AWC 名人伝異聞     ううたん


        
#1812/1850 CFM「空中分解」
★タイトル (AMF     )  89/ 9/ 6  15:33  ( 34)
名人伝異聞     ううたん
★内容
 「百歩隔てて柳葉を射るに百発百中」とは中島敦の描いた弓の名人のことであった。
しかし、技を極めた「紀昌」はついには弓を手にはしない。ここに、中島敦の弓道観
をかいまみることができるのであって、それは、「精神主義」とも見える。
 また、自身も弓道五段を持つドイツの哲学者、オイゲン・ヘリゲルの「日本の弓術」
にも、弓はスポーツではなく、「精神的な経過」だ、との記述がある。無心の離れ
(矢が放たれること)が一つのキーワードである。
 弓には、なにやら神秘的なものが付随しているようだ。これは、弓術がかつて、
物事を占う際に用いられた時代があったからかもしれない。
 弓はスポーツではない、今でも一般にはそう思われているのかも知れないが。

 しかし、私達の先生は弓はスポーツだ、と言い切っていた。ものの本に登場する
「丹田呼吸法」なるものについても「腹で息ができるものか」「それくらいの間、
息を止めていなさい」とおっしゃっていらした。
「○○連の射法は目茶苦茶です」先生のご教授はとことん科学的だった。○○連の
射法が力学的に、また、生理学的にも無理の多いものであること、ならば、どう
引くのがよいのか、細かく、丁寧に解説をくださった。

 あるとき、先生が私たち、下級生の練習を見に来られた。「どれ、僕はもう
力がないから、一番弱い弓を貸してくれ」と言われて、女子初心者用の10キロ
(引いたときの力で)もないような弓を手にされて巻き藁射をされた。

 僕らはあっ、と息をのんだ。火の出るような鋭い離れ、その矢はとてもぺらぺらの
弱弓からくりだされるものとは思えない。幾人かのものは、それを見て震えていたとか。
 「先生の射をどう思う?」後になって、新入生に聞いた。
「おとしなのに、しっかりされているな、と思いました」
矢勢のものすごさが新入生達には分からなかったらしい。

 ヘリゲルの著書に登場する、阿波研造が甲矢の筈を乙矢で割ってみせたことに
付いても先生は「あんなことは意味はありません。まぐれです」とおっしゃった。

 先生は間違いなく、「名人」であった。僕らにとって弓はスポーツだった。
 あのころのほとんどの部員は先生の「信者」になっていた。そういう時代があった。
                              ううたん




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