AWC カグライダンス(前)   寺嶋公香



#511/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  17/11/28  22:59  (499)
カグライダンス(前)   寺嶋公香
★内容                                         18/02/01 03:41 修正 第3版
 それは成人式を迎えたことを祝して行われたインタビューだった。もちろん、出演し
た新作映画の宣伝も兼ねていたけれども、名目は飽くまでも二十歳になったこと。ス
ポーツ新聞の芸能面におけるシリーズ企画で、加倉井舞美は三人目に選ばれた。前の二
人はアイドル歌手とバラエティアイドルで、女性が続いている。加倉井は女優代表の形
だ。ちなみに四人目以降は、グラビアアイドル、お笑い芸人、声優、作家……と予定さ
れている。
「子役でデビューして人気が出たあと、大人になってからも大成した人は少ないとされ
ているけれども、舞美ちゃんはその少ない方に入れそう?」
「え、本人に答えさせますか、その質問?」
 加倉井は困った表情を作って見せた。場所は新聞社の地下にある喫茶店の一角。白く
て正方形をしたテーブルの向こうにいるのは、カメラマンと女性記者。幸いと言ってい
いのか、記者の浦川(うらかわ)とは顔なじみで、関係は良好だ。
「自信があると答えたら生意気に映るし、ないと答えたらかわい子ぶってるとか軽く見
られる。どちらにしたって評価が下がりそう」
 マネージャー抜きのインタビューなので、余計な口出しが入らない分、自分の言葉の
みが反映される。普段以上によく考えて受け答えをしなければ。
「確かに。でもこちらとしては、難しい質問にも率直な答が欲しいわけ」
「じゃあ、評価は周りの人に委ねますってのもだめ?」
「だめではないけど、面白くない感じ」
「だったら……周りの皆さんの支えでここまで来られたのだから、今後も信じて進むだ
けです、ぐらいかな」
「おお、大人な回答ですなー」
 それ採用とばかりに、メモ書きに丸印を入れる浦川記者。インタビューの受け答え自
体は録音されているのだが、文章に起こすときの道標としてメモを取るのだという。
(ほんとにこんなインタビュー、面白くなるのかしら。そもそも、アイドル系の人達の
間に挟まれているのが、若干、不本意だし)
 内心では多少の不平を浮かべつつ、これもお仕事、そして宣伝のためと割り切って笑
顔で応じてきた加倉井。が、次の質問には、笑みがちょっと固まった。
「大人と言えば、大人になったのを記念して、こういう質問も解禁と聞いたから」
「何です?」
「ずばり、恋愛関係。好きな人はいるのか、これまで付き合った人はいるか等々」
「――子役からやっていると、付き合う暇なんて。芸能人の友達ばかり増えただけ」
「やっぱり。昔の雑誌のインタビューを見返したら、クラスの同級生と話が合わなくて
困る、みたいな受け答えしてたんですよね。あれって、噂では、同級生の男子がガキ過
ぎて話にならない、みたいな過激な答だったのを、マネージャーさんの要請で直したと
か」
「……小学生の頃の話ですから」
 思い出すと、小学生だったとは言え我ながら考えなしに喋っていたものだと、冷や汗
ものの反省しきりだ。
(あのときはマネージャーじゃなく、確かお母さんが言ったような記憶が。二人ともだ
ったかな?)
 妙に細かいことまで思い出してしまい、苦笑いを浮かべた加倉井。
「それじゃ質問を変えて、好きな男性のタイプは?」
「え?」
「聞いてなかった? 好きな男性のタイプ。具体的な名前は出さなくていいから。これ
くらいなら大丈夫でしょ」
「ああ、好きな男性のタイプ……。そんなこと考えて生活してないもんね。うーん、そ
う、細かいことに口うるさい人は嫌い。だからその逆。大雑把じゃなくて。器の大きな
人になるのかしら?」
「なるほどなるほど。舞美ちゃん自身は、仕事――ドラマや映画の撮影では細かいこと
に拘るみたいだけど」
「仕事では、ね。仕事だったら、細かいことを言うし、言われても全く平気。ただ、言
われるときは納得させて欲しいとは思います」
「昔、二時間サスペンスに出たとき、犯人ばればれの脚本にけち付けたんだって?」
「いやだ、十歳の頃の話ですよ。みんな正解が分かってるのに、そこを避けるようなス
トーリーに感じたから。真面目な話、小学四年にばればれって、問題あるでしょう」
「結局、どうなったの?」
「事務所の力もあって、穏便に済みました。あ、台本は少し直しが入ったかな」
 加倉井は話しながら、現在の事務所の状況に思いを馳せた。彼女の所属する事務所“
グローセベーア”は、分裂したばかりだった。企業組織として大きくなりすぎた影響が
出たのか、先代の社長が亡くなるや、その片腕として働いていた人の何名かが、方針に
異を唱え、所属タレントを引き連れて飛び出してしまった。契約上の問題は(お金のや
り取りもあって)クリアされている。問題なのは、飛び出した側の方が質量ともに上と
見られている点。人数面ではほぼ二分する形なのだが、会社に不満を抱いていた人の割
合はキャリアを重ねた人達に多かった。つまり、タレントならベテランで確実に仕事の
ある人、事務方なら仕事に慣れてしかも業界にコネのある人が大勢、出て行ってしまっ
た。無論、残った側が若手や無能ばかりということはないが、先代社長に気に入られて
いたおかげで、仕事がよりスムーズに回っていた者が多いのは事実だ。
(人気のある人はこちらにもいるから、勢力は五分五分。ただ、無用の争いが起きて、
仕事がやりにくくなる恐れはあり、か)
 マネージャーの言葉を思い出す加倉井。これまではテレビ番組やドラマ等で当たり前
のように共演していたのが、こうして事務所が別々になった結果、一緒に出られなくな
ることもあり得る。言い換えれば、起用に制約が掛かるわけだ。共演者のどちらを残す
かは、番組のプロデューサー次第。あるいはスポンサーの意向が働く場合もあろう。
(“ノットオンリー”……だったかしら、向こうの事務所名。元々は、能登(のと)さ
んと織部(おりべ)さんの二人だけで始めるつもりだったそうだけど、反主流派が尻馬
に乗った感じね)
 能登恭二(きょうじ)と織部鷹斗(たかと)はともに三十過ぎ。出て行ったタレント
の中では若い方だが、人気は絶頂と言ってもいい程に高い。アイドル歌手としてデビ
ューし、俳優として地位を固めた。人気のある分、仕事が先々まで決まっており、グ
ローセベーアをやめるに当たって一番揉めた二人と言える。そのあおりで、今期は露出
が減って、連続ドラマの出演記録も途切れていた。四月から巻き返すのは間違いない。
(能登さんとは共演せずじまい。織部さんとも、同じシーンに出たことはなかった)
 個人的には親しくもらっていたし、青臭い演技論を戦わせた末に、将来の共演を約束
したことすらあった。当分、もしかすると永遠に果たせないかもしれないが。
「じゃあ、共演したい人は誰? テレビ番組でもドラマ・映画でもいいけど」
 インタビューは続いていた。頭の中で考えていたこととシンクロしたせいで、つい、
能登と織部の名を挙げそうになったが、踏み止まる。
「外国の人でも?」
「それは……つまらない気がするから、NGにしましょう。ハリウッドスターの名前を
出されてもねえ」
「日本に限るなら、憧れ込みで、崎村智恵子(さきむらちえこ)さんと大庭樹一(おお
ばじゅいち)さん。同年代でキャリアも近い人なら、ナイジェル真貴田(まきた)君と
一緒にやってみたい。あとは……風谷美羽」
 大御所女優に渋いベテラン、売り出し中の日仏混血、そして。
「最後の人って、あんまり聞かないけれども……」
 浦川の顔には戸惑いが出ている。芸能畑ばかり歩んできた記者なら、知らなくても無
理はないかもしれない。名前を売るのに協力する義理はないので、四人目の名はカット
してもらっても結構ですと告げる。その上で説明する。
「ファッションモデルをメインに活動している子。演技はまだまだ下手。でも多分、何
でもできる子だから、早い内に私達のフィールドに引っ張り込みたい。他人にかまって
られる身分じゃないけれど、あの子に関しては別。引っ張り上げれば、面白くなりそう
な予感が凄くする。以上、オフレコでお願いします」
「えー?」
「私がちょっとでも誉めたと知ったら、彼女に悪い影響を与えると思ってるので。ごめ
んなさい」
「さっきのは誉めたというか、期待してるってニュアンスだったけど……ま、いいわ。
オフレコ、了解しました。引き続いて、出演してみたい監督を」
 来た来た。新作映画の監督名を真っ先に言わねばなるまい。

 インタビューを受けてから約二週間後。スポーツ紙に掲載されたのは、映画の公開前
日に合わせた形になっていた。しかも、事前に聞かされていたのと違って、一面の見出
しにまで使われるというおまけ付き。一面にあるとは思っていなかったので、他の芸能
面から読んでしまった。おかげで、多少縁のある俳優、パット・リーの軽いスキャンダ
ル記事が目にとまり、わずかに苦笑してしまった。
 ついでに、小学生時代の頃まで思い出して――。

            *             *


 小さな子供の頃から、自分は他の子とは違うという意識があった。
 早くから個人というものを意識していただけのことなのだが、周囲にはそれが傲慢に
映ったらしい。拍車を掛けたのは、彼女――加倉井舞美は勝ち気でこましゃくれてて、
そして美少女だった。何より、彼女が芸能人であることが大きな要因かもしれない。
「あら珍しい」
 六年五組の教室に前の戸口から入るなり、すぐ近くの席に座る木原優奈(きはらゆ
な)が呟いた。いや、聞こえよがしに言った、とする方が適切であろう。
「二日続けて、朝から登校なんて」
「そうね」
 聞き咎めた加倉井は、ついつい反応した。でも、冷静さはちゃんと残している。
「前に二日以上続けて来たのは、二週間前だから、珍しいと言えば珍しいわ」
 嫌味を含んだその言い種に対し、座ったまま、じろっと見上げてくる木原。加倉井は
一瞬だけ目を合わせたが、すぐに外し、自分の席に向かった。廊下側から数えて一列
目、最後尾が加倉井の席だ。後ろから入ってもいいのだが、木原を避けているように思
われたくないので、こうして前からに拘っている。
「ねえ、宿題見せて」
 自分の席に着くなり、加倉井は隣の男子に声を掛けた。
「分かった」
 田辺竜馬(たなべりょうま)はすんなり承知した。国語のプリントと算数のドリルを
出し、該当するページを開くと、重ねて加倉井の机の上に置いた。
「字がきれいで助かるわ」
 田辺の宿題を手に取った加倉井は、自らの宿題を出すことなく、まずは算数ドリルの
該当するページに目を通す。宿題を見せてもらうのは、自分がやっていないから書き写
そうという魂胆からではない。芸能活動をやっているとは言え、加倉井は学校の宿題は
きちんとやる質だ(時間の都合でどうしても無理なもの、たとえば植物の生長観察日記
なんかは除く)。少ない時間をやりくりして急ぎ気味にこなした宿題。その答が合って
いるかどうか、確かめておきたいのだ。
「言っとくけど、間違ってるかもしれないからな」
 田辺は横目で加倉井を見ながら言った。彼は副委員長で、小学六年生男子にしては身
体は大きい方である。勉強、体育ともにできる。図画工作や家庭科もまあまあだが、音
楽だけは今ひとつ。真面目な方で、クラス担任からの信頼は厚い。だからこそ、加倉井
のような芸能人の隣の席を宛がわれた。宿題を見せてと初めて頼んだときは、有無を言
わさず拒まれた。でも、理由を話すと、半信半疑ながら見せてくれるようになった。こ
のクラスになっておよそ三ヶ月になるが、現在では疑っていないようだ。
「はいはい」
 いつもの台詞を聞き流し、加倉井は記憶にある自分の出した答と照らし合わせてい
く。
 田辺も加倉井の答合わせにまで付き合う理由はないので、残り少ない朝の休み時間、
他の男子達とのお喋りに戻った。
「――うん?」
 自分の答と違うのを見付けてしまった。算数だから、正解は基本的に一つと言える。
少なくともどちらかが誤りだ。加倉井は計算過程を追い、さらに二度見三度見と確認を
重ねた。そうして結論に達する。
(計算ミスだ。私ではなく、彼の)
 計算の最後のところで、6×8が48ではなしに、46としてあった。
 実際のところ、再三の確認を経ずとも、途中でおかしいと気付いていた。これまで田
辺が算数でミスをすることはなかったため、念を入れたまで。
「た――」
 田辺君、ここ間違えていない?
 そう聞くつもりだったが、ふっと違和感を覚えて、口を閉ざした加倉井。再びドリル
に視線を落とし、むずむずと居心地の悪い、妙な感覚の正体を探る。
 やがて思い当たった。46の箇所だが、一度、消しゴムを掛けて改めて書いてあるよ
うなのだ。6の下、最初に書かれていた数字は、8と読めた。加倉井は口の中でぶつぶ
つ言いながら考えた。それからやおら国語のプリントに移った。
 ざっと見ただけでは分からなかったが、じきに気付いた。欄外に、不自然な落書きが
あった。文章題の本文のところどころに、鉛筆で薄く丸が付けてある。順に拾っていく
と、「貯 召 閉 照 五面」という並びだった。
(「ちょ しょう へい しょう ごめん」……じゃなくて、本文で使われている通り
の読みを当てはめると、貯めた、お召し、閉める、照り返し。五面はごめんのままで、
「ためしてごめん」か)
 おおよそのところを把握できた加倉井は、そのまま宿題のチェックを続けた。
 休み時間の終わりを告げる予鈴が鳴ると同時にチェックも終了。ドリルとプリントを
返す段になって、田辺に言葉を掛けた。
「毎回、ありがと。あとで顔を貸してよね」
「え、な、何?」
「それと、算数の授業が始まるまでに、戻すのを忘れないように」

 二時間目は理科の実験があるため教室移動、三時間目は二コマ続けて隣の組との合同
体育で、休み時間は着替えに当てられた。だから田辺と話をするには、合同体育の合間
に設けられる休憩まで待たねばならない。と腹を据えた加倉井だったが、体育の授業
中、隙を見て?田辺の方から話し掛けてきた。授業内容は五十メートル走などの記録測
定で、暇ができたのだ。
「さっきのことだけど」
 体育座りをしてぽつんと一人いた加倉井の左横、一メートル弱の間隔を取って田辺が
座った。二人とも、前を向いたまま会話に入る。
「今やる? 事の次第によっちゃあ、ただで済まさないつもりなんだけど」
 周りに人がいたらやりにくいじゃないの、という意味で言った加倉井。
「てことは、やっぱり、ばれたか」
「私を相当なアホだと思ってる? げーのーじんだから」
 つい、田辺の方を振り向いた。田辺も気配を感じ取ったか、振り向いた上で、首を横
に素早く振った。
「いやいや、思ってないよ、全然。頭いいのはよく知ってる」
「だったら、何でわざと誤答を書いてたのよ、算数の七問目」
 前に向き直る。6×8を計算ミスすることはあり得ても、一旦、48と正解を出して
おきながら、それを46に書き直すなんてことはあり得ない。少なくとも、田辺くらい
普段から成績のいい者が。だからあの46はわざとである。加倉井はそう結論づけてい
た。
「そんなことを聞くからには、国語の方には気付いてないのかな」
 田辺の方はまだ加倉井を見たまま、呟くように言った。
「気付いたわよ。あんな分かり易い印に、分かり易い暗号」
 本文の読み通りに、続けて読むと「ためしてごめん」となる。
「何で試すような真似をしたのかってことが、聞きたいわけ。分かる?」
「それは……」
 途端に言いづらそうになる田辺の声。いらいらした加倉井は、先に予想を述べた。
「大方、私が本当に丸写ししていないか、確認したかったんでしょ? 間違いに気付か
ずに写して、恥をかけばいいと思った」
「ち、違う。疑ってなんかない」
 よっぽど焦ったか、田辺は体育座りの姿勢を崩し、右手を地面について、少しにじり
寄ってきた。
「じゃあ、どうして」
「うーん、誰にも言わないと約束してくれるなら」
「約束なんて無理。それでも、君には答える義務があるわよ、田辺クン」
 口ごもった田辺に、加倉井は追い打ちを掛ける。
「そもそも、条件を出せる立場じゃないわよね。わざと間違えた答を見せるなんて、普
通に考えて悪気があるとしか」
「……ある人から頼まれた。加倉井さんが宿題をちゃんとやって来ているかどうか、分
かるように嘘の答を混ぜろって」
「ある人って、誰よ」
「それは勘弁してよ」
「まったく。まさか、先生じゃないわよね。宿題を見せてもらっていること、知らない
はずだし。そうなると、クラスの誰か」
 言葉を切り、田辺の表情を見て反応を伺う。相手は何も言うまいと誓うかのように、
口をすぼめていた。
「さっき、田辺君は『ある人』って言った。対象が男子なら、そんな言い方はしないん
じゃない? そう考えると女子。君に指図してくるぐらいだから、結構親しい。なおか
つ、私にいい感情は持っていない……」
 すぐに浮かんだ名前が三つくらいある。ただ、今朝、いきなり突っかかってきた印象
が強いため、一人の名前がクロースアップされた。
「木原優奈でしょ?」
 大した理由なしにかまを掛けただけなのに、田辺の顔には動揺の色が意外とはっきり
浮かんだ。肯定のサインだ。
「返事はしない。読み取ってくれ」
 それだけ言うと、真っ直ぐ前を向く田辺。
「まるで脅されてるみたいよ」
「そんなことない。僕がいくら言っても聞き入れないから、証明のつもりで引き受け
た」
「? 何を」
「そ、それは」
 またたじろぐ田辺だったが、言い渋る内に走る順番が回ってきた。名前を呼ばれて、
急ぎ足で立ち去る彼を、加倉井はしばらく目で追った。
(これは逃げられたかな。でも気になるから、逃がさない。あとで聞こう。と言って
も、今日はこのあと、給食食べずに午後から早退なのよね。忘れないようにしなきゃ)

 子供の立場で言うのもおかしいかもしれないが、今、加倉井のメインの仕事は、子供
向けのドラマである。ゆる〜い探偵物で、タイトルは「ゲンのエビデンス」という。頼
りない大人の探偵ゲンを、助手の小学生二人が助けるのが基本パターン。加倉井はその
助手の一人だ。もう一人は男子で、香村綸という子が受け持っている。
「ねね、聞いたかい?」
 風が止むのを待つため撮影が中断したとき、香村が近寄ってきたかと思うと、唐突に
切り出した。
「何て?」
 風による葉擦れの音のせいで、加倉井は耳に片手を当てながら聞き返した。
「この番組、もうすぐ抜けるから、僕」
「ふうん。人気急上昇で仕事殺到、忙しいアピール?」
「そうそう」
 答えながら、へし口を作る香村綸。加倉井の反応の薄さが気に入らない様子だ。察し
た加倉井は、どうせ暇があるんだしと、しばらく付き合ってやることに。
「香村君が抜けると、大きな穴があくわね。誰か新しく入るのかしら」
「僕の抜けた穴を埋められる奴なんて、そういない……って言いたいけれど、もう決ま
ってるんだってさ。知らない名前だった」
「もう聞いてるんだ? 誰よ」
「だから、知らない名前だったから、印象に残ってなくってさ。えーと、確か……服部
みたいな名前」
「何なの、それ。服部みたいなってことは、服部ではないという意味?」
「うん。そうそう、外国人の血が混じってるんだっけ。だから片仮名」
「それを早く言いなさいよ」
 ため息をつきつつ考えてみると、じきに一人の名前が浮かんだ。
「まさか、パット・リーかしら」
 日英混血で、日本名は圭。加倉井達より一つか二つ年上で、英米及び香港での映画や
ドラマ出演多数。見た目はかわいらしい子役なのに、アクションをこなせるのと日本語
と英語、そして中国語(の一部)を話せるのが強みとなっているようだ。今年度下半期
辺りから活動の主軸を日本に移すとの芸能ニュースが、少し前に報じられた。
「そうだ、確かにパット・リーだった」
「香村君は知らないの、パット・リーを?」
「外国で何か出てるってのは知ってたけれども、大して意識してなかったから。日本に
来てライバルになるんだったら、これからはちゃんと覚えるさ」
 口ではそう説明するも、わざと知らなかったふりをしていた節が、どことなく感じら
れた。
「香村君の退場は、どんな脚本になるのかしらね。爆死か何かで壮絶に散るとか」
「子供番組なのに。まあ、そんな筋書きにしてくれたら、伝説になる可能性ありだか
ら、僕はかまわないけど。あ、でも、再登場がなくなるのは惜しい」
「あ、いい案を思い付いたわ。パットが演じる新入り助手に、こてんぱんにやっつけら
れるの。心も体も傷ついたあなたは、海外修行に旅立つ」
「踏み台かい。優秀さを認められて、海外支部に派遣の方がいい」
「そんな設定ないじゃない。探偵事務所の海外支部って、後付けしようにも無理ね」
 想像を膨らませて雑談を続けていると、撮影再開の声が掛かった。いつの間にか風が
収まっていた。

 川沿いの坂を香村がスケートボードで下るシーンの撮影中に、“お客”がやって来
た。黒縁眼鏡に帽子、白マスクと完全防備の訪問者は、パット・リーその人(とマネー
ジャーに、日本での所属先となる事務所の人)だった。予定にない参上に、撮影スタッ
フらの動きが慌ただしくなる。
 幸い、香村のシーンはちょうどOKが出たところだったので、撮影の邪魔にはならな
かったが、ぎりぎりのタイミングとも言える。香村がふくれ面になるのを、加倉井は見
逃さなかった。
「香村君、冷静に。抑えてちょうだい」
 本来、香村のマネージャー辺りがすべき役割だろうが、パット・リー登場に浮き足立
ったのか、姿が見当たらない。
「分かってるって」
「嫌味な口の利き方もなしよ。彼と一緒に仕事する私達のことも考えてね」
「分かった分かった。僕だって、一話か二話、共演する可能性残してるし」
 主役クラスの二人が離れたところでごにょごにょやってる内に、パットはマスクだけ
取った。この現場の責任者に挨拶を済ませる。
「見学に来ました」
 パットはイントネーションに若干の怪しさを残すも、流暢な日本語を使えるようだ。
にこやかな表情で、主なスタッフ数名と握手をしていく。
「主役の一人で探偵役は郷野寛之(ごうのひろゆき)さんなんですが、今日は来られて
ないので、助手役の二人を紹介します」
 監督自らの案内で、パットは加倉井達の前に来た。
「はじめまして。パット・リーです。見学に来ました。よろしくお願いします」
 予め決めてあったような口ぶりだったが、気持ちはこもっていた。さすが俳優と言う
べきなのかもしれない。
 近くまで来ると、パットの背の高さが分かった。二つほど年上なのだから、パット自
身が際立って高身長というわけでもないが、香村は小柄な方なので比較すれば差があ
る。一方、加倉井とは同じくらい。それでもパットの方がやや上か。
「舞美ちゃんにはまだ言ってなかったけど、十月から彼、パット・リーが出演者に加わ
るんだ」
 監督が簡単に説明する。加倉井は初耳のふりをして聞いておいた。最初に驚いてみ
せ、次に関心ありげにタイミングよくうなずく。
 実際、関心はある。眼前の混血俳優が、一体どういうつもりで、外国でのスターダム
路線を(一時的なのかずっとなのかは知らないが)外れ、日本の子供向けドラマに出て
みる気になったのか。
 と言っても、初対面かつ撮影中の現場では、突っ込んだ話はできまい。ここは大人し
くしておく。香村が暴走しそうだったら、手綱を引き締めなければいけないし。
 ところがパット・リーは西洋育ちのせいか、女性である加倉井に対してより関心と気
遣いを見せた。
「加倉井さん、あなたが出ている作品、これともう一つ『キッドナップキッド』を観ま
した。同じ人とは思えない、演じ分けていましたね」
「どうもありがとう。ほめ言葉として受け取ってもいい?」
「もちろんです。これなら自分もよい芝居ができると思いました」
「私も楽しみです」
 それからパット・リーの出演作で視聴済みの物を挙げようとしたのだが、香村が会話
に割って入ってきた。
「ねえねえ、リーさん。僕は?」
「香村君の出ている作品ももちろん観ました。勘のいい演技だと思いましたね。よくも
悪くも、香村綸という個性が際立っていますし」
 これもほめ言葉なのだろうか。微妙な言い回しだと受け取った加倉井だが、当の香村
は好意的に解釈したらしい。ふくれ面はどこへやら、にこにこしている。
(香村君は台詞覚えは早くて、言葉だけは知っていても、言葉の意味までは大して知ら
ないものねえ。もうちょっと勉強にも力を入れた方が)
 心中でアドバイスを送る加倉井。声に出して言ったことも何度となくあるのだが、改
まった様子はない。
「短い期間だけど、僕とも共演することになるだろうから、仲よくやろうよ」
 香村は右手を出し、握手を求めた。相手は年上だが、このドラマでは先輩だし、日本
国内でもしかり。そんな意識の表れなのか、香村の言動はフレンドリーを些か超えて、
上から目線の気が漂う。
 パット・リーは(まだ子供だけど)大人の対応を見せる。眼を細めて微笑を浮かべる
と、右手で握り返した。
「よろしくお願いします。センパイ」

 思わぬ見物人が来た撮影の翌日は、金曜日だった。今日は学校でフルに授業を受け、
土日はまた撮影に当てられる予定である。
 そして加倉井は、朝から少々憂鬱だった。また木原につっかかられるんだろうなとい
う覚悟に加え、前日の撮影の醜態に頭が痛い。撮り直しの連続で疲れた。と言っても、
撮影でミスをしたのは加倉井自身ではない。
(香村君、パットを知らないと言ってた癖に、意識しちゃって)
 思い出すだけでも、疲労感を覚える。
 パット・リーが見ていると力が入ったのか、香村は動作の一つ一つに文字通り力みが
出て、固くなっていた。台詞はやたらとアドリブを入れるし、声が必要以上に大きくな
る場面もしばしばあった。使えないレベルではないものの、これまで撮ってきた分との
差が明らかにあるため、リテイクせざるを得ない。
(番組を出て行くあなたが、意識過剰になってどうするのよ)
 心の中での言葉ではあるが、つい、香村と呼び捨てしたり、あんたと言いそうになっ
たりするのを堪える加倉井。心中の喋りは、実際のお喋りでも、ふっと出てしまいが
ち。そこを分かっているから、少なくとも同業者やスタッフの名前は、声にしないとき
でも丁寧さを心掛ける。そのせいでストレスが溜まるのかもしれないが。
「あ、来た」
 気が付くと、教室のドアのところまで来ていた。声の主は、木原優奈。加倉井がおか
しいわねと首を傾げたのは、その声がいつもと違っていたから。
(何だか弾んでいるように聞こえたけれど……さては、新しい悪口でも思い付いたのか
しら)
 警戒を強めた加倉井が立ち止まると、木原は席を離れ、近寄ってきた。これまたいつ
もと異なり、邪気に乏しい笑顔である。
「どうしたの? 入りなよ」
「……何か企んでいる眼だわ」
 隠してもしょうがない。感じたままをはっきり言った。
 指摘に対し、木原はより一層笑みを増した。
「やーね、企んでなんかいないって。ただ、お願いがあるんだけれどね」
 と言いながら、早くも手を拝み合わせるポーズの木原。加倉井は別の意味で、警戒し
た。相手のペースから脱するために、さっさと自分の席に向かう。
 木原は早足で着いてきた。
「聞くだけでもいいから、聞いてよ〜」
「はいはい聞いてます。早く座りたいだけよ」
 付け足した台詞が効いたのか、木原はしばし静かになった。席に収まり、机の上に一
時間目の準備を出し終えるまで、それは続いた。
「で? 何?」
「昨日までのことは忘れて、聞いて欲しいのだけれど」
「忘れるのは難しいけれども、聞く耳は持っているわ。とにかく言ってくれなきゃ、話
は進まないわよ」
「そ、それじゃ言うけど、加倉井さんは今度、あのパット・リーと共演するって本当
?」
 この質問だけで充分だった。
(情報解禁したのね。というか、私の耳に入るの遅すぎ。きっと、情報漏れを恐れてぎ
りぎりまで伏せておきたかったんでしょうから、別にかまわないけれど。それはさてお
き、この子ってば、パット・リーのファンだったのね。それも相当な)
 ぴんと来た加倉井は、どう対処するかを素早く計算した。「内定の段階ね。まだ本決
まりじゃないってこと」と答えた上で、相手の次の言葉を待つ。
「それじゃ、正式決定になった場合でいいから、パット・リーのサインをもらってきて
欲しいのですが」
 木原はその場でしゃがみ込み、手を小さく拝み合わせて言った。
 後半、急に丁寧語になったのがおかしくて、無表情を崩しそうになった。だが、そこ
は人気子役の意地で踏み止まる。
「私も一度会ったきりだから、何とも言えない」
 若干、冷たい口調で応じた。サインをもらってきて欲しいとお願いされるのは予想し
た通りだったが、これを安請け合いするのは避ける。今後、木原との関係を優位に運ぶ
には、ここは色よい返事をすべきかもしれないが、万が一、もらえなかったら元の木阿
弥。それどころかかえって悪化しかねない。
 しかし、そういった加倉井の思惑なんて関係なしに、木原は違う方向からの反応を示
す。
「え、もう、会ったことあるの?」
「それはまあ」
 向こうが勝手に見学に来ただけだが。
「いつ? どんな感じだった、彼?」
 加倉井の机の縁に両手を掛け、にじり寄る木原。このまま加倉井の手を取るか、さも
なくば二の腕を掴んで揺さぶってきそうな勢いだ。
「話すようなことはほとんどないけど」
「それでもいいから、聞かせて! ねえ」
 おいおいいつからこんなに親しくなったんだ、私達は。そう突っ込みを入れたくなる
ほど、木原はなれなれしく接してくる。
「分かったわ。話す。でも、その前に」
 両手のひらで壁を作り、距離を取るようにジェスチャーで示す。木原は一拍遅れて、
素直に従った。
「さっき言ってた忘れるどうこうだけど、やっぱり無理だから。けじめを付けたいの」
「わ、分かった。悪かったわ」
「ちょっと、ほんとにそれでいいの? 目先の利益に囚われてるんじゃないの」
 謝ろうとする木原をストップさせ、加倉井は問い質した。そのまま受け入れておけば
すんなり収まるのは分かっていても、性格上、難しい。
「じゃあ、どうしろって……」
「言いたいことがあるんじゃないの? もしそれが文句ならば、はっきり声に出して言
って」
 加倉井の圧を帯びた物言いに、木原の目が泳ぐ。明らかに戸惑っていた。どう反応す
るのがいいのか分からなくて、困っている。
「私は好き好んで喧嘩したいわけじゃないし、そっちも同じじゃないの? だったら―
―」
 チャイムが鳴って、加倉井の言葉は中断された。このまま続けても、相手の答まで聞
いている時間はないに違いない。一旦切り上げる。
「またあとでね」

 一時間目の授業で、先生から当てられた木原が答を間違えたのは、休み時間における
加倉井とのやり取りのせいかもしれない。二時間目以降もこんな調子ではたまらないと
考えたのかどうか、授業が終わるや、木原は加倉井の席までダッシュで来た。
「答をずっと考えてた」
 前置きなしに始めた木原。対する加倉井は、次の授業の準備を淡々と進める。
「悪口を言ってたのは、うらやましかったから。別に、加倉井さんが悪いっていうんじ
ゃないわ」
 木原は普段よりも小さめの声で言った。こんなことを認めるだけでも、一大決心だっ
たのだろう。加倉井はノートと教科書を立てて、机の上でとんとんと揃えた。そして聞
き返す。
「――それだけ?」
「……悪くはないけど、いらいらする。あんた、何を言っても、落ち着いてるから」
「それが嫌味で上から目線に見えたとでも?」
「そ、そうよ」
「分かったわ。できる限り、改める。できる限り、だけね。それと言っておくけど、私
だって悪く言われたら泣きたくなることあるし、わめき散らして怒りたいことだってあ
るわよ」
「……全然、見えない」
 それは私が演技指導を受けているから。言葉にして答えるつもりだった加倉井だが、
すんでのところでやめた。
 代わりに、それまでと打って変わっての笑顔をなしてみせる。勝ち誇るでも見下すで
もなく、嘲りやお追従とももちろん違う。心からの笑み――という演技。
「木原さんも知っての通り、パット・リーは日本語が上手よね」
「う、うん」
 急激な話題の転換に、ついて行けていない様子の木原。だが、パット・リーの名前を
認識して、じきに追い付いたようだ。その証拠に「決まってるじゃない。ハーフなんだ
し、日本で過ごしたこともあるんだから」と応じる。
(これで戻ったわね)
 加倉井は心中、満足感を得た。
「私が会ったときの彼、思ってた以上に日本語がうまかった。ニュアンスまで完璧に使
いこなしてたわ」

 日々過ぎること半月足らず、金曜の下校時間を迎えていた。
 加倉井が校門を出てしばらく行ったところで、斜め後ろからした「へー」という男子
の声に、ちょっとだけ意識が向いた。聞き覚えのある声だったが、呼び止められたわけ
ではないし、自分と関係のあることなのかも定かでない。結局、ペースを落とさずに、
さっさと進む。
「待って」
 さっきの声がまた聞こえた。加倉井を呼び止めようとしている可能性が出て来たけれ
ども、名前が入っていない。だから、相変わらず歩き続けた。すると、ランドセルのか
ちゃかちゃという音とともに、声の主が駆け足で迫ってくる気配が。
「待ってって言ってるのに」
 そう言う相手――田辺と、振り向きざまに目が合う。不意のことに急ブレーキを掛け
る田辺に対し、加倉井は前に向き直ると、そのまますたすた。
「私に用があるのなら、名前を呼びなさいよ」
 一応、そう付け加える。と、田辺が再度、駆け足で短い距離をダッシュ、横に並ん
だ。
「言っていいの?」
「……何で、だめだと思ってるわけ?」

――続




#512/514 ●長編    *** コメント #511 ***
★タイトル (AZA     )  17/11/29  01:15  (500)
カグライダンス(後)   寺嶋公香
★内容                                         18/02/01 03:56 修正 第4版
「外で名前を叫んだら、みんな気付いて、集まってくるんじゃあ……」
 なるほど。納得した。そこまでの人気や知名度はないと自覚している加倉井だが、田
辺の小学生なりの気遣いには感心したし、多少嬉しくもあった。
 しかし、感情の変化をおいそれと表に出しはしない。
「ばかなこと言わないで。私なんか、まだまだ」
「そうかぁ?」
「そうよ。名前で呼べるのは今の内だから、どんどん呼んで。人気が出たらやめてね」
 返事した加倉井は、田辺が目を丸くするのを視界に捉えた。
「何その反応は」
「びっくりした。そういう冗談、言うんだね」
「結構本気で言いました。さっき、『へー』っていうのが聞こえた気がするんだけど、
あれはどういう意味?」
「何だ、ちゃんと聞こえてるじゃん」
「だから、そっちが名前を呼ばないからだと」
「へーって言ったのは、歩いて帰るのが珍しいと思ったからで」
「私が? そんなに珍しがられるほど、久しぶりだったかしら」
「前がいつだったかなんて覚えてないけど、とにかく久しぶりだ」
「覚えていられたら、気色悪いわね」
「……加倉井さんのファンが聞いたら泣きそうなことを」
「そういう田辺君は、いつまで着いてくるつもりなのかしらね」
「えっ。ちょっと。忘れてるみたいだから言うけどさ、登校は同じ班だったろ」
 朝、登校時には地区ごとの子供らで列になって学校へ行く。正確を期すなら、同じ班
と言っても男女は別だが。
「通学路は同じ。つまり、ご近所」
「そうだったっけ……だったわね」
 さすがにこれは恥ずかしいと感じた。表情のコントロールができているのか自信がな
くなり、さっと背けた。頬に片手を宛がうと、熱を少し感じたので赤くなっているのか
もしれない。加倉井は思った。
「朝、登校するときはほとんど車だもんね。忘れられてもしょうがないか」
 田辺の方は、さして気にしていない風である。変わらぬ口調で、話を続けた。
「少し前にさ、加倉井さんと木原さんが長いこと話していたのを見たけれど、あれは何
だったの? 僕が木原さんの言うことを聞いて宿題に間違いを混ぜていたせいで、もっ
と仲が悪くなったんじゃないかって心配してたんだけど、そうでもなさそうだから、不
思議なんだよなー」
「あれは田辺君のしたことと、直接の関係はないわ。だから心配する必要なし。木原さ
んとの関係は……冷戦状態だったのが、お互い、物言えるようになった感じかしら。あ
る俳優さんのおかげだから、今後どうなるか知れたものじゃないけれど」
 パット・リーが参加しての撮影はすでに何度か経験していた。漠然と想像していたよ
りは、ずっと自己主張が少なく、与えられた役を与えられた通りにそつなくこなす、そ
んな印象を受けた。加倉井ともすぐに打ち解け、スタッフ間の評判もよい。加倉井は折
を見てサインを色紙にしてもらった。まだ木原に渡すつもりはない。当分の間、引っ張
ろう。
「それならいいんだけど」
「もしかして、木原さんから頼み事をされなくなって不満なの?」
「そ、それだけは絶対にない!」
 声だけでなく全身に力を込めて否定する田辺。加倉井はちょっとした思い付きを言っ
ただけなのに、ここまで大げさに反応されると、逆に勘繰りたくなる。ただ、他人の好
みを詮索する趣味は持ち合わせていないので、これ以上は聞かない。
 しかし、田辺にしてみれば、逆襲しないと気が済まない様子。
「そういう加倉井さんは、学校の友達付き合いあんまりないし、誰某が嫌いっていうの
はあっても、好きっていうのはないんじゃないのか。仕事場に行けば、年上の二枚目が
いくらでもいるんだろうしさ」
「うーん、確かにそうだけどさ。芸能界にも好きな人はいないかな。憧れるっていう
か、尊敬する人なら一杯いても、田辺君が言うような意味での好きな人はいないな、う
ん」
 一応、本心を答えている加倉井だが、恥ずかしい思いがわき上がってくるので、喋り
は若干、芝居がかっていた。

 そのシーンに関して言えば、加倉井は台本に目を通した時点で、少しだけ消極的な気
持ちになった。
 加倉井が演じる笹木咲良(ささきさら)は、パット・リー演じる新加入の探偵助手、
服部忍(はっとりしのぶ)といまいち反りが合わず、ぎくしゃくが続いていたところ
へ、服部のふと漏らしたジョークにより、咲良が彼を平手打ちする――という、いかに
もありそうな場面展開なのだが。
(叩くのは気にならない。でも、これがオンエアされたあとの木原さんの反応を想像す
ると、ちょっと嫌な感じがするわ)
 幸か不幸か、パットは本気で平手打ちされても一向にかまわない、むしろ手加減せず
に来いというスタンス。もちろん、彼自らも頭を逆方向に振って、ダメージを逃がす
し、叩く音はあとで別に入れるのだが。
「でも、手首の硬いところはくらくらするから、ちゃんと手のひらでお願いします」
 笑いながら言う。リハーサルを繰り返す内に、加倉井も芝居に入り込む。一発、ひっ
ぱたいてやりたいという気分になってきた。そして本番。
『取り消して!』
 叫ぶと同時に右手を振りかぶり、水平方向にスイング。ほぼ同じ背の高さだから、姿
勢に無理は生じない。だけど、パットが首を動かすのが若干、早かった。相手の頬を、
指先が触れるか触れないかぐらいのところで、加倉井の右手は空を切った。
 派手に空振りして、バランスを崩してしまった。
「おっと」
 よろめいた加倉井を、パットが両腕で受け止める。そしてしっかり立たせてから、
「大丈夫でした? ごめんなさい。早すぎました」と軽く頭を垂れる。その低姿勢ぶり
に、加倉井もつい、「私も遅かったかもしれません」と応じてしまった。両者がそれぞ
れミスの原因は自分にあると思ったままでは、次の成功もおぼつかない。
「いや、やはり、僕が早かった。大変な迫力で迫ってきたので、身体が勝手に逃げてし
まったんですよ」
 パットは冗談めかして言いながら、首を振るさまを再現してみせた。結局、パットの
動き出しが早かったということになり、再トライ。
『取り消して!』
 ――ぱしっ。
 今度はうまく行った。それどころか、加倉井には手応えさえあった。事実、音もかな
りきれいに出たように思う。もちろん、そんな心の動きを表に出すことはしない。即座
に監督からOKをもらえた。
 演技を止め、表情を緩める。そして目の前のパットに聞く加倉井。
「痛くなかったですか」
「平気。痛かったけど」
 オーバーアクションなのかどうか知らないが、彼の手は左頬をさすっている。その指
の間から覗き見える肌の色は、確かに赤っぽいようだ。
「今後、気を付けますね」
「それはありがたくも助かります。ついでに、このドラマで二度も三度も叩かれるの
は、勘弁して欲しいです」
 台詞の後半に差し掛かる頃には、彼の目は監督ら撮影スタッフに向いていた。

 明けて日曜。早朝からの撮影では、仲直りのシーンが収録されることになっていた。
 事件解決を通じて格闘術の技量不足を痛感した笹木咲良(加倉井)が、服部に教えを
請い、実際に指導を受けるという流れである。
 朝日を正面に、河川敷のコンクリで座禅する服部。衣装は香港アクションスターを連
想させる黄色と黒のつなぎ。その背後から近付く咲良。こちらは小学校の体操服姿。足
音を立てぬよう、静かに近付いたまではよかったが、声を掛けるタイミングが見付から
ない。と、そのとき、服部が声を発する。まるで背後にも眼があるかの如く、『何の用
ですか、咲良?』と。
 これをきっかけに、咲良は服部に頭を下げて、格闘術を教わる。そこから徐々にフ
ェードアウトする、というのが今回のエピソードのラスト。
 殺陣というほどではないが、格闘技の動きは前日とつい先程、簡単に指導を受けてい
る。リハーサルも問題なく済んだ。あとは、日の出に合わせての一発勝負だ。
『何の用ですか、咲良?』
 名を呼ばれたことにしばし驚くも、気を取り直した風に首を横に小さく振り、咲良は
会話に応じる。そして本心を伝えると、服部は迷う素振りを見せるも、あっさり快諾。
『実力を測るから掛かってきなさい』という台詞とともに、咲良に向けて右腕を伸ば
し、手のひらを上に。親指を除く四本の指をくいくいと曲げ、挑発のポーズ。
 咲良を演じる加倉井は、飽くまで礼儀正しく、一礼した後に攻撃開始。突きや蹴りを
連続して繰り出すも、ことごとくかわされ、二度ほど手首を掴まれ投げられる。最後
に、左腕の手首と肘を決められ、組み伏せられそうなところへさらに膝蹴りをもらうと
いう段取りに差し掛かる。当然、型なのだからほとんど痛みはないはずだったが、組み
伏せられる直前に、パットの右肘が胸に当たってしまった。
「うっ」
 ただ単に胸に当たっただけなら、気にしない。強さも大してなかった。だが、このと
きのパットの肘は、加倉井のみぞおちにヒットしたからたまらない。暫時、息ができな
い状態に陥り、演技を続けられそうになくなる。パットは気付いていないらしく、その
まま続ける。台本通り、組み伏せられた。元々、あとはされるがままなのだから、一
見、無事にやり通したように見えただろう。しかし、カットの声が掛かっても、加倉井
は起き上がれなかった。声が出ない。代わりに、涙がにじんできた。
 女性スタッフの一人がやっと異変に気付いて、駆け寄ってきた。場を離れてタオルを
受け取ろうとしていたパット・リーも、すぐさま引き返してきた。
「大丈夫ですか? どこかみぞおちに入りましたか?」
 答えようにも、まだ声が出せない。頷くことで返事とする。そこへ、遅ればせながら
マネージャーが飛んできて、事態を把握するや、加倉井を横にして休ませるよう、そし
てそのために広くて平らかで柔らかい場所に移動するよう、周りの者にお願いをした―
―否、指示を出した。大げさに騒ぎ立てるなんて真似は、決してしない。
「アクシデントでみぞおちに入ってしまったみたいですが、後々揉めることのないよ
う、診察を受けてもらった方がいいかと」
「そうさせていただきます」
 仰向けに横たえられ、普段通りの呼吸を取り戻しつつある加倉井の頭上で、そんなや
り取りが交わされていた。
(当人が具体的に何も言ってないのに、どんどん進めるのはどうかと思う。けど、妥当
な判断だし、ここは大人しくしておくとするわ。第一――)
 加倉井は自分の傍らにしゃがみ込むパット・リーを見上げた。左手を両手で取り、ず
っと握っている。表情はさも心配げに目尻が下がり、眉間には皺が寄る。
(こうも親切さを見せられたら、受け入れとくしかないじゃない)

 幸い、診察結果は何ともなかった。薄い痣すらできていなかった。
 くだんの「ゲンのエビデンス」がオンエアされたのは、それからさらにひと月あまり
が経った頃。前回で香村綸は去り、パットが物語に本格的に関わり始め、加倉井と衝突
するエピソードである。
 その放送が終わって最初の学校。加倉井は午前中最後の授業からの出席になった。昼
休みに待ち構えているであろう、木原優奈らからの質問攻め――恐らくは非難を含んだ
――を思うと、授業にあまり集中できなかった。
 ちょうど給食当番だった加倉井は、おかずの配膳係をしているときも、何か言われる
んじゃないかしら、面倒臭いわねと、いささか憂鬱になっていた。ところが、木原にお
かずの器を渡したとき、相手からは特に怒ってる気配は感じられなかった。どちらかと
言えば、にこにこしている。
「あとでパットのこと、聞かせてちょうだいね」
 木原からそう言われ、マスクを付けた加倉井は黙って頷いた。
 給食が始まると、加倉井がまだ半分も食べない内に、木原はいつもより明らかに早食
いで済ませると、席の隣までやって来た。そして開口一番、言うことが奮っている。
「もう洗っちゃったわよね、右手」
「は?」
 いきなり、意味不明の質問をされて、さしもの加倉井も素で聞き返した。
「パットの頬に触れたあと、右手を全然洗っていないなんてことは、ないわよね」
 理解した。
「残念ながら、洗ったわ」
 どういった機会に洗ったかまでは言わなくていいだろう。木原はさほどがっかりした
様子は見せなかったが、視線が加倉井の右手の動きをずっと追っているようで、何とは
なしにコワい。
 その後も食べながら、問われるがままに答えられる範囲で答える加倉井。木原の質問
のペースが速いため、加倉井の食べるペースは反比例して遅くなる。その内、他のクラ
スメートもぽつぽつと集まってきた。もちろん、女子がほとんど。やがて彼女らの間で
論争が勃発した。
「香村綸もよかったけど、パット・リーも案外、早く馴染みそう」
「私はカムリンの方がいいと思うんだけど」
「断然、パット! カムリンは小さい」
「これから伸びるって!」
 おかげでようやく給食を終えることができた。加倉井は食器とお盆を返し、ついでに
給食室までおかずの胴鍋を運んだ。教室に戻って来ると、論争は終わりかけていたよう
だ。香村派らしき女子が、加倉井に聞いてくる。
「カムリンが降板したのって、何か理由があるの?」
「具体的には聞いていないわ。人気が出て他の仕事が忙しくなったみたいよ」
「ほら、やっぱり。カムリンは“卒業”。下手だから降ろされたんじゃないわ」
「途中で抜けるのは無責任だわ」
 終わりそうだった論争に、また火を着けてしまったらしい。加倉井はため息を密かに
つき、机の中を探った。次の準備をしようとするところへ、男子の声が。田辺だ。
「僕からも聞いていい?」
「遠慮なくどうぞ」
 何でわざわざ確認をするのと訝しがりつつ、加倉井は相手に目を合わせた。
「最後のシーン、遠くからで分かりにくかったけど、ほんとに倒れてなかった?」
「――ええ、まあ」
 「ほんと」のニュアンスを掴みかねたが、とりあえずそう答えておく。
 普段、自分の出演した作品のオンエアを見ることはほとんどしない加倉井だが、この
回の「ゲンのエビデンス」は別だった。ラストの乱取りが、どんな風に編集されたの
か、多少気になったから。
 田辺の言ったように、そして当初の台本通り、加倉井が組み伏せられた遠くからの
シーンでエンドマークを打たれていた。大画面のテレビならば、加倉井がみぞおちへの
ダメージで、膝蹴りを食らう前にがくっと崩れ落ちる様子が分かるだろう。
「じゃあ、ミスったんだね、どちらかが」
 田辺の使った「ほんと」が、「本当に強く攻撃が入った」という意味だとはっきりし
た。加倉井は頭の中で返事を瞬時に検討した。
(肘は予定になかった。だから、ミスは私じゃない。でも今この雰囲気の中、真実を話
すのは、恐らくマイナス。かといって、私一人が責任を被るのも納得いかない)
「ミスがあったのは当たりだけれども、どちらかがじゃなくて、二人ともよ。何パター
ンか撮ったのだけれど、あまりにバリエーションが豊富で、私もパット・リーも段取り
がごちゃごちゃになってしまった。だからあのラストシーンは、厳密にはNGなの。で
も、見てみると使えると判断したんでしょうね、監督さん達が」
 と、こういうことにしておく。すると、女子同士で言い争いが再び始まった。
「カムリンが相手だったら、そんなミスはしなかったのに」
「それ以前の問題よ。香村綸に、パットのような動きは絶対無理!」
「そうよね。身長が違うし」
「関係ないでしょ!」
 耳を塞ぎたくなった加倉井だが、我慢してそのまま聞き流す。平常心に努める。
「それで加倉井さん、大丈夫だったのかい?」
 田辺が聞いてきた。心配してくれたのは、彼一人のようだ。加倉井はまた返事をしば
し考えた。あのときを思い起こすかのように一旦天井を見上げ、次いで胸元を押さえな
がら、俯いた。そうしてゆっくり口を開く。
「物凄く痛かった。息が詰まって涙が出るくらい」
「え、それは」
 おろおろする気配が田辺の声に滲んだところで、加倉井は芝居をやめた。満面の笑み
を田辺に向ける。
「心配した? ほんの一時だけよ。念のため、病院に行って、ちゃんとお墨付きをもら
ったから」
「何だ。脅かしっこなし」
「だいたい、撮影はだいぶ前よ。一ヶ月あれば、少々の怪我なら治るわ」
「ふん、そんなこと知らねーもん」
 小馬鹿にされたとでも思ったのか、田辺は踵を返して、彼の席に戻ってしまった。
(あらら。心配してくれてありがとうの一言を付け足すつもりだったのに、タイミング
を逃しちゃったじゃないの)

 次の日の学校で、加倉井はある噂話を耳にした。
 パット・リーはアクション、特に武術の動きが得意とされている割に、撮影中の軽い
アクシデントが結構ある、というものだ。話をしていたのは当然、香村綸ファンの女子
達である。昨日、下校してからパットの粗探しに時間を費やしたと見られる。
「アクシデントと言ったって、たいしたことないじゃない」
 パット派の女子も負けていない。攻撃材料がないため、否定に徹する格好だが、勢い
がある。
「今よりも子供の頃の話だし、ある程度はしょうがないわよ」
「付け焼き刃の腕前でやるから、こんなに事故が多いんじゃないの」
「大げさなんだから。怪我をしたりさせたりってわけじゃないし、ニュースにだってな
ってない」
「それはプロダクションの力で、押さえ込んでるとか。ねえ、加倉井さん?」
 予想通り、飛び火してきた。加倉井は間を置くことなしに、正確なところを答える。
「少なくとも、前の撮影で、パット・リーの側から圧力や口止めはなかったわよ。みん
な、妄想しすぎ」
「ほら見なさい」
 パット派がカムリン派を押し戻す。休み時間よ早く終われと、加倉井は祈った。
「でもでも、パット・リーのキャリアで、三回もあるのは異常よ、やっぱり」
 作品名や制作年、アクシデント内容の載った一覧を示しながら、カムリン派の一人が
疑問を呈する。
(なるほどね。小さい頃から始めたとしたって、アクション専門じゃないんだし、周り
も無理はさせないだろうから、三回は多い。ううん、私の分も含めれば、四回)
 少し、引っ掛かりを覚えた。加倉井は、パット派の代表的存在である木原が反駁する
のを制しつつ、最前のリストを見せてもらった。
(全部じゃないけど、二つは観ている。……ううん、似たような内容が他にも多いから
ごちゃ混ぜになって、はっきり覚えてないわ。でも、この二作品て確かどちらも)
 記憶を手繰ると、徐々に思い出してきた。一方はカンフーマスターを目指す少年の役
で、劇中、しごかれまくっていた。もう一方では、学園ラブコメで、二枚目だが女子の
扱いが下手でやたらと平手打ちされたり、教師から怒られる役。
(もしかすると)
 加倉井はあることを想像し、打ち消した。パット・リーはまだ若いとは言え、国際的
に活躍しようかという人気俳優だ。いくら何でも想像したようなことがあるはずない。
(……と思いたいんだけど、私より年上でも、子供には違いない)
 完全には払拭できなかった。加倉井はリストを返して礼を言うと、どうすれば確かめ
られるかを考え始めた。が、程なくして木原の声に邪魔された。
「ねえ、加倉井さんはどっちが相手役としてやりやすいのよ?」
 まだ火の粉は飛んでいるようだ。

「見学に来ているあの人は、何者ですか」
 休憩に入るや、パットが聞いてきた。加倉井の肩をかすめるようにして投げ掛ける視
線の先には、その見学者が立っている。やや細身の中背で、歳は四十代半ば辺りに見え
よう。本日はスタジオ撮影なのだが、この中にいる誰とも異質な空気を放っている。
「加倉井さんと親しく話していたようですから、お知り合いなんでしょう?」
「親しいとまでは言えませんが、知り合いです。私のプロダクションの先輩が、コマー
シャルで共演したことがあるんです」
 答えながら、振り返って見学者の方を向いた加倉井。
「役者やタレントではなくて、格闘技の指導者なの」
「道理で。よい体付きをしていると思っていました」
 格闘技と聞き、パットの目が輝いたよう。加倉井は気付かぬふりをして続けた。
「私は全然詳しくないけれども、空手とキックボクシングの経歴があって、ストライク
という大会でチャンピオンになったこともあるって」
「凄い。その大会、知っています。名前も知っているかもしれない。映像や写真がほと
んどなく、あまり自信ありませんが……藤村忠雄(ふじむらただお)選手では?」
「あら、本当に知ってるなんて。だいぶ前に引退されたから、選手と呼ぶのは間違いか
もしれないですけど」
「武道、武術をやる人間に、引退はありませんよ。生涯現役に違いありません」
「パット、とっても嬉しそう。紹介しましょうか」
「ぜひ」
 休憩の残り時間が気になったが、加倉井はパットを藤村の前に連れて行った。紹介を
するまでもなく、藤村はパットについて既に聞いていた。
「突然、お邪魔して申し訳ない。気になるようなら、姿を消します」
「いえいえ、とんでもない」
 パットは即座に否定した。そして自分が格闘技をやっていること、それを演技に活か
していることなどを盛んにアピール?する。藤村の方も承知のことだったらしく、「今
日はアクションシーンがないとのことで、残念だな」なんて応じていた。
「藤村さんは、どうして見学に? コマーシャルの続編が決まったとしても、ここへ来
るのはおかしい気がするんですけど」
 加倉井が問うと、藤村は首を曖昧に振った。
「いや、コマーシャルじゃないよ。敵役で出てみないかって、お誘いを受けてね。子供
向け番組と聞いたけど、チャレンジすることは好きだから、前向きに考えてるんだ」
「じゃあ、決定したら、私達と藤村さんが戦うんですね?」
「多分ね。ああ、喋る芝居は苦手だから、台詞のない役柄にしてもらわないといけな
い。コマーシャルで懲りたよ」
 藤村出演の精肉メーカーのテレビCMは、素人丸出しの棒読みで一時有名になった。
思い出して苦笑いする藤村の横に、監督と番組プロデューサーらが立った。
「藤村さん、もしよろしかったら、パット君と軽く手合わせしてみるのはどうです? 
無論、型だけですが」
 プロデューサーが唐突に提案した。いや、藤村忠雄のドラマ出演が頭にあるのだった
ら、当然の提案なのかもしれないが。
「僕はかまいません」
「僕もです」
 藤村が受ける返事に、食い込み気味に答を被せるパット。
「ただ、スペースが見当たらないようですが」
「そんなに派手に動き回らなくても、その場でか〜るく。段取りを詳細に決める暇はさ
すがにありませんから、際限のない場所でやると、危険度が高くなるのでは」
「それもそうです。パット君はそれでもかまわないかな」
「もちろんですとも。型で手合わせ願えるだけで、充分すぎるほど幸福なくらいですか
ら」
 パットの日本語は表現が過剰になって、少々おかしくなったようだ。結局、スタジオ
の隅っこに約四メートル四方の空きスペースを見付け、そこで試し合うことになった。
 身長もリーチも藤村が上回るが、大差はない。演舞なら、二人の体格が近ければ美し
いものに、体格差が大きければ派手なものに仕上がりやすいだろう。しかし今からやる
のは、ほぼぶっつけ本番のアクション。どうなるかは、事前の簡単で短い打ち合わせ
を、どれだけ忠実に実行できるかに掛かってくる。
「トレーニングは欠かしていないが、寄る年波で動き自体は鈍くなってると思うので、
スピードは君から合わせてくれるとありがたい」
「了解しました。あ、それと、もしドラマ出演が決まったら、最終的には僕らが勝つ台
本でしょうから、今日は藤村さんが勝つパターンでいかがでしょう」
「花を持たせてくれるということかい」
 往年の大選手を相手に、舐めた発言をしたとも受け取れる。藤村はしかし、パットの
提案を笑って受け入れた。
 他にも色々と取り決めたあと、互いの突きや蹴りのスピード及び間合いを予習してお
く目的で、それぞれが数回ずつ、パンチとキックを繰り出し、空を切った。
 そして二人は無言のまま、合図を待つことなく、急に始まった。
 仕掛けたのはパット。カンフーの使い手、それもムービースターのカンフーをイメー
ジしているらしく、大げさな動作と奇声から助走を付けての跳び蹴りで先制攻撃。かわ
す藤村は、キックボクサーのステップだったが、距離を取ってからは空手家のようにど
っしり構える。パットが向き直ったところへ一気に距離を詰め、胴体目掛けて突きを四
連続で放つ。もちろん、実際にはごく軽く当てているだけのはずだが、迫力があった。
よろめきながら離れたパットは、口元を拭う動作を入れ、態勢を整えると、身体を沈め
片足を伸ばした。かと思うと相手の下に潜り込むスライディング。一度、二度とかわす
も、三度目で足払いを受け、今度は藤村がよろめく。姿勢を戻せない内に、パットが突
きの連打。藤村のそれよりは軽いが、その分、数が多い。バランスを一層崩した藤村
は、倒れそうな仕種に紛れて前蹴り一閃。パットは寸前で避け、バク転を披露。再び立
ったところへ、藤村がバックスピンキック。
 と、ここでパットが一歩踏み出したせいで、藤村との間合いが詰まった。藤村の蹴り
足をパットが抱え込むような形になり、もつれて二人とも倒れてしまった。上になった
パットが突きを落とすポーズを一度して、離れる。
 改めて距離を作った二人は、アイコンタクトと手の指を使って、もう一回同じことを
するか?という確認を取った。再開後、藤村のバックスピンを、今度はパットも巧く当
たりに行き、派手に倒れてみせた。素早く起き上がった藤村が、先程のパットのよう
に、振り下ろす突きを喉元に当てて――実際は素早く触れるだけ――、アクション終了
となった。
 周りで見ていた者は皆一斉に拍手した。感嘆の声もこぼれている。
「パット君、やるねえ。演技だけに使うのは惜しいくらいだ」
「いえいえ。藤村さんに引っ張っていただいたからこそ、動けたんです」
「こちらこそ、久々だったから疲れたよ」
「まさかそんな。現役を離れているとは信じられないくらい、きれがあって、驚きまし
た。当たり前ですが、プロは違いますね」
 パットは爽やかに笑いながら、藤村の両手を取って、深々と頭を下げていた。

 藤村忠雄が去ったあと、撮影は再スタートした。パットは興奮が残っていたか、しば
らくは何度か撮り直しになったが、しばらくするとそれもなくなった。
 結果的に、予定されていたスケジュール通りに撮影を消化し、この日は終わった。
「パット。お話しする時間ある? 少しでいいんだけど」
 加倉井は控室に戻る前にパットに声を掛け、約束を取り付けた。着替えが終わってか
ら、スタジオの待合室で話す時間を作ってもらった。
「お待たせしました。すみません」
 撮影を通じて仲がよくなり、フランクに話せる間柄にはなっていた。とは言え、キャ
リアが上の相手を、こちらの用事で足止めしておいて、あとから来たのでは申し訳な
い。加倉井は頭を下げた。
「いいよ、気にしなくて。女性の方が身だしなみに時間が掛かるのは、当然だからね」
 パットは近くの椅子に座るよう、加倉井を促した。それに従い、すぐ隣の椅子に腰を
据える加倉井。
「それで話は何かな」
「率直に物申しますけど、怒らないでくださいね」
「うん? 断る必要なんてない。仕事に関することで正当な指摘や要望なら、僕は受け
入れる度量を持っているよ」
 若干の緊張を顔に浮かべながらも、微笑するパット。加倉井は彼の目を見つめた。
「それじゃ言います。パットって、負けず嫌いなところ、あるよね」
「まあ、程度の差はあっても、男なら負けず嫌いな面は持ってるんじゃないかな」
「男に限らないわ。私も負けず嫌いですから」
「ふうん?」
「前から、ちょっと引っ掛かってたことがあって。今日、藤村さんから意見を伺って、
確信に近いものを得たわ。パット、この前の肘がみぞおちに入ったのって、わざとでし
ょ?」
「……どうしてそう思うんだい」
 ほんの一瞬、面食らった風に目を見開いたパット。すぐ笑顔に戻り、聞き返す。
「あなたほどできる人なら、肘が相手に当たったなら、分かるはずよ。なのに、問題の
撮影の際、あなたは倒れた私に『どこかみぞおちに入りましたか』と言った。肘と分か
っていないなんておかしいと思ったのは、あとになってからだけれどね」
「確かに、当たったのが肘だったのは分かっていたよ。でも、わざとじゃない。あのと
き気が動転して、肘と膝、どっちがエルボーだったかを度忘れしちゃって、それで『ど
こか』なんて言っちゃったんだよ」
「動転した? その割には、同じことを繰り返しやっているみたいだけれども」
 加倉井は胸元のポケットから、小さく折り畳んだ紙を取り出した。長机の上に広げて
みせる。そこには、パット・リーがアクションシーンの撮影で起こしたアクシデント三
件について、その詳細が書かれていた。
「これは……」
「日本語、どこまで読めるのか知らないから、こっちでざっと説明すると……まず、こ
の作品では師匠役の男優のお腹に肘を入れてるわね。次は作中でも芸能界でもライバル
である男優に、台本にない中段蹴りと肘を入れている。三つ目は、鬼教師役の男優に、
また肘」
「……こんな細かいことは表に出ないよう、伏せさせたはずなんだけどな」
「パットは日本の事情に詳しくないでしょうけど、私の所属するところは大手の一つ
で、それなりに力があるのよ。調べれば、ある程度のことは分かる」
「それは知らなかった。油断してたよ」
 力が抜けたように口元で笑うと、パットは座ったまま、大きく伸びをした。
「認めるのね?」
「うん、まあ、証拠はないけど、認めざるを得ない。今後、撮影を続けるにはそうしな
いと無理だろうし」
「どうしてこんなことをしてきたのか、聞かせてもらえる?」
「……あの、答える前に、他言無用を約束して欲しいんだけど、無理かな」
 パットは両手を組み合わせ、拝むように懇願してきた。加倉井は考えるふりをして、
焦らしてから承知の意を示した。
「私だって、このドラマの撮影は最後まできちんとやりたいもの。それで、理由は?」
「実は僕は元々、プロ格闘家志望でさ。そのためにトレーニングしていたのを、親が何
を勘違いしたのか、芸能のオーディションに応募しちゃって、とんとん拍子に合格しち
ゃって、芸能界に入っちゃった。名前を売ってからプロ格闘家デビューすれば格好いい
とか言われてね。でも、自分で言うのもあれだけど、顔がいいのとアクションができる
だけで、演技は平凡でも人気が出てさ。いつのまにかプロ格闘家の道はなかったことに
されてた」
「自慢はたくさん。早く続きを」
「それで……撮影でアクションシーン、特に格闘技を交えたアクションがある度に、本
当だったらこんな奴らには負けないのに、とか、この中で一番強いのは自分なんだぞっ
ていう気持ちが膨らんでね。時々、実力を示したくて溜まらなくなるんだ。あ、今日の
藤村さんは強いね。ちょっと仕掛けてみたけれど、簡単に流された。そのあとで、しっ
かり喉にぎゅっと力を入れられたし」
 パットの答を聞きながら、加倉井は、ああ最後のやり取りって二人の間ではそういう
ことが行われていたんだ、と理解した。
「実力を示すと言ったわね。女の私にまで? 以前の三回にしても、相手は演技のみで
実際は素人同然でしょうに」
「そこは自尊心の沸点に触れるようなことがあったから、と言えばいいのかなあ」
 パットが自尊心なんて言葉を使うものだから、どんなことがあったかしらと自分のパ
ットに対する言動を顧みる加倉井。が、特に思い当たる節はない。
「激しく投げられたり、平手打ちされたりしたら、抑えがたまに効かなくなるんだ。だ
から、加倉井さんの場合は、平手打ちが痛かったから、よしここで知らしめねばと考え
てしまったんだよ」
「……それだけ?」
「うん、他には何もない」
 当たり前のように答えるパット。理解してもらえて当然といった体だ。
(ちっちゃ! 呆れた。年上なのに、なんで子供なの)
 非難する言葉を一度に大量に思い付いた加倉井。引きつりそうな笑顔の下で、どうに
かこうにか飲み込んでおく。
(これから芸能活動を続けるのに、そんな性格だといずれ絶対に衝突が起きて、うまく
行かなくなるわ。分かって言ってるのかしら? もっと精神的にも成長して、器の大き
な人にならないと。――私の知ったことではないけれども)
 加倉井は若いアクションスターに何とも言えない視線を向けるのだった。

            *             *

 思い出にまた微苦笑を浮かべていた自分に気付き、加倉井舞美は我に返った。
(器の大きな人になれてないのね、パットは)
 パット・リーに関する記事は読まずに、自分の記事を探す。そして一面にやっと辿り
着いた次第。
「えっ」
 一面とはその新聞の顔。トップの扱いを受けたとなると、普通なら喜びそうなものだ
が、今回は事情が全く異なったのである。
「何よこれはっ」
 だから、加倉井は問題の新聞を左右に引っ張った。破ける寸前で、マネージャーが止
めに入る。マネージャーは一足先に、一面に目を通したようだ。
「だめよ。抑えて抑えて」
「……新聞紙が案外丈夫なことを確かめられたわ」
 皺のよった新聞を近くのテーブルに放り出し、マネージャーに向き直る。事務所の一
室だから、人目を気にする必要はない。それ以前に、ビルのワンフロア全てがグローセ
ベーアなので、部外者は基本的にはいない。
「でも、これは怒って当然よね?」
「気持ちは分かるけど、とりあえず落ち着いて」
 ネット上のサイト閲覧で済まさず、わざわざ紙媒体を購入してきたのには理由があ
る。スポーツ紙の見出しは、スタンドに挿した状態では、次のような言葉が目立つよう
に文字が配されていた。
『加倉井舞美 好き 男性器 大きい』
 こういう手法が古くからあることは充分に認識済み。だが、まさか自分が餌食になる
とは、心構えができていなかった。向こうは、こちらが成人するのを待っていたのだろ
うか。
「マネージャー、前もってチェックしたんでしょうね?」
「したのは本文とそのページのレイアウトだけ。まさか一面見出しに使われるなんて、
考えもしなかったから」
「まったく。してやられたってわけね。抗議は?」
「当然、電話を入れたけれども、浦川さんがつかまらなくて。代わりの人が言うには、
大きなスポーツイベントが中止で紙面が空いたから、ネームバリューを考慮して使わせ
ていただいた、だそうよ」
「取って付けたような……」
 最後まで言う気力が失せて、加倉井は鼻で息をついた。
「どうせ、他にも早々と広まってるんでしょうね」
「他のサイトの芸能ニュースに、ネタとして取り上げられている」
「腹立たしいけれども、我慢するほかなさそうね。一日も経てば、目立たなくなるでし
ょ」
「今後を考えると、浦川さんとの付き合い方を、見直さないといけないかもね」
 マネージャーの言に首肯した加倉井はことの発端となった質問を思い起こした。
(好きな異性のタイプ、か。次に似た質問をされたときは、はっきり明確に答えられる
ようにしておくべきかしら)
 そんなことを考えた加倉井の脳裏に、小学生時代の同級生の名前が浮かんだ。少し前
まで思い出していたせいに違いない。頭を振って追い払った。その名前が誰なのかは、
彼女だけの秘密。

――『カグライダンス』終




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