AWC ●短編



#445/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/10/28  01:33  ( 16)
随筆>蜘蛛
★内容
芥川先生の御本に悪人が生前助けた蜘蛛がいました。蜘蛛の糸でおしゃかさまが地獄か
ら助け出してあげる(結局は失敗した)話があるのですぅ。私はそれを見習って蜘蛛は
大事にしています。

ある夏の日でした。一匹の蜘蛛が家の中に入ってきました。家の中にいれておくと噛み
つかれるかもしれないし、殺すには可哀想だし、外に出してあげることにしました。
嫌がる蜘蛛を捕まえて、屋根の瓦の上にそうっと起きました。夏の暑い日だったので、
瓦も焼けていたのでしょう蜘蛛はぴくぴくぴくと痙攣を起こして動かなくなりました。
気がついたら逃げ出すだろうと思って、窓を閉めて冷房と扇風機がかかった涼しい部屋
で蜘蛛のことを忘れてパソコンで遊び始めました。
そして次の日見ると蜘蛛は同じところにいました。その次の日も・・・その次の日も
・・・
一週間がたちました。窓をあけると蜘蛛は同じところにいました。風が吹き、逝って身
体の水分が抜けた蜘蛛は凧のようにふわりと飛んで行ってしまいました。
教訓
地獄に行っても蜘蛛の糸で助けてもらうことはできないようです。




#446/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/06  22:32  ( 21)
随筆>2匹のやもり  $フィン
★内容
私の家では防犯のため一晩中玄関先に灯りをつけています。そこに羽虫やその他の昆虫
が集います。その虫たちを食べにわりと大きなやもりと中ぐらいのやもりがやってきま
す。
2匹を観測していたら羽虫が油断をしている間にさっと動いてぱくりと食べます。ぱく
りぱくりぱくり何度も同じことをしていて見ていてなかなか飽きません。
深夜人は寝てやもりは羽虫を食べる。
日が昇ると同時に羽虫は消え、やもりもどこかの影に隠れるはずなのですが、家の構造
のせいとやもりが太りすぎて、玄関のガラスとサッシの間に挟みこまれて、逃げ出すこ
とができません。逃がしてやろうと無理して出そうとするとしっぽがちぎれて、しっぽ
のないやもりになると可哀想だからそのままにしておきます。そうやって何もせずに見
守っているといつの間にか抜けだしています。
私も家族もやもりのことは気にかけていて、今夜はもうやもりでてきたよとか言って玄
関のガラスに貼りついたやもりを優しく見ています。
だけどここ2.3日気になることがあります。中ぐらいのやもりだけが姿を見せて、大きな
やもりの姿が見えません。大きなやもりは食物連鎖の中に取り込まれて、より大きな動
物に食べられたのかなと心配しています。できれば11月にはいってから寒くなったの
で冬眠したと考えたいです。中ぐらいのやもりも玄関の羽虫をいっぱい食べて、そろそ
ろ冬眠すればいいのにと思っています。
そして来年の春、大きなやもりも中ぐらいのやもりも冬眠から目覚めて、また玄関に現
れてくれるのを祈っています。こうして人にもやもりにも平等に季節は巡るのですね。
来年の春に元気に現れてください>二匹のやもりくん




#447/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/14  02:02  ( 44)
随筆>涼しい布団 暖かい毛布  $フィン
★内容


最初に別にそこの業者を誹謗中傷するつもりはなく、私が思ったありのままの感想を書
いているつもりです。読む側も買う時に少しでも参考になればいいと思っています。

今年の夏も例年どおり暑かった。少しでも身のまわりを涼しくしようと、外出した後に
は水のシャワー、お風呂に入ってからは男性用のすかっとするミントの匂いたっぷりは
いっているリンスインシャンプー、男性用のボデイソープ(ミント風)、お風呂に出る
ときは水のシャワーで女なのに、夏になると男性化しています。

そんなおり、CMで●●は辛いが布団は涼しいとかなんとかいうのがありました。お金
をできるだけかけずに涼しくなる方法を考えていた私は興味を持ちました。そしていつ
も衣料を注文している通販サイトで同じようなものが売られていたので、寝るときに本
当に涼しくなればいいなと言うことで注文しました。下が2500円、上が2000円弱でし
た。

注文して2.3日後無事届いてさっそく布団にとりつけてみました。・・・・ぜんぜん涼し
くならない。それが最初の感想でした。値段のわりには布団がしょぼい。特に上がタオ
ルケットに近いようなものなのに、2000円とはちと高いのではないのかい?1000円以内
で収まるものでないかい?という感想でした。それでも肌触りはつるつるしてたしかに
いいし、今流行りなのだから今のうちにぼっているものを買ったと思えばいいかと思っ
て諦めました。

季節は夏は終わり、秋になって11月そろそろファンヒーターや毛布の暖かいのを欲し
くなる時期です。

妹がホームセンターのチラシを持ってきてなんでもいいから3000円以上のものを買って
欲しい。たぬきの置物を見学するバス旅行に当たりたいからと、友達も同じことを考え
ていて二人でただのバス旅行に行くつもりです。3000円以上の買い物をしないとバス旅
行の応募券をもらえないのです。

そこで私は去年3000円ぐらいで上用の毛布を別のホームセンターで買っていました。裏
表二重の茶色の無地の色こそ悪いが肌触りもよく軽くてとても暖かい毛布を買っていま
した。妹が持ってきたチラシにも3000円で同じ茶色の暖かい毛布と書かれていました。3
000円の買い物をしたら妹もバス旅行に行ける確率があがって喜ぶだろうと暖かかったら
いいなと妹に頼みました。

そして数日後その毛布を持ってきました。手触りこそいいものの、●●は辛いが布団は
涼しいの暖かい版でした。薄っぺらいぺらぺらの毛布でした。3000円払ったらもっと暖
かい二重の毛布が届くと思っていた私はがっかりしました。これだと1500円ぐらいの品
だなと思いました。

これを読んだみなさんも自分の目でちゃんと確認して、実際にその金額にあうものか見
て購入してくださいね。通販や妹の目を信じた私が馬鹿でした。




#448/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/23  12:15  ( 23)
随筆>楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシ $フィン
★内容


半年に一度定期健診で歯医者に行っています。行く前に歯磨き粉なしで一度歯を磨き、
糸ようじを使って歯と歯の間にある磨き残しをとって、その後歯磨き粉をつけて歯を磨
き、最後にマウスウオッシュで歯を磨いています。それでも看護師さんに歯を染色して
もらうと磨き残しがあります。いままで何回もそうやってきたのですが、毎度指摘され
てしまいます。看護師さんに一本一本歯を磨いてもらって、その後超音波で歯を磨いて
終わりです。虫歯ができて治療してもらうときは痛いのはわかるのですが、歯の定期健
診のときは気持ちいいのか、痛いのかわからない何度やっても微妙な感じがします。

さて今回の題材になった楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシですが、今まで1本150円
以上の歯ブラシで歯を磨いて(一度目は歯磨き粉なしで歯を磨き、糸ようじで歯と歯の
間をとり、二度目は歯磨き粉で歯磨いて終わりです)いるのですが、歯を磨いていてわ
りと楽しくてやっていました。

でもその歯ブラシも横に広がってきて、1週間前ドラックストアによったさいに、1本78
円で売っていたドラックストアのプライベートブランドの歯ブラシを買ってきて、さっ
そく以前と同じ方法で磨いたのですが、あれ?磨いていて楽しくない。歯ブラシは同じ
普通の硬さなのに微妙に違う。慣れていないせいかなと思っても歯磨きが楽しくない。
同じことをやっているのに楽しくない。

やっぱり78円の歯ブラシは駄目なのかな値段どおりの効果しかないのかなと思った。次
は150円の歯ブラシ買おうと思いました。




#449/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/02/25  21:15  (413)
呪術王の転落   永宮淳司
★内容                                         22/01/09 14:16 修正 第2版
 遠くに赤い砂肌をした山々が見える。どれも三角形より四角形に近いシルエットを持
っていた。
 周辺にはサボテンを始めとする棘の多い植物が点在する他は、特に生き物の気配の感
じられない、荒涼とした地面が延々と続く。無論、我々人間が簡単には見付けられない
場所に、小さな生き物たちは潜んでいるのだろうが、一見するとこの一帯は“死の土地
”そのものだった。
 こんな場所に何を思ったのか、宗教団体がかつて巨大な塔を建てた。高さ二十四メー
トルの五階建て、ドーナツ型をした円筒の石造り。かつてはそれなりにきらびやかさを
有していたそうだが、生憎と資料が残っておらず、具体的には分からない。現存する塔
は、内壁も外壁も黒く磨き上げられた石が鈍い光をまだ宿しており、往時を偲ばせた。
 一階部分には窓もドアもなく、地上からは二階へと通じる階段を登ってから、改めて
降りることになる。他の階には全て窓が四つずつがある。いずれもはめ殺しで、分厚い
ステンドグラスが今も無傷で残っているようだった。
 ようだったと曖昧な表現にしたのは、近くまで行って直接確かめることが困難だから
だ。内部にあった螺旋階段は錆び朽ちて、ほぼ全て崩壊していた。僅かに残った数段の
ステップや手すりなぞ、最早何の役にも立つまい。触れただけで崩れかねないように見
える。
 塔の内部は屋上まで吹き抜けで、エントランスホールに該当する中心区画から見上げ
れば青空が望める。元々、屋根はなかったらしい。
 何のために作ったのか? 宗教団体の説明によれば、各階にある四部屋が修養の場と
して機能していたとのこと。どのような修養が行われていたのかの記録はあるのだが、
詳細は省く。部屋の構造自体は同じだが、上階ほど上級の修養がなされていたという。
「宗教団体の解散後、所有権を持つ人物とその血縁者が皆、お亡くなりになってね。よ
うやく、こうして利用できることになった」
 鼻髭の印象的な中年男が言った。“呪術王”と呼ばれる割に、柔和な表情をしている
し、声の調子は穏やかで優しく、身体も平均的だった。
 彼の名は、ロドニー・カーチス。占いを生業とする。ここ数年で、急に知名度が上が
り、人気を得ていた。きっかけは、芸能人やスポーツ選手など著名人の将来に関する
諸々を、いくつも言い当てたためだ。
 当初、彼自身は、必要以上に自らを売り込もうとはしなかったが、人気者になるとマ
ネージャーがいる方が便利だ。という訳で雇われたのが私、メクロ・カンタベルであ
る。元は男性歌手のマネージングをやっていたが、タレントの不祥事により喉が干上が
りかけていたところを、拾ってもらったのがより正確な表現になろうか。
 もちろん、腕には自信がある。カーチスを最初は占い一本で売り込み、次いで予言や
心霊現象関連に首を突っ込ませ、徐々にクイズ番組などにも進出。今ではスポーツ選手
の運動会や、芸能人の水泳大会にまで顔出しさせている。呪術王は年齢の割に運動がで
きるのだ。
 そんな風に仕事をするようになってからしばらくすると、カーチスにも商売っ気が出
て来た。私は彼のためを思って、仕事を取捨選択し、呪術王ロドニー・カーチスにとっ
て最善のイメージ作りを心掛け、機を見てイメージチェンジをはかり、そして成し遂げ
た自負がある。
「それで……一体、何を確かめたいと言うんです?」
 私はカーチスに尋ねた。荷物を満載したワゴンカーを用意させられ、目的を告げられ
ぬまま、ここまでお供させられたのだ。いい加減、打ち明けてくれてもよかろう。
「メクロ・カンタベル。君はここでかつて起きた不可思議な出来事について、知ってい
ますかな?」
「いえ……特に何も知りません」
 大きな事件と言えば、くだんの宗教団体の教祖が、塔の天辺にある自身の部屋で死亡
したことくらいだろう。ただ、あれは報道によると病死で、別段、不思議な事件ではな
かったはず。
「勉強不足です。ここへ来ると伝えた時点で、下調べくらいしておいてもらいたいも
の」
「すみません。他の諸々に忙殺され、そこには意が回りませんでした」
 やや不機嫌な口調になった呪術王に、私は急いで頭を垂れた。
「それなら仕方がない。まあ、私でも知っている常識だと思っていたが、昔のこと故、
世間から徐々に忘れられているのかもしれない」
 そう言うと、カーチスは塔によってできた日陰に入り、話し始めた。
「長くなる話じゃあない。語ろうにも、情報が少ないのでね。事件の主役は、バーバ
ラ・チェイス。宗教団体の信者で、齢は十五ほど。見事な金髪だけが自慢の、他は地味
な印象の少女だったとか。そして彼女は足が不自由だった」
 教祖が奇跡を起こして、その子を歩けるようにしたとでも言うのだろうか。
「バーバラは教団の末期に入った信者で、程なくして教祖が死亡、教団の解散となる。
それでも彼女は信仰を捨てず、ここへ来ることを願った。多分、教祖の魂がまたいると
でも思ったのでしょう。解散から一年後、その願いは叶い、友達数名の助けを借りてこ
こへやって来たバーバラは、一人で一晩明かしたいと告げる。友達は聞き入れ、場を離
れた。バーバラが夜をどのように過ごしたかは定かじゃないが、この塔の一階で寝袋に
入って就寝したことだけはほぼ間違いない。というのも……いや、この点は後回しにし
よう。翌日の昼前、友達がバーバラを迎えに行くと、彼女の姿はなく、荷物の一部が一
階の壁際に置いてあるだけだった。ああ、言い忘れていたが、当時の段階で既に建物は
今のように朽ちかけていた。時間による劣化のみならず、教祖死亡を受けて混乱を来し
た教団内で、大小様々な暴力・暴動沙汰があったせいらしいね」
 何故かにこりと笑うカーチス。呪術王は新興宗教団体を見下しているようだ。
「友達はバーバラ・チェイスを探したが見付からない。遠くまで移動できるはずがない
彼女を探すのに、捜索範囲はさほど広くない。一時間ほどで行き詰まった友達連中が途
方に暮れていると、突然、空から声が聞こえたそうです。叫び声と呻き声が混ざった、
形容のしがたい声がね」
 私が知らず、固唾を呑むのへ、カーチスはいよいよ講釈師めいた口ぶりと表情をなし
た。案外、楽しんでいるようだ。そして案外、愛嬌のある顔になると気付いた。
「それはバーバラの声だった。友人らが見上げた先は、塔の天辺付近。具体的にそちら
から聞こえたとの確信があった訳ではないらしく、他に見上げるべき物がなかったとい
うのが正しい。とまれ、声の源としてそこは間違っていなかった。塔の最上階、少しば
かり残った床の上に、バーバラ・チェイスは横たわっていた。寝袋に入ったままの状態
で、仰向けに」
「どうやって助けたんですか? いや、そもそもどうやってバーバラはそんな場所へ行
けたのか」
「焦るもんじゃないですよ。無論、友人達はすぐさま助けに行くことはかなわず、本職
の救援隊を呼んだ。詳しい段取りは省くが、かなり手こずったという。それよりもバー
バラが登れた方が不思議であろう。彼女が後に語ったところによると、意識を失ってい
たらしく、気が付いたときにはそこにいたと言うんですな。日差しのきつさに覚醒し、
周囲を見回して悲鳴を上げてしまったと」
「夜は下で寝ていたんでしょう? 何者かが彼女を寝袋ごと担いで上がるとしても、塔
の様子からして非常に難しい……と言うよりも、無理だと思えますが」
 私は聳え立つ塔を改めて見上げ、言った。バーバラ・チェイスの一件が何年前の出来
事か知らないが、塔の状態が現在よりも劇的によかったとは考えにくい。長梯子や滑車
があったとしても、不可能ではないか。
「ああ、バーバラが睡眠薬でも飲んでいたなら、あるいは可能かもしれませんね?」
「いや、仮にそうだったとしても、難業ですよ。人ひとりを担ぐにしろ、道具を使うに
しろ、目を覚まされないようにするのは。まあ、実際には睡眠薬を始めとする薬物の類
は、全く検出されなかったんですがねえ」
「そうだったんですか」
 当事者が生きて助かった場合でも、健康診断名目であれやこれやと調べるものらし
い。
「この謎は、結局解かれないまま、現在に至っているのだが……私はどうやって起きた
のかを突き止めた。正確には、突き止めた気がするという段階だがね」
「つまり、筋道だった推理を組み立てたってことですね? 聞かせてください」
 私の言い方がよほど物欲しげだったのか、カーチスは嬉しそうに笑みを作り、そして
勿体ぶった。
「今は話すつもりはない。推理が当たっているのかどうか、確かめてからになります」
「確かめる?」
「そのために、現場まで足を運んだんですからな」
「ははあ。てっきり、暇潰しの物見遊山かと」
「とんでもない。もし当たっていたときには、世間に大々的に公表するつもりだ。その
前に、君には真っ先に教えてあげましょう」
「それはありがたいですが……当然、今は他言無用ですね」
「ああ。公表前に外部に漏れたときは、君はくびだ。はははは」
「冗談でもそんなこと言わないでください」
 私は身震いして見せた。事実、呪術王はこのところ、以前のように単独で仕事をやり
たがっている風に見受けられる。私の仕事のやり方を会得し、一人でできると踏んだの
だとしたら、それは大きな間違いというものだ。
「それよりも、早く実証実験に入らないんですか」
「君がいる前ではやらん。一人で始めて、結果を待つことにしてる」
「どうしてです?」
「間違っていたら、気まずいじゃあありませんか。加えて、この実験は時間が掛かる。
しかも、いつ、私の想定した条件が揃うのか、分からないと来た」
「えっと。それって」
 私は近くまで運んで来て荷物を思い浮かべた。
「ここでお一人でキャンプでもすると……?」
「そうなる。なあに、安全は確保してある。水や食糧は充分に用意したし、電話が通じ
なくなるような万々が一の緊急時に備えて、信号弾もある。ああ、結果が出たら知らせ
ますから、すぐに来てくれたまえ」
「結果が出なかった場合はどうしましょう?」
「そうですな、そのときは……まあ、五週間と期限を区切りましょうかね。連絡がなく
ても、五週間後には迎えに来るように。いいですね」

 現在、きっかり三十五日後の昼間。
 私はカーチスのいるはずの塔の足元に立っていた。
 外から呼び掛けても返事はない。しかも、彼の持ち物のいくらかは、周辺に散乱して
いる有様だ。何らかの異変があったに違いない。それは端から分かっていた。
 即座に浮かぶとすれば、大型肉食獣による襲撃だろうか。この辺がいくら死の土地だ
と言っても、獣が全くいない訳ではあるまい。熊のような大型で凶暴な獣が出現したの
ではないか。そんな想像を脳裏に描いてみた。食い散らかされた人体……。
 が、思い付きは簡単に粉砕されることになる。
 塔の内部に、恐る恐る足を踏み入れた私は、一階エントランスの部分に呪術王を見付
けた。彼は俯せに横たわっており、一見、寝ているようだった。だがしかし、異変が起
きたのは確かなのだ。
 その名を何度呼ぼうとも、応答はなく、代わりのように嫌な臭いが私の鼻を衝いた。
背中や額を汗が伝う。
 近付いて、いよいよはっきりした。カーチスの後頭部には、赤黒い物があった。何者
かに殴られでもしたかのように、少々へこんでいる。
 呪術王は息絶えていた。

 後日明らかにされたところによれば、カーチスの死因は、転落死とのことだった。
 あんな場所で転落とは。それなら彼はあの塔に本当に登ったか、登る途中のいずれか
で、何らかのミスを犯して落ちてしまったのか。だとすると、彼の言っていた実験は、
ほぼ成功しかけていたことになる? 当人が死んでしまった今となっては、彼の推理し
た方法がどんなものだったのか、知る術は失われた。
 ただ、彼の残していたメモ書きにより、仮説が的中していた場合には自身の新たな売
りにするつもりだったことが分かった。“呪術王”ロドニー・カーチスが起こす不可思
議な現象として、大々的に披露する算段でいたのだ。そのためなのだろう、例の塔のあ
る一帯の土地を購入する手筈も、あとはサインをするだけと言っていいほどの段階まで
済ませていた。密かに計画を進めていたと知った私は驚きもしたが、今となってはどう
でもよい。
 それよりも、後処理だ。そこまで費用を掛けて、見返りが充分にあると踏んでいたの
だろうか? 私のようなマネージャーがいないとだめな人だったから、その辺の商売感
覚は怪しいが、そこはそれとして、俄然、興味が湧いた。もしも実際に見世物として成
り立つ現象が起こせるのであれば、カーチスの解き明かした方法を知りたいものだ。何
せ私は、彼の死によって、失業状態になった。見世物で稼げるのなら、私も当面の間、
糊口をしのげるであろう。マネージャーとして、カーチスのサインを真似るぐらい訳な
いから、いざとなれば土地購入の契約を正式に結んでいたことにできよう。
 そのためには、一にも二にも、謎の解明だ。
 とは言え、独力で解き明かせるかと問われると、全く自信がない。私は現実主義の方
に傾いた一般人だ。想像を際限なく膨らませるのも、無から突拍子もないものを創造す
ることも苦手だと自覚している。となれば、得意な者に頼むしかない。できる限り、費
用を掛けずに。
「そんな奇特な奴、いる訳ないだろ」
 昔からの悪友で、物書きをやっているテムズ・タルベルが言った。作家先生というよ
うなご立派なものではなく、記者崩れの男。そのくせ、金回りはいい。この居酒屋での
払いも、今夜は彼持ちだ。どこぞの富豪から、小金を引き出す種を握っているらしいの
だが、教えてくれる気配はない。
「正解があるかどうかも分からん謎に、無給で取り組むような輩。いたらそいつはよほ
どの暇人か、阿呆だ」
「ただ働きとは言わんさ。儲けの一部を回してやっていい。心当たりはないか」
「だから、見世物として成り立つのかどうかがはっきりしない段階で、協力する奴がい
るとはとても思えん」
「いくらか前払いできる。今なら、呪術王死す!と散々やってくれたおかげで、多少は
懐が潤ったんだ」
「金の問題というより、謎に取り組む熱意の問題だぜ、こいつは。おまえさんも夢みた
いな話を追い掛けてないで、新たなマネージャーの口を探した方がいいんじゃないか。
三月ぐらい前から、カーチス以外のマネージメントも考えたいと言い出していたが、あ
れ、どうなったんだ?」
「呪術王と仕事をしていたという評判が、なかなかね。芸能人の秘密を掴んでいるんじ
ゃないかと噂されて、いい印象をもたれていないみたいなんだな。それに……曲がりな
りにも、カーチスの世話をした身としては、情が移ったのかもしれない。解き明かして
やりたいという熱意は、確かにあるんだ」
 割と本音に近いところを吐露し、私は残っていた酒を呷った。
「頼むとして、どんな職業の奴を想定してるんだ?」
「それはやっぱり、宗教家とか占い師? インチキな御業に詳しい人物ならなおのこと
いい」
「そんな連中が都合よく見付かったとして、素直に協力してくれるかね?」
「……難しそうだ。となれば……手品師の類だな。あとで見世物にするとき、手品師が
いれば都合がよいかもしれないし」
「おまえに利益が回らなくなる可能性が高そうだ」
 解明してもそれを私には教えず、手品師が独自に見世物に仕立てるっていう意味か。
そんな狡賢い奴ばかりではないと思うが、きちんと契約を結んだら結んだで、儲けのほ
とんどを持って行かれそうなのも、容易に想定できる。
「じゃあ、あと考えられるのは……探偵かな」
「探偵?」
 全く予想していなかった言葉を聞いたとばかり、目を丸くしたタルベル。だが、こち
らとしては意表を突いたつもりなぞ毛頭ない。
「おかしくはあるまい。すっかり忘れているようだけれど、ことは殺人事件なんだ。地
元の警察は、まだ何の手掛かりも掴めていない。ひと月近く経つのにまともな発表が全
くないんだから、少なくとも難航しているのは間違いないだろう。そこでマネージャー
だった私が、探偵を雇うというのはさほど変な成り行きではないはずだ」
「なるほどな。しかし、刑事事件を依頼するとなると、相当な金が……。実費だけでも
かなりになるだろう」
「タルベル、君の広い顔でもって、誰かいないもんかね。依頼料なんて二の次、謎解き
こそ喜び、みたいな探偵の心当たりは」
「うーん。実は、いないことはない」
「そうなのか? 是非、すぐにでも紹介してくれ」
「簡単には掴まえられんのだ。その男、世界を旅しているからな」
「旅? もしかすると、異人なのか」
「異人だが、言葉は問題なく通じる。少し、気難しいところがあるがな。エイチという
名の、黒髪の男だ」
 結局、私の懇願に折れ、タルベルはエイチへ接触を図ってくれることになった。期待
するなよと何度も言って。

「その件なら、発生当時に滞在先で聞き及んで、ある程度の興味を抱いたよ。が、検討
の結果、事件性はないと判断できた。だから、あなたの地元での出来事だと分かってい
ても、特に知らせようとは考えなかったな」
「うむ」
 エイチの言葉に、警察署長のライリー・カミングスは、重々しく頷いてみせた。威厳
を保とうという意識が、強く出てしまっていた。童顔のため若く見られがちなカミング
スは、半ばそれが癖になっていた。
「私もそう思っていたのだが、関係者からせっつかれて、のんびりと構えていられなく
なった。さりとて、事件性がないことの証明は、意外に難しいものでね。管轄内では他
に大きな事件が複数、起きていることもあり、ここは君の助けを借りるべきだと判断す
るに至ったのだ」
「以前は僕の方もお世話になりましたから、協力は喜んでしますが――こちらの推測を
話す前に、カミングス署長ご自身の考えを聞きたいものです」
 そう言って微笑するエイチに、カミングスは眉根を寄せた。
「私の考え?」
 応じる声が、多少の動揺を帯びていた。“呪術王転落死”の件の顛末について、彼が
思っていることはただ一つ。呪術王カーチスは崩れかけの塔をどうにかして登ったが、
誤って足を踏み外し、地面に激突、そのまま死に至った。それだけである。無味乾燥で
つまらないが、そうとしか考えられない。
 カミングスはしばしの逡巡のあと、エイチにこの感想を正直に伝えた。
「――こう言うと、君はすぐに指摘するだろう。分かっている。どうにかして登ったと
言うが、その方法を解き明かさねば真の解決とは言えない、とでも言うつもりだろ?」
「まあ、半分は」
 エイチは、今度ははっきりと笑いながら言った。
「半分? 何が半分だ。その言い種だと、どうにかして登ったということ自体、半分し
か当たってないみたいじゃないか」
「半分というのは言葉のあや。思うに、カーチス氏は自らの力で登ったのではないと考
えています」
「……分からんなあ。自力じゃないのなら、誰かに引っ張ってもらったとでも? あ
あ、そうか。先立つ事件では、足の不自由な女性が塔を登った訳だから」
「ええ、関係あり、です。カーチス氏とバーバラ・チェイス嬢は、同じ過程を辿って、
塔の上まで運ばれたんでしょう」
「何と。二つとも解決したというのか」
 つい、解決という表現を使ってしまったカミングス。これでは、警察は皆目見当が付
いていなかったと白状するも同じである。
 そのことに気付いたカミングスだったが、素知らぬ態度で続ける。
「ならば、答合わせといこう。エイチ、君が真相に至ったのは、何がきっかけだった
?」
「過去の新聞記事」
 短く答えるエイチ。ある意味、意地悪な返事とも言えた。
「そうであろう。かつての事件にヒントがあったと」
「ええ。あの一帯で、何らかの特徴的な出来事が起きていないかどうか、遡って調べて
みた。すると、数年に一度、奇妙な変死事件が発生していると分かった」
「変死か」
「問題の地域は、砂漠に近い、乾燥した大地です。にもかかわらず、溺死者が出ている
んですね。とても特徴的でしょう」
「ああ、死の土地での溺死か。それなら分かるぞ」
 さすがに警察署長として把握している。
「十五年くらい前までは、完全に謎だったな。何しろ、周囲には川や沼といった水辺は
全くないのに、人が溺れ死んでいるのだから。どこかよそで溺れさせたのを運んだとし
ても、わざわざそんなことをする理由が犯人にあるのだろうかと、不思議だった。ま、
分かってみれば単純なことで、山側で突発的に大雨が降ると、その雨水が一本の濁流と
なって、短時間で一気に押し寄せる区域がある。運悪く、そこにいた人物が犠牲になっ
たという仕組みだった」
「それと同じですよ。カーチス氏のときもバーバラ嬢のときも、直前に同じ気象条件に
なっていたと分かった」
「むう。しかし、ロドニー・カーチスは溺死ではなく、転落死。バーバラにしても、溺
れてはいない。どういう訳で、そんな違いが?」
「多分、彼らは水に浮かんだんです。その結果、カーチス氏は命を落とし、バーバラ嬢
は助かったという風に、道ははっきり別れましたが」
「ますます分からん。焦らさずに、噛み砕いて教えてくれ」
 カミングスはすっかり、教師に教えを請う生徒と化していた。
「溺れずに浮かんだの何故か。鍵となったのは、まず、あの塔の内部にいたという事
実。現地に行って調べてはいませんが、塔の壁は、床や天井に比べると相当に頑丈なの
ではないかと想像できた。中が朽ちても、壁は殻のように残り、塔として聳え立ってい
るのだから」
「まあ、そう言えるだろうな」
「次に、二人とも寝袋を使った。正確には、カーチス氏が寝袋を使ったかどうかは定か
でないが、キャンプ道具を運び込んでいる。一人で野営するのなら、テントよりも寝袋
の方が簡便と言える。第一、氏はバーバラ嬢の身に起きた現象を再現することを期し
て、現地入りしているのだから、同じ格好をした可能性が高い」
「何となく見えてきたぞ。寝袋は撥水性、いや、もっと言えば防水加工が施された代物
だったとすると、水に浮かぶ。少なくとも、身一つでいるところを水に襲われた場合、
浮かびやすくなる、だろ?」
「ご名答。短期間に山に降った豪雨が、強くて速い流れになって、塔のふもとを襲っ
た。所々に開いた穴から、水は塔内部に入り込む。塔を大きくて細長い器に見立てる
と、分かり易いかもしれません。中で横たわっていた人間は、嵩を増す水に一気に持ち
上げられ、塔の天辺近くまで行き着く。バーバラ嬢は、幸か不幸か気付かぬまま天井上
に到着。カーチス氏は最上階の床に乗り上げた」
「ふむ、なるほどな。バーバラ・チェイスの方は、おおよそ分かったぞ。彼女を持ち上
げた大量の水はじきに引く。そして目覚めたときには、照りつける太陽や乾燥した空気
のおかげで、地面や衣服などにあった濡れた痕跡もすっかり乾き、分からなくなったと
いう訳だな」
「恐らく。早めに気付いてもらえて、彼女は幸運だったのかもしれない」
「気付かれなかったら、やがて干からびて死を迎えた……」
「あるいは、どうにしかして降りようともがき、転落した可能性もあったでしょう」
「本当に転落死したロドニー・カーチスは、もがいたということになる」
「うーん、少し違うかもしれませんよ。彼は連絡手段があったはずですから」
「そうか。落ち着いてマネージャーに知らせれば、助けを待つぐらいの辛抱はできただ
ろうなあ」
「カーチス氏が転落したのは、中途半端な位置に引っ掛かったからではないかと、推測
しました」
「そういや、君は最前、バーバラは天井の上に辿り着いたが、呪術王はそうではない、
みたいな言い方をしたっけな」
 思い出したという風に、カミングスは左の手のひらを右の拳で打つ。
「具体的にどこと特定することはできませんが、最上階の不安定な場所だったと見なす
のが妥当でしょう。もしかすると、引っ掛かり損ね、慌てて手で床の端を掴んだかもし
れない。そこからよじ登れたならば、きっと助かっただろうに、握力の限界が先に来
て、転落してしまった――という推測ができる」
「連絡できなかったという点を考慮すると、それが一番ありそうだなあ。両手がふさが
っていたら、緊急の連絡もしようがない」
 カミングス署長は合点して大きく頷くと、手元の紙にメモ書きを始めた。宙ぶらりん
になっていた呪術王転落死事件に、はっきりとした結論を下すために、改めて調べるべ
き事柄を思い浮かべ、箇条書きにしていく。
「どうしてまた、ふた月近く経ってから、協力要請をしてきたんです? 言っちゃあ何
ですが、カミングスさんが事故だと思っていたのなら、もっと長く放置しそうなもの
だ」
 その様子を横目に見ながら、エイチが尋ねた。
「うむ。まあ、面倒くさい奴からつつかれたもんでね。裏も表も知ってるような自称・
記者から」
「その記者は、何でこの件に興味を持ったのでしょう? 元の宗教団体を追い掛けてい
るとか」
「いやいや。カーチスのマネージャーだった男が、その記者と旧知の仲だっただけさ
ね。カーチスの不審死の謎を解き明かしたい一心、てことだったが、金儲けも企んでい
るようだ」
「金儲けというと……ああ、カーチス氏に死なれたあとはマネージャーも何もないって
訳か。次の職を得るまでのつなぎに、呪術王を利用しようという策は感心しないが、や
むを得ないと」
「そこなんだが」
 カミングスはあまり進まない筆を止め、エイチの顔を見た。
「思い出した。一応、人が死んでるってことで、メクロ・カンタベルの身辺も調査した
んだ。カンタベルってのはマネージャーのことだが」
「不審な点が?」
「はっきりと怪しいことが出て来てたら、事件性を疑ってもっと調べたよ。まあ、引っ
掛かった程度だな。カンタベルは、ロドニー・カーチスが亡くなる前から、次の職探し
をしていたようなんだ」
「気になりますね」
「お? どう気になるって言うんだ?」
 エイチの即答に、カミングスはペンを手放した。机の上で両手を組み、身を乗り出す
姿勢を取る。
「最初に、報道された記事だけで事件性はないと判断したと言いましたが、それは条件
付きでした。確実に殺せる方法じゃないからです。犯罪者にとって不確実な方法でもよ
いのであれば、事件性がないと現段階では言い切れない」
「え。そんな方法がありますか?」
 急に丁寧な言い回しになったカミングス。すぐに気付いて、口元を手のひらでひと拭
いした。
「転落死させる方法があるとは、思えないんだが。知らないのかもしれないが、カーチ
スの死亡推定時期の間、カンタベルにはちゃんとしたアリバイがあるんだ」
「一日中、監視が張り付いていた訳ではありますまい? 遠隔地にいても、ちょっと操
作するだけで、人と人はつながれますよ」
「電話か。そりゃあ、電話があれば話ぐらいはできるが。実際には、電話はなかったと
カンタベルは言っている」
「待ってください。危機に瀕したカーチス氏にとって、電話は単なる会話道具ではな
く、命綱にも相当したんじゃないかな。無論、危機というのは、水の急増によって、塔
の上方に運ばれたことです。多分、カーチス氏は水によって塔の上まで行けるとは予想
していたが、あまりにも急だったんでしょう。食糧などを上に持って行けていたら、し
ばらくは耐えられたはずなのに、そうはならなかったようですから。だが、いつでも緊
急の連絡を入れられる準備ぐらいはしていたと思う。寝袋の中に電話を常備しておくと
かね。だから、その場合、氏はすぐにマネージャー宛に電話を掛けたに違いない。で
も、その電話に反応がなかったとしたら」
「反応がないとは、つまり……電話に出ないということで?」
「それもあります。あるいは、電話で救援を要請され、応じる返事をしておきながら、
実際には行動を起こさなかったか。そもそも、バッテリーをまともに整備しておかない
という方法もあり得る」
「バッテリー……」
「手動の充電器を用意していたかどうかは知らないが、それとは別に、予備のバッテ
リーも用意していくでしょう。充電器自体が壊れることだって考えられるのだから。そ
してバッテリーのいくつかを不良品にしておけば、カーチス氏の連絡手段は断たれる」
「うーむ。確かに、どの場合も死に至りかねないな。救助の声が伝えられないにして
も、待てど暮らせど救援が来ないにしても、絶望につながる」
「僕の想像では、電話はつながったと思います。カーチス氏の立場に置かれたとして、
助かるとしたら、水の勢いが収まった時点で思い切って飛び込むぐらいでしょう。それ
ぐらいのことをいい大人が気付かないとは思えない。あ、呪術王は泳げますよね?」
「ああっと、多分。運動は得意だそうだから」
 記憶を手繰りながら答えたカミングスに、エイチは「あとで確認を」と指示し、話を
続けた。
「泳げるとして――泳げなくても命に関わるとなれば飛び込むという選択をする可能性
が高いでしょうが――、それにも関わらず機会を逸したのは、救援が来ると確信してい
たからではないか。電話を受けたカンタベルが、すぐにでも来てくれると疑いもしなか
ったからこそ待ち続けた挙げ句、水が引いてしまった」
 エイチの推理に、カミングスは唸った。だが一方で、首を捻りもした。
「興味深い仮説だが、証拠がない。何せ、カーチスの電話は完全に壊れた状態で見付か
ったんだ。高いところから落ちたせいだと思っていた。今の話を聞くと、ひょっとした
ら第一発見者であるカンタベルが破壊したのかもしれないし、そうじゃないのかもしれ
ん」
「通話記録の照会ができない?」
「荒涼とした土地に行くからと、常用していた物を持っていかずに、前払い形式の奴を
新たに購入したらしい」
「いや、僕が言ったのは、マネージャーの電話です」
「……ああ、そうか」
「まさか、マネージャーの方も電話を新しくしてはいないでしょう? 使えるのに変更
したら、カーチス氏から疑われかねない」
「なるほど。細い糸のような頼りなさだが、調べる値打ちはありそうだ」
 カミングスは署長の椅子から腰を上げた。電話に手を伸ばすと、係の者につなぐよう
に伝えた。

――終




#450/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/06/28  21:05  (499)
そばに来るまでに   寺嶋公香
★内容
「相羽君は、芸能関係には興味がないのかね」
 英文学の宇那木(うなき)助教授から意外な話題を振られ、相羽は目をぱちくりとさ
せた。もちろん、無意識から出た仕種だが、妙にかわいらしくなってしまった。その
上、返事が出て来ない。
「芸術ではなく、芸能ですか」
 やっとそれだけ応じた。
 黒板を消し終わった助教授は、手に着いたチョークの粉をぱんぱんと払ってから続け
て言った。
「うむ。学生の多くは、トレンディドラマだのカラオケだのを話題にしているのに、君
の口からそんな単語が出たのを聞いた覚えがない」
 相羽は口元に微苦笑を浮かべた。先生の「トレンディドラマ」という言い回しが、ど
ことなくおかしかった。
 笑いを我慢しつつ、目の前の黒板を引っ張る。二枚の板が上下移動できて、入れ替え
られるタイプなのだ。少しだが、気になる消し残しがあったので、消しておく。
「全くないわけではありませんが、重きを置いてないというか、今は学生生活自体が楽
しい感じです」
「なるほど、結構結構」
 宇那木助教授は窓の戸締まりを確認してから、黒板の端に立て掛けた図面資料を肩に
もたせかけ、教卓にあったテキスト等を小脇に抱えた。百八十センチほどの背があっ
て、さらにぼさぼさ頭はアフロヘアに近いため、なおのこと高身長に見える。
「少し心配していたのだよ。艶っぽい話が口に上らないのはまあ人それぞれだとして
も、世俗的な楽しみすらシャットアウトしてるのではないかとね」
「朴念仁みたいに思われていたのですか」
「朴念仁は言いすぎだが、真面目で頭が固いというイメージだね。同じ頭でも中身――
頭脳の方は柔軟なのに」
 うまい言い方ができたとご満悦なのか、宇那木はにこにこしている。太陽がパーマを
掛けたみたいだ。
「お持ちしましょうか」
「お餅? ああ、いいよいいよ。この年齢で、君のような学生に荷物を運ばせたとあっ
ては、格好が付かない」
「でも、資料の端がぶつかりそうです」
 先を行く相羽は後ろを見ながら、出入り口の上部を指差した。図面を巻いた芯がドア
のレールをかすめそうだった。
「では、テキストの方を持ってもらえるかな」
「はい」
 相羽は肩から提げた自分の鞄を背負い直し、テキストを受け取った。厚さも判型も異
なる三冊と受講者名簿が、手の中で意外と落ち着かない。
「次のコマは、何もないのかね?」
「心理学ですが、休講と出ていました」
「ああ、種市(たねいち)先生か」
 呟くのを聞いて、相羽はちょっとしたいたずら心を起こした。先程、固いと言われた
ことを払拭しておこう。小耳に挟んだ噂話を持ち出してみた。
「宇那木先生は、種市先生と仲がよいと聞いていますが……」
「学生の頃、同じ学校だったことがあるからね。お互い、いい歳だし、一緒になっても
いいかなぐらいの話はしてる。何だ、ちゃんと興味あるんだ?」
「興味というか、疑問というか。聞いた限りでは、種市先生は女子大で、宇那木先生と
同じ学校というのは解せません。つまり、高校や中学で同じ学校だったんでしょうか」
「そうだよ。もっと前、小学校のときから一緒だった」
 エレベーターがあったが、素通りして階段に向かう。上がるのは一階分だけだ。
「同じ大学に着任するとは、腐れ縁的なものを感じる」
「どちらかが追い掛けてきたわけではないんですか」
「ないない。偶然」
 教官室まで来た。相羽が鍵を借り、ドアを開ける。押さえてなくてもドアは止まるは
ずだが、念のため手を添えておく。宇那木は資料がぶつからぬよう、斜めにしてから入
る。
「助かったよ。お礼ってほどじゃないが、コーヒー、飲む?」
 問い掛けながら、既に準備を始めている。自身が飲むのは確定ということだろう。
「いただきます。あの、テキストと名簿は」
 紅茶の方が好きですがとはもちろん言わず、相羽は辺りを見回した。
 室内はそこそこ散らかっている。特に、本棚はまともな隙間がほとんどない。本来、
本を置くスペースじゃないところにまで、色々と横積みにしてあった。
「こっちにもらおう。おっと、ドアは閉めない。何かとうるさいご時世になったから」
「あ、そうでした」
 性別に関係なく、先生と学生が教官室に二人きりの状況で、指導上の必要性がない限
り、ドアを少し開けて廊下側から覗けるようにしておくのが、この大学のルールだ。
 レギュラーコーヒー二杯を机に置いた宇那木は、一旦座ってすぐにまた立った。
「確か、もらい物の菓子が。食べるでしょ」
「え。いえ」
「遠慮は無用。忘れない内に出していかないと、賞味期限が切れてしまう」
「来客用に置いておけばいいのでは」
「だから、そんなに来客はいない――あった」
 本棚に縦向きに差し込まれていた菓子箱を引っ張り出すと、元来の横向きにして蓋を
開ける。包装された和菓子らしき物が、偏りを見せていた。助教授は二個、取り出し
た。小皿にのせることなく――という以前に、小皿がこの部屋にあるのかどうか?―
―、個包装の物をそのまま差し出してきた。
「大きな栗が丸々入った、多分、高いやつだ。栗、嫌いかい?」
「栗は好きです」
「なら、食べなさい」
「廊下から誰か学生が目撃すれば、『僕も私も』と雪崩を打ってきませんか?」
 我ながら変な心配をすると、相羽は思った。性分なんだから、仕方がない。
「来たら別の菓子を出すとしよう。それで、何やら相談があるとのことだが」
「話す前に、宇那木先生はお忙しいのでは……休み時間内に済まないかもしれません」
「やることリストは決めてあるが、今、急を要するものはないさね」
 デスク向こうの椅子に腰掛けた助教授は、カップに手を伸ばし、途中でやめた。
「もしや、他人に聞かれるとまずい話? そちらの判断でドアを閉めなさい」
「……確かに、まずいかもしれません」
 相羽はコンマ数秒だけ逡巡し、ドアを閉めることにした。
「では、伺うとしましょうか」
 宇那木は言ってから、改めてコーヒーに口を付けた。相羽はすぐに始めた。
「先生は、ボードゲーム研究会の顧問をされていますよね」
「ああ。名前だけのつもりが、自分も結構好きな方だから、たまに指導している」
「そこの部員の一人からアプローチを受けていまして、非常に困惑してるというか」
「アプローチって、恋愛的な意味の?」
「はい」
「相手の名前は出せる?」
「西郷穂積(さいごうほづみ)という、二年生の人です」
「西郷君か。ゲームに関してはかなり優秀だ。学問の方はまだ分からないが。西郷君
が、君にしつこくアプローチしてきて甚だ迷惑だと、こういうことかい」
「そこまでは言いません。お断りしても、あきらめる様子がなくって」
「軽いのりで、一緒に何度か遊べたらいいって感じじゃないのかなあ」
「そんな風には受け取れませんでした。一対一になれる状況を狙ってるみたいなんで
す。言葉で説明するのは難しいけれども、本気というか決然としているというか」
「うーん」
「西郷さんがゼミに所属していたら、そちらの指導教官にお願いしようと思いました
が、まだ二年生ですし。いきなり向こうの家族に言うのもおかしい気がしたので、宇那
木先生のところへ……ご迷惑に違いないと分かっていますが、他に何も思い付かず…
…」
「かまわんよ。ま、西郷君の友達に頼んで、遠回しにでも伝えてもらうという手立ても
あるかもしれないが」
「アドバイス、ありがとうございます。実は、一度だけですがそれも試しました。で
も、うまく伝わらなかったみたいで」
「ふむ。立ち入った質問を二、三していいだろうか?」
「はい。相談を聞いてくださっているのですから」
 居住まいを正し、両膝にそれぞれの手を置いた相羽。
「まず確認だが、今、お付き合いしている人は? 程度の深い浅いは関係なしにだ」
「いません」
「そうか」
 軽く首を傾げた宇那木は、包装されたままの栗の菓子を指先で前後に転がした。
「西郷君のアプローチにOKしないのは、タイプが合わないからとか?」
「はあ。失礼になるかもしれませんが、西郷さんのようなかしましい、騒がしいタイプ
の人は苦手です。強引なところも。マイペースに巻き込もうとする感じが、だめなんで
す」
「分かる分かる」
 笑い声を立てた宇那木。相羽はにこりともせずに続けた。
「そんな風に合わないことも感じていますけど、同時に、今は誰ともお付き合いしたく
ない気持ちが強くって」
「自由に遊びたいから――というわけではないだろうね、君のことだから」
「高校のとき、付き合っていた人と、最近になって別れたんです」
 若干、無理して作った笑顔で答えた相羽。
「……だから、しばらくはそういった付き合いはいい、ということかい」
「ええ、まあ」
「そのことは、西郷君には伝えていない?」
「はい。これが断る唯一の理由と解釈されて、時間が経過すれば受け入れる余地がある
と思われては、困ります。先程言いましたように、タイプが……」
「なるほどねえ」
 宇那木は右手の甲を口元に宛がい、思わずといった風に苦笑を浮かべた。
「では逆に、今、付き合っている人がいることにしてはどう? 実はって感じで打ち明
ければ、信じると思うが」
「嘘を吐くのは……」
「正直さは美徳だが、時と場合によっては嘘も必要だよ。考えてもみなさい。相羽君が
現在は誰とも付き合う気がないことが、何らかの経緯で西郷君の耳に入ったとしよう。
その直後、君にたまたま新たな恋人ができて付き合うようになったとしたら、西郷君は
どう感じるだろう?」
「……そういう偶然はなかなか起きないと思いますが、もし起きたら、西郷さんは立腹
する可能性が高いかもしれません」
 答え終わってから、相羽は、ふう、と息をついた。
「生きていれば、どんな出会いがあるか分からないものだ。絶対に一目惚れをしない自
信があるの?」
「いえ。全くありません。一目惚れをした経験、ありますし」
「では、未来の恋人のためにも、変に恨まれないよう、今現在、付き合っている相手が
いることにしておきなさい」
「うーん」
「相羽君はハンサムなのだから、明日にでも、いや今日、大学からの帰り道にでも、運
命の人と巡り会うかもしれない」
「ハンサムって……運命の人と巡り会うかどうかと、外見は関係ない気がしますが」
「君が告白すれば、即座にOKされる確率が高いって意味。嘘が気にくわないのなら、
いっそ、本当に恋人を見付けるのもありじゃないかな」
 その意見に、相羽は曖昧に笑った。まだ短い期間しか接していないが、宇那木先生の
ことをある程度は理解しているつもり。なので、真面目に考えてくれているのは分か
る。だが、さすがに、アプローチされるのが面倒だから付き合う相手を見付けるという
のはない。本末転倒とまでは言わないが、自分が別れて間もないことを忘れられては困
る。
 相羽が反応を迷う内に、先生は口を開いた。
「とにかく試してみて。それでも西郷君があきらめないようであれば、教えて。そのと
きは僕から西郷君に言うとしよう」
「分かりました。次にアプローチされたら、言ってみます」
 相羽は内心、折れた。こんなことで先生に時間を割いてもらうのは、ほどほどにして
おこうという気持ちも働いていた。
「お忙しいところを、私事で煩わせて申し訳ありませんでした」
「時間があったから引き受けたんだし、気にすることない。よほど忙しくない限り、ウ
ェルカムだ」
「ありがとうございます」
 席を立ち、頭を下げた相羽。踵を返し掛けたところで、呼び止められた。
「あ、菓子、今食べないなら、持って行ってほしいな」
「――分かりました、いただきます」
 手を伸ばし、栗の菓子を持ったところで、質問が来た。
「ついでに聞くけど、どうして一般教養で、僕の英文学を選んだの?」
「――単純です、がっかりしないでくださいね。取り上げる予定の作品の中に、推理小
説があったので。原文のまま読めたら新たな発見があるかなって」
「相羽君はミステリが好きなのか」
「人並みだと思います。テレビの二時間サスペンスはほとんど観ませんが、犯人当てな
ら観たくなるんですよね」
「僕は論理立てたミステリは、ゲームに通じるところがあるから、割と好んで読むん
だ。だからこそテキストに選んだとも言えるが。テレビドラマの方は生憎と知らない
が、映画には本格的な物があってよく観る。わざわざ映画館まで足を運ぶことは滅多に
ないが」
「映像化されたミステリは、犯人が最初から明かされている物に面白い作品が多い気が
します。多分、犯人の心理状態を観ている人達に示せるのが理由の一つだと」
 つい、返事してしまった。このままミステリ談義に花を咲かせるのは魅力的であるけ
れども、時間を費やすのは申し訳ない。改めて礼を述べたあと、ドアを開ける。
「お邪魔をしました。失礼します」

 翌週の月曜。二コマ目の講義を受けたあと、いつものように昼休みが訪れた。空模様
は快晴とは言い難くとも、雲の割合が日差しを弱めるのにちょうどよく、またほとんど
無風。外で食べるのが気持ちよさそうだ。
 相羽は薄緑色をしたトレイを持ったまま、学生食堂の外に出た。オーダーしたメニ
ューは、カツサンドと野菜サラダ、そこにお冷や。あとで飲みたくなったら、コーヒー
かジュースを追加するかもしれない。
「いない」
 学食周辺のテラス席や芝生の上をぐるっと眺め渡したが、友達の姿を見付けられなか
った。普段なら月曜日の二時間目、友達の方が早く出て来るはずなのに。小テストでも
やっているのだろうか。
 そんな想像をした矢先、肩をぽんと叩かれた。
 少しばかり、びくっとしてしまった。トレイの上のコップに注意が向く。液面が揺れ
ていたが、どうにかこぼれずに済んだ。
「――仁志(にし)さん」
 振り向いたそこにいた友人に、頬を膨らませる相羽。仁志はすぐに察したらしく、
「ごめんごめん」と軽い調子ではあるが謝った。彼女の後ろには、さらに友人二名がい
る。
「健康志向なのかそうでないのか、どっちつかずの選択をしてるネ」
 その内の一人、ロジャー・シムソンが相羽のトレイを覗き込んだ。金髪碧眼の白人
で、そばかすが目立つ。米国生まれの米国育ちだが、親戚筋に日本人がいて教わったと
かで、日本語は結構達者だ。本人の希望で、周りの者はロジャーと呼ぶ。
「バランスがよいと言ってほしいネ」
 語尾のアクセントを真似て返す相羽。ロジャーの手にトレイはなく、代わりにハン
バーガーを二つと炭酸の缶飲料を一本持っている。
「今日は小食?」
「いや、それがさ」
 ロジャーの隣に立つもう一人の男子学生、吉良(きら)が顎を振った。吉良の持つト
レイには海老フライカレー大盛りの他、三角サンドイッチが一個、角っこに置いてあっ
た。
「これ、ロジャーの分なんだ。無理して持つと、ソフトな食パンが潰れてしまうとか」
「パンへの拘りはいいけれど、年上の吉良さんに運ばせるなんて、恐れ多いよねえ」
 吉良の説明に続き、仁志が苦笑顔で感想付け加える。学年は同じだが、高校のときに
海外留学していた関係で、吉良は相羽達より一個上である。
「気にしない気にしない。レディには敬意を払い、同級生にはフレンドリーでいたい」
 それが僕の主義だとばかり言い放ったロジャーが、ひょいひょいと歩を進め、皆で食
べる場所を決めた。学食の庭に当たるスペース、その隅っこだが、木々による日陰がで
きて悪くはないテーブル。ごく稀に、小さな虫に“急襲”される恐れがあるが。
 右回りにロジャー、吉良、相羽、仁志と着席してから、食べ始める。すぐに口に運ぼ
うとした三人に対して、相羽は両手の平を合わせた。
「いただきます」
「あ、忘れてたヨ」
 ロジャーが真っ先に反応し、開けかけのハンバーガーを放り出して、合掌する。慌て
たように、吉良と仁志も真似た。
「付き合わなくていいのに」
 相羽が微笑みながら言うのへ、仁志が言葉を被せてくる。
「いいえ、やる。私だって、最低限のマナーは身に付けたい。女らしさとか男らしさと
かの前に、これこそ必要って感じたから」
「影響を受けやすいねえ」
 吉良が、サンドイッチをロジャーの方へ押しやりながら、からかい調で言った。
「いいじゃないですか。悪いことでなく、いいことなんだから」
「本気で思ってるのなら、まず、箸先をこっちに向けるなって話だ」
 無意識で向けていたのだろう、仁志は左手で箸の先端を隠すようにして引っ込めた。
「すみません、改めます。さっき、ロジャーを恐れ多いなんて言ったそばから……」
「いいって。今は楽しく昼飯をいただく、これに尽きる」
 吉良はそう言って、大きめのスプーンいっぱいにすくったルーと御飯を一口。継い
で、海老フライをスプーンで適当に刻んで、また一口。その様に仁志も安心できたらし
く、食事に取り掛かった。
「あ、そうだ――この前の祝日に学校に出て来たって聞いたけれど、ほんと?」
 相羽が正面のロジャーに問うた。途端に、赤面するロジャー。夕日を浴びたみたい
だ。
「外国の祝日が覚えきれない。間違って休まないようにするので精一杯でさ」
 自国の定めた祝日に沿って休んでしまいそうになる、という意味だろう。
「うん、それはいいんだけど、休みの前の日に、ちゃんと念押ししたでしょ? どうし
てかなあって思って」
「……一晩寝たら忘れちゃったヨ」
「次からは、『本日休み!』とでも書いた紙を、玄関ドアに張っておくか」
 吉良に言われて、ますます顔を赤くしたロジャーは、話題を換えた。
「そういえば相羽の懸案事項は、かたが着いたのかい?」
「何、懸案事項って」
「西郷穂積のアプローチ問題だよ」
 ロジャーは数学か何かの証明問題みたいに言った。吉良が追従する。
「確かに気になる、しつこい難問だ」
「もう済んだ、と思う」
 相羽はあっさり答えた。あまり触れられたくはないが、前に協力したもらったことも
あり、話しておく。
「先生のアドバイスを受けて、遠距離恋愛していることに。西郷さんからまたアプロー
チされたときに、そのことを伝えたら、意外とすんなり聞き入れてくれたみたい」
「遠距離恋愛か。じゃあ、時折、その相手が現れないとおかしくないか?」
「無茶苦茶忙しいとか、めっちゃ遠い外国にいるとか?」
 吉良、仁志の順番に尋ねてきた。相羽は野菜サラダの葉物を、フォークで幾重にも刺
しつつ、思い起こす風に首を傾げた。
「基本的に、こちらから相手に会いに行くっていう設定にした。場所は出さなかったけ
れども、相手が忙しいことは伝えた」
「曖昧にしたのは、本当に恋人ができたときの対策だね」
 察しがいい発言は吉良。相羽はこくりと頷いた。
「すぐには無理でも、いずれはね」
「あなたなら文字通り、付き合う人ぐらい、すぐにでも見付けられそうなのに」
 仁志が言った。ちゃんと恋人がいるのに、どこかうらやましげだ。
「逸見(いつみ)君、だっけか。彼とはうまく行っていないのか」
 吉良が率直に尋ねると、仁志は首を横に振った。
「うまく行ってないなんてことはないですよ。ただ、将来を考えると……名前が」
「名前?」
「私の下の名前、平仮名でひとみなんですよ。結婚したら、逸見ひとみになっちゃうじ
ゃないですか。何だか言いにくい」
「そんな気にすることないと思う」
 相羽が言った。
「そんな考え方をするのなら、お婿さんに迎える方が難しいんじゃないかな。逸見君の
名前って、確か同じ仁志と書いて、ひとしだよね」
「そうそう。仁志仁志になるの」
「仁志仁志の字面を強く意識した結果、逸見ひとみまでおかしな響きに聞こえてしまっ
た、それだけだよ、多分」
「うん、そうかも」
 納得かつ安心したように首肯した仁志は、再び食事に集中した。
 それぞれがほぼ食べ終わる頃合いに、相羽は学食内の壁時計を覗き込んでから言っ
た。
「ちょっと早いけれど、これで。ちょっと電話してくる。アルバイト先に、次週の都合
を聞いておかなきゃ」
「バイトって家庭教師の?」
「うん。――ごちそうさま」
 ロジャーの問いに答えてから、手を合わせて唱える。席を立ち、背もたれを持って椅
子をテーブルの下に押し込んだところで、ショルダーバッグを担いだ。トレイを手にし
て、「終わってるのなら、みんなのも運んでおくよ」と場を見渡した。
「気遣いはありがたいが、早く電話に行くべき。空いているとは限らない」
「だね。逆に、片付けは私らに任せて、さっさと動いた方がいいよ」
 吉良、仁志と続けて言われ、相羽はそれもそうかと思い直した。トレイを手放し、
「じゃ、お言葉に甘えて」と言い残して席を離れた。
 それから足早に公衆電話を目指したが、吉良達の心配した通り、学生食堂の正面に設
置されている分は、使われていた。そこから最寄りの電話がある、部室棟へと急いだ。

 思っていたより時間を掛けることなく電話を終えて、午後最初の授業がある大教室に
向かっていると、相羽の名を呼ぶ者がいた。同じ授業を取っているのだから、顔を合わ
せるのは仕方がない。
「――西郷さん」
 声で分かっていたが、振り返ってから改めて言った。
 西郷穂積はその瞬間、些か不安げだった表情から笑顔に転じた。小走りで追い付い
て、横に並ぶ。
「教室まで一緒に……いい?」
「かまいませんよ」
「あの、お願いがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「やっぱり、まだ完全にはあきらめきれなくって……。君の相手がどんな人なのかを知
ったら、踏ん切りが付くと思うのだけれど」
「……どうしろと言うんですか」
 すれ違う人や、そこいらでたむろする人は大勢いるのに、あまり気にならない。意識
が西郷に向いているのは、相羽自身、嘘を吐いている負い目があるせいかもしれなかっ
た。
「プロフィールとかは、無理なんだよねっ? じゃあ、写真でいいから見てみたいな」
「……少し、考えさせてください」
 相羽は恋人の写真がそこにあるかの如く、定期入れの入った胸ポケットに触れた。
「いいけど、どうして?」
「それは当然、相手のあることですから。プライバシーにうるさい人なんです」
 咄嗟の思い付きだが、悪くないキャラクター設定だと内心で自画自賛した。こう答え
ておけば、顔写真を見せないまま、押し切れるかもしれない。
「ふーん、分かった。しばらくは待つ。でも、一週間以内に決めてよ」
「え、ええ。努力します」
「もしかしたら、付き合っている人って外国人? 欧米系の」
「何でそう思うんですか?」
「だって、プライバシーにうるさいって。欧米の人が拘るイメージ持ってる」
「まあ、プライベート空間をより重視しているのは、洋風建築でしょうけど」
 ちょうど教室に着いた。出入り口の近くに馴染みの顔を見付けてほっとする。
「じゃあ、これで失礼します」
 相羽は西郷から離れると、知り合いが取ってくれていた席に座った。
「何なに? 西郷先輩と一緒に来るなんて。まだあの話、けりが付いてないんだ?」
 肘で突かれ&小声で話し掛けられ、相羽は嘆息した。西郷は遠ざかりつつも、まだこ
ちらを見ている。気付かれぬよう、同じく小さな声で、隣に答えた。
「きっぱり断った。ただ……付き合ってる相手がいるのなら、写真が見たいって」
「証拠を出せってか」
 友人のからかい口調に、相羽は再度、大きくため息を吐いた。

 明後日で一週間になる。そう、西郷から付き合っている人の写真を見せてくれるよう
頼まれた、その期限だ。
 きっと、西郷穂積は相羽を見付けるなり、写真を見せてと求めてくるに違いない。
(相手が嫌がったことにして、断ることはできるけれど、西郷さんも結構しつこいから
なぁ。いずれ押し切られるかも)
 そうならないよう、ここは飛びきりの美形で優しそうでスポーツ万能そうで賢そう
な、ついでに言えば写真写りのよい人に、恋人の代役を頼んでおきたいところだが。
(学校の人に頼んでも、じきにばれる。こんなことを頼めそうな異性の知り合いなん
て、学校を除いたら、まずいないし)
 別れた相手の写真なら用意できるが、もちろんそんなことはしたくない。
「ああ、どうしよう」
 無意識の内に呟いていた。次の瞬間はっとして口を片手で覆う。何故って、ここは市
立の図書館の中だから。
 だけど、今日は普段と違って、館内はざわざわしている。相羽もこの日用意されたイ
ベントを思い出し、安堵した。
 図書スペースそのものではないが、そこに隣接するホールを舞台に、アマチュア音楽
家達によるミニコンサートが催されるのだ。開催中も図書の貸出業務は行われるが、自
習室等は閉じられるらしい。
(ホールにピアノが置いてあって手入れもされているみたいだから、使うことはあるは
ずと思っていたけれども、案外早くその機会が訪れた感じ)
 自宅もしくは大学からの最寄りの図書館ではなかったが、本にも音楽にも人並み以上
の興味関心を持つ相羽は、日時の都合もちょうどいいことだし、足を延ばした次第であ
る。
 チラシで見掛けたのと同じポスターが、館内にもいくつか貼り出されていた。出演者
の個人名はなく、グループ名が三つ載っていた。一つは近くの高校のコーラス部。家庭
教師をしている子の通う中学と同系列だと気付いた。一つは路上で三味線とハーモニカ
によるパフォーマンスをやっている二人組。シャモニカズというべたなネーミングに笑
ってしまった。そしてもう一つは、近隣の都市名を冠した大学のバンド四人組となって
いた。相羽の大学にも音楽関係のクラブは複数あるが、どれにも所属しておらず、今日
出演するバンドと交流があるのか否かも知らなかった。
「あれれ? 相羽先生じゃないですか」
 ポスターの前から離れるのを待っていたかのように、高い声に名前を呼ばれた。相羽
自身、ついさっき思い起こしたバイト先の子、神井清子(かみいさやこ)だ。
「こんにちは、先生。こんなところで会うなんて、奇遇ですねっ」
「こんにちは。確かに奇遇と言いたいところだけど、神井さんは今日出演する人に知り
合いがいるんじゃないの?」
「凄い、当たりです」
 別に凄くないよと、内心で苦笑する相羽。
「高等部の人に何人か知り合いがいるんです。正確には、私の兄の、ですけどね」
 神井清子の兄は大学生で、地方に一人で下宿していると聞いた。大方、その兄が高校
時代、音楽の部活動をやっていたのだろう。
「他に来る人がいなくて、私一人なんですが、先生は? もしかしてデート?」
「違います。一人」
 デートと聞かれて、頭痛の種を思い出してしまった。
「前から聞こう聞こう、聞きたい聞きたいと思ってたんですけど」
「答えるつもりはないよ」
「相羽先生には恋人、いないんですか?」
「だから、答えないって」
「そんなに冷たくしなくてもいいじゃないですか。いないならいないで、いい人を紹介
して差し上げようかと」
「……」
 ほんのちょっぴり、心が動く。いや、もちろん、代役として。だから紹介されてお付
き合いを始めても、本当の恋人になる可能性は高くないだろう。そんな失礼な話、でき
るはずがない。
「遠慮しとく。教え子から紹介されると、しがらみができそう」
 そこまで答えたところで、催し物の開始が迫っていることを告げるアナウンスがあっ
た。アナウンスと言っても機材を通しての声ではなく、図書館職員の地声だ。
 最前までかしましくしていた神井も、すぐに静かになった。知り合いが一番手に登場
するというのもあるだろうが、最低限のマナーは心得ていて微笑ましい。
「椅子、まだ余るみたいだから、座る?」
 声量を落として神井に尋ねる。神井は首を縦に振った。お年寄りや身体の不自由な人
が訪れた場合を考え、ぎりぎりまで様子を見ていたのだ。ホールに用意された六十脚ほ
どのパイプ椅子は、そこそこ埋まっていたが、相羽らが座れないことはない。
 真ん中、やや右寄りの二つに腰を下ろした相羽と神井は、職員の説明に耳を傾け、や
がて始まる音楽会に心弾ませた。

 事前に予想していたのと違って、堅苦しさのない、どちらかと言えば面白おかしい方
向にシフトしたイベントだった。
 高校のコーラス部は、有名な歌謡曲やアニメソングを選択して披露したが、全てアカ
ペラ。ただ、伴奏のパートまで口でやるものだから、ついつい笑いを誘われた。魚をく
わえたどら猫を追い掛ける歌が一番の傑作だった。
 続いて登場したシャモニカズは、二人とも黒サングラスをした、二枚目だがちょっと
強面のコンビだったが、口を開けば関西弁丸出しで、漫才師のよう。喋る内容も右にな
らえで、体感的には演奏よりも話の方が長かった気がする。無論、演奏はきっちり魅せ
てくれて、アマチュアでいるのが勿体ないと思えるほど。
 とりを飾るバンドの登場前に、短い休憩時間が設けられた。これは、観客のためだけ
でなく、各種楽器の調整のためでもある。
「トイレ行っておきませんか」
 石井に言われて、相羽は腰を上げた。行きたくないと断っても、無理矢理引っ張って
行かれるのは経験上、分かっていた。
 手洗いまで来ると、相羽は中に入らず、壁際に立った。「この辺で待ってるから」と
言って、石井を送り出す。
 出入りする利用者と視線が合うと、お互い気まずい思いをするかもしれない。少しだ
け移動して、大きな鉢植えの傍らに立った。男子トイレに近くなったが、まあいいだろ
う。
 ちょうどそのとき、背の高い男の人が、手洗いから出て来た。ハンカチを折り畳み、
尻ポケットに仕舞う。その拍子に、胸のポケットに差していた何かが飛び出て、床で跳
ねた。さらに二度、意外と弾んで、それは相羽のいる方に転がってきた。
 男の人と自分とが、ほぼ同時に「あっ」と声に出していた。相羽は反射的にしゃがん
で拾い上げた。サングラスだった。シャモニカズがしていたのは真っ黒だったが、今拾
ったサングラスのレンズは、薄い茶色である。
「すみません、ありがとうございます」
 男性の声に、若干見上げる形になる相羽。サングラスを渡そうとしながら、
「どういたしまして。それよりも、傷が入ったかもしれません」
 と応じた。受け取った相手は、サングラスを光にかざしてためつすがめつしたあと、
軽く息をついた。
「確かに、傷が少しできたみたいだ。……これは、外しなさいというお告げかな」
「え?」
「ああ、意味深な言い方をしてしまい、ごめんなさい。あなたの姿はホールで見掛けま
したが、このあとも聴いていくんでしょうね。実は僕、次の演奏に出る一人なんです。
サングラスを掛けるつもりだったんだが、前に出たお二人がしていたし」
 相羽はその男性の顔をじっと見た。
「掛ける必要があるようには思えません。その、整った顔立ちをしているという意味
で」
「あはは、ありがとう。でも、サングラスを掛けようと考えたのは、別の理由。久しぶ
りに演奏するからなんだ」
 男性は快活だが、ほんのちょっとさみしげに笑った。
 年齢はいくつぐらいだろう。相羽より年上に見えるが、そんなに離れてもいまい。近
くでよくよく見ると、顎の下に髭の剃り残しがあった。
「久しぶりだと緊張するからですか?」
「うーん、恐らく。うまく動くかどうか」
 両手の指を宙で動かす男性。ピアノを弾く手つきだ。
「関係ありませんよ、きっと。手元が見えた方が、いざというときは安心でしょ。それ
に、普段通りにやる方が絶対に落ち着きます」
「――なるほど。いい考え方だね」
 男性の笑みは、今度こそ本当に心からのもののように、相羽の目には映った。
「では、サングラスなしでやってみましょう。これを持っていると、直前で気が変わる
かもしれないから」
 その人はそう言いつつ、サングラスを再び相羽に手渡した。
「預かっていてくれますか」
「はい」
 自分自身、びっくりするくらいの即答だった。
「もう行かないと。それじゃ、あとでまた会いましょう」
 男性が踵を返し、立ち去ろうとするのを、相羽は呼び止めた。
「あのっ、すみません! 万が一にもあとで会えなかったら困るので、名前だけでもお
互いに知らせておきませんか」
「――了解です」
 男性はもう一度向きを換えて、相羽の前に立った。
「僕は酒匂川と言います。酒の匂いの川と書いて、酒匂川。あんまり、好きな名前じゃ
ないんですが。酒飲みでもないし」
「分かりました、酒匂川さん。私の名前は――」
 相羽は答える寸前に、少しだけ迷った。苗字だけか、それともフルネームにするか。
「――相羽詩津玖と言います。どんな字を書くのかは、次にお会いしたときに」
 酒匂川は教わったばかりの名前を口の中で繰り返すと、軽く会釈し、演奏へ向かっ
た。
「先生!」
 ぽーっとしていた相羽を、教え子の甲高い声が引き戻した。
「騒がしくしない。もうじき、演奏が始まるみたいだから」
「あっ、ごまかそうとしてる? 見てましたよ、途中からですけど」
「……そうなんだ……まあ、見たままの解釈で当たっているかもしれない、とだけ」
 まだあれこれ聞きたがっているに違いない神井清子を置いて、相羽はホールへ急い
だ。

            *             *

「――こんな話をおばあちゃんがしていたんだ。暦や碧は信じる?」

――そばいる番外編『そばに来るまでに』おわり




#451/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/09/22  22:06  (203)
楽屋トークをするだけで   寺嶋公香
★内容
「相羽君て、どうして最初の頃、あんなにエッチな感じだったの?」
「え?」
「だって、そうじゃない? 小学六年生のとき、ぞうきん掛けしていたらお尻見てる
し、いきなりキスしてくるし、着替え覗くし」
「ちょ、ちょっと待って」
「最初の頃じゃないけど、スケートのときは胸を触ったし、あ、廊下でぶつかって、押
し倒してきたこともあった」
「待って。ストップストップ」
「中学の林間学校では、私の裸見たし。ああっ! スカートが風でまくれたところを、
写真に撮ったのも」
「……」
「もうなかったかしら」
「ない、と思う。ねえ、わざと言ってる?」
「うん」
「よかった。ほっとしたよ」
「でも、一つだけ、あなたが自分の意志でやったことがあるでしょ。それについてわけ
を聞きたいの」
「それって、ぞうきん掛けだね」
「ええ。あのときは、何ていやらしい、また悪ガキが一人増えたわって思ったくらいだ
った」
「これまたひどいな。じゃあ、全くの逆効果だったわけか」
「逆効果って、まさか、相羽君、あれで私の気を引こうとしてたの?」
「気を引こうというのは言いすぎになるかもしれない。僕のこと、完全に忘れてたでし
ょ、あの頃の純子ちゃん」
「そ、それはまあ、しょうがないじゃない」
「もちろん僕だって、確信はなかった。だからこそ、直接言って確かめるなんてできな
くて。とにかく君の意識を僕に向けさせたくて、色々やったんだ。何度も顔を見れば、
何か思い出すんじゃないかと期待して」
「色々? 他にも何かあった?」
「それは純子ちゃんが気が付いてないだけで」
「何があったかしら……」
「まあいいじゃない。今はもう関係ないこと」
「気になる」
「じゃあ、今度は僕が聞くよ。今では関係ないことだけどね」
「何? 私にはやましいところはありませんから」
「やましいって……ま、いいや。思い出したくないかもしれないけど、これは舞台裏、
楽屋の話ってことで敢えて。香村のこと、どこまで信じてたの?」
「え? 香村……カムリンのこと?」
「うん。他に誰がいるのって話になる」
「若手の中では一番の人気を誇ったアイドルで、今は海外修行中の香村倫?」
「だいたいその通りだけど、下の名前は確か綸のはず。ていうか、どうしてそんな説明
的な台詞なのさ」
「長い間登場していないから、知らない読者や忘れた読者も大勢いるだろうと思って」
「まるで再登場して欲しいかのような言い種だね」
「悪い冗談! もう会いたくない!」
「そういえば、カムリンの話題すら作中に全く出ないのは、ちょっと不自然な気がしな
いでもないな。不祥事そのものは伏せられたままなんだから、世間的な人気はほぼ保っ
たまま、海外に渡ったことになる。修行のニュースが時折、日本に届くもんだよね」
「そこはやっぱり、情報として入って来てるけど、わざわざ書くほどでもないってこと
でしょ」
「それにしたって、いつまでも海外にいること自体、おかしくなってくるかも」
「香村君の話は、あんまりしたくないな」
「やっぱり、信じていたのを裏切られて、嫌な印象が強い?」
「だって、証拠まで用意されてたんだもの。それに、最初は、あのときの男の子が有名
芸能人だったなんて、夢みたいな成り行きだったから、ちょっとはその、ときめくって
いうか……そうなっていた自分を思い出すのが嫌」
「ふうん」
「で、でも、ほんとに最初の最初だけよ。親しくなるにつれて、何か違うっていう思い
が段々強くなって。その辺りのことは、あなたにも言った記憶があるけれども?」
「うん、聞きました。あいつが芸能人で、母さん達とも仕事のつながりがあったから、
僕もどうにか我慢していたけれども、そうじゃなかったら何をしていたか分からないか
も」
「怖いこと言わないで」
「もちろん、冗談だよ」
「もう、意地が悪い……」
「意地悪ついでにもう一つ、仮の質問を。香村が正攻法でアプローチしてきたとした
ら、君はどう反応するつもりだったんだろう?」
「全然、意地悪な質問じゃないわ。問題にならない」
「ほー、何だか自信ありげというか、堂々としているというか」
「私は一時的に、香村君が琥珀の男の子だと思っていた。けれども、香村君を好きには
ならなかった。これで充分じゃない?」
「……充分。ただ、新しく質問を思い付いた。僕が琥珀の男の子ではなかったら?」
「相羽君、あなたねえ、今までの『そばいる』シリーズの紆余曲折を読んできたなら―
―」
「読んではいない、読んでは」
「あ、そっか。でも――分かってるはず。私はあなたを琥珀の男の子だから好きになっ
たんじゃないって」
「もちろん、分かってるよ」
「じゃ、じゃあ、何よ、さっきの質問は? 私に恥ずかしい台詞を言わせたかったの
?」
「違う違う。質問の意図を全部言う前に、君が答え始めちゃったからさ」
「意図? どんな」
「僕が琥珀の男の子ではなく、あとになって格好よく成長した琥珀の男の子が目の前に
現れたとしたら、っていう仮定の質問をしたかったんだ」
「ああ、そういう……。それでも、ほとんど意味がないと思う」
「どうして?」
「琥珀の男の子は、相羽君だもの。大きくなった姿を想像しても、やっぱり相羽君。あ
なた二人を比べるようなものよ」
「それもそうだね。ううん、どう聞けばいいのかな。具体的に別人を思い描いてもらう
には、……純子ちゃんが格好いいと思う周りの男性、たとえば、鷲宇さんとか星崎さ
ん?」
「あは、格好いいと思うけれど、それ以上に頼りにしている存在ね。あと、私の周りの
格好いい男性に、唐沢君は入らないのね? うふふ」
「唐沢だと生々しくなるから、嫌だ。とにかく、仮に星崎さんが琥珀の男の子だったと
したら? もっと言うと、星崎さんのような同級生がいて、しかも琥珀の男の子だった
ら」
「うん、ひょっとしたら、ぐらつくかも」
「え、ほんとに」
「相羽君がいない世界で、その星崎さんのそっくりさんが、私の前で相羽君と同じふる
まいをしたら、ね」
「それってつまり」
「どう転んでも、私が好きなのは相羽君、あなたですってこと。もう、全部言わせない
でよねっ」
「いたた。ごめんごめん。でも、よかった。嬉しい」
「いちゃいちゃしているところ、お邪魔するわよ、悪いけど」
「白沼さん!? どうしてここに」
白沼「面白そうなことをしているのが聞こえてきたから、私も混ぜてもらおうと思っ
て。問題ないでしょ?」
純子「かまわないけれど……面白そうというからには、白沼さんも何か仮定の質問が」
白沼「当然。後ろ向きな意味で過去を振り返るのは好きじゃないけれども、こういう思
考実験的な遊びは嫌いじゃないわ」
相羽「思考実験は大げさだよ」
白沼「いいから。聞きたいのは、相羽君、あなたによ。涼原さんは言いたいことがあっ
ても、しばらく口を挟まないでちょうだいね」
純子「そんなあ」
相羽「まあ、しょうがないよ。僕らだって、この場にいない人達を話題にしていたんだ
し。それで、白沼さんの質問て?」
白沼「仮に涼原さんがいなかったとしたら、相羽君は私を選んでいた?」
相羽「……凄くストレートな設定だね。答えないとだめかな」
白沼「できれば答えてほしいわ。私、打たれ強いから、つれなくされても平気よ。色ん
な架空の設定を、今も考え付いているところだから、その内、色よい返事をしてくれる
と思ってる」
純子「まさか白沼さん、相羽君がイエスって答えるまで、質問するつもり?」
白沼「何その、げんなりした顔」
純子「だって……時間がかかりそう……」
白沼「何だかとっても失礼なことを、上から目線で言われた気がしたわ」
純子「そんなつもりは全然ない。ただ、白沼さんがさっきまで見てたのなら、その、相
羽君の気持ちが改めて固まったというか、そういう雰囲気を目の当たりにしたんじゃな
いかと思って」
白沼「愛の絆の強さを確かめ合ったと、自分で言うのは恥ずかしいわけね」
純子「わー!!」
相羽「白沼さん、もうその辺で……。昔の君に比べたら、今の君の方がずっといいと感
じている、これじゃだめかな」
白沼「だーめ、全然。……けれど、ここで昔の超意地悪な白沼絵里佳に戻っても仕方が
ないし。そうね、質問は一つだけにしてあげる。ただし、縁起でもない設定になるわ
よ。相羽君のためを思ってのことだから、勘弁してね」
相羽「ぼんやりと想像が付いた気がする」
白沼「さあ、どうかしら。あ、いっそ、二人に聞くわ。もし仮に、相手に先立たれたと
して、あなたは他の人を好きになれる? どう?」
純子「……」
相羽「……」
白沼「あら? 答は聞かせてくれないの?」
相羽「その設定は、さすがに重たすぎるよ。第一、付き合い始めてまだそれほど時間が
経っていないのに、そんな相手がいなくなる状況なんて……」
白沼「考えられない? 相羽君が言える立場なのかしら。生き死にではないけれど、い
ずれりゅ――」
相羽「待った! そ、そのことはまだ本編でも触れたばかりで、登場人物のほとんどに
行き渡っていない! ていうか、白沼さんだって知らないはずだろ!」
純子「何の話?」
白沼「あなたは知らなくていいのよ。今後のお楽しみ。――相羽君、本編の私は知らな
いけれども、今ここにいる私は、ちらっと原稿を見てしまったということになってる
の」
相羽「ややこしい。設定がメタレベルになるだけでもややこしいのに、本編と楽屋を一
緒くたにすると、収拾が付かなくなるぞ」
白沼「じゃあ、やめておきましょう」
相羽「随分あっさりしてる。その方が助かるけど」
白沼「一回貸しということにしてね」
相羽「うう、本編では無理だから、楽屋トークの機会が将来またあれば、そのときに借
りを返すよ」
白沼「それでかまわない。じゃ、短い間だったけれども、これでお暇するわ。次の人が
待っているし」
相羽「次の人って」
白沼「さっき言ったように、原稿をちらっと見たついでに、アイディアのメモ書きも見
たのよ。その中に、使えなかった分が少しあって、それをこの場を借りて実行しようと
いう流れにあるみたいよ」
相羽「いまいち、飲み込めなんだけど」
白沼「あ、ほら、涼原さんの方に」
相羽「――清水?」
清水「よう、久しぶり。でも悪いな、今俺が用事があるのは、涼原だけだから」
純子「野球、がんばってるんでしょうね? こんなところにのこのこ登場するくらいな
ら」
清水「まあな。で、没ネタというか、タイミングが悪くて使えなかったエピソードを、
今やるぞ」
純子「待って。あなたが関係するエピソードということは、中学生か小学生のときにな
るわよね」
清水「小学生だってさ」
純子「嫌な予感しかしない……」
清水「番外編で使われるよりはましだと思って、覚悟を決めろ。――涼原〜、もうス
カートめくりとか意地悪しないって誓うから、一個だけ俺の言うこと聞いて」
相羽「清水。確認だが、今の台詞は、小学生のおまえが言ってるんだよな?」
清水「お、おう」
相羽「自らのリスクの高い没ネタの蔵出しだな」
清水「いいんだよっ。さあ、涼原はうんと言っとけ」
純子「だから、嫌な予感しかしないんですけど!」
清水「大丈夫だって。スケベなことではないのは保障する」
純子「……分かった。早く終わらせたいから、OKってことにする」
清水「よし。じゃあ、こうやって両手の人差し指を、自分の口のそれぞれ端に入れて、
横に引っ張れ」
純子「ええ? 何で?」
清水「えっと、顔面の美容体操ってことで。嘘だけど」
純子「嘘と分かってて、こんな……相羽君、見ないでよ」
相羽「了解しました」
清水「俺も別に見る必要はないんだが、一応、当事者ってことで」
純子「(指を一旦離して)早くして!」
清水「ああ。指を入れて引っ張ったまま、自己紹介をしてくれ。フルネームで」
純子「名前を言えば終わるのね? (再び指を入れ、口を横に引っ張る)わらしのなま
えは、すずはらうん――」
清水「最後の『こ』まで言えよ〜。――痛っ! わ、やめろ。暴力反対! ええ、白沼
さんまで何で加勢するのさ?」
相羽「滅茶苦茶古典的ないたずらだな。すっかり、記憶の彼方になってたよ。とにもか
くにも、オチは付いたかな」

――おわり(つづく?)




#452/549 ●短編
★タイトル (sab     )  18/07/13  17:59  ( 58)
「催眠」(という短編の目論見書) 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
相田洋子(入院患者)。20歳。見た感じは美少女。性格は大らか。
加藤綾子(入院患者)。25歳。見た感じは頬骨が出ていて口がでかい。
性格はヒステリー。
小原琴子(入院患者)。20歳。見た感じはモンチッチ。性格は大人しい。
佐伯(精神科医)。38歳。独身。見た感じは丹精なしょうゆ顔。性格は
理性的。
福田(心理療法士)。40歳。見た感じは色白で浮腫んでいる。性格は陰
険。いじけ虫。
住田麗華(院長の娘)。24歳。研修医。見た感じはお嬢さん。性格はお
高くとまっている感じ。

【舞台&状況設定】
 琴子らが入院しているのは、鎌倉の丘の上にある「丘の上病院」という
精神病院。
 ここでは森田精神療法(頭にある不安はそのまま受け入れて、身体で行
動をするという精神療法)の考えを元にしたリクレーション療法(サイク
リングや薪割りなど)が行われいる。
 リクレーション療法の担当は心理療法士の福田。
 医師は院長(出てこない)と佐伯医師がいる。
 病院の隣には山小屋風の院長宅がある。ここのベランダで院長の娘が大
学の友達を呼んでBBQをやる。

【おおまかなストーリー】
 洋子は綾子、琴子らと病院のリクレーション療法でサイクリングをして
いた。自転車を漕ぐ反復運動により心頭を滅却して対人恐怖症やらの不安
を頭から霧散させるのだった。
 しかし自転車を漕ぐとサドルに股間がギュッ、ギュッとこすれて、その
感覚も反復される。それが前を走る心理療法士の方から漂ってくるコロン
の香りと結びついた。
 病院に帰って更衣室で着替えていると心理療法士が現れた。さっきのコ
ロンの香りがした。洋子は突然股間が疼きだし、思わず脱いでしまった。
そして心理療法士にやられてしまう。
 綾子は、これは催眠に引っかかったのだ、と言う。しかし、そんな催眠
(リクレーション療法)を受け入れてしまったのは、その前段として精神
科医への転移(洗脳)があるからだ、と言う。
 綾子も精神科医の佐伯へ転移を起こしていた。佐伯と一緒に居る時に神
経症の発作を起こし、脳内がぐるぐるぐるーっとして佐伯に転移を起こし
た。(サイクリングの反復運動とコロンの香りの様に)。
 あと、知的な会話をしたり、身体的な接触もあって、佐伯に恋愛感情を
抱いたのだった。
 ところがここに院長の娘が割り込んでくる。院長の娘は私立大学の研修
医だが、その大学に入学するには寄付金2000万円が要るという。又病
院の待合室にはその娘の読んだらしき『モノ・マガジン』やらカー雑誌な
どがあり、自分らの入院で儲けた金で放蕩しているのだ、と感じる。
 殺さなければならない、と綾子は思う。
 綾子は、洋子と琴子を使って院長の娘の殺害を計画する。
 リクレーション療法には薪割りもあった。薪割りという反復運動を琴子
がやっている時に、キンモクセイの香りが鼻に付く様にしておく。それか
ら洋子を使って、院長の娘にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。
そして、琴子に「院長宅のベランダで行われるBBQの為に薪を運んでお
け」と命じる。
 琴子が院長宅に薪を運んでいくと、院長の娘がキンモクセイの花束を持っ
て現れた。琴子はその香りに反応して、自動的に鉈を振り上げると、院長
娘の眉間に数回振り下ろした。
 病院が用意した催眠で院長の娘を殺してやった、と、綾子は、きゃはは
ははとヒステリックに高笑いする。





#453/549 ●短編    *** コメント #452 ***
★タイトル (sab     )  18/07/21  13:52  ( 96)
「催眠」(という短編の目論見書)改 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
萩原茉宙(まひろ)。17歳。仏教系高校2年生。見た感じは清楚。性格は真面目。
萩原銀雅(祖父)。85歳。
萩原志穂(祖母)。82歳。
萩原星矢(父)。54歳。性格は権威に弱い。
萩原八重(母)。50歳。性格は権威に弱い。
萩原宇海(うみ)(兄)。18歳。工業高校3年生。
萩原恒(ちか)(妹)。15歳。中学3年生。見た感じは可愛い。性格は大人しい。
飯田春彦。18歳。仏教系高校3年。家は真言宗のお寺。見た感じは端正。性格は知
性的。
塚本啓子。17歳。仏教系高校2年。
苫小牧光。40歳。謎のカルト集団X総裁。
林秀樹。50歳。カルト集団Xの入門者。

【舞台&状況設定】
 萩原茉宙(まひろ)は東京都下の仏教系高校に通う女子高生。家も東京都下にある。
 兄が交通事故にあうが、搬送先の病院も東京都下にあった。
 その後、萩原一家は謎のカルト集団Xと関わることになるが、その集団の道場、本
部も東京都下にある。

【おおまかなストーリー】
@私(萩原茉宙)の父母は権威に弱く、きらびやかなものが好き。父は芥川賞全集が
好き。母は華道茶道が好き。
 私は仏教系の高校に通っているが、先輩の飯田春彦(家が真言宗のお寺)は「そう
いう人は洗脳、催眠にかかりやすい」と言った。
A兄(宇海)が交通事故で脳死状態になった。
 病院で移植コーディネーターに「息子さんの臓器は灰になるかレシピエントの体の
中で生き残るか二つに一つですよ」と言われる。父母はドナーになることを選んだ。
 兄が亡くなったショックで祖母も倒れる。末期がんだった。医者は「死ぬか高度先
進医療をやるかのどちらかですよ」と言う。父母は後者を選択した。その甲斐もなく
祖母は他界する。
 葬式の後、墓石屋に「墓を建てて納骨しなければ魂は安らかではありませんよ」と
言われて、父母はその通りにする。
 こうやって人の言いなりになるのも催眠ではないかと私は思う。
 その後、この墓石屋の紹介でXという集団のメンバーが家にやってきた。「家相が
悪いから改築しないとダメだ」、「父母には悪い霊がついている」だの言う。そして
父母はXの運営する道場に通う様になった。
Bここで私はこのXをカルト集団とみなし対決しようと決意する。
 まず敵陣視察をする。Xの道場はプレハブの建屋、メンバーは派手な色の衣服を着
ていては怪しい雰囲気が漂っていた。
C又、父母は何故騙されやるいのだろうか、とも考える。どうも母はドロドロしたも
の(祖父母の介護など)に疲れてキラキラしたものを求めたのではないか。それでX
に絡め取られたのではないか。
 しかし、実際にはどうやってXが父母を絡め取ったのかは分からなかった。
D同級生塚本啓子に言われて、先輩の飯田春彦に相談することにした。
 飯田は洗脳、催眠に詳しかった。お寺の檀家獲得の為に洗脳、催眠を使っていると
いう。
 飯田は、Xは催眠を仕掛けてきている、という。
 催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意識)に働きか
けて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて動きを奪う事
も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠の組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させ、同時に漕ぐ運動で股間
を刺激し、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコロンを嗅が
せた時に欲情させることが出来るという。
 そして私は先輩に催眠の実際を習った。
E私はクラスメートを実験台にして催眠の練習をした。又、出会い系で誘い出した男
を練習台に練習した。やがて完全に催眠術をマスターした。
Fそして私はXの道場に乗り込んでいった。
 父母は太極拳、気功、薪割りなどをやらされていた。
 私は、あの薪割りの反復運動で古い脳を活性化させ、傍に植わっているキンモクセ
イの香りで潜在意識を刺激しておく、という催眠を父にかけた。そしてXのメンバー
にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。父は、メンバーのところに薪を運んで
いくとキンモクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに私は催眠を
解く。これを見たXのメンバーは、私の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、私は父母を連れ戻す事に成功する。又、飯田先輩にお願いして、
父母の脱洗脳もしてもらう。これで平和が戻ったと安堵したのだった。
Gところが、父母、妹と飯田先輩が歩いていたら、黒いワンボックスカーが迫ってき
て、Xのメンバー数名が下りてきて、その場で催眠をかけて、拉致していってしまう。
 実はこの拉致を手引きしたのは塚本啓子だった。彼女もXのメンバーだったのだ。
 啓子が連絡をしてきた。「Xでやっているのは、肛門の括約筋や前立腺を弛緩させ
て、そこから古い脳にアクセスして色々な回路を作るという催眠だ。男には催眠をか
け、女は施術者になる。一人前の催眠術師になると、アナル系風俗の援交をしてXの
活動資金を稼ぐ」。
Hあの可愛い妹がそんな事をさせられるなんて信じられない。又、家の扉に「スカト
ロ一家、肛門性愛家族」などと落書きされたり、学校でもバラされて、私は居場所を
失う。
Iここに至り、私は対決するしかないと考えた。塚本啓子が「今だったらお前もXに
入れる。今を逃すと永久に家族にも会えない」と言ってきた。
 私は、Xの本部に乗り込んでいった。
 そこで会ったXの総裁苫小牧は、ニューハーフの様な人だった。
 彼女は言う。「アナルから古い脳(潜在意識)にアクセスして、新しい脳にあるき
らびやかなものを求める野心を沈静化しているのだ。これは救済だ」。
 本部内の獄につながれている先輩にも会った。「苫小牧の言っていることは嘘だ。
真言密教では、新しい脳も、そして古い脳も滅却するのだ」という。
 私はとにかく父母、妹と先輩を助けないとと思う。
J私も、催眠術師になるべく、Xの訓練を受けだした。
 私が練習用にあてがわれた男(林秀樹)も、きらびやかなものを求める様な男だっ
た。
 私は、林のアナルへの出し入れという反復運動により古い脳を活性化させておいて、
同時に私の首を締めさせ、同時にお香のニオイで潜在意識を刺激する、という催眠を
かけておいた。
Kいよいよ対決の時。私は苫小牧の見ている前で林に施術する。苫小牧は「そんな催
眠ではダメだ」と言い、自分が催眠を開始する。だんだん林が興奮してきた時に、私
は香を焚いた。林はその香りに反応して苫小牧の首を締めるのであった。
L苫小牧の死後、警察も駆けつけて、一件落着する。




#454/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/07/28  21:51  (  1)
ペストールを拾ったら   永山
★内容                                         23/07/24 21:31 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#455/549 ●短編    *** コメント #453 ***
★タイトル (sab     )  18/08/01  16:11  (135)
「催眠」(という短編の目論見書)改2 朝霧
★内容                                         18/08/01 21:03 修正 第2版
仮題『催眠家族』改

【登場人物一覧&キャラクター設定】
 ()内はイメージキャスト。思い付かない場合は?印。
橋本舞美。(?)。17歳。法正高校(都内の仏教系高校)2年生。
橋本信夫。(渡部篤郎)。42歳。舞美の父。
橋本京子。(篠原涼子)。39歳。舞美の母。
橋本保聡(やすとし)。(?)。舞美の二卵性双生児の兄。17歳。都立高校3年生。
橋本愛。(?)。15歳。舞美の妹。中学校3年生。
鈴木真貴。(?)。17歳。法正高校2年。
鈴木文勝(ぶんしょう)。(高橋克実)。50歳。竜泉寺住職。
苫小牧。(村本大輔(吉本興業))。30歳。竜泉寺の僧侶。
蟹沢賢磨(けんま)。27歳。竜泉寺の寺男。
大谷智雪(大野智(嵐のリーダー))。18歳。法正高校3年生。

【舞台&状況設定】
 舞台は法正高校(都内の仏教系高校)と竜泉寺(浄土宗)。
 主人公舞美は法正高校の2年生。同級生に真貴(竜泉寺の娘)、先輩に大谷(真言宗
のお寺の息子)がいる。
 竜泉寺には苫小牧という男が入り込んでいる。真貴と結婚してお寺の相続をしようと
目論んでいる。
 寺男に蟹沢(元真言宗信徒)という男がいる。
 舞美は蟹沢に恋心を抱いている。
 真貴は保聡(舞美の兄)が好き。
 信夫(父)、京子(母)は竜泉寺で苫小牧が催す行事にはまっていた。

【おおまかなストーリー】
@橋本家は竜泉寺の檀家である。信夫(父)、京子(母)、保聡(兄)は、寺の行事
(写経、禅、お茶会など)に熱心に参加していた。行事には瞑想や催眠もあった。
 寺の行事を仕切っているのは苫小牧という男。苫小牧は元々は竜泉寺の人間ではな
かったが入り込んできている。寺の娘・真貴と結婚して寺の相続を目論んでいる。
 寺には寺男の蟹沢(真言宗出身)もいた。蟹沢は現世利益には興味がなく、「個人
の仏性と宇宙の根本原理の合一だけが目的」と言って、黙々と塔婆に字を書いていた。
 高校に行くと大谷(先輩)は「舞美の父母と兄は洗脳、催眠に引っかかりやすい性
格だ」と言う。
大谷は言う。「催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意
識)に働きかけて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて
動きを奪う事も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠を組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させておいて、同時に漕ぐ運
動で股間を刺激して、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコ
ロンを嗅がせた時に欲情させることが出来る」などと。

A或る朝のこと、保聡はコロンのニオイをさせていた。真貴にプレゼントされたとい
う。
 その朝、保聡は駅のホームで後ろの人間に突き飛ばされて死んでしまう。
 舞美は、先輩から聞いたサイクリングの話と、兄がコロンをつけていたことを考え
合わせて、「これは催眠で突き飛ばされたのではないか。その催眠をかけたのは苫小
牧ではないのか。苫小牧は真貴と結婚して寺を継ごうとしていた。それを兄に横恋慕
されたと思ったのではないか」と想像する。
 兄が轢かれる瞬間を妹の愛も見ていた。
B父母はカーテンを閉めてふさぎ込んでいた。
 苫小牧が訪ねてきて、「お寺に来て少しでも心を慰めたらいかがですか」と言って、
父母と妹まで連れて行った。
 舞美は、「苫小牧は、もしかして現場を見ていた妹を始末する積りなのではないか」
と心配する。
 又、舞美は、苫小牧の浄土宗的な家族愛的なものをウザいとも感じていた。舞美は
例えば学業でもAO入試や面接など人間のやることは信用できなくて、全てマークシ
ート方式にするべきだ、などと思っていた。だから、蟹沢の真言宗的なもの、自力本
願の原理主義的なものの方が好きだった。そんなことから蟹沢に惹かれ出す。
C舞美は、苫小牧の催眠に対抗する為に、自らも独学で催眠を学びだす。
 舞美の学んだ催眠は、施術者個人がクライアント個人にかけるという、人が人に施
すものだったが、上手く行かなかった。
D舞美は大谷に催眠について尋ねた。大谷によれば、催眠は施術者個人がクライアン
トにかけるものではなく、宇宙のエネルギーをクライアントの古い脳に作用させるも
のだ、とのことだった。
 舞美は竜泉寺の様子を見るために寺の裏山に登った。そこで寺男・蟹沢に遭遇する。
そして仏教の話を聞く。蟹沢は言う「宇宙の根本原理にも汚れ、”なまぐさ”がある
が、これが人に宿ると悪人になる。そのように宇宙と人間はつながっている」と。
舞美は、大谷の話と似ていると感じる。そしてますます蟹沢に惹かれる。
E舞美は、クラスの女子に催眠をかけてみた。レズビアン的な接触で「性的興奮に達
したら相手の首を締めろ」と念じた。後日、その女子の彼氏が「首を締められた」と
騒いでいた。舞美は催眠は成功したと自信を得る。
F竜泉寺では護摩に使う薪を割っていた。
舞美は、薪割りの反復運動で古い脳が活性化している状態の父に、キンモクセイの香
りで潜在意識を刺激しておく、という催眠をかけた。そして寺男(蟹沢以外)にキン
モクセイの花束をプレゼントしておく。父は、寺男のところに薪を運んでいくとキン
モクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに舞美は催眠を解く。
これを見た苫小牧は舞美の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、舞美は父母と妹を連れ戻すことに成功した。これで平和が戻った
と安堵したのだった。
Gしかしそれも束の間、またまた父母と妹はお寺の寺男に連れ去られてしまう。
 ところが舞美は内心、家族的な浄土宗はウザいが家族自体もウザい、と感じ出して
いた。
 方や、霊験あらたかな真言宗を唱える蟹沢には魅力を感じていた。蟹沢は「心頭滅
却して仏性を開放すれば、兄の霊とも接触できる」と言ってきた。そしてそういうセッ
ションをやる。
 大谷は、「洗脳されているんじゃないのか」と心配してきた。
H兄の初七日法要の日、竜泉寺の本堂で、父があろうことか、妹に襲いかかってきた。
しかし、金縛りにあって未遂に終わる。
 舞美は、苫小牧が父に催眠をかけて妹を襲わせたのだ、と思う。妹は兄の事故現場
を見ていたから、何かを思い出す前に始末されそうになったのでは、と。
I蟹沢が、舞美にも寺に来ないかと言ってきた。そうすれば家族を見守っていられる
し、亡き兄に接するセッションも又できるから、と。そして舞美は寺に行く。
J竜泉寺で護摩行の時に、なんと父が今度は舞美を襲ってきた。そしてこの時も父は
金縛りにあってことなきを得た。
 この災難の後、別室で休んでいると、母のスマホに長文のメールが届いた。それは
舞美が生まれた時に同じ病室だったHさんからの暑中見舞いだった。
その手紙にはこうあった。「出産の時にあの病室に居たのは、京子と保聡、舞美、H
さんとその子、蟹沢さんとその子。でも最初に蟹沢さんの子が亡くなって、続いて私
の子も亡くなった。そして保聡君まで亡くなった。残る舞美ちゃんは大切にして下さ
い」と。
 舞美は「その蟹沢とは誰だろう。寺男の蟹沢と関係があるのではないか。亡くなっ
た子供とは蟹沢の弟ではないのか」と推測する。
 舞美は、母からHの連絡先を聞いて電話する。すると、蟹沢さんの亡くなった子に
は歳の離れた兄がいるとのことだった。
 大谷は、こう推理をした。「保聡、舞美、Hさんの子、蟹沢の弟は同じ日に生まれ
た。ということは宇宙から同じ仏性がそれぞれの体に分割して宿ったのではないか。
そして17年後、蟹沢の弟が亡くなった。
しかし本来一つであった仏性の内4分の3は保聡、舞美、Hさんの子の中に残ってい
る。それで蟹沢の弟は成仏出来ないでいる。
だから、蟹沢の兄つまり寺男は、Hさんの子、保聡と殺して仏性を開放したのではな
いか。そして最後の一つ、舞美の仏性も開放する為に殺そうとしているのではないか」
と。
 ここで妹を脱催眠して「あの日、ホームにいたのは誰なのか」を言わせたら、苫小
牧ではなく寺男の蟹沢だと答えた。
K舞美は寺の裏山に蟹沢に会いに行った。そして「私を殺すために父に催眠をかけて
襲わせたのか」と問いただす。
 蟹沢は悪びれる様子もなく、そうだという。「ただ宇宙の根本原理に帰るだけだよ。
なんだったらぼくも一緒に死んでもいい」と。
 ここで、舞美も、それもそうだと思う。そして二人で死のうか、という運びになっ
た。
 ここで、先輩と苫小牧が現れて「舞美、君は洗脳されている」と言ってくる。
 舞美は驚くが、蟹沢は小刀を出すと舞美の首筋にあてた。
 ここで蟹沢は何故か金縛りに合い、舞美は救出された。
 舞美は、父や蟹沢の度重なる金縛りを、何か宇宙の根本原理からの仕業のようにも
感じたのであった。
L家に帰ってから数日たった或る日。舞美が風呂に入っていたら、突然金縛りにあっ
た。腕が勝手に上がって指が曇った鏡をなぞる。「天寿まっとうせよ」と描かれた。
兄の霊が自分に乗り移って書いたのだ、と舞美は思った。

【疑問点】
 設定をお寺に絞って、人物も全て僧侶にした方が座りがいい気もする。
『ファンシィダンス』か和製『薔薇の名前』みたいになって。
 でもそうすると恋愛関係が同性愛になってしまうが。




#456/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/14  22:22  (  1)
SS>密室   永山
★内容                                         20/12/01 13:04 修正 第4版
※都合により一時、非公開風状態にします




#457/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/15  21:28  (  1)
SS>倒叙   永山
★内容                                         20/11/01 18:26 修正 第3版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#458/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/19  22:26  (200)
カグライダンス・ミニ   寺嶋公香
★内容                                         19/01/02 16:34 修正 第2版
 芸能週刊誌をぱらぱらと読んでいた加倉井舞美が、ふっと顔を起こして唐突に言っ
た。
「『好感度がいい』って、変じゃない?」
「え?」
 純子は加倉井のいる方を振り返り、目で問い返した。唐突だったから聞き漏らしたの
だ。
 ちなみに、純子の今の格好は銀色を多用した衣服に、表が黒、裏が橙地の短めのマン
トを羽織っている。横のテーブルには、鍔広の黒い三角帽が置いてあった。要するに魔
女のなりだ。加倉井の方も同じ格好だが、彼女はマントも外している。
「『好感度がいい』という表現が、ここに使われているのよ。何だがむずむずする」
 加倉井はパイプ椅子から腰を上げると、日よけの天幕の下、慎重な足取りで近付いて
きた。靴の爪先がタンポポの綿帽子みたいなデザインで上向きに伸びているため、気に
なるのだ。
 彼女が両手で開いてみせたページには、タレントの好感度ランキングが載っていた。
「ほら、ここ」
 指差す先には、言った通りの『好感度のいい』という文字が躍る。あるお笑い芸人に
ついての記述のようだ。
「好感度の好って、良いという意味でしょ。好感度が悪いなんて言わないし。『好感度
のいい』には二重表現という以上に、据わりの悪いものを感じるわ。あなた、どう思
う?」
 問われた純子はつい思い出し笑いをしてしまった。加倉井の垣間見せた理屈っぽさ
が、相羽を思い起こさせたせい。
「何かおかしいこと言ったかしら」
 密かに笑ったつもりだったが、加倉井は目聡かった。純子は急いで首を横に振る。
「ううん。友達の理屈っぽさを思い出しちゃったから。理屈っぽいは、悪い意味じゃな
くて、私も影響を受ける場合が結構あって」
「分かった分かった。別に怒ってるんじゃないわよ。それで、感想は?」
「えっと、確かにおかしいと思うけれど、じゃあ好感度の尺度を表すのって、どうすれ
ばいいのかなって……」
 小首を傾げる純子。対する加倉井は、当たり前のように即答した。
「好感度が高い、じゃないの」
「私も最初に思い浮かんだ。でも逆の、好感度が低いという言い回しには、凄く違和感
を覚えるような。だから高い低いでいいのか自信が持てない」
「……なるほどね」
 納得したようにうなずいた加倉井。
「好感度の低いという言い方はよく見掛けるから、何となく受け入れていた。よくよく
考えてみれば、これもむずむずする表現だわ」
「意味は伝わるから間違いじゃないのかもしれないけれど、何となく変。あ、でも、好
感度アップとか好感度が下がったとかには、違和感ない」
「ほんと。上がり下がりはするのに、低いだと何故か据わりが悪い……」
 加倉井は週刊誌を持ったまま、腕組みをした。考え込む様子で眉間に皺を作ったが、
はたと我に返ったのか、表情を和らげる。
「ちょっと、あんまり考え込ませるようなことを言わないで。皺ができちゃうじゃない
の」「そ、そう言われても」
 話題を持ち出したのは加倉井さんの方……とは言い返せない純子である。代わりに、
疑問解消の解決策を絞り出してみた。
「好感度って言うからおかしいのかな。好の字の印象が強くて、いいことにしか使えな
い雰囲気がある。だから、好を外して感度にすれば……」
「……やめて。とても卑猥に聞こえる」
 ぴしゃりと言われてしまった。だがすぐには理解できなかったため、さっきとは反対
側へ首を傾げる純子。
「感度がいいって、受信状況なんかに使うのならいいのよ。人に対して使うと、途端に
おかしくなるでしょうが」
「……あぁ」
 遅ればせながら、加倉井の想像していることが飲み込めた。ちょっと顔が赤くなるの
を意識し、心持ち俯く。加倉井さんてそんなこと考えるんだ、とも思った。
 元いた椅子に座り直した加倉井は、週刊誌を閉じた状態で手放さず、団扇のように
二、三度扇いだがすぐにやめた。
「おっそい。もう充分に晴れているように見えるのに」
「あ、休憩に入る前に、飛行機の通過時刻と被りそうだとか何とか言ってました」
「じゃあ今は飛行機待ちってわけね。五分か十分といったところかしら。――以前、イ
ンタビュー記事で、くすぐったがりだと言っていたみたいだけど、あれ本当? 記者の
創作?」
「どの記事か分かりませんが、くすぐったがりなのは本当です」
 再びの唐突な切り出し方だが、純子は慣れもあって平静に答えた。
「ふうん。ということは、感度も高いのかな」
「――」
 飲み物を口に含んでいたら噴き出しそうなことを、加倉井はさらっと言ってくれた。
ついさっき、感度の使い方にだめ出しをしてきたのに、それに反することを自らやるな
んて。まじまじと見つめる純子に対し、加倉井は笑みを返す。
「カメラの回っているところで言わないよう、おまじないを掛けてあげたのよ。当分、
意識して『感度』を使う気になれないはず」
「うーん、他の人が言ったら変な反応をしてしまいそう」
「それは自分で何とかして」
 頭上高く、飛行機が飛んでいく。
 コマーシャルの撮影再開までもう間もなく。

 撮影が完了したあと、様子見に来ていたクライアントの人と言葉を交わした。第一弾
コマーシャルのときとは別の女性で、まだ不慣れなのか言動がどことなくたどたどし
い。初対面の挨拶時には名前すら早口で聞き取れなかったほどだが、大手おもちゃメー
カー・ハルミのれっきとした社員だ。
 宣伝する商品は、『ウィウィルウィッチ』という人気の魔女アニメ(魔女っ子も登場
するが魔女っ子アニメではない)とコラボレートした玩具。第一弾、第二弾と何種類か
撮影したのだが、さっきまで青空待ちをしたのは、大雨を魔法で抜けるような青空に変
える、というシーンを実写で撮りたいという監督の謎の拘りのせい。
 撮影が終わったと言ってもコマーシャルの完成はまだ先になる。純子も加倉井もあと
のスケジュールは空いているとは言え、普通は長々と話す場面でもない。だが、そのお
もちゃメーカーから来た女性がお話がありますというので、ロケバスの中をしばし三人
で占める。
「以前にも数字で示したと思いますが、お二人のおかげで売り上げは好調です。特に社
長が大変気に入ったご様子で、これからもよいつながりを持ちたいと。端的に言います
と、他のお仕事もお願いしたいと申しておりました。つきましては先程、撮影の最中に
事務所の方にはすでに打診したのですが」
 持ち掛けられた新たな仕事とは、二人で――純子と加倉井――海外の名所を紹介する
テレビ特番の話だった。何でも、ハルミ一社提供の二時間枠で、マジックをキーワード
に二つの面から、つまり魔女や呪術といった神秘的な事柄と、奇術・手品の範疇にある
事柄にスポットを当てる云々かんぬん。
「言うまでもありませんが、アニメ『ウィウィルウィッチ』とも関連しています」
「面白そう。マジック――奇術、好きなんです」
 第一印象を素直に口にした純子。一方、加倉井は特に何も言わない。慎重な姿勢を
キープしている。
「とても光栄です。が、『ウィウィルウィッチ』と関係するのなら、私達よりもふさわ
しい方がいる。違います?」
 遠慮のない調子で質問する加倉井。相手の女性はほんの一瞬、目を見張った。すぐに
平静に戻る。申し訳なげに眉を下げ、笑みを絶やさずに答えた。
「その、いずれ耳に入ることかもしれませんので、先に打ち明けておきますと、アニメ
製作側の周辺からは、主要キャラクターを演じる声優の皆さんを採用するよう、推薦し
てきました。これに社長が難色を示しまして、スポンサー特権でお二人を推すと」
「……」
 加倉井と純子は目を見合わせた。そして加倉井が答える。
「後押ししてくださるのは大変感謝します。ただ、失礼な物言いをお許しください。他
にも候補者がいる中、力で押し切るのは本意ではありません」
「それは……オーディションか何かを催して、競った結果、選ばれるのであればよいと
解釈してかまわないのでしょうか」
 事務所を通さず、マネージャー不在の場で、タレント相手に直接的な提案をするのは
珍しい。正面に立つ女性は若くて頼りなげな外見と違い、意外とそこそこの決定権を与
えられている人物のようだ。
 しかし、加倉井は首を左右に振ってみせた。
「私達も人気商売、好感度が大事ですから。アニメ制作側や作品のファンと揉めそうな
種を蒔くのは避けたい、それだけです。御社も本音では同じじゃありません?」
 ビジネスっ気をちらと見せてから、相手に同意を求める。加倉井なりの交渉術かもし
れない。
「確かに。アニメの人気があってこそ、弊社の関連商品が売れた面は否定できません」
「でしょう? だったら、無碍にシャットアウトするのではなく、受け入れた方が絶対
にプラスになると思いますよ。ね?」
 加倉井はいきなり純子に振り向いて、相槌を求めてきた。調子を合わせるわけではな
いけれども、即座に首肯した純子。
 加倉井は軽く頷き返すと、クライアントの女性に向き直る。
「出してもらう立場で厚かましいんですけど、どうせなら四人にできません?」
「四人というと……あっ、加倉井さんと風谷さんに加えて、声優の方もお二人と」
「そう、さすが、飲み込みが早くて嬉しい。元々、マジックを二つの面から捉えるのだ
から、レポートも二組に分かれてやることはむしろ自然」
「え、二組に分かれるのなら、私、奇術の方がいいです」
 場の空気がよくなったのを感じ取って、純子はすかさず言った。
 二人の“連携プレー”に、相手の女性は口をかすかに開けたままにして、唖然とした
風だったが、そこからのリカバリーは早かった。
「分かりました。こちらから声優の皆さんへ打診してみます。加倉井さんと風谷さん
は、原則、了承してくださったと解釈してよろしいですね。細かい条件面はまた別とし
て」
「もちろん。この子がこんなにやる気になっていますし」
 純子を指差す加倉井。慌てて両手を振り、異を唱える。
「そんな、私のわがままみたいに。加倉井さんがやりたくないのなら、私もやめておく
から」
「それは困ります」
 相手女性の被せ気味の反応に、加倉井は苦笑をかみ殺しつつ、純子に対し返答する。
「大丈夫、私もやってみたいと感じてるんだから。オファーの条件が余程悪くない限
り、承ることになるんじゃない?」
 強気のなせるフレーズを含んでいて、聞いている方はハラハラする。同世代の中では
加倉井はトップクラスに位置しているから、多少の希望(要求、我が儘)は言えるみた
いだけれども。
 純子のそんな内心の動きを知ってか知らずか、相手女性は間髪入れずに言葉をねじ込
んだ。翻意されてはたまらないとばかりに。
「声優さん達へのオファーも含めて、持ち帰って、検討させてもらいます。なるべくよ
い方向に持っていきますので、よろしくお願いしますね」
 頭を深々と下げると、引き留めて長話になったことを詫び、彼女は辞去していった。
「――ちょっと汗かいた」
 その後ろ姿が遠くに見えなくなってから、純子はため息とともに言った。
「あ、好感度って言葉を使ったの、やはりまずかったのね」
「違います。使ったのには気付きましたけど」
 否定してから、加倉井の強気な物言いが原因だとはっきり言った。当人は、まるで気
にしていない。
「いいじゃないの。望んでいた形になったでしょう? あの人、なんて名前だったかし
ら。最初は慣れていない感じが丸出しで不安だったけれども、案外、話の分かる人みた
いで嫌いじゃないわ」
 撮影前に名刺を受け取っていたが、マネージャーにも渡っているということだった
し、しかと見ていなかった。純子は名刺を改めて見直す。
「ましこはるみさん、と読むのかな」
 益子春見と縦に書いてあった。なかなか意匠を凝らしたデザインになっている。透か
し彫り風の字体で、各文字が左右対称になるよう、手を加えてあった。益・春・見は左
右対称にし易いからいいとして、子は若干だが無理をした感があった。
「――おかしい」
 純子は名刺を見つめる内に、何となく違和感を覚えた。名前にかなもしくはローマ字
が振られているのが普通だと思うのだが、これにはない。肩書きも、会社名と部署だけ
が印刷されている。
「もしかして」
 裏返す。裏側からも益子春見の文字が確認できた。ただし、その脇に矢印があった。
姓と名を入れ替えてくださいというサインのように。
(益子春見を入れ替えると、春見益子。益子はますこやみつことも読めるんだっけ。う
ん? 春見?)
 メーカー名に思い当たる。ハルミ。
「か、加倉井さん!」
「な、何、大声出して。落ち着きなさいよ」
 純子が大きな声を出すのが珍しければ、加倉井が明らかに驚いた顔をするのも珍し
い。そのためか、純子と加倉井はしばらく黙ってお見合い状態になった。
「――名刺の裏、見て」
 先に口を開いたのは純子。加倉井は「今、持っていない」と言い、純子の手元を覗き
込む。隣同士で額を寄せ合う格好になった。
「完全に想像に過ぎないんですけど、さっきの人、社長さんの血縁なのかも」
 続く純子の説明を聞き、加倉井はふんふんと軽く頷いた。
「もしそれが当たっているとしたら、ますます面白い人だわ。身分を隠して現れるなん
て。ひょっとしたら、社長の命を受けて私やあなたを直接品定めすることが、真の目的
だったのかもね」
「うわ〜」
 自らの二の腕をさする純子。加倉井は呆れ気味に言った。
「自分で気付いておいて、今さら緊張しないでよ」
「はい……次の機会があれば、意識しちゃうだろうなあ」
「まるで気付かない方がよかったみたいね。まったく、感度がいいのも考え物だわ」
「か、感度じゃなくて! せめて勘と言ってください!」

――『カグライダンス・ミニ』おわり




#459/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/20  02:11  (  1)
SS>ダイイングメッセージ   永山
★内容                                         20/10/28 21:15 修正 第2版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#460/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/11/24  21:26  (  1)
SS>アリバイ   永山
★内容                                         20/10/30 21:54 修正 第4版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#461/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/02/18  22:07  ( 37)
日常SS・SF>隣の芝は青い $フィン
★内容
「隣の芝は青い」

 若い男の人と恋に落ち、結婚して、男の赤ちゃんが生まれました。

 手狭になったアパートから引っ越して、一家三人が住める犬が飼えるだけの小さな庭
に青い芝生が敷きつめる程度の一軒家を買いました。当然年相当の係長の夫の給料で一
気に返済するのは無理でした。夫と話し合い30年ローンの手続きをして少しずつ返済す
る方法を取りました。
夫の収入はそこそこあったものの毎月住宅ローンの返済で家計は苦しく、新聞のスー
パーの広告を見ながら特売品に赤いマジックで丸く印をつけ、玉子1パック98円の日は
必ず行って長い行列の中の一人となり、苦しいながらも家計をやりくりしていました。

夫の間に生まれた男の子は少しやんちゃだけど聞き分けの良い子供に育ちました。平凡
だけど夫と男の子の三人の暮らしぶりは幸せそのもので、もし幸せのパンフレットがあ
れば一番最初に載ってもおかしくないものでした。

 ある朝のことです。どこにでもある市販の食パンをトースターで焼き、インスタント
コーヒーを作り、夫はそれらを食べ終わった後、新聞を読みながらたばこに火をつけま
した。家の中でもしないでと言ってきつく夫を睨みつけました。すると新聞はめらめら
と燃え上がりました。夫は燃え上がる新聞から手を放し、誰も見ていないからそれぐら
いいいじゃないかと謝りました。

 手に少しやけどをして夫が逃げるようにあたふたと会社に出かけました。

しばらくして男の子が目を覚まし、目やにを手でこすりながら夫婦喧嘩またやったのと
聞きました。

 ううんちょっとねと言って食器を洗いながら軽く笑いました。

 男の子が小学校に出かける前に誰かと喧嘩しても燃やしたら駄目よと少し注意しまし
た。

 うんわかっていると男の子はうなづいて黒いランドセルを背負っていつものように小
学校に行きました。

 男の子を小学校に送りだした後、青い空の下白い洗濯物を干しながら今日も平凡でい
い日になりそうだと思いました。




#462/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/24  21:17  (160)
SF>二つの世界
★内容
 ここはこの世の楽園の世界、暖かい太陽の日差し、緑は繁り、小鳥は歌い、人々は笑
顔を浮かべて暮らしている。
 突然、ある物体が何もない場所に出現した。中からは頭全体をおおったマスク、全身
にも防護服をまとった奇妙な二つの人型のものがある物体から出てきた。
「ここが、私たちを救う世界なのか」頭全体におおったマスクに内蔵された通信機から
男の声で相手に声をかけた。
「本当よ。私の計算は完璧にあっているはずよ。そのために私たちは選ばれて生まれた
ときから特殊教育を受けて、この機械に乗り込めるように訓練されたのだから。それに
しても放射能で汚染された私たちの世界とはえらい違いだわ。それにここでは汚染値の
数値が0になっているの。見てあの緑を、博物館で永遠に冷凍保管されて、よほどの許可
申請をしないと見れないはずの植物が本来の姿を取り戻しているわ。ところで息はでき
るのかしら」男の声に反応して、頭全体におおったマスクに内臓された通信機から女の
声で答えが返ってきた。
「おまえたちが来るのを長い間わしは待っていた」二つの人型の前に一人の老人が、こ
こにある物体が現れるのを知っていたかのように立っていた。
 二つの人型のものは突然現れた老人に狼狽したような様子を見せた。
 「怖がらなくてよい。おまえたちがここに来るのは以前から予言されておった。そん
な邪魔なものは取り去ったほうがいいぞ。ここは健康にはまったく害のない安全な世界
だ」
 二つの人型のものはお互い内臓された通信機で盛んに話しあい、やがて恐る恐る頭全
体をおおったマスクと、全身に防護服をまとったものを脱ぎ捨てた。
 中からはあらゆる装飾品を排除されて非常にシンプルな人工的なものを着た二人の男
女が現れた。
 身体を守るすべてのものを取り去った二人は生まれて始めて自然の息吹に感動した。
日頃している性行為など問題にならないものだった。今まで感じたことのない充実感を
得た。はじめて嗅いだ自然本来の甘い空気に酔いしれた。激しい快感に酔いしれ、心は
激しく乱れたままこのままじゃ狂うのじゃないかと思いにとらわれた。しかし表面上は
二人は長い間立ったままだった。長い間老人は文句を言わず待っていた。
 だけど二人は特殊教育を受けた効果の一つ感情の乱れも落ち着かす方法も学んでい
た。その能力を使ってなんとか感情の乱れも治まった。二人は落ち着いて改めて老人を
見た。老人は威厳を持って立っていた。だけども老人は二人の様子を見て、微笑みを浮
かべていた。
「あなたは誰ですか」男は目の前の老人に不安そうに聞いた。
「わしはこの世界の代理人じゃ。ここの世界は始めてだろう。案内人がいなければおま
えたち二人が困るだろう。私が案内人になってやろう」代理人の老人は威厳を持たせつ
つ二人に不安を持たせないように優しく笑って答えていた。
 その後二人はそこで働いている人々に出会った。人々は汗を流し、汗は太陽の光を浴
びてきらきら光っていた。人々は代理人の老人とこの世界の人とはまったく違う衣装を
まとった二人の姿に関係なく、みんな同じような反応をした。人々は忙しそうに枯れた
茶色の植物らしい何かを刃物らしいもので根元から切っていた手を休め、かがめていた
姿勢から立ち上がった。そして以前から決められていたようにみんな笑顔で出迎えた。
 人々はみんな競いあうように自分たちの家に招き入れようとした。老人は一組の夫婦
を指差した。一組の夫婦は神から選ばれた者のようにあふれんばかりの笑顔を作った。
夫婦は、自分たちの家に丁重に二人をもてなした。
 代理人の老人と夫婦が家屋の奥に引っ込んでから二人はお互いにこの世界の感想を言
い合った。
 「ここはいいところだわ。放射能に包まれた地獄のような世界とは大違いだし、それ
に人々の態度も素朴で優しそうだわ。ここにずっと住みたい気持ちになってきたわ」
 「おいおい忘れてもらっては困る。私たちがここに来た本来の目的は死にかけている
地球のために、この世界をたずね、地球を救う方法を教わるためにきたのだぞ」
「しかしこの世界があってよかったわ。私たちの世界がこのまま続くと草木も生えない
放射能で汚染された地獄のような死んだ星になっているかと思ったの」
「この世界があるということは私たちの世界も助かるということだな」
 奥から代理人の老人と夫婦が出てきた。二人は会話をやめた。
 夫婦はなにやら得体の知れないものを二人の前にいくつか運び込んで出してきた。
 最初に何かを加工されたらしい白い無数の汚らしいつぶつぶが白い容器に入って出て
きた。それには熱でも加えられたのか少しそれから白い煙が出ていた。それが何かわか
らなかった。次に加工された薄茶色のどろどろになった汚らしい液体が茶色い容器に入
って出てきた。それにも熱が加えられたのか少し煙が出ていた。それも何かわからなか
った。最後になんとか植物とわかるが、深い緑色の汚らしいものが白い容器に入って出
てきた。それには熱が加えられていないらしく白い煙はまったく出ていなかった。それ
が何もわからなかった。黒い液体に透明の容器に入った汚らしいものが出てきた。その
液体の出入り口は非常に小さいもので白い煙がでいているのかさえわからなかった。そ
れも何かわからなかった。そして最後に更にわからないものが出てきた。なんと小さな
白い容器に何も入っていないものまで出てきた。二人の世界では何かを入れるのに容器
は必要だから、何も入れていない容器を出すには無駄としか思えない非常識そのものだ
った。出てきたものすべてが二人にはそれがなにかまったくわからなった。
 しばらくの間二人はそれらを前にして黙って眺めていた。
 「大丈夫だ。そのまま食べても何も起こらん」二人の様子を見ていた代理人の老人は
笑顔で戸惑う二人に保障した。
 「これは食べられるものなのですか」二人はびっくりし、汚物を見るようにそれらを
見た。
 二人は今まで人工的に作られたタブレットしか栄養を取ったことがなかったので、こ
の世界でこれが食べ物とは思いもつかなかった。それにこれらをどんな食べ方をしたら
いいのかすらわからなかった。
 二人は目の前に博物館でしか見たことのない貴重品の木材らしいものを見た。それも
細くて長い二本の木材が置かれていた。どうやらこれを使って食べるのだろうと二人は
思った。
 だが二人は二本の木材を見たものの手にとったもののどう扱えばいいかまったくわか
らなかった。
 それを見た代理人の老人は夫婦に二人に食べる方法を教えろと威厳を持って命令し
た。
 夫婦は労を惜しまず一生懸命二人に二本の木材で食物を食べる方法を教えた。
 二人は夫婦に教えられたとおりに貴重品を壊さないように注意深く手に握った。二人
はぎこちない持ち方で二本の木材を手で目の前の食べ物を長い間掴もうと苦労したあげ
く、ようやく白いつぶつぶの一つ取り出すことに成功した。
 男は二つの木材を使って取り出すことに成功した食べ物と言われる物を、目的の物を
受け取るとるために糞便を食べるつもりで我慢して精一杯の勇気をふりしぼって口に入
れた。
 そのとたん、今まで食べたことのない自然のありのままの食べ物の味に全身が金縛り
になるほど驚いた。
 その後二人は二本の木材を使い苦労しながらも自然のありのままの食物を長い時間を
かけて全身が幸福に酔いしれ感動して食べ続けた。最後には二人は何も入っていない小
さな白い容器のわけを理解した。なんと黒い液体が入った透明の容器から白い容器に注
ぎ込み、それを深い緑色の植物らしいものにつけるのだ。何も入っていない小さな容器
も非常識だったが、その容器から食べる深い緑色の植物の食べ方も、二つの食べ物を組
み合わせるなど贅沢極まりない。二人の世界には非常識そのものだった。
 夫婦は神託を待つ信者のように長い時間何もせず二人を見つ続けた。
 「どれもこれも私の世界では非常識な食べ物ばかりだ。こんな食べ物は今まで食べた
経験がない。それこそ神しか食べられないほど素晴らしいものばかりだった」この世界
でいう食べ物を食べ終えた男は感情を抑えきれず大きな声で叫んだ。
 夫婦はその言葉を聞いて栄光に包まれたかのように笑みを浮かべて喜んだ。
 二人は代理人の老人に連れられて夫婦の家を後にした。二人は立ち去る前に今まで食
べたことのない素晴らしい食べ物を与えてくれた夫婦に非常に丁寧にお礼を言った。夫
婦は戸惑ったような笑顔で二人の言葉を受け入れた。代理人の老人と二人の姿が見えな
くなるまで夫婦は玄関の前で動くこともせず立ちすんで見ていた。
 代理人と二人は長い道を歩き始めた。代理人の老人と二人の姿を見ると人々は枯れた
ような茶色い植物の刃物らしいもので根元を切る作業をやめて、かがみ込んだ体勢から
立ち上がり、人々は笑顔を向けた。そして代理人の老人と二人の姿が見えなくまで人々
は動くこともせず立ちすんで見ていた。
 やがて、灰色の四角い巨大な建物が二人の前に見えてきた。
 二人は代理人の老人の後について歩いてきていた。それは長い回廊で奇妙に入り乱
れ、さながら永遠に続く迷宮のように二人は思えた。この目の前の代理人の老人が案内
がなければ死ぬまでこの迷宮から出られないような気がした。だけど、代理人の老人は
生まれたときなら訓練されたかのように迷うことなく迷宮の道を抜けていく。
 やがて、一つの部屋に代理人の老人と二人は辿りついた。
 そこの部屋の中央に黄金に輝く巨大なコンピューターが置かれていた。
 「これは、おまえたちにもわかるだろう。コンピューターというものじゃ。おまえた
ちをここに呼び寄せたのもコンピュータの力だ」代理人の老人は言った。
 「わしらの今はおまえたち二人にかかっておる。この設計図通りに作れば、放射能の
除去方法や、滅びかけている植物や動物の再生の仕方も、おまえたちの世界で作られた
このコンピュータがすべて教えてくれるじゃろう」代理人の老人は言った。
 そして帰りも代理人の老人の案内でこの灰色の四角い巨大な建物から出た。そしてま
た代理人の老人の案内で二人は元の道を同じ経路で帰って行った。男はある物質に乗り
込む直前、老人から一本の容器を渡された。二人はそれより遙か昔のことは知らなかっ
たが、21世紀の人がもしいれば蚊取りスプレーと間違えたに違いない。 
 二人は設計図と動植物の種や細胞を持って、自分たちが乗ってきたある物体の中に入
っていった。男は老人から渡された容器から上のぼたんを押すと一斉に空気が圧縮され
て、容器の成分がすべて出た。その後女は計器を見て、放射能の汚染値の数値が0と言っ
た。そうして二人は自分たちの住む世界に帰って行った。
 ある物体がこの世界から消えたのを見届けた後、代理人の老人はすべての役目が終わ
ったように長いため息をついた。
 
 「どうしてあの世界では代理人をのぞいて子供と老人の姿を見かねなかったのでしょ
う?」時間旅行中、ある物体の中で行きかけと違って帰りは身軽になった女が、手を盛
んに動かして機械を操作中に、不思議そうに聞いた。
 「なあにそりゃあれだけ、幸せな世界だ。きっと子供や老人は更に快適な場所で暮ら
しているのだろう」男も女と同じように手を盛んに機械を操作しながら答えた。
 その後二人は互い無邪気に笑いあった。
 
 しばらくして老人は黄金に輝く巨大なコンピュータの前に立っていた。二人の男女に
みせた威厳の仮面をはぎとり、無力そのものの老人の姿になっていた。そしてうやうや
しく足を折り敬虔な信者のように祈るようにひざまついた。
「先ほどは貴方様のことをコンピュータと蔑んだ言葉を使い、私は永遠の罪人になる覚
悟はできております」老人はすべての罪を償う罪人のようにコンピューターの前で謝罪
した。
「気にすることはない。私のしもべよ。あれは一種の俗語にすぎん……それより過去の
世界では老人が尊敬されていたらしい。そこでそなたの存在が必要だった。あの二人が
帰った後はそなたの務めはもはやすんだ。これからそなたは安らかな長い眠りに落ち、
また私のしもべとなり復活の時を待て」
 「ああ、偉大なる神よ。罪深い私のすべてを許してくれるのですね」老人は大粒の涙
を大量に流して、神からすべての罪が許されたことを知った。
 老人はこの世界の決まりどおり、迷宮の回廊を抜けて、ある部屋に入り自ら進んでガ
ラスの容器に入っていった。
「ああ、ようやくわたしも・・・」老人は恍惚におびた表情でそうつぶやくと全身にま
ぶしい光におおわれ身体中の細胞が分解されていった。かつて老人だったものはすべて
あるチューブの中に流れ込まれていった。そのチューブの先には巨大な培養液があり、
培養液の中から無数のチューブがはりめぐされて、その先には無数のガラスの容器があ
り、その中で羊水に似た液体の中で無数の子供たちが神に包まれたような安らかで幸福
に満ちた顔で大人になって目覚めるまで眠り続けていた。




#463/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/27  14:28  (232)
仮面をかぶった少年 $フィン
★内容
 色の白い端整な顔だちの少年と大振りの少しにきびのできた少年がふざけあって部屋
の中で遊んでいた。部屋の中に置かれていたクローゼットの隙間から新しい学生服が見
える。どうやら二人の少年の身体たちと新しい学生服から高校に入ったばかりのよう
だ。二人とも長い間部屋の中で笑い、馬鹿話をしてはしゃぎまわる。ためぐちを叩きあ
い、仲のいいところを見ると二人の少年たちは親友らしい。大振りの少年はベットの下
に隠していた裸体の女の写真集をもう一人の少年にどうだ凄いだろといって自慢げに見
せる。二人の少年はそれをじっと見ていいなと言って笑う。


 時間が過ぎてすぎ、色の白い少年は部屋に置かれていた目覚まし時計を見て家に帰ら
なきゃと言う。おい待てよと大振りの少年は言う。大降りの少年は、あそこじゃ美味し
い飯を食えなかっただろと言う。自分の母親が少年たち二人のために腕によりをかけて
美味しいものを作ったのだ。食べていけよと言う。色の白い寂しい顔をして首を振って
少年は断り、大振りの少年は勧める。なんどか同じやりとりが続き、やがて色の白い少
年が部屋を出るためにドアのノブに手をかける。


 そのとき、大振りの少年が怒ったようにある一つ単語を言った。ある単語を聞いて、
色の白い少年は能面のように凍りついた。そして色の白い少年は振り向き、大振りの少
年の方に顔を向ける。大振りの少年は、色の白い少年の顔を見た。色の白い少年はさっ
きまであった笑顔や寂しい仮面のような顔はすべて消え去り、なんとも言えないような
悲痛に満ちた仮面のような顔になっていた。君は酷いこというね。ぼくはこの言葉が一
番傷つくよと言った。確かに君の言うとおりなのかもしれないね。でも、心はまだ人間
なのだよ。


 君の知っているとおりぼくは事故にあった。学校の部活で帰るのが遅くなり辺りは暗
くなっていた。帰るのが遅くなってかあさんが心配しているからと思って急いで横断歩
道のない道を通ったよ。あれがぼくの最大の過ちだったと思っている。悔やんでも悔や
みきれない。あれさえなければこんなことにはならなかったはずだからね。ぼくはそれ
からの記憶はまったくなくなっている。


 どうやらぼくは車に轢かれたらしい。ぼくを轢いた車の持ち主は急いで救急車を呼ん
だのだけど、しばらくして救急車が到着したらしい。ぼくは全身血まみれでずたずただ
ったらしい。救急隊員はぼくを担架で運びながら可哀そうにもうこの少年はもう助から
ないなと思ったらしい。ぼくはその時本当にに死にかけていた。それでも少しの望みが
あればぼくを生き返らそうと、ぼくの心臓に何度も電気ショックを与えた結果、なんと
か心臓は動きだした。一緒にかすかだけど息もしたらしい。だけども油断はならない出
血はまずまず激しくなる。ぼくは救急車の中でいつ心臓がとまっても同じくない状態だ
った。緊急隊員は善意のある人で慌てた。まだ若い将来性のある少年を助けようと思っ
たのだろうね。いろんな病院に掛けても次から次に病院に断られた。最後の病院である
特殊な施設に行けば、もしかしたら助かるかも知れないと言われたらしい。そこで緊急
隊員は指定された場所に行き、ぼくは救急車から降ろされた。ぼくはヘリコプターの中
に入れられて、息もたえだえのぼくをなんとか死なさないために一気に冷却保存され
て、運ばれた上にぼくは特殊な施設に入れられたらしい。


 特殊な施設の研究員がぼくの家に来て、家族にぼくが助けられるすべが見つかるかも
しれないといろいろ説明されて、いきなり何枚かの用紙が渡させたらしい。ぼくの家族
は内容もほとんど確認せず、ぼくを助けたい一心ですべてのものにレを入れ、印鑑を押
して、用紙を研究員に渡したらしい。

 家族は小さな字で書かれた条件までもよく見ておくべきだった。ぼくが自ら死を選ん
だら、ぼくを助けた費用が全額家族に払わせる仕組みになっていた。研究員は悪魔同様
の巧妙な手口で家族を騙し、ぼくが死なせないように追い込んだ。これでとりあえず悪
魔のような研究員とぼくの家族との間は契約成立した。


 その後、特殊な施設の中で冷却保存されて死体同然になったぼくを、悪魔が喜ぶよう
な人体実験は始められた。ぼくは研究員があらゆる装置を使ってくまなく冷淡に判断し
て条件にあうものか徹底的に調べ上げたらしい。

 ぼくは、最初にある中に入れる条件にあうか身長や体重や体型を調査させられた。そ
れはすぐ適応することができた。その後も徐々に深く調査させられた。身体の表面から
見える身体の損傷具合など調査させられた。それに髪の色とか太さまでも調査させられ
た。目の網膜の色や大きさなども調査させられた。

 

 それらの条件に完全にあったぼくなのさ。条件にあわなかったぼくの他のたくさんの
見殺しにされた少年たちの遺族は可哀想だな。自分たちの息子の顔に白い布をかぶせら
れて見せられた後、研究員から最善の対策をうちましたが、駄目でしたまことにすみま
せんでしたと言われたら悲しみの涙を大量に流すだろうね。それでもぼくにはちょっと
うらやましいかな。ぼくは変に悩まず死んだほうがましだったし、少年たちの遺族には
ぼくには持っていないものがあるからね。

 

 すべての条件にあったぼくは研究員から特殊な処置をさせられた。ぼくの身体から脳
だけが取り出され、ある中に入れられた。

 その後ぼくは起きたとき覚えているのは灰色の部屋にぽつんとともった蛍光灯だけだ
った。鏡も洗面台もなかったね。その時にはぼくには必要のないものだったのだろう
ね。ぼくは鉄のベットに布団も何もかけてられていない状態だった。そしてなにげなく
自分の手を見たよ。ぼくの手は信じられないような異様なものに変貌していた。ぼくは
おののき狼狽したよ。しばらくして身体中を観察したよ。手だけではなく全身が異様な
ものに変貌していたのだよ。そのときのぼくの恐怖が君にはわかるのかな?おそらくわ
からないだろうね。

 しばらくして、研究員は入ってきて、恐怖で戸惑うぼくに笑顔で実験は成功としたよ
と神の祝福のような言葉を投げかけてくれた。


 その後ぼくは生かされるために研究員の指導の元毎日規則正しい栄養を摂取させられ
た。その後ぼくは、研究員はぼくの恐怖に満ちた心の状態を知らないまま、冷静にぼく
の脳の状態と身体が不適合を起こさないかをいろいろ調査して、今後の参考のために念
入りにデーター入力をして、その後の経過を観察され続けた。

 幾日がたちぼくは表面だけは人間らしい姿になった。何せ脳は計画的にできてすぐに
取り出せたもの、脳がなくなりぼくの死んだ身体から表面の皮を剥ぎとり、有機物の人
間の皮と無機物のものと接続可能なのかいろいろな特殊加工をするのにも時間がかかる
からね。

 その後、ぼくはみんなの前に晒されて、人類の希望とたたえられ発表された。世界中
の人は感動してぼくを見てくれた。ぼくは研究員から指示されたように最大の笑顔の仮
面をかぶり、手を盛んに振ったよ。でもぼくは笑顔とは反対にいつも心は泣いていた。

 そして君の知っている結果がこれなのさ。

 

 でもね。世間では公にされていないことがあるのだよ。

 ぼくの身体にはいろいろな秘密がある。それからぼくの顔すべすべして綺麗だろう。
それにうぶ毛もちゃんとついている。これも偶然に顔に一つも損傷部分がなかったから
なんだよ。もし一番目立つ顔に損傷部分があれば、ぼくの身体から取った細胞の培養に
時間がかかりすぎるし、同じ条件下で同じ皮膚の状態が作れることは滅多にないからな
んだよ。もし君が望むのなら服を脱いで裸になってあげようか。そしたら身体についた
損傷箇所が色や感触が微妙に違っているはずだからわかると思うよ。


 基本的には脳は人間のものだし、人間だった頃の皮は一応特殊加工されたもののまだ
人間らしいものを残している。それ以外はすべて人工のものなんだ。髪や眼球や歯や爪
の先まですべて完璧に人間に似せた人工の物なんだよ。

 ぼくは視覚、聴覚はかなり感度が高い。視覚は昼も夜も見えることはできるし、細胞
の一つ一つのものまで見えることもできるし、遠くは人間では見えない月のクレータま
で見分けることができる。研究者たち最高の傑作品を作るために全人類の技術を使いす
ぎて、やりすぎたのだろうね。でもぼくは人間の脳だから休めなきゃならないし、夜は
見えるが眠ることがなんどか努力してできるよ。

 それも聴覚も異常だな。ぼくのこの話を聞いている研究員関係の人は今のところ10k
m市内いないから大丈夫だ。

 だけど反対に嗅覚や味覚や触覚はまったく消去されている。そういうものは必要ない
と判断したらしい。

 脳だけは人間だから栄養を摂取しなければいけないから、人とは違って特殊な流動食
とペースト状の間の状態のものを食べないといけないし、まったく味を感じないし、食
べている気がまったく起こらないし、生きるために仕方がないから食べている。契約書
にしばられたぼくは家族のために死ねないから生き続けないといけない。 それにどこ
からでも栄養を摂取できるはずだけど脳に一番近い開閉口がたまたま口だからそこから
脳に与える栄養を効率よく短いチューブを通して送り込めるように設計したらしい。ぼ
くは人間が食べるようなものができないから、ぼくが食事を断ったわけがわかっただろ
う。

 ぼくが家で女の裸の写真を見て脳が興奮して、ある部分をこすっても何も感じない
し、ただ物理的に伸びるだけさ。微妙な人間らしい膨張などもいっさいないし、それに
胸や腹とかも同じことを規則的に膨らんだり凹んだりしているだけなのさ。でも外見は
普通の少年の日常の一定の生活のものだからさほど異常な事をしない限り、わからない
と思うよ。


 だけど表面から見える部分はすべて人間らしいものになっている。顔の表情も旨くで
きているだろう。頭の神経組織とある物と連動されて特殊加工された皮膚が微妙な表情
を作らせることができるらしい。ぼくは喜怒哀楽すべてが人間らしい表情ができる。だ
けど一点だけ欠点がある。一番人間らしい感情ができないのさ。こんな顔をしているの
に疑問に思ったことがあるだろう。

 ぼくが身体から脳が取り出されるときに一緒に脳の内部もほんの少しだけ変貌させら
れた。いや感情とかはごく普通のものだよ。

 その結果をぼくは試された。知能をあげる箇所を研究されて変貌させられたらしい。
知能テストでぼくの年代の少年の平均よりも化け物じみた高い数値を出したらしい。予
想以上の結果に研究員は満足したらしいな。今のぼくの頭の中は超天才だよ。 だから
いろいろなことが読めるのだよ。ぼくが事故を起こしてから目覚めるまで一切の記憶も
ないのに、論理的に分析にして今までのことを言ったのだよ。

 大丈夫、ぼくはこの後も普通の少年の仮面をかぶる。一応学校に復学したら一生懸命
勉強しているふりをする。そしてテストも最初はまごついて少しは高い数値を出すかも
しれないが、そのうち慣れてテスト配分の点数を読んで試行錯誤で何枚も仮面を剥ぎ変
えて最後は普通の少年の仮面をかぶれるようになれると思う。


 それからぼくは少しの先の未来が読める。ぼくはそのうち人類の種が衰えて、やがて
培養液のタンクから配給されて、ガラスの容器の中で羊水みたいな液体に包まれた胎児
がやがて大きくなり人間の赤ん坊の姿となったときガラスの容器から自動的に排出され
てくる日もあるだろう。物心がついた子供たちは自分が人間の腹の中で育てられた子か
ガラスの容器の中で人工的に作られた子か悩むだろう。

 さらにぼくみたいに事故にあったものは脳を取りだされて移植されるのは日常的にな
ってくるだろう。いや、自分からこの機能的な身体を望んで自らなろうとするものも現
れるだろう。やがて脳もすべて人工のものになる日もくるだろう。すべてのものは改良
に改良を加えて、視覚、聴覚、臭覚、味覚はもちろん触覚までも人間になる。例えば手
を切れば血が出て、普通に痛みを感じるようになる。


 子供の頃から自分が誰かと疑って大人になっても自分が誰かと疑って、疑い続ける存
在になる。やがてすべてのものが自分を何者かと疑問に思う日常に苦しみ続ける日も遠
からずくるだろう。

 最終的には一つのことに問題を集約させることになる。すべての意識を持ったものは
たった一つのことに悩みこむことになる。それは自分が何であるか。どういう道に進め
ばいいか。つまり、アイデンティティの問題さ。そしてぼくはその解決法も知ってい
る。現在自分は考えている。つまり意識を持っている存在であると開き直ればすむこと
さ。

 

 ぼくは以前は小さな存在だった。だけど今はあらゆる技術を応用してぼくの身体は複
雑なものに作りかえられた。君が言うようにぼくは人類の最新の技術で作られた最高傑
作品のロボットの最上部に脳だけを組み込まれて大きすぎる存在に成り果てた。 こん
なぼくを怖いと思うかい? いいよそう思われてもぼくにはまだ理解することができ
る。少し変貌させられたけど基本的には脳は人間のもの、皮は特殊加工させられた元は
ぼくの物だった。それ以外の身体は全部異様なものに変貌されている。どれもこれも中
途半端な能力があるけど、基本的には人間の脳だけは持ってから人間らしい感情はまだ
残っている。

 だけどぼくは中途半端な存在であるが故に、自分の眠り続けていた過去のことだけじ
ゃなく、遠い昔の人間の過去の深刻な悩みもわかるし、遠い未来の人間の深刻な悩み
も、その解決法もごくに簡単にわかってしまう。君から見れば人間の理解を超えた神か
悪魔のような両面をそなえた仮面を持っているわけのわからない存在になってしまった
からね。


 ぼくを恐れて君が離れていっても決して文句は言わない。でもね。ぼくは君と親友で
あり続けたいのだよ。ぼくはすべての仮面を剥ぎ取って君だけに心の叫びを言ったつも
りなのだけどね。とにかく君がどう答えるかぼくは返事を待ち続けることにするよ。


 じゃあね。ぼくは帰るよ。

 色の白い端整な顔たちをした少年はそう言うと帰って行った。少年は泣き出しそうな
表情を話し続けていても、人工の眼球からは一滴の涙を流せなかった。

 

 しかし人間の理解を存在になっても少年は知らないことが一つだけ残されていた。そ
れは少年はまだ仮面をかぶったままだったのだ。

 仮面をかぶっているものは決して涙を流すことができない。




#464/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/30  21:53  (149)
チート転生>1000年同じ姿でいる黒髪と黒瞳の美青年の話
★内容                                         19/04/02 12:30 修正 第3版
俺は新幹線のトイレから出て手を洗っていると、今の俺の顔に似た黒髪、黒瞳の美しい
顔の少年が見つめていた。
 「おとうさん」少年は俺に向けて言った。こいつは俺の息子だ。こんな風にさせて可
哀想なことしたなと俺は思った。
 
 俺は本当は別次元の頭脳明晰、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に更にオプ
ションがついてエルフ族最大呪術力まで持っているいわゆるなんでもできる万能のエリ
フ族、最大の王族の王子様だったんだ。
 
 俺は20歳になったばかりの年に、無邪気に遊びに行きたくて、呪術をつかって、別の
次元に行ってしまった。
 そこについたら、俺は驚いたよ。俺のまわりには汚らしいものがいっぱいあったのだ
な。見るものすべてが汚らしい。それに汚らしいものたちは俺を化け物を見るような目
で見やがる。俺は顔面蒼白、パニック状態だぜ。頭の中真っ白でいろんなところを逃げ
回ったよ。すべてが汚らしい。汚らしい。汚らしい。どこ行っても汚らしいものばかり
なのだな。それでなんとか考えて呪法を使って元の次元に戻ろうとしたらできない。何
度やってもできない。どうも俺の持っている呪力のほとんどを使って、ここに来てしま
ったらしい。
 それで俺はなんとか妥協策を考えた。少しの間だけこいつらの中に溶け込もうって、
それで少しでもましな奴を探そうとした。この次元では、箱の中で写真が動いていた。
後できくとテレビというものらしい。その中では黒髪、黒瞳の20歳前後の汚らしい男が
写っていた。あんまり趣味じゃないが、なんとか我慢して、俺自身をそいつとうり二つ
の顔に変貌させようとした。それぐらいの呪力は残っていたらしい。一発で変貌でき
た。それが今の俺の顔だ。今で言うと俺は美青年と言うものらしい。
 
 その後、腹が減ったので、汚らしいものの中に入った。後で教えてもらったが屋台と
いうものだったのだな。宝石とか金目のものは一切持っていなかったが、なんとか持っ
ている紙幣を数枚見せて、そいつらの餌を買おうとした。ところが、屋台の爺ぃは俺の
持っているものを見ながら馬鹿にした顔でおにいちゃん玩具のお札を出したら駄目だよ
ってにっと笑いやがる。そうだ俺の元の次元とここの次元は紙幣がまったく違ってやが
ったんだ。俺はエルフ族、最大の王族の王子様から一文無しのおにいちゃんに超格下げ
になっちまったのだよ。
 
 呪力を使って、何かそいつらの餌を出そうとしても出てこない。どうやら別次元の移
動と顔の変貌ですべての呪力を使い切ってしまったらしい。それから丸一週間、そこら
の水だけ飲んで、何も食べるものがなかった。俺はふらふらでどこをどう歩いたかまっ
たく覚えていない。さ迷える生きたゾンビ状態だった。倒れてのたれ死んでもおかしく
なかった。俺は気が遠くなり眠りについた。
 
 俺は次に気がつくと汚らしい布の中で寝ていた。汚らしい若い女が俺の顔をじっと見
ていた。あ、俺を見て、気がついたのねと笑いやがった。それで俺は起き上がって女が
得体の知れない汚らしいものが2種類出してきたので、こいつらの餌だと思って、味もわ
からずがつがつ夢中になって食った。それでも腹はすいている。女はそれを見てもう一
杯出した。それもがつがつ夢中で食った。何度も食った。後で女が言うところによれ
ば、俺は白ご飯を五杯、味噌汁を五杯食っては飲んでまた寝たらしい。その後、一週間
同じような状態が続いたらしい。俺はそこまで体力&呪力が落ちてのだろうね。
 
 その後、なんとか体力は復活したが、まだ呪力は復活できてなかった。それで俺は頼
るところがないと言うと、汚らしい女は考えた風に少し首をかしげて、私のところにし
ばらく泊まりなさいと言いやがった。他に考えがなかったので、妥協することにした。
そのうち、汚らしい女は女のもっとも汚らしいものの中に俺のもっとも大事なものをは
めやがったのだよ。俺は聖なる液体を女の汚らしい場所に放出するしかなかった。つま
り女は俺の童貞を奪ったということだ。その女が後で言うには俺のことを童貞とは思わ
なかったらしい。俺は物凄いテクニックの持ち主で翻弄されて狂いかかったと笑ってい
たよ。その時俺は女の奴隷となって飼われることがきまった。つまり俺は女のヒモにな
ってしまったということだ。毎夜女の求めに応じて、俺は聖なる液体を女の中に放出す
るしかなかった。
 
 後で女が言うところによれば、俺が生き倒れているのを見たとき、神様が赤い糸で結
んでいるような運命的な出会いを感じたらしい。それでほっとけなくて俺を自分の家に
連れて行ったらしい。女は可哀想に両親ともなくして一人暮らしだったから、誰か話し
相手が欲しかったのもあったらしい。やがて女は俺の妻になった。
 
 その後女は腹が少しふくらみをおびてきた。つまり俺の聖なる液と女の中のものとが
あわさって、胎児ができたらしい。人間の女ってそんなに子供ができやすい身体になっ
ているのか。エルフ族の俺には理解できないことだし、それを聞いて慌てた。女の腹か
らどんな赤子が出てくるかわからない。俺は医者に無理言って妻の出産に立ち合わせて
もらうことにした。俺の読みは当たっていた。そこで女から出たものはエルフ族の特徴
をほとんどそなえていた。俺は誰にもばれないよう急いで変貌の呪力をかけた。その頃
はなんとか変貌の呪力ぐらいは使えるようになっていたからな。それでなんとか人間の
赤子に見えるようになった。
 
 その赤子は生まれてまもなく俺と妻が育てることになった。俺は最初何をやったらい
いのか戸惑っていたら、なんとかできるようになった。それがなんと楽しくなってきた
のだな。赤子が大きくなると楽しくて楽しくてたまらなくなってきたのだな。後でそれ
が子育てというものだとわかった。
 
 それと同時にこの次元を見る目が変わっていった。俺は変わったのじゃない。赤子を
愛することで、赤子自身が呪力を使わずに俺の次元を見る目を汚らしいものから素晴ら
しいものに変えていったのだった。
 
 赤子はすくすくと大きくなり、今は10歳の黒髪、黒目の美しい少年になった。変貌の
呪いを使わなかったら銀髪、凄まじいまでの美貌を持っているエルフ族の俺に似ている
と思う。事実こいつはすべての全教科最高の評価を受けている。頭は俺に似たのだろう
と思った。

 「おとうさん、ネズミ王国楽しみだね」と息子は言った。俺は寂しく「ああ、そうだ
ね」と笑いかけた。
 
 実はな、これ最後の家族サービスで俺が計画したんだ。俺エルフ族だろ。エルフ族は2
0歳から普通に成長して、そのままほとんど成長が止まって後1000年ぐらい「しか」生き
られないのだ。俺の姿は20歳から変わっていない。妻は何かおかしいと思っているらし
い。俺はここから去らないといけないのだ。
 
 そして俺は最大の王族の王子様だろ。王位を継がないといけない使命まで持ってい
る。もう次元への移動もできるだけの呪力も数年前に戻っている。
 
 でも、戻らなかった。こいつが10歳まで俺の言うことがわかる年まで待っていたん
だ。それにこいつ、呪法が使える年齢になっている。ねずみ王国に帰ってから、俺のこ
とや呪法の使い方、特にこの次元の人間に悟られないように注意することを一番先に言
うことを決めている。ただ呪法はただ一つを除いて徹底的に教え込むつもりだ。俺がこ
いつに考えている未来の計画まで打ちあけるつもりなんだ。こいつはその話を聞いてか
なり動揺するだろうが、俺もそろそろ限界だし、こいつも理解できる年齢になっている
し頭もいいからたぶん大丈夫と踏んだんだ。
 
 未来の計画はできるかわからないが、やってみようと思っている。こいつもエルフ族
の血を引いているだろ。たぶん20歳ぐらいで成長がとまるははずだ。この次元でいい女
捕まえて、夫婦にさせて、子供は一人限定で子育ての楽しさを教えさせてやりたいと思
っている。一人以上増えたら俺の計画が頓挫してしまう。それでこいつの子が生まれた
ら俺がやってきて、またこいつの子に変貌の呪いを変える。こいつにも変貌の呪いぐら
いの呪力を持てると思うがわざと教えない。実のところ、こいつにも会いたいし、孫に
も会いたいのさ。俺の妻にはあえないのは少し残念だな。それに妻やこいつに俺がいな
くなる償いをしようかと思っている。俺は王族の王子様だよ。妻と息子が一生働かなく
ても遊べるだけの貴重なものをこの次元で選んで持ってこれるし、こいつが30歳になっ
たら俺みたいに家族サービスさせて、出ていかないといけないことを教える。それに呪
力も寿命も俺の半分しかないから、次元を移動する呪法も使えない。だからこの次元限
定で放浪の旅をしないといけない。そのためには一生遊べるだけのものも持ってこない
といけない。
 
 それに孫が成長して子供を産んだら俺がまたやってきて、変貌の呪いをかける。そし
て俺はしばらく次元を超える呪力はなくなるから復活できるまで目の前の息子と一緒に
この次元で放浪の旅にでる。そして永遠に、子孫たちには同じことをさせる。次第に俺
の血は薄くなり、おそらく五代目以降は、この次元の普通の子供と同じ姿で生まれてく
ると思う。そうしたら、俺の役目は終りを迎える。 
 それと俺もう一つ悪いことをしている。俺実は妻に内緒で浮気をしているのだ。転生
の女神と夢の中であれをやったことがあるんだ。そのときは俺は精神的なものになって
姿形はエルフ族のままなんだ。つまり、銀髪、凄まじいまでの美貌を持っている上に、
あっちも俺は物凄いテクニックの持ち主だとわかったから、その力を全力で使って、転
生の女神も翻弄されたあげく狂わす寸前まで追いつめた。転生の女神に命じて、強制的
にこの次元の俺の直系の子孫をみな男にさせた。彼らが死を迎えたら、転生の女神が一
時的に魂を保存させて、俺の子孫の男たちをランダムにエルフ族の王族の俺の息子や娘
にさせてチート転生させることになった。ただその度に転生の女神はあれをやらないと
駄目だからとごねたのだから仕方がないやるよ。
 
 チート転生の一つで妻の美しい魂をもち美貌のエルフ族の別の王族になった娘を俺の
后に選ぼうと思っている。長寿のエルフ族同士だからなかなか子供はできないけど、俺
の聖なる液体を后の一番美しい場所に毎夜送りこむよ。そしたら50年か100年に一度ぐら
いまぐれで体内で受胎する。そのとき転生の女神が俺の子孫の一時的に保存しておいた
魂をすかさず、胎児の形になる前に放り込む。今の俺の妻は理解できないだろうからこ
の計画は内緒にしておくよ。
 
 まあ、これは俺が生きている限り今考えたことを続けるつもりなんだけどね。
 
 「あ、おとうさん、次の駅で降りることになるよ」エルフ族の最大の王族の王子の壮
大な1000年計画を知らないまま、黒髪、黒瞳の10歳の美少年は、黒髪、黒瞳の20歳から
同じ姿のままでいる美青年に無邪気に笑いながら声をかけた。
 
 美青年と美青年の妻は美少年の声を聞いて旅行かばんを手に持って、座席から席を立
ち、新幹線に出入り口に向かっていった。




#465/549 ●短編
★タイトル (XVB     )  19/03/31  09:02  (157)
ディック世界>ゼンマイ仕掛け $フィン
★内容
その一

 少女は中学校に行くために家から扉を開けるとちょうど隣人が何かを持って捨てに行
くところに出くわした。
「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
隣人はゼンマイ仕掛けだった。ただ個性があるらしく全身黄色い色をしていた。
少女は気にすることもなく制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触って
普通に学校に出かけて行った。
中学校に行く途中でいろいろな人にあった。全身ピンク色のゼンマイ仕掛けは白いエプ
ロンをしていた。全身緑色のゼンマイ仕掛けはスーツケースを持って忙しそうに歩いて
いた。全身茶色のゼンマイ仕掛けのよたよたと歩いていた。
それぞれ多種のゼンマイ仕掛けたちは、少女にはみんな知り合いでごく普通に笑顔で挨
拶していた。
中学校の生徒でも同じようにいろいろなものがいた。彼らはみんな同級生であり、授業
中に騒ぎ少し先生を困らすために全身若緑色のゼンマイ仕掛けはどこからか水を持って
きて先生にかけたりしていた。全身真っ赤のゼンマイ仕掛けは口から赤い燃えるような
言葉をはいて、気に入らない子を苛め抜くものもいたが、少女は気にすることもなく、
授業を受け、全身真っ赤なゼンマイ仕掛けから燃えるような言葉を聞くのが嫌いだった
のであえて避けていた。
 少女はどんな姿であるにもかかわらず比較的大人しい優しいゼンマイ仕掛けの女の子
たちの仲間に入り、一緒におしゃべりをし、机を並べては楽しんでいた。
 そして午後の授業がはじまり、授業を受け、授業が終わり、学生かばんを持って家に
帰るのが少女にとってごく平凡な日常を送ってごく普通の幸せを毎日感じていた。
 そんなある日、少女のごく普通の日常が一変した。きっかけは差出人不明の家のポス
トに入っていたものだった。ポストから出して、中身を開けると記録媒体がが入ってい
た。少女は好奇心でその記録媒体を見た。それは白黒に写り、かなり古いもののよう
で、画像も荒く、非常に見にくいものだったが、男の人が扉を開けるのがなんとなくわ
かる映像だった。
 その後すぐ少女の住む家の玄関の扉に大きな音でどんどんと叩く音が聞こえ、少女は
父親は会社に行って、母親も買い物に出かけていて、少女一人しかいなかった。少女は
誰も頼るものもなく恐怖で震えた。少女は玄関の扉を開けることがないようにすべての
あるだけの鍵をかけたが、外には大勢の人がいたようで扉はあっけなく破壊された。
 そこで少女が見たものは二、三人の男たちと一人の女の人だけだった。
 少女を怖がらせないために女の人は「あなたにして欲しいことがあるの」と優しく言
った。
 ところがその言葉を聞いたとたん少女は今までにない恐怖を感じた。
 恐怖に震えながらも、少女は「どんなことをしたらいいの」とそれだけ聞くのが精一
杯だった。
「それは今はまだ教えられない」更に優しい声で女の人は言った。
「それをしてくれたら、私が一番大切にしていたものをあげる」女の人は豪華な金や銀
で飾られた紫色のランプを少女に見せた。
 少女はそれを見ても欲しがろうとせず、三人の男と特に中心にいる女の人から遠ざか
ろうとして、逃げようとした。
 逃げようとした少女に三人の男がいっせいに掴みかかる。少女は必死で抵抗して、男
たちの手や足を?み、彼らの一瞬の隙をついて逃げ出した。
 その後少女は彼らに捕まらないためにいろいろなところに逃げた。近所から離れて今
まで行ったことのない酒場や教会、浜辺や小高い丘や氷河か残っている山脈まで逃げ
た。
 少女は思いつく限りの至るところに逃げ、逃げて、逃げて必死だった。それでも彼ら
は執拗にやってきて、少女の近くにやってくるような気がした。もう少女は頭をかきむ
しりパニック状態になりながらも逃げた。
 そして最後に少女が到着したところはいたって平凡な短い草しか生えていない空き地
だった。そこに一枚の鉄の頑丈そうな白い扉がぽっかり宙に浮かんでいた。
 そして少女はこの扉を開ければ彼らから完全に逃げられる唯一の方法だと知った。
 少女は扉ののぶに手をかけた。鉄の頑丈そうな扉は見掛けとは違って簡単に力を入れ
るとあっさりと扉が開いた。
 そのとたん、世界は急に姿を変えた。彼女は強烈な何か見えないものの力で押された
ように、少女は押し戻された。
 今まで行ったところすべてが目に見えないぐらいの速さでひきもどされ同時に少女の
時間も逆流された。少女はその間恐怖で声に出すことすらできずにいた。
 少女の時間がとまり、気がつくと少女は家の玄関の前に立っていた。少女は玄関の扉
を開けた。
 そこにはちょうど隣人が生ごみを持って捨てに行くところだった。
 「おはようございます」少女は隣人に挨拶した。
 隣人は少し頭の剥げたごく平凡な中年男だった。
 少女は制服のリボンが少しずれていることに気づいて、少し触りながら、少女の部屋
にある豪華な金や銀で飾られた紫色のランプがあるのを不思議に思った。昨日までなか
ったはずなのに、家族の誰かが少女を驚かそうとちゃっめけを起こして置いたものだろ
うと思うとくすりと笑った。
 少女はリボンをなおし終わるといつものように普通に学校に出かけて行った。

その二

ぼくは黄昏島にある全寮制の私立黄昏中学の2年生。
 それは最初はどこでもある昼下がり給食後の女子トイレの中で起こったらしい。ぼく
は男子だから入れないが、その場所がすべての始りであったという噂だ。
「きゃあ」ポニーテールが似合う今日子ちゃんが濡れたハンカチを握りしめながらトイ
レの洗面台の中を呆然と見つめている。
「今日子どうしたの?」近くにいた女の子たちが悲鳴を聞いて近づいてきた。
「ううん、なんでもないの」今日子ちゃんは蒼白の顔をして、洗面台に落ちていたもの
をみんなから隠すようにしながら拾った。だけどもそれは運悪く女の子たちに目撃され
てしまった。それは血が一滴も出ていない小指だったのだ。
 噂はぱっと広がり今日子ちゃんはまわりのものから気味悪がられ、仲のよかった友人
たちまで遠巻きに見るようになった。それから後も今日子ちゃんの異変は続き、不意に
指をぽろりと床に落としたり、さらには席を立った後机の上に腕がまるごと残っていた
りした。けれどその学期が終わる頃には今日子ちゃんはもうクラスメートたちから仲間
外れにされることはなかった。なぜなら今日子ちゃん以外にも、ちょっとした拍子に手
足などの身体の一部分を落としてしまう女の子たちがではじめたのだった。そしてそれ
はやがて男の子、教師……それからこの島の人間すべてに伝染していった。
 最初はこの無気味で奇怪な伝染病の発生に学校関係者や島民たちはほとんどパニック
を起こしそうになった。しかし日毎に感染者が増え、ほとんどの者がその異変を体験し
てしまうと恐慌は不思議なことに急速におさまっていった。人々は身体の一部が離れて
しまうことに無頓着になり、しまいには乳児の歯が抜けおちるぐらいの日常茶飯事とな
った。そしてむしろその異変を便利に思うようにさえなっていった。例えば身体の悪い
部分だけを病院にあずけて残りは普通の暮らしすることができたりするのだから。
 しかしそんな奇妙で平穏な島の日常も、他ならぬこのぼくが図工の授業中ふとしたは
ずみで自分の手を切ったことから破られた。ぼくの指からぽたぽたと赤い血が工作キッ
トの上に落ちたのだった。
「きゃ! 血よ。気持ち悪……」「汚ねえ!」「なんだこいつ?」
 たちまち教室中が騒然となり、ぼくはその場から走って逃げ自分の部屋にかけこんで
隠れた。そう、いつの間にか人間たちは内面まですっかりゼンマイ仕掛けの人形のよう
な存在に変わっていたのだった。身体がすべて秩序正しく区分された部品から成りたっ
ている彼らから見ればぼくは薄気味の悪い血肉を詰め込んだ得体の知れない皮袋のよう
に見えたに違いない。そして、そんな気持ちはぼくにもとてもよくわかる。だからこ
そ、ぼくもみんなと同じように早く自分の指が落ちないかと願っていたのだ。でも残念
ながらぼくは今だに血肉の溜まった皮袋のままだ。
 ああ、清潔な白い洗面台の中に転がっている今日子ちゃんのピンクががった可愛いら
しい小指! ……それにひきかえぼくの指はごりごりとした骨と血肉を包み込んだうぶ
毛の生えた腸詰めじゃないか!
 ドンドンドンバリバリバリ、ゼンマイ人間たちが部屋の扉を蹴破って汚物処理をはじ
めようとしている。耐え切れない不潔さは憎悪の対象になるようだ。
 ぼくは窓から海にこの手紙が入ったボトルを投げるつもりだ。拾ったあなたのまわり
の人間が指を落しはじめたらゼンマイ仕掛けの世界が近づいている証拠だから気をつけ
なさい。さっさと逃げるか、それともひたすら自分もゼンマイ人形になることを願うか
…いずれにしても早めに決めたほうがいい。
 部屋の扉が壊されていく。もう最後だ。たぶんぼくは糞便が入っている汚物タンクに
沈められてしまうだろう。さようなら…

その三

男は変な思いにとりつかれていた。
 世の中すべてがゼンマイ仕掛けで動いているように思えて仕方がないのである。男自
身でさえも、ゼンマイ仕掛けでできているのではないかと毎日思い悩んでいた。
 男の住んでいる所は白い建物の中、何人かの人間と一緒に仕事をしている。まわりの
者に不安な心の内を話をしていても、気のせいだと言って、適当に相槌を打つだけで相
手にしてくれない。仕方がないので、毎日医者から薬を貰っている。人の話を聞いた
り、薬を飲んでも、男は体がゼンマイでできているという思いは深まっていくばかりだ
った。
 一年、二年と白い建物の中での平穏な生活は続いていく。そして血色のよい皮膚の下
には血液を流すプラスチックの管が縦横に通っている。有機質の代わりに無機質のゼン
マイが大量に積め込まれているとまわりの人間に話すのである。まわりの人間は話しを
聞くことを嫌がった。男は1度話しだすと、相手が何を言おうと疲れて寝てしまうま
で、延々と何時間でも続けるのである。そのため男は白い建物の中では浮いた存在にな
ってしまっていた。
 あるとき、男は人を殺すことを決心した。殺すことで、男の体はゼンマイ仕掛けでで
きているのか、血のかよった人間かの問いに何らかの答えが出ると思ったのだ。それに
今のままでは男は狂いそうだったのである。
 まず、男は作業所においてあるナイフを手に入れた。それを大事に自室に隠した。
 男は若い人間はまだ将来があるから止めにした。それから同年輩の人間も力で負ける
かもしれないから止めにした。そして男は昔からいる老人を標的に決めた。老人はいつ
も古めかしい本を小わきに抱えている。中には何が書かれているのかわからない。若く
ても同年輩の人間でもよかったのだ。老人が白い建物にいたからこそ人間を殺す計画を
立てたのである。男女の間柄に恋わずらいという言葉があるが、男は老人に殺人わずら
いしていたのだった。
 老人は人間の代表であると男は感じていた。こいつを殺してしまえば今人間の格好を
している者すべてはゼンマイ仕掛けか本当の人間か知ることができると夢想するように
なっていた。
 こうして、男は手に入れたナイフで老人を殺し、老人は動かなくなった。老人は最後
に安堵の笑みを浮べたように男には見えた。それも確認する暇はなく、ピーピーとカン
高い笛の音で男はまわりの人に取り押さえられて独房に入れられてしまった。
 男は満ち足りた気分だった。老人は人間だった。つまり男もゼンマイ仕掛けではない
とわかったのである。老人を殺してようやく安堵の微笑みを浮べることができた。
 しかし、その微笑みも長くは続かなかった。男は独房の中で、老人が持っていた古ぼ
けた本を見たのである。それは老人の日記だった。それには「私は最後の人間である。
どうしても寂しくて仕方がないので、ゼンマイ仕掛けの人間を作り、感情を持たせ、白
い建物の中で一緒に働いている」と書かれていた。





#466/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/04/11  19:59  (197)
お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香
★内容
 地天馬鋭は額に片手を宛がい、ため息を一つついた。
「相羽君が困って持ち込むほどだから、一体どんな難事件の依頼かと思いきや」
 机越しに向けた視線の先、少し離れた位置で相羽信一が応接用のソファにちょんと引
っ掛かるように浅く腰掛け、背を丸め気味にしている。
 ここは地天馬の探偵事務所。あいにくと“私”が留守の時ときの出来事なので、又聞
きになるが、土曜の午後に知り合いで学生の相羽君がやって来た。
「僕はあるときから事件の選り好みをしないように心掛けているが、この件は受けられ
ないな」
「でも」
 相羽が背筋を伸ばし、手に握りしめた携帯端末を指先で軽く叩く。
「これを読んだ僕が、動揺するのは道理だと思いませんか」
 相羽宛てに届いた電子メールのことだ。ほんの三分ほど前に地天馬も見た。
 そこにはこうあった。

<“ぼくはきみだけはゆるせない”

  時は濁りを取り、三毛は分を弁えて小さくなる

35 10 26 41 3 59 0 42 34 45 2 27 22>

 これだけなら絶縁宣言か脅迫かいたずらかと、あれこれ選択肢が考えられそうだが、
そういう想定は必要ないと地天馬は判断を下していた。
 決め手となるポイントは差出人である。
「分かるよ。恋人からそんな文面を送り付けられたのなら、動揺してもおかしくない」
 相羽にこのメールを送ってきたのは恋人で、同じく学生の涼原純子。
「でしたら――」
 気持ちが分かるのであれば依頼を引き受けてください、と言わんばかりに勢いよく腰
を上げた相羽。その動作を手で制する地天馬。
「いや、だからこそ、だよ。僕は会った回数こそ多くはないが、君と涼原さんがどれほ
ど信頼し合っているかを充分に把握している。そこから導き出される結論は単純明快
だ。つまり――ありえない」
 地天馬はスケジュール帳を確認した。他に依頼の予約はなかったかと念のために見て
みたのだが、記憶していた通り、何もなかった。話を続ける。
「あの涼原さんは、相羽君にこんなメールを送らない。いたずら・ジョークめかしたク
イズの類か、そうでないなら間違いだよ。それでおしまい」
「も、もちろん、僕もそう考えました。いかにもな注釈と数字が続いて書いてあります
から。でも、まず、間違いとは考えにくいんです。今のじゅ、涼原さんは名簿にほとん
どデータを入れていない。落としたりなくしたりして、拾った誰かに悪用されたときに
迷惑が掛かるのを最小限にするためだって。家族と極々近しい人物しか登録していな
い。だから、間違えたという可能性は除外」
 それだけの根拠で間違いの可能性を除外というのは些か乱暴だと思った地天馬だが、
敢えてスルーした。
「ジョークならそれと分かるように送るものでしょう? 注釈と数字があるとは言え、
これじゃあセンスの悪い単なる嘘ですよ」
「いやいや、少なくとも本気でないのは明白じゃないかな。『ぼく』と使っている」
 地天馬の指摘に相羽は曖昧に頷いた。
「それはそうなんですが……涼原さんは男役もやるので、その癖が出たのかも」
「は! そんな低い、それこそ絶対になさそうなわずかな可能性を心配しているのか
い。恋は盲目とはよく言ったものだね。ああ、このケースは逆になるのかな。色々と見
えすぎて、余計な幻まで生み出してしまっている」
「真剣に悩んでいます」
 故意にテンションを上げた喋りをしてみせた地天馬に対し、相羽は静かに反応した。
「言い方を変えます。改めて断るまでもなく、僕は涼原さんを信じています。それ故
に、こんなメールが送られてきたことは、不可解でなりません。別の言い方をするな
ら、途轍もなく強力な謎です。この謎を解き明かしてもらえませんか?」
「――分かった。相羽君にとっては大きな謎なのだ。うん、理解した。引き受けるとし
よう」
 地天馬が請け負うと、相羽の表情は見る間に落ち着き、明るくなった。
「ありがとうございます」
 頭を下げる相羽の前まで出て行くと、地天馬は質問した。
「取り掛かる前に疑問がある。彼女に直接聞くというのではだめなのかい?」
「それが昨日の夕方から涼原さん、撮影とレポートの仕事で船の上の人なんです。大型
クルーズ客船の」
 涼原純子はモデルなど芸能関係の仕事をこなす、れっきとしたプロでもある。
「もしかすると、ネット環境にないのか」
「はい。正確には、船側からなら、別料金を払って船の設備を使うことで、ネットにア
クセスできるようです。こちらからはどうしようもありません」
「問題のメールが送られてきたのはいつになってる?」
「午後五時二十九分。船の出港予定時刻の三十分後ぐらいです。岸を離れてしばらくす
ると、つながらなくなるみたいなんですよね。だから、このメール変だぞと思って聞き
返そうとしたときには、もう遅かったという」
「なるほど。次にネットがつながりそうな時刻は分かっているのかな」
「明日の朝九時に着岸予定ですから、その前後になると思います。二泊三日の無寄港ク
ルーズで、今日は丸一日つながらない」
「……五時二十九分何秒に着信したか、秒単位まで分かるかい?」
「ええ。五十五秒になっていますが」
「なるほど。涼原さんは焦っていたのかもしれない。五時半までに、いや、五時二十九
分台に送る必要があったが、ウェルカムパーティやら出港イベントやらで、思わぬ時間
を取った。それでぎりぎりになってしまい、もしかするとこのメール、最後の一文が抜
けた可能性がある」
「え? どんな一文なんでしょう?」
「正確な文言は分からないが、意味は一択だ。この暗号を解いて、だろうね」
「暗号なのは大体想像が付きますよ。最初に言いましたように、ジョークの一種みたい
なもので」
 不満げに唇を尖らせる相羽。地天馬はたしなめた。
「着目するポイントはそこじゃない。さっき言った二十九分に送る必要があったという
推測だ。言い換えるなら、メールの着信時刻こそ、暗号解読の鍵となる」
「……あ。僕も分かった来たかもしれません」
「そりゃいい。ぜひとも、解いてみてくれるかな」
「はい……濁りは濁音、三毛は『み』と『け』の文字をそれぞれ指し示していると仮定
します」
 相羽の手が物を書くときの仕種をしたので、地天馬は紙とペンを用意して渡した。渡
した方、受け取った方、ともにローテーブルを挟んでソファに座る。
「すみません。――“ぼくはきみだけはゆるせない”は十三文字。羅列された数も十三
個書いてあるので、文字に数を前から順番に対応させる。
 濁音は『ぼ』と『だ』。時は……メールの着信時刻の時間の方だろうから5。いや、
違うな。多分、二十四時間表記だ。つまり17。この値を『ぼ』と『だ』に対応する
数、35と59に……『取り』という言葉を使っているくらいだから、マイナスするで
しょうか。そう仮定するなら、『ぼ』18、『だ』42。
 もう一方のグループである『み』と『け』に対応するのは、当然、メール着信時刻の
分、29になる。『分を弁え』とあるのは、29を弁える……弁えるの意味は、区別す
ることと解釈すれば、マイナスか」
「分けることは必ずしもマイナスではないんじゃないかな。強いて加減乗除で言うな
ら、除算、割る行為だと思うね」
 地天馬の意見を入れて、相羽はさらに推測を重ねる。
「だったら他の意味……数に絡めて解釈できそうなのは、つぐなう、調達する、辺りで
しょうか。これなら29を加えることに通じる。よって『み』の3は32になり、『
け』の0は29に。――あ。純子ちゃんが二十九分に送信したかったのは、それを過ぎ
ると『け』に最初対応させる数が0ではなく、マイナスになってしまうから?」
「同感だ。僕はそこから逆に考えて、弁えるは加算だと推定した」
 地天馬が喋る間に相羽はペンを走らせ、濁点を取った十三の文字と、新たに浮かび上
がった値に直した数字の列を書いた。

 ほ  く  は  き  み  た  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  1 27 22

「素直にシンプルに想像すると、対応する数の分だけ、文字をずらすんだと思います。
濁音のある字をなくしたことから、五十音表を用いるのかな。実際は『ん』を含めた四
十六文字の」
「いろはにほへとではだめかい」
 少々意地悪げな笑みを作った地天馬。相羽は小さく肩をすくめた。
「分かりません。ここまで来たら、試行錯誤あるのみですよ。とりあえず、数の分だ
け、前方向にずらしてみます。18だったら18文字先の文字にスライドさせる。『
ほ』を起点に18文字先は……最後まで来たら、頭に戻って『い』だ」
 同じ要領で、順次、文字を置き換えていく。そうして最後までやり通したとき、相羽
は微かに頬を赤くした。
「おや、これはこれは。いたずらどころか、ラブレターだったとはね」
 わざとらしく驚いてみせた地天馬。最初から分かっていた答を前に、芝居がかるのは
仕方がない。

 ぼ  く  は  き  み  だ  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  2 27 22
 い  つ  か  い  つ  し  よ  に  の  り  た  い  ね

「えーっと! 『み』『け』それぞれに対応する『つ』と『よ』は『分を弁えて小さく
なる』のだから、促音、拗音に変換しなくちゃいけませんね。よし、これで完成。『い
つか一緒に乗りたいね』だったんだ」
 大人からの冷やかしをシャットアウトしたいのか、相羽は声を大きくし、手も大げさ
に叩く。しかし地天馬は、違うところから一つの指摘をした。
「解けてすっきりしたのは結構なことだが、まだ残っているだろう、謎は」
「え?」
「この方式の暗号なら、数さえ変えれば、元の言葉は何にでもできる」
「確かにそうですね。あ、そうか。だったらどうして純子ちゃんは元の文章を、“ぼく
はきみだけはゆるせない”にしたんだろう……」

             *           *

 これといった解答を決められなかったため、相羽は本人に直接聞くことにした。
 日曜の朝、Y港に戻って来るのを迎えに行ってもよかったのだけれども、純子の方が
下船後も仕事の関係で多少時間を取られるであろうことは、最初から分かっていた。そ
れなら自宅にいて(いなくても大丈夫だけど)電話を待つ方が多分確実。
 いよいよとなったら、時間を見計らってこちらから掛けてみればいいんだし……と思
った矢先、お目当ての電話が掛かってきた。八時半、入港予定の三十分ほど前だ。
「――おはよう。無事に到着と思っていいのかな」
 自分達の推理が当たっているとしたら、向こうはきっと大慌ての焦った調子で第一声
を上げるはず。そんな考えから機先を制し、落ち着いてもらおうとした。
「あ、おはようっ。相羽君ごめんなさい!」
 たいして効果があったとは言えないようだ。
「何、いきなり謝るなんて」
「メールよ、メール。二日前、おかしなのが行ってるでしょ?」
「うん、来た来た。びっくりした」
「ほんとにごめん! あれは最後にこの文章を解読してねっていう言葉を付けるつもり
が、忘れてしまって。乗ってすぐに、予想以上に楽しかったものだから、ついぎりぎり
になって」
「楽しんで仕事ができたのなら、何よりです」
「うう、怒ってない?」
「全然。ただただ驚いたけど、ある人のところに相談に行って、解決してたから。安心
していいよ」
「ある人? 解決って、もう解いてるのね?」
「うん。いつか一緒に行こう」
「――よかった」
 安堵感が電話越しでもようく伝わってきた。相羽は笑いをこらえつつ、自分にとって
の本題に入ることにした。
「でも、一つだけ、分からないことがあるんだ」
「ええ? 何?」
 純子の声が再び不安を帯びる。相羽は急いで続けた。
「その、元の文が、どうしてあんなどっきりさせるようなものなのかなって。『ぼくは
きみだけはゆるせない』にしなくても、穏便に『おみやげたのしみにまってて』とか、
びっくりさせたいなら『ながすくじらとぶつかったわ』とか、十三文字なら何でもいい
でしょ」
「あ、そこ? 相羽君の気持ちを想像して、あれこれ考えていたら、あんな言葉になっ
ちゃった」
 純子の口調から緊張が緩み、代わりにいたずらげな響きが滲む。
「僕の気持ちって……分かんないな。君だけは許せないだなんて、全く思ってない」
「だいぶ省略してるから」
「うーん……」
「この仕事の話が来たって相羽君に言ったとき、『僕も行ってみたいな』って呟いてた
じゃない?」
「それは覚えてる」
 覚えているが、何の関係があるのやら。
「だからね、『相羽君は私一人だけがクルーズ船に乗るのを許したくない』んじゃない
かしらと思って。そこから十三文字にするために色々削って、置き換えて、『ぼくはき
みだけはゆるせない』になったの」
「……」
 省略しすぎだ。

――『そばいる番外編 僕は君だけは許せない』おわり




#467/549 ●短編
★タイトル (sab     )  19/04/19  20:26  (190)
お題>僕は君だけは許せない     HBJ
★内容
荻野「お前、理香子だけは許せないんだろう?」
小林「許せないというか、どうしてあんな間違いを犯したかって感じなんだけど」
荻野「一体誰と浮気したんだ?」
小林「そんなの分かってりゃあ、自分で相手の男に文句を言いに行くよ」
荻野「じゃあなんで浮気したって分かった?」
小林「クラスの女子が話しているのを聞いちゃったんだよ。ラブホから出てくるのを
見た、って」
荻野「ふーん。で、どうしたいわけ?」
小林「つーか、お前、いやに心配してくれるんだな。何でだ?」
荻野「そりゃあ、君も理香子も俺んちの産婦人科で産まれたからな」
小林「ああ、そっかー。そういえば、お前、教壇に立って「このクラスの女子の半分は
俺んちで生まれた」とかとんでもないセクハラをやってのけたよな」
荻野「特に君と理香子は産まれる時おんなじ病室だったしなぁ。俺も誕生日が
近かったんだけれども。とにかくそんな感じで、産婦人科医といえば親も同然だから
親身になる訳だよ。で、理香子をどうしたいんだ?」
小林「まぁ俺は、分かってもらいたい、っていうか、反省してもらいたい、っていう
か、
自分から気が付いてもらいたいって感じなんだが」
荻野「って事は理香子が自分から恥じ入る様になればいいってこと?」
小林「まあ、そうだな」
荻野「だったら、理香子がお前に誓った愛の言葉をsnsに晒しちゃうとか。
そうすりゃあ恥ずかしくなって自殺するんじゃないの?」
小林「そんなのリベンジポルノじゃないか。そういうミステリーがあった気もするけ
ど、
そんな卑劣な真似はしたくないよ。っていうか、向こうから気が付いてくれれば
いいんだけど」
荻野「自分の手は汚したくない、って感じか」
小林「そういう訳じゃあないけど」
荻野「でもそういう方法もあるんだぜ。自分は全く手を汚さないで相手を始末する方法
が」
小林「そんなの望んでいないけれど…、参考までに聞いてみたい」
荻野「誰かが見た瞬間に死ぬ、っていうのがあるんだよ。
お前、シュレディンガーって知っている?」
小林「シュレディンガー?」
荻野「ああ。有名な量子力学の物理学者なんだが。「シュレディンガーの猫」
という実験があって、箱の中に猫がいて誰かが見た瞬間に50%の確率で死ぬ
というのがあるんだよ。つまり理香子が誰かに見られた瞬間に50%の確率で死ぬ」
小林「死なんて望んでいないけれども、そんな事がどうして可能なんだ?」
荻野「それはなあ…。その前に、お前はどういう感じで憎んでいるの? 
愛や憎しみにも色々あるあろう。直接相手と向き合っていて相手が気に入らない、
というのもあれば、天の摂理を実現しようとしているのに相手がそれに背いているから
気に入らないというのもあるし」
小林「まさにそうなんだよ。理香子が浮気したのが俺への裏切りだから気に入らない
っていうんじゃないんだよ。仏教的に言えばそんなのは”なまぐさ”同士が
向き合っていての愛憎であって…。
俺はこう思う。宇宙には原理があってこれを梵という。
そして私の中にも原理があってこれを我=仏性という。
これらは同一で、これを梵我一如という。
で、身体なんていうのは、仏性の先っぽにぶら下がっている腐った”なまぐさ”
みたいなものだろう。
だから、そんな”なまぐさ”同士の愛憎なんてどうでもいいんだよ。
俺はあくまでも梵我一如的な仏性同士の愛を裏切った、という事で怒っているんだよ
ね」
荻野「それだったら、まさに、シュレディンガー的だよ。「シュレディンガーの猫」の
量子力学的解釈は割愛するけれども、シュレディンガーも梵我一如とかの仏教思想に
影響を受けていて、
見た瞬間に死ぬっていうのは、梵我一如的に猫の仏性と観察者の仏性が天の摂理を介し
て
つながっているから可能なんだよね。
まあ実際に死ぬのは仏性じゃなくて身体の方なんだけれども、
仏教的に言えば、身体なんて仏性の先っぽにくっついている”なまぐさ”
みたいなものなんだろ? 
物理学的にもE=MC2乗、つまりエネルギー=マティリアル×光の2乗だから、
原子爆弾一発分のエネルギーをぎゅーっと圧縮すると1円玉ぐらいになる感じだから、
仏性をぎゅーっと圧縮したものが身体なんだろう? 
だから、仏性が通じ合っていれば、そこから身体に作用する事は可能だから、
見た瞬間に死ぬ、という事が可能なんだよね」
小林「死ぬって事にはならないんじゃないの? 理香子の仏性にアクセス出来たとし
て、
それで彼女が死ぬってことにはならないんじゃないの?」
荻野「いや、仏性同士が合一である事を彼女が認識すれば、
”なまぐさ”を捨てるだろう。つまり身体を捨てる、つまり死ぬだろう」
小林「そうかなあ」
荻野「死なないまでも、”なまぐさ”的な浮気よりかは、君というソウルメイト
との仏性的な愛を大切に思うだろう?」
小林「そっかー。だったら彼女の仏性と合一したいなぁ」
荻野「そうだろうそうだろう」
小林「じゃあ、どうすればいいの?」
荻野「それにはまずお前の”なまぐさ”を無くして仏性を活性化させないと。
つまり心頭滅却」
小林「具体的には?」
荻野「なんでもいいから荒行、苦行の類で身体をいじめれば仏性が活性化するよ」
小林「そっかー」

 そして彼はありとあらゆる苦行を行った。
まず断食と写経。そして冷水シャワーで滝行、バスタブで水中クンバカ。
それ以外の時間は全て座禅。
そして彼はやせ細り、即身仏寸前になり、倒れてしまった。

 さて、小林は梵我一如の理屈を信じて苦行に邁進していったのだけれども、
そんな事をしたって理香子と再会出来るとは限らない。
だって、梵我一如の理屈で言えば、理香子とは、
理香子の”なまぐさ”+理香子の仏性からなるんだろうが、
理香子を目指して自分の”なまぐさ”を殺したところで、
その場合残るのは小林の仏性なのだろうが、
それが理香子の仏性と巡り会える訳ではなく、
どこか北海道から沖縄のどこかに漂っているソウルメイトと巡り会えるだけだろう。
だいたい理香子と巡り合うとは、理香子の”なまぐさ”と小林の”なまぐさ”が
この娑婆で直に触れ合う事なんだから。

ところで、ここまで俺は梵我一如が真理であるかの様に語ってきたが、
俺は梵我一如とか仏性とか全く信じていない。
俺は”なまぐさ”しか信じていない。
人間が関わるとは、娑婆で”なまぐさ”同士が知り合うことでしかない。
産婦人科医の息子である俺に言わせれば、人間同士のまぐわいなんて
”なまぐさ”的なものでしかなく、それは犬畜生の交尾にも似ている。
 小林によれば、”なまぐさ”同士のいちゃつきなんて下劣なものであって、
人間の愛が素晴らしいのは天の梵を共有するからだ、
梵我一如があるから人間の愛は高級なのだ、との事だったが。
しかし、俺に言わせりゃ、人間のまぐわいを犬の交尾よりかちっとは
高級にしているものがあるとすれば、
それはあの理香子の姿形が…ここで初めて告白するが、
理香子の”なまぐさ”的浮気相手というのは勿論この俺なんだが
…あの理香子の姿形は丸で如来の様で、あれに精液をぶっかけるというのは
何気タブーがあるのだが、そういう後ろめたさがあるからこそ萌えるのだ。
あと、理香子は小林のソウルメイトなのにやっちゃう、
というやましさがあるから萌えるのだ。
つまりは射精したらプロラクチンが出て賢者モードになる、という事を知っているか
ら、
射精する事にわくわくする訳だな。
そうすると、小林と俺の世界観は全く逆だな。
小林は宇宙に梵という原理があるとか言っているが、
俺は全くそんな事は思わず、
宇宙の梵も理香子の如来的美しさもプロラクチンの化身、
人間のプロラクチン的不安が投影されたものに過ぎないって感じだな。
つまり、人間の不安が神を作ったって訳だ。

さあ、小林が正しいか俺が正しいか、
じっくりと理香子ちゃんとまぐわって検証してみよう。
今や小林の”なまぐさ”は風前の灯火なので、俺は自由にいくらでも楽しめるって訳
だ。
俺は青磁でできた如来像のような理香子ちゃんを近くに抱き寄せた。
荻野「さあ、理香子ちゃん、もう邪魔者はいない。たっぷりといちゃつきましょう」
理香子「止めて。もうそういう気持ちじゃないの」
荻野「何で? もしかして不貞という禁止がなくなったから
萌えなくなっちゃったのかな?」
元々色白だったけれども、文字通り透き通るような理香子を見詰めて俺は言った。
しかし理香子は宙を見上げているのみ。
荻野「ねえどうしたの? どうしてそんなに淡白なの?」
理香子「今や、私の”なまぐさ”は全部消えて、
全く仏性的な存在になってしまったのよ」
荻野「そんな馬鹿な。俺は元々”なまぐさ”しか存在しないという立場だが、
しかし仮に小林が言うみたいに”なまぐさ”と仏性があるとしたって、
小林が滅私して君の仏性にたどり着くことなんて出来ないだろう? 
君という人間にたどり着くには娑婆で”なまぐさ”同士を
こすり合わせるしかないんだから」
理香子「ところが、小林君の仏性が私の仏性に巡り会えたのよ。
何でだかわかる? あなたは忘れているの? 私と小林君は、あの日あの時、
同じ荻野産婦人科のあの分娩室で生まれたのよ。
私と小林君は生まれた時に同じ仏性が宿ったの。つまり私達はソウルメイトだったの
よ」
荻野「ええ、まさか」
俺は顔色が変わるのが分かった。青ざめていく。
理香子「あなた顔色が悪いわ。ていうか顔の肉が透き通っていって丸で
陶器で出来た像の様になっていく。
もしかしたら、これはきっとあなたの”なまぐさ”が
蒸発していっているんじゃないかしら」
俺は両手を見た。丸でガラスの様に透き通っている。
荻野「なんで俺の”なまぐさ”が蒸発しないとならないんだ。
仮に梵我一如が真理だとしても俺が蒸発するにはソウルメイトの仏性に
出会わないとならないだろう。俺はまだどの仏性とも会っていないぞ」
理香子「私がその仏性です」
荻野「どういう事だ」
理香子「あなたも私と小林君のソウルメイトなのよ。知らなかったの? 
あなたが生まれた日も私達が産まれた日と同じ日だって事」
荻野「まさか」
理香子「あなたも”なまぐさ”を失って娑婆とお別れするのよ」
俺の”なまぐさ”はどんどんと気化していった。
ドライアイスが二酸化炭素になる様に。
荻野「死にたくない」
理香子「死ぬんじゃないのよ。”なまぐさ”を捨てるだけ。
さあ、涅槃で小林君も待っているわ」

俺は更に気化していった。
意識も、ぼーっとしてきた。
如来に射精してタブーを破る様な、そういう”なまぐさ”的欲望が
消えていくのが分かる。
しかし気持ちよくもあった。
射精が溜まりに溜まった水が滝の様に噴射する快楽なら、
もっと下流のなだらかな流れが海に広がっていく様な、ゆったりとした快楽を感じる。
宇宙の周期と自分が合一する感覚だ。
そもそも宇宙と個体は一緒だった。
呼吸は打ち寄せる波の数と同じだし、
産婦人科の病室は満月の晩には満杯になるではないか…最後に俺の意識は
そんな事を思い出していた。
そして個体としての感覚は薄れていき、全体に溶け出していくのだった。
やがて俺は宇宙の一部となるのだった。

【了】





#468/549 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/05  20:10  (233)
オートマチック        HBJ
★内容

 ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

 チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
 二人は結婚したばかり。
 奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、
元夫との間に6ケ月の子供が居るのだった。
 案内されてリビング・ダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドに
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
 私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
 それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
 あたりを見回す。
 50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
 本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
 FAXの複合機が床に直置きされている。その周りにはダンボール箱が。
まだ引っ越してきたばかりなのか。
 キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。つーか通信テストシートを
送ったんだけれども返送されてこないなあ」

 佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。窓際に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
 ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」
言うと壁際に設置されているロボット掃除機を指した。
「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
 テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、汚れた服で保育園にきては異常な食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
 鬼塚は立ち上がると本棚のところに行った。
 そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて出掛けて」
 そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」



 マンション近くの喫茶店で私達は時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
 それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
 スマホが鳴った。
 噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
 ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何か事件があったみたい。
それで赤ちゃんに何か起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
 言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
 会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとかで、かなり時間を食った。



 マンションに着いた時には15分が経過していた。
 部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
 すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
 ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、その前にココの経緯を説明するのが筋でし
ょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
 全員で犬の様に鼻をくんくんと鳴らした。
「煙のニオイなんてしませんね。どこにも焦げた跡とかないし」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あそこの換気扇から排出されちゃうかな」
と動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていっちゃったんじゃ
なかろうか」
 今や、泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」いきなり
小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、みんなが居ない間にナルソックが来るか
ら、
先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。「君は今、炭酸ガスは重いから
警報機に触れないと言ったじゃないか」
「ああ、まぶしい」突然小林君は手の平で目を覆うと窓方向を見た。「なんだって
あんなにペットボトルを並べたんだろう。これじゃあ目が焼けてしまう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAX横の床を指差した。
 そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
 小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは、20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何もんかが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりが、
ちょうど虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。黒いFAX用紙が燃えきって
適当に冷めた頃、そこにあるルンバが作動して、綺麗に掃除してくれたんですよ。
そして赤ちゃんが息を引き取ってガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃に
ナルソックの隊員が駆けつけて第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が
叫んだ。「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。
どういうタイミングでFAXするのよ」
「それは、見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「なーにを言っているのかしら、このクソガキは。だいたいペットの
日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても、煙ぐらいは出しても
完全に灰にするのは難しいと思われます。だから犯人はFAX用紙に何か引火性のある
液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
 小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも、流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
 小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生が夕べメーカーに送信したものが今日になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。
…何が起こったか分かりますか? 
メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災を起こす。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。ナルソック隊員は窓を開けて換気をする。
そしてその後で佐倉先生の送信した真っ黒い紙が間抜けに排出されてきた
という訳です。それが…」
 言うと小林君は刑事にに合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXを誰がどこから送ってきたのか分かるのは時間の問題です
よ。
たとえsnsで知り合ったどこか遠くの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、先生、
情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、親が教育委員会のお偉いさんだから
じゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。
…赤ちゃんは、私の赤ちゃんはどうなったの?」
突然、子殺しをした雌ライオンが雄ライオンにふられて母性を回復した様な
展開になった。「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
 そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

 私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」
 部屋を見渡すと、太陽は更に移動して空のベビーベッドに
日だまりを作っているのであった。












#469/549 ●短編
★タイトル (sab     )  19/05/07  09:28  (213)
オートマチック【改】
★内容                                         19/05/07 09:48 修正 第2版
ミステリー本を借りに推理研顧問の鬼塚先生のマンションに行った。
「僕にぴったりの本ってなにかなあ」廊下を歩きながら小林君。
「物理トリックもの」
「じゃあ恵さんのは心理トリックかな」
「さあ」

チャイムを押すと出てきたのは家庭科の佐倉先生。
「いらっしゃい」
二人は結婚したばかり。
奥から赤ちゃんの泣き声が。でもあれは二人の子供ではなく、元夫との間に
6ケ月の子供が居るのだった。
案内されてリビングダイニングに入っていくと鬼塚先生がベビーベッドの脇に
かがみ込んでいた。
「おっ、来たな」
私達もベビーベッドを覗き込んだ。ぷにゅぷにゅの赤ちゃん。わー可愛い。
頬でもつつきたい衝動にかられるが手洗いもしていないので自粛。
それから先生に促されてリビング中央のソファに身を沈めた。
あたりを見回す。
50インチぐらいの液晶テレビにモーニングワイドが映っている。
本棚には漫画やノベルスがずらーっと。
FAXの複合機が床に直置きされている。
キッチンで佐倉先生がドリンクの用意をしていた。
「今どきFAXなんて使うんですか?」と小林君。
「PTAの中にはメールを使えない家庭もあるんだよ」鬼塚先生が座りながら。
「まだ買ったばっかで使っていないけど。
つーか通信テストシートを送ったんだけれども返送されてこないなあ」

佐倉先生がレモネードを持ってきた。
「暑いでしょう、この部屋。備付けのエアコンが故障しているのよ。
これでも飲んで涼んでね」
「へー」小林君は壁際を見渡した。出窓に並んでいるペットボトルを見て
「あれはなんなんですか」
「猫がいるのよ。窓を開けたいんだけれども赤ちゃんがミルクの匂いがするから。
夜は氷やドライアイスを洗面器に入れて寝るのよ」
ベビーベッドの周りには洗面器が転がっていた。
「色々大変ですね」
「そう。だからこれからは炊事洗濯も男女共同参画で」
「でも今は結構楽なんだよ。掃除だってあのルンバが」言うと壁際に設置されている
ロボット掃除機を指した。「あれが、時間がくれば勝手に掃除をしてくれるんだよ。
今の主婦は昔に比べれば相当楽だよ」
「あらそう?」佐倉先生は小指を立ててレモネードを飲んだ。
真っ赤なマニキュアが目立つ。
テレビのモーニングワイドでは幼児虐待のニュースをやっていた。
全身アザだらけで栄養失調、保育園では通常の数倍の食欲を見せていた、
などと司会者が伝えていた。
「なんて可哀想な事を」と佐倉先生。
「僕はこういうニュースを見ると、もう子供はあの子だけでいいって思っちゃうよ」
「そんな事、生徒の前で言わなくても」
「そういえばクリスティも子連れで再婚したんだよな。
後夫に娘を取られるんじゃないかと気にしていたかも。
『検察側の証人』などは自伝を読んでからを読むと面白いよ。
そうだ、恵さんにはクリスティの自伝を貸してあげよう」
鬼塚先生は立ち上がると本棚のところに行った。
そして私にはクリスティ、小林君には『乱れからくり』を持ってきた。
「これはほとんどオートマチックにトリックが進むんだよ。
うちの奥さんも気に入っているんだ」どうたら言っている。
「あ、もう学校に行く時間だ」と佐倉先生。「君達も登校しなさい」
「えー、1時間目休講なんですけど」
「とにかく出掛けて」
そして先生は冷蔵庫からドライアイスを出してくると、
ベビーベッドの奥の洗面器に入れた。
「じゃあねえ。1時間したら子守りがくるからねぇ」と赤ちゃんに話しかける。
「大丈夫なんですかぁ」
「うーん、一応、赤ちゃん見守りカメラもあるし。でも首振り機能がないのよね。
あれだと赤ちゃんの顔しか見えない」
※
マンション近くの喫茶店で時間を潰した。
「あの二人は上手く行くのかなぁ」と私。
「さぁ。鬼塚先生は、自分にはなんの取り柄もない、しかし女がある、
とか言っていたらしいよ」
「えー、どういうこと?」
「女を利用して出世する、みたいな」
「えー」
それから元いた女教頭との噂やら何やらを話していたらすぐに1時間経過した。
スマホが鳴った。
噂をすれば影、佐倉先生からだった。
「あなた達、今どこにいる?」
「マンション近くの喫茶店です」
「すぐに私の部屋に行ってみて。赤ちゃんが大変なの」
「えっ、何があったんですか」
「とにかく早く行ってみて」
ブツッと通話が切れた。
「小林君、大変。マンションで何かあったみたい。それで赤ちゃんに何か
起こったみたい」
「えーッ。じゃあ、僕が先に行っているから、恵さん、会計してきて」
言うと脱兎の如く出て行ってしまった。
会計をするのに、お釣りがないから細かいお金でとか言われて、かなり時間を食った。
※
小林君に15分遅れてマンションに着いた。
部屋に入っていくと刑事らしき背広の男、制服警官、ナルソックの隊員が居た。
「赤ちゃんはどうなったんですか」
「うーん」と刑事が唸った。
「まさか」
すぐに佐倉先生と鬼塚先生も着いた。
「赤ちゃんは?」
「さっき病院に搬送されたんですが、残念なお話しをしなければ」
ここまで聞いただけで佐倉先生は泣き崩れた。
「わぁぁぁ、うわぁー」
「それで、こんな時になんなんですが、先生方は今までどちらに」
「え、何か事件性でもあるんですか」
「そうではないが、事故なので事情聴取をしないと」
「私達は学校で授業をしていましたけど、
その前にココの経緯を説明するのが筋でしょ」
「20分程前に、あの天井の煙感知器が反応したんですよ」
「煙なんて出たんですか?」
「煙じゃなくても、湯気、埃、虫などでも反応するんですけど」とナルソック。
「ガスではどうですか」と小林君が言った。
「ガスでも多分」
「二酸化炭素でも?」
「多分」
「ドライアイスの二酸化炭素で鳴ったのかなぁ。…いや、空気より重いから、
床を漂って行って、あのキッチンの換気扇から排出されちゃうかな」と
動きっぱなしの換気扇を指した。「煙もあそこから出ていったのかも」
今や泣き叫ぶのをやめて佐倉先生らが睨んでいた。
「ドライアイスが乳児突然死の原因になる事、知ってました?」
いきなり小林君が言った。
「何言ってんのかしら、この子は」佐倉先生は目を丸くした。
「もし仮に、ドライアイスの二酸化炭素が赤ちゃんを殺して、
それが漂っていって警報を鳴らしたんなら、
みんなが居ない間にナルソックが来るから、先生達には完全なアリバイが出来る訳か」
「何を言っているんだ。君は」鬼塚が怒鳴った。
「君は今、炭酸ガスは重いから警報機に触れないと言ったじゃないか」
突然小林君はしゃがみ込むと出窓に並んでいるペットボトルを睨んだ。
「まぶしい。なんだってあんなにペットボトルを並べたんだろう」
そして指をパッチンと鳴らす。
「あれを見て下さい」小林君はFAXの排出口の横を指差した。
そこにはペットボトルが作った日だまりがあった。
小林君はそこまで行って片膝を付くと日だまりに触れた。
「熱い。今ここにあるってことは20分前にはちょうどここらへんにあった筈」
とFAXの排出口を指差した。
「つまりこういう事が起こった。20分前、気化した二酸化炭素が
赤ちゃんの鼻の下をかすめていく。それを吸った赤ちゃんは酸欠状態になる。
ちょうど同じ時刻、何者かが外部からFAXを送信してくる。
それは真っ黒に塗られていた。そうすると、ペットボトルの日だまりがちょうど
虫眼鏡の様な働きをして、そう、収れん火災が発生する。
その煙でナルソックの警報が鳴る」
「何を言っているんだ。どこにも燃えカスなど無いじゃないか」と鬼塚。
「それはですね、更に芸の細かい事をしたんですよ。
黒いFAX用紙が燃えきって冷めた頃、そこにあるルンバが作動して
綺麗に掃除してくれたんですよ。そして赤ちゃんが息を引き取って
ガスも煙も換気扇から排出されて全てが終わった頃にナルソックの隊員が駆けつけて
第一発見者になる。全くオートマチックだ」
「そんな事が出来る訳ないじゃない」ほとんどヒステリックに佐倉が叫んだ。
「赤ちゃんが死んだかなんて分からないじゃないの。どういうタイミングで
FAXするのよ」
「それは見守りカメラで見ていたんじゃないんですか」
「カメラは突然故障して見られなくなったわよ。それに紙だって
ペットの日だまりぐらいで燃える訳ないじゃない」
「それはそうですね。いくらこれだけペットボトルを並べても煙ぐらいは出ても
完全に灰にするのは難しいかも知れませんね。だから犯人はFAX用紙に何か
引火性のある液体を染み込ませていたんじゃなかろうか」
小林君はFAX排出口のあたりの床を指先でなぜるとニオイをかいだ。
「かすかに除光液のニオイがする」
「除光液?」
「先生、べっとりマニキュア塗っていますよね」
「そんなッ、私はなにも…。というかそもそもペットボトルを並べたのは旦那なのよ」
「なにっ。なんでこっちに転嫁してくる」
「並べたのは鬼塚先生かも知れない。でも流石に普通に並べているだけでは
収れん火災は起きない。先生がペットボトルに角度をつけて一箇所に収れんする様に
したんじゃないんですか」
「そんな事したのか」ギョッとして鬼塚が言った。
「そんなの想像だわ」
「指紋が出てくるかも知れませんよ」
「そんなのみんな情況証拠だわ」
小林君はその場に立ち尽くしてため息をつくと、ポケットから一枚の紙を出した。
「これは通信テストシートです。FAXのメモリに残っていたものを
印字したものです。鬼塚先生がメーカーに送信したものが今朝になって
返送されてきたんです。その時間が今から40分前。…何が起こったか分かりますか?
 メーカーがこのFAXを送りつけてくる。除光液の染み込んだ紙にこのシートが
印字されて排出口から出てくる。ペットボトルの光で収れん火災が起きる。
そしてナルソックのセンサーが反応する。そしてナルソックの隊員が駆けつける。
その時刻が今から20分前です。その時ナルソックは何かの拍子でカメラを
転倒させたんですよ。にも関わらず先生は一か八か黒いFAXを送ってきた。
それが…」
言うと小林君は刑事に合図した。
「それが、この紙です」刑事はビニール袋に入った黒い紙を翳した。
「うッ」佐倉は微かに呻いた。「騙したのね。私がここに到着する前に
ネタバレしていたのね。警察やナルソックは勿論、小林まで演技していたのね。
ははは、ははははは。でも、それでもまだ想像だわ。情況証拠だわ」
「いやあ、この黒いFAXをどこから誰が送ってきたのかを特定するのは
時間の問題ですよ。たとえsnsで知り合ったどこかの誰かに頼んでいたとしても、
それは突き止められますよ。そうなる前に、言ってしまえば、
先生、情状酌量の余地が出てくるんじゃないでしょうか」
「私を装った誰かが送信したのかも知れないじゃない。旦那の元カノとかが
嫉妬してやったのかも知れないし」
「そうそう。そうですね。鬼塚先生はお盛んですからね。
あの女教頭とも出来ていたんですよ? 知ってました?」
「えぇー、あのババアと? 本当なの?」
「いや、それは」
「この先生は採用される為にあの女教頭と出来ていたんですよ。
それだけじゃない。先生と結婚したのも、
親が教育委員会のお偉いさんだからじゃないんですか」
「本当なの?」
「そんな事ないよぉ」
「信じられない。いっぺんに冷めた、このスケコマシ。…赤ちゃんは、
私の赤ちゃんはどうなったの?」突然、子殺しをした雌ライオンが
雄ライオンにふられて母性を回復した様な展開になった。
「赤ちゃんはどうなったの?」
「赤ちゃんは無事ですよ。ナルソックの駆けつけが早かったから」
「あぁ、よかったー」そして先生は再び泣き崩れた。「本当によかったー」
「じゃあ続きは署で伺いますか」
そして、両先生は刑事と制服警官にしょっぴかれて行ったのだった。

私と小林君が部屋に残された。
「小林君、私も騙したのよね」
「しょうがないだろう」
「あの二人はどうなるのかしら」
「さぁ」
「これからどうする?」
「とりあえず僕は『乱れからくり』を読んでみるけど」
「じゃあ私は『検察側の証人』を読んでみるわ」

部屋を見渡すと、太陽が更に移動し日だまりは空のベビーベッドに向かっていた。




#470/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/05/30  21:27  (197)
その光は残像かもしれない   永山
★内容                                         19/06/02 23:58 修正 第4版
 地方の澄んだ空気の中、満天の星空を観てみたい。プラネタリウムイベントに参加し
てみたい。
 という友達の川田次美に付き合わされて、イベント込みのバス旅行に参加した。星に
ほとんど興味がない私にとって、気乗りしないツアーだったけれども、ここにきて変わ
ったわ。
 たまたま暇潰しに覗いてみた古本屋で、前々から探し求めていた“お宝グッズ”を発
見するなんて。
 最初は、ゴミに出す物をまとめて段ボールに放り込んであるのかと思った。でも、ち
らっと覗いていた紙の端っこにある文字に気付いた。あれは漫画雑誌の付録。しかも、
かなり古い。
 私は店のおじさんに聞いた。
「表にある段ボール箱の中身って、売り物ですか?」
「ああん? 売り物なんかじゃないよ」
 その答を聞いたとき、物凄くがっかりした。けどおじさんの次の言葉で逆転。
「もう捨てようかと思って。いるのがあるのなら、持って行っていいよ」
「え? あの、値段は……」
「ただだよ、ただ。そりゃ払ってくれるんならもらうけどさ」
 そう言って、かかと笑いながら店の奥に戻ったおじさん。その背中が神様に見えた
わ。
 段ボール箱の中身を漁ると、欲しかったシールのセットが見付かった。手付かずのき
れいな状態で。
 売る気はないけど、ネットオークションに出せば、いい値段が付くはず。さすがにこ
れを無料でいただいて、はいさようならでは気が引けちゃう。私は本棚も見て回り、懐
かしい漫画と小説を一冊ずつ選び、レジに持って行った。

 移動するバスの中で、次美が「何だか凄く嬉しそう。いいことあったの?」と聞いて
きた。上機嫌だった私は、古本屋での事の次第を話して聞かせ、彼女にも礼を言った。
「誘ってくれてありがと。ラッキーだったわ」
「どういたしまして。そんな偶然で喜んでくれるのなら、私も嬉しいよ」
 思えば、このときに声高に説明したのがまずかった。
 最初におかしいなと感じたのは、道の駅での休憩中。ハンカチを忘れたと気付いてバ
スに戻ってみると、同じツアーの女性が、私達のいたシートに座っている。
 私が近付いていくと、気が付いた気配はあったんだけど、そのまま動かない。横まで
来て、「すみません、そこ、私の席なんですけど」と注意を喚起して、やっと「ああ、
こちらこそすみません。間違えました」と言い、席を立って、二つ後ろに移動した。
 このときはまだ、ちょっと変だなと感じた程度だった。
 次に、うん?と異常を感じたのが、宿泊先となるペンションに着いたあと。みんなで
バスを降り、荷物を持って歩き出した。その矢先、例の女が近寄ってきて言った。
「先程は大変失礼をしました。お詫びに荷物を運びます」
「いえ、結構です。大した距離じゃなさそうだし、重くないし。気にしてませんから」
 持ち手に指先が触れたけれども、さっと引き離した。そのときの相手の目は、私の荷
物をしっかり記憶しようとするかのように、手元をじっと見つめてきていた。
 私は女の左胸にあるネームプレートで、名前が上島だと知った。実は最初に参加者全
員の簡単な自己紹介があったんだけど、よく覚えていなかった。ただ、この上島は職業
が確か鍵屋といっていたような。花火職人ではなく、キーの方の。
 ぱっと見、若くて細面で、静かにしていれば美人で通りそうだが、二度の少々おかし
な動きのせいで、薄気味悪く映る。鍵の専門家だと思うと、なおさらだ。
 そのことを、次美の部屋に行ってちょっと話したら、「やだ気持ち悪い」と「でも積
極的なアプローチなのかも」という、両極端な反応をしてくれた。
「私にレズの気はない。それに、あれはアプローチじゃないわ。興味があるのは私じゃ
なくって、荷物の方みたいなんだけど」
「じゃ、こそ泥かなあ?」
「まさか。お金目当てなら、もっと持ってそうな人のを狙うでしょ」
 ツアー参加者の中には、いかにも裕福そうな老夫婦がいたし、アクセサリーをたくさ
ん身に着けた中年女性三人組もいた。狙うんだったら、私じゃないだろう。
「ということは、あれかも」
 次美が手を一つ叩いた。そのまま、右手の人差し指で私を指差してくる。
「買ったじゃないの、お宝のシール」
「いや、買ってはいないけど。でもそうか」
 友達の言いたいことはすぐに飲み込めた。上島は二つ後ろの座席で、私と次美の会話
を聞いていたのだ。そして値打ち物のシールの存在を知り、あわよくばそれを手に入れ
ようと……ちょっと変だ。
「あのシール、いくらお宝と言ったって、せいぜい数万円だよ。マニアが競り合って、
それくらい」
「そうなんだ? じゃ、あれだよ」
 また、「あれ」だ。
「上島って人も、シールコレクターなんじゃない? それか、そのシールの漫画のマニ
アとか」
 なるほどね。そちらの方がありそうだわ。
 お金を出しても簡単には入手できない代物が、ひょんなことから目の前の、すぐにで
も手が届きそうなところに現れた。しかも持ち主の女は、古本屋でただでもらったと言
っている。そんな不公平があるか。隙を見て、私がもらっても罰は当たるまい。どうせ
ただだったんだから……と、そんなところかしら。
「どうしよう。これからお風呂よね」
「そうだけど。あっ、入っている間にシールが心配ってこと?」
「うん。ペンションの鍵なんて単純そうだし、貴重品入れはないみたいだし」
 このあとお風呂場の脱衣所を見てみて、そこにも貴重品入れがないことを確かめた。
同性だから、女湯の方に入ってくるのには何の問題もない。
「私が見張っておこうか」
 次美が言ってくれた。
「代わり番こに入ればいいじゃない。お風呂の中でトークできないのは、ちょっぴり残
念だけどさ」
「ありがと。お願いするわ」

 風呂から上がり、部屋に戻って次美と入れ替わり。
 独りになって、扇風機の風を浴びながら考えた。シールをどこかいい場所に隠せない
かと。お宝シールは五センチ四方ぐらいのサイズで、台紙を含めても厚さはミリ単位。
どこへでも隠せそうだけど、万が一ってことがあるし、変に凝って、あとで私自身が取
り出せなくなっちゃった、では目も当てられない。
 ここが普通の宿泊施設なら、フロントで預かってもらうという手があるんだろうけ
ど、生憎と違うのだ。星空観察&プラネタリウムイベントのために開放された、少年自
然の家的な施設だから、宿泊専門の業者ではなく、イベント主宰者や地元の人達が世話
を焼いてくれている。貴重品はご自身でしっかり管理してくださいというスタンスなの
は、やむを得ないんだろうと思う。
 次美に持ってもらう、次美の部屋に置いておくという手もあるけど、万が一を考える
とね。友達に危害が及ぶのは絶対に避けたい。
「あ〜あ。どうしたらいいんだろ」
 扇風機の近くで風を浴びつつ独り言を喋ったら、声がぶわわって感じで震えた。近付
きすぎて、折角まとめた髪の毛もぶわわっと広がる。
「――そうだわ」
 閃きが突然、舞い降りた。

             *           *

「被害者の名前は生谷加代、学生、二十歳。友人で同じ学生の川田次美に誘われ、とも
にツアーに参加していたとのことです」
「ツアーの中に、他に知り合いは? 客でも添乗員でもバス運転手でもいい」
「えっと、見当たりませんけど」
「だったら、その友人が怪しいのか? 普通、見ず知らずの相手を殺して、こんな風に
はしないだろう」
 生谷加代の死因は絞殺だと推測されているが、それ以外にも大きな“傷”を彼女の遺
体は負っていた。
 長い髪の毛をバッサリ切られていたのである。乱雑で、長さは不揃い。切り落とした
髪が、現場である被害者の部屋にたくさん落ちていた。
「いえ、川田次美は風呂に入っていたというアリバイがあります。それに、仲はよく
て、二人はツアー中も楽しげに喋っていたとの証言を参加者達から得ています」
「じゃあ何か。この地元にロングヘアフェチの奴でもいて、そいつがたまたまここに侵
入して、被害者を手に掛けて毛を持って行ったってか? ありそうにないな」
「はい。数は少ないながらも、防犯カメラの映像も、外部の者が侵入したような場面は見
当たらないみたいです。まだ全部は見切っていないようですけど、多分、外部犯ではな
いでしょう」
「内部に怪しい奴はいるのか」
「はい、川田の証言ですが、バス移動の途中で立ち寄った城下町の古本屋で、被害者は
珍しいシールを見付けて入手したそうです」
「シール? そういうもんを集めてる風には見えなかったが。まあいい、それから?」
「ツアー客の一人、上島竜子がそのことを知って、盗もうとしていたんじゃないかと川
田は言っています。そして問題のシールもなくなっているとのことでした」
「だったらそいつの身体検査をすればいい。シールが動機なら、どこか身近にあるに決
まってる」
「言われる前に実行しました。すると、身体検査を受けるまでもなく、自ら提出してき
たんです」
「何だ、解決しとるんじゃあ?」
「いえ、観念したという態度ではなく、『話題にされたシールなら私も持っています。
同じ古本屋で見付けましたから』って」
「物真似はしなくていい、気持ち悪いから。指紋は? シールから被害者の指紋は出て
ないのか」
「きれいに拭き取ってあり、上島の指紋だけが残っていました。拭き取ったんじゃない
かと問い質すと、これまた当たり前のように認めて。手に入れたときに、少しくすんだ
ような汚れ感があったから、丁寧に拭いたということでした。今はDNA鑑定に掛ける
かどうか、判断待ちです」
「したたかな女のようだな。DNA鑑定で被害者の物が出たとしても、『彼女が見せて
と頼んできたので、渡しただけです』とでも言われて、かわされるのが関の山だろう
な。次々とこちらの疑問点を認めた上で、別の答を用意している。神経が図太いに違い
ない」
「そうかもしれませんが、我々が踏み込んだときに、上島は部屋でだらだら汗をかいて
ましてね。最初はびびっているのかと思ったら、単に風呂上がりで暑がっていただけみ
たいです。その割には、扇風機を仕舞い込んでいて、変な感じでしたが」
「女が風呂から上がって、冷房のない部屋で、扇風機を出さずに、汗だく……考えられ
ん。おい、上島の部屋は調べたのか」
「いえ、調べたのはシールですが、あれもすぐに提出されましたので。部屋は実質、手
付かずと言えます」
「それじゃあ、すぐにでも調べた方がよさそうだ。

 警察の鑑識課が入った結果、上島竜子の泊まる部屋からは、生谷の物と思われる短い
毛髪が見付かった。さらに、羽の部分に大量の毛髪が巻き付いた扇風機が、部屋の押し
入れの奥、布団に覆い隠された形で見付かった。
 動かぬ証拠を突きつけられた上島は、取り調べに対して、概ね素直に犯行を認めてい
るという。
 供述によると――上島は生谷がいそいそと部屋に戻る姿を目撃し、あとをつけた。そ
の顔つきを見て、「うまい隠し場所を思い付いたんだわ」とぴんと来たという。そのま
ま生谷の部屋の前で迷っていたが、もうすぐしたら連れ(川田次美)が戻って来るだろ
う、そうしたらチャンスは失われる。そう思い詰めて、ドアのロックをピッキングの技
で解除、これにはものの十数秒で成功したという。ドアの開く音や中に入ったときの気
配は、生谷が作動させた扇風機の近くにいたおかげで、聞かれなかった。
 戸口の陰から窺っていると、生谷は回し扇風機を停めて、外していたカバーを戻すと
ころだった。扇風機の風の音が消えたら気付かれると考え、上島は生谷に突進。振り向
きざまに突き飛ばされた生谷は転倒。持っていた扇風機の羽に髪の毛がしっかり絡まっ
た。一方、顔を見られた上島は最早引き返せないと考え、生谷に馬乗りになると両手で
首を絞めて殺害。それから“護身用”に所持していたカッターナイフを使って、生谷の
髪をざくざく切り落とした。
 この行為は、生谷がお宝シールを扇風機の羽に貼り付け、常に扇風機を使用すること
で容易には見付からぬようにしていためである。上島は部屋に忍び込んで、扇風機のカ
バーが外されているのを見た瞬間に察知したという。なお、シールは羽に直接貼られて
いた訳ではなく、安全ゴム糊を使って接着されていた。
 生谷の髪と扇風機とを切り離した上島は、廊下に人のいないタイミングを見計らっ
て、その扇風機を抱えたまま、自分の部屋にダッシュ。返す刀で、元々自分の部屋にあ
った扇風機を持ち出し、生谷の部屋に運び込んだ。そして自室に戻ると、羽に絡まる髪
の毛をじっくりとかき分け、シールを見付けた。
 これが事の次第の全てである。
 一見、猟奇的な殺人事件に思えたが、解決してみると非常に即物的かつ衝動的な犯行
が、多少奇妙な像を現実に投影しただけのことだった。

             *           *

 グッドアイディアが浮かんでよかったわ。
 扇風機の羽に安全ゴム糊で一時的に貼り付けて、部屋を留守にするときも扇風機を回
しっ放しにしておけば、見付かりっこない。あとで剥がすときも、安全ゴム糊なら問題
なし。
 あとはこの近所に安全ゴム糊が売ってあるかどうかだったけど、さすが地方の町とい
たら失礼かしら。文房具屋で見付けたときは感動したわよ。
 さあ、これでいちいち持ち歩かなくても大丈夫ね。

 生谷は左胸のボタン付きポケットに入れたシールのかすかな感触を、布越しに確かめ
た。
 夜空には数え切れないくらい多くの星々が、きら、きら、きら。

 終わり




#471/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/06/28  22:55  (255)
音無荘の殺人   寺嶋公香
★内容                                         19/06/30 14:27 修正 第3版
「なあ、頼むよ」
 細川夏也(ほそかわなつや)は、廊下を行く相手の前に回り込んで手を拝み合わせ
た。
 頼まれた袴田冬樹(はかまだとうじゅ)は立ち止まると、腕組みをして嘆息した。
「とりあえず、部屋に入らせてくれませんか。よその部屋の音が漏れ聞こえないことを
売りにしたアパートなのに、廊下で騒いでちゃ申し訳が立たない」
「ああ、そうだな。分かった」
 袴田の部屋、二〇一号室に入り、ドアをしっかり閉めてから話の続きとなる。
「これは大きなチャンスなんだ。七人衆に採用されれば、自分にも道が開ける」
 推理小説専門誌の最新号を取り出し、絨毯敷きの床に置いた。袴田は今話題にしてい
る七人衆――現代の密室ミステリ短編新作七傑を取り揃える、人気企画のページを押し
開いて、改めて目を通した。六人までは有名作家、人気作家の名がずらりと並び、残る
一枠を広く募るという。
「公募を謳っているが、実際にはあんたに内定しているって?」
「ああ。信じられないか?」
「いや。信じるよ。細川さんは昔、一度は長編デビューしてるんだもんな」
 袴田はセミプロの推理作家として、やや羨む目を細川に向けた。
 デビューした細川自身はそのまま専業作家になる気でいたが、当時はいまいち人気が
出なかったのと、家庭の事情のおかげで、断念せざるを得なかった。十年近く経って幻
の推理作家としてスマッシュヒット的に注目され、短編を二つほど書いたが、爆発的人
気にはつながらず、それっきりになっていた。
「でも、チャンスを活かすには実力で勝負しなきゃ」
「それがだめなんだよ。自信のある密室トリックは先月頭締切の、プレミアムミステリ
大賞に送った作品で使ってしまった。まさか再利用する訳にも行くまい」
「細川さんほどなら、ストックがあるでしょ。密室トリックの一つや二つ」
「そりゃ、あるけどさ。密室テーマの短編にメインで使うには、しょぼくて使い物にな
らない」
「だからって、俺を頼られても。他の二人には聞いてみたんですか?」
 他の二人とは、同じこのアパート――音無荘の住人でやはりセミプロ級の推理作家、
磯部秋人(いそべあきひと)および草津春彦(くさつはるひこ)を指し示す。四人はと
あるミステリ創作教室を通じての昔からの知り合いで、音無荘に揃って入ったのも、お
互いの存在を近くに感じることがよい刺激になると考えたのが大きかった。
「彼らとは、最近あんまり反りが合ってないというか。見ていて分かるだろ? トリッ
クを提供してくれるような関係ではないことくらい」
「ええ。創作姿勢についての意見の相違、ですか」
「袴田君は四人の仲をうまく取り持ってくれるから、感謝しているし、ある意味尊敬し
ている。磯部や草津とは、トリックの話もオープンにやってるんだよね?」
「まるっきりのオープンてことはありませんが。まあ、お蔵入りさせていたサブトリッ
クを三人で交換して、それぞれ習作を書いてみたことはありますよ」
「だよね。そのときの広い気持ちで、僕にも一つ、密室トリックのいいやつをくれない
だろうか。もちろん、借りは将来返す。今言っても絵に描いた餅だが、僕が一本立ちし
た暁には、君を有望なミステリ作家だとして編集者に推薦しまくるつもりだ」
「うーん、でもね。真にオリジナリティのある、優れた密室トリックなんて簡単には浮
かびません。浮かんだとして、それを他人にはいどうぞと渡すはずがないでしょう」
「そこを何とか。この通りだ」
 細川は土下座までした。だが、その態度は、袴田の目には行き過ぎと映ったようだ。
「……細川さん。そんなことして、俺がしょぼい密室トリックを提示したら、どうする
んです?」
「それはないだろ。実は知ってるんだよ。あの根っこの密室トリック」
「は!?」
 顔色が変わる袴田。
「あんた、まさか、俺のノートを覗き見したのか?」
「あ、ああ。だいぶ前、この部屋で飲み会をしただろ。あのとき、最終的に僕と君の二
人だけになってから、君がトイレに席を外した、その隙にちょっとね。あ、いや、誤解
しないでくれ。見ただけで、使ってはいない。いいトリックがたくさんあって、才能あ
るなあって感心しただけだよ。そんな中でも、あの根っこの密室トリックは奇想天外で
ユニークだった」
「……信用できない」
「え?」
「もう話は終わり。あんたには絶対に提供しない。たとえ俺自身が字を書けなくなった
としたって、絶対にだ」
「いやいや、悪かったよ。謝るからさ。なあ、僕は僕なりの誠意を示したつもりだ。黙
って使うことだってできたのに、そうせずに、許可を得ようとしてるんだから」
「黙れ。もう出て行ってください。しばらくは顔を見たくない」
 袴田は床にあった雑誌を押し返すと、座った姿勢のまま、くるりと向きを換えた。
 背中を向けられた細川は、ふう、と大きな息を吐いた。
「そうか。分かったよ。すまないね」
 この「すまないね」に、もしかすると袴田は引っ掛かりを覚えたかもしれない。どう
して現在形なんだ? ここは普通、「すまなかったね」じゃないのか?
 そしてその疑問が彼の脳裏に浮かんでいたとして、答は直後に示された。
(ほんと、すまないね、袴田君)
 細川は隠し持っていた金属製の文鎮を取り出し、袴田の脳天めがけて振り下ろした。
 その後、袴田の絶命を確かめると、細川は冷静に返り血の有無を調べた。
「うまくいったようだ。さて」
 このアパートなら、独り言をいくら言っても大丈夫。聞かれる恐れはない。
 だけど細川は、続きは心の中の言葉にした。
(手に入った密室トリックには、このアパートでも使えるのがあったな。あれで部屋を
密室にしよう。そうすれば僕も安全圏に逃れられる)
 細川はそのための下準備として、まずは袴田のトリックノートを持ち去ることにし
た。

             *           *

 純子が砧緑河(きぬたりょくか)と親しくなったきっかけは、同じ番組に出演したこ
とだった。
 現役大学生にしてロックバンド『伝説未満』のドラマー。
 誰が見ても華奢な身体付きだなあって印象を与えるであろう砧だが、いざドラムを叩
き始めるとパワフルで。夏に薄着してるときなんか、服がまくれ上がっちゃうんじゃな
いかと気が気でないファンも多いと聞く。
 そんな砧緑河が住んでいるのが、音無荘。防音に特化したアパートで、かつて通称が
音無荘だったのに、今では正式名称になってしまった。各部屋でどんなに音を立てよう
と、外に漏れはしないっていうのが謳い文句。
「もちろん、窓を開け放してはだめだけどさ」
 砧は笑いながら純子に説明した。
 風呂もトイレも炊事場も共同で、洗濯は近くのコインランドリーまで出向く必要があ
る。それでも完全防音に惹かれて、空室なしの状態が続いているという。
 居室は一階に三部屋、二階に五部屋あって、今の入居者は一階は三人全員が砧自身を
含めて音楽関係の人。二階の方は、四部屋はセミプロクラスの作家さん、それも推理作
家ばかりが揃っている。残る一部屋は、若手の噺家が入っているとのことだった。
「なかなか楽しそうな顔ぶれというか……」
「実際、楽しいんだから。美羽ちんも暇ができたら、遊びにおいで。生演奏付きで落語
を聴けるかもしれないよ」
 砧は純子のことを“美羽ちん”と呼ぶ。純子が風谷美羽として芸能活動をしているか
らに他ならないのだが、最初は「ちゃん」付けだったのが、じきに変化したのは妹扱い
されているためらしい。

 砧の誘いに対し、行く気満々だった純子だけれども、双方の都合がなかなか付かなく
て行けないまま、半年ほどが過ぎた。砧は新しい曲のレコーディングの目処が立ち、純
子の方は密室殺人を扱ったドラマの収録が終わったことで、ようやく休みがうまく重な
った。
「外で待ち合わせしてから、ご招待でもいいんだけど、古風亭安多(こふうていあん
た)さんが午前中なら、稽古がてらに一席演じられるけどって格好付けて言ってる」
「格好付けて?」
「本心では安多さん、美羽ちんを一目見ておきたいんだよ。面食いな人だからね」
「あはは、まさか。私のことなんか知らないでしょ」
「いやいや、その無自覚が怖いよ。それともまさか、若手噺家は皆ストイックな修行の
身にあるとでも思ってる?」
「それはないけど……。とりあえず、直接そちらに窺ったらいいんだよね? 何時にす
る?」
「朝の十時とか、大丈夫?」
「何とかなる」
 そんな風にして約束の詳細を詰めたけれども。
 当日の朝になって、大変なことが音無荘で起きたと純子はニュースで知る。
 二階に入居する推理作家四人の内、三人が死亡するという大事件だった。
 すぐさま電話を掛けてみた純子だったけれども、いっこうにつながらない。他の知り
合いからも着信が殺到しているに違いないから、無理もない。
 結局連絡が付かないまま、当初の予定通り、十時十分前に着くように自宅を出発し
た。

「美羽ちんてさあ、案外、ばかなところあるんだね」
 マドラーでアイスコーヒーの氷をつつきながら、砧が笑った。
「ばかはないと思う……」
 ミルクセーキのグラスを両手で包み、軽く頬を膨らませたのは純子。
 二人はアパートから百メートルほど離れたところにある、半地下型の喫茶店にいた。
「ごめんごめん。まあ、ばかは言いすぎだけど、考える前に動くっていうか。普通に想
像したら分かるっしょ。事件が起きてマスコミが集まることくらい」
「うん。確かに」
「そんな場所にのこのこやって来たら、事件と関係あるんじゃないかって疑いの眼で見
られるかもしれないんだよ」
「そこまでは考えなかったわ」
「ほら、だから考えなしに行動してるじゃん」
「でも、砧さんが心配で」
「そ、そこはいい子だねって評価してる」
 何故か照れと戸惑いを露わにした砧は、アイスコーヒーにミルクフレッシュを全部入
れて派手にかきまぜた。
「そういえば、古風亭安多さんはどうされたの?」
「あー、あの人は現場と同じ二階の住人てことで、事情聴取が長引いているみたいね。
疑われてるんじゃないといいんだけど」
 亡くなった三人の推理作家は袴田冬樹、磯部秋人、草津春彦と言い、残る一人の細川
夏也も怪我を負っていた。
「四人は元々知り合いで、それぞれ何らかの形で商業デビューしてるの。ペンネームに
春夏秋冬を一文字ずつ入れようって実行するくらい、親しかったみたいだね。ただ、ラ
イバル意識も凄く強くて、時折、派手な口論をしてた……らしいんだけど、アパートで
は防音設備が整っているから、そういう場面にはほとんどお目に掛からなかったな。せ
いぜい、共用スペースのキッチンでぐらいかな」
「創作論を闘わせるという意味でしょう? そんなことで殺意が生まれるの?」
「表面上は論戦でも、裏に回ればどうだったのかな。みんな本格的なプロを目指して、
よく言えば切磋琢磨、悪く言えば足の引っ張り合いをしていたように見えた。たとえ
ば、出版社からの封筒を隠して、見るのを遅らせたりね。ある人の作品の酷評が載った
雑誌を、これ見よがしにテーブルに置いたり。誰がやったか分からないようにする辺
り、陰険よ。それでも表向きは親しく付き合っているんだから、みんな犯人の素質があ
ると思った。っと、これは不謹慎だったね、殺人が起きているのに」
「……知り合いに探偵さんがいるんだけれど、その人に意見を聞いてみようかな。砧さ
んも早く解決した方が、落ち着いてあのアパートで暮らせるでしょ?」
「それはそうだけど。へえ? 探偵って、興信所なんかの調査員じゃなくて、映画やド
ラマで見るような?」
「そう。一部の警察の人にも顔が利くみたい」
「おお、いかにも名探偵って感じ。そういう美羽ちんも、顔が広いんだねえ」
「知り合うきっかけは、ずっと小さな頃の出来事だったんだけどね」
 純子は当時を思い出して回想にふけりそうになったが、かぶりを振った。今は、砧か
ら知っている限りの情報を聞き出すのが最優先だ。

「涼原さん、これは正直言って、難題かもしれない」
 純子がその日の内に知り合いの探偵・地天馬鋭に依頼を出したところ、自宅に帰り着
く頃には返答が電話であった。
「地天馬さんにとって難題なんですか?」
「ああ。警察よりも早く犯人逮捕するのはまず無理だろうね」
「え?」
 事件が難しいというのではないらしい。むしろ簡単すぎるってこと?
「思い込みはよくないと分かっているが、この事件はほぼ決まりだろうね。推理作家で
生き残った細川を犯人だと睨んで、警察は動く。僕も手を着けるのなら、そこからにす
る」
「……どういう理由でそうなるんでしょう? 動機なら、一階の音楽関係者の人にもあ
ったはずですが」
 電話口で首を傾げる純子。砧は別にして、他の二人の音楽関係者――ともにミュージ
シャン――は、入居の際に推理作家の袴田&磯部と部屋を入れ替わってもらっている。
楽器や関連機器の搬入に、一階の方が便利だというのが理由で、最初は一悶着あったと
聞いた。多少の金銭で解決したが、しこりは残ったという。
「関係ないと思うね。音楽関係者と推理作家の間にわだかまりが残っていたって、決着
したことを蒸し返す理由がどちらにもない。推理作家の皆さんが元の一階の部屋に執着
する理由があったとしても、それなら彼らは被害者ではなく加害者になるはずだ」
「そこは分かりましたけど、細川という人を犯人扱いする理由は」
「他の三人が、密室状態の部屋で殺されているからさ。一般の人間はこんなことはしな
い」
「あ、そっか。そうですね」
 ここしばらく、密室殺人を扱うミステリドラマに出演していたせいか、感覚が麻痺し
ていたようだ。
 地天馬に言われるまでもなく、三人の被害者が密室状態の自室内でそれぞれ亡くなっ
たことは、砧から聞いていた。
「部屋の間取りや鍵の構造、窓の有無など詳しくはまだ聞いていないが、防音に優れた
部屋なら、ドアや窓に隙間はなく、鍵も特殊な物である可能性が高い。恐らく、複製も
難しいはず。そういう条件下だとしたら、まず考えるべきは犯人が第一発見者を装って
鍵を室内に持ち込むパターンだ」
「そうですね」
 素直に相槌を打つ純子。ちょうどドラマでも同じようなやり取りがあったから、よく
分かる。
「そして人の動きをチェックすると、袴田、磯部、草津の各部屋に真っ先に出入りした
のは細川氏ただ一人。腕と頭を負傷しているにも関わらず、病院への搬送どころか応急
措置すらも拒んで、他のみんなが危ないかもしれないと管理人を呼ばせた上、一緒に入
っていく。不自然さがあふれ出ているよ」
「言われてみると、仰る通りでした」
「まあ、鍵を部屋に置く方法は工夫したみたいだね。たとえば草津の部屋では絨毯がふ
かふかなのと、一緒に入った管理人が低身長であることを利して、管理人の頭越しに鍵
を放ったんだと思う」
「それって……ステージ上のマジックで、似たような演目を見た覚えがあります」
「そこからの発想かもしれない。袴田の部屋では、被害者のサンダルをさりげなく履い
ていた可能性が高い。細川氏は自室を素足で飛び出しているのに、管理人とともに廊下
を急ぐ姿を他の住民に見られた際は、複数の足音が聞こえたとある。袴田のサンダルに
二〇一号室の鍵を入れた上で、自らが履いたんだろう。現場で脱げば、鍵はサンダルに
最初から入っていたように見えるっていう寸法さ。どさくさ紛れで綱渡りの方法だが、
運がよかったとしか言えない」
「細川という人が怪しいというのは分かりましたが、動機は何なんでしょう? 互いを
ライバルとして高め合っていた、言ってみれば戦友なのに、いきなり殺すなんて」
「そこまでは分からない。想像ならいくらでもできるが、三人をまとめて殺害するとな
ると、何らかの切羽詰まった事情があったんじゃないかな。とまあ、今の僕が言えるの
は、この程度のことだよ。探偵が動かなくても、早晩、警察が犯人を逮捕するに違いな
い。だから涼原さん、君の友人にも近い内に平穏が戻って来るさ。全くの元通りにはな
らないだろうけどね」
「あ、はい。殺人現場になったアパートだなんて、ちょっと怖いですけど、ようやく遊
びに行けます。ありが――」
 純子が礼を言おうとしたときには、相手は多忙を理由にさっさと電話を終えてしまっ
ていた。

             *           *

『念には念を入れないとな』
 胸の内だけの呟きにとどめるつもりが、いつの間にかまた声に出していた。初めての
殺人で、気が多少動転している。それを落ち着けよう、励まそうと、自らの声で試みて
いるのかもしれない。
『袴田と草津、磯部は三人でトリックの交換をしていた。ということは、僕のお目当て
である木の根っこを利した密室トリックについて、袴田が二人に話している可能性があ
る。話していない可能性の方が大きいだろうけれども、万が一に備えなきゃ。口封じの
ために、磯部と草津も始末しよう。それこそが完全犯罪への道だ。幸い、鍵を室内に戻
すタイプの密室トリックなら、袴田のノートに山ほどある。この中から、推理小説とし
ては使いづらい、つまらない物をピックアップして、現実の事件に用いればいい。無駄
遣いはよくないからな』
 ICレコーダーに手が伸びてきて、停止ボタンを押した。
 その手の主である花畑刑事は、容疑者の細川をにらみつけた。
「亡くなった袴田さん、こんな物で録音してたんだな。机の脚の影に貼り付けてあった
よ。あんたのこと、前々から信用していなかったんじゃないか?」
 デスクを挟んで向こう側に座る細川は、ただただ口をあんぐりとさせていた。
 いや、ようやく一言だけ言った。
「音が、あった」

――おわり




#472/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/08/31  22:12  (338)
飛鳥部響子の探偵しない事件簿   寺嶋公香
★内容                                         19/09/11 21:10 修正 第2版
 最初にその悲鳴を聞いた瞬間、飛鳥部響子(あすかべきょうこ)は「またやってる」
と思っただけだった。
 悲鳴を上げたのは、瀬野礼音(せのらいね)。劇団の中では年長者の方で、それなり
に演技は達者だけれども、時々、意図の分からないアドリブを放り込んでくる。ついで
に言えば若作りも周りの評判は芳しくないようだ。が、本人は気付いていないのか気付
いていないふりをしているのか、いっこうに改まらない。
 現在、演劇の通し稽古中で、皆で乾杯するシーンに差し掛かったところだった。元々
の台本では、飛鳥部の目の前で、郡戸規人(こおずのりひと)が毒を盛られて倒れ、や
がて絶命する演技に移るはずだった。ところが彼に先んじて、舞台の端にいた乳川阿久
太(ちがわあくた)が仰向けに派手にぶっ倒れ、そばにいた瀬野が駆け寄り、悲鳴を上
げたのだ。
(大方、いたずら好きな乳川さんと組んで、他の皆を驚かせようとして、一芝居打った
んだわ。芝居中に一芝居だなんて、ややこしい)
 飛鳥部はしかし、積極的には事態に対処せず、状況を見守った。セミプロの飛鳥部は
今回、アマチュア劇団「歓呼鳥」に助っ人女優として参加している立場だ。師と仰ぐ桂
川(かつらがわ)に頼まれては断れず、心理ミステリと銘打った台本はシンプルだが結
構見せ所があったので、まあまあ悪くない仕事だと感じていた。だが、稽古二日目から
瀬野の自由な振る舞いが鼻につき始め、幾度もいらいらさせられていた。それでも立場
上、揉め事を起こしたくないと我慢するように心掛けていたので、この場で動かないの
は当然の選択だった。
 今回役のない裏方の二人が、倒れた乳川の上半身右側にしゃがむ瀬野に背後から近寄
り、「大丈夫ですか」と、一応心配するような声を掛ける。「歓呼鳥」では監督や演出
といった制作陣と、俳優陣とのはっきりした区分はなく、本劇では監督と演出と被害者
役を郡戸が務めている。彼が舌打ちをしたことからも、このアドリブが進行を妨げる夾
雑物であるのは明らかだった。即座に注意叱責が行われないのは、劇団内部の格付けが
影響しているらしいのだが、外部の人間である飛鳥部には推測に留まるしかない。
 ところが、稽古の中断によりともすれば弛緩しがちな空気が、瞬く間に一変する。
「郡戸監督! 本当にやばい感じっす!」
 様子を見に行った二人の内の若い方が振り返った勢いのまま、郡戸や飛鳥部のいる方
に駆けてきた。
「おいおい、おまえまで片棒を担ぐってか。勘弁してくれ」
 のろのろとした足取りで、乳川の倒れているところへ向かう郡戸。瀬野はとうに立ち
上がり、距離を取っていた。彼女の足元――というにはやや遠いが――では、乳川が
「はぁ〜、はぁ〜」と苦しげな呼吸を繰り返している。
 演技にしてはどこか変だ。飛鳥部は直感し、郡戸を追い抜いて乳川に駆け寄った。
 最初に駆け付けた裏方二人の内の、年配の方が「これ、本当に刺さってるよ……」
と、どことなく芝居がかった口調で言った。
 桂川が用意してくれたという稽古場は広く、飛鳥部の立っていた位置からは乳川の様
子がよく見えなかったのだが、近付いてみると彼の左胸、鎖骨と心臓の間ぐらいに、小
型の矢が突き立っていた。襟首の大きく開いた衣装を身に着けているため、乳川の肌が
露わになっていて、傷口から血が滲んでいるのが分かる。
「郡戸監督」
 飛鳥部が振り返ると、さすがに郡戸も事態の異常さを察知していた。若干青ざめた顔
を近付け、傷を覗き込んだ。
「何でこんなことに。おい、乳川さん! 大丈夫か?」
「暑い……ライト……気分わりぃ……」
 稽古とは言え、本番になるべく近い状態でやるために、照明をふんだんに使ってい
た。その眩しさと熱が、乳川にとって気分の悪さを増幅させているようだ。
「袖に運んであげて!」
 悲鳴のあとは息を飲んだように黙りこくっていた瀬野が、我に返ったみたいに指示を
出した。舞台袖に控えていたスタッフ四名がやって来て、おろおろしつつも乳川を持ち
上げる。
「そっとよ!」
 郡戸や沼木銀子(ぬまきぎんこ)が手伝おうとすると、「衣装着ている人は、下手に
近付かない方がいいわ。汚れたら落とすのが手間よ!」と瀬野がストップを掛ける。乳
川を心配する反面、劇のことも心配するという、ある意味二重人格めいたところを垣間
見せた。二重人格なんて、役者としてはそれくらいで当たり前なのかもしれない。
「間宮(まみや)さんは、今日は来てたわよね?」
 相変わらず仕切る瀬野は、劇団員の名前を挙げた。飛鳥部は記憶を辿り、間宮久世
(ひさよ)の普段の仕事は看護師だということを思い出した。
「はい、来てます。衣装係で」
「応急手当は彼女に任せましょう。そう伝えておいて!」
 瀬野は指示を終えると、今度は郡戸に向き直った。
「監督。どうするか判断して。救急車を呼ぶのは当然だろうけど、警察を呼ぶのかどう
か」
「け、警察?」
 気圧されたように上体を反らし、どもって答える郡戸。
「事件なんじゃないの? 誰かがどこかから弓矢で乳川さんを狙ったんだから」
「そんなことって……信じられん。この稽古場のどこから狙えば、人に見られずに撃て
るってんだ?」
「そんなのは知らないわよ。現に矢で撃たれてたんだから」
 言い争いが続きそうな気配に、飛鳥部は近くにいた裏方の一人を掴まえて、パイプ椅
子の上にある携帯端末を持って来るように囁いた。そして郡戸と瀬野の些か喧嘩腰の会
話に割って入る。
「ちょっといいですか。二人とも、救急車を呼ぶことでは一致してるんですから、早く
そうしないと。ほら、監督さん」
 さっきの裏方が郡戸の携帯端末を持って、ちょうど戻って来た。

 結局、警察が呼ばれた。
 相談してそう決めたのではなく、否応なしにである。何故ならあのあと、乳川は亡く
なったのだ。
 間宮が施したであろう応急手当も虚しく、救急隊員が到着したときには青息吐息であ
った乳川は、救急車に乗せられた時点でもう息をしなくなっていたという。死亡確認は
病院でなされたが、実際には稽古場で死んだと言えよう。
「さて皆さん」
 稽古場に劇団関係者を集めたところで、初芝(はつしば)と名乗った刑事がそう切り
出すと、不謹慎にも小さく吹き出す者が数名いた。
「やれやれ。前にもありましたよ、こういうことが。さて皆さんと言うのがそんなにお
かしいですか。定番の台詞も困ったものだ。まあ、私はまだ捜査に着手したばかりで、
事件を解いたって訳ではありませんがね」
 初芝は腰の後ろで手を組み、短い距離を左右に行ったり来たりしながら一くさりぶっ
た。警部という身分にしては見た目の若い長髪で、なかなか癖のありそうな男である。
「状況については、先に個別に行われた聴取でだいたい掴んでいます。それらをひとま
とめにして、何らかの矛盾でも浮かび上がれば取っ掛かりになって、私どもとしても助
かったのですが……今のところ特にこれといったものは発見できていない。仕方ないの
で、こうして皆さんにお集まりいただき、再検討を試みようという寸法です。どーかよ
ろしく」
 初芝警部は右手で前髪をかき上げると、「この奥の方をステージに見立てていたんで
したね」と、壁を指差した。
「事件発生時、このステージのスペースに立っていた人達は、前に出て来て、それぞれ
の位置についてください」
 案外柔らかな物腰だが、有無を言わさぬ響きを含んでいる。無論、この状況で反駁の
声を上げてわざわざ警察に睨まれる真似なんて、誰もするはずがない。
 ステージに“上がった”のは、お嬢様役で誕生日パーティの主役という立場の瀬野、
その婚約者役の郡戸、瀬野の友人役の飛鳥部、瀬野の義母役の沼木、さらには沼木の連
れ子役が渡部広司(わたべこうじ)、屋敷に住み込みのメイド役が横山幸穂(よこやま
さちほ)という顔ぶれで、これに沼木の弟役で遊び人設定の乳川を加えると七人にな
る。
 初芝警部は乳川のいた位置を聞いて、そこに立った。代わりを務めるということだ。
「聞いたところでは、本来の筋では、メイドの横山さんがトレイに乗せて飲み物を運
ぶ。各自がグラスを取って、横山さんは下がる。他の六人で乾杯し、その直後、郡戸さ
んが悶え苦しみながら倒れるという流れだったとか」
「はい、間違いありません」
 返事する郡戸と瀬野の声がほとんど被った。
「現実に起こったのは、横山さんが引っ込んで、残る六人が中央付近に集まろうとした
矢先、私というか乳川さんが胸元を押さえて倒れた。そして――瀬野さん、その様が正
面に見えたので、駆け寄ってみたところ、矢が刺さっていた」
「ええ」
 自身を抱えるような格好をし、身震いする瀬野。
「矢が飛んでくるのも目撃していればよかったんですけれど……」
「いや、そいつは無理です」
 簡単に言い切った警部。
「調べたところ、あれはダーツに手を加えた、おもちゃみたいな物でした。長さこそ十
センチほどあったが、重さのバランスに問題があって、常識レベルの弓ではまともに飛
びそうにない。ま、裏を返せば非常識なほど強力なゴムや、空気砲みたいなので飛ばせ
ば、狙い通りに飛んで行くかもしれないが、この稽古場にそんな道具はなかった。凶器
に限らず、犯行後に何かを建物の外に持ち出すチャンスもなかったとの証言を得ていま
す」
 この稽古場はビルの二階にあり、外部とのルートは一階を通るしかない。そして一階
には施設使用の受付などを担当する管理人が常駐している。
「そういう訳で、瀬野さん、とりあえずはあなたを疑うことから始めたいんですが」
「ま。どうして私が」
 驚きの声を上げ、口元を手で隠す瀬野。堂に入っているけれども、この場面でこの型
にはまった反応は、安っぽく見えてしまう。いや、それ以上に疑いを深めることにつな
がるやもしれぬ。
「賢明なあなたならお分かりだと思うのですが、ご説明しましょうか。可能性の問題で
して」
「……そうね。つまり、あの矢が飛んできたのではないとしたら、直に刺したものだ。
乳川さんに真っ先に近付いた私が怪しいという理屈かしら」
「そうです。あ、ついでに付け加えると、あなたと乳川さんは劇団内で1、2を争うア
ドリブ王だとか。あなたは他人の力を試すかのようなアドリブが多いのに対し、乳川さ
んは人を驚かせるいたずらが多かったと聞きました。そこで私は思った。あなたと乳川
さんが予め示し合わせて、芝居を打つ約束をしたのではないいか。そしてさらに、あな
たはその約束を途中で裏切り、演技で倒れた乳川さんに近付くや、隠し持っていた凶器
で刺した」
「そんな恐ろしいこと」
 私はしませんと言ったみたいだが、よく聞き取れなかった。
「刑事さん、本気でそうお考えなのですか」
 郡戸が尋ねた。律儀にも、最初にスタンバイするように言われた位置から、一歩も動
いていない。
「いや、最初に浮かんだ仮説がこれだというだけで、後に出て来た物証を見ると、ちょ
っと否定したくなってきたところです」
 初芝警部は身体の向きを換え、手帳を取り出す。ページをぱらぱらっとやって、一度
行きすぎてから目的の箇所を見付けたようだ。
「多分、皆さんには伝わっていなかったと思います。死因は毒物でした。詳しくは申せ
ませんが、ニコチン系としておきましょう」
 警部の話す途中からざわめきが広がった。
「お静かに。あまり勝手な発言を方々でされては困ります。こういうときこそさて皆さ
んと言うべきでしょうかね」
 警部の人を喰った物言いに、場のざわつきはたちまち収まった。
「無論、凶器の矢にも毒が塗布された痕跡がありましたよ。たっぷりとね。翻ってみる
に、瀬野さん。稽古時の衣装はドレスだったと窺いました。写真でも拝見したのです
が、チャイナドレスをちょっと洋風にした感じでしたね」
「え、ええ。自前ですの」
「なるほど。肌の露出度が意外に高く、矢を隠すスペースは限られそうです。それでも
元はダーツの矢なのだから、テープで貼り付けるなり何なりすれば、隠せないことはな
い。ですが、毒が塗られていたのでは無理だ。下手すると自分に刺さって、命が危な
い。先端部を他の物で覆うとか、身体から外したあとに毒を塗るといった方法も、この
早業殺人には該当しない」
 警部の推理に、瀬野はあからさまにほっとした。それは飛鳥部が目の当たりにした瀬
野の言動の中で、最も自然な動作だった。
 ただ、警部はまだ瀬野を解放した訳じゃなかったようだ。
「唯一、考えられるのは、髪飾りに模して凶器を髪に挿しておく方法ぐらいかな。だけ
どまあ、これもありませんでした。リハーサルの最初に記念の集合写真を撮られていま
したね。あれを見ると、あなたの頭にそんな変な物はなかった」
「……お人が悪い」
 ぶつぶつ言いながらも、瀬野は再びの安堵をした。
 初芝警部は二度ほど首肯し、全員をぐるりと見渡した。
「瀬野さんでなければ誰か。瀬野さんの次に乳川さんに近付いたお二方ではもう遅い。
通常の舞台の上だったなら、こんな壁がなく――」
 稽古場奥の壁をコンコンと叩く警部。
「布で仕切る場合もあるようだから、そこに潜んでいた犯人が、乳川さんの隙を突い
て、凶器を直接振るったという線も考えられるんですがね。この稽古場では、それも無
理。お手上げ状態で、困っているんですよ。こうして発生時の状況を再現すれば、何か
思い出されるのではないかと期待しているのですが、何もありませんか。変な物を見掛
けたとか、普段はこうなのに事件当日は違っていた、みたいなわずかな違いでもいい」
 警部はまたも皆を見渡した。舞台上だけじゃなく、出番じゃなかった役者や裏方にも
等分に視線を配る。
「あの、そういう何かに気付いたとかじゃないですけど」
 声のした方を向くと、横山が小さく右手を挙手していた。高校を卒業したばかりで、
まだまだおぼこいってやつだけど、華はある。本当の端役としてのメイドを演じられる
のは今の内かもしれない。
「何でもかまいません。拝聴します」
「乳川さんは自殺……ってことはないでしょうか」
「ん? どうしてまたそんな意見を持つに至ったのでしょうか。思い悩むタイプじゃな
かったという証言を、複数の関係者から得ていますが」
「私もそう思います。だけど、誰も乳川さん凶器を刺せない、撃てないのなら、あとは
本人しか残らないのではないかなと思って」
「なるほど。理屈ではそうなる。じゃ、折角だから皆さんに問いましょう。乳川さんが
自殺するようなことに心当たりのある方はいらっしゃいませんか」
 警部が見渡す前に、「あの」と声を上げた男性がいた。監督の郡戸だった。
「何でしょう」
「彼は実生活でも今度の役柄に近い、遊び人の面があって、金遣いが荒かったんです。
暇と小金があれば、競馬だのパチンコだのにつぎ込んでいました。そして儲かっても、
すぐに使ってしまう。それでうまく回ってる内はいいが、負けが込むとどうなるやら。
あのときの金を残していたらと悔やんで、急に虚しくなって死を選ぶとか、考えられな
いでしょうか」
「私はあなた方よりも乳川さんを知らないので、分かりません。それよりも郡戸さん。
具体的に乳川さんがギャンブルで大負けした事実があるんですか」
「ちょっと前の話になりますけど、麻雀で負けが込んで、手持ちの現金以上にマイナス
になって、支払いを先延ばしにしてもらおうとしたら、怖い人が出て来たことがあった
とか言ってました。やくざとか暴力団とか、そういった連中だと思います。そのときは
身に着けていた時計やらベルトやら上着やらで、どうにか勘弁してもらったとか言って
笑っていましたけど、また同じことを繰り返して、今度こそだめだってなったら死を選
ぶかも……」
「うーん」
 初芝警部は大げさに首を傾げた。
「どうも分からんのですが、自殺するなら誰も見ていないところで一人ですればいいの
では。何でわざわざ皆さんの前で、しかも他殺っぽく偽装して死ぬ必要があるのでしょ
うかね」
「……生命保険金とか」
「ああ、乳川さんは保険に金を使う人ではなかったようでして。奥さんとお子さんがい
るにもかかわらず、保険には入っていなかったみたいです。尤も、ご遺族の元に借金取
りが押し掛けているというようなことにも、今のところなってませんが」
「そうですか。やっぱり、違うのかなあ」
 宙で片肘を突き、右手に作った拳を口元に宛がう郡戸。黙っていれば名監督という風
情、なきにしもあらずだ。
 と、そんなことを考えるともなしに思っていた飛鳥部だったが、不意に初芝から名を
呼ばれた。
「飛鳥部さん」
「はい、何でしょう?」
「あなたは部外者というか、ゲスト参加の方ですよね」
「そうなります。劇団員同士では動機が見付からないから、外部の者が怪しいと?」
「いえ、とんでもない」
 笑いながら両手を振る警部。その姿を見て飛鳥部は、ここにいる全員の中で二番目に
演技が上手いのはこの刑事さんかもと思った。一番? もちろん飛鳥部自身である。
「部外者だからこそ気付く視点というのを持ち得るのではないか思いまして」
「それは警察の方々も同じです」
「ところが現場に居合わせたのはあなただけですよ。現場に居合わせ、しかも部外者の
視点を持てるのは、飛鳥部さんお一人」
「……そう言われましても……あ、でもひとつだけ」
「何です」
「皆さん周知の事実だろうなと思い、刑事さんの事情聴取でも話さなかったのですが…
…今まで全然話に出て来ないので、言ってみますね」
 飛鳥部はステージのスペースから、スタッフ達の顔を見ていった。目的の人物を見付
けて、失礼にならない程度に腕で示す。
「乳川さんと間宮さんはお付き合いしていたと思います。違っていたらごめんなさい。
裁判は勘弁してくださいね」
 飛鳥部は両手を合わせながら、チャーミングさを匂わせて言った。実際には、腕で示
した瞬間の間宮の表情の変化をしっかり見届けており、確信を得ての発言だったのだ
が。
 しかし劇団のメンバー間では、誰も思っていなかったようで。
「間宮さんと乳川さんが?」
「何の根拠があって」
「タイプが違う気がするけど」
 なんて声が重なるようにして次々上がる。それらに後押しされた訳でもないだろう
が、間宮は飛鳥部に向かって、「私が乳川さんと? あり得ないわ」と断言した。三十
前後の肌の白い、大人しそうな見た目だが、演じるときは様々に変化する。特にあばず
れタイプが得意のようだが、ひょっとすると地?
「ですが、最初の台詞合わせのとき、隣同士に座られて」
「そんなことが理由? それで付き合ってたって疑われるんだったら、手をつなげば妊
娠ね」
「まだ途中です。座られるときに、一度右側に腰を下ろし掛けて、思い出したみたいに
左に移られました。あれは利き手が左と右とで邪魔になることを気にしたのではありま
せんか」
「……そうよ。けど、利き手ぐらいのことで」
「まだありました。これまでの何回かの稽古の休憩時に、コーヒーや紅茶を飲むことが
ありました。その際、角砂糖を入れない人、一つ入れる人、二つ入れる人、色々いまし
たが、皆さん毎回同じでした。入れない人は入れない。一個入れる人は常に一個、二個
なら二個と。でもただ一人、乳川さんだけが毎回異なっているようでした。コーヒーと
紅茶で区別してるのでもなし、お茶請けによって変えているのでもない。何だろうと思
ってふと気が付いたんです。曜日だって。何らかの健康のためなんでしょう、乳川さん
は水曜と土曜は角砂糖を一個だけ入れて、あとは無糖でした。そしてこのことを正確に
把握しているのは、劇団の中では間宮さんお一人だったようにお見受けしました」
「それは……私が看護師だから、アドバイスしたのよ。彼の身体を気遣って」
「なるほど。そう来ましたか。でも、彼なんて言うと怪しまれますよ。――ねえ、初芝
警部。どう思われます?」
 最前とは逆に、警部の名を不意に呼んでやった飛鳥部。
 初芝はさすがに慌て得る気配は微塵もなく、「調べる値打ちはありますねえ」と答え
た。そして部下に目配せし、間宮の回りを囲ませてから、話を続ける。
「ただ、間宮さんと被害者が密かに付き合っていて殺害動機があったとしても、彼女が
乳川さんを殺せるのかどうか。方法が分からない」
「それは刑事さん達が今、可能性を検討し始めたばかりだからだと思います。じっくり
考えれば、少なくとも一つ、方法があると分かるはず」
「悪いんですが、それを教えてくれますか。事件解決が早ければ早いほど、我々もあな
た方も助かるでしょう。つまり、今度の劇を中止にせずに済ませられますよ」
「それはよいお話です。不幸中の幸いと述べるのはあれですが、間宮さんには今回、何
の役も割り振られていませんし。――監督、かまいませんよね?」
「あ、ああ。警察に協力して……ください」
 郡戸は外見とは正反対の落ち着きのなさで、了解した。
 飛鳥部は軽く咳払いをして、間宮の方をちらと見てから、警部に対して説明を始め
た。
「私が想像したのは、乳川さんのいたずらは、頻繁にありすぎて、ちょっとやそっとの
ことでは最早誰も引っ掛からなくなっていたんじゃないかという状況です。知恵を絞っ
て作ったどっきりをああまたかで済ませられては、乳川さんも面白くない。そこで一段
階エスカレートしたいたずらを考えた。それが、凶器を使って本当に自らの身体を傷付
けるという荒技です」
「え?」
 何人かが、やや間の抜けた反応を漏らした。「それって自殺説に近いような」という
声も聞こえた。
「無論、凶器に毒は塗りません。ダーツに手を加えて弓矢の矢のようにしたのにも理由
があったんでしょう。あまりに鋭い凶器だと、深く突き刺さって危ないので、市販の
ダーツを軽く尖らせて使った。矢にしたのは、どこかから飛んできたように思わせる余
地を残すため。いきなり自作自演だと見破られては、元も子もないですから」
「なるほど。筋道は通っているようだ。では毒は?」
「警部さんならもうお分かりだと思います。お譲りしますわ」
「そ、そうですか。では……」
 警部もまた咳払いをした。さすがにここでは「さて皆さん」とは言わない。
「いたずらとしてのアドリブで、ダーツの矢を胸に自ら刺すという計画を、間宮さんは
事前に聞かされていた。乳川さんにしてみれば、すぐにでも的確な治療をしてもらっ
て、救急や警察を呼ばれない内に『はいこの通り元気ですよ。みんな騙されてくれてど
うも〜』ってな具合に姿を現すつもりだったに違いない。
 だが、計画を聞かされた間宮さんは、かねてから抱いていた殺意を実行に移すチャン
スだと捉えた。治療のために運ばれてきた乳川さんと二人きりになるタイミングは絶対
にあったと思う。なければ看護師の専門職ぶりをかさに着て、人払いすることも可能で
しょうな。そして二人だけになったとき、凶器のダーツを抜き取り、毒を塗布してから
改めて同じ傷口に押し込んだ。あとは毒が回って、被害者の死を待つのみ――こんな感
じですか」
 喋り終えた初芝は、どことなく気分よさげだった。髪をかき上げ、間宮の反応を窺う
素振りを見せる。
「……そんな朗々と演説しなくても、調べられたらまずい物がたくさん見付かったの
に」
 悔しさを紛らわせる風に、間宮久世は言い捨てた。

 ちなみに。
 劇の方は結局中止になった。飛鳥部はやる気満々だったけれども、劇団員の内、出演
の決まっていた数名が降りてしまい、代役も揃わなかったためだ。一応、無期限延期と
発表されたが、恐らく中止だろう。
 事態がこんな顛末を迎えたせいで、飛鳥部は桂川からちくりと嫌味を言われた。
「プロの集まりじゃない、アマチュア劇団なんだから、彼らの心情を慮って、公演が終
わるまで解決を先延ばしにはできなかったのかい?」
 当然、冗談だったのだが、師匠のこの言葉は飛鳥部に心のライバルの存在を改めて意
識させた。
(一緒の舞台を踏んだとき、私がアマチュアで、彼女がセミプロ、プロだった。少しで
も早く彼女とまた共演したい。ううん、しなくては)
 飛鳥部響子はそうして、涼原純子の顔を思い浮かべた。

 おわり




#473/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/09/27  21:14  (104)
誤配が運んでくれたもの   永山
★内容                                         19/10/10 19:50 修正 第3版
 今日も郵便受けを覗く。何通か入っている。単なる投げ込みチラシも一枚あった。
 私は一通の茶封筒に目を留めた。宛名書きがないことから封筒に入ったチラシの類だ
と思ったが、それにしては封がしっかりされているし、茶封筒とは味も素っ気もない。
 玄関から家に戻って、リビングに向かいながら封を切る。中からは白地の紙が出て来
た。A4のプリント用紙のようだ。六つ折りぐらいに畳まれて、入っていた。
 プリント用意だけど、ここもやはり手書きだった。定規を当てて鉛筆で書いたと思し
き、かくかくした大きめの文字が並ぶ。全て片仮名のようだ。
<サトウカツヒトサン、サトウマナミサンヘ。オフタリノダイジナヒトリムスコ、タツ
ヒコクンヲユウカイシタノハ、ワタシデス>
 読み始めてすぐに、え?っとなった。
 まず、私はサトウではなく鈴木だ。隣の家が佐藤だから、誤配に違いない。いや、そ
もそもこれには宛名がないのだから、郵便局や宅配業者の手を経た配達物ではない。何
者かが直接、郵便受けに入れたのだ。隣と間違えるという大ぽかをやらかして。
 そしてこの文面によると、お隣では子供がさらわれ、誘拐事件が起きているらしい。
 知らなかった。それもそうか。誘拐事件は人質の命を最優先とすることから、報道管
制が敷かれて、原則、事件が決着するか、犯人側からのコンタクトが長期に渡って途絶
えるかすれば、公になる。
 隣の佐藤タツヒコ――竜彦――誘拐事件は、まだその段階には至ってないということ
になる。
 そういう意識を持って、昨日今日の隣家の様子を思い浮かべてみると、確かにそれら
しき動きがあった気がしてきた。真っ当なサラリーマンである旦那の佐藤勝人が今日は
出社していない。今日はゴミの収集日で、いつもなら、他人のゴミ袋のチェックに余念
のない佐藤愛美は、今朝に限って姿を見なかった。そしてシロアリの駆除業者らしきミ
ニトラックが佐藤家の玄関前に横付けされ、大荷物を持ち込んで何かごとごとやったあ
と、二時間ほどで出ていった。あの荷物の中に捜査員が隠れていたのかもしれない。佐
藤家は大きな家で、覗こうとしても簡単には見えないからさっぱり分からなかった。
 手紙の続きに目を通すと、営利目的の誘拐犯の決まり文句が並ぶ。警察など外部に連
絡しないこと、すれば人質の身の安全を保障できないこと、身代金として五千万円を使
用済みかつバラの一万円札で用意しておくこと、次の指示は二日後になることが記して
あった。全文ほぼ片仮名でとにかく読みづらく、“バラノ一マンエンサツ”なんて、薔
薇・ノーマンと読めてしまって、文意を汲み取るのに多少の時間を要したほど。

 さて。
 こんな恐ろしくて禍々しい手紙を受け取ってしまった私は、どうすればいいのだろ
う。
 誤配がありましたよって隣に持って行く? それとも警察に届ける?
 なるほど、そういった常識的な判断はもちろんありだろう。
 だけど私は別の選択肢を思い浮かべている。
 先程、ちらと触れたように、お隣は家が広く、金持ちだ。多分、五千万円なら払える
額に違いない。佐藤愛美は、そうした裕福な家の妻にしては、ちょっと変なところがあ
る。これも先述した通り、近隣の家のゴミを覗く癖があるようなのだ。裕福なのに、他
人の生活水準が気になるのか、あるいは嘘や秘密を暴こうという魂胆なのか、はたまた
ゴミの分別にうるさいだけなのか。
 どうもそれら三つが絡み合っているようだ。要するに、この一帯のママ友でのマウン
トを完全に取りたいのかもしれない。その証拠と言えるかどうか分からないが、一度、
人のゴミ袋の覗かないでとやんわりと抗議したことがあるのだが、分別間違いがあるよ
うに見えたのでチェックしてあげていただけ、と全然改める気配がない。それ以降、我
が家に対して小さな嫌がらせをするようになったようだ。
 抗議の翌日の晩から無言電話が夜中に掛かるようになったし、隣との境目、私の家の
側にやたらと落ち葉が溜まるようになった。町内会の回覧板を、留守だったという理由
で二度ほどとばされたこともある。
 旦那の勝人は一流企業勤めとあってまあまあ常識人のようだが、妻に甘く何にも注意
しない。一度、妻の口車に乗せられたか、テレビの音量を下げてもらえないかと、夜言
いに来たことがあった。こっちは長いことボリュームなんていじってないのに。
 一人息子の竜彦が問題児だ。母親の性格を受け継ぎ、育てられ方もよくなかったと見
え、学校の行き帰りで、近所の人とぶつかりそうになってもそのまま行ってしまうし、
注意しても聞かない、謝らない。もれなく母親からの抗議が返ってくるおまけ付きだ。
ほとんどは家の中でゲームをしているくせに、あるとき突然、往来で泥団子の投げ合い
を悪ガキ仲間と共に始めて、うちの塀にいくつも痕跡を残してくれた。また、カエルの
死骸や犬の糞が家の前にあることがたまにあるが、どうも佐藤竜彦の仕業のようなの
だ。
 こういったいたずらの一部は、我が家が防犯カメラを設置すると、ぴたっと止まっ
た。見た目だけの“なんちゃってカメラ”なのだが効果はあった。
 このように、佐藤家と我が家と軽い戦闘状態にあると言える。ご近所トラブルなんて
これが初めてだけど、実に嫌なものだ。同じ区画の隣同士、完全に無視する訳にもいか
ず、嫌でも視界に入る。おいそれと引っ越しできるもんでもない(佐藤家は引っ越しす
るだけの金銭的余裕はあるはずだが、する気はさらさらないようだ)。終わりが見えな
いのが、特に苛立たしかった。
 ここまで書けばお分かりだろう。私の言う別の選択肢が何かって。
 言ってみれば、生殺与奪の権利を与えられたようなもの。誘拐された竜彦だけでな
く、佐藤家全体の命運を握っているのだ。
 常識ある人間を自負するのなら、警察か隣家に届けるのが人として当然の行動だ。そ
れは重々承知している。
 だけど、そんなことを帳消しにするほど、隣の佐藤愛美や竜彦らのやってきたことに
は迷惑をしている。もしこの脅迫文を渡して、結果、子供が無事に帰ってきたらどうな
る? あのケチな性格から言って、引き続きここに住み続ける可能性が高い、一方、子
供が無事に帰らなければ、事件が解決しようが未解決のままだろうが、佐藤家は居づら
くなるのではないか。好奇の目に耐えられず、引っ越す可能性がぐんと上がる。たとえ
そうならなくとも、あの性根の曲がった子供を屠り、さらには佐藤愛美を絶望にたたき
込めるのなら、充分だ。
 私は封筒とプリント用紙を持ったまま、席を離れて台所に立った。流しに、鍋焼きう
どん用の簡易鍋を置き、中に封筒と脅迫文を入れる。着火道具がないことに気付き、少
し考え、茶封筒を固く捻った。このあとコンロに火を着け、その炎をたいまつみたいに
なった茶封筒に移し、さらに脅迫文の書かれた用紙へと燃え移らせる、ただそれだけで
いい。
 私は何度も何度も茶封筒を捻り、固くした。そしてコンロのスイッチに手を掛ける。
ボッ、という音に続いて青い炎が円を描く。
 さあ、着けようかしら。













                                  なんてね。

 おしまい




#474/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/10/04  22:30  (478)
驚きのバースデー   寺嶋公香
★内容                                         22/09/25 03:31 修正 第7版
 純子は映画の撮影スタジオから引き上げる間際になって、鷲宇憲親から声を掛けられ
た。
「今度の誕生日、サプライズパーティをしてあげるから楽しみにしといて」
 それだけ言い置いて、すたすたと立ち去る鷲宇の背中を、純子はしばらくぼうっと見
送る。
 この直前まで、純子は控室にいて、帰り支度に務めていた。その途中、鏡をしばらく
見つめてしまい、ふっとため息が。やおら立ち上がり、帰り支度最後のアイテムである
小さなバッグを持つと、部屋を出た。
 廊下を行こうとしたところで、「あっと、ちょうどよかった」と声を掛けられたので
ある。
「あの。サプライズになってないと思うんですけど」
 一見、いや、一聞しただけではスルーしてしまいそうな、でもちょっと考えたら矛盾
しているとすぐに分かる。声を張ってそのことを告げると、鷲宇は立ち止まって振り返
り、
「いいからいいから。追って連絡するから、少なくとも当日は空けておいて欲しいん
だ。天候もあるから、できたら一週間ぐらい余裕を見ておいてもらいたいぐらいなんだ
けど。OK?」
 と、大きな身振りをまじえて確認を求めててきた。
「しようがないですね。ええ、かまいません、一週間でも十日でも」
 鷲宇との付き合いも結構長い。だから、この手の無茶振りに近い誘いを断っても、別
のアプローチをしてくるのは分かり切っていた。承知するまで離さない、そんな強引さ
を鷲宇はときに発揮する。
(誘い文句の矛盾に気付いていながら、結局乗ってしまう私も私だけれどもね)
 このところまた忙しくなって、疲れる暇さえなかったから、気晴らしをしたかったと
いうのはある。そして何より大きいのは、相羽信一の長期の不在である。
(船の上で一年間のお仕事だなんて)
 約十ヶ月経った今でも、まだちょっぴり恨めしい。元々この仕事を引き受けるはずだ
ったピアニストがダウンしてしまい、そのピアニスト自身の推薦で知り合いであり友人
でもある相羽に打診が来た。このシチュエーションで断れるはずがない。
(きっと、断れないと分かっていて、頼んできたんだわ)
 あきらめにも似た気分で彼を送り出してから、今日これまでのおよそ十ヶ月。会えた
のはただの一回きりだ。相羽の乗る豪華客船が日本の港に立ち寄るのと、純子の休みの
取れる日とがたまたま重なった。
(そういえばあのときも名目上は、誕生祝いだったわ。一ヶ月ぐらい前倒しで、彼の節
目の誕生日をお祝いした。乗ったことのない船だったし、どんな仕事場なのか見てみた
かったんだけど、急なことで見学予約を入れられなかったっけ。――いくら鷲宇さんで
も、船まで飛んで連れてってくれるはずはないわよね)
 サプライズの中身を早くも過大に期待する自分に、純子は自嘲の笑みをこぼした。最
前、鷲宇が天気について心配する台詞を口にしたいせいかもしれない。
 かぶりを振って、それからスケジュール帳を開く。忙しい身と言っても、現在の純子
は自分の意見で仕事を選べるくらいにはなっていた。誕生日以降のスケジュールは空っ
ぽにしておこう。

 誕生日の前々日、予報では好天に恵まれそうだから当初の予定通りに、という主旨の
連絡が鷲宇から入った。ちょうど冬物の撮影に立ち会っていたため、メッセージが届い
たことに気付くのが少し遅れた。
 今日中なら電話してくれても大丈夫とあったので、詳しいことを聞こうと携帯端末を
耳に当てる。三回ほどコールしてつながった。
「読んだ?」
 いきなり聞かれた上に、その声がいつもの鷲宇に比べて若干嗄れていたので、少しび
っくりした。
「だ、大丈夫ですか」
「これくらい何でもないさ。それよりも読んだから電話くれたんでしょう? 何かご質
問でも?」
「とりあえず、時刻が。何時にどうすればいいのか、おおよその目安でもいいので、知
っておきたいなと」
「あれ。送り忘れたか。しょうがねえなー。当日の午後二時に迎えに行かせるので、待
機しといてもらえる?」
 承服しかけたが、ちょっと前にもらった友達からの電話を思い出した。
「待機ですか。お昼からになるんでしたら、午前中に友達に会いたいんですが」
「友達って、誰。仕事仲間なら呼んじゃうってのも手だ」
「元クラスメートです。鷲宇さん、覚えていないかもしれませんが、唐沢さんご夫婦」
 二人の顔を思い浮かべつつ、名前を出してみた純子。鷲宇はいかにも心外そうな口調
で答える。
「年寄り扱いしなさんな。覚えてるよ。あの二人とどこで何するつもり?」
「連絡はこれからですけど、会って話をして、ランチと買い物ぐらいかしら」
「具体的に店の名前が分かるんなら、そっちに迎えに行かせよう」
「そんな、いいですよ。何から何までしてもらわなくたって。さっき年寄り扱いしなさ
んなって言われましたけれど、逆に私をいつまでも子供扱いしてません?」
「うーん、ずっと一人前に扱ってきたつもりだけどな。それに前にも言ったサプライズ
のためには、君に直接会場に来させるのは避けたいんだ」
「あの、ますますサプライズ感が失われていませんか」
「気にしない気にしない。それじゃあ三時だ。昼の三時で友達との用事は切り上げて、
連絡を寄越してくれないか。指定した場所に行くよ。東京のどこかなんだろ」
「……だったら、唐沢君達を送ってあげて欲しいな」
「無茶を言いなさんな」
 呆れ混じりの笑い声を立てる鷲宇。
「昔からの友達が大切なのは理解できる。でも、僕らも友達だろ? 元クラスメートの
子達に比べたら、キャリアの長さでは負けるだろうけどさ」
「分かりました。ちょっと意地悪を言ってみたくなっただけです。鷲宇さん、相変わら
ず強引だから」
「ほんと、言うようになったねえ」
「それより、当日はどんな恰好をしていけば……」
 まさかとは思うが、フォーマルな衣装を求められるとなると、唐沢達と会ったあと、
また着替えなければならないだろう。
「えーと、考えてなかった。けど、気持ちお洒落するぐらいでいいんじゃないか。一応
言っておくと、和服は避けた方が無難」
「はい」
「あと、足元だけは言っておかなくちゃな。なるべく安定して動ける靴にしておいで。
ヒールの高いのや厚底は以ての外」
「大丈夫です。撮影でも滅多に履きませんよ」
「よし。こっちからはこれくらいだけど、まだ他に何かある?」
「当日のことはともかくとして、私の方から鷲宇さんに誕生日のお祝いをしたことがな
いのが、とても気になってるんですが」
「プレゼントならくれたことあるじゃないか。あれで充分です」
「鷲宇さんのしてくださるお祝いが、豪勢すぎるんですよっ」
 おかげでこちらは見劣りすると表現するのすら恥ずかしいぐらいです云々かんぬんと
言い立てたけれども、鷲宇にはのれんに腕押しだった。
「ま、いいじゃない。それだけ僕は君のことを今でも応援してるし、感謝もしてる」
「大げさですってば〜」
「前にも言ったかもしれないけれども、僕は生き甲斐、と言ったらさすがに大げさだ
な、やり甲斐を失っていた時期があって、明らかに停滞していた。仕事も趣味も惰性で
やっていて、それでも何か知らないけど周りが評価してくれる。そんな状況に飽いてい
たときに、涼原純子という少女が現れた。本心を言えば、才能は認めつつも最初は興味
半分でサポートしたんだ。が、打てば響く、磨けば輝く君がすっかり気に入ってしまっ
た。これは僕も負けていられないぞと思えたのは、君のおかげ」
 純子は苦笑いを浮かべていた。もう耳にたこができるんじゃないかってほど、何度も
聞いた話だ。くすぐったいこの感触は、何年経っても変わりがない。
「あー、もう分かりましたから。喉の方、お大事にしてくださいね」

 十月三日になった。
 予定していた通り、そして希望していた通り、午前中は九時半頃から唐沢夫婦と会っ
て、旧交を温めるのに時間を費やした。
「相も変わらず、魔女ですなあ」
 唐沢の挨拶は、ここ数年、ずっとこれである。そして続けて愛妻との比較を始めて、
当人から肘鉄を食らわされるのがひとつながりになっていた。
「まったく、いくつになっても、変わらないんだから」
「ふふふ、大変そうだね」
 服をメインに、ファッション関係のショップを見て回りつつ、お喋りに花を咲かせ
る。
「大変そうなのは、純、そっちじゃないの。旦那ってば、まだ船の上のピアニストなん
でしょ?」
「うん」
「会えてるの?」
「だめだめ。それなりの頻度で日本に帰っては来てるんだけど、タイミングが合わなく
て。私が見境なしにドラマの仕事を入れてしまったから」
「寂しさを紛らわせるために、でしょ」
「そ、そうでもないのよ」
「そういや、お子さん達は? 今日の誕生日――」
「おーい。いい加減にしてくれ」
 唐沢の声が話を中断させる。振り向くと、荷物を両手に提げた彼が、ややわざとらし
く肩で息をしていた。
「よくそんだけ喋りながら、買い物ができるもんだ」
「男性は二つ以上のことを同時にするのが苦手っていう説があるからねえ」
 お昼になって、百貨店最上階の展望レストランというベタなシチュエーションで、食
事を摂る。三時のお茶を飲む時間が取れるかどうか怪しいため、デザートもここで。
「ということで、誕生日おめでとう」
 デザートが運ばれてきたあと、唐沢夫婦からプレゼントをもらった。ルービックキ
ューブ大の箱で、持った感じは重くもなく軽くもない。
「開けていいよ」
「それじゃあ」
 爪を使ってきれいに包装紙を取り、順次開けていくと、現れたのはオルゴールだっ
た。それもからくり人形付き。音を鳴らす間、ピアノの上で人形が踊る。
「うわぁ。ありがとう。『トロイメライ』ね」
「曲目は純子が好きな曲と知っていたからよかったんだけど、ピアノの蓋が閉じたまま
というデザインが、中途半端だと思ったのよね。でも喜んでくれてよかった」
「ううん、そこまでこだわらないわよ。あ、でも、ピアノを見ていると、彼を思い出し
て涙に暮れるかも」
「あ、ごめん。思い至らなかったわ」
「冗談だってば」
 他の友達や家族の近況などを話していると、時間はあっという間に過ぎて、三時を迎
えた。きりのいいところまで話すと、多少オーバーした。
「また何か出るんだったら、教えて。ずっと応援してるから」
「ありがと。次は私の方から誘うね」
「無理しなくていいよ。暇で暇で退屈に飲み込まれそうなときに誘ってちょうだい。相
手をしてあげよー」
 名残惜しかったが唐沢達と笑顔で別れると、純子は一呼吸を入れてから鷲宇に連絡を
取った。

 二十分足らず後に、長い長いリムジンが現れたので何事かと思った。次に嫌な予感が
して、素知らぬふりをしていたが、案の定、純子の目の前でその車は止まった。
「待たせてすまない。ちょっと混み始めてた」
「何ですかこれは」
 リアウィンドウを下げて声を掛けてきた鷲宇。純子は被せ気味に聞いた。
「何って。この方がゆったりのんびり行けるから、いいだろうと思って」
「っ〜」
 唖然としたが、何とも言えず、ここは冷静さを保とうと努力した。結果、どうせ状況
は変わりないのだから、さっさと乗り込んで出発してもらった方がいいと判断。
「早く出ましょう。注目され続けると、鷲宇憲親が来てるとばれるかもしれませんよ」
「それもそうだ」
 後部座席は窓に濃い色のフィルムが貼られたり、カーテンが引かれたりで、外を見ら
れないようになっていた。天井はスクリーンのようになっていて、プロジェクター装置
で星空を投影できるという。試しにやってもらったところ、実際の星空を映すのとプラ
ネタリウムの二種類があって、プラネタリウムの方は省略がなされており、若干物足り
なかった。
「見ただけで分かるとは、凄いな」
「逆です。見たから分かる、見なければ分からない。こう見えても眼はいいんですよ」
「……なるほど。真理だ」
 やがて車は何かの区画に入ったのか、段差を乗り越える感覚があった。
「鷲宇さん、今さらですが、外を見てはだめなんでしょうね?」
「ええ。行き先が分かったらつまらない。でももうすぐ到着だ」
 鷲宇は時計を見て言った。同時に、ゴム製のクリップみたいな物を取り出す。
「悪いんだけど、少しの間だけ、これを着けてもらいますよ」
「これって何ですか」
「シンクロナイズドスイミングで使う物」
「ああ、鼻栓……じゃなくって、あれって何て言うんですか?」
「僕も今回初めて知った。ノーズクリップ。まあ、日本語では鼻栓でいいみたいだけ
ど、鼻栓と言われると、鼻の穴に直接詰めるみたいなイメージがあるなあ」
「それで何のために装着? まさか、世界一臭いのきつい缶詰を食べるのがサプライズ
とか……」
 不安になってきた。鷲宇の顔をじっと見ると、相手は笑い出した。
「はは、そういう想像するか。誕生日のパーティにそれじゃ、まるで罰ゲームになって
しまうよ。シュールストレミングではないことだけは請け負うから安心して」
「安心できませんよ。世界で二番目に臭う食べ物かも」
「はいはい。これに目隠しもしてもらうと言ったら、どんな想像をする?」
「目隠し? あの、目隠しをするんだったら、お願いがあるんですが」
「何でしょう」
「よくバラエティ番組で見掛けた、眼や眉が面白おかしく描かれたアイマスク、あれは
勘弁してください」
 真顔で訴えた純子に対し、鷲宇は本日二度目の笑い声。
「あははは。何の心配をしてるの」
「自分では見えないだけに、とても恥ずかしい気がします、多分」
「厚手の手ぬぐいでぎゅっとやるから、その心配も無用だ」
「……もしかして、強盗か誘拐犯に襲われた設定ですか?」
「うーん、教えてあげてもいいんだけど、イエスとノーどちらの答でも、この先がつま
んなくなるだろうから教えない」
「じゃ、違うんだ。鼻栓の説明も付かないし」
「どうかな。さあて、そろそろ装着してもらいましょうか。もう一つ、ヘッドホンを耳
に当ててもらうよ」
「えー! やっぱり、どっきり番組の空気が」
 話している途中で鼻をつままれた。

 長いスロープを何度か折れ、階段を慎重に歩かされ、建物の中に入った感じがしたと
思ったら、今度はエレベーターに乗った。
 と、ノーズクリップが外された。
「鼻に跡が残ってないですか」
 続けてヘッドホンと目隠しも取ってもらえると思って、そう質問した純子だったが、
予想は外れた。目と耳はもうしばらく不自由な状態に置かれるらしい。
 程なくしてエレベーターが止まり、何階だか分からないがそのフロアで降りた。そこ
から少し歩いて、どこかの部屋に入ったようだ。閉まる扉の起こした風を、背中に感じ
る。ここで、ずっと付き添っていた鷲宇――のはずだ――が離れる気配があった。
「鷲宇さん? ――ひゃっ」
 気配の遠ざかる方向へ声を掛けた途端に、反対側から肩を触られ、びくっとなった。
直後、ヘッドホンと目隠しが外される。
「失礼をしました。驚かせて申し訳ありません」
 若い女性が一人、正面に立っていた。
「あなたは」
 目をしばたたかせ、鼻を触りつつ、純子は聞いた。
「お席まで案内します。多少暗くなっておりますので、足元をどうぞお気をつけくださ
い」
 彼女が手をかざした方を見やると、座席がずらっと半円を描く形に備え付けられてい
る。プラネタリウムの観覧席を連想したが、その半円の中心に実際にあるのは、ステー
ジだ。各座席には開閉可能なミニテーブルが備わっている。
 純子が中央の特等席と言える椅子に着くと、案内の女性が何か言った。さっきまでし
ていたヘッドホンからは大音量の音楽が流れていた。そのため、今は少し聞こえづら
い。
「え? もう一度お願いします」
「そちらにあるメニューから、お好きなドリンクを」
 にっこりとした表情で言われ、純子は急いでそのメニューとやらを探す。立てたミニ
テーブルの隙間に挟んであった。
「それでは……レモンスカッシュをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 お辞儀をして去って行く女性。そちらの方向をしばらく見ていたら、じきに引き返し
て来たので、慌てて前を向いた。
「どうぞ」
 ミニテーブルを開き、そこにコースター、ドリンクのグラスと置く。
「ありがとう。あの、このままにしていればいいんですよね」
「はい。どうぞごゆっくり」
 案内の女性が再び立ち去ると、室内――ホール内をかすかに照らしていた光も徐々に
絞られ、暗くなった。足元と非常口だけは灯りがあるが、他は輪郭がぼんやりと分かる
程度だ。
「今回も贅沢なことをされていそう……」
 思わず呟いたのを待っていたみたいに、突然、大音量が鳴り響いた。
 ステージに照明が向き、そこに立つ細身の人物がギターをかき鳴らしている。その背
後にはいつの間にスタンバイしたのか、ドラムセットがあり、別の人が警戒に叩き始め
る。
 手前のステージはもう一人、ギターの人よりはがっちりした体格の人が、マイクスタ
ンドに片手を掛けて立っていた。片方の爪先でリズムを取っていたかと思うと、歌い出
した。
(これって)
 聞き覚えのある歌と声。それにビジュアル。
(この三人組のバンドって、“ショートリリーフ”?)
 一時期、所属事務所の異なる男性ミュージシャン三名が組んで結成されたユニット
だ。元はチャリティ目的だったので、当初から期間限定のバンドだった。ショートリ
リーフの名にふさわしいかどうか分からないが、三年間の活動期間を終えて解散。でも
再結成を望む声は多かった。
 ドラムが鹿野沢怜治(かのさわれいじ)、今ギターを持っているのが飯前薫(いいさ
きかおる)、そしてボーカルが鷲宇憲親だ。
「す、ごい」
 勝手に感嘆の言葉が出た。
 何が凄いかって、まず最早見られないと思われていた三人組の復活が凄いし、当時と
ほとんど変わらぬであろうキレや力強さを有していることも驚異。特に、ボーカルを務
めている鷲宇は、最盛期を取り戻したかのような声の張りを見せていた。
(鷲宇さんて、私のいくつ上よ? 信じられない。二日前に電話したとき、声の調子が
ちょっぴりおかしかったのは、このためだったのかなぁ……)
 申し訳なさで、身が縮む思いだ。
 ボーカルとギターが交代して、二曲目を演奏。どちらも激しいロック調だった。三曲
目はまた鷲宇がボーカルに戻って、バラードを披露。どうやら代わり番こで唄うらし
い。
 立て続けに三曲、いずれもバンドのオリジナル曲を披露したところで、コメント休憩
に入る。
「えー、どちらで呼ぼうかな。とりあえずいるのは芸能人ばかりってことから、芸名
で。風谷美羽さん、誕生日おめでとうございます」
 純子は立ち上がって拍手しつつ、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「二人とは面識は?」
 鷲宇がギターとドラムを指し示しながら、誰ともなしに聞いた。
「あるにはあるけど、挨拶を交わした程度だったんじゃないかな」
 鹿野沢が短く剃った顎髭に手をやり、記憶を確認したかのようにうなずく。
「僕も同じだな。それじゃ改めて挨拶しますか。飯前です、よろしく」
 飯前がギターを持ったまま、細い身体を折り曲げる風にしてお辞儀した。続いて鹿野
沢も、腰を上げて一礼する。
「風谷美羽です。十年ぶりぐらいいなります?」
 純子は前に行った方がいいのかなと、席の通路を横に移動し掛けた。が、鷲宇からス
トップが掛かる。
「まあまあ、今日の主役は動かずに、どんと構えていればいい。話す時間はあとで取れ
ると思うしね。さて、喋る内に回復してきたので、また始めようかな。今日、十月三日
は君の誕生日ということで、とりあえずこれを贈らなければいけないな」
 鷲宇が目で二人に合図し、四曲目は静かにスタート。話の流れでもう明らかだった
が、曲は『ハッピーバースデートゥユー』。必要以上に情感を込めるでなく、楽しく弾
むように歌い上げ、最後のくりかえしのときだけちょっとアレンジしていた。なお、歌
詞で名前に置き換えるところは、“純子”になっていた。風谷美羽は芸名だから、芸能
人としてデビューした日こそが誕生日になる、と鷲宇達が考えていたかどうかは分から
ない。
「ケーキは用意してあるから、あとのお楽しみで」
 こう付け足されて、純子はホールケーキのキャンドルを消す仕種をして見せた。
 これ以降、和洋のロックやバラードの古典的名曲を中心に、何度か休憩を挟みながら
も二時間たっぷり、歌と演奏で楽しませてもらった。
 ラストの曲が終わるや、辛抱溜まらず、純子は席を離れてステージそばへ走った。
「おっと、危ないですよ。急がなくても逃げやしないから」
 そう言われたからというわけではないが、確かに足元がふらついた。いきなり立ち上
がったせいかもしれないと、そろりそろりとした歩みになる。
「鷲宇さん、鹿野沢さん、飯前さん、どうもありがとうごっざいました。ほんっとうに
感激です」
「んな、大げさな」
「いえ。こんな素敵な時間を独り占めだめなんて、ファンの方に申し訳ないです。鷲宇
さんもまだまだできるんだと分かって、安心しましたよー」
「そんなに衰えたと思われてたわけ?」
「だってこの間の電話、声が」
「あれはちょっと張り切りすぎただけ。無茶な練習したって意味なら、こいつら二人の
方がよっぽど」
 鹿野沢と飯前に顎を振る鷲宇。そんなことはないぞとすぐさま反論が返っていた。ま
ったくもって、いつまでも若い人達だ。

 シークレットかつパーソナルなライブが終わると、夜八時近くになっていた。
 食事はこちらでと、最初の女性の案内で通されたのは、ホールのすぐ向かいのレスト
ラン。お客は一人もおらず、貸し切り状態のようだ。
(変わった構造の建物……。シネマコンプレックスを映画以外で色んなお店を集めたみ
たいになってる?)
 天井が何となく低い。さっきまでいたホールと、これから行くレストランだけでな
く、他のお店にもお客は皆無。それどころか、通路を歩く人さえいない。各店舗に店員
さんの姿が見えるだけだ。
(まさか鷲宇さん、施設全体を貸し切りに)
 くらくらしてきた。歩くのに支障が出そうなほどだ。
(お祝いしてもらっている間は考えないようにしよう。精神衛生上、それが一番ましだ
わ、きっと)
 レストランでは店用のピアノの前を通って、窓際の席に案内された。出入り口を背に
した向きに座る。外はとっぷりと暮れて、ほぼ暗闇。
(……暗すぎない? 灯りはぽつんぽつんとあるけれども、動いているから車か飛行機
か)
 窓ガラスに顔を近付け、よく覗こうとした矢先、鷲宇の声がした。
「やあ、お待たせ。飲み物は頼みました?」
 シャワーを浴びでもしてきたか、さっぱりした様子の鷲宇。
 純子は前に向き直って、いえまだですと答えた。
「そうか、じゃ」
 と鷲宇が片手を挙げるまでもなく、制服姿のスタッフがすっと駆け付けた。
「お酒は?」
「相変わらずです。とても弱くって。もちろん最初の乾杯には付き合います」
「いや、いいよ。無駄なことだ。そっちはソフトドリンクからどうぞ」
「じゃあ……リンゴジュースを」
 鷲宇はビールを頼んだ。
 オーダーからほとんど待たされることなく、飲み物が届き、続いてコースメニューの
内メインディッシュとデザートがそれぞれセレクトできるからと、希望の品を聞かれ
た。
 メインディッシュは牛、鶏、魚の中から二人とも牛を選び、デザートは鷲宇がアイス
クリームを、純子は和菓子をチョイスした。
 スタッフが去り、乾杯すると、すぐに純子はお礼を言った。
「今回もよくしてもらって、ありがとうございます。飯前さんと鹿野沢さんは?」
「彼らは別のところで飲み食いを始めてる。久々の三人組んでの演奏で、疲れ切ったか
らリラックスしてのんびりしたいようだ」
「だったら鷲宇さんも」
「僕は君をもてなす役目がある。もうちょっとがんばりますよ」
「無理しないでくださいよー。何かあったら、本当にファンの方達にも鷲宇さんご自身
にも申し訳が立ちません」
「今は厚意を素直に受け取って。その方がよほど僕の心身は回復するよ」
「そ、そうですか」
 そうこうする内に前菜と食前酒が運ばれてきた。いただきますと手を合わせたが、す
ぐには手を伸ばさない。
「やっと意味が分かりました」
「ん? 何が」
「誘ってくださった時点で、いきなりサプライズパーティをするからって言うから、お
かしなことをと思ってたんです。サプライズを予告しておいてなおかつ驚かす自信があ
るなんて、一体何だろうって不思議でした。ショートリリーフの再結成だったんです
ね。そりゃあびっくりしますって」
「そうか。あれで充分驚いてくれたか」
「ええ。芸能界的にはビッグニュースだから、場所を突き止められないようにって、私
に目隠しなんかをした。言ってくれていたら、私、口外無用は守るのに」
「そうだと信じてるよ。だから、君に目隠しやヘッドホン、鼻栓までしたのは別の理由
があるんだ」
「あれ? そうなんですか」
 見破られて悔しいからごまかそうとしている……わけではないようだ。
「場所を秘密にするのに、鼻栓はさすがに意味がないだろう?」
「それはまあ確かにそうなんですけど、私を混乱させるために、嘘の手掛かりを入れた
とかでは」
「違います」
 楽しげに微笑んで、鷲宇はおちょこサイズの食前酒を一気に開けると、時計を見た。
それからおもむろに手を合わせた。
「よし、じゃあ、タイミングもちょうどいい頃だから、プレゼントを取りに行ってく
る」
「今ですか?」
「ああ。戻って来たら、種明かしをしてあげましょう。お楽しみに」
 席を立つと、鷲宇は店のスタッフの誰に断るでもなく、外に出て行った。どうやらス
タッフ達とも話が付いているようだ。
(何だろう、とっても違和感があるのは確かなのよね。鼻栓だけじゃなくって、さっき
お店に入る前に、壁の一部に無駄にスペースが開いてるなって思った。あれって、ポ
スターか何か張ってあったものを、剥がしたばかりといった様子だった。他にも、お酒
を飲んでいないのに最初っから足元が不安な感じがするし、それに今この窓の外の景色
だって、よく見えないけれども――)
 再度、暗闇に目を凝らそうとしたときだった。
 音楽が流れてきた。店のほぼ中央に置いてあるピアノからだ。いつの間に人が座った
んだろうと純子が振り向くよりも早く、その曲に気付いて、どぎまぎする
「『そして星に舞い降りる』だわ」
 純子が歌手デビューした際の曲。芸名はまた別だったけど。
 懐かしくはあるが、元は鷲宇憲親が作ってくれた物だから、この場にいてこのタイミ
ングで弾いてもらうというのは、特段不思議ではない。鷲宇らしいとも言える。
 だから、純子をどぎまぎさせたのには別の理由があった。
(弾いているの、信一さんだわ!)
 音しか聞かなくても絶対の自信があった。それは作り物の星空と本物の星空を見さえ
すれば一瞬で見分けられるのと同じ。聞けば分かる。
 状況はわけが分からないが、相羽信一がここのピアノの前に座って、今弾いているの
は間違いない。演奏を邪魔しないように、そっと席を立った。
 その刹那、床が多少傾いて――。
「え?」
 テーブルに手を突いて、どうにか倒れずにすんだ。スタッフが二人駆け寄ってきて、
大丈夫でしたかと心配してくれた。
「え、ええ」
 元の椅子に座り直し、首を傾げた純子。
(今のは立ちくらみとか、酔いとかじゃなく、ましてや不注意で転びそうになったんで
もなく……そっか)
 純子は鼻をひと撫でし、今一度窓の外の景色に意識を集中してみた。
(やっと理解できた。私ったら気付くの遅すぎだわ)
 苦笑いを抑えながら、改めてピアノの方を注視した。
 もうじき曲が終わる。

 一曲弾き終えると、相羽は当たり前のような顔で純子のいるテーブルへと来た。
「純子、久しぶり。それから誕生日――」
「待って。これはあなたの発案?」
 テーブルの上にあった皿を脇にのけて、にじり寄るように純子は問い掛けた。
「違う。鷲宇さんだよ。ただ、君に会えないことを愚痴ったら、自業自得だねと言われ
つつ、いい方法があるというものだから、つい乗ってしまったのは認める」
「こんな面倒でややこしいことしなくても、普通に会わせてくれたら充分なのに」
「ということは本当に実行したんだ? 船を船と思わせずに、君を乗船させる作戦」
 思い返してみれば納得が行く。車の外を見せないようにしたのは、港に向かっている
ことを悟られないようにするため。車から降りたあと、目と耳だけでなく、鼻まで覆っ
たのは、海特有の匂いを嗅がれたくなかったから。
 事前に鷲宇が履き物に関して注意を促してきたことや、歩く度にふわふわふらふらす
る感覚が時折あったことは、船が港を出てたあと多少波の影響が出ると分かっていた
し、事実揺れたってことに他ならない。ショートリリーフの三人が年齢以上にがんばっ
て(失礼!)、激しいロックを多めに演奏したのは、船のエンジンなどの駆動音をごま
かすためだろう。
「あと、壁の所々に不自然な空白みたいなのがあったけれども、あれってもしかする
と、船の案内図があったのを外したんじゃない?」
「多分、当たってる。僕もこの店に来るときに見掛けて、えっ?て思ったもの」
 相羽が苦笑いした。そんな会話の切れ目を待っていたみたいに、スタッフが来て、
「お取り替えいたします」と言い、前菜と食前酒を新たな物に交換した。
「このまま一緒に食事できるのね?」
 弾んだ声になった純子に、相羽は「当然」とうなずいた。

「それにつけても、鷲宇さんたらやることのスケールが無茶苦茶よ」
 感謝はしてるけれどもと前置きして、純子は言った。
「施設の貸し切りまでは考えたわ。でもまさか、豪華客船を丸々借りるだなんて……ど
うあっても気にしてしまうじゃないの!」
「あー、あんまり費用の話はするなと言われてるだけどね。現在のこの船の移動自体
は、元々の予定通りなんだ」
「え? 回送ってこと? そもそも、どこに向かっているの」
「横浜を発って、名古屋に向かっている。次のクルーズが名古屋発なんだ。こういうと
き、横浜から名古屋行きのワンナイトクルーズを組み込むこともあれば、スケジュール
の都合などで、お客を乗せずに移動するケースもあるんだって。僕もこの船で仕事をさ
せてもらうようになって、初めて知った」
「ふうん。で、でも、イレギュラーなことしてるのには変わりないんでしょ?」
「イレギュラーには違いないが、制度としてあるにはあるんだって。たとえばだけど、
北海道から横浜までのクルーズを楽しんだお客さんが、直後に予定されている名古屋か
ら高知を巡って神戸に向かうクルーズにも続けて乗る場合、横浜から名古屋までをその
船に乗って行けるというね。全部が全部にある制度じゃないから特例には違いないけ
ど」
「へー、知らなかったわ。勉強になる」
 それでも乗員の手間賃を考えたら……とまで考えるのはやめた純子。およそ五ヶ月ぶ
りの相羽との再会なのだ。無粋はやめて、目一杯楽しもう。話を聞く限り、明日もまた
仕事があるのは間違いないんだし。
「メインディッシュが終わったことだし、ぼちぼちもう一曲、プレゼントしよう」
 背もたれに手をついて、慎重に腰を上げる相羽。船上生活で培われたようだ。
「何かリクエストはある? あんまり年齢は言いたくないけど、お互い、五十になった
記念に」
「そうねぇ。あなたの今の気持ちを表すような曲なら何でも」
 純子はとびきりの微笑みで彼を見送った。

 やがて流れ聞こえて来たのは――サティの『きみがほしい』。

――『そばにいるだけで番外編 驚きのバースデー』おわり




#475/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/12/30  21:09  (104)
平成最後もしくは令和最初かもしれない殺人  永山
★内容                                         19/12/30 21:10 修正 第2版
「こりゃ豪華にしなきゃならん訳だ。周りが貸し別荘だらけだから、単なるホテルじゃ
客が寄り付かない」
「警部、何のんきなことを言ってるんですか。この島にわざわざ渡ったのは、殺しの捜
査のためなのを忘れないでください」
「忘れちゃいねえよ。リゾート気分で臨んだら、迷宮入りしたなんて御免だ。分かって
ることを言ってみろや」
「えー、被害者の名前は、チェックイン時のサインによると、大平昭治(おおひらしょ
うじ)。運転免許証の顔写真及び記載事項とも一致しています。年齢は三十一。職業は
カメラマンを自称していますが、実際は恐喝に手を染めていたようです」
「そんな奴が、時代の移り目を祝おうと、こんなおしゃれなホテルの十階、眺めのいい
最上階の部屋に泊まるってか。価格も特別設定で馬鹿高くなってるだろうに」
「一緒にチェックインした女性がいたそうですが、今は行方知れずで」
「そいつが犯人てことで決まりか?」
「分かりませんけど、間違いなく第一容疑者ですね。派手な赤のドレスを着ていたとの
ことで、その格好のままなら、じきに見付かると思いますが……」
「死亡推定時刻は? 大まかな数字はそろそろ出ただろ」
「午前0時を挟んで前後一時間ずつ、です。大きく外れることはないだろうと」
「近所でカウントダウンイベントが催され、花火を打ち上げたんだっけか? 花火の音
に紛れて撃ったとしたら、誰も気付かねえかもしれんな」
「可能性は高そうです。午後十一時から午前一時の間に目撃というか、異変に気付いた
者はまだ見付かっていませんから」
「撃たれそうになって、どうにか逃げられなかったのか。大の男が女を前に」
「手足は強力なダクトテープで拘束され、口にもダクトテープ。とても逃げたり助けを
求めたりできる状態ではなかったでしょう」
「感覚的な発言に、理路整然と答えるなよ。――おっ、指紋が出たらしい。うん? 被
害者の指紋じゃねえか」
「え、被害者の指紋が検出されたってわざわざ知らせに? どういうことだろ……」
「何だ、分かったぞ。ガラス窓に被害者の指紋がべたべたあって、それが字を書いたよ
うに見えたから、いち早く知らせてくれたようだ」
「なるほど。つまるところ、ダイイングメッセージってやつですか」
「そのようだ……が、何だこりゃ。『018』だとよ」
「数字と来ましたか。うーん、部屋番号? いや、このホテルは各フロアの階数プラス
二桁番号だから、018はありませんね」
「語呂合わせじゃねえか? マルイ・ヤエとかいう女の名前とか」
「そんなことを言い出したら、きりがなくなると思いますが」
「何だと。じゃあ、例を挙げてみな。きりがないくらいにな」
「お、怒らないでくださいよ。こんなことで」
「俺は口から出任せ言う奴が大嫌いなんでな」
「しょうがないなあ。女の名前じゃなくてもいいですね? マルイ・エイト、マル・カ
ズヤ、マルイワ、マイヤ、マイワ、マトヤ、マトバ、えーっと……ワイヤー? レイ
ヤ、レイワ、レイ・イバ。うーん、オカズヤ?」
「待て。それくらいで勘弁してやる。二つか三つ前になんか言ったな。レイワって」
「ああ、言いましたね。奇しくもって言っていいのか、『令和』だ。そういえばテレビ
のワイドショーか何かで前にやってました。西暦の年を令和の年に変換する方法。令和
を数字に置き換えると018。これを西暦の下三桁から引くんです。今年だったら、2
019の019から018を引いて1。令和一年、令和元年てことです。うまくできて
ますよねえ」
「豆知識は今んとこどうでもいい。被害者が書き残した018が令和だとしたら、どん
な意図が考えられる?」
「うーん……自分が撃たれたのは、令和になってからだと伝えたかった?」
「はあ? そんなことに何の意味があるってんだよ。発生から何年も経って遺体が見つ
かり、詳細な死亡日時が特定できない事件なら役立つに違いないが。今回は死亡推定時
刻は明らかになってんだ」
「そんな大声で文句を僕に言われても。被害者に言ってください」
「被害者にも言ってやったよ。まったく、でかい図体をして後ろ手に縛られた不自由な
態勢で、ちまちまと指紋を付けて苦労したろうに。何でこんな訳の分からんメッセージ
を」
「――そうか。後ろ手だったんですよね」
「ん? どうかしたかそれが」
「だって、考えてもみてください。後ろ手に縛られてたのなら、字もそのままの姿勢で
書いたはずですよ。普段書いているのと同じつもりで書いたら、字は逆さまになるんで
す」
「逆さまに……なるな、確かに。それで? 018が逆さだとすると、元は何だ」
「810になります。これなら真っ先に調べるところがありますよ。部屋番号、八階の
十号室に行ってみましょう」

 〜 〜 〜

「まさか、こっちにも死体があるとはな」
「えー、男の名前は成正明(なるまさあきら)。チェックインのサイン及び運転免許証
で確認済みです。職業はまだ照会中。チェックイン時刻は、大平より二時間半ほど早い
ですね」
「で、こいつが赤いドレスの女に化けていたのか」
「多分。こうしてドレスとウィッグとヒールがあるので、間違いないでしょう」
「なのに、何でこいつまで殺されてる? しかも同じように後ろ手に拘束されて、足も
縛られ、口にはダクトテープと来た」
「確かに変です。状況から推すと、先にチェックインした成正が女性に化け、ホテルを
一旦出てから大平と合流し、今度は男女カップルとしてチェックイン。隙を見て大平を
拘束する。成正は正体を明かして部屋のキーも見せた上で、計画を得意げに語ったんで
しょうかね。で、大平を殺害後、810号室に戻って扮装を解き、知らん顔をしてい
た。こう考えるのが理にかなっています」
「成正を操っていた誰か第三者がいるってことだな。それを解き明かすヒントになれば
いいんだが、このダイイングメッセージが」
「またですね。血文字で、床に書かれているのはさっきと違いますけど。今度のは“h
EISEI”。筆記体っぽいですが、平成と読めます」
「令和に平成。出来過ぎだ。どうせまた逆さ文字だろ。何て読める?」
「そうですね……これも数字だとしたら、135134、かな」
「……なるほど、4は上の頂点が開いた形か。よし、じゃあすぐに行こう。この部屋番
号のところに」
「それが……このホテルは十階までなので、そんな部屋はありません」

 〜 〜 〜

「結局、あれは逆さ文字じゃなかったんですね。床に書いてあったから、被害者が死ぬ
間際に藻掻いて身体の位置が変わったとしたら、字のどちらが上かなんて分からなくな
って当然です」
「だからってなあ……英語で書くことはねえじゃねえか。いや、黒幕だった犯人はアル
ファベットを知らねえガキだったから、意味を理解されないように英語にしたのはまだ
分かる。だが、文の頭を小文字にするとは」
「被害者は最高にテンパってたんですよ。“He is E・I”で犯人のイニシャルを
表そうと思い付くくらいなら、ローマ字で名前をずばり書けばいいのにしないくらいな
んだから」

 終




#476/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/05/31  16:55  (  1)
十二の恋はうつろわない   寺嶋公香
★内容                                         22/06/09 18:08 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#477/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/06/30  21:51  (170)
ひっかけ問題   永山
★内容                                         20/07/01 10:39 修正 第2版
 不知火さんと出会ったのは、小学校五年に上がったときだった。
 それまで自分はクラスのクイズ王として名を馳せていた。クイズ王と言っても答える
方ではなく、出題する方だ。問題のタイプも知識を問うクイズは少なめで、とんちの効
いたなぞなぞやパズルがほとんどだった。実際そういう、人をだまして引っ掛ける要素
のある問題の方が受けがよかったのだ。クラスメートや先生に問題を出しては困らせ、
面白がらせていた。
 たとえば。

<問題。テーブルの上に紅茶がいっぱいに入った器があります。近くでおやつの用意を
していたお母さんが突然叫びました。
『あっ、あなたにもらった指輪、紅茶の中に落っことしちゃった』
 それはトルコ石の指輪で、トルコ石は水に濡らすと染みになります。
 お父さんは慌てず騒がず言いました。
『大丈夫だ。こうすれば何の問題もない』
 お父さんはスプーンを使って指輪を紅茶の中からすくい上げました。トルコ石を調べ
てみるとどこも濡れていません。何故でしょう?>

 この問題は担任の益子先生以外は誰も正解しなかった。
 答を教えて欲しい? そう言わずにちょっとは考えてみてよ。考えてもらっている間
に、不知火さんとの馴れ初めを書いてみるから。

 不知火さんは五年生のときに転校してきたので、当初、どういう子なのかは誰も知ら
なかった。口数が少なく、本をよく読んでおり、勉強もできるらしいのはすぐに分かっ
たけれど。
 真面目そうで本を読んでるからって、勉強ができるかどうかは分からないだろうっ
て? そりゃそうだ。言葉が足りなかったね。不知火さんとは教室で席が隣同士になっ
たんだ。四月の下旬に小テストが何科目かであってさ。小テストの採点は、隣同士で答
案用紙を交換して、先生の説明を聞きながらするんだ。彼女の点数はどの科目も九十五
点を切ることはなく、というか国語を除いて全部百点だった。
 国語のマイナス五点も、漢字を書く問題で一問、迷っている内にタイムアップになっ
ただけ。その迷った理由が面白い。何でこんな簡単な漢字を書けなかったの的なことを
言うと、
「だって前の出題文に、その漢字がずばり使われているから。他の漢字があるのかなと
思って」
 との返事。言われてみればなるほどその通りだった。
 このときの不知火さんみたいに考えすぎるほど考える人、自分は嫌いじゃない。パズ
ルを出す相手としてやりがいがあるから。ということでそれまでにため込んできたパズ
ルやなぞなぞを、彼女にどんどん出してみた。
 さっきの紅茶の問題も出したよ。
 不知火さんはあっという間に正解した。
「紅茶は紅茶でも、茶葉だったんではないでしょうか」
「せ、正解。凄いね」
 初めて同級生に正解された動揺を押し隠し、賛辞と拍手を送った。
 不知火さんは謙遜する風に「いえそんな」と応じ、続けて「それにしてもトルコ石の
性質なんてよく知っていますね。水に弱いという点は扱いづらいですが、ユニークだ
わ」と褒めてくれた。と同時に、彼女自身はそのことをメモに取った。
「そんなことメモって、何にするの?」
「特に決めてはいませんが、何かに使えると思ったので」
 知識欲の強さの表れだった。
 紅茶の問題を解かれたあとは、躍起になって出題するようになった。不知火さんには
いつも正解され、彼女にも答えられない問題を出して参ったと言わせたいから――では
ない。彼女だって連戦連勝ではなく、答えに窮することは幾度かあった。ただし、誤答
は一度もない。徹底的に考えて、自分自身納得のいく答を見付けるまでは答えようとし
ないのだ。
 もっといえば、不知火さんはつまらない答の問題ほどよく間違えた。
 例を挙げると、これはオリジナルではなく、出典が分からないくらいに有名な問題な
んだけど。

<問題。二十回連続でじゃんけんであいこになるにはどうすればいいか>

<答。鏡に映った自分自身とじゃんけんすればよい>

 この問題には不知火さん、不機嫌になってしまった。だよねー、自分も何てできの悪
い問題なんだと思いつつ、こういうのはどうかなと思って出したから。
 別の日に、ロジカルでパラドキシカルなのを出してみた。あ、小学生のときにロジカ
ルとかパラドキシカルなんて言葉知らなかったし、意識してなかったよ、念のため。

<問題。おとぎ話の世界でのこと。母と子、二匹のウサギが散歩をしていました。突然
現れたライオンが子ウサギを捕らえ、人質ならぬうさぎ質にして母ウサギに言いまし
た。『これから俺がこの子をどうするつもりなのか言ってみろ。もし言い当てることが
できたなら、おまえも子供も見逃してやる。もし不正解だったら親子揃って食ってしま
うぞ』
 母ウサギはどう答えれば、子ウサギともども助かるでしょうか>

<答。『ライオンさんはうちの子を食べるつもりでしょう』と答える。ライオンが子ウ
サギを食べようとしたら、母ウサギはライオンの行動を言い当てたことになり、ライオ
ンは子ウサギを食べられない。ではライオンが子ウサギを食べようとしなかったら? 
母ウサギはライオンの行動を言い当てられなかったことになり、ライオンには子ウサギ
を食べる権利が生じる。でもいざ食べようとすると、母ウサギはライオンの行動を言い
当てたことになり、やはり食べるのは中止にせざるを得ない>

 この問題に対する不知火さんの感想がふるっていた。
「矛盾をはらんでいて面白いです。けれども、それ以前に問題が不自然ではありません
か。いくらおとぎ話の世界とは言え、どうしてライオンは条件なんて付けたんでしょ
う? 肉体では相手を圧倒するでしょうから、四の五の言わせずに母子いっぺんにウサ
ギを食べてしまえばいいんです」
「えっと、そ、それは。二匹同時に追うのは難しいから、一匹ずつ仕留めようと考えた
んじゃないかな。二兎を追う者は一兎をも得ずと言うし」
「なるほど。そういえばあなたはウサギを一匹二匹と数えるんですね」
「あ、ああ」
「慌てないで。一羽二羽じゃなきゃいけないと言ってるんじゃありませんから。一兎二
兎というのも数える単位なんでしょうか」
 そんなの知らないよ。首を横に振るしかなかった。
 その翌日、初めて不知火さんの方から出題してきた。
「パズルと言っても、昨日出してくれたあの問題をこねくりまわしただけなんですけど
ね。あの問題の状況で、ライオンはどうすればウサギの母子をおなかに収めることがで
きたか、というだけ」
「えっと、子ウサギを一撃で気絶させ、素早く母ウサギに飛びかかる?」
「違います。もっと文章の意味の解釈にこだわってください」
 休み時間に出されたんだけど、時間内に答えられなかった。しょうがないので、次の
体育の授業中に考え、さらに教室に戻ってきて着替えている間も考えていた。でも結局
分からず、白旗を掲げる羽目に。
「だめだ、分かんない。降参だ〜。答、教えてください」
 クラスメートから逆に出題されることは今までにあったけれども、そのすべてに正解
してきた。答えられないのは初めての屈辱だ。でもまあ不知火さんが相手なら仕方がな
いかなとあきらめもつく。
「あら。私の考え付いた答にきっと辿り着くと思ってたのですが……かなりブラック
よ」
 前置きして彼女が説明したライオンの取るべき行動とは。
「ライオンは母ウサギの答を聞くと、にやりと笑って子ウサギをジューサーに放り入れ
ました。ジョッキを用意し、スイッチを入れると――」
「うわー、やめてくれよー」
「ね、ブラックと言ったでしょう」
「ブラックって言うより、スプラッタかホラー」
 ライオンは子ウサギを食べてはいない、飲んだのだと強弁されても困るなあ。

 こんな感じで、不知火さんが出題し、こっちが答えるという攻守交代パターンはその
後段々増えてきた。最初の頃は、不知火さんがこれから問題を出しますよと警戒を喚起
してくれることもあって、クイズ王の面目を保てていたんだけれども、徐々に不正解で
終わるケースが多くなっていった。
 中でも一番やられた!と感じたのが次のパズル。
「こういう問題はどうでしょう」
 そう切り出してから不知火さんはノートに図形を描き始めた。
 まずコンパスを使って円を描き、続いて中心Oを通る線を二本、直角に交わるように
引く。それぞれの線が円周上に達する点をABCDとした。こちらから見てAが一番上
の点になる。要するに中心をOとする円に直線ABとCDによる十字が内接した図形
だ。
 Aから三センチ下ということを表す書き込みをして線上に点Eを取り、線分AOに対
して直角をなす線を右方向へ円周まで引く。その点をFとし、今度はFから直線を真下
にODと交わるまで垂らし、そこをGとする。正方形EFGOが描かれた訳だ。
 不知火さんは最後にEとGを直線で結び、EGが七センチであることを示す書き込み
を加えた。換言すると正方形EFGOに対角線EGを引き、EG=7cmってことにな
る。
「ふう、やっと描けました。さあ、問題です。この円の直径はいくらになるでしょう
か? この図は実際の長さは反映していないことを念のためにお断りしておきます」
 一生懸命描いてくれた不知火さんには悪いけれども、内心、苦笑してしまっていた。
 だって、この問題知ってる、と思ったから。それも彼女が図を描き始めてすぐの頃
に。
 ややこしい計算が必要っぽく思えるけれども、さにあらず。正方形EFGOの対角線
の内、OFは円Oの半径と等しい。そして正方形の対角線二本は等しい長さを持つ。つ
まりOFイコールEGだ。EGは七センチなのだから円の半径も七センチ。問われてい
るの直径なので、半径を倍にすればいい。
「ごめん、インチキはよくないから、最初に言っとく。この問題、知ってる」
「え、そうでしたか。でも一応、答を聞かせてください」
「いいよ。十四センチでしょ」
「残念」
 え?
 声も出ず、目を見開き、口をぽかんとさせていた。
「図形をよく見てくださいね」
 不知火さんは目の前にノートの図形を持って来た。紙に穴よあけとばかりに凝視する
と、やがて気付けた。
「……! これ、7cmって書いてあると思ったのに、7mになってる!」
「はい。ですから答は十四メートルになります」
 物凄く疲れた。
 実際に長さの比率が3対700になるように描いたら、どんな図形になるんだろう?

 問題を出し合う内にどんどん親しく、仲よくなって。
 不知火さんのことを好きになっていた。恋愛という意味で。
 早いとは思ったけれども、彼女を誰にも取られない内にと焦る気持ちにブレーキは掛
けられなかった。だから卒業式のあと、彼女に告白した……んだけど。
「ごめんなさい。未来のことは分かりませんが、今の私はまだまだ色んな人を知りたい
気持ちで一杯ですから、応えられません」
 あっさり断れた。
 それでも将来受け入れてくれる可能性を否定されたんじゃなかったので、ほっとし
た。
 二人の友達関係はずっと続いた。
 中学、高校と同じデザインのセーラー服に袖を通してからも、問題を出したり解いた
り降参したり。

 おわり




#478/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/07/31  21:55  (  1)
バレンタインチョコの賞味期限   永山
★内容                                         20/10/13 19:06 修正 第2版
※都合により一時的に非公開風状態にします




#479/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/08/31  19:57  (  1)
どうだっていいよね、メダルの色なんて   永山
★内容                                         20/11/14 21:21 修正 第2版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#480/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/09/01  19:59  (  1)
札束風呂には入れない   永山
★内容                                         21/10/15 14:45 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開状態風にします。




#481/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/09/02  02:20  (  1)
永遠の目覚めと眠り   永山
★内容                                         20/10/21 21:19 修正 第3版
※都合により一時的に非公開風状態にします。




#482/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/09/12  17:42  (  1)
きづきのつき   永山
★内容                                         22/07/02 21:49 修正 第3版
※都合により、非公開風状態にしています。




#483/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/09/25  19:29  (  1)
花言葉が多すぎる   永山
★内容                                         21/04/24 21:04 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#484/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/10/02  22:14  (  1)
レットスノームからのお知らせ   永山
★内容                                         22/01/17 14:09 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#485/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/11/20  20:26  (  1)
零になるレイナ   永山
★内容                                         21/05/18 03:33 修正 第5版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#486/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/24  22:58  (  1)
へんなつくりばなし   永山
★内容                                         23/10/31 19:30 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#487/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  20/12/27  21:07  (  1)
ファー!   永山
★内容                                         21/03/17 00:55 修正 第2版
※都合により一時、非公開風状態にします。




#488/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/06  20:08  ( 73)
かんせんぼうし   永山
★内容
 FS大学のサークルの一つ、万武闘鑑賞《よろずぶとうかんしょう》研究会――通称
ヨブカン――はクラブへの昇格申請を伺うところまで来ていた。会員が七名以上になれ
ば予算のもらえる部活動として認めてくれるよう、申請する条件を満たす。現在の会員
数は総勢五名。この春の新入生勧誘で二人増員を目指す所存であり、本日の活動は、確
実に新入生を入れるにはどう据えればよいかを考える作戦会議の位置づけであった。
 もちろん、申請したからと言って認可されるとは限らない。有象無象の怪しげなグ
ループが増えてきて、各クラブに割り当てる部室の確保もままならない状況下、審査を
厳しくしようとする動きがある。
 万武闘鑑賞研究会は、どちらかと言えばその怪しげな方に分類されてしまうだろう。
活動コンセプトは“リングなどで行われる、基本的に一対一の、肉体を駆使した武闘
(舞踏を含む)を鑑賞することで満喫し、議論する”というもの。要するに格闘技や武
道の試合を見て楽しもうってだけなのだから、世間一般にはなかなか届きそうにない。
 なので、せめて大学側や学生会によい印象を持たれるよう、色々とルールを定めてき
た。講義中は勉学に集中し成績も少なくとも赤点だけは取らないレベルを維持する。年
に四度はサークルの会報として季刊紙・誌を出す。学生会を通じての活動には積極的に
参加。特にボランティア活動には進んで手を挙げる。政治的な活動とはもちろん無縁
で、サークル室内では政治の話をしないことまで決めてあった。

「まったく、大言壮語しておいてこれはないよな」
「そうそう。何でマスク二枚になるんだよ」
「色々と言い訳してたけれども、要するに、元々金がなかっただけなんじゃね?」
「じゃあ、あの説明は嘘だと?」
 大部屋をパーティションで分けただけの狭いサークル室、そのドア越しに漏れ聞こえ
て来た雑談に、会長の竹内《たけうち》はしかめ面になった。軽く息を吸い込んでか
ら、ドアを開ける。
「おぃーす」
「あ、竹内さん。お疲れです」
「お疲れ。おまえらそういう話は感心しないな」
「そういう話って?」
「今までしてただろ。マスク二枚云々て」
「はあ、していましたけど」
 何がいけないんだと言わんばかりの顔つきになり、互いを見合わせる会員達。
 竹内は空いていたスペースにパイプ椅子を持って行き、開いてどっかと腰掛ける。腕
組みをしてから続けた。
「まさかおまえ達、知らないのか? いや、新二年生はともかく、清水《しみず》は知
っているはずだよな」
「ああ。うちの大学の大先輩だ」
 清水は申し訳なさげに片手を後頭部にやった。
「だったら言うなよ。そしてみんなにも分かるように説明しなきゃ」
「そうだな。ただ、今度の仕打ちがあまりにもしょぼかったからつい」
「どういうことですか、大先輩って?」
 後輩達の声に、竹内は清水にさせるつもりだった説明を、自らがやると決めた。
「プロレス雑誌『Rの闘魂』の名物編集長である本山武尊《もとやまたける》は、FS
大学OBなんだよ」
「へー! 知りませんでした」
 竹内や清水の世代からすれば考えられない反応である。一年違うだけでどうしてこん
なギャップが生まれるのやら。
「それはちょっと申し訳ないことをしたかも」
「うちら総合格闘技の方から入ったので、プロレス関連はあんまり詳しくなくって」
「我がサークルに入っておいてその言い分はないぞ」
 後輩をたしなめると、竹内は本棚の一角に目をやった。『Rの闘魂』最新号が置いて
ある。その中程のページに、本山編集長のお詫びがでかでかと載っていた。

 ふた月ほど前、プロレスの取材でメキシコへと発つことになった本山は、誌面にて
大々的な予告をしていた。現地でプロレス関連グッズを大量に購入してきて、読者に
どーんとプレゼントするというものだ。現地でしか流通していない裏ビデオ的プロレス
映像も入手する算段があると豪語していたため、読者からの期待は高まった。
 ところが取材を終えて帰国した本山は、読者プレゼント用の品々を持ち帰ってはいな
かった。現地のホテルで盗難に遭い、取り戻すために色々手を打っていたが、仕事の都
合でタイムアップ。日本に戻らざるを得なくなったという。
 そんな本山がどうにか持ち帰れたプロレスグッズが、覆面レスラーの試合用マスク二
枚のみだった。とりあえず愛読者プレゼントの第一弾に充てるというが、当初の発表か
ら随分とスケールダウンした企画に不満の声が上がっていた。

(大先輩を敬えないようなメンバーがいると知られたら、心証を悪くする。審査で不利
だ)
 竹内は狭いサークル室を見渡しながら思った。
(肩を寄せ合うような距離で座るのがやっとだ。クラブになれた暁には、格闘技の技を
掛けられる程度のスペースはほしいな)
 そのとき、竹内はくしゃみが出そうな感覚を覚えた。むずむずする鼻を指でつまむ。
しばらくすると、くしゃみは消えていった。

 終




#489/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/01/07  20:07  (  1)
取り合い 〜 建築王死して揉め事残す   永山
★内容                                         23/09/09 18:23 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#490/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/02/16  20:01  (  1)
襟巻蜥蜴:マフラー&シャドウ   永山
★内容                                         22/05/01 20:30 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#491/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/02/23  21:14  (  1)
最後は星か金星か   永山
★内容                                         22/01/17 14:36 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#492/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/04  20:03  (  1)
遅延 〜 早く故郷に帰りたい   永山
★内容                                         21/12/31 21:18 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#493/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/14  22:21  (  1)
百回目のダイイングメッセージ   永山
★内容                                         23/07/27 10:19 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#494/549 ●短編    *** コメント #303 ***
★タイトル (AZA     )  21/03/21  20:21  (  1)
赤洗面器男の冒険   永山
★内容                                         23/10/31 19:34 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#495/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/04/10  19:49  (  1)
未読に戻しますか?   永山
★内容                                         23/08/03 02:43 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#496/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/04/25  22:04  ( 90)
勝負に絶対はないというお話   永山
★内容
 これはある年の夏、ある高校における、一人の女性とお付き合いすることを賭けた、
男と男の戦いの記録である。

 女性の名は白島麗子《しらしまれいこ》。学業優秀でクラス委員長を何度も務め、期
待以上に役割をこなしてきた。長い黒髪が印象的な、令嬢である。

 一人目の男の名は、大上新太郎《おおがみしんたろう》。野球部のエースで、全国大
会の出場経験もある。まだ二年生だが面倒見がよく、何ごとにも率先して取り組む。

 二人目の男の名は、高橋輝也《たかはしてるや》。膨大な知識量と高いIQを誇り、
大人も含めた大型クイズ大会で優勝。問題にぶつかるや解決策をたちどころに産み出
す。

 かように突出した三人による鞘当てが、たった一つの勝負で決せられようはずはな
く、有志による実行委員会が十三番勝負を企画した。引き分けはなし。これに勝ち越し
た者が、晴れて白鳥麗子と付き合うことになるのだ。

 勝負をなるべく不公平なものとするために、実行委員会の判断で、両者がそれぞれ得
意とするであろう対決種目を六つずつ用意し、争った。順不同で、バッティング、ス
ピードボール、水泳、百メートル走、相撲、スキー、知能テスト、国旗当て、難読漢
字、チェス、トランプの神経衰弱、円周率の暗記とやって来て、六勝六敗の五分。
 最終戦までもつれ込んだことにより、俄然、最後になる十三番目の種目をどうするの
かが注目された。完全に運任せになるじゃんけんかくじ引きじゃないかという予想が出
たが、その一方で、ここに来て単なる運任せでは、あまりにも呆気ない。両者が力を発
揮できるようミックストルールになるのでは、たとえば寿司二貫を食べる毎に解答権が
得られるクイズ対決とか。
 ところが、実行委員会が提示した最後の勝負は、ちょっと意外なものだった。
 らくだに乗って炎天下の町内を一周するのだ。
 これは一見すると体力に勝る大上に有利なようだが、高橋は実は鳥取出身で、砂丘に
遊びに行っては何度もらくだに乗った経験があった。こういった観点から、公平な種目
になるであろうと認識されたようだ。

 ちょうどそのらくだレースが行われた日に、一人の転校生が手続きをしに高校へ足を
運んだ。
 皆が盛り上がっているので興味を引かれ、生徒の一人に思い切って聞いてみた。
「何をしているんですか。この暑いのに、らくだに乗ってゆっくり動いているみたいで
すが」
 モニターが用意され、その画面には最後の対決に力を注ぐ男子生徒二人とらくだ二
頭。
「君は転校生かい? じゃあ知らなくても無理はない。ある女子生徒のお相手の座を争
って、二人の男子生徒が戦っているのさ。このらくだレースで決着する」
「らくだレース? レースという割には、遅いですね」
 転校生はしばらくモニターを見つめて、はたと気付く。いや、思い出したと言った方
が正確かもしれない。
「ああ、これ、僕も知っています。遅く着いた方が勝ちになるレースなんでしょう? 
だからのろのろしているんだ。でも、もし勝利の条件が、自分のらくだがより遅くゴー
ルした方を勝ちにする、とかだったら、わざわざゆっくり進まなくても、いい手がある
んですよね。それは戦っている二人が、お互いのらくだを交換すること。そうすれば、
たちまち普通の競争と同じになる。相手のらくだに鞭を入れ、少しでも早く相手をゴー
ルさせればいいのだから」
「うーん? ちょっと何言ってるか分からない。このレースは早くゴールした方が普通
に勝ちだよ」
「あれ? そうなんですか……」
 おっかしいなあと独りごちながら、照れ隠しに頭をかく転校生。
 モニターをもう一度見て、「勝つ気がないとしか思えないんだけど」と思った。
「不思議そうな顔をしてるな。これまでの経過を知らないところを見ると、転校生か」
 さっき話し相手をしてくれたのとは別の男子生徒が近寄ってきた。転校生が認める
と、相手はこれまでの対決について語った。
「大まかに言うと、大上という男は体力系、高橋という男は頭脳系が得意だ。そんな二
人がこれまでに十二の種目で対戦して、五分と五分。さて、たとえば神経衰弱。どっち
が勝ったと思う?」
「そりゃあ、普通に考えれば高橋って人の方でしょ」
「ところがそうじゃないんだ。実際は大上が勝った。それも獲得したペアが大上が一
組、高橋はゼロ組」
「神経衰弱でそんなことって、あり得るんですか?」
「たまたま大上が先に一組ペアができて、あとは、お互いが外しまくって、時間切れ裁
定さ」
「どうしてまたそんな……」
「相撲は高橋が勝っている。最初から圧倒して土俵際に押し込んだ大上が、勇み足をや
らかしてな」
「……」
「全ての種目で逆の目が出たって訳でもないんだぜ。バッティングやスピードボールで
は大上が勝ったし、知能テストや難読漢字では高橋が勝利を収めた。さすがにこの種目
で負けるのはプライドが許さなかったのか、それとも負けたくても負けようがなかった
のか」
「一体全体、何があってそんなおかしなことに」
「なーに、種を明かせば簡単さ」
 相手はいたずらげに目配せをした。
「付き合うその相手なんだが、白島麗子と言って、字面はなかなかきれいな感じだよ
な。だが、顔は平均的、性格最悪で支配欲が強いと来ては、いくらご令嬢で勉強ができ
ても、遠慮したくなるよなあ」
「えっと、じゃあ、やっぱり二人ともわざと負けようとしている?」
「多分な。これは言うなれば、負けられない戦い、負けようと思ってもなかなか負ける
ことができない戦いなんだ」
 転校生は、男子二人にそこまで勝ちたくないと思わせる白島麗子がどんな人なのか、
詳しく知りたくなった。
 それともう一つ、男子二人は何でそんな女子生徒を巡って、戦う羽目になったんだろ
う?と疑問を覚えるのであった。

 終わり




#497/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/04/30  22:15  (  1)
随分な水分   永山
★内容                                         23/10/31 19:49 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#498/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/07  21:41  (  1)
掴み損ねた夢をもう一度   永山
★内容                                         22/01/22 20:01 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開状態風にします。




#499/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/13  22:20  (  1)
NOU書き   永山
★内容                                         23/09/13 18:14 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#500/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/15  20:32  (  1)
彼女はラッキー過ぎるラッキーガール   寺嶋公香
★内容                                         22/01/06 16:46 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#501/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/22  19:55  (  1)
出会い過多   永山
★内容                                         23/07/02 23:43 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開状態風にします。




#502/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/05/29  20:10  (  1)
被害者はDM作成中   永山
★内容                                         23/07/28 17:30 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#503/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/04  20:09  (  1)
君が一番ましだから   永山
★内容                                         23/07/28 17:18 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#504/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/05  17:27  (  1)
目覚めると犯行現場が雪密室になっていた   永山
★内容                                         23/07/27 10:38 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#505/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/06/17  21:29  (  1)
レッドアウト   永山
★内容                                         23/08/09 16:35 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#506/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/07/18  19:42  (200)
アイは朧気   永山
★内容                                         23/09/13 17:41 修正 第2版
 月曜の昼下がり、自宅でランチを終えてテレビを見るともなしに見ていると、衝撃的
な場面が映った。
 ワイドショーのレポーター達が、ある詐欺商法の中心人物と目される金城雅美《きん
じょうまさみ》という女性に往来で殺到し、コメントを取ろうとしていた。その人だか
りの隙間を縫うようにして一人の男が金城に近付き、刃物を突き立てたのだ。
 生中継映像と銘打っていても実際には十数秒ほど遅れて映像を流す方式が採られてい
ると聞いた覚えがある。トラブルやハプニングに対処して、不適切な映像をお茶の間に
流さないようにするためだ。
 ところが、番組は今も中継を続けている。人が恐らく刺されたのに中断はしないらし
い。逆に、スタジオにいる出演者達の声をカットしたように思われた。
 女性はまるで一本の丸太になったみたいに、アスファルト道にばたんと倒れた。長髪
の男は彼女に馬乗りになって追撃をしようとしている。が、その場にいた何人かが凶器
を持つ腕にしがみつき、どうにかそれ以上の犯行を食い止める。男はターゲットの女性
以外を傷つけるつもりはないのだろうか、ただただ執拗に刃物を女性に向けて振り下ろ
そうとするのが見て取れた。
 程なくしてパトカーが現れ、降りてきた警官二名が男を取り押さえた。ほんの少し遅
れて救急車も到着。男の下から引きずり出された女性に救命措置が施される。
 一部始終はワイドショーのカメラが収めて中継していたのだけれども、男の顔がはっ
きり映ったのはこのときが初めてだった。
 長い髪を引っ張られ、顔を無理矢理起こされた男はうっすらと無精髭を生やしてい
た。
「あ」
 瞬時にして思い出した。私はこの男を昔から知っていた。
 真藤一矢《しんどういちや》。小学校時代に好きだった。
 彼がパトカーに乗せられ、連れて行かれる。
 と、ここで警察官の制止が入り、中継はようやく?強制的に終了となった。
 私は台所に立ち、洗い物に取り掛かった。頭の中は今見た映像が占めている。手はほ
とんど自動的に食器を洗っていった。
(だいぶ変わってしまっていたけれども、間違いない)
 彼の席は私のすぐ前で、学校のある日は必ず顔を合わせていた。そのきらきらした印
象的な笑みが、すっかり消えてなくなり、やさぐれたと表現するのにふさわしい、恐ろ
しくも疲れ果てた面相になっていた。
 少し時間が経つのを待って、一時からのニュースを見てみた。金城雅美襲撃事件はト
ップニュース扱いだ。犯人――いや一応容疑者か――の名前がテロップで出た。
 真藤一矢。間違いない。彼だった。
 おかしなものでテレビを見ていた私が気になったのは、名前の末尾に括弧付きで示さ
れた50という数。
 ここ最近、私が歳を取ったと感じるのは当たり前か。それにしても、この歳になって
あのような凶悪事件を起こすなんてどうして。
 ニュースでは動機に関してはまだ何も判明していないらしく、言及がなかった。
 正直言って衝撃が強すぎて、好きだった人があんな風になってしまったという悲しみ
も何もなかった。とにかく「何故?」という疑問ばかり浮かぶ。
(調べてみようか。幸い、時間ならある。ただ、一般人が調べられる程度のこと、警察
はじきに調べ上げるだろうし。続報が出るのを待った方がいいのかしら)
 迷いを心中で言葉にしていると携帯端末が電話の着信を知らせてきた。ディスプレイ
に番号が表示されているが、覚えがない。普段なら無視をするという選択が有力だった
ろうが、今日このタイミングで掛かってくるということは――私は予感を強めた。もし
かすると昔の知り合いからの電話かもしれない。
「はい」
 名乗らずに返事だけしてみた。
「もしもし? 私、君塚利穗子《きみづかりほこ》と申します。そちらは峰小百合《み
ねさゆり》さんの電話でしょうか。姓は峰から変わっているかもしれませんが、私、峰
さんとは小学校で――」
「利穗子ちゃん、かしこまっちゃって」
 二つある愛称のどちらで呼ぼうか一瞬迷って、下の名前の方を選んだ。
「あ、小百合ちゃん、だよね? 久しぶり、懐かしい」
「ほんと何年ぶりになるのかしら。この年齢になってお互い、ちゃん付けで呼び合うな
んてねえ」
「歳のことは言いっこなしにしようよ。楽しい思い出話に花を咲かせたいところなんだ
けど、いきなり電話をしたのは、ニュースを見たからなの。小百合ちゃんは見ていた
?」
「ええ。たまたま見ていたお昼のワイドショーで、いきなりあんな風な恐ろしい場面を
見せられて、だからすぐには気付かなかったわ」
「そのことも含めて、話がしたいんだよね。今から出てこられる?」
「子供が帰ってくるまでの間なら。と、その前に利穗子ちゃんは今どこ? 私の番号、
どうやって知ったの?」
 これまで何度か同窓会が開かれたが、携帯電話の番号を教えたことはほとんどない。
利穗子とは連絡先の交換をしたんだったっけ。あれはでも家の固定電話か、古い携帯番
号だった気がする。
「力武《りきたけ》先生に教えてもらったの。あ、彼女はまず先方の意思確認をしてか
らとおっしゃったんだけれども、そこを私が無理を言って」
「なるほどね。分かったわ」
 番号の伝わったルートが明確になってすっきりした。私は若かった頃を思い起こしな
がら、「どこに行けばいいのかしら」と尋ねた。

 多少まごつきながらもどうにか約束した時刻通りに、指定された喫茶店に到着した。
 店内は半分方埋まっており、店の人に待ち合わせであることを告げて案内を頼むと、
利穗子は奥の方の壁際のボックス席にいた。
「あ、小百合ちゃん。おひさ〜」
 長い間会っていなかったというのに、軽いノリの挨拶で始められて、私は思わず苦笑
した。
「利穗子ちゃんは相変わらず若いわねえ」
「だから歳のことは言いっこなしだって。あんまり時間ないんでしょ? だったら早く
注文して、話をしよっ」
 私はアイスコーヒーを頼んだ。利穗子はすでにジュースを飲んでいたが、二人でつま
める物をとサンドイッチを注文した。
「先に聞いておきたいことがあるの。どうして私に電話をくれたの? 事件を見て知り
合いに電話するんだったら、他にもいっぱいいるでしょうに」
「それは小百合ちゃんが一番の親友だから……というのは言い過ぎだけど。でも、真藤
一矢っていう名前を見て、ぱっと浮かんだのは小百合ちゃんの顔だったから、ほんと」
「説明になっていないわ。だったらどうして私の顔が一番に浮かんだのか」
                        、、
「そりゃまあ、有名だったもの。小百合ちゃんが真藤先生を好きだってこと」
「そうだったかしら」
 記憶にない。秘めたる恋心のつもりだったから、誰にも言わずにおいた。そう思い込
んでいたけれども、違ったんだっけ。
 アイスコーヒーとサンドイッチが来た。
「そうだったかしらって、好きじゃなかったのー?」
「ううん、好きは好きだったけれども。そこを言ってるんじゃなくって、どうして私の
気持ちを利穗子ちゃんが知っているのかなっていうこと」
「え、だって」
 小さな三角型のサンドイッチを一口で頬張り、間を取る利穗子。待たされて、ちょっ
ぴりいらいらした。
「ばればれだったよ。バレンタインデーにチョコレートを渡したり、誕生日を調べた
り」
「ああ……」
 言われてみればそんなことをしていたかも。でも先生にバレンタインのチョコを贈る
ぐらい、他にもやっていた子がいた気がする。だからこそ、私も同じようにしても本気
と思われることはないだろうと高を括っていたんだっけ。
 アイスコーヒーを少し飲んだ。苦みが美味しい。小学生の頃は、たっぷりとシロップ
を入れないと飲めた物じゃなかった。
「利穗子ちゃんも先生に渡していなかった? チョコレートやプレゼントを」
「渡したことはあったよ。けれど、あれは小百合ちゃんとは別だったじゃない。私達の
はクラスの女子の総意って感じで」
「別……」             、、、、
「小百合ちゃんの場合は、言ってみれば職場恋愛でしょ。違った?」
「職場恋愛……そうね。その通りだわ」
 思い出してきた。
 私、峰小百合は真藤一矢と同僚の関係だった。ともに第四小学校の教師。小学校のあ
る日はいつも職員室で顔を合わせていたんだ。彼と私とのデスクは向かい合わせだっ
た。
 利穗子を見て若いと感じるのは当たり前だ。当時、利穗子は十二歳ぐらい。私は……
何歳だったっけ? 三十? 四十? まさか五十代には突入していなかったと思うけれ
ども、若くてきらきら輝いていた真藤先生にすっかりはまってしまったんだった。
 彼は当初はびっくりしていたし、おばさんの冗談だと受け取っていたみたいだけれど
も、私が本気だと分かると、徐々に心を開いてくれて。お付き合いしたのは一年ぐらい
だったかしら。児童達にばれないようにしていたつもりだったけれども、少なくとも私
が真藤先生に惚れていたことはばれていたのね。
 利穗子は特に、年の離れた妹みたいに感じていた。彼女も私を下の名前にちゃん付け
で呼ぶぐらい、なついてくれて。だからかわいがったし、親しくもした。
 あれ? おかしいな。音信不通になっていたのは何で? 連絡先は交換した覚えがあ
るのだけれども、新しい番号は知らせていなかったみたいだし。
 そもそもどうしてこんなに私の思い出、記憶ってあやふやなのかしら。全体にぼーっ
ともやが掛かってかすんでいる感じがする。
「じゃ、そろそろ本題に入ってもいい?」
「え、ええ」
「真藤先生、何であんなことしたんだろうね。小百合ちゃんは何か聞いてない?」
「何にも。聞くはずないわ。だって、真藤先生とはだいぶ前にお別れして、以来、ずっ
と会っていないし、電話すらしてないのよね」
「そうだったの? 力武先生や他の先生の情報だと、それなりに長い間付き合っていた
ような話、聞いたんですけど?」
 語尾にアクセントを置いて、どことなく面白がっている風に聞いてくる利穗子。凶悪
事件を話題にしているとは思えない。
 ため息が出た。渋い顔つきになっているだろうなと自分でも分かる。
「小百合ちゃん。私、もう一つ情報を得ていて、それ、聞いてみていい?」
「いいも何も、どうせ聞くつもりでしょうが」
「えへへ。ま、そうなんだけど。ちょっとデリケートな話だから」
 そう言うと居住まいを正した利穗子。思わず、こちらも背筋を伸ばし、身構えた。や
がて利穗子は潜めた声で聞いてきた。
「小百合ちゃん、ううん、峰先生。お金をだまし取られたって本当ですか」
「……?」
「今日、真藤先生に刺された金城雅美が代表を務めていた金雅の会に」
「……キンガ……」
 その名前を口にした途端、こめかみの辺りがずきんとした。
 同時に、呼吸が軽く乱れるのを自覚し、胸に片手を当てる。
「あ、ああ」
 また何か思い出してきた。

             *           *

 君塚利穗子は本当にこんな質問してよかったのかと心配になった。さっきまで曲がり
なりにもはきはきと受け答えしていた峰先生が、急に調子が悪そうになったのだから慌
てもする。両手を伸ばしかけたが、相手は「ううん、大丈夫よ」と拒んだ。実際、言葉
の通り、荒くなった息は収まってきた。
「お水、汲んでもらいますか」
 さすがに丁寧語になって意向を尋ねる。峰小百合はアイスコーヒーを飲んでから、首
を横に振った。
「もう大丈夫よ」
「そう、ですか」
 そのときだった。喫茶店の出入り口のベルがからんからんと鳴ったかと思うと、男性
の緊張を帯びた声が店員相手に何か問うている。その声の方を向くと、ちょうど目が合
った。短髪で髭の濃いその若い男性は、店員の腕が差し示すまま、こちらのテーブルに
向かって来る。
「母さん。やっと見付けた」
 男性は峰小百合に駆け寄り、肩に手を掛けながら言った。
「このメモ書き、判読するのに苦労したよ」
 握りしめてしわくちゃになった紙を広げる男性。そこにはミミズがのたくったような
文字があって、到底読み取れない。
「ああ、すまないね」
「勝手に出ちゃ行けないと言っただろ。大変なんだから。心配させないでくれよ」
 男性はそこまでしゃべると、君塚へと振り返った。
「あなたが利穗子さんですか。メモにあった」
「あ、はい。君塚利穗子と申します。あなたは先生の息子さんでいらっしゃいますか
?」
「ええ。皆さんにはお知らせしていないのですが、母はごらんの通りでして。いわゆる
痴呆の気がたまに出るんです。近頃は頻繁になってきたかな」
「そうだったんですか……」
 先生と話をしていても若干のちぐはぐさを感じた君塚だったが、理由が分かった。
「十年近く前から症状の兆しはあったんです。それが例の金雅の会にお金をだまし取ら
れて、一気に進行した具合でしてね」
「ああ……」
 やっぱり詐欺の被害に遭っていたのかと、情報の正しさを確認できてうなずく君塚。
「あの人が犯行に及んだのは、母の敵を討つつもりだったんです、きっと」
「あの人とは真藤一矢先生のことですよね。やはり、真藤先生と峰先生とは深い仲だっ
たんでしょうか」
 この問い掛けに、男性は目を丸くし、わずかに苦笑めいたものを表情に浮かべた。
「深い仲も何も……。申し遅れました。私の名前、真藤光哉《みつや》と言います」
 男性はそう言って運転免許証を示した。

 終わり




#507/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/08/07  19:52  (261)
虚笑の一線   永山
★内容
 新幹線の駅を出て程近い公園の横を通り掛かったとき、若い男性が同じ年頃の男性の
胸板を突くのが見えた。
「何で分からないんだっ。ほんとおまえは空気読めない奴だな!」
 マスク越しだというのによく通る声だ。どちらも同じ白シャツ・ジャケットにノーネ
クタイで、漫才師か何かに見える。足下には二人ともそれぞれそっくりの黒いボストン
バッグを置いているし、意識的にお揃いにしているのは間違いない。
 などと思っていたら。
「いちいちうるせえよ。俺のセンスに文句付けるな。不満あるならコンビ解消しよう
ぜ」
 胸を押された方が言い返したその台詞。どうやら本当にお笑いをやっている人達らし
い。周囲に誰もいないと思っているのか、やり取りは簡単には終わらない。
「何だと?」
 最初の男性Aが胸を反らせて詰め寄ると、二人の目の男性Bも負けじと同じポーズを
取る。もしかして、ネタ合わせの練習? そんな想像がよぎったが、外れだということ
は次の瞬間に分かった。BがAに足払いを掛けて転がし、バッグを指に引っ掛けてるよ
うにして持ち上げたかと思うと、そのまま相方を置いて立ち去ってしまったのだ。公園
の外に出ても振り返らずに、ずんずんと歩いて行く。やがて見えなくなった。
 転がされた方は足首をどうにかしたらしく、起き上がろうとしてしかめ面になった。
二度目のトライで立ち上がったものの、相方を追い掛ける気にはなれなかったみたい。
そのまま肩を落とすようなため息をつき、立ち尽くしている。
 私があんまりお笑いに詳しくないせいなのか、知らないコンビだけど、芸人さん達が
喧嘩しているところを初めて目撃し、ちょっぴり興奮した。このあとどうするんだろう
と、つい残されたAの方を見つめていると、その人が顔の向きを換えた。おかげで目が
合ってしまった。
「――ごめんなさい」
 覗き見行為を咎められそうな気がして、先に謝っちゃえと頭を下げる。その姿勢のま
まきびす返して遠ざかろうとした。けれどもAは思いのほか俊敏で、足首を痛めたんじ
ゃないの〜?と疑いたくなるほど素早く、私のいるところまで飛んできた。
「ちょっと待ってーや。ずっと見とったん?」
「は、はい。ずっとというか、あなたがもう一人の人の胸を押したところから」
「あちゃー、じゃあほぼほぼ聞かれとったんか」
 額に片手を当て天を仰ぐAさん。と、そのポーズを急に辞めて私に視線を合わせてく
る。
「撮影してへんよね?」
「してないです。動画も写真も。そういう趣味ないし」
 ふるふると首を左右にすると、Aさんはやや安心した顔つきになる。
「このこと、誰にも言わんといてほしいんやけど。家族とかだけならともかく、ネット
に書き込むのだけは」
 今度は腰を若干かがめ、手を合わせてお願いしてくる。
「そういう趣味もないので……」
「ああ、よかった」
「あの……失礼ですけど、有名な方なんですか」
 悪い噂を立てられるのをこんなに恐れるということは、そこそこ名前が売れている漫
才コンビなのかも。そう閃いて、聞いてみる。
「えっとどう言うたらええんやろ。……うん、深夜枠やけどテレビ定期的に出てるし、
知ってる人は知っている」
「そうだったんですか。お笑いのことにはまるで疎くて……すみません」
「謝られるようなこっちゃないからかまわんけど。そーかー、まだ俺らの知名度そんな
もんか。そやったら、一人でも知ってもらおうと努力せんと。俺ら、“ちびりちびり”
いうコンビでやってる。略してちびちびって言われてるわ」
 Aさんも、いなくなったBさんも結構背の高いのに。そんな感想が顔に出たのかし
ら、Aさんは私を見て「今、でかいのにとか思った?」と聞いてきた。曖昧に返事する
と、今度は眉根を寄せて「あら、おもろなかったか」と落胆の仕種を分かり易くする。
「こんなことなら、ほんまにあいつと組むの、解消した方がええんかも」
「あいつというのは、今さっき立ち去っていった……」
「そう、平田《ひらた》。あ、名前言ってへんかったな。俺は直木《なおき》。直木賞
の直木と同じ字やから、すぐ覚えられると思うわ」
 平田さんと直木さんが組むのなら、コンビ名はひらたなおきでもよかったのでは、な
んてことを考えた。
 直木さんは袖を少しまくって腕時計を見る仕種をし、「まだこんな時間か」と呟く。
それから続けて「君は?」と聞いてきた。
「え、な、名前ですか?」
「え? あ、違う違う。時間ええの?って意味」
 勘違いがおかしかったようで、柔和な笑みを見せながら言った。
「でも君が教えたいって言うのなら、是非聞かせてもらうねんけど、名前」
「いえ。そんなことはないので……でも時間ならあります」
「そうなん? そやったらどこかでお茶せえへんかと思いまして。新幹線で帰って来た
んやけど、あいつと隣り合わせで弁当食う気になれへんかって、腹空いとるし。ああ、
隣言うても実際には間に一つ空席挟んどったけどね。ソーシャルディスタンス」
「私もお昼はまだなんです、けど……」
 迷うそぶりを見せると、直木さんは続けて尋ねてきた。
「若いけど学生さん? 俺らまだ若手いうても一応稼いどるからファミレスレベルなら
おごれるよ」
「学生ですが、知り合ったばかりの方からおごられるのは」
「じゃ、おごるかどうかは後回しにして、一緒に食事をどーですか、お客さん?」
 台詞の最後の方は物真似らしい。お客ではないんですけど。でも笑ってしまった。
「笑《わろ》うてくれたってことはOK?」
「うーん、お店に入るのはちょっと。この公園でお弁当を食べるくらいなら、周りにも
人の目がありますし」
「お店にかて人の目はあるねんけど」
 不平そうにへし口を作った直木さんだったけど、次の瞬間、
「あ、弁当って言うたら。食べんかったの忘れとったわ」
 くるりとその場で向きを換えようとするも、つんのめって前に両手を着いてしまっ
た。
「だ、大丈夫ですか」
「あかんみたい。今になって足、痛《いと》うなってきた。あの鞄、駅弁入っとるの思
い出したんやけど、さっきのあいつと揉めたときにへしゃげたかもしれん」
「見てきましょうか。じゃなくて、持って来ましょうか」
「お願いするわ」
 私は小走りでボストンバッグを取りに行き、引き返して来た。
「ありがと」
「いいえ。それよりも足の方は」
「足首? 平気平気。これくせになっとる。よくぐにゅってなるんよ。放っといたら直
るから」
「でも」
 直木さんは手近のベンチに座り、ズボンの裾を少し上げた格好をしているのだが、そ
こから覗く足首は多少腫れているように見える。
「湿布薬か塗り薬、買って来ましょうか」
「――よかった、弁当無事や」
 話を聞いているのかいないのか、直木さんはボストンバッグから牡蠣飯のお弁当を取
り出し、私にも見せてきた。
「あの、お薬」
「そんなに言うんやったら、さっき話してたお弁当を買《こ》うて来て、ここで一緒に
食べるんはどう? もちろんおごる」
「……薬代も出してください。それなら買って来ます」
「あらま。うーん、しゃあないな。言うとくけどナンパと違うから。俺らのコンビのど
っちがおかしいんか、一般の方の意見を聞きたい思うて。お笑いに詳しくないっていう
人の方がより一般的やろうし」
 直木さんは二つ折りの財布から一万円札を出して、私の手に握らせた。

 学生手帳でも“人質”に取られるのかなと思っていたが、そんなことはなし。このま
ま持ち逃げしたらどうするつもりだろうと考えながら、買い物をして戻った。
「これ、お釣りと薬です」
 残ったお金と塗り薬及び貼り薬を渡す。そのあと私はレシートとともにペットボトル
を差し出した。
「飲み物も買いました。直木さんの分もありますけど、いらなかったですか」
「いや、もらう。気が利くんやね」
「自分が必要だったから。ついでに思い出しただけです」
「それはそれでええとして、食べよ。お昼だいぶ過ぎとる」
「その前に薬」
 私は半ば無理矢理直木さんの足首に湿布を貼った。
「固定したければハンカチでやれますけど?」
「いや、そんな大げさな。とにかく腹減った、いただきますしよ」
 言葉の通り、両手を合わせる直木さん。私も彼の隣に少し間隔を取って座った。お弁
当は好きな物を遠慮なく買わせてもらった。けれど広げると、やっぱり駅弁の方が美味
しそうに見える。
「牡蠣好きやったら一つ二つ、あげるけど?」
「いえ。そんなことよりもお話を早く」
「ああ、そうやった。――平田の奴は思い付きをすぐ口にしてまう悪い癖があるみたい
でなあ」
 一旦話を区切り、口を使って割り箸を割って、食べ始める直木さん。
「今日もアドリブで入れて来よったんよ。えっと、俺らのネタがどんなんかは知らんよ
ね、当然」
「はあ。すみません」
「いや、ええねん。今日の仕事は営業で、別にテレビとかネットとかで流すもんやな
い。だからテレビなんかではやれんようなネタもできる。女の人の前でアレやけど、下
ネタとかね」
 直木さん、こちらの反応を窺ったみたいだけど、私がスルーすると続けてしゃべり出
した。
「あと、替え歌。テレビなんかの番組で替え歌のネタをやるのは、手続きがあって色々
と面倒なんよ。著作権関係ね。でも営業でその場限りだと緩いから、割とぶっ込んでく
るみたいなところがあって。俺らもそれやってる訳。お笑いには詳しくのうても、今年
流行っている歌なら分かる?」
「歌ならだいたいは」
「じゃあ、当然知っとるはず」
 直木さんは箸を置くとわざわざマスクをし直してから、ハミングでメロディを奏で
た。それは動画配信で人気に火が着いた曲で、様々な有名人が真似をしている。私もも
ちろん知っていた。
「これを替え歌にして披露したんやけど、あいつ、打ち合わせにない歌詞で歌い出しよ
って」
 マスクを外した直木さんはそのときのことを思い出したらしく、苦虫を噛み潰したよ
うな表情をした。
「一体どんな替え歌だったんです?」
「気ぃ悪いから、フルでは言えへん。なんやかんやと災害の状況を挙げて最後に“洪水
《こうずい》のせいだよ〜”って。どう思う?」
「それは……デリカシーを欠いていますね」
 でもお笑い芸人なら多少は常識外れな部分があってこそ、より面白い発想ができるの
かも、なんていうフォローも考えた私。しかし直木さんの次の言葉の方が早かった。
「それだけやない。営業、どこでやったか分かる?」
 問われた私は彼の駅弁に視線を落とした。牡蠣と言えば……あっ。
「もしかして広島ですか?」
「うん。それも数年前に水害に遭《お》うた地域での応援イベントで」
「本当に? だったらその平田さん、確かにひどいです」
「そうよな、やっぱり……。今ってコロナがまだ燻ってる中、俺らの仕事がやーっと再
開されつつある大事なときやん。信じられへんと思わん?」
「お客さんの反応はどうでした?」
「せやなあ、凍り付いた感じ? よう石投げられんかったなって思うわ。そこに至るま
では結構うけてたからやろか」
 半分ほど駅弁を食べたところで、大きくため息をついた直木さん。
「ほんま平田にはこれまでも似たようなことされて、何べん注意しても直らん。もうし
んどいわ」
「他にもってたとえば」
 怖い物見たさ(聞きたさ)もあって、尋ねてみる。
「最近で言えば、やっぱ替え歌であった。流行ったのは少し前からやけど、今でも子供
の定番ソングみたいになっとるんちゃうかな」
 再びハミングする直木さん。聴く前から予想した通り、ピーマンによく似た野菜の名
前が何度も出て来る、あの歌だった。
「前から営業でよう使《つこ》うとったんよ。一番最後のフレーズを“母ちゃん やり
過ぎ その辺にしとけ”にしたりとかさ」
 状況は分からないがそこはかとなくおかしい。身振り手振りを交えれば、小さな子供
にはきっと受けるんじゃないかしらと想像した。
「言うてみれば営業での鉄板ネタの一つなんや。それをあいつ、今年の一月頃、まだ新
型コロナが今ほど広まってへんかった頃に突然“パプリカ”の部分を“コロナ渦”に換
えて歌い始めよった。花は鼻水の洟に置き換えて、せきだの熱だの何か付け足してた
わ」
「うわぁ」
「でもな、そんときはまだましやったんよ。あんまり流行ってなかった、どっかよその
国の話やみたいな感じで、笑ってくれたお客も結構おったわ。考えてみたらあれがよう
なかったんかも。これで笑い取れる思たんか、ネタを四月辺りから動画配信するように
なったにゃけど、そこでもやらかしよった。ネットやから自家の反応は分からへんねん
けど、俺は背中が冷やーっとなったわ。平田は隣でご満悦やったけど。その後、世間の
反応が分かって、ちょっとは落ち込んだみたいやと思ってた。それやのに、今日みたい
なことがあったら安心してお笑いできへん」
「……直木さんが言ってだめなら、それこそお客さんが直に声を届けるしかないかもし
れませんね」
「うーん、どうなんやろ。ごく少数なんやけど、今言ったようなラインはみ出したよう
なネタを支持するお客もおるんよ。平田に言わせたら『俺の笑いが分かってくれるファ
ンがおる』いうことになって、つまり逆に抗議してくるようなお客さんは、『笑いが分
からんあほな客や』ってことになる。聞く耳持たへん場合がほとんどやねん」
「お客さんですらない、お笑いのことを知らない私みたいな一般人が言ったら?」
 ちょっと期待を込めて、思い切って提案してみた。だけど、直木さんはほんの数瞬だ
け考えて、じきに首を左右に振った。
「だめやろうな。あいつは若い頃、お笑いを好きじゃない人間は人間やない、みたいに
息巻いとったくらいでねえ。今はだいぶ丸くなったやろけど、根っこは変わってないと
思うわ。だからほんまの一般の人に批判されたって、素直に聞かんやろね」
 あきらめ気味に、淋しく笑う直木さん。足首を痛め、背を丸くしているこの人を見て
いると、ますます気の毒に思えてきた。
「だったらお笑いをよく知っていて、しかも平田さんの笑いのセンスも理解している人
が注意すれば効果あるかもしれないですよね」
「あ? う、うん。まあ、そういう見方もできんことはないわな」
「だったら私、今からでもお笑いを観始めます。平田って言う人のセンスを理解するの
には時間が掛かるかもしれないし、理解できるかどうかさえも確かじゃないけれど、が
んばってみます。そういう条件をクリアできたと思えたとき、平田さんとお話しする機
会をください」
「……えっと」
 初めて素を見せたような、きょとんとした表情になった直木さん。私が真剣な眼差し
を向けるのへ、やがてふっと微苦笑した。
「いいねえ、お笑いのファン、俺らのファンを一人増やせたっちゅうわけや」
「私、本気で言ってるんですが」
「分かってる。俺も本気やで。ファンが増える見込みなんは嬉しい。そいでも、俺らの
ことをお客さんに尻拭いしてもらうんは筋違いや。だから丁重にお断りします」
「そう、ですか」
「気持ちは嬉しいんやで。ありがとう。ただ、やいのやいの言うたけれど、あいつにも
言い分はあるやろうし、実際、少しは分かっとるつもりなの、俺。世間様には言うてへ
んことやけど、平田の親族が何人か、阪神淡路大震災で亡くなっとるんや。あいつ自身
も生まれて間もなかったけど、被災者やし」
 あの震災の頃に生まれた? そういう人が相方っていうことは、この直木さんも見た
目よりも年齢がだいぶ上なのかもしれないと気付かされた。
「震災の何周年かの復興イベントで、お笑いライブがあったらしいわ。そのときに震災
を笑い飛ばすネタを見て、元気づけられたって懐かしそうに語っとったことがあった。
せやからきっとあいつは、そのとき受けた勇気とか感動が頭にあって、自分でも人に同
じように勇気や感動を与えたいいう願いが強いんとちゃうかな」
「そんな経験をされているのなら……分からなくはありません」
「ただ、それが現状、空回りしとるんがイタいところやで」
 苦笑いの顔から声を立てて笑った直木さん。駅弁はまだ少し残っていたけれども、も
ういいらしく蓋を閉じると、当人もマスクをした。
「繰り返しになるけど、ありがと。愚痴を聞いてくれて、すっきりしたわ」
「いえ、そんな……ごちそうさまでした」
 時間がだいぶ経過していると意識して、携帯端末の時計を見る。ぼちぼち動かないと
いけない。
「あの私、そろそろ」
「うん、ええよ。あ、今日見たことや話したことはほんまに他言無用やで」
「はい、それはもちろん」
 ありがとうございました、お笑い番組見るようにしますねと言って向きを換えた私
を、直木さんが呼び止めた。
「あー、やっぱり動かれへんから頼む。タクシーつかまえてきてくれへん? 俺のスマ
ホに配車アプリ、入ってへんねん」
 しょうがないなぁ。

 直木さんと話をした翌々日ぐらいだったか、家でテレビのチャンネルを適当に切り替
えていると、いきなり直木さんが映った。
 笑顔だけれども、松葉杖をついている。隣には、公園で揉めていた相方の男性、平田
さん。ちょうどテロップでコンビ名が表示された。どうやらお二人は改名したのか、ち
びりちびりではなかった。けれども不思議なことに、他の出演者は誰も改名について言
及しない。
 それにもっと不思議だったのは、直木さんと平田さんが前に聞いたよりもランクが高
いらしいこと。何たってゴールデンタイムのお笑い番組を仕切っている。これはもう大
御所扱いに見えるんだけど……もしかして私、うまくごまかされてたのかな? 超有名
な人だということを隠して、直木さんは一般の声を聞きたかったのかもしれない。

 終わり




#508/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/09/28  19:53  (143)
かみかみコンビのお題2:兎美味し   永山
★内容                                         22/01/22 20:19 修正 第2版
※本作は短編シリーズの二作目に位置付けされますが、一作目のAWCでの掲載は都合
により順番が後先逆になりました。m(__)m なお、本作のみで独立したものとして読め
ますのでご安心を。

             〜         〜

「来月のテーマ、難しくない?」
 KK学園高等学校の正門を出ると同時に、神林《かんばやし》アキラが言った。彼女
に半歩遅れてついていく神酒優人《みきゆうと》は、小首を傾げた。
「そうかな。毎回難しいから、取り立てて言うほどのものじゃ……」
「難しいことは認めるのね? だったら素直にここは『そうだね』とても言っておきな
さいな」
「……そうだね」
 二人はともにKK学園高等学校の文芸部に所属している。今話題にしている『テー
マ』とは、文芸部が毎月催している部内競作のお題のことで、部員が持ち回りで決め
る。月末締め切りで、読み合って批評し合うのだが、割と緩いムードでやっている。だ
から、部員同士が相談するのも問題ない。
「もうちょっとさぁ、堂本《どうもと》さんも広げやすいテーマにしてくれればいいの
に。まさかの動詞だなんて」
 今回の当番だった同じ一年部員に対して神林、文句をぶつぶつ。
「それを言っちゃだめだよ。堂本さんにとっては書き易い、広がりのあるテーマに思え
たのかもしれないじゃないか」
「彼女の肩を持つのね」
「そのようなことは決して。書きにくいのは確かだから」
「具体的にアイディア、浮かんでいるの? 書きにくいって言うからには」
「具体的には程遠い。使えないネタばかり浮かんでくるんで困ってる」
「一つか二つ、聞かせてよ。私にならうまく料理できるかもしれない」
「自信家だねえ。それじゃまあ、いつものように交互に披露するってことで。――知っ
ての通り、僕が好んで書くジャンルはミステリだろ。ミステリで『食べる』と言えば」
「毒?」
「ああ、それもあった。でも毒は服用、飲むってイメージだな。食べるとなると、証拠
を消すための行為さ。たとえば遺体を」
 言い掛けた神酒の前で、神林が立ち止まって、くるっと振り返った。レストランでコ
ウモリの丸焼きステーキ昆虫のサラダ添えでも出されたみたいに、嫌そうな顔をしてい
る。
「人肉ってことー?」
「うん。かなりポピュラーなんだけど、君が知らないってことは一般的ではないのか
な。ネタバレになるから作品名は伏せるけれども、傑作短編があるよ。ミステリ以外で
も、飛行機事故などで遭難して食糧がなくてやむにやまれずとか」
「そ、それだけ有名なネタなら、使いにくいって訳ね。証拠を消す、他のパターンはど
うなのよ」
 隣に並んで再び歩き始めた神林。神酒はどこまで話していいものかを考えながら答え
る。
「他の物証としては、凶器が筆頭かな。ネタバレにならないよう、即興で考えて……乾
物のかんぴょうで絞め殺したあと、煮戻して食べちゃう」
「さすがに切れるでしょ、かんぴょう」
「じゃ、ネタバレ云々を越えてる定番、氷の凶器はこれに近いと言えるんじゃないか
な。犯行後、食べるなり、溶かして飲むなり」
「氷は水にして流すのが一番だと思うけど……。それはともかく、凶器になり得る食べ
物ばかりが食卓に並ぶっていう絵面は面白いかもね」
「なるほど。普通に『事件が起きて凶器が消えた、実は食べられる凶器でした』では、
よっぽど凶器に工夫がないと二番煎じもいいことろだけど、ずらっと揃えればまた違っ
た方向の面白味が生まれそうだ」
「神酒君みたいなミステリ好きの夫と、無邪気を具現化したような妻がいて、妻が食卓
に並べる料理が、ことごとく凶器になり得る物ばかりだったら、夫は何を思うのかしら
とか、どう?」
「どうって……」
 神酒は既出の食べられる凶器トリックの数々を思い浮かべてみた。
(七面鳥の丸焼き、善哉、ダツのお造り、堅焼き、カニ、貝……ごちそうだな)
「とりあえず、ちぐはぐな組み合わせに、うん?となって、そこから、これ全部凶器に
なるぞと連想し、恐怖を感じるかな」
「『世にも奇妙な物語』っぽくしたらいけるんじゃない?」
「ああ、そっちの系統ね。いいオチが見付かれば、悪くない。さあ、もう半分は来た
よ。家に帰り着くまでに、次は君の番だ」
「うーん……考えてはいるんだけれども、最初のが頭から離れなくて」
 頭を抱えるポーズを取った神林。芝居がかっているけれども、何とはなしにかわいら
しい。
「最初って?」
「最初って言うか、前のテーマのね。『手紙』のときに浮かんだ『やぎさんゆうびん』
のアイディアって、『食べる』のテーマにも合ってると思わない?」
「ああ……そうか、手紙を食べるよね、確かに」
「今度のテーマが『食べる』と分かっていたら、『手紙』のときには温存したのに!」
 テーマ『手紙』に対して、神林はあれこれ迷った果てに、結局『やぎさんゆうびん』
ネタで書き上げ、理屈っぽいのとオリジナリティにやや欠ける点はマイナスだったもの
の、概ね好評を得ていた。
「別に、続けざまに同じ題材を扱ってはいけないという決まりがある訳じゃないんだか
ら、今度も『やぎさんゆうびん』で行けば?」
「前、オリジナリティを言われたのに、そんなことできますか。で、思ったのが、童謡
の次は童話かなって」
「童話って『浦島太郎』や『桃太郎』?」
「他に何があるっていうのよ。ともかく、そういう有名な童話と食べる行為を結び付け
ること自体は、さほど難しくはないと思うの」
「それはどうかなあ?」
 疑問を呈した神酒に、神林はすぐさま例を挙げ始めた。
「ベタなところでいいのなら、『桃太郎』で桃を割ってみたら、中の子供まで割ってし
まって、仕方がないからスタッフが美味しく」
「おぉーい、さっきまで人肉料理にびびっていた人と同一人物とは思えない発言だ」
「神酒君の話で、免疫ができたのね。改めて言うまでもなく、童話って残酷な物が多い
でしょ。『シンデレラ』のラストって、シンデレラと王子が継母や姉たちを炎で熱した
鉄板の上で裸足で踊らせるバージョンがあるって聞いたことあるわ。こんがり焼けたと
ころを、スタッフが美味しく」
「何でやねん」
 一応、礼儀として突っ込んでおく。
「『鶴の恩返し』は換えの利かないアンパンマンね。減る一方。あ、さっき言ってた遭
難の話だけど、瀕死の重傷を負った人が愛する人のために『僕の頭、食べていいよ…
…』って迫って来たら凄く怖いと思わない?」
「色んな所から石が飛んで来そうだから、やめなさい」
「愛と自己犠牲をホラー風味にしただけなのに。――残酷な童話と言えば、『かちかち
山』も。おばあさんはたぬきに撲殺された上に、料理され、おじいさんはそれを知らず
に食べてしまう。う、自分で言っていて気分悪くなってきた」
 今さら!?と思った神酒だったが、この童話が突出して残酷なのは論を待たないとこ
ろだ。
「おじいさんから依頼を受けたうさぎも、情け容赦のない残酷さを発揮。たぬきに大火
傷を負わせ、傷口に辛子味噌を塗り込み、最後は泥船に乗せて海に漕ぎ出し、沈んだと
ころを櫂でぼこぼこにして溺死させる。土左衛門となったたぬきは回収してスタッフが
美味しく」
「もういいって。うさぎのその行為が現代の法律に照らしてどの程度のものになるかっ
ていう、模擬裁判が何度か開かれたと聞いた覚えがあるなあ。判決は有罪で、量刑は覚
えてないけど、懲役刑だったのは間違いない」
「おばあさんを殺された段階で、おじいさんが復讐を果たしていたら、正当防衛?」
「いや、成立しないだろ。たぬきだってその時点では捕まって、食われる寸前だった。
盗みの代償に命を取るってのは、今の法律では行き過ぎってことになるだろうから、た
ぬきの方こそ、正当防衛が成り立つ可能性はあったかもね。口八丁で縄を解いてもらっ
たあと、おばあさんを殺しちゃったから過剰防衛になるけど」
「おじいさんが直接復讐するのと、依頼を受けた第三者が復讐するのとでは、どちらが
罪が重いのかしら」
「うーん、多分、うさぎが手伝う方が重いんじゃないかなあ。計画性が際立つって意味
で。おじいさんが激情に駆られて復讐したのなら、情状酌量の余地が大きいと言えそ
う」
「そっか。じゃ、だめかなあ」
 歩きながら腕組みをする神林。危ないからやめときなよって注意すると、案外素直に
解いた。
「腕組みするほど、何を考え込んでるの?」
「ぱっと思い付いたのがあって。童話を二つ、組み合わせるのよ」
「面白そう。聞かせて」
「『かちかち山』のその後に、かの有名な『うさぎとかめ』レースが開催されたことに
するのよ」
 『うさぎとかめ』って童話と童謡、どっちがメインだっけ? 神酒は内心思ったが、
神林の話には関係がなさそうなので、今はスルーした。
「で、かめは密命を帯びているの。競走相手のうさぎを痛い目に遭わせてくれと。依頼
主はもちろん、たぬき。と言っても『かちかち山』のたぬきは死亡確認済みだから、そ
の子孫ね。うさぎの方は『かちかち山』に登場した当|人《うさぎ》でもいいし、子孫
でもいい。依頼を請け負ったかめは、レース前に眠り薬をうさぎに盛る。あるいは、こ
のレースがマラソン並みに長いコースだったら、途中で給水スペースがあるから、そこ
のウサギのドリンクに薬を仕込んでおいてもいいわね。眠り薬により途中で眠り込んだ
うさぎに、かめは追い付いてから煮るなり焼くなり、好きなようにうさぎを料理できる
って訳」
「……そうしてできあがったうさぎ料理は?」
 答は分かっていた。けれども、聞かずにいられなかった。
 神林はにっこりして言った。
「もちろん、スタッフが美味しく食べる」

 おしまい




#509/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/10/14  21:15  (  1)
おとうのさ   永山
★内容                                         22/11/04 14:33 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#510/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/11/18  19:36  (  1)
流れ星に手が届くとき   永山
★内容                                         22/11/10 22:15 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#511/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/12/30  12:08  ( 76)
転んでもただでは生まれ得ない   永山
★内容                                         23/09/13 17:52 修正 第2版
 災害で歌織《かおり》を失ったときから僕は惰性で生きてきた。
 だからといって僕の行為が許されるものでないことは理解している。ほんの短い一
瞬、理性を失った結果、やってしまった。僕は今の恋人を殺した。彼女は、未だに歌織
を吹っ切れないでいる僕に業を煮やし、荒療治とも言える、僕からすれば心ない言葉を
投げつけてきた。それが最悪な事態を招いた訳だ。
 これからどうするか。罪から逃れられるだろうか。
 場所は自宅。マンションの一室だ。遺体を運び出すのが無理なのは明らかだ。夜の帳
が降りる時間帯とは言え、他の入居者の目や防犯カメラがあるし、あと二時間足らずで
友人が来る予定だ。
 友人の方は、こちらに急用ができたことにすれば訪問を回避できなくない。だが、遺
体の処分はやはり難しい。ばらばらにして運び出すとか薬品で溶かすとか焼却すると
か、僕には無理だ。仮にやり遂げても、彼女の家族や知り合いが彼女が帰らないのを心
配し、真っ先にここを訪ねよう。一巻の終わりになるのがオチだ。
 ならば素直に自首するか。殺した動機を正しく理解してくれる人がいればいいのだ
が。現状では「昔の女に未練たらたらの男が今の恋人を殺した」と、一面しか見てくれ
ない予感が強くする。
 ああ、何もかも投げ出して消えたい。
 僕のこの願いに一番近いのは、自殺かもしれない。が、それとて殺害動機を誤解され
る恐れが多分にある。踏み切れなかった。

 そんな風に悶々と思考すること一時間。いきなり、目の前に神と称する存在が現れ、
僕に転生の機会をくれるという。
 自称・神を信用するまでハードルはあったが、それについの記述は省く。
 僕は当然、自分自身への転生を希望した。今の記憶を持ったままもう一度自分として
生まれられるなら、歌織の命を救えるかもしれない。いや、救えるはずだ。
 だが神は、そういうのはできないんだよねとのたまった。全能の神にできないことが
あるのはおかしいと詰め寄ったけれども、「今君にしてあげられることの中には含まれ
ていないという意味だよ」と諭されてしまった。
 では歌織の家族だ。父親がいい。クラスメートよりも断然近くにいれるし、いざとい
うとき腕力が役立つはず。
 すると今度は「我慢できる?」と問われた。歌織の父として一生を無事に終える覚悟
はあるのかと。好きな女子の父親として……無理だと思った。
 結局、今の僕を捨て去る必要がある。別の男に生まれ変わり、歌織と恋仲になる。そ
の上で災害に遭わないよう事を運べばよい。僕は慎重に検討し、一人の男に決めた。
 沢口央起《さわぐちおうき》、小学生時代に歌織が好きだった男子で、現在は確か保
険会社勤務でまだ独身のはず。申し分ない。
 沢口に転生させてもらう前に、神に確かめた。転生したあと僕は僕の意思で行動でき
るのか、また、転生した先の時空における“僕”は、誰の意思で行動しているのか。
 神からの返答は、前者は「物心ついた時点で自分の意思で行動可能」、後者は「当時
の君の魂が動かしている」とのことだった。

 転生して、沢口央起としての人生は順調だった。思惑通り、歌織と親しくなり、小学
六年生のときには二人で一緒に遊びに出掛けた。中学一年の終わり頃には、公認カップ
ルと認識されていたと思う。
 ところが――想像もしていなかったアクシデントに見舞われたんだ。
 中学の卒業式の翌日、僕は同じ高校に通うことになった歌織と一緒に、買い物に出掛
ける約束をしていた。その待ち合わせ場所に向かう途中、川縁の道で男に襲撃されたの
だ。
 そいつは“僕”だった。
 僕は小中学校時代を通じて当時の“僕”から歌織を遠ざけることに意を割き、そのせ
いか“僕”は歌織の行く高校には合格できなかった。あの時点で運命は決まっていたの
かもしれない。
 僕は“僕”の歌織に対する執着心の強さを忘れていた。“僕”は僕――沢口をカッ
ターナイフで斬り付けて来た。僕はかわしたものの転んでしまい、馬乗りになれられ
た。“僕”は首を絞め始めた。遠くの意識の中、最後の力を振り絞り、僕は巴投げの要
領で“僕”を川へ投げ飛ばした。
 “僕”は泳げるのに打ち所が悪かったのか、一度浮上して顔を見せたものの、また沈
んで流されていく。あのままだと恐らく死ぬ。
 転生した先でも人を死なせる。それも“僕”自身を。
 この一件が公になれば、たとえ正当防衛が認められても、歌織との付き合いは吹き飛
ぶかもしれない。僕は“僕”を追い掛けた。
 どうにか“僕”の身体を視界に捉えた矢先、急に気分が悪くなり、跪いた。死の予感
――まさか、“僕”が死ぬと僕にも影響が? ならば絶対に助けねば。だが身体の自由
が利かない。
 心臓発作がこんな感覚なんだろうか。胸を押さえ、呼吸を整えたいがうまく行かな
い。
 死んだら、転生の目的が果たせない。歌織が将来見舞われる災害について、僕はまだ
何も話してないんだ!
 せめて歌織だけは生きてくれ。伝えねば。
 その場にばったりと倒れ、僕は人差し指で地面を引っ掻いた。爪に土が……重い。

   2011.3.11

 数字を書くのが精一杯だった。

 終




#512/549 ●短編    *** コメント #508 ***
★タイトル (AZA     )  22/01/22  20:22  (294)
かみかみコンビのお題1:手紙   永山
★内容
※本作は短編シリーズの第一作に当たりますが、AWCでの掲載は都合により二作目の
方が先になりました。本作のみで独立したものとして読めますので、ご笑覧いただけれ
ば幸いです。

             〜         〜

 KK学園高等学校の文芸部は、かつては文学少年、文学少女の集う場であった。しか
し時代は移り変わり、入部希望者が激減。一旦は休部扱いとなっていたところを、一人
の女生徒が復活させた。委員長キャラの彼女は学校側には伝統ある文芸部の復興を訴え
る一方で、部員を集める唯一の切り札として、「ライトノベル大歓迎、BLもOKだよ
〜」を密かに打ち出し、これはと目を付けた生徒に声を掛けることで、部として必要な
人数を集めることに成功した。
 彼女自身、ライトノベルを読むのも書くのも好きでいたのだが、キャラクター故に大
っぴらに語れないことでストレスを溜め込んでいたのだ。発散できる場を確保したこと
で、蓄積されてきたパワーが一気に開花し、文芸部は隆盛を極める。
 その女生徒が卒業すると、徐々に勢いは弱まり、復活十三年目となる今年度は、ゆる
〜い雰囲気の部として細々と、しかし確実に生き残っていた。
「ところで来月のテーマは何だったの?」
 風邪で学校を休み、部活にも当然出られなかった神林《かんばやし》アキラが言っ
た。枕元に立つのは、神酒優人《みきゆうと》。神林とは幼馴染みかつ同じクラスかつ
同じ文芸部とあって、今日の宿題やら連絡事項やらを伝えに、見舞いがてらやって来
た。
「あれ? 送ったんだけど、見てなかったか。『手紙』だよ」
 神酒は携帯端末をちょんちょんと指差しながら答えた。
 彼らの言う「テーマ」とは、文芸部が月一で決めるお題で、それに沿った作品を月末
までに書いて、皆で回し読みし、品評するのが習わしとなっている。
 そのテーマを決めるのは持ち回り制で、今月は副部長の当番だった。
「『手紙』かあ。今の時代、書きにくいんじゃない?」
「真面目に捉えると、多分そうだね。メールやLINEが当たり前のご時世に、手紙を
出す場面は限られてくる」
 神酒は鞄の蓋を閉じてから、「でも」と付け加えた。
「副部長が言うには、LINEはだめだがメールはOKにするってさ。だから厳密な意
味での手紙じゃなくてもいい」
「そっかー。でも、私は縛りがきついほど燃える質だから、厳密な方で行こうかな」
「……」
「どうかしたの、急に黙り込んで?」
「ちょっとエロい想像をしてみようと思ったけど、無理だった」
「な、何のこと?」
「“『縛りがきついほど燃える』神林”……うーん、どう思い描こうとしてもエロくな
らない。お子様向け特撮番組で人質に取られて、火責めに合っているおっちょこちょい
な女の子の姿になってしまう」
「あほか」
 布団の中で足をばたつかせ蹴る真似をする神林。その表情は怒っていると言うより
も、呆れている。が、不意に真顔に戻った。
「エロいで思い出した。昔、ネタだけ考えて作品にしてないのがあるんだ。あれも一種
の手紙だから、行けるかも」
「興味あるな。聞かせて」
 文芸部員同士のおしゃべりで、アイディアは割とオープンな話題である。盗作しても
すぐにばれるってのが大きな理由だが、それよりも何よりも、複数名でブレーンストー
ミングする楽しさに部員の誰もがはまっていた。
「『瓶詰の地獄』って知ってる?」
「そりゃもう。夢野久作の短編。傑作と言っていいよ」
「あれのパロディになるのかな。というか、パロディになるから書きにくいなあと思っ
て躊躇して、お蔵入りさせたんだけど。タイトルは一応、『瓶詰の極楽』か『瓶詰の快
楽』にしたいなと思ってる」
「その仮題を聞いただけで、ぼんやりと内容が想像できた気がする」
「うん、多分それ当たっている。でもまあ聞きなさい」
「分かった。僕から求めたんだしね」
「『瓶詰の地獄』で、島に流れ着いた幼い兄妹が持っていた物、いくつかあったでし
ょ。覚えてる?」
「え? えっと……水の入った瓶が三本に、鉛筆とノートと……ナイフ、虫眼鏡……だ
っけ」
「あと一つ。テーマに結び付いている大事なアイテムが抜けてる」
「テーマって、『手紙』のことじゃないよね。『瓶詰の地獄』のテーマ……ああ、聖書
も持ってたね」
「そう。私が考えてたのは、他の持ち物は同じにして、聖書だけ別の物に置き換える
の」
「快楽なら――エロ本?」
「エロから離れろ」
 布団の中でキックの音がした。神酒は距離を取ってから、反論する。
「いや、でも、そっち方面に進むんじゃないの、物語は」
「うーん、それはまあ認める。描写は別に濃厚にエロくしてもいいし、さらっと流して
もいいかな。――身体を動かしていたら元気になってきたわ」
 いきなり起き上がって、カーディガンを羽織ると、神林は勉強机に向かった。その抽
斗、一番上のを開けて、中からメモ書きが山と詰まった缶の箱を取り出す。
「おいおい、大丈夫なのかい」
「ぶり返したら明日も休む。――あった。これ、思い尽いたときのメモ書き」
 神林はよれて折り目の付いた紙切れを、神酒の前に突き出した。
「どれどれ……“・『瓶詰の地獄』のパロディで『瓶詰の極楽』。十一歳の兄と七歳の
妹が船の遭難により南の離れ小島に流れ着く。持ち物は鉛筆、ノート、ナイフ、水の入
った一升瓶三本、虫眼鏡、そしてライトノベルが一冊”……なるほど、理解した」
 少し吹き出してしまった。聖書の代わりにライトノベルと来たか。
「で、このライトノベルの内容があれなんだろ? お兄ちゃん大好き妹の出て来るタイ
プ」
「そうそう。もしそんなライトノベルを携えていたのなら、二人はハッピーな結末を迎
えたはず」
「うーむ、それはどうかなあ」
 苦笑いを浮かべ、言葉を濁す。メモを返してから、こほんと咳払いをした。
「一つアイディアを聞いたからには、こちらも礼儀として一つ披露するかな」
「待ってました」
「といっても、今日聞いたばかりで、君みたいにテーマに合うストックはないから、ま
だ全然まとまってないんだけどね。考えながら言ってみる」
「どうぞごゆっくり」
 ベッドへ戻り、布団に潜り込む神林。なまめかしさはほとんどゼロだが、同級生女子
の普段とは違う姿を目の当たりにするというのは、ちょっと感慨深い。
「テーマを聞いて真っ先に思い付いたのは、トイレットペーパーなんだ」
「うん? 何でまた。文字が印刷されているのがあるけど、あれは手紙じゃないでしょ
う」
「中国語で『手紙』と書いたら、トイレットペーパーのことなんだってさ」
「あ、何か聞いたことあるような」
「そこから発展させたいんだけど、なかなか……。ただ、ノックスの十戒と絡めてみよ
うかなと思ってる」
「ノックスの十戒って、推理小説を書くときの決め事だっけ。凄く昔の」
「ああ。それも一作家が言ってるだけと言えばそれまでなんだけど。ロナルド・ノック
スという作家の記した十の戒めの中に、『中国人を登場させてはならない』という意味
の条項があるんだ」
「へえー。どうして?」
「はっきり書かれていない。“ノックスの十戒が記された当時、中国人は怪しげな術を
使うと信じられていて、論理的な推理小説にはそぐわないと思われていた”とか、“中
国人は皆似たような顔立ちで、西洋人が見ても区別が付かず、一人二役トリックが簡単
に成立してしまうから”といった解釈があるよ。で、僕も新たな解釈ができないかなと
軽い野望を抱いたんだが、どうもうまく行かない」
「とにかく聞かせなさいよ」
 うずうずを体現したかのように、上体を起こし、全身を揺する神林。
 クッションにあぐらを掻いた姿勢の神酒は、片手で耳をいじりながら答えた。
「えーっと、理屈だけを言うよ。“中国人は『手紙』を見たらトイレに流してしまう。
そんな登場人物がいたら、世界最初のミステリと言われている『盗まれた手紙』が成立
しなくなる。だからミステリに中国人を登場させてはならない”」
「……うーん、ナンセンスギャグとしてやっと成立するかなってところ?」
「手厳しいなあ」
「だって、無理があるんだもの。君が言った『盗まれた手紙』って、ポーの作品よね。
あれならさすがに読んだことあるから分かるけど、文字として漢字の『手紙』が出て来
る訳じゃないんだし」
「あー、分かった分かりました。もう、この案は撤回する」
「いいの? 他にあるの?」
「なくはない。たとえば……大隈重信《おおくましげのぶ》って知ってる?」
「馬鹿にしないでよ、常識でしょ! ――詳しく説明はできないけど」
「はは。名前さえ知ってくれてればいいよ。大隈重信は十代半ば以降、字を書かずに通
したらしいんだ」
「ふぇ? 何でまた。というか、政治家をやったり大学を創ったりするような人が、字
を書かずに済むもの? 信じられない」
「口述筆記で済ませていたらしいね」
「へー!」
「唯一、憲法発布の際に大臣として自筆署名しなければならない場面があって、仕方な
く名前を書いたんだって。それしか残っていないそうだよ。僕が思い付いたのは、著名
人の手紙を偽造して売りつける輩の話で、うまくやっていた犯人が、お得意さんの希望
に応じて大隈重信の手紙を偽造したことによりばれる、というストーリー」
「悪くないじゃない。書いてみたら」
「でもよく考えると変なんだ。著名人の手紙を偽造することを生業とする犯罪者が、大
隈重信が字を書き残さなかったというエピソードを知らないなんて、あり得ないと思わ
ない?」
「あ、そうか。不自然よね。よし、没決定」
「だから厳しいって」
「使えない物を使えるって言う方が優しくないでしょ」
「そりゃまそうだけど。病人の方が元気になってるじゃん」
「お見舞いに来た甲斐があったというものじゃない? それで、他にはないの?」
「公平の原則に従うなら、次はそっちの番だよ」
「じゃあ、ストックじゃなく、今から絞り出してみるわ」
 腕組みをして、うんうん唸る神林。傍から見ていて実に分かり易い。その内ぶつぶつ
言い出したので、神酒が耳を澄ませていると「手紙は忘レター頃に届く」「郵便が指定
通りに届かないと気がメイル」なんて聞こえてきた。
「駄洒落!?」
「盗み聞きはよくないよっ」
「そっちが勝手に言ってるんですが」
「黒やぎさんと白やぎさんの歌って変じゃない?」
「いきなりだな〜。それって『やぎさんゆうびん』の歌のことだよね。読まずに食べた
ってやつ」
「そうそれ。読まずに食べたのに誰からの手紙なのか分かるのは、まあ外に書いてあっ
たとしても、内容を問い合わせるのに、何で紙の手紙を送るのかしら。相手も自分と同
じやぎだと分かってるのなら、手紙を食べられてしまうことくらい想像が付くでしょう
に。そもそも、やぎは自分で書いた手紙を食べてしまわないのかってのも不思議。空腹
なら、送られてきた手紙じゃなく、自分の家にある封筒や便箋を食べれば済むのに、何
で――」
「ストップストップ。言いたいことがたくさんあるのは分かるよ、謎多き歌詞だもの。
ただ、残念というか何というか、すでにそのことは多くの人によって指摘されているの
だ」
「え?」
「ネットで検索してみれば、結構たくさん出て来るよ。今君が言ったことも多分、指摘
されている。その上で、どうにかして合理的な解釈を与えようという試みもされてい
る。君が書こうとしたのは、この解釈を与えることじゃないかな」
「当たり。思うんだけど、白やぎが黒やぎに送った手紙の内容は、貸していた物を返し
てと催促するものだった。黒やぎは読まなくても察しが付くし、返したくても返せない
状況だったから、読まずに食べる。でも届かなかったよ〜と知らんぷりする訳にはいか
ない。何故なら黒やぎは郵便配達のやぎに恋をしていたから」
「は?」
 予想外の登場|人物《やぎ》に、神酒の目は点になった。
「ど、どうしてそういう論理展開になるのかな」
「だって、白やぎは黒やぎから何の反応もなかったら、ある程度は繰り返し手紙を送る
でしょ。その都度食べて無視していたら、白やぎは郵便局に問い合わせるわ。そして担
当配達員のやぎが郵便物を捨てている、もしくは食べているのではないかと疑いの眼を
向けられる。黒やぎにとってそれは全くもって本意ではない。そんな迷惑を掛けること
のないように、さっきの手紙の内容は何だったんでしょうと手紙を出す」
「なるほどね。出さなくてもいい、むしろ出したくない返信を黒やぎが出すのは、そう
いう理由付けか。だったら何で白やぎはその手紙を食べちゃうんだろ?」
「待ちに待った返事だったから、喜びのあまりつい。あるいは、本当は中身を読んだん
だけど、その内容に激怒して、『こいつふざけやがって。こうなったこっちも手紙を食
ってやる。そしてそっくりそのままの文章で聞き返してやる!』となったのかも」
「ふむふむ。ちょっと面白いけど、紙の手紙で出す理由がない。また食べてくださいっ
て言ってるみたいなもんじゃないかな」
「それはもう意地になっている感じ?」
「弱いな。僕だったら、いつでも事故死に見せ掛けて殺せるようにってことにするね」
「事故死? 何がどうなってそうなるの」
「白やぎは黒やぎに対して堪忍袋の緒が切れたとき、紙に毒を染み込ませればいいんだ
よ。それまでに数回やり取りがあって、食べても大丈夫と分かっている黒やぎはすっか
り油断して、毒の手紙でも食べてしまう」
「白やぎも結構黒いねー。だけど、どこが事故死なんだか」
「そうかい? 手紙を食べるなんて、どう見ても誤飲誤食でしょ。たまたま身体に悪い
成分が入っていた、不幸な事故だ」
「あははは、確かに。紙の手紙を出し続けることで、黒やぎの命運を握り続けられる。
こうなると、黒やぎが紙の手紙を出し続けた理由もほしい」
「さっき君が言ったように、無視する訳には行かないから、返事は出さなきゃならな
い。紙に拘ったのは……案外、黒やぎも出した手紙が白やぎに食べられていることを把
握していたのかも。その上で、黒やぎの方も相手をいつでも毒殺できるように備えてい
るつもりだった、とか」
「お互いに読んでいるのに読んでないふりをする。そうすることでお互いにいつでも殺
せる状態を保つ……そこまで行くと、お互いに殺そうと思えば殺せるんだぞと考えてい
ることにも気付いちゃうんじゃあないのかしら」
「そこに気付いたら、成り立たなくなるね。手紙が来ても食べずに捨てる」
「それもそっか。うーん、結構いい線行けそうだったのに」
「没にする判断は、ちょっと早いんじゃないか」
「うん。でもねえ、ネットで検索して似たようなネタが山ほど出て来ると聞いたら、情
熱が薄れた。よっぽど優れた解釈を用意できない限り、書いてもしょうがないかな。平
凡なネタだと、誰かがどこかで先に発表していそう」
「じゃあ、保留ってところか。他にもアイディアはあるのかい?」
「あるよ。全然まとまってないけど、その断片を示すとしたら……」
 右手人差し指をぴんと伸ばし、顎先に当てた神林。上目遣いになって天井を見やりな
がら、しばし沈思黙考。
 やがて、顎から指を離して視線を戻し、閃いた!って風に口角を上げた。
「私は敵が嫌いじゃない」
「……ん?」
 何のことやら。断片に過ぎる。
 神酒のきょとんかつぽかんとした表情がおかしかったのだろう、神林は唇の両端をさ
らに上げた。
「『私は敵が嫌いじゃない。でもこれは非鉄』、これが手紙だとしたら、別の意味にな
るのだよ」
 神林はふふんと鼻息で笑った。
「意味がさっぱり掴めない」
「帰り道にでも考えるといいよ」
「え、今この場で教えてくれないのか」
 思わず腰を浮かした。彼の前で神林は「何せ、非鉄、だからね」と言った。
「分からん……何かヒントないのかな」
「ヒントは、さっき聞かれた駄洒落路線。もう一つ大サービスすると、平仮名、だね」
「ちょっと待ってくれ。忘れない内に書き留める」
 生徒手帳を胸ポケットから引っこ抜くと、神酒は白紙のページを開いて鉛筆で書き記
した。『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ(駄洒落)』と。
 そろそろおいとまする時間になったこともあり、神酒は立ち上がった。
「結構、盛り上がったけれども、ぶり返さないように注意しろよな」
「分かってる。実を言うと顔がちょっぴり熱いよ、今」
「ほら見ろ。あー、うつされたらかなわないし、そろそろ帰る。お大事に」
 神酒は少しだけ開け放してあったドアを押して、廊下に出た。
「散々いといてよく言う」
 神林は苦笑いを浮かべ、それから神酒を呼び止めた。
「神酒! ありがとね。ヒントとしてもう一つだけ。テーマを忘れんなよ!」
「……分かった。声、かすれ気味になってるぞ」

 神林宅からの帰り道、神酒の足取りは普段よりも遅かった。歩きなのだが、ついつ
い、神林からの宿題を考えてしまう。
(『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ』で、テーマが手紙。これのど
こが手紙なんだ? 手紙に書くような文章でもなさそうだし。それに駄洒落……うー
ん)
 神酒は小説の中ではミステリを好むので、考え出すとなかなかやめられないのだ。赤
信号で立ち止まり、青に変わっても気付かないでいるほど。
(この中でも最も不自然な言葉を選ぶとすれば、非鉄だよなあ。非鉄金属って言うけれ
ども、関係ないのかな。『ひてつ』と手紙……結び付かない)
 青信号を視界の端で捉えて、ようやく渡り出す。もう点滅を始めていたが小走りで間
に合った。
 軽く乱れた呼吸を整えるために、渡った先でも立ち止まった。そのとき、小さな子供
用の横断旗が目に留まる。信号の柱に箱が設置され、中に黄色い旗が何本かあった。
「『おうだんほどうはさゆうをよくみててをあげてわたりましょう』」
 箱の側面に手書きしてある平仮名を何気なく読んだ。
(句読点がないから『よくみてて』とも読める。みてて……てがみ。もしかすると『手
紙』も平仮名で考えるべき? てがみ、てがみ)
 頭の中に平仮名三文字を思い浮かべ、心の呟きを繰り返す内に、ぴんと来た。
(あ。テがミ、か! 『て』の文字を『み』に置き換えろってことかもしれない)
 神酒は早速、元の文章を脳内スクリーンに書き、『て』を『み』に置換した。そして
一瞬息を飲み、それから目の下をやや赤くしながら独りごちる。
「――まったく。あいつめ」

 『わたしはてきがきらいじゃない。でもこれはひてつ』

            ↓

 『わたしはみきがきらいじゃない。でもこれはひみつ』

            ↓

   『私は神酒が嫌いじゃない。でもこれは秘密』


 おわり


  ・

  ・

  ・

<極めて短い蛇足>

 にんまりしてしまった神酒だったけれども、ふと我に返った。
(……うん? 神酒って僕の名前じゃなく、お酒ってことか?)

 未成年の飲酒はやめましょう。




#513/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/02/16  21:41  ( 92)
せめるもまもるも苦労がね   永山
★内容
※本作は過去に、某小説投稿サイトの超短期間お題付きミニコンテストに(別名義・別
タイトルで)出した一編です。時間が足りず、無理矢理捻り出した&下ネタで、ほぼ読
まれぬまま沈みました。(^^; そのつもりでご笑覧してもらえると幸いです。

 〜 〜 〜

 え? おうち時間、どう過ごしているかって?
 まあ充実していると思うな、自分的には。
 “おうち時間”て初めて耳にしたときは、何だそれはと思ったけどさ。何でか知らな
いが、おままごとを連想しちゃったんだよな。いい歳した大人同士の会話で、“おうち
”なんて言い回しはなかなか出て来ないからかな。せいぜい、迷子の小さな子供に「お
うちはどこ?」って聞くときぐらいしか、使いどころがないようなイメージだったし。
 でもさ、今は慣れた。慣れただけでなく、まあ悪くない表現だなって。英語よりかは
いい言い方だと思えたのが大きいんだろうな。
 うん? おうち時間に対応する英語って何だ、だって? 対応するかどうか知らない
が、似たような場面で使う言葉があるじゃないか、えっと何だっけな。ホーム……ホー
ムステイ?
 あ? そうか。ホームステイだと留学先で一般の家に住まわせてもらうことになって
しまうな。
 そうそう、ステイホームだ。あれってストレートに解釈したら、「家にいなさい!」
になるだろ。命令形。命令されるのって、やっぱり嫌な感じがするじゃないか。
 そこへ来ると、おうち時間は何となく、柔らかいイメージがあるだろ。基本的に、“
おうち”が子供向けの言葉っていうのが大きいんだろうけど。
 そりゃそうだろう。「おうち時間」が「家庭時間」だったら堅苦しさが出て来て、印
象が違ってくる。「家時間」でもまだ堅い。「うち時間」でやっと柔らかさが出て来る
けれども、このままだとどこかの方言みたいに聞こえなくもない。やっぱり、「おうち
時間」がぴったり来るんだよな。

 ああ、話が脱線してしまった。
 おうち時間をどう過ごしているのか、だったな。
 まあ、いくつかあるんだが、一番は女房の新たな魅力を発見できたことになるな。
 のろけてるんじゃあないぞ。いやまあ、のろけも入っているが、それが全てじゃな
い。本当の意味で、女房の新たな魅力を見付けることができて、それがおうち時間の充
実につながっている。
 お、差し支えがなければ詳しく聞きたい、と来たか。どうしようかな。この店はちょ
っと騒がしさが足りないな。誰も気にしちゃいないとは思うんだが、近くのテーブルの
連中に否応なしに聞かれているような気がしないでもない。
 人に聞かれちゃまずいこと? ああ、そうだよ。
 ん? 性的な意味で、ってか? うーん、その要素もある。だいたいおまえに話そう
としているのだって、おまえが同好の士だと知っているからこそ、打ち明ける気になっ
てるんだ。
 ……その顔は想像が付いたようだな。当たり前か。
 答合わせをするために、カラオケボックスにでも移るとするか。

 さて、ここなら心置きなく話せる。折角だから唄っていくんだろ。じゃあ、さっさと
話を済ませるとしよう。
 知っての通り、僕の女房は米国人だ。だから結婚を決める前に、より深く相手につい
て知ろうとした。女房の方も同じだったろう。だけど、それでもお互いに知らない部分
や隠している部分はあるもんだ。文化的な違いも原因かもしれない。
 それが、今度のホームステイ推奨、おうち時間がきっかけになって、僕は彼女の秘め
ていた一面を知った訳よ。
 彼女は以前までは、僕が会社に行っている間は、家で一人で過ごしていた。外国人で
日本語もまだまだ、友人を作るのに一苦労しているからな。家で趣味をこなす方が心身
共に楽なんだろう。平日の昼間は、趣味に没頭するのが習慣化していたんだな。
 僕が家にいるようになってからは、しばらくは意識してやめていたらしい。だがこん
なに長引くと、我慢するのにも限界が来る。僕が在宅中でも、女房は彼女の自身の部屋
に籠もって、趣味を楽しむようになっていた。
 で、だ。もう何ヶ月も前になるが、ちょっと大きめの地震があったろ。結構揺れた
し、何か物が落ちる音もしたから、仕事の手を止めて、彼女の部屋に様子を見に行った
んだ。
 ところが声を掛けても返事がない。ドアを開けようとしてもノブが回らない。鍵を掛
けてるなんて珍しい。
 が、それよりも、僕は中で彼女が落ちてきた何かが頭に当たって、失神してるんじゃ
ないかと心配になった。家の各部屋の合鍵は仏壇脇に仕舞ってあるんだけど、いきなり
取りに行かず、何度か呼び掛けてからにしようと思った。ノックし、女房の名を呼んで
は耳をドアに当てる。これを二度、繰り返すと、室内から妙な音がするのに気が付い
た。
痛がっている声がするんだ。何回も聞こえる。普段、なるべく日本語を話すように努め
ている女房がその余裕すらなくなってるんだから、相当だと思った。僕はもう迷うこと
なく、鍵を取りに行ったね。
 取ってきて、最後にもう一度呼び掛けても応答なし。僕は合鍵を使って部屋のドアを
開けた。

 女房は無事だった。
 それどころか凄く集中しパソコンの画面に見入っていた。耳にはヘッドホンを当てて
るんだが、音が丸聞こえでさ。どういうことかと不思議だったが、恐らく地震の衝撃で
ジャックが抜けたんだろうな。女房はそのことに気付かないまま、画面に意識を集中し
ていた。
 さて、同好の士である君にはとっくに想像ができているに違いないが、女房の見てい
た動画は、SM系のアダルト物だった。痛がっている声が繰り返しするはずだよ。“O
uChi,ouchi”ってな。

 僕が後ろで見ていることに気が付いた彼女は、当初、とても動揺して真っ赤になって
恥ずかしがっていたんだが、僕も興味あるんだ的な説明を丁寧にしてあげたら、安心し
たようだった。
 以来、僕らは暇な時間帯を共通の趣味に当てるようになった。二人で仲よく、肩を並
べて動画を見ているよ。実践の方は、ほんとに同じ趣味、同じ嗜好であるため、別個の
パートナーを見付けなくてはならない。なのでまあ当分無理だろうな。

 ともかく、これがほんとの、Ouchi時間。

 ――お粗末様




#514/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/03/02  17:22  (  1)
リハビリ探偵と冷たい警部補   永山
★内容                                         23/06/18 22:47 修正 第3版
※都合により、非公開風状態にしています。




#515/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/04/01  19:55  (113)
二人でソロを   永山
★内容
※本作は、某小説投稿サイトのいわゆる“お題”的なものに合わせて書いた物です。
 ほぼ出オチです。(--;) 

 〜 〜 〜

「「はいどうも〜」」
 舞台袖から二人組が登場すると、一斉に拍手が起きた。おざなりではない、人気に裏
打ちされた拍手だ。
「僕がソロ芋《いも》」
「私がソロ伝《つて》」
「「二人合わせて“ソロいもソロって”、略してソロソロ、どうかお見知りおきを」」
 二人は声を揃えて自己紹介をした。服装もおそろいの紺色のジレを着こなしている。
「と、そういうわけでね。見ての通り僕ら若いんで、まだまだ顔と名前、一致していな
い方も多いと思います」
「記憶力に不安がありそうなお歳の方がいっぱいやけど、大丈夫かいな」
「そんなこと言わないの。今日を機会に、覚えていってもらったら僕ら幸せです。皆様
から見て左の男前、僕がソロ芋」
「向かって右の女前、私がソロ伝」
「ちょいちょい、女前って何?」
「あんたそんなことも知らんの? 男前言うたらハンサムを意味するんやから、女前は
美人のことに決まってるやん」
「いやいやいや、その言葉の使い方もどうかと思うけど、それ以前に大問題がある。
君、男」
「あ、そうやった。きれいすぎてよう忘れるねん」
「君の記憶力が一番心配だね」
「そういえば大事なこと言うの忘れとったわ」
「何なに。そんな深刻な顔して」
「え? 秦の始皇帝みたいな顔って誰がやねん!」
「そんなこと言ってません。耳の聞こえまで悪い」
「今のは冗談。大事な話いうんは、大きな仕事が来てて」
「ええ? 初耳。僕が聞いてないってことは伝クンだけその大きな仕事やるのか。く
ぅ、悔しい」
「ちゃうちゃう。そういう意味の仕事やなくて勧誘、お誘い。大手芸能事務所から誘わ
れとるねん」
「つーことは、引き抜きか? いよいよ深刻になってきた」
「誰が秦の始皇帝」
「うるさいな。早く本題をしゃべりなさい」
「うん。しゅっとした男の人やったわ。自宅におるときに訪ねて来よってん。名刺出し
てきて受け取ったんやけど、それがまた濃厚な味で」
「ん?」
「ぼてぼてのソースにマヨネーズを山盛りかけたような」
「ちょっとちょっと。何の話?」
「味が濃ゆい名刺やった。これがほんまの固有名詞や、言うてね」
「めいし違いかい! そんなのは置いといてさっさと話を進めて」
「会社名見てびっくりして、声も出ん私に、彼は言いよった」
「“言いよった”は紛らわしいからやめて。まるでその芸能事務所の人が君に恋愛的ア
プローチをしたみたいに聞こえる」
「いや、ほんまに言い寄ってきたんよ」
「うそ?」
「うそです」
 ソロ芋がソロ伝のほっぺを引っ張る。彼ら流の突っ込みだ。端正な顔の伝が変顔にな
るだけでもそれなりに笑いを取れるが、二人ともこの突っ込み自体はスルーして何ごと
もなかったかのように漫才を続けるのが、何故かよく受ける。
「それで彼が言うにはやね、『ソロ伝さん、そろそろソロでやってみませんか』って」
「そのソロ重ねるの、僕らのネタでしょ。よその人に安易に使わせたらだめ」
「実話やからしょうがないやん」
「そもそも《《ソロって》》何?」
「|ソロ伝《ソロって》は私」
「いや、そういう意味じゃなく。えっと、『ソロ』と表現したらまるでアーティスト、
歌手みたいに聞こえるから。芸人が一人でやるのは『ピン』でしょって話」
「じゃあ、私らのコンビ名も『ピンピン』にする? 何かヤらしいけど」
「違う、そんなこと言ってませんからっ。伝クンが持ち掛けられたのって、本当にお笑
いの話か? もしかして歌手というか歌を出さないかって話では?」
「そんなんやないよ。間違いなくお笑い」
「おっ、自信満々。どうして断言できる?」
「だって、その人が言うてたから。『ソロ漫才をやってみるとか、どうですか』って」
「は? ソロ漫才って何? スタンダップコメディ?」
「“イケメン亭ボクつけ麺”という名前も用意してくれてるんやて」
「落語? ていうかそのギャグ、大先輩のだし、順番逆になってるから君、イケメンじ
ゃなくてつけ麺になるよ」
「うん、私もよう飲み込めんかったから、一応その部分は断った。一人でやってみるい
う話は保留してんねんけど」
「何で保留するの。僕を置いてかないで」
「急に変な言葉遣いになってるで。芋クンも一人で大丈夫とちゃうか? 名前にソロ入
ってるし」
「そんないい加減な理屈で安心できません。何かもっと自信持てること言って」
「……」
「何で黙るのー? いいとこ僕には一つもないのー?」」
「いや、ソロ活動をするにはここで甘い顔したらあかん。突き放そう思うて」
「冷たいな。君は自信あるのか。一人でできるネタ、もう何かあるの?」
「そうやね、たとえば……おソロしや」
「……ん?」
「独立したらソロばん弾くの楽しなるやろな。札束多すぎて、ソロりソロり歩かなあか
んようなる」
「ちょっと。また他人様のネタを。全然だめじゃない。ソロをずっと引きずってるし」
「……やっぱりそう思う? はっきり言ってくれて目さめたわ」
「おっ。てことは自信なかったの?」
「うん。自分は顔がいいだけやってよう分かった。いも顔の君と組んでからこそ生きる
んや」
「凄く引っ掛かる言い方をありがとう。でも嬉しいな。これで解散はなしだな」
「そうやね。――あっ」
 腕時計を見る仕種をする伝。
「どうした?」
「もう持ち時間使い切りそうや」
「焦ってたから時間の感覚が分からなくなってたな。じゃあ、解散の危機を乗り越えた
ところできりがいい。“ピンピン”終わりにしようか」
「そこはソロソロやろ?」
「いや、『ピンからキリまで』にも掛けたつもりだった」
「何や、かなんな。こっちはきりきり舞いや」
「きりがないと終われなくなるよ、また」
「じゃあ、時間ないし、『お後がよろしいようで』」
「それ、普通は落語だから! まだ独立気分が抜けきってないじゃん!」
「分かった、悪かった。言い直すわ。『おソロがよろしいようで』」
 揃いのジレの前開きを二人同時にぴんと張り、笑顔を作って舞台袖にはけていく。

 〜 〜 〜

「ところで単独の仕事が来てるのはほんまなんやけど」
「え、まじ? どんな?」
「ファッションモデル。一人だと自信ないから、芋クンもやらへん?」
「そんなこと言うのはこの口か〜!」

 幕




#516/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/04/14  21:06  (  1)
時を重ねて   永山
★内容                                         23/11/25 02:32 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#517/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/01  02:53  (145)
狐も狸も人を化けさせる   永山
★内容
 数年ぶりに再会した友達は食べ物の好みが変わっていた。
 念のため注釈すると、バカ舌の持ち主という意味じゃないわよ。穂積薫《ほづみかお
る》君の好みが、昔と違っているみたいってこと。
 私達の通う高校の広い広い学食は、日替わりでお得なサービスランチが設定される。
この日は『きつねうどんとちらし寿司のセット』。炭水化物の組み合わせに「今日のは
関西人向きな感じ。これで決まり?」と斜め前を行く穂積君に言った。
 ところが彼はサービス定食には目もくれず、単品メニューからカレーピラフとチーズ
春巻きを選んだ。
 彼は関西生まれではないけど関西育ち。小五で関西に引っ越して今年、つまり高二の
春に戻って来た。偶然同じ高校の同じクラスになり、ちょっとした感動の再会を果たし
て以来、友達関係が続いている。学校には他にも数名、小学生時代の顔見知りがいるの
だけれども、女子の中では私が一番、穂積君との距離が近いかも。それはさておき、越
す前からうどんやそばが大好物だったのに。
 私自身がサービス定食を選び、穂積君と同じテーブルに着いた。いただきますをする
なり、「昨日の晩ご飯がうどんかちらし寿司だったの?」と聞いてみる。
「唐突に何を言うかと思ったら、同じ食事が連続するからサービス定食を避けたと考え
たのか。外れ」
「じゃあ関西でうどん食べ過ぎて、一生で摂取する限度を超えてしまった、とか」
「はは。箸が止まるくらい気になるのなら答えるよ。嫌いになったんだ」
「――あ、だしが原因? 関東と関西でだしが異なるって言うじゃない。色も違うって
聞いたような」
 当たりでしょ?とにんまりするのが、自分でも意識できた。なので、穂積君が首を横
に振ったのを見たとき、凄く恥ずかしくなった。
「じゃあ何でよ。気になる」
「詳しい訳を話すにはちょっと時間が掛かる。それでもいいか?」
 落ち着いて話すためにと、食事を急ぎ片付けた。ごちそうさま。
「中一のときだから当然、引っ越したあとの話になる。うちの家族構成、どこまで知っ
てるんだっけ?」
「お母さんとおばあさんだけって昔聞いた」
 あでもこの間、男子同士の会話で母子二人暮らしだと言ってるのを小耳に挟んだっ
け。昔話を聞く分には今言う必要はないだろうと判断した。
「そう、当時は母と母方の祖母と僕の三人暮らしだった。母は仕事で夜遅いことが多
く、晩飯は祖母が作った。だけど環境の変化がよくなかったのか、外出しなくなって、
段々ぼけてきて。徐々にインスタント食品に頼るようになった。その頃よく食べたの
が、カップ麺のうどんやそば。赤いきつねとか緑のたぬきだった。二日続けて同じ物を
食べることのないよう、常に赤いきつねと緑のたぬきを一個ずつ用意してね。前の日に
僕がうどんを食べたとしたら、次の日はそばを食べる。祖母はその逆になるんだ。で、
冷え込んだ冬のある日、いつものように祖母と二人でお湯を沸かしてカップ麺の用意を
していた」
 懐かしそうに目を細めて微笑む穂積君。でもどこか淋しげでもある。
「その日は祖母が緑のたぬきで、僕が赤いきつねだった。食べ始めてすぐ、祖母が言う
んだ。『食欲ないから、天ぷら食べてくれる?』って。僕は『いいよ』と答えて、カッ
プを祖母の方に寄せ、まだ形の崩れていない天ぷらを入れ易いようにした。『けど、お
ばあちゃん大丈夫?』と聞き返す言葉が終わらない内におばあちゃんが、いや祖母が箸
を落として突っ伏して。痛い!と叫び始めて。僕はひっくり返ったカップから汁がテー
ブルに広がるのを見て、火傷しちゃいけないと布巾を取りに台所に行った。それくらい
動揺してた。ようやく救急車が頭に浮かんで、呼んだ。着いた頃には祖母は意識をなく
していたみたいで静かで、家の中は僕自身がしゃくり上げる音だけがしていたらしい。
そんないきさつがあって、きつねうどんと天ぷらそばが食べられなくなった」
 おしまい、という風に肩をすくめる穂積君。私は何も言えなくなった。
「以来、赤いきつねや緑のたぬきに限らず、きつねうどんや天ぷらそばを食べようとす
ると、一番に祖母の倒れる場面が浮かんできて、他のことは何も分からなくなる」
 自嘲する彼の台詞の一部に、私は引っ掛かりを覚えた。
「他のことは何も分からなくなる、って?」
「祖母や母と赤いきつね、緑のたぬきを食べた思い出にはいいこともあったはずなんだ
けど、封印せざるを得ないって感じなんだ。一番新しい、祖母の倒れる姿が焼き付いて
いるせいかな」
「そんなのだめだよ」
「うん?」
「もったいない。楽しい思い出まで閉じ込めちゃうのは。楽しいことも悲しいことも忘
れずに、無理せずに思い出せるようにしなくちゃ」
「僕自身、そうありたいと願うけど、でもどうやって」
「それは……特訓してみる?」
 まったくの思い付きだった。

 日曜の昼前、穂積君の家に出向いた。お母さんは休日出勤だと聞いたので、いい機会
だと思い、赤いきつねと緑のたぬきを五個ずつ買って持参した。
「無駄になるかもしれない。もったいないな」
 不安げな彼の前にはすでに赤いきつねと緑のたぬきが一つずつ、開封して置いてあ
る。適量のお湯を沸かし、まずはそばから。三分待って、さあ召し上がれと差し出す。
穂積君は割り箸を割って、フタを完全に剥がして……そこで止まった。香りを伴った湯
気が立ち上る液面を、じっと見下ろしている。
「だめっぽい」
「うーん、顔はそんなに嫌がってないのに」
「うまそうだと感じてはいるんだ。けど、口に運ぼうとした途端、思い出されて」
「貸して」
 私は緑のたぬきを受け取り、食べてみせた。タレントがCMでやるみたいに美味しく
見えるように。
「どう?」
「……まだ無理。ただ、怒らないで欲しいんだが、あのときを思い出した」
「あのときというのは、おばあさんが倒れたときのことね。怒らないでってのは何?」
「一瞬、おばあちゃんに見えた」
 顎を振って私を示す。普段なら怒ってグーでこめかみをぐりぐりしてあげるところだ
けれども、今は違う。
「そこまで思い出して、動揺はしてないのよね?」
「あ、ああ。食べる気になれないだけ」
「だったら、最初から再現してみよっ。あなたは赤いきつね、私は緑のたぬきを食べる
の」
 すぐ実行に移す。なお、一杯目の緑のたぬきは私が残さずいただきました。
 お湯を注ぐ段になって、穂積君が「思い出した」と呟いた。
「おばあちゃんを待たせると気が引けるから、先に赤いきつねにだけお湯を注いで、二
分経ったあと緑のたぬきにも入れてたんだ」
 なるほど。そこも含めて完全再現する。やがて五分が経過した。
「食べようとしてすぐ、天ぷらをそっちに渡したんだよね?」
「ああ。こんな風に、カップをくっつけて」
 私は天ぷらの底に箸を差し入れてそっと持ち上げ、えいやと相手のカップに移した。
「実際には入れるまで行かなかったんだが」
「いいの。今日はあのときの続きだと思って。ね?」
「続きと言われてもな……いや、何だか行けそうな気が」
 穂積君の表情がぱっと明るくなった。
「何ていうか、別の物に見えてきたよ。きつねうどんじゃなくたぬきうどんでもない、
両方載っているのは何か名称あるのかな」
「……化かし合いうどん?」
「悪くない。実際、僕にとっては化けたようなものだ」
 その言葉が口だけ出ないことはじきに立証された。穂積君はうどんをすすった。お揚
げも天ぷらも食べた。美味しそうだった。
「久々に食べたけど、こんなにうまかったんだな」
「そりゃあ元々好物だったのを我慢してたようなものだから、当然でしょ」
 もぐもぐしている彼からの反応は遅れ気味だったが、納得した様子だ。私もこんなこ
とで克服できるなんて、納得しつつも驚いている。
「次は単品でも食べられるように」
「そうだね。やってみてもいいんだけど、今はお腹がさすがに」
 ほぼ平らげた穂積君に対し、私はまだ残っている。二つ目なんだから当たり前。残さ
ずに食べようとしたところへ、呼び鈴の音が鳴り響いた。
「お客さんみたいだ」
 席を離れる穂積君を見送りつつ、私は音を立てないようにした。万が一にも彼の男友
達が来たのなら、気付かれないようにしたい。あ、でも、靴が。
 気になってそわそわし、私は玄関の方へ耳をそばだてると、突然、その声が聞こえ
た。
「おばあちゃん、今日、帰ってくる日だった?」
 おばあちゃん!? お父さんの方のおばあちゃんが来られたってこと? けど、“帰
ってくる”と言ってたわ。
 訳が分からず混乱する私の前に、穂積君が来訪者を連れて戻ってきた。
「初めてだったと思うから紹介するよ。僕の祖母の七恵《ななえ》ばあちゃん」
 ちょっと痩せ気味だけど柔和な笑顔の女性が、両手を揃えてお辞儀をしてくる。慌て
て立ち上がり、お辞儀を返した。名乗ってから、穂積君に耳打ちで尋ねる。
「あの、おばあちゃんてお亡くなりになったんじゃ……」
「え。そんなことは言ってない」
 穂積君の口調は驚きを帯び、当惑している。
 私は彼のおばあちゃんに関する言葉のやり取りを、猛スピードで思い返した。確かに
亡くなったと直接は聞いていないし、何の病で倒れたのかすら分からない。でも、三人
暮らしだったのが母子二人になったと。
「あ、それはおばあちゃんにケアハウスに入ってもらったから。母の開発した商品が思
い掛けず大ヒットして、実用新案を取っていたから、結構儲けて。それで母はますます
忙しくなり、僕も高校生になって時間があまり取れなくなって、おばあちゃんには住み
慣れた土地に戻った上で、施設に入ってもらったんだ。最初は渋っていたのに見学に行
ったとき、ハンサムな入居者を見付けたとかで俄然乗り気になってさ、おかしかった。
でもまあおかげで痴呆の進行は止まったみたい」
 笑いをかみ殺す穂積君。私の方はぽかんとしてしまった。
「何だか騙された心地……」
 私の呟きが聞こえた様子の七恵おばあちゃんは、くん、と鼻を鳴らしてから微笑ん
だ。
「これだけ狐や狸の香りが充満してるのだから、騙されても不思議じゃないね」

 おしまい




#518/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/07/29  20:45  (118)
赤いメッセージ   永山
★内容
 女性ホラー作家の赤井羊太郎《あかいようたろう》が死んだ。何らかの鋭利な刃物で
刺されたことによる失血死であった。現場である彼女の書斎は血の海と化しており、デ
スクや座椅子、書架などが赤く染まっていた。
 彼女の名前はもちろんペンネームで、本名は貫田美土里《ぬきたみどり》という。三
十という年齢にしては、今どき珍しいであろう手書きで原稿用紙の升目を埋めていくタ
イプだった。パソコンなどの機械を使わない訳ではないが、小説執筆は手書きでと決め
ていた。
 そんな赤井は死の間際、メッセージを残していた。
 血がべったり付いた手の下にあったのは原稿用紙で、そこには大きく「ツネキ」と書
かれていた。
 早速、関係者が調べられ、容疑者の筆頭に躍り出たのが常木鉄也《つねきてつや》な
る男。赤井羊太郎は売れっ子になる前は、共作作家で鹿庭亜衣《しかばあい》と称して
いた。そのときのパートナーが、常木なのである。
「何で私が彼女を殺さにゃならん」
 仕事場兼自宅の書斎で刑事二人組の訪問を受けた常木は、憤慨気味に問い返した。
「赤井さんの成功が妬ましかったとか、ありませんか」
「何言ってるの。稼ぎならこっちも負けてないよ。でなきゃ都内にこんな戸建て、構え
られるかっての」
「しかし知名度では劣ってるし、本当にそんな稼ぎがあるようには。もしかして、赤井
さんをゆすっていたのでは」
「失礼な人だね。通帳見せてあげる。印税だけじゃなく、映像化とかキャラクター商品
とかそっちのも入ってるから」
「これは……失礼をしました。確かに出版社からの、それも複数からの振込のようです
が、何の作品ですか」
「別の名前で出してて、イメージ崩れるからあんまり言いたくないんだけど、公言しな
いでくれる? 『魔法男子メルー』と『豚野郎でも信じれば願いは叶う? ピッグマリ
オン』と『自己愛探偵・鳴瀬、死す』の三つ。一つぐらい聞いたことは?」
「ないですね」
「あ、僕はあります。一個だけですが、『ピッグマリオン』を」
 動機ははっきりしなかったが、金絡みとは限らないので、一旦保留。
「アリバイをお伺いしたいのですが」
「答えろってんなら、いつ亡くなったのかを教えてくれないと」
「そうでした。今月九日の朝八時から九時の間と見積もられています」
「おやま、早いね。彼女は夜型人間で、そんな時間に人を自宅に招き入れるとは思えな
いんだけど。いれるとしたら編集者?」
「担当経験のある方全員に話を聞きましたが、皆さんアリバイがありました」
「じゃあ、付き合っている人でもいたかな」
「それは鋭意捜査中――それより、あなたのアリバイをお聞かせ願えますか」
「あ、そっか。今月上旬なら取材旅行に出ていたはず。――ほら」
 パソコンとスマホ、両方を使って写真を見せる常木。
 結局、同行した作家仲間及び編集者の証言もあって、常木のアリバイは成立した。
「常木さんが赤井さんと昔一緒に書いていたことは、有名なんですか」
「あんまり知られてないはず。お互い、プロフィールから削除してるし、当時はまた別
の名前だったし。まあ、勘のいい読者ならひょっとしたら辿り着けるかもね」
「え? どういうことです?」
「だからペンネーム。鹿庭亜衣は『化かし合い』のアナグラムになってるでしょ」
「アナグラム……文字の並べ替えでしたっけ」
「そうそう。で、何で『化かし合い』かって言うと、私が常木で、彼女が貫田だから。
つねきとぬきた、それぞれをちょっと並べ替えると、キツネとタヌキ」
「なるほど」
「で、今の私は常木をそのまま筆名にしているし、彼女の方も“赤井羊太郎”で検索す
れば、本名が出て来る。だから、勘のいい人なら気付く可能性、ゼロじゃないでしょっ
てこと」
「それはちょっと……かなりハードルが高いですな」
「でも、彼女を殺した犯人は、少なくとも分かっていた訳だ。業界の人なら知ってる人
もそこそこいるから、絞り込む条件にはならないか。いずれにせよ、犯人はこんな残酷
なことをしておきながら、洒落っ気のある性格だよね。赤い血文字で『ツネキ』って、
『赤いきつねと緑のたぬき』に掛けたに違いない」
「えっ?」
「あん、分からない? 彼女の本名が貫田美土里で緑のたぬきでしょ。私の名前には赤
の要素がないから、血文字でツネキと書いて、赤いきつね。――反応が薄いね、刑事さ
ん達。もしかして、インスタントのカップ麺を知らないとか?」
「いえいえ。我々がびっくりしたのは、別のことです」
 年配の刑事がそう答える間、若い方の刑事はこれまで話を聞いた関係者の証言一つ一
つを、猛スピードでチェックしていた。

「――という訳で、あなた唯一人が他の皆さんとは異なる反応を示していたことが分か
りました」
「何のことですか?」
 佐藤《さとう》ひろみの問い掛けに、刑事はたとえ話をいきなり始めた。
「とあるクイズ、いやパズルを出します。割と有名な問題らしいので、ご存知なら言っ
てください」
「この状況でクイズって……まあいいけれども」
「『真っ黒な塀の向こう側から、男が現れた。その男の出で立ちは黒い帽子に黒いコー
ト、黒の長ズボンに厚底の黒いブーツ。手には黒革の手袋をはめ、靴下も黒という全身
黒尽くめだった。男はしばらく歩いたあと、ふと立ち止まった。そして不意にしゃがん
で、黒いアスファルト道路に落ちていた小さな黒石を素早くつまみ上げた。男はどうし
てそこに黒い小石があると分かったのか? なお、月は出ていない』という問題なんで
すが」
「知りません。初めて聞きました」
「それはよかった。で、答は?」
「……靴底で小石の感触が分かったとか」
「厚底ですから無理だということにしておいてください」
「……分かりません。ねえ刑事さん。これは何の茶番なんです?」
 佐藤は苛立ちを露わにした。が、すぐに左手のピンキーリングをさすり、冷静さを取
り戻した。指輪の石は、落ち着くためのおまじないみたいな物なのかもしれない。
「そういきり立たずに、まずは答を聞いてください」
「別にいきり立ってはいません。答、何なんですか」
「答は、『真っ昼間だったから』」
「え?」
「佐藤さん、夜の闇の中での話だと思って聞いていましたよね? それが普通の反応で
す。事前にパズルの問題だと知らされていなければ、気付ける人はほとんどいないとさ
れています」
「確かに夜だと思い込んでましたけど、これと事件と一体どう関係すると言うのでしょ
う?」
「先日、話を聞きに上がった際、事件のあらましを話しましたよね。あれを聞いて、他
の関係者の皆さんは一様に同じ思い込みをしたんです。すなわち、被害者の赤井羊太郎
さんは、自らの血を使って『ツネキ』と書き残したんだと」
「……」
 佐藤の目は見開かれ、唇は逆にぎゅっと噛みしめられた。
「我々警察は、現場の具体的な状況は発表していません。現場にあった原稿用紙に『ツ
ネキ』と書かれていたことは、聞き込みの際に明かしていますが、どんな物で書かれた
かについては言及を控えていました。その結果、ほぼ100パーセントの人が、血文字
だと勝手に解釈していたんですよ」
「……」
「翻ってあなたの場合を思い返してみると、他とは違った反応をされていた。記録も取
ってあります。佐藤さん、あなたはこう発言している。『愛用のペンで最後に書いた文
字が、自分を殺した犯人の名前だなんて、先生もさぞかしご無念だったでしょう』と。
何故、ペンで書かれたと思ったのか。いくらでも理由付けはできるでしょうが、我々は
あなたを疑います。徹底的に」
「そんな」
「手始めに、その左手の指輪を調べます。返り血ってやつは意外と小さな隙間からも潜
り込んで、意外と長い間残るもんなんですよ」
 佐藤は指輪を隠すかのように、左手を右手で覆った。
 ダイイングメッセージを偽装した犯人は、どうやら被害者からの赤いメッセージで追
い詰められることになるようだ。

 終




#519/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/08/05  20:09  (112)
計算と新基準:20−2+3   永山
★内容
 クラスメートの白井《しらい》さんは、言葉遊びが好きであると広言している――な
んて風に書くと、彼女からすかさず、
「広言ではなく、公言よ」
 と訂正が入るに違いない。
 言葉遊び好きであると同時に、言葉や文章、そしてそれらの意味するところをこねく
り回すのが好きなんだと思う。
 一方、僕は彼女とは幼馴染みで、それ故なのか、男子勢の中では言葉遊びに付き合わ
されることが多いようだ。
 たとえばこの間も、こんなことがあった。

「如月《きさらぎ》君は当然、これまでに留年したことはありませんよね?」
 放課後、掃除当番の役目を終えたところで、白井さんが急に聞いてきた。
「何なに、白井さん。藪から棒に」
 僕は掃除道具を仕舞いながら聞き返す。彼女の方はゴミ箱が空っぽなのを再確認して
いるようだった。
「私と同じ年度に生まれているのか、確かめようと思ったんです」
「何だ。それなら誕生日を聞いてくれたらいいのに。年月日で答える」
「いえ、それは配慮のつもりでやめておきました」
 教室の鍵を手に取り、廊下に出る白井さん。僕も続いた。
「配慮って、何で。女性に年齢を聞くのは失礼だとか言うけどさ。僕は男だし、そもそ
も同じ学年なんだから誕生日ぐらい気軽に」
「もしそんな質問をしたら、如月君にいらぬ期待をさせてしまうのではないかと」
 いらぬ期待……これはすぐに分かった。プレゼントのことだ。白井さんは教室の鍵を
掛けた。
「そしてそういう想像をした私もまた、だったら誕生日プレゼントを何か用意しなくて
はいけないのではないかとプレッシャーに感じてしまいかねません」
「深読みっていうか、考えすぎだよ」
「では如月君は私から誕生日を聞かれても、何も感じないと」
「そんなことはないけど」
「だったら、そういうことです。それで、間違いなく二〇〇三年度生まれ?」
「あ、ああ。ていうか、小学生のときからずっと同じ学校なんだから、分かるだろう
に。最初の設問が成り立ってないぞ」
「ようやく気付いてくれましたね。これで安心して、話題を振れます」
 先を行く白井さんの隣に追い付くと、彼女が微笑しているのが分かった。この表情
は、言葉遊び的な何かを僕に仕掛けてくるときの顔だ。せいぜい警戒しておこう。
「来年の四月が来れば、みんな揃って大人になる訳です」
「大人……ああ、成人年齢の話か」
 日本の法律では二十歳が成人の証と定められていたけれども、ちょっと前に変更され
た。ちょうど僕らに関わることだったので、当時から割と話題にしたっけ。二〇二二年
の四月からは、十八歳が成人と見なされるのだ。
 僕らの年度は、これから先のおよそ一年でみんな十八歳を迎える。だから二〇二二年
の三月三十一日までは未成年だったのが、その翌日には全員が一斉に成人になる。ちょ
っと面白い。
 白井さんもその辺りのことに触れ、「私達にとってはそれが当たり前ではあるけれど
も、やっぱり特別感はありますね」と続けた。
「ところで、特別な成人と言えるかどうか分かりませんが、次みたいなことがあるのを
如月君は知っていますか?」
 来た。この切り出し方はクイズ方式だな。僕は心の中で身構えた。
「ある日本人家族が故郷である中国地方に帰って、一人息子の誕生日をお祝いしていま
す。父親が息子にビールを注いでやりながら、『これでやっとおまえとも酒を酌み交わ
せるな』と言いました」
 僕は聞きながら、関係しそうなことを頭に浮かべる。十八歳成人になっても、お酒や
たばこ、公営ギャンブルは二十歳になるのを待つ必要があるってね。だから白井さんの
話に登場する“息子”は二十歳になったばかりのはず。
「息子はビールを一口、ぐいっとやってから何とも言えない顔をして応じます。『夏の
方が間違いなく合うね、これ』と感想を述べた彼の前に、母親が唐揚げとおでんを持っ
て来ました。――ところがよくよく聞いてみると、この息子はこの日、二十一回目の誕
生日を迎えたんだそうです。こんなことがあるでしょうか?」
「えっ? 二十一回目の誕生日?」
 廊下の角で立ち止まる僕。聞き違いじゃないと分かっていても、つい、おうむ返しを
してしまった。数歩先から戻って来た白井さんは「そうですよ」と澄まし顔で肯定し
た。
「息子は二十一歳になってる。なのに、これでやっと親子で酒を飲める? おかしい
よ。日本の話だよね?」
「はい」
 国によって飲酒できる年齢が異なる&日本人でも外国にいるときはその国の法律に従
う、という話ではないようだ。
 また、白井さんの出題だから、父親の勘違いとかでは絶対にない。
「父親がどこか遠くに赴任していて、息子が二十歳になってからずっと会えないでい
た?」
 苦しいのは承知の上で、捻り出してみた。当然、白井さんは首を左右に振る。
「違います。逆に息子が遠くにいたというのもありません、念のため」
 穴を塞いでくるなあ。
「だめ元で言うけど、父子のどちらかが病気でお酒を飲めなかったのが、完治したって
いうのは?」
「ユニークな発想だとは思います。でも、スマートじゃない。息子の誕生日と病気が治
る日がぴたりと一致したなんて。もっとスマートな解釈、ありません?」
 うーむ。これが米国なら、禁酒法施行時代に絡めて、答っぽいのができそうなんだけ
ど、外国じゃないんだよな……。あ、待てよ。
「中国地方というのは実は中国という国だった、どう?」
「だめです。如月君は国としての中国を言い表すのに、中国地方という表現を使います
か? 使わないでしょう」
「だめか」
 そもそも、中国での飲酒年齢がいくつなのか知らないんだけどね。
「日付変更線を超えた、なんてのも違うし。うー、分からん」
「あきらめます? 中国地方と言ったのが実は中国ではないかというアプローチ自体
は、悪くないです。私の言葉遊び好きを理解してくれてますね」
「言葉遊び……うーむ。息子の誕生日が実は特殊な日だとかでもないだろ?」
 たとえば二月二十九日だったとして、それが何なんだってことになる。
「何日だろうと、誰であろうと関係ないですね。如月君でも同じです。《《二十一回目
の誕生日》》を迎える前に、飲酒しちゃだめです」
「僕も?」
 僕は自分自身を指差してちょっとびっくりしつつも、最前の白井さんの言い方が傍点
を打たれでもしたかのように強調されて聞こえた。
「――あ。分かった。ばかばかしい」
 僕は両手の平を合わせた。ようやく職員室に向かって再び歩き出し、答を口にする。
「生まれた時点で一回目の誕生日と数えてるんだ?」
「はい、ご名答です」
 表情をほころばせ、首をやや傾けてにっこりする白井さん。
 なるほど。思い込みは恐ろしい。生まれてから一年間は零歳で過ごすけど、誕生日そ
のものはすでに一度体験している。そうじゃなきゃ生まれてないことになる。人生二度
目の誕生日が来て、やっと一歳だ。二十一回目の誕生日で二十歳。不思議なことなんて
何もない。
「ということで、私達も二十一回目の誕生日を迎えたあと、会う機会があれば一緒に飲
みましょうか」
「え?」
 何だ何だ。これは“予約”と受け取っていいのかな? どきどきして職員室の手前で
足が再び止まった。そんな僕を振り返り、白井さんは当たり前のように続けて言った。
「成人式は前倒しになるかもしれないけれども、小学生のときのタイムカプセル、掘り
出すために集まるのは二十歳のままですよね?」

 終わり




#520/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/09/03  19:25  (  1)
逃げ水   永宮淳司
★内容                                         23/06/21 21:41 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしております。




#521/549 ●短編
★タイトル (miz     )  22/09/13  10:23  ( 16)
新相対性理論  ねこみみさん
★内容
光速を超えると、時間が逆行する。
宇宙空間では、慣性の法則が有るので、数ヶ月間か数年間かけて、宇宙船を加速する
と、光速を突破するはず。

光よりも、早く動くモノは、遠くになればなるほど、時間が逆行して、数十年数百年前
に戻るはず。

光よりも早いモノを発生させると、空間がバックフィードして、過去に伝わり、UFOが来
ているはず。

宇宙船が光速を突破すると、宇宙船の中で、時間が逆行して、中の人間が若返る可能性
がある。だからこそ、量子力学的な計算が欠かせない。

タイムマシンは、光速を突破すれば、時間が逆行して、必ず出来る。相対性理論では、
反転すると、時間が一気に進むというが、根拠が無い。数年間過去に戻ったところで、
再度反転して、また光速を突破すれば、また過去に戻るはず。




#522/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/10/11  21:23  (109)
お嬢さま、意味コワ話を所望する   永山
★内容
「――ああ、おかしい。ほんと、怖くて面白いわ。私、気に入りましたよ、『意味が分
かると怖い話』なるものに」
「お気に召したのでしたら、幸いです」
「ねえ、船場《せんば》。もっとないの、似た感じのお話」
「またお代わりを御所望ですか。これでもう七度、続けざまでございますよ。都度、あ
れこれと思い出して、振り絞ったあとのご要望とあっては、さすが私もネタ切れと言い
ますか」
「そんなこと言って、とっておきのがあるんじゃないの? あなたってほら、準備がい
いじゃない。『こんなこともあろうかと』って、決め台詞付きで」
「いえいえ。お褒めの言葉はありがたくも嬉しい限りですが、今宵はここで正真正銘、
ネタ切れでございます」
「ふうん。そう。残念ね」
「申し訳なく存じます」
「……でも、一つくらい、何かあるんでしょう?」
「いえ、ございません」
「おかしいわね。あなたの顔を見ていると、たいていの場合は分かるつもりだったんだ
けど。嘘をついているときって」
「そのような嘘など、滅相もありません」
「ほら、今、鼻で息をしたでしょ? そのせいで船場、あなたの立派な白い髭が微かに
揺れるの。嘘をついたという証よ。他に揺れることなんてない」
「まさか。はったりはおやめください」
「うふふ、そうね、今のははったりよ。でも、あなたが嘘をついたとき身体のどこかに
サインが出ているのは、本当なの。それが何なのか、簡単には教えやしないわ。これか
らも役に立つでしょうからね。とにかく、あなたは嘘をついている。違う? 違うのな
らはっきりと答えて。認識を改めさせてもらうから」
「……はぁ……仕方がありませんね。これを嘘と呼んでいいものか、難しいところでは
ありますが、確かにあと一つだけ、『意味が分かると怖い』系の話を知っております」
「ほら、ご覧なさい。嘘をついてた」
「弁明の機会をいただけるのであれば、何ゆえ私は頑なにないないと言い張ったのか、
説明をいたします」
「……ま、退屈しのぎに聞きましょうか。あと一つしか話すネタがないのは真実みたい
だし」
「ありがとうございます。説明と申しましても、至極単純、ほんの二言三言で済んでし
まうのですが……私が最後に残しておいた話は、お嬢さまにはふさわしくない内容なの
でございます」
「……どういう風にふさわしくないの」
「察していただけませんか」
「だめ、無理。察さない」
「それではやむを得ないと解釈しまして、お耳汚しになりますが、答を述べさせていた
だきます。ずばり言って、下ネタですから」
「下ネタ」
「はい。下ネタの意味まで説明する必要はないものと存じます」
「ええ、知っている。だけど、下ネタだからって隠すのもどうかと思うわ。確かに私は
まだ成人年齢に達してはいませんけれども、それなりに分かるつもりです」
「その調子ですと、私はどうしてもお話ししなければいけないようですね」
「分かっているのなら、早く言いなさい」
「その前にお約束を。決して怒らず、恥ずかしがらず、そしてもしも意味が分からない
ときは、右手をそっとお上げください」
「恥ずかしがらないというのは難しいかもしれないけれども、がんばるとします。心構
えのための深呼吸をしますから、少しだけ待ってなさい」
「かしこまりました」
「――よし。さあ、いつでも来なさい」
「では コホン。とある王国Aの王女が、隣国Bの王子とお見合いをして、結婚に向けての
交際が始まりました。順調に関係を深めていった二人ですが、いよいよ結婚の日取りを
決めようかという段になって、悲劇が起こります。A国に向かっていたB国王子の車列
が爆弾テロに遭い、王子を筆頭に護衛の者、通訳、運転手、お付きの者らが多数命を落
としてしまったのです。しかも爆弾は不必要なほど強力な代物で、遺体はばらばらのち
りぢりに飛び散ったという惨状を来しておりました。二日後、救出活動及び遺体回収に
当たった者が、王女に報せを持って参りました。
『非常に申し上げにくいのですが、王子様のお身体は損傷が激しく、また炎上の害も被
っているため、形をとどめているパーツがほぼありませんでした。できる限りの人員を
割いて探させた結果、ようやく見付かったのがこれでございます』
 報告者は部下に合図し、トレイを持って来させると、掛けられていた紫色の布を恭し
く取った。
『まあ』
『この、いわゆる“いちもつ”のみが、現場で発見されました。車の位置関係から、王
子様の物で間違いないかと』
 王女は、その物体に目を凝らし、手をかざすような仕種をしてから答えました。
『ご苦労様。しかしこれは王子様の物ではなく、護衛の物です』
 ――以上にございます」
「……」
「お分かりいただけたでしょうか」
「分かったと思うんだけど、さすが下ネタ、確証が持てないわ」
「その『さすが』の使い方、合ってます?」
「念のため、答合わせをしましょう。王女は王子とだけでなく、護衛の人とも関係を持
っていた、という解釈でいいのかしら?」
「ご明察にございます」
「ああ、よかった。うん、悪くない下ネタでした。他の方に話しにくいのが難ですけれ
ど」
「絶対に言わないようにしてください。たとえ同性のご友人に対してでもいけませんか
らね」
「はい、分かっているわ。それにしても思ったんだけど、王女様もちょっと軽率だった
わね」
「はい?」
「だってそうじゃない? “いちもつ”を見て、『王子様の物ではありません』とだけ
言ってやめておけばよいものを、つい、護衛の人だの何だのと付け足してしまったか
ら、関係がばれちゃって」
「ま、まあ、言われてみれば確かにその通りでございますが……そもそもこれは実話と
は思えません。オチのためにわざと、脇が甘いよう描かれたのだと推測するのが妥当で
ございましょう」
「なるほどね。それならいいわ。教訓にもなるし。私も万が一、同じ立場に立たされた
とき、同じ失敗をやらかさないよう、対策を講じておかなくては」
「対策、と申しますと?」
「そうねえ、たとえばなんだけど、結婚を前提に付き合っている殿方がいるとしてよ。
その殿方のあそこには、何か特殊な工作を施していただくというのはどうかしら」
「工作……」
「ええ。今思い付いたのを言うと、蛍光色のイエローかピンクで、あそこをきれいに塗
ってもらうとかね。それなら間違いようがないし、他人とも区別が付く。加えて、ばら
ばらに吹き飛ばされても見付け易い。いいこと尽くしだわ、これ」
「……お相手の男性が亡くなるのが前提になっています、お嬢さま。決して、いいこと
尽くしではございません」
「……そうね」

 おしまい


※講談社現代新書の何とかという本で、考えオチの例として挙がっていた話を基に膨ら
ませました。今、その書籍が手元になく確認できないため、このような注釈になること
をご了承ください。




#523/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/11/04  17:26  (105)
アンブレラは近すぎる   永山
★内容
※何年か前に某小説投稿サイトにて催されたミニコンテストに投じ、あえなく落選した
ものです。テーマは「傘」でした。

=======================================
=


「いや、これはないわ〜」
 同居人の振分綸太郎《ふりわけりんたろう》が、いきなり声高に言った。
 僕は読んでいたミステリコミックのページから目線をずらし、声の方を見る。
 振分が背を丸め、中古の文机に寄り掛かるようにして、旧い型のパソコンの画面を覗
いている。
「何かあったの?」
「聞いてくれるか。ちょっと来てくれ」
 呼ばれた。面倒だな、漫画の続きを読みたいなと思ったものの、こちらから何かあっ
たのと聞いたからには、行かねばなるまい。僕はページを覚えてから漫画を閉じた。振
分の左後ろまで移動し、ちょこんと座る。
「いつもの投稿小説サイトだね」
「そうだ。が、その前に訂正しておくぞ。投稿小説サイトじゃない。小説投稿サイト
だ」
 どっちでもいいという訳にはいかないらしい。以前、理由を説明してもらった記憶が
ある。しかとは覚えていないが、蒸し返すのも時間の無駄なので、ここは流す。
「『ないわ〜』ってのは、何のことなのさ」
「今度のコンテストの募集要項が出てたのにさっき気付いたんだが」
 その投稿小、もとい、小説投稿サイトでは、割と頻繁にコンテストを催している。字
数制限は100〜8000とかなり短めで比較的気軽に挑戦でき、しかも賞金が出ると
あって、そこそこの盛況を誇っているようだ。
「今回のテーマは『アンブレラ』か。もう梅雨のシーズンだからね」
「それはいいんだ。季節に合わせたベタなテーマの方が考えやすくて、ありがたい。な
いと感じたのは、そこに載っている事例だ」
 このコンテストの募集要項には、作品内容の例として、三つか四つ、短い文で説明が
あるのが常である。
 今回は四つ。相合い傘、100均で買ったビニール傘といった言葉が見えた。
「四つの中のどれだい?」
「三つ目だ。『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』
とあるだろう」
「ああ。これがどうかした?」
「え? いやいやいやいや」
 そんなに意外そうな反応をされるとは。それこそ意外だよ。振分は僕の顔を見て、そ
の大きな右手(左手も大きいよ、もちろん)を左右に振りながら続けた。
「説明必要か? この事例はちょっと変だろう」
「うーん? そうかな。スパイ映画か何かのイメージとして、別におかしくないと思う
よ」
「何ともはや、情けない」
 天を仰ぎ、今度は大きな左手で目元を覆う振分。そのポーズを解くと、改めてパソコ
ン画面を指差した。
「おかしいじゃないか。暗殺者って目立っちゃいけない存在だよな」
「うん、そりゃそうだ」
「じゃ、晴れの日に傘を持つ行為は?」
「……目立つね」
「暗殺者がそんなリスクを負うかね? 言っておくが、殺し屋じゃないんだ。暗殺者だ
ぞ。その格から言って、殺し屋よりも凄腕でなければならないだろう。プロフェッショ
ナルに違いない」
 何か感情論入ってるけど、言わんとする気持ちは分かる。アマチュアの殺し屋ならま
だいそうだが、アマチュアの暗殺者となるとまずいまい。
「仕込み傘を得物にとあるから、傘が商売道具の凶器、武器だ。暗殺者ともあろう者
が、どうしてそんな下手な武器を好んで使うというんだ?」
「さあ……」
 適当に聞き流そうとしていた僕だったけど、ふと、閃いた事柄があった。ついつい、
言ってみた。
「日傘だったんじゃないか? 今や、日傘を差す男だっている時代だ」
「むぅ」
 唸って黙り込む振分。日傘説は想定していなかったらしい。
 が、静かになったのはほんの数秒だった。
「いやいやいや。やっぱりおかしいって。晴れの日も傘を持つ老人と明記してある。わ
ざわざこんなことを書くからには、これは特記すべき事項なのだということに他ならな
い」
「手短に頼むよ」
「要するに、晴れの日に持っていてはおかしい傘なのだ。それは断じて日傘ではあり得
ない、だろ?」
「まあ、確かに……日本語をロジカルに解釈するなら、そう受け取るべきかな」
 一旦そこまでは認めておき、僕は「だけど」と続けた。
「男性が快晴の日に傘を持ち歩いていてもちっともおかしくない、ごく当たり前に思え
る場所があるよね」
「うん? 場所だと」
 怪訝な顔をする振分。この表情が見たくて、ここまでの話の流れとちょっと違う方向
で攻めてみたんだ、僕は。
「飽くまでイメージだよ。頭をリセットして素直に考えたら、すぐに浮かぶはず」
「――あ、大英帝国の都、ロンドンか」
 日本人同士で話しているのだからイギリスのロンドンでいいじゃないかと思うんだけ
ど、振分には彼なりのこだわりがある。
「そう。僕らの持っているイギリス紳士のイメージは、どんな天気であろうと、きちっ
と折り目正しく畳んだ傘を持っている、そんな感じだよね」
「いかにも」
 ちなみに昔、クイズ番組の○×問題で「生粋のロンドン男性にとって傘はお洒落アイ
テムだから、たとえ雨が降ってきても傘を開くことは決していない。○か×か」ってな
感じのがあったっけ。
 答? もちろん×だよ。
「ということは、面白いな」
 振分が何故か満足げな笑みを浮かべている。うんうんと頷いてみせてから、
「『晴れの日も傘を持つ老人。その正体は、仕込み傘を得物に使う暗殺者』たったこれ
だけの短い文章から、この老人が大英帝国の紳士であることが読み取れた。しかもこの
光景はロンドンでなければならないから、場所もロンドンで決まりだ」
「いや。ちょっと異議があるな」
「どうしてだ?」
 また訝しげな表情をする振分。僕は飄々とした態度に務めた。
「場所はまあいいとしても、イギリス人である確証が果たしてあるかな? 厳密に表現
するのであれば、イギリス紳士もしくはイギリス紳士らしい外見を持つ人物とすべきだ
よ」
「なるほど」
 振分は納得したように大きく頷いた。
 だが、五秒後、少し悔しげに付け足した。
「厳密さを求めるのなら、イギリス紳士ではなく大英帝国紳士だ」

 終わり




#524/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/11/26  21:32  (  1)
名コックでも初恋の味は分からない?   寺嶋公香
★内容                                         23/04/30 10:04 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#525/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/12/01  19:38  (  1)
塵が積もれば罪となる   永山
★内容                                         24/01/22 03:44 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#526/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  22/12/15  20:56  (242)
透明なラブレター   寺嶋公香
★内容
 幼馴染みの紫藤夏望《しどうなつみ》が恋をしているのは明白だった。
 本人は隠しているつもりかもしれないが、隠し切れていない。少なくとも僕には分か
る。理屈じゃ説明不能だが、彼女の発する雰囲気がこれまでと大きく異なるようになっ
たのは、恋のせいに違いない。

 あ、自己紹介がまだだった。
 僕の名は名和育人《なわいくと》。高校二年生だ。初対面の人に名乗る際、“NAW
ANAWA”となる辺りをやや早口で言うと、結構受ける。
 話がいきなり脱線して申し訳ない。でも名前は大事なんだよ。言わなくても分かって
るだろうけど。

 紫藤夏望とは家が隣同士で、ずっと小さな頃からよく遊んだし、家の行き来もした。
さすがに高校に上がってからは減ってきたが、それでも学校ではよく話す。僕から彼女
へ、恋愛感情がゼロかと問われたら肯定しづらい。かといって好きで好きでたまらない
って訳でもない。ま、要するに仲のいい友達ってことで。

 さて、紫藤夏望が恋をしているのは確定として、相手は誰? しばらく“観察”を続
けていたら、程なくしてこれはという人物に行き当たった。
 同じ学年の加山徹《かやまとおる》じゃないかな。クラスは違うが、部活動が同じレ
クリエーション研究会。他の部員共々和気藹々とやっているのを、幾度か目撃した。外
見のイメージは、整った顔立ちで賢そう。こういうたとえで伝わるかどうか心許ないけ
れども、将棋の名人かクイズ王という雰囲気がある。実際、学業成績は上位一桁の常連
だ。
 ちなみにだが、レクリエーション研究会とはeスポーツと称される分野を除く、身体
を動かすゲームをまとめて扱う部だ。実際には裾野はもっと広く、ボードゲームやクイ
ズの類まで含む。昔、同研究会がオリジナルのゲームを考案し、商品化されたことがあ
るらしい。その実績が認められて、文化会系にしては珍しく、専用の部室を与えられて
いる。
 ちなみにツー。僕は弱小文芸部に所属し、好きなミステリを書いている。

 またあまり関係ないことに筆を割いてしまった。本題に戻す。
 当たりを付けてしばらく経ったある朝。登校してきた僕は、生徒昇降口を入ってすぐ
の下駄箱の一群から、加山徹のスペースを見付けた。探していたのではなく、何の気な
しに目に留まったって感じ。上履きがあるから、加山はまだ来ていないらしい。
 そして上履きの他に入っていた物が一つ。蝶々の形をした二つ折りの便せんで、“羽
”を少し開いていた。内側の直筆文字が見るともなしに見える。紛れもなく、紫藤夏望
の字だった。
 思わず目を凝らし、文章を読み取った。そんなに長くはない。『ロッカーの上の段
ボール箱の下に秘密の手紙を置いてくから、今日の放課後に読んでみてね。見付けられ
るかな? 紫藤』、これだけ。ハートマークの一つもないところを見ると、ラブラブの
イチャイチャって訳ではなさそう。だいたい、何を段ボールの下に置いたって? 秘密
の手紙とはラブレターのことじゃないのか。ラブレターなら最初からこうして下駄箱に
入れておけばいい。わざわざ蝶の便せんで予告し、二段階にする必要、ある?
 思わず、その場で考え込んだが、ぐずぐずしていたら加山が来るかもしれない。そっ
と離れるとしよう。無論、便せんはそのままで。

 少し時間が経って冷静に考えてみると、ゲームの一環なのかなと思えてきた。レクリ
エーション研究会の部員同士の、ちょっとしたゲーム。二人が恋人かそれに近い関係な
ら、多少ふざけた要素が入っていても問題あるまい。
 だからあんなおかしな文章になっているのかもしれない。どこがおかしいか、だっ
て? 「段ボール箱の下に置いた」とはっきり記しておきながら、「見付けられるか
な?」と続けているのは、どう考えたって不自然だ。絶対に何かある。
 そういえば……と、僕はここ数日の紫藤夏望の言動を思い起こしてみた。機嫌よく歌
を口ずさんでいることが増えていた。古い曲が多かったみたいだ。僕でも知っているの
は確か、KinKi Kidsにピンクレディーだっけ。曲名までは思い出せないので、
耳に残っているフレーズで検索してみる。……これは……共通点があると言えなくもな
い。イメージだけの薄い共通点だが。僕が知っているくらいだから当然だが、どちらも
相当有名な曲なんだな。
 それはさておき、いくつかの事柄が結び付いて、一つの絵が僕の脳裏に描けた。直感
通り、蝶の便せんや秘密の手紙やらが紫藤夏望の加山に仕掛けたゲームだとすると、僕
も一丁噛んでやるかな。弱小文芸図書部で一人、小説を書くのにも飽きが来ていたとこ
ろだ。刺激を求めて、ここは賭けに出てみよう。
 それには、加山徹にコンタクトを取らなくちゃならない。

             *           *

「加山君、話があるんだが時間、いいか」
 二時間目と三時間目の間の休み時間に、名和育人から廊下で声を掛けられ、加山は身
構えた。
「暇はあるけど、何かな」
 名和とは紫藤を通じて顔見知りではあるが、あくまでも顔見知りレベルであり、親し
い友達という感じではない。
「そう警戒するな。今朝、紫藤さんから“お手紙”もらってないか」
「……彼女から聞いたのか」
「いいや。家が隣のせいか、登校時間もだいたい同じになるんだよ。だから、紫藤さん
がこっそり入れるところを、ちらと見てしまった」
 なるほど。おかしくはない。
「中身も知っている」
「え、盗み見たのか」
「かみつきそうな目をするなって。不可抗力なんだよ。紫藤さんが立ち去ったあと、
蝶々が羽ばたいて飛んで行きそうになったから、つかまえて入れ直してやっただけ。そ
のとき、文章も目に入ってしまった」
「……それで、何が言いたい」
「レクリエーション研究会の部室って、鍵は誰が管理しているのかな」
「もちろん、顧問の三田《みた》先生だよ。必要なときに先生に言って、全教室の鍵の
保管ボックスから取り出してもらう。三田先生がご不在のときは、他の先生に頼む」
「仮に、部員ではない者、たとえば僕がその鍵を借りようとしたら、可能だろうか?」
「無理だね。部員の顔と名前を覚えているのは三田先生だけかもしれないが、他の先生
にしても部員名簿でチェックする決まりだ。仮に部員の誰かの生徒手帳を盗んだとして
も、顔写真付きだからばれる」
「へえ。加山君も割とミステリ頭をしているみたいだ。他人の生徒手帳を使うケースま
で想定するなんて、普通すぐには思い付かない」
「ミステリなら好きだからな。クイズに近いところがある。だからなんだ?」
「生徒でレクリエーション研究会部室の鍵を借りられるのは、所属している部員だけ、
と認識していいのかな」
「ああ。又貸しを考えに入れなければな」
「そうか、それがあったか。まあいい」
 独り言を口にした名和を前に、首を傾げた加山。
「用件は結局何?」
「推理小説書きの僕から、レクリエーション研究会への挑戦状だと思ってくれ。紫藤さ
んの置いたという秘密の手紙を、君は決して読むことはできない。何故なら、手紙は消
え去ったからだ」
「……レクリエーションゲームの一環ということか?」
「解釈は人それぞれだ。念のため言っておくと、紫藤さんの力を借りてはいないし、彼
女が借りてきた鍵を僕が密かに持ち出したなんてこともしていない」
「つまり、ミステリ的に表現すると、こうか、『密室状態の部室から、紫藤さんの置い
た手紙を持ち去り、再び鍵を掛けた。さてどうやってでしょう?』と」
「そういう状況設定なら、もっとスマートに短く表現できる。密室からの手紙消失、
だ」
 気取った調子で言った名和は、腕時計を見て「時間がなくなった。邪魔したね」とき
びすを返す。その背中に、追加の質問をぶつけた。
「待った。紫藤さんと相談してもいいのか?」
「ご自由に!」
 前を向いたまま、右手の平をひらひらと振り、名和は立ち去った。
 面白い。受けて立とうじゃないか。

 昼休みにも時間はあったが、加山は敢えて動かなかった。蝶の便せんで紫藤から指示
されていたように、放課後になって初めて部室に行ってみることに決めていた。それま
でに紫藤に接触することは考えなくもなかったが、もし彼女に話せば、その性格からし
てすぐに部室に行くと言い出す可能性が高い。そう判断して、黙っておいた。
 そもそも、今日は部の活動日ではない。
(だからこそ、紫藤さんは秘密の手紙を老田だなんて、茶目っ気のある遊びを仕掛けて
来たんだろう。他の部員が頻繁に出入りする状況では、さすがに控える。
 そういえば放課後になったら、紫藤さんも部室に来るのだろうか。秘密の手紙を見付
けてくれってニュアンスだが、僕が探し回るのをその場で見ていたいのか、それとも僕
が見付けた手紙を持って、彼女の家にでも届けるのか)
 その辺りのことを確認したい気持ちが沸き起こったが、顔を合わせると余計な話まで
してしまいそう。結局、放課後になるまで我慢した。

 そして迎えた放課後。
「実は今日の午前中に、名和君から挑戦されてさ」
 職員室に寄って鍵を借り出し、部室へと向かう道すがら、着いて来た紫藤に加山は事
の次第を聞いてもらった。
「――っていう成り行きになってるんだけど、紫藤さん、何か聞いてる?」
 説明が済み、問い掛ける。紫藤の反応は、左右に激しく首を振ることだった。
「全然知らなかった。あいつが勝手にやってるのよ」
「そうか。じゃあ、名和君も嘘は言ってないんだな。君が協力してないのなら、いよい
よ楽しみだ。どうやって不可能を可能にしたか」
「不可能を可能――」
「そうだよ。鍵の掛かった部屋、密室状態の部室から君の置いた手紙が消え失せている
と言うんだから」
「……あの」
「うん? 何」
 隣の紫藤を見ると、俯き気味になり、声も小さくなっている。
「言いにくいんだけど」
「はい?」
「あ、やっぱりいい。部室に着いてから話すね」
 おかしな空気を感じ取った加山。でもここでは追及せず、彼女の言う通りにすると決
めた。
 三分と経たぬ内に部室前に到着。他の教室と同じく横開きのドアには、間違いなく施
錠されている。通常の教室に比べればぐっと狭い部屋なので、廊下に面した窓の数は二
つだけ。そのいずれもがやはり内側から鍵を掛けられていた。
「あとは校庭側の窓だな。入ったらすぐに確かめよう」
 呟いてから鍵を使って解錠する。ドアを開け、中をざっと見渡した。部室内は、前回
最後に見たときと変わっていない様子だ。
「紫藤さんが手紙を置いたのは、今朝のことなんだよね?」
「え、ええ」
 彼女が先ほど言っていた話の続きをする様子はまだない。加山は残りの窓のチェック
をした。しっかりと施錠されており、ガラス自体にも小さな穴一つない。部室は完全な
密室状態にあったと言える。
「さて、ロッカーの上の段ボール箱、その下ってことだが」
 ロッカー前に立つと、手を伸ばしてまずは段ボール箱を下ろす。中には少量の冊子類
が入っているだけだから、たいして重くはない。床に置いて、いよいよ“秘密の手紙”
を手探りする。男子の中でも背の高い方の加山だが、そんな彼でもロッカーの上を直に
見ることはかなわない。
「紫藤さん、この高さによく届いたね。椅子を使ったんだ?」
「うん」
 天板を何度かぺしぺしと触っていると、指先に感触があった。
「おっ、あるみたいだ。何か拍子抜けだな」
 言いながらもまだ確信を持てないでいる加山。というのも、指に触れたのは紙ではな
く、ビニールのような肌触りに思えたから。とにもかくにも、その薄い何かを人差し指
と中指とで摘まみ、引っ張る。
「これは……」
 手にあったのは、封筒型をしたビニールだった。防水目的で実際の郵便に使われるこ
ともあるやつで、色はなく、無地の透明な代物である。宛名のシールもなかった。
「中身が消えたってことか?」
 つい、声が大きくなる加山。まさかここまで見事に、密室からの手紙消失をやっての
けるとは……感嘆して続きの言葉がない。
 と、そのとき、右袖に突っ張る感覚が。振り向くと、紫藤がいてくいくいと引っ張っ
ている。
「何、どうしたの」
「非常に言いにくいんだけど……ううん、先にこれを二人で見ろって言われていたか
ら、そうする」
 そう言いながら彼女がポケットから取り出したのは、白い紙を固く三角に結んだ物。
神社のおみくじみたいなそれはかなりきつく結んであるらしく、紫藤は手間取ってい
る。
「代わろう」
 加山は受け取ると、紙の両端を押し込むようにして、どうにかきれいに解くことに成
功した。紙はノートから破った物らしく、幾重にも折り畳まれており、開く手間がもど
かしい。
 完全に開いたところで、紙の左端を加山自身、右端を紫藤が持って底にある鉛筆書き
の文章に視線を落とした。

『加山徹&紫藤夏望へ
 挑戦に付き合ってくれて感謝する。今回の件は僕がいたずら心から起こしたものだ。
僕の読みが当たっているとしたら、手紙はロッカーの上にもどこにもないはずだが、ど
うだった? 以下、読みが当たったという前提で書くから、外れていたのなら大笑いし
てくれ。
 紫藤さん、君は最初から見えない手紙を置くつもりだった。言い換えるなら、まった
く何も置かないか、あるいは置いたとしても透明な何かだろう。蝶々の便せんにあった
「見付けられるかな?」という言い回しからそうにらんだんだけど、当たったかい?
 ではなぜ透明な手紙を置こうと思ったのか。単なる思い付きにしては奇妙だ。何らか
のメッセージが含まれているんじゃないか。そう考えた僕は、紫藤さんがここ数日、い
くつか歌を上機嫌で口ずさんでいたのを思い出したんだ。何の曲なのか全部は分からな
いけれども、一部は調べて分かった。「透明人間」と「硝子の少年」を歌っていたね?
 透明とガラスが被っていると言えなくもない。そういった歌を機嫌よく口ずさんだの
には、きっと理由がある。考えていると、はたと閃いた。透明を別の言い方をすると?
 そう、「透き通る」だ。
 加山君。紫藤さんが伝えたかったのはきっとこれだ。今さらかい!と僕なんか呆れて
しまったが、人の恋路を笑いはしないよ。恋路をちょっぴり邪魔した形にはなるだろう
が、そこはまあ、僕の嫉妬だとでも思ってくれていい。
 僕の挑戦はこれで終わり。月並みだけど、次のフレーズを贈ろう。お幸せに!
                                 名和育人よ
り』

 目を通し終えた加山は、またも首を捻った。最後のところで意味が分からなくなっ
た。
「ねえ、紫藤さん。これって」
 彼女なら分かるはずだと向き直ると、紫藤は顔を赤くしていた。
「大丈夫? 何か手が震えているが」
「大丈夫。あいつめ、ネタばらしするんなら、最後まできっちりやればいいのに」
「てことは、ここに書かれていることは、当たっているんだ?」
「う、うん。認めたくないけど、名和君に完全に先を読まれていた。密室からの手紙消
失だなんて、インチキもいいところ。本人は何もしてないんだから。ああ、失敗だっ
た。せめて歌を口ずさむのを我慢して、鼻歌で止めておけば」
 いや、そこはさして重要じゃないのでは。加山は思ったが、声に出してつっこみはし
なかった。
「それで最後のところが分からないんだ。紫藤さんが伝えたかったフレーズの意味っ
て? 透き通るは透き通るじゃないか?」
「やっぱり、簡単には分かんないものよね?」
「あ、ああ」
「だったら……もう少しだけ、考えてみてくれない?」
 彼女から頼まれたら、従わざるを得ない。元来、クイズ好きな加山は脳細胞をフル回
転させるつもりで集中した。
 フレーズを頭の中でリピートすること一分強、正解は急に舞い降りてきた。
「あ!」

   透き通る → すきとおる → 好き徹

 部室の二人は透明じゃなく、真っ赤になった。

 終




#527/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/01/02  19:57  (180)
初恋とは梅雨知らず   永山
★内容                                         23/06/30 02:29 修正 第2版
 これが恋なんだと初めて知ったのは一年以上前、中学二年生の春だった。
 タイトルそのままに初恋を歌ったあの曲を、もし仮に聴かないままでいたなら、今で
も恋だと知らなかったかもしれない。
 ――というわけで、僕は帰宅部にもかかわらず、今日も放課後の学校に残り、校庭を
走る、もとい、向かいの校舎二階の一室、確か視聴覚教室で何かを一生懸命書いている
(もしくは描いている)であろう彼女を探していた。
 ちなみに今日の天気は五月雨模様だが、その色は緑色ではなく、校舎の壁と同じ灰色
をしているように見える。
 そしてその雨のおかげで、僕は彼女の姿をはっきりとは捉えられずにいた。窓が閉め
られているから。ただでさえ、真向かいの校舎の教室は廊下があるせいで見えづらいと
いうのに、ガラス窓が一枚あるだけでもうどうしようもなくなる。せいぜい、シルエッ
トが確認できるかどうかといったところだ。
 それにしても今日は特に見えづらい。光の具合や角度がよくないのか、シルエットさ
えも判然としない。彼女は視聴覚教室のどこかにいるんだろうな、と想像することしか
できなかった。
 彼女――榊菜恵《さかきなえ》さんは月曜から金曜まで、何かしらの用事があって放
課後は向かいの校舎のどこかの教室で過ごすのが決まり事のようになっていた。
 月曜と木曜は委員会活動で一階の生徒会議室、今日火曜と金曜は古典文学研究会とい
うサークル活動で視聴覚教室、そして水曜日は女子友達のつながりから、映画研究会
(こちらは正式な部として認められている)に助っ人で関わっている。
 僕からすると榊さんは美人の部類に入るのだけれども、映画研究会での役割は女優で
はなく、お針子さん――要するに衣装などの製作だそうだ。納得が行かないと僕が憤慨
してもしょうがないと、頭では理解している。
 それでも林間学校の夜、男子みんなの雑談の最中、「女子の中で誰がいいか」という
話題になったとき、誰も榊さんの名前を出さなかったのには、理解に苦しんだ。どうし
て誰も榊さんのことをいいと思わないのだろう? よさに気付かないんだろう?って。
 だけど、あるときから考え方を切り替えた。榊さんのよさに気付いているのは僕だけ
だってね。すると今度は逆に、もう誰も気付くなよって思えてくるから、おかしなもの
だ。
 こんなこと言っている僕自身、いつ、どんな理由で彼女のことを好きになったのか、
覚えていない。いつの間にか好きになっていた。だからこそ、曲を聴くまで気が付かな
かったんだろうと思う。
 僕は自分が奥手だとは思っていなかったんだが、少なくとも好きになった相手に告白
する勇気は持てないでいる。この一年、ずっとだ。高校受験を意識せざるを得ない学年
になり、勉強に集中できるようにするためにも、思いを伝えてはっきりさせたい。そう
考えてはいるものの、実行に移せないでいる。断られてそのダメージが受験に響くと困
るとか、いい返事をもらえたらもらえたで舞い上がってしまい、やはり受験に悪い影響
が及ぶかもしれないとか、あれこれ理由を作り出して、先延ばしにしている。いや、本
気でそう思うんなら二年の内に告白しとけよって話になるんだけど、当時は当時で、別
の理由を捻り出して先延ばししていたんだ、うん。
 我ながら情けなくはあるんだが、今でも、こうして榊さんの姿を探し、見付けただけ
でもそれなりに満足するし、好きだと強く念じていればその内想いは伝わるんじゃない
かと空想している。ああ、さすがに榊さんの方から僕に告白してくる、なんて場面は考
えもしないけど。

 そんな雨の日から数日経った木曜日。僕はまたいつものごとく、榊さんの姿を探して
いた。天気は快晴とまでは言えずとも、雲が少し浮かぶ程度の堂々たる晴れ。夏が近付
くこの季節だし、窓は当然、開け放たれている。
 だから榊さんの姿を見付けるのは容易かった。彼女もまたいつものような、何か書き
物をしているようだ。古典文学研究会っていうのは、絵も扱うらしくて、視聴覚教室を
使うのはそれが理由だとか、噂で聞いた。会員は榊さんの他に下級生が二人か三人とい
うから、非常に小規模なサークルで歴史も浅いと言える。なのに視聴覚教室を貸し切り
で使えるのは、榊さんの交渉術の賜物なんだろう、きっと。
 僕はその日出された宿題をちょっとずつ片付けながら、ちらちらと彼女の様子を見て
いた。向かいの校舎とノートを交互に見ている感じだ。何度目かに顔を上げて横を向い
たとき、榊さんが席を立つのが見えた。珍しい。一時間なら一時間、ずっと座って作業
に没頭していることがほとんどだったのに。……トイレかな? だとしたら目で追っか
けるのはよそうなどと思いつつ、彼女の行き先が気になって結局目で追う。
 榊さんは隣の小部屋、コントロールルームに入った。何らかの映像を再生して、プロ
ジェクター投影するのかなと思ったが、違った。その小部屋のドアを開けて、廊下に出
て来た。あれ? どうして視聴覚教室から直接廊下に出なかったんだろう。小さな疑問
が好奇心を膨らませ、僕自身も席を立った。そうしないと、榊さんの姿を視界に捉えら
れなくなるからだ。
 窓から多少乗り出す格好になり、彼女の行き先を見定める。一階に向かったのは分か
った。敢えてコントロールルームから廊下に出たのが最短距離を行くためだとしたら、
目的地は……校舎裏にある体育倉庫? いや、そうとは言い切れない。目的地は校内に
限らないかもしれない。外に用があるとしたら、西門がある。
 考えていてもらちがあかない。僕も廊下に出た。しばらく目を離さざるを得なくなる
が、とりあえず一階を目指す。体育倉庫に行ってみて、そこにいなければ辺りを探して
みよう。

 先生に見付かったら怒られること必至の猛スピードで階段を駆け下り、校舎一階から
地面に踏み出したときには息が切れ切れになっていた。運動は苦手ではないが、ウォー
ミングアップなしでいきなりのダッシュはきつかった。
 その瞬間、幸運にも榊さんの後ろ姿を視界の端に捉えられた。僕と違って榊さんは走
らず、せいぜい早歩きくらいのスピードだったんだろう。それでも彼女はちょうど体育
倉庫の影に隠れるところだ。ここで離されたら、見失う恐れが高い。僕は気力を振り絞
り、なるべく音を立てないようにしながら、あとを追った。
 程なくして倉庫の角まで来て、折れた先をそろりと覗いてみる。と、いた。
 日中、ほとんど陽の差し込まないじめっとしたスペース。その突き当たりと言える奥
の方で、榊さんの姿を確認。僕は心の中でやったと叫ぶ。
 が、次に目を見張らされた。
 榊さんは人と待ち合わせをしていたと分かったのだ。そしてその相手が誰なのか、知
ったとき、僕は思わず声を上げそうになった。
 倉庫の壁にもたれていた身体を起こし、榊さんに片手を振ったのは先生だったのだ。
 河野孝二《こうのこうじ》先生。僕らが入学する直前に結婚した若い教師で、割と人
気がある。目鼻立ちのくっきりしたちょっと厳つい系の二枚目で、厳しいことは厳しい
けれども話が面白くて、教え方がうまい。名前が「こう・こう」となっているのは入り
婿だからで、結婚相手は社長令嬢だとかいう噂も耳にしたが、否定されないところを見
ると事実なんだろう。
 そんな二枚目既婚者が榊さんの何の用だろう……。
 僕は急に不安に襲われた。
 榊さんはどうしてここに来たんだ? 校内放送で呼び出されたんじゃあない。前もっ
て約束していたにしては、サークル活動中というのが変だ。恐らく、携帯端末を通じて
呼ばれたんじゃないだろうか。教師と生徒間で、携帯端末の類を用いて個人的にやり取
りするのは、校則で禁じられている……。
 僕は空つばを飲んでいた。まだ背中しか見えないから、榊さんのがどんな表情で先生
と相対しているのかは分からない。ただ、彼女の足取りは軽く、決していやがっている
ようには思えなかった。
 まさか。
 さっきから否応なしに膨らむ悪い想像。
 ついに榊さんは河野先生の隣に立ち、同じように倉庫の壁にもたれ掛かった。やっと
横顔が見えた。
 彼女は――笑っていた。楽しげに河野先生とおしゃべりを始めている。距離があるの
と、周囲から聞こえる運動部などの活動する音が騒がしいこともあり、二人の会話の内
容は、ちっとも耳に届かない。聞こえないだけに、僕の頭はか彼らの台詞を勝手に作っ
てしまう。それはどう転んでも、恋人同士のやり取りになった。
 そして榊さんの普段見られない楽しげな顔が、僕の妄想じみた想像を裏付ける。あん
な風に、きゃっきゃうふふとはしゃいだ雰囲気の彼女を目にするのは、これが初めてだ
った。
 校則違反だの不倫だのという考えはどこかに消えていた。河野先生を責める気持ちが
起きなかったのは、榊さんの立場を考慮したためかもしれない。
 僕はその場をそっと離れた。

 〜 〜 〜

 体育倉庫裏の目撃以来、僕は榊さんの姿を追うことをやめていた。知らなくていいこ
とまで知ってしまいそうだからという理由からだ。もちろん完全に断ち切るのは難し
く、彼女の行動を気にする気持ちは残っていた。なので、河野先生と榊さんが言葉を交
わす機会があれば、なるべく見届けてやろうという気構えでいたのだが……あまりにも
回数が少なく、何だか変だなと思い始めていた。二人きりでいる場面を見掛けるチャン
スは一度もなく、榊さんを含めた女子何人かと河野先生が話しているところを数度見た
くらい。しかも、そのときの榊さんと来たら、以前倉庫裏で見たのとほぼ同じ態度で、
河野先生に接するのだ。他の女子の目が気にならないのか? あるいは女子は全員、事
情を把握しており、知らんぷりをしてあげているのか? そういった疑問を抱えたま
ま、答を見出すことなく高校受験に挑んだ。

 “真実”を知ったのは、高校に無事合格し、もうすぐ卒業式だという頃だった。
 たいした用事もなく学校に来ていた僕はその帰り際、職員室前を通った。と、向こう
から榊さんが歩いてくるのが見えた。ほぼ同時に職員室から出て来たのが河野先生。僕
は足を止め、柱の陰に隠れるようにしてから聞き耳を立てた。
「河野センセ、まただって? 切れ目ほとんどなしじゃない」
 弾んだ声で榊さんがなにやら問うと、先生の方は後頭部に片手をやり、気恥ずかしげ
に表情を歪めた。
「あんまり言ってくれるなよな。もう他の先生には知れ渡っているんだからいいとして
も、生徒の間で言い触らされるのは多少ばつが悪い」
「何でよ? 社会貢献だから胸を張れると言ってなかったっけ」
「言ったが、あれは受け狙いで。まあ、幸いにも卒業してくれるから、からかわれるの
もほんの短い間で済むよな」
「じゃあそうならないよう、高校に行ってからも私が噂を流してあげよう。先生に二人
目の子供ができるってことを」
「やめてくれ。日数を計算すれば分かるだろ。受験シーズンに被り気味なのは、外聞が
悪いんだ」
 ええ? 河野先生に二人目の子供?
 そういえば一人目が生まれたと聞いたのが去年だったっけ。それに二人目が生まれた
ってことは、先生と社長令嬢の奥さんは仲睦まじいまま?
「あれ? 霜倉《しもくら》君?」
 榊さんの声が僕の名を呼んだ。しまった。二人の目の子供が生まれたという話を聞い
て、驚きのあまり驚きが本当の声になっていたみたい。僕は鼻の頭をこすりながら、柱
の陰を離れた。
「ごめん、何か聞こえてしまって」
「そうなんだ? じゃあ、分かるよね? 一緒に噂を流そう!」
「は、はあ?」
 こうして榊さんと踏み込んだ話をするのはこれが初めてで、僕は物凄く戸惑い、緊張
し、そして嬉しさも感じていた。
「あれ。ノリが悪い。霜倉君て、うちの兄貴に目を付けられていたかしら?」
「……兄貴?」
 しゃっくりみたいな口調で僕は聞き返した。榊さんは何を今さらと、呆れ顔で付け足
した。
「そうよ。知らなかった? 河野先生は私の兄。とあるお嬢さまと結婚して、榊から河
野に変わったけれども、私とは正真正銘、実の兄妹だよ」
「ていうことは」
 ほぼ無意識の内に榊さん、先生の順に指差した僕は、続けて聞く。
「二人がこそこそ会っていたように見えたのも、携帯端末でやり取りするのが許されて
いたのも……」
「兄と妹だから、だね。って、やだわ、霜倉君。そんなことどうして知っているの」
「それは……」
 答に窮しつつ、僕は別のことでも辻褄が合うのを理解した。僕以外の男子はきっと、
榊さんが河野先生の妹だと知っていて、だから好きな女子の候補に榊さんの名を出さな
かったんだろう。先生の目があると付き合いづらいと考えたに違いない。
 弱小サークルなのに視聴覚教室を思いっ切り使えたのも、榊さんが先生の妹だから
か。先生の奥さんの家が大金持ちなら、学校にいっぱい寄付するだろう……ってこれは
邪推になるけれども。
「霜倉君、何か隠しごとがあるのなら、正直に白状した方が身のためだぞ。我が妹は大
人しい外見に反して、非常に鋭いところがあるんだよ」
 河野先生が笑いながら言った。先生自身へ向いていた矛先をかわすためかもしれない
が、おかげで僕はきっかけを掴めた。
「分かりました。――榊さん、実は僕、榊さんのことが」

 終わり




#528/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/01/14  20:54  (111)
混ぜご飯最強を決めようじゃないか   永山
★内容
 ――てな訳でちょうど一ヶ月前の放送で募集を掛けました『最強のオリジナル混ぜご
飯決定戦』のお題に対し、リスナーの皆々様から送られてきたのは何と総数4000と
んで1。とびすぎやねん!というか端数1って!等という突っ込みはさておき、ネット
時代にわざわざ葉書で、4001もの料理を書いて送ってくださり、感謝感激雨霰! 
ありがとうございまっす。
 募集を掛けたときに説明したので繰り返しになるけれども、ビギナー各位のためにも
う一度言うよ。大事なことなので。
 送ってくれた4001のメニューすべてに目を通し、僕を含めた我がRANGSスタ
ッフの独断と偏見、あと面白いのがあればそいつも入れて七通、ていうか七つの混ぜご
飯を選出。今回順不同で発表するから、リスナーのみんなはどれが一番美味しそうに聞
こえたか、一番食べたいと思ったかを投票してくださいまし。締め切りは二週間後の三
月十四日消印有効。そう、投票も葉書でのみ受け付けるから、間違えないように。
 それでは早速、選りすぐりの七品を紹介、と行きたいところなんだが、最初にちょっ
とだけ苦言を。まあこれは僕の言い方のせいでもあるから、反省しきりなんだけれど
も、とりあえず自分のことは棚上げするから、お許しを。募集のときに、僕が「単純に
混ぜご飯、五目ご飯の類に限ると狭い気がする。だから、もっと幅広い意味で捉えてく
れてもいいことにしようか」と、こんなこと言った。ここで止めておけばよかったのか
もと、後悔してるんだよね。このあと僕はこう付け足してしまった。
「たとえば、天丼とカツ丼のカップリングとか、ケチャップライスのお茶漬けとか」
 で、集まったメニューの半分近くが、この手の合わせ技で占められていて、少なから
ずびっくり。しかも、ケチャップライスのお茶漬けを受け狙いと解釈したんだろうな、
大喜利的なのが結構あって、それはいいとしてもまずそうなのには参ったな。送られて
きた中から二つだけ、よくない例を挙げておく。あ、飽くまでも今回のお題には不適だ
ったってことであり、けなしてるんじゃないのよ。僕の言い方も悪かったと自戒を込め
てだから。
 えっと、どちらもこじらせた感じがしてね、捻ろうという精神は好きなんだけどね。
一つ目は『米粉パンでビーフンを挟んだサンドイッチ』。確かに米を原料とした食材の
組み合わせだけれど、混ぜご飯とは呼べないよ、さすがに。二つ目、『スライスチーズ
ライス』。一見、どこが混ぜご飯なんだ?となるでしょ。ライスが二つ含まれているか
ら混ぜご飯、という趣旨だよね。言葉遊びは他のコーナーがあるから、そちらでお願い
します。ああ、二人ともラジオネームは伏せますので、あしからず。
 そうそう、選出した七傑についても、ラジオネームは現時点では明かさないことにす
る。ないと思いたいけど、投稿者の人気で順位が決まったらつまらないでしょ。だから
名前を明かすのは、三週間後の結果発表のときになる予定。
 さあ、やっと発表だ。重ねて言うと、読み上げる順番は善し悪しとは無関係だから。
到着した順になってる。ネタが被ったときは最初に来た葉書を有効にするって言っちゃ
ったから、手間を掛けて可能な限り分けたんだ。あと、発表は料理名、料理の簡単な説
明を続けてしゃべるからよく聞くように。
 では一つ目。実はまったく同じあるいは類似のネタがいくつか来たんだけど、美味し
そうだから外せなかった。『鶏一族の集会:親子丼とチキンカツカレーのハーフ&ハー
フ』。鶏肉で揃えようという心配りを買った。なお、『カツ丼とカツカレー』という組
み合わせも多数集まったが、チキンの方が早かったので、ポークは落選とさせてもらい
ました。
 二つ目。一転して、普通の混ぜご飯寄りのメニューだ。『キノコのタマ:味付け濃い
めのきのこの炊き込みご飯にそぼろを混ぜ、さらに温泉玉子一つを落とす』。個人的に
はどんぶりのイメージが浮かんだけど、うまそう。
 三つ目。次は料理名だけ先に言うよ。ちょっと説明がいると思うんで。米米と書いて
マイマイと読ませる、『米米倶楽部』。倶楽部は漢字表記だ。で、肝心の内容だが『コ
シヒカリとササニシキを混ぜて炊く』これだけ。実際にやってみたら、どうなるんだ
ろ? お米の持ち味や特徴がぶつかって、足を引っ張り合う可能性なきにしもあらずか
な。お金と時間のある人は試してみて。とりあえず、くすっと来たので選出。
 四つ目も名前の説明から。こじらせ系に分類できるんだけれども、ぎり、美味しそう
でもあったので。牛に結ぶと書いてもーむす。『牛結:牛肉のサイコロステーキとミニ
サイズのおむすびを混ぜる』。ネーミングのネタありきなのは間違いないんだけど、一
回は試してみたい気がしないでもなしってことで。ソースに関する言及がないんだけ
ど、まあかけなきゃ食べられないだろうな。
 五つ目。『猫のまんま:削り節、錦糸玉子、海苔などで白ご飯の上に猫を描く。ぐち
ゃぐちゃに混ぜて食す』。料理の内容がだいぶこちらに投げっぱなしなんだけど、名称
は悪くないし、添えられたイラストがよかった。曖昧に言うけど、お椀に入れた白ご飯
の上に描かれているのが単なる猫じゃなくて、猫系の有名人気キャラクター二つの顔。
キャラ弁との違いは?と問い詰めたいところではあるけれども、小さな子供受けは間違
いなし。実際に作るとなったら、赤は紅ショウガとして、青は食紅だと芸がないから、
ソーダ味のアイスバーか?
 えー、次で六つ目? 『狐と狸の化かし合い:刻んだ油揚げと揚げ玉をふんだんに使
って混ぜる。めんつゆのお出汁で味変も』。これも似たアイディアは多かったんです
が、出汁茶漬けによる味変がポイント。きつねうどんやたぬきそばからの連想なんだろ
うけど、出汁茶漬けまで思い至る人は意外と少なかった。
 ラスト、七つ目ー。料理名だけ先に言うと『らいす・ぼうる』、全部平仮名ね。これ
はある意味、ご飯物の究極かなあ。個人的には美味しそうとは思わないかもなんだけ
ど、それでも感心したっていうか。と、内容を言わずに勿体ぶったのは、長くなるから
でして。では改めて発表をば。『らいす・ぼうる:――」

             *          *

<――では改めて発表をば。『らいす・ぼうる:――>
「ん?」
 不意に音が途切れて、そのままラジオが沈黙を続ける。
 リスナーの一人、米田《よねだ》は左手前の筺体を指先でとんとん叩いてみたが、無
音のままである。つまみを少し捻って調整を試みるも、効果はなし。かえって雑音が入
り、大きくなった。
 ちぇ。
 米田は舌打ちして、独り言を口にする。
「古いやつだから、もうだめかもうだめかと思いつつ使ってきたけれども、何も選りに
選って、こんなタイミングかよ〜。電波の具合、この辺で悪くなるなんてこと、これま
でになかったもんな」
 ハンドルに手を添えたまま、フロントガラス越しに少々空を窺う。山の稜線に這わせ
る心地で目線を動かしてみたが、飛行機などが飛んでいて受信の邪魔になっている、な
んてことはなさそうだ。あきらめ気分で視線を戻し、独り言に舞い戻る。
「ったく、全候補を聞いた上でないと、投票しにくいんですけど。ホームページに候補
メニューの内容、全部載せてくれればいいんだが、この番組、妙に時代に逆行すること
やりたがるしなあ。メールで応募できないとか。ま、そこがいい、気に入ってる連中も
多い訳で」
 それからもぶつぶつと愚痴をこぼしていた米田だったが、ふとした瞬間に、ラジオが
音を出し始めたので、びっくりした。
「あれ? 調子が悪かっただけか。それか、今日に限って妨害電波的な何かが……」
 口をつぐんだのは、ラジオの伝える内容がまだ先ほどのコーナーだと気付いたから。
耳をすませた。
<――とまあ、こんな風に八十八の具を用い、八十八の手間を掛けた混ぜご飯なんだ
な。ひょっとしたら知らない人もいるかもしれないので敢えて注釈しておくと、八十八
手という表現にエロい意味はない。米が取れるようになるまで、八十八の手間が掛かる
って話だから間違えないように。
 さあ、やっと候補が出揃った。改めて投票について説明をすると>
 何だ、これでは何も分からないじゃないか。米田は肩を上下させて嘆息した。
「八十八の手間を掛けた八十八種類の具の入った五目ご飯て、どんなんだよ? 八十八
目ご飯じゃないの? 八十八も具は思い付かない……」
 想像だけが膨らみ、やたらと豪華な混ぜご飯が脳裏のスクリーンに映し出される。
「ああ、もうっ」
 もう少し行けばサービスエリアがある。そこに入って駐車したら、すぐにネット検索
して調べよう。きっとどこかで、誰かが書き込んでいるはずだよね。

 おし米《まい》




#529/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/04  17:05  (139)
走らせたのは誰?   永山
★内容
 うーん、もうネタ切れだなあ。君に合う面白い話なんて、そうそう持っていないよ。
年齢差を考えてもらいたいね。
 かといって、ここで白旗を掲げて、次の一杯をおごるのは癪だな。
 え? 作り話でもいいって? それはありがたい譲歩だが、私は嘘をつくのが苦手で
ねえ。嘘を考えるのは得意なつもりなんだが、しゃべりが下手で。話している内に顔に
出てしまう。場をしらけさせるのは避けたい。
 ……そうだな。事実に基づいた話に、嘘をたっぷりと塗りたくる、これなら行けるか
もしれない。根っこに事実があるんだという自信があれば顔に出ないことを願おう。
 ちょっと考えてみるが、その前に確認しておきたい。君は中国ドラマ、特に『項羽《
こうう》と劉邦《りゅうほう》』や『三国志』が好きなんだよな? うん、それはよか
った。

 さて、準備はできた。思い出しながら話すところもあるので、つっかえつっかえにな
るかもしれないが、ご静聴してくれたらありがたい。

 今から話す出来事を私が体験したのは、かれこれ三、四十年ほど前になるかな。はっ
きり覚えてはないが、調べればじきに分かる。何しろ、親友が結婚する前夜のことだっ
たんでね。
 ああ、もちろん男友達だ。彼の独身最後の夜、ぱーっと盛り上がろうぜという集まり
だった。
 大昔のことだから、今風の言い方、バチェラーパーティとかを意識したんじゃなく、
大勢で集まって、馬鹿騒ぎして楽しもうぜというのりだった。男だけじゃなく、女友達
もいたし。そいつ――親友の結婚相手はさすがに呼ばなかったけど。
 そいつの家で飲み食いして、ビデオで映画観て、音楽掛けて、ゲームもしたかな。テ
レビゲームじゃなくて、ビリヤード。ああ、結婚するそいつは裕福でね。家に当たり前
みたいにビリヤード台を置いていた。他にもバスケットのゴールがあったり、卓球台も
あったり、水上バイクも所有していたな。
 散々遊んだ挙げ句、みんな寝ちまったのが午後十一時頃だったと思う。そりゃあ翌日
が結婚式と披露宴で私らも呼ばれてんだから、これでも割と早めに寝たつもりだよ。

 で、午前三時過ぎに目が覚めた。正確には、起こされたんだ。えっと、名前を出すの
は念のため、やめとこう。どうせ時効だけど、一応な。
 仮の名前として、結婚する奴が佐藤《さとう》、前夜のパーティに呼ばれていたのは
男が田中《たなか》、高橋《たかはし》、私。女友達が栄子《えいこ》と愛子《あいこ
》としておこう。私を起こしたのは、高橋の奴で顔が緊張で強ばっていた。訳を聞いて
も、とにかく来てくれの一点張り。ビリヤードなんかのある地下の部屋に行くと、愛子
が死んでいた。変な角度に首が曲がっていた。
 どこか高いところから落ちて、首を折ったみたいに見えた。でも、その部屋にそんな
高さを稼げる場所はない。ビリヤード台の上に立って、天井からぶら下がる傘付きの照
明器具にしがみついてよじ登ったって、三メートルもない。そこから落ちて、首の骨を
折って死ぬなんて考えにくい。だいたい、愛子がそんな奇妙な行動を取る理由がない。
もちろん、自殺だとしてもおかしい。自殺の動機もないし、死を選ぶには方法が不確実
に過ぎる。
 そんな状況だったから、みんな口には出さないでいたけれども、思っていたに違いな
いね。これは殺人? 誰が殺した?って。

 そして田中が本当に言い出した。誰がこんなことをしたんだと。田中は愛子と仲がよ
くて、恋人に近い関係だったからね。少なくとも仲間はみんなそう認識していたはず。
だから田中が疑問を呈して喚くのは納得だ。
 矛先が向けられたのは、佐藤と高橋だ。愛子は結構移り気で、田中と親密になる前
は、高橋と、そのまた前は佐藤と付き合っていたんだ。喧嘩別れって訳じゃなく、自然
消滅でもなく、発展的解消って感じで別れるから、別れたあとも友達付き合いは問題な
く続けられたらしい。
 きれいに別れてるんだから、殺害動機なんて存在しないと思うわな、普通。けど、田
中が納得できないのも道理ってものだ。田中は二人に詰め寄った。もちろん、物証なん
てないから、感情的な攻撃一辺倒だ。田中が特に責めたのが佐藤で、明日――日付は変
わってたがな――結婚するおまえは、何かまずいことを愛子に掴まれていて脅された
か、愛子から新婦にそのまずいことを吹き込まれるのを恐れた、だから口封じに殺した
んだろうとか何とか。
 当然、佐藤も高橋も否定。ただし、疑われた方もアリバイなんかがある訳じゃなく、
感情論で訴えるしかなかった。不毛なやり取りが続いた。

 やがて、高橋が強烈な反撃をした。動機だったら田中、おまえにもあるんじゃないの
かと。恋人付き合いしている田中には思い当たる節があったらしく、一瞬詰まった。そ
こを高橋が一気に攻め返す。大学時代に田中は、ある絶対に必要な単位を体調不良で落
としそうになって、救済テストでもやばそうだったから、カンニングをしたという。愛
子がその手伝いをしたんだと。
 田中はそのパーティの時点で一流企業のエリートコースに乗っていたから、大学時代
のカンニングでもばれるとまずいことになりかねない。大人しくなったよ。何よりも、
愛子がカンニングの件を高橋に話していたのがショックだったみたいだ。
 そこから潮目が変わった。佐藤が主導権を取った。
 といっても偉そうに上から物申したんじゃない。切々と訴えたんだ。
“自分は結婚するんだよ。こんなタイミングで、殺しなんてするものか。たとえ犯人と
して捕まらなくたって、警察に事情を聞かれるのは確実。式も披露宴も、新婚旅行も何
もかもパーになってしまう。二人の家族や親戚、いや、招待した全員に顔向けできない
じゃないか。縁起が悪いとかどうとか言われて、結婚そのものが壊れるかもしれない。
だから、どうかお願いだ。提案を飲んでもらいたい”ってね。

 その提案が、愛子の死をずらすというものだった。
 具体的にはまず、死んだ場所を地下室ではなく、近くの湖に面した断崖にする。当
然、他殺じゃなく自殺か事故死だ。
 警察への通報も遅らせる。二日、いや三日、遅らせよう。彼女が披露宴に来なかった
ことを妙に思わなかったのかと聞かれるかもしれないが、なんとでも理由付けできるだ
ろう。
 高橋と田中は割と早くに提案を受け入れた。私も面倒ごとはごめんだと思っていた
し、他殺かどうかはっきりしないんだから、いいんじゃないかと考えた。すぐに賛成し
なかったのは、この件を後々活かせるんじゃないかという計算を働かせていたからに過
ぎない。
 ただ一人、栄子だけは最初、反対を唱えた。真実は明らかにすべきだと。
 ところで言ってなかったけれども、栄子は私の身内でね。詳しい関係は隠すけど、私
の言うことなら聞くんだ。だから私は説得役を買って出た。それでまあ、うまく行っ
た。

 お金が動いたかどうかは、想像に任せる。
 ただ、その後……何年後だったか忘れたけれども、佐藤は病気でこの世を去ってしま
い、協力した私らはさほど美味しい目は見られずじまい。田中はそれよりも早く、海外
赴任から一時帰国した矢先に交通事故で命を落としていた。まあ、田中からカンニング
をネタにしてお金を引き出すつもりはなかったがね。高橋とは早々に音信不通になっ
て、今もどこで何をしているのか知らない。やはり早死にしたとも噂に聞く。
 こんな訳で、私は全くの善人という訳ではないが、それでもこの年齢になると、時々
波が襲ってくるんだ。あのときの真相は何だったのか、無性に知りたくなる波がね。
 思うんだが、愛子の死はやっぱり殺人で、殺したのは佐藤なんじゃないかなあ。
 最終的に場をコントロールしたのは佐藤だし、田中のカンニングの件を高橋が知って
いたということは、佐藤も以前から知っていた可能性が高い。愛子をあの場で殺して
も、田中の暴走を食い止められると踏んでいた。
 佐藤からすれば私は計算高い奴で、いざとなればお金で解決可能と見なされていたろ
うし、その身内の栄子の対応は私にやらせればいい。問題があるとしたら、高橋が田中
と組んで佐藤を責めるパターンだが、これも恐らくはないと予想できる。田中の矛先が
最初に向くのは、愛子の前の彼氏である高橋になるのはほぼ確実。高橋はプライドが高
く、一度疑ってきた相手と簡単に手を結ぶタイプではない。
 こうして、佐藤は結婚前夜という条件も含めて、前もって制御可能な状況を作り出し
た上で、愛子を始末したのではないか。そう思えてならないんだ。
 思い返してみれば、結婚前夜のパーティをやろうと言い出したのも、当の佐藤からだ
ったな。普通、悪友の誰かが言い出すものじゃないのかねえ。

 え?
 なかなか悪くない話だったけれども、最初に聞いてきた『三国志』云々てのとどうつ
ながるんだって?
 そうか、やっぱり言わないと分からんよな。
 当時、提案に従って偽装工作をやっている最中、確か佐藤が呟いたんだ。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす、か」
 確かに、愛子が佐藤を困らせるために自殺したんだとしたら、なかなか言い得て妙
だ。佐藤だけでなく、私ら友人まで走り回された。

 だがね。
 もしも愛子の死が佐藤の仕業だとしたら、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」では
ないわな。
「生ける仲達、死せる孔明を利して曹叡《そうえい》を走らす」ぐらいか。あんまり詳
しくないので人名は適当だが。

 それよりもその後に起きた田中や高橋の早死には、別の諺を思い起こさせるじゃない
か。
 劉邦に仕えた韓信《かんしん》が遺したとされる言葉だったか、
「狡兎死して走狗煮らる」
 これの方がぴったりだ。
 私が今こうして君らと酒を酌み交わせるのは、佐藤が病死してくれたおかげかもしれ
ないね。

 終




#530/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/06  20:44  (101)
彼女の声はそのままに   永山
★内容
 夢を見ているんだってことにはすぐに気が付いた。

 物置からVHSのビデオデッキが出て来て、まだ使えるかどうか試してみようという
ことになった。
 まず、電源は入った。第一関門クリア。
 VHSのビデオテープは別のところから出て来た。再生してみて、再生や早送りを試
して、次に録画を試そう。でも保管しておきたいような録画内容だったら、録画はテス
トせずに別のテープにしよう。
 その前に、ビデオデッキをテレビとつなぐ配線の仕方を忘れていたから、説明書を見
ようと思った。けど、説明書なんかもうとっくにどこかに行ってしまっていて。
 仕方がないので必死になって思い出し、目をこすりこすり、赤色と黄色と白色のコー
ド三本を確認しながらつなげた。
 ビデオテープは何本かあった。その中から、レーベルは貼ってあるけど無記入で白い
ままの物を入れてみる。再生ボタンを押すと、うぃん、きゅるるという感じの音がし
て、再生が始まった。
 最初は白い画が続いたが三十秒ほどして、壁に掛かる黒板が映し出された。トラッキ
ングの調整をする必要なしに、きれいな画像が流れる。
 見覚えのある光景だと感じる。まあ、昔通った学校の教室は、どこも似たような作り
になっていたけれども。
 と、画面に突然、人が現れた。セーラー服を着た女子中学生。知っている人だ。
 海川咲那《うみかわさな》さん。
 クラスメイトで、僕の好きな人。
 ああ、思い出した。中二のときのホワイトデーに、僕は海川さんに告白したんだ。バ
レンタインデーにチョコをもらったわけでもないのに。
 返事は……どうだったっけ。
 思い出そうとしている内に、テレビの中の海川さんが話し始めた。口を開こうとして
やめて、緊張の面持ちが一瞬あって、次にはにかんだような笑み。やっと本当に喋り出
した。
「はい。えっと、三田島《みたじま》君。お手紙読みました。あ、プレゼントもありが
とう。でも、今は手紙のことだよね。告白、とても嬉しかったです。でも、あの場です
ぐに返事するのは恥ずかしいので、こういう風にしました。ビデオレターです。自分一
人だと録れないので、友達のあやちゃん――浪江《なみえ》さんに手伝ってもらってい
ます。カメラマンとして撮影しようとした浪江さんだけど、いられると私がどうしても
緊張するので、お願いして席を外してもらいました。だから、この返事は誰も知らない
です」
 話を聞いている内に、僕の記憶も甦った。ホワイトデーに僕が無謀な告白をして、そ
の場では返事できないからと言われて、もう一度会う約束をしたんだった。一週間ある
かないかの間隔を空けて、学校の外で会ったはず。
 そうそう。電車に乗った。映画を観に行く予定だったっけ。もうこれデートだ!って
心の中で有頂天になった覚えが……。
 ビデオで遠寺をもらうというのは、電車に乗る前に言われた気がする。先に言ってお
かないと渡すのを忘れるかもしれないからって。返事が気になったんだよなあ。
 ……あれ? 返事を聞いた記憶がない。
 忘れているんだろうか。あんなにいい雰囲気だったのに、断られたんだろうか。いや
いや、そんな記憶すら欠片もない。
 僕は画面に集中した。
「テープは120分。5分ぐらいで終わらせるのは勿体ないかもしれないけど、もうが
んばっても引っ張れないので、覚悟を決めて思い切ります」
 改めて背筋を伸ばす海川さん。一度下を向いて、三秒ぐらいで再び起こす。
「三田島君、私は――」
 いよいよ答が聞ける。そう思った瞬間に、爆音が空から轟いた。飛行機だ。びりびり
と空気の震える感覚があって、テレビからの音声はまるで聞こえなくなる。耳に手を当
ててみたけど、効果なし。
 飛行機が飛び去って静かになったときには、テレビ画面から海川さんはいなくなり、
黒板だけを映していた。
 なんだよと僕は鼻息を荒くしたが、怒ってもしょうがない。ため息を一つついてか
ら、リモコンを手に取った。巻き戻してもう一度見よう。
 ビデオデッキにリモコンを向けてボタンを押す。ちゃんと利いた。画面に白い横線が
幾本か入り、カウンターの数字が減っていく。じきに、海川さんが横歩き戻って来た。
そろそろだと判断し、巻き戻し再生を解除。
 うん?
 違う……映像が違う。さっき見たのから変わっている!
 巻き戻したのに、あの返事の場面がなくなっている。何でだ?
 海川さんの返事の中身を知ることは、永遠に不可能?
 混乱していた僕だったが、やがてはたと気付いた。

 今の僕は夢を見ているんだった。
 ビデオを巻き戻しても、同じ場面がどうしても再生されないのは、僕が彼女からの返
事の内容を知らないからだ、きっと。
 そういえば、そもそもこのビデオレター、これまでに再生したことあったかな?

           *           *

「先生。反応が続いています」
「そうか。彼女よりも一日遅れぐらいだが、三田島君にも効果が現れてきたな。よしよ
し」
「笑ったような表情は、今までにもまれに見られましたが、しかめたり、ちょっと怒っ
たみたいな顔つきは初めてです。それが連続して出ています」
「脳波の観測によると、夢を見ているようだ。昨日の海川さんと同じだ。損傷を受けた
箇所が再生され、元通りに機能し始めた証拠と言える」
「このままうまく目覚めてくれるといいんですけど」
「うむ。無理矢理起こすのがよくない結果を生みがちなのは、これまでの臨床データで
――っと、目を開きかけているようだよ」
「ほんと。まぶたがぴくぴくしている」
「よし、過剰な刺激を与えぬよう、静かにするとしよう」

 三田島|恒彦《つねひこ》と海川咲那は、ホワイトデーから六日後、一緒に乗った電
車内で事件に巻き込まれた。
 人が吸うと神経に悪影響を及ぼし、最悪死に至るという猛毒のガスが撒かれたのだ。
 被害者数は四桁を数え、死者も多数出た。ガスを吸った人達の中には、命を取り留め
るも、成長が極端に遅くなり、“眠れる森の美女”のような状態に陥った者がいた。脳
に深刻なダメージを受けた恐れもあり、回復はほぼ絶望視されたが、医者や家族ら周り
の者の尽力で、彼ら彼女らは生きた。
 そして。時が積み重ねられる内に、研究者や医者らのたゆまぬ研鑽により、再生医療
の新しい技術が確立。患者は文字通りの生還を果たすようになった。

「それでは先生。ビデオテープから取ったこの音声も止めた方がよろしいんでしょう
か」
「いや、彼女の声はそのままに」

 おわり




#531/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/02/23  21:02  (  1)
ライクアタック殺人事件   永山
★内容                                         23/02/28 21:40 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にします。




#532/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/01  19:49  (117)
その時間なら異世界に   永山
★内容
「三月九日の午後一時から三時まで、何をしていたか教えてくださいって、さっきから
言ってるんですがね。何度も何度も」
 刑事の定岡《さだおか》は片方の眉を吊り上げてみせ、取り調べの相手を軽く威嚇す
る。
「それをどうして何にも答えてくれないんですかっ、磯崎《いそざき》さん?」
 机を挟んで窓側に座っているのは、磯崎|廉也《れんや》。三十になるサラリーマン
で、ゲーム好きが高じて、ゲーム雑誌専門の出版社に就職。問題の九日は土曜で、会社
は休みだった。
 事件の方は殺人で、被害者は勝倉満里奈《かつくらまりな》。旦那はいるが、子供は
なし。磯崎と浮気していた痕跡が、死後の調べて多々見付かっている。磯崎とは中学高
校と同じ学校に通い、クラスも何度か同じになっており、ある程度親しかった。高校卒
業以来添えになっていたが、オンラインゲームの世界でばったり再会、焼けぼっくいで
はなく、このとき初めて恋愛感情が芽生えたらしい。
 生前、浮気は露見しておらず、独身の磯崎が既婚者の勝倉を殺害する動機がいまいち
弱いが、独占欲という見込みで捜査は進められている。
「何もね、あんた、アリバイと一緒に証人もセットで示せと言ってるんじゃないんだ
よ。そこんとこ分かってる? 一人でいたとしたって、何か言えるでしょうが」
「……」
「寝てたとか、他の旦那持ち女と遊んでいたとか、一人でゲームしてたとか、何かある
だろうよ! い・そ・ざ・き・さ・ん!?」
 思わず手が出そうになったふりをして、机をばんと叩いてやった。
 びくりとした磯崎は、おびえの色がありありと浮かぶ目で、定岡刑事を見返してき
た。そしてぼそぼそした声で何か言った。
「はあ? 何か言いましたか? 聞こえるように言ってください、お願いします」
 さっきまでの調子が抜けず、つい嫌みったらしくなった。定岡は密かに反省した。や
っと口を開こうという相手を怯えさせて、再び口をつぐまれては台無しだ。机の端を両
手で掴み、深々と頭を下げる。
「すまん。話、聞こうじゃないの」
「……言っても信じてもらえないでしょうから……」
「は? いやいや、それはないでしょう。信じる信じないは、言ってくれなきゃどうし
ようもない。私ら警察は何でもかんでも疑うイメージがあるかもしませんけどね。ちゃ
んと調べて、疑うべきは疑うし、信じるべきは信じるよ、ええ」
「でも……」
「いいから言ってください。話はそれからだ」
「怒りませんか?」
「……怒らせるようなこと、言うつもりなんですかな」
「いや、そんなつもりはないです。ただ、正直に話しても、我がことながら突拍子もな
い内容なんで、しんじてもらえないどころか、下手すると怒らせるろうなっていう」
「とにかく、言ってください。何度も繰り返し舞うが、話はあんたの主張を聞いてか
ら。いいね?」
 粘り強く言った成果なのか、磯崎は一つ大きく頷くと、思い切ったように口を開い
た。
「実は、その時間帯……もっというと九日の朝九時から昼三時まで、異世界に行ってま
した」
「……何て?」
「異世界に行ってました」
「『異世界』ってそういうお店があるの? どこに、何の店だい?」
「い、いえ、ですから、怒らないで冷静に聞いて欲しいのですが、この日本というか地
球とは違う、異世界、です」
「うーん、分からんな。ゲームの話なら、詳しくないんで」
「いえいえいえ、違います、ゲームと違います」
 両手のひらを向けて、懸命に振る磯崎。演技っぽさはなく、真剣味がにじみ出てはい
る。ただ、どことなくコミカルでもある。非現実的な内容も含め、信じろと言われても
到底無理だった。
「う〜。怒らんように努力しているが、あんたの今後の答え方次第じゃ、怒らん訳には
いかなくなりそうだ」
 ゆっくりと小さく深呼吸をしつつ、定岡は言った。余った空気が鼻腔を通じて出るか
ら、鼻息を荒くしたように見えるかもしれない。
「でも、事実なんです」
「うー、あー、それ、信じろと。よし、うむ。分かった。では仮にその話を主張すると
して、磯崎さんは何か証拠を示せるのか?」
「それは……服装や道具といった物体は向こうに置いて来ざるを得ませんし、戦いで負
った怪我もウィッチドクターに治してもらったし」
「……異世界で何してきたの、あんた?」
「今回は、と言ってもまだ二回目なんですけど、ゴーレム退治にちょっと。あ、僕が
リーダーじゃないんですよ。パーティを組むのに――」
「やっぱりゲームの話をしてるんじゃあないのか」
「違いますって! ああ、もうどうやったら信じてもらえるのか」
 髪の毛をがしがしとかき回す磯崎。相当参っているようだ。尤も、定岡ら取り調べに
当たる刑事だって、これでは参ってしまう。
 と、そのとき、磯崎が「あ」と呆けたような声を漏らした。
「何だ、どうした」
「あるかも、証拠」
「ええ? 嘘だろ」
「僕も確信はないですけど、ひょっとしたら……向こうの世界に行って、強化してもら
うというかレベルアップのために、銀の髪を入手したんです」
 銀紙? アルミホイルか?などと思った定岡だったが、今は口を挟まないでおこうと
思い直し、スルーした。
「で、そのアイテム銀の髪を頭頂部に移植することで、苦労なしにレベルアップするん
です。銀の髪、抜いてはいないから、もしかするとあるかもしれません!」
「そんなに嬉しそうに言われてもだな」
 辟易しているのを隠さぬ定岡だったが、磯崎がやや下を向き、つむじを向けてきたの
で、仕方なく調べてやる。
「……あった、これか? 確かに銀色の髪だな。うん?」
 さわってみて、ちょっと驚いた。感触が普通の毛髪ではない。金属とも違う。もちろ
んアルミホイルでもない。銀色の魚の肌のイメージが一番近い。
「けったいな物があるな」
「そうでしょ? 刑事さん、是非ともすぐに調べてください! 地球上にはない、いや
もしからしたら、宇宙を含めたこっちの世界には存在しない物質だと分かるはずですか
ら!」
 やれやれ。
 定岡は怒りと呆れを同時に感じながらも、願いを聞いてやることにした。

「いや〜、磯崎さん、びっくりしたよ。あんたの言った通り、これは少なくとも地球上
には存在しない物質でできているらしい」
「でしょ? よかった」
「詳しい組成分析をやってるから、もしかしたら異世界の物だと証明できるかもしれん
ですなあ」
「でしょでしょ。これで無罪放免になりますよね?」
「おっと、安心するの早い」
 定岡は席を立とうとした磯崎を押しとどめた。
「まだ何か。あ、証明されるまで待てと?」
「いやまあ、それもあるにはあるが、ほかにも確かめたいことができてね。実は勝倉満
里奈さんが死んでいた自宅ってのが、ドアや窓の鍵という鍵全てが内側から掛けられて
いてね。キーは彼女自身が身に付けていたし、合鍵が作られた形跡もない。要するに、
密室殺人てやつでね。磯崎さんに黙っていたのは、あんたがぼろを出すかもと期待して
たからなんだが」
「ひどいなあ、刑事さん」
「こっちも困ってるんだ。密室の作り方が皆目見当も付かない。しかし、あんたの話を
聞いて光明が差したよ」
「へえ? 何かヒントになること言いました、僕が?」
「ああ。もしもあなたが異世界とこちらとを行き来できるのなら、密室殺人も簡単だ。
一度異世界に行き、そこから勝倉さんの部屋に戻って彼女を殺害。現場を密室状態にし
たあと、再び異世界を得て、さらにこっちの世界に戻る。な? これで密室殺人の一丁
上がりだ」

 終わり




#533/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/04  20:51  (100)
三途の川縁   永山
★内容
 目が覚めると同時に、頭痛に襲われた。しかも尋常な痛みでない。割れるように痛い
とはこのことか。加えて息苦しい。
 日常生活で言うところの頭痛じゃないと気付くのに、しばらく時間を要した。
 頭を殴られ、血が出ている。
 呻き声を上げるつもりが、できない。口にはガムテープらしき物がぴたりと貼り付け
られていた。鼻呼吸だけで息を整えるのが辛い。容態は悪化していると自分でも分かっ
た。
 床に横たわっているようだが、身体を動かせない。左腕は身体の下敷きになり、右手
は顔の近くにある。指先に血が付いているのが見えた。
 フローリングの床に何か書いてある。赤い文字だ。血をインクにして書いたのか、
所々かすれている。ピント調節してもぼやける距離だが、どうにか読めた。

   “はんにん はたなか”

 何だこれは。まるでダイイングメッセージみたいだな。
 私は死んでないけれども。
 そもそも、こんな物を書いた覚えは全くない。頭に強い衝撃を受けて、記憶が飛ん
だ? いや、それもないだろう。その証拠に、こうなるに至った状況を徐々に思い出し
つつある。
 床に座った姿勢でいるところを背後から殴りつけられ、倒れた。口は……殴られる前
からすでに塞がれていた。両手首もガムテープでぐるぐる巻きにされていたと思うが、
今は枷はない。
 そう。
 私は襲われたんだ。自宅に一人でいるところを、半ば強引に上がり込んできた知り合
いの……誰だっけ……北島《きたじま》か。北島の奴が持参した酒を勧めてきて、飲ん
だら意識をなくして、気が付いたら拘束されていた。食堂の床に足を投げ出す感じで座
らされて、北島の奴、恨み言をねちねちと言い立てていた。
 五分か十分ぐらい経って、年貢の納め時とかどうとか言って、後ろから殴りやがっ
た。
 そのあとあいつが何をしたのかは想像するしかないが、どうやらダイイングメッセー
ジの小細工をしたんだな。
 このメッセージは、罪を田中に擦り付けたいのか、畑中に擦り付けたいのかが分かり
にくいな。どちらも私とは因縁がある相手だから、どちらかが代わりに逮捕されればい
いと考えたのか。“はんにん”と“はたなか”の間に少し隙間があるのが気になる。
 恐らく“はたなか”と書いてあるのを見付けた畑中が、ごまかすために“はんにん”
と書き加えた――というつもりなのだろう。
 と、いけない。意識がまた朦朧としてきた。
 犯行の過程なんてあとで考えればいいことであって、今最優先すべきは、助けを求め
る、これに尽きる。どこかに携帯端末があるはず。多分、ズボンの左尻ポケットにある
はずだが、生憎と今、身体の向きがよくない。姿勢を変えないと絶対に取り出せない位
置だ。ともかく、左腕を身体の下から出そうともがき始めたその瞬間、“がさ、しゅ
っ、がさ”という音がした。
 アコーデオンカーテンが開け閉めされる音だ。
 何者かがいる!?
 我が家でアコーデオンカーテンがあるのは、浴室へと通じる脱衣所。この状況で、犯
罪の現場に留まり、何かしらのことをなそうとしているのは、犯人に他ならない。
 気配を感じ取ろうと、耳を澄ませる。何かを探しているのか? それよりも、今この
部屋に戻って来たら、私に息があることを察知するのではないか。
 察した犯人――北島は、私にとどめを刺そうとするだろう。そうなる前に、攻撃すべ
きなのか?
 五体満足な状態でなら、北島とやり合って負ける気はしない。だが、頭に深手を負
い、身体の方もアルコールのせいか薬のせいか知らないが、自由に動くのか怪しい現状
で、北島に勝てるのか? 恐らく、無理だ。不意打ちに成功しても、四分六分で負けそ
うな予感がある。たとえ北島を組み伏せ得たにしても、こっちは出血多量でぶっ倒れか
ねない。
 折角、九死に一生を得たと思ったのに、ここで見付かってまた殺されては何もならな
い。
 私は死んだふりをした。
 瀕死の私が、生きるために、死んだふりをする。

 ……まだいる。
 早く出て行ってくれないか。携帯端末さえ取り出せれば、通報のしようもあるのだろ
うが、今のこの姿勢を崩せないのなら打つ手がない。
 北島の奴、食堂のドアの外に立って、何かやろうとしている。時折、ドアを開けて、
ノブの滑りを確かめでもしているかのように、かちゃかちゃと音が聞こえる。一体何が
したいんだ? ドアに物を隠すスペースなんてない! 秘密の抽斗でもあると思ってん
なら、漫画の見すぎだ、馬鹿野郎。
 思えば、大人になってからも、子供じみたところのある奴だった。同窓会ではアニメ
や特撮のヒーロー同士の夢の対決を語っていたし、推理ドラマでは探偵が変装を解く場
面が大好きだと公言していた。今まさに私を襲っておいて、ダイイングメッセージの小
細工を施したのも、子供っぽさの表れ……。
 まさか。
 嫌な予感を伴って、私は閃いた。
 北島はこの部屋を密室にしようとしてるのでは?
 ドアやノブをしきりにいじっている気配は、用意していたトリックがうまく働かない
ため、何度も試しているのか。
 何で、こんな明らかに他殺と分かるやり方を取っておいて、現場を密室にしなくちゃ
ならないんだよ! 意味のない密室なんて作ってないで、さっさと逃げろよ! ガキ
か!
 ――興奮して血の巡りが激しくなったのか、私の頭からの出血量が増えてしまった気
がする。だめだ。すぐにでも出て行ってくれ。限界が近い、そんな感覚がある。血の温
かさを感じながらも、同時に死の冷たさがひたひたと忍び寄ってくるような。

 !

 不意に、電話が鳴った。
 私の携帯端末だ。誰かは分からないが、誰かが掛けてきた。くそ、出られる状況なら
出て、助けを求めるのに。最早、身体がほとんど動かせない。
 何よりも北島が音に気付いたに違いない。何事か確かめに、密室作りを中断して、こ
ちらにやって来る。
 私は覚悟を決めた。
 必死で死体を演じる。
 最後の瞬間、最後のチャンスのために、息を潜め、興奮を鎮め、残りわずかな体力を
温存する。
 そうだ。近くまで来た北島は、私の携帯端末を取り出して、誰からの電話なのかを確
かめるだろう。
 そのタイミングで、私は北島に掴み掛かり、唯一まともに動きそうな顎で、喉笛にで
も噛み付いてやる。

 終




#534/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/09  20:54  (113)
今日昨日料理 〜 狂喜乱舞するお話   永山
★内容
 べたーんと、地図にあるアメリカ大陸みたいな形に延びた餅は、電子レンジで温めた
物だろうか。その上には台形にカットした筍《たけのこ》――これは醤油か何かで煮付
けた物らしい――が多数埋め込まれ、さらには骨付き肉が無造作に一個、どんと左隅に
置いてある。傍らの透明なグラスには水らしき透明な物が注がれていて、ぶくぶくと白
い煙を立てている。細長くカットしたドライアイスが、氷の代わりに入れてあるらしか
った。
「いかがですか、皆さん」
 初老男性が、席に着いている歴々を見渡して言う。ホスト役の彼は、髪はすっかり白
くなり、顎髭にも白い物が混じるようになっていたが、目付きは鋭く、にこにこしてい
るようで実のところ目は笑っていないというタイプだ。
 招かれた客達のほとんどは、目の前に出された皿の上の料理に困惑していた、かもし
れない。その証拠にまだ誰も箸を伸ばそうとしないし、宴のホストに対して表立って説
明を求める声も上がらない。
「おや、お気に召さない? 私なんぞはこの料理をそうですね、今日昨日と目にして、
飽きることがないのだが」
 ホスト役の初老男性の発言からしばらくして、一人の男が発言した。
「そうかあ。これはこれは、個人的には面白い趣向ですね」
 作家を生業とし、趣味で探偵をやっているという亜嵐歩《あらんあゆむ》氏だ。めが
ねを掛け直し、皿の料理をしげしげと見つめる。かと思うと、グラスの方にも目をや
り、これまたしばし観察した。
「気付かれるとしたら、一番早いのは亜嵐さんだと予想はしておりました」
 ホストの初老男性が、やや悔しげに言う。
「光栄です。では確認の意味を込めて、この料理の名前をお聞きしたいのですが。」
 ホストに尋ねる亜嵐。
「いやあ、創作料理なので料理名なんて考えていなかったな」
「でしたら、今付けてみてくださいよ。テーマに沿った名前をね」
「そうですな……そのまんま、あからさまなタイトルを付けるのでは芸がない。こうい
うのはいかがかな。『テリー嬢のお気に入り』」
「テリー嬢……なるほど、ちょっと洒落ていていいですね」
 は、は、はと乾いた笑い声を交わす二人。置いてけぼりを食っていた他の面々の中か
ら、とうとう辛抱たまらなくなった者が出た。
「お二方で分かり合って楽しまれるのも結構ですけれども、そろそろ我々にも種を教え
てくれませんか。いい加減、居心地が」
「ああ、それもそうでしょう」
 亜嵐は返事をしてから、ホスト役を振り返る。
「どうでしょう、教えて差し上げては?」
「うむ。ぼちぼち種を明かすのには異存はないのだが、その役目はあなたに譲るよ、亜
嵐さん」
「よろしいんですか」
 ホスト役は黙って首を縦にする。このときばかりは、目も笑んでいたようだ。
「ではご指名を受けましたし、僭越ながら僕の気付いたことをお話しします。料理の素
材に注目を。何が使われています?」
 亜嵐による場への問い掛けに、先ほど口を開いた客の一人が応じた。
「羊か何かの肉に筍、その下に大量の餅が。これでいい?」
「はい、結構です。次に皆さんはこの会に呼ばれるほどですから、そこそこミステリを
読まれていますよね?」
「ええ。推理物を読んだり観たりするのは好きですよ」
 招待客は各々が頷いた。
「でしたら、料理の素材に着目せよと促されれば、もう分かった方もいらっしゃるので
はないですか」
「ちょっと待って。よろしいかしら」
 やや砕けた言い方で、別の女性が割って入った。どうぞと応じる亜嵐。
「そもそもの話になるけれども、どうしてこのお料理をミステリと結び付けようという
発想が生まれる訳です?」
「ああ、その点は僕は先に直感が働き、あとから補強材料を得たんです。けれども、今
し方付けられたばかりの料理名があれば、最初からミステリと関係があると分かります
よ」
「料理名……って、『テリー嬢のお気に入り』? どこをどう読み解けばいいのかし
ら」
「割と有名なクイズ、パズルのネタなんです、これ。テリー嬢の“嬢”を英語にする
と、ミス。詰まり、テリー嬢とはミス・テリーとなりますから、これすなわちミステリ
に通じますよね。そのミステリのお気に入りとなると、料理そのものもミステリに密接
な関係を持っているんじゃないかと想像するのは、さほど難しくはないでしょう」
「そういうことでしたの。分かりましたわ。私どもはもうとうに周回遅れですし、お料
理が冷めてしまう。早く正解を披露してくださいな」
「そうですね……。皆さんが絶対確実に読んでいると保証があれば、作品名を挙げて示
唆するのがスマートかなと思ったのですが、保証は無理でしょうから、ずばり言うほか
にないかな。えっと、完結に説明を済ませるなら、羊肉、餅、筍はそれぞれ別個の推理
小説で、凶器に用いられているのです」
「凶器?」
 一斉に声が上がる。そこには、納得した響きもあれば、信じられないという驚きの口
調もあった。
「軟らかい餅が凶器って、喉に詰めるのかい?」
「いえ、柔らかくする前のカチンコチンに固い餅を使うんですよ」
「ということは、羊の肉も冷凍肉か」
「ご名答です」
「筍が一番分からないな。シナチクの材料になると聞いた覚えがあるが、まさかシナチ
クで絞め殺すとかじゃあないよね?」
「ええ。筍はそれ自体が凶器ではなく、竹を使う――ですよね?」
 ホスト役に確認を取る亜嵐。
「そうだよ、削って鋭く尖らせて、喉を」
「おっと、そこまでにしましょう。あまり言うと、これから読まれる方々の興を削いで
しまいます」
「だな。ついでにグラスの方にも言及してくれるか」
「ああ、そうでした。このコップに浮かべられたドライアイスが、皆さんにとって一番
分かり易いんじゃないですかね。以前の読書会で課題図書に選んだ……」
「ああ!」
 ホスト役と亜嵐を除く、テーブルに着いていた誰もが、合点が行ったという態度を露
わにした。
 その後、食事が始まる。
「正直言って、味はともかく、見栄えと分量のバランスがあまりよくないですね」
 亜嵐が感想を述べると、ホスト役は笑って小刻みに頷いた。
「そりゃそうだろう。まともな料理に仕立てる気はほぼゼロだったのだ。そうだな、ち
ゃんとした料理にするには、餅の半分ほどは小さく丸めて油で揚げ、あられにするとい
いアクセントになりそうだ。筍は飾り包丁を入れて、綺麗に飾る。羊の肉もほぐしてテ
リーヌ状にするのがよいかもしれない」
「病膏肓に入るくらいのミステリマニアが相手なら、そのくらいアレンジした料理で出
題して大丈夫でしょう」
「うむ。機会があればそうしてみるかな」
「昨日も今日も食べたというのは、じゃあ嘘でしたのね?」
 女性が口を挟むと、ホスト役の初老男性は何を今さらと言わんばかりに目を見開き、
おどけてみせた。さらに言葉をつなげる。
「私は昨日も今日もこれを食べたとは言っておらんよ。今日昨日とこれを見たという風
な表現をしたはずだ」
「……確かにそうだった気がしますけれど、それが? 何かこだわりがおありなのは分
かるものの、皆目見当が付かない」
「なに、これもまたちょっとした洒落だ。この『テリー嬢のお気に入り』は凶器の料理
と言えるだろう? それを示唆するために、“凶器のう”と言ったのさ」
 説明にぽかんとする聞き手達。彼らをよそに、ホスト役はぽんぽんと手を打ち、控え
ていたウェイターに伝えた。
「ぼちぼち、本物の料理をお出ししてくれ」

 終わり




#535/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/03/11  20:17  (149)
こんなダイイングメッセージは嫌だ!   永山
★内容
「さあ、始まりました。『第一回こんな|DM《ダイイングメッセージ》は嫌だ!コン
テスト』〜。ぱふぱふ。鳴り物がないから口で言いました。司会の金田一《きんだいち
》です。どうぞよろしく」
「……」
「どうかしましたか。明智《あけち》さん。まずはご挨拶を済ませないと」
「あ、どうも、アシスタントの明智です。本日は最後までお付き合いください」
「で、何か気にしてたみたいですが?」
「最初のルビが非常にアンバランスに見えたので」
「あ? ああ、最初のあれですね。気にすることはないでしょう。読めればいい」
「だから、あのアンバランスさでは読みづらい方も多々いるのではないかと、心配で」
「心配性ですなあ。しょうがない、改めて言い直すとしましょう。さあ、始まりまし
た。『第一回こんなダイイングメッセージは嫌だ!コンテスト』〜。司会の金田一《き
んだいち》です。皆さん、どうぞよろしく」
「そもそも何で、DMって略したんだろう? ダイレクトメールと間違われかねない」
「だからこそ振り仮名をしたんでしょう、きっと」
「だったら最初から略さずに、ダイイングメッセージと書けばよいものを」
「まあまあ、細かなことを気にしてると、コンテストが始められません。ここは一つ、
大人になって」
「自分は最初から大人だが」
「うん? 最初からってことはないでしょう。最初は子供、いや、赤ん坊だったはずで
すよ、いくら明智さんでも」
「……もういいです。早く始めねば」
「ではスタートです、前もってリスナーの皆様から寄せられた作品の中より、選りすぐ
りの物をアトランダムにセレクトしました」
「突っ込みたいところだが、どちらが本当なのか分からない。選りすぐりなのか、アト
ランダムなのか」
「選りすぐりと言って発表した作品が受けなかったら、我々の鑑識眼が疑われるので、
ここはアトランダムということにしておきましょう」
「何で及び腰なの」
「最初は兵庫県のハムウ女さんから」
「公安の駄洒落の人だ。ハとムで公、ウと女で安」
「毎回指摘しますね」
「この番組を初めて聴く人のためを思ってのこと。さて、作品は?」
「こんなダイイングメッセージは嫌だ! 登場人物一覧にない名前が書いてある」
「……やや受けかな。嫌なことは嫌だが、それはだめダイイングメッセージと言うより
も、推理小説としてだめなのでは」
「始まると割と真面目に批評しますね、明智さん」
「遊びは本気でやらねば楽しくないからね」
「では二人目。秋田県の錫亜紀《たもうあき》さんから」
「名前を繰り返し呼ぶと、もう飽きたになるんですよ、この人」
「解説どうも〜。こんなダイイングメッセージは嫌だ! 被害者も後ろから殴られて死
んだから犯人誰か分からないのに勘で書いた」
「長い! でもネタとしては悪くない。昔、某落語家が原案を作ったというミニ推理ド
ラマで、被害者が毒殺されるんですが、誰に毒を盛られたか知りようがないのに、ダイ
イングメッセージを残すのがありましてね。絶対に裏があると思ったのに、そのまんま
メッセージを解読して終わり。ふざけるなと」
「はいストップ。エスカレートすると悪口になりそうなので。次、三人目は長野県の神
尾寛太《かみおかんた》さん」
「この人もラジオネームとのことですが、カミオカンデの洒落なのかなあ。でも長野と
関係ないし」
「気にしない気にしない。えー、こんなダイイングメッセージは嫌だ! 三択クイズに
なっている」
「さっきのに続いてこれとは、並びがいいね。今度の被害者は自信がないから、三択に
したと」
「ひょっとしたら三人とも外れかも。次、四人目は奈良県の偽《にせ》んとくんさん」
「某せんとくんの偽者ってことです。言うまでもないでしょうが」
「言わなきゃいいのに。作品は……こんなダイイングメッセージは嫌だ! 『分かりま
せんでした』と書いてある」
「三段落ちですか。誰に殺されたか分からないときは潔く『分からない』と書きましょ
う、と。いいねえ」
「いや、そんな余裕があるのなら書いてないで、救いを求めろよと」
「ダイイングメッセージを扱う作品で、それを言っちゃおいしまいよ、だな」
「ま、そのことに言及しつつおしまいにならない作品もあるみたいですが。さて五人
目。石川県のぼく五右衛門さんから。――石川五右衛門とドラえもんを掛けた駄洒落っ
てことは? ああ、言わなくていいですか。作品の方は……こんなダイイングメッセー
ジは嫌だ! 『犯人は あなたの後ろ』」
「ぎゃー!って叫ぶところなのかな。いや、被害者死んでないことになるよね」
「ははは。ダイイングですらない。では六人目。長崎県からアイアムちゃんぽんさんか
ら」
「チャンピオン麺、食べたいね」
「……えー、こんなダイイングメッセージは嫌だ! 血文字で『遺書』から始まり、自
殺した理由が書いてある」
「普通に遺書を残しなさいっての。同工異曲のネタで、『遺言』もだめだよ」
「あ、このあとにそのネタがあったらどうするんですか」
「そのときはそのときだよ。さあ、続けてくれたまえ」
「じゃあ、七人目。広島県から広島風なんて言うなさん。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 死亡時刻と凶器は書いてあるが犯人だけ書かれていない」
「うん? 犯人が誰だか分からないシリーズに戻りました? これは順番をミスしたの
ではないかな」
「そんなことはないですよ、多分。えっと、次で八人目か。青森県のペンパイナッポー
ペンさん」
「来た、敢えてのリンゴ外し」
「こんなダイイングメッセージは嫌だ! 『助けて! 殺される〜』って書いてある」
「残念、もう死んでますから」
「さくさく行きましょう。九人目は山形県の怪人20.5面相さん。こんなダイイング
メッセージは嫌だ! 『三億円事件の犯人は……』で途切れてる」
「うわあ、これは確かに嫌だな。自分が殺されかけてるのに殺人犯の名ではなく、有名
な未解決事件の犯人について記そうとするとは、執念を感じる」
「いや、そもそも本当に三億円事件の犯人を知っていたのか、疑問に思いますね、僕
は。『三億円事件の犯人は……誰だったのだろう』と悔しがりながらこの世を発ったの
かもしれない」
「そんな夢のないことを。ドリームジャンボは三億円というじゃないか」
「訳が分かりません。次、ちょうど十人。愛知県は|天娘。《てんむす》さんからいた
だきました。こんなダイイングメッセージは嫌だ! 犯人を示すであろうメッセージの
あとに続けて『な〜んちゃって』と書き足してある」
「犯人が偽装工作していったのかな。斬新だ。被害者のメッセージを壊すことなく、そ
の内容の信憑性に疑いを抱かせる高度なテクニックです」
「実際に遭遇したら本気で嫌だなあ、これ。案外、実用性のある答かもしれませんよ」
「僕らが犯罪者の味方をするような発言はまずい。ほどほどにして、次に行ってみよ
う」
「それでは十一人目。佐賀県はガサ入れさんによる作品。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 犯人の名前が素直に書いてある」
「これは嫌だな。謎にならないから、我々の出番がなくなる訳だ」
「シュールですねえ。伝えたい意味を必死になって読み取ろうとするのがダイイングメ
ッセージであり、意味が明らかだと最早それはダイイングメッセージではないことにな
ってしまう」
「ま、少なくとも我々の世界ではそうだなあ」
「それでは次が最後になります。十二人目、何と海外からだ。フロムUSA、アメリカ
合衆国のエラリー・ジャックさんから送られて来た作品。こんなダイイングメッセージ
は嫌だ! 被害者がエラリー・クイーンだからといって皆難しく考えすぎる」
「お、洒落が効いている。エラリー・クイーン氏はダイイングメッセージ物を得意と
し、また発明したとまで評価されているのだから、最後を締め括るのにふさわしい。作
品としてはちょっとばかり弱いがね」
「さすが明智さん、手厳しいです」
「いや、これでも他のことに気を取られていたのだよ」
「え? そうは見えませんでしたが」
「ふっふっふ。広島県の作品が何故あんな配置にされたのか、気になってね。犯人が分
からないシリーズとしてひとまとめにすればいいのに」
「ということは、何か他に理由があると?」
「多分だがね。ここのスタッフの遊び心じゃないか。もしかすると、僕らを試そうとい
う魂胆があったのかもしれないよ」
「うーん、分からないですねえ」
「ちなみにだけど、金田一さん。最後の作品紹介で、USAと言ったのは、君の意思か
な?」
「いや、違いますね。スタッフに指示されていました……お。ちょっと待ってください
よ、明智さん。僕にも見てきましたよ。はぁはぁ、なるほど。順番に意味があったのか
あ」
「その通り。今回、このコーナーで紹介したリスナーの住んでいる都道府県を、順に並
べてイニシャルを抜き出してみると、HANNINHAYASUとなる。アメリカ合衆
国はUSAだから、そのままUにした。これをローマ字読みして、『犯人はヤス』とな
る。この有名なフレーズを織り込むために、広島県を七番目に持って来ざるを得なかっ
た」
「どうなんですか、スタッフ? ――え、違う? 偶然だって?」
「そんな馬鹿な。悪魔の証明かもしれないが、わざとではない証拠は何かないのかい?
 うん? 何なに。『広島と同じHの兵庫県とを入れ替えれば、犯人が分からないシ
リーズがひとまとまりになる。ネタの順番としてもさほどおかしくないでしょ』だっ
て? ……うーむ」
「じゃ、じゃあ、何でそうしなかったの? ネタの紹介順として理に適っているし、
『犯人はヤス』を組み込めて、万々歳じゃないか。あ? 気が付かなかった、すみませ
んて……」
「うむ。金田一さん、どうやら我々は難しく考えすぎたようだ」
「そのようですね、明智さん。被害者の能力の程度を見極めてから出ないと、ダイイン
グメッセージを解き明かすことは困難だと、改めて肝に銘じておくとしますか」
「読者諸氏も、くれぐれも注意召されよ。被害者はあなたほど賢くはないかもしれな
い」

 ああ。そんなダイイングメッセージは嫌だ。

 おしまい




#536/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/04/02  21:16  (  1)
当たり前になる前に   永山
★内容                                         23/10/23 03:24 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#537/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/05/21  20:07  (135)
2020年、夏の誘拐   永山
★内容
※よその小説投稿サイトからの移植です。時事ネタ的にちょっと厳しくなってきたの
で、賞味期限切れの前に、こちらでも公開しておこうという次第。

 〜 〜 〜

 参ったね、こりゃ。
 刑事の石渡《いしわたり》は誰にも聞かれぬよう、口の中でもごもごと呟いた。

 二〇二〇年八月八日。感染症の勢いがなかなか収まらない中、誘拐事件が発生した。
 被害者は藤木俊也《ふじきしゅんや》という小学三年生になる男の子。正午から三十
分で食事を終えた俊也君は友達と遊びに行くと言って、自転車に乗って出かけた。とこ
ろが同日午後二時過ぎに息子をさらったという電話が、藤木家に掛かってきた。子供に
与えていた携帯端末には位置情報を知らせるアプリを入れてあったが、調べてみると反
応が消えていた。追跡を嫌った犯人が誘拐直後に破壊した可能性が高い。
 一回目の電話で警察には知らせない方がいいという警告はあったが、もし知らせたら
どうなるかについての言及はなかった。そもそも警察に通報せずに、独自に子供を奪回
する自信が藤木家の主である藤木|寛吾《かんご》にはなかった。
 通報を受け、石渡は捜査指揮官として被害者宅に配管工事業者を装ってやって来た。
午後三時前のことである。彼は見張っているかもしれない犯人の視線やじりじりとひり
つくような暑さをもたらす太陽を避けるために、早く中に入りたかった。が、のっけか
ら事件とは関係ないことで頭を悩まされる。
「どうしましょう。ソーシャルディスタンスを保とうとしたら、とてもじゃないですが
全員は入れませんよ」
 車から降りようとしたところへ、部下の貫田《ぬきた》が眉を八の字にして報告に来
た。そんないかにも困ってますという表情をするんじゃない、と怒鳴りつけたかった
が、ここで大声を出しては近所に何ごとかと思われるだろうし、犯人がどこで見ている
かも分からないのだ。
「分かった。何人なら行けそうだ?」
 石渡の問いに、貫田は上目遣いになって、宙に広げた仮想の見取り図の上を指でちょ
んちょんと触れていく仕種をした。
「三名ですかね。被害者家族が両親だけだとしての話ですが」
「そんなに少ないのか。誘拐犯が目を付けるだけあって、このお宅はかなり広いようだ
が」
「食堂や大広間が広いんですが、それらの部屋には電話がないんです」
「ん? まさか固定電話しかないのか、この家には」
「いえ。誘拐犯からの連絡が固定電話に掛かってくるので、やむを得ない状況なんで
す」
「何てこった。コードを延ばせないのか」
「古いタイプなので、それなりに大げさな工事になるそうです。工事している間に電話
が掛かってきたら目も当てられません」
「くそっ。次に誘拐犯から電話があったら、とりあえずスマホの番号を教えてやれ!」
 結局、捜査員は揃って被害者家族宅に上がり込んだものの、固定電話があるのは夫婦
の寝室。録音装置などを設置するも、どことなく緊張感を欠いた、妙な空間ができあが
った。
 石渡は部下とともに、電話に出た藤木夫妻に矢継ぎ早に質問を浴びせた。「電話の声
に聞き覚えはありませんでしたか」「固定電話の番号を知っている者はどのくらいいま
すか」「俊也君の行動を知っている者はいたのか」「次は何時頃にかけてくるかを言っ
ていなかったか」等々。
 対する答は、「聞き覚えはない」「電話帳に載せているので調べれば誰でも」「お友
達しか知らないはずですが」「言っていなかった、ただ待機だけしておけと」と、手掛
かりになりそうな話は見当たらない。
 午後五時を過ぎたところで工事業者の車両を帰らせ、現場に残る人員も最小限に絞り
込んだ。
 午後六時ちょうどに、大きなサイレン音が鳴り響いた。庭の方からだった。警察はま
だ介入していない体なので、主たる藤木寛吾が急いで庭に降り、音の源を探すと植え込
みと高い塀の間から一機のスマートヘリが見付かった。いわゆるドローンで、ミニサイ
ズであるため法律の規制は緩い。その機体におもちゃと思しき小さな小さなスピーカー
が貼り付けてあり、午後六時ジャストに音が出るようにセットされていたと判明した。
 無論、第三者によるたちの悪いいたずらなどではなく、誘拐犯からのメッセージも付
いていた。薄いビニールで封じられたそれは、きつく折り畳まれたA4サイズの白い紙
だった。広げるとプリントアウトした黒い文字が躍っている。

<身代金として電子マネー百万円分と現金九百万円を用意せよ。八月九日の午後三時に
電子マネーは指定する五つの口座(末尾に記載)へ等分に、寄付名目で送金せよ。ま
た、藤木寛吾は現金九百万円を持って自家用車を自らの運転で国道*号線を使って道の
駅@@に、午後三時から同五分までの間に到着せよ。その後の指示は追ってする。
 なお、警察等の追跡者が確認できた場合、直ちに本取引を停止し、預かっているお子
さんについての安全を解除する。我々は藤木家の人間の顔を全員把握しており、また一
千万円程度なら右から左に楽に用意できることも把握済みである、そのような端金のた
めに大事な俊也君を命の危険にさらすことのないよう、賢明な判断をされることを期待
する。
 追記.我々の手元には誘拐する子供の膨大なリストがある。今回の取引が停止になれ
ば速やかに子供を殺害し、次の誘拐に移るだけである。>

 記載されていた口座五つについてすぐに調べられたが、どこも慈善団体の所有するも
のと簡単に判明した。電子マネーは明らかに陽動のための捨て金で、陽動の用をなして
いないとすら言えた。
「本命が九百万なのは間違いないが、今の時期にこの脅し文句はまずいな」
 藤木家の者がいないところで石渡と貫田は検討を重ねていた。
「ええ。道はどこもがらっがらですからね。そんな中、追跡のための車を出したら目立
って仕方がありませんよ。加えて、道の駅@@は現在休業中です。駐車場に入った時点
で、まず間違いなく犯人に気付かれる」
「道の駅@@では恐らくメモか携帯による次の指示だけなんだろうな。それもすでに仕
込んである可能性が高い」
 石渡の判断には理由がある。藤木家の庭から見付かったミニドローンは誘拐発生後で
はなく、事前に密かに入れられた物と推測されたからだ。藤木家の防犯カメラ映像や刑
事の目をかいくぐって、問題の場所にドローンを着陸させるのは絶対に不可能と言え
た。残念ながらカメラ映像の録画には、二十四時間で上書きされる(これまた)旧い形
式を採用していた。
「今の内に@@の敷地内に人を張り込ませておくか、目立つからやめておくべきか」
「僕は反対です。というのも@@は宣伝をかねて、駐車場を含む敷地全景を捉えた防犯
カメラ映像をリアルタイムで発信しているんです。そのカメラに写らずに施設に入るの
は多分無理じゃないかと」
「厄介だな。一時的に故障ってことにしてもらって――」
「いや、それこそ犯人に怪しまれますって。あの文面から感じたんですけど、犯人は本
気で被害者の命を何とも思ってないんじゃないですか。最悪、@@の映像が途絶えてネ
ットで見られなくなっただけで、子供に手を掛けるかも」
「文字通り、最低最悪だ」
 八月七日以前に、藤木家周辺の道路を通った不審者や不審車両がないかについても、
急ピッチで調べが進んでいた。出歩く人が極端に少ないため、目撃者捜しよりも防犯カ
メラ映像の提供を求めることがメインになっている。これはそれなりの効果が発揮さ
れ、怪しげな車が三つ四つ通っていたのだが、どれも途中より追跡できなくなった。何
故なら藤木家のある住宅街へは、とある商店街そばの大通りを必ず通らねばならないの
だが、道沿いの店全てが休業要請を受けて閉店したばかりか、苦しい経営に陥る中、わ
ずかでも節約しようと全店、防犯カメラの電源を完全に落としていたのだ。商店街自体
が付けた防犯カメラもあるにはあったが、それらは商店街内を撮影するのが目的であ
り、周辺の道路を行き交う車を特定するのには全く向いていなかった。
「残るは藤木寛吾の運転する車に捜査員を一人潜り込ませる。これはどうだろうな」
「車に一人しか乗っていないことを示させようとするかもしれません。@@の防犯カメ
ラに移る位置に車を来させて、ドアを全開にさせれば」
「そうか。弱った。あらゆる手が封じられていく心地だ」
 石渡は思わず天井を仰いだ。

 結果から記すと、警察は後手後手に回るどころか有効な手をほとんど打てず、身代金
の九百万円は犯人に奪われた。二十万円ずつ五つの口座に送られた電子マネーに関して
は、犯人によって手を付けられる気配は全くなく、それぞれの団体に事情を話して戻し
てもらう予定である。
 俊也君はどうなったか? 八月十日の午前中、無事に帰ってきた。隣町の病院の近く
でぽつねんとしているところを発見されたのだ。体調が思わしくない兆候が見られたた
め検査がその病院で行われ、今は回復に向かいつつあるという。

 およそ三週間後の八月末。
 とあるアパートの一室で、借主の江藤《えとう》という中年男が現金の詰まったバッ
グを抱えたまま横たわり、死んでいるのが大家によって発見された。金額は九百万円
で、その札束の帯封及び紙幣番号は捜査員が記録しておいたものときれいに一致した。
 江藤が藤木俊也誘拐事件の犯人であることは明白だった。
 そして彼の死因を調べたところ、今年になって大流行しているあの感染症が元になっ
ていたと判明した。

 藤木俊也に症状は全く出ていなかったが、感染した証拠とされる抗体が検査により見
付かった。また彼に移したと考えられるバス運転手も特定できた。つまり、俊也君はさ
らわれた時点で既に感染しており、そのウイルスがさらに江藤に移ることで最終的に犯
人の命を奪ったに違いない。

 終わり




#538/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/06/30  03:12  (  1)
罰ゲームは初恋語り   永山
★内容                                         24/02/29 01:43 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしています。




#539/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/07/04  17:34  (141)
裏の顔 〜 担任教師はアイドルを切り刻む   永山
★内容
 朝、登校してきて五年三組の教室の前まで来ると、すでに雰囲気がおかしいのが伝わ
ってきた。
 ざわざわしているのはいつもの通りなんだけれども、ざわざわの質がいつもと違うっ
て感じ。そう、きっと笑い声が極端に少なかったんだ。
 教室に入ってみて、はっきりした。席で言えば窓際の列の真ん中辺り、金沢《かなざ
わ》さんの席を中心にして、人の輪ができていた。もちろん窓際の席だから、ぐるりと
囲む訳にはいかないため、実際には半円だけれども。
 金沢さんと、彼女と仲のいい滝本《たきもと》さんがその中心にいて、二人揃って目
を腫れぼったくしている。金沢さんはほとんどしゃべらずにいて、三つ編みを垂らして
俯き気味だ。その隣で滝本さんが近くの男子、藤原《ふじわら》君と話をしているみた
いだ。どちらも声が大きく、しかも滝本さんの方が時折ショートヘアを掻きむしる仕種
をするものだから、すわ、口喧嘩か?と一瞬思わされた。
 が、どうやらちょっと違う。滝本さんが何かを説明するのに対して、藤原君が信じら
れないで首を傾げている、そんな雰囲気だ。周りにいるみんなも二つに分かれているの
が感じ取れた。男子と女子とで分かれている、なんていう単純なものではなく、あちこ
ちでぽつぽつと言い合いが起きているのが見て取れた。
「あっ、委員長」
 とりあえず自分の席に荷物を置こうとした僕に、佐々木《ささき》さんが気付いて声
を上げた。彼女はクラスの副委員長で、この何だか分からない揉め事をさっきから一歩
離れて見ており、どうしようか迷っている風だった。
 佐々木さんは近付いてくると、小声だけどしっかり聞こえる口調で僕に言った。
「何とかして」
 そして人の輪の方にあごを振る。
「このままだと、授業どころじゃなくなるかも」
「来たばかりで状況がさっぱり飲み込めてないんだけど」
 授業どころじゃないとは大げさじゃないかと思いつつ、そのことを口には出さずに応
じた。
「説明するから」
「うん。先に聞いておくけどさ、佐々木さんはどちらかの味方?」
「味方っていうか、金沢さん達の話を信じるかどうかという意味なら、ちょっとね。聞
いただけではにわかには信じられないってところかなぁ」
 迷いの露わな表情で答える副委員長。強いて選ぶなら、というニュアンスが感じられ
たよ。
「分かった。なるべくありのままに話してみて」
「ええ。金沢さんと滝本さんは昨日の日曜、先生の家に遊びに行ったんだって」
 確か、金沢さんの家が、先生の家に近いんだっけ。一軒家ではなく、アパートの一室
だが。
 ここでいう先生とは僕らのクラス担任、秀島大吾《ひでしまだいご》先生のこと。え
っと、年齢は二十代後半で独身、いわゆるイケメン、僕ら児童に総じて甘いこともあっ
て人気が高い。特に女子人気は絶大だ。前に、忙しかったのか無精髭を残して学校に来
たことがあって、普段に比べたら小汚くみすぼらしい外見だったにもかかわらず、女子
は誰一人として悪く言わなかった。それどころかワイルドでいい感じ!って賞賛する子
すらいたくらいだ。
「特に約束をしていた訳じゃなく、突然の訪問だったから、先生は仕事をしていて」
 いきなり押し掛けた挙げ句に先生が恋人と一緒にいるところを目撃してしまい、ショ
ックを受けた、とかいう話ではないらしい。とりあえずほっとした。
「もう少しで片付くからという状態だったから、二人は部屋の外で待たされたの。十分
くらいで終わって、中に入れてもらって。最初に、先生を訪ねる建前として、勉強で分
からないところを教えてもらったみたい。そのあと、おしゃべりに突入」
 どんな話をするんだろう? 僕自身はこれまで先生の家を個人的に訪ねたことなんて
一度もなく、想像するほかない。……想像してみたら、間が持ちそうにないなと思っ
た。たとえ相手が女の先生でも、難しそうだ。
「それで、これまたいつものことらしいんだけれども、途中で先生が台所に立って、お
茶を入れてくれたんだって」
 途中でお茶……杜仲茶《とちゅうちゃ》……駄洒落が浮かんだけれども、言わないよ
うに我慢、我慢。
「その隙にと言うのも変だけれど、先生の部屋をあちこちチェックした。本棚の隙間と
かベッドの下とか、普通にしていたら目の届かないようなところをね」
 もし将来、僕が先生と同じ立場になったときは充分気を付けることにしよう。
「昨日はすぐにでも先生が引き返して来そうだったからあんまりチェックできなくて、
引き出しを開けてみて特に何もなくて、そのあと何の気なしにゴミ箱を覗いたら……」
 ためを作る佐々木さん。手短に話してくれないと時間がどんどん進み、みんなの騒ぎ
も心なしか大きくなっている気がするよ。
「切り刻んだ写真が見えたって。見られちゃまずい物を急いで切ったのかもしれないと
二人は思って、大きめの切れ端をいくつか拾い、調べてみた。そうしたら河相《かわあ
い》リセナの写真と分かったって」
「河相リセナってアイドルの?」
 子供向け番組出身のタレントで、今十五歳くらいだっけ。春のドラマで準主役をやっ
て、人気に火が着き、男女問わず年齢層は幅広い。コマーシャルの出演本数は増加中、
たまに雑誌の表紙を飾ることもあった。無論、僕らのクラスにもファンはいっぱいい
る。
「そう。一週間ほど前、先生も話題に出してたの、覚えてる?」
「うん。えっと、『ああいう子が娘だったら嬉しいかもしれない。けれども演技力あり
すぎるのは怖いなあ。嘘をつかれても見破る自信が持てない』だったっけ?」
「そんな感じ。それでも、先生も河相リセナのファンという風だったでしょ?」
「ファンというか、好ましい芸能人の一人と思っている雰囲気だったな」
「何にせよ、嫌ってはいないはずよね。嘘をつかれたらどうこうと言っていたにせよ」
「まあ、そうだろうね」
「にもかかわらず、写真を切り刻んでいた。金沢さん達はそこにショックを受けて、そ
のあとほとんどすぐに帰ったと言っていたわ」
「なるほど。昨日のそのいきさつをみんなに話したら、信じる人と信じない人とで分か
れたってわけか」
「そういうこと。私は写真を切り刻んでいたという話自体が信じられない。先生のキャ
ラに合わないもん」
「キャラねえ。どうだったら合うんだろう?」
 まさか燃やすとかじゃあるまい。
「仮に嫌いなアイドルなら、写真を捨てる。それだけで終わり」
「それもそうだ。嫌いな人の写真なら捨てればいい。切り刻んだり燃やしたりするの
は、写真の人物に恨みを持っているレベル」
「そうそう、それが言いたかったの」
 先生が河相リセナに恨みを抱いているとはとても考えられない。かといって金沢さん
達が口裏を合わせて嘘をついているとも思えないし。先週、話題に出たとき、本当は嫌
いなアイドルだけど、僕らに話を合わせたのか? そんな風には見えなかったなあ。一
週間で真反対に嫌いになるとかも、ありそうにない。
 ……待てよ。そもそも、嫌いなアイドルだとしたら、わざわざ写真を手に入れる? 
それこそ恨みを持っているくらいじゃないと、切り刻むために写真を入手しまい。
「――あのー、質問いいかな」
 僕は佐々木さんから視線を外し、金沢さんと滝本さんに聞いた。近付きながら、話は
聞いたと告げる。
「質問て何、委員長?」
 金沢さんが少ししゃがれた声で聞き返してきた。よかった、思ったよりは元気そう
だ。
「二人が見た写真て、どんな物だったか覚えてる? ブロマイドなのかポスターなの
か、それともシールか何か?」
「えっとー」
 金沢さんは覚えていないのか、困惑した表情になり、滝本さんの方を向く。滝本さん
も似たようなものだったが、こめかみの辺りを人差し指でこつこつやる内に思い出した
ことがあったみたい。
「シールではないわ。それなりに厚みがあって、裏に小さめの字や数が書いてあっただ
からポスターでもないし、ブロマイドというのも違うかも」
「裏の字や数っていうのは、手書き?」
 これには滝本さんと金沢さん、揃って首を横に振った。
「ううん。印刷された文字」
「そうか。うん、ありがとう。多分だけど、分かった」
「ええ? 今の話だけで?」
 佐々木さん達が驚きの声を上げる。いや、全然たいした思い付きじゃないんだけど。
「だから多分ね。心配してるようなことではないと思うよ」
 僕はみんなを前に、思い付いた想像を詳しく伝えた。

 一時間目が始まり、秀島先生が教室にやって来た。必要な教材を入れた鞄に加え、今
朝は丸めた模造紙を小脇に抱えている。工作めいた資料や教材を使う先生は、秀島先生
を入れて今でも結構いる。コンピュータでは表現しにくいことでも、紙や木などを使っ
て作れば分かり易くなる場合もある。
 起立、礼、着席のあと、秀島先生が出欠確認のために機械を開く。そのタイミング
で、僕は挙手した。
「ん? 何だい、小原《おはら》君」
「先生が持って来た物って、昨日、ご自宅で作ったのですか」
「ああ、これか。そうだよ。学校で作った方が持ち運ぶ手間が省けていいんだけどな。
なかなか時間が取れなくて。それがどうかしたか」
「ちらっと見えたんですが、色々と切ったり張ったりしていますよね。カッターナイフ
ですか」
「うむ、カッターを使う。何だ何だ、気味悪いな」
 秀島先生は出欠確認の手を止め、苦笑いを浮かべた。
「もう一つだけです。先生は雑誌、今でも紙のを買いますよね?」
「そりゃまあ、紙でしか売ってないのもあるし、再利用できるしな。ああ、昨日も台に
したよ。こう、紙を切るのに下の机を傷つけないよう、雑誌を敷いて」
 やっぱり。想像が当たったと確かめられて、僕は頬を緩めた。これで問題解決だ。
 と、そのとき窓際の席から叫び声に近い調子で、金沢さんが言った。
「先生! 裏の表紙の写真に気を遣ってください! 怖かったんだから〜っ」

 終わり




#540/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/07/09  21:31  (220)
あやまりマジック、解けた   永山
★内容
 中学二年に上がるのを目前に控えた春休み。その瞬間まで手品に何の興味も持ってい
なかった。強いて言うなら、悪いイメージ。格好付けている印象が強いし、ある意味、
見る人をだましているわけだから。
 そんな私が、手品を観る機会なんて滅多にない。すべては偶然から始まった。
 お気に入りのアイドルグループの特番があって、番組内で、一芸を身に付けよう!み
たいなコーナーが用意されていた。メンバーの一人が手品を習うことになり、その先生
として登場したのが月影里雨《つきかげりう》という男性マジシャンだった。年齢四十
ぐらいで、一言で表すとダンディ。演じるマジックは選ばれたカードを当てたり、切っ
たロープをつないで見せたりと多分基本的な物ばかりと思うんだけれど、月影里雨の演
じ方には格好付けているところはなかったし、嫌味な感じも受けなかった。何故か好感
を持ってしまったのだ。ちなみにアイドルに教えた演目は、五百円玉サイズのコインを
噛みちぎっては元通りにし、さらにそのコインがとても入りそうにない口の細いガラス
瓶の中に、するりと入れてしまうというもの。教え方が丁寧で、優しそうだったからか
な。とにかく私は月影里雨のファンになると共に、手品――奇術やマジックと呼ぶ方が
似合っているかな――が好きになった。
「奇術部を作りたいの。舞《まい》ちゃん、協力して!」
 中学校には奇術部の類はなく、数ヶ月は我慢していたけれども、それも限界を迎えた
六月頭。私は放課後の教室で、友達の戸田《とだ》舞ちゃんに声を掛けた、というか拝
んだ。二年生の知り合いの中で、私と同じ帰宅部はあんまりいない。新しく部を作るに
は、少なくとも四人、揃わなければいけない。四人だと同好会扱いなのだけれど、とに
かく自分以外に三名は仲間になってもらう必要がある。
「その部は何を書くの」
 舞ちゃんが聞いてきたが、何のことだか分からない。思わず首を傾げると、「キジュ
ツブと言うからには文字か何かを記述するんでしょ?」と言われた。やっと分かった。
「その記述じゃなくて、奇術だよ。マジック」
「マジック……やっぱり文字を書くんじゃないの、マジックペンで」
「違うってばー」
 声を大にすると、怒ったみたいに聞こえたのか、舞ちゃんは「ごめんごめん、わざと
ぼけました。手品でしょ、分かってるって」と笑顔で言ってきた。はぁ、疲れる。
「何でマジックをやろうと思った? 冴《さえ》ちゃんて、これまで全然そんな素振《
そぶ》りなかったじゃない」
 一応断っておくと、冴ちゃんとは私の愛称で、君島冴子《きみしまさえこ》というの
が本名だ。
「テレビで凄い人を見たから。月影里雨って知らない?」
「あ、知ってる。この頃、ちらほらと出演が増えてるわよね。渋いイケメンで、人気出
るのもうなずける。そーかー、冴ちゃんはあの手の顔がタイプなのね」
「……否定はしない。けど、年齢は近くないと」
 素直な気持ちを答えると、舞ちゃんは拍子抜けしたみたいに肩をすくめた。
「暇だし、奇術部の名簿に名前を書くのはかまわない。でも、どんな活動するのよ。冴
ちゃんだってマジックはできないでしょ?」
「やってみたくて練習はしているんだけれど、まだまだ。人に教えるなんてとても無
理」
「だよねえ。先生の中にマジックの得意な人がいると聞いた覚えはないし、いたとして
も顧問になってもらえるかどうか不明だし」
「そうなんだよね。だからできれば、みんなで一緒に覚えていく、マジックの勉強会み
たいな感じで行きたいなあ」
「それにしたって、一人ぐらいマジックのできる子がいた方が」
「心当たり、あるの?」
「噂でだけど。江栗《えぐり》君がマジックやるらしいよ」
「江栗……」
 幼馴染みの名が上がって驚いた。それ以上にちょっと嫌な気持ちになる。
 江栗|克樹《かつき》とは小学生のときから同じクラスになることが多く、ご近所同
士ということもあって、よく遊んだ。でも、小学五年か六年の頃、原因は忘れたんだけ
ど喧嘩して、以来、遊ぶことはなくなった。今は必要があれば会話するけれども、友達
とも呼べないレベルだ。
 なお、江栗君はかなりの男前で、彼と幼馴染みだというと羨ましがられたり何だかん
だと頼まれたりするので、女子友達には話さないようにしている。なお、舞ちゃんは小
学校が同じだったので、私と江栗君が幼馴染みだと知っている。
「知らなかったみたいね」
「え、ええ。マジックをやるなんて、小さな頃には全然感じられなかった。どんなマジ
ックをやるんだろ?」
「それが誰も分からないの」
「はい? どうしてよ」
「一人前じゃない内は、無闇に披露しないと決めているんだとか。で、ここまでほんと
に言ったかどうか不明なんだけど、江栗君ファンの女子の間では、『もし見せるとした
ら、好きになった相手にだけだ』ということになっているそうよ」
「……」
 うう、好きじゃないタイプのマジシャンみたい。それはさておき。
「そんな噂話が出るってことは、本当に誰も見てないのね、江栗君がマジックしている
ところを」
「だね。男子ならいるかもだけど」
「うーん。経験者がいて欲しいのは確かだけど、その話だと当てにならない」
「じゃ、確かめて来なよ」
「え?」
「幼馴染みなんだし、頼めば見せてくれるよ、きっと」
 話が面倒な流れになってしまった。も、彼がマジックをやっているのなら、私が奇術
部を作ろうとしていること、いずれ耳に入るよね。あとになって「何で声かけてくれな
かった?」と言われるより、こっちから打診する方が平和的かな。ずーっと冷戦状態な
のは嫌だし。

「嫌だ」
 断られてしまった。わざわざ自宅を訪ね、玄関先で頭を下げてお願いしたのに、けん
もほろろっていうやつ。
「何で」
 なるべく昔の雰囲気っぽく、軽い調子で聞く。久しぶりに江栗君の家に来て立ち話と
いうシチュエーションが、私にも小学生の頃を仄かに思い出させた。
「僕がマジックを見せるのは、僕が好きな相手だけ――」
 うわ、やっぱりそうなの?
「という噂が一人歩きして、おいそれと披露できないんだよ」
 なーんだ。
「その噂なら最近聞いたわ。こっそり、他に誰もいないところで見せてくれればいいん
じゃない?」
「女子はおしゃべりだからな」
 偏見!と言いたいところだけど、今の私には言えない。だって仮にマジックを見せて
もらえたら、そのことを少なくとも舞ちゃんには話してしまうだろう。奇術部起ち上げ
のために、話さざるを得ない。
「そもそも何で君島さん、僕なんかのマジックを見たがるんだ?」
 あ、そこから説明しないといけないんだ。私はこの春からのマジック好きになった経
緯を話し、さらに奇術部を作りたいとも言った。
「――ってわけで、急にマジックに目覚めた感じと言えばいいのかしら。三ヶ月経って
も熱が冷めないし、本当に好きになったんだと思う」
「……」
 話し終わって相手の反応を窺うと、江栗君は何故か口をぽかんと開け、胸の高さ辺り
に構えた右手で、こっちを指差している。何か言いたそうだけど、それよりも男前が台
無しじゃないの。
「江栗君? どうかした?」
「――突っ込みたいところが山盛りで、言葉が出なかった」
「はあ」
 口調が少々荒っぽくなっていたけれども、久々に昔のやり取りをしている感覚が蘇っ
て、嬉しくなる私。続きを待った。
「敢えて、おまえと言わせてもらう。おまえなあ、その様子だと覚えてないな」
「はい?」
「小学一年のときだ。いや、あれは四月に入っていたから法律上は二年か。まあどっち
でもいい。あの頃は一緒に遊んでいたよな?」
「うん。何を今さら、改まって」
「覚えているかどうか確かめたんだよ。忘れていたらどうしようかと思った」
 まさか、そこまで記憶力ひどくないわよ、失礼な――と、胸の内で反発しておいた。
 江栗君はそんな私の気持ちなんて知らず、言葉をつないだ。
「僕は小二の春休みのある日、覚え立てのマジックを披露した」
「誰に?」
「だから君に」
 “おまえ”はやめくれたらしい。いや、そんなことよりも、マジックを見せてもらっ
た? 真剣に覚えてない。
「やはり完全に忘れてるか。僕にとっても嫌な思い出だから、手短に話す。僕のマジッ
クを見た君は、『それ知ってる』と言ったんだ」
「……何か、ぼんやりと思い出してきたかも」
「ちっとも驚かない君を見て、子供心にショックを受けた僕は一年後、違う演目でリベ
ンジしようとした。でも反応は同じ、『知っている』だった。それからしばらく君に見
せるのはやめて、家族相手に練習を重ねた僕は、小五の春休み、うちに遊びに来た君
に、自信を持って新たなマジックをやるつもりだった。その前に昼ご飯をうちで摂るこ
とになっていて、一緒にテレビを見ながら待っていた。ちょうどマジック番組の再放送
をやっていて、君は出演マジシャンの一人を指差して、『この人が一番のかっこつけだ
ね。がんばって化けても似合わない』とばっさり。僕がその瞬間から不機嫌になったの
を、当時の君は感じ取っていたように思うけど、覚えていないかい?」
「段々と思い出してきたわ。そういうやり取りがあったのは確かよ。不機嫌になった理
由までは当時も今も分からない。それ以来、疎遠になってたし」
「だったら、教える。小五の君がくさしたマジシャンは、現在の月影里雨だ」
「え、嘘でしょ。顔を覚えてはいないけど、イメージが全然違う……」
 小学五年のときに見たあのマジシャンは軽薄で、どこか無理をしている雰囲気があっ
て、ダンディな月影里雨とは結び付かない。三年という時間を経てもだ。
「嘘じゃないさ。当時は別の名前で出ていたが、正真正銘同一人物。若作りをやめて、
渋さを隠さないようにしたのが、月影里雨だ」
「ふうん。それって奇術ファンの間では有名な話なの? 随分、詳しいみたいだけど」
 それに江栗君の不機嫌な理由がまだ聞けてない、と思った矢先。
「有名な話かどうかは知らないけど、僕は知っていて当然なんだ。何せ、月影里雨は僕
の父だから」
「――」
 嘘!という声が出ないまま、腕を精一杯伸ばして江栗君を指差していた。
「こんなことで嘘なんてつかないよ。親父を悪く言われたら、小五の僕が機嫌を悪くす
るのは無理ない、だろ?」
 口をつぐんだまま、こくこく頷く私。そうしてやっと声が出た。
「ごめんなさい。今さらだし、知らなかったこととはいえ……」
「いや、まあ、実は感謝もしてるんだ」
「はい? 何で」
「あの頃の親父が行き詰まっていたのは事実で、あとから出て来た若手にどんどん追い
抜かれていて、将来を迷っていた。このまま細々と続けるか、すっぱりとやめて別の仕
事に就くか。そんなとき、僕が伝えたんだ、親父に君の感想を」
 うわぁ。恥ずかしくて思わず遼頬を押さえた。
「見た目でも演目でも背伸びすることをやめ、素で勝負するようになった親父は、運も
あったんだろうけど、人気が再び出始めた。月影里雨という名前もよかったと、僕にお
世辞を言ってくる始末さ」
「月影里雨って名前、あなたが考えたとか?」
「そうだよ。……君島さんにだけ明かそうか。アナグラムになっている」
「アナグラム?」
「言葉遊びの一種で、文字の並べ替えとでも言えばいいのかな。この場合、ローマ字で
考えた。僕、EGURI−KATUKIをうまく並べ替えると、TUKIKAGE−R
IUになる」
「へえー! 凄い」
 ほぼ無意識の内に拍手していた。江栗君はくすぐったそうに横を向き、ぼそりと「君
の感想ほどじゃない」なんてことを言った。
「それより、君島さんはマジックなんて種を知っている物ばかりでつまらないというス
タンスだったのに、よく心変わりしたな」
「ん? 種を知っている?」
 聞き咎め、首を左右に振った。
「ほとんど知らないわよ、マジックの種。四月にマジック好きになってから、いくつか
調べて覚え始めたばかり」
「ええ? おかしいな。小学生のとき、僕が見せる度に、知ってるを連発してたくせ
に」
「あ、それは」
 誤解されてたんだ。何年も経って気付かされたけど、遅すぎるかなぁ……。とにかく
話さなくては伝わらない。
「知っていると言っても、種を知っているんじゃなくて、そのマジックを見たことがあ
るという意味で言ってたんだけど……」
「なに」
 再び、口ぽかんの江栗君。うう、何だか凄く申し訳ない。肩を縮こまらせ、背を丸く
して、俯いてしまう。
 と、斜め下を向いていた私の視界に、江栗君が入って来た。力が抜けたのか、玄関に
続く飛び石の一つにへたり込んでいる。
「ったく、何だよそれ。ほんとにもう……」
 泣き笑いに近い声で、しかし意外と元気な口ぶりで、江栗君。心配することないかな
と思いつつ、「大丈夫?」と声を掛けた。
「ああ、大丈夫。いやー、凄く損した気分だ」
「損をした……って何を」
 首を傾げた私の前で、江栗君は勢いよく立ち上がった。今さらだけど、背が伸びてい
るなと感じる。
「うーん、遠回りをした分だな。よし、君島さん、時間は平気だよな? わざわざ訪ね
てきたくらいだから」
「う、うん、まあ多少は」
「じゃあ」
 きびすを返し、家へと向かう江栗君。
「上がって行けよ。昔みたいに」
「え、あ、あの−」
 嬉しいんだけど、展開が唐突で着いて行けない。
「マジック、見せてやる」
 え、お、あ、そ――返事がまとまらない。驚きと喜びと感謝それぞれの表明と、あと
マジックを見せてくれる意味について問い返したい。
 結局、最後の事柄を優先した。
「私なんかに見せていいの、マジック。噂のことは?」
「……皆まで言わせるなよな。マジックの種と同じ、秘すれば花」
 なるほど、確かに。
「それよりも僕のマジックを見て満足したなら、奇術部の設立メンバーに迎え入れてく
れ」
「それはもちろん、喜んで」
 前を行く江栗君がドアを開け、招き入れてくれる。中に入るとき、三和土にある革靴
が目に付いた。よく手入れされていて、ぴかぴかだ。
「あ、親父、今日は休みで家にいるんだ。いいよね?」
「――」
 どんな顔をしてお会いすればいいんだろう……。

 終




#541/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/08/30  14:36  (116)
最後の希望   永山
★内容
 一人息子が死んだ。
 高校一年の夏のことだった。

 私、高平伸人《たかひらのぶと》は、息子の伸輝《のぶてる》にできる限りいい教育
を受けさせてやり、ゆくゆくは我が社の跡継ぎに育て上げるつもりでいた。
 一方で、私は自分の会社を成長させることにも力を注ぎ、成果を上げてきた。自分で
言うのも口幅ったいが、業界4位5位付近にランクされる世間によく知られたメーカー
である。
 その分、家庭を顧みる機会が乏しく、特に息子に関して人任せになってしまっていた
ことを、今さらながら反省せねばなるまい。本心を言えば、私自ら伸輝の面倒を見て、
手取り足取り教えてやりたかった。時間の制約があって、どうしてもできなかったの
だ。
 周りの者は皆、私と家族の置かれた状況を理解しており、仕方がなかったんだと言っ
てくれる。だが、それらは恐らくおためごかしで、胸の内では私に父親失格の烙印を押
しているに違いない。言葉で指摘されなくても分かる。彼らの私を見る目が、以前と違
うことを痛いほどに感じるのだ。
 このままでは、悪評が悪評を呼び、社長としての能力にまで疑問符が投げ掛けられる
やもしれん。
 一人息子を失ったというのに、結局は会社の先行きや自身の立場が大事なんだなと、
誹る向きもあるだろう。どうか勘弁願いたい。今の私にとって、会社が息子のようなも
のなのだ。

 無論、伸輝の死に関心を持っていない訳ではない。
 息子が何故、どのように死んだのか。
 通っている高校の三階の教室から転落した、とだけ判明している。
 事故か自殺か、まだ分かっていない。この事案が発生した当時、くだんの教室には伸
輝しかおらず、また誰も入れる状況ではなかった。他の階から落ちたのではないこと
も、科学的に証明された。だから少なくとも他殺ではないだろうと言える。
 ただ……父親にとって苦々しいことだが、自殺の可能性が高いのは認めざるを得な
い。教室に一人でいて、一体どんなアクシデントが起きれば、窓から外へ転落するよう
な事態になるのか。あり得ない。
 自殺であるならば、遺書を早く見付けたい。現場にはなく、自宅にある息子の部屋か
らも何も見付からなかった。遺さなかったんだろうか。
 息子は字を書くのが好きだった。まだ私が比較的忙しくなかった頃、伸輝が作文で誉
められたと自慢げに言っていたのを、微笑ましく聞いた覚えもある。そんな伸輝が遺書
を遺さないなんてことがあるあろうか。考えられない。私や家族宛じゃなくったってい
い。他人に宛てた遺書でもいいから、早く見付けて、目を通したいのだ。

 初七日が過ぎ、しばらく経ってから、妻が「あの子に買ってやったノートパソコンが
見当たらないのですが、もしかすると」と言い出した。
 言われて、私もどうにか思い起こせた。中二の誕生日に、伸輝に買い与えたのだっ
た。携帯端末があるのにどうしてパソコンをと思わないでもなかったが、敢えて問い質
さずにいた。後日、インターネットやワープロに使っているのをちらと見掛けて、携帯
端末ではやりにくかったんだろうな、ぐらいに受け取ってすっかり忘れていた。
「だが、どこにあるんだ。部屋にはなかったようだが」
 遺書を探すために、あちこち開けてみたのだが、ノートパソコンは見当たらなかった
ように思う。
「学校だろうか」
 遺書探しは高校でもやらせてもらったが、飽くまでも伸輝の使っていた個人スペース
に限られた。パソコンなら学校にも何台かあるだろう。備品に紛れ込ませたら分かりづ
らくなるのではないか。
「いや、それよりもUSBメモリを使っていたんじゃなかったか」
 息子の死がショックなあまり、実に基本的なことを見落としていた。遺書は紙に書い
てある物という思い込みが、間違いなくあった。

 結局、伸輝のノートパソコンは見付からなかった。死の前に何らかの理由で処分した
可能性が出て来たが、はっきりしたことは分からない。
 USBメモリも複数個、少なくとも三つは使っていたと思うのだが、見付かったのは
一つだけだった。何故か自宅の冷蔵庫の裏から見付かった。正直な印象を述べるなら、
隠してあったのか落としてたまたま入り込んだのか判断できない。
 メモリの中身を見たあとも、疑問は解消されなかった。
 遺書はなかったのだ。
 遺書らしき文章も、死を選ばねばならないような窮状を訴える書き込みも、一切な
し。あったのは、いくつかの物語。そう、小説だった。長さは様々、掌編もあれば大長
編もある。書きかけの物もいくつかあった。ジャンルはちょっと奇妙な物語、変格ミス
テリが多いようだ。
 私はUSBメモリを見付けた日から、時間を作っては伸輝の作品を読みふけった。
 純文学・大衆文学の別なしに小説の善し悪しなんてほとんど分からぬ自分だが、息子
の作品は出来不出来の差が大きく、落語の小咄を引き延ばしたような馬鹿々々しい物が
あったかと思ったら、掛け値なしに面白いと言えるも物にも巡り合う。アマチュアらし
い乱高下ぶりだった。生前の伸輝には、つまらん文なんて書いてないで勉強しろと叱っ
た覚えがあるが、ここまで書けるようになっているとは思いも寄らなかった。
 こうして読み進めていき、なかなかの佳作と呼べる中編を読み終えたとき、その末尾
に本文とは違う付け足しがあることに気が付いた。

『自分の書いた話を紙の本で出せたらいいな。今一番の望みはプロになること』

 これには心動かされた。、亡くなった息子の望みを叶えてやれないものだろうか。
 亡くなった身内の書き綴った文章を、遺族が自費出版の形で本にするという話は、割
によく聞く。そう言えば、社長が勇退時に自分史を書いて本にするなんてことは、腐る
ほど聞いた覚えがある。
 ただ、息子の一番の望みがプロであるなら、自費出版はだめだ。息子の小説を商品と
して出してもらいたい。仕事関係の知り合いを辿っていけば、伸輝の小説を評価し、請
け負ってくれる出版社が見付かるだろうか。

 死んだ息子が結構いい小説を書いてたので、何とか本にしてやりたいんだ――と、近
しい社長や重役クラスに人らに吹き込んで回っていたら、ある日ひょっこり、噂聞きま
したんでとりあえず御作を見せてもらえませんか、という大手出版社からのアプローチ
があった。
 そこからはとんとん拍子に話がまとまり、「有名企業の社長の一人息子が生前書きた
めていた小説」なんていう謳い文句だけでもそれなりに売れると見込みも出て、息子の
一周忌の頃に刊行と決まった。
 これでちょっとはいい供養になるかなと思えた。ようやく、伸輝のことで少しは笑え
るようになった。

             ※           ※

 この後、高平伸人は社長になってから初めてと言っていいほど、どん底の状況へ突き
落とされる。
 というのも、高平伸輝の遺したと思しきUSBメモリにあった小説の約半分は、他人
が書いた物だと判明する。公の投稿小説サイトに上がっていた物を、じっくり読むため
という理由でコピー&ペーストを行い、USBメモリに保管した。
 それを、息子の実力を全く知らない伸人は、単純にこれらは伸輝が書いたと信じ切っ
た。
 我が子と密なつながりを持てなかったがために大ごとになり、非難に晒されることに
なろうとは。

 あるいは……もしかすると事態がこうなるまで全部、伸輝が期待し、計画していた通
りだったのかもしれない。
 小説家になりたいという密やかな夢を、父親は「つまらん文を書いてないで」という
台詞で切って捨てた。どうにかして、思い知らせることはできないか。息子に先立た
れ、家庭人として大恥をかいた父親に、さらなる決定的な一撃をお見舞いする。
 もし、これこそが伸輝にとって真の意味での一番の望みだったのなら、見事に叶えた
と言えるだろう。

 終




#542/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/09/28  17:20  ( 94)
第六感が外れると   永山
★内容
 共通の友達から神藤和奈恵《じんどうかなえ》と田中磨律《たなかまりつ》が喧嘩し
たと聞かされ、僕・八木敦彦《やぎあつひこ》は声を上げるほど驚いた。
 その日の昼休み、隣のクラスへ“遠征”し、いつものように一緒に弁当を食べようと
したのだが、二人がばらけて座っているので、変だなと感じてはいたんだ。そのときに
察するべきだったのだが、たまには別々に食べる場合もあるよなと理解して、自分は立
ち去った(どちらか一人だけと一緒にお昼を食べるのは忍びなかったため)。
 神藤と田中はものの捉え方や考え方がほぼ正反対なのに、何故か馬が合ったらしく、
高校に入学して知り合って以来、二人仲よく行動することがほとんどだった。
 二人の違いを簡単に言い表すなら、論理と直感、だろう。神藤は合理主義で、非科学
的なことは疑って掛かる。それでも占いや縁起担ぎについては周りに合わせるくらいの
柔軟さも持ち合わせていた。
 田中は逆に何でもとりあえず受け入れる。盲目的に信じるのではないが、非科学的な
ことでも楽しまなきゃ損、と考える方だ。実際、運や勘がいいタイプだと思う。
 そんな二人が親友になれたのは、自分のないものを持っているという相互補完の関係
なのかもしれない。
「一体何があって喧嘩したんだ? 知ってる?」
 その友達に重ねて聞くと、苦笑いが返って来た。
「知っているよ、うん。ちょっとこじれただけだから、放っておいても大丈夫とは思う
が。心配なら、八木君が取りなせばいい」
「そうしたいのはやまやまだが、原因が分からないんじゃあな」
「聞いたら、八木君でも放置しておこうと思うかもよ」
「そんなしょうもない理由なのか」
「だね。本人達にとってどうかは置くとして、第三者的にはくだらないと思う」
「うーん、信じられん。あの仲のよさが仮に一時的にせよ壊れるくらいだから、よほど
深刻な事情があるかと思ったのに。逆に気になってきた。聞かせてほしい」
「じゃあまあ、あっさり教えるのも何だから」
 そう前置きして、友達は昨日の放課後及び今朝、目撃した神藤と田中のやり取りを話
してくれた。

 放課後の教室。神藤の席の前に田中が陣取る。
『カナちゃん、さっき小耳に挟んだんだけど、カナちゃんて第六感、あるって?」
『え? ええ。第六感なら持っているわよ』
『えー、知らなかった。凄いね』
『そう? まあ、凄いと言えば凄いと言えるかしら』
『凄いよー。じゃあさ、これ、当ててみて』
 神社のおみくじみたいにきゅっと結んだ紙を四つ、机に置いた田中。
『はい?』
『この四つの中に、一つだけ、文字が書いてあるの。その紙がどれかを当てて、さらに
文字まで当てられないかな』
『どうして私がそんなことを……無理よ』
『そんなこと言わずにやってよ、ねえ。外れてもいいから』
 やってやらないの繰り返しが何度か続いたあと、神藤が席を立つ。
『用事があるから帰るね』
『そんなあ。どうしてやってくれないのよー?』

 得意になって話してくれている友達に、僕はストップを掛けた。
「あのさ。声色、うまいけど、やめろ。ちょっと気持ち悪い」
「いや、やめないよ。こうしないと気分が乗らないもんで。それよりも、ここまでで何
か気付いたことは?」
「うーん? そうだな、会話が噛み合っているようで噛み合っていないような、微妙な
ずれを感じなくもない」
「お。もしや、原因にも気が付いてるんじゃあ?」
「確信はないが。田中さんは“第六感”とは直感がよく当たるってな意味のつもりで使
っているのに対し、神藤さんは“第六感”を単なる当て推量のことだと想定していて、
よく当たるかどうかまでは考慮していないんじゃないか?」
「なかなかいい線を行っていると思う。だけど、外れ。続きをどうぞ」
「声真似、する気満々だな……」

 翌日の朝(今日の朝)の学校。教室で田中の席の前に、神藤が立つ。朝の挨拶はかわ
したものの、あからさまに不機嫌な田中に、神藤が鞄の中から出した物を見せる。
『昨日のことだけれども。私が言っていたのはこれだったのよ。分かる?』
 その物を見た田中、一瞬で赤面して恥ずかしがったかと思うと、次に怒り出す。
『何でこんな? 私が言ってるんだから、第六感て意味、分かるでしょっ?』
『それを言うなら私だって。私が非科学的なことは鵜呑みにしないってこと、マリは知
ってるでしょうに。そんな私が、よく当たる第六感を持っているはずがないって、聞く
までもなく分かるでしょうが』
『そんなの分かんないよっ。他人の不思議体験は全然信じなくても、自分が体験したこ
とだけは信じるって人だっているはずだよ』
 このまま堂々巡りになり、喧嘩別れに。

「そして今に至るってわけ」
「状況は理解した。だが、肝心の原因はまだ見えてこないな。神藤さんが見せた物がポ
イントなのは分かるが」
「今の話だけで当てるのはさすがに厳しいから、ヒント。神藤さんが持って来たのは古
いCDだった」
「CD? 珍しいな。ていうことは、昔の曲が第六感と関係しているんだ?」
 友達が頷き返すのを見て、僕はあれこれ連想してみた。その中に“大ロック感”なん
て駄洒落が含まれていたのは内緒だ。
「考えるよりも検索した方が早いし、確実だよ。正確に言い当てるには、いくら考えた
って無理だろうし」
「……悔しいが、古い音楽に造詣が深い訳ではないしな。えっと、“第六感”“音楽”
“歌曲”ぐらいで……うん? 『第六感』という曲はあるが、割と今の時代の曲だな」
「あ、忘れてた。そのCDはアルバムだったよ」
「じゃあ“アルバム”を追加して……ああ、これか」
 条件に合いそうな結果が表示された。日本の歌手でイニシャルK・S、愛称Jの異名
でもよく知られた人が『第六感』というアルバムを出していた。
「これを持っていたから、神藤さんは『第六感がある』と答えたのか。なるほどな」
 たったこれだけの行き違いで、こうもこじれるなんて。
「どう? 仲直りに骨を折る気になったかい?」
 友達に問われ、僕は考えた。その最中、検索結果の画面の片隅に、歌手の代表曲の一
つが表示されているのに気付く。
「どうもこうも……『勝手にしやがれ』って言いたくなるわな」

 おしまい




#543/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/10/09  20:05  (108)
猫は手を貸してくれる?   永山
★内容
 ラノだけが友達だった。
 母は離婚してしばらくは悲劇のヒロイン気分を味わい、そこからは男を見付けては同
棲して、貢いで、捨てられるを繰り返した。確か四度目ぐらいで懲りたのか、暴力的で
はない男を見付けてきた。私に対しても、男は当初、優しかった。お小遣いをくれた
し、車で色んな所に連れて行ってくれたりもした。だから私も男のヘビースモーカーぶ
りには目を瞑り、吸い殻で一杯になった――水を少し溜めて確実に火を消せるようにし
た――灰皿を片付けるのも、嫌がらずにやった。
 だけど、それは錯覚だった。その男は母には暴力的ではなかったが、私には違った。
優しかったのはほんの短い間だけ。男の機嫌のよさそうなときに、私がたばこをちょっ
と減らしてくれないかなあ的な願いを言った途端、口汚く罵られ、小突かれた。以来、
少しでも意に沿わない言動を私がすると、すぐ手が出るようになった。暴力はそれだけ
にとどまらず、頭に「性」の字を付けた暴力もたまにしてきた。母は何にもしてくれな
い。身代わりに私を差し出して、自分だけ助かろうとしているように見えた。
 家庭のことが漏れ伝わるせいか、学校の友達は私と一緒にいるのが怖くなったみた
い。もしかしたら家族の人から言われたのかな。あんな家の子と遊んじゃだめって。ど
んどん減っていき、ゼロになった。
 私の話し相手は、下校のときに通り掛かる原っぱにいるラノだけになった。一匹の野
良猫だ。初めて見掛けたときは汚れて灰色だったけれども、雨に打たれて水で流された
あとは、見違えるようにきれいな白猫になった。でも凄く活動的なラノは、すぐにまた
汚れてしまう。喉のところに細い首輪の名残があったから、以前は飼われていたらしい
のに、人間を見ると立ち去るか、威嚇してくることがほとんどだった。元の飼い主に酷
い目に遭わされ、挙げ句に捨てられたのかもしれない。
 そんなラノが私にだけは懐いた。私から餌をあげた訳でもないのに、最初っからすり
寄ってきた。お互いにシンパシーを感じたから、なんて思わない。ただ、嬉しかった。
 下校途中のラノとの時間は、私にとってかけがえのないものになっていた。ラノと一
緒にいればいるほど、癒やされ、回復する気がした。回復することで、そのあと帰宅し
てからのあれやこれやにも耐えられたんだ。

 でも。
 ある晩、耐えられない出来事が起きた。正確にはまだ実際には起きていない。男と母
が会話しているのを、たまたま盗み聞きし、二人が何を考えているのかを知った。
 男は販売ルートを見付けてきたから、制作に取り掛かろうと言った。母は男の指示
で、撮影は安物でも大丈夫だが照明器具はちゃんとしたのを揃えることに同意してい
た。そのあと断片的に聞こえた単語から、二人が私を撮ろうとしていると分かった。具
体的には書くまい。おかしくなりそうだから。その撮影の結果、私が自殺を選んでも二
人はお金が手に入るように、生命保険を掛けたらしい。保険会社から怪しまれないよ
う、母と男もそれぞれ掛けて余計に金が掛かったと苦笑いしていた。
 私は当然、逃げようと思った。だけど、どこに? 当てがまったくない。先生に相談
してもまともに取り合ってもらえるだろうか。元の友達に言っても、助けてくれるか分
からない。親戚なんて一人も知らない。あとは……警察? 何かが起きてからじゃない
と動いてくれないって、母が言っていた気がする。起きてからなんて嫌。意味がない。
 相談相手のいない私は、ラノに話した。
 ラノは大きな石の上にくるっと丸まって座ると、黙って最後まで聞いてくれた。時
折、顔を上げて何かを考える風に、中空を見つめていた気がする。
 そして私は、胸の内の思いも吐き出し、やがて話し終わった。ラノは当然、何も返事
しない。それでもちょっとだけ、ほんのちょっとだけ気が晴れて、家への道を重い足取
りで向かおうとした。撮影があるのは今夜かもしれない、明日かもしれない。
 そのとき、背中の方から声が聞こえたように思った。
『二人を殺しましょう。手伝うから』
 振り返った先で、ラノは大きなあくびをしていた。

 ラノが話し掛けてきたのではないことくらい、分かっていた。それでも私は背中を押
された気分になって、計画をたちまちの内に作り上げた。
 私の家は古い社宅の平屋で、壁の足元には風を通すための小さな窓がいくつか着いて
いる。開けても間隔の狭い格子があるし、そもそもそのサイズから言って小さな子供だ
って通り抜けはできない。けれども、猫ならできる。
 そして通風窓の外には、ちょうどいい具合に植え込みがあって、往来からの目隠しに
なる。私のような子供が通風窓の前でごそごそと何かやっていても、誰も気付かない。
 私は母が男を殺し、そのあと自殺したように見せ掛けることにした。風邪薬等を集
め、男の口にするお酒や食べ物に溶かし込み、食べさせると意識を失ったんじゃないか
っていうくらいの勢いで、熟睡を始めた。薬とお酒の効き目で稀にこのまま死んでしま
うこともあるみたいだけども、そんな幸運には期待しない。私は母の目を盗み、包丁を
持ち出すと、眠っている男の頸動脈を切り裂いた。返り血対策として、大きな大きな透
明のビル袋で、私自身をすっぽり包んで。
 短いけど大きな悲鳴を聞いて飛んできた母のお腹に、同じ包丁を突き立てる。可能で
あれば首吊りに偽装したかったんだけど、意外とばれやすいそうだし、私の他一家腕は
無理と思った。だから包丁で死んでね。ドラマで覚えたためらい傷は、すぐあとで付け
るから、今は一撃で絶命させることに集中する。
 数分後、どうにかうまく行った、と思う。返り血を浴びたビニールから出ると、その
ビニールを別のゴミ袋に仕舞い込む。それから必要な物を持って、外に出て、鍵を掛け
る。家は密室状態になった。もちろん、壁の足元の通気窓は一つだけ、施錠せずにして
ある。私は原っぱから前もって連れて来ていたラノを、抱き上げた。外で大人しくして
いたラノは、嬉しそうに、“にゃあ”と鳴いた。そんな愛らしい猫のラノに私は、前に
何度か練習した通りのことをやってよとお願いし、通気窓の所へ連れて行った。
 ラノは家の鍵をくわえたまま、通気窓の隙間から室内に侵入。血だまりを踏むことな
く、タンスへと一直線に向かった。そして予め開け放しておいた中程の抽斗に、ジャン
プしてぽんと乗ると、鍵をぽとりと落とす。鍵を受け止めた抽斗を、ラノは両後ろ足で
蹴って、再びジャンプ。床に降り立った。一方、抽斗は蹴られた勢いでうまい具合に閉
まった。
 ラノは万事うまく行っていることを知ってか知らずか、とことこと澄ました足取りで
同じルートを引き返して来た。
 おいで。口の動きだけで声は出さずに呼ぶと、ラノは格子の間をするりと抜けた。よ
くやったと耳元で囁く。その瞬間、異臭が鼻を突いた。これはたばこ? ラノの脇を支
えたまま、距離を取ってよく見ると、足が若干濡れていた。それに白い毛に茶色い飛沫
が点々とある。私は気付いていなかったけれども、灰皿の中の水が床かテーブルにこぼ
れ、それをラノが踏んだみたい。思わず、顔をしかめた。
 途端にラノが“ふぎゃー!”って叫んで暴れ出したの。こんなの初めてだったから、
慌てちゃって。すぐ放せばよかったのに、落ち着かせようとしてしまった。おかげで腕
を何度か引っ掻かれ、傷ができた。
「ごめん、ラノ。よっぽど怖い顔してたのね、さっきの私。目標を達成して、興奮して
いたかもしれないし」
 痛みを我慢し、猫に目線を合わせるためにしゃがんで、手招きする。でもラノはくる
りと向きを変え、とっとと歩き去ってしまった。原っぱの方向だったから、敢えて追い
掛けはしなかった。いつでも会える。
 当面の問題は、腕の引っ掻き傷だ。猫にやられたと分かれば、密室にした方法に思い
当たる人が出て来るかもしれない。隠さなきゃ。幸い、もう肌寒い季節になる。長袖を
着ればいい。……でも、母達が死んだことで警察が来て、虐待の有無を調べるために、
身体検査されるかもしれない。まずいわ。この傷の上から火傷をすれば隠せるだろう
か。家は密室にしてしまったから入れない。どこか他の場所……学校の理科室とか?
 そこまで考えた私は、息苦しさを覚えた。呼吸が乱れている。脈も速く、額やこめか
みには脂汗が浮き、じきにたらりたらりと垂れてきた。立ち上がると、めまいまで襲っ
てきた。
 おかしい。恐ろしい計画を立てているときだって、こんな変なことにはならなかった
のに、何で今?
 遠くなる意識の中で、私はサスペンスドラマで見たあることを思い出していた。
 たばこの成分、ニコチンが体内に入ったら、死ぬ恐れがあるって――。

 終




#544/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  23/11/01  16:44  ( 97)
二刀流の三本目   永山
★内容
「僕、時々思っていることがあって」
「何だ、こんなときに」
「二つのことに挑んでいる人を、報道などでは二刀流と言い表す場合が多いですよね。
あれってちょっと変な印象受けてしまうんです」
「どこに。二つのことに挑戦しているのなら二刀流でいいだろう、単純明快だ」
「二つのことで優れた実績を出した人なら、二刀流と呼んでもかまわないと思います。
けれども、二つのことに挑んでどちらもたいした結果を残せていないのであれば、それ
は器用貧乏、虻蜂取らず、二兎追うものは一兎をも得ずというやつではありませんか」
「そりゃまあ言われてみれば、確かにそうだが。しかし世間には二つ挑んで、どちらか
一つで実績を残している人だっている。ああいうのはどうなる?」
「そのような方達は単に、成果を上げられていない方の事柄に関して、向いていなかっ
ただけの話です」
「身も蓋もない言い方だな」
「別に気にしなければいいんでしょうけれども、どうしても気になるというか。何でも
かんでも二刀流と表現する風潮に飽きたといったところでしょうか。そもそも、何で刀
なんでしょうね。二丁拳銃じゃいけないのかな」
「そこはほれ、日本は刀だろ」
「英語圏では二丁拳銃と言い表すかというと、そうではないみたいですよ。武器やス
ポーツ選手の場合によって色々ありますから、興味があったらあとで調べてみてもいい
かもしれません」
「覚えていたならな。って、結局何の話をしてるんだ? 捜査の邪魔をするなら、引っ
込んでいてもらおう」
「あ、すみません。言いたかったのは、ダイイングメッセージに“ニトウリュウ”とあ
ったからといって、被害者が伝えたかったことが『二刀流』であるとは限らないのでは
ないかって話です」
「それくらいなら、我々警察だって考慮している。検討を重ねた上で、他に解釈のしよ
うがないから、関係者の中で二刀流と関連付けられそうな三名をピックアップしたん
だ。総合格闘技とキックボクシングでチャンピオンになった日代鳥英美里《ひよどりえ
みり》、仕事は平凡なサラリーマンで二刀流とは縁もゆかりもないが、いかにもな名前
の大谷武蔵《おおたにたけぞう》、名前の読み方が同じ仁藤龍《にとうりゅう》。この
三人の中に犯人はいるはずだ。三日前の夜、片桐《かたぎり》氏を後ろから刺した奴が
な」
「えっと、僕が思っている人が抜けているのですが」
「何だと。誰だ?」
「瓜生《うりゅう》さんです」
「瓜生? あんなひょろひょろには、柔道重量級だった片桐氏をやるのは困難だろ。他
の容疑者達はそれぞれ、女性ながら格闘家、二メートル超の巨漢、アクション俳優と対
抗できる要素が備わっている」
「背後から刺されているのだから、不意を突けば何とかなりそうな気もしますが」
「そこは何とも言えん。片桐氏は犯人の顔を見たからこそ、メッセージを遺したんだ。
少なくとも相対する瞬間はあったはず。刺されたあとだとしても、ひょろひょろの犯人
なら片桐氏は死に物狂いで確保するなり、爪痕を残すなりしたに違いなかろう」
「可能性は認めますけど、その決めつけはどうかと……」
「君こそ、どうして瓜生の名を挙げる? 何か知っているのか」
「いえ。ただ、ダイイングメッセージの中にウリュウって含まれているじゃないです
か」
「ああ? まさか、片桐氏は最初、“ウリュウ”と書き遺していたのだが、気付いた犯
人が頭にニトを付け加えたと言いたいのか? 残念だが、それはない」
「断言するんですね」
「もちろんだ。捜査上の方針で皆さんには伝えていなかったが、絞り込めてきたことだ
し、絶対確実なアリバイのある君には教えてやろう。遺体発見現場にはちょうど防犯カ
メラのレンズが向けられていたんだ。当夜、現場一帯は真っ暗闇だったが、赤外線カメ
ラの優秀なやつで、被害者がメッセージを書くところが、ばっちり収められていた。そ
の後、書き加えられたり、一部が消されたりといった細工が施されたなんてことはあり
得ない」
「えっと、現場がカメラに映っていたのなら、犯人も移っているのでは?」
「残念ながら、片桐氏は刺されたあと逃げてきて、遺体発見現場で倒れたんだ。犯人の
姿はまったく映っていない。まあ、だからこそ犯人は自らを示唆するメッセージを遺さ
れたなんて知らずに、そのまま放置したんだろうがな。ともかく、瓜生を容疑者に入れ
るのはナンセンスだってことは分かったろう」
「うーん、それでも僕は入れるべきだと思います」
「やれやれ。見た目と違って頑固だな」
「理屈もあります。映像があるのなら、被害者の手や指の動きを拡大して、血文字の形
とともに詳細に解析することをお願いしたいのですが」
「やっているよ。時間が掛かるんだ」
「じゃあその結果待ちになりますね。僕が考えたのは、二人による犯行なんです。瓜生
さんともう一人。あるいはもしかしたら瓜生さんにはそっくりな双子がいて、ずっと隠
れているのかもしれない」
「はあ? どこからそんな突拍子もない考えが」
「紙と鉛筆を借りますよ。――被害者は、こう、“二人ウリュウ”と書いたんじゃない
かと思うんです」
「……“二人”が“ニト”に読めたってか。まあ、“ト”の字がちょいと前に傾けば“
人”に似てはいるが」
「でしょう? 二人による犯行だとすれば、瓜生さんのような細身の方でも可能性が出
て来る、と思いませんか」
「……」
「それに、刑事さんが最初に挙げた三人も、瓜生さんとそんなに差はないと思います。
巨漢の片桐さんを殺すつもりで襲うのなら、背後から不意を突くのが成功確率が高い。
暗闇で相手の顔ははっきりしなくても、シルエットでだいたい分かるし、的は大きいか
らまず外しはしない。ところで片桐さんの立場から見てみると、どうでしょう? 暗い
夜、背後からいきなり刺されて、その場から逃げた。後ろを振り返る余裕があったかど
うか。あったとしても犯人の顔を確認できたかどうか」
「待て。君の言う仮定を認めると、片桐氏は犯人を知らないまま亡くなったことになっ
てしまう。つまり、メッセージを書きようがない。事実とそぐわないじゃないか」
「そうなんです。でも、瓜生さんを含む二人による犯行だとすると、どうでしょう? 
瓜生さんが片桐さんの前に立ち、話し掛けて注意を引く。その隙を狙って、共犯者が片
桐さんの背後に忍び寄り、刺す。この状況であれば、片桐さんが逃げて地面に倒れ伏し
たあと、犯人の人数と片割れの名を示すために、“二人ウリュウ”と遺したとしても不
思議じゃありません」
「……分かった。君の意見も一つの説として取り入れるとしよう」

 その後、防犯カメラの映像を解析したところ、瓜生が犯行に関わっていた可能性が強
まった。ただし、それは血文字を書く指の動きから判断されたものではない。
 被害者の口が、「ウリュウ」と書くのに合わせて同じく「ウリュウ」と動いているら
しいことが認められたためである。

 終




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