AWC ●短編



#441/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/02/14  21:31  (217)
バレンタインは中止です   永山
★内容
 冷静になって振り返ると、それは警察なりの配慮だったのだろうと思う。
 しかし、刑事達がバレンタインデーの夜遅くにやって来たあの時点では、ただただ動
揺し、慌てふためいていた。
 男女二人組の刑事は、サイレンを鳴らすことなく、それどころかパトカーではないご
く一般的な普通乗用車でやって来た。そしてこう告げたのだ。
「丹波恵麻(たんばえま)さんね。あなたの渡したチョコレートを食べた人物が、救急
車で搬送された。毒の混入が疑われるので、ちょっと話を聞かせてもらいたいのだけれ
ど、いいかな」

            *             *

 二月七日。校舎の窓から見える外の景色は、徐々にオレンジ色に染まりつつあった。
 バレンタインデーを一週間後に控え、細木洋海(ほそきひろみ)は気分が高揚するの
を自覚した。
 やっと見付けた理想の男子。今度こそ本気になれる。これまでずっと無駄にしてきた
チョコレートだったが、今年は意味を持たせることができるはず。
 この三学期の頭に転校してくるという、ちょっと珍しい出会いを果たした。そんな彼
の名は横島広見(よこしまひろみ)という。そう、下の名前が同じ音なのだ。これだけ
で運命を感じてしまう。
 もちろん、名が同じというだけで、好きになったんじゃあない。そもそも、第一印象
は特になく、ああ、転校生が来たんだぐらいにしか感じていなかった。それが、一ヶ月
近くにわたってクラスの一員として接する内に、どことなく惹かれていった。言葉で説
明するのは難しい。相手からアプローチがあった訳ではなく、趣味がばっちり重なった
訳でもなければ、特別に優しくされたり親切を受けたりもない。せいぜい、中上(なか
がみ)先生から言い付けられた用事を、二人でこなしたことが数度あったくらい。そん
な日常的な接触を重ねる内に、肌が合う感覚を得たのは確かだった。自分に極めて近
い、あるいはもしかすると同じ空気を感じた、とでも言えば伝わるだろうか。
 さっき、職員室を辞したとき、彼から声を掛けられた細木は、高揚と動揺を押し隠す
のに努力を要した。
「今日、一緒に帰れる?」
 横島の方からそんなことを言ってくるのは、珍しい。一緒に帰るといっても、最寄り
駅までだから、大した距離ではない。が、それでも充分に楽しい時間を過ごせるはず。
ただし、一緒に帰れたら、だけれども。
「ごめーん。まだ用事あるんだ。もう少し、あと三十分ぐらいかな」
「分かった。じゃあ、三十五分後まで、校門のところで待つ。それ以上は待たないから
な」
「それはいいけれど、何か用?」
「親が誕生日を迎えるんで、そのプレゼント選びでアドバイスが欲しい。何せ、去年は
えらく不評だったからな」
「えー、よっぽどだったんだ。去年、何上げたの?」
「あまり語りたくない。そんなことより、早く用事を済ませてくれと言わせてもらう」
 残りの用事を片付けるべく、細木は踵を返した。廊下に上履きが擦れ、キュキュッと
音がした。
 本当のところをいうと、今日の放課後は手作りチョコレートの材料を物色するつもり
でいた細木だったが、当然、延期を選んだ。

            *             *

 休み明けの二月十二日。私は一人で買い物に出掛けた。無論、手作りチョコレートの
材料を買いそろえるために。
 湯煎に適したチョコレートは言うまでもない。ドライフルーツや砂糖漬けのフルー
ツ、ナッツ類に生クリーム。表面に愛らしい柄をプリントできる転写シートも数種類。
部分的に、スポンジケーキも使おう。
 そんな算段を立て、メモを手に、スーパーマーケット内を回る。隣町の駅から少し離
れた立地の、大型店舗だ。近所の店では、同じ学校の生徒が大勢利用するのは目に見え
ており、知り合いと出くわす可能性は大いにある。他の女子はどうだか知らないけれ
ど、自分はこういったイベントに参加するのはいいが、なるべく知り合いには見られた
くない性質なのだ。
 それにしても、無事にバレンタインデーを迎えられそうで、よかったと思う。
 というのも、今年の一月半ば頃から、県下のあちらこちらで、陳列されている菓子類
への異物混入事件がぽつぽつと起きていたのだ。狙われる店舗形態は、防犯カメラなど
ないような駄菓子屋や小さな商店が多かったが、徐々に中堅から大手のスーパーマーケ
ットも標的にされるようになった。
 混入される異物は、玩具の小さな玉を皮切りに、消しゴムの滓、水、醤油、石けん水
もしくは洗剤といったところ。この内、消しゴムの滓の件は小学生が現行犯で見付か
り、片が付いている。残りは未解決だが、不幸中の幸いと言っていいのか、人命に関わ
るような大事には至っていない。
 犯人像は(少なくとも警察発表では)全く特定されていないが、菓子の中でもチョコ
レートが特に狙われており、バレンタインデーの中止を目論んだ何者かの犯行ではない
かという説が、まことしやかに流れている。その内、毒を入れられるのではという見方
も出ているぐらいだが、バレンタインデー本番を翌々日に控えた今日現在、そんな凶悪
事件の発生は報じられていない。
 私の生活圏内で何事もなければいいわ、と他人事のように考えてやり過ごせれば楽
だ。実際、異物混入事件は市内では起きておらず、それ故に学校がバレンタインのやり
取りを禁じるなんて“強権発動”に出ることもない。二月十四日が過ぎれば、きっと収
束するに違いないと信じている。
「うん?」
 品物選びに専念しようとした矢先、私の歩みは止まった。知っている顔が、今、一つ
向こうの通路を足早に横切ったような。
 念のため、確認しておこう。商品棚の谷間を急いで抜け、くだんの通路に出てみた。
 あれかな?
 後ろ姿だったが、ちょうど曲がるところだったので、横顔が見えた。
 やっぱり、見間違いじゃなかった。クラスメートではないが、学校でよく会う顔見知
りだ。
(ひろちゃん、こんな隣町の店にまで、何を買いに来たんだろう)
 好奇心から、彼のいる区画をそっと覗く。臨時に積まれた商品が障壁になって、安心
して観察できる。
 なかなかの二枚目で、入学当初はちょっぴり憧れたこともある。手品を趣味としてい
て、最初は興味を惹かれたけれど、一度こちらが関心を示すとやたらと見せたがり、
段々鬱陶しくなって、もう今では好きでも何でもない。
 ところで、ひろちゃんとは、名前から勝手に付けた愛称だ。ちょっと引っ掛かるの
は、女子でもないひろちゃんが、今の時期、チョコレートの並べてある棚に何の用事だ
ろうってこと。誰からももらえなかった場合に備えて、二つ三つ、買うつもりかしら。
結構、イケメンなのだから、全然もらえなんてことはなさそうなのに。
 黙って見ていると、当人はこっちに気付く様子もなく、一心不乱にチョコレートを探
している風だった。視線を忙しなく、棚の上下左右に飛ばしているのがよく分かった。
 やがて目的の品を見付けたらしく、胸の高さ辺りの棚に手を伸ばす。
 随分と奥にまで手を突っ込んでるなあ、って感じた。
 程なくして、引っ込められるその右手。何も握られていない。ふと気が付くと、彼の
横顔には薄い笑みが張り付いた。唇の端をひん曲げ、にたっと。
 ――ど、どうしたのだろう。鳥肌が立つような感覚を覚え、私は思わず自分を抱きし
めていた。何故だか知らないけれど、一瞬、ぞくっとした。
 次の瞬間、彼がこちらに引き返してくるような予感が立った。兆しを目に留めた訳で
はない。けれど、目的を果たしたであろうひろちゃんは、こっちに戻ってくる可能性が
高い。そして、私は彼の行動を目撃していたが、そのことを知られてはならない気が強
くした。
 静かに、しかしできる限り急いで、向きを換えると、その場をそっと離れ、別の商品
棚の谷間に身を隠した。
 見なかったことにしよう。そうするのがいいに決まってる、うん。

 あれから気を取り直して、チョコレートを作ったのが昨日、二月十三日のこと。
 私は、一大決心をして、この特別な手作りチョコを、“彼”にプレゼントすると決め
た。

            *             *

 細木洋海は横島広見に宛てて、チョコレートを贈った。大っぴらに渡すことは気恥ず
かしく、はばかられたため、横島の靴箱に忍ばせる形で。
 細木にとって嬉しいことに、横島の靴入れの中に、他にプレゼントらしき小箱は一つ
もなかった。もしあったら、排除していたかもしれない。

            *             *

 職員室を訪れた私は、“彼”の机を目指した。が、そこは空席だった。
「あれ、ひろちゃん、いないんだ? どこ行ったのかなあ。――中上先生、ご存知ない
ですか?」
「さっき、いそいそと出て行ったのは見かけたが、どこへ行ったのかは知らん。それよ
りも丹波。先生をあだ名で呼ぶのはやめなさい。最低限、生徒の間だけにして、先生の
いるところではするな。示しが付かんじゃないか」
 中上先生は教え方がうまい方で、割と生徒受けがいい。ただ、説教じみた余計な話が
多いのが玉に瑕というのが、私達の間での評価。授業中の余談は面白いのに。
「はーい。それでですね、先生。どうせ義理チョコだし、探して渡すのも面倒だから、
これ、机に置いていっていいと思う?」
「勝手にしなさい。ああっと、名前は書いてあるんだろうな。誰からのプレゼントか分
からないようだと、あとで伝えるのが手間なんだよ」
 出て行こうとしていたけれど、私は中上先生に振り返り、首を縦に振った。ついで、
思いっきり作り笑顔で答えた。
「ちゃんと書いてありますよ−。『丹波恵麻から細木洋海先生へ』って」

            *             *

 ダブルで禁断の恋、と言えるかもしれない。
 細木洋海は生徒昇降口から職員室に戻る道すがら、そんなことを考えていた。
 教師が生徒に恋心を抱くだけでも問題視される。同性同士の恋愛も、まだまだ世間一
般に広く許容されているとは言い難い。
 ではこの二つが重なれば、恐らく、絶対に許されることはあるまい。少なくとも現在
の日本においては。
 そういう常識は頭にある細木だが、にもかかわらず、一歩踏み出してしまったのは、
横島広見の存在故であった。外見や性格等が、細木の好みにほとんど重なっていたのは
言うまでもないが、加えて横島自身“同好の士”らしい気配が感じられたのが大きい。
 バレンタインに背を押してもらう形で、細木はチョコレートを贈る勇気を出せた。あ
とは返事を待つだけ。細木のアプローチに、横島がどう応えるかに、今後の運命が掛か
っている。
(……もしも断られたら。いや、それどころか、絶交されたとしたら)
 そんな最悪の結果を想像するだけで、細木は狂おしい声を上げてしまいそうになる。
(断られたら、また前の私に戻ってしまうかもしれない。私は弱い。早々に最悪の結果
を想像して、またやってしまった)
 今さらながら後悔を覚えていた。
 細木には、前から時折やっていた悪事があった。バレンタインデーの時季が近付いて
くると、徐々にエスカレートしてしまうその癖とは、そう、チョコレートを始めとする
菓子類に異物を混入する行為だった。
 幸せそうなカップルを見ると、つい衝動的に行動してしまう。仮に神経の高ぶりが収
まり、一時的に落ち着いても、寄せては返す波のように衝動は訪れるのだ。横島の存在
は、ほんの短い間、細木にとっての安定剤となったのだが、じきに効果はなくなった。
逆に、横島と関係を持ちたいとの想いが日々積み重なり、より不安定な状態に陥った感
覚すらある。
 それがピークに達したのが、二日前。むしゃくしゃがどうにも鎮まらなかった細木
は、とうとう一線を越える。入手に成功した毒物を、前もって買ったチョコレート製品
に注射針で混入し、買った店とは別の店に戻しておいたのだ。戻すときに怪しまれない
か心配がないではなかったが、そこはいつものように、手品の腕が役立った。
 現時点で、あのチョコレートはまだ売れていないのか、事件の報道はない。
 もしも横島が受け入れてくれたなら、あのチョコレートは回収してもいいな。細木は
そんなことを思っていた。そのせいか、足取りが普段よりも遅かったが、ようやく職員
室が見えてきた。
 職員室に入るや、先輩教師の中上から、生徒が何か包みを置いていったことを伝えら
れた細木は、すぐに横島からのプレゼントを想像した。だが、包装紙に書かれた名前を
一瞥し、都合のよい想像はあっさり打ち砕かれた。
 だからといって、生徒からの贈り物を捨てる訳には行かない。中上先生が一部始終を
見ていたということもあり、ここはちゃんと持って帰らねばなるまい。仮に食べ物だと
したら、口にして感想を伝えるべきだろう。

            *             *

(これはテストよ)
 万が一にも、細木先生が異物混入魔だとしたら、制裁を受けるべき。それも、単なる
刑事罰や社会的制裁だけでなく、同じ目に遭うべきだと思う。目には目を、歯には歯
を。それが当然なんだから。
 私、丹波恵麻は、小さな頃からそう教えられてきた。
 細川先生の不審な行動を偶然目撃したあの日、私は店を一旦出たあとまた引き返し、
先生が置いたであろうチョコレート商品を複数個、購入した。
 それらを材料に、手を加え、ハンドメイド風のチョコレートに仕立て直した。
 できあがった物を、義理チョコを装って、細川先生に渡す。少し前まで、手品を見せ
ていた女子生徒からのプレゼントを、先生はきっと受け取る。食べるかどうかは分から
ない。ひょっとしたら、気味悪がって食べずに自宅で処分するかもしれないし、私に感
想を問われたときに備え、一個ぐらい食べるかもしれない。それは天に任せる。
 先生が何を混ぜたのかも知らない。一目見ただけで正体の分かる物じゃないことは確
かだ。何らかの液体と考えられる。恐らく、単なる水や醤油、石けん水よりは危険な代
物に違いない。ただ、それを食べるとどうなるのかは全く不明。細川先生次第だ。

 そうして――。
 刑事を前に、今の私はせいぜい、演技に徹するとしよう。
 異物の混入したチョコレートを運悪く購入し、図らずも毒入りのバレンタインチョコ
を作り、先生に贈ってしまった女子生徒。その立場を演じきる。
 だいたい、細川先生がチョコに何を入れたのか知らなかったのだ。私が罪に問われる
はずがない。むしろ、悪質な犯罪者を成敗したことを、称賛されてもいいくらい。
 細川先生の正体は、近い将来、白日の下にさらされるに決まっている。警察が先生の
家を捜索し、異物混入犯である証拠を掴むだろう。日本の警察は基本的に優秀だと信じ
ている。心配していない。
 と、部屋のドアが開き、また閉じられる音がした。男性刑事が戻ってきたのだ。
 廊下に出て、同僚刑事からの某かの報告に耳を貸していた彼は、その内容を私に聞か
せるようなことはせず、私に事情聴取していた女性刑事に耳打ちした。
 女性刑事は一つ頷くと、顔の向きを男性刑事から私へと変えた。何気ない調子で告げ
てくる。
「ショックを受けないで聞いてね、丹波さん。細川洋海先生がお亡くなりになったそう
よ。即効性のある毒でね」

――終わり




#442/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/05/26  19:22  (393)
世界で二番目に大事   永山
★内容
 滝田豪蔵(たきたごうぞう)はソファに腰掛けたまま、眩しさに目を覚ました。瞼を
開こうにも、白い光が己の顔を強烈に照らしており、なかなかしんどい。手を顔の前に
持って来て、影を作ろうとした。
 だが、手が動かない。左右とも、肘掛けにしっかり固定されているようだ。そう感じ
たのと同時に、照明が消された。じきに目が慣れ、十畳ほどの広さの部屋にいると把握
できた。窓はないが、天井の蛍光灯が点っているため、見る分には支障がない。しか
し、動き回ることは不可能だった。腕だけでなく、腰部や両足も拘束具で自由を奪われ
ており、ソファとがっちりつなぎ止められている。当然、ソファは重く、動かせない。
 室内に大した物はない。最前まで顔を照らしていた大型のランプと、二メートルほど
前に五十インチはありそうな大きなモニターが一台あるだけ。
 後方を見てみようと首を巡らせてみたが、寄る年波のせいで、あまり可動域は広くな
い。骨の鳴る音を何度か聞いて、滝田はあきらめた。どうせ、自分以外に誰もいないら
しいのは気配で感じ取れた。
「どうなってんだ、おい」
 声を出してみる。喉が張り付いた感があって、乾きも若干覚える。
 声に対して反応は――あった。
 モニターの画面が白みを帯び、程なくして画像が映った。旧いタイプのコンピュータ
ゲームのグラフィックといった趣で、トランプのカードとじゃんけんをする手が映し出
されている。静止画だ。
『起き抜けのところを悪いが、滝田豪蔵さん。あなたにはこれからゲームに参加しても
らいます』
 突然、機械的な音声が告げた。
「誰だおまえ? 俺をどうしたい?」
 滝田は声を絞り出した。自身の着ている服から、週末の夜、バーに入ったときのまま
の格好だとは気付いていた。そのバーを出た記憶がないということは、そこで何かを盛
られ、意識をなくしたところで連れ去られたと考えるのが妥当だろう。
『ゲームには強制参加だから、その辺の事情を説明しても、時間の無駄なんですがね。
まあいい。対戦相手との公平を期すため、あなたにも頭をすっきりさせる時間をあげる
としましょう。私が誰かなんて答えられる訳ないが、呼び名がないと不便かもしれな
い。マスターとでも呼べばよろしい。滝田豪蔵さん、あなたをどうしたいかだが……一
言では言い表しにくい。罰したい、苦しむ顔が見たい、あるいは単に賭の対象とした
い。この辺りの感情が一緒くたになっているというのが一番近い』
「罰したいとは、どういうことだ? 俺が何か悪いことをしたか?」
「これはこれは、おとぼけを。悪さを働いたことがないとは、言わせませんよ。今でこ
そ、一端の有名企業社長だが、こうなるまでに色々とやってますよね、あなた。嘘、裏
切りは当たり前。私の調べでは、人一人死んでいる。奥様の貴美子(きみこ)さんと組
んで、玉城栄(たまきさかえ)さんを葬ったでしょう? 当時、彼女から大金を出して
もらう代わりに、肉体関係を持ったはいいが、予想以上に玉城さんが長生きをするもの
だから辛抱できなくなったのでしょうか』
「な、何でそんなことを知ってる?」
「蛇の道は蛇、ではありませんが、人間てのは窮地に追い込まれると、助かりたいがた
めに秘密の情報をはき出すことがある。今言った話だって、あなた一人で抱えていた秘
密ではないでしょう」
「もしや、貴美子が。いや、そんなはずはない」
 かぶりを振った滝田。妻は現在、海外を豪華客船で長期クルーズ中だ。そんな妻を、
この“マスター”らが拉致して秘密を白状させたとしたら、大騒動になっているはず。
 となると、他に秘密を知る奴は――。
「米川(よねかわ)か? あいつが喋ったんだな?」
 秘密を知るもう一人の男の名を口にした。だが、マスターは答をはぐらかせた。
『どうでもいいでしょう、そんなこと。秘密は一度漏れれば、用をなさなくなる。あな
たがこうして、ゲームの場に引きずり出された時点で、この話は終わり』
「……一体、何が目的だ? 俺を脅迫したいのなら、こんな拉致監禁なんぞの手間を掛
けなくても、さっきのネタで充分だろうが。なのに、ゲームだあ?」
『お好きなはずですが。ギャンブラー気取りで、裏カジノに出入りしていることくら
い、把握していますので』
「それは……そうだが」
『私は、あなたの戦いぶりを目の当たりにしたいんです。金のやり取りだけで終わらな
い、本気を出さざるを得ないゲームで』
 言い終わったマスターが、ふふふと冷たい微笑を添えた。滝田は背筋に寒気が走っ
た。
「ま、まさか命を賭けろって言うのか? 冗談じゃない! 金なら払う。俺のところで
払えるだけ払う!」
『落ち着いて、冷静に。命を賭けろとは言っていない。ま、賭けたければ、ご自由に。
その辺りを含め、そろそろゲームの説明に入るとしましょう』
 一方的に告げるマスターの声が途切れ、モニターには細かな字で説明文らしきものが
表示された。
『まず、最も気にされている賭ける物だが、あなたにとって一番大事なもの、というの
が条件です。無論、嘘はいけない。たとえば、尻ポケットに入っている汚れたハンカチ
が一番大事なんだとか、初めて自分の金で買った高級腕時計が大事だとか、三代にわた
って暮らしている家は絶対に手放せないとか、そういう戯言は認めません。ご自身の命
と比べても遜色ないようなレベルでないと、私は認めませんから』
「そ、それはつまり、全財産を賭けろということか」
『大金や不動産だけが、命と釣り合うとは言ってませんよ。人の命に釣り合うのは、人
の命だけという見方もできますし。まあ、何を賭けるかは、あとで聞きますから、じっ
くり考えておいてください。続いて、ゲームにおける報酬について――』
「ほ、報酬があるのか?」
「当然です。まず、参加するだけで百万円をお支払いします。ゲームに勝利すれば、五
千万円プラスα。このプラスαは、何を賭けたかによって変わってきます』
「ふん、今まで理不尽なことばかり聞かされていたせいか、ありがたく聞こえるが、ど
うやって信じろと?」
『さあ? それはあなた次第でしょう』
 小馬鹿にしたような返しに、滝田は大きな音を立てて舌打ちした。
『たとえばここに百万だの五千万だのの札束を持って来れば、滝田豪蔵さん、あなたは
信用するんですかね? お札が本物でも、あなたに渡すとは限らない。それは証明のし
ようがない。証明するには、勝利すること。ただそれだけです』
「……説明を続けろ」
『では……お待ちかね、ゲームの内容だが、これは私の考えたオリジナルゲームで遊ん
でもらいましょう。今回は、名付けて“ばば抜きじゃんけん”』
 その聞き慣れないフレーズなら、既に画面に見付けていた。ルールも読もうとしてい
たところだ。
『このゲームは、プレイヤー二人で争ってもらいます。まず、グーチョキパーそれぞれ
のイラストが描かれたカード十四枚をシャッフルし、両名に配る。手札を早くなくした
者が勝ち。手札七枚ずつが配られたところで、先手Aと後手Bを決める。AはBの手札
から一枚を選んで引き、引いた札を見なくてよければそのまま“ボックス”に捨てる。
見たい場合は、手札に入れ、同じ絵柄の札とペアにできれば、二枚をボックスに捨て
る。ペアができなければ手札が一枚増えることになる。次に、BがAの手札から一枚選
び取り、同じことを繰り返す。そしてAB双方が手札から一枚ずつ出して、じゃんけん
勝負。負ければ自分の出した札は無論のこと、相手の出した札も受け取らねばならな
い。ここまでを一つのターンとし、どちらかが手札をなくすまで行う。なお今回は、先
に二勝を挙げた方を勝者とします。そうそう、先手と後手は、ひと勝負事に決めます。
質問は?』
「そ、そうだな。じゃんけんがあいこだったときはどうなるんだ」
『勝敗が付くまで行います。その場合、あいこの札はボックスに入れられます』
「そうか。ということは、あいこが続くなら、それだけ札を減らせるんだな」
『他に質問はありませんか』
「急かすなよ。まだよく分かってないんだ」
『すぐには飲み込めなくても大丈夫。ルール書きを見ながらゲームをしてもかまいませ
ん。何なら一度、試しに私がお相手することもできますが、いかが?』
「その試しは、本番のゲームの勝敗には関係ないんだろうな」
『もちろん』
 滝田は即座に、試しの勝負をしたいと希望した。ゲームに慣れておく意味もあるが、
それ以上に、マスターが姿を見せると踏んだという理由が大きい。
 ところが、マスターは姿を見せなかった。
 モニター画面が切り替わっただけだった。しかも、マスターらしき人物が映像で現れ
る訳ではなく、イラストによるキャラクターが登場する訳でもない。単に、対戦相手ら
しき人物の両手と、カードを置く台が絵で示されたのみ。この絵は、上下向き合う形で
二組あり、下側が滝田を表すようだ。
 呆気に取られている内に、画面上では札が配られた。
『本番でも同じように行います』
 そんな注釈を聞きながら、滝田は自分の手札が開かれるのを見た。グーが二枚、チョ
キが二枚、パーが三枚となかなかバランスがよい。
「全くテレビゲームみたいだが、どうやって操作するんだ?」
『声に出してもらったら、その通りに動きます』
「待て。何か細工があるんじゃないだろうな」
『それもまた信用していただく他ありません。対戦相手と顔を合わせずに済む配慮なの
ですよ。たとえば、か弱い女子学生が、強面のヤクザ者を目の前にして実力を発揮でき
なかったら気の毒でしょう。可能な限り、フェアな場を提供するのが目的なのです』
「……やむを得ん。先攻後攻はどう決める?」
『対戦する二人の合意の上、好きなように決められます』
「先攻が有利じゃないのか?」
『ああ、これは失礼をしました。補足します。先に札をなくした者が一勝を挙げると言
いましたが、厳密には引き分けもあり得ます。一つのターンを単位として勝敗を判断し
ますので、先手側が先に手札をなくしても、それに対応する後手の動作により、後手が
手札をなくすことができた場合は引き分け。たとえば……両者とも残り一枚になった状
態で、後手が手札を引くと、先手の札はなくなりますが、引いた札が後手の手持ちの札
とペアになれば、後手もまた札をゼロ枚にできます』
「なるほどな」
 一応頷いたものの、内心、滝田は首を捻った。それでもやはり有利なのは先手ではな
いのかと思う。
「今は試しなんだから、俺が先手でいいだろ?」
『かまいませんよ。では、そろそろ始めてみますか』
 滝田は応じ、マスターの手札から一枚、真ん中の札を取るように言った。すると画面
の絵が反応し、マスター側の手札の真ん中の一枚が、その縦の長さ半分ほど前に出た
(画面では、下向きに進み出た格好だ)。
 見るか見ないかを問われ、見ることにした。グーが現れる。
(ああ、そうか。なるほどな。見る方が絶対に得だと思っていたが、このグーと手持ち
のグーとでペアができたから、捨てなければならない。結果、手元にはグーが一枚だけ
になって、ジャンケン勝負という意味ではややバランスが悪くなる。尤も、相手もグー
を一枚減らしたことが分かっているが)
 二枚を捨てる。ボックスのイラストに二枚のグーが吸い込まれた。
『一連の動きの内、あなたの手札以外は、対戦相手の私に見えています。引いた札を見
てペアができた場合も、対戦相手には当然その札が何か分かっているのですから』
「そりゃそうだ。で、次はマスター、あんたの番だ」
 マスターは右端のグーを選び取った。思わず、「あっ」と声が出た。グーが手札から
なくなってしまった。
 そんな滝田の反応はマスターに見えているのかどうか、抜いた札を見ることなく、そ
のままボックスに入れた。
『それでは、じゃんけんと行きましょう。タイミングをぴったり合わせなくても、両者
が札を選び終わると、表示されます。制限時間は特に定めてないんですが、三十秒まで
にしましょう』
 滝田は相手の言葉を聞きながら、懸命に検討していた。滝田が声を上げたのを知っ
て、グーがないことをマスターは察しただろうか。だとしたら、マスターは負けないた
めに、チョキを出すはず。そうなると、俺もチョキを出して引き分けに持ち込むしかな
い――。
 そう判断して、チョキを選ぼうとしたときには、相手はもう出す札を決めていた。ま
だ時間はあるが、滝田も急いで決定した。
『では、オープン』
 マスターの声とともに、伏せられていた相手の札が開かれた。それはグーだった。
「何っ!?」
 呆気に取られる間もなく、グーの札が増えた。手元にはまだ六枚の札がある。一方、
マスターの手札は五枚。引いた札を見た方が一枚多く捨てられるからよいと思っていた
が、実際は負けている。
 滝田は、次は見ないで捨てようと決めた。運の要素が大きいとは言え、試行錯誤は必
要だ。
「俺から見て右端を引く。それを見ずに捨てる」
 発声した通り、画面上の絵が動きを見せた。
 マスターは左から三枚目を引いた。チョキである。ここで滝田はダメ元で頼んでみ
た。
「お試しということで、我が儘を聞いてもらえんか? その札を手札に入れて見てもら
いたい」
『……特別ですよ』
 引いた札を手元に入れたマスター。そこから二枚を捨てる……と思いきや、そのま
ま。
「ん? 質問だが、ペアができた場合、捨てなければならないんだよな?」
『その通り。嘘をついても、チェックされます』
「ということは……分かった」
 つまり今、マスターの手にチョキの札は一枚。大半はグーとパー。
(俺はパーを出せば、負ける確率は低い。だが、さっき俺は逆の立場で、まんまとやら
れた。勝ちたいのなら、何を出すべきか。相手はチョキは一枚しかないのだから、使い
たくないだろう。……いや待てよ。その思い込みを利用されたとしたら、どうなる?)
 糸口を見付けたと喜んだのも束の間、迷宮に入り込む。これでは普通のじゃんけんと
変わりがない。
『滝田豪蔵さん、時間切れになりますよ』
 画面を見ると、マスターは既に札を出している。こちらが決めかねている内に出せる
なんて、勝率を高める確固たる方針でもあるのか。
 時間切れで負けにされるのも癪だ。滝田はパーを選択した。理由は単純。手札の中で
一番多いからだ。グーとチョキは一枚ずつしかなく、ここで使うとなくなってしまう。
 両者の提出札が開かれる。ともにパーで、あいこだ。二枚のパーがボックスに回収さ
れた。手札が減るのはありがたいが、相手との差は縮まらない。
 とにもかくにも、引き続き、次に出す手を決めねばならない。
(今、マスターの手札はチョキ一枚は確定で、あとはパー三枚かグー三枚、あるいは
パー1グー2、パー2グー1のいずれか。心情的に、一枚しかないパーをさっき使い切
ったとは考えにくい。――俺のチョキを使うとしたら、今しかないんじゃないか? 負
ける可能性もあるが、相手がパーを使い切らない内にチョキを出さなきゃ、無意味だ。
いや、しかし、それにはなるべくグーを消費させてからの方が)
『また、時間切れになりますよ』
 マスターの声に急かされ、滝田は結局、最前と同じ手を打った。手札の中で唯一、二
枚あるパーを出したのだ。
 そしてマスターの手も同じくパー。再びの引き分け。すぐさま、三度目の選択に入
る。
(まずい。チョキを出しにくくなってしまった。これだけパーが場にたくさん出ると、
もうパーはないんじゃないかって気になってくる。次のターンでチョキを相手に引いて
もらえる確証があれば、チョキを残してもいいんだが、それは無理。ここは負けてもい
いから、チョキを消費すべき……なのか?)
 考えがまとまらないまま、チョキを出した。三度続けて、時間切れになりますよとの
警告を受けたくないという変なプライドもあった。
 そうして開かれたマスターの手はグー。覚悟していたとは言え、負けは痛い。気付く
と、相手は二枚、自分は四枚になっていた。
 もうなりふり構っていられない。滝田は相手の札を引き、すぐに見た。チョキのペア
ができたので捨てる。手札はグー2、パー1。
 マスターの手札一枚はグーかパーだ。次にマスターがー引いた手で、揃えられると終
わってしまう。今回も見ずに捨ててくれれば、生きながらえるが。
 マスターはグーを持って行った。そしてその札を手札に入れ――ペアができていた。
『滝田豪蔵さん。この回のあなたの敗北が決まりました』
「あ、ああ。そうだな」
『さあ、試しはもうよろしいでしょう。対戦相手もお待ちかねだ』
「わ、分かった」
 勝ちのイメージがないまま本番に臨むのは、嫌な気分だが仕方がない。
『それで、何を賭けます?』
 マスターの問い掛けに、滝田は気を引き締めた。
「それなんだが、大事な人の命を賭けることは、許されるのか?」
 苦しげな声を意識して作った。思い悩んだ末の結論という感を醸し出すために。
『かまいません。勝利ボーナスのプラスαが多く見積もられるだけです』
 認められない可能性もあると覚悟していたが、返事はあっさりしたものだった。心中
でほうっと息をついた。
「それなら……俺の一番大事な存在は、滝田貴美子。我が妻だ」
 これも、いかにもやむを得ない選択なんだとばかり、奥歯を噛みしめ、俯き加減に言
った。
(若いとき、一緒に悪事を働いた頃なら、こんな真似はしない。だが、今は違う。たと
え負けても、あいつと離れられるのなら万々歳だ。ましてや、始末してくれるのなら、
願ったり叶ったり。お互い、余計な秘密を知っているしな)
 笑みが面に出て来ないよう、必死に偽りの感情を作る。
『認めましょう。ただ、念のために忠告しておくと、あなたがもしも負けた場合、滝田
貴美子さんの生命はこの世から消えてなくなりますが、それでもかまわないと?』
「かまわないことがあるか! 絶対に勝つんだ。負けなんて、考えてない!」
『覚悟の程、承知しました。プラスαは五千万円になります。それでは早速対戦開始と
行きましょう』

   〜   〜   〜

 ゲームは三戦目に突入していた。
 一戦目は滝田が後攻を取り、ターンを三度繰り返したところで勝利した。二戦目は逆
に滝田が先手となり、四度目のターンで負けが決まった。最後の第三戦を取った方が勝
利し、賭けたものが守られる。
 ルール通り、対戦相手が誰なのかは互いに分からないままだが、加えて、何を賭けた
かも知らされていなかった。
(まさか、相手も自らの命を賭けちゃいまい。そりゃあ、自分の命を賭けたらプラスα
がとんでもない額になるのかもしれんが、リスクがでか過ぎるだろ。俺みたいに一見大
切な関係者に見えて実はどうでもいい人間を選ぶか、そこまで非情になれないとした
ら、不動産や宝石やらが普通だ。この三戦目を勝って、見ず知らずの人間が死ぬ代わり
に、一億をもらうのと、負けて賞金は百万止まりになるが、貴美子に死んでもらうのと
なら、別に後者でもかまわんな。どんな方法で始末するのか知らんが、貴美子に掛けた
生命保険でいくらか入るだろうし。ああ、こんなことなら、もっと大きな生命保険にし
ておくんだったな)
 捕らぬ狸の皮算用を弾きつつ、滝田は先攻後攻を決めるじゃんけんに勝利し、後攻を
取った。勝てる可能性が高くなった、気がする。
 対戦相手の選択決定は、機械で変換された声で聞こえてくる。今、相手は滝田の真ん
中の札を抜き取った。それはチョキで、これまでの回に倣うなら、見ずに捨てると思わ
れたが、今回は手札に入れた。そして二枚のチョキがボックスに入れられる。
 滝田の手は、グー1チョキ2パー3になった。相手の左端の札を引き、見ずに捨て
る。明確な戦略がある訳ではなく、験担ぎだ。試しの勝負で、マスターが勝つ流れを見
ただけに、印象が強い。
 そしてじゃんけんだが……ここはやはり三枚あるパーを消費しておく。双方とも対戦
相手の手札の情報が何もないのだから、考えてもしょうがない。序盤の内に試せること
は試しておくしかない。
「あ」
 開かれた相手の手はチョキだった。アンラッキーだ。これで一気に残り枚数が7対4
になってしまった。
(気が緩んでいた。負けてもいいとは言え、一億円をみすみす逃すのは勿体ない)
 次のターンに進む。相手はパーを引いていき、手元に入れた。が、捨てられることは
なかった。敵の手札にパーは今入った一枚きりだ。
 滝田は迷った末、今度は引いた札を見た。パーだった。さっきのが戻って来た格好
だ。パーのペアを捨て、手札はグー1チョキ3パー1となる。
 じゃんけんのときの戦略は変えなかった。変えたくても、どうしても三種類を最低で
も一枚ずつ残しておきたいと考えてしまう。相手にパーはないと分かっているが、滝田
はチョキを出した。
 相手もチョキだった。
(二度続けてチョキを出してきた。ということは、次こそはグーか? 相手がパーを持
ってないのは分かってるんだ。しかし)
 もしパーを出したら、手元に一枚もなくなる。それは避けたいような……。
(だいたい、今度またチョキじゃないという保証もない。仮にチョキを出して負けたと
しても、グー2チョキ2パー1でバランスはまだいい。これがもしパーで負けたなら
グー1チョキ3パー1になる。いずれの場合も、相手の手札はパー以外の二枚になる。
勝ち目のないチョキ三枚を抱えていたら、最早挽回不能じゃないか?)
 時間をぎりぎりまで使って、滝田は決めた。思い込みを排除し、バランス感覚優先、
最悪負けてもまだましな方を選ぶ。
 滝田はチョキを出し、札が開かれるのを固唾をのんで見守った。
「――よし!」
 つい、声に喜びが出た。勝ちはないチョキだから、あいこに持ち込めただけで御の字
だ。ラッキーとしか言いようがない。
(それにしても、三連続でチョキとは意表を突かれた。次こそグーか? グー二枚かチ
ョキ二枚、あるいはグーとチョキ一枚ずつを持っている可能性があるが、まさか残りも
チョキ二枚ってことはあるまい。最初に配られた時点で、バランスが悪すぎる。だが、
次にそろそろグーを出すかどうかは微妙だな。手札にチョキが偏って多く、それを効果
的に使おうと思えば連続して出すのがいいアイディアだと思える。想像しにくいもん
な。だから、俺は負けないグーを今こそ使うときか? もし引き分けると、こっちはチ
ョキ一枚とパー一枚。相手の最後の一枚がチョキなら俺の負け、グーなら俺の勝ち。何
だ、五分五分か。もし、ここでチョキをまた出せばどうだ? 負ければそれで終わり。
あいこなら、相手の最後の一枚はグー、いや、チョキの可能性もゼロではない。俺は
グーとパー一枚ずつだから、勝ち目は残るが、分がいいとは言えない。今回パーなら?
 負ければ終わり、勝てば形勢逆転か)
 そこまで考えたところで、タイムアップが目前に。分岐点の多さに、とてもじゃない
が対処しきれない。
(ええい、相手は意表を突いて、次もまたチョキで来るに違いない! だから俺はグー
だ!)
 理屈も何もあったものじゃない。最後には信仰めいてくる。
 ――だが、今回はこれが吉と出た。
 相手は、四回連続でチョキを出したのだった。
 形勢逆転に、ほっと胸を撫で下ろす心地になる。我が身かわいさから妻・貴美子の命
を賭けたとは言え、頭のどこかでは死なせたくない情は残っていると見える。あるい
は、一億円への執着かもしれないが。
 次のターン、最後になるかもしれないババ抜きに入る。先に引く相手は、必ず手札に
入れてペアができることに望みを託すだろう。推測するに、その手札はグー1チョキ2
か、グー2チョキ1。滝田はチョキ1パー1だから、パーを引いてくれれば、ぐっと勝
利に近付く。次に自分が引く札を手元に入れるかどうか悩みどころだが、入れなくと
も、一枚残ったチョキは、この手がチョキであることは相手にまだ知られていない。
 チョキを引かれた場合、滝田は次に自分が引いた札を見て、手札に加える。手元に残
ったパーではペアができないのは明白だが、加えなければ、手元の一枚がパーだとばれ
ているため、じゃんけんで負ける可能性が高い。
(そうか。相手は、俺のパーをじゃんけんで討ち取る流れに持ち込みたいだろうから、
その手札はグー1チョキ2か? 仮にグー2チョキ1だとしたら、ペア作りでチョキが
なくなってしまう恐れがある)
 めまぐるしく脳内でパターン分けをしているところへ、不意に札が一枚引かれた。
「よっしゃ!」
 またまた思わず声が出た。パーを持って行ってくれた。敵の手札からペアが捨てられ
ることはなく、四枚になった。
 これで、次に滝田がチョキを引けばペアが完成し、手札をなくせる。確実にチョキを
引ける保証はないが、ここは文字通り、賭に出る。引いた札を見ることに決めた。
(そういえば……札の位置は変わってるんだろうか?)
 引く札を決める段になって、ふと疑問が脳裏に浮かぶ。
(俺も対戦相手も、手札の実物に触れて、位置を変えられる訳じゃない。まさか、最初
に配られたときのまま? だとしたら、引いた札はどこへ置かれるんだ? もしや、そ
のことも指示すれば機械がやってくれるのか? 俺だけが知らなかったのか? 対戦相
手は知っていて、当然俺も知っていると思ったから、札の位置が変わっていない可能性
を考えず、引いていたのかもしれない?)
 最終局面になって、重大なポイントを見落としていたと気付いた。だが、もう遅い。
質問をして正確な情報を得る時間はない。
 札を決めようと焦る。額を汗が伝う。一本、二本、三本、四本。
 その内の左から三本目が、いち早く流れ、鼻筋をかすめた。
 滝田は運を天に任せた。
「左から三枚目を引いて、手札に入れてくれ!」

   〜   〜   〜

 手元に来た札を見た瞬間、失神するかのような感覚を味わい、続いて震えが足下から
上半身へ昇ってきた。
 勝った。
 引いたのはチョキ。ペアが完成し、滝田は手札を全てなくすことに成功した。
 緊張感から解放されたが、声が出ない。今はとにかく、手足の拘束を早く解いてもら
いたかった。
『おめでとうございます、滝田豪蔵さん』
 マスターの声が聞こえた。意外にも心からの祝福をしているように響いてくる。
 滝田は返事したつもりだったが、声はまだ出なかった。
『約束通り、報酬の一億と百万円は、あなたの自宅へ届けさせますので、楽しみにお待
ちを。多分、一週間後になると思います』
 そりゃどうも。それより、早く自由にしてくれ。俺の年齢も考えてくれよ……。
『お帰りの準備の前に、もう一つ、しなければならないことがあります。敗者が賭けた
物の回収です』
 そんなのはどうでもいい。どこの誰だか知らん奴が死ぬところなんて見たくないし、
物品だとしたらなおのこと見ていてもつまらん。
『さて。ここで滝田豪蔵さんにとっては、非情に重大なお知らせがあります』
 何だ?
『あなたが今勝利した相手が賭けていたものは、“滝田豪蔵”だったのです』
「……え?」
 声が出た。
『付け加えますと、あなたの対戦相手のお名前は――』
「ど、どういうことだ!?」
 今さっきまで声を出すのもしんどかったのが嘘みたいに、大声を張り上げた。
「それじゃあ、俺はどうなるんだよ? 死ぬのか? 何だよ、それは! 相手が俺を賭
けてたなんて、そんなのありか? 勝っても意味ねえじゃねえか。いや、勝ったらだめ
だってことだよな。な? そんな重要なことを黙ったまま勝負させるなんて、非道いだ
ろうが。あり得ねえ! ギャンブルとして不公平だ! 認めんぞ!」
『……不公平と言いましたが、滝田豪蔵さん。こと先程の勝負に限って言えば、至極公
平なゲームだったと断言しましょう』
「何でだよっ」
『あなたも、対戦相手の命を賭けていたからです』

             *            *

 一週間後。
 滝田家には報酬が届けられ、滝田貴美子が無事に受け取った。

<<完>>




#443/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/06/29  20:16  (496)
そばにいるだけで・ホイッ! 26−2〜3   寺嶋公香
★内容
※9.ライブラリィの9.3長編ボード#4557〜#4558辺りに位置するエピソードです。

 涼原純子はイラスト付きの小ぶりな卓上カレンダーを見つめ、小さな吐息とともに小
首を傾げた。
(今年は何を贈ろうかしら)
 父の日まであと一週間を切っていた。
 中学生になって迎える二度目の父の日だが、一年前に比べると決めるのが遅くなって
いる。
 去年は、アルバイト初体験のあとで懐が温かいせいもあって、帽子とシャツのよい物
を奮発した。主にゴルフ用だが、大事に使ってくれている。
 では一年経った今、懐具合が寂しいかというとそうではない。むしろ、入りは増えて
いる。純粋に、何を贈ればいいのかを悩んでいるのだ。
(去年、二品にしたのが失敗だったかも。去年と今年に分ければよかった)
 普段から父のほしがっていた物を選んだのだが、今年は見当が付かない。しかし、直
接尋ねるのは避けたいところ。
(あと、お母さんとのバランスも考えなくちゃ)
 およそひと月前の母の日、純子はお手伝いに精を出した。懐が豊かだからといって、
それに頼ってばかりいてはいけない。多忙さに加え、そんな理由付けもあって、物を贈
ることはしなかった。
(だからといって、お父さんには肩たたきというわけにもいかないのよね)
 今度の六月第三日曜日、純子はモデル仕事の打ち合わせが入っていた。長くはなるま
いが、いつ家に帰れるかはっきりした見通しは立っていない。
 一方の父も、当日は会社の友達数名とゴルフに出掛ける予定がある。もちろん天候次
第だが、今のところ予報は晴れ。その前後が雨模様なだけに、どう転ぶか分からない
が、たとえ雨でも出掛けるのは間違いないだろう。
(私も打ち合わせだけと言ったって、どれくらい疲れるのか分からない。今から肩たた
きやお手伝いを約束して、いざそのときになって動けなかったら、格好付かないわ)
 何か妙案ないかしらと、小首を傾げていると、母の声がした。友達から電話だとい
う。部屋を出て、固定電話のある下まで降りていく。
「――あ、芙美。何かあった?」
 町田からの電話に声が弾む。相手は「特に重要な用事ってわけじゃないんだけれど」
と前置きし、話し始めた。
「明日の放課後、暇?」
 明日は月に一度設けられている平日の半ドンだ。昼から何かしようというお誘いらし
いと当たりを付ける。
「うん。別にこれといって予定はなし。宿題次第かな」
「だったら、買い物に出掛けない? みんなと一緒に」
 みんなというのは、いつも行動を共にすることが多い富井と井口の二人だろう。
「いいわよ。ていうか、ちょうどよかった。実は、父の日のプレゼントに何がいいの
か、悩んでいたところ」
「およ、純もか。私も何かないかと考えててさ。結局浮かばないから、みんなで出掛け
たら、その内思い付くんじゃないかと」
「じゃ、決まりね。何時にどこに集まるの?」
 待ち合わせの約束をしてから、電話を切る。すぐさま、明日出掛けることを母に伝え
ておく。すると、ついでに買ってきて欲しい物を頼まれた。漂白剤と調味料の塩こしょ
う。そのメモと代金を受け取って、財布に仕舞う。
「お釣り分は、適当におやつを買っていいから」
「あ、うん。――お母さんは、お父さんに何か上げないの?」
 部屋に戻る前に聞いてみた。母はこめかみの辺りに片手人差し指を当て、少し考えた
ような仕種を見せた。
「私から見るとお父さんは旦那様。父の日に贈り物をするのはふさわしくない」
「そんなことないよー。家族から見ての父親、なんだから」
「分かってます。そうね。当日はいつも以上に優しくしようかしら」
「――長年の夫婦だと、それで充分?」
「ふふふ。まあ、それはおいといて。父の日のプレゼント選びね。そんなに難しく考え
なくても、お父さん、何でも喜ぶと思うけれど」
「うーん、でもやっぱり、父の日という名目で何かするからには、心から喜んで欲し
い」
「そういえば、お弁当を作るっていう案は、どうなったの?」
「あ、あれは無理かなあ。ゴルフ場って、お昼を食べるところがあるって聞いたわ。そ
こで他の人が料理を注文してるのに、お父さんだけお弁当を広げるのはちょっと……」
 つい最近まで、ゴルフ場は広々としているからどこにでもブルーシートを敷いて弁当
を食べるのに向いているイメージを持っていたのだ。
「そうかもしれないわね。でも、当日は父の日なのだから、ひょっとしたら、他の人達
はみんな娘の手作り弁当持参だったりして」
「まさか」
 母の珍しい冗談に、ひとしきり笑った。

「去年はどうしたのさ?」
「帽子とシャツを贈ったよ。いい物を奮発したつもり。そのせいか、大事に使ってくれ
てるみたい」
「なるほど。うちは定番のネクタイ。さすがに二年連続というわけにいかないもんね
え」
 待ち合わせ場所である駅の南口に早めに着いた純子は、同じく早めに現れた町田と、
去年の父の日の話をして参考にならないか考えていた。
 ちなみに、学校から直接来たのではなく、一旦帰宅してそれぞれお昼を食べてからま
た集まったのだ。予定を立てたのが直前になったのだから、仕方がない。
「できることなら、たくさんあって困らない物よりも、お父さんが今、ほしがっている
物を贈りたいよね」
「うん。それでいて手頃な値段で。欲しい物……テレビで見た、工具セットをいいなあ
って言ってたな」
「工具セット?」
 道具箱を思い浮かべる純子。町田は両手を使ってサイズを示した。せいぜい新書を開
いたくらいの大きさらしい。
「小さめのドライバーやスパナやレンチ、メジャーなんかがコンパクトに詰め込んであ
るの。サイズが小さいから安いのかと思いきや」
 町田は肩をすくめ、首を左右に振った。苦笑を浮かべた純子は、ふと視線の先に富井
と井口の姿を捉え、手を挙げた。
「郁、久仁! こっち!」
「あ、いた」
 お互いに小走り気味になって合流を果たす。挨拶もそこそこに、富井が切り出した。
「この間、だいぶ散財しちゃったじゃない。ほら、相羽君達と一緒に遊園地に行ったり
して。それでお父さんのための予算が……。だから、あたしは今日、ついて回るだけ
!」
「何と。父の日はどうするの?」
「困ったときの肩たたき券。ただ、うちのお父さんは体質なのか、あんまり肩が凝らな
いタイプみたいなんだよ、酷いでしょ」
 酷いことはない。思わず笑ってしまった。駅前のアーケード街を目指しつつ、おしゃ
べりが続く。今度は井口が口を開いた。
「私のところは一応、ハクの散歩当番を三回分、お父さんの分もやることにした」
 ハクというのは、井口家で飼っている犬の名だ。白くて大きな玉のような犬で、ハク
という名前が似合っている。
「これだけじゃあんまりだから、プラス簡単な物がほしいなって」
「ネクタイかソックス?」
「できれば、それ以外かなあ」
 アーケードの下に入った。左右に様々な業種の店が並ぶ。数が多いのは、やはりと言
っていいのか喫茶店とファッション関係だ。今は、左手に若い人向けの洋服屋、右手に
女性向けの古着屋が見えていた。
「細くて見た目が若い感じなら、Tシャツなんてのもありかもしれないけれど」
 左の店先にぶら下げてあるTシャツに触れつつ、純子が意見を言ってみた。
「無理無理。うちのお父さんは、すでにそういう体型じゃない」
「私のところも、顔はともかく、お腹周りの方が心配」
 町田、井口の順に返答があった。仮にTシャツにするとしても、よい物はそれなりに
値が張るようだ。
「あれ? お腹周りが心配なら、犬の散歩を代わりにやるっていうのと矛盾してるね」
 純子はTシャツの値札から手を離すと、ふと感じたことを言ってみた。
「言われてみれば確かに」
 井口は認めたが、「困るなあ。今さら他のことも思い付かないもん。これで押し通す
しか」と付け加えた。
「懐が温かければ、あたし、財布を考えてた」
 これは最後尾を行く富井の意見。即座に町田が反応する。
「財布は案外、ハードルが高いイメージあるわ。渋くて格好いい物は、私らのお小遣い
をちょっと貯めたぐらいじゃ、手が出ない」
「そうそう。それに、カードを入れるスペースとか、小銭入れのサイズとかも、使う人
には拘りがあるもんだし」
 続いて井口も言った。二人とも、財布は既に考え済みだったようだ。
 一方、純子は財布を対象に入れていなかったので、改めて考えてみた。声に出すと、
他の友達に対して小金持ちアピールをしているみたいになるから、心の中で。
(……確か、お父さんの財布って、少し前に新品を買ったはず。使い勝手がよくないと
感じてるのなら、新しく財布を贈るのもいいかもしれない。けれど、別に使いにくそう
にしているところ、見た覚えがないわ)
 これまた採用ならず。
「万年筆なんかは?」
 そう言った富井は、文房具店を斜め前方に見付けていた。
「そういうのも手が届かないような。ピンからキリまでだろうけど」
 町田は否定的だったが、とりあえず店に入ってみることにした。入ってすぐの右手
に、父の日特集のコーナーがあるにはあったが、やはり予想通りの価格設定。普通の中
学生ならば、足が遠のく。それでも純子は一応、覗いてみた。
(凄く凝ったデザインに彫り物。石が埋め込まれてる物まである。こうなってくると、
筆記用具自体が芸術品に近付いてる感じ。書きやすいのかな?)
 そこまで想像し、ふと思った。最近、父親が何か書く姿を見掛けた覚えがないこと
に。
(この頃は、ワープロの方が多いもんね。使ってもらう物をプレゼントするなら、万年
筆はパスかなあ)
 かぶりを振って、コーナーを離れる。先を行く町田達を追って奥に向かった。三人
は、別の一角で足を止めていた。カートに背の高いフックを組み合わせたワゴン売りの
コーナーで、目をやると赤や白やピンクの色が飛び込んでくる。挙げ句、猫のキャラク
ターグッズ付きの物まであった。
「――お父さん向けって感じじゃないなと思ったら」
 どうやら女子中高生向けのワゴンらしい。普段は外に置いているのが、父の日が近い
ので奥に引っ込めたというところか。
「かわいい。自分が欲しくなっちゃう」
 井口が苦笑交じりに言った。
「だね。値段も安い」
 町田が消しゴム一個を取り上げつつ応じる。ワゴンは、消しゴムの他に三角定規やミ
ニコンパス、手動の小型鉛筆削り等で埋め尽くされていた。さすがに万年筆はない。
「これはこれでいい物だけど、今は目的と違うでしょ」
「うむ。さすがに父親にこれはない」
 そう結論づけて、純子と町田は立ち去ろうとするが、井口と富井は残ったまま。
「私はもう少し見てる」
 井口が言った隣では、富井が前のめりになってあれこれ物色している。父の日のプレ
ゼントを今年は買わないと決めた彼女は、自分のために何か購入するつもりかもしれな
い。
「じゃあ、あっちの方に行ってるね」
 店内をぐるっと見回し、万年筆以外の文房具が置いてありそうな方を指差した。
 そちらに行ってみると、定規やコンパスに加え、メジャースケールやノギス、写真立
てまであった。文房具の枠をちょっとはみ出しているようだ。
「フォトスタンドなんか、悪くないんじゃない?」
 純子は一つ手に取って言ってみたが、その横手で町田は首を捻った。
「娘の写真を入れて飾ってもらうってか。うーん、すでにあるんだよねえ。プレゼント
した物じゃないけれど」
「そっか。言われ見てれば、うちにもある。家族写真だけど」
 写真立てを戻し、今度はコンパスを取ってみた。よくある実務一辺倒なそれとは違
い、黒光りした重厚感のあるデザインで、まるで武器のようだ。持ってみると、予想以
上に重みを感じた。手にしっくり来る。
「こういうのって男の人、というか男の子が好きそう」
「分かる。必要ないのに、何となく格好いいからって理由で」
 笑いが声になってこぼれる。純子は、コンパスを開いてみた。今度は意外とスムーズ
に動いた。使い勝手もよいかもしれない。
「コンパスとか定規とか、設計する人なんかだったら、喜ばれるかも」
「今はコンピュータ使う人も多そうだけどね」
「あとは洋裁かな」
「要塞? ああ、服の方の洋裁ね。純のお母さんがやってるんじゃなかったっけ」
「うん。来年の母の日は、コンパスにしよっかな。こんな無骨なのはだめだけど」
 なかなか父の日の話にならない。
「あ、これよさそう」
 町田がワゴンを離れ、壁の棚の方に手を伸ばした。彼女が持って来たのは、スーツ
ケースを手のひらサイズにしたような代物だった。最初から開けてあって、中には小さ
めのメジャーやカッターナイフ、ハサミ、ステープル等がコンパクトに詰め込んであ
る。ミニ工具セットの文房具版といった趣だ。
「仕事とか家の中でもだけど、あれないかこれないかって、こういった小物をよく探し
てるんだよね、お父さん。これ一つあれば、事足りる」
「なるほど」
「ただ、これを買ってあげたら、これ自体を紛失しそうな予感がしないでもない」
「あはは」
 町田はもう少し検討してみると、類似品と見比べながら熟慮に入った。
 純子はその場を離れ、他に何かないかと見て回る。
(こういうお店に入ってから考え直すのも何だけど……仕事を連想させる品物は、あん
まり選びたくない気がしてきた。父の日にそういう物をもらったら、もっと頑張れって
言われてる気分になるんじゃないかなあ)
 シンプルに、もらって嬉しい物を選びたい。
(そういう意味じゃ、去年のシャツと帽子は、好きなゴルフのときに使えるんだから、
結構いい線行ってたよね?)
 仕事の延長線上にゴルフをプレーする場合があるということに、このときの純子はま
だ意識が及ばない。それはさておき。
(文房具はどう転んでも、仕事のイメージが強いなあ。ここはパスしよっと)
 そう決めると純子はくるりと踵を返し、富井や井口がまだいるワゴンへ再び向かっ
た。

 ミニ文房具セットで手を打った町田は、富井と並んで歩いている。
 まだ決められない純子と井口は、二人の先を行きながら、相談を重ねていた。
「仕事と関係なしに喜ばれる物ねえ」
 首を捻る井口。しばし黙考の後、「そんな物があったら、私もそれにするだろうけ
ど、なかなか難しいよ」と答えた。
「だよね。人それぞれだし」
 肯定した純子は、歩きながら腕組みをした。若干上目遣いになって、父の趣味や父が
喜んでいる場面を思い起こしてみる。
(ゴルフの他は……何だろ? 子供の頃、模型作りに凝っていたって話を聞いた覚えが
ある。でも今は時間がないからやらないって。プラモデルとかじゃなくて、木片を自分
で削って、一から作るのが醍醐味とか言ってたっけ)
 プラモデルからの連想で、玩具屋を覗くことにした。デパートに入っている店でもか
まわないのだが、道すがら、個人商店の一つにあったので、そこに入ってみる。
「急に思い出したんだけど」
 入るなり、左斜め上を見ていた井口が、叫び気味に言った。
「何なに?」
「うちのお父さん、科学の実験が大好きだったって言ってた。でも、中学だったか高校
だったか忘れたけど、通っていた学校の方針で、実験が極端に少なくてがっかりしたっ
て。今、その穴埋めをするのってどうかな?」
 井口が指差した先には、大人向けの科学実験セットがシリーズ揃って掛けてあった。
「いいんじゃない? それで久仁が一緒になって実験をやったら、もっと喜ぶかも」
「も、もう、やだなあ」
 照れ笑いを浮かべ、井口は純子の肩口をぺしっと叩いた。これで決まりそうだ。念の
ため、他を見て回る井口と離れ、純子は改めて町田と富井に意見を求めた。まず、父が
少年時代、模型作り好きだったことを伝える。
「――けど、プラモデルをそのままって言うのは、やめた方がいいかしら?」
「うーん、どうなんだろー? 木の模型がもしあれば、いいかもしれないし」
「それ以前に、作る時間が取れないんじゃあ、贈り甲斐がないでしょ、純も」
 富井も町田も、プラモデルの案には否定的のようだ。まあ、純子自身もそちらに傾い
ていたのだから、問題はない。
「他に玩具でよさそうなのは……」
「煙草吸うんだっけ、純ちゃんのお父さん?」
「ええ。できればやめて欲しいんだけどね」
「じゃあだめかあ。ライターの機能が付いた玩具ってあったなって思ったんだけど。モ
デルガンみたいな」
 意見を聞いて考慮しかけた純子だったが、町田が早々に「却下だね」と言った。
「そういう芙美ちゃんは、何かアイディア持ってるの−?」
「いや。玩具屋ではありそうにない」
 台詞としては緩やかな否定に留まっているが、口調は断定している。
「純子なら、お父さん一人のために、個人的に何かして上げるのが一番だと思うんだけ
どな。時間の関係でそれが無理なら、ほんと何でもいいからちょっと気の利いたプレゼ
ントに、音声かビデオでメッセージを添える」
「メッセージってたとえば? 仕事お疲れ様です、感謝していますとか?」
「じゃなくて。純の場合、モデルをさせてもらってるっていう側面があるでしょうが」
「ああ、そういう……」
 見方もあるんだと気付かされる。客観的になって見えてくることなのかもしれない。
「純ちゃんのモデルで思い出したんだけどぉ」
 富井が、閃いた!みたいな雰囲気で、右手の人差し指をぴんと立てる。
「男の人がどんな物をほしがるかの参考に、相羽君に聞いてみたら? 電話でもして
さ」
「えー、何で相羽君限定なのよ」
 訝る純子に、富井は「他の男子より大人びてるもん」と即答する。
「大人びた男子なら、他にも大勢いるわ。立島君とか」
「立島君は、前田さんとのデートで忙しいかも。そこに電話したら、迷惑になっちゃ
う」
「そんな仮定の話を持ち出すのなら、相羽君だって忙しいかもしれない」
「はいはい、そこまで」
 話が終わりそうにないと見たか、町田が割って入る。そしてレジの方へ、顎を振っ
た。
「久仁香が買ったみたいだから、ここはもうよしとしますか」

 玩具屋のあと、デパートの玩具屋にも足を運び、さらに船舶物を中心に面白グッズを
取り扱うショップにも入ってみたが、純子にとってぴんと来る物は見付からなかった。
 いい加減、歩き疲れてきたので、ファーストフードの店に入り、お茶をすることに。
「あー、疲れたー」
 言いながら座った富井に、純子は両手を合わせた。
「なかなか決められなくて、みんな、ごめんね。特に郁江は、無理に付き合わせちゃっ
た形になって」
「いいよ、別に。いつもお世話になってるんだし、何たって一緒にいて楽しいもん」
「あら、郁江ったら」
 町田が妙に取り澄ました調子で口を挟んだ。
「ここで交換条件を示して、おごってもらえばよかったのに」
「あ、その手があったか。惜しいことしちゃったな」
 冗談ぽく応じた富井だが、純子は真に受けて、「い、いいよ。おごる」と富井のトレ
イに載っているレシートを覗き込もうとした。
「いいっていいって。今日はお買い物に来たのに、余計なことに使ったら、いざという
ときに足りなくなるよ。そうなっても知らないから」
「は、はあ。そっか」
 ようやく落ち着き、皆でいただきますをしてから食べ始める。
「話を蒸し返すけれど、結局、電話しないの?」
 井口が純子に尋ねた。一つ目の玩具屋でのやり取りに加わっていなかった井口だが、
あとで聞いたのだ。
「うん。少なくとも相羽君には」
「何でー?」
 今度は富井。さっきから、相羽を巻き込もうと熱心だ。
 純子は少し間を取り、静かに答えた。
「父の日のことで、相羽君に聞けないよ。もしも聞くとしても、電話なんかじゃとても
できない」
「……そうだよね」
 相羽は数年前に父親を亡くしている。当人が普段、そんな気配を微塵も見せないもの
だから、周囲の友達もつい忘れがちになるが。
 しんみりした場の空気を元通りにするためか、町田が音を立ててジュースをすすっ
た。
「さて。相羽君を頼れないのなら、他の男子に聞く? それとも私らだけで考えるか」
 答は後者になった。
「来年からは、こうも悩まなくて済むように、普段からリサーチしなくちゃ」
「身近に、お父さんと年齢が近い男の人がいればね、聞いてみることもできるのにね」
「先生とか?」
「うーん、ちょっと違うような」
 お喋りを続ける最中、純子は自分の周りに父と同年代の男性がいなくはないことに気
付いた。
(仕事関係なら、何人かいるんだったわ。よく話をする人は杉本さんくらいで、若すぎ
るけれど。AR**所属の人の中には、いっぱいいる。今から聞くのは遅いとして、来
年、何も思い付かなかったら聞いてみたい)
 心の中でメモを付ける。
(……来年の今頃まで、モデルさせてもらってるのかなー、私? 高校受験あるし)

 四時を少し過ぎるまで、あちこち見て回ったけれども、とうとう決められなかった。
「しょーがないわ。決められないものは決められない」
 友達三人をずるずる付き合わせてしまったことに対して頭を下げる純子に、町田が慰
めるように言った。それから純子の肩に手をやって続ける。
「ま、娘が半日、足を棒にして探してくれたっていうエピソードだけで、お父さんは泣
いて喜んでくれるよ、きっと」
「あはは。だったらいいんだけど。そうだとしても、実際問題、何かないと」
「何にするかのヒントにはならないけど、こう切羽詰まってきたなら、サプライズ重視
で通販を利用するのは?」
 自分達の家の最寄り駅で降り、別れ際に井口が言った。
「通販?」
「うん。父の日のプレゼントなんて用意してませんよーってふりをしておいて、当日、
お父さん宛に荷物が届くの。開けてみたら、娘からのプレゼント。これなら、何だって
喜ぶんじゃないかしら」
 人間、追い詰められると、面白いアイディアが出て来るようだ。
「狙いは分かる。通販に限定しなくても、届けてくれる店はあるだろうし」
 考えてみようかなという気になった純子。問題があるとすれば、やはり何を贈るか
と、もう一つ、父の在宅しているタイミングがはっきりしないことか。
「みんな、考えてくれてありがとう。あとは自分で知恵を絞ってみる」
 じゃあまた明日。
 一人になってから、純子はまだ考えを巡らせていたが、はたと思い出した。
「頼まれてたんだった!」
 財布を取り出し、中にあるメモ用紙を確認する。幸い、また電車で出なくても、ここ
からほど近いスーパーマーケットで事足りる。
 純子は角を折れ、店に続く道に入った。すぐに店舗が見えてきた。三分と歩くことな
く到着。
「あれ?」
 出入り口の大きなドアの脇には、自転車置き場がある。その一番手近に停めてある自
転車に、見覚えがあった。前輪のフレームにある名前を確かめると、思った通り。
(相羽君が来てる?)
 生活圏なのだから、来ていても全くおかしくない。ただ、純子の頭には、さっき友達
とした会話が残っていた。
(思わず聞いてしまわないよう、気を付けよう。できれば、顔を合わせないのが一番)
 意を強くしてから、店内に足を踏み入れる。脇目も振らず、掃除洗濯関係のコーナー
に直行した。動きながら、財布のメモで、メーカーと商品名を再確認。
(えっと――)
 棚を見上げ、徐々に視線を下げていく。すぐには見付からず、同じ動作を繰り返しな
がら歩を進めていった。
「あった」
 手を伸ばして、白っぽい容器の柔軟剤を取ってみた。メーカーと商品名は一致した
が、サイズが違うようだ。元に戻し、近くにより大きな物があるはずと探す。五秒後、
今度こそ見付けた。
「――結構重い」
 持ってから、買い物籠を取ってくるのを忘れていたと気付いた。このまま手で持ち歩
けなくもないけれど……少々迷って店内を見回すと、出入り口まで引き返さずとも、近
くの通路に籠とカートが並べてあった。カートはいらないにしても、籠は欲しい。一つ
取ってこようと、そちらに向かう。
「――涼原さんだ」
 手を伸ばして籠を持った瞬間、馴染みのある声が耳に届く。あ、やっぱり会ってしま
ったと感じつつ、純子は声のした方を振り返った。
「こんなタイミングで会うなんて、偶然だね」
「そ、そうね。買い物?」
 聞いてから、スーパーマーケットにいる相手に対してする質問にしては間抜けだった
と後悔した。
 でも、相羽は頷いてから「僕は一人で来たけど、涼原さんも?」尋ね返してきた。
「うん、私も一人。お母さんに頼まれたの」
 答えてから、思い出したように柔軟剤を籠に入れる。見れば、相羽の方は籠は持って
いない。手にあるのは、整髪剤か何かのスプレー缶のようだ。
「まだ他にも買う物ある? 持つよ」
 純子が最初の質問に「ええ」と答えた時点で、相羽はひょいと籠を持った。そのつも
りのなかった純子は慌てたが、相羽はスプレー缶を一緒に入れてしまった。
「いいでしょ? レジでは分けるから」
「え、ま、まあ、しょうがないわね。ありがと」
 近くに来た缶の表面をよく見ると、イラストで男性の顔がアップになっている。整髪
剤ではなく、シェービングクリームだった。
「そっちこそ、他に買う物は?」
「あるにはある。けど、まだ決めてないんだ」
「何よそれ」
 先に立って調味料の棚を目指しつつ、純子は苦笑交じりに尋ねた。すると後方から
は、多少間を置いて返事があった。
「父の日のプレゼント」
「――えっと」
 足を止め、くるりと振り返る。相羽はびっくりしたみたいに急ブレーキを掛けた。
「お父さんにプレゼントって、相羽君……?」
「ごめんごめん。驚かせる気は全然なかった。次の日曜、お墓参りに行くんだ。そのと
きのね」
 そう言う相羽の表情は、普段と変わらない。むしろ、普段以上に朗らかかもしれな
い。
(何だか……安心した)
 相手をまじまじと見返していた純子は、唇の両端をきゅっと上げた。
(この分なら、聞いてもいいよね)
 並ぶようにして再び歩き出してから、純子は尋ねた。
「どんな物を買うつもり?」
「ピアノに関係する何かかなと思ってたけれど……スーパーにはなさそう」
「そりゃそうよ。せめて駅前のデパートとかに行かなくちゃ」
「あとは、お墓参りなんだから、お供え。食べ物もいいなと思う。ただ、今日買うと早
すぎるかもな」
「……食べ物」
 そうだわ、食べ物でもいいんだ――。自分の父親へのプレゼントに考えが及ぶ純子。
 形に残る物をと、無意識の内に境界線を引いていた気がする。でも、実際は食べ物や
飲み物であっても、何も問題ない。
「うん? どうかした?」
 某かの変化が表情に表れていたのだろう、相羽が純子に聞いてくる。
 純子は最前と同様の笑みを浮かべ、答える。
「私もお父さんへのプレゼント、迷ってたんだ。今の会話で、ヒントをもらっちゃっ
た」
「ほんとに? 今のやり取りで、そんなヒントになるようなことなんか、あったっけ」
 怪訝そうに目を細めた相羽。籠を持ち替え、真剣に考えているようだ。
 純子は調味料の棚から、塩こしょうを選び取ると、籠に入れた。

 夕暮れ時の家路を、相羽と一緒に歩きながら、純子はいきさつを手短に伝えた。
「別にもう気にしなくていいって」
 自転車を押して歩く相羽は、父の日の話題に触れないようにする皆の気遣いに感謝し
つつも、そう言った。前籠には、彼の買ったシェービングクリームの他、純子の買い物
分も入っている。
「それはいいことだと思うんだけど、だったら、あなたもみんなの前で、もっと普通に
話してほしい。お父さんからピアノを習っていたこととか」
「まあ、その内に」
 角を曲がる。籠の中の缶が買い物袋毎転がって、音を立てた。
「そういえば」
 純子は自転車の前籠を指差した。
「こんな物もお供えするの?」
「え?」
「だから、シェービングクリーム。これって、お父さん用でしょ? ひげそりのときに
使う……」
 当たり前のつもりで尋ねた純子だったが、相羽は慌てたように首を横に振った。
「ち違うよ。いくら何でも、シェービングクリームのお供えはないっ」
「じゃあ、何で」
「……涼原さん。僕も男なんですが」
「……え。まさか、相羽君、ひげが」
「うん。少し前から、生え始めた」
 その返事を聞いて、純子は目をそらし、前を向いた。
(うわー!)
 顔が赤くなるのを自覚する。あっという間に火照ってきた。両手を当てて、冷やそ
う。
「どうかした?」
 尋ねる相羽の声は聞こえたが、ただただ黙って首を左右に振った。
(相羽君、男の子なんだ。当然なんだけど。ひげが生えるようになって、大人の男の人
になっていくんだ)
 意識していなかったことを、今初めて明確に意識した。
 大人になっている。そう思って目を向けると、夕日を浴びて歩く相羽の姿は、何とな
く前よりも頼もしく見える。背も伸びた。
(私も成長してるのかしら)
 純子は思い巡らせ、やがてため息を密かについた。
(とりあえず、胸がもう少し……)

 六月の第三日曜日、父の日当日。
 純子は母と一緒に、夕餉の準備に取り掛かっていた。
「あなたの仕事でもらった分だから、どう使っても基本的にかまわないけれども、随分
奮発したのねえ」
「えへへ。私やお母さんも食べるんだし」
 母娘は、届けられたばかりの食材を金属製のタッパーに広げ、まるで観察するように
見ていた。
「AR**の佐山さんの紹介。いいお肉を売ってるお店を教えてくださいって頼んだ
ら」
 前もって予算を伝えた上で、一番よい牛肉を三人前、用意してもらった。無論、肉は
三枚あってそれぞれサイズが異なる。父親用が一番大きい。
「お酒も考えたんだけれど、やっぱり飲まないでいてくれる方がいいし。その点、ス
テーキなら、たまに食べる分にはいいでしょって思って」
「お酒は、純子が飲めるようになってからがいいかもね。それで、誰が焼く?」
「私、と言いたいところだけれど」
 改めて肉を見下ろす。きれいに差しの入った見栄えのするステーキ肉。
「実際に目にすると、失敗できないと思って緊張しちゃうかも」
 本気と冗談半分ずつの答を言ったところで、玄関のチャイムが鳴った。続いて声が聞
こえる。父帰る、だ。
「お帰りなさい!」
 大きめに返事して、玄関に向かう純子。その途中、テーブルにメッセージカードを出
したことを再確認した。月並みだが、感謝の言葉を書いてある。
「おっと、靴があると思ったら、純子ももう帰っていたか」
「うん。早く終わったわ。今日の晩御飯は、父の日のごちそうを作るからね」
「ああ、そうか父の日か。それは楽しみだ」
 玄関脇のウォークインクローゼットを開け、その一角にゴルフバッグを仕舞う父。手
にはまだ荷物が残っている。
「そうそう、ごちそうと言えば、これがあるんだった」
 と、その紙袋を、純子の目の高さに掲げた。
「何?」
「今日のコンペで、二位になった。その賞品が――」
 紙袋の口を開くと、そこには“霜降り”が。
「えー!?」
 高級和牛、と続けた父の台詞は、純子の声にかき消された。

            *             *

「――相羽さんのお宅でしょうか? あ、何だ、相羽君だったの。――うん。その父の
日のことで……お肉、もらってくれないかしらと思って電話したんだけれど。――それ
がね、お肉がだぶついちゃって。って、太ったとかそういう意味じゃないから! お父
さんがゴルフで二位を獲ったその賞品が、似た感じの牛肉だったのよね。え? あ、そ
の日食べたのは私が用意した方よ」

――『そばいる・ホイッ! 26−2〜3』おわり




#444/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/09/27  21:06  (358)
宵の妙案   永山
★内容                                         18/04/07 22:06 修正 第4版
 昔から、顔に出ない奴と言われてきた。
 怒って当然の状況でも表情に出ない、驚かされても全く慌てない、酒を飲んでも赤く
ならない。
 当人から言わせてもらうなら、怒っていない訳じゃないし、驚いていない訳でもな
い。酒をある程度飲めば、酔っ払いもする。とにかく、顔に出ていないだけなのだ。
 その特技?が、昨晩も発揮されてしまったようだ。
 七月下旬の休日の朝、目覚めた直後にスーツのジャケットだけ脱いで寝てしまったこ
とに気付きつつ、上半身を起こす。次に尻を押す異物感から、尻ポケットに手をやっ
た。財布を引っ張り出すと、いつもよりは膨らみが大きい気がした。二つ折りの財布を
開き、札入れスペースに数枚のメモ書きを見つけたとき、私は思わずつぶやいていた。
「何なんだ、これは」
 もし周囲に誰かいれば、私でも表情がこれほど変わるのかと感心してくれたかもしれ
ない。それほど、私はメモに不気味さを感じたのだった。何せ、そこにはこう書いてあ
ったのだから。
<我々は互いのターゲットを交換・殺害することをここに誓う>
 サイズは大きめの手帳の一ページといった感じか。ちまちまと詰めず、どんと真ん中
に大書してある。私の字によく似ていた。
 昨日のことを思い出そうと努める。
 昨晩は、職場で面白くないことが二つ続けてあり、さらに退社してすぐに彼女から掛
かってきた電話は、別れ話だった。そのまま気晴らしに行こうと、街のステーキハウス
で高いやつを食べて、ビールを一杯だけ飲んだ。それからバーに入った。初めて入る店
だったが、静かで雰囲気はよかった。そこで誰かから話し掛けられた、と思う。見知ら
ぬ男で、年齢は私より一回り上に感じられた。短めに刈り込んだ頭には白髪が混じり、
しかし肌の張りはさほど老いておらず、白かった。確か、私立の大学で先生をやってい
ると言っていた。私は教師という人種があまり好きでないので、最初は敬遠したが、相
手のしゃべりはなかなかうまく、人好きのする空気をまとってもいた。名前は……とも
に名乗らなかった。
 交換殺人の話をしたとすれば、この初老の男性だろう。私が何やかやと愚痴っている
のを耳にして、話し相手になってくれたのだ。――少し思い出してきた。手柄を持って
行く上司、ごまをする同僚、しゃあしゃあと新しい男ができたと宣言する彼女。一人を
この世から消すとしたら、誰を選びます? そんな風に質問を振られた気がする。そこ
から交換殺人の話になるまで、さして時間を要さなかった。
 二枚目のメモに移る。三人の名前が書いてあった。手柄を独り占めしたり横取りした
りを繰り返す上司、その上司らにごまをすり、ときには平気で仲間を陥れる同僚、そし
て私の彼女――元彼女。それぞれの名前が記されているのだが、その全てにバッテンが
ついていた。どうやら、私はこの三人の中から殺したい一人を選びはしなかったよう
だ。
 当然だろう。私にとって、一番この世から消したい人物は、この三人の中にはいな
い。
 三枚目のメモに、そいつの名前が書かれてあり、その周りをぐるぐると何度も楕円で
囲っていた。
<道塚京一郎>
 こいつは高校時代の同級生で、私の一つ下の妹と付き合っていた。親が医者で病院を
やっているせいか、羽振りがよく、私もたまに恩恵にあずかった。加えて、学業の面で
も生活の面でも頭がよく、話も面白い。要するに、頭の回転が速いタイプだった。道塚
は卒業してすぐに運転免許を取得し、親に買い与えられた新車に乗って現れると、妹を
ドライブに誘った。当時の記憶はごちゃごちゃしていて曖昧な部分も多いのだが、おそ
らくは二度目のドライブデートのときだったと思う。道塚は単独事故を起こした。ス
ピードの出し過ぎが原因とされている。同乗していた妹は車外に放り出されて、ほぼ即
死だったという。道塚もそこそこ大きな怪我を負って入院し、私は一度だけ見舞いに行
った。大して話すことはなかったが、すまないという謝罪を聞いた気がする。だからこ
そ、その段階では道塚を責める気持ちこそあれ、憎む感情はなかったと思う。だが、や
がて回復した奴が主張したのは、事故のそもそもの原因は私の妹にあるというものだっ
た。助手席にいた妹はシートベルトを外してしなだれかかってきて、運転の邪魔になっ
た。払いのけようとした弾みで、ハンドルを切り損ない、車体がぶれた。立て直そうと
した刹那に強くしがみつかれ、アクセルを踏み込んでしまった。その結果、事故になっ
たと。
 後日、証拠が出てきた。遺体を視た医者が、妹の身体にはシートベルトをしていたな
らできるはずの痣がなかったと報告した。また、妹の髪の毛が運転席側に多く抜け落ち
ていた。さらに、口紅の着いたペットボトルが運転席側の足下に転がっており、それが
ブレーキペダルの下に挟まって、ブレーキの効果を弱めたともされた。
 道塚は妹やその遺族である私達を訴えることはせず、丸く収まったが、付き合いはそ
れきり途絶えた。
 信じられない噂を耳にしたのは、それから四年ほど経った頃だった。妹の遺体の痣に
ついて報告した医者は、道塚家とつながりがあった。本当は妹の身体には痣があった
が、道塚の父の意を受け、彼の息子に責任が及ぶことのないよう嘘の報告をしたという
のだ。これがもし事実だとしたら、髪の毛やペットボトルの件も怪しくなる。頭の回転
の速い道塚なら、事故を起こして数秒で冷静に判断し、自分に有利になるよう、事故車
内に偽装を施すことを思いつくのではないか。
 私は噂の真偽を確かめようと思い、道塚京一郎とコンタクトを取ろうとしたが、多忙
を理由に会えなかった。ならばと、くだんの男性医師に接触を図った。男性医師は当時
道塚家と行き違いがあり、関係にひびが入っていたらしい。噂の出所はその医者当人だ
ということも考えられた。
 無論、さほど期待していなかったが、彼の居場所を突き止め、会いたい旨を伝える
と、意想外に二つ返事で応じてくれた。一気に緊迫感と期待感が高まった。
 だが、その男性医と直接会って話を聞くことはかなわなかった。約束の日の前日に不
審死を遂げたのだ。勤務していた病院の最寄り駅で、プラットフォームから線路へ転落
し、入ってきた列車にはねられたという。目撃者は多くなかったが、点字ブロックのす
ぐ後ろに立っていた医師は、不意に力が抜けたかのようにぐにゃりと崩れ落ちたとの証
言が上がった。結局、疲労によってふらついた身体を制御できず、線路側へ踏み出して
しまった事故として片付けられた。
 偶然? できすぎている。証拠はなくても、この出来事こそが証拠だ。疑いを確信に
変えるには充分な隠蔽工作。そうとしか考えられなかった。
 だが、私は道塚京一郎への復讐を果たせずに来ていた。道塚の居所が不明になったと
思ったら、いつの間にか研修名目で米国に拠点を移していた。わざわざ外国にまで追い
掛けて奴を死に至らしめても、怪しまれる可能性が高い。殺人事件発生時に限って私が
アメリカに入国していたと判明したら、第一容疑者になるのは明白だろう。
 帰国を待つしかない。長期戦を覚悟した。しかし、私にも日常の生活がある。平静を
装って日々の暮らしを送りながら、奴の動向を注意し続けるのには限界があった。いっ
そ、奴の父親を殺せばどうだろうと考えたこともある。父親にも責任の一端はあるし、
院長である父親が死ねば、道塚京一郎が後継者として戻ってくるはず。
 よい計画に思えなくもなかったが、それでも私は実行をためらった。道塚の父にも恨
みはあるが、殺せば一時的にしろ、道塚本人に利することになってしまうのではない
か。それだけは嫌だった。
 だから私は、道塚の父の訃報だけを待ち焦がれながら、日常生活を送ると決めた。
 以来十五年――。道塚院長は癌に冒され、発覚から数ヶ月で逝った。天誅が下ったと
は思わない。ただただ、来たるべき時が来た。それだけの感慨でしかない。そして私は
この三月半ばに、道塚京一郎が帰国したと知った。
 あとは、よい殺害方法を計画するだけだった。そのためには、奴の普段のスケジュー
ルを把握する必要があると考え、仕事の合間を縫って調査した。興信所の類に依頼すれ
ば手間は省けるのだが、私が奴の身辺を調べていたと他人に知られることはなるべく避
けたい。殺したあとは、私が強力な殺害動機を持っている事実はじきに明るみに出るだ
ろう。そこへ加えて被害者について嗅ぎ回っていたとなれば、どんなに優れた殺害計画
を遂行したとしても、警察に注目されるに違いない。強引かつ苛烈な取り調べで、意に
沿わぬ自白をしてしまうかもしれない。そんな醜態は御免だ。
 四ヶ月近くかけて、道塚京一郎の基本行動パターンが分かった。狙い目は、隔週日曜
に行うゴルフ練習の行き帰りか、毎水曜の午後に通っている恋人宅への行き帰りだろ
う。
 と、ここまで算段をつけておいたからか、私は財布から出てきた交換殺人メモの三枚
目には、道塚の名前の他、パーソナルデータを細かく記し、さらに次のように書き足し
ていた。<八月三日の午後一時から三時までの間に決行してもらう。アリバイ作り 普
通に出社>――八月三日と言えば、次の次の水曜日だ。初めて会った男とたった一度の
話し合いで、ここまで具体的に決めたのだろうか。もちろん、交換殺人は共犯者間の関
係性の薄さが肝心なのだから、一度で決められるのが理想的ではあるが。
 そうなると、私はいつ誰を殺すと決まったのだろう? メモの四枚目以降を探る前
に、私はコーヒーとトーストの簡単な朝食を摂った。

 やはりと言うべきか何故かと言うべきか分からないが、メモは四枚目以降も私の字で
書かれていた。恐らく、互いに接触した痕跡を可能な限り残さないでおこうという約束
の下、自分が身に付ける殺人計画メモは全て自分で書くようにしたんだと思われた。
<井原仁美>
 これが私の任されたターゲットらしい。都内の大学に通う三年生で、高校生時にファ
ッション誌の読者モデルをやった経験があるとのこと。顔写真がないが、調べれば簡単
に分かりそうだ。
 五枚目には、彼女の詳しい行動パターンが書かれており、その中の一項目が、ぐるぐ
ると楕円で囲まれてあった。アンダーラインまで引いてある。
 六枚目には決行日であろう、七月三十一日の午前九時以降、午後九時までとあった。
次の次の日曜……一週間とちょっとしかないじゃないか!? こんなタイトなスケジ
ュールで、こんな恐ろしげな役割を引き受けたのか、私は。
 もしこの計画から勝手に降りたら、どうなるのだろう? 殺されることはないにして
も、何かまずい事態になりそうな気はする。ただ、先に実行するのが私なら、私が実行
しない限り、相手も殺しに着手しようとは思わないんじゃないか?
 あるいは断りを入れてもいいんだが、互いの連絡先を交換した痕跡は見当たらなかっ
た。探ろうと思えば、この井原仁美から手繰ることができるかもしれない。想像する
に、私と共犯関係を結んだ男は、この大学に勤めている可能性が高い。恐らく、先生と
学生との間で起きたもめ事が動機になっているのではないか。その点を衝けば、こちら
が約束を違えたとしても大人しく引き下がるのでは。私を口封じに殺すくらいなら、井
原仁美を殺した方が早いはず。
 ただ……私にとっても、これは千載一遇の好機なのだ。交換殺人のパートナーなん
て、笛や太鼓で募集を掛ける訳に行かず、ネット上で怪しげな犯罪関連サイトを見付け
ては、そこから信頼に足る者を探し出し、共犯関係を築くなんて、迂遠で時間を要して
しまう。
 それに比べれば、バーで会ったこの男は、よほど信用できると言える。本気なのは間
違いないし、実際に会った印象では知的で冷徹な行動を取れる人物に見えた(記憶が些
か朧気であるとは言え)。
 私は少し考え、決行日までの時間を、共犯者の身辺調査に充てようと決めた。いざと
いうとき、有利な立場に立てるかもしれない。
 そして――予想していたよりもずっと楽に、共犯者の身元を割り出せた。大学のホー
ムページに、教員として顔写真と名前が載っていたのだ。
 野代幸大という文学部の准教授で、四十九歳。思っていたよりは若かった。顔写真も
明るいせいか、若く見える。連絡手段は、大学に電話をして呼び出してもらうか、メー
ルを送れるかもしれない。他と比べて大学の先生は職業柄、アドレスを公にしている
ケースが多いようだから、探し当てることは可能と見込んでいる。
 井原仁美との間にどんな因縁があるのかまでは調べなかった。交換殺人遂行のために
は、私と野代とのつながりを可能な限り希薄にしておかねばならない。当然、私は大学
周辺で目撃されてはならない。野代の生活圏にも近付かないのが賢明だろう。
 これで基盤固めはできた。あとは、私が先に決行する勇気を持てるかどうかだ。憎い
相手を始末するのに躊躇はないが、見ず知らずの、どんな理由で殺されるのかも知らな
い女性を、果たしてやれるだろうかという不安はある。頭の中ででも、シミュレーショ
ンを繰り返し行うとしよう。

 指定されていたのは七月末日の午前九時からの十二時間だったが、井原仁美のスケジ
ュールに重ねると、チャンスは自ずと絞られた。野代がいかにしてこの情報を入手した
のかは知らないが、井原仁美は翌八月一日に実家のある東北に向かうらしい。その前日
は、荷物をまとめたり、バイト先のショッピングモールへ最後の顔出しをしたり、夜に
なれば親しい友達と女子会めいた食事をすることになっているようだ。就職活動の気配
がないところを見ると、何か伝やコネがあるのか、家業でも継げるのか、もしくは卒業
即結婚するような相手がいるのか。まあ、どうでもよいのだが。
 狙うなら、バイト先への行き帰りだろう。彼女一人で動くようだし、時間やルートが
読めるのは大きい。難点は、まだ日が高い時間帯である点だが、店の裏口から大きな道
路へ出るまでの間に、いくつか裏道的な箇所があることが確かめられた。昼なお薄暗
く、人通りもまばらという理想的な場所だ。私は二度下見をして、適した場所を見付け
ておいた。防犯カメラに映らずに逃げ果せるルートも把握した。といっても、端から見
てカメラと分からないタイプの防犯カメラもあると聞くから、実行時も含めて常に違う
変装をする。
 指定された日まで、あと二日。ここに来て私は殺人の実行に意を固めつつあった。や
はり絶好のチャンスだと思えるし、もし仮に野代に裏切られたとしても、殺人の経験を
積めるのはよいことだと考えるようになった。経験を活かして、自らの手で道塚京一郎
を葬ればよいだけだ。加えて、この交換殺人計画は、私に刺激を与えてくれた。計画を
持ち掛けられる前はともすれば日々の生活にかまけて、復讐心がわずかながら薄れる瞬
間がなかったとは言い切れない。その緩みを引き締めてくれたのだ。
 すでに凶器は準備した。使い易いよう適切な長さ・細さにカットした革紐。これをメ
インに、ナイフも一本。鍔広なタイプで携帯には最適でないかもしれないが、手が滑っ
て自ら怪我を負う危険を思うと、これしかない。あと、考えたくはないが万が一にもし
くじったときに逃亡するため、刺激の強いスプレーも用意した。本来の使用目的は防犯
とされているが、真逆の使い方になる。
 脱脂綿に染みこませて対象者の口を覆い、極短時間で意識を失わせるような睡眠薬の
類もほしかったのだが、どうやらそんな物は存在しないようだ。あったとしても、素人
がちょっとやそっとで手に入れられる物ではあるまい。
 代わりに、現場を下見したときに、殴打に適した一升瓶や木ぎれ、鉄パイプの切れ端
いくつかに目星をつけておいた。当日、その全てが片付けられていたらそれまでだが。
 そうそう、クリアせねばならない重要な問題があった。指紋だ。夏の盛りに手袋をは
める訳に行かず、考えあぐねている。泥棒などはセロテープを指先に巻く方法を採るこ
とがあるらしいが、殺しには向いているのかどうか……。調べてみたところ、透明なマ
ニキュアを塗るという方法が見つかった。マニキュアなんて扱った経験はないが、当日
までに試して、行けそうなら採用したい。もっとも、その前に購入するときに怪しまれ
そうだ。恋人へのプレゼントっぽくすれば大丈夫だろうか。

 〜 〜 〜

 ――想像していたよりも、ずっときつかった。息は上がるし、精神的にも追い詰めら
れた心地になった。その反面、人を死に至らしめる行為だけを取り上げるなら、ずっと
簡単だった。呆気なかったと表現すればいいだろうか。
 井原仁美の死は呆気ないほど簡単に訪れた。私の主観では、一瞬で絞め殺せたように
感じたが、実際には恐らく一分か二分は締め続けていたのかもしれない。殺人行為の間
だけ、時間の感覚が薄い。逆に、その前後の時間の流れは遅かった。たっぷり待ったつ
もりなのにターゲットが出て来ないとか、これだけ早足で歩いているのにまだ現場から
遠ざかれないとか、とにかくじりじりさせられた。思い描いていた段取りを忘れ、殴っ
て気絶させることは飛ばして、いきなり背後から締め上げてしまった。物音は大きく聞
こえたし、口の中はからからに乾いた。
 今、そんな非日常で異常な状態から抜け出すために落ち着こうと、寂れた本屋に入っ
たところだった。この店もあらかじめピックアップしておいた。今時珍しい、防犯カメ
ラがない書店なのだ。その分、目立つかもしれないが、店主は年老いた男性で、半分居
眠りしているかのような眼で、レジの向こうに座っている。現場からは一駅分以上離れ
ており、あとから怪しまれることはあるまい。
 立ち読みをするふりをしながら、トイレを借りられるか聞いてみようか考えた。変装
を早く解きたかった。だが、こんな狭い店でトイレを借り、別人のようになって出て来
たら、さすがに印象に残るに違いない。やめた。
 変装ばかり気になり始めたせいか、徐々に平静になった。これならもっと大勢がいる
場所に出ても大丈夫だろう。この辺の地図を思い浮かべ、一番近いデパートか百貨店を
探した。そこのトイレに入り、変装を解くことにする。

 当日の夜遅いニュースで、井原仁美が殺された事件は報道された。まだ起こった事実
を伝えるだけの内容で、どういう捜査が行われてどんな進展を見せているのかまでは不
明だった。
 翌朝、ネットで新聞系のサイトをチェックすると、少し詳しい状況が分かってきた。
死亡推定時刻は午後五時から六時頃となっていた。殺害したのが午後五時半ぐらいだっ
たから、かなり正確だ。尤も、井原仁美がバイト先を出てから発見されるまでの時間帯
とほぼ重なっているから、これは当たり前と言える。人通りが少ないとは言え、ショッ
ピングモールの関係者が使ってもおかしくない道なので、じきに発見されるだろうとは
思っていた。むしろ、適当な頃合いに発見してもらわないと、私の共犯者のアリバイが
成り立たなくなる。
 凶器は不明。そりゃそうだろう。私が持ち去り、デパートのゴミ入れに捨てたのだか
ら。多分、あのままゴミ集積場へ直行だ。
 第一発見者に関する情報は出ていなかった。元々大きく報道するものではないのかも
しれない。犯人の恨みを買って、襲われる可能性なきにしもあらずと考えれば、頷け
る。――なんてことを犯人である私が言うのはおかしいが。
 テレビの朝のニュースでもチェックしてみたが、意外と扱いは小さかった。マスコミ
は連日の猛暑や水害、海外での銃乱射などの報道に忙しいようだ。
 これが朝のワイドショーとなると、また違ってくるのかもしれないが、見ている余裕
はない。今日は月曜だ。会社に行かねばならない。

 八月三日を迎えた。
 今日、道塚京一郎がこの世からいなくなるのだと思うと、妙な興奮が襲ってきて、ほ
とんど寝付けなかった。だが、朝にはいつものように起き出し、いつものように出社の
準備をした。そうでなければならない。アリバイ確保のためにも、今日は会社に行き、
会議に出るのだ。
 これまたいつも通りの朝食、トーストとコーヒーを用意して、テレビをつけたとこ
ろ、ニュースが映った。ローカルニュースだ。
 最初の何やら政治的な話題が終わると、次いで交通死亡事故のニュースになった。画
面下方に示された白い文字のテロップに目を凝らす。「私立○○大学文学部准教授 野
代幸大さん(49歳)」と読めた。
「……何だって?
 野代って、あの野代か? 私の共犯の野代幸大なのか?
 顔写真は出なかったが、肩書きや年齢まで合致していることから、間違いないと思え
た。
 茫然自失とはこのときの私のような状態を言うのだろうか、あまりに驚いて、事故の
詳細をよく聞いていなかった。確か、横断歩道のない道路を横切ろうとしていたとかど
うとか……。まさか、交換殺人を行うことに怖じ気づいたか、井原仁美を依頼殺人で始
末したことに良心の呵責を覚え、自殺したのではないだろうな。全てを自白したような
手紙でも遺されていては、こちらは身の破滅。――いかん、身体が震えてきた。
 手に持ったコーヒーカップをテーブルに戻し、しばし考えた。
 このままでは落ち着かぬ。
 残念ながら、道塚京一郎が本日、始末されることはなくなった。
 ならば、私はアリバイ作りの必要がない。欠勤してもかまわないことになる。今の精
神状態では、いくら顔に出ないと言われる私だって、周囲の目には奇異に映る恐れがあ
る。普段が冷静であればあるほど、わずかな異変が目立つのではないだろうか。
 それならいっそ今日は会社を休み、我が身を人目にさらすことを避け、家の中で事件
の情報を集める方がよい。会社には、急な腹痛に見舞われて動けないと伝えておこう。
落ち着いたら病院で診察してもらうと付け加えておけば、万が一にも誰かが様子を見に
来ることもあるまい。
 私は携帯電話を持ち、会社の番号を表示しておいてから、腹痛の演技のシミュレーシ
ョンをやってみた。

 何が何だか分からない。
 私が調べた限りではあるが、野代幸大の死は紛うことなき事故であり、特段、警察が
事件性ありとみて動いている気配はない。行き付けのスナックでいつもより多めに飲ん
で酔っ払って、千鳥足のまま帰路についた結果、道路に飛び出てしまったようだ。
 また、野代は交換殺人のパートナーとしての義務を果たしていたらしく、私に関する
個人情報は一切残していなかったようだ。その証拠に、井原仁美殺しや野代の事故死の
件で、警察が私を訪ねてくることは一切なかった。
 それだけで済んだのなら、問題はなかったのだ。道塚京一郎を殺害するチャンスを逃
したのは惜しいが、事故死なら仕方がない。想像するに、野代は恐らく、殺人の決行を
翌日に控え、気持ちを落ち着けるためか、あるいは度胸をつけるためか、はたまた不安
を打ち消すためだったのか、いつもより多く酒を飲んでしまったのだろう。その挙げ句
がこれでは、彼も私もいいところなしだが、少なくとも私の身は安全だと思っていた。
 しかし、現実はそう簡単ではなかった。
 まず最初に私が驚愕し、肝を冷やしたのは、八月四日の朝だ。前日、結局のところ病
院へは行かずに済ませてしまったが、その分、野代の件であれこれ調べることができた
私は、それなりによい目覚めをしていた。ところが、例によって朝のニュースでとある
事件を知り、まだ夢の中なのかと思ってしまった。
 道塚京一郎が殺されていた。
 八月三日の午後二時前後に、恋人宅の近くで射殺されたという。
 私はこのとき、私自身がどんな表情をしていたのか知らない。内面ではパニック状態
に近かった。野代が死んだのに道塚が計画通りに殺されたことはもちろん驚きだが、凶
器が拳銃らしいというのも意外だ。野代が自動発射装置のような物を考案して、前もっ
て現場にセットしておいたのだろうか? 通り掛かった道塚京一郎は自動発射の餌食に
なった? まさか! そんな装置があったなら、報道されるに決まっている。大学の先
生が拳銃をわざわざ入手するのも奇妙だ。
 そんなことよりも、私は急速に焦りを覚えていた。八月三日の午後二時前後、私はど
こにいた? 会社を休んで、家にいた。病院には行っていない。そして、私は一人暮ら
しなのだ。
 つまり、アリバイがない。
 交換殺人が成功したというのに、なんて間抜けな!
 第一、道塚京一郎を誰が殺したというのだ? 野代が死してなお執念を見せ、幽霊に
でもなってあの世から舞い戻り、計画を実行した? 拳銃を使って? あり得ない。
 疑問だらけの事態だったが、時間が経つにつれ、別の心配事が浮上した。より本質的
な問題、そう、警察は私に容疑を掛けているのではないか? 私が道塚に復讐心を抱い
ているのは、いずれ分かるはず。いや、捜査員はもうとっくに掴んでいるかもしれな
い。今にもこの家の玄関前に到着し、呼び出しのブザーを押して、現れるのではない
か。そして私に尋ねるだろう、昨日の午後、どこで何をされていましたか?と。

             *           *

「なるほどなるほど。そのバーで、共犯者と初めて会ったんだな」
 刑事の確認の言葉に、男は力なく頷いた。俯いていて顔はよく見えないが、警察へ連
れて来られた当初の険しくも平静に努めようとする表情は、だいぶ崩れている。
「それにしても驚きだね。会ってすぐに交換殺人の話がまとまるなんて。私には信じら
れんよ。どうしてそうなった?」
「さ、酒のせいとしか……」
 迫力の欠片もない返事に、刑事は軽いため息をした。
「まあそりゃあ、酒の力を借りたってのはあるだろう。だが、それだけなら、こうも雪
崩を打ったように進むものかい? 酔っ払って決めたとんでもない約束なら、酔いが覚
めりゃあ多少考え直すのが道理ってもの。違うか」
「……分かりません。何でか知らないけど、歯止めが効かなかったんだ。――いや、強
いて言うなら、全然酔ったように見えない男がいて、そいつが全てを取りまとめる感じ
だったかも。ああ、最初に言い出したのは違うんだ。野代っていう大学の先生」
「事故死した野代幸大だな」
「ああ。あの先生も運がないよ。言い出しっぺだからってことで、俺の殺してほしい奴
を真っ先に殺してくれて、次にあの先生が殺したがっていた井原仁美がいなくなって
さ。これですべきことはして、目的も達成だったのに、事故で逝ってしまうなんて」
「馬鹿を言うな。殺しに手を染めておいて、運のいいも悪いもあるものか。生きていた
って、絶対に捕まえてやったよ。こうしておまえをお縄にしたようにな」
「そういや、何で俺に目をつけたんです? 何も落としてないはずだし、拳銃は他人の
だし」
 不思議そうに首を傾げる男へ、刑事は上からあきれ口調で告げた。
「おまえ、スリの腕は上級なのに、脳みその方は今ひとつ頼りないようだな。スリ取っ
た拳銃を殺人に使うなんて、一見妙案に思えたのかもしれんが、あれは元々、暴力団員
の持ち物でな。まだ試し撃ちにしか使っていない代物で、もしそんな銃で事件を起こさ
れたら、組全体に迷惑が及ぶってことで、すられた組員本人が責任を取りがてら、律儀
にも警察へ届け出たんだよ。で、試し撃ちに使った弾まで持ってきたから、すぐに照合
して分かった。あとは、おまえがスリ取った場所には防犯カメラが向けられていたか
ら、簡単に判明したって訳。分かったか?」
「そ、そうだったんだ。いやあ、あの厳つい面相だから、ただ者じゃないと睨んで、警
察に頼ることもないだろうと安心して狙ったのに」
 思惑外れを悔いるスリ男に、刑事は肝心の質問をぶつけた。
「そろそろ白状してくれよ。交換殺人をやった相棒の名前を」
 紙と鉛筆を出す。すでに、野代弘幸の名前がそこに記してあった。
「“三人で交換殺人”をやろうなんていう、奇想天外なことを思い付く割に、記憶力は
からっきしか」
「さっきから思い出そうとしてるんですが、脳に蜘蛛の巣と霞が掛かったみたいに、も
やもやっとしていて、思い出せんのです。顔の方は、しっかり覚えてるんだがなあ。酒
を飲んでも飲んでも、ほとんど赤くならない、冷静沈着を絵に描いたような顔でさあ」
「そいつの顔、この中にあるか?」
 刑事は五人の上半身を捉えた写真一枚ずつ、スリ男の前に並べた。道塚京一郎に何ら
かの恨みを持つ人間としてリストアップした五名だった。

――終わり




#445/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/10/28  01:33  ( 16)
随筆>蜘蛛
★内容
芥川先生の御本に悪人が生前助けた蜘蛛がいました。蜘蛛の糸でおしゃかさまが地獄か
ら助け出してあげる(結局は失敗した)話があるのですぅ。私はそれを見習って蜘蛛は
大事にしています。

ある夏の日でした。一匹の蜘蛛が家の中に入ってきました。家の中にいれておくと噛み
つかれるかもしれないし、殺すには可哀想だし、外に出してあげることにしました。
嫌がる蜘蛛を捕まえて、屋根の瓦の上にそうっと起きました。夏の暑い日だったので、
瓦も焼けていたのでしょう蜘蛛はぴくぴくぴくと痙攣を起こして動かなくなりました。
気がついたら逃げ出すだろうと思って、窓を閉めて冷房と扇風機がかかった涼しい部屋
で蜘蛛のことを忘れてパソコンで遊び始めました。
そして次の日見ると蜘蛛は同じところにいました。その次の日も・・・その次の日も
・・・
一週間がたちました。窓をあけると蜘蛛は同じところにいました。風が吹き、逝って身
体の水分が抜けた蜘蛛は凧のようにふわりと飛んで行ってしまいました。
教訓
地獄に行っても蜘蛛の糸で助けてもらうことはできないようです。




#446/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/06  22:32  ( 21)
随筆>2匹のやもり  $フィン
★内容
私の家では防犯のため一晩中玄関先に灯りをつけています。そこに羽虫やその他の昆虫
が集います。その虫たちを食べにわりと大きなやもりと中ぐらいのやもりがやってきま
す。
2匹を観測していたら羽虫が油断をしている間にさっと動いてぱくりと食べます。ぱく
りぱくりぱくり何度も同じことをしていて見ていてなかなか飽きません。
深夜人は寝てやもりは羽虫を食べる。
日が昇ると同時に羽虫は消え、やもりもどこかの影に隠れるはずなのですが、家の構造
のせいとやもりが太りすぎて、玄関のガラスとサッシの間に挟みこまれて、逃げ出すこ
とができません。逃がしてやろうと無理して出そうとするとしっぽがちぎれて、しっぽ
のないやもりになると可哀想だからそのままにしておきます。そうやって何もせずに見
守っているといつの間にか抜けだしています。
私も家族もやもりのことは気にかけていて、今夜はもうやもりでてきたよとか言って玄
関のガラスに貼りついたやもりを優しく見ています。
だけどここ2.3日気になることがあります。中ぐらいのやもりだけが姿を見せて、大きな
やもりの姿が見えません。大きなやもりは食物連鎖の中に取り込まれて、より大きな動
物に食べられたのかなと心配しています。できれば11月にはいってから寒くなったの
で冬眠したと考えたいです。中ぐらいのやもりも玄関の羽虫をいっぱい食べて、そろそ
ろ冬眠すればいいのにと思っています。
そして来年の春、大きなやもりも中ぐらいのやもりも冬眠から目覚めて、また玄関に現
れてくれるのを祈っています。こうして人にもやもりにも平等に季節は巡るのですね。
来年の春に元気に現れてください>二匹のやもりくん




#447/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/14  02:02  ( 44)
随筆>涼しい布団 暖かい毛布  $フィン
★内容


最初に別にそこの業者を誹謗中傷するつもりはなく、私が思ったありのままの感想を書
いているつもりです。読む側も買う時に少しでも参考になればいいと思っています。

今年の夏も例年どおり暑かった。少しでも身のまわりを涼しくしようと、外出した後に
は水のシャワー、お風呂に入ってからは男性用のすかっとするミントの匂いたっぷりは
いっているリンスインシャンプー、男性用のボデイソープ(ミント風)、お風呂に出る
ときは水のシャワーで女なのに、夏になると男性化しています。

そんなおり、CMで●●は辛いが布団は涼しいとかなんとかいうのがありました。お金
をできるだけかけずに涼しくなる方法を考えていた私は興味を持ちました。そしていつ
も衣料を注文している通販サイトで同じようなものが売られていたので、寝るときに本
当に涼しくなればいいなと言うことで注文しました。下が2500円、上が2000円弱でし
た。

注文して2.3日後無事届いてさっそく布団にとりつけてみました。・・・・ぜんぜん涼し
くならない。それが最初の感想でした。値段のわりには布団がしょぼい。特に上がタオ
ルケットに近いようなものなのに、2000円とはちと高いのではないのかい?1000円以内
で収まるものでないかい?という感想でした。それでも肌触りはつるつるしてたしかに
いいし、今流行りなのだから今のうちにぼっているものを買ったと思えばいいかと思っ
て諦めました。

季節は夏は終わり、秋になって11月そろそろファンヒーターや毛布の暖かいのを欲し
くなる時期です。

妹がホームセンターのチラシを持ってきてなんでもいいから3000円以上のものを買って
欲しい。たぬきの置物を見学するバス旅行に当たりたいからと、友達も同じことを考え
ていて二人でただのバス旅行に行くつもりです。3000円以上の買い物をしないとバス旅
行の応募券をもらえないのです。

そこで私は去年3000円ぐらいで上用の毛布を別のホームセンターで買っていました。裏
表二重の茶色の無地の色こそ悪いが肌触りもよく軽くてとても暖かい毛布を買っていま
した。妹が持ってきたチラシにも3000円で同じ茶色の暖かい毛布と書かれていました。3
000円の買い物をしたら妹もバス旅行に行ける確率があがって喜ぶだろうと暖かかったら
いいなと妹に頼みました。

そして数日後その毛布を持ってきました。手触りこそいいものの、●●は辛いが布団は
涼しいの暖かい版でした。薄っぺらいぺらぺらの毛布でした。3000円払ったらもっと暖
かい二重の毛布が届くと思っていた私はがっかりしました。これだと1500円ぐらいの品
だなと思いました。

これを読んだみなさんも自分の目でちゃんと確認して、実際にその金額にあうものか見
て購入してくださいね。通販や妹の目を信じた私が馬鹿でした。




#448/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/23  12:15  ( 23)
随筆>楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシ $フィン
★内容


半年に一度定期健診で歯医者に行っています。行く前に歯磨き粉なしで一度歯を磨き、
糸ようじを使って歯と歯の間にある磨き残しをとって、その後歯磨き粉をつけて歯を磨
き、最後にマウスウオッシュで歯を磨いています。それでも看護師さんに歯を染色して
もらうと磨き残しがあります。いままで何回もそうやってきたのですが、毎度指摘され
てしまいます。看護師さんに一本一本歯を磨いてもらって、その後超音波で歯を磨いて
終わりです。虫歯ができて治療してもらうときは痛いのはわかるのですが、歯の定期健
診のときは気持ちいいのか、痛いのかわからない何度やっても微妙な感じがします。

さて今回の題材になった楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシですが、今まで1本150円
以上の歯ブラシで歯を磨いて(一度目は歯磨き粉なしで歯を磨き、糸ようじで歯と歯の
間をとり、二度目は歯磨き粉で歯磨いて終わりです)いるのですが、歯を磨いていてわ
りと楽しくてやっていました。

でもその歯ブラシも横に広がってきて、1週間前ドラックストアによったさいに、1本78
円で売っていたドラックストアのプライベートブランドの歯ブラシを買ってきて、さっ
そく以前と同じ方法で磨いたのですが、あれ?磨いていて楽しくない。歯ブラシは同じ
普通の硬さなのに微妙に違う。慣れていないせいかなと思っても歯磨きが楽しくない。
同じことをやっているのに楽しくない。

やっぱり78円の歯ブラシは駄目なのかな値段どおりの効果しかないのかなと思った。次
は150円の歯ブラシ買おうと思いました。




#449/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/02/25  21:15  (413)
呪術王の転落   永宮淳司
★内容
 遠くに赤い砂肌をした山々が見える。どれも三角形より四角形に近いシルエットを持
っていた。
 周辺にはサボテンを始めとする棘の多い植物が点在する他は、特に生き物の気配の感
じられない、荒涼とした地面が延々と続く。無論、我々人間が簡単には見付けられない
場所に、小さな生き物たちは潜んでいるのだろうが、一見するとこの一帯は“死の土地
”そのものだった。
 こんな場所に何を思ったのか、宗教団体がかつて巨大な塔を建てた。高さ二十四メー
トルの五階建て、ドーナツ型をした円筒の石造り。かつてはそれなりにきらびやかさを
有していたそうだが、生憎と資料が残っておらず、具体的には分からない。現存する塔
は、内壁も外壁も黒く磨き上げられた石が鈍い光をまだ宿しており、往時を偲ばせた。
 一階部分には窓もドアもなく、地上からは二階へと通じる階段を登ってから、改めて
降りることになる。他の階には全て窓が四つずつがある。いずれもはめ殺しで、分厚い
ステンドグラスが今も無傷で残っているようだった。
 ようだったと曖昧な表現にしたのは、近くまで行って直接確かめることが困難だから
だ。内部にあった螺旋階段は錆び朽ちて、ほぼ全て崩壊していた。僅かに残った数段の
ステップや手すりなぞ、最早何の役にも立つまい。触れただけで崩れかねないように見
える。
 塔の内部は屋上まで吹き抜けで、エントランスホールに該当する中心区画から見上げ
れば青空が望める。元々、屋根はなかったらしい。
 何のために作ったのか? 宗教団体の説明によれば、各階にある四部屋が修養の場と
して機能していたとのこと。どのような修養が行われていたのかの記録はあるのだが、
詳細は省く。部屋の構造自体は同じだが、上階ほど上級の修養がなされていたという。
「宗教団体の解散後、所有権を持つ人物とその血縁者が皆、お亡くなりになってね。よ
うやく、こうして利用できることになった」
 鼻髭の印象的な中年男が言った。“呪術王”と呼ばれる割に、柔和な表情をしている
し、声の調子は穏やかで優しく、身体も平均的だった。
 彼の名は、ロドニー・カーチス。占いを生業とする。ここ数年で、急に知名度が上が
り、人気を得ていた。きっかけは、芸能人やスポーツ選手など著名人の将来に関する
諸々を、いくつも言い当てたためだ。
 当初、彼自身は、必要以上に自らを売り込もうとはしなかったが、人気者になるとマ
ネージャーがいる方が便利だ。という訳で雇われたのが私、メクロ・カンタベルであ
る。元は男性歌手のマネージングをやっていたが、タレントの不祥事により喉が干上が
りかけていたところを、拾ってもらったのがより正確な表現になろうか。
 もちろん、腕には自信がある。カーチスを最初は占い一本で売り込み、次いで予言や
心霊現象関連に首を突っ込ませ、徐々にクイズ番組などにも進出。今ではスポーツ選手
の運動会や、芸能人の水泳大会にまで顔出しさせている。呪術王は年齢の割に運動がで
きるのだ。
 そんな風に仕事をするようになってからしばらくすると、カーチスにも商売っ気が出
て来た。私は彼のためを思って、仕事を取捨選択し、呪術王ロドニー・カーチスにとっ
て最善のイメージ作りを心掛け、機を見てイメージチェンジをはかり、そして成し遂げ
た自負がある。
「それで……一体、何を確かめたいと言うんです?」
 私はカーチスに尋ねた。荷物を満載したワゴンカーを用意させられ、目的を告げられ
ぬまま、ここまでお供させられたのだ。いい加減、打ち明けてくれてもよかろう。
「メクロ・カンタベル。君はここでかつて起きた不可思議な出来事について、知ってい
ますかな?」
「いえ……特に何も知りません」
 大きな事件と言えば、くだんの宗教団体の教祖が、塔の天辺にある自身の部屋で死亡
したことくらいだろう。ただ、あれは報道によると病死で、別段、不思議な事件ではな
かったはず。
「勉強不足です。ここへ来ると伝えた時点で、下調べくらいしておいてもらいたいも
の」
「すみません。他の諸々に忙殺され、そこには意が回りませんでした」
 やや不機嫌な口調になった呪術王に、私は急いで頭を垂れた。
「それなら仕方がない。まあ、私でも知っている常識だと思っていたが、昔のこと故、
世間から徐々に忘れられているのかもしれない」
 そう言うと、カーチスは塔によってできた日陰に入り、話し始めた。
「長くなる話じゃあない。語ろうにも、情報が少ないのでね。事件の主役は、バーバ
ラ・チェイス。宗教団体の信者で、齢は十五ほど。見事な金髪だけが自慢の、他は地味
な印象の少女だったとか。そして彼女は足が不自由だった」
 教祖が奇跡を起こして、その子を歩けるようにしたとでも言うのだろうか。
「バーバラは教団の末期に入った信者で、程なくして教祖が死亡、教団の解散となる。
それでも彼女は信仰を捨てず、ここへ来ることを願った。多分、教祖の魂がまたいると
でも思ったのでしょう。解散から一年後、その願いは叶い、友達数名の助けを借りてこ
こへやって来たバーバラは、一人で一晩明かしたいと告げる。友達は聞き入れ、場を離
れた。バーバラが夜をどのように過ごしたかは定かじゃないが、この塔の一階で寝袋に
入って就寝したことだけはほぼ間違いない。というのも……いや、この点は後回しにし
よう。翌日の昼前、友達がバーバラを迎えに行くと、彼女の姿はなく、荷物の一部が一
階の壁際に置いてあるだけだった。ああ、言い忘れていたが、当時の段階で既に建物は
今のように朽ちかけていた。時間による劣化のみならず、教祖死亡を受けて混乱を来し
た教団内で、大小様々な暴力・暴動沙汰があったせいらしいね」
 何故かにこりと笑うカーチス。呪術王は新興宗教団体を見下しているようだ。
「友達はバーバラ・チェイスを探したが見付からない。遠くまで移動できるはずがない
彼女を探すのに、捜索範囲はさほど広くない。一時間ほどで行き詰まった友達連中が途
方に暮れていると、突然、空から声が聞こえたそうです。叫び声と呻き声が混ざった、
形容のしがたい声がね」
 私が知らず、固唾を呑むのへ、カーチスはいよいよ講釈師めいた口ぶりと表情をなし
た。案外、楽しんでいるようだ。そして案外、愛嬌のある顔になると気付いた。
「それはバーバラの声だった。友人らが見上げた先は、塔の天辺付近。具体的にそちら
から聞こえたとの確信があった訳ではないらしく、他に見上げるべき物がなかったとい
うのが正しい。とまれ、声の源としてそこは間違っていなかった。塔の最上階、少しば
かり残った床の上に、バーバラ・チェイスは横たわっていた。寝袋に入ったままの状態
で、仰向けに」
「どうやって助けたんですか? いや、そもそもどうやってバーバラはそんな場所へ行
けたのか」
「焦るもんじゃないですよ。無論、友人達はすぐさま助けに行くことはかなわず、本職
の救援隊を呼んだ。詳しい段取りは省くが、かなり手こずったという。それよりもバー
バラが登れた方が不思議であろう。彼女が後に語ったところによると、意識を失ってい
たらしく、気が付いたときにはそこにいたと言うんですな。日差しのきつさに覚醒し、
周囲を見回して悲鳴を上げてしまったと」
「夜は下で寝ていたんでしょう? 何者かが彼女を寝袋ごと担いで上がるとしても、塔
の様子からして非常に難しい……と言うよりも、無理だと思えますが」
 私は聳え立つ塔を改めて見上げ、言った。バーバラ・チェイスの一件が何年前の出来
事か知らないが、塔の状態が現在よりも劇的によかったとは考えにくい。長梯子や滑車
があったとしても、不可能ではないか。
「ああ、バーバラが睡眠薬でも飲んでいたなら、あるいは可能かもしれませんね?」
「いや、仮にそうだったとしても、難業ですよ。人ひとりを担ぐにしろ、道具を使うに
しろ、目を覚まされないようにするのは。まあ、実際には睡眠薬を始めとする薬物の類
は、全く検出されなかったんですがねえ」
「そうだったんですか」
 当事者が生きて助かった場合でも、健康診断名目であれやこれやと調べるものらし
い。
「この謎は、結局解かれないまま、現在に至っているのだが……私はどうやって起きた
のかを突き止めた。正確には、突き止めた気がするという段階だがね」
「つまり、筋道だった推理を組み立てたってことですね? 聞かせてください」
 私の言い方がよほど物欲しげだったのか、カーチスは嬉しそうに笑みを作り、そして
勿体ぶった。
「今は話すつもりはない。推理が当たっているのかどうか、確かめてからになります」
「確かめる?」
「そのために、現場まで足を運んだんですからな」
「ははあ。てっきり、暇潰しの物見遊山かと」
「とんでもない。もし当たっていたときには、世間に大々的に公表するつもりだ。その
前に、君には真っ先に教えてあげましょう」
「それはありがたいですが……当然、今は他言無用ですね」
「ああ。公表前に外部に漏れたときは、君はくびだ。はははは」
「冗談でもそんなこと言わないでください」
 私は身震いして見せた。事実、呪術王はこのところ、以前のように単独で仕事をやり
たがっている風に見受けられる。私の仕事のやり方を会得し、一人でできると踏んだの
だだとしたら、それは大きな間違いというものだ。
「それよりも、早く実証実験に入らないんですか」
「君がいる前ではやらん。一人で始めて、結果を待つことにしてる」
「どうしてです?」
「間違っていたら、気まずいじゃあありませんか。加えて、この実験は時間が掛かる。
しかも、いつ、私の想定した条件が揃うのか、分からないと来た」
「えっと。それって」
 私は近くまで運んで来て荷物を思い浮かべた。
「ここでお一人でキャンプでもすると……?」
「そうなる。なあに、安全は確保してある。水や食糧は充分に用意したし、電話が通じ
なくなるような万々が一の緊急時に備えて、信号弾もある。ああ、結果が出たら知らせ
ますから、すぐに来てくれたまえ」
「結果が出なかった場合はどうしましょう?」
「そうですな、そのときは……まあ、五週間と期限を区切りましょうかね。連絡がなく
ても、五週間後には迎えに来るように。いいですね」

 現在、きっかり三十五日後の昼間。
 私はカーチスのいるはずの塔の足元に立っていた。
 外から呼び掛けても返事はない。しかも、彼の持ち物のいくらかは、周辺に散乱して
いる有様だ。何らかの異変があったに違いない。それは端から分かっていた。
 即座に浮かぶとすれば、大型肉食獣による襲撃だろうか。この辺がいくら死の土地だ
と言っても、獣が全くいない訳ではあるまい。熊のような大型で凶暴な獣が出現したの
ではないか。そんな想像を脳裏に描いてみた。食い散らかされた人体……。
 が、思い付きは簡単に粉砕されることになる。
 塔の内部に、恐る恐る足を踏み入れた私は、一階エントランスの部分に呪術王を見付
けた。彼は俯せに横たわっており、一見、寝ているようだった。だがしかし、異変が起
きたのは確かなのだ。
 その名を何度呼ぼうとも、応答はなく、代わりのように嫌な臭いが私の鼻を衝いた。
背中や額を汗が伝う。
 近付いて、いよいよはっきりした。カーチスの後頭部には、赤黒い物があった。何者
かに殴られでもしたかのように、少々へこんでいる。
 呪術王は息絶えていた。

 後日明らかにされたところによれば、カーチスの死因は、転落死とのことだった。
 あんな場所で転落とは。それなら彼はあの塔に本当に登ったか、登る途中のいずれか
で、何らかのミスを犯して落ちてしまったのか。だとすると、彼の言っていた実験は、
ほぼ成功しかけていたことになる? 当人が死んでしまった今となっては、彼の推理し
た方法がどんなものだったのか、知る術は失われた。
 ただ、彼の残していたメモ書きにより、仮説が的中していた場合には自身の新たな売
りにするつもりだったことが分かった。“呪術王”ロドニー・カーチスが起こす不可思
議な現象として、大々的に披露する算段でいたのだ。そのためなのだろう、例の塔のあ
る一帯の土地を購入する手筈も、あとはサインをするだけと言っていいほどの段階まで
済ませていた。密かに計画を進めていたと知った私は驚きもしたが、今となってはどう
でもよい。
 それよりも、後処理だ。そこまで費用を掛けて、見返りが充分にあると踏んでいたの
だろうか? 私のようなマネージャーがいないとだめな人だったから、その辺の商売感
覚は怪しいが、そこはそれとして、俄然、興味が湧いた。もしも実際に見世物として成
り立つ現象が起こせるのであれば、カーチスの解き明かした方法を知りたいものだ。何
せ私は、彼の死によって、失業状態になった。見世物で稼げるのなら、私も当面の間、
糊口をしのげるであろう。マネージャーとして、カーチスのサインを真似るぐらい訳な
いから、いざとなれば土地購入の契約を正式に結んでいたことにできよう。
 そのためには、一にも二にも、謎の解明だ。
 とは言え、独力で解き明かせるかと問われると、全く自信がない。私は現実主義の方
に傾いた一般人だ。想像を際限なく膨らませるのも、無から突拍子もないものを創造す
ることも苦手だと自覚している。となれば、得意な者に頼むしかない。できる限り、費
用を掛けずに。
「そんな奇特な奴、いる訳ないだろ」
 昔からの悪友で、物書きをやっているテムズ・タルベルが言った。作家先生というよ
うなご立派なものではなく、記者崩れの男。そのくせ、金回りはいい。この居酒屋での
払いも、今夜は彼持ちだ。どこぞの富豪から、小金を引き出す種を握っているらしいの
だが、教えてくれる気配はない。
「正解があるかどうかも分からん謎に、無給で取り組むような輩。いたらそいつはよほ
どの暇人か、阿呆だ」
「ただ働きとは言わんさ。儲けの一部を回してやっていい。心当たりはないか」
「だから、見世物として成り立つのかどうかがはっきりしない段階で、協力する奴がい
るとはとても思えん」
「いくらか前払いできる。今なら、呪術王死す!と散々やってくれたおかげで、多少は
懐が潤ったんだ」
「金の問題というより、謎に取り組む熱意の問題だぜ、こいつは。おまえさんも夢みた
いな話を追い掛けてないで、新たなマネージャーの口を探した方がいいんじゃないか。
三月ぐらい前から、カーチス以外のマネージメントも考えたいと言い出していたが、あ
れ、どうなったんだ?」
「呪術王と仕事をしていたという評判が、なかなかね。芸能人の秘密を掴んでいるんじ
ゃないかと噂されて、いい印象をもたれていないみたいなんだな。それに……曲がりな
りにも、カーチスの世話をした身としては、情が移ったのかもしれない。解き明かして
やりたいという熱意は、確かにあるんだ」
 割と本音に近いところを吐露し、私は残っていた酒を呷った。
「頼むとして、どんな職業の奴を想定してるんだ?」
「それはやっぱり、宗教家とか占い師? インチキな御業に詳しい人物ならなおのこと
いい」
「そんな連中が都合よく見付かったとして、素直に協力してくれるかね?」
「……難しそうだ。となれば……手品師の類だな。あとで見世物にするとき、手品師が
いれば都合がよいかもしれないし」
「おまえに利益が回らなくなる可能性が高そうだ」
 解明してもそれを私には教えず、手品師が独自に見世物に仕立てるっていう意味か。
そんな狡賢い奴ばかりではないと思うが、きちんと契約を結んだら結んだで、儲けのほ
とんどを持って行かれそうなのも、容易に想定できる。
「じゃあ、あと考えられるのは……探偵かな」
「探偵?」
 全く予想していなかった言葉を聞いたとばかり、目を丸くしたタルベル。だが、こち
らとしては意表を突いたつもりなぞ毛頭ない。
「おかしくはあるまい。すっかり忘れているようだけれど、ことは殺人事件なんだ。地
元の警察は、まだ何の手掛かりも掴めていない。ひと月近く経つのにまともな発表が全
くないんだから、少なくとも難航しているのは間違いないだろう。そこでマネージャー
だった私が、探偵を雇うというのはさほど変な成り行きではないはずだ」
「なるほどな。しかし、刑事事件を依頼するとなると、相当な金が……。実費だけでも
かなりになるだろう」
「タルベル、君の広い顔でもって、誰かいないもんかね。依頼料なんて二の次、謎解き
こそ喜び、みたいな探偵の心当たりは」
「うーん。実は、いないことはない」
「そうなのか? 是非、すぐにでも紹介してくれ」
「簡単には掴まえられんのだ。その男、世界を旅しているからな」
「旅? もしかすると、異人なのか」
「異人だが、言葉は問題なく通じる。少し、気難しいところがあるがな。エイチという
名の、黒髪の男だ」
 結局、私の懇願に折れ、タルベルはエイチへ接触を図ってくれることになった。期待
するなよと何度も言って。

「その件なら、発生当時に滞在先で聞き及んで、ある程度の興味を抱いたよ。が、検討
の結果、事件性はないと判断できた。だから、あなたの地元での出来事だと分かってい
ても、特に知らせようとは考えなかったな」
「うむ」
 エイチの言葉に、警察署長のライリー・カミングスは、重々しく頷いてみせた。威厳
を保とうという意識が、強く出てしまっていた。童顔のため若く見られがちなカミング
スは、半ばそれが癖になっていた。
「私もそう思っていたのだが、関係者からせっつかれて、のんびりと構えていられなく
なった。さりとて、事件性がないことの証明は、意外に難しいものでね。管轄内では他
に大きな事件が複数、起きていることもあり、ここは君の助けを借りるべきだと判断す
るに至ったのだ」
「以前は僕の方もお世話になりましたから、協力は喜んでしますが――こちらの推測を
話す前に、カミングス署長ご自身の考えを聞きたいものです」
 そう言って微笑するエイチに、カミングスは眉根を寄せた。
「私の考え?」
 応じる声が、多少の動揺を帯びていた。“呪術王転落死”の件の顛末について、彼が
思っていることはただ一つ。呪術王カーチスは崩れかけの塔をどうにかして登ったが、
誤って足を踏み外し、地面に激突、そのまま死に至った。それだけである。無味乾燥で
つまらないが、そうとしか考えられない。
 カミングスはしばしの逡巡のあと、エイチにこの感想を正直に伝えた。
「――こう言うと、君はすぐに指摘するだろう。分かっている。どうにかして登ったと
言うが、その方法を解き明かさねば真の解決とは言えない、とでも言うつもりだろ?」
「まあ、半分は」
 エイチは、今度ははっきりと笑いながら言った。
「半分? 何が半分だ。その言い種だと、どうにかして登ったということ自体、半分し
か当たってないみたいじゃないか」
「半分というのは言葉のあや。思うに、カーチス氏は自らの力で登ったのではないと考
えています」
「……分からんなあ。自力じゃないのなら、誰かに引っ張ってもらったとでも? あ
あ、そうか。先立つ事件では、足の不自由な女性が塔を登った訳だから」
「ええ、関係あり、です。カーチス氏とバーバラ・チェイス嬢は、同じ過程を辿って、
塔の上まで運ばれたんでしょう」
「何と。二つとも解決したというのか」
 つい、解決という表現を使ってしまったカミングス。これでは、警察は皆目見当が付
いていなかったと白状するも同じである。
 そのことに気付いたカミングスだったが、素知らぬ態度で続ける。
「ならば、答合わせといこう。エイチ、君が真相に至ったのは、何がきっかけだった
?」
「過去の新聞記事」
 短く答えるエイチ。ある意味、意地悪な返事とも言えた。
「そうであろう。かつての事件にヒントがあったと」
「ええ。あの一帯で、何らかの特徴的な出来事が起きていないかどうか、遡って調べて
みた。すると、数年に一度、奇妙な変死事件が発生していると分かった」
「変死か」
「問題の地域は、砂漠に近い、乾燥した大地です。にもかかわらず、溺死者が出ている
んですね。とても特徴的でしょう」
「ああ、死の土地での溺死か。それなら分かるぞ」
 さすがに警察署長として把握している。
「十五年くらい前までは、完全に謎だったな。何しろ、周囲には川や沼といった水辺は
全くないのに、人が溺れ死んでいるのだから。どこかよそで溺れさせたのを運んだとし
ても、わざわざそんなことをする理由が犯人にあるのだろうかと、不思議だった。ま、
分かってみれば単純なことで、山側で突発的に大雨が降ると、その雨水が一本の濁流と
なって、短時間で一気に押し寄せる区域がある。運悪く、そこにいた人物が犠牲になっ
たという仕組みだった」
「それと同じですよ。カーチス氏のときもバーバラ嬢のときも、直前に同じ気象条件に
なっていたと分かった」
「むう。しかし、ロドニー・カーチスは溺死ではなく、転落死。バーバラにしても、溺
れてはいない。どういう訳で、そんな違いが?」
「多分、彼らは水に浮かんだんです。その結果、カーチス氏は命を落とし、バーバラ嬢
は助かったという風に、道ははっきり別れましたが」
「ますます分からん。焦らさずに、噛み砕いて教えてくれ」
 カミングスはすっかり、教師に教えを請う生徒と化していた。
「溺れずに浮かんだの何故か。鍵となったのは、まず、あの塔の内部にいたという事
実。現地に行って調べてはいませんが、塔の壁は、床や天井に比べると相当に頑丈なの
ではないかと想像できた。中が朽ちても、壁は殻のように残り、塔として聳え立ってい
るのだから」
「まあ、そう言えるだろうな」
「次に、二人とも寝袋を使った。正確には、カーチス氏が寝袋を使ったかどうかは定か
でないが、キャンプ道具を運び込んでいる。一人で野営するのなら、テントよりも寝袋
の方が簡便と言える。第一、氏はバーバラ嬢の身に起きた現象を再現することを期し
て、現地入りしているのだから、同じ格好をした可能性が高い」
「何となく見えてきたぞ。寝袋は撥水性、いや、もっと言えば防水加工が施された代物
だったとすると、水に浮かぶ。少なくとも、身一つでいるところを水に襲われた場合、
浮かびやすくなる、だろ?」
「ご名答。短期間に山に降った豪雨が、強くて速い流れになって、塔のふもとを襲っ
た。所々に開いた穴から、水は塔内部に入り込む。塔を大きくて細長い器に見立てる
と、分かり易いかもしれません。中で横たわっていた人間は、嵩を増す水に一気に持ち
上げられ、塔の天辺近くまで行き着く。バーバラ嬢は、幸か不幸か気付かぬまま天井上
に到着。カーチス氏は最上階の床に乗り上げた」
「ふむ、なるほどな。バーバラ・チェイスの方は、おおよそ分かったぞ。彼女を持ち上
げた大量の水はじきに引く。そして目覚めたときには、照りつける太陽や乾燥した空気
のおかげで、地面や衣服などにあった濡れた痕跡もすっかり乾き、分からなくなったと
いう訳だな」
「恐らく。早めに気付いてもらえて、彼女は幸運だったのかもしれない」
「気付かれなかったら、やがて干からびて死を迎えた……」
「あるいは、どうにしかして降りようともがき、転落した可能性もあったでしょう」
「本当に転落死したロドニー・カーチスは、もがいたということになる」
「うーん、少し違うかもしれませんよ。彼は連絡手段があったはずですから」
「そうか。落ち着いてマネージャーに知らせれば、助けを待つぐらいの辛抱はできただ
ろうなあ」
「カーチス氏が転落したのは、中途半端な位置に引っ掛かったからではないかと、推測
しました」
「そういや、君は最前、バーバラは天井の上に辿り着いたが、呪術王はそうではない、
みたいな言い方をしたっけな」
 思い出したという風に、カミングスは左の手のひらを右の拳で打つ。
「具体的にどこと特定することはできませんが、最上階の不安定な場所だったと見なす
のが妥当でしょう。もしかすると、引っ掛かり損ね、慌てて手で床の端を掴んだかもし
れない。そこからよじ登れたならば、きっと助かっただろうに、握力の限界が先に来
て、転落してしまった――という推測ができる」
「連絡できなかったという点を考慮すると、それが一番ありそうだなあ。両手がふさが
っていたら、緊急の連絡もしようがない」
 カミングス署長は合点して大きく頷くと、手元の紙にメモ書きを始めた。宙ぶらりん
になっていた呪術王転落死事件に、はっきりとした結論を下すために、改めて調べるべ
き事柄を思い浮かべ、箇条書きにしていく。
「どうしてまた、ふた月近く経ってから、協力要請をしてきたんです? 言っちゃあ何
ですが、カミングスさんが事故だと思っていたのなら、もっと長く放置しそうなもの
だ」
 その様子を横目に見ながら、エイチが尋ねた。
「うむ。まあ、面倒くさい奴からつつかれたもんでね。裏も表も知ってるような自称・
記者から」
「その記者は、何でこの件に興味を持ったのでしょう? 元の宗教団体を追い掛けてい
るとか」
「いやいや。カーチスのマネージャーだった男が、その記者と旧知の仲だっただけさ
ね。カーチスの不審死の謎を解き明かしたい一心、てことだったが、金儲けも企んでい
るようだ」
「金儲けというと……ああ、カーチス氏に死なれたあとはマネージャーも何もないって
訳か。次の職を得るまでのつなぎに、呪術王を利用しようという策は感心しないが、や
むを得ないと」
「そこなんだが」
 カミングスはあまり進まない筆を止め、エイチの顔を見た。
「思い出した。一応、人が死んでるってことで、メクロ・カンタベルの身辺も調査した
んだ。カンタベルってのはマネージャーのことだが」
「不審な点が?」
「はっきりと怪しいことが出て来てたら、事件性を疑ってもっと調べたよ。まあ、引っ
掛かった程度だな。カンタベルは、ロドニー・カーチスが亡くなる前から、次の職探し
をしていたようなんだ」
「気になりますね」
「お? どう気になるって言うんだ?」
 エイチの即答に、カミングスはペンを手放した。机の上で両手を組み、身を乗り出す
姿勢を取る。
「最初に、報道された記事だけで事件性はないと判断したと言いましたが、それは条件
付きでした。確実に殺せる方法じゃないからです。犯罪者にとって不確実な方法でもよ
いのであれば、事件性がないと現段階では言い切れない」
「え。そんな方法がありますか?」
 急に丁寧な言い回しになったカミングス。すぐに気付いて、口元を手のひらでひと拭
いした。
「転落死させる方法があるとは、思えないんだが。知らないのかもしれないが、カーチ
スの死亡推定時期の間、カンタベルにはちゃんとしたアリバイがあるんだ」
「一日中、監視が張り付いていた訳ではありますまい? 遠隔地にいても、ちょっと操
作するだけで、人と人はつながれますよ」
「電話か。そりゃあ、電話があれば話ぐらいはできるが。実際には、電話はなかったと
カンタベルは言っている」
「待ってください。危機に瀕したカーチス氏にとって、電話は単なる会話道具ではな
く、命綱にも相当したんじゃないかな。無論、危機というのは、水の急増によって、塔
の上方に運ばれたことです。多分、カーチス氏は水によって塔の上まで行けるとは予想
していたが、あまりにも急だったんでしょう。食糧などを上に持って行けていたら、し
ばらくは耐えられたはずなのに、そうはならなかったようですから。だが、いつでも緊
急の連絡を入れられる準備ぐらいはしていたと思う。寝袋の中に電話を常備しておくと
かね。だから、その場合、氏はすぐにマネージャー宛に電話を掛けたに違いない。で
も、その電話に反応がなかったとしたら」
「反応がないとは、つまり……電話に出ないということで?」
「それもあります。あるいは、電話で救援を要請され、応じる返事をしておきながら、
実際には行動を起こさなかったか。そもそも、バッテリーをまともに整備しておかない
という方法もあり得る」
「バッテリー……」
「手動の充電器を用意していたかどうかは知らないが、それとは別に、予備のバッテ
リーも用意していくでしょう。充電器自体が壊れることだって考えられるのだから。そ
してバッテリーのいくつかを不良品にしておけば、カーチス氏の連絡手段は断たれる」
「うーむ。確かに、どの場合も死に至りかねないな。救助の声が伝えられないにして
も、待てど暮らせど救援が来ないにしても、絶望につながる」
「僕の想像では、電話はつながったと思います。カーチス氏の立場に置かれたとして、
助かるとしたら、水の勢いが収まった時点で思い切って飛び込むぐらいでしょう。それ
ぐらいのことをいい大人が気付かないとは思えない。あ、呪術王は泳げますよね?」
「ああっと、多分。運動は得意だそうだから」
 記憶を手繰りながら答えたカミングスに、エイチは「あとで確認を」と指示し、話を
続けた。
「泳げるとして――泳げなくても命に関わるとなれば飛び込むという選択をする可能性
が高いでしょうが――、それにも関わらず機会を逸したのは、救援が来ると確信してい
たからではないか。電話を受けたカンタベルが、すぐにでも来てくれると疑いもしなか
ったからこそ待ち続けた挙げ句、水が引いてしまった」
 エイチの推理に、カミングスは唸った。だが一方で、首を捻りもした。
「興味深い仮説だが、証拠がない。何せ、カーチスの電話は完全に壊れた状態で見付か
ったんだ。高いところから落ちたせいだと思っていた。今の話を聞くと、ひょっとした
ら第一発見者であるカンタベルが破壊したのかもしれないし、そうじゃないのかもしれ
ん」
「通話記録の照会ができない?」
「荒涼とした土地に行くからと、常用していた物を持っていかずに、前払い形式の奴を
新たに購入したらしい」
「いや、僕が言ったのは、マネージャーの電話です」
「……ああ、そうか」
「まさか、マネージャーの方も電話を新しくしてはいないでしょう? 使えるのに変更
したら、カーチス氏から疑われかねない」
「なるほど。細い糸のような頼りなさだが、調べる値打ちはありそうだ」
 カミングスは署長の椅子から腰を上げた。電話に手を伸ばすと、係の者につなぐよう
に伝えた。

――終




#450/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/06/28  21:05  (499)
そばに来るまでに   寺嶋公香
★内容
「相羽君は、芸能関係には興味がないのかね」
 英文学の宇那木(うなき)助教授から意外な話題を振られ、相羽は目をぱちくりとさ
せた。もちろん、無意識から出た仕種だが、妙にかわいらしくなってしまった。その
上、返事が出て来ない。
「芸術ではなく、芸能ですか」
 やっとそれだけ応じた。
 黒板を消し終わった助教授は、手に着いたチョークの粉をぱんぱんと払ってから続け
て言った。
「うむ。学生の多くは、トレンディドラマだのカラオケだのを話題にしているのに、君
の口からそんな単語が出たのを聞いた覚えがない」
 相羽は口元に微苦笑を浮かべた。先生の「トレンディドラマ」という言い回しが、ど
ことなくおかしかった。
 笑いを我慢しつつ、目の前の黒板を引っ張る。二枚の板が上下移動できて、入れ替え
られるタイプなのだ。少しだが、気になる消し残しがあったので、消しておく。
「全くないわけではありませんが、重きを置いてないというか、今は学生生活自体が楽
しい感じです」
「なるほど、結構結構」
 宇那木助教授は窓の戸締まりを確認してから、黒板の端に立て掛けた図面資料を肩に
もたせかけ、教卓にあったテキスト等を小脇に抱えた。百八十センチほどの背があっ
て、さらにぼさぼさ頭はアフロヘアに近いため、なおのこと高身長に見える。
「少し心配していたのだよ。艶っぽい話が口に上らないのはまあ人それぞれだとして
も、世俗的な楽しみすらシャットアウトしてるのではないかとね」
「朴念仁みたいに思われていたのですか」
「朴念仁は言いすぎだが、真面目で頭が固いというイメージだね。同じ頭でも中身――
頭脳の方は柔軟なのに」
 うまい言い方ができたとご満悦なのか、宇那木はにこにこしている。太陽がパーマを
掛けたみたいだ。
「お持ちしましょうか」
「お餅? ああ、いいよいいよ。この年齢で、君のような学生に荷物を運ばせたとあっ
ては、格好が付かない」
「でも、資料の端がぶつかりそうです」
 先を行く相羽は後ろを見ながら、出入り口の上部を指差した。図面を巻いた芯がドア
のレールをかすめそうだった。
「では、テキストの方を持ってもらえるかな」
「はい」
 相羽は肩から提げた自分の鞄を背負い直し、テキストを受け取った。厚さも判型も異
なる三冊と受講者名簿が、手の中で意外と落ち着かない。
「次のコマは、何もないのかね?」
「心理学ですが、休講と出ていました」
「ああ、種市(たねいち)先生か」
 呟くのを聞いて、相羽はちょっとしたいたずら心を起こした。先程、固いと言われた
ことを払拭しておこう。小耳に挟んだ噂話を持ち出してみた。
「宇那木先生は、種市先生と仲がよいと聞いていますが……」
「学生の頃、同じ学校だったことがあるからね。お互い、いい歳だし、一緒になっても
いいかなぐらいの話はしてる。何だ、ちゃんと興味あるんだ?」
「興味というか、疑問というか。聞いた限りでは、種市先生は女子大で、宇那木先生と
同じ学校というのは解せません。つまり、高校や中学で同じ学校だったんでしょうか」
「そうだよ。もっと前、小学校のときから一緒だった」
 エレベーターがあったが、素通りして階段に向かう。上がるのは一階分だけだ。
「同じ大学に着任するとは、腐れ縁的なものを感じる」
「どちらかが追い掛けてきたわけではないんですか」
「ないない。偶然」
 教官室まで来た。相羽が鍵を借り、ドアを開ける。押さえてなくてもドアは止まるは
ずだが、念のため手を添えておく。宇那木は資料がぶつからぬよう、斜めにしてから入
る。
「助かったよ。お礼ってほどじゃないが、コーヒー、飲む?」
 問い掛けながら、既に準備を始めている。自身が飲むのは確定ということだろう。
「いただきます。あの、テキストと名簿は」
 紅茶の方が好きですがとはもちろん言わず、相羽は辺りを見回した。
 室内はそこそこ散らかっている。特に、本棚はまともな隙間がほとんどない。本来、
本を置くスペースじゃないところにまで、色々と横積みにしてあった。
「こっちにもらおう。おっと、ドアは閉めない。何かとうるさいご時世になったから」
「あ、そうでした」
 性別に関係なく、先生と学生が教官室に二人きりの状況で、指導上の必要性がない限
り、ドアを少し開けて廊下側から覗けるようにしておくのが、この大学のルールだ。
 レギュラーコーヒー二杯を机に置いた宇那木は、一旦座ってすぐにまた立った。
「確か、もらい物の菓子が。食べるでしょ」
「え。いえ」
「遠慮は無用。忘れない内に出していかないと、賞味期限が切れてしまう」
「来客用に置いておけばいいのでは」
「だから、そんなに来客はいない――あった」
 本棚に縦向きに差し込まれていた菓子箱を引っ張り出すと、元来の横向きにして蓋を
開ける。包装された和菓子らしき物が、偏りを見せていた。助教授は二個、取り出し
た。小皿にのせることなく――という以前に、小皿がこの部屋にあるのかどうか?―
―、個包装の物をそのまま差し出してきた。
「大きな栗が丸々入った、多分、高いやつだ。栗、嫌いかい?」
「栗は好きです」
「なら、食べなさい」
「廊下から誰か学生が目撃すれば、『僕も私も』と雪崩を打ってきませんか?」
 我ながら変な心配をすると、相羽は思った。性分なんだから、仕方がない。
「来たら別の菓子を出すとしよう。それで、何やら相談があるとのことだが」
「話す前に、宇那木先生はお忙しいのでは……休み時間内に済まないかもしれません」
「やることリストは決めてあるが、今、急を要するものはないさね」
 デスク向こうの椅子に腰掛けた助教授は、カップに手を伸ばし、途中でやめた。
「もしや、他人に聞かれるとまずい話? そちらの判断でドアを閉めなさい」
「……確かに、まずいかもしれません」
 相羽はコンマ数秒だけ逡巡し、ドアを閉めることにした。
「では、伺うとしましょうか」
 宇那木は言ってから、改めてコーヒーに口を付けた。相羽はすぐに始めた。
「先生は、ボードゲーム研究会の顧問をされていますよね」
「ああ。名前だけのつもりが、自分も結構好きな方だから、たまに指導している」
「そこの部員の一人からアプローチを受けていまして、非常に困惑してるというか」
「アプローチって、恋愛的な意味の?」
「はい」
「相手の名前は出せる?」
「西郷穂積(さいごうほづみ)という、二年生の人です」
「西郷君か。ゲームに関してはかなり優秀だ。学問の方はまだ分からないが。西郷君
が、君にしつこくアプローチしてきて甚だ迷惑だと、こういうことかい」
「そこまでは言いません。お断りしても、あきらめる様子がなくって」
「軽いのりで、一緒に何度か遊べたらいいって感じじゃないのかなあ」
「そんな風には受け取れませんでした。一対一になれる状況を狙ってるみたいなんで
す。言葉で説明するのは難しいけれども、本気というか決然としているというか」
「うーん」
「西郷さんがゼミに所属していたら、そちらの指導教官にお願いしようと思いました
が、まだ二年生ですし。いきなり向こうの家族に言うのもおかしい気がしたので、宇那
木先生のところへ……ご迷惑に違いないと分かっていますが、他に何も思い付かず…
…」
「かまわんよ。ま、西郷君の友達に頼んで、遠回しにでも伝えてもらうという手立ても
あるかもしれないが」
「アドバイス、ありがとうございます。実は、一度だけですがそれも試しました。で
も、うまく伝わらなかったみたいで」
「ふむ。立ち入った質問を二、三していいだろうか?」
「はい。相談を聞いてくださっているのですから」
 居住まいを正し、両膝にそれぞれの手を置いた相羽。
「まず確認だが、今、お付き合いしている人は? 程度の深い浅いは関係なしにだ」
「いません」
「そうか」
 軽く首を傾げた宇那木は、包装されたままの栗の菓子を指先で前後に転がした。
「西郷君のアプローチにOKしないのは、タイプが合わないからとか?」
「はあ。失礼になるかもしれませんが、西郷さんのようなかしましい、騒がしいタイプ
の人は苦手です。強引なところも。マイペースに巻き込もうとする感じが、だめなんで
す」
「分かる分かる」
 笑い声を立てた宇那木。相羽はにこりともせずに続けた。
「そんな風に合わないことも感じていますけど、同時に、今は誰ともお付き合いしたく
ない気持ちが強くって」
「自由に遊びたいから――というわけではないだろうね、君のことだから」
「高校のとき、付き合っていた人と、最近になって別れたんです」
 若干、無理して作った笑顔で答えた相羽。
「……だから、しばらくはそういった付き合いはいい、ということかい」
「ええ、まあ」
「そのことは、西郷君には伝えていない?」
「はい。これが断る唯一の理由と解釈されて、時間が経過すれば受け入れる余地がある
と思われては、困ります。先程言いましたように、タイプが……」
「なるほどねえ」
 宇那木は右手の甲を口元に宛がい、思わずといった風に苦笑を浮かべた。
「では逆に、今、付き合っている人がいることにしてはどう? 実はって感じで打ち明
ければ、信じると思うが」
「嘘を吐くのは……」
「正直さは美徳だが、時と場合によっては嘘も必要だよ。考えてもみなさい。相羽君が
現在は誰とも付き合う気がないことが、何らかの経緯で西郷君の耳に入ったとしよう。
その直後、君にたまたま新たな恋人ができて付き合うようになったとしたら、西郷君は
どう感じるだろう?」
「……そういう偶然はなかなか起きないと思いますが、もし起きたら、西郷さんは立腹
する可能性が高いかもしれません」
 答え終わってから、相羽は、ふう、と息をついた。
「生きていれば、どんな出会いがあるか分からないものだ。絶対に一目惚れをしない自
信があるの?」
「いえ。全くありません。一目惚れをした経験、ありますし」
「では、未来の恋人のためにも、変に恨まれないよう、今現在、付き合っている相手が
いることにしておきなさい」
「うーん」
「相羽君はハンサムなのだから、明日にでも、いや今日、大学からの帰り道にでも、運
命の人と巡り会うかもしれない」
「ハンサムって……運命の人と巡り会うかどうかと、外見は関係ない気がしますが」
「君が告白すれば、即座にOKされる確率が高いって意味。嘘が気にくわないのなら、
いっそ、本当に恋人を見付けるのもありじゃないかな」
 その意見に、相羽は曖昧に笑った。まだ短い期間しか接していないが、宇那木先生の
ことをある程度は理解しているつもり。なので、真面目に考えてくれているのは分か
る。だが、さすがに、アプローチされるのが面倒だから付き合う相手を見付けるという
のはない。本末転倒とまでは言わないが、自分が別れて間もないことを忘れられては困
る。
 相羽が反応を迷う内に、先生は口を開いた。
「とにかく試してみて。それでも西郷君があきらめないようであれば、教えて。そのと
きは僕から西郷君に言うとしよう」
「分かりました。次にアプローチされたら、言ってみます」
 相羽は内心、折れた。こんなことで先生に時間を割いてもらうのは、ほどほどにして
おこうという気持ちも働いていた。
「お忙しいところを、私事で煩わせて申し訳ありませんでした」
「時間があったから引き受けたんだし、気にすることない。よほど忙しくない限り、ウ
ェルカムだ」
「ありがとうございます」
 席を立ち、頭を下げた相羽。踵を返し掛けたところで、呼び止められた。
「あ、菓子、今食べないなら、持って行ってほしいな」
「――分かりました、いただきます」
 手を伸ばし、栗の菓子を持ったところで、質問が来た。
「ついでに聞くけど、どうして一般教養で、僕の英文学を選んだの?」
「――単純です、がっかりしないでくださいね。取り上げる予定の作品の中に、推理小
説があったので。原文のまま読めたら新たな発見があるかなって」
「相羽君はミステリが好きなのか」
「人並みだと思います。テレビの二時間サスペンスはほとんど観ませんが、犯人当てな
ら観たくなるんですよね」
「僕は論理立てたミステリは、ゲームに通じるところがあるから、割と好んで読むん
だ。だからこそテキストに選んだとも言えるが。テレビドラマの方は生憎と知らない
が、映画には本格的な物があってよく観る。わざわざ映画館まで足を運ぶことは滅多に
ないが」
「映像化されたミステリは、犯人が最初から明かされている物に面白い作品が多い気が
します。多分、犯人の心理状態を観ている人達に示せるのが理由の一つだと」
 つい、返事してしまった。このままミステリ談義に花を咲かせるのは魅力的であるけ
れども、時間を費やすのは申し訳ない。改めて礼を述べたあと、ドアを開ける。
「お邪魔をしました。失礼します」

 翌週の月曜。二コマ目の講義を受けたあと、いつものように昼休みが訪れた。空模様
は快晴とは言い難くとも、雲の割合が日差しを弱めるのにちょうどよく、またほとんど
無風。外で食べるのが気持ちよさそうだ。
 相羽は薄緑色をしたトレイを持ったまま、学生食堂の外に出た。オーダーしたメニ
ューは、カツサンドと野菜サラダ、そこにお冷や。あとで飲みたくなったら、コーヒー
かジュースを追加するかもしれない。
「いない」
 学食周辺のテラス席や芝生の上をぐるっと眺め渡したが、友達の姿を見付けられなか
った。普段なら月曜日の二時間目、友達の方が早く出て来るはずなのに。小テストでも
やっているのだろうか。
 そんな想像をした矢先、肩をぽんと叩かれた。
 少しばかり、びくっとしてしまった。トレイの上のコップに注意が向く。液面が揺れ
ていたが、どうにかこぼれずに済んだ。
「――仁志(にし)さん」
 振り向いたそこにいた友人に、頬を膨らませる相羽。仁志はすぐに察したらしく、
「ごめんごめん」と軽い調子ではあるが謝った。彼女の後ろには、さらに友人二名がい
る。
「健康志向なのかそうでないのか、どっちつかずの選択をしてるネ」
 その内の一人、ロジャー・シムソンが相羽のトレイを覗き込んだ。金髪碧眼の白人
で、そばかすが目立つ。米国生まれの米国育ちだが、親戚筋に日本人がいて教わったと
かで、日本語は結構達者だ。本人の希望で、周りの者はロジャーと呼ぶ。
「バランスがよいと言ってほしいネ」
 語尾のアクセントを真似て返す相羽。ロジャーの手にトレイはなく、代わりにハン
バーガーを二つと炭酸の缶飲料を一本持っている。
「今日は小食?」
「いや、それがさ」
 ロジャーの隣に立つもう一人の男子学生、吉良(きら)が顎を振った。吉良の持つト
レイには海老フライカレー大盛りの他、三角サンドイッチが一個、角っこに置いてあっ
た。
「これ、ロジャーの分なんだ。無理して持つと、ソフトな食パンが潰れてしまうとか」
「パンへの拘りはいいけれど、年上の吉良さんに運ばせるなんて、恐れ多いよねえ」
 吉良の説明に続き、仁志が苦笑顔で感想付け加える。学年は同じだが、高校のときに
海外留学していた関係で、吉良は相羽達より一個上である。
「気にしない気にしない。レディには敬意を払い、同級生にはフレンドリーでいたい」
 それが僕の主義だとばかり言い放ったロジャーが、ひょいひょいと歩を進め、皆で食
べる場所を決めた。学食の庭に当たるスペース、その隅っこだが、木々による日陰がで
きて悪くはないテーブル。ごく稀に、小さな虫に“急襲”される恐れがあるが。
 右回りにロジャー、吉良、相羽、仁志と着席してから、食べ始める。すぐに口に運ぼ
うとした三人に対して、相羽は両手の平を合わせた。
「いただきます」
「あ、忘れてたヨ」
 ロジャーが真っ先に反応し、開けかけのハンバーガーを放り出して、合掌する。慌て
たように、吉良と仁志も真似た。
「付き合わなくていいのに」
 相羽が微笑みながら言うのへ、仁志が言葉を被せてくる。
「いいえ、やる。私だって、最低限のマナーは身に付けたい。女らしさとか男らしさと
かの前に、これこそ必要って感じたから」
「影響を受けやすいねえ」
 吉良が、サンドイッチをロジャーの方へ押しやりながら、からかい調で言った。
「いいじゃないですか。悪いことでなく、いいことなんだから」
「本気で思ってるのなら、まず、箸先をこっちに向けるなって話だ」
 無意識で向けていたのだろう、仁志は左手で箸の先端を隠すようにして引っ込めた。
「すみません、改めます。さっき、ロジャーを恐れ多いなんて言ったそばから……」
「いいって。今は楽しく昼飯をいただく、これに尽きる」
 吉良はそう言って、大きめのスプーンいっぱいにすくったルーと御飯を一口。継い
で、海老フライをスプーンで適当に刻んで、また一口。その様に仁志も安心できたらし
く、食事に取り掛かった。
「あ、そうだ――この前の祝日に学校に出て来たって聞いたけれど、ほんと?」
 相羽が正面のロジャーに問うた。途端に、赤面するロジャー。夕日を浴びたみたい
だ。
「外国の祝日が覚えきれない。間違って休まないようにするので精一杯でさ」
 自国の定めた祝日に沿って休んでしまいそうになる、という意味だろう。
「うん、それはいいんだけど、休みの前の日に、ちゃんと念押ししたでしょ? どうし
てかなあって思って」
「……一晩寝たら忘れちゃったヨ」
「次からは、『本日休み!』とでも書いた紙を、玄関ドアに張っておくか」
 吉良に言われて、ますます顔を赤くしたロジャーは、話題を換えた。
「そういえば相羽の懸案事項は、かたが着いたのかい?」
「何、懸案事項って」
「西郷穂積のアプローチ問題だよ」
 ロジャーは数学か何かの証明問題みたいに言った。吉良が追従する。
「確かに気になる、しつこい難問だ」
「もう済んだ、と思う」
 相羽はあっさり答えた。あまり触れられたくはないが、前に協力したもらったことも
あり、話しておく。
「先生のアドバイスを受けて、遠距離恋愛していることに。西郷さんからまたアプロー
チされたときに、そのことを伝えたら、意外とすんなり聞き入れてくれたみたい」
「遠距離恋愛か。じゃあ、時折、その相手が現れないとおかしくないか?」
「無茶苦茶忙しいとか、めっちゃ遠い外国にいるとか?」
 吉良、仁志の順番に尋ねてきた。相羽は野菜サラダの葉物を、フォークで幾重にも刺
しつつ、思い起こす風に首を傾げた。
「基本的に、こちらから相手に会いに行くっていう設定にした。場所は出さなかったけ
れども、相手が忙しいことは伝えた」
「曖昧にしたのは、本当に恋人ができたときの対策だね」
 察しがいい発言は吉良。相羽はこくりと頷いた。
「すぐには無理でも、いずれはね」
「あなたなら文字通り、付き合う人ぐらい、すぐにでも見付けられそうなのに」
 仁志が言った。ちゃんと恋人がいるのに、どこかうらやましげだ。
「逸見(いつみ)君、だっけか。彼とはうまく行っていないのか」
 吉良が率直に尋ねると、仁志は首を横に振った。
「うまく行ってないなんてことはないですよ。ただ、将来を考えると……名前が」
「名前?」
「私の下の名前、平仮名でひとみなんですよ。結婚したら、逸見ひとみになっちゃうじ
ゃないですか。何だか言いにくい」
「そんな気にすることないと思う」
 相羽が言った。
「そんな考え方をするのなら、お婿さんに迎える方が難しいんじゃないかな。逸見君の
名前って、確か同じ仁志と書いて、ひとしだよね」
「そうそう。仁志仁志になるの」
「仁志仁志の字面を強く意識した結果、逸見ひとみまでおかしな響きに聞こえてしまっ
た、それだけだよ、多分」
「うん、そうかも」
 納得かつ安心したように首肯した仁志は、再び食事に集中した。
 それぞれがほぼ食べ終わる頃合いに、相羽は学食内の壁時計を覗き込んでから言っ
た。
「ちょっと早いけれど、これで。ちょっと電話してくる。アルバイト先に、次週の都合
を聞いておかなきゃ」
「バイトって家庭教師の?」
「うん。――ごちそうさま」
 ロジャーの問いに答えてから、手を合わせて唱える。席を立ち、背もたれを持って椅
子をテーブルの下に押し込んだところで、ショルダーバッグを担いだ。トレイを手にし
て、「終わってるのなら、みんなのも運んでおくよ」と場を見渡した。
「気遣いはありがたいが、早く電話に行くべき。空いているとは限らない」
「だね。逆に、片付けは私らに任せて、さっさと動いた方がいいよ」
 吉良、仁志と続けて言われ、相羽はそれもそうかと思い直した。トレイを手放し、
「じゃ、お言葉に甘えて」と言い残して席を離れた。
 それから足早に公衆電話を目指したが、吉良達の心配した通り、学生食堂の正面に設
置されている分は、使われていた。そこから最寄りの電話がある、部室棟へと急いだ。

 思っていたより時間を掛けることなく電話を終えて、午後最初の授業がある大教室に
向かっていると、相羽の名を呼ぶ者がいた。同じ授業を取っているのだから、顔を合わ
せるのは仕方がない。
「――西郷さん」
 声で分かっていたが、振り返ってから改めて言った。
 西郷穂積はその瞬間、些か不安げだった表情から笑顔に転じた。小走りで追い付い
て、横に並ぶ。
「教室まで一緒に……いい?」
「かまいませんよ」
「あの、お願いがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「やっぱり、まだ完全にはあきらめきれなくって……。君の相手がどんな人なのかを知
ったら、踏ん切りが付くと思うのだけれど」
「……どうしろと言うんですか」
 すれ違う人や、そこいらでたむろする人は大勢いるのに、あまり気にならない。意識
が西郷に向いているのは、相羽自身、嘘を吐いている負い目があるせいかもしれなかっ
た。
「プロフィールとかは、無理なんだよねっ? じゃあ、写真でいいから見てみたいな」
「……少し、考えさせてください」
 相羽は恋人の写真がそこにあるかの如く、定期入れの入った胸ポケットに触れた。
「いいけど、どうして?」
「それは当然、相手のあることですから。プライバシーにうるさい人なんです」
 咄嗟の思い付きだが、悪くないキャラクター設定だと内心で自画自賛した。こう答え
ておけば、顔写真を見せないまま、押し切れるかもしれない。
「ふーん、分かった。しばらくは待つ。でも、一週間以内に決めてよ」
「え、ええ。努力します」
「もしかしたら、付き合っている人って外国人? 欧米系の」
「何でそう思うんですか?」
「だって、プライバシーにうるさいって。欧米の人が拘るイメージ持ってる」
「まあ、プライベート空間をより重視しているのは、洋風建築でしょうけど」
 ちょうど教室に着いた。出入り口の近くに馴染みの顔を見付けてほっとする。
「じゃあ、これで失礼します」
 相羽は西郷から離れると、知り合いが取ってくれていた席に座った。
「何なに? 西郷先輩と一緒に来るなんて。まだあの話、けりが付いてないんだ?」
 肘で突かれ&小声で話し掛けられ、相羽は嘆息した。西郷は遠ざかりつつも、まだこ
ちらを見ている。気付かれぬよう、同じく小さな声で、隣に答えた。
「きっぱり断った。ただ……付き合ってる相手がいるのなら、写真が見たいって」
「証拠を出せってか」
 友人のからかい口調に、相羽は再度、大きくため息を吐いた。

 明後日で一週間になる。そう、西郷から付き合っている人の写真を見せてくれるよう
頼まれた、その期限だ。
 きっと、西郷穂積は相羽を見付けるなり、写真を見せてと求めてくるに違いない。
(相手が嫌がったことにして、断ることはできるけれど、西郷さんも結構しつこいから
なぁ。いずれ押し切られるかも)
 そうならないよう、ここは飛びきりの美形で優しそうでスポーツ万能そうで賢そう
な、ついでに言えば写真写りのよい人に、恋人の代役を頼んでおきたいところだが。
(学校の人に頼んでも、じきにばれる。こんなことを頼めそうな異性の知り合いなん
て、学校を除いたら、まずいないし)
 別れた相手の写真なら用意できるが、もちろんそんなことはしたくない。
「ああ、どうしよう」
 無意識の内に呟いていた。次の瞬間はっとして口を片手で覆う。何故って、ここは市
立の図書館の中だから。
 だけど、今日は普段と違って、館内はざわざわしている。相羽もこの日用意されたイ
ベントを思い出し、安堵した。
 図書スペースそのものではないが、そこに隣接するホールを舞台に、アマチュア音楽
家達によるミニコンサートが催されるのだ。開催中も図書の貸出業務は行われるが、自
習室等は閉じられるらしい。
(ホールにピアノが置いてあって手入れもされているみたいだから、使うことはあるは
ずと思っていたけれども、案外早くその機会が訪れた感じ)
 自宅もしくは大学からの最寄りの図書館ではなかったが、本にも音楽にも人並み以上
の興味関心を持つ相羽は、日時の都合もちょうどいいことだし、足を延ばした次第であ
る。
 チラシで見掛けたのと同じポスターが、館内にもいくつか貼り出されていた。出演者
の個人名はなく、グループ名が三つ載っていた。一つは近くの高校のコーラス部。家庭
教師をしている子の通う中学と同系列だと気付いた。一つは路上で三味線とハーモニカ
によるパフォーマンスをやっている二人組。シャモニカズというべたなネーミングに笑
ってしまった。そしてもう一つは、近隣の都市名を冠した大学のバンド四人組となって
いた。相羽の大学にも音楽関係のクラブは複数あるが、どれにも所属しておらず、今日
出演するバンドと交流があるのか否かも知らなかった。
「あれれ? 相羽先生じゃないですか」
 ポスターの前から離れるのを待っていたかのように、高い声に名前を呼ばれた。相羽
自身、ついさっき思い起こしたバイト先の子、神井清子(かみいさやこ)だ。
「こんにちは、先生。こんなところで会うなんて、奇遇ですねっ」
「こんにちは。確かに奇遇と言いたいところだけど、神井さんは今日出演する人に知り
合いがいるんじゃないの?」
「凄い、当たりです」
 別に凄くないよと、内心で苦笑する相羽。
「高等部の人に何人か知り合いがいるんです。正確には、私の兄の、ですけどね」
 神井清子の兄は大学生で、地方に一人で下宿していると聞いた。大方、その兄が高校
時代、音楽の部活動をやっていたのだろう。
「他に来る人がいなくて、私一人なんですが、先生は? もしかしてデート?」
「違います。一人」
 デートと聞かれて、頭痛の種を思い出してしまった。
「前から聞こう聞こう、聞きたい聞きたいと思ってたんですけど」
「答えるつもりはないよ」
「相羽先生には恋人、いないんですか?」
「だから、答えないって」
「そんなに冷たくしなくてもいいじゃないですか。いないならいないで、いい人を紹介
して差し上げようかと」
「……」
 ほんのちょっぴり、心が動く。いや、もちろん、代役として。だから紹介されてお付
き合いを始めても、本当の恋人になる可能性は高くないだろう。そんな失礼な話、でき
るはずがない。
「遠慮しとく。教え子から紹介されると、しがらみができそう」
 そこまで答えたところで、催し物の開始が迫っていることを告げるアナウンスがあっ
た。アナウンスと言っても機材を通しての声ではなく、図書館職員の地声だ。
 最前までかしましくしていた神井も、すぐに静かになった。知り合いが一番手に登場
するというのもあるだろうが、最低限のマナーは心得ていて微笑ましい。
「椅子、まだ余るみたいだから、座る?」
 声量を落として神井に尋ねる。神井は首を縦に振った。お年寄りや身体の不自由な人
が訪れた場合を考え、ぎりぎりまで様子を見ていたのだ。ホールに用意された六十脚ほ
どのパイプ椅子は、そこそこ埋まっていたが、相羽らが座れないことはない。
 真ん中、やや右寄りの二つに腰を下ろした相羽と神井は、職員の説明に耳を傾け、や
がて始まる音楽会に心弾ませた。

 事前に予想していたのと違って、堅苦しさのない、どちらかと言えば面白おかしい方
向にシフトしたイベントだった。
 高校のコーラス部は、有名な歌謡曲やアニメソングを選択して披露したが、全てアカ
ペラ。ただ、伴奏のパートまで口でやるものだから、ついつい笑いを誘われた。魚をく
わえたどら猫を追い掛ける歌が一番の傑作だった。
 続いて登場したシャモニカズは、二人とも黒サングラスをした、二枚目だがちょっと
強面のコンビだったが、口を開けば関西弁丸出しで、漫才師のよう。喋る内容も右にな
らえで、体感的には演奏よりも話の方が長かった気がする。無論、演奏はきっちり魅せ
てくれて、アマチュアでいるのが勿体ないと思えるほど。
 とりを飾るバンドの登場前に、短い休憩時間が設けられた。これは、観客のためだけ
でなく、各種楽器の調整のためでもある。
「トイレ行っておきませんか」
 石井に言われて、相羽は腰を上げた。行きたくないと断っても、無理矢理引っ張って
行かれるのは経験上、分かっていた。
 手洗いまで来ると、相羽は中に入らず、壁際に立った。「この辺で待ってるから」と
言って、石井を送り出す。
 出入りする利用者と視線が合うと、お互い気まずい思いをするかもしれない。少しだ
け移動して、大きな鉢植えの傍らに立った。男子トイレに近くなったが、まあいいだろ
う。
 ちょうどそのとき、背の高い男の人が、手洗いから出て来た。ハンカチを折り畳み、
尻ポケットに仕舞う。その拍子に、胸のポケットに差していた何かが飛び出て、床で跳
ねた。さらに二度、意外と弾んで、それは相羽のいる方に転がってきた。
 男の人と自分とが、ほぼ同時に「あっ」と声に出していた。相羽は反射的にしゃがん
で拾い上げた。サングラスだった。シャモニカズがしていたのは真っ黒だったが、今拾
ったサングラスのレンズは、薄い茶色である。
「すみません、ありがとうございます」
 男性の声に、若干見上げる形になる相羽。サングラスを渡そうとしながら、
「どういたしまして。それよりも、傷が入ったかもしれません」
 と応じた。受け取った相手は、サングラスを光にかざしてためつすがめつしたあと、
軽く息をついた。
「確かに、傷が少しできたみたいだ。……これは、外しなさいというお告げかな」
「え?」
「ああ、意味深な言い方をしてしまい、ごめんなさい。あなたの姿はホールで見掛けま
したが、このあとも聴いていくんでしょうね。実は僕、次の演奏に出る一人なんです。
サングラスを掛けるつもりだったんだが、前に出たお二人がしていたし」
 相羽はその男性の顔をじっと見た。
「掛ける必要があるようには思えません。その、整った顔立ちをしているという意味
で」
「あはは、ありがとう。でも、サングラスを掛けようと考えたのは、別の理由。久しぶ
りに演奏するからなんだ」
 男性は快活だが、ほんのちょっとさみしげに笑った。
 年齢はいくつぐらいだろう。相羽より年上に見えるが、そんなに離れてもいまい。近
くでよくよく見ると、顎の下に髭の剃り残しがあった。
「久しぶりだと緊張するからですか?」
「うーん、恐らく。うまく動くかどうか」
 両手の指を宙で動かす男性。ピアノを弾く手つきだ。
「関係ありませんよ、きっと。手元が見えた方が、いざというときは安心でしょ。それ
に、普段通りにやる方が絶対に落ち着きます」
「――なるほど。いい考え方だね」
 男性の笑みは、今度こそ本当に心からのもののように、相羽の目には映った。
「では、サングラスなしでやってみましょう。これを持っていると、直前で気が変わる
かもしれないから」
 その人はそう言いつつ、サングラスを再び相羽に手渡した。
「預かっていてくれますか」
「はい」
 自分自身、びっくりするくらいの即答だった。
「もう行かないと。それじゃ、あとでまた会いましょう」
 男性が踵を返し、立ち去ろうとするのを、相羽は呼び止めた。
「あのっ、すみません! 万が一にもあとで会えなかったら困るので、名前だけでもお
互いに知らせておきませんか」
「――了解です」
 男性はもう一度向きを換えて、相羽の前に立った。
「僕は酒匂川と言います。酒の匂いの川と書いて、酒匂川。あんまり、好きな名前じゃ
ないんですが。酒飲みでもないし」
「分かりました、酒匂川さん。私の名前は――」
 相羽は答える寸前に、少しだけ迷った。苗字だけか、それともフルネームにするか。
「――相羽詩津玖と言います。どんな字を書くのかは、次にお会いしたときに」
 酒匂川は教わったばかりの名前を口の中で繰り返すと、軽く会釈し、演奏へ向かっ
た。
「先生!」
 ぽーっとしていた相羽を、教え子の甲高い声が引き戻した。
「騒がしくしない。もうじき、演奏が始まるみたいだから」
「あっ、ごまかそうとしてる? 見てましたよ、途中からですけど」
「……そうなんだ……まあ、見たままの解釈で当たっているかもしれない、とだけ」
 まだあれこれ聞きたがっているに違いない神井清子を置いて、相羽はホールへ急い
だ。

            *             *

「――こんな話をおばあちゃんがしていたんだ。暦や碧は信じる?」

――そばいる番外編『そばに来るまでに』おわり




#451/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/09/22  22:06  (203)
楽屋トークをするだけで   寺嶋公香
★内容
「相羽君て、どうして最初の頃、あんなにエッチな感じだったの?」
「え?」
「だって、そうじゃない? 小学六年生のとき、ぞうきん掛けしていたらお尻見てる
し、いきなりキスしてくるし、着替え覗くし」
「ちょ、ちょっと待って」
「最初の頃じゃないけど、スケートのときは胸を触ったし、あ、廊下でぶつかって、押
し倒してきたこともあった」
「待って。ストップストップ」
「中学の林間学校では、私の裸見たし。ああっ! スカートが風でまくれたところを、
写真に撮ったのも」
「……」
「もうなかったかしら」
「ない、と思う。ねえ、わざと言ってる?」
「うん」
「よかった。ほっとしたよ」
「でも、一つだけ、あなたが自分の意志でやったことがあるでしょ。それについてわけ
を聞きたいの」
「それって、ぞうきん掛けだね」
「ええ。あのときは、何ていやらしい、また悪ガキが一人増えたわって思ったくらいだ
った」
「これまたひどいな。じゃあ、全くの逆効果だったわけか」
「逆効果って、まさか、相羽君、あれで私の気を引こうとしてたの?」
「気を引こうというのは言いすぎになるかもしれない。僕のこと、完全に忘れてたでし
ょ、あの頃の純子ちゃん」
「そ、それはまあ、しょうがないじゃない」
「もちろん僕だって、確信はなかった。だからこそ、直接言って確かめるなんてできな
くて。とにかく君の意識を僕に向けさせたくて、色々やったんだ。何度も顔を見れば、
何か思い出すんじゃないかと期待して」
「色々? 他にも何かあった?」
「それは純子ちゃんが気が付いてないだけで」
「何があったかしら……」
「まあいいじゃない。今はもう関係ないこと」
「気になる」
「じゃあ、今度は僕が聞くよ。今では関係ないことだけどね」
「何? 私にはやましいところはありませんから」
「やましいって……ま、いいや。思い出したくないかもしれないけど、これは舞台裏、
楽屋の話ってことで敢えて。香村のこと、どこまで信じてたの?」
「え? 香村……カムリンのこと?」
「うん。他に誰がいるのって話になる」
「若手の中では一番の人気を誇ったアイドルで、今は海外修行中の香村倫?」
「だいたいその通りだけど、下の名前は確か綸のはず。ていうか、どうしてそんな説明
的な台詞なのさ」
「長い間登場していないから、知らない読者や忘れた読者も大勢いるだろうと思って」
「まるで再登場して欲しいかのような言い種だね」
「悪い冗談! もう会いたくない!」
「そういえば、カムリンの話題すら作中に全く出ないのは、ちょっと不自然な気がしな
いでもないな。不祥事そのものは伏せられたままなんだから、世間的な人気はほぼ保っ
たまま、海外に渡ったことになる。修行のニュースが時折、日本に届くもんだよね」
「そこはやっぱり、情報として入って来てるけど、わざわざ書くほどでもないってこと
でしょ」
「それにしたって、いつまでも海外にいること自体、おかしくなってくるかも」
「香村君の話は、あんまりしたくないな」
「やっぱり、信じていたのを裏切られて、嫌な印象が強い?」
「だって、証拠まで用意されてたんだもの。それに、最初は、あのときの男の子が有名
芸能人だったなんて、夢みたいな成り行きだったから、ちょっとはその、ときめくって
いうか……そうなっていた自分を思い出すのが嫌」
「ふうん」
「で、でも、ほんとに最初の最初だけよ。親しくなるにつれて、何か違うっていう思い
が段々強くなって。その辺りのことは、あなたにも言った記憶があるけれども?」
「うん、聞きました。あいつが芸能人で、母さん達とも仕事のつながりがあったから、
僕もどうにか我慢していたけれども、そうじゃなかったら何をしていたか分からないか
も」
「怖いこと言わないで」
「もちろん、冗談だよ」
「もう、意地が悪い……」
「意地悪ついでにもう一つ、仮の質問を。香村が正攻法でアプローチしてきたとした
ら、君はどう反応するつもりだったんだろう?」
「全然、意地悪な質問じゃないわ。問題にならない」
「ほー、何だか自信ありげというか、堂々としているというか」
「私は一時的に、香村君が琥珀の男の子だと思っていた。けれども、香村君を好きには
ならなかった。これで充分じゃない?」
「……充分。ただ、新しく質問を思い付いた。僕が琥珀の男の子ではなかったら?」
「相羽君、あなたねえ、今までの『そばいる』シリーズの紆余曲折を読んできたなら―
―」
「読んではいない、読んでは」
「あ、そっか。でも――分かってるはず。私はあなたを琥珀の男の子だから好きになっ
たんじゃないって」
「もちろん、分かってるよ」
「じゃ、じゃあ、何よ、さっきの質問は? 私に恥ずかしい台詞を言わせたかったの
?」
「違う違う。質問の意図を全部言う前に、君が答え始めちゃったからさ」
「意図? どんな」
「僕が琥珀の男の子ではなく、あとになって格好よく成長した琥珀の男の子が目の前に
現れたとしたら、っていう仮定の質問をしたかったんだ」
「ああ、そういう……。それでも、ほとんど意味がないと思う」
「どうして?」
「琥珀の男の子は、相羽君だもの。大きくなった姿を想像しても、やっぱり相羽君。あ
なた二人を比べるようなものよ」
「それもそうだね。ううん、どう聞けばいいのかな。具体的に別人を思い描いてもらう
には、……純子ちゃんが格好いいと思う周りの男性、たとえば、鷲宇さんとか星崎さ
ん?」
「あは、格好いいと思うけれど、それ以上に頼りにしている存在ね。あと、私の周りの
格好いい男性に、唐沢君は入らないのね? うふふ」
「唐沢だと生々しくなるから、嫌だ。とにかく、仮に星崎さんが琥珀の男の子だったと
したら? もっと言うと、星崎さんのような同級生がいて、しかも琥珀の男の子だった
ら」
「うん、ひょっとしたら、ぐらつくかも」
「え、ほんとに」
「相羽君がいない世界で、その星崎さんのそっくりさんが、私の前で相羽君と同じふる
まいをしたら、ね」
「それってつまり」
「どう転んでも、私が好きなのは相羽君、あなたですってこと。もう、全部言わせない
でよねっ」
「いたた。ごめんごめん。でも、よかった。嬉しい」
「いちゃいちゃしているところ、お邪魔するわよ、悪いけど」
「白沼さん!? どうしてここに」
白沼「面白そうなことをしているのが聞こえてきたから、私も混ぜてもらおうと思っ
て。問題ないでしょ?」
純子「かまわないけれど……面白そうというからには、白沼さんも何か仮定の質問が」
白沼「当然。後ろ向きな意味で過去を振り返るのは好きじゃないけれども、こういう思
考実験的な遊びは嫌いじゃないわ」
相羽「思考実験は大げさだよ」
白沼「いいから。聞きたいのは、相羽君、あなたによ。涼原さんは言いたいことがあっ
ても、しばらく口を挟まないでちょうだいね」
純子「そんなあ」
相羽「まあ、しょうがないよ。僕らだって、この場にいない人達を話題にしていたんだ
し。それで、白沼さんの質問て?」
白沼「仮に涼原さんがいなかったとしたら、相羽君は私を選んでいた?」
相羽「……凄くストレートな設定だね。答えないとだめかな」
白沼「できれば答えてほしいわ。私、打たれ強いから、つれなくされても平気よ。色ん
な架空の設定を、今も考え付いているところだから、その内、色よい返事をしてくれる
と思ってる」
純子「まさか白沼さん、相羽君がイエスって答えるまで、質問するつもり?」
白沼「何その、げんなりした顔」
純子「だって……時間がかかりそう……」
白沼「何だかとっても失礼なことを、上から目線で言われた気がしたわ」
純子「そんなつもりは全然ない。ただ、白沼さんがさっきまで見てたのなら、その、相
羽君の気持ちが改めて固まったというか、そういう雰囲気を目の当たりにしたんじゃな
いかと思って」
白沼「愛の絆の強さを確かめ合ったと、自分で言うのは恥ずかしいわけね」
純子「わー!!」
相羽「白沼さん、もうその辺で……。昔の君に比べたら、今の君の方がずっといいと感
じている、これじゃだめかな」
白沼「だーめ、全然。……けれど、ここで昔の超意地悪な白沼絵里佳に戻っても仕方が
ないし。そうね、質問は一つだけにしてあげる。ただし、縁起でもない設定になるわ
よ。相羽君のためを思ってのことだから、勘弁してね」
相羽「ぼんやりと想像が付いた気がする」
白沼「さあ、どうかしら。あ、いっそ、二人に聞くわ。もし仮に、相手に先立たれたと
して、あなたは他の人を好きになれる? どう?」
純子「……」
相羽「……」
白沼「あら? 答は聞かせてくれないの?」
相羽「その設定は、さすがに重たすぎるよ。第一、付き合い始めてまだそれほど時間が
経っていないのに、そんな相手がいなくなる状況なんて……」
白沼「考えられない? 相羽君が言える立場なのかしら。生き死にではないけれど、い
ずれりゅ――」
相羽「待った! そ、そのことはまだ本編でも触れたばかりで、登場人物のほとんどに
行き渡っていない! ていうか、白沼さんだって知らないはずだろ!」
純子「何の話?」
白沼「あなたは知らなくていいのよ。今後のお楽しみ。――相羽君、本編の私は知らな
いけれども、今ここにいる私は、ちらっと原稿を見てしまったということになってる
の」
相羽「ややこしい。設定がメタレベルになるだけでもややこしいのに、本編と楽屋を一
緒くたにすると、収拾が付かなくなるぞ」
白沼「じゃあ、やめておきましょう」
相羽「随分あっさりしてる。その方が助かるけど」
白沼「一回貸しということにしてね」
相羽「うう、本編では無理だから、楽屋トークの機会が将来またあれば、そのときに借
りを返すよ」
白沼「それでかまわない。じゃ、短い間だったけれども、これでお暇するわ。次の人が
待っているし」
相羽「次の人って」
白沼「さっき言ったように、原稿をちらっと見たついでに、アイディアのメモ書きも見
たのよ。その中に、使えなかった分が少しあって、それをこの場を借りて実行しようと
いう流れにあるみたいよ」
相羽「いまいち、飲み込めなんだけど」
白沼「あ、ほら、涼原さんの方に」
相羽「――清水?」
清水「よう、久しぶり。でも悪いな、今俺が用事があるのは、涼原だけだから」
純子「野球、がんばってるんでしょうね? こんなところにのこのこ登場するくらいな
ら」
清水「まあな。で、没ネタというか、タイミングが悪くて使えなかったエピソードを、
今やるぞ」
純子「待って。あなたが関係するエピソードということは、中学生か小学生のときにな
るわよね」
清水「小学生だってさ」
純子「嫌な予感しかしない……」
清水「番外編で使われるよりはましだと思って、覚悟を決めろ。――涼原〜、もうス
カートめくりとか意地悪しないって誓うから、一個だけ俺の言うこと聞いて」
相羽「清水。確認だが、今の台詞は、小学生のおまえが言ってるんだよな?」
清水「お、おう」
相羽「自らのリスクの高い没ネタの蔵出しだな」
清水「いいんだよっ。さあ、涼原はうんと言っとけ」
純子「だから、嫌な予感しかしないんですけど!」
清水「大丈夫だって。スケベなことではないのは保障する」
純子「……分かった。早く終わらせたいから、OKってことにする」
清水「よし。じゃあ、こうやって両手の人差し指を、自分の口のそれぞれ端に入れて、
横に引っ張れ」
純子「ええ? 何で?」
清水「えっと、顔面の美容体操ってことで。嘘だけど」
純子「嘘と分かってて、こんな……相羽君、見ないでよ」
相羽「了解しました」
清水「俺も別に見る必要はないんだが、一応、当事者ってことで」
純子「(指を一旦離して)早くして!」
清水「ああ。指を入れて引っ張ったまま、自己紹介をしてくれ。フルネームで」
純子「名前を言えば終わるのね? (再び指を入れ、口を横に引っ張る)わらしのなま
えは、すずはらうん――」
清水「最後の『こ』まで言えよ〜。――痛っ! わ、やめろ。暴力反対! ええ、白沼
さんまで何で加勢するのさ?」
相羽「滅茶苦茶古典的ないたずらだな。すっかり、記憶の彼方になってたよ。とにもか
くにも、オチは付いたかな」

――おわり(つづく?)




#452/455 ●短編
★タイトル (sab     )  18/07/13  17:59  ( 58)
「催眠」(という短編の目論見書) 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
相田洋子(入院患者)。20歳。見た感じは美少女。性格は大らか。
加藤綾子(入院患者)。25歳。見た感じは頬骨が出ていて口がでかい。
性格はヒステリー。
小原琴子(入院患者)。20歳。見た感じはモンチッチ。性格は大人しい。
佐伯(精神科医)。38歳。独身。見た感じは丹精なしょうゆ顔。性格は
理性的。
福田(心理療法士)。40歳。見た感じは色白で浮腫んでいる。性格は陰
険。いじけ虫。
住田麗華(院長の娘)。24歳。研修医。見た感じはお嬢さん。性格はお
高くとまっている感じ。

【舞台&状況設定】
 琴子らが入院しているのは、鎌倉の丘の上にある「丘の上病院」という
精神病院。
 ここでは森田精神療法(頭にある不安はそのまま受け入れて、身体で行
動をするという精神療法)の考えを元にしたリクレーション療法(サイク
リングや薪割りなど)が行われいる。
 リクレーション療法の担当は心理療法士の福田。
 医師は院長(出てこない)と佐伯医師がいる。
 病院の隣には山小屋風の院長宅がある。ここのベランダで院長の娘が大
学の友達を呼んでBBQをやる。

【おおまかなストーリー】
 洋子は綾子、琴子らと病院のリクレーション療法でサイクリングをして
いた。自転車を漕ぐ反復運動により心頭を滅却して対人恐怖症やらの不安
を頭から霧散させるのだった。
 しかし自転車を漕ぐとサドルに股間がギュッ、ギュッとこすれて、その
感覚も反復される。それが前を走る心理療法士の方から漂ってくるコロン
の香りと結びついた。
 病院に帰って更衣室で着替えていると心理療法士が現れた。さっきのコ
ロンの香りがした。洋子は突然股間が疼きだし、思わず脱いでしまった。
そして心理療法士にやられてしまう。
 綾子は、これは催眠に引っかかったのだ、と言う。しかし、そんな催眠
(リクレーション療法)を受け入れてしまったのは、その前段として精神
科医への転移(洗脳)があるからだ、と言う。
 綾子も精神科医の佐伯へ転移を起こしていた。佐伯と一緒に居る時に神
経症の発作を起こし、脳内がぐるぐるぐるーっとして佐伯に転移を起こし
た。(サイクリングの反復運動とコロンの香りの様に)。
 あと、知的な会話をしたり、身体的な接触もあって、佐伯に恋愛感情を
抱いたのだった。
 ところがここに院長の娘が割り込んでくる。院長の娘は私立大学の研修
医だが、その大学に入学するには寄付金2000万円が要るという。又病
院の待合室にはその娘の読んだらしき『モノ・マガジン』やらカー雑誌な
どがあり、自分らの入院で儲けた金で放蕩しているのだ、と感じる。
 殺さなければならない、と綾子は思う。
 綾子は、洋子と琴子を使って院長の娘の殺害を計画する。
 リクレーション療法には薪割りもあった。薪割りという反復運動を琴子
がやっている時に、キンモクセイの香りが鼻に付く様にしておく。それか
ら洋子を使って、院長の娘にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。
そして、琴子に「院長宅のベランダで行われるBBQの為に薪を運んでお
け」と命じる。
 琴子が院長宅に薪を運んでいくと、院長の娘がキンモクセイの花束を持っ
て現れた。琴子はその香りに反応して、自動的に鉈を振り上げると、院長
娘の眉間に数回振り下ろした。
 病院が用意した催眠で院長の娘を殺してやった、と、綾子は、きゃはは
ははとヒステリックに高笑いする。





#453/455 ●短編    *** コメント #452 ***
★タイトル (sab     )  18/07/21  13:52  ( 96)
「催眠」(という短編の目論見書)改 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
萩原茉宙(まひろ)。17歳。仏教系高校2年生。見た感じは清楚。性格は真面目。
萩原銀雅(祖父)。85歳。
萩原志穂(祖母)。82歳。
萩原星矢(父)。54歳。性格は権威に弱い。
萩原八重(母)。50歳。性格は権威に弱い。
萩原宇海(うみ)(兄)。18歳。工業高校3年生。
萩原恒(ちか)(妹)。15歳。中学3年生。見た感じは可愛い。性格は大人しい。
飯田春彦。18歳。仏教系高校3年。家は真言宗のお寺。見た感じは端正。性格は知
性的。
塚本啓子。17歳。仏教系高校2年。
苫小牧光。40歳。謎のカルト集団X総裁。
林秀樹。50歳。カルト集団Xの入門者。

【舞台&状況設定】
 萩原茉宙(まひろ)は東京都下の仏教系高校に通う女子高生。家も東京都下にある。
 兄が交通事故にあうが、搬送先の病院も東京都下にあった。
 その後、萩原一家は謎のカルト集団Xと関わることになるが、その集団の道場、本
部も東京都下にある。

【おおまかなストーリー】
@私(萩原茉宙)の父母は権威に弱く、きらびやかなものが好き。父は芥川賞全集が
好き。母は華道茶道が好き。
 私は仏教系の高校に通っているが、先輩の飯田春彦(家が真言宗のお寺)は「そう
いう人は洗脳、催眠にかかりやすい」と言った。
A兄(宇海)が交通事故で脳死状態になった。
 病院で移植コーディネーターに「息子さんの臓器は灰になるかレシピエントの体の
中で生き残るか二つに一つですよ」と言われる。父母はドナーになることを選んだ。
 兄が亡くなったショックで祖母も倒れる。末期がんだった。医者は「死ぬか高度先
進医療をやるかのどちらかですよ」と言う。父母は後者を選択した。その甲斐もなく
祖母は他界する。
 葬式の後、墓石屋に「墓を建てて納骨しなければ魂は安らかではありませんよ」と
言われて、父母はその通りにする。
 こうやって人の言いなりになるのも催眠ではないかと私は思う。
 その後、この墓石屋の紹介でXという集団のメンバーが家にやってきた。「家相が
悪いから改築しないとダメだ」、「父母には悪い霊がついている」だの言う。そして
父母はXの運営する道場に通う様になった。
Bここで私はこのXをカルト集団とみなし対決しようと決意する。
 まず敵陣視察をする。Xの道場はプレハブの建屋、メンバーは派手な色の衣服を着
ていては怪しい雰囲気が漂っていた。
C又、父母は何故騙されやるいのだろうか、とも考える。どうも母はドロドロしたも
の(祖父母の介護など)に疲れてキラキラしたものを求めたのではないか。それでX
に絡め取られたのではないか。
 しかし、実際にはどうやってXが父母を絡め取ったのかは分からなかった。
D同級生塚本啓子に言われて、先輩の飯田春彦に相談することにした。
 飯田は洗脳、催眠に詳しかった。お寺の檀家獲得の為に洗脳、催眠を使っていると
いう。
 飯田は、Xは催眠を仕掛けてきている、という。
 催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意識)に働きか
けて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて動きを奪う事
も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠の組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させ、同時に漕ぐ運動で股間
を刺激し、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコロンを嗅が
せた時に欲情させることが出来るという。
 そして私は先輩に催眠の実際を習った。
E私はクラスメートを実験台にして催眠の練習をした。又、出会い系で誘い出した男
を練習台に練習した。やがて完全に催眠術をマスターした。
Fそして私はXの道場に乗り込んでいった。
 父母は太極拳、気功、薪割りなどをやらされていた。
 私は、あの薪割りの反復運動で古い脳を活性化させ、傍に植わっているキンモクセ
イの香りで潜在意識を刺激しておく、という催眠を父にかけた。そしてXのメンバー
にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。父は、メンバーのところに薪を運んで
いくとキンモクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに私は催眠を
解く。これを見たXのメンバーは、私の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、私は父母を連れ戻す事に成功する。又、飯田先輩にお願いして、
父母の脱洗脳もしてもらう。これで平和が戻ったと安堵したのだった。
Gところが、父母、妹と飯田先輩が歩いていたら、黒いワンボックスカーが迫ってき
て、Xのメンバー数名が下りてきて、その場で催眠をかけて、拉致していってしまう。
 実はこの拉致を手引きしたのは塚本啓子だった。彼女もXのメンバーだったのだ。
 啓子が連絡をしてきた。「Xでやっているのは、肛門の括約筋や前立腺を弛緩させ
て、そこから古い脳にアクセスして色々な回路を作るという催眠だ。男には催眠をか
け、女は施術者になる。一人前の催眠術師になると、アナル系風俗の援交をしてXの
活動資金を稼ぐ」。
Hあの可愛い妹がそんな事をさせられるなんて信じられない。又、家の扉に「スカト
ロ一家、肛門性愛家族」などと落書きされたり、学校でもバラされて、私は居場所を
失う。
Iここに至り、私は対決するしかないと考えた。塚本啓子が「今だったらお前もXに
入れる。今を逃すと永久に家族にも会えない」と言ってきた。
 私は、Xの本部に乗り込んでいった。
 そこで会ったXの総裁苫小牧は、ニューハーフの様な人だった。
 彼女は言う。「アナルから古い脳(潜在意識)にアクセスして、新しい脳にあるき
らびやかなものを求める野心を沈静化しているのだ。これは救済だ」。
 本部内の獄につながれている先輩にも会った。「苫小牧の言っていることは嘘だ。
真言密教では、新しい脳も、そして古い脳も滅却するのだ」という。
 私はとにかく父母、妹と先輩を助けないとと思う。
J私も、催眠術師になるべく、Xの訓練を受けだした。
 私が練習用にあてがわれた男(林秀樹)も、きらびやかなものを求める様な男だっ
た。
 私は、林のアナルへの出し入れという反復運動により古い脳を活性化させておいて、
同時に私の首を締めさせ、同時にお香のニオイで潜在意識を刺激する、という催眠を
かけておいた。
Kいよいよ対決の時。私は苫小牧の見ている前で林に施術する。苫小牧は「そんな催
眠ではダメだ」と言い、自分が催眠を開始する。だんだん林が興奮してきた時に、私
は香を焚いた。林はその香りに反応して苫小牧の首を締めるのであった。
L苫小牧の死後、警察も駆けつけて、一件落着する。




#454/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/07/28  21:51  (330)
ペストールを拾ったら   永山
★内容                                         18/07/30 17:53 修正 第2版
 拳銃を拾った日、レイプされそうになった。
 あるいは、逆。
 レイプされそうになった日、拳銃を拾った。
 どちらでもいいのかもしれない。結果は変わらないのだから。
 その日、私は初めて拳銃を拾い、初めてレイプされそうになり、初めて拳銃を撃ち、
初めて人を殺した。

 線路の下を通るコンクリートのトンネル、その入口に差し掛かったときだった。
 遅くなった学校帰り。内緒の買い物があって、少し遠回りをしたため、さらに遅くな
った。とっくに日が暮れ、辺りは暗い。
 尾けてくる足音に全然気付かなかった私。不覚、不注意。もしかすると、拾ったばか
りの拳銃に気持ちをかき乱されていたせいかもしれない。
 電車が上を走った。長い長い、貨物列車。
 それを待っていたかのように、男は灰色のロングコートを翻して襲いかかってきた。
左側の壁まで突き飛ばされ、振り返ったところをのしかかられ、右手首を強く鷲掴みに
された。痛みを感じる。地面に散らばる小石が身体のあちこちを突き上げてくる。学生
鞄は、遠くまで滑ってしまっていた。
 悲鳴を立て続けに上げたはずだが、誰も来てくれなかった。
 身動きの取れなくなった私に、男は刃物を突きつけた。騒いだら殺す、ぐらいのこと
を言ったかもしれない。列車の轟音でしかとは聞き取れなかったし、よく覚えていな
い。
 自身に降り懸かった事態を理解できないでいる私の口に、何か詰め物がなされた。声
を出せなくなる。計ったかのように、電車が過ぎた去った。
 制服の胸元に手を掛けた男。乱暴に破り取るような真似はせず、ボタンを一つずつ、
上から順番に外し始めた。
 急速に冷静になれた。状況を把握すると、逃げなくてはという当然の意識が起こっ
た。そして、逃げるにはまず、この男を身体の上から追い払わなければならないと考え
た。
 男は私があきらめ、無抵抗になったと決め付けたのか、私の両手を自由にしたままだ
った。
 私の左手が、スカートのポケットに触れる。さっき、拾った拳銃を無理矢理押し込ん
だ場所。あとになって考えると、乱暴された弾みによく暴発しなかったものねと感心し
てしまう。引金さえ引けば、連続して弾を撃てる状態になっていた。
 不思議と冷静だった。銃を持つ強みとは全然違う気がする。ただ、逃げるという意識
が薄まり、代わってこの男に罰を与えたい欲求が半ば義務化し、どんどん広がる。
 電車が再びやって来た。遠くからの轟音と振動で分かる。さっきのが下りだとした
ら、今度は上り。私は拳銃をポケットから引き抜き、気付かれないように男の脇腹辺り
に銃口を宛った。
 電車が真上を通過する。
 引金を引いた。連射式だなんて知らなかったが、私は立て続けに引金を引いた。数え
なかったけれども、三発は撃ったと思う。
 男の身体が湿気った安物布団みたいに覆い被さってきた。生命をなくした証だろう
か、ずしりと重い。撃つのをやめた私は、その汚らわしい物体の下からずるずると這い
出た。血が男から溢れ出る。私は口の中の詰め物を引き抜き、それが何であるかを確か
めることもせず、男に投げつけようとした。だが、思いとどまり、それを広げた。厚手
のハンカチと知れる。拳銃全体を拭ってからくるみ、布の端同士を結ぶ。どうしようと
いう考えは全くなかった。指紋を消しておきたかっただけ。
 誰も来ない。発砲した音もまた、誰にも聞こえなかったらしい。近辺に人家がないの
だから、それも仕方のないことか。
 衣服の乱れを直した私は学生鞄のところまで走ると、それを拾い上げた。トンネルを
抜け、空の下に出る。外灯に白々と照らされたサークルに入ると、ボタンを填め直しな
がら、身体や服の具合を見た。奇跡的にも、返り血は一切付着していない。服は上下と
も無事だ。砂粒一つ付いていない。怪我の方は、右手首にうっすらとした痣。擦り傷の
有無は分からなかった。刃物の先が、頬に触れたような気がしたのだが、どうやら気の
せいらしく、ほっぺたはきれいなままだった。
 しばらく逡巡してから、ハンカチでくるんだ拳銃を鞄に仕舞う。拳銃の持ち主を殺人
犯に仕立てるからには、この場に凶器を置いて行くのはよくない気がする。離れたどこ
かの川か池に捨てるのが、一番ありそうだと思った。
 だが、川まで捨てに行く気力が、このときはなかった。それどころか、歩くとか、深
呼吸をする、靴下を引っ張り上げるといった簡単なことさえ、実行するのに大変な努力
を要する有様。拳銃の処分は明日に延ばすと決定した。
 電車が来ないのを見計らい、足早に去る。無我夢中で、起きたことを神経がまだ消化
し切れていない。おかげで依然として冷静に振る舞えた。その代わり、何をするのにも
いつもに倍する疲労感を伴う。
 明かりの点いていない自宅に帰り着いてから、左手首にも痛みがあることに気が付い
た。無理な姿勢で拳銃を撃ったせいだろうか。そもそも、知識も何もないまま初めて発
砲したのだから、手首を痛めるくらい当たり前かもしれない。
 半日着ていた衣服一切合切をすぐ洗濯する。制服でなければ、切り刻んで捨ててしま
いたい。次いで、シャワーを浴びた。猛スピードで肉体が蘇っていくようだ。歯車が噛
み合ったような感覚があって、自分の動作にも普段の自然さが戻った気がする。精神の
方は、もうしばらく興奮状態にあるらしくて、がたがた震え出すようなことはなかっ
た。
 着替えたあと、遅くに帰ってくる親のために風呂を沸かした。
 テレビのニュースを見ながら独りの食事。何を食べても、味があまり伝わってこな
い。私が起こした事件のことは何も言わないまま、ニュースは終わった。きっとまだ発
覚していないのだ。
 明日は早起きしなければ。いつもの通学路を遠回りして銃を捨ててから、学校に行こ
う。
 もちろん、誰に話すつもりもない。

 目覚めると、肩にひどい痛みを覚えた。思わず呻いてしまいそうなほどだったが、表
に出すと、両親が気にする。上手に説明できる自信がないから、隠さねば。腕を回した
り伸ばしたりすることで、無理矢理にでも痛みに慣れる。十分近く寝床でもぞもぞと過
ごし、漸く起き出せた。
 あの男の死は夜遅くのニュースでも、朝刊でも、そして今見ている朝のニュースで
も、報じられなかった。おかしい。ただでさえ乏しかった食欲は、完全になくなってし
まった。母親に不審がられないよう、サラダのレタスとオレンジジュースだけは口にし
たが、味は分からなかった。
 日直なのと嘘をつき、普段より四十五分早く家を出た。昨夜の決心に従うなら、銃を
捨てに行くところだけれども、事件がニュースにならないという異変を目の当たりにし
て、警戒心が働いた。軽々に銃を捨てるのはまずい気がする。先に、あの現場に行って
みる。全てはそれから。
 線路下の薄暗い通路に、変わったところは見られなかった。歩行者達は、特段騒ぎ立
てる様子もなく出入りし、平然としてそれぞれの目的地に向かう。その上を、電車が朝
から頻繁に行き来していた。日常的な風景が展開される。
 訝る心を抑え、通路を進む。すぐに視界に飛び込んでくるはずの死体は、どこにも見
当たらなかった。できたはずの血溜まりもない。
 私はその場で立ちすくみ、考え込んでしまいそうだった。だが、ここに長居してい
て、果たして吉なのか。早々に立ち去る方がよさそう。いや、よいに違いない。いつも
の通学路の途上だから、この早い時刻でも、顔見知りが通りかかることは充分に考えら
れる。自分では平静を装ったつもりでいても、他人の目には挙動不審に映りかねない。
 ソックスを直すふりをしてしゃがみ、地面を見る。血を拭い取った痕跡ぐらい見つか
るはずと期待したのだけれど、認められない。一瞬、場所を間違えたのかと、自らの記
憶すら疑ったが、それもあり得ないこと。
 現実的に考えられるのは……ちょっと思い付かない。夢か幻とでも解釈しないと、理
解不能。だけど、手に残る銃の感触が、手首や肩の疼きが否定する。夢や幻とは絶対に
異なる。
 記憶と現在との折り合いはうまく行かないが、当面のお荷物を処分するかどうかは、
早く決断を下さないといけない。銃を捨てる捨てない、どちらを選ぶべきなのか。
 事件が表面化していないのをいいことに、警察に届けるのはどうだろう。拾った場所
と時間帯だけ正直に伝え、あとは嘘で塗り固めた説明をすれば、何も疑われずに済むの
では……?
 だめだ。もう一人の自分が真っ向から拒絶。
 レイププラス殺人体験という突発事に上積みして、死体が消えてなくなったという異
常事態。何か裏がある気がする。論理的に説明できないけれども、強いて言い表すとす
れば……人工的な非日常感。
 私は不意に思い付き、この場所を携帯電話で写真に収めた。どこか分からないが、こ
の場所にも何らかの手が加えられた気がしてならない。無論、死体が消えているのが一
番大きな変化だが、それ以外にも細々とした何かが。

 学校に到着した。普段より少し早い時間。
 下足箱をざっと見渡して、少なくともクラスメイトはまだ誰も来ていないことを確か
める。
 靴を履き替えようとしつつ、迷っていた。教室に入って、一人でこの奇妙な出来事に
ついて推測を巡らせるか。それとも、事の発端を担った拳銃について考えるべきか。
 後者を選んだ。靴を履き替えるのを中止し、外に向かう。拳銃を拾ったのは校内、中
庭の片隅にある溝の奥だった。そこへ行ってみる。警戒を怠らずに。
 拳銃は落ちていたのではなく、隠されていたとするのが多分正しい。不透明なビニー
ルにくるまれ、ガムテープで留められ、側溝の蓋で隠れるように押し込まれていた。そ
んな状態の物を見付けたのは、私が歴史の丸尾先生から命じられた掃除を渋々と独り、
やったせい。見付けたあと、誰かに知らせようとか警察に届けようとか考えなかったの
は何故だろう。その時点では本物の銃とは思いもしなかったのかもしれない。あるいは
……殺したい人間がいるせいかもしれなかった。
 そんな訳だから、溝を見に行くと言っても、あまり近付いてしげしげと観察するのは
避ける。隠した主と鉢合わせする恐れや、既に拳銃が消えたことに気付いた持ち主が、
見張っている可能性もある。何故、あんなところに拳銃があったのかはこの際、考えな
いでおく。深夜、警察に追われた犯罪者か何かが校内に一時的に逃げ込み、銃を隠した
あと、また逃げたとか、そんなところじゃないか。うちの学校は警備が緩く、防犯カメ
ラも三箇所ある門を写しているに過ぎない。
 くだんの溝の周辺は、昨日立ち去ったときと変わっていなかった。少なくとも見た目
は一緒。拳銃がなくなったこと自体、知られていない可能性が高い。
 言うまでもないが、あそこを掃除する私の姿を、拳銃の持ち主が万が一にも見ていた
としたら話は違ってくる。ただ、その場合、持ち主は学校関係者であることになるだろ
う。だとしたら、拳銃のあるなしにかかわらず、拳銃の存在に気付いたかどうかを確か
めようと、一刻も早い私への接触を図っているはず。今になってもそれがないのは、こ
の推測は恐らく外れということ。先生が私に掃除を命じた事実が、拳銃の持ち主の耳に
入らない限り、安泰と言える。
 散策を装った観察を切り上げ、教室に向かうことにした。

           *            *

 丸尾一正は極力、意識しないように努めた。閉じられた窓ガラス越しとは言え、一生
徒をじっと見つめているところを第三者に気付かれでもしたら、余計なさざ波を立てて
しまいかねない。
 しかしながら、目線を外したあとも、気になりはする。何をしに戻って来たんだろ
う、と。

 丸尾は教師ながら、困った癖が二つあった。その一つが、無類のギャンブル好きであ
る。賭け事に強いならまだましかもしれないが、よくてとんとん、大抵はマイナスとい
う成績では、借金が膨らむ。給料日毎にまとめて返していたが、それも徐々に厳しくな
り、今では貯金を切り崩す有様だった。
 独身で、結婚を意識するような相手もいないからやっていけるが、周りからはいつま
でも若くはないんだしそろそろ身を固めてはどうかと縁談を持ち掛けら始めた。中には
本当に良い話があり、心動かされるものがある。結婚を考えると、ギャンブル癖は断ち
切っておくべきだし、借金もきれいにしておくべきだと分かっていた。
 そんな決心が固まるか固まらないかのタイミングで、丸尾は大負けを喫した。これま
でとは一桁違う負けで、おいそれと借りられる額でない。一気に追い込まれた丸尾に、
ギャンブル相手の男が持ち掛けてきた。
「高額のバイトをしてみる気はあるか?」
 話を聞いて危ないと感じたら断ればいい、なんて軽い気持ちにはなれなかった。相手
はいわゆる暴力団関係者で、危ない話を聞くだけ聞いてはいさよならとはならないこと
くらい、容易に想像が付いた。
 なのに聞く気になったのは、やはり負けの大きさ故だったかもしれない。
 話を聞く前に、何かの運び屋をやらされるんじゃないかと漠然と想像していた丸尾だ
ったが、男が持ち掛けてきたのはそういった密輸の類ではなかった。
 足の付かない武器を用意してやるから、板木なる男を殺せというもの。板木は同じ組
の構成員で、組織を抜けたがっているが、ある重要な機密を握っているため、組として
は認める訳に行かない。始末するのが手っ取り早いが、単に殺すと組全体が警察から疑
いを向けられるのは目に見えている。それならいっそ、無関係の堅気にやらせるのがよ
かろうという算段だった。
 聞いた直後にこれはいよいよまずいぞと逃げ出したくなった丸尾だが、そうも行か
ぬ。より詳しい話を聞かされる内に、ひょっとしたらやれるかもしれない、と考え出し
た。それも自分の手を極力汚さずに。
 組織を通じて、板木に「組を辞めるには最後の仕事をしろ」と条件を提示してもら
う。具体的には、「抜けたあとも好き勝手なことを吹聴されてはたまらん。ついては、
おまえが汚れ仕事をやっていたことを記録に残す。アダルト物の男優役をやれ」と。そ
の組織はかねてからアダルトソフトの製作に噛んでいるので、不自然ではない。板木が
どう受け止めるかは分からないが、肉体的に痛めつけられるよりはよい条件だと捉える
だろう。板木が条件を飲んだなら、撮影と称してより細かな指示を出す。
 当初、丸尾が組織に提案したのは、拳銃自殺の台本を書き、実際に弾が出る銃と撮影
用の銃をこっそり入れ替えておくというものだったが、却下された。撮影らしく板木に
思わせるには、それだけ人数が必要となる。構成員達を偽の撮影に駆り出すと、アリバ
イが確保できない。結局、警察に疑われる。つまるところ、やるんなら丸尾一人でやれ
ということだ。
 そこで丸尾が捻り出した別の案には、組織も承知し、ゴーサインをくれた。丸尾の考
えた筋書きは、板木が女学生を襲って強姦するというもの。リアリティを出す名目で、
野外で演じるのをハンディカメラ一つで撮ると伝えることで、板木の不信感を封じる。
撮影の折、第三者に見られたら面倒だと、板木は不安を覚えるかもしれない。それに対
しては、人が通り掛かっても中止はしない。すぐに立ち去れるよう、車を用意しておく
からと言い含める。これで準備の半分が終わり。
 残りの半分は、殺す側の準備だった。丸尾は、襲われる役の女性に板木を殺させるこ
とを考えていた。一般論として、女が男を一対一、通常の状態で殺すのは困難を伴うで
あろう。だが、丸尾には勝算があった。組織の用意する足の付かない凶器が拳銃だと聞
いたからこそ、この計画を思い付いたと言える。そう、女には拳銃を持たせておく。
 だが、女は組織が用意する女優ではないし、丸尾にもこんな役を引き受ける相手に心
当たりはない。丸尾はだから、教え子を利用することにした。事情を話してやらせるの
ではなく、自然な形で仕向けるように。
 丸尾の頭には、明確な候補がいた。
 彼の二つある悪癖の内、ギャンブル狂いとは別のもう一つは、若い女好きであること
だった。より厳密に言い表すのであれば、若い女も好き、となる。普段はその嗜好を隠
し、これなら大丈夫と判定できる対象を見付けたら、密やかに行動を起こす。成功率百
パーセントではもちろんない。失敗も多々あるが、そのときはそのときでうまく冗談に
昇華してごまかす術を、丸尾は身に付けていた。
 そんな、倫理観を著しく欠いた教師が現在進行形で付き合っている女生徒が一人お
り、名前を筒寺萌音という。頭はいいが、努力してトップを取ろうという向上心は乏し
い。それでも学業は優秀な方。そして、ちょっと悪いことに憧れのある性格(性格では
なく、そういう年頃なだけかもしれないが)。冗談で缶ビールを勧める素振りを見せる
と、特に躊躇や逡巡もなく、手を伸ばそうとした。テストの採点で、間違っている箇所
をわざと正解にしてあげた上で、授業で詳しく解説したのに、言って来なかったことも
あった。
 隠れて付き合うようになってから、丸尾はますます筒寺を理解できたと確信した。彼
女は怪我人や遭難者を見掛けても、自ら救助に乗り出して責任を背負い込もうとはしな
い。傍観者か、せいぜいサポート役。また、大金を拾ったとしても、素直に警察に届け
ることはまずない。密かに運べる物なら持ち帰る。無理なら放っておくか、ばれないの
であればいくらか抜くかもしれない。
 そこで丸尾は思い切って、彼女に拳銃を見付けさせる段取りを整えた。校内大掃除の
日に行き届かなかった箇所があるとして、中庭奥の溝掃除を彼女一人に命じる。前もっ
て隠しておいた拳銃を、彼女は確実に見付ける。いくら丸尾が筒寺を理解したと確信し
ていても、彼女が銃を持ち去るかどうかは、賭けの要素が強くなる。いきなり警察に届
けるというのはないにせよ、丸尾に知らせてくるパーセンテージはそこそこ高いと考え
ねばならない。
 尤も、丸尾にとって、筒寺が拳銃を見付けたと報告に来ても、特段問題はない。うま
く処理して置くからとでも言って、拳銃を回収すれば事足りる。組織から命じられた殺
人は、丸尾自らが手を下さねばならなくなるが。
 そして――丸尾はこのギャンブルには勝った。筒寺が拳銃を黙って持ち帰ったのを、
陰から確認したときは、思わず小さくガッツポーズをした。が、喜んでばかりはいられ
ない。即座に板木に電話を入れ、撮影を行うからと呼び出す。場所や段取りはかねてよ
り伝えてあるので、用件は手短に済む。移動時間は何度か実験をして、充分に間に合う
と算盤をはじいた。
 最後の仕事について聞かされた当初の板木は、踏ん切りが付きかねた様子だったらし
いが、実際にやる直前に相対してみると、すっかり気持ちができあがっているように見
えた。
「自分がやる役の男は、あとで和漢だったと主張するような性格なんでしょう? だっ
たらハンカチか手ぬぐい、いや、いっそシートを準備していることにして、襲うときに
女の身体の下に敷くっていう演技はどうか」
 なんて提案してくるぐらいだった。丸尾がOKを出すと、板木は用意のいいことで、
透明なビニールシートをコートのポケットからちょいと覗かせてみせた。
 あとの流れは、丸尾にとってほぼ理想通りに進んだ。誰にも気付かれず、板木は筒寺
を襲い、銃で反撃を受けた。筒寺がどういう行動を取るのかも気掛かりの一つではあっ
たが、銃を持ったまま、自宅の方に駆けて行ったのを見て、丸尾はほっとした。警察に
駆け込む線は銃のことがあるからまず取らないだろうと踏んでいたが、丸尾に助言を求
めて電話をしてくるのはありそうで、もしそうなったら面倒だと考えていたからだ。
 人が通り掛からないのを確認した上で、丸尾は現場にそっと駆け寄った。板木の絶命
を見届けるつもりだった。が、丸尾はあまりに近付きすぎた。賭けに勝って、浮かれて
いたのかもしれない。
 虫の息の板木は、右手で丸尾のズボンの裾を握りしめてきたのだ。強く強く、破り取
らんばかりに。
 困惑と恐怖を覚えた丸尾は、空いているもう片方の足で、板木の手を踏み付け、蹴っ
た。何度か繰り返す内にやっと離れたが、気が付くとズボンの折り返しがほつれ、布地
の一部が千切れ、糸くずが飛んでいた。
 これはまずい。丸尾の背筋は寒くなった。
 板木は既に絶命したが、その右手は固く握りしめられている。その中に、丸尾のズボ
ンの切れ端が恐らく入っている。こじ開けて確かめ、取り除く必要があるのだが、目撃
される可能性を排除したい。そこで死体を車で運び、落ち着ける場所に移してから回収
を図る。幸運にも、板木の身体の下にはシートがあり、血は地面に散っていない。この
まま死体をくるめば、痕跡をほぼ残さずに車内に運べる。
 この予定変更は、警察の交通検問に注意を要するし、筒寺の動き任せの部分が若干大
きくなるが、大勢に影響はないと丸尾は判断した。ここまで彼にとって珍しいほどの大
勝で来ているのだから、どんな博打でも攻めの姿勢で行く心理状態になっていた。

 ふと視線を戻したときには、すでに筒寺の姿は見えなくなっていた。
 大方、誰が銃を隠したのか気になって、元の場所を見に来たのだろう。丸尾はそう解
釈した。
 結果から言うと、丸尾は賭けに最後まで勝ち続けた。遺体を車で運ぶのを誰にも見咎
められなかったし、板木の手から布の回収もうまく行った。つい今し方、ラジオのニ
ュースで死体が川縁で発見されたと報じられたから、組織の連中も働きを認めてくれる
だろう。晴れて、今までのギャンブルの負けはチャラになる。
 最後の一仕事として、拳銃の回収を求められているが、これは飽くまでできることな
ら、という但し書き付き。組織としては、足の付かない拳銃とは言え、一度殺人に使用
した物をわざわざ回収して後生大事に保管しておいても危ないだけ。どこぞで処分して
くれた方が手間が掛からんといったところか。
 などと考えていた丸尾の前に、いつの間にか女生徒がやって来た。筒寺が口を開く。
「先生、これ、提出し忘れてたプリントです」
 言いながら彼女が手渡してきたのは、確かに問題文の書かれたプリント用紙だが、自
筆の文字で書かれている内容は、答とはなっていない。これは、丸尾と筒寺との間で内
緒のやり取りをする方法だ。
「お、意外と早いな」
 適当に話を合わせながら受け取り、プリントの隅の文字を読み取る。今日の放課後、
時間を作って欲しいとあった。
「よし。行っていいぞ」
 承知の意を込めて、そう言った。ちょうどいい機会だし、拳銃のことも聞き出せそう
ならアプローチしてみようと丸尾は思った。

           *            *

 第二校舎の三階、その一番端にある社会科準備室。普通なら、生徒が頻繁に出入りす
る教室じゃない。私はよく利用してきたが。
 言うまでもなく、丸尾先生との付き合いのせい。校内でこそこそ会うには、うってつ
けの場所だった。隣は音楽室でそちらの方は人の出入りが割と多いが、防音設備がしっ
かりしているため、社会科準備室での声や物音が聞こえることはまずなかった。
 加えて、今の時間帯は、音楽系の部の練習する音が校内のあちこちから聞こえてき
て、大都会のスクランブル交差点並みにうるさいんじゃないかしら。他にも運動部が頑
張っているようだし、そんな状況では、この部屋で何をやっても聞かれることはあり得
ない。
 だから、私は丸尾先生を呼んで、そして拳銃の威力を発揮した。
 やった直後は、その発射音を聞きつけて、人が跳んでくるんじゃないかと嫌な想像を
したけれども、杞憂に終わった。十分以上が経過しても、誰も来ない。
 この分なら、もう私もここを離れていいだろう。むしろ、早く離れるべきかも。
 拳銃にはまだ弾が残っていて、置いていくのは未練がある。けれども、丸尾先生を自
殺に見せ掛けて殺すことに成功したのだから、銃は置いていかなくては。それに例の強
姦魔の死体、見付かったってニュースでやってたし。銃を早く手放すのがいいに決まっ
ている。
 あの拳銃、誰が溝の奥に隠したのか知らないけれども、見付けた瞬間、私は心を決め
ていた。
 私との付き合いを続けておきながら、持ち込まれた縁談に頬を緩め、鼻の下を伸ば
し、結婚を考え始めた先生。命でもって償ってもらうのが、最速の解決策だと思えた。
泥沼の話し合いなんて御免だわ。
                                                                  
           *            *

 後ろから手を胸や首に回され、かすかな石鹸の香りに包まれながら、優しく撫でられ
る。丸尾は社会科準備室にて、筒寺の声や仕種を体感していた。そのあまりの心地よさ
に、何気なく考えた。
(いっそのこと、彼女の卒業を待つという道もあるな。焦って身を固めなくても、筒寺
さえその気なら、こっちはいらぬ気苦労や努力をしないで済む。何たって、卒業まで待
っても、十八やそこらなんだから、見合い相手よりも若いじゃないか)
 そこまで考えを進めたとき、右方向から何かが飛んできて、丸尾の意識を奪い去っ
た。永遠に。

――了




#455/455 ●短編    *** コメント #453 ***
★タイトル (sab     )  18/08/01  16:11  (135)
「催眠」(という短編の目論見書)改2 朝霧
★内容                                         18/08/01 21:03 修正 第2版
仮題『催眠家族』改

【登場人物一覧&キャラクター設定】
 ()内はイメージキャスト。思い付かない場合は?印。
橋本舞美。(?)。17歳。法正高校(都内の仏教系高校)2年生。
橋本信夫。(渡部篤郎)。42歳。舞美の父。
橋本京子。(篠原涼子)。39歳。舞美の母。
橋本保聡(やすとし)。(?)。舞美の二卵性双生児の兄。17歳。都立高校3年生。
橋本愛。(?)。15歳。舞美の妹。中学校3年生。
鈴木真貴。(?)。17歳。法正高校2年。
鈴木文勝(ぶんしょう)。(高橋克実)。50歳。竜泉寺住職。
苫小牧。(村本大輔(吉本興業))。30歳。竜泉寺の僧侶。
蟹沢賢磨(けんま)。27歳。竜泉寺の寺男。
大谷智雪(大野智(嵐のリーダー))。18歳。法正高校3年生。

【舞台&状況設定】
 舞台は法正高校(都内の仏教系高校)と竜泉寺(浄土宗)。
 主人公舞美は法正高校の2年生。同級生に真貴(竜泉寺の娘)、先輩に大谷(真言宗
のお寺の息子)がいる。
 竜泉寺には苫小牧という男が入り込んでいる。真貴と結婚してお寺の相続をしようと
目論んでいる。
 寺男に蟹沢(元真言宗信徒)という男がいる。
 舞美は蟹沢に恋心を抱いている。
 真貴は保聡(舞美の兄)が好き。
 信夫(父)、京子(母)は竜泉寺で苫小牧が催す行事にはまっていた。

【おおまかなストーリー】
@橋本家は竜泉寺の檀家である。信夫(父)、京子(母)、保聡(兄)は、寺の行事
(写経、禅、お茶会など)に熱心に参加していた。行事には瞑想や催眠もあった。
 寺の行事を仕切っているのは苫小牧という男。苫小牧は元々は竜泉寺の人間ではな
かったが入り込んできている。寺の娘・真貴と結婚して寺の相続を目論んでいる。
 寺には寺男の蟹沢(真言宗出身)もいた。蟹沢は現世利益には興味がなく、「個人
の仏性と宇宙の根本原理の合一だけが目的」と言って、黙々と塔婆に字を書いていた。
 高校に行くと大谷(先輩)は「舞美の父母と兄は洗脳、催眠に引っかかりやすい性
格だ」と言う。
大谷は言う。「催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意
識)に働きかけて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて
動きを奪う事も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠を組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させておいて、同時に漕ぐ運
動で股間を刺激して、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコ
ロンを嗅がせた時に欲情させることが出来る」などと。

A或る朝のこと、保聡はコロンのニオイをさせていた。真貴にプレゼントされたとい
う。
 その朝、保聡は駅のホームで後ろの人間に突き飛ばされて死んでしまう。
 舞美は、先輩から聞いたサイクリングの話と、兄がコロンをつけていたことを考え
合わせて、「これは催眠で突き飛ばされたのではないか。その催眠をかけたのは苫小
牧ではないのか。苫小牧は真貴と結婚して寺を継ごうとしていた。それを兄に横恋慕
されたと思ったのではないか」と想像する。
 兄が轢かれる瞬間を妹の愛も見ていた。
B父母はカーテンを閉めてふさぎ込んでいた。
 苫小牧が訪ねてきて、「お寺に来て少しでも心を慰めたらいかがですか」と言って、
父母と妹まで連れて行った。
 舞美は、「苫小牧は、もしかして現場を見ていた妹を始末する積りなのではないか」
と心配する。
 又、舞美は、苫小牧の浄土宗的な家族愛的なものをウザいとも感じていた。舞美は
例えば学業でもAO入試や面接など人間のやることは信用できなくて、全てマークシ
ート方式にするべきだ、などと思っていた。だから、蟹沢の真言宗的なもの、自力本
願の原理主義的なものの方が好きだった。そんなことから蟹沢に惹かれ出す。
C舞美は、苫小牧の催眠に対抗する為に、自らも独学で催眠を学びだす。
 舞美の学んだ催眠は、施術者個人がクライアント個人にかけるという、人が人に施
すものだったが、上手く行かなかった。
D舞美は大谷に催眠について尋ねた。大谷によれば、催眠は施術者個人がクライアン
トにかけるものではなく、宇宙のエネルギーをクライアントの古い脳に作用させるも
のだ、とのことだった。
 舞美は竜泉寺の様子を見るために寺の裏山に登った。そこで寺男・蟹沢に遭遇する。
そして仏教の話を聞く。蟹沢は言う「宇宙の根本原理にも汚れ、”なまぐさ”がある
が、これが人に宿ると悪人になる。そのように宇宙と人間はつながっている」と。
舞美は、大谷の話と似ていると感じる。そしてますます蟹沢に惹かれる。
E舞美は、クラスの女子に催眠をかけてみた。レズビアン的な接触で「性的興奮に達
したら相手の首を締めろ」と念じた。後日、その女子の彼氏が「首を締められた」と
騒いでいた。舞美は催眠は成功したと自信を得る。
F竜泉寺では護摩に使う薪を割っていた。
舞美は、薪割りの反復運動で古い脳が活性化している状態の父に、キンモクセイの香
りで潜在意識を刺激しておく、という催眠をかけた。そして寺男(蟹沢以外)にキン
モクセイの花束をプレゼントしておく。父は、寺男のところに薪を運んでいくとキン
モクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに舞美は催眠を解く。
これを見た苫小牧は舞美の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、舞美は父母と妹を連れ戻すことに成功した。これで平和が戻った
と安堵したのだった。
Gしかしそれも束の間、またまた父母と妹はお寺の寺男に連れ去られてしまう。
 ところが舞美は内心、家族的な浄土宗はウザいが家族自体もウザい、と感じ出して
いた。
 方や、霊験あらたかな真言宗を唱える蟹沢には魅力を感じていた。蟹沢は「心頭滅
却して仏性を開放すれば、兄の霊とも接触できる」と言ってきた。そしてそういうセッ
ションをやる。
 大谷は、「洗脳されているんじゃないのか」と心配してきた。
H兄の初七日法要の日、竜泉寺の本堂で、父があろうことか、妹に襲いかかってきた。
しかし、金縛りにあって未遂に終わる。
 舞美は、苫小牧が父に催眠をかけて妹を襲わせたのだ、と思う。妹は兄の事故現場
を見ていたから、何かを思い出す前に始末されそうになったのでは、と。
I蟹沢が、舞美にも寺に来ないかと言ってきた。そうすれば家族を見守っていられる
し、亡き兄に接するセッションも又できるから、と。そして舞美は寺に行く。
J竜泉寺で護摩行の時に、なんと父が今度は舞美を襲ってきた。そしてこの時も父は
金縛りにあってことなきを得た。
 この災難の後、別室で休んでいると、母のスマホに長文のメールが届いた。それは
舞美が生まれた時に同じ病室だったHさんからの暑中見舞いだった。
その手紙にはこうあった。「出産の時にあの病室に居たのは、京子と保聡、舞美、H
さんとその子、蟹沢さんとその子。でも最初に蟹沢さんの子が亡くなって、続いて私
の子も亡くなった。そして保聡君まで亡くなった。残る舞美ちゃんは大切にして下さ
い」と。
 舞美は「その蟹沢とは誰だろう。寺男の蟹沢と関係があるのではないか。亡くなっ
た子供とは蟹沢の弟ではないのか」と推測する。
 舞美は、母からHの連絡先を聞いて電話する。すると、蟹沢さんの亡くなった子に
は歳の離れた兄がいるとのことだった。
 大谷は、こう推理をした。「保聡、舞美、Hさんの子、蟹沢の弟は同じ日に生まれ
た。ということは宇宙から同じ仏性がそれぞれの体に分割して宿ったのではないか。
そして17年後、蟹沢の弟が亡くなった。
しかし本来一つであった仏性の内4分の3は保聡、舞美、Hさんの子の中に残ってい
る。それで蟹沢の弟は成仏出来ないでいる。
だから、蟹沢の兄つまり寺男は、Hさんの子、保聡と殺して仏性を開放したのではな
いか。そして最後の一つ、舞美の仏性も開放する為に殺そうとしているのではないか」
と。
 ここで妹を脱催眠して「あの日、ホームにいたのは誰なのか」を言わせたら、苫小
牧ではなく寺男の蟹沢だと答えた。
K舞美は寺の裏山に蟹沢に会いに行った。そして「私を殺すために父に催眠をかけて
襲わせたのか」と問いただす。
 蟹沢は悪びれる様子もなく、そうだという。「ただ宇宙の根本原理に帰るだけだよ。
なんだったらぼくも一緒に死んでもいい」と。
 ここで、舞美も、それもそうだと思う。そして二人で死のうか、という運びになっ
た。
 ここで、先輩と苫小牧が現れて「舞美、君は洗脳されている」と言ってくる。
 舞美は驚くが、蟹沢は小刀を出すと舞美の首筋にあてた。
 ここで蟹沢は何故か金縛りに合い、舞美は救出された。
 舞美は、父や蟹沢の度重なる金縛りを、何か宇宙の根本原理からの仕業のようにも
感じたのであった。
L家に帰ってから数日たった或る日。舞美が風呂に入っていたら、突然金縛りにあっ
た。腕が勝手に上がって指が曇った鏡をなぞる。「天寿まっとうせよ」と描かれた。
兄の霊が自分に乗り移って書いたのだ、と舞美は思った。

【疑問点】
 設定をお寺に絞って、人物も全て僧侶にした方が座りがいい気もする。
『ファンシィダンス』か和製『薔薇の名前』みたいになって。
 でもそうすると恋愛関係が同性愛になってしまうが。




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