AWC ●長編



#565/573 ●長編    *** コメント #564 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:25  ( 91)
条件反射殺人事件【7】
★内容
やたら蕎麦屋と饅頭屋のある参道がケーブルカーの始発駅、
清滝駅につながっているた。

清滝駅の前には、書痙オヤジ、安芸亜希子、佐伯海里先生、
その他おじさん、おばさんが集合していた。
それに合流する。
「それじゃあみなさん集まった様なので出発しまーす」
ツアー客でも案内するように、海里先生がみんなを引き連れて行く。
片道四八〇円の切符を買うとカチャカチャ切符きりで切られて改札を通過する。

ケーブルカーに乗り込むと、安芸と郁恵は先頭でキャッキャしている。
時任はニヤリとほくそ笑んだ。
「高尾山行きケーブルカー、これより発車です」というアナウンスと共に、
車体が引っ張られて上がり出した。
「このケーブルカーは標高四七二メートル地点にございます
高尾山駅までご案内致します」というアナウンス。
(人が転落死するには十分な高さだな。ちょっと足を滑らせれば一巻の終わり)。
「高尾山薬王院は山頂高尾山駅より歩いて15分程のところにございます。
薬王院は今から約一三〇〇年以上前、行基菩薩により開山されたと伝えられ、
川崎大師、成田山とともに関東の三大本山の一つとなっております。」
(そんな由緒あるところでやったらバチが当たるかな。
あのメロディーを聴いて潮を吹くのは向こうの勝手だとしても、
潮吹きだけじゃあ滑落しないので、
確実に滑落する様な仕掛けを仕組んだのは僕だしなぁ)。

ケーブルカーを降りて、ぞろぞろ歩いていくと、
新宿副都心が見える展望台、サル園、樹齢四百五十年のたこ杉、と続き、
浄心門という山門をくぐるといよいよ境内に入る。

書痙オヤジやおじさん、おばさん連中が先頭と行き、萬田郁恵と安芸亜希子、
そして臨床心理士の佐伯海里先生が続く。
時任はほとんどしんがりを歩いて行った。

左右に灯篭のある参道を更に進んでいくと、
男坂と女坂というコースにY字型に分岐している。
男坂に進んで、煩悩の数だけの石段を上ったが、これにはばてた。
茶屋があって、ごまだんごと天狗ラーメンのいい香りが漂ってきた。
「お弁当買ってきた?」と佐伯海里先生が振り返った。
「うん、駅ビルで買ってきた」。
「何を?」
「牛タン弁当」
「ふーん」言うと尻をぷりぷりさせて参道を進んで行った。
参道を更に進むと四天王門という山門があって、又石段があった。
その先に、薬王院の本堂があって、そこを裏に回ると又石段。
権現堂というお堂があって、裏に回って、更にきつい石段。
奥の院というお堂があって、裏に回って、木のだんだんを上って行く。
くねくねと舗装された道を行くと、軽自動車が2台止まっていた。
(なんだよ、車で来れるのかよ)と時任は思った。
しかし、もうちょっと行ったら山頂に着いたのであった。
展望台から「富士山、丹沢が見えるー」と、書痙オヤジ、
おじさん、おばさん連中は喜びのため息をもらしていた。
「じゃあ、みなさん、ここでお昼の休憩にします。出発は一時四十五分です」
と佐伯海里先生。
おじさん、おばさん連中は、ベンチに陣取ると弁当を広げだした。
「丹沢や富士山を眺めながら食べると旨いぞー」などと言っている。
「僕らもどっかで食べる?」と時任。
「ばてすぎちゃって食べたくない」と郁恵。
「じゃあ、俺もいいや」
安芸と海里先生は「私たち、そばを食べてくる」と言って茶屋に入っていった。
何気、時任と郁恵は展望台の先っぽに移動する。
ベンチに腰掛けると、富士山を見る。
時任は、横目で、萬田郁恵のシャツの上からでもむちむちしているのがわかる
腕をガン見した。
(さっきやってきたばっかりなのに、まだ未練がある。
これを崖下に放り捨ててしまうなんておしい。
しかし、貧乏人をハエだゴキブリだと言った女だ、お仕置きしなくっちゃ。
つーか、何時も中田氏しているから妊娠しているかも。
そうしたら自分の子供もろとも崖下にって事か? 
それでもいいや。中絶の手間が省けて。
慈敬医大病院の医師みたいに同意なしに中絶しちゃうなんていう手間が省けて)。
「前に、会で、ホリエモンやひろゆきがムカつくのは
自己受容が出来ていないからだって言ったでしょう」
時任は富士山を見ながら語りだした。
「だから、尾状核的になっていて、比較するんだって。
でも、やっぱり、ホリエモン的な奴らがおかしいと思う時もある。
ずーっと前、慈敬医大の医者が看護師を愛人にして、
妊娠したからビタミン剤と偽って子宮収縮剤を飲ませて中絶させた、
という事件があったけれども、そんな酷い事が出来るのは、
制度に守られていいるからだと思うんだよね。
人間なんてでかい車に乗っているだけで威張るし、
体がでかいだけで威張るし、
制度にのっかっていれば威張るものだと思うけれども。
IT長者がツイッターで威張っているのも、同じだと思うんだよね。
だから、カーっとしてお仕置きしてしまうかも知れない」
「何をするの?」
「さぁ。今に分かるさ」

しばしベンチで堕落していたら、すぐに時間は経過した。
「それではそろそろ出発しまーす」という佐伯海里先生の声。
時計を見るともう一時四十五分。
よーし、いよいよだ。




#566/573 ●長編    *** コメント #565 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:26  ( 75)
条件反射殺人事件【8】
★内容
生活の創造会八王子支部御一行は、
おじさん、おばさん連中、書痙オヤジ、佐伯海里、時任、
しんがりに萬田郁恵と安芸亜希子という順番で来た道を引き返した。
浄心門まで戻ってくると左側の4号路に入り、高尾山の北斜面を下る。
鬱蒼としたブナなどが左右から道を覆って筒状になっている。
しばらくは丸太と盛る土の階段を下っていた。比較的幅広で手摺もあった。
しかし、すぐに道は 上りの人とすれ違えない程の、かなり細い下り坂に変わった。
右手からは樹木の根が迫っていて、老婆の手の静脈の様に見える。
左側は切れ落ちている。
「これ落ちたら死ぬで」
樹木の生い茂った崖下を見下しながら書痙オヤジが言った。
「こんなところ死体が上がらないぞ」
後ろでは、安芸亜希子と萬田郁恵がよろよろしている。
「スニーカーじゃあ危なかったかも」
「季節的に道がぬかるんでいるのかな」
(ちょっとつついてやれば崖下に転落するかな)と時任は思う。
時計を見ると、まだ一時五〇分。

しかし、丸太の階段と下り坂が交互に続いた後、道幅は急に広くなってしまった。
4号路と、いろはの森コースという別ルートの交差点の先には、
丸太のベンチまで設置してあって、休憩出来る様になっている。
(こんな幅広の道じゃあ、安全すぎる)と思う。
「休憩します?」と書痙オヤジと佐伯海里が言い合っている。
時計を見ると一時五三分。
こんなところで休まれたら予定が狂う。
「行こう、行こう、一気に行った方が楽だから」
時任は前のみんなを押し出す様に圧をかける。

しかし、丸太の長い階段を下ると、急に道幅が狭まったかと思うと、
左手は切れ落ちの崖の斜面に出た。
ここでもいいが、時計を見ると、まだ放送までには時間がある。

少しして、左手の崖下はブナなどの木で見えなくなってしまったが、
しかし川のせせらぎがきこえてくる。
あれは「行の沢」のせせらぎだ。
樹木が生い茂っていて見えないのだが、崖下には「行の沢」が流れている筈。
吊り橋も近い。
(ここだ)と思った。
時計を見ると、一時五八分。
(あと二分か)。
時任は、歩調を弱めると、立ち止まり、そしてしゃがみこんで、
靴ひもを結ぶふりをした。
「早く行ってよ」後ろで安芸亜希子が言った。
「お前ら、先に行けよ」と、亜希子と郁恵を先にやる。
紐を結びながら時計を見る。一時五九分五九秒、二時!
吊り橋の向こうから、
♪you don't have to worry worry『守ってあげたい』の
木琴Verの防災放送が流れてきた。キター。
時任はしゃがんだまま(どうなるか)と三白眼で前を行く女を睨む。
萬田郁恵がもじもじしだした。
そしてすぐに、蛙の様に飛び跳ねだした。
かと思うと、安芸亜希子にしがみついた。
二人共バランスを崩した。
(あのまま二人共落ちてしまえ!)。
しかし、郁恵だけが崖から転落していった。
ああぁぁぁぁぁー、と、悲鳴ごと吸い込まれていく。
ボキボキボキと枝の折れる音。
かすかに水の音が。
「郁恵ぇーーーー」と叫ぶ安芸亜希子。
「どうしたぁー」と書痙オヤジが振り返った。
「萬田さんが落ちました」と安芸亜希子。
「えーーーー」とか言って、佐伯海里先生だの、おじさん、おばさん連中が
崖下を見下ろす。
「郁恵ぇーーーー」と崖下に叫ぶ。
しかし、沢のせせらぎが聞こえてくるだけだった。
「降りて行ってみよう」と書痙オヤジ。
「危ないですよ。警察を呼びましょう」と海里先生。
スマホを出すと110番通報した。
「4号路の吊り橋の手前です。はい、そうです。はいはい。そうです」
他のメンツは、心配そうに崖下を覗いていた。
「一体何が」と書痙オヤジ。
「突然もじもじしだしたと思ったら、飛び跳ねて、
そして、私にも抱きついてきたんですけれども、
一人で、一人で、崖下に…。私が突き飛ばしたんじゃありませんから」と亜希子。
「それはもちろんだよ」




#567/573 ●長編    *** コメント #566 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:28  ( 52)
条件反射殺人事件【9】
★内容
たった15分で、赤いジャージに青ヘルの屈強そうな
一五、六名の救助隊が到着した。
背中に黄色い文字で『高尾山岳救助隊』と刺繍されている。
「山岳救助隊、隊長の新井です」日焼けした馬面の中年が言った。
「どうされましたか」
「突然メンバーの一人が暴れだして、ここから沢に落下したんです」
見ていたかの様に書痙オヤジが。
隊長は、しばし、崖下を見下ろす。
すぐに背後の隊員のところへ戻ると、円陣を組んで、隊員達に言う。
「これより。滑落遭難者の救助を行う。
それでは任務分担。
メインロープ担当、山田隊員、
メインの補助、今村隊員、
バックアップロープ担当、江藤隊員
バックアップの補助、池田隊員、
メインの降下要員、椎名隊員、
補助要因、豊田隊員。
以上任務分担終わり。
準備が出来次第、降下を開始する」
「はーい」と隊員らは声を上げる。
隊員らは、太い木を探して、ロープを巻き付ける。
ロープに、カラビナや滑車などを取り付けると、降下用のロープを通す。
それを降下する隊員のカラビナに縛り付ける。
降下要員にメインとバックアップの2本のロープがつながれた。
「メインロープ、よーし」
「バックアップよーし」
「降下開始ーッ」
「緩めー、緩めー、緩めー」の掛け声で、降下要員が後ろ向きに、
崖下に消えて行った。
「到ちゃーく」と茂みで見えない崖下から隊員の声がする。
続いて、補助隊員も降下していった。
既に垂らされたロープをつたって、するするすると崖下に消えていく。
「隊長ーー」崖下から声がした。「要救助者、心肺停止の状態。
これより、心臓マッサージと人工呼吸による心肺蘇生を行います」
数分経過。
「隊長ーー。心肺蘇生を行いましたが、効果ありません。
斜面急にて担架は使用不可能。よって背負って搬送したいと思います」
しばしの静寂。
「隊長ーー。ただいま、要救助者、背負いました。引き上げて下さい」
「よーし。これより、降下要員引き上げを行う。メインロープを引っ張って」
「メインロープ、引っ張りました」
「ひけー、ひけー、ひけー」
の掛け声で、降下要員が、崖下から姿を現す。
背中にはぐったりとした萬田郁恵を背負っていた。
引き上げられた萬田郁恵は、担架に移されると、
ベルトで固定されて毛布をかけられる。
4人の隊員が担架を持ち上げる。
「これより、要救助者、下山させる。いっせいのせい」で持ち上げた。
先頭に4人、担架の4人、後ろに4人の体制で、
それこそ天狗の様な速さで下山していった。
それを見ていた時任は心の中で
(ミッションコンプリート)と思う。




#568/573 ●長編    *** コメント #567 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:28  (225)
条件反射殺人事件【10】
★内容                                         20/11/04 13:27 修正 第2版
残ったのは馬面の新井隊長とあと二人。
「なにがあったんですか?」と新井隊長が聞いてきた。
「事情聴取をするんですか?」と書痙オヤジ。
「我々は高尾警察の警察官なんですよ。
私は警備課の新井警部です。
こちらは、生活安全課の山田巡査、あと交通課の江藤巡査」
狐顔の山田と狸顔の江藤が敬礼をした。
「はぁ、そうですかぁ」と書痙オヤジ。
「…どんな感じだった?」と亜希子の方を見る。
「突然、一人で、あばれだしたと思ったら、飛び跳ねて、
一回は私に抱きついたりしたんですけど、
勝手に離れると転落していったんです」と亜希子。
「その時に何か変わった事は」
「変わった事?」
「どんなに小さな事でもいいから」
「えー、」と亜希子は考え込む。
「そういえば、八王子市の放送がちょうど流れてきていました」
「放送?」
「ほら、ユーミンの♪you don't have to worry 『守ってあげたい』の
メロディーの放送です」
「えっ」と佐伯海里先生が顔を出した。「もしかして、そのユーミンと
何かが条件付けされているって事、ありませんか?」
「はぁ???」新井警部と二人の巡査は頭の周りに?マークを浮かべている。
後ろの方からそのやりとりを時任は睨んでいた。
(あの女、何を言い出す積りだ。そういえば、snsの浦野作治も、
臨床心理士には気をつけろ、と言っていたが)。時任は動揺してきた。
「私たち一行は、生活の創造会といって、神経症患者の集まりなんですけれども。
私は臨床心理士の佐伯海里と申します。
それで、神経症患者というのは、すぐに何でもトラウマにしちゃんですよ。
パブロフの犬みたいに。
例えば、メントスを食べた後に嘔吐して二度とミント味のものが
食べられなくなるとか。
同じ様に、ユーミンの放送で何か暴れるように条件付けされていたんじゃ
ないですかね」
「それ、今関係あるんですか」と隊長。
(そんな事は、関係ない、関係ない)時任は祈る様に心の中で呟いた。
じーっと考えていた、安芸亜希子が、顔を上げた。「そういえば、
郁恵ちゃん、ユーミンを好きにさせられているって言っていたわ」
「え?」
「あの、時任さんに」と時任の方を見た。「八王子市民ならユーミンを
好きにならないといけないと言われて、曲をプレゼントされて
何回も何回も、、、、」
「何回も?」
「えっ。うう」
「何回も何?」
「その、セックスの時に、繰り返しユーミンを聞かされたって。
しかも、こんなの恥ずかしいんですけれども、
重要な事だと思えるので言いますけれども、
郁恵は結構濡れやすくて、すごく濡れやすいんだと言っていました、
それで、最終的には、ユーミンを聞くだけで濡れてくるようになったと」
(くそー。萬田郁恵の家でちょっと話していたと思ったら、
そんな事までべらべら話していたのか)。
「という事は、ユーミンの放送が流れてきて、それで膣液を分泌して、
その後、あばれだして滑落した、という事ですか?」と新井警部が言った。
「そういう事は有り得ると思いますね」と佐伯海里先生。
「で、被害者は誰と付き合っていたんですか?」と新井警部。
「あの人です」と亜希子は時任を指さした
佐伯海里先生、安芸亜希子、書痙オヤジ、おじさんおばさん連中、
警部と巡査2名が時任を見ていた。
「へ、へへへ」と時任は笑う。「僕が、ユーミンと潮吹きを
条件反射にしたって? へっ。想像力がたくましいな。
つーか股間が濡れたら足が滑るとでもいうのかよ」
じーっと海里先生は時任を睨んでいた。
その視線は時任のツラからリュックに移動する。
「ちょっとリュックの中身を見せてくれない?」
「なんでだよ」
「警部、あのリュックの中に重要な証拠があるかも知れません」
「何?」と警部も時任を睨む。
「見せてくれよ」と書痙オヤジがリュックに手を伸ばした。
そして、警部と書痙オヤジに両肩を抑えられる格好になり、
そのままリュックがズレ落ちてしまった。
それを海里先生が奪うと中を見る。
「これは、さっき山頂で食べなかったお弁当ね」
と二つの弁当を取り出した。
「それが今なんの関係が」と警部。
「この牛タン弁当は、この下の紐をひっぱると、温まるんです」
言うと海里先生は紐をひっぱった。
「この弁当は、電車の中で旅行者が食べる時に温める為に、
底に生石灰だかが入っていて、この紐を引っ張ると水が出てきて、
それが生石灰と反応して熱が出るのね。
それで温まるのね。5分ぐらいで」
海里先生は弁当を手の平に乗せてみんなに見せた。
「さあ、もう温まった」
海里先生は、温まった弁当を開くと、箸を出して牛タンと米粒をつまんだ。
「さあ、時任さんに食べてもらおうかしら」
「なんで今そんなもの食わないといけないんだ」
「いいから食べてみて。いいから」
と、牛タンと米粒をつまんだ箸をもって迫っていく。
時任は警部と書痙オヤジが両肩を抑えられていて、羽交い締めにされた状態で、
ちょうどダチョウ倶楽部の上島竜兵が肥後と寺門ジモンに押さえつけられて
熱いおでんを食わされる様な格好になっていた。
海里先生は、牛タンとご飯を時任に食わせた。
「モグモグ、う、うえー」と時任は吐き出した。
「なんだ」と警部。
「ガルシア効果だわ」と海里先生。
「ガルシア効果?」
「この時任さんと郁恵さんは、先々週の土曜、
焼肉を食べた後メントスを舐めて、その後バイクで車酔いをして吐いたんですね。
一回そういう事があると当分ミント味は嫌いになる、というのがガルシア効果。
実際、萬田郁恵さんは、先週の創造会の時にサイダーが飲めなかった。
しかし、このガルシア効果の条件付けは、ミントだけじゃなかった。
焼肉も、食べると吐き気がするという条件付けがなされていたのね。
それで今時任さんは吐き出した。
さあ。ここで疑問だわ。
時任さんは、何故食べられもしない牛タン弁当を買ってきたのかしら」
海里先生は、腕組みをすると顎を親指と人差し指でつまんだ。
安芸亜希子や、両肩を抑えている書痙オヤジ、警部も首をひねっている。
「何で食べられもしないのに牛タン弁当を買ってきたのよ」と亜希子。
「なんでだ。言ってしまえ」と書痙オヤジ。
「ふん」羽交い締めされたまま時任はそっぽを向いた。
「なんで?」
「なんでなのよ」
「なんでだ」
「なんでですか」
みんなの「なんで」の嵐が巻き起こる。
時任は。なんで攻撃を無視して黙り込んでいた。

「言いたくないみたいね」と海里先生。「だったら私の想像を話すわ」
海里先生は腕組みを解くと、吊り橋の方を指差した。
「さっき、ユーミンの放送が聞こえてきた時、
急に萬田郁恵さんがあばれだして、そして滑落した。
それは、ユーミンの曲を聞くと膣液が分泌される
という条件付けがなされていたから。
でも、膣液が出たぐらいじゃあ、足を踏み外すとは思えない。
それだけじゃない何かの仕掛けを仕込んでおいたのね。
それはどんな仕込みなのか。
それは、非常に非常に児戯的な感じはするんですが、
それは、この牛タン弁当の底にあった生石灰、
それは水分を吸収すると熱を発するのですが、
それを、郁恵さんのパンティーに仕込んでおいたんじゃない? 
それで膣液が出て、それを石灰が吸収して、発熱して、
それで、あちちちちとなって飛び跳ねて滑落した、と」
「へへへっ。そんな事」時任は顔を引きつらせた。
「どうやって、パンティーに生石灰を仕込むんだよ」
「それは、潮吹きだから、替えのパンティーが必要で、
それに仕込んでおいたんじゃないの?」
「想像力たくましすぎだね」
「じゃあ、警部に調べてもらいましょう。
警部、連絡して調べてみてもらって下さい。郁恵さんのパンティーを」
「了解」警部は携帯を出すと電話した。
「こちら、新井です。要救助者の下着になんかの細工がしていないか
調べてもらいたいんだが。そう、そうです。はい。それではお願いします」
電話をしまうと警部はこっちに言ってきた。
「今調べてもらっていますから」
今や時任は2人の巡査に押さえ込まれて、膝を付いた状態になっている。
書痙オヤジ、安芸亜希子、海里先生、おじさん、おばさん連中全員が
取り囲んでいた。
警部の携帯が鳴った。
「はい。はい。なにぃ。そうかあ。出てきたかあ。了解」
携帯をしまうと語気を強くして、警部は時任に言った。
「お兄さん、ふもとの交番に来て、話を聞かせてもらいたいんだがね」
「それ任意だろ」
「なにぃ」
「任意だったら行かなくってもいいんじゃね? 
よくユーチューブとかでもやっているけれども」
「物証が出てきちゃっているじゃないか」
「物証が出てきたって現行犯じゃないだろう。
証人が言っている事だって嘘かも知れないし」
「物証が出てきているんだから、任意で応じないなら逮捕状請求するだけだな」
「だったら、札、もってこいや」
「じゃあー、そうだなあ、保護だ」と警部が言った。
「吐いたし、この人はふらふらしているから、滑落する危険がある。
これよりマルタイを保護する。ほごーー」
その掛け声で二人の巡査は、時任を片腕ずつ抱え込んだ。
「待て、ゴルぁ、離せこら、離せ」
など言うが、強引に、巡査二人に引き上げられる。
時任は、ほとんどNASAに捕まった宇宙人状態で、
足を空中でばたばたさせながら、下山していった。
嗚呼哀れ、時任正則もこれで年貢の納め時。
これにて事件はあっけなく一件落着。

「それではですねえ」と警部が言った。
「代表者の方のお名前と連絡先を教えていただきたいんですが」
「はあ」と書痙オヤジが前に出る。「私ら、生活の創造会、八王子支部の者で、
私は代表世話人の佐藤と申します。連絡先は090********です」
警部は手帳にめもっていた。
「分かりました。又、後ほど事情にお伺いするかも知れませんがその時は
よろしくお願いします」
「はあ」
「それではご一緒に下山しますか」
「いやいや、お先にどうぞ」
「それでは私はこれで失礼します」
敬礼をすると警部は天狗の様なスピードで下山していった。

「あー、よかった。名前を書いてくれって言われるんじゃないかと
ヒヤヒヤしたよ」と書痙オヤジ。「まさか、参考人の調書なんて
とられるのはいいけれども、署名しろなんて言われないだろうなあ」
「そういえば、警察の取り調べではカツ丼が出るというけれども、
そんなの食べられないわ」と亜希子。
「ベジタリアンだから天丼にしてくれって言えばいいじゃない」
「でも、警察のメニューはカツ丼しかないって言うから」
「マスコミが騒いだりしないだろうなあ。みんなあの会に参加しているのは
秘密なんだから。テレビなんかで、この人達は神経症ですよーなんて
全国報道されたらたまったもんじゃない」
(全く神経症の人って、最愛の人の葬式でも、
線香を持った手が震えないか心配しているんじゃあないかしら。
でも、神経症の人って神経症自体の苦しみ以外に、
それがバレる事の恥ずかしさとも戦っているのね)と佐伯海里は思った。

「それじゃあ我々も下山するか。日が暮れるから」と書痙オヤジ。
「そうね」と安芸亜希子。
御一行は、書痙オヤジを先頭に、おじさんおばさん、亜希子、
そしてしんがりに佐伯海里の順番でとぼとぼ下山していった。
吊り橋を渡っている時に、『夕焼け小焼け』の鉄琴のメロディーが流れてきた。
八王子市では夕方五時に防災無線でこのメロを放送している。
『夕焼け小焼け』を聞きつつ、
(ユーミンのメロとの条件付けなんて誰が思い付いたんだろう)
と佐伯海里はふと思った。
(ユーミンと膣液の条件付けは鮮やかな感じはするのだが、
パンティーに生石灰を仕込むというのは如何にも鈍くさいと感じる。
せっかく遠くから聞こえてくるユーミンのメロに反応するという
遠隔操作的条件付けをしておきながら、
当日牛タン弁当を買うなんてアホすぎる。
動かぬ証拠を持ち歩いてる様なもので。
それは、犯人がアホだからではないのか。
もしかしたら、条件反射に関しては、
誰か入れ知恵をした者がいるのかも知れない。
これは、もし事情聴取があったら、あの警部に言ってやらないと)
など思いつつ、海里は吊り橋を渡った。
吊り橋の底を覗くと、海里はぶるっと震えるのであった。
(水が少ししかない。あれじゃあ痛かっただろうなあ)と思ったのだ。
後ろを振り返ると闇が迫っていた。
西の空には宵の明星が姿を現していた。

【了】




#569/573 ●長編
★タイトル (sab     )  20/11/07  17:44  (378)
条件反射殺人事件【10】別ver
★内容                                         20/11/07 17:51 修正 第2版
【10】

残ったのは馬面の新井隊長とあと二人。
「なにがあったんですか?」と新井隊長が聞いてきた。
「事情聴取をするんですか?」と書痙オヤジ。
「我々は高尾警察の警察官なんですよ。
私は警備課の新井警部です。
こちらは、生活安全課の山田巡査、あと交通課の江藤巡査」
狐顔の山田と狸顔の江藤が敬礼をした。
「はぁ、そうですかぁ」と書痙オヤジ。
「…どんな感じだった?」と亜希子の方を見る。
「突然、一人で、あばれだしたと思ったら、飛び跳ねて、
一回は私に抱きついたりしたんですけど、
勝手に離れると転落していったんです」と亜希子。
「その時に何か変わった事は」
「変わった事?」
「どんなに小さな事でもいいから」
「えー、」と亜希子は考え込む。
「そういえば、八王子市の放送がちょうど流れてきていました」
「放送?」
「ほら、ユーミンの♪you don't have to worry 『守ってあげたい』の
メロディーの放送です」
「えっ」と佐伯海里先生が顔を出した。「もしかして、そのユーミンと
何かが条件付けされているって事、ありませんか?」
「はぁ???」新井警部と二人の巡査は頭の周りに?マークを浮かべている。
後ろの方からそのやりとりを時任は睨んでいた。
(あの女、何を言い出す積りだ。そういえば、snsの浦野作治も、
臨床心理士には気をつけろ、と言っていたが)。時任は動揺してきた。
「私たち一行は、生活の創造会といって、神経症患者の集まりなんですけれども。
私は臨床心理士の佐伯海里と申します。
それで、神経症患者というのは、すぐに何でもトラウマにしちゃんですよ。
パブロフの犬みたいに。
例えば、メントスを食べた後に嘔吐して二度とミント味のものが
食べられなくなるとか。
同じ様に、ユーミンの放送で何か暴れるように条件付けされていたんじゃ
ないですかね」
「それ、今関係あるんですか」と隊長。
(そんな事は、関係ない、関係ない)時任は祈る様に心の中で呟いた。
じーっと考えていた、安芸亜希子が、顔を上げた。「そういえば、
郁恵ちゃん、ユーミンを好きにさせられているって言っていたわ」
「え?」
「あの、時任さんに」と時任の方を見た。「八王子市民ならユーミンを
好きにならないといけないと言われて、曲をプレゼントされて
何回も何回も、、、、」
「何回も?」
「えっ。うう」
「何回も何?」
「その、セックスの時に、繰り返しユーミンを聞かされたって。
しかも、こんなの恥ずかしいんですけれども、
重要な事だと思えるので言いますけれども、
郁恵は結構濡れやすくて、すごく濡れやすいんだと言っていました、
それで、最終的には、ユーミンを聞くだけで濡れてくるようになったと」
(くそー。萬田郁恵の家でちょっと話していたと思ったら、
そんな事までべらべら話していたのか)。
「という事は、ユーミンの放送が流れてきて、それで膣液を分泌して、
その後、あばれだして滑落した、という事ですか?」と新井警部が言った。
「そういう事は有り得ると思いますね」と佐伯海里先生。
「で、被害者は誰と付き合っていたんですか?」と新井警部。
「あの人です」と亜希子は時任を指さした
佐伯海里先生、安芸亜希子、書痙オヤジ、おじさんおばさん連中、
警部と巡査2名が時任を見ていた。
「へ、へへへ」と時任は笑う。「僕が、ユーミンと潮吹きを
条件反射にしたって? へっ。想像力がたくましいな。
つーか股間が濡れたら足が滑るとでもいうのかよ」

じーっと海里先生は時任を睨んでいた。
その視線は時任のツラからリュックに移動する。
「ちょっとリュックの中身を見せてくれない?」
「なんでだよ」
「警部、あのリュックの中に重要な証拠があるかも知れません」
「何?」と警部も時任を睨む。
「見せてくれよ」と書痙オヤジがリュックに手を伸ばした。
そして、警部と書痙オヤジに両肩を抑えられる格好になり、
そのままリュックがズレ落ちてしまった。
それを海里先生が奪うと中を見る。
「これは、さっき山頂で食べなかったお弁当ね」
と二つの弁当を取り出した。
「それが今なんの関係が」と警部。
佐伯海里は、牛タン弁当を乱暴に開封すると、
箸を出して牛タンと米粒をつまんだ。
「さあ、時任さんに食べてもらおうかしら」
「なんで今そんなもの食わないといけないんだ」
「いいから食べてみて。いいから」
と、牛タンと米粒をつまんだ箸をもって迫っていく。
時任は警部と書痙オヤジが両肩を抑えられていて、羽交い締めにされた状態で、
ちょうどダチョウ倶楽部の上島竜兵が肥後と寺門ジモンに押さえつけられて
熱いおでんを食わされる様な格好になっていた。
海里先生は、牛タンとご飯を時任に食わせた。
「モグモグ、う、うえー」と時任は吐き出した。
「なんだ」と警部。
「ガルシア効果だわ」と海里先生。
「ガルシア効果?」
「この時任さんと郁恵さんは、先々週の土曜、
焼肉を食べた後メントスを舐めて、その後バイクで車酔いをして吐いたんですね。
一回そういう事があると当分ミント味は嫌いになる、というのがガルシア効果。
実際、萬田郁恵さんは、先週の創造会の時にサイダーが飲めなかった。
しかし、このガルシア効果の条件付けは、ミントだけじゃなかった。
焼肉も、食べると吐き気がするという条件付けがなされていたのね。
それで今時任さんは吐き出した。
さあ。ここで疑問だわ。
時任さんは、何故食べられもしない牛タン弁当を買ってきたのかしら」
海里先生は、腕組みをすると顎を親指と人差し指でつまんだ。
安芸亜希子や、両肩を抑えている書痙オヤジ、警部も首をひねっている。
「何で食べられもしないのに牛タン弁当を買ってきたのよ」と亜希子。
「なんでだ。言ってしまえ」と書痙オヤジ。
「なんで?」
「なんでなのよ」
「なんでだ」
「なんでですか」
みんなの「なんで」の嵐が巻き起こる。
しかし時任は、羽交い締めを振りほどくと立ち上がり、
地面からリュックを拾うと担いだ。
「バカバカしい。俺は帰らせてもらうぜ」言うと一人で山頂の方へ逆戻りしだした。
「ケーブルカーで帰る積りかぁ」と書痙オヤジ。
「捕まえないんですか」と海里は警部に言った。
「さあ、牛タン弁当を持っていたというだけでは、どうにもねぇ」
腕組みをして時任の背中を見ている。
その背中はどんどんと小さくなり、やがてブナなどの茂みの中に消えていった。
「ふー」と警部はため息をつく。「それじゃあ、我々もこれで下山しますが。
ご一緒に下山しますか」
「いやいや、お先にどうぞ」
「それでは我々ははこれで失礼します」
敬礼をすると馬面警部と狐顔巡査、狸顔巡査は天狗の様なスピードで
下山していった。
「それじゃあ我々も下山するか。日が暮れるから」と書痙オヤジ。
「そうね」と安芸亜希子。
御一行は、書痙オヤジを先頭に、おじさんおばさん、亜希子、
そしてしんがりに佐伯海里の順番でとぼとぼ下山していった。
吊り橋を渡っている時に、『夕焼け小焼け』の鉄琴のメロディーが流れてきた。
八王子市では夕方五時に防災無線でこのメロを放送している。
吊り橋の底を覗いて、海里はぶるっと震えた。
(水が少ししかない。あれじゃあ痛かっただろうなあ)と思ったのだ。
後ろを振り返ると闇が迫っていた。
西の空には宵の明星が姿を現していた。

【11】
翌日の日曜日、一日中、佐伯海里は考えていた。
(あの時ユーミンのメロがトリガーになって郁恵は暴れだした。
ユーミンと潮吹きの条件付けしたのは時任に間違いない。
でも、股が湿ったぐらいじゃあ滑落しないだろう。
そこで出てきたのが牛タン弁当だ。
なんでガルシア効果で食べられない牛タン弁当なんて持っていたんだろう)。
考えても考えても、これらの点が線になる事はなかった。

夕方になって、書痙オヤジから電話がかかってきた。
「実は、萬田郁恵さんの葬式の事なんだが、今日通夜で明日告別式なんだよ」
「えー、検死とか解剖とかはしないんですか?」
「それが、事件性がないというんで事故として扱われたらしんだよ。
それで、お寺さんやら斎場の都合もあって明日が告別式になっちゃったんだよ。
で、海里先生にも来てもらいたいんだがねえ」
「それはいいですけど」

翌日の昼頃、海里は告別式の行われる市の斎場に着いた。
火葬場併設の式場で、四十五名収容と狭い為、
入りきれない弔問客はロビーで待っていた。
手首に包帯を巻いた書痙オヤジがいた。それ以外に安芸亜希子や
何時も見るおじさん、おばさん連中もいる。
なんと時任がきていやがった。犯人が犯行現場に戻るというのはこの事か。
相当飲んでいるらしくふらついている。
あんな事件をやってしまった後ではシラフではいられないのだろう。
それ以外に、新井警部と狐顔巡査、狸顔巡査の姿も見える。
やっぱり事件性があるのだろうか。

親類縁者などの焼香が終わると、弔問客が4人ひと組でお焼香をする。
お焼香の時に郁恵の遺影を見たが、まだ高校生の面影を残している。
さぞかし無念だったろう。この無念を晴らしてやりたい、と海里は思った。

焼香が終わると、又ホールに出てくる。
暖房のないホールはひどく寒かった。
十一月中旬は、晩秋ではなく完全に冬だ。
葬儀社の人が「これをどうぞ」とホッカイロを配っていた。
海里も一個もらって拝む様にもんで手を温めた。
となりにいたオバタリアン二人組が、
「この前、寒くてさあ、ホッカイロを下っ腹に入れて寝ていたのよ。
そうしたら下の方にずれて、お股が低温火傷しちゃった」
「あらあら、当分おあずけね」
などと、下卑た笑いをあげていた。
お弔いの席で不謹慎なおばさんたちだ、とは思ったが。
(何かひっかかるものを感じる)と海里は思ったのだった。

又反対側には地方から来たらしいおっさんが二人いて、
ホッカイロだけでは足りないらしく、
「お清めだから酒を飲もうか。体も温まるしさ」などといって、
缶入りの酒を取り出していた。
「これ、面白いんだぜ。この底のボタンを押すと酒があったまるんだよ」
「へー、底にヒーターでもついているの?」
「違うよ。ここに、生石灰と水が入っていて、
この缶底のボタンを押すと中で生石灰と水が混ざって、
それで熱が出るんだよ」
「へー」
「酒だけじゃないんだぜ。今日、八王子の駅ビルで物産展をやっていて、
そこで牛タン弁当を買ったんだが、それも底に生石灰が仕込んであって、
紐を引っ張ると温まる仕掛けになっているんだよ。見せてやるよ」
言うとおっさんはカバンから牛タン弁当を取り出した。
「この紐を引っ張ると中で生石灰と水が反応して熱を出すんだよ。
ここにそう書いてあるだろう」
あれは、時任が高尾山にもってきたのと同じものだ。
あの時はあわてて乱暴に開封したので、あんな温め装置には気付かなかったが…。(何
かひっかかるものを感じる)と海里は思った。

ロビーに、葬儀社の人間が出てくると「それではお別れの時間です」と告げた。
遺影や位牌をもった親類縁者がぞろぞろと出てくる。
親族の最後尾に続いて、火葬場に向かった。
別棟の火葬場に行くと、既に、火葬炉の扉の前に萬田郁恵の棺は置かれてあった。
「それでは最後のお別れでございます」
棺の小窓が開けられる。父母や兄弟が覗き込み、そして嗚咽して泣くのであった。

火葬炉の扉が開けられた。
中を覗き込んで、(あそこに入ると、火にくるまれて燃えてしまうんだわ)
と思ったその刹那、海里は思い付いた。
生石灰で牛タン弁当を温めるイメージと、ホッカイロで股間を温めるイメージから
ひらめいたのである。
キターーーー!!
「ちょっと待って」海里は声を上げるた。
弔問客を押しのけて、棺のそばまで行く。
「ちょっと待ってください。郁恵さんの無念を晴らす為に、
ちょっとみなさんに言いたい事があります」
「な、なにかね」と親族の一人が言った
「もう一回、高尾山での滑落の事件について考えてみたいんです。
あれは事故なんかじゃない。事件なんです」
「なにを?」と親族。
後ろの方では、新井警部らも見ていたが何も言わない。
「ここで言わないと、本当に郁恵さんの無念が晴れません。
だから、言わせて下さい」
「何をだね」
「じゃあ言います。
一昨日、高尾山の4号路の下りの、吊り橋手前で、郁恵さんは滑落しました。
その時にはユーミンのメロ、八王子の防災放送のメロが流れていた。
そのメロで突然暴れだしたんですが、
時任に、あの後ろにいる、あの男です、あの酔っ払っている男に、
ユーミンのメロを聞くと股間が濡れるという条件付けをされていたんです」
「何を言っているんだ、君は」
「でも、これは本当なんです。そしてこれを言わないと、
真相が明らかにならないし、郁恵さんの無念は晴れないんです。
だから言わせてください。
郁恵さんは、ユーミンのメロを聞くと股間が濡れる様に条件付けされていた。
パブロフの犬の様に、ブザーを聞けばヨダレが出る様に、
ユーミンのメロを聞けば股間が濡れるという条件付けを」
「何を言っているんだ、不謹慎な」
「不謹慎でも何でも本当の事を言わない方が郁恵さんは無念だと思います」
「だいたいどうやってそんな条件付けっていうのか、それをしたというんだ」
「それは、セックスの時に繰り返しユーミンを聞かせたりして」
「不謹慎な事を言うなッ」
「でも、真相を言わない方が郁恵さんは無念だと思います。
とにかく、郁恵さんは、ユーミンのメロを聞くと膣液を吹く、
という条件付けをされていた。
そして山中でユーミンのメロが流れてきた。それで潮を吹いたんです。
でも、それだけでは、滑落しない。股間が湿っただけでは足を滑らせたりはしない。
そこで出てきたのが時任の持っていた牛タン弁当です」
「一体、なんの話をしているんだね」
「時任が牛タン弁当を持っていたんです」
「それが何の関係が」
「関係あるんです。時任が牛タン弁当をもっていた、という事が。
しかも、彼は、先々週、焼肉を食べてバイクで酔って吐いてから、
もう焼肉系は食べられなくなっていた。だのにそんなものを持っていた。
それが謎でした」
「…」もはや親族は何も言わなかった。
「ここまでを整理すると、あの時、ユーミンのメロで股間が濡れた、
その条件付けをしたのは時任、でもそれだけじゃあ滑落しない、
そして時任は食べられもしない牛タン弁当をもっていた、という事です。
そして、今日、ここに来て、私は二つの事からひらめいたんです。
一つは、ホッカイロを股間にあてておくと低温火傷をするという事。
これがひっかかりました」
「き、君は、郁恵の最後を侮辱する積りか」
「そうじゃないんです。とにかく、ホッカイロを股間にあてるという事と、
それから、もう一つは、あれです」
言うと海里は、田舎からきた風のおっさんのところに行くと、
さっきの牛タン弁当を奪ってきた。
「これです。この牛タン弁当。今日ここで、偶然にも、
時任があの日もっていた牛タン弁当に出くわしたんです。
それがこれ。
そうでしょう。時任さん」と後部にいる時任に言うが、時任は返事はしない。
「まあ、いいわ。…それで、この牛タン弁当の底には生石灰があって、
この紐を引くと水と反応して熱が出るんです。
同じものを時任は事件の日に持っていた。
以上の2点から、私はひらめいたんです。
もしかしたら、時任は、生石灰を郁恵さんのパンティーに
仕込んでおいたんじゃないか、と。
それで膣液が出て、それを石灰が吸収して、発熱して、
それで、あちちちちとなって飛び跳ねて滑落した、と」
「き、きみ」とは言ったものの、親族一同は、今度は時任の方を見た。
「へへへっ。そんな事」時任は顔を引きつらせた。
「どうやって、パンティーに生石灰を仕込むんだよ」
「それは、潮吹きだから、替えのパンティーが必要で、
それに仕込んでおいたんじゃないの?」
「想像力たくましすぎだね」
「それじゃあ、新井警部」
「はいよ」
「調べてみて下さい。この棺の中の郁恵さんのパンティーを。
これは不謹慎でもなんでもないんです。
火葬にしてしまったら証拠は消えてしまうんです。
もしパンティーから、この牛タン弁当の生石灰と同じものが出てきたら
ビンゴじゃないですか。ねえ、警部」
「分かった」言うと、警部が親族の方に進み出てきた。
「それじゃあ、親族のどなたか、郁恵さんの下着を
取り出してもらえないでしょうか。それとも湯灌でもしちゃいました?」
「いえ、傷がひどいのでそのままでと」
「じゃあ、ご親族の方、ご遺体からパンティーを」
父親らしき男がため息をつくと、隣にいた若い娘、郁恵の姉妹であろうか、
に目で合図した。
そして娘が棺の蓋をずらすと、しばらくごそごそやって、そして、
ハンケチにブツを包んできて警部に渡す。
「江藤、山田、その牛タン弁当の底から生石灰を出してみろ」
それから3人は唸りながら、牛タン弁当の生石灰とパンティーのを比較する。
待つこと数分、新井警部が顔を上げた。「こりゃあ、調べてみる価値ありだな」
そして時任の方を向いて言う。
「時任さん、署に来て話を聞かせてもらいたいんだがね」
「それ任意だろ」
「なにぃ」
「任意だったら行かなくってもいいんじゃね? 
よくユーチューブとかでもやっているけれども」
「物証が出てきちゃっているじゃないか」
「物証が出てきたって現行犯じゃないだろう」
「物証が出てきているんだから、任意で応じないなら逮捕状請求するだけだな」
「だったら、札、もってこいや」
「何を言っているんだ、お前は、協力しろ」
「いやだね」
「協力しろよ」
「いやだね」
「なんでだよ」
「協力する義務がないから」
こういう言い合いがしばらく続く。
最後に時任が「俺は帰るぜ」と宣言すると踵を返そうとする。
が、酔っているせいでよろけた。
「危ないっ」と警部が叫んだ。「危ない、危ない。転ぶかも知れない。
保護だ。保護ーッ!」
その掛け声で二人の巡査は、時任を片腕ずつ抱え込んだ。
「待て、ゴルぁ、離せこら、離せ」
など言うが、二人の巡査に完全に脇を固められる。
時任は、ほとんどNASAに捕まった宇宙人状態で、
足を空中でばたばたさせながら、火葬場から連れ去られていった。
嗚呼哀れ、時任正則もこれで年貢の納め時。

ここより事件は警察が捜査する事となった。
火葬は中止になり、郁恵の遺体は警察がもっていく事となった。
近親者は複雑な思いでロビーに佇んでいた。
佐伯海里、書痙オヤジ、安芸亜希子、その他の生活の創造会メンバーは
とぼとぼと斎場から出て行った。
「参考人の調書なんてとられるのかなぁ」と書痙オヤジ。「とられるのは
いいけれども、署名しろなんて言われないだろうなあ。手が震えちゃうよ。
今日は包帯をして誤魔化したけれども、何時も包帯をしていたらバレるしな」
「そういえば、警察の取り調べではカツ丼が出るというけれども、
そんなの食べられないわ」と亜希子。
「ベジタリアンだから天丼にしてくれって言えばいいじゃない」
「でも、警察のメニューはカツ丼しかないって言うから」
「マスコミが騒いだりしないだろうなあ。みんなあの会に参加しているのは
秘密なんだから。テレビなんかで、この人達は神経症ですよーなんて
全国報道されたらたまったもんじゃない」
(全く神経症の人って、愛する人の葬式でも、
線香を持った手が震えないか心配しているのね。
でも、神経症の人って神経症自体の苦しみ以外に、
それがバレる事の恥ずかしさとも戦っているのね)と佐伯海里は思った。

斎場から通りに出たところで、ちょうど二時になり、
例のユーミンの曲が流れてきた。
(ユーミンのメロとの条件付けなんて誰が思い付いたんだろう)
と佐伯海里はふと思った。
(ユーミンと膣液の条件付けは鮮やかな感じはするのだが、
パンティーに生石灰を仕込むというのは如何にも鈍くさいと感じる。
せっかく遠くから聞こえてくるユーミンのメロに反応するという
遠隔操作的条件付けをしておきながら、
当日牛タン弁当を買うなんていうのもアホすぎる。
動かぬ証拠を持ち歩いてる様なものだから。
それは、犯人がアホだからではないのか。
もしかしたら、条件反射に関しては、
誰か入れ知恵をした者がいるのかも知れないな。
これは、もし事情聴取があったら、あの警部に言ってやらないと)
など思った。

とにかく海里は、自分は郁恵の無念を晴らしてやったのだ、とは思っていた。
そして空を見上げると初冬の空も晴れていた。

【了】









#570/573 ●長編
★タイトル (AZA     )  21/02/04  20:23  (  1)
期間限定UP>凶器は嵐の夜に飛ぶ   永宮淳司
★内容                                         21/02/15 19:47 修正 第2版
※都合により非公開風状態にしております。




#571/573 ●長編    *** コメント #570 ***
★タイトル (AZA     )  21/02/04  20:24  (  1)
期間限定UP>凶器は嵐の夜に飛ぶ【承前】   永宮淳司
★内容                                         21/02/15 19:48 修正 第2版
※都合により非公開風状態にしております。




#572/573 ●長編
★タイトル (AZA     )  21/06/19  21:22  (170)
計算すると不利かな<前>   永山
★内容
 君は力コンなるものを知っているかい?
 小説投稿サイト大手の一つで“読むは力、書くも力”をキャッチフレーズにする力ワ
ヨムは毎年秋口から年末にかけて、登録ユーザーを対象にしたコンテストを催す。その
名も力ワヨム・コンクール、略して力《りき》コン。

 いくつかの部門に分かれていて、登録ユーザーは自分に参加資格のある部門の中か
ら、自分に合ったものへ作品を投じることになるんだ。
 まず力コン大賞と力コン短編賞とがある。大賞の方は長編で、締め切りの時点で字数
は十万字以上が必要、かつ、嘘でもはったりでもいいから完結済みにしなければならな
い。
 純粋な意味での長編でなくとも、一つのシリーズとして連作短編形式で十万字以上に
達していれば、長編と見なされる。ただし、最後に各短編がつながるような芯が通って
いることが望ましいとされ、実際単なる短編集形式が受賞に至ったことはない。
 一方の力コン短編賞は文字通り短編を対象としたもので、字数は五千字から二万字ま
で、完結済みが必須条件となっている。

 力コンにはもう一つ大きな区分けがあって、それは自費出版を除いて一度でも単著出
版(媒体は問わない)の経験がある者はプロと見なし、長編・短編ともに別枠で募ると
いう線引きさ。
 尤もこのプロ部門、大いに賑わっているとは言い難い。受賞の際の賞金額や出版条件
はアマチュアと変わらない上、結果に“プロ”同士の実力・人気の差が如実に表れるた
めか、わざわざ挑んでくる本当の意味でのプロはごくわずか。一、二作出して長らく音
沙汰なしのクリエイター達が参加者の大半を占めてる。

 僕? 僕はもちろんアマチュアの方に参加している。大昔、まだ小説投稿サイトなん
て存在しない頃、素人作品ばかりで編む推理小説のアンソロジーに拙作を拾ってもらっ
たことがあるから、そこそこ行けるんじゃないかと思ってたんだけど、前回初めて出し
てみて、全然だめだった。
 念のため聞いとくけど、君も出すならアマチュア? ああ、そうだよね。いや、ライ
バルが増えるなあと思って。あっ、でもジャンルが被るかどうかは分からないか。

 それぞれの区分けの下には、より細かなジャンル分けが設けられてる。
 第一回はファンタジー、恋愛・ラブコメ、ミステリ、SF・ホラー、その他エンタ
メ、純文学という六つに分けていたが、各部門間で応募数の差が著しくあり、またそう
いった過疎部門にカテゴリーエラーと承知の上で敢えて自作を投じる者が幾人か出て、
いささか混乱した状況を呈していたそうだよ。え? ああ、僕はその頃はまだ参加して
ない。それどころかそういうサイトがあることすら知らなかった。で、第二回から、コ
ンクール期間中に一旦エントリーしたあとは、カテゴリ変更や部門変更は一切禁じられ
ることになる。
 翌年の第二回から毎回、ジャンルによる部門分けは変わり、今でも迷走と揶揄される
ことしばしばだ。そもそも部門が互いに重なっている感があって、部門変更禁止のルー
ルが厳し過ぎるとの声もある。
 運営サイドのガイドラインによれば、複数の部門に跨がりそうな作品――たとえば異
世界で名探偵が幽霊殺しを調査する――は、作者自身の判断で一つの部門のみに投じな
くてはいけない、となっている。作者自身の判断が間違っていたら、部門違いで遠慮な
く落とすんだってさ。なお、同一あるいは極めてよく似た作品を複数の部門に投じるの
は御法度だから。
 その辺りはさておき第七回目の今年は、別世界ファンタジー、日常ファンタジー、学
園・ラブコメ、恋愛・現代ドラマ、SF・ホラー・幻想、ミステリ・知略バトルとなっ
ている。他にも細かな但し書きがあり、応募に際してよく読まなくちゃいけないよ。
 たとえば恋愛・現代ドラマ部門には異世界要素のある作品はNG。架空の国を設定す
る場合も、現実離れしたものは一律アウトに処するとのこと。
 また、学園・ラブコメ及び恋愛・現代ドラマの各部門では、過度な性描写や残酷な描
写をしてはならない等々。

 参加する作家にとって重要な項目の一つは、選考方法だろうね。
 これがつまびらかにされていない。募集要項には大まかに記されているのみ。
 予選として、読者選考がある。その上位作品が本選に進み、ここで初めてプロの編集
者が目を通して受賞に値する作品の有無をジャッジする、らしい。
 では読者選考とはいかなる方法で行われるのか。僕が初めてこの項目を読んだとき、
投票ボタンはどこにあって、一人何票分の権利があるんだろうって探したんだけど、思
ったのとちょっと違ってた。
 調べてみると、部門分けほどではないが、マイナーチェンジを繰り返している。
 第一回コンクールでは“星”と呼ばれる読者による評価がそのまま反映された。一人
につき一作品に三つまで星を付けられ、コンクールの開催期間中は一度付けた星を増減
させてはならない。期間中に得た星を集計し、上位から一割足らずを本選に上げる。一
見、うまく機能したようだったが、応募総数が膨大故、ネット上で有名な作者が多少有
利な形式であることは否めなかったようだよ。加えて、後に公募の伝統ある賞で大賞を
獲る作品が読者選考の段階で落ちていたことが判明し、内外から問題視されてる。力コ
ンのカラーが定まっていなかった頃の話なので、「そういう作品は最初から公募に出せ
よ」的な論調はほぼなかった。

 第二回では読者選考のシステムは同じだが、コンクール期間中、星の数及びランキン
グを非表示としたそうなんだ。が、顕著な改善は見られず。それどころか、主催社によ
る不正(出来レース)が行いやすくなったといらぬ誤解を招き、不評を買っているね。

 第三回でも読者選考の方式は基本的に変えず、星の数は非表示のまま、ランキングは
出すようにした。
 そして大きな変更として、マイナスの星を投じることが可能になった。単純にプラス
の星数からマイナスの星数を引くのではなく、ある程度の傾斜――パーセンテージは非
公表――を付けてマイナスし、順位付けした。
 が、これはコンクール史上に残る混乱をもたらしたんだ。星を計算するとマイナスに
なる作品が続出したんだってさ。贔屓の作家を勝たせようと、固定読者がライバル作品
に、いや贔屓作家以外の作品全てにマイナスの星を目一杯付けたようなんだちょっと考
えればこういう事態も起こり得ると、予測ができそうな気がするんだけど、何故かゴー
サインが出たんだろうね。無論、マイナスになろうとランキングは作成可能だけど、い
びつな結果になったのは火を見るよりも明らかだった。

 第四回ではマイナスの星は取りやめた一方、一人の読者がコンクール期間中に投じら
れる星は各部門三十個までとされた(一つの作品には三つまで)。この回は第三回がひ
どかったせいもあって、比較的穏便に終わったと言えるかもしれない。ただ、証拠は全
くないが、投じない、つまり余った星の“取り引き”が裏で行われたのではないかとい
う噂が立ったらしい。

 第五回。一読者がコンクール中に投じられる星の数は、各部門十個までと大幅に減ら
された。ここまで手持ちの星が少ないと、なかなか余りは生じないらしく、最も妥当な
結果になった回と評されている。たまたまかどうか分からないが、後年大ヒット作にな
るあの『殲怪《せんかい》の忍び』を輩出したのはこの第五回だよ。

 第六回は、前回の選考方法を踏襲しつつ、さらなる改善が行われた。作品に星を付け
たのがどのユーザーなのか、期間中は分からない仕組みになった。本選の結果が出たあ
とには、投票者もオープンになる。
 このやり方は、一部の作家とその固定読者との間に緊張関係をもたらしたってさ。こ
れもちょっと考えれば分かる。読者からすれば推しの作家や作品が一つとは限らないの
に、作家側は「当然、私を推してくれるよね?」となってもおかしくない。本当に星を
投じたのかどうか判明するまでタイムラグがあるため、疑心暗鬼が強まったのんじゃな
いかな。
 尤も、そのような作家はほんの少数で、大勢に影響はなかった、とされてる。これを
機会にその手の作家と縁を切った読者も多数いたとかいないとか。

 そして今度迎えるのが第七回。前回、前々回となかなかうまく機能したのに、何故か
またもや追加の変更があった。さっき言ったように前回までは一度投じた星は変更不可
だったのが、今回はいくらでも付け替えられるとなってるんだよね。さらに、完結状態
にならないと星を付けられないとも決まった。代わりに、作者にのみ見える応援メッ
セージなら完結前でも送れる仕様になった。
 どうやらスタートダッシュによるアドバンテージを軽減したい狙いがあるようだ。悪
くない改訂だと思う反面、想像も付かない事態が起きるかもしれない。根拠がないであ
ろう噂によれば、応援メッセージの多寡も読者選考に少なからず影響を及ぼすのではな
いかと、もっともらしく囁かれている。
 作者だろうと読者だろうとユーザーとしては、「余計なことをして……」とならない
のを祈るばかりだよ。

 〜 〜 〜

 実を言うと、僕が今回力ワヨムに誘った子が主にミステリを書くのは知っていた。力
コンについて説明したとき、知らんぷりしたのはあとで嫉妬したくなかったから。それ
だけ、彼はいいミステリを書く、と僕の鑑識眼は判断してるんだけど。

 ウェブ小説、特に小説投稿サイトではミステリは不人気部門の一つに数えるのが定
説。ネット上だと特に、話の序盤から読者を引き込む必要がある。その点、ミステリは
死体を転がして密室か不可能犯罪か不可思議な状況を描けばいいような気もするのだ
が、なぜか読まれない。魅力的な謎を掲げても、その直後から地道な捜査や関係者の紹
介などに入らざるを得ず、失速してしまうからか? よほどキャラクターが立っていな
い限り、とにかく続けて読まれることは希のようだ。
 そうしたネット小説としての勢いのなさ故か、ミステリが関連する部門は、SFが関
連する部門と並んで、僻地・番外地扱いされるのが当たり前になっている。その評判が
外部にまで伝わっているせいなのかどうか、参加作品数は多いと言えず、勢い、優れた
作品も集まりにくいようだ。結果、受賞作なしで終わることが多い部門と言える。
 僕はミステリ書きとして残念に思う一方で、そんな現状をわずかでも変えたいと常々
考えていた。その作の一つとして、若くて実力のある彼を引き入れることにしたんだ。
 彼の書くミステリなら、あるいは状況を好転させられるかもしれない。何年かぶりの
ミステリ作品受賞作が生まれておかしくないと信じている。
 もちろん不安もある。玄人はだしの傑作ミステリではあっても、ネット小説向きの作
風とは言えないからだ。第一回力コンで埋もれた後のプロ作品、あれのジャンルは推理
小説だった。あれから選考方法などに手を加えて、良作を逃すことのないよう網の目を
小さくして来たとはいえ、一抹の不安は残る。
 ――何にせよ、他力本願なことばかり考えるのは、後ろ向きでしかない。僕は僕で、
今回も作品を出すつもりだ。彼は文字通りライバルなんだが、彼が受賞するならあきら
めが付く。

 コンクールの開催期間に入ったが、例の彼は作品を出さないでいた。
「基本、読者からの星で予選は決まるから、早めに出した方がいいんだって分かってる
よね」
 確認のために聞いてみると、分かっているとの返事。じゃあどうして。すでに書きた
めた作品の中から合う物を出してくればいいじゃないかと、僕は思っていた。
 でも彼は、「挑戦するのなら新作で」と、こだわりがあると分かった。僕はその意志
を尊重しつつ、「どうしたって出遅れた分は損だから、とりあえず一本は旧作から出し
ておきなよ」とアドバイス。それでもなかなか聞き入れてくれないのを、どうにかこう
にか説得して、ようやく一本、旧作『ホック城の怪事件 〜 アレッシャンドリ見聞録』
で参加してくれた。中世ヨーロッパの架空の国アレッシャンドリを舞台とする、古典的
な本格ミステリで、凝った作品であるのは間違いない。日本人のササキ・ミヤモトがア
レッシャンドリを旅したときの記録、との体を取っているが実はそれ自体が真っ赤な嘘
で……という重構造で、ウェブ小説っぽいかと問われればうーんとなる。
 字数を見ると、十万八百。どこかの国の消費税みたいだった。
「十万文字以上あって、一番短いのを選んだんだ。短い方が最後まで読んでもらえる確
率、高いかと思って」
 彼の思惑通りに多数に読了してもらえることはないだろうが、ちょっとでも彼の名前
を露出させておくためには、まあよかろう。

 <後>につづく




#573/573 ●長編    *** コメント #572 ***
★タイトル (AZA     )  21/06/20  14:56  (187)
計算すると不利かな<後>   永山
★内容                                         21/06/20 14:57 修正 第2版
 その後、僕は『ホック城の怪事件』がどのくらい読まれているかを気にして、ちらち
らと様子見に行った。
 少しだけ読まれているようだったが、出足は案の定にぶい。それ以上にまずいなと思
ったことが。彼は力ワヨムを事前に使っていなかったのか、それとも彼なりの信念があ
ってのことか、十万字超の作品を分割せずに掲載していたのだ。読んでもらうには、な
るべく三千〜五千字程度に分けて少しずつ更新していくのが吉だとされているけれど
も、彼にそれを言うのを忘れていたのだ。かといって、今さら一旦削除して改めて分
割・公開するのはコンクールの規定違反になる。
 別の作品を分割して、連日上げていかないかと水を向けたが、彼は新作の執筆に集中
しているからと取り合わない。
 僕は僕で忙しく、それ以上彼に無理強いはできなかった。そもそも、僕も自作を完成
させる必要があった。完成させた作品を期間中、連日更新していくつもりだったのが、
先月、体調を崩しがちになってまだ仕上がっていないのだ。
 もちろん、作品の公開はコンクール初日から始めて、更新も進めている。何としてで
も完結させないと。

 と思っていたのだが、だめだった。身体が着いてこず、入院の憂き目に遭った。
 毎夜遅い時間帯を執筆に当てていたのだけれども、体調悪化に拍車を掛けてしまった
ようだ。冬の寒さも堪えたのかもしれない。
 異変を感じた時点で自主的に診察を受けていればまた違ったんだろう。仮に入院した
としても病床で執筆を続けられたはず。
 ところが現実の僕は無理を重ねた挙げ句、自宅の二階から降りるときにふらつき、階
段を転げ落ちた。身体のあちこちをぶつけ、脳しんとうを起こし、何箇所か骨を折っ
た。内臓疾患と合わせて、しばらく完全看護の下に置かれるほどだった。痛みがピーク
を過ぎて下り坂に入ったのを機に執筆再開しようとしたが、両手の骨に異常を抱えてい
ては、難しい。音声入力で執筆するのは他の人に聞かれるのが何となく嫌だし、不慣れ
でもあったので……あきらめた。
 今回は若い彼に望みを託そう。見舞いに来てくれたときに、新作を公開してコンクー
ルに応募したことは明言していったのだ。タイトルは『三千人の容疑者』で、総文字数
は十万五千ちょっとになったという。
「舞台は現代の日本で、三千を超えるキャラクターを用意し、その内の四分の三、つま
り少なくとも七百五十人ほどを濃淡の差こそあれ書き分けて登場させた上で、ロジック
によって殺人事件の犯人を絞り込んでいくんだ。初っ端に死体を出して、すぐさま探偵
が推理に入る」
「えっと。その内容で十万と五千字ちょいで収まったのかい?」
「うん。序盤で利き手を理由に約三分の一になるからね。ははは。そこから怒濤のロジ
ック連打で、どうにか読者の興味をつなぎ止めようという作戦」
「出足は? 狙い通りに行った?」
「いや〜、なかなか厳しいものがありますね。けれども先にアップした『ホック城の怪
事件』に比べたら、段違い。読み始めた人はほぼ全員、ちゃんとついて来てくれている
らしいっていうのも分かるし。ああ、分割してちょっとずつ更新しなさいっていうアド
バイスの意味、分かってきた」
 彼は屈託のない笑みを浮かべ、感謝の言葉を述べてくれた。ほんとに小説投稿サイト
ビギナーなんだな。他のユーザー(作家)の動向もまるで参考にしていないってことだ
ろう。そういえば知り合って間もない頃、買ってきた炊飯器を説明書をまったく読まず
に使おうとして、悪戦苦闘してたっけ。その性質は今も変わっていないに違いない。
「退院したら読めると思う。問題は開催期間中に退院できるかどうかだけど」
「いいですよ。あなたからの星があるかないかで当落が決まるくらい際どい位置に付け
ていたら早く読んでくれと懇願するかもしれませんが、今のところそこまでのレベルに
は届かないような気がしています」
 僕と彼はお互いに、読んだ上で面白いと感じなければ星を投じることは断じてない
と、固く誓い合っている。第三者から見れば「そんなもん口先だけだろ!」で片付けら
れるレベルだろうけど、本当なのだ。現に、僕は彼の完結済み作品『ホック城の怪事
件』をサイトに上がる前から読んで知っており、高めの評価をしているけれども、まだ
星は付けていないし、彼もまた僕の連載途中の作品に応援メッセージ一つ寄越してくれ
ない。それもこれも、他によい作品があればそちらに星を入れるのがしかるべき投票行
動というものだと信じているので。……ただ今回は自由に星の付け剥がしができるよう
になったのだから、ひとまず付けてもいい(その方が人目に付く可能性がわずかでも高
まるはず)んだけど、最終的にやむなく剥がすことになったとしたら、気まずくなるか
もしれないので後回しにしている。
「現段階でどのくらいの星? あ、星はまだか。最後まで更新してないだろうから」
「うん。応援メッセージなら今朝までに十七件あった。好意的なものばかりだったけ
ど、大半は連載開始してすぐに来たからなあ。これって多分、あなたの言っていた見返
りを求めてのあれじゃないのかな」
「そうかも。三千人の容疑者って題名なら、本編を読まなくても応援メッセージを書き
やすそうだ」
「そんな嫌なことをあっさり言わなくても」
「はは、ごめんごめん。入院生活が長引いて、ちっとばかし苛々してる。許してくれ」
「ああ、作品、まだ書き上げてないんだっけ。……あなたさえよければ、僕が代筆と代
理更新しますけど」
「……うーん……ありがたい申し出だけど、厳密に言えば規約に抵触する行為だろうか
ら」
 自己のIDを他者に貸与してはならない的な文言があったと記憶している。複数名で
小説をこしらえる共作行為も原則的に禁じられていて、やるのならサイト側に申請して
認めてもらった上で、IDを取得しなければいけない。ただしこれは新規の場合で、す
でにユーザーである者同士が組みたいときはどうすればいいのか、あいにくと知らな
い。
「ま、やめといた方が無難かな。あきらめた訳じゃないしさ。あと一万字くらいだか
ら、退院が予定通りなら間に合う計算なんだ」
「そうですか。希望的観測込みのようにも聞こえますが、何かあったら言ってくださ
い。お手伝いできるところはします」
「ありがとう。気持ちだけで充分だ」
 隊員を前にそういう大見得を切った僕は、絶対に間に合わせてみせようと基本的なリ
ハビリを頑張り、予定よりも二日早く、出られることになった。コンクールの読者選考
期間終了までちょうど一週間あることになる。この分ならどうにかなる、してみせる。
 さて、退院が急に早まったため、出迎えは誰もなしとなり寂しくないと言えば嘘にな
るかもしれない。だけど身軽に動けるのはいい。昼過ぎに自宅アパートに戻るなり、僕
は昼食もそこそこにネットを始めた。真っ先にアクセスするのはもちろん力ワヨムだ。
自作にちょこちょこと応援が付いていることに感謝しつつ、そちらへの返事は後回しに
させてもらって、彼の『三千人の容疑者』のページに行ってみた。この作品に少し目を
通して、あとは自分の応募作品を完成させることに全力を注ぐ。
 『三千人の容疑者』は、本格ミステリとして定番の型で幕開けしていた。山中の一軒
家に作家を訪ねた知り合い達が、返事がないのを訝しんで庭に回る。すると広い庭に面
したダイニングキッチンで家の主が赤く染まって倒れているのが、大きな窓ガラス越し
に見えた。この段階で家の鍵は全て施錠され、密室状態にあることは推測済みであるた
め、来訪者の一人が大慌てでガラスをぶち破り、怪我をしながらも中に入った。しかし
時すでに遅く、主は死亡していた。密室殺人の謎に加え、現場には何かの会員証らしき
カードが一枚あり、また、196と読める血文字が床に書かれていた。
 あまりに型通りで適当に飛ばし読みしたくなるが、私は彼の伏線や暗示の配置の仕方
を知っているので、丹念に読んだ。
 読んでいて、段々と違和感に囚われる。読み易い文体なのに、どことなく引っ掛かる
というか、目障りな物があるというか。やがて気付いた。
 一ノ瀬昭彦(いちのせあきひこ)、二階堂可菜(にかいどうかな)、三鷹佐由美(み
たかさゆみ)、四谷民恵(よつやたみえ)、五代尚子(ごだいなおこ)、六本木春也
(ろっぽんぎはるや)、七尾誠(ななおまこと)、八神保仁(やがみやすひと)、九条
蘭丸(くじょうらんまる)……古典的な某有名漫画に合わせたのか、途中まではこの調
子で付けられた名前が続くのだが、そんなことよりも違和感の正体はここにある。
 振り仮名だ。彼は丸かっこで表す方式を採っているのか。でもこのサイトには、振り
仮名をするための記法があって、仮名を振りたい一連の漢字の直後に《》で括って読み
を記すのが基本である。これに慣れている僕は、丸かっこが久しぶりだったため、妙な
印象を受けたのだった。
 彼はこのサイトも説明を読まずに、ほとんど感覚だけで使っているらしい。しょうが
ない奴だ。あとで連絡して仮名の振り方を教えてあげようと心に留め、もう少しだけ読
んでおくかと目を走らせていると、五分ほどしてはたと大事な点に思いが至った。
 ちょっと恐ろしいその思い付きを、僕は否定したくて、でも確かめずにはおられな
い。
登場人物の名前の読み方、平均の文字数はどのくらいだろう? ざっと数えて、六文字
くらい? 丸かっこを含めれば八文字か。
 彼は、この作品は日本を舞台にしたと言っていた。登場人物はほぼ日本人で占められ
ているに違いない。そして登場人物の数が三千。名前が付けてあるキャラクターが、彼
の言っていた七百五十名だとして、丸かっこを含めた振り仮名の総数は750×8=6
000ほどと推計される。
「やばい」
 思わず呟いた。
 『三千人の容疑者』は今はまだ完結していないので、総文字数は分からないが、作者
の彼は十万五千字ちょっとだと言っていた。そこからさっきの振り仮名分を差し引く
と、九万九千、規定の十万字に届かなくなる!?
 えらいこっちゃ。たとえどんなに傑作で面白かろうと、規定を満たしていないのはだ
め。即失格だ。読み仮名の振り方を知らないことにどうして気付かなかったのか、思い
返してみると、彼が先にアップした『ホック城の怪事件』には日本人というか漢字表記
の名前を持つキャラクターが一人も出て来なかったんだ。失敗したな〜。
 彼の力なら、千字程度の穴埋め、楽にこなすと思うんだが……。
 ところが連絡が付かない。そういえば元々の退院予定日を伝えたとき、「あっ、ちょ
うどいいですね。その前日に帰ってきますんで」と反応していたな。学者のフィールド
ワークに同行して、旅に出ると言っていた。行き先は聞いた気もするが、忘れてしまっ
た。電話でもネットでも連絡が付かないということは、外国の僻地? まあそれでもか
まわない。彼は明日には帰国予定なんだ。それから伝えても遅くはあるまい。
 と、悠長に構えていたら、翌日になっても彼から連絡はない。他人事だというのに焦
りを覚え始めた。SNSで連絡を取ろうとあれこれやってみても、無反応が続く一方、
力ワヨムの小説の更新は毎日正午(日本時間)に行われているから、自動更新設定をし
ているようだ。そこだけはちゃんと説明を読んだのね。
 やきもきして、彼の作品の続きを読むどころか、自作まで危うくなりつつある。僕は
外部情報をシャットアウトして、隙間時間の全てを執筆に当てた。そしてコンクール最
終日、どうにか十万文字オーバーを達成し、一挙に公開。当初の目算とは違う更新頻度
になったが仕方がない。
 自分の事が片付いてやっと余裕が生じた。彼への連絡を試みると――電話に出た、あ
っさりと。
「すみません、退院祝いに行けなくて」
 存外元気そうな声が聞けて、ひとまず安堵した。
「どうしてたんだ。今、どこ?」
「今、関空からのバスを降りたところです。ニュースで流れてませんでした? サンド
リテ国の国際空港が、一万年に一度レベルの大雨に見舞われて、使用できなくなったっ
て。復旧して、やっと戻って来ました」
 サンドリテ? どこだそれは。まあいい、とにかく帰って来られたのならいい。安心
した。
 安心すると今度は少々腹が立ってくる。僕は不機嫌な口調になって、おまえの『三千
人の容疑者』、振り仮名を丸かっこで表しているが、ちゃんと振り仮名に直すと文字数
が足りなくなるぞと指摘した。
「へえ、そんな便利な書式があるんですか」
「いや、落ち着いている場合じゃない。コンクールのために書いた作品、無駄になって
もいいのか? 表面上は十万五千字あっても、事実上、約九千文字となったら、たとえ
星をたくさんもらえていても、予選通過することなく落とされる可能性大だぞ」
「あのー、申し訳ない、言いそびれてしまって」
「あん? 落ち着いてないで、今からでも千字、いや余裕を見て二千字ほど書き足せ。
描写を詳しくすればそれくらい稼げるんじゃないか?」
「いえ、それは大丈夫なんです。実はお見舞いに寄せてもらったあと、帰ってから間違
いに気付いたんです。でわざわざ電話なんかで知らせるほどでもないかなと、放置して
いました。すみません」
 神妙な声になり、謝ってくる。彼が電話の向こうで、実際に頭を下げる様子が目に浮
かんだ。
「どういうこと? 大丈夫っての書き足さなくても大丈夫って? 何で? あきらめる
んじゃないよね?」
「ほんと、そこまで心配していただいて、非常に心苦しく、言いにくくもなっているの
ですが……あれ、十万五千字は僕の見間違いで、実際は一千五万字ありました」
「……え?」

 考えてみれば、三千人の容疑者がいて、少なくとも七百五十名を書き分けるとなる
と、結構な分量が必要になるに決まっている。十万五千字だと七百五十人を描写するの
に、一人当たり百四十文字しか使えない。それで本格推理小説の体をなすなんて、ほぼ
不可能だと気付くべきだったのだ。
 その約百倍となる一千五万文字が七百五十人を描くのに多すぎるのか少ないのか、は
たまた妥当なのかは凡人たる僕には判断が付かなかったが……とりあえず、最後まで読
んでくれる人は少なそうだなぁ。

 あ、更新頻度、物凄いことになってる。

 おしまい




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