AWC お題>デュエット――双つ神の宮――    青木無常


        
#1298/1336 短編
★タイトル (EJM     )  00/12/31  15:57  (141)
お題>デュエット――双つ神の宮――    青木無常
★内容

 兄妹は守護神として崇められていた。兄妹でありながら夫婦(めおと)でもあった。
ふたりは童子の姿をしたまま仲むつまじく暮らし、小鳥がさえずりついばみあうよ
うに、たがいを求めあっていたという。
 山あいの里は川の幸に恵まれ豊かだが辺鄙で、おとずれる者は絶えてなかった。
里人たちは兄妹神をいただき沃野から供与される糧を、平安を、謳歌していた。
 里には秋におこなわれる収穫祭のほかに、冬、雪化粧が山をうっすらと覆いはじ
める季節にもうひとつの大きな祭りを擁していた。舞い散る雪のはかなさを、兄妹
神がことのほか好んでいたからだった。雪のふりつぐ夕べにはいつも、子どもらと
ともに遊びまわる兄妹神の声音が楽しげに里にひびいた。いつしかそれは歌声へと
かわり、はしゃぎまわっていた子どもらとともに大人たちもまた、足をとめてきき
ほれたという。
 ある冬のはじめ、雪の先触れのように旅人が里をおとずれた。純朴な里人らは紅
衣の旅人をこころよくもてなし、紅衣の旅人は微笑みをもってそれを受け入れた。
だがそれも兄妹が宴の場に姿をあらわすまでのことだった。
 旅人は酒杯を口に運ぶのも忘れて兄妹のうるわしきみめに心奪われる。そして披
露される、この世のものとも思えぬ歌声の美しさに、随喜の涙を流して喝采した。
 そしていった。
「おまえたちをわがもとに召そう。われとともにわが時の柱の宮に来たりて、永世、
その歌声でわれを楽しませよ」
 驚き怪しむ里人らの前で、紅衣のひとは巨大な獣の姿に変形(へんぎょう)した。
時をつかさどり、時の彼方まで世界を見とおす大いなる神ガルガ・ルインが旅人の
正体だった。
 巨大な時の獣はその手に兄妹神を抱えあげて天へと飛び去り、残された里人たち
はただただ幾日も放心の日々を送るばかりであった。
 やがて兄妹の失跡を追うように里から恵みが引いた。ひとびとは餓え嘆き哀しみ、
去った兄妹の歌声をただいたずらになつかしんだ。
 だがある日、里の子どもらの何人かが、なつかしい歌声を耳にしたとうったえた。
 消え入りそうにひびく天上の声音は、谷の遙か奥にある裂け目からきこえてきた
と子どもらはいった。裂け目の奥には地の底の死者の国があるといわれ、谷にはだ
れも近づこうとはしなかった。だが哀しげな歌声は夜々、子どもらの夢にとどけら
れ、やがてべつの声音がおとなたちの耳にもきこえるようになりはじめた。
 それは哀しげなすすり泣きとも、苦痛に堪えるうめき声ともきこえた。おとなた
ちはひそかにささやきあう。あの声はかつて祠で兄妹が愛しあいむつみあっていた
ときにあげていた声ではないのかと。
 それらの声は決して強くひびくことはなかったが、いつでもひとびとの夢の底に
たゆたってものうげに、哀しげに届けられた。
 それでも嘆くばかりで動こうとしない大人たちに業を煮やして、子どもらのうち
殊に仲むつまじい双子の兄妹が谷奥の裂け目をめざす。
 ふたりは谷の入口に生えたルフの木の実と木の葉、そして兄妹神の宮からもちだ
したルフの樹皮の祭りの仮面を手にして地の国へとわけ入った。
 ちいさな手に手に燃え盛るたいまつの弱々しくふるえる灯だけを頼りに、双子は
なつかしい歌声を追って窟の奥へ奥へと歩を進め、やがて言い伝えどおりの冥界に
たどりついた。
 死の国には数々の魔怪が闊歩し亡者どもを追い、責め立て、喰らいついていた。
魔怪どもはおそろしげに陰鬱な道を往く子どもらを不思議そうに目を細めて見おく
ったが、亡者どもを相手にするように襲いかかろうとはしなかった。いにしえより
の定めごとに従い、死界に足を踏み入れて七日を経ぬものには手を出さぬようして
いるのだろうと子どもらは語りあった。
 やがてふたりは死界の奥の奥、死者と死をつかさどるおそるべき大神マージュの
神殿へとたどりついた。歌声は神殿の奥からひびいていた。
 いくつも連なる陰鬱な宮を経めぐり、ようやくたどりついた閨房で子どもらは兄
妹の神を見つける。美しかった双貌は爛れ腐れ落ちて見るかげもなく、禿げかけた
頭髪のすきまからはされこうべさえ覗いていた。ふたつの御姿は溶けゆらめいてひ
とつになりかけ、抱きあった姿のまま融合しようとしていた。かわらぬのは美しい
歌声だけだった。
 子どもらは驚き畏れながらも兄妹神に呼びかける。
 童子の姿をした神々は嘆きの涙を流しながら幼き崇拝者たちにことの次第を語っ
てきかせた。
 時の神につれられて天の宮へと召された兄妹は、幾日も幾日も嘆きながら請われ
るままに歌を謳い、大いなる存在の無聊をなぐさめていた。が、やがて双神のあま
りの美しさ可憐さに、時の神はよからぬ想いを抑えるあたわず、ついには夫婦の仲
を裂いてそれぞれ閨房に囲いこんだのだという。
 大いなる神は時を遡るとその身を双つにわけて兄と妹それぞれの房をおとずれ、
至上の悦楽をふたつながら楽しもうとした。
 大いなるものの手がつく前に兄妹は、嘆きながらみずからの命を絶ち、死神の二
匹の猟犬にそれぞれ導かれて地の国へと墜ちる。
 死の国の無慈悲な王もまた兄妹の可憐な姿に一目で魅せられたが、時の宮でガル
ガ・ルインがおかしたあやまちを知ってふたりを閨房に閉じこめ、溶けて腐れるに
まかせたという。双つが溶融してひとつになるのを待ち、死神は美しき獲物を改め
て賞味しようと考えたのだと知り、来たるべきその日を憂えて兄妹神は、嘆きの歌
をくちずさんだのだった。
 いつその日がくるのだと子どもらが問うや、それは兄妹神が地の底に墜ちてから
七七、二十九日を経た明日なのだと応えが返った。
 帰る道を知っていた子どもらは、ともに死の国をぬけてなつかしい里へと還ろう
と申し出たが、兄妹神は自分たちにはそれができぬのだと嘆くばかりであった。死
界へと足を踏み入れ七日を経たものは、たとえ道がわかっても死の国の王の許しな
くして立ち去ることはできない定めなのだと。
 子どもらは途方に暮れたが、やがてふたり顔を見あわせ心を決める。魂換(たま
がえ)をしてわたくしどものからだをお使いください、との申し出に兄妹神は困惑す
るだけだったが、どのみちあと一夜を過ごせば自分たちも亡者の仲間入りをするの
だからと懇願されては肯んずるよりほかになかった。
 子どもらは苦痛とも悦楽とも知れぬ溶融の擾乱する肉体にその魂を埋もれさせて、
ひとつになる苦しみと歓びに埋没し、童子の姿をとり戻した兄妹神は地の国を通り
ぬける。
 陰鬱な道をいく双子を魔怪らは歯がみしながら手をだすあたわず、いたずらにあ
とを追いつづけたが、死の国の境、外の世界へとつづくながい坂にたどりつく寸前、
双子の肉体に残された時間が尽きた。
 ここぞとばかりに襲いかかろうとした亡者どもの眼前に、時の神が降り立つ。
 死の神に獲物を奪われた腹いせに時の神は流れをとめて兄妹たちに逃れるいとま
を与え、そのかわりに時の宮へと戻るよう請い願った。兄妹神は困惑し、それでは
わたくしたちが地の底の魔怪どもの手にかからず無事に坂を昇りおえたなら仰せの
ままにいたしましょう、と約したのだった。
 そして死の神の宮では、神の肉体をまとってひとつに溶融した双子が苦痛と悦楽
の底に溶けて消えた姿を目にした冥王が吠え猛りながら獣の姿に変じて、兄妹たち
の臭いの跡を追って走りはじめる。
 時をとめられたまま兄妹たちは坂をのぼりはじめ、約定により手をださぬことを
誓った時の神は天上へと帰還し、死の国の魔ものどもはいましも手の届かぬ彼界に
立ち去ろうとしている獲物を追って波濤のように押しよせた。
 坂のさなかで兄妹はふりかえり、群れなしてとよめく魔ものどもに向けてルフの
木の葉を投げつけた。木の葉は怒濤の水流と変じて魔怪を押し返し、そのあいだに
兄妹は坂のなかばまでたどりついた。
 が、水流を押し分けてふたたび魔ものどもが追いついてきた。
 兄妹はふりかえり、群れなしてとよめく魔ものどもに向けてルフの木の実を投げ
つけた。木の実は燃え盛る溶岩と変じて魔怪を灼き焦がし、そのあいだに兄妹は坂
の出口までたどりついた。溶岩は地に落ちてルフの樹々となり、つかのま、魔もの
どものゆくてを阻んだが死界からの腐風にうたれてすぐに枯れ木と化した。
 枯れ木を押し分けみたび迫りくる魔ものどもに向けて、兄妹たちはルフの樹皮の
仮面を投げつけた。だが祀りを怠ったまま放りおかれた仮面にはかすかなひびが入
っていた。それでも仮面は霧と化してつかのま、魔怪どもの足をとめたが、その背
後から猛り狂った死界の王が飛びいでて、鈎爪のひとふりで霧をなぎ払った。仮面
の呪界はたちまち破られ、魔ものどもを従え死界の王ががなだれこむ。鈎爪がふた
りの足にのびた。
 そのとき、ふたりは境をこえた。ティグル・ファンドラの恵みの光がさし染める
のを、双つ神はまぶしく迎える。
 そしてのばされた死神の鈎爪は、ふたりのかかとの腱を切り裂くと同時に光を浴
びて溶け崩れた。ついに手の届かぬ場所に逃げおおせた兄妹たちの後ろ姿を、死界
の王と魔怪どもはいつまでも、歯ぎしりしながら見送った。
 時の神みたび地へと降り立ち、約束どおり天へとふたりを召そうとしたが、兄妹
神のかかとから真っ赤な血が流れでているのを見て泣く泣くひとり天へと帰還した。
 腱を切られて歩くことのできなくなった双子姿の神々は、互いの背と背をあわせ
て一対の足を得、静かに里へと歩みだした。
 折しも里は、最初の雪を迎えたところだった。いつもならば兄妹神のために祭り
の準備を怠りない里も、このときばかりはうち沈むばかりで陰鬱な静寂に覆われて
いた。地の底を思わせる静寂を、兄妹神は忌み嫌った。
 驚き喜び迎える里人たちに満面の笑みを浮かべて神々は、歌声に喉をふるわせる。
 時の国で覚えた時の歌、死の国で覚えた死の歌だった。神々を見捨てた里人に時
と死とが牙をむいて襲いかかり、肥沃だった山あいの里は肥沃なまま死に絶えた里
となった。降りつぐ雪に里は白く覆われ、すべては忘却のささやきとともに溶けて
消えた。
 兄妹神は憐憫の神ユール・イーリアの庇護を求めて里を去り、退屈という別名の
“隠匿の外套”に包まれて神々の淫蕩な視線から逃れているのだという。
 以来、兄妹神ティバルとファレルはユール・イーリアの陪神としてひろく世のひ
とびとの崇敬を集めたが、気むずかしい双神は容易にその恵みをひとびとにくださ
れることはない。ただひとつ、歌を謳い歌をきく楽しみだけはひろく世にたまわれ、
歌によって帰依するものにのみ慈悲をくだされるのだという。
 兄妹の神の宮には奥殿がおかれ、そこには抱きあいながら融合する童子の像がつ
ねにおかれる。だが神官をのぞいてその像を目にしたことのあるものはない。なぜ
なら、像を見たものは兄妹の神々と奥殿の神々とをそれぞれ祀る職につかなければ、
腐り病に憑かれて死ぬよりほかにないからなのだという。
                                 ――了




前のメッセージ 次のメッセージ 
「短編」一覧 青木無常の作品 青木無常のホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE