AWC アイは朧気   永山


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#506/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/07/18  19:42  (200)
アイは朧気   永山
★内容                                         23/09/13 17:41 修正 第2版
 月曜の昼下がり、自宅でランチを終えてテレビを見るともなしに見ていると、衝撃的
な場面が映った。
 ワイドショーのレポーター達が、ある詐欺商法の中心人物と目される金城雅美《きん
じょうまさみ》という女性に往来で殺到し、コメントを取ろうとしていた。その人だか
りの隙間を縫うようにして一人の男が金城に近付き、刃物を突き立てたのだ。
 生中継映像と銘打っていても実際には十数秒ほど遅れて映像を流す方式が採られてい
ると聞いた覚えがある。トラブルやハプニングに対処して、不適切な映像をお茶の間に
流さないようにするためだ。
 ところが、番組は今も中継を続けている。人が恐らく刺されたのに中断はしないらし
い。逆に、スタジオにいる出演者達の声をカットしたように思われた。
 女性はまるで一本の丸太になったみたいに、アスファルト道にばたんと倒れた。長髪
の男は彼女に馬乗りになって追撃をしようとしている。が、その場にいた何人かが凶器
を持つ腕にしがみつき、どうにかそれ以上の犯行を食い止める。男はターゲットの女性
以外を傷つけるつもりはないのだろうか、ただただ執拗に刃物を女性に向けて振り下ろ
そうとするのが見て取れた。
 程なくしてパトカーが現れ、降りてきた警官二名が男を取り押さえた。ほんの少し遅
れて救急車も到着。男の下から引きずり出された女性に救命措置が施される。
 一部始終はワイドショーのカメラが収めて中継していたのだけれども、男の顔がはっ
きり映ったのはこのときが初めてだった。
 長い髪を引っ張られ、顔を無理矢理起こされた男はうっすらと無精髭を生やしてい
た。
「あ」
 瞬時にして思い出した。私はこの男を昔から知っていた。
 真藤一矢《しんどういちや》。小学校時代に好きだった。
 彼がパトカーに乗せられ、連れて行かれる。
 と、ここで警察官の制止が入り、中継はようやく?強制的に終了となった。
 私は台所に立ち、洗い物に取り掛かった。頭の中は今見た映像が占めている。手はほ
とんど自動的に食器を洗っていった。
(だいぶ変わってしまっていたけれども、間違いない)
 彼の席は私のすぐ前で、学校のある日は必ず顔を合わせていた。そのきらきらした印
象的な笑みが、すっかり消えてなくなり、やさぐれたと表現するのにふさわしい、恐ろ
しくも疲れ果てた面相になっていた。
 少し時間が経つのを待って、一時からのニュースを見てみた。金城雅美襲撃事件はト
ップニュース扱いだ。犯人――いや一応容疑者か――の名前がテロップで出た。
 真藤一矢。間違いない。彼だった。
 おかしなものでテレビを見ていた私が気になったのは、名前の末尾に括弧付きで示さ
れた50という数。
 ここ最近、私が歳を取ったと感じるのは当たり前か。それにしても、この歳になって
あのような凶悪事件を起こすなんてどうして。
 ニュースでは動機に関してはまだ何も判明していないらしく、言及がなかった。
 正直言って衝撃が強すぎて、好きだった人があんな風になってしまったという悲しみ
も何もなかった。とにかく「何故?」という疑問ばかり浮かぶ。
(調べてみようか。幸い、時間ならある。ただ、一般人が調べられる程度のこと、警察
はじきに調べ上げるだろうし。続報が出るのを待った方がいいのかしら)
 迷いを心中で言葉にしていると携帯端末が電話の着信を知らせてきた。ディスプレイ
に番号が表示されているが、覚えがない。普段なら無視をするという選択が有力だった
ろうが、今日このタイミングで掛かってくるということは――私は予感を強めた。もし
かすると昔の知り合いからの電話かもしれない。
「はい」
 名乗らずに返事だけしてみた。
「もしもし? 私、君塚利穗子《きみづかりほこ》と申します。そちらは峰小百合《み
ねさゆり》さんの電話でしょうか。姓は峰から変わっているかもしれませんが、私、峰
さんとは小学校で――」
「利穗子ちゃん、かしこまっちゃって」
 二つある愛称のどちらで呼ぼうか一瞬迷って、下の名前の方を選んだ。
「あ、小百合ちゃん、だよね? 久しぶり、懐かしい」
「ほんと何年ぶりになるのかしら。この年齢になってお互い、ちゃん付けで呼び合うな
んてねえ」
「歳のことは言いっこなしにしようよ。楽しい思い出話に花を咲かせたいところなんだ
けど、いきなり電話をしたのは、ニュースを見たからなの。小百合ちゃんは見ていた
?」
「ええ。たまたま見ていたお昼のワイドショーで、いきなりあんな風な恐ろしい場面を
見せられて、だからすぐには気付かなかったわ」
「そのことも含めて、話がしたいんだよね。今から出てこられる?」
「子供が帰ってくるまでの間なら。と、その前に利穗子ちゃんは今どこ? 私の番号、
どうやって知ったの?」
 これまで何度か同窓会が開かれたが、携帯電話の番号を教えたことはほとんどない。
利穗子とは連絡先の交換をしたんだったっけ。あれはでも家の固定電話か、古い携帯番
号だった気がする。
「力武《りきたけ》先生に教えてもらったの。あ、彼女はまず先方の意思確認をしてか
らとおっしゃったんだけれども、そこを私が無理を言って」
「なるほどね。分かったわ」
 番号の伝わったルートが明確になってすっきりした。私は若かった頃を思い起こしな
がら、「どこに行けばいいのかしら」と尋ねた。

 多少まごつきながらもどうにか約束した時刻通りに、指定された喫茶店に到着した。
 店内は半分方埋まっており、店の人に待ち合わせであることを告げて案内を頼むと、
利穗子は奥の方の壁際のボックス席にいた。
「あ、小百合ちゃん。おひさ〜」
 長い間会っていなかったというのに、軽いノリの挨拶で始められて、私は思わず苦笑
した。
「利穗子ちゃんは相変わらず若いわねえ」
「だから歳のことは言いっこなしだって。あんまり時間ないんでしょ? だったら早く
注文して、話をしよっ」
 私はアイスコーヒーを頼んだ。利穗子はすでにジュースを飲んでいたが、二人でつま
める物をとサンドイッチを注文した。
「先に聞いておきたいことがあるの。どうして私に電話をくれたの? 事件を見て知り
合いに電話するんだったら、他にもいっぱいいるでしょうに」
「それは小百合ちゃんが一番の親友だから……というのは言い過ぎだけど。でも、真藤
一矢っていう名前を見て、ぱっと浮かんだのは小百合ちゃんの顔だったから、ほんと」
「説明になっていないわ。だったらどうして私の顔が一番に浮かんだのか」
                        、、
「そりゃまあ、有名だったもの。小百合ちゃんが真藤先生を好きだってこと」
「そうだったかしら」
 記憶にない。秘めたる恋心のつもりだったから、誰にも言わずにおいた。そう思い込
んでいたけれども、違ったんだっけ。
 アイスコーヒーとサンドイッチが来た。
「そうだったかしらって、好きじゃなかったのー?」
「ううん、好きは好きだったけれども。そこを言ってるんじゃなくって、どうして私の
気持ちを利穗子ちゃんが知っているのかなっていうこと」
「え、だって」
 小さな三角型のサンドイッチを一口で頬張り、間を取る利穗子。待たされて、ちょっ
ぴりいらいらした。
「ばればれだったよ。バレンタインデーにチョコレートを渡したり、誕生日を調べた
り」
「ああ……」
 言われてみればそんなことをしていたかも。でも先生にバレンタインのチョコを贈る
ぐらい、他にもやっていた子がいた気がする。だからこそ、私も同じようにしても本気
と思われることはないだろうと高を括っていたんだっけ。
 アイスコーヒーを少し飲んだ。苦みが美味しい。小学生の頃は、たっぷりとシロップ
を入れないと飲めた物じゃなかった。
「利穗子ちゃんも先生に渡していなかった? チョコレートやプレゼントを」
「渡したことはあったよ。けれど、あれは小百合ちゃんとは別だったじゃない。私達の
はクラスの女子の総意って感じで」
「別……」             、、、、
「小百合ちゃんの場合は、言ってみれば職場恋愛でしょ。違った?」
「職場恋愛……そうね。その通りだわ」
 思い出してきた。
 私、峰小百合は真藤一矢と同僚の関係だった。ともに第四小学校の教師。小学校のあ
る日はいつも職員室で顔を合わせていたんだ。彼と私とのデスクは向かい合わせだっ
た。
 利穗子を見て若いと感じるのは当たり前だ。当時、利穗子は十二歳ぐらい。私は……
何歳だったっけ? 三十? 四十? まさか五十代には突入していなかったと思うけれ
ども、若くてきらきら輝いていた真藤先生にすっかりはまってしまったんだった。
 彼は当初はびっくりしていたし、おばさんの冗談だと受け取っていたみたいだけれど
も、私が本気だと分かると、徐々に心を開いてくれて。お付き合いしたのは一年ぐらい
だったかしら。児童達にばれないようにしていたつもりだったけれども、少なくとも私
が真藤先生に惚れていたことはばれていたのね。
 利穗子は特に、年の離れた妹みたいに感じていた。彼女も私を下の名前にちゃん付け
で呼ぶぐらい、なついてくれて。だからかわいがったし、親しくもした。
 あれ? おかしいな。音信不通になっていたのは何で? 連絡先は交換した覚えがあ
るのだけれども、新しい番号は知らせていなかったみたいだし。
 そもそもどうしてこんなに私の思い出、記憶ってあやふやなのかしら。全体にぼーっ
ともやが掛かってかすんでいる感じがする。
「じゃ、そろそろ本題に入ってもいい?」
「え、ええ」
「真藤先生、何であんなことしたんだろうね。小百合ちゃんは何か聞いてない?」
「何にも。聞くはずないわ。だって、真藤先生とはだいぶ前にお別れして、以来、ずっ
と会っていないし、電話すらしてないのよね」
「そうだったの? 力武先生や他の先生の情報だと、それなりに長い間付き合っていた
ような話、聞いたんですけど?」
 語尾にアクセントを置いて、どことなく面白がっている風に聞いてくる利穗子。凶悪
事件を話題にしているとは思えない。
 ため息が出た。渋い顔つきになっているだろうなと自分でも分かる。
「小百合ちゃん。私、もう一つ情報を得ていて、それ、聞いてみていい?」
「いいも何も、どうせ聞くつもりでしょうが」
「えへへ。ま、そうなんだけど。ちょっとデリケートな話だから」
 そう言うと居住まいを正した利穗子。思わず、こちらも背筋を伸ばし、身構えた。や
がて利穗子は潜めた声で聞いてきた。
「小百合ちゃん、ううん、峰先生。お金をだまし取られたって本当ですか」
「……?」
「今日、真藤先生に刺された金城雅美が代表を務めていた金雅の会に」
「……キンガ……」
 その名前を口にした途端、こめかみの辺りがずきんとした。
 同時に、呼吸が軽く乱れるのを自覚し、胸に片手を当てる。
「あ、ああ」
 また何か思い出してきた。

             *           *

 君塚利穗子は本当にこんな質問してよかったのかと心配になった。さっきまで曲がり
なりにもはきはきと受け答えしていた峰先生が、急に調子が悪そうになったのだから慌
てもする。両手を伸ばしかけたが、相手は「ううん、大丈夫よ」と拒んだ。実際、言葉
の通り、荒くなった息は収まってきた。
「お水、汲んでもらいますか」
 さすがに丁寧語になって意向を尋ねる。峰小百合はアイスコーヒーを飲んでから、首
を横に振った。
「もう大丈夫よ」
「そう、ですか」
 そのときだった。喫茶店の出入り口のベルがからんからんと鳴ったかと思うと、男性
の緊張を帯びた声が店員相手に何か問うている。その声の方を向くと、ちょうど目が合
った。短髪で髭の濃いその若い男性は、店員の腕が差し示すまま、こちらのテーブルに
向かって来る。
「母さん。やっと見付けた」
 男性は峰小百合に駆け寄り、肩に手を掛けながら言った。
「このメモ書き、判読するのに苦労したよ」
 握りしめてしわくちゃになった紙を広げる男性。そこにはミミズがのたくったような
文字があって、到底読み取れない。
「ああ、すまないね」
「勝手に出ちゃ行けないと言っただろ。大変なんだから。心配させないでくれよ」
 男性はそこまでしゃべると、君塚へと振り返った。
「あなたが利穗子さんですか。メモにあった」
「あ、はい。君塚利穗子と申します。あなたは先生の息子さんでいらっしゃいますか
?」
「ええ。皆さんにはお知らせしていないのですが、母はごらんの通りでして。いわゆる
痴呆の気がたまに出るんです。近頃は頻繁になってきたかな」
「そうだったんですか……」
 先生と話をしていても若干のちぐはぐさを感じた君塚だったが、理由が分かった。
「十年近く前から症状の兆しはあったんです。それが例の金雅の会にお金をだまし取ら
れて、一気に進行した具合でしてね」
「ああ……」
 やっぱり詐欺の被害に遭っていたのかと、情報の正しさを確認できてうなずく君塚。
「あの人が犯行に及んだのは、母の敵を討つつもりだったんです、きっと」
「あの人とは真藤一矢先生のことですよね。やはり、真藤先生と峰先生とは深い仲だっ
たんでしょうか」
 この問い掛けに、男性は目を丸くし、わずかに苦笑めいたものを表情に浮かべた。
「深い仲も何も……。申し遅れました。私の名前、真藤光哉《みつや》と言います」
 男性はそう言って運転免許証を示した。

 終わり





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