AWC フリー日記: 名鉄ウォーキング 『犬山』


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#386/550 ●短編
★タイトル (GSC     )  11/01/11  17:32  (149)
フリー日記: 名鉄ウォーキング 『犬山』
★内容                                         11/01/13 17:00 修正 第2版

   1月8日(土)

 名鉄電車沿線コースハイキングに参加してきた。ところが、頼りにして
いたICレコーダーは、以前の録音を消去して置かなかったために、記憶
容量がいっぱいになり、最初の部分だけしか録音できていなかった。
初耳の知識や珍しい見物など色々あったが、それらをきちんと記憶して
おらず、以下はあやふやな記述にならざるを得ない。

 スニーカーの紐を締めなおし、例の頑丈なステッキを持って、9時前に
家を出た。
 この冬は気温が低く、今朝も弱い北風が頬に冷たい。
 最寄り駅まで1012歩。

 列車を1台見送って次の列車に乗り、隣駅の大曽根で地下鉄に
乗り換えた。ここからも1区間だけ乗って、平安通り駅から名鉄小牧線に
乗り換えたが、かつてこの路線は、平安通りが始発ではなく、上飯田発〜
犬山着だったのが、数年前に地下鉄と名鉄の相互乗り入れが実現し、
平安通り発、上飯田→小牧経由、犬山行きとなったものである。私は
平安通り発の犬山行きの電車に今回初めて乗ったが、なかなか快適で
便利だ。およその駅名は、平安通り→上飯田→味ま(文字不明)→味美
→春日井→牛山→間内→小牧口→小牧→小牧原→味岡→楽田→田県神社前
→羽黒→犬山。
 本日のウォーキングコースは、羽黒駅で下車し、下記の順序で歩いた。
小弓の庄 → 1.1キロ = 小弓鶴酒造、犬山ローレライ麦酒館 → 
0.3キロ = 鳴海てがし神社 → 4.4キロ = どんでん館 → 
0.6キロ = 犬山市文化資料館、からくり展示館 → 0.3キロ = 
国宝犬山城 → 1.5キロ = 犬山成田山 → 0.3キロ = 犬山遊園駅。
 合計歩行距離 約8.5キロ。

 小弓の庄は、羽黒駅に近接する古い建物で、最初は銀行、その後某氏の
所有から民家となり、現在は市の観光施設となっている。木の窓枠や柱、
カウンターに似た見事な台は風格があり、庭一面に芝生が植えられていた。
 この建物が町並みの始まりで、羽黒駅周辺がこんなに発展しているとは
知らなかった。
 五条川の橋から歩道橋を渡り、県道27号線に沿ってしばらく行くと、
県道194号線に交差し。これを右に曲がって、酒造&麦酒館まで
歩いた。
 出店には肉饅やソーセージなど売っていたが、試飲の酒だけもらって
飲み、これはなかなか行けた。

 鳴海てがし神社の拝殿は、太い丸柱が14本(間口4本・奥行き4本)
立っていて、柱と柱の間はほぼ等間隔だが、正面中央の入り口と、それに
相対する裏口は、柱の感覚がやや広い。屋内の面積は、間口2間×奥行き
3間、すなわち12畳敷である。
 この神社は随分歴史が古く、その後時代が下ると、鎌倉の神社に
あやかって、銭洗い弁天を奉るようになった。
 鎌倉との深い関係については、次の説明書きもある。
「梶原景時が鎌倉幕府での抗争に敗れた後、7人の家来が、景時の孫を
護って逃れ来たり、長谷部氏(後の長谷川氏)の保護を受けて、この地で
暮らすことになった…」
 銭洗い池に硬貨を投じて福を呼び、池の上の小さな石橋を渡るのも情緒
がある。
 境内には県木〈花の木〉があり、幹の太さは一抱え半、樹齢二百年と
いう。説明文によれば、花の木は日本の固有種で、愛知県の他、岐阜県・
長野県・滋賀県にしか無いそうだ。

『蝉屋』、『池の向かい』、『宮浦』などの信号を渡り、程なく県道を
外れて、川沿いの静かな道をゆったり歩く。『半之木川』と、もう一つ
名前を忘れたが、一級河川と書いてあるから、この流れはたぶん五条川を
経て木曽川に注ぐのだろう。  川土手に沿って枝垂れ桜が植えてあり、
植樹した人の氏名が記してあるのも面白い。
 しかし、川を離れて再び車の多い道にさしかかると、「目的地まで
3.1キロ」の案内表示があり、それも、狭い歩道と段差のあるどぶ板の
上を延々と歩くことになり、急に疲れが増した。

 犬山の城下町は、上本町・中本町などに別れていて、町内毎にそれぞれ
山車を保有しており、現在13台の山車があるそうだ。
 商店街はにぎやかで、菓子屋・仏具屋・呉服屋・飾り物屋等々、有りと
あらゆる店店が軒を並べ、通路は、一段高い所と低い所、アーケード式の
屋根が在る店と無い店など色々で、何しろ犬山市の街がこんなに繁昌して
いるとは知らなかった。

『触り布袋(ほてい)』が奉ってあるのは何という名前のお寺だったか、
残念ながら覚えていない。台の上に胡座を組んだ布袋和尚の像があり、
大きさは幼児くらいで、太鼓腹と金袋が独特である。みんな手を延ばして
触っていたが、陶製なのか金属製なのか、とにかくすべすべだ。

 どんでん館は、かの有名な犬山の山車やからくり人形、そのほか様々な
展示物が並び、二階の一角には視聴室があって、ボタンを圧すと、犬山の
歴史や祭りや日常生活を、テレビ画面とスピーカーの音声で説明して
くれる。
 建物の前(屋外広場)には、御影石だろうか、長方形のベンチが置いて
あり、縁は1センチくらいずつ面取りが施され、すべすべに磨いて
あって、その手触りは正に私好みだ。
「こんな椅子が、わが家の庭に在ったらいいなあ!」
 そうなれば、毎日腰掛けてひなたぼっこか読書をしたいところだが、
どうせ私のことだから、汚れないようにビニールカバーをかけたり、
風化を防ぐために板で囲ってしまうに違いない。

 さて、いよいよ犬山城である。
 私は過去5回ほどここに来たことがあり、歴史好きだし、日本最古の
天守閣というのが魅力だ。けれども、最近は、KT氏の葬式の帰りに
立ち寄ったきりで、あれから10年以上も訪れていない。
 まず、石畳の坂を上り、階段を上がって、城の入り口でスリッパに
履き代える。今日は、下足番係りのおじさんと、説明ボランティアの
おじさんが、どちらも高圧的な物言いで、来場客の気分をそこねる感じ
だったが、おそらく彼らは役所などの公務員を定年退職した人か? 
責任感はわかるが、上からの目線で指図する習慣が直らないようだ。その
点私も十分注意しなければならないと、自らに言い聞かせる。
 木造の城はやっぱり素晴らしい! 階段・手すり・柱・窓・床・張り・
破風・石落とし・付けやぐら・回廊…。一つ一つを詳しく説明
することはできないが、例えば、階段の高さは、1段が25〜30センチ
もあり、角柱の太さは、1辺が7寸あるいは8寸、窓格子の柱は3寸角、
張りの太さは、70〜80センチもある。
 最上階には絨毯が敷き詰めて在り、そういえば、歴代城主の誰かが、
西洋式絨毯を愛用していたと聞いた記憶がある。
 回廊は三尺幅で、手すりも木で出来ており、外側へ傾斜している感じ
なので、同伴者は足がすくむらしいが、眺めは抜群とのこと。今日は人出
が多くて、完全には一回りできなかったが、私はここで半日ゆっくり
寝そべって過ごしたいと、毎度思ってしまう。

 天守閣から下りて、庭のベンチで昼食の握り飯を食べた。
 今日は要所要所で携帯電話の歩数表示を確かめたのに、どの数字も記憶
していない。
 城に上る前にジャンパーを脱いだが、冷えて来たので、着直して出発
する。
 手洗いのそばに、ねじれたような樹があり、太さは一抱えもないが、
幹の表面が、子供の腕くらいの太さで螺旋系にとりまかれているような
手触りで、こんな樹は初めて見た。

 城の隣に針綱神社があり、横合いから境内に入って参拝した。名高い
割には小さな神社のように感じたが、長い階段を下ってみて、なるほど
規模の大きいことが解ったし、特に、丸い大きな石を無数に積み並べて
コンクリートで固めた石垣が延々と続いているのに触れて、その雄大さに
驚嘆した。

 先ほどとは別の川沿い道を歩いて、成田山新勝寺に着いた。
 交通安全を祈願して、車にお払いをしてもらう人が多く、自動車用の
道もきちんと出来ている。
 歩行参詣者は、階段を170余段も上らねばならないと聞いていた
ので、ICレコーダーに、ブロック(一塊)毎の段数を録音したつもり
が、失敗だった。確か、11段・12段・11段・12段を何回か
繰り返したから、170段は十分あるだろう。
「昭和28年に、千葉県の成田山からご仏体を分けてもらい、ここに
奉った」
 とあり、この寺が意外に新しいとわかった。

 寺の横から裏手に進み、坂道を下って、犬山遊園駅へ向かう。案内地図
には0.3キロとあるが、もっと長い感じがする。急坂が途中でいったん
緩やかになり、また急な傾斜に戻って、800歩弱で駅前の受け付け所に
到着した。受け付けでは完歩証をもらい、抽選でバスクリーン(入浴剤)
が当たった。
 満足な気持ちで帰宅し、本日の合計歩数は、21200歩だった。

 (以上、視覚障害者の観察で書きました。)

        [修正: 2011年 1月12日    竹木貝石]






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