AWC バレンタインは中止です   永山


        
#441/457 ●短編
★タイトル (AZA     )  16/02/14  21:31  (217)
バレンタインは中止です   永山
★内容
 冷静になって振り返ると、それは警察なりの配慮だったのだろうと思う。
 しかし、刑事達がバレンタインデーの夜遅くにやって来たあの時点では、ただただ動
揺し、慌てふためいていた。
 男女二人組の刑事は、サイレンを鳴らすことなく、それどころかパトカーではないご
く一般的な普通乗用車でやって来た。そしてこう告げたのだ。
「丹波恵麻(たんばえま)さんね。あなたの渡したチョコレートを食べた人物が、救急
車で搬送された。毒の混入が疑われるので、ちょっと話を聞かせてもらいたいのだけれ
ど、いいかな」

            *             *

 二月七日。校舎の窓から見える外の景色は、徐々にオレンジ色に染まりつつあった。
 バレンタインデーを一週間後に控え、細木洋海(ほそきひろみ)は気分が高揚するの
を自覚した。
 やっと見付けた理想の男子。今度こそ本気になれる。これまでずっと無駄にしてきた
チョコレートだったが、今年は意味を持たせることができるはず。
 この三学期の頭に転校してくるという、ちょっと珍しい出会いを果たした。そんな彼
の名は横島広見(よこしまひろみ)という。そう、下の名前が同じ音なのだ。これだけ
で運命を感じてしまう。
 もちろん、名が同じというだけで、好きになったんじゃあない。そもそも、第一印象
は特になく、ああ、転校生が来たんだぐらいにしか感じていなかった。それが、一ヶ月
近くにわたってクラスの一員として接する内に、どことなく惹かれていった。言葉で説
明するのは難しい。相手からアプローチがあった訳ではなく、趣味がばっちり重なった
訳でもなければ、特別に優しくされたり親切を受けたりもない。せいぜい、中上(なか
がみ)先生から言い付けられた用事を、二人でこなしたことが数度あったくらい。そん
な日常的な接触を重ねる内に、肌が合う感覚を得たのは確かだった。自分に極めて近
い、あるいはもしかすると同じ空気を感じた、とでも言えば伝わるだろうか。
 さっき、職員室を辞したとき、彼から声を掛けられた細木は、高揚と動揺を押し隠す
のに努力を要した。
「今日、一緒に帰れる?」
 横島の方からそんなことを言ってくるのは、珍しい。一緒に帰るといっても、最寄り
駅までだから、大した距離ではない。が、それでも充分に楽しい時間を過ごせるはず。
ただし、一緒に帰れたら、だけれども。
「ごめーん。まだ用事あるんだ。もう少し、あと三十分ぐらいかな」
「分かった。じゃあ、三十五分後まで、校門のところで待つ。それ以上は待たないから
な」
「それはいいけれど、何か用?」
「親が誕生日を迎えるんで、そのプレゼント選びでアドバイスが欲しい。何せ、去年は
えらく不評だったからな」
「えー、よっぽどだったんだ。去年、何上げたの?」
「あまり語りたくない。そんなことより、早く用事を済ませてくれと言わせてもらう」
 残りの用事を片付けるべく、細木は踵を返した。廊下に上履きが擦れ、キュキュッと
音がした。
 本当のところをいうと、今日の放課後は手作りチョコレートの材料を物色するつもり
でいた細木だったが、当然、延期を選んだ。

            *             *

 休み明けの二月十二日。私は一人で買い物に出掛けた。無論、手作りチョコレートの
材料を買いそろえるために。
 湯煎に適したチョコレートは言うまでもない。ドライフルーツや砂糖漬けのフルー
ツ、ナッツ類に生クリーム。表面に愛らしい柄をプリントできる転写シートも数種類。
部分的に、スポンジケーキも使おう。
 そんな算段を立て、メモを手に、スーパーマーケット内を回る。隣町の駅から少し離
れた立地の、大型店舗だ。近所の店では、同じ学校の生徒が大勢利用するのは目に見え
ており、知り合いと出くわす可能性は大いにある。他の女子はどうだか知らないけれ
ど、自分はこういったイベントに参加するのはいいが、なるべく知り合いには見られた
くない性質なのだ。
 それにしても、無事にバレンタインデーを迎えられそうで、よかったと思う。
 というのも、今年の一月半ば頃から、県下のあちらこちらで、陳列されている菓子類
への異物混入事件がぽつぽつと起きていたのだ。狙われる店舗形態は、防犯カメラなど
ないような駄菓子屋や小さな商店が多かったが、徐々に中堅から大手のスーパーマーケ
ットも標的にされるようになった。
 混入される異物は、玩具の小さな玉を皮切りに、消しゴムの滓、水、醤油、石けん水
もしくは洗剤といったところ。この内、消しゴムの滓の件は小学生が現行犯で見付か
り、片が付いている。残りは未解決だが、不幸中の幸いと言っていいのか、人命に関わ
るような大事には至っていない。
 犯人像は(少なくとも警察発表では)全く特定されていないが、菓子の中でもチョコ
レートが特に狙われており、バレンタインデーの中止を目論んだ何者かの犯行ではない
かという説が、まことしやかに流れている。その内、毒を入れられるのではという見方
も出ているぐらいだが、バレンタインデー本番を翌々日に控えた今日現在、そんな凶悪
事件の発生は報じられていない。
 私の生活圏内で何事もなければいいわ、と他人事のように考えてやり過ごせれば楽
だ。実際、異物混入事件は市内では起きておらず、それ故に学校がバレンタインのやり
取りを禁じるなんて“強権発動”に出ることもない。二月十四日が過ぎれば、きっと収
束するに違いないと信じている。
「うん?」
 品物選びに専念しようとした矢先、私の歩みは止まった。知っている顔が、今、一つ
向こうの通路を足早に横切ったような。
 念のため、確認しておこう。商品棚の谷間を急いで抜け、くだんの通路に出てみた。
 あれかな?
 後ろ姿だったが、ちょうど曲がるところだったので、横顔が見えた。
 やっぱり、見間違いじゃなかった。クラスメートではないが、学校でよく会う顔見知
りだ。
(ひろちゃん、こんな隣町の店にまで、何を買いに来たんだろう)
 好奇心から、彼のいる区画をそっと覗く。臨時に積まれた商品が障壁になって、安心
して観察できる。
 なかなかの二枚目で、入学当初はちょっぴり憧れたこともある。手品を趣味としてい
て、最初は興味を惹かれたけれど、一度こちらが関心を示すとやたらと見せたがり、
段々鬱陶しくなって、もう今では好きでも何でもない。
 ところで、ひろちゃんとは、名前から勝手に付けた愛称だ。ちょっと引っ掛かるの
は、女子でもないひろちゃんが、今の時期、チョコレートの並べてある棚に何の用事だ
ろうってこと。誰からももらえなかった場合に備えて、二つ三つ、買うつもりかしら。
結構、イケメンなのだから、全然もらえなんてことはなさそうなのに。
 黙って見ていると、当人はこっちに気付く様子もなく、一心不乱にチョコレートを探
している風だった。視線を忙しなく、棚の上下左右に飛ばしているのがよく分かった。
 やがて目的の品を見付けたらしく、胸の高さ辺りの棚に手を伸ばす。
 随分と奥にまで手を突っ込んでるなあ、って感じた。
 程なくして、引っ込められるその右手。何も握られていない。ふと気が付くと、彼の
横顔には薄い笑みが張り付いた。唇の端をひん曲げ、にたっと。
 ――ど、どうしたのだろう。鳥肌が立つような感覚を覚え、私は思わず自分を抱きし
めていた。何故だか知らないけれど、一瞬、ぞくっとした。
 次の瞬間、彼がこちらに引き返してくるような予感が立った。兆しを目に留めた訳で
はない。けれど、目的を果たしたであろうひろちゃんは、こっちに戻ってくる可能性が
高い。そして、私は彼の行動を目撃していたが、そのことを知られてはならない気が強
くした。
 静かに、しかしできる限り急いで、向きを換えると、その場をそっと離れ、別の商品
棚の谷間に身を隠した。
 見なかったことにしよう。そうするのがいいに決まってる、うん。

 あれから気を取り直して、チョコレートを作ったのが昨日、二月十三日のこと。
 私は、一大決心をして、この特別な手作りチョコを、“彼”にプレゼントすると決め
た。

            *             *

 細木洋海は横島広見に宛てて、チョコレートを贈った。大っぴらに渡すことは気恥ず
かしく、はばかられたため、横島の靴箱に忍ばせる形で。
 細木にとって嬉しいことに、横島の靴入れの中に、他にプレゼントらしき小箱は一つ
もなかった。もしあったら、排除していたかもしれない。

            *             *

 職員室を訪れた私は、“彼”の机を目指した。が、そこは空席だった。
「あれ、ひろちゃん、いないんだ? どこ行ったのかなあ。――中上先生、ご存知ない
ですか?」
「さっき、いそいそと出て行ったのは見かけたが、どこへ行ったのかは知らん。それよ
りも丹波。先生をあだ名で呼ぶのはやめなさい。最低限、生徒の間だけにして、先生の
いるところではするな。示しが付かんじゃないか」
 中上先生は教え方がうまい方で、割と生徒受けがいい。ただ、説教じみた余計な話が
多いのが玉に瑕というのが、私達の間での評価。授業中の余談は面白いのに。
「はーい。それでですね、先生。どうせ義理チョコだし、探して渡すのも面倒だから、
これ、机に置いていっていいと思う?」
「勝手にしなさい。ああっと、名前は書いてあるんだろうな。誰からのプレゼントか分
からないようだと、あとで伝えるのが手間なんだよ」
 出て行こうとしていたけれど、私は中上先生に振り返り、首を縦に振った。ついで、
思いっきり作り笑顔で答えた。
「ちゃんと書いてありますよ−。『丹波恵麻から細木洋海先生へ』って」

            *             *

 ダブルで禁断の恋、と言えるかもしれない。
 細木洋海は生徒昇降口から職員室に戻る道すがら、そんなことを考えていた。
 教師が生徒に恋心を抱くだけでも問題視される。同性同士の恋愛も、まだまだ世間一
般に広く許容されているとは言い難い。
 ではこの二つが重なれば、恐らく、絶対に許されることはあるまい。少なくとも現在
の日本においては。
 そういう常識は頭にある細木だが、にもかかわらず、一歩踏み出してしまったのは、
横島広見の存在故であった。外見や性格等が、細木の好みにほとんど重なっていたのは
言うまでもないが、加えて横島自身“同好の士”らしい気配が感じられたのが大きい。
 バレンタインに背を押してもらう形で、細木はチョコレートを贈る勇気を出せた。あ
とは返事を待つだけ。細木のアプローチに、横島がどう応えるかに、今後の運命が掛か
っている。
(……もしも断られたら。いや、それどころか、絶交されたとしたら)
 そんな最悪の結果を想像するだけで、細木は狂おしい声を上げてしまいそうになる。
(断られたら、また前の私に戻ってしまうかもしれない。私は弱い。早々に最悪の結果
を想像して、またやってしまった)
 今さらながら後悔を覚えていた。
 細木には、前から時折やっていた悪事があった。バレンタインデーの時季が近付いて
くると、徐々にエスカレートしてしまうその癖とは、そう、チョコレートを始めとする
菓子類に異物を混入する行為だった。
 幸せそうなカップルを見ると、つい衝動的に行動してしまう。仮に神経の高ぶりが収
まり、一時的に落ち着いても、寄せては返す波のように衝動は訪れるのだ。横島の存在
は、ほんの短い間、細木にとっての安定剤となったのだが、じきに効果はなくなった。
逆に、横島と関係を持ちたいとの想いが日々積み重なり、より不安定な状態に陥った感
覚すらある。
 それがピークに達したのが、二日前。むしゃくしゃがどうにも鎮まらなかった細木
は、とうとう一線を越える。入手に成功した毒物を、前もって買ったチョコレート製品
に注射針で混入し、買った店とは別の店に戻しておいたのだ。戻すときに怪しまれない
か心配がないではなかったが、そこはいつものように、手品の腕が役立った。
 現時点で、あのチョコレートはまだ売れていないのか、事件の報道はない。
 もしも横島が受け入れてくれたなら、あのチョコレートは回収してもいいな。細木は
そんなことを思っていた。そのせいか、足取りが普段よりも遅かったが、ようやく職員
室が見えてきた。
 職員室に入るや、先輩教師の中上から、生徒が何か包みを置いていったことを伝えら
れた細木は、すぐに横島からのプレゼントを想像した。だが、包装紙に書かれた名前を
一瞥し、都合のよい想像はあっさり打ち砕かれた。
 だからといって、生徒からの贈り物を捨てる訳には行かない。中上先生が一部始終を
見ていたということもあり、ここはちゃんと持って帰らねばなるまい。仮に食べ物だと
したら、口にして感想を伝えるべきだろう。

            *             *

(これはテストよ)
 万が一にも、細木先生が異物混入魔だとしたら、制裁を受けるべき。それも、単なる
刑事罰や社会的制裁だけでなく、同じ目に遭うべきだと思う。目には目を、歯には歯
を。それが当然なんだから。
 私、丹波恵麻は、小さな頃からそう教えられてきた。
 細川先生の不審な行動を偶然目撃したあの日、私は店を一旦出たあとまた引き返し、
先生が置いたであろうチョコレート商品を複数個、購入した。
 それらを材料に、手を加え、ハンドメイド風のチョコレートに仕立て直した。
 できあがった物を、義理チョコを装って、細川先生に渡す。少し前まで、手品を見せ
ていた女子生徒からのプレゼントを、先生はきっと受け取る。食べるかどうかは分から
ない。ひょっとしたら、気味悪がって食べずに自宅で処分するかもしれないし、私に感
想を問われたときに備え、一個ぐらい食べるかもしれない。それは天に任せる。
 先生が何を混ぜたのかも知らない。一目見ただけで正体の分かる物じゃないことは確
かだ。何らかの液体と考えられる。恐らく、単なる水や醤油、石けん水よりは危険な代
物に違いない。ただ、それを食べるとどうなるのかは全く不明。細川先生次第だ。

 そうして――。
 刑事を前に、今の私はせいぜい、演技に徹するとしよう。
 異物の混入したチョコレートを運悪く購入し、図らずも毒入りのバレンタインチョコ
を作り、先生に贈ってしまった女子生徒。その立場を演じきる。
 だいたい、細川先生がチョコに何を入れたのか知らなかったのだ。私が罪に問われる
はずがない。むしろ、悪質な犯罪者を成敗したことを、称賛されてもいいくらい。
 細川先生の正体は、近い将来、白日の下にさらされるに決まっている。警察が先生の
家を捜索し、異物混入犯である証拠を掴むだろう。日本の警察は基本的に優秀だと信じ
ている。心配していない。
 と、部屋のドアが開き、また閉じられる音がした。男性刑事が戻ってきたのだ。
 廊下に出て、同僚刑事からの某かの報告に耳を貸していた彼は、その内容を私に聞か
せるようなことはせず、私に事情聴取していた女性刑事に耳打ちした。
 女性刑事は一つ頷くと、顔の向きを男性刑事から私へと変えた。何気ない調子で告げ
てくる。
「ショックを受けないで聞いてね、丹波さん。細川洋海先生がお亡くなりになったそう
よ。即効性のある毒でね」

――終わり





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