AWC お題>スコール   永山


        
#430/453 ●短編
★タイトル (AZA     )  14/07/27  21:48  (417)
お題>スコール   永山
★内容
 世良浩美には、気になる女がいた。
 市立図書館でよく見掛ける、ショートヘアの女性がそれ。外見は男っぽく、
いつもジーンズ履きの印象がある。背は一七〇半ばで、世良よりも随分高い。
自分との共通点を探すと、とりあえず、年齢は近いはず。平日の昼間でも自由
に動けることから推して、多分、大学生。
 そしてもう一つ、共通点が。
(彼女も、推理小説が好きに違いない)
 そんな風に思うのには、理由がある。理由ではなく、目撃した事実と言うべ
きか。この図書館で見掛ける度に、ほぼ百パーセントの確率で、彼女は手にミ
ステリを何冊か持っていた。
 ミステリ好きの女性は少ない。テレビの二時間サスペンスならまだしも、推
理小説となると、愛好家の女性と出会うことなんてなかなかない。実態がどう
あれ、世良はそう認識していた。
(ああいう人がうちの大学にもいれば、連れだってミス研に入ろうってことに
もなるかもしれないのに)
 世良の通う大学にも、ミス研すなわちミステリ研究会が存在する。興味があ
るのだが、現在の部員構成が男子学生ばかり五人と聞いて、尻込みしてしまっ
た。入学から三ヶ月近く経った今でも、よその部に入らないでいるのは、ミス
研に未練があるからにほかならない。
(まあ、同じ大学とまでは期待しないにしても、話をしてみたい。声を掛けた
い)
 そんな風に願う世良であったが、元来、人見知りする質で、積極的な方では
ない。きっかけさえあれば乗り越えられるのだが、そのチャンスが皆無で、実
現しないままでいる。
(ミス研の人の説明を直接聞くこともできなかったもんね)
 推理小説二冊を借りて図書館の建物を出、自嘲気味に口元を緩めた世良。小
脇に抱えた大きめの手提げ袋を、改めて持ち直し、歩き始めた。自宅まで、ゆ
っくり歩いて二十分。健康のためと歩いて往復しているが、七月に入れば、さ
すがに徒歩はやめるかもしれない。
(今日は曇天だからいいけれど。そういえば、あの女性は自転車だったっけ)
 思い起こしたちょうどそのとき、世良の行く歩道の右、側道を一台の自転車
が走り抜けていった。
(あ、噂をすれば。って、私一人が頭の中で思ってただけだけど)
 自転車を漕ぐ様を見るのは、これがまだ二度目。だから、普段からそうなの
か今日に限ってなのかの判断は不可能だが、今日の彼女はやけに前傾姿勢で、
急ぎ気味に映った。知らない人が見たら、男だと思うんじゃないか。じきに点
のようにしか見えなくなった女性の姿をそれでも目で追いつつ、世良は感想を
抱く。
 と、不意に冷たい風を感じた。見上げると、空で灰色の雲がうねっていた。
 これは一雨来る――と思う間もなく、ぽつぽつぽつと滴が落ち始める。雨は
すぐに勢いを増し、土砂降りに転じる。世良は鞄を頭のすぐ上に掲げながら、
走った。
(まるっきり、テレビで見た南国のスコールだわ。天気予報じゃ降水確率、十
パーセントだったのに。この辺で雨宿りできるのは……)
 脳裏に思い描いた地図をサーチするよりも、二十五メートルほど先の店が目
に入る。店先にオーニングが広く張り出してあって、しかも透明なビニールで
ぐるりと囲まれている。あそこなら雨を避けられそう。
 白く煙る視界を突き進み、世良は“避難スペース”に駆け込んだ。鞄を探り、
汗拭き用にと入れておいたハンドタオルを取り出す。ビニール越しに空模様を
見守りつつ、濡れた頭や腕などをぬぐっていく。タオルはたちまち重くなり、
絞れば水が出そうなほどになった。
「タオル、お貸ししましょうか」
 店の奥から、年齢を見当しづらい男性の声がした。他に客の姿は見えないの
で、自分に向けられたものと分かる。
 慌てて振り返り、問い掛けに答えるよりも、「あの、すみません。急に降っ
てきたから……」と言い訳っぽく反応してしまった。
「かまいません。ついさっきオープンしたばかりで、お客さんはまだ誰も。そ
んなことよりも、どうぞタオルを」
 サンダル履きの音を立てながら姿を現した店主――多分、店主だろう――は、
外見も声と同じく年齢の見当を付けにくい風貌をしていた。まず長髪に顎髭が
インパクト大。それに青シャツに縞柄のチョッキという出で立ちが続く。鼻眼
鏡の奥の目は、人生経験を感じさせるしわに縁取られているけれど、輝きは若
若しいような。猫背だから小さく見えるが、体格はよい。中肉だったのが少し
お腹が出始めたところ。和装の方が似合いそうだと世良は思った。
 人間観察をしている間に、手はタオルを受け取っていた。足も自然と店の中
へ。
「ど、どうも、ありがとう……ございます」
「どういたしまして。ほんとは傘を貸してあげられたらいいんでしょうけど、
生憎と余裕がなくって」
「そんな。充分です」
 店内を急いで見渡す。学生の自分に買えるような物があれば、お礼のつもり
で、売り上げに貢献しよう。
「――古本屋さんなんですね」
 両サイドの壁に一面ずつ、真ん中に背中合わせに二面の、併せて四つの書架
が配されていた。中には、様々な本が並べてある。新刊ではなく古本だと分か
ったのは、何となく。
「はい。親戚がやっていたのですが、だいぶ前にやめてしまいまして。僕が引
き継いで、この度復活――新装開店というのかな――することになりました。
至らぬ点が出てくるかもしれませんが、ご愛顧よろしくお願いします」
「た、確かに本は好きですが」
 正確には、推理小説の本、だけれども。
 心中で付け足しながら、改めて店内の手近なところを見回す。あったあった、
ノベルスや文庫本のコーナーにミステリが列んでいる。ハードカバーの方は見
えないが、きっと変わりあるまい。これなら何か一冊でもお礼がてらに購入し
ていけそう。そんなことを世良が考えていると、店主の目線が動いた。
「――また雨宿りのお客さんのようです」
 振り返ると、さっきまで自分がいた辺りに、背の高いシルエットが。すぐに
分かる。あの女性だと。
「雨宿りさせてください!」
 世良と違って、すぐさまそう言った。かなり大きな声で、近くにいたせいか、
世良が思わず身震いしたほど。
「どうぞどうぞ。タオルが入り用でしたら、今持って来ますが」
「お願いします!」
 受け答えをしながら、頭やら腕やらをハンカチで拭う様が見て取れた。中へ
入ってこないのは、水滴が商品を濡らさぬようにという配慮かもしれない。
 店主が一旦奥へ消えて、静かになった。そこで初めて、くだんの女性は世良
の存在に気が付いたらしい。目が合う。世良は無言のまま、小さく会釈した。
「あなたは確か、図書館でよく見掛ける……」
 ハンカチを持った手で、世良を指さしてきた。その手から水が滴るのに気づ
き、急いで戻す。
「え、ええ。私もよくお見掛けするなぁって、思ってました」
 いきなり話し掛けられて面食らったが、同じだったんだと小さな感動を味わ
いもした。きっかけさえあれば、話すのにためらいはない。
「今日も見掛けました」
「あなたも雨宿り? それともここの常連ですか? 私はこの店に気付いたの、
今日なんだけれど」
「私も同じ、雨宿りで。お店が開いたのは、ついさっきだそうです」
 店主が戻ってきた。タオルだけでなく、何やら湯気の立つカップを二つ、お
盆に載せて。
「よろしかったら、これもどうぞ。土産にもらった紅茶です。ああ、砂糖もミ
ルクもありませんが」
 確かに雨のせいで肌寒さを覚える。雨が上がると、また蒸し暑くなりそうだ
が、今は温かい飲み物の方がよいかもしれない。いや、そんなことよりも、い
ただいていいのだろうか。出されたからには、いただくべきなのか。
「ありがたいですけど」
 声に出して反応したのは、世良ではなく、もう一人の方。
「今、私は見事に無一文で、売り上げに貢献できませんよ?」
「かまいません」
「それなら遠慮なく」
 タオルに続いて、カップも手に取る。息を数度吹きかけてから、口に運んだ。
「――本当にノンシュガー? 甘く感じる」
「そういう紅茶だそうです。決められた手順通りに入れると、仄かな甘みが出
るんだとか」
 砂糖なしなのに甘みがあると聞いて、世良も興味がわいた。「いただいてい
いですか」と尋ねてから、カップを受け取った。
「……ほんとだ。甘い」
「よかった。僕の気のせいじゃなかった」
 冗談めかして笑みを浮かべる店主。二人が飲み終わるのを待って、カップと
それにタオルを回収する。
「雨、意外と長引きそうだし、よければ本を眺めていってください」
 と、再び奥に退いた。他に店員がいる訳でもなし、店内をぐるりと見渡して
も、防犯カメラの類はないようだが、客を信用し切っているのだろうか。
「帰りしな、目についたから引き返してきたけれど、なかなかよさげな店」
 独り言をこぼした女性に、世良は思い切って聞いてみた。
「自転車で急いでいたみたいですけど、いいんですか」
「うん?」
 本棚から世良へと向いた目は、意外そうに丸くなっている。世良は「詮索し
てすみません」と頭を下げ、名乗った。世良浩美、**大学の学生です、と。
「かまわないよ。友達に頼まれて、転居届を取りに行っただけ。雨が降り出し
たときには、マンションまでは距離があったし、それなら途中で見掛けたここ
を覗いてみようと思って、引き返した。それよりか、ちょっぴり驚いた。私も
同じ大学なの」
「へえー」
 話してみると、学部は違うが、同じ一年生と分かった。
「牧野晴菜、よろしく」
 そう自己紹介した相手は、手を差し出してきた。握手する。女性にしては大
きめの手だと感じた。
「部、部活は何ですか?」
 この機会を逃すまいと、世良は重ねて聞いた。仮にどこか違うクラブに入っ
ていたとしても、ミス研に一緒に入ってくれないか、希望は伝えるつもり。
「早く決めたいのだけれども、まだ迷ってるんだよね〜。文芸部かミステリ研
究会か。世良さんは何部?」
「私も迷ってて、いや、違う。入りたい部があるのだけれど、踏ん切りが付か
なくて、今は帰宅部で」
 自分が思い描いていた通りの展開に、気が急いてしまう。口の中は乾いてく
るし、言葉は早口になるし。さっきの紅茶、少し残しておけばよかった。
「踏ん切りが付かないってことは……世良さんもミステリ好きみたいだから、
ひょっとして、ミステリ研究会に?」
「そう、当たりです」
 こくこくと頷く世良。牧野も図書館で、こちらが手に取る本に注目していた
らしい。そう知って、今自分の顔に喜色が広がってると自覚した。
「やっぱりねえ。男の人ばかりだもんね、あそこ。じゃ、一緒に入る?」
「ぜひ!」
 即答っぷりがおかしかったのか、牧野は口に右拳を宛がい、笑いを堪える仕
種をした。それも我慢できなくなり、やがて声を立てて笑った。世良の方はあ
れよあれよと念願叶って、こちらも満面の笑みに。
 それから世良が、次の質問をしようとしたところへ、店主が戻ってきた。
「あの、失礼ですが、立ち聞きしてしまいました。今、**大学とかミステリ
研究会とか聞こえましたが、あなた方はそちらの学生さんですか。差し支えな
ければ――」
「私も彼女も学生です。部員にはまだなってませんが、入るつもりになってい
ます」
 牧野が素早く、しゃきしゃきと答える。
「それはそれは。OBとして嬉しい限り」
 意外な言葉に、世良と牧野は「えっ」と声を上げた。
「僕が在籍していた頃は、人数こそそこそこ集まっていたものの、メンバーに
女性は一人もいませんでしたよ」
「現時点では、今でもゼロです」
「はは、そうなりますね。僕の知っている雰囲気のままなら、女性でもミステ
リ好きなら、そんなに居心地は悪くないでしょう。できれば、入部してほしい
ですね」
「だったら、今ここで、ミステリ研究会の雰囲気を再現してもらえませんか?」
 牧野が言い出した。すぐには飲み込めず、世良は傍らできょとんとしていた。
「学園祭での活動なんかは再現無理でしょうけど、普段の部活でどんなことを
話題にしていたのかぐらいなら、できるんじゃないかと。世良さんも私も、ビ
ギナーながら少しはお相手できると思いますし」
「なるほど。分かりました」
 唇の前に、右の人差し指を縦に持って来て、少し考える素振りの店主。空模
様を窺い、次に壁の時計を見た。
「座った方がいいでしょう。パイプ椅子になりますが」
 レジカウンターの裏手に一度引っ込み、すぐに折り畳まれたパイプ椅子二脚
を持ち出してきた。世良と牧野はなるべくレジの近くで、かつ、なるべく広い
スペースを見付けて、椅子を開き、陣取る。
「最初に、名前を把握しないとね。えっと、先に来られたのが世良さんで、あ
とが牧野さん?」
「はい」
「僕は、東野久作といいます。東野圭吾と夢野久作を足して二で割ったような
名前とからかわれたものです。ミステリ全般が好きですが、強いて順位を付け
るなら、本格が一番に来ますね。お二人は?」
 話を振られ、世良と牧野は顔を見合わせた。世良から答える。
「私も本格推理が一番好きです。読むのももっぱらその系統で、他のジャンル
は、よほど話題にならない限り、手を出さないかも。嫌ってるんじゃなくて、
他のジャンルにまで手が回らないというか」
「自分は、満遍なく読む方だと思ってます。だから一番は決めにくいな。三つ
に絞るなら、感動系と……最後に来てどんでん返しがあるもの、それから本格
を愛読しています」
「よかった。本格という共通項が見つかった」
 髭面に笑みを浮かべる東野。
「一言に本格と言っても、特色でいくつかに分類できると思いますが、特に好
きな本格はありますか」
「私はトリック重視です。文章が下手でも、キャラクターが類型的でも、トリ
ックが秀でていれば許せます」
 世良の答を聞いて、牧野が少し考えてから口を開く。
「自分はちょっと違うかな。トリックもいいけれど、というより、トリックも
含めて、驚かせてほしい。驚けるなら、ロジックや意外な犯人でもよし」
「あ、びっくりするっていう尺度なら、叙述トリック。私、大好きです」
 両手を握って力強く主張する世良。店主の東野は、悩ましげに口を挟んだ。
「叙述トリックは論じるには面白いけど、具体例を挙げづらい題材ですね。作
品名を出しただけで、ネタバレになりかねない」
「はあ、確かに」
「知り合ったばかりですし、今日は、各自が考える本格推理の定義を披露して、
あれこれけちを付け合ってみるとしますか」
「けち?」
「面白おかしく、揚げ足取りしようってことだよ。本格推理に関して、万人に
通じる完璧な定義なんてないからね」
 東野の口調が砕けてきた。
 彼の見解に、牧野が早速、異を唱えた。
「そうですか? 自分は自分の定義、漠然とだけど持ってますが、割と完璧に
近いんじゃないかなと自信ある」
「それなら、牧野さんから行ってみよう。あっと、口で説明できるくらいにま
とまってる?」
「だいたいは。でも、書き出した方が安心できますね」
「それなら」
 店主は紙と鉛筆を用意してくれた。牧野にだけでなく、世良にも渡す。
「早く書けた方から、発表してもらおうかな。僕はとりを飾るとしよう」
 世良も推理小説ファンだけあって、本格の定義とは何かについて多少考えた
ことはある。が、具体的な文章にするのは初めての経験だ。端緒を掴もうと、
東野に話し掛けることにした。
「あのー、東野さん。学生のとき、こういうテーマでおしゃべりされたんでし
たら、いくつもの定義を聞いてきたってことですよね」
「そうなりますね」
「紹介できそうなものがあれば、言ってみてくれませんか。勝手が分からなく
て」
「ふむ。じゃあ、僕が個人的に、最も幼い、だがある意味で最も汚れていない
読者による定義だなと感じたものを、紹介しよう。確か、こうだった。『本格
とは、トリックを用いた小説である』」
「えっと……あながち間違いじゃないみたいですけど、言葉足らずっていうか」
「そう。本格のほんの一部を表現したに過ぎない。本格推理とは呼べない推理
小説にも、トリックが使われていることはいくらでもある。もう一つ、例を出
すと、こういうのもあったっけ。『本格とは、作中で提示された謎に対し、読
者が論理的に思考すればその謎を解明し得る小説である』。とても極端な意見
で、本格推理を定義したというより、犯人当てや謎解き小説について言ってる
だけな気がする」
「オーソドックスな本格推理、つまり事件が起きて探偵が推理して謎が解かれ
る形式の本格推理は、全てそうあってほしいと思わなくはないですけど」
 これは牧野の見解。東野も大きく頷いた。
「気持ちは分かる。論理的に、フェアにと声高に謳うイメージが、本格にはあ
る。しかしこの定義から外れてしまう作品にも、本格と呼びたい物がたくさん
ある。たとえばさっき出た、叙述トリックを駆使した作品。大雑把に言って叙
述トリックは、Aと思わせておいてBだったという趣向で読者を驚かせる物だ
と思うが、その解決の大半は意外とロジカルではない。Aだと思うとちょっと
不自然だったのが、Bと解釈すればまあまあすっきりする、程度じゃないかな。
あるいは、倒叙推理。ドラマになるが『刑事コロンボ』シリーズに代表される
倒叙物にも、本格推理と呼びたい作品はいくつもあるけれど、最前の定義では
除外されてしまう」
「自分は、倒叙物を本格に入れるのには反対です。別個の物として楽しめば済
む話ですから」
 牧野からの反論に、東野店主は面白げに顎を撫でた。ひげのざりざりという
音が聞こえてきそうだ。牧野が続ける。
「本格の範疇に倒叙を含めようとするのは、面白いミステリ、優れたミステリ
の全てを本格として一括りにしたいという、行き過ぎた希望の一つだと思いま
すね」
「いいね。確かに、その傾向がなくはない。希に見掛ける本格の定義に、『意
外な犯人や驚天動地のトリック等が用意されていること』なんてのがあるが、
意外な犯人や驚天動地のトリックは本格推理の出来映えの評価であって、本格
推理を定義する文言ではないのは、明らかだ」
 話に耳を傾けていた世良は、背筋が伸びる思いを味わった。自らの定義を考
える最中に、メモのつもりで“意外な犯人”とか“密室”と記していたのだ。
内心慌てつつ、手でさりげなく隠す。
 少し、沈黙ができた。世良が牧野を見やると、軽く目をつむり、腕組みをし
て斜め上を向いている。と、じきに目を開け、天井から視線を戻す。
「自分が考える本格推理とは、まず、読者に驚きを与えることを最大の目的と
する。というか、してほしい」
 独り言とともに、紙に書き付けた。
「ただし、驚きは怖がらせるとか、後ろからわっと言ってびっくりさせるとか
ではなく、『そうだったのか!』みたいな驚き。そのために大事なのは伏線、
かな? だから……『本格推理とは、謎と解と伏線のある物語』、これだけで
もいいかもしれない」
「殺人事件じゃなくてもいいってこと?」
 すぐさま聞き返した世良。彼女自身は、本格推理で扱う事件は殺人に限る、
みたいなイメージを持っていた。
「ええ。謎があればいい。できれば魅力的な謎としたいところだけれど、そう
しちゃうと、定義ではなく、作品の優劣になるから」
「なるほど。明快だ」
 東野がそう評価する。が、続けて疑問も呈した。
「だが、解は必要かな?」
「え? だって、解がないと、尻切れトンボというか、どんな絵空事でも書き
っ放しにして、それで本格推理でございという顔をされても、認められません」
「そうですよ。答のない謎々みたいなものになります」
 牧野の応援に回った世良。自然と身体の向きも、店長に相対する格好になる。
 東野は髭をひとなでしてから口を開いた。
「いや、解く過程は必要だとは、僕も思う。でも、答はなくてもいいんじゃな
いか。いくつかの謎を残すことで、余韻を醸し出す手法があるし」
「それくらいは認めてもいいですが、謎の本質、主軸に当たる謎に関しては、
余韻のためでは済まされませんよ」
「解決が明示されないミステリというのもある。読んでいないかな、『どちら
かが彼女を殺した』や『私が彼を殺した』」
「あぁ、噂は耳にしてたことありますけど、まだ読んでません」
「私は『どちらかが・』の方だけ」
 世良は片手を挙げて答えた。東野店主は「どうでした? 本格ではありませ
んでしたか?」と聞いてくる。
「派手なトリックはないけれど、あれも立派な本格だと思います」
 この返事に、東野は「でしょう」と満足げに反応した。
 一方、牧野は質問を発した。
「リドルストーリーとは違うんですか」
「似て非なるものと言えるかな。リドルストーリーは、複数通りの解釈ができ
ることが根底にあると言える。さっき挙げた二作品は、推理を組み立てれば一
つの結論に辿り着く――少なくとも作者はそういう意味の発言をしている――
のだから、リドルストーリーとは異なる」
「それでは、リドルストーリーは本格推理と言えるでしょうか?」
 牧野の次なる質問に、東野も少したじろいだようだ。見ると、牧野の目に悪
戯げな光が宿ったような。分かっていて、わざとやっている、多分。
「うーん、答に迷うね。リドルストーリーは……本格推理における謎の提示の
部分に該当する、そんなイメージがある。謎を解こうとする過程がない、とい
うかその前段階って感じだなあ。だから、そもそも推理小説ではないと言える
かもしれない」
「それはずるいですよ。推理小説の定義、いえ、小説の定義から始めなくちゃ
いけなくなる」
「だよね。それにリドルストーリーの中には、謎を解こうとする過程がある物
も皆無ではないし」
「何か、スピリットが本格と通じる物があるんですよ、いくつかのリドルスト
ーリーには」
「そうそう。誤解を恐れずに言えば、知的遊戯の発露、みたいな」
 店主と牧野の話に、世良も割って入る。
「同感です。けれど、そこを言い出すと、一部の落語も検討しなきゃいけなく
なりそう」
「おお、なかなかユニークな。――そうか、あれですね、考え落ちとか」
「落語といえば、『時うどん』や『壺算』もミステリ的だしなあ」
「『猫の皿』なんかもありますよ」
 推理小説好き三人が偶然集まったと思っていたら、落語も意外と分かる口が
揃っていたようだ。ひとしきり盛り上がる。
「ジョークにも、考え落ちの物がいくつかあるけれど、ああいうのでよくでき
たジョークに出会うと、ああ本格の枠に入れたいなと思ってしまう」
「だめですよ、店長さん。さっき、自分でおっしゃったじゃないですか。その
考え方は、“優れた作品を本格に入れたがる症候群”です」
「果たしてそうかな。ジョークの中で、本格推理の骨組みを持った作品ばかり
抜き出して、全てが優れた物だったなら確かに言う通りだけど、必ずしもそう
なるとは限らないような。――やっと上がりそうですよ」
 ふと、視線を外に移した店主。世良達も振り返る。空模様こそまだ曇りだが、
店の前の道を叩いていた雨は、非常に弱くなっていた。
「話に夢中になって、気付かなかった」
「夢中もいいが、途中でもあります。牧野さんの定義は一部聞けましたが、世
良さんのを聞いていない」
「あ、えっと、あのー、自己分析してみたんですけど、私は雰囲気を重視する
タイプらしくて……大げさなくらいの物理的トリック、名探偵にお屋敷、絶海
の孤島、密室、そっくりな双子、もちろん意表を突くロジックや叙述トリック
も好きです。そういうのをひっくるめて、言葉で短く表したいんですが……」
「そういう方向から攻めると、定義にならない」
 牧野が後を引き継いで言う。実体験があるのか、うんうんと頷きながら。
「ならないこともないですよ」
 東野があっさりした口調で穏やかに否定した。これには女性客二人が「え?」
と声を揃えた。
「どういう風に定義するんですか。そもそも、東野さんの定義、まだ聞いてま
せんけど」
「独自の定義を模索してもしっくり来ないし、先人の有名な定義に被ることが
ほとんどでね。ならばいっそ開き直ろうと。ある評論家が書いていたのとよく
似てるんだけど、僕が気に入っているのは、『本格とは、私が読んで本格と感
じた作品である』だね」
「――はあ」
 気が抜けたような反応をしてしまった世良。牧野に至っては、椅子からずり
落ちそうになっていた。案外、関西風ののりなのかもしれない。
「な、何ですか、それ。凄く都合がいいじゃないですか」
「そうだよ。これなら恣意的に用いられる。下手に定義して、もしも定義に当
てはまらないが本格と呼びたくなる作品が現れたら、悔しいじゃないか。その
点、僕が今言った定義なら、何でもござれだ。ははは」
「……参りました」
 苦笑いをその顔に浮かべ、牧野がぽつりと言った。それから座ったまま、世
良の方に身体を向ける。
「世良さんの定義は、次の機会に取っておきたいな。こんな楽しいこと、一回
きりじゃ勿体ない」
「え、ええ。皆さんがいいのなら、私も」
「僕はとりあえず、お二人に入部してくれることを期待しています」
 東野店主の言葉が、ミステリ研究会のことを思い出させてくれた。
「何だったら、僕の方からつなぎを取ってみましょうか」
「いえ、そこまでは。それよりも、会の普段の雰囲気は何となく理解できまし
たけど、創作の方は行っているんでしょうか?」
 尋ねる牧野の語調は、彼女自身が推理小説を書いている、もしくは書きたい
と願っていることを窺わせた。
(だから、本格の定義なんてことにも、普段から考えを巡らせていて、言葉に
できるのかな)
 世良がそんな想像をしている前で、東野が答える。
「もちろん、やっています。多分、今もやっているはず。学園祭に合わせて、
開始を発行して、一般向けの犯人当てを載せるのが恒例でした」
 一般向けと表現する辺りが、何だかおかしい。
「分かりました。自分は入るつもりになりましたが――世良さん、どうする?」
「私も入りたい。牧野さんが入るのなら、心強いし」
「今日会ったばかりで、そんなに信頼されても弱るなあ。――あ、完全にやみ
ましたね、雨」
 牧野の言った通り、雨は収まり、少しだが日が差してきた。
「視界が白くなって、まさしくスコールって感じだった」
「――普段はこんなこと言わないんだけど、牧野さんは小説を書く心積もりの
ようだから、敢えて」
 突然、東野店主が言い出した。持って回った前置きだが、それにしては表情
がにやにやしている。
「何でしょう?」
「そんなに身構えることじゃないんだが。スコールという言葉には本来、急に
降り出した激しい雨、みたいな意味はない」
「本当ですか?」
 牧野が目を丸くする横で、世良は「まさか、ジュースの名称だって言うんじ
ゃあ……」と小声で突っ込んでみた。
「違うよ。正確な表現は僕も記憶していないし、自分で調べた方が身に付くか
ら、ここでは言わない。まあ、まったくの間違いという訳でもないし、日本語
として定着しているのならそれでよしとする考え方もありだろうけどね」
 東野の話に耳を傾けた牧野は、ふと思い立ったように聞き返した。
「この店に国語辞典はありませんか?」

――終





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