AWC お題>旅行(上)   永山



#454/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  13/12/30  23:01  (486)
お題>旅行(上)   永山
★内容                                         14/07/28 14:42 修正 第2版
 快速電車は定刻通り、目的のターミナル駅に到着した。他の客に続いて、プ
ラットフォームに降り立つ。寒風に首をすくめ、コートの襟を立てた。宣伝の
謳い文句を信じるなら、今日泊まる宿まで、あと徒歩一分ほどだ。早く暖かい
部屋に入りたい。
 宿の外観を確認しておこうと、足を止めて首を巡らせた。当然ながら、ここ
からでも充分に見通せる距離にある。濃い焦げ茶色の外壁に、窓ガラスがいく
つもならび、光を反射しているのが見て取れた。
「おお、来たか」
「来たかじゃない。君が誘ったんだろう」
 そう返事した私に、ベンチに座ったままこちらを見つめる男の目は、やに下
がった。
「来ないと言っていたくせに、人恋しくなったのかい」
「気乗りしないと言っただけだ。ただ、二人分のチケットをどうするのか、気
になったんでね。大方、君は私以外に誘う相手もいないだろうと心配してやっ
て来てみたら、案の定だったな」
「何でもいいよ。来てくれて嬉しい」
 彼は腰を上げ、荷物を片手に持つと、先に歩き出した。いつから待っていた
のか知らないが、ご苦労なことである。その背中に向けて、予防線を張ってお
くとする。
「つまらないイベントだったら、途中で帰るかもしれないぜ」
「大丈夫だろう。確かに、君ほどの名探偵なら、あっという間に解いてしまう
可能性もあるが、そうなったとしても大人の対応を頼む」
「どういう意味だ?」
「正解を、他の参加者がいる前で大声で披露する、とかさ」
「誰がするか。君は私をよほど非常識な人間だと思っているようだ」
「ある程度は非常識じゃないと、名探偵にはなれないんじゃないかと思ってた
よ」
 そんな馬鹿げたやり取りをする内に、宿に着いた。
 推理イベントを催すからか、出入り口には執事のような格好をした初老男性
が立ち、参加者を出迎えている。リーフレットを手渡しては、お辞儀をし、手
で中へと促す。
 私達もそれぞれリーフレットをもらうと、受付のカウンターに向かった。
「手続きはやっておくから」
 チェックインは彼に任せて、リーフレットに見入る。あまり派手な配色では
なく、むしろ暗い色を意図的に用いているようだ。推理だのミステリだののイ
ベントでは、こういう風におどろおどろしさを醸し出すのが定番らしい。
「お待たせしました。ご案内します」
 軽やかな声に面を起こすと、白の制服に身を包んだ若い女性が立っている。
片手にはすでに私の連れの荷物があり、空いている方の手を私の荷物へと伸ば
してきた。
「結構。自分で持つよ。両手に大荷物では、他の客にも迷惑が掛かるかもしれ
ない」
 廊下を見通し、私は感想を述べた。さっき目の当たりにした外観は立派だっ
たが、内部、特に通路の類はホテルにしてはいささか狭い。
「それじゃ、私も自分で持とう」
 我がワトソンは主体性に欠けるようだ。女性客室係は、一度持った荷物を運
ばずに返すのに、多少は抵抗があったようだが、無論拒否などしなかった。に
こりと微笑み、それではこちらへと、先頭に立って歩き出す。私達もゆっくり
続く。
「こちら、四〇二号室でございます」
 胸ポケットから大ぶりな鍵を取り出し、ドアの鍵穴に差し込む。右に軽く回
すと、これまた大げさな音がかちゃりとし、解錠されたと分かる。客室係は慣
れた動作でドアを押し開き、私達二人を通した。
「おお、いい部屋じゃないか」
 相棒が感嘆の声を上げた。まるで子供だが、それを咎める気にはならない。
部屋は実際、広くて豪華と形容できた。第一印象は、奥行きのある長方形の部
屋。ほぼ真ん中に内扉があり、寝室とリビングその他を仕切っている。奥が寝
室で、手前がリビング。歩を進めてよく見ると、一つの部屋を仕切ったという
よりも、二つの部屋をつなげた趣が強い。リビングにはソファやテーブル、棚
などが配され、それぞれ機能性は高そうだ。
「照明の入り切りは、こちらのスイッチで操作してください」
 女性客室係の手が、壁に備え付けのコントロールパネルに触れると、ライト
が柔らかな橙色の光を注ぎ始めた。
 そのあとも使用方法を説明し、係員は下がっていった。
「何か飲むかい? 冷蔵庫の飲み物は料金に含まれているそうだから、遠慮す
ることはない」
「この部屋で最初に交わす会話が、随分しみったれているな」
 苦笑してしまったじゃないか。
「しょうがないだろ。普段の暮らしとは大違い、非日常空間てやつだ。さもし
いことを口走りはするし、浮かれもする」
「どんと構えて、楽しめばいいのさ。ましてや、招待されたのだから、金だの
何だのと口にするのがおかしい」
 そうなのだ。誘ったのは相棒だが、費用は一切出していない。私も同様だ。
遡ること三年とふた月、ある連続殺人事件を解決してみせたのだが、そのとき
依頼をしてきたのが八尾大悟(やおだいご)という大地主で、いたく感謝され
た。報酬は充分受け取ったのだが、あちらはまだ足りないとの念が残っていた
らしい。ちょうど半年前に、この宿泊を伴うイベントへの参加を手紙で打診し
てきた。
 それが、二泊三日の謎解きミステリーイベント、「殺人者、東方より来たる
(仮題)」である。
 企画・主催は東方企画といい、八尾氏の仕事の関連会社だそうだ。仮題とあ
るように、正式に販売されているツアーではなく、最終チェックの段階らしい。
近しい者を客として招き、体験してもらって、意見を集め、より完成度を高め
るつもりなのだ。招待に気兼ねなく応じられるようにという配慮だろうか、手
紙には、私達にはミステリーとしての難易度を判定していただきたいとの一文
が付してあった。
「招待で思い出した。難易度の判定の件だけど、名探偵基準ではなく、一般人
基準でやってくれよな」
 相棒はソフトドリンクを適当に何種類か取り出し、私に見せながら言った。
 私はヨーロッパの名水とやらを選び、栓を開けてもらってから受け取った。
「これ、水割り用ではないだろうね」
「そんなことよりも、基準の話だよ」
「分かっているさ。これこそ、大人の対応をしないとね。――だが、真剣に取
り組まないと解けない難問である可能性も、十二分にあるんじゃないかなあ」
「君が解けないときは、難易度を大幅に下げるよう、進言すべきだな」
「プレッシャーを掛けないでくれたまえ。この手の推理問題は得てして、現実
とは異なるが故に、手こずるもんだよ」
 私が正直な気持ちを口にしたとき、ちょうどアナウンスが入った。
 イベント参加者が全員到着したので、スタート前に説明やら確認やらを行う
ため、ロビーに集まってくださいとのことだった。

           *           *

 皆様、謎解きミステリーイベント「殺人者、東方より来たる」にようこそ。
私は当イベントの進行役で、今回のイベント中の責任者でもあります、大沢理
助(おおさわりすけ)と申します。お見知りおきを。
 皆様には今回、モニターとして参加していただく訳ですが、イベントの中身
は本番のそれと基本的に変わりありません。モニターせねばという意識は頭の
片隅にでも置いて、これから二泊三日の間、謎解きの世界に存分に浸り、味わ
い、楽しんでいってください。
 謎解きミステリーの形式ですが、皆様のいるこの場が、そして全てのフロア
が、そのまま舞台になります。あ、もちろん、皆様の寝泊まりする個室は除き
ますが。
 事件を起こす犯人や被害者、その他関係者は全員、当方で手配した役者の方
方に演じていただきます。
 では、皆様の役割は何か? 無論、探偵としての役割です。ただ、決められ
た台詞や動作振る舞いの指示はございません。観客として劇を眺め、探偵とし
て推理に集中できます。
 ここで一つ、注意点が。劇の進行中は、演じている役者達の邪魔にならない
よう、大人の対応をお願いいたします。また、推理するに当たり、演者に事情
聴取をしたいと考えられるかもしれませんが、ご遠慮くださいませ。関係者の
証言を含む必要な情報は、捜査の指揮を執る警部役を通じ、皆様に伝えられま
す。なお、「これこれこういう情報がないのはおかしい」という点がございま
したら、私の方へお伝えください。可能な限り対応させていただき、イベント
本番での改善にもつなげたいと考えております。
 先ほどのご説明で、演者の方々と参加者各位を見分ける必要があるとお気付
きでしょう。それに、お互いの呼び名を知らないのも、恐らく不便を生じるか
と思います。そこで、皆様には黄色い名札を着けていただきます。これからお
配りするプレートに、皆様の手で好きな呼び名をご記入ください。本名でもニ
ックネームでもかまいません。まあ、大人の節度を持って、人名と分かるよう
なネーミングをお願いします。それと、既存のミステリに登場する名探偵や怪
人などの名前を借用するのも、できれば避けてください。ミステリマニアとし
ておしゃべりする機会があると思いますが、その際に甚だややこしいことにな
りかねませんので。
 それではしばし時間を設けますから、ご記入ください。

           *           *

 私は堀詰写楽(ほりづめしゃらく)と記入した。相棒の手元を見ると、桑藤
尊也(くわとうそんや)と書いていた。

           *           *

 全員、書き終えたようですね。説明を続けます。今この時点から、皆さんは
お客様ではなく、探偵と見なされます。
 話が前後しますが、役者の方々も名札を着けています。皆さんの黄色に対し、
役者は赤色となっています。
 起きる事件は三つ。おおよそ、二日目の夜までには三つの事件全てが起きる
ことになるでしょう。三日目の午前中に、正解発表を行う予定でいます。前も
ってお渡ししたガイドにあります通り、その間、事件の進行が全くない時間を
適宜を設けます。夜は身体を休め、睡眠を取るための時間であり、昼は観光な
どにお当てください。念のためにご忠告申し上げますと、お出掛けになってイ
ベント開始時刻までに戻られなかった場合、途中参加は難しく、置いてけぼり
になる可能性が非常に高いです。あしからず。
 事件に関してですが、犯行は単独犯によるものとします。犯人は誰かという
謎の他に、それぞれの事件には解くべき謎が一つずつ設定されます。関係者の
証言を含む、必要な手掛かりは全て、私の方から発表する形を取ります。
 三つ目の事件が発覚した時点から、解答を受け付けます。原則的に、正解を
より早く提出された方を優秀な探偵として認定します。ただし、他の要素を加
味して審査する場合もないとは言いません。たとえば、探偵の皆さんは協力し
合ってもかまいませんが、そういった人の評価は、単独で解決した人よりも低
い、と言う意味合いです。尤も、誰が誰とどんな相談をしたのか、詳しく把握
できるはずありませんから、協力や相談は今回、審査には無関係とします。賞
品も出ませんしね。
 それから、これが一番大事なのですが、七百番台の部屋があるフロアには、
無断で立ち入らないでください。のぞき見や立ち聞きもご遠慮願えたらと思い
ます。と言いますのも、舞台裏を明かすのは興醒めですが、役者の方々やスタ
ッフの部屋となっており、また、シナリオの段取りを確認するための場でもあ
ります。何卒、ご理解ください。この禁止事項を破られた場合、失格と見なす
こともありますので、ご注意願います。
 事前の説明は以上です。他の細々とした点は、イベントの進行に従い、ある
いは必要に応じて説明いたしますが、現時点で何か質問がございましたら、伺
います。
 ――ございませんね? それでは、謎解きミステリーイベント「殺人者、東
方より来たる」、開幕です。

           *           *

 進行役の台詞を待っていたかのように、大きな音がした。思わず、足を踏ん
張る。
 アナウンスのスピーカーから、サスペンスを盛り上げるようなメロディが流
れ、じきに止まった。続いて声が流れることは……なかった。たった今からが
非日常空間のスタートだという区切りなのだろう。

           *           *

 午後六時。予め送付されていたプログラムガイドにある通り、夕食の時刻だ。
ダイニングに向かうと、他の参加者達も三々五々、集まっていた。
 複数脚ある丸テーブルの上には、数の書かれた札が置いてある。部屋番号に
対応しており、自室の数字のところに座るようになっている。
 私は七〇四と書かれたプレートの前に来ると、自ら椅子を引いて座った。
 イベント中、私は四谷英孝(よつやえいこう)という役を与えられている。
このあと、早々に退場することになっていることからも分かるように、まだ駆
け出しのペーペーだ。自分の力量を分かっているから、役に関しては文句ない。
でも、シナリオの全てを見せてもらえないのは不満だ。信用されていないらし
い。参加者の誰かに、答を教えるとでも思われているのか。まあいい。その内、
見返してやる。
 誰が犯人か知らないまま、殺されるというのは、演技においてどうなんだろ
う? 私は毒殺されることになっている。現実の殺人で毒殺となると、殺され
る側は犯人を知らないままということがほとんどだろうから、リアリティがあ
ると言えばある。反面、劇全体を眺めたとき、どういった位置を占めているの
かが分からないというのは、どうも頼りない。
 おっと、全員が揃ったようだ。私のテーブルには役者が他に三名、一般参加
者が二名座っている。普通に考えるなら、役者三人の中に犯人がいるはずだが。

           *           *

 料理に舌鼓を打っていると、役者による芝居が始まった。役名と簡単な来歴
が分かるやり取りがなされたあと、二人の人物がいきなり大きな声で言い合い
を始めた。最初は訳が分からなかったが、これも芝居と知ると、皆、意識を集
中する。
 ここで整理しておこう。役者演じる登場人物の内、現時点で明確な動きを見
せたのは八名。

七〇一号室:一ノ瀬寛人(いちのせひろと)不動産業者
七〇二号室:二階堂春彦(にかいどうはるひこ)大富豪。妻に先立たれて以降、
財産の浪費が増えた
七〇六号室:二階堂夏子(にかいどうなつこ)春彦の娘。教師。骨董品収集が
趣味で、その費用の大半を父親からせびっている
七〇七号室:二階堂秋雄(にかいどうあきお)春彦の息子。名目上、父の会社
の研究員だが実際は何もしていない
七〇八号室:二階堂冬美(にかいどうふゆみ)秋雄の妻。元ファッションモデ
ル
七〇三号室:三鷹孝美(みたかたかみ)タレントの卵。春彦に言い寄っている
七〇四号室:四谷英孝(よつやえいこう)自称フリーライター。恐喝で糧を得
る
七〇五号室:五代和保(ごだいかずほ)春彦の秘書

 この内、私・堀詰と相棒の桑藤は、二階堂夏子と相席だった。整った顔立ち
だが、銀縁眼鏡で損をしている。いかにも堅そうな人物然としているが、話し
ぶりは砕けていて、作法は万全とは言いがたい。つい最前も、キューブアイス
を浮かべたストレートティーを、ストローでかき混ぜ、音を立てていた。
 場の設定は、二階堂春彦の誕生パーティで、我々参加者も招かれた一般客と
いうことになっている。
 寸劇により、四谷なる若い男が、二階堂家やその知り合い達何名かの秘密を
握っており、恐喝しようとしていたことが明らかになった。
 示唆された秘密――恐喝のネタは、次の通り。春彦はかつて違法行為で財を
築いたこと。冬美は過去にいかがわしい映像作品に出演経験があること。一ノ
瀬は不起訴に終わったが詐欺容疑を掛けられた過去があること。五代は前の勤
務先での横領疑惑。三鷹にも何かあるようだったが、それが明るみに出る前に、
夏子が手にしたグラスの中身を、四谷にぶちまけた。
 四谷は一瞬、目を白黒させたがにやりと不敵に笑い、両手で髪を整える仕種
を見せた。春彦らから出て行けと言われても、しばらくは粘った四谷だったが、
秋雄と一ノ瀬が腕力に訴える素振りを示すと、急に及び腰になった。
「まあ、着替えなきゃいけないしね」
 我々のいる方へくるりと背を向け、ドアへと向かう。
 そのまま退場かと思いきや、途中で立ち止まり、ウェイターに水を所望する。
同時に、懐から薬瓶を取り出した。近くの席に座っていた一ノ瀬が、コップ一
杯の水を渡した。受け取る前に、瓶の中の数錠を手のひらに落とす四谷。
「こんな稼業をやってるが、意外と繊細な質でしてね。胃が痛む。だから薬が
手放せない」
 気取った調子でのたまいながら、薬を口に含み、渡されたコップの水をあお
った。そしてまた歩き始めたが、数歩進んだところで突然、頽れた。
 床に頭を打ち付けかねない、真に迫った倒れ方もあって、室内の空気は騒然
となる。四谷の手には、コップが握られままである。飲み残しの水がこぼれ、
床に広がった。
 春彦の主治医だという男が進み出て、四谷の傍らに跪く。脈を取ったり動向
を調べたりと一連の動作のあと、首を横に振った。
「亡くなっておる」
 短い一言。場は大きく揺らいだ。
 すぐさま通報がなされ、やがて警察が乗り込んできた。

・志賀大作(しがたいさく)ウェイター
・町野秀一(まちのしゅういち)春彦の主治医
・蒲生連也(がもうれんや)刑事
・星名九州男(ほしなくすお)刑事

           *           *

 探偵の皆さん、警察から発表がありました。その内容をここにお知らせしま
す。
 四谷の死は、青酸系の毒物が原因と判明しました。現在、彼が死の直前に服
用した薬及び水、さらには水の入っていたコップの検査が行われています。
 この殺人で皆さんに考えていただきたい謎は、犯人はどうやって四谷に毒を
盛ったのか、です。必要な情報はまだ出揃っていませんが、考える取っ掛かり
として、被害者のいたテーブルの座席図が参考になるかもしれません。右隣に
一ノ瀬、左隣には五代、そして彼女の左隣に町野がいました。
 なお、毒の入手経路は考慮する必要ありません。誰にでも入手可能だったと
お考えください。
 おっと、そうこうする内に、検査結果が出たようです。ここは蒲生刑事から
直接、話していただくとしましょう。

           *           *

「まあ、当たり前と言えば当たり前の展開だね」
 個室に戻るなり、私が言うと、桑藤はソファに倒れ込むように座りながら、
ああそうだねと怪しげな口調で反応した。酒の飲み過ぎだ。
「君、いくら今回は記録をしなくていいからといって、羽目を外しすぎるのは
困る」
「大丈夫大丈夫。意識はしっかりしてるんだ、これでも。身体が付いてこない
だけ」
「それが困るんだよ。万が一、何かあったときは特に」
「起こらないよ、さすがに。イベントだけで充分なのに」
「根拠のないことを……」
 酔っ払い相手に議論をふっかけてもしょうがない。私はリラックスできる服
に着替えた。
 それから、桑藤にコップ一杯の水を用意してやってから、自分もソファに収
まり、第一の事件について考え始めた。
 蒲生刑事の発表によると、青酸系毒物は、四谷の所持していた薬や薬瓶から
も、床にこぼれた水やそれが入っていたコップからも一切検出されなかった。
推理劇にあって、これは充分に予想できる結果だ。こうでなくては、毒殺トリ
ックの謎が締まらない。
 青酸系毒物は即効性が高いので、夕食で出された食べ物や飲み物に予め入れ
られていた訳でもないと見なすのが妥当だろう。パーティとあって、取り分け
るスタイルの料理がほとんどだったから、特定の一人を殺害するために毒を用
いるのは無理がある。
 そうなると、可能性は……少なくとも一つある。薬瓶とコップを再度、調べ
ればはっきりするが、そういう要望を出していいのか? 受け入れられるのだ
ろうか。
 と、ここまで考えを進めたところで、相棒の寝息が聞こえてきた。思考を中
断し、声を掛けたが、簡単には目覚めそうにない。寝かせてやっても一向にか
まわないのだが、ソファで寝るのは身体によくなかろう。
 私は席を立ち、桑藤の近くに立つと、彼の肩を揺さぶった。起きてベッドで
寝るように促した。三度ほど繰り返すと、寝ぼけ眼とあくび混じりの声で反応
があり、どうにかこうにか移動してくれた。

 その後も夜八時から十一時にかけて、警察の捜査状況が断続的に発表された。
アナウンスの都度、部屋を出て、指定されたフロアまで移動せねばならないの
は、正直言って面倒だ。ゆっくり休めない。だが、他の参加者の中には、楽し
んでやっているように見受けられる者も大勢いる。この手のイベントに慣れて
いる人達らしい。夜通し、謎解きに頭を使うつもりなのかもしれない。
 それよりも、警察からもたらされた新たな情報が重要だ。
 四谷の部屋から、いくつかの証拠品――彼が恐喝を考えていた、そして殺害
の動機の裏付けとなる物が見つかったという。たとえば、春彦の過去の違法行
為に関する証言リスト一覧。ただしそれらは全て、すでに噂で囁かれていたも
のばかりで、今更表沙汰になっても春彦にダメージを与えるかは疑問だという。
冬美の映像作品出演に関しては、その静止画像をプリントアウトした写真が数
枚、出てきた。春彦に比べれば、彼女の被るダメージは大きい。尤も、いかが
わしい映像と言っても、せいぜい下着姿までで、当時ならともかく、現代なら
どうというほどのこともないレベルかもしれない。一ノ瀬の詐欺及び五代の横
領疑惑は、それぞれ被害者や関係者の証言を集めた程度で、以前の警察の判断
を超えるものではないようだ。
 そして食事のときは仄めかしだけで終わった、三鷹の件だが、芸能関係の仕
事を得るため、いわゆる枕営業をしたことがあるというものだった。これには
写真などの証拠はない。当時、三鷹が未成年だったことがより大きな問題で、
当人は無論のこと、関係した業界の人間も口を噤んでいるのだという。
 四谷がいかに嫌な存在であったかが浮き彫りになる一方、一見すると手掛か
りにはなり得なさそうな、他の人間関係の報告も上がっていた。
 二階堂家は、パーティの席では仲よく写真に収まるなどしていたが、実情は
どろどろとしたものが渦巻いているようだ。お定まりの相続の問題に、春彦の
浪費癖とそれに付随する女性関系。夏子は金の件で、秘書の五代と諍いが絶え
ないし、秋雄と冬美は子を授からないことで、しょっちゅう揉めているようだ。
そこを三鷹がかき回し、混沌とした状況を作り出している。
 一ノ瀬は、春彦相手にまとまりかけた投資話を、夏子に潰されて恨みがまし
く思っている。秋雄も表立って反対しないだけで、一ノ瀬の売り込みを内心で
は疎んじており、仲がよい訳ではない。一ノ瀬は三鷹と連合を組んでいる節が
あるとされた。
 これらの中から、真相に辿り着くために必要な情報を選び取らねばならない。
謎解きイベントに参加するのは初めてで勝手が分からなかったが、そういうも
のらしい。決定打がないだけに、眠れぬ夜になりそうだった。

 翌朝は、七時に起床し身支度を調え、三十分後には朝食の席に着いた。
 パーティの招待客である我々は、事件発生に伴い、警察の要請により、ホテ
ルへの逗留を続けているという設定だ。パーティ参加者やホテル関係者に犯人
がいるに違いないとの理屈からだが、その割に、宿泊客が一人も警察に事情聴
取されないのはおかしい。まあ、これを言うのは野暮というものだし、細かな
指摘はあとでよかろう。
 四十五分から配膳され、朝食が始まった。相棒もそうだが、皆、ぱくぱく食
べている。現実に毒殺事件が起きたあと、出された料理を平気で食べられるも
のかどうか……いや、野暮は言うまい。
 それよりも、気になっていることがあった。主要関係者――要するに俳優達
の中で、死んだ四谷以外にもう一人、姿の見えない者がいる。
 私の他にも気付いている参加者が何名かおり、次の被害者かしらと囁く声が
耳に入った。
 程なくして、進行役の大沢がウェイターに指示をした。当該人物の客室に走
らせたに違いない。ちなみにこのウェイターは本物ではなく、昨日も劇に加わ
った志賀という男だ。
 およそ三分が経ち、志賀が慌てふためいた様子で駆け戻ってきた。叫びたい
のを飲み込んだような顔で、大沢に耳打ちをする。大沢は表情に驚愕を、次い
で緊張を走らせた。なかなかの役者だが、少々オーバーだ。
 彼はマイクスタンドを引き寄せ、ダイニングにいる全員に呼び掛けた。
「皆さん、お食事中を失礼します。非常にショッキングな話をいたしますので、
お手を止めていただければ幸いです。――どうもありがとうございます。お一
人、この場に姿を見せていないことにお気付きの向きもあったかと思います。
はい、二階堂夏子さんがおりません。先ほど、ウェイターの志賀にお部屋の方
へ様子を見に行かせましたところ、彼が言うには、夏子さんは冷たくなってい
るようです」
 場の空気が変わった、というほどのことはなく、かすかに揺れる程度か。事
件の発生は予告されていたのだし、そもそも、これは本物の殺人ではない。俳
優陣だけが驚きを示した。
 ともかく、食事はおしまいとなり、参加者は夏子の部屋である七〇六号室に
向かうことになった。人数の多さに比すと部屋や通路が手狭なため、数名ずつ
に分けて、であったが。

           *           *

 ご覧のように、夏子さんは左胸部を中心に何箇所か刺され、亡くなっていま
す。警察の所見でも、これらが致命傷とされました。念には念を入れて、毒物
を摂取した形跡の有無を調べているそうですが、結果が出るのはもう少し掛か
るとのことです。凶器は、ベッドの傍ら、床に落ちているナイフ。調理場を探
せばすぐに見つかる、ごく当たり前のナイフです。
 この部屋は、否、このフロアは皆さんのフロアと違い、若干、旧いタイプで
す。よって部屋の設備も多少古く、ネット回線はございませんし、鍵も横方向
にスライドする単純な閂錠です。でも、防音は完全だとお考えください。ああ、
発見時、部屋の鍵は掛かっていませんでした。よって第二の殺人に密室の謎は
ございません。
 この殺人における謎は、ダイイングメッセージです。
 見てお分かりのことと思いますが、最初の一撃を受けた夏子さんは指先に自
らの血を着け、文字を壁に書き残したようです。多分、犯人を示す手掛かりと
考えられますが、さて、どのように解釈すればいいものやら。ほんの数文字で
しかも小さいですし、他にも血が飛び散ったため、犯人は見落としたようです
が。

           *           *

 私は、二階堂夏子が書いたとされるメッセージを、メモに写し取った。そし
て桑藤にも写し取るように言う。それぞれ先入観なく書き取り、感じたことを
あとで述べ合うのだ。
 このあとは正午まで自由時間となっていた。ちょうど足下も落ち着いたこと
だし、観光がてら外に出ようと決めた。名所を回るバスがオプションとして用
意されており、当日の枠が空いていたので申し込むと、無事に席を確保できた。
 外出中に重きを置くのは観光ではなく、謎解きの検討だが、謎解きイベント
にこうした名所巡りがオプションとはいえセットになっているのなら、これも
体験した上で、イベントの感想を述べるのが筋であろう。
 お城や神社、それにいわれのある滝壺や大岩といったいわゆるパワースポッ
トも含むコースを、それなりに満喫した(日本語として変かもしれないが、私
は本来、記述者ではないので許してもらうとしよう)。途中々々に土産物屋が
あり、地元にお金を落とさせるようになっている。いっそのこと、観光巡り自
体をイベントに組み込んで、途中の店に解決へのヒントが隠されている、とい
うのも面白いのではないかと思った。企画内容の改良にまで口出しする必要は
あるまいが、客の意見として、感想に書き加えるくらいはしてよかろう。
 さてこの記述は、謎解きイベントのためのものだから、観光に関しては省略
する。およそ二時間半の内、バスに乗っていた間は、第一及び第二の事件につ
いて、あれやこれやと推理を巡らせた。と言っても、イベント参加者が他にも
同乗しているため、興をそがぬよう、筆談がほとんどだったが。
 最初に検討したのは、第二の事件の方で、特にダイイングメッセージの解読
に時間を費やした。
 ダイイングメッセージは二行に渡っており、一行目は一文字、二行目は二文
字から成っていた。行と行の間は、まだ文字が書けるくらい空いていたので、
この三文字が実は一つの文字を表す、などということはなさそうである。
 まずは一行目の一文字から、まな板に載せる
『ぱっと見、yだ。筆記体の』
 先に桑藤が述べた(書いた)。とりあえず、小さな点を指摘しておこう。
『大文字か小文字かは判別できないがね』
「確かに」
 つぶやいた桑藤。続けて「これ以外に何か解釈できないかな」と言った。
『数字の4。開き気味に書けば似ている』
「ふむ」
『あるいはギリシャ文字のファイ:φやプシー:ψ、ガンマ:γ辺りが似てい
なくもない』
「なるほど。しかし……」
 語尾を濁した桑藤は、続きを筆記した。
『筆記体のyほどではないね』
『仮にyとしてどんな意味を表していると思う?』
『犯人のイニシャル』
 相棒の返答に、「真っ先に考えたよ。では聞くが」と応じてみせた。
『関係者の中でイニシャルyは誰だ?』
 この問いに桑藤は指折り数える仕種をし、やがて答を出した。
『四谷一人だ。第一の犠牲者しか当てはまらない』
「そうなんだよ。もしこれがこれじゃなく、こっちだとしても」
 メモ用紙を指さしながら、私は続けた。yが4だとしても、該当者は四谷だ
けになる、と。
「どうなってるんだ?」
 死者が犯人? 四谷は死んでいない? まさか。これは作り物のゲームだが、
超常現象めいたも要素は紛れ込んでいないはずだし、四谷が毒で死亡したこと
ははっきり告げられた。司会進行が嘘を吐いてはゲームにならないのは明白だ
から、真実を語っていると解釈するしかない。
「ここで悩んでも時間の浪費だ。二行目に移るとしよう」
 私が促すと、桑藤はすぐに次のメモを用意した。
『XyもしくはXVだね』
 私も同感だった。縦にX・Vと順に書いたように見えた。
『XVでは、関係者のイニシャルにはならない。これら二つで一文字を形成す
る可能性もある』
 私のこの指摘に、桑藤はしばらく考え込んだあと、紙に書き付けた。バスが
ちょうど悪路に差し掛かったのか、大きく揺れたため、ひどく乱れた文字にな
った。『レイジートング?』
 念のために説明すると、レイジートングとは多数のX型をつなぎ合わせたよ
うな形をした、手元の操作により伸び縮みするマジックハンドのことである。
「これは文字じゃないな」
「うむ。万が一、当たっていたとしても、何を示唆しているのかさっぱりだよ。
密室トリックに使われた道具、とかなら分からなくもないんだけど」
 桑藤のぼやきを聞き流し、私は七〇六号室でメモを取った時点で思い付いた
考えを伝えることにした。
『ローマ数字かもしれない。Xは十、Vが五』
『五は五代? 十が分からない』
 確かに。刑事の一人は下の名前が九州男で、一足りない。
 桑藤が紙の上で手を動かすので見ていると、『七一〇号室の客かも』と書い
た。
「悪くないが、その部屋は空室だろう?」
「分からないだろう。あとから来た刑事は、どこで寝泊まりしているんだ?」
 ふむ。七〇九と七一〇に収まったかもしれない訳か。後々情報が提示されな
いようであれば、司会に尋ねてみる値打ちはある。
 とまあ、かように想像を膨らませ、堂々巡りをしながら名所も巡り、昼食前
には宿に戻った次第である。

――継続




#455/598 ●長編    *** コメント #454 ***
★タイトル (AZA     )  13/12/30  23:02  (340)
お題>旅行(下)   永山
★内容                                         14/03/24 19:46 修正 第2版
 昼食もこれまでの二回の食事と同様、ダイニングで摂る。
 当然、第三の事件もこの昼食の間に、何らかの動きがあるのではと心の準備
をしていたのだが、見事に透かされたようだった。警察発表がいくつかあった
だけで、平穏無事に終了した。
 ただ、最後に司会の大沢が、「三時まで自由行動可としますが、外出は控え
てください」と言ったのが、意味ありげである。ちなみに、三時からは近所に
ある有名なレストランで、お茶の時間を取っているという。そこでまた何か事
件が起きるのか、情報発表の追加があるに違いない。
 とにもかくにも、ゲーム参加者としてルールには従わねば。私の部屋で桑藤
と二人、またまた検討会を開く。
「さっきの昼食時間では、たいした材料は与えられなかった気がする」
 桑藤はそう言いながら、持ち歩いている大学ノートを見開きにし、書き付け
始めた。

・二階堂夏子の死因は、刺殺による失血死に確定。薬物の類は検出されず。
・夏子の死亡推定時刻は、午前三時から五時の間。
・この時間帯に、関係者の中でアリバイを有する者は皆無。
・刑事達捜査関係者は犯人ではない。

 この程度だった訳だが……。
「夏子に対し殺害動機を持つのは誰か、考えてみよう」
「いいね」
 私の呼び掛けに応じ、桑藤は続けて答えながら筆記を続けた。
「まず、金のことで揉めていたという秘書の五代。次に、不動産業の一ノ瀬は、
投資話をご破算にされて恨んでいた」
「その程度のことを取り上げるのなら、同じ二階堂家の人間も外す訳に行くま
い。財産が絡んでいるのだから」
「そうか……何だ、関係者全員じゃないか」
「うむ。金が絡めば、だいたいはそうなる。三鷹も含めていいだろう。父親の
春彦だって、娘の収集癖を疎んでいたと捉えれば、排除を考えておかしくはな
い」
「しかし、そんな理由で親が子を殺すかねえ?」
「フィクションの世界なのだから、その辺りは気にすべきではないんじゃない
か?」
「かもしれないが」
 我が相棒の桑藤は、小説で食っている割に、リアリティにこだわりすぎる嫌
いがある。もう少し自由な発想で書けば、今よりもずっと売れるだろうに。
 と、そのとき身体に多少の揺れを感じた。そういえばこの旅行に出る前から、
小さな地震が各地で頻発していたなと思い出した。落ち着かない。
「現実世界の情報も仕入れておくとしよう」
 リモコンを操作し、テレビを付けた。偶然にも、ちょうど画面の上の方にテ
ロップが入っていた。速報は最大で震度4の地震が起きたと伝えている。
「ここからはだいぶ離れているな」
 言いながら、ニュースをやっているところを探す。見たことのないコマーシ
ャルが次々と移り、結局、地上波ではニュースをやっていなかった。衛星放送
に切り替え、ようやく見付けた。当然のごとく、今し方の地震を報じている。
速報レベルなので時間は短く、次に大きな交通事故を伝え出した。幸い死者は
出ていないようだが、二桁の車が巻き込まれている。
「雪でスリップか。気を付けないとな」
 当たり前の感想を口にする桑藤。昨晩、アルコールでダウンしていた分を取
り戻したいのか、イベントの謎解きに気持ちが傾いているようだ。
 私はニュースに集中した。最後まで見終わり、名探偵が乗り出すべきタイプ
の事件は報じられていないと判断した。
「犯人は単独犯なんだから、四谷と夏子を殺したのは同一人物。被害者双方に
殺害動機があるのは……やはり全員か」
「動機で絞り込めないのは、謎解きでは当たり前じゃないのかね。動機の有無
だけで容疑から外すのは、あまりロジカルではない」
「その通り。一見、動機がなさそうな者が犯人だった、というパターンも結構
多いし」
「だったら、この謎解きイベントは、動機のなさそうな者がいない分、楽とも
言える」
 私の冗談に、桑藤も笑みを浮かべた。
 しかし、解決の糸口はまだ見えていないようだ。

 ここで正直な心情を明かす。
 実は、おおよその見当は、とうに付いていた。当初はモニターとしてきちん
と役目を果たそう、名探偵として恥ずかしくない結果を出そうと意識して、身
構えて臨んでいた。だが、始まってしばらくする内に、所詮はクイズだと思い
直すと、意外と簡単に正解らしきものが見えてきたのだ。
 無論、私の推理が正解だとは限らないが、相棒や他の参加者の様子を観察し
たくて、分かっていないふりをすると決めた。手記の方も、桑藤が覗き込む可
能性があるため、同じく分からないふりの記述に徹した。
 だが、そろそろ、私の本当の推理を明かす頃合いだろう。具体的な筋の通っ
た仮説一つ出さずに、開始から二十四時間を迎えるのは、私のプライドが許さ
ない。参加者の中にも、「分かったかも」的な発言をしている人が、ちらほら
出てきているようだが、彼らに後れを取ることも我慢ならない。
 一方で、現段階での推理披露は、この手記を読む人の楽しみを奪うものかも
しれない。
 そこで、私は相棒に推理を伝えたという事実のみを記す。詳しい内容は、第
三の事件のあとにでも綴るとしよう。

「――なるほど。筋は通っている」
「ロジックとしては実に頼りなく、いかにもイベント的、ゲーム的ではあるが
ね」
 口では謙遜気味に言いつつ、桑藤が感心してくれたのを見て、内心少なから
ずほっとした。推理作家の桑藤が頷くということは、謎解き推理の常道から外
れていない証だ。現実の事件とは勝手が違い、手応えが分からない。
「動機の点で、やや瑕疵があると思うけれど、それはこういうイベントでは大
目に見るべきなのかな」
 相棒のこうした疑問は、お茶の時間に解消されることになる。
 レストランでは、新たな事件こそ起きなかったが、二名の刑事から、今まで
に判明したこととして、様々な発表がなされた。

・四谷は二階堂家の関係者の誰かから、内情を提供されていた節がある。
・夏子の遺体を調べたところ、利き手である右手の人差し指に血が付着してお
り、血文字は彼女の意思で残したものにほぼ間違いない。ただ、血の痕跡から、
通常とは異なる筆運び(指運び)をした可能性が高い。
・四谷の毒はカプセルで与えられた物ではない。
・春彦は子宝に恵まれなかった。夏子と秋雄は養子である。
・一ノ瀬は夏子に見返りを渡すことを約束して、再び投資話をまとめようとし
ていた。
・三鷹は春彦に頼まれ、夏子や秋雄夫婦の動向を探っていた。
・主治医の町野は第二の事件において、急患を診ていたというアリバイが成立。

 この中で参加者達から特に注目されたのは、三鷹が夏子や秋雄らを見張って
いたというくだりだった。刑事の補足説明によると、春彦が、自分のいない場
で子供達がどんな言動をしているのか、知りたがったとのことである。
 次いで注目度が高かったのは、夏子の血文字の件だ。通常とは異なる筆運び
とは具体的にどうなのか、参加者から質問が飛んだが、これには答えられない
という返事。代わりに、想像力を逞しくせよ、とのヒント?があった。
 最後は、「徹夜してでも推理したい方は、今の内に睡眠を取ることをお勧め
します。事件はまだ残っていますし、解決のために必要な情報も出揃っていな
いのですから」とのアドバイスで、お茶会はお開きになった。

 四時二十分に宿へ戻った。参加者が次に集まる時刻は、例によって夕食時だ。
それまで外出はできない。どうやって過ごすかを思案した結果、桑藤はアドバ
イスに従い、一眠りすると決めた。私はラウンジに出向くことにした。他の参
加者と話がしてみたくなった。
 初めて足を踏み入れたラウンジは、個室以上に豪華に映った。夜間はバーが
開くというカウンターや、高価な器を飾ったケースは重厚な木目調。天井も同
様に見えたが、実は絵で、プラネタリウムを投影できる仕組みになっているそ
うだ。広々とした空間に配されたテーブルは広く、椅子もゆったりと腰掛けら
れた。無論、座り心地も言うことなし。奥にはピアノが置いてあり、誰でも触
っていいようだ。尤も、実際に弾こうなんて人はなかなかいまい。
 窓際の席を確保し、さてどなたに声を掛けてみるかなと、ラウンジを見渡す。
と、先手を打たれた。
「ちょっと失礼をします。もしやあなたは」
 背後、上からの声に振り向くと、柔和な顔の中年夫婦が、前後に列ぶ風に立
っていた。夫婦と断定したのは、名所巡りの折に、彼らの会話を小耳に挟んだ
からである。
「探偵のN**さんではありませんか」
 男性の方が聞いてきた。
 私は一応頷いてから、「ここでは堀詰を名乗っていますので」と注意気味に
答えた。
「ああ、そうでした。申し訳ない。私は上田善行(かみたぜんこう)と言いま
して、地方の大学で教壇に立っております。こちらは妻の」
「美智子(みちこ)です。初めまして」
 見事な連携で自己紹介をする上田夫婦。この奥さんの方には見覚えがあった。
記憶の戸棚を開け、思い出す。
「料理研究家をなさっている? テレビで幾度か拝見しましたよ」
「はい。どうもありがとうござます」
 この二人は札に本名を書いたらしい。少なくとも奥さんの方が世間に顔を知
られているのだから、それでもかまわないと判断したのかもしれない。探偵業
は、できれば顔を出したくないのだが、ときには公に出ざるを得ない事態も起
きる。
 夫妻が同席の可否を尋ねてきたので、快く応じる。
「暇であれば、実際の事件で何か興味深い話が伺えると期待するところなので
すが」
 苦笑交じりに始めた上田善行。髪の白さに目が行くが、よく観察するとさほ
どは齢を重ねていない気がした。専門は何だろう? そういえば名刺をもらっ
ていないが、私が本名云々と言い出したから、引っ込めてしまったのだろうか。
「今は、謎解きイベントのことで頭がいっぱいです。恥ずかしくない程度には、
解答をこしらえねばなりませんからね」
「主人も私も、テレビのサスペンス物は好きなのですが、謎解きだの犯人当て
だのとなると、からっきしなんですよ」
「まあ、こういった謎々に対する、一般の知識人層のレベルを見るサンプルに
は、ちょうどいいんでしょう。その点、えっと、堀詰さんは本職のようなもの
だから、お茶の子さいさいなんでしょうねえ」
「いえいえ、実際とは違いますから、難儀していますよ。目星は付けましたが、
まだ事件が一つ残っている訳ですし、保留です」
「それでも私どもよりは、遙かに先を行かれているはず。そこでというのも何
ですが、道標のようなものをお願いできませんか。平たく言えば、ヒントがい
ただけると助かります」
「ちょっと待ってください。私の考えが当たっているとは限りませんよ」
「かまいません。私達の推理なんて何の足しにもならんのは明らかですから、
このイベントに挑む探偵として協力し合ったというのにも該当しないはず。あ
なたの評価を下げるものじゃありません」
「……では、先にお二人の推理を話してくださいますか? 私の推理と異なる
点があれば、その中から一つか二つ、お伝えしましょう」
「それでも充分です」
 にこやかに頭を下げる上田夫妻。二人は顔を見合わせた後、短く微かなボデ
ィランゲージを経て、夫の方が喋り出した。
「第一の事件の毒殺トリックは、ウェイターが絡んでいるとにらんでいます」
「ほう……」
 いきなり、意表を突く推理が述べられた。
「四谷が死ぬ前後の場面を思い出してみると、あのタイミングで薬を飲むかど
うかは、本人以外には分からない。ですから、事前に毒を仕込むとしたら、薬
しかない。だが、捜査の結果、薬から毒は検出されず。となると、毒は水に仕
込んであり、四谷の死亡後、みんながざわざわしている隙に、ウェイターが毒
の付着していないグラスに、こっそり取り替えたんじゃないでしょうか」
「ウェイターは何が目的で、水に毒を入れて用意していたのですか?」
「ウェイターは、実は一ノ瀬を殺害しようと目論んでいたんです。一ノ瀬から
渡されたグラスで、四谷は薬を飲んだんですから。ウェイターは当てが外れた
が、今更止められない。とりあえず自分の身を守るために、無害のコップとす
り替えた。いかがでしょう?」
「うーん、私の考えとは違います」
「やはり」
「それに、仰る方法だと、床に広がった水からは毒が出なければいけません」
「そこなんですよねえ、ネックは。この引っ掛かりのせいで、自信が持てなく
て」
 なるほど、そういう訳か。
「ユニークな推理だと思いますよ。第二の事件に関しても、聞かせてください」
「まず、単独犯なのだから、犯人はウェイター。第二の事件の謎は、ダイイン
グメッセージ。ウェイターとあのメッセージを結び付ける理屈を考え出そうと、
頭を捻りました。ところで、堀詰さんはダイイングメッセージ、なんて書いて
あるように見えました?」
「一文字の方は、筆記体のyもしくは4。二文字あるように見えた方は、XV
もしくはXYです」
「おっ、ほぼ同じだ」
 上田は年齢に似合わず、子供みたいに嬉しそうに微笑む。妻も一緒に笑みを
浮かべていた。
「私どもはそれぞれ4とXYと解釈しました。ウェイターの名前は志賀大作だ
から、『し』と4をかけて、4と書いた。さらにそれだけでは伝わりづらいの
で、ウェイターの頭文字Wを示唆するXYと書いた。XYに先んじるアルファ
ベットはWです」
「どうして直接、Wと書かなかったんですか。それに、志賀の『し』を表した
いのなら、Sで事足りる」
「犯人に勘づかれて、消されてしまうと考えたんでしょう」
「うーん。まあ考え方の一つではあると思いますが……」
「いいじゃありませんか。こちらの考えは誤りと承知で話しているんですから。
さあ、あなたの推理と比較した上で、優れたヒントをお頼みしますよ」
 請われた私は、どんなヒントがよいかを、しばしの間沈思黙考した。
「じゃあ、それぞれの事件について、一つずつヒントを出します。第一の事件
は、毒はコップと薬瓶それぞれの外側にも付着していなかったのか。もし付着
していたとすればどうなるか」
「はあ……」
 首を傾げつつも、メモを取る上田夫妻。
「第二の事件は、ダイイングメッセージが通常とは異なる筆運びで書かれたと
いう情報に注目して……そうですね、ここまでは言っていいかな。二階堂夏子
は犯人に壁際まで追い詰められた刹那、壁に後ろ手で書いたのかも」
「後ろ手?」
「言えるのはこの程度です。お役に立つでしょうか」
「うーん、正直、ぴんと来ませんな」
 上田善行が苦笑いを浮かべ、頭をなでる。
「でもこれ以上のヒントはなしなんですよね? だったら、自分達でじっくり
考えるとしますよ」
「ありがとうございました」
 上田美智子がすっくと席を立ち、お辞儀をした。時間が惜しいようだ。案外、
本気になって取り組んでいるのが分かる。微笑ましく感じながら私も立ち上が
り、見送ろうとした。
 その瞬間、大きな揺れが衝撃となって、空間を襲った。
 目の前でバランスを崩した上田美智子を受け止めようとして、私は無様に転
倒してしまった。しかも運悪く、テーブルの角に側頭部を打ち付ける始末だっ
た。

〜 〜 〜

 意識を失っていたようだ。
 目を開けると、こっちを心配げに見下ろす桑藤と上田夫妻、大沢司会、それ
にもう一人、見知らぬ顔があった。視線を左右に振り、自分がラウンジの大型
ソファに横たえられているのだと把握した。
「具合はどうです?」
「大丈夫……だと思います」
 話す内に、この見知らぬ男が医師だと分かった。宿に常駐の医師らしい。彼
から「問題ない」とのお墨付きをもらい、まずは一安心だ。
 すると残る四人から次々と気遣いの言葉を掛けられた。頭はすっきりしてい
るし、痛みも消えている。逆に聞き返した。
「何分ぐらい、意識を失ってました? イベント、というか事件の方は?」
「ええっと、五分程度です。事件の方は、堀詰さんの回復待ちでしたよ」
 大沢は答えながら、徐々に笑顔になっていった。大事にならずに済んでほっ
とした、そんな感情がよく表れている。
 医師からもOKをもらい、イベントの進行が再開された。

           *           *

 皆さん、第三の殺人が起きてしまいました。
 犠牲になったのは、二階堂秋雄さんで、彼の寝泊まりする七〇七号室が殺害
現場です。皆さんご存知の通り、七〇七号室は夏子さんが殺された七〇六号室
と、全く同じ間取りで、中の設備や家具、備品にも差はありません。
 死因は絞殺、凶器はカーテン留めのロープで、現場に残されていました。こ
れは七〇七号室の物だと判明しています。
 死亡推定時刻は、四時半から五時の間。奥さんの冬美さんによって発見され
たのが五時十分。冬美さんの話によると、元々五時にラウンジに出る約束をし
ていたのに、いつまで経っても姿を見せないため、部屋まで行き、ノックをし
たが返事がない。さらに施錠されており、ドアが開かない。中にいるのは間違
いないので、すぐさま司会進行の私、大沢を通じて刑事を呼び、マスターキー
で開けてもらったところ、遺体となった夫を見付けたという流れです。
 察しのよい方もそうでない方もお分かりと思います。第三の事件で用意され
た謎は、密室の謎です。犯人は密室をどうやって作ったのか。これをお答えく
ださい。
 なお、この第三の事件に関して、アリバイを有する者はいません。また、殺
害方法は絞殺でしたが、女性にはできないとは限りません。全員にやりおおせ
るチャンスがあったとお考えください。
 このあと、解答用紙をお配りします。書式に従って、欄を埋めてください。
必須項目は三つの謎に対する答えと、犯人の名前、そう推理する理由となって
おります。他にもお気付きの点があれば、どんどん列挙していってください。
内容によっては、大きく加点される場合があります。

           *           *

1.毒の混入方法の謎
 犯人は四谷ではなく、二階堂夏子を狙っていた。彼女の飲んでいたアイステ
ィにはキューブアイスが多数入れてあったが、あの氷の中央部に、毒が仕込ま
れていたのだ。恐らく、犯人は厨房に忍び込んで、細工をしたのだろう。とこ
ろが、氷が溶けきる前に、四谷と何人かの揉め事が始まり、夏子は四谷に飲み
物をぶちまけた。夏子が飲んでいた間は溶け出していなかった毒が、四谷に浴
びせた時点では溶けていたのである。
 そんな毒入りの液体を、四谷は素手で拭った。そして手をしっかりと拭かな
いまま、薬を手のひらに取った。当然、薬には毒が移る。これを飲んだがため
に、四谷は死亡した。

2.ダイイングメッセージの謎
 被害者の夏子が遺したメッセージは、筆記体のy、及び通常のXVと読めた。
夏子はこれを壁に書いていた。遺体発見時には、ベッドに倒れていたのに、何
故、壁に書かれていたか。
 想像するに、夏子は犯人に襲撃され、軽傷を負った段階で壁際に追い込まれ
た。そのとき、後ろ手で文字を書いた。後ろ手で書くと、文字は上下左右が逆
になる。つまり、筆記体のyとXVはそれぞれひっくり返して読まないと、死
者の真意は伝わらない。
 XVをひっくり返すとへX。縦に並べて書くと、ある漢字になる。父である。
 また、筆記体のyに同様のことを施すと、筆記体のhになる。hは春彦のイ
ニシャルである。
 では何故、夏子は同じ人物を指し示す父とh、二通りのメッセージを書いた
のか。それは夏子が春彦の養子であるからと推測できる。最初に父と書いたが、
これだけでは実父と誤解される可能性がゼロではない。そこで急いでhと書い
たところで、犯人に追撃され、メッセージは中断。命を奪われたのだ。

3.密室の謎
 これが最も難しかった。その理由は、殺害現場が密室と化したのが犯人の作
為ではなく、偶然の産物であるからだと推察する。
 そもそも、犯人は秋雄を絞殺という明らかに他殺と分かる方法で殺害してお
いて、部屋を密室状態にする必要があるのか? ない。一刻も早く、部屋から
立ち去ったに違いない。
 ではいったい誰が密室を作ったのか。ここで思い出したいのが、宿全体を襲
った大きな揺れである。あれは秋雄殺害後に起きた可能性が高い。
 あの揺れは、たちのよくない鉄道マニアが、我々が寝泊まりしているここ――
九州一周イベント専用豪華寝台列車の写真撮りたさに、踏切内に入り込み、運
転士が非常ブレーキを作動させたためと判明している。これにより起きた急制
動で、力が列車の進行方向へと掛かる。それは奇しくも、スライド式の閂が、
ロックされる方向と同じ。さらに言えば、七〇〇番台の部屋はどれも古く、閂
錠も緩めだった。開いていた閂が締まってしまうのに、急ブレーキを元とする
力で充分だったと考えられる。

4.犯人の名前、その他お気付きの点
 主にダイイングメッセージに関する分析を理由に、二階堂春彦を犯人と名指
しする。
 なお、二階堂家の内部情報を四谷に漏らしていたのは、春彦である可能性が
高い。混乱を引き起こすことで、二階堂家とその周辺に多くの殺意を生じさせ、
自らの殺意を隠す狙いがあったのだろう。
 また、四谷が薬を飲むのに使ったコップ及び薬瓶の外側を子細に調べれば、
毒が検出されるはずである(四谷の手から毒が移ったと考えられるから)。も
しこの仮説が事実と合致すれば、最初に毒で狙われたのが四谷ではなく、夏子
だったことの傍証になる。
 最後に、この推理劇の仮題『殺人者、東方より来たる』だが、内容にそぐわ
ないなと感じていた。しかし、終了まで半日ほどとなって、はたと気が付いた。
 このタイトルは『オリエント急行の殺人』を意識しているのではないだろう
か。共通点は列車内で事件が発生するというだけだが、それを暗示するために、
オリエントを日本語に直してみたのではないかと思うのだが、いかがだろう?

――終着




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