AWC 斑尾マンション殺人事件 4


        
#1071/1117 ●連載    *** コメント #1070 ***
★タイトル (sab     )  17/03/18  18:11  (433)
斑尾マンション殺人事件 4
★内容
●14  

 明子はカウンターに入ると管理室のドアをノックしてノブを引いた。
「お邪魔しまーす」
 中に入ると、家電量販店並の明るさ。
 真ん中にスチールデスクがあって、24時間管理員の斉木がPCにかじりついて
いた。
「今、日報と一緒にチクリメールを送っていたんだよ」斉木が言った。
 24時間管理員は、日々の日報を管理会社と同時に所長の所にも送ってくるのだ
が、斉木の場合、チクリメールも添付してくる。それは全て、蛯原に関する文句だ
った。
 蛯原は日中居る管理員で、主に居住者の相手をしていた。斉木らは24時間管理
員で、設備管理が主たる業務であった。
「又、何かあったんですか?」と明子が言った。
「全く蛯原って、嵐を呼ぶ男っていうか、あいつが騒ぎを起こすから仕事が増える
んだよね。
 夕べもそうだったんだけど、何が楽しくってああいう事をするんだか分らないよ。
 あれは『アビーロード』でポールが裸足になったのと同じかな。カメラマンの言
う通りにしていればいいのに」
「は?」
「いやいや。余計な事をするって事。夕べの出来事を聞かせてやろっか」言うと斉
木はPCのディスプレイに顔を近付けた。
「えーとね、昨日の夕方、マンションの裏に違法駐車があるというんで見に行った
んだよ。ワイパーにメモでも挟んでおこうと思って」と斉木は語り出した。
「そうしたら、帰りがけの蛯原がサブエントランスからしゃしゃり出てきやがって。
  ハシゴ車の駐車エリアだから、とか、消火栓の上に駐車しているから、とか言
って、早く警察に言ってどかしてもらえ、って言うんだよね。
 俺もそこで無視すればいいのに、つい電話しちゃったんだよなぁ。
 それで、110番通報したら、近所のお巡りが来たんだけれども、結局私有地だ
から駐車禁止にはならないし、呼んだ奴の免許証を見せろ、って俺の免許証をチェ
ックするし。ああやって、俺の個人情報が警察のデータベースに貯まるじゃないか、
お前のせいで、と蛯原に言ったら、
『警察を呼べなんて誰も言ってないよ。まして110番通報しろなんて誰も言って
いないよ。俺はただ所轄に連絡すればナンバーから所有者を割り出して連絡してく
れるんだから、そうすればいいのにって思っただけだよ。そんじゃあ俺は帰るよ。
おさきに』って、してやったりみたいな感じで帰りやがった。
 まあそれはいいんだけれどもね。
 夜中になってフロントでぼーっとしていたら、カサッ、カサッ、っとポストコー
ナーから音がしてくるんだよ。誰かが投函しいるんじゃないかって思って行ってみ
ると、無精ひげ生やした失業者みたいなのと、あと茶髪の元ヤンキーみたいな女が
せっせと投函しているんだよね。
 かーっとして。又俺のせいになるじゃないか。
『どこまで入れた』と俺は言った。
『え、いけないの?』
『入り口にポスティングお断りって書いてあんだろう。お前ら、どこのチラシ屋だ。
名前を教えろよ、上に報告するから』
 その時、俺はメモを持っていなかったんで、そいつらが投函したチラシを引っこ
抜こうとしたんだけど、他のチラシに引っかかって抜けな。思い切って引っ張った
ら破けたんだよね。
 そうしたら、元ヤンキーみたいのが、『人のおまんまのネタを破きやがって。こ
っちは一枚何銭でやってんだぞ』とか言ってきた。
『そんなの知るかよ。だいたい一回投函したらもうこっちの物だろう』
 そうしたら無精ひげの方が、床に落ちている民主党のビラを発見して、
『だったら民主党にもそう言えるのか』と言う。
『言えるに決まってんだろう』
『いやぁ、民主党には言えないでしょう』
『おめーよぉ、民主党はすごい、なんて思ってっから失業するんだぞ。いいから早
く帰れ。でないと警察呼ぶぞ』
『呼んでみろ。こっちはそれでおまんま食っているんだ』
『お前の境遇なんて、知らねーよ』
 とか言っている内に、何だか、こいつらが脱線したぷーたろーで、自分は制度内
にいるとでも思えてきて、そんなに聞き分けがないんじゃあ警察を呼ぶしかないな、
と又110番しちゃったんだよ。
 そうしたら、又夕方のお巡りが来て、又あんたか、ナルソックでも呼べばいいん
じゃないか、みたいに言うから、市民の生命財産を守るのはお前らの仕事だだろう、
と言ったら、それじゃあそうしてやるよ、って言って応援を呼んだんだよ。
 そうしたら、金網つきのランクルで機動隊みたいなのが4人も来た。
 やばいなーと思っていたんだけど、ヤンキーの女が機動隊に、『子供を保育園に
入れられないから夜中に働くしかない』とか『こんなリゾートマンションで贅沢し
ている奴らは死ねばいい』とか吠えてくれたんで助かったよ。
  決してむやみやたらに110番している訳じゃない、っていう雰囲気になった
んで」
  喋るだけ喋ると、斉木は背もたれに体重を預けて踏ん反り返った。
「その2番目の話は、蛯原さんと関係ないんじゃないんですか?」明子が言った。
「だって、そもそもポストコーナーの入り口に施錠しておこう、なんて言い出した
のは蛯原なんだから。ピンクチラシを入れられるから、って。そんなマンションっ
て普通あるのかねぇ。郵便配達が来る度にわざわざ管理員が解錠するマンションな
んて」言うと回転椅子を揺らした。「でも、このメール、やっぱ所長に見せなくて
いいよ。今喋ったら、そんなに大げさにしなくてもいいかなぁ、って思えてきたか
ら」
  そう言って斉木はにーっと笑った。そうすると、下顎に面の皮が引っぱられて、
頬骨の辺りが突出してくる。般若の面というか、星飛雄馬のスパイクの様な形状に
なるのだ。
 明子は、面白い顔しているなーと思って見ていたのだが、斉木のコメカミがツミ
レのように陥没しているのを発見した。「こいつはジョン=イタチ型だ」と思った。
しかし夕べ『ビートルズ殺人事件』を読んだ事は言わなかったが。
 明子はなんとなく辺りを見回した。
 正面に監視カメラや防災盤がある。そっち側からファンの音が響いて来ている。
 後ろにはNTTの盤が並んでいる。
 右手にはホワイトボードがあって1ケ月分のスケジュールが書かれている。
 左奥がキッチンになっていて、冷蔵庫だの電子レンジだのが置いてあるのだが、
パーテーションがあって見えない。
 斉木が立ち上がって、そっちに歩いて行った。
 明子も付いて行って何気に覗いてみる。
「こんな所にカビキラーがある」流しの横に置いてあるカビキラーを指して斉木が
言った。「誰がこんな所に置いたんだろう。夕べの6時からずーっと一人で居たの
に気付かなかったよ。こんなの食器にしゅーっと一吹きされたら胃洗浄だよ」
 斉木は冷蔵庫を開けてしゃがみ込むと、牛乳だの飲みかけのペットだのを出すと、
どぼどぼ流しに流した。
「えーッ。それって誰かが毒を入れたかも知れないから捨てちゃうんですか?」
「そういう訳じゃないけど。次に来るのは48時間後だしね。その間に停電がある
かも知れないから」
「でも今カビキラーがどうとか言っていたじゃないですか。職場の同僚が信用でき
ないっていうのは問題ですねぇ」
「じゃあ、これ飲む?」言うと斉木はコーラのアルミ缶を差し出した。「まだ開け
てないから。でも誰かが何かを注入したかも知れなよ。勇気があるなら飲んでみ
な」
 しかし受け取らないでいたら冷蔵庫に戻した。
 それから2人はスチールデスクの所に戻った。
「そうそう、明細渡しておきます」明子は袋から斉木分の明細を取り出した。「そ
れ、大変だったんですよ、12ケ月も遡って雇用保険、計算するの」
「おー、わりーわりー」斉木は受け取るなり破って中を確認した。
「斉木さん、辞めるんですか?」
「そうじゃないよ。停電だの色々あるから居住者の方から首にしてくるかも知れな
いから、念の為だよ」
「斉木さん、放射能が怖いから、沖縄の方に逃げるんじゃないかって、みんな言っ
てましたよ」
「どうせ逃げるんだったら、もっと遠くまで行くよ」
「ふーん」と言いつつホワイトボードの上の時計を見ると8時15分を回っていた。
「そう言えば、大沼さん、遅れるかも知れないから、そう言っておいてくれって言
ってましたよ。私がこれから迎えに行くんですけど」
「えー。あのおっさん、遅れんのかよ、残業手当なんか出ないだぜ。引継ぎの時間
だって毎回只で残業しているんだから」
「そうやって斉木さんが文句を言うだけ遅れるんですよ。じゃあ行ってきまーす」
と言うと明子は管理室の鉄扉を開けた。


●15

 外に出た途端に冷気が肌を直撃した。
  明子は慌ててフードを被った。
 これだけ寒いのに、マンション周辺の積雪に太陽が反射して眩しい。
 マンションを左手に見ながら駐車場を目指した。
 すぐにゴミ集積場に差し掛かる。さっき事務所から見ていた場所だ。
 山城以外の4人がゴミバケツの蓋を開けては閉めている。本来は水洗いするべき
ものなのだが、居住者が居ないので使われておらず、中身をチェックするだけで終
了なのだ。
 明子は「おはようございます。寒いですねぇ」とありがちな挨拶をした。
 額田という清掃員が「ちょと、あんた」と言ってきた。照り返し防止のキャッツ
アイを額にはめている。
「なんだって山城なんかに給料の明細を渡すんだよ。おらぁ、あいつに使われてい
るわけじゃないのに、あの野郎がこーんなに低い位置で」と言うと右手を思いっき
り下に伸ばした。「こんな所で渡そうとするから、こっちは自然とお辞儀をするよ
うな格好になって、丸で使われているみたいじゃないか」
「そんな事言われたって、所長が渡せって言うんだもの。所長に言ってくださいよ。
今事務所にいるから」と明子はマンションの方を見る。
 こちら側からだと日影になっていてよく見えない。
「所長の入れ知恵でやっているのかぁ」と額田が言った。「前のリーダーに代わっ
て入ってきた時にも、そんな事をしていたんだよ。誰よりも早く出勤してきて、清
掃員更衣室の床に掃除用具を出しておいて。モップだのデッキブラシだのを。そん
で自分は、パイプ椅子に腕組みをして踏ん反り返って居るんだよ。そんで、皆が、
おはようございます、って言って、清掃用具を取ると、自然と頭を下げる格好にな
るだろう。俺らを掌握する為にそんな真似したんだよ。何で同じパートなのに威張
られなくちゃならないんだい? 何で朝っぱらから深々と頭を下げなくちゃいけな
いんだい?」
  言いながら額田はだんだん興奮して来た。しまいには、うーうーと唸るような
感じになってしまい、体も上半身を硬直させて、両腕を激しく震わせて、足では地
団駄を踏み出した。
 なんだ、なんだ、これは。苦しんだ挙句、デビルマンみたいに変身するんじゃな
かろうか。
 そうだ、この人は、デビルマン、バッドマン、タックスマーン、ジョージ=ラク
ダ型だ。
「ほらほら、そんなに興奮すると、又ひっくり返っちゃうよ」と泉が言った。
「そんなになっちゃうの?」
「興奮すると、泡吹いちゃう。こーんなになって」と手足をびくびくさせて痙攣の
真似をする。
 この泉は、ポール=イルカ型だと思った。
 泉の後ろで低い声で笑っている横田は、デビルマンレディーという感じ。
 そういえばフローレンス・ジョイナーがてんかんである事を思い出した。
 やっぱ何か類型化できるな、と明子は思った。
 ふと横を見ると、大石悦子が望遠鏡でAMの事務所方向を見ている。さっき見て
いたのも彼女だろう。「家政婦は見た!」という感じである。しかし、覗いている
というよりかは、監視している感じだ。頭も石臼だ。
 こいつはリンゴ=石臼型だ。
「見える?」明子が聞いた。
「あんまり見えないねえ」
 明子は望遠鏡と取り上げると、つまみを調整してやった。
「ほら見えるよ、所長が手を振っているのが見える。所長ーーーーッ」
「どこどこ」大石は望遠鏡に目を当てるが首をかしげていた。
 明子はハッとして思い出した様に時計を見た。「いけない、こんな時間だ、私行
きます」
 明子は大急ぎでその場を後にして駐車場へ行った。
 ジムニーに乗り込み出庫すると、右手の清掃員達に手を振りながら車道へ出る。
 そして今朝上ってきた峠道を又下って行ったのだった。


●16

 約20分後、明子は、飯山駅から200メートル程度離れた路上に駐車すると、
ハザード出して車から下りた。
 歩道を横切って郵便局に向かう。入ろうと思ったが、ポストでも同じだと思い、
ポストに投函した。
 集配時刻を確認すると午前中は10時となっていた。
 これだったら今日の消印になるだろう。
 それからジムニーに戻ると大急ぎで駅に向かった。
 ロータリーの手前に停車すると、はぁ、と溜息を吐く。
「大沼さん、どこにいるんだろう」
 ハンドルにもたれかかってバス停留所の小屋を見てみた。
 それらしい人影は居ない。
 携帯を取り出して、着信履歴から大沼に掛けてみた。
「自分、見えとるでー」受話器の向こうで大沼が言った。
 明子はきょろきょろした。
「ここや 100均の前や」
 そちら方向を見ると、フィリピン人風の女性2人が、大沼に抱きついてキスして
いた。大きいコンビニ袋を持って、人目もはばからず。
 あのキスだけで、あんなに買ってもらえるのか。
 大沼は女と別れると、小走りにジムニーの方は駆け寄って来た。
 乗り込んでくるなり、酒と日焼けオイルの様な香水の匂い。
 それに、なんという格好をしているんだろう、ベティーちゃんが背中に刺繍して
ある革ジャンにブリーチしたGパン。どこで売っているんだろう。なんちゃってブ
ラザーが店員をしているヒップホップショップ?
「なんなんですか? あの人達」
「日系ペルー人や」
「何している人?」
「養鶏場で鶏の首、絞めてるんや」
「えー。なんでそんな人達と付き合いがあるんですか?」
「まぁ、ちょっとした事で知り合いになったんよ。一緒に飲む様になって、飯も作
りに来てくれるんよ、わしの夜勤明けには」
 こりゃあ何か訳ありだな。プレゼントを贈ってキスしてもらって。裏で何をして
いるのか分かったもんじゃない。
「斉木君も付き合っているんよ。彼、結婚するんと違うか」
 えっ。あの斉木が? 明子は彼の顔を思い浮かべた。
 いくら養鶏場で働いているからといって、斉木と一緒に居たいわけが無い。
「ずるいですね」と明子は呟いた。「あんなの、結婚できる男じゃないのに、出稼
ぎ労働者の弱みに付け込んでいるんじゃないんですか?」
 大沼は、ふんと鼻で笑った。「まぁ、ええから、ええから。はよ出して」
 明子は口を尖がらせつつサイドブレーキを外した。

 街を出ると、すぐに又県道97号の峠を上りだす。
 酒が残っていて吐いたりしないだろうか、と気をもんだが、
「タバコ吸ってもええやろ」と言ってきた。
「どうぞ」
 大沼は、一本くわえると窓を3センチぐらい開けて、使い込まれたライターでジ
ュポンと火をつけた。
 吸い込むとメラメラメラ〜と燃える。
 灰色の煙を吐き出す。
 煙の匂いが車内に広がった。
 これは高校生の時、遊び場の壁紙に染み付いていた匂いだ、と明子は思った。
 なんで大沼のタバコは臭くないんだろう。所長のタバコなんてプラスチックでも
燃やしたみたいにツーンとくるのに。
「仕事、どうや」
「うーん。疲れますねぇ」と明子は言った。
「仕事が増えた訳やないんやろ」
「うーん。でも、なんで疲れるんだろう」所長の顔が思い浮かんだ。眉に力を入れ
て弛んだ瞼を引っぱり上げる三角形の目。「所長がウザいから」
「あれかて俺より10も若いんやで」
 明子はちらっと大沼を見た。
 この人もジョージ=ラクダ型だ、と思った。
 フェリーニの『道』の主人公みたいな雰囲気がある。世間の約束とは関係なしに
獣道を歩いて行く人みたいな。あの映画みたいに行きずりの外人を拾ったりするの
が似合うのかも。
 でも、歳食い過ぎ。
「所長かて、雪が溶ければどっかに遊びにいってまうよ。春までの辛抱や」と言う
と、大沼は火種だけ窓の外にすっ飛ばして、吸殻を灰皿に入れた。
 そんなこんなの話している内に車はマンションに到着した。
 正面エントランスに横付けすると、大沼は「ありがと、ありがと」と言って降り
て行った。
 ベティーちゃんの刺繍を見ていて、フェリーニの『道』は褒めすぎかな、トリカ
ブト事件のスナック経営者にも似ているな、と明子は思った。


● 17

 大沼が降りてくる様子を、斉木は、フロントのカウンターから眺めていた。
 管理室の鉄扉が開いて大沼が入って来た。
 それからすぐに、コンシェルジュの榎本が、そしてチーフ管理員の蛯原も出勤し
てきた。
 この2人は、ラウンジを挟んで反対側にある清掃員更衣室で着替える。
 大沼ら24時間管理員は、ボイラー室で着替えていた。居住者の捨てたプラの衣
装ケースを拾ってきて、ロッカー代わりに使っていた。
 しばらくして、まず蛯原が戻って来た。
 Yシャツのボタンを3つぐらい外して、ネクタイをぶら下げて、ニットのベスト
を全開にし、開店前のスナックのマスターみたいないでたち。顔は北島三郎だ。
 フロントに居る斉木の前を、お前なんか居ないのも同じだよ、てな感じで、かす
れた口笛を吹きながらスルーして、管理室に入って行く。
 そしてまずデスクに携帯とタバコを置く。俺の領土、みたいに。
 それからキッチンコーナーに入って行った。あそこの冷蔵庫にはmyらっきょの
瓶が入っている。流しの横には小汚いmyタオルがぶら下げてある。
 自分で入れたインスタントコーヒー持って出てくると、タバコの横にどんと置い
た。
 こぼさないかなあ、と斉木は思った。こぼせばいいのに。そうすればPCの裏か
ら吸い込んでおシャカになる。
 蛯原はスチールデスクに半けつを乗せると、ばさっと新聞を広げた。
 ありゃ何気取りだ、カウンターから眺めつつ斉木は思う。デカ部屋の刑事コジャ
ックみたいな積もり? しかもタンソクだからつま先しか床に付いていない。だい
たい普段から誰かになり切っている感じだよな。ジェームズ・ディーンみたいなス
イングトップを着て来たり、刑事コロンボみたいなよれよれのコートを着て来たり。
 あんまり見るのは止めておこう。折角距離が取れているのに、下手にお近づきに
なったら、又厄介に巻き込まれる。夕べも設備屋から変な電話があった。あれは何
なのか聞きたいところだが、もし蛯原が何か画策しているのなら、下手に聞けば飛
んで火にいるなんとやらになってしまう。まず大沼に聞いてみよう。そして案の定、
何か企てていたとしても、全部大沼におっつけてしまおう。今は夜勤明けだ。俺は
すんなり帰りたいだけだ。
 そう思いながら顎を撫でるとじゃりじゃり音がした。
 榎本が現れた。スーツがパンパンで木目込人形みたいだ。喪服を着たら都はるみ
に似ているかも知れない。
 斉木はフロントの内側から「榎本さん、榎本さん」と呼ぶと、葉書を手渡す。
「誤配だって。居住者が持って来た。それから」と言うとポストイットの小さなメ
モを読む。「206の宅配ロッカーが荷物を出してもランプ付きっぱなし」
「はいはい。分りましたよ」
 榎本は管理室に入ると、すぐ左側のスチールのキャビネットの上に手帳を広げて
背中を丸めて亀の様に固まった。
 この狭いフロントと管理室に、9時〜6時で蛯原と一緒じゃあ堪ったもんじゃな
いだろう。
 前に、蛯原の座っている椅子の周りにぐるり一周、ファブリーズを噴霧した事が
あった、臭い、臭い、臭ぁーい、と。
 あの時には、蛯原も切れるんじゃないかと思ったが、脂汗を流しながら奥歯を噛
み締めて堪えていた。
 榎本も、ありゃあ四国出身と言っていたが、極道の妻じゃないのか、と眺めつつ
斉木は思う。清掃の山城と仲がいいから、あのオッサンを番犬にしているのかも知
れない。
 最後に作業着姿の大沼が現れた。斉木は立ち上がると、ポケットから鍵の束を取
り出して、それにつながっているビニールのスパイラル・ストラップを腰のベルト
通しから外して渡した。
 それから「ちょっと、ちょっと」と作業着を引っぱってフロントの奥に呼び込む。
「なんや、なんや」酒の残っている大沼はよろけながら引っぱられて行く。
「昨日の夜、設備屋から電話があったんだけど。管理室の外の下水管を工事するん
で、近い内に様子を見に行きたい、とか言ってたけど、なんか聞いている? 又な
んか蛯原が画策してんじゃないかと思って」と斉木は言った。
 そもそも管理員と言っても蛯原だの榎本だのは居住者相手であり、斉木、大沼ら
は設備の管理を主たる業務としていた。そしてこのマンションの設備管理で重要な
のは温泉施設の管理であった。
 その温泉について説明をすれば、ここの場合、どこか近所に活火山があって、熱
湯の温泉が吹き出していて、掛け流しで使う、というものではなくて、冷たいもの
を汲み上げて来て、直径2メートルのろ過器2台(屋内と露天)でぐるんぐるん循
環させて、途中のボイラーで暖めるという方式のものだった。そして、ろ過器の中
には湯垢やらバイ菌が溜まるから、掃除のために逆流させて排水する、という作業
を行わなければならなかった。しかし屋内風呂と露天風呂の両方をいっぺんに逆洗
すると、排水量が下水管のキャパをオーバーしてマンホールから溢れてくる。さり
とて片方ずつだと時間がかかる。だから一週間に一回でいいんじゃない、と24時
間管理員の間で勝手に決めていた。
 ところが先日保健所が来た時に蛯原が「週に一回の逆洗じゃあレジオネラ菌が湧
いたりしませんか? 毎日やった方がいいんじゃないですか?」と役人に言ったの
だった。そう言われれば役人は、そうやれと言うに決まっている。斉木としては、
「何を余計な事言ってんだ、この野郎。設備の管理は俺らがやっているんだから、
おめーが仕事を増やさなくても」と思ったのだった。
…そういう伏線があっての昨夜の電話だったので、「又何か企んでいるのでは」と
思ったのだが。
「なんも聞いとらんでー」と言うと大沼は管理室の中に入って行った。
 あいつが脇が甘いんで、蛯原に突っ込まれるんじゃないのか、と斉木は思う。
 大沼はふらふらと、蛯原の方へ歩み寄って、読んでいる新聞の一面を握り締める
と「爆発しとるでー」と言った。「斉木君、ペルーに行ったら空気がええんとちゃ
うか」
「あんまりはまらないで下さいよぉーほほほほほ」榎本は甲高く笑った。
 榎本も、大沼の日系ペルー人関係の話には興味津々だったのだが、蛯原もいる所
でその話をしたいとは思わなかった。だから中年女性特有の、笑いながら目の下が
痙攣している、という感じの返答だったのだが。
「おーい、早く引き継ぎ、やってんか」と大沼が言った。
「じゃ、やっちゃいましょう」ネクタイを締めながら蛯原が集合を掛ける。
 斉木もフロントから一歩だけ管理室に入った位置に移動した。
「おはようございます。今日は3月24日で」と蛯原がホワイトボードを見る。
「それじゃあ、斉木さんから何か」
「何もありませーん」と慇懃無礼に。
「榎本さんは」
「ありませーん」と手帳に目を落としたまま。
「分かりました、と。私の方からは、と」蛯原はホワイトボードを見る。「引越し
は無し」
 ある訳ねーだろう、と斉木は思う。
「計画停電は中止。大沼さん、仕事が増えなくてよかったね」
 おめーが増やしてんだろ。
「あと、そうそう」と思い出した様に蛯原が言った。「今日、小沢組が午前から来
て、管理室を出てすぐのマンホールのとこから水があふれるから、その工事をしま
す」
「え、何の話?」と斉木。
「両方いっぺんに逆洗すると溢れるっていうから下水管を太くするそうです」
「ちょっと待てよ。俺は何も聞いてねーぞ」後頭部のニューロンが一気に発火する
のが分かった。
「私もただ、大通リビングの工事部に言われただけだから」
「訳ねえだろう。わざわざ大通リビングが率先して銭使う訳ねえだろう。まず俺ら
に、片方ずつ排水しろとか言ってくる筈だよ。それをいきなり下水管の工事なんて、
おかしい。おめーが何か言ったんだろう」
「私はただ、保健所が毎日排水した方がいいって言っていましたよー、って。じゃ
あ何でやらないんだって聞かれたから、両方いっぺんに排水するとマンホールから
溢れて、そこが凍結して、居住者がすってんころりんして、管理会社が訴えられる
かも知れませんよー、って。それでもやりますか、って聞いたら、下水管を太くす
るしかないな、って言ってきた」
「やっぱりおめーが誘導しているんじゃないか」
「聞かれたから言ったまでだよ」
「下水管太くしたら毎日排水しなければならないじゃないか。大沼さん、なんとか
言えよ」
「あそこの配管ってこんなに細いんよ」と両手でわっかを作って見せた。
  なんの話をしているんだ、と斉木は思う。
「その向こうに避雷針が埋まっていて、こっち側にこの建物のH鋼があるんよ。そ
んでその配管が塩ビやから、それが絶縁体になっておるんよ。だから交換するんだ
ったら、変な埋め方をしたら、駄目やで」
 なにぬかしとんねん、この設備オタクが、と斉木は思う。
 しかし、どうして自分はこんなに簡単に頭に血が上ってしまうのだろうか、とも
斉木は思った。タイムカードを押して、さっさと帰ればいいじゃないか。次の勤務
日も、見て見ぬふりをしてやり過ごせばいいじゃないか。とにかく頭を冷やさない
と。それに喉もカラカラだ。
 斉木はキッチンコーナーに行くと冷蔵庫を開けた。アルミ缶のコーラを取り出す。
プシューっと開けてその場で半分位飲み干した。
 キッチンコーナーを出てくると、誰も居なかった。
 あれ、みんな何処行ったんだろう。
 フロントに出ても誰もいない。
 榎本、大沼は銭湯の券売機の精算に行ったんだろう。
 蛯原は何処に行きやがった。これじゃあ帰れないじゃないか。もう引継ぎは終わ
ったのだから帰ってもいいのだが、ちゃんとバトンタッチして帰らないとスッキリ
と夜勤明けを迎えられないじゃないか。
 畜生、何処に行きやがった、とフロントから出ると、後方の廊下から高橋明子が
現れた。
 さっき大沼を下ろしてから20分ぐらいたっている。途中のトイレでうんこをし
ていたんじゃなかろうか。
「あれ、そのコーラ、毒が入っているんじゃなかったんですか?」と明子はコーラ
を指差す。
「いやー、余りにも頭に来たんで、毒でも煽りたい気分なんだよ」と言ってから、
斉木は、これこれこういう訳で、と下水管交換の顛末を話してやった。
「それって丸でジョン・レノンのポールへの視線と同じですよ」と明子は言った。
「はぁ?」いきなりジョン・レノンって。こいつも話が飛ぶなぁ。
「ジョンは、ポールは何時でもシー・ラブズ・ユー、何かを企てている…、って言
っていたじゃないですか。斉木さんも、蛯原さんは何かを企てているって言うじゃ
ないですか。でも、ビートルズの場合には、ジョンの下衆勘だと思うんですよねぇ。
だって、今スマホで読んだんですけど、ジョンって、『アビイ・ロード』のジャケ
撮影の時にも、ポールは秘かに裸足になっていた、あいつは何時でも何かを企てて
いる、とか言っていたけれども、でも、撮影の時に一緒に居たんでしょう? 気が
付かない自分がおかしいじゃない? メガネの度があっていないんじゃないの? 
そう思いません? ジョンって思い出しちゃイマージンしているんですよ、きっと。
 だからって訳じゃないけれども、今の下水管の話にしても、おかしいのは蛯原さ
んじゃなくて斉木さんなんじゃないんですか?」というとハッとした様に口をおさ
えて「あ、変な事、喋っちゃった。私は行きます」と言って居住棟へ消えて行った。
 それから斉木はコーラを持った手をだらーんと下げて、立ち尽くしていたのだが、
今度は清掃の大石悦子が現れた。
「ちょいと。共用部の便所の電球、切れているわよ」
「俺、もう上がりなんだけれども」
「誰でもいいから、お願いね」












元文書 #1070 斑尾マンション殺人事件 3
 続き #1072 斑尾マンション殺人事件 5
一覧を表示する 一括で表示する

前のメッセージ 次のメッセージ 
「●連載」一覧 朝霧三郎の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE