AWC 鼻親父と豆腐の美女(5)    時 貴斗


        
#5491/5495 長編
★タイトル (VBN     )  01/10/24  00:40  (191)
鼻親父と豆腐の美女(5)    時 貴斗
★内容
  夜走る

 今夜は気分が安楽な状態なので、走っている。私はいわゆるランナー
ズ・ハイになりやすい体質なので、困ってしまう。脳内麻薬が大量にあ
ふれだすのだ。こういう時には変な物を見やすいので、注意が必要だ。
 ふと、いつもは行かない細い路地に入ってみる気になった。木々で両
脇がおおわれている、さびしい道だ。走るにしたがってだんだんゆるや
かな坂になり、私は山に入ったのだと悟った。時々現れる明かりを頼り
にして進む。しばらく行くと、道が開けて、広場に出た。周りを家々が
囲んでいる。山奥の小さな集落だ。奇妙なことに、真ん中に線路があっ
て、路面電車が停まっている。どうやらここが終点のようだ。おかしい
な、と私は思う。なぜこんな山の中に?
 いけない。これはきっとランナーズ・ハイだ。注意しなければ。
 車両は一つだけで、中から明かりがもれている。二人の人物が見える
が、様子が変だ。言い争っているようだ。私は興味をひかれ、電灯に誘
われる羽虫のようにふらふらと近づいていった。
「どうするんだ。爆発するぞ」
「落ちつけ」
 聞こえた会話に驚き、思いきってドアを引き開けた。乗りこむと、二
人の男が振り返った。黙っているので、私の方から声をかけた。
「どうしましたか」
「ああ、あなた、来ちゃだめです」と、背が低い割りに顔の長い男が言
った。肌の色が妙で、だいだい色に近い。あごがしゃくれている。「早く、
遠くに逃げて下さい」
「待て、待て。二人で考えるより、この人にも加わってもらった方がい
い。三人寄ればもんじゃの知恵と言うじゃないか」頭が変にとがってい
る、体の細い男が言った。まるで鉛筆のようだ。
「あの、もんじゅ」
「さあさあ、こっちへ来て下さい」
 鉛筆男にうながされて、私は彼らのそばに行った。そして、そこにあ
る物を見て仰天した。
「これは、爆弾では?」
「そうです。爆弾です」だいだい色の男が答えた。彼の顔はまるで三日
月のようだ。
「いつ爆発するんですか」
「それは分かりません。時計がついてないんですよ。しかし、おそらく、
もうすぐです」
 精密な機械が茶色い筒を取り囲んでいる。だが、彼の言う通り時を刻
むような物は何もない。
「今我々が直面している問題は」鉛筆が言った。「青い線と赤い線のどち
らを切ればいいかということなんです」
「ああ、青い線と赤い線」
 ドラマ等で爆弾解除のシーンが出てくると、必ずといっていいほどこ
うなる。どうもしらじらしい。本物を止める時にも、二つのうちのどち
らかを切断する仕組みになっているのか? それともやはりこれは幻覚
なのだろうか。
「早く決めなければいけません。あなたはどっちだと思いますか?」
「え、そう言われても、私は爆弾のプロではありませんし」私は狼狽し
た。「ただの通りすがりのおじさんですし」
「我々も同じです。直感で決めるしかありません」だいだい色の男は目
をつり上げた。
 我々も同じ、と言ったが、そもそもこいつらは何者なのだ?
「では、せっかく三人いることですし、多数決で決めましょう。おい、
お前はどっちを切ればいいと思う?」
「ああ、俺は青かな。赤っていかにも危険そうだし」鉛筆は三角形に近
い額に冷や汗をかきながら答えた。
「俺は赤だ。赤は血を連想させる。俺は血を見るのが嫌いだ」相当あせ
っているのだろうか。だいだい色は変なことを言う。「さあ、一対一にな
りました。あなたの選択で決まります」
「えっ? そんな、私? 困ります」
 私は腕組みし、考えた。片方は周りの家をすべて吹き飛ばす。片方は
みんなを救う。そういう時人間は、どちらの色をどちらに割り当てるだ
ろうか。犯人はどうして、そんなトラップを仕掛けるのだろう。私が犯
人だったら、どっちを切っても爆発するように仕組む。
「青、いや赤、いや青、赤、青」
 答は出ない。出るはずがない。
「決めて下さい。時間がありません」だいだい色はつめよった。
「そうです。あなたが運命を握っているのです」鉛筆も語気を強めた。
「待って下さい。私は理学にも工学にも強くないが」私はつばを飲んだ。
「何らかの論理的な解決があるはずです。爆発を回避する、科学的、工
学的な方法が」
「どうしろというのです。我々にはこれの仕組みが分からないのです
よ? 知識を持ち合わせていないのですよ?」だいだい色は怒鳴るよう
に言った。なぜ脅すのか!
 こんなことが本当にあるだろうか。彼らが狐や狸ではないと、どうし
て言えるだろう。狐と狸、プラス、ランナーズ・ハイ、これは強力だ。
 青か、赤か。幻か、本当か。どっちが狐で、どっちが狸なのか! シ
ョートケーキとモンブラン、どちらを選べというのだ! 私は一体何者
なのだ! 人類はどこへ行くのだ!
 その時、私の頭の中に光に包まれた女神が現れ、微笑んだ。
「あなたはお婆さんに席をゆずったことがありましたね。あなたは池で
おぼれそうになっている蟻を助けましたね。だから、私が救ってあげま
しょう」
 そして、脳内に様々な数式が嵐のように流れた。
「おお」私は恍惚とした。
 だいだい色と鉛筆はきょとんとした。
「おおお」私は喜びに打ち震えた。そしてひらめいた。すごい。天才だ。
「方法が分かりました」
「あの、大丈夫ですか?」三日月顔が心配そうに言った。
「片方だけ切って、爆発しなければいいのでしょう?」
「ええ、ですから早く決めないと」
「まず、両方の皮をむいて、銅線を剥き出しにして下さい」
 二人はしばし呆然としていたが、私の自信に満ちた口調に動かされて、
作業を始めた。てきぱきと進み、完了した。
「では、二つの銅線をくっつけて下さい」
「こうですか?」と鉛筆が言った。
「そうです。そしてどちらでもいいから、その状態で切るのです。片方
はカットされても、もう片方を橋渡しにして電気が流れます。だから爆
発しません」
「すごい。あなたはすごい人だ」
「そんな方法があったのか。いやあ驚いた」
 彼らの賞賛に私は酔った。
「では、いきますよ」鉛筆はカッターを銅線にあてた。寄り集まった細
い線が、一本一本切れていく。
 もうすぐ完全に分断される。その瞬間、私は一目散に逃げ出した。
 後ろを振り返らず、全速力で山を駆け下りた。叫んでいたかもしれな
かった。何かが間違っているぞと、本能が教えたのだ。やっとの思いで
家に帰り着いた私は、ぶっ倒れるようにして眠りこんだ。


 翌朝、私は昨日のことがとても気になってきた。結局爆発は起こらな
かったのだろうか。大丈夫だろうか。
 今度はゆっくり歩いて、山の中に行った。狐や狸にばかされたわけで
はなかったらしく、路面電車はそこにあった。どこにも異常はないよう
だ。
 用心して私は乗りこんだ。誰もいない。もう何十年もそこに放置され
ているような雰囲気だが、散らかっているゴミは真新しい。ガムのかす
や、ジュースの缶といったものがある。
 確かに電車はあったが、どうもあの男達は幻のような気がしてならな
い。爆弾も見当たらないし、あれはいったい何だったのだ?
 私は、昨夜男達が立っていた場所に行き、床を見て、はっとした。そ
こには柿の種とつまようじが落ちていた。
「つまようじだったのか」と、私はつぶやいた。


  おふくろの味

 なにしろ私は単身赴任なので、飯は自分でなんとかしなくてはならな
い。というわけで、今日もスーパーでお買い物だ。
「アーラ、ペンサーン」
 アウチ。豆腐の美女だ。
「オヒサシ、ブ!」彼女は日本女性のように微笑んで口に手をあてた。
「リデース」
「あの、私はペンという名では」
「オトコガヒトリサビシク、オカイモノデースカ」彼女は長い髪をかき
あげた。「ニョウボウ、ニゲマーシタカ」
「いえ、いえ。私は単身赴任でして」
「ナンダトオ!」目付きが鋭くなった。「ニンシンシマシタカ? タイヘ
ンデスネー」
「違いますよ」
「オーウ、ゴメンクダサイ、ワタシ、ニホンゴ、リカイシヨウトシマー
ス」彼女は眉を寄せた。「ソウゾウニンシン、デスカ?」
「一文字も合ってないですよ。いや、漢字で」
「あなたが好きなのはお母さんなのよ奥さんじゃないのよそんな事だか
らスーパーで晩御飯を買うはめになるの」
 え? 私は自分の耳を疑った。
「あ、あの、流暢な日本語ですね」
「ナンノコトハナーイ。ドラマノセリフ、オボエタデース」
「ああ、なんだ。びっくりしました」
「ナニヲカイマスカ。レバニライタメデスカ。オミオツケデスカ。アル
イハ、レバニライタメツケデスカ」
 私はレバーとにらを鬼のような形相でまな板に叩きつけている料理人
を想像し、嫌な気分になった。
「まあ、焼き魚と、ご飯と、ひじきくらいですかね。あなたは何を?」
「ワタシ、オフクロノアジ、カイニキマーシタ」
「肉じゃがとか、味噌汁とか、そういうのですか」
「ワタシ、オフクロノアジ、ミタコトナーイデス。ナンデモ、アタタカ
イモノノヨウデス」
「ええ、ですから、肉じゃが」
「スーパーノウリモノ、ミンナヒエテマース。デモ、キャサリン、スー
パーデカエル、イイマース」
 キャサリンとはいったい誰なのか。
「おふくろの味という食べ物があるわけじゃないんですよ。子供の時に
お母さんが作ってくれた」
「サノバー、ビチ!」
 何なのだこの人は。
「ソレハサテオキ、オフクロノアジトイウノハ、ナンデスカ。フルーツ
デスカ。オカシデスカ」
「いや、そういうのじゃなくて。いや、場合によってはそういうのです
が」
「アア、イジラシイ!」
「あー、落ちついてくーださい。ユー、チャイルドの頃、イートしたも
の、ママンが作ってくれて、おいしい、おいしい、ユーのメモリーに、
残っているもの」
「あなた私のことバカにしてるの? これでももう日本に来て五年にな
るのよ」
 じゃあもっと、ちゃんとしゃべれよ。
「アー、デモ、アナタノチセツナセツメイノオカゲデ、ダイタイワカリ
マシタ」
「ああ、そうですか。まあ、分かったのなら良かった」
「ワタシ、トウフヲカウデース」
 えっ? 嫌な予感がする。
「アツカンニ、ソイツヲウカベ、キュットヤルデース。キュキュット。
オフクロノアジ、ソウイウコトニシテオクデース」
「いや、それはたぶん、おふくろの味ではないと思うんですけど」
「トウフ、ドコニアリマスカ? アア、アソコニアリマース」
「あの、異次元の味が、あの、やめておいた方が」
 彼女は私に向かって微笑んだ。
「モシモウマカッタラ、アナタニモ、テホドキシテヤッテモイイデース。
ソノトキワタシハ、アナタノイエ、カナラズミツケダシテヤル!」
 どうか来ませんように! 私は必死に祈った。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 時 貴斗の作品
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE