AWC 「俺は時計の中」    時 貴斗


        
#1329/1336 短編
★タイトル (VBN     )  01/09/11  23:47  (150)
「俺は時計の中」    時 貴斗
★内容
 俺は時計の中にいる。巨大で、なおかつ高級なやつだ。縁の部分で、
走っている。文字盤とガラスの間にはさまれている。幅は一メートルほ
どだ。笑わないでほしい。だってみんな同じようなもんだろ? 口から
出た途端に、胴の中に戻ってしまうクラインの壷とか、たたくたびにビ
スケットが二倍に増えていくポケットの内側とか、どうせそんな所にい
るんだろ?
 ほうら! も一つたたくとビスケットが千二十四。
 も一つたたくとビスケットが二千四十八。
 足元の床はリング状で、俺が向いているのとは反対方向に、ずっと動
いている。ベルトコンベアーみたいによ。だから、俺は走り続けなけれ
ばならない。少しでも休めば、上に押し上げられ、転がり落ちてしまう。
 まるでかごの中のハムスターだ。丸いやつの中、走ってるだろ? あ
れ、名前なんて言うんだっけ。あの丸いやつ。まあ、どうだっていい。
 ガラス板の外で、監督が怖い顔をしてにらみつけている。俺が休まな
いように、見張っているんだ。
 俺は気を紛らわせるためにいろんなことを想像する。あっ、思い浮か
んだぞ。ドミノ倒しをするんだよ。こう、北極点から始めてな、渦を巻
くように並べていくんだ。で、延々続けてだな、やがて南極に到達する
んだ。すげえぜ、こりゃ。地球はドミノで真っ黒に埋め尽くされるんだ
よ。飛行機で北極に戻って最初に置いたやつを指でちょん、と突く。長
いながーい時間をかけて、そいつらが倒れていくんだ。最後まで行った
ら感動もんだぜ。その直後に地球が爆発してなくなったっていいくらい
だ。
 問題なのは、表面にいる人間とか、その他の動物とか、林とか建物だ
な。意外にでこぼこしてやがる。どうやって並べるんだよ! とりあえ
ず、動いているものをなんとかしなきゃなんねえな。時間を止めるか。
 時間を止める、か。くそ! この時計、止まってくんねえかな。
 あ、海もあるぞ。ドミノって、浮いていられるのかな。人間が大丈夫
なんだから平気だろ。でも立てられねえな。だめだこりゃ。
 はーあ。俺っていつからここにいるんだろうな。生まれた時からこう
してるんなら、クラインの壷とか、北極とか、知るわけねえな。昔、豆
腐の角に頭をぶつけたら、どうなるんだろうなんて、くっだらねえこと
考えてさ。本当に豆腐の角に頭をぶつけてみて、その途端にここに来た
んだっけかな。覚えてねえや。
 監督が鞭をふりやがった。でもガラスでさえぎられているから平気だ。
 朝七時を過ぎても、飯が食えねえ。十二時になっても、昼食はねえ。
三時になっても、おやつはねえ。――食うことばっかりだな。
 パソコンがなくても、テレビがなくても、生きてはいける。でも、お
まんまは必要だな。
 夜の十一時、十二時を過ぎても眠ることはできねえ。
 じゃあ、俺っていったいどうやって生きているんだ?
 あの長針につかまりてえ。そしたら、足を休めることができる。
 分針は動きが速そうだな。時針の方が楽だ。秒針は無い。
 ――部屋の中が洋服ダンスだらけだったら、どうしようか。正確に、
縦横に整列しているんだ。扉が観音開きになっていて、棒があって、そ
れにハンガーで服を掛けるタイプのものだ。俺はそのうちの一つを開け
る。中にはズボンばかり吊るされているんだ。これじゃないな、と思い、
次のを見る。パジャマがたくさんある。これでもない。次のやつには背
広だけが、次のやつにはTシャツだけが吊られているんだ。これかな?
違う。これかな? 違う。そしてついに、探していたものを見つけるん
だ。タンスの中に、一回り小さいタンスが入っている。それを開けると
またタンスが、それを開けるとまたタンスが……。
 で、最後のやつはもう、靴を売る時に入れる箱くらいの大きさしかな
いんだ。そして、それを開けると……わああっ。
 あらゆる悪夢が飛び出してくるんだよ。罪と罰で世界が覆い尽くされ
るんだ。
 ってことは何か? 俺は潜在意識下で、パンドラの箱を求めているの
か? まあ、そうかもしれねえなあ。
 俺の右側はガラス板だからいいが、これがもし時計だったらどうしよ
う。しかも左側の二倍の速さで動いているんだ。時間の流れがふたつあ
るんだ。そしたらもう、どっちが正しいのか分からねえ。
 どう目に映るんだろうな。嫌だな。
 こんなクイズがあったな。内側が全て鏡になっている球の中に入った
ら、どんなふうに見えるか? 答が思い出せねえ。いや、それだってき
っと不快な風景に違いないと思ってさ。
 監督が腕時計を見てやがる。こんなでかいのが目の前にあるのに、な
んでそんなことするんだろ。
「金魚ーえ、きんぎょー」っていう声が聞こえるから、行ってみたら豆
腐売りだったらどうだろう。しかたねえから買って、家に帰って醤油か
けて食ったらいきなり口の中でぴちぴちはねるんだ。あ、中に入ってや
がったのか。そしたらどうするよ。飲んじまうか。で、腹を軽く二、三
度たたいて吐き出すか。そしたら新聞紙を束ねてひもで縛ったやつに変
わってやがんの。どんな口だよ。
 おかしいなーと思ってたら、次の日同じおやじが「さおやー、さおだ
けー」って歌ってんだ。新聞持って文句言いにいったら、「うーん、その
分量だとこれだけだね」ってトイレットペーパー一つ渡されるんだ。ち
り紙交換かよ! って言うかお前、何屋だよ!
 あ、さっきのクイズの答、思い出したぞ。真っ暗で何も見えない、だ。
右が時計の場合も同じだな。ここ、ガラス板ふさがれたら光入ってこな
いからな。
 あーあ、足が疲れる。
 マッチ買いの少女っていうのがいなくて良かったな。貧乏な彼女に謎
の人物Xから与えられた任務は、三時間以内にその辺を歩いている人か
らマッチを買うことだ。Xは非情だ。遂行できなければワニの餌にされ
てしまう。

 マッチを売って下さい。ああ、ああ、おじさん、マッチを売って下さ
い。寒いわ。こごえそう。なぜお店で買ってはいけないのかしら。そし
たらすぐ済むのに。あ、あのおばさんはやさしそう。すみません、マッ
チを売って下さい。ああ、そんな目で見ないで。もう時間がないんです。
なんてこと! あと三十分しかないわ。私、ワニの餌にされてしまうん
です。ああ、行ってしまった。
 あ、あの子マッチをすっているわ。私と同じで、不幸せそう。ねえ、
お願い。私にそのマッチを売って。何かつぶやいているわ。
「おいしそうな鵞鳥」って、私の話、聞いてる? 「きれいなクリスマ
スツリー」って、そんなものないわよ。
 かわいそうに。この子も私と同じで貧乏なんだわ。きっとこのマッチ
を売ろうとして一本も買ってもらえず、寒さと空腹のために幻を見てい
るのだわ。あ、そんなに無駄にすらないで。もったいないわ。なんとい
うこと。今ここに、のどから手が出るほど欲しがっている人間がいるの
に。早く気づいて。
 え? 「おばあちゃん、私も連れていって」って、ちょ、ちょっと、
行っちゃだめ! だめだってば!
 ああ、神様、この子と私にお慈悲を。
 そうだわ。これ、もらうわね。お金、ここに置いておくわね。私急ぐ
から。有難う、有難う。

 ちぇっ、泣けてくらあ。マッチ買いの少女がいなくて本当に良かった。
 あと、モアイとピラミッドがバミューダトライアングルの上に浮いて
いたらすごいぞ。ついでに、その海底にはアトランティス大陸があるん
だ。それぞれの摩訶不思議なパワーが渾然一体となり、とんでもないこ
とになるぞ。そんな所を航空機でも通ろうもんなら、そりゃあもう、間
違い無く消えるね。で、気がついたら火星だな。なんか変だなーと思っ
てよく見たら、表面に人面石がたくさんあって、こっちを見てにやにや
笑ってるんだ。と思ったら次の瞬間には宇宙の果てだね。羽根が生えた
巨大な人がふたりいて、ウェルカム! って顔してんだ。
 油断していたら今度は未来だ。おおお、これは西暦何年に消えたボー
イング何号だ、とか言ってみんな驚くぞ。そいつらは頭がやたらでかく
て、手足は退化して細いんだ。ってことは当然次は過去だな。原始人達
が手を振り回してわめいている。オウ、オウ、オオオウ、オウ、オウ、
オオオウ、ってな。「あれは黒いふくろうの蛇がつかわした、深い闇の鳥
だ」とか、たぶんそんなような事だ。ふくろうの蛇ってこたあねえな。
 その風景がゆがんだかと思うと、いつの間にかやかんの中にいるね。
小さくなっているんだ。航空機が。ものすごく熱いんだよ。煮えたぎる
湯とふたの間に浮いている。もうだめだ、墜落する! その瞬間、ピー
ピー鳴って、家の主が笛の部分を開けるんだ。勢いよく飛び出すね。
 で、何事もなかったかのように出発した空港に戻っている。ところが
乗客、乗務員はみんな三年だけ歳をとってるんだよ。三年っていうのが
微妙だね。白髪の老人になったとかじゃなくてさ。
 ああバカバカしい。ようし、あの長針につかまってやる! しかし、
そんな事をして大丈夫だろうか。監督が俺を見ている。
 グッドタイミングだ。ちょうど長針が下を向いた。つまり俺の真上だ。
やるんだ、やるんだ俺!
 はっはあ! ついに俺は足を休めることに成功した。そのかわり手が
疲れるがな。でも、ハムスターみたいに走りつづけるよりはよほどいい。
 ああ、極楽、極楽。うーんしかし体勢はつらいな。でも、四十五分に
近づくに従って楽になっていく。
 六十分――てことは〇分だな――に達すると、またつらくなった。こ
うして水平、垂直、水平、垂直、楽、苦、楽、苦を繰り返すんだろうな。
 だが、三十分の所に来る頃にはすっかり手がしびれ、落ちてしまった。
 なんてこった。一時間しか休めなかった。待てよ? 短針につかまれ
ば十二時間も休憩できるじゃないか。なんでそんな事に今まで気づかな
かったんだ、俺!
 ああ、神様のおめぐみだろうか。もうすぐ六時ではないか。
 よっしゃあ! 俺はジャンプした。だが、なんという運命の皮肉。

 ちくしょう! 時針は短過ぎてとどきゃしねえ!


<了>




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