#1828/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (CGF ) 89/ 9/17 22:44 (157)
『水』(1) 舞火
★内容
(1)
夏休み。
空に月。
赤と白の縞々の模様。
にぎやかな、声。
どんどん、どんどん。
太鼓と訳の判らない歌が、辺りに響く。
小学校3年生 近藤 縁の右手に握られている、針金の把手の先にある白い紙。
目前の水の中に、赤や黒の魚が泳いでる。
とても元気な黒の出目金が、縁の目前を横切った。
−−−あれが欲しい!
思うと同時に、縁の右手が動く。
水に浸けられた白い紙は、瞬く間に柔らかくなって崩れ落ちた。
「はい、残念でした」
はげた頭にねじり鉢巻きしているおじさんが、縁に袋を1つ差し出した。
受け取った袋の中に、赤い金魚が泳いでいる。
縁はその金魚を見つめ、そして、大きな四角い容器に入った水の中を見つめた。
さっきの黒い出目金はどっかへ行ってしまって、もう判らない。
とっても少ない黒い出目金と、それより少しは多い、赤い出目金。
そして、もっともっと多い、赤い普通の金魚。
縁の手の中にある金魚と同じ姿をしている、金魚達。
−−−縁の金魚は、いっぱいいるあの金魚と一緒。
縁の体が、後ろへ押しのけられた。
さっきまで縁のいた場所に男の子が入りこんでいた。
縁は立ち上がり、そしてもう一度、袋の中を見た。
ぱくぱくと口を開けて、水面近くに浮かんでいる金魚。
−−−縁が欲しいのは、黒い出目金だったのに・・・。
縁はぶすっと頬を膨らませ、歩きだした。
人がいっぱいいる広場から少し離れた所。
そこが、縁の目的地、池。
変な丸みたいな形で中が窪んでる。その窪みの真ん中、一番深い所に水が溜ってた。
池というにはささやかで、だから、誰も、ここに柵を造ろうなんて言い出さなかっ
た。そんな「池」。
縁は、ずるずると草の上を滑って、「池」の縁まで辿りついた。
左手にぶら下げていた袋から、水がこぼれて、白い浴衣が濡れている。
縁はますます、ぶすっとして、勢いよく袋をひっくり返した。
水沫が、縁の足にかかる。
縁は2,3度足を振ると、透明な袋をぽんと池に投げ捨てた。
「あんたなんか、あたし、いらないんだから。だから、逃がして上げる。さっさと逃げ
ちゃいなさいよ」
そして、さっさと池をよじ上り、賑やかな広場へと戻って行く。
−−−今度は何をしようかな。
お店をぐるりと見渡す。
その時。
「ゆかりちゃん!」
「わあ、まみちゃんだ!」
友達が、縁を呼んでいた。
「ねえねえ。これ面白いんだよ」
「ほんとお?」
縁は今日もらったお金を握り占め、おもちゃのお店へ駆けて行った。
☆
夏休み。
空に太陽。そして、雲。
赤と白に飾られてた所には、茶色い木の破片が残ってた。
響くのは子供達の歓声。
「時間よ!ほらほら、皆な並んで!」
プールの担当の母親が、子供達を並ばせる。
縁は、仲のいい真美と一緒に列に並んだ。
「ねえ、泳げるようになった?」
真美が聞いて来る。
縁は、笑いながら。
「うん。5メートル泳げたんだ」
「ええ!いいなあ。真美、まだ浮かぶだけでやっとだもん。せっかくお母さんがさ、
5メートル泳げたら、お人形買ってくれるっていったのに、全然泳げないんだもん」
「お人形買ってくれるの?いいなあ。うちのお母さん、欲しいって言ってるのに、全然
買ってくれないんだもん」
「縁ちゃんも何か約束してみたら?」
「うーん、でもお」
縁は、うつむいた。
縁の母親は、決して物を賭けようとはしてくれなかった。
そんな事を言ったら、決まり文句が縁を襲う。
『そんな事、考える暇があったら、さっさとそうなるよう努力なさいっ!』
−−−努力。
努力しろ。
努力しなさい。
いつもそう。
−−−努力すれば、何でもできるって思ってんだ。
それは、縁にとって苦痛だった。
−−−だって、あんなに頑張ったのに、テスト100点取れなかったじゃない。
いっぱい、いっぱい、努力したのに・・・。
100点取れなかったもん。
努力なんかしたって、100点とれないもん。
いっぱい、努力したって25メートル泳げないもん。
−−−いっぱいいっぱい努力したって、お人形買ってくれないもん。
努力なんかしたって、全然面白くないじゃない!
縁は、機嫌が悪くなった。
ぷくっと膨れた頬。
それが、途端につぶれた。
原因は、男の子の声。
「おーい、金魚が死んでるよ!」
声に導かれ、子供たちはぞくぞくと池の周りに集まった。
「待ちなさい。こら、ちょっと・・・」
大人達の声。それは、子供達には、ずっと遠くに聞こえてた。
池の周りに子供達の垣根ができる。
「ほら、あそこ。あそこ」
最初に見付けた子が、指差す所。
小さな小さな、申し訳程度の水溜り。
ナイロン袋に絡まるように、赤い金魚が死んでいた。
−−−あれ?
縁は、ちょっと首をかしげた。
「ひどいなあ。昨日のお祭りの時のだぜ」
「捨てる位なら、金魚すくいなんて、やらなきゃいいのに」
「ずっと天気がよかったもんな。池、干上がってんのに、こんなとこ捨てる事ないよ
な」
いろいろな言葉が、垣根から発せられる。
赤い金魚。
普通の金魚。
−−−あの赤い金魚、いっぱいいたもん。
だから、あれ、縁が逃がしたのじゃないや。
縁が、逃がしてあげた時は、まだまだ、水がいっぱいあったもんね。
縁は、ちゃんと水の中に逃がしたもん。
だから、あの金魚は、縁のじゃないもん。
「かわいそうだね。あの金魚」
白い腹を見せて浮かんでる金魚を見ながら、縁は真美につぶやいた。
☆
歓声が響く。
水沫が宙を舞い、音を立ててコンクリート上に落下した。
きらきら光る水面に、いくつもの白い帽子が見え隠れする。
縁は、せいのっと壁を蹴った。
水中の足は、思うように動かない。
思い切り蹴ったつもりでも、2メートル程進んだだけ。
しょうがないから、ばたばた足を動かす。
とっても重い。
誰かが足を引っ張ってるよう。
5メートル行かないうちに、息が苦しくなって、縁は顔を上げた。
途端に、足が沈んで床につく。
顔についた水を、両手で拭って、縁は後ろを向いた。
−−−あーあ。やっぱり進んでない。
縁の位置からプールの壁まで、ほんの少ししか距離がない。
本日幾度目かの挑戦は、失敗に終わったのだ。
今日のプールの時間は、後僅かであった。
−−−また、お母さん、怒るよ。
縁はプールサイドへ上がると、うんざりとした表情で座り込んだ。
−−−お母さんてば、何にも買ってくれないのに、いっつも何メートル泳げたって、
聞いてさ。
それで、前より進んでないと、すぐ怒るんだ。
進んでたって、やっぱり怒るんだ。少ししか、進んでないじゃないかって・・
・。
努力しないからだって!
縁、ちゃんとやってるもん。
だけど、泳げないんだもん。
努力なんかしたって、泳げないんだ。
縁はますます、機嫌が悪くなった。
プールの中から、真美がうれしそうに手を振っていた。
その時、縁の頭に赤い金魚の姿が浮かんだ。
白いお腹を見せた金魚。
−−−お魚ってちゃんと泳げるのに死んだじゃない。
あんなの嫌だ。
金魚みたいに死んじゃうんだ。
嫌だ。
縁、もうプール来たくない。
−−−もう、縁は泳がない。
*********************************続く****