AWC love fool 01 つきかげ



#434/598 ●長編
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:18  ( 76)
love fool 01     つきかげ
★内容
第一幕

其の一

ここは、真白な世界だ。
彼女は、そう思った。
彼女の名は、ジュリエットという。
ジュリエットは、乗っていた白いリムジンから降りると、一歩踏み出す。
彼女の踏み出した場所は、象牙のように真っ白な橋の上だ。
その、月の光で染め上げたような白い橋の上を、赤い絵の具を含ませた筆を走らせ
たかのように、深紅の筋が走っている。
彼女は、赤い小さな川が流れているようなその先を、見た。
ひとりのおとこが、倒れている。
多分、その赤は、おとこが流した血だ。
赤いものは、その血以外に、もうひとつある。
おとこの傍らに、深紅のバイクが倒れていた。
ジュリエットは、おとこに向かって歩き始める。
この世界には、白と赤以外の音がないばかりか。
音も、途絶えている。
しんとした、張りつめた空気が、あたりを支配していた。
彼女は、塩のように白い橋の上を歩いてゆき、おとこの傍らに立つ。
おとこは、白い服を身に付けている。
白いジャケットに、白いシャツ、白いトラウザース。
ただ、そのベルトのバックルだけに、赤い心臓と骸骨のエンブレムがつけられてい
た。
おとこは、仰向けに倒れている。
おそらく、背中に傷があるらしく、赤い血は背中から白い橋へと流されていた。
ジュリエットもまた、白いワンピースを身に付けている。
ただ、その胸元には、血の滴をたらしたようなルビーのネックレスがあった。
色のない、音のない世界で、ただ赤だけが存在を主張している。
ジュリエットは、おとこの側に膝をつく。
おとこは生きているらしく、その胸が静かに上下していた。
そしておとこの瞳は、真っ直ぐ空を見据えている。
彼女は、その視線を追うように、空を見上げた。
輝く空は、蒼いはずであったのに、見上げたその瞬間あまりの眩しさに全てが白く
染まる。
その瞬間、音も色も完全に消えたその空間に、ジュリエットとおとこの二人きりに
なった。
彼女は、永遠にも似た時が過ぎ去ったような、気になる。
ジュリエットは、自分の中の勇気を振り絞り、おとこに声をかけることにした。
「あの」
すこし掠れた小さな声で、彼女は語りかける。
「あの、大丈夫ですか」
おとこは、夢見るように微笑んだ。
そのあまりの美しさに、ジュリエットのこころが震える。
「どうやらおれは、天国に来てしまったか?」
おとこはその瞳で、ジュリエットを見つめる。
彼女は、こころを剣で貫かれたような、気持ちになった。
「天使がおれを、覗き込んでるじゃないか」
ジュリエットの頬が、朝焼けの空のように、薔薇色に染まった。
突然、静寂が破られる。
バイクのエンジン音が、獣の咆哮がごとく轟いた。
黒いバイクに跨がったおとこが、叫ぶ。
「おい、おいロミオ! いつまで寝ている」
ロミオと呼ばれたおとこは、獲物をみつけた豹のような動作で跳ね起きる。
深紅のボディを持つバイクを起こすと、一挙動でエンジンをかけた。
赤いバイクは、待ち構えていたかのように、獣の唸りのようなエンジン音をあげる。
ロミオは、笑みをジュリエットに投げ掛けると、バイクで走り出す。
走りながら、ロミオは背中から大きな銃を抜く。
ツーハンデットソードのように、大きな銃を、橋の欄干にぶつかり止まっているセ
ダンに向かって撃った。
ジュリエットは、雷が落ちてきたような爆音と衝撃で、骨まで揺さぶられる。
白いワンピースを着た身体が、一瞬宙に浮いたような気がした。
銃弾に貫かれたセダンは、地獄の業火がごとき焔に包まれている。
世界に、色と音が戻ってきた。
それは、塞き止められていたダムが開かれ、水が濁流となったような様である。
悲鳴があがり、怒号が飛び交う。
緊急車両のサイレンが、猟犬の吠え声のように響き渡る。
色彩と騒音が、洪水となってジュリエットの回りを、流れていた。
ジュリエットは、それでもこころの奥底に残った、しんとした場所で考える。
自分が出会ったのは何か、自分に起こったのはなにか。
彼女は、考えた。
そう、きっと、自分は奥深い秘密にされた場所から、ようやくのことで見いだされ
たのだ。
彼女は、そんなことを思うと。
ゆっくり踵を返し、リムジンに向かって歩いていった。




#435/598 ●長編    *** コメント #434 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:19  ( 78)
love fool 02     つきかげ
★内容                                         13/11/22 00:23 修正 第2版
其の二

その部屋には、ふたりのおとこがいる。
広く、薄暗い部屋であった。
その中心に、円卓がおかれており、その机にふたりのおとこはついている。
部屋の周囲は、闇の中に飲み込まれており、壁を見ることはできない。
その円卓だけが、闇の中に浮かび上がっている。
ふたりのおとこ、ひとりは痩せており、ひとりは太っていた。
外見には似かよったところはないが、しかし共通点はある。
ふたりとも、夫であったり父であったり、市民であったりするまえに、ひとりのお
とこであると。
そういう、顔つきをしていた。
おそらく、必要があれば容赦なく酷薄になれるような、鋼の厳しさを内に隠してい
る、そんなおとこ達である。
闇の中から、もうひとりのおとこが姿を表す。
闇から溶けだしたかのように、黒いおとこである。
僧衣のような黒い服を身に付け、黒い髪、黒い瞳を持ち。
昏さを湛えたその表情も、どこか黒い。
そんなおとこが、円卓についているふたりのおとこの間にたつ。
おとこたちの表情に、緊張がはしる。
黒いおとこは、痩せたおとこを見ていった。
「モンタギュー、それに」
今度は、太ったおとこを見て言う。
「キャピュレット」
キャピュレットと呼ばれたおとこは、耐えかねように口を開く。
「エスカラス大公、」
キャピュレットは、エスカラスに瞳で制され、口を閉ざす。
黒い男、エスカラスは、ふたりのおとこを交互に見ると、語り始めた。
「おまえたちが何をしようが本来は関知するつもりは無いが、馬鹿騒ぎにも限度が
あるぞ」
モンタギューと、キャピュレットは、一瞬眼差しを交わしたが、何も言わずにうつ
向く。
「司法が介入するような騒ぎを、このヴェローナ・ビーチでおこすな。金で沈黙を
買うことはできるが、それにも限度と言うものがある」
エスカラスの瞳は、太古の司祭のように、呪術的な力を宿しているかのごとくふた
りを凍らせる。
エスカラスは、言葉を重ねた。
「なあ、モンタギュー、それにキャピュレット。もし次にこんなことがあれば、お
れはコークのビジネスから手を引く。そうすればおまえたちは、ニューヨークのガ
ンビーノと直接取引をすることになる」
モンタギューは、苦々しい顔をして、口を開いた。
「それは」
「無理だろう。おまえたちは今のしのぎを続けたければ、限度をわきまえろ」
モンタギュー、それにキャピュレットは、その言葉に深々と頭を垂れる。
「おれの話しは、これで終わりだ」
ふたりのおとこたちは、エスカラスの呪縛から解き放たれたように、立ち上がった。
立ち去ろうとするふたりに、再びエスカラスが声をかける。
「キャピュレットは、残れ。紹介したいおとこがいる」
モンタギューは、一瞬鋭い眼差しでキャピュレットを見たが、エスカラスに一礼す
ると部屋を出ていった。
キャピュレットは、少し戸惑った顔をしてその場に残る。
「一体、」
キャピュレットの言葉を遮るように、エスカラスは叫ぶ。
「パリス!」
闇の中から、おとこが姿を表す。
映画俳優のように、整った顔であり、洒落たヴァレンチノのスーツを見事に着こな
している。
ブロマイドのハリウッドスターみたいに、華やかな笑みを浮かべていた。
「パリス・ガンビーノだ。ステーツから来た」
キャピュレットは驚いた顔をして、パリスを見る。
パリスは、優雅に一礼をした。
その仕草は、貴族のように洗練されている。
「パリスは、おまえの娘、ジュリエットと結婚したいそうだ」
エスカラスの言葉に、キャピュレットは腹を殴られたように一瞬息をとめたが。
すぐに平静を取り戻し、笑みを浮かべる。
「光栄です、ミスタ・ガンビーノ」
「パリス、と呼んでください」
パリスは、キャピュレットに手を差し出して言った。
「僕は、ヴァージニア州ラングレーから来ました」
キャピュレットは、苦いものを飲まされた顔をして、パリスと握手をする。
「笑えない冗談ですな」
キャピュレットの言葉に、パリスは大きく笑う。
「あいにくと、冗談ではないのですよ。僕はあなたがたのいうところの、カンパニ
ーと繋がってます」
キャピュレットは呆れ顔になって、エスカラスを見る。
エスカラスは、魔物のように邪悪な笑みを浮かべていた。
「まあ、決めるのはおまえだ、キャピュレット」
キャピュレットは、深い深いため息をつく。




#436/598 ●長編    *** コメント #435 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:20  (137)
love fool 03     つきかげ
★内容
其の三

聖市は、摩天楼の聳えたつ世界的に見ても十指には入るであろう、大きな都市だ。
その街の周囲に、ファベーラと呼ばれるスラム街がある。
それはたんなるスラム街ではなく、土地の所有者が明確になっていないような政治
的空白地帯へ、不法占拠的に住む移民たちがコミューンを形成したものであった。
そこは法の支配下に置かれていなため、治安放棄地区ともいえるし、ならず者たち
の造った自治区であるとも言えた。
ヴェローナシティは、そうしたファベーラのうちのひとつである。
有名で巨大なファベーラであるパライゾポリスの隣にあるため、天国に一番近い街
とも呼ばれた。
そのおとこは、ヴェローナビーチの大通りの路肩へ、大きなハーレーのバイクを止
める。
バイクから降りたおとこは、悠然と通りを歩き始めた。
ドレッドヘアーに、浅黒い肌を持つ、黒豹のように滑らかな身のこなしをしたおと
こである。
ファベーラとはいえ、大通りは人口が2万を越える街らしく、それなりの賑わいを
見せていた。
違法建築された現代芸術のオブジェか、魔法結社の儀礼小屋のようにも見える建物
が立ち並ぶ中、道端には露店商が店を開き日用雑貨から肉や野菜、パンやワインに
いたるまで様々なものが商われる。
ドレッドヘアーのおとこは、獲物を探す肉食獣の忍びやかな、けれど素早い足取り
で、裏通りに入ってゆく。
裏通りを少し奥にいけば、ファベーラとしての本性を、ヴェローナビーチは露呈す
る。
建物の影となり薄暗い路地で商う露店商の商品は、出事の怪しげな武器であったり、
麻薬の香りのする煙草であった。
剣呑な顔つきのおとこたちが行き交う路地裏を、ドレッドヘアーのおとこは自分の
庭を歩くように進んでいく。
凶悪な顔つきのおとこたちも、ドレッドヘアーのおとこの顔を見ると、怯えたよう
に目を伏せる。
しかし、そのおとこはそんなことを気にも止めずに、より物騒で荒廃した路地の奥
へと歩を進めた。
そのサイケデリックに壁を派手に塗られた店の前に置かれた椅子に、ひとりのおと
こが腰かけている。
その整った顔立ちのおとこは読んでいた本から顔をあげ、ドレッドヘアーのおとこ
を見つけると軽く会釈した。
「よう、マキューシオ」
マキューシオと呼ばれたおとこは、椅子に座ったおとこに野性的な笑みを見せて答
える。
「よお、ベンヴォーリオ」
マキューシオが、派手に塗られた扉を落ち着かなげに見るのを、ベンヴォーリオと
呼ばれたおとこは薄く笑みを浮かべて眺めていた。
「マキューシオ、おまえの恋人、ロミオなら中にいるよ」
マキューシオは、野獣のように生還な顔に、少しはにかんだ笑みを浮かべる。
「恋人ね、だったらいいけどな」
ベンヴォーリオは、少しため息をつく。
マキューシオは、それを見咎めて舌打ちすると、ベンヴォーリオが読んでいた本を
とりあげた。
「何を読んでんだよ、おまえは」
その表紙には「野生のアノマリー」と書かれている。
ベンヴォーリオは薄く笑みを浮かべたまま、言った。
「首相暗殺を企て失敗したおとこが、獄中で書いた絶望と希望の本だよ」
マキューシオは、苦笑する。
「相変わらずだな、ベンヴォーリオ。なんでおまえは、ロミオと一緒に中に入らな
い」
ベンヴォーリオは、呆れたように肩を竦める。
「御守り役が、一緒にラリる訳にはいくまい」
「まあ、そうだが」
マキューシオは、扉に手をかけた。
それを開き、店の中へと入る。
そこは、とても薄暗い。
洞窟の中に、迷い込んだようでもある。
ボディラインを強調したナイトドレスを着たおんなが、マキューシオを出迎えた。
マキューシオは、首を振って案内を断る。
おんなはマキューシオの顔を知っていたらしく、頷くと退いてマキューシオを奥へ
通した。
その店のなかは、黄昏の世界のように暗い。
広々とした部屋を、いくつもの幕によって仕切っている。
その仕切られたスペースの中に、客が横たわっていた。
ドラッグに酔い、横たわる姿は死体のようでもある。
そうしてみると、その場所は死体置き場のようだと、マキューシオは思った。
彼は、猫科の肉食獣のようにどこか黄色く底光する瞳で、店の中を見回す。
マキューシオは、狼のように夜目がきくようだ。
彼は、闇の中から死んだように瞳を閉じて横たわるロミオを見いだすと、獲物を見
付けた黒豹の動きでそちらへと向かう。
マキューシオは、ロミオの側に静かに膝をつく。
ロミオは、意識が飛んでしまっているようで、火のついた麻薬入り煙草を手にした
まま、横たわっている。
マキューシオは、優しげな笑みを浮かべると、夢見心地の表情でロミオに唇をよせ
た。
唇が触れそうになったその瞬間に、ロミオは目を閉じたまま口をひらく。
「よお、マキューシオ。我が友よ」
マキューシオは、少し悪戯を見つけられた子供のような笑みを浮かべ、ロミオから
唇を離す。
「ロミオ、目を閉じているのに、よく判るな」
ロミオは目をひらき、美しい笑みを浮かべる。
大輪の花のようなその笑みをみて、マキューシオは少し照れたような笑みを浮かべ
て言った。
「目を閉じていて、よく判るな」
ロミオは、まだ眠っているような表情のまま、答える。
「ハシシュをやると、物凄く感覚が鋭敏になる。すると音や匂いであたりの状態が
判ってくる。目を開いているときと、おなじようにな」
マキューシオは、ため息をつく。
「ロミオは、おまえは忘却のためにここへ来たんだろ。意識を鋭くするためじゃあ
ないだろうに」
ロミオは少し肩を竦め、答えない。
「ロザラインとは、どうなんだ」
「ふられたよ」
ロミオは野に咲く薔薇のように美しい笑顔を浮かべたまま、言った。
「おれたちは幾度も熱い肌を溶け合わすように、身体を交えた。全てを焼き尽くす
ような快楽を、ふたりで味わった。そのはずなのに」
ロミオは、少し歌うような口調で続ける。
「おれの頭の中から、銃声と悲鳴、血の薫りが消え去ることは無かったんだ。そし
て」
ロミオは、闇のなかで黒曜石のように輝く瞳で、マキューシオを見る。
マキューシオは、見つめられて身体の奥が震えるのを感じた。
「ロザラインは、そのことに気がついた。ときおりおれのこころが恋人から離れ、
虐殺の荒野をさ迷っていることに」
マキューシオは、無理矢理笑った。
「まあ、おんななんてそんなもんさ。魂と快楽を食らいつくしても決して満足する
ことはない。むしろ、食えば食うほどに飢えていくんだ。おんなたちは」
ロミオは、少し怪訝な顔をする。
「そんなものなのか?」
マキューシオは、深く頷く。
「そんなものだ。忘れちまえよ、ロザラインなんておんなは」
「どうやって」
ロミオの少し戸惑った問いに、マキューシオは真顔で答える。
「おれの愛を、受けてみればいい。忘れさせてやろう」
ロミオは、首をふる。
「残念だがおれは」
マキューシオは、大きく笑う。
「今のは、冗談だ。忘れろ、ロミオ」
マキューシオは、一枚の封筒をロミオに向かって投げる。
ロミオはそれを、受け取った。
その中身には、夜を背景に天使と踊る骸骨の描かれたカードが入っている。
「こいつは」
「ダンスパーティの招待状だ。おんなを忘れるには、もっといいおんなを抱くこと
だ」
ロミオは、少し呆れ顔でマキューシオを見る。
「このカードには、キャピュレットの紋章が入ってる。あのファミリー主催のパー
ティなら、おれが行っても門前払いだ」
マキューシオは、ちっちっと舌を鳴らして、指を左右に動かす。
「仮装ダンスパーティだぜ。仮面をつけていきゃあ、わかりゃあしないさ」
「そんなもんかな」
少し戸惑っていうロミオに、満面の笑みでマキューシオは答える。
「そんなものだよ」




#437/598 ●長編    *** コメント #436 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:21  ( 97)
love fool 04     つきかげ
★内容                                         13/11/22 00:38 修正 第2版
其の四

そして、その夜。
ロミオとベンヴォーリオは、マキューシオにつれられるまま、そのパーティ会場に
ついた。
そこは、外見はまるきり倉庫であったが。
中で鳴り響く轟音に、その身を震わせているかのようだ。
回りは大きな空き地になっており、そこにバイクを停めた三人は会場へと向かう。
マキューシオは狼のマスクで顔の上半分を覆い、ロミオは道化、ベンヴォーリオは
悪魔の仮面を着けている。
会場の入り口には、背が高く分厚い身体をした黒服のおとこたちが、並んでいた。
マキューシオは、涼しげに笑うと、招待状のカードを黒服に差し出す。
無表情の黒服は、そのカードを一瞥してマキューシオに頷いて見せた。
マキューシオは、手をひらひらさせながら通りすぎようとしたが、黒服が呼び止め
る。
「武器の持ち込みは、禁止している。預からせてもらおう」
マキューシオは黒服に笑みを返し、ホルスターに入ったままのS&W M19を黒服に
渡した。
ベンヴォーリオもそれに倣い、ホルスターごとコルトパイソンを差し出す。
ロミオだけが、躊躇っている。
マキューシオは、楽しげに笑いながら、肘でつついてロミオを促す。
ロミオは、意を決したようにガンベルトをはずし、ソード社製のツーハンデッドソ
ードのように巨大な銃を差し出した。
黒服は、表情を強ばらせる。
その巨大なソード社製の銃を扱うおとこは、この街にはひとりしかいないはずであ
った。
それを、知らないものはいない。
ガンベルトごとその銃を受け取った黒服は、ぐっとロミオを見つめる。
慌ててマキューシオが、その黒服に抱きついた。
「いいおとこだねぇ、あんた」
黒服は、少し鼻白む。
「その銃のことなら、気にするな」
マキューシオは目配せすると、無理矢理黒服のポケットに札をねじ込んだ。
「こいつは、かっこをつけたくて、レプリカを持ち歩いてるんだ。そいつはただの
32口径コルトだよ。犬も殺せない、豆鉄砲さ」
マキューシオは、黒服の頬に口づけする。
黒服は、諦めたようにその銃を持って、後ろにさがった。
そして三人は、会場の中に足を踏み入れる。
音が、物理的な圧力をもってロミオたちを包み込んだ。
電子的サウンドが、機銃掃射のように鳴り響いている。
シンセサイザーが、麻薬に浸った脳が見る夢のような、高速のメロディを奏でてい
た。
さらに、光が狂ったように、乱舞している。
あたりは、輝く宝石でできた、カレイドスコープのようであった。
その無数の花火が炸裂するただ中のような空間で、スーポーツカーのように優美な
ボディラインを持つおんなたちが踊っている。
彼女たちは、深海を遊弋する魚のように、穏やかに踊っていた。
しかしその回りは、光と音の空爆を受けているように、音が炸裂し光が疾走してい
る。
「ようこそ、子供たち」
気がつくと、ロミオたちの前に梟の仮面をつけた太ったおとこが、笑みを浮かべて
立っている。
ロミオは、仮面の下の顔が、キャピュレットの当主のそれであることに気がついた。
そうやら向こうも、彼がロミオであることに気づいているようだ。
しかし、そんなことを感じさせぬ笑みを浮かべたまま、梟の仮面をつけたおとこが
言う。
「おれがおんなであれば、放ってはおかないほど好いおとこぶりだな、子供たち」
マキューシオは、優雅に一礼した。
梟おとこは満足げに頷き、言葉を重ねる。
「ここは、顔を忘れ、名を忘れ楽しむ場所だ。子供たち、おまえたちが誰かは知ら
ぬが、存分に楽しんでいけ。優しい夜が駆け足で去り、残酷な朝が来るまでの間だ
けはな」
そういい終えると、梟おとこは一礼して奥へとさがってゆく。
会場の奥には仕切りが作られ、小部屋のような場所があった。
そこには豪華なソファが置かれ、テーブルには酒と料理が並べられている。
梟の仮面を外したキャピュレットは、ソファへと腰をおろす。
その隣には、精悍な顔立ちの若者がいた。
「今のは、ロミオではないのですか?」
問いかける若者に、キャピュレットは杯を口に運びながら一瞥をくれ、答えた。
「ティボルトよ、どうやらそのようだな」
ティボルトと呼ばれた若者は、顔を蒼ざめさせると立ち上がる。
その腰には、大きな純白の拳銃が吊るされていた。
460ウエザビーマグナムという巨大な銃弾を撃ち出す、ホワイトホースと呼ばれ
る銃だ。
「ティボルト、何をする気だ」
「決まってるじゃないですか」
ティボルトは、叫ぶように言った。
「モンタギューは我らの敵だ。叩き出して、土を食わせてやる」
「やめておけ」
キャピュレットは、静かに、しかし断固とした口調で言った。
「ロミオ、あいつはな、蜘蛛だ」
ティボルトは、怪訝な顔でキャピュレットを見る。
「家にある蜘蛛の巣が邪魔だからといって、取り除くのは馬鹿者のすることだ。そ
んなことをすれば、家はあっという間に虫に食われて崩れてしまう」
キャピュレットは笑みを浮かべていたが、鋭い眼光でティボルトを見ている。
「二年前、ロミオはこの街をのっとろうとしたチャイニーズマフィア15人を血祭
りにあげた。その時おまえは、何をしていたのだ、ティボルト」
ティボルトは、蒼ざめた顔で、キャピュレットを睨みつける。
キャピュレットは、優しげと言ってもいい口調で、話し続けた。
「ティボルト、死んだ弟の子供であるお前をおれは、我が子として育ててきた。し
かしな、お前がおれに従わぬのなら、ここの主がだれであるか、お前に教えなけれ
ばならなくなる」
ティボルトは、口を開こうとして、やめる。
そして言った。
「判りました、父さん」
キャピュレットは、鋭い眼差しのまま笑みを浮かべ、頷く。
「判ったなら、座れ。そして、酒を飲め。おまえも、楽しむがいい、我が子よ」




#438/598 ●長編    *** コメント #437 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:22  (113)
love fool 05     つきかげ
★内容                                         13/11/22 00:23 修正 第2版
其の五

電子的にブーストされた轟音が、響き続ける。
炸裂するリズムが脳の奥を揺さぶり、高速で走行するフレーズが身体の奥、敏感な
部分を刺激していた。
そして、こころの奥を蕩かすような甘いメロディが、歌われていく。
南国の花々のように極彩色のドレスを纏ったおんなたちが、深海に沈んだ死体のよ
うに身体を揺すっている。
研ぎ澄まされたナイフのようなおとこたちが、その周囲でステップを踏む。
マキューシオは自分の狩り場を見回る猫のように、悠々とフロアを闊歩していく。
おんなたちに頬をよせ、おとこたちに眼差しを投げる。
マキューシオはディオニュッソスのような笑い声をあげ、ロミオを手招きした。
ロミオは、激しい音と色彩に、少し酔ったように思う。
そこは水の変わりに轟音が満ちた、深海のようだ。
身体の動作が緩慢になり、意識が遠くなる。
オペラグラスを逆さに見たように、全てが遠くに感じられた。
ロミオは、ポケットから煙草を取り出す。
煙草といいながら、ハシシュが混ざっている。
ロミオはそれに火を点け、煙を吸い込んだ。
そして、目を閉じる。
とたんに、全てがクリアになった。
音が結晶化して、幾何学模様のように閉じた瞳の中で見える。
おんなたちも、おとこたちも、工場で動作するマシンのように、ダンスを踊ってい
た。
ロミオは、目を閉じたままフロアを歩いていく。
突然、ロミオは爆弾の炸裂したような輝きを感じた。
音の無い閃光が、フロアの片隅から発せられている。
ロミオは、目を閉じたまま、超新星のような輝きに向かって歩いていく。
ロミオは、ようやく光の前についた。
そこで、目を開く。
そのとき、撃ち殺されたように、全ての音が消えた。
それだけではなく、全ての色も消滅する。
そこは、無限に白く、果てしの無い静寂に満ちた空間であった。
その白い世界に、ひとりの少女が佇んでいる。
ロミオにとって、今世界はその少女だけが全てであった。
彼は、その少女を知っている。
今朝、橋の上で出会った少女であった。
ロミオは、叫び、少女を抱き締めたいと思ったが、実際には身体が動くことはなく。
何も言い出せぬまま、少女の前で立ち竦んでいる。
少女は、名もなき花が開くようにそっと微笑むと、赤い薔薇のような唇から言葉を
零れさせた。
「あの、あなたはどなたなのでしょう」
その言葉と同時に、世界に色と音が戻ってきた。
そこは、元のダンスフロアである。
おんなたち、おとこたちが海を泳ぐ魚のように、音楽の中を漂っていた。
少女は、おそらくキャピュレットの精鋭であろう若者たちに、取り囲まれている。
ロミオは、大輪の花のように美しい顔に、笑顔を浮かべ囁く。
「おれは、名も無き道化。天使のあなたとダンスを共にするために、来た」
少女は、ロミオの差し出した手を取る。
少女の回りの若者たちは、ざわついたが少女が手をあげて留めた。
若者たちは、指示を仰ぐようにキャピュレットの当主を見る。
当主が、許可を与えるように頷くのを見て、動きを止めた。
少女は、風に舞う花びらのように、ロミオと共に音楽の中を漂っていく。
やがてふたりは、ダンスフロアの片隅にある、人気の無いパーティションに落ち着
いた。
少女が、再び問う。
「あなたは本当は、どなたなのかしら」
ロミオは、少女に頬を寄せて答える。
「おれは、エグザイル。愛を失い放浪するもの。しかし、それは今宵で終わる」
少女は、瞳で問いかける。
ロミオは、語る。
「愛を探す探求は、今終わったんだ。おれはここに愛を見つけた」
朝焼けのような薔薇色に染まった少女の頬に、ロミオはそっと手を添える。
「おまえの愛は、どこにある? 愛するおとこは、いるのか?」
「いてます」
少女の言葉に、ロミオは目を見開く。
少女は、優しく微笑んだ。
「今日の朝、橋の上で倒れていたひとに、わたしの愛は奪われたのです」
ロミオは笑い、道化の仮面をとりさった。
少女は、頷く。
「そう、そのひとは、あなたなの」
ロミオは。口づけするように、少女に顔を寄せる。
その時、声が聞こえてきた。
「ジュリエット様」
少女は顔をあげ、答える。
「ここに、います」
黒服が、ふたりのいるパーティションを覗く。
「お父上が、お呼びです」
少女は頷き、ロミオを見る。
「わたし、行かなくては。最後に、あなたの名前を」
「ロミオだ」
それを聞き終えると、少女は立ち去ってゆく。
ロミオは、途方に暮れたように立ち竦んでいた。
彼は、まるで冥界を流離う亡者のように、ダンスフロアを歩いてゆく。
そのロミオの肩を、叩くおとこがいた。
マキューシオである。
「なんだ、ロミオ。幽霊を見たような顔だな」
ロミオは、魂を失ったような顔で呟く。
「おれは、新しい恋を得たぜ」
「ほう」
マキューシオは、笑みを浮かべる。
「結構なことだな。相手は誰なんだ?」
「ジュリエット」
マキューシオは、一瞬胸にナイフを突きたてられたような顔になる。
けれど、すぐに笑みを取り戻した。
ただ、その笑みは苦いものを噛み締めるような、笑みではあったが。
「ロミオ、その名はキャピュレットのひとり娘の名としらぬ訳ではあるまい」
「もちろん」
ロミオは、少し遠くを見る目をして言った。
「知っているさ」

黒服は、ジュリエットを導きながら、彼女に声をかける。
「先程、御一緒されていた方は、ロミオではありませんか?」
ジュリエットは、驚いた顔をして黒服を見た。
「知っているの? ロミオを」
「もちろん」
黒服は、賢者のように落ち着いた口調でジュリエットに答える。
「モンタギューの、跡取り息子ですよ」
ジュリエットは、すっと月が雲に隠れるように、表情を失う。
彼女の周囲から色が消え、灰色に閉ざされたかのようだ。
黒服は、慇懃な口調でジュリエットに語る。
「もし知らずに話をされていたのであれば、誰にも語らず忘れることですね」
ジュリエットは、死者のように白い顔をして、無言のまま頷いた。




#439/598 ●長編    *** コメント #438 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:24  (119)
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★内容
第二幕

其の一

真夜中近い夜空は、黒曜石のように深く暗い。
その黒い夜空に、穿たれた白い穴のような月が、輝いている。
月の白い輝きが、夜空の闇の深さをより濃くしているかのようだ。
深紅のバイクに跨がったロミオは、煙草に火を点ける。
ロミオが乗っている高貴な獣がごとき佇まいを持つバイクは、MVアグスタ・ブル
ターレ・セリエオーロという名を持つ。
血で染められたような深紅のボディと、太陽を捕らえたような金色のホイールを持
っていた。
そのバイクの傍らに、四輪車運搬用のトラックが停められている。
そのハンドルを握るのは、ベンヴォーリオであった。
そして、そのトラックの向こうには、塀に囲われた屋敷がある。
キャピュレットの、館であった。
ロミオは、煙草の紫煙を吐き出すと、明かりの灯るベランダの窓を眺める。
彼は、その窓から彼の愛する少女が姿を現すのを見た。
月影を纏めて織ったように、白いドレスを着た天使の美貌を持つ少女が、夢見心地
の表情でベランダに佇む。
ジュリエットで、あった。
ロミオは、そっと目を閉じる。
そうすることで、漆黒の夜空から降り注ぐ月の光が、よりはっきりと感じられた。
そして、その白い月の光に浮かび上がる炬のような少女を、より強く感じとる。
ロミオは、愛する少女がまるで自らのすぐそばにいるように、その気配を感じた。
彼は、ジュリエットの呟く言葉を、隣で聴いているように聞き取ることができる。
彼女は、こう囁いていた。
「ロミオ、あなたはロミオなのね」
少女の呟きは、続く。
「あなたはロミオ、そう。あの輝く月が月であるように、夜空を横切る鳥が鳥であ
るように、そして」
ジュリエットはどこか夢見るものが語るような調子で、言葉を重ねる。
「暗い大地に転がる石が石であるように、あなたはロミオなのだわ。だから」
ロミオは、ジュリエットが真っ直ぐ自分を見つめているような気がしていた。
「あなたは道化でもエグザイルでもない、ましてやモンタギューですらなくて」
少女は、そっとため息をついて、こう言葉を重ねた。
「あなたは、ロミオであるロミオなのよ」
ジュリエットは、両手を空に向かって差し出し、叫ぶように言った。
「だからわたしも、あなたの前に立つときにはキャピュレットでは無くて、ジュリ
エットになるの」
少女は、自分を抱き締めて、こう言った。
「あなたといる時のわたしは、ジュリエットであるジュリエットなのよ」
ロミオは、目を見開いた、
気がつくと、その傍らにベンヴォーリオが立っている。
トラックの四輪車を積む荷台はバンクされ、スロープを作り上げていた。
ベンヴォーリオは、うんざりしたような口調でロミオに語りかける。
「まさか、本気じゃあないよな」
ロミオは、夢見るような表情で、ベンヴォーリオを見る。
「おれは、いつだって本気だぜ」
ベンヴォーリオは、肩を竦めた。
「ガキじゃあ、あるまいし」
ロミオは、おんなであれば誰であれ、こころを溶かされてしまうような瞳でベンヴ
ォーリオを見る。
「おれたちは、紛れもなくガキだ。そうだろう」
ロミオは煙草を捨てると、バイクのハンドルを握った。
ベンヴォーリオは、ため息をつくと言った。
「ハンフリー・ボガードが出演している古い映画で、こんな台詞がある」
ベンヴォーリオは、腰からコルト・パイソンを抜くとロミオに向ける。
「命が惜しければ、三つ数える間に失せろ」
ロミオは、苦笑した。
「おいおい、ベンヴォーリオ」
「おれは、本気だ」
そして、コルト・パイソンの撃鉄をあげる。
カチリと、機械が噛み合う音をたてた。
「これが最後の警告だ、ロミオ。おまえは愚かな道を選んでしまった」
「もちろん」
ロミオは、甘い笑みを見せた。
「愛とは常に、愚かな道だろう」
「映画みたいに」
ベンヴォーリオは、感情が消えた声で言った。
「三つかぞえよう。その間に考え直せ」
「ああ、答えはもう決まっているさ」
「1、2」
ロミオのバイクが、獣の咆哮のようなエンジン音を響かせた。
「3」
銃声は、獣が後脚で立ち上がるように前輪を跳ねあげたバイクのエンジン音に、掻
き消される。
銃弾は、ロミオからそれ塀にあたって煙をあげた。
バイクは、疾走する獣のように、トラックの作り上げたスロープを駆け上っていく。
深紅の獣が、漆黒の夜空を飛んだ。
ロミオの乗ったバイクが、キャピュレットの屋敷の塀を越えて、肝木をへし折りな
がら庭へと着地する。
そして、真っしぐらにジュリエットの立つベランダの下めがけて走ってゆく。
獲物に襲いかかる獣のように疾走したバイクは、ベランダの下へピタリと止まる。
静寂が、一瞬戻った。
月明かりの下で、ロミオは軽々とベランダへと登る。
ジュリエットは、水から上がってきたひとのように、大きく息をして言った。
「ロミオ、ロミオ、なんてこと、あなたはいつもわたしを驚かせる」
ロミオは、夢見るような表情を浮かべたまま、ジュリエットに顔を寄せる。
「忘れ物を、届けに来たんだ」
「まあ、いったい何かしら」
ジュリエットが驚いた顔をするのを無視して、ロミオはその唇を奪った。
それは、相手の魂までも吸い付くしてしまうかのような、濃厚な口づけだ。
ジュリエットは、世界が消え去り二人だけになったように思う。
熱が、そして燃え盛る愛が、ロミオの唇から彼女に流れ込んでくるのがわかる。
脳の奥が、火で炙られているかのように熱かった。
胸から広がっていく暖かい血の固まりは、腰や下腹を通り抜け脚の先まで伝わって
ゆく。
愛の熱に満たされ、息苦しくすらある。
まるで、愛に溺れてしまうようだ。
そう思った時、ロミオの唇が離れた。
それだけのことが、ジュリエットに身を裂くような寂しさをもたらす。
屋敷が、騒然となった。
階段を誰かが上がってきて、扉を叩く音がする。
庭が一斉にライトで照らされ、マシンガンを持った黒服たちが姿を現す。
けれどロミオは、自分の部屋にいるように落ち着いていた。
ジュリエットに紙きれを渡すと、もう一度軽く唇を触れあわせ、飛ぶように自分の
バイクへ戻る。
再び獣の咆哮がごときエンジン音が、漆黒の夜空の下響き渡った。
けたたましくマシンガンの銃声が、鳴り響く。
猟犬の吠え声のようなその銃声を貫いて、ロミオのバイクは走った。
ロミオは、大きなソード社製ハンドガンを抜くと、門に向かって一発撃つ。
落雷のように巨大な銃声が轟き、巨人の鉄槌を受けたように門が開いた。
ロミオは、疾風のように門を抜け闇の中へと走り去ってゆく。
ジュリエットは、ロミオに手渡された紙切れを見る。
そこには、こう書かれていた。
「明日、16時。教会で待つ」
部屋の扉が、開かれる音がした。
ジュリエットは慌ててその紙を口に入れ、飲み込んだ。




#440/598 ●長編    *** コメント #439 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:25  ( 87)
love fool 07     つきかげ
★内容
其の二

善きにしろ、悪しきにしろ、ヴェローナ・ビーチは活気に満ちている。
その街は、ジャンクヤードのような混沌が溢れていたが、裏返せば剥き出しの生命
力に満たされているとも言えた。
しかし、その教会の中は、静寂が支配している。
森の奥深い場所であるかのような、しんとして澄んだ空気が漂っていた。
そして、黄昏のような薄闇が、全ての音を飲み込んでいるようだ。
その静かな場所に、ひとりのおとこが踏み込んでくる。
白いジャケットを身に付け、腰にツーハンデット・ソードのように大きな拳銃を吊
るしたおとこであった。
「これは、珍しい」
祭壇の下に居た、黒衣の神父が声をかける。
「ロミオではないですか。まさかわたしの話を聞きに来たわけでは、ないでしょう
ね」
ロミオはベンチのひとつに腰をおろすと、神父を見る。
「あなたにお願いがあって来た、ロレンツ神父」
ロレンツは、驚いた顔でロミオを見る。
しかし、その顔に笑みを取り戻した。
「わたしにできることであれば、なんなりと力になりましょう、ロミオ」
ロミオは、大きく頷く。
その眼差しに、真剣なものを読み取ったロレンツは、真摯な眼差しでロミオを見つ
め返す。
ロミオは、ゆっくりと語り始めた。
「おれは、結婚しようと思っている」
ロレンツは、再び驚いた顔となった。
「まさか、ロザラインとですか?」
ロミオは、苦笑する。
「あのおんなには、ふられたよ」
ロレンツは、ため息をついた。
「相手の名を、聞かせてもらえますか、ロミオ」
ロミオは、ひと呼吸おくと、思いきった口調でその名を語った。
「ジュリエットだ、ロレンツ神父」
ロレンツは、頬を張り飛ばされたように、息をとめる。
しばらくして、その顔を笑みで崩れさせた。
「ロミオ、ロミオ。全く君には驚かされる。君はキャピュレットのひとり娘と、結
婚するというのですか」
ロミオは、少し苛立った顔で、頷いた。
「キャピュレットだのモンタギューだのというものは、おれにとってもう、どうで
もいいんだ」
ロミオは、真っ直ぐにロレンツを見る。
「おれは、ひとりのおとことして、ひとりのおんなを愛した。だから結婚する。何
か間違っているのか? おれは」
ロレンツは優しく微笑むと、首をふった。
「君は、この街の誰より正しい決断をくだしたと思いますね、ロミオ」
ロミオは、当然だと言うように、頷いた。
「おれはこれから、ジュリエットを妻として迎える。あんたにはその場に立ち会っ
てもらい、証人となって欲しいんだ、ロレンツ神父」
「いいでしょう、ロミオ。君がわたしにその役を求めてくれたことを、とても嬉し
く思います」
ロレンツは、そっとため息をついた。
「それにしても、わたしの元に来てくれるとは、少し意外ですね。君は、主への信
仰などに興味を持ってなかったでしょう?」
ロミオは、肩を竦める。
「ロレンツ神父、残念だがおれにとってあんたらの教えは難しすぎる」
ロミオは、少し苦笑いを浮かべて語る。
「あんたらは、おれたちは罪深い存在だという。その理由というのが、大昔にひと
りのおんなが木の実を食べたからだという」
ロミオは、困惑気味の表情を浮かべている。
「おれの知らないおんなが犯した罪を負わされ、さらにその罪を贖うために十字に
吊るされたおとこを崇めろと言われても」
ロミオは、首をふる。
「おれには、無理な相談だ」
「ロミオ、君は間違っていますよ」
ロミオは、驚いた顔をしてロレンツを見る。
「おれが、間違っている?」
「はい。罪なぞ存在しませんし、主が十字架に吊るされたのも、もちろん罪を贖う
ためではありません」
「ほう」
ロミオは、興味深そうにロレンツを見た。
「では、なんのために彼は死んだのだ」
「愛を、知らしめるために」
ロレンツは、じっとロミオを見つめ、厳かといってもいい口調で語った。
「全てのひとは愛につつまれており、愛によって生かされていることを知らしめる
ために、十字架に登ったのです」
ロミオは、苦笑にも似た笑みを浮かべる。
「あんた、そんな話をしてヴァチカンから破門されないのか?」
「ここは、天国に一番近いファベーラですから、わたしはヴァチカンよりも主に近
いのですよ。それより、信仰を持たない君が、なぜ証人としてわたしを選んでくれ
たのですか?」
ロミオは、少し鼻で笑う。
「決まってるさ。このヴェローナ・ビーチでキャピュレットでも、モンタギューで
もないひとで、信頼できるのはあんただけだからさ、神父」
神父は、深く頷いた。
その時、再び教会の扉が開く。
ひとりの、白いワンピースを着た少女がそこに立っている。
ジュリエットであった。




#441/598 ●長編    *** コメント #440 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:26  ( 84)
love fool 08     つきかげ
★内容
其の三

ロレンツは、息をのむ。
その少女は、彼の知っていたジュリエットではない。
彼女は教会に踏み込む度に、そこの時間を凍り付かせていくようであった。
黄昏の闇に満たされた教会の時間を、きらきらと輝く水晶の結晶のように、凍り付
かせてゆく。
ロレンツは、自分の目を疑う。
ロミオに向かって歩いて行くジュリエットの周りから、色が失われていくようだっ
た。
ロミオが出迎えるように、踏み出していく。
ロミオの周りからも、色が失われていった。
ふたりを中心にして、白い闇が広がってゆくようだ。
ロミオとジュリエットのふたりは、真っ白な凍り付いた世界で彫像のように抱き合
っている。
ロレンツは、自分が見ているものが、永遠であると思えた。
愛は自分達の意識を超えた、永遠の一部に触れる行為なのだと、ロレンツは感じる。
それは、落雷にうたれるように、ロレンツのこころに訪れた理解であった。
唐突にロミオが膝をつき、ガラスが砕かれたように、時間が動き始める。
ロミオは腰からソード社製の、ツーハンデッドソードのように長大な拳銃を、ジュ
リエットに捧げた。
その姿は、誓いをたてる、中世の騎士に似た姿である。
ジュリエットは、無言のままその銃把に手をかけた。
銃口は、ロミオの心臓に向けられている。
ロミオが、言った。
「おれは、おまえを愛し続ける」
ロミオの声は、大きくはなかったが、教会に響きわたってゆく。
「泡立つ海が押し寄せて、我を飲み込まぬ限り」
ロミオは、いにしえの司祭が儀式を執り行うように、言葉を続ける。
「蒼天、我が上に墜ちてきたらぬ限り」
ロミオは、祈りを捧げるように顔をふせ、言葉を締め括った。
「我が誓い、破られることなし」
言い終えるとロミオは銃を腰のホルスターに戻し、立ち上がるとジュリエットに口
づけをした。
まるで、ふたりがその身体を溶け合わせようとするかのような、熱い口づけをかわ
す。
長い長い無言の時間が過ぎた後、唇を離したふたりは見つめ合う。
ジュリエットが沈黙を破り、口を開く。
「わたしは、これであなたの妻となったのですね」
「そうだ」
ロミオは、頷く。
「おまえは、今、我が妻となった」
ジュリエットは、ロミオの肩にその額をもたれかける。
ロミオは、優しくジュリエットの肩を抱き締めた。
ロレンツはそのふたりを見ているだけで、胸を締め付けられるような思いに満たさ
れて行く。
ロレンツは、ふたりの傍らに立つと、言った。
「わたしが証人となりましょう。あなたがたの誓い、確かに見届けました」

マキューシオが、モンタギューの屋敷の前にバイクをを停めたその時に、ちょうど
ベンヴォーリオが外出しようとしているところだった。
「おい、何を急いでる、ベンヴォーリオ」
ベンヴォーリオは、マキューシオを見ると、珍しく焦った感じで問いかける。
「ロミオを見なかったか?」
「いや」
マキューシオは、苦笑した。
「ロミオのお守りは、お前のかかりだろう」
「お前には愛の導きが、あるんじゃあないかと思ったんだが」
マキューシオは、少し頬を染める。
「よせよ、そういうのは」
ベンヴォーリオは、少し肩を竦め立ち去ろうとした。
マキューシオは、慌ててベンヴォーリオを止める。
「おい、何があったんだよ」
ベンヴォーリオは、マキューシオに封筒を投げる。
マキューシオは、ロミオに宛てられたらしい封筒の中を見た。
マキューシオは、眉をしかめる。
「これは、果たし状じゃあないか」
ベンヴォーリオは、頷く。
「キャピュレットのティボルトが、ロミオの相手をしたいらしい」
マキューシオは、ため息をついた。
「エスカラス大公は、認可したのか」
「サインがある」
マキューシオは、自身でそれを確かめる。
封筒をベンヴォーリオへ戻すと、問うた。
「どうするんだ」
「ロミオに知らせぬわけには、いくまい」
「ほっとけ、やつは。恋に狂ってそれどころじゃあない」
「しかし」
マキューシオは、不敵な笑みを浮かべる。
「決闘には代理人をたてることが、許されている。おれが代理人として、ティボル
トの相手をしよう」
マキューシオは、獣の目をして言った。
「ロミオを殺させるわけにも、ロミオに殺させるわけにもいくまい」
ベンヴォーリオは、やれやれと頷く。




#442/598 ●長編    *** コメント #441 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:27  ( 76)
love fool 09     つきかげ
★内容
其の四

ジュリエットは、とても幸福だった。
まるで、薔薇色の宇宙の中を、漂っているかのようである。
頭の天辺から、胸の先、下腹、爪先まで、ぴりぴりとした痺れるような快感に薄く
覆われているようだ。
今この瞬間が、永遠に続けばいいと思う。
それでなければ、今この瞬間に世界が滅べばいいと思った。
ああ、なんて愚かなことを考えているんだろうと、ジュリエットは頭の片隅で思う。
そして、その愚かさはどんどん加速していくようであった。
ロミオが、そんなジュリエットの耳に、唇をよせる。
「今夜、真夜中におまえの元へゆく。夜を共にすごそう。だから、通用口の鍵をあ
けておけ」
ジュリエットは、目の眩むような幸福を感じながら、頷いた。

そこにいるものは皆、場違いな侵入者を見る目でロミオを見た。
そう、このファベーラの裏通りの奥にある広場に相応しいのは、流される血と死を
吐き出す銃口の熱であり、愛に酔いしれたおとこの瞳ではない。
対峙しているのは、ティボルトとマキューシオであり、双方に付き添い人がいた。
マキューシオの付き添い人は、ベンヴォーリオである。
ティボルトは、獲物を狙う蛇のような目でロミオを睨み、マキューシオはあから様
に舌打ちをした。
「それで、何をいってるんだ、おまえは」
ディボルトは、毒を吐くような口調で、ロミオを問い詰める。
「簡単なことさ」
ロミオは、夢見るような口調で語った。
「争いをやめて、今夜は皆、愛するものの元へ帰ろうといったんだ」
そこにいるものは、全員失笑した。
ティボルトは唾を吐き捨て、腰の銃を抜く。
シルバーホワイトの、美しい銃が姿を現す。
18インチの長大な銃身を持つ、カスタムメイドのその銃は、ロミオの持つ凶悪な
銃とは違い優美なスタイルを持っていた。
しかし、その使用する弾丸は460ウエザビーマグナムという、ロミオの銃よりも
強大な破壊力のある銃である。
「寝言にしても、間抜けすぎるぞ、ロミオ」
月の光に照らされたティボルトの精悍な顔は、血に飢えた爬虫類のように冷酷であ
った。
「おれの銃は、貴様の血を見るまで、満足することはない」
ロミオは、薄く笑みを浮かべると、頷いた。
「なるほど、判ったよ」
ロミオは、懐からナイフを出す。
ナイフというようりは、短剣といったほうがいいサイズの刃が、月の光を受け冴え
た輝きを見せる。
ティボルトが、嘲笑した。
「ふん、やる気をだしたのかもしれんが、得物が違うぞ」
ロミオは優しく笑みを浮かべたまま、首を振る。
「いや、これでいい」
ロミオはその短剣を振り上げ、一切の躊躇いなく自分の左腕に突き刺した。
短剣は腕を貫き、切っ先を見せている。
ロミオは、物凄い苦痛に襲われているのだろうが、笑みを浮かべたままであった。
マキューシオも、ティボルトも、酷くハレンチなものを見せつけられた紳士のよう
な顔で、ロミオを見る。
ロミオは、額に汗を滲ませたが、涼しげな笑みは消さず一気に短剣を引き抜いた。
金属質の輝きを帯びた血が、放物線を描き月の光を受け煌めく。
「これで、満足したか、おまえの銃は」
ロミオは、夢見るような調子でティボルトに囁きかける。
「足りなければ、次は胸を刺そうか?」
「やめろ」
ティボルトは、生まれてこの方、ここまで恥知らずな行為は見たことがないという
顔をして、叫ぶ。
「やめろ、この愚か者」
ベンヴォーリオがロミオに駆け寄り、無理矢理地面に座らせると、治療を始める。
「おまえは馬鹿者だと思っていたが」
ベンヴォーリオは、心底うんざりした口調で、ロミオの傷口を消毒し血止めを塗り
込む。
「ここまで、馬鹿とは思わなかったぞ、ロミオ」
「すまない」
ロミオの謝罪を、ベンヴォーリオは鼻で笑い飛ばし、針と糸を取り出す。
「おまえの傷口を縫ってきたせいで、裁縫が上手くなっちまった。全くしまらない」
「すまない」
繰り返されたロミオの謝罪に対し、ベンヴォーリオは睨み付けて答える。
「くだらなすぎる」
ティボルトは、うんざりしたように言うと、銃を納めた。
そして、振り返り付き添い人へ帰るように促す。
その背中に、マキューシオが声をかける。
「おい、待てよ、この腰抜け」




#443/598 ●長編    *** コメント #442 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:28  ( 92)
love fool 10     つきかげ
★内容
其の五

ティボルトは、振り向いてマキューシオを見た。
その口元には、楽しげと言っていいような笑みが、浮かんでいる。
「おまえの相手は、ロミオじゃない。おまえは代理人としておれを承認した。そう
だろう?」
ティボルトは、目に面白がっている色を浮かべた。
「ほう」
そして、その瞳には、血に飢えた獣の欲望が透けて見える。
「マキューシオ、おまえはガンビーノと直接繋がりを持ってるつもりなんだろうが」
ティボルトは、その声に酷薄な響きを滲ませた。
「決闘では、そんなものは役に立たないぞ」
マキューシオは、失笑する。
「おまえこそ、決闘ではキャピュレットの名がつくものが勝つようにできてると、
信じてるんだろうが」
マキューシオは、嘲りを声にのせた。
「ロミオもおれも、家の名前なんぞ役に立たない無法の荒野で戦ってきたんだ。温
室で、大事に育てられたおまえと違ってな」
ティボルトは、頬を赤く染める。
マキューシオは、こころの中でほくそ笑んだ。
ティボルトにあるのは、ロミオへの劣等感である。
あえて実用性が無い、カスタムメイドの銃を持っているところも、その現れだ。
ロミオより強力な銃を持つことが重要であり、それが実戦では役に立たないことな
ど、ティボルトには意味を持っていなかった。
ロミオの持つ、ソード社製リボルビングオートマティックは、30ー06ウィンチ
ェスターマグナムという拳銃弾としては強力すぎる弾を扱う。
しかし、ガスシリンダーで重たいボルトを動かすことで、強大な反動を殺す仕組み
を持っており、使い手を選ぶが辛うじて実戦でも使用可能な銃だ。
一方ティボルトのホワイトホースは、コルトSAAという百年前の銃と同様の仕組
みを持つ銃であり、美しく強力な銃ではあるが実用性を著しく欠く。
決闘で、S&W・M19を持つマキューシオと対峙すれば、本来なら勝てるものでは
ない。
おそらく、ティボルトは自分の部下に代理人をさせるつもりであったはずだ。
それは、マキューシオの望むところではない。
マキューシオは、ティボルトを殺すつもりであった。
もし、ロミオが本気でジュリエットと添い遂げるつもりならば、ティボルトこそが
唯一の障害である。
ある意味、メデジンとカリという二大カルテルの代理戦争としての様相を持つ、キ
ャピュレットとモンタギューの対立は当主からするとただのポーズに過ぎないもの
だ。
両家は、対立しているように見せかけることで、メデジンそしてカリとうまくやっ
ていけるから、そうしている。
だから、両家とも表面的にロミオとジュリエットを絶縁したとしても、こころの中
では祝福するだろう。
けれど、ティボルトは違う。
こいつにあるのは、ロミオへの憎しみだ。
マキューシオは、挑発を続ける。
「御大層に立派な銃を、腰に提げているようだが」
マキューシオは、あからさまに嘲りの笑みを浮かべる。
「父親の膝から降りたことの無いおまえは、その銃だって撃ったことは無いんだろ
う」
ティボルトの顔から、表情が消えた。
マキューシオは、満足げに笑う。
本気に、なりやがった。
これで、銃を抜かないわけにはいくまい。
最悪、相討ちでいいと、マキューシオは思う。
「ロミオの犬の癖に、でかい口をたたく」
ティボルトが毒のような憎しみをこめて、言った。
マキューシオは、優しげといってもいい笑みでかえす。
「おや、嫉妬なのか? おまえもロミオに飼われたいんだろ」
「ごたくはもう沢山だ」
ティボルトは、鋼のような固さを瞳に宿らせる。
「おしゃべりをしに来たわけじゃあない、そろそろ始めようか」
「よかろう」
マキューシオは、頷く。
我ながら、不思議である。
自分の恋を考えれば、ロミオがジュリエットと結ばれないようすべきなのに。
なぜ、おれはこいつを殺そうとするのか。
マキューシオは、自嘲する。
なるほど愛は、ひとを愚かにするようだ。
けれど、愛は欲望を超え崇高なものだとも思う。
ティボルトは、マキューシオの笑いを自分に向けたものと思い、怒りで瞳を輝かす。
そして、後ろにいる従者に言った。
「10数えろ、それが終わったら決闘の合図だ」
従者が頷き、数え始める。
その時、ベンヴォーリオの腕を降りきって、ロミオがマキューシオの前に立ちふさ
がった。
「やめろ、やめてくれ」
ロミオは、叫ぶ。
マキューシオは、うんざりしたようにロミオの身体を脇にそかそうとした。
「今夜は、誰にも死んで欲しくないし、殺して欲しくない。今夜は、祝福された夜
としたいんだ、おれは」
ロミオの声は、絶叫に近づいてゆく。
マキューシオは、首を振った。
「寝言は、寝て言ってくれ。何かを得るなら、何かが失われる。それにおまえがい
ると、ティボルトが見えない」
ロミオはさらに、叫ぶ。
「おれはほんの子供のころから、望まれるまま、何十人も殺してきた。なぜ、たっ
た一夜の平和すら許されない」
マキューシオは、一瞬胸を締め付けられるような思いにとらわれ悲しげな顔となる。
その時、訃報を告げる鐘のような銃声が轟き、マキューシオは自分の腹で炎が炸裂
するのを感じた。




#444/598 ●長編    *** コメント #443 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:29  ( 87)
love fool 11     つきかげ
★内容
其の六

マキューシオは、目を開く。
視界に真っ暗な夜空に輝く月が、飛び込んでくる。
マキューシオは、自分がまだ生きていることに、軽い驚きを覚えた。
生きてはいるものの、燃え盛る焔を腹におさめたような気分である。
身体は、ばらばらになったようで、どこに手があり脚があるのかさっぱりわからな
い。
ただ、夜の闇より暗い痛みだけが、自分をこの世にとどめているのだと思う。
誰かが、遠くで叫んでいるようだ。
視界に、ロミオの顔が入ってくる。
どうも、叫んでいるのはロミオらしいが、声は遠くで叫んでいるようによく聞こえ
ない。
マキューシオは、微笑もうとしたがどうやら顔がひきつっただけのようだと思う。
「落ち着け、ロミオ」
そう言ったつもりだが、多分でたのはうめき声だ。
水滴が、マキューシオの頬を濡らす。
ロミオの、涙のようだ。
そいつは、ジュリエットにとっておけと言おうとしたが、うまくいえない。
喘ぎがもれ、マキューシオは血の塊を吐いた。
言葉が、出るようになる。
「ロミオ、おれの傷をみろ」
「マキューシオ、」
「天国への門にしちゃあ、狭すぎるが、地獄へとどくには、浅すぎる。それにした
って」
マキューシオは、笑みを浮かべるのに成功する。
「死ぬには、十分だ。そうだろう?」
「マキューシオ、おれは」
マキューシオは、首を振った。
「ヴァルハラで会おう、ロミオ。だが、おまえはそんなに急いでこなくてもいい」
マキューシオは、ロミオが自分の手を握っていることを確認し、満足げに頷く。
そして、最後の力を振り絞って叫ぶ。
「キャピュレットもモンタギューも、この世から消えてなくなれ!」
そして、おれの恋人、ロミオを自由にしろ。
そう言おうとしたが、最後の文句は声にならず、死がマキューシオを連れ去った。
傷をおった獣の、遠吠えのようなロミオの叫びが、夜の闇を切り裂き凍り付かせて
ゆく。
孤独な獣の叫びが、夜の闇を深くし、月の光を刃のように鋭くした。
真夜中に、暗黒の太陽が昇ってくるように。
ロミオは、ゆっくりと立ち上がった。
ロミオは、世界が渦に巻き込まれているように感じる。
誰がどこにいるのか、把握できない。
ただ。
足元に、マキューシオの死体があることだけは、判った。
まるで死体以外の世界が全て粉々に破壊され、万華鏡の中の風景になったようだ。
ああ、おれは。
死にこそ、愛されている。
そう思った瞬間、ロミオの意識が闇に飲まれた。

「そこにいるのは、誰だ」
モンタギューの当主は、自分の書斎への侵入者がいることに気がつく。
彼は、自分の部屋に明かりを点けていなかった。
その部屋を照らしているのは窓から入り込む、月の光だけである。
「父さん」
その人影は、月の光の元に、蒼ざめた姿を晒す。
「ロミオか」
モンタギューは、我が子の名を呼ぶ。
「父さんおれは」
ロミオは、少し震える声で語る。
「ティボルトを、殺してしまった」
「知っている」
モンタギューは、静かな声で我が子に語りかける。
「エスカラス大公からの使者が、さっき帰ったところだ。おまえは、このヴェロー
ナ・ビーチから追放だと言い渡していったよ」
「父さんおれは」
モンタギューは首を振って、我が子の言葉を止める。
そして、彼はロミオの身体を、強く抱き締めた。
「ロミオ、わたしはおまえに父親らしいことは、何もできなかった」
モンタギューは、夜のように静かな声で語り続ける。
「ロミオ、もしもおまえが望むのであれば、この街の全てが潰えるような戦いを引
き起こそう」
モンタギューは、ロミオを抱き締めたまま、言葉を重ねる。
「わたしにできるのは、せめておまえを全てから解き放つことだ」
ロミオは、首を振った。
「父さん、おれはそんなことは望まない」
モンタギューはロミオから、身体を離す。
ふたりは、向き合った。
「追放が裁きの結果なら、おれはそれを受け入れる。ただ、朝まで時間をくれ、行
くところがある」
モンタギューが何かを言おうとしたが、ロミオが首を振ってとめる。
「最後にひとりにさせてくれ。おれは、今まで何も望まなかった。ひとつくらい、
願いを言っていいだろう?」
モンタギューは、頷く。
そして、ロミオは再び夜の闇へと消えていった。
死霊たちが、墓地にある棲みかへと帰るように。
闇の中へと、音もなく溶け込み気配をたった。
モンタギューはひとり、闇をみつめている。




#445/598 ●長編    *** コメント #444 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:30  ( 77)
love fool 12     つきかげ
★内容
其の七

ジュリエットは、ベッドの中にいた。
恋人が、兄を殺したという情報は、既に彼女のもとへ届いている。
それでも、ロミオが今宵彼女のもとにくることを、信じて疑うことはなかった。
ジュリエットは、凍える真冬の夜に春を待ちわびるように、恋人をじっと待つ。
ジュリエットにとって、夜の闇は恐ろしいものではない。
それは、おそらく、彼女とロミオの恋を守ってくれる、秘密の帷であるはずだ。
彼女は、窓の外を見る。
真っ暗な空を、月明かりに照らされた銀灰色の雲が、横切っていくのを見ていた。
永遠にも似た時間が、過ぎ去ったような気もする。
けれど、全ては一瞬のことだあったような気もした。
気がつくと、黒い影が窓の前に、佇んでいる。
そのシルエットは、まぎれもなく彼女の恋人のものだ。
ジュリエットは、愛しいその名を歌うように呼ぶ。
「ロミオ、待っていたの」
ロミオが少し動き、その顔が半分だけ月の光に照らされる。
そこに現れたのは、仮面のように凍り付いた、蒼ざめた顔であった。
「おれは」
ロミオは、とても深く静かな声で、ジュリエットに話しかける。
「おまえの兄を、殺した」
「知っているわ」
ジュリエットは、殺されたのはロミオではないのかと、思えてしまう。
その闇に包まれた姿は、死霊のようでもあった。
死の天使は、今夜ついに恋人をその手に抱き止めたというのだろうか。
いいえ。
ジュリエットは、思う。
今夜、ロミオを手に入れるのは、他の誰でもなくこのわたし。
「愛しいひと、あなたの手が血まみれであっても、かまわないの」
ジュリエットは、両手をロミオに向かって差し出す。
「今、世界にはわたしとあなたしかいないのよ。だから」
彼女は、すがるようにロミオを見る。
「ここへきて、わたしを抱いて」
ロミオは滑らかな動作で、彼女の側にくる。
そして、世界は白い闇に包まれた。
ジュリエットは、とても不思議な経験をする。
それは、真っ白な世界であった。
その世界は、時間がないように思える。
そして、空間もないようだ。
きっと、永遠で無限な世界にちがいない。
そこには、彼女とロミオの二人しかいなかった。
そして、そこでジュリエットはロミオに、産み出されることになる。
ロミオの手が、彼女の身体の表面をなぞってゆく。
ぬばたまの髪に包まれた頭や花びらのように柔らかい頬、白い丘陵のような胸や、
弦楽器のように優美なラインを持つ腰。
果実のように膨らんだ臀部に、しなやかさと流れるように美しいラインを兼ね備え
る足。
植物の枝のようにのびる腕や、貝殻のような耳、その他秘められた場所、熱をはら
んで息づいている場所をロミオの手のひらはなぞってゆく。
演奏者が楽器を奏でるように、画家が絵を描いてゆくように、彫刻家が形を掘り出
してゆくように。
白い闇に埋まっているジュリエットの身体を、快楽を含んだ熱を与えて造り上げて
ゆく。
ジュリエットは、自分がロミオによって産み出されてゆくように思えた。
自分は、この闇の中で快楽という熱の海に現れながら、愛という灼熱の太陽にその
身を余すところなくさらけだし、産まれつつあるのを感じる。
ああ、わたしはもういちど、今日この夜にこの世へ生まれてくるのね。
そう、叫ぼうとしたが、それは言葉にならない喘ぎとなって、白い闇の中に谺する。
ロミオとジュリエットの吐息は、その白い闇に合わせ鏡の中にある景色のように、
無限に響きあい行き交っていた。
ジュリエットは、その時間が永遠に続くように思える。
彼女は、目の眩むような幸福に、包まれていた。
しかし、ロミオが唐突に言葉を発する。
「見るがいい、明けの明星が輝き始めた」
その瞬間、ふたりはベッドの中にいた。
燃えるように熱い肌を寄せあい、闇の中でひとつのシーツにくるまっている。
夜が、終わろうとしていた。
ロミオは、そのことをジュリエットに告げる。
それは、残酷な別離の時でもあった。
ジュリエットは、こう答える。
「ねえ、わたしは愚かになるの。荒野を旅する、愚者になるの。愛に目が眩んで何
も見えずなにも聞くことのできなくなった愚か者になるの。だから」
ジュリエットは、ロミオの耳に囁きかける。
「わたしはあなたを、送り出すわ。奇跡がふたりを再び結び付けると信じて」
「おれは」
ロミオは、暗い夜空に輝く明るい星を見つめていた。
「あの星が憎い。夜の終わりを告げる、あの星が」




#446/598 ●長編    *** コメント #445 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:37  (188)
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★内容
第三幕

ロミオは、ヴェローナ・ビーチのはずれに佇んでいた。
その向こうには、荒野が広がるばかりだ。
そして、東の空は金色の光が燻りつつある。
テンガロンハットを目深に被ったロミオは、砂漠の砂の色をしたポンチョを纏
い、深紅のボディを持つ大きなバイクに跨がっていた。
腰に提げられたハンドガンは、ソード社製のリボルビングオートマティックであり、
ツーハンデット・ソードのような大きさを持つ。
ロミオは、甘い美貌に憂鬱げな笑みを浮かべ、誰にともなく呟いた。
「夜の蝋燭は、燃え尽きたようだ。歓喜にも似た金色の輝きが、荒野のむこうで踊
りだしているのが見える。行って生を選ぶか、留まって死に身をゆだねるか。思案
のしどころというわけだな」
彼はその言葉とは裏腹に、こころは決まっているようだ。
昏い瞳は、荒野の果てを見定めている。
ロミオのこころの中を去来していたのは、妻のことであった。
妻は、こう語った。
「わたしは馬鹿になるの。どんどん馬鹿になるのよ。愛がわたしを馬鹿にするの。
わたしの中で、耐えがたいほど大きく狂おしく膨れ上がった愛が。わたしをとてつ
もない、愚か者にする」
夜の果てで。
熱を持った身体を、愛と共に交え。
そして彼の妻、ジュリエットは、こう言った。
「だからあなたはわたしを棄てて去るのよ。美しき暴君。愛に飢え凶暴化した子羊。
あなた、ロミオ。わたしは愚かだから信じるの。あなたが生き延びて。わたしの前
に再び立つ日のことを」
その時、巨大な車のエンジン音が、彼の追憶を破った。
それは巨人の棺桶のように、巨大なリムジンである。
そこからひとりのおとこが、降り立った。
大きな、おとこだ。
夜のように黒い長衣を、纏っている。
そのおとこは、エスカラス大公という名だ。
彼は、少し皮肉な笑みをエスカラス大公に投げ掛けた。
「おれの追放を、見届けにきたという訳か」
エスカラスは、辛辣な笑みを返す。
「追放だと? 本当にそう思うほどにおまえは愚かであったのか、ロミオ」
ロミオは、狼のように暗く笑ってみせる。
「キャピュレットほどには、愚かではないつもりだが」
「ほう」
エスカラスは、悪魔のように優しく微笑んだ。
「ティボルトは愚か者であったがゆえに、殺したとでもいうのか」
ロミオは、テンガロンハットの下から投げやりな眼差しを返す。
「あれはまあ、事故みたいなものだ」
ロミオは、再び記憶に沈む。
ほんの昨夜のことだというのに、とても遠い出来事だと思える。
それは真夜中を過ぎて、間もないころ。
彼の足元には、死体があった。
彼の親友である、マキューシオの死体である。

ティボルトは、呆然と友の死体を見つめるロミオを、サデスティックな笑みを浮か
べながら見ていた。
洒落た夜会服を着こなし、おんなであれば間違いなく見蕩れるであろうその甘いマ
スクが苦悩で蒼ざめるのを見るのは、嗜虐の喜びがある。
ティボルトは、まだ銃を構えたままだ。
マキューシオを殺した銃弾を放ったホワイトホースはまだ熱っを失っておらず、
銃口からは陽炎が立ち上っている。
ロミオは腑抜けた体であるが、彼の腰にはソード社製のリボルビングオートマティ
ックが提げられていた。
夜会服には似合わぬ、凶悪で強力な30−06ウィンチェスターマグナム弾を放つ、
危険なハンドガンである。
ティボルトの持つ460口径マグナムのホワイトホースですら、玩具のように頼り
なく感じさせた。
そんな凶悪な銃を使いこなせるおとこは、このヴェローナ・ビーチの街にはロミオ
しかいない。
彼はだからこそ、美しき暴君と呼ばれ恐れられる。
ソード社製の銃が抜かれたとき、ひとの死なくしてホルスターへ戻ることはないと
も言われた。
ロミオは、愛に狂った死神である。
けれど今は、ただの腑抜けにしか見えない。
それにティボルトは、ジュリエットの兄である自分をロミオが殺すことはないとふ
んでいた。
グレゴリーが、マキューシオの死体へ唾を吐きかける。
その時、落雷のような銃声が轟いた。
グレゴリーが巨大な鉄槌で跳ね飛ばされたように、地面へところがる。
ロミオの手には、巨大なリボルビングオートマティックがあり、その銃口からは煙
が立ち上っていた。
蒼ざめるのは、ティボルトの番であったがそれでも自分がまだ優位を保っているこ
とを疑っていない。
「おい、ロミオ。ふざけるな、これは正式に承認された決闘の結果であって」
「心配するな、まだ災厄は始まったところだ。本当におぞましいことは、これから
はじまる。それに」
ロミオはその甘い顔に似合わぬ、地の底から響くような声でかたる。
「そこの馬鹿は、死んじゃあいないぜ」
確かにグレゴリーは鼓膜が破けたらしく耳から血を流していたが、苦痛のうめきを
あげている。
どうやら30−06ウィンチェスターマグナムは、単に耳元を掠めただけのようだ。
しかし、それだけでも衝撃波がひとをなぎ倒すほどのパワーがある。
そんな銃弾を片手で放つロミオはとんでもない化け物ではあるが、所詮愛に縛られ
た奴隷にすぎない。
「ふん、芝居のような大袈裟な台詞はやめて、友の死体を家族の所へ運んではどう
だい、なんなら手をかしてもいいぜ」
ロミオはそれには答えず、銃を構えたままポケットから煙草をだすと、片手で火を
点ける。
焔が夜の闇の中で、ロミオの瞳を輝かす。
それは地獄の幽鬼が放つ、鬼火のようである。
ティボルトはぞっとして思わず目をそらすと、苛立たしげに叫んだ。
「おい、ロミオ。いい加減に銃を仕舞え」
「映画みたいに」
ロミオは、独り言のように言った。
「映画みたいに、三つ数えよう。それが合図だ」
ティボルトはホワイトホースを、ロミオに向け叫ぶ。
「ふざけるな、おい」
ティボルトは、周囲からブーイングが起こるのを呆然として聞いた。
真夜中とはいえ、いつの間にかギャラリーに取り囲まれている。
ロミオは巨大な銃を軽々と振り回し、ストンとホルスターへ戻した。
少し眠たげにすら思える声で、語りかけてくる。
「おれとの決闘が怖ければ、逃げて帰ってもいいんだぜ」
ティボルトは、ようやく事態を飲み込み蒼ざめた顔で叫ぶ。
「ふざけるな、てめぇも殺してやるよ。モンタギューの腰抜け野郎が」
ギャラリーから、喝采があがった。
ティボルトはまるで夢の中にいるような、奇妙な高揚感を得る。
ロミオは満足げに頷くと、ティボルトへ背を向けた。
「十歩離れろ。足音が止まれば、三つ数える。」
ティボルトは頷き、ホワイトホースをホルスターに納め十歩離れた。
ロミオは、背を向けたまま数え始める。
「1、2、」
ティボルトはその時、ホワイトホースを抜いたが、構える前にリボル
ビングオートマティックの銃口が自分に向けられているのを見た。
「3」
ロミオは数え終わったが、撃たなかった。
銃口は、自分に向けられている。
ホワイトホースの銃口は、下を向いたままだった。
ティボルトは、ロミオの目を見る。
そこには、憐れむような色があった。
ティボルトの頭に、血が上る。
「ふざけんな!」
落雷のような銃声が、轟く。
ティボルトは、猛獣に飛びかかられたような衝撃を受け、身体が宙に
浮くのを感じる。
自分の胸から、大輪の薔薇が咲くように血が飛び散るのを見た。
がくんと、身体が上を向き、夜空が見える。
宝石を散りばめたような、満天の星空であった。
空に向かって落ちていくようだと、ティボルトは思う。

エスカラスは自分を無視したかのように、追憶にふけるロミオを苦々しく見つめる。
テンガロンハットの下の顔は、おんなであれば誰でも身とこころを蕩かされるであ
ろう美貌であった。
しかし、その腰には巨大な銃が、吊るされている。
ポンチョの隙間から、象牙で作られた純白の銃把が覗いていた。
アラバスタのように汚れなく美しい白に、骸骨と深紅の心臓の紋章が刻まれている。
一度抜き放たれれば、死を見なければ収まることの無い恐ろしい銃だ。
リムジンから三丁のサブマシンガンで守られているはずのエスカラスですら、丸裸
でいるような無防備の気分にさせられる。
そして、ロミオは巨大で獰猛な獣のようなバイクに、跨がっていた。
MVアグスタ・ブルターレ・セリエオーロ。
深紅のボディに黄金のホイールを持つ、美しいバイクである。
そのバイクに股がったロミオは、精悍で高貴な獣のように見えた。
その昏いひとみには、大公であるエスカラスすらゾッとさせるような、輝きがある。
けれど、今のロミオは愚か者にすぎない。
愛が野獣を、ただの愚か者へ変えたのだ。
「それでおまえは」
エスカラスは遠いところでこころをさ迷わすロミオを、呼び戻すように語りかける。
「キャピュレットをなぜ、馬鹿だという」
ロミオは、冷笑を浮かべた。
「アウトローカンパニーの走狗になるなど、馬鹿にしかできぬ技だろう」
エスカラスは、冷徹な眼差しで若者の冷笑に答える。
「ステーツの連中と、ことを構えるのは危険だ。南米はやつらの裏庭みたいなもの
だ。そこは常に安定している必要がある」
「だから反体制革命勢力を売り飛ばして、協力するのか? 馬鹿らしい。気がつけば
おれたちはみんな、奴隷になってるぜ」
「だから」
エスカラスは、優しげともとれる笑みをロミオへ、投げ掛けた。
「おまえたちモンタギューが、必要なのだ。用はバランスだよ。左手で握手する時
にも、右手はナイフを握っておく必要がある」
ロミオの瞳が、昏くつりあがった。
「おれらは、お前の駒じゃねえ。能書きはもう沢山だ」
ロミオは、再び投げやりな調子に戻る。
「で、おれに何をさせたい」
「お前の言うところのアウトローカンパニーは、この荒野の向こうにある村で、反
体制ゲリラを支援している」
ロミオの眉が、片方だけ吊り上がった。
「その反体制ゲリラに虐殺行為をさせようとしている。ステーツが人道的支援の名
目で国連軍を派遣できるようにな。だから」
「そいつらを、ぶっ殺せってか?」
エスカラスが頷くと同時に、落雷のような銃声が轟いた。
エスカラスの頭を掠め、銃弾は朝焼けの空へ向かって飛んで行く。
エスカラスは、膝が震えるのを辛うじておさえこんだ。
自分の声が震えないのを祈りつつ、ロミオに語りかける。
「何を撃った?」
ロミオは、夢見るような調子で答える。
「明けの明星だよ。永遠に」
バイクが獣の唸り声のような、エンジン音を響かせた。
「夜が続くように。星を落とせるような気がしたんだよ」
バイクは、走り去った。
エスカラスは、ため息ををついた。
本当に。
本当に、愛こそひとを愚かにするものだ。
そう、こころの中で呟いた。




#447/598 ●長編    *** コメント #446 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:40  ( 62)
love fool 14     つきかげ
★内容
其の二

十字架に祈りを捧げるロレンツは、気配を感じて振り向いた。
白い影が、教会の薄闇の中に浮かびあがる。
その影は、足早にロレンツに歩み寄った。
そして、その足元にひざまづくと、うちひしがれた声を放つ。
「ああ、神父様、神父様」
愛の誓いを交わしたときとは別人のようにやつれた、ジュリエットである。
彼女は、ふりひしぐ雨のように、涙を流す。
「ジュリエット、どうしたのです」
ロレンツの問いに、うめような声をあげたジュリエットは、顔をあげる。
「わたし、あのおとこと結婚させられてしまう、わたしはロミオと永遠の愛を誓っ
たというのに、ね、そうでしょう?」
ロレンツの顔が、曇った。
「誰です?」
「パリスですわ、神父様。お父様は、式を挙げるため街じゅうにふれ回ったの」
ロレンツは、眉間に皺をよせると、静かに首を振る。
「ジュリエット、落ち着いて」
「もうわたしは、どうすればいいのか判らない」
彼女は、赤く泣きはらした目で、ロレンツを見つめる。
「今夜には、式が挙げられる。逆らうことはできないと思う。だって、パリスは」
ロレンツは、膝をつきジュリエットの手をとった。
「心配しないで、ジュリエット」
ジュリエットは、泣きながら首を振る。
「パリスに逆らえば、キャピュレットはお仕舞いだわ。わたし、もう死ぬしかない
の」
ロレンツは、頷いた。
「なるほど、そうかもしれない」
ジュリエットは、驚いた顔をしてロレンツを見る。
ロレンツは、少し微笑むと、ジュリエットの元を離れた。
そして、小さな紙の袋を持って戻ってくる。
「これは、教会に伝わる秘薬です」
ロレンツは、静かに笑みを浮かべたまま、言葉を重ねる。
「この薬を飲めば、仮死状態となり、死体と見分けがつかなくなる。けれど、12
時間たてば、また目覚めます」
「まあ」
ジュリエットの目に、光が点る。
「でも、どうすればいいのかしら」
「ジュリエット、家に帰ってこの薬を飲みなさい。おそらく毒をあおって、死んだ
と思われるでしょう」
ロレンツは、強い意思を感じさせる口調で、ジュリエットに語りかける。
「霊廟に運びこまれたあなたの死体を、わたしはこっそり街の外へと運び出します」
ジュリエットの瞳に、光が宿った。
「ロミオはヴェローナ・ビーチに帰ってくることはできませんが、ジュリエット、
あなたが街の外へ出れば会うことができる」
ジュリエットは、ロレンツの言葉に、強く頷いた。
「街の外で、なんとかあなたたち二人が出会えるよう、手配しましょう。まずは、
家に帰ってこの薬を飲むのです。ただ」
ロレンツは、強く光る目でジュリエットを見る。
「何人かにひとりは、この薬で仮死状態になってから、目覚めないことがあります。
あなたはそのリスクを犯す覚悟をしなければいけません、ジュリエット」
ジュリエットは、ロレンツに抱きつき、その頬へキスをした。
そして、薬を受け取り、風のように去っていく。
ロレンツは、皮肉な笑みを浮かべる。
かつて、ここのネイティブたちに、キリストの奇跡をを再現すると称してこっそり
使っていた薬がこんな形でやくにたつとは。
かつて自分は、信仰に従っていた。
しかし、今は愛にこそ、仕えている。
ロレンツは、そう思う。
だから、偽物の死と再生すら、主が愛を世界に知らしめるためにおこなった業と同
じ意味をもつのだと。
ロレンツは、そんなふうに考えた。




#448/598 ●長編    *** コメント #447 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:41  (128)
love fool 15     つきかげ
★内容
第四幕

其の一

昼間でもなお、深夜の闇を内に湛えたその密林を、漆黒のボディを持つドゥカティ
を駆ってそのおとこが村にたどりついた時には、既に夜が開けつつあった。
危険な夜の密林を夜通し駆け抜けるような豪胆さを持つおとこであったが、凄烈な
朝日に晒されたその村を見た瞬間ぞっとするものを感じる。
静かで、あった。
ドゥカティのエンジンを切ったとたん、耳が痺れるような静寂が降りてくる。
革のスーツに身を包んだ若い獣のようなおとこは、深夜のように静まりかえった村
の中へと足を踏み入れた。
原色の緑が支配した密林から村へ入ると、そこの建物の白さや砂利の敷き詰められ
た街路の白さが、目に突き刺さってくる。
そして、その白さを貫くように赤い河が流れていた。
いや。
おとこは、整った顔に少し困惑したような表情を浮かべ、眉をよせる。
その赤い河に流れているのは、血であった。
おそらく何百ものひとが流した血が街路へと流れ込み、血の河となっているのだ。
おとこは死の匂いが濃厚にたちこめている村の奥へと、足を踏み出す。
白い石作りの建物が作り上げた村の中を、深紅の河が赤い蛇のようにその身をくね
らせながら、流れている。
おとこは、その赤い河を遡ってゆく。
あまりに濃厚な死の気配に毒気をあてられたせいで、無意識の内に腰に吊るしたコ
ルト・パイソンの銃把に手をあてていたが。
その村の中には、まったく動くものの気配を感じない。
一切の生あるものの気配を、おとこが感じることはなかった。
ただじりじりと昇りつつある太陽の下で、次第に濃くなってゆく死の匂いがおとこ
のこころを掻き乱す。
村の中心へと、向かうにつれ。
死体が道端に転がっているのを、見ることとなった。
おとこの死体。
おんなの死体。
子供の死体。
老人の死体。
そして、若者の死体。
死体の数は、どんどん増えてゆく。
そこで行われた虐殺が、全くの無差別に行われたであろうことは、たやすく想像で
きた。
あらゆる年齢の死体があり、おとこもおんなも同じくらいに、殺されている。
死体の様子を見ると、おそらく拳銃弾を何発も撃ち込まれて死んだようだ。
多分、マシンガンを無差別に乱射したのだろう。
やがて村の中心にある、教会が見えてきた。
高い塔を持ったその教会もまた、白い石で作られているため、それは大きな墓標の
ようにも見える。
深紅の河は、その雪を固めたように白い教会から、流れているようだ。
その教会の回りには、少し種類の違う死体が転がっている。
それらは、武装したおとこたちの死体であった。
迷彩服を身に付け、マシンガンを手にしたまま死んでいる。
そのまわりには、金色に光る薬筴が撒き散らされていた。
武装したおとこたちは、そこでマシンガンを乱射して虐殺をおこなったのであろう
が。
おとこたちもまた、その場で撃ち殺されていた。
それも、とても無惨な死に様をさらしている。
それを見たおとこは、その整った顔を、少し嫌悪に歪めた。
腕が契れ、胴が内蔵を撒き散らし、吹き飛ばされた足が転がる。
おそらく、猛獣狩り用の大口径マグナムライフルの銃弾が使われたのであろう。
武装したおとこたちは、地獄に堕ちた亡者のように、苦悶の表情を浮かべながら死
んでいる。
こんな無惨な殺し方をするものに、おとこはひとりこころあたりがあった。
そして、教会の入り口近くに深紅のボディと黄金色のホイールを持つ、獰猛な獣の
ようなバイクを見いだし、自分の求めたおとこがそこに居ることを確信する。
そのバイクは、MVアグスタ・ブルターレ・セリエオーロであり、彼の友が乗るも
のと同じ車種であった。
おとこは、ホルスターに納めたままのリボルバーに手をかけて、大きな教会の扉を
開く。
洞窟のように薄暗い教会もまた、死の静寂に満ちていた。
いたるところに、破壊された死体がある。
マシンガンを構えた、おとこたちがその身体を大口径マグナムの銃弾に破壊され、
苦悶の末死んでいた。
薄闇の中でも、壁にぶちまけられた赤い血は、はっきりと見える。
そしてその教会の最奥には、白く輝く十字架があった。
それはあたかも、巨人の骸骨のように、真白く聳えている。
塔の上部にある天窓から、金色の糸のような朝日が白い十字架へ向かって、降りて
きていた。
そしてその十字架の下、金色の朝日が降りてきたその場所に、そのおとこは横たわ
っている。
そのおとこが死んでいないことは、砂漠の色をしたポンチョの胸が微かに上下して
いることで判った。
その顔は半ばをテンガロンハットで隠されていたが、花びらのような唇は吐息を吐
いているのが判る。
パイソンを腰に吊るしたおとこは、横たわったおとこへ声をかけた。
「おい、ロミオ。いつまで寝ているつもりだ」
ロミオはその声に、テンガロンハットの下から鬼火のような輝きを放つ瞳を覗かせ、
ポンチョの隙間から巨大なリボルビングオートマチックを突きだすと、地の底から
響くような声で応える。
「おれはもう十分殺したぞ。この上、まだ死体を重ねさせようと言うのか」
「おいおい」
苦笑しながら、おとこが応える。
「おれだ、ロミオ。ベンヴォーリオだ」
その声に、ロミオは立ち上がる。
「何事だ、友よ。地獄へ半歩足を踏み入れたこのおれに、わざわざ会いに来るとは」
ベンヴォーリオは、暗い笑いを見せる。
「半歩だと。もう、手が届かぬほど深く沈んでいるようにしか、おれには見えんが。
まあいい。ロミオ、よくない知らせを持ってきた」
ロミオはおんなであれば、だれであろうとこころを蕩けさせるような美貌に笑みを
浮かべた。
「地獄に沈んでなお、よくない知らせを聞くはめになるとはな」
「まあ、聞け。おまえのおんな、ジュリエットがな。結婚することになった」
一瞬、ベンヴォーリオは目の前で焔が燃え盛ったような気を感じたが、それは極寒
の冷気に転じロミオの昏い瞳に封じられた。
ロミオは、仮面のような無表情になり、蒼ざめた唇に煙草をくわえ火を点ける。
その火の光を受け、テンガロンハットの下で瞳が明けの明星のように輝いた。
「で、おれの妻は誰と結婚するんだ」
「パリスだよ」
ベンヴォーリオは、ロミオの瞳が一瞬だけ稲光のような光を放つのをみたような気
がしたが、ロミオは落ち着いたふうに煙草の煙を吐く。
「やつこそ、アウトローカンパニーのエージェントじゃあないか。キャピュレット
は度しがたい馬鹿だな」
「やつらは完全に、ステーツへ身売りする気だ」
ロミオは、ホルスターへソード社製リボルビングオートマチックを納めると、足早
に歩き出す。
ベンヴォーリオは、その後を追った。
「おい、ロミオ」
「戻るぞ」
「どこへだよ」
「決まってる、ヴェローナ・ビーチへだ」
「おい、しかし」
ロミオは振り向くと、傷をおった野獣のように獰猛な笑みを浮かべた。
「必要であれば、エスカラスのやつを血祭りにあげる。愚か者には愚か者が死をく
れてやる」
ベンヴォーリオは、眉間に皺をよせる。
ロミオは愛という鎖で、縛られていたはずだった。
けれど今、その鎖が切れようとしている。
「とばせば日が暮れる前に、ヴェローナ・ビーチへ戻れるな」
ロミオは、歩きながら呟く。
ベンヴォーリオは、この村に入った時以上に、背中を冷たいものが這っていくのを
感じた。




#449/598 ●長編    *** コメント #448 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:42  (107)
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★内容
其の二

夜の空に向かって掲げられている光の剣であるかのような、摩天楼が聳える聖都市。
その都市に隣接する地区に、広大な貧民街がある。
それが、ヴェローナ・ビーチであった。
バラックが作り上げた迷路のただなかに、その教会は暗く孤独に建っている。
闇の中に佇む隠遁者のようなその教会の前に、一台のリムジンが止まった。
巨人の棺桶のような、巨大で四角いリムジンから立ち上がった影のように黒い男が
姿を現す。
そのおとこは、真っ直ぐに教会へと向かった。
その大きな扉を無造作に開くと、中へと入り込む。
液体化したかのように濃い闇が、教会の中を支配している。
そしてその最奥にある祭壇に、世界の中心の木で吊るされたおとこを祭る、十字架
があった。
闇の中に、世界の罪を贖うために血を流したおとこが、月明かりに浮かび上がって
いる。
おとこは、その祭壇めざして歩いていった。
その祭壇の下に、黒衣のおとこが佇んでいる。
黒衣のおとこは、穏やかに笑みを浮かべると、自分に向かってくる黒いおとこへ語
りかけた。
「これはこれは、エスカラス大公。あなたが主の導きを必要とされるとは、珍しい」
「あいにく戯言は間に合ってる、ロレンツ神父」
ロレンツは笑みを浮かべたまま、エスカラスに傍らの椅子を勧めたが、エスカラス
は無視する。
「なぜだ、なぜおまえは」
黒い男の瞳が闇の中で、昏く光っている。
「ジュリエットを殺した」
ロレンツは、驚いたように眉を片方だけあげて見せる。
そして、少し皮肉な笑みを浮かべた。
「なぜ、わたしにそんなことを聞くのです?」
エスカラスは、吠えるように、答える。
「そんな問いに、答えさせるな」
ロレンツは、そっとため息をついた。
「いいでしょう、あなたはこの天国に一番近い街の支配者だ。わたしに答えさせる
権利があるのでしょう」
ロレンツの顔から、すっと笑みが消える。
「あなたは悪魔に、魂を売った。その償いのためですよ」
エスカラスは、失笑する。
「悪魔だと。まさかラングレーの連中のことじゃあないだろうな」
ロレンツは、答えない。
エスカラスは、少し苛立った声になる。
「ラングレーの連中、ロミオが言うところの、カンパニーから来たアウトローども。
やつらに興味があるのはコークだけだ。コークとその流通経路」
ロレンツは無言のまま、話を続けるよう促す。
エスカラスは、うんざりしたように語る。
「ラングレーは随分前からメデジンを叩こうとしている。直接叩き潰すのはもうす
ぐだろうが。ラングレーはメデジン・カルテルが壊滅した後、分散した小規模カル
テルがコークを捌き続けるのを恐れてる。だからコークの流通ルートの情報が必要
なんだ。そんなものくらい、くれてやればいい。それが一体どうだっていうんだ」
ロレンツは、ようやく口をひらく。
「あなたは、ジュリエットを結婚させた」
エスカラスは、肩を竦めた。
「ああ、ラングレーからきた、すかしたアウトローにくれてやったよ。それがどう
した」
「ヴァージニア州からきたアウトローだろうとなんであろうと。パリスは愛してい
たのですか?」
エスカラスの顔から、表情が消えた。
ロレンツは、落ち着いた声で問い直す。
「パリスは、ジュリエットを、愛していたのですか?」
エスカラスの顔が一瞬赤く染まり、そうして蒼白になった。
まるで、憎悪と絶望が、交互に襲いかかっているようだ。
「神父、あんたまさかそんな理由で、おれたちを皆、破滅に導いたのか!」
ロレンツは、真っ直ぐエスカラスを見つめる。
まるで、大天使のように冷酷な瞳で。
「ジュリエットは幼くまだ子供ではあるが、ひとりのおんなです。家畜のように扱
われてもいい理由はない」
エスカラスは、空気を奪われたように口を開いたり閉じたりする。
そして、ようやく絞り出すように言った。
「ふざけるな」
「ふざけているのは、あなたのほうだ、大公」
ロレンツは、狂おしい表情になったエスカラスとは対照的に、落ち着いた声で語る。
「キャピュレットとモンタギューの対立にしても結局のところ、メデジンとカリ、
ふたつの麻薬カルテルの代理戦争にすぎない。そしてその上にはステーツと革命勢
力の対立がある。じつにふざけています。わたしたちは、二重にも三重にも奴隷と
なっているのです」
エスカラスは、咆哮するような声でいった。
「そんな状況をなんとかするために、ラングレーを操ろうとしたんだろうが!」
ロレンツは少し哀しげに、首を振る。
「怪物と戦うために、怪物になったというのですね。あなたは気高い、大公。でも、
その戦いには意味がない」
エスカラスはもう言葉を失ったかのように、沈黙していた。
ロレンツは、優しげと言ってもいい調子で語る。
「わたしたちは、天国に一番近い街に住む。けれどそれは、地獄にも近いところに
住んでいるということでもあるのです。そんなところで生きていくには戦うことよ
りも、必要なものがあるのです」
エスカラスは、黙ったままロレンツを見る。
ロレンツは、ゆっくりと言った。
「わたしたちに必要なもの、それは希望です」
エスカラスは、失笑する。
「まだ子供のジュリエットを殺しておいて、言う台詞か」
「死んでませんよ」
エスカラスが、驚いた顔になるが、それを無視してロレンツは言葉を重ねる。
「それと大公、あなたは忘れていることがある。ジュリエットこそ、あの愚かな愛
の奴隷であるロミオを縛る鎖であったはず」
エスカラスは、乾いた笑いをみせる。
「やつならまだ、革命派のゲリラと遊んでる」
その時。
夜の闇を、砕くような。
魂を、串刺しにしてしまうような。
傷ついた獣の、遠吠えのような。
雷鳴を思わせる銃声が、轟いた。
ロレンツの顔が、驚愕に歪む。
「どうやら、わたしたちは二人とも、あの愛に飢えた野獣の愚かさを過小評価して
しまったようだ」
ロレンツは、歩き出す。
「急ぎましょう、もう手遅れかもしれないが」
エスカラスは頷き、その後ろに続く。




#450/598 ●長編    *** コメント #449 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:44  (155)
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★内容                                         13/11/22 00:53 修正 第3版
其の三

ヴェローナ・ビーチを空から見下ろしたら、どう見えるだろうか。
ヴァレンチノのスーツを粋に着こなし、ムービー・スターのように整った顔のその
おとこは、棺桶を見下ろしながらぼんやりと考えていた。
おそらく、ここは暗いはずだ。
聖都市は、宝石箱のように夜の闇の中で煌めいているのだろうが、その隣にあるヴ
ェローナ・ビーチは闇に沈んでいるだろう。
そして、その暗いヴェローナ・ビーチの中でもさらに暗い墓地の入り口にある、
霊廟であるここは。
きっと、ブラックホールのように、全てを吸い込むような闇に見えるのだろう。
そう思いつつ、口元を微かに歪める。
それを見とがめられたのか、おとこは後ろから声をかけられた。
「おい、パリス。一体どうするつもりなんだ」
パリスは後ろを向き、声をかけたおとこを見る。
大きなおとこで、あった。
身長も、幅もあり、筋肉の鎧に覆われているようだ。
黒い肌に、黒い革のジャケットを着たその姿は、半ば闇に溶け込んでいる。
かつて、ネイヴィー・シールズに所属していたそのおとこを、パリスはシールズと
呼んでいた。
パリスは薄く笑みを浮かべたまま、答える。
「どう、とは?」
シールズは、舌打ちをした。
「おまえの妻は、死んでしまってこのざまだ。キャピュレットとの繋がりは切れた
んだぞ」
「気にするなよ」
パリスは、歌うような口調で語る。
「死んでようが、死んでいまいが、妻は妻だ。幸いなことに、ジュリエットは結婚
の誓いの後に、命を絶った」
「違うだろうが」
「そうするんだよ、判るだろ?」
パリスは、気楽な笑みを見せる。
シールズは、ため息をつく。
「そう、うまくいくのか?」
「もちろん。キャピュレットだって、ラングレーに見捨てられたいわけじゃあない
しな。やつらはメデジンを見限って、裏切る決意をした。後戻りはできない。ジュ
リエットはおれの妻だと、認めるはずだぜ」
シールズは、まだ疑っているような目でパリスを見ていたが、突然腰の拳銃に手を
あてる。
45口径という大砲のような弾を撃つ、コルト・オートマティックだった。
自分の部下には9ミリ弾を扱うハンドガンを持たせていたが、自分だけはその規格
外の拳銃を扱い続けている。
シールズの部下が、無言のままフォーメーションをとった。
右にふたり、左にふたり。
シールズは、ツーマンセル二組が一チームだと考えている。
彼らは、シールズ直下の生え抜きチームだった。
そのチームが気配に反応し、臨戦体勢をとっていた。
パリスにも、気配は感じられる。
それは、獰猛な肉食獣の気配であった。
直接見なくても、背中を火で炙られているように、凶悪な気配を感じる。
パリスは、ゆっくりと振り向いた。
カツンと、はじめて足音が霊廟に響く。
おとこは闇から出て、天窓からさしこむ月明かりにその身を晒した。
テンガロンハットに、砂色をしたポンチョを纏ったおとこである。
蒼ざめたその顔は、苦悩に彩られてもなお、美しさを失っていない。
おんなであれ、おとこであれ、そのこころを甘美な麻痺へと誘い込むような美しさ
である。
しかし間違いなく、飢えた獣のような凶悪な気を漂わせるおとこでもあった。
パリスは、気楽さを装って声をかける。
「君、何の用だい」
おとこはパリスの言葉を無視して、歩を進める。
「ここには、死体しかないのだよ」
おとこは、目をあげる。
テンガロンハットの下から、鬼火のような光を放つ瞳が覗く。
「おれが望むのは、ただひとつ」
おとこの声は、地の底から響くようであった。
「我が妻の傍らに、この身を横たえること」
パリスは、喉の奥でくつくつと笑った。
「では、君がロミオなのだね」
ロミオは、無言で瞳をパリスに向ける。
「何かの間違いだと思うが、あいにくとここにあるのはわたしの妻の死体だけなん
だよ」
パリスは、悪魔のように優しげな笑みを見せる。
「だからロミオ、君は帰って寝た方がいいね。できれば、しこたまコークを喰らっ
て、全てを忘れたほうがいい」
ロミオは、懐から煙草を取り出すと、口にくわえる。
それに火を点けた瞬間、そのひとみが夜空に輝くシリウスのように蒼く光った。
「おれを怒らせたいのなら」
ロミオはゆっくり紫煙を、吐き出す。
「命を失う、覚悟をしておくことだ」
パリスは目配せをして、シールズに合図を送る。
シールズは、彼のチームへ指示を無言のまま出した。
パリスは、とても優しく語りかける。
「ぼうや、そんなに不機嫌なのはね、きっとお腹が空いてるせいだと思うな。なん
なら、わたしが晩餐を、奢ってあげよう」
ロミオがポンチョを跳ね上げて、腰に吊るした拳銃を剥き出しにするのと、シール
ズの部下が放ったスタングレネードが床に転がるのは、ほぼ同時であった。
一瞬、世界が太陽に飲み込まれたように白い光に包まれる。
鼓膜を破壊するような爆音が、霊廟を満たした。
そして、その轟音を突き破るように。
獣の咆哮がごとき、銃声が響きわたる。
死の大天使がラッパを吹き鳴らした後のように、光と音が消え闇が降りてきた。
パリスは、自分の足が震えるのを止められない。
おそらく、彼は奇跡に近いものを見たのだ。
銃声は、一発のように聞こえたが、五発放たれていた。
シールズのチームが、闇の中に倒れている。
ロミオは、真夜中の太陽が夜空に昇るように、その瞳を開いた。
彼は、スタングレネードの閃光で感覚を狂わせないよう、瞳を閉じて撃ったのだ。
瞳を閉じていても彼の記憶と、空間把握は完璧であった。
パリスは、後ろを振り向く。
コルト・オートマティックを構えたままシールズは、信じられないものを見るよう
に自分の胸を見ていた。
そこには、赤い薔薇をさしたように、真っ赤な血が滲んでいる。
シールズは部下と同じく、対刃対弾ボディーアーマーを身に付けていた。
ロミオの放った銃弾はボディーアーマーを貫けなかったのだが、そのパワーはシー
ルズたちの肋骨を砕き、折れた骨が肺を傷つけていた。
シールズは、引きずり込まれるように床へ倒れる。
パリスは幾度も銃撃戦を経験してきたが、ボディーアーマーをつけたひとを倒せる
ハンドガンなど知らなかったし、目を閉じて的に当てることができるガンマンなど
想像を遥かに越えていた。
ロミオは、銃口から煙を燻らせる銃を構えたままだ。
パリスは、自分が倒れていない意味を考え、理解した。
パリスは、拍手をする。
「素晴らしい、素晴らしい」
ロミオは、輪胴式弾倉をスイングアウトする。
パリスの想像したとおり、それは空だった。
ロミオは、懐から弾を取り出す。
三発しか、残弾はないようだ。
しかし、ロミオは満足げに頷くとそれを弾倉に納め、くるりと拳銃を振り回しホル
スターへ納めた。
「映画みたいに」
ロミオは、夢を見ているひとのように言った。
その瞳には、哀しみの色さえある。
「映画みたいに、三つ数えよう。それが合図だ」
ロミオは、パリスを憐れんでいた。
そのことに気がつき、パリスはぞっとしたが、明るく微笑んでロミオに応える。
「いいだろう」
パリスはヴァレンチノの上着を脱ぎ捨てると、腰につけた9ミリのベレッタを剥き
出しにする。
パリスは、ロミオの腰につけた銃を見た。
それは、剣のように長く大きい。
クイックドローには、向かないことは確かだ。
パリスは、腰のベレッタをコンマ1秒あれば撃つことができる。
ロミオがどんな怪物であっても、それ以上速く撃てるとは思わない。
やつは、死ぬ気なんだろう、パリスはそう思う。
パリスを、道連れにして。
まあいい、つきあってやろうじゃあないか。
ロミオが、カウントを始める。
「1、2」
パリスは、ベレッタを抜いた。
「3」
パリスが撃つと同時に、ロミオは後ろに倒れていく。
その肩が血渋きをあげるのを確認し、二弾目を放とうとした時に、轟音が轟いた。
パリスは、剣で刺し貫かれたような衝撃をおぼえる。
自分の胸に、薔薇が咲いたように血が滲むのを見た。
「素晴らしい」
パリスは苦痛で歪む視界の中で、ロミオを見る。
ロミオの銃は、ホルスターに納められたままだ。
彼は抜くことなく、その銃を撃った。
ホルスターに納めた銃を撃つために、後ろに跳び、肩に着弾したショックも利用し
ホルスターに納められた銃をパリスに向けたのだ。
パリスは、微笑むように唇を歪め、闇に沈んでいく。
人生の最後に、奇跡を二度見られるとは。
そんなに悪いことじゃあない、と。
そう、呟いたつもりだった。




#451/598 ●長編    *** コメント #450 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:45  ( 46)
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★内容
其の四

ロミオは、ゆっくりと立ち上がる。
苦痛で少しふらついたが、体勢を整えると真っ直ぐに棺桶へと向かった。
撃ち抜かれた左肩から血が滴り、左手の先から床へと落ちていく。
闇の中に花弁を落とすように、ロミオは血の滴を床に落としジュリエットの元へと
向かう。
壇上に置かれた棺桶の傍らに、ロミオは立った。
その棺桶は、宝石のように美しい花々に満たされている。
その中に、死して尚天使のごとく美しいジュリエットがいた。
おそらく花嫁衣装のまま棺に納められたらしく、純白のドレスを纏っている。
ロミオは、その姿を見て夢見るひとのように笑みを浮かべた。
「ようやく、君の元へ」
そっとロミオは、ジュリエットに唇を重ねた。
それは、身を切り裂く冬の風のように冷たい。
それでも、ロミオは満足げな笑みを浮かべる。
「たどり着けた。もう、ここから離れたりしない」
ロミオは、ジュリエットの横に身を横たえる。
血塗れの腕で、ジュリエットを抱く。
純白のドレスに、薔薇を散らしたように血の滴が滲んだ。
ロミオは、拳銃を構える。
真っ直ぐ、空に向かって。
「ああ、今こそ撃てるよ」
ロミオは、天井を透かしてその向こうにある、宝石を散らしたような夜空を見てい
た。
ロミオの拳銃は、真っ直ぐ空に向けられる。
「残酷な朝を呼び込む明けの明星を」
ロミオは薄く目を閉じ、そっと笑みを浮かべる。
「撃ち砕くんだ」
それは、慟哭のような。
死を悼む、獣の遠吠えのような。
銃声だった。
天井に命中した銃弾は、正確に跳ね返り、ロミオの胸を貫く。
着弾の衝撃で、ロミオは吐息を漏らす。
その全身が、幾度か痙攣する。
そして、ロミオは満足げな笑みを浮かべたまま、闇へ落ちていった。
ロミオは、思う。
(今こそ、おれたちの愛は、永遠となった)
ロミオは、浮游感に飲み込まれている。
ロミオの目には、星が見えていた。
ダイヤモンドが砕かれ、散りばめられたような星々の中へと墜ちて行く。
ジュリエットと共に。
ロミオは、思う。
(明けることのないこの夜の中で、おれたちの愛は永遠になる)
ロミオは血塗れの腕でジュリエットを抱きしめると、もの凄い速さで星々の中を墜
ちて行った。




#452/598 ●長編    *** コメント #451 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:47  (114)
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★内容                                         13/11/22 00:54 修正 第2版
其の五

ここは、海の底のようだ。
ジュリエットは、そう思う。
暗くて冷たく重たいものが、身体にまとわりつき自由を奪った。
ふと、遥か彼方、上方で光が見えることに気がつく。
ジュリエットは、その光に意識を集中する。
すると、重たい水の中で彼女の身体は、動き始めた。
ジュリエットは身を捩り、光に向かって昇ってゆく。
水面に向かって泳いで行く魚の動きを、イメージしてみる。
彼女の身体は、加速していった。
気がつくと、回りは単なる闇ではなく、藍色に染まりつつあることに気がつく。
速度を増して行くので、彼女の回りに渦が巻き起こってゆくようだ。
突然、彼女は水面に出たかと思うと、目覚めていた。
ジュリエットは自ら毒を飲んだ霊廟で、目を開く。
彼女は、自分が恋人の死体の腕に、抱かれていることに気がついた。
ジュリエットは、大きく息を吸って吐く。
あたりには、色がない。
灰色の、世界だった。
ただ、恋人の流した血だけが、その灰色の世界で赤い。
ジュリエットが毒をあおいだ時に着ていた白いドレスに、花弁を散らしたように赤
い色がついている。
それが、この世界の唯一の色だ。
ジュリエットは、自分が目覚めていないように思う。
こころが、動いていない。
当然襲いかかるであろう哀しみも、絶望も、まだやってこなかった。
これは、夢の世界だと、ジュリエットは感じる。
しかし、多分それは自分の夢ではなく、死の世界へと旅だった恋人、ロミオの夢の
中にいるような気がした。
ジュリエットは、ロミオの口許に頬をよせる。
美しい恋人の唇から、吐息が漏れることは無かった。
ジュリエットは、ロミオの唇に自分の重ねる。
薔薇の花弁のような唇は、まだ完全に温もりを失っていない。
しかし、それは冷たかった。
明らかに死者の、それである。
突然、こころに痛みが訪れた。
まるで、いきなり胸の奥を、短刀で貫かれたようである。
ジュリエットは、耐えきれず叫んでいた。
「ロミオ。ロミオ、ロミオ、ロミオ。ロミオ!」
彼女の瞳から、真珠のような涙がぼろぼろと零れ落ちる。
それは、ジュリエットの意思には関わりなく、彼女の胸の底奥深いところから止め
ようもなく沸き上がってくる熱い固まりがひきおこすのだ。
彼女は、叫ぶ。
「ああ、ロミオ、ロミオ、ロミオ、ロミオ!」
ジュリエットは、ロミオの死体に口づけをする。
その唇に、閉ざされた瞳に、まだ温もりをのこす頬に。
渇いたひとが泉から水を貪るように、何度も何度も口づけを繰り返す。
そして、叫ぶ。
「ロミオ、わたし判っていたの、そう判っていたのよ、はじめから」
ジュリエットはロミオの頬を、唇を、滴る涙で濡らしてゆく。
ロミオの死体もまた、泣いているように見えた。
「あなたの瞳の奥に、死があるのを。あなたが逃れようもなく、死に魅入られてい
るのを。そして」
ジュリエットは、確かめるようにロミオの頭を、頬を、首を撫で回す。
「ロミオ、あなたもまたどこかあなた自身も知らないような深いところで、死を魅
入っていたことを。ああ、わたしは知っていた。わたしの恋敵は宝石で飾られた美
女ではなく、黒い翼の死の天使だって。けれど」
ジュリエットは、もう一度口づけをする。
まるで彼女の激情をロミオに注ぎ込もうとしているかのような、熱く深い口づけだ
った。
そして、再び顔を上げる。
「わたしが、そこへゆく。もしあなたが死の天使に抱かれていれば、あなたを奪い
返してやるわ。わたしたちの愛を」
ジュリエットは、優しくロミオの頬を撫でた。
「愛を永遠にするために」
彼女は、ロミオが死してなおその手に握っている拳銃を、手にする。
ロミオが握りしめた手は、そのままにして。
ジュリエットは、その弾倉に最後の一発の弾が残っているのを確かめると、顔を歪
めた。
「ああ、ロミオ。あなたは死んでも優しいのね。わたしの為に、最後の弾を残して
くれるなんて」
ジュリエットは、ロミオの隣に再び身を横たえた。
ロミオの腕を、空に向かってさし出す。
ジュリエットは、天井に弾痕があるのを知っていた。
なぜか彼女は、その弾痕が赤く輝いているように見える。
色を失った恋人の夢の世界で、唯一残っている赤が。
そこにあるように思え、それはきっとロミオの恐れた夜の終わりを告げる明けの明
星であると思えたのだ。
ジュリエットは、真っ直ぐロミオの腕をその赤い星に向かって捧げ。
目を、閉じる。
そこには満天の星空が広がり、そのあまりの美しさに吐息をもらした。
降るような、星々。
白銀の花が、黒いビロードの幕に撒き散らされたような。
その時、奇跡がおきた。
死後硬直によって、筋肉の収縮がおきたのか、死んだはずのロミオの指が引き金を
ひいて。
この世の終わりを告げる大天使のラッパがごとき銃声が、灰色の世界を貫いた。
竜の吐息のように燃え盛る銃弾は、正確に暗い天井で赤く輝いていた星を砕くと、
跳ね返りジュリエットの胸へ突き刺さる。
ジュリエットは、焔でできた剣で、心臓を貫かれたようだと思った。
全身を吹き飛ばすような衝撃に襲われ、彼女は一瞬意識を失い。
そして、目を開いた。
ジュリエットは、息を飲む。
そこは、白かった。
世界を雪が覆い尽くしたとでもいうかのように、一面が純白の世界である。
ジュリエットは、自分が身に付けているドレスに付いた血の赤も、消えていること
に気がついた。
全てが、白く汚れなく、恐怖も不安も苦しみも、なぜか消え去っている。
傍らには、ロミオが横たわっていた。
眠っているように、瞳を閉じている。
彼女と同じように、純白の服を身に付けており、彼女と同じように血の後は消えて
いた。
ジュリエットは、ぼんやりと思う。
ここは、時間が結晶化した、永遠の世界なんだと。
水晶のように時間が凍り付いた世界に、わたしたちとわたしたちの愛は、閉じ込め
られたのだろう。
ジュリエットは、脈絡もなくそんなことを思う。
彼女は、ロミオを見つめる。
きっと、もうすぐ彼は起き上がり、彼女を抱き締め口づけて、こう言ってくれるに
違いない。
愛してるって。
白い、全てが白いその、全てが凍り付いた世界の中で。
ジュリエットは、ロミオの手を握り、待っていた。
永遠に。




#453/598 ●長編    *** コメント #452 ***
★タイトル (CWM     )  13/11/22  00:49  (103)
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★内容
其の六

霊廟には、死体だけが残った。
灰色の空間を、静寂が包んでいる。
しかしやがて、空の支配を月が太陽に譲り渡そうとするころに、静寂は破られるこ
ととなった。
エスカラス大公とロレンツ神父が、キャピュレットの当主とその部下たちをつれ霊
廟へと踏み込んでくる。
その惨状を見た瞬間に、悲鳴と怒号が沸き起こり、絶望と悲嘆が交錯した。
明かりがつけられ、また朝日も差し込み、灰色の世界に色が戻ってくる。
キャピュレットのおとこたちは忙しく立ち回り、事後処理に勤しむ。
やがて、モンタギューの当主も呼び出され、その場へ配下のおとこたちを引き連れ
て現れる。
繰り返される、絶望。
繰り返される、哀しみ。
霊廟は、騒然としていた。
夜の間は、時間が凍り付いていたというのに、今それは溶け濁流となって過ぎてゆ
く。
その慌ただしいひとの群れの中で、ロレンツ神父だけがひとり立ち竦んでいた。
その顔は蒼白であり、流れる涙を拭おうともせず。
神父の回りだけは夜の空気が残っており、そこだけ時間が澱んでいる。
ロレンツ神父はただひとり、じっとロミオとジュリエットの死体を見つめていた。
やがて、神父は誰に向けてという訳でもなく、言葉を紡ぎはじめる。
「わたしは、愚か者でした」
それは、囁くようなけれど不思議と響き渡る声であった。
「それは、ロミオ、それにジュリエットあなたたちの愚かさを、読み取れなかった
ことです。あなたたちの愛は、ひとを愚かさに導く」
ロレンツ神父は、悲しげに首を振る。
「いや、それとも」
神父は、固く抱き合った恋人達の亡骸を、少し眩しげに見つめながら言葉を重ねる。
「そもそもひとは愚かなものであり、もしかすると愛こそが、ひとの本来の姿を剥
き出しにするものなのかもしれない」
「愛は、愚かだと」
突然後ろから声をかけられ、ロレンツ神父は振り替える。
そこには、エスカラスが立っていた。
夜のように暗い、闇をその身に纏って。
「そんなことは、知っている。うんざりするほどにな。それを利用し出し抜こうと
して、このざまだ。おれは、愛に復讐されたのかもしれぬ」
「大公」
神父は、少し笑みを投げ掛ける。
エスカラスは、それを無視して独り言のように、言葉を重ねた。
「おれは、爵位を金で買ったがゆえに、大公などと呼ばせているが、元はシシリー
の下街の生まれだ」
ロレンツ神父は、驚いたようにエスカラスを見る。
エスカラスはより深く、自分の物思いに沈んでゆく。
「気がついたときには、おれは抗争の中にいた。生き延びるために、数えきれぬほ
ど殺してきた。ローマで、ニューヨークで、リオで、サンパウロで、そしてこのヴ
ェローナ・ビーチで」
神父は、黙ってエスカラスを見つめている。
エスカラスは、そんな神父に自嘲めいた笑みをみせた。
「その結果どうだ。妻は殺され、息子たちを殺され、兄弟を殺され、友を殺された。
残ったものといえば、全身につけられた拷問の傷跡だけだ」
エスカラスは、喉の奥で笑う。
「そうまでしてたどり着いたのが、この愚か者たちの死体のある場所だというのか。
もういい、おれはもう厭きた」
ロレンツ神父が、静かに問いかける。
「どうされるつもりですか?」
エスカラスは、歪んだ笑みを浮かべる。
「これから、司法に出頭して、洗いざらいぶちまけてやるさ」
ロレンツ神父の目が驚愕に見開かれ、震える声で問うた。
「あなたは、三世紀は続いたコーサ・ノストラの、沈黙の掟を破るおつもりか」
エスカラスは、どうでもいい、といったふうに肩を竦める。
「厭きたんだよ。あれにもこれにもな」
それだけ言うと、身を翻し出口へと向かう。
神父は、その背中に言葉を投げる。
「幸運を、祈ります」
エスカラスは、足を止め振り返った。
苦笑を浮かべながら、言う。
「おいおい、あんたは神父だぞ。そこは主のお導きをとかそういう」
ロレンツ神父は、首を振った。
「わたしはひとりの友として、あなたを送りたかった」
エスカラスは、苦笑をさらに深め、再び身を翻すと歩き出す。
そして、出口の近くにきたところで足を止めると振りかえる。
エスカラスは、大声で叫んだ。
「キャピュレット、モンタギュー、おまえたち、よく聞け」
エスカラスの老いた獣が吠えるような声が響きわたり、霊廟は再び静まりかえった。
「おれはもう、コークのビジネスから手を引く。だからおまえたちもこの街では、
コークを扱えなくなる。これは助言だ。もうこのビジネスから手をひけ」
蒼ざめた顔のキャピュレット当主が、とまどった声をだす。
「しかし」
「ラングレーのことだったら、気にするな」
エスカラスは、獰猛な笑みを浮かべる。
「おれがこれから、とてつもないねたをやつらにくれてやる。ニューヨークのガン
ビーノを壊滅させられるくらいのねただ」
キャピュレットは怯えた顔で、頷いた。
エスカラスは、満足げに笑う。
「メデジン、それにカリ。あの麻薬カルテルからはさっさと手をひくことだ。やつ
らはもうすぐステーツに叩き潰される。まあ、そんなことはおまえらのほうがよく
知ってるだろうが」
エスカラスは、キャピュレットとモンタギューの二人を交互に見た。
「そうすればおまえたちがいがみ合う理由も、なくなるだろう。手をとりあって協
力しろ。そして」
エスカラスは、厳かに言った。
「戦って、生き抜け。愚か者たちの分もな」
キャピュレットとモンタギューの二人は何も言わず、ただ深々とその頭を垂れた。
エスカラスは、それを見届けると霊廟を去る。
ロレンツ神父は、その背中を見ながら呟いた。
「愛は、ひとを愚かにする。けれど、ひとの本性が愚かであるということならば」
神父は、そっと笑みを漏らした。
「それもよし、としなければならない」


完




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