AWC ほしの名は(前)  永山



#509/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  17/10/31  22:09  (389)
ほしの名は(前)  永山
★内容                                         17/11/03 17:56 修正 第2版
「全天で一番明るい天体がシリウスで、全天で一番遠い天体がさんかく座銀河で、全天
で一番好きな天体が地球で、そして、世界で一番好きな人が君」
 それは夜、皆から離れ、ペンションの広いベランダに出て、彼の好きな星の話を聞い
ているとき、突然起きた出来事だった。
 突然だったので、もちろんびっくりしたけれども、それ以上に笑ってしまいそうにな
った。笑いと涙を堪えながら、聞き返す。
「何それやだ。ただでさえ涼しくて肌寒いくらいなのに、寒い冗談やめてよね」
「ほんとに嫌か? それならやめるけど……こっちは本気で付き合って欲しいと思って
るから」
「――か。考えさせて」
 言ってしまった。即OKでもよかったんだ。ただ、軽いと見られたくなかったから、
少し引っ張ることにした。
「どのぐらい?」
 そう質問してくる方に顔を向けると、彼――君津誉士夫(きみづほしお)は、斜め上
を見たままだった。こっちが黙っていたせいか、彼はまた言った。
「どのぐらい考えるんだ? 何光年とかじゃないことを願う」
「光年は距離の単位でしょうが」
「そこはニュアンスで。それで、どのぐらい?」
「うーん、三日ぐらい」
「それでも長い。実は自分、この間、他の人から告白されてさ」
 えっ、と思うより、ぎょっとした。あっさり言うようなことかしら。
「好きな人がいるからって断ったんだけど、まだ告白してないのを知ると、さっさと告
白しろと言うんだ。ふられたら、またアタックしてくるつもりだってさ」
「誰から?」
「それはルール違反だろっ」
「クラスにいるかどうかぐらいなら、言えるんじゃない?」
 室内の方を肩越しにちらっと見て、すぐに視線を戻す。夏休みに入って、私達は林間
学校に来ている。ほぼ全員が参加しているけれども、その中に、君津へ告白した子がい
るんだろうか。
「だめだ」
 君津は案外、頑なだった。
「それより、林間学校が終わるまでに返事、くれないか」
「……いいよ。すぐ返事するから。OKだよ」
 私は気持ちに勢いを付けてそう言った。相手の顔を見る余裕はなかったけれども、も
し見ていたら、鳩が豆鉄砲を食らったような表情を観察できたかもしれない。
「え……っと、急展開過ぎるんだけど」
 急な告白をしてきたくせに、どの口が言うか。
「君津に告白してきた相手に、結果を早く知らせといてよ。変に隠しておいて、恨まれ
ちゃかなわないわ」
 明るい調子で要求して、その場を離れた。みんなのいるところに戻っても普段通りで
いられる自信は、ある。

           *            *

 告白から十年近くが過ぎた。時代は平成になっていた。
 君津はヨーロッパにいた。高校二年時に交換留学の形で渡ったのが、きっかけになっ
た。グループ単位の自由研究の授業で、太陽光電池のアイディアを発表すると、その効
率性が高く評価された。担任教師がその手の企業に伝があり、地元企業と協力してのプ
ロジェクトがあれよあれよとまとまった。君津も参加を条件に飛び級での大学進学も可
能だと言われて、迷った末にやってみることに決めた。その時点で両親とも天に召され
ていたのも大きかった。恋人のことを除けば、迷う要素は、天文学の道を断念するのが
惜しいと感じたくらいだった。
 遠距離恋愛を強いられた君津誉士夫だったが、連絡は定期的にしていたし、回数こそ
少ないが日本に帰れるときには必ず帰った。付き合いは順調で、お互いの家族にも、そ
の存在を仄めかす程度にまで進んでいた。
 だから、彼女と急に連絡が取れなくなったときは、ほんの短い間だというのに焦りに
さいなまれた。折悪しく、プロジェクトが山場に差し掛かって多忙を極めたため、帰国
はおろか、知り合いに彼女のことを尋ねる暇すらなかった。
 そして八日後。どうにか時間を見付け、電話や電子メールで知り合いに聞いてみた
が、まともな情報は返って来なかった。電話の相手は素っ気なく、電子メールの文面は
意図的に話題をそらしている節があった。そして返ってくる答は最終的にいつも「分か
らない」「知らない」だった。
 輪を掛けておかしいのは、実家暮らしの彼女の自宅固定電話に掛けても、常に話し中
なのだ。送受器を外しているとしか思えない。
 不可解さが解消されぬまま、再び仕事に戻らなければならない、その直前のタイミン
グで、電話が掛かってきた。小学校のときから付き合いのある、荒田勇人からだった。
「まだ何も聞かされていないんだな?」
 お互いの近況を報告する間もなく、本題から入った。
「ああ。何が起きてるんだ?」
「それは……直に教えるのは、俺もきつい」
「どうしてだよ。わざわざ電話をくれたのは、教えるためじゃないのか」
「……そっちに、日本のニュースは伝わってないのか」
「全然ない訳じゃないけれど、大きなニュースじゃないと。おい、何だよ。新聞種にな
るようなことに巻き込まれたとでも言うのか」
「……しょうがないか。誰でも嫌がるよな、こんな役目。俺が言わなきゃ、いつまでも
このまんまだ」
「そうだ、言ってくれよ!」
「今、一人だな? 周りに人がいないなって意味だ」
 君津は思わず無言で頷いた。五秒ほどして気が付いて、「誰もいない」と答えた。
「そうか。――最悪を想像して、心構えをしろ。それと、俺は事実を伝えたあと、すぐ
に電話を切るからな。細かいことを聞かれても、俺もほとんど知らないし」
「分かった。電話代も掛かるだろう」
 早くなる心臓の鼓動。緊張感で汗ばむ手のひら。せめてジョークの一つでも言って、
僅かでも落ち着こうとしたが、全く変わらなかった。
「一回しか言わない。録音できるならした方がいい。できないなら、メモを取ってく
れ」
「待ってくれ――準備できた」
 極力、平静さを保とうと努める君津に、荒田はニュースキャスターみたいな抑揚で、
早口に言った。
「――え?」
 聞き直した君津。荒田は一回きりのはずが、もう一度だけ繰り返して話してくれた。

 きっかけになったのは、小学校の同窓会だった。
 六年三組の一クラスだけの集まりだから、さほど大規模ではなかった。ただ、開催前
からかなりの盛り上がりを見せ、参加OKは九割超え。当初は適当な居酒屋で行うつも
りだったのが、あれよあれよと話がまとまり、ホテルの宴会場を借りるまでになった。
さらに、泊まりたい者はそのまま宿泊できるオプション付き。
 そして、事件は泊まりになったクラスメートの間で起きた。殺人だった。
 死んだのは村木多栄。小学生時は小柄だが活発で、勢いに任せて好きなことなら何で
もチャレンジしてみたがるタイプだったが、大学生になった今は、正反対なまでに大人
しくなったように、かつてのクラスメートらの眼には映った。昔が活発に過ぎたせい
で、極当たり前の分別を身に付けただけなのが、殊更おしとやかに見えたのかもしれな
い。
 だからという訳でもないが、村木多栄を殺すような者が元同級生の間にいるなんて、
俄には信じられない。それが素直な感想……になるはずだった。
 実際は違った。何故なら、村木多栄はダイイングメッセージを遺したのだ。
 いや、正確に言い直そう。村木多栄がメッセージを残すところを、大勢が目撃したの
である。
 夜の十一時を回った頃、ホテルの裏庭に当たるスペースで、村木多栄は倒れていた。
仰向けだが、やや身体の右側を下にする格好で、弱い外灯に照らされていた。
 第一発見者は、酔いさましに出て来たという財前雅実と、財前と交際中だと宣言・報
告した綿部阿矢彦。大学が異なる二人が再会し、付き合いだしたきっかけは、大道芸の
サークルに入った綿部が、往来でセミプロ級の技を披露しているところへ、財前が通り
掛かったという偶然だった。
 そんないきさつはさておき……倒れている村木を見た財前が、盛大に悲鳴を上げたた
めに人が一挙に増えた。その衆目のただ中、綿部が村木を抱え起こそうとした。が、一
瞬、彼の動きが止まる。村木多栄の口から下が赤く染まっていた。それでも綿部の躊躇
はすぐに消え、片腕を村木の背中側に回し、上体を起こしてやった。そうする間にも、
財前が村木に声を掛け続ける。
 やがて話し疲れたのか、財前が静かになると、今度は綿部が村木の名前を呼ぶ。この
頃になると、半径二メートル以内に、元クラスメートが十人前後集まっていた。綿部が
「誰か救急車を!」と叫ぶ。
 そのとき、村木多栄の口が動いた。そして彼女が喋り出す。
「刺さ、れた」
「え、刺された? 誰に?」
 思わず聞き返した様子の綿部。本来なら、意識があると確認できた時点で、無駄に体
力を使わせるべきではない状況と言えそうだが、かまっていられなかったようだ。
 村木の生気の乏しい眼を見返しながら、身体を少し揺さぶる綿部。
「しっかりしろ、村木さん!」
「きみにやられた」
「君?」
 ぎょっとした風にしかめ面をなす綿部。周りにも聞き取れた者がいたらしく、多少ざ
わついた。
「星川希美子が、刺した」
 最後の力を振り絞るような響きで、その声が告げた。
 星川希美子。小学六年生のときに副委員長を務めた彼女は、同窓会には間違いなく出
席していたが、今この周辺に姿は見当たらなかった。
「――村木さん? おい、しっかり」
 先程よりも激しく村木を揺さぶる綿部。その行為の原因は明らかで、村木多栄の頭が
ぐにゃりと力なく下を向いたのだ。
「安静にした方が」
 そんな声が周りから飛んだ。手を貸そうとする男も現れた。その内の一人、戸倉憲吾
と綿部、そして財前雅実の三人でゆっくりと村木を横たえていく。
「うん?」
 途中で綿部が、続いて戸倉がやや驚いたような声を発した。
「首の後ろに、何かある」
 男二人は言った。
 横たえる動作を中断し、村木の身体の左側を下にする形でキープし、彼女のうなじを
確認した。
「これは」
 戸倉はそれきり絶句し、綿部も息を飲んでいた。財前が悲鳴を上げ、それはほとんど
時差なく、周囲の者達にも伝播した。
 村木多栄のうなじからは、二本の細い串のような物が突き出ていた。照明を浴びて、
銀色に照り返していた。

 同窓会が開かれた頃、日本では、無差別と思われる連続殺人事件が世間を騒がせ、話
題になっていた。
 殺人鬼のニックネームは牙。バーベキューで肉を刺して焼くのに使うような鉄串を二
本、被害者の身体のどこかに突き刺すのがトレードマークで、その対の鉄串を蛇や猛獣
の牙に見立てたのが由来とされる。くだんの鉄串は大量生産の流通品で、誰にでも買え
る代物。持ち手の部分が何度か捻ってあり、持ちやすいとはいえ、凶器としては扱いに
くい。実際、牙の殺害方法は絞殺がほとんどで、串を刺すのは犠牲者が死んだあとだっ
た。半年ほどの間に五人の被害者が出ていたが、犯人の逮捕には至っていなかった。
 そんな折に、同窓会で発生した村木多栄殺しは、牙の犯行のように見えた。死因は絞
殺ではなく腰部を背後から刺されたことによる失血死だったが、これまでの牙の犯行に
も刺殺はあったので、それほどおかしくはない。絶命前に串を刺している点が、大きく
異なるが、ホテルという限られた敷地を現場に選び、しかも同窓会開催で人の行き来も
そこそこあったのだから、さしもの牙も死亡を確認する余裕がなかったと捉えれば合点
がいく。
 問題は、村木多栄が死の間際、「星川希美子にやられた」という意味の言葉を言い遺
したと、大勢が証言したことである。
 部屋で休んでいた星川希美子は、通報により駆け付けた捜査官により、程なくして身
柄を確保された。事情聴取において、彼女は当然のことながら犯行を否認した。無論、
殺人鬼の牙ではないかという疑いについても、完全に否定した。
 凶器は未発見かつ不明。鉄串から不審人物の指紋は検出されず、また、足跡や毛髪と
いった、具体的に星川を示す物証が現場にあった訳でもない。警察にとって、攻め手は
ダイイングメッセージだけだった。
 ただ漫然と星川希美子を取り調べるだけでは、進展が望めない。捜査陣はまず、今ま
でに起きた牙の仕業とされる殺人事件について、星川希美子が本当に犯行可能だったの
かを検証した。犯行推定時刻が割り出されているので、それらの時間帯のアリバイの有
無を調査するのだ。
 その結果、五件の内の三件において、アリバイが成立。加えて、残る二件の内の一件
は、体格的にも体力的にも星川希美子を大きく上回る男性が被害者で、星川に限らず、
並みの女性に絞殺できるとは考えにくかった。
 そうなると浮上したのが、模倣説。星川が行ったのは村木多栄殺しの一件のみである
が、牙の犯行に見せ掛ける目的で、鉄串二本を突き刺したのだろうという見方だ。
 この説を星川にぶつけると、これまた当然であるが、否定が返ってきた。当初に比べ
て冷静さを取り戻した彼女は、「無差別殺人鬼の真似をするのであれば、今度の同窓会
のような限られた場所で行うなんて馬鹿げている。誰もが出入りできる、開けた空間で
やらないと意味がない」とまで言い切った。
 星川の反論には首肯できる部分もあったが、容疑者当人が言い出したせいで、一部の
捜査員にはかえって疑惑を強める逆効果となった。
 村木多栄殺しに関して、白黒を見極められぬまま、警察は捜査を進めざるを得なかっ
た。

            *             *

「早速で悪いんだけど」
 電話口でそう切り出した君津。続きを口にする前に、相手が言った。
「全然、悪くないわよ。多栄の事件のことでしょう? 遠慮なしに聞いて頂戴。知って
ることは何でも答える」
 相手は財前雅実である。電話では顔が見えないし、想像しようにも小学生時代の容貌
しか浮かばない。君津はイメージをなるべく膨らませて、脳裏に今の財前の顔を思い浮
かべた。
 だが、時間は余り掛けられない。恋人のためとは言え、国際電話に費やせる金には限
度がある。他にも何人かに電話することになるのは確実だ。
「まず、財前さんに言う筋合いではないかもしれないけど、みんなはどうして事件のこ
とを知らせてくれなかったんだろう?」
「それは……」
 言い淀む財前。君津は五秒だけ待つと決めた。五秒経過する寸前に、相手からの声が
届いた。
「やっぱり、いい知らせじゃないし、知らせたってあなたを動揺させるだけで、どうし
ようもない。みんなそう思ったんじゃないの」
「そういうものか。全てを投げ出して、飛んで帰るかもしれないのに」
「実際問題、まだ日本に帰ってきてないんでしょう?」
「それはまあそうだけれど」
「あなたがそっちで成功してるっていう彼女の自慢話、結構広まっててね。その邪魔を
したくないっていう気持ちもあったのよ、きっと」
「ふうん。まあ、分からないでもない。でも、僕が電子メールで問い合わせたなら、真
実を話してくれていいんじゃないか」
「……言えないわよ。他の誰かが言うだろうって、逃げたくなる役目だわ」
「なるほどね。荒田の奴も、似たようなことを言っていた。よし、じゃあ次。事件のと
きのことをなるべく詳しく教えて欲しい」
 気持ちを切り替え、いよいよ本題に入る。
「詳しくと言われても、私はそばでおろおろしていただけよ。多栄が倒れているのを見
付ける前に、何か目撃した訳でもないし」
「目撃してないっていうのは、怪しい人物とか妙な出来事とかはなかったっていう意
味?」
「そうなるわね」
「じゃあ……串は何センチぐらい突き出ていた?」
「えっと、五センチぐらい? ど、どうしてそんなことを知りたがるのよ」
「突き刺さっていた部分は、何センチぐらいなんだろう?」
「分かんないわよ、そんなことまで。全体の三分の二程じゃないの」
「そうだとしたら十センチか。なあ。うなじから五センチ、異物が飛び出ている人を仰
向けの状態から抱き起こそうとしたら、その異物に手が触れるのが普通と思わないか
?」
「――何それ? まさか、綿部を疑ってるの?」
 声が甲高くなる財前。付き合っている相手を悪く言われそうなのだから、当たり前だ
ろう。この質問はまだ早かったかと悔やんだ君津だが、もう後戻りはできない。
「疑ってるんじゃないよ。不自然さを少し感じただけ。綿部は首の後ろ側に腕を回さな
かったのかな」
「……回さなかったんでしょうね、鉄串に気付かなかったんだから」
 そう返事してから数拍間を取り、財前はさらに言葉を重ねた。
「多栄の顔面は、口の辺りから下、ずっと血塗れだったのよ。その血が首の側に流れて
きていた。首に腕を回すと、血で汚れてしまうとほとんど無意識で判断して、別のとこ
ろに腕を入れたのよ、多分」
「そうか。あり得るね。全然、不自然じゃない」
 一旦、相手の言葉を認め、穏やかな口調に努める。財前の安堵の息を聞いてから、別
の質問をぶつける。
「財前さんは、この殺人事件が牙の犯行だと思ってる? それとも、模倣だと?」
「そりゃあもちろん、模倣よ。希美――星川さんが無差別に人を殺してるなんて、さす
がに信じられないし、以前の事件ではアリバイもあるっていうし」
「模倣だとしたら、村木さんを殺す個人的動機があったことになる。それについて、何
か思い当たる節はある?」
「思い当たる節、ねえ……。二人は確か中学まで一緒だったけど、仲が悪いようなこと
はなくて、どちらかと言えば仲良しに見えた。私は村木さん、苦手だったけど、星川さ
んは誰とでも仲よくなれる、一種の才能みたいなものがあった。だから人気もあって…
…」
 答が脱線していることに気付いたか、財前はぴたりと黙った。が、じきに再開する。
「そうね。妬まれて殺されるとしたら、星川さんの方ね。だめだわ、何にも思い付かな
い」
「そうか。君でも分からないか」
 君津は応じながら、先程浮かんだ疑問を持ち出すことにした。
「さっき、口から首の方へ血が流れていたと言ったよね」
「ええ、そういう意味のことをね」
「仰向けだったんだから、出血は口からあった。刺されたのは腰の辺りだから、関係な
い。ということは、鉄の串はうなじを通って、口の内側にまで突き抜けていたんだろう
か」
「確かそうなっていたと聞いたわ。さ、参考になるかどうか知らないけれど、うなじの
方の傷はきゅって閉まっていて、血はほとんど流れ出ていなかったって」
 刺さったままの串が栓の役割を果たしたに違いない。口腔内は外の皮膚に比べれば柔
らかいだろうから、出血を止めるほどには収縮しなかったのだろう。
「うなじから口に串が突き抜けたなら、即死するんじゃないだろうか? 延髄って、そ
の辺りにあるんじゃなかったっけ? 確か、延髄に強い衝撃を受けると、死亡すると聞
いた記憶があるんだけど」
 プロレス技の一つ、延髄斬りに纏わるこぼれ話を、君津は思い浮かべていた。プロレ
スのテレビ中継で散々聞かされたものだ。延髄を蹴られたら普通の人間は死ぬ、とかど
うとか。
「延髄は滅茶苦茶太いもんじゃないし、うなじだって延髄と重なっていない部分は結構
あるわ。串が延髄を傷付けずに口の方へ貫通することは、充分にあり得るんじゃないか
しら」
「……財前さん、医大とか看護学校に入ったんじゃないよね」
「え、ええ。あ、今さっき喋ったのは受け売り。私達の小学生の頃ってプロレスが流行
ってたでしょ。特に男子の間で。そのせいで、延髄を蹴られたら死ぬっていう話を、事
件のときも誰かがその場で言い出したのよ。それを聞いた刑事さんだったかお医者さん
だったかが、今みたいな説明をしてくれたの」
 納得しかけた君津だったが、あることに気付いて、電話口にもかかわらず首を傾げ
た。自らのうなじを触りながら、その気付きについて言ってみる。
「一般論として、犯人が相手を殺すつもりなら、うなじに串を二本刺すつもりでも、一
本目はど真ん中を狙うんじゃないかな? わざわざ延髄を避けるような位置に刺すのは
おかしい気がする。だいたい、牙の仕業なら、あるいは牙の仕業に見せ掛けたいのな
ら、被害者が絶命後に刺すものだろう。それができない状況だったら、串を刺す行為自
体で絶命させようとするのが殺人犯の心理だと思うが」
「ああ、もう、知らないわよ。犯人じゃあるまいし、そんなことまで分かるはずないじ
ゃない。模倣犯なんだから、まだ殺せていないのに殺したと信じちゃったんじゃない
の?」
「……そうかもしれないね」
「君津君、やっぱり悪いけど、もういいかしら。思い出す内に、気分が悪くなって来ち
ゃって」
 そう言ってすぐにでも電話を切りそうな口調に、君津は慌てて反応した。
「あと一つだけ。事件そのもののことじゃないから」
「事件じゃないなら、何?」
「君が付き合ってる相手のこと。僕が君からの告白を断ったあと、君が選ぶくらいだか
ら、綿部の奴、よほどいい男になったんだろうなって思ってね」
「ま、まあね」
「確か、綿部の一つ上のお姉さんと仲よかったんだっけ? それがきっかけ?」
「全然。きっかけはもっとあと。大学に入ってから、彼の路上パフォーマンスを見たか
らだけれど、今は内面で通じ合ってるっていうか」
 財前は照れたのか、早口になった。
「そう言えば、その路上パフォーマンスっていうか大道芸って、どんなの?」
「それは……」
 答えそうになりながら、何故かしらやめた財前。
「彼から直に聞くといいわ。どうせ、綿部にも電話をするんでしょう?」

 財前雅実に続いて、綿部阿矢彦にも電話した。間を空けなかったのは、財前から綿部
に前もって通話内容が伝わるのを防ぐため。君津の腹づもりとしては、先入観の排除が
目的なのだが、こうして嗅ぎ回るのは犯人捜しと受け取られる面もあると、財前への電
話で自覚した。
「連絡しなくて、済まなかった」
 簡単な挨拶のあと、綿部が開口一番に言ったのがこれだった。財前から話が伝わって
いたのかと疑った君津だったが、すぐに払拭した。
「別に気にしちゃいない。だいいち、連絡方法がなかったろう、そっちからは」
「それもそうだ。だけど、そっちこそ俺が自宅暮らしじゃなかったら、この電話、どう
するつもりだった?」
「親御さんにお願いして、新しい番号を教えてもらうつもりだった。それでもだめな
ら、他の友達を当たる」
「すまん。俺はそこまで必死になれないだろうな。事件は悪いニュースだから、わざわ
ざしなくてもって思ったろう」
「気にすんな。それよりも、早いとこ用件に取り掛かりたい」
「分かった。何が聞きたい?」
「最初に断っておくと、これは疑ってるんじゃなく、確認のために聞くんだ。村木さん
を抱え起こしたとき、首の後ろの串には気が付かなかったのかどうか」
「うむ……うーん」
 しばらく黙る綿部。いや、唸り声だけは小さく続いていた。
「気付かなかったとしか言いようがない。ひょっとしたら、ちょっとくらい触ったかも
しれないが、だとしても、アクセサリーか何かだと判断したろうな。それくらい緊迫し
た状況だった」
「うん、そういうこともあるかもしれないな。言われて初めて思い当たった」
 君津は一応、疑問を引っ込めた。完全に合点が行ったのではないが、一つの捉え方と
して受け入れた。
 このあとも基本的な質問をした。怪しい人物は見掛けなかったか、何かおかしなこと
は起きていなかったか。いずれも、綿部の返答はノーだった。
「ところで綿部はこの事件、模倣説を支持している?」
「殺人鬼・牙の真似をしたっていう? ああ、まあそう解釈するのが妥当じゃないか」
「だったら、村木さんが殺された動機は何だと思う。聞かせてくれ」
「うーん。映画やドラマなんかだと、子供のときに友達同士で、二人だけの秘密を持っ
ていて、大人になった今ではその秘密が公になると非常にまずい、だから口封じのため
に殺す、なんてのがあるけれど」
「そんな検証のしようがないことを言われても、だな」
「そうだよな。うーん」
 唸ったきり、綿部の口から次の仮説は出て来なかった。君津は動機に関しては切り上
げることにした。
「何にも浮かばないってことは、財前さんとうまくやってるんだろうな。はは」
「そ、それとこれとは話が別だ」
「うまく行ってないのか?」
「そんなことはない。だから、話の次元が違うってんだよ」
「大道芸の技を見せてやったり、教えてやったりしているんだろ?」
「……のろけてもいいのか? 君津の方は恋人がこんなことになってるっていうのに」
「少しぐらいなら。あ、いや、その前に、どんなパフォーマンスができるんだよ? ブ
レイクダンスとかか」
「違う違う、ほんとにいかにもな大道芸ばっかりさ。ジャグリングとか物真似とか、あ
と筒乗りとか」
「筒乗りって?」
 一瞬だが、焼き海苔の入った筒を想像してしまった君津。
「玉乗りの変形バージョンって言うのが分かりやすいかな。金属製の筒状の物体を寝か
して、上に板を載せて、その板の上に俺が立ってバランスを取るんだ」
「あ、分かった。テレビで見たことある」
 しばらく事件とは無関係な話題を選び、相手の気持ちと口がまたほぐれるのを待つ。
頃合いを見て、改めて事件の話に戻った。と言っても、残る質問は少ない。
「もう少し発見が早かったら、助けられたと思うか?」
「……いや。難しかったと思う。現実には助けられなかったから、俺がそう信じたいと
いうのもあるかもしれないが、実際問題、村木さんの身体はかなり冷たく感じたんだ。
あれは恐らく、少々発見が早かったくらいじゃ、助からない」
「ということは、犯行からはだいぶ時間が経っていたと」
「い、いや、そこまでは分からねえよ。そんな気がしただけだ」
「時間がだいぶ経っていたと仮定して、どうして星川さんは逃げなかったんだろう?」
「それは……逃げたら怪しまれるからじゃないか」
「動機が見当たらないのに、か」
「だったら……ああ、星川さん、ホテルに宿泊をすることにしていたから。宿泊をキャ
ンセルして逃げ出したら、怪しまれて当然だ」
「いや、根本的な疑問として、何故、宿泊を決めてたんだろう? 鉄串を用意していた
ってことは、計画的な殺人だ。殺したあと、のうのうと犯行現場のホテルに泊まるだな
んて、普通じゃない。最初から日帰りにすればいいんだ」
「……俺にはもう分からん。頭が痛くなってきたよ」
 急に弛緩したような軽い口調で言い、綿部は笑い声を立てた。頭痛というのは事実な
のか、どことなく疲れた笑いに聞こえる。
 潮時と判断した君津は、相手に礼を述べて通話を終えた。

――続く




#510/598 ●長編    *** コメント #509 ***
★タイトル (AZA     )  17/11/01  00:08  (395)
ほしの名は(後)  永山
★内容                                         18/06/24 03:53 修正 第3版
 死に瀕した村木多栄に触れた最後の一人、戸倉憲吾にも電話をした。
 君津と戸倉は小学生時代はさほど親しくなかったが、中学に入ってから変化が生じ
た。ともに頭はよい方だが、君津が閃きを重視するタイプであるのに対し、戸倉は論理
を一から積み上げるという違いがあった。そこが互いに魅力に映ったのだろうか、何か
と馬が合い、以後、付き合いは長く続いた。君津の海外留学を機に、さすがにやや疎遠
になったが、それでも電子メールでのやり取りぐらいはたまにあった。現在、戸倉はコ
ンピューターで様々な音を合成することを研究テーマにしているらしい。
「伝える役をしなければならないとしたら、自分だったんだろうな」
 戸倉は些か自嘲気味に、そして後悔を滲ませた口ぶりで始めた。君津は本題と余り関
係のない話が長引くのを嫌って、「それはもういいから」と言った。
 しかし、戸倉は意外な頑なさを見せた。
「躊躇したのには理由があるんだ」
「理由って、どうせあれだろ。知らせてもどうしようもないし、日本にすぐさま帰って
来られる訳じゃないしっていう。聞き飽きたよ」
「違うんだ。言いたいのはそんなことじゃなくて、もっとちゃんとした理由さ。事件が
起きた、村木さんが殺されたと知ったとき、僕はすぐに思ったんだよ。もしかしたら財
前さんが殺したんじゃないかって」
「え? 何でまた?」
「知らないみたいだな、やっぱり。財前さんから告白されたことがあるって聞いてたか
ら、ひょっとしたら君津も知ってるのかなとも思ってたんだが」
「おい、分かるように話してくれよ」
 送受器を持ち替え、握る手にも声にも力が入る。君津は手のひらに多めの汗を感じ
た。
「ちょっと頭の中で整理するから、待ってくれ。――よし。今から話すのは、僕が中一
のときに、女子の会話を立ち聞きして知ったことだ。噂話みたいなもんだったし、わざ
わざ言いふらすようなものじゃなかったので、誰にも言ったことはない。それから、財
前さんの立場からの話だということに、注意して欲しい」
 承知したという意味で、君津は「ああ」と短く言った。
「財前さんが小学生のとき、君津に告白したのって、何だか急じゃなかったか?」
「ううん、急かどうか分からないけれど、バレンタインとか卒業とかのイベントにかこ
つけた告白ではなかったな。急な告白に意味があったっていうのか?」
「意味というか、理由だな。財前さん、他の人から告白されて、それを断るために急い
でおまえに告白したらしいんだ」
「それって僕自身と同じ……」
「状況は同じようなもんだったろうな。違うのは、財前さんが告白された相手っていう
のが、同性だったってことだ」
「はあ、女子から告白されたってか?」
 さすがに驚いた。小学生で同性から告白されるってのは、どんな気持ちになるものな
んだろうか。
「そう聞いた。その相手が、村木さんなんだ」
 村木多栄が財前雅実に告白を。
 それは確かに隠された事実かもしれない。が、だからといって、財前が村木を殺害す
る動機はどこから生じるのだろう。逆なら、つまり告白してふられた村木が、財前を憎
んで殺すのなら――どうして今さらという疑問は残るが――まだ理解できなくもない
が。
「何で、財前さんが殺したと思った?」
「おまえにふられた財前さんは、村木さんの告白を断れなかった。好奇心もあって付き
合ってみたらしい。だが、一年ほど経って後悔した。村木さんの方が飽きて、関係は自
然消滅したんだ。財前さんにとったら、いい面の皮だよな。これは僕の勝手な想像だ
が、文句を言うなり、秘密を暴露してやるなりしたくても、彼女自身にとっても相手に
秘密を知られている状況だし、言えなかったんじゃないか。唯一人、愚痴をこぼした相
手が綿部千代、綿部のお姉さん」
「え」
「その二人の会話を、僕が偶然、立ち聞きしたって訳。これなら、財前さんが根に持っ
ていてもおかしくはないだろ」
「分かるけど、今になって、わざわざ殺す程には思えないな」
「そこは同感。だからこそ、僕も警察には何も言わなかった。ただ、同窓会に出たなら
分かると思うんだが、財前さんは綿部と交際中の割には、幸せオーラがたいして感じら
れなかった。どちらかというと緊張していてさ。まあ、冷やかされるのを覚悟していた
せいかもしれないが」
「同窓会で、自分達よりも幸せそうな村木さんを見て、昔の恨みが殺意までに強まった
と?」
「そこまでは言ってない。村木さんの方も特に幸せそうに見えた訳じゃないし。犯人は
鉄串を用意していた、つまり犯行は計画的。動機は、同窓会当日に作られた殺意じゃな
いはず」
「だよな」
「このことを警察に言っていれば、星川さんがあんなあっさり逮捕されることはなかっ
たなじゃないか。そう思うと、おまえに連絡する勇気が出なかった」
 やっと理屈がつながって、君津は納得できた。
(星川さん――僕の彼女が警察に拘束されたのは、村木さんが名前を言い遺したのが大
きな理由だろ。それなのに、細かいことを気にするなんて。戸倉らしいっちゃらしいけ
ど)
 ちょっぴり感動しつつ、それ以上に厄介な性格だなと笑い飛ばしたくなった君津。だ
が、恋人が逮捕されたままという現実の前に、笑っている暇はない。
「計画犯罪なら、動機も以前からあったに違いない。その条件に、星川さんが当てはま
るとは思えないんだ」
「知る限りじゃ、動機がありそうなのは、さっき言った財前さんだけだぜ。しかし、財
前さん以外に動機のある人物がいようがいまいが、ダイイングメッセージが全てを否定
してしまう」
 そうなのだ。いくら他の容疑者を挙げようとも、星川希美子の名を言い遺した事実が
立ちはだかる。君津と星川を苦しめる。
「君津、こっちはとことんまで付き合えるが、そっちは大丈夫か」
「ああ。仕事、いや、明日は大学の方だっけ。それが始まるまでは、徹夜も厭わない
よ」
「じゃあ、まず……星川さんは犯人ではないと決め付ける。そこから出発だ」
「言われなくても、そうしてる」
「もっと積極的に、かつ、論理的に活用するんだ。閃き型のおまえには難しいかもしれ
んが」
「論理派を自認するのなら、分かり易く言ってくれよ」
「つまりだな。星川さんが犯人でないなら、何で村木さんは、犯人は星川さんだと告発
したのか。この謎を解き明かす必要があるってことさ」
「そういう意味か。確かにな。――見間違えた、とか」
 早速、閃いた仮説を、大した自己検討もせずに口に出す。
「犯人は星川さんとそっくりの格好・変装をして、村木さんを襲った。村木さんは当
然、星川さんに刺されたと思い込む」
「うーむ。理屈だけなら成り立つだろうが、実際のところはどうなんだろうな。この場
合、本当にそっくりに化けなければ、星川さんの名前を出すまでには至らないはず。と
なると、何はともあれ、顔を似せねばならない」
「よくできたゴム製の被り物なら、かなり本物っぽく見えるんじゃないか。前に、映画
で見たんだ。犯行はあっという間に終わるし」
「いや、難しい気がする。まず、犯行はあっという間と言うが、刺すのは一瞬で済んで
も、鉄串が残っている。二本続けて刺すのは、結構時間を要するんじゃないか。見ただ
けで被り物に気付かれるか否かは五分五分ぐらいとしても、村木さんの反撃に遭って被
り物に触られる可能性が高い」
「戸倉の言いたいことは分かるけれど、それだけでは否定の根拠として認められない」
「まだある。当日、村木さんと星川さんは顔を合わせている点だ。長い間会っていなく
て、いきなり犯行に及ぶのであれば、変装は適当なレベルで大丈夫だろう。しかし、当
日会ったとなると、話は違う。顔だけでなく、化粧の具合や背格好、全体から受ける印
象、髪型や服装、靴まで揃えないと、村木さんに違和感を与える恐れがある」
「……化粧に髪型、服装は、当日にならないと分からない、か。泊まるつもりで来てい
るのなら、着替えて別の服になっていてもおかしくはないが、化粧と髪型をその日の内
に変えるのは相当不自然。よって、見間違い説、いや、変装説は除外される」
「ちなみに、単なる見間違いも起こらなかったと思う。当日の星川さんとそっくりの姿
形をした出席者は、女性にせよ男性にせよいなかったと僕が保証しよう」
 こんな場合に男まで含めて論じるのも、戸倉らしいと、君津は思った。
「論理展開は頼もしいが、謎の解明には近付いていない。まあ、変装説等が間違ってい
たと分かったのは、前進と言えるけれども」
「もう仮説はないか?」
「ない。時間が経てば閃くかもしれないし、閃かないかもしれないが、現時点では手持
ちはゼロだ」
「こっちも大した説はないんだが、気になることが一つできた。村木さんがはっきりと
星川さんの名前を出したということは、真犯人は星川さんに濡れ衣を着せる意図が明確
にあったと言えるんじゃないか?」
「それは要するに……犯人は他の誰でもなく、星川さんに罪を被せたかったという意味
だな。言い換えると、犯人は村木さんだけでなく、星川さんにも恨みを抱いていた」
「その通り。そして星川さんに恨みを抱くという条件にも、財前さんは当てはまる」
「そうなるのか」
 ぴんと来なくて、君津は問い返した。
「自覚がないのか。おまえは財前さんを振ったんだろう。彼女にしてみれば、君津誉士
夫を手に入れた女、星川希美子に対して敗北感を感じたかもしれない。憎く思ったとし
ても、不思議ではあるまい」
「恨むなら、僕自身を恨むものだと思ってた」
 率直な感想を述べた君津に、戸倉は少しだけ笑い声を漏らした。
「そう思ってるのなら、一応、注意しとけよ。このあと、財前さんがおまえも刺しに行
くかもしれないぞ」
「まさか」
「言ってる自分も、どこまで冗談のつもりなのか、測れてないんだぜ。今の時点で、星
川さんを除いた犯人の最有力候補は財前さんなんだからな」
「僕の記憶にある財前さんは、そんなことする人には全然見えないな」
「当たり前だ。僕だって、信じられん。第一、君津が今思い浮かべてる財前さんての
は、大方、告白してきた小学生の頃の姿なんだろう」
「当たらずとも遠からず、とだけ言っておく。けど、仮に財前さんが犯人だとして、こ
んな大胆な犯行ってやれるもんかな?」
「大胆とは、同窓会で殺すっていう点か」
「それもあるが、襲ってから間もない段階で、彼氏と一緒に発見役を演じるなんて。他
に適当なアリバイ証人が見付からなかったのかもしれないが、だからといって、好きな
男を巻き込むかね」
「そりゃあ、ばれない気でいるからだろう」
「あるいは、端からアリバイ証人にするために付き合い始めた、なんて……」
 他愛もない思い付きを言葉にしただけのつもりだった。だが、何かが君津の脳裏によ
ぎり、引っ掛かった。
「君津?」
 押し黙った君津の耳に、戸倉の声が届く。
「――最初っから、綿部も承知の上だった、共犯だったと考えれば」
「え? 何だって」
 一段と大きな声量になった戸倉。君津は興奮気味に、負けないくらいの大きな声で返
事した。
「そうだ、そうなんだ。綿部が技を彼女に教えたとしたら、謎は解ける!」

            *             *

 空港に降り立ったときは、あいにくの雨だった。折角の連休も予定が多少狂う人が大
勢いるに違いない。
 手続きを済ませ、多くない荷物を受け取ると、都心まで直行する。小さな子供の頃に
はまずくてとても飲めなかったブラックの缶コーヒーで、眠気を少しでも飛ばしてお
く。
 駅の改札を出たところで、三人の姿が視界に入った。
「やあ。久しぶり」
 軽く手を挙げてから、平常心に努めつつ言った。
 三人の中から真っ先に駆け寄ってきたのは、財前雅実だった。
「久しぶり! だけど、感動の反応が薄いわね」
「少し疲れてるし、帰ってきた理由が理由だから」
「そうね。……まあ、思っていた通りのいい男に育ってるわね。見た目だけでも元気そ
うで、安心したわ」
 財前は後ろを振り返り、綿部を手招きした。
「今の彼氏の方がもっと上だけど」
「そりゃそうじゃないと困る」
 応えてから、君津は目線を綿部に合わせた。髪を伸ばしてパーマを掛けているのは、
大道芸人として目立つためだろうか。そして、思い描いていたよりも大きい印象を受け
る。鳩胸のせいかもしれない。
「よおっ。路上パフォーマンス、頑張ってるんだって?」
「まあな。おまえには全然負けてるけど」
「比べるもんじゃなし。将来はプロでやっていくの?」
「分かんねえ。でも、日本じゃ無理かな」
 二人の会話が一段落すると、三人目――戸倉が声を掛けてくる。ここしばらくよく連
絡を取り合ったので、挨拶抜きだ。
「君津、どうする? どこか落ち着いて話せる場所……喫茶店かファミリーレストラン
か」
「ファミレスは騒がしいイメージがあるけど、腹も空いている」
 時間は午後三時。迎えの三人は、とうに昼食を終わらせていることだろう。
「機内食はどうした」
「食べた。でも、足りないし、日本食が食べたいんだ」
「だったら、ちゃんとした店に入ろう。ファミリーレストランの日本食なんて、メニ
ューが少ないだろ」
 そう言ってくれたものの、近くに適当な店がなかったので、蕎麦屋に入った。甘い物
も少し置いてあるらしい。
「寝泊まりするとこはあるの?」
 四人掛けのテーブルに案内され、注文を済ませるや、財前が聞いてきた。僕が急遽帰
国した理由が殺人事件にあることは承知しているはずだが、とりあえずは当たり障りの
ないところから話題にしたいようだ。
「うん。今日と明日はホテル泊まりだけど、明後日からは親戚の家に泊めてもらう。墓
参りするから、方角的にもちょうどいいんだ」
「ああ、そうだったな」
 綿部が気まずそうに反応した。両親がいないことは、このテーブルに着いた全員が知
っている。
「てことは、明日は弁護士さんのところか」
 隣に座る戸倉が話題を換える。と言っても、人の生き死に関係している点は同じだ
が。
「会う約束はできたんだが、長い時間は無理だと言われてるんだ。いくら依頼人の彼氏
でも、真相解明に役立つ何かを持ってる訳じゃないし、しょうがない」
「真相解明って……星川さんが犯人ではないとまだ思ってるの?」
 財前が言った。辺りを気にする風に、声のボリュームを落としている。
「そうだよ。そのために無理に調整して、帰って来たんだ」
「やっぱり。戸倉君を通じて呼び出されたときから、そういう予感はしてたんだ」
 早々にざる蕎麦が来た。穴子天ぷらのミニ丼も付けた。他の三人は、そば粉を使った
和菓子とお茶のセットだ。
「とりあえず、食べながらでいいかな」
 承諾を求めると、曖昧な答が返って来た。
「食べるのはもちろんかまわないけど、何が『いいかな』なのよ」
「事件のことで、新たに確かめたいことができてさ。戸倉にはざっと伝えたんだけれど
も、二人にも聞いてもらいたい」
 手を合わせてから割り箸を割って、まず蕎麦のつゆにわさびを溶く。薬味を散らした
ところで、前に座る二人にも食べるよう促した。
「楽しくないことを思い出しながらだと、まずく感じるかもしれないけど」
「どうせ食べ始めたらすぐに終わっちまう。そっちがあらかた片付くまでは、このまま
待機してるさ」
 綿部が笑いながら言って、腕組みをする。木の椅子の背もたれに身体を預け、聞く体
勢になった。財前の方はお茶ではなく、お冷やを一口飲んで、テーブルの上で両手を組
んだ。
「大前提として、僕は彼女が――星川さんが犯人ではないと決めている」
「……当然よね。あなたの立場なら」
「星川さんが犯人じゃないなら、村木さんはどうして星川さんを犯人だと言い遺したの
か。最初に考えたのは、犯人を何らかの理由で星川さんと誤認した可能性なんだけど」
 以下、犯行が計画的であることを軸に、この説は成り立たないことを説明し終えた。
 黙って聞いていた綿部が、湯飲みを手にしてから、ゆっくりと口を開く。
「何だ、結局、証明ならずか。俺達に聞いてもらいたいことって、これか?」
「まだ続きがある。次に僕が閃いたのは、音による欺瞞だ」
「ぎまん?」
 どういう意味の単語で、どんな字を書くのか分からないと言わんばかりに、横目を見
合わせた様子の二人。僕は「トリックと言い換えても通じるかな」と付け足した。
「同窓会に出た大勢が、村木さんが星川さんの名前を言うのを聞いている。特に近くで
聞いたのが、君達と戸倉だ。三人には、検証してもらいたい、僕がこれから話すトリッ
クが成り立つかどうかを」
「……分かった」
 綿部と財前は、今度ははっきりと互いに目を見合わせてから頷いた。
「村木さんが犯人ではない星川さんの名前を言うとしたら、どんな場合があるか。シン
プルに考えることにした。言ってない、と」
「言って……ない?」
「意味が分からないわ。私達は確かに聞いた」
 きょとんとする綿部に、捲し立てる財前。戸倉が止め役に入ってくれた。
「まあまあ、検証はあと。最後まで聞こう」
「……」
 不満そうだが、財前は黙った。僕は結局、食事には箸を付けずに話を続けていた。
「村木さんは星川さんの名前を言っていない。これも決定事項とする。では、何故、周
りのみんなには声が聞こえたのか。声は作り物だったんじゃないか。僕はそう考えて、
入手できた事件の状況を再検討してみた。最初は録音しておいた音声を流せば何とかな
るだろうって思っていたが、そう簡単じゃないと分かった」
「そうよ。あのとき、村木さんの口は動いてたんですからね」
 思わずという風に、財前が身を乗り出して反証を挙げる。僕は一つ首肯した。
「そう、それがネックだった。他の方法を考えなきゃならない。たまたま村木さんが声
を出せずに、口を動かしただけのタイミングに、犯人が幸運にも音声を合わせられたの
か。そんな偶然は認められない。僕は発想を少し変えてみた。村木さんの口を動かした
のも、犯人の仕業だったとしたら?」
「ば、馬鹿な」
 今度は綿部が“思わず”反応したようだ。
「死んでる人の口を動かすなんて、リモコンでも仕掛けたって言うのか?」
「ん? 変なことを言うね。君らが見付けたとき、村木さんはまだ息があったんじゃな
かったか?」
 僕は綿部、財前の順番に顔を凝視し、それから戸倉を見た。戸倉は「うむ。息があっ
たように思えた。あのときは」と答えた。彼だけが、注文した品を消費している。
「言い間違えただけだ。結果的に死んでしまったのだから」
 取り繕うことなく、ストレートに訂正する綿部。その隣では、財前が居心地悪そうに
もぞもぞ動いて、座り直した。彼ら二人が何も言わなくなったので、戸倉が口を挟んで
くれた。
「でもよ、君津。生きてる人間の口を、他人が自由に操るのは、死人の口を操るよりも
難しいんじゃないか? 死んでるなら、さっき綿部が言ったみたいにリモコンを取り付
けたら、曲がりなりにも動かせるだろうけどさ」
「同感だ。その人が生きていたら、偽の音声に、本物の音声が重なる可能性もある。犯
人にとって、絶対に避けたい状態だろう。そこで僕は考えを推し進めた。発見されたと
き、既に村木さんは亡くなっており、犯人は外的な力で村木さんの口を動かすととも
に、偽の音声を周りに聞かせることで、まだ村木さんが生きていると思わせようとし
た。これなら、全ての説明が付く」
 言い切った僕は、前の二人を見やった。しばらくの沈黙のあと、財前が切り出した。
「どうやって? 具体的にどうすれば、村木さんの口を動かし、声を出せるのよ」
「そこを説明できなければ、絵に描いた餅だな」
 財前の台詞を引き継ぎ、綿部も言った。
「だから、先に君達の話が聞きたいんじゃないか。村木さんの口を動かすような仕掛
け、村木さんの声を流すような仕掛け、そういったものが彼女の身体のどこか、あるい
は近くになかったのかなってね」
「そんな物、ある訳ないじゃない。あったら警察が気付いてるだろうし、私達は間違い
なく、村木さんの口から声を聞いてるのよ」
「――戸倉は、そこまで断言できる?」
「無理無理。声がどこから聞こえたなんて、判断のしようがない。極端な話、村木さん
の口の中に、スピーカーを仕込まれていたら、どこから聞こえようが関係ないってこと
になるしな」
「だから! そんなスピーカーなんて、見付かってないでしょ!」
 当初の囁き声はどこへ行ったのか、財前は大声で主張した。さすがにまずいとすぐに
気が付いたらしく、息を整えつつも肩を窄ませる。
 落ち着くのを待ってから、僕は推理の続きを話し始めた。
「スピーカーなんてなくても声は流せるし、リモコンを仕掛けなくても口は動かせる。
僕はそう思うんだ」
「どうやって」
 穏やかな口調で、綿部。額に汗の縦筋ができていた。どこかしら緊張しているよう
だ。
「もう一つ、僕が着目したのは、犯人が牙なる殺人鬼の手口を模倣しようとしたこと。
無差別殺人として牙に罪をなすりつけるにしては、同窓会の場はふさわしくない。だっ
たら、何故? 犯人にとっていかなるメリットがあるのか。牙の犯行で特徴と言えば?
 そう、二本の鉄の串だ。犯人は村木さんの遺体に鉄串を刺す必要があったんじゃない
か。このように考えることで、見えてきた。犯人は、うなじから刺した二本の鉄串を持
って、遺体の口を動かした――」
「そんな、あり得ない……」
 財前は両手で口を覆っていた。対照的に、綿部は鼻息を荒くした。
「その説だと、俺が一番怪しいことになりそうなんだが?」
「もちろん、鉄串をリモコンで動かしたのでなければ、最も怪しいのは、村木さんを抱
え起こしていた綿部、君になる」
「は! 馬鹿らしい。冗談も休み休み言え」
「冗談のつもりはないよ。こうして披露するからには、本気だ」
「そうかい。だったら、声は? 俺が裏声を使って女の声を出したってか? いくらパ
フォーマーでも、そんな芸当は身に付けてないぜ。第一、俺はずっと村木さんに呼び掛
けていたんだ。同時に女声を出せるはずがないだろ。声はカセットテープとでも言う
か?」
「いや」
 長い反論に対し、僕は短い返事でまず応じた。
「先に聞いておく。綿部は声に関するパフォーマンスで、何かできることがあるよな
?」
「……ああ。腹話術だ。簡単なやつで、男の声しかできないぞ。それにさっきも言った
ように、俺は村木に声を掛け続けていた」
「その腹話術のこつを、彼女に教えたんじゃないのか」
 僕は綿部の隣に目を移した。口を覆ったままの財前が、こちらを見る。
「偽の声で、星川さんの名前を言ったのは、財前さん、君だろう?」

 〜 〜 〜

「証拠はない」
 しばらくしてから、どちらかが言った。僕は戸倉に目配せしてから、“犯人”達の説
得を試みた。
「鉄串に、綿部の指紋が付いている」
「付いていて当然だ。助け起こしたときに、触ってしまうことはあるだろう」
「だけど、口を操るために触ったのだとしたら、指紋の付き方が随分違ってくるはずだ
よ。元々、刑事達は何か変だなと感じているかもしれない。僕の推理を警察に伝えた
ら、どうなるだろうね? 君か財前さんの同窓会前の買い物を警察が調べれば、鉄串を
買ったことが明らかになるんじゃないか」
「……いや、証拠にはならない。絶対的なものじゃない」
 自らに言い聞かせるような口ぶりの綿部。僕はわざと哀れむようなため息を吐いた。
「仕方がないね。戸倉、あれを出して、説明してあげよう」
「うむ。了解した」
 戸倉がジャケットの内ポケットをまさぐり始めると、綿部と財前は表情に怪訝さを浮
かべた。程なくして、戸倉はその物――小型のテープレコーダーを引っ張り出した。
「同窓会の席で、僕の現在の研究テーマは音の合成だと話したよな。研究材料を集める
ために、テープレコーダーを持ち歩いて適宜、録音しているんだ。今も録ってたんだ
が、証拠云々はそれじゃなく」
 と、録音をストップし、中のカセットを別の物と入れ替える戸倉。
「こっちのテープは、同窓会のときに使ったやつだ」
「まさか……」
「うむ。村木さんを助けようとしていた場面で、録音していたんだよ。これにはあのと
きの声もばっちり入っている。聞いてみるか? 警察に声紋を調べてもらう前に」

 自首の形を取りたいという二人のために、弁護士に事情を話して来てもらい、後は全
て任せることになった。恋人と対面できるのは、もう少しだけ先になる。
「本当のところはどうなんだ、戸倉?」
 駅のプラットフォームの中ほど、横並びに立っているときに、聞いてみた。
「うん、何がだ」
 煙草を吹かしながら、戸倉は聞き返してきた。喫煙するとは意外だ。蕎麦屋では我慢
していたらしい。
「本当に録音できていたのかってことさ」
 風向きを気にしつつ、僕は質問の意図を明確にした。隣を見ると、特段、表情に変化
はない。
「無論だ。僕はこれでも研究熱心だからね。ま、多少は聞き取りにくい部分はあるかも
しれないが、いざとなったら合成してやるよ」
「それはだめだろう」
 苦笑いが出てしまった。
「いつまでいられるんだ?」
 吸い殻入れに一歩近づき、煙草の火をもみ消す戸倉。
「日本に? うーん、実を言うと、真犯人が捕まったら、すぐに戻ってこいと言われて
るんだけれどな」
「馬鹿正直にその約束を守ってたら、彼女と会う時間がないな」
「だな」
「そもそも、窮地を救いに万難を排して帰国したってことを、星川さんはまだ知らない
んじゃないか」
「多分ね。弁護士先生も伝えてないだろうな」
「じゃ、やっぱり、会っていかねばなるまい。ついでに、向こうの家族にも」
 家族と言われ、あることにふっと合点がいった。星川さんと連絡が取れなくなったあ
と、自宅に電話してもつながらなかったのは、マスコミの電話攻勢に悩まされていたの
が原因なんだろうな。
「そうするよ。それに、できるだけ日本の星空を見ておきたい」
「星か。昔から好きだったんだよな」
 ライターを弄んでいた戸倉は、急に「あ」と叫んだかと思うと、こちらに勢いよく振
り向いた。
「な、何だ、どうした」
「重大なことに気が付いた。おまえと星川さんが結婚したら、どちらの姓を名乗るつも
りか知らないが――」
「ああ、そのこと。ずっと前から、とっくに気付いているよ」
 君津希美子であろうと、星川誉士夫であろうと、その程度のこと、気にならない。

――終




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