AWC 安息日 <上>   永山



#482/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  16/04/28  22:22  (362)
安息日 <上>   永山
★内容                                         19/01/16 22:54 修正 第2版
 愉快犯なんてものは周囲に一人いるだけでも、空恐ろしい。不気味で得体の知れない
存在だ。それが、ここのところ立て続けに複数名が現れたものだから、混沌に拍車が掛
かっている。しかもそのほとんどが、人を殺しても名とも思わない連中らしい。
 まず、僕・百田充になりすましていた千房有敏だが、取り調べに大人しく応じている
そうだ。中卒で働きに出た千房が、どうやって生計を立て、整形手術を行えたのか。そ
もそも、家族は? 色んな疑問も解決した。母子二人の家庭に育った千房だが、生活自
体は困窮していた訳ではない。別れた父というのがIT事業で成功しており、充分な慰
謝料や養育費をきちんと送っていた。千房の人生に狂いが生じたとすれば、中学二年の
春休み。進路をそろそろ決めようかという頃合いに、母親を交通事故で亡くしている。
保険金プラス父親からの送金で、進学に弊害はない。ただ、面倒を見てくれる家族が簡
単には見付からなかった。父親はすでに再婚しており、その相手というのが他人の子供
とは家族になれない質だった。結局、父親からの養育費増額につられた親戚の女が千房
を引き取ったが、放任主義に徹していたという。そんな環境下で、そんな大人達を見て
育った千房有敏の目に、一年上の十文字龍太郎が眩しく映ったのかもしれない。両親が
揃った幸せそうな家に育ち、天才ともてはやされ、パズルの才能を発揮し、実績を残し
ていた十文字先輩に、いつしか嫉妬し、越えてやろう倒してやろうという考えに取り憑
かれた――。一応、こんな形で、千房の件は落着を迎えそうだ。
 次に、瀧村清治の件。いや、瀧村自身はすでに死亡しているので、彼の起こした事件
の未解決部分と、彼が殺された事件についての進展具合。
 瀧村がホテルでの殺人直前に購入したハンディタイプのコンプレッサー、その用途が
はっきりしなかったが、浴室を密室に仕立てるために必要な道具だったことはある程
度、裏付けが取れた。というのも、瀧村はネットカフェや図書館、ホテル等で備え付け
のパソコンを利用していたのだが、そのネット検索履歴を調べたところ、人体の仕組み
や操り人形の構造に興味を示していたことが窺われた。ここからは想像になるけれど
も、瀧村は死体にコンプレッサーの管を突き刺し、空気圧で死体の腕や手を操ろうとし
ていたのではないか。そして死体の手で浴室のドアを、内側からロックさせるつもりだ
った……。こう書くと全くの絵空事に聞こえるが、瀧村は実行しようとしていた。前も
って実験することもできただろう。それなりに成功の確信を持っていたと思われる。
 一方、瀧村殺しに関しては、大きな進展はない。十文字先輩の知り合いである針生早
惠子さんが、瀧村とも顔見知りで、かつ、偽名を称していた瀧村の本名を知っていたと
いう事実が判明した訳だが、それ以上切り込めないでいた。彼女曰く、偽名を知ってい
たのは、瀧村自ら明かしたもので、「ネット上のハンドルネームだよ」と説明されてい
たという。瀧村本人亡き今、真偽の確かめようがない。ただ、瀧村がインターネットで
件の偽名を用いていた事実は、裏付けが取れていた。無論、瀧村はその人物になりすま
していたのだから、偽名を用いるのは当然とも云えるのだが。
 そんな風に、複数の事件が片付いたり継続したり、あるいは進展なしだったりと、あ
る意味名探偵の日常らしい風景が繰り返されていた。
 繰り返しに変化をもたらすのは、十文字先輩が高校生である以上、学校行事であるこ
とが多い。今の季節なら、十月にある体育祭だ。
「百田君は、体力回復しそうなのかい?」
 体育の授業を休んだ僕に声を掛けてくれたのは、クラスメートの音無亜有香だった。
女子だけど、剣道の腕が立つ。それでいて汗臭さとは無縁の、ポニーテール美人だ。僕
の理想とする異性だし、こうして心配されるのは嬉しい。
「まだ分からない。復活できたとしても、あとから加わるのは難しい団体競技なんか
は、出ない方がいいかもね」
「そんな情けないこと云うとは情けない」
 重複表現ぽい云い回しで割って入ってきたのは、一ノ瀬和葉。同じくクラスメート
で、コンピュータ全般、特にプログラミングの才能を認められた学内有名人かつ天才の
一人。海外生活が長かったせいか、日本語に少しおかしなところがあったが、最近はわ
ざとやっている節が窺えなくもない。
「仮にも探偵の相棒にしちゃ、非常にココロモトナインじゃあ、ありませんか」
 ……“ココロモトナイン”てのは、“心許ない”か。猫型ロボットの秘密道具か、新
しい栄養ドリンクみたいなイントネーションで云うから、すぐには分からなかったじゃ
ないか。
「一ノ瀬の体力だって、心許ないと思うけど。後半、行進に着いて行くのもやっとだっ
た」
「あれは前半頑張りすぎて、ペースがちょっぴり狂ったんだよん。次からは修正するか
ら問題ないから」
 元来がインドア派の一ノ瀬にしては、きっぱり否定した。彼女にとって日本の学校の
体育祭は久しぶりになるはずだから、できる限り頑張ろうと決めているのかもしれな
い。
「分かった。それなら、一ノ瀬が予行演習で徒競走三位以内に入ったら、僕も頑張って
全部出るように努力する」
「努力じゃなく、確約してもらおー」
 そんな無茶な。医師の許可がまだ下りてないんだってこと、把握できてるんだろう
か。

             *             *

「早惠子さんの方から連絡をくれるなんて、珍しいですね」
 携帯電話のメールを示しつつ、十文字龍太郎は待ち合わせ場所に現れた。ターミナル
駅の三つ手前、乗降客が多すぎず少なすぎず、駅周辺に店の類は皆無で、人目もさほど
ない。内緒話をするにはうってつけの場所かもしれなかった。
「ありがとう、来てくれて。そんなに珍しいかしら?」
 ベンチから腰を上げた針生早惠子は、制服ではなく私服姿だった。清楚さや純粋さを
アピールするかのような、白のワンピースに鍔広の黄色い帽子。時間帯から云って学校
帰りと思っていた十文字は、少し意外に感じた。わざわざ着替えたのだろうか。
「珍しいですよ。少なくとも、高校生になってからは、記憶にないな」
「そんなになるのね。――どこかに入る? 十分ほど歩けば、喫茶店があったと思う」
「いや。それじゃ、この駅にした意味がなくなるでしょう。一刻も早く相談したいので
は」
 短いメールにあった。「弟のことで相談したい。都合のいい日を教えて」と。
「そうね。じゃ、隣に座って。ちょうど木陰もできてる」
 ベンチの上を覆うように、木が枝葉を広げていた。隙間を通して雲が臨める。
「徹平が死んでからまだみつきと経っていないのに、随分昔のことのように思える……
十文字君はそう感じてるんじゃない?」
「は?」
 てっきり、早惠子が弟・針生徹平の死について感想を述べるのだと思い、聞いていた
十文字は、一瞬呆気に取られた。体勢を立て直し、答える。
「そんなことはない。事件はあれからもたくさん起きたが、彼が亡くなった事件はまだ
謎が残っている」
「つまり、まだ生々しく記憶に乗っているのね。それなら話が早いわ。私も同じだか
ら」
 十文字は何も答えずにいた。姉が弟を亡くしたのなら、普通はそんなものだろう。だ
が、十文字は早惠子が徹平の死に関わっているのではないかと推測したことがある。今
もその疑念は薄まりこそすれ、消えてはいない。もし彼女が犯人であれば、事件につい
て記憶がいつまでも鮮明なのは、ある意味当然ではないか。
「実は私、狙われているみたいなの」
「……まさか狙われているというのは、その、命を?」
「さすが鋭いわね」
 声なく笑ってみせた針生早惠子を、十文字は素早く観察した。緊張や憔悴、あるいは
恐怖や焦りの色が少しずつ浮かんでいるように思えた。こめかみに浮かぶ小粒の汗、髪
の微かな乱れ、唇の小刻みな震え、いつにない早口等々。
「とりあえず、事情を伺いたい」
「ええ。身内の恥をさらすようだし、死んだ徹平を悪く云うようで気が引けるのだけれ
ど、弟は……人の死や殺人を美化するような主旨のサイトに出入りしていたみたいな
の」
「それだけで恥とは云えませんよ」
「かもしれない。けれども、有名な殺人犯のグッズを手に入れようとしたり、毒物の作
り方を調べ上げて得意げに書き込んだりするのは、どうかと……」
「ふむ。徹平のそういった行為を知ったのは、彼の死後? たとえば、彼専用のパソコ
ンの履歴から分かったとか」
「そうよ。ほんと、鋭いのね」
「常道です」
「徹平は元々パソコンを買い与えられていたのに、わざわざ別のノートパソコンを密か
に購入していた。もちろん中古だけど、自分のお金で。殺人関係のアングラなサイトに
は、そのパソコンでのみ接続していたみたい。一応、徹平自身、隠すべき趣味だという
意識はあったのね」
「その二台目のノートパソコンは、どこに隠してあったんです? そして早惠子さんが
いかにして見付けたのか、興味あります」
「――目の付け所が違うのは、名探偵だから? 隠し場所って云うほどじゃなかった
わ。ノートパソコンを持ち運びするためのバッグがあるでしょ。あれの中にあった」
「隠し場所と云えないんじゃあ」
「一台目のパソコン用に、バッグも併せて買ってもらったのよ。その中に、二台目を隠
していた」
「なるほど。買ってやったパソコンが使われているのなら、普通、バッグは空っぽだと
思うという訳か」
 でも、警察が見落とすだろうか。十文字は疑問に思った。
 針生徹平は、殺人事件の被害者として死んだ。当然、警察は被害者についてよく知ろ
うと、周辺を調べたはず。
 十文字はしかし、疑問を飲み込み、本題に戻るべく、相手に話の続きを促した。
 針生早惠子は少し間を取り、話をまとめ直したようだ。
「徹平は殺人アングラサイトに参加する内に、同じ趣味の人達とつながりができ、さら
には本物の犯罪者とも関わるようになったらしいの。そして、そういった連中の一人と
トラブルになっていた」
「どうやって知ったんです? メールや書き込みの痕跡が残っていた?」
 この質問は合いの手のようなもので、当然、肯定の答が返ってくるとばかり思ってい
た十文字だったが、実際は違った。
「ううん。徹平はその辺りも用心深くて、きれいさっぱり消していた。でも、相手から
もメールは来るでしょう? 弟が死んだあとに来たメールは、誰も削除できずに残って
いたわ。片仮名でフラキと名乗ってる」
「そのフラキが、徹平の死を知り、矛先をあなたに向けてきたとでも?」
「そう。おかしなことになってる。こちらから教えた訳じゃなく、向こうがニュースを
見て把握したらしいのだけれど――」
「一つ質問が。徹平はそんなサイトやメールで本名を名乗っていたのですが」
「分からないのよ、それが。フラキの話だと、本名のアナグラムになっていたらしいの
だけれど、どう名乗っていたかは分からないまま」
「なるほどね、アナグラムか」
 パズル好きな徹平らしい。十文字はひとまず納得し、話の続きに耳を傾ける。
「どうやって調べたのか、九月十一日、私のパソコンメールのアドレスに、フラキから
メールが届いたのよ。そいつと弟の間にもめ事があった大まかないきさつを聞かされた
上、『いずれ徹平君の思い上がりを叩き潰してやるつもりだったのに、“勝ち逃げ”さ
れてしまい、気分が悪い。この鬱憤を晴らすには、彼の身内を壊すしかない』という文
章を送りつけられて……」
「警察に届けましたか」
「無理よ。警察に報せたら、犠牲は一人で終わらないとまで云われたのだから」
「それを信じたんですか」
 十文字からすれば、狙われるのが一人から二人に増えたとしても、大した違いではな
いと感じる。当人やその家族にとっては、大問題だとしてもだ。
「信じるしかないでしょう。元の脅迫に、命を狙うとか殺すという意味の表現は使って
いないのだから、ひょっとしたら命までは取らないということかもしれない。相手を刺
激することはないと、家族で決めたの」
「なのに、僕に相談を持ち掛けてきたのは、どういう風の吹き回しです?
「決まってるでしょう、警察じゃないからよ。誘拐と同じ」
「……早惠子さんは結局、何を僕に依頼したいのですか。命を狙われていると本気で恐
怖を覚えているのであれば、何があっても警察に報せるべきだ」
「それでは、依頼は受けてくれないのね。力不足を認めて」
「……」
 相手の挑発的な物言いに、十文字は若干、鼻白んだ。針生徹平が死んだ件で、その姉
への信頼度が弱くなっていたが、ここに来てますます冷めてしまった。もしかするとこ
の度の依頼そのものが罠なのかもしれない、とまで考えた。
「ええ、僕には無理ですね」
 高校生探偵として名を知られるようになって以降、依頼を断ったことがなかった訳で
はない。だが、嫌な予感がするからという理由で断るのは、今回が初めてだ。
「せめてあなたが同じ学校なら、ある程度は目を配れますが、現状ではとても手が回ら
ない。他を当たってください」
 腰を上げかけた十文字。彼の右腕を、早惠子の細い指が掴み止める。
「待って。話を最後まで聞いて頂戴。ずっと警護して欲しい訳ではないのよ。何も起こ
らない内から、犯人――フラキを見付けてと頼むつもりもない」
「ではどうしろと」
 座り直し、肩をすくめる。すると、相手はピンク色の封筒を取り出した。
「フラキを名乗る差出人から、こんな手紙が届いたの。切手が張ってないから、直接、
郵便受けに入れたのかもしれない」
 一旦、破棄しようとしたのか、くしゃくしゃに丸めた痕跡がある。もう指紋には期待
できまい。そう判断した十文字は手紙を手に取ると、ざっと観察した。表には針生早惠
子が宛名として書かれており、郵便番号や住所も記入してある。裏にはフラキとだけあ
った。封筒の口に軽く息を吹きかけ、中を覗くと便箋が三つ折りになって入っていた。
枚数は一枚きりのようだ。早惠子の了解を得て便箋を引き出し、読んでみた。思ったよ
りもずっと短い文面だった。

『おまえの秘密を知っている。
 公にされたくなければ、十月一日午後八時に、下記の住所まで独りで足を運ばれよ。
 指定した日時に姿を現さないときは、秘密を公開するとともに、かねてよりの予告を
実行する。壊れるのは、あなた自身とは限らないことを忠告するものである。 フラ
キ』

 今時珍しく、雑誌や新聞などから切り抜いた文字を貼り合わせて作られている。フラ
キの名のあとに、指定の住所が記されていたが、どこなのかまでは分からない。
 手紙を受け取った当人を見ると、十文字の考えを察したかのように、「うちの高校の
旧校舎があったところよ」と答えた。
「美馬篠高校の旧校舎……ということは、今は使われていない?」
「使われていないどころか、十年以上前に更地になっているはず。だから、行っても何
もないと思うのだけれど」
「その周辺は? 建物があるのか、人通りは多いのか少ないのか」
「詳しくは知らないし、実際に行ったことはないのだけれど、再開発の予定が立ち消え
になったと噂に聞いたわ。だから、寂れてるんじゃないかしら」
 凶行をなすには向いているということか。十文字は顎に手を当て、考え込んだ。
「……腑に落ちない点が、まだいくつかある。徹平を殺した犯人はまだ分かっていな
い。フラキは有力な容疑者になると思う。そのことを、警察に話すつもりは」
「だから、さっきも云った通り。警察に届ける気はないの。少なくとも、脅しの件が決
着するまではね」
「うーん」
「それに、フラキが弟を殺した犯人だとしたら、もう目的を達成してる訳でしょう? 
なのに私達家族を脅してくるなんて、辻褄が合わない」
「それはそうですが……」
 カムフラージュの可能性も検討すべきだろうか。それとも、最前の嫌な予感の通り、
これも含めて全てが何かの罠なのか。
「立ち入ったことを聞きますが、早惠子さん。この手紙にある、あなたの抱える秘密と
は何です?」
「分からない」
 即答した針生早惠子の表情に、くもりはない。何ら隠し立てするようなことはないと
思えた。
「心当たりがないのよ。宛名の間違いかもしれない。でも、聞く訳に行かないし」
「しつこいようですが、何一つ秘密を持っていないんですか」
「莫迦ね。ないはずないじゃない。でも、公にされて本当に困るようなものじゃないっ
てこと」
「おかしいな。それなら、こんな脅迫なんて無視すればよい」
「でもそれは、殺されかねないような文句が書かれてるから」
「そもそも、この脅迫自体、何だか妙な印象を受けたんですがね。『秘密をばらされた
くなければどこそこに来い』と『来なければ命を狙う』という二つの脅しがあって、そ
れぞれ前後の関係になっている。普通、『来なければ秘密をばらす』で完結するものじ
ゃないのか? これだと、フラキの目的は結局はあなたを害することであって、脅迫す
る必要がないんじゃないか? そんな風に思えるのですよ」
「それは……そんなこと云われたって、私が書いたんじゃあるまいし、知らないわ。フ
ラキを掴まえて、聞いてみればいい」
「のりの乾きがまだ完全じゃない」
「えっ、何?」
「この脅迫文の切り抜き、のりで貼り付けてあるみたいだが、まだ完全に乾き切っては
ない感じだ。作られてから、まださほど時間が経っていないような……」
 とぼけた口調で述べる十文字。鎌を掛けてみることにしたのだ。
「念のため、あなたの家を捜索させてもらえませんか。ひょっとしたら、切り抜いたあ
との新聞や雑誌が出て来るかもしれない」
「何を云うの? つまりそれって、脅迫者は私の家族ってことになるじゃない」
「かもしれないし、違うかもしれない」
「そんな」
「僕に依頼するのであれば、まずそこから始めたい。それも今すぐにです。この条件を
受け入れられないのなら、矢張り、依頼をお断りさせていただきます」
「……分かったわ」
 針生早惠子はベンチから立った。
「手間を取らせたわね。この話は忘れてくれていいわ。聞かなかったことにして」
 そう云い残すと、十文字に返事するいとまを与えることなしに、立ち去った。何故
か、駅とは反対向きの方角に。

            *              *

「だめだったわ。話に乗ってこなかった」
 早惠子は電話口で嘆息混じりに云った。相手は無言のまま聞いている。
「謎をちらつかせれば応じると簡単に考えていたんだけれども、甘かったようよ。思い
付きの計画、急ごしらえの小道具では、すぐに怪しいと見抜かれてしまった。特に、切
り抜きの痕跡を指摘されたときは、冷や汗もの」
「やむを得まい。若いとはいえ、彼は名探偵。つきもあるのだろう」
 相手は平板な調子で感想を述べた。本心からの言葉なのか、判断しかねる。
「彼を盾にするつもりだったのに、当てが外れた訳だが、一体どうするね?」
「次善の策――今風ならBプランで行くほかありません。だから……」
「やれやれ。私が行かねばならないのか」
「仕方がありません。決戦の場として指定してきたのが、カップル限定イベントなの
で」
「どういうつもりなのだろう。ホテルで外界とは隔てられた空間とは言え、そのような
人の集まる場に君を招くとは。敵は、君の正体に当たりを付けているのか?」
「恐らく。疑うというレベルを超えていないと、こんな大胆に接触して来ないはず」
「もしかすると、敵側こそ一般人を盾にするつもりなのかもな。こちらは目的のために
は、何ら躊躇することはないというのに」
「無意味、無駄、徒労」
 三つの単語を云う早惠子の口元に微笑が浮かぶ。自分達が好む遊戯的殺人にこそ、無
意味で無駄である種の徒労が含まれていることに気付いたから。
「私達の同好の士を仕留めて回った人物が、今回の敵と同じだとしたら、何故、いきな
り襲って来ず、こうして招待するのかしら」
「探りを入れるため、かもしれないな。君が君の弟と同類なのか否か、敵方は確信が持
てなかったんじゃないか」
「それでは、素知らぬふりを通して、やり過ごすこともできます? 招待に応じるだけ
応じて、何にも知らない芝居をし続ければ、敵は矢っ張り関係ないと思い、何事もなく
帰してくれる、なんて」
「そう甘くはなかろう。こちらから誘いに乗るのなら、最悪を想定して動くべきだ。逃
亡するのなら、徹底して逃亡する」
「でも、私は復讐したい。徹平のためにも」
「理解している。だから協力はする。ただし、万が一にもどちらかが生命の危機に瀕
し、助けようがないと判断したなら、かまわずに見捨てて逃げる。そう決めておく。お
互いのためだ」
「云われるまでもない。了解よ」
 早惠子はもう笑っていなかった。

 針生早惠子との電話を終えた前辻能夫(まえつじよしお)は、自然と身震いをした。
 彼も遊戯的殺人、快楽殺人者の一人である。ただ、実際に人を殺したことは、十年ほ
ど昔に一度きり。専ら、殺人トリックを案出し、他人に提供することで、己の嗜好を満
足させていた。表立った活動をしてこなかった分、その存在を“敵”に察知されにくか
ったのかもしれない。
 そんな裏方である前辻が、再び表舞台に出て来たのは、同好の士が次々に殺害されて
いるからに他ならない。気が付けば、互いに見知っている仲間は、針生早惠子一人にな
っていた。
「彼女にはああいったものの、敵のテリトリーにのこのこ出て行くのは、避けたいとこ
ろだね」
 独り言を口にし、思案顔になる。通話を終えた携帯端末を握りしめたまま、自分の部
屋の中をうろうろと歩き回る。しばらく経ち、部屋の角に置いた姿見にそんな己の姿を
認めて、前辻は我に返った。犯罪計画を考える自分の表情は、こんなにも恐ろしげであ
るのかと、少々驚いた。
 気を付けねばなるまい。他人にこれを見られたら、何事かと訝しがられること必定。
前辻は独り言をやめた。
(こちらから仕掛けて、相手の反応を見るのは、策略としてありだろう)
 狙いを設定し、計画を組み立てに掛かった。

「針生早惠子君。君には死んでもらうことにした」
 前辻がそう持ち掛けると、針生早惠子は彼が期待したようには驚きはしなかった。一
瞬だけ目を見開いたようだったが、あとは淡々としたものだった。
「どのような方法で? それに、どういった目的で?」
 ストレートに聞き返され、前辻は微苦笑を浮かべた。察しがよくて話が早いのはいい
ことだが、面白味に欠ける。
「あまり凝った工作はしない方が、懸命だろう。何しろ、警察だけでなく、殺し屋連中
の検証にも耐えなければならない。シンプルかつ重要そうでない事件ないしは事故に見
せ掛けるのがベストと考える」
「では、交通事故か何かですか」
「いや、交通事故――車だと、事故とはいえ加害者の存在が必要になるからね。高所か
らの転落死がよいと思う」
「高所……ビルとか」
「うん。今、僕の頭にあるのは、ビルの屋上から転落して、下層階の張り出した部分に
叩き付けられて死ぬという形だ。身元が分からない程度に、外見が潰れてもおかしくな
い」
「指紋は?」
「手の方は、ビルの壁面にしがみつこうとした際に、削れてしまったことにしよう。足
の指紋はどうしようもないが、比較できる指紋が残っていること自体、滅多にないだ
ろ? それとも君は、君の足の指紋だと確実に断言できる痕跡を、家の中にでも残して
いるのか?」
「いや、それはない。では最大の問題は、誰を身代わりにするか」
「そうなる。でも、確か君は以前云っていたじゃないか。身近に自分とよく似た背格好
の同級生がいると」
「厳密には今は同級生じゃなく、別のクラスですけどね。宮迫恭子(みやさこきょう
こ)といって、背格好に留まらず、肉付きも似ているし、血液型は同じ。髪の長さも、
あの子が切っていなければ、多分だいたい同じくらい」
「ちょうどいい。どうせ、君も万が一のときは、その宮迫恭子を身代わりにと考え、目
を付けていたんだろう?」
「利用価値はあると思っていたわ」
「利用すべきは今だ。敵陣に乗り込むくらいなら、こちらが死んだと見せ掛けて、敵を
誘き出し、逆襲する方が勝算がぐっと高まる。百パーセントとは云わないがね。ここま
で話せば、君が用意すべき物事も分かるだろう?」
「身元確認を偽装するために、宮迫恭子の毛髪や爪などを手に入れ、私の部屋や学校の
机といった生活圏に、いかにも私の物らしく置いておく。逆に、私の髪の毛などは、丁
寧に取り除いておく。――そういえば、私はどうなるんです? ことが終われば、また
針生早惠子に戻る?」
「うーん、戻ることを願うとは、予想していなかったな」
 前辻は意識してしかめ面を作り、腕組みをした。
「不可能ではないが……そのまま消えてしまう方がずっと楽だろう」
「願ってる訳じゃありません。戻らなくてもいいけれど……十文字龍太郎とは接点を持
っておいた方がいいと考えていたものだから」
「なるほど。彼の存在は、遊戯的殺人のやり甲斐をアップしてくれるね。まあ、いいじ
ゃないか。名探偵は彼だけじゃないし、改めて知り合うことだってできるさ」
「分かりました。残る問題は、一つだけ」
 ウィンクする早惠子に、前辻は意外なものを見る目つきになってしまった。
「何かな?」
「前辻さんの計画にしては、ちっとも遊戯的殺人らしさがないわ」
 なるほど。これは再考の余地ありかもしれないな。
 前辻は笑みを浮かべると、腕を組み直した。

――続く




#483/598 ●長編    *** コメント #482 ***
★タイトル (AZA     )  16/04/29  00:02  (324)
安息日 <下>   永山
★内容                                         16/12/07 04:44 修正 第3版
             *             *

 その光景を見た者がいたとすれば、摩訶不思議な現象に映ったかもしれない。
 夜の闇の中、街灯の光を部分的に浴びて、高校の女子制服姿の人間が仰向けに横たわ
った姿勢のまま、するすると上がっていく。その人物はぴくりともしない。時折強くな
る風に、スカーフやロングヘアが揺れる程度だ。
 天を目指しているかのようだったが、上昇は突然止まった。建物――ビルの屋上の高
さまで来ると、今度は横移動を始めた。屋上の縁に近付いたところで、腕が伸ばされ
た。人の手により、若い女性の身体は空中から屋上の敷地内へと引き込まれた。
 ここで絡繰りが明らかになる。よく見ると、棒――もしくは枠、あるいは台と呼んで
もいい――が女性の身体を支えていたことに気付く。マジックにおける人体浮遊と原理
は同じ。細くて見えづらいが丈夫なワイヤーを数本、女性の身体の背中側から脇を通っ
て前に回し、引っ張る。それだけだ。ただし、上昇のための動力は、ワイヤーを滑車に
通し、人力とスマートヘリによって引っ張り上げていた。滑車は、元々あった広告設置
のための物を利用した。
 若い女性をビルの屋上に引き込んだ人物は、待機していたもう一人の人物にバトンタ
ッチした。あとを継いだ人物は、今し方空中浮遊をしてきたばかりの女性と同じぐらい
の年齢で、矢張り女性だった。
「まだ死んでいない」
 彼女は僅かな驚きを含んだ声で呟くと、注射器を手に取った。


             *             *

「四日前に都内の空きテナントで見付かった女性の遺体、身元判明したって載ってるよ
ん」
 丸めた新聞紙を振りながら、一ノ瀬和葉が僕らの方にやって来た。
 僕らとは、僕・百田と十文字先輩のことだ。場所は校内のカフェテリア。一ノ瀬のお
ば、一ノ瀬メイさんに会うため、放課後ここで待ち合わせすることになっていた。
「一ノ瀬君でも、紙の新聞に目を通すなんてことがあるのかい」
 今の世の中、必要な情報をネットで調べ、集めるという人は多いだろう。が、一ノ瀬
はコンピュータを手足のように使いこなす割に、意外とアナログなところがあるし、古
い物を大事にする傾向もある。同級生ではない先輩には分からないかもしれないが、一
ノ瀬が新聞を読んでいても不思議じゃない。
「あれれ? 前、この事件の第一報を少し気にしてたはずだけど、その様子だと、まだ
知らない?」
 事件そのものは、僕もしっかり記憶している。遺体が見つかったのは、駅にほど近い
雑居ビル。再開発が狙い通りに進んでいないらしく、テナントがいくつも空いていて、
どちらかというと寂しい区画だ。そんな空きテナントの屋根で、女性の遺体が見つかっ
たのだ。
 テナントの屋根なんて書くと、そのテナントが最上階にあるみたいに聞こえるだろう
けれど、実際は違う。件の雑居ビルは、何フロアか毎に階段状になるように作られてい
た。正確な数は知らないが、たとえば一階部分は五部屋、二階が四部屋、三階が三部屋
という風に、上になるほどフロアのスペースが狭くなる設計だ。遺体が見つかったテナ
ントは五階にあり、そこから上は最上階の十階まで直方体を縦に置いた形になってる。
各階の窓は開かないが、十階の更に上、屋上から見下ろせば、五階テナントの屋根が覗
ける訳だ。
「生憎と、今日の夕刊を手に入れる機会はなかったし、ネットにも触れていないから
ね」
「五代先輩も知らせてくれなかったんですね?」
 テーブルにもたれかかるような勢いで着席した一ノ瀬は、念押ししてきた。
 五代先輩は警察一家の生まれで、高校女子柔道の実力者。十文字先輩とは幼馴染みの
仲で、時折、捜査の情報をもたらしてくれる。
「ああ、何も聞いてない」
「じゃあ、ひょっとしたら同姓同名の別人かにゃ? 知ってる人だと思ったけど、写真
が出てる訳じゃなし」
 深刻な状況から解放されたかのように、口調が軽くなる一ノ瀬。その手から新聞が十
文字先輩に渡された。一ノ瀬の云ったページはすでに開いてあり、先輩は受け取ってす
ぐに記事の内容を把握できたはず。
「――信じられない」
 表情が強ばっていた。見た目にも明らかに動揺が浮かんでいる。十文字先輩のこんな
態度は、初めて目の当たりにした。
 僕はここで初めて記事に目をやった。先輩の肩越し、斜め上から覗いてみる。そこに
は、四日前に発見された身元不明遺体が、針生早惠子さんだと特定された旨が書かれて
いた。
 結果、メイさんと会うのは延期になってしまった。

 十文字先輩は熟考の上、自ら動きははしないと決めたようだった。
 あとから知らされたのだけれど、先輩は一週間前に早惠子さんと会っていた。用件の
詳細は教えてもらえなかったが、掻い摘まんで云うと早惠子さんから身辺警護を依頼さ
れたらしい。しかし真実かどうか疑わしいとの理由で、依頼を拒否した。
 そのことが、この殺人に直結したのかどうか、定かではない。表面上の出来事を素直
に解釈するなら、十文字先輩が警護を拒否したことで、早惠子さんは殺されやすい立場
に置かれ、実際に命を奪われた、となるが……ここに来てまだ、高校生探偵は旧友の姉
を全面的には信じていないのだ。
 全てが罠だとすると、こちらから動くのは得策でない。そういった判断により、早惠
子さんから警護を頼まれた事実を、警察にすら話さないと決めた。
「無論、二つのグループの抗争により、殺害されたという目もある」
 先輩は二人でいるとき、そう説明した。
「以前に話したのを覚えているか? 遊戯的殺人を好んで行う連中が、逆にここ最近で
何名か殺されている。もしかすると、殺人を職業的に行う連中、要は殺し屋が遊戯的殺
人者を邪魔な存在として片付けているのかもしれないと。今度の針生早惠子さん殺しが
本当なら、殺し屋に始末された可能性はある。確証のない、単なる仮説だが」
 もしそうだとすると、早惠子さんが助けを求めたのも、事実、殺し屋を恐れていたか
らとなる。
「でも、そう易々とやられるものだろうか? 前触れなし、不意打ちを食らうのなら話
は違ってくるが、“同好の士”が殺されたことを知っていたはずだし、脅迫文まで受け
取ったのだから、警戒したに違いない。人殺し仲間が皆無だったとも思えない。だから
――だから僕は、この件は遊戯的殺人者側の策略だとみている。下手に動いて流れを壊
すよりも、しばらく静観して、両者をあぶり出すのが得策だ。その上で、誰も犠牲が出
ないのが最善だが、それは高望みかもしれないな」
 こうして、パズルの天才にして名探偵の十文字龍太郎は、一時的に手を引くことを宣
言した。

             *             *

 八神蘭は通常、調査などしない。巡ってきた依頼をこなすだけだ。もちろん、仕事の
現場において、移り変わる状況に即して判断が必要となることは多々あるが、それを調
査とは呼べまい。
 だから今回は特別だ。仲間内のネットワークを通じて、ある人物の正体を探り出すこ
とを込みで始末を頼まれ、引き受けた。引き受けたのには理由がある。そのターゲット
が、自分の周辺にいると予想できたし、正体を隠したままターゲットに接近すること
も、他の者と比べて八神なら容易に可能だったから。
 そもそも、この面倒事の発端は、殺し屋側にいた万丈目が、遊戯的殺人に手を広げて
しまったことにある。趣味に走るのなら走るでこっそりやればまだ見逃せたが、万丈目
は大っぴらにやった。彼自身が利用する電車の沿線でばかり被害者を物色していては、
いずれ警察に捕まるのは火を見るよりも明らか。逮捕された万丈目の口から、殺し屋の
情報が漏れる危険性があった。その恐れを断つためにも、万丈目を早急に処分する必要
があった。その刺客として白羽の矢が立ったのが、八神だった。万丈目の表の職業は高
校の教師。八神は学生に化けることで――いや、化けなくても現役の高校生なのだが―
―、簡単に万丈目へと接近でき、目的を達成した。
 その過程で、高校生探偵を気取る十文字龍太郎や一ノ瀬和葉、音無亜有香らを知っ
た。十文字の周辺を観察していれば、他にも遊戯的殺人者が網に掛かるかもしれない。
そんな目算は、見事に当たった。針生徹平を始めとする“該当者”について、八神は仕
事仲間に知らせた。誰が始末したのかは聞いていないし、興味はない。
 現在、八神の関心は針生早惠子に向いていた。弟に次いで姉までも遊戯的殺人者であ
るなら、一度に片付けるべきだったと思うが、今さら悔いても仕方がない。少し前まで
確証がないどころか、針生早惠子は全く尻尾を出していなかったのだ。針生徹平が死
に、さらに鎌を掛けられたことで、ようやく隙を見せたと云える。
 前辻能夫と接触を持ったことは、既に把握していた。この男もまた、遊戯的殺人者の
嗜好を直隠しにして生きてきたようだった。殺し屋の側でも、前辻とつながりのある者
は何人かいた。依頼された殺しの実行が困難なとき、金と引き替えにうまい方法を案出
してくれるのが前辻だった。いつの頃から遊戯的殺人にまで手を染めるようになったの
かは、判明していない。
(前辻の方は、始末するには惜しいという声が上がっているが……こちらの身に危険が
及ばぬ限り、私も前辻には手出しすまい)
 方針は決めている。ただ、一線を越えたかどうかの基準はフレキシブルだ。あまりが
ちがちにラインを設け、いざというときに命を落としては元も子もない。臨機応変、柔
軟に対処できる必要がある。
 八神はふと、思考を止めた。目を付けていた人物がアパートから出て来たのだ。張り
込みを開始した時点から、神経を研ぎ澄ませていたが、雑多な思考をやめることで更に
磨きが掛かる。信条を異にするとは云え、敵もまた殺しのエキスパートであることは間
違いのない事実。油断禁物である。
 八神は追跡を五分ほど続けた。ひとけが全くない路地に入り込んだ時点で、一層、緊
張感を高めた。
 正直云って、あとを付けている相手は、さほど怖くはない。相手――前辻能夫の実技
は、八神のレベルに全く達していない。恐れるとしたら、前辻の助っ人だ。現れるかも
しれないし、現れないかもしれない。この場に助っ人が来たとして、いきなり襲ってく
るか、どこかで観察をするかも分からない。
 一本道の先に、神社が見えた。時刻は夕方に差し掛かり、辺りは暗くなってきた。
 八神は自ら動くことにした。
「前辻能夫」
 いつでも最終手段が執れる体制を整えた上で、相手の名前を呼んだ。距離は十メート
ルほど。
 前辻は背中をぴくりとさせ、足を止めた。振り返らない。
「前辻さん。申し開きがあれば聞こうと思う。このあとどうなるかは、そちらの気持ち
次第だ」
「君の名前は?」
 乾いた声で質問が来た。まだ背を向けたままだ。それを知っていながら、八神は首を
横に振った。
「残念ながらその要望には添えない」
 万が一に備え、日常的にしているソバージュを解き、化粧で年齢を高く見せ、靴は若
干上げ底にした。突発事に対処できるだけの動きを確保しつつ、変装をしたのに、あっ
さり名前を明かせるはずがない。八神は話を戻した。
「早く意思表示をしてもらいたい。人が通り掛かると、面倒になる」
「君は……普通の人ではないのだね?」
 ここでようやく振り返った前辻。色つきの丸眼鏡を掛け、無精髭を生やし、頬はやや
こけている。手足が長いせいか、痩せて見える。実際、血色はよくないようだ。
 八神は前辻の大まかな問い掛けに、黙って首肯した。
「話のしやすい場所に移動する気はないのか、あるのか?」
「待ってくれ。まず、一つ教えてもらいたい。針生早惠子君を知っているか?」
「知っている」
 その件で来たのだとまでは答えないが、恐らく前辻も察知しているであろう。
「彼女と連絡が取れなくなっているのだが、君達の仕業か?」
「これはおかしな話を。あなたが彼女の死を演出したのでは」
 八神は敢えて意地悪く尋ね返した。
「そう。その通りだ。彼女の死を演出しただけで、本当に殺してなんかいない。死んだ
のは、別の女子高生のはずなのに……連絡が取れない」
「……」
 どうやら前辻は計画を立てただけで、現場には立ち会わなかったようだ。八神はそう
推測した。
 似ているからというだけで殺されかけた宮迫恭子を助け、代わりに針生早惠子を葬っ
ておいた。前辻の計画通りに、ただ死んだのが宮迫恭子ではなく、本物の針生早惠子だ
ったというだけのこと。
 尤も、宮迫恭子を救えたのは偶々運がよかったに過ぎない。八神達のグループからす
れば、針生早惠子の処分が目的で、あとは取るに足りないことだ。ただ、無駄な死を防
ぐチャンスがあれば、積極的に動く。遊戯的殺人の否定につながるからだ。殺し屋が人
命救助をすることがあっていい。
「針生早惠子は、もうこの世にはいない。前辻さんの計画は途中で座礁した」
「……そうか。それで君は、私も始末しに来た訳だ」
「さっきも云った通り、どうなるかはそちら次第。あなたの立案能力を買っている者
は、こちら側にも結構いるということです」
「なるほど」
 前辻の表情に、安堵の色が少し浮かんだようだ。陽光の具合で分かりにくいが、希望
を見出したに違いない。
「ありがたくも勿体ない話だが、果たしてどこまで信用できるのだろう? 確か、万丈
目と云ったかな? 彼は元々そちら側の人間だったが、趣味に走ったばかりに始末され
たと聞いている。彼に、申し開きのチャンスを与えられなかったのか?」
「あれは、大っぴらにやり過ぎた。早急に片付けなければ、我々全体に悪影響が及びか
ねなかった。私が云うのもおかしいだろうが、そちら側の連中にも助かった者がいるの
ではないか」
「理屈は通っているという訳だな」
 そう答えつつ、考える風に首を傾げる前辻。何かを待っている様子ではない。軍門に
降るべきか否か、真剣に検討しているように見える。
「条件を出せる立場でないと分かっているが、敢えて云わせてもらいたい」
「――決定権は私にはないが、聞くだけ聞こう」
 人目を気にせずに話せるよう、場所を移したいのだが、前辻の警戒心はまだ完全には
解けていないらしい。なかなか動こうとしない。
「ある人物に関する情報を持っている。そちらにとっても重要な情報だ。それを手土産
に、この前辻の地位をある程度高いものにしてくれると保証してもらえないか」
 そのような権利は自分にはないし、興味もない。そもそも、一流企業のようなきっち
りと体系だった組織が作られている訳ではないことぐらい、前辻自身承知のはずだろう
に。
「ある人物とは誰?」
 それでも現時点で相手から引き出せる情報は得ておこう。八神は聞いた。
「そちらから云わせれば、遊戯的殺人者の親玉、かな。不可能犯罪メーカー、冥府魔道
の絡繰り士」
「冥、ですか」
 噂に聞いたことはある。文字通り神出鬼没の怪人物で、冥の仕業と思しき犯罪が日本
各地で起きている。ほんの一時期、隣の幌真市で立て続けに殺人を起こし、人前にも姿
を現したが、捕まることなくすぐにいなくなったという。遊戯的殺人者の親玉とはぴっ
たりの呼称で、冥は中でも劇場型犯罪を好む傾向があるらしい。不可能犯罪を大衆に披
露する、そんな感覚なのだろうか。
「前辻さんは冥と会ったことがあると?」
「二度だけ。電話でも二度ほどある。ただ、こちらからつなぎを取るのは無理なんだ。
でも、いくらか時間をもらえれば、より詳しい情報を手に入れられる。正体を掴むのは
厳しいが、冥が次にどこで何をやらかそうとしているか、とかなら」
 八神は沈思黙考した。魅力的な話である。冥を捕らえるか殺すことが叶えば、遊戯的
殺人者達は勢いを失うだろう。結果、殺し屋の仕事もやりやすくなる。遊戯的殺人者の
側に寝返っていた面々も、戻ってくるかもしれない(同業者が増えすぎるのは、八神と
しても歓迎したくないが)。
「今、冥について知っていることを、全て話してもらいたい。情報を持ち帰って、上に
諮るとしよう。それができないのであれば、これから一緒に来てもらい、直接話すか
だ」
 八神が提案すると、前辻は表情を曇らせた。いや、最早辺りは帳が降りつつあり、相
手の顔はほとんど見えない。気配や雰囲気で感じ取っただけである。
 やがて前辻は、決断を下したかのように気負った声で云った。
「冥の声を録音したディスクがある。それを取りに行きたい」
「ならば、同行しよう」
 八神が歩を進めると、前辻は後退した。
「だめだ。まだ完全に信じ切れていない。音声データの他にも、もう一つ手掛かりがあ
る。それも同じ場所に隠してあるんだが、自宅ではない」
「隠し場所を知られたくないということか」
 八神はつい、舌打ちした。ここで無理強いしても、埒は明くまい。かといって、前辻
を一人で行かせるのも不安要素が多い。逃げられでもすれば、その失敗はいつまでも八
神のプライドを傷付けるだろう。
「――前辻さん。もしあなたが約束を違え、戻ってこなかった場合、あなたが冥を我々
に売ろうとしたことを、冥に知らしめる。冥はネットのチェックを欠かさないそうだか
らな。ネット上に噂を流せば、じきに冥は把握する。噂の真偽がどうであろうと、冥は
あなたをただではおくまい」
「……かまわない。そうだな、午後八時にこの場に戻ってくる。まだお疑いなら、味方
を大勢引き連れてくればいい」
 どうにか合意にこぎ着けた。普段、し慣れていないことをやると、肉体的にも精神的
にも強く疲労する。八神は改めて実感した。

 だが、前辻能夫は二度と姿を現さなかった。

             *             *

 体育祭のリハーサルを終え、僕らは街のファミリーレストランに来ていた。先延ばし
になっていた、一ノ瀬メイさんとの再会を果たすためだ。
 約束の時間にはまだ早いが、先に来て好きな物を食べていていいとメイさんから云わ
れていたので、遠慮なく注文する。
 僕らというのは、前と違って今日は四人に増えている。僕・百田と十文字先輩、一ノ
瀬和葉に、音無亜有香が加わった。
「ご心配をお掛けしましたが、どうやら体育祭には間に合いそうです。一ノ瀬の順位に
関係なく」
 そう報告すると、先輩は嬉しそうに目を細めた。本当に心配してくれていたんだと、
改めて分かる。ちらと横の席を伺うと、音無も同様に安堵の笑みを浮かべていた。憧れ
の女子にこんな反応をされると、天にも昇る心地になる。いやまあ、純粋に心配されて
いただけなのだが。
「朝一番に復活宣言を聞いちゃったから、気合いが入らなかったよん」
 一ノ瀬がこう言い訳するのは、もう何度目だろう。予行演習での徒競走で、彼女は結
局五位になった。七人中の五番目だから、一ノ瀬としては大健闘と云えるかもしれな
い。
「ところで十文字先輩。しばらく探偵を休んでる間に、大きな事件が起きましたね」
 僕が話題を振ると、しかし先輩は特に気のない風にふんふんと頷くばかりだった。
 高校生名探偵を自認する先輩が、あの事件に興味を抱かないはずがない。にもかかわ
らず、今のような反応をするのは、針生早惠子さんの事件が影を落としているのだろ
う。十文字先輩はまだ、早惠子さんが殺された件に関して、何ら行動に移していない。
少なくとも、僕の知る範囲では。
「多分ニュースで見た事件だと思うが、詳しくは知らないな。百田君、話してくれない
か」
 音無に促され、掻い摘まんで伝える。
 その殺人事件が起きたのは三日前。被害者は男性で、午後四時から同六時の間に死亡
したと推定されている。発覚は同じ日の午後八時十五分で、身元や死因はまだ判明して
いない。年齢は三十から四十辺り。手足が長く、やせ形だが、胴回りは結構だぶついて
いた。肌に日焼けが見られないことからも、あまり出歩かない生活をしていたと考えら
れている。
 重要かつ名探偵が興味を惹くであろう事柄は、その死に様だ。端的に表現するなら、
遺体はばらばらにされていた。頭、両腕、両足、胴体に切断され、更にそれぞれが二つ
に切り分けられていた。頭は左右に割られ、右腕は手首から、左腕は肘から、右足は膝
から、左足は踝から、そして胴体と腹部に切断されていた。都合十二の部位に分割され
ていたことになる。
 発見された場所も異なっており、頭部は私立大学に隣接する学生寮の駐車場に無造作
に置かれ、腕はスポーツジムの裏口にある青のごみバケツに放り込まれ、足は商店街に
ある古着屋の試着室に立て掛けられ、胴体は山道のすぐ脇に積み重ねられていた。いず
れも防犯カメラのない場所だった。
 不可解な点は他にもある。死亡推定時刻に入っている当日午後四時頃、市内で被害者
の目撃情報が複数出ているのだが、距離を考慮するとあり得ないほど離れているとい
う。ワイドショーの解説によると、目撃場所と遺体発見場所は最大で車で五時間を要す
るほど離れているとか、同じ時間に二箇所で目撃されているとか、俄には信じがたい話
が出回っている。
「――聞きかじっていた以上に陰惨な事件だ。まともな理由があって起こした殺人なの
だろうか」
「さあ。僕に問われても……」
 十文字先輩に目をやると、多少は興味を持ったらしく、一ノ瀬に何やら検索を頼んで
いた。端末を触る一ノ瀬が、何らかの結果を表示し、先輩の方にその画面を見せる。
と、そのとき、一ノ瀬がひょいと首を伸ばし、レストランの出入り口の方を向いた。
「来た! メイねえさん、こっちこっち!」
 遅れてドア方向に視線をやると、一ノ瀬メイさんの姿があった。白のTシャツに緑と
黄のタンクトップを重ね着し、下は細いジーンズが足の長さを強調している。確かに目
立つ人だが、出入り口に背を向けていた一ノ瀬和葉がいち早く気付いたのは、さすが親
戚、血縁のなせる業と云うべきか。
 挨拶のあと、「相変わらず、お綺麗ですね」と云うべきかどうか僕が迷っている(音
無がいるから)と、当のメイさんが「相変わらず――」と口火を切ったので、びっくり
した。
「相変わらず、殺人が多いようだね、君らの周りには」
「ええ」
 十文字先輩が居住まいを正した。メイさんは音無からメニューを受け取りながら、十
文字先輩の話を待っている。程なくして、先輩が尋ねた。
「殺人事件が多いことと関係しているかもしれないんですが……メイさんは何か噂を聞
いていませんか。職業的殺し屋のグループと遊戯的殺人者のグループが争っている、と
いうような」
 メイさんはちょっと唇を尖らせ、検討するかのように二、三度首を縦に振った。それ
からウェイターを呼んで、注文を済ませた。ウェイターが立ち去ったあと、声を潜めて
高校生探偵に答える。
「殺し屋のグループについてはあまり知らないが、遊戯的というか愉快犯というか、そ
の手の殺人者に関してなら、情報がある」
 お冷やを呷り、続ける。
「そいつは私がずっと追っている相手でもある。腹立たしいことに、名前の読みが私と
同じなんだ」

――終わり




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