AWC 嘘と疑似感情とココチヨイコト(9/25)  らいと・ひる


        
#5469/5495 長編
★タイトル (NKG     )  01/08/15  23:03  (183)
嘘と疑似感情とココチヨイコト(9/25)  らいと・ひる
★内容
 警察の話では、あの男はある種の麻薬による錯乱状態だったらしい。詳しい話は訊
けなかったが、いわゆる合法ドラッグとして若者の間に出回っているものらしいが、
実際のところ習慣性のある幻覚剤であるようだ。合法どころか法律に触れるクスリら
しい。通称「リスキーエンジェル」と呼ばれているもので、もし情報を手にしたらす
ぐに教えて欲しいと言われた。それはまるで、私たちがその情報をすぐにでも手にす
るかのような口振りだった。もしかしたら、若者というのには私たち中学生も含まれ
ているのかもしれない。
 しかし、錯乱状態とはいえ、人間の理性というのはどうして脆いのだろうか。特に
身体が欲求するものに対してはこうも抑えが効かなくなるのだろうか。
 ふと、また嫌な記憶を思い出す。
 橋本誠司。
 私の好奇心から付き合うことになった1年の時のクラスメイト。
 何度かデートらしきものもしたし、キスをしたこともあったっけ。それでも、私に
は恋愛感情がどういうものかなんて、わかりはしなかった。
 そして、二人の関係の結末も、とても恋愛ドラマのようなロマンチックなようなも
のではなかった。むろん、私はそんなものを望んでいたわけではなかったが、ある意
味、裏切られた結末となったっけ。

 あの時、私は生理前でかなり苛ついていた。タダでさえ生理不順の月が多く、精神
的にも肉体的にも参っていた。
 普段の私は、多少の事なら我慢できるタチだから、彼―橋本誠司も私の異常に気付
いていなかったのかもしれない。というか、そこまで気遣ってくれるタイプではなか
ったのだろう。
 図書室でやや強引なキスまでは許せた。というより、我慢できた。
 その後、彼の手が私の胸をまさぐりはじめた時、反射的に身を引いて彼の身体を突
き飛ばしていた。普段なら「ま、いっか」で済ませられたはずなんだけど、触れられ
る事への嫌悪感が全身を巡っていたのだ。
「やめて」
 私らしくもない弱気な悲鳴に彼は一瞬驚いていた。が、何かを勘違いしたらしく、
再び私の身体を求めはじめる。
 情緒が不安定なのは、私の身体のシステムのせいだって事はわかっていたし、彼の
暴走行為も種の保存の為の本能的な行動だということも理解はしていた。
 けど、私の中でどんどん膨れ上がってくる嫌悪感だけは、どうしても消すことはで
きなかった。それまでは、多少の事でも好奇心の方が勝っていたのに、その時だけで
どうしてもそれができなかった。
 彼はその力で私を支配することしか考えていなかったようだ。掴まれている左手は
しびれて、敏感になった胸は触れられるだけでも痛みを感じていた。そして、それは
そのまま彼への憎悪となっていったのだ。
 付き合っているという事実が、彼が私を私物化しているものだと勘違いさせている
のかもしれない。何をやっても許される。多少怒らせても後で謝ればいいと。
 だからかもしれないが、行為はどんどんエスカレートしていった。
 身体をよじった拍子に不覚にもよろめいてその場に倒れてしまう。巻き添えをくっ
た棚の花瓶が一緒に床に落ちる。
 室内には、その割れる音が響きわたる。
 だが、私が床に倒れたあとも、彼は容赦なく覆い被さってきた。
 ふいに、私は彼の表情を見て凍り付く。
 あの時と同じだった。私の記憶に刻まれた忌まわしきあの事件。
 多分、顔も体格も何もかも違うのかもしれない。でも、彼の表情は、あの時のアレ
と一致していた。
 そして、嫌悪感は自分自身にも向けられる。
 頭の中がしびれるような感じ。
 正気を保たなければ私はどうなってしまうかわからない。
 右手に何かが触れている。
 嫌だ。
 彼を受け入れるのも、自分を失うのも、何もかも。
「……かもしれないよ」
 恐怖を抑えようと、自分を抑えようと、私は私とそこにあるすべてのものを嗤う。
 彼は一瞬、びくりとした。
「今、なんて言ったの?」
「殺すかもしれないよ。あんたを」
 ぼそりとそう呟いて彼を睨む。
「ごめん。つい我を忘れて……ほんとにごめん」
 彼は我に返ったようでえ、押さえつけていた力が弱まってくる。それでも、許せる
ことと許せないことがある。
「謝らなくていいよ」
「え?」
「消えて」
 言葉を交わすのも嫌だった。
「どういうこと?」
「どっか行って! わからない? もう二度と私の前をうろつかないで」
「石崎さん……」
「私もバカだけど、あんたもバカなわけ。一度失った信用は簡単には取り戻せないん
だよ」
「ごめん」
「謝らなくていいって言ってるでしょ。あんたと付き合った私もバカなんだからさ」
 それでも彼は未練がましく私を見つめる。
「お願いだから消えて!」
 私のその強い口調に彼はようやく立ち上がり、何か言いたげな顔をしながら部屋を
出ていった。
 一人になる。
 悲しくはない。でも怖かった。
 がたがたと急に身体が震えてくる。
 右手には、しっかりと握られたガラスの破片が。
 涙なんか出ないけど、怖くて怖くて、どうしようもなくて、怖がっている自分を私
は切り捨てた。
 破片で切った手のひらから血が流れ、私はそれをぼんやりと見つめる。
 結局は、リスクを考えなかった私自身が招いた事なんだと、そういう風に無理矢理
割り切ってしまう。
 そして、人間というものがシステムに縛られた空しい生物だということを改めて思
い始めてしまう。
 彼も、そして自分だって同じ生き物なんだから。
 だけど、彼と私はまったく違う存在。私の壊れたシステムは生き物としての空しさ
を認められない。だから、彼とは一生理解し合う事はできないのだということがわか
っていた。彼だけではない、それ以外の誰とだって……。


◇伊井倉 茜


「ねぇ、今さ、なんか流行ってるコロンとか香水とかアロマエキスとか知らない?」
 わたしは部活の後輩にさりげなく訊いてみる。自分自身、それほど流行に鈍感とい
うわけではないが、すべての情報を網羅しているわけでもない。
「流行ってるですか? でも、アタシたちぐらいのこずかいじゃ、香水なんて買えま
せんよぉ。援交してるコは別としてもぉ」
「そうだよね。それにコロンなんて論外だしぃ」
「アロマテラピーもちょっとすたれちゃってるしねぇ」
 後輩たち、そしてクラスの友人にも訊いてはみたものの返ってくる答えは似たよう
なもの。
 唯一の情報として香り付きのリップというのもあったが、それは違うという事はわ
かっていた。あの時、寺脇君はリップなんかつけていなかったもの。
 やっぱりわたしの気のせいなのかな。橘さんの事で妙に神経質になっていたのかも
しれない。
 でも……。
 わたしの直感が何か引っかかりを感じさせる。
 そりゃ、橘さんと寺脇くんとを確実に繋げるものなんて今のところ何もない。
 思い過ごしならそれはそれで構わないかもしれないけど……。
 橘さんに関しては、一つだけ気になる言葉を残していた。
 秘密の恋。
 彼女はなぜ秘密にしておきたかったのか?
 普通に考えれば、それは許されぬ恋。
 不倫や親族の反対、そんな事情を考えてしまう。
 本当にそんな単純な事ならば、寺脇君は無関係になるだろう。
 ふう、とため息をつく。
 なんだか自分の感情が嫌だな。
 誰かのために誰かを疑う。……そうじゃない、自分の好奇心の為に誰かを疑ってい
る。 わたしは何がしたいの? 橘さんの敵討ち? 彼女の事をもっと知りたいの?
 それとも寺脇君への不信感をうち消すため?
 もう考えるのをやめよう。
 自分が惨めになるだけだから。


**


「元気出しなさいよ」
 めずらしく美咲がおごってくれると言った。ホテルのケーキバイキングは、甘いも
のに目がないわたしにはものすごく嬉しかった。ただ、そこまで気を遣ってもらわな
くても、わたしは大丈夫なんだけどな。
「めいっぱい食べて元とるから大丈夫だよ」
 カラ元気に見えないようにいつもの笑顔を返す。
「食べてくれないと、オゴりがいがないからね」
 にこりと美咲は笑った。人懐っこい笑みが心地よい。
「だけどさぁ、気を遣ってくれなくてもよかったのに、わたし大丈夫だからさ」
「あんたは強いからさ、ほっといてもいいんだけね。今回はちょっと心配なんだよ」
 そう。いつもだったら美咲はこんなに他人に気を遣うようなタイプじゃない。だか
ら不思議に思った。
「なんで?」
「あたしも現場見ちゃったしね。それにあんたって強いがゆえに、変なことに首つっ
こみそうな気がしたからさ」
「変なことって?」
 わたしは首を傾げる。でも、ほんとはわかっていた。あの事件の後、二人で警察に
いっていろいろ話したし、いろいろ聞かされたのだ。
 リスキーエンジェル。
 警察の人から最近流行っているというクスリについていろいろと説明してくれた。
彼女――橘さんはそのクスリでおかしくなった可能性が強いということだった。
 あまり頻繁に会ってなかったとはいえ、彼女の異変に気付いてやれなかったのが悔
しい。だから、わたしは時々変な事を考えてしまう。美咲はそれに気付き始めている
のかもしれない。
「いいや。私の勘ぐりすぎなら、それはそれでいいんだよ。ただ、忘れろなんて言わ
ないよ彼女の事。でも、あんたがまっとうに生きてやらないと、彼女がもとに戻った
時、悲しむでしょ。私の言ってる意味わかるよね」
「わかるよ。危ないことには首つっこまないって。そういうのは専門家に任せるしか
ないでしょ。わたしなんかじゃ、なんの役にも立たないし、それだけの情報網もない
もん。それにね……」
 わたしは一息おく。そして、その後の言葉を続けようかどうかを迷ってしまう。そ
れは家族と藍しか知らない事だったからだ。
「それに?」
 案の定、美咲は気になったのか聞いてくる。
「わたしの躯はわたしだけのものじゃないからね」
 昔のあのことを美咲に言うのを思いとどめて、どうとでも解釈できるような言葉に
変える。あれは、他人に告白するような問題じゃない。自分自身の問題だから。
 わたしのその答えに、彼女はちょっと首をひねるような感じだったが、それでも納
得してはくれたようだ。
「そりゃ、あんたにもしもの事があったらみんな心配するからね」
 本当はそんな単純な事じゃないんだけど、美咲の解釈にわたしはほっと胸をなで下
ろす。
「さ、食べよ。時間制限一応あるんでしょ?」
「うん、2時間だったかな。どっちが多く食べれるか競争しようか?」
「うーん……わたしケーキをきちんと味わいたいからなぁ。あの生クリームの舌触り
と甘さの快感をさぁ」
 とか、言ってはみたものの、その日は結局、美咲より3個ほど多く食べてしまった
りした。
 いかん、後でカロリー消費しないと。




前のメッセージ 次のメッセージ 
「長編」一覧 らいと・ひるの作品 らいと・ひるのホームページ
修正・削除する         


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE