AWC 観察者たち   平野年男


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#438/549 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/08/29  21:51  (491)
観察者たち   平野年男
★内容
 台風が思いの外駆け足で通過したせいで、ここ数日は好天と悪天候がめまぐるしく入
れ替わった。お盆を迎えた夏休みを満喫するには、ちょっと計画を立てにくい天気だっ
た。
(この子は夏休みも何も、吹っ飛んじまったな)
 遺体の身元がやっと判明したというのに、刑事の吉野(よしの)は嘆息した。子供が
被害者というだけでも気が滅入るところへ、ここまで身元判明に時間を要したのは、親
の無関心が大きな理由だとなれば、ため息をつきたくもなる。
「名前は、盛川真麻(もりかわまあさ)。**中学の一年生で、母親の公恵(きみえ)
の話によると、四日前の昼過ぎに自宅アパートで顔を合わせたのが最後だと」
「四日前というと、八月十一日か」
 若い同僚からの報告に頷きながら、頭の中で計算する。死亡推定時刻が十三日の朝方
と出ているので、母親と最後に会ってからほぼ二日後となる。
「公恵はシングルマザーで、真麻と二人暮らし。職業は輸入雑貨店“ラアルカン”店
員。毎週火曜が定休日なので、十一日は朝から自宅にいたようなんですが、昼食のあ
と、子供を置いて出掛けています。まず銀行に行き、元旦那からの養育費が振り込まれ
ていることを確認。ついでにいくらか下ろして、街のショッピングセンターへ」
「その辺はとりあえずいい、後回しだ。何で子供を置いていったんだ? 夏休みなんだか
ら、遊びに連れて行ってやってもいいだろうに」
「一応、気になって聞いたんですが、十三日からお盆休みに入るので、そのとき遊んで
やるつもりだったとか。どこまで当てになるか分かりませんけどね。印象だけで言え
ば、正直言って、あの母親は感じよくないです。十一日は帰宅せず、今付き合っている
男とホテル泊まり。翌日はそのまま店に出て、やっと家に帰ったのが午後八時頃。娘の
姿が見えないのに、この時点では特に探そうともせず、心当たりに電話すら入れていな
い。十四日の夜遅くになって、ようやく探し始め、見付からないので届けを出したとい
うていたらくなんですから」
「放任主義だったのか?」
「本人はそんな表現は使わず、子供の自主性を尊重していたと言ってましたよ。普段か
ら真麻は夜出歩くことが多く、家にいなくても特別ではないから、届けが遅くなったと
も」
「いや、それはおかしな理屈だ。親なら、娘が普段、夜出歩くのをまず咎めるべきじゃ
ないか」
「その辺も突っ込んで聞いてみたところ、夜外出するとき真麻はいつも同じ友達と連ん
でいたようだから、今回もそうだと思い、安心しきっていたと」
「友達ったって、同じ年頃だろ? あ、いや、まさか、ネットで知り合った大人か?」
「いえ、普通に、クラスメートです。十四日夜、その子の家に電話を掛けたが、真麻が
来ていないと知って、慌てて警察に駆け込んだというのが経緯です」
「すでにお聞き及びの通り、新たな問題が浮上しておりまして」
 若いのと入れ替わりに、古株の刑事が新たな報告に立ち上がる。
「盛川公恵が電話した先は保志という家なんですが、ここの長男の保志朝郎(ほしとも
お)も行方不明であることが、同時に分かった次第で。何でも、朝郎君と真麻さんは幼馴
染みで、普段からよく一緒に遊び、行き来もする仲だった。保志家では朝郎君が盛川家
に、泊まり掛けで遊びに行っているものと思い込んでいたため、探さずにいた訳です」
「営利目的の誘拐の可能性は?」
「営利誘拐なら、四日経って音沙汰なしでいるとは考えにくいですが、可能性ゼロと
は、まだ言い切れないでしょうな。ま、女の子の方が遺体で見付かった現状で、男の子
の方の身代金を要求してくるようなら、そいつの神経の図太さはギャング並みですよ」
 ベテラン刑事自身は冗談のつもりだったかもしれないが、夜遅くの会議の場では誰一
人としてくすりともしない。
「あるとしたら、身代金狙いで浚ったが、途中でやめざるを得なくなったってケースで
すかね」
「想像はほどほどに」
「可能性をあげつらうなら、二人は別々の事件に巻き込まれた場合も想定すべきでは」
「だったら、、保志朝郎が盛川真麻を殺め、逃亡中って可能性も」
 イレギュラーな発言が俄に増えた。しかし、ベテラン刑事は落ち着いて応答した。
「可能性だけなら否定しきれんでしょうが、現実的にはどうなんでしょう。後者から論
じると、体格は朝郎君の方が小さい。中学一年生で、あんなとこまで遺体を運び込める
のか、怪しいもんだと個人的には思いますがね。頭部を切断されていたにせよ、重いこと
には変わりない」
 盛川真麻の遺体は、町外れの道路脇側溝で見つかっていた。蓋の下に押し込まれる形
ではあったが、絶対に見付からないことを期した隠し方ではない。盛川家や保志家のあ
る住宅街からの距離は、一山越えて四十五キロほどある。折からの猛暑で、側溝は乾き
切っており、血溜まりはおろか血痕すらもほとんど見当たらなかった事実から、殺害場
所は別にあると見なされた。
「二人がそれぞれ別個の事件に巻き込まれた可能性になると、もっと低い気がします。
何せ、二人は待ち合わせしており、その約束通りに会っていることが確かめられている
のだから」
 ここで報告者は、三人目の刑事に代わった。
「家族や友人の証言及び当事者のラインでのやり取りから、保志朝郎と盛川真麻が十一
日の夜八時に、**駅で待ち合わせをしていたことが分かっています。駅を中心とした
商店街の防犯カメラを当たり始めたところ、これまでに駅前のロータリーや商店街にい
る二人の姿を確認できています。詳しい行動はまだこれからですが、八時過ぎには一緒
に行動している、つまり落ち合ったばかりという訳です」
「駅までの足取りは?」
「駅までは両名とも自転車で来ていますが、その様子が映った映像はまだ押さえられて
いません。防犯カメラに映った二人は、それぞれ徒歩。自転車をどこかに駐輪したに違
いないんですが、その様子も今のところは見付かっていません。あと、保志朝郎の保護
者の証言では、家にある簡易テントがなくなっているとのことでした。元々、息子の物
で、よく持ち出していたそうですから、今回も持って行ったものと考えられます」
 保志朝郎の父親は新次郎(しんじろう)といって、弁護士をしている。母親は華耶
(かや)、小学校教師とのことだった。三人家族で、両親とも仕事に忙しいため、朝郎
にかまってやる暇があまりなかった。代わりに、欲しい物はたいてい買い与えてやった
といい、簡易テントもその一つだった。
「テントは普通の大人なら、二人はいれば狭苦しいが、子供なら余裕があるサイズと言え
ます。実際、保志朝郎は男の友達と二人で、このテントに入って一晩明かした経験があっ
たようです」
「今回、待ち合わせしていたのは、朝郎君と真麻さんの二人だけなんだろ? 一年生と
は言え、中学の男女が一緒のテントに入るのか?」
「二人がこれまでに簡易テントで一晩過ごしたことがあるかどうかは未確認ですが、聞
き込みできた範囲では、互いに異性として意識はしていなかったと、周りは見ていたよ
うです」
「その言い方だと、親御さんも気にしてなかったのか。分からんなあ」
「まあ、事情は些か違えど、両家とも同じ放任主義みたいなもんですから」
 報告する刑事の口ぶりが少し砕けたものになったとき、会議室のドアが無遠慮なまで
に勢いよく開けられた。中にいた者のほとんどが視線をやると、現れたのはこの捜査本
部が置かれた署の事務職員だった。
「か、会議中、失礼します。たった今、相談窓口の電話に、この事件の犯人だと称する、
恐らく男からの電話が入っています」
「何?」

 男はその自らの行為を観察と称していた。といっても、吹聴できるような行為ではな
いため、他人に対して説明したことはない。あくまで、自分の内での表現である。
 彼が観察する対象は、子供だった。それも、中学生に限られる。もちろん、外見だけ
では高校生や小学生と区別が付かない場合もあるが、それは結果論である。
 男は子供を男女の別なしにターゲットとした。中学生への愛情の深さ故、彼は観察を
行い、ときに対象に接触し、実力行使に出た。
 以前は、彼自身の生活圏を離れ、なるべく遠隔地で観察を行っていたが、忙しくなる
に伴い、近場で観察するようになった。それでも実力行使に至るのは、遠方の土地に限
られていたのだが、この八月に入り、とうとう自身のテリトリー内でやってしまった。
 このことが、彼を動揺させていた。加えて思惑が外れ、予定が狂い、彼はより一層、
動揺した。そして警察に電話を掛けるという行動に出たのだった。

「お電話代わりました。盛川真麻さん殺害の件に関して、重要な情報をお持ちとのこと
ですが?」
「あ、あなたの名前は? どういう立場の人?」
 変声期を通したと思しき高い声が、幾分おどおどした口調で問うてきた。
「私はこの事件の捜査に携わる刑事の一人で、吉野と言います」
「責任者か?」
「総指揮を執っている訳ではありませんが、責任の一端を担っています」
「そうか……」
 吉野は相手がトップを出せと言い出さない内にと、僅かな逡巡を捉えて質問を発し
た。
「ところであなたのお名前は? 何とお呼びすれば」
「名前は言えない。犯人と呼んでかまわない」
「いや、それはちょっと。本当に犯人なのか、見当しかねる訳でして。あなたがそうだ
とは言いませんが、世の中には虚偽の自白をして警察を混乱させようとする者もいます
ので」
「それなら、証拠を言う。確か、死んだ女の子は右手の甲に酷い傷を負っているはず
だ。これは発表されてないだろう? 何度か私が突き刺したんだ」
「――何を使って刺しました?」
 被害者の右手甲が、執拗に傷付けられていた事実は、まだ公にされていない。吉野は
緊張感を高めた。周りで電話のやり取りを聞いている面々も、同様だろう。
「ボールペンだったかシャープペンシルだったか、とにかくそのとき持っていたペンで
刺した」
 手の甲の傷からは、ボールペンのインクが検出されていた。“犯人”の言葉を裏付け
る物証だ。
「どうして刺したんですか」
「あの子が私の車のキーを奪おうとしたんだ。それをやめさせようとして刺した。でも
奪われた。私が取り返そうとしたら、キーを飲み込もうとした。それで殴りつけたら、
あの子は……恐らく、死んだ。キーを取り出そうと口の中に手を入れたが、できなかっ
た。喉の奥に引っ掛かっているのが見えた。仕方なしに、鋸を用意して、首のところか
ら切断したんだ」
 聞かれていないことまで一気に喋った“犯人”。吉野の背後では、キーを飲み込んだ
ことによる痕跡が喉などに残っていたかどうか、確認するよう指示が飛ぶ。
「どうして盛川さんはあなたの車の鍵を奪おうとしたのだろう?」
「私が彼を連れ去ろうとしたからだと思う」
「彼? 保志朝郎君か?」
「ああ、確かそんな名前だ。そうなんだ、彼のために電話したんだ。これからいう住所
の辺りに、すぐに行ってやって欲しい。――」
 “犯人”は場所を早口で捲し立てた。厳密な意味での住所番地ではなく、ある住宅地
の一角を占める森の中だった。
「ここに男の子がいる。遺憾だが、もう死んでいる。ただ、昨晩の台風で、あの一帯は
木が何本か倒れたとニュースで聞いた。もしかすると遺体がぐちゃぐちゃになったかも
しれない。あの子がそうなるのを放置するのは忍びない。早く回収して、弔ってあげて
欲しい」
 殺人犯にしては変なことを言う。吉野はいくらか怪訝さを抱きつつも、その要求を受
け入れる返事をした。それと同時に、逆探知が発信元を順調に絞り込めたことを、合図で
把握した。
 “犯人”の電話は携帯電話からなので、ある程度の限られた区域まで絞り込むと、あ
とは虱潰しに当たることになる。吉野は通話が切れないよう、時間稼ぎに努めた。
「保志君も死んでしまったのか。残念でならない。どういういきさつで死んだのか、話
してくれるか?」
 もう一人、少年が犠牲になっていたと知り、言葉遣いがやや荒くなる吉野。この変化
に気付いているのかどうか分からないが、“犯人”は被せ気味に聞いてきた。
「捜査員を向かわせてくれたんだろうな?」
「もちろんだ。到着したら、また知らせる。だから安心して、話を聞かせてもらいた
い」
「……私が最初に声を掛けたのは、男の子の方だった。一人でいた彼を誘い、車に乗せ
たとき、女の子がちょうど現れて……こんなことになってしまったんだ。男の子は私を
信じたが、女の子は違った。やがて怪しみ始め、あの子は私の車のキーを」
「それは、あなたが男の子を乗せたまま、発信しようとしたからか?」
「そう見えたのかもしれない。そんな危ない真似、実際にするつもりはなかった。ふり
をすれば、女の子はあきらめると思ったんだ」
 “犯人”の話には時間や場所の言及がなく、また些か観念的で、状況がいまいち把握
できなかった。そもそも、本来の質問である保志朝郎の死について、まだ何ら語ってい
ない。だが、現状、それでもかまわないと吉野ら刑事は捉えていた。捜査員達は、“犯
人”が指定した場所以外にも向かっている。
「キーを巡るくだりからして、先に死んだのは盛川真麻さんなんだな? そのあと、彼
女の遺体を側溝に隠して、それから?」
「男の子を車に乗せて、発進した。いや、違った。そう、刑事さん達は疑問に思ったは
ずだ。女の子を死なせてしまった間、男の子は何故騒いだり逃げたりしなかったのか
と。私はいざというときに備えて、縄跳びと睡眠薬を用意していた。幸い、縄跳びで拘
束して、タオルの猿ぐつわを噛ませると、男の子は大人しくなった。問題が起きたのは
そのあとだった。運転中の私はひとまず窮地を脱して気が緩んでいたんだろう、女の子
は死んだと口を滑らしてしまった。途端に、男の子は逃げようと暴れ出して、どうにか
する必要が生じた。車を停めて、宥めてみたが、無駄だった。それどころか、騒ぐ一方
だ。黙らせなければ、静かにさせなければと、あの子の口を両手で押さえつけた。それ
から……次に気付いたときには、もう彼は死んでいた。最初の目的は、全く達成不可能
になってしまった。私は少年少女を元の道へ引き戻すために、行動しているというのに
……。私はあの男の子の遺体を隠す必要を感じた。辺りを見渡すと、お誂え向きの林が
あった。車である程度入り込み、遺体を担いで運んで、草木で見えなくなるように置い
た」
 そこまで話した“犯人”は、不意に「あっ」と叫んだ。間髪入れずに、電話が切られ
る。捜査員が場所を特定したのかと思いきや、そんな報告は入ってこなかった。
 恐らく、逆探知のことを思い出した“犯人”が、急いで通話を打ち切り、電源を切っ
たと考えられる。
「すまん。もっと引き延ばしたかったんだが」
「今のは仕方がない。だいぶ絞り込めたしな。それよりも、これをどう見る?」
 逆探知に関わっていた同僚の一人が、吉野にコンピュータのディスプレイ画面を注視
しろとばかり、顎を横に振った。そこには携帯電話のとある基地局と、そのエリアがグ
ラフィック表示されていた。
「どの辺りだ?」
「住宅街と繁華街が半々といったところだな。被害者達の通う学校に、割と近い。気に
なるのは、ここだ」
 相手が指差したのはアパート。マンションと呼べるほどではないようだが、三階建て
の立派な代物らしい。
「ここに何名か、中学の関係者が入っている」
「関係者って教師か」
「ああ。資料によると五名いる」
「教師ね……。さっき“犯人”の奴が言っていた、子供に対する愛情云々も、教師の言
葉なら当てはまる」
「それに、もし他の職業の人間なら、子供を狙うのに早朝の繁華街や駅前に出向くもん
かね? 普通、そんな時間帯、そんな場所に小さな子供がいるとは考えまい。だが、こ
の事件の犯人は、狙い通りに子供を見付けた。確信があったんじゃないか? 教師な
ら、教室で生徒が遊びに行く相談するのを小耳に挟むことだってあるだろう」
「なるほどな。教師の立場からなら、夜遊びイコール不良と見なす傾向が強いだろう。
それをやめさせるために、出向いたのかもしれない」
 吉野らは頷き合った。ただし、全てを合点できた訳ではない。どこをどう間違えた
ら、殺人にまで発展するのかは、理解の範疇を超えていた。
「とりあえず、このアパートを重点的に調べていいんじゃないか。こうして声を録れた
んだし、声紋を比べるのもありだ。対象を、車を運転できる男に絞って」
 およそ二時間後、被害者らの通う中学校で国語教師を務める綿貫(わたぬき)という
男が、殺人容疑で逮捕された。部屋からは眼鏡や付けひげ、入れ歯など、変装に用いた
と思しき道具が多数発見された。

            *            *

「もちろん、存じ上げています。二年前の一時、大変に世間を騒がせた事件でしたか
ら」
 探偵の流次郎は、依頼人の問い掛けに如才なく答えた。
「中学生が二人とも他殺体で見付かるという結末は最悪でしたが、解決自体は比較的早
かった。そのせいでしょうか、じきに話題にならなくなりましたが」
「それでも、類似の事件が起きたり、区切りの日を迎えたりすると、瞬間的に話題にさ
れるのです。特に、マスコミの手によって」
 依頼人は忌々しげに言った。流は顎に右手をやり、理解を示す風に首肯した。
「教師が犯人だったというセンセーショナルさに加え、当事者は裁判を待つ間に自殺し
てしまった。結果、犯行の詳細はつまびらかにならず、犯人の動機にも理解しがたいも
のが残りましたからね。巷間の記憶の奥底に刻まれたのは、間違いない。それが今も、
何らかの問題になっているのですね?」
 察しを付けて流が聞くと、依頼人は胸を張るように視線を挙げ、「その通りなんで
す」と頷いた。依頼人の名は、緑山英達(みどりやまえいたつ)という。二年前の事件
で殺された盛川真麻、その母である公恵の別れた夫だ。
「私は不憫でならんのです。事件が思い出される度に、あらましがざっと語られること
が多いが、真麻と保志朝郎君に関してはほぼ間違いなく、夜中から早朝に掛けて遊び歩
いた中学一年生が、と説明される。そんな時間に子供だけで遊び歩いた二人にも落ち度
はあった、保護者の責任も問われる、などとはっきり指摘されたことだってある。そり
ゃあ、親には責任があるかもしれない。私がどうこう言える立場じゃないが、元妻は、
真麻の行動を全然掴めていなかった。子供の自主性を尊重するという名目で、放置した
も同然だ。だが、子供は違う。少なくとも、自業自得などと非難されていい訳がない」
「お気持ちは分かりました。それで、ご依頼とは?」
「親の欲目かもしれんが、真麻はしっかりした子でした。中学生のあの子はよく知らな
いが、公恵から聞いた限りでは、変わらずに育っていると思えた。朝郎君も同様だっ
た。少し気の弱いところはあったが、頭がよく、危ないことや悪いことをするようなタ
イプじゃない。そんな子達が、深夜に家を出て、夜明けまで街を遊び歩いていたとはと
ても信じられんのです」
「お子さん達の名誉回復、ということでしょうか」
 流が確認するかのように問うと、依頼人はしばし考え、やがて首を傾げた。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。事実を知りたい。真麻達が本当に夜遊びを
していたのなら、それは仕方がない。受け入れる。だがもし違うのだとしたら……今、
世間に広まっている『事実』をただすべきだ」
「私の記憶では、駅前や商店街の防犯カメラに映っていた真麻さん達の姿は、夜の九時
前までで、それ以降は確認できなかったんでしたね」
 二人は、コンビニエンスストアに寄っていた。若干のお菓子と飲み物、それに虫除け
スプレーを買い込んだあと、店の駐車場にしばらくいて、それから自転車に乗ってどこ
かに移動した。
「ああ、そうです。そのことも、真麻らが夜遊びしていたという話に疑いを抱いた根拠
の一つです」
「他にも根拠がおありで?」
「そうだな……事件よりも前の日にいくら遡っても、深夜の時間帯、防犯カメラにあの
子達は映っていなかったと聞いた。習慣的に夜遊びしていたのではないという証拠だ」
「ちょっと待ってください。確か、同じ年の春先、早朝の時間帯にカメラに映っていた
はずです」
 そのときも、同じコンビニエンスストアに現れていた。
「ああ、それは認める。だが、早朝の何が問題なんでしょう? 新聞配達の子が駆け回
っている時刻でした」
「なるほど。夜更かしではなく、朝早くに遊びに出たと」
「ええ。時季も、中学に入る前の春休みだ。特に悪いことだとは思えない」
「ふむ。他にも根拠はありますか? お子さんの日記か手紙でも見たとか……」
「いや、残念ながらそういうのはない。事件のあと公恵にも聞いて、探させたんだが、
何も出て来なかった。インターネット関係も含めて、警察が洗いざらい調べ上げたが、
特記するようなことは発見できなかったと聞いてる」
「特記するようなことがないとはつまり、夜遅くに出歩く理由、たとえば真麻さんと朝
郎君が互いに連絡を取り合っていたりとか、他の友達から誘われたりとか、そういった
痕跡もなかったということになりますね。これは大きな根拠ですよ」
「言われてみれば……」
 依頼人の表情が、少し明るくなった。希望を見出していた。
「ご依頼の件、お引き受けします。幾人かの関係者に対して、あなたから連絡を取って
いただければ、少しでも早く調べが進展すると思うのですが、よろしいですか。換言す
れば、依頼内容を相手に伝える可能性があるということですが」
「かまいやしません。どうせもう、私の名前と悪い評判は世間に出回っている。好きな
ようにしてくれていい」
 吹っ切った顔で、緑山英達は言った。この探偵事務所に来る前から、とうに吹っ切っ
ていたのかもしれない。

 流次郎の調査は、しかし、出だしからつまずいた。一番当てにしていた同級生達から
の証言が、ほとんど得られないと分かったからだ。
 まず、今のご時世、中学生に接触すること自体が難しく、たとえ緑山英達がいてもそ
れは同じだった。加えて、過去の犯罪絡みとなると、どうしても敬遠されがちだ。付け
加えるのなら、時期もよくない。高校受験を控えているのでという理由で、体よく断ら
れてしまうのがオチだった。
「悲観することはありませんよ。何人かは話してくれたんですし」
 盛川真麻や保志朝郎と特に親しかった三、四名ずつの友人が、短いながらも話を聞
き、答えてくれていた。それらを総合すると、真麻達が頻繁に夜遊びに行っていた事実
は、やはり確認できなかった。二度ほど、夏祭りの延長で、帰りが遅くなったケースが
あるくらいで、夜中に家を出て街をぶらついていたのを目撃した知り合いは皆無だっ
た。
「しかし、公恵や、保志さんところの家族の話だと、夜、出掛けていたことが何度かあ
ったのは事実なんだ」
 依頼人の言葉に、流は黙って頷いた。
「ネット上のやり取りで、その痕跡がなかったからと言って、待ち合わせの約束をする
ことぐらい、学校で顔を合わせるのだから充分可能。そもそも、痕跡を残したくなかっ
たから、ツールに頼らなかったのかもしれません。娘さんと保志朝郎君とは、幼馴染み
との話でしたが、異性として意識し合うことは本当になかったのでしょうか」
「分かりません。離婚後、娘とはたまに会うだけで、そういう話は出なかったし……」
「そうですか。まあ、仮に意識していないとしても、周りの友達がそういう目で見るか
もしれない。それが嫌だったということはあり得るでしょうね。……二人は、何をして
時間を潰したんでしょう?」
「え?」
「たとえばですよ、夜九時から翌朝の六時まで一緒にいたとすれば、九時間ある。おし
ゃべりや買い物だけで費やせるものじゃない。簡易テントを持ち出してるくらいだか
ら、仮眠を取ることもあったでしょうが、それでもまだ時間は余る気がします。子供だ
から、映画館のレイトショーを観る訳にもいかない。何かあると思うんですよ。共通の
趣味とか」
「趣味ですか……真麻は演劇に興味を持っていたが、中学には演劇部がなかったことも
あって、まだ自らやろうという感じではなかったなあ。他には、スポーツはハンドボー
ルが好きで……勉強は理科が好きだった。あと、料理を覚えようとしていたっけ」
「多岐に渡っていますね。色々なことに興味が向いている。のめり込んでいたようなも
のは、まだなかったと?」
「うーん、残念ながら、思い当たる節がないですな」
「了解しました。保志朝郎君の側から、探ってみることにします」

 事前にアポイントメントを取る段階で用件を伝え、OKをもらっていたにもかかわら
ず、実際に会ってみると、保志新次郎はまだ難色を示していた。
「蒸し返されるのは、本意ではないんだ」
 お茶を出した女性が下がると、開口一番、相手は流に向かってそう告げた。
 場所は保志新次郎自身の弁護士事務所。防音はしっかりしているから、言いたいこと
を言えるのだろう。
「迷惑だとまでは言わないが、今さらというのが正直な感想だ。盛川さんからの依頼と
聞いていなければ、断っていましたよ、ええ」
「時間を割いてくださり、ありがとうございます」
 流は礼を述べると、腕時計をちらりと見やった。相手は職業柄、スケジュールが詰ま
っていることを匂わせている。すぐにでも用件に入りたい。
「先日の電話の際にお伝えしましたが、ご子息の朝郎君は、夜遊びをするような子では
ないと、私も踏んでいます。新次郎さん、あなたも父親として、そう信じておられるこ
とでしょう」
「それはもちろん。でも、当時は、いくら主張しても受け入れられず、言葉を費やすこ
とに疲れてしまって、沈黙を選んだ」
 嫌な経験を思い起こしたのか、新次郎は目線を下げ、小さくため息をついた。
「今になって調べ直し、真実を世間に知ってもらおうとも思っていなかった。とにか
く、蒸し返したくなかったんだ。だが、あなた方の話を聞いて、多少は気持ちが動い
た。それは認める。だからこそ、こうして協力をしている」
「感謝しています」
「冷たい親だと思われたくない。そんな気持ちもあった。やるからには徹底してやって
もらいたい」
 新次郎が面を起こし、流をじっと見つめてきた。感情が露わになっていた。彼はお茶
を一口飲むと、また話し出した。
「流さんが言っていた趣味のことだが、私も妻も子供には自由にさせていたので、正確
には分かっていない。欲しがる物があれば、ほとんど買い与えていた。小学六年生から
中学一年生に掛けては、ラジコンカー、スマートフォン、ゲーム機、バスケットシュー
ズ、図鑑……それこそ何でも買った。全てが趣味と言えるかどうかは微妙だが、あの子
が関心を持っていたのは間違いあるまい。私は子供に対して、途中で投げ出すようなら
はじめから好きになるな、よく見極めてからのめり込め、みたいなことを言った覚えが
ある。だから朝郎も、色々な方面にアンテナを広げて、そこから一つを選び取ろうとし
ていたのかもしれないな」
「なるほど。ところで、バスケットシューズというのは? 失礼ですが、朝郎君の身長
では……」
「バスケットボールは、遊びの範疇だろう。友達に自慢したいというのもあったのかも
しれん。専門のシューズで、高価な商品があるだろ? そういう靴を持っていれば、人
気者になれるという訳さ」
「ラジコンカーの他に、ラジコンを買ったことは? たとえばスマートヘリの類とか」
「ドローンか。いや、それはなかった。欲しいというようなことは言っていたが、さす
がに危険だと思ってね。高校に入ったら買ってやるか、ぐらいに考えていた。これが事
件と関係あるとお考えか?」
「いえ、何とも言えません。スマートヘリがあれば、子供達が時間を潰すのに持って来
いだと思ったまでです。ラジコンカーだと、夜、遊ぶのには向いてないでしょう」
 流はカップに手を伸ばし、お茶を呷った。その間に、新次郎が口を開く。
「電話で、盛川真麻さんの趣味、興味を持っていた物についても聞いたが、朝郎の好み
と被る物は見付けられなかった」
「好きな音楽はどうでしょう?」
「ああ、音楽なら人並みに、女性アイドルグループに興味を持っていた。名前は知らな
いが、結構人気のある四人組か五人組だった」
「そうですか」
 流の口調に落胆が混じる。気付いた新次郎は、「どうした?」と目で問うた。
「真麻さんは、男性ベテラン歌手のファンでした。重なるところがないなと」
「そうか……。まあ、中学生が好きになる歌手なんて、だいたい重なるものじゃない
か。共通の趣味と言えるほど、顕著な特長ではないだろう。何時間も時間をつぶせる話
題だとも思えない」
「その辺りは、捉え方の違いになりそうですね。今は、他の可能性を探るとします。さ
っきから気になっていたんですが、図鑑とはどのような?」
「図鑑? ああ、朝郎に買ってやったやつか。百科事典の電子書籍版だった。気に入っ
たらしく、何度も見返していたよ」
 再び視線を落とす新次郎。今度よみがえった思い出はよいものらしく、彼の口元には
笑みが窺えた。
「いきなり百科事典、それも電子書籍版ですが。私が子供の頃なんて、もっと判の小さ
い、“ナントカ大百科”的な本でした。言うまでもなく、紙の書籍で」
「ああ、それはうちの子もそうだった。百科事典は中学生になった祝いに、買ってやっ
た物だ。最初に買ってやったこの手の本は、何だったかな。そうそう、宇宙と星に関す
る本だった」
「以前は、天文に興味があったんですか、朝郎君」
「そうだね。天文というよりも、星座だったようだ。星座や星の名前、それに纏わる神
話を記憶し、よくそらんじていた」
「話を聞いた限りだと、朝郎君、そこそこのめり込もうとしていたいたいですね。でも
小六から中学生になる頃には、興味を失ったんでしょうか」
 流のこの質問に、新次郎は何故か思い出し笑いのようなものを顔に浮かべた。いや、
実際に「ふふふ」と笑っている。
「どうかしましたか」
「いや、失礼をした。まさか、こんなことを思い出すとは。朝郎が天文を好きでなくな
ったのには、理由がある。実に子供らしい理由がね」
「聞かせてください」
 事件に関係あるのかどうかは分からない。今は、集められる限りの情報を得ておきた
い。その一心から、流は身を乗り出した。
「あれは、息子が小学三年の頃だったか。昨日まで熱中していた星や星座に、見向きも
しなくなったし、その手の本を乱暴に扱って書架から抜き出して、仕舞い込むようなこ
ともしていたから、理由を聞いたんだ。すると、『名前でからかわれた』という答が返
って来た」
「名前……ああ、“保志”さんと“星”ですか」
「左様。保志の星好きとか何とか、くだらないことを同級生に言われたみたいで。単純
なからかいだったが、小三の朝郎は傷ついたんでしょうな。以来、星のことは話題にし
なくなりましたよ」
「……そうなる前の段階で、天体望遠鏡を買って上げたことは?」
「ない。天体望遠鏡は早すぎると思った。結果的に、買わなくて正解だったようだが、
こんなに早く逝ってしまうと分かっていたら、買ってやればよかったとも思うね」
「小学三年生時、朝郎君と真麻さんは同じクラスでしたか?」
「ん? そこまでは分からん。覚えてない。でも、もっと前から幼馴染みの間柄だっ
た」
「なるほど。これは……端緒を掴めた気がする」
「え? 端緒だと」
「はい。あともう一つ。保志さんのお宅では、虫除けスプレーをよく使っていました
か?」
「虫除けスプレーか。いや、ほとんど使った覚えはない。あの頃はマンションの高層階
に済んでいたから、蚊に悩まされることはなかった」
「そうでしたか。でも、奥さんかもしかすると朝郎君が、虫除けスプレーをよく買って
来ていたのではありませんか?」
「うーむ……言われてみれば、そんな記憶も朧気にあるようだが」
「結構ですね。あとで、奥さんに聞いてみてください。多分、朝郎君に言われて買って
いたと答える可能性が高いで」
「そうなのか? そこまで言うのなら、すぐに聞いてみるとしよう」
 電話を手に取った新次郎。
 三分後、流の予想が当たっていたことが分かった。

            *            *

 ――以下の報告は、多くを想像で補った、物証に乏しい、一つの推測になります。数
パーセントの完勝と感情も交じった、物語と言えるのかもしれません。ですが、限りな
く事実に近いものであることを、自分は確信してもいます。
 調査を経て私が至った結論を申すと、盛川真麻さんと保志朝郎君の両名は、子供達だ
けで深夜に外出しこそすれ、街で夜遊びしていたのではないと見なします。
 街に姿を見せていないことは、防犯カメラの映像や友人等の証言で明らかです。現れ
たとしても、せいぜい、コンビニエンスストア等で買い物をする程度で、それが済む
と、またどこかへ行ってしまうのはご承知の通りです。
 では、二人はどこへ行ったのか。場所の特定は難しいのですが、その目的はかなりの
確度を持って言えます。
 二人は、星を観に行っていたのでしょう。
 このことは、持ち物を思い浮かべれば、容易に推定できたはずなのです。簡易テント
は、開けた原っぱにでも設置し、頭を出して横になり、夜空を見上げるため。原っぱに
長時間いれば、蚊が寄ってくるでしょう。虫除けスプレーは、それを防ぐためです。
 この仮設の下、確認の調査を行いましたところ、朝郎君が星に興味を抱いていた小学
二、三年生の頃、真麻さんもまた星に興味を持っていたことが、当時のクラスメートら
の証言で明らかになりました。しかし、朝郎君は彼自身の名字に掛けたからかいで一時
的に星が嫌いになったようです。そして、真麻さんは朝郎君がからかわれている状況を
目撃していた。
 ここからは完全に私の想像による物語になりますが、ご了承願います。
 真麻さんは、朝郎君がからかわれるのを目の当たりにして、こう考えた。「自分が星
に興味を持っていると言い出せば、同じようにからかわれる。保志君のことが好きだか
ら、空の星にも興味を持ったんだろう」と。そのため、彼女も天文好きであることを隠
すようになった。
 それからまたしばらく時間が経って、朝郎君は星に対する興味を捨てられず、真麻さ
んも感心を失わなかった。そして二人がお互いの趣味に気付いたんでしょう。元々、幼
馴染みなんですし、察するのは簡単だったかもしれません。そうして、彼らは表向きに
は秘密にしたまま、星への興味関心を育てていった。やがて子供達だけで、夜遅くに外
出し、星空を見上げるようになるほどに。
 事後的な補足として一つ挙げるなら、二人がお小遣いの中から少しずつ貯金をしてい
たことがあります。多分、いえ、間違いなく、天体望遠鏡を自分達のお金で買うためで
す。朝郎君は凄く素直に育ったんでしょう。お父さんの新次郎さんの言葉をまともに受
け止めて、「やっぱり星が好きだから、天体望遠鏡が欲しいな」なんて口にできなくな
ったと考えたのだと思います。真麻さんにしても、同じと言えます。家庭の経済状況を
分かっていたから、言い出せなかったのだと思います。

 私は仮説の正しさを確信したあと、最後に想像してみました。二人が星を観察すると
したら、どこを選ぶだろうかと。
 高いビルの屋上もあり得ましたが、街明かりの強さは、どうしても邪魔になります。
それよりも、駅を中心とした繁華街を離れれば、周囲には山がある。虫除けスプレーを
用意していたことからも、こちらがより妥当でしょう。
 私は山まで足を延ばし、二人の少年少女が星を見上げた場所を探してみました。
 見付かりませんでした。適当な場所がないのではなく、適した場所があまりに多く
て。

 この報告に納得してもらえるのであれば、一度、探してみてください。できれば夜、
天気のいい日の夜に、探しに行ってください。私には見付けられなかったものをでも、
ご家族になら見付けることができるかもしれませんから。

――終わり





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