AWC 「荒らぶる海」(7)    久 作


        
#3114/3137 空中分解2
★タイトル (ZBF     )  93/ 4/15  20:50  (153)
「荒らぶる海」(7)    久 作
★内容

    ●再会

    夕暮れ。町を頬かむりをした汚らしい男が、背を丸め歩いていた。舟で
   荒波に揉まれヤットのことで大島にたどり着いた定だった。もう二昼夜、
   何も食っていない。大通りは閑散と、ただ土ボコリだけが緩やかに舞って
   いる。脂と潮に塗れた肌がザラついてくる。ひときわ強い風が正面から吹
   いた。定は目を細め顔を背けた。
    そこに、疲れた表情の老婆が縮こまり、しゃがんでいた。定はかすれた
   声で、
    「バァさん ここらに安い飯屋ないケェ」
    「ああ 飯屋かね」
    老婆はショボショボとした目で定を見上げるとニタァと笑った。定はビ
   クリと硬直し、目を外らせた。
    「飯屋なら ここを二町ほど行った辻を北に折れて暫く歩けば……」
    「ありがとぉよっ」
    「あ こぉれ どこから来なすったのかの」
    「え あ あの 伊予から……」
    「ほぉぉ 伊予からのぉ 気を付けなされよ」
        老婆は言葉を終えると疲れた表情に戻り、元通りに縮こまった。定は足
   早に立ち去った。何度も何度も振り返りながら。

    辻に近付くと五、六人の男が何やら指差し条、話し込んでいる。定は自
   然と近付いていった。
    「見なよ こいつ ダラシなく口を開けて」
    「お こいつは半眼だ うううっ 気色悪ぅ」
    「お こいつは まだ若いぜ 定だとさ 他の奴ぁ散ざっぱら
     イイことして死んだんだろぉがよ こいつはチョッと可哀相だな」
    男達の肩越しに覗き込むと父・春市だった。松吉たちもいる。九つの生
   首が、辻の晒し台に並べられていた。定は唖然と春市の顔を見つめた。髷
   は解けかけ、目は軽く閉じ、確かに口はダラシなく開けている。眠ってい
   るようだ。(思ってたより小さな顔だな)。定の胸には、恐怖ではなく、
   漠然とした悲しみと、それよりはハッキリとした懐かしさが漂った。次々
   に幼い頃から馴染んできた顔をボンヤリと眺めていった。あと半刻もすれ
   ば日が暮れる。本来なら青黒くなっている筈の生首たちは、夕陽を浴び頬
   を暖かい色に染めていた。
    九つ目の前に来た。半眼になっている。「伊予国温泉郡三津ケ浜 定
   十八才」。添えてあった木札には、そう書いていた。見たこともない少年
   だった。人数合わせに捕まった無宿者だろう。少年の生首に蝿が一匹、鼻
   を越え頬を伝い唇へと這い回っている。定は自分の顔をムズムズと蝿が歩
   いているような気になって、両手で顔を擦った。(俺の首……)。そう思
   い、定はためすがめつ少年の首を見つめた。と、目が合った、ような気が
   した。
    「あああっっ」
    定は飛びすさり、少年の首を凝視した。首は間抜けな、しかし穏やかな
   表情のままだった。定は少年に背を向け、一目散に駆け出した。

    ●裏店の女

    定は思い切り早く走った、積もりだった。空腹と披露のためか脚は思う
   ようには上がらない。半町も行った頃、足がもつれ、ブザマに転げた。こ
   めかみがズキズキと痛む。定は通りの真ん中で俯伏せのまま、荒い呼吸を
   繰り返していた。ザリッ。目を開けると女物の草履が、そこにあった。
    「どうしたんだい 坊や」
    見上げると三十過ぎの身なりのよい女だった。
    「宿無しかい ついといで」
    草履が二、三歩遠ざかって、立ち止まる。
    「ほら おいでよ」
    定は女の小さな踝を見つめ条、フラフラと立ち上がった。
    女は裏通りの小さな飴屋に入っていった。店にしている四畳半の奥には
   八畳が一つきり。三坪ほどの庭には、桜と橘が植えてある。女は定を招き
   入れると、シンバリ棒をかけた。定がボンヤリ土間を見回すうちに、女は
   手際よく米を研ぎ、飯を仕掛けた。振り返り、
    「その汚いのを脱ぎな」
    定はタメライがちに帯を解き、褌一枚になった。女は目を細め何度かネ
   ットリと見上げ下ろし、褌の上で視線を止めた。
    「それもだよ」
    「え あ あの……」
    定がモジモジしていると、女が褌に手を伸ばした。
    「世話の焼ける子だねぇ」
    定が手を掛けようとするより早く、褌はポトリと足元にズリ落ちた。
    「何 恥ずかしがってんだい 子供のクセに」
    女は婉然と微笑むと、濡れ手拭いで定の尻をハタいた。ピクリと身を驚
   かせた定の腕を掴むと、女は脂と潮に塗れ土ボコリで真っ黒になった肌を
   手拭いで擦りだした。何度も手拭いを洗い何度も擦り上げた。ボオゥとし
   ている定の頭を抱えて顔を拭いだす。定は目を固く閉じ顔をシカめ息まで
   止めて、為すが侭になっていた。しつこい汚れがあったのか、女は水気の
   なくなった手拭いの端を銜えて湿し、指に搦めて強く擦った。間近な女の
   胸元から、脂粉の臭いが立ち昇る。定の肉体に変化が起こった。顔が耳の
   後まで赤くなっている。女も変化に気付き、
    「何さ 生意気に」
    笑って白い指を絡め解きピンと弾いて、
    「さ ご飯が炊けたよ 上がって待ってな」

    「あ 水持ってきてやるよ 馬鹿だねぇ そんなにカッこんで」
    優しい目で見守っていた女は土間に降りると甕から水を汲みヒシャクの
   侭、飯を喉に詰まらせ目を白黒させている定に手渡した。定は慌てて飲み
   干した。まだ細めの首に、飛び出た喉仏がセワシなく上下するのをジッと
   見つめた女は、ふっくりした赤い唇をチロリと舐めた。飲み終わった定に
   取り澄ました声で、
    「落ち着いたかい」
    定は俯いた侭に頷いた。ボンヤリと、そして徐々にハッキリと、先程に
   見た生首が一つずつ浮かんできた。(オヤジ……、松吉っつぁん……)。
   九つ目に少年の首が浮かんだ。
    「どうしたんだい 顔が真っ青だよ」
    女が膝を寄せ、定の肩に手を掛けた。定は女にムシャ振り付き、押し倒
   した。
    「ああっ この子ったら……」
    女は微笑を浮かべると、静かに目を閉じた。女の手管に導かれ、操られ、
   定は何度も埓を開けた。

    肌寒さに定は目醒めた。白くポッテリした小柄な肌に包み込まれていた。
    「あ……ん 起きたのかい」
    柔らかく気ダルそうな声とともに定は優しく頭を締めつけられるのを感
   じた。もう陽は高い。頭を振って女の胸から逃れると定は、
    「店はエエの」
    すっかり落ち着いた声だった。女は一瞬、不審そうな顔をしたが軽く頷
   いて、
    「あ 店かい イイんだよ どうせ客なんて来ないんだからさ」
    「……」
    「ふふふ こんな裏店で飴を並べてるんだから
     解りそうなモンじゃないか」
    「何が」
    「アタイ ある旦那の妾なのさ 店は世を忍ぶ仮の姿ってワケ」
    女は冗談っぽい口調で喋り条、定の目を探るようにジッと覗き込んだ。
   定は慌てて目を外らせ、心配そうな声になり、
    「ほっ ほたら ワシがココにおったら……」
    「大丈夫だよ 旦那は大坂に行って留守さ だから……
     暫らく居てイイんだよ」
    女は定のホツれた鬢を撫ぜ着けてやりながら、くるみ込むような視線で
   定を見つめた。定はおし黙った侭、庭に寝返りを打った。桜花がチラチラ
   舞っている。
    「なにさ 難しい顔しちゃって」
    女は背後から股間に手を回し、握り締めた。
    「ほぉら コンナにして シたいんだろ」
    女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。ユックリと定の肩を押さえつけ仰向け
   にすると、頬張り、ジキに顔を上げ舌舐めずりすると、跨がった。

    「ふふふ よく食べるねぇ お櫃は もう空っぽだよ
     待ってな すぐ炊き直してやるからね」
    立ち上がろうとする女に定は強い調子で、
    「もぉ イらん」
    「おや イイんだよ 遠慮しなくっても」
    「もぉ腹いっぱいよ ほれより ワシ 行かんと」
    「なんだい イイじゃないか 暫らく居なよ」
    「でも ワシ……」
    女は寂しそうな目で定の思い詰めた顔を眺めていたが、
    「解ったよ 気を付けるんだよ」
    「……これ」
    定は銀の簪を差し出した。
    「何だい コレって」
    「……やる」
    「イイよ 大事なモンなんだろ 仕舞いな」
    「やる……」
    定は畳の上に簪を置くと、イキナリ立ち上がり、飛び出して行った。
    「あっ チョイと アンタっ ……行っちまったねぇ」
    女は浮かしかけた腰を下ろした。肩を落とし簪をボンヤリ見つめた。タ
   メライがちに手を伸ばし簪を取ると、自分の髪に刺してみた。鏡を覗き込
   んだ顔は少女のように頼りなげだった。力なく笑みを浮かべた頬を一筋、
   涙が伝う。ソッと呟いた。
    「アンタ……」

(つづく:次回完結)




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