AWC お題>すべてを得る者       青木無常


        
#1309/1336 短編
★タイトル (EJM     )  01/02/26  07:33  (179)
お題>すべてを得る者       青木無常
★内容
――唯一なるラウナルディアのこと――
 ラウナルディアは群神であった。夢をつかさどる神マウイヴェラティ・アウリエ
の紡ぐ無数の夢を背に、風の神イア・イア・トオラの放つ四つの風獣に乗って夜毎
バレエスのあらゆる場所へと舞い散っていく夢の運び手であった。
 そのころ世界は、名をとなえてはならぬ大いなる神の無垢なる暴乱により、死と
絶望の蔓延する廃墟となりかけていた。地には絶えず嵐が吹き荒れ緑は根こそぎ倒
れ伏し、花々は実を結ぶことなく立ち枯れて獣どもは餓えと嘆きにうめき歩き、そ
してひとびとは血を流しながらそれでも苦痛にみちた生を生きのびていた。夢は悪
夢だった。わずかに幸せなまぼろしがひとびとの夜をかすめることもあったが、そ
れはやがてくる絶望の朝への前奏に過ぎなかった。
 ある夜、いつものようにラウナルディアの一匹が風に乗ってただよいながら今宵
の夢の降り溶ける場を求めていると、ひとりの乙女が洞窟の奥でか弱い寝息を立て
ているのに出会った。夢の運び手は舞い降りる。
 乙女の身は暴虐の嵐にさらされて灼けただれ腐りかけていたが、その魂は美しか
った。神属なるラウナルディアには、骨すらのぞくおぞましき醜貌など意味をなさ
ず、ただただその魂の気高さに感嘆の念を覚えるばかり。
 乙女の寝息は絶えず襲う苦痛にいろどられて重く切なげだった。悪夢をたずさえ
てきたラウナルディアは風の精に頼んでべつの場所へと飛び去り、乙女は一夜、夢
のない眠りを過ごした。
 あくる夜、かのラウナルディアはおのれの主神(あるじ)たるマウイヴェラティ・
アウリエのみもとにかしずき、願いをのべた。
「わが主神たるウル・マウイヴェラティ・アウリエよ、わが見初めし乙女の、苦痛
にみちた眠りを安らげるための慈愛と歓喜にあふれし夢をわれに与えたまえ」
 マウイヴェラティ・アウリエは己が陪神のささやかで切実なる願いにうたれたが、
夢神自身にも己が夢の制御をすることはできなかった。なぜなら、夢神のみる夢は
世界のみる夢の鏡像に過ぎず、世界に苦難と絶望のみちた今、そこによい夢のまぎ
れる余地などほとんど存在しなかったからであった。
 それでもマウイヴェラティ・アウリエは陪神に告げた。
「わがしもべなる小さき神よ。わが眠りよりかぼそき翼もて立ちのぼる無量の夢を
ことごとくながめるがよい。そなたは力よわき神なれど、心よりの望みもてながむ
れば、夢の色を見ることあたわぬとも限らぬかもしれぬ。悪い夢は苛烈なる赤や底
知れぬ黒、またもの憂き紫などにいろどられ、不安と不快にゆらめきながら舞い上
がる。そしていまや届き難きよき夢は、無垢の白に近き色や光を発していよう。そ
の色を見ることあたわば、そなたは慈悲と歓喜にみちみちた夢を、くだんの乙女の
もとへと運ぶこともできるやもしれぬゆえ」
 そして夢神は今宵の夢を紡ぐため、みずからも深き眠りの底へと沈みこんでいっ
た。
 世界をうつすかぐろき夢に眠る神はうなされ、そのうめき声は不安と化してつぎ
つぎに天空へと立ちのぼっていった。無量のラウナルディアがそれらの夢を背負っ
て風の精の翼に乗り、世界へと散らばっていくなか、かのラウナルディアは一心不
乱に舞い上がる夢どもをながめやったが、その色を見ることはどうしてもできなか
った。
 しかたなしに最後の夢を背負ってラウナルディアは地へと降りくだった。夢は悪
夢だった。乙女のもとへは訪れなかった。
 翌日もその翌日も、かのラウナルディアはマウイヴェラティ・アウリエのかたわ
らにあって一心不乱に夢たちをながめやっていたが、夢の色を見ることはどうして
もできなかった。
 いつしかラウナルディアは夢を運ぶのをやめて空身のまま乙女のもとをおとずれ、
そこにほかのラウナルディアが降りくだらぬよう一晩中うずくまって見張るように
なった。眠る乙女の魂はあいかわらず美しいままだったが、そのいのちの炎は日に
日にやせ衰え、やがて死に至るのは明白となった。
 ラウナルディアは哀しみ嘆いたがなすすべもなく、ただ乙女の衰亡していく姿を
ながめやるしかできなかった。
 やがてかのラウナルディアも、希薄になりはじめた。ラウナルディアも神のはし
くれである以上、死のあぎとからは遙かに遠かったが、夢を運ばぬ運び手は死なぬ
かわりに存在が限りなく薄く儚くなっていき、やがては風に舞う塵やほこりと変わ
らぬ、とるにたらぬものと変じてしまう。乙女の衰弱に足なみをそろえるようにし
てかのラウナルディアはゆっくりと消失していき、主神たるマウイヴェラティ・ア
ウリエは嘆き哀しんで夢を運ぶよう懇願したがそれが受け入れられるときはついに
なかった。かのラウナルディアはただ哀しげな目をして、夢の色を見ることができ
ませぬとつぶやくばかりだった。
 困り果てたマウイヴェラティ・アウリエは己が主神たる憐憫の神ユール・イーリ
アのもとを訪れた。ことの次第を語ってきかせ、何か手だてはないかと主神にすが
ったのだが、憐憫の神にもよい智慧はなかった。
 ユール・イーリアは地の底に降って智慧の神イムレスのもとを訪れた。地上の絶
望ににおし流されたあらゆる汚物が沈殿する、世界のもっとも低き場所にまします
智の神のみまえにひざをつき、ユール・イーリアは問いを発したが、かつての智の
神はおそるべき魔神の毒牙にかかってその英知を喪失し、ただ痴呆の笑いを発して
意味のないつぶやきを虚空に吐き出すだけの存在となり果てていた。
 しかたなしにユール・イーリアは東の果てへと飛び来たり、その地にふるくから
横たわるエジェなる名の土着神を求めた。エジェは“ふるき智のエジェ”なるふた
つ名をもつ土地神であった。その知識はかつてのイムレスには及ばぬものの、ヴァ
イル十二神が降る前のバレエスでは、深い英知を誇るものとして崇敬された存在で
あった。
 ふるき智のエジェは大地に四肢を投げだして物憂げに横たわっていた。その前に
頭(こうべ)をたれてユール・イーリアは、力よわき小さき神が夢の色を見られるよ
うになるにはどうすればよいかと問うた。
 ふるき神は大儀そうに片眉をあげて憐憫の神をながめあげたが、けだるい口調で
短くこたえた。
「大いなる力を得ればよかろう」
 ユール・イーリアはさらに問うた。
「大いなる力を得るには如何にすべきか」
「大いなる力もつ者の心臓を得ればよかろう」
 物憂げにエジェはこたえた。ユール・イーリアはさらに問う。
「大いなる力もつ者はどこにいるのか」
 するとエジェは蔑むように声を立てて笑いながら、わずかにその顎を浮かせ、い
った。
「この世界を滅ぼしたものこそ大いなる力もつ者にほかなるまいが。名をとなえて
はならぬ暗黒神のみもとを訪うて、その心臓を手にすればよかろうが」
 そしてふるき神はまた組んだ手の上に顎をもたせかけ、不満げな吐息とともに物
憂い眠りへ沈んでいった。
 かぐろき絶望の重荷を背負いユール・イーリアは己が宮へと戻り、陪神にことの
次第を語ってきかせた。夢の神マウイヴェラティ・アウリエもまた困惑に眉をよせ
つつ、哀しげな目をして夢が立ちのぼるのを待つ、かのラウナルディアにふるき神
の託宣を伝えた。
 ラウナルディアは風の精の翼に乗って暗黒の山々をこえ、凍てつく氷海の彼方に
どすぐろく浮かぶ暗黒の島の“人間の洞窟”をくぐって、名をとなえてはならぬ神
の眠る神殿を訪うた。
 破滅をふりまいた暗黒神は、夜の女神レレバ・セレセのひざに憩い目覚めるよう
すもなかったので、小さき神は夜の女神に呼びかけた。
「われは夢の色みる力得るため、名をとなえてはならぬ神の心臓をもらい受けにま
いりました。どうぞわれに慈悲をたまわり、大いなる神の心臓を与えたまえ」
 暗黒のとばりにおおわれた夜の女王は静かに小さき神をながめおろしたまま、な
がいあいだ言葉を発することなく過ごしていたが、やがて問うた。
「なにゆえにわが良神の心臓を求めるのか」
 ラウナルディアがことの次第を語ってきかせると、夜の女神はおかしげに笑った。
「そなたの想い人はひとであろう。ひとであれば、どれほど美しかろうと神の美し
さに比すべくもあるまいに。なにゆえそのように執心するのか」
「わが見初めし乙女の魂のうるわしさ、気高さは、神々のそれに勝るとも劣りませ
ぬ」
 小さき神がこたえると、夜の女王はまたながい黙考に沈みこんだ。
 が、やがていった。
「ではわれの顔(かんばせ)をながむるがよい。ひとの娘とわれと、その美しさをひ
き比べ、もしそなたがわれよりひとの娘がより美しいと感じたならば、わが良神の
心の臓をそなたに与えることとしよう。大いなる神の心の臓を手にすれば、そなた
は世のあらゆる事象を思うがままにすることができよう。なれば、夢の色をみるこ
となど、息をするよりたやすいわざ」
 女神の申し出に、小さき神は瞬時、怖じけたが、苦しみに沈む乙女の魂の輝きを
思い出して勇み、肯んじた。
「では帳をこえてわがもとに来るがよい」
 女神の言葉にうながされ、かのラウナルディアは暗黒の帳をくぐって歩を進め、
おそるべき暗黒神をそのひざに横たえさせた夜の女王に向けておもてをあげた。
 だが魂をみるラウナルディアの目には、女神の美しき容貌は映らなかった。
 ただ底なしの暗黒のみが、その目に像を結ぶすべてであった。
 あなたさまの顔をながめることができませぬ、と小さき神は告げようとしたが、
それでは乙女の魂を救うことができぬと思い直し、こういった。
「わが乙女の美しさにかなう美は、このバレエスには存在しませぬ」
 深々と頭をたれる小さき神を、ながい、ながいあいだ、夜の女神は無言で見おろ
していた。
 が、やがていった。
「では大いなる暗黒の神の心の臓、その手にたずさえ想い人のもとを訪れるがよい。
今日よりそなたは、アシュヴィヴァスと名乗ることとなろう」
 謎めいた言葉を期に、額をすりつけるラウナルディアの眼前に、脈うつ暗黒が投
げだされた。
 大いなる神の心臓を手にするや、小さき神の身内にあふれんばかりの力がみなぎ
りはじめる。おどろいてラウナルディアは心臓を放りだそうとしたが、脈うつ暗黒
は手のひらに融合して離すことあたわず、しかたなしに小さき神は風の精を呼ぶた
め立ちあがった。
 すると瞬時に、天へと飛び立っていた。
 世界を遙かに見おろす頂にいる己を見出し、小さき神は驚愕に打たれたが、それ
が心臓を手にした己の新たなる力であると得心し、喜びいさんでユール・イーリア
の憐憫の宮へと飛び帰る。
 眠る夢神の背後より立ちのぼるゆらめきを目にしたとたん、かのラウナルディア
はかげろうのごとき無量の夢のひとつひとつにとりどりの色を見とめて驚喜の舞を
踊り、それから注意深く選別にかかった。
 悪夢の色が無数に乱舞するなか、こころよき夢の姿など数えるほどもなかったが
、大いなる力を得たラウナルディアには真白き輝きを放つとびきりの良夢をすぐに
見つけることができた。
 かのラウナルディアはその夢をわしづかんで一足飛びに乙女のもとを訪れた。
 だが乙女の息はまさに絶えるところだった。与えようとした夢はかすみとなって
消え失せ、乙女の魂を狩ろうと待ちかまえていた死神の二匹の猟犬が、そのおそる
べきあぎとをひらく。
 かのラウナルディアは怒りの咆吼とともに猟犬どもを切り裂き、乙女の復活を願
った。と、大いなる神の力が発現し、またたくまに乙女は生き返った。のみならず、
生前のもっともうるわしき姿でさえ遙かに及ばぬほどの、輝かしき美の顕現となっ
てかの神の前にたたずんだ。
 己が復活と、それにも増して己がみめのあまりの変わりようとに、乙女はとまど
い戦(おのの)いたが、それが大いなる神の恩恵によるものだと知ると、畏れはにわ
かに歓喜へとかわり、さらには増大する欲望へと変形(へんぎょう)する。
 富貴、若さ、永遠の命、あらゆる美と快楽の蒐集と、かつて乙女であったものの
欲求はとどまることを知らず、そのひとつひとつを叶えていきながらラウナルディ
アは可憐だった魂がまたたくまにどすぐろく薄汚れていくさまを呆然とながめやる
しかできなかった。
 肥大した欲望にふさわしく、その魂もたるみ歪んだ肉塊のごとき醜貌を呈するに
至って、ついにかの神の想いも破れはち切れ、かつて切望した魂の消失を願う。
 乙女だったものの魂は虚空へと飛び去り、欲望だけをたぎらせた魂のない肉塊が
あくことなき貪婪(どんらん)の地獄へとのみこまれるのを尻目に、ラウナルディア
・アシュヴィヴァスは地に腰を落として頬杖をついた。
 いまや大いなる力を得てあらゆる事象を望むままにできるようになった唯一なる
ラウナルディアは、だが一切の希望を喪失してもの想わぬ彫像と化す。あふれでる
力は一帯を花畑にいろどり、抑えるあたわぬ生命力がほとばしって傷つき倦んだ世
界にふりそそいだ。
 大いなる暗黒神の暴虐のもと破滅に瀕したバレエスは、こうして新たな力を得て
滅亡の手前に踏みとどまり、死を待つばかりだったあらゆる神々、あらゆるひとび
と、あらゆる生命にかりそめの猶予をもたらしたのだという。
 そして、もの想わぬ彫像と化したラウナルディア・アシュヴィヴァスは、いまも
世界のどこかにあるいちめんの花畑に座し、沈黙の視線を虚空に投げかけているの
だという。
           すべてを得る者−唯一なるラウナルディアのこと――了




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