AWC 飛鳥部響子の探偵しない事件簿   寺嶋公香


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#472/472 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/08/31  22:12  (338)
飛鳥部響子の探偵しない事件簿   寺嶋公香
★内容                                         19/09/11 21:10 修正 第2版
 最初にその悲鳴を聞いた瞬間、飛鳥部響子(あすかべきょうこ)は「またやってる」
と思っただけだった。
 悲鳴を上げたのは、瀬野礼音(せのらいね)。劇団の中では年長者の方で、それなり
に演技は達者だけれども、時々、意図の分からないアドリブを放り込んでくる。ついで
に言えば若作りも周りの評判は芳しくないようだ。が、本人は気付いていないのか気付
いていないふりをしているのか、いっこうに改まらない。
 現在、演劇の通し稽古中で、皆で乾杯するシーンに差し掛かったところだった。元々
の台本では、飛鳥部の目の前で、郡戸規人(こおずのりひと)が毒を盛られて倒れ、や
がて絶命する演技に移るはずだった。ところが彼に先んじて、舞台の端にいた乳川阿久
太(ちがわあくた)が仰向けに派手にぶっ倒れ、そばにいた瀬野が駆け寄り、悲鳴を上
げたのだ。
(大方、いたずら好きな乳川さんと組んで、他の皆を驚かせようとして、一芝居打った
んだわ。芝居中に一芝居だなんて、ややこしい)
 飛鳥部はしかし、積極的には事態に対処せず、状況を見守った。セミプロの飛鳥部は
今回、アマチュア劇団「歓呼鳥」に助っ人女優として参加している立場だ。師と仰ぐ桂
川(かつらがわ)に頼まれては断れず、心理ミステリと銘打った台本はシンプルだが結
構見せ所があったので、まあまあ悪くない仕事だと感じていた。だが、稽古二日目から
瀬野の自由な振る舞いが鼻につき始め、幾度もいらいらさせられていた。それでも立場
上、揉め事を起こしたくないと我慢するように心掛けていたので、この場で動かないの
は当然の選択だった。
 今回役のない裏方の二人が、倒れた乳川の上半身右側にしゃがむ瀬野に背後から近寄
り、「大丈夫ですか」と、一応心配するような声を掛ける。「歓呼鳥」では監督や演出
といった制作陣と、俳優陣とのはっきりした区分はなく、本劇では監督と演出と被害者
役を郡戸が務めている。彼が舌打ちをしたことからも、このアドリブが進行を妨げる夾
雑物であるのは明らかだった。即座に注意叱責が行われないのは、劇団内部の格付けが
影響しているらしいのだが、外部の人間である飛鳥部には推測に留まるしかない。
 ところが、稽古の中断によりともすれば弛緩しがちな空気が、瞬く間に一変する。
「郡戸監督! 本当にやばい感じっす!」
 様子を見に行った二人の内の若い方が振り返った勢いのまま、郡戸や飛鳥部のいる方
に駆けてきた。
「おいおい、おまえまで片棒を担ぐってか。勘弁してくれ」
 のろのろとした足取りで、乳川の倒れているところへ向かう郡戸。瀬野はとうに立ち
上がり、距離を取っていた。彼女の足元――というにはやや遠いが――では、乳川が
「はぁ〜、はぁ〜」と苦しげな呼吸を繰り返している。
 演技にしてはどこか変だ。飛鳥部は直感し、郡戸を追い抜いて乳川に駆け寄った。
 最初に駆け付けた裏方二人の内の、年配の方が「これ、本当に刺さってるよ……」
と、どことなく芝居がかった口調で言った。
 桂川が用意してくれたという稽古場は広く、飛鳥部の立っていた位置からは乳川の様
子がよく見えなかったのだが、近付いてみると彼の左胸、鎖骨と心臓の間ぐらいに、小
型の矢が突き立っていた。襟首の大きく開いた衣装を身に着けているため、乳川の肌が
露わになっていて、傷口から血が滲んでいるのが分かる。
「郡戸監督」
 飛鳥部が振り返ると、さすがに郡戸も事態の異常さを察知していた。若干青ざめた顔
を近付け、傷を覗き込んだ。
「何でこんなことに。おい、乳川さん! 大丈夫か?」
「暑い……ライト……気分わりぃ……」
 稽古とは言え、本番になるべく近い状態でやるために、照明をふんだんに使ってい
た。その眩しさと熱が、乳川にとって気分の悪さを増幅させているようだ。
「袖に運んであげて!」
 悲鳴のあとは息を飲んだように黙りこくっていた瀬野が、我に返ったみたいに指示を
出した。舞台袖に控えていたスタッフ四名がやって来て、おろおろしつつも乳川を持ち
上げる。
「そっとよ!」
 郡戸や沼木銀子(ぬまきぎんこ)が手伝おうとすると、「衣装着ている人は、下手に
近付かない方がいいわ。汚れたら落とすのが手間よ!」と瀬野がストップを掛ける。乳
川を心配する反面、劇のことも心配するという、ある意味二重人格めいたところを垣間
見せた。二重人格なんて、役者としてはそれくらいで当たり前なのかもしれない。
「間宮(まみや)さんは、今日は来てたわよね?」
 相変わらず仕切る瀬野は、劇団員の名前を挙げた。飛鳥部は記憶を辿り、間宮久世
(ひさよ)の普段の仕事は看護師だということを思い出した。
「はい、来てます。衣装係で」
「応急手当は彼女に任せましょう。そう伝えておいて!」
 瀬野は指示を終えると、今度は郡戸に向き直った。
「監督。どうするか判断して。救急車を呼ぶのは当然だろうけど、警察を呼ぶのかどう
か」
「け、警察?」
 気圧されたように上体を反らし、どもって答える郡戸。
「事件なんじゃないの? 誰かがどこかから弓矢で乳川さんを狙ったんだから」
「そんなことって……信じられん。この稽古場のどこから狙えば、人に見られずに撃て
るってんだ?」
「そんなのは知らないわよ。現に矢で撃たれてたんだから」
 言い争いが続きそうな気配に、飛鳥部は近くにいた裏方の一人を掴まえて、パイプ椅
子の上にある携帯端末を持って来るように囁いた。そして郡戸と瀬野の些か喧嘩腰の会
話に割って入る。
「ちょっといいですか。二人とも、救急車を呼ぶことでは一致してるんですから、早く
そうしないと。ほら、監督さん」
 さっきの裏方が郡戸の携帯端末を持って、ちょうど戻って来た。

 結局、警察が呼ばれた。
 相談してそう決めたのではなく、否応なしにである。何故ならあのあと、乳川は亡く
なったのだ。
 間宮が施したであろう応急手当も虚しく、救急隊員が到着したときには青息吐息であ
った乳川は、救急車に乗せられた時点でもう息をしなくなっていたという。死亡確認は
病院でなされたが、実際には稽古場で死んだと言えよう。
「さて皆さん」
 稽古場に劇団関係者を集めたところで、初芝(はつしば)と名乗った刑事がそう切り
出すと、不謹慎にも小さく吹き出す者が数名いた。
「やれやれ。前にもありましたよ、こういうことが。さて皆さんと言うのがそんなにお
かしいですか。定番の台詞も困ったものだ。まあ、私はまだ捜査に着手したばかりで、
事件を解いたって訳ではありませんがね」
 初芝は腰の後ろで手を組み、短い距離を左右に行ったり来たりしながら一くさりぶっ
た。警部という身分にしては見た目の若い長髪で、なかなか癖のありそうな男である。
「状況については、先に個別に行われた聴取でだいたい掴んでいます。それらをひとま
とめにして、何らかの矛盾でも浮かび上がれば取っ掛かりになって、私どもとしても助
かったのですが……今のところ特にこれといったものは発見できていない。仕方ないの
で、こうして皆さんにお集まりいただき、再検討を試みようという寸法です。どーかよ
ろしく」
 初芝警部は右手で前髪をかき上げると、「この奥の方をステージに見立てていたんで
したね」と、壁を指差した。
「事件発生時、このステージのスペースに立っていた人達は、前に出て来て、それぞれ
の位置についてください」
 案外柔らかな物腰だが、有無を言わさぬ響きを含んでいる。無論、この状況で反駁の
声を上げてわざわざ警察に睨まれる真似なんて、誰もするはずがない。
 ステージに“上がった”のは、お嬢様役で誕生日パーティの主役という立場の瀬野、
その婚約者役の郡戸、瀬野の友人役の飛鳥部、瀬野の義母役の沼木、さらには沼木の連
れ子役が渡部広司(わたべこうじ)、屋敷に住み込みのメイド役が横山幸穂(よこやま
さちほ)という顔ぶれで、これに沼木の弟役で遊び人設定の乳川を加えると七人にな
る。
 初芝警部は乳川のいた位置を聞いて、そこに立った。代わりを務めるということだ。
「聞いたところでは、本来の筋では、メイドの横山さんがトレイに乗せて飲み物を運
ぶ。各自がグラスを取って、横山さんは下がる。他の六人で乾杯し、その直後、郡戸さ
んが悶え苦しみながら倒れるという流れだったとか」
「はい、間違いありません」
 返事する郡戸と瀬野の声がほとんど被った。
「現実に起こったのは、横山さんが引っ込んで、残る六人が中央付近に集まろうとした
矢先、私というか乳川さんが胸元を押さえて倒れた。そして――瀬野さん、その様が正
面に見えたので、駆け寄ってみたところ、矢が刺さっていた」
「ええ」
 自身を抱えるような格好をし、身震いする瀬野。
「矢が飛んでくるのも目撃していればよかったんですけれど……」
「いや、そいつは無理です」
 簡単に言い切った警部。
「調べたところ、あれはダーツに手を加えた、おもちゃみたいな物でした。長さこそ十
センチほどあったが、重さのバランスに問題があって、常識レベルの弓ではまともに飛
びそうにない。ま、裏を返せば非常識なほど強力なゴムや、空気砲みたいなので飛ばせ
ば、狙い通りに飛んで行くかもしれないが、この稽古場にそんな道具はなかった。凶器
に限らず、犯行後に何かを建物の外に持ち出すチャンスもなかったとの証言を得ていま
す」
 この稽古場はビルの二階にあり、外部とのルートは一階を通るしかない。そして一階
には施設使用の受付などを担当する管理人が常駐している。
「そういう訳で、瀬野さん、とりあえずはあなたを疑うことから始めたいんですが」
「ま。どうして私が」
 驚きの声を上げ、口元を手で隠す瀬野。堂に入っているけれども、この場面でこの型
にはまった反応は、安っぽく見えてしまう。いや、それ以上に疑いを深めることにつな
がるやもしれぬ。
「賢明なあなたならお分かりだと思うのですが、ご説明しましょうか。可能性の問題で
して」
「……そうね。つまり、あの矢が飛んできたのではないとしたら、直に刺したものだ。
乳川さんに真っ先に近付いた私が怪しいという理屈かしら」
「そうです。あ、ついでに付け加えると、あなたと乳川さんは劇団内で1、2を争うア
ドリブ王だとか。あなたは他人の力を試すかのようなアドリブが多いのに対し、乳川さ
んは人を驚かせるいたずらが多かったと聞きました。そこで私は思った。あなたと乳川
さんが予め示し合わせて、芝居を打つ約束をしたのではないいか。そしてさらに、あな
たはその約束を途中で裏切り、演技で倒れた乳川さんに近付くや、隠し持っていた凶器
で刺した」
「そんな恐ろしいこと」
 私はしませんと言ったみたいだが、よく聞き取れなかった。
「刑事さん、本気でそうお考えなのですか」
 郡戸が尋ねた。律儀にも、最初にスタンバイするように言われた位置から、一歩も動
いていない。
「いや、最初に浮かんだ仮説がこれだというだけで、後に出て来た物証を見ると、ちょ
っと否定したくなってきたところです」
 初芝警部は身体の向きを換え、手帳を取り出す。ページをぱらぱらっとやって、一度
行きすぎてから目的の箇所を見付けたようだ。
「多分、皆さんには伝わっていなかったと思います。死因は毒物でした。詳しくは申せ
ませんが、ニコチン系としておきましょう」
 警部の話す途中からざわめきが広がった。
「お静かに。あまり勝手な発言を方々でされては困ります。こういうときこそさて皆さ
んと言うべきでしょうかね」
 警部の人を喰った物言いに、場のざわつきはたちまち収まった。
「無論、凶器の矢にも毒が塗布された痕跡がありましたよ。たっぷりとね。翻ってみる
に、瀬野さん。稽古時の衣装はドレスだったと窺いました。写真でも拝見したのです
が、チャイナドレスをちょっと洋風にした感じでしたね」
「え、ええ。自前ですの」
「なるほど。肌の露出度が意外に高く、矢を隠すスペースは限られそうです。それでも
元はダーツの矢なのだから、テープで貼り付けるなり何なりすれば、隠せないことはな
い。ですが、毒が塗られていたのでは無理だ。下手すると自分に刺さって、命が危な
い。先端部を他の物で覆うとか、身体から外したあとに毒を塗るといった方法も、この
早業殺人には該当しない」
 警部の推理に、瀬野はあからさまにほっとした。それは飛鳥部が目の当たりにした瀬
野の言動の中で、最も自然な動作だった。
 ただ、警部はまだ瀬野を解放した訳じゃなかったようだ。
「唯一、考えられるのは、髪飾りに模して凶器を髪に挿しておく方法ぐらいかな。だけ
どまあ、これもありませんでした。リハーサルの最初に記念の集合写真を撮られていま
したね。あれを見ると、あなたの頭にそんな変な物はなかった」
「……お人が悪い」
 ぶつぶつ言いながらも、瀬野は再びの安堵をした。
 初芝警部は二度ほど首肯し、全員をぐるりと見渡した。
「瀬野さんでなければ誰か。瀬野さんの次に乳川さんに近付いたお二方ではもう遅い。
通常の舞台の上だったなら、こんな壁がなく――」
 稽古場奥の壁をコンコンと叩く警部。
「布で仕切る場合もあるようだから、そこに潜んでいた犯人が、乳川さんの隙を突い
て、凶器を直接振るったという線も考えられるんですがね。この稽古場では、それも無
理。お手上げ状態で、困っているんですよ。こうして発生時の状況を再現すれば、何か
思い出されるのではないかと期待しているのですが、何もありませんか。変な物を見掛
けたとか、普段はこうなのに事件当日は違っていた、みたいなわずかな違いでもいい」
 警部はまたも皆を見渡した。舞台上だけじゃなく、出番じゃなかった役者や裏方にも
等分に視線を配る。
「あの、そういう何かに気付いたとかじゃないですけど」
 声のした方を向くと、横山が小さく右手を挙手していた。高校を卒業したばかりで、
まだまだおぼこいってやつだけど、華はある。本当の端役としてのメイドを演じられる
のは今の内かもしれない。
「何でもかまいません。拝聴します」
「乳川さんは自殺……ってことはないでしょうか」
「ん? どうしてまたそんな意見を持つに至ったのでしょうか。思い悩むタイプじゃな
かったという証言を、複数の関係者から得ていますが」
「私もそう思います。だけど、誰も乳川さん凶器を刺せない、撃てないのなら、あとは
本人しか残らないのではないかなと思って」
「なるほど。理屈ではそうなる。じゃ、折角だから皆さんに問いましょう。乳川さんが
自殺するようなことに心当たりのある方はいらっしゃいませんか」
 警部が見渡す前に、「あの」と声を上げた男性がいた。監督の郡戸だった。
「何でしょう」
「彼は実生活でも今度の役柄に近い、遊び人の面があって、金遣いが荒かったんです。
暇と小金があれば、競馬だのパチンコだのにつぎ込んでいました。そして儲かっても、
すぐに使ってしまう。それでうまく回ってる内はいいが、負けが込むとどうなるやら。
あのときの金を残していたらと悔やんで、急に虚しくなって死を選ぶとか、考えられな
いでしょうか」
「私はあなた方よりも乳川さんを知らないので、分かりません。それよりも郡戸さん。
具体的に乳川さんがギャンブルで大負けした事実があるんですか」
「ちょっと前の話になりますけど、麻雀で負けが込んで、手持ちの現金以上にマイナス
になって、支払いを先延ばしにしてもらおうとしたら、怖い人が出て来たことがあった
とか言ってました。やくざとか暴力団とか、そういった連中だと思います。そのときは
身に着けていた時計やらベルトやら上着やらで、どうにか勘弁してもらったとか言って
笑っていましたけど、また同じことを繰り返して、今度こそだめだってなったら死を選
ぶかも……」
「うーん」
 初芝警部は大げさに首を傾げた。
「どうも分からんのですが、自殺するなら誰も見ていないところで一人ですればいいの
では。何でわざわざ皆さんの前で、しかも他殺っぽく偽装して死ぬ必要があるのでしょ
うかね」
「……生命保険金とか」
「ああ、乳川さんは保険に金を使う人ではなかったようでして。奥さんとお子さんがい
るにもかかわらず、保険には入っていなかったみたいです。尤も、ご遺族の元に借金取
りが押し掛けているというようなことにも、今のところなってませんが」
「そうですか。やっぱり、違うのかなあ」
 宙で片肘を突き、右手に作った拳を口元に宛がう郡戸。黙っていれば名監督という風
情、なきにしもあらずだ。
 と、そんなことを考えるともなしに思っていた飛鳥部だったが、不意に初芝から名を
呼ばれた。
「飛鳥部さん」
「はい、何でしょう?」
「あなたは部外者というか、ゲスト参加の方ですよね」
「そうなります。劇団員同士では動機が見付からないから、外部の者が怪しいと?」
「いえ、とんでもない」
 笑いながら両手を振る警部。その姿を見て飛鳥部は、ここにいる全員の中で二番目に
演技が上手いのはこの刑事さんかもと思った。一番? もちろん飛鳥部自身である。
「部外者だからこそ気付く視点というのを持ち得るのではないか思いまして」
「それは警察の方々も同じです」
「ところが現場に居合わせたのはあなただけですよ。現場に居合わせ、しかも部外者の
視点を持てるのは、飛鳥部さんお一人」
「……そう言われましても……あ、でもひとつだけ」
「何です」
「皆さん周知の事実だろうなと思い、刑事さんの事情聴取でも話さなかったのですが…
…今まで全然話に出て来ないので、言ってみますね」
 飛鳥部はステージのスペースから、スタッフ達の顔を見ていった。目的の人物を見付
けて、失礼にならない程度に腕で示す。
「乳川さんと間宮さんはお付き合いしていたと思います。違っていたらごめんなさい。
裁判は勘弁してくださいね」
 飛鳥部は両手を合わせながら、チャーミングさを匂わせて言った。実際には、腕で示
した瞬間の間宮の表情の変化をしっかり見届けており、確信を得ての発言だったのだ
が。
 しかし劇団のメンバー間では、誰も思っていなかったようで。
「間宮さんと乳川さんが?」
「何の根拠があって」
「タイプが違う気がするけど」
 なんて声が重なるようにして次々上がる。それらに後押しされた訳でもないだろう
が、間宮は飛鳥部に向かって、「私が乳川さんと? あり得ないわ」と断言した。三十
前後の肌の白い、大人しそうな見た目だが、演じるときは様々に変化する。特にあばず
れタイプが得意のようだが、ひょっとすると地?
「ですが、最初の台詞合わせのとき、隣同士に座られて」
「そんなことが理由? それで付き合ってたって疑われるんだったら、手をつなげば妊
娠ね」
「まだ途中です。座られるときに、一度右側に腰を下ろし掛けて、思い出したみたいに
左に移られました。あれは利き手が左と右とで邪魔になることを気にしたのではありま
せんか」
「……そうよ。けど、利き手ぐらいのことで」
「まだありました。これまでの何回かの稽古の休憩時に、コーヒーや紅茶を飲むことが
ありました。その際、角砂糖を入れない人、一つ入れる人、二つ入れる人、色々いまし
たが、皆さん毎回同じでした。入れない人は入れない。一個入れる人は常に一個、二個
なら二個と。でもただ一人、乳川さんだけが毎回異なっているようでした。コーヒーと
紅茶で区別してるのでもなし、お茶請けによって変えているのでもない。何だろうと思
ってふと気が付いたんです。曜日だって。何らかの健康のためなんでしょう、乳川さん
は水曜と土曜は角砂糖を一個だけ入れて、あとは無糖でした。そしてこのことを正確に
把握しているのは、劇団の中では間宮さんお一人だったようにお見受けしました」
「それは……私が看護師だから、アドバイスしたのよ。彼の身体を気遣って」
「なるほど。そう来ましたか。でも、彼なんて言うと怪しまれますよ。――ねえ、初芝
警部。どう思われます?」
 最前とは逆に、警部の名を不意に呼んでやった飛鳥部。
 初芝はさすがに慌て得る気配は微塵もなく、「調べる値打ちはありますねえ」と答え
た。そして部下に目配せし、間宮の回りを囲ませてから、話を続ける。
「ただ、間宮さんと被害者が密かに付き合っていて殺害動機があったとしても、彼女が
乳川さんを殺せるのかどうか。方法が分からない」
「それは刑事さん達が今、可能性を検討し始めたばかりだからだと思います。じっくり
考えれば、少なくとも一つ、方法があると分かるはず」
「悪いんですが、それを教えてくれますか。事件解決が早ければ早いほど、我々もあな
た方も助かるでしょう。つまり、今度の劇を中止にせずに済ませられますよ」
「それはよいお話です。不幸中の幸いと述べるのはあれですが、間宮さんには今回、何
の役も割り振られていませんし。――監督、かまいませんよね?」
「あ、ああ。警察に協力して……ください」
 郡戸は外見とは正反対の落ち着きのなさで、了解した。
 飛鳥部は軽く咳払いをして、間宮の方をちらと見てから、警部に対して説明を始め
た。
「私が想像したのは、乳川さんのいたずらは、頻繁にありすぎて、ちょっとやそっとの
ことでは最早誰も引っ掛からなくなっていたんじゃないかという状況です。知恵を絞っ
て作ったどっきりをああまたかで済ませられては、乳川さんも面白くない。そこで一段
階エスカレートしたいたずらを考えた。それが、凶器を使って本当に自らの身体を傷付
けるという荒技です」
「え?」
 何人かが、やや間の抜けた反応を漏らした。「それって自殺説に近いような」という
声も聞こえた。
「無論、凶器に毒は塗りません。ダーツに手を加えて弓矢の矢のようにしたのにも理由
があったんでしょう。あまりに鋭い凶器だと、深く突き刺さって危ないので、市販の
ダーツを軽く尖らせて使った。矢にしたのは、どこかから飛んできたように思わせる余
地を残すため。いきなり自作自演だと見破られては、元も子もないですから」
「なるほど。筋道は通っているようだ。では毒は?」
「警部さんならもうお分かりだと思います。お譲りしますわ」
「そ、そうですか。では……」
 警部もまた咳払いをした。さすがにここでは「さて皆さん」とは言わない。
「いたずらとしてのアドリブで、ダーツの矢を胸に自ら刺すという計画を、間宮さんは
事前に聞かされていた。乳川さんにしてみれば、すぐにでも的確な治療をしてもらっ
て、救急や警察を呼ばれない内に『はいこの通り元気ですよ。みんな騙されてくれてど
うも〜』ってな具合に姿を現すつもりだったに違いない。
 だが、計画を聞かされた間宮さんは、かねてから抱いていた殺意を実行に移すチャン
スだと捉えた。治療のために運ばれてきた乳川さんと二人きりになるタイミングは絶対
にあったと思う。なければ看護師の専門職ぶりをかさに着て、人払いすることも可能で
しょうな。そして二人だけになったとき、凶器のダーツを抜き取り、毒を塗布してから
改めて同じ傷口に押し込んだ。あとは毒が回って、被害者の死を待つのみ――こんな感
じですか」
 喋り終えた初芝は、どことなく気分よさげだった。髪をかき上げ、間宮の反応を窺う
素振りを見せる。
「……そんな朗々と演説しなくても、調べられたらまずい物がたくさん見付かったの
に」
 悔しさを紛らわせる風に、間宮久世は言い捨てた。

 ちなみに。
 劇の方は結局中止になった。飛鳥部はやる気満々だったけれども、劇団員の内、出演
の決まっていた数名が降りてしまい、代役も揃わなかったためだ。一応、無期限延期と
発表されたが、恐らく中止だろう。
 事態がこんな顛末を迎えたせいで、飛鳥部は桂川からちくりと嫌味を言われた。
「プロの集まりじゃない、アマチュア劇団なんだから、彼らの心情を慮って、公演が終
わるまで解決を先延ばしにはできなかったのかい?」
 当然、冗談だったのだが、師匠のこの言葉は飛鳥部に心のライバルの存在を改めて意
識させた。
(一緒の舞台を踏んだとき、私がアマチュアで、彼女がセミプロ、プロだった。少しで
も早く彼女とまた共演したい。ううん、しなくては)
 飛鳥部響子はそうして、涼原純子の顔を思い浮かべた。

 おわり





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