AWC ●短編



#450/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/06/28  21:05  (499)
そばに来るまでに   寺嶋公香
★内容
「相羽君は、芸能関係には興味がないのかね」
 英文学の宇那木(うなき)助教授から意外な話題を振られ、相羽は目をぱちくりとさ
せた。もちろん、無意識から出た仕種だが、妙にかわいらしくなってしまった。その
上、返事が出て来ない。
「芸術ではなく、芸能ですか」
 やっとそれだけ応じた。
 黒板を消し終わった助教授は、手に着いたチョークの粉をぱんぱんと払ってから続け
て言った。
「うむ。学生の多くは、トレンディドラマだのカラオケだのを話題にしているのに、君
の口からそんな単語が出たのを聞いた覚えがない」
 相羽は口元に微苦笑を浮かべた。先生の「トレンディドラマ」という言い回しが、ど
ことなくおかしかった。
 笑いを我慢しつつ、目の前の黒板を引っ張る。二枚の板が上下移動できて、入れ替え
られるタイプなのだ。少しだが、気になる消し残しがあったので、消しておく。
「全くないわけではありませんが、重きを置いてないというか、今は学生生活自体が楽
しい感じです」
「なるほど、結構結構」
 宇那木助教授は窓の戸締まりを確認してから、黒板の端に立て掛けた図面資料を肩に
もたせかけ、教卓にあったテキスト等を小脇に抱えた。百八十センチほどの背があっ
て、さらにぼさぼさ頭はアフロヘアに近いため、なおのこと高身長に見える。
「少し心配していたのだよ。艶っぽい話が口に上らないのはまあ人それぞれだとして
も、世俗的な楽しみすらシャットアウトしてるのではないかとね」
「朴念仁みたいに思われていたのですか」
「朴念仁は言いすぎだが、真面目で頭が固いというイメージだね。同じ頭でも中身――
頭脳の方は柔軟なのに」
 うまい言い方ができたとご満悦なのか、宇那木はにこにこしている。太陽がパーマを
掛けたみたいだ。
「お持ちしましょうか」
「お餅? ああ、いいよいいよ。この年齢で、君のような学生に荷物を運ばせたとあっ
ては、格好が付かない」
「でも、資料の端がぶつかりそうです」
 先を行く相羽は後ろを見ながら、出入り口の上部を指差した。図面を巻いた芯がドア
のレールをかすめそうだった。
「では、テキストの方を持ってもらえるかな」
「はい」
 相羽は肩から提げた自分の鞄を背負い直し、テキストを受け取った。厚さも判型も異
なる三冊と受講者名簿が、手の中で意外と落ち着かない。
「次のコマは、何もないのかね?」
「心理学ですが、休講と出ていました」
「ああ、種市(たねいち)先生か」
 呟くのを聞いて、相羽はちょっとしたいたずら心を起こした。先程、固いと言われた
ことを払拭しておこう。小耳に挟んだ噂話を持ち出してみた。
「宇那木先生は、種市先生と仲がよいと聞いていますが……」
「学生の頃、同じ学校だったことがあるからね。お互い、いい歳だし、一緒になっても
いいかなぐらいの話はしてる。何だ、ちゃんと興味あるんだ?」
「興味というか、疑問というか。聞いた限りでは、種市先生は女子大で、宇那木先生と
同じ学校というのは解せません。つまり、高校や中学で同じ学校だったんでしょうか」
「そうだよ。もっと前、小学校のときから一緒だった」
 エレベーターがあったが、素通りして階段に向かう。上がるのは一階分だけだ。
「同じ大学に着任するとは、腐れ縁的なものを感じる」
「どちらかが追い掛けてきたわけではないんですか」
「ないない。偶然」
 教官室まで来た。相羽が鍵を借り、ドアを開ける。押さえてなくてもドアは止まるは
ずだが、念のため手を添えておく。宇那木は資料がぶつからぬよう、斜めにしてから入
る。
「助かったよ。お礼ってほどじゃないが、コーヒー、飲む?」
 問い掛けながら、既に準備を始めている。自身が飲むのは確定ということだろう。
「いただきます。あの、テキストと名簿は」
 紅茶の方が好きですがとはもちろん言わず、相羽は辺りを見回した。
 室内はそこそこ散らかっている。特に、本棚はまともな隙間がほとんどない。本来、
本を置くスペースじゃないところにまで、色々と横積みにしてあった。
「こっちにもらおう。おっと、ドアは閉めない。何かとうるさいご時世になったから」
「あ、そうでした」
 性別に関係なく、先生と学生が教官室に二人きりの状況で、指導上の必要性がない限
り、ドアを少し開けて廊下側から覗けるようにしておくのが、この大学のルールだ。
 レギュラーコーヒー二杯を机に置いた宇那木は、一旦座ってすぐにまた立った。
「確か、もらい物の菓子が。食べるでしょ」
「え。いえ」
「遠慮は無用。忘れない内に出していかないと、賞味期限が切れてしまう」
「来客用に置いておけばいいのでは」
「だから、そんなに来客はいない――あった」
 本棚に縦向きに差し込まれていた菓子箱を引っ張り出すと、元来の横向きにして蓋を
開ける。包装された和菓子らしき物が、偏りを見せていた。助教授は二個、取り出し
た。小皿にのせることなく――という以前に、小皿がこの部屋にあるのかどうか?―
―、個包装の物をそのまま差し出してきた。
「大きな栗が丸々入った、多分、高いやつだ。栗、嫌いかい?」
「栗は好きです」
「なら、食べなさい」
「廊下から誰か学生が目撃すれば、『僕も私も』と雪崩を打ってきませんか?」
 我ながら変な心配をすると、相羽は思った。性分なんだから、仕方がない。
「来たら別の菓子を出すとしよう。それで、何やら相談があるとのことだが」
「話す前に、宇那木先生はお忙しいのでは……休み時間内に済まないかもしれません」
「やることリストは決めてあるが、今、急を要するものはないさね」
 デスク向こうの椅子に腰掛けた助教授は、カップに手を伸ばし、途中でやめた。
「もしや、他人に聞かれるとまずい話? そちらの判断でドアを閉めなさい」
「……確かに、まずいかもしれません」
 相羽はコンマ数秒だけ逡巡し、ドアを閉めることにした。
「では、伺うとしましょうか」
 宇那木は言ってから、改めてコーヒーに口を付けた。相羽はすぐに始めた。
「先生は、ボードゲーム研究会の顧問をされていますよね」
「ああ。名前だけのつもりが、自分も結構好きな方だから、たまに指導している」
「そこの部員の一人からアプローチを受けていまして、非常に困惑してるというか」
「アプローチって、恋愛的な意味の?」
「はい」
「相手の名前は出せる?」
「西郷穂積(さいごうほづみ)という、二年生の人です」
「西郷君か。ゲームに関してはかなり優秀だ。学問の方はまだ分からないが。西郷君
が、君にしつこくアプローチしてきて甚だ迷惑だと、こういうことかい」
「そこまでは言いません。お断りしても、あきらめる様子がなくって」
「軽いのりで、一緒に何度か遊べたらいいって感じじゃないのかなあ」
「そんな風には受け取れませんでした。一対一になれる状況を狙ってるみたいなんで
す。言葉で説明するのは難しいけれども、本気というか決然としているというか」
「うーん」
「西郷さんがゼミに所属していたら、そちらの指導教官にお願いしようと思いました
が、まだ二年生ですし。いきなり向こうの家族に言うのもおかしい気がしたので、宇那
木先生のところへ……ご迷惑に違いないと分かっていますが、他に何も思い付かず…
…」
「かまわんよ。ま、西郷君の友達に頼んで、遠回しにでも伝えてもらうという手立ても
あるかもしれないが」
「アドバイス、ありがとうございます。実は、一度だけですがそれも試しました。で
も、うまく伝わらなかったみたいで」
「ふむ。立ち入った質問を二、三していいだろうか?」
「はい。相談を聞いてくださっているのですから」
 居住まいを正し、両膝にそれぞれの手を置いた相羽。
「まず確認だが、今、お付き合いしている人は? 程度の深い浅いは関係なしにだ」
「いません」
「そうか」
 軽く首を傾げた宇那木は、包装されたままの栗の菓子を指先で前後に転がした。
「西郷君のアプローチにOKしないのは、タイプが合わないからとか?」
「はあ。失礼になるかもしれませんが、西郷さんのようなかしましい、騒がしいタイプ
の人は苦手です。強引なところも。マイペースに巻き込もうとする感じが、だめなんで
す」
「分かる分かる」
 笑い声を立てた宇那木。相羽はにこりともせずに続けた。
「そんな風に合わないことも感じていますけど、同時に、今は誰ともお付き合いしたく
ない気持ちが強くって」
「自由に遊びたいから――というわけではないだろうね、君のことだから」
「高校のとき、付き合っていた人と、最近になって別れたんです」
 若干、無理して作った笑顔で答えた相羽。
「……だから、しばらくはそういった付き合いはいい、ということかい」
「ええ、まあ」
「そのことは、西郷君には伝えていない?」
「はい。これが断る唯一の理由と解釈されて、時間が経過すれば受け入れる余地がある
と思われては、困ります。先程言いましたように、タイプが……」
「なるほどねえ」
 宇那木は右手の甲を口元に宛がい、思わずといった風に苦笑を浮かべた。
「では逆に、今、付き合っている人がいることにしてはどう? 実はって感じで打ち明
ければ、信じると思うが」
「嘘を吐くのは……」
「正直さは美徳だが、時と場合によっては嘘も必要だよ。考えてもみなさい。相羽君が
現在は誰とも付き合う気がないことが、何らかの経緯で西郷君の耳に入ったとしよう。
その直後、君にたまたま新たな恋人ができて付き合うようになったとしたら、西郷君は
どう感じるだろう?」
「……そういう偶然はなかなか起きないと思いますが、もし起きたら、西郷さんは立腹
する可能性が高いかもしれません」
 答え終わってから、相羽は、ふう、と息をついた。
「生きていれば、どんな出会いがあるか分からないものだ。絶対に一目惚れをしない自
信があるの?」
「いえ。全くありません。一目惚れをした経験、ありますし」
「では、未来の恋人のためにも、変に恨まれないよう、今現在、付き合っている相手が
いることにしておきなさい」
「うーん」
「相羽君はハンサムなのだから、明日にでも、いや今日、大学からの帰り道にでも、運
命の人と巡り会うかもしれない」
「ハンサムって……運命の人と巡り会うかどうかと、外見は関係ない気がしますが」
「君が告白すれば、即座にOKされる確率が高いって意味。嘘が気にくわないのなら、
いっそ、本当に恋人を見付けるのもありじゃないかな」
 その意見に、相羽は曖昧に笑った。まだ短い期間しか接していないが、宇那木先生の
ことをある程度は理解しているつもり。なので、真面目に考えてくれているのは分か
る。だが、さすがに、アプローチされるのが面倒だから付き合う相手を見付けるという
のはない。本末転倒とまでは言わないが、自分が別れて間もないことを忘れられては困
る。
 相羽が反応を迷う内に、先生は口を開いた。
「とにかく試してみて。それでも西郷君があきらめないようであれば、教えて。そのと
きは僕から西郷君に言うとしよう」
「分かりました。次にアプローチされたら、言ってみます」
 相羽は内心、折れた。こんなことで先生に時間を割いてもらうのは、ほどほどにして
おこうという気持ちも働いていた。
「お忙しいところを、私事で煩わせて申し訳ありませんでした」
「時間があったから引き受けたんだし、気にすることない。よほど忙しくない限り、ウ
ェルカムだ」
「ありがとうございます」
 席を立ち、頭を下げた相羽。踵を返し掛けたところで、呼び止められた。
「あ、菓子、今食べないなら、持って行ってほしいな」
「――分かりました、いただきます」
 手を伸ばし、栗の菓子を持ったところで、質問が来た。
「ついでに聞くけど、どうして一般教養で、僕の英文学を選んだの?」
「――単純です、がっかりしないでくださいね。取り上げる予定の作品の中に、推理小
説があったので。原文のまま読めたら新たな発見があるかなって」
「相羽君はミステリが好きなのか」
「人並みだと思います。テレビの二時間サスペンスはほとんど観ませんが、犯人当てな
ら観たくなるんですよね」
「僕は論理立てたミステリは、ゲームに通じるところがあるから、割と好んで読むん
だ。だからこそテキストに選んだとも言えるが。テレビドラマの方は生憎と知らない
が、映画には本格的な物があってよく観る。わざわざ映画館まで足を運ぶことは滅多に
ないが」
「映像化されたミステリは、犯人が最初から明かされている物に面白い作品が多い気が
します。多分、犯人の心理状態を観ている人達に示せるのが理由の一つだと」
 つい、返事してしまった。このままミステリ談義に花を咲かせるのは魅力的であるけ
れども、時間を費やすのは申し訳ない。改めて礼を述べたあと、ドアを開ける。
「お邪魔をしました。失礼します」

 翌週の月曜。二コマ目の講義を受けたあと、いつものように昼休みが訪れた。空模様
は快晴とは言い難くとも、雲の割合が日差しを弱めるのにちょうどよく、またほとんど
無風。外で食べるのが気持ちよさそうだ。
 相羽は薄緑色をしたトレイを持ったまま、学生食堂の外に出た。オーダーしたメニ
ューは、カツサンドと野菜サラダ、そこにお冷や。あとで飲みたくなったら、コーヒー
かジュースを追加するかもしれない。
「いない」
 学食周辺のテラス席や芝生の上をぐるっと眺め渡したが、友達の姿を見付けられなか
った。普段なら月曜日の二時間目、友達の方が早く出て来るはずなのに。小テストでも
やっているのだろうか。
 そんな想像をした矢先、肩をぽんと叩かれた。
 少しばかり、びくっとしてしまった。トレイの上のコップに注意が向く。液面が揺れ
ていたが、どうにかこぼれずに済んだ。
「――仁志(にし)さん」
 振り向いたそこにいた友人に、頬を膨らませる相羽。仁志はすぐに察したらしく、
「ごめんごめん」と軽い調子ではあるが謝った。彼女の後ろには、さらに友人二名がい
る。
「健康志向なのかそうでないのか、どっちつかずの選択をしてるネ」
 その内の一人、ロジャー・シムソンが相羽のトレイを覗き込んだ。金髪碧眼の白人
で、そばかすが目立つ。米国生まれの米国育ちだが、親戚筋に日本人がいて教わったと
かで、日本語は結構達者だ。本人の希望で、周りの者はロジャーと呼ぶ。
「バランスがよいと言ってほしいネ」
 語尾のアクセントを真似て返す相羽。ロジャーの手にトレイはなく、代わりにハン
バーガーを二つと炭酸の缶飲料を一本持っている。
「今日は小食?」
「いや、それがさ」
 ロジャーの隣に立つもう一人の男子学生、吉良(きら)が顎を振った。吉良の持つト
レイには海老フライカレー大盛りの他、三角サンドイッチが一個、角っこに置いてあっ
た。
「これ、ロジャーの分なんだ。無理して持つと、ソフトな食パンが潰れてしまうとか」
「パンへの拘りはいいけれど、年上の吉良さんに運ばせるなんて、恐れ多いよねえ」
 吉良の説明に続き、仁志が苦笑顔で感想付け加える。学年は同じだが、高校のときに
海外留学していた関係で、吉良は相羽達より一個上である。
「気にしない気にしない。レディには敬意を払い、同級生にはフレンドリーでいたい」
 それが僕の主義だとばかり言い放ったロジャーが、ひょいひょいと歩を進め、皆で食
べる場所を決めた。学食の庭に当たるスペース、その隅っこだが、木々による日陰がで
きて悪くはないテーブル。ごく稀に、小さな虫に“急襲”される恐れがあるが。
 右回りにロジャー、吉良、相羽、仁志と着席してから、食べ始める。すぐに口に運ぼ
うとした三人に対して、相羽は両手の平を合わせた。
「いただきます」
「あ、忘れてたヨ」
 ロジャーが真っ先に反応し、開けかけのハンバーガーを放り出して、合掌する。慌て
たように、吉良と仁志も真似た。
「付き合わなくていいのに」
 相羽が微笑みながら言うのへ、仁志が言葉を被せてくる。
「いいえ、やる。私だって、最低限のマナーは身に付けたい。女らしさとか男らしさと
かの前に、これこそ必要って感じたから」
「影響を受けやすいねえ」
 吉良が、サンドイッチをロジャーの方へ押しやりながら、からかい調で言った。
「いいじゃないですか。悪いことでなく、いいことなんだから」
「本気で思ってるのなら、まず、箸先をこっちに向けるなって話だ」
 無意識で向けていたのだろう、仁志は左手で箸の先端を隠すようにして引っ込めた。
「すみません、改めます。さっき、ロジャーを恐れ多いなんて言ったそばから……」
「いいって。今は楽しく昼飯をいただく、これに尽きる」
 吉良はそう言って、大きめのスプーンいっぱいにすくったルーと御飯を一口。継い
で、海老フライをスプーンで適当に刻んで、また一口。その様に仁志も安心できたらし
く、食事に取り掛かった。
「あ、そうだ――この前の祝日に学校に出て来たって聞いたけれど、ほんと?」
 相羽が正面のロジャーに問うた。途端に、赤面するロジャー。夕日を浴びたみたい
だ。
「外国の祝日が覚えきれない。間違って休まないようにするので精一杯でさ」
 自国の定めた祝日に沿って休んでしまいそうになる、という意味だろう。
「うん、それはいいんだけど、休みの前の日に、ちゃんと念押ししたでしょ? どうし
てかなあって思って」
「……一晩寝たら忘れちゃったヨ」
「次からは、『本日休み!』とでも書いた紙を、玄関ドアに張っておくか」
 吉良に言われて、ますます顔を赤くしたロジャーは、話題を換えた。
「そういえば相羽の懸案事項は、かたが着いたのかい?」
「何、懸案事項って」
「西郷穂積のアプローチ問題だよ」
 ロジャーは数学か何かの証明問題みたいに言った。吉良が追従する。
「確かに気になる、しつこい難問だ」
「もう済んだ、と思う」
 相羽はあっさり答えた。あまり触れられたくはないが、前に協力したもらったことも
あり、話しておく。
「先生のアドバイスを受けて、遠距離恋愛していることに。西郷さんからまたアプロー
チされたときに、そのことを伝えたら、意外とすんなり聞き入れてくれたみたい」
「遠距離恋愛か。じゃあ、時折、その相手が現れないとおかしくないか?」
「無茶苦茶忙しいとか、めっちゃ遠い外国にいるとか?」
 吉良、仁志の順番に尋ねてきた。相羽は野菜サラダの葉物を、フォークで幾重にも刺
しつつ、思い起こす風に首を傾げた。
「基本的に、こちらから相手に会いに行くっていう設定にした。場所は出さなかったけ
れども、相手が忙しいことは伝えた」
「曖昧にしたのは、本当に恋人ができたときの対策だね」
 察しがいい発言は吉良。相羽はこくりと頷いた。
「すぐには無理でも、いずれはね」
「あなたなら文字通り、付き合う人ぐらい、すぐにでも見付けられそうなのに」
 仁志が言った。ちゃんと恋人がいるのに、どこかうらやましげだ。
「逸見(いつみ)君、だっけか。彼とはうまく行っていないのか」
 吉良が率直に尋ねると、仁志は首を横に振った。
「うまく行ってないなんてことはないですよ。ただ、将来を考えると……名前が」
「名前?」
「私の下の名前、平仮名でひとみなんですよ。結婚したら、逸見ひとみになっちゃうじ
ゃないですか。何だか言いにくい」
「そんな気にすることないと思う」
 相羽が言った。
「そんな考え方をするのなら、お婿さんに迎える方が難しいんじゃないかな。逸見君の
名前って、確か同じ仁志と書いて、ひとしだよね」
「そうそう。仁志仁志になるの」
「仁志仁志の字面を強く意識した結果、逸見ひとみまでおかしな響きに聞こえてしまっ
た、それだけだよ、多分」
「うん、そうかも」
 納得かつ安心したように首肯した仁志は、再び食事に集中した。
 それぞれがほぼ食べ終わる頃合いに、相羽は学食内の壁時計を覗き込んでから言っ
た。
「ちょっと早いけれど、これで。ちょっと電話してくる。アルバイト先に、次週の都合
を聞いておかなきゃ」
「バイトって家庭教師の?」
「うん。――ごちそうさま」
 ロジャーの問いに答えてから、手を合わせて唱える。席を立ち、背もたれを持って椅
子をテーブルの下に押し込んだところで、ショルダーバッグを担いだ。トレイを手にし
て、「終わってるのなら、みんなのも運んでおくよ」と場を見渡した。
「気遣いはありがたいが、早く電話に行くべき。空いているとは限らない」
「だね。逆に、片付けは私らに任せて、さっさと動いた方がいいよ」
 吉良、仁志と続けて言われ、相羽はそれもそうかと思い直した。トレイを手放し、
「じゃ、お言葉に甘えて」と言い残して席を離れた。
 それから足早に公衆電話を目指したが、吉良達の心配した通り、学生食堂の正面に設
置されている分は、使われていた。そこから最寄りの電話がある、部室棟へと急いだ。

 思っていたより時間を掛けることなく電話を終えて、午後最初の授業がある大教室に
向かっていると、相羽の名を呼ぶ者がいた。同じ授業を取っているのだから、顔を合わ
せるのは仕方がない。
「――西郷さん」
 声で分かっていたが、振り返ってから改めて言った。
 西郷穂積はその瞬間、些か不安げだった表情から笑顔に転じた。小走りで追い付い
て、横に並ぶ。
「教室まで一緒に……いい?」
「かまいませんよ」
「あの、お願いがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「やっぱり、まだ完全にはあきらめきれなくって……。君の相手がどんな人なのかを知
ったら、踏ん切りが付くと思うのだけれど」
「……どうしろと言うんですか」
 すれ違う人や、そこいらでたむろする人は大勢いるのに、あまり気にならない。意識
が西郷に向いているのは、相羽自身、嘘を吐いている負い目があるせいかもしれなかっ
た。
「プロフィールとかは、無理なんだよねっ? じゃあ、写真でいいから見てみたいな」
「……少し、考えさせてください」
 相羽は恋人の写真がそこにあるかの如く、定期入れの入った胸ポケットに触れた。
「いいけど、どうして?」
「それは当然、相手のあることですから。プライバシーにうるさい人なんです」
 咄嗟の思い付きだが、悪くないキャラクター設定だと内心で自画自賛した。こう答え
ておけば、顔写真を見せないまま、押し切れるかもしれない。
「ふーん、分かった。しばらくは待つ。でも、一週間以内に決めてよ」
「え、ええ。努力します」
「もしかしたら、付き合っている人って外国人? 欧米系の」
「何でそう思うんですか?」
「だって、プライバシーにうるさいって。欧米の人が拘るイメージ持ってる」
「まあ、プライベート空間をより重視しているのは、洋風建築でしょうけど」
 ちょうど教室に着いた。出入り口の近くに馴染みの顔を見付けてほっとする。
「じゃあ、これで失礼します」
 相羽は西郷から離れると、知り合いが取ってくれていた席に座った。
「何なに? 西郷先輩と一緒に来るなんて。まだあの話、けりが付いてないんだ?」
 肘で突かれ&小声で話し掛けられ、相羽は嘆息した。西郷は遠ざかりつつも、まだこ
ちらを見ている。気付かれぬよう、同じく小さな声で、隣に答えた。
「きっぱり断った。ただ……付き合ってる相手がいるのなら、写真が見たいって」
「証拠を出せってか」
 友人のからかい口調に、相羽は再度、大きくため息を吐いた。

 明後日で一週間になる。そう、西郷から付き合っている人の写真を見せてくれるよう
頼まれた、その期限だ。
 きっと、西郷穂積は相羽を見付けるなり、写真を見せてと求めてくるに違いない。
(相手が嫌がったことにして、断ることはできるけれど、西郷さんも結構しつこいから
なぁ。いずれ押し切られるかも)
 そうならないよう、ここは飛びきりの美形で優しそうでスポーツ万能そうで賢そう
な、ついでに言えば写真写りのよい人に、恋人の代役を頼んでおきたいところだが。
(学校の人に頼んでも、じきにばれる。こんなことを頼めそうな異性の知り合いなん
て、学校を除いたら、まずいないし)
 別れた相手の写真なら用意できるが、もちろんそんなことはしたくない。
「ああ、どうしよう」
 無意識の内に呟いていた。次の瞬間はっとして口を片手で覆う。何故って、ここは市
立の図書館の中だから。
 だけど、今日は普段と違って、館内はざわざわしている。相羽もこの日用意されたイ
ベントを思い出し、安堵した。
 図書スペースそのものではないが、そこに隣接するホールを舞台に、アマチュア音楽
家達によるミニコンサートが催されるのだ。開催中も図書の貸出業務は行われるが、自
習室等は閉じられるらしい。
(ホールにピアノが置いてあって手入れもされているみたいだから、使うことはあるは
ずと思っていたけれども、案外早くその機会が訪れた感じ)
 自宅もしくは大学からの最寄りの図書館ではなかったが、本にも音楽にも人並み以上
の興味関心を持つ相羽は、日時の都合もちょうどいいことだし、足を延ばした次第であ
る。
 チラシで見掛けたのと同じポスターが、館内にもいくつか貼り出されていた。出演者
の個人名はなく、グループ名が三つ載っていた。一つは近くの高校のコーラス部。家庭
教師をしている子の通う中学と同系列だと気付いた。一つは路上で三味線とハーモニカ
によるパフォーマンスをやっている二人組。シャモニカズというべたなネーミングに笑
ってしまった。そしてもう一つは、近隣の都市名を冠した大学のバンド四人組となって
いた。相羽の大学にも音楽関係のクラブは複数あるが、どれにも所属しておらず、今日
出演するバンドと交流があるのか否かも知らなかった。
「あれれ? 相羽先生じゃないですか」
 ポスターの前から離れるのを待っていたかのように、高い声に名前を呼ばれた。相羽
自身、ついさっき思い起こしたバイト先の子、神井清子(かみいさやこ)だ。
「こんにちは、先生。こんなところで会うなんて、奇遇ですねっ」
「こんにちは。確かに奇遇と言いたいところだけど、神井さんは今日出演する人に知り
合いがいるんじゃないの?」
「凄い、当たりです」
 別に凄くないよと、内心で苦笑する相羽。
「高等部の人に何人か知り合いがいるんです。正確には、私の兄の、ですけどね」
 神井清子の兄は大学生で、地方に一人で下宿していると聞いた。大方、その兄が高校
時代、音楽の部活動をやっていたのだろう。
「他に来る人がいなくて、私一人なんですが、先生は? もしかしてデート?」
「違います。一人」
 デートと聞かれて、頭痛の種を思い出してしまった。
「前から聞こう聞こう、聞きたい聞きたいと思ってたんですけど」
「答えるつもりはないよ」
「相羽先生には恋人、いないんですか?」
「だから、答えないって」
「そんなに冷たくしなくてもいいじゃないですか。いないならいないで、いい人を紹介
して差し上げようかと」
「……」
 ほんのちょっぴり、心が動く。いや、もちろん、代役として。だから紹介されてお付
き合いを始めても、本当の恋人になる可能性は高くないだろう。そんな失礼な話、でき
るはずがない。
「遠慮しとく。教え子から紹介されると、しがらみができそう」
 そこまで答えたところで、催し物の開始が迫っていることを告げるアナウンスがあっ
た。アナウンスと言っても機材を通しての声ではなく、図書館職員の地声だ。
 最前までかしましくしていた神井も、すぐに静かになった。知り合いが一番手に登場
するというのもあるだろうが、最低限のマナーは心得ていて微笑ましい。
「椅子、まだ余るみたいだから、座る?」
 声量を落として神井に尋ねる。神井は首を縦に振った。お年寄りや身体の不自由な人
が訪れた場合を考え、ぎりぎりまで様子を見ていたのだ。ホールに用意された六十脚ほ
どのパイプ椅子は、そこそこ埋まっていたが、相羽らが座れないことはない。
 真ん中、やや右寄りの二つに腰を下ろした相羽と神井は、職員の説明に耳を傾け、や
がて始まる音楽会に心弾ませた。

 事前に予想していたのと違って、堅苦しさのない、どちらかと言えば面白おかしい方
向にシフトしたイベントだった。
 高校のコーラス部は、有名な歌謡曲やアニメソングを選択して披露したが、全てアカ
ペラ。ただ、伴奏のパートまで口でやるものだから、ついつい笑いを誘われた。魚をく
わえたどら猫を追い掛ける歌が一番の傑作だった。
 続いて登場したシャモニカズは、二人とも黒サングラスをした、二枚目だがちょっと
強面のコンビだったが、口を開けば関西弁丸出しで、漫才師のよう。喋る内容も右にな
らえで、体感的には演奏よりも話の方が長かった気がする。無論、演奏はきっちり魅せ
てくれて、アマチュアでいるのが勿体ないと思えるほど。
 とりを飾るバンドの登場前に、短い休憩時間が設けられた。これは、観客のためだけ
でなく、各種楽器の調整のためでもある。
「トイレ行っておきませんか」
 石井に言われて、相羽は腰を上げた。行きたくないと断っても、無理矢理引っ張って
行かれるのは経験上、分かっていた。
 手洗いまで来ると、相羽は中に入らず、壁際に立った。「この辺で待ってるから」と
言って、石井を送り出す。
 出入りする利用者と視線が合うと、お互い気まずい思いをするかもしれない。少しだ
け移動して、大きな鉢植えの傍らに立った。男子トイレに近くなったが、まあいいだろ
う。
 ちょうどそのとき、背の高い男の人が、手洗いから出て来た。ハンカチを折り畳み、
尻ポケットに仕舞う。その拍子に、胸のポケットに差していた何かが飛び出て、床で跳
ねた。さらに二度、意外と弾んで、それは相羽のいる方に転がってきた。
 男の人と自分とが、ほぼ同時に「あっ」と声に出していた。相羽は反射的にしゃがん
で拾い上げた。サングラスだった。シャモニカズがしていたのは真っ黒だったが、今拾
ったサングラスのレンズは、薄い茶色である。
「すみません、ありがとうございます」
 男性の声に、若干見上げる形になる相羽。サングラスを渡そうとしながら、
「どういたしまして。それよりも、傷が入ったかもしれません」
 と応じた。受け取った相手は、サングラスを光にかざしてためつすがめつしたあと、
軽く息をついた。
「確かに、傷が少しできたみたいだ。……これは、外しなさいというお告げかな」
「え?」
「ああ、意味深な言い方をしてしまい、ごめんなさい。あなたの姿はホールで見掛けま
したが、このあとも聴いていくんでしょうね。実は僕、次の演奏に出る一人なんです。
サングラスを掛けるつもりだったんだが、前に出たお二人がしていたし」
 相羽はその男性の顔をじっと見た。
「掛ける必要があるようには思えません。その、整った顔立ちをしているという意味
で」
「あはは、ありがとう。でも、サングラスを掛けようと考えたのは、別の理由。久しぶ
りに演奏するからなんだ」
 男性は快活だが、ほんのちょっとさみしげに笑った。
 年齢はいくつぐらいだろう。相羽より年上に見えるが、そんなに離れてもいまい。近
くでよくよく見ると、顎の下に髭の剃り残しがあった。
「久しぶりだと緊張するからですか?」
「うーん、恐らく。うまく動くかどうか」
 両手の指を宙で動かす男性。ピアノを弾く手つきだ。
「関係ありませんよ、きっと。手元が見えた方が、いざというときは安心でしょ。それ
に、普段通りにやる方が絶対に落ち着きます」
「――なるほど。いい考え方だね」
 男性の笑みは、今度こそ本当に心からのもののように、相羽の目には映った。
「では、サングラスなしでやってみましょう。これを持っていると、直前で気が変わる
かもしれないから」
 その人はそう言いつつ、サングラスを再び相羽に手渡した。
「預かっていてくれますか」
「はい」
 自分自身、びっくりするくらいの即答だった。
「もう行かないと。それじゃ、あとでまた会いましょう」
 男性が踵を返し、立ち去ろうとするのを、相羽は呼び止めた。
「あのっ、すみません! 万が一にもあとで会えなかったら困るので、名前だけでもお
互いに知らせておきませんか」
「――了解です」
 男性はもう一度向きを換えて、相羽の前に立った。
「僕は酒匂川と言います。酒の匂いの川と書いて、酒匂川。あんまり、好きな名前じゃ
ないんですが。酒飲みでもないし」
「分かりました、酒匂川さん。私の名前は――」
 相羽は答える寸前に、少しだけ迷った。苗字だけか、それともフルネームにするか。
「――相羽詩津玖と言います。どんな字を書くのかは、次にお会いしたときに」
 酒匂川は教わったばかりの名前を口の中で繰り返すと、軽く会釈し、演奏へ向かっ
た。
「先生!」
 ぽーっとしていた相羽を、教え子の甲高い声が引き戻した。
「騒がしくしない。もうじき、演奏が始まるみたいだから」
「あっ、ごまかそうとしてる? 見てましたよ、途中からですけど」
「……そうなんだ……まあ、見たままの解釈で当たっているかもしれない、とだけ」
 まだあれこれ聞きたがっているに違いない神井清子を置いて、相羽はホールへ急い
だ。

            *             *

「――こんな話をおばあちゃんがしていたんだ。暦や碧は信じる?」

――そばいる番外編『そばに来るまでに』おわり




#451/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/09/22  22:06  (203)
楽屋トークをするだけで   寺嶋公香
★内容
「相羽君て、どうして最初の頃、あんなにエッチな感じだったの?」
「え?」
「だって、そうじゃない? 小学六年生のとき、ぞうきん掛けしていたらお尻見てる
し、いきなりキスしてくるし、着替え覗くし」
「ちょ、ちょっと待って」
「最初の頃じゃないけど、スケートのときは胸を触ったし、あ、廊下でぶつかって、押
し倒してきたこともあった」
「待って。ストップストップ」
「中学の林間学校では、私の裸見たし。ああっ! スカートが風でまくれたところを、
写真に撮ったのも」
「……」
「もうなかったかしら」
「ない、と思う。ねえ、わざと言ってる?」
「うん」
「よかった。ほっとしたよ」
「でも、一つだけ、あなたが自分の意志でやったことがあるでしょ。それについてわけ
を聞きたいの」
「それって、ぞうきん掛けだね」
「ええ。あのときは、何ていやらしい、また悪ガキが一人増えたわって思ったくらいだ
った」
「これまたひどいな。じゃあ、全くの逆効果だったわけか」
「逆効果って、まさか、相羽君、あれで私の気を引こうとしてたの?」
「気を引こうというのは言いすぎになるかもしれない。僕のこと、完全に忘れてたでし
ょ、あの頃の純子ちゃん」
「そ、それはまあ、しょうがないじゃない」
「もちろん僕だって、確信はなかった。だからこそ、直接言って確かめるなんてできな
くて。とにかく君の意識を僕に向けさせたくて、色々やったんだ。何度も顔を見れば、
何か思い出すんじゃないかと期待して」
「色々? 他にも何かあった?」
「それは純子ちゃんが気が付いてないだけで」
「何があったかしら……」
「まあいいじゃない。今はもう関係ないこと」
「気になる」
「じゃあ、今度は僕が聞くよ。今では関係ないことだけどね」
「何? 私にはやましいところはありませんから」
「やましいって……ま、いいや。思い出したくないかもしれないけど、これは舞台裏、
楽屋の話ってことで敢えて。香村のこと、どこまで信じてたの?」
「え? 香村……カムリンのこと?」
「うん。他に誰がいるのって話になる」
「若手の中では一番の人気を誇ったアイドルで、今は海外修行中の香村倫?」
「だいたいその通りだけど、下の名前は確か綸のはず。ていうか、どうしてそんな説明
的な台詞なのさ」
「長い間登場していないから、知らない読者や忘れた読者も大勢いるだろうと思って」
「まるで再登場して欲しいかのような言い種だね」
「悪い冗談! もう会いたくない!」
「そういえば、カムリンの話題すら作中に全く出ないのは、ちょっと不自然な気がしな
いでもないな。不祥事そのものは伏せられたままなんだから、世間的な人気はほぼ保っ
たまま、海外に渡ったことになる。修行のニュースが時折、日本に届くもんだよね」
「そこはやっぱり、情報として入って来てるけど、わざわざ書くほどでもないってこと
でしょ」
「それにしたって、いつまでも海外にいること自体、おかしくなってくるかも」
「香村君の話は、あんまりしたくないな」
「やっぱり、信じていたのを裏切られて、嫌な印象が強い?」
「だって、証拠まで用意されてたんだもの。それに、最初は、あのときの男の子が有名
芸能人だったなんて、夢みたいな成り行きだったから、ちょっとはその、ときめくって
いうか……そうなっていた自分を思い出すのが嫌」
「ふうん」
「で、でも、ほんとに最初の最初だけよ。親しくなるにつれて、何か違うっていう思い
が段々強くなって。その辺りのことは、あなたにも言った記憶があるけれども?」
「うん、聞きました。あいつが芸能人で、母さん達とも仕事のつながりがあったから、
僕もどうにか我慢していたけれども、そうじゃなかったら何をしていたか分からないか
も」
「怖いこと言わないで」
「もちろん、冗談だよ」
「もう、意地が悪い……」
「意地悪ついでにもう一つ、仮の質問を。香村が正攻法でアプローチしてきたとした
ら、君はどう反応するつもりだったんだろう?」
「全然、意地悪な質問じゃないわ。問題にならない」
「ほー、何だか自信ありげというか、堂々としているというか」
「私は一時的に、香村君が琥珀の男の子だと思っていた。けれども、香村君を好きには
ならなかった。これで充分じゃない?」
「……充分。ただ、新しく質問を思い付いた。僕が琥珀の男の子ではなかったら?」
「相羽君、あなたねえ、今までの『そばいる』シリーズの紆余曲折を読んできたなら―
―」
「読んではいない、読んでは」
「あ、そっか。でも――分かってるはず。私はあなたを琥珀の男の子だから好きになっ
たんじゃないって」
「もちろん、分かってるよ」
「じゃ、じゃあ、何よ、さっきの質問は? 私に恥ずかしい台詞を言わせたかったの
?」
「違う違う。質問の意図を全部言う前に、君が答え始めちゃったからさ」
「意図? どんな」
「僕が琥珀の男の子ではなく、あとになって格好よく成長した琥珀の男の子が目の前に
現れたとしたら、っていう仮定の質問をしたかったんだ」
「ああ、そういう……。それでも、ほとんど意味がないと思う」
「どうして?」
「琥珀の男の子は、相羽君だもの。大きくなった姿を想像しても、やっぱり相羽君。あ
なた二人を比べるようなものよ」
「それもそうだね。ううん、どう聞けばいいのかな。具体的に別人を思い描いてもらう
には、……純子ちゃんが格好いいと思う周りの男性、たとえば、鷲宇さんとか星崎さ
ん?」
「あは、格好いいと思うけれど、それ以上に頼りにしている存在ね。あと、私の周りの
格好いい男性に、唐沢君は入らないのね? うふふ」
「唐沢だと生々しくなるから、嫌だ。とにかく、仮に星崎さんが琥珀の男の子だったと
したら? もっと言うと、星崎さんのような同級生がいて、しかも琥珀の男の子だった
ら」
「うん、ひょっとしたら、ぐらつくかも」
「え、ほんとに」
「相羽君がいない世界で、その星崎さんのそっくりさんが、私の前で相羽君と同じふる
まいをしたら、ね」
「それってつまり」
「どう転んでも、私が好きなのは相羽君、あなたですってこと。もう、全部言わせない
でよねっ」
「いたた。ごめんごめん。でも、よかった。嬉しい」
「いちゃいちゃしているところ、お邪魔するわよ、悪いけど」
「白沼さん!? どうしてここに」
白沼「面白そうなことをしているのが聞こえてきたから、私も混ぜてもらおうと思っ
て。問題ないでしょ?」
純子「かまわないけれど……面白そうというからには、白沼さんも何か仮定の質問が」
白沼「当然。後ろ向きな意味で過去を振り返るのは好きじゃないけれども、こういう思
考実験的な遊びは嫌いじゃないわ」
相羽「思考実験は大げさだよ」
白沼「いいから。聞きたいのは、相羽君、あなたによ。涼原さんは言いたいことがあっ
ても、しばらく口を挟まないでちょうだいね」
純子「そんなあ」
相羽「まあ、しょうがないよ。僕らだって、この場にいない人達を話題にしていたんだ
し。それで、白沼さんの質問て?」
白沼「仮に涼原さんがいなかったとしたら、相羽君は私を選んでいた?」
相羽「……凄くストレートな設定だね。答えないとだめかな」
白沼「できれば答えてほしいわ。私、打たれ強いから、つれなくされても平気よ。色ん
な架空の設定を、今も考え付いているところだから、その内、色よい返事をしてくれる
と思ってる」
純子「まさか白沼さん、相羽君がイエスって答えるまで、質問するつもり?」
白沼「何その、げんなりした顔」
純子「だって……時間がかかりそう……」
白沼「何だかとっても失礼なことを、上から目線で言われた気がしたわ」
純子「そんなつもりは全然ない。ただ、白沼さんがさっきまで見てたのなら、その、相
羽君の気持ちが改めて固まったというか、そういう雰囲気を目の当たりにしたんじゃな
いかと思って」
白沼「愛の絆の強さを確かめ合ったと、自分で言うのは恥ずかしいわけね」
純子「わー!!」
相羽「白沼さん、もうその辺で……。昔の君に比べたら、今の君の方がずっといいと感
じている、これじゃだめかな」
白沼「だーめ、全然。……けれど、ここで昔の超意地悪な白沼絵里佳に戻っても仕方が
ないし。そうね、質問は一つだけにしてあげる。ただし、縁起でもない設定になるわ
よ。相羽君のためを思ってのことだから、勘弁してね」
相羽「ぼんやりと想像が付いた気がする」
白沼「さあ、どうかしら。あ、いっそ、二人に聞くわ。もし仮に、相手に先立たれたと
して、あなたは他の人を好きになれる? どう?」
純子「……」
相羽「……」
白沼「あら? 答は聞かせてくれないの?」
相羽「その設定は、さすがに重たすぎるよ。第一、付き合い始めてまだそれほど時間が
経っていないのに、そんな相手がいなくなる状況なんて……」
白沼「考えられない? 相羽君が言える立場なのかしら。生き死にではないけれど、い
ずれりゅ――」
相羽「待った! そ、そのことはまだ本編でも触れたばかりで、登場人物のほとんどに
行き渡っていない! ていうか、白沼さんだって知らないはずだろ!」
純子「何の話?」
白沼「あなたは知らなくていいのよ。今後のお楽しみ。――相羽君、本編の私は知らな
いけれども、今ここにいる私は、ちらっと原稿を見てしまったということになってる
の」
相羽「ややこしい。設定がメタレベルになるだけでもややこしいのに、本編と楽屋を一
緒くたにすると、収拾が付かなくなるぞ」
白沼「じゃあ、やめておきましょう」
相羽「随分あっさりしてる。その方が助かるけど」
白沼「一回貸しということにしてね」
相羽「うう、本編では無理だから、楽屋トークの機会が将来またあれば、そのときに借
りを返すよ」
白沼「それでかまわない。じゃ、短い間だったけれども、これでお暇するわ。次の人が
待っているし」
相羽「次の人って」
白沼「さっき言ったように、原稿をちらっと見たついでに、アイディアのメモ書きも見
たのよ。その中に、使えなかった分が少しあって、それをこの場を借りて実行しようと
いう流れにあるみたいよ」
相羽「いまいち、飲み込めなんだけど」
白沼「あ、ほら、涼原さんの方に」
相羽「――清水?」
清水「よう、久しぶり。でも悪いな、今俺が用事があるのは、涼原だけだから」
純子「野球、がんばってるんでしょうね? こんなところにのこのこ登場するくらいな
ら」
清水「まあな。で、没ネタというか、タイミングが悪くて使えなかったエピソードを、
今やるぞ」
純子「待って。あなたが関係するエピソードということは、中学生か小学生のときにな
るわよね」
清水「小学生だってさ」
純子「嫌な予感しかしない……」
清水「番外編で使われるよりはましだと思って、覚悟を決めろ。――涼原〜、もうス
カートめくりとか意地悪しないって誓うから、一個だけ俺の言うこと聞いて」
相羽「清水。確認だが、今の台詞は、小学生のおまえが言ってるんだよな?」
清水「お、おう」
相羽「自らのリスクの高い没ネタの蔵出しだな」
清水「いいんだよっ。さあ、涼原はうんと言っとけ」
純子「だから、嫌な予感しかしないんですけど!」
清水「大丈夫だって。スケベなことではないのは保障する」
純子「……分かった。早く終わらせたいから、OKってことにする」
清水「よし。じゃあ、こうやって両手の人差し指を、自分の口のそれぞれ端に入れて、
横に引っ張れ」
純子「ええ? 何で?」
清水「えっと、顔面の美容体操ってことで。嘘だけど」
純子「嘘と分かってて、こんな……相羽君、見ないでよ」
相羽「了解しました」
清水「俺も別に見る必要はないんだが、一応、当事者ってことで」
純子「(指を一旦離して)早くして!」
清水「ああ。指を入れて引っ張ったまま、自己紹介をしてくれ。フルネームで」
純子「名前を言えば終わるのね? (再び指を入れ、口を横に引っ張る)わらしのなま
えは、すずはらうん――」
清水「最後の『こ』まで言えよ〜。――痛っ! わ、やめろ。暴力反対! ええ、白沼
さんまで何で加勢するのさ?」
相羽「滅茶苦茶古典的ないたずらだな。すっかり、記憶の彼方になってたよ。とにもか
くにも、オチは付いたかな」

――おわり(つづく?)




#452/470 ●短編
★タイトル (sab     )  18/07/13  17:59  ( 58)
「催眠」(という短編の目論見書) 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
相田洋子(入院患者)。20歳。見た感じは美少女。性格は大らか。
加藤綾子(入院患者)。25歳。見た感じは頬骨が出ていて口がでかい。
性格はヒステリー。
小原琴子(入院患者)。20歳。見た感じはモンチッチ。性格は大人しい。
佐伯(精神科医)。38歳。独身。見た感じは丹精なしょうゆ顔。性格は
理性的。
福田(心理療法士)。40歳。見た感じは色白で浮腫んでいる。性格は陰
険。いじけ虫。
住田麗華(院長の娘)。24歳。研修医。見た感じはお嬢さん。性格はお
高くとまっている感じ。

【舞台&状況設定】
 琴子らが入院しているのは、鎌倉の丘の上にある「丘の上病院」という
精神病院。
 ここでは森田精神療法(頭にある不安はそのまま受け入れて、身体で行
動をするという精神療法)の考えを元にしたリクレーション療法(サイク
リングや薪割りなど)が行われいる。
 リクレーション療法の担当は心理療法士の福田。
 医師は院長(出てこない)と佐伯医師がいる。
 病院の隣には山小屋風の院長宅がある。ここのベランダで院長の娘が大
学の友達を呼んでBBQをやる。

【おおまかなストーリー】
 洋子は綾子、琴子らと病院のリクレーション療法でサイクリングをして
いた。自転車を漕ぐ反復運動により心頭を滅却して対人恐怖症やらの不安
を頭から霧散させるのだった。
 しかし自転車を漕ぐとサドルに股間がギュッ、ギュッとこすれて、その
感覚も反復される。それが前を走る心理療法士の方から漂ってくるコロン
の香りと結びついた。
 病院に帰って更衣室で着替えていると心理療法士が現れた。さっきのコ
ロンの香りがした。洋子は突然股間が疼きだし、思わず脱いでしまった。
そして心理療法士にやられてしまう。
 綾子は、これは催眠に引っかかったのだ、と言う。しかし、そんな催眠
(リクレーション療法)を受け入れてしまったのは、その前段として精神
科医への転移(洗脳)があるからだ、と言う。
 綾子も精神科医の佐伯へ転移を起こしていた。佐伯と一緒に居る時に神
経症の発作を起こし、脳内がぐるぐるぐるーっとして佐伯に転移を起こし
た。(サイクリングの反復運動とコロンの香りの様に)。
 あと、知的な会話をしたり、身体的な接触もあって、佐伯に恋愛感情を
抱いたのだった。
 ところがここに院長の娘が割り込んでくる。院長の娘は私立大学の研修
医だが、その大学に入学するには寄付金2000万円が要るという。又病
院の待合室にはその娘の読んだらしき『モノ・マガジン』やらカー雑誌な
どがあり、自分らの入院で儲けた金で放蕩しているのだ、と感じる。
 殺さなければならない、と綾子は思う。
 綾子は、洋子と琴子を使って院長の娘の殺害を計画する。
 リクレーション療法には薪割りもあった。薪割りという反復運動を琴子
がやっている時に、キンモクセイの香りが鼻に付く様にしておく。それか
ら洋子を使って、院長の娘にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。
そして、琴子に「院長宅のベランダで行われるBBQの為に薪を運んでお
け」と命じる。
 琴子が院長宅に薪を運んでいくと、院長の娘がキンモクセイの花束を持っ
て現れた。琴子はその香りに反応して、自動的に鉈を振り上げると、院長
娘の眉間に数回振り下ろした。
 病院が用意した催眠で院長の娘を殺してやった、と、綾子は、きゃはは
ははとヒステリックに高笑いする。





#453/470 ●短編    *** コメント #452 ***
★タイトル (sab     )  18/07/21  13:52  ( 96)
「催眠」(という短編の目論見書)改 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
萩原茉宙(まひろ)。17歳。仏教系高校2年生。見た感じは清楚。性格は真面目。
萩原銀雅(祖父)。85歳。
萩原志穂(祖母)。82歳。
萩原星矢(父)。54歳。性格は権威に弱い。
萩原八重(母)。50歳。性格は権威に弱い。
萩原宇海(うみ)(兄)。18歳。工業高校3年生。
萩原恒(ちか)(妹)。15歳。中学3年生。見た感じは可愛い。性格は大人しい。
飯田春彦。18歳。仏教系高校3年。家は真言宗のお寺。見た感じは端正。性格は知
性的。
塚本啓子。17歳。仏教系高校2年。
苫小牧光。40歳。謎のカルト集団X総裁。
林秀樹。50歳。カルト集団Xの入門者。

【舞台&状況設定】
 萩原茉宙(まひろ)は東京都下の仏教系高校に通う女子高生。家も東京都下にある。
 兄が交通事故にあうが、搬送先の病院も東京都下にあった。
 その後、萩原一家は謎のカルト集団Xと関わることになるが、その集団の道場、本
部も東京都下にある。

【おおまかなストーリー】
@私(萩原茉宙)の父母は権威に弱く、きらびやかなものが好き。父は芥川賞全集が
好き。母は華道茶道が好き。
 私は仏教系の高校に通っているが、先輩の飯田春彦(家が真言宗のお寺)は「そう
いう人は洗脳、催眠にかかりやすい」と言った。
A兄(宇海)が交通事故で脳死状態になった。
 病院で移植コーディネーターに「息子さんの臓器は灰になるかレシピエントの体の
中で生き残るか二つに一つですよ」と言われる。父母はドナーになることを選んだ。
 兄が亡くなったショックで祖母も倒れる。末期がんだった。医者は「死ぬか高度先
進医療をやるかのどちらかですよ」と言う。父母は後者を選択した。その甲斐もなく
祖母は他界する。
 葬式の後、墓石屋に「墓を建てて納骨しなければ魂は安らかではありませんよ」と
言われて、父母はその通りにする。
 こうやって人の言いなりになるのも催眠ではないかと私は思う。
 その後、この墓石屋の紹介でXという集団のメンバーが家にやってきた。「家相が
悪いから改築しないとダメだ」、「父母には悪い霊がついている」だの言う。そして
父母はXの運営する道場に通う様になった。
Bここで私はこのXをカルト集団とみなし対決しようと決意する。
 まず敵陣視察をする。Xの道場はプレハブの建屋、メンバーは派手な色の衣服を着
ていては怪しい雰囲気が漂っていた。
C又、父母は何故騙されやるいのだろうか、とも考える。どうも母はドロドロしたも
の(祖父母の介護など)に疲れてキラキラしたものを求めたのではないか。それでX
に絡め取られたのではないか。
 しかし、実際にはどうやってXが父母を絡め取ったのかは分からなかった。
D同級生塚本啓子に言われて、先輩の飯田春彦に相談することにした。
 飯田は洗脳、催眠に詳しかった。お寺の檀家獲得の為に洗脳、催眠を使っていると
いう。
 飯田は、Xは催眠を仕掛けてきている、という。
 催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意識)に働きか
けて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて動きを奪う事
も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠の組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させ、同時に漕ぐ運動で股間
を刺激し、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコロンを嗅が
せた時に欲情させることが出来るという。
 そして私は先輩に催眠の実際を習った。
E私はクラスメートを実験台にして催眠の練習をした。又、出会い系で誘い出した男
を練習台に練習した。やがて完全に催眠術をマスターした。
Fそして私はXの道場に乗り込んでいった。
 父母は太極拳、気功、薪割りなどをやらされていた。
 私は、あの薪割りの反復運動で古い脳を活性化させ、傍に植わっているキンモクセ
イの香りで潜在意識を刺激しておく、という催眠を父にかけた。そしてXのメンバー
にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。父は、メンバーのところに薪を運んで
いくとキンモクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに私は催眠を
解く。これを見たXのメンバーは、私の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、私は父母を連れ戻す事に成功する。又、飯田先輩にお願いして、
父母の脱洗脳もしてもらう。これで平和が戻ったと安堵したのだった。
Gところが、父母、妹と飯田先輩が歩いていたら、黒いワンボックスカーが迫ってき
て、Xのメンバー数名が下りてきて、その場で催眠をかけて、拉致していってしまう。
 実はこの拉致を手引きしたのは塚本啓子だった。彼女もXのメンバーだったのだ。
 啓子が連絡をしてきた。「Xでやっているのは、肛門の括約筋や前立腺を弛緩させ
て、そこから古い脳にアクセスして色々な回路を作るという催眠だ。男には催眠をか
け、女は施術者になる。一人前の催眠術師になると、アナル系風俗の援交をしてXの
活動資金を稼ぐ」。
Hあの可愛い妹がそんな事をさせられるなんて信じられない。又、家の扉に「スカト
ロ一家、肛門性愛家族」などと落書きされたり、学校でもバラされて、私は居場所を
失う。
Iここに至り、私は対決するしかないと考えた。塚本啓子が「今だったらお前もXに
入れる。今を逃すと永久に家族にも会えない」と言ってきた。
 私は、Xの本部に乗り込んでいった。
 そこで会ったXの総裁苫小牧は、ニューハーフの様な人だった。
 彼女は言う。「アナルから古い脳(潜在意識)にアクセスして、新しい脳にあるき
らびやかなものを求める野心を沈静化しているのだ。これは救済だ」。
 本部内の獄につながれている先輩にも会った。「苫小牧の言っていることは嘘だ。
真言密教では、新しい脳も、そして古い脳も滅却するのだ」という。
 私はとにかく父母、妹と先輩を助けないとと思う。
J私も、催眠術師になるべく、Xの訓練を受けだした。
 私が練習用にあてがわれた男(林秀樹)も、きらびやかなものを求める様な男だっ
た。
 私は、林のアナルへの出し入れという反復運動により古い脳を活性化させておいて、
同時に私の首を締めさせ、同時にお香のニオイで潜在意識を刺激する、という催眠を
かけておいた。
Kいよいよ対決の時。私は苫小牧の見ている前で林に施術する。苫小牧は「そんな催
眠ではダメだ」と言い、自分が催眠を開始する。だんだん林が興奮してきた時に、私
は香を焚いた。林はその香りに反応して苫小牧の首を締めるのであった。
L苫小牧の死後、警察も駆けつけて、一件落着する。




#454/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/07/28  21:51  (330)
ペストールを拾ったら   永山
★内容                                         18/07/30 17:53 修正 第2版
 拳銃を拾った日、レイプされそうになった。
 あるいは、逆。
 レイプされそうになった日、拳銃を拾った。
 どちらでもいいのかもしれない。結果は変わらないのだから。
 その日、私は初めて拳銃を拾い、初めてレイプされそうになり、初めて拳銃を撃ち、
初めて人を殺した。

 線路の下を通るコンクリートのトンネル、その入口に差し掛かったときだった。
 遅くなった学校帰り。内緒の買い物があって、少し遠回りをしたため、さらに遅くな
った。とっくに日が暮れ、辺りは暗い。
 尾けてくる足音に全然気付かなかった私。不覚、不注意。もしかすると、拾ったばか
りの拳銃に気持ちをかき乱されていたせいかもしれない。
 電車が上を走った。長い長い、貨物列車。
 それを待っていたかのように、男は灰色のロングコートを翻して襲いかかってきた。
左側の壁まで突き飛ばされ、振り返ったところをのしかかられ、右手首を強く鷲掴みに
された。痛みを感じる。地面に散らばる小石が身体のあちこちを突き上げてくる。学生
鞄は、遠くまで滑ってしまっていた。
 悲鳴を立て続けに上げたはずだが、誰も来てくれなかった。
 身動きの取れなくなった私に、男は刃物を突きつけた。騒いだら殺す、ぐらいのこと
を言ったかもしれない。列車の轟音でしかとは聞き取れなかったし、よく覚えていな
い。
 自身に降り懸かった事態を理解できないでいる私の口に、何か詰め物がなされた。声
を出せなくなる。計ったかのように、電車が過ぎた去った。
 制服の胸元に手を掛けた男。乱暴に破り取るような真似はせず、ボタンを一つずつ、
上から順番に外し始めた。
 急速に冷静になれた。状況を把握すると、逃げなくてはという当然の意識が起こっ
た。そして、逃げるにはまず、この男を身体の上から追い払わなければならないと考え
た。
 男は私があきらめ、無抵抗になったと決め付けたのか、私の両手を自由にしたままだ
った。
 私の左手が、スカートのポケットに触れる。さっき、拾った拳銃を無理矢理押し込ん
だ場所。あとになって考えると、乱暴された弾みによく暴発しなかったものねと感心し
てしまう。引金さえ引けば、連続して弾を撃てる状態になっていた。
 不思議と冷静だった。銃を持つ強みとは全然違う気がする。ただ、逃げるという意識
が薄まり、代わってこの男に罰を与えたい欲求が半ば義務化し、どんどん広がる。
 電車が再びやって来た。遠くからの轟音と振動で分かる。さっきのが下りだとした
ら、今度は上り。私は拳銃をポケットから引き抜き、気付かれないように男の脇腹辺り
に銃口を宛った。
 電車が真上を通過する。
 引金を引いた。連射式だなんて知らなかったが、私は立て続けに引金を引いた。数え
なかったけれども、三発は撃ったと思う。
 男の身体が湿気った安物布団みたいに覆い被さってきた。生命をなくした証だろう
か、ずしりと重い。撃つのをやめた私は、その汚らわしい物体の下からずるずると這い
出た。血が男から溢れ出る。私は口の中の詰め物を引き抜き、それが何であるかを確か
めることもせず、男に投げつけようとした。だが、思いとどまり、それを広げた。厚手
のハンカチと知れる。拳銃全体を拭ってからくるみ、布の端同士を結ぶ。どうしようと
いう考えは全くなかった。指紋を消しておきたかっただけ。
 誰も来ない。発砲した音もまた、誰にも聞こえなかったらしい。近辺に人家がないの
だから、それも仕方のないことか。
 衣服の乱れを直した私は学生鞄のところまで走ると、それを拾い上げた。トンネルを
抜け、空の下に出る。外灯に白々と照らされたサークルに入ると、ボタンを填め直しな
がら、身体や服の具合を見た。奇跡的にも、返り血は一切付着していない。服は上下と
も無事だ。砂粒一つ付いていない。怪我の方は、右手首にうっすらとした痣。擦り傷の
有無は分からなかった。刃物の先が、頬に触れたような気がしたのだが、どうやら気の
せいらしく、ほっぺたはきれいなままだった。
 しばらく逡巡してから、ハンカチでくるんだ拳銃を鞄に仕舞う。拳銃の持ち主を殺人
犯に仕立てるからには、この場に凶器を置いて行くのはよくない気がする。離れたどこ
かの川か池に捨てるのが、一番ありそうだと思った。
 だが、川まで捨てに行く気力が、このときはなかった。それどころか、歩くとか、深
呼吸をする、靴下を引っ張り上げるといった簡単なことさえ、実行するのに大変な努力
を要する有様。拳銃の処分は明日に延ばすと決定した。
 電車が来ないのを見計らい、足早に去る。無我夢中で、起きたことを神経がまだ消化
し切れていない。おかげで依然として冷静に振る舞えた。その代わり、何をするのにも
いつもに倍する疲労感を伴う。
 明かりの点いていない自宅に帰り着いてから、左手首にも痛みがあることに気が付い
た。無理な姿勢で拳銃を撃ったせいだろうか。そもそも、知識も何もないまま初めて発
砲したのだから、手首を痛めるくらい当たり前かもしれない。
 半日着ていた衣服一切合切をすぐ洗濯する。制服でなければ、切り刻んで捨ててしま
いたい。次いで、シャワーを浴びた。猛スピードで肉体が蘇っていくようだ。歯車が噛
み合ったような感覚があって、自分の動作にも普段の自然さが戻った気がする。精神の
方は、もうしばらく興奮状態にあるらしくて、がたがた震え出すようなことはなかっ
た。
 着替えたあと、遅くに帰ってくる親のために風呂を沸かした。
 テレビのニュースを見ながら独りの食事。何を食べても、味があまり伝わってこな
い。私が起こした事件のことは何も言わないまま、ニュースは終わった。きっとまだ発
覚していないのだ。
 明日は早起きしなければ。いつもの通学路を遠回りして銃を捨ててから、学校に行こ
う。
 もちろん、誰に話すつもりもない。

 目覚めると、肩にひどい痛みを覚えた。思わず呻いてしまいそうなほどだったが、表
に出すと、両親が気にする。上手に説明できる自信がないから、隠さねば。腕を回した
り伸ばしたりすることで、無理矢理にでも痛みに慣れる。十分近く寝床でもぞもぞと過
ごし、漸く起き出せた。
 あの男の死は夜遅くのニュースでも、朝刊でも、そして今見ている朝のニュースで
も、報じられなかった。おかしい。ただでさえ乏しかった食欲は、完全になくなってし
まった。母親に不審がられないよう、サラダのレタスとオレンジジュースだけは口にし
たが、味は分からなかった。
 日直なのと嘘をつき、普段より四十五分早く家を出た。昨夜の決心に従うなら、銃を
捨てに行くところだけれども、事件がニュースにならないという異変を目の当たりにし
て、警戒心が働いた。軽々に銃を捨てるのはまずい気がする。先に、あの現場に行って
みる。全てはそれから。
 線路下の薄暗い通路に、変わったところは見られなかった。歩行者達は、特段騒ぎ立
てる様子もなく出入りし、平然としてそれぞれの目的地に向かう。その上を、電車が朝
から頻繁に行き来していた。日常的な風景が展開される。
 訝る心を抑え、通路を進む。すぐに視界に飛び込んでくるはずの死体は、どこにも見
当たらなかった。できたはずの血溜まりもない。
 私はその場で立ちすくみ、考え込んでしまいそうだった。だが、ここに長居してい
て、果たして吉なのか。早々に立ち去る方がよさそう。いや、よいに違いない。いつも
の通学路の途上だから、この早い時刻でも、顔見知りが通りかかることは充分に考えら
れる。自分では平静を装ったつもりでいても、他人の目には挙動不審に映りかねない。
 ソックスを直すふりをしてしゃがみ、地面を見る。血を拭い取った痕跡ぐらい見つか
るはずと期待したのだけれど、認められない。一瞬、場所を間違えたのかと、自らの記
憶すら疑ったが、それもあり得ないこと。
 現実的に考えられるのは……ちょっと思い付かない。夢か幻とでも解釈しないと、理
解不能。だけど、手に残る銃の感触が、手首や肩の疼きが否定する。夢や幻とは絶対に
異なる。
 記憶と現在との折り合いはうまく行かないが、当面のお荷物を処分するかどうかは、
早く決断を下さないといけない。銃を捨てる捨てない、どちらを選ぶべきなのか。
 事件が表面化していないのをいいことに、警察に届けるのはどうだろう。拾った場所
と時間帯だけ正直に伝え、あとは嘘で塗り固めた説明をすれば、何も疑われずに済むの
では……?
 だめだ。もう一人の自分が真っ向から拒絶。
 レイププラス殺人体験という突発事に上積みして、死体が消えてなくなったという異
常事態。何か裏がある気がする。論理的に説明できないけれども、強いて言い表すとす
れば……人工的な非日常感。
 私は不意に思い付き、この場所を携帯電話で写真に収めた。どこか分からないが、こ
の場所にも何らかの手が加えられた気がしてならない。無論、死体が消えているのが一
番大きな変化だが、それ以外にも細々とした何かが。

 学校に到着した。普段より少し早い時間。
 下足箱をざっと見渡して、少なくともクラスメイトはまだ誰も来ていないことを確か
める。
 靴を履き替えようとしつつ、迷っていた。教室に入って、一人でこの奇妙な出来事に
ついて推測を巡らせるか。それとも、事の発端を担った拳銃について考えるべきか。
 後者を選んだ。靴を履き替えるのを中止し、外に向かう。拳銃を拾ったのは校内、中
庭の片隅にある溝の奥だった。そこへ行ってみる。警戒を怠らずに。
 拳銃は落ちていたのではなく、隠されていたとするのが多分正しい。不透明なビニー
ルにくるまれ、ガムテープで留められ、側溝の蓋で隠れるように押し込まれていた。そ
んな状態の物を見付けたのは、私が歴史の丸尾先生から命じられた掃除を渋々と独り、
やったせい。見付けたあと、誰かに知らせようとか警察に届けようとか考えなかったの
は何故だろう。その時点では本物の銃とは思いもしなかったのかもしれない。あるいは
……殺したい人間がいるせいかもしれなかった。
 そんな訳だから、溝を見に行くと言っても、あまり近付いてしげしげと観察するのは
避ける。隠した主と鉢合わせする恐れや、既に拳銃が消えたことに気付いた持ち主が、
見張っている可能性もある。何故、あんなところに拳銃があったのかはこの際、考えな
いでおく。深夜、警察に追われた犯罪者か何かが校内に一時的に逃げ込み、銃を隠した
あと、また逃げたとか、そんなところじゃないか。うちの学校は警備が緩く、防犯カメ
ラも三箇所ある門を写しているに過ぎない。
 くだんの溝の周辺は、昨日立ち去ったときと変わっていなかった。少なくとも見た目
は一緒。拳銃がなくなったこと自体、知られていない可能性が高い。
 言うまでもないが、あそこを掃除する私の姿を、拳銃の持ち主が万が一にも見ていた
としたら話は違ってくる。ただ、その場合、持ち主は学校関係者であることになるだろ
う。だとしたら、拳銃のあるなしにかかわらず、拳銃の存在に気付いたかどうかを確か
めようと、一刻も早い私への接触を図っているはず。今になってもそれがないのは、こ
の推測は恐らく外れということ。先生が私に掃除を命じた事実が、拳銃の持ち主の耳に
入らない限り、安泰と言える。
 散策を装った観察を切り上げ、教室に向かうことにした。

           *            *

 丸尾一正は極力、意識しないように努めた。閉じられた窓ガラス越しとは言え、一生
徒をじっと見つめているところを第三者に気付かれでもしたら、余計なさざ波を立てて
しまいかねない。
 しかしながら、目線を外したあとも、気になりはする。何をしに戻って来たんだろ
う、と。

 丸尾は教師ながら、困った癖が二つあった。その一つが、無類のギャンブル好きであ
る。賭け事に強いならまだましかもしれないが、よくてとんとん、大抵はマイナスとい
う成績では、借金が膨らむ。給料日毎にまとめて返していたが、それも徐々に厳しくな
り、今では貯金を切り崩す有様だった。
 独身で、結婚を意識するような相手もいないからやっていけるが、周りからはいつま
でも若くはないんだしそろそろ身を固めてはどうかと縁談を持ち掛けら始めた。中には
本当に良い話があり、心動かされるものがある。結婚を考えると、ギャンブル癖は断ち
切っておくべきだし、借金もきれいにしておくべきだと分かっていた。
 そんな決心が固まるか固まらないかのタイミングで、丸尾は大負けを喫した。これま
でとは一桁違う負けで、おいそれと借りられる額でない。一気に追い込まれた丸尾に、
ギャンブル相手の男が持ち掛けてきた。
「高額のバイトをしてみる気はあるか?」
 話を聞いて危ないと感じたら断ればいい、なんて軽い気持ちにはなれなかった。相手
はいわゆる暴力団関係者で、危ない話を聞くだけ聞いてはいさよならとはならないこと
くらい、容易に想像が付いた。
 なのに聞く気になったのは、やはり負けの大きさ故だったかもしれない。
 話を聞く前に、何かの運び屋をやらされるんじゃないかと漠然と想像していた丸尾だ
ったが、男が持ち掛けてきたのはそういった密輸の類ではなかった。
 足の付かない武器を用意してやるから、板木なる男を殺せというもの。板木は同じ組
の構成員で、組織を抜けたがっているが、ある重要な機密を握っているため、組として
は認める訳に行かない。始末するのが手っ取り早いが、単に殺すと組全体が警察から疑
いを向けられるのは目に見えている。それならいっそ、無関係の堅気にやらせるのがよ
かろうという算段だった。
 聞いた直後にこれはいよいよまずいぞと逃げ出したくなった丸尾だが、そうも行か
ぬ。より詳しい話を聞かされる内に、ひょっとしたらやれるかもしれない、と考え出し
た。それも自分の手を極力汚さずに。
 組織を通じて、板木に「組を辞めるには最後の仕事をしろ」と条件を提示してもら
う。具体的には、「抜けたあとも好き勝手なことを吹聴されてはたまらん。ついては、
おまえが汚れ仕事をやっていたことを記録に残す。アダルト物の男優役をやれ」と。そ
の組織はかねてからアダルトソフトの製作に噛んでいるので、不自然ではない。板木が
どう受け止めるかは分からないが、肉体的に痛めつけられるよりはよい条件だと捉える
だろう。板木が条件を飲んだなら、撮影と称してより細かな指示を出す。
 当初、丸尾が組織に提案したのは、拳銃自殺の台本を書き、実際に弾が出る銃と撮影
用の銃をこっそり入れ替えておくというものだったが、却下された。撮影らしく板木に
思わせるには、それだけ人数が必要となる。構成員達を偽の撮影に駆り出すと、アリバ
イが確保できない。結局、警察に疑われる。つまるところ、やるんなら丸尾一人でやれ
ということだ。
 そこで丸尾が捻り出した別の案には、組織も承知し、ゴーサインをくれた。丸尾の考
えた筋書きは、板木が女学生を襲って強姦するというもの。リアリティを出す名目で、
野外で演じるのをハンディカメラ一つで撮ると伝えることで、板木の不信感を封じる。
撮影の折、第三者に見られたら面倒だと、板木は不安を覚えるかもしれない。それに対
しては、人が通り掛かっても中止はしない。すぐに立ち去れるよう、車を用意しておく
からと言い含める。これで準備の半分が終わり。
 残りの半分は、殺す側の準備だった。丸尾は、襲われる役の女性に板木を殺させるこ
とを考えていた。一般論として、女が男を一対一、通常の状態で殺すのは困難を伴うで
あろう。だが、丸尾には勝算があった。組織の用意する足の付かない凶器が拳銃だと聞
いたからこそ、この計画を思い付いたと言える。そう、女には拳銃を持たせておく。
 だが、女は組織が用意する女優ではないし、丸尾にもこんな役を引き受ける相手に心
当たりはない。丸尾はだから、教え子を利用することにした。事情を話してやらせるの
ではなく、自然な形で仕向けるように。
 丸尾の頭には、明確な候補がいた。
 彼の二つある悪癖の内、ギャンブル狂いとは別のもう一つは、若い女好きであること
だった。より厳密に言い表すのであれば、若い女も好き、となる。普段はその嗜好を隠
し、これなら大丈夫と判定できる対象を見付けたら、密やかに行動を起こす。成功率百
パーセントではもちろんない。失敗も多々あるが、そのときはそのときでうまく冗談に
昇華してごまかす術を、丸尾は身に付けていた。
 そんな、倫理観を著しく欠いた教師が現在進行形で付き合っている女生徒が一人お
り、名前を筒寺萌音という。頭はいいが、努力してトップを取ろうという向上心は乏し
い。それでも学業は優秀な方。そして、ちょっと悪いことに憧れのある性格(性格では
なく、そういう年頃なだけかもしれないが)。冗談で缶ビールを勧める素振りを見せる
と、特に躊躇や逡巡もなく、手を伸ばそうとした。テストの採点で、間違っている箇所
をわざと正解にしてあげた上で、授業で詳しく解説したのに、言って来なかったことも
あった。
 隠れて付き合うようになってから、丸尾はますます筒寺を理解できたと確信した。彼
女は怪我人や遭難者を見掛けても、自ら救助に乗り出して責任を背負い込もうとはしな
い。傍観者か、せいぜいサポート役。また、大金を拾ったとしても、素直に警察に届け
ることはまずない。密かに運べる物なら持ち帰る。無理なら放っておくか、ばれないの
であればいくらか抜くかもしれない。
 そこで丸尾は思い切って、彼女に拳銃を見付けさせる段取りを整えた。校内大掃除の
日に行き届かなかった箇所があるとして、中庭奥の溝掃除を彼女一人に命じる。前もっ
て隠しておいた拳銃を、彼女は確実に見付ける。いくら丸尾が筒寺を理解したと確信し
ていても、彼女が銃を持ち去るかどうかは、賭けの要素が強くなる。いきなり警察に届
けるというのはないにせよ、丸尾に知らせてくるパーセンテージはそこそこ高いと考え
ねばならない。
 尤も、丸尾にとって、筒寺が拳銃を見付けたと報告に来ても、特段問題はない。うま
く処理して置くからとでも言って、拳銃を回収すれば事足りる。組織から命じられた殺
人は、丸尾自らが手を下さねばならなくなるが。
 そして――丸尾はこのギャンブルには勝った。筒寺が拳銃を黙って持ち帰ったのを、
陰から確認したときは、思わず小さくガッツポーズをした。が、喜んでばかりはいられ
ない。即座に板木に電話を入れ、撮影を行うからと呼び出す。場所や段取りはかねてよ
り伝えてあるので、用件は手短に済む。移動時間は何度か実験をして、充分に間に合う
と算盤をはじいた。
 最後の仕事について聞かされた当初の板木は、踏ん切りが付きかねた様子だったらし
いが、実際にやる直前に相対してみると、すっかり気持ちができあがっているように見
えた。
「自分がやる役の男は、あとで和漢だったと主張するような性格なんでしょう? だっ
たらハンカチか手ぬぐい、いや、いっそシートを準備していることにして、襲うときに
女の身体の下に敷くっていう演技はどうか」
 なんて提案してくるぐらいだった。丸尾がOKを出すと、板木は用意のいいことで、
透明なビニールシートをコートのポケットからちょいと覗かせてみせた。
 あとの流れは、丸尾にとってほぼ理想通りに進んだ。誰にも気付かれず、板木は筒寺
を襲い、銃で反撃を受けた。筒寺がどういう行動を取るのかも気掛かりの一つではあっ
たが、銃を持ったまま、自宅の方に駆けて行ったのを見て、丸尾はほっとした。警察に
駆け込む線は銃のことがあるからまず取らないだろうと踏んでいたが、丸尾に助言を求
めて電話をしてくるのはありそうで、もしそうなったら面倒だと考えていたからだ。
 人が通り掛からないのを確認した上で、丸尾は現場にそっと駆け寄った。板木の絶命
を見届けるつもりだった。が、丸尾はあまりに近付きすぎた。賭けに勝って、浮かれて
いたのかもしれない。
 虫の息の板木は、右手で丸尾のズボンの裾を握りしめてきたのだ。強く強く、破り取
らんばかりに。
 困惑と恐怖を覚えた丸尾は、空いているもう片方の足で、板木の手を踏み付け、蹴っ
た。何度か繰り返す内にやっと離れたが、気が付くとズボンの折り返しがほつれ、布地
の一部が千切れ、糸くずが飛んでいた。
 これはまずい。丸尾の背筋は寒くなった。
 板木は既に絶命したが、その右手は固く握りしめられている。その中に、丸尾のズボ
ンの切れ端が恐らく入っている。こじ開けて確かめ、取り除く必要があるのだが、目撃
される可能性を排除したい。そこで死体を車で運び、落ち着ける場所に移してから回収
を図る。幸運にも、板木の身体の下にはシートがあり、血は地面に散っていない。この
まま死体をくるめば、痕跡をほぼ残さずに車内に運べる。
 この予定変更は、警察の交通検問に注意を要するし、筒寺の動き任せの部分が若干大
きくなるが、大勢に影響はないと丸尾は判断した。ここまで彼にとって珍しいほどの大
勝で来ているのだから、どんな博打でも攻めの姿勢で行く心理状態になっていた。

 ふと視線を戻したときには、すでに筒寺の姿は見えなくなっていた。
 大方、誰が銃を隠したのか気になって、元の場所を見に来たのだろう。丸尾はそう解
釈した。
 結果から言うと、丸尾は賭けに最後まで勝ち続けた。遺体を車で運ぶのを誰にも見咎
められなかったし、板木の手から布の回収もうまく行った。つい今し方、ラジオのニ
ュースで死体が川縁で発見されたと報じられたから、組織の連中も働きを認めてくれる
だろう。晴れて、今までのギャンブルの負けはチャラになる。
 最後の一仕事として、拳銃の回収を求められているが、これは飽くまでできることな
ら、という但し書き付き。組織としては、足の付かない拳銃とは言え、一度殺人に使用
した物をわざわざ回収して後生大事に保管しておいても危ないだけ。どこぞで処分して
くれた方が手間が掛からんといったところか。
 などと考えていた丸尾の前に、いつの間にか女生徒がやって来た。筒寺が口を開く。
「先生、これ、提出し忘れてたプリントです」
 言いながら彼女が手渡してきたのは、確かに問題文の書かれたプリント用紙だが、自
筆の文字で書かれている内容は、答とはなっていない。これは、丸尾と筒寺との間で内
緒のやり取りをする方法だ。
「お、意外と早いな」
 適当に話を合わせながら受け取り、プリントの隅の文字を読み取る。今日の放課後、
時間を作って欲しいとあった。
「よし。行っていいぞ」
 承知の意を込めて、そう言った。ちょうどいい機会だし、拳銃のことも聞き出せそう
ならアプローチしてみようと丸尾は思った。

           *            *

 第二校舎の三階、その一番端にある社会科準備室。普通なら、生徒が頻繁に出入りす
る教室じゃない。私はよく利用してきたが。
 言うまでもなく、丸尾先生との付き合いのせい。校内でこそこそ会うには、うってつ
けの場所だった。隣は音楽室でそちらの方は人の出入りが割と多いが、防音設備がしっ
かりしているため、社会科準備室での声や物音が聞こえることはまずなかった。
 加えて、今の時間帯は、音楽系の部の練習する音が校内のあちこちから聞こえてき
て、大都会のスクランブル交差点並みにうるさいんじゃないかしら。他にも運動部が頑
張っているようだし、そんな状況では、この部屋で何をやっても聞かれることはあり得
ない。
 だから、私は丸尾先生を呼んで、そして拳銃の威力を発揮した。
 やった直後は、その発射音を聞きつけて、人が跳んでくるんじゃないかと嫌な想像を
したけれども、杞憂に終わった。十分以上が経過しても、誰も来ない。
 この分なら、もう私もここを離れていいだろう。むしろ、早く離れるべきかも。
 拳銃にはまだ弾が残っていて、置いていくのは未練がある。けれども、丸尾先生を自
殺に見せ掛けて殺すことに成功したのだから、銃は置いていかなくては。それに例の強
姦魔の死体、見付かったってニュースでやってたし。銃を早く手放すのがいいに決まっ
ている。
 あの拳銃、誰が溝の奥に隠したのか知らないけれども、見付けた瞬間、私は心を決め
ていた。
 私との付き合いを続けておきながら、持ち込まれた縁談に頬を緩め、鼻の下を伸ば
し、結婚を考え始めた先生。命でもって償ってもらうのが、最速の解決策だと思えた。
泥沼の話し合いなんて御免だわ。
                                                                  
           *            *

 後ろから手を胸や首に回され、かすかな石鹸の香りに包まれながら、優しく撫でられ
る。丸尾は社会科準備室にて、筒寺の声や仕種を体感していた。そのあまりの心地よさ
に、何気なく考えた。
(いっそのこと、彼女の卒業を待つという道もあるな。焦って身を固めなくても、筒寺
さえその気なら、こっちはいらぬ気苦労や努力をしないで済む。何たって、卒業まで待
っても、十八やそこらなんだから、見合い相手よりも若いじゃないか)
 そこまで考えを進めたとき、右方向から何かが飛んできて、丸尾の意識を奪い去っ
た。永遠に。

――了




#455/470 ●短編    *** コメント #453 ***
★タイトル (sab     )  18/08/01  16:11  (135)
「催眠」(という短編の目論見書)改2 朝霧
★内容                                         18/08/01 21:03 修正 第2版
仮題『催眠家族』改

【登場人物一覧&キャラクター設定】
 ()内はイメージキャスト。思い付かない場合は?印。
橋本舞美。(?)。17歳。法正高校(都内の仏教系高校)2年生。
橋本信夫。(渡部篤郎)。42歳。舞美の父。
橋本京子。(篠原涼子)。39歳。舞美の母。
橋本保聡(やすとし)。(?)。舞美の二卵性双生児の兄。17歳。都立高校3年生。
橋本愛。(?)。15歳。舞美の妹。中学校3年生。
鈴木真貴。(?)。17歳。法正高校2年。
鈴木文勝(ぶんしょう)。(高橋克実)。50歳。竜泉寺住職。
苫小牧。(村本大輔(吉本興業))。30歳。竜泉寺の僧侶。
蟹沢賢磨(けんま)。27歳。竜泉寺の寺男。
大谷智雪(大野智(嵐のリーダー))。18歳。法正高校3年生。

【舞台&状況設定】
 舞台は法正高校(都内の仏教系高校)と竜泉寺(浄土宗)。
 主人公舞美は法正高校の2年生。同級生に真貴(竜泉寺の娘)、先輩に大谷(真言宗
のお寺の息子)がいる。
 竜泉寺には苫小牧という男が入り込んでいる。真貴と結婚してお寺の相続をしようと
目論んでいる。
 寺男に蟹沢(元真言宗信徒)という男がいる。
 舞美は蟹沢に恋心を抱いている。
 真貴は保聡(舞美の兄)が好き。
 信夫(父)、京子(母)は竜泉寺で苫小牧が催す行事にはまっていた。

【おおまかなストーリー】
@橋本家は竜泉寺の檀家である。信夫(父)、京子(母)、保聡(兄)は、寺の行事
(写経、禅、お茶会など)に熱心に参加していた。行事には瞑想や催眠もあった。
 寺の行事を仕切っているのは苫小牧という男。苫小牧は元々は竜泉寺の人間ではな
かったが入り込んできている。寺の娘・真貴と結婚して寺の相続を目論んでいる。
 寺には寺男の蟹沢(真言宗出身)もいた。蟹沢は現世利益には興味がなく、「個人
の仏性と宇宙の根本原理の合一だけが目的」と言って、黙々と塔婆に字を書いていた。
 高校に行くと大谷(先輩)は「舞美の父母と兄は洗脳、催眠に引っかかりやすい性
格だ」と言う。
大谷は言う。「催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意
識)に働きかけて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて
動きを奪う事も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠を組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させておいて、同時に漕ぐ運
動で股間を刺激して、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコ
ロンを嗅がせた時に欲情させることが出来る」などと。

A或る朝のこと、保聡はコロンのニオイをさせていた。真貴にプレゼントされたとい
う。
 その朝、保聡は駅のホームで後ろの人間に突き飛ばされて死んでしまう。
 舞美は、先輩から聞いたサイクリングの話と、兄がコロンをつけていたことを考え
合わせて、「これは催眠で突き飛ばされたのではないか。その催眠をかけたのは苫小
牧ではないのか。苫小牧は真貴と結婚して寺を継ごうとしていた。それを兄に横恋慕
されたと思ったのではないか」と想像する。
 兄が轢かれる瞬間を妹の愛も見ていた。
B父母はカーテンを閉めてふさぎ込んでいた。
 苫小牧が訪ねてきて、「お寺に来て少しでも心を慰めたらいかがですか」と言って、
父母と妹まで連れて行った。
 舞美は、「苫小牧は、もしかして現場を見ていた妹を始末する積りなのではないか」
と心配する。
 又、舞美は、苫小牧の浄土宗的な家族愛的なものをウザいとも感じていた。舞美は
例えば学業でもAO入試や面接など人間のやることは信用できなくて、全てマークシ
ート方式にするべきだ、などと思っていた。だから、蟹沢の真言宗的なもの、自力本
願の原理主義的なものの方が好きだった。そんなことから蟹沢に惹かれ出す。
C舞美は、苫小牧の催眠に対抗する為に、自らも独学で催眠を学びだす。
 舞美の学んだ催眠は、施術者個人がクライアント個人にかけるという、人が人に施
すものだったが、上手く行かなかった。
D舞美は大谷に催眠について尋ねた。大谷によれば、催眠は施術者個人がクライアン
トにかけるものではなく、宇宙のエネルギーをクライアントの古い脳に作用させるも
のだ、とのことだった。
 舞美は竜泉寺の様子を見るために寺の裏山に登った。そこで寺男・蟹沢に遭遇する。
そして仏教の話を聞く。蟹沢は言う「宇宙の根本原理にも汚れ、”なまぐさ”がある
が、これが人に宿ると悪人になる。そのように宇宙と人間はつながっている」と。
舞美は、大谷の話と似ていると感じる。そしてますます蟹沢に惹かれる。
E舞美は、クラスの女子に催眠をかけてみた。レズビアン的な接触で「性的興奮に達
したら相手の首を締めろ」と念じた。後日、その女子の彼氏が「首を締められた」と
騒いでいた。舞美は催眠は成功したと自信を得る。
F竜泉寺では護摩に使う薪を割っていた。
舞美は、薪割りの反復運動で古い脳が活性化している状態の父に、キンモクセイの香
りで潜在意識を刺激しておく、という催眠をかけた。そして寺男(蟹沢以外)にキン
モクセイの花束をプレゼントしておく。父は、寺男のところに薪を運んでいくとキン
モクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに舞美は催眠を解く。
これを見た苫小牧は舞美の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、舞美は父母と妹を連れ戻すことに成功した。これで平和が戻った
と安堵したのだった。
Gしかしそれも束の間、またまた父母と妹はお寺の寺男に連れ去られてしまう。
 ところが舞美は内心、家族的な浄土宗はウザいが家族自体もウザい、と感じ出して
いた。
 方や、霊験あらたかな真言宗を唱える蟹沢には魅力を感じていた。蟹沢は「心頭滅
却して仏性を開放すれば、兄の霊とも接触できる」と言ってきた。そしてそういうセッ
ションをやる。
 大谷は、「洗脳されているんじゃないのか」と心配してきた。
H兄の初七日法要の日、竜泉寺の本堂で、父があろうことか、妹に襲いかかってきた。
しかし、金縛りにあって未遂に終わる。
 舞美は、苫小牧が父に催眠をかけて妹を襲わせたのだ、と思う。妹は兄の事故現場
を見ていたから、何かを思い出す前に始末されそうになったのでは、と。
I蟹沢が、舞美にも寺に来ないかと言ってきた。そうすれば家族を見守っていられる
し、亡き兄に接するセッションも又できるから、と。そして舞美は寺に行く。
J竜泉寺で護摩行の時に、なんと父が今度は舞美を襲ってきた。そしてこの時も父は
金縛りにあってことなきを得た。
 この災難の後、別室で休んでいると、母のスマホに長文のメールが届いた。それは
舞美が生まれた時に同じ病室だったHさんからの暑中見舞いだった。
その手紙にはこうあった。「出産の時にあの病室に居たのは、京子と保聡、舞美、H
さんとその子、蟹沢さんとその子。でも最初に蟹沢さんの子が亡くなって、続いて私
の子も亡くなった。そして保聡君まで亡くなった。残る舞美ちゃんは大切にして下さ
い」と。
 舞美は「その蟹沢とは誰だろう。寺男の蟹沢と関係があるのではないか。亡くなっ
た子供とは蟹沢の弟ではないのか」と推測する。
 舞美は、母からHの連絡先を聞いて電話する。すると、蟹沢さんの亡くなった子に
は歳の離れた兄がいるとのことだった。
 大谷は、こう推理をした。「保聡、舞美、Hさんの子、蟹沢の弟は同じ日に生まれ
た。ということは宇宙から同じ仏性がそれぞれの体に分割して宿ったのではないか。
そして17年後、蟹沢の弟が亡くなった。
しかし本来一つであった仏性の内4分の3は保聡、舞美、Hさんの子の中に残ってい
る。それで蟹沢の弟は成仏出来ないでいる。
だから、蟹沢の兄つまり寺男は、Hさんの子、保聡と殺して仏性を開放したのではな
いか。そして最後の一つ、舞美の仏性も開放する為に殺そうとしているのではないか」
と。
 ここで妹を脱催眠して「あの日、ホームにいたのは誰なのか」を言わせたら、苫小
牧ではなく寺男の蟹沢だと答えた。
K舞美は寺の裏山に蟹沢に会いに行った。そして「私を殺すために父に催眠をかけて
襲わせたのか」と問いただす。
 蟹沢は悪びれる様子もなく、そうだという。「ただ宇宙の根本原理に帰るだけだよ。
なんだったらぼくも一緒に死んでもいい」と。
 ここで、舞美も、それもそうだと思う。そして二人で死のうか、という運びになっ
た。
 ここで、先輩と苫小牧が現れて「舞美、君は洗脳されている」と言ってくる。
 舞美は驚くが、蟹沢は小刀を出すと舞美の首筋にあてた。
 ここで蟹沢は何故か金縛りに合い、舞美は救出された。
 舞美は、父や蟹沢の度重なる金縛りを、何か宇宙の根本原理からの仕業のようにも
感じたのであった。
L家に帰ってから数日たった或る日。舞美が風呂に入っていたら、突然金縛りにあっ
た。腕が勝手に上がって指が曇った鏡をなぞる。「天寿まっとうせよ」と描かれた。
兄の霊が自分に乗り移って書いたのだ、と舞美は思った。

【疑問点】
 設定をお寺に絞って、人物も全て僧侶にした方が座りがいい気もする。
『ファンシィダンス』か和製『薔薇の名前』みたいになって。
 でもそうすると恋愛関係が同性愛になってしまうが。




#456/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/14  22:22  (201)
SS>密室   永山
★内容                                         19/01/02 16:22 修正 第3版
 自分に超能力があったらと夢想したことのある人は、それなりにいると思う。特に小
さな子供だった頃は。
 自分もその口なのだけれども、いざ、何らかの超能力を会得したらどうだろうか。欣
喜雀躍して、使いまくるだろうか。皆に注目してもらいたくて大々的に公開するだろう
か。
 実際に体験してみて分かったことが一つある。能力が期待していたのとは違う、ある
いはあまり役立ちそうにないものだった場合、困惑が先に立つ。
 自分が身に付けた特殊な力は、いわゆるサイコキネシス、念動力に分類されると思
う。ただ、かなり限定されたものだった。遠隔操作できるのは、肉眼で直に捉えた物の
み。しかも、自分の右手の薬指と小指とで挟んで動かせる物に限られる。
 何で右手なんだ、と思った。利き手は左なのに。せめて親指と人差し指だったらそれ
なりの物を動かせそうだけど、薬指と小指ではペン一本、紙切れ一枚を挟むのがやっ
と。持ってもコントロールできない。実際の指の動きが反映されるから。これはまあ訓
練すれば、少しはコントロールできるようになるかもしれないが、それでも遠方の物を
手元に一気に持って来ることは不可能のようだ。自分の腕が実際に届く範囲を超えた距
離だと、物を動かすだけで精一杯という体たらく。
 かような制限付き超能力、どうしたものかと有効活用を探る内に、ぱっと思い浮かん
だのが暗殺、殺し屋稼業。殺しの仕事を請け負うルートがないという問題点は棚上げす
るとして、殺したいほど憎んでいる奴が一人いるというのもある。遠隔操作の力でうま
くやれるのではないか。たとえば剃刀の刃でも持って、遠方にいるターゲットの喉笛を
掻き切る――。ターゲットの喉にある急所を自分の肉眼で生で捉えられる距離となる
と、結構近くまで行く必要がある。遠隔操作の念動力を使うメリットが乏しく、せいぜ
い返り血を浴びない程度だ。
 ならばと、コップに毒を投じるとか、車を運転中の相手をミスらせるなんて方法も考
えたが、前者は毒の入手経路に心当たりがないし、後者は確実性を欠く上に、オープン
カーか運転席側の窓を下げてくれていないと力を使えない。
 殺し屋がだめなら、真っ当な金儲けに使えまいか。たとえば、ジャンボ宝くじの抽選
会場に行って、客席から矢の刺さる数字を自分の手元にあるくじ番号になるように……
無理だろうな。一度刺さったのを抜き、また刺し直すならまだしも、飛んで行く矢を掴
んで、さらに回転中の的から狙った数字に刺すなんて、超人技だ。当選くじを持つ人か
らくじをかすめ取る方がまだ現実味がある。それとて困難極まりなく、そもそも高額当
選者をいかにして見付けるというのだ。
 競馬ならどうにかなるか? ゴール手前を見通せる観客席に陣取り、自分の買った馬
券にそぐわない馬の目をつついてやれば、その馬は後れを取るか、進路妨害で失格にな
るんじゃないか。馬に恨みはないのであんまりやりたくないけど。それ以前の問題とし
て、まだ学生の自分は、競馬場に入って馬券を購入するのがやや難しい。ギャンブルに
超能力を使うだけでもやましい気分なのに、違法行為を上乗せするのは気が咎める。
 金儲けも難しいとなると、男が次に考えるは色の方だろうけど……これまた使いよう
がない。下着泥棒やスカートめくりをしたって、何の意味もない。
 結局、日常の小さな親切かいたずらレベルのことにしか使えないのだ。今日は学校か
らの帰り道、風船を手放して木の枝に絡ませてしまった小さな子供がいたので、風船を
取ってあげた。昨日は、自動販売機の前でお釣りの十円硬貨を溝に落としてしまった老
人がいて、硬貨を拾ってあげた。学校では休み時間に、お札を宙に浮かせてみせたが、
同じことがマジックでもできるので早くも飽きられつつある。
 こりゃもう、サイコロの出目を自然な形で自由に操る練習でもして、サイコロ博打で
小銭を稼ぐぐらいしかないかなと思い始めた。が、数日後にまた別の案が下りてきた。
日曜日、テレビの二時間ドラマの再放送をぼんやり見ていると、密室殺人の種明かしの
場面に差し掛かった。
 ドラマで使われていたのは古典中の古典、使い古されて誰も先使用権を主張しないで
あろうと思えるトリック、すなわち室内側の錠のつまみに輪にした糸を引っ掛けた後、
ドアとドア枠との隙間を通して室外に糸を出し、ドアを閉めてから廊下側より糸を引っ
張ることでつまみを回して施錠、糸はさらに引っ張ることでするりと抜け、回収できる
という代物。何ともばかばかしい絵面だったが、頭の中では別のことが閃いた。
 もしも自分の超能力を使って、室内側から施錠できたら、完全な密室殺人の完成では
ないか。アンフェアだのインチキだの言われようが、しょうがないじゃないか。だっ
て、使えるんだもの。
 もちろん、小説や漫画のネタとして書く訳ではない。現実に使ってみたいのだ。
 こう見えても――どう見えているか分からないが――、先程も記した通り、自分にだ
って心底憎んでいる人間はいる。死んでくれと思うこともしばしばだ。密室が簡単に作
れるのであれば、自殺に見せ掛けて始末するのが現実味を帯びてくる?
 そいつは神田和人と言って、同じクラスの男子なんだが、学園長の息子という立場を
利して、手前勝手な希望をあれやこれやと通している。入学と同時にドローン研究会な
る部を起ち上げ、予算を多くふんだくれたのは、学園長の息子故だろう。頭はまあ悪く
はないようだが、テストの成績に関しては先生達がいくらか甘く採点しているとの噂
も。優男で腕っ節は強くないが、体育や格技の成績も優秀と呼べる点数に操作されてい
る。芸術関連の科目も同様。一年の文化祭のときなぞ、にわか結成のバンドでボーカル
を務めたばかりか、それなりに伝統・実績のある合唱部や軽音部等を押しのけて、ス
テージのとりを奪ってしまった。
 ここまでなら、まだ殺意を抱く程ではないか、抱いたとしても空想の世界に押し込め
ておけるだろう。しかし、自分にとって神田和人は一線を越えた。最初の接点は、一年
生最初の定期考査にて、ある科目の答案返却後に神田から言ってきたのだ。「どうして
も分からない一問があって、時間ぎりぎりになって君の答を覗いたんだ。そうしたら間
違っていて、がっかりだよ」と。その悪びれた様子のないふざけた言い種に、こっちは
呆れつつも受け流した。次に覚えているのは、教室の掃除中のこと。クラスメートとふ
ざけていた神田は、モップの柄で窓ガラスを割ってしまった。故意ではないが不可抗力
と呼ぶには苦しい状況だったが、神田はこれくらい大した問題じゃないとそのふざけて
いた相手に罪を被せた。他にも色々あったが、決定打になったのは、自分の幼馴染みに
関係することだった。
 彼女の名前は糸井瑠音。小学生のときからの幼馴染み、と言っても特に親しい訳では
なく家が近所というだけ。それでも、同じ学校に通う女子の中では、一番よく話す相手
になる。そんな自分から見て、彼女は大人しめで、目立たないが、一度気になったら長
く気になる。凄い美人とは言えないけれども、凄く可愛いと断言できる存在。
 神田の眼鏡にも適ったらしく、あいつはどこで聞きつけたか、糸井と幼馴染みだと見
込んで彼女を呼び出す手紙を書いてくれと言ってきた。さすがに書くのは断ったが、言
づては引き受けてやった。待ち合わせ場所は屋上で、通常は入れないはずだが、学園長
の息子だからうまいことやるのだろうとそのときは軽く考えた。
 神田と糸井が会ったであろう日の夜になって、ある報せが自宅の方に届き、震えた。
 糸井瑠音が校舎から転落し、重傷。意識不明に陥っているという。
 自分は短い茫然自失を挟んで、神田に連絡を入れた。いきなり詰問調で攻めたのだ
が、相手は何も知らないと言った。糸井の転落事故のことさえ今聞いたという。神田が
言うには、急用ができて待ち合わせの時間には行けなかった。親戚にずっと付き合わさ
れており、アリバイもある――。
 一端引き下がったが、神田自身がアリバイという言葉を持ち出したことに違和感を覚
えた。少し考え、想像が付いた。
 神田はドローンを使って、糸井を転落させたのではないか?
 証拠はない。夕暮れ時、校舎の屋上すれすれを、小型のドローンらしき物が飛んでい
るのを見たという証言はいくつかあった。ただ、学校の建つ一帯にはカラスやコウモリ
も多く棲息しており、見間違いではないと言い切れるだけのものはなかった。
 他にも疑う理由はあった。神田は言づてを頼んできたとき、いかにも今度初めて糸井
瑠音に告白しますという態度だったが、本当は夏休み前に一度、告白していた。そして
断られていたのだ。気位の高い神田は袖にした糸井を許せず、再アタックのふりをして
ドローンによる転落事故を仕組んだ……。
 不幸中の幸いで、糸井はその後意識を取り戻し、普段の生活に戻れたのだけれども、
転落前後の記憶をなくしていた。神田は一度だけ見舞いに行ったらしいが、もしかする
と糸井の記憶が戻る兆候の有無を探る目的を秘めていたのかもしれない。
 本心を明かすと、自分がこの中途半端な超能力を手にしたと分かったとき、真っ先に
思ったのは、力を使って神田に真実を白状させることだった。具体的には、あいつの睾
丸を念動力でしっかり挟み込み、真相を語らないなら潰してやると脅すという一種の拷
問である。
 このやり方だと自分はあいつの前に姿を現す必要があるだろうし、そこまでしても白
状するかどうか分からない。白状しても物証は恐らくすでに処分され、残っていまい。
第一、念動力越しとはいえ、あいつの睾丸に触るなんて御免蒙りたい。
 自分の内では、判決は下っている。状況は神田和人をクロだと示している。あとは刑
を実行するのみ。単なるご近所さんで長馴染みの女子のためにここまでやるのは、神田
の奴に利用された、甘く見られた怒りもあるが……やっぱり自分は糸井のこと、好きな
んだろう。

 簡単に密室殺人ができると言ったが、細かい点を考えると、そう簡単でもない。
 場所は学校の三つある理科室のどれかかドローン部の部室にするつもりだが、それに
は理由があって、ドアの鍵がつまみを捻るタイプだからだ。あれならさほど練習しなく
ても、小指と薬指とで開け閉めできる。
 関門は別にある。超能力を使える条件である“肉眼で対象物を直接見る”とは、間に
透明なガラス一枚あってはならないということだ(空気や埃なんかが考慮されないの
は、多分、能力を使う当人が認識できないからだろう)。言い換えると、神田を自殺に
見せ掛けて殺害後、部屋を出て窓の外から鍵を掛けるという芸当ができない。
 理科室にはどれも換気扇が備わっており、踏み台があれば中を覗ける可能性がある。
ただし、ドアのつまみの部分を野僕には、角度が悪いようだ。実験はしていないが、多
分、換気扇の羽の一部を壊さねばなるまい。そこまでしてしまうと、密室が密室でなく
なる気がする。壊れた換気扇から糸を通してロックできる可能性も生じるため、本末転
倒だ。
 一方、ドローン部の部室は一点を除いて、他の部室と変わらない。中庭に面した窓ガ
ラスの一枚に、極小さな穴が開いているのだ。直径一ミリくらいか? あまりに小さ
く、窓の格子の隅に位置しているため、ドローン部の部員もしばらく気付かず、誰がど
のようにして開けたのかは分かっていない。極小の金属球をパチンコで打ち込んだか、
錐を使ったか……それはどうでもいい。肝心なのは、その穴から中を覗くと、ドアのつ
まみをどうにか捉えられるという事実だ。角度的に絶妙で、仮にこの穴から糸を通して
つまみを操作しようとしても、まともに動かせない。試せるものではないから絶対確実
との断言は無理だが、まず大丈夫。
 唯一の問題は、ドローン部部室は二階にあるため、隣室のどちらかを通るか、あるい
は窓側を真上の三階から下りてくるか、真下の一階から昇って来ねばならない点であ
る。これは、人目に付かなければ、やりおおせる自信はある。特に三階から下りるルー
トは、当該の部屋が今物置状態で、ドアの鍵がかかっておらず、窓も開いていても別に
珍しくない状況にあった。
 あとは決行の日までに一度、穴から覗いて試すとしよう。それが成功すれば、決まり
だ。

 十二月のある日、神田にこっそり話し掛けた。糸井からの伝言を預かってきたから、
ドローン部部室で話そう、と。
 話の内容に察しが付いたのか、こちらから持ち掛けるまでもなく、神田の方から二人
きりでだな、絶対にだぞと念押ししてきたのはありがたい。そして太陽が地平線の彼方
に隠れ始めるタイミングで、神田と二人きりで会い、太陽が完全に沈んでしまおうかと
いうタイミングに、相手を絶命させた。校内にそこそこ用意されている虎ロープを使
い、地蔵背追いの形で背負ったのは、首吊り自殺に見せ掛けるため。
 首吊り自殺と言っても、天井から吊すのは必須条件ではない。床に足を投げ出したへ
たり込んだ姿勢で、首を吊ることは可能だし、珍しくもないようだ。神田の首に巻き付
けたロープは、壁の胸の高さぐらいの位置にある金属製フックに掛けた。カーテンを巻
いて留めるあれだ。
 次に、室内にある数台のドローンが動かないよう、バッテリーを外しておく。万が一
にも警察が、ドローンを使ってドアのつまみを回したのではないかと推理したら、自殺
に偽装する意味がなくなるからだ。言うまでもないが、手には手袋を填めている。今の
寒さなら、校舎内で手袋をしていてもおかしくない。神田からも不審がられることはな
かった。
 準備を済ませると、廊下に人の気配がないことを確かめてから素早く外に出る。続い
て、三階へと急ぐ。太陽が沈み、屋外は暗くなっていたが、心配ない。むしろ、この暗
さが自分の姿を人目から隠してくれよう。
 思惑通り、三階の教室から真下のドローン部部室の窓側へ降り立つ。ペン型ライトで
中を照らし、ドアのつまみがはっきり見えるようにする。例の穴から覗き、しばし方向
を定め、焦点を調節すると、肉眼で捉えることができた。
 超能力、発動。失敗のないよう、慎重に行う。それこそ手探りでつまみをペタペタと
なで回し、確実に捉える。
 そして――乾いた微小な音を立てて、ドアはロックされた。

           *           *

「尾野君」
 刑事は気軽な調子で言った。が、目は笑っていないようだった。
「未成年で学生の君らをおいそれと疑うのはよくない。それは承知してるんだが、曲が
りなりにもそれなりの根拠が出て来たからには、一応、話を聞かんといかん。分かって
くれるね」
 黙って頷く。どんな根拠が出て来たのか、気になって声を出せない。動機か? 動機
だけならいくらでも言い逃れができる。
「神田和人君が死んでいた部屋、ドローン部の部室なんだがね」
「聞いています」
「その部室に、君は入ったことないんだったね?」
「ええ……部員じゃないし、親しい友達が所属してる訳でもないし」
「ということであるなら、これはどういうことか説明して欲しいんだ」
 刑事は鑑定書らしき書類と写真を示した。
「これが何か」
「指紋が出た」
「――」
 ばかなと言おうとして声を飲み込む。
「ドアのつまみとその周辺から、君の指紋がたっぷり検出された。それも不思議なこと
に、右手の薬指と小指ばかり。日常生活で付きそうにない角度で付いた物もある。どう
やったかは分からないが、こんな変な具合に、執拗につまみを触っている事実から、何
らかの細工を弄して、部屋の鍵を外から掛けたんじゃないのかなー?と思ってね」
 このときになって初めて正確に理解した。
 自分の得た超能力は、単なる限定的な念動力なんかではない。
 右手の薬指及び小指の指紋を、自分の肉眼で捉えた対象物に残し得る能力だったの
だ。

――終わり




#457/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/15  21:28  (162)
SS>倒叙   永山
★内容                                         19/01/02 16:27 修正 第2版
 これから綴られるのは、倒叙ミステリである。
 倒叙ミステリとは何かをくだくだと説明するのは面倒なので、簡単に言ってしまう
と、主に殺人のような犯罪について、犯人側から描いた物語だ。徹頭徹尾、犯人側の視
点を採る訳でもないのだが……著名映像作品の例を挙げるのが分かり易いだろう。「刑
事コロンボ」シリーズや「古畑任三郎」シリーズにて描かれたようなスタイルの推理物
だと思っておけば、ほぼ間違いない。
 なお、ビギナー向けに念のため断っておくと、叙述ミステリや叙述トリックといった
用語もあるが、倒叙ミステリとはまた別物であり、くれぐれも混同しないように。

             *           *

 厄介なことになったものだ。
 殺してしまったものは仕方がない。今さら取り返しようがないのだから、取り乱して
動揺する暇があるのなら、善後策を講じることに力を注ぐべき。
 今、私の目の前には死体がある。人間の死体が一人分。この“犯罪の主体”さえ消し
去れば、完全犯罪がなる。死体が見付からないことには、殺人の立件はできない。
 犯行現場となったこの家は、そこで死んでいる男――鬼頭平六の住処である。好都合
にも、人里離れた一軒家。秘書名目の若い女性、田ノ上アキラと二人暮らしだが、今
日、明日、明後日……と田ノ上が戻ってくる恐れはない。大きな音を立てようが、気に
する者は周辺にいない。殺しを行うとしたら、誰もがこういう場所を一つの理想とする
かもしれない。
 現在午後四時で明るい。もう少し待って暗くなれば、死体を容易に運び出せるだろ
う。が、それでいいのか? 死体がこの場からなくなるだけで、世の中から消えてくれ
る訳ではない。どこかへ捨てねばならなくなるが、ではどこへ? そもそも、折角人目
のない場所にいるのに、わざわざ搬出して、車で運ぶなんてのは愚かな行為ではない
か。見付かる危険を高めるだけだ。
 かといって、この家の近くに穴を掘って埋めるというのも、飛び付きかねる案だ。こ
こが都会から離れた一軒家であっても、死んだ鬼頭は世捨て人ではない。超が付くほど
のベテラン作家で、時代小説や歴史小説を大量に世に送り出し、人気を得た。今でもほ
どほどに名を知られているだろう。ここ数年はネタが尽きたのか時代物や歴史物を離
れ、箸にも棒にも掛からない商業小説を数作書いたあと沈黙を続けてきていたが、それ
でもたまに編集者が足を運んで姿を見せると聞く。そうしてベテラン作家の行方不明が
公になると、すぐさま捜索が始まり、埋めた遺体は見つかるであろう。
 運び出すのも埋めるのもだめなら、焼却か。しかし、家の中ではできないし、外でや
るのはさすがにまずい。人が少ないとは言え、目撃されたら言い逃れのしようがない。
煙や臭いが出るのも気になる。焼却案は却下だ。
 他に考えられるのは、解体か。死体をばらばらにして小さくすれば、いくらか扱いや
すくなる。労力、手間を想像するとやりたくないし、何よりも精神的にきつそうだ。そ
ういえば。死体を食べて消すという処分方法を描いたミステリがあったが、そんな真似
は到底無理。薬品で溶かすとか、肥料にしてしまうとかも無理。せいぜい、動物に食わ
せるぐらいが私にできる限界だろう。
 動物……と呟いてみて、閃いた。辺り一帯には獣が出没すると聞いた。クマはいない
が、イノシシやタヌキ、アナグマ等がたまに出るらしい。
 作家先生の死因は、後頭部を強打したことによるもの。イノシシのタックルを食らっ
て、ばたんと倒れたことによる事故死に見せ掛けられるのではないか。解剖した訳じゃ
ないから、年齢を考えると後頭部云々ではなく他の急病を発症した可能性だってないと
は言えないが、頭の傷が致命傷なのはほぼ間違いあるまい。それに、心臓発作のような
病死だったとしても、イノシシに突き飛ばされたショックで、という推定診断はきっと
通る。
 死体をこの世から消し去ることに拘って、もっと簡単で現実的な案を見落としてしま
っていたようだ。事故死に偽装なら、夜になるのを待って、外へ運び出し、そこいらの
空き地に大の字に横たえておけば済む。できれば胸か腹の辺りに打撲痕を付け、周辺に
イノシシの足跡を付けたいところだが、高望みはすまい。打撲痕の方はやろうと思え
ば、車をぶつけることで可能かもしれないが、下手を打って車の塗料が死体のどこかに
転移したり、逆に鬼頭の衣服の切れ端が車に挟まったり、車体に傷を付けたりしては元
も子もない。足跡にしても、ぼやっとした、獣の足跡らしきへこみを地面にいくつか付
ける程度でいいだろう……。
 そこまで考え、室内を見回すと、トロフィーや表彰盾、酒瓶なんかを飾っている棚の
一角で目がとまった。
 重々しい黒の平皿に、焦げ茶色の毛で覆われた棒状の物体が二本、載せてある。ご丁
寧にタグが針金で付けられ、説明書きがあった。そこには年月日と、「記念イノシシ罠
に掛かる」と細い字で記されていた。
 つまり、この棒状の物体は、イノシシの脚なのか。一年以上前の日付だから、防腐処
理をしてあるのだろう。鬼頭自身が罠を仕掛けたのか、近場に住む農家か猟師が仕留め
た物を、興味本位で分けてもらったのか。前者だとすると法に触れていそうな気もする
が、私にとってはどうでもよい。この脚をうまく活用すれば、地面に本物そっくりのイ
ノシシの足跡を残せそうだ。
 私と鬼頭は釣りを共通の趣味としていた。鬼頭愛用の釣り竿が、この家のどこかに仕
舞ってあるはず。それを探し出して、使うとしよう。

             *           *

「木本さんは田ノ上さんと、いつ頃までお付き合いをしていたんで?」
 とうに把握済みであろうに、刑事はしれっとした態度で聞いてきた。その証拠に、別
れてから一年足らずと答えると、「正確には十ヶ月と十日ですな」と応じてきた。
「色恋の縁は切れても、仕事上のつながりは残っていたみたいですが」
「どうしてそれを?」
 愚問であると分かっているが、敢えて尋ねた。
「あなたは評論家として、鬼頭平六氏の作品を批評されているし、解説の文章を引き受
けられたことや対談をされたこともある。当然、鬼頭氏の秘書とも多少のやり取りはあ
ったと見なせますな」
「確かに。そういう意味では、つながりはありましたよ。だけど、彼女の逃走を手助け
するなんて、あり得ません」
 ニュースや週刊誌などで見聞きしたところによると、田ノ上アキラは現在、警察に行
方を追われている。そう、鬼頭平六殺害の容疑で。
 実際、鬼頭を死なせたのは、この私ではなく、田ノ上アキラで間違いない。
 私は床に倒れている鬼頭の死体を見て、彼が田ノ上に突き飛ばされ、後頭部を強打し
た結果、亡くなったと早合点した。しかし、本当の死因は意外にも溺死だったのだ。こ
の報道を知ったときの私の驚きようときたらは――ああ、思い出すだけでも震えが来
る。周りに知人がいたため、ショックを隠すのに非常な努力を要した。
 警察の捜査で、鬼頭は自宅の浴槽に張った水に、顔を押し付けられて死亡したものと
判明。そんな溺死体が、野っ原で大の字になって見付かったのだから、無茶苦茶であ
る。私の偽装工作は、何ら意味がなかった。それどころか、溺死ならまだ事故死の余地
を残せたものを、小細工のせいで他殺の疑いを濃くしてしまった。解剖の結果、死因が
溺死と特定できた上に、鬼頭の肺や胃、喉からは田ノ上の毛髪が何本も見付かってい
た。
「彼女の居場所に心当たり、ないですか」
「ありませんよ」
 私は嘘をついていた。
 まあ、想像するに、田ノ上は鬼頭を溺死させたあと、死体に関して丁寧に水を拭き、
髪の毛を乾かし、服を着替えさせたのだ。恐らく、年齢のいった鬼頭が普段の何気ない
動作で足を滑らせて転倒、後頭部をしこたま打ったがために死に至ったというシナリオ
を思い描いていたに違いない。その程度の偽装で解剖が行われないと踏んでいたのだと
したら、とんだ無知だ。鬼頭平六がもし仮に推理小説をも書いていたら、秘書がこんな
思い込みをすることもなかったろうに。
 あの日、そういった犯行をやってのけた彼女が、よりを戻すことを口実に、前もって
私と会う約束を取り付けていたのは、アリバイめいたものをこしらえる意図があったん
だろう。正確な死亡推定時刻なんて、一般人に予測できるものではなく、苦心のアリバ
イトリックを弄して、予測と大きなずれがあったなんてことになれば、目も当てられな
い。それならいっそ、曖昧模糊とした、ふわっとしたアリバイを用意して、運がよけれ
ば成立するだろうくらいの考えを抱いたたとしても、不思議じゃない。
 一方、田ノ上のそのような思惑なんて全く知らなかった私は、会う約束に応じたとき
から、ある計画を立てていた。私のプライドを傷付けてくれた田ノ上アキラを殺害する
計画を。
 とうに瓦解した計画であるので、今さら事細かに記す気力を持たないのだが、ざっと
触れておくと、私は田ノ上を彼女の車の中で殺害し、そのまま人里離れた鬼頭宅へ直
行。そこで鬼頭を自殺に見えるようなやり方で殺し、田ノ上殺しの罪を被せるつもりで
いた。
 だから、鬼頭の家に上がり込んで、彼の死体を見付けた瞬間、私は驚きの叫びを上げ
るのもそこそこに、「ちぇ、これなら田ノ上の方を自殺に見せ掛けられる殺し方にして
おけばよかった」と嘆いたものだ。まずいことに、私は彼女の腹を包丁で刺してしまっ
ていた。
「本当に知りません?」
 刑事は食い下がってきた。何故食い下がれるのか。理由でもあるのか。
「刑事さん達もそれがお仕事だとは言え、あんまりしつこいと協力したくなくなるじゃ
ありませんか」
「そう言われましてもねえ。一応、木本さんに話を伺う根拠はあるんですよ」
 ほら、やっぱり。隠していた。
「差し支えがなければ、その根拠を聞かせてもらいたいな。聞いた結果、場合によって
は、積極的に協力する気になるかもしれない」
「そうですか。じゃあお話ししましょうかね」
 刑事は懐から紙片を取り出し、広げた。A4サイズと分かる。
「これはコピーなんですけど、鬼頭さんのパソコンにあった物です。執筆に使っていた
パソコンに保存されていた、テキストファイルですな。私ら素人が見ても分かる、創作
メモのようなもの」
 刑事は、ちらっとだけ表を見せてくれた。内容は全然読み取れなかったが、創作メモ
らしい箇条書きがどうにか視認できた。
「これ、最後に名前がわざわざ打ってありまして、鬼頭平六だけでなく、田ノ上アキラ
の名前も併記してある。多分、二人で考えていたんでしょう」
「ありそうな話です。鬼頭さん、アイディアの創出に苦しんでおられたようだから」
「興味深いのは、内容でしてね。ジャンルはどうやら推理小説みたいなんです」
「ええ?」
 鬼頭平六が推理物を? 似合わない。だが、時代物や歴史物の才能が枯渇し、商業小
説で失敗した彼にとって、推理物に賭けようという狙いは分からなくはない。
「鬼頭さんの推理小説なら、私も読んでみたかった」
「メモだけでも読ませて差し上げたいところだが、捜査が優先なんで。まあ、さわりだ
けは今から話しますよ。女の犯人が、夫を殺し、そのアリバイ証明を愛人にさせるとい
う筋書きで、印象からして、田ノ上さんが犯人役、鬼頭氏が夫役、そしてアリバイ証人
が木本さんみたいなんですがね。人物属性や造形の設定が、それぞれそっくりでして」
「……」
「肝心なのは殺害方法だ。これがドンピシャリ。風呂場で溺れさせた夫を、転倒で頭を
打って死んだように見せ掛けるというものなんですな」
「……」
 何て物を書き残してくれていたんだ。
「正直な感想を述べると、わざわざ溺死させた男を、転倒死に偽装するメリットが分か
らんのですよ。そのまま風呂場で溺れたことにすりゃいいのに。評論家先生なら、この
粗筋の狙い、分かるんでしょうか?」
「生憎、推理小説は専門外でして……」
 前言撤回。
 鬼頭は推理物を書くべきではない。書こうとすら思ってはいけなかった。

――終わり




#458/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/19  22:26  (200)
カグライダンス・ミニ   寺嶋公香
★内容                                         19/01/02 16:34 修正 第2版
 芸能週刊誌をぱらぱらと読んでいた加倉井舞美が、ふっと顔を起こして唐突に言っ
た。
「『好感度がいい』って、変じゃない?」
「え?」
 純子は加倉井のいる方を振り返り、目で問い返した。唐突だったから聞き漏らしたの
だ。
 ちなみに、純子の今の格好は銀色を多用した衣服に、表が黒、裏が橙地の短めのマン
トを羽織っている。横のテーブルには、鍔広の黒い三角帽が置いてあった。要するに魔
女のなりだ。加倉井の方も同じ格好だが、彼女はマントも外している。
「『好感度がいい』という表現が、ここに使われているのよ。何だがむずむずする」
 加倉井はパイプ椅子から腰を上げると、日よけの天幕の下、慎重な足取りで近付いて
きた。靴の爪先がタンポポの綿帽子みたいなデザインで上向きに伸びているため、気に
なるのだ。
 彼女が両手で開いてみせたページには、タレントの好感度ランキングが載っていた。
「ほら、ここ」
 指差す先には、言った通りの『好感度のいい』という文字が躍る。あるお笑い芸人に
ついての記述のようだ。
「好感度の好って、良いという意味でしょ。好感度が悪いなんて言わないし。『好感度
のいい』には二重表現という以上に、据わりの悪いものを感じるわ。あなた、どう思
う?」
 問われた純子はつい思い出し笑いをしてしまった。加倉井の垣間見せた理屈っぽさ
が、相羽を思い起こさせたせい。
「何かおかしいこと言ったかしら」
 密かに笑ったつもりだったが、加倉井は目聡かった。純子は急いで首を横に振る。
「ううん。友達の理屈っぽさを思い出しちゃったから。理屈っぽいは、悪い意味じゃな
くて、私も影響を受ける場合が結構あって」
「分かった分かった。別に怒ってるんじゃないわよ。それで、感想は?」
「えっと、確かにおかしいと思うけれど、じゃあ好感度の尺度を表すのって、どうすれ
ばいいのかなって……」
 小首を傾げる純子。対する加倉井は、当たり前のように即答した。
「好感度が高い、じゃないの」
「私も最初に思い浮かんだ。でも逆の、好感度が低いという言い回しには、凄く違和感
を覚えるような。だから高い低いでいいのか自信が持てない」
「……なるほどね」
 納得したようにうなずいた加倉井。
「好感度の低いという言い方はよく見掛けるから、何となく受け入れていた。よくよく
考えてみれば、これもむずむずする表現だわ」
「意味は伝わるから間違いじゃないのかもしれないけれど、何となく変。あ、でも、好
感度アップとか好感度が下がったとかには、違和感ない」
「ほんと。上がり下がりはするのに、低いだと何故か据わりが悪い……」
 加倉井は週刊誌を持ったまま、腕組みをした。考え込む様子で眉間に皺を作ったが、
はたと我に返ったのか、表情を和らげる。
「ちょっと、あんまり考え込ませるようなことを言わないで。皺ができちゃうじゃない
の」「そ、そう言われても」
 話題を持ち出したのは加倉井さんの方……とは言い返せない純子である。代わりに、
疑問解消の解決策を絞り出してみた。
「好感度って言うからおかしいのかな。好の字の印象が強くて、いいことにしか使えな
い雰囲気がある。だから、好を外して感度にすれば……」
「……やめて。とても卑猥に聞こえる」
 ぴしゃりと言われてしまった。だがすぐには理解できなかったため、さっきとは反対
側へ首を傾げる純子。
「感度がいいって、受信状況なんかに使うのならいいのよ。人に対して使うと、途端に
おかしくなるでしょうが」
「……あぁ」
 遅ればせながら、加倉井の想像していることが飲み込めた。ちょっと顔が赤くなるの
を意識し、心持ち俯く。加倉井さんてそんなこと考えるんだ、とも思った。
 元いた椅子に座り直した加倉井は、週刊誌を閉じた状態で手放さず、団扇のように
二、三度扇いだがすぐにやめた。
「おっそい。もう充分に晴れているように見えるのに」
「あ、休憩に入る前に、飛行機の通過時刻と被りそうだとか何とか言ってました」
「じゃあ今は飛行機待ちってわけね。五分か十分といったところかしら。――以前、イ
ンタビュー記事で、くすぐったがりだと言っていたみたいだけど、あれ本当? 記者の
創作?」
「どの記事か分かりませんが、くすぐったがりなのは本当です」
 再びの唐突な切り出し方だが、純子は慣れもあって平静に答えた。
「ふうん。ということは、感度も高いのかな」
「――」
 飲み物を口に含んでいたら噴き出しそうなことを、加倉井はさらっと言ってくれた。
ついさっき、感度の使い方にだめ出しをしてきたのに、それに反することを自らやるな
んて。まじまじと見つめる純子に対し、加倉井は笑みを返す。
「カメラの回っているところで言わないよう、おまじないを掛けてあげたのよ。当分、
意識して『感度』を使う気になれないはず」
「うーん、他の人が言ったら変な反応をしてしまいそう」
「それは自分で何とかして」
 頭上高く、飛行機が飛んでいく。
 コマーシャルの撮影再開までもう間もなく。

 撮影が完了したあと、様子見に来ていたクライアントの人と言葉を交わした。第一弾
コマーシャルのときとは別の女性で、まだ不慣れなのか言動がどことなくたどたどし
い。初対面の挨拶時には名前すら早口で聞き取れなかったほどだが、大手おもちゃメー
カー・ハルミのれっきとした社員だ。
 宣伝する商品は、『ウィウィルウィッチ』という人気の魔女アニメ(魔女っ子も登場
するが魔女っ子アニメではない)とコラボレートした玩具。第一弾、第二弾と何種類か
撮影したのだが、さっきまで青空待ちをしたのは、大雨を魔法で抜けるような青空に変
える、というシーンを実写で撮りたいという監督の謎の拘りのせい。
 撮影が終わったと言ってもコマーシャルの完成はまだ先になる。純子も加倉井もあと
のスケジュールは空いているとは言え、普通は長々と話す場面でもない。だが、そのお
もちゃメーカーから来た女性がお話がありますというので、ロケバスの中をしばし三人
で占める。
「以前にも数字で示したと思いますが、お二人のおかげで売り上げは好調です。特に社
長が大変気に入ったご様子で、これからもよいつながりを持ちたいと。端的に言います
と、他のお仕事もお願いしたいと申しておりました。つきましては先程、撮影の最中に
事務所の方にはすでに打診したのですが」
 持ち掛けられた新たな仕事とは、二人で――純子と加倉井――海外の名所を紹介する
テレビ特番の話だった。何でも、ハルミ一社提供の二時間枠で、マジックをキーワード
に二つの面から、つまり魔女や呪術といった神秘的な事柄と、奇術・手品の範疇にある
事柄にスポットを当てる云々かんぬん。
「言うまでもありませんが、アニメ『ウィウィルウィッチ』とも関連しています」
「面白そう。マジック――奇術、好きなんです」
 第一印象を素直に口にした純子。一方、加倉井は特に何も言わない。慎重な姿勢を
キープしている。
「とても光栄です。が、『ウィウィルウィッチ』と関係するのなら、私達よりもふさわ
しい方がいる。違います?」
 遠慮のない調子で質問する加倉井。相手の女性はほんの一瞬、目を見張った。すぐに
平静に戻る。申し訳なげに眉を下げ、笑みを絶やさずに答えた。
「その、いずれ耳に入ることかもしれませんので、先に打ち明けておきますと、アニメ
製作側の周辺からは、主要キャラクターを演じる声優の皆さんを採用するよう、推薦し
てきました。これに社長が難色を示しまして、スポンサー特権でお二人を推すと」
「……」
 加倉井と純子は目を見合わせた。そして加倉井が答える。
「後押ししてくださるのは大変感謝します。ただ、失礼な物言いをお許しください。他
にも候補者がいる中、力で押し切るのは本意ではありません」
「それは……オーディションか何かを催して、競った結果、選ばれるのであればよいと
解釈してかまわないのでしょうか」
 事務所を通さず、マネージャー不在の場で、タレント相手に直接的な提案をするのは
珍しい。正面に立つ女性は若くて頼りなげな外見と違い、意外とそこそこの決定権を与
えられている人物のようだ。
 しかし、加倉井は首を左右に振ってみせた。
「私達も人気商売、好感度が大事ですから。アニメ制作側や作品のファンと揉めそうな
種を蒔くのは避けたい、それだけです。御社も本音では同じじゃありません?」
 ビジネスっ気をちらと見せてから、相手に同意を求める。加倉井なりの交渉術かもし
れない。
「確かに。アニメの人気があってこそ、弊社の関連商品が売れた面は否定できません」
「でしょう? だったら、無碍にシャットアウトするのではなく、受け入れた方が絶対
にプラスになると思いますよ。ね?」
 加倉井はいきなり純子に振り向いて、相槌を求めてきた。調子を合わせるわけではな
いけれども、即座に首肯した純子。
 加倉井は軽く頷き返すと、クライアントの女性に向き直る。
「出してもらう立場で厚かましいんですけど、どうせなら四人にできません?」
「四人というと……あっ、加倉井さんと風谷さんに加えて、声優の方もお二人と」
「そう、さすが、飲み込みが早くて嬉しい。元々、マジックを二つの面から捉えるのだ
から、レポートも二組に分かれてやることはむしろ自然」
「え、二組に分かれるのなら、私、奇術の方がいいです」
 場の空気がよくなったのを感じ取って、純子はすかさず言った。
 二人の“連携プレー”に、相手の女性は口をかすかに開けたままにして、唖然とした
風だったが、そこからのリカバリーは早かった。
「分かりました。こちらから声優の皆さんへ打診してみます。加倉井さんと風谷さん
は、原則、了承してくださったと解釈してよろしいですね。細かい条件面はまた別とし
て」
「もちろん。この子がこんなにやる気になっていますし」
 純子を指差す加倉井。慌てて両手を振り、異を唱える。
「そんな、私のわがままみたいに。加倉井さんがやりたくないのなら、私もやめておく
から」
「それは困ります」
 相手女性の被せ気味の反応に、加倉井は苦笑をかみ殺しつつ、純子に対し返答する。
「大丈夫、私もやってみたいと感じてるんだから。オファーの条件が余程悪くない限
り、承ることになるんじゃない?」
 強気のなせるフレーズを含んでいて、聞いている方はハラハラする。同世代の中では
加倉井はトップクラスに位置しているから、多少の希望(要求、我が儘)は言えるみた
いだけれども。
 純子のそんな内心の動きを知ってか知らずか、相手女性は間髪入れずに言葉をねじ込
んだ。翻意されてはたまらないとばかりに。
「声優さん達へのオファーも含めて、持ち帰って、検討させてもらいます。なるべくよ
い方向に持っていきますので、よろしくお願いしますね」
 頭を深々と下げると、引き留めて長話になったことを詫び、彼女は辞去していった。
「――ちょっと汗かいた」
 その後ろ姿が遠くに見えなくなってから、純子はため息とともに言った。
「あ、好感度って言葉を使ったの、やはりまずかったのね」
「違います。使ったのには気付きましたけど」
 否定してから、加倉井の強気な物言いが原因だとはっきり言った。当人は、まるで気
にしていない。
「いいじゃないの。望んでいた形になったでしょう? あの人、なんて名前だったかし
ら。最初は慣れていない感じが丸出しで不安だったけれども、案外、話の分かる人みた
いで嫌いじゃないわ」
 撮影前に名刺を受け取っていたが、マネージャーにも渡っているということだった
し、しかと見ていなかった。純子は名刺を改めて見直す。
「ましこはるみさん、と読むのかな」
 益子春見と縦に書いてあった。なかなか意匠を凝らしたデザインになっている。透か
し彫り風の字体で、各文字が左右対称になるよう、手を加えてあった。益・春・見は左
右対称にし易いからいいとして、子は若干だが無理をした感があった。
「――おかしい」
 純子は名刺を見つめる内に、何となく違和感を覚えた。名前にかなもしくはローマ字
が振られているのが普通だと思うのだが、これにはない。肩書きも、会社名と部署だけ
が印刷されている。
「もしかして」
 裏返す。裏側からも益子春見の文字が確認できた。ただし、その脇に矢印があった。
姓と名を入れ替えてくださいというサインのように。
(益子春見を入れ替えると、春見益子。益子はますこやみつことも読めるんだっけ。う
ん? 春見?)
 メーカー名に思い当たる。ハルミ。
「か、加倉井さん!」
「な、何、大声出して。落ち着きなさいよ」
 純子が大きな声を出すのが珍しければ、加倉井が明らかに驚いた顔をするのも珍し
い。そのためか、純子と加倉井はしばらく黙ってお見合い状態になった。
「――名刺の裏、見て」
 先に口を開いたのは純子。加倉井は「今、持っていない」と言い、純子の手元を覗き
込む。隣同士で額を寄せ合う格好になった。
「完全に想像に過ぎないんですけど、さっきの人、社長さんの血縁なのかも」
 続く純子の説明を聞き、加倉井はふんふんと軽く頷いた。
「もしそれが当たっているとしたら、ますます面白い人だわ。身分を隠して現れるなん
て。ひょっとしたら、社長の命を受けて私やあなたを直接品定めすることが、真の目的
だったのかもね」
「うわ〜」
 自らの二の腕をさする純子。加倉井は呆れ気味に言った。
「自分で気付いておいて、今さら緊張しないでよ」
「はい……次の機会があれば、意識しちゃうだろうなあ」
「まるで気付かない方がよかったみたいね。まったく、感度がいいのも考え物だわ」
「か、感度じゃなくて! せめて勘と言ってください!」

――『カグライダンス・ミニ』おわり




#459/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/20  02:11  (138)
SS>ダイイングメッセージ   永山
★内容
 まさかこんな奴がいるとは思わなかった。
 いや、厳密に言うと“こんな奴”はもういない。片桐佐太郎は僕が殺したから。

 日曜日の夜十時。学園祭を乗り切った大学構内は静けさが行き渡っていた。雨のせい
もあるのか、少なくとも各部の部室があるクラブ棟に人の気配は感じられない。僕だけ
が生きて、活動している。
 片桐は死に際に、自身の血で文字を書いた。ダイイングメッセージというあれだ。 
正確を期すと、片桐が書くところを見てはいない。僕が部室内に残しておいてはまずい
痕跡(凶器とか不自然な指紋とか)のチェックを済ませ、ふと見るといつの間にか書い
てあったのだ。もっと前に死んだと思っていたから、片桐がまだ動けたことにもびっく
りしたが、それと同じくらい、ダイイングメッセージにも驚いた。瀕死の状態なのに助
けを求めることなく、犯人の手掛かりを残そうとする人間が、推理小説の中だけでなく
実世界にもいるとは、本当に意外だ。おかげでしばらくの間、呆然としてしまった。
 思い返してみると、片桐佐太郎は変わったところのある奴だった。頭はいいのだが、
意味のない悪戯をよく仕掛ける。悪戯好きの人間ならどこにでもいるだろう、でも片桐
のそれは、多少危険なのだ。持ち主に知られない内にライターの火を目一杯大きくした
り、ブーブークッションと画鋲を併用したり、試験のとき友達の筆記用具を電気の流れ
るペンにすり替えたり、走ってる自転車のタイヤ目掛けてスケートボードを滑らせた
り、自動車通学している友達に、アルコールをちょっぴり混ぜたジュースを渡したりと
枚挙にいとまがない。今日も、カッターナイフの刃を細かく割り折って、何やら嬉々と
して準備をしていた。
 それでもこいつに友人・知り合いが大勢いるのは、普段は愛想がよく、どことなく憎
めないキャラだし、金離れがいいこともあるし、勉強の面では頼りになるというのもあ
った。
 が、そういう友人をこの度殺したのは、度の過ぎた悪戯が理由だった。振り返るのも
嫌な気分になるので詳細は省くが、要するにコンドームに穴を開けておくという、昔か
らある下品な悪戯だった。
 おかげで僕は将来設計の変更を余儀なくされそうになったが、何とか踏みとどまれ
た。だが、もうこのままにしてはおけない。片桐がそばにいれば、いずれ僕に災いをも
たらすに違いない。もっと酷い形で。片桐を僕から遠ざけるだけでよしとしなかったの
は、今までの小さな怒りや恨みの積み重ね故かもしれないし、思い知らせなければ気が
済まないと感じたせいかもしれない。
 話を戻す。
 ダイイングメッセージを残すその行為に驚かされたが、それ以上に僕を混乱させたの
は、ダイイングメッセージの内容である。「あおきたくや」と読めたのだ。
 僕の名前は古尾翔と書いて、「ふるおしょう」と読む。あおきたくやでは断じてな
い。
 無論、ダイイングメッセージの理屈は知っている。被害者が犯人の名前をそのまん
ま、ストレートに書いても、まだ現場にいる犯人によって消される恐れがあるから、死
にかけの脳みそをフル活用して、変わったメッセージを捻り出す。犯人にはそれが犯人
を指し示すとは分からないが、見る者が見れば分かるというやつ。
 まあこれは推理小説でのお約束で、リアルに考えるならば、ダイイングメッセージの
意味が分からない・自分(犯人)を指し示しているようには見えないからと言って、そ
のままにして現場を立ち去る犯人はいまい。メッセージを読めなくなるよう、破壊する
のが取るべき道だ。
 だが、現在僕に示されたダイイングメッセージ、あおきたくやは、壊すのにはためら
いを覚える。何故なら、僕と片桐共通の知り合いに、青木拓也という男がいるからだ。
同じ高校から進学した三人組の一人で、現在、部活は違うが、学部学科は同じであり、
当然、選択している授業もよく被っている。
 理由は不明だが片桐が青木を犯人だと思って死んだのなら、これを利用した方がいい
のでは? そんな誘惑に駆られる。血文字の“筆跡”で個人識別が定可能とは考えにく
いが、少なくとも偽装工作ではなく、正真正銘、本人が書いた字なのだから、警察もダ
イイングメッセージを書いたのは被害者に間違いないと考えるのではないか。
 だが……殺人犯が、名前を書かれるという明々白々なダイイングメッセージを見逃す
とは、まずあり得ない。そんなあり得ない状況を不自然に思い、警察はやはりこの血文
字は怪しいと判断するのが当然ではなかろうか。
 それならば、真犯人である僕がこのダイイングメッセージを活かすには、消そうとし
た痕跡を残すのが一番か。しかし、全部消してしまっては元も子もない。床に絨毯でも
敷いてあれば話は別だが、部室はセメント剥き出しの床である。何と書いてあったか、
ぼんやりとでも想像できる程度に、雑に掠れさせるのがいい。
 そこまで考えを進めると、実行した方がいいと思うようになっていた。短いとは言え
思考に時間を掛けたのだから、実行しなくては勿体ないという気分か。僕は死体の観察
をやめて腰を上げると、室内をざっと見た。テーブルなどを拭くための乾いた布が目に
とまる。これを使って、血文字を掠れさせよう。
 布を手に取り、再び死体に近付いてしゃがんだところで、妙な物があるのに気が付い
た。長さ五センチ足らずの鉛筆が、片桐の右手の先にあった。さっきまでは手のひらに
隠れていたのだろうか。握りしめていた鉛筆が、絶命により手の力が抜け、転がり出た
――ありそうなことだ。
 僕は気にせずにダイイングメッセージの細工を始めようとした。しかし、寸前で手が
止まる。最大の疑問が浮かんだ。
 片桐の奴、鉛筆を手にしていながら、ダイイングメッセージを血文字で書いたのは何
故だ?
 ダイイングメッセージは血文字が定番であるという思い込みか? だが、赤い血で書
いたら目立って、犯人に気付かれやすいことぐらい、すぐに分かるだろう。ここの床な
らば、鉛筆で書いた方が気付かれにくい。圧倒的な差がある。
 考える内に、もしかしてと閃いた。片桐の右手の近くにあるダイイングメッセージに
顔を近付け、目を凝らす。程なくして、そいつを見付けた。
 血文字の中に溶け込むように、鉛筆による文字が確認できたのだ。つたない平仮名
で、「ふるおしょう」と記してあった。
 こいつ……。本来のメッセージを気付かれにくくするために、わざと血文字で上書き
をしたのか! 思わず、死体の後頭部をはたきたくなった。もちろん自重したが、心理
的なむかつきから色々と毒づいてしまった。
 およそ三十秒後、口をつぐんだ僕は、自分の名前を消すことに取り掛かった。さっき
手にした布で、まず血を拭う。意外にも血の部分は結構きれいに取れた。固まり始めて
いたおかげかもしれない。だが、染みは残っている。さらに鉛筆文字は消えていない。
全く薄くなってもいない。
 唾でも付けて擦れば落ちるかもしれないが、殺人現場にDNAを残してどうする。そ
もそも、死体の血で汚れた箇所を、何度か唾を付けて擦るなんて気持ちが悪い。
 僕はまた立ち上がると、テーブルの上に視線を走らせた。目的は筆入れ。片桐が出し
っぱなしにしていた物。その中を探ると、消しゴムが出て来た。だいぶ使っており、丸
くて飴玉サイズになっていたが、鉛筆の字を消す役には立つ。とは言え、部室にはこれ
以外に消しゴムはない可能性が高く、無駄にできない。自ずと慎重になった。
 僕は消しゴムを親指と人差し指とでしっかりと捉え、構えた。そして片桐の残した本
当のダイイングメッセージを消そうと、力を込めた。
「!」
 次の瞬間、指先に違和感が走り、続いて痛みを感じた。無意識に消しゴムを放り出
し、親指と人差し指の指紋側を見る。
 すっぱりと切れ、赤い血がじわじわ出始めていた。
 床に落とした消しゴムを見付けるまで、片桐の悪戯だとは分からなかった。あいつは
消しゴムの中に、折ったカッターナイフの刃を仕込んでいた。
 殺人現場の床に、新鮮な僕の血が数滴したたり落ちていた。これを完全に消し去るの
は難しい、いや、不可能か? しかも、片桐の血と混じった分もあるだろう。警察の捜
査で検出されたら、言い逃れがきかない。複数の人の血が混じった場合、識別できるの
か否か知らないが、できるとみておかねばなるまい。
「くそっ」
 思わず、叫んだ。片桐の策略にはめられた気がして、怒りとそれ以上の焦りが生じて
いる。叫んだことで、多少はガス抜きの効果があった。
 計画は大幅に狂ったが、まだ諦めるには早い。充分にリカバリー可能。時間が乏しい
中、ぱっと思い浮かんだ策は二つ。一つ目は、片桐の死体を運び出し、別の場所を殺人
現場のように見せ掛ける。二つ目は、この現場そのものの証拠を消し去る、換言すれば
火を放つ。準備なしにすぐ実行できる意味で、現実的なのは後者だ。最低限、床が燃え
てくれればいい。それには燃焼剤の類が欲しい。部室にはファンヒータータイプの石油
ストーブがある。今年はまだ使っていないが、そのタンクには灯油が残っている。灯油
を床一面に流した上で、燃えやすい紙や乾いた木、プラスチック類なんかをうまく配置
すれば、床の字は読めなくなるのではないか。焼け跡から検出するのも困難になるに違
いない。
 いやいや、確か灯油に直に火を着けても燃え上がりはしないんだっけ。だから、先に
紙などに染み込ませて、それから着火する必要がある。少し手間が掛かるが、面倒臭が
ってなんていられない。
 僕は部室にある古新聞やちり紙をかき集め、準備を急いだ。

             *           *

 ボヤと呼ぶにはよく燃えたクラブ棟の一室で、見付かった遺体が殺されたものである
ことはすぐに明らかになった。
 それから程なくして、最有力容疑者――恐らく犯人――の名前も浮かび上がった。
「何が見付かったって?」
「あ、こっちこっち。これです」
「被害者の手を示して、どうした? 何か書き残してくれてたってか」
「いやいや、周辺はご覧の通り、すすだらけでよく見えないし、かなりの部分が焦げち
まってる。期待できないな。だが、ここをこうすると」
 鑑識課員は、片桐佐太郎の固く握りしめられていた拳を開き、刑事に見せた。
「……『ふるおしょう』と書いてあるみたいだな。これ、何かの刃物で傷つけたのか
?」
「今の時点では何も言えないが、必死に彫ったのは確かだろうよ」
 片桐の左手のひらは古尾翔の名前をしっかと守っていた。

――終わり




#460/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/24  21:26  (158)
SS>アリバイ   永山
★内容                                         18/11/27 02:18 修正 第3版
 くそ、困ったわ。
 誰にも疑われないなんて、まさかの想像の埒外。私の立場で刑事が聞き込みに来ない
って、あり得なくない?
 このままじゃ、折角のアリバイ作りが無駄になる。あー勿体なかったで済めばいいん
だけど、何かのきっかけでアリバイ工作をしたとばれたら、一気に怪しまれるじゃない
の。自然な流れで疑われた上で、アリバイを言ってやってこそ、効果があるっていうの
に。
 尤も、そう簡単にばれやしないとは思うけれど。不安があるとしたら、証人の記憶が
薄れることぐらいかな。でも、心配していない。あいつらの記憶力は異常。特に、矢代
実和の記憶力と記録魔ぶりは。私に関することなら事細かに記憶し、記録を付けてい
る。イベントで、嬉々としてメモ帳を見せられたときは正直、引いたけど、お金がない
分をカバーするための涙ぐましい努力と受け止めておいた。矢代はまだ未成年の学生ら
しく、時間だけはあるのか、イベントがいくつも重なったある日の私の居場所をまるで
GPSみたいに記録していた。あの追跡能力は利用できると思った。だから、次に来た
ときはいつもよりほんの少し長く握手してやった。
 たったそれだけのことで、親しくなれたと思って、こちらのイリーガルなお願い(命
令)に従ってくれるおバカなファンなら、そのままそいつに殺させるところだけど、さ
すがにそこまで盲目な奴はいまい。おバカだと口を割る恐れがあるし、そもそも矢代は
見た目も言動も賢そうだし。
 だから私は他の共犯を選んだ。美梅おねえちゃんだ。本当に血のつがった姉妹ではな
く、親戚関係だけど、姿形は周りの誰もが驚くほどそっくりで、年齢も半年違いの同学
年。私にとって美梅おねえちゃんは姉も同然、美梅おねえちゃんにとって私は妹同然。
そして美梅おねえちゃんは、私に夢を託している。おねえちゃんが諦めさせられた、ア
イドルになるという夢を。
 私が今やっているのは、一時期、雨後の筍よりもにょきにょきとあちこちで芽吹いた
地下アイドル、ローカルアイドルの類だけれども、ここからのステップアップを目指し
ているのは断るまでもない。三人組のグループでやっていて、“実は三人の仲が悪い”
設定が意外と受けているみたい。大物漫才コンビとかによくある不仲を真似ただけなん
だけど。実際問題、三人とも単独で売れることを目標にしており、メンバーの誰かが単
独で大手から声が掛かったとしても、三人一緒にという殊勝な態度は取らないというの
が約束としてできあがっている。もしも大手から三人まとめてと言われたら、そのとき
考えるってことになってたけれど、実は今、私は打診を受けている。唾を付けておこう
レベルだけど。五本の指に入る大手ってではないにしても、メジャーなのは間違いない
とこ。
 そんな大事なときに、過去の亡霊が現れた。まだアイドルを目指すと決めていなかっ
た小学生の頃、クラスで一番格好よく見えた男子、姉崎統一と半分お遊びでキスを何度
かした。何回目のときか知らないけれど、姉崎はキスしているところを私に黙って撮影
していた。以来、写真をどう使ってきたかは知らないけれども、大事に保管していたの
は確実。今になって、私を脅す材料にしてきたのだから。
 姉崎が格好良かったのは小学校までで、中学に入ってからは文字通り、伸び悩んだ。
小学校ではずっと高身長のポジションだったのが、十三歳を境に背が一向に伸びなくっ
て、周りの男子に追い抜かれた。それで萎縮したのかしら、性格が卑屈になって、子分
体質が染みついた。男子は高校以降でも背が伸びるのが普通だろうから、そんな気にす
る必要なかったのに。
 姉崎に優しい言葉をかけていたら、今こんなことで悩まされなくて済んだかもね。け
れども中学生の私は気が回らない上に、アイドルを目指すのに夢中になってた。結果論
だけど、手を差し伸べなくて正解だったと思う。現在の姉崎は頭の方もちょっと足りな
い単細胞になったみたいで、私が下手に出たら、大事な写真を簡単に手渡してくれた。
他にコピーを作ってもいない。
 その後、私が連れなくしたせいで姉崎は怒りを募らせ、証拠がなくても子供の頃のこ
とをぶちまけるとか、イベントに乱入して邪魔してやるとか言い出した。そんな真似さ
れたら、たとえ私に非がなく、身体的にも無傷で終わったとしても、受けるダメージは
大きい。メジャーデビューの道が閉ざされる恐れもある。お金なんかで大人しく口をつ
ぐんでくれそうにもないので、始末するしかないと決めた訳。
 計画は至ってシンプルに。なるべくしっかりしたアリバイを作る、これだけ。具体的
には、決行当日、矢代に私を尾行させる。先立つこと十日ほど前に、矢代の前でメモ書
きをわざと落とす。そこには、決行当日の私のスケジュールが記してある。スケジュー
ルと言ってもオフ日で、要するに一人で遊びに行く予定みたいなもの。矢代からすれ
ば、憧れのアイドルのプライベートを覗けるのだから、ついてこないはずがない。
 当日、私は軽い変装をして遊びに出掛ける。矢代が尾行してくれないことに話になら
ないので、確認するためになるべくゆっくり行動した。さらに、矢代には私が間違いな
く私であることを一度は見せておく必要があると思ったので、電車の中ではすぐ隣に立
てるように誘導した。興奮して痴漢行為でもされては面倒だったけれども、さすがにそ
れはなかったわ。
 とにかく思い描いていて順通りに下準備を重ねた上で、予め決めておいたデパートの
トイレに向かう。そこで待機していた美梅おねえちゃんと入れ替わるのだ。私とおねえ
ちゃんは容姿や背格好はそっくりなので、ファッションを同じにすれば判別不可能。女
性用トイレのスペースに矢代は入れないから、入れ替わりは楽勝でできる。
 矢代が美梅おねえちゃんを尾行し始めたら、もうこっちのもの。自由時間を確保した
私は、姉崎を始末しに行く。首尾よく、目的を達成し、再び女子トイレ――今度はアミ
ューズメント施設の――で、おねえちゃんと入れ替わる。
 実際にやってみたら、時間のタイミングが意外と合わせにくかった。入れ替わるまで
手間取って、姉崎との待ち合わせ時間に遅れそうになったり、逆に二度目の入れ替わり
にはトイレに早く来すぎてしまったりしたけれども、何とか乗り切れた。
 最も困難だと思っていた姉崎を殺す方は、あまりにうまく行って、拍子抜けしたほど
だったわ。おかげで、トイレ到着が早すぎた訳だけど。
 美梅おねえちゃんには、殺人のことは全く話していない。入れ替わりをする理由とし
て、「私の行動を全て把握したつもりでいい気になってるファンがいるから、ちょっと
鼻を明かしてやりたいの。私とおねえちゃんが途中で入れ替わって、気付かなかった
ら、あとで入れ替わりの証拠を突きつけて、おあいにく様でしたって。ある意味、ファ
ン冥利に尽きるでしょうし、悪いことじゃないと思うんだ」ってな具合に持ち掛ける
と、承知してくれたの。
 ――こんな風にして、うまくやり遂げたつもりでいた。いや、実際にうまく行ってい
る。誰も私を疑っていない。事件が発覚し、被害者と私とのつながりが明らかになった
時点で、美梅おねえちゃんは私を疑いの目で見ると覚悟していたので、そのためのいい
訳に頭を悩ませていたのだけれども、説明する必要に迫られていないのは助かる。た
だ、こうまで何の音沙汰もないのは、かえって不気味。
 だって、警察が姉崎と私とのつながりを見逃すはずがない。この目で見た訳じゃない
けど、姉崎は私の電話番号を知っているのは間違いないし、録音している可能性もあっ
たから会話には凄く気を遣った。写真だって、小学生時代の分はうまく取り上げたけれ
ども、こうして今また会ったときにこっそり撮られていたかもしれない。もっと言え
ば、日記のような形で、あいつが私について何か書いていれば、警察が私に注意を向け
るのは絶対確実だと思える。なのに、何もなし。
 姉崎は、私に関する記録を一切残していなかったのか? だったらラッキーなんだけ
ど、そう思い込むほど私は子供じゃあない。
 きっと、ちゃんとしたわけがあって、調べに来ないんだ。それがいいことなのか悪い
ことなのか、判断はつかない。とにかく、審判の下る期日を決められないまま待たされ
ている感じが、途轍もなく嫌な心地。
 こんな心理状態だと、大手の事務所の偉いさんが見に来る日も集中できなくて、つま
らないミスをしてしまうかも……。

             *           *

「僕がやりました」
 矢代実和は同じ主張を繰り返した。
 やってもいない殺人の罪を被ることが、今後の人生にどんな悪影響を及ぼすか、想像
できない彼ではなかったが、そのマイナスを補ってあまりある、大いなる喜びに満たさ
れることを彼は選んだのだ。後戻りはもうできない。
 あの日――矢代が追っかけをしているアイドル・竹地小百合のプライベートを知るべ
く、尾行をした日を思い起こす。矢代は途中で異変に気付いた。
 発信器の信号と、目の前を行く竹地小百合との動きがずれてきた。
 あの日は千載一遇の好機だった。だから、奮発して高性能の小型発信器を電気街で前
もって購入しておいた。ただ、最初から彼女に発信器を取り付けられるなんて、気安く
見通していた訳ではない。チャンスがあったらぐらいの気持ちだった。なので、ほんと
にチャンスが訪れたときは、少々焦って興奮してしまった。電車の中で竹地小百合と異
常なほど近距離まで接近できたからだ。荒くなった鼻息で気付かれるのではないか、周
囲から痴漢に見られるのではないかと心配になったが、杞憂に終わり、発信器を無事に
彼女の服の背中に取り付けることに成功した。
 それ以降の追跡は、発信器の所在を示すモバイルの画面を時折チェックしつつ、竹地
小百合の後ろ姿を見失わぬよう、付かず離れず動いていたのだが。
 着替えてもいないのに、発信器の動きがずれを生じたのは何が原因か? トイレで発
信器に気付いた彼女が取り外し、水で流してしまったか、他人にこっそり付けたかと思
った。しかし、眼前の少し先を行く竹地小百合を見つめる内に、はっとなった。
 あの女、竹地小百合じゃない。
 理論立てての説明は無理だが、矢代には分かった。竹地小百合に似せた女だと。この
現実を前にして、下した結論は一つ。トイレで入れ替わったのだ。発信器が竹地小百合
に付いたままなのだから、偶然同じ服を着ていたのではなく、計画的に準備して同じ服
にしていたことになる。そんなことをする理由も気になったが、それよりも何よりも、
自分は竹地小百合を尾行せねばならない。他の女を追い掛けても何の意味もなく、人生
の無駄である。
 矢代は発信器の信号を頼りに、本物の竹地小百合を捜し求め、見付けた。息も切れ切
れになっていたが、努力して平静を装い、彼女の尾行を続けられたのは我ながら誇らし
い。だが、彼のそうした幸福感は、約一時間後にひびを入れられる。
 崇拝の対象とも言うべき竹地小百合が、男を殺した。
 矢代はショックを受けた。アイドルの殺人行為そのものも多少はショックだった、そ
れ以上に彼女が、誰も関心すら示さないであろう寂れた公園で若い男と二人きりで会
い、しかも殺し殺されるというような関係にあったことの方が、より大きかった。
 そして矢代は初めの衝撃から脱すると、今さらながら竹地小百合の狙いに思いが至っ
た。僕はアリバイトリックに利用されたのだ――ああ、なんて僥倖だろう。光栄の極
み、これを甘んじて受けなくて、何がファンだろうか。
 しかし、矢代はそれだけでは飽き足りなかった。もっともっと、彼女のためになりた
い、身を投げ出してでも犠牲になってでも、竹地小百合を守ろうと強く思った。
 だから矢代はまず、竹地小百合が去ったあとの殺人現場に止まり、植え込みの一部を
なす大きめの石を持ち上げると、横たわる男の頭に打ち付けた。男がその時点で死んで
いたのか、まだ息があったのかは知らない。とどめを刺すというよりは、竹地小百合が
残した刺し傷とは全く異なる損傷を男の身体に付けるためだった。こうしておけば、万
が一にも彼女が警察に捕まり、厳しい尋問に耐えかねて自白したとしても、現場と状況
が違うのだから、捜査員達も犯人だと断定するのを躊躇うに違いない。
 その上で、矢代は決意をしたのだった。男を殺した犯人として名乗り出ることを。動
機は、僕の好きなアイドルの悪口を男が言うのを耳にしたから、とでもしておけばい
い。今時の若者の無茶苦茶な犯行動機と捉えてくれるんじゃないか。
 未成年だから、自分の情報が簡単に公になることもなかろう。その点、気が楽だが、
少し残念でもあった。顔写真も名前も表に出ないのなら、竹地小百合に自分の英雄的行
いを知ってもらえないではないか。
 まあいい。彼女のために自首すると決意した瞬間は、人生の中で最大級に至福の時だ
った。それを思い出に、生きていける。

――終




#461/470 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/02/18  22:07  ( 37)
日常SS・SF>隣の芝は青い $フィン
★内容
「隣の芝は青い」

 若い男の人と恋に落ち、結婚して、男の赤ちゃんが生まれました。

 手狭になったアパートから引っ越して、一家三人が住める犬が飼えるだけの小さな庭
に青い芝生が敷きつめる程度の一軒家を買いました。当然年相当の係長の夫の給料で一
気に返済するのは無理でした。夫と話し合い30年ローンの手続きをして少しずつ返済す
る方法を取りました。
夫の収入はそこそこあったものの毎月住宅ローンの返済で家計は苦しく、新聞のスー
パーの広告を見ながら特売品に赤いマジックで丸く印をつけ、玉子1パック98円の日は
必ず行って長い行列の中の一人となり、苦しいながらも家計をやりくりしていました。

夫の間に生まれた男の子は少しやんちゃだけど聞き分けの良い子供に育ちました。平凡
だけど夫と男の子の三人の暮らしぶりは幸せそのもので、もし幸せのパンフレットがあ
れば一番最初に載ってもおかしくないものでした。

 ある朝のことです。どこにでもある市販の食パンをトースターで焼き、インスタント
コーヒーを作り、夫はそれらを食べ終わった後、新聞を読みながらたばこに火をつけま
した。家の中でもしないでと言ってきつく夫を睨みつけました。すると新聞はめらめら
と燃え上がりました。夫は燃え上がる新聞から手を放し、誰も見ていないからそれぐら
いいいじゃないかと謝りました。

 手に少しやけどをして夫が逃げるようにあたふたと会社に出かけました。

しばらくして男の子が目を覚まし、目やにを手でこすりながら夫婦喧嘩またやったのと
聞きました。

 ううんちょっとねと言って食器を洗いながら軽く笑いました。

 男の子が小学校に出かける前に誰かと喧嘩しても燃やしたら駄目よと少し注意しまし
た。

 うんわかっていると男の子はうなづいて黒いランドセルを背負っていつものように小
学校に行きました。

 男の子を小学校に送りだした後、青い空の下白い洗濯物を干しながら今日も平凡でい
い日になりそうだと思いました。




#462/470 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/24  21:17  (160)
SF>二つの世界
★内容
 ここはこの世の楽園の世界、暖かい太陽の日差し、緑は繁り、小鳥は歌い、人々は笑
顔を浮かべて暮らしている。
 突然、ある物体が何もない場所に出現した。中からは頭全体をおおったマスク、全身
にも防護服をまとった奇妙な二つの人型のものがある物体から出てきた。
「ここが、私たちを救う世界なのか」頭全体におおったマスクに内蔵された通信機から
男の声で相手に声をかけた。
「本当よ。私の計算は完璧にあっているはずよ。そのために私たちは選ばれて生まれた
ときから特殊教育を受けて、この機械に乗り込めるように訓練されたのだから。それに
しても放射能で汚染された私たちの世界とはえらい違いだわ。それにここでは汚染値の
数値が0になっているの。見てあの緑を、博物館で永遠に冷凍保管されて、よほどの許可
申請をしないと見れないはずの植物が本来の姿を取り戻しているわ。ところで息はでき
るのかしら」男の声に反応して、頭全体におおったマスクに内臓された通信機から女の
声で答えが返ってきた。
「おまえたちが来るのを長い間わしは待っていた」二つの人型の前に一人の老人が、こ
こにある物体が現れるのを知っていたかのように立っていた。
 二つの人型のものは突然現れた老人に狼狽したような様子を見せた。
 「怖がらなくてよい。おまえたちがここに来るのは以前から予言されておった。そん
な邪魔なものは取り去ったほうがいいぞ。ここは健康にはまったく害のない安全な世界
だ」
 二つの人型のものはお互い内臓された通信機で盛んに話しあい、やがて恐る恐る頭全
体をおおったマスクと、全身に防護服をまとったものを脱ぎ捨てた。
 中からはあらゆる装飾品を排除されて非常にシンプルな人工的なものを着た二人の男
女が現れた。
 身体を守るすべてのものを取り去った二人は生まれて始めて自然の息吹に感動した。
日頃している性行為など問題にならないものだった。今まで感じたことのない充実感を
得た。はじめて嗅いだ自然本来の甘い空気に酔いしれた。激しい快感に酔いしれ、心は
激しく乱れたままこのままじゃ狂うのじゃないかと思いにとらわれた。しかし表面上は
二人は長い間立ったままだった。長い間老人は文句を言わず待っていた。
 だけど二人は特殊教育を受けた効果の一つ感情の乱れも落ち着かす方法も学んでい
た。その能力を使ってなんとか感情の乱れも治まった。二人は落ち着いて改めて老人を
見た。老人は威厳を持って立っていた。だけども老人は二人の様子を見て、微笑みを浮
かべていた。
「あなたは誰ですか」男は目の前の老人に不安そうに聞いた。
「わしはこの世界の代理人じゃ。ここの世界は始めてだろう。案内人がいなければおま
えたち二人が困るだろう。私が案内人になってやろう」代理人の老人は威厳を持たせつ
つ二人に不安を持たせないように優しく笑って答えていた。
 その後二人はそこで働いている人々に出会った。人々は汗を流し、汗は太陽の光を浴
びてきらきら光っていた。人々は代理人の老人とこの世界の人とはまったく違う衣装を
まとった二人の姿に関係なく、みんな同じような反応をした。人々は忙しそうに枯れた
茶色の植物らしい何かを刃物らしいもので根元から切っていた手を休め、かがめていた
姿勢から立ち上がった。そして以前から決められていたようにみんな笑顔で出迎えた。
 人々はみんな競いあうように自分たちの家に招き入れようとした。老人は一組の夫婦
を指差した。一組の夫婦は神から選ばれた者のようにあふれんばかりの笑顔を作った。
夫婦は、自分たちの家に丁重に二人をもてなした。
 代理人の老人と夫婦が家屋の奥に引っ込んでから二人はお互いにこの世界の感想を言
い合った。
 「ここはいいところだわ。放射能に包まれた地獄のような世界とは大違いだし、それ
に人々の態度も素朴で優しそうだわ。ここにずっと住みたい気持ちになってきたわ」
 「おいおい忘れてもらっては困る。私たちがここに来た本来の目的は死にかけている
地球のために、この世界をたずね、地球を救う方法を教わるためにきたのだぞ」
「しかしこの世界があってよかったわ。私たちの世界がこのまま続くと草木も生えない
放射能で汚染された地獄のような死んだ星になっているかと思ったの」
「この世界があるということは私たちの世界も助かるということだな」
 奥から代理人の老人と夫婦が出てきた。二人は会話をやめた。
 夫婦はなにやら得体の知れないものを二人の前にいくつか運び込んで出してきた。
 最初に何かを加工されたらしい白い無数の汚らしいつぶつぶが白い容器に入って出て
きた。それには熱でも加えられたのか少しそれから白い煙が出ていた。それが何かわか
らなかった。次に加工された薄茶色のどろどろになった汚らしい液体が茶色い容器に入
って出てきた。それにも熱が加えられたのか少し煙が出ていた。それも何かわからなか
った。最後になんとか植物とわかるが、深い緑色の汚らしいものが白い容器に入って出
てきた。それには熱が加えられていないらしく白い煙はまったく出ていなかった。それ
が何もわからなかった。黒い液体に透明の容器に入った汚らしいものが出てきた。その
液体の出入り口は非常に小さいもので白い煙がでいているのかさえわからなかった。そ
れも何かわからなかった。そして最後に更にわからないものが出てきた。なんと小さな
白い容器に何も入っていないものまで出てきた。二人の世界では何かを入れるのに容器
は必要だから、何も入れていない容器を出すには無駄としか思えない非常識そのものだ
った。出てきたものすべてが二人にはそれがなにかまったくわからなった。
 しばらくの間二人はそれらを前にして黙って眺めていた。
 「大丈夫だ。そのまま食べても何も起こらん」二人の様子を見ていた代理人の老人は
笑顔で戸惑う二人に保障した。
 「これは食べられるものなのですか」二人はびっくりし、汚物を見るようにそれらを
見た。
 二人は今まで人工的に作られたタブレットしか栄養を取ったことがなかったので、こ
の世界でこれが食べ物とは思いもつかなかった。それにこれらをどんな食べ方をしたら
いいのかすらわからなかった。
 二人は目の前に博物館でしか見たことのない貴重品の木材らしいものを見た。それも
細くて長い二本の木材が置かれていた。どうやらこれを使って食べるのだろうと二人は
思った。
 だが二人は二本の木材を見たものの手にとったもののどう扱えばいいかまったくわか
らなかった。
 それを見た代理人の老人は夫婦に二人に食べる方法を教えろと威厳を持って命令し
た。
 夫婦は労を惜しまず一生懸命二人に二本の木材で食物を食べる方法を教えた。
 二人は夫婦に教えられたとおりに貴重品を壊さないように注意深く手に握った。二人
はぎこちない持ち方で二本の木材を手で目の前の食べ物を長い間掴もうと苦労したあげ
く、ようやく白いつぶつぶの一つ取り出すことに成功した。
 男は二つの木材を使って取り出すことに成功した食べ物と言われる物を、目的の物を
受け取るとるために糞便を食べるつもりで我慢して精一杯の勇気をふりしぼって口に入
れた。
 そのとたん、今まで食べたことのない自然のありのままの食べ物の味に全身が金縛り
になるほど驚いた。
 その後二人は二本の木材を使い苦労しながらも自然のありのままの食物を長い時間を
かけて全身が幸福に酔いしれ感動して食べ続けた。最後には二人は何も入っていない小
さな白い容器のわけを理解した。なんと黒い液体が入った透明の容器から白い容器に注
ぎ込み、それを深い緑色の植物らしいものにつけるのだ。何も入っていない小さな容器
も非常識だったが、その容器から食べる深い緑色の植物の食べ方も、二つの食べ物を組
み合わせるなど贅沢極まりない。二人の世界には非常識そのものだった。
 夫婦は神託を待つ信者のように長い時間何もせず二人を見つ続けた。
 「どれもこれも私の世界では非常識な食べ物ばかりだ。こんな食べ物は今まで食べた
経験がない。それこそ神しか食べられないほど素晴らしいものばかりだった」この世界
でいう食べ物を食べ終えた男は感情を抑えきれず大きな声で叫んだ。
 夫婦はその言葉を聞いて栄光に包まれたかのように笑みを浮かべて喜んだ。
 二人は代理人の老人に連れられて夫婦の家を後にした。二人は立ち去る前に今まで食
べたことのない素晴らしい食べ物を与えてくれた夫婦に非常に丁寧にお礼を言った。夫
婦は戸惑ったような笑顔で二人の言葉を受け入れた。代理人の老人と二人の姿が見えな
くなるまで夫婦は玄関の前で動くこともせず立ちすんで見ていた。
 代理人と二人は長い道を歩き始めた。代理人の老人と二人の姿を見ると人々は枯れた
ような茶色い植物の刃物らしいもので根元を切る作業をやめて、かがみ込んだ体勢から
立ち上がり、人々は笑顔を向けた。そして代理人の老人と二人の姿が見えなくまで人々
は動くこともせず立ちすんで見ていた。
 やがて、灰色の四角い巨大な建物が二人の前に見えてきた。
 二人は代理人の老人の後について歩いてきていた。それは長い回廊で奇妙に入り乱
れ、さながら永遠に続く迷宮のように二人は思えた。この目の前の代理人の老人が案内
がなければ死ぬまでこの迷宮から出られないような気がした。だけど、代理人の老人は
生まれたときなら訓練されたかのように迷うことなく迷宮の道を抜けていく。
 やがて、一つの部屋に代理人の老人と二人は辿りついた。
 そこの部屋の中央に黄金に輝く巨大なコンピューターが置かれていた。
 「これは、おまえたちにもわかるだろう。コンピューターというものじゃ。おまえた
ちをここに呼び寄せたのもコンピュータの力だ」代理人の老人は言った。
 「わしらの今はおまえたち二人にかかっておる。この設計図通りに作れば、放射能の
除去方法や、滅びかけている植物や動物の再生の仕方も、おまえたちの世界で作られた
このコンピュータがすべて教えてくれるじゃろう」代理人の老人は言った。
 そして帰りも代理人の老人の案内でこの灰色の四角い巨大な建物から出た。そしてま
た代理人の老人の案内で二人は元の道を同じ経路で帰って行った。男はある物質に乗り
込む直前、老人から一本の容器を渡された。二人はそれより遙か昔のことは知らなかっ
たが、21世紀の人がもしいれば蚊取りスプレーと間違えたに違いない。 
 二人は設計図と動植物の種や細胞を持って、自分たちが乗ってきたある物体の中に入
っていった。男は老人から渡された容器から上のぼたんを押すと一斉に空気が圧縮され
て、容器の成分がすべて出た。その後女は計器を見て、放射能の汚染値の数値が0と言っ
た。そうして二人は自分たちの住む世界に帰って行った。
 ある物体がこの世界から消えたのを見届けた後、代理人の老人はすべての役目が終わ
ったように長いため息をついた。
 
 「どうしてあの世界では代理人をのぞいて子供と老人の姿を見かねなかったのでしょ
う?」時間旅行中、ある物体の中で行きかけと違って帰りは身軽になった女が、手を盛
んに動かして機械を操作中に、不思議そうに聞いた。
 「なあにそりゃあれだけ、幸せな世界だ。きっと子供や老人は更に快適な場所で暮ら
しているのだろう」男も女と同じように手を盛んに機械を操作しながら答えた。
 その後二人は互い無邪気に笑いあった。
 
 しばらくして老人は黄金に輝く巨大なコンピュータの前に立っていた。二人の男女に
みせた威厳の仮面をはぎとり、無力そのものの老人の姿になっていた。そしてうやうや
しく足を折り敬虔な信者のように祈るようにひざまついた。
「先ほどは貴方様のことをコンピュータと蔑んだ言葉を使い、私は永遠の罪人になる覚
悟はできております」老人はすべての罪を償う罪人のようにコンピューターの前で謝罪
した。
「気にすることはない。私のしもべよ。あれは一種の俗語にすぎん……それより過去の
世界では老人が尊敬されていたらしい。そこでそなたの存在が必要だった。あの二人が
帰った後はそなたの務めはもはやすんだ。これからそなたは安らかな長い眠りに落ち、
また私のしもべとなり復活の時を待て」
 「ああ、偉大なる神よ。罪深い私のすべてを許してくれるのですね」老人は大粒の涙
を大量に流して、神からすべての罪が許されたことを知った。
 老人はこの世界の決まりどおり、迷宮の回廊を抜けて、ある部屋に入り自ら進んでガ
ラスの容器に入っていった。
「ああ、ようやくわたしも・・・」老人は恍惚におびた表情でそうつぶやくと全身にま
ぶしい光におおわれ身体中の細胞が分解されていった。かつて老人だったものはすべて
あるチューブの中に流れ込まれていった。そのチューブの先には巨大な培養液があり、
培養液の中から無数のチューブがはりめぐされて、その先には無数のガラスの容器があ
り、その中で羊水に似た液体の中で無数の子供たちが神に包まれたような安らかで幸福
に満ちた顔で大人になって目覚めるまで眠り続けていた。




#463/470 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/27  14:28  (232)
仮面をかぶった少年 $フィン
★内容
 色の白い端整な顔だちの少年と大振りの少しにきびのできた少年がふざけあって部屋
の中で遊んでいた。部屋の中に置かれていたクローゼットの隙間から新しい学生服が見
える。どうやら二人の少年の身体たちと新しい学生服から高校に入ったばかりのよう
だ。二人とも長い間部屋の中で笑い、馬鹿話をしてはしゃぎまわる。ためぐちを叩きあ
い、仲のいいところを見ると二人の少年たちは親友らしい。大振りの少年はベットの下
に隠していた裸体の女の写真集をもう一人の少年にどうだ凄いだろといって自慢げに見
せる。二人の少年はそれをじっと見ていいなと言って笑う。


 時間が過ぎてすぎ、色の白い少年は部屋に置かれていた目覚まし時計を見て家に帰ら
なきゃと言う。おい待てよと大振りの少年は言う。大降りの少年は、あそこじゃ美味し
い飯を食えなかっただろと言う。自分の母親が少年たち二人のために腕によりをかけて
美味しいものを作ったのだ。食べていけよと言う。色の白い寂しい顔をして首を振って
少年は断り、大振りの少年は勧める。なんどか同じやりとりが続き、やがて色の白い少
年が部屋を出るためにドアのノブに手をかける。


 そのとき、大振りの少年が怒ったようにある一つ単語を言った。ある単語を聞いて、
色の白い少年は能面のように凍りついた。そして色の白い少年は振り向き、大振りの少
年の方に顔を向ける。大振りの少年は、色の白い少年の顔を見た。色の白い少年はさっ
きまであった笑顔や寂しい仮面のような顔はすべて消え去り、なんとも言えないような
悲痛に満ちた仮面のような顔になっていた。君は酷いこというね。ぼくはこの言葉が一
番傷つくよと言った。確かに君の言うとおりなのかもしれないね。でも、心はまだ人間
なのだよ。


 君の知っているとおりぼくは事故にあった。学校の部活で帰るのが遅くなり辺りは暗
くなっていた。帰るのが遅くなってかあさんが心配しているからと思って急いで横断歩
道のない道を通ったよ。あれがぼくの最大の過ちだったと思っている。悔やんでも悔や
みきれない。あれさえなければこんなことにはならなかったはずだからね。ぼくはそれ
からの記憶はまったくなくなっている。


 どうやらぼくは車に轢かれたらしい。ぼくを轢いた車の持ち主は急いで救急車を呼ん
だのだけど、しばらくして救急車が到着したらしい。ぼくは全身血まみれでずたずただ
ったらしい。救急隊員はぼくを担架で運びながら可哀そうにもうこの少年はもう助から
ないなと思ったらしい。ぼくはその時本当にに死にかけていた。それでも少しの望みが
あればぼくを生き返らそうと、ぼくの心臓に何度も電気ショックを与えた結果、なんと
か心臓は動きだした。一緒にかすかだけど息もしたらしい。だけども油断はならない出
血はまずまず激しくなる。ぼくは救急車の中でいつ心臓がとまっても同じくない状態だ
った。緊急隊員は善意のある人で慌てた。まだ若い将来性のある少年を助けようと思っ
たのだろうね。いろんな病院に掛けても次から次に病院に断られた。最後の病院である
特殊な施設に行けば、もしかしたら助かるかも知れないと言われたらしい。そこで緊急
隊員は指定された場所に行き、ぼくは救急車から降ろされた。ぼくはヘリコプターの中
に入れられて、息もたえだえのぼくをなんとか死なさないために一気に冷却保存され
て、運ばれた上にぼくは特殊な施設に入れられたらしい。


 特殊な施設の研究員がぼくの家に来て、家族にぼくが助けられるすべが見つかるかも
しれないといろいろ説明されて、いきなり何枚かの用紙が渡させたらしい。ぼくの家族
は内容もほとんど確認せず、ぼくを助けたい一心ですべてのものにレを入れ、印鑑を押
して、用紙を研究員に渡したらしい。

 家族は小さな字で書かれた条件までもよく見ておくべきだった。ぼくが自ら死を選ん
だら、ぼくを助けた費用が全額家族に払わせる仕組みになっていた。研究員は悪魔同様
の巧妙な手口で家族を騙し、ぼくが死なせないように追い込んだ。これでとりあえず悪
魔のような研究員とぼくの家族との間は契約成立した。


 その後、特殊な施設の中で冷却保存されて死体同然になったぼくを、悪魔が喜ぶよう
な人体実験は始められた。ぼくは研究員があらゆる装置を使ってくまなく冷淡に判断し
て条件にあうものか徹底的に調べ上げたらしい。

 ぼくは、最初にある中に入れる条件にあうか身長や体重や体型を調査させられた。そ
れはすぐ適応することができた。その後も徐々に深く調査させられた。身体の表面から
見える身体の損傷具合など調査させられた。それに髪の色とか太さまでも調査させられ
た。目の網膜の色や大きさなども調査させられた。

 

 それらの条件に完全にあったぼくなのさ。条件にあわなかったぼくの他のたくさんの
見殺しにされた少年たちの遺族は可哀想だな。自分たちの息子の顔に白い布をかぶせら
れて見せられた後、研究員から最善の対策をうちましたが、駄目でしたまことにすみま
せんでしたと言われたら悲しみの涙を大量に流すだろうね。それでもぼくにはちょっと
うらやましいかな。ぼくは変に悩まず死んだほうがましだったし、少年たちの遺族には
ぼくには持っていないものがあるからね。

 

 すべての条件にあったぼくは研究員から特殊な処置をさせられた。ぼくの身体から脳
だけが取り出され、ある中に入れられた。

 その後ぼくは起きたとき覚えているのは灰色の部屋にぽつんとともった蛍光灯だけだ
った。鏡も洗面台もなかったね。その時にはぼくには必要のないものだったのだろう
ね。ぼくは鉄のベットに布団も何もかけてられていない状態だった。そしてなにげなく
自分の手を見たよ。ぼくの手は信じられないような異様なものに変貌していた。ぼくは
おののき狼狽したよ。しばらくして身体中を観察したよ。手だけではなく全身が異様な
ものに変貌していたのだよ。そのときのぼくの恐怖が君にはわかるのかな?おそらくわ
からないだろうね。

 しばらくして、研究員は入ってきて、恐怖で戸惑うぼくに笑顔で実験は成功としたよ
と神の祝福のような言葉を投げかけてくれた。


 その後ぼくは生かされるために研究員の指導の元毎日規則正しい栄養を摂取させられ
た。その後ぼくは、研究員はぼくの恐怖に満ちた心の状態を知らないまま、冷静にぼく
の脳の状態と身体が不適合を起こさないかをいろいろ調査して、今後の参考のために念
入りにデーター入力をして、その後の経過を観察され続けた。

 幾日がたちぼくは表面だけは人間らしい姿になった。何せ脳は計画的にできてすぐに
取り出せたもの、脳がなくなりぼくの死んだ身体から表面の皮を剥ぎとり、有機物の人
間の皮と無機物のものと接続可能なのかいろいろな特殊加工をするのにも時間がかかる
からね。

 その後、ぼくはみんなの前に晒されて、人類の希望とたたえられ発表された。世界中
の人は感動してぼくを見てくれた。ぼくは研究員から指示されたように最大の笑顔の仮
面をかぶり、手を盛んに振ったよ。でもぼくは笑顔とは反対にいつも心は泣いていた。

 そして君の知っている結果がこれなのさ。

 

 でもね。世間では公にされていないことがあるのだよ。

 ぼくの身体にはいろいろな秘密がある。それからぼくの顔すべすべして綺麗だろう。
それにうぶ毛もちゃんとついている。これも偶然に顔に一つも損傷部分がなかったから
なんだよ。もし一番目立つ顔に損傷部分があれば、ぼくの身体から取った細胞の培養に
時間がかかりすぎるし、同じ条件下で同じ皮膚の状態が作れることは滅多にないからな
んだよ。もし君が望むのなら服を脱いで裸になってあげようか。そしたら身体についた
損傷箇所が色や感触が微妙に違っているはずだからわかると思うよ。


 基本的には脳は人間のものだし、人間だった頃の皮は一応特殊加工されたもののまだ
人間らしいものを残している。それ以外はすべて人工のものなんだ。髪や眼球や歯や爪
の先まですべて完璧に人間に似せた人工の物なんだよ。

 ぼくは視覚、聴覚はかなり感度が高い。視覚は昼も夜も見えることはできるし、細胞
の一つ一つのものまで見えることもできるし、遠くは人間では見えない月のクレータま
で見分けることができる。研究者たち最高の傑作品を作るために全人類の技術を使いす
ぎて、やりすぎたのだろうね。でもぼくは人間の脳だから休めなきゃならないし、夜は
見えるが眠ることがなんどか努力してできるよ。

 それも聴覚も異常だな。ぼくのこの話を聞いている研究員関係の人は今のところ10k
m市内いないから大丈夫だ。

 だけど反対に嗅覚や味覚や触覚はまったく消去されている。そういうものは必要ない
と判断したらしい。

 脳だけは人間だから栄養を摂取しなければいけないから、人とは違って特殊な流動食
とペースト状の間の状態のものを食べないといけないし、まったく味を感じないし、食
べている気がまったく起こらないし、生きるために仕方がないから食べている。契約書
にしばられたぼくは家族のために死ねないから生き続けないといけない。 それにどこ
からでも栄養を摂取できるはずだけど脳に一番近い開閉口がたまたま口だからそこから
脳に与える栄養を効率よく短いチューブを通して送り込めるように設計したらしい。ぼ
くは人間が食べるようなものができないから、ぼくが食事を断ったわけがわかっただろ
う。

 ぼくが家で女の裸の写真を見て脳が興奮して、ある部分をこすっても何も感じない
し、ただ物理的に伸びるだけさ。微妙な人間らしい膨張などもいっさいないし、それに
胸や腹とかも同じことを規則的に膨らんだり凹んだりしているだけなのさ。でも外見は
普通の少年の日常の一定の生活のものだからさほど異常な事をしない限り、わからない
と思うよ。


 だけど表面から見える部分はすべて人間らしいものになっている。顔の表情も旨くで
きているだろう。頭の神経組織とある物と連動されて特殊加工された皮膚が微妙な表情
を作らせることができるらしい。ぼくは喜怒哀楽すべてが人間らしい表情ができる。だ
けど一点だけ欠点がある。一番人間らしい感情ができないのさ。こんな顔をしているの
に疑問に思ったことがあるだろう。

 ぼくが身体から脳が取り出されるときに一緒に脳の内部もほんの少しだけ変貌させら
れた。いや感情とかはごく普通のものだよ。

 その結果をぼくは試された。知能をあげる箇所を研究されて変貌させられたらしい。
知能テストでぼくの年代の少年の平均よりも化け物じみた高い数値を出したらしい。予
想以上の結果に研究員は満足したらしいな。今のぼくの頭の中は超天才だよ。 だから
いろいろなことが読めるのだよ。ぼくが事故を起こしてから目覚めるまで一切の記憶も
ないのに、論理的に分析にして今までのことを言ったのだよ。

 大丈夫、ぼくはこの後も普通の少年の仮面をかぶる。一応学校に復学したら一生懸命
勉強しているふりをする。そしてテストも最初はまごついて少しは高い数値を出すかも
しれないが、そのうち慣れてテスト配分の点数を読んで試行錯誤で何枚も仮面を剥ぎ変
えて最後は普通の少年の仮面をかぶれるようになれると思う。


 それからぼくは少しの先の未来が読める。ぼくはそのうち人類の種が衰えて、やがて
培養液のタンクから配給されて、ガラスの容器の中で羊水みたいな液体に包まれた胎児
がやがて大きくなり人間の赤ん坊の姿となったときガラスの容器から自動的に排出され
てくる日もあるだろう。物心がついた子供たちは自分が人間の腹の中で育てられた子か
ガラスの容器の中で人工的に作られた子か悩むだろう。

 さらにぼくみたいに事故にあったものは脳を取りだされて移植されるのは日常的にな
ってくるだろう。いや、自分からこの機能的な身体を望んで自らなろうとするものも現
れるだろう。やがて脳もすべて人工のものになる日もくるだろう。すべてのものは改良
に改良を加えて、視覚、聴覚、臭覚、味覚はもちろん触覚までも人間になる。例えば手
を切れば血が出て、普通に痛みを感じるようになる。


 子供の頃から自分が誰かと疑って大人になっても自分が誰かと疑って、疑い続ける存
在になる。やがてすべてのものが自分を何者かと疑問に思う日常に苦しみ続ける日も遠
からずくるだろう。

 最終的には一つのことに問題を集約させることになる。すべての意識を持ったものは
たった一つのことに悩みこむことになる。それは自分が何であるか。どういう道に進め
ばいいか。つまり、アイデンティティの問題さ。そしてぼくはその解決法も知ってい
る。現在自分は考えている。つまり意識を持っている存在であると開き直ればすむこと
さ。

 

 ぼくは以前は小さな存在だった。だけど今はあらゆる技術を応用してぼくの身体は複
雑なものに作りかえられた。君が言うようにぼくは人類の最新の技術で作られた最高傑
作品のロボットの最上部に脳だけを組み込まれて大きすぎる存在に成り果てた。 こん
なぼくを怖いと思うかい? いいよそう思われてもぼくにはまだ理解することができ
る。少し変貌させられたけど基本的には脳は人間のもの、皮は特殊加工させられた元は
ぼくの物だった。それ以外の身体は全部異様なものに変貌されている。どれもこれも中
途半端な能力があるけど、基本的には人間の脳だけは持ってから人間らしい感情はまだ
残っている。

 だけどぼくは中途半端な存在であるが故に、自分の眠り続けていた過去のことだけじ
ゃなく、遠い昔の人間の過去の深刻な悩みもわかるし、遠い未来の人間の深刻な悩み
も、その解決法もごくに簡単にわかってしまう。君から見れば人間の理解を超えた神か
悪魔のような両面をそなえた仮面を持っているわけのわからない存在になってしまった
からね。


 ぼくを恐れて君が離れていっても決して文句は言わない。でもね。ぼくは君と親友で
あり続けたいのだよ。ぼくはすべての仮面を剥ぎ取って君だけに心の叫びを言ったつも
りなのだけどね。とにかく君がどう答えるかぼくは返事を待ち続けることにするよ。


 じゃあね。ぼくは帰るよ。

 色の白い端整な顔たちをした少年はそう言うと帰って行った。少年は泣き出しそうな
表情を話し続けていても、人工の眼球からは一滴の涙を流せなかった。

 

 しかし人間の理解を存在になっても少年は知らないことが一つだけ残されていた。そ
れは少年はまだ仮面をかぶったままだったのだ。

 仮面をかぶっているものは決して涙を流すことができない。




#464/470 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/30  21:53  (149)
チート転生>1000年同じ姿でいる黒髪と黒瞳の美青年の話
★内容                                         19/04/02 12:30 修正 第3版
俺は新幹線のトイレから出て手を洗っていると、今の俺の顔に似た黒髪、黒瞳の美しい
顔の少年が見つめていた。
 「おとうさん」少年は俺に向けて言った。こいつは俺の息子だ。こんな風にさせて可
哀想なことしたなと俺は思った。
 
 俺は本当は別次元の頭脳明晰、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に更にオプ
ションがついてエルフ族最大呪術力まで持っているいわゆるなんでもできる万能のエリ
フ族、最大の王族の王子様だったんだ。
 
 俺は20歳になったばかりの年に、無邪気に遊びに行きたくて、呪術をつかって、別の
次元に行ってしまった。
 そこについたら、俺は驚いたよ。俺のまわりには汚らしいものがいっぱいあったのだ
な。見るものすべてが汚らしい。それに汚らしいものたちは俺を化け物を見るような目
で見やがる。俺は顔面蒼白、パニック状態だぜ。頭の中真っ白でいろんなところを逃げ
回ったよ。すべてが汚らしい。汚らしい。汚らしい。どこ行っても汚らしいものばかり
なのだな。それでなんとか考えて呪法を使って元の次元に戻ろうとしたらできない。何
度やってもできない。どうも俺の持っている呪力のほとんどを使って、ここに来てしま
ったらしい。
 それで俺はなんとか妥協策を考えた。少しの間だけこいつらの中に溶け込もうって、
それで少しでもましな奴を探そうとした。この次元では、箱の中で写真が動いていた。
後できくとテレビというものらしい。その中では黒髪、黒瞳の20歳前後の汚らしい男が
写っていた。あんまり趣味じゃないが、なんとか我慢して、俺自身をそいつとうり二つ
の顔に変貌させようとした。それぐらいの呪力は残っていたらしい。一発で変貌でき
た。それが今の俺の顔だ。今で言うと俺は美青年と言うものらしい。
 
 その後、腹が減ったので、汚らしいものの中に入った。後で教えてもらったが屋台と
いうものだったのだな。宝石とか金目のものは一切持っていなかったが、なんとか持っ
ている紙幣を数枚見せて、そいつらの餌を買おうとした。ところが、屋台の爺ぃは俺の
持っているものを見ながら馬鹿にした顔でおにいちゃん玩具のお札を出したら駄目だよ
ってにっと笑いやがる。そうだ俺の元の次元とここの次元は紙幣がまったく違ってやが
ったんだ。俺はエルフ族、最大の王族の王子様から一文無しのおにいちゃんに超格下げ
になっちまったのだよ。
 
 呪力を使って、何かそいつらの餌を出そうとしても出てこない。どうやら別次元の移
動と顔の変貌ですべての呪力を使い切ってしまったらしい。それから丸一週間、そこら
の水だけ飲んで、何も食べるものがなかった。俺はふらふらでどこをどう歩いたかまっ
たく覚えていない。さ迷える生きたゾンビ状態だった。倒れてのたれ死んでもおかしく
なかった。俺は気が遠くなり眠りについた。
 
 俺は次に気がつくと汚らしい布の中で寝ていた。汚らしい若い女が俺の顔をじっと見
ていた。あ、俺を見て、気がついたのねと笑いやがった。それで俺は起き上がって女が
得体の知れない汚らしいものが2種類出してきたので、こいつらの餌だと思って、味もわ
からずがつがつ夢中になって食った。それでも腹はすいている。女はそれを見てもう一
杯出した。それもがつがつ夢中で食った。何度も食った。後で女が言うところによれ
ば、俺は白ご飯を五杯、味噌汁を五杯食っては飲んでまた寝たらしい。その後、一週間
同じような状態が続いたらしい。俺はそこまで体力&呪力が落ちてのだろうね。
 
 その後、なんとか体力は復活したが、まだ呪力は復活できてなかった。それで俺は頼
るところがないと言うと、汚らしい女は考えた風に少し首をかしげて、私のところにし
ばらく泊まりなさいと言いやがった。他に考えがなかったので、妥協することにした。
そのうち、汚らしい女は女のもっとも汚らしいものの中に俺のもっとも大事なものをは
めやがったのだよ。俺は聖なる液体を女の汚らしい場所に放出するしかなかった。つま
り女は俺の童貞を奪ったということだ。その女が後で言うには俺のことを童貞とは思わ
なかったらしい。俺は物凄いテクニックの持ち主で翻弄されて狂いかかったと笑ってい
たよ。その時俺は女の奴隷となって飼われることがきまった。つまり俺は女のヒモにな
ってしまったということだ。毎夜女の求めに応じて、俺は聖なる液体を女の中に放出す
るしかなかった。
 
 後で女が言うところによれば、俺が生き倒れているのを見たとき、神様が赤い糸で結
んでいるような運命的な出会いを感じたらしい。それでほっとけなくて俺を自分の家に
連れて行ったらしい。女は可哀想に両親ともなくして一人暮らしだったから、誰か話し
相手が欲しかったのもあったらしい。やがて女は俺の妻になった。
 
 その後女は腹が少しふくらみをおびてきた。つまり俺の聖なる液と女の中のものとが
あわさって、胎児ができたらしい。人間の女ってそんなに子供ができやすい身体になっ
ているのか。エルフ族の俺には理解できないことだし、それを聞いて慌てた。女の腹か
らどんな赤子が出てくるかわからない。俺は医者に無理言って妻の出産に立ち合わせて
もらうことにした。俺の読みは当たっていた。そこで女から出たものはエルフ族の特徴
をほとんどそなえていた。俺は誰にもばれないよう急いで変貌の呪力をかけた。その頃
はなんとか変貌の呪力ぐらいは使えるようになっていたからな。それでなんとか人間の
赤子に見えるようになった。
 
 その赤子は生まれてまもなく俺と妻が育てることになった。俺は最初何をやったらい
いのか戸惑っていたら、なんとかできるようになった。それがなんと楽しくなってきた
のだな。赤子が大きくなると楽しくて楽しくてたまらなくなってきたのだな。後でそれ
が子育てというものだとわかった。
 
 それと同時にこの次元を見る目が変わっていった。俺は変わったのじゃない。赤子を
愛することで、赤子自身が呪力を使わずに俺の次元を見る目を汚らしいものから素晴ら
しいものに変えていったのだった。
 
 赤子はすくすくと大きくなり、今は10歳の黒髪、黒目の美しい少年になった。変貌の
呪いを使わなかったら銀髪、凄まじいまでの美貌を持っているエルフ族の俺に似ている
と思う。事実こいつはすべての全教科最高の評価を受けている。頭は俺に似たのだろう
と思った。

 「おとうさん、ネズミ王国楽しみだね」と息子は言った。俺は寂しく「ああ、そうだ
ね」と笑いかけた。
 
 実はな、これ最後の家族サービスで俺が計画したんだ。俺エルフ族だろ。エルフ族は2
0歳から普通に成長して、そのままほとんど成長が止まって後1000年ぐらい「しか」生き
られないのだ。俺の姿は20歳から変わっていない。妻は何かおかしいと思っているらし
い。俺はここから去らないといけないのだ。
 
 そして俺は最大の王族の王子様だろ。王位を継がないといけない使命まで持ってい
る。もう次元への移動もできるだけの呪力も数年前に戻っている。
 
 でも、戻らなかった。こいつが10歳まで俺の言うことがわかる年まで待っていたん
だ。それにこいつ、呪法が使える年齢になっている。ねずみ王国に帰ってから、俺のこ
とや呪法の使い方、特にこの次元の人間に悟られないように注意することを一番先に言
うことを決めている。ただ呪法はただ一つを除いて徹底的に教え込むつもりだ。俺がこ
いつに考えている未来の計画まで打ちあけるつもりなんだ。こいつはその話を聞いてか
なり動揺するだろうが、俺もそろそろ限界だし、こいつも理解できる年齢になっている
し頭もいいからたぶん大丈夫と踏んだんだ。
 
 未来の計画はできるかわからないが、やってみようと思っている。こいつもエルフ族
の血を引いているだろ。たぶん20歳ぐらいで成長がとまるははずだ。この次元でいい女
捕まえて、夫婦にさせて、子供は一人限定で子育ての楽しさを教えさせてやりたいと思
っている。一人以上増えたら俺の計画が頓挫してしまう。それでこいつの子が生まれた
ら俺がやってきて、またこいつの子に変貌の呪いを変える。こいつにも変貌の呪いぐら
いの呪力を持てると思うがわざと教えない。実のところ、こいつにも会いたいし、孫に
も会いたいのさ。俺の妻にはあえないのは少し残念だな。それに妻やこいつに俺がいな
くなる償いをしようかと思っている。俺は王族の王子様だよ。妻と息子が一生働かなく
ても遊べるだけの貴重なものをこの次元で選んで持ってこれるし、こいつが30歳になっ
たら俺みたいに家族サービスさせて、出ていかないといけないことを教える。それに呪
力も寿命も俺の半分しかないから、次元を移動する呪法も使えない。だからこの次元限
定で放浪の旅をしないといけない。そのためには一生遊べるだけのものも持ってこない
といけない。
 
 それに孫が成長して子供を産んだら俺がまたやってきて、変貌の呪いをかける。そし
て俺はしばらく次元を超える呪力はなくなるから復活できるまで目の前の息子と一緒に
この次元で放浪の旅にでる。そして永遠に、子孫たちには同じことをさせる。次第に俺
の血は薄くなり、おそらく五代目以降は、この次元の普通の子供と同じ姿で生まれてく
ると思う。そうしたら、俺の役目は終りを迎える。 
 それと俺もう一つ悪いことをしている。俺実は妻に内緒で浮気をしているのだ。転生
の女神と夢の中であれをやったことがあるんだ。そのときは俺は精神的なものになって
姿形はエルフ族のままなんだ。つまり、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に、
あっちも俺は物凄いテクニックの持ち主だとわかったから、その力を全力で使って、転
生の女神も翻弄されたあげく狂わす寸前まで追いつめた。転生の女神に命じて、強制的
にこの次元の俺の直系の子孫をみな男にさせた。彼らが死を迎えたら、転生の女神が一
時的に魂を保存させて、俺の子孫の男たちをランダムにエルフ族の王族の俺の息子や娘
にさせてチート転生させることになった。ただその度に転生の女神はあれをやらないと
駄目だからとごねたのだから仕方がないやるよ。
 
 チート転生の一つで妻の美しい魂をもち美貌のエルフ族の別の王族になった娘を俺の
后に選ぼうと思っている。長寿のエルフ族同士だからなかなか子供はできないけど、俺
の聖なる液体を后の一番美しい場所に毎夜送りこむよ。そしたら50年か100年に一度ぐら
いまぐれで体内で受胎する。そのとき転生の女神が俺の子孫の一時的に保存しておいた
魂をすかさず、胎児の形になる前に放り込む。今の俺の妻は理解できないだろうからこ
の計画は内緒にしておくよ。
 
 まあ、これは俺が生きている限り今考えたことを続けるつもりなんだけどね。
 
 「あ、おとうさん、次の駅で降りることになるよ」エルフ族の最大の王族の王子の壮
大な1000年計画を知らないまま、黒髪、黒瞳の10歳の美少年は、黒髪、黒瞳の20歳から
同じ姿のままでいる美青年に無邪気に笑いながら声をかけた。
 
 美青年と美青年の妻は美少年の声を聞いて旅行かばんを手に持って、座席から席を立
ち、新幹線に出入り口に向かっていった。




#465/470 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/31  09:02  (157)
ディック世界>ゼンマイ仕掛け $フィン
★内容
その一

 少女は中学校に行くために家から扉を開けるとちょうど隣人が何かを持って捨てに行
くところに出くわした。
「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
隣人はゼンマイ仕掛けだった。ただ個性があるらしく全身黄色い色をしていた。
少女は気にすることもなく制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触って
普通に学校に出かけて行った。
中学校に行く途中でいろいろな人にあった。全身ピンク色のゼンマイ仕掛けは白いエプ
ロンをしていた。全身緑色のゼンマイ仕掛けはスーツケースを持って忙しそうに歩いて
いた。全身茶色のゼンマイ仕掛けのよたよたと歩いていた。
それぞれ多種のゼンマイ仕掛けたちは、少女にはみんな知り合いでごく普通に笑顔で挨
拶していた。
中学校の生徒でも同じようにいろいろなものがいた。彼らはみんな同級生であり、授業
中に騒ぎ少し先生を困らすために全身若緑色のゼンマイ仕掛けはどこからか水を持って
きて先生にかけたりしていた。全身真っ赤のゼンマイ仕掛けは口から赤い燃えるような
言葉をはいて、気に入らない子を苛め抜くものもいたが、少女は気にすることもなく、
授業を受け、全身真っ赤なゼンマイ仕掛けから燃えるような言葉を聞くのが嫌いだった
のであえて避けていた。
 少女はどんな姿であるにもかかわらず比較的大人しい優しいゼンマイ仕掛けの女の子
たちの仲間に入り、一緒におしゃべりをし、机を並べては楽しんでいた。
 そして午後の授業がはじまり、授業を受け、授業が終わり、学生かばんを持って家に
帰るのが少女にとってごく平凡な日常を送ってごく普通の幸せを毎日感じていた。
 そんなある日、少女のごく普通の日常が一変した。きっかけは差出人不明の家のポス
トに入っていたものだった。ポストから出して、中身を開けると記録媒体がが入ってい
た。少女は好奇心でその記録媒体を見た。それは白黒に写り、かなり古いもののよう
で、画像も荒く、非常に見にくいものだったが、男の人が扉を開けるのがなんとなくわ
かる映像だった。
 その後すぐ少女の住む家の玄関の扉に大きな音でどんどんと叩く音が聞こえ、少女は
父親は会社に行って、母親も買い物に出かけていて、少女一人しかいなかった。少女は
誰も頼るものもなく恐怖で震えた。少女は玄関の扉を開けることがないようにすべての
あるだけの鍵をかけたが、外には大勢の人がいたようで扉はあっけなく破壊された。
 そこで少女が見たものは二、三人の男たちと一人の女の人だけだった。
 少女を怖がらせないために女の人は「あなたにして欲しいことがあるの」と優しく言
った。
 ところがその言葉を聞いたとたん少女は今までにない恐怖を感じた。
 恐怖に震えながらも、少女は「どんなことをしたらいいの」とそれだけ聞くのが精一
杯だった。
「それは今はまだ教えられない」更に優しい声で女の人は言った。
「それをしてくれたら、私が一番大切にしていたものをあげる」女の人は豪華な金や銀
で飾られた紫色のランプを少女に見せた。
 少女はそれを見ても欲しがろうとせず、三人の男と特に中心にいる女の人から遠ざか
ろうとして、逃げようとした。
 逃げようとした少女に三人の男がいっせいに掴みかかる。少女は必死で抵抗して、男
たちの手や足を?み、彼らの一瞬の隙をついて逃げ出した。
 その後少女は彼らに捕まらないためにいろいろなところに逃げた。近所から離れて今
まで行ったことのない酒場や教会、浜辺や小高い丘や氷河か残っている山脈まで逃げ
た。
 少女は思いつく限りの至るところに逃げ、逃げて、逃げて必死だった。それでも彼ら
は執拗にやってきて、少女の近くにやってくるような気がした。もう少女は頭をかきむ
しりパニック状態になりながらも逃げた。
 そして最後に少女が到着したところはいたって平凡な短い草しか生えていない空き地
だった。そこに一枚の鉄の頑丈そうな白い扉がぽっかり宙に浮かんでいた。
 そして少女はこの扉を開ければ彼らから完全に逃げられる唯一の方法だと知った。
 少女は扉ののぶに手をかけた。鉄の頑丈そうな扉は見掛けとは違って簡単に力を入れ
るとあっさりと扉が開いた。
 そのとたん、世界は急に姿を変えた。彼女は強烈な何か見えないものの力で押された
ように、少女は押し戻された。
 今まで行ったところすべてが目に見えないぐらいの速さでひきもどされ同時に少女の
時間も逆流された。少女はその間恐怖で声に出すことすらできずにいた。
 少女の時間がとまり、気がつくと少女は家の玄関の前に立っていた。少女は玄関の扉
を開けた。
 そこにはちょうど隣人が生ごみを持って捨てに行くところだった。
 「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
 隣人は少し頭の剥げたごく平凡な中年男だった。
 少女は制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触りながら、少女の部屋
にある豪華な金や銀で飾られた紫色のランプがあるのを不思議に思った。昨日までなか
ったはずなのに、家族の誰かが少女を驚かそうとちゃっめけを起こして置いたものだろ
うと思うとくすりと笑った。
 少女はリボンをなおし終わるといつものように普通に学校に出かけて行った。

その二

ぼくは黄昏島にある全寮制の私立黄昏中学の2年生。
 それは最初はどこでもある昼下がり給食後の女子トイレの中で起こったらしい。ぼく
は男子だから入れないが、その場所がすべての始りであったという噂だ。
「きゃあ」ポニーテールが似合う今日子ちゃんが濡れたハンカチを握りしめながらトイ
レの洗面台の中を呆然と見つめている。
「今日子どうしたの?」近くにいた女の子たちが悲鳴を聞いて近づいてきた。
「ううん、なんでもないの」今日子ちゃんは蒼白の顔をして、洗面台に落ちていたもの
をみんなから隠すようにしながら拾った。だけどもそれは運悪く女の子たちに目撃され
てしまった。それは血が一滴も出ていない小指だったのだ。
 噂はぱっと広がり今日子ちゃんはまわりのものから気味悪がられ、仲のよかった友人
たちまで遠巻きに見るようになった。それから後も今日子ちゃんの異変は続き、不意に
指をぽろりと床に落としたり、さらには席を立った後机の上に腕がまるごと残っていた
りした。けれどその学期が終わる頃には今日子ちゃんはもうクラスメートたちから仲間
外れにされることはなかった。なぜなら今日子ちゃん以外にも、ちょっとした拍子に手
足などの身体の一部分を落としてしまう女の子たちがではじめたのだった。そしてそれ
はやがて男の子、教師……それからこの島の人間すべてに伝染していった。
 最初はこの無気味で奇怪な伝染病の発生に学校関係者や島民たちはほとんどパニック
を起こしそうになった。しかし日毎に感染者が増え、ほとんどの者がその異変を体験し
てしまうと恐慌は不思議なことに急速におさまっていった。人々は身体の一部が離れて
しまうことに無頓着になり、しまいには乳児の歯が抜けおちるぐらいの日常茶飯事とな
った。そしてむしろその異変を便利に思うようにさえなっていった。例えば身体の悪い
部分だけを病院にあずけて残りは普通の暮らしすることができたりするのだから。
 しかしそんな奇妙で平穏な島の日常も、他ならぬこのぼくが図工の授業中ふとしたは
ずみで自分の手を切ったことから破られた。ぼくの指からぽたぽたと赤い血が工作キッ
トの上に落ちたのだった。
「きゃ! 血よ。気持ち悪……」「汚ねえ!」「なんだこいつ?」
 たちまち教室中が騒然となり、ぼくはその場から走って逃げ自分の部屋にかけこんで
隠れた。そう、いつの間にか人間たちは内面まですっかりゼンマイ仕掛けの人形のよう
な存在に変わっていたのだった。身体がすべて秩序正しく区分された部品から成りたっ
ている彼らから見ればぼくは薄気味の悪い血肉を詰め込んだ得体の知れない皮袋のよう
に見えたに違いない。そして、そんな気持ちはぼくにもとてもよくわかる。だからこ
そ、ぼくもみんなと同じように早く自分の指が落ちないかと願っていたのだ。でも残念
ながらぼくは今だに血肉の溜まった皮袋のままだ。
 ああ、清潔な白い洗面台の中に転がっている今日子ちゃんのピンクががった可愛いら
しい小指! ……それにひきかえぼくの指はごりごりとした骨と血肉を包み込んだうぶ
毛の生えた腸詰めじゃないか!
 ドンドンドンバリバリバリ、ゼンマイ人間たちが部屋の扉を蹴破って汚物処理をはじ
めようとしている。耐え切れない不潔さは憎悪の対象になるようだ。
 ぼくは窓から海にこの手紙が入ったボトルを投げるつもりだ。拾ったあなたのまわり
の人間が指を落しはじめたらゼンマイ仕掛けの世界が近づいている証拠だから気をつけ
なさい。さっさと逃げるか、それともひたすら自分もゼンマイ人形になることを願うか
…いずれにしても早めに決めたほうがいい。
 部屋の扉が壊されていく。もう最後だ。たぶんぼくは糞便が入っている汚物タンクに
沈められてしまうだろう。さようなら…

その三

男は変な思いにとりつかれていた。
 世の中すべてがゼンマイ仕掛けで動いているように思えて仕方がないのである。男自
身でさえも、ゼンマイ仕掛けでできているのではないかと毎日思い悩んでいた。
 男の住んでいる所は白い建物の中、何人かの人間と一緒に仕事をしている。まわりの
者に不安な心の内を話をしていても、気のせいだと言って、適当に相槌を打つだけで相
手にしてくれない。仕方がないので、毎日医者から薬を貰っている。人の話を聞いた
り、薬を飲んでも、男は体がゼンマイでできているという思いは深まっていくばかりだ
った。
 一年、二年と白い建物の中での平穏な生活は続いていく。そして血色のよい皮膚の下
には血液を流すプラスチックの管が縦横に通っている。有機質の代わりに無機質のゼン
マイが大量に積め込まれているとまわりの人間に話すのである。まわりの人間は話しを
聞くことを嫌がった。男は1度話しだすと、相手が何を言おうと疲れて寝てしまうま
で、延々と何時間でも続けるのである。そのため男は白い建物の中では浮いた存在にな
ってしまっていた。
 あるとき、男は人を殺すことを決心した。殺すことで、男の体はゼンマイ仕掛けでで
きているのか、血のかよった人間かの問いに何らかの答えが出ると思ったのだ。それに
今のままでは男は狂いそうだったのである。
 まず、男は作業所においてあるナイフを手に入れた。それを大事に自室に隠した。
 男は若い人間はまだ将来があるから止めにした。それから同年輩の人間も力で負ける
かもしれないから止めにした。そして男は昔からいる老人を標的に決めた。老人はいつ
も古めかしい本を小わきに抱えている。中には何が書かれているのかわからない。若く
ても同年輩の人間でもよかったのだ。老人が白い建物にいたからこそ人間を殺す計画を
立てたのである。男女の間柄に恋わずらいという言葉があるが、男は老人に殺人わずら
いしていたのだった。
 老人は人間の代表であると男は感じていた。こいつを殺してしまえば今人間の格好を
している者すべてはゼンマイ仕掛けか本当の人間か知ることができると夢想するように
なっていた。
 こうして、男は手に入れたナイフで老人を殺し、老人は動かなくなった。老人は最後
に安堵の笑みを浮べたように男には見えた。それも確認する暇はなく、ピーピーとカン
高い笛の音で男はまわりの人に取り押さえられて独房に入れられてしまった。
 男は満ち足りた気分だった。老人は人間だった。つまり男もゼンマイ仕掛けではない
とわかったのである。老人を殺してようやく安堵の微笑みを浮べることができた。
 しかし、その微笑みも長くは続かなかった。男は独房の中で、老人が持っていた古ぼ
けた本を見たのである。それは老人の日記だった。それには「私は最後の人間である。
どうしても寂しくて仕方がないので、ゼンマイ仕掛けの人間を作り、感情を持たせ、白
い建物の中で一緒に働いている」と書かれていた。





#466/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/04/11  19:59  (197)
お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香
★内容
 地天馬鋭は額に片手を宛がい、ため息を一つついた。
「相羽君が困って持ち込むほどだから、一体どんな難事件の依頼かと思いきや」
 机越しに向けた視線の先、少し離れた位置で相羽信一が応接用のソファにちょんと引
っ掛かるように浅く腰掛け、背を丸め気味にしている。
 ここは地天馬の探偵事務所。あいにくと“私”が留守の時ときの出来事なので、又聞
きになるが、土曜の午後に知り合いで学生の相羽君がやって来た。
「僕はあるときから事件の選り好みをしないように心掛けているが、この件は受けられ
ないな」
「でも」
 相羽が背筋を伸ばし、手に握りしめた携帯端末を指先で軽く叩く。
「これを読んだ僕が、動揺するのは道理だと思いませんか」
 相羽宛てに届いた電子メールのことだ。ほんの三分ほど前に地天馬も見た。
 そこにはこうあった。

<“ぼくはきみだけはゆるせない”

  時は濁りを取り、三毛は分を弁えて小さくなる

35 10 26 41 3 59 0 42 34 45 2 27 22>

 これだけなら絶縁宣言か脅迫かいたずらかと、あれこれ選択肢が考えられそうだが、
そういう想定は必要ないと地天馬は判断を下していた。
 決め手となるポイントは差出人である。
「分かるよ。恋人からそんな文面を送り付けられたのなら、動揺してもおかしくない」
 相羽にこのメールを送ってきたのは恋人で、同じく学生の涼原純子。
「でしたら――」
 気持ちが分かるのであれば依頼を引き受けてください、と言わんばかりに勢いよく腰
を上げた相羽。その動作を手で制する地天馬。
「いや、だからこそ、だよ。僕は会った回数こそ多くはないが、君と涼原さんがどれほ
ど信頼し合っているかを充分に把握している。そこから導き出される結論は単純明快
だ。つまり――ありえない」
 地天馬はスケジュール帳を確認した。他に依頼の予約はなかったかと念のために見て
みたのだが、記憶していた通り、何もなかった。話を続ける。
「あの涼原さんは、相羽君にこんなメールを送らない。いたずら・ジョークめかしたク
イズの類か、そうでないなら間違いだよ。それでおしまい」
「も、もちろん、僕もそう考えました。いかにもな注釈と数字が続いて書いてあります
から。でも、まず、間違いとは考えにくいんです。今のじゅ、涼原さんは名簿にほとん
どデータを入れていない。落としたりなくしたりして、拾った誰かに悪用されたときに
迷惑が掛かるのを最小限にするためだって。家族と極々近しい人物しか登録していな
い。だから、間違えたという可能性は除外」
 それだけの根拠で間違いの可能性を除外というのは些か乱暴だと思った地天馬だが、
敢えてスルーした。
「ジョークならそれと分かるように送るものでしょう? 注釈と数字があるとは言え、
これじゃあセンスの悪い単なる嘘ですよ」
「いやいや、少なくとも本気でないのは明白じゃないかな。『ぼく』と使っている」
 地天馬の指摘に相羽は曖昧に頷いた。
「それはそうなんですが……涼原さんは男役もやるので、その癖が出たのかも」
「は! そんな低い、それこそ絶対になさそうなわずかな可能性を心配しているのか
い。恋は盲目とはよく言ったものだね。ああ、このケースは逆になるのかな。色々と見
えすぎて、余計な幻まで生み出してしまっている」
「真剣に悩んでいます」
 故意にテンションを上げた喋りをしてみせた地天馬に対し、相羽は静かに反応した。
「言い方を変えます。改めて断るまでもなく、僕は涼原さんを信じています。それ故
に、こんなメールが送られてきたことは、不可解でなりません。別の言い方をするな
ら、途轍もなく強力な謎です。この謎を解き明かしてもらえませんか?」
「――分かった。相羽君にとっては大きな謎なのだ。うん、理解した。引き受けるとし
よう」
 地天馬が請け負うと、相羽の表情は見る間に落ち着き、明るくなった。
「ありがとうございます」
 頭を下げる相羽の前まで出て行くと、地天馬は質問した。
「取り掛かる前に疑問がある。彼女に直接聞くというのではだめなのかい?」
「それが昨日の夕方から涼原さん、撮影とレポートの仕事で船の上の人なんです。大型
クルーズ客船の」
 涼原純子はモデルなど芸能関係の仕事をこなす、れっきとしたプロでもある。
「もしかすると、ネット環境にないのか」
「はい。正確には、船側からなら、別料金を払って船の設備を使うことで、ネットにア
クセスできるようです。こちらからはどうしようもありません」
「問題のメールが送られてきたのはいつになってる?」
「午後五時二十九分。船の出港予定時刻の三十分後ぐらいです。岸を離れてしばらくす
ると、つながらなくなるみたいなんですよね。だから、このメール変だぞと思って聞き
返そうとしたときには、もう遅かったという」
「なるほど。次にネットがつながりそうな時刻は分かっているのかな」
「明日の朝九時に着岸予定ですから、その前後になると思います。二泊三日の無寄港ク
ルーズで、今日は丸一日つながらない」
「……五時二十九分何秒に着信したか、秒単位まで分かるかい?」
「ええ。五十五秒になっていますが」
「なるほど。涼原さんは焦っていたのかもしれない。五時半までに、いや、五時二十九
分台に送る必要があったが、ウェルカムパーティやら出港イベントやらで、思わぬ時間
を取った。それでぎりぎりになってしまい、もしかするとこのメール、最後の一文が抜
けた可能性がある」
「え? どんな一文なんでしょう?」
「正確な文言は分からないが、意味は一択だ。この暗号を解いて、だろうね」
「暗号なのは大体想像が付きますよ。最初に言いましたように、ジョークの一種みたい
なもので」
 不満げに唇を尖らせる相羽。地天馬はたしなめた。
「着目するポイントはそこじゃない。さっき言った二十九分に送る必要があったという
推測だ。言い換えるなら、メールの着信時刻こそ、暗号解読の鍵となる」
「……あ。僕も分かった来たかもしれません」
「そりゃいい。ぜひとも、解いてみてくれるかな」
「はい……濁りは濁音、三毛は『み』と『け』の文字をそれぞれ指し示していると仮定
します」
 相羽の手が物を書くときの仕種をしたので、地天馬は紙とペンを用意して渡した。渡
した方、受け取った方、ともにローテーブルを挟んでソファに座る。
「すみません。――“ぼくはきみだけはゆるせない”は十三文字。羅列された数も十三
個書いてあるので、文字に数を前から順番に対応させる。
 濁音は『ぼ』と『だ』。時は……メールの着信時刻の時間の方だろうから5。いや、
違うな。多分、二十四時間表記だ。つまり17。この値を『ぼ』と『だ』に対応する
数、35と59に……『取り』という言葉を使っているくらいだから、マイナスするで
しょうか。そう仮定するなら、『ぼ』18、『だ』42。
 もう一方のグループである『み』と『け』に対応するのは、当然、メール着信時刻の
分、29になる。『分を弁え』とあるのは、29を弁える……弁えるの意味は、区別す
ることと解釈すれば、マイナスか」
「分けることは必ずしもマイナスではないんじゃないかな。強いて加減乗除で言うな
ら、除算、割る行為だと思うね」
 地天馬の意見を入れて、相羽はさらに推測を重ねる。
「だったら他の意味……数に絡めて解釈できそうなのは、つぐなう、調達する、辺りで
しょうか。これなら29を加えることに通じる。よって『み』の3は32になり、『
け』の0は29に。――あ。純子ちゃんが二十九分に送信したかったのは、それを過ぎ
ると『け』に最初対応させる数が0ではなく、マイナスになってしまうから?」
「同感だ。僕はそこから逆に考えて、弁えるは加算だと推定した」
 地天馬が喋る間に相羽はペンを走らせ、濁点を取った十三の文字と、新たに浮かび上
がった値に直した数字の列を書いた。

 ほ  く  は  き  み  た  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  1 27 22

「素直にシンプルに想像すると、対応する数の分だけ、文字をずらすんだと思います。
濁音のある字をなくしたことから、五十音表を用いるのかな。実際は『ん』を含めた四
十六文字の」
「いろはにほへとではだめかい」
 少々意地悪げな笑みを作った地天馬。相羽は小さく肩をすくめた。
「分かりません。ここまで来たら、試行錯誤あるのみですよ。とりあえず、数の分だ
け、前方向にずらしてみます。18だったら18文字先の文字にスライドさせる。『
ほ』を起点に18文字先は……最後まで来たら、頭に戻って『い』だ」
 同じ要領で、順次、文字を置き換えていく。そうして最後までやり通したとき、相羽
は微かに頬を赤くした。
「おや、これはこれは。いたずらどころか、ラブレターだったとはね」
 わざとらしく驚いてみせた地天馬。最初から分かっていた答を前に、芝居がかるのは
仕方がない。

 ぼ  く  は  き  み  だ  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  2 27 22
 い  つ  か  い  つ  し  よ  に  の  り  た  い  ね

「えーっと! 『み』『け』それぞれに対応する『つ』と『よ』は『分を弁えて小さく
なる』のだから、促音、拗音に変換しなくちゃいけませんね。よし、これで完成。『い
つか一緒に乗りたいね』だったんだ」
 大人からの冷やかしをシャットアウトしたいのか、相羽は声を大きくし、手も大げさ
に叩く。しかし地天馬は、違うところから一つの指摘をした。
「解けてすっきりしたのは結構なことだが、まだ残っているだろう、謎は」
「え?」
「この方式の暗号なら、数さえ変えれば、元の言葉は何にでもできる」
「確かにそうですね。あ、そうか。だったらどうして純子ちゃんは元の文章を、“ぼく
はきみだけはゆるせない”にしたんだろう……」

             *           *

 これといった解答を決められなかったため、相羽は本人に直接聞くことにした。
 日曜の朝、Y港に戻って来るのを迎えに行ってもよかったのだけれども、純子の方が
下船後も仕事の関係で多少時間を取られるであろうことは、最初から分かっていた。そ
れなら自宅にいて(いなくても大丈夫だけど)電話を待つ方が多分確実。
 いよいよとなったら、時間を見計らってこちらから掛けてみればいいんだし……と思
った矢先、お目当ての電話が掛かってきた。八時半、入港予定の三十分ほど前だ。
「――おはよう。無事に到着と思っていいのかな」
 自分達の推理が当たっているとしたら、向こうはきっと大慌ての焦った調子で第一声
を上げるはず。そんな考えから機先を制し、落ち着いてもらおうとした。
「あ、おはようっ。相羽君ごめんなさい!」
 たいして効果があったとは言えないようだ。
「何、いきなり謝るなんて」
「メールよ、メール。二日前、おかしなのが行ってるでしょ?」
「うん、来た来た。びっくりした」
「ほんとにごめん! あれは最後にこの文章を解読してねっていう言葉を付けるつもり
が、忘れてしまって。乗ってすぐに、予想以上に楽しかったものだから、ついぎりぎり
になって」
「楽しんで仕事ができたのなら、何よりです」
「うう、怒ってない?」
「全然。ただただ驚いたけど、ある人のところに相談に行って、解決してたから。安心
していいよ」
「ある人? 解決って、もう解いてるのね?」
「うん。いつか一緒に行こう」
「――よかった」
 安堵感が電話越しでもようく伝わってきた。相羽は笑いをこらえつつ、自分にとって
の本題に入ることにした。
「でも、一つだけ、分からないことがあるんだ」
「ええ? 何?」
 純子の声が再び不安を帯びる。相羽は急いで続けた。
「その、元の文が、どうしてあんなどっきりさせるようなものなのかなって。『ぼくは
きみだけはゆるせない』にしなくても、穏便に『おみやげたのしみにまってて』とか、
びっくりさせたいなら『ながすくじらとぶつかったわ』とか、十三文字なら何でもいい
でしょ」
「あ、そこ? 相羽君の気持ちを想像して、あれこれ考えていたら、あんな言葉になっ
ちゃった」
 純子の口調から緊張が緩み、代わりにいたずらげな響きが滲む。
「僕の気持ちって……分かんないな。君だけは許せないだなんて、全く思ってない」
「だいぶ省略してるから」
「うーん……」
「この仕事の話が来たって相羽君に言ったとき、『僕も行ってみたいな』って呟いてた
じゃない?」
「それは覚えてる」
 覚えているが、何の関係があるのやら。
「だからね、『相羽君は私一人だけがクルーズ船に乗るのを許したくない』んじゃない
かしらと思って。そこから十三文字にするために色々削って、置き換えて、『ぼくはき
みだけはゆるせない』になったの」
「……」
 省略しすぎだ。

――『そばいる番外編 僕は君だけは許せない』おわり




#467/470 ●短編
★タイトル (sab     )  19/04/19  20:26  (190)
お題>僕は君だけは許せない     HBJ
★内容
荻野「お前、理香子だけは許せないんだろう?」
小林「許せないというか、どうしてあんな間違いを犯したかって感じなんだけど」
荻野「一体誰と浮気したんだ?」
小林「そんなの分かってりゃあ、自分で相手の男に文句を言いに行くよ」
荻野「じゃあなんで浮気したって分かった?」
小林「クラスの女子が話しているのを聞いちゃったんだよ。ラブホから出てくるのを
見た、って」
荻野「ふーん。で、どうしたいわけ?」
小林「つーか、お前、いやに心配してくれるんだな。何でだ?」
荻野「そりゃあ、君も理香子も俺んちの産婦人科で産まれたからな」
小林「ああ、そっかー。そういえば、お前、教壇に立って「このクラスの女子の半分は
俺んちで生まれた」とかとんでもないセクハラをやってのけたよな」
荻野「特に君と理香子は産まれる時おんなじ病室だったしなぁ。俺も誕生日が
近かったんだけれども。とにかくそんな感じで、産婦人科医といえば親も同然だから
親身になる訳だよ。で、理香子をどうしたいんだ?」
小林「まぁ俺は、分かってもらいたい、っていうか、反省してもらいたい、っていう
か、
自分から気が付いてもらいたいって感じなんだが」
荻野「って事は理香子が自分から恥じ入る様になればいいってこと?」
小林「まあ、そうだな」
荻野「だったら、理香子がお前に誓った愛の言葉をsnsに晒しちゃうとか。
そうすりゃあ恥ずかしくなって自殺するんじゃないの?」
小林「そんなのリベンジポルノじゃないか。そういうミステリーがあった気もするけ
ど、
そんな卑劣な真似はしたくないよ。っていうか、向こうから気が付いてくれれば
いいんだけど」
荻野「自分の手は汚したくない、って感じか」
小林「そういう訳じゃあないけど」
荻野「でもそういう方法もあるんだぜ。自分は全く手を汚さないで相手を始末する方法
が」
小林「そんなの望んでいないけれど…、参考までに聞いてみたい」
荻野「誰かが見た瞬間に死ぬ、っていうのがあるんだよ。
お前、シュレディンガーって知っている?」
小林「シュレディンガー?」
荻野「ああ。有名な量子力学の物理学者なんだが。「シュレディンガーの猫」
という実験があって、箱の中に猫がいて誰かが見た瞬間に50%の確率で死ぬ
というのがあるんだよ。つまり理香子が誰かに見られた瞬間に50%の確率で死ぬ」
小林「死なんて望んでいないけれども、そんな事がどうして可能なんだ?」
荻野「それはなあ…。その前に、お前はどういう感じで憎んでいるの? 
愛や憎しみにも色々あるあろう。直接相手と向き合っていて相手が気に入らない、
というのもあれば、天の摂理を実現しようとしているのに相手がそれに背いているから
気に入らないというのもあるし」
小林「まさにそうなんだよ。理香子が浮気したのが俺への裏切りだから気に入らない
っていうんじゃないんだよ。仏教的に言えばそんなのは”なまぐさ”同士が
向き合っていての愛憎であって…。
俺はこう思う。宇宙には原理があってこれを梵という。
そして私の中にも原理があってこれを我=仏性という。
これらは同一で、これを梵我一如という。
で、身体なんていうのは、仏性の先っぽにぶら下がっている腐った”なまぐさ”
みたいなものだろう。
だから、そんな”なまぐさ”同士の愛憎なんてどうでもいいんだよ。
俺はあくまでも梵我一如的な仏性同士の愛を裏切った、という事で怒っているんだよ
ね」
荻野「それだったら、まさに、シュレディンガー的だよ。「シュレディンガーの猫」の
量子力学的解釈は割愛するけれども、シュレディンガーも梵我一如とかの仏教思想に
影響を受けていて、
見た瞬間に死ぬっていうのは、梵我一如的に猫の仏性と観察者の仏性が天の摂理を介し
て
つながっているから可能なんだよね。
まあ実際に死ぬのは仏性じゃなくて身体の方なんだけれども、
仏教的に言えば、身体なんて仏性の先っぽにくっついている”なまぐさ”
みたいなものなんだろ? 
物理学的にもE=MC2乗、つまりエネルギー=マティリアル×光の2乗だから、
原子爆弾一発分のエネルギーをぎゅーっと圧縮すると1円玉ぐらいになる感じだから、
仏性をぎゅーっと圧縮したものが身体なんだろう? 
だから、仏性が通じ合っていれば、そこから身体に作用する事は可能だから、
見た瞬間に死ぬ、という事が可能なんだよね」
小林「死ぬって事にはならないんじゃないの? 理香子の仏性にアクセス出来たとし
て、
それで彼女が死ぬってことにはならないんじゃないの?」
荻野「いや、仏性同士が合一である事を彼女が認識すれば、
”なまぐさ”を捨てるだろう。つまり身体を捨てる、つまり死ぬだろう」
小林「そうかなあ」
荻野「死なないまでも、”なまぐさ”的な浮気よりかは、君というソウルメイト
との仏性的な愛を大切に思うだろう?」
小林「そっかー。だったら彼女の仏性と合一したいなぁ」
荻野「そうだろうそうだろう」
小林「じゃあ、どうすればいいの?」
荻野「それにはまずお前の”なまぐさ”を無くして仏性を活性化させないと。
つまり心頭滅却」
小林「具体的には?」
荻野「なんでもいいから荒行、苦行の類で身体をいじめれば仏性が活性化するよ」
小林「そっかー」

 そして彼はありとあらゆる苦行を行った。
まず断食と写経。そして冷水シャワーで滝行、バスタブで水中クンバカ。
それ以外の時間は全て座禅。
そして彼はやせ細り、即身仏寸前になり、倒れてしまった。

 さて、小林は梵我一如の理屈を信じて苦行に邁進していったのだけれども、
そんな事をしたって理香子と再会出来るとは限らない。
だって、梵我一如の理屈で言えば、理香子とは、
理香子の”なまぐさ”+理香子の仏性からなるんだろうが、
理香子を目指して自分の”なまぐさ”を殺したところで、
その場合残るのは小林の仏性なのだろうが、
それが理香子の仏性と巡り会える訳ではなく、
どこか北海道から沖縄のどこかに漂っているソウルメイトと巡り会えるだけだろう。
だいたい理香子と巡り合うとは、理香子の”なまぐさ”と小林の”なまぐさ”が
この娑婆で直に触れ合う事なんだから。

ところで、ここまで俺は梵我一如が真理であるかの様に語ってきたが、
俺は梵我一如とか仏性とか全く信じていない。
俺は”なまぐさ”しか信じていない。
人間が関わるとは、娑婆で”なまぐさ”同士が知り合うことでしかない。
産婦人科医の息子である俺に言わせれば、人間同士のまぐわいなんて
”なまぐさ”的なものでしかなく、それは犬畜生の交尾にも似ている。
 小林によれば、”なまぐさ”同士のいちゃつきなんて下劣なものであって、
人間の愛が素晴らしいのは天の梵を共有するからだ、
梵我一如があるから人間の愛は高級なのだ、との事だったが。
しかし、俺に言わせりゃ、人間のまぐわいを犬の交尾よりかちっとは
高級にしているものがあるとすれば、
それはあの理香子の姿形が…ここで初めて告白するが、
理香子の”なまぐさ”的浮気相手というのは勿論この俺なんだが
…あの理香子の姿形は丸で如来の様で、あれに精液をぶっかけるというのは
何気タブーがあるのだが、そういう後ろめたさがあるからこそ萌えるのだ。
あと、理香子は小林のソウルメイトなのにやっちゃう、
というやましさがあるから萌えるのだ。
つまりは射精したらプロラクチンが出て賢者モードになる、という事を知っているか
ら、
射精する事にわくわくする訳だな。
そうすると、小林と俺の世界観は全く逆だな。
小林は宇宙に梵という原理があるとか言っているが、
俺は全くそんな事は思わず、
宇宙の梵も理香子の如来的美しさもプロラクチンの化身、
人間のプロラクチン的不安が投影されたものに過ぎないって感じだな。
つまり、人間の不安が神を作ったって訳だ。

さあ、小林が正しいか俺が正しいか、
じっくりと理香子ちゃんとまぐわって検証してみよう。
今や小林の”なまぐさ”は風前の灯火なので、俺は自由にいくらでも楽しめるって訳
だ。
俺は青磁でできた如来像のような理香子ちゃんを近くに抱き寄せた。
荻野「さあ、理香子ちゃん、もう邪魔者はいない。たっぷりといちゃつきましょう」
理香子「止めて。もうそういう気持ちじゃないの」
荻野「何で? もしかして不貞という禁止がなくなったから
萌えなくなっちゃったのかな?」
元々色白だったけれども、文字通り透き通るような理香子を見詰めて俺は言った。
しかし理香子は宙を見上げているのみ。
荻野「ねえどうしたの? どうしてそんなに淡白なの?」
理香子「今や、私の”なまぐさ”は全部消えて、
全く仏性的な存在になってしまったのよ」
荻野「そんな馬鹿な。俺は元々”なまぐさ”しか存在しないという立場だが、
しかし仮に小林が言うみたいに”なまぐさ”と仏性があるとしたって、
小林が滅私して君の仏性にたどり着くことなんて出来ないだろう? 
君という人間にたどり着くには娑婆で”なまぐさ”同士を
こすり合わせるしかないんだから」
理香子「ところが、小林君の仏性が私の仏性に巡り会えたのよ。
何でだかわかる? あなたは忘れているの? 私と小林君は、あの日あの時、
同じ荻野産婦人科のあの分娩室で生まれたのよ。
私と小林君は生まれた時に同じ仏性が宿ったの。つまり私達はソウルメイトだったの
よ」
荻野「ええ、まさか」
俺は顔色が変わるのが分かった。青ざめていく。
理香子「あなた顔色が悪いわ。ていうか顔の肉が透き通っていって丸で
陶器で出来た像の様になっていく。
もしかしたら、これはきっとあなたの”なまぐさ”が
蒸発していっているんじゃないかしら」
俺は両手を見た。丸でガラスの様に透き通っている。
荻野「なんで俺の”なまぐさ”が蒸発しないとならないんだ。
仮に梵我一如が真理だとしても俺が蒸発するにはソウルメイトの仏性に
出会わないとならないだろう。俺はまだどの仏性とも会っていないぞ」
理香子「私がその仏性です」
荻野「どういう事だ」
理香子「あなたも私と小林君のソウルメイトなのよ。知らなかったの? 
あなたが生まれた日も私達が産まれた日と同じ日だって事」
荻野「まさか」
理香子「あなたも”なまぐさ”を失って娑婆とお別れするのよ」
俺の”なまぐさ”はどんどんと気化していった。
ドライアイスが二酸化炭素になる様に。
荻野「死にたくない」
理香子「死ぬんじゃないのよ。”なまぐさ”を捨てるだけ。
さあ、涅槃で小林君も待っているわ」

俺は更に気化していった。
意識も、ぼーっとしてきた。
如来に射精してタブーを破る様な、そういう”なまぐさ”的欲望が
消えていくのが分かる。
しかし気持ちよくもあった。
射精が溜まりに溜まった水が滝の様に噴射する快楽なら、
もっと下流のなだらかな流れが海に広がっていく様な、ゆったりとした快楽を感じる。
宇宙の周期と自分が合一する感覚だ。
そもそも宇宙と個体は一緒だった。
呼吸は打ち寄せる波の数と同じだし、
産婦人科の病室は満月の晩には満杯になるではないか…最後に俺の意識は
そんな事を思い出していた。
そして個体としての感覚は薄れていき、全体に溶け出していくのだった。
やがて俺は宇宙の一部となるのだった。

【了】





#468/470 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/05  20:10  (233)
オートマチック        HBJ
★内容

 ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

 チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
 二人は結婚したばかり。
 奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、
元夫との間に6ケ月の子供が居るのだった。
 案内されてリビング・ダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドに
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
 私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
 それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
 あたりを見回す。
 50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
 本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
 FAXの複合機が床に直置きされている。その周りにはダンボール箱が。
まだ引っ越してきたばかりなのか。
 キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。つーか通信テストシートを
送ったんだけれども返送されてこないなあ」

 佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。窓際に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
 ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」
言うと壁際に設置されているロボット掃除機を指した。
「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
 テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、汚れた服で保育園にきては異常な食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
 鬼塚は立ち上がると本棚のところに行った。
 そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて出掛けて」
 そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」



 マンション近くの喫茶店で私達は時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
 それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
 スマホが鳴った。
 噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
 ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何か事件があったみたい。
それで赤ちゃんに何か起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
 言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
 会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとかで、かなり時間を食った。



 マンションに着いた時には15分が経過していた。
 部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
 すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
 ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、その前にココの経緯を説明するのが筋でし
ょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
 全員で犬の様に鼻をくんくんと鳴らした。
「煙のニオイなんてしませんね。どこにも焦げた跡とかないし」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あそこの換気扇から排出されちゃうかな」
と動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていっちゃったんじゃ
なかろうか」
 今や、泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」いきなり
小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、みんなが居ない間にナルソックが来るか
ら、
先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。「君は今、炭酸ガスは重いから
警報機に触れないと言ったじゃないか」
「ああ、まぶしい」突然小林君は手の平で目を覆うと窓方向を見た。「なんだって
あんなにペットボトルを並べたんだろう。これじゃあ目が焼けてしまう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAX横の床を指差した。
 そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
 小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは、20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何もんかが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりが、
ちょうど虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。黒いFAX用紙が燃えきって
適当に冷めた頃、そこにあるルンバが作動して、綺麗に掃除してくれたんですよ。
そして赤ちゃんが息を引き取ってガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃に
ナルソックの隊員が駆けつけて第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が
叫んだ。「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。
どういうタイミングでFAXするのよ」
「それは、見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「なーにを言っているのかしら、このクソガキは。だいたいペットの
日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても、煙ぐらいは出しても
完全に灰にするのは難しいと思われます。だから犯人はFAX用紙に何か引火性のある
液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
 小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも、流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
 小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生が夕べメーカーに送信したものが今日になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。
…何が起こったか分かりますか? 
メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災を起こす。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。ナルソック隊員は窓を開けて換気をする。
そしてその後で佐倉先生の送信した真っ黒い紙が間抜けに排出されてきた
という訳です。それが…」
 言うと小林君は刑事にに合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXを誰がどこから送ってきたのか分かるのは時間の問題です
よ。
たとえsnsで知り合ったどこか遠くの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、先生、
情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、親が教育委員会のお偉いさんだから
じゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。
…赤ちゃんは、私の赤ちゃんはどうなったの?」
突然、子殺しをした雌ライオンが雄ライオンにふられて母性を回復した様な
展開になった。「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
 そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

 私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」
 部屋を見渡すと、太陽は更に移動して空のベビーベッドに
日だまりを作っているのであった。












#469/470 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/07  09:28  (213)
オートマチック【改】
★内容                                         19/05/07 09:48 修正 第2版
ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
二人は結婚したばかり。
奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、元夫との間に
6ケ月の子供が居るのだった。
案内されてリビングダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドの脇に
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
あたりを見回す。
50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
FAXの複合機が床に直置きされている。
キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。
つーか通信テストシートを送ったんだけれども返送されてこないなあ」

佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。出窓に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」言うと壁際に設置されている
ロボット掃除機を指した。「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、保育園では通常の数倍の食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
鬼塚先生は立ち上がると本棚のところに行った。
そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて」
そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」
※
マンション近くの喫茶店で時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」と私。
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
スマホが鳴った。
噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何かあったみたい。それで赤ちゃんに何か
起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとか言われて、かなり時間を食った。
※
小林君に15分遅れてマンションに着いた。
部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、
その前にココの経緯を説明するのが筋でしょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あのキッチンの換気扇から排出されちゃうかな」と
動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていったのかも」
今や泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」
いきなり小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、
みんなが居ない間にナルソックが来るから、先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。
「君は今、炭酸ガスは重いから警報機に触れないと言ったじゃないか」
突然小林君はしゃがみ込むと出窓に並んでいるペットボトルを睨んだ。
「まぶしい。なんだってあんなにペットボトルを並べたんだろう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAXの排出口の横を指差した。
そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何者かが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりがちょうど
虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。
黒いFAX用紙が燃えきって冷めた頃、そこにあるルンバが作動して
綺麗に掃除してくれたんですよ。そして赤ちゃんが息を引き取って
ガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃にナルソックの隊員が駆けつけて
第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が叫んだ。
「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。どういうタイミングで
FAXするのよ」
「それは見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「カメラは突然故障して見られなくなったわよ。それに紙だって
ペットの日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても煙ぐらいは出ても
完全に灰にするのは難しいかも知れませんね。だから犯人はFAX用紙に何か
引火性のある液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生がメーカーに送信したものが今朝になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。…何が起こったか分かりますか?
 メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災が起きる。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。その時ナルソックは何かの拍子でカメラを
転倒させたんですよ。にも関わらず先生は一か八か黒いFAXを送ってきた。
それが…」
言うと小林君は刑事に合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXをどこから誰が送ってきたのかを特定するのは
時間の問題ですよ。たとえsnsで知り合ったどこかの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、
先生、情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、
親が教育委員会のお偉いさんだからじゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。…赤ちゃんは、
私の赤ちゃんはどうなったの?」突然、子殺しをした雌ライオンが
雄ライオンにふられて母性を回復した様な展開になった。
「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」

部屋を見渡すと、太陽が更に移動し日だまりは空のベビーベッドに向かっていた。




#470/470 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/05/30  21:27  (197)
その光は残像かもしれない   永山
★内容                                         19/06/02 23:58 修正 第4版
 地方の澄んだ空気の中、満天の星空を観てみたい。プラネタリウムイベントに参加し
てみたい。
 という友達の川田次美に付き合わされて、イベント込みのバス旅行に参加した。星に
ほとんど興味がない私にとって、気乗りしないツアーだったけれども、ここにきて変わ
ったわ。
 たまたま暇潰しに覗いてみた古本屋で、前々から探し求めていた“お宝グッズ”を発
見するなんて。
 最初は、ゴミに出す物をまとめて段ボールに放り込んであるのかと思った。でも、ち
らっと覗いていた紙の端っこにある文字に気付いた。あれは漫画雑誌の付録。しかも、
かなり古い。
 私は店のおじさんに聞いた。
「表にある段ボール箱の中身って、売り物ですか?」
「ああん? 売り物なんかじゃないよ」
 その答を聞いたとき、物凄くがっかりした。けどおじさんの次の言葉で逆転。
「もう捨てようかと思って。いるのがあるのなら、持って行っていいよ」
「え? あの、値段は……」
「ただだよ、ただ。そりゃ払ってくれるんならもらうけどさ」
 そう言って、かかと笑いながら店の奥に戻ったおじさん。その背中が神様に見えた
わ。
 段ボール箱の中身を漁ると、欲しかったシールのセットが見付かった。手付かずのき
れいな状態で。
 売る気はないけど、ネットオークションに出せば、いい値段が付くはず。さすがにこ
れを無料でいただいて、はいさようならでは気が引けちゃう。私は本棚も見て回り、懐
かしい漫画と小説を一冊ずつ選び、レジに持って行った。

 移動するバスの中で、次美が「何だか凄く嬉しそう。いいことあったの?」と聞いて
きた。上機嫌だった私は、古本屋での事の次第を話して聞かせ、彼女にも礼を言った。
「誘ってくれてありがと。ラッキーだったわ」
「どういたしまして。そんな偶然で喜んでくれるのなら、私も嬉しいよ」
 思えば、このときに声高に説明したのがまずかった。
 最初におかしいなと感じたのは、道の駅での休憩中。ハンカチを忘れたと気付いてバ
スに戻ってみると、同じツアーの女性が、私達のいたシートに座っている。
 私が近付いていくと、気が付いた気配はあったんだけど、そのまま動かない。横まで
来て、「すみません、そこ、私の席なんですけど」と注意を喚起して、やっと「ああ、
こちらこそすみません。間違えました」と言い、席を立って、二つ後ろに移動した。
 このときはまだ、ちょっと変だなと感じた程度だった。
 次に、うん?と異常を感じたのが、宿泊先となるペンションに着いたあと。みんなで
バスを降り、荷物を持って歩き出した。その矢先、例の女が近寄ってきて言った。
「先程は大変失礼をしました。お詫びに荷物を運びます」
「いえ、結構です。大した距離じゃなさそうだし、重くないし。気にしてませんから」
 持ち手に指先が触れたけれども、さっと引き離した。そのときの相手の目は、私の荷
物をしっかり記憶しようとするかのように、手元をじっと見つめてきていた。
 私は女の左胸にあるネームプレートで、名前が上島だと知った。実は最初に参加者全
員の簡単な自己紹介があったんだけど、よく覚えていなかった。ただ、この上島は職業
が確か鍵屋といっていたような。花火職人ではなく、キーの方の。
 ぱっと見、若くて細面で、静かにしていれば美人で通りそうだが、二度の少々おかし
な動きのせいで、薄気味悪く映る。鍵の専門家だと思うと、なおさらだ。
 そのことを、次美の部屋に行ってちょっと話したら、「やだ気持ち悪い」と「でも積
極的なアプローチなのかも」という、両極端な反応をしてくれた。
「私にレズの気はない。それに、あれはアプローチじゃないわ。興味があるのは私じゃ
なくって、荷物の方みたいなんだけど」
「じゃ、こそ泥かなあ?」
「まさか。お金目当てなら、もっと持ってそうな人のを狙うでしょ」
 ツアー参加者の中には、いかにも裕福そうな老夫婦がいたし、アクセサリーをたくさ
ん身に着けた中年女性三人組もいた。狙うんだったら、私じゃないだろう。
「ということは、あれかも」
 次美が手を一つ叩いた。そのまま、右手の人差し指で私を指差してくる。
「買ったじゃないの、お宝のシール」
「いや、買ってはいないけど。でもそうか」
 友達の言いたいことはすぐに飲み込めた。上島は二つ後ろの座席で、私と次美の会話
を聞いていたのだ。そして値打ち物のシールの存在を知り、あわよくばそれを手に入れ
ようと……ちょっと変だ。
「あのシール、いくらお宝と言ったって、せいぜい数万円だよ。マニアが競り合って、
それくらい」
「そうなんだ? じゃ、あれだよ」
 また、「あれ」だ。
「上島って人も、シールコレクターなんじゃない? それか、そのシールの漫画のマニ
アとか」
 なるほどね。そちらの方がありそうだわ。
 お金を出しても簡単には入手できない代物が、ひょんなことから目の前の、すぐにで
も手が届きそうなところに現れた。しかも持ち主の女は、古本屋でただでもらったと言
っている。そんな不公平があるか。隙を見て、私がもらっても罰は当たるまい。どうせ
ただだったんだから……と、そんなところかしら。
「どうしよう。これからお風呂よね」
「そうだけど。あっ、入っている間にシールが心配ってこと?」
「うん。ペンションの鍵なんて単純そうだし、貴重品入れはないみたいだし」
 このあとお風呂場の脱衣所を見てみて、そこにも貴重品入れがないことを確かめた。
同性だから、女湯の方に入ってくるのには何の問題もない。
「私が見張っておこうか」
 次美が言ってくれた。
「代わり番こに入ればいいじゃない。お風呂の中でトークできないのは、ちょっぴり残
念だけどさ」
「ありがと。お願いするわ」

 風呂から上がり、部屋に戻って次美と入れ替わり。
 独りになって、扇風機の風を浴びながら考えた。シールをどこかいい場所に隠せない
かと。お宝シールは五センチ四方ぐらいのサイズで、台紙を含めても厚さはミリ単位。
どこへでも隠せそうだけど、万が一ってことがあるし、変に凝って、あとで私自身が取
り出せなくなっちゃった、では目も当てられない。
 ここが普通の宿泊施設なら、フロントで預かってもらうという手があるんだろうけ
ど、生憎と違うのだ。星空観察&プラネタリウムイベントのために開放された、少年自
然の家的な施設だから、宿泊専門の業者ではなく、イベント主宰者や地元の人達が世話
を焼いてくれている。貴重品はご自身でしっかり管理してくださいというスタンスなの
は、やむを得ないんだろうと思う。
 次美に持ってもらう、次美の部屋に置いておくという手もあるけど、万が一を考える
とね。友達に危害が及ぶのは絶対に避けたい。
「あ〜あ。どうしたらいいんだろ」
 扇風機の近くで風を浴びつつ独り言を喋ったら、声がぶわわって感じで震えた。近付
きすぎて、折角まとめた髪の毛もぶわわっと広がる。
「――そうだわ」
 閃きが突然、舞い降りた。

             *           *

「被害者の名前は生谷加代、学生、二十歳。友人で同じ学生の川田次美に誘われ、とも
にツアーに参加していたとのことです」
「ツアーの中に、他に知り合いは? 客でも添乗員でもバス運転手でもいい」
「えっと、見当たりませんけど」
「だったら、その友人が怪しいのか? 普通、見ず知らずの相手を殺して、こんな風に
はしないだろう」
 生谷加代の死因は絞殺だと推測されているが、それ以外にも大きな“傷”を彼女の遺
体は負っていた。
 長い髪の毛をバッサリ切られていたのである。乱雑で、長さは不揃い。切り落とした
髪が、現場である被害者の部屋にたくさん落ちていた。
「いえ、川田次美は風呂に入っていたというアリバイがあります。それに、仲はよく
て、二人はツアー中も楽しげに喋っていたとの証言を参加者達から得ています」
「じゃあ何か。この地元にロングヘアフェチの奴でもいて、そいつがたまたまここに侵
入して、被害者を手に掛けて毛を持って行ったってか? ありそうにないな」
「はい。数は少ないながらも、防犯カメラの映像も、外部の者が侵入したような場面は見
当たらないみたいです。まだ全部は見切っていないようですけど、多分、外部犯ではな
いでしょう」
「内部に怪しい奴はいるのか」
「はい、川田の証言ですが、バス移動の途中で立ち寄った城下町の古本屋で、被害者は
珍しいシールを見付けて入手したそうです」
「シール? そういうもんを集めてる風には見えなかったが。まあいい、それから?」
「ツアー客の一人、上島竜子がそのことを知って、盗もうとしていたんじゃないかと川
田は言っています。そして問題のシールもなくなっているとのことでした」
「だったらそいつの身体検査をすればいい。シールが動機なら、どこか身近にあるに決
まってる」
「言われる前に実行しました。すると、身体検査を受けるまでもなく、自ら提出してき
たんです」
「何だ、解決しとるんじゃあ?」
「いえ、観念したという態度ではなく、『話題にされたシールなら私も持っています。
同じ古本屋で見付けましたから』って」
「物真似はしなくていい、気持ち悪いから。指紋は? シールから被害者の指紋は出て
ないのか」
「きれいに拭き取ってあり、上島の指紋だけが残っていました。拭き取ったんじゃない
かと問い質すと、これまた当たり前のように認めて。手に入れたときに、少しくすんだ
ような汚れ感があったから、丁寧に拭いたということでした。今はDNA鑑定に掛ける
かどうか、判断待ちです」
「したたかな女のようだな。DNA鑑定で被害者の物が出たとしても、『彼女が見せて
と頼んできたので、渡しただけです』とでも言われて、かわされるのが関の山だろう
な。次々とこちらの疑問点を認めた上で、別の答を用意している。神経が図太いに違い
ない」
「そうかもしれませんが、我々が踏み込んだときに、上島は部屋でだらだら汗をかいて
ましてね。最初はびびっているのかと思ったら、単に風呂上がりで暑がっていただけみ
たいです。その割には、扇風機を仕舞い込んでいて、変な感じでしたが」
「女が風呂から上がって、冷房のない部屋で、扇風機を出さずに、汗だく……考えられ
ん。おい、上島の部屋は調べたのか」
「いえ、調べたのはシールですが、あれもすぐに提出されましたので。部屋は実質、手
付かずと言えます」
「それじゃあ、すぐにでも調べた方がよさそうだ。

 警察の鑑識課が入った結果、上島竜子の泊まる部屋からは、生谷の物と思われる短い
毛髪が見付かった。さらに、羽の部分に大量の毛髪が巻き付いた扇風機が、部屋の押し
入れの奥、布団に覆い隠された形で見付かった。
 動かぬ証拠を突きつけられた上島は、取り調べに対して、概ね素直に犯行を認めてい
るという。
 供述によると――上島は生谷がいそいそと部屋に戻る姿を目撃し、あとをつけた。そ
の顔つきを見て、「うまい隠し場所を思い付いたんだわ」とぴんと来たという。そのま
ま生谷の部屋の前で迷っていたが、もうすぐしたら連れ(川田次美)が戻って来るだろ
う、そうしたらチャンスは失われる。そう思い詰めて、ドアのロックをピッキングの技
で解除、これにはものの十数秒で成功したという。ドアの開く音や中に入ったときの気
配は、生谷が作動させた扇風機の近くにいたおかげで、聞かれなかった。
 戸口の陰から窺っていると、生谷は回し扇風機を停めて、外していたカバーを戻すと
ころだった。扇風機の風の音が消えたら気付かれると考え、上島は生谷に突進。振り向
きざまに突き飛ばされた生谷は転倒。持っていた扇風機の羽に髪の毛がしっかり絡まっ
た。一方、顔を見られた上島は最早引き返せないと考え、生谷に馬乗りになると両手で
首を絞めて殺害。それから“護身用”に所持していたカッターナイフを使って、生谷の
髪をざくざく切り落とした。
 この行為は、生谷がお宝シールを扇風機の羽に貼り付け、常に扇風機を使用すること
で容易には見付からぬようにしていためである。上島は部屋に忍び込んで、扇風機のカ
バーが外されているのを見た瞬間に察知したという。なお、シールは羽に直接貼られて
いた訳ではなく、安全ゴム糊を使って接着されていた。
 生谷の髪と扇風機とを切り離した上島は、廊下に人のいないタイミングを見計らっ
て、その扇風機を抱えたまま、自分の部屋にダッシュ。返す刀で、元々自分の部屋にあ
った扇風機を持ち出し、生谷の部屋に運び込んだ。そして自室に戻ると、羽に絡まる髪
の毛をじっくりとかき分け、シールを見付けた。
 これが事の次第の全てである。
 一見、猟奇的な殺人事件に思えたが、解決してみると非常に即物的かつ衝動的な犯行
が、多少奇妙な像を現実に投影しただけのことだった。

             *           *

 グッドアイディアが浮かんでよかったわ。
 扇風機の羽に安全ゴム糊で一時的に貼り付けて、部屋を留守にするときも扇風機を回
しっ放しにしておけば、見付かりっこない。あとで剥がすときも、安全ゴム糊なら問題
なし。
 あとはこの近所に安全ゴム糊が売ってあるかどうかだったけど、さすが地方の町とい
たら失礼かしら。文房具屋で見付けたときは感動したわよ。
 さあ、これでいちいち持ち歩かなくても大丈夫ね。

 生谷は左胸のボタン付きポケットに入れたシールのかすかな感触を、布越しに確かめ
た。
 夜空には数え切れないくらい多くの星々が、きら、きら、きら。

 終わり




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