AWC 斑尾マンション殺人事件 10


        
#1077/1110 ●連載    *** コメント #1076 ***
★タイトル (sab     )  17/03/18  18:15  (477)
斑尾マンション殺人事件 10
★内容

●42

 事務所に戻ると井上が、「あのお巡りさん達、何を話していったんだろうなぁ」
と言った。
「実はですねえ、さっき机にしまったレコーダーはスイッチが入っていたんです
よ」言うと明子は所長の机からICレコーダーを取ってきた。
 そして二人は、警察官のトークが始まる箇所から再生して聞き入った。

服部「今ざーっと聞いてみての感想ですがね。
 まずこの斉木って男ですが、戦艦大和の話をしていて、38式歩兵銃、サンダー
ス軍曹という言葉が出てきますよね。
 それから、サッカーの話題から、鎌倉武士だの、コンバットの要塞攻めだの言っ
ていますよね。
 という事は、目の前で起こっている事をそのままには感じられないで、過去の記
憶を呼び起こすトリガーにしてしまうという感じですよね。
 そして呼び出された記憶も、自己の経験ではなくて、メディアから得たものばか
りだ。
 この斉木に、このテープを聞かせたら、恥ずかしくて死にたくなると思いますよ。
それは、自分の経験でもないのに我が事の様に語っているから、つまり自己が無い
事を見破られるからなんですが。
 自己が無いって事は、出来事をエピソードとして感じられない訳ですから、絶え
ず世の中があっちに行ったりこっちに来たりして感じられる、と思うんですよね。
 例えば我々の持っている拳銃、これを見て最初は、市民を守ってくれている、と
思う、次の瞬間、今朝女房を殴ってきた事を思い出して、自分に向けられるんじゃ
ないか、と思ってみたり」
三木「うーむ。よく分かんねーな」
服部「そうですかぁ。例えばですねぇ、まあ随分前ですけどね、或る事件に関して、
長い調書を書いていたんですよ、私が。非常に興味深い事件だったんですが、全体
の4分の3位まで来たところで、突然白けたんです。何故かっていうと、終わりそ
うだ、と思ったから。その瞬間に、終わらせる事が目的になっちゃっうから、そう
すると事件に関する興味は失われてしまう訳です。
 それが世界があっちに行ったりこっちに来たりする感覚なんですが、まぁ私にも
そういう気はあるんですが、この斉木には日常的にそういう事が起こっているんじ
ゃないですかね。…そう言えば、あの事件に出て来たメンツって、このテープの斉
木、蛯原、大沼、山城に重なるなあ」
三木「なんだ、その事件って」
服部「いや、全く別の事件ですから。もう終わった事件です」
三木「なんだよ、気になるじゃねーか。言ってみろよ」
服部「まぁー、そうですか。じゃあ言いますけど、このマンションとは全く別の話
ですよ。
 やはり甲信越地方で起こった事件だったんですけれどもね、畑の真ん中に東南ア
ジア女性を使った売春宿があったんですよ。何でも常連の間では、8千円で2回や
らせるという噂があったらしいんですよ。そこである男が行き、そいつがこの事件
のホシなんですがね、そいつが行って、入り口で店員に、2回やらせるんだよね、
と確認したそうです。
 店員は、そんなのは、2回って言っても、たまたま早く終わった客が、間が持た
なくてなんとなくもう一回ってやっただけで、別に、2回を売り物にしている訳じ
ゃない、と言ったそうですが。
 じゃ、帰る、と男が、踵を返そうとしたところで、
 やっぱり2回やらせると店員が言ったそうです。
 ところが男が入るなり、東南アジア系の女性に、2回だよなーと迫ったものです
から、そこは向こうも白けてしまって、2回どころか1回もおざなりで済ませられ
た。
 そうして出てくると、2回って言ったじゃねえか、と店員に詰め寄ったそうです。
 そこで店員が、そんな事いったっけーとすっとぼける。
 それで頭にきて、その男は店への嫌がらせとして、警察に匿名の通報をしてきた
んですよ。
 そこで、仕方なく当方の生活安全課が行ってみると女が部屋で死んでいるじゃな
いですか。
 まぁ、これは男の暴力等によるものではなく、元々あった持病がコイタスの後で
悪化して死亡に至った、という事なんですが。
 ところが驚いた事に、その日の内にその男は別件でしょっぴかれてきたんですよ。
 っていうのは、その野郎は、その売春小屋の外に駐車していたんですが、駐禁の
ワッカをはめられていたんですな。
 それを、わざわざ交番に出頭してきて、自分はちゃんと30分以内に移動させて
おいた、だのなんだのごねだした。
 まあ、交番の巡査は、5分でも違法駐車になると説明したのですが、その警官が、
わざわざ出頭するからいけないんだよ、あんなワッカ、ペンチでぶったぎってそこ
らに捨てておけば取りこぼしちゃうんだから、てな事を言ったらしいんですな。
 すると男は、そんな網の目の粗い法律を作るのは不公平じゃないか、などと言っ
てきたらしいんですが。
 そこで又巡査が、法の網の目をくぐるのに、くぐれますかね、と聞いてくる馬鹿
はいない、と言ったらしいです。
 そこで男が警官の襟首を掴んで公務執行妨害の現行犯で逮捕になった訳ですが。
 あとこの事件では、検視の為、遺体を持って帰っていたんですが、その女の女衒
なる人物がふらーっと署に現れて、俺の女を返してくれ、と言ってきたんですよ。
  それからその時にたまたま店にいたこの店の常連で近所の地主にして幼稚園経
営者の男もしょっ引いたんですがね。
 さて、次に、実際に取り調べという段階になって、それぞれの個性が際立ってく
るのですがね。この妙に几帳面な客が斉木、店員が蛯原、女衒が大沼、地主が山城
に相当するんですが。
 まずホシである客ですが。
 こいつは人間を信じられないって奴ですが、そりゃそうでしょう、自己自身が無
いのだから、人間関係の情とか塩梅とか、そういうものには全くのKYなんですよ。
 となると、信じられるのは、約束だの制度だのって事になるのですが。
 そうすると、目の前に、具体的な存在として哀れな売春婦がいても、今ここで助
けようとは思わない。ただし、制度を変えなくてはいけないと思うんですな。
 実際この男は、アムネスティーだかユニセフだかに募金していると言うんですね。
しかし目の前に居る売春婦には、2回やらせるという約束を守れ、と迫るわけです。
 それは警察に対してもそうですから、駐禁の処理が適当だと、法律の運用が恣意
的だ、と切れる訳ですが。
 こういう人間は裁判においても情状酌量なんてものは求めず、裁判官と一緒に自
分の死刑判決を組み立てて行って達成感さえ感じるんですな。まあ、こいつの場合、
重罪ではないですから、死刑になどならなかったのですが。とにかく取り調べにお
いても厳密にやってくれって事だったんですよ。
 次に店員ですが。これは蛯原に相当するんですがね。
 こいつは取り調べの時に、丸で、取調官を喜ばせたいかの様にぺらぺら喋るんで
すな。
 実はこの店員には内縁の妻がおり、DVで悩んでいるという相談が署にもあった
んですよ。しかし店員の身辺を調べてみると、例えば、出入りの酒屋だの、新聞屋
だのにはえらい評判がいい。あの人はいい人だ、あの人には裏表がない、自分らの
ような下層の者にも人間同士として接してくれると。
 店の女にも評判がいいんです。女の為に、昔のコネを手繰っていって、医者だの
警官だのに助けを求めたりするんですな。
 そうすると被害者の妄想ではないのか、とも思えてくるのですが。
 どうもこの店員は、目の前にいる人間にだけ反応して、居なくなれば忘れてしま
うという男らしいんですな。
 目の前に妻が現れれば酷い事をする、居なくなって酒屋が現れれば丸で別の人間
になるという…。
 未解決の通り魔的な犯罪はこの手の輩がやり散らかしているんじゃないか、とい
う話もありましたな。何しろ現場を離れてしまえば本人も忘れてしまうのだから、
尻尾を出さない訳ですから。
 次に、女衒の男。これは大沼に相当するんですが。
 こいつらは、サーカスというか旅芸人の様な集団を形成して全国を移動していた
んですが、その中で、近親相姦はするわ、人が死ねば死体遺棄をするわ、本人らは
それを罪と思っていないわ、という、人間社会とは無関係に生きている奴らなんで
すな。
 それから、地主。こいつが山城に相当するんですが。
 ある時、この地主が店内で女衒と出くわしたそうです。
  この地主も女買いはしても、片方で幼稚園経営者という顔も持っているものだ
から、女衒など気に入らない。そこで、ちょっと説教たらしく、お前は売春を悪い
とは思わないのか、みたいに噛み付いたらしいんですな。
  すると女衒はこう言ったそうです。男が土方で体を使う様に、女が売春で体を
使って何が悪い、と。
  まぁ幼稚園経営者なんてものは人間に良心があって当たり前と思っているから、
こういう動物に出くわすとどうにもならない訳ですな。もっともこの地主とて、何
故セックスのタブーがあるのかなんて分ってはおらず、ただ、人とはそういうもの
だ、と刷り込まれているに過ぎないんですが。
  そこらへんを、ちょっとこの女衒に突っ込まれたらしいんですな。
 犬だって猫だって好き勝手にやっているのにどうして人間だけ好き勝手にやった
らいけないんだ、とその女衒に言われたそうです。
 地主は、人間は犬畜生とは違うからだ、としか言えなかったそうですが、その女
衒はこう言ってきたそうです。
 イワシでもスズメでも選挙なんてしないでもリーダーが決まる、人間のリーダー
も知らない内に決まっている、それだと不安だから、後から選挙だなんて理屈を付
けているだけだ。セックスだって同じだ。人間が好き勝手にやらないのは、ハーレ
ムのボスに殺されるからだ。しかしそれだと動物みたいだから、後から良心だの言
っているだけだ。それがお前が幼稚園でガキに教えている事だ。
 さて、以上を予備知識として、私はこの4人に面接したのですがね。
 面接に先立って私は彼らの身体的特徴をある程度想像していました。
 今日の心理学でも使われているオーソドックスな人格分類に次の3つがあるので
すが、
 分裂気質、これは痩せていて神経質な感じ、
 それから粘着気質、これは関節が太くて、愚鈍な性格、
 それから循環気質、これは肥満で、陽気な性格、というものですが。
 どうも私は、この循環気質なるものにピーンと来ないでいた。どうも、薬缶頭の
頑固オヤジタイプ、と、凸っぱちのヤンチャ坊主タイプの混同があるんじゃないか
と思っていたのですが。
 そこで私は、分裂気質、粘着気質、頑固オヤジ、ヤンチャ坊主の4種類に体格を
分類しているんですよ。
 といってもイメージ出来ないでしょうから、具体例を挙げますと、分裂気質は相
撲で言うと北の湖ですな。これは太っているから分からないが、実は体格はいいと
は言えない。
 粘着気質は、輪島みたいな関節の太い力士ですね。
 頑固オヤジタイプは、貴乃花、北天祐、など四つ相撲の力士ですね。
 ヤンチャ坊主タイプは、舞の海、朝青龍。これは非常にバランスがいいんですな。
 印象としてどうですかね。
 輪島、北の湖というと、本割りと優勝決定戦で2回連続して北の湖が負けた、し
かも同じ下手投げで、というのが印象深いと思いますが。あの瞬間「やっぱ中卒は
駄目だ」と声が上がりましたが、あれは何回やってもああなりますな。押し相撲の
力士が関節の強いのに当たっていけば。
  土俵の上ではそうなるんですが、相撲協会の経営となると、実は北の湖の方が
遥かに上手って事になる。永遠のライバルではあるんですが。
 まぁ、その後の千代の富士、大乃国なども同じですが。柔道でいえば、山下、斉
藤が相当しますね。斉藤も突っ込んで行って闘士型の韓国人選手に肘を折られまし
たが。
 さて、そういう予備知識を持って面接したところ、全くその通りの身体的特徴を
していましたよ、この東南アジア女性事件に関わった4人は。
 ですから、斉木、大沼、蛯原、山城を見れば、やはりそうだと想像しますね。
 つまり、
 分裂気質   几帳面な客  斉木
 ヤンチャ坊主 店員     蛯原
 粘着気質   女衒     大沼
 頑固オヤジ  地主     山城
 という訳ですが」
三木「うーむ。ちょっと待った。ちょっと便所に行きたいな」
服部「あそこにありますよ。それともマンションの入り口に公衆便所みたいなのが
あったと思いますが」
三木「そこ、行こう」
服部「私も行きますよ」
須藤「三木さんって、いっつも、俺が火の用心って言ったらみんなも火の用心って
言っていたら駄目で、バケツを用意するとか、夜回りをするとかしないと駄目だ、
とか言うけれども、結局服部さんがこういう感じだ、って言うから、三木さんがそ
の通りにおふれを出すって感じだな」
山本「余計な事を言うな。とにかく不良外人の犯罪に決まっているのだから。…俺
らも行くぞ」

  以上でテープの再生は終わった。
  聞き終わると明子が、「あのお巡りさん達も4種類に分類出来るの気が付い
た?」と言った。
「つまり…
 分裂気質    几帳面な客 斉木 服部 ジョン
 ヤンチャ坊主  店員    蛯原 三木 ポール
 粘着気質    女衒    大沼 須藤 ジョージ
 頑固オヤジ   地主    山城 山本 リンゴ
  って感じなんだけど」


●43

 井上は、その晩、飯山市内のホテルに泊まる事にした。
 東京に帰りたいのは山々だったが、明朝警察に大沼を引き合わせないとならなか
ったからだ。さりとてマンションのスタジオにもう一泊というのは背中が痛いので。
 ホテルまでは明子がジムニーで送ってくれた。しかし、そこで、それじゃあ又、
と言うのも悪い気がした。今日一日明子は大いに手伝ってくれたのだから。それに
一人で夕食をとるのも寂しいという気もした。そこで、一緒にディナーを、という
話になった。
 地中海風なんとかブイヤベースを肴に2人は白ワインをごくごく飲んだ。
「そんなに飲んだら運転が」と井上は心配したが、
「大丈夫です。私んちこの近所だから、車置いて行きますから」と言って明子は更
にあおった。
 しかし案の定飲みすぎて、
「少しのぼせてしまいました。井上さんの客室でちょっと休ませてもらえないでし
ょうか」と言う。
「はぁ」
 井上は、明子を抱えるようにして客室に運んだ。
 ベッドに横たわると明子は「井上さん、汗びっしょりじゃないですか。どうぞシ
ャワー浴びてきて下さい。私、少し休んでますから」
 15分後、スラックスにYシャツの姿で井上はシャワールームから出て来た。
「これ、クリーニングに出さないと」などとぶつくさ言いながらYシャツをいじっ
ている。
 明子は既に体調を回復していて、ベッドの上で上体を起していた。
「あ、お茶でもいれましょうか。酔い覚ましに」言うと井上はライティングデスク
の上に置いてあった緑茶のティーバッグを茶碗に入れて湯を注いだ。
 机の椅子をベッド方向に向けて座る。
 明子はベッドの上に座り直した。もじもじしながら衣服を整えていたら、ポケッ
トの中にICレコーダーが入っているのに気が付いた。取り出してディスプレイを
何気に見る。
「あれ。まだ再生していない録音が残っている。これ、音声感知で録音していたか
ら、お巡りさんがお手洗いから戻って来たら又動き出したんだ。再生してみま
す?」
「そうですね」
 明子は再生のボタンを押した。

服部「あの風俗店ではトップレスショーをやっていんですよ。東南アジア人女性が
全員出てきてステージで踊るんです。それを見て品定めをして、個室で買春行為に
及ぶ、というシステムだったんですな。
 それで、そのショーの見方でも、客、店員、女衒、地主では、違いがあったんで
す。
 店員と地主は最前列でかぶりつく様にして見ていて、客と女衒は後ろの方で白け
た様に見ていたというんですね。あと、聞き込みで分かったんですが、店員と地主
はオッパイ星人で、客と女衒はケツフェチだったというんですが。
 何でそういう行動の違いが現れるかというと、それぞれに求めているものが違う
からだったんじゃないか、と思われるんですね。
 地主が求めていたのは、女の体という物だったんですね。これは別に幼稚園経営
者だからペドという訳ではないんですが、老人になると女性に対しても、性愛とい
うよりかは猫の肉球でも触るような愛し方になりますよね。老人はよく盆栽とか鯉
にも興味を持ったりしますが。そういう、フェチとか収集癖みたいなものを女性に
求めていたきらいがある。
 それから店員ですが、こいつは女の体というよりかは、プレイそのものを求めて
いた感じなんですね。だから、パラで2人3人と個室に入ったりするそうです。
 几帳面な客ですが、こいつが求めていたのは、抜く事であって女の体ではなかっ
たという事です。そう言うと奇妙に聞こえるかも知れませんが、かぶりつきで見て
いる店員あたりに『お前も前にきてオッパイを揉め』と言われても、
『そんな事をして何になる。抜けないんだったら意味がない』と感じたそうです。
 一度など、個室サービスで射精した後、女がコンドームを外すのにてこずってい
たら、跳ね飛ばして自分で取った事があったという。
 女は驚いて『こんなに優しくない人は始めてだ』と言ったそうですが、その時こ
の客は初めて、『ああ、自分は女が欲しい訳じゃないんだ』と自覚したそうです。
他の常連など、個室で20分も30分も粘って店員に文句を言われるそうですが、
こいつの場合には、射精後は1秒でも早く出てきたかったそうです。 
 女衒はというと、『道』の様なものを求めているんですな。まぁこの男の場合に
は、自分が女衒ですから売る側なんですが、買春する側だったなら、店外まで、更
には売春婦の故郷にまで追いかけて行ったでしょうな。
 じゃあ、そういう彼らの行動の違いが何に由来しているのか、というと、自己の
ある・なし、記憶のある・なしで分類出来るんですな。
 まず最初に、几帳面な客ですが、このタイプは、自己が無い、しかし、記憶があ
る、というタイプですね。
 自己が無いのに記憶がある、となると、経験に根ざした記憶では無い訳ですから、
ぺっこん、ぺっこん変化する。となると、そんなものはアテに出来ない。その時に
心地良かったか、なんていう感覚はあてには出来ず、目的本来的になる訳です。2
回やらせろ、とか、法律は守れとかね。
 じゃあ、こういう男の売春婦に対する考えはどうかというと、店外デートをすれ
ば純愛になる、一歩店の外に出れば素人扱いになる、というものなんですな。だっ
て記憶はあっても経験に根ざしていないから、ぺっこんぺっこん変わる訳です。
 次に、地主にして幼稚園経営者ですが。このタイプは、自己がない、かつ、記憶
がない、というタイプですね。そうするとどうなるか。今ここ、しかないんですな。
自分の土地に被害が及ばない限りは風俗店で何をしていても構わない、その代わり
一歩自分の土地に入ったら、という感じですな。
 ですから、このタイプの売春婦に対する考えは、買春行為はしても自分の家の敷
居はまたがせないというものです。
 次に、店員ですが。このタイプは、自己があり、かつ、記憶がない、というタイ
プですね。となると、無節操になるんです。売春婦に対して無節操もへったくれも
無いだろう、と思われるかも知れませんが、この店員の場合、自分の女房を店で働
かせていたんですな、そして、「俺の女房を買ってくれ」と他の客に勧めていたそ
うです。
 次に、女衒ですが、これは、自己があり、記憶もある、というタイプです。本当
に経験に根ざした記憶があるのはこのタイプだけですな。だから、過去を晒す。そ
うすると売春婦に対する態度はどうなるのか、足を洗っても過去のあやまちを晒す
のか、というとそういう感じじゃない。女は一生において、ある時には玄人にもな
り、又別の時には素人にもなるという、病めるときも健やかなる時も、という考え
方をするんですな」
 ここでテープは止まった。
「分かった?」上目遣いで明子は井上を見た。「こういう事になると思うのよね」
 明子はライティングデスクにあったメモを引き寄せると、こう書いた。

            −
            −
店員          −几帳面な客
女房を買ってくれ    −店外デートをすれば純愛
            −
―――――――――――・―――――――――――
            −
地主          −女衒
売春婦に        −病める時も
家の敷居は跨がせない  −健やかなる時も
            −

「これって、そっくりそのままビートルズにも当てはまるんじゃないかしら。
  この客と店員って、ジョンとポールに相当すると思うのよね。
 ジョンとポールの面白い比較があるの。それは音楽じゃなくて文学に関してなん
だけれども。
 ジョンは若い時に、『小説を書きたい、でもそんな事したって、どうせ、ダヴィ
ンチに敵わないから意味がない』って思ったんだって。
  一方ポールは、『クロスワードパズルで単語を覚えたらクラスで一番難しい単
語が言える様になった』って喜んでいたんだって。
  つまり、ジョンの場合、欲望した瞬間に欠如、これを子宮と言ってもいいと思
うんだけど、それが発生するって感じ。そしてそこに、どんどん、恨み辛みを貯め
ていって、満タンになると、どぼどぼどぼーっと一気に排泄してカタルシスを得る
感じ。これってタナトスっぽいよね。ペニスというよりかはその中にあるシードの
快楽という感じ。つまりは抜く事が目的。
 一方ポールは、クロスワードパズルだから、刹那的なエピキュリアンって感じ。
シードのカタルシスではなく、射精自体の快楽って感じ。抜くのと射精自体とどう
違うのかっていうと、小説とクロスワードパズルの違いだけれども。
 あと、この地主は、リンゴが指輪を収集したりするのに通じる感じがする。こう
いう人は、ペニスが擦れる感覚を欲望していて…」
  ここまで来ると明子は、「ちょっと話が込み入ってきたから、もう一回めもに
描く」と言った。
 そしてメモ帳に以下の図を描いた。


         物質性小
           −
ス ポール(蛯原)  −ジョン(斉木)   ス
ロ 自己あり・記憶無し−自己無し・記憶あり ト
エ 射精自体     −ペニス < シード   ナ
・          −          タ
人  ――――――――・――――――――  ・
星          −          チ
イ リンゴ(山城)  −ジョージ(大沼)  ェ
パ 自己無し・記憶無し−自己あり・記憶あり フ
ッ ペニス > シード  −生まれてこの方の個体ツ
オ          −          ケ
           −          
         物質性大


「この座標の右側の様に、ポールもジョンも、女の物質性にはあまりこだわらない
と思うのよね。
 座標の左側は物質性が重要になってくる。
 リンゴだったら、処女性とか、売春婦には敷居をまたがせないとかいう事が問題
になってくる。
 ジョージの場合には、自分への執着って感じ。『i me mine』だものね。生まれ
てこの方の自分という物質性が重要になってくる。
 横軸はそうだけれども、縦軸について言えば、上の方がエロス、下の方がタナト
スって感じだな。
 どっちかというと、オッパイ星人の方が成熟している感じがする。そう言えば蛯
原とか山城はよく笑うし、ポールやリンゴもよく笑う。
 斉木、大沼は笑わないし、ジョンやジョージにもどこか影がある。
 ついでに、ミステリー作家でいうと、ジョン的なのはクリスティーって感じ。
『オリエント急行』だの、『そして誰も…』だの、狭い空間に大量に詰め込んで、
あんなの『やおい』だと思うんだよね。
 その対極にいるのがパトリシア・ハイスミス、『太陽がいっぱい』。あれはゲイ
そのものだものね。
 ところで、井上さんって、この座標で言うとどこらへんにいるの?」
「うーん」と考えると井上は座標下の左側を指差した。
「やっぱりねえ」
 それから二人はごく自然にベッドインしたのだが、座標下の左右の男女であるの
だから、体位は、69になった。


●44

 その頃、斑尾マンションの管理室では、24時間管理員の鮎川が机に向かって漫
画を描いていた。
 斉木原作の『ビートルズ殺人事件』の漫画化をしていたのだ。
 何故鮎川がそんな事をしているのであろうか。

 鮎川は草津の後に入ってきた管理員で、鮎川に新人教育をしたのは斉木だった。
2010年の春頃の事だった。
 最初、鮎川を見た時、斉木は、「こいつは、ナロードニキか何かじゃないのか」
と思った。その頃の鮎川の見た感じが、髪型は柳生博風1、9分け、顔は山本学の
弟、みたいで、インテリっぽかったからだ。しかし5分話している内に単なるボケ
と分かった。
「お前、なんでこんな仕事に応募してきた」と斉木は聞いた。
「将来、漫画家になりたいから、一人になれる仕事がいい」
「将来? お前、幾つだ」
「武藤と高田と三沢と同い年」
 武藤だのはプロレスラーの名前だ。という事は斉木の一個下という事になる。
「お前に将来なんてあると思ってんの? お前に才能が無いとかじゃなくて、発揮
する時間が無いっつーの。俺らなんて、もう老後を考えないといけない年齢なんだ
ぜ。つい先週も草津さんの送別会で、俺は2回もジジイ扱いされた」そして斉木は、
その詳細について語った。
「まず最初は、清掃の泉に、だよ。あの女って、マンションの周りで草むしりをす
る時には、ゴルフ場のキャディーみたいな格好してんだろ。だから俺は、そんなに
日焼けしたくないんだったら別の仕事に就けばいいのに、って思っていたんだよ。
ところが飲み会の時にゴスロリの格好をして来たんだよなぁ。耳たぶにピアス10
個ぐらいぶら下げて。ありゃあゴスの格好をしたいから日焼けしたくなかったんだ、
って思ったけど。
 ところで俺はよぉ、メタルロックが好きで、メタル→デスメタル→ディル・ア
ン・グレイの京、という文脈で、ゴスにも興味があったんだよ。だから、結構話が
合うんじゃないか、と秘かに期待して、ビールとコップを持って行って泉の隣に割
り込んでよぉ、ディルのアメリカツアーがさあ、とか言ったんだけれども、向こう
にしてみりゃあ、どっかのおっさんが、ナウいねと絡んできた感じだったんじゃね。
酒も入っていたし。若作りしてんじゃねーって思いっきり言われたよ。
 しょうがねえから、草津さんの所に行ってよぉ。
 これからどうやって食って行くの? って聞いたら、
 年金があるから、って言うんだけれども、そっちも年金もらってんの? だって。
 俺、まだ49だぜ。俺ってそんなに老けて見える? あれにゃあ凹んだよ。
 とにかくよぉ、俺ら、もうそんなに若くは無いんだから、お互い無益な争いは避
けて、仲良くやろうや」言うと斉木は鮎川の肩を馴れ馴れしく2回叩いた。
 ここまでが斉木と鮎川の出会った頃の話である。

 さて、それから夏になったのだが、鮎川が柳生博風1、9分けを丸刈りにしたら、
凸っぱちである事が判明した。
「こりゃあイルカだ。泉と同じだ」と斉木は思った。
 それに前後して、他の清掃員から、「泉ちゃんと鮎川は、どうも気が合うらし
い」という話も聞いた。
 途端にカリカリしてきた。
 引継ぎの時に、鮎川に、「お前、泉ちゃんと何か話したりしているの?」と聞く
と、
「オタク同士なもので」と言う。
 よく聞いてみると、オタク同士で自分の創作物、漫画やイラストを見せ合ったり
していると言う。
 鮎川の野郎、生意気だ。
「その漫画、俺にも見せろ」と斉木は言った。
 鮎川が持ってきた漫画は、村人が木に食われるとか、6次元なんとかとか、前半
水木しげる、後半石ノ森章太郎みたいな作品で、今一理解出来なかったが、それよ
りも理解できないのが、数十ページに渡る細かい漫画を、大学ノートに描いている
事だった。
「なんでケント紙に描かないんだよ。これどれぐらいかかった?」
「3ケ月ぐらいかなあ。それは中野のビルの立体駐車場の外にある、電話ボックス
ぐらいのプレハブの中で描いたんだ」
「お前、警備員をやっていたの?」
「そうだよ」
「よく採用されたな。何年ぐらいやっていたんだ」
「15年位かなあ」
「その前は?」
「自衛隊。俺、富士のすそ野で小銃を撃っていたんだ。俺、すごく上手くて大会と
かにも出させられたんだよね」
「何でそんな大事な事を言わないんだ」斉木は大声を出した。こんな野郎でも国家
に寄り添って生きていた時代があったのか、と思えたのだ。
「そもそもお前って、学校出てから何をしていたの?」
「最初はタツノコプロに就職して、そこを辞めて自衛隊に入った」
「ゲーセンでスカウトされたとか?」
「アニメージュの裏に描いてあった」
「自衛官募集って?」
「タツノコプロの募集」
「そうじゃないよ。自衛隊に入った理由だよ」
「それは親に言われて…。たるんでいるからって」
 それから色々根掘り葉掘り聞いてみると、どうも、連続幼女誘拐事件の時期と重
なる。
 なるほど、オタクの息子の扱いに困って、自衛隊に放り込んだんだろう。
「とにかく、そんなんだったら、あんな6次元なんとかじゃなくて、自衛隊時代の
事を描けばいいじゃん」
「それはもう描いたよ。コミケにも出品したんだ。それは大学ノートじゃなくてち
ゃんとケント紙に書いたんだよ。だって印刷して製本したんだから」
 この野郎、俺が盗むとでも思って、出し惜しみしていたんじゃないのか。
「じゃあ、それを持ってこいよ。俺がスキャンして、ムービーにしてyoutub
eにうpしてやるから」
 これは話の流れでそうなったのだが、内心、「泉とくっつかれるぐらいなら、俺
がそのコンテンツを牛耳ってやる」みたいな気持ちが斉木に無かった訳ではない。
それは、大沼とカミーラに割り込んで行ったのと同じ様な心理だろう。ブックオフ
でも人が見ている棚に割り込んだりする。
 しかし24時間勤務の夜中に、鮎川の『自衛隊物語』をスキャンして、ペイント
でコマごとにばらばらにして、ムービーにする、という作業をしている内に、
「鮎川に、俺の『ビートルズ殺人事件』を漫画化させて、ジャンプとかサンデーに
投稿したら漫画原作者になれるんじゃないか」と思いだしたのだ。
 そんなこんなで、鮎川にその作業を始めさせたのが、2010年の晩秋頃だろう
か。










元文書 #1076 斑尾マンション殺人事件 9
 続き #1078 斑尾マンション殺人事件 11
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