AWC 魔法使いはみどり色 1.Top   寺嶋公香



#270/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  06/07/21  23:59  (450)
魔法使いはみどり色 1.Top   寺嶋公香
★内容
「あれ、相羽さん。こんな時間にどうされましたか」
 馴染みになった受付の女性からこんな風に声を掛けられ、相羽は少し照れて、
苦笑いを返した。
「予定がなくなって、急に時間ができたものだから。今、家に帰っても一人だ
し、ここに来れば何かやってるだろうと思って」
 透明な仕切り越しに答えると、相手はにっこりと微笑んだ。白髪の割合や声
の響きから想像すると、結構な歳のはずだが、その割にしわが少ない。
「日頃の行いがいいんでしょうね。お好きそうなのをやっていますよ。次がち
ょうど、今日の最終」
「あの、好きな物はいっぱいありますが」
「もちろん、マジックショーですよ」
「ふうん。有名な人?」
「ううん、あたしは聞いたことないねえ。でも、別嬪さんですよ。ほら」
 何枚か貼ってあるポスターの内、一つを指差す女性。
 黒をバックに、グリーンのラメ調のドレスを纏った女性がトランプ一組を扇
形にして持ち、腕組みをしたポーズで、艶然と微笑んでいる。上にはアルファ
ベットでマジックショーと、下には名塚翠と文字が入っていた。名前の上には
読み方だろう、さらに細字で「Natuka Midori」とある。
(いや……艶然というのとはちょっと違う。うーん、高いところから見下ろし
ているような微笑、かな)
「確かにきれいな人……これって本名? 何だか、ハーフみたいにも見える」
「本名は存じませんけど、プロフィールはドイツ生まれとなっていましたし、
片言っぽい日本語でしたから、当然、ハーフでしょう」
 当然というのは言い過ぎだと思った相羽だが、敢えて声に出しての指摘はし
ないでおく。
「ステージは観た? 感想を聞かせてほしいな」
「ちらっとですけどね。さっきも言いましたが、お喋りが片言で、きれいな顔
に似合わず何だか乱暴なのに、お客には受けるんだから、不思議だわ」
 係の女性は、マジックの演目には触れず、ショーの雰囲気を伝えてきた。相
羽は多少、興味を引かれた。財布を取り出しつつ、話を続ける。
「よさそうだし、観てみる。元々、時間潰しのつもりだしね。席は空いてる?」
「はい。いい席が残ってますよ。それがね、前売りの時点で最前列の席を買い
占めていた大口のお客さんがいたのだけれど、キャンセルが入ったとかで、真
正面以外は戻ってきたのよねえ」
「へえ。じゃ、売り上げに苦労してるんだ? 貢献しましょう」
「ところがそうでもなくて。その大口のお客さん、大量キャンセルのお詫びと
言って、チケット代の返金は不要と申し出てきたんだって」
「はあ?」
 小さな劇場だが、最前列の大半となると、かなりの額になるはずだ。
「よほどの大金持ちじゃないかと噂になったよ。あら、いけない。すっかり井
戸端会議のおばさんモードになってたわ。それで相羽さん、最前列の席になさ
います?」
「ええ。次は何時から?」
 料金表を一瞥し、取り出した札を滑らせながら相羽。チケットと答は同時に
返って来た。
「開場はもうしていますよ。開演は――十五分後ですね。どうぞ、楽しんで行
ってください」
 係の女性は確認の視線を走らせたあと、相羽を見上げてにっこりと営業スマ
イルを浮かべた。
 機械のゲートにチケットを通し、券面に記されたホールCに向かうと、廊下
で煙草を吸ったり、お喋りに興じている人達が結構いる。午後の中途半端な時
間にしては、盛況と言えそうだ。相羽は喫煙コーナーを避け、遠回りをしてホ
ールに入った。
 ホールCはこの演芸場で一番狭い会場だが、その分、舞台と客席の距離が近
く、物理的にも密な空間となっている。舞台に対して客席が極端なすり鉢状に
なっていることからも、クロースアップマジックを見せるのに適しているわけ
だが、名塚翠というマジシャンは、クロースアップマジックを得意としている
のだろうか。それとも単に知名度との兼ね合いで、小ホールになったのか。
 足を踏み入れてみて、相羽は少なからず感心した。客席も、すでにぽつぽつ
と埋まっている。このマジシャンのショーが何日目なのか聞くのを忘れたが、
口コミで評判を呼んでいるのだろうか。ただ、後方の安めの席に比べると、前
方はやや寂しい。真正面など、十五席ほどのスペースに一人しか座っていなか
った。右手で頬杖を――いや、頬杖と言うよりも顎先に拳を当てて肘をついて
いるその男性の表情は、小難しげで堅かった。
(ひょっとしたら、さっき言っていた買い占めのお客さんかもしれない。全部
をキャンセルしたわけじゃなく、一部は手元に残して、いつでも観に来られる
ようにしている……)
 相羽はそんな風に想像した。最前列、舞台から見て右側の席に収まり、改め
て後ろを振り返る。
(でも、そこまでしなくたって、ふりで入っても楽にチケットを買えそうな気
がする)
 やがて開演時間になった。短いアナウンスのあと、場内の明かりが落とされ
た。舞台がスポットに照らされ、浮かび上がる。
 舞台上にはマイクスタンドの他に、一本脚のテーブルがあるのが分かる。背
は高いが、安定性はよさそうだ。テーブルの上には、茶色の蔦で編まれたバス
ケットが一つ、置いてある。蓋付きだが、片側は開け放してあった。
 と、いきなり、だだだだーん、というメロディが流れた。俗に言う「運命」
の出だしだが、音使いがどことなくコミカル調にアレンジされている。
 ほとんど間をおくことなしに、主役の名塚翠が姿を見せた。照明の効果なの
だろうか、ポスターよりもさらに見栄えのするその美人は、拍手を受け流しな
がらステージ中央まで、楚々とした足取りで進み出た。BGMが静かな曲にな
り、演者は挨拶代わりのマジックを始める。
 緑色のドレスが似合う彼女は、前で重ねていた両手を肩の高さまですっと上
げると、左右の五指をそれぞれ広げ、手のひらに何もないことを見せた。そし
て手首を軽く上下させた、と思った次の瞬間、指と指の間にトランプのカード
が現れた。それも、左右四枚ずつの計八枚。左手にはハートの、右手にはスペ
ードのエース、キング、クイーン、ジャックが反り返った状態で収まっている。
(一枚ずつ出していくのがセオリーだと思っていたけど。まさか、失敗?)
 相羽のそんな懸念をよそに、舞台上の女性マジシャンは平気な顔つきで――
いや、むしろにやりと意地悪く微笑んだような――指を器用に動かし、手元の
カードをひとまとめにした。それをテーブルに置くと、同じ段取りで新たに八
枚を指の間に出現させる。今度はクラブとダイヤのエース、キング、クイーン、
ジャックだ。
 相羽は、さっきのが失敗ではないと理解し、さらにその手並みと素早さに拍
手を送った。
 名塚は、新たに出したカードをこれもまたまとめると、先程テーブルに置い
た物を取り上げ、一つにした。扇形に広げると、絵札とエースの組が四枚ずつ、
色違いに並んでおり、なかなか鮮やかだ。
 名塚はその扇を胸元で広げたまま、その場でくるりと一回転した。正面に向
き直った彼女の手の扇は、八人のジョーカーになっていた。名塚は再び意地悪
げな微笑を浮かべると、それをぱらぱらとバスケットの中に落としていく。
 次の瞬間、スイッチが入ったかのように、バスケットから大量のカードが噴
き出した。トランプのシャワーが収まると、名塚はバスケットを傾けて客席側
に中を見せた。何も入っていないように見える。
 盛んな拍手を浴びた名塚は少し前に出て、マイクを掴んだ。スイッチを入れ、
気取った手つきで構える。
「名塚翠のマジックショーによく来たです、お客様ども」
(お、お客様“ども”? それに、「来たです」って……)
 これは聞き違えたんだろうと考えた相羽。ただ、他の客の反応の多くが笑い
声と拍手だったのは、引っ掛かった。聞き間違えたとしても、大勢の笑いを誘
う秀逸なジョークだったようには思えない……。
「忙しいわたくしが、おまえ達暇人のためにマジックを見せてやるです。感謝
しやがれです」
 二度目の台詞で、相羽は得心した。この女性マジシャンは、こういうキャラ
クターなのだ。しかもそれが大いに受け、人気につながっているらしい。そう
考えれば、最前からちらほらと覗く、彼女の小悪魔的な笑みも、多分、演出な
のだろうと思えた。
(一見、お嬢様風で乱暴な口調、か。狙ってるなぁ)
 どこがどういいのか説明しろと言われれば返答に窮するだろうが、ミスマッ
チ感が一捻りしたユーモアにつながっている。日本では本来、受けないタイプ
と思われるが、彼女のこの人気ぶりは目新しさ故か、客層が様変わりしたのか。
 いつもの癖で、ちょっと分析を試みた相羽は、再びステージに意識を集中し
た。それを待っていたかのように、マジックも再開する。
 名塚翠は腕まくりをするとバスケットに片手を突っ込み、よいしょという動
作とともに、何かを取り出した。
 ――如雨露だった。
 薄い水色をしたそれは、大きさは彼女の腕二本を並べた以上あろう。一見す
ると、とてもバスケットに収まるサイズではないだけに、場内は不思議さで満
たされた。
 彼女は空いている手で、バスケットからガラスのコップを取り出すと、そこ
へ如雨露から水を注いだ。紛れもなく、透明な普通の水に見える。
「マジックを見せられて早々と熱の出たへっぽこ頭の持ち主がいたら、前に出
て来るがいいです。水を掛けて冷やしてやるです。ただし、着替えは自分で用
意しとくこと――そんな準備のよい者はいない? じゃあ、仕方がありません。
次のマジックに移るです」
 と言って、いきなり如雨露の先を客席に向け、右から左へ一振りした。相羽
を含めて前方五列目辺りまでの客が、一斉に身を縮める気配が広がる。でも、
水は一滴も飛んで来なかった。
 舞台上に如雨露をぽいと放り出した名塚は、みたび、例の意地の悪い笑みを
見せながら、「今日も大勢、引っ掛かったです」と満足そうにうなずいた。
(びっくりした……。でも、あの真正面に座ってる人だけは、微動だにしなか
ったな。やっぱり、買い占めのお客さんで、一応、毎日観に来てるのかな)
 その後、名塚翠は一組のカードをケースごと取り出し、コップの水に浸した
かと思うと、消失させた。
 次いで、魔法の種だと言って、本当にそこにあるのかどうかすら分からない
ほど小さな種を胸元から取り出す動作をし、バスケットの内側にぱらりと蒔い
た。それからおもむろに、コップの水をバスケットに注ぎ込む。無論、水がバ
スケットから染み出すようなことはない。
 名塚は左右の指十本をバスケットに向け、妖しげに動かしながら、「わたく
しと契約せしマジックの精霊よ、!”#$%&’」と、呪文を唱え始めたが、
すぐにじれた様子になって、「あぁ、面倒くさい。いつものようにやるです、
精霊!」と一際大きな声で命じた。
 同時に、バスケットの中から木の先が覗き、あっという間に五十センチほど
伸びた。その細い枝々には、トランプのカードが実っている。
 からくりめいた仕掛けがバスケットにあるというのは容易に想像できる。だ
が、一つ前の演目からのつなぎがスムーズで、観ていても楽しい。
 ここで一息ついた名塚は、バスケットの載ったテーブルや如雨露を、スタッ
フに片付けさせた。劇場のスタッフ相手になると何故か、深々とこうべを垂れ、
「毎回毎回、ご苦労様ですぅ」と愛想がいい。態度の違いによるコントラスト
が、また笑いを誘った。
 そのスタッフらによって、新しくステージに運び込まれたのは、茶色の土台
に緑色をした天板の四角いテーブルで、今度は四本脚とがっしりしている。上
にはトランプのケースが一つ。マジックによく使われる、バイシクルの柄だ。
「ここからは、カードを使ったクロースアップマジックをメインに、ご披露し
てやるですから、目玉を見開いてよーく見るがよろしい。ああ、一つ、親切に
もご忠告申し上げてやるです。くれぐれも、わたくしの手の美しさに見とれな
いように」
 右人差し指を立て、振ってみせると、名塚はウィンクをした。元々美形だか
ら、仕種だけでも充分に魅力的だ。特に男の観客へのアピールは絶大だろう。
そういえば、本日の客層も男性が圧倒的に多い。
「と、その前に、わたくしの忠実なるしもべ、基、手伝いをするお客様どもを
何名か選ぶ必要があるでした。予め言っておくと、空気を読めないすっとこど
っこいはだめです。では――」
 マジシャンの手に、黄色のリボンでできた花が現れる。
「この花を受け取った人が、わたくしの今日、最初のお手伝いになるです。あ
りがたく受け取れ!です」
 言い終わるや否や、くるっと背を向け、肩越しにリボンの花を放り投げた。
 相羽から見て遠いサイドへと放物線を描いて行く。真ん中に座る例の男性が、
慌てたように立ち上がり、左手を伸ばす姿が目にとまる。
(毎日来てるのは、ひょっとして、お手伝いをしたいから?)
 思わず、くすっと笑いそうになる。
 サラリーマン風できちんとした身なり、外見も人がよさそうで、小太りだが
いわゆるマニアという雰囲気は全くない。そんな極普通の男性が、必死になる
様子がおかしかった。開演前のあの興味なさそうな態度とのギャップも、どこ
かおかしかった。
 黄色いリボンの花は結局、小太り男性の手の向こうを飛んで行き、学生らし
きカップルの間に落ちた。二人して、ひそひそと譲り合っている。
「ああ、じれったい。どっちでもいいから、早く前まで来なさいっ!です」
 マジシャンに急かされ、男の方がひょこひょこと出て来た。背が高く、足も
長いが、顔は丸くて愛嬌がある。
 名塚は彼を舞台に上げると、リボンの花を取り返してから、向き合う形で聞
いた。
「下の名前を言いなさいです。プライバシーを気にしないんなら、フルネーム
でもご自由にです」
「あ、ヒトシです」
 片手を後頭部にやりながら答える彼は、どことなく赤面しているようだ。照
明の具合ではなく、美人を前にしているかららしい。
「それではお手伝い一号――」
 名前を聞いておきながら、そんな呼び方をする。相羽はとうとう、声を立て
て笑った。
「――ここに一組のトランプがあるです。すでに順番はばらばらになっている
のを、その節穴の目で確かめるがいいです」
 ケースから取り出したカードを、テーブルの上で横にスライドさせて全体を
示す名塚。彼女の言葉通り、ばらばらになっているようだ。
「確かめました」
「よろしい。では」
 名塚はカードをまとめると、裏向きの状態で左の手のひらに載せた。そこへ
右手の人差し指を宛がう。
「こうやって弾いていくですから、好きなところでストップ!と言って、止め
る。それがお手伝い一号の役割です」
「はあ、はい」
「始めるです」
 ぱらららっと弾かれたカードは、あっという間に最後の一枚まで行ってしま
った。「あ……」という感じで口を半開きにするヒトシに対し、名塚は唇を尖
らせた。
「早くストップと言わないから、終わってしまったです、このおたんこなす!」
 ひとしきり罵倒したあと、もう一度やるから今度は遅れないようにと念押し
する。
「さあ、よく見て――」
「ストップ!」
「まだ弾いてないです!」
 名塚はその場で二度、床を踏み鳴らした。きい!という声が聞こえてきそう。
 そして俯いたかと思うと、やおら面を起こし、
「このぉ、役立たず!」
 と叫んで、持っていたカードをヒトシに向かって投げつけた!
 ――と思いきや。
 カードは一枚目から順序よく宙に飛び出し、反射的に両腕で防御の姿勢を取
っていたヒトシの手前で、弧を描いて床に落ちていく。その動きは、階段を降
りていくバネのおもちゃ、トムボーイに似ている。電気デック(エレクトリッ
クデック)と言って、全カードの縦の縁と縁とがつながった手品用ギミックだ。
「おっほっほっ、引っ掛かったです! 節穴と言われても仕方ありませんね、
ヒトシの目は」
 高笑いを終えると、名塚は「ヒトシのためにではなく、他のお客様どものた
めに、最後のチャンスを与えるです」と言い、今度はゆっくりとカードを弾い
た。ヒトシがストップを掛けると、名塚も弾くのをやめた。止めたところを境
に、カードの表が相手に見えるように立てた。
「これを覚えるです。わたくしが奥を向いている間に、他のお客様どもにも見
せて、覚えてもらうように」
 カードはダイヤの8。それを手に取ったヒトシは、指示された通り、観客へ
向けて右から左へと、ゆっくりと腕を動かした。それだけでは心許なかったの
か、左から右へも同じようにやる。
「もう覚えたですか? あとで聞いたとき、忘れたなんてふざけたことをぬか
すと、許しませんですわよ」
 殊更に物騒な物言いをして、名塚は振り返った。そして、手元に残していた
山の好きなところへカードを戻すよう、ヒトシに命じる。ヒトシは自分の前に
着き出された山の中程に、ほとんど無造作にカードを差し入れた。およそ三分
の一が、まだはみ出ている。
 名塚はそのまま、手のひらを立ててみせ、カードが山に間違いなく入ってい
ることを示した。それからまた手のひらを戻し、カードの端を揃える。これで、
選ばれたカードがどこに入れられたのか、全く分からなくなった。
「さて、節穴節穴と言ってきましたですが、それは何もこのヒトシばかりのこ
とじゃないです。お客様ども全員の目が節穴であることを、証明してやるです」
 名塚は言い放つと、右手でカードの山をしっかり握り、腕をついと前に伸ば
した。「よく見るがいいです……」と一段低い声で続けながら、器用な手さば
きで、トップ――山の一番上のカードを跳ね上げ、ひっくり返した。
 ダイヤの8だ。
 ついさっき、お客の手によって真ん中に差し込まれたはずのカードが、いつ
の間にやらトップに浮上してきたことになる。
 ざわつきの中、名塚は「もう一度やるから、今度こそよく見て、カードを追
い掛けるようにするです……無理に決まってますけど」と、ほくそ笑んだ。
 そこからしばらくは、名塚の宣言した通り、観客の目が節穴であることの証
明に費やされた。ダイヤの八は、名塚自身の手で山の中程に戻しても、ヒトシ
が再び、今度は慎重さを持って戻しても、やはりトップに現れる。何度かシャ
ッフルしても、同じようにトップに来たし、名塚が「次は一番下に来たです」
と言えば、実際に一番下のカード――ボトムカードになっていた。
(ダブルリフトとサイドスチール……かな、多分。テクニックにも目を見張ら
されるけれども、それに負けず劣らず、話術が優れている。あのお喋りで、み
んなの視線や注意を巧みに誘導している)
 相羽も分かった風なことを思ってはいるが、それは一連のマジックを見届け
たあとだから言えること。演じられている最中は、鮮やかな現象に見とれてし
まっていた。
「まったく、お客様どもはだめだめですねぇ。特定の一枚を目で追うから、失
敗するです。全体を見ていれば、答は簡単なのです。ほら、この通り」
 最後に名塚がカードを扇に広げると、それらは全てダイヤの8になっていた。
(おお? まさか、ダイヤの8が複数枚あるカードを最初から使っていたとは
思えない。すり替えたとしても、いつの間に……?)
 何度目かの拍手喝采に、名塚はようやく?満足げな微笑を浮かべ、応える。
カードをテーブルに置き、「彼にも拍手をするです」とヒトシに対して、手を
叩いた。口は悪いが、なかなか好感の持てる態度だ。
 と思ったのも束の間、ここからしばらくトークに入り、「お客様どももお手
伝いも節穴揃いで、と〜っても楽です。寝耳に水を入れなくてもびっくりして
くれるのは、日本人ぐらい。だ・か・ら、日本は世界から嘗められるです」と
言いたい放題。舞台を右に左に歩き回りながら、演説は続く。
「かく言うわたくし、マジシャンとして世界中を回って来たです……細々と」
 小声で最後に付け足すそのタイミングと気恥ずかしそうな表情が抜群で、再
び会場の笑いを誘った。名塚は地団駄を踏んでみせながら、
「有名になったら、おまえ達日本人の前でできなくなるかもしれないのだから、
ありがたく思え!です」
 と言い放つ。するとここで何故か、会場の一角から拍手が沸き起こった。併
せて、「マジックを見せてくれて、ありがとー」なんて声援まで。
 何事かと首を捻った相羽だが、舞台上の女性マジシャンを見て、理解した。
「う、うるさいです。話の腰骨を折るなです。あんた達のためにマジックをや
ってるんじゃないですから!」
 つまり、この掛け合いもまたお約束なのだろう。事実、会場はいっそう盛り
上がっている。
(こういうやり取りが成り立つぐらいだから、結構、固定ファンは付いている
んだ。今日、帰ったら調べてみようっと)
 心のメモ帳に覚え書きをしておく。尤も、そんなことをしなくても、充分に
印象づけられているのだが。
「どこまで話したか忘れてしまったです……そうそう、色んな国を回ってみて、
日本と肩を並べるほどやりやすかったのは、イタリアです。あそこの男どもの
目は、美人を前にすると節穴になるですから」
 自分が美人だと言っているも同然だ。
「ただ、ときには情熱的すぎる男もいて、ステージに上がってきて花をプレゼ
ントされたときは、さすがに困ったです」
 両肩を大げさにすくめ、ため息も大きくつく名塚。
「ま、そのときは鬱陶しくなったから、マジックで消してやったです。せいせ
いしたです」
 唇をUの字型に曲げて、きひひ、とでも聞こえてきそうな笑みをなす名塚。
本当にやりそうな雰囲気があるだけに……。
 そんな悪魔めいた表情を引っ込めると、彼女は淡々として言った。
「そろそろ次のマジックを見せてやるです。が、その前に、お手伝い第二号を
選ぶのです。さっきと同じようにリボンの花を投げるから、自分の目は節穴じ
ゃないというお客様ども、受け取るがいいです!」
 口上の最中、手にリボンの花を出現させた名塚は、いかにも思い切り投げそ
うな強い口調で言葉を切った。が、実際の勢いは全く逆。極端な鋭角を描き、
ひょろひょろと落ちて行った花は、真正面最前列付近に落ちた。
(おっと。これで、あのおじさんの念願が叶ったわけだ)
 一度目のことを思い起こした相羽は、左腕をいっぱいに伸ばして拾った花を
大きく掲げ、喜ぶ男性を見て微笑ましくなった。さっきのヒトシの扱いを目の
当たりにして、なおあれだけ喜べるのだから、本当に舞台に上がってみたかっ
たのだろう。
 緩んだ頬をさすり、相羽は“お手伝い二号”の動きを目で追った。舞台袖ま
でくると、言われもしない内からリボンを返し、階段に足をかけようとする。
 その様を見て取った名塚が、意地悪を思い付いた風ににやりとし、「誰が上
がっていいと許可したですか!」と、語気鋭く注意した。
 一歩目をステップに乗せた姿勢で止まった男性に、名塚は一転して静かな調
子で、「下のお名前を名乗るです。それが礼儀です」と促す。
「えーっと、タローで」
 いかにも嘘っぽい、その場で思い付いたような答を意外な美声で言った。名
塚はこれで納得したらしい。「では、お手伝い二号のタロー。舞台に足を踏み
入れるのを許しましょうです」と手招きする。それから、赤青それぞれの箱に
入った二組のカード――やはりバイシクル柄――を持ち、まず、封が解かれて
いないことを確かめさせた。
「ところで、赤と青のどちらが好きですか。さっさと答えるです」
「うーん、青ですね」
「じゃ、青を使うです。赤はこちら、と」
 赤いケースをテーブルに置くと、名塚は手元に残した青い方を開封し、中か
らカード一組を抜き取った。何度かシャッフルしたあと、手の中で表向きに広
げてみせる。カードの順番は当然、ばらばらに。
「これからカードを裏向きに一枚ずつ、テーブルに置いていくです。タローは、
好きなところでストップを掛けるがいいです」
 マジシャンがカードを置き始めて十秒もしない内に、タロー氏はストップを
掛けた。名塚は手を止め、「このカード、今なら変えてもかまわないです。さ
あ、どうする?です」と小気味よい調子で言った。
 タロー氏は左手を顎に当て、しばし考える様子。が、どやされない内にと思
ったか、早口で決断を下した。
「そ、そのままで」
「分かりましたです。このカードは、お手伝い二号、あなたが自らの意志で選
んだ」
 言いながら、手元の山のトップを裏向きのまま、テーブルに置き、選り分け
る名塚。
「一枚前のカードも、一枚後ろも、それ以外も、全て異なるカード」
 選んだカード以外を表向きにしていく。マジシャンの言葉通り、それらは各
各異なる数字、異なるマークを持っている。
「お手伝い二号のあなたが選んだのは――」
 名塚が選ばれたカードをめくろうとしたそのとき、タロー氏が声を発した。
「あ、あの、めくるの、自分にやらせてもらえませんか」
 言いつつ、すでに右手を伸ばしかけている。
(珍しい)
 相羽は口の中でつぶやいた。
(マジシャンの段取りの途中で口を挟む人なんて、芸能人だけと思ってた。ま
さか、あの人、サクラ? でも、それにしちゃ、一度目の花を投げたときから
やけに必死だったし)
 意外な成り行きなのは、当のマジシャンも同様らしく、饒舌が止まっている。
と言っても、それはほんの一秒あまりのこと。
「お手伝いの癖に生意気な。一昨日来やがれです」
「そこを何とか、お願いします。カードに触ってみたくて」
 粘るタロー氏は、左手で拝む格好までした。右手はさっきから同じ姿勢で、
宙に浮かせたままだ。
(……おかしい)
 相羽は疑問を感じると同時に、ここに来たときからのことを思い返した。そ
して結論を得た瞬間、挙手していた。
「その人をお気に召さないようだから、代わりに立候補します」
「――何を言うですか、そこのお客様ども。ハンサムだからって何をしても許
されると思ったら、大間違いのこんこんちきです!」
 頬をひくつかせるのが見えた。彼女のトークは怒り芸の変種だから、本当に
怒って当然の場面では、かえってやりにくそうだ。相羽一人に対し「お客様ど
も」と言ったのも、焦りの表れかもしれない。
 何はともあれ、相手をしてくれたのだから、しめたもの。
「でも、客がカードに触って確かめるというのは、必要でしょう。マジシャン
がめくったら、すり替えられるかも」
「うるさい客です、まったく。じゃあ、このお手伝い二号にめくらせればすむ
話です。目立ちたがり屋のハンサムは引っ込んでるです」
「だめですよ。名塚さんは一度目は後ろ向きにリボンの花を投げたのに、二度
目は前を向いたまま投げた。サクラのタローさんを狙ったのかも」
 これには、おかしな成り行きにざわついていた客席からも、「言われてみれ
ば……」「そうよね」なんて言う声が上がった。拍手する者までいる。
「……一理あるです」
 名塚はふんふんと鷹揚にうなずくと、いきなり、タロー氏を指差した。
「そういうことなので席に帰れ、です、お手伝い二号」
「そ、そんなあ。最後まで手伝わせてください」
「うるさいうるさいうるさい! 御役御免の解雇、リストラクチャリングなの
です!」
 会場は拍手と笑いと歓声に包まれた。いつもとは違う口上が聞けたせいだろ
うか。
 唖然とするタロー氏は、マジシャンからの絶対命令が下ると、歯ぎしりをし
て階段を降りた。両手をズボンのサイドポケットに突っ込んでいる姿は、いい
歳した大人がふてくされているようで、みっともなく映るだろう。
 どっかと座り直したタロー氏が、にらむような視線を飛ばして来たが、相羽
は素知らぬふりをした。
 名塚は両手のひらを下向きにし、ざわつきを静めると、ステージを歩いて相
羽の前で立ち止まった。
「希望をかなえてやるです。ただし! めくる人は改めて選ぶです。馴れ馴れ
しいハンサムもまた、サクラと疑われるですからねっ」
 リボンの花、三度目の登場。名塚は後ろ向きになると、それを高々と放り投
げた。花は相羽の頭上を遙かに超え、中程に座る小学生高学年と思しき女の子
の膝上に落ちた。やや長めのお下げ髪をした、かわいらしい少女である。
 そこからはスムーズな流れに戻った。
 女の子がめくると、カードはスペードのクイーンだった。名塚はテーブルに
ある青いケースを開けてみるようにと、女の子に言った。従った女の子の目が、
途端に見開かれる。
「何か入ってる」
 空箱のはずなのに、中からは幾重かに折り畳まれた白い紙が出て来た。他に
は何も入っていない。
 名塚が再び、「開いて見てみるです」と促す。大人に対するときに比べて、
わずかながらも優しい物腰だ。
「あ」
 紙の天地をひっくり返し、短い声を上げた女の子。名塚は紙がみんなに見え
るように持たせ、女の子を客席に向かせた。
『スペードのクイーンを選んでしまうですぅ』
 紙にはそう書かれていた。末尾に、デフォルメされた名塚の顔のイラスト付
きで。これでもう、感嘆の息と拍手が起きたが、名塚は人差し指を振った。
「驚くのはまだまだ早いです」
 振っていた指で、今度は赤のケースを示す。そう、使わないからと最初にテ
ーブルの隅に置かれた物である。
 名塚は女の子に、自分と同じように指をぴんと伸ばすように言うと、その手
を取って、テーブルそばまで連れて来た。そうして、女の子の指を赤のケース
の真上まで運ぶ。
「箱を上から指で押してみるです」
 女の子は言われるがまま、指を下ろし、箱の表面を押した。すると、カード
の束の堅い感触があるはずなのに、ケースはぺこんとへしゃげた。女の子の顔
に驚きが浮かび、名塚は逆に笑みをなした。物腰と違い、相変わらず意地悪げ
だ。
「開けてみたいですか?」
「うん」
 女の子は赤のケースを受け取ると、ややせわしない手つきでセロハンを引い
て開封した。さらにふたも開ける。中は空っぽ……ではなかった。
「カードが一枚だけある」
 半疑問系のようなアクセントで言いながら、女の子は名塚を振り返った。
「取り出して、お客様どもに見せてやるです」
「分かった」
 女の子が手にした赤裏のカード、それがスペードのクイーンだったのは記す
までもない。
「ここで驚くです、お客様ども」
 澄まし顔の名塚の台詞も半ばかき消されるほど、大きな歓声と拍手が起きる。
マジシャンはそれらに応えると、女の子と最前のタロー氏、それに相羽にも拍
手をとばかりに、彼女自ら軽快に手を叩いて称えた。

――つづく




#271/598 ●長編    *** コメント #270 ***
★タイトル (AZA     )  06/07/22  00:00  (251)
魔法使いはみどり色 2.Bottom   寺嶋公香
★内容                                         07/12/23 01:11 修正 第3版
 演目の最後はイリュージョン系の大がかりなマジックで、名塚が等身大の人
形を相手に一人芝居を重ねた後、瞬間の入れ替わりをやってのけた。その上、
服も緑から鮮やかな赤のドレスに着替えるというおまけ付き。最高潮の盛り上
がりを見せたところで、ショーは幕となった。
(これは当たりだった。思わぬ拾い物をした感じ)
 相羽は得をした気分だった。席を立ち、出口に向かう途中、他の観客の様子
を見ても、皆、満足そうな表情をしている。例外がいるとしたら唯一人、タロ
ー氏は別かもしれないが。
(それにしてもあのタローさん、何であんな挙動不審なことを……。ショーを
潰すマニアみたいなのがいるのかな)
 すでに姿の見えない中年男性の振る舞いを思い出しながら、小さく首を捻る。
そうしながらも歩を進め、やがて券売所の前に差し掛かったとき、顔なじみの
受付女性から声を掛けられた。
「相羽さん」
「あ、どうも」
 窓口を離れて立っている相手を見て、相羽も足を止めた。
「とってもよかったですよ。テクニックも演出も予想以上で、楽しめました。
ただ、あの喋り方は、うつっちゃいそう――」
「それよりもですね、相羽さん、ちょっと」
 小声で言いつつ、手招きするその様子は、どことなく秘密めいている。勢い、
返事する相羽の声も小さくなった。
「何かあったんですか」
「あるある、伝言よ。名塚翠さんが呼んで来てほしいと言ってるみたいよ。個
人的なお話があるとかで」
「誰を呼んでほしいんですって?」
 聞き返した相羽に、係の女性は黙ったまま、真顔で顎を振った。
「何でまた……」
「見てなかったから知らないけど、ショーの間、出演者とやり取りしたんだっ
てね? その関係じゃないかしら」
「ああ、あの……うーん、怒られるのかな」
 即座に、一つのイメージが浮かんだ。目をつり上げた名塚が、何故か手にハ
リセンを持ってぱしぱしと音を立てながら、「おまえのおかげでショーの流れ
が悪くなったです、このへっぽこぽこのすけ!」と相羽を怒鳴りつける一幕だ。
「出向くのはかまわないけれど、今は他のお客さんの目があるから、まずいん
じゃ? サクラと思われかねない」
 周囲を見渡すと、まだ人が結構残っている。
「大丈夫。誰も気にしてなぞいますまい」
 不意に、係の女性とは反対側から、耳打ちされた。振り向くと、白髪で細身
の男性が立っていた。初老、いや、老人と称しても差し支えのない外見だが、
背筋はぴんと伸びている。目尻のしわが笑みと混じり合って、優しそうな雰囲
気を織りなしていた。
「名塚の公演は先程ので本日最終ですが、他の方のショーがこれからございま
すからね。今、おられるお客様の大半は、そちら目当てでしょう」
「あなたは」
 相羽は聞き返した。受付女性がタイミングを待っていたかのように去ったの
も気になったが、まずは眼前の人物の正体を知らねば。
「失礼をしました。私は名塚翠のマネージメント全般を取り仕切っております、
森永一葉(もりながいちよう)という者です」
 慣れた手つきで名刺を差し出され、相羽は受け取った。横書きのそれは、周
囲を蔦の模様で彩ってあった。
「自分は相羽と言います。学生なので、名刺はないのですが……」
「いえ、一向にかまいません。それよりも、どうでしょう。お時間があるので
したら、控室へ足を運んではいただけませんか」
「時間はありますが、あのぅ……怒ってます?」
「そのようなことは決して」
 マネージャーは静かな口ぶりだが、きっぱりと首を横に振った。
「それじゃ、しょうがないか」
 頬をかきながら、相羽はうなずいた。

 承知したものの、気は進まず、足取りは重かったが、部屋に通されるなり、
華やいだ気分にさせられた。と同時に目を見張る。
 ドアの方に背中を向けて座る名塚翠は、何故かまだ舞台衣装で――まさか私
服兼用ではあるまい――、しかもショー終了時の赤いドレスではなく、当初着
ていた緑のドレス姿になっていた。鏡に映る彼女の顔は、化粧を落としてさえ
おらず、舞台上に引けを取らない輝きを保っている。
「やっと来たですか」
 森永マネージャーが声を掛けるよりも先に、名塚は言い、座ったまま、くる
っとこちらを向いた。当たり前だが、ハリセンは持っていない。
 相羽はお辞儀をしようとして、名塚が目をそらし加減であることに気付いた。
「初めまして、相羽と――」
「自己紹介なんか後回しですっ。今日の舞台で一番、種を知りたいマジックは
どれだったか、早く言うです」
「……あの」
 質問の意味も状況も、何もかもが飲み込めず、相羽は森永の方に視線を送っ
た。森永は無言で小さく首肯すると、名塚に対して発言する。
「名塚さん、分かるようにちゃんと説明しませんと、こちらの方が困ってらっ
しゃいますよ」
「……」
 頬を膨らませ、不満そうに森永を見やった名塚だが、その唇が憎まれ口を叩
くことはなく、一度目を伏せ、髪をなでつける仕種をした。そして気を取り直
したかのように面を起こすと、若干、改まった口調で始めた。
「相羽さんとか言ったかしら」
「はい」
「あなたは、マジックには詳しいのですか?」
「知識はそれなりにある方かもしれませんが、実際に演じることができるのは、
父から教わった程度で大したものはありません。あ、無論、父もマジシャンじ
ゃありません」
「それでしたら、今日、わたくしの行ったマジックの種、全部を見抜けたとい
うことはない、ですね?」
「答えるまでもないと思いますが、はい」
「その中の一つの種を教えてやるですから、早く答えなさい!と言ってるです。
これで分かったですね?」
 唐突に指差され、相羽は「はあ……」と生返事をするにとどまった。ただ、
彼女がわざわざ緑の衣装に袖を通していた理由は分かった。種明かしをするた
めに、必要であるに違いない。種を仕込むためには、あの緑色のドレスでなけ
ればならないのだ。
 と、名塚は立ち上がり、きーっと言い出しかねない顔つきになって、「だか
ら、早く!」と声を張る。それを森永マネージャーが抑えた。
「どうして教えてもらえるのでしょうか。ただの観客に過ぎないのに」
「それは……あなたがよくご存知のはずですぅ」
 落ち着きを取り戻した名塚は、相羽のこの質問にも、何故か目をそらした。
頬がほんのり赤くなっているところを見ると、恥ずかしがっているようだ。
「ということは、やっぱり、名塚さんご自身も気付いていたんですね」
 相羽が表情を明るくすると、名塚は対照的に、不機嫌そうに口を尖らせた。
「ええ、ええ、気付きましたです。あなたよりも遅れてですけどっ」
 ここで森永が、「よろしいでしょうか」と言葉を挟んできた。
「私には、何のことかさっぱり分からないので、ご説明願えませんか。名塚が
相羽さん、あなたに助けてもらったということだけは、当人の口から聞いて承
知しているのですが……」
「まったく、マジシャンのマネージャーをやってる癖に、節穴の持ち主なので
困るです、この森永さんは。しかも、舞台を横から見ているにも拘わらず、な
んですから、呆れて物も言えないです」
 名塚がくさしても、森永はにこにこと受け流すのみ。なるほど、このマジシ
ャンにはこの人が適任――相羽は納得した。
「それで、説明は……?」
「やりたければ、あなたがやればいいです。先に気付いた人の特権というもの
です」
 名塚は座り直し、横を向いて肘をついた。相羽は笑いをこらえ、森永の方に
近寄った。
「二番目のお手伝いに選ばれた自称タロー氏を、覚えておられますよね」
「はい。あの方が関係していることは、私でも想像できました」
「どんないきさつがあるのか知りませんが、タロー氏は名塚さんを失敗させよ
うと試みたんです。あ、正確には、物的証拠がありませんから、失敗させよう
としたはず、となります」
「ほう。どのようにして」
 さして驚いた様子もなく、森永は重ねて聞いてきた。
「右手の内側にパーム――パームはご存知ですか?」
「基本的なことは森永でも知ってるです。気にせず、続けるがいいです」
 相羽は森永に尋ねたのに、早口で答えたのは名塚だった。森永自身も「右手
にカードを隠し持っていたんですね?」と言ったので、通じていると分かる。
「恐らく。そのカードを、名塚さんが予め決めていた特定のカード、スペード
のクイーンとすり替えるつもりだったんでしょう。だからあのとき、タロー氏
は、選んだカードを自分の手でめくることにこだわった」
「ちなみに、タローの用意したカードはジョーカーに決まってます。他のカー
ドでは、わたくしの用意したカードと偶然にも一致する確率が、僅かでも出て
来るですからね」
 名塚は素早く言うと、またそっぽを向いた。相羽は笑いをこらえるのに、一
段と努力せねばならなくなった。
「確かに、あのマジックで、スペードのクイーンを他の物とすり替えられては、
大変な失敗になりますね。でも、相羽さんはどうやって、そのことに気付いた
んでしょう? ここのホールCは、観客席から舞台を見下ろす造りになってい
ます。つまり、下からタロー氏の右手の内側が見えた、というわけはありませ
ん」
「実は開演前から、タロー氏が気になったんです。気になったと言っても、怪
しいとかどうとかではなく、舞台の真正面、周りが空席だらけの区画に一人だ
けいたから。そのときに、何となく記憶に残ったんですよね。タロー氏が右肘
をついていた姿が」
 いつの間にか、名塚も聞き耳を立てていた。相羽は彼女にもよく聞こえるよ
う、身体の向きをずらしてから、話を続ける。
「ところが、お手伝いに選ばれ、ステージに上がった彼は、考え込むときに左
手を顎に当てる仕種を見せました。また、名塚さんに対してお願いをするとき
も、左手だけで拝みました。その間、右手はずっと同じ形を保っていたように
思います。それで、ひょっとしたら右手を上げたくないんじゃないかと感じ、
カードを執拗にめくりたがった彼の態度や、真正面の席を恐らく買い占めてい
たこと、リボンの花を必死になって取ろうとしたことなどと考え合わせると、
名塚さんを失敗させようとしているんじゃあ……という結論に至りました」
 感心にたえない風に、森永はしきりと首を縦に振る。名塚はと見ると、相羽
と視線が合うのを避けてしまった。
「そ、そんな開演前の出来事があったなら、あなたが先に気付いても不思議じ
ゃありませんです。逆に言ったら、わたくしが気付かないのも無理ないってこ
とです。そこのところを勘違いするな、です!」
「はい。そう言えばもう一点、名塚さんの見ていなかった場面がありました」
 相羽が言うと、名塚は関心を新たにしたらしく、目だけこちらに向けた。
「一人目の手伝いを選ぶに当たり、あなたは後ろ向きになって花を投げました。
その折、タロー氏は彼の右側に花が飛んだのに、わざわざ左手を伸ばして取ろ
うとした。もうそのときには、右手にカードをパームしたあとだったんでしょ
うね。開演後、場内が暗くなったのを利用して」
「素晴らしい観察眼です。説明がなければ、あなたもまるでマジシャン、いや、
魔法使いですね」
 森永が手を叩いた。一方、名塚はしばし、口を半開きにしていた。はっと気
付いて、急いで閉じる。それから相羽を認めた。
「さ、さすがのわたくしでも、仮にその場面を目撃していても、そこまで気が
回りませんです。マジックの進行に集中しているですから」
「なのに、妨害してしまって、ごめんなさい」
「何を謝ってるですか! わたくしの方こそ言うべき言葉が……その……あり
がとうです」
 礼を述べられ、まだ言われていなかったことに初めて思い当たった。
「あなたがあのような突拍子もない行動に出てくれなかったら、わたくし、気
付かないまま、タローがめくることを認めてしまっていたです。――気付いた
あとは、三人目のお手伝いを選ばなくたって、どうとでもなったですけど」
「でも、少なくともあの女の子には、忘れられない思い出になったでしょうね」
「……」
 名塚は答えず、完全に背を向けてしまった。その後ろ姿を見つめながら、探
るような調子で聞く相羽。
「あのタロー氏って、名塚さんのショーをだいぶ前から観ていたようですね。
それも前の方の席を買い占めてまで。ただの嫌がらせ以上のものを感じるんで
すが、何か心当たりがあれば教えてくれませんか? 差し支えがなければ、で
いいんですけど……」
「ないこともありません」
 答えて、相羽の方に向き直り、「です」と付け足した名塚。
「マジシャンになることを、父に反対されたです。いいえ、今も反対されてい
るですけど。家を飛び出して、父の目の届かないところでやっていたのに、あ
の分からず屋のこんこんちきは、わざわざ自分から探してマジックを辞めさせ
ようとしたです。だから、無名のマジシャンを雇って、わたくしのショーに潜
り込ませ、失敗させるくらいのことはやりかねないです」
 喋る内に腹が立ってきたのか、名塚は俯きがちになり、その声は低くなった。
それを吹っ切るかのように、不意に顔を起こすと、頭を振って髪をなびかせた。
そしてまたもや背中を向け、一際大きな声で言った。
「さあさあ、説明は終わり! じゃ、種明かしのリクエストをとっととするが
いいです!」
 鏡を通して、視線をマネージャーから相羽に移動させた緑の女マジシャン。
「そのことなんですが、不思議は不思議のまま、取っておいていいですか」
「な――何を言うです? 折角、種明かしをしてあげると……」
 猛スピードで振り返った名塚に、相羽は笑顔で語りかける。
「代わりに頼みが。聞いてくれます?」
 名塚は困ったような戸惑ったような、少々複雑な表情になった。
「言ってみるです。言わない内から、頼みを聞けるかどうか、答えられるはず
がないです、この慌てん坊さん」
 ちょっぴり、言葉遣いが変わったかな? あるいは、他に適当な単語を知ら
ないだけかも――なんて考えた相羽だが、名塚の機嫌がよさそうな内にと、頼
みごとを口にした。
「今日、初めて名塚翠のマジックを観て、ファンになりました。だから、名塚
さんの本名を教えてくれたら、そして私の顔と名前を覚えてもらえたら、嬉し
いんですけど……だめかな?」
「そんなことが、種明かしの権利と同等と言うですか」
 呆れた、と身体全体で語る名塚。相羽は間をおかず、言い足した。
「同等と言うよりも、むしろ、覚えてもらえる方がいいかも」
「――分かったです。それならさっさと自己紹介しやがれです」
 目元を赤くしながら、マネージャーに目配せをした名塚。森永は手帳を取り
出した。
「それでは相羽さん。下のお名前は、何とおっしゃるんですか」
「実は」
 相羽が答える寸前に、名塚が割って入って来た。
「ちょ、ちょっと待つです! どうしてわたくしの名前が本名でないと見抜い
たですか?」
 面食らった名塚の慌てぶりに、相羽も面食らいつつ、ゆっくりと口を開く。
「だって、お父さんの目が届かないように、マジックをしてるんでしょう? 
本名だと、じきにばれてしまう」
「……分かってたです。聞いてみただけです」
 早口で応じてから、彼女は本名を口にした。父親がドイツ人、母親が日本人
のハーフで、ランドルフ神鳥奈津 (かみどりなつ)というらしい。
「では、相羽さん。改めて、下のお名前を」
 手帳に書き付けた相羽に、手持ちぶさたにしていた森永が尋ねる。
「はい。実は名塚さんと同じ、みどり、といいます」
 相羽は――相羽碧は、打ち明けるのが楽しくてたまらなかった。
「紺碧の碧一文字で、みどりって」
「それじゃ、やっぱり、女性だったですか」
 何故かしら、ほっと安堵してみせるマジシャンの翠。
 相羽が目をしばたたかせると、名塚はにっと笑った。
「外見や衣服ではどちらか判断しかねたので、ショーのときはハンサムと呼ん
だのを、覚えてないですか?」
「あれは最初、変なことを言うなと思いましたけど、じきに理解しました。ハ
ンサムは性別に関係なく使えると習った記憶が、かすかに」
 相羽が微笑むと、名塚翠も微笑した。このマジシャンが見せた、初めての優
しげな笑みだったかもしれない。
 それはでもほんの短い間だけで消え、ぷいと横を向くと、名塚はため息をつ
いてみせた。
「それにしても残念ですぅ。わたくしも、舞台名があなたと同じで嬉しかった
のに、父にばれてしまったようなので、変えなくちゃいけないなんて!」

――おわり




#468/598 ●長編    *** コメント #271 ***
★タイトル (AZA     )  14/11/20  23:06  (  1)
一瞬の証拠 1   寺嶋公香
★内容                                         24/03/31 20:51 修正 第2版
※都合により、一時的に非公開風状態にしております。




#469/598 ●長編    *** コメント #468 ***
★タイトル (AZA     )  14/11/21  03:07  (  1)
一瞬の証拠 2  寺嶋公香
★内容                                         24/03/31 20:52 修正 第3版
※都合により、一時的に非公開風状態にしております。




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