AWC 鼻親父と豆腐の美女(6)    時 貴斗


        
#5492/5495 長編
★タイトル (VBN     )  01/10/24  00:43  (195)
鼻親父と豆腐の美女(6)    時 貴斗
★内容
  おやじギャグ襲来

 今日は嫌な一日だった。バイオリズムが低調だったのか、幸運の女神
がそっぽを向いたのか。ささいな偶然が積み重なり、いっきに破裂した
のか。確率のいたずらか。とにかく、延々とおやじギャグにせめられる
という、大脳新皮質がすっかり疲弊して真っ白になる日だった。
 公園のトイレで手を洗っていると、紺の背広を着た、腹が出ていて頭
髪の薄い男が、私の横に立ち、水道の栓をひねった。
「はあー、やれやれ」
 お疲れのご様子だ。彼は突然ポケットからくしを取り出すと、残り少
ない毛を手入れし始めた。
 気にせず去ろうとする私の背後で、男はいきなり言った。
「おお、髪をとこう」
 他には誰もいない。私に言っているのか? 少し驚いて振り返る。彼
は相変わらず髪を整えている。
 彼の手の動きが止まり、ゆっくりとこちらを向いた。
「うわあっ」
 思わず叫んでしまった。彼の顔には獣の剛毛が隙間なくはえていた。
「あなた、どうしたんですか、その顔」
「それはお前を、食べるためだよ!」
 私は自分でもわけの分からないことを何やらわめきちらしながら、一
目散に駆け出した。
 随分と走って、やっと止まる頃には、額に汗が流れていた。横にお爺
さんとお婆さんがいて、のどかに立ち話をしている。
「隣りの家に囲いができたってねえ」と、少しの期待をこめた表情で、
じいさんは言った。
「ええ、ええ。何でも泥棒に入られたそうでねえ。かわいそうにねえ。
山田さんも気をつけた方がいいですよ」
 山田と呼ばれた老人が、意気消沈していくのが、私の心に伝わってき
た。
「囲いだけでは心配なので、犬を飼ったんですけど、その犬がまあほえ
ること、ほえること。迷惑なんですけど、そうも言えなくてねえ。それ
でも足りなくて、防犯システムとかいうのもつけたんですって。高かっ
たらしいですよ。ほんと、物騒な世の中になりましたねえ」
「へえ」
 ああ、なんと言うことだ。お爺さんの寂しい気持ちを私は感じ取る。
いたたまれなくなって、その場を離れる。
 これはひょっとして、おやじギャグなのか? そんな疑いを抱いた私
に向かって、執念に燃えているような表情の大男が走ってきた。彼はい
きなり私の胸ぐらをつかんだ。
「ダジャレを言ってるのは、誰じゃ!」
 足が宙に浮いたまま、私は彼を凝視することしかできなかった。
「俺だよ!」
 男は駆け去ってしまった。これはもう間違いない。おやじギャグだ。
風水か、仏滅とかそういうのか分からないが、今日は私にとってそんな
日なのだ。おお、おお、なんと恐ろしい!
 逃げなければならない。なんとかして、この呪縛からのがれるのだ。
 だが、少し進むと、向こうから中年男が歩いてきた。何かやるぞ。私
は身構えた。突然左右からころがってきた二つの巨大な歯車が彼をはさ
んだ。
「ぎやっ!」男は叫んだ。
 あうう。なんてつまらないんだろう。このままでは脳が疲弊してしま
うぞ。
 八百屋の前を通り過ぎようとした時、店のおいちゃんと主婦の会話が
耳に入ってきた。
「この長ねぎ、もっと安くならない?」
「ちぇっ。奥さんにはかなわねえなあ」
 鋭敏になってきた私には分かった。ねぎを値切っているのだ。しかし、
気づかない方が幸せなのだ。
 まるで、霧の濃い森をさまよっているかのようだった。いつの間にか、
私は公園に来ていた。そこには親子がいた。だが、私は完全に緊張の糸
が切れていた。
「パパ、漏れちゃうよ」
「よしよし、トイレに行っといれ」
 子供は分からなかったらしく、駆け去ってしまった。だが、私は全身
の血が凍っていた。おやじギャグには、体の、そして心のぬくもりを完
全にうばってしまう効果があるのだ。これは恐怖だ。
 そんな目に何度もあっているうちに、すっかり日が暮れてしまった。
私はおでんの屋台を見つけた。腹を満たすことにし、椅子にすわった。
「親父。はんぺんと、こんにゃくと、卵と、あと熱燗」
 ほどなくして、うまそうなそれらが目の前に置かれた。だが、すぐに
私の体は緊張に支配された。そうだ、油断してはならない。
 親父を、ちら、ちら、と見る。何かするぞ。どんな手だ。どんな手で
仕掛けてくるんだ。私は、どうすればいいのだ。
 先制攻撃だ。それしかない。
 私は湯気をたてているこんにゃくに、指を押し当てた。熱い! しか
し、我慢するのだ。ねじるようにして、なんとか突き通した。
 そのまま持ち上げ、さらに第二関節まで進めた。それを親父に向けた。
「こんにゃく指輪!」私は叫んだ。
 彼の蔑むような視線が、私を射抜いた。
「寒ぶっ」親父は自らの体を、両腕で包み込んだ。


  チョー・コギャル

 私は職場から家へ向かう電車の中にいた。途中の駅で乗ってきた女子
高生と思しき二人組みが正面の席にすわった。片方は、ブームが去りか
けている山姥メークの子だ。驚いたのはもう一人の娘だ。髪は真っ白、
目の下は黒く、ほほにあざがある。良く見ると、それが全部化粧なのだ。
山姥メークならぬ、白髪鬼メークだ。最近はこんなのがはやっているの
か。
 山姥娘がひざの上に広げた雑誌を異形の子に見せている。
「このカマドって、ちょーやばくない?」
 カマド? ああ、人気バンドのボーカルか。
「あああ、ちょう、あざとい。ちょあざ」
 大丈夫なのか?
「えー? そんな脂ぎってるー?」
 何を言っている、山姥。待てよ? 「あざとい」ってどういう意味だ
っけ。
「おおお、おお、ちょお、こざかしい。カマドはちょこざ」
 こざかしい、か。ホラーな雰囲気なのに、面白い事を言う、彼の態度
を言っているのだろうか。
「知ってるー? カマドの彼女、他の男とくっついたんだって。浮気さ
れてんの。ちょー笑える」
「おーのーれー、姦夫姦婦によって、おとしいれられたのか。ちょう、
呪わしいー」
 震えている。恐ろしい目つきだ。
「でさー、カマドったらあー、その女から慰謝料が欲しいとか言ってん
の。ちょーあぶねー」
「ちょう、嫌気」
「そーうよー、嫌気さすって、感じよねー」
「カマドは……うっ」
 白髪娘は突然自分のみぞおちをおさえた。
「ちょ、ちょっと優子、大丈夫?」
「カマドは……って言うかカマドよ……復讐するのだ。姦婦に、ああ生
まれてこなければ良かったと後悔させるような、地獄の復讐をするのだ
……って言うか、ちょう復讐」
「追っかけの子がいてさー、しつこくカマドにくっついてまわるんだっ
て。朝起きて、ドア開けたらそこに立ってるんだって。それって怖くな
ーい?」
「護符を貼るのだ。あらゆる入り口に護符を貼るのだ。そして、どんな
ことがあっても絶対に出てはだめだ。朝が来たと思っても、決して戸を
開けてはいけない。ちょーやばいぞ」
 誰なんだ、お前は。
「でさー、持ってきた手料理渡そうとするんだって。それが、これくら
いの弁当箱なんだって」
「小さいつづらを選ぶのだ。大きいつづらを選んではならない。チョベ
リブブって感じ」
 ブブ?
「カマドったら、その追っかけのこと、豚とか言ってんの。ひどくなー
い?」
「藁の家に住んではいけない。丸太小屋もだめだ。レンガ造りの家なら、
狼に襲われはしない」
 電車は駅に着き、停まった。二人は相変わらずしゃべっている。白髪
娘は枯れ木に花を咲かせろとか、血を吸えとか、変な事ばかり言ってい
る。これが、コギャルの次に来るブームなのだろうか。
 山姥は窓の外を見た。
「ねえ、ちょっと。優子が降りる駅じゃなーい?」
「なにおうっ!」
 慌てて立ち上がり、よろよろと歩いていった白髪の目の前で、無情に
もドアが閉まった。
「あーけーろー。ここから、出してくれー」
 電車は走り出した。


  さよなら、鼻親父

「口の中に、虫歯がいるよ」
 鼻親父が歌っている。
「羽根は四枚、脚は六本」
 相変わらず嫌な歌だ。
「ほうらほら、飛び立とうとしているよ。神経をちょん切って、歯茎か
らぼこっと抜けて、大空に羽ばたいていくよ」
「いい加減に……」
 やかんのふたを開けた途端、あやうく腰を抜かしそうになった。彼は
口親父になっていた。とても、嫌だった。
「おや? 顔が青いよ」
「お前こそどうしたんだ、その顔」
 唇と歯があるが、奥は真っ暗闇で、どうなっているのか分からない。
「鼻でいるのが一番居心地がいいんだが、ほら、飽きるだろ」端がつり
上がった。笑っているらしい。「しかし、太ももやあごになっても、なん
だか分からないし。目、鼻、口、耳、あとは指くらいか」
「普通に、顔をのせればいいんじゃないか?」
「悪趣味だなあ」
 どっちがだ。
「今日は一つ、言いたいことがあるんだよ」
「なんだ」
「もうそろそろ、ここを出て行こうと思う」
 え? あまりにも突然の言葉に、私は動揺した。
「へえ、そりゃまた急に。でも……」
 でも、出ていってくれるなら、それにこした事はない。
「でも、どうしてかって? わしも長い間、この家に幸運をもたらして
来たが、もう十分だろうと思ってな。他の不幸せな人を救ってやらんと
な」
 そういう奴だったのか? 違うような気がするが。
「ああ、そうかあ。それは残念だなあ」私は悲しく見えるように、眉を
下げた。「でも、まあ、仕方ないか」
「分かる、分かるよ。なごり惜しいだろう。悲しいだろう。こらえてく
れ」
「ああ、本当に。何か、できることはないか?」
「いや、いいんだよ。あんたの涙を見ないうちに、わしは行くよ」
 親父はやかんから出ると、床に水を滴らせながら、空中を漂っていっ
た。後頭部は赤いUFOのようだった。そして彼は、寂しそうに振り向
いた。
「それじゃあ、元気でな」親父の前歯が、泣いているように見えた。
 突然、ドアが開いた。
「ハーイ、ペンサーン」
 なぜ豆腐の美女が! 
 私は何か言おうとした。だが、遅かった。彼がむこうを向いた途端、
二人は熱いキスをした。
「ブーリー、シット!」
 彼女の猛烈な発音が、親父を吹き飛ばした。


<了>




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