AWC 斑尾マンション殺人事件 13


        
#1080/1117 ●連載    *** コメント #1079 ***
★タイトル (sab     )  17/03/18  18:16  (451)
斑尾マンション殺人事件 13
★内容


● 55

 正面玄関で雪かきをしていた鮎川は、ぎゃっ、という短い悲鳴の後に、ちゃりー
んという音を聞いた。
 自転車でコケたのかなあ、と考えて、しばらくじっとしていたのだが、ハッと気
が付いた様に、雪かきを持ったまま走り出した。
 駐車場の真ん中を突っ走って、裏側の柵まで行く。
 舗道に自転車が落ちているのを発見した。
 植え込みの手前には、山城が卍みたいな格好をしてへばりついていた。
 鮎川は、柵の扉を開けて、山城に近寄ると、周辺をうろつきながら様子を見た。
 綺麗に雪が積もっている所に落っこちているので、もしかしたら生きているかも
知れない。
 雪かきの柄で、山城の腹部をぐーっと押してみる。腹の下から、どろーっと血が
流れ出してきた。
 フェンスの外側の松の木で、カラスがくっ、くっ、と咽を鳴らせて羽をばたつか
せた。
 鮎川は雪かきを振り回してみたが、カラスは微動だにしなかった。
 雪かきを銃に見立ててカラスを狙う。バーン、バーンと言った。
  小銃があればなぁ、と思った。鮎川は的に命中させて、同じ所にもう一発通せ
た。
 突然雪かきを放り投げると、口をへの字に曲げて頬を膨らませた。
 携帯を取り出して119番通報する。

 救急車よりも先に警察が到着した。服部、三木、山本、須藤の4人と鑑識である。
 鑑識らが、舗道にへばり付いた遺体を取り囲んだ。その中に一人白衣を着ている
のが居て、ひっくり返してくれ、と言った。
 鑑識二人で、一斉のせいでひっくり返す。その拍子に裂けた腹から内臓が飛び出
してきた。
「うわー こりゃあ又ど派手に裂けたもんだ」言うと白衣の警官は、手にはめたゴ
ム手袋を引っ張ってパチンと鳴らした。遺体の脇にしゃがみ込んで、腹の辺りをい
じったり、瞼を持ち上げてみたり、口を開いてみたりする。
 他の鑑識は、写真を撮ったり、メジャーで、駐車場壁面から遺体までの距離、そ
の他を測っている。
 救急隊も既に到着していたが、ストレッチャーの上に、オレンジ色の毛布だの、
オレンジ色のAEDのケースだのを積んだまま、待たされていた。
 4人の警察官は、駐車場の柵の近くから最上階を見上げていた。
「あそこから転落したのか」と山本が言った。それから「おい、君、ちょっとこっ
ちに来て」と鮎川に手招きする。
 そして、山本と須藤とで質問した。
「まず名前は」
「鮎川徹」
「どういう字を書きます?」
「シーナ&ロケッツの鮎川に、渡辺徹の徹」
「それじゃあ分からないよ」
 そこに、井上、高橋、蛯原が現れた。
「鮎川ちゃん、余計な事を言う必要はないぞ」柵の向こうから蛯原が言った。
 須藤巡査がぎろりと睨む。「又、お前か」
 須藤が一歩進み出ると、その隙間から、遺体が見えた。
  明子は口を押さえつつも思わず凝視してしまう。一気に口の中が酸っぱくなっ
た。一階スロープの影に走って行って、げーげーやった。
 蛯原は尚も、「べらべら喋る前に、弁護士を頼んだ方がいいぞ。その前に黙秘権
があるかどうか聞いた?」と鮎川に言った。
「別に彼は被疑者でも何でも無いよ」と須藤が言った。「単なる設備の事故なんだ
ろう?」
 井上がびくっとした。それだったら自分の責任になってしまう。
「鮎川ちゃんはフロントに行ってろ。俺が応対するから」と蛯原。
「あんたは何も知らないだろう」井上が強い口調で言った。「あんたこそ管理室に
行っていろ」
  そう言われて、蛯原は退場した。
 そうこうしている間に、遺体は救急隊員によって搬送された。
 そうすると明子も戻って来る。
  井上と共に柵の扉を開けて舗道に出て来た。
 明子、井上、鮎川、警察官4人の計7名で最上階を見上げた。
 壁面に、タタミ半畳ぐらいの穴が開いていた。
「あそこを見に行きたいんで、案内して貰えますか」服部が言った。

 7人は、2回に分けてエレベーターで最上階に行った。
 北側のスロープの所へ行って現状を確認する。
 スロープの真ん中から左側壁面に向かって、半径1.5メートルぐらいのワダチ
があった。
 壁面を見ると、はめ込みボードは脱落した訳ではなく、下一箇所のボルトでぶら
下がっているのが分かった。
「おーい、下の人。何時壁が落下するか分からないぞ」と服部が地上の鑑識に怒鳴
った。それからワダチを指し示して言う。「ここでハンドルをとられれば落下する
仕掛けになっている」
「こりゃ、一体どういう事なんだ」と三木。
 服部はワダチを見ながら首を捻った。
 山本と須藤が鮎川の両脇に付いていた。
「いっつも、山城という人が最初に出勤するのか」山本が強い調子で聞いた。
「そうです」
「その前にここに来た者は」
「居ません」
「見てたのか」
「そういう訳じゃあ」
「じゃあ何で分かる」
「防犯カメラを再生すれば分かると思います」
「カメラは何処にあるんだ」言うと山本は辺りを見回した。
「あそこにあります」鮎川は屋上南側の監視カメラを指差した。
「何日分録画してあるんだ」
「2週間です」
 やがて、下から鑑識も上がってきて、スロープやら壁面のチェックを始めた。
 そういうのを遠巻きにして見ていた明子が井上に、「もしかしたら斉木が鮎川を
使って細工をしたのかも」と言った。
「え?」
「鮎川は元自衛隊員だから、札幌雪祭りの経験からスロープのアイスバーンを削っ
たのかも」
「そうならそうでいいよ」
 今回のはマンションの設備が絡んでいる。これは、マンホールを開けっ放しにし
ておいて子供が落っこちた、とかと類似のケースだ。下手したら自分がタイーホさ
れてしまう。そんなんだったら鮎川が逮捕されればいいのだ。何れにしても工事部
に連絡しておかないと…、とここまで考えて、前回ここに来た時に見付けたスロー
プのウレタンの傷を思い出した。このワダチに重なるじゃないか。
「一昨日ここに来た時に、あのワダチのちょうど下の箇所に、ウレタンのめくれを
発見したんだよ。何か関係あるんじゃないのかなぁ」
「斉木が何かのトリックを仕掛けておいたんじゃないかしら。やっぱり見立てが進
行しているんじゃないかしら」
 しかし、井上は、『トリック』だの『仕掛け』だの『見立て』だの聞くと、子供
っぽいなぁと思えてくるのであった。
 なんでだろう。自分自身、メカやからくりは大好きなのに。
 トリックとか言うと、健康ランドのマジックショーに嬉々としている老人を連想
する。ああいうのは子供大人みたいな顔をしているよな、と井上は思った。



●56

 スロープのワダチを見ながら、三木警部が服部に言った。
「こういう小細工を見ていると、小学生並のガキの仕業に思えてくるなあ」
「ところが、そうとも言えないんですよ。うちの課にも、宴会でトランプマジック
をやる奴を軽蔑していながら、自分じゃぁ秘かにパズラーに投稿しているって奴が
居るんですよ。
 何て言うんだろう。文化人類学者が、色々分類する癖に、ある一つの事に熱中し
ている人を見ると、実験動物と言ってしまう様な感じでしょうか」
「どうも君の話は分かりづらいな。もっと具体的に言ってくれよ」
「うーむ」考えつつ、服部は壁の穴から地上を見下ろした。「あの、真っ白な雪の
上に広がった血は、カエサルのトーガに散った血に見えますな」
「なんだって?」
「いや、何でもありません。あの血を見ていて、ふと、カエサル暗殺を連想したん
ですが、どうも私には、統合失調患者のシンボル過多みたいな所があって、後で覚
めると、ストーブがいらないぐらい体が熱くなるんですよ」
「いいじゃないか、燃料費の節約になって。言ってしまえよ。途中で止めないで。
でないと、そのカエサルなんたらを言いかけた、とみんなに言いふらすぞ。全部言
ってしまえば黙っていてやる」
「うーん。そうですか。まぁ、複数犯の場合、首謀者は実際的な事を軽蔑している
場合が多い、という話なんですが。
  そういう奴が、誰かをそそのかしてやらせている、というケースが多いんです
よ。歴史的な大事件でも、最近の事件でも。
 たまたまあの雪の血を見ていて、私はカエサル暗殺を思い出したんですが、あの
場合には、『ブルータス、お前もか』のあのブルータス、あれこそ、実際的になれ
ない人で、首謀者だったんですね。
 彼は、私が前に述べた分裂気質にあたるんですが、軍事や政治に興味がもてず、
ひたすらストアの哲学を学んでいたんです。そしてカエサルに、『情熱はあるが自
分探しが終わらない厨2病』とまで言われたんですね。
 このカエサルの方は粘着気質なんです。実際にてんかん発作を起こしたという記
録もあるし、像を見ても、闘士型の体格をしています。
 このカエサルが、ガリア遠征から帰ってくる時に、武装解除しないでルビコン川
を渡ってきたんですなぁ。当時、ローマ市内に入るには、カエサルといえども武装
解除しなければならなかった。しかし大変な戦果を上げたものだから、それをしな
いで入って来た。本当にずうずうしく我が道を進んで来るナメクジ野郎って感じで
すね。
 こういうのは、秩序を重んじるブルータスにしてみれば我慢がならない訳です。
だから暗殺してやろう、しかし自分は実際的な事が出来ない。
 そこで実行犯というか実際的な面で活躍するのが、カシウスです。
 これはもう、当時のコインを見ても凸っぱちだし、エピキュロスに傾倒していた
いというから、これはもう私の言う、ヤンチャ坊主型ですな。
 この首謀者と実行犯、ブルータスとカシウスが、カエサルを暗殺する時に邪魔に
なるんじゃねえか、と気を揉んでいたのが、アントニーですね。アントニーとクレ
オパトラの。こいつはプロの格闘家並の体力があったから。
 ここの対応でも、ブルータスとカシウスの気質の差が出ますね。
 カシウスは、『それではアントニーも殺してしまおう』と言っんですが、ブルー
タスは『我々は殺人集団ではない』とあくまで秩序を保とうとしたんです。実際的
であるが故にカシウスをかっていた癖に、実際的な事を言うと軽蔑するわけです。
それがまあ、飲み会でトランプマジックをする奴と、それを軽蔑するパズラー投稿
者の違いなんですが。
 ですから、ここで話は本件に戻るのですが、このワダチに関しても、仕掛けがガ
キっぽいからといって、首謀者がガキとは限らないんですよ。もし複数犯であるな
らば」
「なるほど」と頷くと、三木はふと山本の方を見た。そして言った。「とろこで、
頑固オヤジタイプというのは出てこないのかよ」
「まあ、それを言うなら、スッラでしょうな。カエサルの前の独裁者ですが、非常
に強欲な奴で、女好きの上に男の妾もいたと言われています。最後は体に蛆がわい
て死んだそうです」


●57

 以上の会話を、スロープから東に数メートル離れた所に居た明子は、耳に全神経
を集中させて聞いていたのだが、本当にエクセルでマクロでも実行した様に、脳内
でセルの中身が、くるくるくるーーっと置換えられるのが分かった。
 それだったら、

 ブルータス=アニュトス 首謀者 イタチ ジョン =斉木 服部
 カシウス =メレトス  実行犯 イルカ ポール =蛯原 三木
 カエサル =ソクラテス 被害者 ラクダ ジョージ=大沼 須藤
 スッラ  =カリクレス 欲張り 石臼  リンゴ =山城 山本

 なんじゃなかろうか。
 ソクラテス事件とカエサル暗殺の構図は実に似ている、と明子は思った。既に誰
かが指摘しているのであろうか。とにかく、そういう構図があるのなら、このマン
ションでの連続殺人も首謀者は斉木であり、実行犯は蛯原なのではないか。それか
ら、所長、斉木、大沼、山城、蛯原という見立ても進んでいるのではないのか。
 その2点を、服部に伝えたいのだが、そんな事を言えば基地外扱いされてしまう。
 明子はスロープの方を見た。服部は三木と一緒に壁面を見てみたり、腕組みをし
て考え事をしたりしている。山本、須藤はまだ鮎川に質問している。その傍に井上
が居る。
 あそこに行って、斉木が首謀者です、なんて言っても、あの石臼の山本あたりに
一喝されて終わりだろう、そう思って、明子はじーっとしていた。
 しばらくして、服部一人が考え事をしながら、明子の方に歩いて来た。
 あの人一人にだったら言ってもいいかも、そう思って明子は、歩いてくる服部に、
にじり寄って行くと、「さっきのカエサルの話、私、聞いてしまいました」と言っ
た。
「えっ」と一瞬驚いた顔をしたが、「理解できました?」と言ってきた。
「できましたよ。つーか、同じ構図がこのマンションにもあるんです。つーか、微
妙に違うんですけれども。とにかく、この山城さんの件に関していえば、首謀者は
斉木で実行犯は蛯原じゃないかと思うんです」
 何を言ってんだこの女は、と服部は思ったが、同時に斉木だの蛯原だのいう名前
から、勝手に所長死亡事故の現場のシーンが蘇ってきた。
 蛯原と言えばあの時自分に噛み付いてきた奴だな。確かにあれは実行犯向きのお
でこをしていた。
「しかし、斉木の方は入院しているんでしょう?」と服部は言った。
「だって首謀者だったら前もって仕込んでおけばいいじゃないですか。
 それだけじゃないんです。実は、斉木はある場所で、
 所長、斉木自身、大沼、山城、蛯原が、それぞれ、
 吐しゃ物で、撃たれて、肺がんで、腹部を裂いて、そして、感電死で死ぬと予言
しているんです。
 大沼さんは昨日肺がんで入院しました。そして今朝、山城さんがこんな事に。
 これって、偶然ですか?」
「なに、なに? 所長、斉木、大沼、山城、蛯原の順番で、吐しゃ物、撃たれて、
肺がんで、腹部を裂いて、感電死で死ぬと予言していると。んー」斉木は脳内で反
芻した。「何れにしても蛯原さんには事情聴取したいんだが、今、どこに?」
「こっちです」言うと明子は服部を連れてエレベーター乗り口の建物に入って、南
側の非常階段に通じるドアを開けた。「共用棟が見えますよね。あのガラスの向こ
うがエントランスになっているんです」
 服部は、目を凝らしてみたが、距離がある上、西日よけのスモークが入っている
為、よく見えない。
 服部はスロープ方向へ怒鳴った。「おーい、三木さん、山本さん、ちょっと来
てー」
 その2人と、井上がやって来た。
「あのガラスの向こうがエントランスで管理室があるんですが、蛯原が感電して死
ぬという脅迫があるらしいんですよ」と服部。
「あそこにはそういう設備があるのか」山本が井上に言った。
「盤があるにはありますが」
「高圧なのか」
「さあ。指の太さぐらいの黒いケーブルがのたくってますけど」
「うーむ」
 唸りながら全員が共用棟を見た。
 その向こうにはゲレンデが見えた。ゲレンデの上には雪山が、更にその上には曇
った空が広がっていた。それが見ている人々の頭上にまで伸びてきている。
 嫌に遠近法を感じるのだが、これは雲が凄い勢いで流れて来ている為だろう。
 雲は積乱雲で、既に、雪山の上の辺りでは、蛍光灯の様にちかちかしていて、ご
ろごろ鳴っている。
「なんか凄い雲行きになってきたなあ」と山本が言った。
「迫力があるじゃねーか」言うと三木は、非常階段の踊り場に出て手すりから身を
乗り出した。
「三木さん、危ないですよ」と服部が言っても、
「大丈夫、大丈夫」と言って、更に身を乗り出す。
「俺も一枚撮っておこう」言うと山本はスマホを取り出して非常階段の踊り場へ出
た。
 なにやってんだ、こいつら、と明子は思ったが。
 そうしている間にも、雲はどんどん流れて来て、マンションの頭上も真っ暗にな
った。
 それを感知して、駐車場の明かりが点灯した。
 ほぼ同時に、ゲレンデの雪山に一発目の落雷があった。雲上から山肌に稲妻が走
った。雷鳴がとどろく。
 非常階段の三木は、目を見開いて、うぉー、と言った。
 山本はスマホを連写している。
 二発目は、すぐ近くに落ちた。光った瞬間につんざく様な雷鳴が響き、ごーーー
っという地響きがしたのだ。
 三木、山本は更に興奮して、チンパンさながらに手すりに捕まって体を揺すって
いる。
 なんなんだ、こいつら、と明子は思った。
 東南アジア人のトップレスショーにかぶり付いている地主と店員ってこいつらな
んじゃないのか。
 こいつら、オッパイ星人なんだ、と明子は思った。
 建屋の中を見ると、服部と井上が壁に寄りかかって何やら話している。
 こいつらケツフェチだな。
「長野県は、落雷による死亡事故が日本一多いんですよ」と服部が言った。
「それは昔の話なんじゃないですか?」と井上。
「最近の話ですよ。ほぼ毎年、死亡事故があります。槍ヶ岳が多いんですけどね」
「まぁ、ここは避雷針があるから大丈夫ですよ」
「ふむ」
 2人は壁に寄りかかったまま南の空を見た。
 次の瞬間、事故は起こった。
 どっかーんという爆音と共に、稲光がマンションを直撃したのだ。
 全ての明かりが落ちて真っ暗になった。共用棟の方から火災報知機のベルが響い
てくる。
「ここには避雷針は無いんですか」服部がでかい声を出した。
「あると思いますよ」
 ドアの外から山本が首を突っ込んで来た。「管理室を見に行くぞ」言ってから三
木と2人で非常階段をすたこら下りて行く。
 その後を服部、井上、明子、そして須藤巡査も付いて行った。

 非常階段で地上まで下りると、駐車場と居住棟の間を通ってゴミ集積場に出る。
 西側の後方入り口から入館して、更にもう一枚ドアを抜けて、エントランスに出
た。
 雲は既に強風に煽られて流れていってしまったらしく、正面玄関の自動ドアから
は、日の光が差していた。
 しかし、扉が開け放たれた管理室の内部は真っ暗で、黒煙が漂ってきている。盤
内のケーブルや機器類が焼けたらしく、プラスチックの焦げる臭いがする。
「ガスを吸わない様に」と服部が言った。
 皆、衣服の袖で口元を覆い、身を屈める。
「換気だ」山本が言った。「君、あそこのドアは開けられないのかね」住居棟入口
を指しながら井上に言う。
 井上が走って行って開けた。
「須藤、そっから出て行って表っから開けてこい」と又山本が言った。
 須藤は正面玄関の自動ドアを手でこじ開けて、一旦外に出ると、外から管理室の
ドアを開けた。
 管理室内に光が差し込む。同時に、すーっと空気が流れていった。
 皆が口元から腕を外した。屈んでいた姿勢も元に戻した。
 三木、山本、服部が管理室に入った。続いて井上、明子も入る。
 ドアの所の明かり先に須藤が突っ立っていた。
 その左側のホワイトボードが避けられた床面に、丸焦げになった蛯原が転がって
いた。
 顔は真っ黒に煤けていて、白目を剥いていた。魚類の磯辺焼きの様であった。
 壁面には、ナルソックのキーボックスがあったが、心なしか、焼死体はそちらの
方に手を伸ばしている様にも見えた。


●58

 前章をもって、事件の顛末に関しては概ね説明した事になる。
 それぞれの事件が、その後どの様に処理されたかを言うと次の如くである。
 金子所長の件は事故として処理された。
 斉木銃撃の件は、事件性はあったものの、斉木自身が「このままここに居ると狙
われる」と言って、強引に退院してしまったので、拘束する訳にも行かず、そのま
まになってしまった。
 斉木の退院に前後して大沼は亡くなった。これは自然死であった。
 山城の件は転落による事故死として処理された。
 蛯原の件は落雷による死亡事故として処理された。

 4月になると、大通リビングにも人事異動があり、斑尾マンションの管理主任者
も井上から他の者に変わった。
 斑尾マンションの管理員の欠員は、(株)AMから補充されたらしい。
 井上は最早受け持ちではなかったので関知しなかったが。
 そんな感じで、全てが風化して行った。
  春になると雪が解けて、初夏になると居住者も戻って来た。
 これは大部分がゴルフ客であった。
 マンション併設のゴルフ場では連日、クラブを振った瞬間の鞭のしなる様な音と、
かしゃーんという卵の殻でも踏み潰した様な音が響いていた。

●59

 或る日の事だった。
 大通リビング本店での昼休み時間、井上は机に突っ伏したままうたた寝していた。
 机の上には、古めのノートPCが広げてあった。以前、斑尾マンションで使用し
ていたもので、壊れたというので引き上げてきて修理に出していたのが戻ってきた
ものだ。
 それで昼休みに接続してみたのだが、その内睡魔に誘われて眠ってしまった。
 PCのデスクトップ上にウィンドウが開くと、スカイプの着信を知らせる音が鳴
った。
 井上は鎌首をもたげると、目を擦りながら応答をクリックした。
 画面にタンクトップ姿の斉木がぼーっと現れた。
 井上は椅子の上で座り直して、スーツのポケットからスマホで使っているマイク
フォンを引っぱり出し、PCのジャックに差し込んだ。
「斉木さん?」
「おー、おー、繋がったか」
「何処にいるの?」
「ロレート」
「ロレート?」
「ペルーのロレートだよ」
「なんで又そんな所に」
「まあ色々事情があって」ここで画面の中の斉木に、ノースリーブのワンピースを
着た女性が皿を運んで来た。女の顔は映っていない。斉木は「グラシアス、グラシ
アス」と言いながら皿を受け取って机の上に置いていた。
「やっとインターネットを出来る環境が出来たんで、繋いでみたら、このスカID
があってんで、掛けてみたんだ。こんな事すりゃあ、飛んで火に入るなんとやらな
んだけれども、俺ってどうなっているかなーと思って」
「あのまま何も言って来ないけど」
「じゃあ、あの連続殺人は事件として片付いたのかなあ」
「連続殺人?」
「所長から始まって、俺、大沼、山城、蛯原っていうやつ」
「それって、斉木さんがやったの?」
「俺がやった訳じゃないけど。まあ誘発させたって言うか…」
「誘発させたとは」
「まぁ、こういう感じだよ。
 俺が誰かを階段から突き落とせば罪になるけれども、例えば、氷点下の日に水を
撒いただけなら過失で済むだろう。更に、水を撒いたのが俺じゃなくて、俺はただ
単に、乾燥しているから水を打っておいた方がいいなーと言っただけで、それを聞
いた誰かが勝手に水を撒いたなら、俺は何らの罪にも問われないだろう。
 まぁ、そんな事したって、必ず誰かがすっ転んで、後頭部を打って死ぬ、という
訳には行かないのだけれども。
 ただ確率としては、300件ひやっとすると一件の重大事故が起こるっていう統
計があるんだよね。ハインリッヒの法則っていうんだけれども。
 という事は、ターゲットの周りに、毎日10件罠を仕掛けておけば、1ケ月で死
亡事故に至る筈なんだよね。
 まあこれは自動車工場で派遣社員をやっていた時に教えてもらったのだけれども。
 俺がこうやってべらべら喋るのも、俺が今居る所が絶対に捕まらない場所だから
なんだぜ。この前も裏山に日本人が入って行って、ヘラクレスカブトムシを採ると
か言っていたけれども、出てこないものね。左翼ゲリラに捕まって。そいつを助け
に行った地元の警察も出てこないし。
 俺が居るのはそんな所だから、今更手配したって捕まる訳ないんだよね。それに、
俺は斉木って名前で来ていないし」
「だったら、所長の件から順番に説明してよ」
「ああいいよ。別に」
 そして斉木は、所長、自分の件、大沼、山城、蛯原について、それぞれ語り出し
た。


●60

 所長の件に関して。
 まず所長の件だけれども、動機っていうのは特に無かったな。
 まぁ、常に不満はあったけれども。
 俺ら、24時間管理員は夕方6時から翌朝9時までは一人勤務になるんだよ。で、
その間に休憩時間が6時間も設定されていたんだよ。おかしいと思わない? 一人
勤務なのにどうやって休むんだよ。その時間に火災警報が鳴ったら無視していてい
いいのかよ。で、インターネットで調べてみたら、大林ファシリティーズ事件と言
うのがあって、住み込みで管理員をやっていた老夫婦が、自分らは起床から消灯ま
での勤務だと言って数十年分請求したら、犬の散歩時間以外は全て勤務時間という
判決が出たんだよね。俺なんて厳密な人間だから当然そういうのは所長に言ったけ
れどもね。勿論無視されたけれどもね。
 まぁそういう不満はあったけれども、それが動機って訳じゃないよ。つーか、今
は手口だろ、今知りたいのは。
 手口はねぇ、まず、所長らが引っ越して来た当初は風呂場はカビだらけだったっ
ていう前提がある。あれだけこびり付いていると一回じゃあ取れないから、家庭用
のカビキラーの容器を渡して、毎日やれ、って言ったんだよ。容器の半分ぐらい撒
け。中身は業務用のが大量にあるから毎日汲んで来てやると。
 そして清掃の山城に、「業務用カビキラーを桶にでも入れて持ってやったらいい
んじゃない? 毎日使うから。俺は3日に一回の勤務だから無理」と言うんだよ。
 それで山城はせっせと運び、所長はそれを撒いていた。
 ところで、あの事務所の風呂って、温泉が回ってっていたんだよ。温泉って、ス
ケール、湯の花ね、それを含んでいるんで、それが下水管にこびり付いていて流れ
づらくなるんだよ。だからカビキラーも配水管の奥の方で詰まっていたんだろうけ
れども。
 大浴場の方はスケール除去剤を温泉に混ぜて循環させていたのだけれども。ボイ
ラー室のろ過器の手前に薬注ポンプがあって、ぽたぽた注入する様になっている。
その薬品は強力な酸だから、塩素系の薬品と混ぜたら塩素ガスが発生するんだけれ
ども。
 そのスケール除去剤なんだけれども、毎回俺が薬注ポンプに補充していたので、
鮎川に文句言ってやったんだよ。何で毎回俺にやらせるんだ、次回はお前がやれよ、
って。
 同時に鮎川の勤務日に、薬注ポンプの減りがちょうど15リットルぐらいになる
様に薬の落ちる速度を調整しておいたんだよ。あと、薬注ポンプの横に風呂桶を一
個置いておくんだよ。そうすると、スケール除去剤は20リットルのビニール入り
だから補充すると余るだろう。ちょうどそこに桶があれば入れるだろう。
 そうとは知らず、山城は、「誰かがカビキラーを汲んでおいてくれたのだろう」
と錯覚して、それを事務所に持って行くだろう。
 これで、あの気密性の高い部屋に、塩素と酸が揃った訳だ。
 その後、所長がどうやって混ぜるな危険をやっちゃったかは不明だけれども。
 多分、何時もの様にカビキラーを噴霧して、温泉スケールでつまった配管にそれ
が溜まって、その後で、桶の中のスケール除去剤を捨てちゃったんじゃなかろうか。
そうすれば塩素ガス発生と同時に温泉スケールも溶けて、証拠も流れてしまうので、
一石二鳥になる訳だが。
 俺としては、あの家庭用カビキラーの容器にスケール除去剤を注げ足しちゃうん
じゃないかと思っていたが、そうはしなかったみたいだなあ。
 とにかく、あの事務所の風呂場で混ざった訳だよ。上手く行くかどうか分からな
かったけれども、こういうのを毎日10個仕掛けておけば統計的には1ケ月で死亡
事故に至るって話ね。
 事件の時、事務所の玄関に鍵だのU字ロックだのが掛かっていたというのは俺に
は分からないな。別段、開けっ放しでもよかった。
  所長が、風呂を洗っている間に賊にでも入られると思って掛けたんじゃなかろ
うか。
 しかし、今思うと、なんであんな事やったんだろうって思うけれどもね。あの頃
は日々ピンはねされていたんで、苛立っていたんだろうなあ。









元文書 #1079 斑尾マンション殺人事件 12
 続き #1081 斑尾マンション殺人事件 14
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