AWC 横浜志摩殺人事件もしくは肩こりには湿布   永山


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#440/457 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/10/30  21:44  (426)
横浜志摩殺人事件もしくは肩こりには湿布   永山
★内容                                         15/11/09 02:27 修正 第2版
 風が強い。頭に手をやり帽子を押さえ、僅かに前屈みにながら進む。
 三人ほど前を行く女性は、そのロングヘアを左から右へと流されている。冬でないの
が幸いだ。陽もまだ高く、寒さは感じない。ここ横浜の天気は、今日から下り坂と予報
されている。
 波立つ水面を眼下に認めながら、橋を渡ると、ようやく風から逃れられた。壁の内側
に入ったのだ。人心地つき、顔を上げると、視線に圧倒される。出迎えの従業員が、両
サイドに大勢並んでいた。すでに手荷物は部屋に運ばれており、特に持ってもらう物な
どないのだが、満面の笑みで迎えられると、それだけでチップをはずんだ方がいいのか
なという思いが頭をかすめた。いや、ここはチップの類は一切不要と聞かされている。
この手の旅やホテルに慣れていない私は、友人の言葉を信じるほかない。
 その頼みの友人は、先へ先へと行ってしまったらしい。すぐ前を歩いていたはずなの
に、今や髪の長い女性を追い抜き、早足で進んでいるのが見えた。私は慌て気味にネッ
クストラップに手をやり、そこに付けられたカードを従業員の一人に示した。ルーム
キーを兼ねるというこのカード、前もって渡された物だ。これを機械にかざすことで、
チェックインの手続きが完了するのだという。無論、外出するときやチェックアウトの
際も同様、らしい。
 小走りになって、友人に追いつく。隣に並ぶと、やっと気付いてくれた。
「話し掛けても返事がないと思ったら、遅れていたのか」
「返事がない時点で、振り向いてくれよ」
「すまない。しかし、時間が勿体ないからね」
「部屋まで案内をしてもらわなくていいのか? 他の客は半分ぐらいは案内してもらっ
てるみたいだけど」
 きょろきょろと周囲に目をやり、見たままの感想を伝える。
「勝手知ったるというやつで、リピーターは案内なしで行くのが多い。かくいう僕は、
まだ三度目だが、聞くところによると年間を通して最上級の部屋を予約している人物も
いるそうだよ。好きなときに、いつでも泊まれるようにね」
 どんな金持ちだよと呟きそうになったが、飲み込んだ。ハイソな向きが大勢いる(か
もしれない)場なのだと自覚し、ぞんざいな言葉遣いは慎むべきだと意に留める。
「とにかく、今は君に着いて行けばいいんだな?」
「ああ」
「少し、ペースを落としてくれないか。初めての僕は、どうしても周りに目が行くよ」
 豪華絢爛を絵にすればこうなるという一つの見本が、そこにはあった。入ってすぐの
ホールには、きらびやかな装飾がそこかしこに施されている。吹き抜けの天井を見上げ
ると、ステンドグラスをイメージした丸い天蓋があり、下からは大理石の柱が支えてい
る。さらにブロンズ製と思しき人物の像が、ダンスを踊るかのように配され、何脚もあ
るゆったりとしたソファには、宿泊客が寛いでいる。
 ホールを抜け、エレベーター前に向かうに従い、装飾は同じ豪華さでも抑制の効いた
上品さを感じさせるものに転じた。両サイドの壁は木目調になり、イルカや人魚、カモ
メ等を模したオーナメントが掛かってる。かと思えば、絵画や写真、何やらアルファベ
ットの踊るカードといった代物も飾ってあった。エレベーターで目的の階に着き、出て
みると、今度は長い廊下が続いていた。角に飾られた花瓶やぬいぐるみを眺めつつ進む
と、客室のゾーンに入った。
 この階担当らしい女性従業員が微笑みかけてくるが、私の友人はまた案内を断った。
「前に泊まった部屋と同じフロアだから」
 と言うが、長い長い廊下を前にすると、本当に大丈夫かなと少々心配になる。迷路と
までは行かずとも、とにかく広い。少なくとも自分は、一旦部屋から出ると戻るのに苦
労しそうな予感がした。
「ここだ」
 立ち止まったすぐ横のドアを見ると、7012とプレートにあった。念のため、キー
カードの番号と照らし合わせる。同じだ。
 部屋に入ると、話に聞いていた通り、荷物が届けてあった。早速荷解きし、中見を確
認する。とりあえず、夕食の席はそこそこお洒落しなければいけないらしいから、服の
準備を優先しよう。

 小一時間ほど掛け、やるべきことを済ませると、やっと一息つけた。額に汗が浮いて
いる。ちょこまかと動き回ったせいもあるだろうが、高揚感が大きいようだ。ベッドの
縁に腰掛けている私に、相方はジャケットを羽織るやこう言った。
「さて、パーティに行くぞ」
「パーティ?」
 腕時計を見た。まだ夕餉には早い。そのことを言うと、「食事はまた別さ」と苦笑交
じりに答えられた。
「我々のマークすべき人物が参加するんだから、こちらも出向かねば」
「あ、高藤佐武郎(たかふじさぶろう)が、そのパーティに出るのかい?」
「うむ。まあ、宿泊客のほとんど全員が、足を運ぶのが通例なんだけどね」
 事前に聞かされていた話にようやくつながり、私は気を引き締めた。
 ここらで自己紹介しておくと、我々は探偵である。一応、私・日野森順彦(ひのもり
のりひこ)が助手で、主導的に探偵するのは土屋幹敏(つちやみきとし)の方だ。無
論、依頼を聞いて引き受けるかどうかを決めるのも彼。
 土屋の話によれば、我々が今回引き受けた仕事は、高藤佐武郎の犯行を食い止めるこ
とである。高藤は、裏社会ではそこそこ名の通った“犯罪マニア”で、様々な犯罪を経
験したいがためにやってみる、という非常に困った輩だ。泥棒や詐欺で逮捕歴がある
他、放火やスリの容疑を掛けられたことがある。犯罪を体験したくて仕方がない性癖が
事実なら、これ以外にも罪を犯しているかもしれないが、現時点では明るみに出ていな
い。そんな高藤に関するある情報が、知り合いの刑事からもたらされた。
 いよいよ――と表現してよいものかどうか分からないが、高藤が殺人に手を染めよう
としている、というのだ。
 折角の情報だが、あまりに曖昧だった。警察としては何も起こらない内は動きようが
ない。せめて、誰を殺そうとしているのかが分かれば、警護名目で手を打てる可能性も
あるのだが。
 かように扱いづらいネタ故、私立探偵のところに話が回ってきた次第らしい。
 土屋は、知り合いの刑事からの依頼という形で、高藤が本当に殺人を犯そうとしてる
のならそれを食い止めるか、最悪でもその現場を押さえることを請け負った。警察とし
ても、高藤のような犯罪マニアを野放しにしておくのは危険であり、たとえ殺人未遂で
も逮捕できれば、長く閉じ込めておけるとの算段があったのかもしれない。
 土屋は独自のルート(私にも秘密の)を使い、高藤が月末の金曜から二泊三日の予定
で、この宿泊施設に逗留することを突き止めた。それは、高藤にとって今までにない行
動パターンであり、遠出する理由がない。単なる観光旅行にしては、高藤の稼ぎからし
て、ランクが高すぎる。しかも、通常は二人で泊まる部屋を一人で使用するため、割高
な料金を払っていた。
 だが、殺人をやろうと画策しているのなら、出費は関係ない。殺人のついでに財産を
奪おう、逮捕されればそれまでだ。そんな考えで殺人計画を立てたとすると、辻褄が合
う。
 実際にこの場に来てみて、私も感じた。もし宿泊客の中から殺す人間を選ぶとすれ
ば、誰もがそこそこの金を所持しているだろうな、と。
「大げさなパーティではなく、歓迎式典みたいなものだから、そこで殺人をやらかすと
は考えにくいが、敵さんの現状を観察する意味でも、顔を見ておこうじゃないか」
「了解した」
 身だしなみを整えると、私は土屋に着いて、十一階まで上がった。このフロアでパー
ティが行われるらしい……と考える暇もなく、エレベーターを降りると女性従業員が笑
顔で我々を迎え、お盆をこちらに差し出してくる。二種類のグラスが載っているが、ど
ちらか選べということか。形状から判断すると、カクテルとスパークリングワインだろ
う。アルコールは苦手だが、カクテルグラスの方を取った。女性向けなのかもしれない
と直後に思ったが、他の客の動向を見ると、性別は特に関係ないらしいと分かり、ほっ
とする。
 と、些末なことでまごつく間に、土屋は先に行ってしまっていた。液体をこぼさぬよ
う、慎重な足取りで追う。
「――彼だ」
 私が追いつくと同時に、土屋は囁いた。顔の近くに持って来た指で示す方向に、私も
視線を向ける。
 いた。高藤佐武郎だ。
 事前に写真で見ていたが、それに比べると若々しい。写真では険しい表情と鋭い目つ
きばかりが印象に残ったが、今目の当たりにしている男はまるで違う。立派なスーツを
着ているのに加え、表情が明るいせいだろうか。隣の夫婦らしき老齢の男女と、笑顔で
言葉を交わしている。身長や体格も平均的で、威圧感はない。
「あのお年寄り達は、高藤の知り合いだろうか?」
 私が小声で疑問を呟くと、土屋はかぶりを振った。
「データにはなかった。宿泊者の中に、奴の知り合いはいない。ただし、データが古い
とも考えられる。あの二人の顔写真を撮ったから、送って、念のため調べてもらうこと
にした」
 やることが早い。
 ただ、その調査は空振りに終わりそうに感じた。というのも、高藤の観察を続けてる
と、彼は次から次へと宿泊客に話し掛けるのが見て取れたからだ。いくら何でも、全員
が知り合いなんて、あり得ない。話す時間の長短はあれど、旅先でたまたま会った相手
と、どうということのない会話を楽しんでいる、それだけのように思える。
 私と同じことを考えたのか、土屋が独り言のように言った。
「……ターゲットを物色しているのかもしれないな」
 なるほど、そう見なすのが自然か。推測が当たっているのなら、このパーティは思っ
ていた以上に重要な場面と言える。高藤が狙いを定めた人物を、我々も察することがで
きれば、犯行を未然に防げる可能性が一挙に高まる。
「どうする? 顔を見られるのを覚悟で接近し、会話の内容を掴むかい?」
「ふむ……もしくは、僕か君のどちらかが、あいつのターゲットに選んでもらえるよ
う、仕向けるか、だな」
「何?」
 思わず声が大きくなった。土屋が目で私を非難する。
「高藤が殺す相手をまだ決めていないとすれば、そういう手もありだろってことさ」
「それくらい、ちゃんと理解している。実行するのかどうかが問題だ」
「……選ばれずとも、高藤と知り合いになり、あいつに何だかんだとつきまとうのも、
抑止力にはなるだろう。試す価値はありそうだ」
「それなら決まりだ。どっちが行く?」
 視界の隅に高藤を置きながら、話を詰める私と土屋。高藤は、飲み物のお代わりを受
け取っていた。
「そうだな……ここへ泊まる者は、基本的に二人一組なんだ」
「それは承知しているが、高藤は単身なんだろ?」
「ああ。それだけ珍しいし、目立つ。僕か君のどちらかが単独であいつに接触しても、
恐らく、連れの存在を確かめられてしまうだろうな。」
「そうか。変に隠すよりは、最初から明かしておいた方が、怪しまれないという理屈だ
な。あっ、高藤がどこかへ行くぞ」
「パーティを抜けるつもりのようだ」
 高藤は一人で、エレベーターに向かっている。乗り合わせれば、声を掛けやすいのだ
が、生憎と、エレベーターは三基あり、その内の二基が今、このフロアに停まっている
ようだ。追い掛けて、高藤と同じ箱に飛び乗るなんて行動は、避けた方が賢明だろう。
「部屋番号をまだ把握できていないんだ」
 土屋は、先を行く高藤との距離を測りながら言った。
「予約時の情報は入手できたから、その段階での部屋は分かっている。ただ、手配を請
け負った会社の都合による部屋のグレードアップが、希にあるからね。あいつが何階で
降りるかを見ておきたい。八階なら、変更なしの可能性が高い」
 エレベーターの電光表示を目視できる位置まで来て、我々は高藤を密かに見送った。
扉が閉じる間際、外を向く高藤と目が合いそうになったが、避けた(と思う)。程なく
してエレベーターは動き始めた。そして十数秒後に停まる。
「――八階だな」
 満足げに頷いた土屋。
「8044にほぼ間違いない。あとは、タイミングを見計らって、あいつとすれ違うよ
うにすればいい」
「廊下で見張るのかい?」
「まさか」
 苦笑交じりに即答された。
「そんな怪しい真似はできないし、する必要はない。ここでの夕食は、原則として時間
が定められており、共同のレストランに出て来なければいけない。だから、我々もその
時刻に合わせて、レストラン前で待てばいい」
「そうか。えっと、夕食は確か……」
「今回は、午後六時からだ。一時間足らずだが、時間がある。折角の機会、君はここの
で優雅なひとときを味わっているといいよ」
「そんな悠長なことは。だいたい、土屋、君はどうするつもりなんだ」
「腹ごしらえをしておこうと思う」
「うん? 食事前に?」
「軽食を出してくれるところが、レストランとは別にあるんだ。ここはディナーだけで
なく、ジャンクフードも結構行ける」
「だったら、自分も付き合うよ。こんな広い場所で、一人になるのは正直言って不安
だ」
「それなら急ごう。ハンバーガーは人気があるからな」
 フロアを移るものと思い込んでいたので、エレベーターに向かった私だったが、土屋
に呼び止められて、ブレーキを掛けた。
「ちょうどこの反対側にあるんだ」

 土屋はジャンクフードと表現したが、どうしてどうして、人気のハンバーガーはちゃ
んとした料理になっていた。味も、ファーストフード店で食べるようなソースだけで決
まってしまうような代物ではなく、肉の旨味を感じられた。あとで、使っている肉は和
牛だと聞き、納得した。
 ともかく、腹ごしらえにちょうどよい量を胃袋に収めた我々は、レストラン前で待機
することにした。事前に土屋から計画を聞かされたときは、レストランの前で待ち伏せ
するのは目立つのではないかと危惧したが、全くの杞憂だった。レストラン出入り口の
手前はちょっとしたホールのようになっていて、中央に置かれたピアノでは常に演奏が
行われている。それを聴くために、宿泊客が何人もいる。ある者は備え付けのソファに
腰を据え、またある者は足を止めて聞き入っていた。私と土屋も彼ら聴衆に紛れ、高藤
が姿を見せるのを待ち構えた。
 やがて時刻は六時を迎え、ちょうどその頃、エレベーターで高藤が現れた。
 作戦では、チャンスがあればいつでも声を掛けるが、なければ無理をせず、食事中の
接近を試みることにしていた。レストランでの席は決められておらず、ウェイターに言
えばある程度は希望の席に着けるという。我々は、高藤の座った席を見極めてから、ウ
ェイターに案内を請う気でいた。
「――ちょっと状況が変わったようだ」
 エレベーターから出て来た高藤を横目で見やりながら、土屋が言った。その意味する
ところは、私にも理解できた。
 高藤に続いて、若い女性が出て来たのだが、彼女は高藤のすぐ斜め後ろを着いて歩い
ているではないか。腕を組めそうな距離だ。ハイヒール履きとは言え、かなり背が高
い。明るい青のワンピースが、よく似合っていると思った。――おっと、高藤が振り返
って、何か女性に言葉を掛けた。我々が腹ごしらえをする感に、高藤はこの若き女性と
知り合いになったらしい。もしや、彼女こそが、高藤が宿泊者の中から選んだターゲッ
トなのかもしれない……。
「どうする?」
「慌てることはない。若い女性が一人というのも珍しい。彼女を見たまえ、ひょっとす
ると、まだ十代かもしれない。スカートの裾を翻すような歩き方は、高校生ぐらいじゃ
ないか。これは……家族揃っての旅行だが、彼女だけはぐれたのを、高藤がレストラン
まで連れて来てやっただけ、と見た」
 早口で言いつつ、土屋は観察を続けた。
 すると、その推理の正しさを証明するかのように、ドアのところで高藤がウェイター
の一人に事情を説明する風な手振りをした。女性の方は、俯き気味になって、恥ずかし
そうにしている。言われてみれば、十代に見える。ドレスアップしているせいで見違え
たが、顔は少女のそれだ。
 やがて、若い女性は高藤にお辞儀をすると、先に一人だけ案内されて行った。
「ほら、やっぱり」
「なるほど。しかし、あいつがターゲットを定めた可能性は残るんじゃないか」
「ああ。だが、今はあいつに接近することを考えよう」
 我々は短い列に並び、高藤がどのテーブルに案内されるのかを見守った。店内には、
二人用の席の他、家族向けらしき四人席、丸テーブルを囲む八〜十名程度の席もあっ
た。高藤は単身の客だから、二人用のテーブルに通されるだろうと予想したのが、外れ
た。何故か彼は、八人掛けの丸テーブルの一角に陣取った。ウェイターの反応から推測
するに、高藤当人の希望らしい。
「見知らぬ人と相席して、知り合いになりたいというタイプもいるにはいるが……高藤
の場合、額面通りには受け取れないな」
 微苦笑を浮かべた土屋。
「しかし、これは好都合だ。自然な形で相席できそうだぞ」
 ウェイターに土屋が希望を伝えると、思惑通りになった。さすがに隣に座ることは適
わなかったが、一つ空けて同じテーブルに着けた。
 最終的に、我々と高藤の他、七十前後の姉妹が相席になった。着席時に簡単な挨拶を
した以外は、特に会話がないまま、夕食が始まった。コース料理で、前菜だのスープだ
のメインディッシュだのデザートだのの区分けそれぞれに複数――だいたい三種類――
のメニューから選べる方式になっていた。ウェイターが各人のセレクトを聞いて回る。
私と土屋、それに高藤はすぐに決めたが、姉妹はやはりと言うべきか、迷っている。そ
こへ、高藤が「迷われたなら、シェフのおすすめを選ぶのが無難とされているようです
よ」と、如才ない笑みとともに話し掛けた。
「ええ、そうしたいんですけれど、二人同じ物を頼むのもつまらないかしらと」
「分け合うのはマナーに反すると言いますけど、見るだけでも楽しそうなお料理だか
ら、写真に収めておきたいし」
 姉妹が姉、妹の順で答える。どちらも着飾ってこのような場に慣れているように見え
たが、実際はほとんど経験がないという。
「それなら、私やあちらの方達が選んだ料理以外を選べばよいのでは。ですよね?」
 高藤は不意に我々に話し掛けてきた。びくりとしたが、平静を装って、とりあえず頷
く。応対は、土屋に任せよう。
「料理を撮影したいと言うことでしたら、僕はかまいません」
 土屋もまた笑顔を作って、姉妹に言った。
「ただし、早めに言ってください。饗された途端に、手と付けたくなるかもしれません
から」
 ジョークは幸い、受けた。急速に、リラックスした空気になった。
「いいんですの? 実はブログをやっていまして、旅行記に写真を載せるつもりなんで
すけれど」
「どうぞ。個人の特定につながらなければ、全然気にしません。なあ?」
 土屋に同意を求められた。私は食い気味に、「ああ、いいですよ」と答えた。高藤も
異存ないようだった。
 このあと、食事は和やかに進んだ。お互いに簡単な自己紹介をし、打ち解けた雰囲気
になったが、必要以上にパーソナルテリトリーを侵さぬよう、ちゃんと気遣う。途中、
ウェイターのパフォーマンスや、バンドマンによる演奏があって、レストラン内は大い
に盛り上がった。
 私と土屋はお酒に弱いからと嘘を言って、最初の一杯にとどめたが、高藤は様々なア
ルコール類を何杯も飲んでいた。そのせいか、徐々に饒舌になり、我々や峰山(みねや
ま)姉妹に、より積極的に話し掛けてくるようになった。相手のことを根掘り葉掘り聞
き出そうとするのではなく、料理の感想に始まり、世間的な話題、高藤自身のこれまで
の旅行歴と話題を転じる。酔っ払っている訳ではなく、ちゃんと理性を保っているのは
見て取れた。しかし、彼に詐欺の犯歴があると知っている我々からすれば、話半分で聞
くべきだろうという思いが強かった。殺す相手を探すため、旅慣れた人間を装い、獲物
候補と接触しやすくなるという狙いかもしれない。
「それだけ旅をされているのでしたら、お知り合いも多いんでしょうね」
 土屋が尋ねると、高藤は曖昧に頷いた。続けて質問する。
「ひょっとすると、ここにも顔見知りの方がいるのでは? お客だけでなく、従業員の
方にも……」
「いや、残念ながら。しかし、他のところで、以前知り合った人と偶然再会した経験は
ありますよ。一度きりですが」
「そんなものですか。実は、最前、あなたをお見掛けしていましてね。周りの方達に話
し掛けておられたから、この人ならあいせきすればたのしいは話が聞けると思ったんで
すよ。それはともかく、さぞかし旅先での知り合いが多いだろうと感じたのですが、偶
然の再会は一度だけとは、寂しい」
「その分、再会したときの感動はひとしおです。体験したければ、あなた方も旅を続け
ることです」
 高藤は答えると、笑みを満面に広げていた。恐らく、嘘をついているのだが、うまく
切り抜けたことを内心、自画自賛しているのだろう。
 デザートとしめのコーヒーが終わると、峰山姉妹は「お先に失礼をします」と席を立
った。このあとの予定が詰まっているそうだ。
「あなた方はどうされます?」
 そう言う高藤も席を立ちそうな雰囲気だった。どうやら、我々は殺人のターゲットに
は不向きだと判断されたらしい。男性二人組の片割れを狙うのは、確かに楽ではあるま
い。
「できれば、もう少しだけあなたのお話を伺いたいのですが。どうです、クラブでもう
一
杯?」
 他のフロアに、お酒を飲める店があるのだ。高藤は少し考える素振りを見せた。
「魅力的なお申し出だ。しかし、お酒に弱いお二人に、そんなことをさせるのは気が引
けますね」
 これは痛いところを突かれた。酔ってしまわぬためについた嘘が、ここへきてしっぺ
返しの材料になるとは。
「うーん、自分達の部屋で飲めれば、深酔いしても大丈夫なんですがね。お招きするの
は失礼に当たるだろうから」
「私はかまいません」
 土屋が粘ると、高藤は意外にも乗ってきた。
「ルームサービスを頼むとしましょう。割高になるが、あなた方と話せることに比べれ
ば、安い物だ」

             *            *

 時計を見ると、ちょうど午前三時だった。
 高藤佐武郎は、土屋と日野森の両名が、すっかり眠りに就いたことを確認した。
 今回調達できた睡眠薬は初めて使う品だったが、よほど強力だったようだ。二人は、
まさに落ちるように眠った。アルコールと一緒に摂取したことにより、相乗効果も現れ
たのかもしれない。
 高藤は、土屋、日野森の順に懐を探った。名刺が数種類出て来たが、一種類を除けば
作り物だろうと想像が付いた。
「やっぱり。探偵だったのか」
 独りごちると、高藤は二人が録音機の類を持っていないか、手早く探し始める。
(誰の情報網か知らないが、私の次なる犯罪計画を嗅ぎ取った点は、驚かされた。だ
が、こちらにも情報網があることを、この二人はお忘れだったようだな)
 二人が身に付けた物に、怪しいところはなかった。続いて、室内を調べる。
(まあ、録音や録画をされていようが、かまいやしない。殺人の邪魔さえしないのな
ら、犯行を後に知られてもかまわないんだ。ただ、あなた達は邪魔になりそうだったの
で、一時的に排除させてもらうことにした。私の殺しが発覚後、あなた方が通報しても
何ら問題ない。私にとって、殺人を体験することが第一義なのだから)
 高藤は部屋を見渡すと、何かに納得した風に頷いた。
「今ここで、あなた方のどちらか、あるいは両者とも殺害するのも、目的達成のための
手ではあるが……安心していい。折角決めておいた“被害者”を、みすみす放置しては
心残りだ。予定通り、計画通りに事を進める」
 意識を失い、ソファにぐったりと身体を埋めたままの両探偵に向け、犯罪マニアは静
かに宣言した。

 土屋らを眠らせてからおよそ五時間後、高藤佐武郎は、三重県は鳥羽にいた。
 そして鳥羽水族館へ足を延ばすと、待ち合わせをしていた“被害者”神田聖人(かん
だきよひと)と合流した。この時点で、午前九時。高藤は神田としばらく館内を見物し
ながら、チャンスを待った。
 機会はトイレに入ったとき、訪れた。男子トイレ内には二人しかおらず、目撃される
心配はない。高藤は神田を個室トイレに押し込み、(練習した通りに手際よく)絞殺す
る。ドアが簡単には開いてしまわぬよう、遺体そのものをつっかえ棒のようにして細工
すると、トイレをあとにした。水族館からも退出すると、土屋達を閉じ込めた部屋のこ
とが気になり始めた。
 廊下側のドアノブに、清掃不用の札を提げて来たが、土屋と日野森がいつ目覚めて、
部屋を出て、自分の不在を察知するかしれたものでない。できれば、犯行中に逃げられ
ていたなどという、間抜けな構図は避けたいものだ。逮捕を恐れぬ犯罪マニアの高藤だ
が、彼なりの美学があった。
 急ごう。
 彼は念じながら走った。

 約一時間後、高藤は土屋達の部屋である7012号室に辿り着いた。
 幸い、探偵達は、高藤の犯行にまだ気付いていないようだった。

             *            *

「――何ですかぁこれは?」
 “手記”を読み終えると、一尺二寸光人(かまえみつと)はつい、素っ頓狂な声を上
げてしまった。首を傾げるあまりか、肩が凝ってきた。
「だから最初に言った。謎解き小説だと。あ、いや、体裁は手記だけどさ」
 作者である飛土屋薙(ひつちやなぎ)が、頭を片手で掻きながら答える。
「手記と言っても、途中から視点が変わって、犯人だけが知る行動を追ってるじゃない
ですか」
「そこは、そうしないとつながらないからね。仕方がなかったんよ」
「ふうん。それはいいとしても、これ、問題編にしては中途半端じゃありません?」
「あ、ああ。それも思い付かなかった。要するに、何かいいアイディアはないかと、君
の意見を聞きたいのが本音なんですがっ。その前に一応、謎解きをやってみてほしい」
 私と飛土屋は、大学進学を控えた高校生だ。今、文芸部の部室にいる。二人きりなの
で、気兼ねする必要はない。その代わり、暖房器具の類を使っていない(経費節約のた
め、三人以上が集まらないと、冷暖房できないルールがあるのだ)から、寒さが段々、
身にしみるようだ。ああ、私の肩こりは、この寒さも一因かもしれない。
「えっと、謎というのは、犯人が誰かではなく、犯人高藤の行動のことですね?」
「そうそう」
 横浜に午前三時にいた高藤が、朝の八時から九時にかけて、鳥羽で殺人を決行し、さ
らにその一時間後、横浜のホテルの一室に戻ってきた……。まともに考えると、あり得
ない。鳥羽ってことは、三重県。朝一の新幹線に新横浜から乗ったとして、八時頃まで
に鳥羽に行けるのだろうか。
 私は起ち上げていたパソコンで時刻表検索ソフトを開き、ざっと調べてみた。
 ――無理だった。
 鉄道では、うまく乗り継いでも九時四十分に鳥羽駅に着くのが限界のようだ。高速バ
スを用いても無理。飛行機を使えばどうにかなるのだろうか?
 そもそも、仮に往路をクリアできたとしても、復路はどうにもならないのではない
か。何せ、たったの一時間で、元いた部屋に戻っているのだ。調べもしないで言うのも
なんだが、絶対に不可能では? まさか、超高性能なプライベートジェットとか空飛ぶ
自動車とかを持ち出してくるんじゃないだろうし。
 というか、一時間で帰って来られるのなら、行きも一時間で行けばいいのに、この犯
人は訳の分からない交通手段を執ってるし。
「降参? ねえ、降参する?」
 嬉々として聞いてくる飛土屋に対し、無反応を決め込む。自分の手で後頭部から肩に
掛けて揉みほぐしつつ、とりあえず、飛行機の線を、本腰を入れて調べてみようか。
と、その矢先――。
「付け足すと、高藤は朝七時頃に、宿泊施設の従業員達に姿を見られているってことに
してもいいよ」
「ええ?」
 つまり、片道一時間で往復したってこと? ほんとに訳が分からなくなってきた。肩
こりどころか、頭痛の種が生まれそうだ。
「念のために聞きますけど、今言った宿泊施設っていうのは、最初に出て来た横浜にあ
る施設と同じなんですよね?」
「うーんと、それはね。ええっと、最初に出て来た施設と同じで、間違いない」
「……?」
 何だかおかしな返事を寄越してくれた。頭の中で、飛土屋の台詞を素早く検討する。
すぐに気が付いたのは、「横浜」の部分を認めなかったこと。
「――横浜から鳥羽の辺りまで、巨大キャンピングカーか何かで夜通し移動した、とか
じゃないでしょうね?」
「おっ」
 飛土屋はびっくり眼を作って、口をOの字に開いた。解かれて嬉しいのか悔しいの
か、よく分からない人である。
「惜しい! もうちょっと現実的になろう」
「現実的って……ホテルが移動したことは認めるのですか。そんな発想をする人に、現
実的になろうとか言われたくないなあ」
「あ、だからさ、ホテルだなんて一言も書いてないし、言ってないでしょ」
「え? いや、確かはじめの方に……」
 探してみたが、一箇所しか見付からなかった。その唯一の箇所も「この手の旅やホテ
ルに慣れていない私」という形で、いわば記述者の日野村次第。現に泊まっている施設
が、ホテルだと断定できる言い回しじゃない。
「でもまあ、ホテルと言えなくもないと思うよ」
「どっちですか」
「もう答になっちゃうんだけど、いいのかな?」
「……かまいませんよ。これ以上引っ張られると、肩のこりが取れなくなってしまう」
 私が白旗を掲げてみせると、飛土屋は嬉々としての自乗ぐらいの笑顔になって、得意
げに言った。
「高藤や探偵達が泊まったのは、ホテルはホテルでも、洋上のホテル。言い換えると、
豪華客船に乗っていたのでしたー」
「……」
 “手記”を握る力がアップするのが分かった。皺がよるのは、プリントアウトした紙
だけでなく、私の額もだろう、きっと。

 私は部室を出ると、保健室にシップをもらいに行った。

――終わり





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