AWC 驚きのバースデー   寺嶋公香


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#474/550 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/10/04  22:30  (479)
驚きのバースデー   寺嶋公香
★内容                                         19/10/07 01:01 修正 第4版
 純子は映画の撮影スタジオから引き上げる間際になって、鷲宇憲親から声を掛けられ
た。
「今度の誕生日、サプライズパーティをしてあげるから楽しみにしといて」
 それだけ言い置いて、すたすたと立ち去る鷲宇の背中を、純子はしばらくぼうっと見
送る。
 この直前まで、純子は控室にいて、帰り支度に務めていた。その途中、鏡をしばらく
見つめてしまい、ふっとため息が。やおら立ち上がり、帰り支度最後のアイテムである
小さなバッグを持つと、部屋を出た。
 廊下を行こうとしたところで、「あっと、ちょうどよかった」と声を掛けられたので
ある。
「あの。サプライズになってないと思うんですけど」
 一見、いや、一聞しただけではスルーしてしまいそうな、でもちょっと考えたら矛盾
しているとすぐに分かる。声を張ってそのことを告げると、鷲宇は立ち止まって振り返
り、
「いいからいいから。追って連絡するから、少なくとも当日は空けておいて欲しいん
だ。
天候もあるから、できたら一週間ぐらい余裕を見ておいてもらいたいぐらいなんだけ
ど。OK?」
 と、大きな身振りをまじえて確認を求めててきた。
「しようがないですね。ええ、かまいません、一週間でも十日でも」
 鷲宇との付き合いも結構長い。だから、この手の無茶振りに近い誘いを断っても、別
のアプローチをしてくるのは分かり切っていた。承知するまで離さない、そんな強引さ
を鷲宇はときに発揮する。
(誘い文句の矛盾に気付いていながら、結局乗ってしまう私も私だけれどもね)
 このところまた忙しくなって、疲れる暇さえなかったから、気晴らしをしたかったと
いうのはある。そして何より大きいのは、相羽信一の長期の不在である。
(船の上で一年間のお仕事だなんて)
 約十ヶ月経った今でも、まだちょっぴり恨めしい。元々この仕事を引き受けるはずだ
ったピアニストがダウンしてしまい、そのピアニスト自身の推薦で知り合いあり友人で
もある相羽に打診が来た。このシチュエーションで断れるはずがない。
(きっと、断れないと分かっていて、頼んできたんだわ)
 あきらめにも似た気分で彼を送り出してから、今日これまでのおよそ十ヶ月。会えた
のはただの一回きりだ。相羽の乗る豪華客船が日本の港に立ち寄るのと、純子の休みの
取れる日とがたまたま重なった。
(そういえばあのときも名目上は、誕生祝いだったわ。一ヶ月ぐらい前倒しで、彼の節
目の誕生日をお祝いした。乗ったことのない船だったし、どんな仕事場なのか見てみた
かったんだけど、急なことで見学予約を入れられなかったっけ。――いくら鷲宇さんで
も、船まで飛んで連れてってくれるはずはないわよね)
 サプライズの中身を早くも過大に期待する自分に、純子は自嘲の笑みをこぼした。最
前、鷲宇が天気について心配する台詞を口にしたいせいかもしれない。
 かぶりを振って、それからスケジュール帳を開く。忙しい身と言っても、現在の純子
は自分の意見で仕事を選べるくらいにはなっていた。誕生日以降のスケジュールは空っ
ぽにしておこう。

 誕生日の前々日、予報では好天に恵まれそうだから当初の予定通りに、という主旨の
連絡が鷲宇から入った。ちょうど冬物の撮影に立ち会っていたため、メッセージが届い
たことに気付くのが少し遅れた。
 今日中なら電話してくれても大丈夫とあったので、詳しいことを聞こうと携帯端末を
耳に当てる。三回ほどコールしてつながった。
「読んだ?」
 いきなり聞かれた上に、その声がいつもの鷲宇に比べて若干嗄れていたので、少しび
っくりした。
「だ、大丈夫ですか」
「これくらい何でもないさ。それよりも読んだから電話くれたんでしょう? 何かご質
問でも?」
「とりあえず、時刻が。何時にどうすればいいのか、おおよその目安でもいいので、知
っておきたいなと」
「あれ。送り忘れたか。しょうがねえなー。当日の午後二時に迎えに行かせるので、待
機しといてもらえる?」
 承服しかけたが、ちょっと前にもらった友達からの電話を思い出した。
「待機ですか。お昼からになるんでしたら、午前中に友達に会いたいんですが」
「友達って、誰。仕事仲間なら呼んじゃうってのも手だ」
「元クラスメートです。鷲宇さん、覚えていないかもしれませんが、唐沢さんご夫婦」
 二人の顔を思い浮かべつつ、名前を出してみた純子。鷲宇はいかにも心外そうな口調
で答える。
「年寄り扱いしなさんな。覚えてるよ。あの二人とどこで何するつもり?」
「連絡はこれからですけど、会って話をして、ランチと買い物ぐらいかしら」
「具体的に店の名前が分かるんなら、そっちに迎えに行かせよう」
「そんな、いいですよ。何から何までしてもらわなくたって。さっき年寄り扱いしなさ
んなって言われましたけれど、逆に私をいつまでも子供扱いしてません?」
「うーん、ずっと一人前に扱ってきたつもりだけどな。それに前にも言ったサプライズ
のためには、君に直接会場に来させるのは避けたいんだ」
「あの、ますますサプライズ感が失われていませんか」
「気にしない気にしない。それじゃあ三時だ。昼の三時で友達との用事は切り上げて、
連絡を寄越してくれないか。指定した場所に行くよ。東京のどこかなんだろ」
「……だったら、唐沢君達を送ってあげて欲しいな」
「無茶を言いなさんな」
 呆れ混じりの笑い声を立てる鷲宇。
「昔からの友達が大切なのは理解できる。でも、僕らも友達だろ? 元クラスメートの
子達に比べたら、キャリアの長さでは負けるだろうけどさ」
「分かりました。ちょっと意地悪を言ってみたくなっただけです。鷲宇さん、相変わら
ず強引だから」
「ほんと、言うようになったねえ」
「それより、当日はどんな恰好をしていけば……」
 まさかとは思うが、フォーマルな衣装を求められるとなると、唐沢達と会ったあと、
また着替えなければならないだろう。
「えーと、考えてなかった。けど、気持ちお洒落するぐらいでいいんじゃないか。一応
言っておくと、和服は避けた方が無難」
「はい」
「あと、足元だけは言っておかなくちゃな。なるべく安定して動ける靴にしておいで。
ヒールの高いのや厚底は以ての外」
「大丈夫です。撮影でも滅多に履きませんよ」
「よし。こっちからはこれくらいだけど、まだ他に何かある?」
「当日のことはともかくとして、私の方から鷲宇さんに誕生日のお祝いをしたことがな
いのが、とても気になってるんですが」
「プレゼントならくれたことあるじゃないか。あれで充分です」
「鷲宇さんのしてくださるお祝いが、豪勢すぎるんですよっ」
 おかげでこちらは見劣りすると表現するのすら恥ずかしいぐらいです云々かんぬんと
言い立てたけれども、鷲宇にはのれんに腕押しだった。
「ま、いいじゃない。それだけ僕は君のことを今でも応援してるし、感謝もしてる」
「大げさですってば〜」
「前にも言ったかもしれないけれども、僕は生き甲斐、と言ったらさすがに大げさだ
な、やり甲斐を失っていた時期があって、明らかに停滞していた。仕事も趣味も惰性で
やっていて、それでも何か知らないけど周りが評価してくれる。そんな状況に飽いてい
たときに、涼原純子という少女が現れた。本心を言えば、才能は認めつつも最初は興味
半分でサポートしたんだ。が、打てば響く、磨けば輝く君がすっかり気に入ってしまっ
た。これは僕も負けていられないぞと思えたのは、君のおかげ」
 純子は苦笑いを浮かべていた。もう耳にたこができるんじゃないかってほど、何度も
聞いた話だ。くすぐったいこの感触は、何年経っても変わりがない。
「あー、もう分かりましたから。喉の方、お大事にしてくださいね」

 十月三日になった。
 予定していた通り、そして希望していた通り、午前中は九時半頃から唐沢夫婦と会っ
て、旧交を温めるのに時間を費やした。
「相も変わらず、魔女ですなあ」
 唐沢の挨拶は、ここ数年、ずっとこれである。そして続けて愛妻との比較を始めて、
当人から肘鉄を食らわされるのがひとつながりになっていた。
「まったく、いくつになっても、変わらないんだから」
「ふふふ、大変そうだね」
 服をメインに、ファッション関係のショップを見て回りつつ、お喋りに花を咲かせ
る。
「大変そうなのは、純、そっちじゃないの。旦那ってば、まだ船の上のピアニストなん
でしょ?」
「うん」
「会えてるの?」
「だめだめ。それなりの頻度で日本に帰っては来てるんだけど、タイミングが合わなく
て。私が見境なしにドラマの仕事を入れてしまったから」
「寂しさを紛らわせるために、でしょ」
「そ、そうでもないのよ」
「そういや、お子さん達は? 今日の誕生日――」
「おーい。いい加減にしてくれ」
 唐沢の声が話を中断させる。振り向くと、荷物を両手に提げた彼が、ややわざとらし
く肩で息をしていた。
「よくそんだけ喋りながら、買い物ができるもんだ」
「男性は二つ以上のことを同時にするのが苦手っていう説があるからねえ」
 お昼になって、百貨店最上階の展望レストランというベタなシチュエーションで、食
事を摂る。三時のお茶を飲む時間が取れるかどうか怪しいため、デザートもここで。
「ということで、誕生日おめでとう」
 デザートが運ばれてきたあと、唐沢夫婦からプレゼントをもらった。ルービックキ
ューブ大の箱で、持った感じは重くもなく軽くもない。
「開けていいよ」
「それじゃあ」
 爪を使ってきれいに包装紙を取り、順次開けていくと、現れたのはオルゴールだっ
た。それもからくり人形付き。音を鳴らす間、ピアノの上で人形が踊る。
「うわぁ。ありがとう。『トロイメライ』ね」
「曲目は純子が好きな曲と知っていたからよかったんだけど、ピアノの蓋が閉じたまま
というデザインが、中途半端だと思ったのよね。でも喜んでくれてよかった」
「ううん、そこまでこだわらないわよ。あ、でも、ピアノを見ていると、彼を思い出し
て涙に暮れるかも」
「あ、ごめん。思い至らなかったわ」
「冗談だってば」
 他の友達や家族の近況などを話していると、時間はあっという間に過ぎて、三時を迎
えた。きりのいいところまで話すと、多少オーバーした。
「また何か出るんだったら、教えて。ずっと応援してるから」
「ありがと。次は私の方から誘うね」
「無理しなくていいよ。暇で暇で退屈に飲み込まれそうなときに誘ってちょうだい。相
手をしてあげよー」
 名残惜しかったが唐沢達と笑顔で別れると、純子は一呼吸を入れてから鷲宇に連絡を
取った。

 二十分足らず後に、長い長いリムジンが現れたので何事かと思った。次に嫌な予感が
して、素知らぬふりをしていたが、案の定、純子の目の前でその車は止まった。
「待たせてすまない。ちょっと混み始めてた」
「何ですかこれは」
 リアウィンドウを下げて声を掛けてきた鷲宇。純子は被せ気味に聞いた。
「何って。この方がゆったりのんびり行けるから、いいだろうと思って」
「っ〜」
 唖然としたが、何とも言えず、ここは冷静さを保とうと努力した。結果、どうせ状況
は変わりないのだから、さっさと乗り込んで出発してもらった方がいいと判断。
「早く出ましょう。注目され続けると、鷲宇憲親が来てるとばれるかもしれませんよ」
「それもそうだ」
 後部座席は窓に濃い色のフィルムが貼られたり、カーテンが引かれたりで、外を見ら
れないようになっていた。天井はスクリーンのようになっていて、プロジェクター装置
で星空を投影できるという。試しにやってもらったところ、実際の星空を映すのとプラ
ネタリウムの二種類があって、プラネタリウムの方は省略がなされており、若干物足り
なかった。
「見ただけで分かるとは、凄いな」
「逆です。見たから分かる、見なければ分からない。こう見えても眼はいいんですよ」
「……なるほど。真理だ」
 やがて車は何かの区画に入ったのか、段差を乗り越える感覚があった。
「鷲宇さん、今さらですが、外を見てはだめなんでしょうね?」
「ええ。行き先が分かったらつまらない。でももうすぐ到着だ」
 鷲宇は時計を見て言った。同時に、ゴム製のクリップみたいな物を取り出す。
「悪いんだけど、少しの間だけ、これを着けてもらいますよ」
「これって何ですか」
「シンクロナイズドスイミングで使う物」
「ああ、鼻栓……じゃなくって、あれって何て言うんですか?」
「僕も今回初めて知った。ノーズクリップ。まあ、日本語では鼻栓でいいみたいだけ
ど、鼻栓と言われると、鼻の穴に直接詰めるみたいなイメージがあるなあ」
「それで何のために装着? まさか、世界一臭いのきつい缶詰を食べるのがサプライズ
とか……」
 不安になってきた。鷲宇の顔をじっと見ると、相手は笑い出した。
「はは、そういう想像するか。誕生日のパーティにそれじゃ、まるで罰ゲームになって
しまうよ。シュールストレミングではないことだけは請け負うから安心して」
「安心できませんよ。世界で二番目に臭う食べ物かも」
「はいはい。これに目隠しもしてもらうと言ったら、どんな想像をする?」
「目隠し? あの、目隠しをするんだったら、お願いがあるんですが」
「何でしょう」
「よくバラエティ番組で見掛けた、眼や眉が面白おかしく描かれたアイマスク、あれは
勘弁してください」
 真顔で訴えた純子に対し、鷲宇は本日二度目の笑い声。
「あははは。何の心配をしてるの」
「自分では見えないだけに、とても恥ずかしい気がします、多分」
「厚手の手ぬぐいでぎゅっとやるから、その心配も無用だ」
「……もしかして、強盗か誘拐犯に襲われた設定ですか?」
「うーん、教えてあげてもいいんだけど、イエスとノーどちらの答でも、この先がつま
んなくなるだろうから教えない」
「じゃ、違うんだ。鼻栓の説明も付かないし」
「どうかな。さあて、そろそろ装着してもらいましょうか。もう一つ、ヘッドホンを耳
に当ててもらうよ」
「えー! やっぱり、どっきり番組の空気が」
 話している途中で鼻をつままれた。

 長いスロープを何度か折れ、階段を慎重に歩かされ、建物の中に入った感じがしたと
思ったら、今度はエレベーターに乗った。
 と、ノーズクリップが外された。
「鼻に跡が残ってないですか」
 続けてヘッドホンと目隠しも取ってもらえると思って、そう質問した純子だったが、
予想は外れた。目と耳はもうしばらく不自由な状態に置かれるらしい。
 程なくしてエレベーターが止まり、何階だか分からないがそのフロアで降りた。そこ
から少し歩いて、どこかの部屋に入ったようだ。閉まる扉の起こした風を、背中に感じ
る。ここで、ずっと付き添っていた鷲宇――のはずだ――が離れる気配があった。
「鷲宇さん? ――ひゃっ」
 気配の遠ざかる方向へ声を掛けた途端に、反対側から肩を触られ、びくっとなった。
直後、ヘッドホンと目隠しが外される。
「失礼をしました。驚かせて申し訳ありません」
 若い女性が一人、正面に立っていた。
「あなたは」
 目をしばたたかせ、鼻を触りつつ、純子は聞いた。
「お席まで案内します。多少暗くなっておりますので、足元をどうぞお気をつけくださ
い」
 彼女が手をかざした方を見やると、座席がずらっと半円を描く形に備え付けられてい
る。プラネタリウムの観覧席を連想したが、その半円の中心に実際にあるのは、ステー
ジだ。各座席には開閉可能なミニテーブルが備わっている。
 純子が中央の特等席と言える椅子に着くと、案内の女性が何か言った。さっきまでし
ていたヘッドホンからは大音量の音楽が流れていた。そのため、今は少し聞こえづら
い。
「え? もう一度お願いします」
「そちらにあるメニューから、お好きなドリンクを」
 にっこりとした表情で言われ、純子は急いでそのメニューとやらを探す。立てたミニ
テーブルの隙間に挟んであった。
「それでは……レモンスカッシュをお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちください」
 お辞儀をして去って行く女性。そちらの方向をしばらく見ていたら、じきに引き返し
て来たので、慌てて前を向いた。
「どうぞ」
 ミニテーブルを開き、そこにコースター、ドリンクのグラスと置く。
「ありがとう。あの、このままにしていればいいんですよね」
「はい。どうぞごゆっくり」
 案内の女性が再び立ち去ると、室内――ホール内をかすかに照らしていた光も徐々に
絞られ、暗くなった。足元と非常口だけは灯りがあるが、他は輪郭がぼんやりと分かる
程度だ。
「今回も贅沢なことをされていそう……」
 思わず呟いたのを待っていたみたいに、突然、大音量が鳴り響いた。
 ステージに照明が向き、そこに立つ細身の人物がギターをかき鳴らしている。その背
後にはいつの間にスタンバイしたのか、ドラムセットがあり、別の人が警戒に叩き始め
る。
 手前のステージはもう一人、ギターの人よりはがっちりした体格の人が、マイクスタ
ンドに片手を掛けて立っていた。片方の爪先でリズムを取っていたかと思うと、歌い出
した。
(これって)
 聞き覚えのある歌と声。それにビジュアル。
(この三人組のバンドって、“ショートリリーフ”?)
 一時期、所属事務所の異なる男性ミュージシャン三名が組んで結成されたユニット
だ。元はチャリティ目的だったので、当初から期間限定のバンドだった。ショートリ
リーフの名にふさわしいかどうか分からないが、三年間の活動期間を終えて解散。でも
再結成を望む声は多かった。
 ドラムが鹿野沢怜治(かのさわれいじ)、今ギターを持っているのが飯前薫(いいさ
きかおる)、そしてボーカルが鷲宇憲親だ。
「す、ごい」
 勝手に感嘆の言葉が出た。
 何が凄いかって、まず最早見られないと思われていた三人組の復活が凄いし、当時と
ほとんど変わらぬであろうキレや力強さを有していることも驚異。特に、ボーカルを務
めている鷲宇は、最盛期を取り戻したかのような声の張りを見せていた。
(鷲宇さんて、私のいくつ上よ? 信じられない。二日前に電話したとき、声の調子が
ちょっぴりおかしかったのは、このためだったのかなぁ……)
 申し訳なさで、身が縮む思いだ。
 ボーカルとギターが交代して、二曲目を演奏。どちらも激しいロック調だった。三曲
目はまた鷲宇がボーカルに戻って、バラードを披露。どうやら代わり番こで唄うらし
い。
 立て続けに三曲、いずれもバンドのオリジナル曲を披露したところで、コメント休憩
に入る。
「えー、どちらで呼ぼうかな。とりあえずいるのは芸能人ばかりってことから、芸名
で。風谷美羽さん、誕生日おめでとうございます」
 純子は立ち上がって拍手しつつ、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「二人とは面識は?」
 鷲宇がギターとドラムを指し示しながら、誰ともなしに聞いた。
「あるにはあるけど、挨拶を交わした程度だったんじゃないかな」
 鹿野沢が短く剃った顎髭に手をやり、記憶を確認したかのようにうなずく。
「僕も同じだな。それじゃ改めて挨拶しますか。飯前です、よろしく」
 飯前がギターを持ったまま、細い身体を折り曲げる風にしてお辞儀した。続いて鹿野
沢も、腰を上げて一礼する。
「風谷美羽です。十年ぶりぐらいいなります?」
 純子は前に行った方がいいのかなと、席の通路を横に移動し掛けた。が、鷲宇からス
トップが掛かる。
「まあまあ、今日の主役は動かずに、どんと構えていればいい。話す時間はあとで取れ
ると思うしね。さて、喋る内に回復してきたので、また始めようかな。今日、十月三日
は君の誕生日ということで、とりあえずこれを贈らなければいけないな」
 鷲宇が目で二人に合図し、四曲目は静かにスタート。話の流れでもう明らかだった
が、曲は『ハッピーバースデートゥユー』。必要以上に情感を込めるでなく、楽しく弾
むように歌い上げ、最後のくりかえしのときだけちょっとアレンジしていた。なお、歌
詞で名前に置き換えるところは、“純子”になっていた。風谷美羽は芸名だから、芸能
人としてデビューした日こそが誕生日になる、と鷲宇達が考えていたかどうかは分から
ない。
「ケーキは用意してあるから、あとのお楽しみで」
 こう付け足されて、純子はホールケーキのキャンドルを消す仕種をして見せた。
 これ以降、和洋のロックやバラードの古典的名曲を中心に、何度か休憩を挟みながら
も二時間たっぷり、歌と演奏で楽しませてもらった。
 ラストの曲が終わるや、辛抱溜まらず、純子は席を離れてステージそばへ走った。
「おっと、危ないですよ。急がなくても逃げやしないから」
 そう言われたからというわけではないが、確かに足元がふらついた。いきなり立ち上
がったせいかもしれないと、そろりそろりとした歩みになる。
「鷲宇さん、鹿野沢さん、飯前さん、どうもありがとうごっざいました。ほんっとうに
感激です」
「んな、大げさな」
「いえ。こんな素敵な時間を独り占めだめなんて、ファンの方に申し訳ないです。鷲宇
さんもまだまだできるんだと分かって、安心しましたよー」
「そんなに衰えたと思われてたわけ?」
「だってこの間の電話、声が」
「あれはちょっと張り切りすぎただけ。無茶な練習したって意味なら、こいつら二人の
方がよっぽど」
 鹿野沢と飯前に顎を振る鷲宇。そんなことはないぞとすぐさま反論が返っていた。ま
ったくもって、いつまでも若い人達だ。

 シークレットかつパーソナルなライブが終わると、夜八時近くになっていた。
 食事はこちらでと、最初の女性の案内で通されたのは、ホールのすぐ向かいのレスト
ラン。お客は一人もおらず、貸し切り状態のようだ。
(変わった構造の建物……。シネマコンプレックスを映画以外で色んなお店を集めたみ
たいになってる?)
 天井が何となく低い。さっきまでいたホールと、これから行くレストランだけでな
く、他のお店にもお客は皆無。それどころか、通路を歩く人さえいない。各店舗に店員
さんの姿が見えるだけだ。
(まさか鷲宇さん、施設全体を貸し切りに)
 くらくらしてきた。歩くのに支障が出そうなほどだ。
(お祝いしてもらっている間は考えないようにしよう。精神衛生上、それが一番ましだ
わ、きっと)
 レストランでは店用のピアノの前を通って、窓際の席に案内された。出入り口を背に
した向きに座る。外はとっぷりと暮れて、ほぼ暗闇。
(……暗すぎない? 灯りはぽつんぽつんとあるけれども、動いているから車か飛行機
か)
 窓ガラスに顔を近付け、よく覗こうとした矢先、鷲宇の声がした。
「やあ、お待たせ。飲み物は頼みました?」
 シャワーを浴びでもしてきたか、さっぱりした様子の鷲宇。
 純子は前に向き直って、いえまだですと答えた。
「そうか、じゃ」
 と鷲宇が片手を挙げるまでもなく、制服姿のスタッフがすっと駆け付けた。
「お酒は?」
「相変わらずです。とても弱くって。もちろん最初の乾杯には付き合います」
「いや、いいよ。無駄なことだ。そっちはソフトドリンクからどうぞ」
「じゃあ……リンゴジュースを」
 鷲宇はビールを頼んだ。
 オーダーからほとんど待たされることなく、飲み物が届き、続いてコースメニューの
内メインディッシュとデザートがそれぞれセレクトできるからと、希望の品を聞かれ
た。
 メインディッシュは牛、鶏、魚の中から二人とも牛を選び、デザートは鷲宇がアイス
クリームを、純子は和菓子をチョイスした。
 スタッフが去り、乾杯すると、すぐに純子はお礼を言った。
「今回もよくしてもらって、ありがとうございます。飯前さんと鹿野沢さんは?」
「彼らは別のところで飲み食いを始めてる。久々の三人組んでの演奏で、疲れ切ったか
らリラックスしてのんびりしたいようだ」
「だったら鷲宇さんも」
「僕は君をもてなす役目がある。もうちょっとがんばりますよ」
「無理しないでくださいよー。何かあったら、本当にファンの方達にも鷲宇さんご自身
にも申し訳が立ちません」
「今は厚意を素直に受け取って。その方がよほど僕の心身は回復するよ」
「そ、そうですか」
 そうこうする内に前菜と食前酒が運ばれてきた。いただきますと手を合わせたが、す
ぐには手を伸ばさない。
「やっと意味が分かりました」
「ん? 何が」
「誘ってくださった時点で、いきなりサプライズパーティをするからって言うから、お
かしなことをと思ってたんです。サプライズを予告しておいてなおかつ驚かす自信があ
るなんて、一体何だろうって不思議でした。ショートリリーフの再結成だったんです
ね。そりゃあびっくりしますって」
「そうか。あれで充分驚いてくれたか」
「ええ。芸能界的にはビッグニュースだから、場所を突き止められないようにって、私
に目隠しなんかをした。言ってくれていたら、私、口外無用は守るのに」
「そうだと信じてるよ。だから、君に目隠しやヘッドホン、鼻栓までしたのは別の理由
があるんだ」
「あれ? そうなんですか」
 見破られて悔しいからごまかそうとしている……わけではないようだ。
「場所を秘密にするのに、鼻栓はさすがに意味がないだろう?」
「それはまあ確かにそうなんですけど、私を混乱させるために、嘘の手掛かりを入れた
とかでは」
「違います」
 楽しげに微笑んで、鷲はおちょこサイズの食前酒を一気に開けると、時計を見た。そ
れからおもむろに手を合わせた。
「よし、じゃあ、タイミングもちょうどいい頃だから、プレゼントを取りに行ってく
る」
「今ですか?」
「ああ。戻って来たら、種明かしをしてあげましょう。お楽しみに」
 席を立つと、鷲宇は店のスタッフの誰に断るでもなく、外に出て行った。どうやらス
タッフ達とも話が付いているようだ。
(何だろう、とっても違和感があるのは確かなのよね。鼻栓だけじゃなくって、さっき
お見えに入る前に、壁の一部に無駄にスペースが開いてるなって思った。あれって、ポ
スターか何か張ってあったものを、剥がしたばかりといった様子だった。他にも、お酒
を飲んでいないのに最初っから足元が不安な感じがするし、それに今この窓の外の景色
だって、よく見えないけれども――)
 再度、暗闇に目を凝らそうとしたときだった。
 音楽が流れてきた。店のほぼ中央に置いてあるピアノからだ。いつの間に人が座った
んだろうと純子が振り向くよりも早く、その曲に気付いて、どぎまぎする
「『そして星に舞い降りる』だわ」
 純子が歌手デビューした際の曲。芸名はまた別だったけど。
 懐かしくはあるが、元は鷲宇憲親が作ってくれた物だから、この場にいてこのタイミ
ングで弾いてもらうというのは、特段不思議ではない。鷲宇らしいとも言える。
 だから、純子をどぎまぎさせたのには別の理由があった。
(弾いているの、信一さんだわ!)
 音しか聞かなくても絶対の自信があった。それは作り物の星空と本物の星空を見さえ
すれば一瞬で見分けられるのと同じ。聞けば分かる。
 状況はわけが分からないが、相羽信一がここのピアノの前に座って、今弾いているの
は間違いない。演奏を邪魔しないように、そっと席を立った。
 その刹那、床が多少傾いて――。
「え?」
 テーブルに手を突いて、どうにか倒れずにすんだ。スタッフが二人駆け寄ってきて、
大丈夫でしたかと心配してくれた。
「え、ええ」
 元の椅子に座り直し、首を傾げた純子。
(今のは立ちくらみとか、酔いとかじゃなく、ましてや不注意で転びそうになったんで
もなく……そっか)
 純子は鼻をひと撫でし、今一度窓の外の景色に意識を集中してみた。
(やっと理解できた。私ったら気付くの遅すぎだわ)
 苦笑いを抑えながら、改めてピアノの方を注視した。
 もうじき曲が終わる。

 一曲弾き終えると、相羽は当たり前のような顔で純子のいるテーブルへと来た。
「純子、久しぶり。それから誕生日――」
「待って。これはあなたの発案?」
 テーブルの上にあった皿を脇にのけて、にじり寄るように純子は問い掛けた。
「違う。鷲宇さんだよ。ただ、君に会えないことを愚痴ったら、自業自得だねと言われ
つつ、いい方法があるというものだから、つい乗ってしまったのは認める」
「こんな面倒でややこしいことしなくても、普通に会わせてくれたら充分なのに」
「ということは本当に実行したんだ? 船を船と思わせずに、君を乗船させる作戦」
 思い返してみれば納得が行く。車の外を見せないようにしたのは、港に向かっている
ことを悟られないようにするため。車から降りたあと、目と耳だけでなく、鼻まで覆っ
たのは、海特有の匂いを嗅がれたくなかったから。
 事前に鷲宇が履き物に関して注意を促してきたことや、歩く度にふわふわふらふらす
る感覚が時折あったことは、船が港を出てたあと多少波の影響が出ると分かっていた
し、事実揺れたってことに他ならない。ショートリリーフの三人が年齢以上にがんばっ
て(失礼!)、激しいロックを多めに演奏したのは、船のエンジンなどの駆動音をごま
かすためだろう。
「あと、壁の所々に不自然な空白みたいなのがあったけれども、あれってもしかする
と、船の案内図があったのを外したんじゃない?」
「多分、当たってる。僕もこの店に来るときに見掛けて、えっ?て思ったもの」
 相羽が苦笑いした。そんな会話の切れ目を待っていたみたいに、スタッフが来て、
「お取り替えいたします」と言い、前菜と食前酒を新たな物に交換した。
「このまま一緒に食事できるのね?」
 弾んだ声になった純子に、相羽は「当然」とうなずいた。

「それにつけても、鷲宇さんたらやることのスケールが無茶苦茶よ」
 感謝はしてるけれどもと前置きして、純子は言った。
「施設の貸し切りまでは考えたわ。でもまさか、豪華客船を丸々借りるだなんて……ど
うあっても気にしてしまうじゃないの!」
「あー、あんまり費用の話はするなと言われてるだけどね。現在のこの船の移動自体
は、元々の予定通りなんだ」
「え? 回送ってこと? そもそも、どこに向かっているの」
「横浜を発って、名古屋に向かっている。次のクルーズが名古屋発なんだ。こういうと
き、横浜から名古屋行きのワンナイトクルーズを組み込むこともあれば、スケジュール
の都合などで、お客を乗せずに移動するケースもあるんだって。僕もこの船で仕事をさ
せてもらうようになって、初めて知った」
「ふうん。で、でも、イレギュラーなことしてるのには変わりないんでしょ?」
「イレギュラーには違いないが、制度としてあるにはあるんだって。たとえばだけど、
北海道から横浜までのクルーズを楽しんだお客さんが、直後に予定されている名古屋か
ら高知を巡って神戸に向かうクルーズにも続けて乗る場合、横浜から名古屋までをその
船に乗って行けるというね。全部が全部にある制度じゃないから特例には違いないけ
ど」
「へー、知らなかったわ。勉強になる」
 それでも乗員の手間賃を考えたら……とまで考えるのはやめた純子。およそ五ヶ月ぶ
りの相羽との再会なのだ。無粋はやめて、目一杯楽しもう。話を聞く限り、明日もまた
仕事があるのは間違いないんだし。
「メインディッシュが終わったことだし、ぼちぼちもう一曲、プレゼントしよう」
 背もたれに手をついて、慎重に腰を上げる相羽。船上生活で培われたようだ。
「何かリクエストはある? あんまり年齢は言いたくないけど、お互い、五十になった
記念に」
「そうねぇ。あなたの今の気持ちを表すような曲なら何でも」
 純子はとびきりの微笑みで彼を見送った。

 やがて流れ聞こえて来たのは――サティの『きみがほしい』。

――『そばにいるだけで番外編 驚きのバースデー』おわり





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