AWC 百の凶器 4   永山


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#1099/1112 ●連載    *** コメント #1098 ***
★タイトル (AZA     )  18/01/25  21:17  (499)
百の凶器 4   永山
★内容                                         18/04/10 19:40 修正 第3版
「マッチ、足りてる?」
 既に火は竈の中で安定して燃えているようだが、真瀬がマッチ棒をよく消費していた
のを思い出し、柿原は聞いてみた。
「何とか足りてる。というか、足りてた」
「つまり、たった今、使い切った?」
「あ、ああ。いや、実はさっき、関さんに分けてもらった」
 言いながら、マッチ箱を開いてみせた真瀬。中には四本のマッチ棒が。
「夜のことを考えたら、心許ないね。僕のも分けようか」
「それなんだが、先輩に言って、一旦、全員のマッチを集めて、改めて平等に割り振っ
てもらえないかと思ってるんだ」
「いいアイディアかも。火起こし係がよりたくさん使うのは目に見えてるんだから」
「コツを掴んだし、あと一日だから、火起こしの心配はあまりしていない。心配なの
は、夜の方」
「……だよね。真瀬君は、事件と思っているのか、いないのか、どっち?」
「事件と思いたくはない。何らかのアクシデントだ、これは」
「確証があってのこと?」
「ないよ、そんなもん。ただ……そう思い込んでいないと、ミステリ好きの悪い癖が鎌
首をもたげそうで」
「悪い癖……クローズドサークルで発生した事件を学生探偵が解決するのを夢見ている
ってことか」
「夢見てる訳ではないけどな。ついつい、殺人だと考えて推理したくなるもんじゃない
か。実際、そんな話をしているのを聞いたぜ」
「誰と誰が話してたの」
「柿原はどう思ってるんだよ」
 柿原が答えようとした矢先、お湯が沸いた。今朝もパン食なので、コーヒーと紅茶を
用意した。天気は快晴。まだ地面の所々に小さな水たまりが残っているが、これらも午
後には干上がるだろう。
 七時過ぎに始まった食事は、暗黙の了解でもあるかのように小津の死には触れず、穏
やかな話題に終始した。が、食べ終わると、空気は一転。小津の死を受けて、どうする
かが話し合われた。
 まず、戸井田の口から、道の復旧がまだであることがラジオ情報として伝えられた。
それを受けて、橋部が話を始める。責任者は村上だと表明した割に仕切りたがるのは、
年長者故か、それとも元来の性格なのか。
「携帯電話もつながらないし、歩いて行ける範囲に人家はない。閉じ込められた訳だ
が、そのこと自体は、さほど心配しなくてもいい。遅くとも明日の夜には、学校の方が
異状に気付く。復旧作業だって進められている。その間、食糧や飲み水は足りるはず
だ。考えねばならないのは、小津部長のこと」
 言葉を一旦切って、橋部はコーヒーの残りを飲み干した。紙コップを握り潰し、近く
にあったゴミ入れに放ってから続ける。
「繰り返しになるが、事件か否かは不明であっても、用心するに越したことはない。状
況を整理しておくべきだと、俺は思う」
「賛成です」
 すかさず言ったのは、戸井田。小さく挙手までしている。前もって第三者のいない場
で、橋部から方針への協調・協力を要請されていたのかもしれない。
「やることもないから、基本的には賛成ですけど」
 続いて沼田。ただ、戸井田とは違って、彼女なりに何か思うところがあるらしく、意
見を付加する。
「状況を整理っていうのは、どこまでの範囲を? 犯人が特定できそうなら、してしま
う?」
「無論だ。これが事件であり、犯人が特定できたなら、その人物を拘束する必要も生じ
るだろうな。沼田さん、君は反対か?」
「……いえ。方針が明確であるなら、問題ありません。従います」
「結構だね。さて――村上さんは反対かな」
 橋部は、まだ何も言わない、それどころか何ら反応を示していなかった副部長に水を
向けた。村上の返答は早かった。
「ええ。無事に下山してからにすべきです。それでも遅くはありません」
「遅くないと言い切れるか? 犯罪だとしたら、捜査に少しでも早く取り掛かるのがよ
いに決まっている。時間の経過とともに、証拠が失われる恐れがあるのだから」
「それは理解していますが」
「仮に、連続殺人が起きていたら、村上さんは同じ立場を取るのかい? みんな殺され
ていくけど、犯人探しはせずに、家に帰れるまで待ちましょうって」
「……今、起きているのは連続殺人ではありませんし、殺人かどうかさえ、はっきりし
ていません。いえ、仰りたいことは分かります。小津部長の死が連続殺人の発端かもし
れないと」
「そうそう。分かっているのなら、君の明確な意見を聞きたい」
「どうすれば最善なのか、判断が付きかねているというのが正直な気持ちです。力を注
ぐのなら、犯人探しよりも、外部との連絡手段を探る方にすべきではないかという思い
がある、とだけお伝えしておきます」
「分かった。連絡手段や帰る方法も考えることとしよう。同時並行的に行えば、異論は
ないと解釈するが、いいね」
「致し方ありません」
 村上が不承々々ながら折れると、橋部は一年生に顔を向けた。「意見を聞こう」と言
われたが、この流れ、この雰囲気にあって、今さら異を唱えるのはなかなか難しい。状
況はできあがったと言える。
「あの、一つだけ」
 湯沢が、おずおずと挙手しつつ、しかしはっきりした声で発言を求めた。
「何だ?」
「犯人が分かったとして、追い詰めるようなことはしませんよね? もしかしたら、自
棄を起こされて、もっと大変な事態になってしまうかもしれませんし」
「犯人の出方次第ではあるが、なるべく穏やかに対処する。約束しよう」
「それでしたら」
 居住まいを正し、納得が行った様子の湯沢。一年生から他に異論が出ることはなかっ
た。
「では状況の整理に移る。と言っても、延々と犯人探しの議論をするつもりはない。今
は飽くまでも状況の整理だ。差し当たって、小津が亡くなる直前の、皆の行動を掴んで
おこう」
「昨日の午後二時半から三時にかけてのアリバイを申告する、ということですか」
 村上が言った。場の流れに積極的賛成ではなくても、頭の回転は速い。橋部が呼応す
る。
「そうなるな。言い出しっぺが口火を切るのが筋だろうから、まず俺から話す。読書会
の小休止が決まったあと、自分のコテージに一人で戻り、課題図書に関する簡単なメモ
を取っていた。読書会を盛り上げるために、他に何かないかと思ってな。その間、コ
テージに誰か来たってことはなかった。メインハウスに戻った時間は、正確には覚えち
ゃいないが、割とぎりぎりだったと記憶してる。要は、二時半から三時まで、一人でい
たので、アリバイ証人はいないってことだ」
「じゃあ、次は僕から」
 引き続いて、戸井田が話し始める。コンタクトレンズを普段使っている彼だが、今朝
は面倒になったのか、眼鏡を掛けていた。
「今回、記録係のつもりで動いているので、あのときもしばらくはメインハウスに残っ
て、写真をパシャパシャやっていたのは、何人かが見ていると思うし、写真のデータに
もある。それより前に、読書会での録音をその場でざっとチェックした。掛かった時間
が合わせて二十分ぐらい。もうコテージに戻る余裕はないと思ったから、そのままメイ
ンハウスにいて、残っていた一年生数名に、キャンプ場の感想を聞いていた。確か、真
瀬と柿原と湯沢さんに」
 確認を求める風な視線を寄越してきたので、柿原達は頷いた。一拍おいて、柿原が付
け足す。
「あ、ただ、少なくとも僕自身は、残っていたんじゃありません。お湯、沸かすのに人
手がいると思って村上さんに聞いたら、魔法瓶に保管した分で間に合わせるとのことだ
ったので、一旦、自分のコテージに戻ってます」
「俺もぶらぶらしてました」
 真瀬も追随した。残る湯沢は、「私は三時のお茶の準備を手伝っていたので、メイン
ハウスにずっといたことになるのかな」と答えた。いずれも、詳しいアリバイ申し立て
は順番が回ってきてからとして、次は村上が口を開く。
「私は、湯沢さんが言ったように、二人でお茶とお菓子の用意をして過ごしていたわ。
三十分ずっと掛かり切りだった訳ではないけれども、早く入れると冷めてしまうから、
タイミングを計っていたの。湯沢さんとお喋りをして時間を潰していた」
「途中で、戸井田が加わった?」
 橋部が質問を入れた。
「それは、彼女自身の口から」
 湯沢の座る席を手で示す村上。湯沢は一度腰を浮かして、座り直した。
「順番、私が次でも?」
「全然かまわない」
「それでは……今、村上副部長が証言された通り、二時三十分からお茶とお菓子の準備
を手伝いました。ほぼ、三十分間ずっと一緒にいたと言っていいと思います。三時十分
前ぐらいに戸井田さんが来られて、初めて来たキャンプ場やコテージの使い心地を尋ね
られました。五分足らずで終わったと記憶しています。三時直前にお茶を入れましたか
ら」
「なるほど。間違いない?」
 橋部は村上と戸井田に順に視線を合わせ、肯定の仕種を引き出した。
「次は、二年生最後ということで、沼田さん」
「最初、お茶の準備を手伝うつもりだっただけれど、人手は足りてそうだったから、副
部長に断りを入れてからコテージに戻ったのよね。何かしたいって訳じゃなかったの
で、ぼーっとしてただけなんだけど。あっ、靴紐が変に固結びになって、手を焼いたっ
け。今回、山歩きをするって聞いてたから、普段履かないような丈夫なスニーカーにし
たんだけれど。それで、紐を解いていたら、春にやった実験を急に思い出して」
 春にやった実験とは、今の一年生部員が入る前の合宿で行われた実験で、素になった
作品名をもじって、「他履くの紐」と名付けられた。テレビドラマ刑事コロンボシリー
ズの一作「自縛の紐」のネタばらしになるが、“人は他人の靴紐を結んでやるとき、自
分の靴紐を結ぶときとは逆の結び方になるのかどうか”の調査を目的としたもの。対象
者がそれと知ってやると実験にならないため、レクリエーションゲームの中に他人及び
自身の靴紐を結ぶシチュエーションを組み込んで行われた。発案者は小津で、彼とその
当時の部長を除いた全部員十三名を対象に行われた実験の結果は、逆になった者が十
名、同じになった者が三名という結果になった。ちなみに同じになった三名は揃って、
靴紐のある靴を滅多に履かない女性部員だった。
「思い出して、ぼんやり過ごしてた。あのとき、ふっと思ったのよね。小津君にどうし
てあんな実験を思い付いたのか、聞いてみようかなって。聞きに行っていれば、彼、死
ななくて済んだかもしれない」
 沼田は、少し涙声になっていた。小津と特別に親しかった訳ではないが、やはりきつ
いものがあるのだろう。
「気持ちは分かる。けど、今は冷静に事実を話してほしいんだ。他に、付け足すべきこ
とはないか? アリバイを証明できるような」
 橋部の促す口ぶりは、感情を抑えた、淡々としたものだった。
「充分なものはないです。メインハウスに向かう途中、関さんと合流したけれども、ほ
とんど着く直前だったし」
「そうか。それじゃ、次は関さん」
 指名を受け、関が少し考えるように斜め上を見やって、じきに始めた。
「昨日、メモ書きしようとしたときもそうだったんですけど、ショックのせいか、記憶
が曖昧で……ただ、真瀬君と途中で会って、少し話をしたのは覚えています。午前中に
遊んだこととか、他愛ない話でしたけど」
「会ったのはいつ、どこで」
「あれは」
 関の目が真瀬をちらと一瞥した。真瀬からは特段、反応や発言はなかった。
「十四時四十五分頃だったと思います。場所は、私のいる2番コテージの近く」
 関の証言に、真瀬から異論はない。軽く頷いたようだ。
「十分近く話して、そろそろ三時になるからって、メインハウスに向かって、そこで沼
田先輩や柿原君とも一緒になったところへ、戸井田先輩が来た。三人とも感想を尋ねら
れたけれども、三時が来ちゃったんで、私は答える暇がなかったんです」
 徐々に記憶が鮮明になったのか、断定調になった関。橋部が少し考えてから、尋ね
る。
「ふむ。気になる点がなくはないが、とりあえず、四十五分よりも前は?」
「読書会が休憩に入ったあとは、確か、2番コテージに向かって歩き出して……直行し
たんじゃなく、辺りを散歩していたと思います、ええ。読書会の頭脳労働で結構疲労感
があったので、頭をリフレッシュさせたくて」
「証人はなし? 分かった。念のため聞くが、沼田さんの証言だと、彼女は関さん一人
と合流したみたいに聞こえたんだが、関さんの証言だと君は先に真瀬と合流し、そのあ
と沼田さんや柿原と合流したように聞こえた。この辺は?」
 橋部は関と沼田、真瀬を順に見た。関がすかさず答える。
「あ、それは、私が離れて歩いていたからだと」
「自分もいいですか」
 関の語尾に被せるようにして、真瀬が発言を求めた。橋部は黙って首肯した。
「正直に言いますと、自分は関さんに会いに2番コテージに向かいました。途中で会え
て話ができたんで、それで満足して、元来た道を引き返したんですけど、あんまり近い
距離にいたら関さんに迷惑かなと思って、距離を取ったんです。俺がわざとゆっくり行
く感じで」
「なるほど。整合性は取れたようだ。ついでに、真瀬のアリバイ申告も聞こう。二時四
十五分よりも前は、どこで何をしていた?」
「さっきも言いましたように、ぶらぶらしてたのが嘘偽りのないところなんですが。関
さんより先にメインハウスを出てしまったから、待ち伏せする訳にも行かないし。誰
か、俺のこと、目撃してませんかね?」
 誰からも声は上がらなかった。真瀬は肩をすくめ、ややオーバーにため息を吐いた。
「もっと目立つようにぶらぶらしておけばよかった」
「どの辺にいたかぐらい、思い出せないか?」
「一旦、柿原のコテージに行って、時間を潰そうかとも考えたんですが、やっぱりやめ
て、風呂場や物置小屋の辺りをぐるっと回って、それから、2、3、4、5番コテージ
に通じる分かれ道の付近を、うろうろ」
 真瀬の証言はこれで終わり、続いて柿原に順番が回ってきた。
「僕は……先程少し触れたことですが、火の手伝いをするつもりが必要なくなったの
で、ゆっくりめにメインハウスを離れました。真瀬君の背中が見えたので追い掛けても
よかったんですが、急いでる様子が感じられたので、あきらめました」
「関さんが先に出たと思って、慌ててたんだ」
 横合いからそう弁解した真瀬は、悪いと片手で拝む格好をした。気にするなという意
味で、同じポーズを返した柿原は、自らの話に戻る。
「少し迷って、自分のコテージに行くことにしました。干したハンカチが気になったか
らなんですが、急いでもしょうがないのでゆっくり歩いて。それでも二時四十分までに
は着いたかと。ハンカチはまだ湿り気を感じたのでそのままにして、コテージに入っ
て、ちょっとだけ書き物をしていました。ノートPC、折角持って来たのに使わないの
も馬鹿馬鹿しいと思って。十分ほどしてコテージを出て、メインハウスに向かいまし
た。途中で真瀬君と合流して、あ、関さんや沼田先輩も少し先にいました。あとは、メ
インハウスに着いて、僕も戸井田先輩から感想を聞かれたので、思っていたよりも寒く
ない、暑いくらいですと答えた覚えがあります」
「確かに言ってた」
 戸井田がメモなどを見ることなしに、即応した。
「分かった。残っているのは、犬養さんだな。どうぞ」
「私は、皆さんご存知の通り、ほとんどずっとコテージにいました。柿原君が呼びに来
てくれたのは何時? 三時を回ってた? それはごめんなさい」
「一応聞くが、何をしていたんだ?」
「決まっています、身だしなみのチェックです」
 言いながら、両腕を前に伸ばし、左右の指を広げてみせる。今は自粛しているようだ
が、普段はマニキュアを塗っていることが多い。
「だろうな」
 橋部は僅かに苦笑を浮かべた。次に、出そろった申し立てのメモ書きをざっと見て、
顎に片手をやりながらぽつりぽつりと語り出した。
「こうして見ると……ほぼ確実なアリバイありと言えそうなのは、副部長と湯沢さん
か。あと、戸井田は写真のデータによって、アリバイ成立する可能性が高い。犬養さん
が微妙なところで、化粧直しを含めた身支度に、どれほど時間を要するものなのか、見
当が付かない」
「私のアリバイは不成立でかまいません。水掛け論になるだけで、無駄ですわ」
「待って」
 当人が不成立でいいと言っているにもかかわらず、村上が助け船を出した。
「犬養さん、あなた、私に『コテージに戻ります』と言って、メインハウスを出て行っ
たよね」
「読書会の休憩のときですか? ええ、確かそんなことを言ったと思いますが」
 犬養の方は、何を言われるのだろうと訝しむ気持ちを隠そうとしていない。村上は橋
部に向き直った。
「もし仮に犬養さんが犯人だとしたら、いつ呼びに来るか分からないのに、1番コテー
ジに戻りますと宣言して行くのは、何のメリットもない。何人かが言ったように、その
辺りを散歩してみますとでも言って、出て行けばいいのに、そうしなかったのは、彼女
が真実、自分のコテージに戻った証」
「なるほどな。しかし、戻ったふりをする、あるいは戻ってすぐに出て9番に向かうこ
とは、想定可能だろ」
「1番のコテージから小津部長の9番コテージまで、十分以上掛かるはず。しかも三時
過ぎには、犬養さんは1番コテージにいたことが、柿原君の証言で確定しています。往
復で二十分は掛かる上に、犯行時間を加えると、身支度の時間はほぼゼロになるでしょ
う。でも実際にはあのとき、犬養さんはきれいに化粧をして戻って来た。汗一つかいて
いない状態で」
「……そうだったな。遅刻だというのに、しずしずと歩いてきたのを覚えてるよ。とい
うことは、犬養さんもアリバイ成立と見なせそうだな。異議のある者は?」
 橋部が場を見渡す。誰も異論を唱えることはなかった。このあと、戸井田の撮影した
写真の検討も行われ、彼についてもアリバイ成立が認められた。
「俺も含めて、五人はアリバイが不充分。他に今、確かめておきたいのは、小津部長自
身の行動なんだが、誰か、昨日の午後二時半以降、小津を目撃したって人はいるか?」
 またも声は上がらなかった。たとえ目撃していても、下手に発言することで犯人扱い
される、という懸念が脳裏をよぎった可能性はあるが。
「言い方を変えてみようか。二時半に、ここを出て行く小津を見掛けた人はいるだろ?
 どっちの方に行ったか、分からないかな」
 これには数名が反応を示した。ただし、大して役に立つ証言ではなく、コテージのあ
る方へのんびり歩き出す小津の後ろ姿を見た、という程度だった。
「写真にも、部長は写ってませんねえ」
 戸井田がチェックした上で、そう補足した。
「分かった。よし、以上で終わりだ。みんなの協力に感謝する。ありがとう。このあと
の予定だが、正午までは基本的に自由としようと思う。食事はまたレトルトで。ただ、
正午より前になるかあとか分からないが、折を見て、橋の様子を見に行きたい。復旧作
業の人が来ているのなら、俺達の存在と現状とを伝えることもできるしな。それで、運
転は俺がするとしても、他は前回と違うメンバーの方がいいだろうから、三人ほど決め
てくれないかな」
 その場で決まった三人は、沼田、犬養、そして真瀬となった。

 午前中、やることを探していた柿原は、予備の薪作りを真瀬に提案した。
「心に掛かった蜘蛛の巣みたいなもやもや、あるでしょ? そいつを払う意味も込め
て、もう少しだけ薪割りをどうかなって」
「妙なたとえをしなくても、もやっとしてるさ。くさくさしてるっていうか。身体を動
かすなら、スポーツでもいいんだが、斧を振るう方がすかっとするかもしれん」
 真瀬は案外あっさりと乗ってきた。お目当ての関が、今は女子同士で固まっているた
め、彼自身は暇だったというのも大きいに違いない。
「そうこなくちゃ。あ、その前に。自分が怪我したせいですっかり忘れてたんだけど、
真瀬君、ウルシはどうなったのさ?」
「ウルシ? ああ、自分でも忘れかけてた」
 物置小屋に向かい掛けた真瀬は、苦笑いを満面に広げた。
「多少、痛痒い感じはあるんだ。でも、たいしたことない」
「よかった。斧を振るうのに支障はないね」
「……柿原は、俺を疑ってないの? 斧を持たせるのをよしとしてる」
「疑ってないとは言わない。全員を疑っているとも言えるし、疑ってないとも言える。
現時点では、全てフラット。事件か否かすら、決まってないんだし。小津部長の死因が
判明すれば、また違ってくるかもしれないね」
「さすがスイリストと言うべきかな。理屈だな」
 会話を切り上げ、物置に向けて出発した二人。道中、「忘れていたと言えば、マッチ
棒の再分配」と柿原が話を振る。真瀬の方は忘れていた訳ではないと断ってから、提案
した。
「マッチは、昼飯のときにでも言うとしよう。それまでは、柿原の分も使えば、充分に
保つだろ」
「うん、いいよ」
 それから物置に辿り着いた薪割り当番の二人は、ほぼ同時に足をぴたっと止めた。壁
に掛かる斧の一つに、異変が生じていた。柄の部分に赤い染みができている。
「これ」
 真瀬は指差しただけで最後まで言わない。柿原も単語を飲み込んでいたが、かぶりを
振って、声に出した。
「血、だよね。昨日まではなかった」
「また何か起きたってか?」
「でも、今朝は九人全員が揃っていたし、血が出るような怪我を負った人も、僕以外に
はいない」
「じゃあ……ありそうにない話だが、朝飯から今までに、誰かが襲われたとか?」
「うーん。この染み、結構乾いてるような」
 壁に掛かったままの斧に顔を近付け、目を凝らす柿原。赤い染みは、長径三センチほ
どの楕円形をなしていた。
「やっぱりそうだ。だいぶ時間が経っているよ」
「……らしいな。それに、染みと言っても大して染み込んじゃいない、かすれている。
表面を擦った風に見える」
「切られた側に激しい出血はなかった。あるいは、これを握った人が手に小さな怪我を
していたか。僕が言うのもおかしいけど」
 思考の途中で、第三者の声が邪魔に入った。振り返ると、走ってくる村上の姿があっ
た。
「何をしてるの? 薪割りをしてくれると小耳に挟んだから、様子を見に来たのだけれ
ど」
 深呼吸をし、眼鏡の位置を直しながら言っていた彼女は、不意に口をつぐむ。斧の染
みに気付いたようだ。
「何、その赤いのは。血だったら、勘弁してよね」
 現実を認めたくない気持ちの表れか、珍しく軽口を叩く村上。そこへ柿原が考えを述
べる。
「人の血液だとしたら、新たな怪我人がいるかを調べる前に、確かめておきたいことが
あります。怪我をしている僕が言うのも変かもしれませんが、僕は斧を握っていないの
で」
「怪我の他に何があるって言うんだ」
「小津さんを調べておきたいんだ」
 柿原が死者の名を挙げると、尋ねた真瀬だけでなく、村上もぎょっとしたように目を
見開き、息を飲んだ。
「生き返ったとでも言うの? それこそ悪い冗談はやめてほしいわ」
「いえ。この斧を使って、小津さんの遺体に新たに傷を付けた可能性です。先に調べて
おこうよ」
「小津さんの身体に傷……って、何のために」
「それは分からないけれども。例えば、小津さんが殺されたんだとして、犯人は憎しみ
が強烈なあまり、死んだあともなお、傷付けてやりたくなったとか」
「君のその発想が怖いわ」
 村上はそう言いながらも、さっと風を切って踵を返した。怖がってみせながらも、行
動に移すのが早いのは普段通りのようだ。
「あ、待って。この斧をどうにかしなくちゃいけません」
「どうにかって」
「証拠品だろうから、できれば保管しときたい。万が一、ここを離れた隙に持ち去られ
でもしたら厄介です。だから、ここには二人以上が残って、なおかつ、メインハウスに
戻る人は戸井田さんからカメラを借りてくる。携帯電話より、ちゃんとしたカメラの方
がいいでしょう」
 柿原の提案に、村上は一瞬考えるための間を取ったようだったが、すぐさま口を開い
た。
「いっそ、みんなをここに呼んでくるのはどう? 状況を全員に説明したあと、どうす
るか決める」
「それで行きましょう」
 村上が呼びに行くことになった。彼女の後ろ姿を見送りつつ、真瀬が柿原に尋ねる。
「証拠品はどう扱うべきなんだろうな」
「どう、とは?」
「後の捜査のために、遺体を動かすのはよくないと思いつつ、安置するために小屋に移
したじゃないか。この斧は、無闇に動かしていいのか」
「分からないけど、このまま放置していても、犯人が遺した痕跡は劣化するばかりだろ
うから、写真撮影した上で、きちんと保管する方がましなんじゃないかな」
「そうなると、丈夫な袋がほしいが、この小屋にあるのは見たところ、肥料の入ってい
たビニール袋か、古臭い布袋ぐらいだぜ」
「メインハウスに何かあるんじゃない?」
 村上副部長の走って行った方向に首を振る柿原。その意見に、真瀬は特に答えること
なく、別の話を始めた。
「他の斧も血が見当たらないだけで、凶器に使われた可能性、あると思うか?」
「さあ……。凶器だとしたら、どうなるのさ」
「凶器だとしたら、もう斧は使えないだろ。となると、薪割りができない。蓄え分で足
りるのかね」
「仮定に仮定を重ねた質問には、答えようがないよ。でもまあ、非常時用に卓上コンロ
があるらしいし、平気でしょ。コンロまで使い切るぐらい長引くなんて、まずないよ、
多分」
 希望的観測を述べる柿原。実際、土砂崩れからの道路復旧にどの程度の日数を要する
のか、見当が付かない。通常の道路より、橋の方が難物な気はする。
 やがて九人全員が物置小屋前に揃った。真瀬が状況を手早く説明し、さらに柿原の提
案に関しても言及した。
「血の着いた斧というのは不気味だが」
 橋部が顎を撫でながら言い、斧のある壁から皆の方へと向き直った。
「不幸中の幸いと言っていいのか、柿原がガラスで手のひらを切って以降、誰も怪我を
していない。斧で襲われた奴もいないようだ」
 そして柿原に改めて顔を向けた。
「柿原の意見は、それにしても突飛だな。ユニークな着眼点であることは認めるが、考
えてもみろ。小津を安置したコテージには、鍵を掛けてんだぞ。しかも、鍵を預かって
いるのは俺と村上副部長だ」
「今も掛かってるとは限りません」
「壊されているかもしれない、か」
 顎から手を離し、腕組みをする橋部。黙り込んで検討を始めそうなところへ、村上が
口を挟む。
「案ずるより何とやら、よ。早く見に行きましょ」

 結局、斧を保管するのは後回しになった。九人の内、五人が残って見張ることにし、
四人――橋部、村上、柿原、真瀬――が小津のコテージに向かう。途中、母屋に寄っ
て、村上が金庫に入れておいたコテージのスペアキーの所在を確認した。金庫はロック
されており、中に鍵はあった。
「橋部先輩は、肌身離さず持っているんですよね」
「ああ。自分の分と合わせて持っているから、絶対確実だ」
「もし、小津君の遺体に異状があったら、そちらの鍵が使われたことになりそうですけ
れども」
「決め付けるのは早い。通気のため、窓は開けておいたんじゃなかったか。格子は外か
らでも割と簡単に外せると聞くぞ」
 十一月の頭とあって日々、涼しくはなっているが、遺体を安置するとなると、風通し
をよくしておく必要がある。氷があれば、周りに置きたかったところだ。
「ともかく、急ぎましょう」
 9番コテージ前に到着した。一つしかないドアの施錠具合を確かめるのは、橋部。
「掛かっている」
 ノブを回そうとしたが、抵抗があったようだ。念のため、他の三人もノブを握り、ド
アをがたがた言わせて、鍵が掛かっていることを確認した。
「柿原の勘が当たっているとしたら、中にまだ人がいるか、窓を破ったことになるな」
「――そうだ、ドアを開ける前に、窓に見張りを付けましょう。念には念を入れて」
「想像を逞しくしすぎだと、俺は思うがね。斧の赤いやつだって、血とは限らないんじ
ゃないか。血だとしても、蚊を握りつぶしただけかもしれない」
「今の時季、この辺に蚊はいないわ。それに、薪割りの二人が斧に血を付けた覚えがな
いと言ってることを、重要視してください。他の人が握ったのなら、それは何のためな
のか」
 村上の指摘に、橋部は肩をすくめた。
「分かったよ。言う通りにしてやるよ。ただし、勘が外れていた場合、柿原に疑いが向
くぞ」
「かまいません。仮に、自分の推理通りの状況が明らかになったとしても、血を出すよ
うな怪我を負ってる僕が少なからず疑われるのは変わりないと思いますから」
 柿原はとうに肝を据えていた。実際、この時点では柿原自身も、自分の思い付きに確
たる根拠はなく、最初にチェックしておくべき事柄ぐらいにしか考えていなかった。
 橋部と村上が、コテージに複数ある窓を外から見張れる位置に立った。ドアは、鍵を
もらった柿原が、真瀬の見ている前で開けることになった。この程度の作業なら、手の
傷の影響は皆無だ。ただ、傷口が開く恐れはあったけれども、
「万が一、犯人が飛び出してきたら、俺が捕まえてやる。安心して開けろよ」
 真瀬の冗談とも本気ともつかぬ言葉を背中で聞きながら、柿原は鍵を鍵穴に挿した。
ノブの中央に鍵穴がある、ごく簡易なタイプのロックである。鍵を回すと、解錠される
手応えと音があった。
「じゃ、開けるよ」
 返事を待たずに、ドアを引く。恐る恐る、首から上を中に入れて、覗き込んだ。特に
臭ってくることもなく、また、人の気配もしない。薄暗いが、見通しが利かないほどで
はない。少し目を慣らせていると、やがて浮かび上がったのは、ベッドに横たえられた
小津翔馬の遺体。昨日、安置したときと位置は変わっていないようだ。
 しかし。
「あ、あれ、あれを見て!」
 室内から上半身を戻し、振り返る。そんな柿原の声にただごとでない空気を感じ取っ
たか、真瀬は即座に距離を縮めた。
「どうした?」
「とにかく、見て」
 三和土代わりの平らな敷石を降り、場所を譲った。石の上に立った真瀬は、左手でド
アをキープし、右手を外壁について、室内に頭を入れた。
「……なるほど。足首が、右の足先が、ない?」
 それだけ言って黙りこくった真瀬。やがて後退し、口元を片手で覆った。くぐもった
声で「吐きそう」と呟くも、表にある流し場に直行するようなことはなかった。
 柿原にしても、吐き気を催すほどではないが、コテージ内に足を踏み入れることを躊
躇っていた。とりあえず、先輩二人を呼び戻すべき。
「橋部さん! 村上さん! 異状が見付かったんで、来てください!」
 声を張り上げると、じきに二人がやって来た。
「何があった? 柿原と真瀬のやり取りがぼそぼそ聞こえただけで、さっぱり分から
ん」
 そう言う橋部と村上に、柿原はコテージの戸口を指差しつつ、見てもらった。
「これは……」
 橋部が息を飲む様子が、背中を見ているだけで分かった。続いて村上も状況を把握。
彼女の方は、相変わらず次への行動が早い。
「全員に知らせた?」
「いえ、まだです。そんな余裕は、ない――」
「じゃあ、事実を伝えて、目で確認したいという人にだけ見てもらいましょう。今はひ
とまず、鍵を掛けるのよ」
「あ、はい、そうですね」
 柿原は施錠すると、鍵を橋部に返した。施錠の確認は橋部と村上が行った。
「足首がどこなのか、探さなくてもいいのかな」
「それは後回しだ」
 柿原の呟きを橋部が拾って、断を下す。
「念のため、ここには俺と柿原と真瀬が残ろう。村上さんが皆に事情を伝えてくれ。距
離は短いが、くれぐれも気を付けて」
 村上は無言で頷き、ダッシュで物置小屋に向かう。不安げな視線で彼女を見送りつ
つ、真瀬が疑問を呈する。
「注意喚起するくらいなら、誰か一人、一緒に行けばよかったんじゃ」
「そいつが犯人だったらまずいだろ。この場に二人だけというのも、同じだ」
 後輩の疑問を切って捨てると、橋部は「それよりも気になることがある」と続けた。
「さっき、外から窓を見張ってるとき、気が付いたんだが」
 と、当人が見張っていた窓の前まで、後輩二人を連れてゆっくり移動する。その窓
は、白みがかった銀の格子が外側から付けられており、中のガラス戸二枚は通気のため
の隙間を残し、一応、閉じられている。カーテンが引かれているため、コテージ内は見
通せなかった。
「確かカーテンは開け放しておいた記憶があるんだが、覚えていないか?」
「開けていました。と言っても、僕が見たのは安置の直後だけでしたが」
 ドアを開けた瞬間、薄暗く感じたのはそのせいだったのかもしれない等と納得しつ
つ、柿原が即答。真瀬もこれを肯定した。橋部は難しい顔をして頷いた。
「だよな。なのに今、こうして閉められてるってことは、誰かが中に入って、カーテン
を閉めた可能性が高い。中での行為を、窓ガラス越しに目撃されないために」
 橋部はそこで言葉を句切ると、格子をよく見るように言った
「さっき危惧したように、何者かが格子を表から外し、事後、また戻したのかもしれな
い。どう思う?」
「ドライバー一本あれば、外せそうですね。ネジの頭に傷が付いているみたいだし」
 真瀬がざっと観察してから言った。柿原が彼に倣って、格子を観察しようとした。膝
を折って頭の位置を低くし、下から覗き込む。
「うん、ネジをいじったような形跡があるね。橋部さん、ここにドライバーってあるん
ですか」
「使った覚えはないなあ。でも、ドライバーなら、車に積んであるし、戸井田も持って
来ているはず」
「なるほど。あとでチェックすべきでしょうね」
「チェックしてもいいが、ドライバーに拘る必要はあるか? こんなネジ、どうしても
外したいんだったら、ナイフやコインを使ってでも回してみせるだろう。きちんとし
た」
「ああ、それもそうか……。ドライバーを黙って持ち出すリスクを取るくらいなら、コ
インかな。あっ、ついでになりますが、このキャンプ場に刃物はどのくらいあるんでし
ょう?」
「備え付けの奴っていう意味でなら、斧以外にはない。しかし、今回、持って来た分が
ある。洋包丁が二丁と、安全包丁というのか、プラスティック製の小振りの刃物が一つ
あったな」
「保管はどんな具合ですか」
「二年生に聞かないと分からないな。女性陣に任せきりじゃないか?」
「もし、刃物を自由に取り出せるのが女性に限られるのであれば、小津さんの足にあん
な酷いことをしたのは、男性という判断をすべきでしょうか」

――続く




元文書 #1098 百の凶器 3   永山
 続き #1100 百の凶器 5   永山
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