AWC 遅延 〜 早く故郷に帰りたい   永山


        
#492/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  21/03/04  20:03  (185)
遅延 〜 早く故郷に帰りたい   永山
★内容
 二〇〇九年四月。日本時間で言えば二十五日になっている。
「運がよかったですね。空調の整備で出発が遅れていまして、まだ大丈夫です。でもあ
と五分もすれば、ゲートを閉めるところでしたよ」
 係の者はにっこり笑って、通してくれた。私は幸運と言われたことに思わずサンキ
ューと返した。
 もう間に合うと分かっているのに、走ってしまう。それもほぼ全速力で。
 理由を知れば、誰もが理解してくれるだろう。私はこの飛行機――999X便に乗ら
ないと、残りの人生を安らかに送れなくなるのだ。

 大卒後、電子部品メーカーに勤めるようになった私はキャリアを積み重ねる内に、語
学力を認められたのか、それとも性格が外国向きと判断されたのか、色々な国の支店を
任されるようになった。自社内では異例の若さでの出世とあって、鼻高々であったのだ
が、一方で色々と不満もあった。日本の世事流行に疎くなったし、海外勤務が決まる都
度、付き合っていた恋人と別れることを繰り返し、結婚できないまま中年になった。よ
うやくずっと待ってくれるという女性を見付け、将来の結婚を約束してからF国に出た
のが約二年前。
 二月半ば、私は初めて本社に要望を出した。そろそろ日本に戻りたいのですが、と。
 するとありがたいことに、本社の方もその方向で考えていたとの回答が来た。四月頭
に戻れるよう調整を図っていたのだが、少しずれ込む見通しになったので、知らせるの
も後回しになっていたのだという。
 私はできれば大型連休前に戻って、身の回りのことを万全にしてからまた会社に尽く
したいとの希望を伝えた。会社は多分、できる限りのことをしてくれたのだと思う。そ
れでも到着は四月二十五日、土曜日の夜遅くになってしまった。まあ、ぎりぎり大型連
休開始前と言えなくはないが。できれば、もっと余裕を持って日本の土を踏みしめたか
った。彼女とも早めに会って、じっくり話をしたいと思っていたのだが。

 機内に入り、席にも無事に着けた。空席がそれなりにある。自分の両隣も空いてい
て、通路を挟んだ向こう側の窓辺に若い女性が一人、本を読んでいる。反対側には日に
焼けた黒サングラスの男が強面にさらにしわを寄せて、雑誌のクロスワードに取り組ん
でいた。世界的に見れば日本の大型連休なんて関係ないことがよく分かる。
 私は座席に収まり落ち着くと、腕時計の時刻を日本のそれに合わせた。
 十分ばかりが経過し、そろそろ出発だろうという頃合いになって機内アナウンスがあ
った。
<ご搭乗の皆様にお知らせいたします。本機第四エンジンに軽微なトラブルが見付かり
ました。出発まで今しばらくお待ちください>
 思わず、肘掛けを握る手に力がこもった。
 遅れが出るのか。それは何分、何時間だ?
「またか。参ったな」
 一つ空けて隣に座る男性が日本語で言った。そのナチュラルな発音から、日本人なん
だと今さらながら気付く。

 一時間強待たされた後、飛行機は(私にとって)微妙なタイミングで飛び立った。
 頼む。これ以上の遅延は勘弁してくれ。
 贅沢は言わない。今日中に、四月二十五日中に日本に着きさえすればあとはどうなっ
てもかまわない。いや、入国しなければならないから、その分の余裕は絶対に必要だ。
ともかく、二十五日中に日本に入りたいんだ。入らなければならない。
「すみません。失礼ですが、日本の方ですか?」
 左手から声がした。例のサングラスの日焼け男だ。見た目から想像したのと違って線
の細い声だった。意外感に囚われ、まじまじと見返してしまう。
「え、ええ。日本人です」
「そう。よかった。いえね、先ほどからちらちら目に入っていたのですが、ほら、今
も」
 サングラスを外した彼が私の方を指差してくる。何かと自分自身を見下ろした。と、
両手を組んでお祈りのポーズをしていた。
「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ。飛行機は時間当たりの移動距離と一度に運
べる人数を元に計算すれば、世界一安全な乗り物と言われていますから」
「あ、そうですね。それは分かってるんですが、遅れるのがちょっと」
「そうでしたか。旅慣れているようにお見受けするのに、何でこんなに怖がっておられ
るんだろうと不思議に感じましてね。いやあ、失礼をしました。お許しください」
「かまいません」
 私は手をほどき、肘掛けに乗せた。ゆったりとした態度を取る。
 少し考え、予防線を張っておこうかと思った。このあともしもまだ遅れるような要素
が生じたら、私はますますいらつき、天に祈りたくなるだろう。その行為を変に思われ
ないための予防線だ。
「話し掛けてもらって、ちょっと落ち着きました。こちらこそありがとうございます」
「ほう。それはよかった」
「実は、お恥ずかしい話なんですが、女房に浮気を疑われまして」
「ほうほう」
「海外勤務が長いとどうしても疑いの眼で見られるもので、慣れてしまっていた。いつ
ものことだと軽くあしらっていたら、何を思い違いしたのか、別れると言い出しまし
て」
「何と」
「どうやら送られてきた会社のパーティの写真を見て、私にニューハーフの人がふざけ
て抱きついてきたのを誤解したらしく……。今日中に帰り着いて弁明しないと、危ない
んですよ。土日だから帰ってこられるだろうって、えらい剣幕でした」
「それは災難ですねえ」
 日焼け男は見た目と違ってと言っていいのか、聞き上手なタイプのようだ。私はその
あとも彼と時折おしゃべりをした。フライト中の焦燥や退屈さを紛れさせるにはちょう
どよかった。

 日本の上空に不安定な大気の塊があるとかで、若干迂回ルートを取るとの旨がアナウ
ンスされた。
 今日中に日本に入国できるかどうか、いよいよ微妙になったようだ。まさか前を行く
人を突き飛ばして我先にと出る訳にも行くまい。現時点ではどうしようもないが、なる
べく速やかに降りるための行動を起こすべく、心の準備だけはしておく。
「また何か緊張なさっているようだ」
 日焼け男が言った。私は自嘲気味の笑みを表情に乗せ、彼の方を振り向いた。
「かもしれません。近付いてくるとぶり返してくる。――気を紛らわせるために、さっ
き思い付いたことがあるのだが、聞いてくれます?」
「私でよければ喜んで拝聴しましょう」
「そうですね……これは推理小説のネタになるんじゃないかと考え付いたものです」
「お、ミステリですか。私、大好きなんですよ」
 日焼け男はクロスワードパズルが載っている雑誌をかざした。
「原語で小説を読めるほどではないので、海外での旅のお供は、行きは日本から持って
来たミステリなんだが、帰るまでに読み尽くしてしまう。なので帰路はこの手のクロス
ワードを愛用しています」
「はっは。そういう人になら、興味を持って聞いてもらえるかもしれない。でも、オー
ソドックスなスタイルじゃなくて、犯人が端から分かっているというか、奇妙な味の変
格推理になるのかな」
 私は飲み物を含み、口の中を潤わせた。長くなるかもしれない。
「主人公の男はかつて殺人を犯した」
「ほう。変格の中のオーソドックスという感じですな」
「そうなりますかね。えっと、動機やら背景やらは同情できるものにした方が読者の共
感を得られると思いますが、今は省くとします。ああ、年代だけはある程度決めとかな
いと。そうだなあ、一九九〇年、男が二十歳のときの犯行とします。男は一度は疑われ
るも、幸運なことに逮捕されるまでには至らず、事件は迷宮入りの様相を呈してきた。
男はこのまま大人しく過ごして、十五年が経つのを待とうと決めた」
「そうか、その頃は殺人の公訴時効は十五年でしたっけ。十五年逃げ切れば、罪に問わ
れることはなくなる」
「はい。男は指折り数えて待った。ところが二〇〇三年、時効成立まであと二年ほどと
いう頃に、公訴時効を延長しようという気運が高まり、翌年の一月一日から公訴時効は
二十五年になった。男は落胆し、歯ぎしりし、不満を高めたでしょう。だがその不満を
世間に訴えたり、誰かに愚痴をこぼしたりはできない。怪しまれる恐れがありますか
ら。男は慎重にも慎重を期して、ネットでも検索しないように心掛けた」
「……検索履歴に“公訴時効”“延長”“法的根拠”なんて残っているのを見られた
ら、折角迷宮入りした殺人の件で、いらぬ疑いを呼び覚ましかねないという訳ですね」
 日焼け男の察しのよさに感心しつつ、私はうなずいた。相手はまだ何か言いたそうだ
ったが迷っている風でもあったので、こちらの話を続けることにした。
「決まったことはどうしようもない。男は覚悟を決めた。二〇一五年まで慎ましく生き
ようと心に誓ったんです。しかしその誓いとは裏腹に、男は二〇〇四年の三月辺りから
海外勤務になった。会社員としてそれなりに期待を掛けられ、出世していたので」
「あー、そうきましたか。日本国外にいる間は、時効の進行が停止するというあれだ」
「それです。男がいくら日々を過ごそうが、時効は止まったまま。まるで、針が全く動
かない時計だ。たまに日本に帰っても休みはすぐに終わる。やっと海外勤務が終わって
日本に定着できると思ったら、半年と経たずに別の国へ行ってくれと辞令が下る。時効
の完了する日も何だかんだと先延ばしになり、結局、二〇一九年頃になりそうだった。
それでも男は我慢するつもりでいた。
 だが、今年二〇〇九年、またもや時効に関する法律を変えようという流れが大きくな
った。ご存知でしょう、時効の完全な廃止です」
「もちろん。あ、言われて思い出した。確か明後日にも法案が可決されて、即日施行さ
れる流れだとか。よほどのことがない限り、既定路線だと言っていましたね」
「はは。それですよ。それを聞いて私はこの筋書きを思い付いたんです。時効廃止にな
ったら、男はもう永遠に罪から逃れられなくなる。たとえ警察に捕まらなくても、残り
の人生をずっと怯えて、びくびくしながら生きていかなきゃならなくなる。どうしてこ
んな目に……と恨みがましく思った男は、残り何年何ヶ月何日で時効だったかを正確に
出そうと計算し直した。そのときになって、気が付いたんです。二〇〇四年の法改正で
は、過去に遡っての適用はないということに」
「ああ、やはり承知の上だったんですね。いや〜、先ほど、法律が変わったから男の時
効も十五年から二十五年になったという風な口ぶりでしたから、思い違いをされている
のかと」
「いやいや、さすがに知っています」
 私は最前、日焼け男が物言いたげだったのはこのことだったんだなと理解した。
「お節介をして言うところでしたよ。話の腰を折ってすみません、続けてください」
「――男は今頃になって気が付いた自分を腹立たしく思うやら呆れるやら。とにもかく
にも計算をやり直した結果、とんでもないことが明らかになる。男の殺人に対する公訴
時効が成立するまであと二日となっていた。地獄の淵で踏みとどまった心境の男は、会
社に強く申し入れてどうにか帰国できることになった。それが法施行の二日前、つまり
今日、四月二十五日だ。今日中に帰り着き、入国できれば今日、明日と二日間を過ごす
ことで時効成立までの二日間を消化できる」
「ちょっと待ってください。確認なんですが、海外から戻ったのが何時であろうと、そ
の日は一日経過したものとしてカウントされる?」
「恐らく。時効の進行が始まる最初の日は、何時だろうとそのまま一日と数えるはずで
すから、時効の進行が再開する場合も同じでしょう」
「ははあ、そういうものですか」
「男は飛行機に乗り遅れそうになるが、どうにか間に合った。けれどもちょこちょこと
トラブルが発生して、なかなか飛び立てない。焦りを胸の内で膨張させながらも、表面
上は平静を装う男。やっと離陸し、このまま順調に飛んでくれれば間に合いそうだ。し
かし日本が近付くと、悪天候のニュースが。これ以上遅れると厳しくなってくる。さ
あ、男は果たして間に合うのか否か?」
「最後はサスペンス調で終わりましたな。あるいは、『女か虎か』のようなリドルス
トーリーにもなりそうだ」
 『女か虎か』とか“リドルストーリー”とは何のことだか私は知らなかった。なの
で、曖昧にうなずくだけにとどめておいた。
<皆様にお伝えします。日本上空の雲は飛行によくない影響を及ぼすものではないとの
判断が下りましたので、迂回はせず、当初の予定通りにフライトを続けます。成田着は
定刻より九十分前後の遅れになると見込まれます。詳しい到着時刻は、また後ほどお伝
え申し上げます>
 新たなアナウンスに耳を傾け、聞き終わったときにはほっと安堵していた。九十分程
度の遅れで収まるのであれば、私の目的は達成される。内心、ガッツポーズを決めてい
た。
「よかったですな」
 サングラスをかけ直した日焼け男は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「我々も、お話に出て来た男もどうやら間に合いそうで何よりだ」
 サングラスの奥で、目が鋭く光ったように見えた。
「え、ええ」
 私がそう応じた次の瞬間――飛行機ががくんと傾いた。

             *           *

 日本時間の午後十時過ぎ、F国国際空港発成田行きの大型旅客機999X便が日本海
に墜落。生存者はゼロの模様。
 原因はまだ不明なるも、同機体はエンジン並びに空調設備の不調を訴えていたとのこ
とで、事故との関連を調べている。

 終わり





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