AWC お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香


        
#466/550 ●短編
★タイトル (AZA     )  19/04/11  19:59  (197)
お題>僕は君だけは許せない   寺嶋公香
★内容
 地天馬鋭は額に片手を宛がい、ため息を一つついた。
「相羽君が困って持ち込むほどだから、一体どんな難事件の依頼かと思いきや」
 机越しに向けた視線の先、少し離れた位置で相羽信一が応接用のソファにちょんと引
っ掛かるように浅く腰掛け、背を丸め気味にしている。
 ここは地天馬の探偵事務所。あいにくと“私”が留守の時ときの出来事なので、又聞
きになるが、土曜の午後に知り合いで学生の相羽君がやって来た。
「僕はあるときから事件の選り好みをしないように心掛けているが、この件は受けられ
ないな」
「でも」
 相羽が背筋を伸ばし、手に握りしめた携帯端末を指先で軽く叩く。
「これを読んだ僕が、動揺するのは道理だと思いませんか」
 相羽宛てに届いた電子メールのことだ。ほんの三分ほど前に地天馬も見た。
 そこにはこうあった。

<“ぼくはきみだけはゆるせない”

  時は濁りを取り、三毛は分を弁えて小さくなる

35 10 26 41 3 59 0 42 34 45 2 27 22>

 これだけなら絶縁宣言か脅迫かいたずらかと、あれこれ選択肢が考えられそうだが、
そういう想定は必要ないと地天馬は判断を下していた。
 決め手となるポイントは差出人である。
「分かるよ。恋人からそんな文面を送り付けられたのなら、動揺してもおかしくない」
 相羽にこのメールを送ってきたのは恋人で、同じく学生の涼原純子。
「でしたら――」
 気持ちが分かるのであれば依頼を引き受けてください、と言わんばかりに勢いよく腰
を上げた相羽。その動作を手で制する地天馬。
「いや、だからこそ、だよ。僕は会った回数こそ多くはないが、君と涼原さんがどれほ
ど信頼し合っているかを充分に把握している。そこから導き出される結論は単純明快
だ。つまり――ありえない」
 地天馬はスケジュール帳を確認した。他に依頼の予約はなかったかと念のために見て
みたのだが、記憶していた通り、何もなかった。話を続ける。
「あの涼原さんは、相羽君にこんなメールを送らない。いたずら・ジョークめかしたク
イズの類か、そうでないなら間違いだよ。それでおしまい」
「も、もちろん、僕もそう考えました。いかにもな注釈と数字が続いて書いてあります
から。でも、まず、間違いとは考えにくいんです。今のじゅ、涼原さんは名簿にほとん
どデータを入れていない。落としたりなくしたりして、拾った誰かに悪用されたときに
迷惑が掛かるのを最小限にするためだって。家族と極々近しい人物しか登録していな
い。だから、間違えたという可能性は除外」
 それだけの根拠で間違いの可能性を除外というのは些か乱暴だと思った地天馬だが、
敢えてスルーした。
「ジョークならそれと分かるように送るものでしょう? 注釈と数字があるとは言え、
これじゃあセンスの悪い単なる嘘ですよ」
「いやいや、少なくとも本気でないのは明白じゃないかな。『ぼく』と使っている」
 地天馬の指摘に相羽は曖昧に頷いた。
「それはそうなんですが……涼原さんは男役もやるので、その癖が出たのかも」
「は! そんな低い、それこそ絶対になさそうなわずかな可能性を心配しているのか
い。恋は盲目とはよく言ったものだね。ああ、このケースは逆になるのかな。色々と見
えすぎて、余計な幻まで生み出してしまっている」
「真剣に悩んでいます」
 故意にテンションを上げた喋りをしてみせた地天馬に対し、相羽は静かに反応した。
「言い方を変えます。改めて断るまでもなく、僕は涼原さんを信じています。それ故
に、こんなメールが送られてきたことは、不可解でなりません。別の言い方をするな
ら、途轍もなく強力な謎です。この謎を解き明かしてもらえませんか?」
「――分かった。相羽君にとっては大きな謎なのだ。うん、理解した。引き受けるとし
よう」
 地天馬が請け負うと、相羽の表情は見る間に落ち着き、明るくなった。
「ありがとうございます」
 頭を下げる相羽の前まで出て行くと、地天馬は質問した。
「取り掛かる前に疑問がある。彼女に直接聞くというのではだめなのかい?」
「それが昨日の夕方から涼原さん、撮影とレポートの仕事で船の上の人なんです。大型
クルーズ客船の」
 涼原純子はモデルなど芸能関係の仕事をこなす、れっきとしたプロでもある。
「もしかすると、ネット環境にないのか」
「はい。正確には、船側からなら、別料金を払って船の設備を使うことで、ネットにア
クセスできるようです。こちらからはどうしようもありません」
「問題のメールが送られてきたのはいつになってる?」
「午後五時二十九分。船の出港予定時刻の三十分後ぐらいです。岸を離れてしばらくす
ると、つながらなくなるみたいなんですよね。だから、このメール変だぞと思って聞き
返そうとしたときには、もう遅かったという」
「なるほど。次にネットがつながりそうな時刻は分かっているのかな」
「明日の朝九時に着岸予定ですから、その前後になると思います。二泊三日の無寄港ク
ルーズで、今日は丸一日つながらない」
「……五時二十九分何秒に着信したか、秒単位まで分かるかい?」
「ええ。五十五秒になっていますが」
「なるほど。涼原さんは焦っていたのかもしれない。五時半までに、いや、五時二十九
分台に送る必要があったが、ウェルカムパーティやら出港イベントやらで、思わぬ時間
を取った。それでぎりぎりになってしまい、もしかするとこのメール、最後の一文が抜
けた可能性がある」
「え? どんな一文なんでしょう?」
「正確な文言は分からないが、意味は一択だ。この暗号を解いて、だろうね」
「暗号なのは大体想像が付きますよ。最初に言いましたように、ジョークの一種みたい
なもので」
 不満げに唇を尖らせる相羽。地天馬はたしなめた。
「着目するポイントはそこじゃない。さっき言った二十九分に送る必要があったという
推測だ。言い換えるなら、メールの着信時刻こそ、暗号解読の鍵となる」
「……あ。僕も分かった来たかもしれません」
「そりゃいい。ぜひとも、解いてみてくれるかな」
「はい……濁りは濁音、三毛は『み』と『け』の文字をそれぞれ指し示していると仮定
します」
 相羽の手が物を書くときの仕種をしたので、地天馬は紙とペンを用意して渡した。渡
した方、受け取った方、ともにローテーブルを挟んでソファに座る。
「すみません。――“ぼくはきみだけはゆるせない”は十三文字。羅列された数も十三
個書いてあるので、文字に数を前から順番に対応させる。
 濁音は『ぼ』と『だ』。時は……メールの着信時刻の時間の方だろうから5。いや、
違うな。多分、二十四時間表記だ。つまり17。この値を『ぼ』と『だ』に対応する
数、35と59に……『取り』という言葉を使っているくらいだから、マイナスするで
しょうか。そう仮定するなら、『ぼ』18、『だ』42。
 もう一方のグループである『み』と『け』に対応するのは、当然、メール着信時刻の
分、29になる。『分を弁え』とあるのは、29を弁える……弁えるの意味は、区別す
ることと解釈すれば、マイナスか」
「分けることは必ずしもマイナスではないんじゃないかな。強いて加減乗除で言うな
ら、除算、割る行為だと思うね」
 地天馬の意見を入れて、相羽はさらに推測を重ねる。
「だったら他の意味……数に絡めて解釈できそうなのは、つぐなう、調達する、辺りで
しょうか。これなら29を加えることに通じる。よって『み』の3は32になり、『
け』の0は29に。――あ。純子ちゃんが二十九分に送信したかったのは、それを過ぎ
ると『け』に最初対応させる数が0ではなく、マイナスになってしまうから?」
「同感だ。僕はそこから逆に考えて、弁えるは加算だと推定した」
 地天馬が喋る間に相羽はペンを走らせ、濁点を取った十三の文字と、新たに浮かび上
がった値に直した数字の列を書いた。

 ほ  く  は  き  み  た  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  1 27 22

「素直にシンプルに想像すると、対応する数の分だけ、文字をずらすんだと思います。
濁音のある字をなくしたことから、五十音表を用いるのかな。実際は『ん』を含めた四
十六文字の」
「いろはにほへとではだめかい」
 少々意地悪げな笑みを作った地天馬。相羽は小さく肩をすくめた。
「分かりません。ここまで来たら、試行錯誤あるのみですよ。とりあえず、数の分だ
け、前方向にずらしてみます。18だったら18文字先の文字にスライドさせる。『
ほ』を起点に18文字先は……最後まで来たら、頭に戻って『い』だ」
 同じ要領で、順次、文字を置き換えていく。そうして最後までやり通したとき、相羽
は微かに頬を赤くした。
「おや、これはこれは。いたずらどころか、ラブレターだったとはね」
 わざとらしく驚いてみせた地天馬。最初から分かっていた答を前に、芝居がかるのは
仕方がない。

 ぼ  く  は  き  み  だ  け  は  ゆ  る  せ  な  い
18 10 26 41 32 42 29 42 34 45  2 27 22
 い  つ  か  い  つ  し  よ  に  の  り  た  い  ね

「えーっと! 『み』『け』それぞれに対応する『つ』と『よ』は『分を弁えて小さく
なる』のだから、促音、拗音に変換しなくちゃいけませんね。よし、これで完成。『い
つか一緒に乗りたいね』だったんだ」
 大人からの冷やかしをシャットアウトしたいのか、相羽は声を大きくし、手も大げさ
に叩く。しかし地天馬は、違うところから一つの指摘をした。
「解けてすっきりしたのは結構なことだが、まだ残っているだろう、謎は」
「え?」
「この方式の暗号なら、数さえ変えれば、元の言葉は何にでもできる」
「確かにそうですね。あ、そうか。だったらどうして純子ちゃんは元の文章を、“ぼく
はきみだけはゆるせない”にしたんだろう……」

             *           *

 これといった解答を決められなかったため、相羽は本人に直接聞くことにした。
 日曜の朝、Y港に戻って来るのを迎えに行ってもよかったのだけれども、純子の方が
下船後も仕事の関係で多少時間を取られるであろうことは、最初から分かっていた。そ
れなら自宅にいて(いなくても大丈夫だけど)電話を待つ方が多分確実。
 いよいよとなったら、時間を見計らってこちらから掛けてみればいいんだし……と思
った矢先、お目当ての電話が掛かってきた。八時半、入港予定の三十分ほど前だ。
「――おはよう。無事に到着と思っていいのかな」
 自分達の推理が当たっているとしたら、向こうはきっと大慌ての焦った調子で第一声
を上げるはず。そんな考えから機先を制し、落ち着いてもらおうとした。
「あ、おはようっ。相羽君ごめんなさい!」
 たいして効果があったとは言えないようだ。
「何、いきなり謝るなんて」
「メールよ、メール。二日前、おかしなのが行ってるでしょ?」
「うん、来た来た。びっくりした」
「ほんとにごめん! あれは最後にこの文章を解読してねっていう言葉を付けるつもり
が、忘れてしまって。乗ってすぐに、予想以上に楽しかったものだから、ついぎりぎり
になって」
「楽しんで仕事ができたのなら、何よりです」
「うう、怒ってない?」
「全然。ただただ驚いたけど、ある人のところに相談に行って、解決してたから。安心
していいよ」
「ある人? 解決って、もう解いてるのね?」
「うん。いつか一緒に行こう」
「――よかった」
 安堵感が電話越しでもようく伝わってきた。相羽は笑いをこらえつつ、自分にとって
の本題に入ることにした。
「でも、一つだけ、分からないことがあるんだ」
「ええ? 何?」
 純子の声が再び不安を帯びる。相羽は急いで続けた。
「その、元の文が、どうしてあんなどっきりさせるようなものなのかなって。『ぼくは
きみだけはゆるせない』にしなくても、穏便に『おみやげたのしみにまってて』とか、
びっくりさせたいなら『ながすくじらとぶつかったわ』とか、十三文字なら何でもいい
でしょ」
「あ、そこ? 相羽君の気持ちを想像して、あれこれ考えていたら、あんな言葉になっ
ちゃった」
 純子の口調から緊張が緩み、代わりにいたずらげな響きが滲む。
「僕の気持ちって……分かんないな。君だけは許せないだなんて、全く思ってない」
「だいぶ省略してるから」
「うーん……」
「この仕事の話が来たって相羽君に言ったとき、『僕も行ってみたいな』って呟いてた
じゃない?」
「それは覚えてる」
 覚えているが、何の関係があるのやら。
「だからね、『相羽君は私一人だけがクルーズ船に乗るのを許したくない』んじゃない
かしらと思って。そこから十三文字にするために色々削って、置き換えて、『ぼくはき
みだけはゆるせない』になったの」
「……」
 省略しすぎだ。

――『そばいる番外編 僕は君だけは許せない』おわり





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