と『だ』。時は……メールの着信時刻の時間の方だろうから5。いや、
違うな。多分、二十四時間表記だ。つまり17。この値を『ぼ』と『だ』に対応する
数、35と59に……『取り』という言葉を使っているくらいだから、マイナスするで
しょうか。そう仮定するなら、『ぼ』18、『だ』42。
 もう一方のグループである『み』と『け』に対応するのは、当然、メール着信時刻の
分、29になる。『分を弁え』とあるのは、29を弁える……弁えるの意味は、区別す
ることと解釈すれば、マイナスか」
「分けることは必ずしもマイナスではないんじゃないかな。強いて加減乗除で言うな
ら、除算、割る行為だと思うね」
 地天馬の意見を入れて、相羽はさらに推測を重ねる。
「だったら他の意味……数に絡めて解釈できそうなのは、つぐなう、調達する、辺りで
しょうか。これなら29を加えることに通じる。よって『み』の3は32になり、『
け』の0は29に。――あ。純子ちゃんが二十九分に送信したかったのは、それを過ぎ
ると『け』に最初対応させる数が0ではなく、マイナスになってしまうから?」
「同感だ。僕はそこから逆に考えて、弁えるは加算だと推定した」
 地天馬が喋る間に相羽はペンを走らせ、濁点を取った十三の文字と、新たに浮かび上
がった値に直した数字の列を書いた。

 ほ  く  は  き  み  た  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  1 27 22

「素直にシンプルに想像すると、対応する数の分だけ、文字をずらすんだと思います。
濁音のある字をなくしたことから、五十音表を用いるのかな。実際は『ん』を含めた四
十六文字の」
「いろはにほへとではだめかい」
 少々意地悪げな笑みを作った地天馬。相羽は小さく肩をすくめた。
「分かりません。ここまで来たら、試行錯誤あるのみですよ。とりあえず、数の分だ
け、前方向にずらしてみます。18だったら18文字先の文字にスライドさせる。『
ほ』を起点に18文字先は……最後まで来たら、頭に戻って『い』だ」
 同じ要領で、順次、文字を置き換えていく。そうして最後までやり通したとき、相羽
は微かに頬を赤くした。
「おや、これはこれは。いたずらどころか、ラブレターだったとはね」
 わざとらしく驚いてみせた地天馬。最初から分かっていた答を前に、芝居がかるのは
仕方がない。

 ぼ  く  は  き  み  だ  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  2 27 22
 い  つ  か  い  つ  し  よ  に  の  り  た  い  ね

「えーっと! 『み』『け』それぞれに対応する『つ』と『よ』は『分を弁えて小さく
なる』のだから、促音、拗音に変換しなくちゃいけませんね。よし、これで完成。『い
つか一緒に乗りたいね』だったんだ」
 大人からの冷やかしをシャットアウトしたいのか、相羽は声を大きくし、手も大げさ
に叩く。しかし地天馬は、違うところから一つの指摘をした。
「解けてすっきりしたのは結構なことだが、まだ残っているだろう、謎は」
「え?」
「この方式の暗号なら、数さえ変えれば、元の言葉は何にでもできる」
「確かにそうですね。あ、そうか。だったらどうして純子ちゃんは元の文章を、“ぼく
はきみだけはゆるせない”にしたんだろう……」

             *           *

 これといった解答を決められなかったため、相羽は本人に直接聞くことにした。
 日曜の朝、Y港に戻って来るのを迎えに行ってもよかったのだけれども、純子の方が
下船後も仕事の関係で多少時間を取られるであろうことは、最初から分かっていた。そ
れなら自宅にいて(いなくても大丈夫だけど)電話を待つ方が多分確実。
 いよいよとなったら、時間を見計らってこちらから掛けてみればいいんだし……と思
った矢先、お目当ての電話が掛かってきた。八時半、入港予定の三十分ほど前だ。
「――おはよう。無事に到着と思っていいのかな」
 自分達の推理が当たっているとしたら、向こうはきっと大慌ての焦った調子で第一声
を上げるはず。そんな考えから機先を制し、落ち着いてもらおうとした。
「あ、おはようっ。相羽君ごめんなさい!」
 たいして効果があったとは言えないようだ。
「何、いきなり謝るなんて」
「メールよ、メール。二日前、おかしなのが行ってるでしょ?」
「うん、来た来た。びっくりした」
「ほんとにごめん! あれは最後にこの文章を解読してねっていう言葉を付けるつもり
が、忘れてしまって。乗ってすぐに、予想以上に楽しかったものだから、ついぎりぎり
になって」
「楽しんで仕事ができたのなら、何よりです」
「うう、怒ってない?」
「全然。ただただ驚いたけど、ある人のところに相談に行って、解決してたから。安心
していいよ」
「ある人? 解決って、もう解いてるのね?」
「うん。いつか一緒に行こう」
「――よかった」
 安堵感が電話越しでもようく伝わってきた。相羽は笑いをこらえつつ、自分にとって
の本題に入ることにした。
「でも、一つだけ、分からないことがあるんだ」
「ええ? 何?」
 純子の声が再び不安を帯びる。相羽は急いで続けた。
「その、元の文が、どうしてあんなどっきりさせるようなものなのかなって。『ぼくは
きみだけはゆるせない』にしなくても、穏便に『おみやげたのしみにまってて』とか、
びっくりさせたいなら『ながすくじらとぶつかったわ』とか、十三文字なら何でもいい
でしょ」
「あ、そこ? 相羽君の気持ちを想像して、あれこれ考えていたら、あんな言葉になっ
ちゃった」
 純子の口調から緊張が緩み、代わりにいたずらげな響きが滲む。
「僕の気持ちって……分かんないな。君だけは許せないだなんて、全く思ってない」
「だいぶ省略してるから」
「うーん……」
「この仕事の話が来たって相羽君に言ったとき、『僕も行ってみたいな』って呟いてた
じゃない?」
「それは覚えてる」
 覚えているが、何の関係があるのやら。
「だからね、『相羽君は私一人だけがクルーズ船に乗るのを許したくない』んじゃない
かしらと思って。そこから十三文字にするために色々削って、置き換えて、『ぼくはき
みだけはゆるせない』になったの」
「……」
 省略しすぎだ。

――『そばいる番外編 僕は君だけは許せない』おわり




#467/469 ●短編
★タイトル (sab     )  19/04/19  20:26  (190)
お題>僕は君だけは許せない     HBJ
★内容
荻野「お前、理香子だけは許せないんだろう?」
小林「許せないというか、どうしてあんな間違いを犯したかって感じなんだけど」
荻野「一体誰と浮気したんだ?」
小林「そんなの分かってりゃあ、自分で相手の男に文句を言いに行くよ」
荻野「じゃあなんで浮気したって分かった?」
小林「クラスの女子が話しているのを聞いちゃったんだよ。ラブホから出てくるのを
見た、って」
荻野「ふーん。で、どうしたいわけ?」
小林「つーか、お前、いやに心配してくれるんだな。何でだ?」
荻野「そりゃあ、君も理香子も俺んちの産婦人科で産まれたからな」
小林「ああ、そっかー。そういえば、お前、教壇に立って「このクラスの女子の半分は
俺んちで生まれた」とかとんでもないセクハラをやってのけたよな」
荻野「特に君と理香子は産まれる時おんなじ病室だったしなぁ。俺も誕生日が
近かったんだけれども。とにかくそんな感じで、産婦人科医といえば親も同然だから
親身になる訳だよ。で、理香子をどうしたいんだ?」
小林「まぁ俺は、分かってもらいたい、っていうか、反省してもらいたい、っていう
か、
自分から気が付いてもらいたいって感じなんだが」
荻野「って事は理香子が自分から恥じ入る様になればいいってこと?」
小林「まあ、そうだな」
荻野「だったら、理香子がお前に誓った愛の言葉をsnsに晒しちゃうとか。
そうすりゃあ恥ずかしくなって自殺するんじゃないの?」
小林「そんなのリベンジポルノじゃないか。そういうミステリーがあった気もするけ
ど、
そんな卑劣な真似はしたくないよ。っていうか、向こうから気が付いてくれれば
いいんだけど」
荻野「自分の手は汚したくない、って感じか」
小林「そういう訳じゃあないけど」
荻野「でもそういう方法もあるんだぜ。自分は全く手を汚さないで相手を始末する方法
が」
小林「そんなの望んでいないけれど…、参考までに聞いてみたい」
荻野「誰かが見た瞬間に死ぬ、っていうのがあるんだよ。
お前、シュレディンガーって知っている?」
小林「シュレディンガー?」
荻野「ああ。有名な量子力学の物理学者なんだが。「シュレディンガーの猫」
という実験があって、箱の中に猫がいて誰かが見た瞬間に50%の確率で死ぬ
というのがあるんだよ。つまり理香子が誰かに見られた瞬間に50%の確率で死ぬ」
小林「死なんて望んでいないけれども、そんな事がどうして可能なんだ?」
荻野「それはなあ…。その前に、お前はどういう感じで憎んでいるの? 
愛や憎しみにも色々あるあろう。直接相手と向き合っていて相手が気に入らない、
というのもあれば、天の摂理を実現しようとしているのに相手がそれに背いているから
気に入らないというのもあるし」
小林「まさにそうなんだよ。理香子が浮気したのが俺への裏切りだから気に入らない
っていうんじゃないんだよ。仏教的に言えばそんなのは”なまぐさ”同士が
向き合っていての愛憎であって…。
俺はこう思う。宇宙には原理があってこれを梵という。
そして私の中にも原理があってこれを我=仏性という。
これらは同一で、これを梵我一如という。
で、身体なんていうのは、仏性の先っぽにぶら下がっている腐った”なまぐさ”
みたいなものだろう。
だから、そんな”なまぐさ”同士の愛憎なんてどうでもいいんだよ。
俺はあくまでも梵我一如的な仏性同士の愛を裏切った、という事で怒っているんだよ
ね」
荻野「それだったら、まさに、シュレディンガー的だよ。「シュレディンガーの猫」の
量子力学的解釈は割愛するけれども、シュレディンガーも梵我一如とかの仏教思想に
影響を受けていて、
見た瞬間に死ぬっていうのは、梵我一如的に猫の仏性と観察者の仏性が天の摂理を介し
て
つながっているから可能なんだよね。
まあ実際に死ぬのは仏性じゃなくて身体の方なんだけれども、
仏教的に言えば、身体なんて仏性の先っぽにくっついている”なまぐさ”
みたいなものなんだろ? 
物理学的にもE=MC2乗、つまりエネルギー=マティリアル×光の2乗だから、
原子爆弾一発分のエネルギーをぎゅーっと圧縮すると1円玉ぐらいになる感じだから、
仏性をぎゅーっと圧縮したものが身体なんだろう? 
だから、仏性が通じ合っていれば、そこから身体に作用する事は可能だから、
見た瞬間に死ぬ、という事が可能なんだよね」
小林「死ぬって事にはならないんじゃないの? 理香子の仏性にアクセス出来たとし
て、
それで彼女が死ぬってことにはならないんじゃないの?」
荻野「いや、仏性同士が合一である事を彼女が認識すれば、
”なまぐさ”を捨てるだろう。つまり身体を捨てる、つまり死ぬだろう」
小林「そうかなあ」
荻野「死なないまでも、”なまぐさ”的な浮気よりかは、君というソウルメイト
との仏性的な愛を大切に思うだろう?」
小林「そっかー。だったら彼女の仏性と合一したいなぁ」
荻野「そうだろうそうだろう」
小林「じゃあ、どうすればいいの?」
荻野「それにはまずお前の”なまぐさ”を無くして仏性を活性化させないと。
つまり心頭滅却」
小林「具体的には?」
荻野「なんでもいいから荒行、苦行の類で身体をいじめれば仏性が活性化するよ」
小林「そっかー」

 そして彼はありとあらゆる苦行を行った。
まず断食と写経。そして冷水シャワーで滝行、バスタブで水中クンバカ。
それ以外の時間は全て座禅。
そして彼はやせ細り、即身仏寸前になり、倒れてしまった。

 さて、小林は梵我一如の理屈を信じて苦行に邁進していったのだけれども、
そんな事をしたって理香子と再会出来るとは限らない。
だって、梵我一如の理屈で言えば、理香子とは、
理香子の”なまぐさ”+理香子の仏性からなるんだろうが、
理香子を目指して自分の”なまぐさ”を殺したところで、
その場合残るのは小林の仏性なのだろうが、
それが理香子の仏性と巡り会える訳ではなく、
どこか北海道から沖縄のどこかに漂っているソウルメイトと巡り会えるだけだろう。
だいたい理香子と巡り合うとは、理香子の”なまぐさ”と小林の”なまぐさ”が
この娑婆で直に触れ合う事なんだから。

ところで、ここまで俺は梵我一如が真理であるかの様に語ってきたが、
俺は梵我一如とか仏性とか全く信じていない。
俺は”なまぐさ”しか信じていない。
人間が関わるとは、娑婆で”なまぐさ”同士が知り合うことでしかない。
産婦人科医の息子である俺に言わせれば、人間同士のまぐわいなんて
”なまぐさ”的なものでしかなく、それは犬畜生の交尾にも似ている。
 小林によれば、”なまぐさ”同士のいちゃつきなんて下劣なものであって、
人間の愛が素晴らしいのは天の梵を共有するからだ、
梵我一如があるから人間の愛は高級なのだ、との事だったが。
しかし、俺に言わせりゃ、人間のまぐわいを犬の交尾よりかちっとは
高級にしているものがあるとすれば、
それはあの理香子の姿形が…ここで初めて告白するが、
理香子の”なまぐさ”的浮気相手というのは勿論この俺なんだが
…あの理香子の姿形は丸で如来の様で、あれに精液をぶっかけるというのは
何気タブーがあるのだが、そういう後ろめたさがあるからこそ萌えるのだ。
あと、理香子は小林のソウルメイトなのにやっちゃう、
というやましさがあるから萌えるのだ。
つまりは射精したらプロラクチンが出て賢者モードになる、という事を知っているか
ら、
射精する事にわくわくする訳だな。
そうすると、小林と俺の世界観は全く逆だな。
小林は宇宙に梵という原理があるとか言っているが、
俺は全くそんな事は思わず、
宇宙の梵も理香子の如来的美しさもプロラクチンの化身、
人間のプロラクチン的不安が投影されたものに過ぎないって感じだな。
つまり、人間の不安が神を作ったって訳だ。

さあ、小林が正しいか俺が正しいか、
じっくりと理香子ちゃんとまぐわって検証してみよう。
今や小林の”なまぐさ”は風前の灯火なので、俺は自由にいくらでも楽しめるって訳
だ。
俺は青磁でできた如来像のような理香子ちゃんを近くに抱き寄せた。
荻野「さあ、理香子ちゃん、もう邪魔者はいない。たっぷりといちゃつきましょう」
理香子「止めて。もうそういう気持ちじゃないの」
荻野「何で? もしかして不貞という禁止がなくなったから
萌えなくなっちゃったのかな?」
元々色白だったけれども、文字通り透き通るような理香子を見詰めて俺は言った。
しかし理香子は宙を見上げているのみ。
荻野「ねえどうしたの? どうしてそんなに淡白なの?」
理香子「今や、私の”なまぐさ”は全部消えて、
全く仏性的な存在になってしまったのよ」
荻野「そんな馬鹿な。俺は元々”なまぐさ”しか存在しないという立場だが、
しかし仮に小林が言うみたいに”なまぐさ”と仏性があるとしたって、
小林が滅私して君の仏性にたどり着くことなんて出来ないだろう? 
君という人間にたどり着くには娑婆で”なまぐさ”同士を
こすり合わせるしかないんだから」
理香子「ところが、小林君の仏性が私の仏性に巡り会えたのよ。
何でだかわかる? あなたは忘れているの? 私と小林君は、あの日あの時、
同じ荻野産婦人科のあの分娩室で生まれたのよ。
私と小林君は生まれた時に同じ仏性が宿ったの。つまり私達はソウルメイトだったの
よ」
荻野「ええ、まさか」
俺は顔色が変わるのが分かった。青ざめていく。
理香子「あなた顔色が悪いわ。ていうか顔の肉が透き通っていって丸で
陶器で出来た像の様になっていく。
もしかしたら、これはきっとあなたの”なまぐさ”が
蒸発していっているんじゃないかしら」
俺は両手を見た。丸でガラスの様に透き通っている。
荻野「なんで俺の”なまぐさ”が蒸発しないとならないんだ。
仮に梵我一如が真理だとしても俺が蒸発するにはソウルメイトの仏性に
出会わないとならないだろう。俺はまだどの仏性とも会っていないぞ」
理香子「私がその仏性です」
荻野「どういう事だ」
理香子「あなたも私と小林君のソウルメイトなのよ。知らなかったの? 
あなたが生まれた日も私達が産まれた日と同じ日だって事」
荻野「まさか」
理香子「あなたも”なまぐさ”を失って娑婆とお別れするのよ」
俺の”なまぐさ”はどんどんと気化していった。
ドライアイスが二酸化炭素になる様に。
荻野「死にたくない」
理香子「死ぬんじゃないのよ。”なまぐさ”を捨てるだけ。
さあ、涅槃で小林君も待っているわ」

俺は更に気化していった。
意識も、ぼーっとしてきた。
如来に射精してタブーを破る様な、そういう”なまぐさ”的欲望が
消えていくのが分かる。
しかし気持ちよくもあった。
射精が溜まりに溜まった水が滝の様に噴射する快楽なら、
もっと下流のなだらかな流れが海に広がっていく様な、ゆったりとした快楽を感じる。
宇宙の周期と自分が合一する感覚だ。
そもそも宇宙と個体は一緒だった。
呼吸は打ち寄せる波の数と同じだし、
産婦人科の病室は満月の晩には満杯になるではないか…最後に俺の意識は
そんな事を思い出していた。
そして個体としての感覚は薄れていき、全体に溶け出していくのだった。
やがて俺は宇宙の一部となるのだった。

【了】





#468/469 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/05  20:10  (233)
オートマチック        HBJ
★内容

 ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

 チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
 二人は結婚したばかり。
 奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、
元夫との間に6ケ月の子供が居るのだった。
 案内されてリビング・ダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドに
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
 私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
 それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
 あたりを見回す。
 50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
 本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
 FAXの複合機が床に直置きされている。その周りにはダンボール箱が。
まだ引っ越してきたばかりなのか。
 キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。つーか通信テストシートを
送ったんだけれども返送されてこないなあ」

 佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。窓際に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
 ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」
言うと壁際に設置されているロボット掃除機を指した。
「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
 テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、汚れた服で保育園にきては異常な食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
 鬼塚は立ち上がると本棚のところに行った。
 そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて出掛けて」
 そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」



 マンション近くの喫茶店で私達は時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
 それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
 スマホが鳴った。
 噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
 ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何か事件があったみたい。
それで赤ちゃんに何か起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
 言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
 会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとかで、かなり時間を食った。



 マンションに着いた時には15分が経過していた。
 部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
 すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
 ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、その前にココの経緯を説明するのが筋でし
ょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
 全員で犬の様に鼻をくんくんと鳴らした。
「煙のニオイなんてしませんね。どこにも焦げた跡とかないし」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あそこの換気扇から排出されちゃうかな」
と動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていっちゃったんじゃ
なかろうか」
 今や、泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」いきなり
小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、みんなが居ない間にナルソックが来るか
ら、
先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。「君は今、炭酸ガスは重いから
警報機に触れないと言ったじゃないか」
「ああ、まぶしい」突然小林君は手の平で目を覆うと窓方向を見た。「なんだって
あんなにペットボトルを並べたんだろう。これじゃあ目が焼けてしまう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAX横の床を指差した。
 そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
 小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは、20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何もんかが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりが、
ちょうど虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。黒いFAX用紙が燃えきって
適当に冷めた頃、そこにあるルンバが作動して、綺麗に掃除してくれたんですよ。
そして赤ちゃんが息を引き取ってガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃に
ナルソックの隊員が駆けつけて第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が
叫んだ。「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。
どういうタイミングでFAXするのよ」
「それは、見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「なーにを言っているのかしら、このクソガキは。だいたいペットの
日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても、煙ぐらいは出しても
完全に灰にするのは難しいと思われます。だから犯人はFAX用紙に何か引火性のある
液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
 小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも、流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
 小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生が夕べメーカーに送信したものが今日になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。
…何が起こったか分かりますか? 
メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災を起こす。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。ナルソック隊員は窓を開けて換気をする。
そしてその後で佐倉先生の送信した真っ黒い紙が間抜けに排出されてきた
という訳です。それが…」
 言うと小林君は刑事にに合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXを誰がどこから送ってきたのか分かるのは時間の問題です
よ。
たとえsnsで知り合ったどこか遠くの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、先生、
情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、親が教育委員会のお偉いさんだから
じゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。
…赤ちゃんは、私の赤ちゃんはどうなったの?」
突然、子殺しをした雌ライオンが雄ライオンにふられて母性を回復した様な
展開になった。「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
 そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

 私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」
 部屋を見渡すと、太陽は更に移動して空のベビーベッドに
日だまりを作っているのであった。












#469/469 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/07  09:28  (213)
オートマチック【改】
★内容                                         19/05/07 09:48 修正 第2版
ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
二人は結婚したばかり。
奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、元夫との間に
6ケ月の子供が居るのだった。
案内されてリビングダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドの脇に
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
あたりを見回す。
50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
FAXの複合機が床に直置きされている。
キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。
つーか通信テストシートを送ったんだけれども返送されてこないなあ」

佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。出窓に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」言うと壁際に設置されている
ロボット掃除機を指した。「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、保育園では通常の数倍の食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
鬼塚先生は立ち上がると本棚のところに行った。
そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて」
そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」
※
マンション近くの喫茶店で時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」と私。
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
スマホが鳴った。
噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何かあったみたい。それで赤ちゃんに何か
起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとか言われて、かなり時間を食った。
※
小林君に15分遅れてマンションに着いた。
部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、
その前にココの経緯を説明するのが筋でしょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あのキッチンの換気扇から排出されちゃうかな」と
動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていったのかも」
今や泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」
いきなり小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、
みんなが居ない間にナルソックが来るから、先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。
「君は今、炭酸ガスは重いから警報機に触れないと言ったじゃないか」
突然小林君はしゃがみ込むと出窓に並んでいるペットボトルを睨んだ。
「まぶしい。なんだってあんなにペットボトルを並べたんだろう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAXの排出口の横を指差した。
そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何者かが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりがちょうど
虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。
黒いFAX用紙が燃えきって冷めた頃、そこにあるルンバが作動して
綺麗に掃除してくれたんですよ。そして赤ちゃんが息を引き取って
ガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃にナルソックの隊員が駆けつけて
第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が叫んだ。
「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。どういうタイミングで
FAXするのよ」
「それは見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「カメラは突然故障して見られなくなったわよ。それに紙だって
ペットの日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても煙ぐらいは出ても
完全に灰にするのは難しいかも知れませんね。だから犯人はFAX用紙に何か
引火性のある液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生がメーカーに送信したものが今朝になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。…何が起こったか分かりますか?
 メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災が起きる。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。その時ナルソックは何かの拍子でカメラを
転倒させたんですよ。にも関わらず先生は一か八か黒いFAXを送ってきた。
それが…」
言うと小林君は刑事に合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXをどこから誰が送ってきたのかを特定するのは
時間の問題ですよ。たとえsnsで知り合ったどこかの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、
先生、情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、
親が教育委員会のお偉いさんだからじゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。…赤ちゃんは、
私の赤ちゃんはどうなったの?」突然、子殺しをした雌ライオンが
雄ライオンにふられて母性を回復した様な展開になった。
「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」

部屋を見渡すと、太陽が更に移動し日だまりは空のベビーベッドに向かっていた。




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