AWC ペストールを拾ったら   永山


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#454/455 ●短編
★タイトル (AZA     )  18/07/28  21:51  (330)
ペストールを拾ったら   永山
★内容                                         18/07/30 17:53 修正 第2版
 拳銃を拾った日、レイプされそうになった。
 あるいは、逆。
 レイプされそうになった日、拳銃を拾った。
 どちらでもいいのかもしれない。結果は変わらないのだから。
 その日、私は初めて拳銃を拾い、初めてレイプされそうになり、初めて拳銃を撃ち、
初めて人を殺した。

 線路の下を通るコンクリートのトンネル、その入口に差し掛かったときだった。
 遅くなった学校帰り。内緒の買い物があって、少し遠回りをしたため、さらに遅くな
った。とっくに日が暮れ、辺りは暗い。
 尾けてくる足音に全然気付かなかった私。不覚、不注意。もしかすると、拾ったばか
りの拳銃に気持ちをかき乱されていたせいかもしれない。
 電車が上を走った。長い長い、貨物列車。
 それを待っていたかのように、男は灰色のロングコートを翻して襲いかかってきた。
左側の壁まで突き飛ばされ、振り返ったところをのしかかられ、右手首を強く鷲掴みに
された。痛みを感じる。地面に散らばる小石が身体のあちこちを突き上げてくる。学生
鞄は、遠くまで滑ってしまっていた。
 悲鳴を立て続けに上げたはずだが、誰も来てくれなかった。
 身動きの取れなくなった私に、男は刃物を突きつけた。騒いだら殺す、ぐらいのこと
を言ったかもしれない。列車の轟音でしかとは聞き取れなかったし、よく覚えていな
い。
 自身に降り懸かった事態を理解できないでいる私の口に、何か詰め物がなされた。声
を出せなくなる。計ったかのように、電車が過ぎた去った。
 制服の胸元に手を掛けた男。乱暴に破り取るような真似はせず、ボタンを一つずつ、
上から順番に外し始めた。
 急速に冷静になれた。状況を把握すると、逃げなくてはという当然の意識が起こっ
た。そして、逃げるにはまず、この男を身体の上から追い払わなければならないと考え
た。
 男は私があきらめ、無抵抗になったと決め付けたのか、私の両手を自由にしたままだ
った。
 私の左手が、スカートのポケットに触れる。さっき、拾った拳銃を無理矢理押し込ん
だ場所。あとになって考えると、乱暴された弾みによく暴発しなかったものねと感心し
てしまう。引金さえ引けば、連続して弾を撃てる状態になっていた。
 不思議と冷静だった。銃を持つ強みとは全然違う気がする。ただ、逃げるという意識
が薄まり、代わってこの男に罰を与えたい欲求が半ば義務化し、どんどん広がる。
 電車が再びやって来た。遠くからの轟音と振動で分かる。さっきのが下りだとした
ら、今度は上り。私は拳銃をポケットから引き抜き、気付かれないように男の脇腹辺り
に銃口を宛った。
 電車が真上を通過する。
 引金を引いた。連射式だなんて知らなかったが、私は立て続けに引金を引いた。数え
なかったけれども、三発は撃ったと思う。
 男の身体が湿気った安物布団みたいに覆い被さってきた。生命をなくした証だろう
か、ずしりと重い。撃つのをやめた私は、その汚らわしい物体の下からずるずると這い
出た。血が男から溢れ出る。私は口の中の詰め物を引き抜き、それが何であるかを確か
めることもせず、男に投げつけようとした。だが、思いとどまり、それを広げた。厚手
のハンカチと知れる。拳銃全体を拭ってからくるみ、布の端同士を結ぶ。どうしようと
いう考えは全くなかった。指紋を消しておきたかっただけ。
 誰も来ない。発砲した音もまた、誰にも聞こえなかったらしい。近辺に人家がないの
だから、それも仕方のないことか。
 衣服の乱れを直した私は学生鞄のところまで走ると、それを拾い上げた。トンネルを
抜け、空の下に出る。外灯に白々と照らされたサークルに入ると、ボタンを填め直しな
がら、身体や服の具合を見た。奇跡的にも、返り血は一切付着していない。服は上下と
も無事だ。砂粒一つ付いていない。怪我の方は、右手首にうっすらとした痣。擦り傷の
有無は分からなかった。刃物の先が、頬に触れたような気がしたのだが、どうやら気の
せいらしく、ほっぺたはきれいなままだった。
 しばらく逡巡してから、ハンカチでくるんだ拳銃を鞄に仕舞う。拳銃の持ち主を殺人
犯に仕立てるからには、この場に凶器を置いて行くのはよくない気がする。離れたどこ
かの川か池に捨てるのが、一番ありそうだと思った。
 だが、川まで捨てに行く気力が、このときはなかった。それどころか、歩くとか、深
呼吸をする、靴下を引っ張り上げるといった簡単なことさえ、実行するのに大変な努力
を要する有様。拳銃の処分は明日に延ばすと決定した。
 電車が来ないのを見計らい、足早に去る。無我夢中で、起きたことを神経がまだ消化
し切れていない。おかげで依然として冷静に振る舞えた。その代わり、何をするのにも
いつもに倍する疲労感を伴う。
 明かりの点いていない自宅に帰り着いてから、左手首にも痛みがあることに気が付い
た。無理な姿勢で拳銃を撃ったせいだろうか。そもそも、知識も何もないまま初めて発
砲したのだから、手首を痛めるくらい当たり前かもしれない。
 半日着ていた衣服一切合切をすぐ洗濯する。制服でなければ、切り刻んで捨ててしま
いたい。次いで、シャワーを浴びた。猛スピードで肉体が蘇っていくようだ。歯車が噛
み合ったような感覚があって、自分の動作にも普段の自然さが戻った気がする。精神の
方は、もうしばらく興奮状態にあるらしくて、がたがた震え出すようなことはなかっ
た。
 着替えたあと、遅くに帰ってくる親のために風呂を沸かした。
 テレビのニュースを見ながら独りの食事。何を食べても、味があまり伝わってこな
い。私が起こした事件のことは何も言わないまま、ニュースは終わった。きっとまだ発
覚していないのだ。
 明日は早起きしなければ。いつもの通学路を遠回りして銃を捨ててから、学校に行こ
う。
 もちろん、誰に話すつもりもない。

 目覚めると、肩にひどい痛みを覚えた。思わず呻いてしまいそうなほどだったが、表
に出すと、両親が気にする。上手に説明できる自信がないから、隠さねば。腕を回した
り伸ばしたりすることで、無理矢理にでも痛みに慣れる。十分近く寝床でもぞもぞと過
ごし、漸く起き出せた。
 あの男の死は夜遅くのニュースでも、朝刊でも、そして今見ている朝のニュースで
も、報じられなかった。おかしい。ただでさえ乏しかった食欲は、完全になくなってし
まった。母親に不審がられないよう、サラダのレタスとオレンジジュースだけは口にし
たが、味は分からなかった。
 日直なのと嘘をつき、普段より四十五分早く家を出た。昨夜の決心に従うなら、銃を
捨てに行くところだけれども、事件がニュースにならないという異変を目の当たりにし
て、警戒心が働いた。軽々に銃を捨てるのはまずい気がする。先に、あの現場に行って
みる。全てはそれから。
 線路下の薄暗い通路に、変わったところは見られなかった。歩行者達は、特段騒ぎ立
てる様子もなく出入りし、平然としてそれぞれの目的地に向かう。その上を、電車が朝
から頻繁に行き来していた。日常的な風景が展開される。
 訝る心を抑え、通路を進む。すぐに視界に飛び込んでくるはずの死体は、どこにも見
当たらなかった。できたはずの血溜まりもない。
 私はその場で立ちすくみ、考え込んでしまいそうだった。だが、ここに長居してい
て、果たして吉なのか。早々に立ち去る方がよさそう。いや、よいに違いない。いつも
の通学路の途上だから、この早い時刻でも、顔見知りが通りかかることは充分に考えら
れる。自分では平静を装ったつもりでいても、他人の目には挙動不審に映りかねない。
 ソックスを直すふりをしてしゃがみ、地面を見る。血を拭い取った痕跡ぐらい見つか
るはずと期待したのだけれど、認められない。一瞬、場所を間違えたのかと、自らの記
憶すら疑ったが、それもあり得ないこと。
 現実的に考えられるのは……ちょっと思い付かない。夢か幻とでも解釈しないと、理
解不能。だけど、手に残る銃の感触が、手首や肩の疼きが否定する。夢や幻とは絶対に
異なる。
 記憶と現在との折り合いはうまく行かないが、当面のお荷物を処分するかどうかは、
早く決断を下さないといけない。銃を捨てる捨てない、どちらを選ぶべきなのか。
 事件が表面化していないのをいいことに、警察に届けるのはどうだろう。拾った場所
と時間帯だけ正直に伝え、あとは嘘で塗り固めた説明をすれば、何も疑われずに済むの
では……?
 だめだ。もう一人の自分が真っ向から拒絶。
 レイププラス殺人体験という突発事に上積みして、死体が消えてなくなったという異
常事態。何か裏がある気がする。論理的に説明できないけれども、強いて言い表すとす
れば……人工的な非日常感。
 私は不意に思い付き、この場所を携帯電話で写真に収めた。どこか分からないが、こ
の場所にも何らかの手が加えられた気がしてならない。無論、死体が消えているのが一
番大きな変化だが、それ以外にも細々とした何かが。

 学校に到着した。普段より少し早い時間。
 下足箱をざっと見渡して、少なくともクラスメイトはまだ誰も来ていないことを確か
める。
 靴を履き替えようとしつつ、迷っていた。教室に入って、一人でこの奇妙な出来事に
ついて推測を巡らせるか。それとも、事の発端を担った拳銃について考えるべきか。
 後者を選んだ。靴を履き替えるのを中止し、外に向かう。拳銃を拾ったのは校内、中
庭の片隅にある溝の奥だった。そこへ行ってみる。警戒を怠らずに。
 拳銃は落ちていたのではなく、隠されていたとするのが多分正しい。不透明なビニー
ルにくるまれ、ガムテープで留められ、側溝の蓋で隠れるように押し込まれていた。そ
んな状態の物を見付けたのは、私が歴史の丸尾先生から命じられた掃除を渋々と独り、
やったせい。見付けたあと、誰かに知らせようとか警察に届けようとか考えなかったの
は何故だろう。その時点では本物の銃とは思いもしなかったのかもしれない。あるいは
……殺したい人間がいるせいかもしれなかった。
 そんな訳だから、溝を見に行くと言っても、あまり近付いてしげしげと観察するのは
避ける。隠した主と鉢合わせする恐れや、既に拳銃が消えたことに気付いた持ち主が、
見張っている可能性もある。何故、あんなところに拳銃があったのかはこの際、考えな
いでおく。深夜、警察に追われた犯罪者か何かが校内に一時的に逃げ込み、銃を隠した
あと、また逃げたとか、そんなところじゃないか。うちの学校は警備が緩く、防犯カメ
ラも三箇所ある門を写しているに過ぎない。
 くだんの溝の周辺は、昨日立ち去ったときと変わっていなかった。少なくとも見た目
は一緒。拳銃がなくなったこと自体、知られていない可能性が高い。
 言うまでもないが、あそこを掃除する私の姿を、拳銃の持ち主が万が一にも見ていた
としたら話は違ってくる。ただ、その場合、持ち主は学校関係者であることになるだろ
う。だとしたら、拳銃のあるなしにかかわらず、拳銃の存在に気付いたかどうかを確か
めようと、一刻も早い私への接触を図っているはず。今になってもそれがないのは、こ
の推測は恐らく外れということ。先生が私に掃除を命じた事実が、拳銃の持ち主の耳に
入らない限り、安泰と言える。
 散策を装った観察を切り上げ、教室に向かうことにした。

           *            *

 丸尾一正は極力、意識しないように努めた。閉じられた窓ガラス越しとは言え、一生
徒をじっと見つめているところを第三者に気付かれでもしたら、余計なさざ波を立てて
しまいかねない。
 しかしながら、目線を外したあとも、気になりはする。何をしに戻って来たんだろ
う、と。

 丸尾は教師ながら、困った癖が二つあった。その一つが、無類のギャンブル好きであ
る。賭け事に強いならまだましかもしれないが、よくてとんとん、大抵はマイナスとい
う成績では、借金が膨らむ。給料日毎にまとめて返していたが、それも徐々に厳しくな
り、今では貯金を切り崩す有様だった。
 独身で、結婚を意識するような相手もいないからやっていけるが、周りからはいつま
でも若くはないんだしそろそろ身を固めてはどうかと縁談を持ち掛けら始めた。中には
本当に良い話があり、心動かされるものがある。結婚を考えると、ギャンブル癖は断ち
切っておくべきだし、借金もきれいにしておくべきだと分かっていた。
 そんな決心が固まるか固まらないかのタイミングで、丸尾は大負けを喫した。これま
でとは一桁違う負けで、おいそれと借りられる額でない。一気に追い込まれた丸尾に、
ギャンブル相手の男が持ち掛けてきた。
「高額のバイトをしてみる気はあるか?」
 話を聞いて危ないと感じたら断ればいい、なんて軽い気持ちにはなれなかった。相手
はいわゆる暴力団関係者で、危ない話を聞くだけ聞いてはいさよならとはならないこと
くらい、容易に想像が付いた。
 なのに聞く気になったのは、やはり負けの大きさ故だったかもしれない。
 話を聞く前に、何かの運び屋をやらされるんじゃないかと漠然と想像していた丸尾だ
ったが、男が持ち掛けてきたのはそういった密輸の類ではなかった。
 足の付かない武器を用意してやるから、板木なる男を殺せというもの。板木は同じ組
の構成員で、組織を抜けたがっているが、ある重要な機密を握っているため、組として
は認める訳に行かない。始末するのが手っ取り早いが、単に殺すと組全体が警察から疑
いを向けられるのは目に見えている。それならいっそ、無関係の堅気にやらせるのがよ
かろうという算段だった。
 聞いた直後にこれはいよいよまずいぞと逃げ出したくなった丸尾だが、そうも行か
ぬ。より詳しい話を聞かされる内に、ひょっとしたらやれるかもしれない、と考え出し
た。それも自分の手を極力汚さずに。
 組織を通じて、板木に「組を辞めるには最後の仕事をしろ」と条件を提示してもら
う。具体的には、「抜けたあとも好き勝手なことを吹聴されてはたまらん。ついては、
おまえが汚れ仕事をやっていたことを記録に残す。アダルト物の男優役をやれ」と。そ
の組織はかねてからアダルトソフトの製作に噛んでいるので、不自然ではない。板木が
どう受け止めるかは分からないが、肉体的に痛めつけられるよりはよい条件だと捉える
だろう。板木が条件を飲んだなら、撮影と称してより細かな指示を出す。
 当初、丸尾が組織に提案したのは、拳銃自殺の台本を書き、実際に弾が出る銃と撮影
用の銃をこっそり入れ替えておくというものだったが、却下された。撮影らしく板木に
思わせるには、それだけ人数が必要となる。構成員達を偽の撮影に駆り出すと、アリバ
イが確保できない。結局、警察に疑われる。つまるところ、やるんなら丸尾一人でやれ
ということだ。
 そこで丸尾が捻り出した別の案には、組織も承知し、ゴーサインをくれた。丸尾の考
えた筋書きは、板木が女学生を襲って強姦するというもの。リアリティを出す名目で、
野外で演じるのをハンディカメラ一つで撮ると伝えることで、板木の不信感を封じる。
撮影の折、第三者に見られたら面倒だと、板木は不安を覚えるかもしれない。それに対
しては、人が通り掛かっても中止はしない。すぐに立ち去れるよう、車を用意しておく
からと言い含める。これで準備の半分が終わり。
 残りの半分は、殺す側の準備だった。丸尾は、襲われる役の女性に板木を殺させるこ
とを考えていた。一般論として、女が男を一対一、通常の状態で殺すのは困難を伴うで
あろう。だが、丸尾には勝算があった。組織の用意する足の付かない凶器が拳銃だと聞
いたからこそ、この計画を思い付いたと言える。そう、女には拳銃を持たせておく。
 だが、女は組織が用意する女優ではないし、丸尾にもこんな役を引き受ける相手に心
当たりはない。丸尾はだから、教え子を利用することにした。事情を話してやらせるの
ではなく、自然な形で仕向けるように。
 丸尾の頭には、明確な候補がいた。
 彼の二つある悪癖の内、ギャンブル狂いとは別のもう一つは、若い女好きであること
だった。より厳密に言い表すのであれば、若い女も好き、となる。普段はその嗜好を隠
し、これなら大丈夫と判定できる対象を見付けたら、密やかに行動を起こす。成功率百
パーセントではもちろんない。失敗も多々あるが、そのときはそのときでうまく冗談に
昇華してごまかす術を、丸尾は身に付けていた。
 そんな、倫理観を著しく欠いた教師が現在進行形で付き合っている女生徒が一人お
り、名前を筒寺萌音という。頭はいいが、努力してトップを取ろうという向上心は乏し
い。それでも学業は優秀な方。そして、ちょっと悪いことに憧れのある性格(性格では
なく、そういう年頃なだけかもしれないが)。冗談で缶ビールを勧める素振りを見せる
と、特に躊躇や逡巡もなく、手を伸ばそうとした。テストの採点で、間違っている箇所
をわざと正解にしてあげた上で、授業で詳しく解説したのに、言って来なかったことも
あった。
 隠れて付き合うようになってから、丸尾はますます筒寺を理解できたと確信した。彼
女は怪我人や遭難者を見掛けても、自ら救助に乗り出して責任を背負い込もうとはしな
い。傍観者か、せいぜいサポート役。また、大金を拾ったとしても、素直に警察に届け
ることはまずない。密かに運べる物なら持ち帰る。無理なら放っておくか、ばれないの
であればいくらか抜くかもしれない。
 そこで丸尾は思い切って、彼女に拳銃を見付けさせる段取りを整えた。校内大掃除の
日に行き届かなかった箇所があるとして、中庭奥の溝掃除を彼女一人に命じる。前もっ
て隠しておいた拳銃を、彼女は確実に見付ける。いくら丸尾が筒寺を理解したと確信し
ていても、彼女が銃を持ち去るかどうかは、賭けの要素が強くなる。いきなり警察に届
けるというのはないにせよ、丸尾に知らせてくるパーセンテージはそこそこ高いと考え
ねばならない。
 尤も、丸尾にとって、筒寺が拳銃を見付けたと報告に来ても、特段問題はない。うま
く処理して置くからとでも言って、拳銃を回収すれば事足りる。組織から命じられた殺
人は、丸尾自らが手を下さねばならなくなるが。
 そして――丸尾はこのギャンブルには勝った。筒寺が拳銃を黙って持ち帰ったのを、
陰から確認したときは、思わず小さくガッツポーズをした。が、喜んでばかりはいられ
ない。即座に板木に電話を入れ、撮影を行うからと呼び出す。場所や段取りはかねてよ
り伝えてあるので、用件は手短に済む。移動時間は何度か実験をして、充分に間に合う
と算盤をはじいた。
 最後の仕事について聞かされた当初の板木は、踏ん切りが付きかねた様子だったらし
いが、実際にやる直前に相対してみると、すっかり気持ちができあがっているように見
えた。
「自分がやる役の男は、あとで和漢だったと主張するような性格なんでしょう? だっ
たらハンカチか手ぬぐい、いや、いっそシートを準備していることにして、襲うときに
女の身体の下に敷くっていう演技はどうか」
 なんて提案してくるぐらいだった。丸尾がOKを出すと、板木は用意のいいことで、
透明なビニールシートをコートのポケットからちょいと覗かせてみせた。
 あとの流れは、丸尾にとってほぼ理想通りに進んだ。誰にも気付かれず、板木は筒寺
を襲い、銃で反撃を受けた。筒寺がどういう行動を取るのかも気掛かりの一つではあっ
たが、銃を持ったまま、自宅の方に駆けて行ったのを見て、丸尾はほっとした。警察に
駆け込む線は銃のことがあるからまず取らないだろうと踏んでいたが、丸尾に助言を求
めて電話をしてくるのはありそうで、もしそうなったら面倒だと考えていたからだ。
 人が通り掛からないのを確認した上で、丸尾は現場にそっと駆け寄った。板木の絶命
を見届けるつもりだった。が、丸尾はあまりに近付きすぎた。賭けに勝って、浮かれて
いたのかもしれない。
 虫の息の板木は、右手で丸尾のズボンの裾を握りしめてきたのだ。強く強く、破り取
らんばかりに。
 困惑と恐怖を覚えた丸尾は、空いているもう片方の足で、板木の手を踏み付け、蹴っ
た。何度か繰り返す内にやっと離れたが、気が付くとズボンの折り返しがほつれ、布地
の一部が千切れ、糸くずが飛んでいた。
 これはまずい。丸尾の背筋は寒くなった。
 板木は既に絶命したが、その右手は固く握りしめられている。その中に、丸尾のズボ
ンの切れ端が恐らく入っている。こじ開けて確かめ、取り除く必要があるのだが、目撃
される可能性を排除したい。そこで死体を車で運び、落ち着ける場所に移してから回収
を図る。幸運にも、板木の身体の下にはシートがあり、血は地面に散っていない。この
まま死体をくるめば、痕跡をほぼ残さずに車内に運べる。
 この予定変更は、警察の交通検問に注意を要するし、筒寺の動き任せの部分が若干大
きくなるが、大勢に影響はないと丸尾は判断した。ここまで彼にとって珍しいほどの大
勝で来ているのだから、どんな博打でも攻めの姿勢で行く心理状態になっていた。

 ふと視線を戻したときには、すでに筒寺の姿は見えなくなっていた。
 大方、誰が銃を隠したのか気になって、元の場所を見に来たのだろう。丸尾はそう解
釈した。
 結果から言うと、丸尾は賭けに最後まで勝ち続けた。遺体を車で運ぶのを誰にも見咎
められなかったし、板木の手から布の回収もうまく行った。つい今し方、ラジオのニ
ュースで死体が川縁で発見されたと報じられたから、組織の連中も働きを認めてくれる
だろう。晴れて、今までのギャンブルの負けはチャラになる。
 最後の一仕事として、拳銃の回収を求められているが、これは飽くまでできることな
ら、という但し書き付き。組織としては、足の付かない拳銃とは言え、一度殺人に使用
した物をわざわざ回収して後生大事に保管しておいても危ないだけ。どこぞで処分して
くれた方が手間が掛からんといったところか。
 などと考えていた丸尾の前に、いつの間にか女生徒がやって来た。筒寺が口を開く。
「先生、これ、提出し忘れてたプリントです」
 言いながら彼女が手渡してきたのは、確かに問題文の書かれたプリント用紙だが、自
筆の文字で書かれている内容は、答とはなっていない。これは、丸尾と筒寺との間で内
緒のやり取りをする方法だ。
「お、意外と早いな」
 適当に話を合わせながら受け取り、プリントの隅の文字を読み取る。今日の放課後、
時間を作って欲しいとあった。
「よし。行っていいぞ」
 承知の意を込めて、そう言った。ちょうどいい機会だし、拳銃のことも聞き出せそう
ならアプローチしてみようと丸尾は思った。

           *            *

 第二校舎の三階、その一番端にある社会科準備室。普通なら、生徒が頻繁に出入りす
る教室じゃない。私はよく利用してきたが。
 言うまでもなく、丸尾先生との付き合いのせい。校内でこそこそ会うには、うってつ
けの場所だった。隣は音楽室でそちらの方は人の出入りが割と多いが、防音設備がしっ
かりしているため、社会科準備室での声や物音が聞こえることはまずなかった。
 加えて、今の時間帯は、音楽系の部の練習する音が校内のあちこちから聞こえてき
て、大都会のスクランブル交差点並みにうるさいんじゃないかしら。他にも運動部が頑
張っているようだし、そんな状況では、この部屋で何をやっても聞かれることはあり得
ない。
 だから、私は丸尾先生を呼んで、そして拳銃の威力を発揮した。
 やった直後は、その発射音を聞きつけて、人が跳んでくるんじゃないかと嫌な想像を
したけれども、杞憂に終わった。十分以上が経過しても、誰も来ない。
 この分なら、もう私もここを離れていいだろう。むしろ、早く離れるべきかも。
 拳銃にはまだ弾が残っていて、置いていくのは未練がある。けれども、丸尾先生を自
殺に見せ掛けて殺すことに成功したのだから、銃は置いていかなくては。それに例の強
姦魔の死体、見付かったってニュースでやってたし。銃を早く手放すのがいいに決まっ
ている。
 あの拳銃、誰が溝の奥に隠したのか知らないけれども、見付けた瞬間、私は心を決め
ていた。
 私との付き合いを続けておきながら、持ち込まれた縁談に頬を緩め、鼻の下を伸ば
し、結婚を考え始めた先生。命でもって償ってもらうのが、最速の解決策だと思えた。
泥沼の話し合いなんて御免だわ。
                                                                  
           *            *

 後ろから手を胸や首に回され、かすかな石鹸の香りに包まれながら、優しく撫でられ
る。丸尾は社会科準備室にて、筒寺の声や仕種を体感していた。そのあまりの心地よさ
に、何気なく考えた。
(いっそのこと、彼女の卒業を待つという道もあるな。焦って身を固めなくても、筒寺
さえその気なら、こっちはいらぬ気苦労や努力をしないで済む。何たって、卒業まで待
っても、十八やそこらなんだから、見合い相手よりも若いじゃないか)
 そこまで考えを進めたとき、右方向から何かが飛んできて、丸尾の意識を奪い去っ
た。永遠に。

――了





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