AWC ●長編



#517/520 ●長編    *** コメント #516 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/29  22:13  (384)
そばにいるだけで 67−3   寺嶋公香
★内容                                         18/12/31 17:12 修正 第2版
「それなんだけどねえ」
 昼休みに三度電話を掛けたがつながらず、太陽の観測に顔を出す必要もあったため、
連絡が取れなかった。なので放課後、純子は相羽とともに事務所に寄って聞いてみた。
部屋に入るや開口一番、「加倉井さんのところから話があったと聞きましたが」と切り
出すと、市川は明らかに困り顔で反応した。
「アルファグループのプロジェクト的には、細かい部分は進めながら決めていく方針だ
から、よそ様のタレントが絡んできても、よい使い方を考えるだけなんでしょうけれ
ど、うちにとってはあんまり美味しくない話」
「あ、いや、そういう部分の問題じゃなくて、そもそも何で加倉井さんがテラ=スクエ
アのキャンペーンに協力したいと言い出してきたのか、理由があるのなら知りたいなと
思ったんです」
「うん、その辺のことならさっき、と言っても一時間以上前だが、連絡をもらった。テ
ラ=スクエアの仕事で協力する代わりに、久住淳との将来の共演を確約して欲しいとい
うご要望だったよ」
「うわ」
 そういう狙いだったのね。一応、納得するとともに、冷や汗をかく思いもする。
(もし朝の段階で加倉井さんとホットラインが通じていて、迂闊にOKの返事をしてい
たら、大変だったかも)
 好ましく思っていないのは、市川も同様だった。回転椅子を軋ませ、事務机越しに身
振りで、高校生二人にソファに座るよう促す。純子と相羽はテーブルを挟み、向き合う
形で座った。
「そんなこと言われたってねえ、先方やアルファさんにはメリットがあっても、うちに
はほとんどないから。そりゃあ、加倉井舞美との共演は魅力的な話ではあるけれども、
その加倉井舞美とあなたが夏休みの間中、しょっちゅう顔を合わせていたら、さすがに
ばれる恐れが高まる。リスクが大きい」
 市川の深い深いため息を引き継いで、杉本がデスクから顔を起こして言った。市川の
デスクとは直角をなす位置におり、純子からは斜め後ろを振り返らないと杉本の姿が見
えない。
「せめて、テラ=スクエアでの仕事そのものが、加倉井舞美ちゃんと久住淳との共演な
んていう要望だったならよかったかもしれませんね。だめ元で、こっちから提案してみ
ます?」
「いや、それはそれで不自然になるだろうね。その共演が行われている間、キャンペー
ンガールの風谷美羽がどこかに消えちゃう形になるんだから。どこをつつかれてもおか
しくない理由を用意できるなら、考えてみる余地はあるが」
「だめですよ、断るべきです」
 相羽が不意に発言した。言葉は柔かだが、口調に断固としたものが感じられる。皆が
注目する中、彼は続けた。
「加倉井舞美さんは、久住淳との共演話は遠い将来という形で希望していたと聞いてい
ますが、間違いないでしょうか」
 大人達へ尋ねる口ぶりだったが、これには純子が答える。
「ええ。あの時点で、加倉井さんはスケジュールが決まってる風だったし」
「それなのに、今回の件は若干、話を急いでる気配がある。もしかしたら、別の都合が
新たに加わったのかも。完全に想像だけで話すと、たとえば、加倉井と久住でカップル
として売りたい、とか」
「え! カップル?」
 相羽の隣で叫んでしまった純子。意味がすぐには飲み込めなかった。
「なるほどね。今はあんまり流行らないけれど、昔は結構あった売り出し手法だね。こ
の男優にはこの女優、みたいなイメージを世間に植え付けるわけだ。ゴールデンコンビ
として認識されれば、しばらくはその組み合わせだけで結構売れる」
「中には、本当にカップルになって、結婚するのもいましたねえ」
 芸能の歴史や事情をよく知る市川と杉本は、説明がてらそんなことを言った。
「け、結婚て……絶対に無理じゃないですか。断らないと」
「いや、あの、決定したわけじゃないんだし」
 焦りが露わな純子を、相羽が落ち着かせる。
「でも、当たっているかどうかは別にして、また、加倉井さんからの要望を聞くか否か
とも関係なく、この話自体、僕は拒むべきだと思いますよ」
「理由を聞こうじゃないか、信一君」
 純子に代わって、市川が聞き返した。
「今の加倉井さんと一緒にやったら、純子ちゃんは食われてしまいます」
「そりゃまあ、理屈だね。相手の方がキャリアは上で、トーク力もある。食われて当
然。だが、私の見立てでは、個性は五分と踏んでいる。キャンペーンの内容によって
は、純子ちゃんが勝つことも可能じゃないのかな?」
「加倉井さんの個性を殺すような勝ち方では、だめなんじゃないですか。恐らく、互い
にマイナスになります。キャンペーン自体の勢いを削ぐかもしれない。ですから、どう
してもこの話を受けるのなら、相手を立て、持ち上げることに専念するのがましじゃな
いかって気がします。そういうのって、圧倒的に差がある人と共演するよりも、力が近
い相手と共演するときの方がずっと難しいでしょうけど」
「なるほど。案外、的を射ているかも」
 市川は目を丸くし、感心した風に息を吐いた。
「さすがね、風谷美羽の一番のファンだけはある」
「べ、別にそんなつもりでなくたって、おおよそのところまでは想像が付きますよ」
 市川にからかわれた相羽は、目元が赤みがかった。純子の方をちらっと見て、「1フ
ァンとしては、彼女の気持ちを最優先にしてもらいたいなって思ってます」と、捲し立
てるように市川に進言した。
「分かった。では聞こう。どう?」
 市川は座ったまま、椅子ごと身体の向きを換えると、純子の顔をじっと見てきた。
「私は……加倉井さんと一緒に仕事をしたくないわけじゃないんですけど、テラ=スク
エアとは切り離した方がいいと思うんです。白沼さんが関係していますから」
「ほう?」
「加倉井さんが来ると多分、芸能界の話題が出るし、久住淳についても色々発言するは
ず。中には外に漏れたらまずい話が出るかも。それが万が一、白沼さんの耳に入った
ら、ややこしくなりそう」
「あの子は口が堅そうだし、仕事とプライベートをきちんと分けられるように見えたけ
ど」
 これは杉本の感想。ほぼ印象のみで語っているはずだが、当たっている。
「ゴシップ程度なら問題ないです、多分。心配なのは、久住淳に関すること。下手をし
たら、一人二役、白沼さんに勘付かれるかもしれません」
「彼女、そんなに勘がいいのかい?」
 市川の質問に、純子は軽く首を傾げ、
「分かりませんけど……久住淳として会ったことがあるので、記憶を刺激するような話
題は避けたいんです」
 と答えた。
「ああ、そういえばそうだった。よろしい、決めた。今回は断る。と言っても、うちが
できるのは、共演を断る意思表明くらいで、企業が別口で加倉井舞美と契約する分には
口を出せないけれどもね」
「充分です。よかった」
 純子が笑み交じりに反応すると、市川の行動は早かった。すぐさま電話をかけ始めた
かと思うと、今決定したばかりの判断を先方に伝え、さらに今後もこのプロジェクトに
関しては共演なしでお願いしたいと強く要望を出し、会話を終えた。
「これでよし、と。――ついでに聞いておきたいんだが、純子ちゃん」
「はい?」
「本音のところでは、どうなの。テラ=スクエア関係は脇に置くとして、加倉井舞美と
張り合って――たとえば、同じ映像作品でダブル主演みたいな形で共演して、負けない
自信はあるのかな? 久住へのお誘いはあったわけだし」
「あのー、全然ありません。こと演技に関しては、加倉井さんは尊敬の対象というか」
 あんまり自信のない物言いをすると怒られるかなと懸念しつつ、正直な気持ちを答え
た。さっき相羽が示した見方の通りねと、純子も自覚している。
 果たして市川は、怒りはしなかった。
「だろうね。この場にいない加倉井舞美に気を遣って、『一緒に仕事をしたくないわけ
じゃない』と前置きするくらいだし」
「え、あ、それは」
 口ごもる純子に、市川は意地悪く追い打ちを掛ける。
「けど、それってつまり、演技以外なら勝負になると思ってるんだ、うん」
「ま、まあ、演技に比べたらまだましかなー。あはは」
「そういえば、歌は勝ってたよ」
 市川が言ったのは、五月の頭に催されたライブのこと。思いがけないハプニングを経
て、星崎とともに急遽出てくれた加倉井は、単独でも一曲披露した。
「冗談きついです。リハーサルやウォームアップなしに、あれだけ唄える加倉井さんが
凄い」
「じゃ、今いきなり唄ってみる? あのときの加倉井さんと比べて進ぜよう」
「もう〜、市川さん、やめましょうよ〜。私、これでも学校生活で忙しいんですっ」
「学校生活で“も”、でしょうが。いいわ、相羽君と仲よくお帰りなさいな。しっかり
休んでね」
 急に物分かりよく言ったのは、市川も仕事を思い出したためかもしれない。気が変わ
らぬ内にと、相羽を促し、急いで腰を上げる純子。
「それじゃあ、失礼します」
「――あ。大事なことを伝え忘れてたわ」
 背中を向けたところで、そんな言葉を投げ掛けられた。純子は嘆息し、相羽と顔を見
合わせた。苦笑を浮かべ、二人して振り返る。
「何でしょうか」
「昼過ぎに鷲宇さんから連絡があったわよ。連絡と言うより、報告ね」
 据え置き型のメモ台紙を見下ろしながら、市川は言った。心持ち、穏やかな表情にな
ったような。
「美咲ちゃんの手術が行われて、成功したって」
「えっ――やった! よかった」
 喜びを露わにする純子。隣の相羽は対照的に、「本当によかった」と静かに呟いた。
「帰国はもう少し先になるそうだけれど、順調に回復を見せているとのことよ」
「音沙汰がないから、海外に渡ってもドナーがなかなか見付からないんだと思っていま
した。いきなり聞かされて、びっくり」
「実を言えば、ドナーが見付かったという話もちょっと前にあったんだけれど、あなた
達には伝えずにおこうと決めてたの。気になって、仕事が手に着かなくなる恐れありと
見てね」
 臓器提供が決定したら、ほとんど間を置かずに手術が行われる。仕事が手に着かなく
なるほど、気にしている暇はないだろう。だから、市川のこの台詞の背景にあるのは多
分、手術の結果も併せて伝えたかったのと、万が一にも悪い結果に終わった場合を見越
してのもの……だったのかもしれない。
 ドアからまた引き返してきて、市川のデスクに両手をついた純子。熱っぽく要望を口
にする。
「帰ってくる日が分かったら、すぐさま知らせてくださいね。そして美咲ちゃんに会え
るように、スケジュールを」
「分かった分かった。今日のところは早く帰って、学校の宿題でも片付けなさいな」
 呆れ口調で応じた市川は、まるで追い払うように手を振った。
 純子と相羽は、事務所のある建物を出てだいぶ歩いてから、自分達もあることを知ら
せるのを忘れていたと気が付いた。
「あ――合宿の日程!」
 美咲の手術成功のニュースが、あまりにも吉報に過ぎた。

「そうですか。やはり、遊びに行くのは無理と」
「ごめん!」
 両手のひらを合わせる純子。頭を下げた相手は、淡島と結城だ。
「いいって、気にしなくても。だいたいは予想してた」
 結城が寛容に笑いつつ、言う。昼食後の休み時間、廊下に出てのお喋りは、今の気候
と相俟って、ついつい長くなりがち。
「天文部の合宿参加を純子、あなたが決めた時点で、他の諸々に影響が及ぶのは目に見
えてたわ」
「うー、面目もありません。当の私が、予想できていなかった。罪滅ぼしと言っちゃお
かしいんだけど、今度の土曜の午後、二人に付き合う」
「暇があるの? なら、その時間、私達に使わずに休養に充てなよ」
 結城の言葉に、純子は内心、頭を抱えたい気分になった。次の土曜日を仕事なしにで
きたのは、他の日にちょっとずつ無理をした積み重ねであって、もちろん淡島と結城の
ためにやったことなのだ。
(忙しいことを先に話したのがいけなかったかな。最初に土曜日の件を言って、約束し
ちゃうべきだった)
 後悔しても遅い。ちょっとだけ考え、再チャレンジ。
「私、遊びに行きたい。だから、マコも淡島さんも付き合って。だめ?」
「――まぁったく。あんたって子は」
 結城が両手を純子の頭に乗せ、軽くだがくしゃくしゃとなで回す。
「そういうことなら、付き合うわ。ね、淡島さんも?」
 純子の頭に手を置いたまま、淡島へ振り向いた結城。淡島は、最前の純子よりは長く
考えて、おもむろに口を開いた。
「基本的に賛成、同意しますが……一つ、いえ、二つ、よろしいでしょうか」
「え、何?」
 頭から手をのけてもらい、純子は面を起こしながら応じた。
「まず、一つ目は、涼原さんは補習の方は大丈夫なのでしょうか」
 心配げな淡島に対し、純子は微笑を返しつつ、また少し考える。テストの点数に関し
てなら、赤点にはなっていない。今、心配されるとしたら、出席日数の方だ。同じ科目
の授業を三度四度と続けて欠席するようなことがあれば、必要に応じて補習を受ける。
もちろん、純子だけが特別扱いという訳ではなく、他の人と一緒に受けるので、タイミ
ングもある。
「心配掛けてごめんね。今のところ、大丈夫だよ」
「そうでしたか。今後を見通して、余裕ができたときに補習を先取り、なんてことはで
きないでしょうし」
「あはは、無理無理」
 それこそ、頭がパンクしちゃうんじゃないだろうか。苦笑する純子。
 淡島もつられたように笑みを浮かべ、それから二つ目の件に移った。
「二つ目は、遊びに行くと仮定して、リクエストなんですが。もう一人、連れて行くの
はいかがでしょう」
「うん、いいかも。それで誰を誘う?」
「相羽君ですわ」
 にこにこと笑顔の淡島。純子は対照的に、表情を強ばらせた。
「あのー、淡島さん。相羽君を選ぶのはどういう理由から……」
「もちろん、二人のためを思ってのこと。付け加えるなら、その様子を端から見守りた
いという気持ちもあります」
「うう。それはさすがに嫌かも」
 冗談で言っていると信じたい純子だが、淡島の顔つきからはどちらとも受け取れて、
判断不可能。とりあえず、拒否の方向で。
「相羽君と一緒に行くのが嫌なのですか?」
「そ、そうじゃなくって、相羽君とはまた別の機会に……二人で……」
 純子は結城に視線を送って、助けを求めた。察しよく声が返ってくる。
「ほらほら、その辺にしておきなさいって。純が困ってる」
「そうですか。少しでも一緒にいられる時間を増やして差し上げようという、いいアイ
ディアだと思ったのですが」
 本気だったんかどうか、まだ分からない言い回しをする淡島。
「あ、ありがとう。気持ちだけで充分、嬉しい。でも、相羽君も最近、何だか忙しいみ
たいだし」
「言われてみれば」
 首を傾げ、教室内に注意をやる結城。
「今もいないみたいね。ま、休憩時間にいないからって、単なるトイレってこともある
だろうけど。純、本人に何か聞いた?」
「ううん。前に忙しそうなときは聞いたけど、大げさに騒ぐようなことじゃなかったか
ら、今後は聞かないでおこうって」
「あれま。気にならないの?」
「気にならない、ことはないけど。気にしないようにしてるの。でも三年になってから
も同じ調子だったら、気になるかなあ。だって、進路に関係してそう」
「なるほど。同じ大学に進みたいと」
「そ、そこまではまだ分かんない」
「てことは、芸能界に専念したい気もあるの?」
 結城は意外そうに目をしばたたかせ、声のボリュームを落とした。純子の方はまた慌
てさせられた。
「違うのよ。そんな意味じゃなくてね。進学したい気持ちの方が圧倒的に強いのだけれ
ど、相羽君は多分、目標が明確になってるのに、自分は全然定まってないなってこと。
こう言うと事務所の人から怒られるかもしれないんだけど、学校の勉強以外でも地球や
宇宙について知りたい。仕事を減らして、勉強してみたい。化石を発掘してみたいし、
オーロラや流星雨を観察したい。知りたいこと、体験しておきたいことはいっぱいあ
る。ただ……研究者を目指すのかと問われたら、強くはうなずけない」
「――ほへー。純て、星だけでなく、足元の方にもそこまで興味あるんだねえ。純の星
好きって、相羽君に合わせてるんだと思ってた」
 結城が感心する横で、淡島は「私は分かっていました」とぼそりと呟いた。と、強い
風が吹いて、開け放たれた窓から砂粒が少々飛び込んできた。ちょうどいい折と見て、
窓を閉めてから三人揃って教室に入る。場所を変えても、話題は変わらない。
「化石には、相羽君、関心ないのかな?」
「ううん、相羽君も好きみたい。でも、私が化石に興味持ったのは、相羽君に会う前だ
から、これも合わせたんじゃないのよ」
「そんなに強弁しなくても信じるって。進路の話からずれてきてるし」
「あ。それで……相羽君の一番したいことは音楽だと思う」
「だろうね」
「対して、私の目標がこんな宙ぶらりんな状態だと、相羽君に相談することもできない
し、一緒の大学に行こうだなんて、それこそ言えないわ」
「進路、迷ってるんなら、迷っていること自体を話すのは、ありなんじゃない?」
「うーん。相談したら、回り回って、相羽君と相羽君のお母さんが喧嘩になるんじゃな
いかと想像してしまって」
「い? 何ですかそれは」
 さっきと違い、今度は予想外だったのか、妙な驚き声を上げた淡島。
「私が相談を持ち掛けると、相羽君は、私が仕事を辞めたがってると受け取るかもしれ
ない。そうしたら、相羽君はお母さんに言うと思う。辞めるのは無理でもせめて仕事を
減らしてとか。でも、おばさまは反対するでしょ。契約あるし」
「考えすぎだと思うなあ。相羽君、それくらい承知でしょ。親子喧嘩なんかしない方向
で、純の相談に乗ってくれるんじゃない?」
 笑い飛ばす風に始められた結城の言葉だったが、急にボリュームが下げられた。彼女
の目線の動きを追って、純子と淡島が振り向く。廊下を通り掛かる相羽の姿が、窓越し
に見えた。
「帰って来たと思ったら、またどっか行っちゃった。何を駆けずり回ってるんだろ」
「職員室での用事が済んで、トイレに行っただけでは」
 結城はやたらとトイレ推しだ。それはともかく、確かに方向は合っているが。
(職員室に用事なら、ここに戻って来る途中にトイレあるのよね)
 純子は内心、ちょっとだけ不安を感じた。気にしないように努めても、やはり気にな
る。
「とりあえずさあ、遊びの方の話を決めておきたいな。純は相羽君を誘う、決まりね」
「え?」
 結城の強引さに、呆気に取られてしまった。
「誘っても来られるかどうか……ほんとに忙しいみたい」
「忙しいあんたが言うなって話だけど。相羽君が来られなくても、別にかまわないか
ら、私らは。誘うことが大事」
「うー。分かった」
「成功確率を少しでも高めるには、遊びの内容を相羽君の好みに寄せるのと、それ以上
に、誘うときの純の格好が重大要素になるね」
「格好って……」
 苦笑いを浮かべた純子だったが、次いでおかしな想像をしてしまい、顔が火照るのを
感じた。友達二人に気取られぬよう、手のひらで頬をさする。
「そ、それで、どんなことして遊ぶ? 二人のやりたいこと言ってよ。私が付き合うっ
て言い出したんだからね」
「ぱっと浮かんだことが一つあります」
 淡島が言った。水晶玉にかざしているかのように、宙を動く手つき。
「流行り物ですが、VRの技術を取り入れたプラネタリウムが先頃、オープンしたはず
です」
「あ、それ、知ってる。イタリア発のプラネタリウムのショーに対抗して、作られたや
つだね。文字通り、星に手が届く感覚が味わえるとかどうとかって。私も興味あるな。
星なら純も相羽君にもいいし。ただ、料金が結構高いのと、場所が遠くなかった?」
 結城の反応が早かったので、黙っていたが、純子ももちろん知っていた。天文好き
云々以前に、とある伝があった。そのことを言い出せない内に、淡島が答えている。
「料金は忘れましたが、距離は確か……一時間半ほど掛かると記憶しています。電車だ
けで一時間でしたか。あ、でも土日にはホリデー快速みたいなのがあったかもしれませ
ん」
「何にしても電車で一時間は、ちょっと時間がもったいない気がするねえ。あー、で
も、純にはちょうどいいか」
 にまっ、と笑い掛けられ、純子はきょとんとなった。
「何で?」
「移動中、睡眠に充てられる」
「そこまで寝不足に悩まされてないよー」
「休み時間、スイッチ切ったみたいにぱたっと寝てること、しょっちゅうあるくせに」
「あれは時間の有効活用と言ってほしい……」
 実際、寝ているところへ話し掛けられたら起きるのだから、という補足反論は心に仕
舞っておく。
「ま、移動時間はいいとしても、入場料が」
「あ、チケットの方は、私に任せて」
「だめだよ、純」
「まだ言ってないけど」
「私達の分を出すとか言うつもりじゃないの。いくら普通のバイト以上に稼いでいて
も、それはだめだよ」
「違うって。実はそのプラネタリウムの運営会社と、お仕事でちょっとつながりがあっ
て。割引券をいただいたの」
 ぼかして言った純子だが、その運営会社とはテラ=スクエアの関連グループだ。割引
チケットは白沼から直に渡された物で、「くれぐれも相羽君と二人きりで行くことのな
いようにっ」と、釘を刺されてもいた。尤も、今の白沼は二人の仲を一応、曲がりなり
にも認めてる訳だし、二人きりで行くな云々は、万が一にも芸能ネタになるのを避ける
ようにしてよねって意味らしい。
(マコと淡島さんが一緒なら、相羽君を誘って行っても問題なし、だよね)
 渡りに船という言葉を思い浮かべつつ、純子は結城らの反応を待った。
「……お金は自分で出す物と言った手前、非常に言いにくいわけですが。その割引券は
何枚あるの?」
「五枚。あ、でも、そもそも一枚で五名まで適用可よ」
「割引って何パーセントです?」
「えっと、七十パーセント引き。有効期限はオープンから一年。ただし、オープンから
半年間は、日曜を含めた休日のみ適用除外で使えない。混雑が予想されるからかな」
「おー、土曜ならセーフ。素晴らしい」
 結城は純子の両手を取り、「お世話になります」と頭を下げた。無論、わざとしゃち
ほこばって見せているのは純子にも分かってるのだが、元々もらい物なのだから、感謝
の意を表されても居心地がよくない。だから、言うことにした。
「白沼さんからもらったんだから、お礼なら白沼さんに言って」
「へえー」
「そういうことでしたの」
 結城と淡島は順に反応を示し、続いて白沼の席に目をやった。が、不在。純子はそれ
を承知の上で言ったのだけれど。

            *             *

 この場にいない白沼に代わってというわけでもないが、純子と結城と淡島の会話に、
じっと耳をそばだてていたクラスメートが一人いた。
(あの様子だと、相羽の奴、まだ言ってないな)
 自分の椅子に収まる唐沢は頬杖をつき、顔を廊下とは反対の方に向けた姿勢でいた。
聞き耳を立てていることに、勘付かれてはいないはず。
(ちょうどいいタイミングを計ってるに違いないけど。俺が口を挟むことじゃないかも
しれないけど)
 すぼめたままの口から、ため息を細く長く吐き出す。
(ああやって、相羽を誘って遊びに行く相談をしているのを聞くと、少し心が痛むぞ。
本人に聞かせてやりたい)
 相羽自身が純子達の先の会話を聞いたとして、その場で留学のことを打ち明けること
は、まずないだろう。それでも聞かせてやりたい。
(合宿までに伝えるつもりとか言ってたが、ほんとにできるのかね? ぎりぎりまで引
き延ばすつもりだとしたら、それはちょっとずるいぞ、相羽。相手にも考える時間てい
うか、気持ちを整理する時間をやれって)
 今度相羽と二人で話せるチャンスがあれば言ってやろうかと心のメモに書き留める。
ただ……それくらいのことを分からない相羽だとは考えにくいのもまた事実。
(早く決着してくれないと、俺まで気になるんじゃんか。おかげで、勉強も何も手に付
かねーよ)
 いざとなれば、俺の口から――と思わないでもない唐沢だが、実行に移すにはハード
ルが高い。高すぎる。
(そういえば)
 会話している三人の内、淡島に目を留めた。
(淡島さんは占いが得意なんだっけ。あの子に相羽の留学話を打ち明けて、占いの形で
涼原さんに伝えてもらう――)
 一瞬、悪くはないアイディアだと思えた。
(淡島さんがそんな芝居、できるかどうかは知らないが、涼原さんの受けるショックを
和らげる効果はあるんじゃないか。それに、相羽だって、直に打ち明けるよりは、気が
楽になるんじゃあ……)
 ただ、懸念がなくはない。
(涼原さんにしてみれば、相羽から自主的に話してほしいだろうなあ、きっと。女子の
気持ち、何でもかんでも分かるとは思っちゃいないが、これくらいは想像できる。占い
で示唆されて、相羽に確かめるなんて真似はしたくないに違いない)
 やっぱり、あんまりいいアイディアじゃないな。唐沢はこの案は捨てることにした。
(相羽から打ち明けるのを早めさせられたらいいんだが。あいつ、誰に背中を押された
ら、そうなるんだろう? 一番は母親だろうけど、でも、方法が思い付かん。俺が関与
できるのはクラスメート……白沼さんとか。確か今、彼女の親父さんだかの会社のキャ
ンペーンの仕事を、涼原さんがしているんだっけ。その線を突っつけばどうかな。涼原
さんがショックを引き摺って、仕事に影響が出たら迷惑だから、少しでも早く打ち明け
て!とか。……待てよ。それ以前に白沼さんて、相羽のことを完全にはあきらめていな
い雰囲気なんだよな。相羽の留学話を教えたら、彼女自身が動揺するかもしれん)
 状況を徒にややこしくするのは避けべき。賢い方法を見付けたい。
(あと頼れそうなのは、うーん、うーん……あ)
 不意に、一人の顔が浮かんだ。女子、でもクラスメートではなく、ここ緑星の生徒で
すらない。唐沢の幼馴染みで、ご近所さんだ。
(芙美。あいつにこのことを話したら、何かいい案を出すかな?)

――つづく




#518/520 ●長編    *** コメント #517 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/30  01:11  (449)
そばにいるだけで 67−4   寺嶋公香
★内容                                         18/12/31 17:13 修正 第2版
            *             *

「何、その紙袋は」
 町田に指差された唐沢は、右手をくるっと返して、紙袋表面のロゴが見えるようにし
た。
「鈴華堂の新作で、クロワッサン風どら焼き。芙美が好きそうだなと思って」
「……微妙」
 町田の視線が手元から上へと昇ってきた。唐沢の目にぴたりと照準、否、焦点を合わ
せる。
「クロワッサンと言えばバターたっぷりで、カロリー高そう。そもそも気味悪い。何の
狙いがあって、あんたが私に和菓子を買ってくるのよ」
「そりゃあ、久々の訪問になるから、手土産があった方がいいだろうなと思って」
「嘘。来るときに手土産を携えていたことなんか一度もなかったのが、急にこんな風に
するなんて、絶対に怪しい。何かあるわね。私の直感がそう告げている」
「とにかく入れてくれよ。玄関先で押し問答するほど、嫌われてるわけ、俺って?」
「……どうぞ。誰もいないから」
 言うだけ言って、先に入る町田。唐沢はそそくさと続いた。
「制服のまま来たってことは、学校帰り?」
「うん、まあ。家に、顔は出したけどな」
「それだけ急いで、ここに来るなんて、一体どんな用事よ」
「あー、話の前にお茶、入れてくんない? 俺もこの菓子、味見しておきたい。よさげ
だったら、他の女子に勧める」
「〜っ」
 文句を言いたげな町田だったが、黙ったまま唐沢をダイニングに通すと、自らはキッ
チンに立った。
「日本茶? コーヒー?」
「改めて問われると迷うな。洋菓子なのか和菓子なのか、はっきりしない物を買ってし
まった」
「コーヒーね。インスタントだと後片付けが楽だから」
 勝手に決めて進める町田。背を向けたまま、唐沢に問うてきた。が、その声とやかん
に水を満たす音が被さり、唐沢は聞き取れなかった。
「何て言った?」
「用事ってもしかして純子のこと?って聞いた」
「どうしてそう思うんだ」
「そりゃあ、今現在、あんたから私に直接関係のある個人的な用事があるとは考えにく
い上に、このお菓子」
 と、町田は紙袋から取り出した個包装のどら焼きを、皿にそのまま載せ、唐沢の前の
テーブルに置いた。
「鈴華堂の『すず』から、『涼原』を連想した。それだけ」
 そう説明されて唐沢も、無意識の内に鈴華堂へと足を運んでいたのかもしれないなと
感じた。
「で、当たってるのかしら」
 聞きながらコーヒーカップにお湯を注ぎ終えた町田は、テーブルまで慎重に運んで来
た。唐沢が目の前に置かれたカップに目をやると、お湯の量が若干、多かったようだ。
揺らすとこぼれかねない。
「当たってるよ。おかげで段取りが狂っちまった」
「段取り?」
 唐沢の正面に座り、自身の分の菓子を空けた町田は、手つきを止めて聞き返した。
「こっちの話」
 コーヒーを前に、“お茶を濁した”唐沢は、その段取りを練り直しに掛かった。元
は、以前に相羽の留学話が出た頃のことを話題にして、当時の相羽が純子に前もって打
ち明けるべきだったかとか、女子の気持ちとしてはどうされるのが最善なのかとか、そ
ういった話をしつつ、流れを見て、現在の留学について口外してみるつもりでいた。
(それなのに、涼原さんに関係することだと先に看破されちゃあ、やりにくいじゃない
か。かといって、他にきっかけはありそうになし。ここは一つ、正面突破で)
 心を決めた唐沢は、気持ち、背筋を伸ばした。相手を見据える視線も真っ直ぐにな
る。
「何よ」
 変に映ったのか、町田が速攻で聞いてきた。
「芙美は今でも口が堅いよな」
「うん? そりゃまああんたと比べたら」
「客観的にでも堅いだろう。そうと見込んで打ち明けるんだからな」
「――分かった。他言無用ね」
 唐沢の真っ直ぐさが伝わったか、町田も居住まいを正した。
「昔、相羽が外国の学校に行くかもって話があったのは覚えてるか」
「もちろん。居合わせたわけじゃないけれども、かなり驚かされたし、記憶に残って
る」
「そのときの縁が、今でも続いているらしいってのも分かってるよな。エリオット先生
のこととか」
「うん」
「どうやらその縁がまた強まったみたいなんだ。はっきり言えば、相羽の奴、J音楽院
への留学を決めたって、俺に伝えてきた」
「えええ? まじ? 担いでんじゃないでしょうね」
 途端に疑いの眼をなす町田。唐沢は肩をすくめ、大げさに嘆息した。
「驚きよりも疑いの方が大きいとは、よっぽど信用されてないのね、俺」
「だって、あまりにも突飛だから……」
「悪ふざけでこんなこと言わねえって。で、問題は、相羽はまだ言ってないんだわ、涼
原さんに」
「……おかしい。普通、恋人が一番でしょうに。何でまたあんたに」
「知らんと言いたいところだが、理由は一応ある。あいつが留守の間、涼原さんの護衛
役を頼まれた」
「え? できるの? 見かけ倒しのくせして」
「ひどいなあ。小学校のときの体育で相撲をやったとき、俺、いい線行ったんだぞ。ク
ラスで二番ぐらい」
「どういうアピールよ。あんたは小さな頃からテニスやってて、腕だけは筋肉ついてた
から、そのアドバンテージで勝てただけじゃあないの?」
「そういう説もある」
「まったく。護衛云々は分かったわ。相羽君が純子に言ってないのは確かなのかしら」
「俺に護衛を頼んできた時点で、まだ言ってなかったのは間違いない。その後は分から
ないが、打ち明けたなら涼原さんの態度に出ると思うし、相羽だって俺にそのことを知
らせてくると思う」
「……」
 カップに視線を落とし、沈黙した町田。その様子を前にして、唐沢も黙る。
(事情を把握したところで静かになるってことは、やっぱ、難しい問題なんだな。悪い
な、巻き込んでしまって)
 今からでも「嘘でしたー」とか言って、なかったことにしてやろうかという考えがよ
ぎる。もしそんな行動に出たら、ぶっ飛ばされそうだが。
「日にちは?」
 目線を起こした町田の質問を理解するのに、少しだけ時間を要した。
「うん? ああ、相羽が行く日ね。八月の早い段階のはずだ」
「あんまり時間ないわね。送別会すら開く暇がないかも」
「おいおい、心配するとこ、そこか?」
「うるさい。考えてるのよ。あんたとしては、どうしたいのよ」
「当然、相羽の口から早く伝えさせて、涼原さんに心の準備をしてもらいたい」
「基本的には賛成だけど……今、純はどのくらい仕事やってるんだろ?」
「俺に分かるわけが。てか、そんなこと気にする?」
「当然でしょ。ショックを受けた純が、仕事も何も手に付かなくなることだってあり得
る。そう危惧してるの」
 言われてみて、自分も多少は考えていたんだっけと内心で首肯する唐沢。表には出さ
ず、「その辺は、相羽のお袋さんがうまくやるに決まってる」と適当に答えた。
「それもそっか。相羽君の留学を認めた段階で、純子の仕事のことにも考えが及んでい
るはず。……でも、最終的には純子の気持ちの問題だわ。フォローが必要になるかも」
「あー、そんときは芙美ちゃん、頼む。他の二人――富井さんと井口さんも呼んで」
「気軽に言ってくれる。あーあ」
 テーブルに両肘を突き、組んだ手の甲側に顎を乗せた町田。
「そんなことよりも、相羽君に、純子へ打ち明けるよう促す方法よね。……純子の方に
それとなく仕向けて、純子から尋ねるように持っていく?」
「うーん、涼原さんから直接問われたら相羽も正直に言うだろうけど。それって事が済
んだあと、俺達涼原さんから恨まれないか? 知っていて隠していたのねって」
「恨みはしないでしょうけど、気持ちはよくないかも」
「そういうのは避けたいよな。……食わないのかな?」
 ほぼ忘れかけられていたクロワッサン風どら焼きを、真上から指差した唐沢。町田は
黙って、一口分をちぎり取った。
「……悪くはない。けど、やっぱりカロリーが気になる風味だわ」
「次はフルーツを使ったやつにでもするか」
「果物の糖分も、ばかにはできないのよ」
 唐沢もそのぐらい知っている。言い返そうと思ったが、またまた脱線が長くなるのは
考え物なので踏み止まる。
「さっき話に出た、相羽君のお母さんに促してもらうのが、一番安心できる線だと思
う。ただ、端から見て相羽君とこって、自主性を重んじる感じが強い気がしない?」
「まあ同意する。少なくとも俺のとこよりは」
「だから母親として、ぎりぎりまで待つんじゃないかな。いつがタイムリミットのライ
ンなのかは分からないけど」
「下手すると、相羽が涼原さんに打ち明けなくてもよし、旅立ってから伝えるとか考え
ていたりして。自主性を尊重するってのは、そういうことだろ」
「間接的に仕事への影響が予想されるんだから、さすがにそれはないと思う。……人の
心情を推測してばかりじゃ始まらないわね。いっそ、私達で相羽君のお母さんにお願い
してみる?」
「……そこまでやるのって、相羽を直にせっつくのと変わらない気がするぞ」
「じゃあ、そうしようじゃないの」
「ん?」
「あんた、純子から恨まれるのは嫌でも、相羽君からならちょっとくらい恨まれたって
平気でしょ?」
「平気じゃないが、『これまでいい目を見てるんだから、ちったぁ悩んで苦しめ!』く
らいは思ってる」
 割と本心に近いところを吐露した唐沢。町田は口元で意地悪く笑ったようだ。
「それなら、こういうのはどう? 相羽君を早く知らせざるを得ない状況に持ってい
く。例えば、『純子が、相羽君のお母さんが海外留学の本を持っているのを見て、気に
なっているみたいなの。何かあるんだったら、早くきちんと言った方がいいんじゃな
い?』とか」
「うむ。効果はありそうだが、直球勝負だな」
「今のは即興だから。もっと遠回しに、純子の目の前で、誰か男子が相羽君に九月以降
の予定を聞く場面を作るってのもいいんじゃない? 曖昧に返事するだけの相羽君を目
の当たりにして、純子は妙に思って聞く」
「うーん、そっちの方がましかな」
 チャンスがあれば試してみよう。でも、留学話を知っている自分が相羽の前で知らん
ぷりして予定を聞くわけにはいかないので、誰かに頼む形になる。
「実行に移すのなら、早めにね」
 唐沢の頭の中を覗き見たかのように、町田が言った。
「早くしてくれないと、私、言ってしまいそうだわ」
「おい、他言無用だからな」
「分かってるわよ。正直言って、久仁香達でさえ、相羽君が海外留学するって知ったら
泣くかもって思う」
「――それなんだけど、白沼さんはどうなんだろ」
「うん? 泣くかどうか? 知らない。ただ、人づてに知った場合、真っ先に相羽君の
ところに飛んで行って、確認しそうだわ。それか、純子に詰め寄る。『何でしっかり引
き留めておかないの』とか何とか言って」
 容易にその場面が想像できて、ちょっと笑った。
「ありがとな。相談に乗ってくれて。参考にさせてもらう」
「どうぞどうぞ。私だって、今まであの二人には何かと気を遣わされて、その挙げ句に
幸せにならないってんじゃ許さない。そういう気持ちあるからね」
 意見の完全な一致をみた。唐沢は言葉にこそしなかったが、思わず微笑んでいた。

            *             *

 VRのプラネタリウム体験は、想像していたのとは違ったところもあったが、充分に
楽しめた。宇宙旅行をしているような気分を満喫できて、でも映像酔いを起こすような
ことはなく、これならしばらくはお客さんが途切れることはなさそう。
「それで……」
 相羽は懐中時計を仕舞いつつ、面を起こした。エントランスホールは人の入れ替わり
の波が起きていて、下手に動くと離ればなれになりそうだし、突っ立っていては邪魔に
なる。だから、純子達四人は壁に半ばもたれかかるようにして横並びに立っていた。
「このあとはどうする予定なの?」
 前々日、女子から急に誘われた相羽は、今日の行程について何も聞かされていない。
「帰りの時間を計算に入れると、たっぷり余裕があるわけじゃないけど、折角だから話
題のスイーツでも」
 隣に立つ純子を二つ飛び越え、結城が答える。
「厳密には、みつき前まで話題になっていた、今は流行遅れのスイーツです」
 間にいる淡島が付け足す。それにしても、身も蓋もない。
「でも、二人きりになりたいと言うんだったら、私達だけで行ってくるわ。帰りはまた
合流になるけどね」
 結城がからかい混じりの口ぶりで水を向ける。純子は思わず、「マコ!」と声を上げ
た。
 一方、相羽の方は案外冷静なままで、「いや、それはまずいでしょ」と第一声。
「今日は元々、純子ちゃんが先延ばしになっていた遊びの約束を果たすため、結城さん
と淡島さんを誘ったと聞いたよ。だったら――」
「純子ってば、そんな誘い方をしたの。ばか正直に言う必要なんてないのに」
 今度は呆れ口調になる結城。淡島も追随する。
「そうですわ。こちらとしては、二人きりになったところをこっそり追跡して、覗き見
するつもりでしたのに」
「嘘!?」
「半分ぐらい嘘です」
 残り半分は本気だったのねと、苦笑顔になる純子。
「あのー、そろそろ人も減ってきて、動きやすいタイミングなんだけどな」
 相羽は結城とは別の意味で呆れ口調になりつつ、促した。そして再び時計を見やる。
「さっきから時間を気にしてるみたいだけど、早く帰りたいとか?」
 目聡く言ったのは結城。純子が気付けなかったのは、今ちょうど相羽が斜め後ろにい
る形だから。
「いやいや、そんな失礼なことは。もしも行くところが決まってないのなら、行きたい
場所がなきにしもあらずだったから。問題は、一定時間を取られるのと、必ずカレーラ
イスが出される」
「カレー?」
 今日は土曜で、プラネタリウムに来る前、もっと言えば電車に乗る前に昼食は済ませ
ている。そこそこ時間が経っているものの、カレーライスが入るかどうかは微妙なお腹
の空き具合だ。
「いいじゃない。スイーツはパスして、そっちに興味ある。もしかして、相羽君の定番
デートコースだったり?」
「残念ながら外れ。何たって、忙しい純子ちゃんと来るにはちょっと遠いから」
「それよりも、そのお店だか施設だか、お高くはありません? 開始時間が定められて
いるとはつまり、何らかの催し物があると想像できるのですが」
 淡島が恐る恐るといった体で尋ねる。
「そもそも、何のお店なのかを聞いていませんし」
「あ、マジックカフェだよ。学生千円」
 千円ならどうにかなる。それよりも、マジックカフェというあまり聞き慣れない名称
の方が気になったようだ。純子が聞く。
「多分だけど、マジックを見せてくれるカフェ?」
「うん。マジックバーのカフェ版。ほんとに行く気になってるんなら、動こうか」
 異論なしだったため、壁際から離れて外に向かう。
「予約とかチケットとかは?」
 先頭を行く相羽に着いていきながら、結城が尋ねた。
「必要なし。必要なタイプの店もあるみたいだけれども、これから行くところは大丈夫
だよ。満席だったら、少し待たされるかもしれないけれどね」
「相羽君は行ったことがあるの、そのお店に」
 今度は純子がちょっぴり尖った調子で聞く。連れて行ってもらったことがないのが不
満なのではなく、他の誰かと一緒に行ったなんてことになると、少しジェラシーを感じ
てしまうかも。
「ある、だいぶ昔に母さんと」
 地下鉄駅への階段が見えてきた。そこを下り始める。
「え。それって何年前?」
「だいたい五年前。大きな買い物のついでに寄ってもらったんだ」
「待って、ちょっと心配になってきた。五年前に行ったきり?」
 先を行く相羽のつむじを見つめる純子の目が、不安の色を帯びる。が、明るい返答に
その色はすぐに消えた。
「今も店があるかどうかって? 一応調べておいた。値段も変わらず、営業中だった
よ」
 相羽の言う駅までの乗車券を買って、程なくしてホームに入って来た車輌に乗る。三
駅先で実際の距離も大したものではないようだから、時間に余裕があれば歩きを選ぶだ
ろう。灰色の壁面を持つ、飾り気のないビルが見えたところで相羽が言った。
「あのビルの三階に入ってる店なんだけど、そういえば昨日調べたときに、隣は占いの
店になってたっけ。淡島さん、興味あるならあとで寄る?」
「お心遣いをどうもすみません」
 歩きながらぺこりとお辞儀する淡島。
「時間があるようでしたら、寄りたいと思います。でも本日はお二人のことが最優先で
すから」
 これには純子が反応する。
「いいよいいよ。こっちはマコと淡島さんのために今日を使おうと思ってるんだから」
「先程のプラネタリウムまでで充分です」
「私の気が済まない」
 歩みを止めそうになる二人を、相羽と結城が後ろに回って押した。
「はいはい、時間が勿体ない。ていうか、相羽君、間に合いそう?」
「うん、余裕。お客さんも少なそうだし」
 確かに、土曜の午後、往来を行き交う人の混み具合に比べ、ビルを出入りする者は皆
無と言っていい。
 重たいガラスの扉をして中に入ると、意外にも?空調がちゃんと効いていた。左手に
あるフロア毎の図で念のため確認してから、エレベーターに。三階に着いて降りると、
そこそこ人がいた。それまでは幽霊ビルなんじゃないかと感じさせるくらい静かだった
め、ちょっと安堵。尤も、人々のお目手当はマジックカフェ『白昼の魔法』でもなけれ
ば、占いの店『クロス』でもないようだ。フロアの大半を占めるゲームコーナーと、奥
まった場所にある市民講座か何かの教室に人が集まっている。
「何時に入ってもいいんだけど、九十分の時間制……でいいのかな」
 小さな頃の記憶だけでは不安に感じたか、相羽は店先まで小走り。壁に掲げてある板
書の説明に目を通す。
 その間、純子達は隣の占いショップに目を向けた。
「占い師がいて占うだけでなく、関連グッズもあるみたいだね」
「占い師は日替わり……今日は違うみたいですが、一人、かなり有名な方がいます。
マーベラス圭子師は著書が多く、テレビ出演も何度かあるはずです」
 さすがに詳しい淡島。ただし、その有名占い師が今日の当番ではないことを、さほど
残念がってはいないようだ。
 と、そこへ相羽が戻ってきた。
「今なら貸し切り状態。入店すれば、すぐにでも始めてくれるって」
「いいんじゃない?」
 純子が女子二人に振り返る。すると、淡島が急にきょどきょどし出した。
「うん? どうかした?」
「あ、あのう。お客さんに手伝わせるマジックは苦手です。それはなしということで…
…」
 貸し切り状態と聞いて不安を覚えたようだ。
「絶対にないとは言い切れないけれども、あったら僕が引き受ける。アシスタントは女
性がいいと言われたら、純子ちゃんか結城さんに頼む」
「もちろんかまわないわよ」
 ようやく入店。中は昼間だというのに、カーテンをほぼ閉め切っている。照明も豊富
とは言えない。その雰囲気のせいで、若い女性店員のいらっしゃいませの声までも明る
い調子なのに、獲物を待ち構える獣の冷笑を伴っているかのように届く。
「何名様ですか」
 手振りを交えて四名であると伝えると、先払いでお会計。次にテーブル席がいいかカ
ウンター席がいいかを問われた。カウンター席は、バーなどでもよく見られるタイプ
で、細くて高いストールが並んでいる。テーブル席は、通常のファミリーレストランや
喫茶店などで見られる物よりは低く、椅子もソファだ。
「カウンターの方がステージに近い反面、お客様同士が重なって並ぶため、手前の席の
方ほど見えにくくなるかもしれません」
 店員のそんな説明を受け、純子らは眼で短く相談し、「じゃあテーブルでお願いしま
す」と答えた。その頃には、フロア全体を照明が行き渡り、最初より随分明るくなって
いた。
 着座するとおしぼりを出されると同時に、カレー及びドリンク二杯分の注文を求めら
れた。それぞれ数種がラインナップされている。カレーはルーの違いだけで、トッピン
グの類はない。ドリンクは昼専用のメニューなのか、アルコール飲料はなかった(あっ
ても純子達は注文できないけど)。
「どうしよう、ココナツミルク入りカレーに惹かれる」
「いいんじゃないの。言っておくけど、胡桃みたいなナッツが入ってるわけではない
よ」
「分かってるって。胡桃好きだからって選んだんじゃないんだから」
 純子と相羽のそんなやり取りを見せられ、結城と淡島は顔を手のひらで扇ぐ仕種に忙
しい。
 注文が決まったところで女性店員がカウンターの向こうに引っ込み、代わって薄手の
眼鏡を掛けた男性店員が出て来た。年齢は、大学生かもうちょっと上くらい。顔立ちは
優しげだが後ろに撫で付けた髪が多少はワイルドな雰囲気を加味している。お客に舐め
られないようにするためかもしれない。ところが口を開くと、その声は顔立ちにも増し
て優しげかつ頼りなげだった。
「はい、では、お食事を出せるまでの合間に、まずはご挨拶代わりに始めさせていただ
きたいのですが、あ、私、卓村欽一(たくむらきんいち)と申します。覚えなくてもい
いですよ、名刺をお渡ししますので」
 愛想のよい笑みを浮かべた卓村は、カードを配るときみたいに名刺大の紙を四枚、
テーブルに置いた。それはしかし名刺にしては変だった。名前が印刷されてしかるべき
箇所に、一文字しかない。しかも四枚とも異なる漢字だ。それぞれに「卓」「村」「
欽」「一」と書いてある。
「おっと、失礼をしました。慌てて、試し刷りの分を出してしまったようで。すみませ
ん」
 卓村は四枚の紙を集めて回収。手のひらで包み込むように持つと、トランプのように
扇形に広げた。すると最前までの漢字が消え、卓村欽一と記された名刺になっていた。
 純子達は拍手を送った。
「これでよしと。では改めまして、お受け取りください」
 卓村にそう言われても、しばらく手を叩き続ける。挨拶代わりでこの鮮やかさ。続く
演目にも期待が高まる。
 もらった名刺をためつすがめつしてみるも、種は分からない。
「あー、あんまり見ないで。種がばれたら恥ずかしい。皆さんは高校生ですか?」
「はい」
 純子と結城の返事がハモった。
「今まで、マジックを生で観たことはあります?」
 卓村の目線が結城に向く。結城はちょっと小首を傾げて間を取り、「プロはないで
す」と答えた。
「えっ、ということはアマチュアならあると。もしかして、皆さん奇術クラブか何か
で、やる立場だったりするなんて」
「いえいえ。やるのは一人だけ」
 結城が相羽を指差し、純子と淡島も目を向ける。
「あ、そうなんだ。じゃあ、詳しいんだろうなー。種が分かっても、女子三人には教え
ないでね」
「もちろん。それ以前に見破れないと思いますけど」
「うわ、ハードル上げられたなあ。それじゃあ予定していたのと違うのを……」
 その言葉が真実なのかは分からない。卓村は紙のケースに入ったトランプカード一組
をポケットから取り出し、皆に示した。次いで中から本体を出し、表面を見せる。新品
ではないからか、順番はばらばらだ。
「ヒンズーシャッフルをするから、好きなタイミングでストップを掛けてください」
 言われた相羽が頷くと、シャッフルが始まる。五度ほど切ったところで、相羽が「ス
トップ」と声を発した。卓村はその状態で手の動きを止め、左手にあるカードの山を
テーブルに置き、次にそこに十字になるよう、右手に残るカードの山を重ねる。
「さて、ちょっとした個人情報を伺いたいのだけれど、だめだったらはっきり断ってく
れてかまいません。彼女達三人の中で、一番親しい人は?」
「それは」
 多少の躊躇のあと、隣に座る純子に顔を向けた相羽。純子はそれなりに手品慣れして
いるため、何か来るかと身構える。が、卓村は穏やかな調子のまま話し続けた。
「そうですか。正式にカップルかどうかまでは聞きません。では、さっきストップと言
って分けてもらったここ――」
 と、十字になったトランプの上の部分を持ち上げる。全体をひっくり返し、その底に
あるカードを全員に見せた。スペードの6だった。卓村は空いている手でポケットから
黒のサインペンを出し、相羽に渡す。それから「このカードにささっとサインしてもら
えますか」と、右手のカードを山ごと持ったまま、相羽の前にかざした。
「名前でなくても、目印になる物なら何でもかまいません。このカードを特別なスペー
ドの6にするためですから」
 相羽が記したのは馬の簡単な絵だった。
(……愛馬の洒落?)
 相羽の横顔を見ながらそんなことを感じた純子だったが、もちろん声には出さない。
「はい、どうもありがとうございます。このカードはこうして裏向きにして、よそに分
けておきましょう」
 カードを手の中で裏返した卓村は、言葉の通り、テーブルの端にそれを置いた。
「今度はあなたの番ですよ」
 純子に話し掛けた卓村は、最前と同じようにシャッフルをし、止めさせた。先程と違
って、十字に置くことはせず、ストップした時点で右手のカードの山を表向きにする。
現れたのは、ハートの8。これまた同じく、純子がサインをする。ここは流麗なタッチ
でさらさらと。
「お、芸能人みたい」
 おどけた口ぶりを挟む卓村。純子が本当にタレント活動をしていることは知らないら
しい。結城が忍び笑いを浮かべるのが純子から見えた。思わず、しーっの仕種。
 そんなやり取りを知ってか知らずか、卓村のマジックは続く。右手にあった表向きの
カードの山に、名前の入ったハートの8をそのまま見える形で適当に押し込む。さっき
取り分けた相羽のカードは、裏向きのまま、もう一つの山に差し込まれた。さらに二つ
の山を、全体で裏向きになるように重ね、軽くシャッフル。
「これでお二人のカードはどちらも、どこにあるか分からなくなった」
 純子達が首を縦に振ると、それを待っていたみたいに「――と思うでしょ。実は違う
んだな」とマジシャン。カードの山をテーブルに置き、まじないを掛けるポーズを取
る。
「まずは君から」
 相羽に視線をやったあと、「来い! 姿を現せ!」と叫んだ。その拍子にカードが飛
び出す……なんてことはなく、卓村はカードの山に手をあてがい、横に開いていった。
当然、裏向きの柄が続く。が、その中に一枚だけ白が見えた。指先で前に押し出すと、
スペードの6と分かる。相羽による馬の絵もある。
 女子三人から「うわ」「凄い」「こんなのあり得ないわ」と驚きの声が上がる中、卓
村は表向きにカードの山を揃えた。テーブルに残ったスペードの6を指差し、純子に
「じゃあ、あなたの番です。そのカードを好きなところに押し込んでください」と指
示。純子は右手人差し指と親指とで端を摘まみ、スペードの6を山の中程に差し入れ
た。
 卓村はずれを修正しつつカードの山を裏向きにしてテーブルに置く。
「さあ、ハートの8も、恥ずかしがらずに顔を見せて。来い!」
 まじないポーズとかけ声を経て、再び、カードの山を横へと扇に広げていくと……
ハートの8だけが表向きになって現れた。言うまでもなく、純子のサイン入り。
「嘘でしょ」「分かんなーい」「だからあり得ないって」
 女子三人が騒ぐ横合いで、例によって相羽は驚いているんだかどうだかはっきりしな
い。が、目を見れば感心しているのは分かる。
 驚きの反応が収まったところで、卓村が告げる。
「ここまで、マジックだと思って観てこられたでしょうが、実は占いでもあるんです
よ」
 占いと聞いて、ぴくりと身体が動いた淡島。さっきよりも身を乗り出している。
「占いの結果を示すために、あなた、手のひらを上向きにして、右手を出してくださ
い」
 言われた純子がその通りにすると、卓村は相羽にも同じ指示をした。厳密には右と
左、手のひらの上下は違っていたが。
「これからこのハートの8を彼女の手のひらに置きます。君はカードを挟むようにし
て、彼女の手を優しく握ってください」
「はあ」
 表向きに置かれるハートの8。そのサイン入りカードを相羽の左手が覆い隠す。
「もう少し強く握って。そう、バルスと呪文を唱えるアニメ映画ぐらいには強く」
 マジシャンのジョークに苦笑しつつ、純子は相羽の手から伝わる力が強まったのを感
じた。
「そのままの姿勢をキープして。そちらのお二人も冷やかしの目で見ないようにね。よ
い目が出るかどうか、大事な分かれ道だから」
 淡島と結城にも注意を促すと、卓村は残りのカードの山を左手に持ち、その縁に右手
指先を掛けた。そしてカードをぐっと反らせる。狙いは相羽と純子の重ねた手。
「この中にある彼のカード、スペードの6を飛ばします。ようく見ていて……」
 一瞬静寂が訪れ、コンマ数秒後にマジシャンが右手をカードから離す。ばさばさっと
短い音がして、カードの反りが戻った。
「……何にも飛んでないような」
 結城が最初に口を開く。淡島はうんうんと頷いた。
「あれ? 見えませんでした?」
 卓村は相羽と純子の方を見た。
「お二人も? たとえ目で捉えられなくても、感触に変化があるはずなんだけど」
「いえ、特に何も……」
 純子は答えて、ねえ?と相羽に同意を求める。相羽も「感触は同じままですね」と微
笑交じりに卓村に答えた。
「さてさて、困ったな。まあいいや。手のひらを開けてみれば、結果は明らか。まさか
失敗ってことはないと思うけど、万が一失敗だったら、より仲よくするようにご自身で
努力してね」
 身振りで促され、相羽は左手をのける。四人の観客の視線が、カードに注がれた。純
子の右手にあるのは相変わらず、ハートの8だけ。四人の視線は卓村へ移った。
「おっかしいな。よく見てみて。一枚に見えるけれど、二枚がぴったり重なっているの
かも」
「そんなことは」
 純子は左手でカードを持ってみた。指を擦り合わせるようにして確かめるも、やはり
一枚しかない。と、その目が見開かれる。
「――わ!」

――つづく




#519/520 ●長編    *** コメント #518 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/30  01:12  (363)
そばにいるだけで 67−5   寺嶋公香
★内容                                         18/12/31 17:29 修正 第3版
 純子が放り出したハートの8はひらりと舞って、テーブルに裏向きに着地。そこには
裏の模様ではなく、スペードの6が。相羽の手書きの馬もしっかりと描かれてある。
「これは」
 相羽がカードを拾い上げ、改めて一枚であることを確かめた。片面がハートの8、片
面がスペードの6でできた一枚のトランプカード。
「これは素晴らしいですね」
 結城と淡島にカードを回してから、相羽は感想を述べた。
「ありがとうございます。結果も気に入ったでしょうか? それぞれ選んだカードが一
枚になって、お二人は離ればなれになることはない、と」
(あ、そういう意味だったのね。驚くのに忙しくて、気付かなかった)
 頬を両手で押さえる純子。赤くなっているであろう肌を隠す。
 右隣の相羽も占いのニュアンスにまでは思い至っていなかったのか、遅れて「……そ
うですね」と答えた。
「――分かりましたわ」
 と、不意に手を打ったのは淡島。
「え? 種が分かったの?」
「いえいえ。そんな眼力、私にはございません。占いというのはジョークだったんです
ね」
 彼女の受け答えに、マジシャン以外がきょとんとなる。逆に、卓村はほっとしたよう
だ。
 淡島は両表になったカードをちょんちょんとつついて言った。
「ハートの8とスペードの6、どちらも表で裏がなくなった。つまり、うらない、で
す」
「ああ、オチを言われてしまった」
 卓村が片手で目元を覆い、天井を仰いだところで、挨拶代わりのマジックは終了。卓
村は下がり、最初に応対してくれた女性店員が四人の前にドリンクとカレーを運んでき
た。
「ご注文は以上で間違いないでしょうか」
 にっこりと微笑みかける女性店員。結城一人が異を唱えた。
「あのー。メニューは間違ってないですけど、私のスプーン……」
 見れば、彼女の握るスプーンはくにゃくにゃに曲がっていた。
「あ、これは失礼をいたしました。超能力マジックで使用した物が、紛れ込んでしまっ
たようです」
 女性店員は曲がったスプーンを結城から返してもらうと、奥に交換に行く――と見せ
掛けて、再度向き直る。
「お一人だけ食べ始めるのが遅くなるのもよくないですよね。こうする方が早いかと」
 店員が左手に持ったスプーンを何度か振って、右手で撫でるような動作をした。右手
が退けられると、曲がっていたスプーンが真っ直ぐに。
「おー」
 結城も他の三人も拍手を贈る。一礼した女性店員から、スプーンを受け取ろうとする
結城の前で、今度はスプーンがぐーんと長く伸びた。いちいち驚かされてしまって、目
を離せず、なかなか食べ始められない。
「すみません。余計な魔法まで掛けてしまいました。これでも使えなくはないですが、
あちこち触ってしまったので、取り替えますね」
 前掛けのポケットから先端を紙で包んだスプーンが登場。女性店員から「はい」と渡
される結城だったが、警戒してすぐには手を出さなかった。
「このスプーンには、何もございません。しばらくの間、お食事をお楽しみください。
あちらの店内モニターにはマジックショーの映像が流れますので、よろしければどう
ぞ」
 ほぼ正面に位置するモニターは、プロジェクター用のスクリーン大ぐらいあり、やや
粗い画像だったが、マジックの模様が映し出されていた。
「翻弄されっぱなしで、もう疲れてきたわ」
 結城がため息を吐き、カレーを一口食す。
「あら、意外と行ける」
「基本レトルトで、メニュー毎に様々なエキスを足すんだって、前に来たとき聞いた
な」
「キッチン事情の種明かしはしなくていいよ」
 純子が笑い交じりにたしなめると、「じゃあ、マジックの種明かしをしろって?」と
相羽に返された。
「そんな無粋は言いませんよー。でもまあ、分かったのかどうかだけは聞きたいかな。
特にカードが一枚にくっつくやつ」
「私も知りたいです。種が分かったとしたら、再現できます?」
「淡島さん、それって暗に、再現してくれと言ってる?」
「はい、遠回しに」
 遠回しと明言すると、遠回しではなくなる気がするが。
「うーん……ちょっと待ってて」
 相羽は食べる手を止め、しばし考えていた。なかなか答を言い出さないところを見る
と、やっぱり難しいのだろう。
「相羽君がマジックを嗜むって言ったおかげで、さっきの人、難しい演目に変更したみ
たいだけど、元々は何をするつもりだったのかな」
「スプーンを使うのがあるくらいだから、ドリンクのストローとかグラスを使った何か
かも」
「もっと簡単そうな……指が切れたり伸びたりするのとか、首が三百六十度回ったりす
るのとか?」
 純子達女子三人で勝手なことを言っていると、それがおかしかったのか相羽が考える
のを止めて話に加わる。
「僕が小さな頃に来たときは、輪ゴムのマジックだった」
「輪ゴムでマジックって何かあったっけ」
「えっと。簡単なのでよければ、こういうやつ」
 相羽はポケットをまさぐって、茶色の輪ゴム二本を取り出した。一本を左手の人差し
指と親指に掛け、もう一本をそれと交差させてから、右手の人差し指と親指で保持す
る。
「ほんとは色違いの輪ゴムを使うべきなんだけど、持ち合わせがないから勘弁。二本の
輪ゴム、間違いなく交差して、引っ張っても抜けることはない、よね」
 口上に合わせ、両手を左右に引く相羽。輪ゴムは伸びるだけで、交差が解かれること
はない。
「ところがこうして何度か同じことをやっていると」
 手を動かし、輪ゴムを伸ばしたり戻したりする相羽。と、急に動きを止め、輪ゴムの
交差部分に注目するよう、皆に言った。注目を得たところで、ゆっくりと手を動かす。
また伸びると思われた輪ゴムだが、そうはならず、一本ずつに分かれてしまった。何と
いうか“ぬるん”と擬態表現したくなるような現象だ。
「お、やるじゃない」
 結城が小さく手を叩いた。淡島は目をぱちくりさせている。
 純子はすでに見せてもらったことのある演目であったのだが、何度演じられても不思
議に見える。
「自分ができるのはこれだけなんだけど、店の人がやったのはもっと複雑なのが含まれ
ていた。もちろん当時とは違う人だからね、今日も輪ゴムマジックをやる予定でいたの
かどうかは分からない」
「私にとっちゃ輪ゴムのマジックでも充分に驚けるわ。その輪ゴム、特殊な物じゃない
のよね?」
 結城が不審の目つきをするので、相羽は輪ゴムを二本とも渡した。結城はその内の一
本を、目の前で引っ張ったりすかし見たりして調べる。と、強く引っ張ったせいなの
か、輪ゴムが切れてしまった。「あ! わ、ごめん」と慌てる結城に、相羽は首を横に
振った。
「いいよ。正真正銘、どこにでもある普通の輪ゴムなんだから」
「むぅ……それなら安心。だけど、それってつまり種がないってことかぁ。テクニック
だけでできるんだ?」
「まあ、そういうこと。ネット検索をしたら多分、分かるよ」
 カレーを食べ始めてからおよそ十五分が経ち、あらかた済んだところへ店員が来て、
食器を下げた。ドリンクも二杯目の物が新たに置かれる。さすがにこんなときまでマジ
ック的な仕掛けはなかった。食器が割れたら困るからかもしれない。
 そのあと、卓村が再登場。「またマジックでご機嫌伺いをしたいと思います」と寄席
芸人めいた入りから、ペットボトルを使ったマジックを披露。四人全員がサインしたト
ランプカードが、未開封のペットボトルの中に入ってしまうというポピュラーな演目だ
が、テレビ番組などと違い、この至近距離で観てもさっぱり分からないため、驚きが減
じられない。むしろより大きくなったかも。
 続いて、自分も超能力マジックが使えるんです、スプーンは曲げられないけれど云々
と前置きして、フォークをくにゃくにゃと曲げた。四つに分かれたフォークの先を、そ
れぞれ別の方向に曲げて、しかも捻るという一見すると本物の超常現象かと思える。
 最後にはフォークを元の形にして、次のマジックにつなげる。観客の一人から大事な
物を借りて、四つの紙袋の内の一つにマジシャンには分からぬよう隠してもらい、大事
な物が入った袋以外を次々にフォークで突き刺すという演目。なお、“大事な物”とし
て供されたのは相羽の懐中時計だったが、傷一つ付けられることなく無事戻って来たこ
とは言うまでもない。
 卓村最後の出し物は、トランプを使った定番のカードマジックだった。一枚のカード
を選ばせて、クラブのキングと言い当てた後、そのクラブのキングを観客に目で追わせ
る演目のオンパレード。山の一番上に置いたと思ったら二枚目になっていたり、逆に山
の中程に入れたはずなのにトップに上がってきたりと、これもテレビ等でお馴染みのマ
ジックだが、間近で見せられると凄さや巧みさがより一層伝わってくる。
 クラブのキングの彷徨いっぷりはエスカレートし、テーブルの端に一枚だけ別個に置
かれていたり、卓村のネクタイに貼り付けてあったり、同じく卓村の眼鏡に差してあっ
たりと、手を変え品を変えしてきたが、いずれも純子達は気付けなかった。最終的に、
淡島の座るソファの隙間から出て来た。さすがにこれは前もって仕込まれていたと想像
できるのだが、それを認めると、じゃあどうやって最初にクラブのキングを引かせるこ
とができたのかが分からない。
 純子らが手が痛くなるくらいに拍手して興奮冷めやらぬ内に、卓村は「このあと、真
打ち登場です。約三十分のステージマジックをご堪能ください」と言い残して引き下が
った。
 感想を述べるほどの間はなく、正面のスクリーン型モニターが機械音と共に引き上げ
られ、ステージが見通せるようになった。舞台袖から登場したのは、相羽らが入店して
からまだ一度も姿を見せていなかった、お洒落な顎髭のマジシャン。彫りの深い顔立ち
に加え、大げさな黒の燕尾服とシルクハットのせいで、魔術師と呼ぶ方がふさわしそう
だ。
 演者は自己紹介の前に手から次々とトランプを出してみせた。この辺で終わりだろ
う、もう出ないだろうというタイミングで一度手を止め、また次々にカードを出して宙
を舞わせる。左右どちらの手からも出現するし、両手を組んだ状態でもカードは現れ
た。しまいには脱いで逆さにしたシルクハットから、大量のカードが滝のように流れ落
ちる。
 ステージ上は当然、カードが散乱して足の踏み場がないほどに。卓村ら店員達が出て
来て、モップで片付けていく。
「えー、この間を利用して、挨拶をさせてもらいます。初めまして、ダンテ伊達(だ
て)と申します。濃いめの顔なのでたまに誤解される方もいらっしゃいますが、もちろ
ん芸名で、西洋の血が混じってることもありません。あしからず」
 散らばったカードが片付けられ、ステージの片隅には一本足の台が置かれた。卓上に
は直方体の箱や透明なグラス、花瓶など小道具がいくつか。伊達は空いたスペースにシ
ルクハットを載せると、次の演目に取り掛かる。
「先程お見せしたのは、マニピュレーションと言って基本的に、指先のテクニックだけ
で行う奇術です。あ、基本的にと言ったのは色々組み合わせたり、カードの補充にあれ
したりと事情があるので。嘘をつけない性格なもので、白状しておきます。それで、店
の者から聞いたところだと、皆さんはそこそこマジックに詳しいとか」
 四人まとめて言われるとどう返事していいのか困る呼び掛けだが、ここは結城が率先
して「私達は観る専門で、やるのは彼だけ」と相羽を指し示しておいた。
 伊達は承知しているという風に頷き、「何かに気付いたり変な物がちらりと見えたり
しても、やってる間は言わないで。これ、マジシャンとお客との大事な約束」と指切り
のポーズをした。
「さて、そういったマジック慣れした人達に、同じようなネタを見せてもつまらないで
しょう。折角準備したのだけれど、取り外します」
 そう言って伊達が宙を掴むと、右手の指先には金色に光るコインが一枚現れた。台を
引き寄せそこにある花瓶の中に入れると、ちゃりんと音が響く。と、次に左手で宙を掴
むとまたコインが。花瓶に入れるとちゃりん。これを繰り返して、何枚もコインが出現
する。途中、ステージを降りてテーブル席まで来た伊達は、淡島の肩口、結城の耳元、
純子のつむじ、そして相羽の飲み物のグラスの底からコインを出してみせた。
「コインはこれで多分片付いたと思うんですが、まだ他にも仕込んでまして」
 テーブルに右手のひらを押し当てる伊達。そのまま前後に擦る動作をすると、赤い球
が現れた。布か何かでできているようだが、手の中に簡単に隠せるとは思えない大きさ
になる。左手でも同じことをすると、今度も赤い球が出て来たが、右とは異なり、小さ
い。ただし数がやたらと多かった。三十個ぐらいあるだろうか、あっという間にテーブ
ル上に溢れ、転がった。
「それから、これも出しておかないと」
 ステージに戻った伊達は、今度はCDかDVDのディスクと思しき銀色の円盤を手か
ら出した。あんな固そうな物を次々に出現させ、マジシャンの手は赤、青、黄、緑……
とカラフルなディスクで一杯になる。それらを台に置くと、またディスクを出し、今度
は手の中で色がチェンジするおまけ付き。八枚出したところで一揃えにしたかと思う
と、自身がくるりと一回転。観客の方を向いたときにはディスクは巨大な一枚になって
いた。
「これで全部出し切ったかな。――あ、いや、もう一つだけ、最初のトランプで忘れて
おりました」
 口からトランプを出す一般にも有名なネタで、一連の演目を締める。
「ふう。やっと身軽になった。これでやりやすい。ところで皆さんは、お花と蛇、どち
らが好きですか」
 唐突な質問に戸惑う一行。一拍遅れて、「そりゃまあ、花になるでしょう」と相羽が
答える。
 伊達はふむと首肯し、花瓶を手に取った。逆さに振ってコインを取り出すのかと思っ
たら、花が五、六本ととぐろを巻いた蛇のおもちゃが出て来た。さっき入れたはずのコ
インは? 疑問を見て取ったらしい伊達は、蛇のおもちゃの首根っこを押さえて言っ
た。
「ああ、さっきのコインならこの蛇が飲み込んでしまったようだ。ほら」
 空のグラスに蛇を傾けると、その口からコインがあふれ出た。グラスを五割方埋めて
止まる。
「蛇はお嫌いとのことなので、使わないと」
 そう言うなり、蛇のおもちゃを観客席に向けてアンダースローのように投げる格好を
した伊達。次の瞬間、蛇のおもちゃはつーっと空中を泳ぐように伝った。勢いがあっ
て、まるで生きているかのよう。テーブルの端まで来て止まった。前触れなしに目と鼻
の先に蛇が来て、さしもの相羽もソファごと数ミリ後ずさり。
「び、びっくりした」
 この日初めて驚きを露わにした相羽に、伊達は満足げな笑みを浮かべ、髭をひとなで
した。
「その蛇は差し上げます。嫌いなら置いていってもかまいません」
「いただきますよ。面白い」
 相羽が手を伸ばすと、蛇のおもちゃはことっと音を立てて、横倒し?になった。今際
の際に最後の反応を示したみたいで、何だか薄気味悪い。それでも相羽は手に取ると、
もう一度「面白い」と呟いた。
「こちらの花はどうするかというと」
 伊達は台の上にてんでばらばらに置かれた花を見下ろし、両手をかざした。
「生きているようで死んでいた蛇とは逆に、死んでいるようで生きているのがこの花た
ちなのです」
 そう説明するや、顎の近くで揃えていた両手を、急に左右に開いた。そうすると目に
見えない力でも働いたみたいに、花が動いた。ある物は立ち、ある物ははじけ飛び、ま
たある物は浮かび上がる。伊達は浮かび上がった一輪をキャッチし、「この子が最も活
きがいい」なんて宣った。
「うまくすれば、お客さんの目の前でも飛び上がるかもしれない」
 またもステージを降り、テーブルまでやって来た。純子、結城、淡島の三人からほぼ
等距離になるテーブル上の一点に花を置く。
「もしうまく行ったら、キャッチしてください。棘はありませんから、思い切り掴んで
も平気です」
 そう言って皆を花に注目させてから、最前と同じように両腕をかざす。あたかも念じ
ているかのようなポーズがしばらく続き、だめかなと思わせるぐらいまで引っ張って―
―一気に動かした。花はマジシャンから見て左側に跳ね、純子の目の前に落ちた。
「あらら、思ったほど飛ばなかったな。惜しい。でも、その花も差し上げます。取り合
いにならないよう、ここにもう二本持って来ましょう」
 伊達の言葉に合わせて、空っぽだった彼の両手にそれぞれ一輪ずつ、花が現れる。結
城と淡島は呆気に取られながら、その花をもらった。
「少し疲れたので、一休み。皆さん、ドリンクをどうぞ。私もいただきますから」
 ステージに再び立った伊達は、グラスを手に取ると、女性店員からコップ一杯の水を
もらった。コインの詰まったグラスにその水を注ぐ。次の刹那、コインは泡を立てて溶
け出した。金属製のコインに見えていたが、実際は発泡性の溶剤か何かだったのか。
 黄色いオレンジジュースみたいになったグラスの中身を、伊達はうまそうに飲む。半
分くらいになったところで止めて、女性店員からストローをもらった。そのストローを
グラスに挿して吸い始める。と、伊達が両手を離しても、グラスは浮いたままになっ
た。
「おおー、芸が細かい」
 ぱちぱちと手を叩く。それに応えて、伊達が手を振り、「どうもありがとう」と喋っ
た。当然、口からストローが離れ、グラスが数センチ落下した。が、どんな仕組みなの
か、宙で止まってぶらぶら揺れる。
「おおっと危ない危ない。あんまり喜ばせないでくださいよ。油断して落とすところだ
った」
 液体を干してグラスを台に置くと、伊達は直方体の箱を取った。
「休憩、終わり。ああ、皆さんは飲んでいて問題ありません。マジックを観てください
とだけ言っておきましょう。さて、この箱、そうは見えないでしょうが、パン製造機で
す。信じられない? でもこれを見れば納得するのでは」
 今、直方体の上になっている面にはつまみがある。スライド式の蓋になっているよう
だ。そこを持って伊達が開けると、中は空洞。そのことをよく示してから、伊達は蓋を
閉じ、軽く振って呪文を短く唱える。また振ると、今度は何か音がする。聞こえにくい
が、直方体が音の源なのは確かだ。
 伊達はオーバージェスチャーで蓋を開けると、これまた大げさに驚いた顔つきにな
り、直方体からロールパン一個を摘まみ出した。
「ね? これ本物ですよ。食べてみせましょう」
 宣言通り、ひと齧りしてパンの欠片を飲み込む伊達。
「うん、うまい。え? 食べて確かめたい? そうしてもらいたいのはやまやまなんで
すが、残念。このパン、賞味期限が切れてるんですよ。コンプライアンス的にお客様に
提供できません」
 その賞味期限切れを食べた口で言うのがおかしい。逃げるための冗談なのだろう。
「このパン製造機のいいところは、材料を入れなくても新しく一個出て来る点でして、
ほら、この通り」
 口上に合わせて直方体を振り、蓋をスライドさせると中には新たに一個、ロールパン
があった。
「パンが出て来るってだけでも結構なマジックだと思うんですが、これで終わりじゃな
い。ここにサインペンとメモ用紙があります。どなたかお一人、紙に何か書いてもらえ
ますか」
 伊達の手には、すでに何度か登場したサインペンと、付箋のような小さめのメモパッ
ドがあった。用紙一枚を取り、テーブル席の方に来る。
「何でもいいんだけど、時間の関係もあるから、簡単な絵か短い文でお願いします。
あ、私には見えないように。書けたら四つ折りにでもして」
 受け取った淡島が成り行きで書くことに。嫌々という様子はなく、マジックの手伝い
を恐れていたのが嘘みたいだ。
「何て書くのがいいでしょう……」
「今日の感想でいいんじゃない?」
 時間を掛けずに、ぱぱっと『楽しんでます! 緑』と書いた。緑は自分達の学校を表
したつもり。指示の通り、紙を折り畳み、「できました」と伊達に声を掛ける。
「はい、どうも。ペンと用紙は他の人が回収しますので、そのままで。折り畳んだメモ
を、この箱の中に入れてください」
 伊達が両手で持つ直方体の箱は、蓋が開けられている。そこから中に紙を放り込ん
だ。
「はい、確かに」
 伊達は蓋を閉めて。小さく振った。かさっと乾いた音がした。
「えー、さっきは言いませんでしたが、この箱――パン製造機にはもう一つ、優れた点
があります。それはプレーンなパンを作ったあとから、そのパンに具を放り込めるんで
す」
「え、まさか」
「嘘や冗談ではありません。これから実証してみせましょう。実験には、このさっき出
したばかりのパンを使います」
 台に置かれた二個目のロールパンを指差す伊達。
「私が触ると怪しいと思う向きもあるでしょうから、どなたか取りに来てくれますか」
 目を見合わせてから、それじゃあ私がと純子が席を立つ。ステージに足を踏み入れる
と、照明がちょっと眩しかった。パンを両手で包み持って、すぐに引き返す。
「大事なパンです、しっかりと大切に保管してくださいね」
「は、はい」
「繰り返し注意しておきますが、そのパンも賞味期限切れなので、食べちゃいけません
よ」
「はい、食べません」
「結構。では、こういう具合にパンを額の高さに持ち上げて」
 伊達の動きに合わせ、純子は両手を額の位置まで持っていった。舞台を見通せるよう
に腕は若干開き気味。
「その格好……ビームフラッシュとかウルトラセブンて分かる?」
 伊達が言ったが、何を意味しているのか分かる者はおらず、全員きょとんとするばか
りだった。時代を感じると口の中でもごもご言いつつ、伊達は本題に戻った。
「そのまま掲げていて。先程入れてもらった紙を、こちらから飛ばして、パンの中に入
れるからね。下手に動くと、パンじゃなくてあなたの中に入るかも」
「あはは。そのときはさっとよけます」
 ジョークにジョークで切り返す純子。伊達は「これは頼もしい」と笑みを浮かべた。
「では、そろそろ行きましょう。一瞬のことだから、お見逃しなきよう――はっ!」
 直方体が上下に一度、激しく振られた。紙が飛んで行く気配は全く感じられなかった
が、僅かながら風は起きた気がする。
「……成功したと思います。パンをこちらに持って来てもらえますか」
 純子は再び席を立った。離れる際、パンを調べたそうな相羽の視線を感じ取ったが、
勝手な真似はできない。
「台の上に置いてください。はい、どうも。戻らないで、ちょっと待っていて。さて、
このパン製造機の箱には、ナイフが付属しています。パンを切るためと、バターを切り
取るための二種類が」
 講釈を垂れながら、くだんの二本のナイフを側面から取り外す。伊達は純子が持って
来たパンを左手に、パン切りナイフを右手に、純子の顔の高さに合わせて持った。他の
三人からもよく見える。
「今からこうしてナイフでパンを切りますから」
 伊達はナイフの切っ先をロールパンの横っ腹に差し込んだ。ゆっくりと押し込みなが
ら、台詞をつなぐ。
「よく見ておいて。メモ用紙の白い色が見えてくるはず……」
 程なくして白い紙が見えた。観客は口々に「あっ」「何かある」等と声を上げる。
 伊達はナイフを引き抜き、できたばかりの切り口を純子に向ける。
「最後はあなたの手で引っ張り出してください」
 無言で頷き、紙片の角を摘まむ。さほど力を入れずに抜き取れた。
「開いて、みんなに見せてあげて」
「はい……」
 実際には開く前から、全く同じ畳み方だわと気付いていた。焦って落としたり破いた
りしないよう、慎重に開いていく。そして『楽しんでます! 緑』の文字を見付けた。
 純子は用紙を目一杯に開き、テーブル席の方に向けた。が、この小さな紙の小さな字
では読めまいと気付く。伊達に目で許可を取って、ステージを降りた。
「凄い。ほんとにさっき書いた物だね」
「おみくじのフォーチュンクッキーみたい」
「いいバリエーションだなぁ」
 メモ用紙を囲んで、三者三様の感想をこぼす。
 このあとラストとして、人体切断マジックの大ネタを観ることができた。女性店員が
ロングスカートのドレスに着替えて登場。伊達の助手(要するに切られる役)になり、
人の形を簡素化した絵の描かれた箱に入って、上半身と下半身の間辺りに鉄板二枚を差
し込み、上半身を横にずらすという演目。ずらしたあとも、箱から出た手や足の先は動
いており、表情も笑顔のまま。箱のずれを戻して鉄板を抜き取ると、無事に助手が生還
する。箱から出て来た女性店員の衣装がドレスからバニーガールに変化していた。
 見事なフィナーレに拍手喝采し、ショーは幕を下ろす。店を出るときに、簡単なマジ
ックができるカードまでもらった。
「予想以上に面白かったわ」
 店を出てすぐに結城が振り返り、言った。少々興奮気味だ。
「いい趣味してるんだね、相羽君て」
「僕とかマジックがとかじゃなくて、演じた人達のセンスがいいんだよ」
「いやいや、輪ゴムのマジックだけでも分かる。純はいいわね。彼におねだりすれば、
種を教えてもらえるんでしょ」
「そ、そんなことないって!」
 ふるふると首を横に振った純子。
「厳しいんだから。こちらが考えに考えた末に、やっと教えてくれるかどうか」
「そんな、人を鬼教官みたいに」
 そのままエレベーターを目指す三人に、背後から若干恨めしげな声が掛かる。
「お待ちください。時間はまだあると思うのですが」
 淡島だ。純子は振り返って瞬時に思い出した。

――つづく




#520/520 ●長編    *** コメント #519 ***
★タイトル (AZA     )  18/12/30  01:13  (283)
そばにいるだけで 67−6   寺嶋公香
★内容                                         18/12/31 17:39 修正 第2版
「占い!」
「あっ、ごめん」
 相羽と結城も急いで反転。占いショップの前でたたずむ淡島の元へ駆け付けた。
「せーっかく、お二人の仲を占ってもらう分、おごろうと考えていましたのに」
 淡島がどよんとした目で見上げてくる。
「えっと、このタイミングでそう言われても」
 相羽と純子は共に戸惑いを表情に出した。淡島の機嫌を直してもらうには、おごって
くださいと言うべきなのだろうか。何か変だ。
 相羽は両手を拝み合わせ、淡島に頭を下げた。
「淡島さん、本当にごめん。マジックのライブが久しぶりで、僕もつい夢中になってし
まって。次からは気を付けて、こんなことないようにする。だめかな?」
「……よろしいです。ちょっと意地悪を言いたくなっただけですから、ご安心を」
 淡島が笑顔を見せたので、相羽も純子も結城もほっとした。
「ただ、お二人が占ってもらうところを、同席してみたい。私独自のやり方の参考にな
るかもしれません」
「え。そういうのは、占い師さんに頼んでみないと分からないんじゃあ……」
 店の前で揉めていてもしょうがない。思い切って入ってみることに。店内は占いグッ
ズが所狭しとディスプレイされていた。が、淡島は目もくれない。
「時間がどのくらい掛かるか分からないから、すぐさま観てもらいましょう」
 淡島に手を引かれ、奥の占いスペースらしきコーナーへと連れて行かれる純子。相羽
も仕方なしに着いていき、その後ろを結城が面白がって押す。
 ゲルを思わせるそのコーナーの出入り口には、占い師の名札『小早川和水』が掛かっ
ており、天幕からの布が目隠しになっている。先客はいないようなので、布を持ち上げ
て中の人に声を掛けてみることにした。淡島と純子で声を揃える。
「すみません、占ってほしいのですが……」
「どうぞ、お待ちしておりました」
 存外、軽い調子の返事があった。幾分緊張していたのが和らいで、入りやすくなる。
 壁際の椅子に腰掛けていたのは、浅黒い肌の女性で、太い眉毛が印象的な人だった。
どことなく南国かインド辺りを連想させる。髪はショートカット、衣服は水色のワン
ピースで、いかにも占い師といった風ではない。客の椅子との間には白いテーブルがあ
り、紫のクッションの上にやや大きめの水晶玉が一つ鎮座している。他にも何やら標本
サイズの鉱物がたくさんある。
 椅子を勧められたが、先に伝えねばならないことがある。淡島が暗いジャングルを手
探りで行くような口ぶりで聞いた。
「変なことを言うかもしれないですが、あのう、一度に四人が入っても、大丈夫でしょ
うか……」
「他の人に占いを聞かれてもいいの? だったらかまわない」
 これまた思いのほかフレンドリーだ。虚仮威しタイプよりはずっといいが、こうも親
しげだと占いの重みやありがたみが薄れそうな気もする。
「初めての方ね? 初回特別割引で、学生さんならこういう具合になってるけれども、
いいかしら」
 料金表を示し、ビジネスライクなことまで言ってきた。とにもかくにも、普通の高校
生でも楽に手が届く設定はありがたい。
「お願いします。ただ、とりあえず、観ていただきたいのは二人なんです」
 ここからは純子が話す。相羽との仲を観て欲しいと伝えた。淡島に半ば強制されたこ
とは言わないでおく。
「珍しい。普通は隠したがるものでしょうに。いけない、関係のない詮索はやめないと
ね。れじゃ、二人に前に座ってもらって、付き添いの友達は後ろで……そこのパイプ椅
子を出して置けるようなら、座って」
 相羽が率先して椅子を置いていく。幸い、椅子を二列ならべてもまだ余裕はあった。
「それでは改めて……私の名前は小早川和水(こばやかわなごみ)と言います。ご覧の
通り、水晶占いにジュエリー占いを組み合わせて観させていただきます。他にも姓名判
断とタロットが使えますが、水晶でかまわないかしら」
「は、はあ。お任せします」
 純子が受け答えする横で、相羽は口をつぐみ、占いの道具の数々をぼんやり眼で見て
いる。興味がない訳ではなく、平静を装っているようだった。
「じゃあ、最初にイメージを掴むためにお名前を教えて欲しいの。姓名判断ではなく、
飽くまでイメージを把握するため。それから誕生石を知る必要があるので、誕生月もお
願いね」
 便箋と鉛筆を滑らせるようにして、純子と相羽それぞれの前に置く。相羽がここで初
めて口を開いた。
「名前にふりがなは?」
「何て読むのかを知った方が、よりイメージしやすいわ」
「じゃあ書きます」
 流れに素直に従う。書き終えた便箋を向きを換えて渡すと、小早川は何も言わずに石
を選んだ。五月の代表的な誕生石エメラルドと十月の代表的な誕生石オパール。どちら
も極小さな物で、シートに固定されている。他に参考ということだろうか、翡翠、トル
マリン、ローズクォーツとメモ書きするのが見て取れた。
「最初に言っておくと、このあとの占いで示される見立ては、今の時点でのものだか
ら。どんなにいい結果が出ようと心掛けや行い次第で、悪い方に変化し得るし、逆もし
かり。そのことを忘れないでね」
 二人がはいと答えると、小早川は便箋を返した。個人情報の処理はお客に任せる方針
らしい。
「それではお聞きしますが、お二人の何を観てみましょうか?」
「えっと」
 改まって尋ねられると、具体的には決めていなかったと気付く。かといって、淡島に
判断を仰ぐのもおかしな話だし。
「見たところ――これは占いではなく、私の直感だけれど――見たところ、現状で充分
幸せそうよ。120パーセント満足とまでは行かないにしても、大きな不安や悩みなん
てあるようには思えないわ」
「……小さな不満なら」
 純子が小さな声で言った。占い師の「聞かせて」という促しに応じて続ける。
「会える時間が少ないんです。一緒の学校、一緒のクラスなのに。でもこれは原因がは
っきりしてるからいいんです。一時的なことのはずだし」
「少し、はっきりさせてみましょうか。悩みは過去にあるのか未来にあるのか、それと
も現在なのか」
「未来、かな……この先ずっと、こんな調子だと嬉しくないなって」
 相羽の様子を横目で窺った。相羽の口が、そうかと声のない呟きの形に動いたように
見えた。
「彼氏さん、えっと相羽君の方は何かある?」
「悩み相談室みたいですね。ええ、今の状況に幸せを感じてはいます。だからこそと言
うべきなのか分かりませんが、将来に対する不安はあります」
 ほぼ同じことを言ってるようでいて、ニュアンスの微妙な違いがあるようなないよう
な。その空気を感じ取れたのか、小早川は具体的な提案をした。
「とりあえずというのもおかしいけれど、二人の将来を観てみよう。ね? 今の状態が
いつまで続くのかとか、よい方に向いているのかとか。結ばれるかどうかまでは言えな
いけれど、相性診断も併せて」
 その線でお願いすることに決めた。
 小早川和水は集中するためにと前置きして、占いコーナー内の明かりを若干落とし
た。ほの暗くなった空間で、水晶玉に手をかざす。その手には、エメラルドかオパー
ル、どちらかの誕生石が握り込まれているようだった。
「――今現在の姿から、将来への像を辿って描きます――今現在の涼原さんは全力疾走
しているイメージ。それも多方面に。水晶玉にあなたの誕生石をかざすと、色々な方向
に電気のようなものが走るから。そのことがさっき言っていた原因? あ、答えなくて
いい。……うん。ときが来れば止まる。そのとき、一緒にいてくれる人が」
 小早川は石を取り替えたようだ。ほとんど間を置かずに、首を縦に小さく振る仕種を
した。そして次に、首を傾げる動作もあった。
「そのとき一緒にいてくれる人が、相羽君なのは間違いない。ただ、それまでに……」
 言い掛けてやめる占い師。純子は何があるのかと反射的に聞き返そうとした。が、そ
のタイミングで相羽が手を握ってきた。おかげで口出しはせずに、占いは続くことに。
「もう少し待っててね。ここは慎重に、段取りを踏んで、彼氏さんの今現在の姿も思い
描くから」
 小早川がそう言って、石――多分エメラルドの方を水晶玉にかざす。その様を見てい
る内に、水晶玉の内部を本当に電光が走ったように思えた。
「うん。ちょっと不思議かな」
 どういう意味ですかと聞き返してしまいそうなのを堪え、続きの言葉を待つ純子。相
羽の手を握り返す手に力が入った。
「相羽君の方は今、岐路に立っているか、通り過ぎたばかり。本人が自覚しているして
いないにかかわらず、そういう地点にいるっていう意味」
「あの、よろしいでしょうか」
 意外なことに、相羽が口を挟んだ。隣の純子も、後ろの二人も少なからず驚いて、は
っとする気配が伝染する。小早川も一瞬むっとしたようだが、すぐに如才ない笑みを浮
かべた。
「何か?」
「高校生はそろそろ進路を決める時期だからってことで、当て推量で言ってるのではあ
りませんか?」
「うーん、私がそういう計算を無意識の内にしているのかもしれないけれども、その辺
りも全てひっくるめての占いよ。これでいい?」
「分かりました。失礼をしました」
「じゃあ、続きを――相羽君が行くであろう道は、彼女さんの道とは交わらないか、大
きくぐるっと回ってきてようやくつながる、みたいなイメージを持った。つながったと
きというかつながったあとは涼原さんとずっと一緒になる、そんな感じよ。今ね、二人
の石を同時にかざしているのだけれど、別ちがたい結び付きがあるのが伝わってくる。
それを思うと、道が交わらない時期があるのが逆に不思議。一時的な物とは言え、これ
だけ相反するものが見えたということは、心掛け次第では大きく変化してしまうことも
ないとは言い切れない……」
 明かるさが徐々に戻っていく。どうやら占いは済んだようだ。
「あのー、結局どういう……」
 終わったのなら聞いてもいいだろうと、純子は尋ねた。
「今のあんまり会えない原因が、まだしばらく続くか、拡大するという解釈になるんで
しょうか」
「少し違うと思う。見た目の原因は変わりがないとしても、間接的に相羽君の選択が関
係してるんじゃないかっていう見立てよ」
「そうですか」
 多少の不安を抱えて、相羽の顔を見る純子。相羽も見つめ返していた。
「まあ、驚かせるようなことを最後に付け加えたのは、二人に緊張感を保って欲しいか
らよ。何があってもどうせ一緒になれるんだからと思い込んで、いい加減な行動を取っ
て、それが原因で不仲になったりしたら、私が恨まれてしまう。実際、似たようなこと
で怒鳴り込まれた先輩を知っているし」
 占い師としての実情をぶっちゃける小早川。神秘性はあまりないけれども、親しみを
覚える人柄に、純子は少なからず好感を持った。
「さあて、知りたいことは他にない? あっと申し訳ない、先にお代をいただいておか
なくては」
 そう言われて、相羽が真っ先に動いた。
「ここは僕が」
 皆まで言わない内に支払いを済ませる。それどころか、ずっと見物していた結城と淡
島に向き直り、「何かあるのなら、僕が出すから観てもらいなよ」と誘った。
「ありがたい話だけれども、私は相談を友達に聞かれたくないわ〜」
 結城が冗談交じりに言うのへ、被せるようにして「僕らは出ているから」と後押しの
言葉をつなぐ。
(相羽君が占いのことでこんないい風に言うなんて珍しい。小早川和水さんを相羽君も
気に入ったのかしら)
 結局、淡島も結城も相羽のおごりで観てもらうことになった。先に座った結城は、外
に聞こえるほどの音量で「彼氏がいつになったらできるのか、知りたいです!」と言っ
ていた。

 帰りは当初の予定よりは遅くなったものの、ちょっとしたずれの範囲内で、明るい内
に最寄り駅まで戻れた。
 結城や淡島とはすでに駅で分かれており、ここから自転車に乗っての帰路は相羽と二
人きり。
「あーあ、楽しかった。ちょっぴり無理をした甲斐があったわ」
「やっぱり、無理をしてたんだ?」
 結城達がいなくなったところで気抜けしたのだろう、つい実情を漏らしてしまった。
相羽にはしっかり聞き咎められたが、もしかすると純子自身も心の奥底では誰かにねぎ
らって欲しいと願っていたのかも。
「そんなに、無理って言うほどの無理じゃないわ」
「隠さなくても。実は、おおよそのところは、母さんから聞いて知ってるんだけど」
「そ、そうだったの。だから誘ったときに、簡単にOKしてくれたのね」
「心配して欲しかった? 仕事がないときは休めって」
「うう。かもしれない。でもいいんだ」
 自転車ではなく徒歩だったら、相羽の方を振り返ってほころぶような笑顔を見せてい
ただろう。
「今日は休んだ以上に充実してたもん。寄ったところは三つとも好みに合って。プラネ
タリウムは内容が入れ替わるまではいいけど、マジックはどうなのかしら? ショーの
内容は同じ?」
「基本となる部分は同じで、あとは客に合わせて変えてくると思うよ。僕らのこと覚え
てくれただろうから、なるべく違う演目になるはず」
「じゃあ、近い内にまた行ってみない? 今度はその、二人で」
「……」
「な、何で黙るの!」
 恥ずかしさから声が大きくなる。相羽が急いで返事を寄越した。
「随分、積極的だなと思って、びっくりした」
「それだけよかったってこと! ……それに、占い師さんにああいう風に言われて、少
し気になったから」
 駅から自宅まである程度行くと、あまり信号がなく、あっても青だったため停まらず
に来られた。が、ここで十字路に差し掛かり、一旦停止した。
「相羽君も気になったでしょ?」
「そう、だね」
 相羽の区切った言い方に引っ掛かりを覚えた純子だが、疑問を言葉にする前に、自転
車を漕ぎ出す。比較的狭い路地に入るため、一列になった。純子は後ろに着いた。
「小早川さんの言っていた岐路って、当たってたんじゃあ?」
 思い切って聞いてみた。相羽の背中から反応が来るまで、ちょっと長く感じた。
「どうしてそう思うの?」
「学校で先生のところによく行ってるでしょ、相羽君。面談の話だけにしてはいつまで
も掛かっているし。やっぱり進路の相談なのかなあと思って」
「なるほど。……純子ちゃん、次に時間が取れる日っていつになる?」
「え? それは分からないけれども、当分無理かなぁ。今日の休みを確保するために、
あとのスケジュールにもしわ寄せが行ったみたいだから」
「そっか、そりゃそうだよね」
 相羽が額に手を当てて、考える姿勢になるのが分かった。そのポーズがしばらく続く
ものだから、「前、ちゃんと見てる? 危ない」と声を張る。
 実際には周囲がまだ明るさを残しているおかげもあって、危ない目に遭うことも遭わ
せることもなく、純子の自宅前まで着いた。
「結局、何だったの? 時間が取れる日って……」
 自転車を降りて門扉の手前まで押して立ち止まり、振り返って尋ねた純子。
「気にしないで。僕の方で何とかする。じゃあ急ぐからこれで」
「? う、うん。分かった。気を付けてね」
 違和感を払拭するためにも、手を強く振って彼を見送った純子。だが、何となく居心
地の悪いものが残った。

            *             *

「母さん、純子ちゃんのスケジュールで一日だけでも完全な休みを作れない?」
 マンションの自宅に帰り着くなり、相羽は母に言った。
 キッチンに立っていた相羽の母は、短い戸惑いのあと、眉根を微かに寄せた。難しそ
うだと見て取った相羽は、答を聞く前に言葉を重ねる。
「無理なら、一番仕事に余裕がある日を知りたい。三日間ぐらいのスパンで見た場合
に」
「……もうすぐ夕飯が完成するから、その話は食べながらにして、今は着替えてきなさ
い。うがいと手洗いもね」
 分かったと素直に動く相羽。
 今日午後から遊んだ中で、二度も暗示的な出来事があった。自分と純子との近い将来
を考えさせる出来事が。表裏一体になったカードと占い、どちらも純子に何かを勘付か
せるきっかけになっているような気がする。
(はっきり聞かれる前に、僕から言わなくちゃ)
 しかしそれにはタイミングを見定める必要がある。当初は、彼女にじっくり落ち着い
て聞いてもらえる時間と場所があれば、何とかなると思っていた。だけれども、少し考
えてみて、純子が関わっている仕事への影響も考慮せねばならないと思い直した。その
目的のために、まずは母に聞いてみたのだが。
「――それを教えても、大して差はないと思うわ」
 母の返答に、相羽は何でだよと口走った。似つかわしくない荒っぽい言葉に、母が苦
笑を浮かべる。
「信一がどんな理想的な状況を描いているのか知らないけれど、ショックを与えずに知
らせるなんて、絶対に無理だから。仕事への悪影響って言うのなら、ショックを二日も
三日も引き摺るかもしれないわ」
「それは……」
 続きが出て来ない相羽。母が意見を述べた。
「とは言ってもね。私から見た印象になるのだけど、純子ちゃんはあなたの留学を知っ
ても、多分仕事はきちんとこなすわ。最高の状態ではない、悪いなりにではあるかもし
れないけれど、責任感のある強い子だから、それくらいはやり遂げる。純子ちゃんにと
って一番影響を受けるのは、あなたがいなくなったあとの日常の方」
「そうなのかな……」
「決まっているわ。好きなんでしょう、お互いに。あなたが考えるべきは、一番ましな
伝え方をしようとか、ベストのタイミングを計ろうとかじゃなくて、離ればなれになっ
たあとの彼女のことを想って、今できる行動を起こす。これじゃないのかしらね」
「……分かるけど。難しい」
 食事の手が止まりがちになるのは、カレーライスのせいだけではない。母に促され
て、何とか再開する。
「私が純子ちゃんなら」
 その前置きに相羽が顔を起こすと、母がいたずらげな笑みを浮かべていた。
「こんな大事なこと、一刻も早く知らせてよ!ってなるかな。次は、ひょっとしたら翻
意を期待するかもしれない。そこは信一が誠意を持って受け入れてもらうしかない。そ
れから――一緒にいられる間にできる目一杯のことをしたくなるわね。信一は求められ
る以上に応えてあげて。そうして彼女に安心してもらう」
「安心」
「そう。たとえ遠くに離れていても、これからの将来ずっと一緒に歩んでいけるってい
う安心」
 おしまいという風に、箸でご飯を口に運ぶ相羽母。
「いいアドバイスをもらえた気がする」
 相羽は無意識の内に頭を掻いた。
「けどさ、純子ちゃん忙しいんでしょ? 出発する日までに、どれだけ時間を取れるの
か……」
「そこはまあ、信一が工夫して。学校にいる間を最大限活用するとか。たとえば、思い
っきりべたべたしてみるとか?」
「母さん!」
 怒ってみせた相羽だったが、次の瞬間には学校で純子とべたべたする場面を想像し
て、赤面と共に沈黙した。

――『そばにいるだけで 67』おわり
※作中に出て来た、皆既日食の起こるとされる月日は、架空のものです。過去及び未来
を通して、同じ七月下旬に皆既日食が日本で観られるケースはあるはずですし、なおか
つ本作のカレンダーと合致する年があるとしても、それは偶然であり、本作の年代を特
定する材料とはなりません。念のため。




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