AWC 宵の妙案   永山


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#444/453 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/09/27  21:06  (358)
宵の妙案   永山
★内容                                         18/04/07 22:06 修正 第4版
 昔から、顔に出ない奴と言われてきた。
 怒って当然の状況でも表情に出ない、驚かされても全く慌てない、酒を飲んでも赤く
ならない。
 当人から言わせてもらうなら、怒っていない訳じゃないし、驚いていない訳でもな
い。酒をある程度飲めば、酔っ払いもする。とにかく、顔に出ていないだけなのだ。
 その特技?が、昨晩も発揮されてしまったようだ。
 七月下旬の休日の朝、目覚めた直後にスーツのジャケットだけ脱いで寝てしまったこ
とに気付きつつ、上半身を起こす。次に尻を押す異物感から、尻ポケットに手をやっ
た。財布を引っ張り出すと、いつもよりは膨らみが大きい気がした。二つ折りの財布を
開き、札入れスペースに数枚のメモ書きを見つけたとき、私は思わずつぶやいていた。
「何なんだ、これは」
 もし周囲に誰かいれば、私でも表情がこれほど変わるのかと感心してくれたかもしれ
ない。それほど、私はメモに不気味さを感じたのだった。何せ、そこにはこう書いてあ
ったのだから。
<我々は互いのターゲットを交換・殺害することをここに誓う>
 サイズは大きめの手帳の一ページといった感じか。ちまちまと詰めず、どんと真ん中
に大書してある。私の字によく似ていた。
 昨日のことを思い出そうと努める。
 昨晩は、職場で面白くないことが二つ続けてあり、さらに退社してすぐに彼女から掛
かってきた電話は、別れ話だった。そのまま気晴らしに行こうと、街のステーキハウス
で高いやつを食べて、ビールを一杯だけ飲んだ。それからバーに入った。初めて入る店
だったが、静かで雰囲気はよかった。そこで誰かから話し掛けられた、と思う。見知ら
ぬ男で、年齢は私より一回り上に感じられた。短めに刈り込んだ頭には白髪が混じり、
しかし肌の張りはさほど老いておらず、白かった。確か、私立の大学で先生をやってい
ると言っていた。私は教師という人種があまり好きでないので、最初は敬遠したが、相
手のしゃべりはなかなかうまく、人好きのする空気をまとってもいた。名前は……とも
に名乗らなかった。
 交換殺人の話をしたとすれば、この初老の男性だろう。私が何やかやと愚痴っている
のを耳にして、話し相手になってくれたのだ。――少し思い出してきた。手柄を持って
行く上司、ごまをする同僚、しゃあしゃあと新しい男ができたと宣言する彼女。一人を
この世から消すとしたら、誰を選びます? そんな風に質問を振られた気がする。そこ
から交換殺人の話になるまで、さして時間を要さなかった。
 二枚目のメモに移る。三人の名前が書いてあった。手柄を独り占めしたり横取りした
りを繰り返す上司、その上司らにごまをすり、ときには平気で仲間を陥れる同僚、そし
て私の彼女――元彼女。それぞれの名前が記されているのだが、その全てにバッテンが
ついていた。どうやら、私はこの三人の中から殺したい一人を選びはしなかったよう
だ。
 当然だろう。私にとって、一番この世から消したい人物は、この三人の中にはいな
い。
 三枚目のメモに、そいつの名前が書かれてあり、その周りをぐるぐると何度も楕円で
囲っていた。
<道塚京一郎>
 こいつは高校時代の同級生で、私の一つ下の妹と付き合っていた。親が医者で病院を
やっているせいか、羽振りがよく、私もたまに恩恵にあずかった。加えて、学業の面で
も生活の面でも頭がよく、話も面白い。要するに、頭の回転が速いタイプだった。道塚
は卒業してすぐに運転免許を取得し、親に買い与えられた新車に乗って現れると、妹を
ドライブに誘った。当時の記憶はごちゃごちゃしていて曖昧な部分も多いのだが、おそ
らくは二度目のドライブデートのときだったと思う。道塚は単独事故を起こした。ス
ピードの出し過ぎが原因とされている。同乗していた妹は車外に放り出されて、ほぼ即
死だったという。道塚もそこそこ大きな怪我を負って入院し、私は一度だけ見舞いに行
った。大して話すことはなかったが、すまないという謝罪を聞いた気がする。だからこ
そ、その段階では道塚を責める気持ちこそあれ、憎む感情はなかったと思う。だが、や
がて回復した奴が主張したのは、事故のそもそもの原因は私の妹にあるというものだっ
た。助手席にいた妹はシートベルトを外してしなだれかかってきて、運転の邪魔になっ
た。払いのけようとした弾みで、ハンドルを切り損ない、車体がぶれた。立て直そうと
した刹那に強くしがみつかれ、アクセルを踏み込んでしまった。その結果、事故になっ
たと。
 後日、証拠が出てきた。遺体を視た医者が、妹の身体にはシートベルトをしていたな
らできるはずの痣がなかったと報告した。また、妹の髪の毛が運転席側に多く抜け落ち
ていた。さらに、口紅の着いたペットボトルが運転席側の足下に転がっており、それが
ブレーキペダルの下に挟まって、ブレーキの効果を弱めたともされた。
 道塚は妹やその遺族である私達を訴えることはせず、丸く収まったが、付き合いはそ
れきり途絶えた。
 信じられない噂を耳にしたのは、それから四年ほど経った頃だった。妹の遺体の痣に
ついて報告した医者は、道塚家とつながりがあった。本当は妹の身体には痣があった
が、道塚の父の意を受け、彼の息子に責任が及ぶことのないよう嘘の報告をしたという
のだ。これがもし事実だとしたら、髪の毛やペットボトルの件も怪しくなる。頭の回転
の速い道塚なら、事故を起こして数秒で冷静に判断し、自分に有利になるよう、事故車
内に偽装を施すことを思いつくのではないか。
 私は噂の真偽を確かめようと思い、道塚京一郎とコンタクトを取ろうとしたが、多忙
を理由に会えなかった。ならばと、くだんの男性医師に接触を図った。男性医師は当時
道塚家と行き違いがあり、関係にひびが入っていたらしい。噂の出所はその医者当人だ
ということも考えられた。
 無論、さほど期待していなかったが、彼の居場所を突き止め、会いたい旨を伝える
と、意想外に二つ返事で応じてくれた。一気に緊迫感と期待感が高まった。
 だが、その男性医と直接会って話を聞くことはかなわなかった。約束の日の前日に不
審死を遂げたのだ。勤務していた病院の最寄り駅で、プラットフォームから線路へ転落
し、入ってきた列車にはねられたという。目撃者は多くなかったが、点字ブロックのす
ぐ後ろに立っていた医師は、不意に力が抜けたかのようにぐにゃりと崩れ落ちたとの証
言が上がった。結局、疲労によってふらついた身体を制御できず、線路側へ踏み出して
しまった事故として片付けられた。
 偶然? できすぎている。証拠はなくても、この出来事こそが証拠だ。疑いを確信に
変えるには充分な隠蔽工作。そうとしか考えられなかった。
 だが、私は道塚京一郎への復讐を果たせずに来ていた。道塚の居所が不明になったと
思ったら、いつの間にか研修名目で米国に拠点を移していた。わざわざ外国にまで追い
掛けて奴を死に至らしめても、怪しまれる可能性が高い。殺人事件発生時に限って私が
アメリカに入国していたと判明したら、第一容疑者になるのは明白だろう。
 帰国を待つしかない。長期戦を覚悟した。しかし、私にも日常の生活がある。平静を
装って日々の暮らしを送りながら、奴の動向を注意し続けるのには限界があった。いっ
そ、奴の父親を殺せばどうだろうと考えたこともある。父親にも責任の一端はあるし、
院長である父親が死ねば、道塚京一郎が後継者として戻ってくるはず。
 よい計画に思えなくもなかったが、それでも私は実行をためらった。道塚の父にも恨
みはあるが、殺せば一時的にしろ、道塚本人に利することになってしまうのではない
か。それだけは嫌だった。
 だから私は、道塚の父の訃報だけを待ち焦がれながら、日常生活を送ると決めた。
 以来十五年――。道塚院長は癌に冒され、発覚から数ヶ月で逝った。天誅が下ったと
は思わない。ただただ、来たるべき時が来た。それだけの感慨でしかない。そして私は
この三月半ばに、道塚京一郎が帰国したと知った。
 あとは、よい殺害方法を計画するだけだった。そのためには、奴の普段のスケジュー
ルを把握する必要があると考え、仕事の合間を縫って調査した。興信所の類に依頼すれ
ば手間は省けるのだが、私が奴の身辺を調べていたと他人に知られることはなるべく避
けたい。殺したあとは、私が強力な殺害動機を持っている事実はじきに明るみに出るだ
ろう。そこへ加えて被害者について嗅ぎ回っていたとなれば、どんなに優れた殺害計画
を遂行したとしても、警察に注目されるに違いない。強引かつ苛烈な取り調べで、意に
沿わぬ自白をしてしまうかもしれない。そんな醜態は御免だ。
 四ヶ月近くかけて、道塚京一郎の基本行動パターンが分かった。狙い目は、隔週日曜
に行うゴルフ練習の行き帰りか、毎水曜の午後に通っている恋人宅への行き帰りだろ
う。
 と、ここまで算段をつけておいたからか、私は財布から出てきた交換殺人メモの三枚
目には、道塚の名前の他、パーソナルデータを細かく記し、さらに次のように書き足し
ていた。<八月三日の午後一時から三時までの間に決行してもらう。アリバイ作り 普
通に出社>――八月三日と言えば、次の次の水曜日だ。初めて会った男とたった一度の
話し合いで、ここまで具体的に決めたのだろうか。もちろん、交換殺人は共犯者間の関
係性の薄さが肝心なのだから、一度で決められるのが理想的ではあるが。
 そうなると、私はいつ誰を殺すと決まったのだろう? メモの四枚目以降を探る前
に、私はコーヒーとトーストの簡単な朝食を摂った。

 やはりと言うべきか何故かと言うべきか分からないが、メモは四枚目以降も私の字で
書かれていた。恐らく、互いに接触した痕跡を可能な限り残さないでおこうという約束
の下、自分が身に付ける殺人計画メモは全て自分で書くようにしたんだと思われた。
<井原仁美>
 これが私の任されたターゲットらしい。都内の大学に通う三年生で、高校生時にファ
ッション誌の読者モデルをやった経験があるとのこと。顔写真がないが、調べれば簡単
に分かりそうだ。
 五枚目には、彼女の詳しい行動パターンが書かれており、その中の一項目が、ぐるぐ
ると楕円で囲まれてあった。アンダーラインまで引いてある。
 六枚目には決行日であろう、七月三十一日の午前九時以降、午後九時までとあった。
次の次の日曜……一週間とちょっとしかないじゃないか!? こんなタイトなスケジ
ュールで、こんな恐ろしげな役割を引き受けたのか、私は。
 もしこの計画から勝手に降りたら、どうなるのだろう? 殺されることはないにして
も、何かまずい事態になりそうな気はする。ただ、先に実行するのが私なら、私が実行
しない限り、相手も殺しに着手しようとは思わないんじゃないか?
 あるいは断りを入れてもいいんだが、互いの連絡先を交換した痕跡は見当たらなかっ
た。探ろうと思えば、この井原仁美から手繰ることができるかもしれない。想像する
に、私と共犯関係を結んだ男は、この大学に勤めている可能性が高い。恐らく、先生と
学生との間で起きたもめ事が動機になっているのではないか。その点を衝けば、こちら
が約束を違えたとしても大人しく引き下がるのでは。私を口封じに殺すくらいなら、井
原仁美を殺した方が早いはず。
 ただ……私にとっても、これは千載一遇の好機なのだ。交換殺人のパートナーなん
て、笛や太鼓で募集を掛ける訳に行かず、ネット上で怪しげな犯罪関連サイトを見付け
ては、そこから信頼に足る者を探し出し、共犯関係を築くなんて、迂遠で時間を要して
しまう。
 それに比べれば、バーで会ったこの男は、よほど信用できると言える。本気なのは間
違いないし、実際に会った印象では知的で冷徹な行動を取れる人物に見えた(記憶が些
か朧気であるとは言え)。
 私は少し考え、決行日までの時間を、共犯者の身辺調査に充てようと決めた。いざと
いうとき、有利な立場に立てるかもしれない。
 そして――予想していたよりもずっと楽に、共犯者の身元を割り出せた。大学のホー
ムページに、教員として顔写真と名前が載っていたのだ。
 野代幸大という文学部の准教授で、四十九歳。思っていたよりは若かった。顔写真も
明るいせいか、若く見える。連絡手段は、大学に電話をして呼び出してもらうか、メー
ルを送れるかもしれない。他と比べて大学の先生は職業柄、アドレスを公にしている
ケースが多いようだから、探し当てることは可能と見込んでいる。
 井原仁美との間にどんな因縁があるのかまでは調べなかった。交換殺人遂行のために
は、私と野代とのつながりを可能な限り希薄にしておかねばならない。当然、私は大学
周辺で目撃されてはならない。野代の生活圏にも近付かないのが賢明だろう。
 これで基盤固めはできた。あとは、私が先に決行する勇気を持てるかどうかだ。憎い
相手を始末するのに躊躇はないが、見ず知らずの、どんな理由で殺されるのかも知らな
い女性を、果たしてやれるだろうかという不安はある。頭の中ででも、シミュレーショ
ンを繰り返し行うとしよう。

 指定されていたのは七月末日の午前九時からの十二時間だったが、井原仁美のスケジ
ュールに重ねると、チャンスは自ずと絞られた。野代がいかにしてこの情報を入手した
のかは知らないが、井原仁美は翌八月一日に実家のある東北に向かうらしい。その前日
は、荷物をまとめたり、バイト先のショッピングモールへ最後の顔出しをしたり、夜に
なれば親しい友達と女子会めいた食事をすることになっているようだ。就職活動の気配
がないところを見ると、何か伝やコネがあるのか、家業でも継げるのか、もしくは卒業
即結婚するような相手がいるのか。まあ、どうでもよいのだが。
 狙うなら、バイト先への行き帰りだろう。彼女一人で動くようだし、時間やルートが
読めるのは大きい。難点は、まだ日が高い時間帯である点だが、店の裏口から大きな道
路へ出るまでの間に、いくつか裏道的な箇所があることが確かめられた。昼なお薄暗
く、人通りもまばらという理想的な場所だ。私は二度下見をして、適した場所を見付け
ておいた。防犯カメラに映らずに逃げ果せるルートも把握した。といっても、端から見
てカメラと分からないタイプの防犯カメラもあると聞くから、実行時も含めて常に違う
変装をする。
 指定された日まで、あと二日。ここに来て私は殺人の実行に意を固めつつあった。や
はり絶好のチャンスだと思えるし、もし仮に野代に裏切られたとしても、殺人の経験を
積めるのはよいことだと考えるようになった。経験を活かして、自らの手で道塚京一郎
を葬ればよいだけだ。加えて、この交換殺人計画は、私に刺激を与えてくれた。計画を
持ち掛けられる前はともすれば日々の生活にかまけて、復讐心がわずかながら薄れる瞬
間がなかったとは言い切れない。その緩みを引き締めてくれたのだ。
 すでに凶器は準備した。使い易いよう適切な長さ・細さにカットした革紐。これをメ
インに、ナイフも一本。鍔広なタイプで携帯には最適でないかもしれないが、手が滑っ
て自ら怪我を負う危険を思うと、これしかない。あと、考えたくはないが万が一にもし
くじったときに逃亡するため、刺激の強いスプレーも用意した。本来の使用目的は防犯
とされているが、真逆の使い方になる。
 脱脂綿に染みこませて対象者の口を覆い、極短時間で意識を失わせるような睡眠薬の
類もほしかったのだが、どうやらそんな物は存在しないようだ。あったとしても、素人
がちょっとやそっとで手に入れられる物ではあるまい。
 代わりに、現場を下見したときに、殴打に適した一升瓶や木ぎれ、鉄パイプの切れ端
いくつかに目星をつけておいた。当日、その全てが片付けられていたらそれまでだが。
 そうそう、クリアせねばならない重要な問題があった。指紋だ。夏の盛りに手袋をは
める訳に行かず、考えあぐねている。泥棒などはセロテープを指先に巻く方法を採るこ
とがあるらしいが、殺しには向いているのかどうか……。調べてみたところ、透明なマ
ニキュアを塗るという方法が見つかった。マニキュアなんて扱った経験はないが、当日
までに試して、行けそうなら採用したい。もっとも、その前に購入するときに怪しまれ
そうだ。恋人へのプレゼントっぽくすれば大丈夫だろうか。

 〜 〜 〜

 ――想像していたよりも、ずっときつかった。息は上がるし、精神的にも追い詰めら
れた心地になった。その反面、人を死に至らしめる行為だけを取り上げるなら、ずっと
簡単だった。呆気なかったと表現すればいいだろうか。
 井原仁美の死は呆気ないほど簡単に訪れた。私の主観では、一瞬で絞め殺せたように
感じたが、実際には恐らく一分か二分は締め続けていたのかもしれない。殺人行為の間
だけ、時間の感覚が薄い。逆に、その前後の時間の流れは遅かった。たっぷり待ったつ
もりなのにターゲットが出て来ないとか、これだけ早足で歩いているのにまだ現場から
遠ざかれないとか、とにかくじりじりさせられた。思い描いていた段取りを忘れ、殴っ
て気絶させることは飛ばして、いきなり背後から締め上げてしまった。物音は大きく聞
こえたし、口の中はからからに乾いた。
 今、そんな非日常で異常な状態から抜け出すために落ち着こうと、寂れた本屋に入っ
たところだった。この店もあらかじめピックアップしておいた。今時珍しい、防犯カメ
ラがない書店なのだ。その分、目立つかもしれないが、店主は年老いた男性で、半分居
眠りしているかのような眼で、レジの向こうに座っている。現場からは一駅分以上離れ
ており、あとから怪しまれることはあるまい。
 立ち読みをするふりをしながら、トイレを借りられるか聞いてみようか考えた。変装
を早く解きたかった。だが、こんな狭い店でトイレを借り、別人のようになって出て来
たら、さすがに印象に残るに違いない。やめた。
 変装ばかり気になり始めたせいか、徐々に平静になった。これならもっと大勢がいる
場所に出ても大丈夫だろう。この辺の地図を思い浮かべ、一番近いデパートか百貨店を
探した。そこのトイレに入り、変装を解くことにする。

 当日の夜遅いニュースで、井原仁美が殺された事件は報道された。まだ起こった事実
を伝えるだけの内容で、どういう捜査が行われてどんな進展を見せているのかまでは不
明だった。
 翌朝、ネットで新聞系のサイトをチェックすると、少し詳しい状況が分かってきた。
死亡推定時刻は午後五時から六時頃となっていた。殺害したのが午後五時半ぐらいだっ
たから、かなり正確だ。尤も、井原仁美がバイト先を出てから発見されるまでの時間帯
とほぼ重なっているから、これは当たり前と言える。人通りが少ないとは言え、ショッ
ピングモールの関係者が使ってもおかしくない道なので、じきに発見されるだろうとは
思っていた。むしろ、適当な頃合いに発見してもらわないと、私の共犯者のアリバイが
成り立たなくなる。
 凶器は不明。そりゃそうだろう。私が持ち去り、デパートのゴミ入れに捨てたのだか
ら。多分、あのままゴミ集積場へ直行だ。
 第一発見者に関する情報は出ていなかった。元々大きく報道するものではないのかも
しれない。犯人の恨みを買って、襲われる可能性なきにしもあらずと考えれば、頷け
る。――なんてことを犯人である私が言うのはおかしいが。
 テレビの朝のニュースでもチェックしてみたが、意外と扱いは小さかった。マスコミ
は連日の猛暑や水害、海外での銃乱射などの報道に忙しいようだ。
 これが朝のワイドショーとなると、また違ってくるのかもしれないが、見ている余裕
はない。今日は月曜だ。会社に行かねばならない。

 八月三日を迎えた。
 今日、道塚京一郎がこの世からいなくなるのだと思うと、妙な興奮が襲ってきて、ほ
とんど寝付けなかった。だが、朝にはいつものように起き出し、いつものように出社の
準備をした。そうでなければならない。アリバイ確保のためにも、今日は会社に行き、
会議に出るのだ。
 これまたいつも通りの朝食、トーストとコーヒーを用意して、テレビをつけたとこ
ろ、ニュースが映った。ローカルニュースだ。
 最初の何やら政治的な話題が終わると、次いで交通死亡事故のニュースになった。画
面下方に示された白い文字のテロップに目を凝らす。「私立○○大学文学部准教授 野
代幸大さん(49歳)」と読めた。
「……何だって?
 野代って、あの野代か? 私の共犯の野代幸大なのか?
 顔写真は出なかったが、肩書きや年齢まで合致していることから、間違いないと思え
た。
 茫然自失とはこのときの私のような状態を言うのだろうか、あまりに驚いて、事故の
詳細をよく聞いていなかった。確か、横断歩道のない道路を横切ろうとしていたとかど
うとか……。まさか、交換殺人を行うことに怖じ気づいたか、井原仁美を依頼殺人で始
末したことに良心の呵責を覚え、自殺したのではないだろうな。全てを自白したような
手紙でも遺されていては、こちらは身の破滅。――いかん、身体が震えてきた。
 手に持ったコーヒーカップをテーブルに戻し、しばし考えた。
 このままでは落ち着かぬ。
 残念ながら、道塚京一郎が本日、始末されることはなくなった。
 ならば、私はアリバイ作りの必要がない。欠勤してもかまわないことになる。今の精
神状態では、いくら顔に出ないと言われる私だって、周囲の目には奇異に映る恐れがあ
る。普段が冷静であればあるほど、わずかな異変が目立つのではないだろうか。
 それならいっそ今日は会社を休み、我が身を人目にさらすことを避け、家の中で事件
の情報を集める方がよい。会社には、急な腹痛に見舞われて動けないと伝えておこう。
落ち着いたら病院で診察してもらうと付け加えておけば、万が一にも誰かが様子を見に
来ることもあるまい。
 私は携帯電話を持ち、会社の番号を表示しておいてから、腹痛の演技のシミュレーシ
ョンをやってみた。

 何が何だか分からない。
 私が調べた限りではあるが、野代幸大の死は紛うことなき事故であり、特段、警察が
事件性ありとみて動いている気配はない。行き付けのスナックでいつもより多めに飲ん
で酔っ払って、千鳥足のまま帰路についた結果、道路に飛び出てしまったようだ。
 また、野代は交換殺人のパートナーとしての義務を果たしていたらしく、私に関する
個人情報は一切残していなかったようだ。その証拠に、井原仁美殺しや野代の事故死の
件で、警察が私を訪ねてくることは一切なかった。
 それだけで済んだのなら、問題はなかったのだ。道塚京一郎を殺害するチャンスを逃
したのは惜しいが、事故死なら仕方がない。想像するに、野代は恐らく、殺人の決行を
翌日に控え、気持ちを落ち着けるためか、あるいは度胸をつけるためか、はたまた不安
を打ち消すためだったのか、いつもより多く酒を飲んでしまったのだろう。その挙げ句
がこれでは、彼も私もいいところなしだが、少なくとも私の身は安全だと思っていた。
 しかし、現実はそう簡単ではなかった。
 まず最初に私が驚愕し、肝を冷やしたのは、八月四日の朝だ。前日、結局のところ病
院へは行かずに済ませてしまったが、その分、野代の件であれこれ調べることができた
私は、それなりによい目覚めをしていた。ところが、例によって朝のニュースでとある
事件を知り、まだ夢の中なのかと思ってしまった。
 道塚京一郎が殺されていた。
 八月三日の午後二時前後に、恋人宅の近くで射殺されたという。
 私はこのとき、私自身がどんな表情をしていたのか知らない。内面ではパニック状態
に近かった。野代が死んだのに道塚が計画通りに殺されたことはもちろん驚きだが、凶
器が拳銃らしいというのも意外だ。野代が自動発射装置のような物を考案して、前もっ
て現場にセットしておいたのだろうか? 通り掛かった道塚京一郎は自動発射の餌食に
なった? まさか! そんな装置があったなら、報道されるに決まっている。大学の先
生が拳銃をわざわざ入手するのも奇妙だ。
 そんなことよりも、私は急速に焦りを覚えていた。八月三日の午後二時前後、私はど
こにいた? 会社を休んで、家にいた。病院には行っていない。そして、私は一人暮ら
しなのだ。
 つまり、アリバイがない。
 交換殺人が成功したというのに、なんて間抜けな!
 第一、道塚京一郎を誰が殺したというのだ? 野代が死してなお執念を見せ、幽霊に
でもなってあの世から舞い戻り、計画を実行した? 拳銃を使って? あり得ない。
 疑問だらけの事態だったが、時間が経つにつれ、別の心配事が浮上した。より本質的
な問題、そう、警察は私に容疑を掛けているのではないか? 私が道塚に復讐心を抱い
ているのは、いずれ分かるはず。いや、捜査員はもうとっくに掴んでいるかもしれな
い。今にもこの家の玄関前に到着し、呼び出しのブザーを押して、現れるのではない
か。そして私に尋ねるだろう、昨日の午後、どこで何をされていましたか?と。

             *           *

「なるほどなるほど。そのバーで、共犯者と初めて会ったんだな」
 刑事の確認の言葉に、男は力なく頷いた。俯いていて顔はよく見えないが、警察へ連
れて来られた当初の険しくも平静に努めようとする表情は、だいぶ崩れている。
「それにしても驚きだね。会ってすぐに交換殺人の話がまとまるなんて。私には信じら
れんよ。どうしてそうなった?」
「さ、酒のせいとしか……」
 迫力の欠片もない返事に、刑事は軽いため息をした。
「まあそりゃあ、酒の力を借りたってのはあるだろう。だが、それだけなら、こうも雪
崩を打ったように進むものかい? 酔っ払って決めたとんでもない約束なら、酔いが覚
めりゃあ多少考え直すのが道理ってもの。違うか」
「……分かりません。何でか知らないけど、歯止めが効かなかったんだ。――いや、強
いて言うなら、全然酔ったように見えない男がいて、そいつが全てを取りまとめる感じ
だったかも。ああ、最初に言い出したのは違うんだ。野代っていう大学の先生」
「事故死した野代幸大だな」
「ああ。あの先生も運がないよ。言い出しっぺだからってことで、俺の殺してほしい奴
を真っ先に殺してくれて、次にあの先生が殺したがっていた井原仁美がいなくなって
さ。これですべきことはして、目的も達成だったのに、事故で逝ってしまうなんて」
「馬鹿を言うな。殺しに手を染めておいて、運のいいも悪いもあるものか。生きていた
って、絶対に捕まえてやったよ。こうしておまえをお縄にしたようにな」
「そういや、何で俺に目をつけたんです? 何も落としてないはずだし、拳銃は他人の
だし」
 不思議そうに首を傾げる男へ、刑事は上からあきれ口調で告げた。
「おまえ、スリの腕は上級なのに、脳みその方は今ひとつ頼りないようだな。スリ取っ
た拳銃を殺人に使うなんて、一見妙案に思えたのかもしれんが、あれは元々、暴力団員
の持ち物でな。まだ試し撃ちにしか使っていない代物で、もしそんな銃で事件を起こさ
れたら、組全体に迷惑が及ぶってことで、すられた組員本人が責任を取りがてら、律儀
にも警察へ届け出たんだよ。で、試し撃ちに使った弾まで持ってきたから、すぐに照合
して分かった。あとは、おまえがスリ取った場所には防犯カメラが向けられていたか
ら、簡単に判明したって訳。分かったか?」
「そ、そうだったんだ。いやあ、あの厳つい面相だから、ただ者じゃないと睨んで、警
察に頼ることもないだろうと安心して狙ったのに」
 思惑外れを悔いるスリ男に、刑事は肝心の質問をぶつけた。
「そろそろ白状してくれよ。交換殺人をやった相棒の名前を」
 紙と鉛筆を出す。すでに、野代弘幸の名前がそこに記してあった。
「“三人で交換殺人”をやろうなんていう、奇想天外なことを思い付く割に、記憶力は
からっきしか」
「さっきから思い出そうとしてるんですが、脳に蜘蛛の巣と霞が掛かったみたいに、も
やもやっとしていて、思い出せんのです。顔の方は、しっかり覚えてるんだがなあ。酒
を飲んでも飲んでも、ほとんど赤くならない、冷静沈着を絵に描いたような顔でさあ」
「そいつの顔、この中にあるか?」
 刑事は五人の上半身を捉えた写真一枚ずつ、スリ男の前に並べた。道塚京一郎に何ら
かの恨みを持つ人間としてリストアップした五名だった。

――終わり





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