AWC ふるぬまや河童しみいる死体かな 1   永山


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#1113/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  18/08/31  23:01  (477)
ふるぬまや河童しみいる死体かな 1   永山
★内容                                         18/09/05 01:46 修正 第2版
 クルーザーが離れていくと、船着き場は空っぽになった。四日後の昼過ぎに迎えに来
るまで、僕らは島に閉じ込められる形になる。実際はそんな仰々しい事態ではなく、学
生仲間で集まって、他から邪魔されることなく夏休みを楽しく過ごそうという、よくあ
る話だ。ただし、ロケーションは希有と言えるかもしれない。孤島に八人だけ。島も施
設も貸し切り状態。
「あれが旧保養所」
 緩い上り坂に差し掛かったところで、僕らがこれから進むべき方角を示したのは、う
っすら日焼けしたしなやかな手。彼女は鈴木園美さん、この島を所有する会社(土地建
物を扱う大手企業)の社長さんの娘だ。僕らを乗せてきたクルーザー(乗員付き)も、
彼女の家の持ち物。要するにお金持ちで、彼女もまあお嬢様と呼んで差し支えないだろ
う、うん。さらさらのロングヘアを手ですく仕種の優雅なこと。
 彼女が指差した旧保養所は、一部が二階建てになった瀟洒な宿泊施設で、船着き場か
ら見るとそのシルエットは巨大な教会を想起させた。
 何でもその昔、映画及び事業で大きな成功を収めた女優が出身母体の劇団のために、
稽古場と保養所を兼ねた施設を建てた上で、島をまるごとプレゼントしたらしい。大女
優が健在で、劇団自体もヒット作を続けざまに出していた間は、頻繁に来島しては施設
を利用していたが、女優が亡くなって資金面のサポートが途絶え、劇団の人気まで落ち
込み始めると、一気に情勢は変わった。維持管理費を用立てられず、手放さざるを得な
くなった。そこを買い取ったのが、園美さんの父親という成り行きだそう。元々、大女
優のファンだったとかで、採算度外視で購入したというが、さすがに放ったらかしとい
う訳にもいかない。結局、自社での保養所として再利用するため、手を入れる計画が持
ち上がった。手始めに、現存施設がどれくらい使い物になるのかをテストする意味で、
娘とその学友(僕らのこと)が招かれた次第。
「テストと言っても、ちゃんと下調べはしてもらっているから、問題はないわ。これが
あればもっと便利なのにとか、あれは流行遅れだから外した方がいいとか、改善意見が
あれば受け付けるってことね」
「とりあえずだが、たとえ歩いて五分の距離でも、車があればありがたいな」
 すかさず言ったのは、集団の中程にいる海田善一郎先輩。筋肉質、というかはっきり
言ってマッチョな体型で大柄だが、かなりの汗かきだ。腕力を見込まれて荷物を多めに
持たされているせいもあり、前髪から早くも汗が滴り落ちている。その割に、上に着て
いるTシャツが黒なのは解せない。
「車そのものは、軽トラックが残されているそうよ。私は見てないんだけれども、潮に
やられている上に、ガソリン切れだって。他に、トラクターが一台で、軽トラック以上
に古くてこれも動くのか怪しい」
 荷物を持たない鈴木さんは振り返ると、文字通り涼しい顔をして答えた。
「保養所と聞きましたけど、ビーチはあるんですか?」
 最後尾から声を張り上げたのは、波崎愛理。僕と同じ一年生で、僕の幼馴染みでもあ
る。
「あるわ。船着き場とは反対側。保養所からも少し歩くけれど、白くて広くていい感じ
よ」
 さっきから聞いていると、鈴木さんは前もって下見に来たことがあるらしかった。お
金持ち故のちょっとピント外れなところや自慢体質なところ、大掛かりないたずら好き
なところ等が見受けられる人だが、知り合いを招くからには事前にしっかり見ておきた
いという考えなのだろう。何か手落ちがあれば自慢できないどころか恥になる、それは
あってはならないという意味合いもあるかもしれないけど。
「ビーチで思い出した。水上バイクは、もう運び込まれている?」
 海田先輩が言った。鈴木さんほどではないが、海田先輩の家も父親がマリンスポーツ
メーカーの重役クラスとかで裕福らしい。この度、保養所用にと注文を受け、水上バイ
ク二台を納入したと聞いた。
「とっくに。あとで試運転してみるでしょう?」
「もちろん。えっと、俺以外で免許(※当時は5級小型船舶)を持っているのは……
?」
 見回す海田先輩だが、大体は把握しているはず。その視線の先にいた池尻良太先輩が
軽く手を挙げた。海田先輩とは対照的に細身でなで肩、肩幅も狭い。背は一年生の僕よ
りも僅かに低いくらいだが、顔はイケメンてやつで、もてすぎないようにあえてロン毛
の鬱陶しい感じにしてるんだとうそぶいておられる(一応、敬語ね)。
 この二人の先輩が5級小型船舶を取得していた。当然ながら、水上バイクを操りたい
がために取得した免許であり、他の船を持っている訳じゃない。
「他はいないんじゃなかったかな。まあ、三人乗りだろ? 試運転のあと、みんなで乗
ればみんな楽しめる」
 舌足らずな言いように聞こえたが、要するに、乗りたければ俺(達)に頼めってこと
かしらん。
「私も多少は操縦できる。けれど無免許」
 鈴木さんが言った。お金持ち故……かどうかは知らないが、プライベートビーチみた
いなところで熟練者から遊びついでに教わったらしい。そこまでするなら、正式に免許
取ればいいのに。
 話している内に、旧保養所(かつ新保養所予定施設)に辿り着いた。門扉を横に押し
て開けて、少し行くと正面玄関に到着。近くまで来て、外壁は元々は真っ白だったの
が、日差しや波風の影響なのだろう、若干灰色がかっていると気付く。
 ホテルではないので、出迎えはなし。鈴木さんが預かっていたキーの束を取り出し、
玄関のドアを開ける。そういえば、このドアも平均的な住宅の玄関程度の幅で、一般の
ホテルのような広さはない。おかげで、海田先輩が入るのにちょっと苦労していた。両
手の荷物のどちらかを手放すか、リュックを下ろせば早いんだろうけど。
「とりあえず、各部屋に入るのが先ね。鍵はこのケースにあるんだけど、部屋割りはど
うしましょう?」
 受付窓口が左側に設けられていたが、当然、無人。そこの手前がちょっとしたカウン
ターになっており、部屋のキーは、カウンターの上の箱にまとめて置いてある。
「それは僕に聞いてる?」
 鈴木さんの言葉遣いから察したらしい、グループ内で最年長の増川信治先輩が口を開
いた。鈴木さんは「はい」と快活に応じた。増川先輩は辺りを見渡し、壁の一角を指差
した。細長くていかにも器用そうな手先をしている。
「見取り図によると……宿泊用の部屋は一階に十二、二階に四か。一部屋に二人までは
入れるみたいだけど、数は充分足りてるから一人一部屋は当然として、ここはやっぱ
り、性別でフロアを分けるべきかな」
 八人の内訳は男女それぞれ四人ずつ。二階を女性陣に使ってもらおうという意見だ。
特に異論は出ない。
「じゃあ、各階で誰がどの部屋にするかはそれぞれで決めてもらって。男の方は選択肢
が多いけど、ばらけると何かと面倒だから、なるべく固まるとするか」
「それでいいですね。決まったら、分かり易いよう、紙に書き出しておく」
 言いながら、視線を巡らせた鈴木さん。山本姉妹の前で止まった。
「樹ちゃん、字がきれいよね。お願い」
「お安い御用です」
 妹の方、山本樹さんがすんなり引き受けた。姉の山本緑さんは、端から自分が書かさ
れる訳ないと思ったのか、無反応。
「あとは……厨房の使い方を見ておかないといけないから、十五分後に厨房に集合。ど
こにあるかは見取り図で」
 皆、最前の見取り図に再び目を向ける。凝った料理を作る訳ではないが、今夜からの
食事は二交代制の当番で、四人ずつに分かれて臨むことが予め決められていた。男女二
人ずつになるよう、増川、池尻、山本姉妹と鈴木、海田、波崎、僕という組み分けだ。
先にやるのは僕らの組で、鈴木さんが入っているのがその理由。と言っても、天候が崩
れない限り、初日の夜は中庭でバーベキューと決まっているので、気楽だ。
 そういえば、食材費は皆で出し合ったものの、鈴木さんが大幅に追加した上で、全て
買って選んで購入したと聞いている。期待が高まろうというもの。
「それじゃ、二時五分に集合ってことで」
 増川先輩の声を機に、女性四人は階段へと向かった。

 部屋は二人で使ったとしても充分に広く、快適に過ごせそうだった。テレビや電話機
の類は置かれていないが、まあしょうがない。劇団の合宿にテレビがあっても邪魔にな
る、という考えだったんだろう。クローゼットのためのスペースが心持ち広く取ってあ
る気がする。ウォークインできるタイプで、真ん中で仕切られていた。選ぶ段階で全室
見て回ったんだけれども、玄関から一番奥に当たる部屋のクローゼットには前所有者関
連と思われる私物がいくらか残っていた。具体的には、よれよれになった衣装や膨大な
ウィッグ、書き割り等。もちろん、誰もその部屋は選ばなかった。
 壁には、さっき見た見取り図と同じ物の他にもう一枚、島を上空から見たと思しきイ
ラストが額に入れて掲示されていた。やや漫画っぽい絵地図が正しいとして、島のほぼ
中央には沼があるようだ。まさか火山湖ではあるまい。五百田沼と名前が記してある
し。木々が生い茂っているけれども、道はちゃんとあるみたいだから、暇なときに行っ
てみてもいいかもしれない。
 少し早かったが、部屋を出て鍵を掛けてから、厨房に行く。増川先輩や池尻先輩は既
に来ていた。と思う間もなく、海田先輩も登場。海田先輩だけ上を着替えていた。今度
は白地が多めの柄Tシャツだ。
「このあと、どうするんです?」
 池尻先輩が増川先輩に聞く。この夏合宿?は特にスケジュールを立ててはいない。せ
いぜい、食事や就寝及び起床時刻を大まかに決めてある程度。食事は準備が当番制だか
ら時間を決める必要があるし、寝たり起きたりする時間ぐらい決めておかないとだらだ
ら過ごしてしまう恐れがあるとの理由だ。
「試運転前に、何か飲みたいなあ」
 増川先輩の返事を待たず、海田先輩が主張した。
「もちろん酒じゃなく、午後ティー的なやつ」
「三時のおやつには早いが、まあ、船で揺られて疲れてるのもいるかもしれないし、そ
れでいいだろ。幸い、食料は持ち帰らなければならないほどありそうだ」
 顎を振った先を見ると、大きな冷蔵庫の手前に、ぱんぱんに膨らんだ手提げ袋が五つ
六つあった。袋の口から覗いている物は、根菜類とレトルト、それにお菓子が確認でき
た。冷蔵庫に仕舞いきれなかったのか、仕舞う必要なしと判断したのか知らないが、結
構な量だ。
 そうこうする内に鈴木さんを始めとする女性陣も相次いでやって来た。みんな多少な
りとも身だしなみを整え直したように見える。
 厨房の使い方をざっと見て回り、水やガスが通じているのを確認し、食材が不足なく
届いていることのチェックも済み、食器や調理器具の場所も大体把握できたところで、
海田先輩の意見が入れられた。ティータイムである。
 コンロがあるが、今は暑さ対策が優先。誰もがペットボトル飲料を選んだ。お菓子の
方は適当に選んで開封し、器に出さずにそのまま手を伸ばす。
「このあと、水上バイクはチェックを二人に任せるとして、他は?」
 改めて話を振る増川先輩。鈴木さんがすぐに答える。
「私は水上バイクの置き場所を教えないといけないから、とりあえずそこまで行くけれ
ど、そのあとは泳ぐつもり」
「あ、そう言えば、水上バイクの保管場所ってどんな具合? 専用のスペースを作って
くれたらしいけど」
「ガレージみたいな感じ。すぐそこが海で、水面までスロープ状の浮桟橋みたいになっ
ているから、楽に出し入れできるはずよ。あと、台車って言うの? あれやウィンチが
備わっているから、搬入搬出も比較的簡単。燃料補給のスペースも確保されてる」
「そりゃあ凄くありがたい」
 と、こんな風に逸れた話を戻したのは、波崎愛理。
「私はがっつり泳ぐかどうかは別として、ビーチに行ってみたい」
「それじゃ、私達も」
 と、姉妹も言い出した。姉・緑が言葉を続ける。
「もし、ビーチバレーする元気のある人がいれば、相手するわよ」
「めちゃ強いから無理。やるにしても、明日以降だよな」
 海田先輩が間髪入れず、対戦拒否声明。僕は知らないけれど、以前山本姉妹とビーチ
バレーをやって、こっぴどく負けたに違いない。
「あの、部屋にあった絵地図を見たんですが」
 僕は島の俯瞰図を思い描きながら、鈴木さんに質問することにした。
「島の真ん中ら辺に、沼がありますよね? 五百田沼。あの辺り、ちょっと興味あるん
で、散歩がてら行ってみてもいいなと考えてるんですが」
「行くのは自由だけど、実はあの沼には怖い伝説があるのよ。人呼んで、“切り裂き魚
人の呪い”だったかしら」
「え? まじですか?」
 一瞬驚き、次に笑ってしまいそうになった。だけど、相手は真剣な顔をしている。声
を立てて笑うのはどうにか避けた。
「全身うろこで覆われた半魚人で、両手はカマキリみたいに鎌状、足の指の間には水か
きがあって、でも尾っぽを失っているから、うまく泳げない。歩くのも元々苦手な上
に、バランスが取れなくなってままならない」
「尾っぽがないって、どうしてです?」
「人間に捕らえられたときに、逃げられないように切断されたの。大昔、そこの海で定
置網に絡まってしまって。漁民の何人かが、これは見世物にして金儲けができると考
え、捕まえて生かしておくことにしたのね。ただ、どこに囲っておくかが問題になっ
た。海辺の一角に囲うと、海が荒れたとき流される恐れがあるし、仲間が助けに来るか
もしれない。第一、そんな魚人のすぐ近くで水揚げした魚なんて、気味悪がられて売れ
なくなる。そこで島の真ん中にある五百田沼に、放り込んでおくことにした。人間にと
って水源は井戸があったし、幸か不幸か魚人は淡水でも生きられる体質だった。こうし
て、次に本土から来る定期船で魚人を運ぼうという話がまとまったのだけれど」
 一旦、言葉を句切る鈴木さん。華やかなタイプの人だけに、しゃべり口調をどんなに
重々しくしたって、聞き手を怖がらせるには限度がある。でもまあ、がんばってる方だ
よ、多分。
「魚人が突然、凶暴化した。ううん、元来凶暴だったのが、尾っぽを切られてやむなく
大人しくなっていたのかもしれない。それが、淡水に長く棲んだせいで体質に異変が生
じたのか、ある程度歩けるようになった。最初は、沼に様子を見に来る者を襲い、引き
ずり込むと、水中で鎌をふるって惨殺していた。島民にじきに気付かれて、手に銛や鍬
や鎌を持った有志達が沼を取り囲んだ。けれども魚人は前とは比べものにならないほど
素早くなっていて、岸辺に近付いた者をあっという間に沼に引っ張り込み、餌食にし続
けた。島民は網を使って捕獲を試みたものの、あっさり切られる始末。策に窮した島民
達だったけれども、小さな子供の『海に帰してあげられないの?』という言葉がヒント
になった」
 昔々の怖い話(という設定だろう、うん)をしているのに、ヒントなんて単語を選ぶ
辺り、詰めが甘い。
「塩を大量に集めて、こっそり、沼に流し込んだの。塩水に浸かることで、魚人が元の
ように大人しくなるのではないかと。実際にやってみると、効果はあった。あり過ぎ
た。魚人は大人しくなるどころか、苦しみ悶え始めたの。苦しみのあまり沼から上がれ
ないのか、水しぶきを上げてばしゃばしゃと音を立て続け、のたうち回った挙げ句――
不意に静かになった。魚人は沼底に沈んでしまった。いや、姿形が見えなくなった。死
んだという者もいれば、沼のそこには穴があって海とつながっていて戻ったのだいう者
もいた。ただ、これで恐怖が完全に去った訳ではなかったの。このあとも年に一人か二
人くらい、沼の近くを通ったものが行方不明になったり、酷く斬り付けられた遺体で見
付かったりすることが続いたという……どう?」
「ど、どう?と言われましても」
 反応に困る僕に助け船が出された。増川先輩が手を挙げ、申し訳なさそうな調子で切
り出す。
「鈴木さん、言っちゃっていい? この島に来ると決まった時点で、ちょっと調べてみ
たんだけど」
「あら、知ってるんですか? 仕方ないですわね。どうぞお好きに」
 諦めたように肩をすくめた鈴木さん。増川先輩は、ちょっと気まずそうな苦笑を浮か
べつつも話を始めた。
「今の話、ここを所有していた劇団の一部が撮った、ホラー映画のストーリーだね」
 僕も含めた六人が、短い間、ざわつく。作り話であることは想像できていても、映画
の筋書きだったとは。
「誰も知らないことから明らかなように、有名俳優を起用したり特殊メイクに力を入れ
たりした割には好評価を得られず、興行的には失敗。魚人のデザインがマニアの間で話
題になるくらいだった。半魚人と河童と鎌首男を掛け合わせたようなフォルムだったか
ら」
 鎌首男というのを知らなかったけれども、想像は大体つくので、尋ね返さなかった。
「よくご存知ですこと。当時の資料、ほとんど残っていないと思っていましたのに」
「どこにでもマニアはいるもんだよ。この保養所内を探せば、着ぐるみの一つでも出て
来るんじゃないかな。高く売れるかもしれない、ははは」
 衣装やかつらなんかが残ってるくらいだから、着ぐるみがあっても不思議ではないか
も。
 話の脱線が続いたが、最終的にこのお茶の時間のあとは、僕と増川先輩が沼に向かう
ことになり、他の六人がビーチに行くことになった。
「何か済みません。付き合わせる形になってしまって……」
 土の階段を前にして、僕は先輩に頭を下げた。実際、増川先輩が沼に行くのは、僕を
一人で行かせるのは不安だからという理由が大きい。
「気にする必要はない。年長者としては、どんなところか見ておかないとな。一人で行
って万が一にも沼にはまったとして、自力で戻れるのか、叫び声は下まで聞こえるの
か。それに、沼そのものにも興味がある」
 雑草が生い茂ることで補強されたような土階段を登りながら、僕らは時々保養所の方
やビーチの方を振り返った。始めこそ見通せていたが、程なくして枝葉に遮られ、見え
なくなった。それどころか、陽の光さえ弱まった気がする。昼なお暗い森の奥にある
沼。ホラー映画のロケ地としては、確かに合格点だろう。
「こりゃあ、距離から言って、叫んでも聞こえそうにないな」
 沼と同じ高さまで来て、改めて先輩が下を見渡してから感想を述べた。時計を見る
と、午後三時ちょうど。ゆっくりめに歩いて二十分ほど掛かったと分かる。階段は途中
でなくなり、獣道よりもちょっぴりましな野道を進んで来たのだが、息は意外と上がっ
ていない。
「お、人為的な石畳かな」
 直線距離で、沼まで残り十メートルあまり。平らで丸い荒削りな石が、ぽつんぽつん
と埋めてあった。その上を歩いて、沼の畔に立つ。
 沼は想像していたよりも大きく、直径五十メートルといったところだが、円形と言う
よりは長方形に見えた。元は円だが、縁に草が多く生えているせいで、四角に見えるよ
うだ。水の透明度は低く、濁っている。生き物が棲息しているのか否かは分からない。
無論、小さな虫は辺りを飛んでいるが。蓮や葦などの植物も、沼から頭を出しているこ
とはなかった。死の沼。そんな連想をしたのは、先程、鈴木さんから作り物の呪いを聞
かされたのが原因なのか。
「危なくないか、周囲を歩いてみるか」
 増川先輩が右回り、僕が左回りで、同じ地点から歩き出す。二人並んで歩いて、二人
同時に沼にはまりでもしたら洒落にならない。
 長めの木の枝を持ち、足元に注意を向けながら半周。およそ二分を要した。
「沼云々を抜きにして、蛇でも出そうな気がして怖かったですよ」
「魚人の流した血が、蛇を呼び寄せるとでも?」
「そういうんじゃなくてですね」
「分かってる、分かってるよ。絶対に蛇がいないとは言い切れないだろうが、注意して
いればまあ大丈夫そうだ」
 沼の風景は、色の暗さや植物の少なさを除くと、取り立てて薄気味悪いものではなか
った。鈴木さんの語った呪い話が本当なら、ほこらや地蔵があってしかるべきだが、当
然ない。
 そのことを声に出して言うと、先輩からこんな返しがあった。
「何なら、水、舐めてみるか。ひょっとしたら、映画撮影で本当に塩を入れたかもしれ
ないぞ」
「まさか。第一、何年前なんですか、撮影って」
「覚えちゃいないが、五年や十年じゃ利かないぐらい、昔だったかな」
 だったら、仮に撮影で塩を沼に大量投入していても、今では元通りに違いない。い
や、そもそも、このサイズの沼の水の味が変わるほどの塩って、どのくらいの量が必要
になるんだろ。
「ありがたいことに、蚊は少ない。ほとんどいないな。水があるのに蚊が少ないのは、
ボウフラが発生しにくい何かが水に含まれているのかもなあ」
 まだ言ってる。僕は先輩を置いて、先に下りるポーズを取った。
「虫刺されは嫌なんで、さっさと戻りましょう」

 ビーチに出たのが午後四時前。服のままだから、海に入るつもりはない。本来、僕は
インドア派なのだ。今回の遊び合宿だってパスする予定だったのが、波崎に行こうと誘
われて、翻意したのがきっかけ。
「お、戻ったんだ?」
 波崎愛理が僕を見付けると、小走りに駆け寄って来た。ウインドブレーカーを羽織
り、前ファスナーをきっちり上げている。目のやり場に困らずに済むので、非常に助か
る。
「どうだった、沼?」
 そのくらい関心があったのなら、一緒に来ればよかっただろうに。
「多少濁っていて、暗い雰囲気はあったけれど、ごく普通のありふれた沼だったよ」
 僕がざっと説明するのへ、彼女は続けて聞いてきた。
「水の味見はした?」
 おー、おまえもか。黙って首を横に振った。それをどう受け取ったのか、波崎は「
なーんだ。やっぱり、映画の話だったんだ」と答えた。その事実自体は揺るがないの
で、彼女の勘違いは訂正しないでおく。
 ビーチでは、山本姉妹が敵味方に分かれ、それぞれ増川先輩と池尻先輩をパートナー
に、ビーチバレーを……違った、ビーチボールバレーをやっていた。ビーチバレーに比
べると、ビーチボールバレー――ビーチボールを使って行うバレーボールはハードでは
ないだろう。
 海に目を転じると、沖で青いボディの水上バイクが疾走するのが見えた。遠目にも、
海田先輩が鈴木さんを乗せているのが分かる。
「水上バイク、動いたんだね」
「あ、うん。まだ乗せてもらってないけど」
「何で?」
「水着、セパレートだから、もしかしたら落水したときにずれちゃうかなって」
 ファスナーを少しだけ下ろした波崎。赤い布が少し見えた。
「なるほど。そう言われてみると、あちらはきっちりとしたワンピースタイプのよう
で」
 片手で額に庇を作って、水上バイクの方を見通す仕種をする。鈴木さんは、黒地にピ
ンク?の縦線が入った水着を着ているようだ。ちなみに、山本さん達姉妹は、いかにも
ビーチバレー選手が身につけそうながっちりしたトップスのセパレートではなく、明る
い色のワンピースだった。あとで聞いたところによると、ビーチバレーの大会では出場
選手に水着の上から主催者支給のトップスを着けることが義務づけられているとかどう
とか。道理で、テレビで見るとき女子は誰も彼も似た感じのユニフォームだなと思った
よ。
「他に遊び道具あるのかな?」
「水に関係あるので言えば、バナナボートとか水上スキーとかパラセーリングとか、道
具はあるそうよ。今回、実際にやれそうなのはバナナボートぐらいでしょうけど。あ、
あと、普通のゴムボートがあるって聞いた。オールが付いてて、自力で漕ぐやつ」
「いざというときには、それに乗って近くの島に救援を求めるのかな」
「何よ、いざって」
「分からないけど、たとえば魚人が現れて――」
 お腹にパンチを食らって、最後まで言えなかった。いくら格闘技経験のない女子の拳
とは言え、不意打ちだったので効いた。波崎は、普段は大人しい方だけど、怒るとその
程度の大小とは無関係に、手が出ることがある。
「もう、そのネタは禁止! つまんない」
「ま、増川先輩も、さっき、使ってたよ。次に使っても、叩いたり殴ったりしないよう
にな」
「あの人は自力で元ネタを見付けたのだから、しばらく使っても許されるわ、ええ」
「よく分からん理屈……」
 要するに、殴られ役は僕に回ってくることが多いってか。
「これ以上害を被らない内に、引っ込むとしようかな。本、何冊か持って来たし」
「椅子ならあるから、本を持って来て、寝そべって読めば?」
「遠慮する。日差しがきつい。日焼けはかまわないけど、眩しいのはあんまり好きじゃ
ないんだよ」
 手を振りながら、保養所への道を引き返した。

 夕食は五時から下準備を始め、火起こしもまずまず順調にいって、予定通り、六時か
らバーベキューをスタートできた。
 アルコール類は、年齢的に飲めない人が多いし、好んで飲む人がグループ内にはいな
いため、数は用意されていなかったが、それでもビール系飲料の空き缶がいくつかでき
た。多少酔った面々と、しらふの面々とでは温度差ができたが、それでも楽しい食事だ
ったと間違いなく言える。
 こんな風にして、特段の目標や目的もなく、ゆったりと三泊四日が過ごせるものと信
じていた。いや、そんなことを意識する理由自体なかった。何事もなく終わるのが当然
の日常だったから。
 だが、二日目に入って、事態は急変を見せる。
 事件が起こったのは、昼食の準備にぼちぼち取り掛からねばという頃合いだった。
 それまで僕は部屋に籠もって本を読んでいた。増川先輩は波崎にせがまれ、食堂で得
意のマジックを見せていたという。山本姉妹はビーチに出て、相手がいないので二人で
軽くボール遊びをしていたが飽きが来て、散策に切り替えたとのこと。海田、池尻両先
輩と鈴木さんは相変わらずの水上バイク。
 ちょうど一冊読み終えたタイミングで、ドアがノックされた。返事せずに出てみる
と、波崎が少し息を弾ませ、「何かあったみたいだから、外に来て」と言う。僕が聞き
返しても今ひとつ要領を得ない。食堂にいたところへ山本緑さんが駆け込んできて、水
上バイクがトラブった模様だという意味のことを、増川先輩に告げたという。先輩は波
崎に僕を呼んでくるように言い付けると、先に外へ出たらしい。
 二人してビーチに向かうが、人影はない。
「あれ、こっちじゃないのか」
「もしかして、船着き場の方?」
 水上バイクで船着き場のある側まで行って、トラブルが起きたということかもしれな
い。僕らはきびすを返して急いだ。
 走ったおかげで三分と掛かっていないだろう、船着き場に着く。既に他の人達の姿を
視界に捉えていた。いるのは……山本姉妹に増川先輩、海田先輩の四名。全員、僕らが
来たことに気付いていないか、気付いていてもかまってる暇がない雰囲気だ。
「もう一台はどこ? 池尻君が乗ってるんだよな?」
 増川先輩に問われた海田先輩は、「そうですよ、でもどっかで振り切られたのかも」
とどこか怒ったような声で言い返した。
 沖の方を見やって緊迫感漂う二人には話し掛けづらいので、山本さんの妹の方に聞
く。
「何があったの?」
「私も全部見ていた訳じゃないのだけれど、海田さんの話だと、海田さんに水上バイク
の操縦を教わっていた鈴木さんが、一人で乗って行ってしまったみたい。悪ふざけなの
かハプニングなのかは分からない。もう一台に乗っていた池尻さんが追ったけど、追い
付かないでいるのかな。それで、ついさっき沖の遠くの方で、鈴木さんが一人で水上バ
イクを操縦して、左の方に向かうのが見えて」
 と、言葉の通り、向かって左側を腕で示す樹さん。ここからは実際に目撃したという
ことなのか、身振り手振りが混じる。
「あっちの岩の向こうに進んで、見えなくなったわ」
 船着き場は入り江状になっているが、あまり大きくはえぐれていない。左右からそれ
ぞれ突き出た細い岩山の群れが、入り江の両サイドを示すのだが、水上バイクを操る鈴
木さんはその左手の岩の影に隠れて、姿が見えなくなったということのようだ。あそこ
まで何百メートルあるのか目測しづらいが、仮に近くても波で白くなる海を泳いで行く
には難儀するに違いない。ゴムボートも溺れる心配が軽減するだけで、似たようなもの
だろう。
「私も見ていたわ」
 姉の緑さんが追随する返事をくれた。
「波しぶきが上がって分かりにくかったんだけど、海田さんが声を上げて指差してくれ
たから見付けられた。鈴木さんの着てる水着、黄色で目立つし。池尻さんの姿はまだ見
てないから、心配するなら池尻さんの方もしないといけないと思う」
「池尻先輩は水着、紺色の地味目の海パン? だとしたら、水に落ちた場合、確かに見
付けづらいかもしれない」
 前日の姿を思い浮かべつつ、僕は考えを述べた。
「海田君、鈴木さんの腕前は? うまい方かい?」
 波音に混じり、増川先輩が海田先輩に問う声がよく聞こえる。
「下手じゃないが、調子に乗ると飛ばす癖があるみたいで、危なっかしい感じ……だっ
たかなあ」
 陸ではオートバイで結構飛ばしていると噂の海田先輩だが、水でのことになると慎重
になるらしい。父親の職業を考えれば、慎重を期すのも当然か。
「落水すれば、自動的に停まる仕組みだから、馬鹿みたいにどんどん沖合に行っちまう
ってことはないと思いますよ」
 海田先輩のその説明は、楽観視する材料になるのか微妙だった。
「何にせよ、岩の向こうを見通せる場所に出たいんだが、道が分からん。詳しい鈴木さ
ん本人がいないんだから、困った」
 増川先輩は極短時間考えて、方針を示した。
「ここに一人、ビーチの方に一人を残して、あとの四人を二手に分けよう。鈴木さんと
池尻君を探すんだ」
 異論は出なかった。体力スタミナ面を考慮して、ここには僕が、ビーチには波崎が残
ることになり、増川先輩と山本妹、海田先輩と山本姉が組んで、おのおの鈴木さんと池
尻先輩を探す。探すと言っても海上に安全に出る手段がないため、増川先輩達は左側の
岩山へのルートを探り、海田先輩らは池尻先輩が鈴木さんを水上バイクで追っていたと
仮定して、右手の方の陸地を重点的に見て回る。
 僕は保養所から救急箱を持ち出して来て、波崎と適当に分け合ってから、所定の位置
に付いた。待つだけの時間は随分とゆっくり進むように感じられた。

 約三十分後に見付かったのは、池尻先輩だった。僕が気付いたときには船着き場のち
ょうど真ん中辺りを、ゆらーっと泳いでいて、頼りない感じはしたが、それでも無事に
岸まで辿り着いてくれた。海から上がった先輩は一見しただけでも疲労が甚だしく、す
ぐには発声できないほど。そんな状態で、途切れ途切れに語った状況は次のようなもの
だった。
「島の周囲を徐々に移動する感じで、二台の水上バイクを三人で乗り回していたが、あ
るとき鈴木さんが海田を振り切る勢いで発進させ、そのまま行ってしまった。びっくり
してすぐには次の行動に移せなかったが、じきに海田が『追え、追い掛けろ!』と鈴木
さんを指し示すから、逆に冷静になれた。海田をそのままにしておくと危ないので、後
ろに乗せて一旦ビーチまで戻って下ろし、そこから改めて鈴木さんを自分が追うことに
なった。彼女が一所をぐるぐる回っていたせいもあって、一時的にある程度距離を縮め
られたが、運悪く自分の方のマシンが不調を起こして、停まった」
 再駆動を何度も試みるがならず、やむを得ず、一番近い岸壁まで機体を押してイレギ
ュラーな形ながら岩に係留。そこから徒歩では陸――保養所に戻れないため、また海に
泳ぎ出て、船着き場を目指してきたとのこと。
「鈴木さんが一人で行ったのは、彼女の故意ということになるな」
 保養所に戻ったあと、改めて話を聞いた増川先輩が言った。捜索は空振りに終わって
いた。
「いたずらなら、ある程度自信があって行動してるんだろう。もう一台の水上バイクを
直して島の周囲を探すか、それとも戻って来るのを待つか」
「待ちでいいんじゃないすかあ」
 海田先輩が主張した。顔色がよくないようだが、短時間海に置いて行かれたせいでは
なく、鈴木さんの行動に憤懣やるかたないといったところか。
「はっきり言って、直す気になれませんね。いくら今回の合宿の大スポンサーでも、や
っていいことと悪いことがある」
「自分も同意見です」
 池尻先輩もこちらから探しに行く気はないようだ。水上バイクを直せそうな二人がこ
れでは、残る面々に選択肢はない。
「しかし、単独行動になってから小一時間……ちょっと長くないかな。それに、昼食当
番の一人なのに、それを放り出していたずらに精を出すのも彼女らしくない」
 疑問を呈する増川先輩。責任を問われかねない年長者としては、最悪の場合を念頭に
行動したいはず。
「分かりませんよ、気まぐれな性格だから。突拍子もないいたずらを仕掛けることは、
充分に考えられる」
「そうですよ。昨日言っていた魚人の呪いだって、誰も本当のことを知らなかったら、
そのまま押し通すつもりだったのかもしれない」
 海田・池尻の両先輩を翻意させるのは難しそうだった。
「じゃあ、残りの燃料で、最大何時間動けるのか分かる?」
「ええっと、どうだったっけ」
 顔を見合わせ、考え込む。池尻先輩の方が口を開いた。
「乗る人数や出力の度合い、海の状態なんかで違うし」
「燃料がどのくらい残っていたのかもしかとは覚えちゃいませんが……二時間てところ
か?」
 海田先輩が自信なさげに続けた。増川先輩が厳しい顔つきで首を振る。
「よく使う君らがその程度なんだから、鈴木さんは多分、把握できてないよな」
「いや、でも、二時間も海に出てるとは思えませんね。特に、お嬢様体質のあの鈴木さ
んが」
 その主張には何となく頷けるものがある。いたずらのためだけに、独りで二時間も海
で過ごすのは、鈴木さんの性格的に無理じゃないか。そこから僕は思い付きを口にして
みた。
「ひょっとしたら、陸に上がって、どこかに隠れているのかも」
「なるほどね。島に詳しい鈴木さんなら、隠れるのに適した場所を、前もって見付けて
いたのかもしれないです」
 山本樹さんがいいタイミングで呼応してくれた。陸地部分の捜索なら、僕らでもある
程度はできるだろう。
 しかし、免許所持組の先輩二人は頑なだった。
「捜索は御免ですよ。いい設備を整えてもらったり、昨日の晩飯にごちそうを食わせて
もらったりしても、代償がこれでは馬鹿にされてる。向こうにそんなつもりはないのか
もしれませんがね」
「しょうがないな」
 増川先輩は嘆息すると、腕時計を一瞥した。
「じきに正午か。昼飯にしよう。そのあとも姿を見せないようなら、僕が探すとしよ
う」
 予定が狂ったため、昼ご飯はレトルトを中心としたメニューになった。

――続く




 続き #1114 ふるぬまや河童しみいる死体かな 2   永山
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