AWC 『PAPER −(3)』 藤沢守


        
#1823/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (GKD     )  89/ 9/13   8:17  (194)
『PAPER −(3)』 藤沢守
★内容


 それから二十分ほどして、探偵と共に田沼の家に行った。家には刑事がいた。
 すでに書斎には死体が片付けられ、白い粉でその跡だけが残されている。
 探偵は刑事に何やら耳打ちをしていた。
 刑事はうんうんとうなずき、私に向かって
「殺害方法をご存じだそうですね。聞かせてもらいましょう」
「その前に二つばかり聞かせてください」
「犯人がわかるんでしたら構いませんよ」
「借用書がなくなっていたのは私のだけですか」
「いいえ。でも、それを言う必要がありますかな」
「ええ、その中に犯人がいるからです」
「そうまで断言するなら言いましょう。ただし、名前だけです。いいですね」
「それだけで結構です」
「ええと、安田勇、北村智子、そして尾崎純、あなたです」
「なるほど」
 私はしばらく目をつぶって考え込み「それでは古川という男の借用書を見せ
てもらえますか」
「借用書は鑑識にまわしてあって、ここにはない」
「でしたら調べて下さい、すぐに。多分、借用書の金額が書換えられていると
思います」
「本当かね」
 刑事が疑うような目付きで私を見る。
「ウソか本当かは調べればわかります。私は逃げませんから、電話して聞いて
下さい」
「わかった。ウソだったら承知しないからな」
 刑事は急いで出て行った。
 私は辺りを見回した。さすがに警察だ。死体をのぞけば、現場を動かしたよ
うすはないと見える。
 五分で刑事が戻ってきた。
「ああ、確かに訂正してあった」
「そうですか。それなら古川が犯人です」
「何だって!」
 刑事が目を丸くした。
「まあ、これを見て下さい」
 私はノートを懐から取り出し「四月二十二日のスケジュール表です。ここに
来客の四人の名前があります」
「これは……!証拠物隠匿罪ですぞ」
「まあまあ。とにかく四月二十二日の来客予定者の内、安田、北村、私と三人
の借用書がないのにもかかわらず、古川のものだけ残っています。これをどう
考えます」
「普通は借用書を盗んだ奴が犯人だな」
「そうです。そこが犯人の狙いなんです。犯人、つまり古川は田沼を殺した後、
自分の借用書だけは金額を書き換えてしまいこみ、スケジュール表から、その
日来客予定の三人の借用書を盗み、自分への疑惑の目を警察から遠ざけようと
したんですよ」
「証拠はあるのかね?」
「証拠……そうだ、先に殺害方法から考えていきましょう」
「あんた、本当に事件の真相を知っているのかね」
「大丈夫です」
 私としてもこの事件を解決しない限り後はないのだ。
「質問していいですか」
「ああ」
「この部屋は死体以外は全然動かしてませんね」
「もちろん」
「刑事さんは田沼がここで殺されたと思いますか?」
「いいや、違うな。ドアから死体にかけて引きずった跡がある。他の部屋で殺
されたとみていいな」
「なるほど。それで他の部屋に引きずった跡がありましたか」
「まだ、くわしく調べてみないとわからんが……」
「ありませんね」
 私は刑事の言葉を遮ってきっぱり言った。
「なぜわかる?」
「刑事さんが私と同じことを考えたからです」
「どういうことだね」
「いいですか。誰でも考えそうなことを犯人がすると思います?」
「う、うむ」
「だから、これも犯人のカモフラージュです。つまり、犯人はここで田沼さん
を毒殺したんです」
「ほお、毒殺とまでわかっているのか。君は探偵か何かやっているのかね」
「別に。しがない日雇い労働者ですよ」
「それにしたって尾崎くん。ここでは椅子が一つしかないから、田沼氏が犯人
とここで飲物でも飲んで、話をしていた可能性は低いのではないか。第一、毒
の入れられてた容器一つ見つかっていない」
「毒は容器に入っているとは限りませんよ」
 私は言ってから、また今の言葉を繰り返した。「そう、毒は−−容器に−−
入っているとは−−限らない」
「どうかしましたかな」
「死体には傷がありませんでしたか?」
「さあ、どうだったかな」
「思いだして下さい」
「そう言えば検死官が小さな切傷があるとか言ってたな。カッターで切ったよ
うな……」
 私はすぐに田沼の机をあさって、ペーパーナイフやらカッターやら刃物を全
て取り出した。そして、それを全て丹念に調べた。
「ありませんね」
「何が」
「毒物です。ひょっとしたら犯人は刃物の刃先に毒を塗って、切りつけたのか
と思ったのですけれど」
「そうか、そういう手もあるな。しかし、犯人が持って帰ったということもあ
るぞ」
 刑事は言った。
「うむ、どうしたらいい」
 私は頭を抱えて、考え込んだ。名探偵ならもうとっくにわかっているはずな
のに。
「もう諦めて、署に同行願いましょうか」
「そうだ」
 私は声を上げた。
「何かわかりましたか」
「やっぱり田沼は客間で毒を盛られたんだ」
「何だって!あんた、さっき、ここで死んだと断言したばかりじゃないか。い
  いかげんなこと言うな」
「いえ、死んだのはこの部屋です。毒を盛られたのが客間です」
「何だかわからんが、気のすむようにやれ」
 私は刑事を連れて、客間に言った。
そこは八畳の部屋で木製の棚が正面と右側にあり、左の壁に鹿の剥製がかかっ
ている。中央にはガラステーブルを中心に四方に黒いソファがある。テーブル
の上には灰皿とライターがある。
「この部屋には刃物らしいものはないぞ」
 刑事がさっそくあちこち調べていた。
 その時、今まで黙って何もしていなかった探偵がダストボックスを蹴って、
ひっくり返した。中からゴミがどっとあふれ出た。
「おいおい、南原さん、なんてことを。あーあ、タバコの灰でカーペット、汚
れちまったよ」
  刑事は探偵をにらみながら、一生懸命、ゴミをボックスに戻した。
「手伝います」
 私もすぐにゴミをボックスに戻すのを手伝った。探偵は何もせず、黙って見
ていた。
「後は灰だけだな。掃除機を捜して来る」
 刑事が立ち上がった時だった。
「これは」
 私が叫んだ。
「どうした?」
「見つけましたよ」
 私が見せたのはクシャクシャの紙屑だった。
「これが刃物か」
 刑事は愉快そうに笑った。
「このシミですよ」
「シミ?」
「いいですか、この紙を広げますとちょうど左端に変色したシミがあります」
「これが毒?」
「ええ、調べてもらえればわかります」
「しかし、こんな紙でどうやって切るんだ?」
「確かにクシャクシャになってしまえば、切れません。しかし、新しい紙なら
端の方ですっと皮膚に傷を与えられます。それにこの紙は中性紙ですから、毒
薬が染み込んでしまうということもあまりありません」
「うむ、そんな手があったか」
「僕も刃物、刃物と考えていて、ふと書斎で紙で指を切ってしまったことを思
いだしたんです。そこで、もしかしたらこの事件の凶器も紙が使われているん
じゃないかと思いまして」
「それはお手柄。だが、古川を犯人と結び付ける手がかりにはならないぞ」
「え……」
 私はギクリとして刑事を見た。
「わははは、冗談だよ、尾崎くん」
 刑事は私の動揺した顔を見て、大声で笑った。
「−−といいますと」
「古川は今ごろ警察に連行されてるよ」
「しかし、証拠は?」
「そんなことに気づかないのか、それでは名探偵になれないぞ」
「別に探偵になる気はありませんよ」
「やっぱり素人と玄人の違いだな」
 刑事はまだ笑っている。
「それよりその証拠というのを教えて下さい」
 私がむきになって言った。
「これは失礼。証拠と言うのは田沼氏の死亡推定時刻だよ」
「そうか。僕が田沼のスケジュール表を見せた時、死亡推定時刻と照らし合わ
せたわけだ」
「その通り。だから、さっき、電話をかけた時、古川を逮捕するように連絡し
ておいたんだ」
「それで電話に時間がかかったんですか」
「そう」
「だったら、そう言ってくださいよ。それにしてもさすがは刑事さんだ」
「いや、南原さんのおかげだよ。彼には初めからすべてわかっていたんだ。た
だ、証拠がなくてね。ともあれ古川はあなたの推理が正しいとすると事件の裏
の裏をかきすぎて、自爆したと見えるな」
「どういうわけで?」
 何だか今度は私が刑事に尋ねる立場になってしまった。
「古川は当日の来客者で自分をのぞいた三人の借用書だけが盗まれていること
を示すため、わざと田沼氏のスケジュール表を残しておいたわけだが、これが
かえって死亡推定時刻の自分のアリバイを裏付ける結果になってしまったわけ
だ」
「そうか。すると僕の推理もいい加減ではなかったようですね」
「そうだな。後は田沼氏がどこで死んだかだけだ」
「それなら、わかりますよ。やってみればわかりますが、紙で切った傷は始め
は痛みを感じないものです。つまり、古川は田沼と客間で話している時にどさ
くさにまぎれて遅効性の毒を塗った紙で田沼の皮膚をまず切った。そして、毒
がまわりそうな時間を見計らって、金を返すと古川が言い、田沼を借用書のあ
る書斎に行かせた」
「わかった。それで田沼氏は書斎で死んでいたのか」
「これで僕の疑いは晴れましたね」
 私がホッとしたように言うと
「いや、最初からあんたには疑いなんてかかってなかったんだよ」
「ええぇっ!!」
 私がびっくりしたように言った。
「ただ南原さんが君が何か秘密を握っているというものだからね」
 刑事がすました顔で言った。
「刑事さんも人が悪いや」
 私が周囲を見回した時、すでに探偵の姿はなかった。
「まあ、これにこりて借金はしないことだな。近い内に警視総監賞でも贈ろう」
「いいえ、いりません。この事件は全て刑事さんの手柄にして下さい」
「交換条件か。何か欲しいもんでも?」
「ええ。ぜひとも借用書はなかったことにしてください」
 私は真顔で言った。





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