AWC 百の凶器 1   永山


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#1096/1117 ●連載
★タイトル (AZA     )  17/12/31  23:07  (499)
百の凶器 1   永山
★内容                                         18/04/10 19:34 修正 第3版
・登場人物名の読み方
橋部秀一郎(はしべしゅういちろう)   小津翔馬(おづしょうま)
村上奈峰美(むらかみなほみ)      沼田瞳(ぬまたひとみ)
戸井田弘久(といだひろひさ)      真瀬健太(ませけんた)        
 関千夏(せきちなつ)          犬養麗子(いぬかいれいこ)
湯沢瑞恵(ゆざわみずえ)        柿原理人(かきはらりひと)

            *             *

 車でもそれなりに時間を掛けて行けるところを、敢えて徒歩で行くのは疲れる。道が
上り坂の山道なら尚更だ。なお悪いことに天気は対照的に下り坂。折角の絶景も、これ
では魅力が激減してしまう。
「帰りは車だから、ほら頑張れ」
 副部長の村上奈峰美が声を飛ばす。今から帰りのことを言われても、あまり効果はな
い。むしろ、車で行きたかったという思いが強まりそうだ。
 前々日、部長で二年生の小津翔馬と村上、そして唯一の三年生参加者である橋部秀一
郎は、三台の車で土砂降りの雨の中、合宿場所である旧キャンプ場へ先乗りしていた。
先乗りと言っても、そのまま泊まる訳ではない。面倒な段取りを踏むのは、様々な道具
類を前もって運び込むのと同時に、帰りを楽にするためである。車二台をキャンプ場の
駐車場に置き、もう一台で三人は下山した訳だ。
「――お。見えたぞー」
 先頭を行く小津の言葉に、初参加となる一年生は皆、ほっと安堵の息を漏らしたよう
だった。いつもなら耳障りな胴間声も、高い吊り橋を渡り、ぬかるんだ原っぱを抜け、
アップダウンの激しい山道を長々と歩いてきた果てのゴールを知らせるものともなれ
ば、ありがたく聞こえる。
「我々はどちらかというと頭脳労働が主だから、たまに運動すると、身体が鈍ってるの
がよく分かるな。だろ?」
 橋部が笑いながらいい、周りの何人かが無言で同意の頷きを返す。言葉を発する労力
が勿体ないといった感じだ。完全に到着するまでは、省エネで行かねば。
 そこからまた十分ほど歩き、目的地に着いた。ミステリ研究会の有志学生十名、脱落
者なし。

 九州南部にあるXW大学のミステリ研究会は、学園祭の打ち上げを兼ねて、三泊四日
の合宿旅行に来ていた。通常、学園祭のあとに合宿なんて真似、よほど奇特な部活動で
ない限り、まずあり得ないスケジュールだろうし、当ミステリ研究会がその奇特なサー
クルということもない。しかし、今年は特別な事情があった。
 例年、春の合宿で訪れる場所は決まっていた。OBが親族から引き継いだという南九
州はG地方の元キャンプ場を、ただ同然の費用で使わせてもらっていた。集会所兼受付
所のメインハウスを中心に、扇形に十のコテージが配置されており、施設としては旧い
が使い勝手はいい。立地条件の悪さ(山道を登った先にある)やライフラインの不便さ
(調理や風呂焚きにガスは極力使わない、電力使用は限定的等)から、今時の客商売と
しては考えものだろうが、合宿名目の学生達にとっては充分だった。
 ところが最近になって、再開発の話がまとまり、元キャンプ場は来年の三月には完全
になくなることが決定した。それならばと、なくなる前に今一度、思い出の地で合宿を
やろうじゃないかという話が持ち上がり、日程の調整をした結果、十一月頭の連休を利
用することになったのである。
 イレギュラーな合宿旅行であるためか、全員参加とは相成らなかったものの、十名が
都合を付けられたのだから上出来と言えよう。内訳は、小津部長に村上副部長、三年の
橋部の他、二年男子が戸井田弘久、二年女子が沼田瞳、一年男子が真瀬健太と柿原理
人、一年女子が関千夏に犬養麗子、湯沢瑞恵となっている。コテージの数とちょうど同
じということで、普段なら相部屋となるのが、今回は一人に一つ、独り占めできる。
「えー、部屋の割り振りは、出発前に渡したメモの通り。絵地図があるから、初めての
者でも迷わず行けると思う。鍵は――」
 メモ用紙から面を起こした小津は、誰かを探す風に視線を走らせた。その動きが止ま
るより早く、「私が今から渡すわ」と村上の声。手には楕円形のキーホルダーが束にな
っている。色はイエローに統一されているが、それぞれ1〜10の数字が記してあっ
た。ここで部屋割りを示すと、
1.犬養 2.関 3.湯沢 4.沼田 5.村上 6.戸井田 7.柿原 8.真瀬
 9.小津 10.橋部
 となっている。一応、女性が前半、男性が後半に来るよう分けているが、特に仕切り
がある訳でもなく、自由に行き来できる。
 鍵の受け渡しが済んで、改めて小津が口を開いた。
「見て分かるかもしれないが、施設内に外灯はほとんどない。だから、夜になると真っ
暗だ。そして、コテージ内には残念なことにトイレがなく、外に設置してあるトイレ
で、いちいち用を足す必要がある。夜だとちょっと足元が不安なので、各自、ケータイ
で照らすなり何なりして欲しい。ただ、ここは充電できないから、無駄遣いは要注意
な。電波もほぼ届かないけど」
 えー!と一部から悲鳴にも似た声が上がる。
「懐中電灯はないんですか」
「二本あるが、母屋――メインハウス用なんだ。緊急時に備えての。その代わり、コ
テージにはロウソクが二本ずつある。各自、マッチ箱を渡しておく。一個ずつしかない
から大事に使ってくれ」
 そうして配られたのは、煙草OKの喫茶店に置いてあるような小さな箱マッチで、中
には二十本ほどのマッチ棒が入っていた。
「私、マッチを使ったことないです」
 女子の一人、犬養が当たり前のように言った。えっと驚きの反応を示したのは男性陣
のみで、女子の面々はさほど驚いていないようである。
「こうやるの」
 村上がそばまで行き、手本を示す。犬養は自身のマッチを使って三度の失敗のあと、
四度目で着火に成功した。
「この調子だと、一番にマッチをなくしそう」
 ため息交じりに言う犬養に、隣に立つ湯沢が「私は夜目が利く方だから、足りなくな
ったら言って」と助けを差し伸べた。
「喫煙者がいたら、ライターの一つも持ってるんだろうが」
 一番後ろで聞いていた橋部が、そんな呟きをし、語尾を濁した。
「他にも諸注意があるが、とりあえず、コテージに行って、荷物を置いてこよう。そう
だな、四十分後に、またここに集合ってことで、一旦解散!」
 左手首の腕時計を見やってから、小津は号令を掛けた。小津達二年生や三年の橋部
は、勝手知ったる場所とばかりに、さっさと歩き出す。
 好対照なのは一年生で、皆、もらった鍵を握りしめ、絵地図をじっと見つめては、方
向を定めるために顔を上げる。それを二、三度繰り返した後に、ようやく出発だ。
「途中まで一緒みたいだな」
 背中の方から声を掛けられ、柿原は肩越しに振り返った。真瀬が小走りに近寄ってき
て、横に並ぶ。
「経路はともかく、距離感がいまいち掴めないね、これ」
 右手で絵地図をひらひらさせる柿原。手提げ鞄も持っているため、紙には皺が大きく
寄っていた。
「持ってやろうか」
 両手ともフリーの真瀬が言ったが、柿原は首を横に振る。
「どうせ、紙の方を持つ気でしょ」
「ばれたか」
 笑い声が起きたところで、分岐点が現れた。地図に当てはめ、コテージまで案外近い
らしいと把握する。
「そんじゃ、またあとで」
「うん」
「あ、俺の方からそっち行くから、待っててくれないか。三十分経っても来なかった
ら、無視してくれていい」
「分かった」
 そんな約束をして、柿原は真瀬と別れた。
 コテージはじきに見えてきた。メインハウスからゆっくり歩いても五分強といった見
当だろう。もう店じまいする施設だから、おんぼろな小屋を想像していたが、意外とこ
ぎれいな印象を受けた。三角屋根で丸太をふんだんに使ってある。戸口まで来ると、
コースターっぽく切った木の板に7と墨字で書いてあり、番地のつもりなのか、脇に打
ち付けられていた。また、短いながら庇が着いており、足元には土間の代わりになる平
たい石が一つ置いてあった。扉は金属製で、くもりガラスが上半分にはめ込んである。
鍵を使って解錠し、手前に引く。
「結構広いな」
 十畳以上あるように見えた。考えてみれば、二人以上での利用を想定しているのだか
ら、当たり前か。二段ベッドが右手奥に配置してあるほかは、座卓が一つに座布団が二
つ三つ重ねてあるくらい。特にこれと言った家具は見当たらず、殺風景である。
 柿原は靴を敷石の上で脱ぎ、中に入った。ベッドに接近して、その下が物入れになっ
ていることに気付く。衣装ケースが四つ、すっぽり収まっていた。
 柿原は少し考え、着る物をリュックから出し、ケースに移しておくことにした。それ
から、手提げ鞄の中身も出した。中身は、バーベキューをやると聞いたので、そのため
の便利グッズである特製の皿と、ノートパソコンだ。わざわざ後者を持って来たのには
理由がある。ミステリ研究会に入ったからには柿原も推理小説を書いてみたいと思って
いる。執筆には、このノートパソコンが一番しっくり来る。
(しかし、充電ができないとは参ったな)
 実は事前に聞いていたのだが、全然電気がない訳ではないらしい。メインハウスにて
最低限必要な電気は、太陽光パネルによる発電で賄っている。一方、キャンプ場の利用
者が使う分は、自家発電機を稼働させて得る電力なので、自ずと使用機会は限られてく
る。基本的に、何らかの緊急事態のときのみ使える。燃料を持って来たとのことだか
ら、緊急事態に陥っていらない限り、最終日にでも発電するのかもしれない。
(予備のバッテリー、重かった)
 道中の苦労を思い起こしながら、荷物の整理をしていると、外から足音が派手に聞こ
えた。落ち葉のせいらしい。
「来たぞ。開けていいか」
 真瀬の声に「いいよ」と返事して、とりあえず座布団を前もって出した。ドアを開け
た真瀬は、室内をぐるっと見渡し、「やっぱり同じ造りか」とどことなくつまらなさそ
うに言った。
「それで、どうするの? すぐに行くか、それともぎりぎりまでここにいるか」
「先輩達とずっと顔を突き合わせるのはきつい。しばらくいる」
 上がり込んできた真瀬は、左右の手に本を一冊ずつ持っていた。先に、左手の本を柿
原に見せる。
「これ、言ってたやつ」
 新本格と呼称される推理小説群の一冊で、刊行当初はさほど評判にならず、じきに絶
版。長らく入手困難な状態だったが、再評価の狼煙が上がると再版希望の声も高まり、
復刻された。が、しばらく経つとまた絶版状態になり、再び入手が難しくなったという
経緯がある代物。真瀬は今日、待ち合わせの時間までの暇潰しに覗いた古本屋で、これ
を見付けていた。
「いいなあ。よく見付けたね。戻ったら貸してね」
「合宿中に貸せたらいいんだけどな。読む暇があるかどうか分からないが」
「気持ちだけで充分だよ。ありがとう。四百円か、いい買い物をしたね」
 値札のシールを確認する。
「手放すつもりはないけどな」
 と言いながら、得意げな真瀬。
「そうそう、読書会の予行演習をしないか?」
 連日、何らかのイベントが予定されているが、明日の日中には一冊の推理小説を取り
上げての読書会が企画されていた。新角憂人の書いた『狼月城の殺人』という、西洋の
古城を舞台にした本格ミステリで、なかなかのページ数を誇る。
「予行演習って?」
「想定問答というかさ。議論に登りそうな点を、前もってチェックしておけば、意見も
スムーズに出るだろ」
「それは各人が個々にやればいい訳で」
「いや、入部してから痛感したんだが、柿原は思わないか。先輩らと対等に渡り合うの
は、生半可なことじゃないと」
「それはもちろん思うよ」
「だったら、気付いた点を挙げていこう。お互い、単独では気付けなかったことが、き
っとあるはず」
「……だったら真瀬君から言ってよ」
 促しておいてから、柿原は課題図書である『狼月城の殺人』を荷物の中から探し出し
た。
「じゃあ、まずは当たり障りのないところで、密室を作る必然性、理由が弱い。殺人を
やらかした身にしてみれば、四度も密室をこしらえて行く暇があるなら、さっさと逃げ
るべきだ。加えて、四度の密室全てが異なるトリックで作られているのは、サービスが
過ぎるってもの」
「ご尤もだけど、そこまで現実的な観点を持ち込まなくても。本格ミステリは、作為的
なトリックを許容するところから始まると思うんだ。そもそも、手間暇掛けてトリック
を弄することを批判の対象とするなら、本格ミステリに限らず、数多くの推理小説が当
てはまってしまうよ。下手なトリックを使うくらいなら、通り魔の犯行に見せ掛けるの
が一番ばれにくい、ってね。その辺りの線引きは?」
「ないな。少なくとも明確な基準は、持ち合わせてない。敢えて言うなら、程度問題。
一つなら許せるが、三つも四つもとなれば、そこまでやるか!ってなる」
「感覚的な問題ってことだね」
「理屈に拘る柿原には、納得できないかもしれないが、要するに個人の好みになる」
「それじゃあ、議論にならないじゃない」
 呆れ口調を露わに言った柿原は、続いて、今度は自分の番だねと意見の開陳に入る。
「僕はトリック歓迎派と言っていいけれど、この作品の密室トリックの一つには、首を
傾げた」
「え、どれだ?」
「三つ目」
「ああ、二つの部屋のトリック。あれは大掛かりで面白いと思ったぜ」
 敢えてなのか、反対の立場を取った真瀬。柿原は首を傾げた。
「面白いけど、実現可能性がない気がする」
「トリック歓迎派を自認しておきながら、現実味をあげつらうのかい?」
「いや、そうじゃなくてだね。建物の構造に仕掛けがあったことになってるけど、そも
そもあんな仕掛けは三次元空間では無理なんじゃないかと」
「仕掛けというと、石積みの階段の」
「そう。階段の裏に別の階段を作るって言うけれど、そこを通る人に異常を勘付かせな
いためには、本の説明の通りなら、向きがおかしいと思うんだけど、どうかな」
「……すぐには絵が描けん。もうちょっと詳しく」
 求めに応じ、言葉による説明を重ねようとした柿原だったが、時間が迫っていること
に気付いた。ここらで切り上げないと、再集合に間に合わない恐れがある。
「またあとで……と言っても、読書会までもう暇はないかな」
「本番でのお楽しみにしておく。分かり易い説明と、波乱を巻き起こすことを期待して
るぜ」
 二人は7番コテージを出た。泥棒がいるとは思えないが、念のため、鍵は掛けておい
た。
 そうして全員が改めて集まったあと、小津と村上の指名で、役割分担が決められた。
 真瀬は薪割り、柿原はそのサポート。戸井田は自家発電機を含む電気系統のチェッ
ク。このキャンプ場に詳しい小津は、水回りその他のチェック。橋部はイベントがうま
く進行するように、細かな準備を一手に引き受ける。
 女性陣は犬養、湯沢が料理当番。沼田と関が掃除。村上はその両方に顔を出す。
 真瀬と柿原が、薪割りの段取りが分からず、不安だと訴えると、小津が教えることに
なった。
「ちょっと準備するから待ってろ。あ、いや、道具のある小屋は9番が近いんだっけ。
じゃあ、二人とも着いてきてくれ」
 小津に言われ、真瀬と柿原は9番コテージへ続く道に入った。

 十一月になったばかりのこの時季、いくら山に近い地域でも、南国とされるだけあっ
て、まだまだ震えるほどの寒さまでは行かない。日中、外を歩けばじきに汗が滲んでく
ることさえある。
 にもかかわらず、小津は厚手の靴下を穿いていた。見た目から厚みまでは分からない
が、毛糸のもこもこした感じから暖かさが想像できる。膝頭まで隠れそうな長さで、灰
色地に赤と青のラインが入っていた。
「ここって、そんなに冷えるんですか」
 柿原が尋ねるのへ、小津は台詞の途中から首を横に振った。
「寒くなるのはもう少し先だ。この靴下は、防寒以外の意味がある」
「へえ? 何ですか」
「虫対策。昆虫だけでなく、クモやムカデなんかも含む。だから、普段から穿いてる訳
じゃない。山や森の中を歩くとき、この靴下に長靴でばっちりさ」
「対策ってことは、もしかして、刺されるのを警戒してると」
「当然。ハチには罠を仕掛けてるし、季節柄減ったが、クモやムカデはまだ元気だから
な。どっちもコテージの中に出現することがあるから、おまえらも気を付けろ」
「や、やだなあ。おちおち寝てられないじゃないですか」
「まあ、みんなにはなるべくきれいなコテージを割り振ったから、大丈夫だろう。俺の
入った9番が一番ぼろい。修繕はしてあるが、虫の出入りする隙間はどこにだってある
からな。俺みたいなベテランなら刺されないが。ははは」
 言われてみれば、やや日当たりの悪い位置に建つこの九番コテージは、どことなく湿
気を孕んでいるような。ただ、見た目だけではさほど差は感じられないのも事実。
「だったら、僕らのコテージだって、あんまり変わらないような」
「不安なら、俺のこの靴下、貸してやろうか。あと三組あるぞ」
 小津が首を振った先を見ると、衣装ケースに入れるつもりでまだ放ったらかしと思し
き、靴下や下着類があった。
「遠慮しておきます」
 新品ならともかく、他人が既に一度以上使用した靴下を、たとえ洗濯済みでも着用す
るのは避けたい。吹雪で遭難でもすれば、話は別だが。
「さて、待たせたな。準備できたから行こう」
 小津は立ち上がると、衣類はそのままにして、戸口に向かう。真瀬が聞いた。
「服は仕舞わなくても?」
「後回しだ。先に、おまえらに役割を教える方が効率的」
 三人は順次、外に出ると、物置小屋に向かった。小屋と言っても、完全な密閉空間と
いう訳ではなく、ガレージに近い。サイズは、各コテージの二棟分はゆうにあった。一
部、乗用車一台分の駐車スペースになっており、残りが物置だ。
「ここに斧があるから」
 と、小津が示したのは、小屋の向かって右の内壁。斧だけでなく、鎌や金槌など、長
さが比較的短めの道具が壁に打たれた釘にぶら下げられている。
 続いて、軍手はそこ、安全靴を兼ねた長靴はあそこと、置き場所を示す。
「薪割りってのは慣れない内は大変だと思うが、何でも体験しておくのも悪くないぞ」
「そう言うからには、小津部長は上手なんでしょうね。手本をお願いしますよ」
 真瀬の改めてのリクエストに、小津はもちろんと頷く。三人は軍手をはめ、長靴に履
き替えた。長靴には紐が付いており、きつめに結ぶことで、長靴の口がしっかり閉ま
る。厚手の靴下のせいで、小津が一番遅くなったのはご愛敬か。脱いだ靴は、壁に一段
高く作られた棚へ仕舞う。
「長靴は全員、必要になるかもしれないから、同じ物が人数分ある。あとで誰がどれを
履くのか決めるといい。目印は油性マジックなんかだとすぐに落ちるから、色違いのガ
ムテープでも貼るか。で、斧は二本しかない。一本は真瀬、おまえが持って来てくれ」
 残る一本を自ら握った小津は、先頭を切って歩き出した。風呂場の近くまで来ると、
裏手に回る。そこには既に、小さくて細い丸木が束ねてあった。その束がまたたくさん
ある。「縄を解いたら、そこの切り株を台に一本ずつ立てて、斧で割る」
 簡単そうに言い、そして実際、楽々と斧を振るって薪を作る小津。
「狙い通りに当てれば、まあ割れる。加減を間違うと、台に斧が刺さるって無駄な力を
使うし、振り下ろす刃がぶれたら薪がこっちに飛んでくるかもしれない。せいぜい注意
するように、頼むぞ」
 手本を示した小津は、真瀬に割らせてみて、まあまあだなと呟いた。
「こつか何かあれば……」
「うむ、そうだな。重力を利用したまえ」
「重力?」
「斧の重さに任せて、振り下ろすんだ。かといって、刃をふらふらさせるのは危ないか
ら、ぶれないように」
「改めて言われると、む、難しいような」
「ははは。ま、筋肉痛は覚悟しといてくれ」
「ですよね」
 おおよそ見当は付いていたので、半ばあきらめている口ぶりだった。筋肉痛に襲われ
たとしたら、このあと身体を動かす遊びやスポーツをしても、恐らく散々な結果になる
だろう。
 もう一度、真瀬に薪割りをさせてから、小津は言った。
「よさそうだな。よし。じゃあ、俺は水回りなんかの点検がてら、みんなの様子も見て
くるとするか」
 この一帯には農業用用水が引いてあり、直に飲むのには適していないが、水やりや掃
除、風呂には重宝するという。使う前に、元栓を開けねば始まらない。
「ここまでアウトドアな人だとは思わなかったな」
 先輩の後ろ姿を見送ってから、そう呟いたのは真瀬。柿原は丸木を切り株に立てなが
ら、「早く済ませようよ」と急かした。

 慣れない内は、殊更慎重に斧を振るう。それでも力の使い方が下手で、なかなか効率
が上がらない。早くも痛くなってきたのか、真瀬は作業を中断し、腰に両手を当てた。
「合宿以外でも、小津さん、ここに来たことあるのかな」
 柿原は頃合いとみて、最前から脳裏に浮かんだ疑問をはっきりした声で呟いた。
「何だ、藪から棒に」
 手を止めたまま、反応する真瀬。柿原はできた薪を集めつつ、発言の根拠を説明す
る。
「やけに詳しそうだったから。今の時季の、この辺のことを。春にしか利用してないは
ずなのに」
「なるほどね。俺が聞いた話だと、ここを持ってるOBというのが、小津先輩の父親か
お兄さんらしいぞ」
「知らなかった。それなら合宿以外でも来てる可能性が高いな。って、何でそんな曖昧
な情報になるの。小津さんの父親か兄か分からないなんて」
「単に俺が忘れてるだけ。多分、年の離れたお兄さんがいるって聞いた記憶があるんだ
が、確信が持てんのよ」
 そう答えると、斧を左右の手で強く握り、再び薪割りに取り掛かる真瀬。
「スイリストとして気になるんなら、直接気聞けば?」
 スイリストとは、真瀬が柿原に付けたニックネームだ。不必要と思える些細なことに
まで推理を働かせる癖のある柿原を、多少からかって“推理スト”。ストというのは、
アーティストとかスタイリストとかのストである。
「別にそこまで拘らないけどさ。仮にスイリストを自認するなら、直に聞くのは最後の
手段だよ」
 柿原は微笑交じりにそう答えると、新たに丸木を束ねた縄を片手で引き寄せ、苦労し
て解きに掛かった。

 午後三時半、三泊四日の合宿を過ごす土台が整ったところで、一息つくことになっ
た。と言っても、学生のほとんどは午前中の疲れもどこへやら、元気が有り余ってい
る。二時間後の夕食の支度開始までは自由行動とされた。早速、テニスをやるんだと隣
接する運動場に直行したのは、沼田と湯沢と橋部。橋部の誘いに女子二人が乗った形
だ。やはり近場の大きな池に向かい、ボート遊びに繰り出したのは、戸井田に村上、犬
養。戸井田が漕ぎ役に違いない。そしてあるいは探険がてら、山に入ろうとする者もい
る。
「しょうがねえな」
 机の上に原稿用紙を広げて何やら書いていた小津は、鉛筆を仕舞うと片膝を立てた。
「不案内なおまえらだけで、山に行かせるのはさすがに心配だ。天気もあんまりよくな
いしな」
 柿原と真瀬と関千夏の一年生三人で、山を探険してみたいと言ったところ、小津はし
ばし唸ってから着いていくと決めた。
「ちょっと準備があるから、待っててくれ」
 コテージから三人を追い出して、ドアをしっかり閉める。着替えを始めたらしかっ
た。
「小津さんて、案外寒がりなのかしら。あんな分厚い靴下、初めて見た」
 待たされる間、関千夏が呟いた。柿原は相手の顔を見上げながら、聞いたばかりの説
明――虫対策云々を彼女にしてあげた。
「なるほどね。私はスプレーを持って来たけれど、それで事足りるのかな」
「長靴があるから、大丈夫でしょう。それよりも、関さんがさっき言った案外っていう
のは?」
「うん? ああ、案外寒がりっていう? 小津さん、あれだけ日焼けしてて、ごつい体
格で、夏なんか常に汗を掻いてるイメージがあるから」
「うーん。今挙げたのは、夏が好きっぽいって要素。夏が好きってことイコール寒さが
苦手にはならないのでは」
「言われてみればそうだけれど。面倒くさいわね、スイリストって」
 関の台詞の途中で、ドアが開いた。と同時に「聞こえてるぞ。誰が常に汗を掻いてる
って?」と言われたが、別に場の空気が悪くなった訳ではない。
「虫にはおまえらも一応、気を付けるように。ちなみに、夏場は蛇が出るからたとえ気
温四十度超えでも、それなりに着込む必要があるんだぜ」
「ははあ。その割に、まだ一匹も怖い虫は見掛けてませんが」
 真瀬が呟いた。これを聞き咎めた様子の小津は、「そうか?」と呟くと、敷石の近く
を見回した。そして不意にしゃがんだかと思うと、何かをつまみ上げ、真瀬や柿原のい
る方へと放る。
「ほら、いたぞ!」
「へ? えっ?」
 何か分からないが、細長い物がこちらに向かって飛んでくるのは分かった。真瀬と柿
原は多少みっともない悲鳴を上げつつも、左右に分かれてやり過ごす。地面にべたっと
落ちたそれを見れば、ムカデのようだった。ゴム製のおもちゃっぽい見た目だが、顔を
近付けて観察すると、本物と知れる。
「あ、危ないじゃないですかっ」
「刺されたらどうするんです?」
 口々に非難を浴びせる後輩らに対し、小津はあきれ顔を露わにした。
「ちゃんと見たか? それ、死んでる」
「ん?」
 再度、ムカデに視線を合わせる。ぴくりとも動いていない。
「干からびてるだろ。何日か前に死んだ奴だな」
「な、なんだー。脅かさないでくださいよ」
「俺が触った時点で、死んでいるか作り物だと気付きたまえ、スイリスト」
 やり込められたところで、出発する。
 山と言っても、本格的な登山では無論ないし、すでにある程度標高のある場所まで来
ているため、ハイキングがてら丘を歩き回るのに近いかもしれない。経路も、登山道と
は呼べないまでも、ちゃんと歩きやすいなだらかな道が自然とできている。
「そこからここまで、見える範囲はだいたいうちの施設の土地だから、不法侵入を気に
する必要はまずないと思うが、一応気を付けてくれ」
「気を付けるって、まさか、侵入したら、鉄砲で撃たれるとか」
 冗談を叩く真瀬へ、先頭を行く小津は肩越しに振り返ると、「鉄砲はないが、電気び
りびりがある。張り巡らしたワイヤーに電気を通すんだ」
「またまた。脅かすのはもうやめてくださいよ」
「いや、まじだから、これ。張ってあるワイヤー全部に電気を通してる訳ではないけれ
どな。獣避けには有効なんだよ」
「獣……」
 クマ?と、一年生の誰ともなしに声が漏れる。
「いいや、野生のクマは九州にはいないとされている。この辺りは、イノシシとかタヌ
キとかだ。まれに、サルも出るらしいんだが、俺はまだ見たことない」
「電気って、どのぐらいの強さなんですか。命に関わるとか」
「知らん。建前上は、人が誤って触れても大丈夫な程度に設定するだろうが、ちょっと
いじれば電圧を上げるくらい、訳ない」
 そこまで言ってから、小津は急に笑い声を立てた。
「まあ、心配するな。こっちの敷地をはみ出したらいきなり電線がある訳じゃなく、緩
衝地帯というか余裕は取ってある。電気に注意っていう看板や黄色いテープも適切に設
けられている」
「な、なんだ。やっぱり脅かしてたんじゃありませんか」
 胸に手を当て動作でほっとしてみせる柿原に、小津はまた表情を引き締めた。
「念のためだよ。他の連中にも言っておいてくれ」
「この調子だと、他にも危ない場所、ありそうですね」
「そのために着いてきたんだ。と言っても、あとはあっちに切り立った崖が、こっちに
底なし沼と言われた池があるくらいか」
 右に左に腕を振って指差しながら、小津が喋る。
「ちょ、ちょっと。崖はまだしも、底なし沼はやばいでしょう」
「子供の頃に言われたもので、実際は底なしでも何でもない。大人なら、はまっても充
分に足が着く深さだ」
 池に小さな子供がむやみやたらと近付かないようにするための方便らしい。
「それと、言うまでもないと思ってたが、一応、言っとく。所々、ウルシが生えてるか
ら、かぶれやすい奴は気を付けろよ」
 皆、長袖長ズボンであるから、不用意に触りでもしない限り、大丈夫だろう。
「あ、木の実やキノコ類を見付けても、素人判断で食うなよ」
 木の実はともかく、キノコをその場で食べる人はなかなかいまい。
「他に何か注意点はなかったかな……」
「まだあるんですか?」
「うむ。俺は慣れてしまって、当たり前に捉えていることが、若い連中には備わってな
い気がしてきた」
 年寄りじみた言い種が、何だかおかしい。思い出したらその都度言う、ということに
なって、やっと山の散策に集中できる。
「男二人は分からんでもないが、関はどうして山に入ろうと思った?」
「ネタ探しです」
 即答する関。彼女の後ろを行く柿原からは、その表情は見えない。柿原の隣にいる真
瀬も当然、同じだろう。
「ネタ?」
「関さんは夏期休暇の終わり頃から、推理小説を物にしようとしてるんですよ」
 真瀬が話すと、小津はまた意外そうに「へえ?」と反応した。
「読む専門だったんじゃなかったっけ?」
「書かないと決めていた訳ではありませんから。春からの活動を通して、より興味が湧
いたし、一年生の内にやっておかないと、時間が取れなくなるんじゃないかなって」
「失礼な質問になるかもしれないけれど、長い文章を書いた経験はあるの?」
「人並みでしょうか。読書感想文や小論文程度ですね。嫌いじゃない方だし。短くまと
めるのに苦労しますけど」
「それなら充分だ。始めた時期は違えど、俺も同じ」
 自身、短編ミステリをいくつも書いている小津は、太鼓判を押した。それから一年の
男子学生二人に尋ねる。
「真瀬は書くんだったよな。柿原は、書くつもりはあるけどまだ書いたことはなくて」
「はい。探偵志望なもので。一人でワトソン役までやるのは、手が回りません」
 本気とも冗談ともつかぬ表情で、柿原ははきはきと答えた。
「ネタを考えて、人に書いてもらうっていうのは、我がミステリ研ではまだないが、そ
ういうのも面白いかもな」
「岡嶋二人的な共作ですね」
 話している内に、頂上に着いてしまった。頂と呼ぶのがはばかれるほど、平らかなス
ペースが広い。原住民が雨乞いの儀式で祈りと踊りを捧げそうな岩場が中央あり、その
周辺に低い木々が生えている。
「ここだけ植生が違う感じ……」
「昔の火山活動の影響なんだろうが、詳しくは知らん」
「コテージの一部が見下ろせますね。何か小さい物を落としたら、一直線で転がってい
きそうだ」
「実際にやっても、届かないけどな。下に辿り着くまでに大きく跳ねて、どこかあらぬ
方向へ飛んで行く。だからといって、試すなよ」
「トリックにするには不確実すぎますね」
 柿原が、関の顔を見ながら言った。
「考えを読まないでよ」
「すみません。当てずっぽうだったんですが」
 一通り見終わると、さっさと下山する。急ぐあまり、関が一度、柿原が二度、足を滑
らせて、ずるずると坂を下った。無論、一メートルも行かない内に止まるので、身体的
には何ともない。ただ、恥ずかしいだけだ。
「柿原、二度もやるのはどじ過ぎ。巻き込まれないようにしないと」
 柿原の前を歩いていた真瀬が、横をすり抜けて後ろに回る。その際、手で木の枝を幾
度か掴んでいた。
「あ」
 前後入れ替わったあと、柿原が声を短く上げる。その目を真瀬に向けた。
「な、何だよ」
「ウルシがあったような」
「え? あ、本当だ……」
 その葉っぱを確認し、次いで左の手の平を見つめる真瀬。
「今までに経験ないけど、出るとしたらどのぐらいで出るもんなんですか」
 先頭の小津に問うた真瀬だが、答をもらうよりも先に、「人を呪わば何とやらだな」
と笑われた。
「いや、柿原のことなら、別に呪っちゃいませんてば。ちょっとからかっただけ」
「そんな不安そうな顔、珍しいな。まあ、安心しろとは言わないが、出るとしたら大体
一日か二日経ってからが多い。結構鬱陶しいぞ」
「あーあ。筋肉痛だけでなく、ウルシもとは」
 真瀬がとぼとぼ歩き出し、柿原を追い抜いて再び前に立った。
「……斧、握れなくなるとか?」
 柿原はふと気が付いて、前方に質問を投げ掛けた。
「程度によるな。薪割り、柿原一人でやる羽目になるかも」
「そんなご無体な」
 へなへなとくずおれてみせる柿原。演技だとばれていないのか、振り返った小津は
「軍手をするように言わなかった俺にも責任あるし、いざとなったら手伝ってやるよ」
と請け負った。

 雲間から太陽の沈み行く様が見える。そんな中、メインハウスに戻ると、五時を十五
分ほど過ぎた頃合いだった。あと約十五分で、夕食の準備に取り掛かる。薪当番の柿原
達は、火を着けるのも手伝わねばならない。
「五時半ジャストに行って、なかなか火が着かなかったら洒落にならんから、早めに行
こうぜ」
 真瀬は洗面所で手をよく洗ってから、柿原に言った。
 柿原が応じようとしたのへ、やり取りを聞いていた関が口を挟む。
「お風呂の方も早めに用意しておいて欲しいんだけれど」
「今から沸かすのって、早すぎない?」
「五右衛門風呂タイプなら、確か、四十分ぐらい掛かるはずよ。サイズにも因るでしょ
うけど。それに、冷めにくいんだって聞いた覚えがあるわ」
「うーん」
 自分達だけでは判断できず、柿原が小津か村上を探し、決めてもらうことに。その
間、真瀬は調理場のかまどに向かう。
 柿原がコテージへと向かう枝道の起点となる位置まで来たとき、ちょうど村上と出く
わした。
「あ、副部長。ちょうどよかった」
 村上奈峰美は、両手に調理器具らしき物を持っていた。暗くなりつつあるので、何な
のかまでは分からない。

――続く




 続き #1097 百の凶器 2   永山
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