AWC ●短編



#427/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/02/23  21:18  (195)
過誤無きトリュフ   永山
★内容
 猫背になり、ズボンのポケットに両手を突っ込んで下校する勝浦大伍の姿を
見て、僕は思わず、「あれ?」と声を上げた。相手にも聞こえたらしく、勝浦
がこっちを振り返った。その拍子に、小脇に抱えていた学生鞄が、するりと落
ちる。勝浦に慌てた様子はなく、のろのろと拾い上げた。
 クラスメートの中でも、勝浦は一番親しい友達だ。中学に入ってから知り合
ったから、まだ四年ほどの仲だが、それでもこんな不抜けた感じになったの勝
浦を見るのは、今日が初めてだ。
 だけど、思わず声を上げた理由は、別にある。今日はバレンタインデー。勝
浦には彼女がいて、放課後はデートだと浮かれていたのを知っていたからだ。
「勝浦、どうかしたん?」
「どうかしたとは?」
 ほぼおうむ返しに問われ、僕は相手を指さした。
「こんなとこで何してるのかなと。粂寺さんとデートだろ、確か?」
 僕と粂寺万里とは、小学校と中学校で、何度か同じクラスになった。元々、
近所同士で親しい仲とまでは行かなくとも顔見知りだった。その関係で、彼女
と勝浦は知り合えたようなものだ。彼に、小学校時代の粂寺さんにまつわるい
くつかのエピソード――運動会のリレーで、隣のコースを走る親友が転んだの
で起き上がるまで待ったとか、植樹のイベントで女子にしては平気で土いじり
したり虫に触ったりしているなと思ったら、親の田舎で野菜作りを頻繁に手伝
ったことがあるとか、ピーマンが好きで友達から変人扱いされたとか――を話
してやったら、すごく面白がって喜んでいたっけ。
「ああ、そのこと……」
 素っ気ない、というよりも避けたがっているように、ぷいと顔をそらした勝
浦。そのまま、さっき目の当たりにしたのと同じ格好で、ぞろりぞろりと歩き
出す。
「まさか」
 ふられたのかと聞こうとするも、思いとどまった。興味津々なのだが、友人
に対する心配りくらいは働く。もしも本当にそうだったら、傷口に塩を塗り込
むことになる。というか、当たっている気がしてならない。
 どうしようと悩んでいると、意外にも勝浦の方から話し出した。
「仲間、おまえの方が親しいよな、家庭科部の部長とは」
 念のため記しておくと、僕の名前は仲間正二という。
「家庭科部の部長さんて、木幡先輩? まあ親しいというか、昔からの顔見知
りというか。家が近所で、町内会の行事なんかで割と顔を合わせていたからね」
 僕は木幡先輩の面長で柔和な顔を思い浮かべながら答えた。ちなみに、家庭
科部の部長といっても男子だ。身体は大きいのに家庭科関係、特に料理が得意
で、食材の知識も豊富。荷物を軽々運ぶ様は、気は優しくて力持ちを体現した
ようなところがある。
「あの人、粂寺さんとどういう関係だ?」
「はい?」
 そんな組み合わせ、考えたこともなかったので、頓狂な反応をしてしまった。
勝浦の前に回り込み、その顔を見ながら問い返す。
「何があったか知らないけど、粂寺さんと木幡先輩の仲を疑ってる?」
「ああ。だから、昔何か関係があったのかと思って」
 投げ遣りな口調で、ちっとも要領を得ない。
 歩きながらするような会話ではないと判断し、僕らは落ち着ける場所を探し
た。とはいえ、わざわざファーストフード店まで出向くには遠いし、公園に駆
け込むのも、誰か知り合いに見られそうで嫌だ。結局、僕の家に行くことにし
た。

 インスタントのコーヒーを飲んで、人心地ついたらしく、勝浦はやっと順序
立てて話せるようになった。
「今朝、見たことなんだが」
「ふむふむ」
「あ、他言無用な。絶対に誰にも言うな。言ったら、絶交する」
「わかった。言わない」
 軽い調子の相槌を引っ込め、僕は真顔で約束した。
「登校して教室に向かう途中、社会科か何かの準備室の前で、粂寺さんを見掛
けたんだ。ちょうどいい、声を掛けようとしたら、柱の陰にもう一人いた。そ
れが木幡先輩」
 確かに、意外な組み合わせではある。少なくとも、高校での二人の接点を僕
は知らない。でも、さっきも記したように、粂寺さん家も僕の家の割と近所に
あるから、そのつながりで推せば、木幡先輩と粂寺さんだって近所ってことに
なる。顔見知りであっても、別に不思議ではない。
「声を掛けそびれて、逆にこっちが隠れた。そのまま、聞き耳を立てていたら、
粂寺さんが言ったんだ。『これ、約束していた物です』って」
「約束していた物? 何だろ」
「バレンタインデー当日に渡すような物なら、だいたい決まってるじゃないか」
「そりゃそうだけど。確かめたの?」
「うん。見えたんだ。粂寺さんが、両手のひらに乗るくらいの、白い紙袋を木
幡先輩に渡した。受け取った先輩は、紙袋をのぞき込んで、中から一つ、取り
出した」
「それがチョコレートだったと」
「多分な。焦げ茶色で、丸っこくて、少し白みがかっていた。大きさは親指ぐ
らいだったな。トリュフチョコかもしれない」
 勝浦は自らの親指を見つめながら答えた。
 一応、高級チョコレートと呼んで差し支えない商品だったってことか。……
うん? 商品とは限らないか。
「さっき、勝浦は紙袋って言ったけど、店で売っているようなチョコじゃなか
ったってこと?」
「……分からない。紙袋は無地だったから、店が出すような物じゃないのは確
かだけどな」
 トリュフチョコを手作りできるのかどうか、知らない。仮にできるとして、
よほど自信がなければ、家庭科部部長で料理の得意な木幡先輩にプレゼントす
ることはなさそうだけど。
 一方、店で買った物だとしたら、わざわざ無地の紙袋に移し替えたことにな
る。バレンタインのプレゼントなら、もっと愛らしいデザインや色合いの袋を
使うのではないか。白の袋を使うなら、せめて赤いリボンで結ぶぐらいはして
いいはず。
「なーんか、変だよ。本当にチョコレートだった?」
「そりゃ、直接口にした訳じゃないさ。外見はそれっぽく見えたぜ」
「うーん」
「あ、そういえば、渡すときにこうも言ってた。『ちょっと時季外れですけれ
ど』って。トリュフの旬じゃないって意味じゃないか?」
 トリュフに旬があるのかどうか、あるとしていつなのか、寡聞にして知らな
い。検索してみようとも思わないけれど。
「プレゼントの正体はさておき、そのあと、粂寺さんと先輩はどんな会話をし
てたのさ?」
「見てない。その場をこっそり離れたから」
「あれ? でも、一時間目のあと、教室で粂寺さんからプレゼント、もらって
なかったっけ? 廊下で」
 勝浦を指さす僕。正確には、棒状のお菓子で指し示したんだけれど。
「ああ、見てたのか」
「目立つもの。クラスが別々になってからは、大変だなって思うし」
 粂寺さんと僕たちとは今学年、異なるクラスになった。だから今日のバレン
タインデーも、粂寺さんがわざわざ勝浦の教室までやって来て、プレゼントを
手渡していた。
「プレゼントの中身は? もう確認したんだろ?」
 確認したのだと断定的に言ったのには、理由がある。粂寺さんがプレゼント
を渡して帰ると、勝浦はすぐ、どこか――多分、トイレの個室――に行き、二
時間目の始まるぎりぎりに戻ってきたから。
「ああ、とうに開けたさ。中は、普通の手作りチョコだった」
 手作りという時点で、普通のチョコではないと思う。その点をただすと、勝
浦は補足説明をした。
「トリュフチョコではなかった、という意味だよ。普通のチョコレートの方が、
ランクが下なのは明らかだ」
「木幡先輩がもらっていたのとは、全く違う形のチョコだったと」
「形だけじゃない。種類もきっと、全然違う。見た目が、あれほど違うんだか
らな」
「念のため、見せてよ。その、粂寺さんからもらったというやつ」
「学校に置いてきた。机の中にな」
「何でまた」
「食べる気にならん」
 それもそうか。現在の勝浦の心情を思うと、無理もない。ただ、捨てなかっ
たとうことは、粂寺さんをまだ嫌いになった訳じゃなさそう。
 事実、勝浦は直後にこんなことを言い出した。
「……本当は食べたいんだよな〜。くれたときの様子、やましそうな感じは微
塵もなかった。それどころかかわいらしくて。手が部分的に赤くなってるから、
『火傷したのか』って、それだけ心配になって聞いたんだ。そうしたら、『こ
れはお母さんの料理の手伝いで、山芋を摺ったらかぶれただけよ。ありがと、
心配してくれて』って返事が、またかわいらしくて」
 のろけているのか、遠い思い出を語っているのか、よく分からない。
「あのさ。そんなに気になるなら、粂寺さんに直接、聞いたんだろうね。今朝、
木幡先輩と何を話して、何をあげたんだって」
「それもしていない」
 おや。プライドが邪魔をして、聞けなかったんだろうか。
「はっきり言って気分が悪くて、聞く気になれなかった。喋るとぶっきらぼう
やつっけんどんを通り越して、暴言を吐きそうな予感がしたから、今日は粂寺
さんとは必要最小限の会話しかしてない」
「……てことは、デートをやめたのも、すっぽかした形になってるってか?」
「かもな。だが、ある程度は察しがついてるんじゃないか。こっちは口を聞か
なかったんだし、当人は俺に内緒で、朝、先輩にチョコを渡した自覚があるだ
ろうし」
「うーん、それはどうかと思う」
「それって何だよ」
「だから、この、今の状況だよ。何ら確認をせず、一方的な判断のみで相手の
行動を決めつけている。誤解の可能性もあるだろう」
「どこに? バレンタインデーに、チョコレートを渡す行為に誤解のしようが
あるか? 義理チョコだなんて言うなよ。トリュフチョコだ。俺が受け取った
のよりも、多分、高い」
「僕は見てないし、その点は何とも言えないけど。なあ、そっちが承知してく
れるのなら、僕が粂寺さんに事情を聞いてみてもいいかな」
「……粂寺さん、俺達の仲を知ってるからなあ。おまえが聞けば、俺の考えだ
ってこと、すぐに察するんじゃないか」
「かまわないじゃないか。何か問題でも?」
「なんていうか、小さい男と思われそうで」
 未練たらたらじゃないか。まあ、今日起きたばかりの出来事なんだから、無
理もないか。ただ、別れたくないんなら、さっさと聞く方が絶対にいい。現状
からプラスに転じることはあっても、マイナスにはなるまい。駄目押しの決定
打になる可能性は、ゼロではないだろうけど。
「――じゃ、こういうのはどう? 木幡先輩に聞くんだ」
「お? なるほど……」
 意外だったらしく、眼をぱちくりさせた勝浦。しばし考慮し、「まあ、粂寺
さんに直接聞くよりは、だいぶましかな」と言った。
「よし、決まり。これから聞いてくる」
 勝浦が翻意しない内に、即断してやった。ここで待っているように言って、
僕はハンガーに掛けたコートを再び羽織った。

 木幡先輩から返事をもらった僕は、ゆっくりと時間を掛けて家に向かった。
 笑いが収まるために、十分ほど必要だったからだ。
 ……やっぱり、笑いが収まらなかったので、勝浦に直接説明するのはやめに
した。
「結果は保証する。だから、自分で粂寺さんに聞いてこい!」
 そう言って、親友を送り出した。

「え、今朝のこと……って何かあった? え、何? もう、勝浦君、はっきり
言って。――ああ、木幡先輩に。うん、渡したわ。やだ、見てたのね。それな
らそうと、すぐ言ってくれたらよかったのに。冬休みの間、怪我をした小鳥を
見つけたのよね。治療するつもりで連れて帰ったんだけれど、うまくいかなく
て、木幡先輩に教えてもらったの。そのお礼。――紙袋の中身? ムカゴよ。
――そっか、勝浦君は知らないか。まだ余っていると思うから、持ってくるわ。
山芋の子供みたいなもので……。
 ほら、これよ。木の皮みたいな表面をしてるでしょ。これをふかすと、仄か
に甘みが出て、ほっこりした感じになって、おいしいのよ。本来は十月から年
末にかけての物なんだけど、今の時期でも食べられないことはない。……ムカ
ゴを先輩にプレゼントした理由? だから、小鳥の――ああ、そういう意味じ
ゃなく、何故、お礼がムカゴなのかってことね。木幡先輩のこと、勝浦君がど
れだけ知っているか知らないけれど、色んな食材を試したいと思ってる人なの
よ。ムカゴは手に入れたことがないって聞いたから、それならって私、おじい
さんに頼んで送ってもらったの。そうだ、折角だから、勝浦君も食べてみる? 
少し時間が掛かるけれど、元々、今日はデート――そういえば、何ですっぽか
してくれたの?」
「――ごめん。本当にごめん。今からでも……かまわないかな?」

――終わり




#428/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/03/29  23:26  ( 82)
お題>見本>五十音プラス   永山
★内容
「あ、本だ」
「お、それに目を付けたか。いい本なんだ」
「う、ほんと? かわいらしい絵柄だから言ってみただけなんだけど」
「本当さ。絵本だから、みきちゃんくらいでも読めるかな」
「絵本ぐらい当然、読めるわ。でも、ねえ、本田にいちゃん。お願いだからぁ」
「何でまた……しょうがないな。では読んでやるから、心して聞くように」
「うん」
「それでは……おほん。『うそかほんとうか』。昔々、あるところに――」
「その出だし、昔話の基本だね」
「茶々を入れない」
「だって、まんまなんだもん。言いたくもなるよ」
「賢く本音を隠すことを学ばないと、友達なくすぞ」
「――けほっ。けほけほん。ねえ、何だか煙たいよ」
「話をそらすな――こほ、こほんこほん。本当だ、煙が出てる」
「あのさ、本田にいちゃんケーキ焼いてるんじゃなかった?」
「そうだった!」

 〜 〜 〜

「シホンケーキ、こへてるのにいはいとおいひい(焦げてるのに意外とおいしい)」
「ほおばりながら喋らないこと。だいたい、シホンではなく、シフォンケーキだ」
「スホン?」
「違うっ。セホンでもソホンでもなく、シフォンだ!」
「あー、分かった。本当はチホンでもツホンでもなく、セシボンなんだよね」
「……フランス語で誉められたことになるのか、今のは?」
「これぞお世辞のお手本」
「何だ、お世辞か」
「いや、ほんとほんと。本当に美味でした」
「そんな『ほんと』を連発されると、かえって信じられなくなる」
「本心から言ってるのに〜。日本語って難しい」
「みきちゃんが使ってるのは、差し詰め、“ぬほんご”だな」
「ひどい〜。そこまで言われる筋合いない」
「どうかね。――本題にそろそろ戻ろうか。この本、まだ読み終わってなかった」
「今日は本読みで終わるのね」
「ああ。このあと七時から、『マル秘!本当にあった宇宙人の痕跡!』を観た
いんだ」
「少し前に、似たようなタイトルの、やってなかった? 『恐怖!本当にあっ
た吸血鬼の痕跡!』ってな感じの」
「それは前の前だ。前回は、『未来へ!本当に的中した予言の数々』だ」
「のほほんとしているのに、こんなことだけは記憶力抜群なんだね。ま、本田
にいちゃんの一番の取り柄だし」
「おまえ、さっきのリベンジのつもりか。ならば、こっちがリベンジの見本を
見せてやろう」
「ご、ご冗談を。尊敬する本田にいちゃんに謀反を起こすなんてつもりは、さ
らさらありませんです」
「こいつめ、ほんと、調子いいな」
「それもこれも本田にいちゃんの人徳のなせる技」
「意味が分からん。もういいや。本に戻るぞ」

 〜 〜 〜

「本田にいちゃん、『はこねゆほん』て、どこにあるの?」
「やけに唐突だな。はこねゆほんて、もしかすると、はこねゆもとのことか?」
「ああ、これ、ゆもとって読むの」
「そうだよ。さっきの物語に温泉が出てきたから、思い出したって訳か」
「うん。温泉で有名でしょ? 昔、行ったことあるし」
「だったら、箱根湯本は駅名で、地名としては箱根町の湯本らしいぞ」
「えー、嘘だよ。本田にいちゃん、私が物を知らないからって馬鹿にして」
「嘘じゃないよ。――ほら、本に出てる」
「……うー。そんなことより、本田にいちゃん」
「また話をそらして逃げたな」
「元々の用事を伝えに来たの、思い出したのよっ。古本屋に売る本、早く決め
なさいって、おばさんが言ってた」
「あ、その話か。前から言われてんだよな〜。テレホンでも手紙でも言われた。
でも、催促されても、全然決められなくってさ」
「悩む必要なんてないじゃん。ベッドの下にある、エロ本とかさ」
「ばっ――何で」
「知ってるよ〜、とっくの昔から」
「あ、あんなもの、売れないの。ていうか、買い取らないの、古本屋の方も」
「ふうん。高く売れそうなのに」
「ないない。高く売れるのは……手漉きの和紙で作られた古い和本なんかかな。
いや、その前に、みきちゃん。ベッドの下のこと、秘密にしておいてくれない
かな?」
「口止め料をくれたら、いいよ」
「……仕方ない。今、金欠だが、そのための金を、本を売って作るか。いくら
ほしいんだ? 一応、聞いておく」
「最低でもこれくらい」
「……何だ、その四本指は? 四千円?」
「ううん。ほんの四万円」
「高いよ!」

――終わり




#429/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/05/24  22:14  (266)
お題>【台詞回数限定】>最後の一言   永山
★内容                                         14/07/26 14:59 修正 第2版
 島の名は、仮に辺島(へしま)としておく。その辺にある島といったニュア
ンスだ。
 無論、現実にごろごろあるような島ではない。メタテキスト的な表現をすれ
ば、推理小説の世界にごろごろあるような島である。絶海の孤島で適度な規模、
船など本土との往復手段がなくなれば、たちまち閉鎖環境ができあがる。当然、
携帯電話の類は使えない。
 私、標準一郎(しるべじゅんいちろう)と私の友人で名探偵の天田才蔵(あ
まだざいぞう)が辺島に渡ったのは、天田が風変わりな依頼を受けたためだっ
た。およそ名探偵の役目とは思えない依頼、それは、島を所有する乾家の長男・
乾香甫(いぬいこうすけ)に相応しい女性を見定める、というもの。
 乾家では代々、長子が十八歳を迎える日にその相手を父親が決める習わしに
なっている。しかし、香甫の父は早くに亡くなり、遺言の類も書き記していな
かった。このようなケースにおいて、乾家では祖父が、次いで祖母が代わりを
務める。しかし祖父も祖母もすでに逝去しており、母親に役目が回ってきた。
香甫の母・久美(ひさみ)は、自分には決めかねるとして、かつて事件解決の
お世話になったからという理由だけで、天田に判断を委ねてきたのだ。まった
くもって信じられない決断だが、見方を変えれば、結婚相手の身上調査と重な
らなくもない。天田自身もやる気を見せ、こうして辺島にある乾家別荘へ足を
運ぶことになった次第。決して、リゾート気分に浸ろうと考えた訳ではない。
季節は冬で、辺島は凍えそうな寒さに包まれるのだし。
 ここで、島に滞在する人達を紹介しておこう。

乾香甫(いぬいこうすけ)高校三年。乾家次期当主
乾久美(いぬいひさみ)香甫の母
六田千里子(ろくたちりこ)香甫の恋人候補。二十歳、タレント。有名俳優の娘
蜂須賀陽菜(はちすがひな)同上。大学一年、生物学専攻。元水泳選手
西野河原有子(にしのがわらゆうこ)同上。高校三年。資産家の娘で香甫と同級
堀之内浩美(ほりのうちひろみ)同上。二十三歳。経営アドバイザー
近山翔(ちかやまかける)乾家の使用人。別荘全般の管理や雑務をこなす
天田才蔵(あまださいぞう)探偵
標準一郎(しるべじゅんいちろう)その助手で記述者。「私」

 いくつか付記しておくとすれば、六田はタレントと言ってもあまり売れてい
ないこと、蜂須賀は水泳選手時代にかなり有望視されていたこと、西野河原は
香甫の希望で候補に入ったこと、堀之内の肩書きは就業規則の作成がメインで
学生時代から実績を積んでいることといった辺りだろうか。
 別荘に滞在中の家事については、共用スペースの清掃は近山が受け持つが、
あとは恋人候補達の役目とされていた。恋人選びと言っても実際は花嫁選びに
等しいようだし、つまるところ、どの程度家事ができるのかを見極めるためだ
ろう。それは候補者達もよく理解しており、私の感想を述べるなら、料理は西
野河原が一歩リード。そうそう、蜂須賀は冗談めかし、夏だったら海に潜って
色々採ってきてみせるのにと言っていた。新鮮な魚介類を自力で調達できるこ
とが、花嫁選びにどのくらいプラスに作用するのか、分からないが。掃除は、
その蜂須賀が体力と持久力に物を言わせているが、丁寧さと効率で堀之内にも
目を見張るものがある。六田は努力は伝わってくるものの、あまり活躍できて
いない。
 話は前後するが、香甫の相手に関する最終決定権は、乾久美が握っている。
天田はそのための助言をするだけ。ただし、候補者達には天田及び私の役割は
伏せられており、久美の知り合いとして招かれたことになっていた。要は、母
親のいない場面で、彼女らがどう振る舞うかを観察する訳である。
 観察のポイントは、家事だけにとどまらない。女性らしさを基準とした口の
利き方や動作・仕種、喫煙や飲酒の有無までチェックする。香甫との相性、彼
に対する愛情も一応、勘案される。相性だけなら、香甫が希望して入れた西野
河原が一番に決まっているだろう。
 女性らしさに関して、私の感想をまた述べるとするなら、以前から香甫と面
識のある西野河原が、良くも悪くもフレンドリーと言えそうだ。時折、口調が
砕けすぎるきらいがある。蜂須賀は体つきから来るイメージで損をしているか
もしれない。が、その分を差し引いたとしても、女性らしい振る舞いをしよう
と努力する様が見て取れ、些か不自然になっている。堀之内は四人の中で最年
長だけあって、板に付いている。実は、私が用を足そうとトイレの戸を開けた
ら、ちょうど彼女がいて(といっても用足しの最中ではなく、流し終わって手
を洗い始めたところだ)、一瞬、緊張と怒りの混ざった表情でにらまれたのだ
が、すぐに笑みに変わり、どうぞとそつのない仕種で中へと促され、すれ違っ
た。こっちの気まずさは消え、そのまま気分よく用を足せたものだ。残る六田
は、さすがタレントと言うべきか、演技が巧みなようだ。少なくとも、乾久美
の眼があるところでは淑女になりきっていた。家事ができない分を挽回するか
のように、聞き上手な面も見せている。ただ、久美がいなくなるときが抜ける
ようで、手にした小さなゴミをそこらにぽいと捨てたり、ソファにあぐらを掻
いて座ったりするのを見掛けた。
 私には判定の権限はないが、私だけが目撃・体験した事柄も、天田に伝える
約束だから、多少の影響はあるだろう。
 判定の参考とするために、各候補者と香甫が二人きりになれる時間もそれぞ
れ設けられた。三泊四日の滞在スケジュールの中で、二日目の午後のことだ。
先に記したように季節は真冬、実際の気温も低かったので、別荘の外には出な
かった。我々にとってはその方が好都合な訳だが。
 とはいえ、デート中の男女に、ぴたりと張り付くなんて真似はできない。存
在を意識されては、正しい観察も無理というもの。そこで、館内に設置された
全ての防犯カメラを、直に見られるように準備を整えてもらっていた。当然な
がら、各個室やトイレ、風呂場にカメラはない。皆が集まる食堂にリビング、
玄関ホール、遊興部屋やちょっとした図書室を兼ねた共用の書斎等々に、一見
カメラと分からぬ形で配されている。さらには香甫と四人の候補者に宛がわれ
た部屋のドアにも、出入りを記録するためそれぞれカメラが向けられた。なお、
香甫と候補者達には、カメラの存在は知らされていない。
 こうした状況下で、事件が起きた。発覚したのは、三日目の朝だった。乾香
甫が自室で死んでいたのだ。
 定時になっても朝食の席に姿を現さないことを訝しみ、私と天田とで香甫の
部屋に様子を見に行った。候補者達に行かせなかったのは、逆に、行くのなら
四人全員でという流れになりかけたので、それでは騒々しいだろうと、天田が
代わりを買って出たのだ。
 二階の角にある香甫の部屋の前に着いた我々は、ドアをノックし、呼び掛け
たが、返事がない。施錠はされておらず、ドアを押すと簡単に中を覗けた。そ
うして、ベッドの上で動かなくなっている半裸の香甫を発見したのである。
 首に絞め跡がくっきりと残った絞殺で、死後六時間から八時間は経過してい
ると、天田は見立てた。発見時刻が朝の九時前だったので、深夜一時頃が犯行
時刻と推測された。また、被害者の格好やベッド周辺の状況より、性交渉の最
中もしくは直後に襲われた可能性が極めて高いとも考えられた。何しろ、ぱっ
と見ただけで精液と分かる代物が、シーツに点在していたのだ。
 ともかく、食堂に引き返し、全員が食べ終えているのを確かめてから、香甫
の死を伝えた。すると、真っ先に動いたのは母親の久美で、現場まで飛ぶよう
に駆け付けたかと思うと、冷たくなった愛息を見て、声もなく卒倒してしまっ
た。我々が追い掛けていなければ、後頭部を床に打ち付けていたであろう。
 彼女の世話を近山に任せ、天田は四人の候補者――今や、元候補者とすべき
か――に事実を告げ、続いて探偵の身分を明かし、捜査を開始すると宣言した。
この時点で、警察への通報が試みられたのだが、元々この別荘は企業の社長が
仕事を忘れ、休暇を満喫するために建てられたもの。外部への連絡手段は一切
ない。当初のスケジュールに従い、翌四日目の昼過ぎにならないと、迎えは来
ないことが確定した。
 科学的捜査にほとんど期待できない現状で、天田がまず着手したのは、各人
のアリバイ調べだ。午前一時を中心とした二時間、どこで何をしていたかを問
う。すると恋人候補四名からは、口を揃えたように同じ答が返ってきた。自分
の部屋に一人でいたと。思い返せばそれは当たり前で、昨日は午後十一時に解
散し、めいめいは宛がわれた部屋に入ったのだ。私や天田も、一つの部屋で小
一時間ほどおしゃべりをしたあとは、自室で一人きりになっていた。意識を取
り戻した乾久美及び近山にも同じ質問を発したが、久美もやはり同じ答。近山
は、一時過ぎまで雑用をこなしていたようだが、彼一人で行動していたのだか
らアリバイ証人はいない。
 しかし、部屋に閉じ込められた訳ではない。出歩くのは自由だ。それぞれの
主張を検証するのに、防犯カメラが役立つことになった。
 まず、私や天田が香甫の部屋に行っていないことを確認してもらった。探偵
役が疑惑を持たれたままだと、今後の捜査に支障を来しかねない。
 次に、近山の証言の正しさが裏付けられた。彼は申告通り、一時過ぎまで屋
内を動き回り、まめまめしく働いていた。香甫の部屋に近付いてもいない。続
いて乾久美の証言にも、ほぼ嘘はなかった。ほぼというのは、二十三時十分頃、
息子の部屋を訪ね、五分間ほど戸口で立ち話をしていたのだ。カメラは映像の
みなので、会話の内容を問い質すと、香甫があの時点で誰を気に入ったのか本
心を知りたかったとの返答。
「でも、まだ決められないでいるよとはぐらかされ、早々に追い返されました。
……まさかあれが最後の会話になるなんて」
「奥様、お気を確かに」
 泣き崩れそうな気配を察し、近山が彼女を落ち着かせた。
 続いて、恋人候補達の証言の検証に入る。すると、大小様々な嘘が発覚した。
小さな嘘は、夜中にトイレに行ったり、水を飲みに行ったりというもので、事
件に無関係なのは明白だった。
 だが、大きな嘘は簡単には見過ごせない。四人中三人が部屋を抜け出し、香
甫の部屋を訪れ、しばらくとどまっていたのである。順に記すと、次のように
なる。
・0時から0時四十五分まで:西野河原有子
・一時から一時四十五分まで:堀之内浩美
・二時から二時十分まで:六田千里子

 三人がそれぞれ言うには、昼間のデートタイムに、香甫から持ち掛けられた
のだという。時刻も含めて、香甫主導で決めたらしい。しかも、西野河原、堀
之内、六田の三人は互いの動きを承知していた。これらのことは、深夜の密会
に応じなかった蜂須賀の証言からも裏付けられた。
 ではどうして嘘をついたのか。それも、三人が揃いも揃って。これに対する
返事は、疑われると思ったからというお決まりの文句だった。死亡推定時刻に
ずばり重なる西野河原や堀之内は無論のこと、六田にしても、その訪問時間帯
は殺人が不可能と断言できるものではない。
「他の人はどうだか知らないけれども、私は容疑者の枠から外してもらえる訳
ね」
 蜂須賀陽菜は安堵したように言い、スプリングのほどよく効いたソファに身
を埋めた。だが、これには西野河原が異議を唱えた。
「冗談はよして。水泳が得意なあなたなら、自分の部屋の窓から海に飛び込ん
で、浩介君の部屋の真下まで泳ぎ、そこから岩肌を登って彼の部屋まで行ける
んじゃないの?」
 意外な指摘に、場がざわついた。しかし、当の蜂須賀は一笑に付すのみ。馬
鹿らしくて話にならないといった風だ。
 あとで確認したが、なるほど、蜂須賀の部屋の窓からは海が見下ろせ、飛び
込めなくはないかもしれない。だが、じっくり考えるまでもなく、真冬の海に
飛び込み、往復数十メートルを泳ぐなんて無茶だ。しかも途中で岩肌を何メー
トルもよじ登る必要もある。これらの関門を、ウェットスーツやロープ等を用
意し、クリアできたとしても、ずぶ濡れの身体で香甫の部屋に侵入することに
なる。現場にそのような形跡はなかった。冬なのに窓の錠が開いていた点は不
可解だが、少なくとも侵入時には施錠されていた可能性が高く、窓をどうやっ
て開けさせるかが問題になる。夜中に、窓の外に濡れ鼠の女が立ったとして、
それを迎え入れるとは考えにくかった。だいたい、防犯カメラの存在を知らな
かったのに、何でわざわざ海から香甫の部屋に行かねばならないのか、理由が
ない。
 以上の検討により、蜂須賀は容疑者の範囲から外されることが認められた。
 捜査の対象は、三人の候補者に戻される。とりあえず、深夜の密会で何をし
ていたのかが問われた。西野河原と堀之内は当初、昼間の続きでおしゃべりを
しただけと主張するも、あまりにも無理があった。追及すると、どちらからと
もなく、キスをしたことは認めた。しかし、性交渉はもちろん、触る触らせる
の類もしていないと頑なに言い張った。
 残る一人、六田は密会の時間そのものが特徴的だ。他の二人と異なり、十分
で部屋を出ている。犯行を済ませて、さっさと脱出したのかもしれない。ある
いは、入ってみると香甫の遺体に出くわし、逃げ帰った線もないとは言えない。
「言われた通りの時間に行って、ノックしても返事がなかったから、勝手に開
けて入ったのよ。部屋は真っ暗でほとんど何も見えなかったけれど、これも彼
の演出かなと思って、そのまま、歩を進めたわ。ええ、香甫がいるつもりで、
何度か短く呼び掛けてみた。無反応だったけど、これも何か意図があってのこ
とだと思って。少し目が慣れてきて、部屋の構造が同じと分かったから、ベッ
ドの縁に座ったわ。そうしたら、不意に手を触られる感覚があって……それが
香甫と思ってたんだけれど……どこか違っていた。腕の太さなんかから男性に
は違いないと思ったけれども、おかしな感じがしたのよ。全然口を聞かないし。
それで私、やっぱりやめておくと言い残して、部屋を出たの。香甫が死んだと
聞いて、ぞっとしたわ。じゃあ、あのとき部屋にいたのは誰?」
 六田の証言を信じるとすると、その人物こそが殺人犯の本命となる。だが、
六田、堀之内、西野河原の他に、被害者の部屋を出入りした人物はいないのだ。
六田よりも前に部屋を訪れた堀之内もしくは西野河原が居残った可能性もゼロ。
彼女らは間違いなく部屋を出ている。
 六田の話が真実と仮定した上で、襲われた香甫が瀕死の状態になりながら、
やってきた六田に助けを求めたのではないかという意見が出た。だが、呻き声
の一つも出せないのはおかしいとされ、瞬く間に却下となった。
 その後、天田は私を伴って、現場とその周辺、そして被害者の遺体を改めて
調べた。天田には何らかの確信があるらしく、ある方針に従って調べているこ
とは明白だった。私にはそれがどんな推理なのか、ほとんど分からなかったが。

 天田は咳払いのポーズからわざとらしい咳をすると、おもむろに口を開いた。
「皆さん、昼食の前に集まっていただき、ありがとうございます。どのタイミ
ングで話すか、非常に迷ったのですが、やはり一刻も早くお伝えしようと判断
しました。
 ええ、犯人が誰なのか、分かりました。少なくとも私はそのつもりでいます。
推理をお話しする前に、お願いがあります。私が推理を話し終わるまで、質問
や疑問を差し挟まないでいただきたい。一切の質問は、あとでまとめて引き受
けます。よろしいですか? よろしいですね。
 まずは、最前、乾香甫君のご遺体と部屋等の再調査結果を、お伝えします。
えー、久美さんには非常にお伝えしづらいのですが――ああ、近山さん、そば
にいて差し上げてください――心して、お聞きください。
 私は人体や法医学に関して専門家ではないが、長年に渡る探偵活動により培
った経験と、普段の勉強により、ある程度の知識はあります。その私から見て、
香甫君は強姦されています。はい、男に、です。シーツに付着した精液も、こ
の強姦男の物である可能性が高い。ああっと、ショックは分かりますが、ご静
聴を願います。
 さて……この事実と、実際に起きたこととを考え合わせれば、強姦男イコー
ル殺人犯である可能性が非常に高い。蓋然性から言って、間違いないでしょう。
ならば、この男とは誰か。島に男性は、私と標君と近山さんがいるだけのよう
だ。狭くはない島ですから、山狩りでもすれば四人目の男が見つかるかもしれ
ませんが、あまりに空想的です。殺人犯が男であるなら、容疑者は私達三人と
なる。
 ところが一方で、防犯カメラの眼があります。犯行時刻に私や標君、近山さ
んの誰一人として、香甫君の部屋に出入りしていない。そこで私は考えました。
我々がまだ関知していない、別のルートがあるのではないかと。そして真っ先
に思い付いたのが、隣の部屋のベランダから、香甫君の部屋に行けないかとい
う考えです。果たして、くだんの部屋は空室で、しかもドアは無施錠。窓を開
けてちょっと勇気を出せば、隣の香甫君の部屋のベランダに飛び移れる。こう
なると、私や標君、近山さんの誰もが現場に出入り可能、つまりは犯行可能に
なった――かのように見える。
 よく考えてください。季節は冬、部屋には暖房が効いている。窓を開け放つ
道理はない。施錠もする。それを、ガラスを割ることなく外から開けるのは、
無理です。可能たらしめるのは、香甫君の部屋に一度入り、密かにドアのロッ
クを開けることができた者しかいません。この条件から、またも話は逆戻りし、
死亡推定時刻の近辺に部屋を出入りした六田さん、西野河原さん、堀之内さん、
あなた達が怪しいとなる。
 犯人は男。なのに、部屋を出入りしたのは女性ばかり三人。この矛盾はどう
したことか。どうすれば快勝できるのか。――答は一つです。あなた達三名の
内、誰かが男なのですよ。
 お静かに! 約束を守って、最後までご静聴願いますっ。なに、長くは掛か
りません。三人の誰が男なのか、すぐに判明します。いえいえ、身体検査をす
るまでもありません。
 私はこの問題を考えるに当たり、あることを思い出した。標君が聞かせてく
れた話です。標君はここに滞在中、うっかり、ノックをせずにトイレの扉を開
けてしまったんですね。そうしたら、中には一人の“女性”がいた。その人物
は、標君を中に通して出て行ったそうだが、肝心なのは標君がこのあと、“そ
のまま”用を足せたという点。標君、君は便座に触れなかったんだよな? 男
である標君が便座に触れずに、違和感なく小用を足せたということは、最初か
ら便座が全て上がっていたに違いない。女性なら、便座を上げる必要はない。
にもかかわらず、便座が上がっていたのは、標君の前に入っていた人物が、一
見女性であるが実は男性だという証拠。
 つまり、その人物――堀之内浩美さんは女性ではなく男性なのだ。そして、
島にいる人物の中で、香甫君殺害犯の条件を全て満たす、唯一人の者でもある。
よって、犯人はあなただ、堀之内浩美さん! いや、浩美君と呼ぶべきかな?」
 天田はいかにも名探偵らしく、堀之内を指さし、きっぱりと断定した。
 堀之内に、他のみんなの視線が集まった。あたかも、水の流れができ、波が
起こるかのように。
 ざわつきが収まるのを待って、犯人と指摘された堀之内は口を開いた。皆の
注目が高まる。
「違います。私は女です。トイレの件は、酷い誤解だわ。汚れに気付いたから、
便座を上げて掃除していただけなのに。点数稼ぎと思われたくなかったので、
ドアがいきなり開けられたときはつい睨んでしまいましたが」
「そ、そうだったのですか」
 思わず呟いた私は天田を見た。
 ……
 しかし、もはや名探偵は何も言えないのだった。

――終わり




#430/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/07/27  21:48  (417)
お題>スコール   永山
★内容
 世良浩美には、気になる女がいた。
 市立図書館でよく見掛ける、ショートヘアの女性がそれ。外見は男っぽく、
いつもジーンズ履きの印象がある。背は一七〇半ばで、世良よりも随分高い。
自分との共通点を探すと、とりあえず、年齢は近いはず。平日の昼間でも自由
に動けることから推して、多分、大学生。
 そしてもう一つ、共通点が。
(彼女も、推理小説が好きに違いない)
 そんな風に思うのには、理由がある。理由ではなく、目撃した事実と言うべ
きか。この図書館で見掛ける度に、ほぼ百パーセントの確率で、彼女は手にミ
ステリを何冊か持っていた。
 ミステリ好きの女性は少ない。テレビの二時間サスペンスならまだしも、推
理小説となると、愛好家の女性と出会うことなんてなかなかない。実態がどう
あれ、世良はそう認識していた。
(ああいう人がうちの大学にもいれば、連れだってミス研に入ろうってことに
もなるかもしれないのに)
 世良の通う大学にも、ミス研すなわちミステリ研究会が存在する。興味があ
るのだが、現在の部員構成が男子学生ばかり五人と聞いて、尻込みしてしまっ
た。入学から三ヶ月近く経った今でも、よその部に入らないでいるのは、ミス
研に未練があるからにほかならない。
(まあ、同じ大学とまでは期待しないにしても、話をしてみたい。声を掛けた
い)
 そんな風に願う世良であったが、元来、人見知りする質で、積極的な方では
ない。きっかけさえあれば乗り越えられるのだが、そのチャンスが皆無で、実
現しないままでいる。
(ミス研の人の説明を直接聞くこともできなかったもんね)
 推理小説二冊を借りて図書館の建物を出、自嘲気味に口元を緩めた世良。小
脇に抱えた大きめの手提げ袋を、改めて持ち直し、歩き始めた。自宅まで、ゆ
っくり歩いて二十分。健康のためと歩いて往復しているが、七月に入れば、さ
すがに徒歩はやめるかもしれない。
(今日は曇天だからいいけれど。そういえば、あの女性は自転車だったっけ)
 思い起こしたちょうどそのとき、世良の行く歩道の右、側道を一台の自転車
が走り抜けていった。
(あ、噂をすれば。って、私一人が頭の中で思ってただけだけど)
 自転車を漕ぐ様を見るのは、これがまだ二度目。だから、普段からそうなの
か今日に限ってなのかの判断は不可能だが、今日の彼女はやけに前傾姿勢で、
急ぎ気味に映った。知らない人が見たら、男だと思うんじゃないか。じきに点
のようにしか見えなくなった女性の姿をそれでも目で追いつつ、世良は感想を
抱く。
 と、不意に冷たい風を感じた。見上げると、空で灰色の雲がうねっていた。
 これは一雨来る――と思う間もなく、ぽつぽつぽつと滴が落ち始める。雨は
すぐに勢いを増し、土砂降りに転じる。世良は鞄を頭のすぐ上に掲げながら、
走った。
(まるっきり、テレビで見た南国のスコールだわ。天気予報じゃ降水確率、十
パーセントだったのに。この辺で雨宿りできるのは……)
 脳裏に思い描いた地図をサーチするよりも、二十五メートルほど先の店が目
に入る。店先にオーニングが広く張り出してあって、しかも透明なビニールで
ぐるりと囲まれている。あそこなら雨を避けられそう。
 白く煙る視界を突き進み、世良は“避難スペース”に駆け込んだ。鞄を探り、
汗拭き用にと入れておいたハンドタオルを取り出す。ビニール越しに空模様を
見守りつつ、濡れた頭や腕などをぬぐっていく。タオルはたちまち重くなり、
絞れば水が出そうなほどになった。
「タオル、お貸ししましょうか」
 店の奥から、年齢を見当しづらい男性の声がした。他に客の姿は見えないの
で、自分に向けられたものと分かる。
 慌てて振り返り、問い掛けに答えるよりも、「あの、すみません。急に降っ
てきたから……」と言い訳っぽく反応してしまった。
「かまいません。ついさっきオープンしたばかりで、お客さんはまだ誰も。そ
んなことよりも、どうぞタオルを」
 サンダル履きの音を立てながら姿を現した店主――多分、店主だろう――は、
外見も声と同じく年齢の見当を付けにくい風貌をしていた。まず長髪に顎髭が
インパクト大。それに青シャツに縞柄のチョッキという出で立ちが続く。鼻眼
鏡の奥の目は、人生経験を感じさせるしわに縁取られているけれど、輝きは若
若しいような。猫背だから小さく見えるが、体格はよい。中肉だったのが少し
お腹が出始めたところ。和装の方が似合いそうだと世良は思った。
 人間観察をしている間に、手はタオルを受け取っていた。足も自然と店の中
へ。
「ど、どうも、ありがとう……ございます」
「どういたしまして。ほんとは傘を貸してあげられたらいいんでしょうけど、
生憎と余裕がなくって」
「そんな。充分です」
 店内を急いで見渡す。学生の自分に買えるような物があれば、お礼のつもり
で、売り上げに貢献しよう。
「――古本屋さんなんですね」
 両サイドの壁に一面ずつ、真ん中に背中合わせに二面の、併せて四つの書架
が配されていた。中には、様々な本が並べてある。新刊ではなく古本だと分か
ったのは、何となく。
「はい。親戚がやっていたのですが、だいぶ前にやめてしまいまして。僕が引
き継いで、この度復活――新装開店というのかな――することになりました。
至らぬ点が出てくるかもしれませんが、ご愛顧よろしくお願いします」
「た、確かに本は好きですが」
 正確には、推理小説の本、だけれども。
 心中で付け足しながら、改めて店内の手近なところを見回す。あったあった、
ノベルスや文庫本のコーナーにミステリが列んでいる。ハードカバーの方は見
えないが、きっと変わりあるまい。これなら何か一冊でもお礼がてらに購入し
ていけそう。そんなことを世良が考えていると、店主の目線が動いた。
「――また雨宿りのお客さんのようです」
 振り返ると、さっきまで自分がいた辺りに、背の高いシルエットが。すぐに
分かる。あの女性だと。
「雨宿りさせてください!」
 世良と違って、すぐさまそう言った。かなり大きな声で、近くにいたせいか、
世良が思わず身震いしたほど。
「どうぞどうぞ。タオルが入り用でしたら、今持って来ますが」
「お願いします!」
 受け答えをしながら、頭やら腕やらをハンカチで拭う様が見て取れた。中へ
入ってこないのは、水滴が商品を濡らさぬようにという配慮かもしれない。
 店主が一旦奥へ消えて、静かになった。そこで初めて、くだんの女性は世良
の存在に気が付いたらしい。目が合う。世良は無言のまま、小さく会釈した。
「あなたは確か、図書館でよく見掛ける……」
 ハンカチを持った手で、世良を指さしてきた。その手から水が滴るのに気づ
き、急いで戻す。
「え、ええ。私もよくお見掛けするなぁって、思ってました」
 いきなり話し掛けられて面食らったが、同じだったんだと小さな感動を味わ
いもした。きっかけさえあれば、話すのにためらいはない。
「今日も見掛けました」
「あなたも雨宿り? それともここの常連ですか? 私はこの店に気付いたの、
今日なんだけれど」
「私も同じ、雨宿りで。お店が開いたのは、ついさっきだそうです」
 店主が戻ってきた。タオルだけでなく、何やら湯気の立つカップを二つ、お
盆に載せて。
「よろしかったら、これもどうぞ。土産にもらった紅茶です。ああ、砂糖もミ
ルクもありませんが」
 確かに雨のせいで肌寒さを覚える。雨が上がると、また蒸し暑くなりそうだ
が、今は温かい飲み物の方がよいかもしれない。いや、そんなことよりも、い
ただいていいのだろうか。出されたからには、いただくべきなのか。
「ありがたいですけど」
 声に出して反応したのは、世良ではなく、もう一人の方。
「今、私は見事に無一文で、売り上げに貢献できませんよ?」
「かまいません」
「それなら遠慮なく」
 タオルに続いて、カップも手に取る。息を数度吹きかけてから、口に運んだ。
「――本当にノンシュガー? 甘く感じる」
「そういう紅茶だそうです。決められた手順通りに入れると、仄かな甘みが出
るんだとか」
 砂糖なしなのに甘みがあると聞いて、世良も興味がわいた。「いただいてい
いですか」と尋ねてから、カップを受け取った。
「……ほんとだ。甘い」
「よかった。僕の気のせいじゃなかった」
 冗談めかして笑みを浮かべる店主。二人が飲み終わるのを待って、カップと
それにタオルを回収する。
「雨、意外と長引きそうだし、よければ本を眺めていってください」
 と、再び奥に退いた。他に店員がいる訳でもなし、店内をぐるりと見渡して
も、防犯カメラの類はないようだが、客を信用し切っているのだろうか。
「帰りしな、目についたから引き返してきたけれど、なかなかよさげな店」
 独り言をこぼした女性に、世良は思い切って聞いてみた。
「自転車で急いでいたみたいですけど、いいんですか」
「うん?」
 本棚から世良へと向いた目は、意外そうに丸くなっている。世良は「詮索し
てすみません」と頭を下げ、名乗った。世良浩美、**大学の学生です、と。
「かまわないよ。友達に頼まれて、転居届を取りに行っただけ。雨が降り出し
たときには、マンションまでは距離があったし、それなら途中で見掛けたここ
を覗いてみようと思って、引き返した。それよりか、ちょっぴり驚いた。私も
同じ大学なの」
「へえー」
 話してみると、学部は違うが、同じ一年生と分かった。
「牧野晴菜、よろしく」
 そう自己紹介した相手は、手を差し出してきた。握手する。女性にしては大
きめの手だと感じた。
「部、部活は何ですか?」
 この機会を逃すまいと、世良は重ねて聞いた。仮にどこか違うクラブに入っ
ていたとしても、ミス研に一緒に入ってくれないか、希望は伝えるつもり。
「早く決めたいのだけれども、まだ迷ってるんだよね〜。文芸部かミステリ研
究会か。世良さんは何部?」
「私も迷ってて、いや、違う。入りたい部があるのだけれど、踏ん切りが付か
なくて、今は帰宅部で」
 自分が思い描いていた通りの展開に、気が急いてしまう。口の中は乾いてく
るし、言葉は早口になるし。さっきの紅茶、少し残しておけばよかった。
「踏ん切りが付かないってことは……世良さんもミステリ好きみたいだから、
ひょっとして、ミステリ研究会に?」
「そう、当たりです」
 こくこくと頷く世良。牧野も図書館で、こちらが手に取る本に注目していた
らしい。そう知って、今自分の顔に喜色が広がってると自覚した。
「やっぱりねえ。男の人ばかりだもんね、あそこ。じゃ、一緒に入る?」
「ぜひ!」
 即答っぷりがおかしかったのか、牧野は口に右拳を宛がい、笑いを堪える仕
種をした。それも我慢できなくなり、やがて声を立てて笑った。世良の方はあ
れよあれよと念願叶って、こちらも満面の笑みに。
 それから世良が、次の質問をしようとしたところへ、店主が戻ってきた。
「あの、失礼ですが、立ち聞きしてしまいました。今、**大学とかミステリ
研究会とか聞こえましたが、あなた方はそちらの学生さんですか。差し支えな
ければ――」
「私も彼女も学生です。部員にはまだなってませんが、入るつもりになってい
ます」
 牧野が素早く、しゃきしゃきと答える。
「それはそれは。OBとして嬉しい限り」
 意外な言葉に、世良と牧野は「えっ」と声を上げた。
「僕が在籍していた頃は、人数こそそこそこ集まっていたものの、メンバーに
女性は一人もいませんでしたよ」
「現時点では、今でもゼロです」
「はは、そうなりますね。僕の知っている雰囲気のままなら、女性でもミステ
リ好きなら、そんなに居心地は悪くないでしょう。できれば、入部してほしい
ですね」
「だったら、今ここで、ミステリ研究会の雰囲気を再現してもらえませんか?」
 牧野が言い出した。すぐには飲み込めず、世良は傍らできょとんとしていた。
「学園祭での活動なんかは再現無理でしょうけど、普段の部活でどんなことを
話題にしていたのかぐらいなら、できるんじゃないかと。世良さんも私も、ビ
ギナーながら少しはお相手できると思いますし」
「なるほど。分かりました」
 唇の前に、右の人差し指を縦に持って来て、少し考える素振りの店主。空模
様を窺い、次に壁の時計を見た。
「座った方がいいでしょう。パイプ椅子になりますが」
 レジカウンターの裏手に一度引っ込み、すぐに折り畳まれたパイプ椅子二脚
を持ち出してきた。世良と牧野はなるべくレジの近くで、かつ、なるべく広い
スペースを見付けて、椅子を開き、陣取る。
「最初に、名前を把握しないとね。えっと、先に来られたのが世良さんで、あ
とが牧野さん?」
「はい」
「僕は、東野久作といいます。東野圭吾と夢野久作を足して二で割ったような
名前とからかわれたものです。ミステリ全般が好きですが、強いて順位を付け
るなら、本格が一番に来ますね。お二人は?」
 話を振られ、世良と牧野は顔を見合わせた。世良から答える。
「私も本格推理が一番好きです。読むのももっぱらその系統で、他のジャンル
は、よほど話題にならない限り、手を出さないかも。嫌ってるんじゃなくて、
他のジャンルにまで手が回らないというか」
「自分は、満遍なく読む方だと思ってます。だから一番は決めにくいな。三つ
に絞るなら、感動系と……最後に来てどんでん返しがあるもの、それから本格
を愛読しています」
「よかった。本格という共通項が見つかった」
 髭面に笑みを浮かべる東野。
「一言に本格と言っても、特色でいくつかに分類できると思いますが、特に好
きな本格はありますか」
「私はトリック重視です。文章が下手でも、キャラクターが類型的でも、トリ
ックが秀でていれば許せます」
 世良の答を聞いて、牧野が少し考えてから口を開く。
「自分はちょっと違うかな。トリックもいいけれど、というより、トリックも
含めて、驚かせてほしい。驚けるなら、ロジックや意外な犯人でもよし」
「あ、びっくりするっていう尺度なら、叙述トリック。私、大好きです」
 両手を握って力強く主張する世良。店主の東野は、悩ましげに口を挟んだ。
「叙述トリックは論じるには面白いけど、具体例を挙げづらい題材ですね。作
品名を出しただけで、ネタバレになりかねない」
「はあ、確かに」
「知り合ったばかりですし、今日は、各自が考える本格推理の定義を披露して、
あれこれけちを付け合ってみるとしますか」
「けち?」
「面白おかしく、揚げ足取りしようってことだよ。本格推理に関して、万人に
通じる完璧な定義なんてないからね」
 東野の口調が砕けてきた。
 彼の見解に、牧野が早速、異を唱えた。
「そうですか? 自分は自分の定義、漠然とだけど持ってますが、割と完璧に
近いんじゃないかなと自信ある」
「それなら、牧野さんから行ってみよう。あっと、口で説明できるくらいにま
とまってる?」
「だいたいは。でも、書き出した方が安心できますね」
「それなら」
 店主は紙と鉛筆を用意してくれた。牧野にだけでなく、世良にも渡す。
「早く書けた方から、発表してもらおうかな。僕はとりを飾るとしよう」
 世良も推理小説ファンだけあって、本格の定義とは何かについて多少考えた
ことはある。が、具体的な文章にするのは初めての経験だ。端緒を掴もうと、
東野に話し掛けることにした。
「あのー、東野さん。学生のとき、こういうテーマでおしゃべりされたんでし
たら、いくつもの定義を聞いてきたってことですよね」
「そうなりますね」
「紹介できそうなものがあれば、言ってみてくれませんか。勝手が分からなく
て」
「ふむ。じゃあ、僕が個人的に、最も幼い、だがある意味で最も汚れていない
読者による定義だなと感じたものを、紹介しよう。確か、こうだった。『本格
とは、トリックを用いた小説である』」
「えっと……あながち間違いじゃないみたいですけど、言葉足らずっていうか」
「そう。本格のほんの一部を表現したに過ぎない。本格推理とは呼べない推理
小説にも、トリックが使われていることはいくらでもある。もう一つ、例を出
すと、こういうのもあったっけ。『本格とは、作中で提示された謎に対し、読
者が論理的に思考すればその謎を解明し得る小説である』。とても極端な意見
で、本格推理を定義したというより、犯人当てや謎解き小説について言ってる
だけな気がする」
「オーソドックスな本格推理、つまり事件が起きて探偵が推理して謎が解かれ
る形式の本格推理は、全てそうあってほしいと思わなくはないですけど」
 これは牧野の見解。東野も大きく頷いた。
「気持ちは分かる。論理的に、フェアにと声高に謳うイメージが、本格にはあ
る。しかしこの定義から外れてしまう作品にも、本格と呼びたい物がたくさん
ある。たとえばさっき出た、叙述トリックを駆使した作品。大雑把に言って叙
述トリックは、Aと思わせておいてBだったという趣向で読者を驚かせる物だ
と思うが、その解決の大半は意外とロジカルではない。Aだと思うとちょっと
不自然だったのが、Bと解釈すればまあまあすっきりする、程度じゃないかな。
あるいは、倒叙推理。ドラマになるが『刑事コロンボ』シリーズに代表される
倒叙物にも、本格推理と呼びたい作品はいくつもあるけれど、最前の定義では
除外されてしまう」
「自分は、倒叙物を本格に入れるのには反対です。別個の物として楽しめば済
む話ですから」
 牧野からの反論に、東野店主は面白げに顎を撫でた。ひげのざりざりという
音が聞こえてきそうだ。牧野が続ける。
「本格の範疇に倒叙を含めようとするのは、面白いミステリ、優れたミステリ
の全てを本格として一括りにしたいという、行き過ぎた希望の一つだと思いま
すね」
「いいね。確かに、その傾向がなくはない。希に見掛ける本格の定義に、『意
外な犯人や驚天動地のトリック等が用意されていること』なんてのがあるが、
意外な犯人や驚天動地のトリックは本格推理の出来映えの評価であって、本格
推理を定義する文言ではないのは、明らかだ」
 話に耳を傾けていた世良は、背筋が伸びる思いを味わった。自らの定義を考
える最中に、メモのつもりで“意外な犯人”とか“密室”と記していたのだ。
内心慌てつつ、手でさりげなく隠す。
 少し、沈黙ができた。世良が牧野を見やると、軽く目をつむり、腕組みをし
て斜め上を向いている。と、じきに目を開け、天井から視線を戻す。
「自分が考える本格推理とは、まず、読者に驚きを与えることを最大の目的と
する。というか、してほしい」
 独り言とともに、紙に書き付けた。
「ただし、驚きは怖がらせるとか、後ろからわっと言ってびっくりさせるとか
ではなく、『そうだったのか!』みたいな驚き。そのために大事なのは伏線、
かな? だから……『本格推理とは、謎と解と伏線のある物語』、これだけで
もいいかもしれない」
「殺人事件じゃなくてもいいってこと?」
 すぐさま聞き返した世良。彼女自身は、本格推理で扱う事件は殺人に限る、
みたいなイメージを持っていた。
「ええ。謎があればいい。できれば魅力的な謎としたいところだけれど、そう
しちゃうと、定義ではなく、作品の優劣になるから」
「なるほど。明快だ」
 東野がそう評価する。が、続けて疑問も呈した。
「だが、解は必要かな?」
「え? だって、解がないと、尻切れトンボというか、どんな絵空事でも書き
っ放しにして、それで本格推理でございという顔をされても、認められません」
「そうですよ。答のない謎々みたいなものになります」
 牧野の応援に回った世良。自然と身体の向きも、店長に相対する格好になる。
 東野は髭をひとなでしてから口を開いた。
「いや、解く過程は必要だとは、僕も思う。でも、答はなくてもいいんじゃな
いか。いくつかの謎を残すことで、余韻を醸し出す手法があるし」
「それくらいは認めてもいいですが、謎の本質、主軸に当たる謎に関しては、
余韻のためでは済まされませんよ」
「解決が明示されないミステリというのもある。読んでいないかな、『どちら
かが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』」
「あぁ、噂は耳にしてたことありますけど、まだ読んでません」
「私は『どちらかが・』の方だけ」
 世良は片手を挙げて答えた。東野店主は「どうでした? 本格ではありませ
んでしたか?」と聞いてくる。
「派手なトリックはないけれど、あれも立派な本格だと思います」
 この返事に、東野は「でしょう」と満足げに反応した。
 一方、牧野は質問を発した。
「リドルストーリーとは違うんですか」
「似て非なるものと言えるかな。リドルストーリーは、複数通りの解釈ができ
ることが根底にあると言える。さっき挙げた二作品は、推理を組み立てれば一
つの結論に辿り着く――少なくとも作者はそういう意味の発言をしている――
のだから、リドルストーリーとは異なる」
「それでは、リドルストーリーは本格推理と言えるでしょうか?」
 牧野の次なる質問に、東野も少したじろいだようだ。見ると、牧野の目に悪
戯げな光が宿ったような。分かっていて、わざとやっている、多分。
「うーん、答に迷うね。リドルストーリーは……本格推理における謎の提示の
部分に該当する、そんなイメージがある。謎を解こうとする過程がない、とい
うかその前段階って感じだなあ。だから、そもそも推理小説ではないと言える
かもしれない」
「それはずるいですよ。推理小説の定義、いえ、小説の定義から始めなくちゃ
いけなくなる」
「だよね。それにリドルストーリーの中には、謎を解こうとする過程がある物
も皆無ではないし」
「何か、スピリットが本格と通じる物があるんですよ、いくつかのリドルスト
ーリーには」
「そうそう。誤解を恐れずに言えば、知的遊戯の発露、みたいな」
 店主と牧野の話に、世良も割って入る。
「同感です。けれど、そこを言い出すと、一部の落語も検討しなきゃいけなく
なりそう」
「おお、なかなかユニークな。――そうか、あれですね、考え落ちとか」
「落語といえば、『時うどん』や『壺算』もミステリ的だしなあ」
「『猫の皿』なんかもありますよ」
 推理小説好き三人が偶然集まったと思っていたら、落語も意外と分かる口が
揃っていたようだ。ひとしきり盛り上がる。
「ジョークにも、考え落ちの物がいくつかあるけれど、ああいうのでよくでき
たジョークに出会うと、ああ本格の枠に入れたいなと思ってしまう」
「だめですよ、店長さん。さっき、自分でおっしゃったじゃないですか。その
考え方は、“優れた作品を本格に入れたがる症候群”です」
「果たしてそうかな。ジョークの中で、本格推理の骨組みを持った作品ばかり
抜き出して、全てが優れた物だったなら確かに言う通りだけど、必ずしもそう
なるとは限らないような。――やっと上がりそうですよ」
 ふと、視線を外に移した店主。世良達も振り返る。空模様こそまだ曇りだが、
店の前の道を叩いていた雨は、非常に弱くなっていた。
「話に夢中になって、気付かなかった」
「夢中もいいが、途中でもあります。牧野さんの定義は一部聞けましたが、世
良さんのを聞いていない」
「あ、えっと、あのー、自己分析してみたんですけど、私は雰囲気を重視する
タイプらしくて……大げさなくらいの物理的トリック、名探偵にお屋敷、絶海
の孤島、密室、そっくりな双子、もちろん意表を突くロジックや叙述トリック
も好きです。そういうのをひっくるめて、言葉で短く表したいんですが……」
「そういう方向から攻めると、定義にならない」
 牧野が後を引き継いで言う。実体験があるのか、うんうんと頷きながら。
「ならないこともないですよ」
 東野があっさりした口調で穏やかに否定した。これには女性客二人が「え?」
と声を揃えた。
「どういう風に定義するんですか。そもそも、東野さんの定義、まだ聞いてま
せんけど」
「独自の定義を模索してもしっくり来ないし、先人の有名な定義に被ることが
ほとんどでね。ならばいっそ開き直ろうと。ある評論家が書いていたのとよく
似てるんだけど、僕が気に入っているのは、『本格とは、私が読んで本格と感
じた作品である』だね」
「――はあ」
 気が抜けたような反応をしてしまった世良。牧野に至っては、椅子からずり
落ちそうになっていた。案外、関西風ののりなのかもしれない。
「な、何ですか、それ。凄く都合がいいじゃないですか」
「そうだよ。これなら恣意的に用いられる。下手に定義して、もしも定義に当
てはまらないが本格と呼びたくなる作品が現れたら、悔しいじゃないか。その
点、僕が今言った定義なら、何でもござれだ。ははは」
「……参りました」
 苦笑いをその顔に浮かべ、牧野がぽつりと言った。それから座ったまま、世
良の方に身体を向ける。
「世良さんの定義は、次の機会に取っておきたいな。こんな楽しいこと、一回
きりじゃ勿体ない」
「え、ええ。皆さんがいいのなら、私も」
「僕はとりあえず、お二人に入部してくれることを期待しています」
 東野店主の言葉が、ミステリ研究会のことを思い出させてくれた。
「何だったら、僕の方からつなぎを取ってみましょうか」
「いえ、そこまでは。それよりも、会の普段の雰囲気は何となく理解できまし
たけど、創作の方は行っているんでしょうか?」
 尋ねる牧野の語調は、彼女自身が推理小説を書いている、もしくは書きたい
と願っていることを窺わせた。
(だから、本格の定義なんてことにも、普段から考えを巡らせていて、言葉に
できるのかな)
 世良がそんな想像をしている前で、東野が答える。
「もちろん、やっています。多分、今もやっているはず。学園祭に合わせて、
開始を発行して、一般向けの犯人当てを載せるのが恒例でした」
 一般向けと表現する辺りが、何だかおかしい。
「分かりました。自分は入るつもりになりましたが――世良さん、どうする?」
「私も入りたい。牧野さんが入るのなら、心強いし」
「今日会ったばかりで、そんなに信頼されても弱るなあ。――あ、完全にやみ
ましたね、雨」
 牧野の言った通り、雨は収まり、少しだが日が差してきた。
「視界が白くなって、まさしくスコールって感じだった」
「――普段はこんなこと言わないんだけど、牧野さんは小説を書く心積もりの
ようだから、敢えて」
 突然、東野店主が言い出した。持って回った前置きだが、それにしては表情
がにやにやしている。
「何でしょう?」
「そんなに身構えることじゃないんだが。スコールという言葉には本来、急に
降り出した激しい雨、みたいな意味はない」
「本当ですか?」
 牧野が目を丸くする横で、世良は「まさか、ジュースの名称だって言うんじ
ゃあ……」と小声で突っ込んでみた。
「違うよ。正確な表現は僕も記憶していないし、自分で調べた方が身に付くか
ら、ここでは言わない。まあ、まったくの間違いという訳でもないし、日本語
として定着しているのならそれでよしとする考え方もありだろうけどね」
 東野の話に耳を傾けた牧野は、ふと思い立ったように聞き返した。
「この店に国語辞典はありませんか?」

――終




#431/455 ●短編
★タイトル (dan     )  14/11/02  07:32  ( 13)
彼女との旅  談知
★内容                                         14/11/24 06:17 修正 第2版
 温水シャワーという触れ込みだったが、実際は水シャワーを浴びて、震えながらシャ
ワー室を出てくると彼女がいた。長い髪で、相変わらずに皮肉っぽい目をして私をみ
た。
「久し振りだね」
「礼文島いらいね」
あれから二年ほどたっていた。
「君がこんな安宿にいるとは思わなかった」
ここはカトマンズでも最下級の安宿だった。
「どうしてたの」
「旅の費用をかせぐためにせっせとバイトさ。君みたいに金持ちじゃないんでね」
「そう」
私の今回の旅は始まったばかりだった。これでちょっとは面白くなりそうだなと思っ
た。




#432/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/12/26  23:02  (370)
閉ざされたキョウキ   永宮淳司
★内容                                         15/07/30 20:06 修正 第3版
 病床に私達を呼び付けた依頼者は、ベッドの上から訴えた。
「彼女を助けてやってください!」
 まだ三十そこそこと思しき男性だが、着物の重ね目から覗く胸板は若干、肉
が落ちているようだ。今し方、声を少し張り上げただけなのに、力なく上下し
ている。
 彼の名は平川朝明(ひらかわともあき)。櫛原宮子(くしはらみやこ)とい
う女性を救ってくれと依頼してきた。
 櫛原は「美波」という劇団所属の若手女優で、活動も舞台が中心。事件は彼
女が主役を務める舞台の最終リハーサル中に起きた。
 劇はオカルト風味のファンタジーで、ざっくりとした粗筋は、両親の敵であ
る死神を相手に、一人娘が聖なる力を宿す短剣を手に入れ、復讐を果たす。一
番の見せ場が、短剣を構えた娘が死神に身体ごとぶつかり、倒すシーンだが、
当然、剣は刃を押せば引っ込む仕掛けが施された、よくある代物――のはずだ
った。その最終リハーサルにて、死神を演じた町井龍太(まちいりゅうた)の
胸に突き立てられたのは、正真正銘、本物の短剣だった。
「血が飛び散りましたが、最初は誰も異変に気付きませんでした。何故って、
血糊を入れた袋を剣に仕込んでおいたから、赤い物が飛び散るのは当たり前だ
ったんです」
「気付いたのは誰でしたか」
 地天馬鋭が尋ねる。平坦な口ぶりだが、私には彼が興味関心を抱いたことが
何となく感じ取れた。
「それは、彼女自身でした。救急車と警察が来るまでに、少し話せたんですが、
手応えが違った、おかしかったというようなことを口走っていました」
「刺された当人は、何も言わなかった?」
「町井がですか……。いや、覚えていませんが、多分、何も言ってなかったか
と……短い叫び声くらいは発したのかもしれないですが、それよりも櫛原が手
をわななかせて、悲鳴を上げたものだから……」
「話を聞いていると、殺人なのか事故なのか、まだ区別できないようですが。
短剣が何かの手違いで入れ替わってしまった可能性があるような」
 私が口を挟むと、平川は目を向けてきた。
「僕が言うのも何なんですが、彼女が疑われ、容疑者とされたのには一応、根
拠があるんです。どこから話せばいいかな……凶器というか小道具の短剣は、
鍵付きの箱に保管されているんですよ。その箱自体、舞台上のセットの一部と
して、壁に完全に固定されており、取り外しはできません。箱のロックは鍵が
あれば開けられますが、その鍵を管理していたのが櫛原なんです。劇で鍵に触
れるのはほぼ彼女だけと言っていいですし、責任持って管理するようにと」
「先に確かめておきたい。芝居に使った短剣と同じ型の、本物の短剣が最初か
ら存在していたのかどうか」
 鋭い口調で地天馬が質問を発した。平川は頷きながら答える。
「ありました。町井の奴は美術係を兼ねてたんですが、監督が彼に本物を手渡
して、『この短剣が雰囲気あるから、これを模して作ってくれ』と命じたんで
す。だから、本物が存在したのは確かです。町井が返したのか、そのままにな
っていたかは知りません」
「監督というのは?」
「あ、瀬間(せま)さつき監督です。女性みたいな名前だけど、男です。ロン
グヘアで細身なので、後ろから見れば女みたいですけどね」
「あとで、瀬間監督に聞いてみるとしましょう。その前に、櫛原宮子自身は短
剣について、どう証言したんだろう?」
「知らないの一点張りみたいでした」
 平川は嘆息すると、身体を少し上に戻した。現在、ベッドの上半身部分を起
こすことで背上げしているのだが、熱を入れて喋る内にずれたようだ。
「いつの間にか、短剣が本物になっていたと。それだけならまだよかったのか
もしれません。彼女は正直すぎたんですよ」
「と言うと?」
「小道具の短剣を収めた箱には、稽古の前後で、常に鍵を掛けていたと証言し
てしまったんです。だからこそ、彼女が犯人だと警察は断定したんでしょう」
「掛け忘れていたことにでもすれば、誰かが剣を本物にすり替えたとの主張が
成り立ちますからね。凶器から指紋が検出されたかどうか、ご存知ですか」
「彼女の指紋の他は、一切出なかったと聞いています。当然なんですよ。小道
具として使い始める前に、きれいに磨かれたあと、彼女に手渡されたんですか
ら」
 平川は喋り終えると同時に、力なく咳き込んだ。事件直後から風邪をこじら
せ、肺炎を発症したと聞いている。そろそろ切り上げた方がよさそうだ。
「分かりました。あとはとりあえず、我々の方で直接当たってみるとします。
必要に応じて、あなたの名前を出すことになってもかまいませんか」
「ええ。調査に役立つのであれば、僕の名前なんて自由に使ってください。依
頼したことも隠さなくて大丈夫。櫛原宮子は犯人ではないと僕が強硬に主張し
ているのは、誰もが知るところですし」
 ゆっくりと答えると、平川は安心したように身をベッドに預けた。

「この件、どう転んでも事実は動かないと思うんですがねえ」
 案内を買って出てくれた花畑刑事は、現場までの車中で何度もそう言った。
「たとえ、地天馬さんでも」
「同感なんだが、依頼を受けたからには、調べねばならないのでね」
 昔馴染みの刑事相手とは言え、軋轢を避けるためか、同調を示す地天馬。私
も調子を合わせることにしよう。
 現場は、劇団美波の個人スポンサーが提供してくれた山荘と聞いていたが、
森をかき分けるような道をぐるぐると回って着いた先には、なかなか立派な屋
敷があった。古色蒼然と形容するのがふさわしい、蔦の這う壁がまず目にとま
る。緑色が勝っているはずなのに、全体の印象は灰色がかっている気がした。
急角度の三角屋根を頂いているが、平屋造りだという。端から、演劇などを上
演する目的で建てられたらしいのだが、その割には交通の便がよくない。
「問題の箱を最初に見たい」
「ええ、かまいませんよ。こちらへ」
 玄関から入るなり、地天馬がリクエストした。刑事は愛想よく応じた。巨漢
で厳つい顔の持ち主故、笑顔は似合わないのだが。
 リハーサルと言うから、いかにも稽古場のようなただただ広いだけのスペー
スを想像していたのだが、案内された先は様子を異にした。建物の奥にあるそ
の空間は、まさしく劇場と言えた。奥行きのある舞台を前に、観客席こそ並べ
てないが、広々としたフロアは緩やかな傾斜を施してあった。見易さに配慮し
た設計ということか。ふと見上げると、照明や音響の設備が散見された。舞台
に立てば、よりたくさんの機器が確認できるだろう。
「あそこですよ、箱」
 花畑刑事が太い腕で示すよりも早く、地天馬は駆けだしていた。片手をつい
て舞台に跳び乗ると、遺留品などをマークした捜査の痕跡を避けつつ、凶器が
収められていたという箱のセットに近付いた。
「触れても?」
 地天馬の振り返っての問いに、刑事は黙って首を縦に振った。私と刑事も舞
台に上がる。
「セットと完全に一体化している。それどころか、セット自体、舞台上に固定
されているな」
 部屋の角を表したのであろう、壁二枚を直角に合わせたセットがある。色は
全体にダークなトーンで、表面がややざらざらしてるようだ。高さは二メート
ル半はある。客席から正面に見える方の壁に、問題の箱は付いていた。ランド
セル大の金庫といった体の箱には、大きな錠前がぶら下がっている。
「根本的な疑問が浮かんだ。このような物が固定された舞台では、使い勝手が
悪くないんだろうか」
「その辺の事情は、我々警察も気になったので、尋ねましたよ。劇団美波のト
ップが答えてくれた。猫村三流(ねこむらみつる)、ご存知で?」
「性格俳優として知られる猫村なら、コメディ作品で見た覚えがある」
「その通り。どうでもいいことだが、本名は三田村光流(みたむらみつる)と
言うらしいですな。で、彼の説明によると、この館を建てた支援者の意向だそ
うで。何でも、思い入れのある劇作品を最適に演じられる舞台にしたかったと
か」
「その作品というのが、今度の事件が起きたとき、リハーサルをしていた?」
 地天馬の問いに、刑事はしっかり頷いた。それから手帳を取り出し、何かを
確認する。
「ええっと、題名は『微睡みの朝、栄光の夜』。ファンタジーというやつで、
ざっと粗筋を聞いたが、正直言って、子供向けでつまらんと思った口でして。
ジェネレーションギャップなのかどうか……」
「花畑刑事。思い入れがあるからと言って、使い勝手の悪さは解消されない。
他の作品をやる際は、どうするのだろう?」
「動かせないんだから、仕方ありませんや。そのままセットに溶け込ませて使
うんだそうです。どうしてもそぐわない場合は、全体を覆ってしまうとも言っ
てたな。邪魔と感じるのは、舞台いっぱいを平らな空間として使うときぐらい
だとか」
「なるほど。念のため、スポンサー個人について、教えてもらえますか」
「どうせここで隠しても、地天馬さんに依頼した人物に聞けば、分かることだ
から」
 そう前置きして刑事が答えたのは、二舟貞邦(にふねさだくに)なる男性に
関する情報だった。映像や写真の権利を取り扱う事業で一儲けした後、財テク
で成功した一端の資産家で、元来、芸能に興味はなかった。何でも三年ほど前
に、女優を志していた一人娘を若くして亡くしたのをきっかけに、有望な劇団
への援助を始めたという。
「美波に肩入れするのには、何か理由でも? 芸能に関心がなかったのなら、
どこの誰が有望なのかなんて判断できないでしょう」
「娘が所属していたのが、美波の前身の劇団『生前奏』なんです。有望な劇団
に援助というのは建前で、思い入れでしょうな」
「……まさか、娘の死の原因は劇団にあるんじゃないでしょうね。そこまで調
べていないかもしれませんが」
 期待しない口ぶりで言った地天馬。だが、花畑刑事は意外にも「いや、それ
が調べたんですな」と嬉しそうに答えた。
「二舟はリハーサルが始まってから、この稽古場まで、劇団員を送迎していた。
つまり事件が起きた日も、現場に居合わせた。直接の関係者ってことになる。
調べない訳には行かない」
「それで首尾は?」
「確かに、二舟の一人娘――千夏の死には、劇団が関係していた。美波ではな
く、生前奏の方ですがね」
「劇団の名前を変えたのも、その辺に事情がありそうだ」
「さすが、いい勘をされている。ただ、名前の変更じゃあ、ありません。生前
奏と美波の二つに分かれたんでさあ」
「分裂したと」
「ええ。方向性の違いってことで。千夏の死後、半年と経たない内に分かれて
いました。で、千夏の死んだ経緯ですが、遺書はなかったが自殺であり、事件
性はないとされてます。が、原因は劇団にあると言えなくもない。ある劇で、
劇団初の試みとして、派手なアクションを取り入れたんですな。リハーサル時
に手違いが起き、千夏は奈落に転落してしまった。命に別状はなかったものの、
大きな怪我で神経にも影響を及ぼした。舞台に再び立つのは難しいと言われ、
その絶望感から死を選んだものと推測されたようで」
「奈落転落の直接の原因を作った人物は、判明しているんだろうか」
「いいえ。劇団内部ではどうだか知らんが、公的には不明で通していますな」
 花畑刑事は捜査資料から引用したと思しきメモを一瞥し、そう答えると、ぱ
たんと音を立てて手帳を閉じた。
「そんなことよりも、折角現場に足を踏み入れたんだから、もっと見て回って
くださいよ。もったいない」
「必要があればそうしている。だが、現時点では箱の鍵が唯一のポイント」
 喋りながら、しゃがんだり背伸びしたりと箱の鍵や後ろの壁を子細に観察し、
時折触れる地天馬。と、ふり向いて刑事に尋ねた。
「スペアキーの存在や製作に関しても、否定的な答が出てるんでしょうね」
「複製は不可能ではないが、困難な造りになっているそうです。それでも近隣
の鍵屋を当たったが、空振りでしたよ。そもそも、櫛原宮子が肌身離さず持っ
ていたと言うから、スペアを作るために持ち出せやしない」
「……」
 刑事の返事を聞いて、地天馬は考え込む仕種を見せた。しばらく静寂が続い
たあと、地天馬は錠前を指で弾き、やおら言った。
「花畑刑事、実は一つの仮説が浮かんでいるんだ。いや、今のところは仮説と
も呼べない、妄想の領域にあるんだが」
「もったい付けずに、ずばっと言ってくれませんか。あなたの閃きには何度も
驚かされてきた。今更どんな突飛なことを言われても、対応させてもらいます
よ」
 花畑刑事はにこやかに答え、促した。初対面のときに比べると、口調も態度
も随分と柔らかくなったものだ。
 地天馬は口元で微かに笑うと、改めて刑事に向き直った。
「ありがとう。では、もう一つの稽古場がないか、探してみてください」
「は? もう一つの?」
 花畑刑事は最前の頼もしい台詞とは裏腹な、きょとんとした表情をなした。

 調査経過を直に聞きたいとの依頼者の要望に応え、平川を自宅に訪ねた私と
地天馬は、応接間に通された。男の一人暮らしで、最近まで入院していたせい
だろう、いささか埃っぽいが、整頓は行き届いていた。
「報告をお願いします」
 テーブルを挟んで向かい合って座ると、彼は身を乗り出すようにしてこちら
の言葉を待った。
「最初に断っておきますが、調査はまだ完結していません」
「承知しています。でも、進展はあったんでしょう? 私は一刻も早く、櫛原
宮子を救いたいんです」
 ますます身を乗り出し、最早、テーブルに覆い被さらんばかりになってきた。
地天馬は居住まいを正し、一息ついてから口火を切った。
「まず、平川さん。情報をもっとたくさん、素直に提供してもらわないといけ
ません。隠し事は、真相への到達を遅らせるだけだ」
「え、何のことだか私には」
「生前奏と美波との競い合いのことです。そして、大きな力を持つスポンサー、
二舟貞邦氏についても。最早、彼は実質的なオーナーと言ってもいいくらいじ
ゃありませんか。劇場を兼ねた稽古場を提供し、そこで掛ける劇についても口
出しできる立場なんですから」
「ああ、そういう意味でしたか。関係あるかどうか分からなかったし、先入観
を与えるのもよくないかと思いまして。第一、劇団生前奏はもう消滅したも同
然ですから」
 自嘲を交えた苦笑いを浮かべた平川に対し、地天馬は鋭い調子で続けた。
「二舟氏には動機があることや、彼が稽古場への運転手役を買って出ていたこ
ともですか? よろしい、それらは看過してもよい。だが、稽古場が二つ存在
する点まで伏せるとは、困りものですね」
 地天馬は私に目で合図をくれた。黙って頷き、地図をテーブルに広げる。事
件の起きた稽古場周辺の地図だ。範囲は、二十キロ四方といったところか。
 広げた地図には、前もって三箇所に印を付けてある。一つは事件の起きた稽
古場。もう一つは、花畑刑事に骨折りを頼んだ成果である、別の稽古場だ。
「幸い、ぴんと来たからよかった。生前奏と美波、二つに分裂した劇団に対し、
二舟氏は競わせることを思い付いた。競わせるからには公平でなければならな
い。元々、生前奏のために建てられた稽古場があったが、それとそっくり同じ
建物を、美波のために近場に作ったんですね」
 地天馬は依頼人が首を縦に振るのを見届けてから、地図へと視線を落とした
印を付けた二箇所を順に指差す。
「はい、その通りです。でもさっきも言いましたように、生前奏は競争に敗れ、
消滅というか解散状態も同然で、あちらの稽古場も美波が使えるようになって
たものですから。ただまあ、鍵は――建物や箱の鍵は、まだ生前奏側の人が持
ってるようですけど」
 言い訳がましく認めた平川を、地天馬は気にしなかった。先を続ける。
「実際に足を運んでみると、周囲の景色も自然が多く似たり寄ったりで、よほ
ど注意深く観察しないと、区別は難しい。加えて興味深いのは、どちらの稽古
場へ行くにしても、この国道を通り、ほぼ同じルートを進む必要がある事実で
す」
 地天馬の右手人差し指が、道を辿る。
「さらに、両稽古場への分岐点がここ。林の中を道は右に左に、大きく曲がっ
て、まるで迷路を抜けるかのようだ。知らない人が車に乗せてもらって行くと
したら、どちらの建物に着いたのか、分からないのではないか? このように
想像したんですが、いかがです? 平川さんも二舟氏の運転で、稽古場へ通っ
ていたんですよね?」
「そう言われてみると……」
 平川は何か思い出そうとする風に、両目を閉じて少し上を向いた。それは長
くは続かず、五秒ほどでまた目を開けた。
「大型のバンで送り迎えしていただいてたんですが、余計な物に気を取られな
いようにと、私らが収まった後部は厚手のカーテンで閉め切られていました。
ルームミラーがカメラタイプで、閉め切っていても運転に支障はないらしくて」
「事件の起きた日について伺いたい。稽古場に入ってから、違和感がなかった
かどうか」
「……特にこれといって変な感じはなかったと思いますが。でもそれは、最終
リハーサルを控え、いつもより緊張していたせいかもしれないですし。それよ
りも、もし私らが二つの稽古場に足を踏み入れたとしたら、事件が起きたのと
は別の稽古場に、何らかの痕跡が残ってるんじゃないんですか? 警察が調べ
ればすぐに分かりそうなもの」
「無論、調べてもらいました。その結果に触れる前に、平川さんに尋ねるとし
ましょうか。一体どんなからくりで、櫛原宮子が人を刺してしまう事態に至っ
たのか。今のあなたの反応を見ると、充分に察しが付いているようだ」
「それはまあ……私らがずっと稽古してきたのとは別の稽古場にも、同じセッ
トがあって、違いは、問題の箱の中に本物の短刀が仕込まれていたことのみ。
それを知らない櫛原は、短剣がいつもと異なってるなんて疑いもしないでしょ
う。このすり替えを行えるのは、送迎の車を運転してくれた二舟貞邦氏しかい
ない」
「……それから?」
 地天馬が続けるように促す。依頼者は戸惑ったように首を傾げた。
「それからとは、どういう……。今ので説明できたと思いますが」
「まだです。鍵の問題が残っている」
「鍵? もしかして、稽古場のドアの鍵ですか? 二舟氏なら両方の稽古場の
スペアキーを持っていても、不思議じゃありません」
「確かに。しかし、箱の鍵はいかがかな? 練習が終わると、櫛原宮子は仕掛
け付き短刀を箱に仕舞い、必ず鍵を掛けていたそうですね」
 地天馬の質問に、平川はぽかんとした。頭の中で状況を整理するかのように、
しばし視線を斜め下に向け、黙考する。一分足らずで口を開いた。
「そんな物、最初にセットを発注した際に、三本目のキーを作らせたと考えれ
ば……」
「あの錠前の鍵は完全受注生産で、全て記録されるんだそうです。照会すると、
二本しか作られていないと分かった。そしてスペアの製作は非常に困難で、こ
っそり作るのは不可能との話でした」
「じゃあ、劇団生前奏に与えられた鍵を使ったんでしょう。誰が保管していた
か知りませんが、スポンサーの二舟氏が言えば差し出すに違いない」
「理屈の上では成り立つかもしれない。が、実情は違う。鍵を保管していた人
物――秋谷透一郎(あきやとういちろう)という方が持っているのですが、ご
存知ですか」
「ええ、秋谷さんなら知ってる。彼がどうしたってんです?」
「秋谷氏は事件の一週間前から、船旅に出ていました。問題の鍵を持ってね」
「え? 何でまた鍵を持って旅行に」
「理由はないみたいでしたよ。習慣で身に付けたままだったのを、そのまま持
って行っただけだと。全行程十日の国内クルーズ。事件発生時に、もう一つの
鍵は海の上にあった訳です」
「地天馬さんが秋谷さんに会ったのは、旅行から戻ってだいぶ経っていたんで
しょう? 本当に鍵を持って行ったのか、怪しいものですよ。持って行かなか
ったのに、持って行ったと言ってるだけかもしれないじゃないですか」
「同じ劇団員の同行者がいて、船旅の途中、その人物にも鍵を見せていました。
確認済みです」
「……だったら……」
「あなたが必死になる事情は分かりますが、この線は追っても無駄でしょう。
何故ならば、そもそも、二舟氏運転のバンは、美波が所有する稽古場にしか行
ってないのだから。生前奏の稽古場には、近寄ってもいない」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
 意気消沈気味だった平川だが、地天馬の断定に驚いたのか、再び身を乗り出
してきた。
「警察が、位置情報の記録を辿ったんです。車に備わったGPSと、二舟氏所
有の携帯電話の位置情報を合わせて。事件当日、二舟氏運転の車は、間違いな
く美波の稽古場に行った。当日だけでなく、練習期間中ずっと」
「そ、それは……く、車と携帯電話、それぞれ同じ物をもう一つずつ用意して、
事件の起きた日は二舟氏はそれを使い、今まで使っていた車は共犯者が運転し、
美波の稽古場へのルートを行き来したとか……」
「当日、二舟氏は携帯電話から親族や親しい知り合いに電話を掛けている。通
報も氏の電話からだった。これらの通話の音声は記録が残っており、いずれも
二舟氏の声に間違いない」
 理路整然と告げる探偵の口ぶりに、依頼人は沈黙し、肩を落とした。
「このままでは櫛原が……宮子が……」
 半ば嗚咽のような声で、そう呟くのが聞こえた。地天馬はタイミングを計る
風に、数秒待った。何をきっかけにしたのか分からなかったが、やがて始めた。
「確かな点を並べてみましょうか。事件の起きた現場は、美波の稽古場であり、
凶器はそこのセットである箱に入っていた。凶器の入っていた箱は施錠されて
おり、開けられる鍵はこの世に二本だけとみてよい。内一本は、事件の日、遠
く離れた海を行く船上にあった。残る一本を持つ人物は、事件当日、現場に居
合わせた――これらを総合的に判断すると、櫛原宮子が真犯人で間違いありま
せん」
「ばかな!」
 弾かれたように叫び、面を上げた平川。その顔は激しく紅潮していた。
「そんな結論を聞くために、あなたを雇ったんじゃない! あなたの役目は、
真犯人が途轍もない奇抜な方法で、凶器のすり替えを行い、宮子に罪を着せよ
うとした、それだけなんだ!」
「違うな」
 依頼人のリクエストを、探偵は当然、撥ね付けた。
「真犯人を見付けるというのは、なるほど、名探偵の役目かもしれない。だが、
依頼者の狙い通りの結果を出すというのは違う」
「……すみません、取り乱してしまいました。さっきの言葉は忘れて――」
「真犯人を指摘しろというのであれば、もう一人、列挙してもかまいませんよ」
 平川の台詞を遮って、地天馬は言った。相手は「は?」と怪訝がる色を顔に
貼り付けた。
「それってどういう意味なんでしょう……」
「この件には黒幕がいると考えている、という意味ですよ。平川朝明さん、あ
なたがこの犯罪を計画し、櫛原宮子に実行させたんじゃないかな」
「――意味が分からない」
 頭を振った平川だが、動揺が手に出ていた。震えるせいで、テーブルがかた、
かた、と鳴る。そのことに平川自身も気付き、両手を引っ込めたが、それでも
震えは収まらないようだ。
「『あまりにもあからさまに殺しを行うことで、警察は、自分を犯人ではない
と考えてくれる』ことを期待した犯行ではありませんか? もし捕まってもそ
れは一時的なことで、警察は二つ目の稽古場をすぐに見付けて、凶器すり替え
の方法に思い至るはず。そして犯人は二見貞邦氏以外にあり得ないと考えるは
ず。そういう目論見だったんでしょう。だが、目算は外れ、そのまま櫛原宮子
が犯人として起訴される状況になった。慌てた共犯者は、二つの稽古場という
ある種ばかばかしい仕掛けに気付いてくれるであろう探偵を求め、地天馬鋭を
探し当てた。そして依頼を持ち込み、当初の思惑通りに捜査が進むよう期待し
た」
「な……何か証拠があるんですか」
 平川は、反論とも呼べないような反論を絞り出した。
 対する地天馬は、あっさりと答える。
「状況証拠だが、なくはない」
「嘘だっ」
「あなた達の計画では、事件前日までの稽古は、美波の稽古場で行われ、当日
のみ生前奏の稽古場を使ったことになる。だが、実際は全て一方の稽古場のみ
で行われた。使わなかった稽古場の方に、青写真に沿った痕跡を残しておく必
要がある。そう考え、いかにも稽古していたような使用感を残そうとした。で
も、稽古の期間中は抜け出せない。だから、仕方なしに事件後に動いたんだろ
う。動けるのは平川さん、あなただけだ。櫛原宮子は身柄を拘束されている。
あなたは使われなかった稽古場に忍び込み、適度に散らかし、自分や櫛原宮子
の生物的痕跡を故意に置いた。ええ、警察が捜査して、見つけ出しましたよ。
劇団員の毛髪や汗を吸ったタオル類なども、全員分ではないが、いくらか発見
された」
「そ、そういった物が見付かってるのなら、やっぱり、二つの稽古場を利用し
た凶器のすり替えが行われたんじゃないんですかっ」
「警察の科学捜査を見くびらないことだ。優秀な彼らは、クラミジアも見つけ
たんですよ。肺炎の原因の一つに数えられる、真菌です」
「……まさか……自分の肺炎の」
 全てを悟ったように、自身を指差した平川。
 地天馬はそれでも念押しした。
「あなたの肺炎は、事件以降に発症した。事件前日までに通ったとする稽古場
から、真菌が見付かるはずがない。事件以降に入らない限り」

――終わり




#433/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/01/28  22:41  (177)
落下する死   永山
★内容                                         15/02/03 20:28 修正 第4版
「まただ」
 わずかな後悔とともに呟いていた。その声の響き具合に驚いてしまい、私は
慌てて口をつぐんだ。
 今、私は自分の住まいにいる。雑居ビルの三階にある小さな部屋が、仕事場
を兼ねたねぐらだ。親父から受け継いだ興信所だが、それなりに繁盛している。
午後十一時を過ぎ、他に人の気配はない。
 正確には、つい今し方まで、人の気配はあった。その気配が消えたのは、私
が命を奪ったせいだ。
 人を殺したのは、これで二度目になる。十五、六年前の話だ。場所は、同じ
くこの部屋だった。ただし、そのときは二人でやった。私と私の親父とで。
 ある若い男性が、妹が自殺したのは調査結果のせいだと言い掛かりを付けて
きたのを思い出す。理屈を説いたり宥めたりしても、引き下がらない。それど
ころか、元から興奮していたのがさらに感情を高ぶらせ、とうとう親父に掴み
掛かってきた。私は彼の背後に組み付いて、親父から引き剥がそうとしたが、
弾き飛ばされてしまった。三度試みていずれも失敗に終わったため、私は最終
手段に打って出た。後頭部を思い切り殴りつけたのだ。あとで、警察に通報す
る手があったと気付いたが、もう遅かった。男性は支えを外された棒きれのよ
うにばたんと倒れると、打ち所が悪かったか意識を失っていた。ぴくりとも動
かない男を見て、さすがに慌てた。呼び掛けても反応はなく、頬を軽く叩いて
も同じだった。脈を診てみたが、よく分からなかった。結局、五分ほどして絶
命したのを確認するに至った。
 私と親父は顔を見合わせたまま、しばらく沈黙を作った。先に声を発したの
は、私の方だったと思う。隠蔽しようと。
 事件、否、事故を隠すには、遺体がここにあっては話にならない。遠くに運
ぶことに決めた。と言っても、二人してえっちらおっちら搬出し、車のトラン
クに押し込んで、どこかの山奥に埋めようという訳ではない。
 私達のオフィスが入るビルは、ある鉄道路線のすぐそばに建っている。窓を
開けると、眼下に線路がある。線路と言っても、よくある二本のレールと枕木
と砂利からなる物ではなく、コンクリートに一本線が通っている奴だ。新交通
システムとかいう、モノレールみたいな代物で、架線もなければ運転士もいら
ない。この線路上を車両が行き交う折は、その屋根の部分がすぐそこに見える。
遺体を車両の屋根に置くことができれば、あとは列車が遺体を遠くへ運び去っ
てくれる寸法だ。
 路線図を調べると、ほぼ直線がしばらく続くようなので、簡単には落下しま
い。大きく右にカーブするのが、およそ二十キロ先と分かった。その辺りで遺
体が振り落とされる可能性が高そうだが、地図を見る限り、落下予測地点の周
囲には人家も大きな道もない。第三者に目撃されて、即座に通報されるような
ことはまずないだろう。
 普段の時刻表通りなら、この深夜の時間帯でも三十分おきに列車が走ってい
る。懸案事項は、列車のスピードだ。駅に近いので、さほど速度は出ていない
はずだが、動く列車の屋根に物を載せようなんて想像したことすらなかったの
で、首尾よく行くかどうか? だが、ピンチを切り抜けるにはやらねばならな
い。私と親父は意を決し、急ごしらえの計画を実行に移した。
 ――その結果、遺体は我々の思惑通りに運ばれ、我々の予想通りの地点で落
下したようだった。現場に足を運んで視認した訳ではなく、報道で知った。
 あの若い男が自宅等に、私や親父につながる記録を残していないかどうかが
心配の種であったが、それもなかったようだ。捜査員が我々を訪ねてくること
はなく、十五年ほどの歳月が過ぎた。その間、親父は天寿を全うし、オフィス
は私が継いだ。新交通システムは、名前ばかり“新しい”ままで、何ら変わる
ことなく走り続けていた。交通インフラは立派だが、どこかで目算違いがあっ
たのだろう、周囲の開発は進んでいるようには見えない。今もあちこちに、手
つかずの土地が残っている。一番大きな変化は、当時はTシャツにジーパンと
いう出で立ちが常だった私が、スーツに袖を通すようになったことか。
 そんな変化に乏しい状況下、私の暮らしをかき乱す存在として現れた男。そ
いつは十数年前の若者と同様、今、私のオフィスに倒れている。床の冷たさを
感じる暇もなく、死んでしまっただろう。今回、私は最初から殺すつもりでい
たのだから。
 この男――中肉中背だが腹の辺りを触るとだらしがない。髭面で年齢の想像
がしにくかった――は今頃になって、どこからかぎつけたのか、私と親父の過
去の犯罪をネタに、脅しを掛けてきた。よほど金が入り用だったのか、性急な
交渉っぷりで、私の言い分に耳を貸す気配は微塵もなかった。こんな私でも、
守るべきものはある。かつて一度殺人を経験していることも大きかったのだろ
う。殺意を固めるのに時間は掛からなかったのだ。
 そんなことよりも、現時点で最優先事項は、この遺体をどうするかだ。
 当然の如く、かつてと同じ処理が頭に浮かぶ。私は窓をそっと開け、線路を
見下ろしてみた。
 変わりない光景があった。時刻や天候まで同じと言っていい。これはもう、
やるしかあるまい。天が私の背中を押してくれている。
 私はスーツを脱ぐと、シャツのボタンを外して腕まくりをやりかけた。が、
途中でやめて、元に戻す。素肌が遺体の衣服にこすれると、皮膚片だの細胞だ
のを残す恐れがあるのではないか。最前、殺害した際には指一本触れていない
ことであるし、このまま直に触らずに済ませるのがよかろう。そう判断し、私
はラテックスの手袋を用意すると、慎重に填めた。探偵の七つ道具という訳で
はないが、何かと役立つので常備している。
 念のため、マスクとキャップもした。
 この男と私とをつなぐ物はないと思うが、男が自宅に何か残している可能性
はある。ならば、男の身元が容易に分からぬよう、運転免許証や携帯電話、名
刺の類は奪い取って処分するとしよう。
 窓を開け放してから、遺体の両脇に腕を入れ、立たせる。外からは見えない
位置にと考えつつ、ぎりぎりのところで“待機”させる。あとは時刻が来るの
を待つだけだ。列車が通りかかるタイミングを見計らい、遺体を落とす。この
男の体格は、かつて殺した男と似たり寄ったりであるから、変にバウンドして
屋根から落ちることはなかろう。全ては、およそ十五年前と同じ行動を取れば
よい。
 私は壁の時計を見た。そろそろだ。耳に馴染みの駆動音が聞こえてきた。

 一仕事を終え、マスクにキャップ、手袋を取り、汗を拭ってから、スーツを
着ようとした。左、右と腕を通したところで、ちょっとした異変に気が付く。
 シャツの右袖がまくれて、スーツの袖の中でアコーディオン状になっている。
直そうと、指先を袖口から入れてシャツを引っ張ってみると……ボタンが一つ、
なくなっていた。
 最初は、ああ、糸がちぎれたんだなぐらいにしか感じなかった。ほつれた糸
を見つめる内に、しかし、重大なミスを犯した可能性に気付かされた。
 ひょっとして、さっき殺した男がボタンを握りしめたのではないか?
 だが、すぐにその恐れはかき消せた。私は殺害に当たって男に接近してはい
ない。ボタンを引きちぎられることはあり得ない。
 あるとしたら、別のケースだ。動かなくなった男を列車の屋根に落とすとき、
シャツのボタンが男の身体のどこか――ベルトのバックルとか腕時計といった
固い部分だろうか?――に引っ掛かり、落下の勢いで持って行かれてしまうと
いう状況である。これだとしたら、男の身体とボタンが今も一緒なのか、それ
ともボタンはどこか遠くへ飛んでいったか、可能性は五分五分くらいか。握り
しめられているよりはずっといいが、私の心理的不安に差はない。
 確かめねば。
 私は車のキーを手に取ると、このビルから落下予測地点までの道順を脳裏に
思い浮かべた。最新の地図で、現在でも周囲に建物などがないことを確かめ、
出発する。
 現地まで車でおよそ三十分。
 時刻表から概算して、遺体を乗せた列車が、落下地点のカーブを通過するの
は、二十分後ぐらいだろう。私が着く頃には、すでに遺体が落下したあとにな
る。人気がない場所とは言え、急ぎたい。
 深夜故、飛ばせばもっと早く着くに違いないが、万が一にも交通違反で警察
に見咎められるのは避けねばならない。私ははやる気持ちを抑え、慎重な運転
に努めた。
 そして車を走らせること三十分。予想とほとんどずれることなく、私は目的
地に到着した。
 しかし、カーブした高架の脚がでんと構えている周囲に、遺体らしき物は見
当たらなかった。捜索範囲を広げてみたが、やはり見付からない。
 何があったのだ? 私より先に、誰かが遺体を見付け、速やかに搬送したと
でもいうのか?
 狼狽えるのを自覚し、落ち着こうと努める私だが、身体に震えが来た。必死
になって、同じところを何度も探した。恐らく、血なまこになっていただろう。
 と、そのとき、頭部に強烈な衝撃を受けた。

           *           *

「なかなかに不思議な死に様だ」
 名探偵氏は顎を撫でつつ、独り言のように述べた。
「あなたが出馬してくるだろうと思って、いつものように一切、手を触れてな
いんですがね」
 馴染みの警部が、あらぬ疑いを掛けられぬようにとばかり、予防線を張った。
 名探偵氏は振り返ると、喜びと困惑を綯い交ぜにした表情を見せた。
「結構なことですな。それで、死因は?」
「まだちゃんと調べてないんで、状態のみになりますがね」
「かまわない」
「上等なスーツを着た方は、頭の骨が陥没しており、強い衝撃を受けたのは間
違いない。加えて、血溜まりができている。他に目立った外傷はなく、それが
死因に結び付いている可能性が高いと。その上に乗っかってる方は、はっきり
しない。頭に傷があるのは同じだが、他の箇所にもいくつかあるし、骨も折れ
ているようだし。注目は、出血量の少なさですかね」
 折り重なったままの男性二人の遺体を前に、警部は分かっていることを伝え
た。
「身元はどうです?」
「下になってる方は、名刺を信じるなら、興信所の所長。住所は、ここから車
で三十分ほどのところになってる。上の髭面の方は、身元を示すような物はま
だ見当たりませんね」
「もし仮に、彼ら二人が無関係であるなら――」
 話の途中で、名探偵氏は空を見上げた。正確には、空ではなく、高架を。
「興信所所長は、不幸にも事故の巻き添えを食らったのかもしれない」
「不幸な事故?」
「あの上には線路があって、電車が走ってるんでしょう? 髭の男はそこから
飛び降りて、たまたま下にいた興信所所長に激突し、死に至らしめたとは考え
られませんかね」
「うーむ。このけったいな状況を説明する原因と結果として、まあまあ説得力
があるとは思いますがねえ。たまたまいたとするには、時間帯が変な気もする。
死亡推定時刻はまだ大まかな見立てですが、夜の十時半からの二時間と出てい
るので」
「……なるほど、確かに。では、一刻も早く、興信所に向かうべきでしょう。
依頼を受けて調査のために、夜遅くだというのにこんな場所へ来たのかもしれ
ない」
 名探偵氏は自己の論理展開に満足したかのように、にやりと笑った。

           *           *

(……な、何だったんだ、一体……)
 意識が遠のく。私は事態を把握しようと、まだ活動可能な脳細胞をフル回転
させた。させようと努力した。だが、ぼーっと霞が掛かったような感覚がどん
どん広がっている。頭の中にスクリーンがあるとしたら、そいつが灰色に塗り
たくられたかのようだ。その上、尋常でない痛みが絶え間なく走る。我慢でき
ない。
 それでもどうにか理解した。自分の上に落ちてきたのは、さっき、私が殺し
た男だということは。
 だが、この“現場”に着くのは、私の方が遅くなるはず。
 にもかかわらず、男の死体が私の上に降ってきたのは――。
(何かの理由で電車が遅れた、それしかない)
 あまりのばかばかしさに、ボタンのことなぞどうでもよくなった。

――終わり




#434/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/02/26  21:55  (374)
3,2,1で解ける魔術   永山
★内容                                         16/04/06 09:40 修正 第2版
           *           *

                 3

「何が何だか、さっぱり……突然だったもので、顔も見ていません。薄暗かっ
たですし」
 頬に氷嚢を当てたまま、テンドー・ケシンは応答した。
「失礼ですが、心当たりは?」
 ホテルの医務室、ベッドの縁に腰掛けたケシンの前には、男が一人立ってい
る。刑事ではない。開幕したばかりのマジックフェスティバルに水を差すよう
な事態は避けたいと、ケシンが主催者サイドに伝えたところ、警察への通報は
ひとまず見送られた。代わりに呼ばれたのが、今、ケシンに質問をしている男。
見たところ三十歳前後で、落ち着いた声が与える印象は、それよりも若干年上
の雰囲気を感じさせた。身なりは、ややくたびれた感のあるスーツ一式で、た
いていの場には溶け込めそうだ。
「ないな。もちろん、マジック嫌いの方は世の中にいますが、それだけの理由
で襲ったりしないでしょう」
「同意します。でも、もう少し、突っ込んで聞かせてください。テンドー・ケ
シンというマジシャンを嫌っている方は、いませんか」
「皆無じゃないでしょうね。テレビによく出ていた頃、色々と陰口を叩かれた
みたいです。面と向かって言って来る人も少数ながらいました。けど、和解し
ています。陰口の人達だって、もう何年も前のことで、どうして今なのか、疑
問です。そもそも、暴力に訴える動機にしては弱いんじゃありませんか」
「仰る通りです。今のケシンさんに、こんな事件を起こすような敵がいないこ
とを確認したかったまで」
「え?」
「ということはつまり、極々最近、もしかすると今日のマジックフェスティバ
ルにおいて、犯人があなたを襲撃する理由が生じた可能性が強い。とりあえず、
前夜祭をどのように過ごされ、何があったのか。一から事細かに話していただ
けませんか」
「覚えている範囲でよいのなら……受付及び開場が夜の八時半からで、九時ス
タートなんだが、招待されたマジシャンや関係者は、先に会場入りして、受付
も済ませた。それが八時頃だったかな。親しい人達と会話して時間を潰し、前
夜祭の始まりを待った」
「その前に、夕食はどうなさいました?」
「前夜祭で軽めの物が提供されるので、夕食も軽めにしておいた。近くの和食
レストランで、天ぷら蕎麦を。ああ、六時過ぎに一人で。かつての超多忙だっ
た時期には、スケジュールを管理する人が付いていたんだが、今は自分一人で
やってるもので。無論、店で知っている人とは会わなかったし、お客から声を
掛けられることもなかったですね」
「分かりました。レストランを出て以降を、お願いします」
「六時四十分ぐらいに出て、斜向かいの書店やその隣の玩具店に入って、少し
時間を潰し、七時半にホテルに入った。おもちゃ屋の手品コーナーにいたとき、
私がテレビに出ていたマジシャンだと気付いた人がいたようだが、直接話し掛
けては来なかった。他には……店員にマジックで使ういくつかの素材を置いて
いないか尋ねたが、ないとの返事だったな。東急ハンズを勧められましたよ」
 苦笑を浮かべて見せたケシンだが、相手は意味を掴めなかったのか、首を傾
げた。東急ハンズがマジシャン御用達と言っていいほど、マジックに使える素
材を取り揃えていることを説明してやると、合点したように頷いた。
「東急ハンズに行かれたので?」
「いや、時間がなかったし、いつでも行けるから、先程述べたようにホテルに
戻った。部屋に入って、すぐにまた出て、受付の手続きを済ませて、会場に入
らせてもらった。役立つかどうか分からないが、マジックの種を会場の備品に
少し仕込んでおきたかったもので」
「役立つかどうか分からない、とは?」
「私自らマジックをやると言い出すのではなく、周りから請われたときに、い
かにも即興で演じたかのように見せるためです。実際、折角仕込んでも、使わ
ないことが多々あるんですよ」
「私はマジックに詳しいとまでは言えないので、おかしな質問かもしれません
が……」
「なんなりと」
「ライトなマジックファンが、あなたが仕掛けを施している場面を目撃して、
幻滅したというか、あなたに裏切られたと受け取り、腕力に訴えたという可能
性はないでしょうか」
「さあ……」
 痛みが治まってきたこともあり、ケシンは頬から氷嚢を離し、手をタオルで
拭ってから腕組みした。
「初心者の方に目撃されるようなことがもしあれば、あり得るかもしれません。
けれど、今回、あの時点で前夜祭の会場に、そんな初心者の方はいなかったは
ず。私が何かしているところを目撃しても、ちゃんと大人の対応を心得た人達
ばかりでしたが」
「会場、つまりホテル側のスタッフもいたと思うのですが、その人達も?」
「はい」
「納得しました。続けてください」
「それからは……」
 手を頬に宛がい、思い起こす。
「程なくして、前夜祭が始まり、私はしばらくの間、親しい方と話し込んでい
たな。一時間ほど経ったあと、一般参加者の間を回り始めた。ご挨拶と、軽め
のマジックを披露し、コミュニケーションを取る。主催者からの希望通りに振
る舞ったんです」
「一般参加者とは?」
「うーん、文字通りの意味なんですが、考えてみると、プロとアマと単純に線
引きできるものじゃありませんね。大雑把に言えば、マジックをやらずに観る
専門の人、あるいはやるとしてもほんの少しという人、といった感じになるで
しょう。ただ、中には大学の奇術研究会等に所属し、腕前も結構なレベルだが、
この業界との付き合いが浅いため、一般参加に分類される人もいるでしょうが」
「具体的な線引きがある訳じゃないと」
「まあ、そうなります」
「そのコミュニケーションの際、何か特記するような出来事はありませんでし
たか。酔客に絡まれるとか、種明かしを執拗に迫られるとか」
「幸い、今夜はそのようなことはなかった。あったとしても、割と慣れていま
すから、対応も心得ているつもりです。相手を不快にさせるような言動は、決
してしません」
「マジシャンとしての矜持ですね、テクニックの先にある」
「うん、まあそうなのかな」
 不意にそんな感想をもたらされ、ケシンは頭をかいた。
 一方、質問者は首を捻った。
「そうなってくると、ますます分かりません。ケシンさんが恨みを買うとは思
えない」
「ええ、ですから、心当たりがないとさっきから」
「すみません、もうしばらく、聞かせてください。覚えている範囲でかまいま
せんので、お客さんとのやり取りを。どんなマジックを披露し、相手はどのよ
うな反応をしたのか」
「マジックは五つの演目を、適宜、やっていっただけだから思い出せるし、お
客の反応と言われても、驚いてくださった、感心してもらえた、ぐらいしか」
「それ以外の反応はなかった?」
「そりゃあ、中にはお仲間同士で耳打ちしている方もいましたよ。恐らく、種
を囁いたんでしょうね。でも、そのことで怒るとしたら、私の側でしょう」
「確かに。念のためにお伺いしますが、種を直接、ケシンさんに話し掛けて、
正解か否か確かめようとした人なんて、いませんでしたよね」
「いたら、真っ先に挙げてますよ」
「でしょうね……」
 それからケシンは、前夜祭で披露した軽めの演目五つについて、説明した。
お札が増えたり変化したりするマジック。外国製のコインが左手から右手に瞬
間移動するマジック。空っぽの手からボールや作り物の鳩を出現させるマジッ
ク。お札や指輪の空中浮揚。トランプを消したり出現させたりするマジック。
「当然ですが、会場内に前もって仕掛けた種を使う機会には恵まれず。最終日
までにはチャンスがあるでしょうから、そのままにしています」
「……突飛もない発想と思われるでしょうが、仕込みをしたときに、何かを発
見しませんでしたか? 白い粉の入った袋とか」
「ははっ。麻薬の隠し場所を偶然、探り当ててしまった。そのことに気付いた
犯人が、私に警告を与えた、と?」
「ええ。どうでしょうか」
「ないない」
 笑いを堪えながら、顔の前で片手を振るケシン。
「そんな物は見なかった。仮にそんな状況があるとして、私は物を見付けてい
ないが、犯人が見られたと勘違いした可能性はゼロじゃないだろうけど、現実
問題として、大勢が出入りするカフェに、危険な物を隠します?」
「それはまあ、ありそうにない」
「いやあ、あなたの仮説で、痛みが吹き飛びましたよ。気に入りました。とこ
とん、付き合うとしましょう。ただ、えっと、明朝まで三時間は眠りたいので、
午前三時半をタイムリミットに」
「お疲れのところを、本当に申し訳ないです。助かります。私も一気に解決と
までは行かずとも、上司に報告しないといけないので、どうにかして目鼻をつ
ける必要がありまして」
 ケシンは場所を移し、お茶でも飲みながらの続行を提案した。相手にも異存
はなかったので、ホテルの最上階にあるカフェバーに足を運んだ。

「――これで全てです。記憶にある分は」
 ケシンは話し終えると、紅茶の残りを飲み干した。渋みを感じ、お冷やを続
けて煽る。
「ありがとうございます。いくつか、気になった点があります」
「どこでしょう?」
「時折、ケシンさんは違う演出をなさっていますよね。同じマジックでも、異
なる見せ方をしている」
「特別なことじゃありません。お客を見て、あるいは時と場合をはかって、見
せ方を変えるなんて、しょっちゅうです。演じる側も、同じマジックの繰り返
しでは飽きてきますしね」
「そうでしたか。でも、一応、伺うとしましょう。まず、三番目のグループで、
手の中で消したトランプのカードを、女性客のグラスの下から出現させている。
通常は、再び手の中に出現させるようですが」
「そのときは、条件が揃ったので。まず、それまでに演じた一番目、二番目の
グループはお客も立ったままだった。三番目は皆さん着席されていたので、グ
ラスを使いやすかった。さらに、私の手の届く範囲にあったグラスに、お客の
誰も注意していない隙を見付けた。正確には、隙を作ったのですが、まあそれ
はいいでしょう。成功する確信を得たので、グラスの下にカードを忍ばせたの
です」
「なるほど。現れたチャンスを活かしたと。……では、この六番目は? えっ
と、左手から右手にコインが瞬間移動するやつ。お客のコップを使ったようで
すが、皆さん立っていたんですよね?」
「それも好機を捕らえたとしか。普通はお客の手に落とすのを、そのときは視
覚効果を狙って、コップに落とすことにした。コインが水に落ちると音がする
し、コップは透明なプラスチック製だから、沈むときの泡や、飛び散る水しぶ
きも演出になる」
「なるほどなるほど。ちょっと待ってくださいよ……コインを落としたら当然、
飲み物はだめになる。そのことで、お客が立腹したというようなことは?」
「それはないと思うなあ。彼が持っていたコップの中身は水だったので、いく
らでもお代わりできるだろうという判断から、その人を選んだんです。そうそ
う、コップを二つ重ねて使っていたから、あるいは潔癖症なのかなとも推察し
ましたが、それは杞憂だったようです。拒絶されませんでしたから。加えて、
マジックにあまり詳しくなさそうに見えたというのもあります。マジックのあ
と、お代わりはご自身でお願いしますというようなエクスキューズを伝えまし
たが、その人は怒ってなんかいませんでしたよ」
「ふむ、そうですか。次は……十番目ですね。お札が増えたり変化したりする
マジックに、アレンジを加えていらっしゃる。千円札を一枚抜き出し、ペンを
突き刺してまた引っこ抜くも、お札に穴はあいていないという」
「これは、お客の中に見知った顔がいて、その人のお気に入りが、お札にペン
を刺すマジックなんです」
「顧客の好みに沿ったサービスという訳ですか。あ、一応、聞いておきましょ
う。お金に手を加えるマジックを嫌う人もいると思いますが、今夜はどうで
した?」
「日本で流通する硬貨を加工したグッズが、かつて問題になりましたが、ああ
いうのは一掃されていますから。お札にペンを刺すマジックにしても、実際に
傷つけている訳ではありません。何なら、種明かし込みでご覧に入れましょう」
「あ、いえ、結構。私は警察ではないので。次の機会、存分に楽しめる機会に
取っておいてもらえるとありがたいです。今、想定しているのは、そういった
種を知らない人が、お金を使ったマジックを観て、気を悪くしたなんてことが
考えられないかどうか」
「今夜のお客さんは、そこまで堅物ではないと思いますが。そんなことまで心
配していたら、人体切断はけしからん、空中浮揚なんて怪しげな術を使うのは
人心を惑わす、なんて理屈が通りかねない」
「これは私の考えすぎでした。――えー、マジックの演出を変えたのは、これ
くらいですね。で、あと一つ気になるのは、こういった特別な演出を観られな
かった人達が、不公平だと感じ、あなたに過激な抗議をしたとは考えられませ
んか」
「そりゃまた極端だなあ。この程度ではないでしょう。はっきり言って、アレ
ンジした分は、技術的にはハイレベルなマジックではありません。第一、それ
が動機なら、私を襲った際に、某かの主義主張を捨て台詞にでもするんじゃあ
りませんか」
 ケシンの指摘を、相手の男は予想していたらしく、「そうですよね、やっぱ
り」と応じた。それからメモ帳を音を立てて閉じると、内ポケットに押し込ん
だ。
「終わりですか」
「ううん、どうしようかと迷っています。引っ掛かった点はあるのですが、根
拠が薄弱で、突き進んでいいものやら。ケシンさん、襲われたときを思い起こ
すのはおつらいでしょうが、犯人の特徴について何かありませんか」
「最初に言いましたように、顔も見えなかった。男か女かすら、断言はできな
い有様ですよ」
「感覚では、男でしたか」
「ぶん殴られて、その力強さは男だと思った」
「背格好は? ケシンさんの目線で、高く見えたか低く見えたか」
「始めの一撃で、がくんと膝を折ってしまったからなあ。はっきりしないが、
私よりは少し小柄だった印象がある。あと、言葉では説明できないが、若い気
がする。緊張からか呼吸する音が激しく、慣れていない様子だった」
「最後の理由付けは、どうでしょう? 年を食った人でも、喧嘩慣れしていな
ければ、息が荒くなるのでは」
「言われてみれば、そうか。でも何となく、若さを感じた。加齢臭をかがなか
った、ということかもしれない。無論、意識していた訳じゃないですけどね」
「そういう感覚は、大事にすべきかもしれません」
 独り言のように呟き、男は天井を見上げた。
「事件がこれで終わったかどうか、犯人以外には分かりやしませんからね。大
事になる前に、ケシンさんをこんな目に遭わせた人物を見つけ、問い質したい
んです」

           *           *

                 2

 ホテルの二階に入るカフェレストランを借り切り、マジックフェスティバル
の前夜祭は、盛況の内に進んでいた。堅苦しい挨拶で幕を切って落とすと、す
ぐにざっくばらんな空気になった。雰囲気は、中規模な結婚式の二次会といっ
た感じか。会場のあちらこちらで、マジック談義に花が咲く。自己紹介が済め
ば、腕前を披露し合うアマチュアやアイディアの片鱗を熱く語る愛好家、有名
マジシャンの人となりを話して聞かす事情通など、色々な輪ができた。
 フェスティバル参加者にはプロも当然おり、前夜祭に顔を出して、マジック
を披露するマジシャンも数名いる。
(俺が論評するのはおこがましいが、みんな凄い腕だな。テレビに出てないか
らと言って、決して下手じゃない。――おっ、あれはもしかすると、ケシンか)
 学生の梶田は、同級生でマジックマニアの浦和に誘われ、今回の催しに参加
した。彼に誘われなければ、いや、彼と知り合わなければ、縁のない場だろう。
マジックには人並み程度の関心しかない。
 そんな彼でも、テンドー・ケシンの名や姿はテレビを通じて何度も見聞きし
た覚えがあった。今でこそ人気は落ち着いた感があるが、十年ほど前にマジッ
クがブームになった頃、その中心にいたマジシャンの一人が、テンドー・ケシ
ンだ。人体切断や浮揚、消失といった派手で見栄えのする大掛かりなマジック
で注目され、人気を博したが、その本領はトランプやコインを用いた技にある
らしい。マジックに詳しい浦和が以前、嬉々として語っていた。
 その浦和が席を外した今このタイミングで、自分たちの座るテーブルにケシ
ンが来るとは。
(うろ覚えだが、十年ぐらい前とちっとも変わってないような、見た目が若い)
 襟足を隠す程度の髪に白い物はなく、肌の色つやもよい。鼻の下の髭――コ
ールマンとカイゼルの中間のような――は、きれいに整えられている。何より
も手が若々しい。特に爪の手入れが行き届いており、一瞬、女性のそれと見紛
うほどだ。
(さすがにオーラみたいなものを感じるな。身体が大きく見える)
 柄にもなく緊張した。
 尤も、ケシンが話し掛けている相手は、ご婦人方だ。お年寄り、マダム、レ
ディ、少女と各年代を取り揃えたかのような一団のすぐ近くに、梶田は偶然い
ただけで、マジックに対する熱は女性陣とはかなり温度差がある。ケシンにし
ても、最初、「楽しんでおられますか」と、場にいる面々に笑みを向けた際、
視界の片隅で梶田を捉えた程度で、あとは見えていないのかもしれない。
 ケシンは軽めのマジックを演じだした。梶田が横手から眺めていても、ケシ
ンに嫌がる素振りはない。種を見破られない自信があるということだろう。
 手先の器用さをアピールするテクニックを披露し、お札を使ったマジックの
あと、今度はコインのマジックが始まった。流れるような演技に見とれている
と、不意にケシンから声を掛けられた。
「そのコップ、中身はミネラルウォーターですか?」
「え、あ、はい」
 自分の手の中にあるコップを一瞥してから、見えるように差し出す梶田。透
明なプラスチック製で、無色透明な液体が七割以上残っている。
「このパーティ、お代わりは自由ですので、使ってもかまいませんよね?」
「は、はあ」
 生返事したときには、コップはケシンの手に移っていた。あっという間もな
かった。ケシンに見据えられると、言われるがままに応じてしまった。ひょっ
として、テンドー・ケシンは本物の魔法を使えるでは? そんな馬鹿げた空想
が浮かぶほど。
 右の手のひらで蓋をするかのような仕種で、コップを上から持ったケシン。
左手は今し方、一枚のコインを握り込んだ。女性客の一人がペンで表にサイン
をした代物だ。ケシンは目を閉じ、少し俯くと、「それでは、行きます」と呟
く。続いて、左、右の順で手首のスナップを利かせた風な動きをした。その途
端、右手に持つコップの液体の中に、一枚のコインが落ちてきた。
 左手を開くと、そこにコインはない。コップに指を入れ、コインをつまみ出
すと、皆に示すケシン。コインには、女性客のサインが確かにあった。
「普段なら、このコインは協力してくださったお客様に、記念にお渡しするの
ですが、今回は三日もありますからね。最終日に再会を果たし、そのときにプ
レゼントしましょう。そちらの男性も、覚えておきますから。お名前は?」
「あ、梶田、です」
 催眠術に掛けられでもしたみたいに、コップを貸した上に、今度は名前まで
答えてしまった。ケシンは梶田にコップを返すと、「協力をありがとうござい
ました。すみませんが、飲み物の交換はご自身でお願いします」と言い置き、
別のグループのところへと足を向けた。
 梶田がいささか呆然としてマジシャンの後ろ姿を見送っていると、浦和が戻
ってきた。
「もしかして、さっきまでケシン師が来てた? うわー、ミスった」
 息を切らしながら、自分の運の悪さを呪う言葉を吐く浦和。
 梶田は苦笑いを浮かべた。
「どんなマジックをやってくれた?」
 興味津々、かぶりつくように聞いてくる浦和に、梶田は覚えている範囲で教
える。見たばかりなので、すらすらと答えられる。話し終わると、浦和の目の
色が変わるのが分かった。
「そーかー、それじゃあ、最終日、ケシン師から何かもらえるかもしれないっ
てか?」
「あ、その可能性はあるか」
「コインもらえたらいいよなあ。最終日までに何かやるだろうからさ。ケシン
師の最近の得意演目の一つに、コインを噛みちぎって、細い瓶の口から中に入
れて、元通りに再生するというのがあって――」
「コインを噛みちぎる、だって?」
「あ、もちろん、本当に噛みちぎるんじゃないけどな。詳しくは話せない。梶
田、おまえがこっちの世界にもっとどっぷり浸かったら、教えてやってもいい
けどな」
 優越感を含んだ口ぶりで、にやにやと笑みをなす浦和。
 だが、梶田の心中は、マジックの種どころではなかった。

           *           *

                 1

 高校時代、梶田は己の不器用さを呪った。細かい作業のできない手先を取り
替えたいと思った。そして何より、繰り返し練習をすることにすぐ飽きる自分
の性格を情けなく思った。
 原因は、浦和の奴にあった。
 友人の浦和に、彼女――八下真優を取られてしまったのだ。
 恐らく、浦和にも最初はそんな気持ち、微塵もなかったのだろう。マジック
好きの浦和は、覚え立てのネタを人に見せたくて、梶田や八下の前で披露する
のが常となっていた。
 梶田はさして感心しなかったのだが、八下の方が好感を持ってしまった。マ
ジックと、マジックをやる浦和に。
 そのことに気付いた梶田は、浦和に対抗すべく、マジックの本を買ってきて
身に付けようとしたが、うまく行かなかった。簡単なものならできるが、とて
も浦和にかないそうもない。
 その後、大学進学を機に、八下真優と浦和の仲も自然消滅。梶田と浦和の関
係も、何となく元の形に収まったようになっていた。
 だが、二年生になるかならないかの頃、八下と浦和の関係が復活したと、噂
で聞いた。梶田が内心腹を立てたのは、関係復活について浦和がおくびにも出
さなかったことだ。素知らぬ顔をして友達関係を続ける浦和に、それでも梶田
は笑顔で接した。頼み事も聞いてやったし、誘われれば一緒に行動するよう努
めた。そうした小さな無理を重ねたのがよくなかったのだろう、積もり積もっ
たちりのような恨みや妬みの欠片は、梶田の中で巨大な塊になり――あるとき、
彼の背中を押した。ウラワヲコロセ、と。
 梶田は殺意を自覚して以来、機会を窺っていたが、なかなかチャンスは訪れ
ない。日常生活の中で浦和が殺されれば、自分が真っ先に疑われる――と、梶
田本人は考えていた。実際にはそうならない可能性が高かったのだが。
 そんなとき、浦和から持ち掛けられたのが、マジックイベントへの参加であ
る。相変わらず、マジックには並以上の感心がなかった梶田だったが、このと
きは違った。二つ返事で参加の意思表明をした。マジックのイベントには、愛
好家が集う。当然、浦和の知り合いもそれなりの人数が来るだろう。そんなイ
ベント中に浦和が死ねば、疑われるのは梶田よりも、マジックを通じての知り
合いが先行するはず。これが梶田の理屈だった。
 調べてみると、イベントは三日間に渡り、立食パーティのような席が幾度か
設けられると分かった。昨年までのイベントをレポートするサイトを参考資料
にして、殺人計画を練った。
 同時並行的に、梶田は苦心して液体の毒を入手した。結果、殺害方法は、浦
和の飲み物に毒を投じる、毒殺に決まった。だが、注射器やスポイトを用意す
るのは避ける必要があろう。会場はホテル内だ。恐らく、防犯カメラが何台か
設置されているに違いない。そんな監視の目がある空間で、凶器の後始末をう
まく遂行できるか、自信を持てなかった。
 頭を悩ませた梶田が、やっと捻り出した解決策。それは自分自身の飲み物に
毒を仕込むという手口だった。自分のコップに何か入れようと、他人から咎め
られることはあるまい。ペットボトルを持参し、中身をコップに注いでも問題
ないはずだ。
 そして、自分のコップから毒入りの飲み物を、浦和の隙を見てあいつのコッ
プに移す。少量でいい。最悪、死に至らない可能性はあるが、それでもかまわ
ない。苦しみを与えてやりたかった。
 ただし、毒の入ったコップを、梶田自身がいつまでも持っているのはよくな
い。毒投入に成功後は、速やかに始末したい。指紋一つ付かぬように、素早く、
ぽいと捨てるには、コップを二つ重ねて使うのがよいとの計画を立てると、梶
田は自宅で部屋に籠もり、練習を重ねた。第三者がもしも目撃したなら、これ
だけの努力をマジック習得につぎ込めばきっとうまくなったろうにと感じたに
違いない。
 とにかく、イベント当日までに、努力の成果を実感し、ぜったにうまくやり
遂げる自信を付けた。
 残るは、浦和の隙を見付ける、ただそれだけだった。

――終わり




#435/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/03/28  19:32  (308)
トラブル・ロック   永山
★内容
 宍戸類斗は、二つ年下の堀田健二に酒を注いでやった。学生時代からの知り
合いで、特別に連んでいた訳ではないが、社会人になってからも何となく付き
合いが続いてきた。今では、同じ調査会社の先輩と後輩だ。
「念を押すが、本当に頼まれてくれるんだな?」
 居酒屋の個室におり、会話を第三者に聞かれるはずはないのだが、つい、周
囲に視線を走らせてしまう。宍戸はそんな自分に苦笑を覚えつつ、返事を待っ
た。
「もちろんすよ。他ならぬ宍戸さんからの頼みなんすから」
 口調は軽い堀口だが、口の堅さには定評のある。加えて、十八歳を迎えるま
では、不良めいたことも多々経験していた。だからこそ、宍戸はアリバイ工作
の協力者に彼を選んだ。
「宍戸さんが何をするかなんて、聞きゃあしません。俺が何をすればいいかだ
け指示してくれれば、その通りにするっすよ」
 堀口から見れば、宍戸に恩を感じているはずだった。入社間もない堀田は要
領のよさが災いしたのか、調査の詰めが甘いことがたまにあり、二度、再調査
になった案件があった。三度目はやばいぞという折も折、堀田は対象者に尾行
を気付かれるという大失態を犯した。そのとき、堀田とコンビで動いていた宍
戸は機転を利かせ、“組を抜けようとした若い男とそれを追ってきた暴力団員”
のやり取りを演じることで、対象者が抱いた疑念を晴らしてみせた。
「ああ。後日、改めて会ったときに言う。覚えるのは得意だったな? メモを
残したくないんだよ」
「任しといてください。勉強ならいざ知らず、ちょい悪なことなら短時間でば
っちり覚える自信あるっす」
「――酒にも強いようだな」
「へ? まあまあですかね。飲んでも、意識ははっきりしてる方っすね。地面
が揺れてら〜って感じることは、たまーにありますけど」
 宍戸はテストを兼ねて、堀田に酒をどんどん勧めていたのだが、どうやら合
格だ。万が一にも、酔った勢いで秘密をぶちまけるようなことがあってはなら
ない。
 宍戸は満足の笑みが広がるのを自覚した。顔をひと撫でしてそれをかき消す
と、またもう一杯、堀田のグラスに酒をなみなみと注いでやった。
「俺の癖で悪いのは、酒癖よりも、女癖の方。分かっちゃいるけど、やめられ
ないって奴。しかも、調査でいくらでも他人の例を目の当たりにしているのに
ね。辞められないからこそ、悪癖ってもんです」
 堀田が現在も二股を掛けていることを、自嘲半分自慢半分で語るのを、宍戸
は聞き流しつつも適当に相槌を打った。

 山崎弓花は中学校の教師である。担当は英語。表向きは、真面目で仕事熱心
な先生として通っている。だが、裏では既婚男性と関係を持つこと度々で、跡
を濁さぬ形で縁を切ってきた。そんな彼女が珍しくもはまったのが、こともあ
ろうに担当する男子生徒の父親。それまでよりも長期に渡って関係を持ったせ
いか、男の妻に怪しまれるようになった。
 その妻が興信所に調査依頼をし、担当した宍戸は見事、期待に応えた。だが、
当時まだ一年ほどのキャリアしかなかった宍戸は、小さなミスをした。山崎に
顔を見られてしまったのだ。
 もちろん、調査に際して違法なことはしておらず、調査自体も成功裏に終わ
ったのだから、顔を見られようが名を知られようが、どうってことはない。た
だ、山崎弓花は粘着質で、しかも変わり者だった。十ヶ月が過ぎた頃、彼女は
宍戸に直接会いに来ると、責任を取ってくれと言ってきた。男と別れる羽目に
なったのだから、代わりに付き合えという無茶な理屈だった。
 普通なら断固拒否するところだが、幸か不幸か、山崎の外見は宍戸の好みに
ほぼ重なっていた。性格が合わなければ別れればいい、これで面倒を避けられ
るのであれば、その程度の気持ちで付き合い始めた。
 半年ほどは何事もなく過ぎた。予想していたよりも山崎はずっと“普通”で、
付き合いは特別によいレベルということはないにしても、極当たり前の男女関
係を築いていった。結婚の意思は互いにないと表明しており、問題にならない。
時期は分からないがいずれ別れる、一時的な関係で終わると思った――宍戸の
方は。
 もう少しで一年を迎えようかという頃、突如、山崎が隠していた狙いを表面
化させた。宍戸に、“小遣い稼ぎ”を持ち掛けてきた。彼女は、宍戸の自宅の
パソコンに密かにキーロガーを仕掛け、作成した仕事上の書類の内容を把握し
ていた。そこから依頼者や調査対象者を知り、金を脅し取れそうな相手を見繕
っていた。
 宍戸は、規範意識が人より強い訳ではないが、今の仕事に満足していた。だ
から信用を裏切れないと、断った。すると山崎は、「もし依頼者の情報をネッ
トでばらまいたとしたら……あなたと会社の信用はがた落ちね」云々と、度を
超した仄めかしをしてきた。
 この段階で、上司にでも報告していればまた違った展開になったかもしれな
い。だが、宍戸は一人で片付けようと思った。情報を山崎にばらまかれなくと
も、一度でも脅迫行為に手を染めれば、脅迫を受けた相手は宍戸を疑うだろう。
信用失墜に変わりはない。
 山崎を制御するために幾ばくかの金を渡しつつ、対策を考えた。無論、穏や
かな方法を模索していたのだが、途中で事情が変わった。宍戸に、本命の恋人
ができたのだ。将来、山崎弓花の存在が障害になるのは確実。そう思い込んだ
宍戸は、山崎の完全な排除を決めた。
 殺害場所は、彼女の自宅。お誂え向きに、両親を亡くして独り暮らしをして
いる。加えて、近所の住宅はほぼ空き家で、目撃される危険性は低い。かつて
は新興住宅地として売り出されたが、開発が中途半端に終わったせいだろう。
 二人が付き合ってることを知る者は、多くはない。興信所の上司が、何とな
く状況を把握している程度だろう。山崎の方も、付き合い始めたきっかけがき
っかけだけに、おおっぴらには触れ回っていない。宍戸にとって都合がいい。
 だが、宍戸は念には念を入れる質だ。山崎弓花を自殺に見せ掛けて殺した上、
現場を密室にし、さらに自分自身のアリバイを確保する計画を立てた。この内、
アリバイに関しては、堀田に一人芝居を演じてもらうことで成立させる。山崎
が死んだ頃、宍戸は堀田のアパートで彼と二人、飲み明かしていたという寸法
だ。
 密室についても、宍戸には腹案があった。そもそも、トリックのオリジナリ
ティに意を砕く必要はない。密室状態の現場で人ひとりが自殺らしく死んでい
れば、普通は、他殺かもなどと疑いを抱くものではないのだから、トリックに
先例があったとしても問題はない。重要なのは、自殺であると信じ込ませるこ
とだ。
 密室イコール自殺と捉えてくれれば楽だが、そんな捜査員ばかりではあるま
い。となると、大事なのは遺書の存在だろう。尤もらしい文章を、山崎本人に
自筆させる方法がないか、宍戸は多少考えた。
 答はじきに見付かった。英語の教師の山崎に、遺書の文面を訳してもらえば
よい。元の文章は、有名でない英米文学から引っ張って来るつもりだったが、
万が一を考慮し、自力で作ることにした。英語が不得手な彼にとって、この作
業には時間を随分割いた。同様に苦心したのが、訳してもらう理由付けだった。
散々考えた挙げ句、「ある調査の過程で入手した書類の中に英文があり、至急
意味を知る必要があるから」と頼んだところ、疑いもせずに引き受けてくれた。
拍子抜けするほど、あっさりと。
 ともかく、お膳立ては整った。あとは実行あるのみ。
 野球帽を目深に被った宍戸は、計画遂行に必要な物を詰め込んだバッグ片手
に、山崎弓花の家の前に立った。金曜の夜九時のことだった。

 人を殺すという行為は、ある意味簡単であったが、別の見方をすれば大変難
儀したとも言えた。自殺に偽装することを考え、扼殺するつもりで隙を見て襲
い掛かった。程なくして動かなくなった相手から身体を離し、次の準備に移ろ
うとしたところ、彼女が息を吹き返した。焦りと驚きを飲み込んで、再び躍り
かかる。だが、扼殺は望めそうにない姿勢になった。手にしていたビニールロ
ープで、絞殺するのも難しい。今さら中止する訳にも行かず、宍戸は仕方なし
に、準備していた刃物を、片手で器用に取り出した。そして刺殺した。胸に刃
物を突き立てられた山崎は、仰向けに、大の字に倒れた。
 もちろん、一連の動作は短い時間に無我夢中で行われており、刃物による殺
害を遂げた段階で、宍戸は「こんなつもりじゃなかったのに」と後悔を覚えた。
 しかし、やってしまった物は取り返せない。計画に早くもひびが入ったこと
から立ち直ると、宍戸は次の行動に移った。
 真っ先に、自分自身の身体を見下ろした。血の付着が気になったのだ。が、
死体に凶器が刺さったままのせいか、返り血は浴びていないようだった。細か
い血痕は付いたかもしれないが、黒系統の服を着込んできた宍戸にとって、目
立つものではない。
 次に、死体の背後に回り、床に足を投げ出して座るポーズを取らせてみた。
自殺に見せ掛けられないか、念のため、検討してみる。時間は掛けられないが、
計画の修正を試みた。
「……無理だ」
 宍戸は結論を呟いた。刃物の出所を怪しまれるだろう。台所にある包丁の類
ならまだしも、宍戸が持ち込んだ刃物は、柄の付いた大ぶりのナイフ。普通、
女性が所有する代物ではない。それに、宍戸が常用していたナイフなので、彼
の汗などが検出される恐れもある。そうなると、現場から持ち去らねばならな
い。
 宍戸は死体の背後に身を隠すようにしながら、ナイフの柄を両手で持った。
返り血に注意しつつ、抜き取る。
 案の定、両手は血を浴びた。ラテックスの手袋を二枚重ねではめているのだ
が、その手袋越しにぬるりとした感触が伝わる。宍戸は凶器を一度床に置き、
手袋の交換をした。今度は軍手だ。山崎を首つり自殺に見せ掛けるには、ロー
プを引っ張ることになるだろうからと、用意していた。
 その後、刃物を流し台でざっと洗い、手近にあったタオルで拭った。そして
仕舞おうとした宍戸だったが、気が変わった。どんなハプニングが起きるかし
れたものじゃない。たった今、学んだばかりだ。大ぶりのナイフをいつでも使
えるよう、手にしたまま、後始末を続ける。
 指紋を残す心配は無用なので、落とし物にだけ気を付けた。帽子の下にはビ
ニールキャップをぴっちりと被っているので、毛髪も抜け落ちることはあるま
い。服のボタンやバッグのファスナー等、細かい点をチェックしたが、いずれ
も無事だ。宍戸類斗につながる遺留品は、この部屋にはない。そう確信が持て
たところで、立ち去ることにする。
 が、その前に、決めねばならないことが、宍戸にはあった。
 現場を密室にするか否か。
 最初に描いた計画とは、随分違ってしまった。それでも密室を作るべきか。
自殺に見せ掛けるのは不可能なのだから、遺書を置くことはしない。密室もや
めるのがよいだろうか。その方が早くここから立ち去れる。それとも、もしも
自分に嫌疑が向けられた場合を考慮し、砦として密室の謎を構築しておくのが
よいか。
 宍戸はバッグを見つめた。中には密室作りのための道具がある。
 ――用意したからには作りたい。宍戸は誘惑に従うことにした。
 バッグのファスナーを開け、スマートヘリを取り出す。いわゆるドローンと
呼ばれているやつの一機種で、勤務先からレンタルした代物だ。これをドアの
外から操作して、チェーンを掛ける。既存の推理小説にラジコンカーを使った
密室トリックがあったが、その姑息な応用である。
 事前に現場のドア及び周辺を採寸し、受け金にチェーンのポッチを掛ける練
習を繰り返した。操作をプログラムとして記憶させ、同じ動きを再現すること
もできる。が、そのような機能を用いずとも、環境変化のほとんどない室内な
ら、大地震が発生するとか強力な電磁波で妨害されるとか、よほどのハプニン
グがない限り、ポッチを掛けることができるまでに練習を積んだ。この機種の
なら、搭載カメラを外すことで薄さ三センチ以下になり、チェーンの掛かった
ドアの隙間から外へ、手で引っ張り出せることも実験済み。
 宍戸は自信を持って密室作りに取り掛かり、五分ほどで成功した。
 スマートヘリとコントローラーをバッグに入れ、彼は床に置いていた刃物を
手に取った。もうこれも必要あるまい。あとは立ち去るだけだ。そう考え、刃
物をタオルにくるもうとしたそのとき――。
「宍戸さーん、やっぱりここだったんすか。よかったぁ、見付かって」
 背後からした声、聞き覚えのある軽い口調に、宍戸はびくりとした。思わず、
そのままの姿勢で振り返った。頭に思い浮かべた通りの人物、堀田健二がそこ
にはいた。お洒落な男が、何故かジャージの上下という学生時代に戻ったかの
ような出で立ちで、ぷらぷら歩いてくる。
「アリバイ頼むくらいだから、別の女と会うのかと思ってたけど、本命と会っ
てたとはちょっと意外でしたよ。おかげで手間取っちゃいました」
 宍戸はのんきな調子の堀田を見つめ、相手の真意を測ろうとした。少なくと
も、宍戸の計画を知っていて、ここに足を運んだという訳ではないらしい。
「ど、どうしたんだ。おまえ、アリバイ作りは?」
 どうしてここに堀田が現れたのか、その理由は不明だったが、宍戸は自分が
今すべき自然な反応をしてみせた。
「それなんすけど、ちょっとしたハプニングがあって。いや、まあ、ちょっと
どころか、かなり厄介なのが本音っす」
 そこまで言ったところで、堀田の顔色が変わるのが分かった。へらへらと笑
い気味だったのが、突然引き締まる。堀田の視線が暫時固定されたことから、
宍戸の握るナイフに、そしてその刃が赤く染まっていることに気が付いたに違
いない。
「しし宍戸さん、それ、どうしたんすか」
 どもって尋ねてくる堀田に、まだ恐怖はさほど湧いてないように見えた。好
奇心の方が大きいらしい。調査員なんて仕事を好んでやるくらいだから、いず
れこういった流血の現場に遭遇する事態を、漠然と想定していたのかもしれな
い。
「ああ、これか」
 宍戸は斜め下を向き、刃物に一瞥をくれた。同時に、堀田との距離を目測す
る。そして再び面を上げる動作に合わせ、刃物を突き出した。
 堀田の首元にうまく刺さった。当人は何が起きたか分からないという風に、
目をきょろきょろさせ、己の首から生える刃物の柄に触れていいものか、迷っ
ているようだ。
「アリバイ工作を放り出した上に、こんなところにやって来るとはな!」
 そう叫んだかどうか、宍戸自身、覚えていない。ただ、勢いを付けて堀田に
タックルをかまし、腹にのし掛かっていた。とどめを刺すつもりだが、刃物を
抜くと返り血をひどく浴びるだろう。他に適当な凶器は、全てバッグの中だ。
バッグは今いる位置から五メートルばかり後ろ、山崎の自宅前だ。取りに行っ
て、チャックを開け、出して戻る余裕なんてない。
 しょうがない。宍戸は手近の地面に大きな石を見付けた。と言っても、文旦
ぐらいのサイズだが、尖った箇所がある。そこを下向きにして、堀田の顔を目
がけ、振り下ろす。
 一度目、二度目と呻き声が聞こえたようだが、三度目には静かになった。
 宍戸は堀田の絶命を確認すると、急いで自分の身体を見下ろした。明かりが
充分でないため、どの程度の返り血があったのか、はっきりしない。急いでこ
こを離れ、着替えるのが賢明。そんな判断を下した。
 一方で、二つの増えた死体を、何かに活かせないかとも考えていた。たとえ
ば、堀田が山崎を殺しに来たが、刃物を巡ってもみ合いになり、ともに命を落
とした、とか。もしそのように偽装するのであれば、密室を作る者がいなくな
ってしまう。(待て待て。たとえばこういうのはどうだ。――刺されながらも
堀田を家の外で撃退した山崎が、虫の息で自宅に逃げ込み、チェーンロックを
掛けたもののの、そのまま死んでしまった――。いや、だめか。この場合、チ
ェーンに血が付着していなければならない)
 それでも一応、宍戸は山崎の自宅玄関先に戻った。ドアを開けて隙間から覗
いてみる。チェーンのどこにも血痕はない。山崎の死体から血を採ってくるこ
とも不可能だ。あとは……。
(タオル! さっきナイフをくるんだタオルは、血を吸ってる!)
 閃きが天啓にも思えた。唯一にして最高の解決策。そう信じた。
 けれども、一瞬で興奮は去り、冷静になれた。
 チェーンに血を付着させただけでは、万全でない。外で二人が刺し合ったの
なら、山崎弓花が倒れている場所まで滴下血痕がない事実には、いかに説明を
付ける?
(畜生っ。密室にしたおかげで、家の中はもう細工できない)
 思わず歯軋りした。スマートヘリを使って、チェーンを外す練習までは、さ
すがにやっていない。ぶっつけ本番でチャレンジしても、恐らく失敗する。
(まったく、現れるんだったら、密室を完成させる前に来いよ!)
 内心、そんな悪態まで吐く宍戸。
 このあとも、山崎と堀田が互いに刺殺したと警察に信じ込ませるため、他に
何か工作できないかを考えた宍戸だったが、妙案は浮かばなかった。五分間が
過ぎ、最早、この殺害現場に留まることはならないと判断した。次なる問題は、
どこへ向かうか、だ。
(着替えの件もあるし、自分の家に直行したいところだが、堀田の奴にアリバ
イ工作を頼んでいたからな。どこまでアリバイ成立したのか分からんが、俺の
音声を記録したメモリを回収する必要がある)
 そこまで検討して、ふと思った。堀田はどうやってここまで来たんだろう。
自分は電車で最寄り駅まで来て、あとは徒歩だった。堀田は、移動時間から考
えて、タクシーか? まさか、近くに待たせてあるんじゃなかろうな。
 不安に襲われたが、どうしようもない。確かめようとするのは、想像が当た
っていたとき、藪蛇だろう。
 宍戸は、死体となった堀田の衣服を探り、キーホルダーを見付けた。それを
バッグの奥にしっかり仕舞うと、やっと現場を離れる。山崎弓花宅を起点に三
百メートルほど歩き、そこから大きな通りに出てタクシーを拾った。

 堀田の住む――今となっては住んでいた――アパートまで、二百メートル程
度の場所でタクシーを降りた。宍戸は夜道を急ぎつつ、この犯行をきれいに締
め括るべく、最終的な検討を重ねていた。
 車中で思い付いたのだが、自分と堀田の立場を入れ替えるのは無理だろうか。
つまり、宍戸は堀田に頼まれ、アパートでアリバイ作りに精を出し、その間、
堀田が山崎を殺しに行っていたという構図に書き換えるのだ。無論、堀田の犯
行計画を、宍戸は知らされていなかったと主張するつもりだ。堀田と山崎との
つながりを示すのが難しいが、堀田が宍戸類斗と名乗っていたことにすれば何
とかなるのでは。
 宍戸は希望の光を見出した気になっていた。ハプニング続きの殺人スケジュ
ールに、不安が膨らんでいたのはさっきまで。今では乗り越えられそうだと自
信を回復しつつある。
(俺は八時前からここにずっといた。よし、そうなんだ)
 アパートを前にして、宍戸は自分の頬をぺちぺちと叩き、改めて気合いを入
れた。ここからは信じ込む力が必要だ。
 宍戸は足音を忍ばせ、二階への階段を上がった。堀田がどんな振る舞いをし
たのか、言い付けた通りにやったかどうか不明なので、とりあえず静かにして
おくのがよいだろう。
 部屋に来て、ドアノブを回す。予想していたことだが、施錠されていた。堀
田の懐から取っておいた鍵を持ち出し、さっさと開ける。
 最初に視界に飛び込んできたのは、見慣れぬ靴。女物で、赤茶色のローヒー
ル。きちんと並べられてはおらず、やや乱れている。
 宍戸は続いて視線を奥へやった。さほど広くはない部屋、いっぺんに見渡せ
る。
「え?」
 女が仰向けに倒れていた。横を向いている顔から判断するに、かなり若い。
二十歳過ぎといった頃合いか。
 恐ろしいのは、その形相だった。白目を剥いており、絶命しているのは間違
いない。黒髪に埋もれた頭頂部が、赤黒く濡れている。何らかの理由で頭部を
強打した結果、死に至ったようだ。
(彼女は一体……堀田の知り合いだとは思うが、どうして死んで――)
 そこまで考えたとき、遅まきながら察した。
 山崎弓花の家を密室に仕立て、そろそろ退去しようとしたときに現れた堀田
は、確かこんなことを言っていた。「――ちょっとしたハプニングがあって。
いや、まあ、ちょっとどころか、かなり厄介なのが――」と。
 女を殺してしまった、それこそが堀田の言うハプニング。
 宍戸のためのアリバイ工作は、当初、順調にいっていたのだろう。ところが、
付き合いのある女が急に訪ねてきて、何が原因なのか知らぬが、もみ合いにな
り、乱闘に発展。結果は、やはり男の方が腕力で上回ったのだろう、堀田は女
を死なせてしまった。アリバイ工作どころではなくなった彼は、非常事態に対
処するために、宍戸を頼って居場所を突き止めた。そんな経緯が、ありありと
想像できた。
(俺はどうすればいい?)
 次々と襲い来るトラブルに、宍戸は頭がショートを起こしそうな錯覚に囚わ
れた。
(仮に、山崎弓花と堀田殺しの罪を逃れられたとしても、ここでの殺人はどう
なるんだ? 堀田のアリバイ工作のせいで、俺もここにいたと思われているの
か? アパートの他の住人らは、どこまで分かってる? そもそも、この殺人
は、まだ誰にも知られていないのか?)
 左手で頭をかきむしった宍戸。どうにもならないのは分かっていた。不確定
事項が多すぎる。
(いくら頑張っても、捜査の手はいずれ俺に辿り着く。間違いない。アリバイ
なし。死んだ三人の内、二人と知り合い。俺が第一容疑者と見なされるのは、
ほぼ確実。それを逃れるには……)
 広くはない部屋をぐるっと見回した。宍戸の目にとまったのは、玄関のドア。
そこには、お馴染みになったチェーンが。
 宍戸の口元に微笑が表れる。やがて、小さな声で、彼は呟いた。
 ここも密室にしよう。

――終




#436/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/04/30  22:17  (348)
IT&R   永山
★内容
 我が友にして名探偵の天田才蔵(あまださいぞう)が、ある人物からの挑戦
を受け、対決することになった。
 きっかけは、天田がテレビのワイドショーにゲスト出演したとき、久方ぶり
に大口を叩いたせいだった。解けない謎はないと公言するのは、まあ、名探偵
の矜持として許容範囲内だろうが、不可思議な事件なんて所詮紛いもので、私
のような名探偵になると、不思議さを感じるいとまもなしに解決してしまうと
いうのは、言いすぎだったように思う。
 当然のように、批判や抗議が殺到した。が、ほとんどテレビ局が引き受けて
くれたので、天田の事務所がパンクすることはなかった。問題は、対決を迫る
コンタクトだ。挑戦状は三つ来た。自称・超能力者と自称・犯罪王と自称・魔
法使いから。この内、犯罪王はこちらからの返事に何ら音沙汰なしで、悪戯だ
ったようだ。超能力者は、対決の話を進める内に、何やかやと条件を付け始め
た。それらを飲むと伝えると、さらに難題を提示してきた。これは対決の意志
なしと見なし、交渉を打ち切った。
 残ったのは、魔法使いだ。彼――黒田暗護(くろだあんご)と名乗っている
のでとりあえず男性としよう――が提示した条件は以下の通り。対決の舞台と
対決方法はは彼が指定する。期間は二日。テレビ局の介入なし(ただしテレビ
局の人間二名を立会人とし、勝負結果の公表はテレビ局が行う)。
「名を売りたい似非魔術師が挑んできたのかと思っていたのに、テレビ局をこ
こまで排除するというのは意外だ」
 天田はそう述べた。
「しかし、テレビなしはこちらも歓迎するところだ。演出を排除し、純粋な勝
負ができる」
「では、受けるんですね?」
 私――標準一郎(しるべじゅんいちろう)が問うと、天田は曖昧に頷いた。
「受けるつもりではいる。だが、魔法使いの手の内をなるべく知っておきたい。
返答する前に、舞台と日時と勝負方法を聞き出せれば、それに越したことはな
い」
 黒田暗護とのやり取りは、電子メールで行っている。天田が上記のことを尋
ねる旨をメールで送ると、返事は翌日早朝に届いた。
 黒田からの回答は、「舞台と日時は前もって伝えられるが、勝負方法は明か
せない。不可思議な謎を存分に味わってもらうには、勝負方法を前もってする
ことは、マイナスになる故」というものだった。その言葉通り、舞台と日時に
関しては、明記してあった。日時はちょうど一ヶ月後に設定してあったが、天
田の都合が悪いのであれば変更可能とまで付記してあった。
 これで受けねば、天田が逃げたと思われるだろう。もちろん、この一連の交
渉は公にされておらず、対決を拒んでも直ちに名折れとなる訳ではないが、テ
レビ局の関係者らには伝わるに違いないし、そうなったらあとはどこからどう
噂が広がるか分かったものではない。
 天田がそこまで計算を働かせたかは知らないが、彼は勝負を受けて立つと明
言した。

 昼の三時。天気は下り坂で、予報によれば日付が変わる頃には雨がぽつぽつ
と来て、明け方までに相当降るという。
「初めまして、天田さん、挑戦を受けてくださり、とても光栄に思います」
 待ち合わせ場所のホテル前に現れた対戦相手は、優しい口調で挨拶をくれた。
 対決当日、我々の前に姿を現した黒田暗護は、若くて細くてともすれば頼り
なげな男性だった。さわやかな好青年を具現化した一例、といったイメージだ。
季節はそろそろ初夏を迎えるが、黒田は長袖のシャツに淡い青系統のカーディ
ガンを羽織り、下はこれも淡い黄色のスラックスに毛糸のソックスというなり。
魔法使いからはかけ離れている。顔や手といった露出している部分は、浅黒く
日焼けしており、また身長一八五はあろうかというサイズ故、ひ弱さとまでは
行かないが……闘争心の欠片も感じない。
「あ、いや、こちらこそ。挑戦してきてくれて、嬉しく思ってるよ」
 戸惑いを覚えつつ、応じた天田。私達は自己紹介のあと、さらに立会人とな
るテレビ局の人間二人を紹介した。
「まず、彼女は見たことがあると思うが、局アナの四方花江(しかたはなえ)
さん。報道畑出身で信頼は厚いし、今ではバラエティーにかり出されている程、
世間の人気も高い。適役だと、お願いしたところ、引き受けてくださった」
「四方です。よろしくお願いします」
 ショートヘアで清潔感のある女性が頭を下げる。年齢は確か四十近いはずだ
が、下手すると二十代と行っても通りそうだ。笑うとできる片えくぼが人気ら
しい。
 そんな女子アナを見下ろす格好の黒田は、へどもどした様子を垣間見せた。
「こちらこそ。いやー、緊張するなあ。まさか、こんな大物アナウンサーが出
て来てくれるなんて、予想していなかったですから。あ、もしかして、これも
天田探偵の作戦ですか? 緊張して僕を失敗させようという」
「そんなことはないよ」
 調子が狂うのか、苦笑いを浮かべた天田。事実、この場の空気は弛緩してい
た。対決を控えているとは思えないほど、リラックスしたムードになっている。
「もう一人は、君も見たというワイドショーのプロデューサーを連れて来たか
ったんだが、調整が付かなくてね。ディレクターをやってる、渡井正二(わた
らいしょうじ)さんだ」
「どうも」
 口髭とちょび髭を生やした渡井は、ぴょこんと短い動作で頭を下げた。彼が
立会人に選ばれたのは、立会人そのものの役目よりも、看板女子アナを守るボ
ディガードとして期待されたためだ。さほど大きな体格ではないが、がっしり
しており、柔道、合気道、空手を一通り嗜んでいるという。万が一、黒田暗護
が有名人相手の狂的な振る舞いに出る輩であった場合を想定し、こういった対
策は必要に違いない。
「さて、黒田暗護さん。僕や標君はたっぷりと時間を取ってきたが、テレビ局
の人間、特にアナウンサーは多忙な身だとは分かると思う。早速だが、勝負を
始めてもらいたいのだが、いいかな?」
 天田が促すと、黒田は「いいですよ」と軽い調子で承知した。
「ホテルに部屋を取っていますので、まずはそちらへ」
 すぐ横手に建つホテルは、名を紅夢といった。お世辞にも高級ではなく、ビ
ジネスホテルと民宿を足して二で割ったような、三階建ての少々古いビルであ
る。黒田は、その二階に五部屋を確保していた。四方アナウンサーが二〇九号
室、渡井が二〇八号室とそれぞれ一人部屋に、私と天田が二人部屋の二一〇号
室に入る。ということは、黒田は一人で二部屋――二〇一と二〇二号室を使う
のか。その二〇一号室前で、魔法使いを自称する青年は語り始めた。
「このホテル紅夢を舞台に、僕は不可思議な殺人劇を演出するつもりでいます。
観客は、天田さん達四人だけの贅沢な劇です」
「殺人劇とは?」
 笑みを交えて自信たっぷりに宣言した黒田に対し、天田がすかさず尋ねる。
「まさか、本当に人を殺すというのではあるまいね?」
「不可思議な謎をご覧に入れるのに、死体は必要条件ではありません。推理小
説などでは、より強烈なインパクトを与えるためとか、重大な出来事であるこ
とを示すために、死体が出て来ますけれど。僕がこれから行うのは、言ってみ
ればぬいぐるみ殺しです」
 そう言うと、彼は二〇一号室のドアを開けた。中はベッドとバスルーム、ラ
イティングデスク、テレビに小さめの冷蔵庫といった、ビジネスホテルには極
極当たり前の設備がある。私達が宛がわれた部屋と同じだ。
 唯一、ベッドの上にいくつかの物が置かれているのが違う。擬人化された猫
(もしくは虎だろうか?)のぬいぐるみが一体と、籐製っぽいバスケットに、
ホルダー付きの鍵らしき金属物がこんもりと盛られている。
 黒田はつかつかと中に入っていくと、ぬいぐるみを取り上げた。
「まず、犠牲者役がこのぬいぐるみ。僕が明朝九時までに、このぬいぐるみを
“殺害”してみせます。凶器はナイフの一本も用意してよかったんですが、物
騒だし、所持しているところを警察に見咎められたら面倒になるかもしれませ
んので……」
 と、黒田はとぼけた口ぶりになりつつ、スラックスの脇ポケットを探った。
程なくして、おもちゃのナイフが現れる。刃も鍔も柄も赤色をしたプラスチッ
ク製で、本物ではないと一目で分かる。
「これを凶器に見立てて、ぬいぐるみの胸板に突き刺すとしましょう。が、今
まで話した通りのことが起きても、何の不思議もなく、魅力的な謎にはなり得
ません。部屋に鍵を掛けた状況下で、つまり密室内でのぬいぐるみ殺しをやり
おおせてみせます」
「ふむ」
 天田は鼻を一つ鳴らした。続いてため息を挟み、感想を述べる。
「不可思議な謎というから、一体どんな魅力的な物を見せてくれるかと期待し
ていたのに、密室とはね。私は実際の事件で、密室殺人には、飽きるほど遭遇
してきた。そのどれもが、さほど不思議には感じなかったんだな。何故って、
一見、人の出入りが不可能と思われる空間で、人が死んでいること自体は不思
議だが、その一方で、人が殺されているからには真の意味での密室殺人なんて
あり得ないと分かりきっている。難しい数学の問題と似たような物だよ。まあ、
そのトリックに美しさを感じることは、希にあったけれどね。基本的に、密室
というだけでは不可思議さはもう感じないレベルだよ」
「そんなこと言わずに、騙されたと思って、体験してみてほしいですね。まあ、
僕的にも騙す気でいるのですが」
 あははと乾いた声で笑う黒田。まったくもって、魔法使いらしさがない。
「そりゃあ、ここまできて拒否する訳には行くまい。約束は守る。それで? 
勝敗はどうやって決める?」
「天田探偵、急かさないでください。まだ、密室の説明が。密室を構成する要
素の一つに鍵がありますよね。ここに鍵を山盛りにしたバスケットがあるでし
ょう?」
 ベッドの上のバスケットを指差す黒田。我々は首肯した。
「あの中に、“殺人現場”となる二〇二号室の鍵を混ぜます。その上で、この
二〇一号室の鍵も掛けます。二〇一号室の鍵は、天田探偵が預かってください。
僕は魔法を用いて、この部屋の外から二〇二号室の鍵を触り、形を読み取り、
二〇二号室のドアを解錠し、ぬいぐるみを“殺害”します。その後、余裕があ
れば二〇二号室にまた鍵を掛けた上で、このバスケットに戻します」
「魔法と言うよりも、超能力だな」
 渡井が独り言のように呟くのへ、黒田は「そうなんですよ」と両手を打った。
「先に超能力者と称する人が、天田探偵に挑戦状を叩き付けたという噂を耳に
したものですから、同じように名乗るのはよくないなと思い、魔法使いにして
みたんです」
「じゃあ君は、超能力者だというのか?」
「さあ? 魔法と超能力の明確な分類なんてできます? 無理だと思いますよ。
超能力っぽい、魔法っぽいというニュアンスでしかない。そのニュアンスに照
らせば、今僕が語った手口は、どちらかというと超能力に傾いているかな」
 話が脱線している。少し盛り返した緊張感が、また緩んでいった。
「口上はいいから」
 天田が肩をすくめながら言った。
「要するに、密室状態にした二〇二号室の鍵を、二〇一号室で保管し、二〇一
号室の鍵は私が保管する。そのような状況で、君は二〇二号室内でぬいぐるみ
におもちゃのナイフを突き刺してみせる、という訳だ?」
「うーん、基本的にはそうなりますが、うまくすれば、もうちょっと不可思議
なことをご覧に入れることが可能かもしれません」
「その不可思議なこととは何だね」
「それは……たとえば、鍵が戻っていくところをお目に掛けられるかも」
「さっきの説明を聞く限り、君は鍵を室外に持ち出す訳ではないんだろ?」
「いえ、ですから、そういうことではなく……まあ、起きたときのお楽しみと
いうことで、お許しください」
 ふっと、黒田の表情が急に真剣味を帯びる。口元には微かな笑みが残ってい
るものの、目はまっすぐで真剣そのものだ。
「――分かった。話を進めようじゃないか。そろそろ、勝敗の判定に関して、
聞いてもいいだろう?」
 とことん付き合ってやる、そう決めた風に腕組みをした天田。黒田は元の雰
囲気に戻って、「ええ」と軽い調子で答えた。
「僕の用意した不可思議な謎を、今日から四週間以内に、天田探偵が解体する
ことがで来たら、あなたの勝ちです。そうならなかった場合は、僕の勝ち」
「解体するとは、解明すると同義と取っていいのかな? やり口を指摘し、不
可思議でも何でもないことを示すという……」
「まあ、そうなるでしょうね。他に確認したいことがあれば、伺いますが」
 これに対し、四方アナが小さく挙手した。
「私でもかまいません?」
「もちろんです。どうぞどうぞ」
「黒田さんは、どの部屋にお泊まりになるんですか? 今伺った限りだと、二
〇一号室は鍵の保管のための部屋、二〇二号室はぬいぐるみのための部屋です
わよね?」
「あ、それなら、僕は泊まりません」
 この返答には、質問をした四方のみならず、皆が「え?」と声を上げた。
「僕の住んでるとこ、この近所なんですよ。泊まってもいいんですけど、でき
るだけ出費は抑えないといけません」
「ふうん……それじゃあ、ホテルの外から魔法を使うっていうのね?」
「はい」
 事も無げに言う黒田。俄然、魔法使いらしく見えてきたから、不思議なもの
だ。
「そうだ、思い出した。一つ、言い忘れていました」
 ところが次の瞬間には、もう謎めいた雰囲気は霧散する。
「二〇一号室の鍵は天田探偵に預けますけど、明日の朝九時より早く、二〇一
号室を開けないでください。二〇二号室も、フロントに頼めば開けてもらえる
かもしれませんが、決してそんなことはしないでくださいね」
「……了解した。しかし、ちょっと文句を言ってもいいかい?」
 天田もまた笑みを浮かべつつ、対戦相手に許可を求めた。黒田はこくりと頷
いた。
「魔法使いだか超能力者だか知らないが、そんな遠隔操作の力を本当に有して
いるのだとしたら、私の見ているところで、リアルタイムに実行してもらいた
いものだね。いや、君らの言い訳は想像が付くから、言わなくていい。大方、
能力を発揮するには集中を必要とするが、見られていると集中できないとか言
うんだろう。そういうのは聞き飽きた。まあ、君のような連中の立場も、分か
ってはいるが」
「……そこまで仰るのでしたら」
 黒田は顎に片手を当て、首を傾げながら、ゆっくりと喋った。
「難しいですけど、努力してみますよ。全てではないが、最後の瞬間に僕の力
を目の当たりにできるように。確約はできませんので、もしもそうならなかっ
たときは、ご容赦ください。勝敗にも無関係と言うことでお願いします」
 自称・魔法使いは、ぼんやりとした約束を土壇場になって持ち出してきた。
単なる見栄なのか、それともある程度の勝算があっての発言だろうか。
 とにもかくにも、勝負が始まる。
「最初に、そうですね、ぬいぐるみと鍵を調べてくださいますか。気の済むよ
うに」
 鍵の入ったバスケットとぬいぐるみを、左右の手で我々に渡してくる。私と
天田がそれらを受け取ると、黒田はさらに二本の鍵を渡してきた。二〇一号室
と二〇二号室の鍵だ。
「バスケットの鍵は、どれも別の鍵のようだな。キーホルダーも違う」
 天田が言った通り、形状は全てばらばらだった。長さからして異なる。似て
いる物もあるが、仮に二〇二号室と同じ鍵があったとしても、それ自体、この
二〇一号室に保管されるのだから、役立てようがあるまい。
「ぬいぐるみは、お手製のようね」
 女性らしい感想と言っていいのか、四方アナがぽつりと言った。私もぬいぐ
るみを手にとって、頭部や胴体をぎゅっぎゅっと押してみた。ウレタンか何か
が入っているのが分かる。他に固い物が仕込まれているような気配は全くない。
「終わりました? 終わったら、ぬいぐるみと二〇二号室の鍵を持って、隣に
移りましょう」
 黒田を先頭に、隣の二〇二号室に移動する。同じ間取り、同じ家具の部屋で
あるのは言うまでもない。
「ぬいぐるみは、ベッドの中央に置くとします。返してくれます?」
 甲を下にして右手を出してきた黒田に、私は持っていたぬいぐるみを渡そう
とした。ところが、天田から声が飛んだ。
「いや、置くのは標君がやるんだ。それでも問題ないだろう?」
 私は視線を天田から黒田に移した。黒田は目をしばたたかせたものの、ふっ
と表情を緩め、「いいですよ」と承諾した。
 私は黒田の前を通り過ぎ、ベッドの中央辺りにぬいぐるみを置いた。
「仰向けでいいかい?」
 黒田に確認を取ると、「どちら向きでもかまいません。でも、仰向けが絵に
なりますよね」と答えた。ナイフが刺さった状態を想像すると、確かにそうか
もしれない。
「では、皆さん、出てください。ああ、僕が最後だと怪しいですね。最初に出
ましょう」
 黒田はその言葉の通り、真っ先に二〇二号室をあとにした。渡井、私、四方
アナ、最後に天田の順で続く。
「鍵をする役も、僕はふさわしくないですね。天田探偵が決めてください」
 天田はほとんど間を置かず、自分の手で二〇二号室の鍵を掛けた。ドアノブ
をカチャカチャ言わせ、間違いなく施錠されたことを確かめる。
 それから再び二〇一号室に入る。黒田がバスケットを手に持ち、天田に二〇
二号室の鍵を置くように頼んだ。
「これでいいかな」
「ええ、充分です」
 黒田は左手の指先で、キーホルダーをちょんとつついて鍵の位置を少しだけ
直すと、バスケットをベッドの中央付近に、慎重な手つきで置いた。
「あとは部屋を出て、ここの鍵を掛けてください」
 私達は廊下に出た。天田が鍵を使って二〇一号室をロックする。最前と同様、
確実に施錠されたことを立会人を含めた全員でチェックした。
「さあ、これで完了です。僕は家に帰りますが、皆さんはどうぞこのホテルで
おくつろぎください。ありきたりですが、温泉やゲームの施設は整っています
し、近所にパワースポットの類や小さな博物館がありますし。ああ、食事は朝
夕ともバイキング方式で、お口に合うかどうか分かりませんが、ご容赦を」
 魔法使いの黒田は、旅行会社の引率かホテル関係者のような台詞を残し、紅
夢ホテルを立ち去った。

 このあと翌朝までの間に、特記するような物事はなかった。私と天田と四方
アナと渡井、四人で小旅行に来たような体で、のんびりくつろいだ。他にする
ことがなかったとも言える。
 もちろん、対決を忘れてはいない。気になって、時折、二〇一号室や二〇二
号室まで足を運び、ドアの前から様子を窺ったり、中の気配に聞き耳を立てて
みたりしたが、何ら変化はない模様だった。
「もし、黒田暗護が本物だとして、いかに成し遂げるつもりなんだろう……」
 眠る前に、私がそんな疑問を呟くと、同室の天田がいくらか呆れた口調で応
じた。
「標君、その言い方は矛盾を孕んでいるぞ。彼が本物の魔法使いなら、魔法を
使って不可思議な出来事を成し遂げるに決まっている」
「あ、ああ。そうでしたね」
「まあ、どうせ何らかのトリックだよ。手品的、詐術的な方法を用いるに違い
ない。ホテルを離れると聞いたときは、多少驚いたが、それとて、こっそり戻
ってまた出て行くことは、不可能ではあるまい」
 二〇一号室と二〇二号室を常時監視していない限り、その可能性はある。
「現時点で思い悩んでも仕方がない。明日の朝九時を楽しみに待とうじゃない
か。結果が出てから対策を立てよう」
 天田はそう言うと、部屋の明かりを消した。

 黒田暗護が次に我々の前に現れたのは、朝八時半だった。朝食のバイキング
を終えて、部屋に戻ろうかという頃合いだった。
「皆さん、快適に過ごされましたか?」
 昨日の続きをやっているかのような台詞で始める黒田。テレビ局の不介入を
条件に入れたのは、黒田当人が己の魔法使いらしくなさを認識しているからで
はないかと、妙に納得する。テレビ映えしないのは確実だ。
「ちょっと早いじゃないか、黒田さん。我々がチェックアウトの準備をしてい
る間に、何かするのではないかと勘繰りたくなってしまう」
 天田が嫌味混じりに告げる。すると黒田は、「いらぬ疑いを招くということ
ですか」と答える。
「お疑いでしたら、今すぐ、結果を見てもよいですよ」
「何だって?」
 また驚かされた。時々、この魔法使いらしくない自称・魔法使いには驚かさ
れる。
「二〇二号室に行き、鍵を開けてもらって、中から二〇一号室の鍵を取る。そ
れから二〇二号室に行って、ぬいぐるみがどうなったのか、見てみるとしまし
ょうか」
「……分かった。多忙だから早くしてくれといった手前もあるし、そうすると
しよう」
 天田は同意し、立会人らにも異存はなかった。早速、食堂から二階に向かう。
 二〇一号室の前に辿り着くと、黒田はドアのすぐ横に立ち、天田に鍵を使っ
て開けるよう、促した。
 天田はジャケットの懐から、ゆっくりと鍵を取り出した。意識してスローモ
ーな動作に努めたのが分かるくらい、ゆっくりと。
 鍵穴に鍵を差し込む前に、施錠状態を改めて確認する。変わらず、鍵は掛か
っていた。
「では、開けます」
 天田は立会人らに向けて言った。渡井は鷹揚に無言で首を縦に振り、四方ア
ナは「どうぞ」と小声で応じた。
 かちゃりと音がして、解錠された。ノブを回し、天田がドアを開ける。ドア
とドア枠とが作る隙間が、段々と広がっていく。
 ――その瞬間、私は、私達は目撃した。
「か、鍵が」
 鍵が宙に浮いていた。
 それは一瞬で、次の刹那にはバスケットの中へと落下。ちりんという金属音
が短く響いた。
 天田がダッシュで室内に飛び込んだ。バスケットに手を伸ばし、たくさんの
鍵の中から、目的の物を見付ける。ホルダーに刻まれた数字は、202。
「くそ」
 吐き捨て、とって返す天田。目指す先は、隣室だ。
 私達が驚愕している間、黒田はずっと廊下から中を覗くのみだった。部屋を
飛び出す天田を、身体を開いて通してやる余裕さえある。
 天田は黙したまま、新たに手にした鍵を、二〇二号室のドアの鍵穴に入れた。
回す前に、施錠の確認は怠らない。黒田はさっきと同じように、ドアのすぐ横、
壁に身を預けるようにして立った。
 ドアが開かれる。黒田を除く四人が、雪崩れ込んだ。ベッドの中央、ぬいぐ
るみに視線が集中する。
「――ナイフだ」
 赤いおもちゃのナイフは、擬人化した猫のぬいぐるみの上にあった。刺さっ
てはいなかった。
「すみません」
 後ろから、黒田の謝る声が届く。振り返った私達に、彼は続けてこう言った。
「情が湧いて、刺すことはできませんでした。そのぬいぐるみに、僕は何の恨
みもありませんので」

 一ヶ月後、天田才蔵は敗北を認めた。名探偵が白旗を掲げたのである。


 さらに三ヶ月後のことだった。
 一人の若いマジシャンが、テレビのショーで華麗に初お目見えした。
 名前はANGOとなっていたが、黒田暗護に違いなかった。そのキャッチフ
レーズには、「かの名探偵・天田才蔵すら騙された」という文言が含まれてい
た。

――終わり
※種はタイトルを検索すれば分かるかも




#437/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/05/31  22:29  (414)
堀馬頭写楽の選択   永山
★内容                                         18/07/11 22:23 修正 第3版
「あなたが主張するこのアリバイですが」
 堀馬頭写楽(ほりめずしゃらく)の目配せに応じ、私はボイスレコーダーの
再生ボタンに触れた。一時、上沼作彌(かみぬまさくや)殺しの最有力容疑者
と目された小茂田繁(おもだしげる)の声が、スピーカーから聞こえてきた。
 二〇一四年十月末、犯行推定時刻の午後八時過ぎに、小茂田がJR東日本の
U駅から友人の倉下(くらした)宅の固定電話に掛けてきた通話だ。倉下が留
守だったため、留守番電話に録音されたものである。音声は小茂田のものだけ
でなく、BGMのように駅構内のアナウンス音も含まれていた。男性の声で、
ホームの番線と発時刻、行き先を告げている。
 捜査開始当初、警察は小茂田の主張の裏付けを取るため、U駅周辺での聞き
込み及び駅構内と周辺に設置された事故防止・防犯カメラの映像チェックに人
員を割いた。だが、結果は小茂田にとって芳しくないものに終わり、警察は疑
いを強めた。窮した小茂田が思い出したのが、倉下宅への電話だった。
「十月三十一日の午後八時三分頃、携帯電話のアドレス帳から、自宅を選ぶつ
もりが間違えて、倉下さんの自宅に掛けてしまった。それに気付かず、もうす
ぐ帰る旨を吹き込んだ、と。間違いありませんね?」
「ああ。最初っからそう主張してる。事実なんだから」
 やや粗暴な口ぶりで答えた小茂田。初対面時の無精髭がなくなり、こざっぱ
りしているが、内面は変わっていないようだ。あるいは、容疑が晴れた(とさ
れる)今でも、我々探偵や警察に対する敵意は燻ったままなのかもしれない。
「その後、倉下さんは十月二十八日から旅行中だったこと、しかも十月二十九
日の時点で、旅先の千葉において事故死したことが確認される訳ですが――」
 堀馬頭は“事故死”に強いアクセントを置いた。倉下が行方知れずだった間、
小茂田のアリバイを確認できないでいた。
「――その件について、小茂田さん、あなたのアリバイをお聞かせください」
「な、何だ? 今度は倉下を殺した疑いを掛けようってのか」
「ええ」
 顔色を変えた小茂田に、堀馬頭はあっさり言い放ち、顔色をさらに変えさせ
た。
「どういうつもりだ? 一度だけでは飽き足らず、二度も――」
「倉下さんが十月二十八日から自宅を不在にしていたとなると、留守番電話の
録音を部外者が改竄し得たことになる。もしかすると、倉下さんを殺害して鍵
のスペアを作り、家に侵入したのかもしれない。その可能性を潰すために、あ
なたのアリバイを聞きたいのですよ」
「ないさ、そんなもん。何時頃に倉下の奴が亡くなったのか知らないが、平日
だろ? 俺は資金集めに走り回っていただろうさ。夜なら、ひょっとしたら誰
かと一緒だったかもしれないが」
 小茂田は投資ファンドの関連会社に勤めている。特定の事業のために出資者
を募るのが役目だという。
「アリバイがないだけでは、犯人であるとも犯人でないともどっちつかずで、
断定できまい?」
「無論です。そこで、次にお尋ねしたいのはが、録音された内容です。この背
景音として聞こえる駅のアナウンスですが、警察の方で詳細に分析してもらっ
た結果、面白い事実が分かりましたよ」
「そんなもの、あるはずがない。あれは正真正銘、U駅のプラットフォームか
ら掛けたんだからな。前もって録音したとか、別の駅とかではないんだから、
見分けようがない。そうだろ?」
「確かに、U駅からの電話なのは間違いないんでしょう。ただ、先程も明言し
たように、アナウンスがね。あなたの主張を信じるなら、ちょっとあり得ない
状況を呈している」
「……はっきり言ってくれ」
 不安の影が差したか、小茂田には若干怯む様子が窺えた。堀馬頭は手元にメ
モ用紙を構え、ちらと一瞥をくれてから話を再開した。
「私も今回、初めて知ったので、自慢にはなりませんが……JR東日本ではこ
の十一月から、男声の――男の声のアナウンスを順次、新しくしていってるん
だそうです。えー、T田という方からT中という方に、バトンタッチされてい
る。U駅でも切り替えが行われているが、T中氏の声が流れるのは、十一月一
日以降の話。あなたのアリバイを支えるこの電話は、十月三十一日にかけたも
のですから、聞こえる男のアナウンスは全てT田氏の声のはず。ところが実際
には、T中氏の声だと判明したのです。ねえ、面白くもおかしな話じゃありま
せんか?」
 矛盾を指摘された小茂田は、返事に窮し、そのまま沈黙してしまった。アリ
バイがないだけで犯人か否かを断じるのは早急だが、嘘のアリバイを申し立て
ていたとなると、些か事情が変わってくる。小茂田自身もよく承知しているら
しく、最早、彼の口から反論は出て来なかった。
「さて、次の事件に向かおう」
 あとのことを地元警察に任せ、堀馬頭は私とともにタクシーに乗り込んだ。
「全体で、事件はあといくつ残っている? それと残り時間は?」
「事件は三十五。ちょうど半分ですねえ。残り時間はおよそ四日と十三時間四
十二分といったところ」
 私が即答すると、堀馬頭は顔色や表情を一切変えずに、「このペースなら」
とだけ呟いた。

 現在、二つの“軍”が戦闘状態にあった。
 名探偵軍と魔法使い軍が、世界の命運を賭けて。
 五週間前、我々魔法使い軍は、世界に向けて宣戦布告をした。世界の命運を
賭けた戦いを一ヶ月後に始めると。
 戦いと言っても武力や魔力を用いるものではない。そんな物の使用を認めて
戦えば、勝利してもその後の世界には何の魅力もなくなるだろう。
 我々が用意したのは、知力・推理力の戦い。より噛み砕いて表現するなら、
事件解決能力の勝負である。選抜された七人の名探偵が人類を代表し(この言
い回しは不正確だ。我々魔法使いも人類の一部を形成しているのだから。厳密
な表現を用いると、「魔法使い以外の人類を代表する」となる。だが、いちい
ちそう表記していては煩雑となるので、以下、便宜的に魔法使い以外の人間を
「人類」とする)、我々魔法使い軍と事件解決能力を競う。十日の期限内に、
七十の事件を七人の名探偵で解き明かすことができたら、魔法使い軍は撤退し、
以後、世界に魔法で影響を及ぼす行為は慎む。逆に一つでも未解明の事件が残
ったのであれば、そのときは魔法使いが世界を支配する。
 解決すべき事件の数やレベル等は、我々の側で決定した。手順は次の通りだ。
 まず、七人の魔法使いが十日間でどれほどの凶悪事件を解決できるかを、事
前に検証した。人間社会で起きている、あるいは過去に起きた犯罪を対象に、
実際に取り組んでみた結果、我々は七十の事件を解決に至らしめた。人類代表
がこれと同数をクリアできたなら、我々は負けを認める。七十を上回らなくて
よいとしよう。一ヶ月の猶予を与えるとは言え、こちらが不意打ちし、さらに
は条件を飲まなければ魔法で世界を混乱に陥れると圧力を掛けたのだから、こ
の程度の譲歩は当然と言えよう。
 なお、我々が求めるレベルの事件が、都合よく発生するとは限らない。その
ため、いくつかの犯罪に関しては、我々が魔法により数名の人類を操り、意図
的に起こした。無論、それらの事件に関わった者達が刑罰を受けることのない
よう、事後の配慮には万全を尽くす。
「銛当(もりあて)君。君は、私以外の探偵の動向も把握できているのかい?」
 私の名は銛当善二(ぜんじ)という。七人の魔法使い代表の一人で、この戦
いの間、人類代表の一人である堀馬頭に立ち会うことになっている。睡眠時や
風呂、トイレといった生理的な用足しを除き、可能な限り行動を共にし、彼が
事件に適切に取り組めるようナビゲートする。また、解決ぶりを判定し、見届
けるのも役目だ。
「あなた以外の探偵達が現時点までにどんな事件を解決したのか、また現在ど
んな事件に取り組んでるのか程度であれば、把握している」
「各自が何件解いたのかを知りたいんだが、だめだろうか。今後の見通しを立
てる参考に」
「よろしいでしょう。これまでに六件解決したのが、堀馬頭さんの他にエドガ
ー・ランボー氏、ヘラクレス・ペロー氏の合計三名。ヒラリー・タロット氏と
江成訓氏は五件、金田はじめ(かねだはじめ)氏は三件、古間美鈴(ふるまみ
すず)氏が四件となっています」
「金田君が出遅れているのは、孤島で起きた連続殺人を受け持ったからだな。
移動だけで時間を食う。古間女史も車椅子生活の上、ご高齢故、短い距離の移
動に苦労されていると見える。――魔法使いの銛当君。君達の力なら、空間を
ものともせず、一瞬で移動することも可能なんだろう?」
「無論。簡単ではありませんし、全員ができる訳でもありませんがね。多いの
は、直に飛んでいく方ですよ」
「まあ聞いてくれたまえ。一つの事件を解決してから次の現場へ向かう間は、
何ら推理を組み立てられない。言うなれば、無駄な時間帯だ。これは、事件解
決能力を競う戦いにおいて、著しいハンデだと思う。魔法の力で瞬間移動して
もらうことを求めたい」
「さあて、どうでしょう?」
 私は相手の論理展開をなかなか面白いと受け取った。腕を組み、真面目に考
えてみようじゃないか。
「堀馬頭さんの今の話は、確かに理屈です。でも、その能力差こそが、我々と
あなた方との違いですしね。そもそも、私の一存で決められる事柄じゃありま
せん。持ち帰って検討したいのですが、よろしいですか」
「是非。しかし、持ち帰るとは、この私のお目付役を離れることに?」
「そのような必要はありません」
 スーツの内ポケットから手帳を取り出し、一枚破り取った私は要件を書き付
けた。それを四つ折りにし、両手のひらで挟むと短い呪文を唱えた。次に手を
離し、紙を開いてみると、文字が消えて白紙に戻っていた。成功だ。これで要
件は関係者に伝わる。
「返事には、最大で半日程度を要するかもしれませんが、気長にお待ちを」
「やむを得まい。なるべく早い返事を願うよ。いや、色よい返事か」
 タクシーは最寄り駅に到着した。このあと、一度乗り換えを挟んで、空港に
向かう。そこからまたタクシーで移動の予定だ。なるほど、魔法使いの身では
ほとんど意識しなかったが、移動には時間が掛かるものだ。

 堀馬頭写楽が取り組む七つめの事件は、タクシー殺人だった。
「一見、タクシー強盗がエスカレートして殺人に発展したように思える」
 堀馬頭は車内の惨状を子細に検分し、車内を録画した防犯カメラの映像を確
認した後、慎重な物腰で語り始めた。
 被害者の所有物であり、殺人現場でもある個人タクシーは、過剰なほどに血
にまみれていた。わざと血をばらまいたとさえ思えて、偽装工作を疑いたくな
るのが普通だろう。加えて、血しぶきのおかげで、防犯カメラが犯行途中から
役立たずになっていた。
 一方で、運転席で頸動脈を切られ、絶命したのは、この車の運転手・金戸恭
悟(かねときょうご)で間違いない。遺体の顔は酸で焼かれていたため、外見
では判別が難しかったものの、DNA検査で確定している。
 と、捜査員の立場から綴ってみたが、魔法使い側の私はすでに、この事件の
答を知っている。シンプルな考え方と、運命にも似た偶然の巡り合わせを想像
できれば、謎はあっさり解ける。
 堀馬頭は「だが」と続けた。
「強盗目的なら、金銭に手付かずなのはおかしい。予定外の殺人に動揺し、金
を取らずに逃げた可能性もゼロとはしないが、ドアが閉めてあった点や日誌の
新しい数ページが破り取られていた点を考慮すると、犯人は冷静に振る舞って
いると見なすべき。犯人は最初から明確な殺意を持って、凶行に臨んでいる。
しかし、気になるのは……」
 彼は立ち会いの警官に合図を送った。魔法使い軍と名探偵軍の対決の間、各
地の警察は名探偵に協力する取り決めがなされている。
 合図を受け取った警官は、少し型の旧いノートパソコンを操作し、防犯カメ
ラ映像を再生した。レンズが血で覆われる直前から始まる。
「この場面だが、血の飛び具合があまりにもできすぎていやしないか。後部座
席にいる者が運転席の金戸さんを鋭利な刃物で襲ったとして、こうもうまく血
が付着するものだろうか。犯人が被害者の血を手に付け、レンズに直接塗った
のならともかく。これを疑問に感じた私は、より詳細な解析を警察にお願いし
た。すると、この血は運転席の方向からではなく、ほぼ真横から飛んできたこ
とが分かった。レンズの左側、つまり運転席のハンドル辺りになる。これは何
を意味するのか。運転手は最初に手か指を切られたのか? だが、検死報告に
そのような記載はない。映像にもそんな様子はなかった。そうなると、他に考
えられるのは……たとえば、極小さな容器に前もって血を仕込んでおき、角度
を見定めてレンズに血を飛ばしたのではないか」
「どういうことですか、それは」
 聞き役は地元の警察署長が務める。
 今回の推理開陳は、容疑者や事件関係者を集めた場ではなく、タクシーを保
管する施設で、捜査関係者を前に行っている。だからといって、捜査に直接携
わる警官達が民間の探偵に問い掛けては、沽券に関わるのだろう。
「運転席に座る人物が、スポイトか何かで金戸さんの血を、レンズに吹き付け
たんでしょう。現場の血痕から抗凝固薬が検出されたとの報告は見当たりませ
んから、血液は体内から抜かれてからさほど時間が経っていない。また、防犯
カメラ映像では運転席の人物は一貫して金戸さんです。総合的に考えると、金
戸さんがタクシーに乗り込む寸前に、あるいは乗り込んだあと防犯カメラに映
らない位置で自らの血液を必要分採取し、機会を見計らってレンズに飛ばした
のではないかと想像されます」
「ということは、もしや、金戸氏の狂言? しかし、死体が一つ出ている。狂
言だけでは済まない。しかも、DNAが一致してるのだから、死んだのは金戸
氏に間違いない訳で……ああ、もしや双子ですか?」
「何人兄弟かはともかく、複数の人間のDNAが一致するとしたら、それくら
いでしょう」
「被害者――金戸恭悟に双子がいたとの情報は、どこからも上がっちゃいませ
んが」
 黙っていられなかったか、刑事の一人が声を上げた。
「それはそのつもりで調べなかったからではありませんか? 養子に出される
などして、双子の片割れが家族構成に含まれないケースはあり得る。遺体が金
戸恭悟氏かどうかは、指紋を調べれば分かるはずだが、酸のせいで指紋も溶け
ていたんでしょう。酸は顔目がけて掛けられた様相を呈していたが、実は指紋
を焼くことが本当の目的だったんじゃないでしょうか。警察は、指紋が判別不
可能なほどに死体の指がダメージを負っていても、顔に掛けられた酸を両手で
払おうとした結果だと判断する、犯人はそう踏んだんです」
 堀馬頭の説明、さらには署長からの目配せにより、捜査員は調査・照会に走
った。
 私は心の中で、堀馬頭の勝利を認めた。このあと、証拠固めには時間が掛か
るだろうが、遠からず死体の正確な身元は分かるに違いない。指紋を焼いても、
皮膚の下の血管全てが消えた訳ではないのだから、指紋模様の再構築は可能の
はず。そうすれば、殺されたのは金戸恭悟ではなく、双子の弟である新貝廣務
(しんがいひろむ)と鑑定されよう。犯人たる金戸の身柄拘束に手間取るかも
しれないが、それは堀馬頭の探偵能力とは関係ない。今回の件で、堀馬頭写楽
が可能な限り迅速に行動したことは、私が請け合おう。

 勝負を始めてから、八日と半日がすでに過ぎた。堀馬頭写楽を含む名探偵達
は、事件を解決し続けている。
「次へ行こうか」
 堀馬頭の気力は衰えていない。しかし、体力の方はどうだろうか。この九日
足らずの間、ほとんど眠っていない。次の場所へは、時間帯の兼ね合いで、適
切な移動手段がない。今はとにかく夜の道を歩くだけである。市街地と逆方向
の、小高い丘を目指している。堀馬頭にはヘリコプターをチャーターしたと説
明してあるが、実際は違う。
「少し休むといいですよ」
「魔法使いが悪魔の囁きかね」
「いいえ、とんでもない。あなたの身体を心配して行ってるんです。それにね、
次は休めるんですよ。寝台列車が舞台になるのですから」
「……舞台に“なる”だって?」
「はい。これから事件が起きるんです。あ、食い止めようなんて思わないこと
です。殺人は絶対に起きますから。仮に、現時点で我々の側が犯人として予定
している人物を、あなたが看破し、殺人発生を防いだとしても、犯人の役が別
の誰かに移るだけです」
「そうか、対決前に言及したのは、このようなケースを指していたんだな?」
「その通り。我々の思う通りにアレンジした殺人事件の謎を、たっぷりと堪能
していただきます」
「……どうせ信じるしかないから聞かないつもりでいようと思ったが、気が変
わった。改めて問おう。事件に関わる人達の安全は保証できるんだろうな? 
事件に関わる前と関わったあととで寸分の違いもなく、平穏な暮らしが送れる
と」
「ええ。ただし、平穏な暮らしかどうかは、補償しません。何故って、その人
物の元々の暮らしが平穏でなかったとしても、我々の責任ではありませんから」
「くだらん理屈はいい。我々が万が一にも事件を解けなくても、当該人物らの
命から生活から、とにかく何から何まで、元のままになるんだな?」
「はい、魔法の力を持ってすれば、可能です。被害者役を割り振られた者も、
生き返らせてみせます。我々魔法使い側の用意した、ゲーム空間のような世界
だと捉えていただくのが、最も近いかと」
「それならいい」
 堀馬頭写楽はようやく安心したのか、唇の端に分かりにくい微笑を浮かべた。
 ちょうどそのタイミングで、我々の用意しておいた“扉”が開くのが分かっ
た。最前より向かっている丘の頂が、白い光を丸く放ち始めていた。
「面倒な説明は抜きにしますよ、堀馬頭さん。あそこには扉が出現している。
その扉をくぐれば、先程述べたゲーム空間に踏み入れることになります。ゲー
ム終了まで引き返せません」
 私の声に対する堀馬頭の反応は、さすがに何秒か遅れた。名探偵でも、目の
前で繰り広げられる非現実的な現象を受け入れるのに、多少の時間を要すると
みえる。
 が、受け入れたあとは早かった。
「引き返せないとは、こういうことか。寝台列車の事件に手を焼きそうだから、
他の事件を先に片付けるといった真似はできないと」
「そうです。けれども、安心してください。残りの事件は全てあのゲーム空間
で起こります」
「何だって?」
「寝台列車が舞台になると言いましたが、それは皮切りに過ぎません。目的の
駅に到着後、あるホテルに入る段取りになっています。それまでに、他の名探
偵各位も相前後して、列車に乗り込んでくることになるでしょう。では、参り
ましょうか」
「待て。いや、待たなくてもいいが、私以外の探偵も順調に事件を解決してい
るんだな? 残る事件はいくつだ? そちらの用意した空間で、事件はいくつ
起きる?」
 走りながら質問してくる堀馬頭。その息に乱れがないのは、日頃から身体を
鍛えている証か。
「七つです」

           *           *

 終点まで間もなくとなった。
 列車の終点ではなく、名探偵軍と魔法使い軍との戦いの終点が見えてきた。
タイムアップまで三時間を切ったところである。
「残るはあなた一人になりました」
 堀馬頭写楽にその声は届いていないかのようだった。反応を見せず、テーブ
ル一杯に広げた手掛かりのメモを見下ろしている。眼球が細かく動いてるのは、
手掛かりを次々と再検討しているのかもしれない。
 口元も忙しなく動いている。独り言で推理を組み立てては崩し、組み立てて
は崩しを繰り返しているらしい。
 と、不意に堀馬頭が面を起こし、我々七名の魔法使いを見据えてきた。横一
列に並んで立っていた我々は、何事かと思わず顔を見合わせる。
「銛当君」
「何でしょう?」
 堀馬頭に呼ばれ、私は一歩前に出た。
「この空間に足を踏み入れる直前に、私は君にまとめて質問をぶつけた」
「ええ、覚えていますとも。それが何か」
「あのときの君の返答は『七つです』だった。この答は、どの質問に対しての
ものだったんだ? 正確に知りたい」
「あの答は……確か、あなたの三つ目の質問に答えたものですよ。このゲーム
空間で、七つの事件が起きるとお教えしたのです」
「なるほど。七つの事件とは七つの殺人と考えてよいのかね」
 少し余裕を取り戻したのか、問い掛けの言葉にも余裕が滲み始めた。
「はい、その通りで」
「これまでに、このゲーム空間で起きた殺人は六つだね?」
「そうなりますね」
 そう、確かに六名の死者を出している。亡くなったのは、名探偵達。金田は
じめ、古間美鈴、ヒラリー・タロット、江成訓、ヘラクレス・ペロー、エドガ
ー・ランボーと順番に死を迎えた。残るは堀馬頭写楽唯一人。
「念のために聞こう。六つの死に、仮に自殺や事故死が含まれていたとしても、
殺人事件として認識されたからには、殺人としてカウントするんだね?」
「――その辺りは何とも……」
 六探偵以外にも、二人の“自殺者”が出ている。一人は、金田はじめ殺しを
悔いて自殺したという体を取って、首を吊った財津満夫(ざいつみつお)。こ
のフェイクに引っ掛かったのが古間美鈴で、財津を金田はじめ殺しの犯人だと
我々に宣言したが、当然、誤りと判定され、その後の“解答権”を失った。も
う一人の自殺者は鏑木勝帝(かぶらぎしょうてい)といい、四人の名探偵を殺
した罪の意識に耐えかねて飛び降り自殺を図った、というシナリオに沿って死
んだ。ヘラクレス・ペローがこのシナリオに乗り――恐らくは敢えて乗ったの
だろうが――、結果、“解答権”を失った。
「返答に窮するからには、真相解明の鍵となる質問だったということかな」
 堀馬頭はいよいよ勢いを取り戻したようだ。ソファに深く座り直した。
「さっきから気になっていたのだが、君達は私を脅すような言動をしてくれた
ね。『七人目の犠牲者が出てからでは遅いんじゃありませんか』とか、『名探
偵軍全滅も近い』とか。これは、七つ目の事件の犠牲者が堀馬頭であると、私
に思い込ませようとしたんじゃないかと感じ始めた」
「……」
「だが、ゲームとして考えれば、それはおかしな話だ。七つの事件が起きると
予告しておきながら、六つの事件が起きた段階で答を求めている」
「それは――名探偵なら事件が全て終わるまでに、真相を見抜いてもおかしく
ないでしょうから」
「苦し紛れの言い訳だな。七つの事件が成し遂げられた段階で、名探偵が誰も
残っていないのなら、勝負の形をなさないじゃないか」
「……」
「さらに言うと、財津さんと鏑木さんの“自殺”が、我ら探偵を引っ掛けるた
めの死なら、これらは自殺ではなく、殺人だろう。すると、現時点でもう八つ
の殺人があったことになってしまう。七つといった銛当君の答に反する。
 この矛盾を解消するには、こう考えればいいんじゃないか。自殺は――見せ
掛けの自殺ではなく、本当の自殺は――七つの殺人に含めない。もっと厳密に
言うと、殺人は殺人でしかない。そういう認識に立ち、改めて事件を見直すと、
自ずと仮説ができあがるんだよ。死亡した名探偵六人の内、一人は殺されては
いない。自殺したか、死んだふりをしたか、そのどちらかだろう」
「なかなか……見事な推理です」
 私は軍を代表する形で認めた。堀馬頭は聞き流した風に、先を続ける。
「この内、自殺はあるまい。人類の、世界の命運を背負って戦っている身で、
名探偵と目されるほどの人物が自ら死を選ぶ訳がない。私なら絶対にない。よ
って、可能性は死んだふりに絞られる。殺されたように見せ掛けて実は生きて
いたとするなら、それが可能なのは誰か。金田君ではない。彼は首を切り落と
されて死んだ。私も直に調べたので、彼の死は間違いのない事実だ。古間女史
も同様だ。足の不自由な彼女には到底行けない、ホテルの屋上から突き落とさ
れ、亡くなったのを確認している」
 堀馬頭写楽は、このあとも一人ずつ、可能性を潰していった。最後に残った
のは、エドガー・ランボーだった。
「ランボー氏だけは、他の犠牲者とは些か様相を異にする。ばらばら遺体は炎
に包まれ、炭化していた。身元確認はまだできていない。それどころか、あの
燃え残った肉体の一部は、人間の物であるかどうかでさえ、分かっていない。
科学捜査が行われればはっきりするが、タイムアップに間に合いそうにない。
その辺りも、狡猾な作戦だったと思えるんだよ。
 さあ、こうなってくると、ランボー氏を疑わぬ訳にはいかない。エドガー・
ランボーこそが、このゲーム空間での殺人者だったのではないか。そう考えれ
ば、名探偵が次から次へと、実に簡単に殺害されたのも納得がいく。仲間にや
られるとは、つゆとも思っていなかったんだ。ランボーは世界的な名探偵なん
だから、尚更さ。ランボーが端から魔法使い側に通じていたのか、あるいはこ
のゲーム空間でのみ操られていたのかは分からないが、彼が五人の名探偵と二
人の一般人を殺害した犯人ではないか――今の私は、そんな恐ろしい想像に取
り憑かれている」
「――」
 私は息を深く吸い込み、ゆっくりとはき出した。それからおもむろに問う。
「時間切れまで二時間ほどありますが、それが名探偵掘馬頭写楽からの解答と
見なして、よろしいんでしょうか」
「それはむろ……」
 返事を言い切る寸前で、堀馬頭は口をつぐんだ。
「改めて問われると、慎重にならざるを得ない。隠れているエドガー・ランボ
ー氏を見つけ出して、万全を期したい気持ちはある」
「どうぞご自由に。このホテルと言わず、空間内ならどこへでも自由にお探し
に行ってくださって結構です」
「……違うのか。違うんだな?」
 堀馬頭は鋭い口調で聞いてきた。私はつい、硬直してしまった。口調と同じ
く鋭い眼光に、射貫かれたような心地になる。
「やけに急かせるじゃないか。ということは、私が今し方口にした仮説は、間
違いなのか。私を敗北させようと、間違った答を、いかにも正解を言い当てら
れたみたいに振る舞っているのか?」
「そんな質問には、答えられません」
「分かっている。だが、他に辻褄の合う仮説なんて、存在するのか……」
 すっくと立ち上がると、テーブルを見下ろす最後の名探偵。その眼球や口元
は、再び忙しく動き出した。
「そうか!」
 程なくして、彼は叫んだ。七人の魔法使いが注目する。
「間違っていると言っても、ほんの些細な数点なんじゃないか? ……だが、
この論理展開では、犯人候補が増えてしまう。まあよい。話している内に、絞
り込めるかもしれない。おい、魔法使い達! これから推理を喋るが、それを
私からの最終回答だと勝手に受け取るな。いいな!」
 我々は黙って首を縦に振った。他の六人はどうか知らないが、私は内心、早
くなる鼓動に気分が悪くなっていた。これでもしも堀馬頭が真相を見抜いたな
ら、その敗北の責任は、不用意な口をきいた私にあることになる!?
「犯人は恐らく、リセットされることを利用したんじゃないか。そう、リセッ
トだ。このゲームが終われば、たとえ敗北したとしても、生活自体は元通りに
送ることができる。言い換えれば、死を選んでも、生き返れるんだ。この選択
肢を活用するなら、わざと殺されるということが可能になる。それは実質的に
自殺と同等かもしれないが、殺人としてカウントされるんだろう。だがこの考
え方を通すには、六人の探偵の内の誰か一人が、魔法使い軍の用意した筋書き
とは関係なしに、自殺したか、死んだふりをして身を隠したか、あるいは事故
死したことになる。そうでなければ数の整合性が崩れる。それは誰だ? 自殺
なら、名探偵にとって自ら死を選ぶことは、恥ずべき行為だろう。他殺を装っ
た自殺を選ぶに違いない。いや、しかし、さらに裏を掻くことも考慮せねばな
らない。何しろ、名探偵同士で騙し合うようなものなのだから。そもそも、先
程の仮説で犯人と見なしたエドガー・ランボー氏を、リセット説を採ったから
といって除外できまい。――畜生、時間が足りるだろうか?」
 時計を一瞥して、堀馬頭は叫ぶような声で続けている。
 私も時計を見て、じりじりとしていた。時よ、早く過ぎてくれと願う。
 堀馬頭の推理がまた耳に入ってくる。
「たとえば、五番目に死んだヘラクレス・ペローが、実は殺人犯だったとしよ
う。その次に死ぬことになるランボーは、ペローが犯人ではないかと疑い、一
人で確かめようとした。ペローと二人きりで対峙した際に、争いとなって、ラ
ンボーがペローを死なせてしまったんだとしたら? 世界的な名探偵であるラ
ンボーは、人の命を奪ってしまったことに耐えられず、自殺という道を選んだ
のかもしれない……」
 私は思わず息を飲んだ。これはほぼ正解だ。
 魔法使いでも最後には、祈ることしかできない。
 最後の名探偵が、この推理を最終回答として選ぶことのないように!

――ゲームオーバー




#438/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/08/29  21:51  (491)
観察者たち   平野年男
★内容                                         16/01/07 17:46 修正 第2版
 台風が思いの外駆け足で通過したせいで、ここ数日は好天と悪天候がめまぐるしく入
れ替わった。お盆を迎えた夏休みを満喫するには、ちょっと計画を立てにくい天気だっ
た。
(この子は夏休みも何も、吹っ飛んじまったな)
 遺体の身元がやっと判明したというのに、刑事の吉野(よしの)は嘆息した。子供が
被害者というだけでも気が滅入るところへ、ここまで身元判明に時間を要したのは、親
の無関心が大きな理由だとなれば、ため息をつきたくもなる。
「名前は、盛川真麻(もりかわまあさ)。**中学の一年生で、母親の公恵(きみえ)
の話によると、四日前の昼過ぎに自宅アパートで顔を合わせたのが最後だと」
「四日前というと、八月十一日か」
 若い同僚からの報告に頷きながら、頭の中で計算する。死亡推定時刻が十三日の朝方
と出ているので、母親と最後に会ってからほぼ二日後となる。
「公恵はシングルマザーで、真麻と二人暮らし。職業は輸入雑貨店“ラアルカン”店
員。毎週火曜が定休日なので、十一日は朝から自宅にいたようなんですが、昼食のあ
と、子供を置いて出掛けています。まず銀行に行き、元旦那からの養育費が振り込まれ
ていることを確認。ついでにいくらか下ろして、街のショッピングセンターへ」
「その辺はとりあえずいい、後回しだ。何で子供を置いていったんだ? 夏休みなんだか
ら、遊びに連れて行ってやってもいいだろうに」
「一応、気になって聞いたんですが、十三日からお盆休みに入るので、そのとき遊んで
やるつもりだったとか。どこまで当てになるか分かりませんけどね。印象だけで言え
ば、正直言って、あの母親は感じよくないです。十一日は帰宅せず、今付き合っている
男とホテル泊まり。翌日はそのまま店に出て、やっと家に帰ったのが午後八時頃。娘の
姿が見えないのに、この時点では特に探そうともせず、心当たりに電話すら入れていな
い。十四日の夜遅くになって、ようやく探し始め、見付からないので届けを出したとい
うていたらくなんですから」
「放任主義だったのか?」
「本人はそんな表現は使わず、子供の自主性を尊重していたと言ってましたよ。普段か
ら真麻は夜出歩くことが多く、家にいなくても特別ではないから、届けが遅くなったと
も」
「いや、それはおかしな理屈だ。親なら、娘が普段、夜出歩くのをまず咎めるべきじゃ
ないか」
「その辺も突っ込んで聞いてみたところ、夜外出するとき真麻はいつも同じ友達と連ん
でいたようだから、今回もそうだと思い、安心しきっていたと」
「友達ったって、同じ年頃だろ? あ、いや、まさか、ネットで知り合った大人か?」
「いえ、普通に、クラスメートです。十四日夜、その子の家に電話を掛けたが、真麻が
来ていないと知って、慌てて警察に駆け込んだというのが経緯です」
「すでにお聞き及びの通り、新たな問題が浮上しておりまして」
 若いのと入れ替わりに、古株の刑事が新たな報告に立ち上がる。
「盛川公恵が電話した先は保志という家なんですが、ここの長男の保志朝郎(ほしとも
お)も行方不明であることが、同時に分かった次第で。何でも、朝郎君と真麻さんは幼馴
染みで、普段からよく一緒に遊び、行き来もする仲だった。保志家では朝郎君が盛川家
に、泊まり掛けで遊びに行っているものと思い込んでいたため、探さずにいた訳です」
「営利目的の誘拐の可能性は?」
「営利誘拐なら、四日経って音沙汰なしでいるとは考えにくいですが、可能性ゼロと
は、まだ言い切れないでしょうな。ま、女の子の方が遺体で見付かった現状で、男の子
の方の身代金を要求してくるようなら、そいつの神経の図太さはギャング並みですよ」
 ベテラン刑事自身は冗談のつもりだったかもしれないが、夜遅くの会議の場では誰一
人としてくすりともしない。
「あるとしたら、身代金狙いで浚ったが、途中でやめざるを得なくなったってケースで
すかね」
「想像はほどほどに」
「可能性をあげつらうなら、二人は別々の事件に巻き込まれた場合も想定すべきでは」
「だったら、、保志朝郎が盛川真麻を殺め、逃亡中って可能性も」
 イレギュラーな発言が俄に増えた。しかし、ベテラン刑事は落ち着いて応答した。
「可能性だけなら否定しきれんでしょうが、現実的にはどうなんでしょう。後者から論
じると、体格は朝郎君の方が小さい。中学一年生で、あんなとこまで遺体を運び込める
のか、怪しいもんだと個人的には思いますがね。頭部を切断されていたにせよ、重いこと
には変わりない」
 盛川真麻の遺体は、町外れの道路脇側溝で見つかっていた。蓋の下に押し込まれる形
ではあったが、絶対に見付からないことを期した隠し方ではない。盛川家や保志家のあ
る住宅街からの距離は、一山越えて四十五キロほどある。折からの猛暑で、側溝は乾き
切っており、血溜まりはおろか血痕すらもほとんど見当たらなかった事実から、殺害場
所は別にあると見なされた。
「二人がそれぞれ別個の事件に巻き込まれた可能性になると、もっと低い気がします。
何せ、二人は待ち合わせしており、その約束通りに会っていることが確かめられている
のだから」
 ここで報告者は、三人目の刑事に代わった。
「家族や友人の証言及び当事者のラインでのやり取りから、保志朝郎と盛川真麻が十一
日の夜八時に、**駅で待ち合わせをしていたことが分かっています。駅を中心とした
商店街の防犯カメラを当たり始めたところ、これまでに駅前のロータリーや商店街にい
る二人の姿を確認できています。詳しい行動はまだこれからですが、八時過ぎには一緒
に行動している、つまり落ち合ったばかりという訳です」
「駅までの足取りは?」
「駅までは両名とも自転車で来ていますが、その様子が映った映像はまだ押さえられて
いません。防犯カメラに映った二人は、それぞれ徒歩。自転車をどこかに駐輪したに違
いないんですが、その様子も今のところは見付かっていません。あと、保志朝郎の保護
者の証言では、家にある簡易テントがなくなっているとのことでした。元々、息子の物
で、よく持ち出していたそうですから、今回も持って行ったものと考えられます」
 保志朝郎の父親は新次郎(しんじろう)といって、弁護士をしている。母親は華耶
(かや)、小学校教師とのことだった。三人家族で、両親とも仕事に忙しいため、朝郎
にかまってやる暇があまりなかった。代わりに、欲しい物はたいてい買い与えてやった
といい、簡易テントもその一つだった。
「テントは普通の大人なら、二人はいれば狭苦しいが、子供なら余裕があるサイズと言え
ます。実際、保志朝郎は男の友達と二人で、このテントに入って一晩明かした経験があっ
たようです」
「今回、待ち合わせしていたのは、朝郎君と真麻さんの二人だけなんだろ? 一年生と
は言え、中学の男女が一緒のテントに入るのか?」
「二人がこれまでに簡易テントで一晩過ごしたことがあるかどうかは未確認ですが、聞
き込みできた範囲では、互いに異性として意識はしていなかったと、周りは見ていたよ
うです」
「その言い方だと、親御さんも気にしてなかったのか。分からんなあ」
「まあ、事情は些か違えど、両家とも同じ放任主義みたいなもんですから」
 報告する刑事の口ぶりが少し砕けたものになったとき、会議室のドアが無遠慮なまで
に勢いよく開けられた。中にいた者のほとんどが視線をやると、現れたのはこの捜査本
部が置かれた署の事務職員だった。
「か、会議中、失礼します。たった今、相談窓口の電話に、この事件の犯人だと称する、
恐らく男からの電話が入っています」
「何?」

 男はその自らの行為を観察と称していた。といっても、吹聴できるような行為ではな
いため、他人に対して説明したことはない。あくまで、自分の内での表現である。
 彼が観察する対象は、子供だった。それも、中学生に限られる。もちろん、外見だけ
では高校生や小学生と区別が付かない場合もあるが、それは結果論である。
 男は子供を男女の別なしにターゲットとした。中学生への愛情の深さ故、彼は観察を
行い、ときに対象に接触し、実力行使に出た。
 以前は、彼自身の生活圏を離れ、なるべく遠隔地で観察を行っていたが、忙しくなる
に伴い、近場で観察するようになった。それでも実力行使に至るのは、遠方の土地に限
られていたのだが、この八月に入り、とうとう自身のテリトリー内でやってしまった。
 このことが、彼を動揺させていた。加えて思惑が外れ、予定が狂い、彼はより一層、
動揺した。そして警察に電話を掛けるという行動に出たのだった。

「お電話代わりました。盛川真麻さん殺害の件に関して、重要な情報をお持ちとのこと
ですが?」
「あ、あなたの名前は? どういう立場の人?」
 変声期を通したと思しき高い声が、幾分おどおどした口調で問うてきた。
「私はこの事件の捜査に携わる刑事の一人で、吉野と言います」
「責任者か?」
「総指揮を執っている訳ではありませんが、責任の一端を担っています」
「そうか……」
 吉野は相手がトップを出せと言い出さない内にと、僅かな逡巡を捉えて質問を発し
た。
「ところであなたのお名前は? 何とお呼びすれば」
「名前は言えない。犯人と呼んでかまわない」
「いや、それはちょっと。本当に犯人なのか、見当しかねる訳でして。あなたがそうだ
とは言いませんが、世の中には虚偽の自白をして警察を混乱させようとする者もいます
ので」
「それなら、証拠を言う。確か、死んだ女の子は右手の甲に酷い傷を負っているはず
だ。これは発表されてないだろう? 何度か私が突き刺したんだ」
「――何を使って刺しました?」
 被害者の右手甲が、執拗に傷付けられていた事実は、まだ公にされていない。吉野は
緊張感を高めた。周りで電話のやり取りを聞いている面々も、同様だろう。
「ボールペンだったかシャープペンシルだったか、とにかくそのとき持っていたペンで
刺した」
 手の甲の傷からは、ボールペンのインクが検出されていた。“犯人”の言葉を裏付け
る物証だ。
「どうして刺したんですか」
「あの子が私の車のキーを奪おうとしたんだ。それをやめさせようとして刺した。でも
奪われた。私が取り返そうとしたら、キーを飲み込もうとした。それで殴りつけたら、
あの子は……恐らく、死んだ。キーを取り出そうと口の中に手を入れたが、できなかっ
た。喉の奥に引っ掛かっているのが見えた。仕方なしに、鋸を用意して、首のところか
ら切断したんだ」
 聞かれていないことまで一気に喋った“犯人”。吉野の背後では、キーを飲み込んだ
ことによる痕跡が喉などに残っていたかどうか、確認するよう指示が飛ぶ。
「どうして盛川さんはあなたの車の鍵を奪おうとしたのだろう?」
「私が彼を連れ去ろうとしたからだと思う」
「彼? 保志朝郎君か?」
「ああ、確かそんな名前だ。そうなんだ、彼のために電話したんだ。これからいう住所
の辺りに、すぐに行ってやって欲しい。――」
 “犯人”は場所を早口で捲し立てた。厳密な意味での住所番地ではなく、ある住宅地
の一角を占める森の中だった。
「ここに男の子がいる。遺憾だが、もう死んでいる。ただ、昨晩の台風で、あの一帯は
木が何本か倒れたとニュースで聞いた。もしかすると遺体がぐちゃぐちゃになったかも
しれない。あの子がそうなるのを放置するのは忍びない。早く回収して、弔ってあげて
欲しい」
 殺人犯にしては変なことを言う。吉野はいくらか怪訝さを抱きつつも、その要求を受
け入れる返事をした。それと同時に、逆探知が発信元を順調に絞り込めたことを、合図で
把握した。
 “犯人”の電話は携帯電話からなので、ある程度の限られた区域まで絞り込むと、あ
とは虱潰しに当たることになる。吉野は通話が切れないよう、時間稼ぎに努めた。
「保志君も死んでしまったのか。残念でならない。どういういきさつで死んだのか、話
してくれるか?」
 もう一人、少年が犠牲になっていたと知り、言葉遣いがやや荒くなる吉野。この変化
に気付いているのかどうか分からないが、“犯人”は被せ気味に聞いてきた。
「捜査員を向かわせてくれたんだろうな?」
「もちろんだ。到着したら、また知らせる。だから安心して、話を聞かせてもらいた
い」
「……私が最初に声を掛けたのは、男の子の方だった。一人でいた彼を誘い、車に乗せ
たとき、女の子がちょうど現れて……こんなことになってしまったんだ。男の子は私を
信じたが、女の子は違った。やがて怪しみ始め、あの子は私の車のキーを」
「それは、あなたが男の子を乗せたまま、発進しようとしたからか?」
「そう見えたのかもしれない。そんな危ない真似、実際にするつもりはなかった。ふり
をすれば、女の子はあきらめると思ったんだ」
 “犯人”の話には時間や場所の言及がなく、また些か観念的で、状況がいまいち把握
できなかった。そもそも、本来の質問である保志朝郎の死について、まだ何ら語ってい
ない。だが、現状、それでもかまわないと吉野ら刑事は捉えていた。捜査員達は、“犯
人”が指定した場所以外にも向かっている。
「キーを巡るくだりからして、先に死んだのは盛川真麻さんなんだな? そのあと、彼
女の遺体を側溝に隠して、それから?」
「男の子を車に乗せて、発進した。いや、違った。そう、刑事さん達は疑問に思ったは
ずだ。女の子を死なせてしまった間、男の子は何故騒いだり逃げたりしなかったのか
と。私はいざというときに備えて、縄跳びと睡眠薬を用意していた。幸い、縄跳びで拘
束して、タオルの猿ぐつわを噛ませると、男の子は大人しくなった。問題が起きたのは
そのあとだった。運転中の私はひとまず窮地を脱して気が緩んでいたんだろう、女の子
は死んだと口を滑らしてしまった。途端に、男の子は逃げようと暴れ出して、どうにか
する必要が生じた。車を停めて、宥めてみたが、無駄だった。それどころか、騒ぐ一方
だ。黙らせなければ、静かにさせなければと、あの子の口を両手で押さえつけた。それ
から……次に気付いたときには、もう彼は死んでいた。最初の目的は、全く達成不可能
になってしまった。私は少年少女を元の道へ引き戻すために、行動しているというのに
……。私はあの男の子の遺体を隠す必要を感じた。辺りを見渡すと、お誂え向きの林が
あった。車である程度入り込み、遺体を担いで運んで、草木で見えなくなるように置い
た」
 そこまで話した“犯人”は、不意に「あっ」と叫んだ。間髪入れずに、電話が切られ
る。捜査員が場所を特定したのかと思いきや、そんな報告は入ってこなかった。
 恐らく、逆探知のことを思い出した“犯人”が、急いで通話を打ち切り、電源を切っ
たと考えられる。
「すまん。もっと引き延ばしたかったんだが」
「今のは仕方がない。だいぶ絞り込めたしな。それよりも、これをどう見る?」
 逆探知に関わっていた同僚の一人が、吉野にコンピュータのディスプレイ画面を注視
しろとばかり、顎を横に振った。そこには携帯電話のとある基地局と、そのエリアがグ
ラフィック表示されていた。
「どの辺りだ?」
「住宅街と繁華街が半々といったところだな。被害者達の通う学校に、割と近い。気に
なるのは、ここだ」
 相手が指差したのはアパート。マンションと呼べるほどではないようだが、三階建て
の立派な代物らしい。
「ここに何名か、中学の関係者が入っている」
「関係者って教師か」
「ああ。資料によると五名いる」
「教師ね……。さっき“犯人”の奴が言っていた、子供に対する愛情云々も、教師の言
葉なら当てはまる」
「それに、もし他の職業の人間なら、子供を狙うのに早朝の繁華街や駅前に出向くもん
かね? 普通、そんな時間帯、そんな場所に小さな子供がいるとは考えまい。だが、こ
の事件の犯人は、狙い通りに子供を見付けた。確信があったんじゃないか? 教師な
ら、教室で生徒が遊びに行く相談するのを小耳に挟むことだってあるだろう」
「なるほどな。教師の立場からなら、夜遊びイコール不良と見なす傾向が強いだろう。
それをやめさせるために、出向いたのかもしれない」
 吉野らは頷き合った。ただし、全てを合点できた訳ではない。どこをどう間違えた
ら、殺人にまで発展するのかは、理解の範疇を超えていた。
「とりあえず、このアパートを重点的に調べていいんじゃないか。こうして声を録れた
んだし、声紋を比べるのもありだ。対象を、車を運転できる男に絞って」
 およそ二時間後、被害者らの通う中学校で国語教師を務める綿貫(わたぬき)という
男が、殺人容疑で逮捕された。部屋からは眼鏡や付けひげ、入れ歯など、変装に用いた
と思しき道具が多数発見された。

            *            *

「もちろん、存じ上げています。二年前の一時、大変に世間を騒がせた事件でしたか
ら」
 探偵の流次郎は、依頼人の問い掛けに如才なく答えた。
「中学生が二人とも他殺体で見付かるという結末は最悪でしたが、解決自体は比較的早
かった。そのせいでしょうか、じきに話題にならなくなりましたが」
「それでも、類似の事件が起きたり、区切りの日を迎えたりすると、瞬間的に話題にさ
れるのです。特に、マスコミの手によって」
 依頼人は忌々しげに言った。流は顎に右手をやり、理解を示す風に首肯した。
「教師が犯人だったというセンセーショナルさに加え、当事者は裁判を待つ間に自殺し
てしまった。結果、犯行の詳細はつまびらかにならず、犯人の動機にも理解しがたいも
のが残りましたからね。巷間の記憶の奥底に刻まれたのは、間違いない。それが今も、
何らかの問題になっているのですね?」
 察しを付けて流が聞くと、依頼人は胸を張るように視線を挙げ、「その通りなんで
す」と頷いた。依頼人の名は、緑山英達(みどりやまえいたつ)という。二年前の事件
で殺された盛川真麻、その母である公恵の別れた夫だ。
「私は不憫でならんのです。事件が思い出される度に、あらましがざっと語られること
が多いが、真麻と保志朝郎君に関してはほぼ間違いなく、夜中から早朝に掛けて遊び歩
いた中学一年生が、と説明される。そんな時間に子供だけで遊び歩いた二人にも落ち度
はあった、保護者の責任も問われる、などとはっきり指摘されたことだってある。そり
ゃあ、親には責任があるかもしれない。私がどうこう言える立場じゃないが、元妻は、
真麻の行動を全然掴めていなかった。子供の自主性を尊重するという名目で、放置した
も同然だ。だが、子供は違う。少なくとも、自業自得などと非難されていい訳がない」
「お気持ちは分かりました。それで、ご依頼とは?」
「親の欲目かもしれんが、真麻はしっかりした子でした。中学生のあの子はよく知らな
いが、公恵から聞いた限りでは、変わらずに育っていると思えた。朝郎君も同様だっ
た。少し気の弱いところはあったが、頭がよく、危ないことや悪いことをするようなタ
イプじゃない。そんな子達が、深夜に家を出て、夜明けまで街を遊び歩いていたとはと
ても信じられんのです」
「お子さん達の名誉回復、ということでしょうか」
 流が確認するかのように問うと、依頼人はしばし考え、やがて首を傾げた。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。事実を知りたい。真麻達が本当に夜遊びを
していたのなら、それは仕方がない。受け入れる。だがもし違うのだとしたら……今、
世間に広まっている『事実』をただすべきだ」
「私の記憶では、駅前や商店街の防犯カメラに映っていた真麻さん達の姿は、夜の九時
前までで、それ以降は確認できなかったんでしたね」
 二人は、コンビニエンスストアに寄っていた。若干のお菓子と飲み物、それに虫除け
スプレーを買い込んだあと、店の駐車場にしばらくいて、それから自転車に乗ってどこ
かに移動した。
「ああ、そうです。そのことも、真麻らが夜遊びしていたという話に疑いを抱いた根拠
の一つです」
「他にも根拠がおありで?」
「そうだな……事件よりも前の日にいくら遡っても、深夜の時間帯、防犯カメラにあの
子達は映っていなかったと聞いた。習慣的に夜遊びしていたのではないという証拠だ」
「ちょっと待ってください。確か、同じ年の春先、早朝の時間帯にカメラに映っていた
はずです」
 そのときも、同じコンビニエンスストアに現れていた。
「ああ、それは認める。だが、早朝の何が問題なんでしょう? 新聞配達の子が駆け回
っている時刻でした」
「なるほど。夜更かしではなく、朝早くに遊びに出たと」
「ええ。時季も、中学に入る前の春休みだ。特に悪いことだとは思えない」
「ふむ。他にも根拠はありますか? お子さんの日記か手紙でも見たとか……」
「いや、残念ながらそういうのはない。事件のあと公恵にも聞いて、探させたんだが、
何も出て来なかった。インターネット関係も含めて、警察が洗いざらい調べ上げたが、
特記するようなことは発見できなかったと聞いてる」
「特記するようなことがないとはつまり、夜遅くに出歩く理由、たとえば真麻さんと朝
郎君が互いに連絡を取り合っていたりとか、他の友達から誘われたりとか、そういった
痕跡もなかったということになりますね。これは大きな根拠ですよ」
「言われてみれば……」
 依頼人の表情が、少し明るくなった。希望を見出していた。
「ご依頼の件、お引き受けします。幾人かの関係者に対して、あなたから連絡を取って
いただければ、少しでも早く調べが進展すると思うのですが、よろしいですか。換言す
れば、依頼内容を相手に伝える可能性があるということですが」
「かまいやしません。どうせもう、私の名前と悪い評判は世間に出回っている。好きな
ようにしてくれていい」
 吹っ切った顔で、緑山英達は言った。この探偵事務所に来る前から、とうに吹っ切っ
ていたのかもしれない。

 流次郎の調査は、しかし、出だしからつまずいた。一番当てにしていた同級生達から
の証言が、ほとんど得られないと分かったからだ。
 まず、今のご時世、中学生に接触すること自体が難しく、たとえ緑山英達がいてもそ
れは同じだった。加えて、過去の犯罪絡みとなると、どうしても敬遠されがちだ。付け
加えるのなら、時期もよくない。高校受験を控えているのでという理由で、体よく断ら
れてしまうのがオチだった。
「悲観することはありませんよ。何人かは話してくれたんですし」
 盛川真麻や保志朝郎と特に親しかった三、四名ずつの友人が、短いながらも話を聞
き、答えてくれていた。それらを総合すると、真麻達が頻繁に夜遊びに行っていた事実
は、やはり確認できなかった。二度ほど、夏祭りの延長で、帰りが遅くなったケースが
あるくらいで、夜中に家を出て街をぶらついていたのを目撃した知り合いは皆無だっ
た。
「しかし、公恵や、保志さんところの家族の話だと、夜、出掛けていたことが何度かあ
ったのは事実なんだ」
 依頼人の言葉に、流は黙って頷いた。
「ネット上のやり取りで、その痕跡がなかったからと言って、待ち合わせの約束をする
ことぐらい、学校で顔を合わせるのだから充分可能。そもそも、痕跡を残したくなかっ
たから、ツールに頼らなかったのかもしれません。娘さんと保志朝郎君とは、幼馴染み
との話でしたが、異性として意識し合うことは本当になかったのでしょうか」
「分かりません。離婚後、娘とはたまに会うだけで、そういう話は出なかったし……」
「そうですか。まあ、仮に意識していないとしても、周りの友達がそういう目で見るか
もしれない。それが嫌だったということはあり得るでしょうね。……二人は、何をして
時間を潰したんでしょう?」
「え?」
「たとえばですよ、夜九時から翌朝の六時まで一緒にいたとすれば、九時間ある。おし
ゃべりや買い物だけで費やせるものじゃない。簡易テントを持ち出してるくらいだか
ら、仮眠を取ることもあったでしょうが、それでもまだ時間は余る気がします。子供だ
から、映画館のレイトショーを観る訳にもいかない。何かあると思うんですよ。共通の
趣味とか」
「趣味ですか……真麻は演劇に興味を持っていたが、中学には演劇部がなかったことも
あって、まだ自らやろうという感じではなかったなあ。他には、スポーツはハンドボー
ルが好きで……勉強は理科が好きだった。あと、料理を覚えようとしていたっけ」
「多岐に渡っていますね。色々なことに興味が向いている。のめり込んでいたようなも
のは、まだなかったと?」
「うーん、残念ながら、思い当たる節がないですな」
「了解しました。保志朝郎君の側から、探ってみることにします」

 事前にアポイントメントを取る段階で用件を伝え、OKをもらっていたにもかかわら
ず、実際に会ってみると、保志新次郎はまだ難色を示していた。
「蒸し返されるのは、本意ではないんだ」
 お茶を出した女性が下がると、開口一番、相手は流に向かってそう告げた。
 場所は保志新次郎自身の弁護士事務所。防音はしっかりしているから、言いたいこと
を言えるのだろう。
「迷惑だとまでは言わないが、今さらというのが正直な感想だ。盛川さんからの依頼と
聞いていなければ、断っていましたよ、ええ」
「時間を割いてくださり、ありがとうございます」
 流は礼を述べると、腕時計をちらりと見やった。相手は職業柄、スケジュールが詰ま
っていることを匂わせている。すぐにでも用件に入りたい。
「先日の電話の際にお伝えしましたが、ご子息の朝郎君は、夜遊びをするような子では
ないと、私も踏んでいます。新次郎さん、あなたも父親として、そう信じておられるこ
とでしょう」
「それはもちろん。でも、当時は、いくら主張しても受け入れられず、言葉を費やすこ
とに疲れてしまって、沈黙を選んだ」
 嫌な経験を思い起こしたのか、新次郎は目線を下げ、小さくため息をついた。
「今になって調べ直し、真実を世間に知ってもらおうとも思っていなかった。とにか
く、蒸し返したくなかったんだ。だが、あなた方の話を聞いて、多少は気持ちが動い
た。それは認める。だからこそ、こうして協力をしている」
「感謝しています」
「冷たい親だと思われたくない。そんな気持ちもあった。やるからには徹底してやって
もらいたい」
 新次郎が面を起こし、流をじっと見つめてきた。感情が露わになっていた。彼はお茶
を一口飲むと、また話し出した。
「流さんが言っていた趣味のことだが、私も妻も子供には自由にさせていたので、正確
には分かっていない。欲しがる物があれば、ほとんど買い与えていた。小学六年生から
中学一年生に掛けては、ラジコンカー、スマートフォン、ゲーム機、バスケットシュー
ズ、図鑑……それこそ何でも買った。全てが趣味と言えるかどうかは微妙だが、あの子
が関心を持っていたのは間違いあるまい。私は子供に対して、途中で投げ出すようなら
はじめから好きになるな、よく見極めてからのめり込め、みたいなことを言った覚えが
ある。だから朝郎も、色々な方面にアンテナを広げて、そこから一つを選び取ろうとし
ていたのかもしれないな」
「なるほど。ところで、バスケットシューズというのは? 失礼ですが、朝郎君の身長
では……」
「バスケットボールは、遊びの範疇だろう。友達に自慢したいというのもあったのかも
しれん。専門のシューズで、高価な商品があるだろ? そういう靴を持っていれば、人
気者になれるという訳さ」
「ラジコンカーの他に、ラジコンを買ったことは? たとえばスマートヘリの類とか」
「ドローンか。いや、それはなかった。欲しいというようなことは言っていたが、さす
がに危険だと思ってね。高校に入ったら買ってやるか、ぐらいに考えていた。これが事
件と関係あるとお考えか?」
「いえ、何とも言えません。スマートヘリがあれば、子供達が時間を潰すのに持って来
いだと思ったまでです。ラジコンカーだと、夜、遊ぶのには向いてないでしょう」
 流はカップに手を伸ばし、お茶を呷った。その間に、新次郎が口を開く。
「電話で、盛川真麻さんの趣味、興味を持っていた物についても聞いたが、朝郎の好み
と被る物は見付けられなかった」
「好きな音楽はどうでしょう?」
「ああ、音楽なら人並みに、女性アイドルグループに興味を持っていた。名前は知らな
いが、結構人気のある四人組か五人組だった」
「そうですか」
 流の口調に落胆が混じる。気付いた新次郎は、「どうした?」と目で問うた。
「真麻さんは、男性ベテラン歌手のファンでした。重なるところがないなと」
「そうか……。まあ、中学生が好きになる歌手なんて、だいたい重なるものじゃない
か。共通の趣味と言えるほど、顕著な特長ではないだろう。何時間も時間をつぶせる話
題だとも思えない」
「その辺りは、捉え方の違いになりそうですね。今は、他の可能性を探るとします。さ
っきから気になっていたんですが、図鑑とはどのような?」
「図鑑? ああ、朝郎に買ってやったやつか。百科事典の電子書籍版だった。気に入っ
たらしく、何度も見返していたよ」
 再び視線を落とす新次郎。今度よみがえった思い出はよいものらしく、彼の口元には
笑みが窺えた。
「いきなり百科事典、それも電子書籍版ですが。私が子供の頃なんて、もっと判の小さ
い、“ナントカ大百科”的な本でした。言うまでもなく、紙の書籍で」
「ああ、それはうちの子もそうだった。百科事典は中学生になった祝いに、買ってやっ
た物だ。最初に買ってやったこの手の本は、何だったかな。そうそう、宇宙と星に関す
る本だった」
「以前は、天文に興味があったんですか、朝郎君」
「そうだね。天文というよりも、星座だったようだ。星座や星の名前、それに纏わる神
話を記憶し、よくそらんじていた」
「話を聞いた限りだと、朝郎君、そこそこのめり込もうとしていたいたいですね。でも
小六から中学生になる頃には、興味を失ったんでしょうか」
 流のこの質問に、新次郎は何故か思い出し笑いのようなものを顔に浮かべた。いや、
実際に「ふふふ」と笑っている。
「どうかしましたか」
「いや、失礼をした。まさか、こんなことを思い出すとは。朝郎が天文を好きでなくな
ったのには、理由がある。実に子供らしい理由がね」
「聞かせてください」
 事件に関係あるのかどうかは分からない。今は、集められる限りの情報を得ておきた
い。その一心から、流は身を乗り出した。
「あれは、息子が小学三年の頃だったか。昨日まで熱中していた星や星座に、見向きも
しなくなったし、その手の本を乱暴に扱って書架から抜き出して、仕舞い込むようなこ
ともしていたから、理由を聞いたんだ。すると、『名前でからかわれた』という答が返
って来た」
「名前……ああ、“保志”さんと“星”ですか」
「左様。保志の星好きとか何とか、くだらないことを同級生に言われたみたいで。単純
なからかいだったが、小三の朝郎は傷ついたんでしょうな。以来、星のことは話題にし
なくなりましたよ」
「……そうなる前の段階で、天体望遠鏡を買って上げたことは?」
「ない。天体望遠鏡は早すぎると思った。結果的に、買わなくて正解だったようだが、
こんなに早く逝ってしまうと分かっていたら、買ってやればよかったとも思うね」
「小学三年生時、朝郎君と真麻さんは同じクラスでしたか?」
「ん? そこまでは分からん。覚えてない。でも、もっと前から幼馴染みの間柄だっ
た」
「なるほど。これは……端緒を掴めた気がする」
「え? 端緒だと」
「はい。あともう一つ。保志さんのお宅では、虫除けスプレーをよく使っていました
か?」
「虫除けスプレーか。いや、ほとんど使った覚えはない。あの頃はマンションの高層階
に済んでいたから、蚊に悩まされることはなかった」
「そうでしたか。でも、奥さんかもしかすると朝郎君が、虫除けスプレーをよく買って
来ていたのではありませんか?」
「うーむ……言われてみれば、そんな記憶も朧気にあるようだが」
「結構ですね。あとで、奥さんに聞いてみてください。多分、朝郎君に言われて買って
いたと答える可能性が高いで」
「そうなのか? そこまで言うのなら、すぐに聞いてみるとしよう」
 電話を手に取った新次郎。
 三分後、流の予想が当たっていたことが分かった。

            *            *

 ――以下の報告は、多くを想像で補った、物証に乏しい、一つの推測になります。数
パーセントの完勝と感情も交じった、物語と言えるのかもしれません。ですが、限りな
く事実に近いものであることを、自分は確信してもいます。
 調査を経て私が至った結論を申すと、盛川真麻さんと保志朝郎君の両名は、子供達だ
けで深夜に外出しこそすれ、街で夜遊びしていたのではないと見なします。
 街に姿を見せていないことは、防犯カメラの映像や友人等の証言で明らかです。現れ
たとしても、せいぜい、コンビニエンスストア等で買い物をする程度で、それが済む
と、またどこかへ行ってしまうのはご承知の通りです。
 では、二人はどこへ行ったのか。場所の特定は難しいのですが、その目的はかなりの
確度を持って言えます。
 二人は、星を観に行っていたのでしょう。
 このことは、持ち物を思い浮かべれば、容易に推定できたはずなのです。簡易テント
は、開けた原っぱにでも設置し、頭を出して横になり、夜空を見上げるため。原っぱに
長時間いれば、蚊が寄ってくるでしょう。虫除けスプレーは、それを防ぐためです。
 この仮設の下、確認の調査を行いましたところ、朝郎君が星に興味を抱いていた小学
二、三年生の頃、真麻さんもまた星に興味を持っていたことが、当時のクラスメートら
の証言で明らかになりました。しかし、朝郎君は彼自身の名字に掛けたからかいで一時
的に星が嫌いになったようです。そして、真麻さんは朝郎君がからかわれている状況を
目撃していた。
 ここからは完全に私の想像による物語になりますが、ご了承願います。
 真麻さんは、朝郎君がからかわれるのを目の当たりにして、こう考えた。「自分が星
に興味を持っていると言い出せば、同じようにからかわれる。保志君のことが好きだか
ら、空の星にも興味を持ったんだろう」と。そのため、彼女も天文好きであることを隠
すようになった。
 それからまたしばらく時間が経って、朝郎君は星に対する興味を捨てられず、真麻さ
んも感心を失わなかった。そして二人がお互いの趣味に気付いたんでしょう。元々、幼
馴染みなんですし、察するのは簡単だったかもしれません。そうして、彼らは表向きに
は秘密にしたまま、星への興味関心を育てていった。やがて子供達だけで、夜遅くに外
出し、星空を見上げるようになるほどに。
 事後的な補足として一つ挙げるなら、二人がお小遣いの中から少しずつ貯金をしてい
たことがあります。多分、いえ、間違いなく、天体望遠鏡を自分達のお金で買うためで
す。朝郎君は凄く素直に育ったんでしょう。お父さんの新次郎さんの言葉をまともに受
け止めて、「やっぱり星が好きだから、天体望遠鏡が欲しいな」なんて口にできなくな
ったと考えたのだと思います。真麻さんにしても、同じと言えます。家庭の経済状況を
分かっていたから、言い出せなかったのだと思います。

 私は仮説の正しさを確信したあと、最後に想像してみました。二人が星を観察すると
したら、どこを選ぶだろうかと。
 高いビルの屋上もあり得ましたが、街明かりの強さは、どうしても邪魔になります。
それよりも、駅を中心とした繁華街を離れれば、周囲には山がある。虫除けスプレーを
用意していたことからも、こちらがより妥当でしょう。
 私は山まで足を延ばし、二人の少年少女が星を見上げた場所を探してみました。
 見付かりませんでした。適当な場所がないのではなく、適した場所があまりに多く
て。

 この報告に納得してもらえるのであれば、一度、探してみてください。できれば夜、
天気のいい日の夜に、探しに行ってください。私には見付けられなかったものをでも、
ご家族になら見付けることができるかもしれませんから。

――終わり




#439/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/09/30  22:07  (279)
ゲームの凡人   永山
★内容
 ある国では、死刑執行に携わる者がいなくなってしまった。
 国王や大臣ら政を司る者達は額を寄せ集めて考え、死刑囚同士を闘わせる法律を作っ
た。
 しかし死刑執行人が厭われる国において、単に殺し合わせるやり方では野蛮だという
避難が上がる。そこで捻り出されたのが、ゲームによって勝者と敗者を決め、勝者が敗
者に刑を執行するという方法だった。ルールは次の通り、定められた。

・対戦は二人で行う
・互いに三桁の数を決め、当て合うゲーム
・一戦し、相手の数を当てた側の勝利。ともに当てた、もしくはともに当てられなかっ
た場合は、決着するまで延長
・互いにそれぞれ五度、質問できる
・質問には正直に答えねばならない。ただし五度の内、一度だけ嘘をつかねばならな
い。二度以上嘘の答をした者は、即座に負けとする
・質問五つの内、二問は「はい」「いいえ」で答えられる形式に限る
・質問されてから返答するまで、及び、返答してから質問するまでは一分以内とする。
これを破った場合、罰として三桁の内の一桁を相手に教えるものとする
・質問において、具体的な数を挙げて(及び具体的な数を特定できる言い回しで)、使
っているか否かを問うてはならない
・三桁の内の一桁ないしは二桁のみを取り上げて質問してはならない。必ず三桁をセッ
トで尋ねること
・「あなたの数を二倍して、二で割った答を教えてください」等、相手の数を直接計算
に用いる質問は禁止
・同じ内容の質問を繰り返してはならない
・勝者は敗者に一両日中の死を与える義務を負う
・十五連勝を記録した者は、死刑を免除される権利を得る

 ゲームには、全ての死刑囚に参加資格がある。いや、資格ではなく、義務と呼ぶべき
だろう。
 ただし、死刑判決が確定後に、新たに罪を犯したり、新たな罪が発覚したりした者
は、ゲームに参加できなくなり、即刻死刑に処せられる(形式的にゲームに反則負けを
喫した形を取り、対戦相手によって執行される)。特赦の規則を設けるからには、最低
限、それに見合う人間性を保った者に機会を与えるという趣旨だ。
 人間とは勝手なもので、死刑執行を厭う国民達も、この死を賭したゲームには関心を
寄せた。今や、見世物として、多くの観客を集めるまでになっている。

              *              *

 カーベルは、所定の用紙の所定の枠内に“345”と書き込んだ。すぐさま裏返し、
誰の目にも触れないようにする。周囲には衝立があるのだが、念のためだ。以前、衝立
がなかった頃、観客席から遠めがねで用紙の数を覗き見した者が、対戦相手に数を教え
るという不正が発覚したことがあった。その対策だ。
 対戦相手は、アナインという男だ。親しくはないが、顔見知りではある。若くて小賢
しいというのが専らの評価だった。様々な詐欺を重ねた挙げ句、ばれそうになって殺人
を犯してしまい、死刑判決を受けたという。ただし、このゲームをやるのは、まだ二度
目だと聞いている。カーベル自身は、もう五度も勝ち抜いている。経験の差を活かした
いところだ。
「カーベル、最初の質問です」
 アナインの声が、スピーカーを通じて聞こえた。まあ、聞かなくてもおおよその見当
は付いている。序盤は、三桁の数それぞれの和と積を尋ねるのが、このゲームの常道
だ。
「それぞれの桁を掛け合わせると、答はいくつになります?」
「0だ」
 即答し、今度はカーベルが質問する番だ。
「同じ質問を返そう。それぞれの桁の数を掛け合わせると、いくつになる?」
「60になります。次の質問、それぞれの桁を足し合わせると、答は?」
「12。同じく、それぞれの桁を足し合わせると、いくつになる?」
「13ですね。三つ目の質問です。各桁を表す三つの数から二つを選んで割り算をする
として、全ての場合で計算可能ですか?」
「可能だ」
 アナインのこの質問も定型だ。要するに、0で割る組み合わせがあるか否かを問う、
つまりは三つの数の中に0が含まれているかどうかを調べるための問い掛けである。禁
止事項に抵触するか微妙な線だが、今まで審判官から咎められた例はないため、よく使
われる。
「こっちからの三つ目の質問は、はいかいいえだ。これまでの二度の回答で、嘘はつい
たか?」
「……はい」
 調子よく答えていたアナインにブレーキが掛かった。考える必要を感じたのだろう
か、それともそのふりか。彼の口から四番目の質問が出て来るのも、時間を要した。
が、カーベルが時間を意識した瞬間には、相手はもう口を開いていた。
「一番目か三番目かのどちらかが嘘なのだから……。四つ目、行きます。先程の三番目
の質問で、嘘をつきましたか? はいかいいえで」
「いいえ。こちらの四つ目の質問も、似たようなものだ。さっきの三つ目の質問に対す
る答は、嘘か?」
「……はい、嘘です」
 そう答えたアナインの手が、忙しなく動くのが分かる。考えをまとめたり、計算した
りするのに必要があれば、紙と鉛筆だけ使える。
 カーベルも同様だ。
 アナインの三番目の答と四番目の答から、アナインは一問目と二問目に、馬鹿正直に
答えていたことになる。三つの正の整数の積が60になる組み合わせは、2・5・6と
3・4・5の二通りだけ。この内、総和が13になるのは前者。あとは並びを特定すれ
ばよい。
 一方、アナインはどうか。カーベルの三つの桁の和が12で、三つの中に0がないこ
としか掴めていないはず。
 カーベルがアナインを見やると、切羽詰まっているのが明らかに分かった。もうすぐ
タイムアップというところで、相手は早口で最後の質問を発した。これもほぼ定番と言
える質問だった。
「百の位から十の位を引き、その答に一の位を掛けた答は?」
「――えっと……マイナス5だ」
 答ながら、不意に冷や汗を覚えたカーベル。もしかすると、この計算の答は、カーベ
ルの数を特定するに足るのではないか? 5の倍数になったのはまずい気がする。考え
られる全ての場合を調べ、答がマイナス5になるものはいくつあるのか……。
 だが、思い悩む暇はない。今度は、カーベルがラストの質問を出す番である。
「百の位から十の位を引き、そこに一の位を掛けた答はいくつになる?」
「……」
 運命が決まるせいか、アナインはすぐには答えなかった。この質問に答えれば、数を
特定されることは分かっているようだ。ここは一か八か、故意に制限時間を破るという
手段がある。正解につながる返答をするより、一桁だけ相手に知られる方がよほどまし
だ。
 だが、経験の乏しいアナインに、そこまでの知恵は回らなかったらしい。時間ぎりぎ
りになって、「18、です」と震え声で答えた。
「ありがとう。分かったよ」
 カーベルはいつものように呟くと、用紙の解答欄に答を書き込んだ。526と。
 あとは、相手が答を絞り切れたのかどうかだ。若干の不安を残しつつも、互いの用紙
の公開を待つ。
「それでは両者、用紙を見える位置に」
 机上の一角を向いたカメラに合わせ、用紙を置く。次の瞬間、双方の用紙が会場の大
画面に写し出された。
 カーネルの用紙には、自身の指定した数である345と、答として導き出した52
6。
 アナインの用紙にも、アナイン指定の数として526と記入されていた。一方、解答
欄には、381とあった。
「カーネルのみが正解!」
 見届け人という名の観客達がざわめく中、カーネルの勝利がコールされる。
 無表情を装いながら、内心では胸をなで下ろすカーベル。381も確かに各桁総和が
12で、かつ、百の位から十の位を引いて一の位を掛けるとマイナス5になる。あとで
検算をして分かったことだが、345と381以外に条件を満たす数はない。アナイン
は正解に迫っていた。最後に来て、つきに見放されただけだった。
(恐らく……345の各桁を積算した答が、60になったのが分かれ目だったのかもし
れない。アナインの526も積算すると60になる。同じ60になるなんて偶然はない
だろうと考え、アナインは345ではなく、381を選んだ。そんな気がする)
 対戦相手に視線を送る。アナインは悔しがることすら忘れ、呆然として斜め下を見つ
めていた。
 これから、彼を殺すのだ。カーベルはそう思った。

 九ヶ月後、カーベルは十三度目のゲームを迎えようとしていた。
 近年、刑務所の収容人数が逼迫しているのだろうか、以前に比べると、ゲームを行う
間隔が狭まっている。多くの死刑囚が、ほぼ一月強に一度の割合でゲームをさせられて
いる。カーベルは運も味方に付け、前回から七つの勝ちを積み重ね、生き延びている。
それどころか、あと三勝すれば、死刑の免除に手が届くところまで来た。
 この頃になると、対戦相手も経験を積んだ者が多くなる。換言すれば、強敵に当たる
確率が高い。ゲームの一週間ほど前に、対戦相手の情報がもたらされるが、以前の職業
や犯歴なんかよりも、どのようにしてゲームを勝ち抜いてきたかの方が、参考になる。
(何だこれは)
 カーベルは、房に放り込まれた書類を見るや、首を傾げた。
 対戦相手はナンバスという名で、五十がらみの男。元刑事とある。
 この国では、公務員の犯罪に一際厳しい。特に国家公務員がなした場合は、通常では
軽微とされる罪でも、国家への反逆と見なされ、国王に幅広い裁量権がある。極論する
なら、王の気分一つで、死刑を課すこともできる。
 ナンバスという元刑事もその口らしく、犯した罪は不法侵入と暴行未遂となってい
た。前科の記録もない。
 しかし、カーベルに首を傾げさせたのは、そんな点ではなかった。ナンバスはゲーム
未経験と記されていたことが、異様に映ったのだ。
(十二勝の俺に、元刑事の初心者を当てるとは、いかなる魂胆だ?)
 しばし黙考した。答は意外に早く舞い降りてきた。
(そうか。もしかすると、国は早くナンバスを処刑したいのかもしれない。国のメンツ
を潰された、恥を掻かされたと感じているのなら、一刻も早く葬りたいに違いない。そ
こで、このゲームに強い俺と闘わせることにした……。うむ、これなら合点が行く)
 さらに推し進めて、いささか自虐的な発想に及ぶ。
(万が一、俺が負けても、元刑事のナンバスは、他の囚人から嫌われる。ただでさえ、
元刑事ということで疎まれるのに加え、もうすぐ死刑免除が見えていた俺を止めたとな
れば、ナンバスはリンチされる可能性すらあるなじゃないか? 全く、国王もよく考え
た組み合わせを考え付くものだ)
 それからカーベルは、対策を講じた。といっても、相手の情報が乏しいため、専ら、
計算と論理構築の早さに磨きを掛ける程度だったが。

 ナンバスの顔を喩えるなら、暗い性格のブルドッグといった印象が一番近い。やや押
し潰した丸い顔に、落ちくぼんだ目が二つ。両頬はたれ気味だが、顎先を割る皺は深
く、頑健さが窺えた。
 丸顔から受ける印象とは対照的に、体格は太ってはおらず、手や指の肉付きから判断
すると、むしろ痩せ型のようだった。
「久しぶりだな」
 審判の場で相対するなり、ナンバスは呟いた。その嗄れ声に覚えのなかったカーベル
は、戸惑いを露わにした。
「何?」
「おっと、そっちは知らなくても仕方がないか。自分に取っちゃあ、おまえさんは懐か
しい顔なんだよ」
 ナンバスはそう言い放つと、踵を返して席に収まった。
(なるほど。あのナンバスは、過去に、俺の起こした事件の捜査に関わっていたのか。
それならこっちが顔を知らなくても当然だ。あんなことを言うなんて、どういうつもり
だ? 捜査に当たっていたと言えば、俺がびびるとでも思ったか。逆効果だな。今こ
そ、恨みを晴らせるというものだ)
 カーベルはそう推測し、安心を得た。余裕が戻る。口元に笑みすら浮かんだ。
 ナンバスと向き合う位置に、カーベルも座った。それと同時に、ゲームが開始する。
 まず、自身の数を決める。カーベルはこの第十三戦、所定の欄に860と記入した。
 抽選により、質問をする順番は、カーベルが先と決まった。
「各桁を表す三つの数の総和は、いくつになるのか、教えてくれますかね、刑事さん」
 初っ端に妙な威嚇をされたお返しとばかり、カーベルは挑発気味に尋ねた。
「15だな。じゃあ、自分からも同じ質問をするかな。そっちの各桁をみんな足した
ら、いくつだい?」
「少し待ってくれ。今、計算するから。うん、間違いない。9になる」
 勿体ぶって嘘の解答をしてから、二番目の質問を放つ。いつものやつだ。
「各桁の数を掛け合わせると、その答は?」
「0だ。恐らく、おまえさんも同じ答を言うんだろうな。ま、それでも聞かなくちゃい
かん。三つの数を掛けたら、答はいくらになるんだ?」
「……」
 迷いを覚えたカーベル。今回、彼は一問目の総和ですでに嘘をついているし、幸いに
もこの二問目に0と答えても嘘にはならない。常道の裏を掻いた計略は、うまくはまっ
ている。が、言葉に出して言われると、嫌な予感が働いた。ここは時間いっぱい使っ
て、迷ってみせるとしよう。
 やがて、時間を見計らってカーベルは答を言った。心なしか、口の中がからからに乾
いた感触があった。
「――そうだな、0だ」
 答え終わると、口をきっちり閉じて、わざと笑みを浮かべて見せた。混乱させてや
る。
 カーベルは相手になるべく考える余裕を与えまいと、矢継ぎ早に質問を放った。
「先の二つの質問にいずれかについて、嘘を言っていないか? はいかいいえで」
「嘘を言ったさ。当然だ。正直に答えていたら、当てられる確率がぐんと高くなってし
まうじゃねえか」
 嘲笑混じりに吐き捨てると、ナンバスは返す刀で三番目の質問をしてきた。
「えっと、何だっけな。0があるか確かめるやつだ。各桁の数を二つずつ取り出して、
割り算を行った場合、全ての組み合わせは計算可能か? はいかいいえで答えてくれ」
 開けっぴろげな質問の口上に、カーベルは舌打ちをした。あまりあからさまだと、反
則を取られるぞ。いや、それとも元刑事は反則も甘く見てもらえる約束でもあるのか?
「いや、計算不可能な組み合わせがある」
「何?」
 カーベルの狙い通り、この返答は予想外だったようだ。三つの積が0であるというの
が嘘だと思っていたに違いない。
「もしや、今の答が嘘なのか? い、いや、それはない。二つ目と矛盾する。というこ
とは、一つ目が嘘で確定……いや、全部本当だということもあり得る」
「おい、元刑事さん。考えを口に出すのはいいが、こっちの質問をちゃんと聞いてく
れ。聞き逃しても、二度と言わないぜ」
「あ、ああ」
「百の位の数から十の位の数を引き、その答に一の位の数を掛けると、いくらになる
?」
「マイナス……マイナス4だ」
 答を聞いたカーベルは、素早く思い出した。ゲームに関して研究する時間がたっぷり
あった彼は、おおよその場合に対応できるだけのパターンを記憶できるようになってい
た。
(ナンバスの言動から恐らく二つ目が嘘で、総和が15というのを信じてよいだろう。
総和が15になる三つの数の組み合わせの内、さっきの計算の答がマイナス4になるの
は、591、564の二通り。最後の質問で、これを一つに絞り込めばいい。あと一
問、はいかいいえで答えられる形にせねばならないのは面倒だが、まあ大丈夫だ)
 勝利が見えてきたカーベル。演技でなく、本当にほくそ笑んだ。
 充分に考えたあと、相手を見る。ナンバスはやっと四番目の質問を声に出した。
「三つの数の総和から、三つの数の積を引いた答は?」
「ん? それは……」
 歯がみするカーベル。この質問は、なかなか鋭いと感じた。最早嘘をつけないカーベ
ルだが、ここは演技をせねば。ナンバスの立場からなら、一つ目か四つ目のどちらかが
嘘だと分かるだけだが、そのどちらが嘘なのかを判断できないよう、演技が必要だっ
た。
「14になる」
「そうか。9と14か。ふふふ」
 何故か笑うナンバス。正解が分かったはずがないのに、ここで笑う対戦相手を、カー
ベルは不気味に感じた。おかげで、つい、最後の質問が遅れそうになったが、すぐに我
に返った。慎重に言葉を選び、
「百の位と十の位の数を掛け、そこから一の位の数を引いた答は26になるか? はい
かいいえで答えてもらいたい」
「……はい」
 声を絞り出すナンバス。当てられたことを察して、さぞ震えているだろうと思いき
や、ナンバスは目をらんらんと輝かせていた。最後の質問で、正解に辿り着ける目算が
あるのか? そんな、まさか。
(まあいい。少なくとも、こっちは正解が分かった。564だ。今回、俺の負けはな
い)
 安全圏に逃げ込めたと確信し、安堵するカーベル。ナンバスの質問を待った。
「カーベル。まだ質問じゃないから、慌てるなよ」
 ナンバスはそんな風に始めた。
「今までに、おまえさんは嘘の答を言う権利を行使したはずだ。よって、次は必ず真実
を答えねばならない。そのことをようく理解して答えろよ」
「……言われるまでもない。それより、早く聞いてこいよ。時間切れになるぜ」
「言うさ。この十年余り、ずっとおまえさんにぶつけてやろうと、脳みそに刻み込んで
いた言葉だからな。――カーベル、おまえは十一年前の十一月十三日に、ショーラー・
ポルトを殺害したな?」
「は?」
「とぼけても無駄だ。調べ上げた。物証はなくとも、犯人はおまえしかいないんだ。こ
ちとら、この瞬間のために、わざと罪を犯して、こうしておまえとの対戦を組んでもら
ったんだ。絶対の自信がある」
「ま……待ってくれ」
 カーベルは、自分の声が自分の物でないように聞こえた。冷や汗が左のこめかみを伝
うのを意識した。
 ショーラー・ポルト。確かに、カーベルは彼女を殺害していた。殺害理由を知られた
くない・明かしたくないプライドから、この殺しだけは隠し通すと決めた。他の殺人
で、死刑判決の確定が濃厚になった時点でも、ショーラー殺しだけは自白できなかっ
た。
 それが今頃になって……。
「待てん。一分以内に、はいかいいえで答えろ。それだけだ、簡単なことだろう。無
論、嘘を言えばどうなるか、分かっているな?」
 ナンバスが立ち上がらんばかりの勢いで、言葉の圧力を掛けてくる。
 カーベルは必死に考えていた。
 嘘を答えても死。認めても死。
 結果が同じなら――。

             *             *

 カーベルとナンバスの一見が落着した後、ゲームには以下の規則が追加された。

・三桁の数の特定と無関係な質問をしてはならない

<終>




#440/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/10/30  21:44  (426)
横浜志摩殺人事件もしくは肩こりには湿布   永山
★内容                                         15/11/09 02:27 修正 第2版
 風が強い。頭に手をやり帽子を押さえ、僅かに前屈みにながら進む。
 三人ほど前を行く女性は、そのロングヘアを左から右へと流されている。冬でないの
が幸いだ。陽もまだ高く、寒さは感じない。ここ横浜の天気は、今日から下り坂と予報
されている。
 波立つ水面を眼下に認めながら、橋を渡ると、ようやく風から逃れられた。壁の内側
に入ったのだ。人心地つき、顔を上げると、視線に圧倒される。出迎えの従業員が、両
サイドに大勢並んでいた。すでに手荷物は部屋に運ばれており、特に持ってもらう物な
どないのだが、満面の笑みで迎えられると、それだけでチップをはずんだ方がいいのか
なという思いが頭をかすめた。いや、ここはチップの類は一切不要と聞かされている。
この手の旅やホテルに慣れていない私は、友人の言葉を信じるほかない。
 その頼みの友人は、先へ先へと行ってしまったらしい。すぐ前を歩いていたはずなの
に、今や髪の長い女性を追い抜き、早足で進んでいるのが見えた。私は慌て気味にネッ
クストラップに手をやり、そこに付けられたカードを従業員の一人に示した。ルーム
キーを兼ねるというこのカード、前もって渡された物だ。これを機械にかざすことで、
チェックインの手続きが完了するのだという。無論、外出するときやチェックアウトの
際も同様、らしい。
 小走りになって、友人に追いつく。隣に並ぶと、やっと気付いてくれた。
「話し掛けても返事がないと思ったら、遅れていたのか」
「返事がない時点で、振り向いてくれよ」
「すまない。しかし、時間が勿体ないからね」
「部屋まで案内をしてもらわなくていいのか? 他の客は半分ぐらいは案内してもらっ
てるみたいだけど」
 きょろきょろと周囲に目をやり、見たままの感想を伝える。
「勝手知ったるというやつで、リピーターは案内なしで行くのが多い。かくいう僕は、
まだ三度目だが、聞くところによると年間を通して最上級の部屋を予約している人物も
いるそうだよ。好きなときに、いつでも泊まれるようにね」
 どんな金持ちだよと呟きそうになったが、飲み込んだ。ハイソな向きが大勢いる(か
もしれない)場なのだと自覚し、ぞんざいな言葉遣いは慎むべきだと意に留める。
「とにかく、今は君に着いて行けばいいんだな?」
「ああ」
「少し、ペースを落としてくれないか。初めての僕は、どうしても周りに目が行くよ」
 豪華絢爛を絵にすればこうなるという一つの見本が、そこにはあった。入ってすぐの
ホールには、きらびやかな装飾がそこかしこに施されている。吹き抜けの天井を見上げ
ると、ステンドグラスをイメージした丸い天蓋があり、下からは大理石の柱が支えてい
る。さらにブロンズ製と思しき人物の像が、ダンスを踊るかのように配され、何脚もあ
るゆったりとしたソファには、宿泊客が寛いでいる。
 ホールを抜け、エレベーター前に向かうに従い、装飾は同じ豪華さでも抑制の効いた
上品さを感じさせるものに転じた。両サイドの壁は木目調になり、イルカや人魚、カモ
メ等を模したオーナメントが掛かってる。かと思えば、絵画や写真、何やらアルファベ
ットの踊るカードといった代物も飾ってあった。エレベーターで目的の階に着き、出て
みると、今度は長い廊下が続いていた。角に飾られた花瓶やぬいぐるみを眺めつつ進む
と、客室のゾーンに入った。
 この階担当らしい女性従業員が微笑みかけてくるが、私の友人はまた案内を断った。
「前に泊まった部屋と同じフロアだから」
 と言うが、長い長い廊下を前にすると、本当に大丈夫かなと少々心配になる。迷路と
までは行かずとも、とにかく広い。少なくとも自分は、一旦部屋から出ると戻るのに苦
労しそうな予感がした。
「ここだ」
 立ち止まったすぐ横のドアを見ると、7012とプレートにあった。念のため、キー
カードの番号と照らし合わせる。同じだ。
 部屋に入ると、話に聞いていた通り、荷物が届けてあった。早速荷解きし、中見を確
認する。とりあえず、夕食の席はそこそこお洒落しなければいけないらしいから、服の
準備を優先しよう。

 小一時間ほど掛け、やるべきことを済ませると、やっと一息つけた。額に汗が浮いて
いる。ちょこまかと動き回ったせいもあるだろうが、高揚感が大きいようだ。ベッドの
縁に腰掛けている私に、相方はジャケットを羽織るやこう言った。
「さて、パーティに行くぞ」
「パーティ?」
 腕時計を見た。まだ夕餉には早い。そのことを言うと、「食事はまた別さ」と苦笑交
じりに答えられた。
「我々のマークすべき人物が参加するんだから、こちらも出向かねば」
「あ、高藤佐武郎(たかふじさぶろう)が、そのパーティに出るのかい?」
「うむ。まあ、宿泊客のほとんど全員が、足を運ぶのが通例なんだけどね」
 事前に聞かされていた話にようやくつながり、私は気を引き締めた。
 ここらで自己紹介しておくと、我々は探偵である。一応、私・日野森順彦(ひのもり
のりひこ)が助手で、主導的に探偵するのは土屋幹敏(つちやみきとし)の方だ。無
論、依頼を聞いて引き受けるかどうかを決めるのも彼。
 土屋の話によれば、我々が今回引き受けた仕事は、高藤佐武郎の犯行を食い止めるこ
とである。高藤は、裏社会ではそこそこ名の通った“犯罪マニア”で、様々な犯罪を経
験したいがためにやってみる、という非常に困った輩だ。泥棒や詐欺で逮捕歴がある
他、放火やスリの容疑を掛けられたことがある。犯罪を体験したくて仕方がない性癖が
事実なら、これ以外にも罪を犯しているかもしれないが、現時点では明るみに出ていな
い。そんな高藤に関するある情報が、知り合いの刑事からもたらされた。
 いよいよ――と表現してよいものかどうか分からないが、高藤が殺人に手を染めよう
としている、というのだ。
 折角の情報だが、あまりに曖昧だった。警察としては何も起こらない内は動きようが
ない。せめて、誰を殺そうとしているのかが分かれば、警護名目で手を打てる可能性も
あるのだが。
 かように扱いづらいネタ故、私立探偵のところに話が回ってきた次第らしい。
 土屋は、知り合いの刑事からの依頼という形で、高藤が本当に殺人を犯そうとしてる
のならそれを食い止めるか、最悪でもその現場を押さえることを請け負った。警察とし
ても、高藤のような犯罪マニアを野放しにしておくのは危険であり、たとえ殺人未遂で
も逮捕できれば、長く閉じ込めておけるとの算段があったのかもしれない。
 土屋は独自のルート(私にも秘密の)を使い、高藤が月末の金曜から二泊三日の予定
で、この宿泊施設に逗留することを突き止めた。それは、高藤にとって今までにない行
動パターンであり、遠出する理由がない。単なる観光旅行にしては、高藤の稼ぎからし
て、ランクが高すぎる。しかも、通常は二人で泊まる部屋を一人で使用するため、割高
な料金を払っていた。
 だが、殺人をやろうと画策しているのなら、出費は関係ない。殺人のついでに財産を
奪おう、逮捕されればそれまでだ。そんな考えで殺人計画を立てたとすると、辻褄が合
う。
 実際にこの場に来てみて、私も感じた。もし宿泊客の中から殺す人間を選ぶとすれ
ば、誰もがそこそこの金を所持しているだろうな、と。
「大げさなパーティではなく、歓迎式典みたいなものだから、そこで殺人をやらかすと
は考えにくいが、敵さんの現状を観察する意味でも、顔を見ておこうじゃないか」
「了解した」
 身だしなみを整えると、私は土屋に着いて、十一階まで上がった。このフロアでパー
ティが行われるらしい……と考える暇もなく、エレベーターを降りると女性従業員が笑
顔で我々を迎え、お盆をこちらに差し出してくる。二種類のグラスが載っているが、ど
ちらか選べということか。形状から判断すると、カクテルとスパークリングワインだろ
う。アルコールは苦手だが、カクテルグラスの方を取った。女性向けなのかもしれない
と直後に思ったが、他の客の動向を見ると、性別は特に関係ないらしいと分かり、ほっ
とする。
 と、些末なことでまごつく間に、土屋は先に行ってしまっていた。液体をこぼさぬよ
う、慎重な足取りで追う。
「――彼だ」
 私が追いつくと同時に、土屋は囁いた。顔の近くに持って来た指で示す方向に、私も
視線を向ける。
 いた。高藤佐武郎だ。
 事前に写真で見ていたが、それに比べると若々しい。写真では険しい表情と鋭い目つ
きばかりが印象に残ったが、今目の当たりにしている男はまるで違う。立派なスーツを
着ているのに加え、表情が明るいせいだろうか。隣の夫婦らしき老齢の男女と、笑顔で
言葉を交わしている。身長や体格も平均的で、威圧感はない。
「あのお年寄り達は、高藤の知り合いだろうか?」
 私が小声で疑問を呟くと、土屋はかぶりを振った。
「データにはなかった。宿泊者の中に、奴の知り合いはいない。ただし、データが古い
とも考えられる。あの二人の顔写真を撮ったから、送って、念のため調べてもらうこと
にした」
 やることが早い。
 ただ、その調査は空振りに終わりそうに感じた。というのも、高藤の観察を続けてる
と、彼は次から次へと宿泊客に話し掛けるのが見て取れたからだ。いくら何でも、全員
が知り合いなんて、あり得ない。話す時間の長短はあれど、旅先でたまたま会った相手
と、どうということのない会話を楽しんでいる、それだけのように思える。
 私と同じことを考えたのか、土屋が独り言のように言った。
「……ターゲットを物色しているのかもしれないな」
 なるほど、そう見なすのが自然か。推測が当たっているのなら、このパーティは思っ
ていた以上に重要な場面と言える。高藤が狙いを定めた人物を、我々も察することがで
きれば、犯行を未然に防げる可能性が一挙に高まる。
「どうする? 顔を見られるのを覚悟で接近し、会話の内容を掴むかい?」
「ふむ……もしくは、僕か君のどちらかが、あいつのターゲットに選んでもらえるよ
う、仕向けるか、だな」
「何?」
 思わず声が大きくなった。土屋が目で私を非難する。
「高藤が殺す相手をまだ決めていないとすれば、そういう手もありだろってことさ」
「それくらい、ちゃんと理解している。実行するのかどうかが問題だ」
「……選ばれずとも、高藤と知り合いになり、あいつに何だかんだとつきまとうのも、
抑止力にはなるだろう。試す価値はありそうだ」
「それなら決まりだ。どっちが行く?」
 視界の隅に高藤を置きながら、話を詰める私と土屋。高藤は、飲み物のお代わりを受
け取っていた。
「そうだな……ここへ泊まる者は、基本的に二人一組なんだ」
「それは承知しているが、高藤は単身なんだろ?」
「ああ。それだけ珍しいし、目立つ。僕か君のどちらかが単独であいつに接触しても、
恐らく、連れの存在を確かめられてしまうだろうな。」
「そうか。変に隠すよりは、最初から明かしておいた方が、怪しまれないという理屈だ
な。あっ、高藤がどこかへ行くぞ」
「パーティを抜けるつもりのようだ」
 高藤は一人で、エレベーターに向かっている。乗り合わせれば、声を掛けやすいのだ
が、生憎と、エレベーターは三基あり、その内の二基が今、このフロアに停まっている
ようだ。追い掛けて、高藤と同じ箱に飛び乗るなんて行動は、避けた方が賢明だろう。
「部屋番号をまだ把握できていないんだ」
 土屋は、先を行く高藤との距離を測りながら言った。
「予約時の情報は入手できたから、その段階での部屋は分かっている。ただ、手配を請
け負った会社の都合による部屋のグレードアップが、希にあるからね。あいつが何階で
降りるかを見ておきたい。八階なら、変更なしの可能性が高い」
 エレベーターの電光表示を目視できる位置まで来て、我々は高藤を密かに見送った。
扉が閉じる間際、外を向く高藤と目が合いそうになったが、避けた(と思う)。程なく
してエレベーターは動き始めた。そして十数秒後に停まる。
「――八階だな」
 満足げに頷いた土屋。
「8044にほぼ間違いない。あとは、タイミングを見計らって、あいつとすれ違うよ
うにすればいい」
「廊下で見張るのかい?」
「まさか」
 苦笑交じりに即答された。
「そんな怪しい真似はできないし、する必要はない。ここでの夕食は、原則として時間
が定められており、共同のレストランに出て来なければいけない。だから、我々もその
時刻に合わせて、レストラン前で待てばいい」
「そうか。えっと、夕食は確か……」
「今回は、午後六時からだ。一時間足らずだが、時間がある。折角の機会、君はここの
で優雅なひとときを味わっているといいよ」
「そんな悠長なことは。だいたい、土屋、君はどうするつもりなんだ」
「腹ごしらえをしておこうと思う」
「うん? 食事前に?」
「軽食を出してくれるところが、レストランとは別にあるんだ。ここはディナーだけで
なく、ジャンクフードも結構行ける」
「だったら、自分も付き合うよ。こんな広い場所で、一人になるのは正直言って不安
だ」
「それなら急ごう。ハンバーガーは人気があるからな」
 フロアを移るものと思い込んでいたので、エレベーターに向かった私だったが、土屋
に呼び止められて、ブレーキを掛けた。
「ちょうどこの反対側にあるんだ」

 土屋はジャンクフードと表現したが、どうしてどうして、人気のハンバーガーはちゃ
んとした料理になっていた。味も、ファーストフード店で食べるようなソースだけで決
まってしまうような代物ではなく、肉の旨味を感じられた。あとで、使っている肉は和
牛だと聞き、納得した。
 ともかく、腹ごしらえにちょうどよい量を胃袋に収めた我々は、レストラン前で待機
することにした。事前に土屋から計画を聞かされたときは、レストランの前で待ち伏せ
するのは目立つのではないかと危惧したが、全くの杞憂だった。レストラン出入り口の
手前はちょっとしたホールのようになっていて、中央に置かれたピアノでは常に演奏が
行われている。それを聴くために、宿泊客が何人もいる。ある者は備え付けのソファに
腰を据え、またある者は足を止めて聞き入っていた。私と土屋も彼ら聴衆に紛れ、高藤
が姿を見せるのを待ち構えた。
 やがて時刻は六時を迎え、ちょうどその頃、エレベーターで高藤が現れた。
 作戦では、チャンスがあればいつでも声を掛けるが、なければ無理をせず、食事中の
接近を試みることにしていた。レストランでの席は決められておらず、ウェイターに言
えばある程度は希望の席に着けるという。我々は、高藤の座った席を見極めてから、ウ
ェイターに案内を請う気でいた。
「――ちょっと状況が変わったようだ」
 エレベーターから出て来た高藤を横目で見やりながら、土屋が言った。その意味する
ところは、私にも理解できた。
 高藤に続いて、若い女性が出て来たのだが、彼女は高藤のすぐ斜め後ろを着いて歩い
ているではないか。腕を組めそうな距離だ。ハイヒール履きとは言え、かなり背が高
い。明るい青のワンピースが、よく似合っていると思った。――おっと、高藤が振り返
って、何か女性に言葉を掛けた。我々が腹ごしらえをする感に、高藤はこの若き女性と
知り合いになったらしい。もしや、彼女こそが、高藤が宿泊者の中から選んだターゲッ
トなのかもしれない……。
「どうする?」
「慌てることはない。若い女性が一人というのも珍しい。彼女を見たまえ、ひょっとす
ると、まだ十代かもしれない。スカートの裾を翻すような歩き方は、高校生ぐらいじゃ
ないか。これは……家族揃っての旅行だが、彼女だけはぐれたのを、高藤がレストラン
まで連れて来てやっただけ、と見た」
 早口で言いつつ、土屋は観察を続けた。
 すると、その推理の正しさを証明するかのように、ドアのところで高藤がウェイター
の一人に事情を説明する風な手振りをした。女性の方は、俯き気味になって、恥ずかし
そうにしている。言われてみれば、十代に見える。ドレスアップしているせいで見違え
たが、顔は少女のそれだ。
 やがて、若い女性は高藤にお辞儀をすると、先に一人だけ案内されて行った。
「ほら、やっぱり」
「なるほど。しかし、あいつがターゲットを定めた可能性は残るんじゃないか」
「ああ。だが、今はあいつに接近することを考えよう」
 我々は短い列に並び、高藤がどのテーブルに案内されるのかを見守った。店内には、
二人用の席の他、家族向けらしき四人席、丸テーブルを囲む八〜十名程度の席もあっ
た。高藤は単身の客だから、二人用のテーブルに通されるだろうと予想したのが、外れ
た。何故か彼は、八人掛けの丸テーブルの一角に陣取った。ウェイターの反応から推測
するに、高藤当人の希望らしい。
「見知らぬ人と相席して、知り合いになりたいというタイプもいるにはいるが……高藤
の場合、額面通りには受け取れないな」
 微苦笑を浮かべた土屋。
「しかし、これは好都合だ。自然な形で相席できそうだぞ」
 ウェイターに土屋が希望を伝えると、思惑通りになった。さすがに隣に座ることは適
わなかったが、一つ空けて同じテーブルに着けた。
 最終的に、我々と高藤の他、七十前後の姉妹が相席になった。着席時に簡単な挨拶を
した以外は、特に会話がないまま、夕食が始まった。コース料理で、前菜だのスープだ
のメインディッシュだのデザートだのの区分けそれぞれに複数――だいたい三種類――
のメニューから選べる方式になっていた。ウェイターが各人のセレクトを聞いて回る。
私と土屋、それに高藤はすぐに決めたが、姉妹はやはりと言うべきか、迷っている。そ
こへ、高藤が「迷われたなら、シェフのおすすめを選ぶのが無難とされているようです
よ」と、如才ない笑みとともに話し掛けた。
「ええ、そうしたいんですけれど、二人同じ物を頼むのもつまらないかしらと」
「分け合うのはマナーに反すると言いますけど、見るだけでも楽しそうなお料理だか
ら、写真に収めておきたいし」
 姉妹が姉、妹の順で答える。どちらも着飾ってこのような場に慣れているように見え
たが、実際はほとんど経験がないという。
「それなら、私やあちらの方達が選んだ料理以外を選べばよいのでは。ですよね?」
 高藤は不意に我々に話し掛けてきた。びくりとしたが、平静を装って、とりあえず頷
く。応対は、土屋に任せよう。
「料理を撮影したいと言うことでしたら、僕はかまいません」
 土屋もまた笑顔を作って、姉妹に言った。
「ただし、早めに言ってください。饗された途端に、手と付けたくなるかもしれません
から」
 ジョークは幸い、受けた。急速に、リラックスした空気になった。
「いいんですの? 実はブログをやっていまして、旅行記に写真を載せるつもりなんで
すけれど」
「どうぞ。個人の特定につながらなければ、全然気にしません。なあ?」
 土屋に同意を求められた。私は食い気味に、「ああ、いいですよ」と答えた。高藤も
異存ないようだった。
 このあと、食事は和やかに進んだ。お互いに簡単な自己紹介をし、打ち解けた雰囲気
になったが、必要以上にパーソナルテリトリーを侵さぬよう、ちゃんと気遣う。途中、
ウェイターのパフォーマンスや、バンドマンによる演奏があって、レストラン内は大い
に盛り上がった。
 私と土屋はお酒に弱いからと嘘を言って、最初の一杯にとどめたが、高藤は様々なア
ルコール類を何杯も飲んでいた。そのせいか、徐々に饒舌になり、我々や峰山(みねや
ま)姉妹に、より積極的に話し掛けてくるようになった。相手のことを根掘り葉掘り聞
き出そうとするのではなく、料理の感想に始まり、世間的な話題、高藤自身のこれまで
の旅行歴と話題を転じる。酔っ払っている訳ではなく、ちゃんと理性を保っているのは
見て取れた。しかし、彼に詐欺の犯歴があると知っている我々からすれば、話半分で聞
くべきだろうという思いが強かった。殺す相手を探すため、旅慣れた人間を装い、獲物
候補と接触しやすくなるという狙いかもしれない。
「それだけ旅をされているのでしたら、お知り合いも多いんでしょうね」
 土屋が尋ねると、高藤は曖昧に頷いた。続けて質問する。
「ひょっとすると、ここにも顔見知りの方がいるのでは? お客だけでなく、従業員の
方にも……」
「いや、残念ながら。しかし、他のところで、以前知り合った人と偶然再会した経験は
ありますよ。一度きりですが」
「そんなものですか。実は、最前、あなたをお見掛けしていましてね。周りの方達に話
し掛けておられたから、この人ならあいせきすればたのしいは話が聞けると思ったんで
すよ。それはともかく、さぞかし旅先での知り合いが多いだろうと感じたのですが、偶
然の再会は一度だけとは、寂しい」
「その分、再会したときの感動はひとしおです。体験したければ、あなた方も旅を続け
ることです」
 高藤は答えると、笑みを満面に広げていた。恐らく、嘘をついているのだが、うまく
切り抜けたことを内心、自画自賛しているのだろう。
 デザートとしめのコーヒーが終わると、峰山姉妹は「お先に失礼をします」と席を立
った。このあとの予定が詰まっているそうだ。
「あなた方はどうされます?」
 そう言う高藤も席を立ちそうな雰囲気だった。どうやら、我々は殺人のターゲットに
は不向きだと判断されたらしい。男性二人組の片割れを狙うのは、確かに楽ではあるま
い。
「できれば、もう少しだけあなたのお話を伺いたいのですが。どうです、クラブでもう
一
杯?」
 他のフロアに、お酒を飲める店があるのだ。高藤は少し考える素振りを見せた。
「魅力的なお申し出だ。しかし、お酒に弱いお二人に、そんなことをさせるのは気が引
けますね」
 これは痛いところを突かれた。酔ってしまわぬためについた嘘が、ここへきてしっぺ
返しの材料になるとは。
「うーん、自分達の部屋で飲めれば、深酔いしても大丈夫なんですがね。お招きするの
は失礼に当たるだろうから」
「私はかまいません」
 土屋が粘ると、高藤は意外にも乗ってきた。
「ルームサービスを頼むとしましょう。割高になるが、あなた方と話せることに比べれ
ば、安い物だ」

             *            *

 時計を見ると、ちょうど午前三時だった。
 高藤佐武郎は、土屋と日野森の両名が、すっかり眠りに就いたことを確認した。
 今回調達できた睡眠薬は初めて使う品だったが、よほど強力だったようだ。二人は、
まさに落ちるように眠った。アルコールと一緒に摂取したことにより、相乗効果も現れ
たのかもしれない。
 高藤は、土屋、日野森の順に懐を探った。名刺が数種類出て来たが、一種類を除けば
作り物だろうと想像が付いた。
「やっぱり。探偵だったのか」
 独りごちると、高藤は二人が録音機の類を持っていないか、手早く探し始める。
(誰の情報網か知らないが、私の次なる犯罪計画を嗅ぎ取った点は、驚かされた。だ
が、こちらにも情報網があることを、この二人はお忘れだったようだな)
 二人が身に付けた物に、怪しいところはなかった。続いて、室内を調べる。
(まあ、録音や録画をされていようが、かまいやしない。殺人の邪魔さえしないのな
ら、犯行を後に知られてもかまわないんだ。ただ、あなた達は邪魔になりそうだったの
で、一時的に排除させてもらうことにした。私の殺しが発覚後、あなた方が通報しても
何ら問題ない。私にとって、殺人を体験することが第一義なのだから)
 高藤は部屋を見渡すと、何かに納得した風に頷いた。
「今ここで、あなた方のどちらか、あるいは両者とも殺害するのも、目的達成のための
手ではあるが……安心していい。折角決めておいた“被害者”を、みすみす放置しては
心残りだ。予定通り、計画通りに事を進める」
 意識を失い、ソファにぐったりと身体を埋めたままの両探偵に向け、犯罪マニアは静
かに宣言した。

 土屋らを眠らせてからおよそ五時間後、高藤佐武郎は、三重県は鳥羽にいた。
 そして鳥羽水族館へ足を延ばすと、待ち合わせをしていた“被害者”神田聖人(かん
だきよひと)と合流した。この時点で、午前九時。高藤は神田としばらく館内を見物し
ながら、チャンスを待った。
 機会はトイレに入ったとき、訪れた。男子トイレ内には二人しかおらず、目撃される
心配はない。高藤は神田を個室トイレに押し込み、(練習した通りに手際よく)絞殺す
る。ドアが簡単には開いてしまわぬよう、遺体そのものをつっかえ棒のようにして細工
すると、トイレをあとにした。水族館からも退出すると、土屋達を閉じ込めた部屋のこ
とが気になり始めた。
 廊下側のドアノブに、清掃不用の札を提げて来たが、土屋と日野森がいつ目覚めて、
部屋を出て、自分の不在を察知するかしれたものでない。できれば、犯行中に逃げられ
ていたなどという、間抜けな構図は避けたいものだ。逮捕を恐れぬ犯罪マニアの高藤だ
が、彼なりの美学があった。
 急ごう。
 彼は念じながら走った。

 約一時間後、高藤は土屋達の部屋である7012号室に辿り着いた。
 幸い、探偵達は、高藤の犯行にまだ気付いていないようだった。

             *            *

「――何ですかぁこれは?」
 “手記”を読み終えると、一尺二寸光人(かまえみつと)はつい、素っ頓狂な声を上
げてしまった。首を傾げるあまりか、肩が凝ってきた。
「だから最初に言った。謎解き小説だと。あ、いや、体裁は手記だけどさ」
 作者である飛土屋薙(ひつちやなぎ)が、頭を片手で掻きながら答える。
「手記と言っても、途中から視点が変わって、犯人だけが知る行動を追ってるじゃない
ですか」
「そこは、そうしないとつながらないからね。仕方がなかったんよ」
「ふうん。それはいいとしても、これ、問題編にしては中途半端じゃありません?」
「あ、ああ。それも思い付かなかった。要するに、何かいいアイディアはないかと、君
の意見を聞きたいのが本音なんですがっ。その前に一応、謎解きをやってみてほしい」
 私と飛土屋は、大学進学を控えた高校生だ。今、文芸部の部室にいる。二人きりなの
で、気兼ねする必要はない。その代わり、暖房器具の類を使っていない(経費節約のた
め、三人以上が集まらないと、冷暖房できないルールがあるのだ)から、寒さが段々、
身にしみるようだ。ああ、私の肩こりは、この寒さも一因かもしれない。
「えっと、謎というのは、犯人が誰かではなく、犯人高藤の行動のことですね?」
「そうそう」
 横浜に午前三時にいた高藤が、朝の八時から九時にかけて、鳥羽で殺人を決行し、さ
らにその一時間後、横浜のホテルの一室に戻ってきた……。まともに考えると、あり得
ない。鳥羽ってことは、三重県。朝一の新幹線に新横浜から乗ったとして、八時頃まで
に鳥羽に行けるのだろうか。
 私は起ち上げていたパソコンで時刻表検索ソフトを開き、ざっと調べてみた。
 ――無理だった。
 鉄道では、うまく乗り継いでも九時四十分に鳥羽駅に着くのが限界のようだ。高速バ
スを用いても無理。飛行機を使えばどうにかなるのだろうか?
 そもそも、仮に往路をクリアできたとしても、復路はどうにもならないのではない
か。何せ、たったの一時間で、元いた部屋に戻っているのだ。調べもしないで言うのも
なんだが、絶対に不可能では? まさか、超高性能なプライベートジェットとか空飛ぶ
自動車とかを持ち出してくるんじゃないだろうし。
 というか、一時間で帰って来られるのなら、行きも一時間で行けばいいのに、この犯
人は訳の分からない交通手段を執ってるし。
「降参? ねえ、降参する?」
 嬉々として聞いてくる飛土屋に対し、無反応を決め込む。自分の手で後頭部から肩に
掛けて揉みほぐしつつ、とりあえず、飛行機の線を、本腰を入れて調べてみようか。
と、その矢先――。
「付け足すと、高藤は朝七時頃に、宿泊施設の従業員達に姿を見られているってことに
してもいいよ」
「ええ?」
 つまり、片道一時間で往復したってこと? ほんとに訳が分からなくなってきた。肩
こりどころか、頭痛の種が生まれそうだ。
「念のために聞きますけど、今言った宿泊施設っていうのは、最初に出て来た横浜にあ
る施設と同じなんですよね?」
「うーんと、それはね。ええっと、最初に出て来た施設と同じで、間違いない」
「……?」
 何だかおかしな返事を寄越してくれた。頭の中で、飛土屋の台詞を素早く検討する。
すぐに気が付いたのは、「横浜」の部分を認めなかったこと。
「――横浜から鳥羽の辺りまで、巨大キャンピングカーか何かで夜通し移動した、とか
じゃないでしょうね?」
「おっ」
 飛土屋はびっくり眼を作って、口をOの字に開いた。解かれて嬉しいのか悔しいの
か、よく分からない人である。
「惜しい! もうちょっと現実的になろう」
「現実的って……ホテルが移動したことは認めるのですか。そんな発想をする人に、現
実的になろうとか言われたくないなあ」
「あ、だからさ、ホテルだなんて一言も書いてないし、言ってないでしょ」
「え? いや、確かはじめの方に……」
 探してみたが、一箇所しか見付からなかった。その唯一の箇所も「この手の旅やホテ
ルに慣れていない私」という形で、いわば記述者の日野村次第。現に泊まっている施設
が、ホテルだと断定できる言い回しじゃない。
「でもまあ、ホテルと言えなくもないと思うよ」
「どっちですか」
「もう答になっちゃうんだけど、いいのかな?」
「……かまいませんよ。これ以上引っ張られると、肩のこりが取れなくなってしまう」
 私が白旗を掲げてみせると、飛土屋は嬉々としての自乗ぐらいの笑顔になって、得意
げに言った。
「高藤や探偵達が泊まったのは、ホテルはホテルでも、洋上のホテル。言い換えると、
豪華客船に乗っていたのでしたー」
「……」
 “手記”を握る力がアップするのが分かった。皺がよるのは、プリントアウトした紙
だけでなく、私の額もだろう、きっと。

 私は部室を出ると、保健室にシップをもらいに行った。

――終わり




#441/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/02/14  21:31  (217)
バレンタインは中止です   永山
★内容
 冷静になって振り返ると、それは警察なりの配慮だったのだろうと思う。
 しかし、刑事達がバレンタインデーの夜遅くにやって来たあの時点では、ただただ動
揺し、慌てふためいていた。
 男女二人組の刑事は、サイレンを鳴らすことなく、それどころかパトカーではないご
く一般的な普通乗用車でやって来た。そしてこう告げたのだ。
「丹波恵麻(たんばえま)さんね。あなたの渡したチョコレートを食べた人物が、救急
車で搬送された。毒の混入が疑われるので、ちょっと話を聞かせてもらいたいのだけれ
ど、いいかな」

            *             *

 二月七日。校舎の窓から見える外の景色は、徐々にオレンジ色に染まりつつあった。
 バレンタインデーを一週間後に控え、細木洋海(ほそきひろみ)は気分が高揚するの
を自覚した。
 やっと見付けた理想の男子。今度こそ本気になれる。これまでずっと無駄にしてきた
チョコレートだったが、今年は意味を持たせることができるはず。
 この三学期の頭に転校してくるという、ちょっと珍しい出会いを果たした。そんな彼
の名は横島広見(よこしまひろみ)という。そう、下の名前が同じ音なのだ。これだけ
で運命を感じてしまう。
 もちろん、名が同じというだけで、好きになったんじゃあない。そもそも、第一印象
は特になく、ああ、転校生が来たんだぐらいにしか感じていなかった。それが、一ヶ月
近くにわたってクラスの一員として接する内に、どことなく惹かれていった。言葉で説
明するのは難しい。相手からアプローチがあった訳ではなく、趣味がばっちり重なった
訳でもなければ、特別に優しくされたり親切を受けたりもない。せいぜい、中上(なか
がみ)先生から言い付けられた用事を、二人でこなしたことが数度あったくらい。そん
な日常的な接触を重ねる内に、肌が合う感覚を得たのは確かだった。自分に極めて近
い、あるいはもしかすると同じ空気を感じた、とでも言えば伝わるだろうか。
 さっき、職員室を辞したとき、彼から声を掛けられた細木は、高揚と動揺を押し隠す
のに努力を要した。
「今日、一緒に帰れる?」
 横島の方からそんなことを言ってくるのは、珍しい。一緒に帰るといっても、最寄り
駅までだから、大した距離ではない。が、それでも充分に楽しい時間を過ごせるはず。
ただし、一緒に帰れたら、だけれども。
「ごめーん。まだ用事あるんだ。もう少し、あと三十分ぐらいかな」
「分かった。じゃあ、三十五分後まで、校門のところで待つ。それ以上は待たないから
な」
「それはいいけれど、何か用?」
「親が誕生日を迎えるんで、そのプレゼント選びでアドバイスが欲しい。何せ、去年は
えらく不評だったからな」
「えー、よっぽどだったんだ。去年、何上げたの?」
「あまり語りたくない。そんなことより、早く用事を済ませてくれと言わせてもらう」
 残りの用事を片付けるべく、細木は踵を返した。廊下に上履きが擦れ、キュキュッと
音がした。
 本当のところをいうと、今日の放課後は手作りチョコレートの材料を物色するつもり
でいた細木だったが、当然、延期を選んだ。

            *             *

 休み明けの二月十二日。私は一人で買い物に出掛けた。無論、手作りチョコレートの
材料を買いそろえるために。
 湯煎に適したチョコレートは言うまでもない。ドライフルーツや砂糖漬けのフルー
ツ、ナッツ類に生クリーム。表面に愛らしい柄をプリントできる転写シートも数種類。
部分的に、スポンジケーキも使おう。
 そんな算段を立て、メモを手に、スーパーマーケット内を回る。隣町の駅から少し離
れた立地の、大型店舗だ。近所の店では、同じ学校の生徒が大勢利用するのは目に見え
ており、知り合いと出くわす可能性は大いにある。他の女子はどうだか知らないけれ
ど、自分はこういったイベントに参加するのはいいが、なるべく知り合いには見られた
くない性質なのだ。
 それにしても、無事にバレンタインデーを迎えられそうで、よかったと思う。
 というのも、今年の一月半ば頃から、県下のあちらこちらで、陳列されている菓子類
への異物混入事件がぽつぽつと起きていたのだ。狙われる店舗形態は、防犯カメラなど
ないような駄菓子屋や小さな商店が多かったが、徐々に中堅から大手のスーパーマーケ
ットも標的にされるようになった。
 混入される異物は、玩具の小さな玉を皮切りに、消しゴムの滓、水、醤油、石けん水
もしくは洗剤といったところ。この内、消しゴムの滓の件は小学生が現行犯で見付か
り、片が付いている。残りは未解決だが、不幸中の幸いと言っていいのか、人命に関わ
るような大事には至っていない。
 犯人像は(少なくとも警察発表では)全く特定されていないが、菓子の中でもチョコ
レートが特に狙われており、バレンタインデーの中止を目論んだ何者かの犯行ではない
かという説が、まことしやかに流れている。その内、毒を入れられるのではという見方
も出ているぐらいだが、バレンタインデー本番を翌々日に控えた今日現在、そんな凶悪
事件の発生は報じられていない。
 私の生活圏内で何事もなければいいわ、と他人事のように考えてやり過ごせれば楽
だ。実際、異物混入事件は市内では起きておらず、それ故に学校がバレンタインのやり
取りを禁じるなんて“強権発動”に出ることもない。二月十四日が過ぎれば、きっと収
束するに違いないと信じている。
「うん?」
 品物選びに専念しようとした矢先、私の歩みは止まった。知っている顔が、今、一つ
向こうの通路を足早に横切ったような。
 念のため、確認しておこう。商品棚の谷間を急いで抜け、くだんの通路に出てみた。
 あれかな?
 後ろ姿だったが、ちょうど曲がるところだったので、横顔が見えた。
 やっぱり、見間違いじゃなかった。クラスメートではないが、学校でよく会う顔見知
りだ。
(ひろちゃん、こんな隣町の店にまで、何を買いに来たんだろう)
 好奇心から、彼のいる区画をそっと覗く。臨時に積まれた商品が障壁になって、安心
して観察できる。
 なかなかの二枚目で、入学当初はちょっぴり憧れたこともある。手品を趣味としてい
て、最初は興味を惹かれたけれど、一度こちらが関心を示すとやたらと見せたがり、
段々鬱陶しくなって、もう今では好きでも何でもない。
 ところで、ひろちゃんとは、名前から勝手に付けた愛称だ。ちょっと引っ掛かるの
は、女子でもないひろちゃんが、今の時期、チョコレートの並べてある棚に何の用事だ
ろうってこと。誰からももらえなかった場合に備えて、二つ三つ、買うつもりかしら。
結構、イケメンなのだから、全然もらえなんてことはなさそうなのに。
 黙って見ていると、当人はこっちに気付く様子もなく、一心不乱にチョコレートを探
している風だった。視線を忙しなく、棚の上下左右に飛ばしているのがよく分かった。
 やがて目的の品を見付けたらしく、胸の高さ辺りの棚に手を伸ばす。
 随分と奥にまで手を突っ込んでるなあ、って感じた。
 程なくして、引っ込められるその右手。何も握られていない。ふと気が付くと、彼の
横顔には薄い笑みが張り付いた。唇の端をひん曲げ、にたっと。
 ――ど、どうしたのだろう。鳥肌が立つような感覚を覚え、私は思わず自分を抱きし
めていた。何故だか知らないけれど、一瞬、ぞくっとした。
 次の瞬間、彼がこちらに引き返してくるような予感が立った。兆しを目に留めた訳で
はない。けれど、目的を果たしたであろうひろちゃんは、こっちに戻ってくる可能性が
高い。そして、私は彼の行動を目撃していたが、そのことを知られてはならない気が強
くした。
 静かに、しかしできる限り急いで、向きを換えると、その場をそっと離れ、別の商品
棚の谷間に身を隠した。
 見なかったことにしよう。そうするのがいいに決まってる、うん。

 あれから気を取り直して、チョコレートを作ったのが昨日、二月十三日のこと。
 私は、一大決心をして、この特別な手作りチョコを、“彼”にプレゼントすると決め
た。

            *             *

 細木洋海は横島広見に宛てて、チョコレートを贈った。大っぴらに渡すことは気恥ず
かしく、はばかられたため、横島の靴箱に忍ばせる形で。
 細木にとって嬉しいことに、横島の靴入れの中に、他にプレゼントらしき小箱は一つ
もなかった。もしあったら、排除していたかもしれない。

            *             *

 職員室を訪れた私は、“彼”の机を目指した。が、そこは空席だった。
「あれ、ひろちゃん、いないんだ? どこ行ったのかなあ。――中上先生、ご存知ない
ですか?」
「さっき、いそいそと出て行ったのは見かけたが、どこへ行ったのかは知らん。それよ
りも丹波。先生をあだ名で呼ぶのはやめなさい。最低限、生徒の間だけにして、先生の
いるところではするな。示しが付かんじゃないか」
 中上先生は教え方がうまい方で、割と生徒受けがいい。ただ、説教じみた余計な話が
多いのが玉に瑕というのが、私達の間での評価。授業中の余談は面白いのに。
「はーい。それでですね、先生。どうせ義理チョコだし、探して渡すのも面倒だから、
これ、机に置いていっていいと思う?」
「勝手にしなさい。ああっと、名前は書いてあるんだろうな。誰からのプレゼントか分
からないようだと、あとで伝えるのが手間なんだよ」
 出て行こうとしていたけれど、私は中上先生に振り返り、首を縦に振った。ついで、
思いっきり作り笑顔で答えた。
「ちゃんと書いてありますよ−。『丹波恵麻から細木洋海先生へ』って」

            *             *

 ダブルで禁断の恋、と言えるかもしれない。
 細木洋海は生徒昇降口から職員室に戻る道すがら、そんなことを考えていた。
 教師が生徒に恋心を抱くだけでも問題視される。同性同士の恋愛も、まだまだ世間一
般に広く許容されているとは言い難い。
 ではこの二つが重なれば、恐らく、絶対に許されることはあるまい。少なくとも現在
の日本においては。
 そういう常識は頭にある細木だが、にもかかわらず、一歩踏み出してしまったのは、
横島広見の存在故であった。外見や性格等が、細木の好みにほとんど重なっていたのは
言うまでもないが、加えて横島自身“同好の士”らしい気配が感じられたのが大きい。
 バレンタインに背を押してもらう形で、細木はチョコレートを贈る勇気を出せた。あ
とは返事を待つだけ。細木のアプローチに、横島がどう応えるかに、今後の運命が掛か
っている。
(……もしも断られたら。いや、それどころか、絶交されたとしたら)
 そんな最悪の結果を想像するだけで、細木は狂おしい声を上げてしまいそうになる。
(断られたら、また前の私に戻ってしまうかもしれない。私は弱い。早々に最悪の結果
を想像して、またやってしまった)
 今さらながら後悔を覚えていた。
 細木には、前から時折やっていた悪事があった。バレンタインデーの時季が近付いて
くると、徐々にエスカレートしてしまうその癖とは、そう、チョコレートを始めとする
菓子類に異物を混入する行為だった。
 幸せそうなカップルを見ると、つい衝動的に行動してしまう。仮に神経の高ぶりが収
まり、一時的に落ち着いても、寄せては返す波のように衝動は訪れるのだ。横島の存在
は、ほんの短い間、細木にとっての安定剤となったのだが、じきに効果はなくなった。
逆に、横島と関係を持ちたいとの想いが日々積み重なり、より不安定な状態に陥った感
覚すらある。
 それがピークに達したのが、二日前。むしゃくしゃがどうにも鎮まらなかった細木
は、とうとう一線を越える。入手に成功した毒物を、前もって買ったチョコレート製品
に注射針で混入し、買った店とは別の店に戻しておいたのだ。戻すときに怪しまれない
か心配がないではなかったが、そこはいつものように、手品の腕が役立った。
 現時点で、あのチョコレートはまだ売れていないのか、事件の報道はない。
 もしも横島が受け入れてくれたなら、あのチョコレートは回収してもいいな。細木は
そんなことを思っていた。そのせいか、足取りが普段よりも遅かったが、ようやく職員
室が見えてきた。
 職員室に入るや、先輩教師の中上から、生徒が何か包みを置いていったことを伝えら
れた細木は、すぐに横島からのプレゼントを想像した。だが、包装紙に書かれた名前を
一瞥し、都合のよい想像はあっさり打ち砕かれた。
 だからといって、生徒からの贈り物を捨てる訳には行かない。中上先生が一部始終を
見ていたということもあり、ここはちゃんと持って帰らねばなるまい。仮に食べ物だと
したら、口にして感想を伝えるべきだろう。

            *             *

(これはテストよ)
 万が一にも、細木先生が異物混入魔だとしたら、制裁を受けるべき。それも、単なる
刑事罰や社会的制裁だけでなく、同じ目に遭うべきだと思う。目には目を、歯には歯
を。それが当然なんだから。
 私、丹波恵麻は、小さな頃からそう教えられてきた。
 細川先生の不審な行動を偶然目撃したあの日、私は店を一旦出たあとまた引き返し、
先生が置いたであろうチョコレート商品を複数個、購入した。
 それらを材料に、手を加え、ハンドメイド風のチョコレートに仕立て直した。
 できあがった物を、義理チョコを装って、細川先生に渡す。少し前まで、手品を見せ
ていた女子生徒からのプレゼントを、先生はきっと受け取る。食べるかどうかは分から
ない。ひょっとしたら、気味悪がって食べずに自宅で処分するかもしれないし、私に感
想を問われたときに備え、一個ぐらい食べるかもしれない。それは天に任せる。
 先生が何を混ぜたのかも知らない。一目見ただけで正体の分かる物じゃないことは確
かだ。何らかの液体と考えられる。恐らく、単なる水や醤油、石けん水よりは危険な代
物に違いない。ただ、それを食べるとどうなるのかは全く不明。細川先生次第だ。

 そうして――。
 刑事を前に、今の私はせいぜい、演技に徹するとしよう。
 異物の混入したチョコレートを運悪く購入し、図らずも毒入りのバレンタインチョコ
を作り、先生に贈ってしまった女子生徒。その立場を演じきる。
 だいたい、細川先生がチョコに何を入れたのか知らなかったのだ。私が罪に問われる
はずがない。むしろ、悪質な犯罪者を成敗したことを、称賛されてもいいくらい。
 細川先生の正体は、近い将来、白日の下にさらされるに決まっている。警察が先生の
家を捜索し、異物混入犯である証拠を掴むだろう。日本の警察は基本的に優秀だと信じ
ている。心配していない。
 と、部屋のドアが開き、また閉じられる音がした。男性刑事が戻ってきたのだ。
 廊下に出て、同僚刑事からの某かの報告に耳を貸していた彼は、その内容を私に聞か
せるようなことはせず、私に事情聴取していた女性刑事に耳打ちした。
 女性刑事は一つ頷くと、顔の向きを男性刑事から私へと変えた。何気ない調子で告げ
てくる。
「ショックを受けないで聞いてね、丹波さん。細川洋海先生がお亡くなりになったそう
よ。即効性のある毒でね」

――終わり




#442/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/05/26  19:22  (393)
世界で二番目に大事   永山
★内容
 滝田豪蔵(たきたごうぞう)はソファに腰掛けたまま、眩しさに目を覚ました。瞼を
開こうにも、白い光が己の顔を強烈に照らしており、なかなかしんどい。手を顔の前に
持って来て、影を作ろうとした。
 だが、手が動かない。左右とも、肘掛けにしっかり固定されているようだ。そう感じ
たのと同時に、照明が消された。じきに目が慣れ、十畳ほどの広さの部屋にいると把握
できた。窓はないが、天井の蛍光灯が点っているため、見る分には支障がない。しか
し、動き回ることは不可能だった。腕だけでなく、腰部や両足も拘束具で自由を奪われ
ており、ソファとがっちりつなぎ止められている。当然、ソファは重く、動かせない。
 室内に大した物はない。最前まで顔を照らしていた大型のランプと、二メートルほど
前に五十インチはありそうな大きなモニターが一台あるだけ。
 後方を見てみようと首を巡らせてみたが、寄る年波のせいで、あまり可動域は広くな
い。骨の鳴る音を何度か聞いて、滝田はあきらめた。どうせ、自分以外に誰もいないら
しいのは気配で感じ取れた。
「どうなってんだ、おい」
 声を出してみる。喉が張り付いた感があって、乾きも若干覚える。
 声に対して反応は――あった。
 モニターの画面が白みを帯び、程なくして画像が映った。旧いタイプのコンピュータ
ゲームのグラフィックといった趣で、トランプのカードとじゃんけんをする手が映し出
されている。静止画だ。
『起き抜けのところを悪いが、滝田豪蔵さん。あなたにはこれからゲームに参加しても
らいます』
 突然、機械的な音声が告げた。
「誰だおまえ? 俺をどうしたい?」
 滝田は声を絞り出した。自身の着ている服から、週末の夜、バーに入ったときのまま
の格好だとは気付いていた。そのバーを出た記憶がないということは、そこで何かを盛
られ、意識をなくしたところで連れ去られたと考えるのが妥当だろう。
『ゲームには強制参加だから、その辺の事情を説明しても、時間の無駄なんですがね。
まあいい。対戦相手との公平を期すため、あなたにも頭をすっきりさせる時間をあげる
としましょう。私が誰かなんて答えられる訳ないが、呼び名がないと不便かもしれな
い。マスターとでも呼べばよろしい。滝田豪蔵さん、あなたをどうしたいかだが……一
言では言い表しにくい。罰したい、苦しむ顔が見たい、あるいは単に賭の対象とした
い。この辺りの感情が一緒くたになっているというのが一番近い』
「罰したいとは、どういうことだ? 俺が何か悪いことをしたか?」
「これはこれは、おとぼけを。悪さを働いたことがないとは、言わせませんよ。今でこ
そ、一端の有名企業社長だが、こうなるまでに色々とやってますよね、あなた。嘘、裏
切りは当たり前。私の調べでは、人一人死んでいる。奥様の貴美子(きみこ)さんと組
んで、玉城栄(たまきさかえ)さんを葬ったでしょう? 当時、彼女から大金を出して
もらう代わりに、肉体関係を持ったはいいが、予想以上に玉城さんが長生きをするもの
だから辛抱できなくなったのでしょうか』
「な、何でそんなことを知ってる?」
「蛇の道は蛇、ではありませんが、人間てのは窮地に追い込まれると、助かりたいがた
めに秘密の情報をはき出すことがある。今言った話だって、あなた一人で抱えていた秘
密ではないでしょう」
「もしや、貴美子が。いや、そんなはずはない」
 かぶりを振った滝田。妻は現在、海外を豪華客船で長期クルーズ中だ。そんな妻を、
この“マスター”らが拉致して秘密を白状させたとしたら、大騒動になっているはず。
 となると、他に秘密を知る奴は――。
「米川(よねかわ)か? あいつが喋ったんだな?」
 秘密を知るもう一人の男の名を口にした。だが、マスターは答をはぐらかせた。
『どうでもいいでしょう、そんなこと。秘密は一度漏れれば、用をなさなくなる。あな
たがこうして、ゲームの場に引きずり出された時点で、この話は終わり』
「……一体、何が目的だ? 俺を脅迫したいのなら、こんな拉致監禁なんぞの手間を掛
けなくても、さっきのネタで充分だろうが。なのに、ゲームだあ?」
『お好きなはずですが。ギャンブラー気取りで、裏カジノに出入りしていることくら
い、把握していますので』
「それは……そうだが」
『私は、あなたの戦いぶりを目の当たりにしたいんです。金のやり取りだけで終わらな
い、本気を出さざるを得ないゲームで』
 言い終わったマスターが、ふふふと冷たい微笑を添えた。滝田は背筋に寒気が走っ
た。
「ま、まさか命を賭けろって言うのか? 冗談じゃない! 金なら払う。俺のところで
払えるだけ払う!」
『落ち着いて、冷静に。命を賭けろとは言っていない。ま、賭けたければ、ご自由に。
その辺りを含め、そろそろゲームの説明に入るとしましょう』
 一方的に告げるマスターの声が途切れ、モニターには細かな字で説明文らしきものが
表示された。
『まず、最も気にされている賭ける物だが、あなたにとって一番大事なもの、というの
が条件です。無論、嘘はいけない。たとえば、尻ポケットに入っている汚れたハンカチ
が一番大事なんだとか、初めて自分の金で買った高級腕時計が大事だとか、三代にわた
って暮らしている家は絶対に手放せないとか、そういう戯言は認めません。ご自身の命
と比べても遜色ないようなレベルでないと、私は認めませんから』
「そ、それはつまり、全財産を賭けろということか」
『大金や不動産だけが、命と釣り合うとは言ってませんよ。人の命に釣り合うのは、人
の命だけという見方もできますし。まあ、何を賭けるかは、あとで聞きますから、じっ
くり考えておいてください。続いて、ゲームにおける報酬について――』
「ほ、報酬があるのか?」
「当然です。まず、参加するだけで百万円をお支払いします。ゲームに勝利すれば、五
千万円プラスα。このプラスαは、何を賭けたかによって変わってきます』
「ふん、今まで理不尽なことばかり聞かされていたせいか、ありがたく聞こえるが、ど
うやって信じろと?」
『さあ? それはあなた次第でしょう』
 小馬鹿にしたような返しに、滝田は大きな音を立てて舌打ちした。
『たとえばここに百万だの五千万だのの札束を持って来れば、滝田豪蔵さん、あなたは
信用するんですかね? お札が本物でも、あなたに渡すとは限らない。それは証明のし
ようがない。証明するには、勝利すること。ただそれだけです』
「……説明を続けろ」
『では……お待ちかね、ゲームの内容だが、これは私の考えたオリジナルゲームで遊ん
でもらいましょう。今回は、名付けて“ばば抜きじゃんけん”』
 その聞き慣れないフレーズなら、既に画面に見付けていた。ルールも読もうとしてい
たところだ。
『このゲームは、プレイヤー二人で争ってもらいます。まず、グーチョキパーそれぞれ
のイラストが描かれたカード十四枚をシャッフルし、両名に配る。手札を早くなくした
者が勝ち。手札七枚ずつが配られたところで、先手Aと後手Bを決める。AはBの手札
から一枚を選んで引き、引いた札を見なくてよければそのまま“ボックス”に捨てる。
見たい場合は、手札に入れ、同じ絵柄の札とペアにできれば、二枚をボックスに捨て
る。ペアができなければ手札が一枚増えることになる。次に、BがAの手札から一枚選
び取り、同じことを繰り返す。そしてAB双方が手札から一枚ずつ出して、じゃんけん
勝負。負ければ自分の出した札は無論のこと、相手の出した札も受け取らねばならな
い。ここまでを一つのターンとし、どちらかが手札をなくすまで行う。なお今回は、先
に二勝を挙げた方を勝者とします。そうそう、先手と後手は、ひと勝負事に決めます。
質問は?』
「そ、そうだな。じゃんけんがあいこだったときはどうなるんだ」
『勝敗が付くまで行います。その場合、あいこの札はボックスに入れられます』
「そうか。ということは、あいこが続くなら、それだけ札を減らせるんだな」
『他に質問はありませんか』
「急かすなよ。まだよく分かってないんだ」
『すぐには飲み込めなくても大丈夫。ルール書きを見ながらゲームをしてもかまいませ
ん。何なら一度、試しに私がお相手することもできますが、いかが?』
「その試しは、本番のゲームの勝敗には関係ないんだろうな」
『もちろん』
 滝田は即座に、試しの勝負をしたいと希望した。ゲームに慣れておく意味もあるが、
それ以上に、マスターが姿を見せると踏んだという理由が大きい。
 ところが、マスターは姿を見せなかった。
 モニター画面が切り替わっただけだった。しかも、マスターらしき人物が映像で現れ
る訳ではなく、イラストによるキャラクターが登場する訳でもない。単に、対戦相手ら
しき人物の両手と、カードを置く台が絵で示されたのみ。この絵は、上下向き合う形で
二組あり、下側が滝田を表すようだ。
 呆気に取られている内に、画面上では札が配られた。
『本番でも同じように行います』
 そんな注釈を聞きながら、滝田は自分の手札が開かれるのを見た。グーが二枚、チョ
キが二枚、パーが三枚となかなかバランスがよい。
「全くテレビゲームみたいだが、どうやって操作するんだ?」
『声に出してもらったら、その通りに動きます』
「待て。何か細工があるんじゃないだろうな」
『それもまた信用していただく他ありません。対戦相手と顔を合わせずに済む配慮なの
ですよ。たとえば、か弱い女子学生が、強面のヤクザ者を目の前にして実力を発揮でき
なかったら気の毒でしょう。可能な限り、フェアな場を提供するのが目的なのです』
「……やむを得ん。先攻後攻はどう決める?」
『対戦する二人の合意の上、好きなように決められます』
「先攻が有利じゃないのか?」
『ああ、これは失礼をしました。補足します。先に札をなくした者が一勝を挙げると言
いましたが、厳密には引き分けもあり得ます。一つのターンを単位として勝敗を判断し
ますので、先手側が先に手札をなくしても、それに対応する後手の動作により、後手が
手札をなくすことができた場合は引き分け。たとえば……両者とも残り一枚になった状
態で、後手が手札を引くと、先手の札はなくなりますが、引いた札が後手の手持ちの札
とペアになれば、後手もまた札をゼロ枚にできます』
「なるほどな」
 一応頷いたものの、内心、滝田は首を捻った。それでもやはり有利なのは先手ではな
いのかと思う。
「今は試しなんだから、俺が先手でいいだろ?」
『かまいませんよ。では、そろそろ始めてみますか』
 滝田は応じ、マスターの手札から一枚、真ん中の札を取るように言った。すると画面
の絵が反応し、マスター側の手札の真ん中の一枚が、その縦の長さ半分ほど前に出た
(画面では、下向きに進み出た格好だ)。
 見るか見ないかを問われ、見ることにした。グーが現れる。
(ああ、そうか。なるほどな。見る方が絶対に得だと思っていたが、このグーと手持ち
のグーとでペアができたから、捨てなければならない。結果、手元にはグーが一枚だけ
になって、ジャンケン勝負という意味ではややバランスが悪くなる。尤も、相手もグー
を一枚減らしたことが分かっているが)
 二枚を捨てる。ボックスのイラストに二枚のグーが吸い込まれた。
『一連の動きの内、あなたの手札以外は、対戦相手の私に見えています。引いた札を見
てペアができた場合も、対戦相手には当然その札が何か分かっているのですから』
「そりゃそうだ。で、次はマスター、あんたの番だ」
 マスターは右端のグーを選び取った。思わず、「あっ」と声が出た。グーが手札から
なくなってしまった。
 そんな滝田の反応はマスターに見えているのかどうか、抜いた札を見ることなく、そ
のままボックスに入れた。
『それでは、じゃんけんと行きましょう。タイミングをぴったり合わせなくても、両者
が札を選び終わると、表示されます。制限時間は特に定めてないんですが、三十秒まで
にしましょう』
 滝田は相手の言葉を聞きながら、懸命に検討していた。滝田が声を上げたのを知っ
て、グーがないことをマスターは察しただろうか。だとしたら、マスターは負けないた
めに、チョキを出すはず。そうなると、俺もチョキを出して引き分けに持ち込むしかな
い――。
 そう判断して、チョキを選ぼうとしたときには、相手はもう出す札を決めていた。ま
だ時間はあるが、滝田も急いで決定した。
『では、オープン』
 マスターの声とともに、伏せられていた相手の札が開かれた。それはグーだった。
「何っ!?」
 呆気に取られる間もなく、グーの札が増えた。手元にはまだ六枚の札がある。一方、
マスターの手札は五枚。引いた札を見た方が一枚多く捨てられるからよいと思っていた
が、実際は負けている。
 滝田は、次は見ないで捨てようと決めた。運の要素が大きいとは言え、試行錯誤は必
要だ。
「俺から見て右端を引く。それを見ずに捨てる」
 発声した通り、画面上の絵が動きを見せた。
 マスターは左から三枚目を引いた。チョキである。ここで滝田はダメ元で頼んでみ
た。
「お試しということで、我が儘を聞いてもらえんか? その札を手札に入れて見てもら
いたい」
『……特別ですよ』
 引いた札を手元に入れたマスター。そこから二枚を捨てる……と思いきや、そのま
ま。
「ん? 質問だが、ペアができた場合、捨てなければならないんだよな?」
『その通り。嘘をついても、チェックされます』
「ということは……分かった」
 つまり今、マスターの手にチョキの札は一枚。大半はグーとパー。
(俺はパーを出せば、負ける確率は低い。だが、さっき俺は逆の立場で、まんまとやら
れた。勝ちたいのなら、何を出すべきか。相手はチョキは一枚しかないのだから、使い
たくないだろう。……いや待てよ。その思い込みを利用されたとしたら、どうなる?)
 糸口を見付けたと喜んだのも束の間、迷宮に入り込む。これでは普通のじゃんけんと
変わりがない。
『滝田豪蔵さん、時間切れになりますよ』
 画面を見ると、マスターは既に札を出している。こちらが決めかねている内に出せる
なんて、勝率を高める確固たる方針でもあるのか。
 時間切れで負けにされるのも癪だ。滝田はパーを選択した。理由は単純。手札の中で
一番多いからだ。グーとチョキは一枚ずつしかなく、ここで使うとなくなってしまう。
 両者の提出札が開かれる。ともにパーで、あいこだ。二枚のパーがボックスに回収さ
れた。手札が減るのはありがたいが、相手との差は縮まらない。
 とにもかくにも、引き続き、次に出す手を決めねばならない。
(今、マスターの手札はチョキ一枚は確定で、あとはパー三枚かグー三枚、あるいは
パー1グー2、パー2グー1のいずれか。心情的に、一枚しかないパーをさっき使い切
ったとは考えにくい。――俺のチョキを使うとしたら、今しかないんじゃないか? 負
ける可能性もあるが、相手がパーを使い切らない内にチョキを出さなきゃ、無意味だ。
いや、しかし、それにはなるべくグーを消費させてからの方が)
『また、時間切れになりますよ』
 マスターの声に急かされ、滝田は結局、最前と同じ手を打った。手札の中で唯一、二
枚あるパーを出したのだ。
 そしてマスターの手も同じくパー。再びの引き分け。すぐさま、三度目の選択に入
る。
(まずい。チョキを出しにくくなってしまった。これだけパーが場にたくさん出ると、
もうパーはないんじゃないかって気になってくる。次のターンでチョキを相手に引いて
もらえる確証があれば、チョキを残してもいいんだが、それは無理。ここは負けてもい
いから、チョキを消費すべき……なのか?)
 考えがまとまらないまま、チョキを出した。三度続けて、時間切れになりますよとの
警告を受けたくないという変なプライドもあった。
 そうして開かれたマスターの手はグー。覚悟していたとは言え、負けは痛い。気付く
と、相手は二枚、自分は四枚になっていた。
 もうなりふり構っていられない。滝田は相手の札を引き、すぐに見た。チョキのペア
ができたので捨てる。手札はグー2、パー1。
 マスターの手札一枚はグーかパーだ。次にマスターがー引いた手で、揃えられると終
わってしまう。今回も見ずに捨ててくれれば、生きながらえるが。
 マスターはグーを持って行った。そしてその札を手札に入れ――ペアができていた。
『滝田豪蔵さん。この回のあなたの敗北が決まりました』
「あ、ああ。そうだな」
『さあ、試しはもうよろしいでしょう。対戦相手もお待ちかねだ』
「わ、分かった」
 勝ちのイメージがないまま本番に臨むのは、嫌な気分だが仕方がない。
『それで、何を賭けます?』
 マスターの問い掛けに、滝田は気を引き締めた。
「それなんだが、大事な人の命を賭けることは、許されるのか?」
 苦しげな声を意識して作った。思い悩んだ末の結論という感を醸し出すために。
『かまいません。勝利ボーナスのプラスαが多く見積もられるだけです』
 認められない可能性もあると覚悟していたが、返事はあっさりしたものだった。心中
でほうっと息をついた。
「それなら……俺の一番大事な存在は、滝田貴美子。我が妻だ」
 これも、いかにもやむを得ない選択なんだとばかり、奥歯を噛みしめ、俯き加減に言
った。
(若いとき、一緒に悪事を働いた頃なら、こんな真似はしない。だが、今は違う。たと
え負けても、あいつと離れられるのなら万々歳だ。ましてや、始末してくれるのなら、
願ったり叶ったり。お互い、余計な秘密を知っているしな)
 笑みが面に出て来ないよう、必死に偽りの感情を作る。
『認めましょう。ただ、念のために忠告しておくと、あなたがもしも負けた場合、滝田
貴美子さんの生命はこの世から消えてなくなりますが、それでもかまわないと?』
「かまわないことがあるか! 絶対に勝つんだ。負けなんて、考えてない!」
『覚悟の程、承知しました。プラスαは五千万円になります。それでは早速対戦開始と
行きましょう』

   〜   〜   〜

 ゲームは三戦目に突入していた。
 一戦目は滝田が後攻を取り、ターンを三度繰り返したところで勝利した。二戦目は逆
に滝田が先手となり、四度目のターンで負けが決まった。最後の第三戦を取った方が勝
利し、賭けたものが守られる。
 ルール通り、対戦相手が誰なのかは互いに分からないままだが、加えて、何を賭けた
かも知らされていなかった。
(まさか、相手も自らの命を賭けちゃいまい。そりゃあ、自分の命を賭けたらプラスα
がとんでもない額になるのかもしれんが、リスクがでか過ぎるだろ。俺みたいに一見大
切な関係者に見えて実はどうでもいい人間を選ぶか、そこまで非情になれないとした
ら、不動産や宝石やらが普通だ。この三戦目を勝って、見ず知らずの人間が死ぬ代わり
に、一億をもらうのと、負けて賞金は百万止まりになるが、貴美子に死んでもらうのと
なら、別に後者でもかまわんな。どんな方法で始末するのか知らんが、貴美子に掛けた
生命保険でいくらか入るだろうし。ああ、こんなことなら、もっと大きな生命保険にし
ておくんだったな)
 捕らぬ狸の皮算用を弾きつつ、滝田は先攻後攻を決めるじゃんけんに勝利し、後攻を
取った。勝てる可能性が高くなった、気がする。
 対戦相手の選択決定は、機械で変換された声で聞こえてくる。今、相手は滝田の真ん
中の札を抜き取った。それはチョキで、これまでの回に倣うなら、見ずに捨てると思わ
れたが、今回は手札に入れた。そして二枚のチョキがボックスに入れられる。
 滝田の手は、グー1チョキ2パー3になった。相手の左端の札を引き、見ずに捨て
る。明確な戦略がある訳ではなく、験担ぎだ。試しの勝負で、マスターが勝つ流れを見
ただけに、印象が強い。
 そしてじゃんけんだが……ここはやはり三枚あるパーを消費しておく。双方とも対戦
相手の手札の情報が何もないのだから、考えてもしょうがない。序盤の内に試せること
は試しておくしかない。
「あ」
 開かれた相手の手はチョキだった。アンラッキーだ。これで一気に残り枚数が7対4
になってしまった。
(気が緩んでいた。負けてもいいとは言え、一億円をみすみす逃すのは勿体ない)
 次のターンに進む。相手はパーを引いていき、手元に入れた。が、捨てられることは
なかった。敵の手札にパーは今入った一枚きりだ。
 滝田は迷った末、今度は引いた札を見た。パーだった。さっきのが戻って来た格好
だ。パーのペアを捨て、手札はグー1チョキ3パー1となる。
 じゃんけんのときの戦略は変えなかった。変えたくても、どうしても三種類を最低で
も一枚ずつ残しておきたいと考えてしまう。相手にパーはないと分かっているが、滝田
はチョキを出した。
 相手もチョキだった。
(二度続けてチョキを出してきた。ということは、次こそはグーか? 相手がパーを持
ってないのは分かってるんだ。しかし)
 もしパーを出したら、手元に一枚もなくなる。それは避けたいような……。
(だいたい、今度またチョキじゃないという保証もない。仮にチョキを出して負けたと
しても、グー2チョキ2パー1でバランスはまだいい。これがもしパーで負けたなら
グー1チョキ3パー1になる。いずれの場合も、相手の手札はパー以外の二枚になる。
勝ち目のないチョキ三枚を抱えていたら、最早挽回不能じゃないか?)
 時間をぎりぎりまで使って、滝田は決めた。思い込みを排除し、バランス感覚優先、
最悪負けてもまだましな方を選ぶ。
 滝田はチョキを出し、札が開かれるのを固唾をのんで見守った。
「――よし!」
 つい、声に喜びが出た。勝ちはないチョキだから、あいこに持ち込めただけで御の字
だ。ラッキーとしか言いようがない。
(それにしても、三連続でチョキとは意表を突かれた。次こそグーか? グー二枚かチ
ョキ二枚、あるいはグーとチョキ一枚ずつを持っている可能性があるが、まさか残りも
チョキ二枚ってことはあるまい。最初に配られた時点で、バランスが悪すぎる。だが、
次にそろそろグーを出すかどうかは微妙だな。手札にチョキが偏って多く、それを効果
的に使おうと思えば連続して出すのがいいアイディアだと思える。想像しにくいもん
な。だから、俺は負けないグーを今こそ使うときか? もし引き分けると、こっちはチ
ョキ一枚とパー一枚。相手の最後の一枚がチョキなら俺の負け、グーなら俺の勝ち。何
だ、五分五分か。もし、ここでチョキをまた出せばどうだ? 負ければそれで終わり。
あいこなら、相手の最後の一枚はグー、いや、チョキの可能性もゼロではない。俺は
グーとパー一枚ずつだから、勝ち目は残るが、分がいいとは言えない。今回パーなら?
 負ければ終わり、勝てば形勢逆転か)
 そこまで考えたところで、タイムアップが目前に。分岐点の多さに、とてもじゃない
が対処しきれない。
(ええい、相手は意表を突いて、次もまたチョキで来るに違いない! だから俺はグー
だ!)
 理屈も何もあったものじゃない。最後には信仰めいてくる。
 ――だが、今回はこれが吉と出た。
 相手は、四回連続でチョキを出したのだった。
 形勢逆転に、ほっと胸を撫で下ろす心地になる。我が身かわいさから妻・貴美子の命
を賭けたとは言え、頭のどこかでは死なせたくない情は残っていると見える。あるい
は、一億円への執着かもしれないが。
 次のターン、最後になるかもしれないババ抜きに入る。先に引く相手は、必ず手札に
入れてペアができることに望みを託すだろう。推測するに、その手札はグー1チョキ2
か、グー2チョキ1。滝田はチョキ1パー1だから、パーを引いてくれれば、ぐっと勝
利に近付く。次に自分が引く札を手元に入れるかどうか悩みどころだが、入れなくと
も、一枚残ったチョキは、この手がチョキであることは相手にまだ知られていない。
 チョキを引かれた場合、滝田は次に自分が引いた札を見て、手札に加える。手元に残
ったパーではペアができないのは明白だが、加えなければ、手元の一枚がパーだとばれ
ているため、じゃんけんで負ける可能性が高い。
(そうか。相手は、俺のパーをじゃんけんで討ち取る流れに持ち込みたいだろうから、
その手札はグー1チョキ2か? 仮にグー2チョキ1だとしたら、ペア作りでチョキが
なくなってしまう恐れがある)
 めまぐるしく脳内でパターン分けをしているところへ、不意に札が一枚引かれた。
「よっしゃ!」
 またまた思わず声が出た。パーを持って行ってくれた。敵の手札からペアが捨てられ
ることはなく、四枚になった。
 これで、次に滝田がチョキを引けばペアが完成し、手札をなくせる。確実にチョキを
引ける保証はないが、ここは文字通り、賭に出る。引いた札を見ることに決めた。
(そういえば……札の位置は変わってるんだろうか?)
 引く札を決める段になって、ふと疑問が脳裏に浮かぶ。
(俺も対戦相手も、手札の実物に触れて、位置を変えられる訳じゃない。まさか、最初
に配られたときのまま? だとしたら、引いた札はどこへ置かれるんだ? もしや、そ
のことも指示すれば機械がやってくれるのか? 俺だけが知らなかったのか? 対戦相
手は知っていて、当然俺も知っていると思ったから、札の位置が変わっていない可能性
を考えず、引いていたのかもしれない?)
 最終局面になって、重大なポイントを見落としていたと気付いた。だが、もう遅い。
質問をして正確な情報を得る時間はない。
 札を決めようと焦る。額を汗が伝う。一本、二本、三本、四本。
 その内の左から三本目が、いち早く流れ、鼻筋をかすめた。
 滝田は運を天に任せた。
「左から三枚目を引いて、手札に入れてくれ!」

   〜   〜   〜

 手元に来た札を見た瞬間、失神するかのような感覚を味わい、続いて震えが足下から
上半身へ昇ってきた。
 勝った。
 引いたのはチョキ。ペアが完成し、滝田は手札を全てなくすことに成功した。
 緊張感から解放されたが、声が出ない。今はとにかく、手足の拘束を早く解いてもら
いたかった。
『おめでとうございます、滝田豪蔵さん』
 マスターの声が聞こえた。意外にも心からの祝福をしているように響いてくる。
 滝田は返事したつもりだったが、声はまだ出なかった。
『約束通り、報酬の一億と百万円は、あなたの自宅へ届けさせますので、楽しみにお待
ちを。多分、一週間後になると思います』
 そりゃどうも。それより、早く自由にしてくれ。俺の年齢も考えてくれよ……。
『お帰りの準備の前に、もう一つ、しなければならないことがあります。敗者が賭けた
物の回収です』
 そんなのはどうでもいい。どこの誰だか知らん奴が死ぬところなんて見たくないし、
物品だとしたらなおのこと見ていてもつまらん。
『さて。ここで滝田豪蔵さんにとっては、非情に重大なお知らせがあります』
 何だ?
『あなたが今勝利した相手が賭けていたものは、“滝田豪蔵”だったのです』
「……え?」
 声が出た。
『付け加えますと、あなたの対戦相手のお名前は――』
「ど、どういうことだ!?」
 今さっきまで声を出すのもしんどかったのが嘘みたいに、大声を張り上げた。
「それじゃあ、俺はどうなるんだよ? 死ぬのか? 何だよ、それは! 相手が俺を賭
けてたなんて、そんなのありか? 勝っても意味ねえじゃねえか。いや、勝ったらだめ
だってことだよな。な? そんな重要なことを黙ったまま勝負させるなんて、非道いだ
ろうが。あり得ねえ! ギャンブルとして不公平だ! 認めんぞ!」
『……不公平と言いましたが、滝田豪蔵さん。こと先程の勝負に限って言えば、至極公
平なゲームだったと断言しましょう』
「何でだよっ」
『あなたも、対戦相手の命を賭けていたからです』

             *            *

 一週間後。
 滝田家には報酬が届けられ、滝田貴美子が無事に受け取った。

<<完>>




#443/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/06/29  20:16  (496)
そばにいるだけで・ホイッ! 26−2〜3   寺嶋公香
★内容
※9.ライブラリィの9.3長編ボード#4557〜#4558辺りに位置するエピソードです。

 涼原純子はイラスト付きの小ぶりな卓上カレンダーを見つめ、小さな吐息とともに小
首を傾げた。
(今年は何を贈ろうかしら)
 父の日まであと一週間を切っていた。
 中学生になって迎える二度目の父の日だが、一年前に比べると決めるのが遅くなって
いる。
 去年は、アルバイト初体験のあとで懐が温かいせいもあって、帽子とシャツのよい物
を奮発した。主にゴルフ用だが、大事に使ってくれている。
 では一年経った今、懐具合が寂しいかというとそうではない。むしろ、入りは増えて
いる。純粋に、何を贈ればいいのかを悩んでいるのだ。
(去年、二品にしたのが失敗だったかも。去年と今年に分ければよかった)
 普段から父のほしがっていた物を選んだのだが、今年は見当が付かない。しかし、直
接尋ねるのは避けたいところ。
(あと、お母さんとのバランスも考えなくちゃ)
 およそひと月前の母の日、純子はお手伝いに精を出した。懐が豊かだからといって、
それに頼ってばかりいてはいけない。多忙さに加え、そんな理由付けもあって、物を贈
ることはしなかった。
(だからといって、お父さんには肩たたきというわけにもいかないのよね)
 今度の六月第三日曜日、純子はモデル仕事の打ち合わせが入っていた。長くはなるま
いが、いつ家に帰れるかはっきりした見通しは立っていない。
 一方の父も、当日は会社の友達数名とゴルフに出掛ける予定がある。もちろん天候次
第だが、今のところ予報は晴れ。その前後が雨模様なだけに、どう転ぶか分からない
が、たとえ雨でも出掛けるのは間違いないだろう。
(私も打ち合わせだけと言ったって、どれくらい疲れるのか分からない。今から肩たた
きやお手伝いを約束して、いざそのときになって動けなかったら、格好付かないわ)
 何か妙案ないかしらと、小首を傾げていると、母の声がした。友達から電話だとい
う。部屋を出て、固定電話のある下まで降りていく。
「――あ、芙美。何かあった?」
 町田からの電話に声が弾む。相手は「特に重要な用事ってわけじゃないんだけれど」
と前置きし、話し始めた。
「明日の放課後、暇?」
 明日は月に一度設けられている平日の半ドンだ。昼から何かしようというお誘いらし
いと当たりを付ける。
「うん。別にこれといって予定はなし。宿題次第かな」
「だったら、買い物に出掛けない? みんなと一緒に」
 みんなというのは、いつも行動を共にすることが多い富井と井口の二人だろう。
「いいわよ。ていうか、ちょうどよかった。実は、父の日のプレゼントに何がいいの
か、悩んでいたところ」
「およ、純もか。私も何かないかと考えててさ。結局浮かばないから、みんなで出掛け
たら、その内思い付くんじゃないかと」
「じゃ、決まりね。何時にどこに集まるの?」
 待ち合わせの約束をしてから、電話を切る。すぐさま、明日出掛けることを母に伝え
ておく。すると、ついでに買ってきて欲しい物を頼まれた。漂白剤と調味料の塩こしょ
う。そのメモと代金を受け取って、財布に仕舞う。
「お釣り分は、適当におやつを買っていいから」
「あ、うん。――お母さんは、お父さんに何か上げないの?」
 部屋に戻る前に聞いてみた。母はこめかみの辺りに片手人差し指を当て、少し考えた
ような仕種を見せた。
「私から見るとお父さんは旦那様。父の日に贈り物をするのはふさわしくない」
「そんなことないよー。家族から見ての父親、なんだから」
「分かってます。そうね。当日はいつも以上に優しくしようかしら」
「――長年の夫婦だと、それで充分?」
「ふふふ。まあ、それはおいといて。父の日のプレゼント選びね。そんなに難しく考え
なくても、お父さん、何でも喜ぶと思うけれど」
「うーん、でもやっぱり、父の日という名目で何かするからには、心から喜んで欲し
い」
「そういえば、お弁当を作るっていう案は、どうなったの?」
「あ、あれは無理かなあ。ゴルフ場って、お昼を食べるところがあるって聞いたわ。そ
こで他の人が料理を注文してるのに、お父さんだけお弁当を広げるのはちょっと……」
 つい最近まで、ゴルフ場は広々としているからどこにでもブルーシートを敷いて弁当
を食べるのに向いているイメージを持っていたのだ。
「そうかもしれないわね。でも、当日は父の日なのだから、ひょっとしたら、他の人達
はみんな娘の手作り弁当持参だったりして」
「まさか」
 母の珍しい冗談に、ひとしきり笑った。

「去年はどうしたのさ?」
「帽子とシャツを贈ったよ。いい物を奮発したつもり。そのせいか、大事に使ってくれ
てるみたい」
「なるほど。うちは定番のネクタイ。さすがに二年連続というわけにいかないもんね
え」
 待ち合わせ場所である駅の南口に早めに着いた純子は、同じく早めに現れた町田と、
去年の父の日の話をして参考にならないか考えていた。
 ちなみに、学校から直接来たのではなく、一旦帰宅してそれぞれお昼を食べてからま
た集まったのだ。予定を立てたのが直前になったのだから、仕方がない。
「できることなら、たくさんあって困らない物よりも、お父さんが今、ほしがっている
物を贈りたいよね」
「うん。それでいて手頃な値段で。欲しい物……テレビで見た、工具セットをいいなあ
って言ってたな」
「工具セット?」
 道具箱を思い浮かべる純子。町田は両手を使ってサイズを示した。せいぜい新書を開
いたくらいの大きさらしい。
「小さめのドライバーやスパナやレンチ、メジャーなんかがコンパクトに詰め込んであ
るの。サイズが小さいから安いのかと思いきや」
 町田は肩をすくめ、首を左右に振った。苦笑を浮かべた純子は、ふと視線の先に富井
と井口の姿を捉え、手を挙げた。
「郁、久仁! こっち!」
「あ、いた」
 お互いに小走り気味になって合流を果たす。挨拶もそこそこに、富井が切り出した。
「この間、だいぶ散財しちゃったじゃない。ほら、相羽君達と一緒に遊園地に行ったり
して。それでお父さんのための予算が……。だから、あたしは今日、ついて回るだけ
!」
「何と。父の日はどうするの?」
「困ったときの肩たたき券。ただ、うちのお父さんは体質なのか、あんまり肩が凝らな
いタイプみたいなんだよ、酷いでしょ」
 酷いことはない。思わず笑ってしまった。駅前のアーケード街を目指しつつ、おしゃ
べりが続く。今度は井口が口を開いた。
「私のところは一応、ハクの散歩当番を三回分、お父さんの分もやることにした」
 ハクというのは、井口家で飼っている犬の名だ。白くて大きな玉のような犬で、ハク
という名前が似合っている。
「これだけじゃあんまりだから、プラス簡単な物がほしいなって」
「ネクタイかソックス?」
「できれば、それ以外かなあ」
 アーケードの下に入った。左右に様々な業種の店が並ぶ。数が多いのは、やはりと言
っていいのか喫茶店とファッション関係だ。今は、左手に若い人向けの洋服屋、右手に
女性向けの古着屋が見えていた。
「細くて見た目が若い感じなら、Tシャツなんてのもありかもしれないけれど」
 左の店先にぶら下げてあるTシャツに触れつつ、純子が意見を言ってみた。
「無理無理。うちのお父さんは、すでにそういう体型じゃない」
「私のところも、顔はともかく、お腹周りの方が心配」
 町田、井口の順に返答があった。仮にTシャツにするとしても、よい物はそれなりに
値が張るようだ。
「あれ? お腹周りが心配なら、犬の散歩を代わりにやるっていうのと矛盾してるね」
 純子はTシャツの値札から手を離すと、ふと感じたことを言ってみた。
「言われてみれば確かに」
 井口は認めたが、「困るなあ。今さら他のことも思い付かないもん。これで押し通す
しか」と付け加えた。
「懐が温かければ、あたし、財布を考えてた」
 これは最後尾を行く富井の意見。即座に町田が反応する。
「財布は案外、ハードルが高いイメージあるわ。渋くて格好いい物は、私らのお小遣い
をちょっと貯めたぐらいじゃ、手が出ない」
「そうそう。それに、カードを入れるスペースとか、小銭入れのサイズとかも、使う人
には拘りがあるもんだし」
 続いて井口も言った。二人とも、財布は既に考え済みだったようだ。
 一方、純子は財布を対象に入れていなかったので、改めて考えてみた。声に出すと、
他の友達に対して小金持ちアピールをしているみたいになるから、心の中で。
(……確か、お父さんの財布って、少し前に新品を買ったはず。使い勝手がよくないと
感じてるのなら、新しく財布を贈るのもいいかもしれない。けれど、別に使いにくそう
にしているところ、見た覚えがないわ)
 これまた採用ならず。
「万年筆なんかは?」
 そう言った富井は、文房具店を斜め前方に見付けていた。
「そういうのも手が届かないような。ピンからキリまでだろうけど」
 町田は否定的だったが、とりあえず店に入ってみることにした。入ってすぐの右手
に、父の日特集のコーナーがあるにはあったが、やはり予想通りの価格設定。普通の中
学生ならば、足が遠のく。それでも純子は一応、覗いてみた。
(凄く凝ったデザインに彫り物。石が埋め込まれてる物まである。こうなってくると、
筆記用具自体が芸術品に近付いてる感じ。書きやすいのかな?)
 そこまで想像し、ふと思った。最近、父親が何か書く姿を見掛けた覚えがないこと
に。
(この頃は、ワープロの方が多いもんね。使ってもらう物をプレゼントするなら、万年
筆はパスかなあ)
 かぶりを振って、コーナーを離れる。先を行く町田達を追って奥に向かった。三人
は、別の一角で足を止めていた。カートに背の高いフックを組み合わせたワゴン売りの
コーナーで、目をやると赤や白やピンクの色が飛び込んでくる。挙げ句、猫のキャラク
ターグッズ付きの物まであった。
「――お父さん向けって感じじゃないなと思ったら」
 どうやら女子中高生向けのワゴンらしい。普段は外に置いているのが、父の日が近い
ので奥に引っ込めたというところか。
「かわいい。自分が欲しくなっちゃう」
 井口が苦笑交じりに言った。
「だね。値段も安い」
 町田が消しゴム一個を取り上げつつ応じる。ワゴンは、消しゴムの他に三角定規やミ
ニコンパス、手動の小型鉛筆削り等で埋め尽くされていた。さすがに万年筆はない。
「これはこれでいい物だけど、今は目的と違うでしょ」
「うむ。さすがに父親にこれはない」
 そう結論づけて、純子と町田は立ち去ろうとするが、井口と富井は残ったまま。
「私はもう少し見てる」
 井口が言った隣では、富井が前のめりになってあれこれ物色している。父の日のプレ
ゼントを今年は買わないと決めた彼女は、自分のために何か購入するつもりかもしれな
い。
「じゃあ、あっちの方に行ってるね」
 店内をぐるっと見回し、万年筆以外の文房具が置いてありそうな方を指差した。
 そちらに行ってみると、定規やコンパスに加え、メジャースケールやノギス、写真立
てまであった。文房具の枠をちょっとはみ出しているようだ。
「フォトスタンドなんか、悪くないんじゃない?」
 純子は一つ手に取って言ってみたが、その横手で町田は首を捻った。
「娘の写真を入れて飾ってもらうってか。うーん、すでにあるんだよねえ。プレゼント
した物じゃないけれど」
「そっか。言われ見てれば、うちにもある。家族写真だけど」
 写真立てを戻し、今度はコンパスを取ってみた。よくある実務一辺倒なそれとは違
い、黒光りした重厚感のあるデザインで、まるで武器のようだ。持ってみると、予想以
上に重みを感じた。手にしっくり来る。
「こういうのって男の人、というか男の子が好きそう」
「分かる。必要ないのに、何となく格好いいからって理由で」
 笑いが声になってこぼれる。純子は、コンパスを開いてみた。今度は意外とスムーズ
に動いた。使い勝手もよいかもしれない。
「コンパスとか定規とか、設計する人なんかだったら、喜ばれるかも」
「今はコンピュータ使う人も多そうだけどね」
「あとは洋裁かな」
「要塞? ああ、服の方の洋裁ね。純のお母さんがやってるんじゃなかったっけ」
「うん。来年の母の日は、コンパスにしよっかな。こんな無骨なのはだめだけど」
 なかなか父の日の話にならない。
「あ、これよさそう」
 町田がワゴンを離れ、壁の棚の方に手を伸ばした。彼女が持って来たのは、スーツ
ケースを手のひらサイズにしたような代物だった。最初から開けてあって、中には小さ
めのメジャーやカッターナイフ、ハサミ、ステープル等がコンパクトに詰め込んであ
る。ミニ工具セットの文房具版といった趣だ。
「仕事とか家の中でもだけど、あれないかこれないかって、こういった小物をよく探し
てるんだよね、お父さん。これ一つあれば、事足りる」
「なるほど」
「ただ、これを買ってあげたら、これ自体を紛失しそうな予感がしないでもない」
「あはは」
 町田はもう少し検討してみると、類似品と見比べながら熟慮に入った。
 純子はその場を離れ、他に何かないかと見て回る。
(こういうお店に入ってから考え直すのも何だけど……仕事を連想させる品物は、あん
まり選びたくない気がしてきた。父の日にそういう物をもらったら、もっと頑張れって
言われてる気分になるんじゃないかなあ)
 シンプルに、もらって嬉しい物を選びたい。
(そういう意味じゃ、去年のシャツと帽子は、好きなゴルフのときに使えるんだから、
結構いい線行ってたよね?)
 仕事の延長線上にゴルフをプレーする場合があるということに、このときの純子はま
だ意識が及ばない。それはさておき。
(文房具はどう転んでも、仕事のイメージが強いなあ。ここはパスしよっと)
 そう決めると純子はくるりと踵を返し、富井や井口がまだいるワゴンへ再び向かっ
た。

 ミニ文房具セットで手を打った町田は、富井と並んで歩いている。
 まだ決められない純子と井口は、二人の先を行きながら、相談を重ねていた。
「仕事と関係なしに喜ばれる物ねえ」
 首を捻る井口。しばし黙考の後、「そんな物があったら、私もそれにするだろうけ
ど、なかなか難しいよ」と答えた。
「だよね。人それぞれだし」
 肯定した純子は、歩きながら腕組みをした。若干上目遣いになって、父の趣味や父が
喜んでいる場面を思い起こしてみる。
(ゴルフの他は……何だろ? 子供の頃、模型作りに凝っていたって話を聞いた覚えが
ある。でも今は時間がないからやらないって。プラモデルとかじゃなくて、木片を自分
で削って、一から作るのが醍醐味とか言ってたっけ)
 プラモデルからの連想で、玩具屋を覗くことにした。デパートに入っている店でもか
まわないのだが、道すがら、個人商店の一つにあったので、そこに入ってみる。
「急に思い出したんだけど」
 入るなり、左斜め上を見ていた井口が、叫び気味に言った。
「何なに?」
「うちのお父さん、科学の実験が大好きだったって言ってた。でも、中学だったか高校
だったか忘れたけど、通っていた学校の方針で、実験が極端に少なくてがっかりしたっ
て。今、その穴埋めをするのってどうかな?」
 井口が指差した先には、大人向けの科学実験セットがシリーズ揃って掛けてあった。
「いいんじゃない? それで久仁が一緒になって実験をやったら、もっと喜ぶかも」
「も、もう、やだなあ」
 照れ笑いを浮かべ、井口は純子の肩口をぺしっと叩いた。これで決まりそうだ。念の
ため、他を見て回る井口と離れ、純子は改めて町田と富井に意見を求めた。まず、父が
少年時代、模型作り好きだったことを伝える。
「――けど、プラモデルをそのままって言うのは、やめた方がいいかしら?」
「うーん、どうなんだろー? 木の模型がもしあれば、いいかもしれないし」
「それ以前に、作る時間が取れないんじゃあ、贈り甲斐がないでしょ、純も」
 富井も町田も、プラモデルの案には否定的のようだ。まあ、純子自身もそちらに傾い
ていたのだから、問題はない。
「他に玩具でよさそうなのは……」
「煙草吸うんだっけ、純ちゃんのお父さん?」
「ええ。できればやめて欲しいんだけどね」
「じゃあだめかあ。ライターの機能が付いた玩具ってあったなって思ったんだけど。モ
デルガンみたいな」
 意見を聞いて考慮しかけた純子だったが、町田が早々に「却下だね」と言った。
「そういう芙美ちゃんは、何かアイディア持ってるの−?」
「いや。玩具屋ではありそうにない」
 台詞としては緩やかな否定に留まっているが、口調は断定している。
「純子なら、お父さん一人のために、個人的に何かして上げるのが一番だと思うんだけ
どな。時間の関係でそれが無理なら、ほんと何でもいいからちょっと気の利いたプレゼ
ントに、音声かビデオでメッセージを添える」
「メッセージってたとえば? 仕事お疲れ様です、感謝していますとか?」
「じゃなくて。純の場合、モデルをさせてもらってるっていう側面があるでしょうが」
「ああ、そういう……」
 見方もあるんだと気付かされる。客観的になって見えてくることなのかもしれない。
「純ちゃんのモデルで思い出したんだけどぉ」
 富井が、閃いた!みたいな雰囲気で、右手の人差し指をぴんと立てる。
「男の人がどんな物をほしがるかの参考に、相羽君に聞いてみたら? 電話でもして
さ」
「えー、何で相羽君限定なのよ」
 訝る純子に、富井は「他の男子より大人びてるもん」と即答する。
「大人びた男子なら、他にも大勢いるわ。立島君とか」
「立島君は、前田さんとのデートで忙しいかも。そこに電話したら、迷惑になっちゃ
う」
「そんな仮定の話を持ち出すのなら、相羽君だって忙しいかもしれない」
「はいはい、そこまで」
 話が終わりそうにないと見たか、町田が割って入る。そしてレジの方へ、顎を振っ
た。
「久仁香が買ったみたいだから、ここはもうよしとしますか」

 玩具屋のあと、デパートの玩具屋にも足を運び、さらに船舶物を中心に面白グッズを
取り扱うショップにも入ってみたが、純子にとってぴんと来る物は見付からなかった。
 いい加減、歩き疲れてきたので、ファーストフードの店に入り、お茶をすることに。
「あー、疲れたー」
 言いながら座った富井に、純子は両手を合わせた。
「なかなか決められなくて、みんな、ごめんね。特に郁江は、無理に付き合わせちゃっ
た形になって」
「いいよ、別に。いつもお世話になってるんだし、何たって一緒にいて楽しいもん」
「あら、郁江ったら」
 町田が妙に取り澄ました調子で口を挟んだ。
「ここで交換条件を示して、おごってもらえばよかったのに」
「あ、その手があったか。惜しいことしちゃったな」
 冗談ぽく応じた富井だが、純子は真に受けて、「い、いいよ。おごる」と富井のトレ
イに載っているレシートを覗き込もうとした。
「いいっていいって。今日はお買い物に来たのに、余計なことに使ったら、いざという
ときに足りなくなるよ。そうなっても知らないから」
「は、はあ。そっか」
 ようやく落ち着き、皆でいただきますをしてから食べ始める。
「話を蒸し返すけれど、結局、電話しないの?」
 井口が純子に尋ねた。一つ目の玩具屋でのやり取りに加わっていなかった井口だが、
あとで聞いたのだ。
「うん。少なくとも相羽君には」
「何でー?」
 今度は富井。さっきから、相羽を巻き込もうと熱心だ。
 純子は少し間を取り、静かに答えた。
「父の日のことで、相羽君に聞けないよ。もしも聞くとしても、電話なんかじゃとても
できない」
「……そうだよね」
 相羽は数年前に父親を亡くしている。当人が普段、そんな気配を微塵も見せないもの
だから、周囲の友達もつい忘れがちになるが。
 しんみりした場の空気を元通りにするためか、町田が音を立ててジュースをすすっ
た。
「さて。相羽君を頼れないのなら、他の男子に聞く? それとも私らだけで考えるか」
 答は後者になった。
「来年からは、こうも悩まなくて済むように、普段からリサーチしなくちゃ」
「身近に、お父さんと年齢が近い男の人がいればね、聞いてみることもできるのにね」
「先生とか?」
「うーん、ちょっと違うような」
 お喋りを続ける最中、純子は自分の周りに父と同年代の男性がいなくはないことに気
付いた。
(仕事関係なら、何人かいるんだったわ。よく話をする人は杉本さんくらいで、若すぎ
るけれど。AR**所属の人の中には、いっぱいいる。今から聞くのは遅いとして、来
年、何も思い付かなかったら聞いてみたい)
 心の中でメモを付ける。
(……来年の今頃まで、モデルさせてもらってるのかなー、私? 高校受験あるし)

 四時を少し過ぎるまで、あちこち見て回ったけれども、とうとう決められなかった。
「しょーがないわ。決められないものは決められない」
 友達三人をずるずる付き合わせてしまったことに対して頭を下げる純子に、町田が慰
めるように言った。それから純子の肩に手をやって続ける。
「ま、娘が半日、足を棒にして探してくれたっていうエピソードだけで、お父さんは泣
いて喜んでくれるよ、きっと」
「あはは。だったらいいんだけど。そうだとしても、実際問題、何かないと」
「何にするかのヒントにはならないけど、こう切羽詰まってきたなら、サプライズ重視
で通販を利用するのは?」
 自分達の家の最寄り駅で降り、別れ際に井口が言った。
「通販?」
「うん。父の日のプレゼントなんて用意してませんよーってふりをしておいて、当日、
お父さん宛に荷物が届くの。開けてみたら、娘からのプレゼント。これなら、何だって
喜ぶんじゃないかしら」
 人間、追い詰められると、面白いアイディアが出て来るようだ。
「狙いは分かる。通販に限定しなくても、届けてくれる店はあるだろうし」
 考えてみようかなという気になった純子。問題があるとすれば、やはり何を贈るか
と、もう一つ、父の在宅しているタイミングがはっきりしないことか。
「みんな、考えてくれてありがとう。あとは自分で知恵を絞ってみる」
 じゃあまた明日。
 一人になってから、純子はまだ考えを巡らせていたが、はたと思い出した。
「頼まれてたんだった!」
 財布を取り出し、中にあるメモ用紙を確認する。幸い、また電車で出なくても、ここ
からほど近いスーパーマーケットで事足りる。
 純子は角を折れ、店に続く道に入った。すぐに店舗が見えてきた。三分と歩くことな
く到着。
「あれ?」
 出入り口の大きなドアの脇には、自転車置き場がある。その一番手近に停めてある自
転車に、見覚えがあった。前輪のフレームにある名前を確かめると、思った通り。
(相羽君が来てる?)
 生活圏なのだから、来ていても全くおかしくない。ただ、純子の頭には、さっき友達
とした会話が残っていた。
(思わず聞いてしまわないよう、気を付けよう。できれば、顔を合わせないのが一番)
 意を強くしてから、店内に足を踏み入れる。脇目も振らず、掃除洗濯関係のコーナー
に直行した。動きながら、財布のメモで、メーカーと商品名を再確認。
(えっと――)
 棚を見上げ、徐々に視線を下げていく。すぐには見付からず、同じ動作を繰り返しな
がら歩を進めていった。
「あった」
 手を伸ばして、白っぽい容器の柔軟剤を取ってみた。メーカーと商品名は一致した
が、サイズが違うようだ。元に戻し、近くにより大きな物があるはずと探す。五秒後、
今度こそ見付けた。
「――結構重い」
 持ってから、買い物籠を取ってくるのを忘れていたと気付いた。このまま手で持ち歩
けなくもないけれど……少々迷って店内を見回すと、出入り口まで引き返さずとも、近
くの通路に籠とカートが並べてあった。カートはいらないにしても、籠は欲しい。一つ
取ってこようと、そちらに向かう。
「――涼原さんだ」
 手を伸ばして籠を持った瞬間、馴染みのある声が耳に届く。あ、やっぱり会ってしま
ったと感じつつ、純子は声のした方を振り返った。
「こんなタイミングで会うなんて、偶然だね」
「そ、そうね。買い物?」
 聞いてから、スーパーマーケットにいる相手に対してする質問にしては間抜けだった
と後悔した。
 でも、相羽は頷いてから「僕は一人で来たけど、涼原さんも?」尋ね返してきた。
「うん、私も一人。お母さんに頼まれたの」
 答えてから、思い出したように柔軟剤を籠に入れる。見れば、相羽の方は籠は持って
いない。手にあるのは、整髪剤か何かのスプレー缶のようだ。
「まだ他にも買う物ある? 持つよ」
 純子が最初の質問に「ええ」と答えた時点で、相羽はひょいと籠を持った。そのつも
りのなかった純子は慌てたが、相羽はスプレー缶を一緒に入れてしまった。
「いいでしょ? レジでは分けるから」
「え、ま、まあ、しょうがないわね。ありがと」
 近くに来た缶の表面をよく見ると、イラストで男性の顔がアップになっている。整髪
剤ではなく、シェービングクリームだった。
「そっちこそ、他に買う物は?」
「あるにはある。けど、まだ決めてないんだ」
「何よそれ」
 先に立って調味料の棚を目指しつつ、純子は苦笑交じりに尋ねた。すると後方から
は、多少間を置いて返事があった。
「父の日のプレゼント」
「――えっと」
 足を止め、くるりと振り返る。相羽はびっくりしたみたいに急ブレーキを掛けた。
「お父さんにプレゼントって、相羽君……?」
「ごめんごめん。驚かせる気は全然なかった。次の日曜、お墓参りに行くんだ。そのと
きのね」
 そう言う相羽の表情は、普段と変わらない。むしろ、普段以上に朗らかかもしれな
い。
(何だか……安心した)
 相手をまじまじと見返していた純子は、唇の両端をきゅっと上げた。
(この分なら、聞いてもいいよね)
 並ぶようにして再び歩き出してから、純子は尋ねた。
「どんな物を買うつもり?」
「ピアノに関係する何かかなと思ってたけれど……スーパーにはなさそう」
「そりゃそうよ。せめて駅前のデパートとかに行かなくちゃ」
「あとは、お墓参りなんだから、お供え。食べ物もいいなと思う。ただ、今日買うと早
すぎるかもな」
「……食べ物」
 そうだわ、食べ物でもいいんだ――。自分の父親へのプレゼントに考えが及ぶ純子。
 形に残る物をと、無意識の内に境界線を引いていた気がする。でも、実際は食べ物や
飲み物であっても、何も問題ない。
「うん? どうかした?」
 某かの変化が表情に表れていたのだろう、相羽が純子に聞いてくる。
 純子は最前と同様の笑みを浮かべ、答える。
「私もお父さんへのプレゼント、迷ってたんだ。今の会話で、ヒントをもらっちゃっ
た」
「ほんとに? 今のやり取りで、そんなヒントになるようなことなんか、あったっけ」
 怪訝そうに目を細めた相羽。籠を持ち替え、真剣に考えているようだ。
 純子は調味料の棚から、塩こしょうを選び取ると、籠に入れた。

 夕暮れ時の家路を、相羽と一緒に歩きながら、純子はいきさつを手短に伝えた。
「別にもう気にしなくていいって」
 自転車を押して歩く相羽は、父の日の話題に触れないようにする皆の気遣いに感謝し
つつも、そう言った。前籠には、彼の買ったシェービングクリームの他、純子の買い物
分も入っている。
「それはいいことだと思うんだけど、だったら、あなたもみんなの前で、もっと普通に
話してほしい。お父さんからピアノを習っていたこととか」
「まあ、その内に」
 角を曲がる。籠の中の缶が買い物袋毎転がって、音を立てた。
「そういえば」
 純子は自転車の前籠を指差した。
「こんな物もお供えするの?」
「え?」
「だから、シェービングクリーム。これって、お父さん用でしょ? ひげそりのときに
使う……」
 当たり前のつもりで尋ねた純子だったが、相羽は慌てたように首を横に振った。
「ち違うよ。いくら何でも、シェービングクリームのお供えはないっ」
「じゃあ、何で」
「……涼原さん。僕も男なんですが」
「……え。まさか、相羽君、ひげが」
「うん。少し前から、生え始めた」
 その返事を聞いて、純子は目をそらし、前を向いた。
(うわー!)
 顔が赤くなるのを自覚する。あっという間に火照ってきた。両手を当てて、冷やそ
う。
「どうかした?」
 尋ねる相羽の声は聞こえたが、ただただ黙って首を左右に振った。
(相羽君、男の子なんだ。当然なんだけど。ひげが生えるようになって、大人の男の人
になっていくんだ)
 意識していなかったことを、今初めて明確に意識した。
 大人になっている。そう思って目を向けると、夕日を浴びて歩く相羽の姿は、何とな
く前よりも頼もしく見える。背も伸びた。
(私も成長してるのかしら)
 純子は思い巡らせ、やがてため息を密かについた。
(とりあえず、胸がもう少し……)

 六月の第三日曜日、父の日当日。
 純子は母と一緒に、夕餉の準備に取り掛かっていた。
「あなたの仕事でもらった分だから、どう使っても基本的にかまわないけれども、随分
奮発したのねえ」
「えへへ。私やお母さんも食べるんだし」
 母娘は、届けられたばかりの食材を金属製のタッパーに広げ、まるで観察するように
見ていた。
「AR**の佐山さんの紹介。いいお肉を売ってるお店を教えてくださいって頼んだ
ら」
 前もって予算を伝えた上で、一番よい牛肉を三人前、用意してもらった。無論、肉は
三枚あってそれぞれサイズが異なる。父親用が一番大きい。
「お酒も考えたんだけれど、やっぱり飲まないでいてくれる方がいいし。その点、ス
テーキなら、たまに食べる分にはいいでしょって思って」
「お酒は、純子が飲めるようになってからがいいかもね。それで、誰が焼く?」
「私、と言いたいところだけれど」
 改めて肉を見下ろす。きれいに差しの入った見栄えのするステーキ肉。
「実際に目にすると、失敗できないと思って緊張しちゃうかも」
 本気と冗談半分ずつの答を言ったところで、玄関のチャイムが鳴った。続いて声が聞
こえる。父帰る、だ。
「お帰りなさい!」
 大きめに返事して、玄関に向かう純子。その途中、テーブルにメッセージカードを出
したことを再確認した。月並みだが、感謝の言葉を書いてある。
「おっと、靴があると思ったら、純子ももう帰っていたか」
「うん。早く終わったわ。今日の晩御飯は、父の日のごちそうを作るからね」
「ああ、そうか父の日か。それは楽しみだ」
 玄関脇のウォークインクローゼットを開け、その一角にゴルフバッグを仕舞う父。手
にはまだ荷物が残っている。
「そうそう、ごちそうと言えば、これがあるんだった」
 と、その紙袋を、純子の目の高さに掲げた。
「何?」
「今日のコンペで、二位になった。その賞品が――」
 紙袋の口を開くと、そこには“霜降り”が。
「えー!?」
 高級和牛、と続けた父の台詞は、純子の声にかき消された。

            *             *

「――相羽さんのお宅でしょうか? あ、何だ、相羽君だったの。――うん。その父の
日のことで……お肉、もらってくれないかしらと思って電話したんだけれど。――それ
がね、お肉がだぶついちゃって。って、太ったとかそういう意味じゃないから! お父
さんがゴルフで二位を獲ったその賞品が、似た感じの牛肉だったのよね。え? あ、そ
の日食べたのは私が用意した方よ」

――『そばいる・ホイッ! 26−2〜3』おわり




#444/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/09/27  21:06  (358)
宵の妙案   永山
★内容                                         18/04/07 22:06 修正 第4版
 昔から、顔に出ない奴と言われてきた。
 怒って当然の状況でも表情に出ない、驚かされても全く慌てない、酒を飲んでも赤く
ならない。
 当人から言わせてもらうなら、怒っていない訳じゃないし、驚いていない訳でもな
い。酒をある程度飲めば、酔っ払いもする。とにかく、顔に出ていないだけなのだ。
 その特技?が、昨晩も発揮されてしまったようだ。
 七月下旬の休日の朝、目覚めた直後にスーツのジャケットだけ脱いで寝てしまったこ
とに気付きつつ、上半身を起こす。次に尻を押す異物感から、尻ポケットに手をやっ
た。財布を引っ張り出すと、いつもよりは膨らみが大きい気がした。二つ折りの財布を
開き、札入れスペースに数枚のメモ書きを見つけたとき、私は思わずつぶやいていた。
「何なんだ、これは」
 もし周囲に誰かいれば、私でも表情がこれほど変わるのかと感心してくれたかもしれ
ない。それほど、私はメモに不気味さを感じたのだった。何せ、そこにはこう書いてあ
ったのだから。
<我々は互いのターゲットを交換・殺害することをここに誓う>
 サイズは大きめの手帳の一ページといった感じか。ちまちまと詰めず、どんと真ん中
に大書してある。私の字によく似ていた。
 昨日のことを思い出そうと努める。
 昨晩は、職場で面白くないことが二つ続けてあり、さらに退社してすぐに彼女から掛
かってきた電話は、別れ話だった。そのまま気晴らしに行こうと、街のステーキハウス
で高いやつを食べて、ビールを一杯だけ飲んだ。それからバーに入った。初めて入る店
だったが、静かで雰囲気はよかった。そこで誰かから話し掛けられた、と思う。見知ら
ぬ男で、年齢は私より一回り上に感じられた。短めに刈り込んだ頭には白髪が混じり、
しかし肌の張りはさほど老いておらず、白かった。確か、私立の大学で先生をやってい
ると言っていた。私は教師という人種があまり好きでないので、最初は敬遠したが、相
手のしゃべりはなかなかうまく、人好きのする空気をまとってもいた。名前は……とも
に名乗らなかった。
 交換殺人の話をしたとすれば、この初老の男性だろう。私が何やかやと愚痴っている
のを耳にして、話し相手になってくれたのだ。――少し思い出してきた。手柄を持って
行く上司、ごまをする同僚、しゃあしゃあと新しい男ができたと宣言する彼女。一人を
この世から消すとしたら、誰を選びます? そんな風に質問を振られた気がする。そこ
から交換殺人の話になるまで、さして時間を要さなかった。
 二枚目のメモに移る。三人の名前が書いてあった。手柄を独り占めしたり横取りした
りを繰り返す上司、その上司らにごまをすり、ときには平気で仲間を陥れる同僚、そし
て私の彼女――元彼女。それぞれの名前が記されているのだが、その全てにバッテンが
ついていた。どうやら、私はこの三人の中から殺したい一人を選びはしなかったよう
だ。
 当然だろう。私にとって、一番この世から消したい人物は、この三人の中にはいな
い。
 三枚目のメモに、そいつの名前が書かれてあり、その周りをぐるぐると何度も楕円で
囲っていた。
<道塚京一郎>
 こいつは高校時代の同級生で、私の一つ下の妹と付き合っていた。親が医者で病院を
やっているせいか、羽振りがよく、私もたまに恩恵にあずかった。加えて、学業の面で
も生活の面でも頭がよく、話も面白い。要するに、頭の回転が速いタイプだった。道塚
は卒業してすぐに運転免許を取得し、親に買い与えられた新車に乗って現れると、妹を
ドライブに誘った。当時の記憶はごちゃごちゃしていて曖昧な部分も多いのだが、おそ
らくは二度目のドライブデートのときだったと思う。道塚は単独事故を起こした。ス
ピードの出し過ぎが原因とされている。同乗していた妹は車外に放り出されて、ほぼ即
死だったという。道塚もそこそこ大きな怪我を負って入院し、私は一度だけ見舞いに行
った。大して話すことはなかったが、すまないという謝罪を聞いた気がする。だからこ
そ、その段階では道塚を責める気持ちこそあれ、憎む感情はなかったと思う。だが、や
がて回復した奴が主張したのは、事故のそもそもの原因は私の妹にあるというものだっ
た。助手席にいた妹はシートベルトを外してしなだれかかってきて、運転の邪魔になっ
た。払いのけようとした弾みで、ハンドルを切り損ない、車体がぶれた。立て直そうと
した刹那に強くしがみつかれ、アクセルを踏み込んでしまった。その結果、事故になっ
たと。
 後日、証拠が出てきた。遺体を視た医者が、妹の身体にはシートベルトをしていたな
らできるはずの痣がなかったと報告した。また、妹の髪の毛が運転席側に多く抜け落ち
ていた。さらに、口紅の着いたペットボトルが運転席側の足下に転がっており、それが
ブレーキペダルの下に挟まって、ブレーキの効果を弱めたともされた。
 道塚は妹やその遺族である私達を訴えることはせず、丸く収まったが、付き合いはそ
れきり途絶えた。
 信じられない噂を耳にしたのは、それから四年ほど経った頃だった。妹の遺体の痣に
ついて報告した医者は、道塚家とつながりがあった。本当は妹の身体には痣があった
が、道塚の父の意を受け、彼の息子に責任が及ぶことのないよう嘘の報告をしたという
のだ。これがもし事実だとしたら、髪の毛やペットボトルの件も怪しくなる。頭の回転
の速い道塚なら、事故を起こして数秒で冷静に判断し、自分に有利になるよう、事故車
内に偽装を施すことを思いつくのではないか。
 私は噂の真偽を確かめようと思い、道塚京一郎とコンタクトを取ろうとしたが、多忙
を理由に会えなかった。ならばと、くだんの男性医師に接触を図った。男性医師は当時
道塚家と行き違いがあり、関係にひびが入っていたらしい。噂の出所はその医者当人だ
ということも考えられた。
 無論、さほど期待していなかったが、彼の居場所を突き止め、会いたい旨を伝える
と、意想外に二つ返事で応じてくれた。一気に緊迫感と期待感が高まった。
 だが、その男性医と直接会って話を聞くことはかなわなかった。約束の日の前日に不
審死を遂げたのだ。勤務していた病院の最寄り駅で、プラットフォームから線路へ転落
し、入ってきた列車にはねられたという。目撃者は多くなかったが、点字ブロックのす
ぐ後ろに立っていた医師は、不意に力が抜けたかのようにぐにゃりと崩れ落ちたとの証
言が上がった。結局、疲労によってふらついた身体を制御できず、線路側へ踏み出して
しまった事故として片付けられた。
 偶然? できすぎている。証拠はなくても、この出来事こそが証拠だ。疑いを確信に
変えるには充分な隠蔽工作。そうとしか考えられなかった。
 だが、私は道塚京一郎への復讐を果たせずに来ていた。道塚の居所が不明になったと
思ったら、いつの間にか研修名目で米国に拠点を移していた。わざわざ外国にまで追い
掛けて奴を死に至らしめても、怪しまれる可能性が高い。殺人事件発生時に限って私が
アメリカに入国していたと判明したら、第一容疑者になるのは明白だろう。
 帰国を待つしかない。長期戦を覚悟した。しかし、私にも日常の生活がある。平静を
装って日々の暮らしを送りながら、奴の動向を注意し続けるのには限界があった。いっ
そ、奴の父親を殺せばどうだろうと考えたこともある。父親にも責任の一端はあるし、
院長である父親が死ねば、道塚京一郎が後継者として戻ってくるはず。
 よい計画に思えなくもなかったが、それでも私は実行をためらった。道塚の父にも恨
みはあるが、殺せば一時的にしろ、道塚本人に利することになってしまうのではない
か。それだけは嫌だった。
 だから私は、道塚の父の訃報だけを待ち焦がれながら、日常生活を送ると決めた。
 以来十五年――。道塚院長は癌に冒され、発覚から数ヶ月で逝った。天誅が下ったと
は思わない。ただただ、来たるべき時が来た。それだけの感慨でしかない。そして私は
この三月半ばに、道塚京一郎が帰国したと知った。
 あとは、よい殺害方法を計画するだけだった。そのためには、奴の普段のスケジュー
ルを把握する必要があると考え、仕事の合間を縫って調査した。興信所の類に依頼すれ
ば手間は省けるのだが、私が奴の身辺を調べていたと他人に知られることはなるべく避
けたい。殺したあとは、私が強力な殺害動機を持っている事実はじきに明るみに出るだ
ろう。そこへ加えて被害者について嗅ぎ回っていたとなれば、どんなに優れた殺害計画
を遂行したとしても、警察に注目されるに違いない。強引かつ苛烈な取り調べで、意に
沿わぬ自白をしてしまうかもしれない。そんな醜態は御免だ。
 四ヶ月近くかけて、道塚京一郎の基本行動パターンが分かった。狙い目は、隔週日曜
に行うゴルフ練習の行き帰りか、毎水曜の午後に通っている恋人宅への行き帰りだろ
う。
 と、ここまで算段をつけておいたからか、私は財布から出てきた交換殺人メモの三枚
目には、道塚の名前の他、パーソナルデータを細かく記し、さらに次のように書き足し
ていた。<八月三日の午後一時から三時までの間に決行してもらう。アリバイ作り 普
通に出社>――八月三日と言えば、次の次の水曜日だ。初めて会った男とたった一度の
話し合いで、ここまで具体的に決めたのだろうか。もちろん、交換殺人は共犯者間の関
係性の薄さが肝心なのだから、一度で決められるのが理想的ではあるが。
 そうなると、私はいつ誰を殺すと決まったのだろう? メモの四枚目以降を探る前
に、私はコーヒーとトーストの簡単な朝食を摂った。

 やはりと言うべきか何故かと言うべきか分からないが、メモは四枚目以降も私の字で
書かれていた。恐らく、互いに接触した痕跡を可能な限り残さないでおこうという約束
の下、自分が身に付ける殺人計画メモは全て自分で書くようにしたんだと思われた。
<井原仁美>
 これが私の任されたターゲットらしい。都内の大学に通う三年生で、高校生時にファ
ッション誌の読者モデルをやった経験があるとのこと。顔写真がないが、調べれば簡単
に分かりそうだ。
 五枚目には、彼女の詳しい行動パターンが書かれており、その中の一項目が、ぐるぐ
ると楕円で囲まれてあった。アンダーラインまで引いてある。
 六枚目には決行日であろう、七月三十一日の午前九時以降、午後九時までとあった。
次の次の日曜……一週間とちょっとしかないじゃないか!? こんなタイトなスケジ
ュールで、こんな恐ろしげな役割を引き受けたのか、私は。
 もしこの計画から勝手に降りたら、どうなるのだろう? 殺されることはないにして
も、何かまずい事態になりそうな気はする。ただ、先に実行するのが私なら、私が実行
しない限り、相手も殺しに着手しようとは思わないんじゃないか?
 あるいは断りを入れてもいいんだが、互いの連絡先を交換した痕跡は見当たらなかっ
た。探ろうと思えば、この井原仁美から手繰ることができるかもしれない。想像する
に、私と共犯関係を結んだ男は、この大学に勤めている可能性が高い。恐らく、先生と
学生との間で起きたもめ事が動機になっているのではないか。その点を衝けば、こちら
が約束を違えたとしても大人しく引き下がるのでは。私を口封じに殺すくらいなら、井
原仁美を殺した方が早いはず。
 ただ……私にとっても、これは千載一遇の好機なのだ。交換殺人のパートナーなん
て、笛や太鼓で募集を掛ける訳に行かず、ネット上で怪しげな犯罪関連サイトを見付け
ては、そこから信頼に足る者を探し出し、共犯関係を築くなんて、迂遠で時間を要して
しまう。
 それに比べれば、バーで会ったこの男は、よほど信用できると言える。本気なのは間
違いないし、実際に会った印象では知的で冷徹な行動を取れる人物に見えた(記憶が些
か朧気であるとは言え)。
 私は少し考え、決行日までの時間を、共犯者の身辺調査に充てようと決めた。いざと
いうとき、有利な立場に立てるかもしれない。
 そして――予想していたよりもずっと楽に、共犯者の身元を割り出せた。大学のホー
ムページに、教員として顔写真と名前が載っていたのだ。
 野代幸大という文学部の准教授で、四十九歳。思っていたよりは若かった。顔写真も
明るいせいか、若く見える。連絡手段は、大学に電話をして呼び出してもらうか、メー
ルを送れるかもしれない。他と比べて大学の先生は職業柄、アドレスを公にしている
ケースが多いようだから、探し当てることは可能と見込んでいる。
 井原仁美との間にどんな因縁があるのかまでは調べなかった。交換殺人遂行のために
は、私と野代とのつながりを可能な限り希薄にしておかねばならない。当然、私は大学
周辺で目撃されてはならない。野代の生活圏にも近付かないのが賢明だろう。
 これで基盤固めはできた。あとは、私が先に決行する勇気を持てるかどうかだ。憎い
相手を始末するのに躊躇はないが、見ず知らずの、どんな理由で殺されるのかも知らな
い女性を、果たしてやれるだろうかという不安はある。頭の中ででも、シミュレーショ
ンを繰り返し行うとしよう。

 指定されていたのは七月末日の午前九時からの十二時間だったが、井原仁美のスケジ
ュールに重ねると、チャンスは自ずと絞られた。野代がいかにしてこの情報を入手した
のかは知らないが、井原仁美は翌八月一日に実家のある東北に向かうらしい。その前日
は、荷物をまとめたり、バイト先のショッピングモールへ最後の顔出しをしたり、夜に
なれば親しい友達と女子会めいた食事をすることになっているようだ。就職活動の気配
がないところを見ると、何か伝やコネがあるのか、家業でも継げるのか、もしくは卒業
即結婚するような相手がいるのか。まあ、どうでもよいのだが。
 狙うなら、バイト先への行き帰りだろう。彼女一人で動くようだし、時間やルートが
読めるのは大きい。難点は、まだ日が高い時間帯である点だが、店の裏口から大きな道
路へ出るまでの間に、いくつか裏道的な箇所があることが確かめられた。昼なお薄暗
く、人通りもまばらという理想的な場所だ。私は二度下見をして、適した場所を見付け
ておいた。防犯カメラに映らずに逃げ果せるルートも把握した。といっても、端から見
てカメラと分からないタイプの防犯カメラもあると聞くから、実行時も含めて常に違う
変装をする。
 指定された日まで、あと二日。ここに来て私は殺人の実行に意を固めつつあった。や
はり絶好のチャンスだと思えるし、もし仮に野代に裏切られたとしても、殺人の経験を
積めるのはよいことだと考えるようになった。経験を活かして、自らの手で道塚京一郎
を葬ればよいだけだ。加えて、この交換殺人計画は、私に刺激を与えてくれた。計画を
持ち掛けられる前はともすれば日々の生活にかまけて、復讐心がわずかながら薄れる瞬
間がなかったとは言い切れない。その緩みを引き締めてくれたのだ。
 すでに凶器は準備した。使い易いよう適切な長さ・細さにカットした革紐。これをメ
インに、ナイフも一本。鍔広なタイプで携帯には最適でないかもしれないが、手が滑っ
て自ら怪我を負う危険を思うと、これしかない。あと、考えたくはないが万が一にもし
くじったときに逃亡するため、刺激の強いスプレーも用意した。本来の使用目的は防犯
とされているが、真逆の使い方になる。
 脱脂綿に染みこませて対象者の口を覆い、極短時間で意識を失わせるような睡眠薬の
類もほしかったのだが、どうやらそんな物は存在しないようだ。あったとしても、素人
がちょっとやそっとで手に入れられる物ではあるまい。
 代わりに、現場を下見したときに、殴打に適した一升瓶や木ぎれ、鉄パイプの切れ端
いくつかに目星をつけておいた。当日、その全てが片付けられていたらそれまでだが。
 そうそう、クリアせねばならない重要な問題があった。指紋だ。夏の盛りに手袋をは
める訳に行かず、考えあぐねている。泥棒などはセロテープを指先に巻く方法を採るこ
とがあるらしいが、殺しには向いているのかどうか……。調べてみたところ、透明なマ
ニキュアを塗るという方法が見つかった。マニキュアなんて扱った経験はないが、当日
までに試して、行けそうなら採用したい。もっとも、その前に購入するときに怪しまれ
そうだ。恋人へのプレゼントっぽくすれば大丈夫だろうか。

 〜 〜 〜

 ――想像していたよりも、ずっときつかった。息は上がるし、精神的にも追い詰めら
れた心地になった。その反面、人を死に至らしめる行為だけを取り上げるなら、ずっと
簡単だった。呆気なかったと表現すればいいだろうか。
 井原仁美の死は呆気ないほど簡単に訪れた。私の主観では、一瞬で絞め殺せたように
感じたが、実際には恐らく一分か二分は締め続けていたのかもしれない。殺人行為の間
だけ、時間の感覚が薄い。逆に、その前後の時間の流れは遅かった。たっぷり待ったつ
もりなのにターゲットが出て来ないとか、これだけ早足で歩いているのにまだ現場から
遠ざかれないとか、とにかくじりじりさせられた。思い描いていた段取りを忘れ、殴っ
て気絶させることは飛ばして、いきなり背後から締め上げてしまった。物音は大きく聞
こえたし、口の中はからからに乾いた。
 今、そんな非日常で異常な状態から抜け出すために落ち着こうと、寂れた本屋に入っ
たところだった。この店もあらかじめピックアップしておいた。今時珍しい、防犯カメ
ラがない書店なのだ。その分、目立つかもしれないが、店主は年老いた男性で、半分居
眠りしているかのような眼で、レジの向こうに座っている。現場からは一駅分以上離れ
ており、あとから怪しまれることはあるまい。
 立ち読みをするふりをしながら、トイレを借りられるか聞いてみようか考えた。変装
を早く解きたかった。だが、こんな狭い店でトイレを借り、別人のようになって出て来
たら、さすがに印象に残るに違いない。やめた。
 変装ばかり気になり始めたせいか、徐々に平静になった。これならもっと大勢がいる
場所に出ても大丈夫だろう。この辺の地図を思い浮かべ、一番近いデパートか百貨店を
探した。そこのトイレに入り、変装を解くことにする。

 当日の夜遅いニュースで、井原仁美が殺された事件は報道された。まだ起こった事実
を伝えるだけの内容で、どういう捜査が行われてどんな進展を見せているのかまでは不
明だった。
 翌朝、ネットで新聞系のサイトをチェックすると、少し詳しい状況が分かってきた。
死亡推定時刻は午後五時から六時頃となっていた。殺害したのが午後五時半ぐらいだっ
たから、かなり正確だ。尤も、井原仁美がバイト先を出てから発見されるまでの時間帯
とほぼ重なっているから、これは当たり前と言える。人通りが少ないとは言え、ショッ
ピングモールの関係者が使ってもおかしくない道なので、じきに発見されるだろうとは
思っていた。むしろ、適当な頃合いに発見してもらわないと、私の共犯者のアリバイが
成り立たなくなる。
 凶器は不明。そりゃそうだろう。私が持ち去り、デパートのゴミ入れに捨てたのだか
ら。多分、あのままゴミ集積場へ直行だ。
 第一発見者に関する情報は出ていなかった。元々大きく報道するものではないのかも
しれない。犯人の恨みを買って、襲われる可能性なきにしもあらずと考えれば、頷け
る。――なんてことを犯人である私が言うのはおかしいが。
 テレビの朝のニュースでもチェックしてみたが、意外と扱いは小さかった。マスコミ
は連日の猛暑や水害、海外での銃乱射などの報道に忙しいようだ。
 これが朝のワイドショーとなると、また違ってくるのかもしれないが、見ている余裕
はない。今日は月曜だ。会社に行かねばならない。

 八月三日を迎えた。
 今日、道塚京一郎がこの世からいなくなるのだと思うと、妙な興奮が襲ってきて、ほ
とんど寝付けなかった。だが、朝にはいつものように起き出し、いつものように出社の
準備をした。そうでなければならない。アリバイ確保のためにも、今日は会社に行き、
会議に出るのだ。
 これまたいつも通りの朝食、トーストとコーヒーを用意して、テレビをつけたとこ
ろ、ニュースが映った。ローカルニュースだ。
 最初の何やら政治的な話題が終わると、次いで交通死亡事故のニュースになった。画
面下方に示された白い文字のテロップに目を凝らす。「私立○○大学文学部准教授 野
代幸大さん(49歳)」と読めた。
「……何だって?
 野代って、あの野代か? 私の共犯の野代幸大なのか?
 顔写真は出なかったが、肩書きや年齢まで合致していることから、間違いないと思え
た。
 茫然自失とはこのときの私のような状態を言うのだろうか、あまりに驚いて、事故の
詳細をよく聞いていなかった。確か、横断歩道のない道路を横切ろうとしていたとかど
うとか……。まさか、交換殺人を行うことに怖じ気づいたか、井原仁美を依頼殺人で始
末したことに良心の呵責を覚え、自殺したのではないだろうな。全てを自白したような
手紙でも遺されていては、こちらは身の破滅。――いかん、身体が震えてきた。
 手に持ったコーヒーカップをテーブルに戻し、しばし考えた。
 このままでは落ち着かぬ。
 残念ながら、道塚京一郎が本日、始末されることはなくなった。
 ならば、私はアリバイ作りの必要がない。欠勤してもかまわないことになる。今の精
神状態では、いくら顔に出ないと言われる私だって、周囲の目には奇異に映る恐れがあ
る。普段が冷静であればあるほど、わずかな異変が目立つのではないだろうか。
 それならいっそ今日は会社を休み、我が身を人目にさらすことを避け、家の中で事件
の情報を集める方がよい。会社には、急な腹痛に見舞われて動けないと伝えておこう。
落ち着いたら病院で診察してもらうと付け加えておけば、万が一にも誰かが様子を見に
来ることもあるまい。
 私は携帯電話を持ち、会社の番号を表示しておいてから、腹痛の演技のシミュレーシ
ョンをやってみた。

 何が何だか分からない。
 私が調べた限りではあるが、野代幸大の死は紛うことなき事故であり、特段、警察が
事件性ありとみて動いている気配はない。行き付けのスナックでいつもより多めに飲ん
で酔っ払って、千鳥足のまま帰路についた結果、道路に飛び出てしまったようだ。
 また、野代は交換殺人のパートナーとしての義務を果たしていたらしく、私に関する
個人情報は一切残していなかったようだ。その証拠に、井原仁美殺しや野代の事故死の
件で、警察が私を訪ねてくることは一切なかった。
 それだけで済んだのなら、問題はなかったのだ。道塚京一郎を殺害するチャンスを逃
したのは惜しいが、事故死なら仕方がない。想像するに、野代は恐らく、殺人の決行を
翌日に控え、気持ちを落ち着けるためか、あるいは度胸をつけるためか、はたまた不安
を打ち消すためだったのか、いつもより多く酒を飲んでしまったのだろう。その挙げ句
がこれでは、彼も私もいいところなしだが、少なくとも私の身は安全だと思っていた。
 しかし、現実はそう簡単ではなかった。
 まず最初に私が驚愕し、肝を冷やしたのは、八月四日の朝だ。前日、結局のところ病
院へは行かずに済ませてしまったが、その分、野代の件であれこれ調べることができた
私は、それなりによい目覚めをしていた。ところが、例によって朝のニュースでとある
事件を知り、まだ夢の中なのかと思ってしまった。
 道塚京一郎が殺されていた。
 八月三日の午後二時前後に、恋人宅の近くで射殺されたという。
 私はこのとき、私自身がどんな表情をしていたのか知らない。内面ではパニック状態
に近かった。野代が死んだのに道塚が計画通りに殺されたことはもちろん驚きだが、凶
器が拳銃らしいというのも意外だ。野代が自動発射装置のような物を考案して、前もっ
て現場にセットしておいたのだろうか? 通り掛かった道塚京一郎は自動発射の餌食に
なった? まさか! そんな装置があったなら、報道されるに決まっている。大学の先
生が拳銃をわざわざ入手するのも奇妙だ。
 そんなことよりも、私は急速に焦りを覚えていた。八月三日の午後二時前後、私はど
こにいた? 会社を休んで、家にいた。病院には行っていない。そして、私は一人暮ら
しなのだ。
 つまり、アリバイがない。
 交換殺人が成功したというのに、なんて間抜けな!
 第一、道塚京一郎を誰が殺したというのだ? 野代が死してなお執念を見せ、幽霊に
でもなってあの世から舞い戻り、計画を実行した? 拳銃を使って? あり得ない。
 疑問だらけの事態だったが、時間が経つにつれ、別の心配事が浮上した。より本質的
な問題、そう、警察は私に容疑を掛けているのではないか? 私が道塚に復讐心を抱い
ているのは、いずれ分かるはず。いや、捜査員はもうとっくに掴んでいるかもしれな
い。今にもこの家の玄関前に到着し、呼び出しのブザーを押して、現れるのではない
か。そして私に尋ねるだろう、昨日の午後、どこで何をされていましたか?と。

             *           *

「なるほどなるほど。そのバーで、共犯者と初めて会ったんだな」
 刑事の確認の言葉に、男は力なく頷いた。俯いていて顔はよく見えないが、警察へ連
れて来られた当初の険しくも平静に努めようとする表情は、だいぶ崩れている。
「それにしても驚きだね。会ってすぐに交換殺人の話がまとまるなんて。私には信じら
れんよ。どうしてそうなった?」
「さ、酒のせいとしか……」
 迫力の欠片もない返事に、刑事は軽いため息をした。
「まあそりゃあ、酒の力を借りたってのはあるだろう。だが、それだけなら、こうも雪
崩を打ったように進むものかい? 酔っ払って決めたとんでもない約束なら、酔いが覚
めりゃあ多少考え直すのが道理ってもの。違うか」
「……分かりません。何でか知らないけど、歯止めが効かなかったんだ。――いや、強
いて言うなら、全然酔ったように見えない男がいて、そいつが全てを取りまとめる感じ
だったかも。ああ、最初に言い出したのは違うんだ。野代っていう大学の先生」
「事故死した野代幸大だな」
「ああ。あの先生も運がないよ。言い出しっぺだからってことで、俺の殺してほしい奴
を真っ先に殺してくれて、次にあの先生が殺したがっていた井原仁美がいなくなって
さ。これですべきことはして、目的も達成だったのに、事故で逝ってしまうなんて」
「馬鹿を言うな。殺しに手を染めておいて、運のいいも悪いもあるものか。生きていた
って、絶対に捕まえてやったよ。こうしておまえをお縄にしたようにな」
「そういや、何で俺に目をつけたんです? 何も落としてないはずだし、拳銃は他人の
だし」
 不思議そうに首を傾げる男へ、刑事は上からあきれ口調で告げた。
「おまえ、スリの腕は上級なのに、脳みその方は今ひとつ頼りないようだな。スリ取っ
た拳銃を殺人に使うなんて、一見妙案に思えたのかもしれんが、あれは元々、暴力団員
の持ち物でな。まだ試し撃ちにしか使っていない代物で、もしそんな銃で事件を起こさ
れたら、組全体に迷惑が及ぶってことで、すられた組員本人が責任を取りがてら、律儀
にも警察へ届け出たんだよ。で、試し撃ちに使った弾まで持ってきたから、すぐに照合
して分かった。あとは、おまえがスリ取った場所には防犯カメラが向けられていたか
ら、簡単に判明したって訳。分かったか?」
「そ、そうだったんだ。いやあ、あの厳つい面相だから、ただ者じゃないと睨んで、警
察に頼ることもないだろうと安心して狙ったのに」
 思惑外れを悔いるスリ男に、刑事は肝心の質問をぶつけた。
「そろそろ白状してくれよ。交換殺人をやった相棒の名前を」
 紙と鉛筆を出す。すでに、野代弘幸の名前がそこに記してあった。
「“三人で交換殺人”をやろうなんていう、奇想天外なことを思い付く割に、記憶力は
からっきしか」
「さっきから思い出そうとしてるんですが、脳に蜘蛛の巣と霞が掛かったみたいに、も
やもやっとしていて、思い出せんのです。顔の方は、しっかり覚えてるんだがなあ。酒
を飲んでも飲んでも、ほとんど赤くならない、冷静沈着を絵に描いたような顔でさあ」
「そいつの顔、この中にあるか?」
 刑事は五人の上半身を捉えた写真一枚ずつ、スリ男の前に並べた。道塚京一郎に何ら
かの恨みを持つ人間としてリストアップした五名だった。

――終わり




#445/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/10/28  01:33  ( 16)
随筆>蜘蛛
★内容
芥川先生の御本に悪人が生前助けた蜘蛛がいました。蜘蛛の糸でおしゃかさまが地獄か
ら助け出してあげる(結局は失敗した)話があるのですぅ。私はそれを見習って蜘蛛は
大事にしています。

ある夏の日でした。一匹の蜘蛛が家の中に入ってきました。家の中にいれておくと噛み
つかれるかもしれないし、殺すには可哀想だし、外に出してあげることにしました。
嫌がる蜘蛛を捕まえて、屋根の瓦の上にそうっと起きました。夏の暑い日だったので、
瓦も焼けていたのでしょう蜘蛛はぴくぴくぴくと痙攣を起こして動かなくなりました。
気がついたら逃げ出すだろうと思って、窓を閉めて冷房と扇風機がかかった涼しい部屋
で蜘蛛のことを忘れてパソコンで遊び始めました。
そして次の日見ると蜘蛛は同じところにいました。その次の日も・・・その次の日も
・・・
一週間がたちました。窓をあけると蜘蛛は同じところにいました。風が吹き、逝って身
体の水分が抜けた蜘蛛は凧のようにふわりと飛んで行ってしまいました。
教訓
地獄に行っても蜘蛛の糸で助けてもらうことはできないようです。




#446/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/06  22:32  ( 21)
随筆>2匹のやもり  $フィン
★内容
私の家では防犯のため一晩中玄関先に灯りをつけています。そこに羽虫やその他の昆虫
が集います。その虫たちを食べにわりと大きなやもりと中ぐらいのやもりがやってきま
す。
2匹を観測していたら羽虫が油断をしている間にさっと動いてぱくりと食べます。ぱく
りぱくりぱくり何度も同じことをしていて見ていてなかなか飽きません。
深夜人は寝てやもりは羽虫を食べる。
日が昇ると同時に羽虫は消え、やもりもどこかの影に隠れるはずなのですが、家の構造
のせいとやもりが太りすぎて、玄関のガラスとサッシの間に挟みこまれて、逃げ出すこ
とができません。逃がしてやろうと無理して出そうとするとしっぽがちぎれて、しっぽ
のないやもりになると可哀想だからそのままにしておきます。そうやって何もせずに見
守っているといつの間にか抜けだしています。
私も家族もやもりのことは気にかけていて、今夜はもうやもりでてきたよとか言って玄
関のガラスに貼りついたやもりを優しく見ています。
だけどここ2.3日気になることがあります。中ぐらいのやもりだけが姿を見せて、大きな
やもりの姿が見えません。大きなやもりは食物連鎖の中に取り込まれて、より大きな動
物に食べられたのかなと心配しています。できれば11月にはいってから寒くなったの
で冬眠したと考えたいです。中ぐらいのやもりも玄関の羽虫をいっぱい食べて、そろそ
ろ冬眠すればいいのにと思っています。
そして来年の春、大きなやもりも中ぐらいのやもりも冬眠から目覚めて、また玄関に現
れてくれるのを祈っています。こうして人にもやもりにも平等に季節は巡るのですね。
来年の春に元気に現れてください>二匹のやもりくん




#447/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/14  02:02  ( 44)
随筆>涼しい布団 暖かい毛布  $フィン
★内容


最初に別にそこの業者を誹謗中傷するつもりはなく、私が思ったありのままの感想を書
いているつもりです。読む側も買う時に少しでも参考になればいいと思っています。

今年の夏も例年どおり暑かった。少しでも身のまわりを涼しくしようと、外出した後に
は水のシャワー、お風呂に入ってからは男性用のすかっとするミントの匂いたっぷりは
いっているリンスインシャンプー、男性用のボデイソープ(ミント風)、お風呂に出る
ときは水のシャワーで女なのに、夏になると男性化しています。

そんなおり、CMで●●は辛いが布団は涼しいとかなんとかいうのがありました。お金
をできるだけかけずに涼しくなる方法を考えていた私は興味を持ちました。そしていつ
も衣料を注文している通販サイトで同じようなものが売られていたので、寝るときに本
当に涼しくなればいいなと言うことで注文しました。下が2500円、上が2000円弱でし
た。

注文して2.3日後無事届いてさっそく布団にとりつけてみました。・・・・ぜんぜん涼し
くならない。それが最初の感想でした。値段のわりには布団がしょぼい。特に上がタオ
ルケットに近いようなものなのに、2000円とはちと高いのではないのかい?1000円以内
で収まるものでないかい?という感想でした。それでも肌触りはつるつるしてたしかに
いいし、今流行りなのだから今のうちにぼっているものを買ったと思えばいいかと思っ
て諦めました。

季節は夏は終わり、秋になって11月そろそろファンヒーターや毛布の暖かいのを欲し
くなる時期です。

妹がホームセンターのチラシを持ってきてなんでもいいから3000円以上のものを買って
欲しい。たぬきの置物を見学するバス旅行に当たりたいからと、友達も同じことを考え
ていて二人でただのバス旅行に行くつもりです。3000円以上の買い物をしないとバス旅
行の応募券をもらえないのです。

そこで私は去年3000円ぐらいで上用の毛布を別のホームセンターで買っていました。裏
表二重の茶色の無地の色こそ悪いが肌触りもよく軽くてとても暖かい毛布を買っていま
した。妹が持ってきたチラシにも3000円で同じ茶色の暖かい毛布と書かれていました。3
000円の買い物をしたら妹もバス旅行に行ける確率があがって喜ぶだろうと暖かかったら
いいなと妹に頼みました。

そして数日後その毛布を持ってきました。手触りこそいいものの、●●は辛いが布団は
涼しいの暖かい版でした。薄っぺらいぺらぺらの毛布でした。3000円払ったらもっと暖
かい二重の毛布が届くと思っていた私はがっかりしました。これだと1500円ぐらいの品
だなと思いました。

これを読んだみなさんも自分の目でちゃんと確認して、実際にその金額にあうものか見
て購入してくださいね。通販や妹の目を信じた私が馬鹿でした。




#448/455 ●短編
★タイトル (XVB     )  16/11/23  12:15  ( 23)
随筆>楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシ $フィン
★内容


半年に一度定期健診で歯医者に行っています。行く前に歯磨き粉なしで一度歯を磨き、
糸ようじを使って歯と歯の間にある磨き残しをとって、その後歯磨き粉をつけて歯を磨
き、最後にマウスウオッシュで歯を磨いています。それでも看護師さんに歯を染色して
もらうと磨き残しがあります。いままで何回もそうやってきたのですが、毎度指摘され
てしまいます。看護師さんに一本一本歯を磨いてもらって、その後超音波で歯を磨いて
終わりです。虫歯ができて治療してもらうときは痛いのはわかるのですが、歯の定期健
診のときは気持ちいいのか、痛いのかわからない何度やっても微妙な感じがします。

さて今回の題材になった楽しい歯ブラシ、楽しくない歯ブラシですが、今まで1本150円
以上の歯ブラシで歯を磨いて(一度目は歯磨き粉なしで歯を磨き、糸ようじで歯と歯の
間をとり、二度目は歯磨き粉で歯磨いて終わりです)いるのですが、歯を磨いていてわ
りと楽しくてやっていました。

でもその歯ブラシも横に広がってきて、1週間前ドラックストアによったさいに、1本78
円で売っていたドラックストアのプライベートブランドの歯ブラシを買ってきて、さっ
そく以前と同じ方法で磨いたのですが、あれ?磨いていて楽しくない。歯ブラシは同じ
普通の硬さなのに微妙に違う。慣れていないせいかなと思っても歯磨きが楽しくない。
同じことをやっているのに楽しくない。

やっぱり78円の歯ブラシは駄目なのかな値段どおりの効果しかないのかなと思った。次
は150円の歯ブラシ買おうと思いました。




#449/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/02/25  21:15  (413)
呪術王の転落   永宮淳司
★内容
 遠くに赤い砂肌をした山々が見える。どれも三角形より四角形に近いシルエットを持
っていた。
 周辺にはサボテンを始めとする棘の多い植物が点在する他は、特に生き物の気配の感
じられない、荒涼とした地面が延々と続く。無論、我々人間が簡単には見付けられない
場所に、小さな生き物たちは潜んでいるのだろうが、一見するとこの一帯は“死の土地
”そのものだった。
 こんな場所に何を思ったのか、宗教団体がかつて巨大な塔を建てた。高さ二十四メー
トルの五階建て、ドーナツ型をした円筒の石造り。かつてはそれなりにきらびやかさを
有していたそうだが、生憎と資料が残っておらず、具体的には分からない。現存する塔
は、内壁も外壁も黒く磨き上げられた石が鈍い光をまだ宿しており、往時を偲ばせた。
 一階部分には窓もドアもなく、地上からは二階へと通じる階段を登ってから、改めて
降りることになる。他の階には全て窓が四つずつがある。いずれもはめ殺しで、分厚い
ステンドグラスが今も無傷で残っているようだった。
 ようだったと曖昧な表現にしたのは、近くまで行って直接確かめることが困難だから
だ。内部にあった螺旋階段は錆び朽ちて、ほぼ全て崩壊していた。僅かに残った数段の
ステップや手すりなぞ、最早何の役にも立つまい。触れただけで崩れかねないように見
える。
 塔の内部は屋上まで吹き抜けで、エントランスホールに該当する中心区画から見上げ
れば青空が望める。元々、屋根はなかったらしい。
 何のために作ったのか? 宗教団体の説明によれば、各階にある四部屋が修養の場と
して機能していたとのこと。どのような修養が行われていたのかの記録はあるのだが、
詳細は省く。部屋の構造自体は同じだが、上階ほど上級の修養がなされていたという。
「宗教団体の解散後、所有権を持つ人物とその血縁者が皆、お亡くなりになってね。よ
うやく、こうして利用できることになった」
 鼻髭の印象的な中年男が言った。“呪術王”と呼ばれる割に、柔和な表情をしている
し、声の調子は穏やかで優しく、身体も平均的だった。
 彼の名は、ロドニー・カーチス。占いを生業とする。ここ数年で、急に知名度が上が
り、人気を得ていた。きっかけは、芸能人やスポーツ選手など著名人の将来に関する
諸々を、いくつも言い当てたためだ。
 当初、彼自身は、必要以上に自らを売り込もうとはしなかったが、人気者になるとマ
ネージャーがいる方が便利だ。という訳で雇われたのが私、メクロ・カンタベルであ
る。元は男性歌手のマネージングをやっていたが、タレントの不祥事により喉が干上が
りかけていたところを、拾ってもらったのがより正確な表現になろうか。
 もちろん、腕には自信がある。カーチスを最初は占い一本で売り込み、次いで予言や
心霊現象関連に首を突っ込ませ、徐々にクイズ番組などにも進出。今ではスポーツ選手
の運動会や、芸能人の水泳大会にまで顔出しさせている。呪術王は年齢の割に運動がで
きるのだ。
 そんな風に仕事をするようになってからしばらくすると、カーチスにも商売っ気が出
て来た。私は彼のためを思って、仕事を取捨選択し、呪術王ロドニー・カーチスにとっ
て最善のイメージ作りを心掛け、機を見てイメージチェンジをはかり、そして成し遂げ
た自負がある。
「それで……一体、何を確かめたいと言うんです?」
 私はカーチスに尋ねた。荷物を満載したワゴンカーを用意させられ、目的を告げられ
ぬまま、ここまでお供させられたのだ。いい加減、打ち明けてくれてもよかろう。
「メクロ・カンタベル。君はここでかつて起きた不可思議な出来事について、知ってい
ますかな?」
「いえ……特に何も知りません」
 大きな事件と言えば、くだんの宗教団体の教祖が、塔の天辺にある自身の部屋で死亡
したことくらいだろう。ただ、あれは報道によると病死で、別段、不思議な事件ではな
かったはず。
「勉強不足です。ここへ来ると伝えた時点で、下調べくらいしておいてもらいたいも
の」
「すみません。他の諸々に忙殺され、そこには意が回りませんでした」
 やや不機嫌な口調になった呪術王に、私は急いで頭を垂れた。
「それなら仕方がない。まあ、私でも知っている常識だと思っていたが、昔のこと故、
世間から徐々に忘れられているのかもしれない」
 そう言うと、カーチスは塔によってできた日陰に入り、話し始めた。
「長くなる話じゃあない。語ろうにも、情報が少ないのでね。事件の主役は、バーバ
ラ・チェイス。宗教団体の信者で、齢は十五ほど。見事な金髪だけが自慢の、他は地味
な印象の少女だったとか。そして彼女は足が不自由だった」
 教祖が奇跡を起こして、その子を歩けるようにしたとでも言うのだろうか。
「バーバラは教団の末期に入った信者で、程なくして教祖が死亡、教団の解散となる。
それでも彼女は信仰を捨てず、ここへ来ることを願った。多分、教祖の魂がまたいると
でも思ったのでしょう。解散から一年後、その願いは叶い、友達数名の助けを借りてこ
こへやって来たバーバラは、一人で一晩明かしたいと告げる。友達は聞き入れ、場を離
れた。バーバラが夜をどのように過ごしたかは定かじゃないが、この塔の一階で寝袋に
入って就寝したことだけはほぼ間違いない。というのも……いや、この点は後回しにし
よう。翌日の昼前、友達がバーバラを迎えに行くと、彼女の姿はなく、荷物の一部が一
階の壁際に置いてあるだけだった。ああ、言い忘れていたが、当時の段階で既に建物は
今のように朽ちかけていた。時間による劣化のみならず、教祖死亡を受けて混乱を来し
た教団内で、大小様々な暴力・暴動沙汰があったせいらしいね」
 何故かにこりと笑うカーチス。呪術王は新興宗教団体を見下しているようだ。
「友達はバーバラ・チェイスを探したが見付からない。遠くまで移動できるはずがない
彼女を探すのに、捜索範囲はさほど広くない。一時間ほどで行き詰まった友達連中が途
方に暮れていると、突然、空から声が聞こえたそうです。叫び声と呻き声が混ざった、
形容のしがたい声がね」
 私が知らず、固唾を呑むのへ、カーチスはいよいよ講釈師めいた口ぶりと表情をなし
た。案外、楽しんでいるようだ。そして案外、愛嬌のある顔になると気付いた。
「それはバーバラの声だった。友人らが見上げた先は、塔の天辺付近。具体的にそちら
から聞こえたとの確信があった訳ではないらしく、他に見上げるべき物がなかったとい
うのが正しい。とまれ、声の源としてそこは間違っていなかった。塔の最上階、少しば
かり残った床の上に、バーバラ・チェイスは横たわっていた。寝袋に入ったままの状態
で、仰向けに」
「どうやって助けたんですか? いや、そもそもどうやってバーバラはそんな場所へ行
けたのか」
「焦るもんじゃないですよ。無論、友人達はすぐさま助けに行くことはかなわず、本職
の救援隊を呼んだ。詳しい段取りは省くが、かなり手こずったという。それよりもバー
バラが登れた方が不思議であろう。彼女が後に語ったところによると、意識を失ってい
たらしく、気が付いたときにはそこにいたと言うんですな。日差しのきつさに覚醒し、
周囲を見回して悲鳴を上げてしまったと」
「夜は下で寝ていたんでしょう? 何者かが彼女を寝袋ごと担いで上がるとしても、塔
の様子からして非常に難しい……と言うよりも、無理だと思えますが」
 私は聳え立つ塔を改めて見上げ、言った。バーバラ・チェイスの一件が何年前の出来
事か知らないが、塔の状態が現在よりも劇的によかったとは考えにくい。長梯子や滑車
があったとしても、不可能ではないか。
「ああ、バーバラが睡眠薬でも飲んでいたなら、あるいは可能かもしれませんね?」
「いや、仮にそうだったとしても、難業ですよ。人ひとりを担ぐにしろ、道具を使うに
しろ、目を覚まされないようにするのは。まあ、実際には睡眠薬を始めとする薬物の類
は、全く検出されなかったんですがねえ」
「そうだったんですか」
 当事者が生きて助かった場合でも、健康診断名目であれやこれやと調べるものらし
い。
「この謎は、結局解かれないまま、現在に至っているのだが……私はどうやって起きた
のかを突き止めた。正確には、突き止めた気がするという段階だがね」
「つまり、筋道だった推理を組み立てたってことですね? 聞かせてください」
 私の言い方がよほど物欲しげだったのか、カーチスは嬉しそうに笑みを作り、そして
勿体ぶった。
「今は話すつもりはない。推理が当たっているのかどうか、確かめてからになります」
「確かめる?」
「そのために、現場まで足を運んだんですからな」
「ははあ。てっきり、暇潰しの物見遊山かと」
「とんでもない。もし当たっていたときには、世間に大々的に公表するつもりだ。その
前に、君には真っ先に教えてあげましょう」
「それはありがたいですが……当然、今は他言無用ですね」
「ああ。公表前に外部に漏れたときは、君はくびだ。はははは」
「冗談でもそんなこと言わないでください」
 私は身震いして見せた。事実、呪術王はこのところ、以前のように単独で仕事をやり
たがっている風に見受けられる。私の仕事のやり方を会得し、一人でできると踏んだの
だだとしたら、それは大きな間違いというものだ。
「それよりも、早く実証実験に入らないんですか」
「君がいる前ではやらん。一人で始めて、結果を待つことにしてる」
「どうしてです?」
「間違っていたら、気まずいじゃあありませんか。加えて、この実験は時間が掛かる。
しかも、いつ、私の想定した条件が揃うのか、分からないと来た」
「えっと。それって」
 私は近くまで運んで来て荷物を思い浮かべた。
「ここでお一人でキャンプでもすると……?」
「そうなる。なあに、安全は確保してある。水や食糧は充分に用意したし、電話が通じ
なくなるような万々が一の緊急時に備えて、信号弾もある。ああ、結果が出たら知らせ
ますから、すぐに来てくれたまえ」
「結果が出なかった場合はどうしましょう?」
「そうですな、そのときは……まあ、五週間と期限を区切りましょうかね。連絡がなく
ても、五週間後には迎えに来るように。いいですね」

 現在、きっかり三十五日後の昼間。
 私はカーチスのいるはずの塔の足元に立っていた。
 外から呼び掛けても返事はない。しかも、彼の持ち物のいくらかは、周辺に散乱して
いる有様だ。何らかの異変があったに違いない。それは端から分かっていた。
 即座に浮かぶとすれば、大型肉食獣による襲撃だろうか。この辺がいくら死の土地だ
と言っても、獣が全くいない訳ではあるまい。熊のような大型で凶暴な獣が出現したの
ではないか。そんな想像を脳裏に描いてみた。食い散らかされた人体……。
 が、思い付きは簡単に粉砕されることになる。
 塔の内部に、恐る恐る足を踏み入れた私は、一階エントランスの部分に呪術王を見付
けた。彼は俯せに横たわっており、一見、寝ているようだった。だがしかし、異変が起
きたのは確かなのだ。
 その名を何度呼ぼうとも、応答はなく、代わりのように嫌な臭いが私の鼻を衝いた。
背中や額を汗が伝う。
 近付いて、いよいよはっきりした。カーチスの後頭部には、赤黒い物があった。何者
かに殴られでもしたかのように、少々へこんでいる。
 呪術王は息絶えていた。

 後日明らかにされたところによれば、カーチスの死因は、転落死とのことだった。
 あんな場所で転落とは。それなら彼はあの塔に本当に登ったか、登る途中のいずれか
で、何らかのミスを犯して落ちてしまったのか。だとすると、彼の言っていた実験は、
ほぼ成功しかけていたことになる? 当人が死んでしまった今となっては、彼の推理し
た方法がどんなものだったのか、知る術は失われた。
 ただ、彼の残していたメモ書きにより、仮説が的中していた場合には自身の新たな売
りにするつもりだったことが分かった。“呪術王”ロドニー・カーチスが起こす不可思
議な現象として、大々的に披露する算段でいたのだ。そのためなのだろう、例の塔のあ
る一帯の土地を購入する手筈も、あとはサインをするだけと言っていいほどの段階まで
済ませていた。密かに計画を進めていたと知った私は驚きもしたが、今となってはどう
でもよい。
 それよりも、後処理だ。そこまで費用を掛けて、見返りが充分にあると踏んでいたの
だろうか? 私のようなマネージャーがいないとだめな人だったから、その辺の商売感
覚は怪しいが、そこはそれとして、俄然、興味が湧いた。もしも実際に見世物として成
り立つ現象が起こせるのであれば、カーチスの解き明かした方法を知りたいものだ。何
せ私は、彼の死によって、失業状態になった。見世物で稼げるのなら、私も当面の間、
糊口をしのげるであろう。マネージャーとして、カーチスのサインを真似るぐらい訳な
いから、いざとなれば土地購入の契約を正式に結んでいたことにできよう。
 そのためには、一にも二にも、謎の解明だ。
 とは言え、独力で解き明かせるかと問われると、全く自信がない。私は現実主義の方
に傾いた一般人だ。想像を際限なく膨らませるのも、無から突拍子もないものを創造す
ることも苦手だと自覚している。となれば、得意な者に頼むしかない。できる限り、費
用を掛けずに。
「そんな奇特な奴、いる訳ないだろ」
 昔からの悪友で、物書きをやっているテムズ・タルベルが言った。作家先生というよ
うなご立派なものではなく、記者崩れの男。そのくせ、金回りはいい。この居酒屋での
払いも、今夜は彼持ちだ。どこぞの富豪から、小金を引き出す種を握っているらしいの
だが、教えてくれる気配はない。
「正解があるかどうかも分からん謎に、無給で取り組むような輩。いたらそいつはよほ
どの暇人か、阿呆だ」
「ただ働きとは言わんさ。儲けの一部を回してやっていい。心当たりはないか」
「だから、見世物として成り立つのかどうかがはっきりしない段階で、協力する奴がい
るとはとても思えん」
「いくらか前払いできる。今なら、呪術王死す!と散々やってくれたおかげで、多少は
懐が潤ったんだ」
「金の問題というより、謎に取り組む熱意の問題だぜ、こいつは。おまえさんも夢みた
いな話を追い掛けてないで、新たなマネージャーの口を探した方がいいんじゃないか。
三月ぐらい前から、カーチス以外のマネージメントも考えたいと言い出していたが、あ
れ、どうなったんだ?」
「呪術王と仕事をしていたという評判が、なかなかね。芸能人の秘密を掴んでいるんじ
ゃないかと噂されて、いい印象をもたれていないみたいなんだな。それに……曲がりな
りにも、カーチスの世話をした身としては、情が移ったのかもしれない。解き明かして
やりたいという熱意は、確かにあるんだ」
 割と本音に近いところを吐露し、私は残っていた酒を呷った。
「頼むとして、どんな職業の奴を想定してるんだ?」
「それはやっぱり、宗教家とか占い師? インチキな御業に詳しい人物ならなおのこと
いい」
「そんな連中が都合よく見付かったとして、素直に協力してくれるかね?」
「……難しそうだ。となれば……手品師の類だな。あとで見世物にするとき、手品師が
いれば都合がよいかもしれないし」
「おまえに利益が回らなくなる可能性が高そうだ」
 解明してもそれを私には教えず、手品師が独自に見世物に仕立てるっていう意味か。
そんな狡賢い奴ばかりではないと思うが、きちんと契約を結んだら結んだで、儲けのほ
とんどを持って行かれそうなのも、容易に想定できる。
「じゃあ、あと考えられるのは……探偵かな」
「探偵?」
 全く予想していなかった言葉を聞いたとばかり、目を丸くしたタルベル。だが、こち
らとしては意表を突いたつもりなぞ毛頭ない。
「おかしくはあるまい。すっかり忘れているようだけれど、ことは殺人事件なんだ。地
元の警察は、まだ何の手掛かりも掴めていない。ひと月近く経つのにまともな発表が全
くないんだから、少なくとも難航しているのは間違いないだろう。そこでマネージャー
だった私が、探偵を雇うというのはさほど変な成り行きではないはずだ」
「なるほどな。しかし、刑事事件を依頼するとなると、相当な金が……。実費だけでも
かなりになるだろう」
「タルベル、君の広い顔でもって、誰かいないもんかね。依頼料なんて二の次、謎解き
こそ喜び、みたいな探偵の心当たりは」
「うーん。実は、いないことはない」
「そうなのか? 是非、すぐにでも紹介してくれ」
「簡単には掴まえられんのだ。その男、世界を旅しているからな」
「旅? もしかすると、異人なのか」
「異人だが、言葉は問題なく通じる。少し、気難しいところがあるがな。エイチという
名の、黒髪の男だ」
 結局、私の懇願に折れ、タルベルはエイチへ接触を図ってくれることになった。期待
するなよと何度も言って。

「その件なら、発生当時に滞在先で聞き及んで、ある程度の興味を抱いたよ。が、検討
の結果、事件性はないと判断できた。だから、あなたの地元での出来事だと分かってい
ても、特に知らせようとは考えなかったな」
「うむ」
 エイチの言葉に、警察署長のライリー・カミングスは、重々しく頷いてみせた。威厳
を保とうという意識が、強く出てしまっていた。童顔のため若く見られがちなカミング
スは、半ばそれが癖になっていた。
「私もそう思っていたのだが、関係者からせっつかれて、のんびりと構えていられなく
なった。さりとて、事件性がないことの証明は、意外に難しいものでね。管轄内では他
に大きな事件が複数、起きていることもあり、ここは君の助けを借りるべきだと判断す
るに至ったのだ」
「以前は僕の方もお世話になりましたから、協力は喜んでしますが――こちらの推測を
話す前に、カミングス署長ご自身の考えを聞きたいものです」
 そう言って微笑するエイチに、カミングスは眉根を寄せた。
「私の考え?」
 応じる声が、多少の動揺を帯びていた。“呪術王転落死”の件の顛末について、彼が
思っていることはただ一つ。呪術王カーチスは崩れかけの塔をどうにかして登ったが、
誤って足を踏み外し、地面に激突、そのまま死に至った。それだけである。無味乾燥で
つまらないが、そうとしか考えられない。
 カミングスはしばしの逡巡のあと、エイチにこの感想を正直に伝えた。
「――こう言うと、君はすぐに指摘するだろう。分かっている。どうにかして登ったと
言うが、その方法を解き明かさねば真の解決とは言えない、とでも言うつもりだろ?」
「まあ、半分は」
 エイチは、今度ははっきりと笑いながら言った。
「半分? 何が半分だ。その言い種だと、どうにかして登ったということ自体、半分し
か当たってないみたいじゃないか」
「半分というのは言葉のあや。思うに、カーチス氏は自らの力で登ったのではないと考
えています」
「……分からんなあ。自力じゃないのなら、誰かに引っ張ってもらったとでも? あ
あ、そうか。先立つ事件では、足の不自由な女性が塔を登った訳だから」
「ええ、関係あり、です。カーチス氏とバーバラ・チェイス嬢は、同じ過程を辿って、
塔の上まで運ばれたんでしょう」
「何と。二つとも解決したというのか」
 つい、解決という表現を使ってしまったカミングス。これでは、警察は皆目見当が付
いていなかったと白状するも同じである。
 そのことに気付いたカミングスだったが、素知らぬ態度で続ける。
「ならば、答合わせといこう。エイチ、君が真相に至ったのは、何がきっかけだった
?」
「過去の新聞記事」
 短く答えるエイチ。ある意味、意地悪な返事とも言えた。
「そうであろう。かつての事件にヒントがあったと」
「ええ。あの一帯で、何らかの特徴的な出来事が起きていないかどうか、遡って調べて
みた。すると、数年に一度、奇妙な変死事件が発生していると分かった」
「変死か」
「問題の地域は、砂漠に近い、乾燥した大地です。にもかかわらず、溺死者が出ている
んですね。とても特徴的でしょう」
「ああ、死の土地での溺死か。それなら分かるぞ」
 さすがに警察署長として把握している。
「十五年くらい前までは、完全に謎だったな。何しろ、周囲には川や沼といった水辺は
全くないのに、人が溺れ死んでいるのだから。どこかよそで溺れさせたのを運んだとし
ても、わざわざそんなことをする理由が犯人にあるのだろうかと、不思議だった。ま、
分かってみれば単純なことで、山側で突発的に大雨が降ると、その雨水が一本の濁流と
なって、短時間で一気に押し寄せる区域がある。運悪く、そこにいた人物が犠牲になっ
たという仕組みだった」
「それと同じですよ。カーチス氏のときもバーバラ嬢のときも、直前に同じ気象条件に
なっていたと分かった」
「むう。しかし、ロドニー・カーチスは溺死ではなく、転落死。バーバラにしても、溺
れてはいない。どういう訳で、そんな違いが?」
「多分、彼らは水に浮かんだんです。その結果、カーチス氏は命を落とし、バーバラ嬢
は助かったという風に、道ははっきり別れましたが」
「ますます分からん。焦らさずに、噛み砕いて教えてくれ」
 カミングスはすっかり、教師に教えを請う生徒と化していた。
「溺れずに浮かんだの何故か。鍵となったのは、まず、あの塔の内部にいたという事
実。現地に行って調べてはいませんが、塔の壁は、床や天井に比べると相当に頑丈なの
ではないかと想像できた。中が朽ちても、壁は殻のように残り、塔として聳え立ってい
るのだから」
「まあ、そう言えるだろうな」
「次に、二人とも寝袋を使った。正確には、カーチス氏が寝袋を使ったかどうかは定か
でないが、キャンプ道具を運び込んでいる。一人で野営するのなら、テントよりも寝袋
の方が簡便と言える。第一、氏はバーバラ嬢の身に起きた現象を再現することを期し
て、現地入りしているのだから、同じ格好をした可能性が高い」
「何となく見えてきたぞ。寝袋は撥水性、いや、もっと言えば防水加工が施された代物
だったとすると、水に浮かぶ。少なくとも、身一つでいるところを水に襲われた場合、
浮かびやすくなる、だろ?」
「ご名答。短期間に山に降った豪雨が、強くて速い流れになって、塔のふもとを襲っ
た。所々に開いた穴から、水は塔内部に入り込む。塔を大きくて細長い器に見立てる
と、分かり易いかもしれません。中で横たわっていた人間は、嵩を増す水に一気に持ち
上げられ、塔の天辺近くまで行き着く。バーバラ嬢は、幸か不幸か気付かぬまま天井上
に到着。カーチス氏は最上階の床に乗り上げた」
「ふむ、なるほどな。バーバラ・チェイスの方は、おおよそ分かったぞ。彼女を持ち上
げた大量の水はじきに引く。そして目覚めたときには、照りつける太陽や乾燥した空気
のおかげで、地面や衣服などにあった濡れた痕跡もすっかり乾き、分からなくなったと
いう訳だな」
「恐らく。早めに気付いてもらえて、彼女は幸運だったのかもしれない」
「気付かれなかったら、やがて干からびて死を迎えた……」
「あるいは、どうにしかして降りようともがき、転落した可能性もあったでしょう」
「本当に転落死したロドニー・カーチスは、もがいたということになる」
「うーん、少し違うかもしれませんよ。彼は連絡手段があったはずですから」
「そうか。落ち着いてマネージャーに知らせれば、助けを待つぐらいの辛抱はできただ
ろうなあ」
「カーチス氏が転落したのは、中途半端な位置に引っ掛かったからではないかと、推測
しました」
「そういや、君は最前、バーバラは天井の上に辿り着いたが、呪術王はそうではない、
みたいな言い方をしたっけな」
 思い出したという風に、カミングスは左の手のひらを右の拳で打つ。
「具体的にどこと特定することはできませんが、最上階の不安定な場所だったと見なす
のが妥当でしょう。もしかすると、引っ掛かり損ね、慌てて手で床の端を掴んだかもし
れない。そこからよじ登れたならば、きっと助かっただろうに、握力の限界が先に来
て、転落してしまった――という推測ができる」
「連絡できなかったという点を考慮すると、それが一番ありそうだなあ。両手がふさが
っていたら、緊急の連絡もしようがない」
 カミングス署長は合点して大きく頷くと、手元の紙にメモ書きを始めた。宙ぶらりん
になっていた呪術王転落死事件に、はっきりとした結論を下すために、改めて調べるべ
き事柄を思い浮かべ、箇条書きにしていく。
「どうしてまた、ふた月近く経ってから、協力要請をしてきたんです? 言っちゃあ何
ですが、カミングスさんが事故だと思っていたのなら、もっと長く放置しそうなもの
だ」
 その様子を横目に見ながら、エイチが尋ねた。
「うむ。まあ、面倒くさい奴からつつかれたもんでね。裏も表も知ってるような自称・
記者から」
「その記者は、何でこの件に興味を持ったのでしょう? 元の宗教団体を追い掛けてい
るとか」
「いやいや。カーチスのマネージャーだった男が、その記者と旧知の仲だっただけさ
ね。カーチスの不審死の謎を解き明かしたい一心、てことだったが、金儲けも企んでい
るようだ」
「金儲けというと……ああ、カーチス氏に死なれたあとはマネージャーも何もないって
訳か。次の職を得るまでのつなぎに、呪術王を利用しようという策は感心しないが、や
むを得ないと」
「そこなんだが」
 カミングスはあまり進まない筆を止め、エイチの顔を見た。
「思い出した。一応、人が死んでるってことで、メクロ・カンタベルの身辺も調査した
んだ。カンタベルってのはマネージャーのことだが」
「不審な点が?」
「はっきりと怪しいことが出て来てたら、事件性を疑ってもっと調べたよ。まあ、引っ
掛かった程度だな。カンタベルは、ロドニー・カーチスが亡くなる前から、次の職探し
をしていたようなんだ」
「気になりますね」
「お? どう気になるって言うんだ?」
 エイチの即答に、カミングスはペンを手放した。机の上で両手を組み、身を乗り出す
姿勢を取る。
「最初に、報道された記事だけで事件性はないと判断したと言いましたが、それは条件
付きでした。確実に殺せる方法じゃないからです。犯罪者にとって不確実な方法でもよ
いのであれば、事件性がないと現段階では言い切れない」
「え。そんな方法がありますか?」
 急に丁寧な言い回しになったカミングス。すぐに気付いて、口元を手のひらでひと拭
いした。
「転落死させる方法があるとは、思えないんだが。知らないのかもしれないが、カーチ
スの死亡推定時期の間、カンタベルにはちゃんとしたアリバイがあるんだ」
「一日中、監視が張り付いていた訳ではありますまい? 遠隔地にいても、ちょっと操
作するだけで、人と人はつながれますよ」
「電話か。そりゃあ、電話があれば話ぐらいはできるが。実際には、電話はなかったと
カンタベルは言っている」
「待ってください。危機に瀕したカーチス氏にとって、電話は単なる会話道具ではな
く、命綱にも相当したんじゃないかな。無論、危機というのは、水の急増によって、塔
の上方に運ばれたことです。多分、カーチス氏は水によって塔の上まで行けるとは予想
していたが、あまりにも急だったんでしょう。食糧などを上に持って行けていたら、し
ばらくは耐えられたはずなのに、そうはならなかったようですから。だが、いつでも緊
急の連絡を入れられる準備ぐらいはしていたと思う。寝袋の中に電話を常備しておくと
かね。だから、その場合、氏はすぐにマネージャー宛に電話を掛けたに違いない。で
も、その電話に反応がなかったとしたら」
「反応がないとは、つまり……電話に出ないということで?」
「それもあります。あるいは、電話で救援を要請され、応じる返事をしておきながら、
実際には行動を起こさなかったか。そもそも、バッテリーをまともに整備しておかない
という方法もあり得る」
「バッテリー……」
「手動の充電器を用意していたかどうかは知らないが、それとは別に、予備のバッテ
リーも用意していくでしょう。充電器自体が壊れることだって考えられるのだから。そ
してバッテリーのいくつかを不良品にしておけば、カーチス氏の連絡手段は断たれる」
「うーむ。確かに、どの場合も死に至りかねないな。救助の声が伝えられないにして
も、待てど暮らせど救援が来ないにしても、絶望につながる」
「僕の想像では、電話はつながったと思います。カーチス氏の立場に置かれたとして、
助かるとしたら、水の勢いが収まった時点で思い切って飛び込むぐらいでしょう。それ
ぐらいのことをいい大人が気付かないとは思えない。あ、呪術王は泳げますよね?」
「ああっと、多分。運動は得意だそうだから」
 記憶を手繰りながら答えたカミングスに、エイチは「あとで確認を」と指示し、話を
続けた。
「泳げるとして――泳げなくても命に関わるとなれば飛び込むという選択をする可能性
が高いでしょうが――、それにも関わらず機会を逸したのは、救援が来ると確信してい
たからではないか。電話を受けたカンタベルが、すぐにでも来てくれると疑いもしなか
ったからこそ待ち続けた挙げ句、水が引いてしまった」
 エイチの推理に、カミングスは唸った。だが一方で、首を捻りもした。
「興味深い仮説だが、証拠がない。何せ、カーチスの電話は完全に壊れた状態で見付か
ったんだ。高いところから落ちたせいだと思っていた。今の話を聞くと、ひょっとした
ら第一発見者であるカンタベルが破壊したのかもしれないし、そうじゃないのかもしれ
ん」
「通話記録の照会ができない?」
「荒涼とした土地に行くからと、常用していた物を持っていかずに、前払い形式の奴を
新たに購入したらしい」
「いや、僕が言ったのは、マネージャーの電話です」
「……ああ、そうか」
「まさか、マネージャーの方も電話を新しくしてはいないでしょう? 使えるのに変更
したら、カーチス氏から疑われかねない」
「なるほど。細い糸のような頼りなさだが、調べる値打ちはありそうだ」
 カミングスは署長の椅子から腰を上げた。電話に手を伸ばすと、係の者につなぐよう
に伝えた。

――終




#450/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/06/28  21:05  (499)
そばに来るまでに   寺嶋公香
★内容
「相羽君は、芸能関係には興味がないのかね」
 英文学の宇那木(うなき)助教授から意外な話題を振られ、相羽は目をぱちくりとさ
せた。もちろん、無意識から出た仕種だが、妙にかわいらしくなってしまった。その
上、返事が出て来ない。
「芸術ではなく、芸能ですか」
 やっとそれだけ応じた。
 黒板を消し終わった助教授は、手に着いたチョークの粉をぱんぱんと払ってから続け
て言った。
「うむ。学生の多くは、トレンディドラマだのカラオケだのを話題にしているのに、君
の口からそんな単語が出たのを聞いた覚えがない」
 相羽は口元に微苦笑を浮かべた。先生の「トレンディドラマ」という言い回しが、ど
ことなくおかしかった。
 笑いを我慢しつつ、目の前の黒板を引っ張る。二枚の板が上下移動できて、入れ替え
られるタイプなのだ。少しだが、気になる消し残しがあったので、消しておく。
「全くないわけではありませんが、重きを置いてないというか、今は学生生活自体が楽
しい感じです」
「なるほど、結構結構」
 宇那木助教授は窓の戸締まりを確認してから、黒板の端に立て掛けた図面資料を肩に
もたせかけ、教卓にあったテキスト等を小脇に抱えた。百八十センチほどの背があっ
て、さらにぼさぼさ頭はアフロヘアに近いため、なおのこと高身長に見える。
「少し心配していたのだよ。艶っぽい話が口に上らないのはまあ人それぞれだとして
も、世俗的な楽しみすらシャットアウトしてるのではないかとね」
「朴念仁みたいに思われていたのですか」
「朴念仁は言いすぎだが、真面目で頭が固いというイメージだね。同じ頭でも中身――
頭脳の方は柔軟なのに」
 うまい言い方ができたとご満悦なのか、宇那木はにこにこしている。太陽がパーマを
掛けたみたいだ。
「お持ちしましょうか」
「お餅? ああ、いいよいいよ。この年齢で、君のような学生に荷物を運ばせたとあっ
ては、格好が付かない」
「でも、資料の端がぶつかりそうです」
 先を行く相羽は後ろを見ながら、出入り口の上部を指差した。図面を巻いた芯がドア
のレールをかすめそうだった。
「では、テキストの方を持ってもらえるかな」
「はい」
 相羽は肩から提げた自分の鞄を背負い直し、テキストを受け取った。厚さも判型も異
なる三冊と受講者名簿が、手の中で意外と落ち着かない。
「次のコマは、何もないのかね?」
「心理学ですが、休講と出ていました」
「ああ、種市(たねいち)先生か」
 呟くのを聞いて、相羽はちょっとしたいたずら心を起こした。先程、固いと言われた
ことを払拭しておこう。小耳に挟んだ噂話を持ち出してみた。
「宇那木先生は、種市先生と仲がよいと聞いていますが……」
「学生の頃、同じ学校だったことがあるからね。お互い、いい歳だし、一緒になっても
いいかなぐらいの話はしてる。何だ、ちゃんと興味あるんだ?」
「興味というか、疑問というか。聞いた限りでは、種市先生は女子大で、宇那木先生と
同じ学校というのは解せません。つまり、高校や中学で同じ学校だったんでしょうか」
「そうだよ。もっと前、小学校のときから一緒だった」
 エレベーターがあったが、素通りして階段に向かう。上がるのは一階分だけだ。
「同じ大学に着任するとは、腐れ縁的なものを感じる」
「どちらかが追い掛けてきたわけではないんですか」
「ないない。偶然」
 教官室まで来た。相羽が鍵を借り、ドアを開ける。押さえてなくてもドアは止まるは
ずだが、念のため手を添えておく。宇那木は資料がぶつからぬよう、斜めにしてから入
る。
「助かったよ。お礼ってほどじゃないが、コーヒー、飲む?」
 問い掛けながら、既に準備を始めている。自身が飲むのは確定ということだろう。
「いただきます。あの、テキストと名簿は」
 紅茶の方が好きですがとはもちろん言わず、相羽は辺りを見回した。
 室内はそこそこ散らかっている。特に、本棚はまともな隙間がほとんどない。本来、
本を置くスペースじゃないところにまで、色々と横積みにしてあった。
「こっちにもらおう。おっと、ドアは閉めない。何かとうるさいご時世になったから」
「あ、そうでした」
 性別に関係なく、先生と学生が教官室に二人きりの状況で、指導上の必要性がない限
り、ドアを少し開けて廊下側から覗けるようにしておくのが、この大学のルールだ。
 レギュラーコーヒー二杯を机に置いた宇那木は、一旦座ってすぐにまた立った。
「確か、もらい物の菓子が。食べるでしょ」
「え。いえ」
「遠慮は無用。忘れない内に出していかないと、賞味期限が切れてしまう」
「来客用に置いておけばいいのでは」
「だから、そんなに来客はいない――あった」
 本棚に縦向きに差し込まれていた菓子箱を引っ張り出すと、元来の横向きにして蓋を
開ける。包装された和菓子らしき物が、偏りを見せていた。助教授は二個、取り出し
た。小皿にのせることなく――という以前に、小皿がこの部屋にあるのかどうか?―
―、個包装の物をそのまま差し出してきた。
「大きな栗が丸々入った、多分、高いやつだ。栗、嫌いかい?」
「栗は好きです」
「なら、食べなさい」
「廊下から誰か学生が目撃すれば、『僕も私も』と雪崩を打ってきませんか?」
 我ながら変な心配をすると、相羽は思った。性分なんだから、仕方がない。
「来たら別の菓子を出すとしよう。それで、何やら相談があるとのことだが」
「話す前に、宇那木先生はお忙しいのでは……休み時間内に済まないかもしれません」
「やることリストは決めてあるが、今、急を要するものはないさね」
 デスク向こうの椅子に腰掛けた助教授は、カップに手を伸ばし、途中でやめた。
「もしや、他人に聞かれるとまずい話? そちらの判断でドアを閉めなさい」
「……確かに、まずいかもしれません」
 相羽はコンマ数秒だけ逡巡し、ドアを閉めることにした。
「では、伺うとしましょうか」
 宇那木は言ってから、改めてコーヒーに口を付けた。相羽はすぐに始めた。
「先生は、ボードゲーム研究会の顧問をされていますよね」
「ああ。名前だけのつもりが、自分も結構好きな方だから、たまに指導している」
「そこの部員の一人からアプローチを受けていまして、非常に困惑してるというか」
「アプローチって、恋愛的な意味の?」
「はい」
「相手の名前は出せる?」
「西郷穂積(さいごうほづみ)という、二年生の人です」
「西郷君か。ゲームに関してはかなり優秀だ。学問の方はまだ分からないが。西郷君
が、君にしつこくアプローチしてきて甚だ迷惑だと、こういうことかい」
「そこまでは言いません。お断りしても、あきらめる様子がなくって」
「軽いのりで、一緒に何度か遊べたらいいって感じじゃないのかなあ」
「そんな風には受け取れませんでした。一対一になれる状況を狙ってるみたいなんで
す。言葉で説明するのは難しいけれども、本気というか決然としているというか」
「うーん」
「西郷さんがゼミに所属していたら、そちらの指導教官にお願いしようと思いました
が、まだ二年生ですし。いきなり向こうの家族に言うのもおかしい気がしたので、宇那
木先生のところへ……ご迷惑に違いないと分かっていますが、他に何も思い付かず…
…」
「かまわんよ。ま、西郷君の友達に頼んで、遠回しにでも伝えてもらうという手立ても
あるかもしれないが」
「アドバイス、ありがとうございます。実は、一度だけですがそれも試しました。で
も、うまく伝わらなかったみたいで」
「ふむ。立ち入った質問を二、三していいだろうか?」
「はい。相談を聞いてくださっているのですから」
 居住まいを正し、両膝にそれぞれの手を置いた相羽。
「まず確認だが、今、お付き合いしている人は? 程度の深い浅いは関係なしにだ」
「いません」
「そうか」
 軽く首を傾げた宇那木は、包装されたままの栗の菓子を指先で前後に転がした。
「西郷君のアプローチにOKしないのは、タイプが合わないからとか?」
「はあ。失礼になるかもしれませんが、西郷さんのようなかしましい、騒がしいタイプ
の人は苦手です。強引なところも。マイペースに巻き込もうとする感じが、だめなんで
す」
「分かる分かる」
 笑い声を立てた宇那木。相羽はにこりともせずに続けた。
「そんな風に合わないことも感じていますけど、同時に、今は誰ともお付き合いしたく
ない気持ちが強くって」
「自由に遊びたいから――というわけではないだろうね、君のことだから」
「高校のとき、付き合っていた人と、最近になって別れたんです」
 若干、無理して作った笑顔で答えた相羽。
「……だから、しばらくはそういった付き合いはいい、ということかい」
「ええ、まあ」
「そのことは、西郷君には伝えていない?」
「はい。これが断る唯一の理由と解釈されて、時間が経過すれば受け入れる余地がある
と思われては、困ります。先程言いましたように、タイプが……」
「なるほどねえ」
 宇那木は右手の甲を口元に宛がい、思わずといった風に苦笑を浮かべた。
「では逆に、今、付き合っている人がいることにしてはどう? 実はって感じで打ち明
ければ、信じると思うが」
「嘘を吐くのは……」
「正直さは美徳だが、時と場合によっては嘘も必要だよ。考えてもみなさい。相羽君が
現在は誰とも付き合う気がないことが、何らかの経緯で西郷君の耳に入ったとしよう。
その直後、君にたまたま新たな恋人ができて付き合うようになったとしたら、西郷君は
どう感じるだろう?」
「……そういう偶然はなかなか起きないと思いますが、もし起きたら、西郷さんは立腹
する可能性が高いかもしれません」
 答え終わってから、相羽は、ふう、と息をついた。
「生きていれば、どんな出会いがあるか分からないものだ。絶対に一目惚れをしない自
信があるの?」
「いえ。全くありません。一目惚れをした経験、ありますし」
「では、未来の恋人のためにも、変に恨まれないよう、今現在、付き合っている相手が
いることにしておきなさい」
「うーん」
「相羽君はハンサムなのだから、明日にでも、いや今日、大学からの帰り道にでも、運
命の人と巡り会うかもしれない」
「ハンサムって……運命の人と巡り会うかどうかと、外見は関係ない気がしますが」
「君が告白すれば、即座にOKされる確率が高いって意味。嘘が気にくわないのなら、
いっそ、本当に恋人を見付けるのもありじゃないかな」
 その意見に、相羽は曖昧に笑った。まだ短い期間しか接していないが、宇那木先生の
ことをある程度は理解しているつもり。なので、真面目に考えてくれているのは分か
る。だが、さすがに、アプローチされるのが面倒だから付き合う相手を見付けるという
のはない。本末転倒とまでは言わないが、自分が別れて間もないことを忘れられては困
る。
 相羽が反応を迷う内に、先生は口を開いた。
「とにかく試してみて。それでも西郷君があきらめないようであれば、教えて。そのと
きは僕から西郷君に言うとしよう」
「分かりました。次にアプローチされたら、言ってみます」
 相羽は内心、折れた。こんなことで先生に時間を割いてもらうのは、ほどほどにして
おこうという気持ちも働いていた。
「お忙しいところを、私事で煩わせて申し訳ありませんでした」
「時間があったから引き受けたんだし、気にすることない。よほど忙しくない限り、ウ
ェルカムだ」
「ありがとうございます」
 席を立ち、頭を下げた相羽。踵を返し掛けたところで、呼び止められた。
「あ、菓子、今食べないなら、持って行ってほしいな」
「――分かりました、いただきます」
 手を伸ばし、栗の菓子を持ったところで、質問が来た。
「ついでに聞くけど、どうして一般教養で、僕の英文学を選んだの?」
「――単純です、がっかりしないでくださいね。取り上げる予定の作品の中に、推理小
説があったので。原文のまま読めたら新たな発見があるかなって」
「相羽君はミステリが好きなのか」
「人並みだと思います。テレビの二時間サスペンスはほとんど観ませんが、犯人当てな
ら観たくなるんですよね」
「僕は論理立てたミステリは、ゲームに通じるところがあるから、割と好んで読むん
だ。だからこそテキストに選んだとも言えるが。テレビドラマの方は生憎と知らない
が、映画には本格的な物があってよく観る。わざわざ映画館まで足を運ぶことは滅多に
ないが」
「映像化されたミステリは、犯人が最初から明かされている物に面白い作品が多い気が
します。多分、犯人の心理状態を観ている人達に示せるのが理由の一つだと」
 つい、返事してしまった。このままミステリ談義に花を咲かせるのは魅力的であるけ
れども、時間を費やすのは申し訳ない。改めて礼を述べたあと、ドアを開ける。
「お邪魔をしました。失礼します」

 翌週の月曜。二コマ目の講義を受けたあと、いつものように昼休みが訪れた。空模様
は快晴とは言い難くとも、雲の割合が日差しを弱めるのにちょうどよく、またほとんど
無風。外で食べるのが気持ちよさそうだ。
 相羽は薄緑色をしたトレイを持ったまま、学生食堂の外に出た。オーダーしたメニ
ューは、カツサンドと野菜サラダ、そこにお冷や。あとで飲みたくなったら、コーヒー
かジュースを追加するかもしれない。
「いない」
 学食周辺のテラス席や芝生の上をぐるっと眺め渡したが、友達の姿を見付けられなか
った。普段なら月曜日の二時間目、友達の方が早く出て来るはずなのに。小テストでも
やっているのだろうか。
 そんな想像をした矢先、肩をぽんと叩かれた。
 少しばかり、びくっとしてしまった。トレイの上のコップに注意が向く。液面が揺れ
ていたが、どうにかこぼれずに済んだ。
「――仁志(にし)さん」
 振り向いたそこにいた友人に、頬を膨らませる相羽。仁志はすぐに察したらしく、
「ごめんごめん」と軽い調子ではあるが謝った。彼女の後ろには、さらに友人二名がい
る。
「健康志向なのかそうでないのか、どっちつかずの選択をしてるネ」
 その内の一人、ロジャー・シムソンが相羽のトレイを覗き込んだ。金髪碧眼の白人
で、そばかすが目立つ。米国生まれの米国育ちだが、親戚筋に日本人がいて教わったと
かで、日本語は結構達者だ。本人の希望で、周りの者はロジャーと呼ぶ。
「バランスがよいと言ってほしいネ」
 語尾のアクセントを真似て返す相羽。ロジャーの手にトレイはなく、代わりにハン
バーガーを二つと炭酸の缶飲料を一本持っている。
「今日は小食?」
「いや、それがさ」
 ロジャーの隣に立つもう一人の男子学生、吉良(きら)が顎を振った。吉良の持つト
レイには海老フライカレー大盛りの他、三角サンドイッチが一個、角っこに置いてあっ
た。
「これ、ロジャーの分なんだ。無理して持つと、ソフトな食パンが潰れてしまうとか」
「パンへの拘りはいいけれど、年上の吉良さんに運ばせるなんて、恐れ多いよねえ」
 吉良の説明に続き、仁志が苦笑顔で感想付け加える。学年は同じだが、高校のときに
海外留学していた関係で、吉良は相羽達より一個上である。
「気にしない気にしない。レディには敬意を払い、同級生にはフレンドリーでいたい」
 それが僕の主義だとばかり言い放ったロジャーが、ひょいひょいと歩を進め、皆で食
べる場所を決めた。学食の庭に当たるスペース、その隅っこだが、木々による日陰がで
きて悪くはないテーブル。ごく稀に、小さな虫に“急襲”される恐れがあるが。
 右回りにロジャー、吉良、相羽、仁志と着席してから、食べ始める。すぐに口に運ぼ
うとした三人に対して、相羽は両手の平を合わせた。
「いただきます」
「あ、忘れてたヨ」
 ロジャーが真っ先に反応し、開けかけのハンバーガーを放り出して、合掌する。慌て
たように、吉良と仁志も真似た。
「付き合わなくていいのに」
 相羽が微笑みながら言うのへ、仁志が言葉を被せてくる。
「いいえ、やる。私だって、最低限のマナーは身に付けたい。女らしさとか男らしさと
かの前に、これこそ必要って感じたから」
「影響を受けやすいねえ」
 吉良が、サンドイッチをロジャーの方へ押しやりながら、からかい調で言った。
「いいじゃないですか。悪いことでなく、いいことなんだから」
「本気で思ってるのなら、まず、箸先をこっちに向けるなって話だ」
 無意識で向けていたのだろう、仁志は左手で箸の先端を隠すようにして引っ込めた。
「すみません、改めます。さっき、ロジャーを恐れ多いなんて言ったそばから……」
「いいって。今は楽しく昼飯をいただく、これに尽きる」
 吉良はそう言って、大きめのスプーンいっぱいにすくったルーと御飯を一口。継い
で、海老フライをスプーンで適当に刻んで、また一口。その様に仁志も安心できたらし
く、食事に取り掛かった。
「あ、そうだ――この前の祝日に学校に出て来たって聞いたけれど、ほんと?」
 相羽が正面のロジャーに問うた。途端に、赤面するロジャー。夕日を浴びたみたい
だ。
「外国の祝日が覚えきれない。間違って休まないようにするので精一杯でさ」
 自国の定めた祝日に沿って休んでしまいそうになる、という意味だろう。
「うん、それはいいんだけど、休みの前の日に、ちゃんと念押ししたでしょ? どうし
てかなあって思って」
「……一晩寝たら忘れちゃったヨ」
「次からは、『本日休み!』とでも書いた紙を、玄関ドアに張っておくか」
 吉良に言われて、ますます顔を赤くしたロジャーは、話題を換えた。
「そういえば相羽の懸案事項は、かたが着いたのかい?」
「何、懸案事項って」
「西郷穂積のアプローチ問題だよ」
 ロジャーは数学か何かの証明問題みたいに言った。吉良が追従する。
「確かに気になる、しつこい難問だ」
「もう済んだ、と思う」
 相羽はあっさり答えた。あまり触れられたくはないが、前に協力したもらったことも
あり、話しておく。
「先生のアドバイスを受けて、遠距離恋愛していることに。西郷さんからまたアプロー
チされたときに、そのことを伝えたら、意外とすんなり聞き入れてくれたみたい」
「遠距離恋愛か。じゃあ、時折、その相手が現れないとおかしくないか?」
「無茶苦茶忙しいとか、めっちゃ遠い外国にいるとか?」
 吉良、仁志の順番に尋ねてきた。相羽は野菜サラダの葉物を、フォークで幾重にも刺
しつつ、思い起こす風に首を傾げた。
「基本的に、こちらから相手に会いに行くっていう設定にした。場所は出さなかったけ
れども、相手が忙しいことは伝えた」
「曖昧にしたのは、本当に恋人ができたときの対策だね」
 察しがいい発言は吉良。相羽はこくりと頷いた。
「すぐには無理でも、いずれはね」
「あなたなら文字通り、付き合う人ぐらい、すぐにでも見付けられそうなのに」
 仁志が言った。ちゃんと恋人がいるのに、どこかうらやましげだ。
「逸見(いつみ)君、だっけか。彼とはうまく行っていないのか」
 吉良が率直に尋ねると、仁志は首を横に振った。
「うまく行ってないなんてことはないですよ。ただ、将来を考えると……名前が」
「名前?」
「私の下の名前、平仮名でひとみなんですよ。結婚したら、逸見ひとみになっちゃうじ
ゃないですか。何だか言いにくい」
「そんな気にすることないと思う」
 相羽が言った。
「そんな考え方をするのなら、お婿さんに迎える方が難しいんじゃないかな。逸見君の
名前って、確か同じ仁志と書いて、ひとしだよね」
「そうそう。仁志仁志になるの」
「仁志仁志の字面を強く意識した結果、逸見ひとみまでおかしな響きに聞こえてしまっ
た、それだけだよ、多分」
「うん、そうかも」
 納得かつ安心したように首肯した仁志は、再び食事に集中した。
 それぞれがほぼ食べ終わる頃合いに、相羽は学食内の壁時計を覗き込んでから言っ
た。
「ちょっと早いけれど、これで。ちょっと電話してくる。アルバイト先に、次週の都合
を聞いておかなきゃ」
「バイトって家庭教師の?」
「うん。――ごちそうさま」
 ロジャーの問いに答えてから、手を合わせて唱える。席を立ち、背もたれを持って椅
子をテーブルの下に押し込んだところで、ショルダーバッグを担いだ。トレイを手にし
て、「終わってるのなら、みんなのも運んでおくよ」と場を見渡した。
「気遣いはありがたいが、早く電話に行くべき。空いているとは限らない」
「だね。逆に、片付けは私らに任せて、さっさと動いた方がいいよ」
 吉良、仁志と続けて言われ、相羽はそれもそうかと思い直した。トレイを手放し、
「じゃ、お言葉に甘えて」と言い残して席を離れた。
 それから足早に公衆電話を目指したが、吉良達の心配した通り、学生食堂の正面に設
置されている分は、使われていた。そこから最寄りの電話がある、部室棟へと急いだ。

 思っていたより時間を掛けることなく電話を終えて、午後最初の授業がある大教室に
向かっていると、相羽の名を呼ぶ者がいた。同じ授業を取っているのだから、顔を合わ
せるのは仕方がない。
「――西郷さん」
 声で分かっていたが、振り返ってから改めて言った。
 西郷穂積はその瞬間、些か不安げだった表情から笑顔に転じた。小走りで追い付い
て、横に並ぶ。
「教室まで一緒に……いい?」
「かまいませんよ」
「あの、お願いがあるんだけれど」
「何でしょう?」
「やっぱり、まだ完全にはあきらめきれなくって……。君の相手がどんな人なのかを知
ったら、踏ん切りが付くと思うのだけれど」
「……どうしろと言うんですか」
 すれ違う人や、そこいらでたむろする人は大勢いるのに、あまり気にならない。意識
が西郷に向いているのは、相羽自身、嘘を吐いている負い目があるせいかもしれなかっ
た。
「プロフィールとかは、無理なんだよねっ? じゃあ、写真でいいから見てみたいな」
「……少し、考えさせてください」
 相羽は恋人の写真がそこにあるかの如く、定期入れの入った胸ポケットに触れた。
「いいけど、どうして?」
「それは当然、相手のあることですから。プライバシーにうるさい人なんです」
 咄嗟の思い付きだが、悪くないキャラクター設定だと内心で自画自賛した。こう答え
ておけば、顔写真を見せないまま、押し切れるかもしれない。
「ふーん、分かった。しばらくは待つ。でも、一週間以内に決めてよ」
「え、ええ。努力します」
「もしかしたら、付き合っている人って外国人? 欧米系の」
「何でそう思うんですか?」
「だって、プライバシーにうるさいって。欧米の人が拘るイメージ持ってる」
「まあ、プライベート空間をより重視しているのは、洋風建築でしょうけど」
 ちょうど教室に着いた。出入り口の近くに馴染みの顔を見付けてほっとする。
「じゃあ、これで失礼します」
 相羽は西郷から離れると、知り合いが取ってくれていた席に座った。
「何なに? 西郷先輩と一緒に来るなんて。まだあの話、けりが付いてないんだ?」
 肘で突かれ&小声で話し掛けられ、相羽は嘆息した。西郷は遠ざかりつつも、まだこ
ちらを見ている。気付かれぬよう、同じく小さな声で、隣に答えた。
「きっぱり断った。ただ……付き合ってる相手がいるのなら、写真が見たいって」
「証拠を出せってか」
 友人のからかい口調に、相羽は再度、大きくため息を吐いた。

 明後日で一週間になる。そう、西郷から付き合っている人の写真を見せてくれるよう
頼まれた、その期限だ。
 きっと、西郷穂積は相羽を見付けるなり、写真を見せてと求めてくるに違いない。
(相手が嫌がったことにして、断ることはできるけれど、西郷さんも結構しつこいから
なぁ。いずれ押し切られるかも)
 そうならないよう、ここは飛びきりの美形で優しそうでスポーツ万能そうで賢そう
な、ついでに言えば写真写りのよい人に、恋人の代役を頼んでおきたいところだが。
(学校の人に頼んでも、じきにばれる。こんなことを頼めそうな異性の知り合いなん
て、学校を除いたら、まずいないし)
 別れた相手の写真なら用意できるが、もちろんそんなことはしたくない。
「ああ、どうしよう」
 無意識の内に呟いていた。次の瞬間はっとして口を片手で覆う。何故って、ここは市
立の図書館の中だから。
 だけど、今日は普段と違って、館内はざわざわしている。相羽もこの日用意されたイ
ベントを思い出し、安堵した。
 図書スペースそのものではないが、そこに隣接するホールを舞台に、アマチュア音楽
家達によるミニコンサートが催されるのだ。開催中も図書の貸出業務は行われるが、自
習室等は閉じられるらしい。
(ホールにピアノが置いてあって手入れもされているみたいだから、使うことはあるは
ずと思っていたけれども、案外早くその機会が訪れた感じ)
 自宅もしくは大学からの最寄りの図書館ではなかったが、本にも音楽にも人並み以上
の興味関心を持つ相羽は、日時の都合もちょうどいいことだし、足を延ばした次第であ
る。
 チラシで見掛けたのと同じポスターが、館内にもいくつか貼り出されていた。出演者
の個人名はなく、グループ名が三つ載っていた。一つは近くの高校のコーラス部。家庭
教師をしている子の通う中学と同系列だと気付いた。一つは路上で三味線とハーモニカ
によるパフォーマンスをやっている二人組。シャモニカズというべたなネーミングに笑
ってしまった。そしてもう一つは、近隣の都市名を冠した大学のバンド四人組となって
いた。相羽の大学にも音楽関係のクラブは複数あるが、どれにも所属しておらず、今日
出演するバンドと交流があるのか否かも知らなかった。
「あれれ? 相羽先生じゃないですか」
 ポスターの前から離れるのを待っていたかのように、高い声に名前を呼ばれた。相羽
自身、ついさっき思い起こしたバイト先の子、神井清子(かみいさやこ)だ。
「こんにちは、先生。こんなところで会うなんて、奇遇ですねっ」
「こんにちは。確かに奇遇と言いたいところだけど、神井さんは今日出演する人に知り
合いがいるんじゃないの?」
「凄い、当たりです」
 別に凄くないよと、内心で苦笑する相羽。
「高等部の人に何人か知り合いがいるんです。正確には、私の兄の、ですけどね」
 神井清子の兄は大学生で、地方に一人で下宿していると聞いた。大方、その兄が高校
時代、音楽の部活動をやっていたのだろう。
「他に来る人がいなくて、私一人なんですが、先生は? もしかしてデート?」
「違います。一人」
 デートと聞かれて、頭痛の種を思い出してしまった。
「前から聞こう聞こう、聞きたい聞きたいと思ってたんですけど」
「答えるつもりはないよ」
「相羽先生には恋人、いないんですか?」
「だから、答えないって」
「そんなに冷たくしなくてもいいじゃないですか。いないならいないで、いい人を紹介
して差し上げようかと」
「……」
 ほんのちょっぴり、心が動く。いや、もちろん、代役として。だから紹介されてお付
き合いを始めても、本当の恋人になる可能性は高くないだろう。そんな失礼な話、でき
るはずがない。
「遠慮しとく。教え子から紹介されると、しがらみができそう」
 そこまで答えたところで、催し物の開始が迫っていることを告げるアナウンスがあっ
た。アナウンスと言っても機材を通しての声ではなく、図書館職員の地声だ。
 最前までかしましくしていた神井も、すぐに静かになった。知り合いが一番手に登場
するというのもあるだろうが、最低限のマナーは心得ていて微笑ましい。
「椅子、まだ余るみたいだから、座る?」
 声量を落として神井に尋ねる。神井は首を縦に振った。お年寄りや身体の不自由な人
が訪れた場合を考え、ぎりぎりまで様子を見ていたのだ。ホールに用意された六十脚ほ
どのパイプ椅子は、そこそこ埋まっていたが、相羽らが座れないことはない。
 真ん中、やや右寄りの二つに腰を下ろした相羽と神井は、職員の説明に耳を傾け、や
がて始まる音楽会に心弾ませた。

 事前に予想していたのと違って、堅苦しさのない、どちらかと言えば面白おかしい方
向にシフトしたイベントだった。
 高校のコーラス部は、有名な歌謡曲やアニメソングを選択して披露したが、全てアカ
ペラ。ただ、伴奏のパートまで口でやるものだから、ついつい笑いを誘われた。魚をく
わえたどら猫を追い掛ける歌が一番の傑作だった。
 続いて登場したシャモニカズは、二人とも黒サングラスをした、二枚目だがちょっと
強面のコンビだったが、口を開けば関西弁丸出しで、漫才師のよう。喋る内容も右にな
らえで、体感的には演奏よりも話の方が長かった気がする。無論、演奏はきっちり魅せ
てくれて、アマチュアでいるのが勿体ないと思えるほど。
 とりを飾るバンドの登場前に、短い休憩時間が設けられた。これは、観客のためだけ
でなく、各種楽器の調整のためでもある。
「トイレ行っておきませんか」
 石井に言われて、相羽は腰を上げた。行きたくないと断っても、無理矢理引っ張って
行かれるのは経験上、分かっていた。
 手洗いまで来ると、相羽は中に入らず、壁際に立った。「この辺で待ってるから」と
言って、石井を送り出す。
 出入りする利用者と視線が合うと、お互い気まずい思いをするかもしれない。少しだ
け移動して、大きな鉢植えの傍らに立った。男子トイレに近くなったが、まあいいだろ
う。
 ちょうどそのとき、背の高い男の人が、手洗いから出て来た。ハンカチを折り畳み、
尻ポケットに仕舞う。その拍子に、胸のポケットに差していた何かが飛び出て、床で跳
ねた。さらに二度、意外と弾んで、それは相羽のいる方に転がってきた。
 男の人と自分とが、ほぼ同時に「あっ」と声に出していた。相羽は反射的にしゃがん
で拾い上げた。サングラスだった。シャモニカズがしていたのは真っ黒だったが、今拾
ったサングラスのレンズは、薄い茶色である。
「すみません、ありがとうございます」
 男性の声に、若干見上げる形になる相羽。サングラスを渡そうとしながら、
「どういたしまして。それよりも、傷が入ったかもしれません」
 と応じた。受け取った相手は、サングラスを光にかざしてためつすがめつしたあと、
軽く息をついた。
「確かに、傷が少しできたみたいだ。……これは、外しなさいというお告げかな」
「え?」
「ああ、意味深な言い方をしてしまい、ごめんなさい。あなたの姿はホールで見掛けま
したが、このあとも聴いていくんでしょうね。実は僕、次の演奏に出る一人なんです。
サングラスを掛けるつもりだったんだが、前に出たお二人がしていたし」
 相羽はその男性の顔をじっと見た。
「掛ける必要があるようには思えません。その、整った顔立ちをしているという意味
で」
「あはは、ありがとう。でも、サングラスを掛けようと考えたのは、別の理由。久しぶ
りに演奏するからなんだ」
 男性は快活だが、ほんのちょっとさみしげに笑った。
 年齢はいくつぐらいだろう。相羽より年上に見えるが、そんなに離れてもいまい。近
くでよくよく見ると、顎の下に髭の剃り残しがあった。
「久しぶりだと緊張するからですか?」
「うーん、恐らく。うまく動くかどうか」
 両手の指を宙で動かす男性。ピアノを弾く手つきだ。
「関係ありませんよ、きっと。手元が見えた方が、いざというときは安心でしょ。それ
に、普段通りにやる方が絶対に落ち着きます」
「――なるほど。いい考え方だね」
 男性の笑みは、今度こそ本当に心からのもののように、相羽の目には映った。
「では、サングラスなしでやってみましょう。これを持っていると、直前で気が変わる
かもしれないから」
 その人はそう言いつつ、サングラスを再び相羽に手渡した。
「預かっていてくれますか」
「はい」
 自分自身、びっくりするくらいの即答だった。
「もう行かないと。それじゃ、あとでまた会いましょう」
 男性が踵を返し、立ち去ろうとするのを、相羽は呼び止めた。
「あのっ、すみません! 万が一にもあとで会えなかったら困るので、名前だけでもお
互いに知らせておきませんか」
「――了解です」
 男性はもう一度向きを換えて、相羽の前に立った。
「僕は酒匂川と言います。酒の匂いの川と書いて、酒匂川。あんまり、好きな名前じゃ
ないんですが。酒飲みでもないし」
「分かりました、酒匂川さん。私の名前は――」
 相羽は答える寸前に、少しだけ迷った。苗字だけか、それともフルネームにするか。
「――相羽詩津玖と言います。どんな字を書くのかは、次にお会いしたときに」
 酒匂川は教わったばかりの名前を口の中で繰り返すと、軽く会釈し、演奏へ向かっ
た。
「先生!」
 ぽーっとしていた相羽を、教え子の甲高い声が引き戻した。
「騒がしくしない。もうじき、演奏が始まるみたいだから」
「あっ、ごまかそうとしてる? 見てましたよ、途中からですけど」
「……そうなんだ……まあ、見たままの解釈で当たっているかもしれない、とだけ」
 まだあれこれ聞きたがっているに違いない神井清子を置いて、相羽はホールへ急い
だ。

            *             *

「――こんな話をおばあちゃんがしていたんだ。暦や碧は信じる?」

――そばいる番外編『そばに来るまでに』おわり




#451/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  17/09/22  22:06  (203)
楽屋トークをするだけで   寺嶋公香
★内容
「相羽君て、どうして最初の頃、あんなにエッチな感じだったの?」
「え?」
「だって、そうじゃない? 小学六年生のとき、ぞうきん掛けしていたらお尻見てる
し、いきなりキスしてくるし、着替え覗くし」
「ちょ、ちょっと待って」
「最初の頃じゃないけど、スケートのときは胸を触ったし、あ、廊下でぶつかって、押
し倒してきたこともあった」
「待って。ストップストップ」
「中学の林間学校では、私の裸見たし。ああっ! スカートが風でまくれたところを、
写真に撮ったのも」
「……」
「もうなかったかしら」
「ない、と思う。ねえ、わざと言ってる?」
「うん」
「よかった。ほっとしたよ」
「でも、一つだけ、あなたが自分の意志でやったことがあるでしょ。それについてわけ
を聞きたいの」
「それって、ぞうきん掛けだね」
「ええ。あのときは、何ていやらしい、また悪ガキが一人増えたわって思ったくらいだ
った」
「これまたひどいな。じゃあ、全くの逆効果だったわけか」
「逆効果って、まさか、相羽君、あれで私の気を引こうとしてたの?」
「気を引こうというのは言いすぎになるかもしれない。僕のこと、完全に忘れてたでし
ょ、あの頃の純子ちゃん」
「そ、それはまあ、しょうがないじゃない」
「もちろん僕だって、確信はなかった。だからこそ、直接言って確かめるなんてできな
くて。とにかく君の意識を僕に向けさせたくて、色々やったんだ。何度も顔を見れば、
何か思い出すんじゃないかと期待して」
「色々? 他にも何かあった?」
「それは純子ちゃんが気が付いてないだけで」
「何があったかしら……」
「まあいいじゃない。今はもう関係ないこと」
「気になる」
「じゃあ、今度は僕が聞くよ。今では関係ないことだけどね」
「何? 私にはやましいところはありませんから」
「やましいって……ま、いいや。思い出したくないかもしれないけど、これは舞台裏、
楽屋の話ってことで敢えて。香村のこと、どこまで信じてたの?」
「え? 香村……カムリンのこと?」
「うん。他に誰がいるのって話になる」
「若手の中では一番の人気を誇ったアイドルで、今は海外修行中の香村倫?」
「だいたいその通りだけど、下の名前は確か綸のはず。ていうか、どうしてそんな説明
的な台詞なのさ」
「長い間登場していないから、知らない読者や忘れた読者も大勢いるだろうと思って」
「まるで再登場して欲しいかのような言い種だね」
「悪い冗談! もう会いたくない!」
「そういえば、カムリンの話題すら作中に全く出ないのは、ちょっと不自然な気がしな
いでもないな。不祥事そのものは伏せられたままなんだから、世間的な人気はほぼ保っ
たまま、海外に渡ったことになる。修行のニュースが時折、日本に届くもんだよね」
「そこはやっぱり、情報として入って来てるけど、わざわざ書くほどでもないってこと
でしょ」
「それにしたって、いつまでも海外にいること自体、おかしくなってくるかも」
「香村君の話は、あんまりしたくないな」
「やっぱり、信じていたのを裏切られて、嫌な印象が強い?」
「だって、証拠まで用意されてたんだもの。それに、最初は、あのときの男の子が有名
芸能人だったなんて、夢みたいな成り行きだったから、ちょっとはその、ときめくって
いうか……そうなっていた自分を思い出すのが嫌」
「ふうん」
「で、でも、ほんとに最初の最初だけよ。親しくなるにつれて、何か違うっていう思い
が段々強くなって。その辺りのことは、あなたにも言った記憶があるけれども?」
「うん、聞きました。あいつが芸能人で、母さん達とも仕事のつながりがあったから、
僕もどうにか我慢していたけれども、そうじゃなかったら何をしていたか分からないか
も」
「怖いこと言わないで」
「もちろん、冗談だよ」
「もう、意地が悪い……」
「意地悪ついでにもう一つ、仮の質問を。香村が正攻法でアプローチしてきたとした
ら、君はどう反応するつもりだったんだろう?」
「全然、意地悪な質問じゃないわ。問題にならない」
「ほー、何だか自信ありげというか、堂々としているというか」
「私は一時的に、香村君が琥珀の男の子だと思っていた。けれども、香村君を好きには
ならなかった。これで充分じゃない?」
「……充分。ただ、新しく質問を思い付いた。僕が琥珀の男の子ではなかったら?」
「相羽君、あなたねえ、今までの『そばいる』シリーズの紆余曲折を読んできたなら―
―」
「読んではいない、読んでは」
「あ、そっか。でも――分かってるはず。私はあなたを琥珀の男の子だから好きになっ
たんじゃないって」
「もちろん、分かってるよ」
「じゃ、じゃあ、何よ、さっきの質問は? 私に恥ずかしい台詞を言わせたかったの
?」
「違う違う。質問の意図を全部言う前に、君が答え始めちゃったからさ」
「意図? どんな」
「僕が琥珀の男の子ではなく、あとになって格好よく成長した琥珀の男の子が目の前に
現れたとしたら、っていう仮定の質問をしたかったんだ」
「ああ、そういう……。それでも、ほとんど意味がないと思う」
「どうして?」
「琥珀の男の子は、相羽君だもの。大きくなった姿を想像しても、やっぱり相羽君。あ
なた二人を比べるようなものよ」
「それもそうだね。ううん、どう聞けばいいのかな。具体的に別人を思い描いてもらう
には、……純子ちゃんが格好いいと思う周りの男性、たとえば、鷲宇さんとか星崎さ
ん?」
「あは、格好いいと思うけれど、それ以上に頼りにしている存在ね。あと、私の周りの
格好いい男性に、唐沢君は入らないのね? うふふ」
「唐沢だと生々しくなるから、嫌だ。とにかく、仮に星崎さんが琥珀の男の子だったと
したら? もっと言うと、星崎さんのような同級生がいて、しかも琥珀の男の子だった
ら」
「うん、ひょっとしたら、ぐらつくかも」
「え、ほんとに」
「相羽君がいない世界で、その星崎さんのそっくりさんが、私の前で相羽君と同じふる
まいをしたら、ね」
「それってつまり」
「どう転んでも、私が好きなのは相羽君、あなたですってこと。もう、全部言わせない
でよねっ」
「いたた。ごめんごめん。でも、よかった。嬉しい」
「いちゃいちゃしているところ、お邪魔するわよ、悪いけど」
「白沼さん!? どうしてここに」
白沼「面白そうなことをしているのが聞こえてきたから、私も混ぜてもらおうと思っ
て。問題ないでしょ?」
純子「かまわないけれど……面白そうというからには、白沼さんも何か仮定の質問が」
白沼「当然。後ろ向きな意味で過去を振り返るのは好きじゃないけれども、こういう思
考実験的な遊びは嫌いじゃないわ」
相羽「思考実験は大げさだよ」
白沼「いいから。聞きたいのは、相羽君、あなたによ。涼原さんは言いたいことがあっ
ても、しばらく口を挟まないでちょうだいね」
純子「そんなあ」
相羽「まあ、しょうがないよ。僕らだって、この場にいない人達を話題にしていたんだ
し。それで、白沼さんの質問て?」
白沼「仮に涼原さんがいなかったとしたら、相羽君は私を選んでいた?」
相羽「……凄くストレートな設定だね。答えないとだめかな」
白沼「できれば答えてほしいわ。私、打たれ強いから、つれなくされても平気よ。色ん
な架空の設定を、今も考え付いているところだから、その内、色よい返事をしてくれる
と思ってる」
純子「まさか白沼さん、相羽君がイエスって答えるまで、質問するつもり?」
白沼「何その、げんなりした顔」
純子「だって……時間がかかりそう……」
白沼「何だかとっても失礼なことを、上から目線で言われた気がしたわ」
純子「そんなつもりは全然ない。ただ、白沼さんがさっきまで見てたのなら、その、相
羽君の気持ちが改めて固まったというか、そういう雰囲気を目の当たりにしたんじゃな
いかと思って」
白沼「愛の絆の強さを確かめ合ったと、自分で言うのは恥ずかしいわけね」
純子「わー!!」
相羽「白沼さん、もうその辺で……。昔の君に比べたら、今の君の方がずっといいと感
じている、これじゃだめかな」
白沼「だーめ、全然。……けれど、ここで昔の超意地悪な白沼絵里佳に戻っても仕方が
ないし。そうね、質問は一つだけにしてあげる。ただし、縁起でもない設定になるわ
よ。相羽君のためを思ってのことだから、勘弁してね」
相羽「ぼんやりと想像が付いた気がする」
白沼「さあ、どうかしら。あ、いっそ、二人に聞くわ。もし仮に、相手に先立たれたと
して、あなたは他の人を好きになれる? どう?」
純子「……」
相羽「……」
白沼「あら? 答は聞かせてくれないの?」
相羽「その設定は、さすがに重たすぎるよ。第一、付き合い始めてまだそれほど時間が
経っていないのに、そんな相手がいなくなる状況なんて……」
白沼「考えられない? 相羽君が言える立場なのかしら。生き死にではないけれど、い
ずれりゅ――」
相羽「待った! そ、そのことはまだ本編でも触れたばかりで、登場人物のほとんどに
行き渡っていない! ていうか、白沼さんだって知らないはずだろ!」
純子「何の話?」
白沼「あなたは知らなくていいのよ。今後のお楽しみ。――相羽君、本編の私は知らな
いけれども、今ここにいる私は、ちらっと原稿を見てしまったということになってる
の」
相羽「ややこしい。設定がメタレベルになるだけでもややこしいのに、本編と楽屋を一
緒くたにすると、収拾が付かなくなるぞ」
白沼「じゃあ、やめておきましょう」
相羽「随分あっさりしてる。その方が助かるけど」
白沼「一回貸しということにしてね」
相羽「うう、本編では無理だから、楽屋トークの機会が将来またあれば、そのときに借
りを返すよ」
白沼「それでかまわない。じゃ、短い間だったけれども、これでお暇するわ。次の人が
待っているし」
相羽「次の人って」
白沼「さっき言ったように、原稿をちらっと見たついでに、アイディアのメモ書きも見
たのよ。その中に、使えなかった分が少しあって、それをこの場を借りて実行しようと
いう流れにあるみたいよ」
相羽「いまいち、飲み込めなんだけど」
白沼「あ、ほら、涼原さんの方に」
相羽「――清水?」
清水「よう、久しぶり。でも悪いな、今俺が用事があるのは、涼原だけだから」
純子「野球、がんばってるんでしょうね? こんなところにのこのこ登場するくらいな
ら」
清水「まあな。で、没ネタというか、タイミングが悪くて使えなかったエピソードを、
今やるぞ」
純子「待って。あなたが関係するエピソードということは、中学生か小学生のときにな
るわよね」
清水「小学生だってさ」
純子「嫌な予感しかしない……」
清水「番外編で使われるよりはましだと思って、覚悟を決めろ。――涼原〜、もうス
カートめくりとか意地悪しないって誓うから、一個だけ俺の言うこと聞いて」
相羽「清水。確認だが、今の台詞は、小学生のおまえが言ってるんだよな?」
清水「お、おう」
相羽「自らのリスクの高い没ネタの蔵出しだな」
清水「いいんだよっ。さあ、涼原はうんと言っとけ」
純子「だから、嫌な予感しかしないんですけど!」
清水「大丈夫だって。スケベなことではないのは保障する」
純子「……分かった。早く終わらせたいから、OKってことにする」
清水「よし。じゃあ、こうやって両手の人差し指を、自分の口のそれぞれ端に入れて、
横に引っ張れ」
純子「ええ? 何で?」
清水「えっと、顔面の美容体操ってことで。嘘だけど」
純子「嘘と分かってて、こんな……相羽君、見ないでよ」
相羽「了解しました」
清水「俺も別に見る必要はないんだが、一応、当事者ってことで」
純子「(指を一旦離して)早くして!」
清水「ああ。指を入れて引っ張ったまま、自己紹介をしてくれ。フルネームで」
純子「名前を言えば終わるのね? (再び指を入れ、口を横に引っ張る)わらしのなま
えは、すずはらうん――」
清水「最後の『こ』まで言えよ〜。――痛っ! わ、やめろ。暴力反対! ええ、白沼
さんまで何で加勢するのさ?」
相羽「滅茶苦茶古典的ないたずらだな。すっかり、記憶の彼方になってたよ。とにもか
くにも、オチは付いたかな」

――おわり(つづく?)




#452/455 ●短編
★タイトル (sab     )  18/07/13  17:59  ( 58)
「催眠」(という短編の目論見書) 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
相田洋子(入院患者)。20歳。見た感じは美少女。性格は大らか。
加藤綾子(入院患者)。25歳。見た感じは頬骨が出ていて口がでかい。
性格はヒステリー。
小原琴子(入院患者)。20歳。見た感じはモンチッチ。性格は大人しい。
佐伯(精神科医)。38歳。独身。見た感じは丹精なしょうゆ顔。性格は
理性的。
福田(心理療法士)。40歳。見た感じは色白で浮腫んでいる。性格は陰
険。いじけ虫。
住田麗華(院長の娘)。24歳。研修医。見た感じはお嬢さん。性格はお
高くとまっている感じ。

【舞台&状況設定】
 琴子らが入院しているのは、鎌倉の丘の上にある「丘の上病院」という
精神病院。
 ここでは森田精神療法(頭にある不安はそのまま受け入れて、身体で行
動をするという精神療法)の考えを元にしたリクレーション療法(サイク
リングや薪割りなど)が行われいる。
 リクレーション療法の担当は心理療法士の福田。
 医師は院長(出てこない)と佐伯医師がいる。
 病院の隣には山小屋風の院長宅がある。ここのベランダで院長の娘が大
学の友達を呼んでBBQをやる。

【おおまかなストーリー】
 洋子は綾子、琴子らと病院のリクレーション療法でサイクリングをして
いた。自転車を漕ぐ反復運動により心頭を滅却して対人恐怖症やらの不安
を頭から霧散させるのだった。
 しかし自転車を漕ぐとサドルに股間がギュッ、ギュッとこすれて、その
感覚も反復される。それが前を走る心理療法士の方から漂ってくるコロン
の香りと結びついた。
 病院に帰って更衣室で着替えていると心理療法士が現れた。さっきのコ
ロンの香りがした。洋子は突然股間が疼きだし、思わず脱いでしまった。
そして心理療法士にやられてしまう。
 綾子は、これは催眠に引っかかったのだ、と言う。しかし、そんな催眠
(リクレーション療法)を受け入れてしまったのは、その前段として精神
科医への転移(洗脳)があるからだ、と言う。
 綾子も精神科医の佐伯へ転移を起こしていた。佐伯と一緒に居る時に神
経症の発作を起こし、脳内がぐるぐるぐるーっとして佐伯に転移を起こし
た。(サイクリングの反復運動とコロンの香りの様に)。
 あと、知的な会話をしたり、身体的な接触もあって、佐伯に恋愛感情を
抱いたのだった。
 ところがここに院長の娘が割り込んでくる。院長の娘は私立大学の研修
医だが、その大学に入学するには寄付金2000万円が要るという。又病
院の待合室にはその娘の読んだらしき『モノ・マガジン』やらカー雑誌な
どがあり、自分らの入院で儲けた金で放蕩しているのだ、と感じる。
 殺さなければならない、と綾子は思う。
 綾子は、洋子と琴子を使って院長の娘の殺害を計画する。
 リクレーション療法には薪割りもあった。薪割りという反復運動を琴子
がやっている時に、キンモクセイの香りが鼻に付く様にしておく。それか
ら洋子を使って、院長の娘にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。
そして、琴子に「院長宅のベランダで行われるBBQの為に薪を運んでお
け」と命じる。
 琴子が院長宅に薪を運んでいくと、院長の娘がキンモクセイの花束を持っ
て現れた。琴子はその香りに反応して、自動的に鉈を振り上げると、院長
娘の眉間に数回振り下ろした。
 病院が用意した催眠で院長の娘を殺してやった、と、綾子は、きゃはは
ははとヒステリックに高笑いする。





#453/455 ●短編    *** コメント #452 ***
★タイトル (sab     )  18/07/21  13:52  ( 96)
「催眠」(という短編の目論見書)改 朝霧
★内容
【登場人物一覧&キャラクター設定】
萩原茉宙(まひろ)。17歳。仏教系高校2年生。見た感じは清楚。性格は真面目。
萩原銀雅(祖父)。85歳。
萩原志穂(祖母)。82歳。
萩原星矢(父)。54歳。性格は権威に弱い。
萩原八重(母)。50歳。性格は権威に弱い。
萩原宇海(うみ)(兄)。18歳。工業高校3年生。
萩原恒(ちか)(妹)。15歳。中学3年生。見た感じは可愛い。性格は大人しい。
飯田春彦。18歳。仏教系高校3年。家は真言宗のお寺。見た感じは端正。性格は知
性的。
塚本啓子。17歳。仏教系高校2年。
苫小牧光。40歳。謎のカルト集団X総裁。
林秀樹。50歳。カルト集団Xの入門者。

【舞台&状況設定】
 萩原茉宙(まひろ)は東京都下の仏教系高校に通う女子高生。家も東京都下にある。
 兄が交通事故にあうが、搬送先の病院も東京都下にあった。
 その後、萩原一家は謎のカルト集団Xと関わることになるが、その集団の道場、本
部も東京都下にある。

【おおまかなストーリー】
@私(萩原茉宙)の父母は権威に弱く、きらびやかなものが好き。父は芥川賞全集が
好き。母は華道茶道が好き。
 私は仏教系の高校に通っているが、先輩の飯田春彦(家が真言宗のお寺)は「そう
いう人は洗脳、催眠にかかりやすい」と言った。
A兄(宇海)が交通事故で脳死状態になった。
 病院で移植コーディネーターに「息子さんの臓器は灰になるかレシピエントの体の
中で生き残るか二つに一つですよ」と言われる。父母はドナーになることを選んだ。
 兄が亡くなったショックで祖母も倒れる。末期がんだった。医者は「死ぬか高度先
進医療をやるかのどちらかですよ」と言う。父母は後者を選択した。その甲斐もなく
祖母は他界する。
 葬式の後、墓石屋に「墓を建てて納骨しなければ魂は安らかではありませんよ」と
言われて、父母はその通りにする。
 こうやって人の言いなりになるのも催眠ではないかと私は思う。
 その後、この墓石屋の紹介でXという集団のメンバーが家にやってきた。「家相が
悪いから改築しないとダメだ」、「父母には悪い霊がついている」だの言う。そして
父母はXの運営する道場に通う様になった。
Bここで私はこのXをカルト集団とみなし対決しようと決意する。
 まず敵陣視察をする。Xの道場はプレハブの建屋、メンバーは派手な色の衣服を着
ていては怪しい雰囲気が漂っていた。
C又、父母は何故騙されやるいのだろうか、とも考える。どうも母はドロドロしたも
の(祖父母の介護など)に疲れてキラキラしたものを求めたのではないか。それでX
に絡め取られたのではないか。
 しかし、実際にはどうやってXが父母を絡め取ったのかは分からなかった。
D同級生塚本啓子に言われて、先輩の飯田春彦に相談することにした。
 飯田は洗脳、催眠に詳しかった。お寺の檀家獲得の為に洗脳、催眠を使っていると
いう。
 飯田は、Xは催眠を仕掛けてきている、という。
 催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意識)に働きか
けて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて動きを奪う事
も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠の組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させ、同時に漕ぐ運動で股間
を刺激し、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコロンを嗅が
せた時に欲情させることが出来るという。
 そして私は先輩に催眠の実際を習った。
E私はクラスメートを実験台にして催眠の練習をした。又、出会い系で誘い出した男
を練習台に練習した。やがて完全に催眠術をマスターした。
Fそして私はXの道場に乗り込んでいった。
 父母は太極拳、気功、薪割りなどをやらされていた。
 私は、あの薪割りの反復運動で古い脳を活性化させ、傍に植わっているキンモクセ
イの香りで潜在意識を刺激しておく、という催眠を父にかけた。そしてXのメンバー
にキンモクセイの花束をプレゼントしておく。父は、メンバーのところに薪を運んで
いくとキンモクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに私は催眠を
解く。これを見たXのメンバーは、私の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、私は父母を連れ戻す事に成功する。又、飯田先輩にお願いして、
父母の脱洗脳もしてもらう。これで平和が戻ったと安堵したのだった。
Gところが、父母、妹と飯田先輩が歩いていたら、黒いワンボックスカーが迫ってき
て、Xのメンバー数名が下りてきて、その場で催眠をかけて、拉致していってしまう。
 実はこの拉致を手引きしたのは塚本啓子だった。彼女もXのメンバーだったのだ。
 啓子が連絡をしてきた。「Xでやっているのは、肛門の括約筋や前立腺を弛緩させ
て、そこから古い脳にアクセスして色々な回路を作るという催眠だ。男には催眠をか
け、女は施術者になる。一人前の催眠術師になると、アナル系風俗の援交をしてXの
活動資金を稼ぐ」。
Hあの可愛い妹がそんな事をさせられるなんて信じられない。又、家の扉に「スカト
ロ一家、肛門性愛家族」などと落書きされたり、学校でもバラされて、私は居場所を
失う。
Iここに至り、私は対決するしかないと考えた。塚本啓子が「今だったらお前もXに
入れる。今を逃すと永久に家族にも会えない」と言ってきた。
 私は、Xの本部に乗り込んでいった。
 そこで会ったXの総裁苫小牧は、ニューハーフの様な人だった。
 彼女は言う。「アナルから古い脳(潜在意識)にアクセスして、新しい脳にあるき
らびやかなものを求める野心を沈静化しているのだ。これは救済だ」。
 本部内の獄につながれている先輩にも会った。「苫小牧の言っていることは嘘だ。
真言密教では、新しい脳も、そして古い脳も滅却するのだ」という。
 私はとにかく父母、妹と先輩を助けないとと思う。
J私も、催眠術師になるべく、Xの訓練を受けだした。
 私が練習用にあてがわれた男(林秀樹)も、きらびやかなものを求める様な男だっ
た。
 私は、林のアナルへの出し入れという反復運動により古い脳を活性化させておいて、
同時に私の首を締めさせ、同時にお香のニオイで潜在意識を刺激する、という催眠を
かけておいた。
Kいよいよ対決の時。私は苫小牧の見ている前で林に施術する。苫小牧は「そんな催
眠ではダメだ」と言い、自分が催眠を開始する。だんだん林が興奮してきた時に、私
は香を焚いた。林はその香りに反応して苫小牧の首を締めるのであった。
L苫小牧の死後、警察も駆けつけて、一件落着する。




#454/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/07/28  21:51  (330)
ペストールを拾ったら   永山
★内容                                         18/07/30 17:53 修正 第2版
 拳銃を拾った日、レイプされそうになった。
 あるいは、逆。
 レイプされそうになった日、拳銃を拾った。
 どちらでもいいのかもしれない。結果は変わらないのだから。
 その日、私は初めて拳銃を拾い、初めてレイプされそうになり、初めて拳銃を撃ち、
初めて人を殺した。

 線路の下を通るコンクリートのトンネル、その入口に差し掛かったときだった。
 遅くなった学校帰り。内緒の買い物があって、少し遠回りをしたため、さらに遅くな
った。とっくに日が暮れ、辺りは暗い。
 尾けてくる足音に全然気付かなかった私。不覚、不注意。もしかすると、拾ったばか
りの拳銃に気持ちをかき乱されていたせいかもしれない。
 電車が上を走った。長い長い、貨物列車。
 それを待っていたかのように、男は灰色のロングコートを翻して襲いかかってきた。
左側の壁まで突き飛ばされ、振り返ったところをのしかかられ、右手首を強く鷲掴みに
された。痛みを感じる。地面に散らばる小石が身体のあちこちを突き上げてくる。学生
鞄は、遠くまで滑ってしまっていた。
 悲鳴を立て続けに上げたはずだが、誰も来てくれなかった。
 身動きの取れなくなった私に、男は刃物を突きつけた。騒いだら殺す、ぐらいのこと
を言ったかもしれない。列車の轟音でしかとは聞き取れなかったし、よく覚えていな
い。
 自身に降り懸かった事態を理解できないでいる私の口に、何か詰め物がなされた。声
を出せなくなる。計ったかのように、電車が過ぎた去った。
 制服の胸元に手を掛けた男。乱暴に破り取るような真似はせず、ボタンを一つずつ、
上から順番に外し始めた。
 急速に冷静になれた。状況を把握すると、逃げなくてはという当然の意識が起こっ
た。そして、逃げるにはまず、この男を身体の上から追い払わなければならないと考え
た。
 男は私があきらめ、無抵抗になったと決め付けたのか、私の両手を自由にしたままだ
った。
 私の左手が、スカートのポケットに触れる。さっき、拾った拳銃を無理矢理押し込ん
だ場所。あとになって考えると、乱暴された弾みによく暴発しなかったものねと感心し
てしまう。引金さえ引けば、連続して弾を撃てる状態になっていた。
 不思議と冷静だった。銃を持つ強みとは全然違う気がする。ただ、逃げるという意識
が薄まり、代わってこの男に罰を与えたい欲求が半ば義務化し、どんどん広がる。
 電車が再びやって来た。遠くからの轟音と振動で分かる。さっきのが下りだとした
ら、今度は上り。私は拳銃をポケットから引き抜き、気付かれないように男の脇腹辺り
に銃口を宛った。
 電車が真上を通過する。
 引金を引いた。連射式だなんて知らなかったが、私は立て続けに引金を引いた。数え
なかったけれども、三発は撃ったと思う。
 男の身体が湿気った安物布団みたいに覆い被さってきた。生命をなくした証だろう
か、ずしりと重い。撃つのをやめた私は、その汚らわしい物体の下からずるずると這い
出た。血が男から溢れ出る。私は口の中の詰め物を引き抜き、それが何であるかを確か
めることもせず、男に投げつけようとした。だが、思いとどまり、それを広げた。厚手
のハンカチと知れる。拳銃全体を拭ってからくるみ、布の端同士を結ぶ。どうしようと
いう考えは全くなかった。指紋を消しておきたかっただけ。
 誰も来ない。発砲した音もまた、誰にも聞こえなかったらしい。近辺に人家がないの
だから、それも仕方のないことか。
 衣服の乱れを直した私は学生鞄のところまで走ると、それを拾い上げた。トンネルを
抜け、空の下に出る。外灯に白々と照らされたサークルに入ると、ボタンを填め直しな
がら、身体や服の具合を見た。奇跡的にも、返り血は一切付着していない。服は上下と
も無事だ。砂粒一つ付いていない。怪我の方は、右手首にうっすらとした痣。擦り傷の
有無は分からなかった。刃物の先が、頬に触れたような気がしたのだが、どうやら気の
せいらしく、ほっぺたはきれいなままだった。
 しばらく逡巡してから、ハンカチでくるんだ拳銃を鞄に仕舞う。拳銃の持ち主を殺人
犯に仕立てるからには、この場に凶器を置いて行くのはよくない気がする。離れたどこ
かの川か池に捨てるのが、一番ありそうだと思った。
 だが、川まで捨てに行く気力が、このときはなかった。それどころか、歩くとか、深
呼吸をする、靴下を引っ張り上げるといった簡単なことさえ、実行するのに大変な努力
を要する有様。拳銃の処分は明日に延ばすと決定した。
 電車が来ないのを見計らい、足早に去る。無我夢中で、起きたことを神経がまだ消化
し切れていない。おかげで依然として冷静に振る舞えた。その代わり、何をするのにも
いつもに倍する疲労感を伴う。
 明かりの点いていない自宅に帰り着いてから、左手首にも痛みがあることに気が付い
た。無理な姿勢で拳銃を撃ったせいだろうか。そもそも、知識も何もないまま初めて発
砲したのだから、手首を痛めるくらい当たり前かもしれない。
 半日着ていた衣服一切合切をすぐ洗濯する。制服でなければ、切り刻んで捨ててしま
いたい。次いで、シャワーを浴びた。猛スピードで肉体が蘇っていくようだ。歯車が噛
み合ったような感覚があって、自分の動作にも普段の自然さが戻った気がする。精神の
方は、もうしばらく興奮状態にあるらしくて、がたがた震え出すようなことはなかっ
た。
 着替えたあと、遅くに帰ってくる親のために風呂を沸かした。
 テレビのニュースを見ながら独りの食事。何を食べても、味があまり伝わってこな
い。私が起こした事件のことは何も言わないまま、ニュースは終わった。きっとまだ発
覚していないのだ。
 明日は早起きしなければ。いつもの通学路を遠回りして銃を捨ててから、学校に行こ
う。
 もちろん、誰に話すつもりもない。

 目覚めると、肩にひどい痛みを覚えた。思わず呻いてしまいそうなほどだったが、表
に出すと、両親が気にする。上手に説明できる自信がないから、隠さねば。腕を回した
り伸ばしたりすることで、無理矢理にでも痛みに慣れる。十分近く寝床でもぞもぞと過
ごし、漸く起き出せた。
 あの男の死は夜遅くのニュースでも、朝刊でも、そして今見ている朝のニュースで
も、報じられなかった。おかしい。ただでさえ乏しかった食欲は、完全になくなってし
まった。母親に不審がられないよう、サラダのレタスとオレンジジュースだけは口にし
たが、味は分からなかった。
 日直なのと嘘をつき、普段より四十五分早く家を出た。昨夜の決心に従うなら、銃を
捨てに行くところだけれども、事件がニュースにならないという異変を目の当たりにし
て、警戒心が働いた。軽々に銃を捨てるのはまずい気がする。先に、あの現場に行って
みる。全てはそれから。
 線路下の薄暗い通路に、変わったところは見られなかった。歩行者達は、特段騒ぎ立
てる様子もなく出入りし、平然としてそれぞれの目的地に向かう。その上を、電車が朝
から頻繁に行き来していた。日常的な風景が展開される。
 訝る心を抑え、通路を進む。すぐに視界に飛び込んでくるはずの死体は、どこにも見
当たらなかった。できたはずの血溜まりもない。
 私はその場で立ちすくみ、考え込んでしまいそうだった。だが、ここに長居してい
て、果たして吉なのか。早々に立ち去る方がよさそう。いや、よいに違いない。いつも
の通学路の途上だから、この早い時刻でも、顔見知りが通りかかることは充分に考えら
れる。自分では平静を装ったつもりでいても、他人の目には挙動不審に映りかねない。
 ソックスを直すふりをしてしゃがみ、地面を見る。血を拭い取った痕跡ぐらい見つか
るはずと期待したのだけれど、認められない。一瞬、場所を間違えたのかと、自らの記
憶すら疑ったが、それもあり得ないこと。
 現実的に考えられるのは……ちょっと思い付かない。夢か幻とでも解釈しないと、理
解不能。だけど、手に残る銃の感触が、手首や肩の疼きが否定する。夢や幻とは絶対に
異なる。
 記憶と現在との折り合いはうまく行かないが、当面のお荷物を処分するかどうかは、
早く決断を下さないといけない。銃を捨てる捨てない、どちらを選ぶべきなのか。
 事件が表面化していないのをいいことに、警察に届けるのはどうだろう。拾った場所
と時間帯だけ正直に伝え、あとは嘘で塗り固めた説明をすれば、何も疑われずに済むの
では……?
 だめだ。もう一人の自分が真っ向から拒絶。
 レイププラス殺人体験という突発事に上積みして、死体が消えてなくなったという異
常事態。何か裏がある気がする。論理的に説明できないけれども、強いて言い表すとす
れば……人工的な非日常感。
 私は不意に思い付き、この場所を携帯電話で写真に収めた。どこか分からないが、こ
の場所にも何らかの手が加えられた気がしてならない。無論、死体が消えているのが一
番大きな変化だが、それ以外にも細々とした何かが。

 学校に到着した。普段より少し早い時間。
 下足箱をざっと見渡して、少なくともクラスメイトはまだ誰も来ていないことを確か
める。
 靴を履き替えようとしつつ、迷っていた。教室に入って、一人でこの奇妙な出来事に
ついて推測を巡らせるか。それとも、事の発端を担った拳銃について考えるべきか。
 後者を選んだ。靴を履き替えるのを中止し、外に向かう。拳銃を拾ったのは校内、中
庭の片隅にある溝の奥だった。そこへ行ってみる。警戒を怠らずに。
 拳銃は落ちていたのではなく、隠されていたとするのが多分正しい。不透明なビニー
ルにくるまれ、ガムテープで留められ、側溝の蓋で隠れるように押し込まれていた。そ
んな状態の物を見付けたのは、私が歴史の丸尾先生から命じられた掃除を渋々と独り、
やったせい。見付けたあと、誰かに知らせようとか警察に届けようとか考えなかったの
は何故だろう。その時点では本物の銃とは思いもしなかったのかもしれない。あるいは
……殺したい人間がいるせいかもしれなかった。
 そんな訳だから、溝を見に行くと言っても、あまり近付いてしげしげと観察するのは
避ける。隠した主と鉢合わせする恐れや、既に拳銃が消えたことに気付いた持ち主が、
見張っている可能性もある。何故、あんなところに拳銃があったのかはこの際、考えな
いでおく。深夜、警察に追われた犯罪者か何かが校内に一時的に逃げ込み、銃を隠した
あと、また逃げたとか、そんなところじゃないか。うちの学校は警備が緩く、防犯カメ
ラも三箇所ある門を写しているに過ぎない。
 くだんの溝の周辺は、昨日立ち去ったときと変わっていなかった。少なくとも見た目
は一緒。拳銃がなくなったこと自体、知られていない可能性が高い。
 言うまでもないが、あそこを掃除する私の姿を、拳銃の持ち主が万が一にも見ていた
としたら話は違ってくる。ただ、その場合、持ち主は学校関係者であることになるだろ
う。だとしたら、拳銃のあるなしにかかわらず、拳銃の存在に気付いたかどうかを確か
めようと、一刻も早い私への接触を図っているはず。今になってもそれがないのは、こ
の推測は恐らく外れということ。先生が私に掃除を命じた事実が、拳銃の持ち主の耳に
入らない限り、安泰と言える。
 散策を装った観察を切り上げ、教室に向かうことにした。

           *            *

 丸尾一正は極力、意識しないように努めた。閉じられた窓ガラス越しとは言え、一生
徒をじっと見つめているところを第三者に気付かれでもしたら、余計なさざ波を立てて
しまいかねない。
 しかしながら、目線を外したあとも、気になりはする。何をしに戻って来たんだろ
う、と。

 丸尾は教師ながら、困った癖が二つあった。その一つが、無類のギャンブル好きであ
る。賭け事に強いならまだましかもしれないが、よくてとんとん、大抵はマイナスとい
う成績では、借金が膨らむ。給料日毎にまとめて返していたが、それも徐々に厳しくな
り、今では貯金を切り崩す有様だった。
 独身で、結婚を意識するような相手もいないからやっていけるが、周りからはいつま
でも若くはないんだしそろそろ身を固めてはどうかと縁談を持ち掛けら始めた。中には
本当に良い話があり、心動かされるものがある。結婚を考えると、ギャンブル癖は断ち
切っておくべきだし、借金もきれいにしておくべきだと分かっていた。
 そんな決心が固まるか固まらないかのタイミングで、丸尾は大負けを喫した。これま
でとは一桁違う負けで、おいそれと借りられる額でない。一気に追い込まれた丸尾に、
ギャンブル相手の男が持ち掛けてきた。
「高額のバイトをしてみる気はあるか?」
 話を聞いて危ないと感じたら断ればいい、なんて軽い気持ちにはなれなかった。相手
はいわゆる暴力団関係者で、危ない話を聞くだけ聞いてはいさよならとはならないこと
くらい、容易に想像が付いた。
 なのに聞く気になったのは、やはり負けの大きさ故だったかもしれない。
 話を聞く前に、何かの運び屋をやらされるんじゃないかと漠然と想像していた丸尾だ
ったが、男が持ち掛けてきたのはそういった密輸の類ではなかった。
 足の付かない武器を用意してやるから、板木なる男を殺せというもの。板木は同じ組
の構成員で、組織を抜けたがっているが、ある重要な機密を握っているため、組として
は認める訳に行かない。始末するのが手っ取り早いが、単に殺すと組全体が警察から疑
いを向けられるのは目に見えている。それならいっそ、無関係の堅気にやらせるのがよ
かろうという算段だった。
 聞いた直後にこれはいよいよまずいぞと逃げ出したくなった丸尾だが、そうも行か
ぬ。より詳しい話を聞かされる内に、ひょっとしたらやれるかもしれない、と考え出し
た。それも自分の手を極力汚さずに。
 組織を通じて、板木に「組を辞めるには最後の仕事をしろ」と条件を提示してもら
う。具体的には、「抜けたあとも好き勝手なことを吹聴されてはたまらん。ついては、
おまえが汚れ仕事をやっていたことを記録に残す。アダルト物の男優役をやれ」と。そ
の組織はかねてからアダルトソフトの製作に噛んでいるので、不自然ではない。板木が
どう受け止めるかは分からないが、肉体的に痛めつけられるよりはよい条件だと捉える
だろう。板木が条件を飲んだなら、撮影と称してより細かな指示を出す。
 当初、丸尾が組織に提案したのは、拳銃自殺の台本を書き、実際に弾が出る銃と撮影
用の銃をこっそり入れ替えておくというものだったが、却下された。撮影らしく板木に
思わせるには、それだけ人数が必要となる。構成員達を偽の撮影に駆り出すと、アリバ
イが確保できない。結局、警察に疑われる。つまるところ、やるんなら丸尾一人でやれ
ということだ。
 そこで丸尾が捻り出した別の案には、組織も承知し、ゴーサインをくれた。丸尾の考
えた筋書きは、板木が女学生を襲って強姦するというもの。リアリティを出す名目で、
野外で演じるのをハンディカメラ一つで撮ると伝えることで、板木の不信感を封じる。
撮影の折、第三者に見られたら面倒だと、板木は不安を覚えるかもしれない。それに対
しては、人が通り掛かっても中止はしない。すぐに立ち去れるよう、車を用意しておく
からと言い含める。これで準備の半分が終わり。
 残りの半分は、殺す側の準備だった。丸尾は、襲われる役の女性に板木を殺させるこ
とを考えていた。一般論として、女が男を一対一、通常の状態で殺すのは困難を伴うで
あろう。だが、丸尾には勝算があった。組織の用意する足の付かない凶器が拳銃だと聞
いたからこそ、この計画を思い付いたと言える。そう、女には拳銃を持たせておく。
 だが、女は組織が用意する女優ではないし、丸尾にもこんな役を引き受ける相手に心
当たりはない。丸尾はだから、教え子を利用することにした。事情を話してやらせるの
ではなく、自然な形で仕向けるように。
 丸尾の頭には、明確な候補がいた。
 彼の二つある悪癖の内、ギャンブル狂いとは別のもう一つは、若い女好きであること
だった。より厳密に言い表すのであれば、若い女も好き、となる。普段はその嗜好を隠
し、これなら大丈夫と判定できる対象を見付けたら、密やかに行動を起こす。成功率百
パーセントではもちろんない。失敗も多々あるが、そのときはそのときでうまく冗談に
昇華してごまかす術を、丸尾は身に付けていた。
 そんな、倫理観を著しく欠いた教師が現在進行形で付き合っている女生徒が一人お
り、名前を筒寺萌音という。頭はいいが、努力してトップを取ろうという向上心は乏し
い。それでも学業は優秀な方。そして、ちょっと悪いことに憧れのある性格(性格では
なく、そういう年頃なだけかもしれないが)。冗談で缶ビールを勧める素振りを見せる
と、特に躊躇や逡巡もなく、手を伸ばそうとした。テストの採点で、間違っている箇所
をわざと正解にしてあげた上で、授業で詳しく解説したのに、言って来なかったことも
あった。
 隠れて付き合うようになってから、丸尾はますます筒寺を理解できたと確信した。彼
女は怪我人や遭難者を見掛けても、自ら救助に乗り出して責任を背負い込もうとはしな
い。傍観者か、せいぜいサポート役。また、大金を拾ったとしても、素直に警察に届け
ることはまずない。密かに運べる物なら持ち帰る。無理なら放っておくか、ばれないの
であればいくらか抜くかもしれない。
 そこで丸尾は思い切って、彼女に拳銃を見付けさせる段取りを整えた。校内大掃除の
日に行き届かなかった箇所があるとして、中庭奥の溝掃除を彼女一人に命じる。前もっ
て隠しておいた拳銃を、彼女は確実に見付ける。いくら丸尾が筒寺を理解したと確信し
ていても、彼女が銃を持ち去るかどうかは、賭けの要素が強くなる。いきなり警察に届
けるというのはないにせよ、丸尾に知らせてくるパーセンテージはそこそこ高いと考え
ねばならない。
 尤も、丸尾にとって、筒寺が拳銃を見付けたと報告に来ても、特段問題はない。うま
く処理して置くからとでも言って、拳銃を回収すれば事足りる。組織から命じられた殺
人は、丸尾自らが手を下さねばならなくなるが。
 そして――丸尾はこのギャンブルには勝った。筒寺が拳銃を黙って持ち帰ったのを、
陰から確認したときは、思わず小さくガッツポーズをした。が、喜んでばかりはいられ
ない。即座に板木に電話を入れ、撮影を行うからと呼び出す。場所や段取りはかねてよ
り伝えてあるので、用件は手短に済む。移動時間は何度か実験をして、充分に間に合う
と算盤をはじいた。
 最後の仕事について聞かされた当初の板木は、踏ん切りが付きかねた様子だったらし
いが、実際にやる直前に相対してみると、すっかり気持ちができあがっているように見
えた。
「自分がやる役の男は、あとで和漢だったと主張するような性格なんでしょう? だっ
たらハンカチか手ぬぐい、いや、いっそシートを準備していることにして、襲うときに
女の身体の下に敷くっていう演技はどうか」
 なんて提案してくるぐらいだった。丸尾がOKを出すと、板木は用意のいいことで、
透明なビニールシートをコートのポケットからちょいと覗かせてみせた。
 あとの流れは、丸尾にとってほぼ理想通りに進んだ。誰にも気付かれず、板木は筒寺
を襲い、銃で反撃を受けた。筒寺がどういう行動を取るのかも気掛かりの一つではあっ
たが、銃を持ったまま、自宅の方に駆けて行ったのを見て、丸尾はほっとした。警察に
駆け込む線は銃のことがあるからまず取らないだろうと踏んでいたが、丸尾に助言を求
めて電話をしてくるのはありそうで、もしそうなったら面倒だと考えていたからだ。
 人が通り掛からないのを確認した上で、丸尾は現場にそっと駆け寄った。板木の絶命
を見届けるつもりだった。が、丸尾はあまりに近付きすぎた。賭けに勝って、浮かれて
いたのかもしれない。
 虫の息の板木は、右手で丸尾のズボンの裾を握りしめてきたのだ。強く強く、破り取
らんばかりに。
 困惑と恐怖を覚えた丸尾は、空いているもう片方の足で、板木の手を踏み付け、蹴っ
た。何度か繰り返す内にやっと離れたが、気が付くとズボンの折り返しがほつれ、布地
の一部が千切れ、糸くずが飛んでいた。
 これはまずい。丸尾の背筋は寒くなった。
 板木は既に絶命したが、その右手は固く握りしめられている。その中に、丸尾のズボ
ンの切れ端が恐らく入っている。こじ開けて確かめ、取り除く必要があるのだが、目撃
される可能性を排除したい。そこで死体を車で運び、落ち着ける場所に移してから回収
を図る。幸運にも、板木の身体の下にはシートがあり、血は地面に散っていない。この
まま死体をくるめば、痕跡をほぼ残さずに車内に運べる。
 この予定変更は、警察の交通検問に注意を要するし、筒寺の動き任せの部分が若干大
きくなるが、大勢に影響はないと丸尾は判断した。ここまで彼にとって珍しいほどの大
勝で来ているのだから、どんな博打でも攻めの姿勢で行く心理状態になっていた。

 ふと視線を戻したときには、すでに筒寺の姿は見えなくなっていた。
 大方、誰が銃を隠したのか気になって、元の場所を見に来たのだろう。丸尾はそう解
釈した。
 結果から言うと、丸尾は賭けに最後まで勝ち続けた。遺体を車で運ぶのを誰にも見咎
められなかったし、板木の手から布の回収もうまく行った。つい今し方、ラジオのニ
ュースで死体が川縁で発見されたと報じられたから、組織の連中も働きを認めてくれる
だろう。晴れて、今までのギャンブルの負けはチャラになる。
 最後の一仕事として、拳銃の回収を求められているが、これは飽くまでできることな
ら、という但し書き付き。組織としては、足の付かない拳銃とは言え、一度殺人に使用
した物をわざわざ回収して後生大事に保管しておいても危ないだけ。どこぞで処分して
くれた方が手間が掛からんといったところか。
 などと考えていた丸尾の前に、いつの間にか女生徒がやって来た。筒寺が口を開く。
「先生、これ、提出し忘れてたプリントです」
 言いながら彼女が手渡してきたのは、確かに問題文の書かれたプリント用紙だが、自
筆の文字で書かれている内容は、答とはなっていない。これは、丸尾と筒寺との間で内
緒のやり取りをする方法だ。
「お、意外と早いな」
 適当に話を合わせながら受け取り、プリントの隅の文字を読み取る。今日の放課後、
時間を作って欲しいとあった。
「よし。行っていいぞ」
 承知の意を込めて、そう言った。ちょうどいい機会だし、拳銃のことも聞き出せそう
ならアプローチしてみようと丸尾は思った。

           *            *

 第二校舎の三階、その一番端にある社会科準備室。普通なら、生徒が頻繁に出入りす
る教室じゃない。私はよく利用してきたが。
 言うまでもなく、丸尾先生との付き合いのせい。校内でこそこそ会うには、うってつ
けの場所だった。隣は音楽室でそちらの方は人の出入りが割と多いが、防音設備がしっ
かりしているため、社会科準備室での声や物音が聞こえることはまずなかった。
 加えて、今の時間帯は、音楽系の部の練習する音が校内のあちこちから聞こえてき
て、大都会のスクランブル交差点並みにうるさいんじゃないかしら。他にも運動部が頑
張っているようだし、そんな状況では、この部屋で何をやっても聞かれることはあり得
ない。
 だから、私は丸尾先生を呼んで、そして拳銃の威力を発揮した。
 やった直後は、その発射音を聞きつけて、人が跳んでくるんじゃないかと嫌な想像を
したけれども、杞憂に終わった。十分以上が経過しても、誰も来ない。
 この分なら、もう私もここを離れていいだろう。むしろ、早く離れるべきかも。
 拳銃にはまだ弾が残っていて、置いていくのは未練がある。けれども、丸尾先生を自
殺に見せ掛けて殺すことに成功したのだから、銃は置いていかなくては。それに例の強
姦魔の死体、見付かったってニュースでやってたし。銃を早く手放すのがいいに決まっ
ている。
 あの拳銃、誰が溝の奥に隠したのか知らないけれども、見付けた瞬間、私は心を決め
ていた。
 私との付き合いを続けておきながら、持ち込まれた縁談に頬を緩め、鼻の下を伸ば
し、結婚を考え始めた先生。命でもって償ってもらうのが、最速の解決策だと思えた。
泥沼の話し合いなんて御免だわ。
                                                                  
           *            *

 後ろから手を胸や首に回され、かすかな石鹸の香りに包まれながら、優しく撫でられ
る。丸尾は社会科準備室にて、筒寺の声や仕種を体感していた。そのあまりの心地よさ
に、何気なく考えた。
(いっそのこと、彼女の卒業を待つという道もあるな。焦って身を固めなくても、筒寺
さえその気なら、こっちはいらぬ気苦労や努力をしないで済む。何たって、卒業まで待
っても、十八やそこらなんだから、見合い相手よりも若いじゃないか)
 そこまで考えを進めたとき、右方向から何かが飛んできて、丸尾の意識を奪い去っ
た。永遠に。

――了




#455/455 ●短編    *** コメント #453 ***
★タイトル (sab     )  18/08/01  16:11  (135)
「催眠」(という短編の目論見書)改2 朝霧
★内容                                         18/08/01 21:03 修正 第2版
仮題『催眠家族』改

【登場人物一覧&キャラクター設定】
 ()内はイメージキャスト。思い付かない場合は?印。
橋本舞美。(?)。17歳。法正高校(都内の仏教系高校)2年生。
橋本信夫。(渡部篤郎)。42歳。舞美の父。
橋本京子。(篠原涼子)。39歳。舞美の母。
橋本保聡(やすとし)。(?)。舞美の二卵性双生児の兄。17歳。都立高校3年生。
橋本愛。(?)。15歳。舞美の妹。中学校3年生。
鈴木真貴。(?)。17歳。法正高校2年。
鈴木文勝(ぶんしょう)。(高橋克実)。50歳。竜泉寺住職。
苫小牧。(村本大輔(吉本興業))。30歳。竜泉寺の僧侶。
蟹沢賢磨(けんま)。27歳。竜泉寺の寺男。
大谷智雪(大野智(嵐のリーダー))。18歳。法正高校3年生。

【舞台&状況設定】
 舞台は法正高校(都内の仏教系高校)と竜泉寺(浄土宗)。
 主人公舞美は法正高校の2年生。同級生に真貴(竜泉寺の娘)、先輩に大谷(真言宗
のお寺の息子)がいる。
 竜泉寺には苫小牧という男が入り込んでいる。真貴と結婚してお寺の相続をしようと
目論んでいる。
 寺男に蟹沢(元真言宗信徒)という男がいる。
 舞美は蟹沢に恋心を抱いている。
 真貴は保聡(舞美の兄)が好き。
 信夫(父)、京子(母)は竜泉寺で苫小牧が催す行事にはまっていた。

【おおまかなストーリー】
@橋本家は竜泉寺の檀家である。信夫(父)、京子(母)、保聡(兄)は、寺の行事
(写経、禅、お茶会など)に熱心に参加していた。行事には瞑想や催眠もあった。
 寺の行事を仕切っているのは苫小牧という男。苫小牧は元々は竜泉寺の人間ではな
かったが入り込んできている。寺の娘・真貴と結婚して寺の相続を目論んでいる。
 寺には寺男の蟹沢(真言宗出身)もいた。蟹沢は現世利益には興味がなく、「個人
の仏性と宇宙の根本原理の合一だけが目的」と言って、黙々と塔婆に字を書いていた。
 高校に行くと大谷(先輩)は「舞美の父母と兄は洗脳、催眠に引っかかりやすい性
格だ」と言う。
大谷は言う。「催眠とは簡単に言うと、新しい脳を眠らせておいて、古い脳(潜在意
識)に働きかけて言ったとおりにさせる術である。これをやれば、身体を硬直させて
動きを奪う事も出来るし、レモンを食べさせて甘いと感じさせる事も出来る。
 又、これらの催眠を組み合わせて、もっと自発的な行動を誘発させる事も出来る。
例えば、サイクリングという反復運動で古い脳を活性化させておいて、同時に漕ぐ運
動で股間を刺激して、同時にコロンの香りで潜在意識を刺激しておく。すると次にコ
ロンを嗅がせた時に欲情させることが出来る」などと。

A或る朝のこと、保聡はコロンのニオイをさせていた。真貴にプレゼントされたとい
う。
 その朝、保聡は駅のホームで後ろの人間に突き飛ばされて死んでしまう。
 舞美は、先輩から聞いたサイクリングの話と、兄がコロンをつけていたことを考え
合わせて、「これは催眠で突き飛ばされたのではないか。その催眠をかけたのは苫小
牧ではないのか。苫小牧は真貴と結婚して寺を継ごうとしていた。それを兄に横恋慕
されたと思ったのではないか」と想像する。
 兄が轢かれる瞬間を妹の愛も見ていた。
B父母はカーテンを閉めてふさぎ込んでいた。
 苫小牧が訪ねてきて、「お寺に来て少しでも心を慰めたらいかがですか」と言って、
父母と妹まで連れて行った。
 舞美は、「苫小牧は、もしかして現場を見ていた妹を始末する積りなのではないか」
と心配する。
 又、舞美は、苫小牧の浄土宗的な家族愛的なものをウザいとも感じていた。舞美は
例えば学業でもAO入試や面接など人間のやることは信用できなくて、全てマークシ
ート方式にするべきだ、などと思っていた。だから、蟹沢の真言宗的なもの、自力本
願の原理主義的なものの方が好きだった。そんなことから蟹沢に惹かれ出す。
C舞美は、苫小牧の催眠に対抗する為に、自らも独学で催眠を学びだす。
 舞美の学んだ催眠は、施術者個人がクライアント個人にかけるという、人が人に施
すものだったが、上手く行かなかった。
D舞美は大谷に催眠について尋ねた。大谷によれば、催眠は施術者個人がクライアン
トにかけるものではなく、宇宙のエネルギーをクライアントの古い脳に作用させるも
のだ、とのことだった。
 舞美は竜泉寺の様子を見るために寺の裏山に登った。そこで寺男・蟹沢に遭遇する。
そして仏教の話を聞く。蟹沢は言う「宇宙の根本原理にも汚れ、”なまぐさ”がある
が、これが人に宿ると悪人になる。そのように宇宙と人間はつながっている」と。
舞美は、大谷の話と似ていると感じる。そしてますます蟹沢に惹かれる。
E舞美は、クラスの女子に催眠をかけてみた。レズビアン的な接触で「性的興奮に達
したら相手の首を締めろ」と念じた。後日、その女子の彼氏が「首を締められた」と
騒いでいた。舞美は催眠は成功したと自信を得る。
F竜泉寺では護摩に使う薪を割っていた。
舞美は、薪割りの反復運動で古い脳が活性化している状態の父に、キンモクセイの香
りで潜在意識を刺激しておく、という催眠をかけた。そして寺男(蟹沢以外)にキン
モクセイの花束をプレゼントしておく。父は、寺男のところに薪を運んでいくとキン
モクセイの香りに反応していきなり鉈を振り上げた。とっさに舞美は催眠を解く。
これを見た苫小牧は舞美の催眠の腕前に怯える。
 そんなことから、舞美は父母と妹を連れ戻すことに成功した。これで平和が戻った
と安堵したのだった。
Gしかしそれも束の間、またまた父母と妹はお寺の寺男に連れ去られてしまう。
 ところが舞美は内心、家族的な浄土宗はウザいが家族自体もウザい、と感じ出して
いた。
 方や、霊験あらたかな真言宗を唱える蟹沢には魅力を感じていた。蟹沢は「心頭滅
却して仏性を開放すれば、兄の霊とも接触できる」と言ってきた。そしてそういうセッ
ションをやる。
 大谷は、「洗脳されているんじゃないのか」と心配してきた。
H兄の初七日法要の日、竜泉寺の本堂で、父があろうことか、妹に襲いかかってきた。
しかし、金縛りにあって未遂に終わる。
 舞美は、苫小牧が父に催眠をかけて妹を襲わせたのだ、と思う。妹は兄の事故現場
を見ていたから、何かを思い出す前に始末されそうになったのでは、と。
I蟹沢が、舞美にも寺に来ないかと言ってきた。そうすれば家族を見守っていられる
し、亡き兄に接するセッションも又できるから、と。そして舞美は寺に行く。
J竜泉寺で護摩行の時に、なんと父が今度は舞美を襲ってきた。そしてこの時も父は
金縛りにあってことなきを得た。
 この災難の後、別室で休んでいると、母のスマホに長文のメールが届いた。それは
舞美が生まれた時に同じ病室だったHさんからの暑中見舞いだった。
その手紙にはこうあった。「出産の時にあの病室に居たのは、京子と保聡、舞美、H
さんとその子、蟹沢さんとその子。でも最初に蟹沢さんの子が亡くなって、続いて私
の子も亡くなった。そして保聡君まで亡くなった。残る舞美ちゃんは大切にして下さ
い」と。
 舞美は「その蟹沢とは誰だろう。寺男の蟹沢と関係があるのではないか。亡くなっ
た子供とは蟹沢の弟ではないのか」と推測する。
 舞美は、母からHの連絡先を聞いて電話する。すると、蟹沢さんの亡くなった子に
は歳の離れた兄がいるとのことだった。
 大谷は、こう推理をした。「保聡、舞美、Hさんの子、蟹沢の弟は同じ日に生まれ
た。ということは宇宙から同じ仏性がそれぞれの体に分割して宿ったのではないか。
そして17年後、蟹沢の弟が亡くなった。
しかし本来一つであった仏性の内4分の3は保聡、舞美、Hさんの子の中に残ってい
る。それで蟹沢の弟は成仏出来ないでいる。
だから、蟹沢の兄つまり寺男は、Hさんの子、保聡と殺して仏性を開放したのではな
いか。そして最後の一つ、舞美の仏性も開放する為に殺そうとしているのではないか」
と。
 ここで妹を脱催眠して「あの日、ホームにいたのは誰なのか」を言わせたら、苫小
牧ではなく寺男の蟹沢だと答えた。
K舞美は寺の裏山に蟹沢に会いに行った。そして「私を殺すために父に催眠をかけて
襲わせたのか」と問いただす。
 蟹沢は悪びれる様子もなく、そうだという。「ただ宇宙の根本原理に帰るだけだよ。
なんだったらぼくも一緒に死んでもいい」と。
 ここで、舞美も、それもそうだと思う。そして二人で死のうか、という運びになっ
た。
 ここで、先輩と苫小牧が現れて「舞美、君は洗脳されている」と言ってくる。
 舞美は驚くが、蟹沢は小刀を出すと舞美の首筋にあてた。
 ここで蟹沢は何故か金縛りに合い、舞美は救出された。
 舞美は、父や蟹沢の度重なる金縛りを、何か宇宙の根本原理からの仕業のようにも
感じたのであった。
L家に帰ってから数日たった或る日。舞美が風呂に入っていたら、突然金縛りにあっ
た。腕が勝手に上がって指が曇った鏡をなぞる。「天寿まっとうせよ」と描かれた。
兄の霊が自分に乗り移って書いたのだ、と舞美は思った。

【疑問点】
 設定をお寺に絞って、人物も全て僧侶にした方が座りがいい気もする。
『ファンシィダンス』か和製『薔薇の名前』みたいになって。
 でもそうすると恋愛関係が同性愛になってしまうが。




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