AWC 閉ざされたキョウキ   永宮淳司


前の版     
#432/451 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/12/26  23:02  (370)
閉ざされたキョウキ   永宮淳司
★内容                                         15/07/30 20:06 修正 第3版
 病床に私達を呼び付けた依頼者は、ベッドの上から訴えた。
「彼女を助けてやってください!」
 まだ三十そこそこと思しき男性だが、着物の重ね目から覗く胸板は若干、肉
が落ちているようだ。今し方、声を少し張り上げただけなのに、力なく上下し
ている。
 彼の名は平川朝明(ひらかわともあき)。櫛原宮子(くしはらみやこ)とい
う女性を救ってくれと依頼してきた。
 櫛原は「美波」という劇団所属の若手女優で、活動も舞台が中心。事件は彼
女が主役を務める舞台の最終リハーサル中に起きた。
 劇はオカルト風味のファンタジーで、ざっくりとした粗筋は、両親の敵であ
る死神を相手に、一人娘が聖なる力を宿す短剣を手に入れ、復讐を果たす。一
番の見せ場が、短剣を構えた娘が死神に身体ごとぶつかり、倒すシーンだが、
当然、剣は刃を押せば引っ込む仕掛けが施された、よくある代物――のはずだ
った。その最終リハーサルにて、死神を演じた町井龍太(まちいりゅうた)の
胸に突き立てられたのは、正真正銘、本物の短剣だった。
「血が飛び散りましたが、最初は誰も異変に気付きませんでした。何故って、
血糊を入れた袋を剣に仕込んでおいたから、赤い物が飛び散るのは当たり前だ
ったんです」
「気付いたのは誰でしたか」
 地天馬鋭が尋ねる。平坦な口ぶりだが、私には彼が興味関心を抱いたことが
何となく感じ取れた。
「それは、彼女自身でした。救急車と警察が来るまでに、少し話せたんですが、
手応えが違った、おかしかったというようなことを口走っていました」
「刺された当人は、何も言わなかった?」
「町井がですか……。いや、覚えていませんが、多分、何も言ってなかったか
と……短い叫び声くらいは発したのかもしれないですが、それよりも櫛原が手
をわななかせて、悲鳴を上げたものだから……」
「話を聞いていると、殺人なのか事故なのか、まだ区別できないようですが。
短剣が何かの手違いで入れ替わってしまった可能性があるような」
 私が口を挟むと、平川は目を向けてきた。
「僕が言うのも何なんですが、彼女が疑われ、容疑者とされたのには一応、根
拠があるんです。どこから話せばいいかな……凶器というか小道具の短剣は、
鍵付きの箱に保管されているんですよ。その箱自体、舞台上のセットの一部と
して、壁に完全に固定されており、取り外しはできません。箱のロックは鍵が
あれば開けられますが、その鍵を管理していたのが櫛原なんです。劇で鍵に触
れるのはほぼ彼女だけと言っていいですし、責任持って管理するようにと」
「先に確かめておきたい。芝居に使った短剣と同じ型の、本物の短剣が最初か
ら存在していたのかどうか」
 鋭い口調で地天馬が質問を発した。平川は頷きながら答える。
「ありました。町井の奴は美術係を兼ねてたんですが、監督が彼に本物を手渡
して、『この短剣が雰囲気あるから、これを模して作ってくれ』と命じたんで
す。だから、本物が存在したのは確かです。町井が返したのか、そのままにな
っていたかは知りません」
「監督というのは?」
「あ、瀬間(せま)さつき監督です。女性みたいな名前だけど、男です。ロン
グヘアで細身なので、後ろから見れば女みたいですけどね」
「あとで、瀬間監督に聞いてみるとしましょう。その前に、櫛原宮子自身は短
剣について、どう証言したんだろう?」
「知らないの一点張りみたいでした」
 平川は嘆息すると、身体を少し上に戻した。現在、ベッドの上半身部分を起
こすことで背上げしているのだが、熱を入れて喋る内にずれたようだ。
「いつの間にか、短剣が本物になっていたと。それだけならまだよかったのか
もしれません。彼女は正直すぎたんですよ」
「と言うと?」
「小道具の短剣を収めた箱には、稽古の前後で、常に鍵を掛けていたと証言し
てしまったんです。だからこそ、彼女が犯人だと警察は断定したんでしょう」
「掛け忘れていたことにでもすれば、誰かが剣を本物にすり替えたとの主張が
成り立ちますからね。凶器から指紋が検出されたかどうか、ご存知ですか」
「彼女の指紋の他は、一切出なかったと聞いています。当然なんですよ。小道
具として使い始める前に、きれいに磨かれたあと、彼女に手渡されたんですか
ら」
 平川は喋り終えると同時に、力なく咳き込んだ。事件直後から風邪をこじら
せ、肺炎を発症したと聞いている。そろそろ切り上げた方がよさそうだ。
「分かりました。あとはとりあえず、我々の方で直接当たってみるとします。
必要に応じて、あなたの名前を出すことになってもかまいませんか」
「ええ。調査に役立つのであれば、僕の名前なんて自由に使ってください。依
頼したことも隠さなくて大丈夫。櫛原宮子は犯人ではないと僕が強硬に主張し
ているのは、誰もが知るところですし」
 ゆっくりと答えると、平川は安心したように身をベッドに預けた。

「この件、どう転んでも事実は動かないと思うんですがねえ」
 案内を買って出てくれた花畑刑事は、現場までの車中で何度もそう言った。
「たとえ、地天馬さんでも」
「同感なんだが、依頼を受けたからには、調べねばならないのでね」
 昔馴染みの刑事相手とは言え、軋轢を避けるためか、同調を示す地天馬。私
も調子を合わせることにしよう。
 現場は、劇団美波の個人スポンサーが提供してくれた山荘と聞いていたが、
森をかき分けるような道をぐるぐると回って着いた先には、なかなか立派な屋
敷があった。古色蒼然と形容するのがふさわしい、蔦の這う壁がまず目にとま
る。緑色が勝っているはずなのに、全体の印象は灰色がかっている気がした。
急角度の三角屋根を頂いているが、平屋造りだという。端から、演劇などを上
演する目的で建てられたらしいのだが、その割には交通の便がよくない。
「問題の箱を最初に見たい」
「ええ、かまいませんよ。こちらへ」
 玄関から入るなり、地天馬がリクエストした。刑事は愛想よく応じた。巨漢
で厳つい顔の持ち主故、笑顔は似合わないのだが。
 リハーサルと言うから、いかにも稽古場のようなただただ広いだけのスペー
スを想像していたのだが、案内された先は様子を異にした。建物の奥にあるそ
の空間は、まさしく劇場と言えた。奥行きのある舞台を前に、観客席こそ並べ
てないが、広々としたフロアは緩やかな傾斜を施してあった。見易さに配慮し
た設計ということか。ふと見上げると、照明や音響の設備が散見された。舞台
に立てば、よりたくさんの機器が確認できるだろう。
「あそこですよ、箱」
 花畑刑事が太い腕で示すよりも早く、地天馬は駆けだしていた。片手をつい
て舞台に跳び乗ると、遺留品などをマークした捜査の痕跡を避けつつ、凶器が
収められていたという箱のセットに近付いた。
「触れても?」
 地天馬の振り返っての問いに、刑事は黙って首を縦に振った。私と刑事も舞
台に上がる。
「セットと完全に一体化している。それどころか、セット自体、舞台上に固定
されているな」
 部屋の角を表したのであろう、壁二枚を直角に合わせたセットがある。色は
全体にダークなトーンで、表面がややざらざらしてるようだ。高さは二メート
ル半はある。客席から正面に見える方の壁に、問題の箱は付いていた。ランド
セル大の金庫といった体の箱には、大きな錠前がぶら下がっている。
「根本的な疑問が浮かんだ。このような物が固定された舞台では、使い勝手が
悪くないんだろうか」
「その辺の事情は、我々警察も気になったので、尋ねましたよ。劇団美波のト
ップが答えてくれた。猫村三流(ねこむらみつる)、ご存知で?」
「性格俳優として知られる猫村なら、コメディ作品で見た覚えがある」
「その通り。どうでもいいことだが、本名は三田村光流(みたむらみつる)と
言うらしいですな。で、彼の説明によると、この館を建てた支援者の意向だそ
うで。何でも、思い入れのある劇作品を最適に演じられる舞台にしたかったと
か」
「その作品というのが、今度の事件が起きたとき、リハーサルをしていた?」
 地天馬の問いに、刑事はしっかり頷いた。それから手帳を取り出し、何かを
確認する。
「ええっと、題名は『微睡みの朝、栄光の夜』。ファンタジーというやつで、
ざっと粗筋を聞いたが、正直言って、子供向けでつまらんと思った口でして。
ジェネレーションギャップなのかどうか……」
「花畑刑事。思い入れがあるからと言って、使い勝手の悪さは解消されない。
他の作品をやる際は、どうするのだろう?」
「動かせないんだから、仕方ありませんや。そのままセットに溶け込ませて使
うんだそうです。どうしてもそぐわない場合は、全体を覆ってしまうとも言っ
てたな。邪魔と感じるのは、舞台いっぱいを平らな空間として使うときぐらい
だとか」
「なるほど。念のため、スポンサー個人について、教えてもらえますか」
「どうせここで隠しても、地天馬さんに依頼した人物に聞けば、分かることだ
から」
 そう前置きして刑事が答えたのは、二舟貞邦(にふねさだくに)なる男性に
関する情報だった。映像や写真の権利を取り扱う事業で一儲けした後、財テク
で成功した一端の資産家で、元来、芸能に興味はなかった。何でも三年ほど前
に、女優を志していた一人娘を若くして亡くしたのをきっかけに、有望な劇団
への援助を始めたという。
「美波に肩入れするのには、何か理由でも? 芸能に関心がなかったのなら、
どこの誰が有望なのかなんて判断できないでしょう」
「娘が所属していたのが、美波の前身の劇団『生前奏』なんです。有望な劇団
に援助というのは建前で、思い入れでしょうな」
「……まさか、娘の死の原因は劇団にあるんじゃないでしょうね。そこまで調
べていないかもしれませんが」
 期待しない口ぶりで言った地天馬。だが、花畑刑事は意外にも「いや、それ
が調べたんですな」と嬉しそうに答えた。
「二舟はリハーサルが始まってから、この稽古場まで、劇団員を送迎していた。
つまり事件が起きた日も、現場に居合わせた。直接の関係者ってことになる。
調べない訳には行かない」
「それで首尾は?」
「確かに、二舟の一人娘――千夏の死には、劇団が関係していた。美波ではな
く、生前奏の方ですがね」
「劇団の名前を変えたのも、その辺に事情がありそうだ」
「さすが、いい勘をされている。ただ、名前の変更じゃあ、ありません。生前
奏と美波の二つに分かれたんでさあ」
「分裂したと」
「ええ。方向性の違いってことで。千夏の死後、半年と経たない内に分かれて
いました。で、千夏の死んだ経緯ですが、遺書はなかったが自殺であり、事件
性はないとされてます。が、原因は劇団にあると言えなくもない。ある劇で、
劇団初の試みとして、派手なアクションを取り入れたんですな。リハーサル時
に手違いが起き、千夏は奈落に転落してしまった。命に別状はなかったものの、
大きな怪我で神経にも影響を及ぼした。舞台に再び立つのは難しいと言われ、
その絶望感から死を選んだものと推測されたようで」
「奈落転落の直接の原因を作った人物は、判明しているんだろうか」
「いいえ。劇団内部ではどうだか知らんが、公的には不明で通していますな」
 花畑刑事は捜査資料から引用したと思しきメモを一瞥し、そう答えると、ぱ
たんと音を立てて手帳を閉じた。
「そんなことよりも、折角現場に足を踏み入れたんだから、もっと見て回って
くださいよ。もったいない」
「必要があればそうしている。だが、現時点では箱の鍵が唯一のポイント」
 喋りながら、しゃがんだり背伸びしたりと箱の鍵や後ろの壁を子細に観察し、
時折触れる地天馬。と、ふり向いて刑事に尋ねた。
「スペアキーの存在や製作に関しても、否定的な答が出てるんでしょうね」
「複製は不可能ではないが、困難な造りになっているそうです。それでも近隣
の鍵屋を当たったが、空振りでしたよ。そもそも、櫛原宮子が肌身離さず持っ
ていたと言うから、スペアを作るために持ち出せやしない」
「……」
 刑事の返事を聞いて、地天馬は考え込む仕種を見せた。しばらく静寂が続い
たあと、地天馬は錠前を指で弾き、やおら言った。
「花畑刑事、実は一つの仮説が浮かんでいるんだ。いや、今のところは仮説と
も呼べない、妄想の領域にあるんだが」
「もったい付けずに、ずばっと言ってくれませんか。あなたの閃きには何度も
驚かされてきた。今更どんな突飛なことを言われても、対応させてもらいます
よ」
 花畑刑事はにこやかに答え、促した。初対面のときに比べると、口調も態度
も随分と柔らかくなったものだ。
 地天馬は口元で微かに笑うと、改めて刑事に向き直った。
「ありがとう。では、もう一つの稽古場がないか、探してみてください」
「は? もう一つの?」
 花畑刑事は最前の頼もしい台詞とは裏腹な、きょとんとした表情をなした。

 調査経過を直に聞きたいとの依頼者の要望に応え、平川を自宅に訪ねた私と
地天馬は、応接間に通された。男の一人暮らしで、最近まで入院していたせい
だろう、いささか埃っぽいが、整頓は行き届いていた。
「報告をお願いします」
 テーブルを挟んで向かい合って座ると、彼は身を乗り出すようにしてこちら
の言葉を待った。
「最初に断っておきますが、調査はまだ完結していません」
「承知しています。でも、進展はあったんでしょう? 私は一刻も早く、櫛原
宮子を救いたいんです」
 ますます身を乗り出し、最早、テーブルに覆い被さらんばかりになってきた。
地天馬は居住まいを正し、一息ついてから口火を切った。
「まず、平川さん。情報をもっとたくさん、素直に提供してもらわないといけ
ません。隠し事は、真相への到達を遅らせるだけだ」
「え、何のことだか私には」
「生前奏と美波との競い合いのことです。そして、大きな力を持つスポンサー、
二舟貞邦氏についても。最早、彼は実質的なオーナーと言ってもいいくらいじ
ゃありませんか。劇場を兼ねた稽古場を提供し、そこで掛ける劇についても口
出しできる立場なんですから」
「ああ、そういう意味でしたか。関係あるかどうか分からなかったし、先入観
を与えるのもよくないかと思いまして。第一、劇団生前奏はもう消滅したも同
然ですから」
 自嘲を交えた苦笑いを浮かべた平川に対し、地天馬は鋭い調子で続けた。
「二舟氏には動機があることや、彼が稽古場への運転手役を買って出ていたこ
ともですか? よろしい、それらは看過してもよい。だが、稽古場が二つ存在
する点まで伏せるとは、困りものですね」
 地天馬は私に目で合図をくれた。黙って頷き、地図をテーブルに広げる。事
件の起きた稽古場周辺の地図だ。範囲は、二十キロ四方といったところか。
 広げた地図には、前もって三箇所に印を付けてある。一つは事件の起きた稽
古場。もう一つは、花畑刑事に骨折りを頼んだ成果である、別の稽古場だ。
「幸い、ぴんと来たからよかった。生前奏と美波、二つに分裂した劇団に対し、
二舟氏は競わせることを思い付いた。競わせるからには公平でなければならな
い。元々、生前奏のために建てられた稽古場があったが、それとそっくり同じ
建物を、美波のために近場に作ったんですね」
 地天馬は依頼人が首を縦に振るのを見届けてから、地図へと視線を落とした
印を付けた二箇所を順に指差す。
「はい、その通りです。でもさっきも言いましたように、生前奏は競争に敗れ、
消滅というか解散状態も同然で、あちらの稽古場も美波が使えるようになって
たものですから。ただまあ、鍵は――建物や箱の鍵は、まだ生前奏側の人が持
ってるようですけど」
 言い訳がましく認めた平川を、地天馬は気にしなかった。先を続ける。
「実際に足を運んでみると、周囲の景色も自然が多く似たり寄ったりで、よほ
ど注意深く観察しないと、区別は難しい。加えて興味深いのは、どちらの稽古
場へ行くにしても、この国道を通り、ほぼ同じルートを進む必要がある事実で
す」
 地天馬の右手人差し指が、道を辿る。
「さらに、両稽古場への分岐点がここ。林の中を道は右に左に、大きく曲がっ
て、まるで迷路を抜けるかのようだ。知らない人が車に乗せてもらって行くと
したら、どちらの建物に着いたのか、分からないのではないか? このように
想像したんですが、いかがです? 平川さんも二舟氏の運転で、稽古場へ通っ
ていたんですよね?」
「そう言われてみると……」
 平川は何か思い出そうとする風に、両目を閉じて少し上を向いた。それは長
くは続かず、五秒ほどでまた目を開けた。
「大型のバンで送り迎えしていただいてたんですが、余計な物に気を取られな
いようにと、私らが収まった後部は厚手のカーテンで閉め切られていました。
ルームミラーがカメラタイプで、閉め切っていても運転に支障はないらしくて」
「事件の起きた日について伺いたい。稽古場に入ってから、違和感がなかった
かどうか」
「……特にこれといって変な感じはなかったと思いますが。でもそれは、最終
リハーサルを控え、いつもより緊張していたせいかもしれないですし。それよ
りも、もし私らが二つの稽古場に足を踏み入れたとしたら、事件が起きたのと
は別の稽古場に、何らかの痕跡が残ってるんじゃないんですか? 警察が調べ
ればすぐに分かりそうなもの」
「無論、調べてもらいました。その結果に触れる前に、平川さんに尋ねるとし
ましょうか。一体どんなからくりで、櫛原宮子が人を刺してしまう事態に至っ
たのか。今のあなたの反応を見ると、充分に察しが付いているようだ」
「それはまあ……私らがずっと稽古してきたのとは別の稽古場にも、同じセッ
トがあって、違いは、問題の箱の中に本物の短刀が仕込まれていたことのみ。
それを知らない櫛原は、短剣がいつもと異なってるなんて疑いもしないでしょ
う。このすり替えを行えるのは、送迎の車を運転してくれた二舟貞邦氏しかい
ない」
「……それから?」
 地天馬が続けるように促す。依頼者は戸惑ったように首を傾げた。
「それからとは、どういう……。今ので説明できたと思いますが」
「まだです。鍵の問題が残っている」
「鍵? もしかして、稽古場のドアの鍵ですか? 二舟氏なら両方の稽古場の
スペアキーを持っていても、不思議じゃありません」
「確かに。しかし、箱の鍵はいかがかな? 練習が終わると、櫛原宮子は仕掛
け付き短刀を箱に仕舞い、必ず鍵を掛けていたそうですね」
 地天馬の質問に、平川はぽかんとした。頭の中で状況を整理するかのように、
しばし視線を斜め下に向け、黙考する。一分足らずで口を開いた。
「そんな物、最初にセットを発注した際に、三本目のキーを作らせたと考えれ
ば……」
「あの錠前の鍵は完全受注生産で、全て記録されるんだそうです。照会すると、
二本しか作られていないと分かった。そしてスペアの製作は非常に困難で、こ
っそり作るのは不可能との話でした」
「じゃあ、劇団生前奏に与えられた鍵を使ったんでしょう。誰が保管していた
か知りませんが、スポンサーの二舟氏が言えば差し出すに違いない」
「理屈の上では成り立つかもしれない。が、実情は違う。鍵を保管していた人
物――秋谷透一郎(あきやとういちろう)という方が持っているのですが、ご
存知ですか」
「ええ、秋谷さんなら知ってる。彼がどうしたってんです?」
「秋谷氏は事件の一週間前から、船旅に出ていました。問題の鍵を持ってね」
「え? 何でまた鍵を持って旅行に」
「理由はないみたいでしたよ。習慣で身に付けたままだったのを、そのまま持
って行っただけだと。全行程十日の国内クルーズ。事件発生時に、もう一つの
鍵は海の上にあった訳です」
「地天馬さんが秋谷さんに会ったのは、旅行から戻ってだいぶ経っていたんで
しょう? 本当に鍵を持って行ったのか、怪しいものですよ。持って行かなか
ったのに、持って行ったと言ってるだけかもしれないじゃないですか」
「同じ劇団員の同行者がいて、船旅の途中、その人物にも鍵を見せていました。
確認済みです」
「……だったら……」
「あなたが必死になる事情は分かりますが、この線は追っても無駄でしょう。
何故ならば、そもそも、二舟氏運転のバンは、美波が所有する稽古場にしか行
ってないのだから。生前奏の稽古場には、近寄ってもいない」
「どうしてそんなことが言えるんです?」
 意気消沈気味だった平川だが、地天馬の断定に驚いたのか、再び身を乗り出
してきた。
「警察が、位置情報の記録を辿ったんです。車に備わったGPSと、二舟氏所
有の携帯電話の位置情報を合わせて。事件当日、二舟氏運転の車は、間違いな
く美波の稽古場に行った。当日だけでなく、練習期間中ずっと」
「そ、それは……く、車と携帯電話、それぞれ同じ物をもう一つずつ用意して、
事件の起きた日は二舟氏はそれを使い、今まで使っていた車は共犯者が運転し、
美波の稽古場へのルートを行き来したとか……」
「当日、二舟氏は携帯電話から親族や親しい知り合いに電話を掛けている。通
報も氏の電話からだった。これらの通話の音声は記録が残っており、いずれも
二舟氏の声に間違いない」
 理路整然と告げる探偵の口ぶりに、依頼人は沈黙し、肩を落とした。
「このままでは櫛原が……宮子が……」
 半ば嗚咽のような声で、そう呟くのが聞こえた。地天馬はタイミングを計る
風に、数秒待った。何をきっかけにしたのか分からなかったが、やがて始めた。
「確かな点を並べてみましょうか。事件の起きた現場は、美波の稽古場であり、
凶器はそこのセットである箱に入っていた。凶器の入っていた箱は施錠されて
おり、開けられる鍵はこの世に二本だけとみてよい。内一本は、事件の日、遠
く離れた海を行く船上にあった。残る一本を持つ人物は、事件当日、現場に居
合わせた――これらを総合的に判断すると、櫛原宮子が真犯人で間違いありま
せん」
「ばかな!」
 弾かれたように叫び、面を上げた平川。その顔は激しく紅潮していた。
「そんな結論を聞くために、あなたを雇ったんじゃない! あなたの役目は、
真犯人が途轍もない奇抜な方法で、凶器のすり替えを行い、宮子に罪を着せよ
うとした、それだけなんだ!」
「違うな」
 依頼人のリクエストを、探偵は当然、撥ね付けた。
「真犯人を見付けるというのは、なるほど、名探偵の役目かもしれない。だが、
依頼者の狙い通りの結果を出すというのは違う」
「……すみません、取り乱してしまいました。さっきの言葉は忘れて――」
「真犯人を指摘しろというのであれば、もう一人、列挙してもかまいませんよ」
 平川の台詞を遮って、地天馬は言った。相手は「は?」と怪訝がる色を顔に
貼り付けた。
「それってどういう意味なんでしょう……」
「この件には黒幕がいると考えている、という意味ですよ。平川朝明さん、あ
なたがこの犯罪を計画し、櫛原宮子に実行させたんじゃないかな」
「――意味が分からない」
 頭を振った平川だが、動揺が手に出ていた。震えるせいで、テーブルがかた、
かた、と鳴る。そのことに平川自身も気付き、両手を引っ込めたが、それでも
震えは収まらないようだ。
「『あまりにもあからさまに殺しを行うことで、警察は、自分を犯人ではない
と考えてくれる』ことを期待した犯行ではありませんか? もし捕まってもそ
れは一時的なことで、警察は二つ目の稽古場をすぐに見付けて、凶器すり替え
の方法に思い至るはず。そして犯人は二見貞邦氏以外にあり得ないと考えるは
ず。そういう目論見だったんでしょう。だが、目算は外れ、そのまま櫛原宮子
が犯人として起訴される状況になった。慌てた共犯者は、二つの稽古場という
ある種ばかばかしい仕掛けに気付いてくれるであろう探偵を求め、地天馬鋭を
探し当てた。そして依頼を持ち込み、当初の思惑通りに捜査が進むよう期待し
た」
「な……何か証拠があるんですか」
 平川は、反論とも呼べないような反論を絞り出した。
 対する地天馬は、あっさりと答える。
「状況証拠だが、なくはない」
「嘘だっ」
「あなた達の計画では、事件前日までの稽古は、美波の稽古場で行われ、当日
のみ生前奏の稽古場を使ったことになる。だが、実際は全て一方の稽古場のみ
で行われた。使わなかった稽古場の方に、青写真に沿った痕跡を残しておく必
要がある。そう考え、いかにも稽古していたような使用感を残そうとした。で
も、稽古の期間中は抜け出せない。だから、仕方なしに事件後に動いたんだろ
う。動けるのは平川さん、あなただけだ。櫛原宮子は身柄を拘束されている。
あなたは使われなかった稽古場に忍び込み、適度に散らかし、自分や櫛原宮子
の生物的痕跡を故意に置いた。ええ、警察が捜査して、見つけ出しましたよ。
劇団員の毛髪や汗を吸ったタオル類なども、全員分ではないが、いくらか発見
された」
「そ、そういった物が見付かってるのなら、やっぱり、二つの稽古場を利用し
た凶器のすり替えが行われたんじゃないんですかっ」
「警察の科学捜査を見くびらないことだ。優秀な彼らは、クラミジアも見つけ
たんですよ。肺炎の原因の一つに数えられる、真菌です」
「……まさか……自分の肺炎の」
 全てを悟ったように、自身を指差した平川。
 地天馬はそれでも念押しした。
「あなたの肺炎は、事件以降に発症した。事件前日までに通ったとする稽古場
から、真菌が見付かるはずがない。事件以降に入らない限り」

――終わり





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●短編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE