AWC 条件反射殺人事件【1】



#559/598 ●長編
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:19  (127)
条件反射殺人事件【1】
★内容
林田式という神経症の精神療法を知っている人はどれぐらい居るだろうか。
林田式といったらまず“ありのまま”だ。
“ありのまま”というのは、「だるいからやらない」というのはダメで、
「だるいなら、だるいなりに今を受け入れて、やるべき事をやる」
という姿勢である。
これを“恐怖突撃”という。
この“ありのまま”と“恐怖突撃”で病気を陶冶していくのである。
もっともこんなに厳しいのは入院林田式なのだが。
入院はちょっと、という人の為に、生活の創造会という全国組織の
自助グループがあるのだが、そこは、“ありのまま”やら“恐怖突撃”
などはなされず、林田式がむしろ禁止している、
愚痴と慰め合いの場に成り果てているのであった。

時任正則の住んでいる八王子地区では毎週土曜日に労政会館で
創造会の集まりがあった。
時任は何時もは立川の創造会に参加していたのだが、
今週は八王子のに参加していて、今まさに、みんなの前で
愚痴を披露しているところだった。

「僕は本当に、IT長者みたいなのが嫌いで…」
□型に配置されているテーブルには一辺に五人ぐらい座っていた。
つまり二十人ぐらいの前で時任は話していた。
まだ三十に充たない、TOKIO松岡似の男。
「ホリエモンとかひろゆきとか、楽天の社長とかアメブロの社長とかが
嫌いで嫌いで、見た途端に、ばりばりばりーっと心にヒビが入るんです。
自分はアパートに住んでいて派遣社員なのに、
なんであいつら楽して金儲けしているんだろう、と。
でも、それは、自己受容が出来ないからだと最近気づきました。
なんでか、自分は、この自分の体と心でいいや、と思えなくて…。
そうすると比較しだすんですよねぇ。
例えば、クラブでナンパする時だって、自分は自分だと思えないから、
ありのままの自分をさらけ出す事が出来なくて、
ちょっと見劣りのする友人に行かせて、
あいつでも相手にされるんだったら俺だって、と比較する。
それと同じで、テレビやスマホでIT長者を見ると比較するから、
殺したくなるんですよね。殺しちゃまずいけど、ははは。
という訳で、僕の当面の目標は、
“ありのまま”に自分を受け入れて、“恐怖突撃”する事だと思います」
オーディエンスの内、比較的若い層は、そうかもしれない、
リア充って難しいものねぇ、などと頷いていた。
中高年は、自分と他人の区別がつかないとはどういう事か、
みたいな視線を送っていたが。
とにかく、時任正則としては他言無用を条件にありのままを語る場と
なっているので、本当の事を告白したのだった。来週の目標も付け添えて。
「それでは次の方」と司会役のおっさんが言って、ノートに何やら書いたが、
書痙で激しく鉛筆を震わせていた。
その隣には、創造会に協力している病院から、臨床心理士が来ていた。
佐伯海里(さいき かいり)とネームプレートに書かれている。
喜多嶋舞似の、ちょっと顎がしゃくれた花王ちゃん。
「萬田郁恵といいます」まだ二十歳そこそこの、
若い頃の榊原郁恵と安室奈美恵を足して2で割った様な
可愛らしい感じの女の子が言った。
「不潔恐怖症で悩んでいます。
ばい菌とか大腸菌なんですけど。
別に、自分だけが綺麗という訳じゃないんですけれど。
外から帰ってきて、とりあえずスマホとか全部消毒するんですけれども、
手を洗う時に蛇口をひねると蛇口にばい菌がつくし、
蛇口をスポンジで洗うとスポンジにうつるし、
そのスポンジから皿に伝染するからそのスポンジは捨てないと、って。
ウェットティッシュで拭いてもゴミ箱に伝染するから
ゴミ箱も使い捨てのにしないと、とか。
そうやってキチガイみたいに、あっちに伝染した、こっちに伝染した、
と騒いでいます。
むしろ、指で舐めちゃえば平気なんです。
汚れ自体よりも、伝染していくのが嫌なんです。
という訳で、私の目標は、一通り手洗いをしたら、そこで気持ちを切り替えて、
“ありのまま”に“恐怖突撃”をする事だと思います」
「はい、どうもありがとう。それでは、今の萬田さんで自己紹介は終了なんで、
ここで少し休憩にしたいと思います」と書痙オヤジが言った。

みんな、椅子をギーギー鳴らして立ち上がった。
一部のおばさん達は、部屋の後部に行って、お茶とお茶菓子の用意を始めた。
他は廊下に出て行く者、トイレに行く人もいる。

時任が廊下に出ると、窓のところで萬田郁恵が外の空気を吸っていた。
ニヤッと笑みを浮かべて歩み寄った。
「君、えーと名前は」と話しかける。
「萬田郁恵」
「ああ、萬田さんかぁ。さっきの話だけれども、萬田さんの不潔恐怖って、
自分は自分と思えないからなんじゃない?」
「はぁ?」
「僕は、自己受容が出来ないから、だから自分は自分と思えなくて、
それで、人から人へと転々と比較しちゃうけれども。
汚れも同じで、その汚れはそれだけなんだ、と思えないから、
手から蛇口へ、蛇口からスポンジへ、と伝染していく感じなんじゃない?」
「えー、私は別にホリエモンとか羨ましいとは思わないもの。
関係ないと思える。ばい菌は関係あっても」
「同じだよ。対象をありのままに受け入れないから比較しだすんだよ」
「えー、違うよ」
その時、風に乗ってユーミンの『守ってあげたい』が流れてきた。
これは、市の防災無線放送で 毎日午後2時になると市内四百十八箇所の
スピーカーから木琴で演奏された『守ってあげたい』が流れてくるのだった。
「あー、これ、嫌いなんだ」と萬田郁恵は顔をゆがめた。
「なんで?」
「ユーミンのミンが嫌いで…。ミンミン蝉みのミンみたいで。
セミってゴキブリみたいだから、それを潰したら手もゴミ箱も汚れるから、
という感じで伝染していく」
「僕もユーミンは好きじゃないけど。
何しろホリエモン的成功者が嫌いなんだから、ユーミンとか嫌いだよ」
「元気そうじゃない。久しぶりー、と言っても一週間ぶりか」
と言って別の女性が割り込んできた。
「ああ、亜希子さん」
亜希子さんは、歳は萬田郁恵と同年代だが、吉行和子似で、老けてみえる。
「初めまして。時任さんだっけ。安芸亜希子といいます。
症状は、摂食障害で、『人体の不思議展』を見てから肉が
食べられなくなったの。だって同じ哺乳類でしょう」
と聞いてもないのに、自分の症状を語りだした。
「いやー、聞きたくない。伝染るから」と萬田郁恵は耳を塞いだ。
「時任さんって、あんまり見ない顔じゃない?」
「何時もは、立川とかに行っているから。知っている人に会うと嫌だから。
今日は何気、地元の会に来たけれども」
「本当? ナンパできたんじゃないの?」
「え」
「あんたは、自分がいじけ虫だから、メンヘラ狙いなんでしょう」
(ずけずけ言う女だなあ。アスペルガー入っているんじゃないのか。
そういうの林田式の適応外だけれども)と時任は思った。

休憩後は、4つのグループに分かれて、おやつ(ブルボンのアルフォート)
を食べながら、どうやって、自分の“ありのまま”を実践に移すかなどの
話し合いが行われた。
時任は萬田さんと一緒のグループになりたかったのだが、残念、
おじさんおばさんの神経症の愚痴を聞かされる事になり、
あっという間に五時になった。
「それでは二次会に行きましょうか。今日は中町の焼肉屋に予約してあるから」
書痙オヤジが元気に言った。
「わー、焼肉ひさびさ」などの声があちこちから上がる。





#560/598 ●長編    *** コメント #559 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:20  (161)
条件反射殺人事件【2】
★内容
会に参加した内、二次会にまで行ったのは十名程度だろうか。
彼ら彼女らは、京王八王子からJR八王子方面の繁華街に向かって歩いた。
JR八王子駅から放射線状に伸びている、西放射線通りに入ると、
ドンキ、マック、ベローチェ、BIGECHOなど、若者仕様の街並みが続く。
やっぱり学生が多い感じ。あちこちに男女が屯っていて、
どこの居酒屋に入ろうか相談している。
ティッシュやピンクチラシを配っているあんちゃんもいた。
人々の間をスケボーに乗った男が高速で走り抜けていった。
カラカラカラーっというローラーの音が通りに響いた。
傍から見れば自分らもメンヘラ御一行とは分らないんだろう、と時任は思った。

焼肉屋の座敷で、時任はすかさず萬田さんの隣をキープ。
トイメンに安芸亜希子が座った。
「あれ、安芸さん、肉、食べられないんじゃないの?」
「野菜を食べるから」
(嫌に、絡んでくる感じがする。なんで邪魔したいんだろう。
レズで萬田さんを狙っているのかなあ)と時任は思う。
しかし、真ん中に置かれているコンロに火が入って肉を焼き出すと、
ジューっと煙が出て、なんとなく前後は分断されて、
左右と語る感じになって、萬田さんと多いに語れた。
「萬田さんは、肉は平気なんだよね」とカルビやロースを網に乗せながら
時任が言った。
「もちろん平気だよ」
「でも、胃の中に入ったり、大腸から出ると、うん○だから、
汚いものになるのか」といいつつ。カルビやロースをジュージューいわす。
「養老孟司が、脳は自己中だからペッと唾を吐いた瞬間に汚いと思うのだ、
と言っていたわ。口の中に入っている間は綺麗なのに」
「養老孟司は甘いね。脳の構造で言うなら尾状核的という事だよ」
「は?」
「脳の構造しりたい?」
「は?」
「脳の構造が分かれば、何で、強迫神経症になるのかも分かるんだけれども」
「ふーん」
「脳には、つーか大脳辺縁系と大脳基底核には海馬と尾状核というところが
あるんだけれども、海馬は空間把握をするところで、
尾状核は反復記憶みたいな場所なんだけれども…、
これ、もう焼けているよ、食べたら」
「あ、いただきまーす」と萬田郁恵は肉を取り皿にとるとタレに浸して
口に運んだ。「むしゃむしゃ。柔らかくて美味しい」
「それで、海馬と尾状核の話だけれども、
海馬は空間認識だから、海馬がでかいと空間認識に優れるんだ。
だから、ロンドンのタクシードライバーは海馬がでかいんだけれども
…そのロースも、もういいんじゃあない」
「いただきまーす。むしゃむしゃ」
「タクシーの運ちゃんに限らず、ネズミでも、
迷路の真ん中に餌をおいておいてネズミを放すと、
海馬があれば、餌の位置を俯瞰的に一発で当てるんだよね」
「ふむふむ、もぐもぐ」
「ところが実験で、ネズミの海馬を損傷させると、尾状核を使う様になる。
そうすると、迷路の角から入っていって、たどり着けないと戻ってきて、
又次の角、というように、トライ&エラーを繰り返す。そのカルビも行けるよ」
「えー。時任さんも食べたら」
「じゃあ、いただきまーす」言うと、時任は、タレに浸して、食う。
「むしゃむしゃ。美味しいね。こんな旨いもの食わないなんて、
亜希子さんてかわいそうだね。
ところで、その実験で海馬を損傷したネズミと同じで、
僕も海馬が小さくて尾状核で生きているから」
「えーー」
「海馬があれば、瞬間的に、自分は自分人は人、と認識出来るのだけれども、
尾状核を使っているからそれが出来ないから、
反復的に比較するんだと思うんだよね」言うと焦げた肉を口に運ぶ。
「もぐもぐもぐ。君だって、あの汚れはあの汚れ、
とは思えないのは海馬が萎縮しちえるからで、
転々と伝染していく感じなのは尾状核を使っているからじゃない? 
その肉、焦げてきているよ」
「あ、じゃあいただきまーす。もぐもぐ。でも、なんでそんな事知っているの?」
「SNSに知り合いがいるんだよ。脳科学に詳しい。リアルじゃないけれども」
「へー、色々勉強しているんだね。もぐもぐ」
「結構、知りたくなるからね。ただ症状を言うだけじゃなくて、
病理を知らないとね」
「考えるのが好きなんだね。もぐもぐ」
上座の方で、書痙オヤジが立ち上がった。「えーー、それではみなさま、
宴たけなわではございますが、そろそろ時間の方も迫ってまいりましたので、
ここらへんで、おひらきにしたいと思いますが」
「えー、もう?」
「飲み足りない方はこれからカラオケに行きますんで、そちらでどうぞ」
「カラオケ、行く店決まってんの? ビックエコーなら+一五〇〇円で、
アルコール飲みほだよぉ」
「カラオケ館の方が設備も料理もいいし、あたし、VIP会員だから」
など、中高年が盛り上がっていた。

焼肉屋からビッグエコーに移動したのは中高年6、7名だった。
「私、JRだから」と焼肉屋の店先で安芸亜希子は言った。
「じゃあ、私、京八だから」と萬田郁恵。
「僕も京八の方の駐輪場に原チャリを止めているから」
「じゃあねえ」名残惜しそうに安芸さんが去って行った。

そして時任は萬田郁恵と来た道を労政会館の方に戻りだしたのだが。
時任は(どうやって誘おうかなあ)と思っていた。
「さっきの尾状核の話、興味あった?」ととりあえず言ってみる。
「もっと話したいなあ」
「えー」
「あそこのベローチェでお茶していかない?」
「いいけど…」
萬田郁恵はあっさり応じた。
二人はまたまた折り返して来た。
ベローチェはやりすごしてドン・キホーテもこえて、
放射線通りをどんどん奥に行って、裏道に入ろうとする。
「えー、どこ行くの?」
「あそこ」と時任は顎でラブホをさした。
「えぇー、だって」その後萬田郁恵が言った台詞は意外だった。
「焼肉を食べたばっかりだし」
「そんな事だったら無問題だよ。平気だよ、こっちも食べているし」
「嫌だぁ」
「じゃあ、ドンキに戻って、チョコミントのピノでも買ってくれればどうかなあ」
「それだったらいいかも」
二人でドンキに戻ると、ピノとついでにメントスも購入した。
歩きながらピノを食べ終えると、メントスをなめなめラブホに入った。

『ジェリーフィッシュ』という、紫の照明、アクリルの椅子とテーブル、
壁紙も紫、という、確かにクラゲの中にいるような部屋に入る。
お茶を飲む間もなく、紫のシーツに倒れこむと、
Gパン、パンティーを脱がすが早いか、重なり合った。
「今日会った時からいいなぁと思っていたんだ。
セックスは反復運動だから尾状核的なんだよ」
前戯もそこそこに、さっさと挿入するとピストン運動を開始する。
やっていて、時任は、
(いやにぬるぬるするな。もしかして生理中じゃあ)と思った。
果てた後に体を離してみると、シーツに直径1メートルぐらいのシミがあった。
「なんじゃこれは」
「私、すっごい濡れやすいの」
「水浸しだなあ」
「ちょっと待ってよぉ。私のGパン、濡れているじゃん」
脱ぎっぱなしのGパンにまで郁恵の膣液は到達していた。
「これで電車で帰るの平気かなあ」
「じゃあ、バイクで送って行ってあげようか」
「えぇ?」
「どこに住んでいるの?」
「大塚」
「もしかして大学生?」
「そうだけど」
「帝京とか中央とか」
「帝京だよ」
「それで下宿しているのか」
「そうじゃないよ。学生は学生だけれども、
父親があそこらへんの田んぼ屋なんだよ。アパート経営もしているけれども」
「へー。多摩モノレールの下あたりかあ」
「そうそうそこらへん」
「じゃあ、送ってってやるよ」

京八の駐輪場に戻ると、時任はアドレス110のメットケースから
フルフェイスを取り出して被った。
トップケースからドカヘルを出すと萬田郁恵にも被せてやる。
バイクに跨るがると、いざ出発。ブゥーーーン。
北野方面に向い、16号バイパスに出て、野猿街道で峠越えをした。
片側三車線中央分離帯付きの幅広の道に出ると更に加速する。
しかし、堀之内を超えたあたりで、メットをごんごん叩いてきた。
「止めてー」と言ってくる。
路肩に寄せてサイドスタンドを出すが早いか、郁恵は飛び降りて行って、
歩道を横切って、雑草の生えた空き地に向かってかがみ込む。
げぼげぼげぼーーーと嘔吐した。
(あれー、運転が荒かったかなあ)と時任は思った。
しかし見ているうちに、自分もこみ上げてきて、空き地に走ると嘔吐した。
げぼげぼげぼー、げぼげぼげぼーーー。
「焼肉とメントスのゲロだ」一通り吐き終わって時任が言った。
「おかしいなあ。お酒なんて飲んでいないのに」と郁恵。
「コーラを飲んだから、メントスコーラみたいになったのかも。
まあ、でもスッキリしただろう」
「うん」
二人はバイクに跨ると再スタート。
多摩モノレール下の萬田郁恵の家の田んぼ屋まではすぐだった。




#561/598 ●長編    *** コメント #560 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:21  ( 70)
条件反射殺人事件【3】
★内容                                         20/11/07 17:42 修正 第2版
次の一週間は、時任は夜勤があった為に、萬田郁恵に会う事は叶わなかった。

待ちに待った土曜日、時任は、労政会館の創造会に行った。
前半は何時もの様に、自分の症状を自己紹介風に語り、来週の目標を語る、
というコーナー。
休憩時間になると、萬田郁恵がおやつの準備を手伝っていたので、
時任もいそいそと手伝った。
萬田郁恵と臨床心理士の佐伯海里が、紙の皿に、ブルボンホワイトロリータ、
ハッピーターンを盛り付ける。
時任は、ドリンクの三ツ矢サイダーを紙コップに注いでいった。
「うえー」と郁恵がえずく。「このニオイ大嫌い。時任君平気? 
私、このニオイ大っ嫌いになったのよ」
「え、何で?」
「ほら、このラムネのニオイがメントスみたいな感じがしない? 
先週焼肉屋の帰りに焼肉とメントスを吐いたんです。そうしたら
ミント系のニオイが大嫌いになりました。歯磨き粉もダメになったんです」と、
佐伯海里に言った。
「それはガルシア効果だわね」
「はぁ?」
「ガルシア効果といって、カレーを食べて乗り物酔いをすると
カレーのニオイをかいだだけで吐き気がするようになっちゃう
という様な条件付けね。パブロフの犬みたいな」
「へー」
「普通の条件付けは一回では出来ないんだけれども。
パブロフの犬だって何回も肉とブザーで条件付けをして、
条件反射が出来たんだけれども。
でも、ガルシア効果だけは一発で条件付けられるのよ。
あと、音や光だとトリガーにはならなくて、味覚情報じゃないとダメなの」
「でも、僕はサイダーを飲んでもなんともないけど」と時任は一口飲んだ。
「人によりけりなんじゃないかしら。
不潔恐怖症の人は連鎖しやすいのかも知れない」

窓の外からユーミンの「守ってあげたい」が流れてきた。
「二時かあ」
「来週は、みんなで高尾山だよ」と書痙オヤジが言ってきた。
「毎年晩秋になると、八王子の創造会では、リクレーションで
高尾山に行くんだよ。
行きはケーブルカーで行って、山頂で昼ご飯。帰りは4号路を下ってくるから、
ちょうどこの放送が聞こえるのは吊り橋を渡っている頃かなあ」
「萬田さんも行くの?」と時任。
「みんな行くのよ。海里先生も」
「僕も行こうかなあ」
「当たり前じゃない。これも“ありのまま”の“恐怖突撃”の一種なんだから」

休憩時間の後は四つのグループに分かれての話し合いが行われた。
今日は時任は萬田郁恵と一緒のグループになれた。
ブルボンのお菓子を三ツ矢サイダーで流し込みながら萬田郁恵の悩みを聞く。
「私の父は大塚の田んぼ屋なんですけれども。
多摩モノレールが通った時に、地上げにあって、すごい大金を得たんです。
それはいいんですけれども。
多摩モノレールの下に通りが出来て、
その左右にアパートを建てて大家になっているんですけれども、
アパートの管理なんて不動産屋に任せればいいのに、
草刈りとかゴミ出しの後の掃除とか、父がやっていて。
それで、ゴミ捨て場に指定の袋に入っていないゴミがあると、
市の収集車は持って行ってくれないんですけれども、
それをカラスが荒らすといって、父が家に持ってくるんですね。
それで、ハエやゴキブリが出て。
それが不潔恐怖症の私の悩みなんです」
時任は、聞いていて、ばりばりばりーっと心にヒビが入るのが分かった。
殺意さえ感じる。
スマホニュースのガジェット通信やzakzakで
IT長者の話題を目にした時に感じる殺意だった。

会が終わって、労政会館から出てきたところで、時任は
「今日は帰る」と宣言した。
「えー、今日はお好み焼き屋に行くんだよ」と萬田郁恵。
「昨日まで夜勤で昼夜逆転しているから眠いんだ。帰るよ」
言うとそそくさと一人で駐輪場に向かった。
アドレス110に跨ると一人で寺田町のアパートに向かった。




#562/598 ●長編    *** コメント #561 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:22  (101)
条件反射殺人事件【4】
★内容
その日の晩、時任はスマホで某snsを開けた。
友達一覧の中から『浦野作治』にタッチする。
スケキヨマスクのプロフィール画像の下に自己紹介が表示される。
「心理学マスターがメンヘラちゃんにアドバイスします。
神経症というのは、梅干しを想像すれば唾液が出てきてしまう、
という条件反射にほかなりません。
電車に乗ると吐き気がする、というのも条件反射。
それを“乗り鉄”の様に、電車に乗れば幸福に感じる様に
条件付けしなおすのです。
古典的条件付けで神経症を克服しよう。
メンヘラちゃんは気軽にメッセージ下さい」
メッセージのアイコンに触れるとメッセンジャーが起動した。

時任:今、います?
浦野:いるよ。
時任:いやー、今日は滅入った。つーか腹がたった。
僕の愚痴、聞いてくれます?
浦野:聞いてあげるよ。
時任:創造会の女に、親が土地持ちでアパート経営している、
というのが居るのだが、
その親父が、居住者のゴミを家に持ってきて、
それで、ハエやゴキブリがわく、とか言ってその女が嘆いている。
ふざけやがって。百姓の癖に。
こっちは派遣社員で賃貸アパートに住んでいるというのに、
貧乏人をハエやゴキブリの様に思っているんだ。
しかし、前から田んぼ屋というのは知っていたのだが、
何故か今日突然吹き上がった。
こんなに簡単に殺意を抱く僕って変ですか?
浦野:他人は他人、自分は自分と思えなかったんだよね。君は。
時任:つーか、同じ人間なのに、制度に守られていて、
それで威張っている感じ。IT長者も百姓も。
浦野:制度に守られている、とは?
時任:典型的な例が医者ですかね。
林田式の総本山は慈敬医大だけれども、
あそこの医者なんて威張りまくっているが、
あれは制度に守られているからでしょう。
制度に守られているから、人と人とも思わない事をやってくるでしょう。
昔、慈敬医大病院医師不同意堕胎事件、とかあったけれども。
妊娠した彼女の同意なしに中絶しちゃうなんて、
人と人とも思っていない感じで。
それは、医療という制度がバックにあるからそういう事が出来るんだ。
そういう感じで、アパートの大家も俺様だし。あの女は俺様大家の娘って感じ。
浦野:それはお仕置きをしなくちゃいけないかもね。
その大家の娘というのはどんな性質の女なんだい?
時任:強迫神経症の女でなんでも結びつく女ですね。
八王子市では、ユーミンの曲が防災放送のチャイムで流れるんですが、
ユーミンのミンからミンミン蝉を連想して、
蝉はゴキブリに似ているから、だからユーミンは嫌いだ、とか。
あと、バイクで2ケツで酔って吐いたんだけれども、
その前にメントスを舐めていて、メントス味のゲロを吐いた。
そうしたら、サイダーを飲めなくなったとか。
浦野:ガルシア効果だね。
時任:そうそう、ガルシア効果っていうって聞きました。
浦野:誰に?
時任:創造会の臨床心理士の女に。
浦野:へー、そんな女がいるんだ。他には何か特徴は?
時任:すごい潮吹きですね。一回セックスしたが
1メートルぐらいの染みをベッドに作りました。
浦野:そうすると、なんでもつながる、という事と、ユーミンと潮吹き、
というのが、その女に関する情報かな。
時任:そんな感じ。
浦野:だったら、ユーミンの放送と潮吹きを条件付けしてやれば面白いよ。
時任:そんな事、出来るんですか?
浦野:だって、メントスのニオイで胃粘膜が刺激されるってあるんだろう。
だったら、ユーミンのメロで膣壁が刺激されてもいいだろう。
時任:でも、ガルシア効果なんていうのは、味覚情報のみで、
音や光をトリガーにするのは無理と創造会の臨床心理士が言っていたけれども。
浦野:君は『時計じかけのオレンジ』を見なかったのかい? 
あの映画でアレックスは『第九』を聞くと吐き気がするという条件付けを
されたじゃないか。
だから、メロで膣壁が刺激されるという条件付けも出来るんだよ。
時任:ユーミンを聴く度に潮吹きかあ。
そんな事が出来るんだったら毎日2時には潮吹き、
いや、もっと面白いお仕置きが出来るかも。
浦野:ユーミンと潮吹きの条件付けは教えてあげるから、
どんなお仕置きをするかは自分で考えなさい。
時任:で、どうすればユーミンをトリガーにして潮吹きをするという
条件反射を植え付けられるの?
浦野:セックスをしながらユーミンを聞かせれば、
潮吹きとユーミンが条件付けされるかも知れないが、より効果的なのは…。
例えば、自転車。
初めて自転車に乗った時には全神経を集中させて漕いでいるだろう。
でも慣れてしまえばスマホをいじりながらでも運転出来る。
そういうのは、無意識が自転車を漕いでいる状態だが。
そういう状態の時には、トランスのチャンネルが一個開いているから、
そこから無意識につけ込むことが出来る。
そういう状態の時にはトリガーを埋め込みやすい。
ところで、セックスも自転車漕ぎみたいな反復運動だろう。
だから、女性上位で女に反復運動をさせれば、
自転車を漕いでいる時と同じ脳の状態になる。
しかもその時ちょうど女は潮を吹いているんだろう。
その状態でユーミンを聞かせれば、
ユーミンのメロと潮吹きが条件付けされる可能性は上がるかもね。
時任:さっそくやってみます。
浦野:鋭意邁進したまえ。しかし、そのガルシア効果を指摘した
臨床心理士というのは気になるな。
時任:でも、1週間は会わないから。
それまでに条件付けしちゃえばいいんでしょう。
浦野:1週間後に会うのかい?
時任:そうだけど。それまでに条件付けは可能かな。
浦野:まあ、君の熱心さによるだろうね。成功を祈るよ。




#563/598 ●長編    *** コメント #562 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:24  (232)
条件反射殺人事件【5】
★内容
翌日、時任は、夜勤明けで眠たかったが、萬田郁恵を誘い出すと、
前回と同じラブホにしけこんだ。
『ピカソ』という名前の部屋。
「新宿の目」の様なアメーバーの様なオブジェが壁にあって
そこが間接照明になっている。
時任は萬田郁恵とベッドに寝そべると、いきなり脱がせたりしないで、
スマホを取り出した。
「君は、ユーミンを好きになるべきだよ」と時任は言った。
「ユーミンが嫌いなんてひねくれているよ。
僕もそうだけれども。
ユーミンとかサザンなんて恋愛資本主義には付き物なんだし、
それに毎日放送で流れてくるんだから好きになるしかないよ」
言いながらスマホをいじくって、LINEを開くと萬田郁恵の名前にタッチした。
「『守ってあげたい』をプレゼントするよ。今送るから。はい、送信」
「私、誕生日が近いんだよ」
「じゃあ誕生日プレゼントも用意しておくよ。もう曲、行ったんじゃない?」
ぽろりんと、萬田郁恵のスマホが鳴った。
「あー、来た来た」スマホをいじくりながら郁恵が言った。
「聞いてみな。案外いいものだよ」
郁恵はポーチからコードレスイヤフォンを取り出すと耳に突っ込んで再生する。
曲に合わせて首を振っている。
「じゃあ、そろそろ行きますか」言うと、ズボンやシャツを脱がせだした。
「今日は腰が痛いから女性上位でやってくれない? 聞こえている? 女性上位でー」
郁恵は曲をききながら、ふがふがと頷いた。
素っ裸になると、前戯もそこそこにいきなり騎乗位にまたがってきて挿入する。
こっちの臍のあたりに、心臓マッサージでもするみたいに手をつくと、
♪you don't have to worryのメロディに合わせて腰を動かす。
1曲終わらない内に果ててしまった。
それでも膣液でビシャビシャである。
郁恵はバスルームに行くと股間を中心にザーッとシャワーを浴びた。
戻ってくるとバスタオルを巻いただけの格好でベッドに腰掛けて、
セブン限定タピオカミルクティーを飲みながらリラックスした。
ベッドに寝ていた時任は、スマホを出すと、『守ってあげたい』を再生した。
果たして今のセックスで条件付けは出来たであろうか。
じーっと郁恵の背中を見つめる。
しかし、ピクリとも反応しなかった。
これは、スマホのスピーカーだと音質が悪くてダメなのか。
それとも、やっぱり一回セックスしたぐらいじゃあ条件付け出来ないのか…。

時任は寺田町のアパートに帰ってくると、さっそく、スマホで、
浦野作治に報告した。
時任:上手くいかなかったよ。全然効果がなかった。
浦野:ただ、こすっただけじゃあ、条件付けなんて出来ないよ。
時任:そうなの?
浦野:そうだよ。
パブロフの犬だって、ベルが鳴ってから肉が出るというのを繰り返すと
ベルが鳴っただけでヨダレが出る、という訳でもないんだよ。
ベルがなって肉が出るというのにビックリして、
ビックリするとシナプスの形状が変わるから、それで記憶になるんだよ。
これをシナプスの可塑性というが。
シナプスの形状が変わって、それで流れる脳内化学物質の質と量が変わる、
それが記憶の正体だよ。
だから、シナプスの形状を変化させないと。
それにはビックリする事が大切だから、ビックリしやすい状態、
つまりシナプスが変形しやすい状態にしておかないと。
それは、脳内化学物質が潤沢に分泌されている様な状態だから、
何かドーパミンの出るものを与えておくと条件付けしやすいんだがなあ。
ニコチンとかカフェインとか。
ニコチンとカフェインを大量に与えて、シナプスの先っぽに
脳内化学物質が大量に分泌されている状態で条件付けをすれば、
ユーミンと潮吹きは結びつくかも知れないのだがねえ。
時任:じゃあやってみる。

翌日の午後、時任は又郁恵を誘い出した。
何時ものホテルの『レッドサン』という部屋。
1メートルぐらいの日の丸の様な赤い間接照明の下に、
これまた赤い丸いベッドが置いてある。
いきなり脱がせないで、ベッドに寝転ぶと、
時任はレジ袋の中からパッケージを取り出した。
それを開けると、アイコスのポケットチャージャーが出てくる。
「なに、それ」と郁恵。
「電子タバコ。高かったんだから」
「いくら?」
「5000円」
時任は、ポケットチャージャーからホルダーを取り出すと、
そこにアイコス専用タバコステックを差し込んだ。
「吸ってみる?」
「えー」
「これだったらそんなに害はないしし、すっごく感度がよくなるから」
「本当に?」
ホルダーが振動すると、ライトが点滅するまで長押しした。
ライトが2回点灯したので、もう吸える状態。
「ほら、吸ってみな」と郁恵の方に差し出す。
郁恵は受け取ると両手で持って、口にくわえると、
シンナーでも吸う様に吸った。
「すーーーはーーーー。キター、クラクラするわ」
「あとこれも」とレジ袋からモンスターエナジーを取り出すと
リングプルを開けた。
「それも飲むの?」
「カフェインも感度がよくなるんだよ」言うと
口元に持っていってごくごくと飲ませる。
「あー、オレンジ味かあ。いやー、いきなりドキドキしてきた」
今や郁恵は、左手にモンスターオレンジ、右手にアイコスを持ちながら、
交互に飲んでいる。
「ああ、目が回って気持ちいいわあ」
「どんな感じ?」
「低気圧が迫っていて自律神経失調症になって、
動悸息切れがする様な気持ちよさ」
「それじゃあその状態で、ユーミンを聞いてみな」
言われるばままにイヤフォンを装着すると、ユーミンを聞き出す。
そしてベッドに横になると、白目をむいて 上目遣いで目を潤ませた。
時任は郁恵を脱がせる。
約5分のセックス。
セックスの後、郁恵は何時もの様にシャワーで膣液を洗い流して、
戻ってくるとバスタオルを巻いた状態でベッドでごろごろした。
「今日は体力消耗したわ」
「ほんま?」
横目で郁恵の様子を見ながら時任はスマホのスピーカーでユーミンを再生してみた。
「♪you don't have to worry worry まもってあげたい〜」と
チープのスピーカーのせいか、ユーミンの声質なのか、乾いた音が響いてくる。
「ん?」と郁恵は眉間にシワを寄せる。「あ、バスタオルが濡れるかも」
「え、本当?」
「なんか、まだ感じているのかなあ」
「本当かよ」

寺田町のアパートに帰ると、さっそく、浦野作治に報告した。
時任:今日は効果があった。ユーミンの曲で、湿らせる事に成功しました。
浦野:本当か。それは大躍進だな。
時任:なにしろ、アイコスとモンスターエナジーでバッチリ刺激しましたからね。
浦野:ニコチンとカフェインで、
相当、シナプスの間に脳内化学物質が出ていると思われる。
ここで止めをさすには、シナプスのつなぎめに持続的に大量の
脳内化学物質が漂う様にする為に、
セロトニン再取り込みを阻害する薬品=向精神薬を飲ませるという事だが。
時任:林田式では向精神薬とか使わないからなあ。
浦野:だったら、君、バイクで彼女が吐いたと言っていたなあ。
だったら、バイクに乗る為に酔い止めだといって、
アネロンとかトラベルミンとかの市販薬を飲ませてみろ。
それらには、ジフェンヒドラミンを含むので、
セロトニンの再取り込みを阻害するから。

翌日、又又誘い出すと例のラブホに行った。
『ネスト』という名前の部屋で、
壁全体にビーバーの巣の様に木が積んであって、ベッドも木目調だった。
ベッドにごろりとなって肩など抱きながら時任は言った。
「今日、バイクでツーリングしようか」
「嫌だぁ。又酔っちゃうから」
「だから今の内に酔い止めを飲んでおけよ」
アネロンを取り出すと通常1回1カプセルのところを3カプセルも飲ませる。
「じゃあ、折角、ビデオもある事だから映画でも見てみるか」と時任。
壁面には50インチ程度の大画面テレビが備え付けられていた。
リモコンでVODを選択して映画を選ぶ。
「何を見るかなぁ。ユーミンづくしで『守ってあげたい』を見るか。
薬師丸ひろ子の」
「何時の映画?」
「わからん」
「そんなに古いのあるの?」
「『守ってあげたい』はないなあ。
原田知世の『時をかける少女』ならあるけど。
まあ似た様なものだからこっちでもいいか。
『守ってあげたい』はツタヤで借りてきて君んちのでっかい液晶画面で見よう」
二人は『時をかける少女』をしばし観賞。
「なんでこの映画、さっきから同じシーンが繰り返し流れるの?」と郁恵。
「何をボケた事言っているんだよ。時をかけているんじゃないか」
「あー、そうなの。あー、なんか退屈。ふあぁ〜〜」と大きなあくびをした。
そろそろ薬が効いてきたか。
それに退屈だったらそろそろいいか、と思って、時任は脱がせにかかった。
そしてセックスに移行する。
が、その前に、
「そうだ、ユーミンを聞かないと。
イヤフォンを出して『守ってあげたい』を再生して」
「なんで何時もあの曲を再生しないといけない訳?」
「そりゃあ、好きにならなくちゃ。八王子市民なんだから」
「私なんて大塚だからほとんど日野市民なんだけれどもなぁ。まあいいけど」
郁恵はイヤフォンを出すと耳に突っ込んで再生した。
そして約5分のセックス。
コイタスの後、例によってシャワーを浴びると、
バスタオルを巻いてベッドに戻ってくる。
まだあくびを噛み殺していた。
時任は、じろりと横目で観察しながら、スマホでユーミンを再生した。
♪you don't have to worry worry まもってあげたい〜
「う、やばい、何故か漏れてくる」と郁恵が尻を浮かせた。
「本当かよ」
「やばい、やばい、まだ感じているのかなあ」
時任は内心ガッツポーズで、スマホを掴んだ。

ホテルから出てくると時任は言った。
「じゃあ、折角酔い止めも飲んだことだし、天気もいいので、
ひとっぱしりしてくるか」
バイクに跨るがると、いざ出発。ブゥーーーン。
ホテルのある中町から16号線に出る。万町のマックの角を右折して、
八王子実践高校を通り過ぎるとすぐに富士森公園が見えてきた。
「あそこで一休みしよう」
富士森公園の駐輪場に止めると、二人は陸上競技場に入っていった。
芝生の観客席に座り込むと、後ろ手に手をついた。
都立高校の生徒が陸上競技をやっている。
屋外用ポール式太陽電池時計を見ると、1時59分。十数秒後、2時になった。
例の放送が、マイクが近いせいで、大音響で響いてくる。
♪you don't have to worry worryのメロディが木琴で流れる。
「あれ? 芝生が湿っていない?」言うと郁恵は尻をうかして
芝生と自分の尻を触る。「違う。自分が湿ってきたんだー。なんで〜?」
(キターーーーーー!!)時任は心の中で正拳三段突きをする。

翌日、金曜日、親が居ないというんで、大塚の萬田郁恵の家に行った。
ツタヤで『ねらわれた学園』を借りて持っていく。
郁恵の家は、如何にも田舎の豪邸といった感じのお寺の様な家だった。
二階の彼女の部屋は、欄間に龍の彫刻がある十畳の和室で、
ピアノ、オーディオセット、ベッド、ソファ、50インチの液晶テレビ、
壁一面に漫画とノベルスが並んでいた。
(こういうのもみんな店子から巻き上げた銭で買ったんだろう)と時任は思う。
「じゃあ、DVDを借りてきたから見ようか」
言うと時任はソファにふんぞり返った。
郁恵がDVDをセットするとすぐに再生が開始される。
まずは、写真とアニメの合成の、宇宙のビッグバンの様な映像が流れる。
続いて、スタッフクレジットが流れるオープニングでいきなり
『守ってあげたい』が流れた。
♪you don't have to worry worry…
「うっ」と小さく唸ると、郁恵はぎゅーっと股を締めた。
「うっ。ちょっとトイレ行ってくる」言うと、障子を開けて出て行ってしまった。
(もう完璧だ)と時任は思う。(完成したよ)。

しばらくすると、なんと郁恵は安芸亜希子と一緒に戻ってきた。
「あれ、亜希子さん、家に来たりする間柄なの?」
「そうよ」
「ちょっとちょっと」と郁恵に引っ張られて、
二人は部屋の隅の勉強机の所に行くと、何やらひそひそ話しを始めた。
「実はね、ヒソヒソ、ヒソヒソ…」
(何を話しているんだろう。
まさか、セックスの時にユーミンを聞かされていたら、
♪you don't have to worry と聞くだけで潮を吹くようになった、
とでも言っているのでは。
しかし、既に条件付けは完了しているので、今更何を言おうと。無問題)。

その日の晩、浦野作治はチャットには居らず、時任は一方的に報告をタイプした。
時任:条件付けはバッチリですね。
何時でも、ユーミンの曲が流れてくれば濡れる様になりましたよ。
富士森公園の放送であろうと、映画の挿入歌であろうとね。
あとは場所を危険なところに移してあのメロディーを聴かせるだけ。
そうすると何が起こるか。
潮吹きだけじゃあ滑落しないと思ったから、僕は特別な仕掛けを考えましたよ。
へへへ。どんなお仕置きをするかは乞うご期待ですね。
又リポートしますよ。へへへ。




#564/598 ●長編    *** コメント #563 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:25  ( 46)
条件反射殺人事件【6】
★内容
高尾山ハイキングの当日、集合時間の1時間も前に高尾山口駅で待ち合わせをした。
ロータリーを出てきたところに知る人ぞ知る『ホテルバニラスィート』があった。
巨大なチョコレートケーキの様な建物を見上げて、
「ここを通る度に、あそこで楽しい思いをしている人もいるんだろうなぁ、
って思っていたんだ。入ってみようか。まだ1時間もあるし」と時任は言った。
「えー、又ラブホ?」
「今日はすっごくセクシィーな気分なんだよ」

部屋に入ると一応あたりを見回す。
でっかりWベッドの上に浴衣が2枚。
テーブルの上にはお茶菓子と缶のお茶。
風呂場を覗くと、ジャグジー風呂になっていた。
全体として、田舎のモーテルみたいな風情。
そんなのには大して興味をしめさず、「さぁさぁ」と言うと、
さっそくベッドに倒れ込んだ。
「今日はとにかくセクシィーな気分で我慢出来ないんだよ」
パンティーを脱がすのももどかしくセックスに移行する。
セックスの間、パンティーはベッドの上に丸まっていた。
約5分で終了。
案の定、膣液が1メートル程度のシミを作っていた。
その上にパンティーが丸まっていた。
「ちょっとぉ、濡れちゃったじゃない。これからハイキングだっていうのに」
と郁恵。
「ちょうどよかった。つーか、今日誕生日だろう? 
プレゼントを用意してきたんだよ」
言うと、ナップサックから包を出して、渡す。
郁恵が包を開けると中からパンティーが出てきた。
ランジェリーショップで売っている様なセクシィーなパンティーが。
「なぁにぃ、これ」パンティーを広げてひらひらさせながら言った。
「誕生日のプレゼント…。嘘嘘、本当のプレゼントはこっちだよ」
言うと、スウォッチを渡した。メルカリで落札した二千円の
キティーちゃんのスウォッチ
「あ、これ、いいじゃない」と郁恵は喜ぶ。
「こうやって、パンティーの後の時計を渡すのは『アニー・ホール』
みたいでやりたかったんだ」
「え、なに? 『アニー・ホール』?」
「まあ、そういう映画があったんだよ。とにかく、その時計でも、
もう十一時近いだろう。そろそろ集合時間だから行かないと。
さあ、早くそれを履いて」
郁恵はセクシーパンティーに脚を通した。
「お弁当どうしよう。高尾山口に売っているのかなあ、
それとも山頂に蕎麦屋とかがあるのかなあ」
「弁当はもう買ってきたよ。君の分も。今日から物産展だったんだなあ。
セレオ八王子で」
「へー。なんのお弁当?」
「それは山頂でのお楽しみだよ」




#565/598 ●長編    *** コメント #564 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:25  ( 91)
条件反射殺人事件【7】
★内容
やたら蕎麦屋と饅頭屋のある参道がケーブルカーの始発駅、
清滝駅につながっているた。

清滝駅の前には、書痙オヤジ、安芸亜希子、佐伯海里先生、
その他おじさん、おばさんが集合していた。
それに合流する。
「それじゃあみなさん集まった様なので出発しまーす」
ツアー客でも案内するように、海里先生がみんなを引き連れて行く。
片道四八〇円の切符を買うとカチャカチャ切符きりで切られて改札を通過する。

ケーブルカーに乗り込むと、安芸と郁恵は先頭でキャッキャしている。
時任はニヤリとほくそ笑んだ。
「高尾山行きケーブルカー、これより発車です」というアナウンスと共に、
車体が引っ張られて上がり出した。
「このケーブルカーは標高四七二メートル地点にございます
高尾山駅までご案内致します」というアナウンス。
(人が転落死するには十分な高さだな。ちょっと足を滑らせれば一巻の終わり)。
「高尾山薬王院は山頂高尾山駅より歩いて15分程のところにございます。
薬王院は今から約一三〇〇年以上前、行基菩薩により開山されたと伝えられ、
川崎大師、成田山とともに関東の三大本山の一つとなっております。」
(そんな由緒あるところでやったらバチが当たるかな。
あのメロディーを聴いて潮を吹くのは向こうの勝手だとしても、
潮吹きだけじゃあ滑落しないので、
確実に滑落する様な仕掛けを仕組んだのは僕だしなぁ)。

ケーブルカーを降りて、ぞろぞろ歩いていくと、
新宿副都心が見える展望台、サル園、樹齢四百五十年のたこ杉、と続き、
浄心門という山門をくぐるといよいよ境内に入る。

書痙オヤジやおじさん、おばさん連中が先頭と行き、萬田郁恵と安芸亜希子、
そして臨床心理士の佐伯海里先生が続く。
時任はほとんどしんがりを歩いて行った。

左右に灯篭のある参道を更に進んでいくと、
男坂と女坂というコースにY字型に分岐している。
男坂に進んで、煩悩の数だけの石段を上ったが、これにはばてた。
茶屋があって、ごまだんごと天狗ラーメンのいい香りが漂ってきた。
「お弁当買ってきた?」と佐伯海里先生が振り返った。
「うん、駅ビルで買ってきた」。
「何を?」
「牛タン弁当」
「ふーん」言うと尻をぷりぷりさせて参道を進んで行った。
参道を更に進むと四天王門という山門があって、又石段があった。
その先に、薬王院の本堂があって、そこを裏に回ると又石段。
権現堂というお堂があって、裏に回って、更にきつい石段。
奥の院というお堂があって、裏に回って、木のだんだんを上って行く。
くねくねと舗装された道を行くと、軽自動車が2台止まっていた。
(なんだよ、車で来れるのかよ)と時任は思った。
しかし、もうちょっと行ったら山頂に着いたのであった。
展望台から「富士山、丹沢が見えるー」と、書痙オヤジ、
おじさん、おばさん連中は喜びのため息をもらしていた。
「じゃあ、みなさん、ここでお昼の休憩にします。出発は一時四十五分です」
と佐伯海里先生。
おじさん、おばさん連中は、ベンチに陣取ると弁当を広げだした。
「丹沢や富士山を眺めながら食べると旨いぞー」などと言っている。
「僕らもどっかで食べる?」と時任。
「ばてすぎちゃって食べたくない」と郁恵。
「じゃあ、俺もいいや」
安芸と海里先生は「私たち、そばを食べてくる」と言って茶屋に入っていった。
何気、時任と郁恵は展望台の先っぽに移動する。
ベンチに腰掛けると、富士山を見る。
時任は、横目で、萬田郁恵のシャツの上からでもむちむちしているのがわかる
腕をガン見した。
(さっきやってきたばっかりなのに、まだ未練がある。
これを崖下に放り捨ててしまうなんておしい。
しかし、貧乏人をハエだゴキブリだと言った女だ、お仕置きしなくっちゃ。
つーか、何時も中田氏しているから妊娠しているかも。
そうしたら自分の子供もろとも崖下にって事か? 
それでもいいや。中絶の手間が省けて。
慈敬医大病院の医師みたいに同意なしに中絶しちゃうなんていう手間が省けて)。
「前に、会で、ホリエモンやひろゆきがムカつくのは
自己受容が出来ていないからだって言ったでしょう」
時任は富士山を見ながら語りだした。
「だから、尾状核的になっていて、比較するんだって。
でも、やっぱり、ホリエモン的な奴らがおかしいと思う時もある。
ずーっと前、慈敬医大の医者が看護師を愛人にして、
妊娠したからビタミン剤と偽って子宮収縮剤を飲ませて中絶させた、
という事件があったけれども、そんな酷い事が出来るのは、
制度に守られていいるからだと思うんだよね。
人間なんてでかい車に乗っているだけで威張るし、
体がでかいだけで威張るし、
制度にのっかっていれば威張るものだと思うけれども。
IT長者がツイッターで威張っているのも、同じだと思うんだよね。
だから、カーっとしてお仕置きしてしまうかも知れない」
「何をするの?」
「さぁ。今に分かるさ」

しばしベンチで堕落していたら、すぐに時間は経過した。
「それではそろそろ出発しまーす」という佐伯海里先生の声。
時計を見るともう一時四十五分。
よーし、いよいよだ。




#566/598 ●長編    *** コメント #565 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:26  ( 75)
条件反射殺人事件【8】
★内容
生活の創造会八王子支部御一行は、
おじさん、おばさん連中、書痙オヤジ、佐伯海里、時任、
しんがりに萬田郁恵と安芸亜希子という順番で来た道を引き返した。
浄心門まで戻ってくると左側の4号路に入り、高尾山の北斜面を下る。
鬱蒼としたブナなどが左右から道を覆って筒状になっている。
しばらくは丸太と盛る土の階段を下っていた。比較的幅広で手摺もあった。
しかし、すぐに道は 上りの人とすれ違えない程の、かなり細い下り坂に変わった。
右手からは樹木の根が迫っていて、老婆の手の静脈の様に見える。
左側は切れ落ちている。
「これ落ちたら死ぬで」
樹木の生い茂った崖下を見下しながら書痙オヤジが言った。
「こんなところ死体が上がらないぞ」
後ろでは、安芸亜希子と萬田郁恵がよろよろしている。
「スニーカーじゃあ危なかったかも」
「季節的に道がぬかるんでいるのかな」
(ちょっとつついてやれば崖下に転落するかな)と時任は思う。
時計を見ると、まだ一時五〇分。

しかし、丸太の階段と下り坂が交互に続いた後、道幅は急に広くなってしまった。
4号路と、いろはの森コースという別ルートの交差点の先には、
丸太のベンチまで設置してあって、休憩出来る様になっている。
(こんな幅広の道じゃあ、安全すぎる)と思う。
「休憩します?」と書痙オヤジと佐伯海里が言い合っている。
時計を見ると一時五三分。
こんなところで休まれたら予定が狂う。
「行こう、行こう、一気に行った方が楽だから」
時任は前のみんなを押し出す様に圧をかける。

しかし、丸太の長い階段を下ると、急に道幅が狭まったかと思うと、
左手は切れ落ちの崖の斜面に出た。
ここでもいいが、時計を見ると、まだ放送までには時間がある。

少しして、左手の崖下はブナなどの木で見えなくなってしまったが、
しかし川のせせらぎがきこえてくる。
あれは「行の沢」のせせらぎだ。
樹木が生い茂っていて見えないのだが、崖下には「行の沢」が流れている筈。
吊り橋も近い。
(ここだ)と思った。
時計を見ると、一時五八分。
(あと二分か)。
時任は、歩調を弱めると、立ち止まり、そしてしゃがみこんで、
靴ひもを結ぶふりをした。
「早く行ってよ」後ろで安芸亜希子が言った。
「お前ら、先に行けよ」と、亜希子と郁恵を先にやる。
紐を結びながら時計を見る。一時五九分五九秒、二時!
吊り橋の向こうから、
♪you don't have to worry worry『守ってあげたい』の
木琴Verの防災放送が流れてきた。キター。
時任はしゃがんだまま(どうなるか)と三白眼で前を行く女を睨む。
萬田郁恵がもじもじしだした。
そしてすぐに、蛙の様に飛び跳ねだした。
かと思うと、安芸亜希子にしがみついた。
二人共バランスを崩した。
(あのまま二人共落ちてしまえ!)。
しかし、郁恵だけが崖から転落していった。
ああぁぁぁぁぁー、と、悲鳴ごと吸い込まれていく。
ボキボキボキと枝の折れる音。
かすかに水の音が。
「郁恵ぇーーーー」と叫ぶ安芸亜希子。
「どうしたぁー」と書痙オヤジが振り返った。
「萬田さんが落ちました」と安芸亜希子。
「えーーーー」とか言って、佐伯海里先生だの、おじさん、おばさん連中が
崖下を見下ろす。
「郁恵ぇーーーー」と崖下に叫ぶ。
しかし、沢のせせらぎが聞こえてくるだけだった。
「降りて行ってみよう」と書痙オヤジ。
「危ないですよ。警察を呼びましょう」と海里先生。
スマホを出すと110番通報した。
「4号路の吊り橋の手前です。はい、そうです。はいはい。そうです」
他のメンツは、心配そうに崖下を覗いていた。
「一体何が」と書痙オヤジ。
「突然もじもじしだしたと思ったら、飛び跳ねて、
そして、私にも抱きついてきたんですけれども、
一人で、一人で、崖下に…。私が突き飛ばしたんじゃありませんから」と亜希子。
「それはもちろんだよ」




#567/598 ●長編    *** コメント #566 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:28  ( 52)
条件反射殺人事件【9】
★内容
たった15分で、赤いジャージに青ヘルの屈強そうな
一五、六名の救助隊が到着した。
背中に黄色い文字で『高尾山岳救助隊』と刺繍されている。
「山岳救助隊、隊長の新井です」日焼けした馬面の中年が言った。
「どうされましたか」
「突然メンバーの一人が暴れだして、ここから沢に落下したんです」
見ていたかの様に書痙オヤジが。
隊長は、しばし、崖下を見下ろす。
すぐに背後の隊員のところへ戻ると、円陣を組んで、隊員達に言う。
「これより。滑落遭難者の救助を行う。
それでは任務分担。
メインロープ担当、山田隊員、
メインの補助、今村隊員、
バックアップロープ担当、江藤隊員
バックアップの補助、池田隊員、
メインの降下要員、椎名隊員、
補助要因、豊田隊員。
以上任務分担終わり。
準備が出来次第、降下を開始する」
「はーい」と隊員らは声を上げる。
隊員らは、太い木を探して、ロープを巻き付ける。
ロープに、カラビナや滑車などを取り付けると、降下用のロープを通す。
それを降下する隊員のカラビナに縛り付ける。
降下要員にメインとバックアップの2本のロープがつながれた。
「メインロープ、よーし」
「バックアップよーし」
「降下開始ーッ」
「緩めー、緩めー、緩めー」の掛け声で、降下要員が後ろ向きに、
崖下に消えて行った。
「到ちゃーく」と茂みで見えない崖下から隊員の声がする。
続いて、補助隊員も降下していった。
既に垂らされたロープをつたって、するするすると崖下に消えていく。
「隊長ーー」崖下から声がした。「要救助者、心肺停止の状態。
これより、心臓マッサージと人工呼吸による心肺蘇生を行います」
数分経過。
「隊長ーー。心肺蘇生を行いましたが、効果ありません。
斜面急にて担架は使用不可能。よって背負って搬送したいと思います」
しばしの静寂。
「隊長ーー。ただいま、要救助者、背負いました。引き上げて下さい」
「よーし。これより、降下要員引き上げを行う。メインロープを引っ張って」
「メインロープ、引っ張りました」
「ひけー、ひけー、ひけー」
の掛け声で、降下要員が、崖下から姿を現す。
背中にはぐったりとした萬田郁恵を背負っていた。
引き上げられた萬田郁恵は、担架に移されると、
ベルトで固定されて毛布をかけられる。
4人の隊員が担架を持ち上げる。
「これより、要救助者、下山させる。いっせいのせい」で持ち上げた。
先頭に4人、担架の4人、後ろに4人の体制で、
それこそ天狗の様な速さで下山していった。
それを見ていた時任は心の中で
(ミッションコンプリート)と思う。




#568/598 ●長編    *** コメント #567 ***
★タイトル (sab     )  20/11/03  17:28  (225)
条件反射殺人事件【10】
★内容                                         20/11/04 13:27 修正 第2版
残ったのは馬面の新井隊長とあと二人。
「なにがあったんですか?」と新井隊長が聞いてきた。
「事情聴取をするんですか?」と書痙オヤジ。
「我々は高尾警察の警察官なんですよ。
私は警備課の新井警部です。
こちらは、生活安全課の山田巡査、あと交通課の江藤巡査」
狐顔の山田と狸顔の江藤が敬礼をした。
「はぁ、そうですかぁ」と書痙オヤジ。
「…どんな感じだった?」と亜希子の方を見る。
「突然、一人で、あばれだしたと思ったら、飛び跳ねて、
一回は私に抱きついたりしたんですけど、
勝手に離れると転落していったんです」と亜希子。
「その時に何か変わった事は」
「変わった事?」
「どんなに小さな事でもいいから」
「えー、」と亜希子は考え込む。
「そういえば、八王子市の放送がちょうど流れてきていました」
「放送?」
「ほら、ユーミンの♪you don't have to worry 『守ってあげたい』の
メロディーの放送です」
「えっ」と佐伯海里先生が顔を出した。「もしかして、そのユーミンと
何かが条件付けされているって事、ありませんか?」
「はぁ???」新井警部と二人の巡査は頭の周りに?マークを浮かべている。
後ろの方からそのやりとりを時任は睨んでいた。
(あの女、何を言い出す積りだ。そういえば、snsの浦野作治も、
臨床心理士には気をつけろ、と言っていたが)。時任は動揺してきた。
「私たち一行は、生活の創造会といって、神経症患者の集まりなんですけれども。
私は臨床心理士の佐伯海里と申します。
それで、神経症患者というのは、すぐに何でもトラウマにしちゃんですよ。
パブロフの犬みたいに。
例えば、メントスを食べた後に嘔吐して二度とミント味のものが
食べられなくなるとか。
同じ様に、ユーミンの放送で何か暴れるように条件付けされていたんじゃ
ないですかね」
「それ、今関係あるんですか」と隊長。
(そんな事は、関係ない、関係ない)時任は祈る様に心の中で呟いた。
じーっと考えていた、安芸亜希子が、顔を上げた。「そういえば、
郁恵ちゃん、ユーミンを好きにさせられているって言っていたわ」
「え?」
「あの、時任さんに」と時任の方を見た。「八王子市民ならユーミンを
好きにならないといけないと言われて、曲をプレゼントされて
何回も何回も、、、、」
「何回も?」
「えっ。うう」
「何回も何?」
「その、セックスの時に、繰り返しユーミンを聞かされたって。
しかも、こんなの恥ずかしいんですけれども、
重要な事だと思えるので言いますけれども、
郁恵は結構濡れやすくて、すごく濡れやすいんだと言っていました、
それで、最終的には、ユーミンを聞くだけで濡れてくるようになったと」
(くそー。萬田郁恵の家でちょっと話していたと思ったら、
そんな事までべらべら話していたのか)。
「という事は、ユーミンの放送が流れてきて、それで膣液を分泌して、
その後、あばれだして滑落した、という事ですか?」と新井警部が言った。
「そういう事は有り得ると思いますね」と佐伯海里先生。
「で、被害者は誰と付き合っていたんですか?」と新井警部。
「あの人です」と亜希子は時任を指さした
佐伯海里先生、安芸亜希子、書痙オヤジ、おじさんおばさん連中、
警部と巡査2名が時任を見ていた。
「へ、へへへ」と時任は笑う。「僕が、ユーミンと潮吹きを
条件反射にしたって? へっ。想像力がたくましいな。
つーか股間が濡れたら足が滑るとでもいうのかよ」
じーっと海里先生は時任を睨んでいた。
その視線は時任のツラからリュックに移動する。
「ちょっとリュックの中身を見せてくれない?」
「なんでだよ」
「警部、あのリュックの中に重要な証拠があるかも知れません」
「何?」と警部も時任を睨む。
「見せてくれよ」と書痙オヤジがリュックに手を伸ばした。
そして、警部と書痙オヤジに両肩を抑えられる格好になり、
そのままリュックがズレ落ちてしまった。
それを海里先生が奪うと中を見る。
「これは、さっき山頂で食べなかったお弁当ね」
と二つの弁当を取り出した。
「それが今なんの関係が」と警部。
「この牛タン弁当は、この下の紐をひっぱると、温まるんです」
言うと海里先生は紐をひっぱった。
「この弁当は、電車の中で旅行者が食べる時に温める為に、
底に生石灰だかが入っていて、この紐を引っ張ると水が出てきて、
それが生石灰と反応して熱が出るのね。
それで温まるのね。5分ぐらいで」
海里先生は弁当を手の平に乗せてみんなに見せた。
「さあ、もう温まった」
海里先生は、温まった弁当を開くと、箸を出して牛タンと米粒をつまんだ。
「さあ、時任さんに食べてもらおうかしら」
「なんで今そんなもの食わないといけないんだ」
「いいから食べてみて。いいから」
と、牛タンと米粒をつまんだ箸をもって迫っていく。
時任は警部と書痙オヤジが両肩を抑えられていて、羽交い締めにされた状態で、
ちょうどダチョウ倶楽部の上島竜兵が肥後と寺門ジモンに押さえつけられて
熱いおでんを食わされる様な格好になっていた。
海里先生は、牛タンとご飯を時任に食わせた。
「モグモグ、う、うえー」と時任は吐き出した。
「なんだ」と警部。
「ガルシア効果だわ」と海里先生。
「ガルシア効果?」
「この時任さんと郁恵さんは、先々週の土曜、
焼肉を食べた後メントスを舐めて、その後バイクで車酔いをして吐いたんですね。
一回そういう事があると当分ミント味は嫌いになる、というのがガルシア効果。
実際、萬田郁恵さんは、先週の創造会の時にサイダーが飲めなかった。
しかし、このガルシア効果の条件付けは、ミントだけじゃなかった。
焼肉も、食べると吐き気がするという条件付けがなされていたのね。
それで今時任さんは吐き出した。
さあ。ここで疑問だわ。
時任さんは、何故食べられもしない牛タン弁当を買ってきたのかしら」
海里先生は、腕組みをすると顎を親指と人差し指でつまんだ。
安芸亜希子や、両肩を抑えている書痙オヤジ、警部も首をひねっている。
「何で食べられもしないのに牛タン弁当を買ってきたのよ」と亜希子。
「なんでだ。言ってしまえ」と書痙オヤジ。
「ふん」羽交い締めされたまま時任はそっぽを向いた。
「なんで?」
「なんでなのよ」
「なんでだ」
「なんでですか」
みんなの「なんで」の嵐が巻き起こる。
時任は。なんで攻撃を無視して黙り込んでいた。

「言いたくないみたいね」と海里先生。「だったら私の想像を話すわ」
海里先生は腕組みを解くと、吊り橋の方を指差した。
「さっき、ユーミンの放送が聞こえてきた時、
急に萬田郁恵さんがあばれだして、そして滑落した。
それは、ユーミンの曲を聞くと膣液が分泌される
という条件付けがなされていたから。
でも、膣液が出たぐらいじゃあ、足を踏み外すとは思えない。
それだけじゃない何かの仕掛けを仕込んでおいたのね。
それはどんな仕込みなのか。
それは、非常に非常に児戯的な感じはするんですが、
それは、この牛タン弁当の底にあった生石灰、
それは水分を吸収すると熱を発するのですが、
それを、郁恵さんのパンティーに仕込んでおいたんじゃない? 
それで膣液が出て、それを石灰が吸収して、発熱して、
それで、あちちちちとなって飛び跳ねて滑落した、と」
「へへへっ。そんな事」時任は顔を引きつらせた。
「どうやって、パンティーに生石灰を仕込むんだよ」
「それは、潮吹きだから、替えのパンティーが必要で、
それに仕込んでおいたんじゃないの?」
「想像力たくましすぎだね」
「じゃあ、警部に調べてもらいましょう。
警部、連絡して調べてみてもらって下さい。郁恵さんのパンティーを」
「了解」警部は携帯を出すと電話した。
「こちら、新井です。要救助者の下着になんかの細工がしていないか
調べてもらいたいんだが。そう、そうです。はい。それではお願いします」
電話をしまうと警部はこっちに言ってきた。
「今調べてもらっていますから」
今や時任は2人の巡査に押さえ込まれて、膝を付いた状態になっている。
書痙オヤジ、安芸亜希子、海里先生、おじさん、おばさん連中全員が
取り囲んでいた。
警部の携帯が鳴った。
「はい。はい。なにぃ。そうかあ。出てきたかあ。了解」
携帯をしまうと語気を強くして、警部は時任に言った。
「お兄さん、ふもとの交番に来て、話を聞かせてもらいたいんだがね」
「それ任意だろ」
「なにぃ」
「任意だったら行かなくってもいいんじゃね? 
よくユーチューブとかでもやっているけれども」
「物証が出てきちゃっているじゃないか」
「物証が出てきたって現行犯じゃないだろう。
証人が言っている事だって嘘かも知れないし」
「物証が出てきているんだから、任意で応じないなら逮捕状請求するだけだな」
「だったら、札、もってこいや」
「じゃあー、そうだなあ、保護だ」と警部が言った。
「吐いたし、この人はふらふらしているから、滑落する危険がある。
これよりマルタイを保護する。ほごーー」
その掛け声で二人の巡査は、時任を片腕ずつ抱え込んだ。
「待て、ゴルぁ、離せこら、離せ」
など言うが、強引に、巡査二人に引き上げられる。
時任は、ほとんどNASAに捕まった宇宙人状態で、
足を空中でばたばたさせながら、下山していった。
嗚呼哀れ、時任正則もこれで年貢の納め時。
これにて事件はあっけなく一件落着。

「それではですねえ」と警部が言った。
「代表者の方のお名前と連絡先を教えていただきたいんですが」
「はあ」と書痙オヤジが前に出る。「私ら、生活の創造会、八王子支部の者で、
私は代表世話人の佐藤と申します。連絡先は090********です」
警部は手帳にめもっていた。
「分かりました。又、後ほど事情にお伺いするかも知れませんがその時は
よろしくお願いします」
「はあ」
「それではご一緒に下山しますか」
「いやいや、お先にどうぞ」
「それでは私はこれで失礼します」
敬礼をすると警部は天狗の様なスピードで下山していった。

「あー、よかった。名前を書いてくれって言われるんじゃないかと
ヒヤヒヤしたよ」と書痙オヤジ。「まさか、参考人の調書なんて
とられるのはいいけれども、署名しろなんて言われないだろうなあ」
「そういえば、警察の取り調べではカツ丼が出るというけれども、
そんなの食べられないわ」と亜希子。
「ベジタリアンだから天丼にしてくれって言えばいいじゃない」
「でも、警察のメニューはカツ丼しかないって言うから」
「マスコミが騒いだりしないだろうなあ。みんなあの会に参加しているのは
秘密なんだから。テレビなんかで、この人達は神経症ですよーなんて
全国報道されたらたまったもんじゃない」
(全く神経症の人って、最愛の人の葬式でも、
線香を持った手が震えないか心配しているんじゃあないかしら。
でも、神経症の人って神経症自体の苦しみ以外に、
それがバレる事の恥ずかしさとも戦っているのね)と佐伯海里は思った。

「それじゃあ我々も下山するか。日が暮れるから」と書痙オヤジ。
「そうね」と安芸亜希子。
御一行は、書痙オヤジを先頭に、おじさんおばさん、亜希子、
そしてしんがりに佐伯海里の順番でとぼとぼ下山していった。
吊り橋を渡っている時に、『夕焼け小焼け』の鉄琴のメロディーが流れてきた。
八王子市では夕方五時に防災無線でこのメロを放送している。
『夕焼け小焼け』を聞きつつ、
(ユーミンのメロとの条件付けなんて誰が思い付いたんだろう)
と佐伯海里はふと思った。
(ユーミンと膣液の条件付けは鮮やかな感じはするのだが、
パンティーに生石灰を仕込むというのは如何にも鈍くさいと感じる。
せっかく遠くから聞こえてくるユーミンのメロに反応するという
遠隔操作的条件付けをしておきながら、
当日牛タン弁当を買うなんてアホすぎる。
動かぬ証拠を持ち歩いてる様なもので。
それは、犯人がアホだからではないのか。
もしかしたら、条件反射に関しては、
誰か入れ知恵をした者がいるのかも知れない。
これは、もし事情聴取があったら、あの警部に言ってやらないと)
など思いつつ、海里は吊り橋を渡った。
吊り橋の底を覗くと、海里はぶるっと震えるのであった。
(水が少ししかない。あれじゃあ痛かっただろうなあ)と思ったのだ。
後ろを振り返ると闇が迫っていた。
西の空には宵の明星が姿を現していた。

【了】




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