AWC 斑尾マンション殺人事件 5


        
#1072/1112 ●連載    *** コメント #1071 ***
★タイトル (sab     )  17/03/18  18:12  (466)
斑尾マンション殺人事件 5
★内容

●18

 斉木は、空のアルミ缶を作業ズボンのポケットに入れると、共用部のトイレを見
に行った。
 センサーで反応するタイプなのだが、斉木が近寄ってみると、洗面所の片方の球
が切れているのが分かった。
 斉木は、ちっと舌を鳴らした。かったりー。
 後方の廊下を通って、ボイラー室に向かった。そこに電球の在庫が置いてあるの
だ。
 ボイラー室の扉を開けると、清掃員がパイプ椅子に座っていた。
 額田、横田、泉、大石。
 ボイラーが消えているので防寒着を着たままだった。
「山城は?」入りながら斉木が言った。
「変電室かどっかでタバコでも吸ってんだろ」と額田。
「ここじゃあ絶対に吸わせないからな。俺の勤務日には」
 言いながら斉木は、貯水タンクの下の台車を引っ張り出した。そして電球の在庫
を漁ったのだが、待てよ、と思った。勤務時間オーバーしているのに何で俺が交換
しなくちゃいけない。大沼がやればいい。でもあれもすっ惚けたオッサンだから、
その次の鮎川がやればいい。
 斉木は台車を足で蹴り入れると、天井の配管にぶら下がっている化繊ダウンを取
った。
 何時も着替えないで、作業着の上にそれを着て、そのままバイクで帰るのだった。
「俺、もう帰るわ」と清掃員に言う。
 出て行こうとする斉木に、大石が、すがる様に寄ってきた。
「ちょっと待って」
「何だよ、まだ何かあるのかよ」
「ちょっとさぁ」と困った様な顔をする。
 他の清掃員も心配そうな様子である。
「何?」斉木は眉毛を動かした。
「実はね…」
 大石が言うには、サブエントランスの裏口のドアに鳥の糞がべっとりこびり付い
ていたのでヘラでこじったら30センチぐらいの傷を付けてしまった、という事だ
った。自分らはパートと言っても請負契約社員だから、物損を出せば損賠賠償にな
るが、あんなドア、業者に塗らせたら3万も5万も取られてしまう。月に8万しか
貰っていないのに5万も取られたらもう何も買えなくなってしまう。
「週末にお父ちゃんと卸売りセンターでウニ丼を食べる積もりだったんだけれども、
それも諦めるようかねぇ、うぅーーー」
「斉木君、塗ってやれよ」と額田がパイプ椅子から言った。
「そんだったらよぉ、張り紙でもしておけばいいんだよ」言いながら斉木は清掃員
の方に歩いて行った。「雪で滑ります、とか、足元注意、とか書いて貼っておくん
だよ。それを蛯原の前でこれみよがしに書くんだよ。そうすればあいつがオスの
マーキングで、すぐにパウチの張り紙に交換するから。そうしたら又それを引っ剥
がして、又自分の張り紙をしておくんだよ。そんなの一週間もやっていれば、傷だ
らけになって元の傷なんて分からなくなるから。ガード下の電柱みたい」
「本当かい?」と大石。
「本当だよ」
 斉木はここに来て蛯原のこの習性をすぐに発見した。斉木がここに就職した頃は、
共用部の鍵など誰も管理していなかった。そこで夜中の暇な時間に、斉木が本数を
チェックし、鍵台帳を作成した。ところが次回の勤務日に来てみると、ベニヤ板に
鍵がぶら下がっているし、鍵台帳も作り直してあった。次に、割れたままの蛍光灯
のカバーがあったので、取り外して、サランラップで雨水が入らない様に養生して
おいたら、次の勤務日には、アロンアルファで直したカバーが取り付いていた。更
に、雨で滑ります等の張り紙をすると、すぐにワープロとテプラで作った張り紙に
貼り替えられる。
「なんだこいつは。犬か。小便した後に又小便を掛ける、みたいな真似しやがって。
でもこの習性を利用して何か出来ないかなって思ったんだよ、鮎の友釣りみたいに
さ。そんでこれは隠蔽工作に使えるなって。実は額田さんにもあるミッションを仰
せつかっているんだぜ」
 額田は舌を出すとデヘヘと笑った。
「何、何、それ」と女らが興味津々である。
「もうすぐミッションコンプリートだから、教えてもいいかな」
「いいよ」と額田。
 斉木は皆にそのミッションを説明した。
 それは、清掃グループの独裁者山城を追放し、自由と民主主義を回復するという
ものであった。
 このミッションは2つの作戦行動により完了する。
 まず最初の作戦は、清掃員更衣室を綺麗にするというものであった。
 斉木は、「清掃員の為にあの部屋を綺麗にする」と宣言して、小汚いモップにビ
ニール袋を掛けるなどした。
 そうすれば蛯原が真似をする、いやもっと大掛かりな事をするだろうと期待して。
 そうしたら蛯原は、まず、清掃員更衣室の清掃用具をボイラー室へ移動させた。
わざわざ大通リビングの許可を得て。それから、清掃員の為にと居住者の捨てた小
型冷蔵庫を拾ってきて、自動販売機屋からコーラを貰って入れておいた。
 この様に、一度清掃用具がボイラー室に移動され、清掃員の出入りが自由になる
と、ボイラーを焚いている時には暖かいものだから、だんだんそこに屯するように
なるし、しまいには休憩もそこでとるようになる。
「それが今のあんたらだよ」と斉木は言った。「独裁者からの解放はまず移動の自
由からだ。まあ、ここは難民キャンプみたいなものだよ。だけれども、あんたらは
故郷に帰らないといけない。それがミッションその2」言うと斉木は人差し指と親
指の2本立てた。外人みたいに。「蛯原には風説を流布する悪い癖があるんだよ。
誰々がこう言ってましたよーって。額田さんが、清掃員更衣室は寒いって言ってま
したよー、隣の農家の豚小屋にはストーブがあるのに清掃員更衣室には何もない
よー、って。そう蛯原が吹聴する様に俺が仕込んでおいたから」
「俺、そんな事、言ったっけ?」
「実際に言ったかどうかはどうでもいいんだよ。現代戦は情報操作だから。
  とにかく仕込みは完璧だから、ミッションコンプリートは近いぞ」


● 19

 フロントに戻ってもまだ誰も居なかった。
 斉木は、作業着のポケットに両手を突っ込んで、肩を怒らせて、その場をうろつ
いた。丸で人足寄せのトラックを待っている労務者の様に。
 やがて後方の廊下から蛯原がハァハァ言いながら戻って来た。
「あれ、まだ居たの? いやー、駐車場の屋上が凄い凍結だ。あれじゃあ人も車も
すってんころりん」と如何にも一仕事してきました、みたいな顔をしているが、す
っかり香ばしくなっている。
 でも、引継ぎの時にあれだけ揉めたのに、一服すれば忘れてしまうというのは、
ヒステリーの斉木にしてみれば有難くもあるのだが。
「じゃあ、俺、帰るよ」
「いいよ、いいよ」言うと蛯原は管理室を素通りして鉄の扉から出て行った。
 マンション右手に歩いていくのが正面の自動ドア越しに見えた。
 とにかくさっさと帰ってしまおうと踵を返した瞬間、カウンターの内側の電話が
鳴った。ここで出なければいいのに、やっぱり気にし屋なのでつい出てしまう。
「はい、斑尾マンション、管理センター、斉木です」
「高橋ですけど」
「なんだよ」
「事務所のドアが開かないんですよ。キンコン鳴らしても出てこないし。中で何か
あったんじゃないかと思って。ちょっと来てもらえませんか?」
 それだけ言うと、ぷちんと切れてしまった。
 何なんだよこれは、と思いつつエントランスに出て辺りを見回す。人の気配がし
ない。ちっと舌を鳴らすと「しょうがないか」と斉木は呟いた。
 しかし鍵がない。
 ボイラー室に行って額田から鍵を借りた。
  それで居住棟に入った。

 エレベーターに乗って4階へ。そして通路をちょっと行くと、AMの事務所前の
高橋が見えた。
「おーい。携帯がいきなり切れたけれども、何なんだよ」
「変な所いじっていたら切れちゃったんですよ」
「本当かよ。俺が気にし屋なのを知っていてわざとやったんじゃないの?」
 斉木はドアに張り付くと、キンコン、キンコン、キンコンとチャイムを連打する。
ドアノブをがんがん引っ張る。そしてドアをどんどん叩きながら「所長ーッ」と怒
鳴った。
 それから明子の方に向き直り「管理員だからって開けられる訳じゃないんだよ」
と言った。
 明子は斉木をじーっと見て「それはそうに決まっているけど。じゃあどうすれば
いいんですか?」
「ナルソックを呼ぶしかないね。3000円かかるけど」
「じゃあ呼んで下さいよ」
 斉木は携帯を取り出すと蛯原に電話した。これこれこういう訳で所長が閉じ込め
られている、と。
「そりゃあ大変だ。さっそく手配しないと」受話器の向こうでハッスルしているの
が分かった。
 携帯をポケットにしまいながら斉木が言った。「俺、今日は残業手当、請求する
からね。ナルソックだって飯山市内から来るんだから結構、時間食うんだから」
「所長に言って下さいよ」
「所長が死んでたら?」
「えッ」と後ずさりながらドアを見る。「これって火事とかだったらどうするんで
すか?」
「そりゃあ、いざとなれば、隣が未販売だからコンストラクションキーで入って、
ベランダの仕切りをぶち破るとか。でなきゃ上の階からロープを垂らして、『ダイ
ハード』みたいにベランダに飛び込むとか」
「ナルソックって、マスターキーみたいなの、持っているの?」
「タメ口利いてんじゃねーよ。まぁいいけど。あれだよ、管理室の壁にナルソック
しか開けられないキーボックスが埋め込んであるんだよ。もっとも管理室に入るに
は管理員が付いていないと駄目なんだけれども」それから斉木は声を潜めて言った。
「実は蛯原が、あのキーボックスを開けられないかって企んでいるんだよ。このマ
ンションを自分の家だと思ってんから」

 やがて蛯原がひょろりとしたナルソック隊員を連れてやってきた。
 そしてナルソック隊員が解錠する。
「警戒設定が解除になりました」というボーカロイドみたいな音声が鳴った。
 蛯原が開ける積もりで勢いよくドアをひっぱると、がたんとU字ロックに引っ掛
かった。
「あれ。チェーンが掛かっているぞ」そしてナルソックに向かって、「これ開けら
れる?」
「無理っすね。消防署を呼んでも大きいワイヤーカッターでばきばきばきーっと壊
すしかないんで」
「ところが斉木君が開けられる」にーっと笑って斉木を見る。
 かつて、居住者がドアの内側にあるU字ロックに帽子をぶら下げていて、自分が
出た拍子にU字ロックが掛かってしまった事があった。その時には鍵屋を呼んだの
だが、何やら特殊な道具で開けたと言うのだが、それがどんな道具なのだかを教え
ない。警察でも消防でも巨大ワイヤーカッターで壊すのに、何で鍵屋がそんな道具
を持っているんだろう…と斉木が考えに考えた末、ビニール紐で外側から外す方法
を発見したのだった。そして、鍵屋を呼べば2万3万と取られるのだから他の管理
員とも情報の共有をしておいた方がいいんじゃないか、とついうっかり蛯原にも教
えたら、居住者と廊下ですれ違う度に、「いい事を教えてあげますよ」と丸で手品
でも見せるように得意気に披露して、「これを知っておけば万一の時に鍵屋を呼ば
なくて済みますからね。まあこれは斉木から教わったんですけどね。斉木から」と
自分はあくまでも善意の第三者であるまま、シー・ラブズ・ユー方式に拡散してく
れたのであった。
「だから俺は開けないよ。泥棒被害でもあったら俺のせいにされてしまう。それに
紐も無いだろう」と斉木。
 蛯原がポケットからビニール紐をずるずると引っ張り出す。
「いやに用意がいいじゃないか」と斉木。
「俺がやってもいいんだけど、背が低いから届かないんだよ」
「でもいいや。開けても」突然斉木が態度を変えた。
 というのも、後日斉木はメーカーにクレーマー的に問い合わせをしたのだが、あ
れはあくまでも人間がドアの隙間から覗くのを補助する器具であって、鍵として使
用してもらっては困る、という説明を受けたのだった。それを思い出したのだ。
 斉木は蛯原から紐をひったくると、ドアの隙間からU字ロックに引っ掛けて、そ
の紐をドア上部から蝶番側に回すと、紐が弛まない様に引っぱりながらドアを閉め
た。
 閉まった瞬間に、パチンと外れる音がした。


● 20

 蛯原がドアを開けた。
 全員が何気に耳をすます。
「栗くせー。温泉で塩素の値が高過ぎるとこのニオイがするんだよね」と斉木。
「一番奥が和室だよね」と蛯原が高橋明子に聞いた。
 うなずく明子。
 蛯原が意を決した様に突入した。
 窓が開けられ、玄関も開け放たれているので、空気がさーっと流れて来た。
 そして、ナルソック隊員、斉木、高橋も入る。
 今や、玄関からリビングへの廊下に4人がひしめいている。
 ナルソックが洗面所に入りトイレのドアをあけた、が中は空だった。
 次に風呂場のドアを押した。
 ざーっという音が聞こえる。
 更にドアを押し開けると、所長が壁に背にへたり込んでいるのが見えた。Yシャ
ツに、スラックスの姿。両手両足を伸ばして、首をうなだれている。左手にはシャ
ワーを持っていて水が自分に掛かっている。口からは泡の様な吐しゃ物が出ていた。
 見た途端、斉木と高橋はリビングに逃げる。
「俺、グロ耐性、無いんだよ」
「私も」
 蛯原とナルソックが靴下を脱いで、浴室に入って行った。
 蛯原はシャワーのカランをバスタブに入れると「死んでんのか?」と言った。
 ナルソック隊員は首をかしげながら、しゃがんで、脚を揺らしてみる。
 蛯原も腹のあたりを突いてみた。「おい、所長。所長」と声を掛けるが返事がな
い。
「どうしたらいい?」
「もちろん119番通報でしょう」
 蛯原がその場で119通報する。「こちらは斑尾マンションです。住所は飯山市
斑尾高原**番地。目標になる公共施設等は斑尾高原スキー場のゲレンデです。こ
れは火災ではなく救急車のお願いです」とマニュアル通りの文言を言ってから、で
かい声で「とにかく救急車を出して下さい。それから、目の前で人が倒れているん
ですが、これはどうすればいいんですか。動きませんよ。口から何か吐いてます。
人工呼吸なんてやった事ないですよ。ナルソックがいるんですが」そこまで言うと、
携帯端末をナルソックに差し出した。「変われって言ってんぞ」
 ナルソックが出ると何やら指示を受けていた。
「じゃあ運び出しましょうか。そうしたら私が人工呼吸しますんで」
 2人で両脇と両足首を持ってリビングに運ぶ。
「おい、そこの防寒着を床に敷いてくれ」と言われて、斉木と高橋はソファの上に
丸めてあった防寒着を床に敷くと、今度は和室に退避した。
 所長を寝かせると、ナルソックが吐しゃ物を取り除き、ビニールのフェースシー
ルドを当てて人工呼吸と心臓マッサージを開始した。
 それを見守りつつ蛯原は「こういうのも覚えておかないといけないのかなぁ」と
誰へとも無しに言った。
 しばらくして大沼が全く緊張感なくスリッパをぱたぱたいわせながら登場した。
「所長どうにかしたんか」と見下ろす。
「風呂場でぶっ倒れていた」
「今救急車が来て、トランクルーム開けてくれ、言うてるけど、鍵どこにある
の?」
 トランクルームとはエレベータの突き当たりにある小スペースで、お棺やら救急
車のストレッチャー等を乗せる時に扉を開いて使用する。
「自分の鍵束にぶら下がっているだろう」と蛯原。
 大沼はポケットから鍵束を出すと、一個ずつ調べ出す。「はあ、これかあ」と言
いながら出て行く。
 しかし、ほぼ入れ替わりで、救急隊員が入って来た。
 そして所長をストレッチャーに乗せると運び出した。
 蛯原もナルソック隊員も一緒に出て行った。



● 21

 所長が搬送されると、斉木と高橋明子は2人きりになったのだが、いい大人が余
りにもグロ耐性が無かったので、気まずさを感じ始めていた。
「でもしょうがないよ」と明子が言った。「ジョン・レノンだって世界平和を訴え
つつも楽屋に身障者がくれば卒倒したんでしょう?
  でも、あれね、大沼さんって、メカにもグロにも強いと思ってたけれども、案
外メカには弱そうね。自分のぶら下げている鍵に気が付かないんだから。斉木さん
は案外メカに強そう。U字ロックなんて外せるんだから」
「いや、それが微妙に違うんだよ」と斉木が言った。「つーか、設備を修理するに
しても俺はナット締めが得意なんだけど、大沼はボンドとかが得意なんだよ。
 これは性格もそうで、俺は、なんか、カクカクしているんだよねぇ。話していて
も、『つーか、つーか』って区切って切り返す癖がある。
 つーか、大沼も『つーか』って切り返すんだけれども、大沼の場合には、自分の
身に迫ってきた事に関して切り返すんだよ。
 例えば、『大沼さん、最上階の手すりの外の排水口、掃除しておいてねー』
『よっしゃ、よっしゃ』と言いつつ、自分の靴紐を結んでいて、『つーか、落ちた
ら、俺、死ぬんやで』と今更気付く、みたいな。ナメクジか、おめーは、みたいな。
 でも気が付くと反応は早いんだよね。お疲れーって肩を叩くと、なにすんねん!
 と叩き返して来るから」
「えー。大沼さんってそういう反応するの?」
「反応っていうか、ボンドをひっぱたいたら、べたーっと手にくっついて来た感じ
かなぁ。粘着だな。
 まぁ蛯原も瞬間的に反応するんだけれども、あれはアスペルガーちっくって感じ。
俺の顔を見ていて、ホラー映画みたいとか言って来るよ。
 まぁ、蛯原はポール=イルカ型だな。今見ている事に反応しているのだから、オ
ンタイムではあるんだけれども。
 大沼は、ジョージ=ラクダ型だけれども、永遠の現在に粘着しているって感じで、
やっぱりオンタイムだな。
 まぁ、俺みたいなジョン型が、カクカク振り返る感じで、過去に生きるって感じ
だけれども。
 あと、石臼の反応っていうのもあるんだよね。
 これは、ボコられてもボコられても反応しないって感じなんだけれども。
 反応しないんだから、害毒がなさそうだけれども、一番たちが悪いんだよね。
 ああいうのが居ると辺りが膠着してしちゃうんだよ。
 清掃の山城がそうなんだけれども、ポール・モーリアの『Get Back』を繰り返し
聴いているから、こっちがオリジナルだよー、ってyoutubeの動画を見せて
やったら、俺はポール・モーリアのでいいって言うんだよね。
 自分が最初に見たものに正統性有りって思うんだよ。
 そういう感じで、自分の周りもの全てに関して、今のままでいいって思うから膠
着しちゃうんだよ。保守って言えば保守だけど。
 まぁ、これらは割合は、ジョン型20%、ジョージ型20%、ポール型30%、
石臼型30%って感じかなぁ。
 これは100人以上の居住者を見て判断したんだから、かなり正確だと思うけど
ね」


● 22

 しばらくすると蛯原が制服警官2名を連れて現れた。
 一人は、痩せて神経質そうな、しかし柔和な感じの警官だった。
 玄関を上がった所で、蛯原はこの警官を相手に、トイレがどうの、風呂場がどう
のと、身振り手振りで大げさに説明していた。
 その後ろには闘士型の体格をした警官が帽子を目深に被って歩哨の様に突っ立っ
て居た。更にその後ろにナルソックの隊員が居る。
 すぐにもう3名が到着した。
 長野県警とバックプリントしてある紺のウインドブレーカーを着ていて、腕には
『鑑識』の腕章をしている。
 それぞれ肩からジュラルミンのケースを提げていた。
 痩せた警官の下に行くと、あそことあそこ、みたいに指示を受けて、蛯原には目
もくれずどかどかリビングに入り、あぐらをかいて座ると、帽子のツバを後ろに回
して、耳かきの綿みたいなのでアルミの粉をはたき出した。
 蛯原は、身振り手振りで大げさに説明していたのを中断された上に、全く自分と
は関係なく捜査が進行している事に気が付いて、途端にむくれる。
「ちょっと待てよ。こんなに大げさな事なのかよ」と蛯原は言った。
「何時も協力してやってんだろう」と後ろの警官が言ってきた。
 帽子を目深に被っていたので気が付かなかったが、こいつはあの所轄のお巡りか、
と蛯原は思った。
 普段、蛯原は、ゲレンデに来た客がマンション敷地内に駐車をするのを防ぐ為に、
「違法駐車は2万円申し受けます」だの「レッカー移動します」だのの、脅しの張
り紙をしていた。と言うのも、110番通報したところで、私有地だから駐車禁止
の違反切符を切っては貰えないから。居住者にせっつかれてつい110番通報する
と、通報センターみたいな所につながって、そこから最寄の交通機動隊みたいなの
につながって、パトカーが来るのだが、結局私有地だから何も出来ない、しかし出
動したのだから、呼んだ奴の免許証を見せろだの、呼んだ側の情報だけ集めていく。
そうすると、クレーマーマンションになりかねないのだった。そういう事情が続い
ていたのだが、実は、110番ではなくて所轄の警察とか交番に電話して、困った
声を出すと、警察所有のデータベースから所有者を特定して、「じゃあ、警察から
所有者に、違法駐車で迷惑している人がいますよ、と連絡してあげる。でも相手が
出なかったらそれっきりだよ」という事をしてくれるのが分かった。それ以来、
堂々と「違法駐車は即110番通報」という張り紙に変えたのだが。それをやって
くれていたのが、このうどの大木か。
「恩着せがましい事を言うな。今日は何で来た。呼んでないぞ」と蛯原は言った。
「119番すれば110番に連動するんだよ」
「だからってこんな所にまで入ってきて粉ぱたぱたはたいていいのか。パトカーは
どこに止めた。あそこは私有地だぞ。勝手に入っていいのか」
「公務じゃないか」
「だったら駐車違反取り締まりだって公務じゃないのか。それともお前は仕事を選
ぶのか」
「まぁまぁまぁ」と、痩せた警官が割って入って「ざーっとでいいから聞かせて欲
しいだけなんですよ。最初に見付けた人は誰だとか、誰が通報してきたのかとか、
その時の様子はどうだったとか」となだめる様に言ったのだが、蛯原はその警官に
矛先を変えて、
「呼んでないのに誰が呼んだと聞くのはおかしい」とか「あの死体が目を覚ました
ら直接聞いてみろ」とか「でなければ管理主任者にきけ」などとほざくのであった。
 管理主任者とは、居住者とマンション管理契約を結ぶ際の、管理会社側の当事者
なのだが。
 痩せた警官は、はーとため息をつきつつ、鑑識らと目配せをした。
 鑑識らがあんまり出ない、みたいに首をふると、「じゃあ引き上げるか」と出て
行った。
 蛯原は、更に追いかけて行って、エレベーターの前で、「防犯ビデオだって裁判
所の命令が無ければ見せないぞ」とか「日本は法治国家だから行政の言いなりには
ならないぞ」などと言っていたのだが。




● 23

 この段階で、部屋に残されたのは、斉木、高橋、ナルソックの隊員だった。
「俺も帰ろうかなぁ」と斉木が呟いた。
「あのー、判子をもらいたいんですけど」とナルソックの隊員が言った。
「シャチハタぐらいだったら押してやってもいいよ」

 斉木はナルソック隊員を連れて管理室に戻った。
 机の一段だけ割り当てられた引き出しからシャチハタを出すと「何処に押しゃあ
いい」と言った。
「ちょっとすみません、作業がありますんで」と言うとナルソック隊員は、なにや
ら作業を開始した。
 何を始めたかというと、まず使用した合鍵の先端部をビニールで覆い、その上を
10桁の数字の書かれたシールで封印し、その番号を報告書に記入した。そしてホ
ワイトボードの後ろの壁に埋め込まれたキーボックスの前に行くと、磁気カードを
かざす。ブーっと音がして、赤いランプが点滅する。素早くキーボックスの扉を開
けて、鍵を元に戻すと、扉を閉める。もう一回ブーっと音がして、ガシャンと扉が
施錠される音がした。
 斉木は、シャチハタをついたらすぐに帰れると思っていたのに、この作業の間、
待たされたものだから、イライラのオーラ全開で、徹夜明けの充血した、文字通り
血眼の目で、ガン見し続けて、早くしろ、早くしろと念を送り続けていた。
 それが余りにも強烈だった為に、ナルソック隊員は、封印の番号を報告書に書き
写す際に間違えていたのだった。
 それは斉木も気付いたのだが、教えてやらない。
 それから警備員は、手が震える程焦りながら報告書を完成させると「あのー」と
言った。「判子もらえないでしょうか」
「判子ぉ? 何の判子だよ、今更。警察だの消防だの七人も八人も来たっていうの
に。それって、おめーがちゃんと仕事しましたーって紙じゃないの?」と嫌味を言
った後、「それに、封印の番号、間違っているぜ」と言った。
 えッ、という顔をすると、隊員は封印台帳から今使用したシールの半券を取り出
して、報告書と比べると、しまった、てな顔をして、慌てて、訂正すると斜線をひ
いて訂正印を押した。
 そういう作業の間にも、例えば封印台帳が入ったアタッシュケースを開ける為に
腰に付いているキーホルダーに手を伸ばすなどして、隊員が体をよじっただけで、
防弾チョッキの様なダウンベストにぶら下がっている警棒だの無線機だのががさが
さ音を立てるのだが、あれは何かロボコップのオムニ社の隊員の様で、クールじゃ
ないか、と斉木は思った。
 自分も紺の上下の制服を着ているが、どっちかというと菜っ葉服っぽい。
 斉木の血眼は羨望の眼差しに変わっていた。
 斉木は、起こっている事を全くオンタイムでは感じられず、眼前で起こっている
事はすべて過去の記憶を呼び覚ますトリガーでしかなかったのだが、今彼の記憶野
からは、かつて警備会社の面接に行った時の事が読み出されていた。
 それはたかがパチンコ屋の警備員の応募だったのだが、その場で採用という訳に
は行かず、一応履歴書から前職等を調べて、その後に4日間の講習があるのだ、と
言われた。
 随分堅苦しい事をするんだな、でもこれは、講習とかいう名目で、警察OBでも
講師で招いて、そうやって金品を渡しているんじゃないか、と斉木は思った。そし
て、その面接の帰りがけに、前回採用分の人達の講習風景を、ドアの羽目ガラス越
しに覗いたのだが、よれよれのTシャツに髭面の老人で、ほとんどホームレスみた
いなのが受講していたので、あれだったらいくら俺でも採用されるだろう、と思っ
たのだが、翌週、不採用の通知が届いた。何故だ。もしかして高校時代に万引きで
捕まった記録がスーパーより警察に提出されていて、今でも残っているんじゃなか
ろうか。
 とにかくその知らせを聞いた日に飯山市内を歩いていたら、偶然、靴の量販店に
警備会社のワンボックスが到着する場面に出くわした。売上金の回収に来たらしく、
警備員の一人がジュラルミンのケースを抱えて店内に入って行くと、もう一人が伸
び縮みする金属製の警棒をカシャ・カシャ・カシャと伸ばして、通行人を威嚇する
ように自分の手の平を打っていた。
 この野郎。警察でもない癖に格好つけやがって。ちょっと因縁つけてやろうか。
そう斉木は思ったが、警備会社の研修にも警察OBが来ていたので、裏でつるんで
いるんだろうと思い止めたのだが。
 それ以来、あの防弾チョッキの様なベストとか、金属製の警棒などを見るとムカ
つくのであった。
「どうもすみませんでした」とナルソックが書類を出すと、
「俺が指摘してやらなかったら、どうなっていたんだよ」とまだシャチハタを押さ
ない。「どうせこんなマンションの管理員なんて馬鹿にしてんだろう」
「まぁまぁ」と蛯原が入って来た。
 いつの間にか戻って来ていて、フロントから管理室の中を見ていたらしい。そし
て入って来ると「彼は今日はよくやってくれたじゃないか。人工呼吸もしたしな」
と言うと斉木の耳元で、「おい、ああいう耳の丸まった奴は、ひょろーっとしてい
ても柔道かなんかやっていて強いんだぜ」
「だからなによ」
「斉木君、疲れてんだろう。イライラしすぎだ。もう帰りなよ」と言うとなれなれ
しく背中をとんとん叩いた。
 時計を見るともう12時近かった。さすがに斉木も馬鹿らしいと感じ、ここで退
場する。


● 24

「徹夜明けだから気が立っているんだろう。俺がサインしてやるよ」言うと、蛯原
は引き出しからシャチハタを出して突いてやる。「ところでさあ」と言うとホワイ
トボードをがらがらーっと移動させてキーボックスを露出させた。「このキーボッ
クスって鍵自体はタキゲンとか栃木屋のだよなあ」
「さあ」
「そりゃあよく知ってんだよ。管理の仕事をしているんだから。だけれども、ぴっ
とカードをかざしたりするだろう。それが無いと開かないんだろ」
「勿論そうですよ」
「じゃあもし、停電とか、電気保安協会とか来た時にだよ、もしその時に非常事態
で居住者のドアを開けなければならない、ってなったらどうする?」
「これは普段はコンセントから110Vを取っているんですよ。でも停電になると
その防災盤のバッテリーから12Vが供給されるんです」
「じゃあ、そのバッテリーが無くなったらどうなるの?」
「そうしたらロックは解除されますが。なんでそんな事聞くんですか?」
「確認だよ。停電の時にゃぁ、どっかから電源供給されるんだろうとは思っていた
けど、どこなのかぁーと思って。だってここの安全をあずかっているんだから、居
住者様に聞かれて答えられなかったらまずいだろ。…計画停電があったら、あんた
ら大変だなぁ。信号もみんな止まるんだぞ」
「はぁ」
 ナルソックを帰してしまうと蛯原は、とにかく井上に連絡しないと、と思い、大
通リビング東京本店に電話したのだが、あいにく昼食で外出中、との事だった。
 井上というのは、斑尾マンション担当の管理主任者で、年齢は29歳である。
  通常、マンション管理会社には、工事部と管理部がある。
  工事部は、小さくは電球の交換、大きくはマンションの大規模修繕などを行う。
管理部は、マンション管理規約の作成、理事会や総会の開催や議事録作成などを行
う。
  この後者の担当者が管理主任者である。









元文書 #1071 斑尾マンション殺人事件 4
 続き #1073 斑尾マンション殺人事件 6
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