AWC お題>リドルストーリー>旅は道連れ   永山


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#303/495 ●短編
★タイトル (AZA     )  06/11/28  21:40  (303)
お題>リドルストーリー>旅は道連れ   永山
★内容                                         06/12/02 00:58 修正 第2版
「『赤い洗面器』のオチ、知ってる?」
 私は途端に聞き耳を立てた。膝の上に載せたボストンバッグを、ぎゅっと抱
え直す。
 さっきからうるさいなと感じていた女子高生三人組の会話だったが、あの有
名な「赤い洗面器」のオチが聞けるとなると、これは聞き逃せない。
 好天に恵まれた休日、私は朝から電車に揺られていた。ボストンバッグ一つ
で各駅停車のローカル線に乗ったところ、うつらうつらし始め、気付くと電車
は緑の多い風景の中を走っていた。
 空いていた車内にくだんの女子高生三人組が乗り込んできたのもその頃で、
制服を着ているところをみると、それなりに真面目なのだろう。どこぞの博物
館が目的地のようだが、四人掛けのボックス席に収まり、用意したお菓子を食
べながらお喋りに興じる様はピクニックのようだった。
 他愛ない話題が続いたあと、唐突に「赤い洗面器」が飛び出した。
 ご存知でない向きに説明しておくと、「赤い洗面器」とは人気刑事ドラマの
中で繰り返し登場した、オチの示されないジョークである。
“ある晴れた日の午後、道を歩いていると、赤い洗面器を頭に載せた男が前か
ら来ました。洗面器の中にはたっぷりの水、男はその水を一滴もこぼさないよ
う、ゆっくり歩いてきます。私は「すみません。あなたはどうして赤い洗面器
を頭に載せているんですか?」と聞いてみました。すると男はこう答えました。
「それは君の……」”
 一字一句を正確に記憶している訳ではないが、だいたいこんな感じの話だっ
た。ドラマでは、オチに差し掛かる度に何らかの形で邪魔が入り、主人公の刑
事も視聴者も聞きそびれ、もどかしくてたまらなくなるのである。
「聞かせて、聞かせて」
 お喋りは続いている。電車の振動を感じながら、私は耳をすませた。
「男は答えました。『何でだって? 決まってるじゃないか。熱湯を入れてた
ら、こぼしたときに火傷してしまう!』」
「……何それ」
 二人の聞き役は拍子抜けした様子である。私も拍子抜けした。
 意味は分かる。「洗面器に水を入れているのは、火傷をしないためだ」とい
うのは理屈が通っている。質問した「私」の意図はそんなところではないのに
というずれた感覚も、ジョークらしいと言えばジョークらしい。
 だが、これではつながらないではないか。男は途中まで答えている。「それ
は君の……」と。
 女子高生の一人も、そのことで文句を付け、続けてこう言った。
「私が聞いたのは、違うオチだったよ」
 おお。ぜひ聞きたい。
「男は答えました。『それは君のような好奇心旺盛な人を見分けるためさ』」
「……うーん」
 今度は唸る聞き手二人。
 私も内心、がっかりした。つながってはいるが、はっきり言って面白くない。
どんな奇抜な行動を取ろうが、このオチにすれば当てはまることになる。
「ふふふん。やっぱり、二人とも真実は知らないんだね」
 オチを披露した二人に対し、最後の一人が勝ち誇ったようにほくそ笑んでい
る……と言っても、私の位置からは彼女らの細かな表情まではよく見えないの
だが、声の調子から想像できた。
「何よ、ほんとのオチを知ってるってこと?」
「へえ〜、随分と自信ありそうじゃない」
「実はね、私の遠い親戚のおじさんがドラマを作る仕事に関係してて、教えて
もらったんだって」
「まじ?」
 年甲斐もなく私も同じフレーズを発しそうになった。三度目の正直、今度こ
そ真の答が聞ける!
「ねえねえ、早く言ってよ。すっごく気になるじゃない」
 ねだられると、勿体ぶりたくなるのか、なかなか話そうとしない。ケーキか
何かをおごらせる約束を取り付け、やっと喋り始めた。
「こほん。では、言うわよ。えー、男は答えました。『それは君の答――』」
 お喋りが途切れた。私は思わず、彼女達の席に視線を向けた。変に思われぬ
よう、これまではなるべく避けていたのだ。
「――次の駅じゃない、降りるの?」
「え、あ、そうだ!」
「やばーい。荷物、広げっぱなし」
 窓の外を見るや、荷物を片付け始めた彼女達。すぐに車内アナウンスがあり、
その三十秒後には駅に到着していた。
「危なかったねー」
「うんうん。で、さっきの話は?」
「あ、あれは」
 ドアが開き、三人の女子高生は降りた。駅構内のアナウンスとドアの開閉音
に邪魔をされ、真のオチは聞こえなかった。
 私の正面の窓の向こうに、第三の女子高生の口が動くのが見えたものの、読
唇術の心得のない私には解読できるはずもない。
 何だこれは。くだんのドラマそのままではないか。
 もどかしさを溜め込んだ私だったが、どうしようもない。バッグを抱え直し、
速度を上げつつある電車の揺れに身を任せるほかなかった。

 甲高い声に目が覚めたとき、十分と経っていただろうか。
 声の方向を見やると、最前、女子高生三人が占領していた席に、男の二人組
が座っている。
「本当に奇遇だな。こんなところで会うとは」
 甲高い声の主が言った。眼鏡を掛けた色の白い若者で、神経質そうな細目を
している。
 彼の斜向かいに座る相方の男は、こちらに背を向けているため顔は見えない。
高身長らしく、頭一つ抜けている感じだ。そこにアフロヘアが合わさってます
ます大きく見える。
「ああ、そうだな」
 くぐもった声で応じるアフロヘア。それから彼らは缶飲料で乾杯した。学生
時代以来、約三年ぶりの再会のようだ。
 賑やかな二人組だなと眉を顰めていたのだが、飲み始めるとおとなしくなっ
た。無論、黙り込んだのではなく、テンションが下がっただけである。
「で、今も書いてるの、ミステリ?」
 眼鏡が尋ねた。アフロヘアは学生時代、推理小説を書いていたらしい。少々、
意外な組み合わせだ。
「ああ、暇なときにちまちまと。今も書きかけのがある」
 アフロヘアは小声で答えた。
「やっぱり、色んなタイプに手を出していると?」
「ああ、おまえと違って、トリックを次から次に思い付く才能には恵まれてい
ないからな。そういうおまえも今も書いていて、本格一辺倒なんだな」
「おお、さすがだね。その推理、ぴたりだ」
 嬉しそうに手を叩く眼鏡。再びテンションが上がってきた感じだ。アフロヘ
アの方は依然として沈着冷静で、「推理と言うほどのものか」と苦笑を漏らす。
「さすがに学生の頃ほど創作に充てる時間がないんで、トリックの浮かぶ数は
減っているが、まだまだ泉は涸れちゃいないぜ」
「そりゃ頼もしいな。投稿はどうなんだろう?」
「やってる。が、箸にも棒にもってやつだ。ストーリーがだめなんだよな、俺。
どうしても孤島か山荘に閉じ込めたくなる」
 そう言って笑い飛ばす眼鏡。熱っぽく語る様が、私のところからでも窺えた。
「そうだ。どうだろう、折角の再会を活かさぬ手はないぞ。一度でいいから、
共作で応募してみないか」
「二人で一つの作品を書くということか」
「うん。今の時代、インターネットやらメールやら便利なツールがあるから、
距離は関係ないだろう。まさか、パソコンやネットをしないとかいうこともあ
るまい?」
「まあ、そりゃそうだが。二人で書くというのが、どういう物か分からないな」
「俺だって初体験だが、基本的には一人のときと変わらないだろう。粗筋を作
る前の段階で、アイディアを出すのが一人から二人になるくらいじゃないか?」
「ああ。しかし、実際の執筆は……」
 ここで電車が次の駅で停まった。乗り降りはほとんどなかったようだ。推理
作家志望らしい二人の若者達は、しばし景色に意識をやったあと、電車が動き
出すのを待って会話を再び始めた。
「実際にどう書いたらいいのか、想像も付かないよ。俺とおまえが交互に書く
訳にはいかないし、前半と後半で分けると木に竹を接いだようになっちまう」
「うん、それがあるな。そうだなあ……できあがった粗筋の作風で決めてもい
いと思う。本格ばりばりなら俺、刑事物や法廷物ならおまえ」
「それ以外はどうする?」
「俺達二人が組んで、本格でも刑事物でも法廷物でもないストーリーができる
とは考えにくいが、まあそうなったときは、試行錯誤するさ」
「うーん、面白そうではあるんだが」
「じゃ、今ここで試しにやってみないか」
 声のトーンが一際上がり、表情も明るくなる眼鏡。
「俺とおまえで一つずつ、アイディアを出し合うんだ。そこから話をこしらえ
られないか、やってみようじゃないか」
「ジャンルも何も決めずにか」
「うん、とりあえずだからな。アイディアの方は、とっておきのを披露するの
はさすがに嫌だろうから、次善、いや三善ぐらいのやつでいい。あるいは、思
い付いたはいいがどう書いたらいいのか困ってるネタでもいいな」
「なるほどな。小さなネタなら学生のときも披露し合ったし、感覚が分かる。
あれはなかなか楽しかった」
「で、どうする? 俺からでいいか」
「ああ、頼む。俺はまだ何を話すか決めかねているし。あ、その前に、メモを
取っても?」
「結構結構。それだけ本気だってことだな」
 しばらくごそごそと衣擦れの音がして、また落ち着いた。
「いいか? じゃ、行くぞ。俺は俺らしく、トリックだ。それも王道の密室ト
リック。自称、驚愕の密室トリックだぜ」
 無邪気な言い種に、勝手に聞いている私は噴き出しそうになった。本当に驚
愕のトリックなら、拝聴したいものだ。
「場所は……古めかしい館か近代的なビルか、どちらかになるだろうな」
 いきなり、奇妙なことを言う。古めかしい館と近代的ビルでは正反対に思え
るのだが、違うのか。
「被害者は主に招かれた客の一人。名前は決めてないから、Aとしよう。夜、
宛がわれた部屋で床に就く。おやすみの挨拶に来た親友が退出し、ドアは閉め
られ、中から施錠される。親友が自室に引き揚げようと数歩歩いたそのとき!」
 声を大きくする眼鏡。雰囲気を出そうとするのはいいが、甲高い声には今ひ
とつ合っておらず、残念だ。
「部屋の中からおぞましい悲鳴。恐らくAの声だ。引き返し、ノブに飛び付く
親友。固い手応え。当然、鍵は掛かったまま。悲鳴を聞き付け、館の主その他
何名かが来る。主の命令でメイドか執事が合鍵を取りに行き、戻って来る。解
錠し、ドアを開ける。中ではAが死んでいた。巨大な剣で頭、両手足、胴体の
六つにばらばらにされて……」
「終わり?」
 眼鏡が言葉を切った五秒後に、アフロヘアが聞き返した。
 最初は小馬鹿にして耳を傾けていた私も、眼鏡の男の加速度を増して行く喋
り方に、つい引き込まれていた。
「一応、考えてみてくれよ。密室の謎を」
 眼鏡の唇の両端が上向きになる。アフロヘアはどんな顔をしたのか。
「うーん。今まで話した中にヒントは出尽くしているのか?」
「いや。出尽くしたどころか、一つも出てないな」
「何だそれ」
「直感でネタが割れるかどうかのテストさ。まあ、質問の一つや二つは受け付
けるぞ」
「……巨大な剣について手掛かりを全て示してくれよ」
「現場には合計五本あった。どれも同じ形状で、刃渡りは一メートルほど。刃
は鋭いが刀身は厚く、全体に重い造りになっている」
「一本につき人体の一箇所を切断したと考えていいんだろうな」
「ああ」
「となると……もしや、寝床の真上の天井にセットしてあった刀が、部屋の明
かりを消すと同時に落下する仕組みになっていたとかか」
「惜しい! うむ、その案も悪くないな。ただ、あまりに機械的すぎるのが欠
点と見なされるだろう。それに、刀を人の目から隠せるかねえ」
 かなり非現実的とは言えアフロヘアの答以外にないと思った私は、眼鏡の否
定により、ますます関心を高めることになった。泊まり客が一瞬にしてばらば
ら死体になる部屋……まるで魔術だ。
「分からんな。降参だ、教えてくれよ。早くしないと相談する間もなく、目的
地に着いちまうぜ」
 アフロヘアがその髪に指を突っ込み、かきむしりながら言った。
 そうだ、早く答を教えてくれ。さっきみたいに中途半端なところで下車され
てはたまらない――私は窓の外を見た。大丈夫だ。どの駅で降りるか知らない
が、次の駅まではまだしばらく掛かる。
「おまえの答も惜しいんだ、ほんとに。だから、俺の用意した答を聞いても怒
らないでくれよ」
 急に弱気になる眼鏡。種明かしをするとなーんだと言われる。密室トリック
とは往々にしてそういうものだろうから、早く!
「怒りはしないよ」
「じゃあ言うぞ。部屋に仕掛けがあることはあるんだ。ただし――」
 突然、車両の音がやかましくなった。窓を振り返ると、せせらぎが見えた。
 何たること! このタイミングで、鉄橋に差し掛かるとは! しかも長い。
 私は耳に手を当て、目を懲らしたが、眼鏡男の話す内容はさっぱり掴めなか
った。ああ、いっそ、あいつの隣に座れたら!
「――というからくりさ。どう?」
 やっと鉄橋を過ぎた頃には、肝心要の説明は終わっていた。アフロヘアはメ
モを取り終わると、「微妙だな」とコメントした。彼が「素晴らしいトリック
だ」と言わなかったことが、私にとってはせめてもの慰めである。
「そのトリックで読者全員を納得させるには、状況設定をかなり工夫しないと
難しそうだ」
「やっぱり、そう思うか。自覚はあるんだ。謎として魅力を覚えるから、捨て
きれないんだよなあ」
「気持ちは分かる。一番の問題は、このままだと館の主イコール犯人になって
しまうんじゃないか」
「うう、それもあるな。その辺をうまく、味付けできないかというのが俺から
の相談だよ」
「取り組み甲斐はありそうだけど、正解があるのかどうか。まあいい。次、俺
のを聞いてくれよ」
「あ、そうだった」
 ちょうど駅に着いた。次の話もいいところで打ち切られるようなら、まだ始
めていない今、ここで降りてくれないものか。
 私の願いとは裏腹に、彼ら二人は残った。乗り込む客も少なく、二人組の会
話を聞き取るには充分な環境が保たれている。
「俺のは完全犯罪を成し遂げようとする犯人の物語さ。倒叙にするか法廷物に
するか、迷っているんだけど」
「とにかく聞かせてくれよ。楽しみだな」
「でも、話しにくいんだよ。完全犯罪のはずの計画のどこに綻びがあったのか。
興味はそこに集約される訳で、事件の背景などはいかようにも味付けできる。
ポイントを絞って話すと、ばればれになるし」
「読者としちゃ、完全犯罪が本当に完全犯罪たり得る計画なのかってことにも
チェックが厳しいと思うぜ」
「ふむ、それもまた真理だな。じゃあ、話すとしよう」
 アフロヘアは饒舌になって切り出した。
「登場人物は犯人Xに元恋人A、Aの現在の恋人でXの親友にしてライバルの
B、そして彼らとは面識のない男Cとしておこう」
「ちょ、ちょっと待った。俺もメモを取る」
「――いいな? Xは交換殺人の共犯としてふさわしい人物を以前から探し求
めていた。そしてCと巡り会ったことで、計画が動き出す」
「交換殺人かぁ」
「全てを聞かない内からがっかりするなよ。いくつか捻りをいれてるんだから。
XはCにAを殺してほしいと依頼する。交換殺人の約束が成立し、Cは当然、
Xに殺してほしい相手のことを伝えるんだが、その辺りは割愛するよ。先にC
が殺害を決行、これに成功する。XはCとの約束を守らず、C自身を殺す。し
かも、Bに罪を被せる形で」
「おお。つまり、こういうことか。恋人Aを殺されたBが犯人Cに復讐した図
式に見せかける……」
「ああ」
「交換殺人の変形に、罪のなすり付けをプラスか。うん、ちょっと面白いね。
二捻りしてある訳か」
「完全犯罪っぽいかな?」
「聞いた範囲では、うまく行きそうだな。Cに先に殺しをさせる動機付けとか、
Bにどう濡れ衣を着せるのかという点が気になるけれど」
「その辺は考えてある」
「最も気になるのは、最初におまえが触れた、この計画の欠点だな。どんなの
を考えているのか、教えろよ」
「まあ、ここまで来たら言ってもいいか」
 私はこの先の線路について思い出してみた。うん、鉄橋もトンネルもない。
駅に着くまではあと少しだけある。さあ、今度こそ結末を聞かせてもらおうじ
ゃないか。
 そう身構えた矢先、連結部に通じる扉ががらりと開けられた。立っていたの
は制服姿の男、車掌だ。もしや……。
「切符を拝見いたします。ご協力お願いします。また、乗り越しをされる方は
お気軽にお申し出ください」
 よく通る声で宝に宣言すると、端の席にいる客から順に、検札を始める。
 案の定、眼鏡とアフロヘアも会話を中断し、ポケットをまさぐって財布を取
り出すと、そこに挟んであった切符を手にする。
 私は彼らより先に検察を終え、じりじりしつつ、様子を見守った。
「すみません。僕の方は乗り越しです。彼と同じ**駅まで」
 と、これはアフロヘア。眼鏡と偶然の再会を果たし、そのまま同道すること
にしたという話だったから、乗り越し運賃を払うのも不思議ではない。
 いや、それよりも重要なのは、**駅とは次の駅ではないか! またもや聞
き損なってしまうのは、最早明白であった。
 私は苛立ちから床を一度だけ踏み鳴らした。

 推理作家志望コンビが降りた駅では、大勢の乗客があった。そのほとんどは、
日帰り登山が目的らしい中高年の男女だった。グループで来ている者も多いら
しく、車内はたちまちにして賑やかになった。こうなっては、特定の会話を盗
み聞きすることなぞ、とてもかなわない。
 しかし……私の腹の虫は収まっていなかった。三連続でおあずけを食らった
のだ。加えて、どれもそれなりに面白そうな話であった。この苛々をどこにど
うぶつければいいのか。
 たわいないお喋りに花を咲かせる人々、その楽しげな顔を眺めていると、ま
あいいかという気持ちよりも、釈然としないもやもやが勝ってしまう。目を閉
じても気分は変わらない。耳が、ごっちゃになった言葉のやり取りを嫌でも捉
えてしまう。塞いでも隙間から音が入り込んで来た。
 だめだ。何か気晴らしをしないと、どうにも収まらぬ。
 私はしばし黙考し……一つの大きな決心をした。

           *           *

 ボストンバッグを抱え持つその初老の男性は、電車がスピードを落とすと、
ふわりと席を離れた。ドアの際へと移動し、外を向いて仁王立ちする。
 と、バッグを片手に持ち直すと、もう片方の空いた手を懐に入れた。元に戻
されたその手には、携帯電話が握られている。どうやら、到着を見越した相手
から電話が入ったらしい。よくある光景に、いちいちとがめ立てする者もいな
かった。
「ああ、私です」
 電話に出ると、男は意外と大きな声で喋り始めた。車内を窺うような視線を
一巡りさせたあと、続ける。
「ええ、もうすぐ着きますよ。――はい? ええ、ええ。もちろんですとも」
 彼はボストンバッグを脇に抱えた。
「あの三億円事件の真相を全てお話ししますよ。証拠のぶつも、ちゃあんと運
んで来ましたから」
 男はそう言って電話を切った。
 それと同時に電車はプラットフォームの所定の位置で停まり、ドアが口を開
けた。
 男は悠々とした足取りで降りて行った。

――終




 続き #494 赤洗面器男の冒険   永山
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