AWC 3,2,1で解ける魔術   永山


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#434/453 ●短編
★タイトル (AZA     )  15/02/26  21:55  (374)
3,2,1で解ける魔術   永山
★内容                                         16/04/06 09:40 修正 第2版
           *           *

                 3

「何が何だか、さっぱり……突然だったもので、顔も見ていません。薄暗かっ
たですし」
 頬に氷嚢を当てたまま、テンドー・ケシンは応答した。
「失礼ですが、心当たりは?」
 ホテルの医務室、ベッドの縁に腰掛けたケシンの前には、男が一人立ってい
る。刑事ではない。開幕したばかりのマジックフェスティバルに水を差すよう
な事態は避けたいと、ケシンが主催者サイドに伝えたところ、警察への通報は
ひとまず見送られた。代わりに呼ばれたのが、今、ケシンに質問をしている男。
見たところ三十歳前後で、落ち着いた声が与える印象は、それよりも若干年上
の雰囲気を感じさせた。身なりは、ややくたびれた感のあるスーツ一式で、た
いていの場には溶け込めそうだ。
「ないな。もちろん、マジック嫌いの方は世の中にいますが、それだけの理由
で襲ったりしないでしょう」
「同意します。でも、もう少し、突っ込んで聞かせてください。テンドー・ケ
シンというマジシャンを嫌っている方は、いませんか」
「皆無じゃないでしょうね。テレビによく出ていた頃、色々と陰口を叩かれた
みたいです。面と向かって言って来る人も少数ながらいました。けど、和解し
ています。陰口の人達だって、もう何年も前のことで、どうして今なのか、疑
問です。そもそも、暴力に訴える動機にしては弱いんじゃありませんか」
「仰る通りです。今のケシンさんに、こんな事件を起こすような敵がいないこ
とを確認したかったまで」
「え?」
「ということはつまり、極々最近、もしかすると今日のマジックフェスティバ
ルにおいて、犯人があなたを襲撃する理由が生じた可能性が強い。とりあえず、
前夜祭をどのように過ごされ、何があったのか。一から事細かに話していただ
けませんか」
「覚えている範囲でよいのなら……受付及び開場が夜の八時半からで、九時ス
タートなんだが、招待されたマジシャンや関係者は、先に会場入りして、受付
も済ませた。それが八時頃だったかな。親しい人達と会話して時間を潰し、前
夜祭の始まりを待った」
「その前に、夕食はどうなさいました?」
「前夜祭で軽めの物が提供されるので、夕食も軽めにしておいた。近くの和食
レストランで、天ぷら蕎麦を。ああ、六時過ぎに一人で。かつての超多忙だっ
た時期には、スケジュールを管理する人が付いていたんだが、今は自分一人で
やってるもので。無論、店で知っている人とは会わなかったし、お客から声を
掛けられることもなかったですね」
「分かりました。レストランを出て以降を、お願いします」
「六時四十分ぐらいに出て、斜向かいの書店やその隣の玩具店に入って、少し
時間を潰し、七時半にホテルに入った。おもちゃ屋の手品コーナーにいたとき、
私がテレビに出ていたマジシャンだと気付いた人がいたようだが、直接話し掛
けては来なかった。他には……店員にマジックで使ういくつかの素材を置いて
いないか尋ねたが、ないとの返事だったな。東急ハンズを勧められましたよ」
 苦笑を浮かべて見せたケシンだが、相手は意味を掴めなかったのか、首を傾
げた。東急ハンズがマジシャン御用達と言っていいほど、マジックに使える素
材を取り揃えていることを説明してやると、合点したように頷いた。
「東急ハンズに行かれたので?」
「いや、時間がなかったし、いつでも行けるから、先程述べたようにホテルに
戻った。部屋に入って、すぐにまた出て、受付の手続きを済ませて、会場に入
らせてもらった。役立つかどうか分からないが、マジックの種を会場の備品に
少し仕込んでおきたかったもので」
「役立つかどうか分からない、とは?」
「私自らマジックをやると言い出すのではなく、周りから請われたときに、い
かにも即興で演じたかのように見せるためです。実際、折角仕込んでも、使わ
ないことが多々あるんですよ」
「私はマジックに詳しいとまでは言えないので、おかしな質問かもしれません
が……」
「なんなりと」
「ライトなマジックファンが、あなたが仕掛けを施している場面を目撃して、
幻滅したというか、あなたに裏切られたと受け取り、腕力に訴えたという可能
性はないでしょうか」
「さあ……」
 痛みが治まってきたこともあり、ケシンは頬から氷嚢を離し、手をタオルで
拭ってから腕組みした。
「初心者の方に目撃されるようなことがもしあれば、あり得るかもしれません。
けれど、今回、あの時点で前夜祭の会場に、そんな初心者の方はいなかったは
ず。私が何かしているところを目撃しても、ちゃんと大人の対応を心得た人達
ばかりでしたが」
「会場、つまりホテル側のスタッフもいたと思うのですが、その人達も?」
「はい」
「納得しました。続けてください」
「それからは……」
 手を頬に宛がい、思い起こす。
「程なくして、前夜祭が始まり、私はしばらくの間、親しい方と話し込んでい
たな。一時間ほど経ったあと、一般参加者の間を回り始めた。ご挨拶と、軽め
のマジックを披露し、コミュニケーションを取る。主催者からの希望通りに振
る舞ったんです」
「一般参加者とは?」
「うーん、文字通りの意味なんですが、考えてみると、プロとアマと単純に線
引きできるものじゃありませんね。大雑把に言えば、マジックをやらずに観る
専門の人、あるいはやるとしてもほんの少しという人、といった感じになるで
しょう。ただ、中には大学の奇術研究会等に所属し、腕前も結構なレベルだが、
この業界との付き合いが浅いため、一般参加に分類される人もいるでしょうが」
「具体的な線引きがある訳じゃないと」
「まあ、そうなります」
「そのコミュニケーションの際、何か特記するような出来事はありませんでし
たか。酔客に絡まれるとか、種明かしを執拗に迫られるとか」
「幸い、今夜はそのようなことはなかった。あったとしても、割と慣れていま
すから、対応も心得ているつもりです。相手を不快にさせるような言動は、決
してしません」
「マジシャンとしての矜持ですね、テクニックの先にある」
「うん、まあそうなのかな」
 不意にそんな感想をもたらされ、ケシンは頭をかいた。
 一方、質問者は首を捻った。
「そうなってくると、ますます分かりません。ケシンさんが恨みを買うとは思
えない」
「ええ、ですから、心当たりがないとさっきから」
「すみません、もうしばらく、聞かせてください。覚えている範囲でかまいま
せんので、お客さんとのやり取りを。どんなマジックを披露し、相手はどのよ
うな反応をしたのか」
「マジックは五つの演目を、適宜、やっていっただけだから思い出せるし、お
客の反応と言われても、驚いてくださった、感心してもらえた、ぐらいしか」
「それ以外の反応はなかった?」
「そりゃあ、中にはお仲間同士で耳打ちしている方もいましたよ。恐らく、種
を囁いたんでしょうね。でも、そのことで怒るとしたら、私の側でしょう」
「確かに。念のためにお伺いしますが、種を直接、ケシンさんに話し掛けて、
正解か否か確かめようとした人なんて、いませんでしたよね」
「いたら、真っ先に挙げてますよ」
「でしょうね……」
 それからケシンは、前夜祭で披露した軽めの演目五つについて、説明した。
お札が増えたり変化したりするマジック。外国製のコインが左手から右手に瞬
間移動するマジック。空っぽの手からボールや作り物の鳩を出現させるマジッ
ク。お札や指輪の空中浮揚。トランプを消したり出現させたりするマジック。
「当然ですが、会場内に前もって仕掛けた種を使う機会には恵まれず。最終日
までにはチャンスがあるでしょうから、そのままにしています」
「……突飛もない発想と思われるでしょうが、仕込みをしたときに、何かを発
見しませんでしたか? 白い粉の入った袋とか」
「ははっ。麻薬の隠し場所を偶然、探り当ててしまった。そのことに気付いた
犯人が、私に警告を与えた、と?」
「ええ。どうでしょうか」
「ないない」
 笑いを堪えながら、顔の前で片手を振るケシン。
「そんな物は見なかった。仮にそんな状況があるとして、私は物を見付けてい
ないが、犯人が見られたと勘違いした可能性はゼロじゃないだろうけど、現実
問題として、大勢が出入りするカフェに、危険な物を隠します?」
「それはまあ、ありそうにない」
「いやあ、あなたの仮説で、痛みが吹き飛びましたよ。気に入りました。とこ
とん、付き合うとしましょう。ただ、えっと、明朝まで三時間は眠りたいので、
午前三時半をタイムリミットに」
「お疲れのところを、本当に申し訳ないです。助かります。私も一気に解決と
までは行かずとも、上司に報告しないといけないので、どうにかして目鼻をつ
ける必要がありまして」
 ケシンは場所を移し、お茶でも飲みながらの続行を提案した。相手にも異存
はなかったので、ホテルの最上階にあるカフェバーに足を運んだ。

「――これで全てです。記憶にある分は」
 ケシンは話し終えると、紅茶の残りを飲み干した。渋みを感じ、お冷やを続
けて煽る。
「ありがとうございます。いくつか、気になった点があります」
「どこでしょう?」
「時折、ケシンさんは違う演出をなさっていますよね。同じマジックでも、異
なる見せ方をしている」
「特別なことじゃありません。お客を見て、あるいは時と場合をはかって、見
せ方を変えるなんて、しょっちゅうです。演じる側も、同じマジックの繰り返
しでは飽きてきますしね」
「そうでしたか。でも、一応、伺うとしましょう。まず、三番目のグループで、
手の中で消したトランプのカードを、女性客のグラスの下から出現させている。
通常は、再び手の中に出現させるようですが」
「そのときは、条件が揃ったので。まず、それまでに演じた一番目、二番目の
グループはお客も立ったままだった。三番目は皆さん着席されていたので、グ
ラスを使いやすかった。さらに、私の手の届く範囲にあったグラスに、お客の
誰も注意していない隙を見付けた。正確には、隙を作ったのですが、まあそれ
はいいでしょう。成功する確信を得たので、グラスの下にカードを忍ばせたの
です」
「なるほど。現れたチャンスを活かしたと。……では、この六番目は? えっ
と、左手から右手にコインが瞬間移動するやつ。お客のコップを使ったようで
すが、皆さん立っていたんですよね?」
「それも好機を捕らえたとしか。普通はお客の手に落とすのを、そのときは視
覚効果を狙って、コップに落とすことにした。コインが水に落ちると音がする
し、コップは透明なプラスチック製だから、沈むときの泡や、飛び散る水しぶ
きも演出になる」
「なるほどなるほど。ちょっと待ってくださいよ……コインを落としたら当然、
飲み物はだめになる。そのことで、お客が立腹したというようなことは?」
「それはないと思うなあ。彼が持っていたコップの中身は水だったので、いく
らでもお代わりできるだろうという判断から、その人を選んだんです。そうそ
う、コップを二つ重ねて使っていたから、あるいは潔癖症なのかなとも推察し
ましたが、それは杞憂だったようです。拒絶されませんでしたから。加えて、
マジックにあまり詳しくなさそうに見えたというのもあります。マジックのあ
と、お代わりはご自身でお願いしますというようなエクスキューズを伝えまし
たが、その人は怒ってなんかいませんでしたよ」
「ふむ、そうですか。次は……十番目ですね。お札が増えたり変化したりする
マジックに、アレンジを加えていらっしゃる。千円札を一枚抜き出し、ペンを
突き刺してまた引っこ抜くも、お札に穴はあいていないという」
「これは、お客の中に見知った顔がいて、その人のお気に入りが、お札にペン
を刺すマジックなんです」
「顧客の好みに沿ったサービスという訳ですか。あ、一応、聞いておきましょ
う。お金に手を加えるマジックを嫌う人もいると思いますが、今夜はどうで
した?」
「日本で流通する硬貨を加工したグッズが、かつて問題になりましたが、ああ
いうのは一掃されていますから。お札にペンを刺すマジックにしても、実際に
傷つけている訳ではありません。何なら、種明かし込みでご覧に入れましょう」
「あ、いえ、結構。私は警察ではないので。次の機会、存分に楽しめる機会に
取っておいてもらえるとありがたいです。今、想定しているのは、そういった
種を知らない人が、お金を使ったマジックを観て、気を悪くしたなんてことが
考えられないかどうか」
「今夜のお客さんは、そこまで堅物ではないと思いますが。そんなことまで心
配していたら、人体切断はけしからん、空中浮揚なんて怪しげな術を使うのは
人心を惑わす、なんて理屈が通りかねない」
「これは私の考えすぎでした。――えー、マジックの演出を変えたのは、これ
くらいですね。で、あと一つ気になるのは、こういった特別な演出を観られな
かった人達が、不公平だと感じ、あなたに過激な抗議をしたとは考えられませ
んか」
「そりゃまた極端だなあ。この程度ではないでしょう。はっきり言って、アレ
ンジした分は、技術的にはハイレベルなマジックではありません。第一、それ
が動機なら、私を襲った際に、某かの主義主張を捨て台詞にでもするんじゃあ
りませんか」
 ケシンの指摘を、相手の男は予想していたらしく、「そうですよね、やっぱ
り」と応じた。それからメモ帳を音を立てて閉じると、内ポケットに押し込ん
だ。
「終わりですか」
「ううん、どうしようかと迷っています。引っ掛かった点はあるのですが、根
拠が薄弱で、突き進んでいいものやら。ケシンさん、襲われたときを思い起こ
すのはおつらいでしょうが、犯人の特徴について何かありませんか」
「最初に言いましたように、顔も見えなかった。男か女かすら、断言はできな
い有様ですよ」
「感覚では、男でしたか」
「ぶん殴られて、その力強さは男だと思った」
「背格好は? ケシンさんの目線で、高く見えたか低く見えたか」
「始めの一撃で、がくんと膝を折ってしまったからなあ。はっきりしないが、
私よりは少し小柄だった印象がある。あと、言葉では説明できないが、若い気
がする。緊張からか呼吸する音が激しく、慣れていない様子だった」
「最後の理由付けは、どうでしょう? 年を食った人でも、喧嘩慣れしていな
ければ、息が荒くなるのでは」
「言われてみれば、そうか。でも何となく、若さを感じた。加齢臭をかがなか
った、ということかもしれない。無論、意識していた訳じゃないですけどね」
「そういう感覚は、大事にすべきかもしれません」
 独り言のように呟き、男は天井を見上げた。
「事件がこれで終わったかどうか、犯人以外には分かりやしませんからね。大
事になる前に、ケシンさんをこんな目に遭わせた人物を見つけ、問い質したい
んです」

           *           *

                 2

 ホテルの二階に入るカフェレストランを借り切り、マジックフェスティバル
の前夜祭は、盛況の内に進んでいた。堅苦しい挨拶で幕を切って落とすと、す
ぐにざっくばらんな空気になった。雰囲気は、中規模な結婚式の二次会といっ
た感じか。会場のあちらこちらで、マジック談義に花が咲く。自己紹介が済め
ば、腕前を披露し合うアマチュアやアイディアの片鱗を熱く語る愛好家、有名
マジシャンの人となりを話して聞かす事情通など、色々な輪ができた。
 フェスティバル参加者にはプロも当然おり、前夜祭に顔を出して、マジック
を披露するマジシャンも数名いる。
(俺が論評するのはおこがましいが、みんな凄い腕だな。テレビに出てないか
らと言って、決して下手じゃない。――おっ、あれはもしかすると、ケシンか)
 学生の梶田は、同級生でマジックマニアの浦和に誘われ、今回の催しに参加
した。彼に誘われなければ、いや、彼と知り合わなければ、縁のない場だろう。
マジックには人並み程度の関心しかない。
 そんな彼でも、テンドー・ケシンの名や姿はテレビを通じて何度も見聞きし
た覚えがあった。今でこそ人気は落ち着いた感があるが、十年ほど前にマジッ
クがブームになった頃、その中心にいたマジシャンの一人が、テンドー・ケシ
ンだ。人体切断や浮揚、消失といった派手で見栄えのする大掛かりなマジック
で注目され、人気を博したが、その本領はトランプやコインを用いた技にある
らしい。マジックに詳しい浦和が以前、嬉々として語っていた。
 その浦和が席を外した今このタイミングで、自分たちの座るテーブルにケシ
ンが来るとは。
(うろ覚えだが、十年ぐらい前とちっとも変わってないような、見た目が若い)
 襟足を隠す程度の髪に白い物はなく、肌の色つやもよい。鼻の下の髭――コ
ールマンとカイゼルの中間のような――は、きれいに整えられている。何より
も手が若々しい。特に爪の手入れが行き届いており、一瞬、女性のそれと見紛
うほどだ。
(さすがにオーラみたいなものを感じるな。身体が大きく見える)
 柄にもなく緊張した。
 尤も、ケシンが話し掛けている相手は、ご婦人方だ。お年寄り、マダム、レ
ディ、少女と各年代を取り揃えたかのような一団のすぐ近くに、梶田は偶然い
ただけで、マジックに対する熱は女性陣とはかなり温度差がある。ケシンにし
ても、最初、「楽しんでおられますか」と、場にいる面々に笑みを向けた際、
視界の片隅で梶田を捉えた程度で、あとは見えていないのかもしれない。
 ケシンは軽めのマジックを演じだした。梶田が横手から眺めていても、ケシ
ンに嫌がる素振りはない。種を見破られない自信があるということだろう。
 手先の器用さをアピールするテクニックを披露し、お札を使ったマジックの
あと、今度はコインのマジックが始まった。流れるような演技に見とれている
と、不意にケシンから声を掛けられた。
「そのコップ、中身はミネラルウォーターですか?」
「え、あ、はい」
 自分の手の中にあるコップを一瞥してから、見えるように差し出す梶田。透
明なプラスチック製で、無色透明な液体が七割以上残っている。
「このパーティ、お代わりは自由ですので、使ってもかまいませんよね?」
「は、はあ」
 生返事したときには、コップはケシンの手に移っていた。あっという間もな
かった。ケシンに見据えられると、言われるがままに応じてしまった。ひょっ
として、テンドー・ケシンは本物の魔法を使えるでは? そんな馬鹿げた空想
が浮かぶほど。
 右の手のひらで蓋をするかのような仕種で、コップを上から持ったケシン。
左手は今し方、一枚のコインを握り込んだ。女性客の一人がペンで表にサイン
をした代物だ。ケシンは目を閉じ、少し俯くと、「それでは、行きます」と呟
く。続いて、左、右の順で手首のスナップを利かせた風な動きをした。その途
端、右手に持つコップの液体の中に、一枚のコインが落ちてきた。
 左手を開くと、そこにコインはない。コップに指を入れ、コインをつまみ出
すと、皆に示すケシン。コインには、女性客のサインが確かにあった。
「普段なら、このコインは協力してくださったお客様に、記念にお渡しするの
ですが、今回は三日もありますからね。最終日に再会を果たし、そのときにプ
レゼントしましょう。そちらの男性も、覚えておきますから。お名前は?」
「あ、梶田、です」
 催眠術に掛けられでもしたみたいに、コップを貸した上に、今度は名前まで
答えてしまった。ケシンは梶田にコップを返すと、「協力をありがとうござい
ました。すみませんが、飲み物の交換はご自身でお願いします」と言い置き、
別のグループのところへと足を向けた。
 梶田がいささか呆然としてマジシャンの後ろ姿を見送っていると、浦和が戻
ってきた。
「もしかして、さっきまでケシン師が来てた? うわー、ミスった」
 息を切らしながら、自分の運の悪さを呪う言葉を吐く浦和。
 梶田は苦笑いを浮かべた。
「どんなマジックをやってくれた?」
 興味津々、かぶりつくように聞いてくる浦和に、梶田は覚えている範囲で教
える。見たばかりなので、すらすらと答えられる。話し終わると、浦和の目の
色が変わるのが分かった。
「そーかー、それじゃあ、最終日、ケシン師から何かもらえるかもしれないっ
てか?」
「あ、その可能性はあるか」
「コインもらえたらいいよなあ。最終日までに何かやるだろうからさ。ケシン
師の最近の得意演目の一つに、コインを噛みちぎって、細い瓶の口から中に入
れて、元通りに再生するというのがあって――」
「コインを噛みちぎる、だって?」
「あ、もちろん、本当に噛みちぎるんじゃないけどな。詳しくは話せない。梶
田、おまえがこっちの世界にもっとどっぷり浸かったら、教えてやってもいい
けどな」
 優越感を含んだ口ぶりで、にやにやと笑みをなす浦和。
 だが、梶田の心中は、マジックの種どころではなかった。

           *           *

                 1

 高校時代、梶田は己の不器用さを呪った。細かい作業のできない手先を取り
替えたいと思った。そして何より、繰り返し練習をすることにすぐ飽きる自分
の性格を情けなく思った。
 原因は、浦和の奴にあった。
 友人の浦和に、彼女――八下真優を取られてしまったのだ。
 恐らく、浦和にも最初はそんな気持ち、微塵もなかったのだろう。マジック
好きの浦和は、覚え立てのネタを人に見せたくて、梶田や八下の前で披露する
のが常となっていた。
 梶田はさして感心しなかったのだが、八下の方が好感を持ってしまった。マ
ジックと、マジックをやる浦和に。
 そのことに気付いた梶田は、浦和に対抗すべく、マジックの本を買ってきて
身に付けようとしたが、うまく行かなかった。簡単なものならできるが、とて
も浦和にかないそうもない。
 その後、大学進学を機に、八下真優と浦和の仲も自然消滅。梶田と浦和の関
係も、何となく元の形に収まったようになっていた。
 だが、二年生になるかならないかの頃、八下と浦和の関係が復活したと、噂
で聞いた。梶田が内心腹を立てたのは、関係復活について浦和がおくびにも出
さなかったことだ。素知らぬ顔をして友達関係を続ける浦和に、それでも梶田
は笑顔で接した。頼み事も聞いてやったし、誘われれば一緒に行動するよう努
めた。そうした小さな無理を重ねたのがよくなかったのだろう、積もり積もっ
たちりのような恨みや妬みの欠片は、梶田の中で巨大な塊になり――あるとき、
彼の背中を押した。ウラワヲコロセ、と。
 梶田は殺意を自覚して以来、機会を窺っていたが、なかなかチャンスは訪れ
ない。日常生活の中で浦和が殺されれば、自分が真っ先に疑われる――と、梶
田本人は考えていた。実際にはそうならない可能性が高かったのだが。
 そんなとき、浦和から持ち掛けられたのが、マジックイベントへの参加であ
る。相変わらず、マジックには並以上の感心がなかった梶田だったが、このと
きは違った。二つ返事で参加の意思表明をした。マジックのイベントには、愛
好家が集う。当然、浦和の知り合いもそれなりの人数が来るだろう。そんなイ
ベント中に浦和が死ねば、疑われるのは梶田よりも、マジックを通じての知り
合いが先行するはず。これが梶田の理屈だった。
 調べてみると、イベントは三日間に渡り、立食パーティのような席が幾度か
設けられると分かった。昨年までのイベントをレポートするサイトを参考資料
にして、殺人計画を練った。
 同時並行的に、梶田は苦心して液体の毒を入手した。結果、殺害方法は、浦
和の飲み物に毒を投じる、毒殺に決まった。だが、注射器やスポイトを用意す
るのは避ける必要があろう。会場はホテル内だ。恐らく、防犯カメラが何台か
設置されているに違いない。そんな監視の目がある空間で、凶器の後始末をう
まく遂行できるか、自信を持てなかった。
 頭を悩ませた梶田が、やっと捻り出した解決策。それは自分自身の飲み物に
毒を仕込むという手口だった。自分のコップに何か入れようと、他人から咎め
られることはあるまい。ペットボトルを持参し、中身をコップに注いでも問題
ないはずだ。
 そして、自分のコップから毒入りの飲み物を、浦和の隙を見てあいつのコッ
プに移す。少量でいい。最悪、死に至らない可能性はあるが、それでもかまわ
ない。苦しみを与えてやりたかった。
 ただし、毒の入ったコップを、梶田自身がいつまでも持っているのはよくな
い。毒投入に成功後は、速やかに始末したい。指紋一つ付かぬように、素早く、
ぽいと捨てるには、コップを二つ重ねて使うのがよいとの計画を立てると、梶
田は自宅で部屋に籠もり、練習を重ねた。第三者がもしも目撃したなら、これ
だけの努力をマジック習得につぎ込めばきっとうまくなったろうにと感じたに
違いない。
 とにかく、イベント当日までに、努力の成果を実感し、ぜったにうまくやり
遂げる自信を付けた。
 残るは、浦和の隙を見付ける、ただそれだけだった。

――終わり





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